【223】 ◎ 鈴木 董 『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』 (1992/04 講談社現代新書) ★★★★☆

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オスマン帝国が超大国になりえた理由、衰亡した原因を独自に考察。

オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」.jpgオスマン帝国.jpgオスマン帝国』 講談社現代新書 鈴木董.jpg 鈴木董(すずき・ただし)氏 (東大東洋文化研究所教授)

 学校教育の世界史の中でもマイナーな位置づけにある「オスマン帝国」は、イスラム帝国につきまとう「コーランか剣か」という征服者的イメージに、近年の過激な原理主義のイメージが重なり、ネガティブ・イメージさえ持たれているかもしれません。しかし本書を読むと、内陸アジアの遊牧民に始祖を持つトルコ民族が築いたこの国が、宗教的に寛容な多民族国家であり、多様な人材を登用するシステムを持った「柔らかい」支配構造であったがゆえに超大国たりえたことが、よくわかります。
スレイマニモスク
モスク.jpg オスマン帝国と言えばスレイマン大帝(スレイマン1世)ですが、1453年にビザンツ(東ローマ)の千年帝都コンスタンティノープルを無傷のまま陥落させたメフメット2世というのも、軍才だけでなく、多言語を操り西洋文化に関心を示した才人で、宗教を超えた能力主義の人材登用と開放経済で世界帝国への道を拓いた人だったのだなあと。

 そして16世紀のスレイマン時代に、エジプト支配、ハンガリー撃破、ウィーン包囲と続き(やはり戦いには強かった)、3大陸に跨る帝国の最盛期を迎えますが、古代ローマ帝国に比する地中海制海権を握ったことも見逃せません。

 本書後半は、スレイマンが帝国の組織やシステムの整備をどのように行ったが、政治・行政・司法・財政・外交・軍事・教育など様々な観点から述べられており、特に、羊飼いから大臣になった人物がいたり、小姓から官僚になったりするコースがあったり、また、そうした人材登用のベースにある「開かれた大学制度」などは興味深いものでした(次第に富裕層しか行けないものになってしまうところが、今日の「格差社会」論に通じるところがあります)。

 1571年のレパント海戦に敗れて帝国は衰退の道を辿りますが、一般には「魚は頭から腐る」というトルコの諺を引いて、権力者や官僚の堕落と腐敗が衰亡の原因とされているところを、著者はまた違った見方を示しているのが興味深いです。

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