2006年7月 Archives

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休刊最終号の1つ前の号。いろいろあったが「再々創刊」された!

「映画秘宝」2204.jpg 映画秘宝 2024年 03 月号.jpg 「ブリット」1968.jpg 「ブリット」10.jpg
映画秘宝 2022年4月号 [雑誌]』(双葉社)『映画秘宝 2024年3月号 [雑誌] 』(秘宝新社)「ブリット」スティーブ・マックイーン
 月刊「映画秘宝」が、約2年の休刊期間を経て昨年['23年]12月、新たに設立された「合同会社秘宝新社」が雑誌の権利を取得し、今年['24]年1月19日発売の3月号から、月刊誌として約2年ぶりに「再々創刊」されています。

映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界』['95年/洋泉社]『映画宝島 発進準備イチかバチか号』['90年/JICC出版局]
「映画秘宝」創刊.jpg「映画宝島」1990.jpg町山智浩.jpg 雑誌「映画秘宝」のあらましを辿ると、1995年に洋泉社で創刊、初代編集者は、今は映画評家として知られる町山智浩氏で、JICC(ジック)出版局(現・宝島社)に早稲田の学生バイトからそのまま入社した後に洋泉社に出向し、そこで「映画秘宝」の流れにつながる「映画宝島」('90年創刊)シリーズを企画しています。1996年に町山氏が退職し、田野辺尚人氏が2代目編集長として刊行を継続、田野辺氏は1993年に思潮社の編集者から洋泉社に転じた人です(このように洋泉社は宝島社との人的交流があったこともあり、1998年に宝島社の子会社となった)。

 「映画秘宝」は、当初「不定期刊」だったのが、1999年5月にA4版の「隔月刊」映画雑誌としてリニューアル、2009年から「月刊」化されています。2020年2月1日付で洋泉社が宝島社に吸収合併され解散するのに伴い、宝島社では継続発行せず、2020年3月号をもって休刊となり、その後、休刊時の編集長だった岩田和明氏が新たに発足させた「合同会社オフィス秘宝」が「映画秘宝」の商標権を取得、岩田氏が編集長として同社による編集、双葉社が発行する形で同年4月発売の6月号より復刊、ただし、それも、岩田氏の「恫喝DM問題」などを経て、2022年3月発売の5月号で、双葉社の刊行物としては休刊しています(休刊時の「合同会社オフィス秘宝」代表は田野辺氏、相談役は町山氏)。

「映画秘宝」2204.jpg「映画秘宝」22042.jpg 本誌2022年4月号は、その双葉社刊の最終号の1つ前の号となり、(表紙は'22年公開の「THE BATMAN-ザ・バットマン-」だが)特集名「映画猛者101人が選ぶ、2022年オールタイム映画ベストテン!」として、巻頭に町山智浩氏と平山夢明氏の「映画秘宝オールタイム・ベストテンを語る」という対談があり、メインで「深堀り!マイ・ベスト・オールターム映画」という特集を組んでいます。ここでは、「モダン・アメリカン・カルト映画マイ・ベスト」「日本のカルト映画マイベスト」「ヨーロッパのカルト映画ベストテン」といった感じで30ジャンルに渡って、それぞれのジャンルにこだわりを持つ評論家や識者などが選評しています。いきなりカルト映画がきて、その後に西部劇とか時代劇とやくざ映画とかがくるのが、この雑誌らしいかもしれません。


「ブリット」映画秘宝.jpg「ブリット」00.jpg 「モダン・アメリカン・カルト映画マイ・ベスト」で「パルプフィクション」などをベスト10に挙げていた町山智浩氏が、「カーチェイス映画オールタイムベスト10」で、ピーター・イェーツ監督の「ブリット」('68年)を挙げています。

「ブリット」040.jpg「ブリット」01.jpg サンフランシスコ市警察本部捜査課のブリット警部補(スティーブ・マックイーン)は、チャルマース上院議員(ロバート・ヴォーン)から裁判の重要証言者の保護を命じられる。その証言者とは、ジョー・ロスというマフィア組員。ロスは組の金を横領し、ヒットマンから狙われたために、司法取引によってマフィアを潰す証人となることで身の安全を図ったのだ。しかし、証人は何者かに、殺されもう一人の刑事も重傷を負ってしまう。ブリットは、証人が生きている、という偽の情報を流し、殺し屋を誘き寄せる作戦に出るが―。

 「ブリット」は、スティーブ・マックイーンが1968年式フォードムスタング・マッハワンで殺し屋の車を追ってサンフランシスコの旧坂を爆走して、ハリウッド映画にカーチェイス革命を起こしたとしています。この映画はジャクリーン・ビセットなども出てたりしますが、プロット的にも良かったのではないでしょうか。個人的にはカーチェイスは確かにすごいですが、改めて観ると、アクションだけの映画でなかったことに気づかされます(カーチェイスは「当時としては」革命的だったということだろう)。

「バニシングポイント」2.jpg それと、町山氏は「バニシング・ポイント」('71[「バニシングポイント」.jpg年)も挙げていますが、こちらの方がクルマ主体かも。1971年製「白」のダッチ・チャージャー(「ブリット」でカーチェイスの相手となった悪役がこれの1968年式「黒」に乗っていた)を陸送でコロラドからサンフランシスコに出来るだけ早く届ける賭けをした元レーサーのコワルスキー(ハリー・ニューマン)の話で、町山氏は「哲学映画」としています。個人的にはずっと観れないでいたのが、昨年['23年]4Kデジタルリマスター版を劇場で見ることが出来ました。
  
 「日本の怪獣映画のベストテン」で切通理作氏(1964年生まれ)が、「ゴジラ」('54年)を第5位とし、その上に第4位で「モスラ」('61年)がきていて、さらに上に第2位で「モスラ対ゴジラ」('61年)がきているというのが分かる気がしました(「ゴジラ」の5位は、白黒作品のため70年代にあまりテレビ放映されず、やっと観たのが小学4年だったことに起因すると)。一方、「ゴジラ対へドラ」('71年)を第6位にしていますが、小2の時初めて観たゴジラ映画がこの作品だったとのこと。幼少期にリアルタイムで観たものの方が相対的に記憶に残るというのはあるなあと思いました。


「ブリット」000.jpg「ブリット」●原題:BULLITT●制作年: 1968年●制作国:アメリカ●監督:ピーター・イェーツ●製作:フィリップ・ダントーニ●脚本:アラン・R・トラストマン/ハリー・クライナー●撮影:ウィリアム・A・フレイカー●音楽:ラロ・シフリン●原作:ロバート・L・フィッシュ●時間:113分●出演:スティーブ・マックイー「ブリット」ビセット.jpg「ブリット」rd.jpgン/ジャクリーン・ビセット/ロバート・ヴォーン/ドン・ゴード/ロバート・デュヴァル/サイモン・オークランド/ノーマン・フェル/ジョーグ・スタンフォード・ブラウン●日本公開:1968/12●配給:ワーナー・ブラザース=セヴン・アーツ●最初に観た場所:池袋・文芸坐(80-07-16)●2回目:Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下(23-10-02)(評価:★★★★)●併映:1回目「華麗なる賭け」(ノーマン・ジュイソン)
ワーナー・ブラザース創立100周年記念上映"35ミリで蘇る ワーナーフィルムコレクション"selected by ル・シネマ
ワーナーフィルムコレクション.jpg

「バニシング・ポイント」00.jpg
「バニシング・ポイント」●原題:VANISHING POINT●制作年:1971年●制作国:アメリカ●「バニシング・ポイント」シネマート.png監督:リチャード・C・サラフィアン●製作:ノーマン・スペンサー●脚本:ギレルモ・ケイン(ギリェルモ・カブレラ=インファンテ)●撮影:ジョン・A・アロンゾ●時間:105分●出演:バリー・ニューマン/クリーヴォン・リトル/リー・ウィーバー/カール・スウェンソン/ディーン・ジャガー/スティーブン・ダーデン/ポール・コスロ/ボブ・ドナー/ティモシー・スコット/ギルダ・テクスター/アンソニー・ジェームズ/アーサー・マレット/ビクトリア・メドリン/シャーロット・ランプリング(イギリス公開版のみ)●日本公開:1971/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:シネマート新宿(スクリーン1)(23-04-04)((評価:★★★★)

シネマート新宿


ゴジラ ポスター.jpgゴジラ.jpg「ゴジラ」●制作年:1954年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本:村田武雄/本多猪四郎●撮影:玉井正夫●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二ほか●原作:香山滋●時間:97分●出演:宝田明/河内桃子/平田昭彦/志村喬/堺左千夫/村上冬樹/山本廉/榊田敬二/鈴木豊明 /馬野都留子/菅井きん/笈川武夫/林幹/恩田清二郎/高堂国典/小川虎之助/手塚克巳/橘正晃/帯一郎/中島春雄/川合玉江/東静子/岡部正/鴨田清/今泉康/橘正晃/帯一郎●公開:1954/11●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿名画座ミラノ (83-08-06)(評価:★★★☆)●併映:「怪獣大戦争」(本多猪四郎)

「モスラ.jpgモスラ.jpg「モスラ」●制作年:1961年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:古関裕而●特殊技術:円谷英二●イメージボード:小松崎茂●原作:中村真一郎/福永武彦/堀田善衛「発光妖精とモスラ」●時間:101分●出演:フランキー堺/小泉博/香川京子/ジェリー伊藤/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/上原謙/志村喬/平田昭彦/佐原健二/河津清三郎/小杉義男/高木弘/田島義文/山本廉/加藤春哉/三島耕/中村哲/広瀬正一/桜井巨郎/堤康久●公開:1961/07●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿シアターアプル (83-09-04)(評価:★★★☆)●併映:「三大怪獣 地球最大の決戦」(本多猪四郎)   

モスラ対ゴジラ.jpgモスラ対ゴジラ1964.jpg「モスラ対ゴジラ」●制作年:1964年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:89分●出演:宝田明/星由里子/小泉博>/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/藤木悠/田島義文/佐原健二/谷晃/木村千吉/中山豊/田武謙三/藤田進/八代美紀/小杉義男/田崎潤/沢村いき雄/佐田豊/山本廉/佐田豊/野村浩三/堤康久/津田光男/大友伸/大村千吉/岩本弘司/丘照美/大前亘●公開:1964/04●配給:東宝(評価:★★★☆)

「へドラ.jpg「ゴジラ対ヘドラ」1971p.jpg「ゴジラ対ヘドラ」●制作年:1971年●監督:坂野義光(水中撮影も兼任)●製作:田中友幸●脚本:馬淵薫/坂野義光●撮影:真野田陽一●音楽:眞鍋理一郎(主題歌:「かえせ! 太陽を」麻里圭子 with ハニー・ナイツ&ムーンドロップス)●特殊技術:中野昭慶●美術:井上泰幸(1922-2012)●時間:85分●出演:山内明/柴本俊夫(柴俊夫)/川瀬裕之/麻里圭子/木村俊恵/吉田義夫/中山剣吾(ヘドラ)/中島春雄/●公開:1971/07●配給:東宝●最初に観た場所(再見):神保町シアター(22-08-18)(評価:★★★☆)

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双葉社刊最終号。「ベスト映画」より「サイテー映画」特集の方が面白さで言えば面白い?

「映画秘宝」2205.jpg   東京暮色  1957.jpg 「ヨーロッパの解放 1970.jpg 「1941.jpg
東京暮色 デジタル修復版 [DVD]」「ヨーロッパの解放 HDマスター 1 <クルスク大戦車戦>(通常仕様) [DVD]」「1941 [DVD]
映画秘宝 2022年5月号 [雑誌]
映画秘宝 2205.jpg 双葉社刊の月刊「映画秘宝」の最終号です。このあと約2年の休刊期間を経て昨年['23年]12月、新たに設立された「合同会社秘宝新社」が雑誌の権利を取得し、今年['24]年1月19日発売の3月号から、月刊誌として約2年ぶりに「再々創刊」されていることは、これまでのこの雑誌の経緯と併せ、前エントリーに書きました。

 最終号が「サイテー映画」特集となるところがこの雑誌らしいです。因みに、1つ前の4月号が「映画猛者101人が選ぶ、2022年オールタイム映画ベストテン!」という特集なのですが、この「サイテー映画特集」でも「新世紀アメリカ・サイテー映画10傑」とか「日本のサイテー映画」といったジャンル別ランキング方式をとっていて、20以上の分野ごとのラインアップを、その分野にこだわりを持つ評論家が挙げており、思いもかけない映画が出てくるあたりは、こちらの方が、役に立つかどうかはともかく(笑)、面白さで言えば面白いかもしれません。
 
東京暮色157a.jpg10『東京暮色』.jpg 因みに、「日本のサイテー映画」(浦山珠夫)には、小津安二郎の「東京暮色」('57年/松竹)が入っていたりしますが、選者の浦山氏は、「サイテー映画の後始末」という視点で、「期待を裏切られてガッカリしたけど、改めて見るとなかなか」という映画を選んだとしています。「東京暮色」についても、主人公が鉄道自殺する、このやりきれなさが味わいなのだが、当時の評価では、「大人はわかってくれない」といった普遍的テーマを小津が扱ったことへの観客の違和感が、「失敗作」のレッテルにつながったとしています。個人的には小津は、キネ旬のランキングなんか気にせず(この映画は1957年度「キネマ旬報ベストテン」で第19位だったが、笠智衆によれば、小津安二郎自身がそのことを自虐を込めて語っていたようだ)、もっとこういう映画を撮って欲しかったです。評価は○
 
「ヨーロッパの解放.jpg「ヨーロッパの解放」2.jpg 「サイテー戦争映画」(大久保義信)では、4作挙げられているうちの1つが「ヨーロッパの解放」('70年~'71年)であり、これは全5部計468分の大作(7時間48分。観ていて、終いには、どれが何の戦いなのかわからなくなってくる(笑))。第1部は、史上最大の作戦と言われる1943年夏のロシア西部要衝クルクスの戦いがメイン、第2部はハリコフ奪回からドニエプル河渡河そしてウクライナ"解放"へ、第3部は1944年のベラルーシ"解放"戦。第4部はポーランドやチェコスロバキアの"解放"戦、第5部はベルリン戦から終戦へ―大久保氏に言わせると、これらが「史実の歪曲や無視、曲解のオンパレードで描かれる『これそ国策映画』」で、「これじゃ『ヨーロッパの侵略』だろう」としています(なるほど、ソ連の頃からロシアは変わっていない)。ただし、個人的には、初めて観た時はついていくのが精いっぱいで、あまりそこまで考えませでした。評価は△
 
「1941」.jpg「1941」3.jpg 「スティーブン・スピルバーグのダメ映画5選」(尾崎一男)で1位は「フック」('91年)、2位は「1941」('79年)になっています。選者の尾崎氏は、「1941」が駄作の筆頭のイメージがあるが、精緻なサンタモニカ公園のミニチュアや、それを攻撃する「1941」三船.jpg日本軍の奇襲攻撃シーンなどに見るべきところは多く、年を経るにつれてカルト的な評価を得て悪評も薄らいだ感があるとしています。ただし、本分であるコメディ演出は笑えないともしていて(三船敏郎はなぜこんな映画に出てしまったのか)、こちらは個人的には、世間評と同じくスピルバーグの一番の駄作であるように思われ、初めて観た時から評価は×

 「サイテー映画」とされていても、個人的な評価が必ずしも一致しないのは当然なことだし、カルト的人気で評価を挽回しているものもかなり含まれているように思いました。こうした特集にさえ取り上げられない「箸にも棒にも掛からない」映画もたくさんあるわけで、こうした特集に取り上げられるということは、それだけ観た人にインパクトを残したという面もあるように思います。


東京暮色 有馬稲子 .jpg東京暮色_640.jpg「東京暮色」●制作年:1954年●監督:小津安二郎●製作:山内静夫●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:140分●出演:原節子/有馬稲子/笠智衆/山田五十鈴/高橋貞二/田浦正巳/杉村春子/山村聰/信欣三/藤原釜足/中村伸郎/宮口精二/須賀不二夫/浦辺粂子/三好栄子/田中春男/山本和子/長岡輝子/櫻むつ子/増田順二/長谷部朋香/森教子/菅原通済(特別出演)/石山龍児●公開:1957/04●配給:松竹●最初に観た場所(再見):(18-06-28)((評価:★★★★)

「ヨーロッパの解放」03.jpg「ヨーロッパの解放(全5部)」●原題:ОСВОЬОЖЛЕНИЕ(OSVOBODZHDENIE)●制作年:1970-71年●制作国:ソ連●監督:ユーリー・オーゼロフ●製作:エマ・トーマス/チャールズ・ローヴェン/クリストファー・ノーラン●脚本:ユーリー・オーゼロフ/ユーリー・ボンダリョフ/オスカル・クルガーノフ●撮影: イーゴリ・スラブネヴィッチ●時間:468分●出演:ニコライ・オリャーリン/ラリーサ・ゴルーブキナ「ヨーロッパの解放」3.jpg/ミハイル・ウリヤーノフ/イヴォ・ガラーニ/フリッツ・ディッツ/スタニスラフ・ヤスケヴィッチ/ブフティ・ザカリアーゼ●日本公開:(第1部・第2部)1970/07/(第3部)1971/07/(第4部・第5部)1972/08●配給:松竹映配●最初に観た場所:三鷹オスカー(83-12-11)((評価:★★★)

「1941」2.jpg「1941」●原題:1941●制作年: 1979年●制作国:アメリカ●監督:スティーヴン・スピルバーグ●製作: バズ・フェイトシャンズ●脚本:ロバート・ゼメキス/ボブ・ゲイル●音楽:ジョン・ウィリアムズ●時間:118分●出演:ジョン・ベルーシ/ネッド・ビーティ/ダン・エイクロイド/ロレイン・ゲイリー/マーレイ・ハミルトン/クリストファー・リー/ティム・マシスン/三船敏郎/ウォーレン・オーツ/ナンシー・アレン/ジョン・キャンディ/エリシャ・クック/ジェームズ・カーン(クレジットなし)●日本公開:1980/03●配給:コロンビア ピクチャーズ●最初に観た場所:飯田橋・佳作座(80-07-08)(評価:★★)●併映:「ローラー・ブギ」(マーク・L・レスター)

《読書MEMO》
●1957年度キネマ旬報ベストテン
1.米
2.純愛物語
3.喜びも悲しみも幾年月
4.幕末太陽傳
4.蜘蛛巣城
6.気違い部落
7.どたんば
8.爆音と大地
9.異母兄弟
10.どん底
11.地上
12.あらくれ
13.雪国
14.南極大陸
15.メソポタミア
16.世界は恐怖する
17.風前の灯
18.大阪物語
19.東京暮色
20.正義派
20.くちづけ
22.満員電車
23.黄色いからす
24.殺したのは誰だ
25.糞尿譚
26.女体は哀しく
27.挽歌
27.倖せは俺等のねがい
27.土砂降り
30.明治天皇と日露大戦争

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各エピソードが丁寧に描かれていた。どこまでが「看取り」でどこからが「介護」か。でも、応援のつもりで◎。
「みとりし」2019.jpg 『私は、看取り士。』.jpg
私は、看取り士。わがままな最期を支えます』['18年/佼成出版社]
「みとりし」['19年] 出演:榎木孝明/村上穂乃佳/高崎翔太

「みとりし」01.jpg
つみきみほ/宇梶剛士
「みとりし」001.jpg 交通事故で娘を亡くした定年間際のビジネスマン・柴久生(榎木孝明)。家族ともバラバラになり、喪失感から自殺を図ろうとした彼の耳に聞こえた「生きろ」の声。それは切磋琢磨して一緒に仕事に励んだ友人・川島(宇梶剛士)の最期の声だったと、彼の"看取り士"だったという女性(つみきみほ)から聞かされる。看取り士という職業に興味を持った柴は彼女に訊ね、「医者から余命告知を受けた人が最期をできるだけ安らかに旅立つことが出来るよう手伝いすること」が看取り士の仕事だと知る。5年後、早期退職後セカンドライフの仕事として看取り士を選んだ柴の姿が、岡山県高梁市にあった。地元の唯一の診療所の清原医師(斉藤暁)と連携しながら、小さな看取りステーション「あかね雲」でボランティアスタッフたちと最期の時を迎える患者たちを支えている。そんなある日、新任の医者・早川奏太(高崎翔太)、23才の新人看取り士・高村みのり (村上穂乃佳)が着任してくる。みのりは、9歳の時に母を亡くしたという経験からこの職業を選ぶが、経験が浅く、緊張しながら最初の患者を柴と共に担当する。最初の患者は、「もう病院に戻りたくない」という希望を持つ83才の清水キヨ(大方緋紗「みとりし」02.jpg子)。息子 の洋一(仁科貴)は、嫁・千春(みかん)が義母の面倒を見ないということで、柴たちへ依頼をしてきた。日々弱っていくキヨに寄り添う洋一、そして柴とみのり。キヨの最期、柴は洋一を促し母の背中を支えさせるが、みのりは見守ることしかできなかった。みのりは、腎機能が低下して別の病院に転院しなければならないという東條勝治(石濱朗)を初めて一人で担当すること になる。息子は東京で仕事をしているので看護できないが、勝治は「家に帰りたい」と訴えていた。みのりは懸命にケアをし、心を通い合わせるが、ある日クスリの量を間違え、勝治は不眠でベッドから落ちる。自信喪失のみのりに、柴は「ただ黙って聞いて。そして優しく触れて気持ちを受け止めるんだよ」とアドバイスをする。勝治の最期、東京から駆けつけた 息子は「父さんの子供で良かったと思ってるよ」と父に語り掛ける。みのりが初めて看取り士として命のバトンを渡せた瞬間でもあった。乳がんの再発と肺への転移で清原病院に入院している山本良子(櫻井淳子)は、3人の子を持つ母親である。余命いくばく ない彼女の希望もやはり、自宅に帰ることだった。夫・幸平(藤重正孝)は、子3人の面倒を見ながら、妻・良子を献身的に看護していたが、子育てと看護の大変さから柴たちへ相談をしてきた。柴の指導の元、みのりが山本家の母親の最期と向き合う日々が始まる―。

「みとりし」03.jpg 白羽弥仁(しらは みつひと)監督による2019年9月13日公開作で、「おくりびと」('08年)のようなブームになってもおかしくない作品ですが、閉館前の有楽町スバル座(2019年10月20閉館)でのロード公開の後、不運にも間もなくコロナ禍となり、広がりをみせないままになってしまった作品です。最近は関係者の努力により、地域の看取り師などと連携して市区町村での上映会を繰り返しているようで、個人的にも区の施設での上映会で観ました。

「みとりし」エノキ.jpg 柴田久美子・日本看取り士会会長の著書『私は、看取り士』(佼成出版社)がベースとなっており、かねてより柴田氏と親交のあった俳優の榎木孝明が(二人は十数年前に島根県の離島であり、柴田氏が「看取りの家」を開設した隠岐諸島・知夫里島で邂逅したそうだ)、柴田氏のガン告知を受け、彼女の27年間の看取り士としての集大成をしようと決意したことが映画製作のきっかけだとのこと(従って榎木孝明は企画段階から本作に参加してている)。

 柴田久美子の直接的なモデルはつみきみほ演じる看取り士と思われますが、榎木孝明が演じる主人公の柴久生という名前から柴田久美子が反映されていることが窺えます(さらに、主人公はラストでがん告知を受けたことが示唆されている)。

 「入退院を繰り返しててきた老母」「孤独死した老人男性」「人工透析をやめ自宅に戻った父親」「若くして乳がんとなった3人の子を持つ母」の4つのエピソードの1つ1つが丁寧に描かれ、それらの看取り経験を通して新人看取り士のみのりや新任医師の奏太が成長していくのがいいです。

 4つのケースは、当人が病院で死ぬより自宅で死にたいと思っている点で共通しており、実際、病院にいた時より自宅に戻った時の方が元気に。家族と一緒にいられればなおさらのことで、2番目のケースだけ孤独死なのでそうではなかったですが、それ以外のケースでの別れの会話「お母ちゃんありがとう」「お父さんの子供でよかった」「ママ起きて」といった言葉には泣かさます(2番目のような悲惨なケースも敢えて描いているのも意義があると思う)。

「みとりし」04.jpg 主演の1人、村上穂乃佳はオーディション選考1200人の中から選ばれたそうですが、良かったと思うし(その後、奥田裕介監督の「誰かの花」('21年)でも主役の介護ヘルパー役を務めることに。この作品もミニシアター系でしか上映されなかった)、つみきみほ、宇梶剛士などのちらっとしか出てこない俳優の演技もしっかりしていました。劇場で上映しないのかなあ。

 因みに、「看取り士」の仕事は、具体的には、どこでどのように最期を迎えるのか、葬儀や墓のことなど、本人の相談に応じ、医療保険、介護保険などの社会資源を充分に使えるようサポートするのが役割で、それに対し「看取り」とは、具体的に死が避けられない状況の人に対し、最期を迎えるそのときまで、食事や排せつの介護といった日常生活のケアをすることで、点滴を打つような医療行為や治療による延命は含まれないものの、「介護」は入ってくるようです(この映画では「本来の意味での看取り士は介護はしない」との前置きのもと、描き方としては「看取り士」に一部「介護」を含め、広く「看取り」の役割を負わせていたように思います。

 であるので、どこまでが「看取り」でどこからが「介護」かわかりづらいという問題は孕んでいますが、応援するつもりで◎評価にしました。

「みとりし」009.jpg「みとりし」19.jpg「みとりし」●制作年:2019年●監督・脚本:白羽弥仁●製作:高瀬博行/柴田久美子(企画)/榎木孝明(企画)/嶋田豪(企画)●撮影:藍河兼一●音楽:妹尾武●原案:柴田久美子『私は、看取り士』●時間:110分●出演:榎木孝明/村上穂乃佳/高崎翔太/斉藤暁/つみきみほ/宇梶剛士/杉本有美/松永渚/大地泰仁/白石糸/大方斐紗子/仁科貴/みかん/堀田眞三/片桐夕子/石濱朗/西澤仁太/金山一彦/藤重政孝/櫻井淳子●公開:2019/09●配給:アイエス・フィールド●最初に観た場所:サンパール荒川(23-11-23)(評価:★★★★☆)

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「格差の最も無い国」にある"格差"。競争社会の外にいる人々への暖かい視線。

「枯れ葉」2023.jpg「枯れ葉」03.jpg 「枯れ葉」01.jpg
「枯れ葉」アルマ・ポウスティ/ユッシ・バタネン
「枯れ葉」04.jpg アンサ(アルマ・ポウスティ)はヘルシンキのスーパーマーケットで働く独身女性、ホラッパ(ユッシ・バタネン)は酒に溺れながらも、どうにか産廃工事で働いている独身男性。ある夜、アンサは友人のリーサ(ヌップ・コイブ)とカラオケバーへ行き、そこへ同僚のフオタリ(ヤンネ・フーティアイネン)に誘われたホラッパがとやって来る。フオタリがリーサを口説こうとする中、アンサとホラッパは、互いの名前も知らぬまま惹かれ合う。アンサは、スーパーの廃棄食品を持ち帰ろうとしたとして事前通告無しで馘を言い渡され、上司の理不尽な通告に怒り、リーサと共にスーパーを辞める。アンサはパブの皿洗いの仕事に就くが、給料日にオーナーが麻薬の密売で警察に捕まってしまう。「枯れ葉」06.jpg偶然そこにホラッパがやってきて、カフェでコーヒーを飲み、その後2人は映画館に行くことに。映画館でゾンビ映画を観て、帰り際ホラッパは「また会いたい」と言う。名前は今度教えると言い、アンサは電話番号をメモした紙をホラッパに渡して頬にキスをするが、ホラッパはそのメモを失くしてしまう。ホラッパは帰ってからメモが無いことに気づくが、探そうにも名前も分からず途方に暮れる。その上飲酒がバレて仕事もクビに「枯れ葉」05.jpgなってしまう。同僚のフタリオに「再会して結婚しかけた」と話すが、連絡しようにも彼女の連絡先を知らないことを言い嘆く。一方アンサも、ホラッパから電話がないことにヤキモキする。しかし2人は偶然映画館の前で再会し、アンサはホラッパをディナーに招待する。穏やかに食事をしていたが、隠れて酒を飲むホラッパに対し、アンサは「アル中はご免よ」と言い、父と兄がお酒によって死に、母はそれを嘆いて死んだと話す。するとホラッパは「指図されるのはご免だ」と言って出ていく。不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける中、果たして2人は、無事に再会を果たし、想いを通い合わせることができるのか―。

アキ・カウリスマキ監督の『Fallen Leaves』がカンヌ審査員賞を受賞 - Nord News
「枯れ葉」がカンヌ審査員賞.jpg アキ・カウリスマキ監督が「希望のかなた」(2017)で監督引退宣言してから6年経を経て、引退を撤回して撮ったラブストーリーで、2023年・第76回「カンヌ国際映画祭」で「審査員賞」を受賞し(受賞ニュースが伝えられた時の邦訳は原題直訳の「落ち葉」だったが、音楽にシャンソンの名曲「枯葉」が使われているため、このタイトルになったと思われる)、「タイム」誌はこの映画が「静かな傑作」であり、カウリスマキの最高傑作かもしれないと評しています。労働三部作「パラダイスの夕暮れ」(2002)、「真夜中の虹」(1990)、「マッチ工場の少女」(1991)に続く4作目として、厳しい現実を描きながらも、ささやかな幸せを信じ生きる人々を優しく描いています。

 フィンランドは「世界の幸福度ランキング」で2022年・2023年と連続して第1位で、「最も格差の少ない国」とされていますが、そうした国フィンランドを舞台に、実在する"格差社会"の底辺にいる人々を描き続けているのが特徴的です(アキ・カウリスマキ監督自身もサンドブラスト、製紙工場、病院の清掃業などで働いていた経歴を持つ)。この映画のアンサも、最後は女性でありながら工場で働く肉体労働者となり、ホラッパに至っては鋳造所で働くようになったものの、アル中がたたって住むところすら無くなり、安ホステルで寝泊まりするようになります(しかし、タルデンヌ兄弟や是枝裕和ではないが、こうした"格差社会"ものはカンヌで強いね)。

 かつてアキ・カウリスマキ監督は、小津安二郎監督生誕90年(没後30年)を記念して世界中の映画作家が小津安二郎を語った「小津と語る」(1993)の中で、「あなたのレベルに到達できないことを納得するまでは、死んでも死にきれません」という言葉を残していますが、この映画にも小津の影響が見られるのでしょうか。無表情と棒読みのセリフは、役者に「演技をさせない」という意味で、日本の濱口竜介監督の作品などにも通じるものがあるように思いました。

「枯れ葉」07.jpg アンサもホラッパも厳しい現実の中にいますが、それぞれに自分のことを気にかけてくれる同僚(二人とも解雇されるので"元同僚"になるが)の友人がいるのが救いでした(最後の方でホラッパが入院する病院の看護師も優しかった)。アキ・カウリスマキ監督の、競争社会ではない、普通の社会(競争社会の外)に生きる人々への温かい視線を感じます。

「枯れ葉」poster.jpg 映画館にはブリジット・バルドーの映画ポスターがあったり、アラン・ドロンの「若者のすべて」(1960)やジャン=ポール・ベルモンドの「気狂いピエロ」(1965)などポスターもあったりして(ロベール・ブレッソン監督の「ラルジャン」(1983)[左]もあった)、そのほかの場面でも背景に映画やレビューのポスターを映り込ませており、この辺りも小津が古い作品でよくやったことであり、小津作品へのオマージュでしょうか。

 2人がデートで観たゾンビ映画は、アキ・カウリスマキ監督と親交のあるジャームッシュ監督の「デッド・ドント・ダイ」(2019)。観終わって映画館を真っ先に出てきたシネフィルと思われる中年男たちが、(ゾンビ映画だったのに)この映画はロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」(1950)に似ている、いやジャン=リュック・ゴダールの「はなればなれに」(1964)だ、と激論を交わす姿が笑いを誘います(この後、アンサとホラッパの2人は本当の離れ離れになってしまう。この映画は「悲喜劇」だとされているようだ)。

「枯れ葉」アルマ・ポウスティ.jpg また、主演のアルマ・ポウスティは、来日時のインタビューで「この映画は荷物を抱えた孤独な人々が人生の後半で出会う物語だ。人生の後半で恋に落ちるのは勇気がいる」と説明しています。演出はフリーではなく考え抜かれており、「とにかくセリフを覚えてこい。でも練習するな」と指示されるそう。またほとんどのシーンがワンテイクで撮影されているため、ポウスティは「俳優としては怖い」と吐露。さらにカウリスマキが現場でモニタを使わないことにも触れ、「一度カメラをのぞいて照明や小道具の位置を自分でチェックしたら、カメラの横に座ってワンテイクで撮る。あとからモニタはチェックしない。何が撮れているのかわかっているからです」と説明しています。
アルマ・ポウスティ

「枯れ葉」band.jpg ヘルシンキ在住のアンナ&カイサ・カルヤライネン姉妹によるバンド「MAUSTETYTÖT(マウステテュトット)」も出演し、劇中歌として「Syntynyt suruun ja puettu pettymyksin(悲しみに生まれ、失望を身にまとう)」という歌が歌われていますが、無口な主人公の気持ちを代弁しているような歌で、こうした地元のミュージシャンの劇中での起用は「ルアーヴルの靴みがき」(2011)でもやっていました。

「枯れ葉」dog.jpg 「ルアーヴルの靴みがき」では、カウリスマキ監督の愛犬〈ライカ〉が登場し、カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる賞「パルム・ドッグ賞」の「審査員特別賞」を受賞していますが、この作品でも、〈アルマ〉という犬が、アンサが殺処分されそうだったのを拾ってやった犬として登場し、ちゃんと演技していて(笑)、「パルム・ドッグ賞」の「審査員大賞」を受賞しています。アンサが犬に付けた名前はチャップリン。ラストでアンサがホラッパと画面の奥へ歩いて行くシーンは、「モダン・タイムス」(1936)へのオマージュになっていました(こちらは「男女」+「犬」だったけれど)。

 因みに、映画の時代設定は不明確であり、映画の中に映っている壁掛けカレンダーは、まだ来ていない2024年秋を示している一方、ラジオでナレーションされているニュースは2022年のロシアのウクライナ侵攻の初期の出来事であって、そのため、別の現実が舞台になっているとも言われているようです(メタ―バース流行り?)。

「枯れ葉」d2.jpg「枯れ葉」02.jpg「枯れ葉」●原題:KUOLLEET LEHDET(英:FALLEN LEAVES)●制作年:2023年●制作国:フィンランド・ドイツ●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:ミーシャ・ヤーリ/アキ・カウリスマキ/マーク・ルオフ/アルマ(犬)●撮影:ティモ・サルミネン●時間:81分●出演:アルマ・ポウスティ/ユッシ・バタネン/ヤンネ・フーティアイネン/ヌップ・コイブ/マッティ・オンニスマー●日本公開:2023/12●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(スクリーン1)(24-01-24)(評価:★★★★☆)

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長さを感じさせなかった。「グッドフェローズ」に通じる娯楽性。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」2023.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」01.jpg
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」リリー・グラッドストーン/レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」02オセージ.jpg 20世紀初頭のアメリカ。先住民のオセージ族は石油を発見し、莫大な富を手に入れていた。一方、列車で彼らの土地にやってきた白人たちは、富を奪おうとオセージ族を巧妙に操り、殺人に手を染める―。第一次世界「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」03.jpg大戦の帰還兵アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、地元の有力者である叔父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってオクラホマへ移り住む。そして、先住民族オセージ族の女性モリー・カイル(リリー・グラッドストーン)と恋に落ち夫婦となるが、2人の周囲で不可解な連続殺人事件が起き始める。町が混乱と暴力に包まれる中、ワシントンD.C.から派遣された捜査官が調査に乗り出すが、この事件の裏には驚愕の真実が隠されていた―。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」原作.jpg マーティン・スコセッシ監督の2023年作で、原題は"Killers of the Flower Moon"。主演はレオナルド・ディカプリオで、共演はロバート・デ・ニーロ、ジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンら。デイヴィッド・グランによるノンフィクション・ノベル『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を映画化したサスペンスです。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」04.jpg タイトルの由来は、4月に咲いた小さな花が5月に生えてきた大きな草や花によって駆逐されてしまうので、オセージ族は5月を「フラワー・キ「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」05.jpgラー・ムーン(花殺し月)」と呼ぶことから。比喩的には、先住インディオが「4月に咲いた小さな花」で、後からやってきた白人が、それらを"駆除"する「5月に生えてきた大きな草や花」ということなのでしょう。

レオナルド・ディカプリオ(アーネスト・バークハート)/ジェシー・プレモンス(トム・ホワイト捜査官)

 マーティン・スコセッシ監督はレオナルド・ディカプリオと6回目のコンビ、ロバート・デ・ニーロとは10回目のコンビですが、この3者のタッグは初。ディカプリオは当初、原作の主人公である司法省捜査局(後のFBI)のトム・ホワイト捜査官役の予定でしたが、デ・ニーロ演じる敵役ヘイルの甥アーネスト・バークハート役を熱望したため、彼がアーネストを演じることになり、トム・ホワイト捜査官役はジェシー・プレモンスになったようです(その結果、2年間かけて書かれた脚本が大幅変更となった)。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」デ・ニーロ.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」ディカプリオ.jpg ディカプリオとデ・ニーロの競演が楽しいし、ストーリーも面白いので、3時間半近い上映時間があまり長く感じられませんでした。主人公のアーネストは、妻モリーを愛しながらもヘイルの企みに協力することになり、事件の真相が明るみになった際もヘイルを守る動きを見せるが、自身の子リトル・アナの死を受け真相を告白する―。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」11.jpg 米国史の暗部を抉るだけでなく、エンタテインメントとしても人間ドラマとしても良くできており、マーティン・スコセッシ監督のいまだ衰えぬ力量を感じました。 デ・ニーロが演じる叔父の"キング"が、表向きオーセージ族の理解者・支援者であるに反して、実は本性は怖い男であるという構図は、(娯楽性という面で)早稲田松竹で同時期に同じく1本立て上映された「グッドフェローズ」('90年)に通じるものがあるように思いました。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」06.jpg

 因みに、実際には悪いのは一部の白人だけではなく、石油によって大きな富がオーセージ族に生れたために、多くの白人がその人頭権、ロイヤルティ、土地を奪おうとして画策し、60人の部族員が殺されたと推計されているそうです。FBIは、オーセージ族の女性を妻にした(映画におけるアーネストのような)白人男性数人が、部族員の殺害を命じた首謀者であると見做して捜査・起訴したようで、他にも無節操な白人が彼らの権利を騙し取ったりして、ある場合では、オーセージ族に対する「保護者」として裁判所から指名された弁護士や事業家がその実行者だったりしたそうです(告発され有罪になったのは3名のみだそうで、それにキングとアーネストのモデルが含まれるということか。映画では、キングとアーネストはともに終身刑となるも早期仮釈放となったことが、ラジオのショー番組の形でに示されていた)。まさに米国の暗黒史!

2023年5月、第76回「カンヌ国際映画祭」アウト・オブ・コンペティション部門プレミア上映
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」12.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」●原題:KILLERS OF THE FLOWER MOON●制作年:2023年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:ダン・フリードキン/マーティン・スコセッシ/ブラッドリー・トーマス/ダニエル・ルピ●脚本:エリック・ロス/マーティン・スコセッシ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:ロビー・ロバートソン●原作:デイヴィッド・グラン『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』●時間:206分●出演:レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ/リリー・グラッドストーン/ジェシー・プレモンス/ブレンダン・フレイザー/タントゥー・カーディナル/モリソン - ルイス・キャンセルミ/ジェイソン・イズベル/カーラ・ジェイド・メイヤーズ/ジャネー・コリンズ/ジリアン・ディオン/ウィリアム・ベロー/スタージル・シンプソン/タタンカ・ミーンズ/マイケル・アボット・Jr/パット・ヒーリー/ スコット・シェパード/ゲイリー・バサラバ/スティーヴ・イースティン/ジョン・リスゴー/マーティン・スコセッシ●日本公開:2023/10●配給:東和ピクチャーズBrendan Fraser KILLERS OF THE FLOWER MOON.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」j.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」スコセッシ.jpg●最初に観た場所:早稲田松竹(24-01-26)(評価:★★★★)

ブレンダン・フレイザー(キングの代理人ハミルトン弁護士)/ジョン・リスゴー(キングの裁判を執り行うポラック判事)/マーティン・スコセッシ(ラジオのショー番組のプロデューサー兼司会)


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女性映画。新珠三千代のエロチシズムも見どころだし、街の風景や風俗も見どころ。

「洲崎パラダイス 赤信号」 00.jpg
日活100周年邦画クラシック GREAT20 洲崎パラダイス 赤信号 HDリマスター版 [DVD]」芦川いづみ・新珠三千代/三橋達也
「洲崎パラダイス 赤信号」01.jpg 売春防止法施行直前の東京。義治(三橋達也)と蔦枝(新珠三千代)は、故郷を駆け落ち同然に飛び出してから生活が安定せず、東京中を彷徨っていた。財布の金も尽きかけたある日、蔦枝は、勝鬨橋で、追いかけてバスに飛び乗り、義治に何も言わず、「洲崎弁天町」のバス停で降りる。洲崎川の橋を渡ったすぐ先は赤線地帯「洲崎パラダイス」だった。蔦枝はかつて洲崎で娼婦をしていた過去があり、義治は「橋を渡ったら、昔「洲崎パラダイス 赤信号」0a.jpgのお前に逆戻りじゃないか」と言う。二人は、赤線の「外側」の橋の袂の居酒屋兼貸しボート屋「千草」に入る。「千草」の女主人お徳(轟夕起子)は、女手一つで幼い息子ふたりを育てているため住み込み店員を求めており、蔦枝はその晩から仕事を始める。翌日、義治はその近所のそば屋「だまされ屋」で住み込みの仕事を得る。蔦枝は人あしらいのうまさで、赤線を行き帰りする寄り道客の人気を得、やがて神田(秋葉原)のラジオ商の落合(河津清三郎)に気に入られて和服やアパ「洲崎パラダイス 赤信号」06.jpgートを与えられるようになり、いつの間にか「千草」から去った。義治は怒りのあまり歩いて神田へ出向くも、不慣れな地理や暑さと空腹のために倒れ、落合と会えず仕舞いに。そんな中、洲崎の女と共に行方を眩ませていたお徳の夫・伝七(植村謙二郎)が姿を現し、お徳は何も言わず伝七を家に招き入れる。数日後、蔦枝は落合のアパートを引き払い、洲崎に戻ってきた。「千草」を訊ねた蔦枝に、お徳は、「義治をいずれ『だまされ屋』の同僚店員・玉子(芦川いづみ)と一緒にさせたい」と言う。蔦枝は「千草」を飛び出し、「だまされ屋」に向かう。お徳は義治と蔦枝を会わせないよう、出前帰りの義治を日暮れまで「千草」に釘付けにする。伝七は店に帰る義治に付き合って外出し、「遅まきながら、なんとかいい親父になろうと思っている」と心境の変化を吐露し、途中で別れる。いつまでも「だまされ屋」に戻らない義治を探して洲崎を歩き回る蔦枝は、「千草」の常連客で顔馴染みの信夫(牧真介)と橋で出会う。信夫は、ある女を足抜けさせるために毎晩赤線に通っていたが、その女が消えたことを話す。蔦枝は慰めるつもりで「吉原か鳩の街で、今頃誰かといいことしてるわよ。それより私と......」と言うが、「売春防止法なんかできたって、どうにもなりはしないんだ」と叫ぶ信夫に平手打ちを食わされる。義治が「だまされ屋」に戻ると、玉子から蔦枝がさっきまで待っていたことを告げられ、義治は仕事を放り出し、雨の中を傘も持たずに飛び出す―。

「洲崎パラダイス 赤信号」p2.jpg 1956(昭和31)年7月公開の川島雄三監督作。原作は芝木好子(1914-1991/77歳没)が1953(昭和28)年に発表した「洲崎パラダイス」で、売春防止法の公布が1956年、施行が1957(昭和32)年4月ですから、原作も映画もほぼリアルタイムということになります。原作が書かれた翌年1954(昭和29)年に〈洲崎〉(現・木場駅付近)には、カフェ220軒が従業婦800人を擁し、合法的に営業をしていたとのことで、〈吉原〉を上回る規模でしょうか。三浦哲郎の「忍ぶ川」のヒロイン・志乃も「洲崎パラダイス」にある射的屋の娘でした(因みに、蔦枝のセリフに出てくる〈鳩の街〉は、吉行 淳之介 の「原色の街」の舞台である〈玉の井〉あたり(現・曳舟駅付近)。

「洲崎パラダイス 赤信号」02.jpg 新珠三千代(脱がないのにすごくエロチック)と三橋達也が演じる、別れた方がいいのに別れられない男女、義治と蔦枝。周囲にいくら止められようと、磁石のように引き合ってしまう腐れ縁といった感じで、樋口一葉の「にごりえ」や織田作之助の原作「夫婦善哉」の系譜のようにも思いました。そんな男女とそれを取り巻く人間模様が、〈橋〉に始まり〈橋〉に終わる物語として描き出されています。ただし、冒頭でバスに飛び乗ったのが蔦枝で、義治は慌ててそれについていくだけだったのに、ラストでは義治の方が自ら駆け出してバスに飛び乗るという―最初のうちはいじけてばかりいた義治の変化を、こうした対比で見せているのが上手いと思いました。

「洲崎パラダイス 赤信号」芦川.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」小沢.jpg 一方、轟夕起子が演じるお徳は、夫・伝七が戻ってきてせっかくいい親父になろうと思っていたところに、その夫が別れた女に殺されることになり、実に気の毒でした(その事件現場で、義治と蔦枝が再会するというのも何か運命的)。こうした悲劇もありましたが、義治が働いた蕎麦屋「だまされ屋」の女店員・玉子を演じた芦川いづみの可憐さ 先輩店員・三吉を演じた小沢昭一のユーモラスな味わいなど、いろんな要素が盛り込まれた群像劇になっていました。

 現在は埋め立てられてしまっている洲崎川や船着き場など、もうこの映画でしか見られない風情ある風景も、時代の記録として貴重です。ボンネット型のバス車両には車掌がいて、「次は〜洲崎〜洲崎弁天町」とアナウンスをしています(都バスでは1965年からワンマンバスが運行されている)。

「洲崎パラダイス 赤信号」05.jpg バスの車窓からは、材木を保管している貯木場が見え、これは、荒川の河口に近い沖合の埋立地に1969年、新たな貯木場、新木場が建設される前のものです(大島渚監督「青春残酷物語」('60年)の冒頭にも使われていた)。義治がラジオ商の落合を訪ねて彷徨う神田・秋葉原の当時の風景も貴重映像ではないかと思います。

「洲崎パラダイス 赤信号」08.jpg 川島雄二監督の「とんかつ大将」('52年)から連なる市井の人々を描いた人情物であると同時に、赤線に墜ちるか堅気を通せるかという境界線にある女性を描いた、後の「女は二度生まれる」('61年)などに連なる川島雄三監督ならではの「女性映画」でもあったように思います。ごく自然な所作の中にちらりと肌を見せる新珠三千代のエロチシズムも見どころだし(エロチックだからこそ境界線上を彷徨っている危うさを感じさせる)、街の風景や風俗も見どころの映画でした。

新珠三千代/三橋達也/轟夕起子
「洲崎パラダイス 赤信号」p.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」03.jpg「洲崎パラダイス 赤信s.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」●制作年:1956年●監督:川島雄三●製作:坂上静翁●脚本:井手俊郎/寺田信義●撮影:高村倉太郎●音楽:眞鍋理一郎●原作:芝木好子●時間:81分●出演:新珠三千代/三橋達也/轟夕起子/植村謙二郎/平沼徹/松本薫/芦川いづみ/牧真介/津田朝子/河津清三郎●公開:1956/07●配給:日活●最初に観た場所:神保町シアター(24-02-01)(評価:★★★★)

神保町シアター(24-02-01)
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三橋達也 in「洲崎パラダイス赤信号」('56年)/「ガス人間第1号」('60年)/「天国と地獄」('63年)
「洲崎パラダイス赤信号」 三橋達也.jpg「ガス人間第1号」 三橋達也.jpg「天国と地獄号」 三橋達也.jpg

NHK「連想ゲーム」('69年4月-'91年3月)白組1枠レギュラー解答者・三橋達也('73年4月-'79年3月)「グラフNHK」'73年8月号
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「喜劇と格言劇」シリーズ第6作(最終作)。男女二組の恋愛を描く。

「友だちの恋人」 ロメール.jpg
「友だちの恋人」 (1987) 映画パンフレット CINE VIVANT No.28
「友だちの恋人」1.jpg パリ近郊の新都市セルジー・ポントワーズで市役所に勤めるブランシュ(エマニュエル・ショーレ)は、職員食堂で最後の夏休みを迎えた学生レア(ソフィー・ルノワール)と出会い意気投合する。恋人ファビアン(エリック・ビエラード)の好きな水泳が苦手というレアのため、ブランシュは水泳の手ほどきをすることに。そして二人がプー「友だちの恋人」8.jpgルにいたところへ、ファビアンの友人アレクサンドル(フランソワ・エリック・ゲンドロン)が現れる。ブランシュはたちまちアレクサンドルに恋してしまうが、好きな相手に対して臆病になってしまう性格のため打ち解けられない。ファビアンは卒業を機に、最近ウマが合わないファビアンを捨て、パリを去ろうとする。運命の悪戯でブランシュはファビアンと親しくなり、一夜を共にする。ところが、休暇旅行から帰ってきたレアがファビアンと仲直りしたとブランシュに告げる。一方、レアはアレクサンドルに口説かれる―。

「友だちの恋人」9.jpg「友だちの恋人」2.jpg 「友だちの恋人」(副題は「友だちの友だちは友だち」)は、エリック・ロメール監督による1987年公開作品。同監督の「喜劇と格言劇」シリーズ第6作で、これがシリーズ最終作になります。パリ郊外のニュータウンを舞台に、4人の男女が繰り広げる恋愛模様を軽快なタッチで描いていて、これまでのシリーズ作が一人の女性が主人公だったのが、今回は一応ヒロインに焦点を合わせながらも、主人公とその女友達の恋愛も描いていて、相互に"反応"し合う男女2×2の恋物語になっている点が特徴的です。

「友だちの恋人」3.jpg 主要登場人物4人の関係がどんどん移り変わって、観ている方も混乱しますが、仕舞いには、登場人物であるブランシュとレアも互いに勘違いしたりして(笑)。ラストはハッピーエンドでしたが、ブランシュは周囲に振り回されている印象も。これがハッピーエンドでなかったら、あまり好きになれない映画だったかもしれません。この二組、この先大丈夫かなあというのもあります(特にアレクサンドルはプレイボーイだし)。

 マニュエル・ショーレットは本作が映画初出演で、あとはジョン・ジョスト監督の「ニューヨークのすべてのフェルメール(All the Vermeers in New York)」('90年/米)という作品に主ソフィー・ルノワール2.jpg演として出ているようです。ソフィー・ルノワール(印ソフィー・ルノワール.jpg象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの曾孫、「フレンチ・カンカン」('54年/仏)の監督ジャン・ルノワールの孫)は、ロメール監督の「美しき結婚」('81年/仏「)でベアトリス・ロマンの妹役を演じるなどし、また現在は写真家として活動していて、'22年には銀座で個展を開いています(写真はいずれも「婦人画報」より)。

友だちの恋人 [DVD]
「友だちの恋人」4.jpg「友だちの恋人」5.jpg「友だちの恋人」●原題:L'AMI DE MON AMIE(英:BOYFRIENDS AND GIRLFRIENDS)●制作年:1987年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:ベルナール・リュティック●音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:102分●出演:エマニュエル・ショーレ/ソフィー・ルノワール/エリック・ヴィラール/フランソワ・エリック・ジェンドロン/アン=ロール・マーリー●日本公開:1988/07●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-02-04)((評価:★★★☆)

「友だちの恋人」 (87年).jpg

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「友だちの恋人」の撮影の合間に撮られた作品。まったく性格の異なる都会の娘と田舎の娘の共同生活。
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レネットとミラベルの四つの冒険/コーヒーを飲んで (エリック・ロメール コレクション) [DVD]」ジョエル・ミケル/ジェシカ・フォルド
 エリック・ロメール監督による1987年公開作「友だちの恋人」の撮影の合間に撮られたのが、同一主人公らによる4つの短編から成るこのオムニバス映画で、ロメール監督は田舎の娘レネット役のジョエル・ミケルの体験談に着想を得て本作を企画し、少人数のスタッフと16ミリフィルムで撮影を敢行したそうです。

1話「青い時間」.jpg 自転車のパンクをきっかけにミラベル(ジェシカ・フォルド)は、ある田舎道で、この町の納屋のような家に一人で住み、絵を描いて暮らしているレネット(ジョエル・ミケル)と出会う。彼女はミラベルに、夜明け前に1分間だけ音のない世界になる"青の時間"を体験させようと家に泊まるよう誘うが、せっかくのチャンスが車の音で失敗に終わる。落胆するレネットに、ミラベルはもう1晩泊まることを告げ、二人はその昼間に田舎の生活と自然を満喫する。そして2泊目の夜明け、二人は"青い時間"を味わい 感動する―。(第1話「青い時間」)

1話「青い時間」2.jpg 同監督の「緑の光線」に似ているように思いました。シリーズ第5作「緑の光線」('86年)は、孤独なヒロインがバカンスの最後の日に知り合った若者と一緒に、日没前に一瞬だけ見えるという太陽の「緑の光線」を見に行くという話でしたが、「青い時間」では、それぞれ田舎と都会に住む若い女性同士の組み合わせ。二人の出会いから、性格の全く異なる二人が打ち解けていく様ががごく自然に描かれていていました。自然も美しいし(「緑の光線」と同じく、チーズで有名なブリー地方が舞台)、レネットの住まいも悪くなかったです。でもパリで絵の勉強をするために、彼女はミラベルのアパートへ―。

2話「カフェのボーイ」.jpg 秋になり、パリのミラベルのアパートで同居し、美術学校に通うレネットは、ある日ミラベルと待ち合わせしたモンパルナスのカフェで、奇妙なボーイ(フィリップ・ロダンバッシュ)と出会う。小銭を持っていないミラベルがコーヒー代に200フラン札を出すと、ボーイは「どうせ友だちなんか来ないんだろう。飲み逃げしようとしてもそうはいかない。おつりが出せないから小銭で払え」と無理難題を言う そこにミラベルがやってきて、彼女は500フラン札を出してボーイと押し問答が続くが、ボーイが席を離れた隙に二人はお金を払わず逃げてしまう しかし、レネットは翌朝、代金を払いにカフェに行く―。(第2話「カフェのボーイ」)

 レネットがモンパルナスのカフェに行く道を尋ねた行きずりの男性たちも変な連中だったけれど、それ以上に可笑しいのがボーイで(客であるレネットからすれば頭にくる相手だが)、翌日、レネットがカフェに金を払いに行った時、「昨日のボーイは?」と訊くと、「彼はアルバイトだから、もういない」と言われます。馘首になったのかなあ。イマイチ、釈然としない...。
 
ヤスミナ・アウリー(万引き犯)/マリー・リヴィエール(詐欺師)
3話「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」.jpg 物乞いに小銭をやるレネットに影響を受けたミラベルは、ある日、スーパーで万引きする女(ヤスミナ・アウリー)を見つけ、彼女を助ける行為をするが、成り行きから女が万引きした商品はミラベルの手に残ってしまう 帰宅後、二人は彼女の行為について議論する 。ある日 レネットは、駅で小銭をせびる女(マリー・リヴィエール)に会い、彼女に小銭を与えたため電車に乗り遅れてしまう。 電話をしようとするが小銭がないので、彼女も通行人に小銭をせびるがうまくいかない。 すると、先ほどの女がまた通行人から小銭をせびっているのを見つけ、彼女に金を返すように詰め寄るが、彼女が泣き出してしまい 諦める―。(第3話「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」)

 レネットは、ミラベルが万引き女を助けたと聞き、その理由が「彼女が捕まって懲役になったら可哀そうだから」とのことで、ミラベルを咎めます。ミラベルのやったことは犯罪の幇助であり、それを非難するレネットに分があるでしょう。二人の性格の違いもあるでしょうが、ちょっとミラベルの社会道徳観が心配です(この先、大丈夫か)。女詐欺師を演じたのはロメール監督の「飛行士の妻」「緑の光線」でそれぞれ主役を演じたマリー・リビエールでした。それにしても、3作とも全然タイプの異なる役だなあ(さらに、スーパーの万引き監視員を演じているのは、「美しき結婚」('81年)主演のベアトリス・ロマン)。

ファブリス・ルキーニ(画廊の主人)
4話「絵の売買」.jpg レネットは、今月家賃を払う番だったが、金が無く、 二人はレネットが描いた絵を画廊に売ることにする。 レネットは言葉が話せないふりをして画廊の主人(ファブリス・ルキーニ)と交渉するがうまくいかない。しかし、他の客が画廊に入って来たのを契機に、ミラベルが機転を発揮し二人は大金を手にする―。(第4話「絵の売買」

 これは第2話、第3話に比べて落ちがはっきりしていて面白かったです。画廊の主人を演じたのは、「満月の夜」('84年)で、パスカル・オジェ演じる主人公ルイーズから振られる男性オクターブを演じたファブリス・キーニでした。エリック・ロメール作品に多く出演したほか、フランソワ・オゾン監督の「危険なプロット」(2012年)で主演するなどし、セザール賞に6回ノミネートされた、今やフランスが誇る名優であるとのことです。

「レネットとミラベル」p.jpg1話「青い時間」23.jpg 4話の中では第1話が★★★★、第4話が★★★☆、あと第2話と第3話が★★★といったところでしょうか。どれもユーモアを交えた軽快なタッチで描かれていて、「喜劇と格言劇」シリーズの作品と比べてもより軽いかも。「喜劇と格言劇」シリーズが男女の恋愛模様を中心に描いているのに対して、女性同士のからっとした感じの友情を描いており、そうした男女の情が絡まない分、軽くなっているのかもしれません。

「レネットとミラベル 四つの冒険」●原題:QUATRE AVENTURES DE REINETTE ET MIRABELLE(英:FOUR ADVENTURES OF REINETTE AND MIRABELLE)●制作年:1986年製作(公開は1987年)●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:ベルナール・リュティック●音楽:ロナン・ジレ/ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:99分●出演:ジョエル・ミケル/ジェシカ・フォルド/フィリップ・ロダンバッシュ/ヤスミナ・アウリー/マリー・リヴィエール/ベアトリス・ロマン/ファブリス・ルキーニ●日本公開:1989/07●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-02-18)(評価:★★★☆)

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濱口竜介監督が影響を受けていることを窺わせるという点で興味深かった。

「木と市長と文化会館」93年.jpg「木と市長と文化会館」03.jpg
木と市長と文化会館 または七つの偶然」[Prime Video]

「木と市長と文化会館」01.jpg パリの南西部ヴァンデ県サン=ジュイールの市長ジュリアン(パスカル・グレゴリー)は、村の原っぱに、図書館とCD・ビデオのライブラリー、野外劇場、プールを備えた総合文化センターを建設しようと考えていた。だが、この計画は周囲の賛同を得られないでいる。ジュリアンの恋人で、根っからのパリっ子である小説家のベレニス(アリエル・ドンバール)も「文化会館なんて必要かしら」と少々懐疑的「木と市長と文化会館」02.jpg。村のエコロジストの小学校教師マルク(ファブリス・ルキーニ)は、烈火のごとく怒る。ジュリアンにインタビューした女性ジャーナリストのブランディーヌ(クレマンティーヌ・アムルー)のルポは編集長(フランソワ・マリー・バニエ)の独断で、マルクを中心としたエコロジー特集になってしまう。そんなある日、偶然にマルクの娘ゾエ(ギャラクシー・バルブット)とジュリアンの娘ヴェガ(ジェシカ・シュウィング)が出会って友達となり、ゾエは市長に「文化会館よりみんなが集まって楽しめる広場がいいわ」と訴える。結局、予定地の地盤が弱いことが判明し、建設は中止となった。代わりにジュリアンは広大な土地を開放し、そこは人々の憩いの広場となった―。

 エリック・ロメール監督の'93年公開作で、第三の連作「四季の物語」の撮影の合間に16ミリで撮ったのがこの作品とこれに続く「パリのランデブー」('95年)。物語の通り、パリの南西部ヴァンデ県の人口425名の村サン=ジュイール・ションジヨンで'92年の3月、6月、9月の3回に分けて撮影が行われ、3,4人のスタッフでハンディカメラで撮ったそうです。マスコミ向けの試写も宣伝もなく、'93年3月にパリで突然封切られましたが、フランス総選挙の2か月前というタイミングもあって、22週で75万人を動員するヒットとなったそうです。

 ただし、政治ドラマとしては饒舌な割にはなかなか話が進まない感じで(文化会館もあってもいいのではと思ったけどね)、個人的には政治的な話の中身もさることながら、ドキュメンタリー風のレポートドラマ的スタイルに関心がいきました。どこまで脚本があったのか(もし脚本があり全部セリフがあったとしても正確に憶えるのは無理だろう)、どこまでその場で本当に議論しているのかよく分からないところが興味深かったです。

濱口竜介.jpg 「ドライブ・マイ・カー」('21年)でカンヌ国際映画祭監督賞やアカデミー国際長編映画賞などを受賞した濱口竜介監督は、エリック・ロメール監督作の影響を受けており、この作品や(他のロメール監督作にも部分的にドキュメンタリータッチで撮っているものがあるが、この作品は全編がそう)、続く「パリのランデブー」からの影響を受けて、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞することになったオムニバス映画「偶然と想像」('21年)を構想したとのことで(「偶然と想像」にも第1話「魔法(よりもっと不確か)」で女子二人のタクシー内での延々と続く会話が冒頭からある)、「偶然と想像」は3話から成っていますがもともと全7話の想定あり、タイトルもこの作品から影響を受けているとのことのことです。

 そう言えば、映画の中で出演者が意見を述べたり議論したりする濱口竜介監督の「親密さ」('12年)なども、こうした作品の影響を受けているのではないでしょうか。濱口竜介監督が早くからエリック・ロメール作品の影響を受けていることを窺わせます。

「木と市長と文化会館」04.jpg アリエル・ドンバールをたっぷり観られる映画でもあります。市長ジュリアン役のパスカル・グレゴリーは、「海辺のポリーヌ」('83年)ではアリエル・ドンバールに袖にされる役でしたが、10年後のこの作品では恋人同士の役。パスカル・グレゴリーは、最近では婁燁(ロウ・イエ)監督の 「サタデー・フィクション」 ('19年/中国)にスパイ役の鞏俐(コン・リー)に指示を出すフランスの老諜報員役で出ていました(この映画からさらにまた26年かあ。歳をとるのも無理はない)。

パスカル・グレゴリー/アリエル・ドンバール/ファブリス・ルキーニ/クレマンティーヌ・アムルー

ファブリス・ルキーニ 「レネットとミラベル 四つの冒険」('87年)/「木と市長と文化会館 または七つの偶然」('93年)
「木と市長と文化会館」f.jpg 文化会館設立反対派の教師マルクを演じたのはファブリス・ルキーニで、「レネットとミラベル 四つの冒険」('87年)の第4話「絵の売買」の画廊の主人役などエリック・ロメール監督の常連。最近ではフランソワ・オゾン監督のコメディ映画「私がやりました」('23年/仏)に判事役で出ています。ジュリアンにインタビューした女性ジャーナリストのブランディーヌを演じたクレマンティーヌ・アムルーは、エリック・ロメール監督の「聖杯伝説」('78年)の頃からファブリス・ルキーニ共にロメール監督作に出ている女優でした。

パスカル・グレゴリー「木と市長と文化会館 または七つの偶然」('93年)/「サタデー・フィクション」('19年/中国)
「木と市長と文化会館」07.jpgパスカル・グレゴリー.jpg 


「木と市長と文化会館」05.jpg「木と市長と文化会館 または七つの偶然」●原題:L'ARBRE, LE MAIRE ET LA MEDIATHEQUE OU LES HASARDS(英:THE TREE, THE MAYOR AND THE MEDIATHEQUE)●制作年:1993年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:フランソワーズ・エチュガレー●撮影:ディアーヌ・バラティエ●音楽:エリック・ロメール●時間:105分●出演:パスカル・グレゴリー/アリエル・ドンバール/ファブリス・ルキーニ/クレマンティーヌ・アムルー/フランソワ・マリー・バニエ/ジャン・パルヴュレスコ/フランソワーズ・エチュガレー/ギャラクシー・バルブット/ジェシカ・シュウィング/レイモンド・ファロ/マヌエラ・ヘッセ●日本公開:1994/04●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-02-28)((評価:★★★☆)

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これもまた、濱口竜介監督作との類似性の点で興味深かった(特に第1話)。

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パリのランデブー [DVD]」第1話:7時のランデブー/第2話:パリのベンチ/第3話:母と子1907年

 エリック・ロメール監督が3話構成のオムニバスで描く恋愛コメディ(1994年製作・1995年公開)。

パリのランデブー1-1.jpg〈第1話:7時のランデブー〉法学部の学生エステル(クララ・ベラール)は試験を控えているが、恋人のオラス(アントワーヌ・バズレル)が自分に会わない日の7時ごろにカフェで別の女の子とデートしているという話パリのランデブー1-2.jpgを聞かされて勉強も手につかない。朝、市場で買い物中のクララは見知らぬ男に愛を告白され、ふと思いついてオラスがデートしていたという例のカフェに夜7時に来るように言う。その直後彼女は財布がないのに気づき、さてはあの男にスラれたと思う。夕方、アリシー(ジュディット・シャンセル)という女の子が財布を拾って届けてくれた。彼女は7時に例のカフェで待ち合わせがあるというので、エステールも件のスリとの待ち合わせの話をして一緒に行く。予想どおり、アリシーのデートの相手はオラスだった。エステルは彼に愛想が尽きる。アリシーも事態を察して去ると、そのテーブルに朝の市場の青年が腰掛け、人を待つ風でビールを注文する―。

パリのランデブー1-3.jpg 「偶然と想像」('21年)で「ベルリン国際映画祭銀熊賞」を受賞した濱口竜介監督は、同作をエリック・ロメールの作品、特に「パリのランデブー」に触発されて作ったとのことです。「あれも偶然がテーマになっていますが、構成も含めて参考にしています」と語っていますが、中でも「偶然と想像」の第1話「魔法(よりもっと不確か)」は、この作品の第1話「7時のランデブー」を色濃く反映していたように思います(「偶然」の設定がほぼ同じ)。男の身勝手が描かれていますが、ラストで再登場した青年の方は、スリではなかったのかあ。ちょっと気の毒。でも、このユーモラスな結末は、このエピソードの救いにもなっています。3話の中でも人気の高いエピソードであることに納得です。


パリのランデブー2-1.jpg〈第2話:パリのベンチ〉彼(セルジュ・レンコ)は郊外に住む文学教師、彼女(オロール・ローシェール)は同棲中の恋人が別にいるらしい。9月から11月にかけて、二人はパリの随所にある公園でデートを重ねる。彼は彼女パリのランデブー2-2.jpgを自宅に連れていきたいが、彼女は貴方の同居人がいやといって断る。彼女の恋人が親類の結婚式で留守にするとかで、彼女は観光客になったつもりでホテルに泊まろうと提案する。いざ目的のホテル前で、彼女は恋人が別の女とホテルに入るのを見る。別れるのは今がチャンスという彼に、彼女は「恋人がいなければあなたなんて必要ないわ」と言う―。

パリのランデブー2-3.jpg 第1話と対照的に第2話は完全に女性上位。主人公の彼女の好みで、デートの場所はいつも外で、場所も彼女が指定するのですが、それが、9月30日 サン=ヴァンサン墓地、10月14日 ベルヴィル公園、10月21日 ヴィレット公園、11月12日 モンスリ公園、11月18日 トロカデロ庭園、11月25日 オートゥイユ庭園...といった具合に日記風に展開されていき、映画自体がパリの公園巡りみたいになっています(笑)。ラストに決定的な女性のエゴを見せつけられた気がしますが、第1話と違って、この女性が嫌になると言うより(好きにもならないが)、男女の関係というものの複雑さを感じさせ、意外と深いエピソードだったようにも思います。


パリのランデブー3-1.jpg〈第3話:母と子1907年〉ピカソ美術館の近くに住む画家(ミカエル・クラフト)は、知人からスウェーデン人女性(ヴェロニカ・ヨハンソン)を紹介されていた。彼は自分を訪ねて来た彼女をピカソ美術館に連れていく。自分は美術館に入らず、8時に会う約束をしてアトリエに帰るその途中、彼は若い女(ベネディクト・ロワイヤン)とすれ違い、彼女を追って美術館に入る。彼女は「母と子1907年」の前に座る。彼はスウェーデン女性と合流し、そパリのランデブー3-2.jpgの名画の前で例の女性にわざと聞こえるように絵の講釈を始める。彼女が席を立ち、彼は慌てて別れを告げて女を追って美術館を出て、道で声をかける。彼女は自分は新婚で夫は出版業者、今度出る画集の色を原画と比べに来たのだという。彼はめげず、彼女も興味を覚えて彼の絵を見にアトリエに行く。二人は絵画談義を交わし、結局何もないまま女は去る。画家はしばし絵筆を取って作品に手を加え、スウェーデン女性との待ち合わせの場所に行く。だが時間が過ぎても女は現れない。家に帰った画家は絵の中の人物を一人完成させ、呟く。「それでも今日一日まったく無駄ではなかった」と―。

パリのランデブー3-3.jpg ベネディクト・ロワイヤンの《美術女》ぶりがいいですが、元々は人気モデルで、映画出演はあまりないみたい。スウェーデン人女性=のヴェロニカ・ヨハンソンも同じくモデル系でしょうか(皆が振り返るような振るには勿体ない美人だと思ったら、最後は女の方が男を振ったのか)。こうした演技経験の浅い人を使うところがエリック・ロメールらしく、先に挙げた濱口竜介監督はそうした部分においてもこれに倣っていて、「ハッピーアワー」('15年)で主演した演技経験の無い4人の女性に、第68回「ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞」をもたらしています。

パリのランデブー4-1.jpg 各話の頭にアコーディオン弾きと歌い手の2人組が出てくるのは、ルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」へのオマージュでしょう。各話を繋いでいく辺りも演出方法そうですが、エリック・ロメール監督自身、先駆者の影響を受けているのだなあと改めて思いました。

濱口竜介.jpg 濱口竜介監督は演出においてひたすら「本読み」をやることで知られていますが、エリック・ロメール監督がそうであり、さらに遡るとジャン・ルノワール監督もそう。濱口監督によれば、エリック・ロメールは演技経験のない人とそれをやることを好み、ジャン・ルノワールはプロフェッショナルの役者とそれをやることを好んだそうです。濱口監督の場合、経験のない人とは「親密さ」('12年)で実際に「本読み」をやり、プロの役者とは米アカデミー国際長編映画賞などを受賞した「ドライブ・マイ・カー」('21年)の《映画ワークショップ》の場面としてそれを見せていました。

waveオープン 1983-11-18.gifシネヴィヴァン六本木.jpgシネヴィヴァン六本木2.jpg 今回シネマブルースタジオで観た、「満月の夜」('84年)、「緑の光線」('86年)、「友だちの恋人」('87年)、「レネットとミラベル/四つの冒険」('87年)、「木と市長と文化会館/または七つの偶然」('93年)、そしてこの「パリのランデブー」('95年)はすべて'84年設立のシネセゾンの配給で、日本での初公開は'83年11月オープンの「WAVEビル」内に出来たシネヴィヴァン六本木でした。
    
パリのランデブー4-2.jpgパリのランデブー4-3.jpg シネヴィヴァンは独自に映画パンフレットを作っていて、ロベール・ブレッソン監督の「ラルジャン」 ('83年/仏・スイス)やフレディ・M・ムーラ監督の「山の焚火」('85年/スイス)、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「童年往時/時の流れ」('85年/台湾)などはシネヴィヴァンで観ましたが、エリック・ロメール作品は当時見逃してしまいました。そうこうしている内に、シネセゾンそのものが'98年6月にその活動を終え、シネヴィヴァン六本木も'99年12月25日閉館となりました。

 シネマブルースタジオの今回のシリーズ上映は有難いですが、この手の映画って、観ることができる時に観ておかないと次はいつ観られるかわからない、と改めて思わされました。

「パリのランデブー」●原題:LES RENDEZ-VOUS DE PARIS(英:RENDEZ-VOUS IN PARIS)●制作年:1993年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:フランソワーズ・エチュガレー●撮影:ディアーヌ・バラティエ●音楽:エリック・ロメール●時間:105分●出演:(第1話)クララ・ベラール/アントワーヌ・バズレル/ジュディット・シャンセル/(第2話)セルジュ・レンコ/オロール・ローシェール/(第3話)ミカエル・クラフト/ヴェロニカ・ヨハンソン/ベネディクト・ロワイヤン●日本公開:1993/11●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-03-13)((評価:★★★★)

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個人的好みは「捨ててきた娘」。やや凝った通好みは「双子」と「黒い眼鏡」か。ヒッチコック劇場版は別物。
『バン、バン! はい死んだ』.jpg 『バン、バン  はい死んだ』.jpg ミュリエル・スパーク.jpg Muriel Spark(1918-2006/88歳没)
バン、バン! はい死んだ: ミュリエル・スパーク傑作短篇集』['13年]
『バン、バン! はい死んだ』3.jpg

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)の短編集で、1958年発表の「ポートペロー・ロード」ほか15編を収録。収録作品は、「ポートペロー・ロード」(1958)/「遺言執行者」(1983)/「捨ててきた娘」(1957)/「警察なんか嫌い」(1963)/「首吊り判事」(1994)/「双子」(1954)/「ハーパーとウィルトン」(1953)/「鐘の音」(1995)/「バン、バン! はい死んだ」(1961)/「占い師」(1983)/「人生の秘密を知った青年」(2000)/「上がったり、下がったり」(1994)/「ミス・ピンカートンの啓示」(1955)/「黒い眼鏡」(1961)/「クリスマス遁走曲」(2000)。(カバーの15のイラストが15の収録作品に対応したものとなっているのが楽しい。)

「ポートペロー・ロード」... 「私」(通称ニードル)は実は死者である。5年前に世を去ったが、いろいろとし残したことがあって、なかなかあの世でゆっくりもしていられない。そこで、週日は忙しく動き回り、土曜日にはポートベロー・ロードを歩いて気晴らしをしている。そんなある日、旧友の二人連れを見かけ、男の方に声を掛ける。「あら、ジョージ」と―。被害者が幽霊として殺人加害者に話し掛ける。その姿や声は、連れの妻には見えず聞こえない。罪に意識の成せる業ともとれるが、死者が語り手となっているところが面白い。

「遺言執行者」... 叔父の遺作を横取りした姪が、あの世から叔父(とその彼女)に責められる―。叔父からのメッセージが自分の行動を先取りしているのが怖さを増す。死者に監視されている生活は嫌だなあ。単なる怖さと言うより自分への後ろめたさでしょう。むしろ、その後ろめたさが為せる幻覚ともとれる。

「捨ててきた娘」... 仕事を終えてバスに乗り、帰宅しようとして「私」は仕事場に何かを忘れてきたような気がする。頭の中では雇い主のレターさんの吹く口笛の曲が鳴っている。いったい「私」は何を忘れてきたのだろう。バスの運賃を手に握り締めたまま、もういちど仕事場に戻った「私」がそこでみつけたものとは―。面白かった。アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」、フリオ・コルタサルの「正午の島」に通じるものがあった。主人公が「周囲の視線が私を突き抜けていくばかりか、歩行者が私の体を通り抜けていくような感覚があるのだ」というのが伏線か。短めだが本短編集で一番の好み。

「警察なんか嫌い」... 「警官嫌いを直すなら、警察に行くのがいちばんだよ」と叔母に言われた青年は、いやいやながら警察に行った。彼は警察が嫌いだった。ちょうど知り合いの女の子が「郵便局嫌い」だったのと同じように。青年が警察署に行くと、番号で呼ばれ、手錠を掛けられ、独房に入れられた。「言語を絶する事件」が起こり、彼はその犯人なのだという。かくして裁判が開かれ、青年は「言語を絶する罪」により裁かれる―。 「言語に絶する以上、言語にはできないゆえ、証言は認めることができない」という「不思議な国のアリス」などにも出てきそそうな不条理レトリック。有罪になった彼の警察嫌いが直らないのは当然か。

「首吊り判事」... 新聞は死刑の宣告を下したスタンリー判事の表情を。まるで幽霊を見たかのような顔であり、明らかに動揺を見せていた、と伝えた。死刑の宣告が重荷だったのではないか。死刑制度に疑義があるのではないか、と憶測が飛び交う―。実は。スタンリー判事が死刑の宣告をしたとき特別な表情を見せたのは、そのとき彼は勃起し、性的な絶頂に達してしまったからだったというのがすごい。それでも飽き足らないのか、彼がやがて殺人者となることが示唆されている。

「双子」... 「私」が学生時代の友人ジェニーを訪ねる。ジェニーはサイモンと結婚し、二人の間には双子の子供マージーとジェフがいる。幸せを絵に描いたような夫婦と愛くるしい女の子と男の子が暮らしている家だ。楽しい滞在になるはずだった。にもかかわらず、私は次第に微妙な違和感を、その家族に感じ始める―(続きは下段に)。個人的見解だが、この双子そのものはイノセントではないのか。「キッチンでパパと女の人が一緒にいたよ」とママに言ったのでは。夫婦のディスコミュニケーションの煽りを受けて、「私」が全部扇動していることにされてしまったということではないか。

「ハーパーとウィルトン」... 作家である私を訪ねてきたのは、自分が書いた小説の登場人物たちだった―。ひと昔前が舞台だが、現代の基準に沿って自分たちの汚名をそそいでくれと要求する登場人物たち。作者は自らの作品の結末書き直すが、作者自身、座りの悪さを感じていたための出来事ではないか。"夢オチ"ともとれるが、"夢"と現実の両方をつなぐ人物(庭師)がいるのがミソ)。

「鐘の音」... 82歳のマシューズ老人が亡くなって3か月が経ったが、息子ハロルドが父親を殺したとの密告があり、遺体を掘り起こした結果、彼が殺害されたらしいことが判明。老人の息子や直前に老人と口論したフェル医師が容疑者として浮かんだが、彼らには完璧なアリバイが―。時間差トリックで、純粋ミステリに近く、こうしたスタンダードな作品もあるのだなあと。"夏時間"なんて〈後出しジャンケン〉ではないかと思う人もいるかもしれないが、11時50分に出産に立ち会って、帰宅したのが教会の時計が12時を告げた時、という時点でおかしいと思うべきだった。

「バン、バン! はい死んだ」... シビルの家の近所にシビルそっくりの女の子が引っ越してくる。容貌こそ似ていたが、シビルはデジルが好きになれなかった。泥棒ごっこのルールを無視して、いつもシビルだけにピストルを撃つまねをして「バン、バン!はい死んだ」とやるからだ。大人になったシビルは勤務先の南ローデシアで、再びデジルに出会う。農園主と結婚したデジルは、独り身のシビルを家に招待しては夫との熱熱ぶりを見せつける。頭の良さを鼻にかけるシビルに対するデジルの挑発だった。デジル夫婦とシビル、それにもう一人の男との間に仕組まれた愛憎劇。芝居がかった男女関係がこじれて事件は起きる―。「バン、バン!」という通り、犠牲者は二人ということか。最初から事件の起きそうな雰囲気。タイトルで「バン、バン」と2回あるのは、二人死んだからだろう。実はテッドとデジルはうまくいってなかった、そして、事件後、シビルがテッドと一緒になるのだろう。

「占い師」... トランプ占いをやる私がある夫人の占いをしてあげるが、何か夫人のカードを解読する力は自分より上であるように感じる―。占われた相手の夫人の方が占った側の私より人の運命を見る能力が上だったという話。相手は、実は私の将来を見通していて、こちらの占いの先回りをして将来を変えてしまう。つまり、今の夫を捨て、私が夫とすべき男性と一緒になるという皮肉譚だった。

「人生の秘密を知った青年」... 失業中の男の下に現れる幽霊。恋人と結婚できない彼に嫌味を言うが、一方で競馬の当たり馬券を予言し、男が勘で賭けても当たるように。男が一念発起して彼女を射止めると、幽霊は消える―。幸せになったことの引き換えに"超能力"が消えるというパターンの話と同類か。

「上がったり、下がったり」... 彼は21階からエレベーターに乗ってくる、と彼女は確かめた。同じように彼女は16階にある会社に勤めている、と彼は確認した。二人の男女はエレベーターの中で互いを意識する。その階のどの会社に勤めているのか、どこに住んでいるのか、髪の毛は染めているのか、独身なのか。ある日、彼は彼女をディナーに誘う。エレベーター以外の場所で二人が会うのはこれが初めてになる―。二人の男女のそれぞれの視点で交互に描かれていて、二人が口をきくまでに妄想を膨らませすぎているため、彼と彼女のそれぞれの相手に対する認識のズレがあるのが可笑しい。

「ミス・ピンカートンの啓示」... カップルの目の前に、茶碗の受け皿ほどの大きさの、回転する飛行物体が飛んでくるというミニSF譚。まさにフライング・ソーサ―なのだが、受け皿が空を飛んでいて、見る者によっては宇宙人が操縦しているところまで見えたということでマスコミも殺到するのに、当事者たちは、受け皿がどこのブランドなのかの方がさも重大事であるのが可笑しい。英国的なものへの風刺?

「黒い眼鏡」... 「私」は、いま一緒にいる精神科医のグレイ医師が昔の知り合いだったことに気がついた。なぜグレイ医師は一般の開業医を辞め心理学を志すようになったのか―(続きは下段に)。ドロシーとバジルの姉弟が近親相関的関係にあったというグレイ医師の見方は間違いないところでしょう。グレイ医師は精神分析を学んでこの問題を克服したとしているが、そのことを語っている「私」自身がそこに関与している可能性があるため、何が真実なのか分からないとうのは、穿ち過ぎた見方だろうか。

「クリスマス遁走曲」... シンシアがクリスマス休暇でシドニーからロンドンに向かう飛行機で知り合った若さ溢れるパイロットのトム。親切にしてくれ、給油地のバンコクに着いた頃には互いに「忘れられない日になりそうだ」と。離婚協議中だという彼との将来の夢が膨らむ。目的地に着いて、航空会社に電話したら、そんな名のパイロットはウチにはいないと―。果たしてトムは実在したのか。ラストで呆然とする女性がいい。

 バラエティに富んだ15編でした。個人的好みはやはり、切れ味が印象に残った「捨ててきた娘」でした。やや凝った通好みは「双子」と「黒い眼鏡」でしょうか。


「バーン!もう死んだ」2.jpg「バーン!もう死んだ」6.jpg 因みに、「新・ヒッチコック劇場」で「バーン!もう死んだ」というのを観たのですが、これはミュリエル・スパークのものとは全く別のお話(監督は「愛は静けさの中に」('86年/米)のランダ・ヘインズ)。アマンダは男の子たちと一緒に戦争ごっこがやりたいのだが、銃のおもちゃを持っていないため、仲間に入れてもらえない。そんな折、彼女のおじさんが内戦の続くアフリカから戻ってきた。お土産を探し、おじさんの鞄をあさっていると、アマンダは本物の銃を見つける。彼女はそれに弾をこめ、街へ遊びに出て行った―。これはこれで、ハラハラする話でした。旧「ヒッチコック劇場」(TBS版第1話「バァン!もう死んだ」)で男の子だったものを女の子に変え、ラストで狙われるのも家政婦から意地悪な男の子に変更したそうです。街中でわがままな女の子に狙いを定めては外し「運のいい野郎」だと捨て台詞をはくなど、細かい描写もがよく描けていました。

「バーン!もう死んだ」3.jpg「新・ヒッチコック劇場(第21話)/バーン!もう死んだ」●原題:Alfred Hitchcock Presents -P-3.BANG! YOU'RE DEAD●制作年:1985年●制作国:アメリカ●本国放映:1985/05/05●監督:ランダ・ヘインズ●脚本:ハロルド・スワントン/クリストファー・クロウ●原作:マージェリー・ボスパー●時間:24分●出演:ビル・マミー/ゲイル・ヤング/ライマン・ウォード/ジョナサン・ゴールドスミス/ケイル・ブラウン/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:1988/03●放映局:テレビ東京●日本放映(リバイバル):2007/07/29●放映局:NHK-BS2(評価★★★☆)


●やや詳しいあらすじ
「双子」...最初はマージーが自分にお金をくれ、と言ってきたことだ。女の子はその理由を言わなかったので、私が断ると、ジェニーがやってきてパン屋に支払う小銭がなかったので「そう言って」お金を借りてきてちょうだい、と娘に言ったのだという。そういう話だったのなら...と私はきちんと説明しなかったマージーを責めることもできず、ジェニーはジェニーで自分のことをケチだと思っているのかもしれない、と、どちらに転んでも妙な居心地悪さを私は感じる。男の子ジェフもマージーと同じような振る舞いをし、私は気まずい思いをする。数年後、私はジェニー家をパーティ出席のため再訪する。そこで私は前回以上の手の込んだ「仕打ち」を、その家族から被る。後から、そのパーティの際に、サイモンがその場にいた女友達とキッチンで不埒なまねをしていたという出鱈目をジェニーに言ったのが私だという手紙がサイモンから届いたのだ。悪いのは双子の子供たちか、それとも、ジェニーか―。

「黒い眼鏡」... 私が13歳の時近所の眼科医へ眼鏡をつくりにいったときのことだ。あの時眼科医のバジル・シモンズは私の肩に手をやり首筋に触れた。そのときバジルの姉のドロシーが検査室に入ってきた。バジルはすぐに手を引っ込めたがドロシーは何かを認めたはずだ─私はそう確信した。「弟を誘惑するな」とでも言っているようだった。私の祖母と叔母によれば、バジルとドロシーの姉弟には寝たきりの母親がいての母親にはかなりの財産があるらしい。また、ドロシー・バジルは片目が見えないことも祖母と叔母は私に知らせてくれた。二年後、私は眼鏡を壊してしまったので再びバジル・シモンズの店を訪れた。バジルは今でも私に関心を持っているようだった。その時もまた祖母と叔母は再び私にバジルとドロシーに関する情報を知らせてくれた。彼女たちによれば、母親の財産のほとんどは姉のドロシーに相続され、または、弟のバジルに委託されるらしい、と。私はバジル先生のことを思う。すると私はいつのまにかバジル先生の家の前に来ている。窓からバジル先生が書類を見て何かをしているのが見える。それは遺言書の偽造に違いない。私はそう確信した。次の日、眼鏡の調子が悪いとバジル・シモンズを訪ねた。検眼の最中に姉のドロシーが自分の目薬を取りに検査室に入って来た。探していた目薬を手に取りドロシーが二階に戻ると、悲鳴が聞こえた。目薬には毒物が入っており、ドロシーは失明した。これで両目が見えなくなった。その後ドロシーは気が狂ってしまったという。
バジル・シモンズはグレイ医師と結婚したが、しばらくして、姉と同じく精神を病んでしまった。グレイ医師は、私が誰で私が事の次第を知っていることを知らずに、自分の内面を私に聞かせる。性覚醒、エディプス転移といった「くだらない話」を私にする。グレイ医師は、夫のバジルの精神の病は、姉の失明の原因は自分にあると考えていることだと説明する。ドロシーは見てはならないものを見てしまったために、無意識のうちに自分を罰しようと目薬の調合を間違えた。夫のバジルは無意識に姉がそうなることを望んでいたため、自分に責任があると信じてしまった。グレイ医師は、そう読み解く。
それを聞いて私はゲームを始める。グレイ医師は、バジル姉弟は無意識の近親相姦だと言う。私は、そのことをバジルと結婚するとき知らなかったのですか? と尋ねる。グレイ先生は、そのときはまだ心理学を勉強していなかったと答える。何度かこういう遣り取りを繰り返した後、グレイ医師は私に告白する。私が精神科医になったのは、夫のバジルがあれこれ「妄想」を抱くようになったので、それを読み解くために心理学の勉強を始めた、と。効果はあった。なぜなら私は正気を保っているから。私が正気を保っているのは、私が正気を保てるよう、あの事件を読み解いたから。グレイ医師は言う。妻として見れば、夫は有罪──明らかに姉を失明させ、遺言書を偽造した。でも精神科医としては、夫は完全な無罪になる。「なぜご主人の告発を信じないのですか?」「私は精神科医よ。告白はめったに信じない」と―。

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登場人物ほぼ全員70歳以上の「笑劇」&「いやミス」。怪電話の主は「死神」?

『死を忘れるな』.jpg『死を忘れるな』2.jpg 『死を忘れるな』白水.jpg
死を忘れるな』['13年]/『死を忘れるな (白水Uブックス) 』['15年]
「死ぬ運命を忘れるな」と電話の声は言った。デイム・レティ(79歳)を悩ます正体不明の怪電話は、やがて彼女の知人たちの間にも広がっていく。犯人探しに躍起となり、疑心暗鬼にかられて遺言状を何度も書き直すデイム・レティ。かつての人気作家で現在は少々認知症気味のチャーミアン(85歳)は死の警告を悠然と受け流し、レティの兄でチャーミアンの夫ゴドフリー(87歳)は若き日の数々の不倫を妻に知られるのを恐れながら、新しい家政婦ミセス・ベティグルー(73歳)の脚が気になる模様。社会学者のアレック(79歳)は彼らの反応を観察して老年研究のデータ集めに余念がない。果たして謎の電話の主は誰なのか―。

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1959年に発表した小説で、原題もまさにMemento Mori(死を想え)。登場人物ほぼ全員70歳以上(レティの今の家政婦アンソニーはぎりぎり69歳だが)の入り組んだ人間模様を、辛辣なユーモアを交えて描き、ミステリの要素もありました。読み始めて最初の20ページいくかいかないかくらいで、病院の患者が1ダースいる老人病科(女性のみ)が舞台となり、あっという間に通算で十数人ぐらいの人物が登場したことになってしまったので、もう一度最初に戻って、人物相関図を作りながら読みました(笑)。

 突き放した視点で人間を描く作者らしく、登場人物は喰えない、共感できない人間ばかりで、「笑劇」であると同時に「いやミス」っぽい感じも。ただし、「ミステリの要素もある」としましたが、犯人(電話の主)は明かされておらず、その意味では、サスペンスフルでありながらも、ミステリとして完結しておらず、やや消化不良の感もありました(この作家にまだ慣れてなかったというのもある)。

 ただし、登場人物の中には懸命に事態を分析している人物もいて(まあ、するのが普通だが)、デイム・レティは、甥で売れない小説家のエリックか、かつて婚約を破棄した老社会学者のアレック(79歳)の 仕業ではないかと考え、チャーミアンの夫ゴドフリーはその電話は偏執狂か、または妹レティの敵の誰かの仕業ではないかと考え(結局誰かわからないということ(笑))、「老年」を研究課題としているアレックは、自身も謎の電話を受けた一人だが、一連の怪電話の説明に「集団ヒステリー」論を当て嵌めています。

 さらに、レティの昔の女中で今は老人病棟にいるミス・テイラー(82歳)は、この人は人間的にはまともなのですが(なにせ、"まともな人"はこの作品では少数派に属する(笑))、最初はアレックを疑っていましたが、最終的に出した決論は(おそらく自身の信仰という観点から)電話の正体は「死神」であると。ところが科学的捜査をしていたはずのモーティマー警部も、最後にはテイラーと同じ結論に至るので、これにはやや驚きました。

 この流れていくと、「死神」説は極めて有力(笑)。モーティマーがそうした結論に至ったのは、あらゆる科学的捜査を尽くした上で、尚もそれが解明されないならば、あとは超現実的なものしか残らないだろうということのようです。

 作者は、登場人物の会話と行動だけを主として描き、個々の思惟を深く描くことをしないので、結局のところ誰の意見にも加担しておらず、もともと犯人を特定していないようにも思えるし、テイラーとモーティマー警部が異なったアプローチから同一の結論に至っていることから、もしかしたら「死神」説を想定しているのかもしれない―とも思った次第です。

『死を忘れるな』tv.jpg 1996年にBBCでTVドラマ化されていて、ミュリエル・スパーク原作、ロナルド・ニーム監督の「ミス・ブロディの青春」('69年/英)で主役のミス・ブロディを演じ「英国アカデミー賞」と「米アカデミー賞」の主演女優賞をW受賞したマギー・スミスが、その縁からか準主役級の家政婦ミセス・ベティグルー役で出ています(原作ではこの人だけハッピーエンドなんだなあ。でも実は主人の遺言を書き換え遺産を独り占めした悪(ワル)だったのかも。ドラマでの描かれ方を知りたい)。

【1964年全集[白水社『新しい世界の文学〈第13〉死を忘れるな』/1981年単行本[東京新聞出版部(『不思議な電話―メメント・モーリ』今川憲次:訳)]/2015年叢書化[白水社Uブックス]

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自分にとってはストーリーよりも技巧(フラッシュフォワード)の小説だった。

『ミス・ブロウディの青春 (1973年)』.jpgミス・ブロウディの青春 (1973年).jpgミス・ブロディの青春 u.png 『ミス・ブロディの青春』3.jpg
ミス・ブロウディの青春 (1973年) 』『ミス・ブロウディの青春 (白水Uブックス 203 海外小説永遠の本棚)』['15年]『ブロディ先生の青春』['15年/河出書房新社]
映画「ミス・ブロウディの青春」.jpg「ミス・ブロディの青春」1.jpg
「ミス・ブロディの青春」('69年/英)マギー・スミス

 1930年代、エディンバラの寄宿制一貫女子学校での、風変わりな女性教師ブロウディ先生と生徒たちの物語。思い込みの激しいブロウディ先生は、自分の世界観に相応しい生徒を育てるために、サンディをはじめとす6名のブロウディ組と呼ばれる少数精鋭的生徒のグループを結成し独特の教育を進める。しかし、思春期の学生の変化は早く、かつてはブロウディに憧れた彼女らも16歳の時点では各々の道を進みたがるようになる―。、

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1961年に発表した小説(原題:The Prime of Miss Jean Brodie)で、英ガーディアン紙「必読小説1000冊決定版リスト」に「運転席」などと共に入っている作品(彼女の作品は5作も入っている)。物語はブロウディ先生とそれを囲む十代前半の生徒たちの話ということで、小説からは結構ガーリームービーっぽい雰囲気も感じました。

 それにしても、このブロウディ先生はちょっとやりすぎというかエキセントリックな感じが強くて、自意識としては正義感に満ちているのでしょうが、ブロウディ組の御しやすい生徒を自分の恋愛のために利用したり、あるいはその内の1人に自身の恋愛願望を代行させたりして(その結果、その娘はスペインで爆死することになる)、結構あざとくもあり、また結果として残酷でもあって、シンパシーが湧きにくい感じです。

そもそも、思想的にファシズムに傾倒してしてしまって、これを生徒に押しつけるのもどうかしています(自身がヒトラーやムッソリーニになってしまっている)。遂には生徒の裏切りに遭い、彼女は職を失うことになるのですが、あまり気の毒な気はしませんでした。

 むしろ、彼女の自身の信念に沿った行為がどんどん危険なものとなっていくという点で結構ブラックというか、「いやミス」的でもあります。作者の本当の狙いも、実はそのあたりにあるのではないかと思われます。少なくとも、作者はブロウディ先生を突き放しているように思えます。

ただし個人的には、ストーリーよりもその構成に特徴があるように思いました。所謂フラッシュフォワードと言うか、「将来」に起きることやその結末が、「現在」進行中の物語の合間合間に語られています。そのため、ブロウディ先生がやがて生徒に裏切られ、学校を去るということも、読んでいて早い段階から分かります(先に挙げた生徒の悲惨な最期も、実際にはずっと先の話なのだが、読んでいる途中で明かされてしまう)。

 あとは、生徒の内の誰がブロウディ先生を裏切ったかということがミステリ的ですが、これもおおよそ検討はつかなくもないです。作者は、ミス・ブロウディを通して、人間の思念の暴走とその成れの果ての悲惨を描き、そこに、作者が得意とするフラシュフォワード的な手法を織り込むことで「決定論」的な世界を構築してみせたものと思われます。ただ、どちらかと言えばやはりストーリーよりも技巧の小説でした(自分にとっては)。

「ミス・ブロディの青春」3.jpg この作品は、ロナルド・ニーム監督(「ポセイドン・アドベンチャー」('72年)、「オデッサ・ファイル」('74年))、マギー・スミス(「ナイル殺人事件」('78年)、「地中海殺人事件」('82年))主演で「ミス・ブロディの青春」('69年/英)として映画化され(邦題でブロディ→ブロディに。そのブロディ組は6人から4人に圧縮されていた)、マギー・スミスが1969年・第23回「英国アカデミー賞」並びに1970年・第42回「アカデミー賞」の主演女優賞をW受賞しています。

「ミス・ブロディの青春」2.jpg 1930年頃、スコットランドの首都エジンバラ。マーシア・ブレーンという名門女子高があった。先生たちは、みな地味だったが、一人ミス・ジーン・ブロディ(マギー・スミス)だけは違っていた。派手な服装、ウィットに富んだ会話そして自分はいま、青春のただ中にいると公言してはばからなかった。彼女に反感を持った生徒もいたが、逆に、彼女に惹かれ〈ブロディ一家〉と称する生徒たちもいた。サンディ(パメラ・フランクリン)、モニカ、ジェニー、メリーの四人組である。一方ブロディは、美術教師テディ(ロバート・スティーブンス)の恋人なのだが、彼の態度が煮えきらないので、音楽教師ゴードンに心を移した。こんな一件に生徒たちが関心を持たないはずがない。加えて学校側も攻撃に出る。ブロディの立場は少しずつ悪くなっていく。やがてゴードンが離れ、テディも離れていく。だがブロディはテディのことを忘れることが出来ない。テディとて同じこと。ブロディの代りにサンディをモデルにして絵を描いていたが、顔だけはブロディになってしまう。このことはサンディの心を、いたく傷つけた。やがてブロディにとって進退きわまりない事件が持ちあがった。スペイン戦争を賛美した彼女の教えに、生徒の一人メリーが兄を訪ねて戦場に行ったのである。そして空爆に遭い死んでしまった。攻撃の矢は、いっせいにブロディに向けられ、ついに退職するところまで追いつめられた。頼みの生徒サンディも彼女に背を向ける。ここに来て初めて、ブロディは、自らの青春が終りを告げたことを知るのだった―。

「ミス・ブロディの青春」5.jpg 映画では、冒頭からマギー・スミス演じるブロディ先生は学校に新しい息吹をもたらすエースであるかのように颯爽と登場し、女性校長はそれを良く思わない頑固な守旧派のような形で始まって、この点では小説と同じですが、やがてすぐにブロウディ先生はどこかおかしいということが伝わってくるようになっています。それと、映像で見るせいか、性的抑圧が強い印象を受け(実際に複数の男性教師から誘惑される)、彼女の行動の根底にそうしたものがあることを原作以上に窺わせるものとなっていました(サンディって原作ではメガネかけていたっけ。美術教師テディの絵のヌードモデルになるのは原作と同じで、原作では愛人に)。

 映画では小説のようなフラシュフォワード的な手法は使われておらず、ブロウディ先生が生徒の裏切りに遭って学校を追われるまでが描かれていますが、学校の授業で、ムッソリー率いる黒シャツ隊の映像を生徒に見せて賛美するのはやはりマズいでしょう。ミス・ブロウディというキャラクターの歪みを分かりやすく描いていましたが、それが画一的な描かれ方にはなっておらず、一定のリアリティを保っているところは、マギー・スミスの演技力によると思われます。

「ミス・ブロディの青春」34.jpg 美術教師テディが最初ブロディの代りにサンディとは別の女生徒をモデルに絵を描くも、目がマギー・スミスになっていて女生徒とは似ておらず、彼が描く少年少女や、果ては犬までもがマギー・スミスの目になっているのがご愛敬でした(行き詰ってヌード画家に転身した?)。

ミス・ブロディの青春 [DVD]
「ミス・ブロディの青春」6.jpg「ミス・ブウディの青春」.jpg「ミス・ブロディの青春」●原題:THE PRIME OF MISS JEAN BRODIE●制作年:1969年●制作国:イギリス●監督:ロナルド・ニーム●製作:ロバート・フライアー●脚本:ジェイ・プレッソン・アレン●撮影:テッド・ムーア●音楽:ロッド・マッキューン●時間:102分●出演:マギー・スミス/ロバート・スティーブンス/パメラ・フランクリン/ゴードン・ジャクソン/ジェーン・カー/セリア・ジョンソン/シャーリー・スティードマン/ダイアン・グレイソン●日本公開:1969/11●配給:20世紀フォックス((評価:★★★☆)

【2015年叢書化[白水社Uブックス(岡 照雄:訳)/2015年単行本[河出書房新社(『ブロディ先生の青春』木村政則:訳)]】

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「運転席」に座って主人公を"ドライブ"しているのは"狂気"か。今まで読んだことないタイプの話だった。
『運転席』.jpg  「運転席」vhs.jpg The Driver's Seat.jpg
運転席 (1972年) (ハヤカワ・ノヴェルズ)』/映画「サイコティック」エリザベス・テイラー/「The Driver's Seat/Impulse [DVD]」(ウィリアム・シャトナー主演「Impulse(「キラー・インパルス/殺しの日本刀」)」とセット)

 ヨーロッパのとある北の国で、会計事務所の事務員として働く女性リズは、4か国語を話す30代独身キャリアウーマンである。その彼女がとある南の国へ海外旅行に出かける。チンドン屋みたいにド派手な色合いの服を着て 練り歩き、店員、通行人、警察官、旅先で知りあった人たちに絡んでは、自分の臭跡を残していく。それはやがて起こる悲劇の伏線となる―。

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1970年に発表した小説で、原題もまさにThe Driver's Seat。リズは、旅行の目的地に向かう飛行機の機内においてから、両隣りに座った男性と噛み合わない会話をし、旅先でも出会った老女と何だかおかしい会話をしています。何のための旅行と思われるところがありますが、要は「運命の人」を探すのが旅の目的らしいということがわかってきます。

 ここからはネタバレになりますが、彼女は目的地に着いた翌日、現地の「公園のなかの空き別荘の庭で、手首をスカーフで、足首を男のネクタイで縛られたうえ、めった刺しにされた惨死体として」発見されることが、この作家独特のフラッシュフォワード(結末の先取り)として、早いうちに読者に知らされます。したがって、彼女はどうしてそんなことになったのか、物語はミステリの様相を帯びてきます。

 ところが、さらにここからネタバレになりますが、どうやら彼女が探していた「運命の人」というのは自分を殺してくれる男性だったようです。つまり、彼女は自分の死に向かってまっしぐらに突き進んでいるわけで、最終的にその目的を果たしたようです。

 なぜ彼女がそんなことになっているのかは、作者は直接語ろうとはしないため、彼女の行動、彼女の見るもの、彼女が接触する人物との遣り取りを通して推し測るしかないのですが、とても理解できるようなものではありません。「ホワイダニット」を探る読者に対して作者は「フーダニット」までは示しますが、「ホワイダニット」は読者が自ら考えるしかないのでしょう(作中にも「嬰q長調の"ホワイダニット"」との示唆がある)。

 「フーダニット」といっても、そうした性向を持った男性を探し当てたものの、いわば無理強いした嘱託殺人のようなもので、犯人も被害者のようなものかも。因みに「探し当てた男性」は偶然にも彼女が旅先で出会った老女の甥で、しかも、さらに偶然には、実は彼女がこの旅行の早い段階で会っていた!このオチは面白かったです。ある意味、確かに「運命の人」(実態は単なる〈神経症〉男なのだが)。フラッシュフォワード的記述が伏線になっていたましたが、見抜けませんでした。

 「運転席」というタイトルは、おそらく彼女の行動をドライブしている(駆り立てている)何者かを示唆しているのでしょう。自殺者が死に向かって突き進む話はありますが、自殺者は自分で死に向かって脚本を書くのに対し、リズの場合は誰かが書いた脚本をひたすら演じているようであり、ある種「解離性人格障害」のようにも思いました。

 「運転席」に座ってリズを"ドライブ"しているのは"狂気"でしょうか。今までまったく読んだことのないタイプの小説でした。


Driver's Seat (Identikit).jpg映画「運転席」.jpg この作品は「悦楽の闇」('75年/伊)のジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ監督により「サイコティック/Driver's Seat (Identikit)」('74年/伊)としてエリザベス・テイラー主演で映画化され、エリザベス・テイラーは、アガサ・クリスティの『鏡は横にひび割れて』の映画化作品でガイ・ハミルトン監督の「クリスタル殺人事件」('80年/英)など凖主役級(「クリスタル殺人事件」の場合、一応は主演は犯人役のエリザベス・テーラーではなくミス・マープル役のアンジェラ・ランズベリーということになる)の出演作はこの後にもありましたが、純粋な主演作品としては42裁で出演したこの映画が最後の作品になりました。

Driver's Seat (Identikit)0.jpg 映画は劇場未公開で、80年代に日Driver's Seat (Identikit)7.jpg本語ビデオが「パワースポーツ企画販売」という主としてグラビア系映像ソフトを手掛ける会社から「サイコティック」というタイトルで発売(年月不明)され、こうした会社からリリースされたのは、テイラーの乳首が透けて見えるカットがあるためでしょうか("色モノ"扱い?)。'20年5月にDVDの海外版が再リリーズ、'22年12月VOD(動画配信サービス)のU-NEXTで日本語字幕付きで配信されました。

 ある意味、原作通り映像化しているため、原作を知らない人にはわけが分からなかったのDriver's Seat (Identikit)4.jpgではないでしょうか。一部改変されていて、リズが当初からインターポールにマークされている設定になっていますが(ただしその理由は最後まで明かされない)、これは、映画の脚本にも参加したミュリエル・スパークがインターポールに勤務したことがあるという経歴の持ち主のためでしょうか(アンディ・ウォーホルが出演している)。

Driver's Seat (Identikit)3.jpg エリザベス・テイラーは体当たり的にこの難役に挑んでいますが、役が役だけに、また、ましてやオチが不条理オチだけに、評判はイマイチだったようです(彼女の生涯最悪の映画とも言われているらしい)。

 この映画のエリザベス・テイラーの演技を見ていると、すべては性的欲求不満が原因のように思えてきますが(彼女はそうした欲求不満の女性を演じるのが上手かった)、この主人公は性的交渉自体を望んでいるわけではありません。主人公が望むのはあくまで「死」であり、彼女がそこまで至ってしまうのは、当時の女性に対する社会的抑圧も誘因としてあったのかなという気がします。

Driver's Seat (Identikit)9.jpg また、「嘱託殺人」を選んだのは、主人公がカソリックで、自殺が禁じられていることも理由として考えられるように思いました(自分を殺す際に手足を縛ることまで要求したのは、あくまでも殺人だと印象付けるため)。

 先にも述べた通り、エリザベス・テイラーの長い映画キャリアの中で最も酷い作品とも評されていますが、原作を念頭に置けばそう酷評されるような作品ではなく、むしろよく出来ていると思います。撮影は「ラストエンペラー」のヴィットリオ・ストラーロ、音楽は「家族の肖像」のフランコ・マンニーノであることから、イタリアの製作陣はそれなりの人材を配したのではないでしょうか。イタリア語タイトルは"Smrt u Rimu"(「ローマの死」)。原作では「南の国」としか言われていませんが、いろいろな点で原作をイメージするのにうってつけの作品と言えます。

Driver's Seat (Identikit)2.jpgDriver's Seat (Identikit)5.jpg「サイコティック」●原題:IDENTIKIT(DRIVER'S SEAT/伊:SMRT U RIMU)●制作年:1974年●制作国:イタリア●監督:ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ●製作:フランコ・ロッセリーニ●脚本:ラファエル・ラ・カプリア/ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ/ミュリエル・スパーク●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:フランコ・マンニーノ●時間:105分●出演:エリザベス・テイラー/イアン・バネン/グイード・マンナリ/モナ・ウォッシュボーン/アンディ・ウォーホル●配信:2022/12●配信元:U-NEXT(評価:★★★★)

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面白い。もう再現不可能な、結構贅沢かつ貴重な俳優陣並びに配役ではなかったか。

「ナイト・オン・ザ・プラネット」000.jpg
ナイト・オン・ザ・プラネット [DVD]」ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ

 ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキを舞台に、タクシードライバーと乗客の人間模様を描く、1991年のジム・ジャームッシュ監督のオムニバス映画です。

ナイト・オン・ザ・プラネット1-1.jpgロサンゼルス 若い女性タクシー運転手コーキー(ウィノナ・ライダー)は、空港で出会ったビバリーヒルズへ行こうとしている中年女性ヴィクトリア(ジーナ・ローランズ)を乗せる。映画のキャスティング・ディレクターであるヴィクトリアは、新作に出演する女優を探し出すのに手を焼いていた。口は汚いがチャーミングなコーキーに可能性を感じたヴィクトリアはある提案をする―。

ナイト・オン・ザ・プラネット1-2.jpg ウィノナ・ライダー(当時19歳)がいい。こうした役を演じつつ、2年後のマーティン・スコセッシ監督の「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」('93年/米)で伝統主義的な貴族の娘を演じて「ゴールデングローブ賞助演女優賞」を受賞しているからスゴイ。2001年に窃盗罪で逮捕され有罪となりキャリアが途切れかかったが、何とかつながった(10代の頃に境界性パーソナリティ障害を患っていたということと関係しているのか)。ジーナ・ローランズが佇むラストの余韻もいい。

ナイト・オン・ザ・プラネット2-1.jpgニューヨーク 寒い街角で、黒人の男ヨーヨー(ジャンカルロ・エスポジート)はブルックリンへ帰るためタクシーを拾おうとするが、なかなか捕まらない。ようやく捕まえたタクシーを運転していたのは、東ドイツからやってきたばかりのヘルムート(アーミン・ミューラー=スタール)。しかし彼は英語がうまく話せず、その上オートマ車の運転もろくにできない。降りようにも降りられないヨーヨーは、自分でタクシーナイト・オン・ザ・プラネット2-2.jpgを運転する―。

 面白かった。タクシー運転手役のアーミン・ミューラー=スタールは元々東ドイツの俳優で、政府によりブラックリストに載せられたため、1980年、西ドイツに逃亡する形で移住、反体制運動に加担しキャリアを断たれてから2年後、俳優業を再開し、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の「ベロニカ・フォスのあこがれ」('82年/西独)で完全復活している。映画では、ラストはちょっと心許ないヘルムートだった。

ナイト・オン・ザ・プラネット3-1.jpgパリ 大使に会いに行くという黒人の乗客2人の態度に腹を立てたコートジボワール移民のタクシー運転手(イザック・ド・バンコレ)は、我慢ならず途中下車させてしまう。そこに若い盲目の女(ベアトリス・ダル)が乗車する。当初、運転手は気が強く態度の大きい女に苛立っていたが。だが、彼は晴眼者のナイト・オン・ザ・プラネット3-2.jpg自分以上に鋭い感覚を持つ女には物事の本質が的確に見えているように思え、何とも言い難い強い印象を受ける―。

 ジャン=ジャック・ベネックス監督の「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」('86年/仏)でデビューしたベアトリス・ダルがいい。ラストで風を受けて川べりを歩くシーンが特に。

ナイト・オン・ザ・プラネット4-1.jpgローマ 1人で無線相手にうるさく話しかけるタクシー運転手ジーノ(ロベルト・ベニーニ)は神父(パオロ・ボナチェリ)を乗せる。そして、せっかく神父を乗せたのだからと勝手に懺悔し始めるが、その内容は傍から見ればハレンチな艶笑話ばかり。神父は心臓が悪く薬を飲もうとするが、ジーノの乱暴な運転のせいで薬を落としてしまう。仕方なく神父は、我慢してジーノの"懺悔"を聞き続ける―。

ナイト・オン・ザ・プラネット4-2.jpg ロベルト・ベニーニが可笑しい。ジム・ジャームッシュ監督の「ダウン・バイ・ロー」('86年/米・西独)に続くこの作品で注目を集め、自身が監督・脚本・主演を務めた「ライフ・イズ・ビューティフル」('97年/伊)は「アカデミー賞」では本命のトム・ハンクス(「プライベート・ライアン」)を押しのけて主演男優賞を受賞した。彼にとっては、そうしたステップアップの基となった作品。

ナイト・オン・ザ・プラネット5-1.jpgヘルシンキ 凍りついた街で無線連絡を受けたタクシー運転手ミカ(マッティ・ペロンパー)。待っていたのは酔っ払って動かない3人の労働者風の男。その中の1人アキは酔い潰れていて車に乗ってからも眠っているが、残る2人はミカに、今日がアキにとってどれほど不幸な1日かを高らかに語り始める。しかし、ミカは今、アキとは比べ物にならないほどに不幸であるがために、彼らの話に動じることはナイト・オン・ザ・プラネット5-2.jpgなかった―。

 タクシー運転手ミカ役のマッティ・ペロンパーは俳優兼ミュージシャンで、フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督のコメディ・ロードムービー「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」('89年/フィンランド・スウェーデン)に主演している。酔っ払い役を演じた他の俳優らも、ミュージシャンでもあったり、アキ・カウリスマキ監督の作品に出ていたりするようだ。アキ・カウリスマキ監督と同じような俳優の使い方をしているのが興味深い。


 90年代のレンタルビデオ全盛期にビデオショップで借りて「拾い物」だった作品です。自主制作映画なのですが、今こうして振り返ると、もう再現不可能な、結構贅沢かつ貴重な俳優陣並びに配役ではなかったでしょうか。

ナイト・オン・ザ・プラネットv.jpgナイト・オン・ザ・プラネット0.jpg「ナイト・オン・ザ・プラネット」●原題:NIGHT ON EARTH●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:ジム・ジャームッシュ●撮影:フレデリック・エルムス●音楽:トム・ウェイツ●時間:129分●出演:(ロサンゼルス)ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ/(ニューヨーク)アーミン・ミューラー=スタール/ジャンカルロ・エスポジート/アンジェラ - ロージー・ペレス/(パリ) イザック・ド・バンコレ/ベアトリス・ダル/(ローマ)ロベルト・ベニーニ/パオロ・ボナチェリ/(ヘルシンキ) マッティ・ペロンパー/カリ・ヴァーナネン/サカリ・クオスマネン/トミ・サルミラ●日本公開:1992/04●配給:フランス映画社(評価:★★★★)●最初に観た場所[再見]:シネマート新宿(スクリーン2)(24-03-08)

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ゴチック・ムービー×フェミニズム映画。エマ・ストーンの熱演&怪演に尽きる。

[哀れなるものたち.jpg哀れなるものたち0.jpg
「哀れなるものたち」エマ・ストーン

哀れなるものたち3.jpg 医学生のマックス・マッキャンドルス(ラミー・ユセフ)は、外科医で研究者のゴドウィン・バクスター(通称ゴッド)(ウィレム・デフォー)の助手に選ばれる。ゴッドはベラ・バクスター(エマ・ストーン)という知能が未発達の成人女性の研究をしてお哀れなるものたち2.jpgり、マックスはベラが覚えた言葉や食べた物を記録する仕事を引き受ける。ベラはゴッドの家の中に閉じ込められ、日々多くの語彙や感情を覚え、次第には性の歓びをも覚えていく。マックスは近くで観察する時間を過ごす中で、ベラに好意を抱くようになる。ベラの正体をゴッドに問い詰めたマックスは、次のよ哀れなるものたち5.jpgうな事実を知らされる。ある時、ヴィクトリア(エマ・ストーン、二役)という妊婦が橋から飛哀れなるものたち4.jpgび降り自殺をし、その遺体を発見したゴッドが、生存していた胎児の脳を妊婦に移殖して生き返らせたのだという。ゴッドの励ましを受け、マックスはベラに結婚を申し込み、ベラもそれを受け入れた。しかし、知性が急速に発達していったベラは自然と外の世界に興味を持ち始め、結婚の契約のために家に上がり込んだ放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく―。

哀れなるものたち1.jpg ヨルゴス・ランティモス監督の2023年作で、「女王陛下のお気に入り」('18年/英・アイルランド・米)の時のエマ・ストーンと再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化したもの。2023年・第80回「ベネチア国際映画祭 金獅子賞」を受賞し、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、脚色賞ほか計11部門にノミネートされ、主演女優賞、衣装デザイン賞、美術賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の4部門で受賞しました。

 2023年10月28日には全世界での劇場公開に先駆け東京国際映画祭で上映され、2024年1月、R18+指定作品としては異例の約330スクリーンという大規模で公開、Dolby Atmos版も同時上映され、個人的にはそれを観ました。

哀れなるものたち (ハヤカワepi文庫 ク 7-1 epi111)』['23年9月]カバーイラスト:アラスター・グレイ
哀れなるものたち表紙絵.jpg哀れなるものたち (ハヤカワepi文庫).jpg 原作は1992年に発表されたアラスター・グレイ(自作の挿画や表紙絵を自分で手掛けることで知られる)の同名小説('23年/ハヤカワepi文庫)で、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)などをルーツとするゴチック小説並びにゴチック・ムービーの系譜と見ていいのではないでしょうか(最近自分が観た中では、テリー・ギリアム監督の「Dr.パルナサスの鏡」 ('09年/英・カナダ)などもゴチック・ムービーと言えるか)。同時に、ポジティブで、パワフルなフェミニズム映画にもなっています。

哀れなるものたち6.jpg哀れなるものたち7.jpg 「ラ・ラ・ランド」('16年/米)で2016年・第73回「ベネチア国際映画祭 女優賞」、第74回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメデアカデミー賞 2024 エマ・ストーン.jpgィ部門)」、第89回「アカデミー賞アカデミー主演女優賞」受賞のエマ・ストーンが、この作品でも2024年・第81回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)」、第96回「アカデミー主演女優賞」を受賞しました。

 「アカデミー主演女優賞」では、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」('23年/米)のリリー・グラッドストーンが対抗馬とされていましたが、リリー・グラッドストーンは受け身的な演技が多かったため、ここまでエマ・ストーンに熱演&怪演されると、エマ・ストーンに賞を持っていかれるのは仕方がないかなという感じです。

[哀れなるものたちp.jpg 最後に、ベラが母であるヴィクトリアの自殺の原因が暴力的で残虐な夫・アルフィー(クリストファー・アボット)にあったことを突き止め、医者としてゴッドの研究を引き継ぐことを決意したベラが、(手始めに?)アルフィーにヤギの脳を移殖したという、言わば復讐劇的なオチでした。

 ただし、ベラ=ヴィクトリアの関係において、母ヴィクトリアの躰に胎児ベラの脳を移植した場合、ベラがヴィクトリアの身体を支配するという、それが可能かどうかはともかく、至極"科学的"な前提で物語が進んでいるのに、最後にアルフィーがヤギになったような終わり方(クリス・ウェイラス監督の「ザ・フライ2 二世誕生」 ('88年/米)がこのパターンだった)になっていて、そこに矛盾を感じました。

 「ザ・フライ2 二世誕生」の場合は、悪玉の科学者がハエ男にされてしまうという"因果応報"的結末でしたが、この映画では、ベラ=ヴィクトリアの関係に準じれば、ヤギがアルフィーの躰を支配していることになり、アルフィーとしての意識は無いため、"因果応報"になっていないように思います。面白かったし、衣装や美術、特撮も見応えがあっただけに、そこのみ残念でした。

 原作はもっと凝った枠組みのメタ物語の構成になっているようですが、映画のラストに相当する部分はどうなっていたでしょうか。

「哀れなるものたち」●原題:POOR THINGS●制作年:2023年●制作国:イギリス・アメリカ・アイルランド●監督:ヨルゴス・ランティモス●製作:エド・ギニー/アンドリュー・ロウ/ヨルゴス・ランティモス/エマ・ストーン●脚本:トニー・マクナマラ●撮影:ロビー・ライアン●音楽:イェルスキン・フェンドリックス●時間:141分●出演:エマ・ストーン/マーク・ラファロ/ウィレム・デフォー/ラミー・ユセフ/クリストファー・アボット/キャサリン・ハンター/ジェロッド・カーマイケル/マーガレット・クアリー●日本公開:2024/01●配給:ディズニー●最初に観た場所:TOHOシネマズ日比谷(スクリーン5・デジタルTCX DOLBYATMOS上映)(23-02-08)((評価:★★★★)
TOHOシネマズ日比谷 スクリーン5.jpg

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独特の映像美。やはりこの監督の作品は高画質で観るに限ると改めて思った。

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ノスタルジア [DVD]
「ノスタルジア」1.jpg イタリア中部トスカーナ地方、朝露にけむる田園風景に男と女が到着する。モスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)と通訳のエウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)。二人は、ロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を辿っていた。18世紀にイタリアを放浪し、農奴制が敷かれた故国に戻り自死したサスノフスキーを追う旅。その旅も終りに近づく中、アンドレイは病に冒されていた。古の温泉地バーニョ・ヴィニョーニで「ノスタルジア」2.jpg、二人はドメニコという男と出会う。彼は、世界の終末が訪れたと信じ、家族で7年間も家に閉じこもり、人々に狂信者と噂される男だった。ドメニコのあばら屋に入ったアンドレイは、彼に一途の希望を見る。ドメニコは、広場の温泉を蝋燭の火を消さずに渡り切れたなら世界はまだ救われると言うのだ。アンドレイが宿に帰ると、エウジェニ「ノスタルジア」3.gifアが恋人のいるローマに行くと言い残して旅立った。再びアンドレイの脳裏を故郷のイメージがよぎる。ローマに戻ったアンドレイは、エウジェニアからの電話で、ドメニコが命がけのデモンストレーションをしにローマに来ていることを知る。ローマのカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス皇帝の騎馬像に登って演説するドメニコ。一方、アンドレイはドメニコとの約束を果たしにバーニョ・ヴィニョーニに引き返し、蝋燭に火をつけて広場の温泉を渡り切ることに挑む決意をする。演説を終えたドメニコがガソリンを浴び火をつけて騎馬像から転落した頃、アンドレイは、火を消さないようにと、二度、三度と温泉を渡り切る試みを繰り返すのだった―。

 アンドレイ・タルコフスキーが1983年にイタリアで製作したイタリア、ソ連合作映画。1983年・第36回「カンヌ国際映画祭」創造映画大賞(「監督賞」相当)受賞作(「国際映画批評家連盟賞」「エキュメニック審査員賞」も併せて受賞)。ローマのチネテカ・ナチオナーレの協力で 4Kで 修復が行われ、「ノスタルジア」5.jpgボローニャ復元映画祭2022でワールドプレミア上映されたものが日本でもロードショー公開されたので観に行きました。そして、やはりこの監督の作品は独特の映像美が真骨頂であり、4Kで観るに限ると改めて思った作品でした。

 主人公のアンドレイには、その名の通り、祖国を追放になったタルコフスキー自身が反映されているし、彼がその足跡を辿る放浪詩人サスノフスキーにもそれは反映されているとみていいでしょう。彼の故郷の記憶が夢に甦る場面は、「惑星ソラリス」('72年)や「」('75年)にも通じるところがあるように思いました。哲学的なムードが漂いますが「ノスタルジア」という情緒的なタイトルのもと、映像詩として鑑賞すれば、意外とシンプルに伝わってくる作品ではないでしょうか。

「ノスタルジア」4.jpg タルコフスキー作品は、'80年に「岩波ホール」で「鏡」(を観て、その今までどの映画でも観たことのない類の映像美に圧倒されました。3年後の'83年3月に「大井ロマン」で再見しましたしたが、その際に併映だった「ストーカー」('79年)は、観ていてSF仕立ての筋を追いすぎたせいか、逆にあまり頭に入ってきませんでした(結局何も起こらないので眠くなった(笑))。同年5月に「大井武蔵野館」で「惑星ソラリス」を観ましたが、これも同様、あまり頭に入ってこない。ところが'23年に「シネマブルースタジオ」で「惑星ソラリス」を再見して、こんな分かりやすい映画だったかと(クリストファー・ノーランの「インセプション」('10年/米)を観た時、おそらくそれに影響を与えたと思われるこの作品のあらすじを確認したというのもある)。そこで今回は、先述の通り、最初からタルコフスキー独自の映像詩としての美しさを堪能するつもりで、あらすじの方は事前に押さえた上で鑑賞しました。そしたら、堪能できました。

 今のところ、タルコフスキー映画の'72年以降5作の個人的評価は、評価の高い順位に、
 「鏡」('75年)..................... ★★★★★
 「惑星ソラリス」('72年)....... ★★★★☆
 「ノスタルジア」('83年)....... ★★★★
 「サクリファイス」('76年).... ★★★☆
 「ストーカー」('79年)......... ★★★
とちょうど段階的になっている感じで、ただし、「ストーカー」なども観直してみたら「ソラリス」みたいに評価が変わるかもしれません。とにかく、寝不足で映画館に行かない方がいいのは確かです(笑)。

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「ノスタルジア」0.jpg「ノスタルジア」6.jpg「ノスタルジア」●原題:NOSTALGHIA●制作年:1983年●制作国:イタリア・ソ連●監督:アンドレイ・タルコフスキー●製作:レンツォ・ロッセリーニ/マノロ・ポロニーニ●脚本: アンドレイ・タルコフスキー/トニーノ・グエッラ●撮影:ジュゼッペ・ランチ●時間:126分●出演:オレーグ・ヤンコフスキー/エルランド・ヨセフソン/ドミツィアナ・ジョルダーノ/パトリツィア・テレーノ/ラウラ・デ・マルキ/デリア・ボッカルド/ミレナ・ヴコティッチ●日本公開:1984/03●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(24-02-13)(4K修復版)(23-02-08)(評価:★★★★)

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カタルシス効果は弱いが、デカダンスな雰囲気を醸す映像はスタイリッシュ。

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「花の影」張國榮(レスリー・チャン)/鞏俐(コン・リー)/林健華(リン・チェンホア)
「花の影」1.jpg「花の影」2.jpg「花の影」3.jpg 富豪に嫁いだ姉を頼り、蘇州にやってきた少年・「花の影」コンり―.jpg忠良(チョンリァン)。そこでは当主の愛娘・如意(ルーイー)を始め、皆が阿片に酔いしれていた。退廃した空気の中、最愛の姉に弄ばれ絶望した忠良は屋敷を飛びだす。時は過ぎ、1920年代の魔都・上海。心に傷を負って女性を愛せなくなった忠良(張国栄(レスリー・チャン))は、人妻を誘惑して金品を巻き上げる上海マフィア配下のジゴロとなっていた。そんな彼に、マフィアのボスが故郷の女富豪を誘惑する様に命令を下す。彼女こそ、美しく成長した如意(鞏俐(コン・リー))だった。様々な思惑を交差させながら、二人はいつしか本気で愛し合うようになるが―。
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「花の影」00.jpg「花の影」9.jpg 1996年公開作で、陳凱歌(チェン・カイコー)監督のもと、「さらば、わが愛/覇王別姫」('93年/中国)に続いて張国栄(レスリー・チャン)と鞏俐(コン・リー)が再び組んだメロドラマ。1920年代の上海と蘇州を舞台に退廃的で破滅的な男女の愛を描いています。

 「さらば、わが愛/覇王別姫」に比べ、政治が背景に後退し、恋愛メロドラマ的要素が前面に出ています。「さらば、わが愛/覇王別姫」で一人の男性を巡って愛を争ったレスリー・チャンとコン・リーが、今度は愛し合う関係になっていますが、と言っても陳凱歌なので一筋縄ではいきません。レスリー・チャン演じる忠良は、幼い頃に姉夫婦に性的虐待を受け、「心が死んでいて」人を愛せない性質になってしまっています。

 最後はコン・リー演じる如意にそのことをズバリと言われ、彼女は別の男と結婚することに。そこで忠良とった行動は―。う~ん、ちょっとやり過ぎという感じ。他人のモノになるならいっそ自分が...ということでしょうが、彼の愛が結局はエゴでしかないことをよく表していると言えばそうだけれども、後味があまりよくない(結局、姉の夫、つまり如意の父親も彼がヒ素を使って廃人にしたのか)。

「花の影」4.jpg というわけでカタルシス効果は弱いですが、デカダンスな雰囲気を醸す映像はスタイリッシュでもあります。室内シーンが多いせいか、クリストファー・ドイルっぽくはなかったかもしれませんが、この映像美を味わうだけでも価値はあるように思いました。

 考えてみれば、香港のレスリー・チャンと中国のコン・リーと、如意の家に養子に行く端午(ドァンウー)を演じた台湾の林健華(リン・チェンホア=ケビン・リン)の3か国スター"揃い踏み"。その中でも端午の変貌が興味深く、特にラストは"大変貌"を遂げていました(まさか頼りない雰囲気だった彼が最後に〇〇になるとは(苦笑)。血統主義の中国らしいと言えばそうだが)。

鞏俐 風月.jpg周迅 風月.jpg周迅(ジョウ・シュン).png 当時30歳のコン・リーが奇麗。忠良が行くナイトクラブの垢抜けない少女(アヘン中毒者?)は周迅(ジョウ・シュン)だったのかあ。婁燁(ロウ・イエ)監督の 「ふたりの人魚(蘇州河)」(1998年撮影)の2年前、20歳の頃ということになりますが、全然分からなかったです。

鞏俐(コン・リー)/周迅(ジョウ・シュン)

「花の影」1.jpg「花の影」5.jpg「花の影」●原題:風月(英:TEMPTRESS MOON)●制作年:1996年●制作国:香港・中国●監督:陳凱歌(チェン・カイコー)●製作:湯君年(タン・チュンニェン)/徐楓(シュー・フォン)●脚本:舒琪(シュウ・チー)●撮影: クリストファー・ドイル(杜可風)●音楽: 趙季平(チャオ・チーピン)●原案: 陳凱歌/王安憶(ワン・アンイー)●時間:128分●出演:張國榮(レスリー・チャン)/鞏俐(コン・リー)/林健華(リン・チェンホア)/何賽飛(ホー・サイ新文芸坐2024年02月26日.jpgフェイ)/呉大維(デヴィッド・ウー)/謝添(シェ・ティェン)/周野芒(ジョウ・イェマン)/周潔(ジョウ・ジェ)/葛香亭(コー・シャンホン)/周迅(ジョウ・シュン)●日本公開:1996/12●配給:日本ヘラルド映画(評価:★★★☆)●最初に観た場所[4K版]:池袋・新文芸坐(24-02-26)
新文芸坐(2024年2月26日撮影)

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日本初の本格的トーキー映画。「音」をモチーフにしている点が工夫されていた。

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あの頃映画 マダムと女房/春琴抄 お琴と佐助 [DVD]
「マダムと女房」1931.jpg「マダムと女房」11.jpg 劇作家の芝野新作(渡辺篤)は、「上演料500円」の大仕事を受け、静かな環境で集中して台本を書くため、郊外の住宅地で借家を探し歩いていた。そのうち路上で写生をしていた画家(横尾泥海男)と言い争いになり、それを銭湯帰りの隣の「マダム」こと山川滝子(伊達里子)が仲裁する。妻・絹代(田中絹代)や2人の子供とともに新居に越してきた新作だったが、仕事に取りかかろうとするたびに、野良猫の鳴き声や、薬売りなどに邪魔をされ、何日も仕事がはかどらない。ある日、隣家でパーティーが開かれ、ジャズの演奏が始まった。新作はたまらず隣家に乗り込むが、応対したのはかつての「マダム」だった。マダムは自身がジャズ・バンドの歌手であることを明かし、音楽家仲間を紹介した。新作は言われるままに隣家に上がり、酒をすすめられ、とも「マダムと女房」3.jpgに歌った。その頃、絹代は窓越しに隣家の様子を見ていた。「ブロードウェイ・メロディー」を口ずさみながら上機嫌で帰宅した新作を絹代は叱りつけ、嫉妬心からミシンの音を立て始め、果てには「洋服を買ってちょうだい」とねだる。新作はそんな絹代に取り合おうとせず、「上演料500円。不言実行」と告げて机に向かう。数日後。芝野家は、百貨店から自宅へ戻る道を歩いていた。住宅の新築工事や、空を飛ぶ飛行機をながめながら談笑し、一家はささやかな幸福を噛みしめる。そのうち「マダム」宅から「私の青空」のメロディが流れ、一家は口ずさみながら家路につく―。

「マダムと女房」2.jpg 1931(昭和6)年公開の五所平之助監督作で、松竹キネマ製作(松竹キネマ蒲田撮影所撮影)の日本初の本格的トーキー映画。全編同時録音で撮影され、カットの変わり目で音が途切れぬよう、3台のカメラを同時に回して撮影されており、1931年度の「キネマ旬報ベストテン」で第1位作品です。

 脚本の北村小松は、同年の小津映画監督「淑女と髯」「東京の合唱(コーラス)」の脚本家(原作者)でもあります(「東京の合唱」は同年「キネマ旬報ベストテン」第3位にランクインしている)。

 ストーリーだけ見れば何てことはない話ですが、トーキーということを意識して「音」というのを1つの重要なモチーフにしている点が工夫されているように思いました。ラストでそれまで和装だった一家が洋装になっていて、空飛ぶ飛行機を見上げながら自分たちもいつかそれに乗ろうという話をしているのも、新しい時代を感じさせ、トーキー第1作に相応しいと言えるかも(ただし、映画公開の翌月1931年9月に満州事変が勃発しているのだが)。

「マダムと女房」6.jpg 小津安二郎監督の 「大学は出たけれど」('29年)で当時19歳で主人公の許嫁を演じて初々しかった田中絹代は、この作品当時は当時21歳。役柄上、手のかかる子どもが二人いて、しかも旦那の稼ぎが安定しないために、少しやつれた感じになっています(21歳で夫とは倦怠期で、二人の子どもを抱え、生活に追われているのかあ。昔は今より早婚だったから現実にこうしたことがあったかもしれない)。

 結局ハッピーエンドだったのですが、ラストシーンで彼女も夫に倣ってばっちり洋装で決めたかと思ったら、仕立ての良さそうな和服で、髪だけがやや洋髪の和洋折衷(?)でした。う~ん、'29年に世界恐慌があり、「大学は出たけれど」('29年)や「東京の合唱(コーラス)」('31年)にはバックグラウンドとしてその影響が観られますが、この映画を観ていると(飛行機で旅行したいという夢の行き先がハワイと大阪の違いはあるが)昭和の高度経済成長期の初期と重なるイメージがあって、不思議な印象も。

 冒頭に出てくる新作と喧嘩する画家に横尾泥海男(でかお、身長が185㎝あり、黒澤明監督の「虎の尾を踏む男達」('52年(製作は'45年)に常陸坊の役で出演している)、その喧嘩で倒れたイーゼルのために自分が運転するトラックが通行できなくなり、「このガラクタを轢いちまうぞ」と叫ぶ運転手に、「出来ごころ」('34年)、「浮草物語」('34年)、「東京の宿」('35年)などの主演で小津映画の常連の坂本武(カメオ出演)、新作の家に薬の訪問販売に来る怪しげな(最初の内は不気味ですらある)男に、「一人息子」('36年)など小津映画で気のいい人物を演じることが多い日守新一(清水宏監督の「按摩と女」('34年)や「簪(かんざし)」('41年)にも出演)などが出ていました(日守新一らしく、結局、単にい調子のいい押し売りだった)。

「マダムと女房」1p2.jpg「マダムと女房」1p.jpg「マダムと女房」●制作年:1931年●監督:五所平之助●脚本:北村小松●撮影:水谷至宏/星野斉/山田吉男●時間:56分●出演:渡辺篤/田中絹代/市村美津子/伊達里子/横尾泥海男/吉谷久雄/月田一郎/日守新一/小林十九二/関時男/坂本武/井上雪子●公開:1931/08●配給:松竹キネマ●最初に観た場所:神保町シアター(24-02-27)(評価:★★★☆)

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シリアスな中にコミカルな要素がうまく散りばめられている。生活風俗記録としても貴重。

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煙突の見える場所 [DVD]」上原謙/田中絹代「煙突の見える場所 [DVD]」芥川比呂志/高峰秀子

「煙突の見える場所」01.jpg 東京北千住のおばけ煙突―それは見る場所によって一本にも二本にも、又三本四本にも見える。界隈に暮す人々を絶えず驚かせ、そして親しまれていた。......足袋問屋に勤める緒方隆吉(上原謙)は、両隣で競いあう祈祷の太鼓とラジオ屋の雑音ぐらいにしか悩みの種をもたぬ平凡な中年男だが、戦災で行方不明の前夫をもつ妻・弘子(田中絹代)には、どこか狐独な影があった。だから彼女が競輪場のアルバイトでそっと貯金していることを知ったりすると、それが夫を喜ばせるためとは判っても、隆吉はどうも裏切られたような気持になる。緒方家二階の下宿人で人のいい税務署員・久保健三(芥川比呂志)は、隣室にこれまた下「煙突の見える場所」06.jpg宿する上野の街頭放送のアナウンサー・東仙子(高峰秀子)が好きなのだが、相手の気持がわからない。彼女は残酷なくらい冷静なのだ。そんな一家の縁側にある日、捨子があった。添えられた手紙によれば弘子の前夫・塚原(田中春男)の仕業である。戦災前後のごたごたから弘子はまだ塚原の籍を抜けていない。二重結婚の咎めを怖れた隆吉は届出ることもできず、徒らにイライラし、弘子を責める。泣きわめく赤ん坊が憎くてたまらない。夜も眼れぬ二階と階下の「煙突の見える場所」32.jpgイライラが高じ、とうとう弘子が家出したり引戻したりの大騒ぎに。さらには赤ん坊が重病に罹る。慌てて看病をはじめた夫婦は、病勢の一進一退につれて、いつか本気で心配し安堵するようになる。健三の尽力で赤ん坊は塚原の今は別れた後妻・勝子(花井蘭子)の子であることがわかり、当の勝子が引取りに現われた時には、夫婦は赤ん坊を渡したくない気持ちになっていた。彼らはすつかり和解していた。赤ん坊騒ぎに巻き込まれて、冷静一方の仙子の顔にもどこか女らしさが仄めき、健三は楽しかった―。

「煙突の見える場所」05.jpg 1953年公開の五所平之助監督作で、「文學界」に掲載された椎名麟三の「無邪気な人々」を小国英雄が脚色したもので、'53年「ベルリン国際映画祭」で「国際平和賞」を受賞しています。

「煙突の見える場所」07.jpg 今住んでいるぼろ家の家賃が三千円と安いため、引っ越しできないという上原謙と田中絹代の主人公夫婦が置かれている状況は、社会派リアリズムと言っていいのでは。少しでもやり繰り「煙突の見える場所」09.png.jpgをと2階の6畳と4畳半を若い人に貸していますが(又貸しはOKか)、その若者2人を演じるのが芥川比呂志と高峰秀子で、考えてみれば、場所は狭いが配役は豪華では(笑)。この男女2人が襖一つ挟んで会話しているところから、2人の仲はそう悪くないということが窺われますが(それでも今だったら考えられないシチュエーション)、下で上原謙と田中絹代が繰り広げる夫婦喧嘩の内容が全部聴こえてくるというのは、益々プライバシーも何もあったものではないなあと。

「煙突の見える場所」08.jpg 上原謙と田中絹代の主人公夫婦は共に悲観主義者で、どんどん暗くなっていき、田中絹代演じる妻は最後には荒川で入水自殺しようまでします(「山椒大夫」みたいだけれど荒川で死ねるのか?)。こうしたぺシミズムの進行に待ったを掛けるのが、高峰秀子が演じる あくまでも前向きな(今風に言えば)OLで、このオプティミズムは高峰秀子にぴったり。一方、そうしたおせっかいに付き合わされる人のいい税務署員が芥川比呂志で、このコミカルな演技ぶりが意外性があり、また、全体としても、(ラストはハッピーエンドだがプロセスにおいて)シリアスな中にコミカルな要素がうまく散りばめられる効果にもなっていました。芥川比呂志はこの作品の演技で、1953年・第8回「ブルーリボン賞 男優助演賞」受賞。音楽の芥川也寸志が同賞の「音楽賞」を受賞しているため、兄弟受賞になります(最後、入水自殺を図る妻を助けるのも彼。気付けに川の水を飲ませていたけれど、隅田川ではなく荒川だから、何とか飲めるのか)。

「煙突の見える場所」04.jpg 因みに「お化け煙突」があった千住火力発電所は、かつて東京都足立区にあった東京電力の火力発電所で、1926(大正15)年から1963(昭和38)年までの間、隅田川沿いに在りましたが、施設の老朽化と豊洲に新しい火力発電所が建設されたことが理由で、翌年には取り壊されました。煙突の一部が2005(平成17)年3月末まで存在した足立区立元宿小学校で、滑り台として使用されていましたが、現在は帝京科学大学千住キャンパスの敷地内でモニュメントとして保存されています。映画の人々が住んでいる場所は、隅田川の北岸にあった煙突のさらに荒川を挟んで北側で、現在の足立区・梅田近辺と思われます。「お化け煙突」はもちろん、当時の庶民の生活風俗記録としても貴重な側面を持った映画かと思います。

お化け煙突モニュメント
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「煙突の見える場所」38.jpg「煙突の見える場所」1953.jpg「煙突の見える場所」35.jpg「煙突の見える場所」●制作年:1953年●監督:五所平之助●製作:内山義重●脚本:小国英雄●撮影:三浦光雄●音楽:芥川也寸志●原作:椎名麟三●時間:108分●出演:上原謙/田中絹代/芥川比呂志/高峰秀子/関千恵子/田中春男/花井蘭子/浦辺粂子/坂本武/星ひかる/大原栄子/三好栄子/中村是好/小倉繁●公開:●最初に観た場所:神保町シアター(24-03-19)(評価:★★★☆)煙突の見える場所 [DVD]

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佐野周二主演では川島雄三監督の「とんかつ大将」と同じくらい泣けたかも。

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大阪の宿 [DVD]
「大阪の宿」0.jpg 東京の保険会社に勤める独身の三田(佐野周二)は、組合側に加担して重役を殴り、大阪に左遷された。彼が首にならなかったのは、親友の田原(細川俊夫)が多額な保険金を契約しているからであった。三田が下宿した安旅館「酔月荘」にはおりか(水戸光子)、おつぎ(川崎弘子)、お米(左幸子)という三人の女中がいた。甲斐性のない亭主を持つおりかは、同宿人「大阪の宿」2.jpgの金を盗み酔月荘を追放されるが、三田は就職等いろいろ面倒をみてやった。おつぎは忙しく働かされて一人息子に会う暇もない。十四の時から男を知っているというお米は、三田を口説きにかかるが、とっつき難さに愛想をつかす。毎夜遅くまで内職の飜訳をしている三田の許へ南地の芸者うわばみ(乙羽信子)が訪ねてきて、大酒を飲む。田原に誘われて飲みに行って以来の知り合いで、彼女は三田を愛していた。しかし二人の関係は友「大阪の宿」3.jpg人以上には発展しない。三田には秘めた片想いの恋人がいたのだ。通勤の途中、御堂筋のポストの所で必ず会う女事務員である。彼女・井元貴美子(恵ミチ子)は田原の先輩で大洋々行を経営する井元(北沢彪)の娘である事をつきとめるが、井元は三田の会社の支店長に浮貸を取立てられて自殺し、大洋々行も閉鎖したので、貴美子も行方知れずとなった。憤慨したうわばみは或る酒席でこれを暴露し、三田は再び支店長と喧嘩して東京の本社へ追放されることとなる。酔月荘も時流に抗しきれず、おかみは温泉マークの連れ込み宿に改造する決心をし、おつぎは迫出され、お米は女中とも商売女ともつかず働く。止宿人も宿変えを迫られる。三田は商業都市・大阪の生んだ不幸な庶民、おつぎ、おりか、うわばみ等に見送られながら、感慨をこめて大阪を後にする―。

「大阪の宿」8.jpg 五所平之助監督の1954年公開作で、原作は水上滝太郎。同じ三田派の久保田万太郎が監修し、八住利雄と監督の五所平之助の共同脚本作です。

 東京から大阪に左遷された佐野周二演じる主人公の会社員・三田が下宿する「酔月荘」という安旅館で働く3人の女中(演じるのは水戸光子・川崎弘子と当時23歳と若い左幸子)が良く、"うわばみ"というあだ名の大酒飲みの芸者を演じた乙羽信子も当然のことながらいいです。

 三田が突き付けられる"貧困"の現実は厳しいですが、リアリズムと並行して、女性たちの喜怒哀楽が、慈しみのこもったタッチで描かれているは、五所平之助監督のきめ細い演出の賜物です。監督の戦後の作品の中でも秀作とされているようです。

「大阪の宿」6.jpg「大阪の宿」7.jpg 佐野周二が演じる三田は、女性たちの生き方を描く際の狂言回し的な位置づけですが、悪くないです。「今の世の中、カネ、カネ、カネだ。一体「人」はどこへ行ってしまったんだろう」と嘆き、本当に彼女たちが困っている時は助けますが、どちらかというとそう積極的に行動を起こす方ではなく、最後には乙羽信子演じるうわばみに対しても「君とは住む世界が違う」と言ってしまいます。言われた方は傷つくだろうなあ(この辺りに反発を抱き、この映画を評価しない人もいるようだ)。

「大阪の宿」5.jpg それでも、三田が東京に戻ることになった前夜の送別会には女たちが集い(まさに彼が皆から愛されていた証拠!)、盟友であり、正論を主張して重役を首になった田原も相席して、「月が~出た出た~月が~出た~三池炭鉱の~上に出た~」と皆で歌うシーンには涙腺が緩みます。

「大阪の宿」4.jpg その席に一つだけ座る者の居ない座布団があって、来なかったのは当時19歳の安西郷子演じる薄幸の少女です。でも、彼女も缶工場で活き活きと働いている姿があって良かった! ただ1つ欠けていたピースを最後に嵌めたという感じしょうか。その工場の傍を三田が乗っていると思われる列車が駆け抜けていくラストが旨いです。

 佐野周二主演では川島雄三監督の「とんかつ大将」('52年/松竹)と同じくらい泣けたかもしれません(この2作、エリートから見た庶民という点で、少し似ている面がある)。

藤原釜足(おっちゃん)
「大阪の宿」ポスター.jpg「大阪の宿」f.jpg「大阪の宿」●制作年:1954年●監督:五所平之助●監修:久保田万太郎●脚本:八住利雄/五所平之助●撮影:小原譲治●音楽:団伊玖磨●原作:水上滝太郎●時間:122分●出演:佐野周二/細川俊夫/乙羽信子/恵ミチ子/水戸光子/川崎弘子/左幸子/三好栄子/藤原釜足/安西郷子/多々良純/北沢彪/十朱久雄/中村彰/水上貴夫/若宮清子/城実穂●公開:1954/04●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-03-15)(評価:★★★★)<.font>


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ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞作。家族をテーマにその心情の機微を描くのは日本映画の得意分野?

「黄色いからす」台湾.jpg「黄色いからす」1957.jpg 「黄色いからす」21.jpg
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「黄色いからす」22.jpg 吉田一郎(伊藤雄之助)が15年ぶり中国から戻った時、妻マチ子(淡島千景)は鎌倉彫の手内職で息子・清(設楽幸嗣)と細々暮していた。博古堂の女経営者・松本雪子(田中絹代)は隣家のよしみ以上に何かと好意を示していたが、雪子の養女・春子(安村まさ子)と清は大の仲良し。一郎は以前の勤務先・南陽「黄色いからす」cs.jpg商事に戻り、かつて後輩だった課長・秋月(多々良純)の下で、戦前とまるで変った仕事内容を覚えようと必死。清は甘えたくも取りつくしまがない。一年が過ぎ、吉田家には赤ん坊が生れ、光子と名付けられたが、清は一郎の愛情が移ったのに不満。小動物小昆虫の飼育で僅かにうさを晴らすが、一郎にそれまで叱られる。ある日、清らは上級生と喧嘩の現場を担任の靖子先生(久我美子)に見つかる。その晩、会社の不満を酒でまざらして一郎が戻った処に、喧嘩仲間の子のお婆さん(飯田蝶子)が孫がケガしたと文句をつけてきた。身に覚えのない清だが、一郎に防空壕へ閉め込まれてしまう。翌日は清と雪子、春子3人のピクニックの日。猟銃で負傷したカラスの子を幼い2人は自分らの〈動物園〉に入れようと約束した。留守中、吉田家を訪れた靖子は、清の絵に子供の煩悶と不幸が現われていると語り、マチ子は胸をつかれる。その夜は機嫌のいい一郎、清も凧上げ大会に出す大凧をねだるが、カラスのことは話せなかった。次の日、靖子先生が近く辞めると聞いた清は落胆。加えて留守番中、上級生の悪童らにからかわれて喧嘩となり、赤ん坊の光子まで傷を負う。マチ子の驚き、一郎の怒り、揚句の果て可愛いカラスまで放り出され凧の約束も無駄、清は「お父さんのうそつき、死んじまえ」と書いた紙を残し、大晦日の晩、靖子先生に貰ったオルゴールを抱いて家出し、林の中や海辺を彷徨う―。
  
「黄色いからす」31.png 1957年公開の五所平之助監督作で、1958年・第15回「ゴールデングローブ賞」の「外国語映画賞」受賞作。木下惠介の「二十四の瞳」('54年/松竹)や市川崑監督の「鍵」('59年/大映)が同賞を獲った時もそうですが、この頃のゴールデングローブ賞の「最優秀」外国語映画賞は(賞のワールドワイドな権威づけを図ってのことと思うが)一時に4作品から5作品に与えられることがあり、この「黄色いからす」も受賞作3作のうちの1作。それでも凄いことには違いありません、ただし、日本映画でこのレベルのものはまだまだ多くあるように思われ、それだけ、家族をテーマにその心情の機微を描いてみせるのは、昔から日本映画の得意分野(?)だったのかなとも思ったりします。

 30代の淡島千景(1924年生まれ)、40代の田中絹代(1909年生まれ)、20代の久我美子(1931年生まれ)の3人の女優の演技が楽しめる映画でもありますが、淡島千景の夫を気遣いながら、夫と子の会話の橋渡しを(時におろおろしながら)する演技は、妻と母の心情を旨く表現できていたと思いました。田中絹代は磐石の安定感、久我美子は女学生役から脱して今度は先生に、といったところでしょうか。

 伊藤雄之助(黒澤明監督「生きる」('52年/東宝)の小説家役が印象的)は役者としては強面な感じで、この父親の役はどうかなと思いましたが、観ているうちに次第に嵌っているように思えてきました。会社に戻ってきたら、かつての自分の部下が上司になっていて、彼の言うには仕事の「システム」がもう昔とは違うと。何だか、今の企業社会の「年上の部下」(「年下の上司)問題や「デジタルデバイド」の問題とダブるところがあるようにも思えました(現代で15年仕事から遠ざかったら、完全復帰は絶対無理かも)。

「黄色いからす」23.jpg この作品も、最後は何とかハッピーエンド。親たちの方が自分たちの非を悟るという、「子どもの権利」という意味でも、わりかし今日的課題を孕んだ映画でした(昔は「教育ママ」と言われて揶揄のレベルだったものが、今日では「教育虐待」として虐待の一類型とされる時代だからなあ)。

 とまれ、妻が夫に戦争の傷痕から来た家庭の危機を涙と共に訴えたことで、お隣の雪子に連れられ清が戻って来た時、一郎も始めて清を力強く抱きしめることに。明けて元旦、靖子先生に送る、と清の描く画も今は明るい色調となり、凧上げに急ぐ一郎と清の足どりも軽く弾む―。やや甘い気もしますが、この映画を観た神保町シアターの特集のタイトルが「叙情派の巨匠―映画監督・五所平之助」とのことで、この監督らしい作品と言えばそういうことになるのかもしれません。

「黄色いからす」32.jpg「黄色いからす」●制作年:1957年●監督:五所平之助●製作:加賀二郎/内山義重●脚本:館岡謙之助/長谷部慶次●撮影:宮島義勇●音楽:芥川也寸志●時間:103分●出演:淡島千景/伊藤雄之助/設楽幸嗣/田中絹代/安村まさ子/久我美子/多々良純/高原駿雄/飯田蝶子/中村是好/沼田曜一●公開:1957/02●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-03-19)(評価:★★★☆)

淡島千景...吉田マチ子
伊藤雄之助...夫一郎
田中絹代...松本雪子
久我美子...芦原靖子


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単なるメロドラマになってしまった「愛情の系譜」。岡田茉莉子はやはり「香華」か。

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「愛情の系譜」(1961/11 松竹)
「「香華(こうげ)」.jpg 香華 1964.jpg 香華 木下 00.jpg 香華 木下 01.jpg
「香華」(1964/05 松竹)
「愛情の系譜」01.jpg 米国留学を終えた吉見藍子(岡田茉莉子)は、帰国してから国際社会福祉協会に勤め社会事業に打ちこんでいた。その関係から彼女は、旋盤工の兼藤良晴(宗方勝巳)を補導しながらその更生を願っていたが、良晴は彼女に一途な思いを寄せていた。しかし藍子には、米国で結ばれた電力会社の有能な技師・立花研一(三橋達也)という恋人があった。藍子の母・克代(乙羽信子)は家政婦紹介所を営み、妹の紅子(桑野みゆき)は高校に通っていた。勝気な克代は子供達に父親は戦死したといっているが、夫の周三(山村聡)は杉電気の社長として実業界の大立物であった。藍子と紅子はふとしたことから父のことを知った。二十年前、克代の父に望まれ彼女と結婚して吉見農場の養子となった周三は、老人の死後、老母や兄夫婦の冷たい仕打ちに家を飛び出してしまった。杉を愛する克代は彼を追って復縁を迫ったが断わられ、克代は無理心中を図った。だが、二人とも生命をとりとめたのであった。藍子は自分の体の中に母と同じ血が流れていることを知った。その頃、立花には縁談が進められていた、化粧品会社を経営する未亡人・香月藤尾(高峰三枝子)の一人娘・苑子(牧紀子)との話である。ある日良晴は、藍子が自分に寄せる好意を、男女の愛情と勘違いして藍子に迫るが、藍子に突放されてしまう。それからの良晴の生活は荒れ、遂には夜の女を殺害するという事態に陥る。一方、立花は苑子との結婚のために藍子との関係を清算しようとしていた。立花のアパートを訪れた藍子は、眠っている立花の枕元からの手紙でそのことを知り、立花を殺そうとするが、どうしても殺すことができなかった。傷心の藍子は、父のところに飛び込む。翌朝、杉の知らせで克代も駆けつけて来た―。

『愛情の系譜』1.jpg 五所平之助監督の1961年11月公開作で、原作は円地文子の『愛情の系譜』('61年5月刊/新潮社)。原作を比較的忠実に映像化していますが、結果として「てんこ盛り」的になったという感じです。原作のイメージを視覚的に確認するのにはいいですが、ややストーリー全体のテンポが鈍くなってしまいました(例えば、原作では、藍子が父親の存命や母親との過去の経緯を知るのは前半部分のかなり早い段階だが、映画では後半に入ってから)。

『愛情の系譜』['61年]『愛情の系譜 (1966年) (角川文庫)

 原作のテーマは、文庫解説の竹西寛子が指摘しているように、形而上学的なものなのですが(敢えて言えば、「エゴイスティックな愛」を超えた「博愛」のようなもの)、そうした観念を振りかざさずことをせず、皮膚感覚的な面も含め、描写を通して読者に接しているところに、原作の「独自性」があります。映画の方は、その表象のみを描いたため、ちょっと単なるメロドラマになってしまった感じで、「愛情の系譜」の何たるかは分からなくもないですが、主人公がそれを乗り越えたという実感がイマイチでした。

「愛情の系譜」p.jpg 映画は、主人公・藍子が外人のガイドをして鷺山を見学している場面から始まり、そこへ、鷺を撮影している一人の中年の男性が話しかけます。藍子はガイド以外に罪を犯した青少年を更生させたりする仕事もしていて、その仕事に生き甲斐を感じていますが、結婚直前まで進んでいる恋人の立花はあまり評価していない様子。妹の紅子は最近派手な行動が目立ってきて母・克代は心配していますが、実は紅子が会っていたのは死んだと聞いていた父で、今は杉周三という名で事業を成功させおり、それが、藍子が鷺山で出会った紳士でした。杉は北海道で克代と結婚していたものの確執があり、克代からは離れようとした際に克代が杉をナイフで刺して怪我を負わせてしまい、克代は今も杉を恨み関わることを嫌っています。一方、立花は取引先の実業家の娘との縁談が持ち上がり、はっきり藍子に話せずにいて、藍子の方は、面倒を見ていた不良少年が殺人を犯してしまい、原因は藍子にそっけなくされて自暴自棄になったためらしい―と、やっぱり今一度振り返っても"盛り沢山"過ぎます(笑)。

 最後、藍子は立花を殺そうとガスの元栓を開けますが、すんでのところで留まって立花との別れを決心するのも、母・克代が父・杉周三を訪ね和解するのも原作と同じ。ただし、藍子が殺人を犯した良晴を諭して自首しに行くのに付き添うところで映画は終わりますが、原作はその前に、妹・紅子の恋人の法学生・叶正彦(園井啓介)が良晴を諭して自首しに行くのに付き添います。

 多分、正彦の役どころを映画で藍子に置き換えたのは、テーマを浮かび上がらせるためだったと思いますが、結果的に、正彦って何のためにいるのか分からない存在になってしまいました。原作では、良晴のメンター的存在であることが窺えます。映画では、紅子が自分の部屋に泊りに来ても手を出さない聖人君子みたいな描かれ方ですが、原作では正彦の内面での葛藤が描かれています。やはり、原作を読んでしまったから物足りなさを感じるのでしょうか。

「香華」3.jpg 同じく乙羽信子が母親、岡田茉莉子が娘を演じた映画に、木下惠介監督の「香華」('64年/松竹)があり、原作は有吉佐和子ですが、こちらの方が良かったです(原作を読んでいないせいか)。母娘の確執を描いたものでは、最近でも湊かなえ原作、廣木隆一 監督の「母性」('22年)などがありますが、そうした類の映画ではベストの部類ではないかと思います。二部構成で、木下惠介作品では最長の3時間超(204分)の長さですが、冗長は感じませんでした。

「香華」2.jpg 乙羽信子演じる母・郁代が実に身勝手そのものの性格で、その淫蕩な生活がたたって岡田茉莉子演じる娘・朋子は芸者に売られることになりますが、それから暫くして借金苦のため、郁代自身も芸者となり、芸者として成功する娘に対して母の方はすっかり落ちぶれ、それでもあれやこれやで娘に迷惑をかけるという展開の話です(同じ置屋に母と娘がいるというのが凄まじい)。

 岡田茉莉子は 吉田喜重監督の「秋津温泉」('62年)で温泉旅館の娘・新子の17歳から34歳までを演じましたが、この「香華」では娘・朋子の17歳から63歳までを演じています。個人的には彼女の代表作であり、最高傑作の部類だと思います。

 木下惠介監督はこの作品で、1964(昭和39年)年度・第15「芸術選奨(映画部門)」を受賞していますが、世間ではあまり評価されているように思えない作品で、原因としては、「原作を忠実に映画化しただけではないか」との評価があるためのようです。

 原作を読むと、そういった評価になってしまうのでしょうか。「香華」の原作も「婦人公論読者賞」や「小説新潮賞」を受賞しており、今回の自分が原作を読んでしまった(それで映画化作品に物足りななさを感じた)「愛憎の系譜」との関係で、ちょっと考えさられてしまいました。


「愛情の系譜」神保町.jpg「愛情の系譜」●制作年:1961年●監督:五所平之助●製作:月森仙之助/五所平之助●脚本:八住利雄●撮影:木塚誠一●音楽:芥川也寸志●原作:円地文子●時間:108分●出演:岡田茉莉子/三橋達也/桑野みゆき/山村聡/園井啓介/牧紀子/乙羽信子/高峰三枝子/宗方勝巳/市川翠扇/千石規子/殿山泰司/陶隆/十朱久雄●公開:1961/11●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-03-15)(評価:★★★)<.font>

神保町シアター

岡田茉莉子/桑野みゆき/山村聡/高峰三枝子/殿山泰司

「香華」4.jpg「香華」1964.jpg「香華(こうげ)」●制作年:1964年●監督・脚本:木下惠介●製作:白井昌夫/木下惠介●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:有吉佐和子●時間:201分●出演:岡田茉莉子/乙羽信子/田中絹代/北村和夫/岡田英次/宇佐美淳也/加藤剛/三木のり平/村上冬樹/桂小金治/柳永二郎/市川翠扇/杉村春子/菅原文太/内藤武敏/奈良岡朋子/岩崎加根子●公開:1964/05●配給:松竹●最初に観た場所:シネマブルースタジオ(19-08-27)(評価:★★★★☆)
木下惠介生誕100年「香華〈前篇/後篇〉」 [DVD]

岡田茉莉子 (朋子)
岡田英次 (野沢)
乙羽信子 (郁代)
杉村春子 (太郎丸)
菅原文太 (杉浦)
奈良岡朋子(江崎の妻)


●「香華」あらすじ
〈吾亦紅の章〉明治37年紀州の片田舎で朋子は父を亡くした。3歳の時のことだ。母の郁代(乙羽信子)は小地主・須永つな(田中絹代)の一人娘であったが、大地主・田沢の一人息子と、須永家を継ぐことを条件に結婚したのだった。郁代は二十歳で後家になると、その美貌を見込まれて朋子をつなの手に残すと、高坂敬助(北村和夫)の後妻となった。母のつなは、そんな娘を身勝手な親不孝とののしった。が幼い朋子には、母の花嫁姿が美しく映った。朋子が母・郁代のもとに引きとられたのは、祖母つなが亡くなった後のことであった。敬助の親と合わない郁代が、二人の間に出来た安子を連れて、貧しい生活に口喧嘩の絶えない頃だった。そのため小学生の朋子は静岡の遊廓叶楼に半玉として売られた。悧発で負けず嫌いを買われた朋子は、芸事にめきめき腕を上げた。朋子が13歳になったある日、郁代が敬助に捨てられ、九重花魁として叶楼に現れた。朋子は"お母さん"と呼ぶことも口止めされ美貌で衣裳道楽で男を享楽する母をみつめて暮した。17歳になった朋子(岡田茉莉子)は、赤坂で神波伯爵(宇佐美淳也)に水揚げされ、養女先の津川家の肩入れもあって小牡丹という名で一本立ちとなった。朋子が、士官学校の生徒・江崎武「香華」5.jpg文(加藤剛)を知ったのは、この頃のことだった。一本気で真面目な朋子と江崎の恋は、許されぬ環境の中で激しく燃えた。江崎の「芸者をやめて欲しい」という言葉に、朋子は自分を賭けてやがて神波伯爵の世話で"花津川"という芸者の置屋を始め独立した。
〈三椏の章〉関東大震災を経て、年号も昭和と変わった頃、朋子は25歳で、築地に旅館"波奈家(はなのや)"を開業していた。朋子の頭の中には、江崎と結婚する夢だけがあった。母の郁代は、そんな朋子の真意も知らぬ気に、昔の家の下男・八郎(三木のり平)との年がいもない恋に身をやつしていた。そんな時、神波伯爵の訃報が知らされた。悲しみに沈む朋子に、追い打ちをかけるように、突然訪れた江崎は、結婚出来ぬ旨告げて去った。郁代が女郎であったことが原因していた。朋子の全ての希望は崩れ去った。この頃44歳になった母・郁代は、年下の八郎と結婚したいと朋子に告げた。多くの男性遍歴をして、今また結婚するという母に対し、母のため女の幸せを掴めない自分に、朋子は狐独を感じた。終戦を迎えた昭和20年、廃虚の中で、八郎と別れて帰って来た郁代に戸惑いながらも、必死に生きようとする朋子は"花の家"を再建した。それから3年、新聞に江崎の絞首刑の記事を見つけた朋子は、一目会いたいと巣鴨通いを始めた。村田事務官(内藤武敏)の好意で金網越しに会った江崎は、三椏の咲く2月、十三階段に消えていった。病気で入院中の朋子を訪ねる郁代が、交通事故で死んだのは朋子の52歳の時だった。波乱に富んだ人生に、死に顔もみせず終止符を打った母を朋子は、何か懐かしく思い出した。母の死後、子供の常治を連れて花の家に妹の安子(岩崎加根子)が帰って来た。朋子は幼い常治の成長に唯一の楽しみを求めた。昭和39年、63歳の朋子は、常治を連れて郁代のかつての願いであった田沢の墓に骨を納めに帰った。しかしそこで待っていたのは親戚の冷たい目であった。怒りに震えながらも朋子は、郁代と自分の墓をみつけることを考えながら、和歌の浦の波の音を聞くのだった―。

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『友情』『愛と死』が原作。『友情』の主体の入れ替えにやや混乱。栗原小巻は魅力全開。

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「愛と死」('71年/松竹)監督:中村登/脚本:山田太一/出演:栗原小巻・新克利・横内正・芦田伸介

「愛と死」02.jpg 水産研究所の研究員・大宮雄二(新克利)は、長かった四国の勤務を終えて横浜に帰ってきた。そして高校時代からの親友・野島進(横内正)の恋人・仲田夏子(栗原小巻)と、テニスを通じて知り合った。ある日、大宮は夏子の誕生パーティーに招待され、無意識のうちに夏子に魅せられている自分に気づき愕然とする。大宮はその時から夏子を避けようと努めたが、野島から満たされないものを感じていた夏子は、積極的に大宮に愛を打ち明けた。大宮は、友情で結ばれた野島を思うと、自然と夏子へ傾きかける自分の気持を許すことができなかった。大宮は、八戸の研究所へ2カ月間勤務することを申し出た。その夜、大宮のアパートに夏子が訪れ、彼女は野島には「愛と死」01.jpg愛情を感じていなかったと言う。二人が歩く姿を野島に目撃されたのを契機に、大宮の心は激しく夏子を求めるようになる。夏子への愛は、野島との友情さえも断ち切ってしまうほど強くなっていった。八戸に出発する日が近づいたある日、大宮は夏子の両親に会い、夏子との結婚の許しを得る。大宮は、その足で野島に会い、自分の不義を詫びた。野島は何も言わず大宮を殴り倒した。出発の日、大宮は、自分の両親に引き会わせるため夏子を連れ秋田へと向かった。2人は大宮家で2カ月間の別れを惜しんだ。独り東京に帰った夏子は、一日も欠かさず大宮に手紙を書き、2カ月間の時間が経つのを祈った。八戸に向った大宮も同じ気持だった。手紙は毎日書くという別れ際の約束も破られる事なく時間は流れていった。そしてあと2日で会えるという日、大宮のもとに夏子の父・修造(芦田伸介)から、ある電報が届く―。

山田太一(1934-2023)
山田太一.jpg武者小路実篤 友情 2.jpg愛と死 (新潮文庫)3.jpg 1971年公開作で、監督は中村登、脚本は山田太一。原作者は武者小路実篤ですが、『愛と死』だけではなく『友情』も原作にしていて、両者を合体させて時代を現代(70年代)にもってきているため、まさに脚本家の腕の見せ所といった感じでしょうか。

 前半部分は『友情』をベースにしているようですが、『友情』では「野島」は脚本家、「大宮」は作家で、ヒロインは「仲田杉子」という令嬢です。それが映画では、横内正が演じる「野島進」はCMディレクターという派手な職種で、新克利が演じる「大宮雄二」は魚類が専門の水産研究所の研究員とこちらは地味、栗原小巻が演じるヒロイン「仲田夏子」は、製薬会社の研究員となっています。ただ、原作と異なるのは、原作の主人公は「野島」であり、彼の視点で(つまり想い人を友人に奪われる側の視点で)物語が進むのに対し、映画では、新克利が演じる「大宮雄二」の視点で(つまり友人の恋人を結果的に奪う側の視点で)話が進んでいき、この辺りの主体の入れ替えが、最初観ていてやや混乱しました。

 後半は主に『愛と死』をベースにしていますが、「大宮」は罪悪感からしばしば「野島」のことを口にするという、夏目漱石の『』みたいな雰囲気も。因みに、『愛と死』の主人公は小説家の端くれである「村岡」で、これは、新克利が演じる「大宮雄二」に引き継がれています(前半部分の"主体の入れ替え"は後半に話を繋ぐためか)。原作の『愛と死』のヒロインは、「村岡」が尊敬する小説家で友人の「野々村」の妹である「夏子」となっており、栗原小巻が演じるヒロイン「仲田夏子」は、苗字の「仲田」を『友情』から、名の「夏子」を『愛と死』からとってきていることになります。

 原作では、2人は「村岡」の巴里への洋行後に結婚をするまでの仲になり、実質的に婚約へ(ただし、「大宮」が秋田県・角館の自分の実家に夏子を連れていったりする話は映画のオリジナル)。半年間の洋行の間でも互いに手紙を書き、帰国後の夫婦としての生活にお互い希望を抱いていたが...となりますが、映画では洋行ではなく、先にも述べたように八戸への2か月の赴任になっていたものの、手紙で遣り取りするのは原作と同じ(映画では電話を使わないことを「互いに声を封印した」と説明)。しかし、ラストに悲劇が訪れ、原作ではそれが夏子がスペイン風邪=新型インフルエンザによる突然死ということになっていたのが、映画では、仕事場での実験中の同僚のミスによる爆発事故死になっていました。

 原作のヒロインも利発で活発ですが、映画ではキャリアウーマン(仕事する女性)であることをより強調している感じです。一方で、友達の男女を10人ばかり自邸に呼んでゴーゴーダンスとか踊ったりして、(無理に)今風にしようとしているみたいな印象も。栗原小巻が当時流行のミニスカートでゴーゴーを踊る場面など、今観ると逆にレトロっぽいのですが、後半にかけて主人公が人間的に大人っぽっくなっていくため、その成長効果には繋がっていたかも。

 原作では、「村岡」は帰国後に深い悲しみを負いながら野々村と一緒に墓参りし、「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」という人生の無常を悟りますが、映画では夏子の父親(芦田伸介)が語るセリフがそうした哲学的な内容になっています(この中では芦田伸介でないと喋れないセリフかも。本作より先に映画化された1959年の石原裕次郎・浅丘ルリ子の日活版ではどうだったろうか)。

栗原 キネ旬.jpg 全体としてメロドラマ風になるのは仕方がないでしょうか。栗原小巻は当時26歳。原作のような「可愛い」というイメージよりも「キレイ」という感じですが、その魅力は引き出していたと思います(むしろ「全開」と言っていいのでは)。

 新(あたらし)克利と横内正は俳優座養成所の第13期生、栗原小巻は第15期ですが、栗原小巻は在籍中に抜擢されて初舞台を踏んでいます。栗原小巻は、生年月日が1日違いの吉永小百合とアイドル的人気を二分し、吉永小百合が、オファーがあって出演したかったもののヌードシーンがあるために父親か出演を許さなかったという映画「忍ぶ川」('72年)に栗原小巻が出演して、多くの演技賞を獲ったといったこともありました。

「キネマ旬報」 1971年6月下旬号(表紙:愛と死 (栗原小巻) )

 中年以降は吉永小百合が映画を主軸に据えているのに対し、栗原小巻は舞台を主軸としており、現在も活躍中です。そう言えば、「水戸黄門」の初代・格さんで知られた横内正も、シェイクスピア劇の俳優&舞台演出家として活躍中。新克利も演劇界の重鎮として存命しているのは喜ばしいことです(3人とも俳優座出身のため、演劇に回帰していくのか)。

栗原・横内・新.jpg栗原小巻(1949年生まれ)
2015年10月調布CATCH映画「愛と死」上映会/2019年2月舞台「愛の讃歌ーピアフ」/2021年6月「徹子の部屋」

横内 正(1941年生まれ)
1969年-1978年ドラマ「水戸黄門」初代渥美格之進(格さん)/1978年-1997年ドラマ「暴れん坊将軍 吉宗評判記」初代大岡忠相/2019年2月三越劇場「マクベス」(主演)のポスターを前に

(あたらし)克利(1940年生まれ)
1975年-1976年ドラマ「必殺仕置屋稼業」僧・印玄/1977年ドラマ「華麗なる刑事」刑事・田島大作(大作さん)/近影


「愛と死」p2.jpg「愛と死」03.jpg「愛と死」●英題:LOVE AND DEATH●制作年:1971年●監督:中村登●製作:島津清/武藤三郎●脚本:山田太一●撮影:宮島義勇●音楽:服部克久●原作:武者小路実篤●時間:93分●出演::栗原小巻/新克利/横内正/芦田伸介/木村俊恵/野村昭子/伴淳三郎/東山千栄子/執行佐智子/三島雅夫/鶴田忍/中田耕二/江藤孝/加村赴雄/加島潤/河原崎次郎/茅淳子/田中幸四郎/前川哲男/山口博義/ザ・ウィンキーズ●公開:1971/06●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-03-27)(評価:★★★☆)
ポスター[上]

パンフレット[左・下]
「愛と死」p1.jpg

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「主人公」は小春(有森也実)だが「主演」は渥美清、誰が誰のモデルか、で愉しめる。

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あの頃映画 「キネマの天地」 [DVD]」有森也実/中井貴一
「キネマの天地」02.jpg かつて旅回りの役者だった喜八(渥美清)は、一人娘の小春(有森也実)と二人で長屋暮らし。小春は浅草「帝国館」で人気の売り子として働いていた。ある日、小春の噂を聞きつけた映画監督の小倉(すまけい)がスカウトに来たことで「キネマの天地」arimori.jpg、小春は女優への道に。小春は見学に行った撮影現場で看護婦の役を与えられたが、いきなりのことで散々な結果となる。意気消沈した小春は女優を諦めようとするが、思いを寄せる助監督の島田(中井貴一)が説得し、大部屋女優として歩み始めた―。

「キネマの天地」ps.jpg 1986年公開の「松竹大船撮影所」50周年記念作品で、1920(大正9)年から大船に移転する1936(昭和11)年まで映画を作り続けた「松竹蒲田撮影所」が舞台。製作の契機としては、松竹映画の象徴である「蒲田行進曲」('82年/松竹)が、同じ松竹配給映画でありながらも、松竹のライバル会社の東映出身の深作欣二監督が東映京都撮影所で撮ったことを野村芳太郎プロデューサーが無念に思い、松竹内部の人間で「過去の松竹映画撮影所」を映画化したいという思いがあったとのことです。

 「蒲田行進曲」は、キネマ旬報ベスト・テン第1位となり、毎日映画コンクール日本映画大賞、ブルーリボン賞作品賞、報知映画賞作品賞、山路ふみ子映画賞などを受賞、賞レースを席巻しましたが、この「キネマの天地」はノミネートこそされたものの、主だった映画賞の作品賞(最高賞)レベルでは無冠に終わったようです。ただし、個人的には、銀四郎とヤスのサド・マゾ的な捻じれた関係から「自発的隷従」的な印象を抱いた「蒲田行進曲」は肌に合わず(もしその方向でいくなら、根岸季衣が小夏を演じた舞台のように徹底すべきだった)、山田洋次監督らしいほんわりしたこの「キネマの天地」の方が好みかもしれません(自分が歳とったせいもあるか)。

「キネマの天地」ab.jpg 脚本に井上ひさし、山田太一が加わる力の入れ様で、「蒲田行進曲」をライバル視しつつも「蒲田行進曲」に出ていた松坂慶子や平田満まで出ているオールスターキャスト、「男はつらいよ」シリーズの製作を1回飛ばしてこちらに注力しているので、渥美清、倍賞千恵子、前田吟、下條正巳、三崎千恵子、笠智衆、佐藤蛾次郎など「男はつらいよ」のレギューラーが総出演(当時15歳の吉岡秀隆は、倍賞千恵子と前田吟の夫婦の間の子の役で、役名もそのまま「満男」)、すまけい、笹野高史、美保純など凖レギューラー、毎回ノンクレット出演の出川哲朗も含め「男はつらいよ」から全員引っ越してきたという感じです。

「キネマの天地」有森中井.jpg 一方で、浅草の映画館の売り子からスター女優になる主役の「田中小春」役を「それから」('85年)の藤谷美和子が"ぷっつん"降板したため(リハーサル中に突然涙ぐんだり、気分が乗らないと芝居もウワの空で、渥美清とぶつかるなどして現場に来ない日があり、我慢強い山田洋次監督も最後はお手上げ状態になり降板となった)、エース女優降板でピンチヒッターとして主役に起用された役モデルと同様に、新人の有森也実が抜擢されました。ただ、彼女と中井貴一とのコンビは初々しいながらも、渥美清と倍賞千恵子が画面に出てきて演技をすると一気に霞んでしまう感じで、「主人公」は小春(有森也実)でペアの相手は島田(中井貴一)だけれども、「主演」は渥美清で相方は倍賞千恵子、という映画だったように思います。

 有森也実が演じた田中小春は田中絹代(1909-1977)がモデルだそうで、そうなると"すまけい"演じる小倉金之助監督は、特定モデルはいないようですが、近いところで「マダムと女房」('31年)で田中絹代をスターダムに押し上げた五所平之助(1902-1981)監督でしょうか。

「キネマの天地」松坂.jpg 松坂慶子が演じる、突然の逐電で主役を降板し、小春にチャンスをもたらすことになる川島澄江は、岡田嘉子(1902-1992)がモデル(1927(昭和2)年3月27日、主役を務める「椿姫」(村田実監督)の相手役であった竹内良一との失踪事件を起こした。小津安二郎監督の「東京の宿」('35年)などにも出ていたが、1937(昭和12)年35歳でソ連に亡命し日本に帰ったのは35年後)ですが、役名は日本映画史上初のスター女優と言われた栗島すみ子(1902-1987)に近いでしょうか。中井貴一が演じる島田健二郎は、特定のモデルはいないようですが、これも、松竹の島津保次郎(1897-1945)監督と40年代に松竹専属だった溝口健二(1898-1956)監督を掛け合わせた風の名前で、二人とも田中絹代と繋がりの深い監督でした(特に溝口健二は田中絹代に恋愛感情を抱いていたと言われている)。

「キネマの天地」岸部.jpg 岸部一徳が演じる緒方監督は小津安二郎(1903-1963)監督を明確にモデルにしており、その演出の様子まで再現していますが、小津の演出を知る笠智衆がその岸部一徳の演技を"語り下ろ「キネマの天地」r.jpgし"の自著『大船日記―小津安二郎先生の思い出』('91年/扶桑社)(後に『小津安二郎先生の思い出』('07年/朝日文庫))の中で褒めています(女優がうまく演技できない時、「外で深呼吸をして来なさい」とか言ったのかなあ)。そのほか、9代目松本幸四郎が演じた城田所長は城戸四郎がモデル、堺正章が演じた内藤監督は、蒲田時代にナンセンス喜劇の名手として鳴らした斎藤寅次郎(1905-1982)がモデルです。
女中役の演技が上手くいかず、いったん外に出る小春(有森也実)(手前は小使トモさん(笠智衆))

「キネマの天地」渥美笹野.jpg 渥美清のキャラクターは、小津安二郎監督の「出来ごころ」('34年)や「浮草物語」('34年)で主役を演じた坂本武を髣髴させ、その渥美清と笹野高史演じる屑屋との掛け合いは森の石松の「スシ食いねえ」の完全なパロディ(オリジナルは中川信夫監督の「エノケンの森の石松」('39年)での柳家金語楼と榎本健一の掛け合いなどで見ることができる)。有森也実演じる小春の初主演作は、「浮草物語」を小津自身がリメイクした「浮草」('59年)と同じタイトルでした。

 「蒲田行進曲」ほど賞には恵まれませんでしたが、山田洋次監督らしい作品でした。以前、蒲田撮影所の跡地に行きましたが、敷地内に映画「キネマの天地」で使用された松竹橋(蒲田撮影所前に架かっていた橋を再現したもの)があり、跡地に建った区民ホール「アプリコ」の玄関ホールに本物がありました。ただし、それ以外は、ここに撮影所があったという痕跡はまったく無かったように思います。

松竹キネマ蒲田撮影所(1920(大正9)年~1936(昭和11)年)/跡地:現ニッセイ「アロマスクエア」&大田区民ホール「アプリコ」)(2023.5.13撮影)
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映画「キネマの天地」で使用された松竹橋(再現版)と区民ホール「アプリコ」内にある実物(2023.5.13撮影)
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「キネマの天地」dm[.jpg「キネマの天地」t.jpg「キネマの天地」●英題:FINAL TAKE-THE GOLDEN DAYS OF MOVIES●制作年:1986年●監督:山田洋次●製作:野村芳太郎●脚本:山田洋次/井上ひさし/山田太一/朝間義隆●撮影:高羽哲夫●音楽:山本直純●時間:135分●出演:渥美清/中井貴一/有森也実/すまけい/岸部一徳/堺正「キネマの天地」s.jpg章/柄本明/山本晋也/なべおさみ/大和田伸也/松坂慶子/津嘉山正種/田中健/美保純/広岡瞬/レオナルド熊/山城新伍/油井昌由樹/アパッチけ(中本賢)/光石研/山田隆夫/石井均/笠智衆/桜井センリ/山「キネマの天地」y.jpg内静夫/桃井かおり/木の実ナナ/下條正巳/三崎千恵子/平田満/財津一郎/石倉三郎/ハナ肇/佐藤蛾次郎/松田春翠/関敬六/倍賞千恵子/前田吟/吉岡秀隆/笹野高史/ 出川哲朗(ノンクレジット)/(以下、特別出演)9代目松本幸四郎/藤山寛美●公開:1986/08●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-04-05)(評価:★★★☆)
山田洋次監督(手前は すまけい)
映画で辿る――山田太一と木下惠介.jpg IMG_20240405_162016.jpg 神保町シアター

「キネマの天地」dvd.jpg「キネマの天地」kyasuto.jpg岸部一徳(緒方監督(小津安二郎がモデル))/柄本明(佐伯監督)/松坂慶子(川島澄江(岡田嘉子がモデル))/すまけい(小倉金之助監督)/9代目松本幸四郎(城田所長(城戸四郎がモデル))/笠智衆(小使トモさん)/桃井かおり(彰子妃殿下)/倍賞千恵子(ゆき)/前田吟(ゆきの亭主・弘吉)
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タジキスタン内戦下での恋愛。ロープウェイでのデート。"愛は時や場所を選ばず"。

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「コシュ・バ・コシュ」
「コシュ・バ・コシュ」1.jpg 内戦状態にある中央アジア・タジキスタンの首都ドゥシャンベで、ロープウェイの操縦士として働く青年ダレル(ダレル・マジダフ)。一方、モスクワから久々にドゥシャンベに帰ってきた女性ミラ(パウリーナ・ガルベス)は、父が「コシュ・バ・コシュ」3.jpg賭博で作った借金のかたにされてしまう。街で銃声が鳴り響く中、都会的なミラに一目惚れしたダレルは彼女の愛を獲得するべく突き進むが―。

バフティヤル・フドイナザーロフ.jpg 1993年公開のタジキスタンのバフティヤル・フドイナザーロフ監督(1965-2015/49歳没)作で、長編デビュー作「少年、機関車に乗る」('91年/タジキスタン・ソ連)で国際的に注目された同監督の長編第2作であり、内戦下のタジキスタンを舞台に若い男女の不器用な恋の行方を綴ったラブストーリー。1993年・第50回「ヴェネツィア国際映画祭」で銀獅子賞(監督賞)を受賞しています。

バフティヤル・フドイナザーロフ監督(1965-2015/49歳没)

「コシュ・バ・コシュ」v.jpg 因みにタジキスタンは、1991年のソ連の崩壊でタジキスタン共和国として独立したのですが、独立直後から共産党勢力とイスラム勢力の内戦状態が長く続き、最終和平合意が成立したのは1997年6月で、この間、内戦により約6万人が死亡したと言われています。

「コシュ・バ・コシュ」6.jpg タイトルの「コシュ・バ・コシュ」は、タジクの賭博用語で"勝ち負けなし"という意味だそうで、ここでは主人公の青年の恋模様を象徴していると思われます。一方の、主人公の女性は「コシュ・バ・コシュ」7.jpg、最後に「父の死」という哀しい思いをすることになりますが、気づいてみれば、そうした辛いことばかりではなかったことが示唆されています(彼女にとっても"勝ち負けなし"か)。ということで、一応はアンハッピーエンドな面もありながら、ハッピーエンドでもあると言えるのですが、実態としては結局父親の負債は、それを肩代わりした青年に引き継がれているだけなので、これから先も二人は大変だなあと(この青年もギャンブルで取り返そうと考えているところからすると依存症? かつての賭博仲間が誰も相手にしてくれないのは、誰もがトラブルに巻き込まれたくないからか)。

「コシュ・バ・コシュ」4.jpg 冒頭の女性の父親らが賭けをやる場面が迫真の演技で、この監督の演出力にただならぬものを感じました。青年の飄々とした雰囲気も良かったです。でも、将来がちょっと心配(笑)。砲火の音が響く一方で(実際に撮影の後半は内戦が激化した時期だったとのこと)、淡々と続く人々の生活を牧歌的なムードの中に描き、戦時下での恋、ロープウェイでのデートと、"愛は時や場所を選ばず"という主題を上手く浮き彫りにしていたように思います。

「コシュ・バ・コシュ」2.jpg 撮影に使われたロープウェイは、グーグルマップで検索すると今もあるみたいですが、観光用で使われているのかどうかはよくわかりません(そう言えば、この映画では、ロープウェイで干し草とか運んでいたけれど、観光客らしきはまったく出てこなかった)。個人的には、「ロープウェイが出てくる映画」のベスト5に入れておきたい作品です。
 
「コシュ・バ・コシュ」5.jpg「コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って」●原題:KOSH BA KOSH●制作年:1993年●制作国:タジキスタン●監督:バフティヤル・フドイナザーロフ●脚本:バフティヤル・フドイナザーロフ/レオニード・マフカーモフ●撮影:ゲオルギー・ザラーエフ●音楽:アフマド・バカエフ●時間:96分●出演:パウリーナ・ガルベス/ダレル・マジダフ/ボホドゥル・ジュラバエフ/アルバルジ・バヒロワ/ナビ・ベグムロドフ/ラジャブ・フセイノフ/ズィーズィデン・ヌーロフ●日本公開:1994/08●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-04-02)((評価:★★★★)

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出てくる人が皆 "過剰"で、予想のつかないことが次から次へと起きる。テーマ的には家族の絆か。

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ルナ・パパ [DVD]
「ルナ・パパ」0.jpg 満月の夜、女優を夢見るマムラカット(チュルパン・ハマートヴァ)は森で舞台俳優と名乗る男に声をかけられて互いに結ばれ「ルナ・パパ」1.jpgる。その後体の変調に気づいたマムラカットは村の医師を訪ねたものの、医師は流れ弾に当たって死ぬ。仕方なく父親(アト・ムハメドシャノフ)に妊娠を打ち明けるが、激怒した父親は戦争で精神を病んだ息子ナスレディン(モーリッツ・ブライプトロイ「ルナ・パパ」64.jpg)と彼女を引き連れて相手の男捜しに東奔西走。道中、困窮した状況を察したマムラカットは、売血を試みるが、ひょんなことから何もせずに金を貰えることに。村に帰ると、父親がわからない子を妊娠した彼女への村人からの罵倒が絶えず、一人村を出て列車に乗り込むマムラカットは、車内で売血の際に会った男と再会する。将来を悲観したマムラカットにその男は結婚を申し「ルナ・パパ」6.jpg出る。そして結婚式。だが晴れの舞台は一転し、新郎と父親の頭上に何故か空から牛が降ってきて直「ルナ・パパ」7.jpg撃、二人は湖にら落下して溺死するという悲劇に。後に月夜の男が判明。しかし、その男は、飛行機から牛を突き落とした男でもあった。怒ったマムラカットがその男に銃口を向けると、男は恐怖のあまり昏睡状態になる。兄ナスレディンは村人たちの怒号に追い詰められた妹のマムラカットを石垣の上に建つ家に逃す。するとその家の天井についた扇風機がプロペラとなり―。

「ルナ・パパ」監督.jpg 「ルナ・パパ」は、バフティヤル・フドイナザーロフ監督による1999年公開のファンタジックなドラマ。1999年の東京国際映画祭で上映され、「最優秀芸術貢献賞」を受賞した作品です。キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの三か国の国境が接する地域(グーグルマップで見ると、この辺りは国境が入り組んでいて、確かに作品に出てきた大きな湖もある)に3.5キロメートルにも及ぶ広大なセット建てて撮られた作品そうで、吹きさらしの荒野、西部劇みたいな舞台は、無声映画時代の(「グリード」('24年/米)に出てくるような)ハリウッドの砂漠のようでもあります。

バフティヤル・フドイナザーロフ監督(1965-2015/49歳没)

「ルナ・パパ」4.jpg「ルナ・パパ」2.jpg 出てくる人びとが皆何かにつけて"過剰"で、予想だにつかないことが次から次へと起き、まったく先が読めない展開で飽きさせませんでした。終盤は、風刺の色合いを強めるとともに、一気にファンタジスティックな展開へ。でも、一方で、そ「ルナ・パパ」668.jpgこまでにリアリズムを積み上げているから、それだけファンタジーの効果があるのでしょう。ラスト、「心の狭い人たちよ、さようなら」と語り手の「(母親の胎内にいる)ボク」は言い残して、「家」は、「天空の城 ラピュタ」の如く舞い上がります。

 今まで観たことのないタイプの作風の映画でしたが(テーマ的には家族の絆の要素が濃いか)、強いて言えばユーゴスラビアのサラエヴォ(現在はボスニア・ヘルツェゴビナの首都)出身のエミール・クリトリッツァ監督の「アンダーグラウンド」('95年/仏・独・ハンガリー・ユーゴスラビア・ブルガリア)や「黒猫・白猫」('98年/仏・独・ユーゴスラビア)などに通じるものがあるかなと勝手に思ったりもしました(ユーゴスラビアとタジキスタン、地理的には少し遠いが)。ネットで見たら、同じ印象を持った人がいたようです。

「ルナ・パパ」66.jpg「ルナ・パパ」42.jpg 真摯なヒロインのマムラカット(「大地」「祖国」という意味らしい)を演じたソビエト連邦生まれのロシアの女「ルナ・パパ」67.jpgチュルパン・ハマートヴァが良く、彼女はその後、ヴォルフガング・ベッカー監督の「グッバイ、レーニン!」('03年/独)や、2021年のカンヌ国際映画祭に出品されたキリル・セレブレニコフ監督の「インフル病みのペトロフ家」(露・仏・スイス・独)などにも出演。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻した際にはラトビアに滞在しており、戦争に反対する請願に署名。その後ロシアへの帰国を断念し、3月20日に亡命を決断したことを公表しています。

「ルナ・パパ」s.jpg「ルナ・パパ」●原題:LUNA PAPA●制作年:1999年●制作国:ドイツ・オーストリア・日本●監督:バフティヤル・フドイナザーロフ●製作:カール・バウムガートナー/ ヘインツ・ストゥサック/ イーゴリ・トルストノフ/トマス・コーファー/フィリップ・アブリル●脚本:バフティヤル・フドイナザーロフ/イラー・クリナザーロフ●撮影:マーティン・グシュラハト/ドゥシャン・ヨクシモビッチ/ロスチスラフ・ピルーモフ●「ルナ・パパ」sb.jpg音楽:ダーレル・ナザーロフ●時間:108分●出演:チュルパン・ハマートヴァ/モーリッツ・ブラウプトロイ/アト・ムハメドシャノフ/ポリーナ・ライキナ/メラーブ・ミニッゼ●日本公開:200/07●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-04-04)((評価:★★★★)

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