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「●中公新書」の インデックッスへ
著者の「荘子」への思い入れを感じる。その分、一面的な捉え方も。
『荘子―古代中国の実存主義』中公新書 〔'64年〕 荘子(前369-前286).
道教思想研究の第一人者・福永光司(ふくなが・みつじ 1918‐2001)による本書は、初版出版が'64年で、中公新書の中でもロングセラーにあたります。
荘子の生い立ちや時代背景をもとにその人間観を著者なりに描くとともに、「道」の哲学や「万物斉同」の考えなどをわかりやすく説明しています。
「荘子」に見られる洞察の数々は、儒家批判から生じたとものだとしても、現代とそこに生きる我々に語りかけるかのようです。「平和」が「戦争」の対立概念としてある限り戦争はなくならない、などといった言葉には、なるほどと頷かされます。
不変の真理とは不変のものは無いということ、ならば生を善しとし死を善しとしようという「荘子」への著者の思い入れが感じられますが、そのぶん著者も認めているように「荘子」の理解に一面的な部分があるので、荘子哲学に関心がある方は他書も読まれることをお薦めします。
《読書MEMO》
●「平和」が「戦争」の対立概念としてある限り戦争はなくならない〔除無鬼篇〕(102p)
●知恵才覚のある人間は発揮の場がなければ意気消沈し、論争好きな人間は恰好の論題がなければ生きがいを失い、批評家はあら探しの種がなければ退屈する〔斉物論篇〕(110p)
●神を「アリ」「ナシ」と規定したところで、現象世界のレベルの話で意味はない〔則陽篇〕(110p)
●神がこの世を作ったとしても、その神を誰が作ったのか(自ずから生じたということになる)〔斉物論篇〕(133p)
●道は現実世界の中にあり、物とは存在の次元が違う〔知北遊篇〕(136p)
●道は通じて一となし、万物は道において斉(ひと)しい。真実在の世界においては、人間の心知(分別)に生じる差別と対立はその根源において本来一つ、一切存在はあるがままの姿において本来斉しい〔斉物論篇〕(144p)
●この世において不変の真理があるとすれば、それは一切が不変でない-一切が変化するという真理だけ〔則陽篇〕(153p)