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2006年08月30日

【335】 △ ロン・クラーク 『あたりまえだけど、とても大切なこと―子どものためのルールブック』 (2004/06 草思社) ★★★

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平凡でも「ルール」として教え込むことで得られる効果。

あたりまえだけど、とても大切なこと.jpg 『あたりまえだけど、とても大切なこと』 (2004/06 草思社) クラーク.jpg ロン・クラーク氏

 著者は大学を出て世界中を放浪した後、たまたま'95年に小学校教師となってハーレムの問題児が多い学級を担当しますが、学級を立て直すために、祖母から教わった礼儀作法をルールにして生徒たちに教え込みます。
 この本にあるのはその50のルールなのですが、のっけから「大人の質問には礼儀正しく答えよう」といった平凡なものが出てきます。
 これが最も重要なルール、ということですが、その「効果」(成果?)が凄くて、ニューヨーク市一帯から応募がある募集者数30の難関中学校の面接試験に、著者のクラスから12人受けて全員が合格したという。

 こうした調子で、
 「口をふさいで咳をしよう」
 「何かもらったら3秒以内にお礼を言おう」
 「だれかとぶつかったらあやまろう」
 といったルールが、具体例やその「効果」(成果)とともに紹介されています。
 著者の教室の子どもたちは、態度も変わり、成績も全米トップクラスとなり、地域貢献プロジェクトを実施し、ついにホワイトハウスにクラス全員が招かれるという…(少しアメリカン・ドリーム的な描き方ではあるのですが)。

 日本にもそうした落ちこぼれ学級を活力と秩序ある学級に蘇らせた先生の話はありますが、放っておいても身につくような平凡なことでも(これが実際には身につかなかったりする)「ルール」として教え込むというところが著者の特徴でしょうか。
 もちろん素早く態度で示す判断力、行動力も必要だし、継続する意志力も大切。こうなってくると教師個人の資質的なものを感じます。

 著者は'00年に「全米最優秀教師賞」を受賞したそうですが、これは国ではなく民間(ディズニー)で定めた賞です。
 日本でも民間で決めるならばあってもいいかなと思いますが(家庭教師派遣会社などで似たようなものがありますが、ほとんど販促用の人気投票みたいなものになっている)、まずムリでしょう。

 また一方で、著者の教育法は旧来の「アメとムチ」方式に過ぎないのではないかという批判も米国ではあるようです。
 自分自身もそのことは大いに感じ、自分が「ハリー・ポッター」シリーズのクラス間の点取り合戦的なところが好きになれない理由と同じような要素も、この本にはあると…。

 でも、学校でカリキュラムをこなすことだけに汲々としながら授業をしている教師も多いわけで、家庭の役割か学校の役割かを問う前に、子どものために考えてみなければならないことも多いと思いました。

投稿者 wadamy : 00:26

【334】 △ 糸山 泰造 『新・絶対学力―視考力で子供は伸びる』 (2004/03 文春ネスコ ) ★★★

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「陰山先生」がいいのか「糸山先生」がいいのかと言うよりも…。

新・絶対学力.jpg  『新・絶対学力―視考力で子供は伸びる』 (2004/03 文春ネスコ )

 著者は、塾講師に教え方を指導する仕事などをしている人。前著『絶対学力』('03年/文春ネスコ)で、基礎学力とは計算を速くしたり、漢字を暗記することではなく、教育とは人生を楽しむことができる力を育てることだとし、「教科書の音読・漢字の書き取り・計算ドリル」を「お粗末3点セット」と批判したことで話題になりました(この批判が、陰山英男氏の「百ます計算」や「公文式」に向けられているのは明らか)。

 本書ではこの考え方をさらに進め、「イメージ」できれば「考える力を伸ばせる」とし、「視考力」という言葉でそれを言い表しています。具体例として文章問題の解き方などを示していて、なるほど「読み書き計算」の反復練習だけでは、こうした問題を解くための「考える力」はつかないかも、と思いました。

 陰山氏も公文も「生きていく上での基礎的能力」「生きる力」などという言い方をしています。
 結局のところ、親がどの言い分にフィット感を感じるかだけであって、子どもに対しては、単に学習させる方法の違いになるのではという気もします。
 「陰山先生」もこの「糸山先生」も家庭学習の重要性を説いています。
 陰山先生だって「百ます計算」が全てだと言っているわけではないし、糸山先生だって、行き着くところは「ドリル」なのです。
 多くの親は、子どもの得手不得手などを見ながら、両者の良い点を取り入れようとするのではないでしょうか。

 「百ます計算」が悪いとは思いませんが、一つの方法論が絶対視されるのは、何だか気持ち悪い。だから、こうした違った方法論が出てくるのはいいことだと考えます。
 こうした方法論を「生きる力」とともに唱える論者が、一部の親から“教祖”視されるのは、ある程度やむを得ないのかも。
 教師はある程度、冷静でいて欲しいと思います。
 新たな方法論が話題になるたびに、教師に「目からウロコ」と感動されていたのでは、ついていく生徒の方がシンドイ。

投稿者 wadamy : 00:17

【333】 △ 陰山 英男 『学力は家庭で伸びる―今すぐ親ができること41』 (2003/04 小学館) ★★★

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たいへん真っ当な内容という印象を受けたが、実行するのはナカナカ…。

学力は家庭で伸びる.jpg  『学力は家庭で伸びる―今すぐ親ができること41』 (2003/04 小学館)

 著者は「百ます計算」「読み書き計算」ですっかり有名になりましたが、本書は家庭内におけるルールブックであり、「学力」というものを「生きる力」というふうに広く捉えた教育論になっています。

 「習い事が多くても週3日を限度に」とか「食事のときはテレビを消す」とか「運動会で我が子をビデオで追いかけ回さない」とか、たいへん真っ当な内容であるという印象を受けました。
 「百ます計算は効果が出るまで続ける」なんてのもありますが、全体を通して、自らの試行錯誤の上に築いた信念と熱意が感じられるし、基礎体力や親子の触れ合いを大切にする一方で、過干渉を戒めるなど、バランスがとれていると思いました。
 「陰山メソッド」を簡単に言い表わせば、「読み書き計算」+「早寝・早起き・朝ご飯」ということになるのでしょうか。

 少し気になったのは、〈編者らしきが挿入している文章〉にある「山口小学校の奇跡」とかいった言葉の端々に、出版社の思惑が見えることです。
 この本の前にも、『子供は無限に伸びる』('02年/PHP研究所)、『本当の学力をつける本』('02年/文藝春秋)を出していて、後者は発行後2年半で50万部を超える売り上げを記録し、この『学力は…』もそうですが、この後に出た本も続々とベストセラーになっています。
 何だか出版社が布教する「陰山教」みたいな感じもしないでもありません。

 それと気になるのは、書いてあることを実際にやろうとすると、家庭も〈学校化〉しなければならない気もして、結構たいへんかもしれないという感じもするのです。
 母親向けの女性誌「マフィン」に連載されたものがベースとなっているそうですが、仕事を持っている母親に対する視点などはあまり感じられなかったのが残念でした。

【2007年文庫化[小学館文庫]】

    

投稿者 wadamy : 00:07

2006年08月29日

【332】 △ 諸富 祥彦 『子どもよりも親が怖い―カウンセラーが聞いた教師の本音』 (2002/10 青春出版社プレイブックス・インテリジェンス) ★★★

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“現場教師の作戦参謀”が敢えて広く世間に議論を求めた本か。

子どもよりも親が怖い.jpg 『子どもよりも親が怖い―カウンセラーが聞いた教師の本音』 ('02年/プレイブックス・インテリジェンス)

 著者はトランスパーソナル心理学(現代心理学とスピリチュアリティを統合した心理学)が専門の大学の先生であり、臨床床心理士であると同時に教育カウンセラーでもあり、この本は教育現場の教師の立場から、学校にすべての責任を押し付ける傾向にある親に対する批判の書となっています。

 実際「子ども」よりも「親」が教師の悩みの種という状況は、かなり多くあるのでしょう。
 「困った親」のタイプを本書で列挙していますが、こうした親が増えているのかも知れないと思わせるものです。
 もちろん校長や一部教師にも問題人物がいることを、具体例をあげて示していますが、著者の基本スタンスは「問題の子どもの背後には問題の親がいる」ということではないかと思われます。
 こうして一般書として刊行された場合、より多くの教師の目に留まり、自分を追い込みがちだった教師の救いになる可能性も多くなる一方、多くの親たちの目に触れるので、その場合に親たちの自省を促すだけの説得力のある内容になっているかどうか、やや疑問も残りました。

 最終章に「親と教師でおこなう学校改革13の提言」を掲げていますが、「親こそ教育の主体である」「親と教師。必要なのは信頼できる関係づくり」などやや抽象的で(部分的には具体的な提案もありますが)、最後にはスピリチュアリズムっぽい話になってしまいます。
 
 著者のホームページのプロフィール紹介には、「時代の精神(ニヒリズム)と闘うカウンセラー、現場教師の作戦参謀。」とあり、教師向けには『教師がつらくなった時に読む本』(諸富祥彦教師を支える会編/'00年/学陽書房)なども出しているので、この新書本は行動派の著者が、敢えて広く世間に議論を求めた本と解せないでもありませんが、教師寄りの立場が鮮明なだけに、どう親に読まれるか危惧も感じます。

《読書MEMO》
●親の世代間格差(30-35p)…
 1.教師に協力的な「山口百恵」世代
 2.自己中心的な「松田聖子」世代
 3.我慢することを知らない「浜崎あゆみ」世代
●親のタイプ(84-90p)…
 1.優等型の親に多い「支配型」…幼稚園などで他の子に対しても細かく注意する
 2.「家来型」…子供はわがままに
 3.「放任型」…子供が非行に走りやすい
●理不尽なことを言ってくる親に説得は通じない。まず、相手の話を聴くこと(158p)

  

投稿者 wadamy : 00:46

【331】 ○ 陰山 英男 『本当の学力をつける本―学校でできること 家庭でできること』 (2002/03 文藝春秋) ★★★★

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示唆に富み、説得力もある。やや感動的で、やや複雑な思いも。

本当の学力をつける本.jpg (2002/03 文藝春秋)  見える学力,見えない学力.jpg 岸本裕史 『見える学力 見えない学力』('96年/大月書店)

 '02年出版の本書はベストセラーになり、著者である陰山先生の「百ます計算」や「陰山メッソッド」は広く世に知られることになりますが、本書執筆時には著者は未だ、兵庫の進学塾もない山あいの小学校の一教諭でした。

 著者が本書でも提唱している「百ます計算」は、『見える学力 見えない学力』('96年/大月書店)という著作がある岸本裕史氏が創案したものですが、本書の内容は、方法論だけでなく、学力観から教育の姿勢まで、著者が師とする岸本氏の主張と重なり、著者は岸本氏の考え方の良き実践者であり伝道者であるという印象を受けました。

 岸本氏は「読み書き計算」に代表される基礎学力を重視し、「落ちこぼれをなくすにはどうすればよいか」といことを常に課題としてきた方ですが、本書の基本姿勢も同じ。家庭における教育や生活環境の重要性を力説する点も同じ。
 ただし単なる賛同意見ではなく、10年以上にわたる実践を経て得た成果と確信に基づいての主張となっていて、示唆に富み、説得力もあります。

 また本書を通じて、教師が学習指導要領という枠の中で苦闘し、ゆとり教育と学力低下の間で悩んでいる実態も窺えます。
 少人数学級と不適格教師の問題にも触れている(つまり少人数学級の促進が不適格教師を“生き延び”させることに繋がることがあるという問題)。

 最終章に「反復練習」を基本とした実践が全国に拡がっていく過程が書かれていますが、親の学歴や収入などによって進路が左右されたり、学力をつける機会を失ったりすることがないようにという公立校の一教諭(もちろん著者のことですが)の熱意がベースにあったと思うとやや感動的ではありました。

 ただ、この本の帯に「有名大学合格者が続出」「驚異的に伸びる!」といった文字が躍っているのを見ると、1つの方法論に親が傾倒し、小学校が「百マス計算」を入学案内の謳い文句にするような流れとあわせ、やや複雑な思いもします。

投稿者 wadamy : 00:43

【330】 ○ 石原 千秋 『秘伝 中学入試国語読解法 (1999/03 新潮選書) ★★★★

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中学入試国語読解問題を気鋭の国文学者とともに解く。

秘伝 中学入試国語読解法.jpg 新潮選書      パパは塾長さん.jpg 〔'93年増補版〕   中学受験で子供と遊ぼう.jpg 〔03年文春文庫〕

 中学受験を親子で乗り切った体験記というのは多いのですが、中学受験率が20パーセントに迫る昨今、売れ筋の本というのは毎年出ています。
 その中で一定の評価が定まっているものに、
 ◆三田誠広 著 『パパは塾長さん』('88年/河出書房新社)、
 ◆高橋秀樹 著 『中学受験で子供と遊ぼう』('00年/日本経済新聞社)、
 ◆石原千秋 著 『秘伝 中学入試国語読解法』('99年/新潮社)
 があります。
 三田本、高橋本、石原本などと呼ばれていますが、いずれも父親が書いている点が共通していて、子どもは目出たく志望校に合格します。
 私立“御三家”と呼ばれるのが開成・麻布・武蔵ですが、これらの本での合格校は、順に駒場東邦、武蔵、桐朋となっています(ただし、駒場東邦も桐朋も“新御三家”と呼ばれる難関校)。
 個人的には、芥川賞作家の書いた「三田本」や大学教授の書いた「石原本」より、テレビ局社員の書いた「高橋本」に親近感を覚えました(別に自分自身が受験生を抱える身ではないのですが)。

 3冊とも、受験教育の現状を無批判に肯定しているわけではないのですが、まず子どもを希望のところへ入れてやりたいという親心は伝わってきます。
 ただしこの「石原本」には大きな特徴があって、約400ページある本の後半230ページが、中学入試国語読解問題の例題を気鋭の国文学者(夏目漱石研究などで有名)である著者が解いていくという内容になっているのです。
 これが結構スリリング。読みながら一緒に解いてみて、たいへんいい読解訓練になりました。ホントに。
 中には、解答が特定できないものもあります。
 また出題者の意図を読むうちに、国語教育が子どもに求めているものも朧気ながら見えてきます。
 その辺りの画一性が著者の言いたいポイントなのですが、同時に試験問題を解くカギにもなっています。
 読者は試験問題のあり方を「批判」するよりも、子どもを「順応」させることを先ず考えるのではないでしょうか。

 それにしても難問揃い! 専門分野の大学教授さえ四苦八苦するものを小学生に解かせているのが、有名校の受験問題の実態です。

   

投稿者 wadamy : 00:28

【329】 ○ 岸本 裕史 『見える学力、見えない学力 [改訂版]』 (1996/03 大月書店・国民文庫) ★★★★

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「百マス計算」の創案者による教育論。しっかりとした理念がある。

見える学力,見えない学力.jpg  国民文庫[改訂版]  photo.jpg 岸本 裕史 (1930‐2006/享年76)

 本書では、生きていく上での基礎的能力として、基礎的な体力・運動能力、感応表現力、そして基礎学力を挙げています。
 テストや通知簿で示される学力は「見える学力」であり、その「見える学力」の土台にはこうした「見えない学力」、つまり基礎学力があり、「見えない学力」を太らせなければ「見える学力」も伸びないと。そして、読む能力、書く能力、計算する能力が基礎学力の3つの源泉だとしています。

 著者は元小学校教諭で、「百マス計算」の創案者です。本書の終わりの方で、方法論の1つとして「百マス計算」が紹介されています(「百マス計算」は教師の言う通りにやらない生徒の考案であったことが明かされている)。
 しかし本書全体としては、子どもの自立性や他者を思いやる気持ちを育てること、そしてそのためには家庭での生活習慣が大切であることを説く教育論となっています。
 特に、学力の土台は言語能力であるとし、読書習慣の重要性を力説しています。
                                                   
 本書の初版は'81(昭和56)年で、その頃から「読み書き計算」の重要性を述べていたわけですが、それ以上に、著者の理念と経験に基づく学力観、子どもの成長やしつけに関する多面的な見方、低学力によって子どもの機会が失われることがないようにという思いなどが伝わってくる良書であると思います。

 【1981年初版文庫・1996年改訂[国民文庫]/1994年単行本化[大月書店]】

投稿者 wadamy : 00:01 | コメント (1)

2006年08月28日

【328】 ○ 正高 信男 『子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ』 (2003/09 中公新書) ★★★☆

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実験に基づく興味深い考察に、著者の学際的視点が生きている。

子どもはことばをからだで覚える.jpg 『子どもはことばをからだで覚える』 中公新書  正高.jpg 正高 信男 氏 (自身のHPより)

 子どもはどうやって言葉を獲得するのだろうか。
 著者によると、赤ん坊は母親の声から単語のまとまりを感じ取り、意味を理解し、やがて自ら用いることになうという。
 どうやって感じ取るかというと、協和音を生得的に好むからだそうです。
 つまり人間の声というのは和音なのです。
 だから、雑多な物音の中から母親の声だけを聞き分けることができる。
 赤ん坊がモーツァルトを聴くことを好むのは、モーツァルトの曲に和音が巧みに用いられているからのようです。

 そのほかにも、子どもの記憶、発声、指差しといった行動がどういうメカニズムで為されるのかを様々な実験を通して考察していて、最後に言葉の意味がどうやって理解されるのかを、近年注目を集めている「言語モジュール」論や「ワーキング・メモリー」の概念モデルから説いています。

 著者は京都大学霊長類研究所助教授で専攻は比較行動学ですが、『父親力』('02年/中公新書)や『ケータイを持ったサル』('03年/中公新書)など、専門を超え、社会学・心理学にまで踏み込んだ一般向け著書もあります。
 それらの内容については賛否があるようですが(特に『ケータイを持ったサル』は“問題書籍”というか“問題にすらならない本”ではないかと思うのですが)、本書に限って言えば、著者の専門領域をさほど超えない範囲で、その学際的視点が生きているように思えました。

《読書MEMO》
●胎児に聞こえるのは、母体の血液の流れや心拍の音と妊婦自身の声だけ(胎児にモーツァルトを聴かせても聞こえはしない)(3p)
●新生児はモーツァルトが好き(和音を好む。人間の声が和音で構成されているため、生得的にそうした嗜好になっている)(14p)

   

投稿者 wadamy : 02:55

【327】 ◎ 佐々木 正美 『子どもへのまなざし (正・続)』 (1998/07 福音館書店) ★★★★★

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核家族化社会の中で育児不安に陥りがちな現代の子育て中の親に。

子どもへのまなざし.jpg 子どもへのまなざし 続.jpg  『子どもへのまなざし (正・続)』 (1998/07 福音館書店)

 著者は豊富な臨床経験を持つ児童精神科医で、日本における自閉症の研究・療育の権威でもあります。
 本書がカバーするのは胎児教育から幼児保育、初等教育まで幅広いのですが、とりわけ乳幼児期の育児の大切さを強く説いています。
 親や保母たちに語りかけるようなわかりやすい言葉で書かれていて、核家族化社会の中で育児不安に陥りがちな現代の子育て中の親は、本書を読むことで精神安定剤的な効果が得られるのではないかと思います。

 しかし語り口こそソフトですが、漠たる話を連ねているわけではなく、子どもに対する親の依存の問題、そこから派生する幼児虐待や過剰期待(早期教育)の問題とそれらに対する著者の考えを示す一方、最近の胎児学や発達心理学の研究でわかってきたことを、実例をあげて紹介しています。
 さらには、近年目立つ不登校児やすぐに「キレる」子の問題にも触れています。

 親や周囲の人の子どもへの接し方を重視し、幼児教育の諸問題を現代の社会が孕む問題と対照させながら語るところが、故松田道雄氏と非常に共通しているという印象を受けました。

 本書についての読者からの質問に答えるという形で3年後に出された『続 子どもへのまなざし』('01年)は、前著の反響の大きさを示すとともに、質問者の不安を十分に取り除くかのような懇切丁寧な回答ぶりで、新生児の母親からの隔離や母乳で育てるのがいいのかといった問題から、さらには不登校や家庭内暴力などの社会的問題、父親・母親が家庭内で果たす役割、障害児との接し方などについての、いずれも具体的な示唆に富むものでした。
 
 2冊とも表紙絵、挿画は「ぐりとぐら」シリーズの山脇百合子氏によるもので(出版社が福音館書店ということもあるのかも)、なかなか味があります。
 セットで出産祝いの贈り物にする人も多いとか。いいかも。

《読書MEMO》
●児童虐待は母親による場合が最も多く、どの事例も例外なく母親が孤独(38p)
●おかあさんが妊娠中によく歌っていた歌で子守をするとよい。(90p)
●赤ちゃんが泣いても、親が放っておけば、だんだん赤ちゃんは、泣いて訴えることをしなくなる。そういう赤ちゃんを、手のかからないいい子だと思ってしまいがちだが、そうではない(親に対する不信感と自分自身に対する無力感でそうなっているだけ)。いつまでも泣き続け自分の要求を伝えようとする赤ちゃんこそ、努力家で頑張り屋になる。(115-121p)
●文化人類学者の指摘では、人種や国とは無関係に、物質的・経済的に豊かな社会に住んでいる人間ほど外罰(他罰)的になるという(269p)
●ローナ・ウィング(英国の自閉症研究の世界的第一人者)は重症の自閉症の娘を持ったお母さん(続・323p)
●3こコマ漫画のような実験「サリーとアンの実験」について(続・325p)
●自閉症の人は、数字の並びを逆順にいうのが得意(空間的記憶)(続・337p)

 

投稿者 wadamy : 02:48

【326】 ○ バートン・L・ホワイト 『決定版 ホワイト博士の育児書―3歳までに親がすべきこと』 (1997/05 くもん出版) ★★★★

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示唆に富む「翻訳モノ育児書」の定番。個人的に気になった点が…。

決定版 ホワイト博士の育児書.jpg  『決定版 ホワイト博士の育児書―3歳までに親がすべきこと』 (1997/05 くもん出版)

 「翻訳モノ育児書」では一番安定した人気で改版を重ねているのが本書ではないでしょうか。
 他に『スポック博士の育児書』('97年改訂版/しの手帖社)というのも人気ですが、「スポック博士」の方は、早期離乳の問題などが批判の対象にもなっているようです(博士の子どもがグレたという話も聞く)。
 あと『ダドソン博士の子育て百科』('96年/あすなろ書房)も悪くなかったですが、5歳までをカバーしている分、「ホワイト博士」に比べ “育児”心理学と言うより “教育”心理学的な内容かなという印象を受けます。
 まあ、育児書には親の精神安定剤的役割もあり、読まなくても子は子で育つのだとは思いますが…。

 本書は、豊富な臨床経験と発達心理学の観点から様々な示唆を与えてくれるには違いありませんが、1つ気になったと言うか興味を持ったのは、トイレの躾に関して、フロイトの幼児期の発達段階説(「肛門期」段階など)などを実証する証拠が見出だせなかったとしていることです。
 本書でも引用されているエリクソンも、このフロイト学説の影響を受けているはずだと思いますが、結局フロイトの言う「口唇期」とか「尿道期」とか所謂“幼児性欲”って何だったのでしょうか。

 もう1つ気になったのは、(こっちの方が大問題ですが)著者が、年の近い(3年以上間が離れない)きょうだいを非常に問題視していることです。
 全編に専門家としての冷静さと親に対する細やかな配慮がみられる本書の中で、この問題についてだけ、かなり“お手上げ”気味なのが気になりました。

《読書MEMO》
●「もう一度はっきり言いましょう。年の近いきょうだいの問題は。いろいろ努力すれば多少は緩和できるでしょうが、一人っ子の場合やきょうだいの年が離れている場合ほど楽な状況にする手だてはないのです。」(353p)

   

投稿者 wadamy : 02:39

【325】 ◎ 河合 隼雄 『子どもの宇宙 (1987/09 岩波新書) ★★★★★

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河合氏が児童文学に触れて書いたものではベスト。

子どもの宇宙.jpg 『子どもの宇宙』 岩波新書

 河合隼雄氏が児童文学について書いているものは、この新書の出版前後にも何冊か文庫化されていて、いずれも素晴らしい内容です。
 ただしそれらが過去に各所で発表したものを再編したものであるの対し、本書は丸々1冊書き下ろしであり、まとまりと深みにおいてベスト、渾身の1冊だと思います。

 子どもと、家族・秘密・動物・時空・老人・死・異性という7つのテーマに全体を切り分け、子どもの世界にこれらがどう関わるのか、著者の深い洞察を展開しています。
 そして、その中で家出や登校拒否などの今日的問題を扱いつつ、優れた児童文学に触れ、それらから得られるものを解き明かし、読者に子どもの持つ豊かな可能性を示しています。

 児童文学について書かれた従来の氏の著作に比べ、遊戯療法や夢分析の事例など、臨床心理学者としての視点が前面に出ている一方、育児・児童教育についての示唆も得られる本です。
 もちろん児童文学案内としても読め、本書の中で紹介された本は、是非とも読んでみたくなります。

日本幻想文学集成13・小川未明.jpg ちなみに個人的に一番強い関心を抱いたのは、太郎という7歳で病気で死んでいく子どもの眼から見た世界を描いた小川未明の「金の輪」で、この極めて短く、かつ謎めいた作品を、小川未明の多くの作品の中から河合氏が選んだこと自体興味深かったですが、河合氏なりの解題を読んで、ナルホドと。
 
《読書MEMO》
●主要紹介図書…
 ◆カニグズバーグ『クローディアの秘密』…美術館に家出する
 ◆『ジョコンダ夫人の肖像』
 ◆バーネット『秘密の花園』
 ◆ピアス『トムは真夜中の庭で』『まぼろしの小さな犬』
 ◆アトリー『時の旅人』
 ◆小川未明『金の輪』…死んでいく子どもの眼から見た世界
 ◆リヒター『あのころはフリードリヒがいた』
 ◆コルシュノウ『だれが君を殺したのか』

投稿者 wadamy : 02:29

【324】 ◎ 松田 道雄 『母親のための人生論 (1964/03 岩波新書) ★★★★☆

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時を経ても現代に通じるものが多く、それは驚きに近い。

母親のための人生論.gif 『母親のための人生論』  私は赤ちゃん.jpg 『私は赤ちゃん』   定本育児の百科.jpg 『育児の百科』

 ロングセラー『育児の百科』(岩波書店)の著者として知られる松田道雄(1908‐1998)は、小児科医でしたがアカデミズムの世界では在野の人でした。
 本書は、同じく岩波新書の『私は赤ちゃん』('60年)、『私は二歳』('61年)がベストセラーになった後、1964年に出版されたものですが、一部に時代を感じるものの、子育てをする母親に対する示唆という点では、時を経ても現代に通じるものが多く、それは驚きと言ってもいいぐらいです。
 まさに、松田道雄が現代に語りかけているように思えるのです。

 内容は、子育て・教育・家庭問題から文化・芸術論、人生観・死生観まで多彩です。
 個人的には、お稽古ごとについて親バカを大切な楽天主義だと肯定し、保育園と家庭の役割ついて集団教育と家庭教育は別のものとし、虚栄心からと見える行為は向上心の表れであることも多いことを指摘し、アイバンク登録した中学生に率直に敬意を示す、といった著者の姿勢にたいへん共感しました。

 章の合間に入る京都に関するエッセイも楽しい。
 男性が読んでも得るところが大いにある本だと思いますし、家族社会学などに関心がある人には特にお薦めです。
 
《読書MEMO》
●おけいこごと…親ばかは大切な楽天主義(42p)
●理想論の立場…住環境の夢と現実、向上心(88p)
●保母さんとお母さん…集団教育は家庭教育とは別なもの(103p)
●京都のお菓子…宮廷との結びつきが強い(114p)
●京都の食べ物…金さえ持っていれば誰でも楽しめることを、自分の特技のように吹聴するのは悪趣味(154p)
●女らしいということ…根気のいる仕事は女性が得意(220p)
●細君の虚栄心…向上心の表れであることも多い(236p)
●中学生のアイバンク登録…死後も明るいという錯覚にとらわれていない(252p)

   

投稿者 wadamy : 02:08

2006年08月27日

【323】 ◎ 毎日新聞児童虐待取材班 『殺さないで 児童虐待という犯罪 (2002/09 中央法規出版) ★★★★☆

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児童虐待は犯罪であるという立場で貫かれているルポルタージュ。

殺さないで 児童虐待という犯罪.jpg  『殺さないで 児童虐待という犯罪』 (2002/09 中央法規出版)

 「毎日新聞」の連載を単行本化したもので、2001(平成13)年・第44回「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」受賞作。

本書に書かれている虐待例は、何れも幼児の「死」という結果のみならず、その過程において凄惨極まりないものですが、死んでいった子どもたちにとって、この世に生まれてきたということはどういうことだったのか、考えずにはおれません。

 こうした事件の判決がほとんど殺人ではなく傷害致死罪であり、驚くほど刑が軽いことを本書で知りました。
 児童虐待が起こる原因を家族心理学的に分析する動きは以前からありますが、本書にもあるとおり、最近は弁護側が、親がAC(アダルトチルドレン)であったことを主張するケースもままあるそうです。

 相談所が事前把握していた事実を伏せる、警察が民事不介入を盾に動かない、防止に力をいれた入れた地域や自治体では虐待事件が多くなる(つまりその他の地域では事件として扱われない)等々、周辺課題も本書は指摘しています。

 児童虐待防止法は制定されましたが、「児童虐待は犯罪である」という姿勢に立ち返る意味でも、本書を再読する価値はあるかと思います。

《読書MEMO》
●ター君(6歳)を裸のまま雪に埋めて記念撮影した親(埼玉県富士見市)/3人がかりで大輔ちゃん(5歳)暴行を加えワサビを口に押し込み、タバコを押し付けた(栃木県小山市)-母親も居候先の女もアダルトチルドレン→ほとんどが傷害致死罪。弁護側が親がACであったことを主張することもままある
●児童虐待の種類…身体的虐待/性的虐待/ネグレクト/心理的虐待
●大きなニュースにならない理由…虐待事件で死んでも、損害賠償請求をする人がいない。相談所が事前に把握していたというニュースは報じられにくい傾向
●虐待防止に大きな予算をつけた都道府県ほど虐待事件が多い(顕在化)
●厚生省児童家庭局の98年度のテーマは少子化(育児をしない男を父とは呼ばない)だった。ポスター・CMで5億円投下。
●児童虐待防止法(2001年11月施行)で児童相談所の権限が強化されても、予算や人員不足では動けない。また親の更正や再発防止策は手つかずのまま。アメリカでは虐待した親はケアや教育を受けねばならず、再発した場合は担当職員が資格剥奪されることも。日本では児童相談所の職員が責任を取らされることはない

投稿者 wadamy : 01:09

【322】 △ 信田 さよ子/他 『マンガ 子ども虐待出口あり (2001/12 講談社) ★★☆

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個々の指摘は重いが、虐待をイデオロギー問題化するのはどうか。

マンガ 子ども虐待出口あり.jpg 『マンガ 子ども虐待出口あり』 (2001/12 講談社)

 臨床心理士でAC(アダルトチルドレン)研究で知られる著者と、著者にクライエンとして接し、自らACと自覚したイラストレーター「イラ姫」の対談で(マンガではない)、幼児期に虐待を受け社会的不調和に悩む人や、今現在育児に悩む人の立場で書かれています。
 この手の本に従来なかったストレート・トークで、内容も「イラ姫」によるイラストもユーモアいっぱい(?)。
 一方で、1週間で20ケースぐらい死んでいる(表面化せず突然死で処理されている)(29p)との著者の指摘は重く、「虐待」は親が、支配欲を満足させるなど、自分のためにやっている(だから英語でチャイルド・アビューズ(乱用)という)(32p)という話には頷かされます。ただし―。

 ACとは元々米国で、Adult Children of Alcoholics (アル中の親に育てられた大人)という意味だったのが、Adult Children Of Dysfunctional family (「機能不全家族」の下で育った大人)となり、それが日本のメンタルケア現場では、著者の『アダルト・チルドレン完全理解』('96年)などの著作により、幼少時代から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神的虐待を受け続けて成人し、社会生活に対する違和感や子ども時代の心的ダメージに悩み、苦しみを持つ人々全般とされるようになりました。
 しかしこれは、日本だけの「拡大解釈」です。
 
 本書では「機能不全家族」という言葉に対して、「まるで機能十全家族があるような錯覚を与える」と批判していますが、これはある意味、著者の「拡大解釈」の補強にもなっています。
 つまり信田理論だと、カウンセリングなどの支援が必要だと本人が自覚すれば、その多くはACになってしまう…。
 そのことを受容することで悩みから脱するという効果を実践現場で痛感し、その代表選手として「イラ姫」が対談相手としている、ということなのかも知れませんが。

 著者の師匠である精神科医の斎藤学(さとる)氏の著作には、『家族依存症-仕事中毒から過食まで』('89年/誠信書房)など、現代の家族関係についての多くの示唆に富むものがあります。
 しかし本書では、著者が子どもへの虐待を、「資本家-労働者」「男-女」と並ぶ「親-子」の支配構造の結果と捉えていることでフェニミズム色が濃くなっていて、また、子どもへの虐待を今ことさらイデオロギー問題化する必要がどこにあるのかという気もしました。

投稿者 wadamy : 01:01

【321】 ○ ささや ななえ (原作:椎名篤子) 『凍りついた瞳(め)―子ども虐待ドキュメンタリー』 (1995/11 集英社) ★★★★

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虐待の多様な現実と被虐待児や親などへのケアの重要性を訴える。

凍りついた瞳(め).jpg 『凍りついた瞳―子ども虐待ドキュメンタリー』 ソフトカバー版

 本書は漫画ですが、描かれている「虐待」問題というテーマは重く、「児童虐待防止法」制定への大きな推進力になったとされるほどの反響を呼びました。
 作者は、本書の元になった椎名篤子氏の『親になるほど難しいことはない』('93年/講談社)という虐待の実態をレポートしたノンフィクションと偶然出合い(たまたま入った喫茶店に置いてあった)、作品イメージが噴出するとともに、この内容を多くの人に伝えねばと、ほとんど“啓示的”に思ったそうです。

 虐待問題に関わった保健婦や医師、ケースワーカーなどの視点から8つのケースが取り上げられ(身体的虐待だけでなくネグレクトや性的虐待も含む)、解決に至らなかったケースもあれば、医師、保健婦、ケースワーカーらの洞察と親や子へのケア、関係機関との連携などにより、母子関係を修復し、子の将来に明るい兆しが見えたものもあります。

 センセーショナリズムに走らず、虐待の背後にあるDVなどの夫婦関係や親自身の養育歴の問題を、家族カウンセリングなどを通してじっくり描き、関係者が、いっそ親子を引き離した方が子のためではと思いながらも、根気よく母親を援助し、母親が愛情を回復することで子供が少しずつ明るくなっていくという話は感動的です。

 親にすべての責任を押し付け、また(女性漫画誌に連載されたということもあるが)親自身がそう思い込むことは問題の解決にならないことをこの漫画は教えてくれ、虐待を受けた子や親などへのケアとその後の支援の必要を訴えています。
 
 しかし一方で、虐待しているという意識さえない“未成熟”な親や、児童相談所の対応の拙さ(本書でも多々出てくる)などのために、子供を救うことができなかったケース(といって親や児相は何か罰を受けるわけではない!)などを考えると、虐待は「犯罪」であるという社会的意識を強化することも大切ではないかと思いました。 

 【1995年愛蔵版・1996年ソフトカバー版{集英社]】

 

投稿者 wadamy : 00:45

【320】 ◎ 佐藤 幹夫 『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 (2005/03 洋泉社) ★★★★☆

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「凶悪犯」を厳罰に処すという予め想定された結論に向かう裁判。

自閉症裁判2.jpg  『自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』 (2005/03 洋泉社)

 '01年4月に浅草で発生した女子短大生殺人事件は、「レッサーパンダ帽の男」による凶悪な犯行として世間を騒がせましたが、男が高等養護学校の出身者で知的障害があり、自閉症の疑いが強いことは、当初マスコミでは報道されませんでした。

 本書はこの事件の東京地裁判決(無期懲役)に至るまでの3年間の公判を追ったルポルタージュですが、審理過程で、男が「自閉症者」なのか「自閉的傾向」があるに過ぎないのかで、弁護側と検察側の分析医の間で激しい意見の対立があったことや、更には、判決に大きな影響を与えた警察の調書が、取調官の先入観による“作文”的要素が強いものであることなどを、本書を読んで知りました。

 著者は養護学校教員を21年間務めた後に'01年4月にフリージャーナリストになった人で、経歴上、弁護寄りの立場から裁判を見るのは自然なことですが、敢えて被害者側の家族に対しても真摯に取材し、その悲しみの大きさを伝え、男が負わねばならない「罪と罰」の重さを示しています。
 しかし同時に、男が持つ「障害」への理解のないまま進行する裁判の在り方が、同種の犯行の防止に効果があるのだろうかという疑問を呈しています。

 実際に本書を読むと、この裁判は、「凶悪犯」を厳罰に処すという予め想定された結論に向かっているようですが、男がどこまで「罪」を理解しているのかは疑問で(それが「反省の色もない」ということになってしまう)、その場合の「罰」とは何かということを考えさせられます。

 性格破綻者の父親が支配する男の家庭環境は極めて悲惨なものでしたが、男自身に福祉を求める意思能力がなく、硬直した福祉行政の中で孤立し、事件に至ったことは被害者にとっても男にとっても不幸なことだったと思います。
 その中で、それまで男を含め家族を1人家族を支えていた男の妹が、公判中にガン死したというのは、更に悲しさを増す出来事でした。

 事件が起きたゆえに、それまで何ら福祉的支援を受けていなっかた重病の妹が家にいることが明らかになり、民間の「法外」福祉団体のスタッフによっ“救出”され、最後の何ヶ月だけある程度好きなことができたというのが救いですが、それすらも事件があったゆえのことであることを思うと、複雑な気持ちになります。
 
 裁判の結果(判決よりも過程)に対する無力感は禁じ得ませんが、裁判の在り方、福祉行政の在り方に問題を提起し、自閉症についての理解を訴えるとともに、若くして亡くなった2人の女性への鎮魂の書ともなっています。

投稿者 wadamy : 00:43

【319】 ◎ 秋山 賢三 『裁判官はなぜ誤るのか (2002/10 岩波新書) ★★★★☆

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一般からは見えにくい裁判官という「人間」に内側から踏み込んだ1冊。

裁判官はなぜ誤るのか.jpg 『裁判官はなぜ誤るのか』 岩波新書

 元判事である著者が、裁判官の置かれている状況をもとに、日本ではなぜ起訴された人間が無罪になる確率が諸外国に比べ低いのか、また、なぜ刑事裁判で冤罪事件が発生するのかなどを考察したもの。

 その生活が一般の市民生活から隔絶し、その結果エリート意識は強いが世間のことはよく知らず、ましてや公判まで直接面談することも無い被告人の犯罪に至る心情等には理解を寄せがたいこと、受動的な姿勢と形式マニュアル主義から、検察の調書を鵜呑みにしがちなことなどが指摘されています。

 一方で、絶対数が少ないため1人当たりの業務量は多く、仕事を自宅に持ち帰っての判決書きに追われ、結局こうした「過重労働」を回避するためには手抜きにならざるを得ず、また、身分保障されていると言っても有形無形の圧力があり、そうしたことから小役人化せざるを得ないとも。

 著者自身が関わったケースとして、再審・無罪が確定した「徳島ラジオ商殺し事件」('53年発生、被害者の内縁の妻だった被告女性はいったん懲役刑が確定したが、再審請求により'85年無罪判決。しかし当の女性はすでに亡くなっていた)、再審請求中の「袴田事件」('66年に発生した味噌製造会社の役員一家4人が殺され自宅が放火された事件で、従業員で元プロボクサーの袴田氏の死刑が、'80年に最高裁で確定)、最高裁へ上告した「長崎事件」を代表とする痴漢冤罪事件などが取り上げられています。

 誤審の背景には、裁判官の「罪を犯した者を逃がしていいのか?」という意識が 「疑わしきは被告人の利益に」という〈推定無罪〉の原則を凌駕してしまっている実態があるという著者の分析は、自身の経験からくるだけに説得力があるものです。

 司法改革はやらねばならないことだとは思いますが、弁護士の数を増やすことが裁判官の質の低下を招き、訴訟の迅速化を図ることが冤罪の多発を招く恐れもあることを考えると、なかなか制度だけですべての問題を解決するのは難しく、裁判官1人1人の人間性に依拠する部分は大きいと思いましたが、本書はまさに、一般からは見えにくい裁判官という「人間」に、内側から踏み込んだ1冊です。

投稿者 wadamy : 00:42

【318】 ◎ 大野 正男/大岡 昇平 『フィクションとしての裁判―臨床法学講義』 (1979/12 朝日出版社) ★★★★★

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裁判は、判決から“事実”を組み立てていくフィションかという問い。

フィクションとしての裁判.jpg  『フィクションとしての裁判―臨床法学講義』 朝日レクチャーブックス

 弁護士として砂川事件やサド「悪徳の栄え」事件等で長年活躍してきた大野正男氏(1927-2006)は、その後最高裁判事になっていますが、本書は弁護士時代に作家の大岡昇平氏(1909‐1988)と対談したもので、'79年に「朝日レクチャーブックス」の1冊として出版されています。

 過去の「文学裁判」や大岡氏の小説『事件』(大野氏は大岡氏がこの小説を執筆する際の法律顧問を務めた)をたたき台に、裁判における事実認定とは何か、冤罪事件はなぜ起きて誤判の原因はどこにあるのか、さらに「正義」と何か、裁判官は「神の眼」になりうるのかといったところまで突っ込んで語られています。
 結論的には、裁判とは判決から遡及的に“事実”を組み立てていくフィショナルな作業であるともとれるという観点から、「臨床法学」教育の大切さを訴えています。

 対談過程で、大岡氏が『事件』の創作の秘密を明かしているのが興味深く、また今まであまり知らなかった冤罪事件について知ることができました(「加藤新一老事件」の場合、62年ぶりに無罪になったというのは驚き。裁判で費やした一生だなあと)。

 「陪審制」についても論じられていて(昭和3年から昭和18年まで、日本にも陪審制度があったとは知らなかった)、両者とも導入に前向きですが、裁判官が審議に加わる「参審制」の場合は、参審員の裁判官に対する過剰な敬意が個々の判断を誤導してしまう恐れがあるというのは、日本人の性向を踏まえた鋭い指摘だと思いました(裁判員制度も「参審制」だけど、大丈夫か?)。

 「陪審制」をモチーフにした推理小説などが紹介されているのも興味深く、陪審員の中に殺人経験のある女性がいて、彼女は“経験者”しか知りえないことを知っている被告が殺人犯であると察するけれども、自らを守るために無罪を主張するといった話(ポストゲート『十二人の評決』)や、裁判官が真犯人だったという話とかの紹介が面白く読めました。

 本書は残念ながら絶版中で、この対談尾一部は大岡の対談集『対談』('96年/筑摩書房)に収められていますが、両者の対談の面白さや奥深さは、こうした抄録では充分に伝わってこない。
 司法制度改革に関連する話題もなどもとり上げているので、文庫化してほしいと思っています。

     

投稿者 wadamy : 00:40

【317】 ○ 後藤昌次郎 『冤罪 (1979/04 岩波新書) ★★★★

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冤罪事件が起きる原因を検証。ヒッチコック映画か小説のような話も。

後藤昌次郎著『冤罪』.jpg  『冤罪』 岩波新書

 本書では、清水事件、青梅事件、弘前事件という3つの冤罪事件をとりあげ、冤罪事件がどのようにして起きるかを検証しています。

 何れも昭和20年代に起きた古い事件ですが、〈青梅(列車妨害)事件〉は自然事故が政治犯罪に仕立て上げられた事件として、また〈弘前(大学教授夫人殺人)事件〉は、後で真犯人が名乗り出た事件として有名ですが、真犯人が名乗り出る経緯などはちょっとドラマチックでした。

 この2事件に比べると、冒頭に取り上げられている〈清水(郵便局)事件〉というのは、郵便局員が書留から小切手を抜き取った容疑で起訴されたという、あまり知られていない “小粒の”事件ですが、ある局員が犯人であると誤認される発端が、たった1人の人間のカン違い証言にあり、まるでヒッチコックの映画にあるような話。

 結局、被告人自身が「警察も検察も裁判所も頼りにせず」、弁護士と協力して真犯人を突き止めるのですが、まるで推理小説のような話ですけれど、実際にあったことなのですね。
 真犯人の方が免罪の局員より刑が軽かったというのも、考えさせられます(免罪を訴え続けた局員は、改悛の情が無いと見られた?)。

 著者の前著(上田誠吉氏との共著)『誤った裁判-八つの刑事事件』('60年/岩波新書)が1冊で三鷹事件、松川事件、八海事件など8つの冤罪事件を扱っていたのに対し、本書は事件そのものは3つに絞って、事件ごとの公判記録などを丹念に追っていて、それだけに、偏見捜査、証拠の捏造、官憲の証拠隠滅と偽証、裁判官の予断と偏見などの要因が複合されて冤罪事件の原因となるということがよくわかります。

 事件が風化しつつあり、関係者の多くが亡くなっているとは言え、前著ともども絶版になってるのが残念。

投稿者 wadamy : 00:38

【316】 ○ 大澤 真幸 『文明の内なる衝突―テロ後の世界を考える』 (2002/06 NHKブックス) ★★★★

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イスラーム原理主義とグローバル化する資本主義の共通項を指摘。

文明の内なる衝突.jpg 『文明の内なる衝突―テロ後の世界を考える』 (2002/06 NHKブックス)

 社会学者である著者が、「イスラーム原理主義者」による9・11テロ後に、テロを前にしたときの社会哲学の無力を悟り、またこれが社会哲学の試金石となるであろうという思いで書き下ろした本で、テロとそれに対するアメリカの反攻に内在する思想的な問題を、「文明の衝突」というサミュエル・ハンチントンの概念を援用して読み説くとともに(ハンチントンは冷戦時代にこの概念を提唱したのだが)、テロがもたらした社会環境の閉塞状況に対しての「解決」の道(可能性)を著者なりに考察したもの。

 イスラーム原理主義とグローバル化する資本主義の対立を、その背後にある共通項で捉えているのが大きな特徴ですが、9・11テロ後のアメリカのナショナリズムの高揚を見ると、それほど突飛な着眼点とは思えず、むしろ受け入れられやすいのでは。
 世界貿易センタービルで亡くなった消防士でも国家のために「殉死」した英雄ということになっているけれど、彼らはまさか直後にビルごと倒壊するとは思ってなくて救出活動に向かったわけです。

 '04年に亡くなったスーザン・ソンタグの、「アメリカ人は臆病である。テロリストは身体ごとビルにぶつかっていったのに、アメリカ軍は遠くからミサイルを撃つだけだ」というコメントが多くのアメリカ人の怒りを買った背景に、アメリカ人のテロリストに対する憧憬とコンプレックスがあるというのはなかなか穿った見方のように思えました(映画「インデペンデンス・デイ」が引き合いに出されていますが、「アルマゲドン」なんかもそうかも)。

 著者は、イスラームやキリスト教の中にある資本主義原理を指摘する一方、「資本主義は徹底的に宗教的な現象である」と見ており、そう捉えると、確かにいろいろなものが見えてくるなあという感じがしました(確かに1ドル札の裏にピラミッドの絵があるなあ、と改めてビックリ)。
 
 “赦し”を前提とした「無償の贈与」という著者の「解決」案は甘っちょろいととられるかも知れませんが、レヴィ=ストロースの贈与論などに準拠しての考察であり、最後にある「羞恥」というものついての考察も(著者はこれを「無償の贈与」の前提条件として定位しようとしているようだが)、イランの映画監督マフマルバフの、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」という言葉の意味がこのことでわかり、個人的には興味深いものでした。

投稿者 wadamy : 00:34

【315】 ○ サム・ジアンカーナ/チャック・ジアンカーナ 『アメリカを葬った男―マフィア激白!ケネディ兄弟、モンロー死の真相』 (1992/04 光文社) ★★★★

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マフィアの示威行為ともとれる本だが、生々しいだけに面白く読めた。

アメリカ.jpg 『アメリカを葬った男―マフィア激白!ケネディ兄弟、モンロー死の真相』 光文社文庫

 マフィアの大ボスだったサム・ジアンカーナが、自分はマリリン・モンローの死とケネディ兄弟の暗殺に深く関わったと語っていたのを、実の弟が事件から30年近い時を経て本にしたもので、読んでビックリの内容で、本国でもかなり話題になりました。

 「アメリアを葬った男」とは、訳者の落合信彦氏が考えたのかピッタリのタイトルだと思いますが、原題は“Double Cross(裏切り)”で、ケネディ兄弟の暗殺は、移民系の面倒を見てきたマフィアに対するケネディ家の仕打ちや、大統領選の裏工作でマフィアが協力したにも関わらずマフィア一掃作戦を政策展開したケネディ兄弟の “裏切り”行為、に対する報復だったということのようです。

 ただし、その他にも、ジョンソンもニクソンも絡んでいたといった政治ネタや、CIAがケネディ排除への関与に際してマフィアと共同歩調をとったとかいう話など、驚かされる一方で、他のケネディ事件の関連書籍でも述べられているような事柄も多い。
 だからこそもっともらしく思えてしまうのかもしれないけれど、本書の記述の一部に対しては眉唾モノとの評価もあるようです(ただ一般には、「CIA、FBIとマフィアが手先となった政府内部の犯行説」というのは根強い)。

 確かに「大ボス一代記」のようにもなっているところから、本自体マフィアの示威行為ともとれますが、「マフィアと政府はコインの表裏だと」いう著者の言葉にはやはり凄味があり、モンローを“殺害”した場面は、かなりのリアリティがありました。
 マフィアがケネディ兄弟に“女性”を仲介したことは事実らしいし(モンローもその1人と考えられ、さらにケネディ大統領とジアンカーナは同じ愛人を“共有”していたことも後に明らかになっいる)、本書によれば、ジョンとロバートは同時期にモンローの部屋に出入りしていた…と。
 
 生々しいけれども、それだけについつい引き込まれてしまい、本書とほぼ同時期に訳出された映画「JFK」の原作『JFK-ケネディ暗殺犯を追え』(ジム・ギャリソン著/ハヤカワ文庫)よりもかなり面白く読めました。

 【1997年文庫化[光文社文庫]】

   

投稿者 wadamy : 00:34

【314】 ◎ ボブ・ウッドワード 『司令官たち―湾岸戦争突入にいたる“決断”のプロセス』 (1991/06 文藝春秋) ★★★★☆

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トップは自分の考えと同意見の参謀の声しか聞かず。

司令官たち .jpg 『司令官たち―湾岸戦争突入にいたる“決断”のプロセス』 (1991/06 文藝春秋)

 『大統領の陰謀』でニクソンを追いつめて名を馳せたワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワードによる湾岸戦争の〈軍事上の意思決定〉の記録。
 と言っても、'88年11月のジョージ・ブッシュ大統領就任から'91年1月の湾岸戦争突入までの話ですが、同年3月の停戦協定の2ヵ月後には本国出版されていて、短期間によくこれだけの証言をまとめたなあと驚かされます。

 戦争に対して様々な考えを持った司令官たちの、彼らの会話や心理を再現する構成になっていて、小説のように面白く読めてしまいますが、大統領制とは言え、戦争がごく少数の人間の考えで実施に移されることも思い知らされ、その意味ではゾッとします。
 パパ・ブッシュは、直下のチェイニー国防長官や慎重派のコリン・パウエルよりも、好戦的なスコウクロフトの主戦論になびいた―。
 トップが自分の考えと同意見の参謀の声しか聞かず、逆に反対派の参謀には事前相談もしなくなるというのはどこにでもあることなのだけど、この場合その結果が〈戦争〉突入ということになるわけで、穏やかではない。

 個人的に興味深かったのは、「砂漠の嵐」作戦の指揮官シュワルツコフが、部下が悪い話を持ってきただけでその部下に怒鳴り散らすタイプだったのに対し、彼の部下のパウエルは、自分の部下の話をじっくり聞くタイプだったということで、戦後、両者の地位の上下は逆転しています。

 とは言え本書は、コリン・パウエルをカッコ良く書き過ぎている傾向もあり、一軍人としてキャリアを全うするという彼の内心の決意が描かれているものの、実際には彼はその後、国務長官という政治的ポストに就いています(“初の黒人大統領”待望の過熱ぶりを本書によって少し冷まそうとした?)。
 
 また、本書で主戦派として描かれているスコウクロフトは、イラク戦争ではパウエルと協調し、息子の方のジョージ・ブッシュ(父親と同じ名前)の強硬姿勢にブレーキをかける立場に回っています。
 しかし、息子ブッシュは、パウエルの後任として自身が国務長官に指名したコンドリーザ・ライスの“攻撃的現実主義”になびいた―。
 最初から戦争するつもりで彼女を登用したともとれますが…。

  

投稿者 wadamy : 00:26

【313】 △ 松田 忠徳 『ホンモノの温泉は、ここにある (2004/10 光文社新書) ★★☆

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安全性、ホンモノ度、経済合理性の調和が難しい温泉問題。生活者問題も軽視できないのでは。

ホンモノの温泉は、ここにある.jpg 『ホンモノの温泉は、ここにある』 光文社新書 これは、温泉ではない.jpg 『これは、温泉ではない』 ('04年)

 同じ光文社新書の『温泉教授の温泉ゼミナール』('01年)、『これは、温泉ではない』('04年)の続編で、今回は信州の〈白骨温泉〉の「入浴剤混入問題」を受けての緊急出版ということですが、内容的には、「源泉100%かけ流し」にこだわり、日本の多くの温泉で行われている「循環風呂システム」や「塩素投入」を批判した前著までの流れを継いでいます(事件としても、循環風呂のレジオネラ菌で7名の死者を出した〈日向サンパーク事件〉の方を重視している)。

 今まで温泉と思っていたものの実態を知り、「ああ、読まなければ良かった」という気持ちにもさせられますが、著者に言わせればそういう態度が良くないのだろうなあ。
 温泉とは言えないものまで「温泉」になってしまうザル法や、「かけ流し温泉」にまで一律に塩素殺菌を義務付ける条例を批判し、源泉だけでなく浴槽の(中のお湯の)情報の公開を提案しています。

 一読して知識として知っておく価値はあるかもしれませんが、安全性は絶対の優先課題であるとして、次に、経済合理性を100%犠牲にしてまでもホンモノにこだわるとすれば(本書の中では町村ぐるみで「源泉100%かけ流し」宣言をした例も紹介されてはいますが)、多くの温泉旅館は消えていくのではと…。そうした生活者問題が軽視されている印象も受けました。

 著者の専攻はモンゴル学で、『朝青龍はなぜ負けないのか』('05年/新潮社)という著作もありますが、「温泉教授」(自称)といっても要するに文系の人です。
 著者自身も指摘するように、ドイツの有機化学は「ワイン」から発達し(同じく有機化学“先進国”である日本なら、さしずめ「味噌・醤油」からということになるだろうか)、無機化学は「温泉」から発達したと言われるのに対し、日本は〈温泉学〉では“後進国”なのかも知れません。

   

投稿者 wadamy : 00:24

【312】 △ 櫻井 よしこ 『あなたの「個人情報」が盗まれる (2003/08 小学館) ★★★

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「住基ネット」の管理体制の杜撰さを指摘するも、やや危機感煽り気味の感じも。

あなたの「個人情報」が盗まれる.jpg 『あなたの「個人情報」が盗まれる』 (2003/08 小学館)

 '02年にスタートした「住民基本台帳ネットワーク」の問題点と、制度施行の背後にある国の「国民総背番号制」的考え方や総務省の拙速な対応姿勢を非難した書。

 役所の業務用パソコンが「住基ネット」に接続されていると同時にインターネット接続もされていて、自治体や職員にその危険性の自覚がない―。
 システムは外部業者に丸投げで、セキュリティー対策の統括責任者もいなければファイアーウオールの意味もよくわかっていない―。
 本書で示された、「住基ネット」接続自治体の多くに見られるこうした危機管理体制の杜撰さには驚かされます。

 もう少しこの辺りを突っ込んで欲しかったところですが、カードの暗証番号が生年月日などの場合に起きやすいクラッキング犯罪の問題とか、どちらかと言えば利用者の責に帰するのではないかと思われる問題も同列で論じられていて、焦点がボヤけた感じも。

 利用者の僅かな利便性(公立図書館の利用など)と引き換えに膨大な個人情報を得ようとする「国家の意図」に対する批判もわかることはわかりますが、こうした政治批判も付加されて、さらに“ごった煮”になった感じもします。

 危機感を煽ることが先行しているような気もして、タイトル自体も、著者が「住基ネット」問題に取り組んできたジャーナリストで、長野県の「本人確認情報保護審議会委員」のメンバーでもあったことを知らない人から見れば、ただ「怖そうな話」「もしかして個人情報保護法の話?」程度にしか推測できないのではないでしょうか。
 「住基ネット」問題を中心に論じたものであることがわかるようなタイトルにした方が、より親切ではないかと思いました。

投稿者 wadamy : 00:15

【311】 ○ まつい なつき 『あしたはワタシのお葬式 (2002/04 NHK出版) ★★★★

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楽しく読めて、しみじみとされられる話もある、現代「お葬式」事情。

あしたはワタシのお葬式.jpg 『あしたはワタシのお葬式』 (2002/04 NHK出版)

 イラストを交えて綴る出産育児エッセイ「笑う出産」シリーズがロングセラーになっている著者ですが、自称ライターと言うように、『アトピー息子』('99年)などは結構ルポルタージュぽかったし、『まついさんちの「遊んじゃう家庭生活」』('00年)も、“説明系”イラストが実用的で、ほかに「断食ダイエット」の体験本なども書いています。

 今回は、離婚後の心境の変化か、テーマはガラッと変わって「お葬式」についてで、知人やペットの死の話や息子と先祖の墓参りに行った話から始まるエッセイ風ですが、「人の死」に関係する職業の人を取材しており、その取材先や内容が興味深く読めました。

 「葬送の自由をすすめる会」という団体に行き、「自然葬」について取材していますが、「自然葬」として遺灰を撒くのは、違法でも何でもないそうです。
 ただし、散骨するには骨を自分で細かくしなければならず、亡くなった配偶者の骨を砕いているうちに骨が愛おしくなってきた、という遺族の1人の話が印象的でした。

 「戒名の無料化」を実行している平等山福祉寺(ふくしじ)の松原日治住職が語る、「戒名」の由来と本来の意味についての話もイラストでわかりよくて良かった。

 木村晋介弁護士を訪ねて「遺言状」の役割について訊いた際の、「遺言状」には死後の法的要素のほかに、リビングウィル(生前に発効する)や自分史(日記の延長のようなもの?)的要素もあるという話も興味深かったです。
 日記型のブログも、自分史を書いているような要素があるかも。と言うことは、遺言に通ずるものがある?
 
 生前葬などについても、芸能人とかがやるものだという思い込みがありましたが、違いました。
 気軽に楽しく読めて、しみじみとされられる話もあり、現代「お葬式」事情を知るうえでも有意義な1冊でした。

《読書MEMO》
●ホームページ
「葬送の自由をすすめる会」 http://www.shizensou.net
「平等山福祉寺」 http://www7.ocn.ne.jp/~fukusiji

   

投稿者 wadamy : 00:08

【310】 ○ 谷川 葉 『警察が狙撃された日―そして「偽り」の媒介者たちは』 (1998/02 三一書房) ★★★☆

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長官狙撃犯がなぜ逮捕されないのかを軸に警察組織内の確執を抉る。

警察が狙撃された日 そして〈偽り〉の媒介者たちは.jpg 『警察が狙撃された日』 (1998/02 三一書房)  警察が狙撃された日.jpg 講談社+α文庫

 '95年に起きた国松孝次警察庁長官狙撃事件は、オウム信者の現職警官・小杉敏行が書類送検されたものの結果的に証拠不十分で立件できず、今や事件そのものが風化しようとしています。
 本書は、国松長官はなぜ狙撃されたのか、なぜ犯人は逮捕されないのかを検証していますが、その過程で警察庁vs.警視庁、刑事部門vs.公安部門の確執を明らかにし、〈チヨダ〉なる警察内の闇組織の存在をあぶりだしています。

 複雑な警察組織の概要と権力抗争のダイナミズムがわかり面白く読めますが、そうした警察内の権力闘争や組織防衛が、捜査ミスや事実の隠蔽に繋がっていると思うとやり切れない気持ちにもなります。
 結局、事件そのものは何も解決されておらず、本書自体も「小杉問題」(つまり小杉はなぜ逮捕されないのかということ)を軸に警察組織のあり方の問題に終始するように思われ、警察小説を読んでいるような感じでした(公安が絡んでいるのでスパイ小説のようでもある)。

 しかし終盤にきて本書なりの事件に対する見解を示し、そこでは、「小杉犯行説」が濃厚視されることをベースに、現職警察官を実行者に選んだオウムの意図を推察するとともに、その場で捕まる「予定」だった犯人がなぜ逃げることが出来たかという大胆な想像的考察も行っています。

 秀逸なのは、小杉供述の現場状況の説明に事件当時の状況と時間差があるところから、事後の違法捜査的な実地検証によって刷り込まれた面が多々あることを示している点で、小杉をマインドコントロールしたオウムと同じように、警察が小杉を洗脳しようとしたとすれば、皮肉と言うより怖い話です。

 警察幹部からの非公式情報も含めた緻密な取材からなる本書は、おそらく複数の社会部記者の合作であろうと考えられていて、警察側も一時それが誰かを突き止めようと躍起になったらしい。
 それぐらいの内容でありながら、中盤に纏まりを欠き(“合作”であるため?)、文章にも原因があると思いますが、タブロイド紙の連載をまとめ読みしていうような印象を受けるのが残念です。

 【2002年文庫化[講談社+α文庫(『警察が狙撃された日―国松長官狙撃事件の闇』)]】

 

投稿者 wadamy : 00:05

【309】 ○ 佐高 信 『現代を読む―100冊のノンフィクション』 (1992/09 岩波新書) ★★★☆

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“読み忘れ”はないかのチェックに良かった(実際にはなかなか読めないが…)。

現代を読む.jpg  『現代を読む―100冊のノンフィクション』 岩波新書

 ノンフィクションというのは、その時のテーマ乃至は過去の限定的なテーマを追うことが多いので、発刊から時間が経つと書評などで取り上げられることも少ないものです。
 本屋も商売、つまらない本は多く並んでいるのに、いい本でも刊行が古いというだけでどんどん消えていき、版元も重版しなくなる。
 刊行時に話題になったり高い評価を得た本でも、やがてその存在すら忘れてしまいがちになり、そうした本を掘り起こしてみるうえでは、あくまでも佐高信という評論家の眼でみた“100選”ですが、本書は手引きになるかも。
 
 自分にとっても、ノンフィクション系の“読み忘れ本”はないか、チェックしてみるのに良かったと思います。
 う~ん、読んでない本の方が多い、と言うより、新たに知った本がかなりある…。
 比較的そうした本を新たに知ることが出来るのも、“個人の選”であることの良さですが、と言って、いま全部読んでいる時間もなかなか無い…。
 ただし、そうした本の存在を知るだけでも知っておき、あるいは思い出すだけでも思い出して、薄れかけた記憶を焼き付け直しておくことで、何かの機会に偶然その本に出会ったときに、思い出して手にとるということはあるかも知れないとは思います。

 同じ著者による、『戦後を読む-50冊のフィクション』('95年/岩波新書)という本もあり、こちらは連合赤軍の息子の父を描いた円地文子の小説『食卓のない家』や、歌人・中条ふみ子をモデルにした渡辺淳一の『冬の花火』(この頃はいいものを書いていたなあ)、更には松本清張『ゼロの焦点』や宮部みゆき『火車』といった作品の書評があります。

《読書MEMO》
●松下竜一 『風成の女たち』/●内橋克人 『匠の時代』/●船橋洋一 『通貨烈烈』・●千葉敦子 『「死への準備」日記』/●鎌田慧 『自動車絶望工場』(トヨタ)/●柳田邦男 『マリコ』/●沢村貞子 『貝のうた』/●桐島洋子 『淋しいアメリカ人』/●石川好 『ストロベリー・ロード』/●吉田ルイ子 『ハーレムの熱い日々』/●立花隆 『脳死』/●石牟礼道子 『苦海浄土』(水俣病)/●野添憲治 『聞き書き花岡事件』(戦時中の鹿島による中国人強制労働と虐殺)/●田中伸尚 『自衛隊よ、夫を帰せ!』(靖国合祀問題)/●山本茂 『エディ』(エディ・タウンゼントの話)/●吉野せい 『洟をたらした神』(開拓農民の生活)/●佐野稔 『金属バット殺人事件』(1980年発生)/●梁石日(ヤン・ソルギ) 『タクシードライバー日誌』(映画「月はどっちに出ている」の原作)/●吉永みち子 『気がつけば騎手の女房』(吉永正人は結婚に反対した姑の前に鞭を差し出した)/●杉浦幸子 『六千人の命のビザ』(リトアニア領事・杉浦千畝(ちうね)の話)/●藤原新也 『東京漂流』(“文化くさい”広告を批判しフォーカスの連載打ち切りになった話が)…

  

投稿者 wadamy : 00:00

2006年08月26日

【308】 × 里中 哲彦 『まともな男になりたい (2006/04 ちくま新書) ★☆

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「ちくま新書」の男性論シリーズの不作ぶりを象徴する本?

まともな男になりたい.jpg 『まともな男になりたい』 ちくま新書

 著者の言う「まともな男」とは、まじめに仕事し、社会の行く末を案じ、自らの役割と存在価値を顧みる人間のことで、「まとも」を支えるものは、“自己承認と自己証明のための「教養」”と、“狂信にも軽信にも距離を置く「平衡感覚」”であると。
 日本人の道徳や美意識は、こうした「教養」と「平衡感覚」の営為のなかにあったはずなのに、今や「まとも」な人間は稀少となり、「みっともない人たち」ばかりで、廉恥心は忘れ去られ、俗物性が蔓延しているとのこと。

 こうした内容に加え、「小生」という語り口や論語を引いてくるところなどから60歳前後の人が書いているかと思ったりしますが、冒頭にあるように、著者は“惑うことばかり多かりき”40代とのこと。
 フェニミストや経済評論家に対する批判には共感する部分もありましたが、中谷彰宏とか引用するだけ紙の無駄のような気もし、いちいち相手にしなくてもいいじゃん、放っとけば、と言いたくもなります。
 こんなの相手にしておいて、自らも俗物であり、俗物性とどう付き合うかとか言ってるから、世話ないという感じもしました。

 片や、福沢諭吉や福田恆存、エリック・ホッファーを褒め称え、それらの著作から多くを引き、とりわけ勢古浩爾氏に対しては単なる賞賛を超えた心酔ぶりですが、傾倒のあまり、本書自体が氏の著作と内容的にかなり被っている感じがしました。

 「ちくま新書」の男性論(?)シリーズを読むのはこれで5冊目になりますが、評価は“5つ星満点”で次の通り。
 ・小谷野敦 著 『もてない男-恋愛論を超えて』('99年)★★★
 ・勢古浩爾 著 『こういう男になりたい』('00年)★★
 ・諸富祥彦 著 『さみしい男』('02年)★★☆
 ・本田透 著 『萌える男』('05年)★★★
 ・里中哲彦著 『まともな男になりたい』('06年)★☆
 
 大学講師で文芸評論家、洋書輸入会社勤務の市井の批評家、大学助教授でカウンセラー、ライトノベル作家で「オアタ」評論家、そして河合塾講師と、まあいろいろな人が書いているなあという感じですが、 『萌える男』を除いては何れも人生論に近い内容で、総じてイマイチでした。

投稿者 wadamy : 23:23

【307】 △ 本田 透 『萌える男 (2005/11 ちくま新書) ★★★

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「萌え男(オタク)」についての考察。興味深いが、牽強付会の論旨も。

萌える男.jpg  『萌える男』 ちくま新書

 「萌え男(オタク)」について考察した本書は、東浩紀氏の『動物化するポストモダン-オタクから見た日本社会』('01年/講談社現代新書)の裏版みたいな感じもしましたが、東氏のような学者ではなく、「萌え男」を自認するライトノベル作家によって書かれていることのほかに、記号論的分析に止まるのではなく、「萌え」の目的論・機能論を目指していると点が本書の特徴でしょうか。

 著者は、オタクとは酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』でも恋愛対象外とされていたように、「恋愛資本主義ピラミッド」の底辺で女性に相手にされずにいる存在であり、彼らが為す「脳内恋愛」が「萌え」の本質であるとしています。
 「新世紀エヴァンゲリオン」の終結以降、PCゲームで発展を遂げた「萌えキャラ」の分析(この辺りはかなりマニアック)を通して、「脳内恋愛」がオタクとして「底辺」に置かれていることへのルサンチマンを昇華し、「癒し」が精神の鬼畜化を回避しているという、一種の「萌え」の社会的効能論を展開していて(犯罪抑止効果ということか)、このことは、「ロリコン」とか言われ、幼児殺害事件などが起きるたびに差別視される世間一般のオタク観に対するアンチテーゼになっているようです。
 さらに、「萌え」は恋愛および家族を復権させようとする精神運動でもあると結論づけています。

 個人的には、「萌え」による「純愛」復興などと言ってもやはりバーチャルな世界の話ではないかという気がするのと、「家族萌え」という感覚が理解できず引っかかってしまいました。
 「電車男」の話を、オタクを「恋愛資本主義」に取り込むことで「萌えとは現実逃避である」というドグマの強化作用を果たしたと“否定的”に評価している点などはナルホドと思わせ、ニーチェの「永劫回帰」からユングの「アニマとアニムス」まで引いて現代社会論やジェンダー論を展開しているのは、読むうえでは興味を引きましたが、牽強付会と思える論旨や用語の誤用に近い用法(例えば「動物化」)なども見らるように思います。

 「萌え男(オタク)」というのが、「自分らしさ」を保つことで差別され続けるというのは理不尽ではないかという著者の思いはわからないでもないけれど、オタクというのは文化傾向や消費経済において無視できない存在であるにしても、今後、社会にどの程度積極的にコミットしていくかがまだ見えず、著者の〈オタク機能論〉もある種の幻想の域を出ないのではないかという気もしました。

投稿者 wadamy : 23:20

【306】 △ 諸富 祥彦 『さみしい男 (2002/07 ちくま新書) ★★☆

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嫌味はない分、口当たりが良すぎて印象に残るものが少ないという感じ。

さみしい男.jpg  『さみしい男』 ちくま新書

 自分がたまたま利用したキャリアカウンセリングのテキストや家族カウンセリングの本の中で、いい本だなあと思った本の編著者が諸富先生であったりして、専門分野におけるこの著者に対する信頼度は、個人的には高いのです。
 また著者は、“時代の病と闘うカウンセラー”を自認するだけあって、一般向けの本の執筆にも力を注いでいるようですが、こちらの方は本書も含めて人生論的なものが多く、内容的にはイマイチという感じ。

 本書では、いま日本の男たちに元気が無いのは、社会・家族・女性といったものとの繋がりが希薄になって、寂寞とした虚無感の中にいるからだとし、ではこれから男たちはどこへ向かうべきかを、“社会の中の男” “家族の中の男” “女との関係の中の男”という3つの角度から分析しています。

 基本的に著者が説いているのは、「労働至上主義」「家族至上主義」「恋愛至上主義」といものから脱却せよということで、カウンセリング論的に見ると、「来談者中心療法」の立場に近い著者が、そうした不合理な信念(イラシャナル・ブリーフ)を取り除けという「論理療法」的な論旨展開をしていることに関心を持ちましたが、男性をとりまく環境についての社会批評風の分析も、そこからカウンセラーの視点で導いた答えも、ともに結構当たり前すぎるものではないかという気がしました。

 どちらかと言うと、所謂「中年の危機」にさしかかっている中高年男性向けでしょうか。「孤独である勇気を持て」とか「危機を転機に変えよ」とか。
 若い人に対しても、女性にモテなくて悩んでいるぐらいなら、好きになった女性を本気で口説いてみろと言っていますが、これらの言葉の中には、単に励ましているだけで、なんら解決法になっていないようなものもあるような気がします。
 その後に続く「不倫で生まれ変る男たち」というのが少し面白かったけれども、全体としては、嫌味はない分、口当たりが良すぎて印象に残るものが少ないという感じの本でした。

投稿者 wadamy : 23:19

【305】 × 勢古 浩爾 『こういう男になりたい (2000/05 ちくま新書) ★★

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「男として」云々という意識から抜け出せないでいる1典型。

こういう男になりたい.jpg 『こういう男になりたい』 ちくま新書

 旧来の「男らしさ」を捨て「人間らしく」生きようという「メンズリブ」運動というのがあり、「だめ連」などの運動もその類ですが、著者はそうした考えに部分的に共鳴しながらも、「自分らしさ」という口当たりのいい言葉に不信感を示し、「だめでいいじゃないか」という考え方は、ただ気儘に暮らしたいと言ってるだけではないかと―。

 男である以上、「男らしさ」を脱ぎ捨てても「男」である事実は残るわけで、かと言って、旧来の「男らしさ」には、自分に甘く他人に厳しいご都合主義的な面があるとし、他人を抑圧しない「自立した」生き方こそ旧弊の「男らしさ」に代わるもので、本当の「男らしさ」は自律の原理であると。

 ただし、他者からの視線や承認を軽んずる向きには反対で、「他者の視線」を取り込みながらも柔軟で妥当な自己証明と強靭な自己承認を求めるしかないという「承認論」を、本書中盤で展開しています。

 部分的に共感できる部分は無いでもなかったけれど、文中で取り上げている本があまりに玉石混交。
 女性週刊誌の「いい男」論特集みたなものにまでいちいち突っ込みを入れていて、そんなのどうでもいいじゃん、とういう感じ。
 章間のブックガイドも「男を見抜く」「いい男を見極める」などというテーマで括られたりして、誰に向けて何のために書かれた本なのか、だんだんわからなくなってきました。

 「男の中の男」ではなく、「男の外(そと)の男」になりたい、つまり「自分らしい男らしさ」を希求するということなのですが、何だか中間的な線を選んでいるような気もするなあと思ったら、末尾の方で「中庸」論が出てきて、ただしここでは「ふつうに」生きることの困難と大切さを説いています。
 
 ジェンダー論というより、人生論だったんですね、「男として」の。
 これもまた、「男として」云々という意識から抜け出せないでいる1つの典型のような気がしました。

投稿者 wadamy : 23:10

【304】 △ 小谷野 敦 『もてない男―恋愛論を超えて』 (1999/01 ちくま新書) ★★★

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「恋愛至上主義」からの脱却を説く? 読書案内としてはそれなりに楽しめた。

もてない男.jpg 『もてない男―恋愛論を超えて』 ちくま新書

 現代の「恋愛至上主義」の風潮の中で、古今東西の文芸作品に描かれた恋愛模様を引きつつ「もてない男」の生きる道を模索(?)した、文芸・社会批評風エッセイ。

 童貞論、自慰論から始まり、愛人論、強姦論まで幅広く論じられており、自らの経験も赤裸々に語っていて、あとがきにも、学生時代に本当にもてなかったルサンチマン(私怨)でこうした本を書いているとあります(帯に「くるおしい男の精神史」とあるのが笑ってしまいますが)。

 著者は「もてる」ということは「セックスできる」ということではないとし、著者の言う「もてない男」とは、上野千鶴子の言う「性的弱者」ではなく、異性とコミュニケートできない「恋愛弱者」であり、彼らに今さらのように「コミュニケーション・スキルを磨け」という上野の助言は役には立たないとしています。

 著者は結婚を前提としないセックスや売買春を否定し、姦通罪の復活を説いていますが、その論旨は必然的に「結婚」の理想化に向かっているように思え、そのことと切り離して「恋愛至上主義」からの脱却を説いてはいるものの、「結婚」という制度の枠組みに入りたくても入れず落ちこぼれる男たちに対しては、必ずしも明確な指針を示しているようには思えませんでした。

 30代後半で独身の著者が書いているという切実感もあってか、若い読者を中心に結構売れた本ですが、書き殴り風を呈しながらも、結構この人、戦術的なのかも。
 著者はその後結婚しており、「もてない男」というのはひとつのポーズに思えてなりません。

 もともと、「恋愛至上主義」を声高に否定しなければならないほど、すべての人が同じ方向を向いているようにも思えないし…。

 ただ、引用されている恋愛のケースの典拠が、近代日本文学から現代マンガまで豊富で、それらの分析もユニーク(章ごとに読書案内として整理されていて、巻末に著者名索引があるのも親切)、論壇の評論家やフェニミストの発言にもチェックを入れていて、軽妙な文体と併せてワイドショー感覚でそれなりに楽しめました。

投稿者 wadamy : 22:34

【303】 △ 香山 リカ 『いまどきの「常識」 (2005/09 岩波新書) ★★★

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「きれいごと」は何の役にもたたないかという問いかけ、で終わっている?

いまどきの「常識」.jpg 『いまどきの「常識」』 岩波新書

 各章のタイトルが、「自分の周りはバカばかり」、「お金は万能」、「男女平等が国を滅ぼす」、「痛い目にあうのは「自己責任」、「テレビで言っていたから正しい」、「国を愛さなければ国民にあらず」となっていて、こうした最近の社会的風潮に対して、はたしてこれらが“新しい常識”であり、これらの「常識」に沿って生きていかなければ、社会の範疇からはみ出てしまうのだろうかという疑問を呈しています。

 前書きの「「きれいごと」は本当に何の役にたたないものなのか?」という問いのまま、本文も全体的に問題提起で終わっていて、実際本書に対しては、現状批判に止まり、なんら解決策を示していないではないかという批判もあったようです。

 確かに著者の問題提起はそれ自体にも意味が無いものではないと思うし、精神分析医で、社会批評については門外漢とは言えないまでも専門家ではない著者が、人間関係・コミュニケーション、仕事・経済、男女・家族、社会、メディア、国家・政治といった広範なジャンルに対して意見している意欲は買いたいと思いますが、それにしても、もっと自分の言いたいことをはっきり言って欲しいなあ。

 より著者の専門分野に近い『本当はこわいフツウの人たち』('01年/朝日新聞社)などにも、こうした読者に判断を預けるような傾向が見られ、これってこの著者のパターンなのかと思ってしまう。
 すっと読める分、これだけで判断しろとか、「ね、そうでしょ」と言われても…みたいな内容で、世の中の風潮を俯瞰するうえでは手ごろな1冊かも知れませんが、読者を考えさせるだけのインパクトに欠けるように思えました。

 社会の右傾化に対する著者の危惧は、『ぷちナショナリズム症候群』('02年/中公新書ラクレ)から続くものですが、今回あまり「イズム」を前面にだしていないのは、より広範な読者を引き込もうという戦略なのでしょうか。

   

投稿者 wadamy : 22:23

【302】 △ 日垣 隆 『世間のウソ (2005/01 新潮新書) ★★★

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批評眼の大切さを教えてはくれるが、各論には納得できない部分も。

世間のウソ.jpg  『世間のウソ』 新潮新書

 著者の問題関心は、「世間で常識と思われていること、ニュースとしてごく普通に流通していることに素朴な疑問を投じることからいつも始まっている」(205p)そうですが、確かに『「買ってはいけない」は嘘である』('99年/文藝春秋)以来、その姿勢は貫き通されているように思えます。

 本書は、タイムリーな事件や社会問題などを取り上げ、その報道のされ方などを分析し、根拠の危うさや背後にある思惑を指摘している点で、著者の“本領”がよく発揮されていると思いました。

 語り口が平易で、文章がしっかりしているし、冒頭に、宝くじや競馬の話など入りやすい1話題を持ってくるところなどうまいなあと思います(日本の競馬の“寺銭”が25%というのは、寡聞にして知りませんでした)。
 こうしたウンチクがこの本にはいっぱいありますが、そうやって読者を引き込むのも著者の戦術の1つでしょうね。
 
 その他に、自殺報道のウソ、鳥インフルエンザ報道のウソ、男女をめぐる事件報道のウソ、児童虐待のウソ、第三種郵便のウソから、オリンピック、裁判員、イラク戦争を通して見る他国支配まで15章にわたってとり上げていて、新書1冊に詰め込み過ぎではという感じもありますが、社会問題を読み解く参考書として読まれたことも、この本が売れた理由の1つではないでしょうか。

 詰め込みすぎて、テーマごとの掘り下げが浅くなっている感じもありますが(やや週刊誌的?)、ニュース情報の渦の中で何となくそれらに流されがちな日々を送る自分に対し、批評眼を持つことの大切さを教えてくれる面はありました。

 ただし、1つ1つの論には、警察の民事不介入という幻の原則のために、多くの児童虐待が看過されてきたであろうという指摘など、個人的に納得できるものもあれば、ちょっとこの見方や論法はおかしいのではというのもありました(「精神鑑定のウソ」の章は個人感情が先走って論理破綻している)。
 そうした意味では、この本自体が、本書のテーマのテキストになり得るということでしょう。

投稿者 wadamy : 22:15

【301】 △ 内田 樹 『街場の現代思想 (2004/07 NTT出版) ★★★

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盲従でも全否定でもなく、自らの「考えるヒント」にすべき本。

街場の現代思想.jpg 『街場の現代思想』 (2004/07 NTT出版)

 哲学的エッセイであり、社会批評にもなっていて、著者の本の中では最も平易な部類に属する本です。

 「自分の持っている知識」の俯瞰的な位置づけを知ることが大事であることを説き、それを、既読の本がどこに配置され「これから読む本」はどこにあるかを知っているという「図書館の利用のノウハウ」に喩え、「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」のことであるという、冒頭の「教養論」はわかりやすいものでした。

 第1章は、「家庭」で自然に獲得された「文化(教養)」と学校などで学習により獲得されたそれとの質的な違いを説き、「文化資本」の偏在により階層化する社会(東大生の親も高学歴であるような社会)では、「教養」を意識した段階でその者はプチブルならぬ“プチ文化資本家”となり、“(文化)貴族”にはなりえないという「文化資本論」を展開しています。

 第2章は、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』('03年/講談社)の視点に対する共感で溢れ、第3章は、主に20代・30代の若い人の仕事(転職・社内改革)や結婚の悩みに対する人生相談の回答者の立場で書かれていますが、読み進むにつれて通俗的になってきて、まあその辺りが「街場」なのでしょうけれど…。

 自分のブログや地域誌に発表した文章の再編で、やっつけ仕事の感じもありますが、それでも所々に著者ならでの思考方法(乃至レトリック)が見られます。
 物言いが断定的でオーバー・ゼネラリゼイション(過度の一般化)がかなりあるので、これらを鵜呑みにせず、と言って全否定もせず、自らの「考えるヒント」にすべきなのでしょう。 

投稿者 wadamy : 22:06

【300】 ○ 酒井 順子 『負け犬の遠吠え (2003/10 講談社) ★★★☆

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「非婚少子化」の原因を一面において指摘している?

負け犬の遠吠え.jpg 『負け犬の遠吠え』 (2003/10 講談社) 少子.jpg 『少子』 講談社文庫

 女の〈30代以上・未婚・子ナシ〉は「負け犬」とし、その悲哀や屈折したプライドを描きつつ、“キャリアウーマン”に贈る応援歌にもなって、その点であまり嫌味感がありません。 
 二分法というやや乱暴な手が多くに受け入れられたのも(批判も多かったですが)、自らを自虐的にその構図の中に置きつつ、ユーモアを交え具体例で示すわかりやすさが買われたからでしょうか?  
 裏を返せば、マーケティング分析のような感覚も、大手広告会社勤務だった著者のバックグラウンドからくるものなのではないかと思いました。 
 最初から、高学歴の“キャリアウーマン”という「イメージ」にターゲティングしているような気がして、このへんのところでの批判も多かったようですが。

 個人的に最も興味を覚えたのは、辛辣な語り口はむしろ男に向けられていることで、独身“ダメ男”の分析では筆が冴えまくります。 
 著者が指摘する、男は“格下”の女と結婚したがるという「低方婚」傾向と併せて考えると、あとには“キャリアウーマン”と“ダメ男”しか残らなくなります。 
 このあたりに非婚少子化の原因がある、なんて結論づけてはマズいのかもしれないが(こう述べるとこれを一方的な「責任論」と捉える人もいて反発を招くかも知れないし)。 
 さらに突っ込めば、「女はもう充分頑張っている。男こそもっと“自分磨き”をすべきだ」と言っているようにもとれます(まさに「責任論」的解釈になってしまうが)。
 
 著者はエッセイストであり、本書も体裁はエッセイですが、『少子』('02年/講談社)という著作もあり、厚生労働省の「少子化社会を考える懇談会」のメンバーだったりもしたことを考えると、社会批評の本という風にもとれます。 
 ただし、世情の「分析」が主体であり、「問題提起」や「解決」というところまでいかないのは、著者が意識的に〈ウォチャー〉の立場にとどまっているからであり(それは本書にも触れられている「懇談会」に対する著者の姿勢にも窺える)、これはマーケティングの世界から社会批評に転じた人にときたま見られる傾向ではないかと思います。

 【2006年文庫化[講談社文庫]】

   

投稿者 wadamy : 22:00

【299】 × 香山 リカ/福田 和也 『「愛国」問答―これは「ぷちナショナリズム」なのか』 (2003/05 中公新書ラクレ) ★★

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せっかくのとり合せなのに、両者の話が噛み合わず、中身がやや薄い。

愛国」問答.jpg 『「愛国」問答―これは「ぷちナショナリズム」なのか』 中公新書ラクレ

 『ぷちナショナリズム症候群』('02年/中公新書ラクレ)の著者で精神科医の香山リカ氏と、『作家の値うち』('00年/飛鳥新社)などの著作がある文芸評論家の福田和也氏の対談です。
 福田氏は保守派論客とも目されていていますが、主義としてテレビには出ない人です(香山氏の方はよく出ていますが)。
 とり合わせの面白さで本書を手にしたものの、読んでみて中身はやや薄いという感じがしました。

 若者の右傾化現象を扱った『ぷちナショ』の内容を受け、またイラクへの武力行使開始の時期でもあり、主にアメリカの「世界支配」に対する日本人のアイデンティティのようなものがテーマになっていますが、両者の対談が噛み合っていない感じがしました。
 
 香山氏の若者の右傾化現象の分析は、感受性としてはいいと思うのですがあくまでも印象レベルにとどまっていて、“対談者”どころか“質問者”としても心もとない感じもありました。
 一方、福田氏はサブカルチャーを含めた博識ぶりを披露するかと思えば論壇ネタに終始したりで、香山氏の日本の独自の道はあるのかという問いかけに、必ずしもマトモに答えていません。

 福田氏があとがきで、対談中にコーヒー1杯しか出ず、終った後一緒の食事もなく、これで新書1冊が出来上がってしまうことを「貧しさ」と揶揄しているのが彼らしいと思いました。
 彼自身も、「こんなんでいいのか」みたいな気持ちがあったのではないでしょうか。

   

投稿者 wadamy : 21:59

【298】 ○ 東 浩紀 『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』 (2001/11 講談社現代新書) ★★★☆

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論理的だが、アニメ、ゲームなどの物語や構造に「世界」を仮託し過ぎ?

動物化するポストモダン .jpg 『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』 講談社現代新書

 本書では、アニメ、ゲームなどサブカルチャーに耽溺する人々の一群を「オタク」とし、「オタク系文化」の本質と、「'70年代以降の文化的世界=ポストモダン」との社会構造の関係を考察しています。
 著者はオタク系文化の特徴として「シュミラークル」(二次創作)の存在と「虚構重視」の態度をあげ、後者は人間の理性・理念や国家・イデオロギーなどの価値規範の機能不全などによる「大きな物語の凋落」によるとしたうえで、
 (1)シュミラークルはどのように増加し、ポストモダンでシュミラークルを生み出すのは何者なのか
 (2)ポストモダンでは超越性の観念が凋落するとして、人間性はどうなってしまうのか
 という2つの問いを投げかけています。

 (1)の問いに対しては、大塚英志氏の「物語消費」論をもとに、ポストモダンの世界は「データベース型」であり、物語(虚構)の消費(読み込み)により「データベース」化された深層から抽出された要素が組み合わされ表層のシュミラークルが派生すると。
 ただし、「キャラ萌え」と呼ばれる'90年代以降の傾向は、虚構としての物語さえも必要としておらず、自らの表層的欲求が瞬時に機械的に満たされることが目的化しており、著者は、コジェーヴがアメリカ型消費社会を指して「動物的」と呼んだことを援用して、これを「動物化」としているようです(つまり(2)の問いに対する答えは、ヒトは「データベース型動物」になるということ)。

 著者は27歳で『存在論的、郵便的-ジャック・デリダについて』('98年/新潮社)を書き、浅田彰に『構造と力』は過去のものになったと言わしめたポストモダニズムの俊英だそうですが、本書は、オタク系文化と現代思想の融合的解題(?)ということでさらに広い注目を浴び、サブカルチャーが文化社会学などでのテーマとしての“市民権”を得る契機になった著書とも言えるかも知れません。

 個人的には、アニメ、ゲームなどの物語や構造に「世界」を仮託し過ぎて書かれている気がしましたが、「萌え」系キャラクターの生成過程の分析などから探る(1)の著者の答えには論理的な説得力を感じました。
 著者もオタクなんですよね。中学生のときに、「うる星やつら」のTVシリーズ復活嘆願署名運動に加わったりしている(前著『郵便的不安たち』('99年/朝日新聞社)より)。
 ゆえに本書は、オタクから支持もされれば、批判もされる。物語の読み込み方が個人に依存することとパラレルな気がします。、

《読書MEMO》
●オタクの3つの世代(10代で何を享受したか)(13p)
 ・'60年前後生まれ…『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』
 ・'70年前後生まれ…先行世代が作り上げた爛熟・細分化したオタク系文化
 ・'80年前後生まれ…『エヴァンゲリオン』
●「データベース型世界の二重構造に対応して、ポストモダンの主体もまた二層化されている。それは、シミュラークルの水準における「小さな物語への欲求」とデータベースの水準における「大きな非物語への欲望」に駆動され、前者では動物化するが、後者では擬似的で形骸化した人間性を維持している。要約すればこのような人間像がここまでの観察から浮かび上がってくるものだが、筆者はここで最後に、この新たなる人間を「データベース的動物」と名づけておきたいと思う」(140p)

投稿者 wadamy : 21:59

【297】 ○ 永江 朗 『批評の事情―不良のための論壇案内』 (2001/08 原書房) ★★★☆

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論壇が俯瞰できる「21世紀の論壇エンターテインメント読本」。

批評の事情.jpg 『批評の事情―不良のための論壇案内』 (2001/08 原書房)

 '90年代にデビューまたはブレイクした批評家を中心に論じていますが、全否定しているケースは稀で、全体に個々の良いところを探ろうという感じでしょうか。 
 論客の力量を素直に認める姿勢は後味悪くはないけれど、こんな人まで褒めてしまっていいの?みたいなのも個人的にはありました。
 軽めのノリで批評としては弱い感じですが、ヒステリニックでないのが「案内」としては良く、内容的にも1人1人まとまっているように思えます。
 
 '80年代の浅田彰・中沢新一・四方田犬彦らのニューアカブームの後、'90年代の論壇はどうであったかを俯瞰し(社会・思想・芸術・文芸といった分野が主で、やはりサブカルチャー論の広範な浸透を感じる)、今後の読書等の指針にするには手頃な「21世紀の論壇エンターテインメント読本」(本書帯より)だと思います。

 登場する論客の多くが著者の生まれ年('58年)に比較的近い人たちで(例えば、'57年生まれ…山田昌弘・森永卓郎、'58年生まれ…日垣隆・大塚英志・岡田斗司夫・武田徹・松沢呉一・坪内祐三、'59年生まれ…宮台真司など。中島義道('46年)とか東浩紀('71年)も入っていますが…)、今後もマス・メディアなどを通じてこの人たちの言説に触れることは多々あるでしょう。

 著者は編集者兼フリーライターですが、本人に会った時の印象とかを大事にしている感じで(『インタビュー術!』('02年/ 講談社現代新書)という著書もある)、また、批評活動の領域はむしろ文芸評論ですが、論客の本の読み込みにそうしたものが窺える気がし、それが自分の肌には合いました。

 【2004年文庫化[ちくま文庫]】

《読書MEMO》
●取り上げている批評家
◆1.社会はどうなる?
宮台真司-90年代がはじまった/宮崎哲弥-アカデミズムとジャーナリズムのあいだで/上野俊哉-グルーヴの社会学/山形浩生-OSとしての教養/田中康夫-イデオロギーなき時代の指標/小林よしのり-「わかりやすさ」は正義か?/山田昌弘-社会学的手法の問題/森永卓郎-構造改革ラテン系/日垣隆-怒れ!笑え!虚構を突け!
◆2,時代の思考回路
大塚英志-物語の生産と消費をにらんで/岡田斗司夫-オタク批評の真価/切通理作-それでも「生きて」いくために/武田徹-「遅れてきた世代」の危険な思想家/春日武彦-「狂気」というものの仮面/斎藤環-虚構・現実・コミュニケーション/鷲田清一-ひととひとのあいだに充ちるもの/中島義道-哲学は闘いである/東浩紀-哲学ビルドゥングスロマン
◆3,芸術が表わすもの
椹木野衣-ポップカルチャーを生きるニヒリズム/港千尋-世界を再構築する眼/佐々木敦・中原昌也・阿部和重-セゾン系/樋口泰人・安井豊ー蓮實ズチルドレン/小沼純一-音楽を越境して/五十嵐太郎-建築界からのスーパーフラット宣言
◆4,ライフスタイルとサブカルチャー
伏見憲明-男制・女制/松沢呉一-ばかばかしいもので撃つ快感/リリー・フランキー-美女と批評/夏目房之介-面白さの正体/近田春夫-見たてが命!/柳下毅一郎-バッドテイストの作法/田中長徳-スペックでは語り得ぬもの/下野康史-評論の生まれるところ/斎藤薫・かづきれいこ-美容評論の夜明けは遠い
◆5,文芸は何を語る
福田和也-小林秀雄への道/斎藤美奈子-あなたの固定観念/小谷真理-ガイネーシスの可能性/小谷野敦-自虐的恋愛観/豊崎由美-書評の立場/石川忠志-ぶっとい文芸批評/坪内祐三-活字でしか味わえない世界を求めて

 

投稿者 wadamy : 21:54

【296】 △ 宮台 真司 『透明な存在の不透明な悪意 (1997/11 春秋社) ★★★

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神戸連続児童殺傷事件を発生直後に考察。持論へのやや強引な引き付けを感じる。

透明な存在の不透明な悪意.jpg 『透明な存在の不透明な悪意』 (1997/11 春秋社)

 '97年に起きた神戸連続児童殺傷事件の「少年A」の逮捕直後に、著者がインタビューや対談を通じて事件を論じたものを1冊にまとめた“緊急出版”的な本ですが、起きたばかりの衝撃的な事件に対し、冷静に社会論的分析をしてみせる著者の“慧眼”に脱帽した読者も多かったかも。

 ただ個人的には、家族幻想の崩壊による社会の「学校化」とか、子どもの居場所が無い「ニュータウン化」社会とか、著者の持論を当て嵌めるのにちょうど良いケースだっただけではないかという気もします(持論へのやや強引な引き付けを感じる)。
 「専業主婦廃止論」なども、そうした流れの中にあるかと思いますが、感覚的には言いたいことはわからないではないけれど、こうした事件を前にしたとき、あまり現実的な提案とは思えません。
 
 対談においても、吉岡忍氏が、「ニュータウン化」による“影の無い街”が、むしろ攻撃性や暴力性を露出するのかもと言えば、宮台氏は待ってましたとばかり「ダークサイドの総量一定論」を唱え、それにまた山崎哲氏(劇作家)のような人が、完成された街に育ったものには関与できる“現実の空間”が無く、「少年A」の犯罪はオウムの犯罪に通底すると続く…(113‐114p)。  
 こんな演劇論的な論筋だと、何でも“通底”してしまうのではないでしょうか。
 「ニュータウン化」論については、彼らの共感だけでなく、現実にその後も「ニュータウン」的な場所での少年犯罪などは起きていますが、マンションの機能的構造を見直そうという動きはあまり見られないようです。
 
 著者は、「酒鬼薔薇聖斗」が少年であることを想定できずに事件を“物語化”していた識者やマスコミを嗤い、彼をダーテーィヒーローにするなと言うけれど、その「犯行声明文」の文中の「透明な存在」という言葉が本書のタイトルにもなっているわけで、著者自身、「声明文」から受けた衝撃は大きかったのではないでしょうか。 
 「少年A」を「行為障害」と規定することは、著者の指摘どおり、「子供幻想」を温存するための社会的防衛機能が働いたのかも知れず、この「声明文」を改めて考察する意味はあると思いますが、そこから「子どもの自立決定・自己責任規制」論へ行くのは、著者独特の思考回路。

 著者は'92年からこのときぐらいまでは「ブルセラ・援交少女」肯定論を張っていましたが、豊富な社会学やサブカルチャーの知識とフィールドワークからの実感により、固定観念に囚われないユニークな視点を示す一方で、個人的には、論理の飛躍が多い人であるという印象が拭えません。

投稿者 wadamy : 21:26

【295】 ◎ 作田 啓一 『個人主義の運命―近代小説と社会学』 (1981/10 岩波新書) ★★★★★

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個人主義(自尊心)についての読み応えのある「文芸社会学」的考察。

個人主義の運命.jpg 『個人主義の運命―近代小説と社会学』 岩波新書

 「文芸社会学」の試みとも言える内容で、3章から成り、第1章でルネ・ジラールの文芸批評における、主体(S)が客体(O)に向かう際の「媒介」(M)という三項図式の概念を用いて、主にドストエフスキーの一連の作品を、三角関係を含む三者関係という観点から読み解き、第2章では個人主義思想の変遷を、共同態(家族・農村・ギルド・教会など)の衰退と資本主義、国家(ナショナリズム)等との関係において理性→個性→欲望という流れで捉え、第3章でまた第1章の手法を受けて、夏目漱石の『こころ』、三島由紀夫の『仮面の告白』、武田泰淳の『「愛」のかたち』、太宰治の『人間失格』における三者関係を解読しています。

 第1章では、ドストエフスキー小説における「媒介者」を、主人公(S)が恋人(O)の愛を得ようとする際のライバル (M)や、世間(O)からの尊敬を得るために模倣すべき「師」(M)に見出していますが、主人公がライバルの勝利を助けようとするマゾヒスティックにも見える行動をしたり、「師」を手本とする余り、神格化することが目的化してしまったりしているのはなぜなのか、その際に主人公の自尊心(この場合、個人主義は「自尊心」という言葉に置き換えていいと思う)はどういった形で担保されているのか、その関係を考察しています。

 第2章で興味深かったのは、ナショナリズムと個人主義の関係について触れている箇所で、国家は中間集団(既成の共同体)の成員としての個人の自律と自由の獲得を外部から支援することで、中間集団の個人に対する影響力を弱めたとする考察で、中間集団が無力化し個人主義の力を借りる必要が無くなった国家は、今度は個人主義と敵対するようになると。
 著者はナショナリズムと宗教との類似、ナショナリズムと個人主義の双子関係を指摘していますが、個の中で全体化するという点では「会社人間」などもその類ではないかと思われ、本書内でのG・ジンメル「多集団への分属により個人は自由になる」という言葉には納得。
 ただし、それによって複数集団(会社と家庭、会社と組合など)の諸要求に応えきれず自己分裂する可能性もあるわけで、ある意味「会社人間」でいることは楽なことなのかも知れないと思いました。

 第3章では、漱石の『こころ』の「先生」と「私」の師弟関係の読み解きが、以前読んだ土井健郎のものを引きながらも、それとはまた違った観点での(つまり「先生」とKとの関係を読者に理解させるために書かれたという)解題で、なかなか面白かったです。

 第1・第3章と第2章の繋がりが若干スムーズでないものの(「文芸」と「社会学」が切り離されている感じがする)、各章ごとに読み応えのある1冊でした。

投稿者 wadamy : 21:20

【294】 ◎ 大塚 久雄 『社会科学における人間 (1977/06 岩波新書) ★★★★☆

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ロビンソン人間論を軸としたマルクス、ヴェーバー論。噛んで含めたようなわかりやすさ。

社会科学における人間.jpg 『社会科学における人間』 岩波新書

 資本主義の歴史研究を通して「近代」の問題を独自に考察した社会学者・大塚久雄(1907‐1996)は、マルクス経済学とヴェーバー社会学から独自の人間類型論を展開したことでも知られていますが、本書はその人間類型論を軸としたマルクス、ヴェーバー論という感じで、'76(昭和51)年に放映されたNHK教育テレビでの25回にわたる連続講演をまとめたものです。

 本書でまず取り上げられているのは『ロビンソン漂流記』のロビンソン・クルーソウで、著者は、初期経済学の理論形成の前提となった人間類型、つまり経済合理性に基づいて考え行動する「経済人」としてロビンソンを捉えており、マルクスの『資本論』の中の「ロビンソン物語」についての言及などから、マルクスもまた「ロビンソン的人間類型」を(資本主義経済の範囲内での)人間論的認識モデルとしていたと。
 そして、ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で前提としているのも「ロビンソン的人間」であるとしています。

 プロテスタンティズムのエートス(世俗内禁欲)が「資本主義の精神」として伝えられ、資本主義の発展を支えたというヴェーバーの説がわかりやすく解説されていて、この「隣人愛」が“結果として”利潤を生じるという目的・価値合理性が最もフィットしたのは主に中産的生産者(ドイツよりむしろ英国の)だったとしており、資本家においては両者の乖離が既に始まっていたと―この点は今日的な問題だと思いました。

 著者の考えは必ずしも全面的に世に受け入れられているわけでは無いのですが(ロビンソンを植民地主義者の原型と見なす人も多い)、自分としては、大学の一般教養で英文学の授業を受けた際に、最初の取り上げた『ロビンソン漂流記』の解題が本書とほぼ同じものだった記憶があり、「ロビンソン的人間類型」論に何となく親しみもあったりもします。

 '70年代の著作でありながらすでに「南北問題」などへの言及もあり、大学ではほとんど講義ノートを見ないで講義していたとか言う逸話もある人物ですが、本人曰く「教室で一番アタマ悪そうな学生に向けていつも話をした」そうで、本書も、マルクスの「疎外論」やヴェーバーの「世界宗教の経済倫理」などの難解な理論にも触れていますが、その噛んで含めたようなわかりやすさが有り難いです。

投稿者 wadamy : 20:44

【293】 ○ 岩田 規久男 『日本経済を学ぶ (2005/01 ちくま新書) ★★★★

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平易かつ理路整然とした内容。「インフレ目標政策」入門としても好著。

日本経済を学ぶ.jpg  『日本経済を学ぶ』 ちくま新書

 「インフレ・ターゲット論」の代表的論客である著者による日本経済の入門書。

 まず第1・2章でなぜ高度経済成長が実現し、バブル景気や「失われた10年」の本質は何であったのかをわかりやすく説明、さらに第3・4章で日本的経営と企業統治を扱い、第5・6章で産業政策や構造改革を、最終章で日本経済の課題と長期経済停滞から脱却するための経済政策(インフレ目標政策=1~3%の物価上昇率を目標にし、景気回復およびマクロ経済の安定を図る策)を提言しています。。
 
 全体を通して、著者自身が「大学での講義スタイルを取り入れた」言わば「大学外での公開講義」と言っているとおり、数式などを用いず、小泉構造改革や郵政民営化、年金改革など具体的な問題をとり上げ、平易かつ理路整然とした内容の「入門書」だと思いました。

 本書は同時に、それに賛同するかどうかは別として、「インフレ・ターゲット論」を理解するための本でもあるかと思います(個人的には著者の論には説得力を感じていますが、“高インフレを招く危険な考え”とするエコノミストも一部にあります)。
 
 見方によっては、全体がその論のために構成されているともとれ、競争原理の意義や景気に及ぼすファンダメンタルズ以外の心理的要因の大きさ、(政府による産業政策や構造改革より)日銀がデフレ予想を払拭する金融政策に転換することの必要を説くことで、「インフレ目標政策」の背景にある基本的考えを示すとともに、「量的緩和政策」との関係などを解説しいている点に、「インフレ・ターゲット論」を正しく理解してほしいという著者の意図が感じられます。

《読書MEMO》
●(04年現在)小泉首相は「構造改革なくして、成長なし」といっていますが、それは本当でしょうか。(213p)/小泉内閣が口で言うほどの構造改革を進めなかったことが、大不況を免れた大きな要因です。(中略)小泉内閣の看板通りに、本格的に不良債権処理や財政構造改革などの構造改革を進めたならば、大不況を招き、物価下落率と失業率が一割を超すような事態になった可能性があります。(230-231p)

投稿者 wadamy : 19:59

【292】 △ 田中 秀臣 『経済論戦の読み方 (2004/12 講談社現代新書) ★★★

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マクロ経済の参考書として読めるが、やや乱暴な論調も。

経済論戦の読み方.jpg  『経済論戦の読み方』 講談社現代新書

 著者は、インフレターゲット論者として、論文、一般向け書籍、ネット(この人の個人サイトは映画の話題などもあって面白い)などで活発な活動を続けている人ですが、本書は“経済論戦”の現状を俯瞰的に眺望する前に、マクロ経済理論の解説を行っています。
 このあたりの解説自体は丁寧で、「IS-LM分析」や「流動性の罠」理論を理解するうえでの適切な参考書としては読めます。
 
 しかし具体的に持論の解説がないまま「構造改革主義」批判に入り、そこでも経済理論の解説が続くため、論点を“読み解く”うえでは、自分のレベルでは必ずしも読みやすいものではありませんでした。
 特に著者の唱える「漸進的な構造改革」は、構造改革論者にも同じことを唱えている人がいるのでややこしい。

 最初に一般論としてのエコノミストの分類をしていますが、「政策プロモーター型」の竹中平蔵氏について、度々の変節を揶揄して「カオナシ」と呼んでいるところは著者らしいユーモア。

 しかし、 “経済論戦”というものが何だか今ひとつ分かりにくくて本書を手にとった自分のような読者が期待する “読み方”の部分については、章間にある“辛口ブックレビュー・コラム”がその端的な形と言えるかと思いますが、これが一番面白いものの、やや乱暴な論調も見られ、明らかに主題から外れた揚げ足取りの部分もあるように思えました。

《読書MEMO》
●辛口ブックレビュー・コラム
◆デフレが人を自由にすると説く奇妙な論理…榊原英資 『デフレ生活革命』('03年/中央公論新社)
◆時代遅れの経済学を前提とした主張…リチャード・クー 『デフレとバランスシート不況の経済学』('03年/徳間書店)
◆日銀をあまりにも過大評価している…リチャード・A・ヴェルナー 『謎解き!平成大不況』('02年/PHP研究所)
◆年金問題に数字を伴う処方箋を提示してほしい…金子勝 『粉飾国家』('04年/講談社現代新書)
◆「万年危機論者」たちの終わらない宴…高橋乗宣 『“カミカゼ”景気』('04年/ビジネス社)、ラビ・バトラ 『世界同時大恐慌』('04年/あ・うん)、副島隆彦 『やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる』('04年/ビジネス社)、本吉正雄 『元日銀マンが教える預金封鎖』('04年/PHP研究所)、藤井厳喜 『新円切替』('04年/光文社ペーパーバックス)、吉川元忠 『経済敗走』('04年/ちくま新書)
◆木村剛の「キャピタル・フライト論」の大きな誤り…木村剛 『戦略経営の発想法』('04年/ダイヤモンド社)、『キャピタル・フライト-円が日本を見棄てる』('01年/実業之日本社)
◆思い込みばかりが浮き彫りになる「御用学者」批判…奥村宏 『判断力』('04年/岩波新書)

投稿者 wadamy : 19:51

【291】 ○ 奥村 宏 『判断力 (2004/04 岩波新書) ★★★★

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エコノミスト批判の本と割り切って読めば、示唆に富むものだった。

判断力.jpg  『判断力』 岩波新書

 著者は、新聞記者としてスタートし、その後証券会社に転じ、研究員としての長年の勤務を経て大学教授になり、退官後は経済評論家として活躍している人。
 本書で、情報に振り回されて判断を誤るのはなぜかを考察し、また理論のための学問でない「実学」の大切さを説いているのも、こうした経歴によるところが大きいのでしょう。
 経済にまつわる様々な「陰謀説」についての著者の分析は、大いに参考になりました。

 外国に判断を任せる政治家や、責任感欠如で判断しない経営者、外国理論を輸入するだけの経済学者を批判していますが、その矛先は企業の従業員やジャーナリスムにも向けられていて、組織に判断を任せる「会社人間」を生んだ構造の背景にあったのは、「法人資本主義」つまり会社本位の経済成長第一主義であるとし、新聞社も組織の肥大化で同じ罠に陥っており、新聞記者は全て独立してフリーになった方がいい記事が書けるのではとまで言っています。

 最も辛辣な批判はエコノミストに向けてのもので、議論が盛んなインフレターゲット論と財政投資有効論の対立も、政府や日銀の政策をめぐっての議論であり、日本経済の構造分析の上に立った主張ではない「御用学者」たちの間でのやりとりでしかなく、「経済論戦」などもてはやすのはおかしいと、手厳しいです。

 主張には骨があるように思えましたが、テーマである「判断力」ということについて、方法論的には「新聞の切り抜き」みたいなレベルで終っているのが残念でした。
 ただし、エコノミスト批判の本と割り切って読めば、多分に示唆に富む内容のものでした。

投稿者 wadamy : 19:43

【290】 ○ 川北 隆雄 『図解でカンタン!日本経済100のキーワード (2004/04 講談社+α文庫) ★★★★

「●経済一般」の インデックッスへ PrevNEXT ⇒【291】 奥村 宏 『判断力

新聞記者の視点で日本経済と小泉路線をわかりやすく解説。

図解でカンタン!日本経済100のキーワード.jpg  『図解でカンタン!日本経済100のキーワード』 講談社+α文庫

 100個のキーワードがあってそれぞれにぶら下がりで説明がついているというスタイルではなく、景気のメカニズムや国の財政・金融政策を解説しながら、その流れの中でキーワードが出てくるので、頭に入りやすかったです。

 '02年に日本国債の格付けはA2となったが、これはボツワナ以下とか(どこにある国か知ってますか)。
 発行残高483兆円って、おいおい大丈夫かと言いたくなる(その後500超円超えたけれど)。

 先行き不透明な日本経済の現況において、小泉内閣の歩もうとする路線を分析しています。
 「経済財政諮問会議」というのが、小泉政権になってから大きな主導権を持つようになったことがわかります。
 『大蔵省』('89年/講談社)などの著書もある著者の、小泉首相が元々は「大蔵族」であったという指摘は、竹中プランなどを分析する上でのヒントになるのでは。

 生保の予定利率引下げを認めたのも護送船団型の典型で、金融行政が金融庁に分離されても、こうした“規制と保護”の政策は変わらないことを予感させる(郵政民営化で少なからず銀行に金が流れ込むわけだし)。
 
 後半は民間の産業構造の変化を、産業別の過去推移を追いながら解説しています。
 日産のゴーン氏が愚直にリストラ推進できたのは外国人だったからとし、ダイエーは再生困難とはっきり予言しています。

 著者は東京新聞の論説委員。新聞記者の視点でわかりやすく書かれていて、直近のデータをふんだんに盛り込んでいます。
 それだけに、基本的にはその旬の時に読まないと、時間が経ちすぎて読んでもピンとこなくなる本ではありますが、小泉政権の経済政策を振り返ってみるには使える本です。

投稿者 wadamy : 19:35

【289】 △ 佐和 隆光 『市場主義の終焉―日本経済をどうするのか』 (2000/10 岩波新書) ★★★

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参考書的には面白かったが、肝心の主張部分の具体性に欠ける。

市場主義の終焉.jpg 『市場主義の終焉―日本経済をどうするのか』 岩波新書

 著者は本書で、市場主義を否定しているのではなく、「市場主義改革はあくまでも『必要な通過点』である」としながらも、市場の暴走による社会的な格差・不平等の拡大を避けるためには、「市場主義にも反市場主義にもくみしない、いってみれば、両者を止揚する革新的な体制」(140p)としての「第三の道」をとるべきだとしています。

 「第三の道」とは社会学者ギデンズが提唱した「旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道」(142p)であり、著者によれば「リベラリズム」がそれにあたり、最もそれを体現しているのが英国のブレア首相(労働党)であるということのようです(サッチャリズムの保守主義、市場主義政策が破綻してリベラルなブレア政権が誕生したと…)。

 効率重視の“保守”と公正重視の“リベラル”という対立軸で経済を読み解くのが著者の特徴で、「自由な市場競争を大義名分とする市場主義と、伝統と秩序を『保守』することを大義名分とする保守主義は両立不可能」(41p)という政治経済学的な分析は面白いし、その他にも政治・経済・社会に対する多角的な分析があり、経済の参考書として門外漢の自分にも興味深く読め、本書が「2000年ベスト・オブ・経済書」(週刊ダイヤモンド) に選ばれたのも“むべなるかな”といったところ。

 ただし、肝心の主張部分「第三の道」についてもう少し具体的に説明してもらわないと、一般に言う「福祉国家」とどう違うのかなどがよくわからず、学者的ユートピアの話、議論のための議論のようにも聞こえます。
 確かに「大学改革」については、市場主義、経済的利益のみで学問の価値が測れないことを示しています(それはそれでわかる)が、何だかこの問題だけ特別に具体的で、浮いているような気がしましたけど。

投稿者 wadamy : 19:23

【288】 ○ 岩田 規久男 『経済学を学ぶ (1994/09 ちくま新書) ★★★★

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ビジネスパーソンの“復習”用として身近な感覚でもって読める。

経済学を学ぶ.jpg  『経済学を学ぶ』 ちくま新書

 平易な言葉で書かれた経済の入門書で、学生時代に経済学を学ぶことなく社会に出た自分のような人間にも読みやすい本でした。
 '94年の出版ですが、新書版という手軽さもあり(「ちくま新書」創刊ラインアップの中の1冊)、実際かなり幅広く読まれているようです。
「金さえ払えば入れる大学」がないのは何故か、といった身近な切り口は、高校生でも充分に引き込まれるのではないでしょうか。

 ミクロ経済学の視点からは、個人だけでなく企業行動についてもとりあげているので、ビジネスパーソンの“復習”用としても身近な感覚でもって読めます。
 それも、「なぜ映画に学割があるのにレストランにはないのか」「JRのフルムーンは高齢者福祉政策か」といったユニークな切り口での解説です。

 後段ではマクロ経済の視点で、国民所得の変動や失業、インフレが発生する原因を解説し、財政金融政策について、「ルールか裁量か」という問題があることを示しています。
 より突っ込んで学びたい人は、同じ著者の『マクロ経済を学ぶ』('96年/ちくま新書)に読み進めば良いかと思います。
 こちらはレベル的には、大学の一般教養か経済学部の学部生になったばかりの人向けぐらいでしょうか。

《読書MEMO》
●ルールか裁量かについては、未だ決着はついていないが、次のような立場が比較的多くの支持を得ていると考えられる。すなわち、普通の状態では、市場の自動安定化装置に任せ、景気が大きく後退したり、激しいインフレが起きたりした場合には、裁量的な財政金融政策を実施するというものである。(204p)

  

投稿者 wadamy : 19:17

【287】 ○ 佐和 隆光 『平成不況の政治経済学―成熟化社会への条件』 (1994/01 中公新書) ★★★☆

「●経済一般」の インデックッスへ PrevNEXT ⇒【288】 岩田 規久男 『経済学を学ぶ

政治経済を軸に平成不況を多角的分析。ただし将来予測は外れている部分が多い。

平成不況の政治経済学.jpg  『平成不況の政治経済学―成熟化社会への条件』 中公新書

 本書は、'93(平成5)年末、つまりバブル崩壊後3年目で、ちょうど細川政権が誕生した頃に書かれたものですが、「政治経済」という視点を軸に平成不況を分析し、以後の経済政策のあり方を提示していています。
 また一方で、著者の多角的な観点のおかげで、経済というものをより幅広い視野で捉える眼を養ううえでの参考書としても読めます。
 ただしこの本を“参考書”として読む場合は、経済学には派閥があり、保守派とリベラル派に分けるならば、著者は「リベラル派」であることを踏まえておくことが必要でしょう。

 著者は平成不況の一因に日本が'90年代に成熟化社会に入ったことを挙げ、この閉塞状況の処方箋を書くには、従来の経済学の枠組みではなく、保守とリベラルという概念で状況を読み解く必要があるとしています。
 そしてリベラルな立場から“保守派”エコノミストの描く“ケインズ主義”的な財政金融政策に警鐘を鳴らし(著者の「保守/リベラル」観には「人間性」的なものがかなり入っているように思える)、生活の質を重視した社会の仕組づくりを提唱しています。

 到達地点の趣旨自体は賛同できますが、市場主義の流れは止まらないだろうし、インフレもその後10年以上生じておらず、むしろ超デフレが続きました。
 それに、著者が描いた政治構造の将来予測、つまり保守主義とリベラリズムの対立構造というものが、まず政党のパワーバランス予測が外れ、さらに政策区分さえかなり曖昧になってしまいました。

 政治と経済政策の関係を〈保守とリベラル〉という観点で読み解く参考書としては良書だと思いますが、経済予測だけでも難しいのに、それに政治が絡むと将来予測はさらに難しくなることを痛感させられる本でもありました。

《読書MEMO》
● 保守主義とは何か
「いまここに、一人の貧者がいたとする。もしもあなたが保守主義者ならば、次のようにいわれるであろう。彼または彼女が貧しくなったのは自助努力が足りなかったからである。もし政府が福祉政策によって彼または彼女を救済したりすれば、彼または彼女にとってはありがたいことかもしれないが、図らずも他の人々の自助努力をも阻害することになり、一国経済の生産性を低下させかねない。したがって過度の福祉政策は慎むべきである、と。」(13-14p)

投稿者 wadamy : 18:53

【286】 ○ 松野 守峰/松林 博文/鶴岡 公幸 『ビジネスに出る英単語―テーマ別重要度順キーワード2500』 (2002/04 講談社インターナショナル ) ★★★★

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“実践”ですぐに役立つビジネス英単語集。語句の説明も丁寧。

ビジネスに出る英単語.jpg 『ビジネスに出る英単語』 ('02年/講談社インターナショナル )

 謳い文句どおり、“実践”ですぐに役立つビジネス英単語集。
 マーケティング、生産管理、財務・経理などビジネスの各分野別に重要度順に配列し、2色刷りなので読みやすく、解説も丁寧です。
 ビジネスの現状に即した内容になっていて、「ビジ単」と呼ばれ利用者が多くいるようです。

 特に仕事上、人事関連で参考になりました。
 米国企業では、訴訟放棄契約書にサインしないと解雇手当が出ないケースがあるとか(大リーグのウェーバー方式というのは訴訟放棄条項があるようですが、これは野球に限らず一般企業社会での慣習として行われているのですね)、「単身赴任」という言葉は該当する言葉は英語には無いとか、興味深かったです。
 
 そのほかにも、M&Aや企業戦略に関連する言葉が豊富です。
 Supply Chain Management の説明で、“最も成功したのはユニクロである”とか、具体例を多く挙げていてわかりやすいです。

《読書MEMO》
●人事関連…
 ・change agent 組織変革推進者(357p)
 ・turnover rate 離職率(358p)
 ・glass ceiling ガラスの天井(昇進における性などの差別)(359p)
 ・compensation 米では普通”役員報酬”(360p)
 ・contribution holiday 年金拠出停止
 ・seniority 勤続年数(390p)

投稿者 wadamy : 18:31

【285】 ◎ 阿部 直子/バーニース・ボーラク 『仕事にすぐ役立つビジネス英語表現実例集 (2002/12 中央経済社) ★★★★☆

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突然仕事で英語を使わざるを得ない状況になった人にお薦め。

仕事にすぐ役立つビジネス英語表現実例集.jpg  『仕事にすぐ役立つビジネス英語表現実例集』 (2002/12 中央経済社)

 単行本や新書でベストセラーになったものから、NHKで出しているシリーズもの、TOEIC公式ガイドから果ては「超右脳式」とかいうものまで当たりましたが、結局スピーキングに関してはこの本が一番役に立ちました(CD付きではないので、発音は別として)。

 〈日本人〉vs,〈外国人〉のビジネス交渉などを軸にした状況設定が非常にあり得える具体性を持っていて、リアリティがあります。
 「仕事にすぐ役立つ」というキャッチは大袈裟ではないと思いました。
 
 通常こうした素材では会話が長くなりがちですが、本書でのダイアローグは10行前後とコンパクト。
 構成自体はダイアローグに語彙と表現例が書いてあるだけの一般的なものですが、ダイアローグの対訳との見開きのページ構成で、1セッションを読む間にページをめくる必要がないので集中できます。

 対訳の下にあるコラムも、著者の豊富な経験に裏づけされた楽しい内容になっています。

《読書MEMO》
●「英語ではダンベルでダイエットは存在しない」ダイエットは食事療法、痩せすぎの人が太る場合にも使う(87pコラム)
●「どうぞよろしくお願いします」「お疲れ様でした」という表現は英語にはない(159pコラム)
●「頑張って」はGood luck!(日本は本人に努力を求め、西洋では天に祈る《→時にTake it easy!を使う》

投稿者 wadamy : 18:23

【284】 △ 尾崎 哲夫 『英語「超基本」を一日30分! (2002/01 角川oneテーマ21) ★★★

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「英語やり直し」というテーマに沿った“参考書”。

英語「超基本」を一日30分.jpg 『英語「超基本」を一日30分!』 角川oneテーマ21

 本書は「角川oneテーマ21」の1冊ですが、「英語やり直し」ということでテーマがはっきりしています。
 英会話の使える表現集などが付いていますが、基本的には会話のベースとなる「英文法」の本です。
 たいへんオーソドックスで、『試験に出る英文法』の簡易版みたいな感じ、要するに新書と言うより参考書であるという気がしました。
 そう感じるということは、内容がテーマに沿っているということでしょうか。
 「枝よりも幹が重要!」、「未来を表すのはwillだけで大丈夫」、「英文は3パターンしかない!」といったキャッチも、ある意味正統的で、こうしたマトモさがベストセラーになった要因かもしれません。

 ただ、読み終えてもう一度読み直そうとすると、例文が語彙集的役割を果たしている分、解説部分が文法の話だったり語彙表現の話だったりで、少し読みにくい感じもして、個人的には、その部分での相性が今ひとつでした。
 
 繰り返しになりますが、新書本ですが、内容的には〈読み物〉というよりは〈参考書〉です。
 1回目に読むときに、自分なりのポイントにマーカーで線を引くようにした方が良いかと思います。

投稿者 wadamy : 18:12

【283】 ◎ マーク・ピーターセン 『日本人の英語 (正・続)』 (1988/04 岩波新書) ★★★★★

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英文に内在する論理構造を知ることができる良書。

日本人の英語.jpg 日本人の英語 続.jpg  『日本人の英語 (正・続)』 岩波新書

 英語における冠詞や前置詞、時制や関係代名詞、受動態などの使い方を通して、英文に内在する論理構造を知ることができる好著です。
 
 日本人の英語表現のよくある誤謬を単に正すのではなく、日本語と英語のもともとの発想や論理の隔たりがどこにあるのかを、ユーモアを交えながら説き明かしていく展開は、楽しく読めて、かつ奥が深いものであり、日本語と英語の両方に通じた著者の慧眼を示すものです。
 面白いだけでなく、ある意味、今まで誰も示さなかった習得の近道かも知れません。

 例えば冒頭の、「名詞にaをつける」のではなく、むしろ「aに名詞をつける」のだという話は、初めての人には何を言っているのかよく解らないかもしれませんが、読んでみればaもtheも名詞につけるアクセサリーのようにしか思っていなかった人は「目からウロコ」の思いをするのではないでしょうか。
 ここを理解するだけでも元が取れてしまう1冊です。  
 
 '90年には「続」編が出ていて、構成は、冠詞、前置詞、副詞、時制、知覚動詞、使役動詞というように「正」編とほぼ同じですが、日本文学や映画から素材を選び、比較文化論的エッセイ風の色合いが強まった感じがします。  
  
 それは冒頭の、アメリカ人は日本人を the Japanes eと言うのに、自分たちを the Americans と言わず、Americans というのはなぜだろうという疑問提示にも表れていて、著者による「文化論的」謎解きに触れたときには、思わずう~んと唸ってしまいました。  
 
 全体的には、「続」も「正」と同様に楽しく、また「正」よりスイスイ読めますが、先に多少時間をかけてでも「正」の方を読んでおいた方がいいかも。

 

投稿者 wadamy : 18:01

【282】 ○ エドワード・G・サイデンステッカー/松本 道弘 『最新日米口語辞典 [増補改訂版]』 (1982/01 朝日出版社) ★★★☆

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「読む」辞典。読みながら日米口語の共通点や相違点が掴める。

最新日米口語辞典2.jpg 『最新日米口語辞典 [増補改訂版]』 (1982/01 朝日出版社)

 「A」の“あばたもえくぼ”― Love is blind から「Z」の“頭痛のタネ”―one’s biggest headache まで、約600ページに3,000語を収録しています。
 つまり1ページ平均5語。それだけ一語一語の説明が丁寧で、例文も豊富であるということになります。
 「引く」辞典ではなく「読む」辞典であり(活字も通常の辞典より大きめで、紙質もいい)、読みながら日米口語の共通点や相違点が掴めます。

 初版が'77年、増補版が'82年とずいぶん以前であるのに古さを感じさせないのは、日本語の抽出の仕方が口語とは言えオーソドックスで、時代を経ても使われ続けられるものを選んでいるためと思われます。
 このあたりは、編纂者の識見のなせる技でしょうか。
 エドワード・サイデンステッカーは谷崎潤一郎、川端康成作品などの翻訳でも有名な人で、日本語の面白さがよく出ている表現が多く(これが英語に直すと必ずしも面白いわけではないのですが)、また、時代の波に消えてしまうような言葉はあまり入っていないようです。

 米語の発想に触れるうえでは、多くの学習者にとって有益だと思います。
 ただ、ここにある米語の口語表現を会話の中で使おうとするならば、会話表現力が相当ないと、その部分だけ“一点豪華主義”みたく浮いてしまうと思います。

投稿者 wadamy : 17:52

【281】 △ ユージン・E・ランディ/堀内 克明 『アメリカ俗語辞典 (1975/09 研究社出版) ★★★

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アメリカ俗語と同時に日本の俗語も知ることができ、読み物としては面白いが…。

アメリカ俗語辞典.jpg  『アメリカ俗語辞典』 (1975/09 研究社出版)

 この辞典が出来上がった契機というのが、臨床心理の医者である著者(ランディ)が、麻薬患者などと意思疎通を図る過程で、隠語を蒐集していったというもの。
 黒人、麻薬、同性愛、バイク乗り、犯罪、売春、医薬などに関する俗語が多く、そのまま'60年代のアメリカの世相を反映したものとなっています。

 俗語というのはアンダーグラウンドの人々が自分たちとオバーグランドの人々を区別しようとする働きから生まれるものだとすれば、'60年代は特にそうした土壌があったのでしょう。
 さらに、批評家(哲学者?)の東浩紀氏が『動物化するポストモダン-オタクから見た日本社会』('01年/講談社現代新書)の中で指摘したように、「日本のオタク系文化の起源はじつは(中略)、戦後'50年代から'70年代にかけてアメリカから輸入されたサブカルチャーだったという事実」がここにあるのかも知れません。

 由緒ある出版社から出されている辞典ですが、英会話教室で机の上に置いといたら、ネイティブの教師から “Oh!No!”というお言葉を頂戴しました。
 ペーパーバック小説などを読むときには役に立ちそうな気もするのですが、この辞書をパラパラとめくって読んでいるだけで'60年代のアメリカ文化的ムードが伝わってきます。

 この辞典のもう1つの特徴は、アメリカ俗語に対応する日本の俗語のマニアックとも思える蒐集ぶりです(訳編者が70年代に大学生を中心に集めたという)。
 試しに bear とか bush という語を引いて見ればわかりますが、完全に〈日本語俗語辞典〉と化しています。日本にだってこんなに俗語はあるぞ~みたいな。
 多分〈日本語の俗語〉の方も、一般の読者には初めて知るものの方が圧倒的に多いかと思います。
 
 読み物としては面白いですが、ペーパーバック小説などを読むとき以外で役に立つかどうかというと、汎用性という点ではどうかなという気もする辞典です。

投稿者 wadamy : 17:35

【280】 ○ 鹿島 茂/福田 和也/松原 隆一郎 『読んだ、飲んだ、論じた―鼎談書評二十三夜』 (2005/12 飛鳥新社) ★★★★

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自分にあまり縁がなさそうな本の批評でも、読み始めると楽しく読めた。

読んだ、飲んだ、論じた.jpg 『読んだ、飲んだ、論じた―鼎談書評二十三夜』 (2005/12 飛鳥新社)

 '03年から2年にわたり雑誌「文藝春秋」に連載された鼎談書評ですが、仏文学者の鹿島茂氏、文芸評論家の福田和也氏、経済学者の松原隆一郎氏の3氏が、それぞれが推薦した本(当時における新刊本)を読みあって講評するスタイルで、3冊×23回=69冊の本が紹介されていています。

 一応、鹿島氏が歴史・風俗、福田氏が文学・政治、松原氏が経済・社会という推薦本のジャンル担当になっていたようですが、そのバランスが良く、また時に鹿島氏が『カルロス・ゴーン経営を語る』といったビジネス書を取り上げたりするなど、専門分野に固執していないのもいいです。

 いずれにしろ、鹿島氏の書誌学的博識や福田氏の歴史やサブカルチャーなどにも及ぶ該博ぶりは分野を飛び越えていて、松原氏にしても、鼎談の良き調整役となっているだけでなく、マルチジャンルの2人によく拮抗して意見を述べているなあと感心。

 『上司は思いつきでものを言う』のような比較的馴染みのある新書本から、専門書に近い本や大部な本(『肩をすくめるアトラス』は2段組1,270ページ、6,300円也!)、通好みの本(『「清明上河図」をよむ』などはその類、思わずネットで鑑賞した)まで紹介されていますが、3人の知識が衒学をひけらかすためではなく、本のバックグラウンドの理解や読み解きのために吐露されているので、自分にとってあまり縁がなさそうな本の批評でも、読み始めるとそれぞれに楽しく読めました。

 鹿島氏('49年生まれ)が50代中盤、松原氏('56年生まれ)が40代後半、福田氏('60年生まれ)が40代中盤という微妙な年代の違いも、鼎談を面白いものにしていると思いますが、福田氏というのは昔のこともよく知ってるなという感じ。
 この人の特定の作家への過剰な思い入れはともかく、「本で読んだ知識」にしても、「知っている」ということは大きいなあと思いました。だから、同じ土俵で他の2人と話が出来るんだ…とまた感心。
 しかし、小説や社会学系の本を扱って、さほど“論争”にならないのがやや不思議な気もしました。もっと意見が割れるような気もする3人だけど…。

《読書MEMO》
●取り上げている本(一部)
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』J・D・サリンジャー(村上春樹訳)
『グローバル・オープン・ソサエティ』ジョージ・ソロス
『移民と現代フランス』ミュリエル・ジョリヴェ
『帝国以後』エマニュエル・トッド
『日本の童貞』渋谷知美
『シェフ、板長を斬る悪口雑言集』友里征耶
『グロテスク』桐野夏生
『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある』宮脇修
『知られざるスターリン』ジョレス・メドヴェージェフ・&ロイ・メドヴェージェフ
『成長経済の終焉』佐伯啓思
『ナンシー関大全』ナンシー関
『エコノミストは信用できるか』東谷暁
『虚妄の成果主義』高橋伸夫
『日本はなぜ敗れるのか』山本七平
『六世笑福亭松鶴はなし』戸田学
『教育の世紀』苅谷剛彦

投稿者 wadamy : 17:24

2006年08月25日

【279】 ○ 永江 朗 『いまどきの新書―12のキーワードで読む137冊』 (2004/12 原書房) ★★★

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読書案内であり、社会批評風エッセイでもあることが良かったのか疑問。

いまどきの新書.jpg 『いまどきの新書―12のキーワードで読む137冊』 (2004/12 原書房)

 「週刊朝日」連載の著者の書評コーナー「新書漂流」をまとめたもので、社会、ビジネス・経済、生き方、思考の道具、暮らし、趣味、国際、芸術、科学、歴史、文化、読書の12分野に“かっちり”ジャンル分けして、1冊につき見開き2ページで内容紹介していますが、よくこれだけの広範囲にわたってコンスタントに集めてきたなあという感じ。

 構成上、読みやすいといえば読みやすいのですが、本の紹介がエッセイ風で、そこに著者の社会批評(小泉首相、石原都知事批判が結構なされている)が含まれているのが、読書案内という観点からするといいのかどうか。

 新書本のライン・アップ自体は悪くないです。
 比較的身近なテーマのものが多く、ただし、ちょっとマニアックなものや趣味的なものも紹介されていて、「ああ、また読みたい本が出てきたなあ」という気にはさせられました。
 ただし、限られた文字数の中で他の本も紹介されていて、社会批評風のエッセイのスタイルをとれば当然そうなるのかも知れませんが、肝心の主対象となる本の紹介や読み解きがさらっとしたものになってしまった面もあります。

 著者はインタビュアーとしてのキャリアもあり、その本を書いた人の経歴や周辺をあたるというのは著者らしいのですが、一方で個人的に、この人はコンテキスト(文脈)で読み込むタイプの批評家でもあると思っており、後者の持ち味が生かされていないのではという気も、ややします。

 単行本化するにあたって、取り上げた本に関連するテーマを扱っている新書本を「こちらもおすすめ」として2,3冊ずつ紹介していますが、簡単な内容紹介があれば良かったと思います(左側のスペース、少し余ってるし)。
 それらの中には昔からのロングセラーも含まれていますが、そこまで紹介するならば、本文紹介の本も含めて、出版年を入れてほしかった。

 ああ、でもやっぱり、新書のガイドブックを読むって「ガイドブックのガイドブック」を読んでいるような…。

《読書MEMO》
●取り上げている本(一部)
◆1.社会―『ワイドショー政治は日本を救えるか』、『人口減少社会の設計』、『若者の法則』、『監視カメラ社会』、『東京都政』、『教育改革と新自由主義』 ほか 
◆2.ビジネス、経済―『情報の「目利き」になる!』、『インターネット書斎術』、『論理に強い子どもを育てる』、『食べていくための自由業・自営業ガイド』、『上司は思いつきでものを言う』、『コーポレート・ガバナンス』『働くことは生きること』 ほか 
◆3.生き方―『ルポ「まる子世代」 変化する社会と女性の生き方』、『DV (ドメスティック・バイオレンス) 、『さみしい男』、『シングル化する日本』、『中高年自殺』、『自分の顔が許せない!』 ほか 
◆4.思考の道具―『哲学は何の役に立つのか』、『教養としての「死」を考える』、『現代日本の問題集』、『原理主義とは何か』、『食の精神病理』、『生き方の人類学』 ほか 
◆5.暮らし―『和食の力』、『行儀よくしろ。』、『運動神経の科学-誰でも足は速くなる』、『人体常在菌のはなし-美人は菌でつくられる』、『住まいと家族をめぐる物語-男の家、女の家、性別のない部屋』、『憲法対論』、『適応上手』 ほか 
◆6.趣味―『いい音が聴きたい-実用以上マニア未満のオーディオ入門』、『マンガで読む「涙」の構造』、『素晴らしき自転車の旅-サイクルツーリングのすすめ』、『ロンドンの小さな博物館』、『ラーメンを味わいつくす』、『匂いのエロティシズム』 ほか
◆7.国際―『北朝鮮難民』、『デモクラシーの帝国-アメリカ・戦争・現代世界』、『ナショナリズムの克服』、『グレートジャーニー-地球を這う1南米~アラスカ編』、『日朝関係の克服』、『ドキュメント女子割礼』 ほか
◆8.芸術――『キーワードで読む現代建築ガイド』、『表現の現場 マチス、北斎,そしてタクボ』、『恋するオペラ』、『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』、『人形作家』、『江戸の絵を愉しむ』 ほか
◆9.科学―『進化論という考えかた』、『自然保護のガーデニング』、『お話・数学基礎論』、『科学の大発見はなぜ生まれたか-8歳の子供との対話で綴る科学の営み』、『意識とはなにか-「私」を生成する脳』、『時間の分子生物学』 ほか
◆10.歴史―『ヒエログリフを愉しむ』、『ダルタニャンの生涯-史実の「三銃士」』、『江戸三〇〇藩最後の藩主-うちの殿さまは何をした?』、『言論統制-情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』、『「明星」50年601枚の表紙』、『日本の童貞』 ほか
◆11.文化―『洋菓子はじめて物語』、『新宗教と巨大建築』、『犬は「びよ」と鳴いていた』、『漢字と中国人』、『「しきり」の文化論』『「おたく」の精神史-一九八〇年代論』 ほか
◆12.読書―『新書百冊』、『メルヘンの知恵 ただの人として生きる』、『眠りと文学-プルースト、カフカ、谷崎は何を描いたか』、『鞍馬天狗』、『「面白半分」の作家たち』、『シェークスピアは誰ですか?』、『未来をつくる図書館』 ほか

投稿者 wadamy : 01:22

【278】 ○ 斎藤 哲也 『使える新書―教養インストール編』 (2003/12 WAVE出版) ★★★☆

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千円にしては「使える」ブックガイド。巻末「新書コレクション500」がいい。

使える新書.jpg 『使える新書―教養インストール編』 (2003/12 WAVE出版)

 山とある新書の中から、「使える」「役に立つ」ことを最優先にして120冊強を選び、1冊につき1~3ページで内容紹介しています。
 編者の言う「使える」とは、例えば、自明とされている常識を問いなおしたり、物事を筋道だてて考えたりといった汎用的な思考ツールを提供するものであるとのこと。

 分類を兼ねた章立てが「ビジネス社会サバイバルの書」、「人生の兵法」、「世の中を知る遠近法」、「科学が人間について知っている二,三の事柄」、「暮らしのリテラシー」となっているのがユニークで、学際的なテーマが多い最近の一般教養系新書の傾向を反映しているとも言えます。

 編者の斎藤哲也氏('71年生まれ)をはじめ5人の分担執筆になっていて、ビジネスから哲学、社会学、科学、さらに趣味・生活まで、広いジャンルの本を取り上げていますが、充分に読み込みがなされた上でポイントを絞って解説されているものがあると思えば、趣旨解釈や論調が「?」のものも一部ありました。

 新書本の選択そのものはそれほど悪くないと思うのですが、個々の解説には賛否あるかもしれません。
 ただし、知的興奮を喚起させるか(要するに、面白いかどうか)ということに結構ウェイトがおかれているようで、個人的にはそうした姿勢は好きです。
 むしろ本文よりも、最終章として付録的にある「新書コレクション500(冊)」が、新書別にロングセラーを挙げていたりして、それぞれに簡単な内容紹介もあり、本文より役に立ったりして…(一定の評価が確立している本ばかりだが、いいライン・アップだと思う)。

 若い編者が「教養インストール」などというサブタイトルを掲げるところが厭らしい感じがする人もいるだろうし、個人的には不似合いというかアナクロな感じがしましたが、中身はそんな大それたものでもなく、と言って貶すほどのものでもないと思います。

 あれもこれも読まなきゃと思うとため息が出そうにもなりますが、「教養」とは「自分が何を知らないかについて知っている」ことだと、本書でもその著書が紹介されている内田樹氏も言っておりました。
本体価格千円にしては「使える」ブックガイドだと思います。
 でも、新書のガイドブックを読むって、福田和也氏が言うところの、「ガイドブックのガイドブック」を読んでいるようなところもあるなあ。

投稿者 wadamy : 01:20

【277】 △ 小谷野 敦 『バカのための読書術 (2001/01 ちくま新書) ★★★

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バカは歴史書を読め!? 読書案内であると同時に反「ニューアカデミズム」の教養論。

バカのための読書術.jpg 『バカのための読書術』  グロテスクな教養.jpg  『グロテスクな教養』  学者の値打ち.jpg  『学者の値打ち』

 インパクトのあるタイトルでそれなりに売れた本ですが、本書で言うところの「バカ」とは「学校出た後も勉強はしたいけど、哲学のような抽象的なことは苦手」という人のことで、著者は、そういう「難しい本」がわからない人は「歴史書」を読めと言っています。
 「教養」を身につけようとして、哲学書や心理学・社会学系の本を読み漁り、カオスに陥って時間を無駄にするという事態を避けるための逆説的提言として、「事実」に立脚したものを読めということのようです。

 巻末近くに「歴史入門ブックガイド」「小説ガイド」がありますが意外と平凡で、むしろ中程の「読んではいけない本」ブックガイドが面白い(小林秀雄、ユング、中沢新一あたりは、ほとんど全部ダメとのこと)。
 世間で名著とされているものに疑念を呈するだけでなく、入門書にも入門書として不向きなものがあることを教えてくれます。
 ただし、「自然科学」書を「バカ」には荷が重いと最初から排除しているのはどうかなあ。なんで歴史書に限定されてしまうのだろうか。

 背景には著者の「若者の歴史についての無知」に対する危惧があるようですが、さらには、「ニューアカデミズム」に対する「旧教養主義」という構図の中での「歴史書」推奨という構図になっているようです。
 ですから本書は、読書案内であると同時に「教養」に関する本と言えます。

 同じ「ちくま新書」で、他にも「教養(またはアカデミズム)」をテーマにしたものを何冊か読みましたが―、
 『グロテスクな教養』(高田里惠子/'05年)は旧制高校的教養主義の伝統を確認しているだけのように思え(評価★★)、『学者の値打ち』(鷲田小彌太/'04年)に至っては、あまりに恣意的で主観に偏った内容でした(評価★)。
 これらに比べると、まあ参考になった部分もあるし、「許せるかな」という内容でした(元々が、目くじら立てて読むような内容の本ではないのですが)。

   

投稿者 wadamy : 01:18

【276】 △ 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 (1995/12 文藝春秋) ★★★

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量的な部分で圧倒される「知」のデリバリー・システム。

ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論.jpg 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 (1995/12 文藝春秋)

 著者の本を何冊か読んだ人ならば、その知識の源泉の秘密はどこにあるのか、情報の整理・分析のシステムはどのようになっているのかを知りたいと思うだろし、そうした意味では興味が涌く1冊。
 ただし、本書を読んでみて何よりも圧倒されるのは、質的なものよりも量的なものではないでしょうか。蔵書のために、地上3階、地下1階の「ねこビル」を建ててしまったわけですから。

 もちろん読書術として参考になる部分も幾つかあり、例えばある分野について知ろうとする場合、その分野に関する本をとりあえずまとめて購入してしまうとか…。ただし、その数が一度に50冊とか半端じゃない。
 一般の人にはマネしたくてもできない面も多く、はあ~と感心させられて終わりみたいな部分もありました。
 イヤミに聞こえるとまでは言うと言い過ぎかも。ノンフィクション作家やルポライターを目指す人とかも、本書の読者にはいるかも知れませんから。

 後半は雑誌に連載した読書日記の再録になっていますが、すごく幅広い分野にわたってのかなりマニアックとも思える本までを、比較的常識人としての感覚で読める人という感じがします。
 ただ、この人の「追究」テーマの核となっているのは、宇宙とか臨死体験とか、極限的なものが多いような気がします。
 
 個人的には、この人はやはり「追究者」であって「研究者」という感じは受けず(もちろん単なるピブリオマニア(蔵書狂)でないことは確かですが)、「知識」を一般人にデリバリーしてみせる達人であって、「知の巨人」というこの人のことをよく指していう表現はちょっと的を射ていないのではないかという思いを、本書を読んで強めました。

 【1999年文庫化[文春文庫]】

 

投稿者 wadamy : 01:15

【275】 ○ ウィリアム・デイビス 『ベスト・ワン事典 (1982/05 社会思想社・教養文庫) ★★★☆

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ベストに選んだ理由に選者の思い入れや機知があり、楽しく読めた。

ベストワン事典.jpg 『ベスト・ワン事典』 教養文庫

 動物、美術、ビジネス、映画、犯罪から文学、医療、軍事、音楽、娯楽、政治まで、20余りの分野の「ベスト」を、分野ごとの専門家に独断と偏見で選んでもらったもの。

 「ギネス・ブック」の客観的・量的ベストに対し、本書は主観的・質的ベストを追求していて、「絵画のベスト」とか「病院のベスト」などマトモなものから、「死体を強奪する方法のべスト」「上流階級に仲間入りできる場所のベスト」といったものまで何でもありなのが楽しいです。

 原著は'80年に英国で出版されたもので、少し古くかつ英国贔屓で、ビジネスや法律に関わる分野などはほとんど米英から、芸術関連もヨーロッパ中心に「ベスト」が選出されている傾向はありますが、その中で「挿絵画家のベスト」に「北斎」が、「フラッシュバック映画のベスト」に「羅生門」が選ばれています。

渡 辺 長 武.jpg それとスポーツの分野で日本人が2人選ばれていて、「滑降スキーヤーのベスト」にジャン・クロード・キリー、フランツ・クラマーを抑えて、エベレストを滑降した「無茶苦茶な日本人」三浦雄一郎」が、「レスリング選手のベスト」に、「186戦無敗のキャリアを持つ獰猛なフェザー級選手」渡辺長武(おさむ)」が選ばれています(後に柔道の山下泰裕の203連勝という記録が生まれるが、渡辺の記録はそれ以上に価値があるかも。渡辺は『アニマル1』(アニマルワン)というレスリング・アニメのモデルになった)。.

 版元が倒産しているため古書市場でしか入手できない本で、また、特に人に薦めるという類の本でもないのですが、ベストに選んだ理由に選者の思い入れや機知があり、読んで楽しく、個人的には暇つぶしや気分転換に重宝しました。 
                                           186戦無敗の渡辺長武

投稿者 wadamy : 01:12

【274】 △ 生島 淳 『世紀の誤審―オリンピックからW杯まで』 (2004/07 光文社新書) ★★☆

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誤審が避けられないなら、選手やコーチはもっと外国語の勉強をしておいた方がいいかも。

世紀の誤審.jpg 『世紀の誤審―オリンピックからW杯まで』 光文社新書

 パリ世界陸上('03年)の末続慎吾のスタート直前に与えられた不当な注意や、シドニー五輪('00年)柔道決勝の篠原・ドゥイエ戦の判定、日韓共催サッカー・ワールドカップ('02年)の韓国チームに有利に働いた判定、ソルトレイク冬期五輪('02年)フィギアの審判員の不正など、歴代の大きなスポーツ競技会での誤審や疑惑の判定が取りあげられていて、色々あったなあと思い出させてくれます。

 どうして誤審が起きるのかをひとつひとつ分析していて、柔道のように競技の国際化に伴って審判も国際化し、そのレベルが均質ではなくなってきているという問題もあるのだなあと。
 サッカー・ワールドカップ然り、おかしな審判は必ず毎大会います。

 柔道は選手に抗議権がない競技らしいですが、それにしても国際大会に出る日本のアスリートは、外国語(主に英語)を早めに習得しておいた方がいいのでは。
 それは監督・コーチにも言えることで、篠原・ドゥイエ戦にしても、抗議文を英語で書ける人がいなかったために、その発送が遅れたというのは情けない。

 切り口は面白く、誤審が生まれる背景には政治的なもの、人種差別的なものから選手の実力に対する先入観など色々な要素があることがわかりますが、ひとつひとつのケースの取り上げ方がやや浅い気もします。
 しいて言えば、ミュンヘン五輪('72年)男子バスケットボールの米ソ大逆転は状況分析が行き届いていますが、これはの『残り(ラスト)3秒』(香中亮一著/'93年/日本文化出版)という先行著作を参考にしているためだと思われます。

投稿者 wadamy : 01:11

【273】 ○ デイヴィッド・シールズ 『イチローUSA語録 (2001/12 集英社新書) ★★★★

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日本のジャーナリズムの中では見えなかったイチローの一面が見えた。

イチローUSA語録.jpg 『イチローUSA語録』 集英社新書

 イチロー語録は何冊か本になっていますが、シアトル在住の米国人作家の編集による本書は、その中でも早くに出版されたもの。雑誌・新聞等に掲載された英文訳のイチローのコメントを再録していますが、渡米1年目の6月ぐらいまでのものしか載っていません。
 でも、掛け値なしで面白い!

Ichiro.jpg 編者は―、
 「イチローはグラウンドで超人的な離れ業、人間業とも思えない送球や捕球や盗塁やヒットなどを演じ、あとでそれについて質問されると、彼の答えときたら、驚くほかはない。
 そのプレーを問題にもしないか、否定するか、異を唱えるか、前提から否定してかかるか、あるいは他人の手柄にしてしまう」
 と驚き、
 「日本語から英語に訳される過程で、言葉が詩的な美しさを獲得したのだろうか?」
 と考察していますが、日本語に還元したものを我々が読むと、もっと自然な印象を受けます(彼のプロ意識の控えめな表現だったり、ちょっとマスコミに対して皮肉を言ってみたとか、或いはただインタビューを早く終らせたいだけだったとか)。
 それでも面白いのです。

 個人的に一番気に入ったのは、シアトルの地元紙に日本の野球に心残りがあるかと聞かれ、
 「日本の野球に心残りはありません。野球以外では、飼っている犬に会えないのが寂しいけど、グランドでは何もないです」
 と答えた後、その飼い犬の名前を聞かれて、
 「彼の許可を得てからでないと教えられません」
 と言ったというスポーツ・イラストレイテッドの記事。
 何だか、味わい深い。
 スポ・イラも丹念だけれども、編者もよくこういうのを拾ってきたなあと言う感じ。
 例えば、日本でまとめられた“類書”などは、「精神と目標」「準備と訓練」「不安と逆風」…といった構成になっていて、こうなると上記のようなコメントは入る余地がなくなります。
 日本のジャーナリズムの中では見えてこなかったイチローの一面が見えました。

投稿者 wadamy : 01:08

【272】 ○ 島 秀之助 『プロ野球審判の眼 (1986/09 岩波新書) ★★★★

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プロ野球審判歴40余年の回想。味わい深く、楽しめた1冊。

プロ野球審判の眼.jpg  『プロ野球審判の眼』 岩波新書

 プロ野球審判歴40余年に渡った島秀之助(1908-1995)が78歳で記した回想録で、淡々とした語り口は味わい深く、試合の様々な逸話は読み物としても面白いものです。

 著者は1936(昭和11)年の日本プロ野球発足時に選手としてスタート、その後審判に転じ、1950(昭和25)年から31年間はセリーグ審判部長でした。
 本書を読むと審判という仕事の大変さがよくわかります。
 こんな名審判にもメンターとでもいうべき人がいて、その人がまさに “俺がルールブックだ”みたいな人物で面白い。

 著者は初の日本シリーズや初の天覧試合の審判もしていますが、日本最多イニング試合の審判をした話がスゴイ。
 1942(昭和17)年の名古屋-大洋戦で、延長28回引き分けだったそうですが、大リーグでもこれを超える記録はありません。
 しかもその試合が“トリプル・ヘッダー”の第3試合だったというから、想像を絶する!(試合時間が3時間47分と“短い”のも意外。テンポいい試合だった?)。
 こうしたトリビアルなデータは、今はウェッブサイトなどでも見ることができますが、当事者の証言として語られているところがいいと思いました。

 本書後半は、「こんなプレーの判定は?」という100問100答になっていて、あたりそこねのゴロを犬がくわえて走り出した場合どうなるのかといった話から、インフィールドフライを故意落球した場合の扱いは?といった話まで書かれていて、こちらも楽しい内容です。
 インフィールドフライは、「インフィールドフライ」の宣告があった時点で(野手が落球しても)打者はアウトですが、ボールインプレイ(ボールデッドとはならない)、ただし打者アウトのためフォースプレイは成立しないとのこと。

 本書刊行後も、'91年に広島の達川捕手が大洋戦で、走者満塁でインフィールドフライを故意落球し、本塁を踏んで1塁送球して相手チームをダブルプレーに仕留めたつもりで、結果として自チームがサヨナラ負けを喫した「サヨナラインフィールドフライ事件」というのを起こしています(このとき相手チームの3塁走者もルールを理解しておらず、ベンチに戻る際にたまたま無意識に本塁ベースを踏んだのが決勝点になった)。
 より最近では、'06年8月の巨人-広島戦では、広島の内野手がインフィールドフライを見失って落球したのですが、巨人の打者走者や塁上のランナーは、一瞬どうすればいいのか混乱した(もちろん広島の選手たちも、さらに審判たちも)ということがありました。
 ルールとしてわかっていても、めったにないことがたまたま起きると、その次にどうすればいいのか一瞬わからなくなるものなのだなあと。

投稿者 wadamy : 01:04

【271】 △ ササキバラ・ゴウ 『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』 (2004/05 講談社現代新書) ★★★

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作家・作品論的視点で「萌え」考察。「美少女」萌えのルーツなど、面白くは読めたが…。

〈美少女〉の現代史.jpg  『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』 講談社現代新書

 〈まんが・アニメに溢れる美少女像はいつ生まれてどう変化したのか?「萌え」行動の起源とは? 70年代末から今日までの歴史を辿る〉という表紙の口上が、内容をよく要約しているかと思います。

 「萌える」という言葉に正確な定義はないそうですが、本書では「キャラクター的なものに対して強い愛着を感じる」という意味で用いています。
海のトリトン2.jpg
 まずアニメ好きの女性たちに「海のトリトン」('72年=右)を契機に組織的な動きがあったということで(手塚治虫ってここでも関わっているのか!)、「萌え」のルーツが少年向けアニメに対する女性たちの思い入れにあったというのが意外。
 男性が「美少女」に萌えたルーツは、吾妻ひでおの「不条理日記」('78年)で、それに高橋留美子の「うる星やつら」('78年)、宮崎駿監督の劇場用アニメ「ルパン三世~カリオストロの城」('79年)が続く―。

 著者が漫画雑誌の編集長だったせいか、〈文化社会学〉的視点よりも〈作家・作品論〉的視点で書かれていて(だからこそ、タイトルより「口上」の方が、本書内容をよく表していると思う)、その中で作品と受け手の関係を考察しています。
 著者は「萌え」の背景を、男性が男らしく戦う根拠を失い、女性にそれを向けるも受け入れられず、さらに女性を見るだけの存在となって「純粋な視線としての私」に退行していったと捉えています。

 それなりに面白く読めましたが、ある意味、それほど斬新さを感じない視点である一方、細部においては我田引水と感じられる部分もあります。

 まんが・アニメ史を俯瞰的によく網羅し解説していると思われる反面、著者の場合、自分の論に沿って事例を集めることは可能だろうという気もします。
 大塚英志氏などの著作もそうですが、細部を論じれば論じるほど個人的思い入れが反映されやすいのが、このジャンルの特徴ではないかと思いました。

    

投稿者 wadamy : 01:03

【270】 ○ 夏目 房之介 『夏目房之介の漫画学 (1985/08 筑摩書房) ★★★★

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漫画史の変遷を表現論的に読み解いていく、団塊世代には懐かしく読める本。

夏目房之介の漫画学.gif 『夏目房之介の漫画学』 ちくま文庫

 かつて『週刊朝日』に連載の「デキゴトロジー」を愛読していましたが、その頃は、著者が「漫画学」の本を書いていることも、夏目漱石の孫であることも知らなかったけれど、本書や手塚治虫論である『手塚治虫はどこにいる』 ('92年/ちくまライブラリー)は、漫画通の間では名著とされているらしいことを後に知りました。

 本書では昭和30‐40年代の漫画を中心に、漫画史の変遷を表現論的に読み解いていて、その際に手塚治虫や桑田次郎、山岸涼子など大家の漫画を「ぜーんぶ模写」するという手法をとっているのがユニークです(この方法は著者の初期作品のみ用いられて、最近のものはみんな「引用」です)。

 〈描線〉や〈コマ割〉に対する考察も、自身が漫画家である著者独特のものですが、本書では「作家別の女体の描き方」をクイズ方式で示すなどして、一般読者を、面白く、またさりげなく、プロの世界の深みへ導いてくれます。

 著者は「手塚作品」乃至は「'70年前後の作品」の影響を強く受けたようですが、昭和30‐40年代の漫画が、どの見開きページにも左半分を使って再現されていて、特に昭和30年代の「まぼろし探偵」「月光仮面」「ナショナル・キッド」などについては詳しく、楽しい“突っ込み”もいっぱい入れていて、団塊の世代(著者自身'50年生まれ)には特に楽しくまた懐かしく読めるものとなっているのではないでしょうか。

 【1985年単行本・1988年改訂[筑摩書房]/1992年文庫化[ちくま文庫]】

    

投稿者 wadamy : 01:01

【269】 ◎ 双葉 十三郎 『外国映画ぼくの500本 (2003/04 文春新書) ★★★★☆

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通し読みすると著者の映画観や評価スタンスがわかり、巻末の「ぼくの映画史」も味わい深い。

外国映画ぼくの500本.jpg  『外国映画ぼくの500本』 文春新書

 映画雑誌「スクリーン」に長年にわたって映画評論を書き続けてきた著者による、20世紀に公開された外国映画500選の評論。
 何しろ1910年生まれの著者は、見た洋画が1万数千本、邦画も含めると約2万本、1920年代中盤以降公開の作品はほとんどリアルタイムで見ているというからスゴイ!

 本書のベースとなっているのは「スクリーン」の連載をまとめた『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』という全5巻シリーズで、この中にある約8,900本の洋画の中からさらに500本を厳選し、1本当たりの文字数を揃えて五十音順に並べたのが本書であるとのことです。

 名作と呼ばれる映画の多くを網羅していて、強いて言えば心温まる映画が比較的好みであるようですが、古い映画の中には廃盤になっているものも多いのが残念。

 映画評論の大家でありながら、B級映画、娯楽映画にも暖かい視線を注いでいて、一般観客の目線に近いところで見ているという感じがし、自分たちが青春時代に見た映画も著者自身は老境に入って見ているはずなのに、感想には若者のようなみずみずしさがあって、ああこの人は万年青年なのだなあと。

 1本ごとの見どころを短文の中にうまく盛り込んでいて、リファレンスとしても使え“外れ”も少ないと思いますが、一通り読んでみることをお薦めしたいです。
 著者の映画観や映画を評価するということについてのスタンスがわかります。
 すべての作品に白い星20点、黒い星5点での採点がされていますが、「映画とは点数が高ければいいというものではない」という著者の言葉には含蓄があります。

 巻末の「ぼくの映画史」も、著者の人生と映画の変遷が重なり、その中で著者が、映画の過去・現在・将来にどういった思いを抱いているかが窺える味わい深いものでした。

投稿者 wadamy : 00:50

【268】 ○ 井上 一馬 『ウディ・アレンのすべて (1997/12 河出書房新社) ★★★☆

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成育史、影響を与えたもの、女性たちとの関わりから探るアレン作品。

ウディ・アレンのすべて.jpg 『ウディ・アレンのすべて』 (1997/12 河出書房新社)

 『ベスト・ワン事典』('82年/現代教養文庫)という'80年に英国で原著が出版された本の中で、「コメディアンのベスト」としてウディ・アレンが挙げられていましたが、一方'05年には、彼が自分のジャズバンドのツアーを再開するという報道があり、70歳にして元気だなあという感じ。
 
 本書を読めば、彼がクラリネット奏者として舞台に立ったのは、映画界にデビューするよりずっと早かったことがわかります。
 ただし映画の方は、3歳から映画には接していたけれど、高校時代からのギャグライター、テレビ構成作家として下積みがあり、スタンダップコメディアン(漫談師)として舞台にも立ち、劇脚本家、「ニューヨーカー」の常連作家などを経て、やがて映画脚本を書き、やっと映画監督になったということです。

 著者の井上一馬氏は、作家であり、ボブ・グリーンの翻訳で知られる翻訳家でもありますが(自分が個人的に親しんだのはマイク・ロイコのコラムの著者による翻訳本でした)、アレンへの単なる偏愛の吐露に終わらず、ウディ・アレンの成育史、影響を与えたもの、女性たちとの関わり、さらには映画表現における技術的手法から映画製作に絡んだ様々な映画人までとりあげ、アレン作品を重層的に探る評伝&フィルモグラフィとなっていています。

 アレンがベルイマンの影響を受けているのは知っていましたが、フェリーニの影響を受けていたことは本書で知りました。「ラジオ・デイズ」('87年)はフェリーニの「アマルコルド」にあたる作品なのですね。
 「ハンナとその姉妹」('86年)が傑作の誉れ高いのですが、個人的には、最初に見た「アニー・ホール」('77年)の彼自身の神経症的な印象が強烈でした。
 何でこんなに女性にもてるのかという羨ましい気分も少し抱いてしまいますが、いろんな人がいろんな形で彼の映画に出演したり関わったりしていることがわかり、楽しい本でした。

    

投稿者 wadamy : 00:48

【267】 ○ 安原 顕 『映画の魅惑―ジャンル別ベスト1000』 (1993/08 メタローグ・「リテレール」別冊) 《ジャンル別映画ベスト1000 (1996/03 学研)》 ★★★★

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古典重視でマニアックな選択傾向に見えるけれど“本物志向”。

ジャンル別映画ベスト1000.jpg 『ジャンル別映画ベスト1000』 (学研M文庫)

 スーパーエディターと呼ばれ、'03年にガン死したヤスケンこと安原顕の編集からなる本書は、彼が編集長をしていた雑誌リテレールの別冊の1つです。
 文芸映画、青春映画、音楽映画など20ジャンルの映画のベスト50を、蓮實重彦、辻邦生など大家や曲者(?)20人が分担して選び評しています。
 ただし担当ジャンルの定義は担当した執筆者に任されているようで(ある意味、読者に対しては不親切ですが)、読者におもねることなく、執筆者はみな本当に好きな映画、見てもらいたい映画について真摯に語っています。

 個人的には、ブレッソンの「白夜」「ラルジャン」、ルイ・マルの「鬼火」「ルシアンの青春」、タルコフスキーの「鏡」などの講評があるのが嬉しい。
 キューブリックの「現金に体を張れ」「バリー・リンドン」、ヴィスコンティの「夏の嵐」「若者のすべて」、ヘルツォークの「アギーレ・神の怒り」「フィッツカラルド」が入っているのもいい。
 シュトロンハイムの「グリード」、キートンの「将軍」、エイゼンシュタインの「イワン雷帝」などの古典もあれば、ホークスの「脱出」「三つ数えろ」、ヒューストンの「キー・ラーゴ」といったハードボイルドやオルドリッチの「ロンゲスト・ヤード」「カリフォルニア・ドールズ」、サム・ライミの「ダークマン」などB級アクション映画もあります。
 スコセッシは「アフター・アワーズ」がミステリー部門に。
 「フリークス」「快楽殿の創造」などは“アートシアター新宿”の定番カルトでした。
 「ロッキー・ホラー・ショー」は楽しい参加型カルト(映画館でびしょ濡れになった思い出がある)。
 '06年に亡くなったダニエル・シュミットの「今宵限りは…」は、音楽映画とアヴァンギャルドの2部門に登場。
 ファスビンダーの「ケレル」っていうのもジャン・ジュネ原作で結構アブナイ映画…。

 もちろん、もっと最近の映画や(といっても本書が'93年の刊行ですが)メジャーな映画(「スター・ウォーズ」など)も入っていますが、全体としてはいい意味で“本物志向” だけど古典重視でマニアックにも見えるかも。
 教養主義的な雑誌リテレールもほどなく廃刊となりましたが、この別冊のスタイルは'96年に学研から出た同じ編者の『ジャンル別映画ベスト1000』に引き継がれ、その後文庫にもなっています(学研M文庫)。

                    

投稿者 wadamy : 00:47

【266】 ○ 文藝春秋 『大アンケートによる洋画ベスト150 (1988/07 文春文庫ビジュアル版) ★★★☆

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「マイベスト10にはヨーロッパ映画が似合い、最初テレビで見たものは入れにくい」に納得。

映画150.jpg 『大アンケートによる洋画ベスト150』 文春文庫

 1988年の出版で、映画通366人の選んだベスト10を集計しています。
 年齢の高い選者が多く(今や物故者となった人も多い)、個々の選択も結構まっとうという感じですが、映画産業に限らず様々な分野の人が「マイベスト10」を寄せているので、それはそれで面白いです。

 総合ベスト10も、「天井桟敷の人々」「第三の男」「市民ケーン」「風と共に去りぬ」「大いなる幻影」「ウェストサイド物語」「2001年宇宙の旅」「カサブランカ」「駅馬車」「戦艦ポチョムキン」と“一昔前のオーソドックス”といった感じでしょうか(今でも名画であることには違いありませんが)。

 間に挿入されている赤瀬川準、長部日出雄、中野翠の3氏の座談がいいです。
 自分のベスト10に赤瀬川氏、長部氏は「天井桟敷の人々」を入れていますが、戦後生まれの中野氏には入れていません。
 それを彼女は、「最初にテレビで見た負い目」と説明していますが、その気持ち何だかわかるな~。
 好きなアメリカ映画がいっぱいあるのに、「ヨーロッパ映画がどうしてもベスト10に似合っちゃう」と言っているのも何となくわかります。

 映画と音楽(奏者と楽器)の不可分な、他に置き換えようがない繋がりというのも感じます。
 「第三の男」(2位)のアントン・カラスのチター、「禁じられた遊び」(11位)のナルシソ・イエペソのギター、「大地のうた」(39位)のラビ・シャンカールのシタール、「死刑台のエレベーター」(48位)のマイルス・デイビスのサックス。

 「死刑台…」は超低予算映画で、マイルスがたまたまパリに公演に来ていたのを、ルイ・マル監督が一晩借り受けて、ラッシュに合わせ即興で吹いてもらったという話を聞いたことがあります。
 同じ監督の「鬼火」のエリック・サティのピアノも良かったナア(この作品はベスト150には入ってませんが)。

             

投稿者 wadamy : 00:40

【265】 ○ 筈見 有弘 『ヒッチコック (1986/06 講談社現代新書) ★★★☆

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多少マニアックな映画ファンが楽しんで読めるヒッチコック入門書。 

ヒッチコック.jpg 『ヒッチコック』 講談社現代新書

 ヒッチコックぐらい、その多くの作品が日本で見られる外国の監督はいないのではないでしょうか。 
 例えば双葉十三郎の『外国映画ぼくの500本』('03年/文春新書)でも、結果としてヒッチコック作品が最も多く取り上げられていたし、自分自身も、劇場で見たものだけで20本を超えます(しかもハズレが少ない)。
 
siroikyouhu3.jpg 本書はそうしたヒッチコック映画の数々を、ストーリーや状況設定、小道具や出演女優など様々な角度から分析し、よく使われる「共通項」をうまく抽出しています。

  例えば、「白い恐怖」では、サルバドール・ダリによるイメージ構成に彼の実験映画と同じような表現手法が見出せましたが、この部分はあまりにストーレートで杓子定規な精神分析的解釈で、個人的にはさほどいいとは思えず、著者も「本来のヒチコックの映像造詣とはかけ離れている」としています。

  一方、イングリッド・バーグマンがはじめはメガネをかけていたことにはさほど関心がありませんでしたが、他の作品にも眼鏡をかけた女性が悪役で出てくるのに、この映画では、一見冷たさそうに見える女性が、恋をすると情熱的になることを効果的に表すために眼鏡を使っているとのこと。
 なるほど、同じ小道具へのこだわりでも、その使い方は様々なのだなあと感心させられました(ただし、眼鏡をかけたバーグマンもまた違った魅力があり、ヒッチコックという人は、元祖「眼鏡っ子」萌え―だったかもと思ったりもして…。
 今まで見た作品もナルホドという感じで、次にもう一度見る楽しみが増えます。

 著者なりの作品のテーマ分析もありますが、「すべてエンターテイメントのために撮った」というヒチコックの言葉に沿ってか、それほど突っ込んで著者の考えを展開しているわけではありません。

 むしろ映像として、あるいは音として表されているものを中心に、ヒッチコックのこだわりを追っていて、映画ファンというのは誰でも多少マニアックなところがあるかと思うのですが、そうしたファンが楽しんで読めるヒチコック入門書になっています。

《読書MEMO》
●ヒチコックは「間違えられた男」の話が好き…暗殺者の家・三十九夜・弟3逃亡者・断崖・間違えられた男・泥棒成金・北北西に進路を取れ・フレンジー…
●偏執狂的小道具演出法…
・チキン料理(断崖・ロープ・知りすぎていた男)
・眼鏡をかけた女(弟3逃亡者・北北西に進路を取れ・三十九夜・断崖・白い恐怖・知りすぎていた男)
・イニシャル入りライター(見知らぬ乗客)など

            

投稿者 wadamy : 00:32

【264】 ○ 杉山 平一 『映画芸術への招待 (1975/01 講談社現代新書) ★★★★

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平易な言葉で“モンタージュ”技法などの「感動」させる仕組みを解き明かしている。

zitensha.jpg イタリア映画に「自転車泥棒」という名画があり、世界中の人を感動させたわけですが、この映画の主人公を演じた男性は、演技においてはズブの素人だった―。
 ではなぜ、素人が演じた映画が名画たりえたかと言うと、それは“モンタージュ”によると著者は解説しています。

 つまり映画とは“断片”から構成されるもので、例えば小津安二郎の映画は、1分間に平均10カットあり、役者は6秒間だけ演技を持続すればよい―、となると、役者の演技力の持続性は求められないわけです。

 そして、「現実」を映すだけの映画が「芸術」になりうるのは、まさにこのモンタージュにはじまる技法によるもので、本書ではそうした技法の秘密を、具体的に良く知られている内外の作品に触れながら解説しています。           「自転車泥棒」の一場面

 モンタージュ技法を完成させたと言われるエイゼンシュタインが歌舞伎の影響を強く受け(影響を受けすぎて「イワン雷帝」は歌舞伎っぽくなってしまった)、歌舞伎は人形浄瑠璃の影響を受けているというのが興味深く、まさに「自然は芸術を模倣する」(人が人形の動きを真似する)という言葉の表れかと思います。

 日本映画「白い巨塔」で、田宮二郎演じる主人公が執刀する手術の場面と教授選の場面が交互に出てくるシーンや、「砂の器」で、最後のピアノ演奏会と刑事の逮捕状請求場面と海辺をさすらう主人公の幼年時代がトリプル・ラッシュするのも、モンタージュ技法であると。

 詩人である著者は、詩や小説にも同様の技法が用いられていることを示唆していて。フォークナーの『八月の光』と漱石の『三四郎』において、同じようなモンタージュ的表現が使われていることを指摘しています。

 難解になりがちな映像美学に関するテーマを扱いながら、終始平易な言葉で「感動」の仕組みを解き明かしていて、映画鑑賞に新たな視点を提供してくれる本だと思います。

    

投稿者 wadamy : 00:31

【263】 ◎ ジャン・リュック・ゴダール 『ゴダール全シナリオ集Ⅰ~Ⅲ 〈ゴダール全集〉』 (1971/04 竹内書店) ★★★★☆

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シナリオだが(一部、書き起こしあり)読んでそのままに面白く、またヴィヴィッドな印象を受ける。

ゴダール全集.jpg 『ゴダール全集』 (全4巻)  勝手にしやがれ.jpg 「勝手にしやがれ」

 ゴダールの'60年代までの作品の全シナリオを収録したもので、映画が難解なイメージがあるわりには、本として読んでそのままに面白いものが多く、またヴィヴィッドな印象を受けるのが意外かも知れません。

 よく知られているところでは、ジーン・セバーグ、ジャン・ポール・ベルモンド主演の「勝手にしやがれ」('59年)、アンナ・カリーナ主演の「女と男のいる舗道」('62年)、カリーナ、ベルモンド主演の「気狂いピエロ」('65年)などの初期作品でしょうか。
 スチール写真が適度に配置され、読むと再度見たくなり、未見作品にも見てみたくなるものがありました。

 所収の作品で最後に見たのが、団地妻の売春という“予想外”の素材を扱った「彼女について私が知っている二三の事柄」('66年)、政治的メッセージの強い「ヴェトナムから遠く離れて(ヒア&ゼアこことよそ)」('67年)あたりで、その後は短編しかもう撮らないかと思いきや、'80年代にまた長編映画の製作に復帰しています。

 “シナリオ”集といっても、例えば最初に挙げた3作は、蓮實重彦氏など翻訳陣が映画を採録し、シナリオのスタイルに再構成したものです。
 「勝手にしやがれ」の撮影の時、脚本無しの撮影にベルモンドは驚き、「どうせこの映画は公開されないだろうから、だったら好きなことを思い切りやってやろう」と思ったという逸話があります。

《読書MEMO》
●ゴダール全シナリオ集・収録作品
Ⅰ 水の話・シャルロットと彼女のジュール・勝手にしやがれ・小さな兵隊・女は女である・立派な詐欺師・カラビニエ
Ⅱ 怠惰の罪・女と男のいる舗道・軽蔑・恋人のいる時間・未来展望・気狂いピエロ
Ⅲ アルファヴィル・男性女性・メイドインUSA・彼女について私が知っている二三の事柄・ヴェトナムから遠く離れて・中国女・ウィークエンド

      

投稿者 wadamy : 00:30

【262】 ○ 根本 圭助 『図説 小松崎茂ワールド (2005/11 河出書房新社) ★★★★

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懐かしいプラモデルの箱絵など。“昭和レトロ”を感じさせる異能の職人的画家。

図説小松崎茂ワールド.jpg 『図説 小松崎茂ワールド』 (河出書房新社) 小松崎茂.jpg 小松崎茂(1915-2001/享年86)

 小松崎茂(1915-2001)と言えば、サンダーバードのプラモデルのボックスアート(箱絵)のイメージがありましたが、サンダーバードに限らず、タミヤのドイツ戦車やゼロ戦などのプラモデルのボックスアートも手がけていたことを知りました。

 そればかりでなく、昭和30年代に創刊された「少年サンデー」「少年マガジン」などの少年漫画雑誌の戦記特集などの挿画も多く手掛けているほか、それ以前からSF・未来世界を描いた作品も数多くあり、自分自身も雑誌などでそうした彼の作品を見ながら、エアカーが超高層ビルの間をぬって疾走する未来社会を夢想したひとりであることは間違いないようです。

 小松崎の活躍の始まりは昭和20年代の冒険活劇物語(いわゆる「絵物語」)で、作家として物語を書きつつ挿画も書いていたようですが、「大平原児」とかウェスタン調のものが多いのが面白い。
 また、この画集でやはり圧倒されるのは、「モスラ」などの特撮映画の担当もしたというリアルなメカニックで、その精緻さは戦争モノから宇宙モノまで共通していて、時代を感じさせない現代的な感じがします。

 育ったのが東京の下町(南千住)で、仕事場は乱雑の極みでしたが、どうしてこういう環境でこのような垢抜けた絵が描けるのか不思議な気もしました。
 若いころの写真を見ると、小太りでオタクっぽい感じがあります。
 老境に至って“気骨の画家”、あるいは“飄々とした”という感じの独特の風貌を呈していますが、昔から下町のスケッチなども多く描いていて、それらを見ると少し和みます。

 “昭和レトロ”を堪能させてくれるこの異能の職人的画家は'01年に亡くなりましたが、固定ファンが結構いるせいか、作品を集めたサイトもいくつかあるようです。

投稿者 wadamy : 00:28

【261】 ◎ 布施 英利 『脳の中の美術館 〔新編〕』 (1996/05 ちくま学芸文庫) ★★★★☆

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「目の視覚」「脳の視覚」で視覚芸術を解析。面白くて一気に読めた。

脳の中の美術館.jpg 『脳の中の美術館 〔新編〕』 ちくま学芸文庫  image.jpg 布施 英利 氏 (略歴下記)

 本書では、人体の視知覚形式を、ありのままの現実を見ることに徹する「目の視覚」(1次視覚)と、再構成を通して共有化される観念的・抽象的な世界を映し出す「脳の視覚」(2次視覚)に分け、視覚芸術(写真・映画・マンガ・アニメ・絵画)の表現を、この区分に沿って解析しています。

 面白いのは、写真などで、クローズ・アップしたり瞬間を捉えようとするのは「目の視覚」であり(土門拳の人物写真やキャパの「崩れ落ちる兵士」、カルティエ=ブレッソンの“決定的瞬間”など)、そこに「時間」を導入して再構成しようとするのが「脳の視覚」である(マン・レイの実験写真やホックニーのフォト・モンタージュなど)としている点です。
 
 「時間」が加わって「脳の視覚」となった映画においても、「戦艦ポチョムキン」のモンタージュにはクローズ・アップなど「目の視覚」的要素が見られるとし、エイゼンシュタイン自身が、自らが影響を受けたという日本の浮世絵において、写楽の描く目鼻口を独立した視覚像の組み合わせとして見ているのは、我々が浮世絵を見たときの印象に通じるものがあると思いました。
 一方、「旅芸人の記録」は、本編ストーリーと劇中劇が交錯する再構成作業によって作られた「脳の視覚」的作品であるとし(この部分はわかりやすい)、大江健三郎が感動したという「ノスタルジア」のラスト(自分にとっては不可解だった)は、「目の視覚」から入り「脳の視覚」の世界を完成させていると…(ナルホド)。

 マンガ「がきデカ」は「脳の視覚」で「AKIRA」は「目の視覚」、ディズニー・アニメは「脳の視覚」で手塚治虫アニメは「目の視覚」、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、光琳は「脳の視覚」で、カラバッジョ、レンブラント、フェルメール、ドガは「目の視覚」であると―。
 こうなってくると「あるなしクイズ」みたいですが…。

 著者は芸大で芸術学を、東大で養老孟司氏のもと解剖学を学び、現在は作家・美術評論家として活動していますが、本書は著者が芸大の院生時代の'88年に出版したデビュー作の新編です。
 文章に衒学的な修辞などがなくて読みやすく、かつ内容的にも面白くて、1冊一気に読めました。
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布施 英利
1960年,群馬県生まれ.
東京芸術大学・大学院博士課程(芸術学)修了.学術博士.東京大学医学部助手(解剖学)を経て,現在,「作家,芸術評論家」として活躍.
東大助手を退官後は,ガラパゴス,ボルネオ,アフリカ・ザイール,紅海,アマゾン,そして沖縄と世界の大自然を旅する.
主著としては,『脳の中の美術館』(筑摩書房),『死体を探せ!』(法蔵館),『ポスト・ヒューマン』(法蔵館),『電脳版・文章読本』(講談社),『禁じられた死体の世界』(青春出版社),『美術館には脳がある』(岩波書店),『生命の記憶』(PHP),『ダ・ヴィンチ博士,海にもぐる』(生活人新書)他,多数.

投稿者 wadamy : 00:27

【260】 ◎ 杉山 平一 『詩のこころ・美のかたち (1980/04 講談社現代新書) ★★★★☆

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芸術の根源は、我々の日常の何気ない動作や感覚と地続きなのだということがわかる。

sugiyama3.jpg 杉山 平一 氏 (略歴下記)

 同じ現代新書に『映画芸術への招待』('75年)などの著書もある詩人・杉山平一による本書は、一般向けの “美学”入門書とも言える本ですが、人はどういうものに「美」やその喜びを見出すかが、模倣、カタルシス、リズムなど19のキーワードに沿ってわかりやすく書かれています。

 例えば、「デパートの1階に生活必需品を置かないのはなぜか」というような身近なところから「装飾」というものについて考察していたり、さらに、古今東西の作家の作品からの引用もよく知られたものが多く、著者の考察を的確に例証していて、特別な予備知識がなくともスッと入っていける内容です。
 
 それでいて、読んでいて「あっ、なるほど」と気づかされることが多く、また本当に理解しようと思えば、なかなか奥が深いのではないかとも。
 芸術の根源は、我々の日常の何気ない動作や感覚と地続きなのだなあと思いました。
 
《読書MEMO》
●「源氏物語」や「細雪」は、独立した短篇を横につないだ長篇。一方、西洋の長篇は、伏線と伏線がからみ合って構築されていく(7p)
●「朦朧」は日本人が喜ぶ美意識(谷崎潤一郎『陰翳礼賛』)(8p)
●《模倣》…真似とか、模倣による追体験は、感動の表明である(17p)
●志賀直哉の小説『城の崎にて』は“描写の妙”によって面白い(20p)
●《記録》…人間には、日記をつけるとか、記録しようとする本能がある―事実を再現することでの自己の「存在証明」にほかならない(26‐27p)
●《浄化(カタルシス)》…悲劇映画で涙を流す観客にとって、そのとき、悲劇は、キャラメルのように甘くしゃぶられている(36p)
●《舞踏》…「思考は筋肉に従う」(アラン『幸福論』)(50p)
●《リズム》…「あらゆる芸術は、常に音楽の状態にあこがれる」(62p)
●《反復》…子供は、珍しい話よりも同じ話をする方を喜ぶことが多い(64p)→反復を喜ぶ本能は、根源的な芸術感情
●《装飾》…一番無駄なものこそ、心の底で必要なもの(74p)カンディンスキーが感心した絵は、さかさまに置いてあった自分の絵だった。美に酔わせるのは抽象的なものである(78p)
●《遊戯》…カイヨワの「遊びの4原理」(競争・偶然・模倣・めまい)(86p)
●《目的性》…芸術性を重視した小林多喜二の作品が、目的意識だけに傾いた他のプロレタリア作家のものより、今日残った(98p)
●《象徴》…意外な結びつきは面白く、入れ替えられる面白さは尽きない(114-117p)
●《一瞬》…「人生は一行のボオドレエルにも若かない」小さな時間、小さなものの魅力をうち出した芥川(124p) 「或阿呆の一生」の高圧線のスパークの火花を命と換えても欲しいと思う気持ちに通じる

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杉山 平一 (詩人)
1914年(大正3年) 福島県生まれ 大阪北野中学、旧制松江高校を経て
1937年 東京帝国大学文学部美学科卒業 主婦之友社勤務より応召
のち尼崎精工に勤務しつつ、詩作 「四季」同人
1941年 第二回中原中也賞
1944年 詩集「夜学生」により第10回文芸汎論詩集賞
1966年 帝塚山学院短期大学教授 現名誉教授
1986年 大阪府知事賞
1987年 大阪芸術賞
1989年 兵庫県文化賞

投稿者 wadamy : 00:19

【259】 ○ 坂崎 乙郎 『ロマン派芸術の世界 (1976/09 講談社現代新書) ★★★★

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自死した先駆的美術評論家によるロマン派絵画の独自の分析。

ロマン.jpg 『ロマン派芸術の世界』 講談社現代新書

 美術評論家・坂崎乙郎(1927‐1985)の〈講談社現代新書〉における3冊の著書の1つで、あと2冊は『幻想芸術の世界-シュールレアリスムを中心に』('69年)、『夜の画家たち-表現主義の芸術 』('78年)ですが、3冊とも絶版になってしまいました。
 このうち実際には最も初期に書かれ、表現主義を日本の美術ファンに紹介したかたちとなった『夜の画家たち』だけ、〈平凡社ライブラリー〉に移植されています。

 ロマン主義の画家にどのような人がいたかと調べてみれば、ブレーク、フリードリヒ、ターナー、ジェリコー、そして大御所ドラクロアなどが代表的画家であるようですが、著者はロマン主義の画家に見られる特質を分析し、背景としての「夜」の使われ方や、モチーフとしての「夢」の役割、分裂病質とも言える「狂気」の表れ、デフォルメなどの背後にある「美の計算」などを独自に解き明かしています。
 例えばロマン主義絵画において「馬」は死の象徴として多用されているといった指摘は、紹介されている絵画とともに興味深いものでした(しかしそれにしても、ドラクロアのデッサン力が突出しているのは驚き)。

 ロマン主義絵画とは、著者によれば、上昇する意志と下降する欲望という相反するものを内包していて、例えばゴヤの幻視世界を描いた絵もロマン主義の萌芽と見ることが出来、後の写実主義や印象派絵画にもロマン主義的な要素が引き継がれていることを示しています。
 もともと個人的にはこの画家は何々派という見方をする方ではないのですが(それほど詳しくないから)、絵画の潮流というものが、ある時期ぱっと変わるものではないことがわかります。
 
 日本におけるロマン主義の芸術家として、'70年に自決した三島由紀夫をとりあげているのも興味深く、本書を読んでロマン主義というのが「死」への恐れと「死」への欲求の相克と隣り合わせにあることがわかります(パラパラとめくって図版を見るだけでも陰鬱なムードが伝わってくる)。

 著者は早大教授職にあった'85年に亡くなっていますが、後で自死であったことを知り、著者自身がそうしたものに憑かれていたのかとも思わないわけにはいかず、一方で、『幻想芸術の世界』の冒頭だったと思いますが、著者が家族と遊園地にいった話で始まっていたのをなんとなく思い出しました。

  

投稿者 wadamy : 00:09

【258】 ◎ 高階 秀爾 『名画を見る眼 (正・続)』 (1969/10 岩波新書) ★★★★☆

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ルネッサンスから近代絵画まで、1作ずつ謎解きから入る読みやすい入門書。

名画を見る眼.jpg  名画を見る眼 族.jpg  『名画を見る眼 (正・続)』 岩波新書

 ルネッサンス期から印象派の始まり(マネ)までの代表的な画家の作品15点選び、その絵の解説から入って、画家の意図や作風、歴史的背景や人生をわかりやすく解説した手引書ですが、高踏的にならず読みやすい文章に加え、まず1枚の名画を見て普通の人がちょっと変だなあと感じるところに着目して解説しているので、謎解きの感じで楽しめます。

 例えば、ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」は、絵の真ん中の鏡の中に微細画として室内の全景が描かれていることで知られていますが、著者は、その上に書かれた「ファン・アイクここにありき」という画家の署名に注目し、なぜこんな変わった署名をしたのかを問うて、これが婚礼の図であり、画家は立会人の立場でこの作品を描いていると…といった具合。

ラス・メニーナス(女官たち)1.jpg 新書なので絵そのものの美しさは楽しめませんが、比較的有名な作品が多いので画集や教育用のサイトでも同じ作品を見つけることは可能だと思います。
 ただし、例えばベラスケスの「宮廷の侍女たち」のような、離れて見ると柔らかい光沢を帯びた衣裳生地のように緻密に見えるのに、近づいてみるとラフな筆触で何が描かれているのか判らないという不思議さなどは、マドリッドのプラド美術館に行って実物を見ない限りは味わえないないわけですが…、これを二百年後の印象主義の先駆けと見る著者の視点は面白い、というかベラスケス恐るべし!といったところ。

 2年後に刊行の『続』は、歴史的に前著に続く印象派(モネ)から、後期印象派、さらにはピカソなど近代抽象絵画まで14点をとりあげています。
 カンディンスキーが自分のアトリエに美しい絵があると思ったら、自作が横倒しになっていたのだったというエピソードは面白い。それで終わらないところが天才なのですが…。

《読書MEMO》
●とりあげている作品(正)
ファン・アイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」/ボッティチェルリ「春」/レオナルド「聖アンナと聖母子」/ラファエルロ「小椅子の聖母」/デューラー「メレンコリア・1」/ベラスケス「宮廷の侍女たち」/レンブラント「フローラ」/プーサン「サビニの女たちの掠奪」/フェルメール「画家のアトリエ」/ワトー「愛の島の巡礼」/ゴヤ「裸体のマハ」/ドラクロワ「アルジェの女たち」/ターナー「国会議事堂の火災」/クールベ「アトリエ」/マネ「オランピア」

ラス・メニーナス(女官たち).jpg ベラスケス 「宮廷の侍女たち(ラス・メニーナス)」

ラス・メニーナス(女官たち)1.jpg ラス・メニーナス(女官たち)2.jpg ラス・メニーナス(女官たち)3.jpg

 

投稿者 wadamy : 00:02

2006年08月24日

【257】 ○ 佐藤 幹夫 『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。 (2006/03 PHP新書) ★★★☆

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論理の飛躍や過度の類推が目立つように思えたが、部分的には面白い指摘もあった。

村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる.jpg 『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』 PHP新書

 『自閉症裁判』('05年/洋泉社)などの著作があるジャーナリストの佐藤幹夫氏が、今度は文芸評論を手掛けた?―と言っても、個人的にはさほど違和感はなく、ただし、こんな大胆なタイトルつけちゃって、後はどう料理しているのかと楽しみにして読みました。

 前段で示されている三島由紀夫と太宰治の類似関係や、三島が超えようとしたものが太宰で、太宰が超えようしたのが志賀直哉で、志賀が超えようとしたのが夏目漱石であるという相克は、過去の文芸評論家も大方指摘してきたことだと思いますが、『仮面の告白』と『人間失格』の内容対応表などは、コツコツと事実を積み上げていく著者らしい手法の細やかさが表れていて良かったです。

 そして、村上春樹は三島由紀夫を超えようとしており、挑戦相手には夏目、志賀、太宰も含まれているというのが著者の主張ですが、『風の歌を聴け』と『人間失格』などの対応をモチーフやコンテキストから探っているのも面白い。

 ただ、『羊をめぐる冒険』と『夏子の冒険』(三島)の対応関係を探るあたりから、村上春樹の元本の方がメタファーを多用していたりするため、どんな解釈でも成り立ってしまうような気がしてしまいました。

 「あまりの対応ぶり」に感嘆するか「対応させぶり」を牽強付会ととるかは読む人次第だと思います。
 『ノルウェイの森』と『春の雪』、『ダンス・ダンス・ダンス』と『奔馬』の間に関係性を探ろうとする試み自体は興味深いものの、論理の飛躍や過度の類推も多々あるように思え、説得力という点では自分としては疑問を感じました。

 個人的には、既成の私小説の枠を超えようとする村上春樹の意欲は評価するものの、彼の長編小説そのものをあまり評価していないため、自分は本書についても「良い読者」ではなかったのかもしれませんが、新書としての紙数オーバーで、『海辺のカフカ』や『アフターダーク』にまで言及できなかったというのは、本書の内容に肯定的な感想を抱いた読者にとっても欲求不満が残るのではないでしょうか。
 
 でも、部分的には面白い指摘が多くありましたので、本当に村上小説が好きな人が本書を読んでどう思うか、聞いてみたい気もしました。

投稿者 wadamy : 01:36

【256】 ○ 大本 泉 『名作の食卓―文学に見る食文化』 (2005/08 角川学芸ブックス) ★★★★

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「食」で読み解く30の名作。推理ものを読んでいるように楽しく味わえた。

名作の食卓.jpg 『名作の食卓―文学に見る食文化』 (2005/08 角川学芸ブックス)

 グルメ広報誌の連載をまとめたもので、「食」を通して名作を読み解くユニークな文学鑑賞入門の書―というのが出版社のキャッチです。

 作家の嗜好、「食」の移入史、同時代の食習慣等も紹介されていますが、グルメ本ではなく、あくまでも名作鑑賞案内とみてよいのではないでしょうか(著者自身、自分はグルメではないと〈あとがき〉で書いている)。

 『にごりえ』(樋口一葉)、『芋粥』(芥川龍之介)から、『キッチン』(吉本ばなな)、『村上龍料理小説集』まで、日本の近現代文学から30篇を選んでいますが、『鬼平犯科帳』(池波正太郎)のような大衆文学もあれば、「上司小剣」や「上林暁」など、最近あまり読まれなくなったものも取り上げられていて、取り上げること自体が「読書案内」となっているようにも思えます(上司小剣の『鱧(はも)の皮』は、今は「青空文庫」などで読むしかないけれど)。

 「坊ちゃんはなぜ「天麩羅蕎麦」を食べたのか」(夏目漱石『坊ちゃん』)とかは、グッと引き込まれるし、『風の歌を聴け』(村上春樹)は、やはり“「プール1杯分」のビール”という表現に注目でしょうね。

 『夫婦善哉』(織田作之助)のように、食べ物がそのまま小説のタイトルにきている場合は、同時にそれが作品の重要モチーフになっているわけで、三浦哲郎の『とんかつ』などはいい話だけど、読み解き自体はそれほど複雑な方ではないでしょう。
 それに対し、林芙美子の『うなぎ』や向田邦子の『りんごの皮』における著者の、「うなぎ」や「りんごの皮」が何の象徴であるかという読み解きは、興味深い示唆でした。

 『濹東綺譚』(永井荷風)の“水白玉”を恋と人生のはかなさの二重表象とした読み解きなどには、やや強引さも感じられなくはないけれど、そういう味わい方もあるのかなとも思ったりして。
 自分としては、推理ものを読んでいるように楽しく味わえた本でした。

投稿者 wadamy : 01:27

【255】 ○ 石原 千秋 『漱石と三人の読者 (2004/10 講談社現代新書) ★★★★

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漱石の作品をメッセージの複数の“宛先”という観点から読み解いていて面白かった。

漱石と三人の読者.jpg  『漱石と三人の読者』 講談社現代新書

 著者によれば、漱石はすでに「教科書作家」の1人でしかなく、『こころ』によってかろうじて首の皮一枚残って「国民作家」と見なされているのが現状だそうですが、漱石の小説の中に私たちの「顔」が映っているからこそ、漱石は「国民作家」たりえているのではないかという考えのもとに、漱石の言葉の“宛先”を明らかにしようと試みたのが本書です。

 『吾輩は猫である』を書いた後、大学教授の仕事を振って朝日新聞社専属の新聞小説作家となった漱石は、「顔の見えない読者」、「なんとなく顔の見える読者」、「具体的な何人かの“あの人”」の3種類の読者を想定し、それぞれの読者に対してのメッセージを込めて小説を書いていると著者は言います。

 当時の朝日の知識層を取り込もうとする戦略と合致する読者層は、「都会に住み会社勤めをするホワイトカラー層」で、当時の新聞発行部数から見れば「教育ある且尋常なる士人」であったわけですが、漱石の小説を単行本(今の価格で1万円以上した)で買うほどの文人・文学者ではない、そうした新聞読者層が、漱石にとっては「なんとなく顔の見える読者」にあたり、現代の高学歴・ホワイトカラー社会における漱石の読者層に繋がっているのだと。

 一方、漱石にとって具体的に顔が見えている読者とは、『猫』を書いた時に漱石の周辺にいた文人や白樺派の文壇人、本郷東大のエリートたちで、漱石の本を単行本で読む読者であり、顔の見えない読者とは「三四郎」の田舎郷里の世界の人たちのようにおそらく新聞もまず読まない人ということになるようです。

 あくまでも仮説という立場ですが、漱石の主要作品を、こうしたメッセージの複数の“宛先”という観点からわかりやすく読み解いていて、なかなか面白かったです。

 例えば『三四郎』においても、三四郎の美禰子に対する片思いと、それに対する美禰子の振る舞いの謎という一般的な読み解きに対し、三四郎自身にも見えていない美禰子と野々宮の関係という隠されたテーマが、美禰子と三四郎・野々宮の出会いの場面で読み取れるとしています。

 ただしこれは、東大構内と心字池(三四郎池)の構図がわかっていないと読み取れない(!)という、本郷東大を知る人にしかわからないものとなっているという分析は、個人的には大変スリリングでした(イヤミ臭いともとれるけれど)。
 一応自分も最近再読したときに地図開いて読んでいたけれど、そこまではわかりませんでした。

投稿者 wadamy : 01:13

【254】 △ 高橋 源一郎 『一億三千万人のための小説教室 (2002/06 岩波新書) ★★★

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小説に対する真摯な姿勢を感じたが、パッチワーク的印象も。

一億三千万人のための小説教室.jpg  『一億三千万人のための小説教室』 岩波新書

 評判はいいし、実際に読んでみると面白い、でも読んだ後それほど残らない本というのがたまにあり、本書は自分にとってそうした部類に入るかも知れません。

 内容は、小説作法ではなく、「小説とは何か」というある種の文学論だと思えるし、ユーモアのある筆致の紙背にも、小説というものに対する著者の“生一本”とでも言っていいような真摯な姿勢が窺えました。
 しかし一方で、良い小説を書く前にまず良い読み手でなければならない、という自説に沿って小説の「楽しみ方」を示すことが、同時に「書き方」を示すことに踏み込んでいるような気もして、その辺の混在感がインパクトの弱さに繋がっているのではないだろうかとも。

 この本もともとは、NHKの各界著名人が母校の小学校で授業をするという番組企画からスタートしているようですが、著者は本稿執筆中に斎藤美奈子氏の『文章読本さん江』('02年2月 筑摩書房刊/小林秀雄賞受賞)を読み、
 「この『文章読本さん江』の誕生によって、我が国におけるすべての「文章読本」はその息の根を止められたのである」
 とこれを絶賛していて、併せて本稿を全面的に書き直す必要を感じたようで、その辺りがこうしたパッチワーク的印象になっている原因かなという気もしました。
 
 「模倣」することの意義については、それなりに納得性がありましたが、今までにもこうした考え方はいろいろな人によって示されていたような気がします。
 事例の採りあげ方などから、ブンガクの現況をより広い視野で読者に知らしめようという著者の意図を感じましたが、随所に見られる過剰なサービス精神が個人的にはやや気になりました。
 頭のいい著者のことですから、こうしたこともすべて計算のうえでやっているのかも知れませんが…。

  

投稿者 wadamy : 01:05

【253】 ◎ 橋本 治 『「三島由紀夫」とはなにものだったのか (2002/01 新潮社) ★★★★☆

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三島文学を「同性愛」「輪廻転生」で読み解くなかなかの評論。

「三島由紀夫」とはなにものだったのか.jpg  『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』 (2002/01 新潮社)

 2002(平成14)年度・第1回「小林秀雄賞」受賞作。 

 三島の「文学」に対する評論で、彼の思想やそれに基づく行動については触れていませんが、三島自身が生前、自らの文学と思想を別物であるとしていたことを思うと、この方がいいのではと思います。
 
 他の評論家の引用が殆どないのと、著者独特の「わからない」からスタートする“回りくどい”方法論のため、一見すべてが著者流の独自解釈であるかのようですが、むしろ従来言われてきたことをベースに、それを著者なりに深めていったという感じがします。
 前半部分の『仮面の告白』から『禁色』『金閣寺』を経て『豊饒の海』に至る流れを、「同性愛」対「異性愛」、「輪廻転生」などをキーに読み解いていく過程はなかなかです。

 『仮面の告白』の後半は通俗的でダレ気味な感じがしたのですが、「同性愛」の敗北を描いていていることに著者が注目していて、ナルホドという感じ。『禁色』ではこれが勝利に転じる。
 三島自身も「認識者」から「行動者」に、自作を通して「転生」する。
 しかし、『豊饒の海』の第1部『春の雪』では、また「輪廻転生」を見つめる「認識者」の立場で再スタートする。
 なぜか?

 従来の三島への解釈は、彼が「芸術」そのものになろうとしていたというところで終るものが多いのですが、三島は読者の思念への「転生」を図ったという、本書のやや超越的な解釈も面白いと思いました(「思念」は他者を媒介に増殖する? ドーキンスの「利己的な遺伝子」みたい!)。
 そうすると、著者は三島の思惑にハマっていることになり、それでわざわざ三島嫌いを表明しているようにも思えます。

 キーとなる作品に絞って論じた前半部分がとりわけ圧巻でした。
 雑誌に何度かに分けて発表したものを加筆・再構成したものですが、結果として後半は、三島作品を広く網羅しようとして、やや説明過剰になった気もします。

 【2005年文庫化[新潮文庫]】

 

投稿者 wadamy : 00:56

【252】 ○ 川西 政明 『「死霊」から「キッチン」へ―日本文学の戦後50年』 (1995/09 講談社現代新書) ★★★☆

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埴谷雄高から村上春樹・龍、吉本ばななまで。作品ごとの世界観に触れた文芸評論として読めた。

「死霊」から「キッチン」ヘ.jpg 『「死霊」から「キッチン」へ―日本文学の戦後50年』 講談社現代新書

 本書は'95年の刊行で、それまで戦後50年の日本文学が何を表現してきたかを、時代区分ごとに、代表的な作家とその作品を1区分大体10人または10作品ぐらいずつ挙げて解説しています。

 埴谷雄高、武田泰淳(「ひかりごけ」)、大岡昇平(「俘虜記」)、三島由紀夫(「金閣寺」)などの「戦後文学者」から始まり、遠藤周作(「沈黙」)ら「第三の新人」などを経て、安部公房(「デンドロカカリア」、「砂の女」ほか)から中上健次(「岬」ほか)までの時代、さらには大庭みな子(「三匹の蟹」ほか)から松浦理英子(「親指Pの修行時代」」)までの女流作家、村上龍(「限りなく透明に近いブルー」、「五分後の世界」)、村上春樹(「羊をめぐる冒険」、「ねじまき鳥のクロニコル」ほか)、吉本ばなな、などの近年の作家までをカバーしています。

 「世界のかたちの与え方」というのが著者の作品解説の視座になっていて、埴谷雄高も安部公房も大江健三郎も、そして村上春樹も、それぞれ別の世界にいるのではなく、同じ世界の上にいながら「世界のかたちの与え方」が時代の流れとともに変ってきているのであり、埴谷、安部、大江らが世界に通じる新しい通路を開いてきたからこそ、現在、村上春樹によって新しい通路を開かれつつある、といった見方が解説基盤になっています。

 大江健三郎に単独で1章を割いていて、大江作品では常に「谷間の村」が基点になっているといった読解や「雨の木(レイン・ツリー)」の発端がどこにあったかという話は、本書を読む上で、大江ファンにはいいアクセントになるのでは(本書では、大江はもう新たな小説を書かないことになっていますが)。
 「雨の木(レイン・ツリー)」が何のメタファーかを論じると同じく、他の作家、例えば、村上春樹の「羊」などについても、メタファーの解題を行うなどしており、戦後から現代にかけての作品を俯瞰するテキストにとどまらず、各作品で描かれていた世界観に触れた文芸評論として読めました。

投稿者 wadamy : 00:47

【251】 ◎ 中村 光夫 『日本の現代小説 (1968/04 岩波新書) ★★★★☆

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横光から大江までの昭和文学史。読書ガイドとしても結構“便利”に使える。

日本の現代小説.jpg  『日本の現代小説』 岩波新書

 横光利一で始まり大江健三郎で終わる昭和の文学史で、年代的には関東大震災の翌年('24年)以降から石原慎太郎・開高健・大江のデビューした'58年あたり(それぞれ昭和31-33年にかけて芥川賞受賞)までの小説家とその作品を追っています。

 前著『日本の近代小説』('54年/岩波新書)と時代的に繋がり、構成も文体も同じで、前著あとがきで予告されていた続編だと言えますが、どうしたわけか、読者により身近な作家の多い本書の方が絶版になっているようです。

 前半のうち約50ページを「プロレタリア文学」、「転向文学」に費やしており、その後に続く「昭和十年代」、「敗戦前後」の章も含め、プロレタリア文学運動が作家たちに与えた影響の大きさが窺えますが、数多くいたプロレタリア文学作家そのもので今も読まれているのは、作品の芸術性を重視した小林多喜二ぐらいなのがやや皮肉な感じ(多喜二のリアリズムは“ブルジョア作家”志賀直哉を手本にしている)。

 「敗戦前後」の作家で一番社会的影響力があったのは、「転向」者であるとも言える太宰治で、著者は、戦前の太宰の完成度の高い作品に戦後の作品(「斜陽」「人間失格」など)は及ばないとしながらも、その死によってそれらは青春文学の象徴となったとしています。
 さらに、戦後一時期の青年の偶像となった三島由紀夫が見せる演技性に、太宰との類縁関係を見出しています(本書執筆時点で、三島はまだ存命していた)。

 前著同様、巻末に主要文学作品の発刊年譜が付いており、因みにその年譜では、前著は1868年(明治元年)から1927(昭和2)年までを、本書では'24(大正13)年から'67(昭和42)年をカバーしていますが(昭和42年は、後にノーベル文学賞受賞対象作となる『万延元年のフットボール』が発表された年)、本文の作家の概説と併用すれば、作家や作品の文学史的位置づけが簡単に出来、読書ガイドとしても結構“便利”に使える本だと思います(絶版になったのはタイトルに「現代」とあるせいか?)。

投稿者 wadamy : 00:30

【250】 ○ 中村 光夫 『日本の近代小説 (1954/09 岩波新書) ★★★★

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逍遥から龍之介までの文学潮流を俯瞰。構成・文章ともに読みやすい。

日本の近代小説.jpg  『日本の近代小説』 岩波新書   中村 光夫.jpg 中村光夫 (1911‐1988/享年77)

 文芸評論家で小説家でもあった中村光夫(1911‐1988)による、明治から大正期にかけての「近代日本文学」入門書。
 刊行は'54年('64年改版)と旧いですが、作家を1人ずつとりあげながら文学潮流を鳥瞰していくかたちで、「です・ます調」で書かれているということもあり、構成・文章ともに読みやすい内容です。

 坪内逍遥から芥川龍之介までをカバーしていますが、前段では登場する作家(明治中期まで)は人数が少ないせいか1人当たりの記述が比較的詳しく、知識人向けの硬いものより仮名垣魯文のような戯作の方が後世に残ったのはなぜか、言文一致運動に及ぼした二葉亭四迷の影響力の大きさがどれだけのものであったか、などといったことから、樋口一葉がなぜ華々しい賞賛を浴びたのかといったことまでがよくわかります。

 中盤は、藤村・花袋などの自然主義運動を中心にその日本的特質が語られており、「夜明け前」や「蒲団」などを読むうえで参考になるし(「蒲団」などは、小説としてあまり面白いとは思わないが、文学史的な流れの中で読めばまた鑑賞方法が違ってくるのかも)、それに反発するかたちで台頭した耽美派・白樺派なども、著者の説によれば同時代思想の二面性として捉えることができて興味深いです。

 後段では、森鴎外、夏目漱石という「巨星」の果たした役割やその意味とともに、多くの気鋭作家を輩出した大正期の文学潮流の特質を解き明かしています。

 著者は私小説や風俗小説を痛烈に批判したことでも知られていますが、本書は特定の傾向を批判するものではなく、それでいて自然主義運動がわが国独特の「私小説」の伝統を決定づけたことを、冷静に分析しているように思えました。

 「わが国の近代小説は、すべてそれぞれの時代の反映に過ぎなかったので、それが完璧な反映であった場合にも、よりよい人生を示唆する力は乏しかったのです」という著者の結語は、現代文学にもあてはまるのではないでしょうか。

投稿者 wadamy : 00:14

2006年08月23日

【249】 ○ 野口 恵子 『かなり気がかりな日本語 (2004/01 集英社新書) ★★★★

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現代若者気質も窺え、自分を顧みて冷や汗が出る部分も。

かなり気がかりな日本語.jpg  『かなり気がかりな日本語』 集英社新書

 日本語と外国語を、外国人と日本人に教えているという著者が、大学生の言葉や流行り言葉、あるいは街角などで耳にする言葉の用法について、その誤りの部分を指摘していますが、単に誤用を指摘するだけでなく、どういう心理からそうした誤用表現を使ってしまうのか、さらにはそれが言語コミュニケーションとしてきちんと成立しているかなどの観点が入っています。
 ですから、もちろん“正誤”という見方もありますが、“快不快”という捉え方、つまり相手に不快感を与えないということを大事にしていて、その点は類書に比べユニークかも知れません。
 
 一方で、相手を不快にさせまいとして過剰な尊敬表現などを使うあまり、誤用を誘ってしまう言い回しがあったりして、いやあ日本語は難しいなあと思いました。 
 突き詰めると日本語の問題と言うよりコミュニケーション力の問題であって、そうした自分と立場の異なる人とコミュニケーションする訓練がなされないまま、あるいはそれを避けて大人になってしまうのが現代の若者なのかと考えさせられもしました。
 また、コンビニの「いらしゃいませ」といった定型表現など、コミュニケーションを期待していない表現についての考察も面白かったです。

 「ある意味」「基本的に」「逆に」などの言葉が、本来の意味的役割を失って、婉曲表現や間投詞的に使われているというのは、確かに、という感じで、あまり多用されると聞き苦しいものですが、本人は気づかないことが多いですネ(自分自身も、筆記文などにおいては何となく多用しがちな人間の1人かも知れませんが)。 
 それと本書からは、直裁的言い回しを避ける最近の若者気質のようなものも見えてきて、その点でもなかなか面白かったのですが、時にキッパリと、時にやんわりとした論調の底に、日本語の乱れに対する著者の危惧感が窺えます。 
 
 自分の普段の話し方を振り返って冷や汗が出る部分が多々ありましたが、巻末に「日本語力をつけるためのセルフ・トレーニング」方法があるので、これを実践した方がいいのかな。

投稿者 wadamy : 02:40

【248】 ○ 山口 仲美 『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い』 (2002/08 光文社新書) ★★★☆

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オノマトペについての考察。動物に偏り過ぎた感じもするが、読み物としてはこれはこれで楽しめた。

犬は「びよ」と鳴いていた.jpg 『犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い』 光文社新書

 英語の3倍にも及ぶという日本語の擬音語・擬態語、その研究の魅力にとり憑かれたという著者が、擬音語・擬態語の歴史や謎を解き明かしています。

 三島由紀夫がオノマトペ(擬音語や擬態語)を品が無いとして自分の作品にほとんど使わなかったのは知られていますが(本書によれば森鷗外も好きでなかったらしく、片や草野心平や宮沢賢治は詩や小説の中でうまく使っている)、オノマトペって奈良・平安の時代から使われているものが結構ある一方で、最近でもいつの間にか使われなくなったり(雨戸の「ガタピシ」とか)、新たに使われるようになったもの(レンジの「チン」とか携帯電話の「ピッ」とか)も多いんだなあと。
 三島が使わなかったのは、時代で使われ方が変わるということもあったのではないだろうかと思いました。

 『大鏡』の中で犬の鳴き声が「ひよ」と表記されているのを、著者が、いくらなんでも犬と雛の鳴き声が同じに聞こえるはずはないだろうと疑念を抱き、濁点の省略による表記と発音の違いを類推し、後の時代の文献で「びよ」の表記を見出す過程は面白く(「びよ」は英語のbowにも似てる)、それがどうして「わんわん」になったかを、独自に考察しているのが興味深かったです。

 その他にも、鶏の鳴き声は江戸時代「東天紅」だったとか、猫は「ねー」と鳴いていて、それに愛らさを表す「こ」をつけたのが「猫」であるとか、やや動物に偏り過ぎた感じもしますが、読み物としてはこれはこれで楽しめました。

投稿者 wadamy : 02:28

【247】 △ 大野 晋 『日本語練習帳 (1999/01 岩波新書) ★★★

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面白い指摘もあったが、そんなに売れるほどの内容かなと…。

日本語練習帳.jpg 『日本語練習帳』 岩波新書 大野晋.jpg 大野 晋 氏 (略歴下記)

 それまで岩波新書で一番売れた『大往生』(永六輔/'94年)の記録230万部に迫る、180万部を売り上げたベストセラー。
 「練習帳」というスタイルは編集者のアイデアではなく、著者自身が以前から考えていたもので、編集者を実験台(生徒)にして問題の練り込みをしたそうです。

 面白いが指摘がありました。
 助詞「は」は、主語+「は」の部分で問題提示し、文末にその「答え」が来る構造になって、一方、「が」は、直前の名詞と次にくる名詞とをくっつけて、ひとかたまりの名詞相当句を作る「接着剤」のような役割があるというものです。
 そして、「は」はすでに話題になっているものを、「が」は単に現象をあらわすというのです。
 この指摘を読み、『日本人の英語』(マーク・ピーターセン著/'88年/岩波新書)の中にあった、「名詞」にaをつけるという表現は無意味であり、先行して意味的カテゴリーを決めるのは名詞ではなく、aの有無であるという指摘を連想しました。
 つまり「は」は、aという冠詞と同じ働きをし、「が」はtheという定冠詞と同じ働きをするのだと。
 そうすると、後に出た『バカの壁』(養老孟司著/'03年/新潮新書)でまったく同じ指摘がされていました。

 このように部分的には面白い点がいくつかありましたが、果たしてベストセラーになるほどの内容かという疑問もあります。
 “ボケ防止”で売れるのではという声もあり、なるほど『声に出して読みたい日本語』(齋藤孝/2001)などで本格化する日本語ブームのハシリかなとも思えなくもないが。
 むしろ著者の、日本語の敬語や丁寧語が、社会の上下関係からではなく、身内と外部の関係でつくられてきたといった指摘が日本文化論になっていて、そうした点が「日本人論」好きの国民性にマッチしたのでは。
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大野 晋 (オオノ・ススム)
1919(大正8)年、東京深川生れ。東京大学文学部国文学科卒。学習院大学名誉教授。「日本とは何か」という問題意識から古代日本語の研究を始め、上代特殊仮名遣・万葉集・古事記・日本書紀などを研究し「日本語はどこから来たか」を追究。著書に『岩波古語辞典』(共編)『日本語の起源 新版』『係り結びの研究』『日本語練習帳』『日本語と私』など。研究の到達点は『日本語の形成』に詳述されている。

《読書MEMO》
●「私が読んだこの本は、多くの批判もあるが面白かった」…「は」は文末にかかり、「が」は直下にかかって名詞と名詞を"接着"する
●「花は咲いていた」と「花が咲いていた」…「は」すでに話題になっているもの(the)、「が」は単に現象をあらわす(気がついてみたら…)(a)
●「日本語を英語にしろ」と言った志賀直哉は、小説の神様でなく、写実の職人

投稿者 wadamy : 02:20

【246】 ○ 国広 哲弥 『日本語誤用・慣用小辞典 (1991/03 講談社現代新書) ★★★☆

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比較的楽しく読め、読んで頭に残り、また後で読み返しやすい。

日本語誤用・慣用小辞典.jpg  『日本語誤用・慣用小辞典 』 講談社現代新書

 新書本で250ページほどの言わば“読む”辞典ですが、項目数を絞った上で1項目あたりの用例解説が充実しているので、類書の中では比較的楽しく読め、読んで頭に残り、また後で読み返しやすいものとなっています。
 
 「浮き上がる」と「浮かび上がる」、「絵に描いた」と「絵に描いたような」の違いなどの、あまり今まで考えたこともないようなものもありましたが、基本的には典型的な誤用例などを拾っていて、そのままクイズの問題にもなりそうなものも多いです。
 ただし、正誤もさることながら、背後にあるニュアンスの違いを重視し、必要に応じて、誤用の原因やどこまで許容されるかといことまで突っ込んで説明しているのが本書の特長でしょうか。

 誤用例として、テレビや雑誌などからも拾っていますが、中には著名な文筆家のもののあり、ちょっと気の毒な部分もありました。
 恥ずかしくない程度の常識は備えておくべきでしょうが、国語学者はどうしても語源や文法に縛られる面もあるので、自分なりの納得度というのも大切にすべきかも。

《読書MEMO》
●一姫二太郎→子供が生まれる順序○
●「おざなり」と「なおざり」
●「食間」に飲む薬○
●濡れ手で泡×→粟○
●逼塞→八方塞で手も足も出ず、世間の片隅にひっそり隠れていること○(多忙×)
●役不足→役目の方が軽すぎる○(力不足×)
●押しも押されぬ×→押しも押されもせぬ○
●体調をこわす×→体調を崩す○
●的を得る→的を射る、当を得る○
●嘘ぶく×→嘯く○
●折込済み×→織込み済み○
●亡き人を忍ぶ×→偲ぶ○ 

投稿者 wadamy : 02:12

【245】 ◎ 鈴木 孝夫 『ことばと文化 (1973/01 岩波新書) ★★★★☆

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父親が自分のことを「パパ」というのは日本語独特の用法。

ことばと文化.jpg  『ことばと文化』 岩波新書  ことばと文化(英).jpg  『ことばと文化』 英訳新装版 “Words in Context”

 言語学の入門書として知られる本ですが、一般読者が気軽に読めるよう平易に、かつ面白く書かれています。

 前半部分で、言葉が「もの」に貼られるレッテルのようなものではなく、逆に言葉が「もの」をあらしめているという考え方を示していますが、そのことを、英語と日本語で「同じ意味」とされている言葉がいかに不対応であるかを引例するなどして説明しています(英語のlipは、赤いところだけでなく、口の周囲のかなりの部分をも指す言葉だというような話を聞いたことがあれば、そのネタ元は本書だったかも知れません)。

 言葉の意義や定義が、文化的背景によっていかに違ってくるかという観点から、中盤は「動物虐待」にたいする日英の違いなど比較文化論的な、ややエッセイ風の話になっていますが、本書の持ち味は、終盤の、対人関係・家族関係における「人称代名詞」の日本語独特の用法の指摘と、そこからの文化心理学的考察にあるかと思います。
 
 例えば、家族の最年少者を規準点にとり、この最年少者から見て何であるかを表す傾向(父親が自分のことを「パパ」という)というのは、指摘されればナルホドという感じで、こうした日本語の「役割確認」機能の背後にあるものを考察しています。

 前半部分に書かれていることは、ウンチクとして楽しいものも多く、英語学習者などは折々に思い出すこともあるかと思いますが、終盤の方の指摘は、普段は日常に埋没していて意識することがないだけに、時間が経つと書かれていたことを忘れていましたが、久しぶりに読み直してみて、むしろ後半に鋭いものがあったなあと再認識しました。

《読書MEMO》
●英語には日本語の「湯」に当ることばがない(waterを状況次第で「水」のことにも「湯」のことにも使う)(36p)
●米俗語「元気を出す、へこたれない」keep one’s chin up → 日本語では「アゴを出せば、弱ったことの意味になってしまう(57p)
●現代日本語では(中略)一人称、二人称の代名詞は、実際には余り用いられず、むしろできるだけこれを避けて、何か別のことばで会話を進めていこうとする傾向が明瞭である(133p)
●印欧系言語 → 一人称代名詞にことばとしての同一性あり/日本語 → 有史来、一人称、二人称の代名詞がめまぐるしく交代(場所や方向を指す指示代名詞の転用など、暗示的・迂回的用法)(139-141p)
●(日本語は)他人を親族名称で呼ぶ習慣が特に発達している(158p)→ 他人である労時に対し、「おじいさん」「おばあさん」/子供向け番組の「歌のおばさん」「体操のおにいさん」
●(日本人は)年下の他人に親族名称を虚構的に使う(159p)→「さあ泣かないで。おねえちゃんの名前なあに」
●外国人には奇異に映る使用法 → 母親が自分の子を「おにいちゃん」と言ったり、父親が、自分の父のことを「おじいさん」と呼ぶ(161p)→ 子供と心理的に同調し、子供の立場に自分の立場を同一化(168p)
●父親が自分のことを「パパ」というのは「役割確認」→ 日本人が、日常の会話の中でいかに上下の役割を重視しているかが理解できる(187p)
●日本人の日本語による自己規定は、相対的で対象依存的(197p)→ 道の他人と気安くことばを交わすことを好まない
●日本の文化、日本人の心情の、自己を対象に没入させ、自他の区別の超克をはかる傾向 → 日本語の構造の中に、これを裏付けする要素があるといえる

投稿者 wadamy : 01:54

2006年08月22日

【244】 ◎ 多田 道太郎 『身辺の日本文化 (1988/07 講談社学術文庫) ★★★★★

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身近な切り口で、楽しみながら「日本人の意識構造」がわかる。

身辺の日本文化.jpg 『身辺の日本文化』 講談社学術文庫

 NHKのフイルムアーカイブで著者が喋っているのを偶然見て、飄々とした話しぶりに惹かれ本書を手にしましたが、これが思いのほか面白い!

 食事のあと割り箸は折るのはなぜかとか、日本家屋に独特の縁側や敷居、台所の入り口にかかる暖簾にどんな意味合いがあるのか、鳥居が赤いのは昔からか、そうした身近な切り口で日本文化の特質や日本人の意識構造を見事に解き明かしていきます。
 「青春」や「コメカミ」の語源もこの本で知りました。
 普段考えてもみなかったことばかり。雑学としても面白いけれど、かなり奥が深いなあ。
 でも、語り口は上方落語みたいですごくリズムがいいのです。

 著者の多田道太郎は仏文学者でコンサイス仏和辞典などの編纂した人ですが、社会学者、詩人、俳人、現代風俗研究会の会長でもあった人です。
 こんな人はもう世に出ないでしょう。
 とっつきやすく、読んで損しない本(何か得するわけでもないですが)、楽しい本です。

《読書MEMO》
●箸は高級、フォークは野蛮(手の形に近い)(16p)
●割り箸はなぜ折るのか…箸と茶碗は自分個人に帰属する(18p)
●パリの家庭で主人がパンを切ってもてなしてくれる(日本人はわざわざ主が、と喜ぶ)が、パンを切るのは家長の証だから(22p)
●「玄」という字は水平線に浮かぶ船の帆(ちらちら見えるもの(30p)
●「がんばる」は「我意を張ること」、お互いに頑張ろう→集団的個人主義(西洋人には理解しづらい)(61p)
●縁側と軒端は「つながり」を、「のれん」と「敷居」は「けじめ」をあらわす(65p)
●朝行って、自分の椅子に誰かが座っていると気持ち悪い→その場合の椅子は、身体、身体の周囲1~2m、に次ぐ第三の境界(74p)
●鴨長明『発心集』寺を譲るから女を世話してくれといって出奔した坊さんが、実は隠居所で修行していた(150p)
●鳥居が赤いのは中国の影響、もともとお社のみだった(お屋代も仮の姿。本体はもっと神聖なもの)(162p)
●酒は女性がつくり(米噛み→コメカミ)管理していた(178p)
●中国の4原色と四季…青春・朱夏・白秋・玄冬(36p)

投稿者 wadamy : 00:01

2006年08月21日

【243】 ○ スタンレー・ウォシュバン 『乃木大将と日本人 (1980/01 講談社学術文庫) ★★★☆

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乃木大将に身近に接した米国人従軍記者が抱いた畏敬と神秘の感情。

乃木大将と日本人.jpg 『乃木大将と日本人』 講談社学術文庫

 日露戦争の際、米国からの従軍記者として乃木大将に身近に接した著者による本書は、彼の“人となり”を描くことを主眼としていますが(原題は“Nogi”)、乃木という人物を通してみた日本人論にもなっています。

 著者が描くところの乃木将軍は、武士道精神と詩情を、さらには無私赤心の愛国心と部下や周囲(著者ら従軍記者、敵軍の敗将など)への思いやりを持ちあわせた精神性の高い人物で、従軍時に27歳の若さだった著者は、彼を“わが父”と仰ぐほどその魅力に圧倒されたらしいことが、その賞賛づくしの文章からわかります。
 同時に、こうした武士道的美学や理想主義が1人物に具現化され、それが組織を統制し士気を高揚させ、死をも恐れぬ苛烈な軍人集団を形成し、旅順陥落という戦果をもたらしたことに、乃木および日本人に対する畏敬と神秘の感情を抱いているようにも思えます。
 武士道精神というものが今あるかというと否定的にならざるを得ませんが、一方、「この人の下でなら…」というのが日本人にとってかなり強い動機付けになるという精神的風土はまだあるのでは。
坂の上の雲1.jpg
 本書を読んで想起されるのが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』での乃木の徹底した“無能”ぶりの描き方で、乃木ファンのような人たちの中には、司馬遼太郎の方が偏向しているのであり、本書こそ真の乃木の姿を描いているとする人も多いかと思いますが、本書はあくまでも乃木の人物像が中心に描かれていて、司馬遼太郎が『坂の上の雲』(「二〇三高地」の章)でも本書“Nogi”について指摘しているように、その戦略的才能について著者は主題上、意識的に避けているようにも思えます。

 さらに司馬遼太郎は、本書で乃木が、本国参謀本部の立案を実行する道具に過ぎなかったとしているのに対し、相当の裁量権が彼にあったことを指摘しており、個人的にもこの指摘に与したいと考えます。
 確かにオーラを発するような一角の人物ではあったかも知れないけれど、ロシア軍があきれるほどの“死の突撃”の反復を行った乃木を“名将”とするのには抵抗を感じます。
 
 ただし一方で、日露戦争をトータルに眺めると、乃木のおかげで欧米諸国に日本贔屓の心証を与えることが出来、そのため公債が集まり戦争を有利に導いたとする見方も、最近はあるようです(関川夏央『「坂の上の雲」と日本人』('06年/文藝春秋))。 
 それは(乃木自身が意図したことではないが)彼の立ち振る舞いや捕虜に対する紳士的態度が、本書の著者のように外国人記者の間に乃木信者が出るぐらいの人気を呼び、国際世論が日本に傾いたとするものです。ナルホドね。

  

投稿者 wadamy : 23:49

【242】 ○ 山本 七平 『日本人の人生観 (1978/07 講談社学術文庫) ★★★☆

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ユダヤ・キリスト教圏との歴史観の違いから来る人生観の違いを指摘。

日本人の人生観.jpg 『日本人の人生観』  講談社学術文庫

 同じ著者の『比較文化論の試み』('76年/講談社学術文庫)を読んで、日本で常識とされているものをまず疑ってみるその切り口に改めて感心させられ、もっと論じられても良い人なのかもと思い、一般はともかく学者とかには敬遠されているのかなとも思いつつ、本書に読み進みました。

 こちらの方は、日本人の変わり身の早さや画一指向を、その歴史観と人生観の関わりから考察したもので、講演がベースの語り口でありながら、内容的にはややわかりにくい面もありました。

 要するに、旧約聖書から始まるユダヤ・キリスト教文化圏の歴史観には、終末を想定した始まりがあり、人生とはその全体の歴史の中のあるパートを生きることであり、トータルの歴史の最後にある、まさにその「最後の審判」の際に、改めてその個々の人生の意味が問われるものであるとの前提があるとのこと。
 つまり、個人の人生が人間全体の歴史とベタで重なっているという感じでしょうか。

 それに対し、日本人の歴史観は始まりも終わりも無いただの流れであり、個々の人生は意識としてはそうした流れの「外」にあり、「世渡り」とか“今”に対応することが重要な要素となっていると…。 
 
 鴨長明の「方丈記」冒頭にある「行く川の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず」というフレーズは、結構日本人の心情に共感を呼ぶものですが、著者は、このとき長明は川の流れの中ではなくて川岸にいて川の流れを傍観しているとし、それが歴史の流れの「外」にいることを象徴していると述べています。
 
 前著『比較文化論の試み』よりやや難解で、それは自らの知識の無さによるものですが、加えて、今まであまり考えてみなかったことを言われている気がするというのも、要因としてあるかも知れません。
 今後、歴史関係の本などを読む際には、こうした視点を応用的に意識して読むと、また違った面が見えてくるかもと思いました。

投稿者 wadamy : 23:26

【241】 ○ 山本 七平 『比較文化論の試み (1976/06 講談社学術文庫) ★★★★

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読み直してみて、鋭い指摘をしていたのではないかと…。

比較文化論の試み.jpg 『比較文化論の試み』 講談社学術文庫  山本七平.jpg 山本 七平 (1921-1991/享年69)

 往年のベストセラー『日本人とユダヤ人』('70年/山本書店)の著者〈イザヤ・ベンダサン〉が〈山本七平〉であったことは周知であり、'04年に「角川oneテーマ21」で出た新書版の方では著者名が「山本七平」になっていますが、やはり最初はダマされた気がした読者も多かったようです。

 加えて生前は彼のユダヤ学や聖書学が誤謬だらけだという指摘があったり、左派系文化人との論争で押され気味だったりして、亡くなる前も'91年に亡くなった後も、意外と数多いこの人の著作を積極的に読むことはありませんでした。

 しかし、最近本書を再読し、「文化的生存の道は、自らの文化を他文化と相対化することにより再把握することから始まる」ということを中心とした99ページしかない講演集ですが、なかなかの指摘だなあと感心した次第です。

 「聖地」に臨在感を感じる民族もいれば、日本人のようにあまり感じない民族もいる。一方、「神棚」や「骨」には日本人は独自の臨在感を感じる―。
 ここまでの指摘が個人的にははすごくわかる気がし、特に以前に読んだ作家・又吉栄喜氏の芥川賞受賞小説『豚の報い』('96年/文芸春秋)の中に、そのことを想起させる場面があったように思いました。

 この小説の主人公は、海で死んだ父の骨を拾うことに執着していて、海で死んだ人間は、島のしきたりで12年間埋葬することが出来ず野ざらしにされているのを、12年目の年に彼は父の遺骨を風葬地に見つけ、そこにウタキ(御嶽)を作り、“神となった”父の「骨」としばしそこに佇むのですが、「御嶽」も「神棚」も神の家でしょうし、主人公の心情もわかる気がしました。

 でも著者は、どうしてそう感じるか、その理由を考えないのが日本人であるとし、これが他の民族のことが理解できない理由でもあるとしており、その指摘には「ハッとさせられる」ものがあると思いました。

 何か、この人、日本人を「ハッとさせる」名人みたいな感じもするのですが、まさに著者の真骨頂は、日本で常識とされているものをまず疑ってみるその切り口にあるわけで、そのために引用するユダヤ学などに多少の粗さがあっても、新たな視点を示して個々の硬直化しがちな思考を解きほぐす効用はあるかと。

投稿者 wadamy : 23:25

【240】 ○ 清水 芳見 『イスラームを知ろう (2003/04 岩波ジュニア新書) ★★★★

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イスラームの社会・生活・文化をフィールドワーク的視点から紹介。

イスラームを知ろう.jpg  『イスラームを知ろう』 岩波ジュニア新書

 イスラームという宗教そのものについても解説されていますが、著者が人類学者であるため、むしろイスラームの社会での結婚や生死に関する儀礼、日常生活の義務規定がよく紹介されています。

 イスラーム社会は世界の広い範囲に及ぶのですが、著者がフィールドワーク的に長期滞在したヨルダン、エジプト、ブルネイなどのことが中心に書かれていて(一応、中東、北アフリカ、南アジアという代表的イスラーム圏にそれぞれ該当しますが)、イスラーム世界のすべてを網羅して解説しているわけではありません。
 それでも、今まで知らなかったことが多く興味深く読めました。

 通過儀礼として有名な「割礼」についても詳しく書いてあります。
 またイスラームと言えば一夫多妻制が知られていますが、「第一夫人」「第二一夫人」…と言っているのは研究者で、平等を重んじるムスリムはそういう言い方はしないとか。
 「ラマダーン(断食)月」というと何か不活発なイメージがありますが、この時期に食料消費量が増え、逆に太ってしまう人が多いというのは何となく可笑しい話でした。

 「アラジンと魔法のランプ」は、元は中国の話だそうですが、語源である「ジン」(一種の妖怪)というのが、イスラームが宗教的版図を拡げていく過程で土着信仰を融合する際に生まれたものだというのは興味深いです。
 土着信仰のネガティブな部分を“怪物”的なものに封じ込めたという説は面白いと思いました。
 「善いジン」というのもいるらしいけれど、ディズニーアニメ「アラジン」の「ジーニー」は、キャラ的には明るいけれど、素質的にはやはり妖怪型かな。

投稿者 wadamy : 15:15

【239】 ○ 多田 富雄 『ビルマの鳥の木 (1995/10 日本経済新聞社) ★★★★

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芳醇で奥深いエッセイ集。「旅のトポロジー」が新鮮で良かった。

ビルマの鳥の木.jpg 『ビルマの鳥の木』 (1995/10 日本経済新聞社)  ビルマの鳥の木2.jpg 新潮文庫

 免疫学者・多田富雄氏のエッセイ集で、それまで比較的マイナーな雑誌や新聞に発表した小文を集め、「旅のトポロジー」「花のある日々」「生命へのまなざし」「能の遠近法」の4章に再構成してあります。

 いずれも芳醇で奥深い文章で、紀行文だけでなく、生命や医学、さらに能楽に関する話まで、著者の文化的才能のエッセンスが詰まっています。
 ただし個人的には、著者が〈生命医学〉や〈能〉について書いた本はそれぞれ単独で読むことができるため、紀行文を集めた「旅のトポロジー」が新鮮で良かったです。

 著者の深い思索の1つの背景として、学会で世界中を飛び回り、著名な学者らと交わる一方で、ホテルを飛び出して土地の人や歴史や自然に接し、特に必ずその都市のダウンタウンには行って、市井の人々の息吹を肌で感じている姿勢があることがわかりました。

 アメリカで実験用マウスのルーツを探った「グランビーのねずみおばさん」は、タイトルもいいけれど、内容もしみじみとさせられるもの。チリ訪問記「サンティアゴの雨」も、政情不安の国の若者に向ける温かい眼差しがいい。
 イタリア貴族の後裔を訪ねた「パラビィチーニ家の晩餐」では、ローマ史やルネサンス文化に関する該博ぶりに根ざした“格調高い”文化芸術論、と思いきや、文末に、敢えて「キッチュな体験をできるだけ悪趣味なバロック調に仕上げて」みたとあり、思わずニッコリしてしまいました。

 「ビルマの鳥の木」では、無数の鳥が群がることで有名なバードツリーの下で、鳥の鳴き声に包まれて感じた“火葬されているような感覚”や、その時に想った“DNAのランダムなつながり” “原初的な死”を語っていますが、自分はこれを読んで、梶井基次郎の「桜の樹の下には」を思い出しました。
 ただし、著者が感じたものは、より尖鋭的な“東洋的な死”の感覚だったのだと想います。

 【1998年文庫化[新潮文庫]】

 

投稿者 wadamy : 15:07

【238】 ○ 増田 義郎 『スペイン 読んで旅する世界の歴史と文化 (1992/02 新潮社) ★★★★

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見ても良し、読んでも良しの充実した内容(特に芸術面)。

スペイン.jpg 『スペイン 読んで旅する世界の歴史と文化』 (1992/02 新潮社)

 海外に旅行し、または滞在する際に、少しでもよくその国の歴史や文化を知っておけば、その旅行や滞在の意義もより深いものになるかと思いますが、このシリーズはそうした要望に充分応えるものだと思います。
 自分の場合、たまたまスペイン旅行に行く前に本書を購入したのですが、同シリーズは全10巻となっていて、他に「アメリカ」「イギリス」「ドイツ」「フランス」「イタリア」「インド」「韓国」「中国」「ロシア」があり、1冊3千円ぐらいと価格的に安くはないけれど、本当に内容は価格に見合ったものです。

 全編に美しいカラー写真が多用されていてガイドブックとしても楽しめ、また多くの専門家グループによる執筆内容は広範囲にわたり奥行きも深いものです。
 関連書籍案内、旅行会話、歴史年表、人名索引などが付録されているのも丁寧です。それとは別に総索引もあります。
 帰国後も書棚の1冊として写真を楽しむのも良いし、その内容に再度触れるのも良いです。

 本書『スペイン』は、「歴史・地理」「芸術」「生活・風俗」の3部構成で、いずれも密度の濃い内容ですが、特に「芸術」については、美術、建築、文学演劇から音楽、映画まで広く網羅し充実しています。
 スペインを舞台に描いた外国作家や外国映画まで紹介されていて、映画ファンには参考になります。
 
 それにしても、ベラスケス、ゴヤ、グレコ、ピカソ、ミロ、ダリからアントニオ・ガウディ、パブロ・カザルス、アンドレス・セゴビア、ナルシソ・イエペス、プラシド・ドミンゴまで、この国は世界的芸術家・巨匠の宝庫であると改めて感じさせられます。

投稿者 wadamy : 15:00

【237】 ◎ 藤原 新也 『全東洋街道 (上・下)』 (1982/01 集英社文庫) ★★★★★

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今自分が生きている人生や世界について考えさせられる旅記録。トルコ、チベットが特に印象的。

全東洋街道 上.jpg 全東洋街道 下.jpg 『全東洋街道』 集英社文庫 (上・下)

 写真家・藤原新也氏によるトルコ・イスタンブールからインド、チベットを経由して東南アジアに渡り、香港、上海を経て最後に日本・高野山で終る約400日の旅の記録。写真も文章もいい。

 旅の記録というものを通して、今自分が生きている世界や人生とはどういったものであるのか、その普遍性や特殊性を、また違った視点から考えさせられます。
 アジアと一口に言っても実に多様な文化と価値観が存在し、我々の生活や常識がその一部分のものでしかないこと、そして我々は日常において敢えてそのことを意識しないようにし、世界は均質であるという幻想の中で生きているのかも知れないと思いました。
 そうやって麻痺させられた認識の前にこうした写真集を見せられると、それは何かイリュージョンのような怪しい輝きを放って見えます。
 しかしそれは、例えばトルコの脂っぽい羊料理やチベットの修行僧の土くれのような食事についての写真や記述により、この世に現にあるものとして我々に迫り、もしかしたら我々の生活の方がイリュージョンではないかという不安をかきたてます。

 そうした非日常的”な感覚にどっぷり浸ることができるという意味では、東南アジアとかはともかく、トルコやチベットなど今後なかなか行けそうもないような地域の写真が、自分には特に興味深く印象に残りました。

 著者は帰国後、雑誌「フライデー」に「東京漂流」の連載をスタートしますが、インドで犬が人の死体を喰っている写真をサントリーの広告タイアップ頁に載せて連載を降ろされてしまいます(その内容は、『東京漂流』(情報センター出版局/'83年、朝日文芸文庫/'95年)で見ることができる)。

東京漂流.jpg 乳の海.jpg
 同じ'80年代の著書『乳の海』('84年/情報センター出版局、'95年/朝日文芸文庫)で、日本的管理社会の中で自我喪失に陥った若者が自己回復の荒療治としてカルト宗教に走ることを予言的に示していた著者は、バブルの時代においても醒めていた数少ない文化人の1人だったかも知れません。

 【1981年単行本[集英社]/1982年文庫化[集英社文庫(上・下)]】

    

投稿者 wadamy : 14:44

【236】 ○ 河口 慧海 『チベット旅行記 (全5巻)』 (1978/06 講談社学術文庫) ★★★★

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意外とエキセントリックな印象を受ける河口慧海。

チベット旅行記 1.jpg チベット旅行記 2.jpg チベット旅行記 3.jpg 講談社学術文庫(全5巻)

 インド仏典の原初の形をとどめるチベット語訳「大蔵経」を求めて、100年前に鎖国状態のチベットに渡った河口慧海(1866-1945)のことを知ったのは、中学校の「国語」の教科書だったと記憶しています。
 雪のヒマラヤを這っている“不屈の求道者”慧海の挿絵が印象的でした。

河口慧海.jpg 事実、「近代日本の三蔵法師」」と言われた人ですから、「高貴なインテリ僧」を思い描いていましたが、この旅行記(探検記)を読んでかなりイメージが変わりました。
 語り口がユニーク、エキセントリックというか、誇大妄想癖があるかと思えば、すっとぼけている面もあるというか、彼が帰国後に一時、大ボラ吹きではないかと言われたのもわかります。

 かなり粘着質なのか、出発のときにどんな餞別を貰ったかということから(だからなかなか出発しない)、チベットの人はどうやって用を足すのかということまで(ほとんど文化人類学者の視点)細かく書かれています。
 結果として、当時の日本やチベットことがよくわかる記録となっています。
 そのくせ、時々記述がジャンプしたりして、彼がどういうルートでインドから徒歩でヒマラヤ越えしたのかなどはよくわかりません。
 これは、彼のチベット旅行が“密入国”であったことも関係しているのでしょう。

 旺文社文庫に1巻で収められていましたがその後絶版になり、講談社学術文庫では5分冊になっています(講談社学術文庫はときどき、こうした細かい分冊方式をとるけれど、どうしてなのか? 本書に限って言えば、表紙は断然学術文庫の方が良いが)。

 仏教・仏典に関する記述など専門家以外にはやや退屈な部分もありますが、'04年に中公文庫BIBLIOでエッセンスを1冊にまとめた抄本が出ていますので、そちらの方が手軽には読めるかも知れません。

 【1978年文庫化[旺文社文庫 (全1巻)]/1978年再文庫化[講談社学術文庫 (全5巻)]/1980年単行本・2004年改訂〔白水社 (上・下)〕/2004年抄本〔中央公論新社 (全1巻)〕】

       

投稿者 wadamy : 13:25

【235】 ◎ 中村 政則 『戦後史 (2005/07 岩波新書) ★★★★☆

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50年史に10年分足したものが60年史になるのではないのだと認識させられる。

戦後史.jpg  『戦後史』 岩波新書

 戦後60年の日本の歴史が、政治・外交・経済から、思想・社会・文化・風俗に至るまでの幅広い視点でコンパクトに書かれて、「戦後」を俯瞰するのに“手頃な”著作となっています。
 また、終戦時10歳だったという著者の時代ごとの個人的記憶も盛り込まれていて、著者の年齢だからこそ語れるリアリティがありました。

 戦後50年に「戦後」とは何かがいろいろ論じられたのに、敢えてここで戦後60年史を書くことについて著者は、この10年間の地殻変動のような国際的環境の変化を挙げていますが、それはイタリアの歴史家の「すべての歴史は現代史である」という言葉とも符合します。
 
 つまり、50年史に10年分足したものが60年史になるのではなく、新たな事態や事実に直面した場合に、今までの歴史認識の再検証を迫られることがままあるということでしょう。
 それらは本文通史の中で度あるごとに具体例として示されています。

 そして著者は、日本においては「終った戦争」と「終らない戦争」の二重構造があり、戦後民主主義(国際ジャーナリストの松本重治は「負け取った民主主義」と呼んだ)を否定的に捉える論調が強まるなかで、“戦後”をどういうかたちで終らせるか、我々は岐路に立っているとしていて、この指摘は“重い”と思いました。

 個人的には、司馬遼太郎の愛読者でありながら“司馬史観”というものを批判しているという著者に関心があって本書を手にしましたが、本文中に示された多くの参考文献(比較的新しいものが中心)は、著者の旺盛な研究意欲とバランス感覚を表すとともに、それらの巻末索引が読者への親切な手引きともなっています。

投稿者 wadamy : 12:41

【234】 △ 藤田 達生 『謎とき本能寺の変 (2003/10 講談社現代新書) ★★★

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意外性を感じる独自の「黒幕」説。興味深くは読めたが…。

謎とき本能寺の変.jpg  『謎とき本能寺の変』 講談社現代新書

 「本能寺の変」は、日本史最大の謎の1つとされていますが、従来の「光秀怨恨説」(明智光秀が個人的怨恨により単独実行したとする説)に対して、「朝廷関与説」(信長の権勢に危機感を持った朝廷が参画したとする説)がよく聞かれます。
 しかし本書では、本当の黒幕は、京都からの追放後、毛利氏に身を寄せていた足利義昭ではなかったか、というかなり意外なものです。

 確かに、智将・光秀が何の後ろ盾も将来展望もなくクーデーターに及んだというのは考えにくいのかも知れません。
 しかし、都を追われ遠く中国地方に居候の身でいた抜け殻のような将軍が、光秀の後ろ盾になるのかどうか疑問を感じます。
 著者は本書刊行の前年にNHKの「その時歴史が動いた」にゲスト出演し、松平アナの前ですでにこの「足利義昭黒幕説」という自説を展開していたのですが、あのときの番組の反響はどうだったのでしょうか。

 本書自体は、冒頭で本能寺の変にまつわる従来の諸説を整理し、また政変から毛利氏と対峙し備中高松城を水攻め中だった秀吉の帰還(中国大返し)、山崎(天王山)の合戦までの流れを、信長や秀吉の政治観などを交えながら(大学教授らしく文献に基づいて)検証的に解説していて、それなりに興味深く読めるものではありました。
 
 全行程200kmをたった5日で移動したという秀吉の「中国大返し」の迅速ぶりなどについても謎が多いようです。 
 筒井康隆の歴史SFモノに、黒田官兵衛が電話で新幹線の座席を買い占めて、秀吉軍が岡山から「ひかり」で移動するというナンセンス小説(「ヤマザキ」)があったのを思い出しました。

投稿者 wadamy : 12:30

【233】 ○ 田中 伸尚 『靖国の戦後史 (2002/06 岩波新書) ★★★★

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「靖国」に纏わる戦後史を時系列で追いつつ、国家が死者を追悼することの意味を問う。

靖国の戦後史.jpg  『靖国の戦後史』 岩波新書

 '05年に入り、『靖国問題』(高橋哲哉/ちくま新書)、『靖国神社』(赤澤史朗/岩波書店)、『国家戦略からみた靖国問題』(岡崎久彦/PHP新書)、『首相が靖国参拝してどこが悪い!!』(新田均/PHP研究所)、『靖国問題の原点』(三土修平/日本評論社)など「靖国」関連本の刊行が相次ぎ、'06年に入っても『戦争を知らない人のための靖国問題』(上坂冬子/文春新書)などの、この問題の関連本の出版は続きました。
 これら書籍は過去のものも含め、その多くが首相の靖国参拝などについて賛成派と反対派に明確に分かれ、本書もその例外ではありません。

 ただし本書の特徴として、「靖国」に纏わる戦後史を時系列で追っていて、基本的な知識を得るうえで参考になります。
 そうした歴史を通して、著者は、国家が死者を追悼することの意味を批判的視点から問うているのですが、こうして見ると、「靖国問題」の不思議な歴史的側面も見えてきました。

 戦後、GHQの国家神道廃止方針により靖国神社は一宗教法人となりますが、'52年の安保条約発効前後に、民間宗教法人となって初の首相参拝(吉田茂)や天皇の参拝が行われている。
 また、'58年の前後数年にほとんどの軍属戦没者が合祀されている(その膨大な情報を神社側はどうやって入手したのかというのも本書が指摘する問題点の1つ)。
 '78年のA級戦犯合祀は秘密裏に行われましたが、翌年に判明。しかしその時々においては、何れも今日ほど大きな議論にはなっていない。
 う~ん。仮に外圧(中国・韓国からの批判)がなければ、「靖国問題」がここまでクローズアップされたかどうか。

 「靖国問題」が注目されるようになったのは、'85年の中曽根首相の10回目の参拝で(所謂「公式参拝」とした問題、この時も中国・韓国からの批判が問題化の契機になった)、以来11年間首相参拝は途絶えましたが、'96年に橋本首相が1度だけ参拝し、問題が再燃。首相参拝は以後、小泉首相までありませんでした。
 結局のところ、首相参拝を合法であるとする根拠説明が出来ないということでしょうが(靖国神社を特別宗教法人にしようという動きなどもそこから派生しているのだろう)、にも関わらず小泉首相は'01年から6年連続して「靖国参拝」を敢行したわけです。
 う~ん。「公的とか私的とか私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」という話では、中国・韓国が納得しないでしょうね。

     

投稿者 wadamy : 12:14

【232】 ○ 坂本 多加雄/秦 郁彦/半藤 一利/保阪 正康 『昭和史の論点 (2000/03 文春新書) ★★★☆

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「歴史探偵」的趣きの鼎談。歴史の違った見方を教えてくれる。

昭和史の論点.jpg  『昭和史の論点』 文春新書

 雑誌『諸君!』で行われた4人の昭和史の専門家の鼎談をまとめたもの。
 文芸春秋らしい比較的「中立的」な面子ですが、それでも4人の立場はそれぞれに異なります。

 52歳で亡くなった坂本多加雄は「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーでしたし、秦郁彦は「南京事件」に関しては中間派、半藤一利は『ノモンハンの夏』('98年/文藝春秋)などの著書がある作家で、保阪正康は『きけわだつみのこえ』に根拠なき改訂や恣意的な削除があったことを指摘したノンフィクション作家です。

 しかし対談は、既存の歴史観や個々のイデオロギーに拘泥されず、むしろ「歴史探偵」的趣きで進行し、張作霖事件、満州事変、二・二六事件、盧溝橋事件…etc.の諸事件に今も纏わる謎を解き明かそうとし、またそれぞれの得意分野での卓見が示されていて面白かったです(自分の予備知識が少なく、面白さを満喫できないのが残念)。
 昭和史と言っても敗戦までですが、最近になってわかったことも随分あるのだなあと。昭和天皇関係の新事実は、今後ももっと出てきそうだし。

 歴史に“イフ(if)”はないと言いますが、この対談は後半に行くに従い“イフ(if)”だらけで、これがまた面白く、歴史にはこういう見方もあるよ、と教えてくれます。
 その“イフ(if)”だらけを一番に過激にやっているのが秦郁彦で、やや放談気味ではありますが、こうした立場を越えた自由な鼎談が成り立つのは、月刊「文芸春秋」の編集長だった半藤一利に依るところが大きいのではないかと思います。

投稿者 wadamy : 12:03

【231】 ○ 三谷 一馬 『江戸商売図絵 (1995/01 中公文庫) ★★★★

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江戸庶民の生活の息吹が感じ取れて楽しい図絵集。時代小説ファンにお薦め。

商売.jpg 『江戸商売図絵』 中公文庫  三谷 一馬.jpg 三谷 一馬 (1912-2005/享年93)

 文庫本で600ページ以上ある江戸時代(中期以降)の「商売図鑑」で、店商売や物売りから職人や芸人まで数多くの生業(なりわい)の様を絵画資料から復元し、それぞれにわかりやすい、結構味のある解説を加えています。

 「紅屋」で“光る口紅”を売っていたとか、「髢屋」(かもじ=つけ毛・ウィッグ)とか、江戸時代の庶民は大いにお洒落を楽しんだ?
 「鮨屋」「鰻屋」「居酒屋」のように今の時代に引き継がれているものもありますが、「楊枝屋」「烏帽子屋」となると、店を構えた上でのこうした単品の商売が成立ったのが不思議な気もして、現代のスーパー・コンビニ社会から見ると驚くべき細分化ぶりです(「鳥屋」でペットと鳥肉を一緒に売っている図もありますが)。

112815.jpg 物売りにしても多彩で、「ビードロ売り」とか「水売り」とか風流で、「八百屋」「魚屋」などが江戸と大阪で格好が違ったりするのも面白し、「熊の膏薬売り」が熊の剥製を被っているのは笑えて、「物貰い」というのがちゃんとした職業ジャンルであったことには驚かされます(掛け声や独特のパフォーマンスなども紹介されています)。
 さすがに「七夕の短冊売り」とか月見用の「薄(ススキ)売り」というのは、年中それしか扱っていないというわけではないのでしょう。

 元本の初版は'63年で'75年に新装版が出されましたが、古書店で5万円という稀購本的な値がついたらしく、やはり小説家とか劇画家には重宝したのかも…。
 本書は'86年の単行本(それでも5千円近い定価)を文庫化したものですが(定価1,300円)、江戸庶民の生活の息吹が感じ取れて一般の人にも充分楽しいし、時代小説好きならば、そうした本を読む際のイメージがより生き生きするのではないかと思います。                      染物屋 (本書より)

投稿者 wadamy : 11:54

【230】 ◎ 神坂 次郎 『元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世』 (1984/09 中公新書) ★★★★☆

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私的な日記のつもりが、300年後「元禄版ブログ」の如く多くに読まれているという感慨。

元禄御畳奉行の日記.jpg 『元禄御畳奉行の日記』 中公新書  元禄御畳奉行の日記 上.jpg 元禄御畳奉行の日記 下.jpg 横山光輝版 〔嶋中書店〕

 元禄時代に生きた平凡な尾張藩士、朝日文左衛門の28年間の日記を通して、その時代の生活や風俗、社会を読み解いていくものですが、面白かったです。横山光輝などはこれをマンガ化しているぐらい。

 この文左衛門という人、武道はいろいろ志すもからきしダメ。
 特に仕事熱心なわけでもなく、家庭ではヒステリーの妻に悩まされ、そのぶん彼は趣味に没頭し、芝居好きで文学かぶれ、博打と酒が大好きという何となく愛すべき人柄です。
 そして、食事のおかずから、小屋で見た芝居の感想、三面記事的事件まで何でも書き記す“記録魔”なのです。

 刀を失くした武士が逐電したり、生類憐みの令で蚊を叩いた人が島流しになったりという話や、 “ワイドショーねた”的な情痴事件、当時流行った心中事件などの記録から、当時の社会的風潮や風俗が生き生きと伝わってきます。
 零落した仲間の武士が乞食までする様や、貧困のすえ自殺した農民の話など、爛熟した元禄時代の影の部分も窺えます。

 文左衛門自身はというと、さほど出世欲は無いけれど、まあ堅実なポジションを得るサラリーマンみたい(月に3日の宮仕えというのは随分と楽チンだが)。
 あるいは、業者の接待を気儘に受ける小役人というところか(出張してもほとんど仕事していない!)。
 女遊びもするが、酒好きの度がスゴイ。
 遂に体を壊して45歳で亡くなってしまいますが、極私的なものであるはずの日記が、300年後にこうして「元禄版ブログ」みたいな感じで我々の眼に触れているという事実は、彼の生きた証であり感慨深いものがあります。
 書いている間に本人はそういう意識が多少はあったのでしょうか。

投稿者 wadamy : 11:39

【229】 ○ 石川 文洋 『カラー版 ベトナム 戦争と平和 (2005/07 岩波新書) ★★★★

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米軍同行取材に対する批判もあるが、多くのカラー写真が訴えるものはやはり重い。

カラー版 ベトナム 戦争と平和.jpg 『カラー版 ベトナム 戦争と平和』 岩波新書

 ベトナム戦争で新聞社所属のカメラマンとして活動した著者に対して、たとえ著者が心情的に解放戦線寄りだったとしても、米軍に同行し、目の前でその米軍に虫けらのように殺されるベトナムの兵士や民間人を撮影していることに対する批判的な見方はあるかも知れませんが、イラク戦争にしてもそうですが、こうした取材スタイルになるのはある程度やむを得ないのではないでしょうか(本書には“北側”からの取材も一部ありますが)。
 
 故沢田教一のように、被写体となった家族を自ら救い、さらにその写真がピュリツァー賞を受賞すると、戦時中に関わらずその家族を訪問し、賞金の一部を渡したというスゴイ人もいましたが、本書は本書なりに、多くのカラー写真が訴えるものは重いと思いました。

 どうも個人的には、1973年の和平協定で米軍が撤退した時の印象が強いのですが、本書はサイゴン陥落はその2年後だったことを思い出させました。
 戦争終結直前に死亡した政府軍兵士の墓も哀しい。政府や軍の幹部がとっくに海外に逃亡した頃に亡くなっているのです。
 その後もカンボジア、中国との武力紛争を繰り返し、国力が衰退を極めたにも関わらず、よくこの国は立ち直ったなあという感想を持ちました。
 ドイモイ政策もありますが、戦時においても爆弾の跡を灌漑用の溜池として利用するような、国民のバイタリティによるところが大きいのではないでしょうか。

 現在のべトナムの姿もあり、経済振興と人々の明るい表情の一方で、枯葉剤の影響を受けて生まれてきた子どもの写真などが、戦争の後遺症の大きさを感じさせます。
 今やハノイなどは観光ブームですが、ここを訪れるアメリカの観光客は、ただ異国情緒だけ満喫して帰って行くのでしょうか。
 ベトナムという国の観光収入だけ考えれば、それでいいのだろうけれど…。

投稿者 wadamy : 11:18

【228】 ○ 井波 律子 『奇人と異才の中国史 (2005/02 岩波新書) ★★★☆

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「奇人伝」と言うより、生き方(自己実現)の系譜として読めた。

奇人と異才の中国史.jpg  『奇人と異才の中国史』 岩波新書

 春秋時代から近代までの2500年の中国史のなかに出現した56人の生涯を、時代順にとりあげ、1人3ページ程度にコンパクトに紹介・解説しています。
 孔子や始皇帝から魯迅まで、政治家、思想家、芸術家などとりあげている範囲は広く、誰でも知っている人物もあればさほど一般的でない人物もありますが、そうした人物の“奇行”を蒐集しているわけではなく、オーソドックスな人物列伝となっています。

 孔子は55歳からスタートした14年間の諸国遊説によって自らの思想を充実させたとのことで、もし彼がどこかに任官できていれば、逆に1国の補佐役で終わったかもしれず、弟子もそんなに各地にできなかったでしょう(因みに彼の身長は216cmあったとか)。

 明代中期に陽明学を起こした王陽明は、軍功を挙げる一方で、朱子学を20年研究し、自己の外にある事物それ自体について研究し事物の理に格(いた)ることで認識が定成するというその考えを結局は受け入れられず、転じて自らの心の中に知を極めることにし、〈知行合一〉の考えに至ったとか―。
 〈思想〉が最初からその人物に備わったものではなく、年月を経てその人のものとなったことがわかり、興味深かったです。

 こうした思想家の列伝も充実していますが、全体としては、歴史の授業などではあまり詳しく習わない、あるいはまったく取り上げられない文人や女性が比較的多いのが本書の特徴でしょうか。
 加えて、政治と関わりながら、途中から隠者のような生活に入った人も多いのは、『中国文章家列伝』('00年/岩波新書)、『中国の隠者』('01年/文春新書)などの著作がある著者らしいと言えます。

 本書は新聞連載がベースになっているため、それぞれの評伝は短いけれどよく纏まっており、その人物がどのような「生き方」を志向したかがわかるような書き方で、生き方(自己実現)の系譜として読めました。

   

投稿者 wadamy : 11:11

【227】 ○ 宮田 律 『中東 迷走の百年史 (2004/06 新潮新書) ★★★★

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短時間で、中東関連ニュースに対する理解を深めたい人にピッタリ。

中東 迷走の百年史.jpg  『中東 迷走の百年史』 新潮新書

 高校の世界史の授業というのは、どうしても西洋史中心で、さらには、近現代史をやる頃には受験期に入っているので、最後は殆ど駆け足で終ってしまう―、その結果「中東の近現代史」などは、習った記憶すら無いという人も多いのではないでしょうか。

 ところが今や、海外から伝わる政治的紛争やテロのニュースには、中東乃至はイスラム過激派に関するものが非常に多いという状況で、今までの経緯が分からないから、関心もイマイチ湧かない、ということになりがちかも。
 でも、そうした背景を少しでも知って、ニュースに対する理解を深めたいという人に、本書はピッタリです。
 200ページ前後の新書で活字も大きく、さほど時間をかけずに読めるのが特長です。

 イラク、イスラエルとパレスチナ、サウジアラビアとイエメン…など12の国や地域をあげ、国を持たない中東最大の少数民族「クルド」もとりあげていて、それぞれの歴史や現況をコンパクトに解説していますが、こうして見ると紛争の火種が絶えない地域ばかりで、まさに「迷走」の歴史です。
 
 植民地時代や米ソ冷戦時代の「負の遺産」や、国家権力者の専横もさることながら、国際テロ組織の暗躍がこうした紛争に暗い影を投げかけていることがよく分かります。
 アフガン戦争の時に、米国とともに対ソ抗戦したイスラム原理主義者の一部が、イスラム過激派として9・11テロの実行犯などに流れていったことに、歴史の皮肉を感じます。
 サウジ、アフガン、東アフリカと場所を移しつつテロリストを養成しているオサマ・ビンラディンは、ある意味、独裁国家の元首よりタチが悪いかも。

投稿者 wadamy : 11:01

【226】 ○ 樋口 雅一 『マンガ 聖書物語 (旧約篇) (1998/07 講談社+α文庫) ★★★★

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ストーリー部分をうまく整理。結構ドラマチックな話も含まれているものだと…。

マンガ 聖書物語.jpg  『マンガ 聖書物語 (旧約篇)』 講談社+α文庫

 自分も含め一般の日本人は、聖書の内容をそれほど詳しく知っているわけではなく、旧約聖書に至ってはほとんど言っていいくらい知らないのではないかと思います。
 映画「十戒「などのイメージは多少あるものの、原典をパラパラめくる限りそれほど面白そうにも思えず、特に旧約聖書の場合は、原典からストーリーを抽出しにくいということが、馴染めない最大の理由かも知れません。
 本書は、そうした旧約聖書のストーリー部分をうまく整理してマンガにしていて、内容を理解するうえでの良い助けになるものであると思います。

 こうして見ると、結構泣かせるようなドラマチックな話もあるのだと…。兄たちに諮られて異国(エジプト)に売られ、その後エジプト王になったヨセフの話などは、なかなかのストーリー展開で、最後にヨセフが兄たちを許す場面は感動的です。
 今まで知らなかったことも多く知ることができ、例えばオリーブの枝を咥えた鳩が平和のシンボルとされているのは、ノアの箱舟に洪水が引き安心して暮らせることを知らせに来た鳥がそうだったからだとか、今までそんなことも知らずホント無知でした(そうすると国連のマークも旧約聖書の影響を受けているということか)。

 旧約聖書は、“人類の歴史”というものが意識されて書かれた最も古い部類の物語だと思われますが、今の聖書は後に何百年にもわたって再編集されたものらしく、聖書学者によると創世記なども後の方で書かれたものだということで、つまり終末論がまずあって、そこから遡って編纂されているようです。
 このことは、個人としての人間が自分の死を意識し、そこから遡って自らの出自を問う考え方の指向と似ていますが、山本七平などは、そうした個人の有限の人生と“完結するものであるべき”歴史といった相似的な捉え方の中に、ユダヤ教やキリスト教の歴史観の特徴を見出していたように思えます。
 日本人の場合は、「行く川の流れは絶えずして…」と言う感じで、川べりで歴史を傍観していて、どこかに始まりと終末があるわけでもなく、一方、自分の人生の始まりと終わりは意識しているが、それが歴史の始まりと終わりのどのパートにあたるかという意識は無いのではないかと。
 こうした日本人の考え方では、「救世主」とか「最後の審判」という発想は出てこないのだろうなあと思ったりもしました。
 
 マンガのタッチは今ひとつかな、という感じで、また、マンガにすることで、宗教的な意味合いや重みが脱落してしまっている部分も大いにあるかもしれませんが、西洋キリスト教圏文化などの背景にある重要な物語のストーリーを少し知っておくのもいいのではないかと思います。

投稿者 wadamy : 10:46

【225】 ○ 七瀬 カイ 『まんが 世界の歴史5000年 (1998/03 学習研究社) ★★★★

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マンガを侮るなかれ。わかりやすい。世界史は概略がわかればいい。

まんが 世界の歴史5000年.jpg 『まんが 世界の歴史5000年』 学習研究社 バカのための読書術.jpg 『バカのための読書術』 ちくま新書

 比較文化学者の小谷野敦氏が『バカのための読書術』('01年/ちくま新書)の中で、現代の若者の知力低下を嘆き、特に歴史を知らなさ過ぎる、世界史を大学の一般教養の必修科目にしたらどうかと書いていましたが、伝統的な教養主義へ復古せよという大袈裟なレベルではなく、入社試験問題にごく簡単な歴史問題を入れても誰も出来ないために点差がつかないという現状を見るにつけ、少なからず共感を覚えます。

マンガ日本の歴史 55.jpg 石ノ森章太郎 『マンガ日本の歴史 第55巻』  日本の歴史年表事典.jpg カゴ直利 『日本の歴史年表事典』

 とは言え、中公文庫の何十巻もある『世界の歴史』『日本の歴史』を順番に読んでいくのもたいへんで、小谷野氏は、初学者は、歴史小説でも学習マンガでもいいと言っています(石ノ森章太郎の『マンガ日本の歴史』(中公文庫)は少し長すぎるので、マンガ家・カゴ直利氏の本を推奨していた)。
 
 個人的にも、特に世界史に関しては、一般的な日本人にとって読みやすい歴史小説が少ないので、学習マンガというのは概要をつかむ上では良いのではないかと思います(世界史は概略がわかればいい、とも小谷野氏は言っている)。

 そうした意味で、木村尚三郎監修(マンガは七瀬カイという人が描いている)の本書は、「大昔から現代までの世界の歴史の流れと、各時代のおもな人物の活躍を分りやすく解説。重要事項・重要人物を文とまんがで解説し、歴史学習のポイントがよく理解できる」という謳い文句に違わない内容で、大判で読みやすく、読みがなもふってあるので、親子でも使える良書だと思います。

 かつて受験勉強をした大人が読む場合、学校時代の参考書や世界史地図が手元に残っていれば、それを傍らに読むといいのではないかと思いますが、そうやってきっちり読むと、おおまかな世界史の概略が掴めるのではないかと思います(全1巻ですが読了するのに相当時間がかかると思います)。
 姉妹版の『まんが 日本の歴史2000年』('98年/学習研究社)もお薦めです。

   

投稿者 wadamy : 10:37

【224】 ◎ 杉山 正明 『モンゴル帝国の興亡 (上・下)』 (1996/05 講談社現代新書) ★★★★★

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歴史的反証を多く含み、モンゴル帝国の新たな側面が見えてくる本。

モンゴル帝国の興亡.jpg モンゴル帝国の興亡 下.jpg 『モンゴル帝国の興亡 (上・下)』 講談社現代新書

 上巻「軍事拡大の時代」で、チンギスの台頭(1206年カン即位)から息子オゴタイらによる版図拡大、クビライの奪権(1260年即位)までを、下巻「世界経営の時代」で、クビライの築いた巨大帝国とその陸海にわたる諸システムの構築ぶりと、その後帝国が解体に至る(1388年クビライ王朝滅亡)までを、従来史観に対する反証的考察を多く提示しつつ辿る、密度の濃い新書です。

 拡大期、(ドイツ会戦「ワールシュタットの戦い」は実際にあったか疑わしいとしているものの)遠くハンガリやポーランドに侵攻し、またバクダッド入りしてアッバース朝を滅ぼすなど、その勢いはまさに「世界征服」という感じですが、皇帝が急逝すると帝位争奪のために帰国撤退し、それで対峙していた国はたまたま救われるというのが、歴史に影響を及ぼす偶然性を示していて(そのために一国が滅んだり生き延びたりする…)何とも言えません。

 クビライの時代には帝国は、教科書によく出てくる「元国及び四汁(カン)国」という形になっていたわけですが、本書では一貫して「国」と呼ばず、遊牧民共同体から来た「ウルス」という表現を用いており、また、ウルス間の対立過程において、それらの興亡や版図が極めて流動的であったことを詳細に示しています。

クビライ.jpg チンギスの名を知らない人は少ないと思いますが、クビライ(右図=Qubilai, 1215‐1294)がやはり帝国中興の祖として帝国の興隆に最も寄与した人物ということになるのでしょう。
 人工都市「大都」(北京)を築き、運河を開削し海運を発達させ、経済大国を築いた―伝来の宗教的寛容のため多くの人種が混在する中、これら事業に貢献したのは、ムスリムや漢人だったり、イラン系やアラブ系の海商だったりするわけで、2度の元寇で日本が戦った相手も高麗人や南宋人だったのです。

 “野蛮”なモンゴル人による単一民族支配という強権帝国のイメージに対し、拡大期においてすら無駄な殺戮を避ける宥和策をとり、ましてモンゴル人同士での殺戮など最も忌み嫌うところであったというのは、そうした既成の一般的イメージを覆すものではないでしょうか。
 安定期には自由貿易の重商主義政策をとり、そのために能力主義・実力主義の人材戦略をとり、多くの外国人を登用したという事実など、帝国の新たな側面が見えてくる本です。

 

投稿者 wadamy : 10:10

【223】 ◎ 鈴木 董 『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』 (1992/04 講談社現代新書) ★★★★☆

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オスマン帝国が超大国になりえた理由、衰亡した原因を独自に考察。

オスマン帝国.jpg 『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』 講談社現代新書

 学校教育の世界史の中でもマイナーな位置づけにある「オスマン帝国」は、イスラム帝国につきまとう「コーランか剣か」という征服者的イメージに、近年の過激な原理主義のイメージが重なり、ネガティブ・イメージさえ持たれているかもしれません。
 しかし本書を読むと、内陸アジアの遊牧民に始祖を持つトルコ民族が築いたこの国が、宗教的に寛容な多民族国家であり、多様な人材を登用するシステムを持った「柔らかい」支配構造であったがゆえに超大国たりえたことが、よくわかります。
スレイマニエモスク.jpg
 オスマン帝国と言えばスレイマン大帝ですが、1453年にビザンツ(東ローマ)の千年帝都コンスタンティノープルを無傷のまま陥落させたメフメット2世というのも、軍才だけでなく、多言語を操り西洋文化に関心を示した才人で、宗教を超えた能力主義の人材登用と開放経済で世界帝国への道を拓いた人だったのだなあと。
 そして16世紀のスレイマン時代に、エジプト支配、ハンガリー撃破、ウィーン包囲と続き(やはり戦いには強かった)、3大陸に跨る帝国の最盛期を迎えますが、古代ローマ帝国に比する地中海制海権を握ったことも見逃せません。                                 スレイマニエモスク

 本書後半は、スレイマンが帝国の組織やシステムの整備をどのように行ったが、政治・行政・司法・財政・外交・軍事・教育など様々な観点から述べられており、特に、羊飼いから大臣になった人物がいたり、小姓から官僚になったりするコースがあったり、また、そうした人材登用のベースにある「開かれた大学制度」などは興味深いものでした(次第に富裕層しか行けないものになってしまうところが、今日の「格差社会」論に通じるところがあります)。

 1571年のレパント海戦に敗れて帝国は衰退の道を辿りますが、一般には「魚は頭から腐る」というトルコの諺を引いて、権力者や官僚の堕落と腐敗が衰亡の原因とされているところを、著者はまた違った見方を示しているのが興味深いです。

投稿者 wadamy : 09:58

【222】 ○ 謝 世輝 『新しい世界史の見方―ユーラシア文明の視点から』 (1972/01 講談社現代新書) ★★★★

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独自視点でヨーロッパ史中心の世界史を批判した原子物理学者の著書。

 本書ではヨーロッパ史中心の世界史を批判し、ユーラシア史こそ世界史の中心であるとしています。
 その証拠に四大文明はすべてユーラシア大陸に起源を持ち、その後も騎馬民族文化、インド文明、中国文明、イスラム文明の4つが世界文明をリードしてきたのであって、“ユーラシアの片田舎に過ぎない”ヨーロッパを世界史の中心に据えるのは偏向であると。
 そして、インド、中国、イスラムの文明の特質とそれらの豊かさ、高度さを検証し、文明史区分の見直しをしています。

 インド数学における零の発見、
 中国での木版印刷や火薬の発明、
 イスラム文明における天文学や医学の先駆性
 などの技術面だけでなく、
 イスラムの道徳、インドの悟性、中国の思考法など、その人間観・世界観における優越性にも言及し、それらにはかなりの説得力を感じました。

 著者はもともと原子物理学者で、以後、科学技術史から文明史、世界史などに研究対象を広げ、さらにその後は、成功哲学の啓蒙書を多く著作・翻訳しています。
 著者の近著にはスピリチュアリズムの色合いが強いのですが、'70年代に出版された本書は、既成の文明史観に対する斬新な批判と優れた示唆に富むものとして、現在でも一読の価値があると思います。

《読書MEMO》
●中国文化の特徴→決定的な宗教が無いため現実主義/四大文明で唯一、再生を繰り返す(漢民族は不死鳥)(32p)
●ウパニシャッド哲学…宇宙の根源ブラフマンと人間の本体アートマンの合一(梵我一如)(85p)
●零の発見とインド数字(→アラビア)(89p)
●11世紀トレドに集まるイスラム天文学者→ポルトガルへ(113p)

 

投稿者 wadamy : 09:48

【221】 ◎ 森島 恒雄 『魔女狩り (1970/02 岩波新書) ★★★★☆

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「教会史を勉強すると信仰心が揺らぐ」と言われる所以がここにあるという気がした。

魔女狩り.jpg 『魔女狩り』 岩波新書

 本書を読んで、「魔女裁判」は15世紀から17世紀に特に盛んに行われ、とりわけ1600年をピークとする1世紀が魔女狩りのピークだったことがわかり、ちょうどルネサンス時代と重なる、中世でも末期の方のことだったのだなあと再認識しました(もっと以前のことかと思っていた)。

200px-Malleus_1669.jpg 十字軍を契機に始まった「異端尋問」が「魔女裁判」に姿を変えていく過程が、文献などにより緻密に検証されており、カトリック法皇などの政治的意図の下に、ベルナール・ギー(映画『薔薇の名前』にも出てきた異端尋問官)の『魔女の鎚』などの書によって理論強化(無茶苦茶な理論だが)され、異端者の財産没収が経済的動機付けとなって(聖職者同士の争いまで生じたとのこと)、ヨーロッパ中で盛んに行われたわけです。

 科学史家の眼から、裁判の不合理性や拷問の残虐さが淡々と綴られていますが、刑罰史的に見ても貴重な資料が多く含まれていると思いました。
 『犯罪百科』のコリン・ウィルソンなども研究対象としているように、これは「教会の犯罪史」と言えるかもしれません。
 キリスト教に帰依しようとしつつあった知人の大学教授が、「宗教史(教会史)を勉強すると信仰心が揺らぐ」と言っていたのを思い出しました。

 結局、異端者として捕らえられた者は、自分が魔女であることを自白すれば絞首刑にされた上で死体を焼かれ、否認し続ければ生きながらにして焚刑に処せられる(これが捕らえられた者にとっていかに大きな恐怖であったことか)、しかも(存在するはずもない)共犯者の名を挙げない限り拷問は続くという、そのことによる新たな犠牲者の創出という悪循環が、教会の正義の名の下で続いたわけです。
                                                      『魔女の鎚』の表紙

 現代に置き換えれば、原理主義や“民衆の暴力”というものに対する批判の意味での読み方(自省も含めて)もできますが、最終章で紹介されている、裁判の後に長い年月を経て世に出た、処刑を控えた人(異端者には男性も含まれた)が家族などに宛てた手紙に見られる、その張り裂けんばかりの悲痛な心の叫びは、ただただ胸に迫ってくるばかりです。

投稿者 wadamy : 09:09

【220】 × 林田 慎之助 『「タオ=道」の思想 (2002/10 講談社現代新書) ★★

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わかりやすいが、入門書として良いかどうかは別問題。

「タオ=道」の思想.jpg 講談社現代新書   孔子・老子・釈迦「三聖会談」.jpg 諸橋轍次 『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』 講談社学術文庫

 中国文学者による「老子」の入門書で、その思想をわかりやすく紹介し、終章には「老子」の思想の影響を受けた、司馬遷や陶淵明ら中国史上の人物の紹介があります。

 「和光同塵」
 「功遂げ身退くは、天の道なり」
 「無用の用」
 「天網恢恢、疎にして漏らさず」
 などの多くの名句が丁寧に解説されていて、
 「大器は晩成す」
 という句が一般に用いられている意味ではなく、完成するような器は真の大器ではなく、ほとんど完成することがないからこそ大器なのだとする解釈などは、興味深かったです。

 ただし、「もし今日、老子がなお生きていたならば、いつもこの地球上のどこかでくり返し戦争を起こし、どこまで行きつくか知れない自然環境の破壊に手を貸している人智の愚かしさに、彼はいきどおっているにちがいない」という記述のように、著者の主観に引きつけて筆が走っている部分が多々見られます。
 「老子」が“老子”という人物1人で成ったものでないことは明らかだし、その“老子”という人物すら、実在したかどうか疑わしいというのが通説であるはずですが…。

 漢字学者・諸橋轍次氏の『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』('82年/講談社学術文庫)などもそうでしたが、文学系の人の「老子」本には、同じような「人格化」傾向が見られます(諸橋氏の場合はわざとですが)。
 
 英米文学者・加島祥造氏の『タオ―老子』('00年/筑摩書房)における「老子」の名訳(超“意訳”?)ぐらいに突き抜けてしまえばいいのかも知れませんが(「加島本」の“抽象”を自分はまだ理解できるレベルにないのですが)、本書も含め入門書として良いかというと別問題で、入門段階では「中国思想」の専門家の著作