【221】 ◎ 森島 恒雄 『魔女狩り (1970/02 岩波新書) ★★★★☆

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「教会史を勉強すると信仰心が揺らぐ」と言われる所以がここにあるという気がした。

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魔女狩り』 岩波新書

 本書を読んで、「魔女裁判」は15世紀から17世紀に特に盛んに行われ、とりわけ1600年をピークとする1世紀が魔女狩りのピークだったことがわかり、ちょうどルネサンス時代と重なる、中世でも末期の方のことだったのだなあと再認識しました(もっと以前のことかと思っていた)。
『魔女の鎚』の表紙
200px-Malleus_1669.jpg 十字軍を契機に始まった「異端尋問」が「魔女裁判」に姿を変えていく過程が、文献などにより緻密に検証されており、カトリック法皇などの政治的意図の下に、ベルナール・ギー(映画『薔薇の名前』にも出てきた異端尋問官)の『魔女の鎚』などの書によって理論強化(無茶苦茶な理論だが)され、異端者の財産没収が経済的動機付けとなって(聖職者同士の争いまで生じたとのこと)、ヨーロッパ中で盛んに行われたわけです。

 科学史家の眼から、裁判の不合理性や拷問の残虐さが淡々と綴られていますが、刑罰史的に見ても貴重な資料が多く含まれていると思いました。『犯罪百科』のコリン・ウィルソンなども研究対象としているように、これは「教会の犯罪史」と言えるかもしれません。キリスト教に帰依しようとしつつあった知人の大学教授が、「宗教史(教会史)を勉強すると信仰心が揺らぐ」と言っていたのを思い出しました。

 結局、異端者として捕らえられた者は、自分が魔女であることを自白すれば絞首刑にされた上で死体を焼かれ、否認し続ければ生きながらにして焚刑に処せられる(これが捕らえられた者にとっていかに大きな恐怖であったことか)、しかも(存在するはずもない)共犯者の名を挙げない限り拷問は続くという、そのことによる新たな犠牲者の創出という悪循環が、教会の正義の名の下で続いたわけです。

 現代に置き換えれば、原理主義や"民衆の暴力"というものに対する批判の意味での読み方(自省も含めて)もできますが、最終章で紹介されている、裁判の後に長い年月を経て世に出た、処刑を控えた人(異端者には男性も含まれた)が家族などに宛てた手紙に見られる、その張り裂けんばかりの悲痛な心の叫びは、ただただ胸に迫ってくるばかりです。

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