2009年07月18日
【1204】 ○ 大塚 将司 『死に至る会社の病―ワンマン経営と企業統治』 (2007/03 集英社新書) ★★★★ (○ オリバー・ストーン 「ウォール街」 (87年/米) (1988/04 20世紀フォックス) ★★★☆)
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ワンマンの害悪より、「株式会社」とは何たるかを知る上で大いに勉強になった。
『法律より怖い「会社の掟」―不祥事が続く5つの理由 (講談社現代新書 1939)』 ['07年]
タイトル及びサブタイトルから「ワンマン経営」が企業統治の上でいかに害悪をもたらすかを書いた本だと思ったのですが、趣意はその通りであるにしても、配分上はかなりのページ数を割いて、「株式会社」制度の今とその起源及び歴史を解説していて、加えて、アダム・スミス、マルクス、ウエーバーの「株式会社」観にまで言及されており、「株式会社」とは何たるかを知る上で大いに勉強になりました(あとがきに「ワンマン経営者」を横糸、「株式会社の過去、現在、未来」を縦糸にして、株式会社のどこに欠陥があり、その欠陥を克服できるのかを考察した本であると書いてあった)。
米国や英国などの“企業統治先進国”が、現在のそうした統治体制に至るまでの経緯を、近現代に起こった企業不祥事や経済事件との関係において示しており、これはこれで各国の企業統治のあり方を、シズル感をもって理解することができ、また、読んでいても飽きさせないものだったと思います(著者は日本経済新聞社の記者だった人で、今は系列のシンクタンクに所属)。
もちろん米国だって、全ての制度が旨く機能したわけではなく、本書にある通り、会長とCEOの兼務を認めていることにより権力が一個人に集中し、「独立取締役会」が形骸化してエンロン、ワールドコム事件のようなことが起きているわけだし(英国は会長とCEOの兼務が認められていない)、更にはアンダーセンといった監査法人もグルだったりした―そうした事件を契機に「独立取締役会」の成員条件や機能を強化し、SOX法などが定められ、企業に対する情報開示要請や内部監査機能は日本よりずっと厳格なものにはなっていることがわかります(こうして見ると日本の内部監査は遅れているというか迷走している)。
本書で多く紹介されている敵対的企業買収の事例なども、企業の情報開示の弱い部分、株主の目の行き届かない部分を突いており、それでも、オリバー・ストーン監督の映画「ウォール街」('87年/米)のゲッコー氏のモデルとなった米国の投資家アイバン・ボウスキー(本書160ページに登場、「ジョニ黒」を作っている会社の買収争奪戦で、英国ギネス社の株価を釣り上げるためにギネス社と結託して暗躍した)のような人物は、この先も出てくるのだろうなあ(インサイダー取引で逮捕されたこの人について書かれたジェームズ・B・ステュアートの『ウォール街・悪の巣窟』はピューリッツァー賞を獲得している)。

因みに、映画「ウォール街」の方は、ゲッコー氏を演じたマイケル・ダグラスにアカデミー主演男優賞をもたらしましたが、ストーリー的にもややご都合主義的かなとも思える部分はあったもののまあまあ面白く、個人的にはむしろ、マーティン&チャーリー・シーンの親子共演が印象的でした。
チャーリー・シーンがゲッコーに憧れる駆け出しの証券マンを演じ、その父親役のマーティン・シーンは、今や買収されそうな飛行機工場に働く組会活動に熱心な労働者という役どころで、「地獄の黙示録」('79年/米)から8年、随分老けたなあという感じがしましたが(当時、彼は出演作に恵まれていなかった)、後にテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」('99年-'06年)の合衆国大統領役で復活し、エミー賞主演男優賞を獲得しています(「ザ・ホワイトハウス」は、シーズン1の第1話が一番面白い)。
「ウォール街」●原題:WALLSTREET●制作年:1987年●制作国:アメリカ●監督:オリバー・ストーン●製作:エドワード・R・プレスマン●脚本:スタンリー・ワイザー/オリバー・ストーン●撮影: ロバート・リチャードソン●音楽:スチュワート・コープランド●時間:128分●出演:マイケル・ダグラス/チャーリー・シーン/ダリル・ハンナ/マーチン・シーン/ハル・ホルブルック/テレンス・スタンプ ●日本公開:1988/04●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:二子東急(88-09-18)(評価:★★★☆)●併映:「ブロードキャスト・ニュース」(ジェイムズ・L・ブルックス)
投稿者 wadamy : 00:46
2009年02月22日
【1104】 ○ トルーマン・カポーティ (村上春樹:訳) 『ティファニーで朝食を』 (2008/02 新潮社) ★★★★ (○ ブレイク・エドワーズ 「ティファニーで朝食を」 (61年/米) (1961/11 パラマウント映画) ★★★☆)
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原作は、マリリン・モンローと自分自身を念頭に置いて描いているように思える。strong>
『ティファニーで朝食を』 ['08年]
『ティファニーで朝食を (新潮文庫)』 ['08年]
First edition cover (1958)
1958年春に出版された米国の作家トルーマン・カポーティ(Truman Capote, 1924–1984/享年59)の作品(原題は“Breakfast at Tiffany's”)ですが、村上春樹氏の翻訳は新潮文庫旧版('68年)の龍口直太郎訳と比べるとかなり読みやすいのではないかと思いました。
カポーティが小説家として一番ピークにあった頃の作品であるというのがよくわかり、駆け出し作家である「僕」が、捉えどころの無い奔放さを持ったホリー・ゴライトリーという女性に引き摺られていく感じが絶妙のタッチで描かれていて、いよいよホリーが去っていくといったやや気の滅入る場面でも、「彼女の出発する土曜日には、街はスコール顔負けの激しい雨にみまわれた。鮫が空中を泳げそうなぐらいだったが、飛行機が同じことをするのは無理だろう」なんて面白い表現があったりして、都会的というか、才気煥発というか、この辺りも村上氏と波長が合う部分なのだろうなあという気がします。
'61年にオードリー・ヘプバーン主演で映画化されたため、お洒落な都会劇というイメージが強いように思いますが(「麗しのサブリナ」ではまだ控えめだったジバンシーとの衣装提携が、この作品ではまさに“全開”という感じだったし)、そうしたファッション面でのお洒落というのと、この原作のセンスはちょっと違うような…。
Marilyn Monroe and Truman Capote
映画化に際してトルーマン・カポーティは、主人公のホリーをマリリン・モンローが演しるのが理想と考え、またモンローを想定して脚本を書くように脚本家にも依頼したものの、モンローの起用は彼女の演技顧問だったポーラ・ストラスバーグに反対されて見送られ、結局、ヘプバーンがホリーを演じることになったというのはよく知られている話ですが、個人的には、この小説を書き始めた段階から、カポーティはモンローと自分自身を念頭に置いて書いているように思えます(モンローの気質を想定して読むと、スッキリとホリーのキャラクターに嵌るような気がする)。
トルーマン・カポーティは、ノーマン・メイラーと並んで、モンローに袖にされた“片思い組”だったと思うのですが(彼は背が低くて、モンローの好みの対象外だった)、この作品で世間の常識に捉われない天真爛漫な女性を生き生きと描く一方、その相手をする作家である男(要するに自分自身)を、彼女に振り回されるばかりの情けない存在として、やや自嘲的、乃至は被虐的と思えるまでに描いています(この点も、村上春樹氏が指摘するように、映画で作家を演じたジョージ・ペパードが、しっかりとホリーを受け止めているのとは異なる)。

結局、小説のホリーは最後ブラジルかどこかへ行ってしまうのですが、この結末はむしろモンローに相応しく、映画では、名無しの飼い猫を一旦放してまた引き戻す点はほぼ同じですが、海外への高飛びは無く、それまで自我むき出しで尖がっていたホリーが、最後は人間の優しさを感じるちょっと普通の女性になったかなあという、オードリー・ヘプバーンに相応しい結末だったように思います。
「ムーン・リバー」はヘンリー・マンシーニの最大のヒット曲と言ってよく、映画としてはそれほど悪くないと思います(ミッキー・ルーニー演じるユニオシなる奇妙な日本人大家はいただけないが)。
「ティファニーで朝食を [DVD]」
映画“Breakfast at Tiffanys”ポスター(輸入版)
村上氏も「映画は映画として面白かった」としながらも、新訳の刊行にあたって、表紙に映画のスチールだけは使わないで欲しいと要望したそうですが(新潮文庫旧版ではモロ、映画スチールを使っている)、映画と切り離して読んで欲しいというのはよくわかるし賛成ですが、だからといって“ティファニーブルー”のカバーにするというのもどうなのでしょうか(出版社側の意向だと思うが)。
この、言わば“高級コールガール”を主人公にした小説及び映画が、“高級宝石店”ティファニーの知名度アップに大いに寄与したことは間違いないと思うのですが、それはもう過去の事。今回の場合は出版社側がタイアップ効果を狙っているということなのか。
「ティファニーで朝食を」●原題:BREAKFAST AT TIFFANY'S●制作年:1961年●制作国:アメリカ●監督:ブレイク・エドワーズ●製作:マーティン・ジュロー/リチャード・シェパード●脚本:ジョージ・アクセルロッド●撮影:フランツ・プラナー●音楽:ヘンリー・マンシーニ●原作:トルーマン・カポーティ●時間:114分●出演:オードリー・ヘプバーン/ジョージ・ペパード/ミッキー・ルーニー●日本公開:1961/11●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(評価:★★★☆)●併映:「めぐり逢い」(レオ・マッケリー)
【1968年文庫化[新潮文庫(龍口直太郎訳)]/2008年再文庫化[新潮文庫(村上春樹訳)]】
投稿者 wadamy : 23:01
2009年02月17日
【1100】 ◎ ブライアン・デ・パルマ 「ボディ・ダブル」 (84年/米) (1985/02 コロムビア映画) ★★★★☆ (○ アルフレッド・ヒッチコック 「めまい」 (58年/米) (1958/10 パラマウント映画) ★★★★)
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「裏窓」×「めまい」+アルファ。B級と言う人も多いが、個人的には好きな「ボディ・ダブル」。strong>
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アルフレッド・ヒッチコック 「めまい (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】 [DVD]」

B級映画俳優のジェイク(クレイグ・ワッソン)は、ドラキュラ映画の主演で棺に入るシーンで閉所恐怖症を起こしてクビになり、失意のまま帰宅したところ、同棲中の恋人が男と情事にふけつているという様。家は彼女のものであり、意気消沈のまま家を出た彼は、あるオーディション会場で、サム(グレッグ・ヘンリー)という男と知り合い彼の家へ招かれる。そこはモダンな豪邸で、サムはジェイクに留守中の家の管理を頼むとともに、望遠鏡越しに見える魅惑的な隣人(デボラ・シェルトン)の存在を教える―。
ヒッチコックの「裏窓」('54年)と「めまい」('58年)を足して2で割ったような作品ですが、そうしたこともあって評価の割れる作品かも。
デ・パルマ監督の同系統のサスペンス作品では「殺しのドレス」('80年)が知られてますが、確かに面白い作品で、美術館でのなめまわすようなカメラワークや、「サイコ」を意識したアンジー・ディキンソンのシャワー場面(代役がやったらしい)などが印象的でしたが、但し、観ている間はすごくのめり込まされるのですが、その分、終わってみるとな~んだみたいな面もややありました(評価は星4つ。映画全体としては決して悪くなく、むしろ佳作の部類)。
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ただ個人的には、「ボディ・ダブル」の方が、観終わったあとの印象も含めると「殺しのドレス」より良かったように思え、他の同監督の作品と比べても、最も自分の好みに近い作品です。
Melanie Griffith 「ボディ・ダブル」より
意図的にあまり有名ではない俳優を使って撮っていて(メラニー・グリフィスも当時まだ売り出し中)、エロチックなシーンもふんだんにあり、この映画自体もB級の雰囲気を醸していますが、そこが却ってキッチュでいい。
ヒッチコックへのオマージュを込めながらも、ミステリとしてのオリジナリティは十分にあるように思われ、個人的には「裏窓」×「めまい」+アルファという評価ですが、観る人によっては、最後が“マイナス”になる人もいるかも。
映画後半に出てくるポルノ女優を演じたメラニー・グリフィスは、ヒッチコック監督作品「鳥」('63年)のヒロイン役を演じたティッピ・ヘドレンの娘で、この作品で彼女は演技開眼し、マイク・ニコルズ監督の「ワーキング・ガール」('88年)では、シガニー・ウィーバー、ハリソン・フォードらに伍する演技で、アカデミー主演女優賞にノミネートされています。
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ウォール街の投資銀行のM&A部門で働く秘書(メラニー・グリフィス)が、尊大な女性上司(シガニー・ウィーバー)がスキー休暇中に骨折し職場復帰するまでの間に、上司の愛人(ハリソン・フォード)と共に進行中の合併話を期せずして進行させることになるというサクセス・ストーリーですが、メラニー・グリフィス、シガニー・ウィーバー共にいい味出していて、映画自体もまあまあ楽しめました。
そう言えば“ワーキング・ガール”というタイトルには「キャリア・ウーマン」の他に「娼婦」という意味もあります。
「めまい」より
「ボディ・ダブル」の作品ベースとなっているヒッチコックの「裏窓」('54年)と「めまい」('58年)では、(一般的には「裏窓」は評価が安定していて、「めまい」の方は評価の割れることが多いように思われるものの)個人的には「めまい」の方が優れているように思うのですが、この「めまい」という作品はそのカメラワークにおいて、ズームアウトしながらカメラを前方へ動かすことで被写体のサイズが変わらずに広角になる映し方(逆ズーム)で墜落感を表す手法や、カメラが被写体の周りを回る映し方(360°パン)でキスシーンなどの陶酔感を表す手法などが用いられていることでも有名で、デ・パルマ監督もこの作品でそうした技法をしっかり採り入れています。
「ボディ・ダブル」●原題:BODY DOUBLE●制作年:1984年●制作国:アメリカ●監督・製作:ブライアン・デ・パルマ●脚本:ロバート・J・アヴレッチ/ブライアン・デ・パルマ●撮影:スティーヴン・H・ブラム●音楽:ピノ・ドナッジオ●時間:114分●出演:クレイグ・ワッソン/グレッグ・ヘンリー/デボラ・シェルトン/メラニー・グリフィス●日本公開:1985/02●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:三軒茶屋映劇 (85-09-15)(評価:★★★★☆)●併映:「聖女アフロディーテ」(ロバート・フュースト)/「ブレスレス」(ジム・マクブライド)
「殺しのドレス」●原題:DRESSED TO KILL●制作年:1980年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ●製作:ジョージ・リットー●撮影:ラルフ・ボード●音楽:ピノ・ドナッジオ●時間:114分●出演:マイケル・ケイン/アンジー・ディキンソン/ナンシー・アレン/キース・ゴードン●日本公開:1981/04●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:テアトル吉祥寺 (86-02-15)(評価:★★★★)●併映:「デストラップ 死の罠」(シドニー・ルメット)/「日曜日が待ち遠しい!」(フランソワ・トリュフォー)/「ハメット」(ヴィム・ヴェンダース)
「ワーキング・ガール」●原題:WORKING GIRL●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:マイク・ニコルズ●製作:ダグラス・ウィック●脚本:ケヴィン・ウェイド●撮影:ミハエル・バルハウス●音楽:カーリー・サイモン●時間:115分●出演:者 ハリソン・フォード/シガニー・ウィーバー/メラニー・グリフィス/アレック・ボールドウィン●日本公開:1989/05●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:新宿アカデミー (89-07-08)(評価:★★★☆)
「めまい」●原題:VERTIGO●制作年:1958年●制作国:アメリカ●監督・製作:アルフレッド・ヒッチコック●脚本:アレック・コペル/サミュエル・テイラー●撮影:ロバート・バークス●音楽:バーナード・ハーマン●原作:ピエール・ボワロー/トマ・ナルスジャック「死者の中から」●時間:128分●出演:ジェイムズ・スチュアート/キム・ノヴァク/バーバラ・ベル・ゲデス/トム・ヘルモア/ヘンリー・ジョーンズ/レイモンド・ベイリー●日本公開:1958/10●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:歌舞伎町シネマ1(84-03-31)(評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 23:43
【1099】 ◎ マーティン・スコセッシ 「タクシードライバー」 (76年/米) (1976/09 コロムビア映画) ★★★★★
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危うい偶然に支えられた主人公のブレークスルー。何と言ってもデ・ニーロの演技。strong>
「タクシードライバー コレクターズ・エディション [DVD]」
パンフレット
海兵隊上がりの不眠症の男トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)がタクシードライバーの仕事に就く場面から始まるこの映画は、ニューヨークという大都会の中で、運転手仲間ともうちとけず、女性(シビル・シェパード)にもフラれ、孤独に生きる彼が、社会に対する漠たる憤りや自らの無力感、虚しさを募らせ、徐々に精神が病んでいく様が見事に描かれていたように思います。
やがて彼は、独自の腐敗浄化計画のようなものに傾倒し、自らの身体を鍛え、銃器を購入し、まず、彼が偽善的だと感じた大統領候補の暗殺を図るも果たせず、今度は、たまたま知り合った少女(ジョディ・フォスター)がヒモ男(ハーヴェイ・カイテル)に囲われている、腐敗と搾取に満ちた売春宿を襲撃して、その結果、街のヒーローになる―。
「大統領候補の暗殺」と「売春窟の掃討」という行動が、トラヴィスの中では同じベクトル上にあるというのが、必ずしも説明的に描かれているのではないのに観ていてよくわかるというのが、この映画のスゴイところかも。
「大統領候補の暗殺」を果たしてしまえば、彼は「凶悪犯」になっていたわけで、それが、最終的には「ヒーロー」になってしまうというある意味の逆説が、鮮やかに描かれているように思えました。
近年は日本でも、本来は1人で行う自殺行為が自己顕示的な形に置き代わって周囲を巻き込んだと言えるのではないかと思われるタイプの犯罪が見られるようになりましたが、「売春窟の掃討」を果たした彼が拳銃自殺をイメージしている(ように見えた)場面には、こうした行為の予兆的なものを感じます。
しかし、銃弾が尽きていたためトラヴィスは自殺もせず、結果として生き残り、以前と同じようにタクシーで街を流しますが、前に自分のことをフッた女性(シビル・シェパード)をたまたま客として乗せても、ゆったりとした気持ちで彼女を迎えることができる―。
1人の男のレベルで見れば、ある種のブレークスルー映画であり“ハッピーエンド”になっているわけですが、そこに至るまでに、「大統領候補の暗殺」の失敗と「自殺」の未遂という2つの偶然があったというのが、いかにも危ういのではないでしょうか。
この作品はアカデミー賞の作品賞や主演男優賞などにノミネートされましたが、結局どの賞も獲っていないのが意外で(デ・ニーロは'80年の「レイジング・ブル」で主演男優賞を受賞)、「タクシードライバー」におけるデ・ニーロの演技について故・淀川長治が当時、「ああいう演技をするにはとてつもない集中力が必要なはず」と言っていたのが印象的でした。
共演のジョディ・フォスターは後にアカデミー主演女優賞を2度受賞するまでの女優になっていますが、彼女も、この作品でのデ・ニーロの演技を見て “演技開眼”したと述べています(当時まだ13歳だったのだが)。
「タクシードライバー」●原題:TAXI DRIVER●制作年:1976年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:マイケル・フィリップス/ジュリア・フィリップス●脚本:ポール・シュレイダー●撮影:マイケル・チャップマン●音楽:バーナード・ハーマン●時間:114分●出演:ロバート・デ・ニーロ/シビル・シェパード/ジョディ・フォスター/ハーヴェイ・カイテル/ピーター・ボイル●日本公開:1976/09●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:早稲田松竹(77-11-05)(評価:★★★★★)●併映「アメリカングラフィティ」(ジョージ・ルーカス)
投稿者 wadamy : 23:30
2009年02月16日
【1098】 ○ マイケル・カーティス 「汚れた顔の天使」 (38年/米) (1939/11 ワーナー・ブラザーズ) ★★★★
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ストレートに感動したが、神父の頼みは、いくら相手と強い友情で結ばれているとは言え、酷すぎるのでは?strong>
幼い頃に不良仲間だったロッキー(ジェームズ・キャグニー)とジェリー(パット・オブライエン)だが、ロッキーは、2人でやった盗みの罪を自分1人で被ったことから転落の道を辿り、今やいっぱしのギャングとして、街の不良少年のヒーローとなっていた―。
ある日、刑務所を出所したばかりのロッキーは、今では神父となって貧しい少年達にスポーツを教えているジェリーを訪ね、旧交を温めるも、一方で、金を巡るトラブルで悪徳弁護士(ハンフリー・ボガート)を殺し、警官との大立ち回りの末に逮捕され、裁判で死刑宣告を受ける―。
自らが死刑なるというのに平然としているロッキー。このままロッキーにギャングに相応しい堂々とした死に方をされては、少年達がますます彼を敬愛することになるであろうことを危惧したジェリーは、ギャングらしく死のうとするロッキーに対し、全く逆の行動を取るよう最後の頼みを託す―。
ストレートに感動しました。ちょっと甘い感じもある作品(強面のギャング役で鳴らしたですジェームズ・キャグニーがこの役を受けるかどうか当初は危惧された)ですが、キャグニーがギャングぶりを発揮する部分については犯罪映画としてサスペンスフルに描かれていて(何せ、あのハンフリー・ボガートが、裏切り者としてキャグニー殺されてしまうぐらい)、ギャング映画としてのリアリティが、物語に厚みを持たせているように思いました。
でも、ちょっと冷静になって考えると、神父がロッキーに託した願いというのは、ロッキーにとって、自分のように誤った道を歩むことのないようにという子供達へのメッセージになるのかも知れないですが、同時に、自ら人生を全否定せしめるようなものであり、それを受ける側(ロッキー)もともかく、頼む方(神父)も、いくら相手と強い友情で結ばれているとは言っても、よくこんな酷なことを頼んだなあという感じも。
結局、ロッキーは刑吏らにも嘲られながら死んでいくわけで、死に行く者に対してこんなキツイお願いはないだろうなあと。
神父は、いつか自分が面倒を見ている子供達が立派な大人になった時に、ロッキーの最期についての真実を話してあげるべきでしょうね。
「汚れた顔の天使」●原題:ANGEL WITH DIRTY FACE●制作年:1938年●制作国:アメリカ●監督:マイケル・カーティス●製作:サミュエル・ビショフ●原案:ローランド・ブラウン●脚本:ジョン・ウェクスリー/ウォーレン・ダフ/ローランド・ブラウン●撮影:ソル・ポリート●音楽:マックス・スタイナー●時間:98分●出演:ジェームズ・キャグニー/パット・オブライエン/ハンフリー・ボガート/アン・シェリダン/ジョージ・バンクロフト●日本公開:1939/11●配給:ワーナー・ブラザーズ(評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 23:48
【1097】 ◎ ルイ・マル 「鬼火」 (63年/仏) (1977/08 フランス映画社) ★★★★★
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自殺をする人というのは、自分で自分が自殺するという「脚本」を書いているのだなあと。strong>
「鬼火 [DVD]」
「鬼火 [DVD]」
ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル 「人間の文学〈第8〉ゆらめく炎 (1967年)」
LE FEU FOLLET (輸入版DVD)
「鬼火」●原題:LE FEU FOLLET●制作年:1963年●制作国:フランス●監督・脚本:ルイ・マル●撮影:ギスラン・クロケ●音楽:エリック・サティ●原作:ピエール・ドリュ・ラ・ロシェル「ゆらめく炎」●時間:108分●出演:モーリス・ロネ/ベルナール・ノエル/ジャンヌ・モロー/アレクサンドラ・スチュワルト●日本公開:1977/08●配給:フランス映画社●最初に観た場所:池袋文芸座 (評価:★★★★★)●併映:「ローマに散る」(フランチェスコ・ロージ)
アルコール中毒で治療院に入院し、死にとりつかれたアラン(モーリス・ロネ)という男の、彼が自殺に至るまでの最後の48時間を追った作品。
原作は、ピエール・ドリュ・ラ・ロシェルの『ゆらめく炎』(’80年/河出書房新社)で、この原作者自身も自殺しています。
アランは、治療院を一時出てパリに行き、旧友と再会したりしますが、彼らはあまりに凡庸なマイホーム主義の中に自己を埋没させていたり、或いは、エヴァ(ジャンヌ・モロー)の場合だと、麻薬漬けの退廃生活に陥ってしまっていて、何れもアランに生き方の指針を示すようなものではありませんでした。
彼の厭世観と孤独は深まるばかりで、医者に禁じられているアルコールにも手を出し、そうしながらも、昔馴染みのソランジュ(アレクサンドラ・スチュワルト)が催す晩餐会に出たりもしますが、誰も彼の話すことを理解しようとはせず、一層疎外感を募らせるだけで、この映画の登場人物で最もアランのことを理解していると思われるソランジュさえも、「気の毒な人」という感じでアラン見送るほかありません。
アランは晩餐会の翌朝、治療院に戻り、読みかけのフィッツジェラルドの本を読み終えると、ピストルで自分の人生の幕を静かにおろします。
「僕は自殺する。君達も僕を愛さず、僕も君達を愛さなかったからだ。だらしのない関係を緊め直すため、君達のぬぐいがたい汚点を残してやる」と書いた手紙を残し。
アランが自殺したのは7月23日で、これは冒頭の治療院の場面で壁の鏡に書かれていた日と同じであり、彼は最初から自殺を決意していたことがわかります。
確かにアランの抱える虚無感は根深い。但し、この作品を観て先ず思ったことは、自殺をする人というのは、自分で自分が自殺するというストーリーの「脚本」を書いているという面があるのではないかということです。
この映画ぐらい、そのことがよくわかる映画は無く、個人的には、もしも自殺を考えている人がこの映画を観たら、逆に踏みとどまるのではないかという気もします。
エリック・サティのピアノが、淡々とした描写を自然に繋いでいて、時にそれは死への甘美なる誘いを醸しているようにも思えます。
モーリス・ロネの抑制の効いた演技も素晴らしく、アランという複雑な性格の主人公を、驚異的な集中力をもって演じていたように思います。
今思うに、アランの純粋さは、「シゾイド」(統合失調質)型の人格の特徴と一致するかも。
あまりに純粋過ぎて、「世間」と妥協することでできない気質であるともとれます。
ただ、「アル中」であり「シゾイド」であるとなると、アランのケースは何か特殊なもののように思われそうですが、飲み友達は多くいても(アランはかつては社交会で鳴らした存在だった)、真に価値観を共有したり、心を通わせ合ったりする友人はいないという点では、アランの孤独は、現代人の孤独に通じるものがあるように思います。
「鬼火」 パンフレット
投稿者 wadamy : 23:13
2009年02月15日
【1096】 ○ ジェームズ・アイヴォリー 「眺めのいい部屋」 (86年/英) (1987/07 シネマテン) ★★★★ (○ ジェームズ・アイヴォリー 「日の名残り」 (93年/英) (1994/03 コロムビア映画) ★★★★)
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イギリス映画らしい上品さを保ちつつ、階級間の価値観の対立を抉ってみせる。strong>
「眺めのいい部屋 完全版 [DVD]」
「日の名残り [DVD]」
「眺めのいい部屋」('86年)
年配の従姉に付き添われイタリア旅行するヒロイン・ルーシー(ヘレナ・ボナム・カーター)は、フィレンツェの宿では景色の良くない部屋に当たってしまうが、風変わりなエマソン父子と知り合い、眺めいい部屋と交換してもらうことになる。言葉数は少ないが自分の気持ちに正直な青年ジョージ・エマソン(ジュリアン・サンズ)はルーシーに恋をし、ピクニック先の草原でルーシーに情熱的なキスをする。従姉によって引き離されるように帰途についたルーシーは、イギリスでの日常生活に戻ると上流階級のインテリのシシル(ダニエル・デイ・ルイス)と婚約をし、彼女にとってジョージとの出来事は旅の思い出に留まるはずだったのが、何とエマソン父子が近所に越してきてしまう―。
イギリス映画らしい上品さに溢れた映画でありながら、中流に属する女性の恋と結婚を通して、階級間の価値観の対立という構図を抉ってみせています。
主人公の婚約者が最上流ということになるのでしょうが、ダニエル・ディ・ルイスがそのスノッブぶりを好演していて、主人子の年配の従姉は上流を気取る中流といったところでしょうか(演じるマギー・スミスは、最近はハリー・ポッター・シリーズでおなじみだが、この頃から今みたいな感じ)。
彼らの対極にいるのが、階級では彼らより下層の自由主義者のエマソン父子で、主人公が、父子の息子への恋を通して、自らを覆っていた欺瞞の皮を1枚ずつ剥いでいく様が、丹念に描かれているように思えました。
そんなにストーリー的にインパクトがあるものではないのですが、格調高いセットや衣装と透明感あふれる映像は、まさにイギリス映画を見たという感じ、但し、監督のジェームズ・アイヴォリーはアメリカ人、製作のイスマイール・マーチャントはインド人です。
原作はE・M・フォースターの同名小説で、ジェームズ・アイヴォリー監督の作品では、「インドへの道」('84年)、「モーリス」('87年)、「ハワーズ・エンド」('92年)もフォースターの原作ですが、いかにもイギリス映画という感じでありながら、異文化要素が織り込まれており(「モーリス」は、地理的な異文化ではなく、ホモ・セクシュアルという異文化だが)、いずれの作品も複数の文化を相対化する視点のもと、貴族社会(即ち“世俗的なもの”)に対する批判や皮肉が込められているように思います。
「日の名残り」('93年)
カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」('93年)も含め、撮る作品にあまりハズレがないように思われ、この作品でのダニエル・ディ・ルイスや「モーリス」でのヒュー・グラント、「日の名残り」でのアンソニー・ホプキンスなど、既に良く知られている役者の使い方も、この監督の手にかかるとまた別な味が出てくるという気がします。
とりわけ、イギリスの名門家に仕えてきた老執事が自分の半生を回想し、仕事のために犠牲にしてしまった愛を確かめる様を描いた「日の名残り」においては、アンソニー・ホプキンスを老執事に配し、その演技の魅力を大いに引き出していたように思います(この執事を見ていると『葉隠』の“忍ぶ恋”を想起させられる)。
尤も、アンソニー・ホプキンスという俳優は、「台本至上主義」というか「台本絶対主義」で知られる役者で、撮影に入る前にはもう台本上の役の人物になり切っているそうですが。
「眺めのいい部屋」●原題:A ROOM WITH A VIEW●制作年:1986年●制作国:イギリス●監督: ジェームズ・アイヴォリー●製作:イスマイール・マーチャント●脚色:ルース・プラヴァー・ジャブヴァーラ●撮影:トニー・ピアース・ロバーツ●音楽:リチャード・ロビンズ●原作:E・M・フォースター●時間:114分●出演:ヘレナ・ボナム・カーター/ジュリアン・サンズ/マギー・スミス/ダニエル・ディ・ルイス/デナム・エリオット●日本公開:1987/07●配給:シネマテン●最初に観た場所:池袋文芸座2 (88-09-15)(評価:★★★★★)●併映:「モーリス」(ジェームズ・アイヴォリー)
「日の名残り」●原題:REMAINS OF THE DAY●制作年:1993年●制作国:イギリス●監督: ジェームズ・アイヴォリー●製作:マイク・ニコルズ/ジョン・キャリー/イスマイール・マーチャント●脚色:ルース・プラヴァー・ジャブヴァーラ●撮影:トニー・ピアース・ロバーツ●音楽:リチャード・ロビンス●原作:カズオ・イシグロ 「日の名残り」●時間:134分●出演:アンソニー・ホプキンズ/エマ・トンプソン/ジェームズ・フォックス/クリストファー・リーヴ/ヒュー・グラント●日本公開:1994/03●配給:コロムビア映画(評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 00:08
2009年02月14日
【1095】 ◎ ビル・フォーサイス 「ローカル・ヒーロー/夢に生きた男」 (83年/英) (1986/04 ヘラルド・エース) ★★★★☆
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世に出るのが早過ぎた(?)エコロジー映画。strong>
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「ローカル・ヒーロー/夢に生きた男」●原題:LOCAL HERO●制作年:1983年●制作国:イギリス●監督・脚本:ビル・フォーサイス●製作:デイヴィッド・パトナム●撮影:クリス・メンゲス●音楽:マーク・ノップラー●時間:112分●出演:バート・ランカスター/ピーター・リガート/デニス・ローソン/ピーター・キャパルディ/フルトン・マッケイ●日本公開:1986/04●配給:ヘラルド・エース●最初に観た場所:大井武蔵野館 (87-11-03)(評価:★★★★☆)●併映:注目すべき人々との出会い」(ピーター・ブルック)font>
テキサスに本拠を置くアメリカ最大の石油会社のエリート社員マッキンタイヤ(ピーター・リガート)は、石油コンツェルンの会長(バート・ランカスター)から石油コンビナートの土地買収を命じられて、スコットランドの漁村へ派遣されるが、地元住民の反対に合うかと思われた土地買収は、村人の方が「金が入るなら」と意外と積極的で、ところがいよいよ契約という段階で、ベン(フルトン・マッケイ)という入江の小屋に住む老人が所有地を手放すことに強く抵抗していることが判り、交渉が難航し始める―と、一応はビジネスドラマみたいな体裁で話は進みますが、まさかラストがこうなるとは―。
エリート社員マッキンタイヤの趣味は天体観測で、石油コンツェルン会長からは土地買収の交渉状況と併せてスコットランドの星空の模様を電話で知らせることも命じられていたのですが、そしたら、偶然に大流星群を発見することになり、会長はそれを見るため現地へ飛びますが、その前にベン老人との交渉を片付けてしまおうと彼の小屋に寄る―。 輸入版ビデオ
マッキンタイヤと村人の間で土地買収に向けて親和的基調で話が進むなか、老人との直接交渉のために出向いたバート・ランカスター演じる会長、いかにも強面(こわもて)の石油王と、村の頑固老人の、絶対に「他人の言いなりにはならなさそうな者」同士の一騎打ちの結末はどうなるのか、これは本編を観てのお楽しみといったところでしょうか。
英国風ユーモア、スコットランド美しい自然と純朴な人々、心地良い音楽―振り返ればどれもが旨く調和していて、しかも最後に観る側を満たされた気分にしてくれる作品だったと思うのですが、ロードの際もロード終了後も一部でしか評判にならなかったのは、ビジネスドラマなのか、ある種のメルヘンなのか、規定の仕様が無かったという面がある
ためではないでしょうか(誰をターゲットに告知してよいのかが難しい)。
今ならば、「エコロジー映画」ということでドーンと打ち出せるのだろうけれども…。
そうした意味では、ちょっと世に出るのが早過ぎた観もある作品です。
投稿者 wadamy : 23:48
【1094】 ○ ヒュー・ハドソン 「炎のランナー」 (81年/英) (1982/08 コロムビア映画) ★★★★
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スティーブ・オベット、セバスチャン・コー、ジョナサン・エドワーズなどを想起させられた。strong>
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「炎のランナー」より
裕福な家庭の出ではあるがユダヤの血をひくために差別と偏見を受け、走ることによって栄光を獲て真のイギリス人になろうとするハロルド・エイブラハムスと、スコットランド人宣教師の家に生まれ、自身も神のために走る宣教師であるエリック・リデルという、1924年のパリ・オリンピックで祖国イギリスに金メダルをもたらした2人の陸上短距離ランナーの友情を描く―。
ヴァンゲリス・O・パパサナシュー(最近は“ヴァンゲリス”としか表記しないがギリシャ人)作曲の「タイトルズ(Chariots of Fire)」が陸上競技の美しい映像にマッチして耳にも心地良く、スポ根・ライバル物でもイギリス人が撮るとこんなに優雅なものになるのかと。
冒頭のランナー達が浜辺を走るシーンなどは音楽効果も相俟って陶然とするほど美しく、また、芝の庭に並べたハードル1台1台の上にシャンパンを満たしたグラスをいくつも並べてそれを飛び越えていく、そんな練習風景には、うっとりする前に唖然としてしまいまいましたが。

実在の2人の陸上選手がモデルになっているそうですが、映画公開当時は、70年代から80年代にかけて活躍したイギリスの陸上選手スティーブ・オベットとセバスチャン・コーをすぐに想起しました。
‘80年のモスクワ五輪でオベットはコーの得意とする800mで、コーはオベットの得意とする1500mでそれぞれ金メダルを獲っていますが(コーは4年後のロス五輪でも金)、2種目でメダルをわけ合った点も似ているし、コーが優等生タイプでオベットがコーの敵役と見られていた点も似ています。
Steve Ovett & Sebastian Coe in the 1980 Moscow Olympics
オリンピックの100m競技が日曜日に行われることになっていたのを、リデルが“安息日”であるためとして出場を拒否し、代わりに走ったエイブラハムスが出場し金メダルを獲得したというのは史実であり、このことは、より近年の話ですが、三段跳びの'00年シドニー五輪の金メダリストで、現世界記録保持者であるジョナサン・エドワーズ(彼も敬虔なクリスチャンだが)が、'91年の世界陸上東京大会で、競技日が日曜日だったため「神の定めた安息日に競技を行うことはできない」として欠場したことを想起させます(その後、彼は考えを変えたが)。
アメリカの陸上選手は黒人ばかり。一方イギリスは、陸上スポーツの世界にも、こうしたエスタブリッシュな伝統が受け継がれているのだなあと。
Jonathan Edwards
リデルは後に宣教師として家族とともに中国に渡り、満州事変の後も1人滞在しましたが、日本軍に拘留され、収容所で病のため亡くなっています(このことは映画の最後でもテロップ紹介されていて、彼の死に際してはイギリス全土が喪に服したとのこと)。
スポーツの“中”の世界は同じでも、“外”の世界(時代背景)はやはり違う。
「炎のランナー」●原題:CHARIOTS OF FIRE●制作年:1981年●制作国:イギリス●監督:ヒュー・ハドソン●製作:デヴィッド・パットナム●製作指揮:ドディ・フェイド●脚本:コリン・ウェランド●撮影:デヴィッド・ワトキン●音楽:ヴァンゲリス●時間:123分●出演:ベン・クロス/イアン・チャールソン/イアン・ホルム/コリン・ウェランド/ナイジェル・ヘイバース●日本公開:1982/08●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:新宿プラザ(82-08-28)(評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 23:11
【1093】 ○ フランク・ロダム 「さらば青春の光」 (79年/英) (1979/11 松竹=富士映画) ★★★☆
「●や‐わ行の外国映画の監督」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1063】 ビリー・ワイルダー 「サンセット大通り」
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60年代英国若者文化を描出。主人公は死んだのか(邦題に解釈が込められている?)strong>

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細身のアイビー・スーツにネクタイを締め、米軍放出のロング・コートを無造作に羽織る“モッズ”と呼ばれるファッションに固執する若者グループ―広告代理店のメールボーイをしているジミーもその1人で、会社がひけると、そんな“モッズ”の溜り場となっているクラブへスクーターで駆けつける日常だが、そこでは、“モッズ”の対立グループである、革ジャン・リーゼントで大型バイクを乗り回している“ロッカーズ”と呼ばれる連中との間での決着をつけるべく、近々行われる果し合いの話が―。
“モッズ”とは、ロンドン近辺で60年代に流行した音楽やファッションをベースとした若者文化で、そのライフスタイルは、例えば、夜はファッションを決めて派手なデコレーションをしたスクーターで移動し、自家調合のドラッグを服用し、女の子と夜を徹してクラブで踊り明かすというようなもので、この映画のタイトル(QUADROPHENIA)は、ロックグループ“ザ・フー”が'73年に発表したアルバム「四重人格」からとっていますが(フーの曲がふんだんに使われている)、物語の背景には、'64年に実際に起きた「ブライトンの暴動」と呼ばれる、“モッズ”対“ロッカーズ”の大掛かりな言わば集団のケンカ騒ぎがモデルとしてあります。

実際、この暴動騒ぎの場面はリテイクの効かない合戦シーンのようなシークエンスで撮られていてなかなかの迫力ですが、“モッズ”は主人公にしても「さやえんどう」みたいにひょろっとした感じの青年で、1対1だと“ロッカーズ”の方が強そうだけれども、集団で束になって相手に向かっていくという感じで、そうした中にあって、スティング演じるリーダーのエースは別格の存在感があり、かなりカッコいい(スティングはこれが映画初出演)。
暴動騒ぎに加わったことが親に知れ、家族からも見離されてドラックに溺れる主人公は、後日偶然に、今日まで長く憧憬の対象であったエースを見つけますが、それは郷里のホテルのドアマンとしてポーターのユフォームを纏ったものだった―。
エースの派手なスクーターを見出したジミーは、それを駆ってブライトンの海岸を失踪し(この場面のカメラが美しい)、やがて岬の先端の絶壁へ。
空中に舞うヴェスパは、何を意味するのでしょうか。
最初は、ああ、ジミーよ、君は死んじゃったのかあ、と思ったけれども、必ずしもそいうことではないらしいです。
邦題にはちょっとクサさもありますが、その辺りの解釈も含んでのことなのかも。
「さらば青春の光」●原題:QUADROPHENIA●制作年:1979年●制作国:イギリス●監督:フランク・ロダム●製作:ロイ・ベアード/ビル・カービシュリー●製作総指揮:デイヴィッド・ギデオン・トムソン●脚本:デイヴ・ハンフェリーズ/マーティン・スチルマン/フランク・ロダム●撮影:ブライアン・テュファノ●音楽:ザ・フー(ロジャー・ダルトリー/ジョン・エントウィッスル/ピート・タウンゼンド)●時間:111分●出演:フィル・ダニエルス/レスリー・アッシュ/スティング/フィリップ・デイヴィス/マーク・ウィンゲット●日本公開:1979/11●配給:松竹富士●最初に観た場所:高田馬場パール座(83-02-27)(評価:★★★☆)●併映:「カリフォルニア・ドリーミング」(ジョン・ハンコック)
投稿者 wadamy : 23:02
2009年02月01日
【1092】 ○ パトリス・ルコント 「仕立て屋の恋」 (89年/仏) (1992/07 デラ・コーポレーション) ★★★★
「●や‐わ行の外国映画の監督」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1044】 ニコラス・レイ 「理由なき反抗」
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女を憎むことができない男の純情が切ない。strong>
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Patrice Leconte

ある青年が殺され、前に強制わいせつ罪で捕まったことのある仕立て屋の中年男イールが疑われるが、彼は、向かいに住む美しい女性に恋い焦がれていて、但し、彼女に言い寄るわけでもなく、彼女の生活を夜毎、自分の部屋から覗き見するのを生きがいとしており、また、彼女が殺人事件の真犯人であることも知っていた―。
パトリス・ルコント監督が「髪結いの亭主」('90年/仏)の前年に撮った作品で(日本での公開は「髪結いの亭主」の方が先)、「メグレ警部シリーズ」のジョルジュ・シムノンが原作(「イール氏の犯罪」)だそうですが、推理モノというよりは恋愛モノという印象の方が強かったです。
最初のうちは、ハゲで根暗で孤独な独身中年男であるイール氏にあまり感情移入できなかったけれども、終わりの方ではかなり入り込んでしまって、最後、女を憎むことができない男の純情が何だか切なかったなあ。
イール氏は元来、所謂“脳内恋愛”を至上とするタイプだったと言えるかと思われ、その行動は“ストーカー”的でもあったかと思われますが、その対象物である“理想の彼女”の方から自分の所へ来てしまい(彼女がイール氏を好いたわけではなく、自分が犯人であることを彼が知っているかどうか探りを入れにきたのだが)、そこから彼の恋愛観は変わっていく―、そのことが最終的に彼に悲劇をもたらすわけで、但し、彼はその体験を悔いておらず、その「潔さ」(常識的には“愚かしさ”ともとれるものだが)がいい。
“オタク道”から見れば、仮想現実から一歩踏み出したところに彼の誤りがあったとも言えるのかも知れませんが、イール氏は本質的には“オタク”でも“ストーカー”でもなかったということになるのかも知れません。
悲劇的な話の中にも、イール氏の自己発見と、それに基づく信念が貫かれている点での救いがありました。
イール氏を演じるミシェル・ブランの演技もさることながら、ドニ・ルノワールのカメラ、マイケル・ナイマンのクラシックを織り込んだ音楽も良く、特に前半はフランス映画らしいフランス映画という感じ。
フランス映画でも最近はアメリカのテレビドラマみたいな作品が多くなり、'80年代から'90年代にかけてはまだ、この作品や、ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」('81年)、リュック・ベッソンの「グラン・ブルー」('88年)、レオス・カラックスの「ポンヌフの恋人」('91年)などもあったことはあったけれども、最近はこの類の映画はあっても映画祭での上映に止まり、あまりロードにかからないし、なかなかDVD化もされないような気がします。
「仕立て屋の恋」●原題:MONSIEUR HIRE●制作年:1989年●制作国:フランス●監督:パトリス・ルコント●製作:フィリップ・カルカッソンヌ/ルネ・クレトマン●脚本:パトリス・ルコント/パトリック・ドヴォルフ●撮影:ドニ・ルノワール●音楽:マイケル・ナイマン●時間:80分●出演:ミシェル・ブラン/サンドリーヌ・ボネール/リュック・テュイリエ/アンドレ・ウィルムス ●日本公開:1992/07●配給:デラ・コーポレーション(評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 23:06
【1091】 ○ フレディ・M・ムーラー 「山の焚火」 (85年/スイス) (1986/08 シネセゾン) ★★★★
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姉弟の近親相姦という特異なモチーフをとり上げて、なお透明感を保持している映像美。strong>
「山の焚火 [DVD]」
輸入版DVD
Fredi M Muller
人里離れた山中の農場で暮らす父、母、姉、そして聾唖の弟の4人家族の物語で、家族は皆、弟のことを気遣いながら深い愛情で結ばれていて、その弟は、学校には通わず、山地で働く父の手助けをしながら姉から文字や算数を教わっている―。
弟には時々爆発的な衝動を抑制できなくなる性質(癲癇)があり、ある日、故障した芝刈り機に腹を立ててそれを壊してしまい、怒った父親から家を追い出されて山の一軒家に追いやられてしまうが、なかなか帰ってこない弟のことを心配した姉が迎えに行く―。
姉弟の近親相姦がモチーフとなって、しかも最後には、そのことを知って激昂し弟を殺そうとした父親と姉との間で不幸な事故が起き、両親とも亡くなってしまうという悲劇的な結末を迎えますが、不思議とドロドロした感じがなく、時代は現代ですが、孤立し閉塞した状況下でのこうした出来事が、美しい自然を背景に淡々と描かれていく様は、何か神話か寓話のようでもあります。
個人的には、静謐な自然の中でそうした全ての出来事が「浄化」されていくような、そんな印象を抱いたわけですが、観る人によっては「神もそれを許しているような」という印象を受けるかも知れません。
一方、別の見方をすれば、これは姉にとってはカタストロフィ的結末ではなく、彼女自身が望んでいた理想のかたちになったともとれなくもないかも。
両親の死体を雪の中へ埋葬する様には死者への畏怖と祈りが込められていますが、別峰に住む祖父母へその死を知らせるために黒く染めたシーツを雪原に拡げる姉の所為は実に淡々としており、過剰な感情の奔出は見られず、安寧の境地にあるようにも見えます。
スイスのフレディ・M・ムーラー監督の作品であり、ビデオが絶版となり、かなり経ってからDVDで復活するなどしているのは、同監督の「僕のピアノコンチェルト」('06年/スイス)が多くの国際的な映画賞を受賞して、この寡作の監督に久しぶりに注目が集まったこともありますが、姉弟の近親相姦というモチーフの特異性と、そうした特異なモチーフをとり上げてなお透明感を保持している映像美によるところが大きいのではないかと思います。
「山の焚火」●原題:HOHENFEUER●制作年:1985年●制作国:スイス●監督・脚本:フレディ・M・ムーラー●製作:ベルナール・ラング●撮影:ピオ・コラーディ●音楽:マリオ・ベレッタ●時間:120分●出演:トーマス・ノック/ヨハンナ・リーア/ドロテア・モリッツ/ロルフ・イリッグ/ティック・ブライデンバッハ●日本公開:1986/08●配給:シネセゾン●最初に観た場所:シネヴィヴァン六本木(86-09-20)(評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 23:05
2009年01月31日
【1090】 ◎ ロマン・ポランスキー 「水の中のナイフ」 (62年/ポーランド) (1965/06 東和) ★★★★☆
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構成はシンプルだが(登場人物3人)、ポランスキーの最高傑作ではないか。strong>
「ポランスキースペシャルDVDコレクション 「水の中のナイフ」 「反發」 「袋小路」」/「水の中のナイフ [DVD]
」
ワルシャワでスポーツ記者をしている男が、美しい妻と週末をヨット・クルージングで過ごすため、妻の運転するクルマで湖に向かっていたが、森道でヒッチハイクの若者に出会い、妻に言われて渋々彼をクルマに乗せることに。
若者の強気な態度が気に入らない夫は、挑発するかのように若者をヨットに誘い、ヨットの船上で3人は、一旦はうち解けてクルージングを楽しむかのようにみえたものの、次第に妻を間に挟んで張り合う2人の男の心の均衡が崩れていく―。
夫は36歳という設定ですが、裕福な知識階層に属するとみていいでしょう。クルージングは、夫婦の恒例の週末の過ごし方になっているが、ある意味、惰性的に続いているもので、彼らの日常の延長に過ぎない―、そこに闖入してきた若者の方は、しがないヒッチハイカー。
女性を巡っての男2人の心理的対峙が、貧富の差、世代の違いを背景に、ヨット上という密室の中で緊張感を持って展開されていきます。
夫が敢えて若者をヨットに誘ったのは、自らが「持てる者」であることを見せつけるためであり、ヨットに乗り込んで「船長」となることで、彼の自我は一層肥大する―、しかし、夫との倦怠期にある妻は、自慢話をする夫より、むしろ心情的には若者の方へと気持ちが靡いていっているように見え(彼女は努めてそのことを表面には出さないようにしているが)、そうした妻にやけに優しい若者を見て、夫は雑用を言いつけるなどして彼を使役する―。
若者が持つ愛用のナイフは彼のアイデンティの象徴であるとも言えますが、それを夫が隠したことから2人の男は争いとなり、激昂した夫は若者をハズミで船外へ突き落としてしまい、“泳げない”彼は浮か上がってこない―、しかし、そこには若者の“芝居”があり、夫が妻との口論の末に助けを呼びにいくため湖に飛び込むのと入れ替わりで、彼はヨットに戻ってきて、その若者を妻はなじるが、やがて受け容れる―。

夫婦の日常の心理的な隔たりが、第三者の闖入という特殊な状況下で露呈するという展開であるとともに、この出来事が夫婦の破局ではなく、こんなこともあったりして、それでも夫婦生活は続いていくのだなあ、みたいな終わり方になっている点にリアリティがあり、見方によっては、将来の破局を暗示しているというより、両者の絆を強めるという結末に繋がっているように思われるところがこの作品のミソかも。
ヨットに戻ってからの若者からそれまでの尖がっていた感じが消えて、母親に甘える子供のようになってしまう点も、結末に納得感を持たせることに寄与しているように思えました(要するに、妻の眼から見ればこの若者は“子供”のようなものであり、“伴侶”たり得ないと)。
ロマン・ポランスキーの実質的な長編デビュー作で、ポーランドで撮った最後の作品ですが(以後「戦場のピアニスト」('02年)までの40年間、祖国で映画を撮ることはなかった)、彼の名を世に知らしめたもので、脚本・演出が見事なだけでなく(妻役のヨランタ・ウメッカは女優ではなく美術学校の学生だった)、森の中や湖上を撮ったモノクロームの映像がどれをとっても美しくて絵になっており(カメラのイエジー・リップマンはアンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」('56年/ポーランド)でも撮影を担当しており、あの映画もカメラワークが素晴らしかった)、構成はシンプルですが(登場人物3人だから…)トータル的に見てポランスキーの最高傑作と言ってもいいのではないでしょうか。
Jolanta Umecka
「水の中のナイフ」●原題:NOZ W WODZIE(A KNIFE IN THE WATER)●制作年:1962年●制作国:ポーランド●監督:ロマン・ポランスキー●製作:ジュゼッペ・アマト/アンジェロ・リッツォーリ●脚本:ロマン・ポランスキー/イエジー・スコリモフスキー/ヤクブ・ゴールドベルク●撮影:イエジー・リップマン●音楽:クリシトフ・コメダ●時間:94分●出演:レオン・ニエムチック/ヨランタ・ウメッカ/ジグムント・マラノウッツ●日本公開:1965/06●配給:東和●最初に観た場所:飯田橋佳作座(81-05-24)(評価:★★★★☆)●併映:「大理石の男」(アンジェイ・ワイダ)
投稿者 wadamy : 23:42
2009年01月26日
【1089】 ○ フェデリコ・フェリーニ 「甘い生活」 (59年/伊) (1960/09 イタリフィルム) ★★★★
「●は行の外国映画の監督①」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1081】 マルコ・フェレーリ 「最後の晩餐」
「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ
ラストの鮮烈なコントラストによる象徴表現には充分な説得力と余韻が。strong>
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「甘い生活」 ポスター
「甘い生活」●原題:LA DOLCE VITA●制作年:1959年●制作国:イタリア・フランス●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:ジュゼッペ・アマト/アンジェロ・リッツォーリ●脚本:フェデリコ・フェリーニ/エンニオ・フライアーノ/トゥリオ・ピネッリ/ブルネッロ・ロンディ●撮影:オテッロ・マルテッリ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:174分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/アニタ・エクバーグ/アヌーク・エーメ/バーバラ・スティール/ナディア・グレイ/ラウラ・ベッティ/イヴォンヌ・フルノー/マガリ・ノエル/アラン・キュニー●日本公開:1960/09●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ上映会(81-06-06)(評価:★★★★)
Marcello Mastroianni and Anita Ekberg
作家志望の夢を抱いてローマに出てきたマルチェロだったが、夢破れて今はしがないゴシップ記者に。エンマ(イヴォンヌ・フルノー)という娘と同棲しながらも、ナイトクラブで富豪娘(アヌーク・エーメ)と出会ってホテルで一夜を明かしたり、ハリウッドのグラマー女優(アニタ・エクバーグ)を取材がてら、彼女と野外で狂騒したりし、エンマは彼の言動を嘆く―。
マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni、1924-1996/享年72)の名声を一気に高めた作品で、主人公の“マルチェロ”をその名の通り演じているけれども、まさにハマリ役。
“マルチェロ”の仕事は要するに“パパラッチ”と呼ばれるもので、乱痴気と頽廃に支配された街ローマを象徴するような仕事であり、同時に爛熟したローマの現況の「語り部」的役割も果たしているようです。
Anita Ekberg
冒頭にある、キリスト像をヘリコプターで吊るして低空飛行するというカトリック主催のイベント(このシーン、ローマカトリックの猛抗議に遭った)の取材から始まり、場末の村で子供が「聖母を見た」という“現代の奇蹟”話があれば、多くのマスコミと共に駆けつける、という何か騒がしいばかりで中身のない日々。
マルチェロは元々プレイボーイなのですが、それでも、仕事絡みで深夜にアニタ・エクバーグみたいな女優とトレビの泉で戯れたりすることが出来れば結構“役得”ではないかとも、そのような僥倖に巡り合ったことの無い自分などは傍目に思ったりするのですが、マルチェロにはどこか満たされない思いがあるようで、実際、彼の周囲の人も幸せになる人は少なくなり、彼自身も“甘い生活”に浸れば浸るほど不幸になっていく―。
マルチェロにもメンター的存在であった友人(アラン・キュニー)がいて、マルチェロもいつかは彼らのような安寧の生活を送りたいと思っていたのですが、その友人夫婦がある日突然に自分達の子供を道連れに一家心中したという事件があり、このことが彼にとって自らの人生を見直させる契機にはならず、むしろ虚無感を増幅させたと言えるかと思います。

マルチェロが海辺の別荘で仲間らと遊び耽り、翌朝、享楽に疲れ果てた体のほてりを醒ますために出かけた浜辺に、醜悪な怪魚(エイ?)が打ち上げられていて悪臭を放っている。小さな浅干潟を隔てたその向こうに、顔見知りの可憐な少女がいて、マルチェロは声かけるが潮風にかき消されて彼女には届かない―。
Marcello Mastroianni in La dolce vita
腐りつつある「醜悪な怪魚」はマルチェロ自身の今の姿であり、少女がいる「静謐な世界」は、自分がそこに行くことを望んでももはや達し得なくなってしまった場所であるという、ラストシーンの、鮮烈なコントラストを以って示した象徴表現には充分な説得力と余韻があり、自分自身もマスコミ業界にいたことがありますが、そうした“ギョーカイ”の人がこのラストを観たら、なおのことグッと迫るものがあるのかも知れません。
逆に言えば、干潟を渡って少女の所へは行かず、また仲間達の所へ戻ってしまうであろう(戻っていくしかない)マルチェロだからこそ、我々俗人の目から見て、その哀しみに共鳴できるのかも。
「甘い生活」 パンフレット (2001年リバイバル公開時)
投稿者 wadamy : 00:08
【1088】 ○ ヴァレリオ・ズルリーニ 「激しい季節」 (59年/伊) (1960/04 イタリフィルム) ★★★★ (△ クロード・ルルーシュ 「男と女」 (66年/仏) (1966/10 UA) ★★★)
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トランティニャンの未亡人相手の2作。ロッシ・ドラゴが“凄い”「激しい季節」とCFを観ているような「男と女」。strong>
「ESTATE VIOLENTA(激しい季節)」 ビデオ(海外版)
「男と女 [DVD]」
Jean-Louis Trintignant & Eleonora Rossi Drago
「激しい季節」(Estate Violenta、'59年/伊)の舞台は1943年のアドリア海に面した高級避暑地。別荘に滞在する上流階級の娘(ジャクリーヌ・ササール)が、パーティーの場に現れたファシスト党高官の息子(ジャン・ルイ・トランティニャン)に恋をするが、彼の方は浜辺で知り合った海軍将校の未亡人(エレオノラ・ロッシ・ドラゴ)に惹かれ、2人は深い関係に―。
それを知った娘ジャクリーヌ・ササールは泣きながら去り、後半は、ムッソリーニ政権の崩壊、新政権の誕生、イタリアの降伏という動乱の戦局の下、刹那的な恋に激しく燃える高官の息子トランティニャンと未亡人ロッシ・ドラゴの愛と別離が描かれています。
とにかく、未亡人役のエレオノラ・ロッシ・ドラゴの魅力(色香)がその眼差しからボディに至るまで凄く、それまであまり脱がない女優だったそうですが、この映画に関しては、検閲でカットされている部分もあるぐらいで、彼女は’07年12月に82歳で亡くなっており、考えてみれば相当旧い映画なのですが、何か“今風”のセクシーさを醸す女優でした(この映画に出演した時は33、4歳ぐらい)。
2人の「出会い」は海岸で、独軍機の威嚇飛行に人々が怯え逃げる際に、転んで泣いていた幼子をトランティニャンが助けたのが、ロッシ・ドラゴの娘だったというもの、「別れ」は、トランティニャンが兵役逃れを図りロッシ・ドラゴと逃避行を図る際に、列車が米軍機の爆撃を受け大勢の死者が出て、その中にその娘の亡骸を見つけて、彼女が現実に(乃至“罪の意識”に)目覚めるという、「出会い」も「別れ」も共に「爆撃機」と「娘」が絡んだものです。
戦時下の恋の物語ですが、当時のイタリアの上流階級の一部は、そうした戦局の最中に合コンみたいなパーティーをやったり、海水浴に興じたりしていたというのは、実際の話なのだろうなあと(集団的な“刹那主義”的傾向?)。
この作品は日本ではDVD化されていないし、元々ビデオにもなっていないけれど、なぜだろう。
「男と女」 ポスター/パンフレット

「男と女」(Un homme et une femme、'66年/仏)もジャン・ルイ・トランティニャンが未亡人(スタントマンの夫を目の前で失った女アヌーク・エーメ)に絡むもので、こちらはトランティニャン自身も妻に自殺された男寡のカーレーサーという設定で、2人が知り合ったのは互いの子供が通う寄宿学校の送り迎えの場という、「激しい季節」同様に子供絡みです。
ストーリー的には結構俗っぽく、トランティニャンが鬱々として煮えたぎらずしょぼい恋愛モノという印象しか受けないのですが、例の「ダ~バ~ダ、ダバダバダ、ダバダバダ」というフランシス・レイのボサノバ調のテーマ曲と共に間に挿入されるイメージフィルムのような映像が美しく、クロード・ルルーシュはコマーシャルフィルムのカメラマンから映画監督に転身した人ですが、この作品自体がプロモーションフィルムまたはコマーシャルフィルムであるような印象も。
共にジャン・ルイ・トランティニャン主演の作品ですが、トランティニャン自身は、繊細な演技が出来る、日本人が感情移入しやすい俳優であるとは思うものの、この2作については、片や相方のエレオノラ・ロッシ・ドラゴの突き刺すような魅力が圧倒的で、片や映像美と音楽だけが取り柄の作品であるような気がしました。
「激しい季節」●原題:ESTATE VIOLENTA●制作年:1959年●制作国:イタリア●監督:ヴァレリオ・ズルリーニ●製作:シルヴィオ・クレメンテッリ●脚本:ヴァレリオ・ズルリーニ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/ジョルジョ・プロスペリ●撮影:ティノ・サントーニ●音楽:マリオ・ナシンベーネ●時間:93分●出演:ジャン・ルイ・トランティニャン/エレオノラ・ロッシ・ドラゴ/ジャクリーヌ・ササール/ラフ・マッティオーリ/フェデリカ・ランキ●日本公開:1960/04●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:六本木・俳優座シネマテン(84-11-17)(評価:★★★★)
六本木・俳優座シネマテン
「男と女」●原題:UN HOMME ET UNE FEMME●制作年:1966年●制作国:フランス●監督・製作:クロード・ルルーシュ●脚本:クロード・ルルーシュ/ピエール・ユイッテルヘーヴェン●撮影:クロード・ルルーシュ●音楽: フランシス・レイ●時間:103分●出演:ジャン・ルイ・トランティニャン/アヌーク・エーメ●日本公開:1966/10●配給:UA●最初に観た場所:高田馬場パール座(78-10-02)(評価:★★★)●併映:「さよならの微笑」(ジャン・シャルル・タッシェラ)
投稿者 wadamy : 00:00
2009年01月24日
【1087】 ◎ ミケランジェロ・アントニオーニ 「さすらい」 (57年/伊) (1959/04 イタリフィルム) ★★★★★
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女に捨てられた男の放浪と悲劇的結末を描く。男の孤独と絶望がひしひしと伝わってきた。strong>
「さすらい」●原題:IL GRIDO●制作年:1957年●制作国:イタリア●監督:ミケランジェロ・アントニオーニ●脚本:エンニオ・デ・コンチーニ/エリオ・バルトリーニ/ミケランジェロ・アントニオーニ●撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ●音楽:ジョヴァンニ・フスコ●●時間:102分●出演:スティーヴ・コクラン/アリダ・ヴァリ/ドリアン・グレイ/ベッツィ・ブレア/リン・ショウ●日本公開:1959/04●配給:イタリフィルム=新外映●最初に観た場所:新宿アートビレッジ (79-02-03)(評価:★★★★★)●併映「欲望」(ミケランジェロ・アントニオーニ)
北イタリア、ポー河流域の工場労働者アルド(スティーヴ・コクラン)は、夫が外国に行ったきりのイルマ(アリダ・ヴァリ)と同棲し、2人の間には6歳になる娘のロジナまでいたが、その夫が死んだとの知らせがあり、これでイルマ正式に結婚できるかと思いきや、彼女から愛は冷めた、別に好きな人がいると言われてしまい、娘を連れてあてのない旅に出る―。
内縁の妻に捨てられた男の放浪と悲劇的結末を淡々と描いた作品で、主人公の男が独白するでもなく説明的な描写があるわけでもないのに、ポー平野の荒涼たる風景と重なるかのように、男の孤独と絶望がひしひしと伝わってきました。
元々一工場労働者に過ぎない彼がそんなに金を持っているわけではなく、時には親切な他人から毛布をあてがわれて、娘のロジナ(可愛い!)と野外で添い寝するような、そんな旅を続けます。
そうしながらも、行く先で土地の女と接し、一旦は同棲のような状態にもなったりし、しかし、結局は自分を捨てたイルマのことが忘れず、心の空洞は埋まらない―。
娘をイルマの元に戻してからは更に孤独を募らせ、結局、満たされぬ想いを抱いたまま元の町に舞い戻ってきてしまうが、家の窓から覗き見えたのは、夫と幸せそうに暮らすイルマと、新たに生まれたらしい赤ん坊のオムツを変えるロジナの姿だった―。
工場内の高い鉄塔に登り投身自殺を図ろうとするアルドと、それに気づき下から不安げに見守るイルマ。力なくイルマに手を振る男。ふらふら揺れる男の身体はやがてスローモーションのように前傾し、叫び声を上げるイルマ―。
この一場面に7分間を費やしているそうですが、時間をかけている分リアルな緊張が続き、こんなに釘付けにされた映画シーンはそれまでもその後も殆ど無いです。
鉄塔を巡る螺旋階段を登り始めた時、もう既に男の心は空っぽになっていて、あとは、この苦しい「さすらい」の旅を終わらせるべく、自分をこの世から消滅させる手続きが残っているだけに過ぎない―、夢遊病者のようになった彼を見てそんな印象を持ち、結末自体は悲劇的ではあるものの、ある種のカタルシスさえ覚えました(元来、「悲劇」と「カタルシス」はセットのようなものとも言えるが)。
ミケランジェロ・アントニオーニ(1912‐2007)の作品で日本に最初に紹介されたものであるとのことですが(彼自身の監督作品としては6作目)、ストーリーが単純なだけに却ってストレートに心に響き、個人的にはアントニオーニの作品で最も好きなものとなっています。
投稿者 wadamy : 22:45
【1086】 ○ ルキノ・ヴィスコンティ 「若者のすべて」 (60年/伊・仏) (1960/12 イタリフィルム) ★★★★
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リアルで気迫のこもった演出。モノクロ映画の特性を充分に生かしている。strong>
「若者のすべて [DVD]」
Rocco & his Brothers (Rocco e i suoi fratelli)
「若者のすべて」●原題:ROCCO E I SUOI FRATELLI●制作年:1960年●制作国:イタリア・フランス●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●脚本:ルキノ・ヴィスコンティ/パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/マッシモ・フランチオーザ/エンリコ・メディオーリ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:168分●出演:アラン・ドロン/アニー・ジラルド/レナート・サルヴァトーリ/クラウディア・カルディナーレ●日本公開:1960/12●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ上映会(81-06-20)(評価:★★★★)
ルキノ・ヴィスコンティ(1906‐1976)監督というと“貴族”映画みたいなイメージがすぐ浮かびますが、イタリア南部から北部ミラノへ移住した家族の崩壊を4人兄弟(一番下の幼い弟も含めると5人兄弟)の確執を通して描いたこの映画は、イタリアの南北の格差問題を背景とした社会派作品とも言え、グラムシに共感するという彼の思想を映し出すものでもあります。
原題は「ロッコとその兄弟たち」。近親相互間の人間臭い葛藤が凄まじく、三男のロッコ(アラン・ドロン)がボクサー志望の次男(レナート・サルヴァトーリ)の恋人ナディア(アニー・ジラルド)に横恋慕したとして、兄一味が彼女を強姦するのを目の当たりにさせられ絶叫するシーンなどは心底痛々しく感じられ、ジュゼッペ・ロトゥンノのカメラワークも含め、ヴィスコンティのリアルで気迫のこもった演出に改めて驚嘆させられます。
兄のために、自分に求婚するナディアを振り切って身を引き、家族を経済的苦境から救うために好きではないのにボクサーなるロッコ―、どこまで純粋なキャラクターなのだろうか。
リアリティが欠如しているとすれば、アラン・ドロンがボクサーとしてはあまりに美男過ぎる点はともかくとして、旧恋人を殺めてしまった兄さえも暖かく迎えるこのロッコの善人ぶりぐらいかなと。
でも、そのロッコがいなければ全く救いの無いような映画であり、貧しいがゆえに兄は弟を妬み、同じ貧しさのゆえに弟は兄への兄弟愛に飢えるという―ということになるのでしょうか。
“ドゥオーモ”に登ったロッコ(A・ドロン)とナディア(A・ジラルド)
最初に、ロッコとその一家が列車から降り立ったのは「ミラノ中央駅」で、これは、後にヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」('70年/伊)でも別れのシーンのロケ場所になっていますが、絵になる駅だなあと。
他にも、ミラノのドゥオーモ(大聖堂)など、映像美溢れるシークエンスが少なからずあり、モノクロ映画の特性を充分に生かしている感じがしました(北イタリアの寒村風景やロッコの心象風景にはモノクロ―ムが合っている)。
作中では、アニー・ジラルドは元カレのレナート・サルヴァトーリに殺されてしまいますが(R・サルヴァトーリは「スキャンドール」('80年/伊)でも、母娘の両方と寝る男を演じていたが)、実生活ではこの共演を機に2人は結婚し、アニー・ジラルドはサルヴァトーリが亡くなるまで添い遂げています。
投稿者 wadamy : 22:16
2009年01月23日
【1085】 ○ ヴィットリオ・デ・シーカ 「ひまわり」 (70年/伊・仏・ソ連) (1970/09 日本ヘラルド映画) ★★★☆ (△ ジャック・ドゥミ 「シェルブールの雨傘」 (64年/仏) (1964/10 東和) ★★★)
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戦争の犠牲者に対する国を超えたレクイエムが込められていた「ひまわり」。strong>
「ひまわり [DVD]」
「ひまわり」ポスター
「シェルブールの雨傘 [DVD]」
「ひまわり」 パンフレット
「ひまわり」●原題:I GIRASOLI(SUNFLOWER)●制作年:1970年●制作国:イタリア・フランス・ソ連●監督:ヴィットリオ・デ・シーカ●製作:カルロ・ポンティ/アーサー・コーン●脚本:チェザーレ・ザバッティーニ/アントニオ・グエラ/ゲオルギス・ムディバニ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ヘンリー・マンシーニ●時間:107分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/ソフィア・ローレン/リュドミラ・サベーリエワ●日本公開:1970/09●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:目黒シネマ(83-05-01)(評価:★★★☆)●併映:「ワン・フロム・ザ・ハート」(フランシス・フォード・コッポラ)
「ひまわり」(I Girasoli 、'70年/伊・仏・ソ連)は、最初に観たときは、ジョヴァンニ(ソフィア・ローレン)が戦地で消息を絶った夫アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)を訪ねウクライナに行き、彼に再会し全てを知ったところで終わっても良かったかなと、その方がラストのひまわり畑のシーンにすんなり繋がるのではないかという気もし、後半、今度はマルチェロ・マストロヤンニがソフィア・ローレンを訪ね再会を果たすも、既に彼女は結婚もしていて子供もいることがわかり(自分にもロシア人妻リュドミラ・サヴェーリエワとの間に子供がいることも改めて想起し)、失意のうちにウクライナへ帰っていく部分は、かなり地味だし、「子は鎹(かすがい)」ということ(?)なんて思ったりしたのですが、後で観ると、後半も悪くないなあと。
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愛の“記憶”に生きると決めているジョヴァンニ。ガックリくるマストロヤンニに対し、共に痛みを感じながらも彼を包み込むような感じがラストのソフィア・ローレンにはあり、母は強しといった感じも。
2つの別れのシーン(出征と最後の別れ)に「ミラノ中央駅」が効果的に使われていて、ひまわりが咲き誇る畑もいい。
このひまわりの下に、ロシア兵もイタリア兵も戦場の屍となって埋まっているという、戦争の犠牲者に対する国を超えたレクイエムが込められていて、冷戦下でソ連側が国内でのロケを許可したのもわかります(ソフィア・ローレンはソ連のどこのロケ地へ行っても大歓迎を受けたとのこと)。 Sophia Loren Marcello Mastroianni in I Girasoli
Catherine Deneuve in Les Parapluies De Cherbourg/映画チラシ(1989)

同じく、戦争で運命を狂わされた男女を描いたものに、ジャック・ドゥミ(1931‐1990)監督の「シェルブールの雨傘」(Les Parapluies De Cherbourg、'64年/仏)がありますが、のっけから全ての台詞にメロディがついていて、やや面食らいました(それが最後まで続く)。
石畳の舗道に雨が落ちてきて、やがて色とりどりの美しい傘の花が咲くという俯瞰のファースト・ショットはいかにもお洒落なフランス映画らしく('09年にシネセゾン渋谷で“デジタルリマスター版”が特別上映予定とのこと。自分が劇場で観た頃にはもう色が滲んでいた感じがした)、監督のジャック・ドゥミも若かったですが(当時31歳)、傘屋の娘を演じたカトリーヌ・ドヌーヴは当時20歳。
恋人が出征する戦争は、第2次世界大戦ではなくアルジェリア戦争で(この映画からは残念ながらアルジェリア側の視点は感じられない。戦争終結直後に作られたということもあるのだろう)、「ひまわり」みたいに一方がもう一方を訪ねて再会するのではなく、ラスト別々の家族を持つようになった2人は、母の葬儀のためシェルブールに里帰りしたカトリーヌ・ドヌーヴが、クルマの給油に寄った先が、彼が将来経営したいと言っていたガソリンスタンドだったという、偶然により再会します。
「シェルブールの雨傘」 仏語版ポスター
2人は将来子供が出来たら付けようと恋人時代に話していた「フランソワ」「フランソワーズ」という名をそれぞれの男の子と女の子につけていたのですが、「ひまわり」のソフィア・ローレンは、自分の子に「アントニオ」という前夫の名をつけていた―何れにせよこういうの、知らされた側の未練を増幅しそうな気がするなあ。
「シェルブールの雨傘」●原題:LES PARA PLUIES DE CHERBOURG●制作年:1964年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャック・ドゥミー●製作:マグ・ボダール●脚本:チェザーレ・ザバッティーニ/アントニオ・グエラ/ゲオルギス・ムディバニ●撮影: ジャン・ラビエ●音楽:ミシェル・ルグラン●時間:91分●出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ニーノ・カステルヌオーボ/マルク・ミシェル/アンヌ・ヴェルノン/エレン・ファルナー●日本公開:1964/10●配給:東和●最初に観た場所:高田馬場パール座(78-05-27)(評価:★★★)●併映:「巴里のアメリカ人」(ヴィンセント・ミネリ)
投稿者 wadamy : 23:42
【1084】 ◎ フェデリコ・フェリーニ 「道」 (54年/伊) (1957/05 イタリフィルム) ★★★★★
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人間の原罪を抉った作品であるとともに、旅芸人たちに対する共感が込められている。strong>
「道 [DVD]」
「道 [DVD]」
パンフレット (1965)
「道」●原題:LA STRADA●制作年:1954年●制作国:イタリア●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:カルロ・ポンティ/ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:フェデリコ・フェリーニ/エンニオ・フライアーノ/トゥリオ・ピネッリ●撮影:オテッロ・マルテッリ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:115分●出演:ジュリエッタ・マシーナ/アンソニー・クイン/リチャード・ベースハート●日本公開:1957/05●配給:イタリフィルム=NCC●最初に観た場所:新宿アートビレッジ(79-05-01)(評価:★★★★★)
旅芸人のザンパノ(アンソニー・クイン)は芸の手伝いをする女が死んでしまったため、その妹のジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)を幾ばくかのお金で買い取った。粗野で暴力を振るうザンパノと、頭が弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る旅に出る―。
フェデリコ・フェリーニ(1920‐1993/享年73)監督のあまりも有名な作品ですが、本国と日本での公開の間に3年の歳月があり、旅芸人という地味なモチーフ、美男美女が出てくるわけでもなく、当初は日本では受けないと思われたのかな?
さほど宣伝もされず、口コミで人気が拡がり、やがて映画ファンのみでなく、広く一般に知られる作品に。
アンソニー・クイン(1915‐2001)が亡くなった際にも、新聞ではこの作品のスチールと共に報じられていました。
彼の出演作品の中でも代表作になるのでしょうが、監督の奥さんであるジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナ(1921‐1994)の演技が、これまた素晴らしいと思いました。
フェリーニの作品の中でも一番好きな映画で、初めて観た時は、次の日また観にいってしまった…。
この映画には幾つかの謎があり、例えばジェルソミーナがいつも口ずさむ歌(音楽の教科書に「ジェルソミーナ」というタイトルで出ていた)は、物語の中では一体誰が作曲したことになっているのか、ザンパノと彼が殺した綱渡り芸人は以前にはどういう関係にあったのか、といったものから、ジェルソミーナが家族と別れる時、実は絶望よりも希望の方が勝っていたのか、何故ジェルソミーナは修道尼の誘いを断り修道院を後にしてザンパノについていったのか等々。
この映画でのジェルソミーナの表情は、1つの場面においてもめまぐるしく変化し、一般に彼女は「頭が弱い」とされていますが、必ずしもそうとは言えないような気もし、例えば、「頭が弱い」からザンパノに虐げられても彼についていってしまう(“ストックホルム症候群”説?)のではなく、一見粗暴に見える彼の弱さと優しさを見抜き、また、綱渡り芸人からも言われたように、自分しかザンパノを支える人間はいないということがわかっていたのでしょう。
ザンパノ自身の方はそのことに気づかずに、彼が綱渡り芸人を殺したことを知って泣き続け心を閉ざしたままの彼女を置いていってしまい、何年か経た後に、彼女の死を聞いて号泣する自分を通して、自分が彼女を愛していたことをやっと知り、また、その彼女を見捨てた過ちに気づく―、そして今、自分は彼女に何もしてやれなかったという思いを抱いて残りの人生を送らなければならないという、これが彼にとっての“罰”になっていて、その罰を通して、かつて自分が犯した数々の罪をも知る―という構造になっているように思いました。

綱渡り芸人が殺されてジェルソミーナが泣いたのは、優しかった彼が死んだということもありますが、むしろ、ザンパノの犯した罪に対する慄きからのものでしょう。
人間の原罪を抉った作品であり、バックにキリスト教的な宗教観の影響も見てとれなくもないですが、但し、あまりそのことに引き寄せて解釈すると、ジェルソミーナが単なる“聖性”のシンボルになってしまうような気もしなくもありません。
旅芸人たちの笑顔の底にある生身の人間としての悲哀-それに対する洞察と共感が込められていることは、「フェリーニの道化師」('70年)などの作品と併せて観るとよく解るかと思います。
「道」 ポスター/パンフレット (ともにリバイバル公開時)

投稿者 wadamy : 23:38
2009年01月22日
【1083】 ○ サルヴァトーレ・サンペリ 「スキャンダル」 (76年/伊) (1977/06 日本ヘラルド映画) ★★★★ (○ アルベルト・ラットゥアーダ 「スキャンドール 禁じられた体験」 (80年/伊) (1982/02 ジョイパックフィルム) ★★★☆)
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“熟年女優”ぶりが印象的だったリザ・ガストーニとヴィルナ・リージ。strong>
「スキャンダル [DVD]」
「スキャンダル」ポスター
「スキャンドール」ポスター
Lisa Gastoni & Franco Nero in Lo Scandalo
「スキャンダル」●原題:LO SCANDALO●制作年:1976年●制作国:イタリア●監督:サルヴァトーレ・サンペリ●製作:シルヴィオ・クレメンテッリ●脚本:オッタヴィオ・ジェンマ/サルヴァトーレ・サンペリ●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:リズ・オルトラーニ●時間:107分●出演:リザ・ガストーニ/フランコ・ネロ/レイモン・ペルグラン/クラウディオ・マルサーニ●日本公開:1977/06●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:三鷹東映(78-02-04)(評価:★★★★)●併映「ラストタンゴ・イン・パリ」(ベルナルド・ベルトリッチ)/「O嬢の物語」(ジュスト・ジャキャン)
「スキャンダル」('76年/伊)は第2次大戦下の南フランス・プロヴァンスが舞台で、大学教授の妻(リザ・ガストーニ)が、自らが営む薬局で働く雑役夫(フランコ・ネロ)に、女店員と間違えられて抱きつかれたことを契機に、彼と性交渉を持つようになり、上流階級への怨念を抱く雑役夫のもと、彼の肉体の奴隷となっていくというもの。雑役夫は、女店主の娘(クラウディオ・マルサーニ、「家族の肖像」に出ていた)にも手を出すが、大学教授の妻はむしろそれに嫉妬する有様で、雑役夫の命令でどんな辱めも受けるという完全な主従逆転状態に―。
リザ・ガストーニ Lisa Gastoni

サルヴァトーレ・サンペリの演出とヴィットリオ・ストラーロのカメラは「青い体験」('73年/伊)と同じコンビで、主演のリザ・ガストーニ(Lisa Gastoni 、1935年生まれ)が美しく高貴な人妻が堕ちていく様を身体を張って演じており、マカロニ・ウェスタンの俳優というイメージがあったフランコ・ネロもネクラかつサディステックな雑役夫をしっかり演じていて、“イタリアン・エロス”とか言われるけども、ある種、家族の崩壊を描いた文芸作品と言えるかも知れません(充分にエロチックでもあるが)。
女店主リザ・ガストーニは最後には絶望の淵に追い込まれるわけですが、雑役夫フランコ・ネロとの関係がスキャンダルになろうとも性愛の道を突き進むその姿は、一時のこととは言え自らの解放を果たしたというふうにもとれるかと思います。
サルヴァトーレ・サンペリは“ネオ・レジスタ”グループの代表格ともされており、この作品には上流階級の脆弱・崩壊というものがバックテーマとしてあるようで、妻のすべての告白を聞いてもただ涙を流すしかない大学教授の夫(そのくせ、自分のコレクションを妻が誤って壊すと怒る)には、“知識人階級”への批判も込められているように思えました。
「スキャンドール(LA CICALA)」 C.Goldsmith

“イタリアン・エロス”系では、少し似たようなタイトルで「スキャンドール」('80年/伊)というものもあり、行きずりの少女チカラ(クリオ・ゴールドスミス)と共に旅していた歌手(ヴィルナ・リージ)が、旅先で知り合ったレストラン経営者と結婚しガソリンスタンドを切り盛りするようになり、そこに呼び寄せた娘(バーバラ・デ・ロッシ)と共に男1人女3人の生活を始めるが、やがて男を巡って娘と骨肉の争いをするというもので、「スキャンダル」と少し似ているかも(この映画も、エロチックだが演出はしっかりしている)。
原題“チカラ”はイタリア語で「蝉」の意。ガソリンスタンドの住み込み店員となって、こうした出来事の推移を目の当たりにする少女チカラは、この映画に出てくる「男1人女3人」の中で唯一ノーマルと言えるかも(最後は、蝉が木から飛び立つように、店から逃げ出すところで終わる)。
ヴィルナ・リージ Virna Lisi

主演のヴィルナ・リージ(Virna Lisi、1937年生まれ)は、若い頃はジャック・レモン主演の「女房の殺し方教えます」('64年/米)などにも出たりしましたが、演技派指向なのに英語の話せないイタリア人の役をあてがわれ、結局、自分をセクシー女優としてしか見ないハリウッドに見切りをつけ、主にヨーロッパで"演技派"兼"セクシー女優"として活躍した人。
「スキャンドール」にはノーメークで出ていますが、当時43歳だったけれども(役柄上、少し怖さもあったが)美貌は健在で、「スキャンダル」に出た時41歳だったリザ・ガストーニと並び、強烈な印象を抱かされた、イタリアの“熟年”女優でした。
「スキャンドール 禁じられた体験」●原題:LA CICALA●制作年:1980年●制作国:イタリア●監督・脚本:アルベルト・ラットゥアーダ●製作:イブラヒム・ムーサ●撮影:フレッド・ボンガスト●音楽:ダニロ・デジデリ●原作:ナターレ・プリネット/マリナ・デ・レオ●時間:99分●出演:アンソニー・フランシオーサ/ヴィルナ・リージ/レナート・サルヴァトーリ/クリオ・ゴールドスミス/バーバラ・デ・ロッシ●日本公開:1982/02●配給:ジョイパックフィルム●最初に観た場所:新宿・名画座ミラノ(82-05-03)(評価:★★★☆)
2009年01月19日
【1082】 ◎ ルキノ・ヴィスコンティ 「イノセント」 (76年/伊・仏) (1979/03 チネリッツ) ★★★★☆
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最後まで枯れることのなかったヴィスコンティ。strong>
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「イノセント」 ポスター
「イノセント」●原題:L'INNOCENTE●制作年:1976年●制作国:イタリア・フランス●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●製作:ジョヴァンニ・ベルトルッチ●脚本:本 スーゾ・チェッキ・ダミーコ/エンリコ・メディオーリ/ルキノ・ヴィスコンティ●撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス●音楽:フランコ・マンニーノ●原作:ガブリエレ・ダヌンツィオ「罪なき者」●時間:129分●出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ/ラウラ・アントネッリ/ジェニファー・オニール/マッシモ・ジロッティ/ディディエ・オードパン/マルク・ポレル/リーナ・モレッリ/マリー・デュボア●日本公開:1979/03●最初に観た場所:池袋文芸座 (79-07-13) (評価★★★★☆)●併映:「仮面」(ジャック・ルーフィオ)
1976年のイタリア・フランス合作映画で、ルキノ・ヴィスコンティ(1906‐1976)の最後の監督作品(公開されたのは没後)。

2006年に新宿のテアトルタイムズスクエアで開催された「ヴィスコンティ生誕100年祭」で、「山猫」、「ルートヴィヒ」と共にその完全版が上映されましたが、「祭」と言いつつ、たった3作しか上映しないのか(以前は、名画座などでもっと気軽に観られたのに)という思いもあるものの、3作に限るならばこのラインアップはかなりいい線いってるように思いました。
「イノセント」は、19世紀ローマの貴族男性(ジャンカルロ・ジャンニーニ)が主人公で、彼が妻と愛人の間で揺れ動く様が描かれているのですが、〈妻〉が「青い体験」('73年/伊)のラウラ・アントネッリで、〈愛人〉が「おもいでの夏」('71年/米)のジェニファー・オニールなので、初めて見に行った時は、これを老ヴィスコンティがどう撮ったのかという興味もありました。
貴族男性が愛人のもとへ行く際、妻に「君は昔から可愛い妹だった」などと言い訳して、それを妻ラウラ・アントネッリが許すというそのそれぞれのお気楽ぶりと従順ぶりにやや呆れるものの、実は女性の心と肉体なんて、男が思っているほど単純なものではなかったということか。
ラウラ・アントネッリが妻でいて、浮気などするなんて何というヤツかと思わせる部分も無きにしもあらずですが、浮気相手はジェニファー・オニールだし…。
ジャンカルロ・ジャンニーニが演じる貴族は、自分の気持ちに純粋に従い過ぎるのかも(何となく憎めないキャラクター)。
結局妻ラウラ・アントネッリの方も、義弟から紹介された作家に惚れられて、自らも浮気に走り、そのことで夫は今さらのように自身の妻への愛着を再認識する―。
でもやはり気持ちはふらふらしていて、最後には作家の子を身籠った妻からの反撃を食い、愛人にも逃げられ、(自業自得とも言えるが)かなり惨めなことに…という、没落過程にある貴族層に個人のデカダン指向を重ね合わせたような、ヴィスコンティらしい結末へと繋がっていきます。
Laura Antonelli &Giancarlo Giannini in L'Innocente
冒頭の「赤」を基調とした絢爛たる舞踏会シーンから映像美で魅せ、話の筋を追っていけば“貴族モノ”とは言え結構俗っぽい展開なのに、それでいて、ラウラ・アントネッリやジェニファー・オニールが、ヴィスコンティ映画の登場人物として“貴族然”として見えるのは、やはりヴィスコンティの演出のなせる業でしょうか(大河ドラマに出る女優が皆同じように見えるのと似てなくもないが)。
その上で、抑圧されることで更にその魅力を強めていくラウラ・アントネッリが、(期待に反することなく?)充分エロチックに描かれていました(この〈妻〉役は、人物造形的にもかなり複雑なキャラクターのように思える)。
この映画の撮影の時ヴィスコンティは既に車椅子での演出でしたが、う~ん、70歳、死期を悟りながらも、随分こってりした作品を作っていたんだなあと(そこがまたいい)。
投稿者 wadamy : 00:13
2009年01月18日
【1081】 ○ マルコ・フェレーリ 「最後の晩餐」 (73年/伊・仏) (1974/10 東和) ★★★★
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食べ過ぎによる自殺を図る4人の男たちを描いた怪作。インパクトあった。strong>
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「最後の晩餐」●原題:LA GRANDE BOUFFE●制作年:1973年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:マルコ・フェレーリ●撮影:マリオ・ヴルピアーニ●音楽:フィリップ・サルド●時間:130分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/ウーゴ・トニャッツィ/フィリップ・ノワレ/ミシェル・ピッコリ●日本公開:1974/11●最初に観た場所:大塚名画座 (78-11-07) (評価★★★★)●併映:「糧なき土地」(ルイス・ブニュエル)/「自由の幻想」(ルイス・ブニュエル)
もしも、旨いものを食べられるだけ食べて、食べられなくなってもとにかく食べ続け、食べ過ぎによる自殺を図る人がいたとしたら、その所為はかなり狂気に近いと言わざるを得ないだろうけれど、この映画に登場する4人の男たちはそれをやってのける―。

パリの郊外の邸宅に、料理家(ウーゴ・トニャッツィ)、国際線パイロット(マルチェロ・マストロヤンニ)、裁判官(フィリップ・ノワレ)、俳優(ミシェル・ピッコリ)の4人の食通仲間が集い、贅沢を極めた料理を食べ続け、ついでに性欲もフルに満たしながらの饗宴(狂宴?)を繰り広げ、1人ずつ順番に、最後は4人とも、目的通り“食べ過ぎ”により死んでいくというもの。
この映画はイタリア・フランス合作映画で、主演の4人も伊・仏混成となっていますが、監督はイタリア人のマルコ・フェレーリ(1928 ‐1997)。
そう言えば、同じイタリア人監督フェデリコ・フェリーニの「サテリコン」('70年/伊)にも、ローマ貴族の酒池肉林の宴を描いたシーンがあり、スケールの大きさでは「サテリコン」の方が上だったかも。
但し、「最後の饗宴」は、この4人の宴の部分のみを延々と追って1本の作品として撮り切っていて、そうした意味では、他に類を見ないものと言え、何れにせよ、日本人の発想からはとても作られないだろうと思われる作品です。
この映画の中での4人は明るい―、しかし、そこには何か底知れない虚無も感じられ(自殺しようとしているわけだから当然か)、生きることの最終目的は食欲と性欲の充足であるとの割り切りも感じられます。
考えてみれば、ヒトは端的に言えばこの4人と似たような生き方をしているのかも知れず、但し、“次の機会”を期待して今死なないだけで、そうこうしながら緩慢に死に向かっていると言えなくもありません。
「ひきしお」('71年/仏・伊)の監督でもありますが、面白い映画を撮る人だと思いました。
この作品以降の代表作では「ありきたりな狂気の物語」('81年/伊・仏)や「未来は女のものである」('84年/伊・仏・西独)などがあったけれども、「ありきたりな狂気の物語」などはつまらない私小説といった感じで、「未来は女のものである」も、妊婦役のオルネッラ・ムーティが詰め物なし(実際に妊娠中だった)で出ていたのにはちょっと驚きましたが、結局のところ何れもこの作品を超えるほどのインパクトは無かったように思います。
投稿者 wadamy : 23:31
2009年01月04日
【1074】 ○ アガサ・クリスティ 『検察側の証人』 (1980/05 ハヤカワ・ミステリ文庫) ★★★★ (◎ ビリー・ワイルダー 「情婦」 (57年/米) (1958/03 松竹=ユナイト) ★★★★☆)
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最後まで楽しめる法廷劇。個人的評価は、短編:70点、戯曲:80点、映画:90点。strong>
『検察側の証人 (ハヤカワ・ミステリ文庫(クリスティー戯曲集 2)』 ['80年]
『検察側の証人(クリスティ文庫)』 ['04年(戯曲)]
金持ちの老婦人がある晩撲殺され、彼女と親しくし金銭的事務を任されていたことから嫌疑をかけられた青年レナードを腕利きの老弁護士ウィルフリッドロバーツ卿は弁護することになるが、金目当てだとすれば動機も充分な上に状況証拠は青年に不利なものばかり。しかも、彼を救えるはずの外国人妻ローマインが、あろうことか“検察側の証人”として出廷し、夫の犯行を裏付ける証言を―。

1953年初演の戯曲『検察側の証人 (Witness for the Prosecution)』は、1933年に刊行された短編集『死の猟犬』の中にある同名の短編小説を、アガサ・クリスティ(1890‐1976/享年85)自身が戯曲化したもので、1957年にビリー・ワイルダー監督によって映画化もされています(邦題「情婦」)。
自分自身が接した順番は、映画→戯曲→短編という逆時系列であり、戯曲と短編ではトリックそのものは同じなのですが、戯曲の方が法廷劇としてのテンポの良さや愛憎劇としての深みに勝っていて面白く、何よりも短編の最後のドンデン返しに加えて、もう1回どんでん返しがあるのが戯曲の方(短編を訳している茅野美ど里氏は、「クリスティ作品で原作以上に映画の方が面白いと思ったのはこれひとつ」と述べている)。
映画は戯曲にほぼ忠実に作られており、初めて観たときにはすっかりトリックに騙されましたが、短編→映画と進んだ人の中には、2回目のドンデン返しは、ストリーテラーであるビリー・ワイルダー監督の創意であると思った人もいたようです(実はクリスティ自身のアイデア)。
映画では、弁護士役の舞台出身俳優チャルールズ・ロートンの演技が高く評価されたようですが、外国人妻ローマイン役のマレーネ・デートリッヒも良かったと思います(演技もさることながら、当時56歳ですから、あの美貌と脚線美には脱帽)。
短編と戯曲と映画をそれぞれ比べると、短編では外国人妻はオーストリア人になっているのに、戯曲と映画ではドイツ人になっている(デートリッヒを想定した?)といった細かい違いもさることながら、戯曲では老弁護士はあまり事の急進展に疑問を感じておらず、裁判に勝つことしか眼中に無いのに対し、映画でのチャルールズ・ロートンは、「何だかおかしい」感を抱き続けているように見え、短編では具体的に、外国人妻の仕草の癖から老弁護士がある時出会った女性を想起するまでに至っています。 Marlene Dietrich (1901‐1992)
映画の圧巻の1つは、デートリッヒが老弁護士チャルールズ・ロートンに(かなり高飛車に)謎解きをする場面で、あの太っちょのチャルールズ・ロートンが冷や汗を流して縮み上がる―にも関わらず、第2のドンデン返しの後で、彼女のためにこの老弁護士はある決心をするのですが、この“決意表明”は短編にも戯曲にも無いため、ビリー・ワイルダーの創意なのではないかと思います。
「情婦」●原題:WITNESS FOR THE PROSECUTION●制作年:1957年●制作国:アメリカ●監督:ビリー・ワイルダー●製作:アーサー・ホーンブロウ・ジュニア●脚本:ビリー・ワイルダー/ハリー・カーニッツ●撮影:ラッセル・ハーラン●音楽:マティ・マルネック/ラルフ・アーサー・ロバーツ●原作戯曲:アガサ・クリスティ●時間:116分●出演:タイロン・パワー/マルレーネ・ディートリッヒ/チャールズ・ロートン/エルザ・ランチェスター/ジョン・ウィリアムス●日本公開:1958/03●配給:松竹=ユナイト●最初に観た場所:新宿シアターアップル(85-10-20)(評価:★★★★☆)

【戯曲…1969年文庫化[角川文庫(『情婦』)]/1980年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(『検察側の証人(クリスティー戯曲集2)』)〕/2004年再文庫化[ハヤカワ文庫〕/短編…1960年文庫化[新潮文庫(『クリスティ短編集1』)〕/1966年再文庫化・1992年改版[創元推理文庫(『検察側の証人(クリスティ短編全集1)』)]/1971年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ(『死の猟犬』)〕/1979年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ(『死の猟犬(クリスティ短編集7』)〕/1997年再文庫化[偕成社文庫(『検察側の証人(アガサ・クリスティ推理コレクション5)』)〕/2004年再文庫化[早川書房・クリスティー文庫(『死の猟犬』)]】
『情婦 (1969年) (角川文庫)』 『クリスティ短編集 (1) (新潮文庫)
』
投稿者 wadamy : 21:18
【1073】 ○ チャールズ・ディケンズ (村岡花子:訳) 『クリスマス・カロル』 (1952/11 新潮文庫) ★★★☆ (△ リチャード・ドナー 「3人のゴースト」 (88年/米) (1988/12 パラマウント映画) ★★★
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文豪が大衆や子供たちに向けて贈ったクリスマス・ストーリー(寓話)。意外とコミカル。strong>

『クリスマス・カロル (新潮文庫)』
“A Christmas Carol ” (洋書ハードカバー)
1843年12月17日に出版された英国の文豪チャールズ・ディケンズ(1812‐1970/享年58)の中編小説。ロンドンの下町近くに事務所を構える商人で、偏屈で人間嫌い、金の亡者であるスクルージは、クリスマス・イブの夜もクリスマスなど自分には関係ないとして、甥のパーティへの誘いも断り事務所にいたが、そこへかつての共同経営者であり7年前故人となっていたマーレイの亡霊が現れ、更に3晩続けて3人の幽霊が現れると告げる―。
物語は吝嗇家のスクルージが3人の幽霊に導かれて自らの過去・現在・未来を見せられるという超自然的な体験を軸に展開し、その描写が、ディケンズらしい社会派リアリズムと、この寓話の特性としてのシュールさが相俟って面白かったです(もともと、マーレイの亡霊が現れるところからシュールであるとともに、時にリアルなホラーになっていて不気味だったりするのだが)。

また、スクルージと幽霊のやりとりはかなりコミカルであり、頑固で神経質なスクルージのキャラクターは、個人的には、ディズニーのドナルドダックの伯父さんであるスクルージのキャラクターとよく符合したように思います。
超常体験を通してスクルージは改悛し、自らの価値観が誤っていたことを悟って貧者への思いやりに目覚めるというのも予定調和ですが、この結末から窺えるように、もともとスクルージは悪人ではないわけで、こうしたスクルージという人物の本質を突いたディズニーのキャラクター造型というのもなかなかのものだと思ったりして(この作品に対しては、スクルージの描き方が漫画的であるという批判もあるようだが、もともと文学というより寓話に近いのでは)。 Scrooge & Scrooge
文豪が大衆や子供たちに向けて贈ったクリスマス・ストーリーということになるのでしょうが(新潮文庫版の翻訳は『赤毛のアン』シリーズの翻訳で知られる村岡花子(1893-1968))、クリスマス・ストーリーの中では最も有名なもので、何度か映画化やミュージカル化もされていています。
Scrooged (1988)

自分が観たのは、話を現代に置き換えたリチャード・ドナー監督、ビル・マーレイ主演の「3人のゴースト」(Scrooged、'88年/米)で(ビル・マーレイは「ゴーストバスターズ」('84 年/米)にも主演していて、幽霊繋がり?)、映画では主人公は“金の亡者”ならぬ“視聴率の亡者”であるテレビ局の若社長になっていて、登場する“ゴースト”がタクシー運転手だったり女妖精だったりとバラエティ豊かですが、一応、原作のストーリーは押さえている感じ。
但し、こうした古典的寓話を複雑な現代社会に置き換えても、なかなかヒューマンな部分は伝わりにくいという感じもし(主人公が最後に自分の局の番組の中で慈善演説をぶつのも、ややわざとらしい)、マイルス・ディヴィスなど有名人が顔見せ的に画面に登場するなどしていて、映画を作る側も感動させるというより、ひたすら楽しんで(やや開き直って?)作っている感じがしました。
「3人のゴースト」●原題:SCROOGED●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:リチャード・ドナー●製作:アート・リンソン/リチャード・ドナー●製作総指揮:ステファン・J・ロス/●脚本:ミッチ・グレイザー/マイケル・オドノヒュー●撮影:マイケル・チャップマン●音楽:ダニー・エルフマン●原作:チャールス・ディッケンス「A Christmas Carol」●時間:101分●出演:ビル・マーレイ/カレン・アレン/ジョン・フォーサイス/ボブキャット・ゴールスウェイト/デビッド・ヨハンセン/キャロル・ケイン/ロバート・ミッチャム●日本公開:1988/12●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:名古屋毎日ホール(88-12-30)(評価:★★☆)●併映:「星の王子ニューヨークへ行く」(ジョン・ランディス)
【1950年文庫化[岩波文庫〕/1950年再文庫化[角川文庫〕/1952年再文庫化[新潮文庫〕/1969年再文庫化[旺文社文庫〕/1984年再文庫化[講談社青い鳥文庫(『クリスマス・キャロル』)〕/1991年再文庫化[集英社文庫(『クリスマス・キャロル』)〕/2001年再文庫化[岩波少年文庫(『クリスマス・キャロル』)〕/2006年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『クリスマス・キャロル』)〕】
投稿者 wadamy : 08:35
【1072】 ◎ ジョン・スタインベック (大門一男:訳) 『二十日鼠と人間』 (1953/10 新潮文庫) 《 (大浦暁生:訳) 『ハツカネズミと人間』 (1994/07 新潮文庫)》 ★★★★☆
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"quick read but strong "。スタインベックに「文学の神様」が宿った時期の作品。strong>
『ハツカネズミと人間 (新潮文庫)』 ['94年/'53年]
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小さな家と農場を持ち、そこでウサギを飼い、土地のくれる一番いいものを食べて暮らすこと夢見るジョージとレニーは、共に農場を渡り歩く期間労働者で、ジョージは小柄ながら知恵者、一方のレニーは巨漢だがちょっと頭が鈍いという具合に対照的ながらも、いつも助け合って生きてきた―この2人がある日また新たな農場にたどり着くが、そこには思わぬ悲劇が待ち受けていた―。
1937年に出版された米国人作家ジョン・スタインベック(John Steinbeck、1902‐1968/享年66)の中編小説で、以前読んだ大門一男訳に対し、入れ替わりで新潮文庫に入った大浦暁生訳は題名の「二十日鼠」の表記がカタカナになっているなどの違いはありますが、文庫で約150ページと再読するにも手頃で、それでいて、初読の際の時の衝撃が甦ってくるものでした(洋書の書評に"quick read but strong "とあったが、まさにその通り)。
1930年代の大恐慌時代のカリフォルニア州が舞台なのですが、スタインベック自身の季節労働者としての経験がベースになっており、寓話的でありながらも細部にリアリティがあるし、ラマ使いの名人で農場労働者のリーダー格のスリムや厩に住む黒人クルックスなど、短い物語の中に、極めて印象に残る人物が見事に配置されているように思いました(特にスリム、このキャラクターは渋い!)。
ラストのジョージの苦渋の行動は、知恵遅れのレニーがいつも問題を起こすための2人で農場を転々としてきた過去の経緯があり、その上で、今度こそはもう手の打ちようがないという判断の末でのことでしょう。
キャンディという老人が、自らが可愛がっていた老犬の処分を他人に委ね、後で「あの犬は自分で撃てばよかった」と悔いるエピソードが、伏線として効いています。

スタインベックはこの作品でその名を知られるようなり、2年後に発表した、旱魃と耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた『怒りの葡萄』('39年)でピューリツァー賞を受賞しますが、共に映画化されており、「二十日鼠と人間」は'39年と'92年に映画化されているものの未見、ジョン・フォード監督の「怒りの葡萄」('40年/米)は吉祥寺の「ジャヴ50」で深夜に観ましたが、電車の座席みたいな長椅子の客席に集った客の半分が外国人でした(同劇場でその少し前に「わが谷は緑なりき」('41年/米)を観た時もそうだった)。
刑務所帰りの貧農の息子をヘンリー・フォンダが好演しており(彼はこの作品で“もの静かに不正に向かって闘う男”というイメージを確立)、母親とまた別れなければならないという結末のやるせなさが「Red River Valley」のテーマと共に心に残りましたが、アメリカ人は、こうした作品に日本人以上に郷愁を感じるのでしょう(個人的には、小津安二郎や山田洋次の家族モノに通じるものを感じたりもしたのだが)。

ジェームズ・ディーンがその演技への評価を確立したとされるエリア・カザン監督の「エデンの東」('55年)も、スタインベックの『エデンの東』('50年)がベースになっているのですが、原作が南北戦争から第1次世界大戦までの60年間の2つの家族の3代にわたる歴史を綴った4巻56章から成る膨大な物語であるのに対し、映画の中で描かれているのは最後のほんの一時期のみで1家族2世代の話に圧縮されており、実質的には、父に好かれたいがそれが叶わないケイレブ(キャル)・トラスク (ジェームズ・ディーン)の苦悩の物語となっています。
「エデンの東」の原作は読んでいませんが、スタインベックは後期作品ほど大味の嫌いがあるらしく(エリア・カザンの翻案は当然の選択だったのだろう)、そうした意味では『二十日鼠と人間』は、彼に「文学の神様」が宿った時期の作品であると言えるかと思います。
「怒りの葡萄」●原題:THE GRAPES OF WRATH●制作年:1940年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・フォード●製作:ダリル・F・ザナック●脚本:ナナリー・ジョンソン●撮影:グレッグ・トーランド●音楽:アルフレッド・ニューマン●原作:ジョン・スタインベック●時間:128分●出演:ヘンリー・フォンダ/ジェーン・ダーウェル/ジョン・キャラダイン/チャーリー・グレイプウィン/ドリス・ボードン●日本公開:1963/01●配給:昭映フィルム●最初に観た場所:吉祥寺ジャヴ50(84-07-14)(評価:★★★★)
「エデンの東」●原題:EAST OF EDEN●制作年:1955年●制作国:アメリカ●監督・製作:エリア・カザン●脚本:ポール・オスボーン●撮影:テッド・マッコード●音楽:レナード・ローゼンマン●原作:ジョン・スタインベック●時間:115分●出演:ジェームズ・ディーン/ジュリー・ハリス/レイモンド・マッセイ/バール・アイヴス●日本公開:1955/10●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:池袋文芸座(79-02-18)(評価:★★★☆)●併映:「理由なき反抗」(ニコラス・レイ)
"Of Mice and Men" from Iron Age Theatre


【1953年文庫化[新潮文庫(大門一男訳)]/1994年再文庫化[新潮文庫(『ハツカネズミと人間』大浦暁生訳)]】
投稿者 wadamy : 08:29
【1071】 ○ アルベール・カミュ (窪田啓作:訳) 『異邦人』 (1954/09 新潮文庫) ★★★★ (△ ルキノ・ヴィスコンティ 「異邦人」 (67年/伊・仏・アルジェリア) (1968/09 パラマウント) ★★★)
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従来の文学作品の類型の何れにも属さず、かつ小説的濃密さを持つムルソーの人物造型。strong>
単行本 ['51年/新潮社]

['84年] ['99年] 『異邦人 (新潮文庫)』
1942年6月に刊行されたアルベール・カミュ(Albert Camus、1913‐1960/享年46)の人間社会の不条理を描いたとされる作品で、「きょう、ママンが死んだ」で始まる窪田啓作訳(新潮文庫版)は読み易く、経年疲労しない名訳と言えるかも(新潮社が仏・ガリマール社の版権を独占しているため、他社から新訳が出ないという状況はあるが)。
養老院に預けていた母の葬式に参加した主人公の「私」は、涙を流すことも特に感情を露わにすることもしなかった―そのことが、彼が後に起こす、殆ど出会い頭の事故のような殺人事件の裁判での彼の立場を悪くし、加えて、葬式の次の日の休みに、遊びに出た先で出会った旧知の女性と情事にふけるなどしたことが判事の心証を悪くして、彼は断頭台による死刑を宣告される―。
Gallimard版(1982)
仏・ガリマール社からの刊行時カミュは29歳でしたが、この小説が実際に執筆されたのは26歳から27歳にかけてであり(若い!)、アルジェリアで育ちパリ中央文壇から遠い所にいたために認知されるまでに若干タイムラグがあったということでしょうか。
但し、この作品がフランスで刊行されるや大きな反響を呼び、確かに、自分の生死が懸かった裁判を他人事のように感じ、最後には、「私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけ」を望むようになるムルソーという人物の造型は、それまでの文学作品の登場人物の類型の何れにも属さないものだと言えるのでは。
カフカ的不条理とも異なり、第一ムルソーは自らの欲望に逆らわず行動する男であり(ムルソーにはモデルがいるそうだが、この小説の執筆期間中、カミュ自身が2人の女性と共同生活を送っていたというのは、小説と似たシチュエーション)、また、公判中に自分がインテリであると思われていることに彼自身は違和感を覚えており(カミュ自身、自らが実存主義者と見られることを拒んだ)、最後の自らの死に向けての“積極”姿勢などは、むしろカフカの“不安感”などとは真逆とも言えます。
サルトルは「不条理の光に照らしてみても、その光の及ばない固有の曖昧さをムルソーは保っている」とし、これがムルソーの人物造型において小説的濃密さを高めているとしていますが、自分にはこのことは、『嘔吐』でマロニエの樹を見て気分が悪くなるロカンタンという主人公の、“小説的濃密さ”の欠如を認めているようにも思えなくもないのです。

ルキノ・ヴィスコンティがマルチェロ・マストロヤンニを使ってこの『異邦人』を映画にしていますが('67年)、テーマがテーマである上に、小説の殆どはムルソーの内的独白(それも、だらだらしたものでなく、ハードボイルドチックな)とでも言うべきもので占められていて、情景描写などはかなり削ぎ落とされており(アルジェリアの養老院ってどんなのだろうか、殆ど情景描写がない)、映画にするには土台無理がある作品である気がしなくもありません。
映画「異邦人」 パンフレット/ポスター
松岡正剛氏はこの映画を観て、ヴィスコンティはムルソーを「ゲームに参加しない男」として描ききったなという感想を持ったそうで、これは言い得ているのではないかという気がします。
自分としては、ラストのムルソーの司祭とのやりとりを通して感じられる彼の「抵抗」とその根拠みたいなものは伝わってきにくかったように思われ、映像化することで抜け落ちてしまう部分はどうしてもあるような気がしました。
この世の全てのものを虚しく感じるムルソーは、自らが処刑されることにそうした虚しさからの自己の解放を見出したともとれますが、映画で断頭台が地べたに置いてあるのが何だか生々しく、ああ、やっぱり死刑はイヤだなあとか、単純に思ったりして…(小説の中でもよく読むと、ムルソーが、断頭台が「台」になっていない事をちょっと意外に思う記述があったのだが、小説は獄中での主人公の決意にも似た思いで終わっていて、彼が断頭台に連れて行かれる場面は無い)。
映画「異邦人(Lo straniero)」より
ただ、ムルソー(この名前も小説の最後にちょこっと出てくるだけなのだが)が母親の葬儀の翌日に女友達と海へ水遊びに行ったのは、彼が養老院の遺体安置所の「死」の雰囲気から抜け出し、自らの心身に「生」の息吹を獲り込もうとした所為であるという見方があり、映画ではそれを裏付けるような作りにはなっていたなあと思いました。
ママンの出棺を見るムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)
葬儀の翌日、海辺で女友達(アンナ・カリーナ)に声かけ
アラブ人達と共同房にて(死刑確定後は独房に移される)
「異邦人」●原題:THE STRANGER (LO STRANIERO/L’ÉTRANGER)●制作年:1967年●制作国:イタリア・フランス・アルジェリア●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●製作:ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ/エマニュエル・ロブレー/ジョルジュ・コンション●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ピエロ・ピッチオーニ●原作:アルベール・カミュ「異邦人」●時間:104分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/アンナ・カリーナ/ルナール・ブリエ●日本公開:1968/09●配給:パラマウント●最初に観た場所:岩波シネサロン(80-07-13)(評価:★★★)
【1954年文庫化[新潮文庫〕】
投稿者 wadamy : 08:07
2008年12月29日
【1070】 ○ コリン・デクスター 『カインの娘たち』 (1995/10 ハヤカワ・ミステリ) ★★★★ (○ ハーバート・ワイズ 「主任警部モース/カインの娘たち」 (96年/英) (2001/05 NHK-BS2) ★★★☆)
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事件にも女性たちにも人生の虚無を感じさせられるが、それが“悪くない”。strong>
『カインの娘たち (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 ['00年]
『カインの娘たち (ハヤカワ ポケット ミステリ)』 ['95年]
オクスフォード大学ウールジー・カレッジの元特別研究員が何者かに刺殺された事件の捜査をモース主任警部は同僚から引き継ぐが、行方不明になっていた最大の容疑者である博物館の係員が、同じく刺殺体となってテムズ河畔で発見され、この係員を殺す動機のあると思われる3人の女性には、堅牢なアリバイがあった―。
1994年末に発表されたコリン・デクスターの「主任警部モース」シリーズ11作目で(原題は“The Daughters of Cains”)、“犯人探し”より“アリバイ崩し”をメインにもってきたような展開が斬新と言えるかも知れません。
13作シリーズの終わりから3作目で、アルコールとニコチンでモースの体調はますます良くないみたいですが、持ち前の頭脳と勘で、途中大きく方針転換することもなく、時間とともに事件の核心へ近づいていく感じ。
謎解きが好きな人には物足りないかも知れませんが、むしろ波乱が少ない分、随所にある作者特有のペダンティックな味付けや、モースと魅惑的な女性とのやりとりが楽しめます。
このシリーズ、後のものになればなるほど本格推理一本から人間(人情)ドラマ的な要素が加味されたのに推移していくため、本格推理ファンには初期作品の方が人気があるようですが、個人的には後期のものも好きです。
女性に感情移入しやすいところは相変わらずですが、女性からもモテるなあ、このオジさんは。
でも、結局最後は、事件に対しても女性たちに対しても、何か人生の虚しさのようなものを感じさせられる印象が残って、この虚無感みたいなものが、実は意外と“悪くない虚無感”というか、人生ってそうなんだよなあ、みたいにしみじみ共感してしまい、その点ではシリーズの後半の持ち味が出ている作品だと思いました。

テレビ版も観ましたが、娼婦役の女性は自分が抱いていたイメージと違って、原作より知的で洗練されているような感じがし(モースの気持ちが傾くのがわかる気がした)、終わり方も、原作の趣意は変えないまでも、モースがわざと未解決事件にしてしまったみたいな感じでしたが、それはそれで必ずしも悪い後味ではなかったように思えます。
テレビ版「主任警部モース」(カインの娘たち)
大学内での麻薬使用がモチーフに使われていますが、オクスフォードを舞台に実在の建物や施設を作品に織り込みながらも、オクスフォード大学に「ウールジー・カレッジ」というのは実在しないそうで、やはり、「麻薬」事件の舞台にするのに実名ではマズイと思ったのでしょうか(因みに作者はケンブリッジ大卒)。イギリスでは、大学って昔から麻薬売買の場だったのでしょうかね。
「主任警部モース/カインの娘たち」●原題:INSPECTOR MORSE:THE DAUGHTERS OF CAIN●制作年:1996年●制作国:イギリス●監督:ハーバート・ワイズ●脚本:ジュリアン・ミッチェル●原作:コリン・デクスター●時間:104分●出演:ジョン・ソウ/ケヴィン・ウェイトリー/ジェームズ・グラウト/クレア・ホルマン/ガブリエル・ロイド/フィリス・ローガン/アマンダ・ライアン●日本放映:2001/05 (NHK-BS2)(評価:★★★☆)
【2000年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫]】
投稿者 wadamy : 00:07
2008年12月28日
【1065】 ○ ロベール・アンリコ 「冒険者たち」 (67年/仏) (1967/05 大映) ★★★★
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大人の男女3人の宝探し。甘いけれど許せる甘さの“青春映画”。strong>
「冒険者たち [DVD]」 Lino Ventura,Alain Delon,Joanna
Shimkus in "LES AVENTURIERS"
「冒険者たち」●原題:LES AVENTURIERS●制作年:1967年●制作国:フランス●監督:ロベール・アンリコ●脚本:ロベール・アンリコほか●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:フランソワ・ド・ルーベ●原作:ジョゼ・ジョヴァンニ「生き残った者の掟」●時間:112分●出演:アラン・ドロン/リノ・ヴァンチュラ/ジョアンナ・シムカス●日本公開:1967/05●配給:大映●最初に観た場所:有楽町シネマ1(77-11-24)(評価:★★★★)
パリ郊外の飛行クラブでインストラクターをしているパイロットのマヌー(アラン・ドロン)と新型エンジンの開発に熱中する元エンジニアのローラン(リノ・ヴァンチュラ)のもとに、芸術家の卵である前衛彫刻家レティシア(ジョアンナ・シムカス)が現れ、2人とも彼女に恋心を抱くが、やがて3人はアフリカの海底に5億フランの財宝が眠っているとの話を聞き、共にコンゴの海に旅立つことに―。
大の大人3人が宝探しをするという、何だか甘い青春ドラマみたいな設定なのですが、ジョゼ・ジョヴァンニの原作を大幅に脚色したロベール・アンリコ監督の演出が巧みで、話のテンポも良く、この中では一番おっさん臭いリノ・ヴァンチュラ(当時48歳)の演技さえも許せてしまうものでした(この人、刑事役とかが十八番なのだが)。

やはり、ちょっと胴長のジョアンナ・シムカス(当時24歳)の明るさが効いていて、周囲を巻き込んでしまう―それだけに、彼女が演じるレティシアが亡くなってしまうのが哀しく、そこから本来のリノ・ヴァンチュラとアラン・ドロン(当時32歳)の哀愁を帯びたギャング映画みたいなトーンになるといったところでしょうか。
それでも、この映画は最後まで映像的には光に満ちているように思え、最後の方に出てくる銃撃戦の舞台となる軍艦みたいな島も良かったです。
アラン・ドロンを軸に見れば「太陽がいっぱい」系の雰囲気かとも思えますが、結末から逆算的に見ると、リノ・ヴァンチュラの視点での物語ということになるのかも(アラン・ドロンというのは常に「見られる側」の存在であって、「見る側」にはならないような気がする)。
リノ・ヴァンチュラ(1919-1987)は、俳優になる前はレスリングのヨーロッパ・チャンピオンだったそうですが、この映画での彼は、最近の俳優で言うと、ジャン・レノなどに通じるものがあるなあと勝手に思ったりしました。
ドロンの歌うテーマ曲「愛しのレティシア」は、口笛の伴奏がホンダシビックのCFなどで使われましたが、サワリの部分を聞くだけで、レティシアを水葬に付す場面など、映画の様々なシーンが甦ってきます。
「冒険者たち」 パンフレット 1977年/1989年

投稿者 wadamy : 22:44
2008年12月26日
【1064】 ◎ アンドレイ・タルコフスキー 「鏡」 (75年/ソ連) (1980/08 日本海映画) ★★★★★
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一度観たら脳裏に焼き付き消えることのない神秘的かつ抒情的な映像美。strong>
「鏡 [DVD]」
「鏡【デジタル完全復元版】 [DVD]」
「鏡」●原題:ZERKALO●制作年:1975年●制作国:ソ連●監督:アンドレイ・タルコフスキー●脚本:アレクサンドル・ミシャーリン/アンドレイ・タルコフスキー●撮影:ゲオルギー・レルベルグ●音楽:エドゥアルド・アルテミエフ●挿入詩:アルセニー・タルコフスキー●時間:108分●出演:マルガリータ・テレホワ/オレーグ・ヤンコフスキー/イグナト・ダニルツェフ/フィリップ・ヤンコフスキー/アナトーリー・ソロニーツィン●日本公開:1980/06●配給:日本海映画●最初に観た場所:岩波ホール (80-07-03) (評価:★★★★★)
日本公開時チラシ(1980)
私の夢に現われる母。それは、40数年前に私が生まれた祖父の家。うっそうと茂る立木に囲まれた家の中で、母は、盥に水を入れ、髪を洗っている。鏡に映った、水に滴る母の長い髪が揺れている。あれは1935年田舎の干し草置場で火事があった日のこと。その年から父は家からいなくなった―。(「タルコフスキー映画祭」チラシより)
'75年に作られたこの作品は、アンドレイ・タルコフスキー監督(1932‐1986)の自伝的映像詩と言えるもので、映画は作者である“私”自身の語りと共に進行し、作者が胸に秘めた母への思いや、別れた妻や息子との間に織りなされる感情の綾を意織下の過去と現実を交錯させながら浮かびあがらせています(実際のナレーションは名優インノケンティ・スモクトゥノフスキーが担当している)。

夢のシーンが多くあるため映像が神秘的であり、それでいて、現実にあった出来事も含まれ、それらが自然に溶け合い、母親や別れた家族への想いが作者の悔恨の情と共に切々と伝わってきます。
鏡に映る濡れた髪の母親の映像は圧巻で、風にそよぐ木立や草叢の映像も心象に呼応していて印象深いものでしたが、一度観たら脳裏に焼き付き消えることのないあれらのシーンを、カメラマンはどうやって撮ったのか不思議。

少年(子供の頃の作者)が見る夢などの超常的なシーンは「惑星ソラリス」('72年)を想起させ、水を映したが映像が多い点では「ストーカー」('79年)を、火事のシーンは「サクリファイス」('86年)を想起させますが、それらの作品が、そのテーマが大きさのため観る者に相当の想像力を要求しているようにも思えるのに対し(特に「ストーカー」と「サクリファイス」は状況設定と実際の映像にギャップがあり、個人的には観ていて疲れた)、この「鏡」は、作者の母親や妻をモチーフにしていることもあって、しっくりと、また、しみじみと心に響きました。
タルコフスキーは黒澤明と溝口健二に傾倒していたということですが、この作品には日本映画っぽいウェットな面もあるような気がします。
監督の父親で有名な詩人であるというアルセニー・タルコフスキーの詩がナレーションに含まれていますが、内容的には圧倒的に母親に対するオマージュに満ちていると思え、男は往々にして、亡き母親に対して悔恨の情を抱いて生きるのかも知れないとも思いました。
この作品にも、過去の戦争の記録映像など“ソ連”の歴史を物語るものが断片的に挿入されてはいますが、やはり、作品的には、叙事詩と言うより鮮烈な叙情(抒情)詩と言えるものではないかと思います。それも、超一級の。
投稿者 wadamy : 00:19
2008年12月18日
【1063】 ○ ビリー・ワイルダー 「サンセット大通り」 (50年/米) (1951/10 セントラル) ★★★★
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虚構と現実の交錯と奇抜なオープニング。W・ホールデンの実生活での死を想起した。strong>
「サンセット大通り [DVD]」
Movie Poster of Sunset Boulevard (1950)
Gloria Swanson/William Holden
売れないハリウッドの脚本家ジョーは借金取りから逃れる途中サンセット大通りの荒れた邸宅に迷い込むが、そこには、サイレント時代の大物ハリウッド女優ノーマが執事と2人で住んでいた。映画界へのカムバックを図るノーマは、自ら書いた脚本の手直しをジョーに依頼し、彼を住み込ませて仕事をさせるが、2人の関係はやがて仕事を超えたものとなり、自分を独占しようとするノーマに嫌気がさしたジョーは屋敷を出て行こうとする―。
ビリー・ワイルダー監督が、往年のスター女優の狂気とそれに翻弄されるジゴロのような立場になった男を描いた作品ですが、落ちぶれた今も再起を夢見る元女優を、グロリア・スワンソンが鬼気迫る演技でみせていて、彼女は実際この時61歳で既に落ち目女優だったそうで、よく引き受けたなあ、この役を(ノーマ役の候補は二転三転し、グロリア・スワンソンも最初は断ったそうだが)。
Erich von Stroheim Buster Keaton

グロリア・スワンソンに限らず、サイレント時代の名優が多く出ているのがこの作品の特徴で、執事役のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムもそうだし、更にはノーマ邸でトランプゲームに興じる「かつての大物俳優達」も、喜劇王バスター・キートンをはじめ皆サイレント映画時代のスター達。
この映画のオープニングは、最初はモルグ(死体置き場)で死体同士が、自分が死んだ経緯を語り合うというシュールなものが用意されていたそうですが、プールにうつ伏せに浮かんだ主人公ジョーの死体のモノローグから始まるというのもやはり奇抜。
往年のスターを起用することで虚構と現実を交えている点が作品の妙ですが、モンゴメリー・クリフト、ジーン・ケリーが断ったためにジョー役に抜擢された当時無名のウィリアム・ホールデンは、この作品で一躍名を馳すも、後にアルコール依存症となり、'88年、自宅で転倒して頭を切って血の海にうつ伏せになって死んでいるのを死後数日経ってから発見されていて、個人的にはそのことが冒頭のシーンとダブり、何か因縁めいたものを感じなくもありませんでした。
「サンセット大通り」●原題:SUNSET BOULEVARD●制作年:1950年●制作国:アメリカ●監督:ビリー・ワイルダー●製作:チャールズ・ブラケット●音楽:フランツ・ワックスマン●時間:110分●出演:グロリア・スワンソン/ウィリアム・ホールデン/エリッヒ・フォン・シュトロハイム:マックス/バスター・キートン/ナンシー・オルソン●日本公開:1951/10●配給:セントラル●最初に観た場所:銀座文化 (88-12-12) (評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 00:12
2008年12月17日
【1062】 ○ ハワード・ホークス (原作:アーネスト・ヘミングウェイ) 「脱出」 (44年/米) (1947/11 セントラル) ★★★★
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ボギーとバコールの会話が気持ちよく噛み合っている作品(脚本自体が良く出来ていた?)strong>
「脱出 特別版 [DVD]」
米国公開示ポスター
ローレン・バコール 『私一人』 ['87年/文藝春秋]

カリブ海にある仏領マルチニック群島のある島で観光用チャーター・ボートの船長をしているハリー(ハンフリー・ボガード)は、ホテル歌手のマリー(ローレン・バコール)に彼女がアメリカへ帰るための金を渡すため、レジスタンスのリーダーを逃がす仕事を請け負うが、ハリーが密航を幇助したと考えた島の警察が彼の仲間を拉致して拷問したことを知り、怒りを爆発させる―。
アーネスト・ヘミングウェイが1937年に発表した小説『持つことと持たざること(To Have & Have Not)』が原作で(脚本は、同じくノーベル賞作家のウィリアム・フォークナー)、ヘミングウェイは1926年発表の『日はまた昇る』以降、より正確には1927年刊行の『男だけの世界』から、その短編集のタイトル通りマチズムの傾向を強めていますが、この作品もその例に漏れるものではなく、一方で、この『持つことと持たざること』というタイトルは主に「貧富の差」のことを言っており、彼の作品に社会的傾向が最も見られた時期のものでもあります。
原作の舞台はキーウエストやキューバになっており、それが仏領マルチニックに変えられたとしても、第2次世界大戦(ビシー政権下)の話なので仏領の島にドイツ傀儡政府の手先がいてもおかしくないのですが(この映画の制作年は1944年)、原作の社会的色合いは後退し、ハンフリー・ボガードの男気、乃至は、ローレン・バコールとのロマンスが前面に出ています。
「持つと、持たざると」の目的語は「勇気」に置き換えられている(?)感じで、これはフォークナーの意向というより、彼に脚本を依頼したハワード・ホークスの意向に違いないと、個人的には推測しております。
この映画での共演を機に2人は結婚し、その結婚生活はボギーの死まで続きますが、考えてみれば、雑誌のカバーガールからスカウトされたローレン・バコールは、この作品がメジャー作品初出演だった(公開示のポスターでは下隅に小さく名前があるだけ)―それにしては、スクリーン上の彼女は貫禄充分と言うか、25歳年上のボギーと堂々と渡り合っているように見えました。
しかし、1979年に刊行された自伝『ローレン・バコール/私一人』('84年/文芸春秋)の中では、撮影の時にはいつもがちがちに緊張しまくっていていたことを告白しています。
2人の会話が気持ちよく噛み合っている作品でしたが、やはり、フォークナーの脚本自体が良く出来ていたというのもあるのかなあ。
『ローレン・バコール/私一人』によれば、ボギーが亡くなるその朝、出かける妻ローレン・バコールに声をかけた「バイバイ、キッド」が彼からの最後の別れの言葉になったそうですが、これは「脱出」でバコールが演じた歌手マリーの別の愛称だったとか。
「脱出」●原題:TO HAVE AND HAVE NOT●制作年:1944年●制作国:アメリカ●監督・製作:ハワード・ホークス●脚本:ウィリアム・フォークナー●撮影:シド・ヒコックス●音楽:フランツ・ワックスマン●原作:アーネスト・ヘミングウェイ●時間:101分●出演:ハンフリー・ボガート/ローレン・バコール/ウォルター・ブレナン/マルセル・ダリオ/ドロレス・モラン/ホーギー・カーマイケル/ダン・セイモア/シェルドン・レナード●日本公開:1947/11●配給:セントラル●最初に観た場所:三百人劇場 (89-03-14) (評価:★★★★)
三百人劇場
(文京区・千石駅付近)
投稿者 wadamy : 23:11
【1061】 △ トッド・ブラウニング 「フリークス 神の子ら (怪物団)」 (32年/米) (1932/11 MGM) ★★★ (○ デヴィッド・リンチ 「エレファント・マン」 (80年/英) (1981/05 東宝東和) ★★★☆)
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途中までヒューマニズム溢れるものだったが、ラストが解せない「フリークス」。strong>
「フリ-クス 神の子ら (怪物団)」●原題:FREAKS●制作年:1932年●制作国:アメリカ●監督・製作:トッド・ブラウニング●製作:MGMスタジオ●脚本:ウィリス・ゴールドベック/レオン・ゴードン/エドガー・アラン・ウルフ/アル・ボーアズバーグ●撮影:メリット・B・ゲルスタッド●原作:トッド・ロビンズ●時間:100分●出演:ハリー・アールズ/オルガ・バクラーナ/ハーリー・アールズ/ヘンリー・ヴィクター●日本公開:1932/11●最初に観た場所:アートシアター新宿 (84-08-01) (評価★★★)●併映:「ピンク・フラミンゴ」(ジョン・ウォーターズ)
サーカス小屋の小人のハンスは、空中ブランコ乗りのクレオパトラに夢中だが、彼女は気のある振りをして彼を弄んでいるだけで、ところがある日ハンスが莫大な遺産を相続したことがわかると、今度は、強欲な彼女は怪力男ヘラクレスと謀ってハンスを騙して結婚し、彼を殺して財産を奪おうと毒を盛る。しかし、ハンスの仲間達がそれを見破り、ハンスは仲間達と共に2人への復讐に立ち上がる―。
フリーク(畸形)のオンパレードで、シャム双生児、ガリガリの「生きる屍」男、髭女、半陰陽(ふたなり)、鳥のような顔をした男、小頭症の姉妹、下半身のない男、手足がない男…etc.と次から次へと出てきて、この作品はアートシアター新宿(ジュク)の定番プログラムだったのですが、近所の花園神社の大酉祭の見世物小屋の(ここで“牛女”と“蛇女”なるものを見たことがあるが)レベルどころではない。
ロードにはかからない作品だと思っていましたが、'05年に渋谷シネマライズ(ライズX)で単館ながら上映されました(30年ぶりのロード上映とのこと)。
ヨーロッパ映画だと、フェデリコ・フェリーニの「サテリコン」('69年/伊)やフォルカー・シュレンドルフの「ブリキの太鼓」('79年/西独・仏)といった映画においても畸形や小人が出てくるけれども、アメリカ映画では、こうした人たちをスクリーンに登場させなくなって久しいようです。
最初は不気味さもありますが、そうした見世物小屋でしか生きる術の無いような人たちを、この映画の監督は非常に温かい眼差しで描いているように思え、ヒューマニズム溢れるものであり、最後にハンスが仲間たちと復讐に立ち上がる場面では、観ていて「よし、行け」という気持ちになるまで感情移入させられていました。
「エレファント・マン」 ポスター

デヴィッド・リンチの「エレファント・マン」('80年/英)を観た時も、最後は大いに感動しました。
しかし、「エレファント・マン」は見方によっては、ヒューマニズムを装いながらもその裏側で、人々の怖いもの見たさの俗物心理を暴いてみせているような感じもあり、何となくスッキリしない…。
「お化け屋敷」に行く時のような“期待感”で映画館に行った人も少なからずいたように思え、デヴィッド・リンチはその部分での観客の期待にも応えようとしていたような気がします(実際、十分に応えていた)。
その点では、この映画でのトッド・ブラウニングの畸形に対する温かい眼差しは、むしろ対照的かも。
この作品の監督であるトッド・ブラウニング(1880‐1962)は、映画の世界に入る前はサーカス小屋の呼び込みをしていたそうですが、この作品では徹底して畸形を擁護しています。
そして、畸形たちが結束して立ち上がった結果、ヘラクレスが畸形たちに殺されるばかりでなく、クレオパトラに至っては、不具にされて「ガチョウ女」として見世物小屋に売られてしまうというエンディングをもってきています。
ここまでやるかという感じもしなくもないですが、クリス・ウェイラスの「ザ・フライ2/二世誕生」('89年/米・英・カナダ)で、ハエ男の遺伝子を引く主人公を「実験標本」として育てていた研究所長が、主人公の復讐に遭い、最後に主人公がハエ男から人間の姿に戻るのと引き換えに所長は醜い生き物に姿を変えられてしまうという結末が、この作品のエンディングとちょっと似ているなあと思いました。
但し、人を外見で判断してはいけないというのがトッド・ブラウニングの言いたかったことだったとしたら、勧善懲悪のカタルシスのみを狙ったようなこのエンディングは、本来の彼の考えに沿ったものとは思われず、いささか解せません(MGMのプロデューサー側からの圧力で、こうした結末にせざるを得なかったという話もある)。
深読みすれば、「ガチョウ女」になったクレオパトラを見て、自分でなくて良かったと思わなかったかを観客に問うているともとれるのですが…。
「エレファント・マン」●原題:THE ELEPHANT MAN●制作年:1980年●制作国:イギリス●監督: デヴィッド・リンチ●製作:ジョナサン・サンガー●脚色:クリストファー・デヴォア/エリック・バーグレン/デヴィッド・リンチ●撮影:フレディ・フランシス●音楽:ジョン・モリス●時間:124分●出演:ジョン・ハート/アンソニー・ホプキンス/ジョン・ギールグッド/アン・バンクロフト●日本公開:1981/05●配給:東宝東和●最初に観た場所:不明 (82-10-04)(評価:★★★☆)
投稿者 wadamy : 23:03
2008年12月07日
【1060】 ○ エーリッヒ・フォン・シュトロハイム 「グリード」 (24年/米) (1926/11 MGM) ★★★☆
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人間の強欲を皮肉をこめて描く、完璧主義者シュトロハイムらしい作品。strong>
「グリード [DVD]」
Erich von Stroheim
サンフランシスコでヤミ歯科医をしている主人公マクティーグは、友人マーカスの恋人トリーナに横恋慕し、マーカスから彼女を譲って貰って妻にしたのだが、そのトリーナがある日5千ドルの宝くじを当てたため、マーカスはこれを妬んでマクティーグが無許可医であることを告発、一方、トリーナは5千ドルを守ろうと極端に倹約に走り、失職したマクティーグは妻のそうした態度に我慢できずに彼女を殺して金を奪い死の谷へ逃走。それを追うマーカスと灼熱の谷で5千ドルを奪い合う―。
人間の強欲さ(greed)を描いた作品で、何だか、「三つの願い」を叶えて貰えることになった欲の張った夫婦が欲にかまけてそのチャンスを全て無駄にしてしまうという昔話を思い出しましたが、フランク・ノリスの原作小説『マクティーグ』は実話に基づいているとのこと。

最後の男2人の死の谷での死闘は、モノクロ画面のお陰で却って灼熱感があり壮絶で、その後の「莫大な金はあっても一杯の水が無い」という “落ち”は確かに皮肉が効いていますが、映画全体としてはむしろ、大金を手にしたトリーナが、それを無駄遣いしてはならない思いから、いつの間にか常軌を逸した吝嗇家になっていく様の方が印象的で、こっちの方が人間心理の怖さを表しているかも知れないと感じました(この監督は女性をシニカルに描く傾向にある?)。
完璧主義者エーリッヒ・フォン・シュトロハイム(Erich Von Stroheim、1885‐1957)監督の長編サレント映画作品はどれも途方もない長編で、現存しているのはすべて極端に短縮されているものばかりであり、この作品も、完成時は9時間半あったそうですが、知人宅で8mmフィルムで観たものは約100分の短縮版で、どうしても話が飛び飛びになってしまうきらいはありました(一般向けにビデオ化、DVD化されているものも、同じく短縮版)。
シュトロハイムはスタジオセットを用いずオール・ロケでこの映画を撮っていますが、死の谷の場面の撮影では、暑さに耐えかねて体調を悪くするスタッフが続出し、死人も出たというから、スゴイ、そこまでやるかという感じ。
その他にも、無声映画なのに出演者に台詞を全部暗記させたとか、この映画のために自宅や自家用車を抵当に入れたとか、完璧主義者らしい逸話に事欠かない作品ですが、如何せん長すぎて、映画会社上層部の意向でどんどん短縮編集されていったのは彼にとって気の毒(但し、9時間半全部を観たいかというと、個人的にもさすがにそんな気は起きないのだが)。
こうした仕打ちに嫌気がさしたのかどうかは知りませんが、1920年代には監督としてのキャリアに終止符を打ち、俳優として活躍。ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」('37年)の貴族出身のドイツ将校役、ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」('50年)の執事役の名優ぶりはよく知られているところです。
「グリード」●原題:GREED●制作年:1924年●制作国:アメリカ●監督:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム●製作:MGMスタジオ●製作総指揮:ルイス・B・メイヤー●脚本:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム/ジューン・メイシス●撮影:ベン・F・レイノルズ/ウィリアム・ダニエルズ●原作:フランク・ノリス「マクティーグ」●時間:100分●出演:ギブソン・ゴウランド/ザス・ピッツ/ジーン・ハーショルト●日本公開:1926/11●最初に観た場所:杉本保男氏邸 (80-12-27) (評価★★★☆)
投稿者 wadamy : 23:29
2008年12月05日
【1059】 ○ バスター・キートン 「キートンの大列車強盗 (将軍)」 (26年/米) (1926/12 東和) ★★★★
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「キートン・ライズ・アゲイン」で、レール・テクニックが彼の体の染み付いたものであったことを思い知った。strong>
南北戦争を舞台にした機関車追跡劇で、キートンが機関士を務める蒸気機関車の名前が「将軍(General)」。愛する機関車を北軍に奪われ、彼は別の機関車で追走するが、その奪われた機関車には彼の恋人も乗っていた―。
キートン黄金期の代表作で、その後「キートンの大列車追跡」という邦題になっていますが、その方が内容には沿ったタイトルと言えるかも。
最後の方で本物の機関車を鉄橋ごと川に落下させるシーンがあり、この場面だけで映画作成予算の大半を使っているとのことです。
そうしたスケールの大きさもさることながら、とにかく、機関車の線路の切り替えのテクニックを使ったアクション描写が巧みな映画でした。
キートンは、MGM解雇、離婚やアルコール中毒などによる没落期を経て、50代半ば頃から映画界に復帰しましたが(「サンセット大通り」('50年)に“かつての大物俳優”役で出演している)、晩年にも「線路工夫(The Railrodder)」('65年/カナダ、ジェラルド・ポタートン監督)という、トロッコを使った同趣の(つまり“レール・テクニック”を前面に押し出した)小品を撮って、自らスタント・アクションっぽいこともやっていれば、しっかり笑いもとっています。
「線路工夫」もさることながら、そのメイキング・ムービーである「キートン・ライズ・アゲイン」('65年/カナダ)というのが興味深く、70歳に間近いキートンが、自ら線路の切り替えテクニックの指導をし、しばしばとり憑かれたように自分で機械の調整や操作をしています。
この記録映画の中で老優の日常の生活ぶりも紹介されていますが、個人的には、「線路工夫」の撮影の様子が、失った何かを取り戻そうとしている老人に見えて、切ないような印象も。
“Buster Keaton Rides Again / The Railrodder ”(輸入版)
彼が亡くなる1年前の映像ですが、老優の映画と機関車への執着を感じさせるとともに、「将軍」におけるレール・テクニックが彼の体の真底に染み付いたものであったことを、改めて思い知りました。
「キートンの大列車強盗 (将軍)」●原題:THE GENERAL●制作年:1926年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/クライド・ブラックマン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:デヴラクス・ジェニングス/バート・ヘインズ●音楽:コンラッド・エルファース●時間:106分●出演:バスター・キートン/マリオン・マック/グレン・キャベンダー/チャールズ・スミス●日本公開:1926/12●配給:東和●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-21)(評価:★★★★)●併映:「キートンのカレッジ・ライフ(大学生)」(バスター・キートン)/「線路工夫」(ジェラルド・ポタートン)
「キートン・ライズ・アゲイン」●原題:BUSTER KEATON RIDES AGAIN●制作年:1965年●制作国:カナダ●監督・撮影:ジョン・スポットン●製作:ジュリアン・ビッグス/ナショナル・フィルム・ボード・オブ・カナダ作品●出演:バスター・キートン/エレノア・キートン/ジェラルド・ポタートン●最初に観た場所:アートシアター新宿 (84-05-27)●記録映画
投稿者 wadamy : 23:57
【1058】 ○ バスター・キートン 「キートンのセブンチャンス (栃面棒)」 (25年/米) (1926年 日本公開) ★★★★
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キートン映画では、面白さ、スリル、スピードともこの作品が一番だと思う。strong>
1973年リバイバル公開時ポスター
「キートンのセブン・チャンス [DVD]」
キートン演じる破産寸前の青年実業家のもとにある日見知らぬ弁護士が訪れ、27歳の誕生日の午後7時までに結婚すれば700万ドルの遺産が彼に与えられるという親戚の遺言書を示すが、その誕生日というのは何と今日だった! 彼の“想い娘”は金目当ての結婚は嫌だと言い、仕方なく新聞にその旨の「花嫁募集」広告を出したところ、7000人もの花嫁候補に追われる羽目になる―。
ということで、“7並び”から「セブン・チャンス」というタイトルになるわけですが、日本公開時のタイトルは「キートンの栃面棒」で、“栃面棒”というのは“栃の実”で作る栃麺という蕎麦の類をこねる棒のことで、転じて「面食らう」ことらしいですが、当時の日本では一般的に使われていたのかなあ、こんな言葉が。
キートンがウェディング・ドレスを着た大勢の花嫁候補に追いかけられるシーンは、彼のスラップスティック・コメディの真骨頂ですが、それ以上にスゴイのが、丘陵地に差し掛かったところで、花嫁が岩に転じたのかどうかよくわからないけれども、ゴロゴロ転がり落ちてくる無数の巨大岩石(全部で1500個)を彼がよけるシーンで、コメディとしてもそうですが、それ以上にアクション映画としてスゴイ!
転がってくる岩の上に玉乗りのように登ってかわす場面などはシュールでもあり、一度見ておいて損は無いです。
キートン映画では、面白さ、スリル、スピードともこの作品が一番だと思いますが、チャップリンのように“感動することを迫られる”ようなウェット感も無く、ただただ驚き笑えるという点では、この岩石落しのシーンも含め、スラップスティック・コメディの傑作と言えるでしょう。
「キートンのセブン・チャンス/キートンの蒸気船」 (1973年公開時チラシ)
「キートンのセブンチャンス(栃面棒)」●原題:SEVEN CHANCES●制作年:1925年●制作国:アメリカ●監督:バスター・キートン●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本: ジーン・ハヴェッツ/クライド・ブラックマン/ジョセフ・ミッチェル●撮影:エルジン・レスリー●音楽:ロバート・イズラエル●原作:ロイ・クーパー・メグルー●時間:57分●出演:バスター・キートン/ロイ・バーンズ/ルース・ドワイヤー/フランキー・レイモンド●日本公開:1926年●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-16)(評価:★★★★)●併映:「キートンの蒸気船(船長)」(バスター・キートン)
輸入版ビデオジャケット
投稿者 wadamy : 23:53
【1057】 ? 衣笠 貞之助 「狂った一頁」 (1926/09 衣笠映画連盟) ★★★? (? ピーター・ブルック 「マラー/サド」 (67年/英) (1968/11 ユナイト=ATG) ★★★?)
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徳川無声に弁士としてついて欲しかったところ。strong>
岩波ホール公開時ポスター・パンフレット (1975) 
「狂った一頁」の一場面
川端康成や横光利一ら、当時「新感覚派」と呼ばれた若い才人たちが脚本に参加して生みだした実験的無声映画。
主人公の元船乗りの男は、かつて自分のせいで妻を追い詰めて狂人にしてしまったことに対する自責の念から、今は妻の入院する精神病院の小間使いをしているのだが、そこに玉の輿の結婚話を控えた娘がやって来て、母親が狂人であるために結婚できないと言う。小間使いは妻を精神病院から逃がそうとするが失敗する―。
というのが話の前段部なのですが、冒頭からいきなり踊り狂う女性の断片的なモンタージュが入り、無声映画なのに字幕も無く、しかも、主人公の空想の場面と現実の場面が錯綜するので、筋自体はわかりにくく、「ACTミニシアター」のスタッフの解説がなければ何のことやらという感じ(このミニシアターでは、黒澤明の「羅生門」上映時にも、バーナード・リーチによる読み解きをスタッフが解説してくれた)。
主人公の小間使いは宝くじで一等賞を獲った空想し、また、娘の結婚式を空想する。そして、最後に患者たちがオタフクのお面をつけることを空想する―(これは、主人公の空想だと思うが…。公開時には徳川無声などが弁士としてついて、この辺りの解説をしたらしい。別録りされていないのかなあ)。
「狂った一頁」●制作年:1926年●監督:衣笠貞之助●脚本:川端康成/横光利一ほか●撮影:杉山公平●原作:川端康成●時間:84分●出演:井上正夫/中川芳江/飯島綾子/根本弘/関操/南栄子●公開:1926/09●配給:衣笠映画連盟(新感覚派映画連盟)●最初に観た場所:ACTミニシアター(84-10-28)(評価:★★★?)●併映:「十字路」(衣笠貞之助)
精神病院という限定された状況設定は、ピーター・ブルック監督の「マラー/サド」('67年/英)とちょっと似ているなあと思いました(正式邦題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」という長いもの。原題もギネスに世界最長大映画タイトルとして登録されている)。
「マラー/サド」の舞台は19世紀はじめのフランスの精神病院で、ここでは治療の一環として演劇がプログラムに採り入れられており、そこへ収監されていたサド侯爵が、フランス革命で活躍し後に暗殺されたマラーのドラマを患者達を使って演出するというもの。
檻に入れられた患者たちが、看守により度々中断させられながらも演じる劇は、異様な雰囲気と張り詰めた緊張感に覆われていますが、物語劇というより前衛劇に近い感じです。
その劇を檻の外から観る観客がいて、劇中劇の様相を呈していますが、演じているのは皆役者だったんだなあ(半分ぐらい、本当の患者が混ざっているのかと一瞬思ったが、そんなわけないか)。
マラーを暗殺する女性を演じているのは、後に名女優としてその名を馳せるグレンダ・ジャクソンだし。
共に個人的には評価不能に近い作品ですが、「狂った一頁」は「マラー/サド」より40年ほど前に作られている!
サイレント末期にこのような前衛的な作品が日本にあったこと自体、驚くべきことかもしれません(この作品は大正時代の最後の年に公開された)。
監督の衣笠貞之助(1896-1982)は、後に「雪之丞変化」のような娯楽時代劇も撮っていて、松竹に黄金時代をもたらした監督の1人です。
「マラー/サド」(「「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントレ精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」」)●原題:MARAT/SADE(The Persecution and Assassination of Jean-paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis De Sade)●制作年:1967年●制作国:イギリス●監督:ピーター・ブルック●脚本:ペーター・ヴァイス/エイドリアン・ミッチェル/ジェフリー・スケルトン●撮影:デヴィッド・ワトキン●音楽:リチャード・ピアスリー●原作:ペーター・ヴァイス●時間:119分●出演:パトリック・マギー/グレンダ・ジャクソン/マイケル・ウィリアムズ/クリフォード・ローズ/フレディ・ジョーンズ/ヒュー・サリバン ●日本公開:1968/11●配給:ユナイト=ATG●最初に観た場所:三鷹オスカー(79-04-08)(評価:★★★?)●併映:「叫びとささやき」(イングマル・ベルイマン)
輸入盤DVD
投稿者 wadamy : 23:47
2008年12月01日
【1056】 ○ グェン・ホン・セン 「無人の野」 (80年/ベトナム) (1982/08 「無人の野」普及委員会) ★★★★
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自分まで沼に浸かっている気分になった。プロパガンダに走っていないのがいい。
「無人の野」
映画パンフ
「岩波ホール」公開時ポスター (1982.08)
舞台はベトナム戦争後期の1972年のメコンデルタ。葦の茂る水上家屋に住む若い家族(夫婦は解放戦線の連絡員をしている)の愛情溢れる暮らしと、命の危険に晒されながらも連絡員としての任務を果たそうとするしたたかな様を、リアルに描いています。
アメリカ軍のヘリに襲撃されたりもしながらも、彼らの目を巧みにくらまし(ヘリが襲ってくると大人は沼に潜って竹筒で呼吸し見つからないようにするのだが、幼児はビニール袋に入れてそのまま沼に沈めて隠すというのがスゴかった)、自活するために水稲作を行いながらも、時に負傷者を助け、更には、解放戦線の作戦を援護するなど、いつも沼地に腰まで浸かりながら八面六臂の活躍を見せます。
ああ、こうしてアメリカ軍の侵攻を阻んだのだなあと思わせる“戦術解き明かし”のような内容ですが、最後に夫がヘリに囲まれて悲劇が―。
映画的には、水面の高さでのカメラワークが素晴らしい(自分まで沼に浸かっている気分になった)一方で、ヘリからの空撮と地上から見たヘリとの距離感が整合しないなどの粗い作りの部分もありますが、予算的・技術的要因によるものかも。
ただ、ベトナム戦争が終わって5年後に作られた作品であることを思えば、かなり頑張っていると思うし、日本で観ることができた当時の数少ないベトナム映画の1つという点でも貴重な作品。
ベトナム側の視点で作られた映画であるにも関わらず、プロパガンダに走らず、撃墜された米軍ヘリのパイロットの家族の写真を映し出すなど、普遍的な平和への願いが込められているように感じました。
'07年にNHK‐BSで再放映されましたが、今やすっかり友好国同士になったなあ、アメリカとベトナムは。やはり、経済的互恵というのは大きい―。
「無人の野」●原題:CANH DONG HOANG●制作年:1980年●制作国:ベトナム●監督:グェン・ホン・セン●脚本:グェン・クァン・サン●撮影:ズオン・トゥアン・バ●音楽:チン・コン・ソン●時間:95分●出演:グェン・トゥイ・アン/ラム・トイ/グェン・ホン・トゥァン/ダオ・タイン・トゥイ●日本公開:1982/08●配給:「無人の野」普及委員会●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(83-03-19) (評価:★★★★)
投稿者 wadamy : 00:33
【1055】 ○ スチュアート・クーパー 「兵士トーマス」 (75年/英) (1978/07 日本ヘラルド映画) ★★★★
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ノルマンディ作戦の「第1号の犠牲者」となった青年を通して、戦争の非人間性を浮き彫りに。strong>
クライテリオン版DVD
シナリオ付パンフレット (「シネ・フロント」別冊)

第二次世界大戦中、イギリスに住むごく普通の二十歳の青年の元に召集令状が届く。彼が両親に別れを告げて戦地に赴き、ノルマンディ上陸作戦において戦死するまでを、ドキュメンタリーフィルムを交えて淡々と描いた佳作。
と言っても、通常の戦争映画とは異なり、兵営における非人間的な部隊生活の中で主人公の将来が少しずつ奪われていくような様や、そうした中、村のダンス・ホールで知り合った若い娘への想いを抱くも、前線に送られることが決まって、束の間の若者らしい夢も立ち切れられ、21歳にして遺言状を書くに至るまでの心理的経緯など、ノルマンディに向かうまでが映画の大部分を占めています。

モノクロですが、膨大な量を誇る大英帝国戦争博物館の未公開フィルムがふんだんに使われていて、ラストのノルマンディの戦闘シーンは、実際の空爆の映像なども交え、兵士の視点からの臨場感にあふれたものとなっています。
主人公の青年は上陸艇から1歩踏み出したところで流れ弾に当たり、あまりにあっけなく死んでしまう―(普通の戦争映画ならここからがヤマなのだが、青年の視点から描かれたこの映画はここで終わる)。
自らの死に脅えつつも(彼は自分の死ぬ場面の悪夢に悩まされ続ける)、遺言状をしたためたぐらいですから、主人公には死の覚悟がそれなりあったかと思われますが、それでもやはり、戦わずしてノルマンディ上陸作戦の「第1号の犠牲者」となった彼にとって("彼"自身は勿論架空の人物であると思われるが)戦争とは何だったのか、果たして「犠牲者」ということで片付けてよいものなのかと考えさせられます。
国家と国家の争いの中で、主人公個人の死は、ある種の「数」(または、全体に対する「対数」)に過ぎないものとなってしまうのでしょう(だから、「犠牲」という言葉が使われる)。
しかし、彼にとって自身の生は、かけがいのないものであったはずであり、但し、そうした生きたいという彼の人間的な気持ちに顧慮してはならないのが戦争であり、あくまでも人間を「駒」として捉えるという戦争の非人間性を見事に浮き彫りにした作品となっています。
また、戦勝国であるイギリスので作られた映画であるだけに、ことさらに重いものがあります。
「兵士トーマス」●原題:OVERLORD●制作年:1975年●制作国:イギリス●監督:スチュアート・クーパー●製作:ジェームズ・クイン●脚本: クリストファー・ハドソン/スチュアート・クーパー●撮影:ジョン・オルコット●音楽:ポール・グラス●時間:84分●出演:ブライアン・スターナー/デヴィッド・ハリーズ/ ニコラス・ボール●日本公開:1978/07●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:自由が丘武蔵野推理(77-12-21)(評価:★★★★)●併映:「戦艦ポチョムキン」(セルゲイ・エイゼンシュタイン)
投稿者 wadamy : 00:09
【1054】 ◎ ジッロ・ポンテコルヴォ 「アルジェの戦い」 (66年/伊・アリジェリア) (1967/02 松竹映配) ★★★★☆
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ニュース映像を思わせるような画像。ドキュメンタリータッチで描くことで、客観性を保持している。strong>
「アルジェの戦い(トールケース仕様) [DVD]」
パンフレット/ポスター
「アルジェの戦い」●原題:L'ARGENT●制作年:1983年●原題:LA BATTAGLIA DI ALGERI●制作年:1966年●制作国:イタリア・アリジェリア●監督:ジッロ・ポンテコルヴォ●撮影:マルチェロ・ガッティ●音楽:エンニオ・モリコーネ●時間:123分●出演:ブラヒム・ハギアグ/ジャン・マルタン/ヤセフ・サーディ●日本公開:1967/02●配給:松竹映配●最初に観た場所:新宿アート・ビレッジ(79-02-24) (評価:★★★★☆)●併映:「ジョニーは戦場へ行った」(ドルトン・トランボ)
「アルジェの戦い」とは、フランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争(「アルジェリア戦争」)を指しており、1954年11月、首都アルジェのカスバでアルジェリア民族解放戦線が蜂起したことから始まったアルジェリア人民の抵抗運動の火は、アルジェリア全土からヨーロッパの街頭にまで及んで至る所で爆弾闘争へと発展していき、1962年にアルジェリアは独立を果たします。
この作品は、アルジェリア政府の協力を得てイタリア左翼映画人が作り出した映画であるとのことですが、8万人のアルジェ市民の協力を得て5年の歳月をかけて完成させており、ニュース映像を思わせるような粗い画像が、ドキュメンタリータッチを盛り上げ成功しているように思います。
爆弾闘争のシーンが多く、最初観たときは戦時中のニュース映像ではないかとも思いましたが(その外にも記録フィルムなのか演出なのか判別がつかない部分が多くあったが)、建物の爆破シーンなどは、撮影用に家を新築し、それを1件1件爆破していったとのこと。
爆弾闘争は、支配側の国から見れば「テロ」ということになるのでしょうが、被支配側から見れば、支配国(搾取する側)の圧倒的な武力に対抗するには、こうしたやり方しかなかったともとれます。
ヴェネチア映画祭では、反仏的内容に腹を立てたフランス代表団が、この作品がグランプリに選ばれると全員退場しましたが、フランソワ・トリュフォーだけが会場に残ったというエピソードも有名です。
映画の中で指導者の1人を演じている人物は、現実にカスバで地下組織を指導した人で、この映画のプロデューサーでもあり、後に、「私は機関銃をカメラにとりかえたのです。当時を再現し、あの感動を再び呼びさますことによって、ある国家や国民を審判するのではなく戦争や暴力のおそろしさを伝える客観的な映画を作りたいと念願していたのです」と語っています。
「テロとの戦い」を声高に叫ぶ国家指導者がいますが、そうした意味では現在も別個の視座を提供してくれる作品であり、但し、爆弾闘争を英雄的に美化したりはせずに一定の客観性を保持しているのが、この作品の優れた点と言えるのでしょう。
投稿者 wadamy : 00:04
2008年11月30日
【1053】 ◎ シドニー・ポラック 「ひとりぼっちの青春」 (69年/米) (1970/12 20世紀フォックス) ★★★★☆ (○ シドニー・ポラック 「追憶」 (73年/米) (1974/04 コロムビア映画) ★★★☆)
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邦題より原題が相応しいシビアな内容。ジェーン・フォンダの演技には鬼気迫るものがある。strong>
「ひとりぼっちの青春 [DVD]
ホレス・マッコイ 「彼らは廃馬を撃つ」 ['70年/角川文庫]/['88年/王国社]
米国版 ポスター&ビデオカバー

「ひとりぼっちの青春」●原題:THEY SHOOT HOURSES,DON'T THEY?●制作年:1969年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:ジョン・グリーン●原作:ホレース・マッコイ 「彼らは廃馬を撃つ」●時間:133分●出演:ジェーン・フォンダ/マイケル・サラザン/スザンナ・ヨーク/ギグ・ヤング●日本公開:1970/12●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:三鷹東映(78-01-17) (評価★★★★☆)●併映:「草原の輝き」(エリア・カザン)/「ジョンとメリー」(ピーター・イェイツ)
1932年、不況下にハリウッドで行われた「マラソン・ダンス」の会場には、賞金を狙って多くの男女が集まっていた。ロバート(マイケル・サラザン)もその1人で、彼は、大会のプロモーター兼司会者(ギグ・ヤング)の手配により、グロリア(ジェーン・フォンダ)と組んで踊ることになるのだが―。
不況時のアメリカの世相と、一攫千金を願ってコンテストに参加し、ぼろぼろになっていく男女を通して、世相の退廃と人生の孤独や狂気を描いた作品で、 甘ちょろい感じのする邦題タイトルですが、原題は“They Shoot Horses, Don't They?”(「廃馬は撃つべし」とでも訳すところか)というシビアなもの(オープニングで馬が撃たれるイメージ映像が流れる)。
余興で行われた二人三脚競走で足がつって踊れなくなったロバートを、今までの苦労が水の泡になるとして無理やり引きずって踊ろうとするグロリアを演じたジェーン・フォンダの演技には、鬼気迫るものがありました。
グロリアは、もはや賞金のためではなく、自らの尊厳のために踊り続けようとする。しかし、このダンス・コンテスト自体がある種のヤラセ興行であることに気づいたとき、彼女はロバートに自殺幇助を頼み果てる―。
“They Shoot Horses Don't They?”は、ロバートが子供の頃、父親から言い聞かされていた言葉だったというのが、強烈な皮肉として効いています。
雑誌モデル出身のジェーン・フォンダは、この映画に出るまではセクシーさが売りの女優で、ピンク・コメディのようなものによく出演しており、この映画の前の出演作は「バーバレラ」(Barbarella)というSFコミックの実写版でしたが、この「ひとりぼっちの青春」出演を機に演技開眼したと本人も後に言っている通り、その後2度もアカデミー主演女優賞を獲得しています。
しかも、「黄昏」(“On Golden Pond”)の映画化権を買取り、父ヘンリー・フォンダに初のアカデミー主演男優賞をもたらす契機を作ってさえいます。
"Barbarella"
一方、映画でアクの強いプロモーターを演じたギグ・ヤングは、この映画の8年後に、妻を射殺して自らも命を絶っています。

この作品は、今年('08年)5月に亡くなったシドニー・ポラック(1934‐2008/享年73)監督作で、この人の代表作には、「追憶」や「愛と哀しみの果て」などの大物俳優の組み合わせ作品や「トッツィー」('82年、アカデミー助演女優賞)などがあります。

「追憶」('73年)は、やはり主題歌も含めバーブラ・ストライサンドの映画という感じで、バーブラ・ストライサンドが政治活動に熱心な苦学生を、ロバート・レッドフォードがノンポリの学生を演じていますが、2人のの20年後の再開から自分たちの歩んできた道を振り返る構成になっていて、よって「追憶」というタイトルになるわけです。
何事にもひたむきにしか生きられない、不器用だが一途な女性をストライサンドが好演、人間ってそう簡単には変われないのかもと…。
コーヒーのCMソングが流れる度に思い出す映画ですが、この映画のお陰で暫くはロバート・レッドフォード自体にノンポリのイメージを抱いてしまった。

そのロバート・レッドフォードがメリル・ストリープと共演したのが「愛と哀しみの果て」('85年)ですが、アカデミー監督賞を獲ったにしては、中身はハーレクイン・ロマンスではないかと…(メリル・ストリープってコンプレックスを持った女性を演じるのが上手い。でも、映画自体は全く自分の好みに合わなかった)。
「トッツィー」('82年)は、女装のダスティン・ホフマンがアカデミー主演男優賞(女優賞?)を獲るかと言われた映画ですが、むしろ共演のジェシカ・ラングの方が進境著しく、個人的には、ソープオペラって収録が間に合わなくなると“生撮り”するというのが興味深かった…(日本でも昔のNHKの「お笑い三人組」などは公開録画だったようだが)。
こうして見ると、男優よりもむしろ女優の方の魅力を引き出しているものが並び、「ひとりぼっちの青春」もその類ということになるのかも知れませんが、「ひとりぼっちの青春」に関しては、これらの作品の前に忘れてはならない作品だと個人的には思っています。
「追憶」●原題:THE WAY WE WER●制作年:1973年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:マービン・ハムリッシュ●原作:アーサー・ローレンツ●時間:118分●出演:バーブラ・ストライサンド/ロバート・レッドフォード/ブラッドフォード・ディルマン/ロイス・チャイルズ/パトリック・オニール●日本公開:1974/04●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:渋谷文化(77-10-23) (評価★★★☆)●併映:「明日に向かって撃て!」(ジョージ・ロイ・ヒル)
「愛と哀しみの果て」●原題:OUT OF AFRICA●制作年:1985年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:ジョン・バリー●原作:アイザック・ディネーセン 「アフリカの日々」●時間:161分●出演:メリル・ストリープ/ロバート・レッドフォード/クラウス・マリア・ブランダウアー●日本公開:1986/03●配給:ユニヴァーサル映画●最初に観た場所:テアトル池袋(86-10-12) (評価★★)●併映:「恋におちて」(ウール・グロスバード)
「トッツィー」●原題:TOOTSIE●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:デイブ・グルーシン●時間:113分●出演:ダスティン・ホフマン/ジェシカ・ラング/ビル・マーレイ/テリー・ガー/ダブニー・コールマン/チャールズ・ダーニング●日本公開:1983/04●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:自由が丘武蔵野推理 (85-07-14) (評価★★★)●併映:「プレイス・イン・ザ・ハート」(ロバート・ベントン)
投稿者 wadamy : 23:24
【1052】 ○ ロバート・ベントン 「プレイス・イン・ザ・ハート」 (84年/米) (1985/03 コロムビア映画) ★★★★
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感動作。「母親役のチャンピオン」への道を歩んだサリー・フィールド。strong>
「プレイス・イン・ザ・ハート [VHS]」
映画パンフ
1935年のアメリカ南部テキサスを舞台に、夫である保安官を酔っ払いの黒人によって誤って撃ち殺された妻が、貧困にもめげずに必死になって家族を守ろうとする姿を追った人間愛ドラマで、個人的にも感動しました。
サリー・フィールドが、2人の子供と多大な借金を抱えたまま未亡人になり、途方に暮れながらも、物乞いの黒人(ダニー・グローヴァー)に綿花の栽培方法などを教わって、竜巻の被害にあったりしながらも苦難を乗り切ろうとする母親の役を好演(と言うか力演)していて、「トランザム7000」('77年)に出ていたころは、バート・レイノルズの愛人という記憶しかなかったのに(“夫婦”喧嘩がよくゴシップになっていた)、いつの間にかこんなに上手くなったのかと…。
この作品でのアカデミー主演女優賞は順当だと思いましたが、既に2度目の受賞だった(「ノーマ・レイ」('79年)でも、父親のいない家庭の2児の母を演じている)とは知りませんでした。
個人的に振り返ると、当時から「母子モノ」に弱かったのかも知りませんが、この映画では、暗くなりがちな話を、彼女が明るく気丈に演じているのがいいです(舞台スケールの大きさもそうだが、日本の「母子モノ」と通じるところがあっても、やはりどこか違っている)。


テレビシリーズ「ER緊急救命室」にアビーの母親役でゲスト出演していたのを久しぶりに見て、やはり上手いなあと思ったらエミー賞ゲスト出演賞受賞で、更には「ブラザーズ&シスターズ」で同賞ドラマ・シリーズ部門の主演女優賞を獲っています。
まさに「母親役のチャンピオン」という感じで、映画からテレビに来て最も成功している女優の1人ではないかと思われますが、母親としての強さを持つ反面、非常に神経質そうな(神経衰弱気味な)役柄が多くなっているのは、時代を反映してのことなのでしょうか。
「プレイス・イン・ザ・ハート」●原題:PLACE IN THE HEART●制作年:1984年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロバート・ベントン●音楽:ジョン・カンダー●時間:133分●出演:サリー・フィールド/リンゼイ・ クローズ/エド・ハリス/ダニー・グローヴァー/ジョン・マルコヴィッチ●日本公開:1985/03●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:自由が丘武蔵野推理(85-07-14) (評価★★★★)●併映:「トッツィー」(シドニー・ポラック)
自由が丘武蔵野館 (旧:自由が丘武蔵野推理)
2005(平成17)年2月28日閉館
投稿者 wadamy : 23:04
2008年11月27日
【1049】 △ バリー・レヴィンソン 「ディスクロージャー」 (94年/米) (1995/02 ワーナー・ブラザース) ★★★
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多才な人だったマイケル・クライトン。年下の女性上司からの強烈な「逆セクハラ」を描く。strong>
「ディスクロージャー [DVD]」
マイケル・クライトン 「ディスクロージャー〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)」 「ディスクロージャー〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)
」
ハイテク企業に勤めるトム・サンダース(マイケル・ダグラス)は、自分に内定していた副社長ポストに、本社から赴任した元恋人メレディス(デミ・ムーア)が就任したことを知らされ唖然とする。そして彼女に呼び出されて誘惑され、誘いに負けそうになるも、かろうじて踏み止まり部屋を出るが、今度は彼女にレイプをされそうになったと訴えられる―。
今月('08年11月)亡くなったマイケル・クライトン(Michael Crichton、1942‐2008/享年66)の原作で、この人のデビュー作が『アンドロメダ病原体』('69年)であり、『ジュラシック・パーク』('90年)などのバイオ・サスペンスやTVドラマ『ER』のようなメディカル系に強かった印象があるけれども(ハーバード・メディカルスクールの出身でもある)、『大列車強盗』('75年)などのミステリもあれば、『ライジング・サン』('92年)のようなビジネスドラマ(ビジネス・サスペンス)もあり、何でもござれといった多才さというか、守備範囲の広さを感じさせ、まだバリバリの現役であっただけに、66歳でのガン死は、壮絶な戦死といった印象も受けます。
この作品もビジネスドラマ(ビジネス・サスペンス)であり、年下の女性上司による「逆セクハラ」を扱っていますが、日本では「セクシャル・ハラスメント」が「新語・流行語大賞」の“新語”部門金賞に選ばれたのが'89年で(この段階ではまだ“新モノ”扱いか)、男女雇用機会均等法に「性的嫌がらせへの配慮」が盛り込まれたのが8年後の'97年改正に於いてであり、「男性への性的嫌がらせ」も配慮の対象となったのが更に10年後の'07年4月ですから、この作品の原作が'93年に発表され'94年に映画化されたことを思うと、向こうは随分と先を行っていたなあと。
「ディスクロージャー」の一場面
セクハラ事件を契機に主人公は、野望渦巻く企業のパワーゲームに巻き込まれていきますが、この映画におけるマイケル・ダグラスは、「ウォール街」('87年)で若僧チャ-リー・シーンを翻弄するやり手の投資銀行家ゲッコー氏のイメージよりも、「危険な情事」('87年)で不倫相手のグレン・クローズに翻弄される弁護士のイメージに近いかも。
映画としては凡作になってしまったと思うけれども(マイケル・クライトンへの追悼と、「ライジング・サン」よりはまだ映画らしい映画になっているということで本作品を取り上げた)、上司デミ・ムーアの自らの誘いを断った主人公に対する仕打ちの1つに、会社のサーバーへのアクセス権を奪ってしまうというのがあって、そのことで主人公は仕事が完全にストップしてしまいパニックに陥るというのが、当時すっごく“今風”の恐怖だなあと思い、印象的に残りました(今の時代だと、その影響が実感できる分、“今風”と言うより”強烈”な仕打ちということになるか)。
「ディスクロージャー」●原題:DISCLOSURE●制作年:1994年●制作国:アメリカ●監督:バリー・レヴィンソン●音楽:エンニオ・モリコーネ●原作:マイケル・クライトン●時間:128分●出演:マイケル・ダグラス/デミ・ムーア●日本公開:1995/02●配給:ワーナー・ブラザース (評価★★★)
投稿者 wadamy : 23:17
【1048】 ○ バリー・レヴィンソン 「レインマン」 (88年/米) (1989/02 ユナイテッド・アーティスツ) ★★★★
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「作品力」の源はダスティン・ホフマンとトム・クルーズの挑戦意欲。strong>
「レインマン [DVD]」
RAIN MAN (1988)
「レインマン」●原題:RAIN MAN●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:バリー・レヴィンソン●音楽:ハンス・ジマー●原作:バリー・モロー●時間:133分●出演:ダスティン・ホフマン/トム・クルーズ/バレリア・ゴリノ/ジェリー・モレノ●日本公開:1989/02●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:新宿グランドオデオン座(89-04-15) (評価★★★★)
公開時に観ましたが、ロード中にアカデミー賞受賞が決まり、劇場は超満員でした(1988年の作品賞、主演男優賞、監督賞、脚本賞)。
精神科医の北山修氏(=ザ・フォーク・クルセダーズ元メンバーの“きたやまおさむ”氏)は、「『レインマン』の中の自閉症という病気から出てくる面白いエピソードは、ひょっとしたら現実には20人の自閉症患者と20年付き合ってやっと経験できるかもしれない話であって、それが1週間で1人の自閉症の人に起こってしまうところは完全にフィクションである」と書いていますが、それは多分正しい指摘であるのだろうと思います。
それでもこの映画が評価されるところがアメリカらしいと思うし、北山修氏自身も、そうした専門家からの指摘をねじ伏せてしまう「作品の力」は認めています。
その力の源は、「自閉症者は火星人のようなものだから理解できるとは思わない方がいい」と心理学者に言われかえって発奮したダスティン・ホフマンと、LD(学習障害)であるためbとd、pとqの区別がつかないなどの識字困難により教科書が読めず幼い頃から苦労したトム・クルーズの、両俳優の挑戦意欲だと思います。
アメリカのTVドラマなどには、自閉症やアスペルガー症候群の登場人物が結構出てきますが、わざとらしい説明的な描写は少ないようです。
アメリカ社会での自閉症に対する認知度・理解度を高める上で、この映画の果たした役割は大きかったのではないかと思いますが、日本でのヒットが国内でのそうしたムーブメントに繋がったかというと、どうでしょうか。
「君が教えてくれたこと」('00年/TBS系列)とか「光とともに…~自閉症を抱えて~」('04年/日本テレビ)といったテレビドラマがあり、それぞれは良質な作品なのですが、全体のムーブメントで捉えた場合、結果として単発的な“感動狙い”で終わっている感じもしなくもないのですが。
投稿者 wadamy : 23:05
【1047】 ◎ ルイ・マル 「ルシアンの青春」 (73年/仏・伊・西独) (1975/05 20世紀フォックス) ★★★★★
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無垢のままナチの手先となる17歳の少年の悲劇を鮮烈に描く。strong>
「ルシアンの青春 [DVD]」
Louis Malle (1932‐1995/享年63)
「ルシアンの青春」●原題:LACOMBE LUCIEN●制作年:1973年●制作国:フランス・イタリア・西ドイツ●監督・脚本: ルイ・マル●撮影:トニーノ・デリ・コリ●音楽:ジャンゴ・ラインハルト●時間:130分●出演:ピエール・ブレーズ/オロール・クレマン/ボルガー・ローヴェンアドラー●日本公開:1975/05●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:八重洲スター座(79-02-01) (評価★★★★★)●併映:「愛の嵐」(リリアーナ・カヴァーニ)
1944年、ビシー政権下のフランス片田舎の病院で雑役夫として働く17歳の少年ルシアンは、反ナチスの動きを牽制する「ドイツ警察」と呼ばれるゲシュタポの手先集団に成り行きで入ってしまい、レジスタンスの地下運動に携わる人々の逮捕や財産没収に参加するなど仲間と共に非道を尽くすが、あるきっかけでユダヤ人の娘フランスと知り合って恋に落ち、彼女に危機が訪れたときに、その祖母とともにスペインへの逃避行を図る―。
ルシアンが「ドイツ警察」のメンバーになった契機が、最初はレジスタンスに志願したのに若すぎて信用できないと拒否され、渋々職場に戻る途中に自転車がパンクして外出禁止時刻の夜になり、スパイ容疑で「ドイツ警察」がある屋敷に連れて行かれ、そこで繰り広げられる刹那的な享楽の世界に見入っているところを勧誘されたというもの。
自分を拒絶したレジスタンスのリーダーの名前を挙げて彼らの逮捕に貢献し、そのことで家族やかつての仲間から裏切り者呼ばわりされることで、彼はますますナチ・グループに傾斜していく―その様は、彼がイデオロギーによってではなく、ただ自分を認めてくれる“世間”を求めて彷徨っていることが明らかなだけに、辛いものがあり、また恐くもあります。
そうしたルシアンも、ユダヤ人娘への恋を通して人間性を回復し、彼女を救うためにナチスに背を向けるまでに成長しますが、映画の最後には、野外で娘との無邪気とも動物的とも思えるようなセックスをし、陽光のもと満足そうに寝そべる彼の笑顔に被って、「1944年10月12日ルシアンはレジスタンス側の裁判で銃殺刑に処せられた」という字幕が出ます(ちょっとルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」のラストを想起させる)。
病院雑役夫をしていたのが同じ年の6月で、それから僅か4ヵ月の間に、罪の意識を持たないままナチ協力者として行動し、生まれて初めての恋をし、国境への逃避行を図り、結局は刑場の露と消えることになる17歳の少年―この個人的にも強い印象を受けたルシアンの役を演じたのは公募で選ばれた素人(ピエール・ブレーズ)で、本作完成の2年後に交通事故で亡くなったとのことです。
投稿者 wadamy : 22:59
【1046】 ○ ロベール・ブレッソン 「ラルジャン」 (83年/仏・スイス) (1986/11 フランス映画社) ★★★★
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映画の通念をはるかに超えた“断絶”的ラスト。strong>
「ラルジャン [DVD]」
Robert Bresson (1901‐1999/享年98)
1枚の500フラン札を偽札と知らずに使ったイヴォンは、逮捕され執行猶予付きの有罪となる。出所後、強盗の手伝いをして逮捕・投獄され、家族とも別れ、自殺をも考える。しかし彼は脱獄し、出所後に世話になった一家とも事件を引き起こす―。
原作はトルストイの短編小説ですが、前半部分の主人公や周辺の人物がちょとしたことから犯罪に染まっていく過程(原作の複数の人物が映画では主人公1人に集約的に投影されている)はドストエフスキー的で、但し、後半で主人公の改心の過程が描かれるので、ヴィクトル・ユーゴーっぽい感じも。
ところがこの映画化作品では、原作小説の後半の、主人公が信仰に目覚め改心する話が完全にカットされています。
映画館で上映が終わった後、観客が少しどよめいていたような記憶があり、1983年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞していますが、その時にも上映終了時にはブーイングも巻き起こったという…。
それはそうでしょう。逃亡者となった主人公と偶然出会い、彼を匿った心優しい老婆に対して、自然に溢れた環境で老婆からの慈しみを受け改心に向かうかと思われた主人公が、老婆に突然に見舞った返礼は、斧で彼女を惨殺することだったのですから。
それまで物語の流れに身を委ねる「観客」として観ていたのが、このような終わり方によって、起きてしまった出来事の中に実際にとり残されたような落ち着かない気持ちになりました。
観客が無意識的に期待する“予定調和”の裏をかくというレベルを超えて、映画芸術そのものに対するアンチテーゼを示しているように思えます。
80歳を超えてこの作品を作ったブレッソン監督は、映画の通念をはるかに超えたところにいたのだともとれるし、映画のラストシーンの、人々が誰もいなくなったレストランを眺めている場面について、「彼らは空虚を見つめているのだ。そこにはもはや何も無い。善は去ってしまったのだ」とカンヌの記者会見で述べたブレッソンの言葉からは、キリスト者としての彼の深い絶望も窺えます。
「ラルジャン」●原題:L'ARGENT●制作年:1983年●制作国:フランス・スイス●監督:ロベール・ブレッソン●原作:レフ・トルストイ 「にせ利札」●時間:85分●出演:クリスチャン・パティ/カロリーヌ・ラング●日本公開:1986/11●配給:フランス映画社●最初に観た場所:シネヴィヴァン六本木(86-12-01) (評価★★★★)
シネヴィヴァン六本木
1999(平成11)年12月25日閉館
投稿者 wadamy : 22:51
2008年11月23日
【1045】 ◎ ミケランジェロ・アントニオーニ 「情事」 (60年/伊) (1962/01 イタリフィルム) ★★★★★
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静かな情感を湛えつつ、ストレートにわかり易く“原罪”を描く。strong>
「情事 [DVD]」
“L'Avventura” Movie
「情事」●原題:L' AVVENTURA●制作年:1960年●制作国:イタリア●監督・脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ●音楽:ジョヴァンニ・フスコ●時間:129分●出演:ガブリエル・フェルゼッティ/モニカ・ヴィッティ/レア・マッセリ●日本公開:1962/01●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:三鷹文化(82-11-06) (評価★★★★★)●併映:「フランス軍中尉の女」(カレル・ライス)
元大使の娘(レア・マッセリ)の誘いで、冷えかけた関係にある建築家の恋人(ガブリエル・フェレゼッティ)と、元大使の娘の友人(モニカ・ヴィッティ)の3人は、夏の数日間をシチリアのエオリア諸島に過ごすことになるが、ヨットで小さな無人島に立ち寄った際にアンナが忽然と姿を消す。捜索隊も出て、残された2人も懸命に行方を捜すが、そのうち疚しさを覚えながらも2人は情事に耽るようになり、やがて元大使の娘の件も口に出さなくなる―。

いいなあ、アントニオーニのモノクロ映画! 晩年は寡作で、日本でも一旦は忘れかけたみたいな感じだったのが、90年代に静かなリバイバル・ブームが起こり、この作品も'94年にリバイバルされています。そして、今また人気が出ているみたい。
Michelangelo Antonioni (1912‐2007/享年94)
“愛の不毛”を描き続けた監督と言われていますが、フェリーニの「8 1/2」やトリュフォーの「アメリカの夜」と同じく映画監督を主人公にした「ある女の存在証明」('82年)などは、同じ“愛の不毛”を描いたものでも「抽象画」という感じで、自分としてはやや期待外れで、やはり、「欲望」('66年)以前、とりわけ「さすらい」('57年)とこの両モノクロ作品が、静かな情感を湛え、ストレートにわかり易くていいです。
Monica Vitti in L'Eclisse
何がわかり易いかと言えば、先ずもってモニカ・ヴィッティのアンニュイな魅力がわかり易い(アラン・ドロンと共演した「太陽はひとりぼっち」(L'Eclisse、'62年)も、テレビでしか観ていないが良かった)。
これに抗しきれない男の気持ちが理解できるだけに、身につまされる思い?
「太陽はひとりぼっち」のアラン・ドロンはイケメン証券マンという役柄でしたが、ガブリエル・フェレゼッティ演じるこの男は、創造力の面で才能に恵まれず、今は「構造計算」の仕事を専門にしているという建築家という設定で、レア・マッセリ演じる元大使の娘から見放されかけているというのが辛そう。
コトがなし崩し的に進行したある時から、モニカ・ヴィッティは不安感に見舞われるようになり、建築家の男も、俺たちは一体何をやっているんだと愕然とする―。
男女の関係で捉えれば、筋立て自体はどこでもありそうな極めて俗な話で、にもかかわらずラストが重いのは、キリスト教のイメージが映画の伏線にあるためかも知れず、原罪とは逃れられないものなのかという想いに暫し浸されました。
失踪者した元大使の娘のことを離れ、2人の成り行きに引き込まれて観ましたが、失踪者した娘がどうなったのかというミステリだと思って観てはいけない作品です(そう思って観たがために、この作品を貶す人がいる)。
「情事」パンフレット(ニュー東宝版)
投稿者 wadamy : 23:23
【1044】 ○ ニコラス・レイ 「理由なき反抗」 (55年/米) (1956/04 ワーナー・ブラザーズ) ★★★★ (△ レイ・コノリー 「ジェームズ・ディーンのすべて 青春よ永遠に」 (75年/米) (1977/09 東宝東和) ★★★)
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青春映画の原点とされる作品。主演3人が夭逝しているだけに複雑な思いも。strong>
「理由なき反抗」 パンフレット
「理由なき反抗 特別版 [DVD]」
ジェームズ・ディーンが補導されて警察署いる場面のポスターが懐かしいこの映画は、マーロン・ブランドが出演を断った脚本が、「ジャイアンツ」の撮影がエリザベス・テーラーの妊娠により中断し時間的余裕のあったジェームズ・ディーンに回ってきて、急遽彼を使うことにした低予算映画だったそうですが(当初はモノクロの予定が、「エデンの東」のヒットでカラーに計画変更された)、ジェームズ・ディーンの演技が良く、結果として青春映画の原点みたいな位置づけになりました(ディーンは撮影の途中からノッてきて、ナイフでの喧嘩シーンでは本物のナイフを使ったりしている)。
この映画でのジム(ジェームズ・ディーン)とプレイトウ(サル・ミネオ)の関係はよく同性愛だと言われていますが、17歳という設定ですから、思春期的なものであると思われ、それでも当初はジムがプレイトウにキスしようとするシーンもあったそうですが、米国内の検閲でカットされたとのこと。
個人的には、カットされて良かったと思います。もしそのシーンがあると、ジュディ(ナタリー・ウッド)を含めた3人の関係のバランスが壊れていたのではないかと思われるからです。
Co-stars Natalie Wood and Sal Mineo
一方で、この映画の脚本には、当時の若者の声を聞いたアンケートが反映されていて、世間の親への教唆的要素が多分に含まれているようにも思います(「理由なき反抗」というタイトルからして)。
ジムが“チキン・ラン”レースに臨む前に小心者の父親にナイフで切られた血のついたシャツをわざと見せて、これから自分がする事の危険について話したにも関わらず、父親は叱ることも止めることも出来ずジムをガッカリさせる場面などは、“父権の失墜”に対する警告ともとれるのではないでしょうか。
この作品については、こうした作品の意図とは別に、主演の3人の俳優が何れも不慮の死を遂げたこともあって、やや複雑な感慨があります。
ジェームズ・ディーンはこの作品の公開の1ヵ月前に事故死していています(享年24)。
'75年に「ジェームズ・ディーンのすべて-青春よ永遠に」(James Dean:The First American Teenager)という記録映画が作られていて、その中でナタリー・ウッドもサル・ミネオもディーンの思い出を語っていますが、その翌年にサル・ミネオは強盗に刺殺され(享年38)、更にその5年後の'81年には、ナタリー・ウッドが撮影中にボートの転覆事故で亡くなっています(享年43)。
「理由なき反抗」●原題:REBEL WITHOUT A COUSE●制作年:1955年●制作国:アメリカ●監督・原作:ニコラス・レイ●音楽:レーナード・ローゼンマン●時間:105分●出演:ジェームズ・ディーン/ナタリー・ウッド/サル・ミネオ/デニス・ホッパー●日本公開:1956/04●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:高田馬場・早稲田松竹(77-12-21) (評価★★★★)●併映:「ジャイアンツ」(ジョージ・スティーブンス)
「ジェームズ・ディーンのすべて 青春よ永遠に」●原題:JAMES DEAN:THE FIRST AMERICAN TEENAGER●制作年:1975年●制作国:アメリカ●監督:レイ・コノリー●製作:デイヴィッド・パトナム/サンディ・リーバーマン●時間:80分●出演:ジェームズ・ディーン/ナタリー・ウッド/サル・ミネオ/デニス・ホッパー/サミー・デイビスJr.●日本公開:1977/09●配給:東宝東和●最初に観た場所:テアトル新宿(78-01-13) (評価★★★)●併映:「サスペリア」(ダリオ・アルジェント)●記録映画
「ジェームズ・ディーンのすべて 青春よ永遠に」 パンフレット
投稿者 wadamy : 23:10
2008年11月16日
【1043】 ○ ジョージ・スティーブンス 「ジャイアンツ」 (56年/米) (1956/12 ワーナー・ブラザーズ) ★★★★ (○ ジョージ・スティーブンス 「シェーン」 (53年/米) (1953/10 パラマウント映画) ★★★☆)
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「父親は強い男でなければならない」ということか。strong>
「ジャイアンツ [DVD]」
エドナ・ファーバー 『ジャイアンツ(上・下)』 ['56年/早川書房]
「ジャイアンツ」('56年)はエドナ・ファーバー女史のベストセラー小説の映画化作品ですが、完成3日後にジェームズ・ディーンが事故死するという不幸もあって話題を呼び、当時アメリカでも日本でも大ヒットしたとのこと。
ジェームズ・ディーンの老け役の演技には批評家の間で賛否があったものの、ディーンのスタニフラフスキー流演技が、ロック・ハドソンの古典派演技と好対照を成している点でも興味深い作品。
その他にも実に色々な見方ができる映画だなあと。以前はアメリカン・ドリームの光と影を体現したジェームズ・ディーン演じるところのジェット・リンクにばかり目がいっていましたが、実はこの作品は、ロック・ハドソン、エリザベス・テーラーが夫婦役を演じる家族ドラマだったのだと思いました(当初は夫役をウイリアム・ホールディンがやる予定だったが、監督の気が変ってロック・ハドソンに。妻役も、グレース・ケリーに決めていたが、彼女がモナコ大公と結婚したために、オードリー・ヘップバーンなどが候補としてあがり、最終的にエリザベス・テーラーに。一方、ジェームズ・ディーンは監督に直訴して、このジェット・リンク役を得たという)。

ある家族の前に突然現れた流れ者という設定は、同じジョージ・スティーブンス監督の前作「シェーン」('53年)と似ています。
「シェーン」に出てくる家族の父親は、シェーンに一方的に助けられ何とか悪徳牧畜業者から家族を守りますが、これでは家長としての面目は丸つぶれではないでしょうか。
奥さんはシェーンに惹かれ、シェーンも奥さんに惹かれている―その想いを断ち切るかのようにシェーンは去っていきますが、この後の夫婦の関係という観点から考えると、ハッピーエンドとは言い切れないモヤモヤしたものが残ります。
一方、この「ジャイアンツ」の一家の父親(ロック・ハドソン)は、流れ者(ジェームズ・ディーン)に対し、家長としての威厳を賭して対抗し、ジェット・リンクに惹かれそうになる奥さん(エリザベス・テーラー)の気持ちを自らの元に繋ぎとめているように思えます。

ジョージ・スティーブンス監督には幼い頃に母親喪失の不安感があったそうですが、自身の不安の克服が「父親は母親を守ることができる強い男でなければならない」というアメリカ的な信条に沿った内容に結実したということなのでしょうか。
撮影中にジェームズ・ディーンは、自分の役の影が薄いことをジョージ・スティーブンス監督に何度も抗議したものの、監督にことごとく却下されたそうです。やはり、この映画の主役はロック・ハドソンなのです。
Giant is best known as Dean's last film.
何よりも、タイトルに表される舞台スケールの大きさ(「ジャイアンツ」はテキサス州のことを表すと同時に、原題「ジャイアント」は巨大油田を表す)に惹かれます。ここが日本の家族ドラマと一番違うところであり、あの石油が噴き出すシーンなどはマネできない。
なにせ、テキサス1州だけで日本の総面積の1.8倍ぐらいの広さがありますから、まさに“ジャイアンツ”。
「ジャイアンツ」●原題:GIANT●制作年:1956年●制作国:アメリカ●監督:ジョージ・スティーブンス●音楽:デミトリー・ティオムキン●原作:エドナ・ファーバー「ジャイアンツ」●時間:201分●出演:ジェームズ・ディーン/エリザベス・テーラー/ロック・ハドソン●日本公開:1956/12●配給:ワーナー・ブラザーズ●最初に観た場所:早稲田松竹(77-12-21) (評価★★★★)●併映:「理由なき反抗」(ニコラス・レイ)
ところで、「シェーン」で主役を演じたアラン・ラッド(1991-1964)は、この1作でハリウッドの大スターになったのに、その後は有名俳優にしては大した作品に出ておらず、60年代を過ぎて人気にも陰りが出てからはノイローゼになり、最後は睡眠薬の多用が原因で亡くなっています(享年50)。
一方のシェーンの敵役を演じたジャック・パランス(1991-2006)は、その後も性格俳優としても活躍し、どちらかと言うと相変わらず悪役が多いのですが、パーシー・アドロン監督の「バグダッド・カフェ」('87年/西独)で“老い楽の恋”に静かな情念を燃やす老画家役を好演し(当時77歳)、個人的には、あの映画の中では、ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」と並んで最も印象に残りました(「あのジャック・パランスが」という想いで観たということもあるが)。
しかし、その後も娯楽映画で“しっかり”悪役を演じ続け、'06年に老衰で亡くなっています(享年87)。 Jack Palance in Bagdad Cafe
「シェーン」●原題:SHANE●制作年:1953年●制作国:アメリカ●監督:ジョージ・スティーブンス●音楽:ヴィクター・ヤング●原作:ジャック・シェーファー「シェーン」●時間:118分●出演:アラン・ラッド/ヴァン・ヘフリン/ジーン・アーサー/ブランドン・デ・ワイルド/ジャック・パランス●日本公開:1953/10●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:高田馬場パール座(77-12-20) (評価★★★☆)●併映:「駅馬車」(ジョン・フォード)
「バグダッド・カフェ」●原題:BAGDAD CAFE(OUT OF ROSENHEIM)●制作年:1987年●制作国:西ドイツ●監督:パーシー・アドロン●製作・脚本:パーシー・アドロン/エレオノーレ・アドロン●撮影:ベルント・ハインル●音楽:ベルント・ハインル●時間:91分●出演::マリアンネ・ゼーゲブレヒト/CCH・パウンダー/ジャック・パランス/クリスティーネ・カウフマン/モニカ・カローン●日本公開:1989/03●配給:KUZUIエンタープライズ●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース (89-03-05) (評価★★★★)
投稿者 wadamy : 19:57
【1042】 ○ 中原 俊 (原作:筒井康隆) 「12人の優しい日本人」 (1991/12 ニュー・センチュリー・プロデューサーズ) ★★★★ (○ シドニー・ルメット 「十二人の怒れる男」 (57年/米) (1959/08 ユナイテッド・アーティスツ) ★★★★)
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笑いながらも、考えさせられる「12人の優しい日本人」。strong>
「12人の優しい日本人 [DVD]」
『12人の浮かれる男―筒井康隆劇場 (1979年)』
「12人の優しい日本人」●制作年:1991年●製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ●監督:中原俊●脚本:三谷幸喜●原作:筒井康隆「12人の浮かれる男」●時間:116分●出演:塩見三省/相島一之/上田耕一/二瓶鮫一/中村まり子/大河内浩/梶原善/山下容莉枝/村松克己/林美智子/豊川悦司●劇場公開:1991/12●配給:アルゴプロジェクト (評価★★★★)
劇団東京サンシャインボーイズの舞台戯曲の映画化作品で、もしも日本に陪審員制が導入されたら…という前提でのコメディ。
原作は筒井康隆の『12人の浮かれる男』で、シドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」('57年/米)をちょうど裏返しにしたようなストーリーです。
「十二人の怒れる男」は、ナイフで実父を殺害した容疑がかかる少年の裁判における12人の陪審員の討議において、唯一人、少年の犯行だという意見に疑問を感じた陪審員(ヘンリー・フォンダ)が、残り11人の有罪説の根拠の脆弱を順番に暴いていくもので、テーマは「議論による民主主義の勝利」よりも、その議論の中核を成す「事実に基づく強固な論理」にあると言えるものですが、推理劇としての楽しさを満喫できるものでした。
「十二人の怒れる男」●原題:12 ANGRE MEN●制作年:1957年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ルメット●製作:レジナルド・ローズ/ヘンリー・フォンダ●脚本:レジナルド・ローズ●撮影:ボリス・カウフマン●音楽:ケニヨン・ホプキンス●原作:レジナルド・ローズ(TVドラマ)●時間:96分●出演:ヘンリー・フォンダ/リー・J・コッブ/エド・ベグリー/ E・G・マーシャル/ジャック・ウォーデン●日本公開:1959/08●配給:ユナイテッド・アーティスツ (評価★★★★)
「12人の優しい日本人」は、12人の陪審員のうち11人までが被告を無罪だと考えていたところ…という状況から始まり、明らかにこの作品のパロディなのですが、三谷幸喜の脚本もいいし、役者も下手な人がおらず、自然に笑えます。
豊川悦司はこの作品が本格的映画デビューでしたが、元々はシェイクスピア劇で知られる演劇集団「円」出身で、演技の基礎はしっかりしているし、この作品での「○○○のふりをする△△」の役はハマリ役だと思います(最近の舞台では、江口洋介がこの役をやっていて、江口洋介にとっての舞台デビュー作となっている)。
「陪審制」は市民だけで有罪・無罪を決める裁判方式で、それに対し裁判官と市民が合議して判決を導き出すのが「参審制」。この映画で描かれているのは市民のみの討議だから「陪審制」で、日本でも昭和3年から昭和18年まで「陪審制」がありました(因みに、司法制度改革で今回導入される裁判員制度は「参審制」である)。
「十二人の怒れる男」に対しては、日本に陪審制がないのは、体制側がこういう結果を恐れているからだ、という説もあるようです(ヘンリー・フォンダに対してではなく、残り10人の陪審員について言っているのだろうが、逆説的にはヘンリー・フォンダも含めた“場”乃至“座”として言えるかも)。
日本人は会議などで権威者や専門家の意見になびきやすいと言われますが、そうした人に対して過剰な敬意を抱いてしまう傾向にあるらしいです。
「12人の優しい日本人」は「十二人の怒れる男」と同様「陪審制」における話ですが、専門家(裁判官)が討議に加わる「参審制」の裁判員制度であればなおのこと、この映画のままとは言わないまでも類似のことが(つまり裁判官の意見に市民がどんどん引っ張られるようなことが)ありうるのではと、この映画の豊川悦司の役にすっかりダマされた自分をふりかえって思うのです。
投稿者 wadamy : 00:14
2008年11月15日
【1041】 ◎ テオ・アンゲロプロス 「旅芸人の記録」 (75年/ギリシャ) (1979/08 フランス映画社) ★★★★★
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「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ
映像美、スケールの大きさ。ジグソーパズルのような構成の謎解きを堪能できる。strong>
「テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX I」
映画パンフ
「岩波ホール」公開時ポスター(1979.08)
テオ・アンゲロプロス監督には、「ギリシャ現代史3部作」、「国境3三部作」、「20世紀3部作」(第1作「エレニの旅」('04年)のみ公開済み)などのシリーズがあり、70年代に発表された「旅芸人の記録」は「ギリシャ現代史3部作」の1つ。
カンヌ映画祭で寺山修司の「田園に死す」と競い、国際映画批評家賞を受賞しました(当時の映画情報誌「シティロード」に両監督の対談が載った)。
新作「エレニの旅」では個人史的色合いが強くなっていますが、「旅芸人の記録」を観れば、この監督がもともとは、歴史とそれに巻き込まれる人民の関係をダイナミックに描く映像作家であることがわかります。
劇中劇としての「エレクトラ」の神話(娘が父親を愛し母親を憎むという精神分析用語“エレクトラ・コンプレックス”の由縁となっている話)と登場人物たちの相関関係との相似構造、同じ場所で年代差のある複数の事件が継ぎ目なく現れるなどの複雑なカットバック(これスゴイ!)が今見ても斬新です。
「長回し」もこの人の特徴で、その分、映画自体も長くなる―。「アレキサンダー大王」('80年)では「長回し」が更に昂じたような気もして、「旅芸人の記録」の3時間52分に対して「アレキサンダー大王」の方が3時間28分とやや短いのに、「旅芸人の記録」より長く感じました。
個人的にはやはり「旅芸人の記録」が、映像美、スケールの大きさからみて一番。劇場で鑑賞したいところですが、ジグソーパズルのような構成に謎解きを挑むつもりで、自宅で冷静に鑑賞するというスタンスでも充分堪能できます。




劇中で右翼の男達にレイプされ捨てられた後、いきなり立ち上がって「血の日曜日」事件などのギリシャへの侵略戦争史について語り始めるエヴァ・コタマニドゥ。
「旅芸人の記録」●原題:O THIASSOS●制作年:1975年●制作国:ギリシャ●監督・脚本:テオ・アンゲロプロス●撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス●音楽:ルキアノス・キライドニス●時間:232分●出演:エヴァ・コタマニドゥ/ペトロス・ザルカディス/ストラトス・パヒス●日本公開:1979/08●配給:フランス映画社●最初に観た場所:新宿文化シネマ1(80‐02‐11) (評価★★★★★)
投稿者 wadamy : 23:55

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