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意外とエキセントリックな印象を受ける河口慧海。大ボラ吹きではないかと言われたのもわかる。
講談社学術文庫(全5巻) 〔'78年〕(表紙絵:平山郁夫)『チベット旅行記 1 (1) (講談社学術文庫 263)』『チベット旅行記 2 (2)』『チベット旅行記 3 (3) (講談社学術文庫 265)』『チベット旅行記 4 (4) (講談社学術文庫 266)』『 チベット旅行記 5 (5)』 講談社学術文庫(上・下巻) 〔2015年〕『チベット旅行記(上) (講談社学術文庫)』『チベット旅行記(下) (講談社学術文庫)』 抄本 『チベット旅行記 抄 (中公文庫BIBLIO)』['04年]
インド仏典の原初の形をとどめるチベット語訳「大蔵経」を求めて、100年前に鎖国状態のチベットに渡った河口慧海(1866-1945)のことを知ったのは、中学校の「国語」の教科書だったと記憶しています。雪のヒマラヤを這っている"不屈の求道者"慧海の挿絵が印象的でした。
事実、「近代日本の三蔵法師」」と言われた人ですから、「高貴なインテリ僧」を思い描いていましたが、この旅行記(探検記)を読んでかなりイメージが変わりました。語り口がユニーク、エキセントリックというか、誇大妄想癖があるかと思えば、すっとぼけている面もあるというか、彼が帰国後に一時、大ボラ吹きではないかと言われたのもわかります。
かなり粘着質なのか、出発のときにどんな餞別を貰ったかということから(だからなかなか出発しない)、チベットの人はどうやって用を足すのかということまで(ほとんど文化人類学者の視点)細かく書かれています。結果として、当時の日本やチベットことがよくわかる記録となっています。そのくせ、時々記述がジャンプしたりして、彼がどういうルートでインドから徒歩でヒマラヤ越えしたのかなどはよくわかりません。これは、彼のチベット旅行が"密入国"であったことも関係しているのかもしれません。
旺文社文庫に1巻で収められていましたがその後絶版になり、旺文社文庫版と同年に刊行された講談社学術文庫では5分冊になっています。講談社学術文庫は時々こうした細かい分冊方式をとることがありますが、どうしてなのだろう? 但し、本書に限って言えば、表紙は平山郁夫(1930-2009)画伯が絵を描いている学術文庫の方が良く、それを5つ分楽しめるのはメリットかもしれません(●その後、2015年に上下2巻の改訂版が
同じく講談社学術文庫にて刊行されたが、表紙は絵から写真になった)。
高原の泥沼中に陥る モンラム祭場内の光景及び問答 (ともに電子書籍版(グーテンベルグ21)より)
仏教・仏典に関する記述など専門家以外にはやや退屈な部分もありますが、'04年に中公文庫BIBLIOでエッセンスを1冊にまとめた抄本が出ていますので、そちらの方が手軽には読めるかも知れません。さらにサワリだけならば、電子書籍版(グーテンベルグ21)で閲読できます。
【1978年文庫化[旺文社文庫 (全1巻)]/1978年再文庫化[講談社学術文庫 (全5巻)]/1978年単行本〔白水社〕・2004年改訂〔白水Uブックス (上・下)〕/2004年抄本〔中央公論新社 (全1巻)〕/2015年再文庫化[講談社学術文庫 (上・下)]】