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「知能指数の極めて高い人=天才」ではないことを教えてくれる本。
『天才』岩波新書 〔'67年〕
「天才」とは何かを指摘した本で、ミケランジェロからベートーベン、ゲーテ、ドストエフスキー、マルクスまで数多くの天才をとりあげ、彼らを心理・精神医学的に分析していて興味深く読めます。
著者によれば、知能指数の極めて高い人が「天才」なのではなく、それは「能才」と呼ぶべきもので、「天才」には創造的能力が無ければならないということです。しかし、「天才」の多くは知能指数が高かった(つまり「能才」の素質を兼ねていた)と推定されるようです。
また、著者によれば、「天才」は、成功し世に認められなければ「天才」とは呼ばれないとのことです。ですから「天才」は、〈時代の要請〉との相性が合った人たちとも言えるのではないでしょうか。
ところが、「天才」の多くには心理学的に異常な面があり(その異常性が創造性に結びつくと著者は考えている)、「能才」に比べて社会的適応性が無かったか、あるいはそれを犠牲にした人物がほとんどを占めているとのことです。従って、後世に認められたとしても、本人が生きている間は不遇だったりするケースが多いのです。
著者の主張は、「天才」は正常な精神の持ち主ではない、というアリストテレスの「天才病理説」に帰結します。従って、「天才」は教育で創られるものでもない、ということになります。
興味深いのは、ラファエロのように、推定知能指数が110程度の「天才」もいることで、「天才」の1割は"正常"(?)だったという研究もあり、彼もその1人ということになるようです。ラファエロは14歳ですでに画家として有名でしたが、画風や仕事ぶりは職人(または親方)タイプだったそうです。「天才」グループに紛れ込んだ"偉大なる職人"とでも言うべきでしょうか。
ウィキペディアによれば、ラファエロは建築家としても異例なほどに大規模な工房を経営しており、37歳という若さで死去したとは考えられないほどに多数の作品を制作したとのことで、彼の業績には、親方としての才能(リーダーシップ)による面もかなりあるのではないでしょうか。