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オーソドックスな入門書。精神分析は「了解心理学」であるという説明は"しっくり"くる。
宮城 音弥 (1908-2005/享年97)
『精神分析入門』 岩波新書 〔'59年〕
'05年に97歳で逝去した心理学者・宮城音弥氏の著作。初版が1959年という古い本ですが、精神分析の入門書としてはオーソドックスな内容だと思います。
本書によれば精神分析とは、心理学とくに深層心理学としての「精神分析」を指す場合と、フロイト学説としての「精神分析」を指す場合があるとのこと。本書では前者に沿って、精神分析を深層心理学の観点から説き起こし、引き続き、人格心理学、性心理学、異常心理学、臨床心理学など広い観点から解説しています。そして最後に、フロイトの理論や、以後の、ユング、アドラー、新フロイト派の理論を紹介しています。ただし本文を読めば、精神分析という精神療法がフロイトによって完成されたことには違いなく、フロイトは、その方法を通して、様々な学説を発表したのだということがわかります。
精神分析における「抑圧」「合理化」「同一視」「昇華」といったタームは、無意識を解析するさまざまな手掛かりを我々に与えてくれます。しかし、これって「科学」なのだろうかという疑問が付きまといます。この疑問に対し、本書で用いられている精神分析は「了解心理学」であるという説明は"しっくり"くるものでした。つまり、観察者と被観察者の間の了解(共感)のもとに成り立つ心理学であって、一般の自然科学の方法とは異なると。パーソナリティを研究する場合に、自然科学の方法ではその一部の解明にしか役立たないということでしょう。ただし、そうなると、どんどん思念的なっていくのは避けられないように思います。
フロイトは当初、「精神の構造」というものを、意識(自分自身で意識しているもの)・前意識(思い出そうとすれば思い出せるもの)・無意識(意志の力では思い出すことのできぬもの)に分けていましたが、これらは単に精神構造の種類を示したものにすぎず、フロイトは精神の図式を「より固定たもの」にしたかった、例えば抑圧する精神(パーソナリティ)の部分の問題にしたかった―人間が良心的にふるまうとき、その良心のありかを語ろうとした―そこで出てきたのが「自我」「超自我」「イド」というものだったのだなあということがよく分かりました。