【242】 ○ 山本 七平 『日本人の人生観 (1978/07 講談社学術文庫) ★★★☆

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ユダヤ・キリスト教圏との歴史観の違いから来る人生観の違いを指摘。

日本人の人生観.jpg   比較文化論の試み.jpg 山本七平.jpg 山本 七平(1921-1991/享年69)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)』〔'78年〕 『比較文化論の試み』講談社学術文庫〔'76年〕

 同じ著者の比較文化論の試み』('76年/講談社学術文庫)を読んで、日本で常識とされているものをまず疑ってみるその切り口に改めて感心させられ、もっと論じられても良い人なのかもと思い、一般はともかく学者とかには敬遠されているのかなとも思いつつ、本書に読み進みました(著者は'81年、第29回「菊池寛賞」受賞)。

 こちらの方は、日本人の変わり身の早さや画一指向を、その歴史観と人生観の関わりから考察したもので、講演がベースの語り口でありながら、内容的にはややわかりにくい面もありました。

 要するに、旧約聖書から始まるユダヤ・キリスト教文化圏の歴史観には、終末を想定した始まりがあり、人生とはその全体の歴史の中のあるパートを生きることであり、トータルの歴史の最後にある、まさにその「最後の審判」の際に、改めてその個々の人生の意味が問われるものであるとの前提があるとのこと。
 つまり、個人の人生が人間全体の歴史とベタで重なっているという感じでしょうか。

 それに対し、日本人の歴史観は始まりも終わりも無いただの流れであり、個々の人生は意識としてはそうした流れの「外」にあり、「世渡り」とか"今"に対応することが重要な要素となっていると...。 
 
 鴨長明の「方丈記」冒頭にある「行く川の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず」というフレーズは、結構日本人の心情に共感を呼ぶものですが、著者は、このとき長明は川の流れの中ではなくて川岸にいて川の流れを傍観しているとし、それが歴史の流れの「外」にいることを象徴していると述べています。
 
 前著『比較文化論の試み』よりやや難解で、それは自らの知識の無さによるものですが、加えて、今まであまり考えてみなかったことを言われている気がするというのも、要因としてあるかも知れません。
 今後、歴史関係の本などを読む際には、こうした視点を応用的に意識して読むと、また違った面が見えてくるかもと思いました。

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