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『赤い収穫』『ガラスの鍵』と並ぶ傑作。サム・スペードの長編登場は本作のみ。

マルタの鷹 ポケットミステリ.jpgマルタの鷹〔改訳決定版〕.jpg マルタの鷹 創元推理文庫.jpg マルタの鷹 ハヤカワミステリ文庫.jpg マルタの鷹 DVD.jpg
マルタの鷹 (1954年) (Hayakawa pocket mystery books)』('54年/砧 一郎:訳)/『マルタの鷹〔改訳決定版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』('12年/小鷹信光:訳)/『マルタの鷹 (創元推理文庫 130-2)』('61年/村上啓夫:訳)/『マルタの鷹 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』('88年/小鷹信光:訳)「マルタの鷹 [DVD]
THE MALTESE FALCON: In Old Fashioned Book Form
The Maltese Falcon pocket book edition big.jpgThe Maltese Falcon-Hammett.JPG.jpgThe-Maltese-Falcon-1930.jpg サンフランシスコの私立探偵サム・スペードは、家出した妹を連れ戻したいという女性の依頼を受けて、相棒のマイルズ・アーチャーに、フロイド・サースビーという男を尾行させる。しかし、その夜サースビーとアーチャーは死体となって発見される。スペードはアーチャーの妻と密通しており、警察は彼に嫌疑を向ける。スペードはジョエル・カイロという男の訪問を受ける。彼はスペードが何かを握っていると考えており、それを探ろうとしている様子だった。女依頼人に再会したスペードは、彼女が最初に名乗ったのは偽名で、本名はブリジッド・オショーネシーであること、カイロとも関係していることを知る。2人を引き合わせたスペードは、彼らの会話からその関心がある鳥の彫像にあること、「G」なる人物もまたそれを求めているらしいことを知る。やがて「G」ことガットマンもスペードに接触してくる。スペードははったりをしかけて、彼らの捜し求めるマルタ騎士団にゆかりを持つ「マルタの鷹」の存在を聞きだす。ガットマンは、ロシアの将軍が「鷹」を所持していることを知り、カイロ、サースビー、オショーネシーの3人を代理人として派遣したが、「鷹」の価値に勘付いた3人はそれを秘匿してしまったのだという。やがて、オショーネシーの意を受けて、貨物船「ラ・パロマ」号の船長がスペードの事務所を訪れる。彼は「鷹」をスペードに託して息絶える。「鷹」を手に入れたスペードはそれを切り札にガットマンらと交渉し、すべての経緯を炙り出す。「鷹」の取り分をめぐる仲間割れから、アーチャーも殺されたのだった。それをめぐって3人の男が殺されることになった「鷹」は模造品だった。ガットマンらの態度からそれが高価なものだと気付いた持ち主のロシア人が、偽物を掴ませたのだった。落胆しながらも、再び「鷹」を求めて出立していったガットマンらを、スペードはあっさりと警察に密告する。そして、アーチャーを射殺した実行犯であったオショーネシーも、必死の哀願にもかかわらず、警察に突き出すのだった―。

マルタの鷹Cover of the first edition.jpg 1930年に単行本として刊行されたダシール・ハメットの探偵小説で、元は「ブラック・マスク」という雑誌の1929年9月号から翌1930年1月号に連載され連載小説でした。1931年(ビーブ・ダニエルズ(オショーネシー)主演)、1936年(ウィリアム・ディターレ監督、ベティ・デイヴィス主演、"Satan Met A lady(魔王が婦人に出遭った)")、1941年(ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガード主演)と3度にわたって映画化されていますが、最も有名なのはハンフリー・ボガート主演の「マルタの鷹」('41年)です。この映画が日本で公開されたのは本国公開の10年後の1951年ですが、原作が翻訳されたのはハヤカワ・ミステリの砧一郎訳で1954年であり、つまり日本には映画の方が先に入ってきたことになります。ですから、当初は映画を観てから本を読んだ人の方が多かったのではないかと思います。独占翻訳権が発生しなかったために、田中西二郎訳('56年/新潮社・探偵小説文庫)、村上啓夫訳('61年/創元推理文庫)などが相次いで刊行されましたが、これらの翻訳者たちも何らかのかたちで映画の影響を受けたのではないかという気がします。
"The Maltese Falcon"Cover of the first edition

小鷹信光 .jpg ミステリ翻訳者の小鷹信光(1936-2015/享年79)(松田優作主演のテレビドラマ「探偵物語」の企画立案者でもあった)の翻訳は、最初1985年に河出書房新社版が刊行され、その3年後にハヤカワ・ミステリ文庫に収められましたが、近年になって諏訪部浩一(東京大学准教授)の研究・講義に触発され、自らの翻訳を改訳したものが2012年に刊行されました(講義内容の方も『「マルタの鷹」講義』('12年/研究社)として刊行されている)。ハメットの小説の登場人物は余計なことはあまり喋らないので、英語を日本語に訳す時に訳し方によってニュアンスが異なってくる部分が大きいのだろうと思います。小鷹信光のような大御所にさえ、改訳する気を起こさせると言うか、むしろ75歳を過ぎて自分より二回りも若い大学准教授の講義を受け、過去に自分が翻訳したものを27年ぶりに訳し直してみるという、その気力に感服するとともに、この作品への愛着も感じます。

「マルタの鷹_3.jpg 個人的には自分も映画が先だったので、初読の時から映画のイメージが強くありました。ただ、映画は話のテンポを良くするために(それだけが理由ではないと思うが)若干端折っている部分もあり、原作を読んで理解が深まる部分もあるように思いまいした(例えば「ラ・パロマ」号の中で何があったかなど)。訳文自体も更に読みやすくなっているように思います。

 時期的には'29年刊行の『赤い収穫』と'31年刊行の『ガラスの鍵』の間の作品で、この2作と並ぶ傑作だと思いますが、所謂"コンチネンタル・オプ"が主人公の2作に対し、こちらはサム・スペードが主人公です。サム・スペードが長編で出て来るのはこの『マルタの鷹』のみですが(こちらの方が有名になった?) キャラクターなども当然のことながら違っています。個人的に面白いなあと思ったのは、サム・スペードは殺害された同僚のマイルズ・アーチャーをそれほど評価も尊敬もしていなかったみたいで、それどころか彼の妻と不倫関係にある様子であり(秘書ともいい関係みたいだが)、それでいて、身の危険を冒してまでも同僚の仇はしっかり果たし、蠱惑的な女性の誘惑を撥ねつけてまでも罪には罰で報いる―といった感じで、その、ある種"職業倫理"的なけじめのつけ方が印象に残りました。

 因みに『「マルタの鷹」講義』によれば、ハメットのサム・スペードがいなければ、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウも、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャーも存在しなかったとのことです。まあ、後のハードボイルドにそれくらい大きな影響を与えたということなのでしょう。

小鷹信光.jpg【1954年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(砧一郎:訳)/1956年文庫化[新潮社・探偵小説文庫(田中西二郎:訳)]/1961年再文庫化[創元推理文庫(村上啓夫:訳)]/1963年再文庫化[角川文庫(石一郎:訳)]/1978年再文庫化[筑摩書房・ロマン文庫(鳴海四郎:訳)]/1988年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(小鷹信光:訳)]/2012年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(小鷹信光:訳〔改訳決定版〕)]】

小鷹信光(こだか・のぶみつ、本名・中島信也=なかじま・しんや)松田優作主演のテレビドラマ「探偵物語」の原案者で、海外ハードボイルド小説の翻訳の第一人者。215年12月8日、すい臓がんのため埼玉県内の自宅で死去。79歳。

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不気味だったりシュールだったり可笑しかったり。夫婦物は押しなべてブラックだった(笑)。

ダール キス・キス.jpg キス・キス ダール.jpgキス・キス (異色作家短編集).jpg キス・キス (異色作家短編集) 2005.jpg
Kiss Kiss』『キス・キス (ハヤカワ・ミステリ文庫)』(田口俊樹:訳)'14年新訳版(カバーイラスト:ハッタノリカズ) 『異色作家短篇集〈1〉キス・キス (1974年)』『キス・キス (異色作家短編集)』(開高健:訳)'74年改訂新版/'05年新装版
キス・キス ダールes.jpg異色作家短編集1「キス・キス」ロアルド・ダール 旧版.jpgRoald Dahl.png 『キス・キス』はロアルド・ダール(Roald Dahl、1916-1990/享年74)の1946年刊行の第一短編集『飛行士たちの話』('81年/ハヤカワ・ミステリ文庫)、1953年刊行の第二短編集『あなたに似た人』('57年/ハヤカワ・ミステリ)に続く1960年刊行の第三短編集で、その後、1974年に第四短編集『来訪者』('89年/ハヤカワ・ミステリ文庫)が刊行されています。『キス・キス』は本邦では、1960年に早川書房より開高健(1930‐1989)の訳で「異色作家短篇集〈1〉」として刊行され('74年に改訂新版)、2005年に新装版が出ましたが、2014年にハヤカワ・ミステリ文庫で田口俊樹氏による新訳版がでました。
『異色作家短編集〈第1集〉キス・キス』ロアルド・ダール(開高 健:訳)(1960/12 早川書房)

「女主人」 "The Landlady "
 夜遅くようやく新しい赴任地に着いた青年ビリーは、ふと目に入った『お泊りと朝食』という文字と値段の安さに惹かれてその家を滞在先に決める。そこにはやさしそうにみえる女主人がいた。宿帳を見るとそこに書いてある名前に見覚えが―。初っ端からブラック。徐々に真実が見えてくるところが怖いです。アメリカ探偵作家クラブ最優秀短編賞受賞作。

「ウィリアムとメアリー」 "William and Mary"
オックスフォードの哲学教授ウィリアムは癌に侵され、余命いくばくもなくなったとき、医師ランディに、脳だけを生かす実験に協力するよう頼まれ、これを受け入れて死んでいく。遺書で事の次第を読んだ妻のメアリイは、ランディ医師の病院に赴く―。ラストの妻が怖いです。長年押さえていた妻からどういう目に遭うかということも考えておかなければならなかったということか。

「天国への道」 "The Way up to Heaven"
 フォスター夫妻はニューヨークに住む富豪で何不自由ない暮らしに見えるが、妻は夫の底意地の悪さに辟易している。その妻がパリにいる娘に会いに出かける日、フライトの時間に間に合わないと焦る妻は、まだぐずぐず屋敷内にいる夫を呼びに玄関まで来た。そこで、夫が乗っているはずの奥のエレベーターが中空で停まっているのに気づく。瞬時ためらったが、知らないそぶりで、そのまま夫を置き去りにして空港へと急ぐ。それから3週間。妻が自邸に戻ってみると、どうやら夫は―。これって、"未必の故意"?

「牧師の愉しみ」 "Parson's Pleasure"
 ロンドンの骨董商ミスター・ボギスは、田舎の農家に掘り出し物があることを知り、怪しまれないように牧師の格好で家を訪れ、お目当ての家具を手に入れるために交渉する。今回は名人作の衣装戸棚が見つかり、これで大金持ちになり、業界での名声も得られると有頂天だったが、安く買い叩こうと「脚だけがほしいのだが...」と言ったのが運のつきで、車を取りに行っている間に、売主は親切心から、戸棚の躯体部分を解体してしまう―。ダールの短編集でお馴染み、農家のクロード、バート、ラミンズのトリオが絶妙に可笑しいです。

「ミセス・ビクスビーと大佐のコート」 "Mrs Bixby and the Colonel's Coat"
 ミセス・ビクスビー夫人はニューヨークの歯科医の妻で、月に一度、伯母の介護という名目でボルチモアに出かけ、そこで「大佐」と呼ばれる渋い中年男と逢瀬を楽しんでいたが、やがて別れがやってきて、手切れ金代わりに高価なミンクのコートを貰う。彼女は、質札を拾ったことにして夫への説明を切り抜けようとするが―。質屋にコートを自分で取りに行かなかったのが失敗原因ですが、妻の不倫を知っていたかどうかはともかく、夫も秘書を愛人にしていたということなのでしょう。

「ロイヤルゼリー」 "Royal Jelly"
 若き養蜂家アルバート・テイラーは、子宝に恵まれたばかりだが、乳飲み児の娘の食が細くて、妻ともどもとても心配している。そこで彼は、ミルクにロイヤルゼリーを混ぜることを思いつき、娘の食欲を回復させることに成功したが、娘は次第に女王蜂さながらになってきて―。シュールな恐怖です。

「ジョージー・ポージー」 "Georgy Porgy"
 私ことジョージー・ポージーは若い牧師だが、幼い頃の母親の異常な性教育のお蔭で女性恐怖症となり、女性と付き合ったことがまだ無い。だが、劣情は人一倍強く、教区の独身女性たちの誘惑も激しいため、それらを押し留めるのに苦慮している。そんな折、珍しく清楚で溌剌としてミス・ローチと巡り会い、勧められるままアルコールの飲み物を啜り、気分が高揚して勢いで彼女に迫るも、やり方が拙かったらしく、彼女はいたくおかんむり。私は思わず彼女の口の中に飛び込み、今やその十二指腸の上に小部屋を作って、ほとぼりが醒めるまでしばらくのんびりを決め込んでいる―。ということで、これも終盤いきなりシュールになりますが、ネズミを使って雄と雌でどちらが性欲が強いか実験しているのが可笑しかったです。

「始まりと大惨事―実話―」 "Genesis and Catastrophe"
 ドイツの国境に近い町で、一人の男の子が生まれる。母親にとっては4人目の子だが、これまでは皆幼くして亡くなってしまっていた。健やかに育ってと母親は祈るような気持ちだが、様子を見に来た酔っ払いの税官吏の夫は、子供の小ささを指摘する。見るに見かねた医者がふたりの仲をとりもち、子供の未来をともに祝福するようにと諭す。さてその子とは―。最後の方になって、「実話」(邦題のみに付されている)の意味が分かります。

「勝者エドワード」 "Edward the Conqueror"
 ルイーザとエドワードは初老の夫婦。あるとき庭仕事をしていて、見慣れぬ猫を見つける。猫を家に入れたまま、ルイーザがピアノを弾くと、猫はリストの曲に反応する。猫の顔にはリストと同じ位置にホクロがあり、ルイーザはこの猫がリストの生まれ変わりに違いないと思い込むが、エドワードは取り合わない。ルイーザが猫のために特別料理を用意している間、エドワードは猫を伴って庭に出て行く。料理が出来たが、肝心のリスト猫はどこなのか―。開高健は「暴君エドワード」と訳していますが、「暴君」としてしまうと、猫をリストの生まれ変わりだと思い込んで、夫そっちのけで猫に特別料理を作っている妻の方が「暴君」であるともとれるので、ここはやはり「勝者」が妥当でしょう。

「豚」 "Pig"
 レキシントンは生後2ヶ月で孤児となり、大叔母に育てら、菜食主義者の彼女の手ほどきで料理を習い、腕前をめきめき上げた。その叔母が死ぬと、遺言に従いニューヨークに行って、さらに料理修行に励むつもりだった。ところが、菜食しかしていないレキシントンは、はじめて食べた豚肉の旨さにとりつかれる。豚肉の仕入先を求めて、屠殺場に赴くが、どうしたことか豚を絞め殺すためのベルトコンベアーに乗せられてしまう―。最後、やはりシュールでした。

「世界チャンピオン」 "The Champion of the World"
 ガソリンスタンドの共同経営者クロードとゴードンは、ミスター・ヘイゼル所有の森で密猟をすることする。ミスター・ヘイゼルは成金で、上流階級に入り込むための手段として、年に一度、自分の森でキジの狩猟会を催している。その前に、睡眠薬入りのレーズンを使った狩猟法でごっそりキジをせしめ、ヘイゼルの鼻を明かしてやろうというわけだ。ことは予定通り進んだはずだったが―。開高健では「ほしぶどう作戦」。「クロードの犬」のクロードとゴードンがまたも登場し、何か企みをするのも同じですが、「クロードの犬」の時は金儲けのためでしたが、今回は成金の鼻を明かすため。そして、今回も失敗でした(おそらく逃げたキジは森に帰るのだろう)。

 全体の中で個人的には「女主人」「豚」が良かったでしょうか。好みはおそらく人によって違ってくると思いますが、夫婦物は押しなべてブラックで、訳者あとがきで「O・ヘンリーの名短編集『賢者の贈り物』に出てくるような中睦まじくも麗しい夫婦とは言えない夫婦ばかりで、そのあたりがいかにもダールである」(笑)とあり、まさにその通りでした。

【1960年単行本・1974年改訂新派版[早川書房・異色作家短編集〈1〉(開高健:訳)]・2005年新装版[早川書房(開高健:訳)]/2014年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田口俊樹:訳)]】

《読書MEMO》
●早川書房・異色作家短篇集(新装版刊行年/写真は旧・改訂新版)
異色作家短編集.jpg1.ロアルド・ダール『キス・キス』開高健訳、2005年
2.フレドリック・ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』星新一訳、2005年
3.シオドア・スタージョン『一角獣・多角獣』小笠原豊樹訳、2005年

4.リチャード・マシスン『13のショック』吉田誠一訳、2005年
5.ジョルジュ・ランジュラン『蠅』稲葉明雄訳、2006年
6.シャーリイ・ジャクスン『くじ』深町眞理子訳、2006年
7.ジョン・コリア『炎のなかの絵』村上啓夫訳、2006年
8.ロバート・ブロック『血は冷たく流れる』小笠原豊樹訳、2006年
9.ロバート・シェクリイ『無限がいっぱい』宇野利泰訳、2006年
10.ダフネ・デュ・モーリア『破局』吉田誠一訳、2006年
11.スタンリイ・エリン『特別料理』田中融二訳、2006年
12.チャールズ・ボーモント『夜の旅 その他の旅』小笠原豊樹訳、2006年
13.ジャック・フィニイ『レベル3』福島正実訳、2006年

14.ジェイムズ・サーバー『虹をつかむ男』鳴海四郎訳、2006年
15.レイ・ブラッドベリ『メランコリイの妙薬』吉田誠一訳、2006年
16.レイ・ラッセル『嘲笑う男』永井淳訳、2006年
17.マルセル・エイメ『壁抜け男』中村真一郎訳、2007年

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個人的ベスト3は、①「南から来た男」、②「おとなしい凶器」、③「プールでひと泳ぎ」。

あなたに似た人Ⅰ .jpg あなたに似た人Ⅱ .jpg あなたに似た人hpm(57).jpg あなたに似た人hm(76)文庫.jpgあなたに似た人 (ハヤカワ・ミステリ文庫.jpg
あなたに似た人〔新訳版〕 I 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕』『あなたに似た人〔新訳版〕 II 〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕』『あなたに似た人 (1957年) (Hayakawa Pocket Mystery 371)』『あなたに似た人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 22-1))』(カバーイラスト・和田誠)
南から来た男 指.jpg「ヒッチコック劇場(第136話)/指」('60年)スティーブ・マックイーン/ニール・アダムス/ピーター・ローレ
「新・ヒッチコック劇場(第15話)/小指切断ゲーム」('85年)スティーヴン・バウアー/メラニー・グリフィス/ジョン・ヒューストン/ティッピ・ヘドレン

あなたに似た人Ⅰ.jpgあなたに似た人Ⅱ.jpgRoald Dahl2.jpg 『あなたに似た人(Someone Like You)』はロアルド・ダール(Roald Dahl、1916-1990/享年74)の1953年刊行の第二短編集で、1954年の「アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)」受賞作です(短編賞)。因みに第一短編集は1946年刊行の『飛行士たちの話』('81年/ハヤカワ・ミステリ文庫)、第三短編集は1960年刊行の『キス・キス』('74年/早川書房)になります(『キス・キス』所収の「女主人」で再度「エドガー賞」(短編賞)を獲っている)。また、この作家は、1964年に発表され映画化もされた『チョコレート工場の秘密』('05年/評論社)など児童小説でも知られています。

 『あなたに似た人』は、田村隆一訳で1957年にハヤカワ・ポケットミステリで刊行され、その後1976年にハヤカワ・ミステリ文庫で刊行されましたが、その際には、「味」「おとなしい兇器」「南から来た男」「兵隊」「わがいとしき妻よ、わが鳩よ」「海の中へ」「韋駄天のフォックスリイ」「皮膚」「毒」「お願い」「首」「音響捕獲機」「告別」「偉大なる自動文章製造機」「クロウドの犬」の15編を所収していました。そして、この田口俊樹氏による〔新訳版〕は、「Ⅰ」に「味」「おとなしい凶器」「南から来た男」「兵士」「わが愛しき妻、可愛い人よ」「プールでひと泳ぎ」「ギャロッピング・フォックスリー」「皮膚」「毒」「願い」「首」の11篇、「Ⅱ」に「サウンドマシン」「満たされた人生に最後の別れを」「偉大なる自動文章製造機」「クロードの犬」の4編と、更に〈特別収録〉として「ああ生命の妙なる神秘よ」「廃墟にて」の2篇を収めています。

「Ⅰ」所収分
「味」 "Taste"
 私はある晩餐会に妻を連れて参加していた。客の1人は有名な美食家リチャード・プラットで、招いた側のマイク・スコウフィールドは、銘柄を見せずにワインを出し、いつどこで作られたワインか当てられるか、プラットに尋ねる。君にも絶対わからないと自信満々のマイクに対し、プラットは絶対に当てると余裕の表情。そこで、2人は賭けをすることにし、賭けの対象となったのはマイクの娘。プラットが勝てば娘を嫁にもらい、逆にマイクが勝てば、プラットから家と別荘をもらうという約束が取り交わされる。プラットは、ワインの入ったグラスをゆっくりと持ち上げて―。面白かったですが、わりかしオーソドックスにあるパターンではないかなあ。

「おとなしい凶器」"Lamb to the Slaughter"
松本清張11.jpg 夫を殺した妻は、凶器の仔羊の冷凍腿肉を解凍して調理し、それを刑事たちにふるまい、刑事たちは何も知らずに殺人の凶器となった証拠を食べてしまう―。松本清張の短編手『黒い画集』('60年/カッパ・ノベルズ)の中に「凶器」という作品があって、殺人の容疑者は同じく女性で、結局、警察は犯人を挙げることは出来ず、女性からぜんざいをふるまわれて帰ってしまうのですが、実は凶器はカチンカチンの「なまこ餅」で、それを刑事たちが女性からぜんざいをふるまわれて食べてしまったという話があり、松本清張自身が「ダールの短篇などに感心し、あの味を日本的なものに移せないかと考えた」(渡辺剣次編『13の凶器―推理ベスト・コレクション』('76年/講談社))と創作の動機を明かしています。

「南から来た男」 "Man from the South"
ダール 南から来た男 ド.jpgダール 南から来た男.jpg プールそばのデッキチェアでのんびりしている私は、パナマ帽をかぶった小柄な老人が、やって来たのに気づく。アメリカ人の青年が、老人の葉巻に火をつけてやる。いつでも必ずライターに火がつくと知って、老人は賭けを申し出、あなたが、そのライターで続けて十回、一度もミスしないで火がつけzippo.gifられるかどうか、自分はできない方に賭けると。十回連続でライターに火がついたら、青年はキャデラックがもらえ、その代り、一度でも失敗したら、小指を切り落とすと言う。青年は迷うが―。この作品は、金原瑞人氏の訳で『南から来た男 ホラー短編集2』('12年/岩波少年文庫)にも所収されています。
 
ヒッチコック劇場「指」(1960)スティーブ・マックイーン/ピーター・ローレ/ニール・アダムス 
南から来た男.JPGダール 南から来た男es.jpg この作品は「ヒッチコック劇場」で1960年にスティーブ・マックイーンニール・アダムス(当時のマックイーンの妻)によって演じられ、監督はノーマン・ロイド(ヒッチコックの「逃走迷路」('42年)で自由の女神から落っこちる犯人を演じた俳優で、「ヒッチコック劇場」では19エピソード、「ヒッチコック・サスペンス」で3エピソードを監督している)、"南から来た男"を演じたのはジョン・ヒューストン監督の「マルタの鷹」('41年)でカイロという奇妙な男を演じたピーター・ローレでした(日本放送時のタイトルは「指」)。更に1985年に「新・ヒッチコック劇場」でスティーヴン・バウアーメラニー・グリフィス主演でリメイクされ(メラニー・グリフィスの母親ティッピ・ヘドレンも特別出演している)、"南から来た男"を演じたのは「マルタの鷹」の監督ジョン・ヒューストン、最後に出てくる"女"を演じたのは「めまい」('58年)のム・ノヴァクでした(日本放送時のタイトルは「小指切断ゲーム」)。共に舞台はカジノに改変されていますが、出来としてはマックイーン版がかなり良いと思いました。スティーブ・マックイーンはテレビシリーズ「拳銃無宿」('58-'61年)で人気が出始めた頃で、この年「荒野の七人」('60年)でブレイクしますが、この作品はアクションは無く、マックイーンは怪優ピーター・ローレを相手に純粋に演技で勝負しています。但し、マックイーンが演じるとどこかアクション映画っぽい緊迫感が出るのが興味深く、緊迫感においてスティーヴン・バウアー版を上回っているように思います(IMDbのスコアもマックイーン版は8.7とかなりのハイスコア)。この外に、BBCで1979年から放映されたドラマシリーズ「ロアルド・ダール劇場・予期せぬ出来事」の中でもホセ・フェラー主演でドラマ化されています。映新・ヒッチコック劇場 小指切断ゲーム.jpg南部から来た男 11.jpg南部から来た男 ジョン・ヒューストン.jpg画化作品では、オムニバス映画「フォー・ルームス」('95年/米の第4話「ペントハウス ハリウッドから来た男」(クエンティン・タランティーノ監督、ティム・ロス主演、ブルース・ウィリス共演)があります(内容は翻案されている)。
新・ヒッチコック劇場「小指切断ゲーム」(1985)メラニー・グリフィス/キム・ノヴァク/スティーヴン・バウアー/ジョン・ヒューストン

吉行 淳之介.jpg 吉行淳之介はこの短編の初訳者田村隆一との対談で、あのラストで不気味なのは「老人」ではなく「妻」の方であり、夫の狂気に付き合う妻の狂気がより強く出ていると指摘しています。そう考えると、結構"深い"作品と言えるかと思います。

「兵士」 "The Soldier"
 戦争で精神を病んでしまい、何もかもが無感覚になってしまった男。足を怪我しても気がつかず、物に触っても触っている感触が無い。女と暮らしているが、その女が誰なのかも分からなくなってしまう―。ホラー・ミステリですが、ミステリとしての部分は、女が妻であることはかなり明確であり、ホラーの方の色合いが濃いかもしれません。

「わが愛しき妻、可愛い人よ」 "My Lady Love, My Dove"
 私と妻はブリッジをやるためにスネープ夫妻が来るのを待っている。私も妻も夫妻のことはあまり好きではないが、ブリッジのために我慢する。妻はふと、いったい、スネープ夫妻が2人きりの時はどんな様子をしているのか、マイクを取り付けて聞いてみようと言う。そいて、それを実行に移し、聞こえてきた2人の会話は、ブリッジにおけるインチキの打ち合わせだった。それを聞いた妻は―。夫婦そろって悪事に身を染める場合、妻主導で、夫は妻の尻に敷かれていたという状況もあり得るのだなあ。

「プールでひと泳ぎ」 "Dip in the Pool"
 船旅中のミスター・ウィリアム・ボディボルは、ある時間帯までに船がどのくらいの距離を進むか賭ける懸賞(オークション・プール)に参加する。嵐が来ているので、ミスター・ボディボルは有り金全部を短い距離につぎ込むが、朝起きると嵐は収まり、船は快走していて、彼は大いに嘆く。しかし、ある作戦を思いつき、それは、船から人が落ちれば船は救助のため遅れるはずだというもので、自分が落ちた現場を目撃するのに最適な人を探し始める―。ブラックでコミカルと言うか、悲喜劇といった感じ。他人を突き落とすことを考えないで、自分で飛びこんだ分、悪い人ではないのでしょうが。

「ギャロッピング・フォックスリー」 "Galloping Foxley"
 ある日私は、電車に乗ろうとした時、ホームに知った顔を見つける。"ギャロッピング・フォックスリー"と呼ばれ少年の頃に私を苛めていた相手ブルース・でフォックスリーだった。私は彼が自分にした仕打ちを一つ一つ思い出していき、彼にどんな復讐をしてやろうかと考える―。子どもの頃に苛められた記憶って大人になっても消えないのだろうなあ。苛められたことが無い人でも、主人公の気持ちは分かるのでは。それにしても、名乗り合ったら、相手の方がより名門校(イートン校)の出身で、しかも9つも年下だったというのが可笑しいです。

「皮膚」 "Skin"
 ドリオリという老人は、ある画廊でシャイム・スーチンの絵が飾られているのを見つける。それは自分がかつて可愛がっていた、少年の描いた絵だった。画廊にいる人々から追い払われそうになったドリオリは、自分はこの絵描きのかいたものを持っていると叫ぶ―。タイトルから何となくどういうことか分かりましたが、さすがにラストはブラックで、ちょっと気持ち悪かったです。

「毒」"Poison"
 私がバンガローに戻って来ると、ベッドで寝ていたハリーの様子が変で、「音をたてないでくれ」と言い、汗びっしょり。本を読んでいたら毒蛇がやってきて、今も腹の上に乗っていると言うので、私は医者のガンデルバイを呼び、どう刺激しないように毒蛇を動かすか、万が一噛まれた時の処置はどうするか等々、様々な作戦を立てるが―。ネタバレになりますが、勘違いだったわけね。ハリーのインド人医師に対する人種差別意識と重なり、風刺っぽい皮肉が効いています。

「願い」 "The Wish"
 絨毯の上にいる少年は想像を膨らませる。絨毯の赤い所は石炭が燃えている固まりで、黒い所は毒蛇の固まり、黄色の所だけは歩いても大丈夫な所。焼かれもしないで、毒蛇に噛まれもしないで向こうへ渡れたら、明日の誕生日にはきっと仔犬がもらえるはず。少年はおそるおそる黄色の所だけを歩き始めて―。子供の他愛の無い空想遊びの話ですが、最後の一行で、本当に空想に過ぎなかったのか不安が残ります。

「首」 "Neck"
故ウィリアム・タートン卿所蔵の芸術品に興味のある私は、バシル・タートン卿の招待を受けて屋敷へ行く。執事の口ぶりから察するに、レディ・タートンとジャック・ハドック少佐はただならぬ関係らしい。庭園には様々な芸術品があるが、中でもヘンリイ・ムーアの木製の彫刻が素晴らしい。彫刻には穴がいくつかあり、レディ・タートンがふざけて穴に頭を突っ込んで抜けなくなってしまう。バジル卿は、鋸と斧を持ってくるよう執事に命じるが、彼が手にしたのは斧だった―。芸術至上主義の本分からして、実際、斧で妻の首を切落としかねない感じでしたが...。浮気妻への"心理的"復讐と言ったところだったでしょうか。

「Ⅱ」所収分 
「サウンドマシン」 "The Sound Machine"
 クロースナーは人間の耳では聞くことの出来ない音をとらえる機械を作った。早速、イヤホンをしてダイヤルを回すと、ミセス・ソーンダースの庭から、茎が切られる時のばらの叫び声が聞こえてきて―。昔、サボテンが、傍でオキアミを茹でたりすると電磁波を発信するという話がありましたが、最近は園芸店やホームセンターで、「電磁波を吸収する効果があるサボテン」というのが売られています。

「満たされた人生に最後の別れを」 "Nunc Dimittis"
 私はある婦人からジョン・ロイデンという画家の話を聞く。ロイデンは素晴らしい肖像画を描くのだが、まず裸の絵を描いて、その上に下着を描いて、さらにその上に服を重ねて描くという手法を使っているらしい。その婦人から、恋人のジャネット・デ・ペラージアが自分のことを影では嘲笑っていると聞き、ある復讐を思いつく。ロイデンにジャネットの肖像画を描かせた私は、脱脂綿に液体をつけて、少しずつドレスの絵の具をこすっていく―。旧訳のタイトルは「告別」で、原題の意はシメオンの賛歌から「今こそ主よ、僕を去らせたまわん」。陰険な独身男の主人公はキャビア大好き男でもあり、復讐相手から和解の印にキャビアを贈られて...。

「偉大なる自動文章製造機」 "The Great Automatic Grammatizator"
大型自動計算器を開発しているアドルフ・ナイプは、自分の好きな物語を作ることのできる機械を発明する。ちょっとしたアイディアだけで、素敵な文章の面白い小説を作ることができるのだ。ナイプはミスター・ボーレンと組んで小説を次々と作り、既存作家の代作まで始めることに。リストアップされた作家の7割が契約書にサインし、今も多くの作家たちがナイプと手を組もうとしている―。2016年に、AI(人工知能)が書いた小説が文学賞で選考通過というニュースがあり(「星新一文学書」だったと思う)、まったくのSFと言うより、今や近未来小説に近い感じになっているかも。

「クロードの犬」 "Claud's Dog " 
 「ねずみ捕りの男」 "The Ratcatcher"
 私とクロードのいる給油所に保健所の依頼を受けたねずみ捕りの男がやって来る。彼は、ボンネットの上に年老いたドブネズミをくくりつけ、私たちに手を使わずにねずみを殺せるということについて賭けを持ちかける―。このねずみ捕りの男、何者じゃーって感じです。
 「ラミンズ」 "Rummins"
ラミンズと息子のバードが草山を束に切っていると、ナイフの刃がなにか硬いものをこするようなガリガリいう音を立てる。ラミンズは「さあ、続けろ!そのまま切るのだ、バート!」と言う。それを見ていた私は、みんなで乾草の束を作っていた時のことを思い出す。これって、純粋に事故なのでしょうか。
 「ミスター・ホディ」 "Mr. Hoddy"
 クラリスと結婚することを決めたクロードは、クラリスの父親のミスター・ホディに会いに行きく。どうやって生計を立てて行くか聞かれたクーウドは、自信満々に、蛆虫製造工場を始める計画を語る―。こりゃ、破談になるわ。
 「ミスター・フィージィ」 "Mr. Feasey"
私とクロードは、ドッグレースで儲ける作戦を思いつく。クロードは走るのが速いジャッキーという犬を飼っているが、そのジャッキーとそっくりの走るのが全然早くない犬をも飼っていた。そこで、 参加するドッグレースに初めはその偽ジャッキーを出しておいて、レベルの低い犬として認定されるようにし、本番の大勝負では、本物のジャッキーを参加させれば大穴になり、大儲けができるという作戦だった。この作戦はうまく行ったかに見えたが―。やっぱりズルはいけないね、という感じしょうか。

 (追加収録)
「ああ生命の妙なる神秘よ」北を向いてすれは雌が生まれる? 人間にも応用できるのかあ(笑)。

「廃墟にて」食料も無くなった未来の廃墟で、自分の脚を切って食べる男。それを見つめていた少女にも分けてやるが―。何となく、どこかで読んだことがあるような気がします。

 因みに、最後の2篇は、邦訳短編集としては初収録ですが、「ああ生命の妙なる神秘よ」は「ミステリマガジン」1991年4月号、「廃墟にて」は同誌1967年3月号に掲載されたことがあるとのことです。

 個人的ベスト3は、①「南から来た男」、②「おとなしい凶器」、③「プールでひと泳ぎ」でしょうか。とりわけ「南から来た男」は、吉行淳之介の読み解きを知った影響もありますが◎(二重丸)です。「ギャロッピング・フォックスリー」「首」もまずまずでした。

「人喰いアメーバの恐怖」 [VHS]/「マックイーンの絶対の危機 デジタル・リマスター版 [DVD]
マックィーンの絶対の危機_9.jpg人喰いアメーバの恐怖 .jpgマックィーンの絶対の危機(ピンチ)dvd.jpg 因みに、スティーブ・マックイーンの初主演映画は、「ヒッチコック劇場」の「指」に出演した2年前のアービン・S・イヤワース・ジュニア監督の「マックイーンの絶対の危機(ピンチ)」('58年)で、日本公開は'65年1月。日本での'72年のテレビ初放送時のタイトルは「SF人喰いアメーバの恐怖」で、'86年のビデオ発売時のタイトルも「スティーブ・マックィーンの人喰いアメーバの恐怖」だったので、「人喰いアメーバの恐怖」のタイトルの方が馴染みがある人が多いのではないでしょうか。宇宙生物マックィーンの絶対の危機_1.jpgが隕石と共にやって来たという定番SF怪物映画で、怪物は田舎町を襲い、人間を捕食して巨大化していきますが、これ、"アメーバ"と言うより"液体生物"でしょう(原題の"The Blob"はイメージ的には"スライム"に近い?)。この液体生物に立ち向かうのがマックイーン演じる(当時、クレジットはスティーブン・マックイーンで、役名の方がスティーブになっている)ティーンエマックィーンの絶対の危機_2.jpgイジャーたちで、スティーブン・マックイーンは実年齢27歳で高校生を演じています(まあ、日本でもこうしたことは時々あるが)。CGが無い時代なので手作り感はありますが、そんなに凝った特撮ではなく、B級映画であるには違いないでしょう。ただそのキッチュな味わいが一部にカルト的人気を呼んでいるようです。スティーブ・マックイーン主演ということで後に注目されるようになったことも影響しているかと思いますが、「人喰いアメーバの恐怖2」(ビデオ邦題「悪魔のエイリアン」)('72年)という続編や「ブロブ/宇宙からの不明物体」('88年)というリメイク作品が作られています。


ヒッチコック劇場 マックイーン版 南から来た男.jpgヒッチコック劇場 マックイーン版 南から来た男 2.jpg

ヒッチコック劇場「南部から来た男」(1960) "Man From The South"(日本放送時のタイトル「指」)
 
ピーター・ローレ

「ヒッチコック劇場(第136話)/指」●原題:MAN FROM THE SOUTH●制作年:1959年●制作国:アメリカ●本国放映:1960/01/03●監督:マっクィーン 指.jpgヒッチコック劇場 第四集.jpgノーマン・ロイド●製作:ジョーン・ハリソン●脚本:ウィリアム・フェイ●音楽:ジョセフ・ロメロ●原作:ロアルド・ダール「南から来た男」●時間:26分●出演:スティーブ・マックイーンニール・アダムス/ピーター・ローレ/キャサリン・スクワイア/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:「ヒチコック劇場」(1957-1963)●放映局:日本テレビ(評価★★★★)

ヒッチコック劇場 第四集2 【ベスト・ライブラリー 1500円:第4弾】 [DVD]」(「脱税夫人(The avon emeralds)」「悪徳の町(The crooked road)」「指(Man from the south)」「ひき逃げを見た(I saw the whole thing)」)

Alfred Hitchcock Presents.jpgヒッチコック劇場00.jpgヒッチコック劇場01.jpgヒッチコック劇場_0.jpg「ヒッチコック劇場」Alfred Hitchcock Presents (CBS 1955.10.2~62.7.3)○日本での放映チャネル:日本テレビ(1957~63)
Alfred Hitchcock Presents             
 
新・ヒッチコック劇場「南部から来た男」(1985)"Man From The South"(日本放送時のタイトル「小指切断ゲーム」)
小指切断ゲーム1.jpg

          
スティーヴン・バウアー/ティッピ・ヘドレン(特別出演)/メラニー・グリフィス/ジョン・ヒューストン
小指切断ゲーム2.jpg小指切断ゲーム3.jpg小指切断ゲーム4.jpg「新・ヒッチコック劇場(第15話)/小指切断ゲーム」●原題:MAN FROM THE SOUTH●制作年:1985年●制作国:アメリカ●本国放映:1985/05/05●監督:スティーブ・デ・ジャネット●製作:レビュー・スタジオ●脚本:スティーブ・デ・ジャネット/ウィリアム・フェイ●音楽:ベイジル・ポールドゥリス●原作:ロアルド・ダール「南から来た男」●時間:24分●出演:スティーヴン・バウアー(青年)/新・ヒッチコック劇場 5.jpgメラニー・グリフィス(若い女)/ジョン・ヒューストン(カルロス老人)/キム・ノヴァク(女)/ティッピ・ヘドレン(小指切断ゲーム6.jpg小指切断ゲーム5.jpgウェートレス)/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:1988/01/07●放映局:テレビ東京●日本放映(リバイバル):2007/07/08●放映局:NHK-BS2(評価★★★☆)
メラニー・グリフィス/キム・ノヴァク(特別ゲストスター)
新・ヒッチコック劇場 5 日本語吹替版 3話収録 AHP-6005 [DVD](「誕生日の劇物」「ビン詰めの魔物」「小指切断ゲーム」)

Alfred Hitchcock Presents_.jpgヒッチコック劇場86.jpg新・ヒッチコック劇場 4.jpg「新・ヒッチコック劇場(「ヒッチコック劇場'85・86・87」「新作ヒッチコック劇場」)」Alfred Hitchcock Presents (NBC 1985.4.5~89.6.22)○日本での放映チャネル:テレビ東京(1985~87)

The Blob
The Blob (1958).jpgマックィーンの絶対の危機_.jpg「マックイーンの絶対の危機(ピンチ)(人喰いアメーバの恐怖)」●原題:THE BLOB●制作年:1958年●制作国:アメリカ●監督:アービン・S・イヤワース・ジュニア●製作:ジャック・H・ハリス●脚本:ケイト・フィリップス/セオドア・シモンソン●撮影:トーマス・スパルディング●音楽:ラルフ・カーマイケル●原案:アービン・H・ミルゲート●時間:86分●出演:スティーブ・マックイーン/アニタ・コルシオ/アール・ロウ/ジョージ・カラス/ジョン・ベンソンTHE BLOB 1958es.jpgTHE BLOB 1958  .jpg/スティーヴン・チェイス/ロバート・フィールズ/アンソニー・フランク/ジェームズ・ボネット/オーリン・ハウリン●日本公開:1965/01●配給:アライド・アーティスツ(評価★★★)

 【1957年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(田村隆一:訳)]/1976年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/2013年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田口俊樹:訳)(Ⅰ・Ⅱ)]】

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クリスティ的要素がてんこ盛り。ヒントは傍点にあったのか。

白昼の悪魔 ポケット・ミステリ.jpg 白昼の悪魔 (ハヤカワ・ミステリ文庫).jpg白昼の悪魔 (ハヤカワ・ミステリ文庫2.jpg 白昼の悪魔  cb.jpg  地中海殺人事件 1982 poster.jpg
白昼の悪魔 (1955年) (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 208)』『白昼の悪魔 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 1‐82))』『白昼の悪魔 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』 映画「地中海殺人事件」ポスター/タイアップ・カバー
『白昼の悪魔』 (1976年) (Hayakawa novels)
白昼の悪魔  s.jpg白昼の悪魔HK2.jpg レザーコム湾のスマグラーズ島は、ジョリー・ロジャー・ホテル専用の小島で、ホテルは毎夏リゾート客で賑わうが、今年も多くの客が来ており、その中にポアロもいた。他の主な客は、米国人のガードナー夫妻、牧師スチーブン・レーン、ケネス・マーシャル大佐とその後妻で元女優アリーナ、大佐の連れ子リンダ、著名ドレスメーカーのロザモンド・ダーンリー、美男のパトリック・レッドファンと妻クリスチン、健康的だが控えめなエミリー・ブルースターなどだった。パトリックは滞在中にアリーナと親しくなり、二人の仲はホテル内の噂だが、パトリックを誘惑したアリーナに対する皆の評判は悪く、パトリックの妻クリスチンに同情が集まる。ある晴れた日、いつもは朝が遅いアリーナが早朝からホテル専用の海水浴場に現れ、散歩していたポアロに口止めしたうえで、フロートに乗って海に出ていく。その姿が島陰に隠れ見えなくなってから、パトリックとケネスが現れアリーナを捜す。アリーナの姿が見えずに落ち着かない様のパトリックは、ブルースターを誘いボートで海に出る。一方で、クリスチンは、リンダを誘って絵を描きに島内のガル湾に向かう。そして日光浴をするリンダと絵を描いていたが、テニスEvil Under the Sun ta.jpgの約束があったので、昼前に一人ホテルに戻って行く。ボートのパトリックとブルースターは、ビクシー湾の入江で、砂浜に寝そべるアリーナと思われる女性を見つける。パトリックは大声で呼びかけたが返事がないため不審に思い、ボートを降りて彼女のそばに向かうが、その脈を取って震えて囁く―「死んでいる」「首をしめられている...殺されたんだ」。パトリックはブルースターにホテルに戻って知らせるよう頼み、ブルースターはボートで海水浴場に戻る。ポアロと共に連絡を受けた地元の警察がやって来て、アリーナ・マーシャルを絞殺した犯人の捜査が始まる。アリーナに対して最も強い動機を持つ夫のケネスに容疑がかかるが、ケネスは部屋でその朝届いた手紙の返事をタイプしていたというアリバイがあった。浮気相手のパトリックもブルースターと一緒に行動していたし、その妻のクリスチンも動機がありそうだが、リンダと一緒にいたというアリバイがある。アリーナを殺したのは誰か、そして動機とそのチャンスは?

Evil Under the Sun - Tom Adams paperback covers

Evil Under the Sun First Edition 1941/1982
Evil Under the Sun 1.jpgEvil Under the Sun 1982jpg.jpg 1941年にアガサ・クリスティが発表した長編推理小説で(原題:Evil Under the Sun)、ガイ・ハミルトン監督、ピーター・ユスティノフ主演の「地中海殺人事件」('82年/英)の原作ですが、意外と原作と映画が結びつかなかったりするのは、映画がその舞台を原作の英国南西部にあるレザーコム湾のスマグラーズ島から、バルカン半島とイタリア半島に囲まれたアドリア海の孤島に変更しているせいもあるかもしれません。

 映画に比べると原作はやや知名度が落ちるかも知れませんが、中身はクリスティらしい要素がいっぱいで、小島というクローズドサークル、何か事件が起きそうな人物配置と人間関係、そして複数のトリックを組み合わせた巧みなプロットと、最後の最後まで楽しめます。あまりにクリスティ的要素がてんこ盛りで逆に目立たないのかなとも思いましたが、1982年に行われた日本クリスティ・ファンクラブ員の投票による作者ベストテンでは第10位に入っているとのことです(江戸川乱歩は本書を作者ベスト8の1つに挙げている).

Evil Under the Su-M.jpg 読み終えてみて、これは所謂"叙述トリック"ではなかったかと思いましたが、肝腎な箇所を読み返してみると、傍点が振ってありました。その時はなぜ傍点が振られているのか全然考えなかったけれども、後になってみてなるほど、そういうことだったのかと...。

 本格推理の要素が強い分、リアリティの面でどうかというのもありますが、その辺であまり目くじらを立てると、作品そのものが楽しめないかもしれません(本格推理小説でもっとリアリティに乏しい作品は世にいくらでもある)。むしろ、意外な人間関係は『ナイルに死す』などにも通じるものがあったかもしれませんが、犯人の殺人を犯す動機がやや弱い点が少し気になりました(クリスティー文庫の翻訳が捕物帳風なのも気になった)。でも、トータル的には、先行して映画化された『ナイルに死す』(映画タイトルは「ナイル殺人事件」)と並ぶかそれ以上の出来の作品だと思います。
1999 by Collins Crime                  Evil Under the Sun (BBC Radio Collection)
Evil Under the Sun (BBC Radio Collection) .jpg                 

名探偵ポワロ48/白昼の悪魔 dvd.jpgEvil Under the Sun_1.jpg
「名探偵ポワロ(第48話)/白昼の悪魔」 (01年/英) (2002/01 NHK) ★★★★

地中海殺人事件  1982 .jpg地中海殺人事件s.jpg地中海殺人事件b6.jpg「地中海殺人事件」 (82年/英) (1982/12 東宝東和) ★★★☆

【1955年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(堀田善衛:訳)/1976年単行本[Hayakawa novels(鳴海四郎:訳)]/1978年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(鳴海四郎:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(鳴海四郎:訳)]】

《読書MEMO》
●日本クリスティ・ファンクラブ員の投票によるクリスティ・ベストテン(1982)
1.『そして誰もいなくなった』
2.『アクロイド殺し』
3.『オリエント急行の殺人』
4.『予告殺人』
5.『ナイルに死す』
6.『カーテン』
7.『ゼロ時間へ』
8.『ABC殺人事件』
9・『葬儀を終えて』
10.『白昼の悪魔』

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読み易かったが、結局、最後の最後まで犯人が分からなかった。

もの言えぬ証人 hpm.jpg もの言えぬ証人 hm.jpg もの言えぬ証人 (クリスティー文庫)_.jpg  Dumb Witness .jpg Poirot Loses a Client (Dumb Witness)  .jpg
もの言えぬ証人 (1957年) (世界探偵小説全集)』/『もの言えぬ証人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 1-20))』/『もの言えぬ証人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』/PAN Books 1949/US, hardcover 1937
Dumb Witness―Collins Crime Club 1937(UK first edition)
christiedumb.jpg 小緑荘の女主人エミリイ・アランデルが5月1日に亡くなる。彼女には、甥のチャールズ、姪のテリーザ、ベラ・タニオスの3人の親族がいた。エミリイの巨額の遺産は彼らにいくはずだったが、エミリイは死の10日前に遺言を書き改め、遺産は全て家政婦のロウスンに遺される。遊び人のチャールズ、浪費家のテリーザ、ギリシャ人医師の夫ジュイコブが投機に失敗したベラと3人とも金を必要としており、エミリイの遺産をあてにしていた矢先だった。エミリイが遺言を書き改めたのは、4月14日深夜に起きた彼女の階段からの転落事件が原因で、その夜は3人の親族とベラの夫ジェイコブが小緑荘に泊まっていた。事故はエミリイが可愛がっていた飼い犬の白いテリア犬ボブが、お気に入りのボールを階段の上に置きっ放しにし、そのボールをエミリイが踏んだことにより起きたと思われたが、その夜ボブは外で夜遊びをして締め出されていたことを後に知った彼女は、親族の誰かが事故を装い自分を殺そうしたのだと考え、弁護士を呼び遺言を書き換えたのだ。更に彼女はポアロに調査依頼の手紙を書くが、その手紙は投函されずに忘れられ、彼女が肝臓病の悪化で5月1日に亡くなった後、家政婦による遺品整理の際に見つかり、投函されてポアロの元に届いたのは6月28日だった。ポアロがヘイスティングスと小緑荘を訪ねると邸は売りに出ていて、そこで初めてポアロはエミリイの死を知るが、死亡前後の様子を聞くうちに不自然さを感じ、依頼者死亡のまま探偵活動を開始する。エミリイの階段転落事故を調べると、階段の上の壁に釘が打たれており、階段の手摺柱と釘の間に紐を渡し、深夜に起きる癖のあった彼女が躓くように細工をしたようだ。殺人未遂の犯人は、当時の遺言では遺産をもらえることになっていた親族3人のうDumb Witness2.jpgちの誰かと考えられた。誰がエミリイを殺そうとしたのか? 更に病死というのは本当だろうか? ポアロはチャールズ、テリーザ、ベラ、テリーザの恋人のレックス・ドナルドソン医師、ベラの夫のジュイコブ医師、ロウスンが親しくしている霊媒師トリップ姉妹、エミリイの弁護士のパーヴィスやエミリイの主治医グレインジャーなど関係者に会って捜査を進める―。

 1937年に刊行されたアガサ・クリスティのエルキュール・ポアロ・シリーズの第14作で(原題:Dumb Witness、米 Poirot Loses a Client)、本作をもってヘイスティングスは一旦長編推理小説から姿を消し、1975年刊行のポワロ最終作『カーテン』で再登場するまで出てこないことになります。
Dumb Witness (Poirot)

Poirot Loses a Client (Dumb Witness) .jpg 文庫で500ページ超とやや長めですが、主要な容疑者は甥のチャールズと姪のテリーザ、ベラの親族3人で、あとは遺産を相続した家政婦ロウスンと、相続できなかった2人の姪、テリーザの恋人である医師とベラの夫である医師の3人の全部で6人とクリスティにしては特別多いわけでもないので、読んでいて分かり易かったです(一応、容疑者は使用人も入れて8人となっているが、使用人2人はすぐに容疑者から外されている)。

 読んでいて分かり易かった上に、本作半ばで、ポアロが過去に解決した事件(『雲をつかむ死』、『スタイルズ荘の怪事件』、『アクロイド殺し』、『青列車の秘密』)の犯人の名前と特徴を列挙する場面があり(このことについては賛否あるかと思う)、そのことがヘイスティングスに対してと言うより読者に向けたヒントになっているようでもありましたが、個人的には結局最後まで犯人は分からなかったです。

Poirot Loses a Client (Dumb Witness)

 「読み易くて、でも最後の最後まで犯人が分からない」というのは傑作であるということなのかも。エミリイ・アランデルが口から「エクトプラズム」(この言葉を生みだしたシャルル・ロベール・リシェは1913年にノーベル生理学・医学賞を受賞している)を吐いたという話が出てきた時はどう収めるのかと思いましたが、クリスティの薬化学の知識が生かされていました。犯人にはそれなりに罪の意識がにあったのでしょうか。それとも、自らの犯行がポワロによって明かされてすべて諦めたのでしょうか。

名探偵ポワロ45もの言えぬ証人 Dumb Witness(1997)01.jpg名探偵ポワロ(第45話)/もの言えぬ証人05.jpg「名探偵ポワロ(第45話)/もの言えぬ証人」 (97年/英) (1997/12 NHK) ★★★★

【1957年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(加島祥造:訳)]/1977年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(加島祥造:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(加島祥造:訳)]】

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分かりにくくてイマイチだった原作を、分かりやすく面白くした?

名探偵ポワロ 43ヒッコリー・ロードの殺人 dvd.jpg 名探偵ポワロ ヒッコリー・ロードの殺人2.jpg ヒッコリー・ロードの殺人 1956.jpg ヒッコリー・ロードの殺人1978.jpg ヒッコリー・ロードの殺人2004.jpg
名探偵ポワロ[完全版]Vol.25 [DVD]」「名探偵ポワロDVDコレクション 22号 (ヒッコリー・ロードの殺人) [分冊百科] (DVD付)」『ヒッコリー・ロードの殺人 (1956年) (ハヤカワ・ミステリ)』『ヒッコリー・ロードの殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM1-37))』『ヒッコリー・ロードの殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

名探偵ポワロ ヒッコリー・ロードの殺人 00.jpg名探偵ポワロ ヒッコリー・ロードの殺人title.jpg ポワロの秘書ミス・レモンの姉ハバード夫人が管理人を務めるヒッコリー・ロードにある学生寮で奇妙なものが盗まれる事件が頻発し、ミス・レモンはポワロに相談する。学生寮のオーナーのニコレティスは気難しい女性で、学生たちへの犯罪学の講演名目で寮ににやった来たポワロを歓迎していない様子。寮名探偵ポワロ ヒッコリー・ロードの殺人01.jpgにいる学生は、医学生のレオナルド、アメリカからフルブライト留学生で英文学専攻のサリー、考古学・中世史専攻のナイジェル、政治学専攻のパトリシア、心理学専攻のコリン、化学専攻のシーリア、服飾デザイン専攻のヴァレリーら7人。盗まれた品物の内訳は、聴診器、指名探偵ポワロ ヒッコリー・ロードの殺人3.jpg輪、ライター、ホウ酸、夜会靴の片方、リュックサック、電球などで、被害は大したものではないが、それを見たポワロは盗みの陰に潜む危険を察知する。程なくして盗名探偵ポワロ ヒッコリー・ロードの殺人 02.jpgみの犯人が盗癖持ちだったという女子学生シーリアと判明するが、彼女は一部の品については盗んでいないと言う。ポワロが事件の予感を覚えた直後にシーリアが毒殺される事件が起き、医学生のレオナルドへの容疑が強まるが、次いで学生寮のオーナー女性ニコレティスが何者かに刺殺される―。

AGAHTA CHRISTIE HICKORY DICKORY DOCK1.jpgAGAHTA CHRISTIE HICKORY DICKORY DOCK2.jpg 「名探偵ポワロ」の第43話(第6シーズン第2話)でロング・バージョン。本国放映は1995年2月12日、本邦初放映は1996年12月30日(NHK)で、第42話「ポワロのクリスマス」より1年早く放映されています。原作はクリスティが1955年に発表したポアロシリーズ第26作。映像化作品としては、戦後発表されたものの中では(戦前に発表した短編を戦後に中篇に拡張した「盗まれたロイヤル・ルビー」「スペイン櫃の秘密」を除いて)シリーズ初登場とのことですが、時代設定は他のシリーズ作品同様1930年代半ばにしています。

AGAHTA CHRISTIE HICKORY DICKORY DOCK k.jpg 原作は、学生寮にいて様々な出身国の学生が集い自由に議論したりする様は印象深かったですが、登場人物が多すぎて(文庫巻頭の登場人物一覧表に記載されている寮生だけでも11人、全部で16人か)、しかもその中で殺害された者を除いて全員容疑者とあって、もう最後は犯人が誰だっていいや的な気分になりそうでしたが、推理通に言わせれば、ロジックで辿っていくと犯人は判るようになっているとのことです(個人的には全然判らなかった)。
Hickory Dickory Dock (Poirot) (Hercule Poirot Series)

ヒッコリー・ロードの殺人 2.jpg この映像化作品では、さすがに100分の話の中に寮生十数人を全部詰め込むのは無理と考えたのか7人に絞っていて、原作では、ジャマイカからの黒人の留学生エリザベス、西アフリカ人の黒人の留学生アキンボ、その他インド人の学生など有色人種の学生も結構いましたが、全部白人になっています。これは別に人種差別ということでもなく(フランス人の留学生なども省かれている)、時代設定を戦前にしたことに関係しているのではないかと思います。

ヒッコリー・ロードの殺人  .jpg まあ、その前に、登場人物を減らしてスッキリさせるという狙いがあったかと思いますが、それが成功しているように思います。品物が盗まれる事件に複数の人物の動機が絡んでいて、それだけでも複雑であるため、これで容疑者が10人も15人もいたら何が何だか分からなくなるところでしたが(原作を読んだ時はその印象に近かった)、この映像化作品を観て腑に落ちたという感じでしょうか。

 しかも、ジャップ警部が夫人が旅行で不在のため、自宅で一人で家事をして失敗したりした末に(ジャップ警部の自宅が出て来るのは第33話「愛国殺人」以来だが、あの時から引っ越しした?)、ポワロの所へ招かれて泊り込み(客用の寝室があったのだ)、トイレのビデが何のためのものか分からずにミス・レモンに訊ねて彼女を困らせた挙句、夜中にそれで顔を洗ったり、ポワロの作った豚足料理(ベルギーの豚足料理は有名らしい)に辟易し、ミス・レモンの作ったムニエルに飽き足らず、自分でマッシュポテトに煮豆、レバー団子という英国風昼食を作って今度はポワロに癖癖させたりといった、文化的ギャップが生むユーモラスな場面を織り込んだりする余裕もあったようです。

 一方で、実はナイジェルの父親だったスタンリー卿の話を結構膨らませていて、この辺りは脚本のアンソニー・ホロヴィッツの好みでしょうか。個人的には、原作にある、シーリアが書いた謝罪の手紙を犯人が遺書として利用するといったプロットなどを省いてまでこの話を膨らませる必要はあったのかと思いましたが、映像化作品だけで観ればそれほど気になりませんでした。但し、クリスティの描く通常の犯人像からはやや逸脱したサイコ的な極悪人の犯人像になったようにも思います。

 因みに、2016年のAXNミステリーのスペシャル企画「アガサ・クリスティー生誕記念特集」で、「名探偵ポワロ」の視聴者投票と併せて著名人に「名探偵ポワロ」のベストを聞く企画で、英文学者、英国文化研究家の小林章夫・上智大学教授はこの作品をベストに挙げています。また、ミステリマガジン2014年11月号の作家・若竹七海氏による「ドラマ版ポワロからベスト3」で、「原作は今一つなのに、意外に楽しい作品になっていた。数多い学生寮の住人を整理し、マザー・グースに合わせてネズミを配し、ミステリ的にはツッコミどころのあるお話をテンポよく進めてみせた」傑作の一本との高評価を得ています。マザー・グースは原作ではタイトルに使われていただけでしょうか。原作との相対評価で言うと、自分も若竹七海氏に近いと言えます。

ヒッコリー・ロードの殺人s.jpg「名探偵ポワロ(第43話)/ヒッコリー・ロードの殺人」●原題:AGAHTA CHRISTIE'S POIROT SEASON6:HICKORY DICKORY DOCK●制作年:1995年●制作国:イギリス●本国放映:1995/02/12●監督:アンドリュー・グリーブ●脚本:アンソニー・ホロウィッツ●時間:103分●出演:デビッド・スーシェ(ポワロ)/フィリップ・ジャクソン(ジャップ)/ ポーリン・モラン(ミス・レモン)/パリス・ジェファーソン(サリー・フィンチ)/ナイジェル・チャップマン(ジョナサン・ファース)/ダミアン・ルイス(レナード・ベイトソン)/ギルバート・マーティン(コリン・マクナブ)/エリナー・モリストン(バレリー・ホブハウス)/ポリー・ケンプ(パトリシア・レーン)/ジェシカ・ロイド(シーリア・オースティン)/サラ・ベデル(ハバード夫人)/レーチェル・ベル(ニコレティス夫人)/グランヴィル・サクストン(キャスタマン氏)/デビッド・バーク(サー・アーサー・スタンリー)●日本放映:1996/12/30●放映局:NHK(評価:★★★☆)

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映画「死海殺人事件」の原作。映画は?だが、原作は本格推理として楽しめる。

死との約束 1957.jpg死との約束HM.jpg 死との約束1978(1988) .jpg 死との約束 クリスティ文庫.jpg 死海殺人事件2.jpg
ハヤカワ・ミステリ(1957)/『死との約束 (ハヤカワ・ミステリ文庫 1-33)』/映画タイアップカバー/『死との約束 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』/「MGM HollyWood Classics 死海殺人事件 [DVD]

 ポアロは中東エルサレムで休暇を過ごすが、同じく同地を訪れていたのが、世界的に有名な精神科医のテオドール・ジェラール博士、イギリスの国会議員ウエストホルム卿夫人、新米女医サラ・キング、米国人のボイントン一家らだった。ボイントン夫人は、長男のレノックスとその妻ネイディーン、次男のレイモンド、長女のキャロル、次女のジネブラの5人を従えていた。夫人はかつて刑務所で女看守として働き、偶然に大金持ちのボイントン氏と結婚し、夫が亡くなって未亡人となったが、我儘で個性が強く家族全員を拘束していた。子供達の意見や要求は殆ど無視され、いつまで経っても子供としか扱われない。ある日ジェラール博士、サラ、ウエストホルム卿夫人とその取り巻きのアマベル・ピアス、ネイディーン・ボイントンの友人のジェファーソン・コープらはペトラ遺跡の観光ツアーに参加するが、ペトラに着くとボイントン一家もそこにいた。翌日の昼食時、ボイントン夫人は子供たちに自由に散歩することを許すが、これは彼女にしては希有なことだった。ボイントンの子供たちとサラたちの一行は思い思いに遺跡に向かい、崖の上からの景色を堪能して各々帰路に着くが、ジェラール博士だけはマラリアを発病し先にキャンプに帰っていた。ボイントン夫人は暑さの中で、外に出した椅子に座って身動き一つしなかったが、やがて夕食時に夫人が現れないので召使が呼びに行くと、夫人は亡くなっていた。新米医師サラの見立てでは死亡時刻は発見の1時間以上前で、夫人の手首には注射針の跡があった。さらにジェラール博士の注射器がなくなっており、多量のジギタリスも消えていた―。

ナイルに死す2.jpg死との約束 英初版Collins 1938年 .jpg 1938年に刊行されたアガサ・クリスティのエルキュール・ポアロ・シリーズの第16作で(原題:Appointment with Death)、前年発表のポワロシリーズ『ナイルに死す』((原題:Death on the Nile))と同じく中東を舞台にした本格派推理小説です。前々年発表の『メソポタミヤの殺人』も中東・イラクが舞台でした。因みにクリスティは最初の夫アーチボルド・クリスティ大尉(彼は薬剤師の助手として勤務していたため、クリスティは彼から毒薬の知識を得たという)に裏切られて傷心旅行で訪れたメソポタミヤで14歳年下の考古学者マックス・マローワンと知り合って、彼と1930年に再婚、その後に続く"中東モノ"は、おそらく考古学者である夫の研究調査に随伴した経験が素地になっていると考えられます(但し、この作品には『メソポタミヤの殺人』のような考古学的モチーフは出てこない)。

英初版Collins 1938年

死海殺人事件_0.jpg 『ナイルに死す』はジョン・ギラーミン監督の映画「ナイル殺人事件」('78年/英)の原作として知られていますが、この作品が マイケル・ウィナー監督(「狼よさらば」「ロサンゼルス」)の映画「死海殺人事件」('88年/米)の原作であることはあまり知られていないかもしれません。そもそもエルサレムという異国の地を舞台にしながらも原作がやや地味ですが、ポワロが関係者一人一人に事情聴取していってロジックで犯人を突き止める過程は『オリエント急行の殺人』などにも通じるものがあり、本格推理としてはよく出来ていて、結構楽しめるように思います。

映画「死海殺人事件」チラシ

死海殺人事件w.jpg 映画「死海殺人事件」は、「ナイル殺人事件」やガイ・ハミルトン監督の「地中海殺人事件」('82年/英、原作はポアロ・シリーズ『白昼の悪魔』)に続いてピーター・ユスティノフがエルキュール・ポワロを死海殺人事件 9.jpg演じていますが(共演者に「オリエント急行殺人事件」('74年)のローレン・バコールがいるが、「オリエント急行殺人事件」でポワロを演じたのはアルバート・フィニーだった)、ピーター・ユスティノフにとっては最後のポワロ役でした。また彼は、「地中海殺人事件」と「死海殺人事件」の間にTVドラマのミニシリーズで「名探偵ポワロ/エッジウェア卿殺人事件」('85年/英)など3本でポワロを演じています(「エッジウェア卿殺人事件」では'89年からTⅤ版「名探偵ポアロ」でポワロを演じることになるデヴィッド・スーシェがジャップ警部を演じている)。

死海殺人事件lt.jpg死海殺人事件es.jpg 原作では、ボイントン夫人は虐待に近いような子供達の扱いぶりで、しかも太った醜い女性として描かれていますが、映画では専制的ではあるものの、原作までは酷くないといった感じでしょうか。それでも、殺害された彼女は皆から嫌われていたわけで、遺産相続も絡んでいて(それが目眩ましにもなっているのだが)、登場人物全員が容疑者候補であるのは原作と同様です(殺人事件があって禁足令が出ているけれど、旅行自体は皆続けるのだろうなあ)。『オリエント急行の殺人』と同様、ポワロの聴き取りに対して誰かが(場合によっては複数が)虚偽を述べているわけであって、ある種"叙述トリック的であるわけですが、これを映像化するのは難しかったかもしれません。

死海殺人事件48.jpg死海殺人事件_.jpg 実際、映画を観ると、容疑者達の陳述が真実であろうと虚偽であろうと、その陳述に沿った映像化がされているため、途中からある程度そのことを含み置いて観ていないと、無かったことを映像化するのは《掟破り》ではないか(フランソワ・トリュフォーなどはアルフレッド ヒッチコックへのインタビュー『映画術』でそう言っている)ということになります。まあ、原作でも映画でも、初めてで犯人が判ればなかなかのものだと思いますが、映画を観て改めて新米医師であるサラの死亡推定時刻の見立ては正しかったのだなあと再確認しました。ピーター・ユスティノフがポワロを演じてきた映画は、この作品で英国から米国のB級映画会社に製作が移った死海殺人事件(1988年5.jpgものの(この会社は後に倒産する)、ユスティノフの演技自体は悪くないし(「ナイル殺人事件」「地中海殺人事件」に続いてこの映画も"旅行もの"であるため違和感が無い)、ローレン・バコールのキツイ顔もいいけれど死との約束 powaro .jpg(初めて観た時はさすがに老けたなあと思ったが、彼女が亡くなったのは2014年でこの作品の26年後89歳で亡くなっている)、やはり、「起きなかったことを映像化している」点がちょっと引っ掛かりました(他に何かいい手があるわけではないが)。デヴィッド・スーシェ版「名探偵ポワロ(第61話)/死との約束」('09年/英)ではその辺りはどう描かれていたでしょうか。
「名探偵ポワロ(第61話)/死との約束」 (09年/英) (2010/09 NHK‐BS2) ★★★☆

Appointment with Death (1988)
Appointment with Death (1988).jpg死海殺人事件ド.jpg「死海殺人事件」●原題:APPOINTMENT WITH DEATH●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督・製作:マイケル・ウィナー●脚本:アンソニー・シェーファー/ピー死海殺人事件ges.jpgター・バックマン/マイケル・ウィナー●撮影:デヴィッド・ガーフィンケル●音楽:ピノ・ドナッジオ●原作:アガサ・クリスティ「死との約束」●時間:103分●出演:ピーター・ユスティノフ/ローレン・バコール/キャリー・フィッシャー/ジョン・ギールグッド/パイパー・ローリー/ヘイリー・ミルズ/ジェニー・シーグローヴ/デビッド・ソウル/アンバー・ベゼール/マ死海殺人事件12.jpg死海殺人事件16.jpgイケル・グレイブ/ニコラス・ゲスト/ジョン・ターレスキー/マイク・サーン●日本公開:1988/05●配給:日本ヘラルド映画(評価★★★)

David SOUL - Appointment with death (1988)

【1957年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(高橋豊:訳)/1978年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(高橋豊:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(高橋豊:訳)]】

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細部は違うが大まかには原作通りか。俳優陣は好演しているがやや地味になった。

オデッサ・ファイル_1974.jpg The Odessa File (1974).jpg  オデッサ・ファイル (1974年) .jpg オデッサ・ファイル (角川文庫).jpg
映画チラシ/「オデッサ・ファイル [DVD]」『オデッサ・ファイル (1974年)』『オデッサ・ファイル (角川文庫)

オデッサ・ファイル図0.jpg 1963年11月22日、西独ハンブルグ。新聞記者あがりのルポライター、ペーター・ミラー(ジョン・ヴォイト)は母親(マリア・シェル)の家を訪ねた帰り道、カーラジオでケネディ大統領暗殺の臨時ニュースを聴く。その時一台の救急車が彼の車を追い越し、ミラーは反射的にその後を追う。事件は一老人のガス自殺だったが、翌日、知人の警部補から自殺した老人の日記を渡される。老人はドイツ系ユダヤ人で、日記はラトビアのリガにあったナチ収容所での地獄の生活を記録したものだった。老人は、リガ収容所長だったSS大尉ロシュマン(マクシミリアン・シェル)の非人道的な残虐さを呪い、復讐しようとしていたが果たさず、絶望のうちに自殺したのだ。ミラーは老人にオデッサ・ファイル図8.jpg代わってそのロシュマンを捜し出す決心をする。彼はまず、老人の仲間を捜し出し、"オデッサ"という、元ナチSS隊員で作った、ナチ狩りから逃れ身元を偽って社会にもぐり込んでいる元ナチSS隊員を法廷にかけさせないために様々な活動をしている秘密組織の存在を知る。数日後、ミラーが恋人のジギー(メアリー・タム)とXマスの買物のために地下鉄に乗ろうとしたとき、突然後から何者かに走ってくる電車に向かって突き落とされる。間一髪で命は助かるが、こうなるとミラーとしても意地があった。米資料センターでロシュマンの資料を発見したミラーは、帰りに3人組に捕まる。彼らは元SS隊員に復讐することを目的としたグループで、ミラーが"オデッサ"を追っているのを知り、彼に協力しようというオデッサ・ファイル図1.jpgのだ。ミラーを"オデッサ"に潜入させる工作が始まる。元ナチ隊員で病死した男コルブの出身証明書を盗み、彼に化けて元SS軍曹で警察に追われているという設定で"オデッサ"に接近、下級隊員の紹介で幹部に会うことになる。ミラーはファイルを盗み出し、ロシュマンの足跡を掴むことが出来た。ロシュマンを尾行し、彼の屋敷に潜入して彼と対峙する―。

 ロナルド・ニーム(1911-2010/享年99)監督が「ポセイドン・アドベンチャー」('72年/米)の次に監督した作品で、原作は英国の作家フレデリック・フォーサイスの1971年発表の彼の出世作『ジャッカルの日(The Day of the Jackal)』('73年・角川書店)に続く1972年オデッサ・ファイル図3.jpg発表の第2作『オデッサ・ファイル(The Odessa File)』('74年・角川書店)。1974年発表の『戦争の犬たち(The Dogs of War)』('75年・角川書店)と併せて初期3部作とされていて、『ジャッカルの日』はフレッド・ジンネマン監督によって映画化され('73年/米)、「戦争の犬たち』もジョン・アーヴィン監督によって映画化されていますが('80年/米)、共にアメリカ映画で、この「オデッサ・ファイル」だけ、製作国はイギリスと西ドイツです。

 映画「ジャッカルの日」は、原作の面白さに加え、"ジャッカル"を演じたエドワード・フォックスの好演もあって楽しめましたが(淀川長治がある本で、映画史上の悪役のベストに「ジャッカルの日」の"ジャッカル"を選んでいる)、一方、「戦争の犬たち」の方は、せっかくの原作をラストを勝手に変えてしまって、クリストファー・ウォオデッサ・ファイル図4.jpgーケンが演じた主人公がなぜ傭兵になったのか分からないまま終わってしまっていました。この「オデッサ・ファイル」でペーター・ミラーを演じたジョン・ボイドはどうかというと、原作の主人公(原作ではミューラー)のイメージと違っていたかもしれませんが、ジョン・ボイドが当時まだ若いながらも演技達者なのと、主人公が相手方に潜入してからオデッサ・ファイル08.jpgの危機の脱し方など部分的には原作を改変しているものの、大まかには原作に沿っていたため、個人的には楽しめました(原作の主人公の愛車がジャガーであるのに映画ではベンツになっていた一方、オデッサの殺し屋のクルマがジャガーだった。この辺りは意図的に変えている?)。評価として、「ジャッカルの日」「オデッサ・ファイル」「戦争の犬たち」の順で、やはり監督の知名度順になるのでしょうか)。

オデッサ・ファイル図5.jpg 「ジャッカルの日」の主人公はプロのスナイパーであり、「戦争の犬たち」の主人公はプロの傭兵、それに対してこの「オデッサ・ファイル」の主人公だけがある意味アマチュアであり、素人が元SS軍曹に化けて"オデッサ"に潜入することが出来るのかというリアリティの問題がありますが、"オデッサ"幹部将校が主人公の身許審査のためSSについて矢継ぎ早にした質問で、「収容所の真中に何が見えたか?」との問いに、答えに詰まって「空が見えました」と答えてしまい、将校の眼が鋭く光るといった場面など、逆に旨い具合に緊張感を生む効果にも繋がっていたかも。なぜジャーナリストとは言え、一市民に過ぎない主人公が元SS大尉ロシュマンにこだわるのか、作品の鍵となるその秘密の明かされ方は原作と同じで、但し、原作を読んでいると、映画の方はややあっけなくて、ちょっともの足りなかったでしょうか。

オデッサ・ファイル図7.jpg ラストで主人公に追い詰められて、身勝手な理論に基づく演説をぶつロシュマンを演じたマクシミリアン・シェル(1930-2014)も好演で、主人公の母親役のマリア・シェル(1926-2005)オデッサ・ファイル図6.jpgは彼の実姉になります(「居酒屋」('56年/仏)での彼女の演技は良かった)。主人公の恋人を演じたメアリー・タムは、この作品ぐらいしか代表作がありませんが美人で、演技もまあまあ。全体にちょっと地味な感じになったけれども、原作の良さと俳優陣の好演で、一応"及第点"の映画になっているように思いました。

オデッサ・ファイル09.jpg 因みに、マクシミリアン・シェルが演じたエドゥアルト・ロシュマンは実在の人物で、リガにあった強制収容所の歴代所長の一人で、"リガの屠殺人"と呼ばれ、1977年7月、アルゼンチン警察に逮捕されるも、4日後に国外退去を条件に釈放され、同年8月、パラグアイで心臓発作による死亡が確認されています(この作品の原作をフォーサイスが書いていた時はまだ逃亡・潜伏中だったということか)。

オデッサ・ファイル図9.jpg「オデッサ・ファイル」●原題:THE ODESSA FILE●制作年:1974年●制作国:イギリス・西ドイツ●監督:ロナルド・ニーム●製作:ジョン・ウルフ●脚本:ケネス・ロス/ジョージ・マークスタイン●撮影:オズワルド・モリス●音楽:アンドルー・ロイド・ウェバー●原作:フレデリック・フォーサイス●時間:130分●出演:ジョン・ヴォイト/マクシミリアン・シェル/マリア・シェル/メアリー・タム/デレク・ジャコビ/ハンネス・メッセマー/シュミュエル・ロデンスキ●日本公開:1975/03●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:新宿ローヤル(82-12-08)(評価★★★☆)

《読書MEMO》
●個人的評価
【原作】
『ジャッカルの日』............★★★★
『オデッサ・ファイル』......★★★★
『戦争の犬たち』...............★★★★

【映画】
「ジャッカルの日」............★★★★
「オデッサ・ファイル」......★★★☆
「戦争の犬たち」...............★★★

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証人保護プログラムが分かる。コンゲームと知りながら、読者も一緒に騙される。

「ラケッティア」(ジョン・グリシャム).jpg司法取引 (上).jpg 司法取引 (下).jpg  司法取引 (上・下).jpg
司法取引(上) (新潮文庫)』『司法取引(下) (新潮文庫)
"The Racketeer: A Novel"

『司法取引 (上・下)』.JPG 連邦判事とその愛人の殺害事件が迷宮入りかと思われた頃、冤罪で収監されていた弁護士バニスターが、真犯人を知っていると声を上げた。彼はその情報と引き換えに、自らの釈放と証人保護プログラムをFBIに要求する。藁にもすがりたい捜査当局と何度も交渉と説得を重ねたバニスターは、ついに念願の出獄を果たすのだが...。自由を求めて、破天荒な一世一代のコンゲームが始まる(上巻)。FBIは判事殺害容疑で、麻薬関係の犯罪歴があるクィンを逮捕。判事に賄賂を贈っていた彼は、当初、事件との関わりを強く否定するも、やがて自供を始める。一方、証人保護プログラムが適用されたバニスターは、当局の監視下に置かれながらも自由な日々を過ごしていた。しかしある日、突然姿を消してしまう。その身に何が起こったのか...。騙し合いに次ぐ騙し合い、衝撃の結末(下巻)。(ブックカバーより)

 2012年10月末に原著が出版されたジョン・グリシャムの作品で(原題:"The Racketeer")、原題の「ラケッティア」とは脅迫者、ペテン師の意味だそうですが、ここでは司法取引に絡めたコンゲームを行う者、つまり主人公の冤罪で収監されていた弁護士バニスターを指すのでしょう(バニスターは意図せずマネーローンダリング事件に巻き込まれて10年の禁固刑を言い渡され、既に5年服役しているという設定になっている)。

 全体としてはそのバニスターの一人称で語られるパートが多く、一人称であるため、読み手はバニスター自身の目線に同化し彼の「作戦」が上手くいくかどうかハラハラするわけですが、その彼の「作戦」というのが目的は自由の身になることであると分かっていても(或いは同時に多額の資産を得ることであっても)、その青写真が本人の口からも意識の流れとしても語られることはなく、ある意味「読者」に対する叙述トリックのようなスタイルになっています。

 まず、日本の推理作家が(或いは米国の推理作家でも"並"の作家が)同じモチーフで書いたら、「司法取引(証人保護プログラム)」というものを描くこと自体が目的化し、推理小説としては大したものにならないのではないかなあ。この作品の良い点は、日本人に馴染みの薄い司法取引(証人保護プログラム)というものの性質や手順についてよく知ることが出来ると同時に、小説としても楽しめるものであるということです。

 しかしながら、ブックカバーに予め「コンゲーム」と書かれており(原著では見開きに「ラケッティア:不正手段、こじつけなどによって不法に金を得る者」の2行をわざわざ記している)、主人公の弁護士バニスターが何らかの秘策を持っているということ自体は読者に分かってしまう訳であって、そうなると、小説の面白さが半減してしまうのではないかということが読み始めの頃は危惧されました。

 ところが、どこかでFBIはバニスターに騙されるのだろうなあと"注意深く"読んでいくうちに、読者である自分もFBIと一緒になって騙されてしまうという、この辺りがジョン・グリシャムという作家のスゴイところです。この作品が本国でベストセラーになり、グリシャムの作品の中でも傑作とされるのは、個人的にもほぼ納得がいきます。

 一方で、小説のためのプロットになっている印象も若干受けました。計画の細部においては不確実性があり、実際こんな上手くいくかなあとも(FBIが全然"切れ者"揃いではないことが前提になっている?)。また、なぜ、こんな頭のいい人物が、自らの冤罪を晴らすことが出来ず収監されてしまうのかとも(この点は米国の司法社会に対する作者の批判的視点があるのかと思うが)。まあ、自由と併せて金も得ようとするから、こんな手の込んだことをすることになるのだろなあ。その点で、初期の出世作『法律事務所』(映画ではなく原作の方)に通じるものがありました。

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細部では色々指摘があるが、プロットの巧みさ、謎が解けた時のスッキリ感の方が勝る。

愛国殺人 hpm c.jpg愛国殺人 hpm 2_.jpg 愛国殺人 ハヤカワミステリ文庫.jpg 愛国殺人 クリスティー文庫.jpg 愛国殺人  .jpg
愛国殺人 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 207)』『愛国殺人 (1975年) (世界ミステリシリーズ)』『愛国殺人 (1977年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『愛国殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』"One, Two, Buckle My Shoe (The Christie Collection)"(ハーパーコリンズ版1996)

愛国殺人 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 207).jpg ポアロが歯科検診のため歯科医ヘンリイ・モーリイの所に行って自宅に帰ると、ジャップ警部からモーリイが死んでいるのが見つかったとの連絡がある。ポアロがさっきまでいた歯科医院に駆けつけると、診療室の床にモーリイの死体があり、こめかみをピストルで撃ち、足元のピストルからはモーリイの指紋のみが検出される。ポアロの診察は11時で、診察名簿によればポアロの後に治療を受けたのは、11時半に英国の経済を一人で動かしているともいわれる銀行家のアリステア・ブラント、その後に元女優ミス・セインズバリイ・シールが続いた。セインズバリイ・シールは痛みが我慢できないとの電話をかけてきてこの時間にモーリイが割り込ませた急患だった。そして12時にはサヴォイ・ホテル滞在の新患アムバライオティス氏、12時半にミス・ガービイの順だった。ジャップ警部がサヴォイ・ホテルに電話したところ、アムバライオティス氏は12時25分に診療を終え、その時には歯科医は元気だったという。アムバライオティス氏の診療が終わったが、モーリイが次の患者を診療室に入れるように合図するブザーがいつまでも鳴らず、ミス・ガービイは待ちくたびれて怒って帰ってしまっていた。その後で、患者を案内するボーイが診療室を覗いてみてモーリイの死体を発見したのだった。 検死の結果、死亡推定時刻は1時より前であることは間違いなく、歯科医の死はアムバライオティス氏の診療が終わった12時25分から1時の間に起きたと考えられた。ジャップは自殺を主張したが、ポアロは納得しない。自殺か殺人か決めかねるポアロとジャップは、最後の患者アムバライオティス氏をサヴォイ・ホテルに訪ねると、氏は30分ほど前に死亡していた。死因は歯科医が局部麻酔として歯肉に注射するアドレナリンとプロカインの過剰投与で、氏の診療の際に薬の分量を間違え、後でそれに気づいたモーレイが過失を苦に自殺したとジャップは自説を述べる。ポアロPOIROT One, Two, Buckle My Shoe  .jpgはあくまで殺人を主張し捜査を始めるが、今度はミス・セインズバリイ・シールがホテルを出たままどこかに消えてしまう。セインズバリー・シールの行方不明から1カ月経過し、捜査が完全に停滞してしまった頃に、彼女の死体が発見される。チャップマン夫人と名乗る女性のマンションの部屋のなかの、毛皮保管用の衣装箱に死体は詰め込まれていた。死後約1カ月で顔は故意に潰されていた。腐敗も激しく死体の身元の確認はできなかったが、服装や管理人の証言からセインズバリイ・シールと思われた。ところが、モーリイの診療所にあったカルテで歯型を確認すると、死体はセインズバリー・シールではなくチャップマン夫人であることが判明、夫人もモーリイの患者だった。では、ミス・セインズバリー・シールはどこに消えたのか? モーリイ、アムバライオティスの死は他殺なのか?

One, Two, Buckle My Shoe.pngThe Patriotic Murders.jpg 1940年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品(『杉の柩』の次)で、原題はマザーグースに由来する"One, Two, Buckle My Shoe"ですが(各章ごと、マザーグースの歌詞に沿って話が展開する)、邦An Overdose of Death5.jpgAn Overdose of Death.jpg訳タイトルは、米国版タイトルの"The Patriotic Murders" に拠っています(その後、米国版は"An Overdose of Death"に改題)。「愛国殺人」の方が、内容にしっくりくるタイトルでしょうか(何故「愛国殺人」というタイトルなのかを詳しく言ってしまうと、イコール犯人は誰かを言ってしまうことになってしまうとも言えるのだが)。

One, Two, Buckle My Shoe (Hercule Poirot).jpg 江戸川乱歩がこの作品を絶賛したとされるように、巧みなプロット構成でした。ここから若干ネタばれになりますが、犯行の偽装工作で、死体の方をとり変えないで(実は元々とり変えようがなかったのだが)カルテの方を改竄したというのは実に巧妙だったと思います。

"One, Two, Buckle My Shoe (Hercule Poirot Mysteries)"

 アムバライオティス氏がモーリイ歯科医の新患だったというのはご都合主義でないかとか、犯人は歯科医での受診の順番をどう調整したのかとか、細部については色々指摘がありますが、セインズバリイ・シールが英国行きの船で一緒だったアンベリオティスに歯医者を紹介して、ついでに余計な昔話までしてしまったという経緯があり、そもそも、最初から全てが犯人によって仕組まれたわけではなく、偶然そうしたことに気づいた犯人が(身の破滅の危機が迫っているということもあって)急遽犯行を思い立ったということでしょう。

 ある殺人を図るために別に殺人を犯すのは危険すぎるのではないのかとかという犯行動機の面でも弱さがあるかもしれませんが、犯人は2人殺そうと3人殺そうと絶対に自分の犯行はバレないという自信家であるとともに、「モーリイの他にも歯医者はいる」という犯人の言葉にみられるように、自分の信念(と言うよりプライド)のためなら他人の命は何とも思わないという、ポワロとは全く相容れない考えの持ち主であることを、それだけ如実に物語っているということなのでしょう。

 他にも、犯人が用いた殺人手段の一つは専門家でないと使えないはずのものだとの指摘もありますが、全体として、序盤はちょっとイライラさせられるような複雑な構成であるものの、終盤に謎が明らかになるとそれらが全て繋がったと解って大いにとスッキリした気分になるという、そのカタルシス感が大きくて、個人的には〈細部の問題〉はあまり気にならなかったように思います。

ポワロ 愛国殺人40.jpgポワロ 愛国殺人50.jpg「名探偵ポワロ(第33話)/愛国殺人(愛国殺人事件)」 (92年/英)★★★☆


【1955年新書化・1975年改訂[ハヤカワ・ミステリ]/1977年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫]/2004年再文庫化[クリスティー文庫]】

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エピローグ的な結末が引っ掛かる。フィクションとして許される範囲を超えているのではないか。

その女アレックス.jpgその女アレックス6.jpg
その女アレックス2.jpg
その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス 7冠.jpg 2014 (平成26) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第1位、2015(平成27) 年「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位、早川書房の「ミステリが読みたい! 2015年版」(海外編)第1位、2014年「IN☆POCKET文庫翻訳ミステリー・ベスト10」第1位、2015(平成27)年・第12回「本屋大賞」(翻訳小説部門)第1位作品。海外では、「リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞」(フランス)、「英国推理作家協会インターナショナル・ダガー賞」受賞。最後に決まった「本屋大賞」を含め"7冠"とのことです(国内だけだと5冠)。

 30歳の美女アレックスはある夜、何者かに拉致され、監禁される。アレックスを誘拐した男は、「おまえが死ぬのを見たい」と言って彼女を檻に幽閉する。衰弱したレックスは脱出を図るが...。一方、目撃者がいたことから誘拐事件の捜査に乗り出したパリ警視庁のカミーユ・ヴェルーヴェン警部は、一向に手掛かりが掴めず、いらだちを募らす。そうした中、事件は思わぬ方向に転がりだす―。

alex_.jpg 2011年にピエール・ルメートルが発表したカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ第2作(第1作は2006年発表の『悲しみのイレーヌ』)。全三部構成で、ストーリーもそれに沿って大きく二転三転します。個人的には、「二転目」はすぐにその気配を感じましたが、「三転目」は予想と違いました。但し、"衝撃のドンデン返し"といった類のものでもなかったです。
"Alex (The Camille Verhoeven Trilogy)"

 そして、最後にエピローグ的な結末が...。これが一番引っ掛かりました。警察が事件を捏造? フィクションの中では許される設定かもしれませんが、判事や弁護士の壁はどう乗り切るのか。

 と思ったら最後、予審判事に「まぁ、真実、真実と言ったところで......これが真実だとかそうでないとか、いったい誰が明言できるものやら!われわれにとって大事なのは、警部、真実ではなく正義ですよ。そうでしょう?」と言わせていて、件の予審判事、最初は何となくいけ好かない人物だったけれど、最後は自らの意思でカミーユと協調路線をとったのか。

 でも、判事だからなあ。自分たちで勝手に事実を捻じ曲げて裁いちゃっていいのかなあ。「協調」と言うより「共謀」にあたるかも。この段階で、フィクションの中でもそのようなことが許されるかどうか微妙になっているのではないかと思いました。

 アガサ・クリスティの「名探偵ポワロ」シリーズに「厩舎街の殺人」(ハヤカワ・クリスティー文庫『死人の鏡』所収)という短編があって、犯人の女性は恐喝を苦に自殺した友人の恨みを晴らすため、その死を他殺に見せかけ、自殺の原因となった男性に罪を被せるのですが、それを見抜いたポワロは、犯人を男性に対する"殺人未遂"で追及しています(1930年代の英国で人を殺せば大概は死刑だったから、無実の人間に濡れ衣を着せて死刑に追い込む行為は"殺人"であるという理屈)。

 ちょっと厳しいけれど、どちらがスジかと言えばポワロの方がスジであり、死んだ人間の遺志を継いで事実を捻じ曲げようとしているこの物語の警部や判事の方が、その「正義」とやらに無理があるように思いました(ポワロにも「オリエント急行の殺人」のように実質的に犯行を見逃してやっているケースがあるが、彼は警官でも判事でもないからなあ)。

 こうしたこともあって、本来ならば評価は△ですが、カミーユ警部や部下の刑事たちのキャラクター造型がユニークであり、そのことを加味して、ぎりぎりで○にしました。

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どんでん返し16連発。悪意の勝利で終わるものが多く、その終わり方で好き嫌いが分かれるかも。

クリスマス・プレゼント ディーヴァー.jpgクリスマス・プレゼント』 クリスマス・プレゼント4.JPG

twisted Jeffery Deaver.jpg ジェフリー・ディーヴァーの短編集で、この作家はイギリスの作家ジェフリー・アーチャーなどと同じく長編も短編もこなす力があることを思い知らされます。J・アーチャーの短編集に比べると1編当たりがやや長いでしょうか。長編ではどんでん返し売り物にしているJ・ディーヴァーですが、この短編集はどんでん返しばかり16編集めたという印象で、原題も"Twisted"、つまり「ひねり」となっているし、帯にも「どんでん返し16連発」とありましたが、まさにその通り。短編が長編と異なるのは、究極の悪を究極の善として描くことが可能なことであると作者が述べている通り、悪意ある主人公が勝利を収める作品がその逆の善意の主人公が恵まれた結末を迎える正統派タイプの作品を数ではずっと上回っています。

 以下、ネタバレも一部含むため、読みたくない人は読み飛ばしてほしいのですが、最初の「ジョナサンがいない」でいきなりその"悪が勝つ"パターンが出てきて、"悲しみにくれる妻"にキレイに騙されました(半ば叙述トリックだね)。 ウィークエンダー」では強盗と被害者の関係がいつしか...。 「サービス料として」は、精神病を装って有閑マダムが夫を殺害するが、利用したつもりだった精神科医が実は自分より上手の曲者だった...。 「ビューティフル」はスーパーモデルが選んだ究極のストーカー撃退法でしたが、ここまでやるかなあ。

 「身代わり」は、またまた浮気夫の殺害を企てる妻の登場で、偶然知り合った殺し屋が...。 「見解」は、現金輸送車のピストル強盗事件に便乗して現金をかすめ取ろうとした二人の保安官助手が、高校時代にいじめたネクラな男の復讐に遭う話(作者の言を借りれば"ぱっとしない少年の逆襲")。 「三角関係」は、一見よくある三角関係での夫による妻の不倫相手への計画殺人にみえたのですが、この"夫"の正体は...。これは巧みな叙述トリックでした。 「この世はすべてひとつの舞台」はシェイクスピアが登場し、主人公の復讐劇に加担して見事に成功を収めるという異色作ですが、やっと出てきた明るい結末といったところでしょうか。

 「釣り日和」 は、休日に趣味である釣りに行った時は、一緒に遊んでやれなかった娘にお土産を持って帰る優しいパパが実は...。 「ノクターン」もこれまでの例にもれずどんでん返し劇ですが、これまで大方を占めたトーンと違って、警官と黒人少年の人情話にもなっていて後味が爽やかでした。 「被包含犯罪」も、法の網を巧みに逃れようとする悪漢を、主人公の検事が逆に法を使って搦め手で―という正義が勝つ話。 「宛名のないカード」は、妻の浮気の疑惑に苦しむ夫が精神的に追い詰められ妻を襲おうとして逮捕されるが実は―というこれまた悪意が勝つ話(大体勝つのは女性だなあ)。

 「クリスマス・プレゼント」は、この短編集の単行本化の際の書き下ろし作で(この短編集は2003年12月にSimon & Schuster社からリリースされている)、長編でお馴染みのリンカーン・ライム、アメリア・サックスらが登場しますが、パターンも長編でお馴染みのパターンであり、それをぐっと短編に縮めて短編に仕上げている点が興味深いです(どんどん肉付けしていけば長編になる? 長編の"卵"みたいなものだなと)。 「超越した愛」は、冒頭の会話が誰と誰がどのような状況で話しているのかがミソで、それが分かった時は思わずあっと言いたくなるような作品。 「パインクリークの未亡人」は、女社長と秘書、どんでん返しの二連荘でした。 「ひざまずく兵士」は愛する娘を狙う薄気味悪いストーカーを何とか撃退しようと躍起になる父親だったが...。

 「どんでん返し」で統一した分、リアリティの面で若干のでこぼこはあったかもしれませんが、むしろ読み手側としては、善意の勝利で終わるか悪意の勝利で終わるか、特に悪意の勝利で終わる場合は、その終わり方で好みが分かれるかも。個人的には、善意系では(そもそも善意系が殆ど無いのだが)「この世はすべてひとつの舞台」「ノクターン」が、悪意系では「ジョナサンがいない」「身代わり」「三角関係」が良かったように思います。

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ポアロが出てくるのは後の方だけれど、やはりポアロ物らしい傑作。

鳩のなかの猫 ポケミス.jpg 鳩のなかの猫 hm文庫.jpg 鳩のなかの猫 クリスティ文庫.png  鳩のなかの猫 dvd.jpg「名探偵ポワロ 41」
鳩のなかの猫 (1960年) (世界ミステリシリーズ)』『鳩のなかの猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『鳩のなかの猫 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』「名探偵ポワロ ニュー・シーズン DVD-BOX 3」(2010)

 中東のラマット国での革命勃発当日、アリ・ユースフ国王は、自分が生き延びられなかった場合に備え、一族伝来の巨額の価値を持つ宝石を国外へ持ち出すよう、英国出身の親友ボブ・ローリンスンに託す。ボブは、自分は国王の国外脱出行に同行するため、別の誰かに宝石を託そうとするが、姉のジョアン・サットクリフが娘ジェニファーの肺炎の療養のため当地に滞在し、やがて英国へ戻ることになっているのに目をつける。そのジェニファーが通うロンドン郊外の名門女子校メドウバンクは、新たに夏季学期を迎えていたが、新任の体育教師が何者かに射殺されるという事件が起きる。その学校には、今学期からラマット国の国王の従妹であるシャイスタ王女が転入してきたところでもあった。莫大な価値を持つ消えた宝石の謎と、名門女子校で起きた体育教師殺害事件には何か関連があるのか―。

鳩のなかの猫 原著.jpg 1959年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品で、原題「Cat among the Pigeons」は、女生徒(鳩)達の園である学園に殺人者(猫)が紛れ込んでいるという意。ポワロ物ですが、ポワロが登場するのは、メドウバンクの生徒で知人の娘であるジュリアが彼に相談を持ち込んできてからで、これが全体の3分の2を過ぎてからということもあって、今一つポワロ物という印象が薄かった作品でした(作家の浅暮三文氏もハヤカワ・クリスティー文庫の解説で、ポワロは「友情出演」の感が強いとしている)。でも今回読み直してみて、ラストの畳み掛け感は素晴らしく、やはりポワロ物らしい傑作ではないかと感じました。

Cat Among the Pigeons Dust-jacket illustration of the first UK edition

 冒頭の中東のラマット国での革命の話は、作者の政治的冒険譚風の初期作品の雰囲気もありますが、これはポアロ物では全33の長編の内の第28長編とのことで、かなり後の方。実は1958年に起きたイラン革命をモチーフにしているとのことで、その頃の作者は、遺跡の発掘作業のため毎年のようにイラクに赴いていた考古学者である夫に随行して当地を訪ねていたとのことです。また、メドウバンク校のモデルは、作者の娘が通っていた全寮制の女子予科校だそうです。そうしたこともあって作者にとっても愛着があるのか、この作品は作者の自選ベスト10にも入っています。

 第2の殺害事件が起き、ポワロが捜査に乗り出してからも第3の殺害事件が発生するなど、相変わらず殺人事件に"事欠かない"状況ですが、「3連続殺人」でしかも被害者は同じ学校の女教師ばかりというというのが、振り返れば、推理をミスリードさせる1つのポイントでした。ミステリ書評家の濱中利信氏は、この作品を傑作としながらも、物語の視点が一定していない、探偵役が不在である、犯人がアリバイ不在の状況の中で犯行を犯すとは考えにくい等ミステリとしての欠点も指摘しています。個人的にもその辺りが、星5つまでには至らない理由でしょうか。但し、中盤部分の探偵役は、ジェニファーとテニスラケットを交換したことから宝石の在り処に辿り着いたジュリアでしょう。

 嫌な人物も多く出ていますが、国王とボブの厚い信頼に基づく友情から始まって、国王が密かに結婚していた女性が、宝石の受け取りを拒否し、更に、その1つを、宝石の在り処を突き止めたジュリアに贈ることを言付けるなど、清廉な人物も登場し、読後感は悪くありません(メドウバンクの校長オノリア・バルストロードも立派な人物)。

鳩のなかの猫 ドラマ.jpg 英国LWT(London Weekend Television)制作・デヴィッド・スーシェ主演の「名探偵ポワロ」シリーズで、第59話(本国放映2008年)として映像化されていますが、ポワロがなかなか登場しないのではマズイと思ったのか、原作の冒頭にあるメドウバンクの新学期が始まる場面からポワロが登場します(引退を考えている校長オノリアが、自分の後継者の人選にあたり、人間洞察に優れたポワロの助言を求めたという設定。原作ではポアロは、女生徒ジュリアの母親を介して学園と繋がるが、校長のオノリアとは直接面識がなく、初めて会う直前はやや警戒気味。但し、会ってから後はオノリアの人格者ぶりに感心する)。

鳩のなかの猫 ドラマ2.jpg ポワロが女生徒らの只中にいたりする場面は原作には無く、また、第2の殺人事件の被害者ヴァンシッタートをカットし、被害者を別の人物に変更しています(但し、結末の整合性は保っている)。更には、宝石の1つがジュリアに贈られることになったエピローグで、ポアロがわざわざキャンディドロップに混ぜて、この中に1つだけ固いキャンディがある、なんて言って彼女に贈るのも、原作でのポワロの登場時間の少なさを補うTVドラマ版のオリジナル。但し、時間を遡ったりしてはいるけれども、大筋では原作のプロットに忠実であり、原作の持ち味は活かしていたと思います(「IMDb」のレーティングは8.0という高ポイント)。

鳩のなかの猫 dvd2.jpg「名探偵ポワロ(第59話)/鳩のなかの猫」●原題:AGAHTA CHRISTIE'S POIROT SEASON11: CAT AMONG THE PIGEONS●制作年:2008年●制作国:イギリス●本国放映:2008/09/21●監督:ジェームス・ケント●脚本:マーク・ゲイティス●時間:94分●出演:デビッド・スーシェ(ポワロ) /ハリエット・ウォルター(バルストロード) /アマンダ・アビントン(ブレイク) /エリザベス・バーリントン(スプリンガー) /アダム・クローズデル(アダム) /ピッパ・ヘイウッド(アップジョン夫人) /アントン・レッサー(ケルシー警部) /ナターシャ・リトル(アン) /キャロル・マクレディ(ジョンスン) /ミランダ・レーゾン(ブランシュ) / クレア・スキナー(アイリーン) /スーザン・ウールドリッジ(チャドウィック) /ロイス・エドメット(ジュリア) /アマラ・カラン(シャイスタ王女) /ケイティ・ルング(スイ・タイ) /ジョー・ウッドコック(ジェニファー)●日本放映:2010/09/14●放映局:NHK‐BS2(評価:★★★☆)名探偵ポワロDVDコレクション 20号 (鳩のなかの猫) [分冊百科] (DVD付)

Épisode 5 鳩の中の猫.jpg鳩のなかの猫 フレンチ・ミステリ0.jpg 「クリスティのフレンチ・ミステリー(第5話)/鳩のなかの猫」 (10年/仏) ★★★

【1960年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(橋本福夫:訳)]/1978年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(橋本福夫:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(橋本福夫:訳)]】

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ちょっと軽めだが、プロットに無理が無い印象。アットホーム感のあるブラウン神父像。

Father Brown Series 1 [DVD] [2013].jpg「ブラウン神父」固定メンバー1.jpg ブラウン神父の童心.jpgブラウン神父の童心 (創元推理文庫)』['82年]
Father Brown Series 1 [DVD] [2013]

 かつて英国ITVでケネス・モア主演の「Father Brown」が全13話放送され(1973年)、好評を博しましたが、こちらの「ブラウン神父」はBBCによる新シリーズ。本国で今年(2013年)1月に10日連続で10話放映され、これまた平均で20%台後半の高視聴率で、第2シーズンの制作が内定したとのことです。日本では、今年10月にAXNミステリーで、2日に分けて5話ずつ一挙放映されました。

『ブラウン神父の童心』.JPGブラウン神父の童心 (1959年) (創元推理文庫).jpg 原作者のG・K(ギルバート・ケイス)・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton、1874‐1936)はコナン・ドイル(1859‐1930)、モーリス・ルブラン(1864‐1941)などとそう年代的に変わらないわけですが、このシリーズでは時代を1950年代に置き換え、また、全てのエピソードにおいて、マッカーシー夫人(神父の秘書?)、バレンタイン警部補など数名のメンバーを固定的に配置し、アットホームな仕上がりになっているでしょうか。ブラウン神父を演じるマーク・ウィリアムズ(「ハリー・ポッター」の親友ロン父親役でお馴染み)は、原作と違って恰幅がいいですが、自転車を愛用し、蝙蝠傘を手放さないないのは同じ(但し、蝙蝠傘の方は邪魔になったのか、だんだん持っていない場面が結構多くなる)。
ブラウン神父の童心 (1959年) (創元推理文庫)

 第1シーズンの10話は、G・K・チェスタトンの1911年刊行の第1短編集である『ブラウン神父の童心』(The Innocence of Father Brown)にある話に基づいているようですが、翻訳のタイトルとドラマのタイトルが一致するのは半分ぐらいで、あとの半分はオリジナルなのか、別の短編集からの翻案なのか、個人的にはよく分かりませんでした。

ブラウン神父1.jpg 第1話「神の鉄槌」(The Hammer of God)(Director:Ian Barber)は、『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。ブラウン神父は、ボーハン牧師が新しい時計台をお披露目するパーティーに参加していた。一方、牧師の弟であるノーマンは、招待されていないにもかかわらず、パーティーに現れ、周囲の人に悪態をつくき、更に、シメオン・バーンズとケンカを始める―。
 犯人は意外ですが、犯行はやや大雑把というか、鐘が命中しなかったら...と思ったりもするのですが、これ、兄弟の順番が入れ代わっているのを除いては、犯行手口等は原作通りなんですね(評価★★★)。

ブラウン神父2.jpg 第2話「飛ぶ星」(The Flying Stars)(Director:Ian Barber)も、『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。貴族の令嬢、ルビー・アダムズの誕生日パーティーに招かれたブラウン神父とマッカーシー夫人は、バスに乗り遅れたので、領地を横切って邸宅に向かっていた。しかし、到着すると家政婦のスージーから、誕生日パーティーは中止になったと聞かされる―。
 劇中殺人というやつですか(その部分は未遂に終わったが)。若い2人の結婚を思想・身分の違いから反対していた親が、最後に2人の結婚を認めるラストは心地よい(評価★★★☆)。

ブラウン神父3.jpg 第3話「狂った形」(The Wrong Shape)(Director:Dominic Keavey)も『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。ブラウン神父は、レナード・クィントン主催の詩の朗読会に招待され、屋敷には妻マーサの他に、レナードの愛人と噂されるバイオレット、弁護士のハリスがいた。朗読会が始まり、バイオレットはレナードとの関係を匂わす詩を読み、動揺したマーサは席を立つ―。
 アガサ・クリスティもそうですが、医者や弁護士って出てくるなり怪しい。すでに自殺者している者を首吊りに掛けるというのは、犯人に御大層なことでと言いたくなります(評価★★★)。

ブラウン神父4.jpg 第4話「木の中の男」(The Man in the Tree)(Director:Dominic Keavey)は、同名の邦題原作が見当たりません。ある日、絵を描こうとフェリシアが森を歩いていると、頭上からうめき声が聞こえ、見上げると負傷した男が下着姿で木に引っ掛かっていた。その頃、ブラウン神父とマッカーシー夫人は、ドイツからの訪問者フランク神父を駅で出迎えていた―。
 推理のプロットは面白かったです。クリスティは神父や牧師を犯人にすることは無かったけれど、チェスタトンはアリ。神父が主人公でありながら、結構、牧師や神父を悪者にしているなあ(元ナチスとは!)。本物の神父の前で神父になり切るのは無理。最後、ブラウン神父は犯人に逃走の機会を与えたの?(評価★★★☆)

ブラウン神父5.jpg 第5話「アポロの眼」(The Eye of Apollo)(Director:Matt Carter)は、『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。アポロ教会という信仰集団が現れ、パンフレットを村中に配ったため、ブラウン神父はマッカーシー夫人と集会に参加する。集会では、アポロ教会の創始者ケイロンが、戦争で負傷した際に、太陽を通して神からの啓示を得た話を語り始める―。
 こんな胡散臭い教祖がいる教団によく信者になる人がいるなあと思うけれど、この手の新興宗教は日本にもいくらでもあるからなあ。身内が洗脳されてブラウン神父もやや焦り気味ですが、宗教対決的な局面もあって、かなり押し出しの強いブラウン像になっている印象です(でも、事前にちゃんと教祖の経歴の裏を取っている)。教祖は、色情狂であるとともに、脳の器質的障害による異常者でしたね。犯行の手口はミエミエでしたが、新興宗教 vs.ブラウン神父という素材が面白かったです(評価★★★★)。

 元が短編であるせいか、時間が60分ドラマに収める形になっているためか、ちょっと軽いかなという感じで、それはG・K・チェスタトンの原作を読んでも感じられることかもしれません。コナン・ドイルなどは、短編も結構密度が濃いけれど、一方で、現代に置き換えるとややキツイ面もあり(同じくBBC制作の「SHERLOCK(シャーロック)」は、そこのところを割り切って思い切り現代風にアブラウン神父」固定メンバー 2.jpgレンンジしている)、一方のG・K・チェスタトンは、当時の社会観の影響は受けているとはいえ、意外とプロット的には現代に置き換えても(このドラマの場合、50年代だが)無理がないかなという印象を、ドラマを観て改めて思いました。原作は結構、神父が自ら断罪してしまう司法的な役割も果たしてしまっているものがあったはず(エルキュール・ポアロも同様のことをしているが)。また読み直してみようっと。

「ブラウン神父」 Father Brown(英国BBC 2013~) ○日本での放映チャネル:AXNミステリー(2013~)

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クリスティの作品への愛着と、一般の人気度の間にギャップがある作品か。

無実はさいなむ ハヤカワ・ミステリ文庫 .bmp 無実はさいなむ クリスティー文庫.jpg 無実はさいなむ fontana.jpg 無実はさいなむ 洋書2.jpg 無実はさいなむ 洋書1.jpg
無実はさいなむ (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『無実はさいなむ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』  Fontana版(1961)/Hamlyn AC crime Collection, published in 1970/ "Ordeal by Innocence (Signature Editions)"

 慈善家の老婦人レイチェル・アージルが邸の自室で撲殺され、生前彼女が養子として育てていたジャッコが逮捕された。レイチェルには、メアリ、マイケル、ジャッコ、ヘスター、ティナの5人の養子がいたが、その中でもジャッコの評判は前から良くなかった。ジャッコはアリバイを主張したものの有罪となり、獄中で亡くなっていた。それから2年後、外国から帰ってきた地質学者キャルガリは、出発前のある日、ある男を車に乗せたことを思い出し、それがジャッコのアリバイ証明になることを告げに遺族の住む邸サニー・ポイントを訪れる。しかし、ジャッコの冤罪を告げられた遺族らにとって、彼の来訪は、落着したはずの事件を蒸し返すこと繋がり、むしろ彼らは迷惑そうにする―。

 1958年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品で(原題:Ordeal by Innocence)で、ポアロもミス・マープルも登場しないノン・シリーズものです。

 キャルガリは何とか事件の真相を明かしたいと考えます。外部の犯人の可能性は無く、レイチェルの夫リオ・アージルと、養子であるメアリ、マイケル、ヘスター、ティナの兄弟姉妹たち、 リオの秘書のグェンダ、家政婦のカースティンらの何れもが容疑者たり得ます。彼らは互いに疑心暗鬼となり、そのうち、メアリの夫で身体が不自由なフィリップ・デュラントが探偵役のようなことを始め、更には、養子の一番下の娘ティナも、事件当日の不審な出来事に気づきます。警察は警察で、ヒュイッシという優秀な警視が捜査に当たります。

 刑事に加えて探偵が3人? と思ったら、終盤にきて、この内の2人は(真実に近づき過ぎたがために)殺害され、そこで一旦は犯人が明らかになったかに見えますが、最後でまたドンデン返し―と、終盤の展開は畳み掛けるものがあります。但し、そこに至るまでが、ちょっとまどろっこしいかな。

 この作品は作者自身がマイベスト10に選んでいますが、一般の人気はそれほどでもないようです。ハヤカワ・クリスティー文庫の解説で、ミステリ書評家の濱中利信氏が、ミステリとしての欠点(視点が一定していない、探偵役が不在である、犯人がアリバイ不在の状況の中で犯行を犯すとは考えにくい、等々)を幾つか挙げています。

 特に、最後、事件の解決と同時に、キャルガリが新たな恋を掴むというのはややご都合主義的で、濱中氏もその唐突さを指摘しています。それにも拘わらず氏がこの作品に惹かれる理由は、それぞれの人物像を通して、人間の弱さというものが見事に描かれていることによるものです。

 そうした意味ではクリスティらしい作品で、とりわけ殺害されたレイチェル・アージルの、不幸な子供たちを養子に引き取りながらも、その"慈愛"が彼女自身のエゴイズムからくるものであって、子供たちには全く受け容れられていなかったという人生には、やりきれないものがあります。

ORDEAL BY INNOCENCE.jpg 登場人物のお互いの腹の探り合いは、『そして誰もいなくなった』にも通じる面白さがありますが、それでもやはりミステリとして読むと、全般を通してその部分がやや弱いのと、キャルガリの「冤罪を晴らす」という当初の意気込みからするとある種アンチ・カタルシスの結末ため、読後感がイマイチすっきりしなかったというのもあります。

 クリスティの作品への愛着と、一般の人気度の間にギャップがある作品と言う意味で(勿論、この作品が好きだと言う人も多くいると思うが)、興味深い作品ではあります。

 本作は、1984年に映画化され(邦題「ドーバー海峡殺人事件」)、レイチェルをフェイ・ダナウェイ、キャルガリをドナルド・サザーランドが演じていますが、公開時にさほど話題にならなかったこともあってか、個人的には未見。改変が激しく、評価も「ナイル殺人事件」('78年)や「地中海殺人事件」('82年)、「死海殺人事件」('88年)など他の映画化作品より低いようです。

ORDEAL BY INNOCENCE Fontana.1985

ミス・マープル3 無実はさいなむ dvd.jpgミス・マープル3 無実はさいなむ 4人兄弟.jpg 2007年に英国グラナダ版「ミス・マープル」シリーズでミス・マープル物に翻案されて放映されていますが、原作をかなり改変していて、それで原作より面白くなるならばともかく、そうもなっていないため、個人的にはイマイチでした。
「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第10話)/無実はさいなむ」 (07年/英) ★★★

【1960年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(小笠原豊樹:訳)]/1978年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(小笠原豊樹:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(小笠原豊樹:訳)]】

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初老ながら溌剌としたタペンス。白眉は、全体の構成よりも、真犯人の意外性に尽きるか。

親指のうずき  ハヤカワ・ポケット・ミステリ.jpg 親指のうずき ミステリ文庫.jpg 親指のうずき クリスティー文庫.jpg
親指のうずき (1970年) (世界ミステリシリーズ)』『親指のうずき (1976年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『親指のうずき (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 トミーとタペンスは、トミーの叔母エイダが余生を送る養老院を訪ねる。その後叔母が亡くなり、2人は遺品を引き取りに行った際、タペンスは叔母の部屋にあった一枚の風景画に描かれている運河の傍の一軒屋に見覚えがあるように思う。その絵は叔母が亡くなる前に、同じ養老院にいたランカスター夫人から譲り受けた物で、そのランカスター夫人は突然養老院を出ていったのだった。タペンスは、何者かによって連れ去られたと思われるランカスター夫人の身を案じてその風景画の場所を一人探し求め、ついにその村を見つけるが、村の人々の話を聞くうちに、村全体を覆う不穏な事実の数々を知る―。

By the Pricking of My Thumbs.jpg 1968年、アガサ・クリスティ(1890‐1976)が78歳の時に刊行された作品で(原題:By the Pricking of My Thumbs)で、トミー&タペンス・ベレズフォード夫妻シリーズの長編第3作ですが、2人の年齢を合わせても45にもならなかったという『秘密機関』(1922)から46年、『NかMか』(1941)から27年経っていて(その間に短編集『おしどり探偵』(1929)がある)、さすがにトミーもタペンスも年齢を重ねています。       "By the Pricking of My Thumbs"(ペーパーバック・1971)

 トミーとタペンスの子供たちデボラとデリクもすでに結婚しており、実際の月日の流れからしても2人とも60代後半のはずですが(この作品の5年後に発表されたシリーズ最終作品『運命の裏木戸』(1973)では2人とも75歳前後になっているというから、殆ど70近いことになる)、それでもタペンスは冒険心に満ち、その上、よく動き回るなあ。少なくとも60代のイメージではないかも。この作品は、世界中の多くの読者からの「その後、トミーとタペンスはどうしました?今なにをやっています?」という問い合わせに答える形でクリスティが書いたもので、2人とも今もって溌剌としていることを印象づけたかったのかな。

BY THE PRICKLING OF MY THUMBS.jpg 村人たちは、人の良さそうな人もいれば怪しげな人もいるけれど、何れもタペンスの問いになかなかまともな回答を与えず、むしろ、タペンスの動きを監視している風。それでも、タペンスの地道な聞き込みで、背後の闇が浮かび上ろうかとしたところで、タペンス自身が行方不明に。そこで、最初はタペンスの疑念をまともに受けてはいなかったトミーが動きだし、ランカスター夫人誘拐(?)事件だけでなく、それに絡んでいる大規模な組織団による強盗事件、20年前に村で起きた連続少女殺人事件などが浮かび上がってきて、村全体が犯罪及びその隠蔽装置のようなものだったと―。

"BY THE PRICKLING OF MY THUMBS" Fontana 1987

 この作品の3年前に発表された『バートラム・ホテルにて』(1965)の"ホテル版"ならぬ"村版"のような印象もあります。78歳でこんな入り組んだ話を書いているクリスティもスゴイけれど(作者から見れば60代はまだ若いということか)、ただ、大規模な強盗組織を持ち出してきたところで、『バートラム・ホテルにて』同様、ミステリとしては逆にリアリティが希薄になったかも。

ミス・マープル2 親指のうずき dvd.jpgマープル2 親指のうずき2.jpg この作品の白眉は、全体の構成よりも、真犯人の意外性であり、この点に尽きると思います。オリジナリティのあるサイコ・シリアルキラーだったと思います。

「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第7話)/親指のうずき」 (06年/英) ★★★

【1970年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(深町眞理子:訳)]/1976年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(深町眞理子:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(深町眞理子:訳)]】

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法廷戦術のぶつかり合いは通好みか。カードを捏造した人物の意図がイマイチしっくりこない。

無罪 二宮馨訳.jpg無罪 INNOCENT 2.jpg無罪 INNOCENT』(2012/09 文藝春秋)

 2012(平成24)年度・第4回「翻訳ミステリー大賞」受賞作であり、2012 (平成24)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)(第3位)、2013(平成25)年「このミステリーがすごい」(海外編)(第3位)、2012(平成24)年「ミステリが読みたい!」(海外編)(第7位)などにもランクインした作品。

Innocent Scott Turow.jpg 女性検事補殺害の嫌疑に対して無罪を勝ち取った23年後、判事となっているラスティ・サビッチの妻バーバラが死ぬ。もともと心臓に難を抱えるバーバラだけに自然死に見えたが、奇妙なことにラスティはすぐに通報せず、1日妻の亡骸の側にいたという。かつてラスティを追いつめたトミー・モルトはサビッチが殺したのではないかと考える。トミーは23年前のサビッチ事件で敗れていた―。

"Innocent"

 2010年にスコット・トゥロー(Scott Turow)が発表した作品で、彼のデビュー作にして代表作であり、ハリソン・フォード主演で映画化もされた『推定無罪』の続篇で、あのラスティ・サビッチ首席検事補も60歳となり、上訴裁首席判事を務め、州最高裁判所判事候補であるにも関わらず、また、浮気している―そんな最中に起きた神経症を病む妻の死は、自殺なのか、他殺なのか、はたまた事故死なのかという展開。

 同じく弁護士作家であるジョン・グリシャムの作品がその殆どが法廷外を舞台にしているのに対し、トゥローの作品は、この作品もそうですが、その殆どが法廷内を舞台にしており、よりプロっぽいと言うか"通好み"と言えるかも。

 事件や裁判に関係する複数の人物の視点から描かれていますが、最初の内は、ラスティ・サビッチの視点からの、自らが愛人との関係にずぶずぶハマっていく様がリアルに描かれていて、う~ん、アメリカ版"渡辺淳一"のようだなあと(それ以上の技量かもしれず、思わず感情移入した)。ラスティを、相変わらずふらふらしているダメ男とすっぱり定義づけ出来るほど、男性は皆、清廉潔白なのかなあ。

 中盤以降は、妻バーバラ殺害容疑で訴えられたラスティの公判場面が殆どですが、ここでのトミー・モルトら検察側と、同じく『推定無罪』でも活躍したサンディ・スターンら弁護側の法廷戦術のぶつかり合いの描写がまさにこの作家の真骨頂で、同じく法曹界に身を置くラスティの息子ナットの視点からの分析が分かり易かったですが、一方、真相を知るはずのラスティの視点からの心理描写は殆ど無くなり、その分、サスペンスの度合いは深まるものの、謎の解明は一向に進展しない―その間ずっと続く検察側と弁護側の遣り取りを冗長と感じるか興味をもって読めるかが、この作品に対する好き嫌いの分かれ目の一つかもしれません。

 そして、残り4分の1になったところで、夫を苦境に陥れることで、その浮気行為に対する復讐を図ったことを示唆するような妻バーバラのクリスマス・カードが、ひょっこり押収されたラスティのパソコンから飛び出してきて、当初から妻殺害容疑でラスティを責め立てていた検察側は、これをラスティが捏造したものとして、今度はその非違行為を責めるわけですが、この辺りが、個人的にはややしっくりこなかったかな。とにかく、ラスティ・サビッチの収監が目的になっていて、ラスティ・サビッチの妻殺害容疑の方はどっかにいってしまったような気もするのだけど...。

 ところがラスティは、自ら証拠の捏造を認め(実質的に司法取引に応じ)収監される―。え~っ、PC操作に関してそれほど高度な知識を持たないラスティがそれをどうやって成し得たのかも、更に遡れば、妻が亡くなって丸1日通報をしなかった理由も、何も解明されてないのでは...と普通だったら思う処ですが、そんなことを神のみぞ知るであって、どこかに落とし処を見出せればいいというのが司法取引の世界なのでしょうか(この辺りの日米の感覚の違いというのが、また興味深い点ではあるのだが)。

 何だかおかしいと気づいたのはラスティの宿敵、検察側のトミー・モルトで、クリスマス・カードを仕組んだのが誰かが分かってからの彼の行動は気高いと呼べるものであり、この作品の主人公はサビッチではなくトミー・モルトであるという見方も出来るかもしれません(最後は、ラスティとの間に友情が芽生えた?)。

 ラストでは、ラスティ自身の息子への告白によって、読者には事件の全容が明かされますが、真実を知る者がごく少数のまま終わるという点は『推定無罪』と似ているかも。 ラスティの不倫相手が誰であったかということを含めれば、真実を"全て"知っていたのはラスティ一人ということになり、更にその枠は狭められていることになります(その意味ではやはりラスティが主人公?)。

 最後の(読者に向けた)事実の開示は衝撃的でした。一方で、終盤のクリスマス・カードを巡る展開はやや蛇足ではなかったかとの声もありますが、個人的には全体を通して面白く読めました。但し、ラスティは妻を殺害したに違いないと信じている人物が、なぜ、証拠捏造というチンケな罪で彼を追い込もうとしたのか、ラスティの妻殺害を立証するのが困難とみて、そのことを直接は罪に問わず、但し、世間にはそうした印象は与える―という戦術に切り替えたということなのでしょうかね。それにしてもわざわざ「妻の自殺」を匂わすクリスマス・カードを仕組んで、その上でそれが偽物であることを暴いてみせるとは、随分と手の込んだことをしたものだと思わざるを得ませんでした。

 ラスティは、クリスマス・カードそのものは(夫を苦しめたいが、監獄暮らしをさせるのは息子のためにも望まないとする)バーバラが作成したものだとの推測を語っていますが、彼女がいくらPCの天才であったにしても、実際に起きた出来事から振り返ると、彼女自身がそんなことをするはずはない(彼女の狙いは全く別にあったわけだから)ということは知っていたのでは―そこで、息子を疑い、彼を守るために司法取引を持ちかけたということか。結構、ややこしいね。

 何れにしろ、やはり個人的に引っ掛かったのは、カードを捏造した人物の意図がイマイチしっくりしなかったことか。

【2015年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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面白かったが、唐突なラストのドンデン返しが、どっちの解釈をしてもやや中途半端で惜しい。

女彫刻家 ミネット ウォルターズ 文庫.jpg女彫刻家 ミネット ウォルターズ.png   ミネット ウォルターズ.jpg ミネット ウォルターズ(1949- )
女彫刻家 (創元推理文庫)

 1995 (平成7) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第1位。1996(平成8) 年「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位。

 母と妹を切り刻むという凄惨かつ猟奇的な殺人事件を起こしたかどで、今は無期懲役囚として服役中の女オリーヴ・マーチン。その凶悪な犯行にも拘らず、精神鑑定の結果は正常で、しかも罪を認めて一切の弁護を拒んでいる。フリーライターのロザリンド(ロズ)・リーは、エージェントに言われて彼女についての本を書くことになるが、オリーヴと何度も接見し、また事件の周辺の人物への取材を進めるうちに、事件そのものに違和感を覚えるようになり、事件が本当に彼女の犯行によるものだったのか疑念を抱き始める―。

The Sculptress Minette Walters.jpg 1993年に原著刊行の、英国の女流推理作家ミネット・ウォルターズ(Minette Walters、1949- )の長編第2作(原題:The Sculptress )で、アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)長編賞受賞作でもある作品。

"The Sculptress"

 フリーライターのロズが、次第にオリーヴとの間で気持ちを通い合わせ、事件の真相を独自に調査して、最後は彼女を無罪へと導く―と思ったら...意外や意外、大岡昇平の『事件』やレイモンド・ポストゲートの『十二人の評決』を想起させる結末でした。

 ロズが、複雑な人物相関を読み解いていく過程はスリリングで、その過程で知り合った"ハードボイルド"タッチの元刑事ハルとの間に恋愛感情が芽生えていくプロセスもいいです。

 そうした「ロズ釈放」に向けての歩みが丁寧に描かれているのに対し、僅か1ページのエピローグの、しかもその最後数行での暗示的ドンデン返しはあまりに唐突で、余韻を感じさせる暇もないといった印象です。でも、その暗示をまともに受けると、それまでの展開に多々不整合があるような気もします。解説者ですら、このエピローグ、本当に必要なのかどうかは読者の判断に委ねるとしています(この解説のやや投げ遣りなトーンに疑問を感じる人もいるのではないかと思われるが)。

 そう言えば、犯人の、死体を「人間の形に並べて台所に血まみれの抽象画を描いた」という犯行後の行為については何も解明されていなかったなあ。おかしいとは思ったんだけど、世間的にはロズの活躍で事件は"新たな決着"をみたようになっているのがどうも解せないと言えば解せません。

 面白かっただけに、どっちの解釈をしてもやや中途半端という感じの結末がやや惜しいか。

女彫刻家 ミネット ウォルターズ dvd.jpg女彫刻家02.jpg 1996年にイギリスでTVドラマ化され、日本でもビデオがリリースされていますが、個人的には未見です。

女彫刻家【字幕版】 [VHS]
ポーリーン・クイーク/キャロライン・グッダール 出演

【2000年文庫化[創元推理文庫]】

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ヒロインの心理描写は優れ、背景描写も凝っているが、ミステリとしてのテンポはイマイチ。

サラ・ウォーターズ  『半身』.jpg サラ・ウォーターズ (中村有希:訳) 『半身』.jpg  サラ・ウォーターズ.jpg サラ・ウォーターズ (1966- )
半身 (創元推理文庫)』    

 2003 (平成15) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第1位。2004(平成16) 年「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位。2003年「IN★POCKET」の「文庫翻訳ミステリー・ベスト10」第3位。

 19世紀後半ビクトリア朝時代のロンドン。30歳で婚期を逃し、不幸続きで傷心のマーガレット・プライアは、上流階級の令嬢という身分を活かしミルバンク監獄の女囚獄へ慰問のため訪れ、そこで著名な霊媒であり、交霊中に起こった事故が原因で投獄された少女シライナ・アン・ドーズと出会い、「掃き溜めに鶴」のような彼女に心を奪われていく。以来、プライアの身辺には不可思議な出来事が立て続けに起こる―。

 1999年に原著刊行の、英国の女流推理作家サラ・ウォーターズ(Sarah Waters、1966- )の長編第2作(原題:Affinity)で、アメリカ図書館協会賞やサンデー・タイムズの若手作家年間最優秀賞、さらには35歳以下の作家を対象とするサマセット・モーム賞を受賞している作品です。

 物語は、1874年の現在の、シライナに会うために女囚獄への慰問を続けるマーガレットの話と、1872年の過去の、霊媒師として活動中のシライナの話が、それぞれ日記と独白で交互に紡がれていく形で進展し、推理小説と言うより文芸作品を読んでいるような印象です。特に、前半部分のミルバンク監獄の描写は、チャールズ・ディケンズの小説のような雰囲気を醸しています。

 中盤は、「私達は身も心も魂もひとつ-わたしは彼女の半身。光り輝くひとつの魂をふたつに割られた、その半身なのだもの」とあるように、マーガレットのシナイラへの没入ぶりがメインで、シナイラの特異な霊能力によるものか、不思議な現象が次々に起き、一方、ミステリとしての展開はここまで殆どありません(どちらかと言うと、女性間の恋愛感情を描いたレズビアン小説っぽい。大体、この人の作品は、ビクトリア朝を背景とした百合&お嬢様&メイドというパターンのようだ)。

 それが終盤にきての思わぬ展開―神秘的現象も全て種明かしされ、そういうことだったのかと。それにしても、人を自分に感化させ、意のままに操るといい意味では、やはりシライナの異能は超絶的で、やはりこういうのを描くには、現代よりもビクトリア朝時代とかの方が合っていることは合っているなあと。

 トリックに嵌っていたのはマーガレットだけではなく、しかもシライナの背後にはまた別の女性が...(シライナのかつての侍女ルースがすなわち、霊媒ピーター・クイックであり、なおかつプライア家の小間使いヴァイカーズでもあったという"一人三役"とは!)。終盤の展開は面白いけれど、それにしてもヒロインの側から見れば暗い結末になったものです。

 そのヒロイン・マーガレットの心理描写には優れたものがありましたが、あまりに背景描写に凝り過ぎて、ミステリとしてのテンポは決していいとは言えなかったように思います。

サラ・ウォーターズ  『半身』dvd.jpgSarah Waters's Affinity.jpg 2008年にイギリスでTVドラマ化されているので、その内、AXNミステリーあたりで放映されるかも。

Anna Madeley, Zoe Tapper 主演

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どんな状況においてもポアロは名探偵であるという思い込みがトラップになっているとも言える?

邪悪の家 1959 ハヤカワ 田村.jpg エンドハウスの怪事件 創元推理文庫.jpg 邪悪の家 クリスティー文庫 旧田村訳.jpg 邪悪の家 クリスティー文庫 新訳.jpg エンドハウスの怪事件 dvd.jpg
邪悪の家 (1959年) (世界ミステリーシリーズ)』『エンド・ハウスの怪事件 (創元推理文庫)』『邪悪の家 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『邪悪の家(ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』(カバーイラスト:和田誠)「名探偵ポワロ[完全版]Vol.6 [DVD]

「邪悪の家」ハヤカワ・ミステリ文庫.jpgエンド・ハウス殺人事件.jpg 英国南部の牧歌的な漁村セント・ルーにバカンスで来ていたポワロとヘイスティングスは、滞在先のマジェスティックホテルで、近くにあるエンドハウスの女主人ニック・バックリーと知り合う。彼女は最近3日間に3回も命拾いをする経験をしたと話すが、ポワロとホテルのテラスで話している間にも、何者かから狙撃される。弾は逸れ、またも彼女の命は救われるが、ポワロは彼女に警告を発し、自ら警護を申し出てエンドハウスへと乗り込む。しかし、花火の夜に、偶然ニックのショールを羽織っていたニックの従妹のマギーが何者かによって射殺されてしまう―。

邪悪の家 (1984年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『エンド・ハウス殺人事件 (新潮文庫)

Peril At End House.jpg 1932年に刊行されたアガサ・クリスティのエルキュール・ポワロシリーズの長編第6作で(原題:Peril at End House)、『牧師館の殺人』(1930)、『シタフォードの秘密』(1931)に続く「館物」でもあり、タイトルの邦訳は、ハヤカワ・ミステリ文庫・クリスティー文庫では「邪悪の家」ですが、創元推理文庫では「エンド・ハウスの怪事件」、新潮文庫では「エンド・ハウス殺人事件」などとなっています。

First Edition Cover 1932(Collins Crime Club (London))

 クリスティの脂が乗り切った時の作品でありながら意外と評価が高くないのは、クリスティ自身が、「私の小説の中ではまるで印象が残っていないし、書いた記憶さえ思い出せない」と発言していることもありますが、ポワロが事件の謎に翻弄され続ける状況が続き、いつもの精彩を欠いているように見えるから、というのもあるのでしょう。ポワロのファンにはいただけない作品かも。

 確かに屋敷に出入りする関係者には一様に怪しい点があり、いつも通り容疑者の数には事欠かないのですが、その中に犯人がいるはずだと推理するポワロに対し、ある程度のミステリ通は、ポワロより先に犯人が判ってしまうのかも。但し、自分が初読の際は全く真犯人が判らず、その分、ドンデン返しも含んだ最後の謎解きはストレートに楽しめました。

PERIL AT END HOUSE f.jpg 犯人がポワロの謎解きをミスリードさせる張本人である作品ですが、ポワロに対する読者の、彼がどんな状況においても超人的な名探偵であるという思い込みがある種トラップになっている作品とも言え、そう言えばこの作品はポワロとヘイスティングスとの謎解きを巡る会話が多く、振り返ってみれば、2人して読者をミスリードする役割を果たしていた感じもします。

PERIL AT END HOUSE Fontana1975 (Cover illus.Tom Adams)

 2011年にクリスティー文庫が田村隆一(1923-1998)の旧訳を改版して真崎義博氏による新訳版を刊行しましたが、現代風で、それでいてジュニア版みたいな翻訳にはなっておらず、これはこれで良かったのでないでしょうか。

 田村隆一訳との違いの一つとして、ポワロがヘイスティングスと話す際に、例えば田村訳では「わが友(モナミ)、あなたのは受け売りですよ」となっているのが、真崎訳では「君の言っていることは受け売りだよ」というように、ポワロとヘイスティングスの距離感が近くなっているように思いました(特にこの作品は2人の会話が多いため、それを強く感じた)。

熊倉一雄 ポワロ.jpgエンドハウスの怪事件 0.jpg デヴィッド・スーシェ(David Suchet)の主演TⅤ版(London Weekend Television)「名探偵ポワロ」でも、吹替えの熊倉一雄(1917-2015)の独特の声の抑揚のもと、ポワロはヘイスティングスに対しても「です・ます調」で語りかけ、それが固定的イメージになっていますが、考えてみれば、ポワロがヘイスティングスに対して「です・ます調」で話すのは、あくまでも翻訳者の選択であると言えるのでないかと思います。

エンドハウスの怪事件00.jpg そのデヴィッド・スーシェ版「名探偵ポワロ」ですが、英国LWT(London Weekend Television)が主体となって制作、1989年1月放映分から2014年1月放映予定分まで70作品作られており、この『邪悪の家』は、第2シーズン第1話(通算第11話)「エンドハウスの怪事件」として、1990年1月にシリーズ初の拡大版(ロング・バージョン)で放映されました。日本でも1990年8月11日、NHKがこのシリーズの放映を始めた年に放映されており、このシリーズで最初に観たポワロ物がコレという人も多いのではないかと思われます。

エンドハウスの怪事件03.jpg ほぼ原作に忠実に作られていますが、田舎に来て、誰も自分が有名な探偵であることを知らないことに不満なポワロのご機嫌斜めぶりが強調されているのが可笑しいです。それと、原作には出てこないミス・レモンが登場し、謎解きのヒントはヘイスティングスと彼女の言葉遊び的な遣り取りから生まれることになっています。更に、ラストのポワロが仕組んだ降霊会で、無理やり霊能力者の役割を演じさせられるのは、原作ではヘイスティングスのところが、この映像化作品ではミス・レモンになっています。

 海岸沿いの丘の上にあるホテルが美しく、推理と併せてリゾートの雰囲気が楽しめるのがいいです(ポワロがホテルのレストランで注文した2つのゆで卵の大きさが違から食べられないと駄々をこねるところは、まるで「名探偵モンク」みたい。こういう完璧主義が探偵に共通する気質なのか)。

Poirot Polly Walker1.jpgPoirot Polly Walker2.jpg「名探偵ポワロ(第11話)/エンドハウスの怪事件」●原題:AGATHA CHRISTIE'S POIROT II:PERIL AT END HOUSE●制作年:1990年●制作国:イギリス●本国放映:1990/01/07●監督:レニー・ライ●脚本:クライブ・エクストン●時間:103分●出演:デビッド・スーシェ(ポワロ)/ヒュー・フレイザー(ヘイスティングス) /フィリップ・ジャクソン(ジャップ警部) /ポーリン・モラン(ミス・レモン) /ポリー・ウォーカー(ニック・バックリー) /ジョン・ハーディング/ジェレミー・ヤング/メアリー・カニンガム/ポール・ジェフリー/アリソン・スターリング/クリストファー・ベインズ/キャロル・マクレディ/エリザベス・ダウンズ●日本放映:1990/08/11●放映局:NHK(評価:★★★☆)

名探偵ポワロ.jpg2名探偵ポワロ.jpg「名探偵ポアロ」 Agatha Christie: Poirot (英国グラナダ(ITV)1989~) ○日本での放映チャネル:NHK→NHK-BS2→NHK-BSプレミアム(1990~)/ミステリチャンネル→AXNミステリー

【1959年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(田村隆一:訳)]/1975年文庫化[創元推理文庫(厚木淳:訳『エンド・ハウスの怪事件』)/1984年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/1988年再文庫化[新潮文庫(中村妙子:訳『エンド・ハウス殺人事件』)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(田村隆一:訳)]/2011年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(真崎義博:訳)]】

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青春ハードボイルド・文芸ミステリであると同時に、ビルドゥングスロマンでもある。

『解錠師』.jpg解錠師 ハヤカワ・ポケット・ミステリ.jpg  解錠師 ハヤカワミステリ文庫.jpg 2解錠師 ハヤカワミステリ文庫.jpg  スティーヴ・ハミルトン.jpg Steve Hamilton
解錠師〔ハヤカワ・ミステリ1854〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』『解錠師 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

The Lock Artist.png 2012(平成24) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第1位。2013 (平成25) 年「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位。早川書房の「ミステリが読みたい! 2013年版」(海外編)第2位。

 8歳の時にある出来事から言葉を失ってしまったマイクだが、彼には。絵を描くこと、そしてどんな金庫の錠前も解錠することが出来る才能があった。孤独な彼は錠前を友に成長し、やがて高校生となったある日、偶然からプロの金庫破りの弟子となり、芸術的腕前を持つ解錠師になっていくと同時に、犯罪の世界にどっぷり引き摺り込まれていく―。

"Lock Artist"

 IBM本社勤務社員との二足の草鞋を履く作家スティーヴ・ハミルトン(Steve Hamilton)が2009年に発表した長編小説(原題:The Lock Artist)で、物語は、刑務所に服役中の主人公のマイケルの独白という形で始まり、彼の半生が主に二つの時間―ポケベルで呼び出され、全米各地の泥棒たちに金庫破りの技術を提供して過ごす解錠師としての日々と、伯父に引き取られてミシガン州ミルフォードで暮らし始め、若き解錠師になるまでの日々―を行き来しながら進行し、その両方に、マイケルが高校生の時に知り合った恋人のアメリアとの関係が絡んできます。

 誰かがこの作品を"青春ハードボイルド"と呼んでいましたが、まさにそんな感じ。エルモア・レナードやドン・ウィンズロウのようなハードボイルド・タッチでありながら、10代の若者を主人公にした青春小説でもあり、また、マイケルの細やかな心の動きを精緻に描いている点では、文芸小説的でもあります。

 アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長編賞、英国推理作家協会賞スティール・ダガー賞の英米2冠を受賞した作品で、この作品の前年に同じくエドガー賞を受賞をした、ジョン・ハートの『ラスト・チャイルド』(2010年/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)(こちらも英国推理作家協会賞との2冠)なども、少年を主人公として"文芸"っぽい感じだったことを思い出しました。『ラスト・チャイルド』も、「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)で1位に選ばれており(「このミステリーがすごい」は5位)、殆ど純文学と言っていいローリー・リン・ドラモンドの『あなたに不利な証拠として』(2006年/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)も、「週刊文春ミステリー ベスト10」「このミステリーがすごい!」の両方で1位。日本にも、こうした"文芸ミステリ"のような作品を好む人が結構いるのだなあと。

 但し、この作品においては、主人公が身の危険に晒される場面が多く登場し、特に後半は凄惨な場面も多く、一歩間違えば命を失う綱渡りの繰り返しになっていってハラハラさせ、一方で、終盤には、彼の口がきけなくなったトラウマの元となった事件について明かされていき、サスペンス感も充分にあります。

 社会の暗部、犯罪の世界にどっぷり染まった絶望的な状況で、自分なりに懸命に生きようともがく主人公の姿が、抑制されたトーンで描かれているだけに、じわーっと胸に迫ってくるものがあり、また、彼の唯一最大の武器である解錠のテクニックがかなり詳細に記されていて、リアリティ溢れるものとなっています。

 犯罪の場面が多く、仲間の裏切りといった局面も出てくる分、主人公のある意味ブレない生き方は爽快でもあり、読後感も悪くありませんでした。
 本作品は全米図書館協会アレックス賞も受賞していて、これはヤングアダルト世代に読ませたい一般書に与えられるものですが、確かに少年の成長物語としても読める点では"ビルドゥングスロマン(教養小説)"的要素もあるかも。

 となると、この作品、青春ハードボイルド・文芸ミステリであると同時にビルドゥングスロマンであるということになるね。

【2011年新書化[ハヤカワ・ポケット・ミステリ]/2013年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫]】

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不測の要素に振り回された感はあるものの、プロットとドラマを兼ね備えた傑作。

満潮に乗って hpm 1957.jpg 満潮に乗って ハヤカワミステリ文庫.jpg 満潮に乗って クリスティー文庫.jpg Taken at the Flood.jpg
満潮に乗って (1957年) (世界探偵小説全集)』『満潮に乗って (1976年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『満潮に乗って (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』 "Taken at the Flood: A Hercule Poirot Mystery (Mystery Masters)"

TAKEN AT THE FLOOD .Fontana.jpg ロンドン郊外の片田舎ウォームズリイに住むクロード一族は、億万長者ゴードン・クロードの庇護下で金に不自由しない生活を送っていたが、ゴードンがニューヨークで孫のような年の娘ロザリーンと結婚、ロンドンに戻ってきて数ヵ月後に空襲で亡くなったことから、一族の歯車が狂いだす。空襲では3人の使用人とゴードンは死んだが、ロザリーンと、一緒にいた彼女の兄デイヴィッド・ハンターは助かる。ゴードンは莫大な遺産をロザリーンが相続させるよう遺言状を書き換えていた。彼女は再婚で、最初の夫ロバート・アンダーヘイはナイジェリアの行政官だったが、現地で熱病にかかって死亡していた。教養に乏しいロザリーンに全てを持っていかれるのがクロード一族の人々には耐え難かったが、粗野で下品なロザリーンの兄のデイヴィッド・ハンターは、一族の者が金に困ってロザリーンに無心に行くと、頼みを断れないロザリーンの代わって断り追い返していたため、ロザリーン以上に嫌われていたー。

TAKEN AT THE FLOOD .Fontana.1970

 ある日ウォームズリイにイノック・アーデンと名乗る男が現れ、村の宿屋に宿泊した。彼はハンター、ロザリーン兄妹に手紙で、ロザリーンの前夫アンダーヘイのことで重要な話があると言い、ハンターが宿にアーデンを訪ねると、アンダーヘイは存命で自分はその証拠を握っているので幾らでその証拠を買うかとハンターを恐喝、ハンターは1万ポンドを2日後に払うことで手を打ち、ロザリーンをロンドンに避難させて金策を始める。しかし、ハンターがアーデンに金を払う予定だった日の夜、アーデンは宿の客室で頭を殴打されて死亡しており、傍らには凶器と思われる暖炉の火掻き鋏が落ちていた。宿屋の女主人ビアトリス・リピンコットが、アーデンがハンターを恐喝するのを立ち聞きしていたことから、ハンターに容疑がかかる。クロード一族にとっては犯人が誰なのかより、アンダーヘイが生きているかどうかの方が問題であり、仮にアンダーヘイが存命なら、ゴードンとロザリーンの結婚は無効で、ロザリーンは遺産相続ができないことになる。クロード一族の一人ローリイ・クロードはエルキュール・ポアロに電話し、アンダーヘイを知る人を探し出してくれるように依頼、ポアロは戦争中にクロードとロザリーンの結婚とクロードの死、ロザリーンが突然億万長者になった話をクラブで聞いており、クラブ会員でアンダーヘイの知人だったポーター少佐を探し出す。少佐は検死審問で、イノック・アーデンと名乗る死体をアンダーヘイだと証言、この証言によってアーデン殺害犯はハンターしかいないとされ、ハンターは警察に拘引されるが、後に新事実が判明し、ハンターにはアリバイが成立してしまう。では、誰が何の目的でイノック・アーデンを名乗る男を殺したのか―。

満潮に乗って コリンズ.jpg満潮に乗って usa.jpg 1948年に刊行されたアガサ・クリスティのエルキュール・ポアロシリーズの長編第23作で(原題:Taken at the Flood (米 There Is a Tide))、戦争が生んだ一族の心の闇をポアロが暴くもの。前半部で一族の関係を丁寧に描いていますが、傍らに家系図のメモが必要かも。ポワロが本格登場するのは第2部からで、前半部分を冗長と感じるか、伏線として後半の展開を楽しみにしながら読めるかで評価は分かれそうです(個人的には愉しめた)。
"Taken at the Flood "Collins Crime Club(英)/"There Is a Tide"Dodd Mead Company(米)

 死亡事件が3件というのはクリスティ作品としては珍しくない数ですが、結構プロットは複雑な方ではないかと思われ、物語を複雑にしている要因は、自殺か、他殺か、事故死かが入り交じって考えられることで、普通の推理小説であれば、結局は全て特定の犯人による犯行(他殺)であったということに行き着くのですが、この作品では...。

 加えて、作品の中でポワロ自身が仄めかしているように、通常であればAがBを殺害し、CがDを殺害したと見えるような状況において、犯人と被害者の組み合わせを変えてみる必要があるということ。しかし、まさかその結果、利害関係が一致するように見える者同士の間で「犯人-被害者」関係が成立するとは誰も思わないのではないでしょう。そこには偶発的な要素も介入していて、これはもう読者には解決不可能な、ポワロにしか解けない(言い換えれば作者にしか判らない)結末になっているような印象も。

 という訳で、ここからはややネタばれになりますが、イノック・アーデンどころかロザリーンも真っ赤な偽物だったわけだなあ。空爆で誰が死んだか正確に伝わってなかったのかなあ。アンダーヘイの顔も知る人が殆どいなかったわけで、まあ、戦前から戦中、戦後にかけてのごたごたの中では、そうしたこともあり得たかもしれないけれど。ましてや、アフリカの奥地で亡くなった前夫となると、写真もないんだろうなあ。

 でもクリスティの中期以降の「ドラマ重視型」作品の中では、本格ミステリの要素も十分に備えた作品だと思います。この類型では、『ナイルに死す』(1937)が知られていますが、クリスティー文庫の解説で中川右介氏が書いているように、「誰が殺したか」の前に「誰が殺されるか」、「意外な犯人」と併せてその前に「意外な被害者」をもってきている点では、本格ミステリとして『ナイルに死す』から進化していると言えるかもしれません。事故や自殺といった測り知れない要素に振り回された感もややあるものの、個人的には傑作だと思います。

クリスティのフレンチ・ミステリー⑧満潮に乗ってdvd.jpgクリスティのフレンチ・ミステリー⑧満潮に乗って01.jpgクリスティのフレンチ・ミステリー⑧満潮に乗って06.jpg「クリスティのフレンチ・ミステリー(第8話)/満潮に乗って」 (11年/仏) ★★★★
DVD(輸入盤)
 
【1957年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(恩地三保子:訳)]/1976年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(恩地三保子:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(恩地三保子:訳)]】

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本格推理として楽しめ、主人公の特異なキャラクターの描き方も優れている傑作。

エッジウェア卿の死 ハヤカワミステリ文庫.jpg  エッジウェア卿の死 クリスティー文庫.jpg   晩餐会の13人 (創元推理文庫.jpg    Lord Edgware Dies.jpg
エッジウェア卿の死 (1979年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『エッジウェア卿の死 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』(福島正実:訳) 『晩餐会の13人 (創元推理文庫 105-23)』(厚木淳:訳) "Lord Edgware Dies (Poirot)"

 ある夜、ポアロとヘイスティングスは舞台上で演じられる、カーロッタ・アダムスの見事な形態模写を楽しんだ。彼女は客席にいた大女優ジェーン・ウィルキンスンまでをも完璧に演じ喝采を浴びていた。舞台終了後、ジェーンはポアロに相談を持ち掛けるが、それは別居中の夫エッジウェア卿との離婚を調停するというつまらないものだった。事件性の無く場違いな頼み事にヘイスティングスは辟易するが、ポアロは不思議な心理の動きを感じ取り依頼を快諾し、翌日、エッジウェア卿を訪ねるも、彼は離婚に全く異存は無く、既に手紙で同意の意思を伝えてあるはずだと言う。その夜、ジェーンを名乗る女がエッジウェア邸を訪れ、翌朝殺害されたエッジウェア卿が発見されるという事件が勃発、ジェーンに殺害動機があったにしても既に解決したはずであり、彼女には確かなアリバイもある。その女がカーロッタだとすれば、動機は不明であるが、今度はそのカーロッタが何者かによって毒殺される―。

Lord Edgware dies 1984.jpg 1933年に刊行されたアガサ・クリスティのエルキュール・ポアロシリーズの長編第7作で(原題:Lord Edgware Dies)、ヘイスティングスが事件の顛末を語るスタイルのものですが、結構プロットは複雑な方ではないかと思います。

 物語を複雑にしている要因として、幾つかの偶然の出来事(必然かもしれない)が事件に関係していることがあり、エッジウェア卿が殺された夜、彼と不仲だった甥で遺産相続人のロナルド・マーシュがエッジウェア卿の屋敷を訪ねていたこともその1つ(容疑者として逮捕されたロナルドは、実は金銭的にも逼迫していた)。そして彼のことが好きなエッジウェア卿の娘ジェラルディン・マーシュも、その夜オペラハウスで彼と会ってその場所へ向かい、屋敷に上がっているわけで、彼女にも殺害の容疑が。更に、金をくすねて逃げたというエッジウェア卿の執事も俳優のブライアン・マーティンによく似ていたといい、ブライアンも怪しくなり―と、相変わらず容疑者の数には事欠きません。

Berkley Books (New York、1984)

 個人的には、犯人は、論理的にと言うよりも雰囲気的に見当はついた感じでしょうか。ジェーン・ウィルキンスンが、自分の物真似をするのが上手な女優カーロッタ・アダムズを何らかの目的のために替え玉に使ったことは比較的容易に憶測可能ですが、自分は晩餐会に出席していて、その間に自分に化けたジェーン・ウィルキンスンをエッジウェア卿の屋敷に向かわせ、夫を殺させた―と読者に思い込ませるところが作者の巧みな点で、これには自分も見事に騙されました。

 晩餐会の出席者が大勢いて、誰も変だと気づかなかったのかというリアリティ欠如を指定する向きもありますが、女優は舞台や新聞写真で観るのと間近で見るので違って見えるというのもあるだろうし、彼女の知己と呼べるような人は晩餐会の客にはいなかったという点でリアリティは担保されているとみていいのでしょう。

 しかも、全く誰も気付かなかったというわけではなく、後になってからですが、俳優のドナルド・ロスは、別の昼食会で、問題の人物の会話から察せられた本人の無教養から、晩餐会に出ていた教養ある女性と昼食会の女性は別人物であることに気付いたわけです("本物"は"偽物"よりずっと無教養だったわけか!)。そして、疑問を感じた彼も、ポワロと連絡を取ろうとして行き違いになった間に殺害されてしまい、これが第三の殺人。

 犯人が目的のためにあまりに易々殺人を犯してしまうのも、犯人の確証を得にくい原因かもしれませんが、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という序列の貴族社会において、男爵夫人から公爵夫人に成り上がるということは、上流指向の強い人間にとってはかなりの動機付けになるのでしょう。マートン公爵ががちがちのカトリック信者で、初婚または夫との死別後に再婚する女性しか結婚相手として考えておらず、離婚では条件を満たさないというのも、戦国・江戸時代から武家の間でも出戻り再婚があった日本人の感覚からすると分かり辛いですが、犯人の動機の背景になっています。

 凝ったプロットですが、凝り過ぎたゆえにクリスティ作品の中でもややマイナーなのかも。或いは、犯人の動機が離婚・結婚を巡るもので、せせこましい印象があるのかも(3人も殺されてはいるのだが)。但し、本格推理としても楽しめ、一方で、ジェーン・ウィルキンスンという女性の特異なキャラクターの描き方も優れていて、クリスティらしい傑作であるように思います。

エッジウェア卿殺人事件 vhs2.jpgThirteen at Dinner 1985 04.jpg「名探偵ポワロ/エッジウェア卿殺人事件」 (85年/米) ★★★☆  David Suchet/Peter Ustinov

フレンチ・ミステリー/エッジウェア卿の死dvd.jpgエッジウェア卿01.jpg「クリスティのフレンチ・ミステリー(第11話)/エッジウェア卿の死」 (12年/仏) ★★★

【1955年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(福島正実:訳)]/1975年文庫化[創元推理文庫(厚木淳:訳『晩餐会の13人』)]/1979年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(福島正実:訳)]/1990年再文庫化[新潮文庫(蕗沢忠枝:訳『エッジウェア卿殺人事件』)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(福島正実:訳)]】

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作者の"最高傑作"とは言い難い気がするが、それなりに楽しめた。WMは電気にこだわり過ぎ?

バーニング・ワイヤー0.JPG『バーニング・ワイヤー』.JPG
バーニング・ワイヤー』(2012/10 文藝春秋)

 2012 (平成24)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第4位、2013(平成25)年「このミステリーがすごい」(海外編)第8位作品。

 ニューヨークで、何者かが市内の4つの変電所の電力をバス停近くの変電所に集中させて放電、アークフラッシュ(電気による爆発)の市バス直撃は逸れたもののバス停のポールを直撃、溶けた鉄が高速シャワーとなってバスに乗ろうとしていた乗客に降り注ぎ、死者1名、ケガ人多数という事故となる。当該変電所The Burning Wire.jpgを所有する電力会社アルゴクイン・コンソリデーテッドは、大量の化石燃料を燃焼させて二酸化炭素を排出しており、現社長は再生可能エネルギーに前向きではない。折しも地球の日"アースデイ"が間近に迫っており、環境テロの可能性も考えられる。市警から事故捜査依頼を受けた四肢麻痺の科学捜査顧問リンカーン・ライムの元に、FBIや市警の面々が駆けつける。その頃ライムは、"ウォッチメイカー"がメキシコで新たな犯行を計画中との情報を掴んでおり、メキシコ連邦警察の協力を取り付け、ニューヨークからその動きを見張っていた。彼は市バスの事故現場にアメリア・サックスとルーキーのプラスキーを向かわせるが、収穫は得られない。やがて、アルゴクインの社長ジェッセンの自宅宛に犯人から脅迫状が届き、ニューヨーク市内全域の電気供給を半分に落とさなければ、また事故を起こすという。犯人はいわばニューヨークを人質にとったのだった。残された時間は3時間しかなく、犯人は単独犯か複数犯か、目的は何かなどが全く不明なまま、脅迫状の期限の時間が迫る―。
"The Burning Wire: A Lincoln Rhyme Novel"[ Audiobook](CD)

 2010年発表のジェフリー・ディーヴァーの"リンカーン・ライム"シリーズの第9作で(原題は"The Burning Wire")、ライムの"パートナー"アメリア・サックスをはじめ介護士のトム、ルーキーのプラスキー、FBIのデルレイなどオールキャストが集結したという感じ(別シリーズのキャサリン・ダンスや、『悪魔の涙』の筆跡鑑定士パーカー・キンケイドまで顔を出す)。加えて、宿敵" ウォッチメイカー"が三度目の登場ということで、しかも、電力問題という時事的なテーマを扱っており、書評などを見ると、作者のこれまでの邦訳作品の中で最高傑作に推す人も多いようです。

 個人的にも、2段組み470ページ超の大著ながらスンナリ引き込まれてグイグイ読み進むことができましたが、これで"ウォッチメイカー"が絡んでこなければ、何のための前振りか―と思いつつ読み進んでいた分、ラストのドンデン返しはさほどのこともなかったかなあ。むしろ、えーっ、こんなもんであの" ウォッチメイカー"との決着はついてしまったの、という感じでしょうか。

 その前に、ライムと"ウォッチメイカー"との間で、延々と事件の経緯及び謎解きを"読者向け解説"調で話しているのも、親切と言えば親切ですが、状況的に不自然と言えば不自然とも言えるのではないでしょうか。「2時間ドラマ」などによくある、犯人が自らの犯行を滔々と解説している内に捕まってしまうというパターンを踏襲してしまっている印象も受けました。

 とは言え、FBIニューヨーク支局補マクダニエルの科学的捜査の前に、自分の足で稼ぐ捜査方法は時代遅れになってしまったのかと思い悩むベテランFBIデルレイの話など、サイドストーリーの噛ませ方は上手く、また、ルーキーのプラスキーの成長ぶりや事件解決後にライムがとった行動なども、物語を単なるサスペンスに終わらせず、余韻を残すものにしています。

 個人的には、作者の"最高傑作"とは言い難い気がしますが、それなりに楽しめました。但し、作者が「電気」にこだわった分、"ウォッチメイカー"もあまりに「電気」にこだわり過ぎたという印象はあります。"ウォッチメイカー"は「電気」の"お勉強"に勤しみ過ぎて、実地で詰めを欠いたのかな。あの"ウォッチメイカー"にして不甲斐なさすぎる結末。むしろ、デルレイの物語の結末の方が、マクダニエルとの対比において読み手側としてはカタルシス効果があったように思います(これも"最新鋭"の捜査手法がベテランが足で稼ぐという泥臭い手法の前に敗れ去るというパターナルな組み合わせではあるが)。

 【2015年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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『ボーン・コレクター』に匹敵するか、心理描写の部分ではそれ以上。結局これが一番の傑作。

『静寂の叫び』.jpg       『静寂の叫び』上.jpg『静寂の叫び』下.jpg 『静寂の叫び』文庫.jpg
静寂の叫び (Hayakawa novels)』『静寂の叫び〈上〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『静寂の叫び〈下〉 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 
『静寂の叫び』新.jpg カンザス州で聾学校の生徒と教員を乗せたスクールバスを3人の脱獄囚が乗っ取り、閉鎖された食肉加工場に生徒たちを監禁して立て籠もるという事件が発生、FBI危機管理チームのアーサー・ポターは犯人側との人質解放交渉に臨むが、聡明な女生徒が凶弾に倒れ犠牲となる。一方、工場内では教育実習生のメラニーが生徒たちを救うために独力で反撃に出るが―。

A Maiden's Grave.jpg 1995年にジェフリー・ディーヴァー(Jeffery Deaver)が発表した作品で(原題:A Maiden's Grave(乙女の墓))、『ボーン・コレクター』('97年)の一つ前の作品ということになりますが、この作品でコアなミステリ・ファンの間でディーヴァーの名が認知されるようになったとのことです(「このミステリーがすごい!」第5位、「週刊文春ミステリーベスト10」第8位)。そして『ボーン・コレクター』で一気に世界的メジャーのサスペンス作家になったわけですが、この作品も『ボーン・コレクター』に匹敵するぐらいの力作で、むしろある部分では超えているくらいの出来ではなかったかと思います。

 『ボーン・コレクター』ほどの人気でないのは、主人公の交渉人ポターが妻を亡くした寡男で腹の出た中年で、しかも人質交渉において必ずしも完璧ではなく、一時は相手に完全に裏をかかれてしまうなど、ハリウッド映画的ヒーローの基準からやや外れているからでしょうか。ジェフリー・ディーヴァーの『ボーン・コレクター』以降の作品は、映画的ヒーロー及び犯人、映画的展開をかなり意識しているように思います。

 最初の方で聡明な女生徒が犠牲になってしまうというのも、ハッピーエンドを望む読者には沿わないものだったかもしれません。こうした人質交渉において人質の生命の安全を第一に考える日本の警察の絶対価値基準に対し、向こうは人質をテロリストであると見做し、彼らに絶対に屈服することなく、"最小限の犠牲のもと"事件を解決することが第一優先のようです。この違いを受け容れたうえで読めば、或いは受け容れられないまでも日米の考え方の違いを念頭に置いて読めば、この作品に対する興味は深まるのではないでしょうか。

 個人的には、交渉の詳細な過程や犯人・人質・交渉人の心理の描写、FBI・州警察の現場での主導権争い等々、十分に堪能できました。『ボーン・コレクター』のような"ジェット・コースター"的展開が好みの読者にはこのあたりが冗長感をもって受け止められるのかもしれませんが、こうした交渉人と犯人の心理戦を克明に描いた作品も悪くないと思いました。面白さや緊迫感という点では、この作者の作品の中で一番かも。

デッドサイレンス.jpg 但し、残酷な場面も多く、映画化はされにくい作品との印象を持っていましたが、ダニエル・ペトリー・ジュニア監督、ジェームズ・ガーナー、マーリー・マトリン(「愛は静けさの中に」('86年)でアカデミー主演女優賞受賞。彼女自身、難聴者)主演でテレビ映画「デッドサイレンス(Dead Silence)」('96年製作、1997年放映/米)として映像化されています(日本では劇場公開されたようだが、前半部分で少女が射殺される場面や、後半部分で中年の女教師がレイプされる場面などは改変されているのではないか)。

 因みに、原題の"A Maiden's Grave"(乙女の墓)は、メラニーが8歳の頃、コンサートで聴いた曲のタイトルを兄に訊ねたところ、兄が「アメイジング・グレイス」だと答えたのを「ア・メイデンズ・グレイヴ」と聞き間違えた―つまり、その頃から聴力が急激に落ち始めていた―エピソードに由来していますが、人質交渉の冒頭で殺害されてしまった少女に懸けているのではないでしょうか。
 
【2000年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(上・下)]】

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同じ所をぐるぐる回っている感じで深化しない。スペシャリスト不在だと面白くない作家か。

追撃の森.jpg 『追撃の森 (文春文庫)』 『追撃の森』2.JPG

the Bodies Left Behind.jpg 断片的な通報を受けたウィスコンシン州ケネシャ郡の保安官は、女性保安官補ブリン・マッケンジーを、現場である周囲を深い森に囲まれた湖畔の別荘へ派遣、彼女はそこで別荘の所有者である夫婦が殺されているのを発見するとともに殺し屋の銃撃に遭い、現場で出会った銃撃を逃れた女性を連れて深夜の森を走る。無線も無く、援軍も望めない中、女2人vs.殺し屋2人の戦いが始まる―。

 2008年にジェフリー・ディーヴァー(Jeffery Deaver)が発表した作品で(原題:The Bodies Left Behind)、"リンカーン・ライム"シリーズのようなシリーズ作品ではなく、所謂スタンドアローン作品です。

 『ボーン・コレクター』('97年)以降、ハリウッド映画のヒーロー的な主人公が多かった彼の作品にしては新基軸と言うか、むしろ、心理描写、犯人との直接的駆け引き重視という点で、初期作品『静寂の叫び』('95年)に原点回帰した印象です。

 全体の8割が森の中での追走劇に割かれている点では、ほぼ同じ割合が食肉加工工場に立て籠もった犯人と交渉人の遣り取りに割かれている『静寂の叫び』と似ているし、その後のどんでん返しのパターンも良く似ています。

 但し、主人公のブリンは単なる女性保安官補に過ぎず、『静寂の叫び』のFBI危機管理チーム交渉人アーサー・ポターや、『ボーン・コレクター』('97年)の犯罪学者リンカーン・ライム、『悪魔の涙』('99年)の文書検査士パーカー・キンケイド、『スリーピング・ドール』('07年)の「キネシクス」分析の天才キャサリン・ダンスといったスペシャリストは出てきません。

 そうした意味ではディーヴァーの"新境地"なのかもしれないけれど、森の中での追走劇が同じ所をぐるぐる廻っている感じで、ストーリー的に深化していかず平板な印象を受け、結果的に、単刊の割には冗長に感じられました。

 『静寂の叫び』にも「冗長」との批評はありましたが、交渉人のテクニックなどが披瀝されていて、その分、心理描写も深いものになっていたように思われ、それに比べるとこちらは物足りない感じ。やはりこの人の作品は、スペシャリストが出てこないと面白くないのか。

 例の女性の正体が途中でバレないのも不自然。殺し屋の方は彼女の正体を知っているのに何故そのことを利用しなかったのか、やや不思議に思われました。

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主人公は変われどパターンは同じ? リアリティ面での疑問も残るが、そこそこ楽しめた。

悪魔の涙.jpg悪魔の涙 (文春文庫)』 悪魔の涙』1.JPG

The Devil's Teardrop0_.jpg 大晦日の午前9時、大勢の人々が行き交うワシントンの地下鉄の駅で乱射事件が発生し、多数の死傷者が出る。まもなく犯人から市長あてに脅迫状が届く。正午までに二千万ドル用意しなければ、午後4時から4時間おきに無差別殺人を繰り返すという内容だった。刻一刻と迫る期限。しかし思いもかけないアクシデントが。犯人を追うための唯一の手がかりは、手書きの脅迫状のみ。FBIは数年前に引退した筆跡鑑定の第一人者、パーカー・キンケイドの出動を要請する―。

 1999年にジェフリー・ディーヴァー(Jeffery Deaver)が発表した作品で(原題:The Devil's Teardrop)、『ボーン・コレクター』('97年)、『コフィン・ダンサー』('98年)とリンカーン・ライム・シリーズを発表した後、ちょっと目先を変えてと言うか、この作品の主人公は、文書検査士のパーカー・キンケイド。彼はリンカーン・ライムと知己ということで、リンカーン・ライムもちょこっと電話で登場します。

"The Devil's Teardrop: A Novel Of The Last Night Of The Century (English Edition)"

 パーカー・キンケイドは離婚した後に、2人の子どもと暮らしていますが、子供を危険に晒したくないという思いもあり、また、いいかげんな母親に子供の監護権を奪われたくないという気持ちもあって、最初はFBIの要請を拒みますが、結局、プロ魂の成せる業というか、捜査にずっぽりハマっていきます。

 お話は1日の出来事を追っていて、その1日で完結するものの、僅か1日の中に様々な展開があって、最後はこの作者お約束のドンデン返し。しかもそれが一度ならず二度、三度あって...。

 パーカー・キンケイドが定型的な筆跡鑑定というものを否定し独自の「文書鑑定」という手法を用いているのは、リンカーン・ライムが犯人捜査のための定型的なプロファイリングを否定し、独自の手法を採るのとパラレルになっている感じで、その他にも、実行犯にサイコパスのきらいがあったり、捜査陣の身内に犠牲者が出たり、キンケイドの家族に危険が及んだりと、リンカーン・ライム・シリーズとの相似形が多々見られましたが、結局この作者、このパターンで書くのが一番面白く、また、テンポ良く書けるのかな。

 キンケイドのキャラクターはリンカーン・ライムほど気難しくなく、私生活で子どもの養育権を守るための元妻との争いに苦労しているなど、何となく親しみを覚え、最後のFBI女性捜査官マーガレット・ルーカスとの事の成り行きも、良かったねと言うか、まあ、こうなるだろうなあと(この男女関係もリンカーン・ライム・シリーズとパラレル)。

 やはり予測がつかなかったのは、立て続けのドンデン返しで、特に犯人側に関わる大きなのが2つ。但し、プロットが凝り過ぎて(特に実行犯の方)、リアリティ面でどうかなあという印象も―。実行犯はある種"被催眠状態"のような感じで犯行を繰り返しているわけで、そんな実行犯にそこまでのことが出来るかなあという思いもありました。

 でも、まあ、そこそこ楽しめました。文庫本で1冊に収まっているのもいいです(と言っても570頁あるが)。

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ドラマ以上にフーダニット(犯人探し)がじっくり堪能できる原作。

Written in Blood Caroline Graham.jpg空白の一章2.JPG 空白の一章.jpg CAROLINE GRAHAM.gif 血ぬられた秀作 dvd.jpg
"Written in Blood: The 4th Inspector Barnaby Mystery"『空白の一章―バーナビー主任警部』Caroline Graham「バーナビー警部~血ぬられた秀作[DVD]

Written in Blood.jpg アマチュア作家サークルのメンバー、ジェラルド・ハドリーが自宅で惨殺された。殺害される直前、ジェラルドが緊張しているのを他のメンバーは不審に思っていた。その夜、サークルがゲストに招いたプロ作家マックス・ジェニングズと関係があるのか......。捜査が進展するにつれ、被害者ジェラルドの素性を誰も知らないことがわかる。一方、疑惑の人、ジェニングズは事件後に旅立ったまま、行方がわからない。ロンドン郊外の架空の州ミッドサマーを舞台に、バーナビー主任警部と相棒のトロイ刑事が、錯綜する人間関係に挑む―。

 バーナビー警部とトロイ部長刑事のコンビが活躍するTVドラマシリーズ「バーナビー警部」の原作者である英国のキャロライン・グレアム(Caroline Graham、1931-)の「バーナビー主任警部」シリーズの1994年に発表された第4作(原題:Written in Blood)で、作者はシリーズ第1作『蘭の告発』(1987)で注目を集め、1997年からイギリスのITVでの放映が開始、2012年までに92話が放映されています。

Written in Blood (Chief Inspector Barnaby Series #4) Audiobook

 「92話」というとスゴイ数ですが、原作そのものは7作しかなく、翻訳されているのは第1作『蘭の告発』、第2作『うつろな男の死』とこの第4作『空白の一章』のみです。グレアムは、舞台女優やフリーランスのジャーナリストなどの職業を経て作家となり、最初はロマンス小説や児童書などを書いていて、「バーナビー主任警部」シリーズの第1作を発表したのが56歳の時、2004年にシリーズ第7作を発表した時点で73歳になっていますから、今後は「新作」を望むというより、「新訳」を望むということになりそうです。

 本書は単行本で500ぺージ以上ある大作ですが、翻訳がこなれていて読み易い上に、ストーリーの展開が巧みで引き込まれ、ほぼ一気に読めます。
 映像化作品の方は、シリーズ第4話として1998年に英国で放映され、日本では2002年に「小説は血のささやき」としてNHK-BS2で放映され、ミステリチャンネルで再放映された際に「血ぬられた秀作」というタイトルとなり、それがDVDのタイトルにもなっています。

 多くの人物が登場するにも関わらず、人物描写の書き分けが丁寧で、犯人当ての醍醐味も十分楽しめます。本来は、映像化作品を観る前に原作を愉しみたいところですが、ドラマ版が日本で初放映されて10年以上たってやっと翻訳が出されているわけで、殆どの人がドラマの方に先に触れることにならざるを得ないのは致し方ないところでしょうか(自分もその一人)。

 ドラマと比べると、ジェラルド・ハドリーが殺害される前にプロ作家マックス・ジェニングズと二人きりにしないでくれと懇願した相手が違っていたり、ドラマにおける、マックス・ジェニングズの作家になる前の職業が精神科医であって、精神分析を通してジェラルド・ハドリーの過去の秘密を知るといった経緯が、ドラマ版のオリジナルであったことが分かりますが、何よりも大きな違いは、ドラマで殺害されるマックス・ジェニングズが原作では殺されないという点で、そのため、マックス・ジェニングズ自身の口から過去の出来事の経緯が語られるという点ではないでしょうか。

Written in Blood (1998).jpg とは言え、ドラマは原作のストーリー展開をほぼ活かしていたように思われ、但し、時間的制約もあって、その重厚さにおいてやはり原作にはかなわないといった印象もあり、そのために、第二の殺人を強引にもってきたのではないでしょうか。今風のテンポの速いサスペンスに慣れた読者には、原作はやや話がゆったりし過ぎているように感じられるというのもあるのかもしれませんが、個人的にはやはり原作の方が上。

 ドラマのラストにあったヒッチコックの「サイコ」ばりのエピソードは原作通りだったのだなあ。原作もドラマもこれからという人は、先に原作を読んでフーダニット(犯人探し)をじっくり堪能した上で、ドラマで改変を愉しむという順番の方をお勧めします。 「バーナビー警部(第2話)/血ぬられた秀作」 (98年/英) ★★★☆

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誤訳論争はあるが清水俊二訳の方が好みか。再読でも楽しめる("叙述トリック"探しで?)。

そして誰もいなくなった ポケミス.jpg そして誰もいなくなった ポケット.jpg そして誰もいなくなった ポケット2.jpg そして誰もいなくなった クリスティー文庫 旧.png そして誰もいなくなった 青木訳.jpg
そして誰もいなくなった (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery196)』['55年・'75年('01年復刻版)/清水俊二:訳]『そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』['03年/清水俊二:訳]『そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』['10年/青木久恵:訳(装幀:真鍋博[1976年4月刊行のハヤカワ・ミステリ文庫初版カバーを復刻)]
ハヤカワ・ミステリ文庫創刊ラインナップ.jpg
 英国デヴォン州のインディアン島に、年齢も職業も異なる10人の男女が招かれるが、招待状の差出人でこの島の主でもあるU・N・オーエンは姿を現さない。やがてその招待状は虚偽のものであることがわかったが、迎えの船が来そして誰もいなくなった (ハヤカワ・ミステリ文庫).jpgなくなったため10人は島から出ることが出来なくなり、10人は島で孤立状態となる―。

そして誰もいなくなった (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 1-1))』[清水俊二:訳]
          
And Then There Were None.jpgAnd Then There Were None2.jpg 1939年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品(原題:Ten Little Niggers (米 Ten Little Indians) (改題:And Then There Were None))で、1982年実施の日本クリスティ・ファンクラブ員の投票による「クリスティ・ベストテン」で第1位になっているほか、早川書房主催の作家・評論家・書店員などの識者へのアンケートによる「ミステリが読みたい!」の2010年オールタイムベスト100の第1位、2012年実施の推理作家や推理小説の愛好者ら約500名によるアンケート「週刊文春・東西ミステリーベスト100」でも1位となっており(1976年創刊の「ハヤカワ・ミステリ文庫」の創刊ラインアップでもトップにきている)、クリスティの自選ベストテン(順不同)にも入っていて、クリスティ自身、インタビューで、自分でも最も上手く書けた作品であると思うと言っていたこともあります。

Collins Crime Club(1939)

そして誰もいなくなったcontent.jpgAND THEN THERE WERE NONE .Fontana.jpg この作品がよく読まれる理由の一つとして、10人もの人間が亡くなる話なのに長さ的には他の作品と同じかやや短いくらいで、テンポよく読めるというのもあるのではないでしょうか(しかも、後半にいくほど殺人の間隔が短くなる)。その分、登場人物の性格の描写などは極力簡潔にとどめ、心理描写も他の作品に比べると抑制しているように思います。まあ、あまり"心理描写"してしまうと「叙述トリック」になってしまうからでしょう。

AND THEN THERE WERE NONE .Fontana.1990

 それでも、『アクロイド殺し』のようにストレートにではないですが、「叙述トリック」の部分があり、よく知られている箇所では、生存者が残り6名になった時、残り5名になった時、残り4名になった時にそれぞれの内面心理の描写の羅列があって、お互いが疑心悪鬼になっている様が描かれているのですが(どれが誰の心理描写かは記されていない)、4名になった時はともかく6名と5名の時は、この中に「叙述トリック」があると。但し、それが"ウソ"の心理描写になっていてアンフェアでないかという指摘があります(つまり、そのうちの1つは犯人のものであるから)。

清水俊二3.jpg ところが、これは実は一部に訳者の清水俊二(1906-1988)の誤訳があって、正しく訳せば、例えば残り5名になった時の5人の心理描写の内の問題の1つは、当事者それなりのあることを警戒する心理を描いたと解することができるものであり、クリスティが巧妙に(アンフェアにはならないように)仕掛けた「叙述トリック」に訳者の清水俊二自身が嵌ってしまったとする見方があります(但し、清水俊二訳は誤訳には当たらないという見方もある)。

清水俊二(右は戸田奈津子氏)

そして誰もいなくなった  2.JPG 具体的には、清水俊二訳の1955年・ハヤカワ・ポケット・ミステリ版及び1975年改訂版、並びに1976年ハヤカワ・ミステリ文庫版で、残り5人になったときの各人の心理描写の3人目の中に「怪しいのはあの娘だ...」と訳されている部分がありますが、該当する原文は"The girl..."のみです(後に"I'll watch the girl. Yes, I'll watch the girl..."と続くが)。"The girl..."を「怪しいのはあの娘だ...」と訳してしまうと、この部分の心理描写は実は犯人のものであると思われるので、叙述青木久恵:訳 『そして誰もいなくなったe.pngトリックを通り越して読者をミスリードするものになっているという指摘であり、後の清水俊二訳('03年・クリスティー文庫版)ではこの部分は「娘...」のみに修正されています(この時点で清水俊二は15年前に亡くなっているわけだが)。因みに、2010年に清水俊二訳と入れ替わりにクリスティー文庫に収められた青木久恵氏の訳(表紙はハヤカワ・ミステリ文庫の1976年4月初版の真鍋博のイラストを復刻)では、この部分は「あの娘だな...」となっています。何れにせよ、"娘"のことを「次は自分の命を奪うかもしれない犯人ではないか」と怪しんでいるのではなく、「自分の計画を失敗に終わらせる原因となるのではないか」と警戒を強めているといった解釈に変更されているのが最近の翻訳のようです。

そして誰もいなくなった ジュニア版.jpg 青木久恵氏による新訳はたいへん読み易いのですが(「インディアン島」が「兵隊島」になっているのはポリティカル・コレクト化か)、ちょっと軽い印象も受けます。青木久恵氏は、2007年に同じ早川書房の「クリスティー・ジュニア・ミステリ」の方でこの作品を翻訳していて、時間的な制約があったのかどうかは知りませんが、自身による前の翻訳が"底本"になっているような感じがしました。より現代にマッチした言葉使いを意識したということかもしれませんが、個人的には清水俊二訳の方が(誤訳論争の対象になってはいるものの)どちらかと言えば好みです。初読の際の"???"の状態のまま最後の方のページをめくる興奮というのもあったかと思いますが...。但し、この作品は、再読でも楽しめる("叙述トリック"探しで?)傑作であることには違いないと思います。
そして誰もいなくなった (クリスティー・ジュニア・ミステリ 1)

そして誰もいなくなった 1945 01 00.jpgそして誰もいなくなった 1945 01.jpg この作品は、ルネ・クレール監督の「そして誰もいなくなった」('45年/米)をはじめ、ジョージ・ポロック監督の「姿なき殺人者」('65年/英)、ピーター・コリンソン監督の「そして誰もいなくなった」('74年/伊・仏)、アラン・バーキンショー監督の「サファリ殺人事件」('89年/米)など10回以上映画化されていますが、何れも、小説の方ではなく、クリスティ自身が舞台用に書いた「戯曲」版をベースにしたり、それをまた翻案したりしているそうで、そうした意味では、小説の方はまだ映画化されていないとも言えます(但し、「10人の小さな黒人」('87年/ソ連)だけは、戯曲版をベースにしておらず、原作での設定や展開がほぼ改変無しで採用されているという)。
ルネ・クレール監督「そして誰もいなくなった」('45年/米) ★★★☆

〈主な映画化作品〉
・「そして誰もいなくなった」('45年/米)バリー・フィッツジェラルド、ウォルター・ヒューストン出演。
・「姿なき殺人者」('65年/英)雪山の頂上の館が舞台になり、ロープウェーが停止し孤立という設定に。
・「そして誰もいなくなった」('74年/伊・仏・スペイン・西独)ピーター・コリンソン監督。舞台が砂漠の中のホテルに。オリヴァー・リード、リチャード・アッテンボロー、シャルル・アズナヴール出演。
・「10人の小さな黒人」('87年/ソ連)クリミア半島オーロラ岬に実存する1911年築の洋館を舞台に撮影。
・「サファリ殺人事件」('89年/英)舞台がアフリカの大草原に。キャンプ場のロープウェーのロープが切断され孤立。
・「サボタージュ」('14年/米)アーノルド・シュワルツェネッガー主演。内容や設定などは全くの別物か。

そして誰もいなくなった bbc02.jpgそして誰もいなくなった bbc01.jpg(●2015年制作の英BBC版テレビドラマは、時代が現代に置き換えられていて、10人のうち数人の属性(過去に犯した殺人の方法や動機など)が微妙に改変されているが、ラストは「戯曲」に沿ったこれまでの映画化作品と違って、原作「小説」の通り全員が"いなくなる"ものだった。)

 クリスティが自作を戯曲化したものでは、例えば戯曲「ナイルに死す」にはポワロが登場しないし、戯曲「検察側の証人」ではラストで小説にはないヒネリを加えるなど(ビリー・ワイルダー監督の「情婦」('57年/米)は戯曲に即して作られている)、小説からの改変が見られますが、この『そして誰もいなくなった』では、物語の中でも指摘されているように、"見立て殺人"のベースになっている童謡の歌詞の最後が「首を吊る」と「結婚する」の2通りあり、戯曲では「結婚する」の方を採用しています(改変するにしても歌詞に則っているのは立派)。

 従って、戯曲版は小説と結末が異なり、最後に男女が一組生き残るわけですが、おそらく戯曲が上演される頃には小説の方はよく知られ過ぎたものになっていて、そこで新たな"お楽しみ"を加えたのではないでしょうか(戯曲に比較的忠実に作られているルネ・クレール監督の映画作品についても同じことが言える)。まあ、最後タイトル通り誰もいなくなってしまうというのは、謎解きする人がいなくなって舞台や映画では表現しにくいというのもあるのでしょう。

 小説では、犯人が書き残し瓶に入れて海に流した手記が見つかったことによる後日譚風の謎解きになっているわけで、この犯人というのは、「神に代わって裁きを行う」"超越的"人物(ある種サイコ・シリアルキラー?)ともとれますが、裁きを行うという目的よりも、「誰にも解けない完全犯罪」を成し遂げるという手段そのものが目的化している印象も受け、そうした意味では、異常でありながらも、本格推理作家が創作上目指すところと重なる部分があるかもしれません。

【1955年新書化・1975年改訂(2001年復刻版)[ハヤカワ・ポケットミステリ(清水俊二:訳)]/1976年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(清水俊二:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(清水俊二:訳)]/2010年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(青木久惠:訳)]】


そして誰もいなくなった bbcド.jpg そして誰もいなくなった NHK-BS.jpgそして誰もいなくなった bbc .jpg
& Then There Were None [Blu-ray]」英BBC版テレビドラマ

そして誰もいなくなった第1話1.jpg「アガサ・クリスティー そして誰もいなくなった」(全3回)●原そして誰もいなくなった 第2話.jpg題:& Then There Were None●制作年:2015年●制作国:イギリス●本国放送:2015/12/26~28●演出:そして誰もいなくなった 第3話.jpgクレイグ・ヴィヴェイロス●製作:ダミアン・ティマー/マシュー・リード/サラ・フェそして誰もいなくなった!_.jpgルプス●脚本:サラ・フェルプス●時間:210分●出演:メイヴ・ダーモディ/チャールズ・ダンス/エイダン・ターナー/サム・ニール/Mそして誰もいなくなったaeve-Dermody.jpgトビー・スティーヴンス/ダグラス・ブース/バーン・ゴーマン/ミランダ・リチャードソン/ノア・テイラー/アンナ・マックスウェル・マーティン●日本放送:2016/11/27●放送局:NHK-BSプレミアム(評価:★★★☆)
2016年11月27日、12月4日、12月11日NHK-BSプレミアムで放送

Maeve Dermody(メイヴ・ダーモディ)

And Then There Were None そして誰もいなくなった≪英語のみ≫[PAL-UK]

《読書MEMO》
●2017年ドラマ化 【感想】 原作の本邦初映像化作品であるとのこと(監督は和泉聖治、脚本は長坂秀佳)。登場人物および舞台は現代の日本に置き換えられ、一部の人物の職業や過そして誰もいなくなった ドラマ  03.jpgそして誰もいなくなった sawamura .jpg去に犯した殺人の方法、動機も変更されているが、BBC版と同じく、最後は原作「小説」の通り全員が"いなくなる"。そうなると、上述の通り、謎解きをする人がいなくなり、この問題をクリアするため、最終盤で沢村一樹演じる警視庁捜査一課警部・相国寺竜也が登場、彼がリードして捜査し(この部分はややコミカルに描かれている)、犯人が残した手紙ならぬ映像メッセージに辿りついて事件の全容が明らかになるという流れ。

そして誰もいなくなった ドラマ .jpgそして誰もいなくなった 文庫ドラマタイアップカバー.jpgそして誰もいなくなった 渡瀬_.jpg 2017年3月25日・26日の2夜連続ドラマの各冒頭で、3月14日に亡くなった渡瀬恒彦が出演した「最後の作品」であることを伝えるテロップが表示され、エンディングで「このドラマは2016年12月20日から2017年2月13日に掛けて撮影されました。渡瀬恒彦さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます」と流れる。クランクアップの1ヵ月後に亡くなった渡瀬恒彦は、実際に自らが末期がんの身でありながらドラマの中で末期がん患者を演じており、その演技には鬼気迫るものがあった。警部役の沢村一樹の演技をコミカルなものにしたのは、全体として"重く"なり過ぎないようにしたのではないかと思ってしまったほど。同じく和泉聖治監督により2018年には「パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件~」、2019年には「アガサ・クリスティ 予告殺人」が制作された。

そして誰もいなくなった ドラマ53.jpg「アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」●監督:和泉聖治●脚本:長坂秀佳●プロデューサー:藤本一彦/下山潤/吉田憲一/三宅はるえ●音楽: 吉川清之●原作:アそして誰もいなくなった ドラマ 01.jpgガサ・クリスティ●出演:仲間由紀恵/沢村一樹/向井理/大地真央/柳葉敏郎/藤真利子/荒川良々/國村隼/余貴美子/橋爪功/津川雅彦/渡瀬恒彦/ナレーション‐石坂浩二●放映:2017/03/25・26(全2回)●放送局:テレビ朝日

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かっちりした構成。ポワロの人間観察の本領がよく発揮された傑作。

ハヤカワ・ポケット・ミステリ クリスティ「五匹の子豚」.jpg五匹の子豚 文庫1.jpg 五匹の子豚 文庫2.jpg新訳(復刻カバー) ハヤカワ・ミステリ文庫 「五匹の子豚」.jpg
ハヤカワ・ポケット・ミステリ(桑原千恵子:訳)/クリスティー文庫(旧訳(桑原千恵子:訳)/新訳(山本やよい:訳(真鍋博カバー絵復刻版))/ハヤカワ・ミステリ文庫(桑原千恵子:訳) 『五匹の子豚 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『五匹の子豚 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『五匹の子豚 (ハヤカワ・ミステリ文庫 1-21)

Five Little Pigs Pan264.jpgFive Little Pigs - Fontana 309.jpgFive Little Pigs.jpg 16年前に画家である夫エイミアス・クレイルを殺害したとして死刑を宣告され、その1年後に獄中で死亡した母キャロラインの無実を訴える遺書を読んだカーラ・ルマルションは、母が潔白であることを固く信じポアロのもとを訪れる。彼女の話に興味を覚えたポアロは、あたかも「五匹の子豚」の如き5人の関係者との会話を手掛かりに過去へと遡る―。

Pan Books (1953)/Fontana (1959)/HarperCollins UK(2010)

Five Little Pigs1942.jpg 1943年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品(原題:Five Little Pigs(米:Murder in Retrospect))で、同じ頃に書かれ、作者の遺言により没後に発表された『スリーピング・マーダー』と同じ、所謂"回想の殺人"物です。また、この作品については1960年初演の戯曲版もあり(『殺人をもう一度』)、こちらは『ナイルに死す』の戯曲版などと同様、ポワロが登場しません。『五匹の子豚』は2010年に早川文庫の「クリスティー文庫」で山本やよい氏による新訳が出ましたが、活字も大きくなり読み易いものでした(「クリスティー真鍋博2.jpg文庫」に所収の従来ものは、「ハヤカワ・ポケットミステリ」「ハヤカワ・ミステリ文庫」以来の桑原千恵子訳)。尚、「クリスティー文庫」新訳版のカバーイラストは、「ハヤカワ・ミステリ文庫」の真鍋博のものを復刻させています。

真鍋 博1932-2000/享年68)

五匹の子豚19.jpg カーラがポアロを訪ねて父であるエイミアス・クレイルの死の真相の究明を依頼する前置きがあって、その後が3部構成になっていて、ポアロが、かつて事件が起きた際の関係者に一人ひとり会って話を聞き、更に当時の事を手記に書くよう依頼する第1部、その関係者5人からポアロのもとへ寄せられた当時の状況を回想した手記から成る第2部、ポアロが5人の関係者に一人ずつ最後の質問を行い、最後に全員を集めて謎を解く第3部―となっています。

 再読なので犯人を知りながら読んだのですが、それでも面白かったなあ。最初に読んだ際は、謎解きの面白さ及びラストの展開の意外性と、かっちりした"構成美"に感服しましたが、改めて読むと、登場人物一人ひとりの他者に対する感情や愛憎などの心理的な起伏を見抜くことによって犯人へ至るという、まさにポワロの人間観察の本領がよく発揮されている作品のように思いました。

 クリスティ作品のベスト・ランキングにあまり入ってこないのは、タイトルのせいもあるのかなと。マザー・グースを下敷きにしていても、その歌の通りに殺人が起きる『ポケットにライ麦を』(「6ペンスの唄を唄おう」)や『そして誰もいなくなった』(「10人のインディアン」)と比べると、元歌(「このこぶたは市場にいった」This Little Pig Went to Market)の歌詞との関連が弱いというのもあるかも。元歌の歌詞の一般的な訳詞は次の通り。
 
 このこぶたは 市場にいったよ
 このこぶたは おるすばん
 このこぶたは ローストビーフたべて
 このこぶたには なんにもなし
 このこぶたは ないちゃった
 ウィー ウィー ウィー ウィー ウィー、
 帰る道がわからないよう。

 本書での5人の容疑者が「5匹の子豚」のどれに該当するかは、ポワロが5人を訪問する話の各見出しに(本書による訳での)歌詞の一部がそのまま使われているので一応は判別可能で、それによれば以下の通りになります(山本訳)。

 この子豚はマーケットへ行った → 被害者の親友フィリップ・ブレイク (株取引か何かで儲けた?)
 この子豚は家にいた  → フィリップ・ブレイクの兄メレディス (引き籠りみたいな暮らしぶり?)
 この子豚はロースト・ビーフを食べた → 被害者の元愛人エルサ・グーリア (欲しいものは手に入れる肉食系?)
 この子豚は何も持っていなかった → 元家庭教師のウィリアムズ先生 (今や孤独なオールド・ミス?)
 この子豚は"ウィー、ウィー、ウィー"と鳴く → キャロラインの妹アンジェラ (?????)

 アンジェラが何故「"ウィー、ウィー、ウィー"と鳴く」子豚に該当するのかよく分からないなあ(昔はいたずらっ子だったからか。それとも、彼女だけが姉の無実を信じており、そのために今もその死を悼んでいるからか)。でも、個人的にはこの作品、傑作だと思います。
 「クリスティ作品のベスト・ランキングにあまり入ってこない」と書きましたが、クリスティのディープな読者でこの作品のファンは結構いて、新訳版が出された理由もそこにあるのではないかと思いました。

名探偵ポワロ(第50話)/五匹の子豚  00.jpg名探偵ポワロ 五匹の子豚 dvd.jpg名探偵ポワロ(第50話)/五匹の子豚_pigs1.jpg名探偵ポワロ(第50話)/五匹の子豚ges.jpg「名探偵ポワロ(第50話)/五匹の子豚」 (03年/英) ★★★★
                               
 

 

第7話)/五匹の子豚 dvd.jpg五匹の子豚01.jpg五匹の子豚00.jpg「クリスティのフレンチ・ミステリー(第7話)/五匹の子豚」 (11年/仏) ★★★☆ 

【1957年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(桑原千恵子:訳)]/1977年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(桑原千恵子:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(桑原千恵子:訳)]/2010年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(山本やよい:訳)]】

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若夫婦を暖かく見守りつつ事件の核心に迫るミス・マープルの関与の仕方がいい。

Agatha Christie - Sleeping Murder (audiobook).jpgSleeping Murder 01.jpgSleeping Murder 1977.jpg スリーピング・マーダー クリスティー文庫.jpg スリーピング・マーダー 文庫.jpg Sleeping Murder: Miss Marple's Last Case (Miss Marple Mysteries)/Fontana版(1977)/『スリーピング・マーダー (クリスティー文庫)』『スリーピング・マーダー―ミス・マープル最後の事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
Sleeping Murder (audiobook) 

 新婚のグエンダ・リードは、夫ジャイルズとの新居を求め、夫より一足先にニュージーランドから故郷イングランドに戻り、自分で捜し出した物件であるヴィクトリア朝風の家で新たな生活を始めるが、奇妙なことに初めて見るはずの家の中に既視感を抱く。ある日、観劇に行ったグエンダは、芝居の終幕近くの台詞を聞いて突如失神し、彼女は家の階段の下で殺人が行なわれた記憶をふいに思い出したと言う―。

 1976年、アガサ・クリスティ(1890‐1976)の没後に発表されたクリスティ最後の作品ですが、実際にはクリスティが存命中の第二次世界大戦中(1943年)に『カーテン』とともに執筆され、死後出版の契約を結んで、ニューヨークで厳重に保管されていたとのこと。

  1940年頃は、クリスティが『そして誰もいなくなった』や『ゼロ時間へ』を発表した黄金期に該当し、本作も傑作と言っていいのでは。ミス・マープルが18年前の事件の謎を解く、所謂「回想の中の殺人」というもので、3人の容疑者が浮かび上がりますが、最後ぎりぎりまでその内の誰が犯人か分からない―と思ったら...。

 グエンダ、ジャイルズ夫妻は、ミス・マープルの助けを借りつつも自らも謎を解こうとするわけですが、グエンダは、過去を掘り返すことに不安をも覚えていて(父親が殺人者である可能性が当初からあったため)、それでも2人して協力し合っていく前向きな姿が良く、それを暖かく見守りつつ事件の核心に迫るミス・マープルの関与の仕方もいいです。

 訳出当初は、「ミス・マープル最後の事件」とのサブタイトルがついてましたが、一応クリスティの"遺作"ということになっているけれども、作中どこにもミス・マープルが引退を仄めかすような記述は無かったように思います。

 「クリスティー文庫」解説の作家の恩田睦氏が、「『アクロイド殺し』や『オリエント急行の殺人』などの超有名トリック作品というのは、たった一行でネタが割れてしまい、これって結構怖いというか恐ろしいことだと思う」と書いていますが、まさにその通りだなあと。『アクロイド殺し』や『オリエント急行の殺人』は、先に読んだ友人にネタを明かされたらお終いという感じにもなってしまう作品かも。

 本作も、その要素がゼロではないけれど、複数の容疑者のキャラクターや、そうしたキャラクターに絡んでくる容疑のポイントが旨く書き分けられていて、再読でも楽しめるものとなっています。

 クリスティが自分の死後に発表するよう娘に託したのが『カーテン』で、夫に託したのがこの『スリーピング・マーダー』で、おそらく、自分が生前に動けなくなっても作品だけは出せるようにとの意図もあったと思われ、結果的には、『カーテン』の方は、クリスティが亡くなる前年の1975年に発表が許可され、この『スリーピング・マーダー』のみ没後刊行されています。

 自分の存命中に自作の評価を知りたくはなかったのかなあという気もしますが、作者が亡くなった後もその"新作"を読めるようにというファンサービスだったのかあ? (死後発表されたため)自らが選んだベストテンに入っていミス・マープル(第6話)/スリーピング・マーダー00.jpgないけれど、おそらく十分に自信作でもあったんだろうなあと思います。

スリーピング・マーダー dvd.jpgスリーピング・マーダー 001.jpg 「ミス・マープル(第6話)/スリーピング・マーダー」 (87年/英) ★★★★




ミス・マープル スリーピング・マーダー dvd.jpg
ミス・マープル2 スリーピング・マーダー 03.jpgミス・マープル2 スリーピング・マーダー 02.jpg
「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第5話)/スリーピング・マーダー」 (06年/英) ★★★☆

  
クリスティのフレンチ・ミステリー/杉の柩.jpgフレンチ・ミステリー(第10話)/スリーピング・マーダー.jpg「クリスティのフレンチ・ミステリー(第10話)/スリーピング・マーダー」 (12年/仏) ★★★☆

【1977年単行本[ハヤカワ・ノヴェルズ(綾川梓:訳)]/1990年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(綾川梓:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(綾川梓:訳)]】

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"復讐の女神"としての自負心のもと、積極的に事件に飛び込んで行くミス・マープル。

復讐の女神 クリスティ文庫.jpg 復讐の女神 ハヤカワ文庫.jpg  Nemesis.jpg "Nemesis"(Pocket, 1973/Tom Adams)
復讐の女神 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『復讐の女神 (1980年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ある日ミス・マープルは新聞の死亡欄で、かつて「カリブ海の秘密」において事件に共に関わった大富豪ラフィールの名を見つける。そして後日、ラフィールの弁護士から遺言状を渡され、そこには犯罪の捜査の依頼が書かれていたが具体的な事件の内容や関係者の名前もなく、解決した暁には二万ポンドの遺産を譲りたいとあるのみ。自分が何をして良いのかわからないマープルの元に観光旅行の招待状が届くが、この旅の中にこそラフィールが解決を希望する謎があると考えた彼女は、何もわからぬまま用意された「庭園めぐり」の旅に出かける。その同じ旅行客の中に富豪の名を知る人物が現れるともに、ラフィールの息子にまつわる過去のある事件が浮かび上がる―。

 1971年に刊行されたアガサ・クリスティのミス・マープルシリーズの長編第11作(原題:Nemesis)で、1964年発表の『カリブ海の秘密』の続編乃至後日談であり、本当は「Woman's Realm」という未完の作品と共に3部作を成す予定だったのが、「Woman's Realm」は発表されないままクリスティが亡くなったため、彼女が書いた最後のマープル物になってしまいした。

 自分から積極的に事件に飛び込んでいくというミス・マープル像は、クリスティの新境地? 『カリブ海の秘密』よりページ数も多く、クリスティ81歳の作品と思うとたいしたものだなあと。

 「庭園めぐり」ツアーの客がス・マープルの外に14名。これ全部容疑者になるのかと思うと、『そして誰もいなくなった』よりスゴイことになるのでは―とも思ったりしましたが、この部分においてはやや見当が外れたかも。

 過去の事件において殺された被害者の少女の顔が潰されていたということで、『書斎の死体』の死体入れ替え、虚偽の遺体確認...といったトリックがそのまま類推適用できてしまうのがプロット的にやや弱いか。

復讐の女神 dvd.jpg復讐の女神 主要登場人物.jpg むしろ、憎しみより愛の方が強い―言い換えれば、憎しみより愛の方が怖い―というテーマ性に重きを置いた作品なのでしょう。

 "復讐の女神"としての自負心のもとに積極的に行動し、最後は自らも命の危険に晒されるというこの作品のミス・マープル像は、シリーズの中でもかなり異色であり、若干の違和感のようなものがありましたが、晩年においても創作意欲が衰えず、意気軒昂だったクリスティ自身がそこに反映されていると見ることもできるのかもしれません。
「ミス・マープル(第8話)/復讐の女神」 (87年/英) ★★★

復讐の女神 dvd.jpg第12話/復讐の女神 00.jpg「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第12話)/復讐の女神」 (07年/英) ★★★☆

【1972年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(乾信一郎:訳)]/1980 年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(乾信一郎:訳)]/2004 年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(乾 信一郎:訳)]】

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ホテルが主役。"後味的"にはともかく"プロット的"に見れば、最後の畳み掛け感は良かった。

「バートラム・ホテルにて」1965.jpgバートラム・ホテルにて クリスティー文庫.jpg  バートラム・ホテルにて ハヤカワ文庫.jpg  バートラム・ホテルにて ハヤカワポケット.jpg
バートラム・ホテルにて (クリスティー文庫)』『バートラム・ホテルにて (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『バートラム・ホテルにて (1969年) (世界ミステリシリーズ)
Collins Crime Club 1st edition in UK
At Bertram's Hotel(Fontana, 1969)
At Bertram's Hotel.jpg ロンドンにあるバートラム・ホテルは、今でもエドワード王朝時代の佇まいを保っていたが、ミス・マープルも少女時代に一度このホテルに宿泊した思い出があり、今また甥レイモンドの親切により一週間の予約で宿泊し、昔を懐かしんでいた。ホテルには老年の聖職者や引退した将軍や提督、老貴族の夫婦、判事や弁護士、海外からの本物の英国を求める観光客などが訪れ、贔屓客はいつも決まった部屋に泊まり、ロビーでは本物のお茶と本物のマフィンが給仕ヘンリーの完璧な指示で供されていた。ミス・マープルがホテルの宿泊客を観察するうちに、その中には、退役軍人のデリク・ラスコム大佐や、彼が後見人を務め21歳になったら莫大な財産を引き継ぐことになっているエルヴァイラ・ブレイク嬢、何度も結婚しているらしい女流冒険家のべス・セジウイックらがいることが分かり、更に、ホテルに出入りするレーサーのマリノスキーがエルヴァイラとセジウイックの両方と付き合っていることを見抜いたりする。彼女は何となくホテルに違和感を覚えるようになっていくが、そんな中、ホテルの宿泊客のベニファーザー牧師が失踪するという事件が発生、このところ頻発する強盗事件の捜査において事件とバートラム・ホテルの関係に目を付けていたフレッド・デイビー主任警部は、牧師失踪事件にかこつけて、強盗事件との関連を調べにバートラム・ホテルに乗り込んで来る―。

 1965年に刊行されたアガサ・クリスティのミス・マープルシリーズの長編第10作(原題:At Bertram's Hotel)で、ミス・マープル物としては同じく旅先滞在型の『カリブ海の秘密』('64年発表)とその続編とも言える『復讐の女神』('71年発表)の間に挟まれたかたちですが、こちらは英国国内が舞台です。

 ミス・マープルはこの作品では終盤近くまで観察者の立場にいて、捜査に当たるのはデイビー主任警部ですが、そもそも実際に殺人事件が起きるのは物語全体の4分の3ぐらいを経てからで、それまではむしろ、ホテルが醸す表面上の優雅な雰囲気とは裏腹の、ミス・マープルが感じた、本物と偽物が交じり合ったような感じの違和感の正体というものが一つの大きな謎として浮かび上がってくるようになっており、ホテルが主人公と言ってもいいような展開になっています。

 実際、このホテルは経営者、従業員、宿泊客を含め、巨大な「犯罪装置」のようなものであったわけで、これ、個人的には、なかなか面白い発想だと思われ、マープル物の中でもあまり類を見ないパターンのように思いましたが、その手口が細かく明かされるようにはなってはおらず、その点がやや食い足りないか。登場人物の誰がどこまで関与しているかについて、すべてを明かしているわけではないし...。

 むしろ、前半部分のエルヴァイラの(実は彼女はセジウイックの娘だった)彼女自身の相続関係を探る行動の謎が終盤に明かされるという流れにおいては、結局のところ作者らしい展開だったと言えるかも。

 この作品の最大のドンデン返しは、殺人事件の方の真犯人がミス・マープルによって最後の10数ページで明かされるところにあるのでしょうが(「犯罪装置」の黒幕はその少し前に明かされる)、むしろプロット的なことよりも、最後まで伏せられていたセジウイックの娘エルヴァイラに対する真意の方が肝であるように思います。但し、それに応えるべきエルヴァイラという小娘が、あまりにエゴイスティックで、しかも、自らがやったことについて物語の中では糾弾されないというのは後味的にどうかと...。

 ただ、クリスティ作品の中で相対評価するとそう高い評価にはならないのかもしれませんが、並みの推理小説と比べると、やっぱり流石クリスティという読後感ではありました("後味的"にはともかく"プロット的"に見れば、最後の畳み掛ける感じは良かった)。

バートラム・ホテルにて dvd02.jpgバートラム・ホテルにて 02.jpgバートラム・ホテルにて 03.jpg 因みに、作中のミス・マープルが友人に回想を語る場面で、バートラム・ホテルに泊まったのは14歳の時とあり、暫く行くと「1909年に戻った感じ」との彼女の心象が描かれており、彼女の生年が1895年頃であることが判ります(クリスティの生年は1890年、ミス・マープルは自分より年下だったのか)。
「ミス・マープル(第7話)/バートラム・ホテルにて」 (87年/英) ★★★★

バートラム・ホテルにて dvd.jpg第9話/バートラム・ホテルにて 02.jpg第9話/バートラム・ホテルにて ホテル.jpg
「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第9話)/バートラム・ホテルにて」 (07年/英)  ★★★★

【1969年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(乾 信一郎:訳)]/1976年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(乾 信一郎:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(乾 信一郎:訳)]/2012年Kindle版[早川書房(乾 信一郎:訳)]】

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伏線が弱くやや"禁じ手"っぽいが、マープルとラフィール老人との遣り取りなどは絶妙。

A Caribbean Mystery.jpgカリブ海の秘密 クリスティー文庫.jpg カリブ海の秘密 ハヤカワ文庫.jpg カリブ海の秘密 01.jpg
カリブ海の秘密 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『カリブ海の秘密 (1977年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 「ミス・マープル(第10話)/カリブ海の秘密」 (89年/英)
http://www.agathachristie.com

A CARIBBEAN MYSTERY Fontana rpt.1968.jpg 甥のレイモンドに勧められ西インド諸島に一人で療養に来たミス・マープル。そこには多種多様の人々がカリブ海でのリゾートを楽しみに来ていた。お喋り好きで会う人ごとに自慢話や体験談を吹聴していたパルグレイヴ少佐が、ある殺人の話をマープルにしていて、その犯人の顔写真を見せようとした瞬間、突然少佐の顔がこわばった。ミス・マープルの肩越しに誰かを見たらしいのだが、マープルにはそれが誰だか判らなかった。そして次の日、少佐が亡くなった。周囲の話から高血圧が原因の死と判断されたが、納得できないミス・マープルは、問題の写真が大佐の持ち物から消えていることを探り当て、次なる殺人の予兆に焦る。そんな中、第二の殺人が発生した―。

A CARIBBEAN MYSTERY Fontana.1968

 1964年に刊行されたアガサ・クリスティのミス・マープルシリーズの長編第9作(原題:A Caribbean Mystery)で、クリスティ74歳の時の作品。ミス・マープルとカリブ海って何となく合わないような気もしなくもないですが、持病の気管支炎の転地療養のための訪問らしく、それにしても高級リゾートホテルに長期滞在とは、甥のレイモンドが作家としてクリスティ並みに成功しているということなのか。

A CARIBBEAN MYSTERY f.jpg 怪しい人物はいっぱいいますが、犯人は意外な人物でした。直接的な伏線が無いため、個人的には最後ぎりぎりまで誰が犯人か判らず、ある種"禁じ手"のようにも思われましたが、ミステリ通に言わせると、犯人から除外できる人を一人ずつ除いていくとちゃんと犯人に行きつけるとのこと。むしろ、最後にマープルが「最初からわかっていなければならなかったんです。こんな簡単なことなのに」と言っているように、先入観のトリックと言えるかも。

A CARIBBEAN MYSTERY Fontana 1981

 プロット的には評価の分かれるところかもしれませんが("肩越しの視線"のプロットは『鏡は横にひび割れて』でも使われた)、宿泊客の二組の夫婦の微妙な関係など、登場人物のキャラクターの描き分けは流石で、特に、宿泊客の一人で偏屈な大金持ちの老人ラフィールとの遣り取りは絶妙、最初はマープルを好いていなかった彼ですが、いち早く彼女の頭の切れと人間観察の鋭さに気付いて一目置くようになった点はでは、彼もなかなか鋭かった?
         
カリブ海の秘密 dvd2.jpgカリブ海の秘密 01.jpgカリブ海の秘密 1989 Donald Pleasence.jpg BBC版ジョーン・ヒクソン(1906‐1998)主演のミス・マープルシリーズにおけるこの原作の映像化作品('89年)では、「大脱走」('63年)、「刑事コロンボ/別れのワイン」('73年)の名優ドナルド・プレザンス(1919-1995)がラフィール老人を演じています。
「ミス・マープル(第10話)/カリブ海の秘密」 (89年/英) ★★★★

【1971年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(永井淳:訳)]/1977年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(永井淳:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(乾 信一郎:訳)]】

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意外とライト感覚で楽しめた作品。敢えて言えば、犯人がしなくてもいい余計なことを...。

The Pale Horse.jpg蒼ざめた馬 ポケットミステリ.jpg 蒼ざめた馬 アガサ・クリスティ ハヤカワ文庫.jpg 蒼ざめた馬 アガサ・クリスティ クリスティー文庫.jpg
蒼ざめた馬 (1962年) (世界ミステリシリーズ)』『蒼ざめた馬 (1979年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『蒼ざめた馬 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
 
The Pale Horse (Agatha Christie Collection)(2002)

fTHE PALE HORSE     f .jpg 歴史学者のマーク・イースターブルックは、ムガール建築に関して本の執筆のためにチェルシーに部屋を借りていたが、ある日、執筆の息抜きに入ったカフェで女の子同士の喧嘩に遭遇し、喧嘩騒ぎの後に一方が他方の髪の毛をごっそり引き抜いた束が落ちていたのを見る。喧嘩の後に店員から彼女らの名を聞いていた彼は、その1週間後に髪の毛を引き抜かれた方の娘が死んだことを新聞で知る。彼は教会の募金活動への協力を依頼に推理作家のオリヴァ夫人のもとを訪れた折にこの話をする。
 一方、ある霧の夜、ロンドンのある下宿屋である女性の臨終に立ち会い、その告白を聞いた神父が帰り道で撲殺されるという事件が起こるが、彼の靴の中に紙切があり、そこには9人の名が書き連ねられていた。神父の検視を担当した警察医のコリガンは、そのことをルジューン警部から知らされる。その9人には何の関連もないように思われたが、そのうち数人は既に謎の死を遂げているようだ。
 マークは友人たちとの劇場からの帰りのお喋りの中で女友達の一人から「蒼ざめた馬」という言葉を耳にし、翌朝にオリヴァ夫人からの電話でまた募金を行う教会の近くにある「蒼ざめた馬」という名の館の存在を聞かされる。そんな折、友人である警察医のコリガンから先の神父殺しの事件について聞き、最近亡くなった名付け親の名前が死んだ女性のリストにあったと知って事件に関心を持つ。教会に出かけたマークは「蒼ざめた馬」に住む3人の女が魔法で人を呪い殺すという噂を耳にし、一連の事件とこの館は関係があるのではないかと直感して自らを囮に館へ乗り込むが―。

The Pale Horse - Fontana.jpg 1961年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品で(原題:The Pale Horse)、ポアロもミス・マープルも登場しないノン・シリーズもの。謎解きそのものものさることながら、オカルトっぽい雰囲気が独特の作品です。

Fontana (1964)

 「蒼ざめた馬」に読者の関心を引き付けるためにかなりのページを割いているように思いました。但し、本作の探偵役とも言える主人公のマークが、言わば現代の若き知性の代表格のような人物造型であるため(この作品は主に彼の一人称で綴られている)、このオカルトっぽい仕様は、あくまでも犯人が仕組んだ見せかけのものであることは容易に想像がつきます。

 プロット的には意外と複雑では無かったのですが、事件の黒幕たるに相応しい有力な容疑者に読者の疑いをじわじわと引き付けておいて、もうこれが間違いなく犯人だと思わせておいたところでラストはストンと落とされる感じで、マークと彼が新たに出会った女友達のジンジャーが事件の探究を通して急速に接近していくという恋物語も含め、どちらかと言うとライト感覚で楽しめた作品でした。

蒼ざめた馬 dvd.jpgアガサ・クリスティー・コレクション 蒼ざめた馬.jpg蒼ざめた馬 1997 axn.jpg ただ、敢えて言えば、犯人がしなくてもいい余計なことをして自ら墓穴を掘るというパターンが推理小説の一つの常套的展開であるとは言え、この作品についてはあまりにそれが著しく、そこがどうかなとも。犯人の事件への絡み方も、やや説明不足のような感じがしました。
「アガサ・クリスティ/青ざめた馬 (魔女の館殺人事件)」 (97年/英) ★★★☆

蒼ざめた馬 DVD.jpgTHE PALE HORSE AGATHA CHRISTIE`S MARPLE.jpg 「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第17話)/蒼ざめた馬
」 (10年/英・米) ★★★☆  

【1962年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(橋本福夫:訳)]/1979年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(橋本福夫:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(橋本福夫:訳)]】

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細部に?もあるが、全体としてはやはり傑作。事件の行方と併せヒロインの恋の行方も気になる。

4:50 from Paddington3.jpgパディントン発4時50分 ハヤカワ文庫.jpg  パディントン発4時50分 クリスティー文庫.jpgパディントン発4時50分 (1976年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『パディントン発4時50分 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
4.50 from Paddington (Elt Reader2012)(ペーパーバック)

4:50 From Paddington - Fontana.jpg マクギリカディ夫人は、ミス・マープルに会いにいくため乗り込んだパディントン発4時50分の列車の窓から、たまたま並走する別の列車内で一人の男性が女性の首を絞めていた殺人現場を目撃する。マクギリカディ夫人はマープルの助言を得て警察に通報するが、警察は、犯人も被害者も発見することができない。マクギリカディ夫人の言葉を信じたミス・マープルは、犯人は車外に死体を放り投げたと確信し、その地点は列車が速度を緩めて走るカーブであろうと推理、才能豊かな女性ルーシー・アイレスバロウを雇って、路線で該当する場所に建つブラック・ハンプトンのラザフォード・ホールと言われるクラッケンソープ邸に、彼女を家政婦として送り込む―。
Fontana版(1960)

 1957年に刊行されたアガサ・クリスティのミス・マープルシリーズの長編第7作(原題:4:50 from Paddington、米 What Mrs. McGillicuddy Saw!)です。

 クラッケンソープ家には、当主のルーザー・クラッケンソープをはじめ、妻のマルティーヌ、次男で画家のセドリック、三男で会社重役のハロルド、四男で詐欺師のアルフレッド、長女のエマ、次女のエディス、その夫のブライアン・イーストリイ、その息子のアレグサンダーなどがいて、クラッケンソープ家の主治医のクインパーなども出てきますが、それぞれ怪しげな連中ばっかし、という感じ。

 犯人は最初から殺害現場を目撃されてしまっているため、「大胆なトリック」とかそうした類のものは出てくる余地は無いものの、それでも、ルーシー・アイレスバロウの果敢な冒険から始まって、被害者の遺体の発見、連続殺人へと続く展開は飽きさせず、加えて、ルーシーとクラッケンソープ家の人々の関わりを描いたサブ・ストーリーがそれに絡み、ルーシーの選ぶ相手は誰になるのかという楽しみもある作品。

4:50 from Paddington.jpg 結局、事件の謎を解くのはミス・マープルですが、この作品では現場の捜査はルーシー・アイレスバロウに任せ、自分は安楽椅子探偵的な位置づけになっていて、プロット的に見て不満があるとすれば、マープルはマープルでその間いろいろ調べたのでしょうが、読者に示された情報だけでは犯人を探し当てることは難しいということでしょうか(犯行動機に至っては不可能)。

 それと、マクギリカディ夫人が犯人の顔を見ていないのに犯人が判ってしまうというのもやや腑に落ちず、ミス・マープルが蓋然性に基づく"面通し"をしたのは、理屈よりも彼女なら判るという信念が根拠になっている印象。これはある種の賭けではなかったかと。

 このように細かいところで若干納得がいかない部分もありましたが、全体の構成としてはよく出来ていて、やはり傑作の類と言えるのではないでしょうか。

4:50 from Paddington2.jpg ミス・マープルの依頼をその旺盛な好奇心から請けたルーシー・アイルズバロウが、この作品の言わば"ヒロイン"でしょう。オックスフォード大学数学科を優秀な成績で卒業、将来を嘱望されながらも、家事労働の世界に入り、家政婦として英国中に名が知られるまでになり、3年くらい先まで予約を入れることも可能であるにも関わらず、余暇を楽しむために長期の予定は入れないでいる―という設定が興味深く、今で言えば、「カリスマ主婦マーサ・スチュワート」とか「スーパー主婦・栗原はるみ」みたいなものか?

 彼女は32歳独身の魅力的な女性で、その彼女を巡って「次男セドリック」と「亡くなった次女の夫ブライアン」との恋の鞘当があり、彼女がどちらを選ぶかは作品の中では明かされていませんが、ミス・マープルには読めている様であると。

 この作品のラストの一行のミス・マープルの所作からすると、これが意外な人物ということになるのでは...。事件の伏線と併せて、こちらの方も、伏線を再度辿ってみる楽しみを読者に提供しているように思えました。

ミス・マープル/夜行特急の殺人 dvd.jpg夜行特急の殺人 00.jpg 「ミス・マープル/夜行特急の殺人」 (61年/英) ★★★


 
 
 
 
 

パディントン発4時50分 1987.jpgパディントン発4時50分 07.jpg「ミス・マープル(第9話)/パディントン発4時50分」 (87年/英) ★★★★

 

 
 
 
 
 
パディントン発4時50分.jpg『ミス・マープル』 パディントン発4時50分.jpg 「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第3話)/パディントン発4時50分
」 (04年/英) ★★★☆


 
 
 
  
 

奥さまは名探偵/パディントン発dvd.jpg奥さまは名探偵 パディントン発4時50分 03.jpg 「アガサ・クリスティー 奥さまは名探偵 〜パディントン発4時50分〜」 (08年/仏) ★★★☆

 
  
 
 
 
 

【1960年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(大門一男:訳)/1976年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(大門一男:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(松下祥子:訳)]】

《読書MEMO》
パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件 dvd.jpgパディントン発4時50分~寝台特急殺人事件01.jpgパディントン発4時50分~寝台特急殺人事件02.jpg●2018年ドラマ化 【感想】 監督は渡瀬恒彦の遺作となった「アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」('17年/テレビ朝日)と同じく和泉聖治(脚本は今回は竹山洋)。ミス・マープルに相当するのが天海祐希演じる警視庁の元刑事・天乃瞳子で、原作では列車の窓から殺人を目撃するのはミス・マープルの友人マクギリカディ夫人だが、それが草笛光子演じる天乃パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件x.jpg瞳子の母親が事件の目撃者ということになっている。意外と原作に沿って作られていたが、屋敷に送り込まれるスーパー家政婦ルーシー・アイレスバロウが前田敦子演じる中村彩になっていて、その前田敦子がスーパー家政婦に見えないのがやや難点か。草笛光子がミス・マープルに相当する役で、天海祐希が家政婦役だった方が、原作に近い雰囲気になったと思う(このシリーズの'18年版の第2夜放送は「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」、'19年には通算第4弾「アガサ・クリスティ 予告殺人」が制作された)。

「パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件~」●監督:和泉聖治●プロデューサー:藤本一彦(テレビ朝日)/山形亮介(角川大映スタジオ)●脚本:竹山洋●原作:アガサ・クリスティ●出演:天海祐希/草笛光子/前田敦子/石黒賢/勝村政信/原沙知絵/鈴木浩介/桐山漣/黒谷友香/橋爪功/西田敏行/松本博之/井上肇/嘉門洋子/和泉ちぬ/宮本大誠/松岡恵望子/清水葉月/望月章男/松下結衣子/松浦眞哉/笹岡サスケ/鈴木和弥/かおる/今薫子/橋野純平/永楠あゆ美●放映:2018/03(全1回)●放送局:テレビ朝日

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マザー・グースを下敷きにしたプロットが精緻で面白い。「意外な犯人」だった作品。

ポケットにライ麦を クリスティー文庫.jpg  ポケットにライ麦を ハヤカワミステリ.jpgポケットにライ麦を ハヤカワ文庫.jpg   Pocket Full of Rye by Agatha Christie.jpg
ポケットにライ麦を (クリスティー文庫)』『ポケットにライ麦を (1976年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 ハ―パーコリンズ版
A Pocket Full of Rye - Fontana 0.jpgA Pocket Full of Rye - Fontana 1.jpg 投資信託会社の社長レックス・フォーテスキューが、オフィスで紅茶を飲んだ後に苦しんで死ぬが、彼の上着のポケットにはなぜかライ麦の粒がたくさん入っていた。死因は自宅の庭に植えられているイチイの木から取れる毒による毒殺であり、捜査に当たったニール警部は、自宅での朝食時に毒物を盛られた可能性を調べる。やがて浮気をしていたレックスの若い後妻アデールが死体で見つかり、メイドのグラディスまでも殺される。グラディスを女中として教育したことのあるミス・マープルは、彼女の無念を晴らすために邸へ赴き、3人の殺害のされ方がマザー・グースの歌詞になぞらえられていることを警部に示唆する―。

英国フォンタナ版(1958年/1968年 Cover painting by Tom Adams)

ポケットにライ麦をe.JPG 1953年に刊行されたアガサ・クリスティのミス・マープルシリーズの長編第6作(原題:A Pocket Full of Rye)で、マザー・グースが引用されたクリスティ作品は他にも多くありますが、童謡の歌詞どおりに殺人が起きる"見立て殺人"ものは『そして誰もいなくなった』('39年)と本作だけであるとのことです。

 レックスには、長男パーシヴァル(ヴァル)、次男ランスロット(ランス)、娘エレーヌがおり、何れもレックスの遺産絡みで怪しいのですが、まず誰よりも怪しいのが若い後妻アデールであり、愛人のヴィヴィアン・デュボアとの共犯が当然の如く疑われる―そのアデールがあっさり殺されてしまうことで、血縁者だけでなく家政婦や執事までが容疑者として同じラインに並んでしまい、事件が混迷を極めるという、そうした展開が上手いなあと思いました。

 犯人がわざわざマザー・グースの歌詞の通りに犯行を重ねていくというのがやや凝り過ぎではないかと見る向きもありますが、振り返ってみれば、邸で起きた、自身は関与していないある出来事をカムフラージュのために利用したわけであり、一応の説明はつくのではないかと。プロット的に精緻であるばかりでなく、面白さを増す効果を生んでいます。

 個人的にはニール警部(この人、マープルとポアロの両方と1度ずつ仕事している)と同様、最後ぎりぎりまで犯人が判りませんでしたが、判ってみれば、自分が最初に犯人候補か ら除外した人物でした。と言うか、おしどり探偵「トミー&タペンス」シリーズみたいに、犯人を探り当てる側かと思っていたほど。ニール警部がミス・マープルから犯人を告げられても、当初は全く釈然としなかった気持ちがよく分かります。ミス・マープルの言うように、簡単に人を信じてはいけないということか...。

Sing a song of sixpence
Sing a song of sixpence a pocket full of rye.jpgSing a Song of sixpence, (6ペンスの唄を歌おう)
A pocket full of rye, (ポケットにはライ麦がいっぱい)
Four and twenty blackbirds, (24羽の黒ツグミ)
Baked in a pie. (パイの中で焼き込められた)

when the pie was opened, (パイを開けたらそのときに)
The birds began to sing, (歌い始めた小鳥たち)
Was not that a dainty dish, (なんて見事なこの料理)
To set before the king? (王様いかがなものでしょう?)

The king was in his counting-house, (王様お蔵で)
Counting out his money, (金勘定)
The queen was in the parlour, (女王は広間で)
Eating bread and honey. (パンにはちみつ)

The maid was in the garden, (メイドは庭で)
Hanging out the clothes, (洗濯もの干し)
There came a little blackbird, (黒ツグミが飛んできて)
And snapped off her nose. (メイドの鼻をついばんだ)
 
 
 
 
 

ミス・マープル(第4話)/ポケットにライ麦を  ランス.jpgStacy Dorning.jpgミス・マープル(第4話)/ポケットにライ麦を01.jpg 「ミス・マープル(第4話)/ポケットにライ麦を」 (86年/英)★★★★
 
  
 
第13話「ポケットにライ麦を」04.jpg第13話「ポケットにライ麦を」03.jpg 「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第13話)/ポケットにライ麦を」 (09年/英・米) ★★★★

【1954年新書化・1974年改訳[ハヤカワ・ポケットミステリ(宇野利泰:訳)]/1976 年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(宇野利泰:訳)]/2003 年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(宇野利泰:訳)]】

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全体の人物関係図が掴めれば結構面白いが、やや無理があるかなと思った部分も。

魔術の殺人 (1958年).jpg魔術の殺人 hpm2.jpg魔術の殺人 ポケットミステリ.jpg  魔術の殺人 ハヤカワ文庫.bmp  魔術の殺人 クリスティー文庫.jpg
魔術の殺人 (1958年) (世界探偵小説全集)』『魔術の殺人 (1982年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『魔術の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

THEY DO IT WITH MIRRORS Harper2.jpgtom-adams_they-do-it-with-mirrors_london-fontana-books-1981.jpg ミス・マープルはロンドンで米国在住の旧友のルースと親交を温めていた。ルースとキャリイ(キャロライン)の姉妹は、ミス・マープルの女学校時代の親友であり、ルースは最近会った妹の周辺に、明確な根拠は無いが何か嫌な雰囲気を感じたとひどく心配していた。そしてミス・マープルに、彼女の所へ行って調べてほしいと依頼、ミス・マープルは、ルースの言い伝手でキャロラインの住む屋敷に招かれ、潜入捜査を開始する。

「魔術の殺人」(1981年・英国・フォンタナ版)

 キャリイ・ルイス・セルコールドの最初の夫エリック・クルブランドセンは、ずば抜けた経営感覚を持ち教育熱心な慈善家で数々の基金を創設したが、若くして亡くなった。キャリーの二番目の夫ジョニー・リスタリックはキャリイの財産を目当てに結婚したが、事故死していた。理想主義者だが身体のひ弱なキャリイは、今は、未成年犯罪者の救済に尽力するルイス・セルコールドと結婚をしており、敷地内の私設少年院の隣で暮らしている。そこには彼女の家族と親戚、多くの非行少年たち、医師や精神病患者の青年がいて、その中にルースを不安にさせた何かがあったのだとミス・マープルも思う。そして数日後、訪れたキャロラインの義理の息子クリスチャン・グルブランドセンが射殺された―。
THEY DO IT WITH MIRRORS Harper.1993

They Do It With Mirrors - Fontana.jpg 1952年に刊行されたアガサ・クリスティのミス・マープルシリーズの長編第5作で(原題:They Do It with Mirrors、米 Murder with Mirrors)、クリスティ作品の中で必ずしも評価の高い方ではない作品かもしれませんが、全体の人物関係の構図が掴めれば結構面白いのではないかと。

Fontana (1955)

 話の中心人物キャリイ・ルイズ・セルコールドが3度結婚していて、彼女の周辺に居たり新たに彼女を訪ねてきた人物として、最初の夫の息子であるキャリイより2歳年上の継子クリスチャン・グルブランドセン、養女ビバの娘ジーナ、その米国人の夫ウォルター・ハッド、最初の夫との間の実の娘ミルドレッド・ストレット、二番目の夫ジョニイ・リスタリックとの間の息子で長男のアレックス・リスタリック、次男のスティーヴン・リスタリック、セルコールド家の使用人で施設上がりのエドガー・ローソン、キャリイの付添人ジュリエット・ベルエヴァー、精神医学者のマヴェリック博士などがおり、このように登場人物が錯綜するため、まず最初に"家系図メモ"を手元で作成する心づもりで読んだ方がいいです(その際にはフルネームでメモった方がいい)。

THEY DO IT WITH MIRRORS .Fontana.jpg キャリイ・ルイズの命を狙っている人物がいるらしいという疑惑が浮かぶ中、クリスチャン・グルブランドセンが殺害され、殺された彼以外は全員、その殺害の容疑者になり得るという展開はやはり上手いと思われ、全体としては、ハウダニット(どうやって殺したか)がフーダニット(誰が犯人か)への手掛かりとなる展開。但し、ホワイダニット(なぜ殺したか)が最後に明かされるまで読めないため、ミス・マープルにお付き合いして読者もミスリードされる―といった感じでしょうか。

THEY DO IT WITH MIRRORS .Fontana.1990

 個人的にやや無理があるかなと思ったのは、やはり"ハウダニット"の部分。事件当時もさることながら、そこに至るまでの、分裂症気味のエドガー・ローソンの設定で、気分変調を起こしたわけでも暗示にかけられていたわけでもないとすれば、相当な"役者"ということになるけれど、どーなんだろうか? そんなに長期間演技できるのかなあ。この若者、どこまで正常でどこまで異常だったのかよく分からない。ミス・マープルはかなり早くから、何らかの違和感を抱いていたみたいだけど...。

ミス・マープル/魔術の殺人 1991 dvd.jpg魔術の殺人 01.jpg 犯人はこの後も、事件の真相に気付きかけた義理の息子と少年院の子を殺害してしまいますが、こうなると単なるエゴイスティックな殺人鬼か。但し、最後は実の息子に殉じるような死に方で、自分の息子だけは愛していた(これもエゴと言えばエゴだが)。こうした暗い展開の中で、最初は暗くいじけていた一人の青年が、最後に明るさを取り戻すのが救いだったかも。

 「ミス・マープル(第11話)/魔術の殺人」 (91年/英) ★★★


魔術の殺人.jpg第15話「魔術の殺人」1.jpg 「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第15話)/魔術の殺人」 (09年/英・米) ★★★

【1958年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(田村隆一:訳)/1982年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(田村隆一:訳)]】

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描写形式によって更に犯人は絞られる? クリスティらしい作品だが、前半部分がやや冗長か。

忘られぬ死 クリスティー文庫.jpg 忘られぬ死 ハヤカワ文庫09.jpg 忘られぬ死 ポケット・ミステリ - コピー.jpg 忘られぬ死 ポケットミステリ.jpg  忘られぬ死 01.jpg
忘られぬ死 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『忘られぬ死 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 1‐80))』『忘られぬ死 (1954年) (Hayakawa poket mystery books)』 /英国コリンズ版初版

SPARKLING CYANIDE rd.jpg 男を虜にせずにはおかない美女ローズマリー・バートンが、ロンドン市内にの高級レストランで催された自身の誕生パーティーの席上で、青酸が入ったシャンペンを飲んで死亡してから1年が経つ。その時に同席していたのは、ローズマリーの夫のジョージ・バートン、ローズマリーの妹のアイリス・マール、ジョージの有能な女性秘書ルース・レシング、バートン家の隣人で将来を嘱望された若手下院議員スティーヴン・ファラデーとその妻アレクサンドラ、ローズマリーの友人のアンソニー・ブラウンの6人。警察の捜査の結果、ローズマリーが誕生日前にインフルエンザに罹り、病み上がりでふさぎこんでいた事や、彼女のバックの中から青酸を包んでいた紙が発見されたことなどから、事件は自殺として処理された。だが夫のジョージは、彼女に自殺する動機もければその素振りもなかったことから、その死に疑惑を抱いていた。
Sparkling Cyanide: A BBC Full-Cast Radio Drama
Sparkling Cyanide - Pan 345.jpg ローズマリーの死から半年後、ジョージは彼女の死は自殺ではないと記された匿名の手紙を受け取った。その半年後、ローズマリーの死から1年になる万霊節の夜に、ジョージはローズマリーが死んだときにパーティーに参加していた人々を集め、同じレストランでパーティーを催すことにした。彼はこのパーティでローズマリーの死の真相を明らかにしようとしていた。席は1年前と同様に7つ用意されたが、余った席には当然誰も座っていない。参加者はまず主賓アイリスの誕生日と健康を祝って乾杯をし、フロアショーを見た後でダンスに興じるが、ダンスが終わりテーブルに戻った一同を前に、ジョージがローズマリーを偲んで乾杯をした直後、彼は倒れてそのまま死んでしまう。1年前のローズマリーと同じく青酸による中毒死だった―。

Pan Books (1955)

 1945年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品で(原題:Sparkling Cyanide(泡立つ青酸カリ))、ポアロもミス・マープルも登場しないノン・シリーズものですが、ポワロが登場する短編「黄色いアイリス」をベースに長編化され作品であるとのことで忘られぬ死 1947.jpgす。元が短編だったということもあってか、クリスティの長編にしては登場人物がそれほど多くない方ではないでしょうか。

 しかも、前半部分は、亡くなったローズマリーを巡る彼・彼女らの思いが心理小説風に綴られていて、そのうち、心理的内面を詳しく描いているアイリスをはじめ何人かは自然と犯人候補から外れることになり、逆に、内面があまり描かれていない人物は怪しくなり、そうし描写形式によって更に犯人は絞られていくように思いました(外部の犯行や外部共犯者も可能性としては考えられるが)。

米国版ポケットブックス(1947)

 個人的には、前半のローズマリーを巡る男女の心情描写が、文芸小説風で物語に深みを増す一方で、推理小説として読む分にはややまどろこしかったかな。ローズマリーの伯母のルシーラ・ドレイクなんて、話し始めると終わらない感じだし。
SPARKING CYANIDE 2.jpgSPARKING CYANIDE .Pan.jpg でも、警察に協力する形で、『ナイルに死す』などにも登場する、元陸軍情報部部長のジョニー・レイス大佐が捜査に乗り出してからぐっとテンポが良くなり、若手下院議員、その妻などもやはり怪しかったけれど、ルシーラの不良息子ヴィクターがやはり一つのカギかと...。但しこれも、女性秘書ルース・レシングとの関係が早くから示されており、推理小説としては分かり易い方でしょう。
 但し、ジョージ殺人犯はこれでいいとして、では1年前のローズマリーの死は自殺だったのか他殺だったのか、何となくウヤムヤな終わり方をしているようにも思いました。
SPARKING CYANIDE .Pan.1978

 そうしたことを除いては、愛憎の入り組んだ人間関係、犯行に至る動機、複数の容疑者、犯行トリックと偶然に拠る計画の狂い...等々、クリスティらしい作品と言えばそう言えるかも。結果的にはしっかり楽しめましたが、それにしてもやはり前半部分が長すぎたかな。この前半部分を高く評価する人もいるかもしれませんが、それは個人の好みの問題。「推理小説」として読んだ場合には、自分としては冗長感は否めませんでした。

忘れられぬ死 dvd.jpg忘れられぬ死(2003年)axn.jpg「アガサ・クリスティ/忘られぬ死」 (03年/英) ★★★☆

【1953年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(村上啓夫:訳)]/1985年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(中村能三:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(中村能三:訳)]】

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古典的モチーフを扱いながら、クリスティの独特の"調理法"を見せている作品。

書斎の死体 クリスティー文庫.jpg  書斎の死体 ハヤカワ文庫.jpg  書斎の死体 ポケットミステリ.jpg トム・アダムズ104「書歳の死体」.jpg
書斎の死体 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『書斎の死体 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 1-16))』『書斎の死体 (1956年) (世界探偵小説全集)』「書斎の死体」(米国版表紙イラスト by Tom Adams)

トム・アダムズ27「書歳の死体」.jpg ある朝バントリー元大佐の書斎で若い女性の死体が発見され、バントリー夫人はミス・マープルに調査を依頼する。警察が行方不明者を調べたところ、ガール・ガイド団員のパメラ・リーヴスと、ホテル・ダンサーのルビー・キーンの2人の若い女性が浮上する。ルビーはホテル専属ホステスで、ホテルに滞在中の大金持ちコンウェイ・ジェファソンに実の娘のように気に入られていて、コンウェイの遺言状でルビーに多額の遺産が遺されることになっていた。警察はルビーのいとこのジョセフィン・ターナーに死体を確認してもらい、死体はルビーであると―。一方、ミス・マープルがバントリー夫人とともに当のホテルに滞在して事件の謎解き始める中、ホテルから数キロはなれた石切場で車が炎上する事件が発生、中にはパメラ・リーヴスと思われる黒焦げの死体が―。

 1942年に刊行されたアガサ・クリスティのミス・マープル・シリーズの第2長篇で(原題:The Body in the Library)、ミス・マープル・シリーズとしては第1長編『牧師館の殺人』以来、十数年ぶりの刊行でした。クリスティ自身が序文で、昔からのミステリの定番として「書斎の死体」を挙げ、いつかこのモチーフの下に作品を書いてみたかったとしていますが、「書斎の死体」という古典的本格ミステリにありがちな設定でありながら、ごく自然に、関係者全員が容疑者になってしまうのが、クリスティならではの展開と言えます。

「書歳の死体」(フォンタナ版・1974年)イラスト:トム・アダムズ

The Body In The Library.jpg書斎の死体ハーパーコリンズ版.jpg 警察の捜査で挙がった容疑者は、映画の仕事をして生活が派手で、いつも自宅で騒がしいパーティを開いているバジル・ブレイク、コンウェイの事故死した息子フランクの嫁アデレード・ジェファソン、同じ事故で死んだコンウェイの娘の婿でギャンブル好きで破産寸前のマーク・ギャスケル、ホテル・ダンサー兼テニスのコーチのハンサム男レイモンド・スター、マジェスティックホテルの客でルビーが行方不明になる直前に一緒にダンスを踊っていたジョージ・バートレット...(容疑者の人数に事欠かないね)。

「書歳の死体」(ハーパーコリンズ版)
 

Great Pan (1959)

 以下、若干ネタばれになりますが、これは「死体入れ替え」トリックであり、犯人の狙いは最初からルビー・キーンであり、パメラ・リーヴスはそのトリック(アリバイ作り)を完成させるだけのために殺されるわけですが、犯人自身も(共犯者も)「書斎」で死体が発見されることは想定していなかったわけで、そういう事態に至った経緯には、いい加減な男のいい加減な行動が一枚噛んでいるわけね(だから犯人らの心中を察するに、彼ら自身「???」だったわけだ)。

 まあ、いい加減と言えばいい加減だけど、普段からバントリー元大佐のことをよく思っていないにしても(そこを犯人に狙われた)、元々この男に罪はないわけで、気が動転してこうした突飛な行動をとったとも解釈でき、"偶然"を"自然に"噛ませて事件の謎を深めている所は、やはり上手いなあと思いました。

 「書斎の死体」というのは、クリスティがこの作品を手掛けた時点で、すでに手垢のついたモチーフになりつつあったんだろうなあ(現代においても"定番"とは言い難い一方で、本格ミステリのジャンルで今でも時々ぶり返すように出てきたりもしているのはある種レトロ趣味か?)。敢えてそうしたモチーフを用いて、クリスティなりの独特の"調理法"を見せてくれている作品と言えます。

 結構、"本格"? ポアロ・シリーズとは異なる、ミス・マープルが醸すのんびりした雰囲気の一方で、クリスティ作品の中でも意外と込み入っている方かも。読みながら簡単な家系図をメモると共に、時間軸に十分注意して読まれることをお勧めします。

ミス・マープル 書斎の死体 vhs2.jpgミス・マープル 書斎の死体 000.jpg 「ミス・マープル(第1話)/書斎の死体」 (84年/英) ★★★★
  
 

  
 
      
    
ミス・マープル 書斎の死体 dvd.jpg第1話「書斎の死体」3.jpg「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第1話)/書斎の死体
」 (04年/英) ★★★☆

 

 
 
  

フレンチ・ミステリー(第11話)/書斎の死体 dvd.jpgクリスティのフレンチ・ミステリー⑪書斎の死体05.jpg「クリスティのフレンチ・ミステリー(第9話)/書斎の死体」 (11年/仏) ★★★☆
 
 
 
 
 
 

【1956年新書化(高橋豊:訳)・1976年改版[ハヤカワ・ミステリ]/1976年文庫化(高橋豊:訳)[ハヤカワ・ミステリ文庫]/2004年再文庫化(山本やよい:訳)[クリスティー文庫]】

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沢山殺され、容疑者も一杯いる設定ながらも"無駄のない"展開。

Murder is Easy 05.jpg殺人は容易だ クリスティー文庫.jpg   殺人は容易だ ハヤカワ文庫.jpg   殺人は容易だ ポケット・ミステリ.jpg
殺人は容易だ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『殺人は容易だ (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『殺人は容易だ (1957年) (世界探偵小説全集)
http://www.agathachristie.com
 植民地駐在警察官の勤務を終えて帰英したルーク・フィッツウィリアムが、列車で偶然に乗り合わせた老婦人ラビィニア・ピンカートンは、スコットランドヤードに自分の住むウィッチウッド村で起きている連続殺人事件のことを訴えに行くところだという。事件とは、ある人物が誰かを特別な目つきで見ると、その人物が暫くすると死んでしまうというもので、今迄3人の人間が死んでいて、昨日はハンブルビー医師がその目つきで見られたと言う。ピンカートン婦人は「殺人はとても容易なんです」と言って列車を降りるが、ルークは翌日の新聞で、彼女がロンドン市内で轢き逃げ死したとの記事を見つけ、更に一週間後には、ハンブルビー医師が急死したとの死亡記事が新聞に載る。ルMurder is Easy - Fontana 1021.jpgークは状況を探るために、友人のいとこブリジェット・コンウェイが、村に住む週刊紙の経営者ホイットフィールド卿の秘書をしているのを頼りに、民族学者を装って村に調査に赴く。ピンカートン婦人の話にあった死んだ3人とは、飲んだくれの居酒屋亭主ハリー・カーター 、だらしないお手伝いエイミー・ギブズ、嫌われ者のいたずら小僧トミー・ピアスで、ハリーはある晩に橋で足を滑らせて川に落ち、エイミーは染料の壜と薬の壜を間違えて染料を飲んで死に、トミーは博物館の窓を拭いているときに墜死、これにピンカートン婦人の自動車事故死とハンブルビー医師の敗血症による死が加わる。ルークが調べていくと村のもう一人の開業医ジョフリー・トーマス、事務弁護士のアボット、退役軍人のホートン少佐、骨董屋の主人エルズワージーらが容疑者として浮かび、聡明なブリジェットと共に調査を続けるうちに、更に思いもかけない容疑者が―。

Fontana版(1966)Cover painting by Tom Adams

 1939年、アガサ・クリスティ(1890‐1976)が49歳の時に刊行された作品で(原題:Murder is Easy)、ポアロもミス・マープルも登場しないノン・シリーズ物であり、終盤に『牧師館の殺人』(1930年発表)のバトル警視が少しだけ登場しますが、実質的には、素人探偵ルークが事件を追う展開です(彼も一応は元植民地警官だが)。

 このルーク、論理的に推理を進めているようで、実際には読者のミスリード役にもなっている感じで、その辺りがクリスティの上手いところだとは思いますが、彼が最後の方で行き着いた"思いもかけない容疑者"が"真犯人"であると思った読者はどれぐらいいるだろうか。但し、殺されたと思われる人物が少なくとも5人いて(更にホイットフィールド卿の運転手も殺されて6人に)、後に残った登場人物の多くがその容疑者になるという"無駄のない"展開は見事です(結果として、クリスティ作品の中では分かり易い部類かも)。

Murder Is Easy - Pan 161.jpgMurder Is Easy - Fontana 428.jpg 主人公は探偵役のルークですが、ブリジェットの方が聡明という印象もあり、ポアロやミス・マープルのような"スーパー探偵"でないことは確か。最後は"キレ"と言うより"閃き"で事件を解決したようでもあり、一方で、すでにホイットフィールド卿の婚約者となっているブリジェットへの恋の鞘当もあって、この2人のロマンスの行方がどうなるかという部分で読者を楽しませてくれるものとなっています。
 クリスティって、普通にラブロマンスを書こうと思えば、それはそれでいくらでも書けたんだろなあ(実際に彼女は、メアリー・ウェストマコットの名前で6冊の恋愛小説を書いており、このペンネームは、サンディ・タイムズが明かすまでほぼ20年間秘密に保たれていた)。
Pan Books (1951)/Fontana (1960)

第14話「殺人は容易だ」011.jpg 作中で、6人もの人を殺している犯人は病的気質であると見做され、おそらく死刑にはならず精神病院送りとなるであろうことが示唆されていますが、となると、犯人が濡れ衣を着せようとした相手も、それが上手くいったとしても死刑にはならない公算が大きいということになり、再審請求とかあったらどうなるんだろうか(そんな制度は当時は無いか)。いずれにせよ、犯人はちょっと多い目に殺し過ぎたのかもね(もはや殺すことが目的化しているわけで、サイコ系シリアルキラーと言えるかも)。
「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第14話)/殺人は容易だ」 (09年/英・米) ★★★☆

 【1957年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(高橋豊:訳)]/1978年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(高橋豊:訳)]/2004年再文庫化[早川書房・クリスティー文庫(高橋豊:訳)]】

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フーダニット、ホワイダニットよりハウダニットが白眉を見出せる作品。

Why Didn't They Ask Evans.jpgWhy Didn't They Ask Evans3.jpgなぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? クリスティーb.jpg  なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? ハヤカワb.jpg
Dust-jacket illustration of the first UK edition/Minotaur Books(2002)/『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (1981年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 

The Murder at the Vicarage2.jpg 村の牧師の息子ボビイ・ジョーンズは、トーマス医師と海沿いでゴルフのプレイ中に地面の割れ目に男が倒れているのを発見、トーマスが応援を求める間、男は「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」と言い遺して死ね。ボビイは男のポケットからハンカチを取り出し顔にかけてやるが、その際に美しい女性が写った写真が出てきて、すぐにその写真を元に戻す。牧師館に戻らねばならなかったボビイだが、そこにロジャー・パッシントン-フレンチと名乗る男が通りかり、事情を聞くとボビイの代わりに付き添うことを申し出てくれる。

 死んだ男が持っていた写真から、写真はレオ・ケイマン夫人のもので、死んだ男は夫人の兄のアレックス・プリチャードだと判明。ケイマン夫人が身元を確認、検死審問で事故死の評決が下されて暫くして、今度はボビイがビールに大量のモルヒネを入れられ毒殺されそうになる。ボビイは何とか命を取り留め回復し、幼馴染みの伯爵令嬢レディ・フランシス・ダーウェント(通称フランキー)と事件を追い始めるが、新聞に出た男が持っていたという写真がボビイの見たものとは異なり、彼の不審は決定的となる。

Fontana版カバー(Tom Adams)

WHY DIDN'T THEY ASK EVANS 洋書.jpg フランキーはロジャーの住むパッシントン-フレンチの屋敷の傍で故意に自動車事故を起こし、怪我をして屋敷に担ぎ込まれることでパッシントン-フレンチ家の客となって事件を探るうちに、屋敷の当主ヘンリイがモルヒネ中毒であること、写真の女性が屋敷の近くで麻薬中毒患者の療養所を営んでいるニコルソン博士の妻のモイラであること、死んだ男はアレックス・プリチャードなどではなく探検家のアラン・カーステアズであったことなどが判ってきた。

 そんなある日、ヘンリイの部屋から銃声が聞こえ、鍵を開けて中に入るとヘンリイが死んでいた。状況から自殺と思われたが、ボビイとフランキーは他殺の線も捨てなかった。さらにモイラの行方が行方不明になり、二人はニコルソン博士が怪しいと考え、モイラも監禁乃至殺されているのかもしれないと焦り、別行動で事件を探り出したが、ボビイが何者かに襲われ、続いてフランキーも誘拐される。ボビイとフランキーが監禁され縄で縛られた場所で見たものは―。

WHY DIDN'T THEY ASK EVANS? .Pant.1969

 1934年、アガサ・クリスティ(1890‐1976)が44歳の時に刊行された作品で(原題:Why Didn't They Ask Evans?)、ポアロやミス・マープルのようなシリーズ・キャラクターが登場しないノン・シリーズ作品ですが、昔読んですごく面白かった印象があり、今回読み直してもやはり面白かったです。

 クリスティ作品でノン・シリーズ作品は10作しかないそうで、その中で『そして誰もいなくなった』に次いで高い評価を得ていることを最近知りましたが(もちろん人によって好みはあり、そう高く評価しない人もいるが)読み直しても面白かったという点では、個人的にはかなり上位にくる作品。ある程度ストーリーが込入っているため、前に読んだのを忘れていて(つい確認の意味で長々とストーリーを書き出してしまった)、新鮮な(?)気持ちで読めた部分が多かったというのもあるかもしれませんが。

Why Didn't They Ask Evans? [1980] [VHS].jpgWHY DIDN'T THEY ASK EVANS 2.jpg 犯人は誰か(フーダニット)ということと、犯行の動機は何か(ホワイダニット)ということの両方のバランスがとれていますが、よく読むと犯人が複数であることは早い段階で明かされており、また、犯行の目的もやっぱり遺産目当てかということで、むしろこの作品での白眉は、ハウダニット(どうやって犯行を成し遂げたか)にあるかもしれません。

 作者の狙いもそこにあったと思われ、「なぜエヴァンズに頼まなかったのか?」というタイトルそのものが、そのことを端的に表しているように思います。

WHY DIDN'T THEY ASK EVANS? .Pan.1980

「アガサ・クリスティ/なぜエヴァンズに頼まなかったのか?」 (80年/英) ★★★★

 1980年制作の英国ITV版「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」(フランセスカ・アニス主演)でもその部分がきっちり再現されていましたが、「なぜ、そのメイドに頼まなかったのかしら」と、プリチャードの最期の言葉と全く同じフレーズをフランキーに無意識的に言わせるところが上手いなあと。その言葉の意味の重要性にふと気づいて、それをフランキーに教えるボビイ。オリエント・カフェでのモイラとの対面では、そのフランキーが機転を利かせて...といった具合に、若い二人のコンビネーションも、本作の楽しめる部分です。

、エヴァンズに頼まなかったのか?.jpgミス・マープル なぜエヴァンズに頼まなかったのか01.jpg「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第16話)/なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」 (09年/英・米) ★★★☆
謎のエヴァンズ殺人事件.jpg
【1959年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(田村隆一:訳)/1960年文庫化[創元推理文庫)(長沼弘毅:訳『謎のエヴアンス』)]/1981年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/1989年再文庫化[新潮文庫(蕗沢忠枝:訳『謎のエヴァンズ殺人事件』)]/2004年再文庫化[偕成社文庫(茅野美ど里:訳『なぜエヴァンズにいわない?』)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(田村隆一:訳)]】謎のエヴァンズ殺人事件 (新潮文庫)

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ミス・マープルを"目撃証人"にして、自らのアリバイ作りに利用した犯人の大胆さ。

牧師館の殺人 クリスティー文庫 新訳.jpg[新訳] 牧師館の殺人 kurisu.jpg[旧訳] 牧師館の殺人 ハヤカワ文庫.jpg[旧訳] 牧師館殺人事件 sinntyou .jpg
カバーイラスト:安西水丸牧師館の殺人 (クリスティー文庫)』(新訳/羽田詩津子:訳) 『牧師館の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』 『牧師館の殺人 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』(田村隆一:訳) 『牧師館殺人事件 (新潮文庫)』(中村妙子:訳)

The Murder at the Vicarage.jpgThe Murder at the Vicarage - Fontana.jpgThe Murder at the Vicarage - Fontana 839.jpg 小さな田舎村セント・メアリ・ミードにある牧師館の書斎で治安判事のプロズロー大佐が銃殺されているのが発見された。牧師館の住人であるレオナルドド・クレメント牧師とその妻グリゼルダが共に外出している時を狙って行われた犯行らしく、現場には被害者が6時20分に書いたと思われる手紙と、6時22分で止まった時計があった。しかしその時計は牧師が常日頃から15分進めていたもので、警察は犯行時間の特定に苦慮する。そうした中、プロズロー大佐の妻と恋仲に押し入っていた画家のローレンス・レディングが自首してくるが、らにその直後、今度は大佐の妻が自首してきた―。(First Edition Cover (1930)/Fontana (1961・1963))

THE MURDER AT THE VICARAGE  .jpg 1930年に刊行されたアガサ・クリスティ(1890‐1976)の作品で(原題:The Murder at the Vicarage)、ミス・マープルの長編初登場作品(短編では「火曜クラブ」(1928年)に先に登場。但し、『火曜クラブ』が短編集として刊行されたのは1932年)で本作の2年後)。

 早川書房のハヤカワ・(ポケット)ミステリに山下暁三郎訳(1954年)があり、その後ハヤカワ・ミステリ文庫に田村隆一訳(1978年)が、そして、それがクリスティー文庫(2003年)に収められ、その田村隆一訳のクリスティー文庫を羽田詩津子氏の新訳に置き換えたようですが(田村隆一訳から実質30年以上経っていたためか)、クレメント牧師の「手記」という体裁をとっている本作が、更にすらすら読めるようになったようにも思います。

THE MURDER AT THE VICARAGE. .Fontana 1988

 ミス・マープルの住まいと牧師館の位置関係などが図で示されていて、時間トリックなど、このシリーズにしては本格推理っぽい色合いもありますが、一方で、セント・メアリ・ミードの村の(殺人事件を抜きにすれば)長閑な様子や、老婦人たちのお喋りなど、ミス・マープル・シリーズに欠かせない要素が詰まっています。

 最初に画家のローレンス・レディングとロズロー大佐の2人が自首してきて、でも、お互いに相手を庇っての"勘違い"による自首だったということで、そうなると今度は別に怪しいのが4人も5人も出てきて、さあ、この中の誰が犯人か―という、読者の導き方が上手いなあと。

牧師館の殺人 dvd2.jpg牧師館の殺人 t2.jpg  結局、犯人は、物語の"脇役"が最後に突然浮かび上がってくるような、或いは、後から付け足したような人物ではなかった― 但し、こうなると、犯人は捜査がどのように行われるか計算づくであったばかりでなく、村の噂なども利用したことになります。更にスゴイことには、ミス・マープルが観察眼に長けた人物であることを予め見抜いたうえで、逆に彼女を"目撃証人"にして、自らのアリバイ作りに利用しているわけだから、大胆と言えば大胆、強者(つわもの)と言えば強者だったなあ。   「ミス・マープル(第5話)/牧師館の殺人」 (86年/英) ★★★

牧師館の殺人 o3.jpgMURDER AT THE VICARAGE 2004 01.jpg 「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第2話)/牧師館の殺人」 (04年/英) ★★★☆

【1954年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(山下暁三郎:訳)]/1976年文庫化[創元推理文庫(厚木淳:訳)]ミス・マープル最初の事件1978年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳(『ミス・マープル最初の事件』)]/1986年再文庫化[新潮文庫(中村妙子:訳)]/2003年再文庫化[早川書房・クリスティー文庫(田村隆一:訳)]/2005年再文庫化[偕成社文庫(茅野美ど里:訳)(『牧師館の殺人―ミス・マープル最初の事件』)]/2011年再文庫化[早川書房・クリスティー文庫(羽田詩津子:訳)]】

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"冒険ミステリ"と割り切ってリアリティを求めない方が楽しめる傑作。

ハヤカワ・ミステリ  チムニーズ館の秘密.jpg チムニーズ館の秘密 ハヤカワ・ミステリ文庫.jpg チムニーズ館の秘密 クリスティー文庫.jpg   Bodley Head.jpg チムニーズ館の秘密09.jpg
ハヤカワ・ポケット・ミステリ/『チムニーズ館の秘密 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』/『チムニーズ館の秘密 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』/Bodley Head版

The Secret of Chimneys comic strip.jpg 旅行会社の社員として南アフリカで旅行案内人を務めるアンソニー・ケイドは、再会した友人のジェイムズ・マグラスから「おいしい話」を持ちかけられる。ジェイムズは以前、町で見かけた喧嘩から老人を救い出したが、それが大変な富豪であったと判ったのだという。しかし、先ごろその老人が莫大な財産を残して亡くなり、何故か彼に回顧録らしき原稿を送ってきたという。同封のメモによれば、期日までにロンドンの出版社に持ち込めば千ポンドの報酬を支払うとあるが、ジェイムズはどうしても手が離せない仕事を抱えているらしい。アンソニーはその原稿を持ってイギリスに帰国するが、すぐに怪しげな男たちに狙われ、バルカン半島の小国ヘルツォスロヴァキアに王政復古に絡む、国際的な騒動へと巻き込まれる。一方、ヘルツォスロヴァキアの王子が滞在するチムニーズ館で、深夜に一発の銃声が響き渡る。一体この場所で何が起きてるのか? 自らもチムニーズ館に乗り込むケイドだったが...。
BBC:Agatha Christie Comic Strip

The Secret of Chimneys 01.jpg 1925年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品で(原題:The Secret of Chimneys)、クリスティの作品の中で『殺人は容易だ』(1939)、『ゼロ時間へ』(1944)など5作あるバトル警視ものの第1作であるとともに、おしどり探偵トミーとタペンスの『秘密機関』(1922)など8作ある冒険ミステリの内の1作。

 スパイ、大泥棒、悪党、冒険に積極的なヒロインと主人公のナイスガイ、更に敏腕刑事と、もう何でもありの感じで、フランスの大泥棒ってルパンみたいだし、国際的なスキャンダルが絡む点などは、ホームズの「ボヘミアの醜聞」みたいな雰囲気も。

 クリスティ自身も楽しんで書いたらしく、たいへん短い期間で書き上げた作品だそうですが、ともすると大味な冒険譚になりがちなところが、ストーリーは精緻で、文庫だと500ページ弱になりますが、途中、飽きさせる要素は殆ど無かったように思います。

Dust-jacket illustration of the first UK edition

The Secret of Chimneys - Pan.jpg 主人公アンソニー・ケイドと共に事件に巻き込まれていくヴァージニア・レヴェルも、ヒロインとしての魅力を十分に備えているし、初登場のバトル警視のヤリ手ぶりもいいです。強いてこの作品の難点を挙げれば、アンソニー・ケイドの視点から物語が描かれているにも関わらず、彼自身が大きな秘密を有していることで、それが最後になって読者に明かされるという点では、善意に解釈すれば"叙述トリック"ですが、見方によっては"後出しジャンケン"の印象も受ける点です。

Pan books (1956)

 但し、そのことを割り引いてもこの作品は面白いです。そう言えば、本作の翌年に発表された『アクロイド殺し』にも"叙述トリック"が用いられていますが、それでも"傑作"との評価が、"掟破り"との批判を超えていて、そうしたことはこの作品についても言えるのではないでしょうか。

THE SECRET OF CHIMNEYS.jpgThe Secret of Chimneys 02.jpg 最初から"冒険ミステリ"と割り切って、あまり現代スミステリの基準でのリアリティを求めない方が、素直に作品を楽しめるかも。個人的にはクリスティ作品の中でも傑作だと思っています。

 モーリス・ルブランの『カリオストロ伯爵夫人』が1924年の刊行、コナン・ドイルの5大短編集のラスト『シャーロック・ホームズの事件簿』が1927年の刊行と、そうした作品がこの作品の発表と前後していることを考えると、それらの作品と相対比較した場合、この作品はむしろ、実際の当時の国際政治情勢を反映させている点でリアリティもあり、また、プロットの巧みさ、複雑さにおいて、後のミステリ作家の作品に引けを取らない"現代ミステリ"であるとも言えるように思います。
THE SECRET OF CHIMNEYS .Pan.1976   
  
チムニーズ館の秘密 dvd.jpg第18話「チムニーズ館の秘密」02.jpgチムニーズ館の秘密 09.jpg「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第18話)/チムニーズ館の秘密
」 (10年/英・米) ★★☆  

【1955年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(赤嶺弥生:訳)]/1976年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(高橋豊:訳)]/1976年再文庫化[創元推理文庫(厚木淳:訳『チムニーズ荘の秘密』)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(高橋豊:訳)]】

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「このミス」第1位作品の映画化だが、大味のアクションに終始してしまった感じ。

Shooter (2007).jpgザ・シューター/極大射程 dvd.jpg 極大射程 新潮文庫 上下.jpg 極大射程 上.jpg 極大射程 新潮文庫 下.jpg
マーク・ウォールバーグ「ザ・シューター/極大射程 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]」『極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)』『極大射程〈下巻〉 (新潮文庫)
Shooter (2007)
ザ・シューター/極大射程 4.jpg ボブ・リー・スワガー(マーク・ウォールバーグ)は軍の元狙撃手で、アフリカでの任務で観測手の友人を失い、今で退役して山中で犬と暮らしているが、そんな彼にある依頼が来て、それは、何者かが大統領の狙撃暗殺を企てているので、その実行プランを見抜いて欲しいというもの。愛国心から引き受けた彼は、フィラデルフィアで狙撃が行われると確信、大統領演説の当日に現場で監視にあたるが、いきなりアドバイザーの制服警官に撃たれ、その間に狙撃が行われて弾は大統領を外れてエチオピア大司教の命を奪う。負傷しながらも何とかその場を離れたスワガーは、自分が罠にはめられたことに気付き、そこから彼の復讐が始まる―。

 原作は1993年にスティーヴン・ハンターが発表した「ボブ・リー・スワガー三部作」の第1作『極大射程(上・下)』(原題:Point of Impact、'98年/新潮文庫(上・下))で、2000(平成12)年「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位作品。当時の新潮文庫の帯に「キアヌ・リーブス主演で映画化!」とあったので、直ぐに映画されるのかと思ったら、マーク・ウォールバーグ主演で2006年になって映画化され(発表から映画化まで結局13年かかった)、原作はそこそこ面白かったけれども、予告を観て原作と雰囲気が違う気がしたため、DVD化されても暫く観ないでいました。

ザ・シューター/極大射程 1.jpg つい最近になって観てみたら、やっぱり違う! 原作の、ちょうど『レッド・オクトーバーを追え(上・下)』('85年/文春文庫)のトム・クランシーが潜水艦や兵器に拘(こだわ)るのと似たような、銃へのマニアックな拘りが無いのはいいけれど、マーク・ウォールバーグ(元不良青年で服役囚だったこともあるようだが)は原作のボブ・スワガーよりやや線が細い感じか。

 少しロバート・ラドラムの『暗殺者(上・下)』('83年/新潮文庫)と似たところもある話なのですが、その映画化作品「ボーン・アイデンティティ」('02年、こちらも発表から映画化まで22年と時間がかかっている)で主人公のジェイソン・ボーンを演マーク・ウォールバーグ.jpgマット・デイモン.jpgじたマット・デイモンが原作より線が細く見えたのと似た印象を持ちました'(この二人、よく似ている)。

マーク・ウォールバーグ(1971年生まれ)/マット・デイモン(1970年生まれ)

ザ・シューター/極大射程 2.jpg スワガーが今は亡き親友の恋人サラ(ケイト・マーラ、「ソーシャル・ネットワーク」 ('10年/米)に出ていたルーニー・マーラの姉)に助けを求め、最初は拒まれるも結局スワガ―の力となるのはいいが、彼女自身、敵方の人質になってしまうというのは、ある意味"定番"。途中からサスペンスと言うより殆どアクション映画になっていて、ラストに行くまでに銃撃戦や爆殺で人がバタバタ死んでいき、一方、原作でのヤマ場である最後の法廷闘争は、映画ではその部分はさらっと流してその代り、法の裁きを逃れた"悪い奴ら"を最後は主人公が自ら...。

ザ・シューター/極大射程 3.jpg カタルシス効果に重きを置いたと思われますが、やや安直に結末だけ修正したような感じもし、原作スト―リーだけでは観客を惹きつけ切れないという自信の無さか。"悪い奴ら"である大佐と上院議員を演じるのが「リーサル・ウェポン」('87年)のダニー・グローヴァーやコメディ作品にも出演の多いネッド・ビーティで、両者とも気のいいオッサンに見えてしまうのも難かも。

 原作の主人公は、ベトナム戦争で狙撃手として鳴らし、2300メートルという狙撃の「最大射程距離」(所謂「極大射程」)記録を保持していた実在の狙撃手カルロス・ハスコックをモチーフとしていて(カール・ヒッチコックという名の伝説の狙撃手として原作にも出てくる)、主人公のボブもハスコック同様にベトナム帰りの元海兵隊員でしたが、映画では、さすがに時間を経てしまったため、ソマリア帰りに置き換えられています(狙撃兵って戦争や内戦には欠かせないのか)。

極大射程 扶桑社 上.png極大射程 扶桑社 下.png 原作は「このミステリーがすごい」第1位作品だけあって(「週刊文春ミステリー ベスト10」で第2位、「IN★POCKET」の「文庫翻訳ミステリー・ベスト10」でも第2位)、読んでいる時は面白かったけれども、時間を経るとあまり記憶に残らないような気もし、映画はその忘れかけた面白さを喚起してくれるかと思いきや、大味のアクションに終始してしまった感じでした(元々、プロットを生かすタイプの監督ではなかったということか)。

極大射程(上)」[Kindle版]  「極大射程 下 (扶桑社ミステリー)」[文庫]

マーク・ウォールバーグ in「ザ・ファイター」('10年/米)
ザ・ファイター01.jpg ザ・ファイター12.jpg

ケイト・マーラ(マーラ姉妹・姉) (→
ケイト・マーラ.jpgケイト・マーラ2.jpg「ザ・シューター/極大射程」●原題:SHOOTER●制作年:2006年●制作国:アメリカ●監督:アントワーン・フークア●製作:ロレンツォ・ディボナヴェンチュラ/リック・キドニー●脚本:ジョナサン・レムキン●撮影:ピーター・メンジース・Jr●音楽:マーク・マンシーナ●原作:スティーヴン・ハンター「極大射程」●時間:124分●出演:マーク・ウォールバーグ/マイケル・ペーニャ/ダニー・グローヴァー/ケイト・マーラ/イライアス・コティーズ/ローナ・ミトラ/ネッド・ビーティ/ラデ・シェルベッジア/ジャスティン・ルイス/テイト・ドノヴァン/レイン・ギャリソン/ブライアン・マーキンソン/アラン・C・ピーターソン●日本公開:2007/06●配給:UIP(評価:★★☆)

【2013年文庫化[扶桑社ミステリ-]】

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心理小説、文芸小説的な味わいのある作品。

杉の柩 ポケミス.jpg  杉の柩 ミステリ文庫.jpg  杉の柩 クリスティー文庫.jpg  杉の柩 hp.bmp SAD CYPRUS 2.jpg
杉の柩 (1957年) (世界探偵小説全集)』(恩地三保子:訳)『杉の柩 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 1-11))』『杉の柩 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』 "Sad Cypress (Agatha Christie Collection)"(ハーパーコリンズ版1995)/Pan 1979

Sad Cypress (1940).jpg エリノアは幼馴染みの義理の従兄ロディーと婚約して幸せに浸っていたが、その二人の前にメアリイが現れ、彼女の出現でロディーが心変わりをし、婚約は解消され、激しい憎悪がエリノアの心に湧き上がる。そしてある日、彼女の作ったサンドイッチを食べたメアリイが死んだ。「犯人は私ではない!」と心の中で叫ぶエリノアの声が通じたかのように、名探偵ポワロが調査を開始する―。

 1940年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品で(原題:Sad Cypress)、すごく面白いというわけでもないですが、初期作品に比べて登場人物の心理描写がキメ細やかで、これもまた「外れが少ないクリスティ作品」の1つではないでしょうか。

Sad Cypress 1963. Mass Market Paperback

 エリノアが法廷に立つ場面から始まる倒叙法を採っていますが、自分が嫉妬心に駆られていたことを自覚する彼女は、無罪を主張しながらも、自分が"無意識"にサンドイッチに毒を仕込んだかのような錯覚に陥りかけているという―こうした彼女の揺らめく心理の描写も含め、全体を通して、心理小説、文芸小説的な味わいのある作品です。

Sad Cypress - Pan 271.jpg 殺害されたメアリイは、門番の娘でありながら、野性の薔薇のように美しい女性であり、性格も素直。しかし、こうなってみると、その美しさも素直さも結果的には罪つくりであったといえ、そうしたこともあってか、彼女の心理には敢えて必要以上には踏み込んでいないように思いました。

 ポワロが調査を開始した契機は、屋敷の主治医でメアリイのことを密かに想っていた青年ピーター・ロードからの依頼であり、ラストで・ロードはエリノアに寄り添っていて、エリノアも彼の温かさを感じているという、ハッピーエンドとは言わないまでも、"壊れかけた"エリノアの"再生・再出発"を暗示している結末が良いです。

Sad Cypress 1954. Pan Books
 
 「彼女にはあなたが必要だ」とロードを後押しするポワロは、他の作品に類を見ない優しさ。この作品では、実質自分が事件を解決しながらも、法廷での事件の謎解きを全て弁護士にやらせ、自分は表に出てこないという謙虚さも見せています(そのことに物足りなさを感じるファンもいるようだが)。

 一方で、ミステリとしては、登場人物もそう多くないし、容疑者となると更に絞られるため、それほど意外性は感じられないかもしれません(しかも犯人は、「車掌・執事...」の言わば禁忌系であるし)。

名探偵ポワロ(第51話)/杉の柩 2003-2.jpgSad Cypress.jpg デヴィッド・スーシェ主演の「名探偵ポワロ」シリーズでも映像化されていますが、フランスの、ポワロやミス・マープルに代わってラロジエール警視とランピオン刑事が事件解決にあたる「クリスティーのフレンチ・ミステリー」シリーズでも2010年にTVドラマ化されていて、どのような味付がされているのかは観てのお楽しみです。ただ、個人的には、比較的原作に忠実に作られているデヴィッド・スーシェ版の方が良かったです。
「名探偵ポワロ(第51話)/杉の柩」 (03年/英) ★★★☆ 

クリスティのフレンチ・ミステリー/杉の柩.jpgクリスティのフレンチ・ミステリー⑥杉の柩03.jpg 「クリスティのフレンチ・ミステリー(第6話)/杉の柩」 (10年/仏) ★★★


【1957年新書化[ハヤカワ・ミステリ]/1976年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫]/2004年再文庫化[クリスティー文庫]】

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角川文庫所収のラドラム初期作品では、個人的にはこれがいい。

ホルクロフトの盟約 上.jpg  ホルクロフトの盟約下.jpg    ludlum_robert.jpg Robert Ludlum(1927 - 2001)
ホルクロフトの盟約 (上) (角川文庫)』『ホルクロフトの盟約 (下) (角川文庫)

The Holcroft Covenant.jpg 米国の建築家ノエル・ホルクロフトはジュネーヴ第一銀行頭取から呼び出され、銀行に総額7億8千万ドルの第三帝国の遺産が密かに保管されていると聞かされる。その金は、第二次世界大戦末期第三帝国の蛮行を悔やんだ3人のドイツ高官の手によって預けられたもので、しかるべき時を経てナチス・ドイツの犠牲となった人々へ分配されるべき金だという。ホルクロフトは、かつて第三帝国有数の戦略家にして財界の大立者と呼ばれ、ジュネーヴ銀行に遺産を預けたドイツ高官ハインリッヒ・クラウゼンの一人息子だったのだ。実父の遺言を信じて、残る2人のドイツ高官の息子を捜すことになった彼だったが、莫大な遺産を狙う謎の組織の襲撃は早速ジュネーヴで開始されていた―。

"The Holcroft Covenant" (Bantam Books, 1979. paperback)

 1978年に米国の作家ロバート・ラドラム(Robert Ludlum, 1927 - 2001)が発表した作品で、米国内では'71年に『スカーラッチ家の遺産』でデビューした当初から「並みのミステリ作家6人が束になっても敵わないほどのスリルとサスペンスに満ち溢れている」と称賛され、世界的なベストセラー作品を連発しており、この作品に関しては日本でも'80年に単行本で邦訳が出ていましたが、自分が読んだのは文庫化された際でした。

 自分自身の「第1次ラドラム没頭期」を顧みると、先ず『狂気のモザイク』(The Parsifal Mosaic '82年発表/'85年3月に新潮文庫で文庫化(上・下))や『囁く声』(The Parsifal Mosaic '77年発表、'84年12月に講談社文庫で文庫化(上・下))などを読み、次に『暗殺者』(The Bourne Identity '80年発表/'83年12月に新潮文庫で文庫化(上・下))を読み、更に『スカーラッチ家の遺産』(Covenant The Scarlatti Inheritance '71年発表/'74年に単行本邦訳、'84年8月に角川文庫で文庫化(上・下))、この『ホルクロフトの盟約』(The Holcroft Covenant '78年発表/'80年に単行本邦訳、'85年5月に角川文庫で文庫化(上・下))、『マタレーズ暗殺集団』(The Matarese Circle '79年発表/'82年に単行本邦訳(上・下)、'85年8月に角川文庫で文庫化(上・下))といった作品を読んでおり、'84年から'85年にかけて相次いで文庫化されたものを原著の発表順に関係無くわーっと読んだのだなあと(その後、『戻ってきた将軍たち』(The Aquitaine Progression '84年発表/'85年3月に新潮文庫で文庫化(上・下))から始まる「第2次ラドラム没頭期」があったりした)。

 あの松岡正剛氏も、自身のサイト「千冊千話」の中で、「ともかく力作が目白押しに発表されるので、これは駄作だろうとおもってもみるのだが、つい読まされ、興奮してしまっている」「少なくともフォーサイスやジェフリー・アーチャーがどんどんつまらなくなっていったのに比べると、ぼくを十冊以上にわたってハメつづけたのだから、その手腕は並大抵ではないということなのだろう」と書いていて、「ぼくの80年代はロバート・ラドラムで埋まっていたようなものだ」というのは自分と同じです。

 個人的には、ラドラムの作品では、『暗殺者』が一番ではないかと思われ、松岡正剛氏も「千冊千話」の中では『暗殺者』を傑作として取り上げおり、新潮文庫はいい作品の翻訳権を押さえたものだと思っていましたが、角川文庫で読んだ中では、相対的にはこの『ホルクロフトの盟約』が一番良かったように思います(米国でも日本でも、『マタレーズ暗殺集団』の方がやや人気は上のようだが、あくまで自分の好みとして)。

 ナチス・ドイツの犠牲者へ遺産を分配するというホルクロフトと実父との「盟約」は実現されるのかというのがこの作品のモチーフであり、味方だと思ったのが敵だったり、敵だと思ったのが味方だったりという展開は、今で言えば、『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウンなどに引き継がれているかも(見方によっては、サービス精神過剰ともとれるが)。ダン・ブラウンは、最も影響を受けた作家として、ラドラムの名を挙げています。

ホルクロフトの盟約 movie1.jpgホルクロフトの盟約 move2.jpgホルクロフトの盟約 movie0.jpg この作品はジョン・フランケンハイマーの監督、マイケル・ケイン主演で映画化されています(「第三帝国の遺産」('85年/英)、映画原題はThe Holcroft Covenant)。日本では劇場未公開であり、ビデオ化はされていますが既に絶版のようであり、DVD化はされていません(個人的には未見)。

【1985年文庫化[角川文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
ロバート・ラドラムの作品
●「ジェーソン・ボーン」三部作
・暗殺者 (1980) 新潮社
・殺戮のオデッセイ (1986) 角川書店
・最後の暗殺者 (1989) 角川書店
● 「マタレーズ」シリーズ
・マタレーズ暗殺集団 (1982) 角川書店
・マタレーズ最終戦争 (2000) 角川書店
● その他
・スカーラッチ家の遺産 (1971) 角川書店
・オスターマンの週末 (1972) 角川書店  ※文庫再刊の際に『バイオレント・サタデー』と改題
・マトロック・ペーパー (1973) 角川書店
・禁断のクルセード (1973) 角川書店  ※ジョナサン・ライダー名義
・悪魔の取引 (1974) 角川書店
・灼熱の黄金郷 (1975) 角川書店  ※ジョナサン・ライダー名義
・砕かれた双子座 (1976) 新潮社
・囁く声 (1977) 講談社
・ホルクロフトの盟約 (1978) 角川書店
・狂気のモザイク (1982) 新潮社
・戻ってきた将軍たち (1984) 新潮社
・血ぬられた救世主 (1988) 角川書店
・狂信者 (1993) 新潮社
・陰謀の黙示録 (1995) 新潮社
● 「秘密組織カヴァート・ワン」シリーズ
・冥界からの殺戮者 (2002) 角川書店
・破滅の預言 (2002) 角川書店

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20作の「ダーク・ピット」シリーズの内、本当に面白かったのはこの辺りまでか。

Clive Cussler Vixen 03 2.jpg  Vixen03.jpg  Clive Cussler Vixen 03 3.jpg  QD弾頭を回収せよ.jpg
Vixen 03 (Dirk Pitt Adventure) ハードカバー/Vixen 03 (Dirk Pitt Adventure) Published 2010 by Bantam Books/Vixen 03 ペーパーバック /『QD弾頭を回収せよ (新潮文庫)

 コロラド州の湖に米軍の輸送機(Vixen03)が沈んでいることを発見したNUMA(国立海中海洋機関)は、その中に陸軍が極秘に開発した生物兵器「QD弾頭」が積まれていたことを知る。NUMAは輸送機を湖から引き揚げるが、何本かの弾頭が行方不明となっていた。一方、南アフリカ政府は、宿敵アフリカ革命軍の崩壊を目的とした偽装作戦として、米国の首都ワシントンを戦艦で砲撃する「野薔薇作戦」を計画、彼らは元英陸軍大佐を味方につけ、戦艦アイオワをワシントンに向け、ポトマック川を遡らせる。QD弾頭の行方を追うダーク・ピットは、弾頭が戦艦アイオワに搭載されたことを知り、QD弾頭の発射を阻止するために、ワシントンを砲撃中のアイオワに単身乗り込むが、敵の妨害工作に合っている間にQD弾頭は発射されてしまう―。

 1973年から2003年までに20作発表された「ダーク・ピット」シリーズの内の'78年に発表された第4作で(原題:Vixen03)、『タイタニックを引き揚げろ』('76年発表)の次の作品にあたりますが、この頃の「ダーク・ピット」シリーズが一番面白く、シリーズが進むにつれて完全無欠のスーパーマン的なキャラクターになっていくダーク・ピット像からすると、この頃はまだ"不死身"というイメージはさほどなくて、その分ハラハラさせられます。

 政治状況の設定は、この作品が書かれた時点での10年後の'88年を想定しているためか、自由自在と言うかやや荒唐無稽な趣もあるもののそれなりに凝っていて、アイオワという実在の戦艦を登場させているところなども、ベストセラー作家の妙手と言えますが、QD弾頭が武器商人の手違いでたまたまアイオワに搭載されてしまって、偽装工作であるがゆえの"挑発的"攻撃であるつもりが、強烈な細菌兵器が発射され大変なことになろうとしている―という言わば"アクシデント"がキーになっている点で評価が割れるかも(個人的には、充分に面白かったが)。

 ダーク・ピットがヘリコプターからロープにぶら下がって戦艦へ潜入するなど、派手なアクション映画のようなシーンもありますが、以前にも書いた通り、『タイタニックを引き揚げろ』の映画化作品「レイズ・ザ・タイタニック」('80年/米英)の余りの出来の悪さに懲りた作者は、このシリーズの映画化を永らく許可せず、その後は、『死のサハラを脱出せよ』('92年発表)が今世紀になってやっと「サハラ―死の砂漠を脱出せよ」('05年/米)として映画化されたのみで、四半世紀の空白が勿体なかった気もします。
 
 『QD弾頭を...』も、もしも映画化されていれば多分観ただろうし、「レイズ・ザ・タイタニック」の"駄作の罪"は大きい(?)。但し、映画「サハラ」も(こちらは観ていないが)、「自分の了承なしに大幅に脚本に手を加えた」として、作者は怒っているそうです。

 因みに、「ダーク・ピット」シリーズは、第6作の『大統領誘拐の謎を追え』('84年発表)以降の15作全てが、邦訳は上下2分冊となっており、だんだん読まなくなった個人的理由として、一作一作が長くなり過ぎたというのもあるかもしれません。

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富裕層の闇と少年のトラウマ。ロス・マクらしいモチーフの傑作。家系図を作りながら読むべし。

一瞬の敵―リュウ・アーチャー・シリーズ.jpg一瞬の敵 ロス・マクドナルド 早川ポケット.jpg  一瞬の敵 世界ミステリ全集6.jpg   ロス・マクドナルド.jpg Ross Macdonald(1915 - 1983)
一瞬の敵―リュウ・アーチャー・シリーズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1244)』['85年]/『世界ミステリ全集〈6〉ロス・マクドナルド (1972年)』(人の死に行く道/ウィチャリー家の女/一瞬の敵)['72年]

 私立探偵リュウ・アーチャーは、銀行の部長キース・セバスチャンから、17歳の娘サンディが前科者の恋人デイヴィ・スパナーと散弾銃を持って家出したため探して欲しいとの依頼を受ける。デイヴィのアパートを見つけ管理人のローレル・スミス夫人訪ねると、そこにサンディとデイヴィもいたが、アーチャーはデイヴィに殴られ、2人は銃を持って姿を消す。サンディ達はどこかの屋敷の地図を残していたが、調べてみるとキース・セバスチャンの銀行の所有者であるスティーブン・ハケットの家らしいため、アーチャーはハケット家を訪ねて危険を知らせる。アパートの管理人スミス夫人を再度訪ねると、彼女は何者かに殴り倒されていて、救急車で病院に運ばれるが死亡、彼女の本名はローレル・プレヴィンズということが分かり、更にデイヴィの養父母に会って、そこにデイヴィとサンディが現れ、今夜ハケット邸に行くような話振りだったと聞き出すが、ハケット家に電話すると、スティ-ブン・ハケットがデイヴィとサンディに銃で脅されて連れ去られた後であり、ハケットの母親は、息子を無事に連れ戻したくれたら10万ドル払うとアーチャーに依頼する―。

Ross MacDonald:The Instant Enemy.bmp 1967年に発表されたハードボイルド作家ロス・マクドナルド(1915‐1983)の作品で(原題:The Instant Enemy)、同じく早川の「世界ミステリ全集」に所収の『ウィチャリー家の女』(' 61年発表)(2段組286ページ)よりはやや短い(2段組み236ページ)ものの、ストーリーが複雑で読みでがあり、上記はあらすじの一部に過ぎず、更にアーチャーは、デイヴィの家系を探ることになりますが(少なくともこの辺りからは、家系図を作りながら読んだ方がいい)、そこには親子4代にも及ぶ怨念の歴史が横たわっていることが徐々に浮かび上がってきます。
"The Instant Enemy (Vintage Crime/Black Lizard)"(2008年/ペーパーバック)

 庭に人工湖を持つというハケット家は、石油で儲けた大富豪で(ポール・ゲテイがモデルとの説も)、そのハケット家の血に塗られた過去が、現在に於いて更なる連続殺人を引き起こすという展開ですが、富裕階級の隠蔽された闇を描いてアメリカという国の社会病理を炙り出しているという点でも、幼児期の残酷な経験が少年の人格形成に及ぼした暗い影―というトラウマ説(フロイディズム)的モチーフにおいても、ロス・マクドナルドらしい作品だと思います。

 アーチャーは事件こそ見事に解決しますが、気分は鬱々として晴れないようで(このような事件を扱えばそうなるだろうなあ)、自分の心理を独白で語ることをあまりしない彼ですが、ラストシーンで見せる小切手を破り棄てるという行為に、そのことがよく表されているように思われました(美意識と言うより疲弊感が滲む)。

 読後感はかなり重いですが、最初はばらばらに思えた登場人物の関係が徐々に繋がっていく展開は見事で、ストーリー密度はかなり高く、傑作と言えます。

村上春樹 09.jpg 作家・村上春樹氏がロス・マクドナルドの作品の愛好者であるようですが、この作品の少年は、養父から「発作的に腹を立てて、突然他者の敵にならぬこと」(これがタイトルの由来か)といった、「十戒」的な"超自我"が植え付けられている一方で、実の父親のことをよく知らず「父親探し」の旅もしているわけで、村上作品のテーマやモチーフにも通じるものがあるなあと(但し、村上氏自身がハードボイルドタッチの小説を書いても、こんな複雑精緻なストーリーにはならないが)。

【1975年新書化[ハヤカワ・ポケット・ミステリ(小鷹信光:訳)]/1988年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫( 小鷹信光:訳)]】

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妻殺害容疑の弟を兄が弁護。テンポよく読める。面白かったが、読後は何となくスッキリしない。

A Very Simple Crime.jpgいたって明解な殺人.jpgいたって明解な殺人 (新潮文庫)』(2011/03 新潮文庫)

"A Very Simple Crime"

 頭を割られた妻の無惨な遺体と、その傍らには暴力癖のある知的障害の息子、クリスタルの灰皿。現場を発見した夫アダムの茫然自失ぶりを見れば犯人は明らかなはずだったこの事件を担当するのは、かつて検事補を辞職し、今は屈辱的な立場で検察に身を置くレオ。捜査が進むにつれ、ねじれた家族愛と封印された過去のタブーが明らかになる―。

 2010年に発表されたグラント・ジャーキンス(Grant Jerkins)のデビュー作(原題:A Very Simple Crime)ですが、文庫で400ページ足らずと長くも短くもなく、むしろ、すいすいとテンポ良く読めて短く感じます。

 3部構成で、訳者あとがきにもあるように、アダムと被害者である妻との異常な夫婦関係を中心に描いた心理サスペンス風の第1部、下級検事補レオ・ヒューイットが、事故死として処理されようとしたこの事件に疑問を感じて動くリーガル・サスペンス風の第2部、妻殺害の容疑で訴追されたアダムと彼の弁護をすることになった兄モンティに、検事局側の屈折した政治力学が絡んで、これまで張られてきた伏線の意味が明らかとなる第3部―と盛沢山ですが、田舎町で起きた一事件だけを追って、その後連続殺人事件が起こるわけでもなく、話がやたら拡散していかないのが却っていいです(その意味ではタイトル通り)。

 更に、これらの話の中に重要な挿話が2つあり、1つはモンティとアダムの兄弟の過去に纏わる歪な兄弟関係の源となった話、もう1つは、レオ・ヒューイットが下級検事補に留まる原因となった、一旦は追い詰めた幼児性愛者を再び野に放つことになったという過去に犯した失態の経緯。

 心理サスペンスとしてはやや浅いかなと思ったら、法廷劇としての面白さにウェイトを置いた作品だったのかと―でも、最後にももう一捻りありました。心理サスペンスとして深まらない理由もここにあったのだなあ(ある意味、"叙述トリック")。

 読者にあるパターンの法廷劇を予感させておいた上での、最後の劇的な展開は旨いと思ったし、一見まともに見える人間が持っている異常性というものを描き切っているという意味では、サイコ・サスペンスとして一貫しているとも言えます("深さ"というより"構造"の妙)。

 ただ、周囲の皆がこの「逆転劇」の従順な観客になってしまっているのは不自然だし(当事者"M"がその通りに演じてしまっているのも不自然)、「一時不再理」と言っても、後でバレるのは間違いないと言うか、これ、完全犯罪とは言えないように思います。

 その辺りを"救い"と見る見方もあるかも知れないけれど、倫理的なことは抜きにして、プロットとして、個人的には何となくスッキリしませんでした(結局、"L"は前回と同じような運命を辿るのだろなあ)。

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一気に読ませるエンタテインメント性と、陪審制度の脆弱性批判を兼ね添えた佳作。

陪審評決 単行本.jpg 陪審評決 文庫 上.jpg 陪審評決 文庫下.jpg  ニューオーリンズ・トライアル dvd.jpg ジ―ン・ハックマン.jpg
陪審評決』『陪審評決〈上〉 (新潮文庫)』『陪審評決〈下〉 (新潮文庫)』「ニューオーリンズ・トライアル/陪審評決 プレミアム・エディション [DVD]

The Runaway Jury.jpg 夫が肺癌で死んだのは、長年の喫煙が原因だとして、タバコ会社を相手どって未亡人が訴訟を起すが、結果次第では同様の訴訟が続発する可能性もあり、原告・被告双方の陪審コンサルタントによる各陪審員へのアプローチが開始される。そうした中、選任手続きを巧みにすり抜け、陪審団に入り込んだ青年がいた―

 1996年発表のジョン・グリシャムのリーガル・サスペンスで、この"陪審団に入り込んだ青年"の意図はある程度読み進む内に明らかになりますが、いかにもエンタテイナーの作者らしい設定―但し、現実にこうしたことがあるかと言うとやや疑問で、ただ可能性として、やろうと思えば出来なくもないという意味での、陪審制度の脆弱性の批判になっているように思えました。

 但し、陪審制度への批判の眼目はむしろ、陪審員の選任に関与する陪審コンサルタントの暗躍に対して向けられているように思われ、こちらもかなりサスペンスフルな味付けはされていますが、実際問題として、大企業が陪審コンサルを雇って企業訴訟を有利に導いたり(タバコが肺癌の原因になったという製造物責任訴訟では、タバコ会社側が多額の裁判費用をつぎ込んで敗訴を免れているとの批判が米国法曹界にある)、或いはO・J・シンプソン裁判ではないですが、資力のある被告が自らに同情的な考えを持つであろうと思われる陪審員を揃えることがあったりするようです(シンプソン事件の刑事裁判では"ドリームチーム"と呼ばれた弁護団が結成され、陪審員12人のうち9人が黒人だった)。

 振り返ってわが国の裁判員制度を見れば、裁判員の除外要件は限定列挙的にあるものの、最終的にどういった人を適任としてスクリーニングしているのかよく分からず、なぜ裁判の当事者や一般の国民がそのあたりを突っ込まないのか不思議な気もします(陪審コンサルが暗躍するよりはいいと思うが)。

 結末が『法律事務所』(映画ではなく原作の方)とやや似てはいますが、グリシャムらしい一気に読ませるエンタテインメント性と、制度の脆弱性批判を兼ね添えた佳作だと思います。

 グリシャム作品は、デビュー作の『評決のとき(A Time to Kill)』 ('89年発表) から『ザ・ファーム/法律事務所(The Firm)』 ('91年発表)、『ペリカン文書 (The Pelican Brief)』('92年発表)、『依頼人(The Client)』 ('93年発表)あたりまでは、原題・邦題と映画化作品の原題・邦題がほぼ同じですが、『処刑室(The Chamber)』 ('94年発表) や『原告側弁護人(The Rainmaker)』 ('95年発表)は、映画化作品の邦題は小説の原題をそのまま使用しており、この『陪審評決(The Runaway Jury)』は、映画化作品の原題が"The Runaway Jury"と小説の原題通りであるのに対し、邦題は「ニューオーリンズ・トライアル」となっています。

ニューオーリンズ・トライアル(はっくまん).bmp トライアルは日本における刑事事件の公判に近いものですが、米国では刑事事件・民事事件共通の手続きであり、陪審トライアルだけでなく、陪審無しの裁判官によるトライアルもあり、そもそも刑事・民事ともそこに進む前に司法取引がなされたり和解が成立したりすることが多いため、トライアルにまでいく裁判は少ないとのこと―従って、陪審制(陪審トライアル)の下で行われる事件は実は全体のほんの一部に限られているということですが、映画邦題にこの言葉を選んだのは、リーガル・サスペンスの邦訳タイトルに似たものが多く、とは言え、原題の"The Runaway Jury"(「暴走した陪審員」と「楽勝の陪審員」の二重の意味?)を邦題にしても、日本人にはぴんと来にくいためでしょうか(映画が公開された時、原作がグリシャムとは気付かなかった自分としては「陪審評決」のままでも良かったと思う。「トライアル」でもぴんと来にくいことには変わりない)。

ニューオーリンズ・トライアル(ホフマン).bmp 映画化作品は(タバコ訴訟ではなく、銃乱射事件の被害者が銃器製造会社を訴えるという設定に改変されている)、陪審員に潜り込んだ男にジョン・キューザック、陪審コンサルにジーン・ハックマン、正義を貫こうとする原告側弁護士にダスティン・ホフマンという取り合わせで、映レイチェル・ワイズ ニューオーリンズ・トライアル.jpg画だと三者の細かい遣り取りはどうしても端折りがちにならざるを得ず、むしろ陪審員のプロファイリングに際してFBI顔負けのハイテク機器をも駆使するジーン・ハックマンのやり手ぶりが強調されていたように思います。

評決の値段を"交渉"する2人。ジーン・ハックマンとレイチェル・ワイズ

ニューオーリンズ・トライアル(トイレシーン).bmp ダスティン・ホフマンはやや脇に回った感がありますが、ジーン・ハックマンとはお互いの無名時代に、ホフマン夫妻がハックマン夫妻のアパートに転がり込み居候していた時期があったという古い友人同士で、この作品が初共演。一旦クランクアップした後に、そのことに思い当たったゲイリー・フレダー監督が2人を再度召喚し、裁判所のトイレで2人が本音でやり合うシーンを撮ったとのことですが、2人がサシで言葉を交わすのはこの場面しかなく、迫力ある2人の衝突はまさに"共演"と言うより"競演"、レイチェル・ワイズ、ジョアンナ・ゴーイングといった個性派美女も出演している作品ですが、やはりこの二大俳優の激突シーンの迫力が一番印象に残りました(この場面、原作には無いわけだが)。

レイチェル・ワイズ/ジョアンナ・ゴーイング
レイチェル・ワイズ.jpgジョアンナ・ゴーイング.jpg「ニューオーリンズ・トライアル」●原題:THE RUNAWAY JURY●制作年:2003年●制作国:アメリカ●監督:ゲイリー・フレダー●製作:ゲイリー・フレダー/クリストファー・マンキウィッツ/アーノン・ミルチャン/スティーヴン・ブラウン●脚本:ブライアン・コッペルマン/デヴィッド・レヴィーン/マシュー・チャップマン/リック・クリーヴランド●撮影:ロバート・エルスウィット●音楽:クリストファー・ヤング●原作:ジョン・グリシャム「陪審評決」●時間:128分●出演:ジョン・キューザック/ジーン・ハックマン/ダスティン・ホフマン/レイチェル・ワイズ/ブルース・デイヴィソン/ジェレミー・ピヴェン/ブルース・マッギル/ジョアンナ・ゴーイング/ヘンリー・ジャンクル/ニック・サーシー/セリア・ウェストン/ディラン・マクダーモット●日本公開:2004/01●配給:東宝東和)(評価:★★★☆)

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「十二人の怒れる男」と一味違った構成。江戸川乱歩の解説がネタバレかと思ったらラストに―。

Verdict of Twelve .jpg十二人の評決 ハヤカワミステリー1600番突破記念函入り.jpg十二人の評決  2.jpg 十二人の評決 ポストゲート.jpg
Raymond W. Postgate.gif"Verdict of Twelve (British Library Crime Classics) (English Edition)"『十二人の評決 (1954年) (世界探偵小説全集)』(ハヤカワミステリ1600番突破記念函入り)['54年/黒沼健:訳]『十二人の評決 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』['99年/宇野輝雄:訳]表紙絵:勝呂忠(1926‐2010)(旧版・新版とも)
Raymond W. Postgate(1896-1971)

 第1部「陪審」― 1930年代後半の英国で、ある殺人事件を裁くために選ばれた12人の陪審員たちの、職業や経歴、思想などが描かれ、彼らの中には誰にも知られてはいけない秘密を持つ者もいる―。
 第2部「事件」― 審議の対象となった事件―莫大な遺産を相続した11歳の少年とその後見人の叔母は、日頃から折り合いが悪かったが、孤独な少年が唯一愛する1匹の兎を叔母が殺したことを契機に異様な殺人事件が起きる―。
 第3部「公判と評決」― 証言ごとに揺れ動く陪審員たちの心理がメーターの針で図示され、最後に評決に至る―。

Vintage Novel Verdict of Twelve Raymond Postgate.jpg十二人の評決 裏表紙.bmp 左翼系ジャーナリストであり、小説家、伝記作者、政治経済評論家、社会学者でもあったレイモンド・ポストゲート(Raymond W. Postgate 1896-1971)が1940年に発表した作品で(原題:Verdict of Twelve)、ハヤカワ・ミステリ(1954年初版)では江戸川乱歩が解説をしています。

 第1部の12人の陪審員の人物の来歴が面白く、過去に巧妙な完全犯罪(殺人)を成し遂げた老婆、狡知により下層階級から成り上がった詐欺師男、年老いたギリシャ学者、寡男の酒場の亭主、ある日突然信仰に目覚めた熱烈なクリスチャン、ユダヤ人として迫害され夫をチンピラに殺された女性、労働組合の書記長、社会主義詩人、美容院助手、二流どころの俳優、百科事典のセールスマン、小新聞の編集長―と、やや作者の経歴寄りの"布陣"のような印象も受けますがそれでもバラエティに富み、12人のプロファイリングの後半の方はやや端折り気味であるものの、この第1部で全体の半分近くを占めます。

 第2部で展開される事件がまた謎に満ちていて、ここは通常の推理小説における問題提起部分と言え、更に第3部で事件の公判の模様が描かれ、いよいよ陪審員たちが審議に入りますが、彼らは一生懸命考えているような、いないような―結局その判断は、自らの出自や経歴に強く影響を受けていることを如実に窺わせるものとなっています。

 シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」('57年/米)が、審議を通して12人の陪審員らの人間性が次第に露わになっていくプロセスが描かれていたのに対し、この作品は、先に12人のプロファイリングがあり、審議においてはその思想や偏見がアプリオリに各自の判断を誘引しているものの、それがそのまま明確な判断に結び付くとも限らず、他者の発言によって微妙に揺らいでいる様が描かれているといっていいのではないでしょうか(それを作者はバロメータ表示している)。

 12人の陪審員の中で一番振れ幅が大きいのは、完全殺人の経験者である老婆で、「あなたは殺人に対してどんな知識を持っているのです?」と問い詰められて有罪支持から無罪支持に転じますが、ホントは殺人というものを知っている..何せ経験者だから(自らの保身のために意見を変えた)。

 解説の江戸川乱歩は、中心題目である殺人事件に最も関心を抱いたようで「可憐なる残虐」と評していますが(乱歩の解説が裏表紙に要約されて掲載されている)、こうした形容はややネタバレではないかと思いつつ読みながらも、第4部「後記」で示された"ドンデン返し"的な展開で楽しませてくれます。

フィクションとしての裁判.jpg事件.bmp この小説は、作家の大岡昇平(1909‐1988)と弁護士から最高裁判事になった大野正男(1927-2006)の対談集『フィクションとしての裁判―臨床法学講義』('79年/朝日出版社)の中で大岡昇平が紹介していたことで知りましたが、結末は、大岡昇平の『事件』('77年/新潮社)と似てなくもないです(但し、『事件』の主人公のラストの告白は懺悔に近いが、こちらの問題の人物の告白は自己弁護に近い)。

 【1954年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(黒沼健:訳)/1999年改訳[ハヤカワ・ポケットミステリ(宇野輝雄:訳)】

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5人の女性警官の物語。TVドラマでは描かれないリアリティ。前半の短篇に鋭い切れ味。

あなたに不利な証拠として hpm1.jpgあなたに不利な証拠として jpg あなたに不利な証拠として 文庫.jpg Anything you say can and will be used against you by Laurie Lynn Drummond.jpg Laurie Lynn Drummond.jpg Laurie Lynn Drummond
あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』['06年] 『あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ミステリ文庫)』['08年] Anything You Say Can and Will Be Used Against You: Stories by Laurie Lynn Drummond

Anything you say can and will be used against you.jpg ルイジアナ州バトンルージュ市を舞台に、キャサリン、リズ、モナ、キャシー、サラの5人の女性警官のそれぞれを主人公にした短篇集で、2006 (平成18) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第1位、並びに、2007(平成19) 年「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位作品(原題:Anything you say can and will be used against you)。

 ミステリと言うよりは女性警察官たちの職務上の体験を通しての人間ドラマであり、2004年にこの第1作品集を発表したローリー・リン・ドラモンド(Laurie Lynn Drummond)自身が、バトンルージュ市警で5年間女性制服警官として勤務した経験の持ち主であるということもあって、退職後12年間かけて書き上げたという10篇の作品群は、ずっしりとした読後感を読者に与えるものとなっているように思いました。

サード・ウォッチ.jpgフェイス・ヨーカス.jpg 確かに「サード・ウォッチ」や「The Division 5人の女刑事たち」といったTVドラマなどでも女性警官は活躍していますが、この作品はそうしたTVドラマでは見られない現場(及び現場の外)のリアリティに溢れています(但し、「サード・ウォッチ」は高質の警察ドラマであり、女性警官フェイス・ヨーカスは、この作品の女性警官達に通じるものがあると思う)。

 10篇中、最後のサラの物語(「生きている死者」(Keeping the Dead Alive)と「わたしがいた場所」(Where I Come From)が最も長く、2篇で1つの物語となっていて全体の半分を占め、これが最もストーリー性がありますが、前半部分の短篇の方が、鋭い剃刀の刃のような切れ味があったように思いました。

 キャサリンの3つの物語のうち、「完全」(Absolutes)では、警官になりたての頃に被疑者を射殺した経験が、脳裏にこびり付いて離れない様が1人称で語られ、「味、感触、視覚、音、匂い」(Taste,Touch,Sight,Sound,Smell)では、すでに新人警官を教える教官という立場になっている主人公が、酸鼻な惨殺死体のある現場に踏み込んだ後、体や衣服に染みついて離れない死体の匂いのことなどを独白的に語っていて、何れも、こんなの今までの警官小説にもTVドラマにも無かったなあと(むしろ、意識的に避けてきた部分か)。
 それが、「キャサリンへの挽歌」(Katherine's Elegy)になると、警察学校の訓練生が語る3人称に近い文体に変わり、キャサリンという"伝説的"な女性警官がいかなる人物であったかが、彼女が殉職した事件までを含めて書かれています。
 たった3つの短篇の連なりの中で、新人―教官―殉職という主人公の立場の違いによって時制や語り手の視点が変化するのが、たいへん新鮮な構成に思えました。

 リズの2つの物語の内、「告白」(Lemme Tell You Something)は10ページに満たない短篇で、警官自身の話ではなく、女性警官の自宅隣りに越してきた、かつてベトナムで戦った経験のある57歳の男の"告白"譚ですが、それを聞かされた女性警官の反応も含めて傑作(この作品は短篇ながらストーリー性がある)、もう1つの話「場所」(Finding a place)では、主人公が警官を辞めた理由が語られていますが(交通事故なんだなあ)、死亡事故の現場というのは、殺人事件でも交通事故でも、悲惨であることには変わりがないということを感じさせられました。

 モナの2つ物語のうち、「制圧」(Under Control)では、被疑者と銃を向け合って対峙するという緊迫した場面が1人称の現在進行形で描かれているかと思いきや、「銃の掃除」(Cleaning Your Gun)では、独り拳銃の掃除をする女性警官に対して、第三者的視点からその心境に語りかけるように描かれていて(結局、ここで語りかけているのは"モナ自身")、ここでも、語り手の視点のバリエーションの多様性が見られます。

 キャシーの物語は「傷痕」(Something About a Scar)の1篇のみで、この作品はアメリカ探偵クラブ賞の最優秀短篇賞を受賞しており、かつて警察官だったキャシーとロビロはある事件で見解が対立したことがあったが、その2人が夫婦となった今、6年前の事件が再捜査となるというもの―警官とは、辞めても"警官"であり、夫の妻となっても"警官"なんだなあと。

 文芸的サスペンスと言うより、文学作品そのものに近い印象を受けるのは、ストーリー性を要しないリアリティの重さもさることながら、語り手の視点の多様性など実験的な要素がふんだんに盛り込まれていることもあるのでしょう。

 個人的には、主人公別でみれば、キャサリンの物語が一番気に入りました。
 彼女は性的に放埓であったともとれますが、身を挺して危険な職務に就いていたからこそ、生きている時間の一瞬一瞬を大事にしていたのだろうなあ。
 それにしても、「あなたは伝説の女と寝たのよ」と自分で言えるところがスゴイね(生きているうちから"伝説"だったわけだ)。

サード・ウォッチ 1シーン.jpgサード・ウォッチ・ファースト.jpg「サード・ウォッチ」Third Watch (NBC 1999/09~2005) ○日本での放映チャネル:WOWOW(2000~2006)/スーパー!ドラマTV

サード・ウォッチ 〈ファースト・シーズン〉 コレクターズ・ボックス(6枚組) [DVD]


 【2008年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫]】

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『評決』の続編。本格リーガル・サスペンスだが、エンタメ要素もふんだんに。

決断 バリー・リード.jpg  評決 dvd.jpg 評決 ニューマン チラシ.jpg 『評決』(1982) 2.jpg
決断 (ハヤカワ文庫NV)』['97年]/「評決 [DVD]」/映画「評決」チラシ/「評決」の1シーン

 アル中から立ち直った弁護士フランク・ギャルヴィンは、今や一流法律事務所で出世街道をひた走っていたが、ある日、若い女性弁護士ティナから巨大製薬会社の薬害訴訟の被害者側の弁護を依頼される。しかし、その訴訟は勝目が無い上に、その製薬会社はギャルヴィンの所属事務所の大手顧客であったため、彼は弁護を断わり、代わりに恩師の老弁護士モウ・カッツを紹介する。訴訟は提訴され、ギャルヴィンは図らずも製薬会社側の弁護を命じられ、恩師と女性弁護士、更には事務所を辞めたかつての部下らと対峙することになる―。

 1980年にデビュー作『評決』(原題:The Verdict、'83年/ハヤカワ・ミステリ文庫)を発表したバリー・リード(Barry C. Reed 1927-2002)が、11年後の1991年に発表した、『評決』の続編で(原題:The Choice)、医療ミスに関する訴訟を扱った前作の『評決』は、「十二人の怒れる男」のシドニー・ルメット監督、「明日に向かって撃て!」のポール・ニューマン(1925-2008)主演で映画化('82年/米)され、アル中のため人生のどん底にあった中年弁護士ギャルヴィンの、甦った使命感と自らの再起を賭けた法廷での闘いが描かれていました。

"The Choice" Barry C. Reed (Paperback 1992)

 本作『決断』では、弁護士として功名を成したギャルヴィンは、専ら大企業の弁護をするボストンの一流法律事務所のパートナー弁護士になっていて、その分刻みでのビジネスライクな仕事ぶりに、最初はすっかり人が変わってしまったみたいな印象を受けますが、やはりギャルヴィンはあくまでギャルヴィンであり、最後どうなるか大方の予想がつかなくもありませんでした。

 中盤までは、法律事務所の仕事ぶりや裁判の経緯がこと細かく描かれていて、バリー・リード自身が医療ミス事件としては史上最高額の評決を勝ち取ったことがある法律事務所に属していた辣腕弁護士であっただけに、本格的なリーガル・サスペンスという感じで、同じ弁護士出身の作家でも、『法律事務所』(1991年発表、'92年/文藝春秋)のジョン・グリシャムのよりも、弁護士としての実績では遥かにそれを上回る『推定無罪』(1987年発表、'88年/文藝春秋)のスコット・トゥローの作風に近い感じがしました。

 結末の方向性は大体見えているし、審理の過程を楽しむ"通好み"のタイプの作品かなと思って読んでいたら、『評決』同様乃至はそれ以上に終盤は緊迫したドンデン返しの連続で、一時は法廷を飛び出してスパイ・ミステリみたいになってきて、相変わらず女性との絡みもあり、大いに楽しませてくれました。

 映画化されたら「評決」と同じかそれ以上に面白い作品になるのではないかとも思いましたが、やはり、主人公がどん底から這い上がって来て、人生の逆転劇を演じるような作品の方がウケルのかなあ(『決断』は映画化されていない)。

 但し、こうした作品が映画化される場合、「評決」の時もカルテの書き換えとそれに関する偽証に焦点が当てられていたように、細かい箇所は端折って、どこか一点に絞ってクローズアップされる傾向にあり、リーガル・サスペンスとしての醍醐味は、やはり原作の方が味わえるのではないかと思います。

 振り返れば、女性の使われ方が『評決』とやや似かよっていて、また、証人の証言に比重がかかり過ぎているようにも思えましたが、後半からラストまでは息つく間もなく一気に読める作品でした(読んでいて、どうしてもギャルヴィンにポール・ニューマンを重ねてイメージしてしまう。映画化されていないのは、続編が出るのが遅すぎて、ポール・ニューマンが歳をとりすぎてしまっていたこともあるのか?)。

評決 ペーパーバック.jpg評決 ポール・ニューマン.jpg 映画「評決」は、当初アーサー・ヒラー監督、ロバート・レッドフォード主演で制作が予定されていたのが、アーサー・ヒラーが創作上の意見不一致を理由に降板、ロバート・レッドフォードもアル中の役は彼のイメージにそぐわないとの理由で見送られ、企画は頓挫し、脚本も途中で何回も書き直されることになったそうです。

 結局、監督はシドニー・ルメットに(彼が選んだ脚本は一番最初に没になったものだった)、主演は「明日に向かって撃て!」でレッドフォードと共演した評決 新宿ロマン1.jpg評決 新宿ロマン2.jpgポール・ニューマンになり、そのポール・ニューマン自身、「自分の長いキャリアの中で初めてポール・ニューマン以外の人物を演じた」と述べたそうですが、そうした彼の熱演もあって、リーガル・サスペンスと言うより人間ドラマに近い感じに仕上がっているように思いました。

評決 ニューマン.jpg ちょうどアカデミー賞の受賞式を日本のテレビ局で放映するようになった頃で、ポール・ニューマンの初受賞は堅いと思われていましたが、「ガンジー」のベン・キングズレーにさらわれ、4年後の「ハスラー2」での受賞まで持ち越しになりました。映画の内容の方は、より一般向けに原作をやや改変している部分もありますが、ポール・ニューマンの演技そのものにはアカデミー賞をあげてもよかったのではないかと思いました。

The Verdict (1982).jpgThe Verdict (1982)
評決」●原題:THE VERDICT●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ルメット●製作:リチャード・D・ザナック/デイヴィッド・ブラウン●脚本:デイヴィッド・マメット●撮影:アンジェイ・バートコウィアク●音楽:ジョニー・マンデル●時間:129分●出演:ポール・ニューマン/シャーロット・ランプリング/評決 ジェームズ・メイソン.jpg評決 ブルース・ウィリス.jpgジャック・ウォーデン/ジェームズ・メイスン/ミロ・オシア/エドワード・ビンズ/ジュリー・ボヴァッソ/リンゼイ・クルーズ/ロクサン・ハート/ルイス・J・スタドレン/ウェズリー・アディ/ジェームズ・ハンディ/ジョー・セネカ新宿ロマン.png/ケント・ブロードハースト/コリン・スティントン/バート・ハリス/トビン・ベル(ノンクレジット)/ブルース・ウィリス(ノンクレジット)●日本公開:1983/03●配給:20世紀フォックス●最初に観新宿ロマン劇場2.jpgた場所:新宿ロマン劇場(83-05-03)(評価:★★★☆) [上右]ブルース・ウィリス(傍聴人)
新宿ロマン劇場 明治通り・伊勢丹向かい。1924(大正13)年「新宿松竹館」→1948(昭和23)年「新宿大映」→1971(昭和46)年「新宿ロマン劇場」 1989(平成元)年1月16日閉館

「新宿ロマン劇場閉館―FNNスーパータイム」1989(平成元)年1月17日放送(アンカーマン 逸見政孝・安藤優子)
新宿ロマン劇場閉館.jpg

【1997年文庫化[ハヤカワ文庫NV]】

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「不全家庭」の再生。環境に負けない少年の心意気が健気。ミステリと言うより"文学作品"的。

ラスト・チャイルド ポケミス.jpg ラスト・チャイルド ポケミス2.jpg  ラスト・チャイルド 上.jpg  ラスト・チャイルド 文庫上.jpg ラスト・チャイルド文庫下.jpg 
ラスト・チャイルド (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』『ラスト・チャイルド(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)』『ラスト・チャイルド(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ジョン・ハ―ト.jpg 2010 (平成22) 年度「週刊文春ミステリーベスト10」(海外部門)第1位作品であり、早川書房の「ミステリが読みたい! 2011年版」(海外編)でも第1位。

 13歳の少年ジョニーの家庭は、1年前に起きた双子の妹アリッサの誘拐・行方不明事件のために一変し、共に優しかった両親は、父親はやがて謎の失踪を遂げ、母親は薬物に溺れるようになっていた。ジョニーは、妹の無事と家族の再生を願って、昼夜を問わない危険な調査にのめり込んでいくが―。

 ミステリ界の"新帝王"との呼び声も高いジョン・ハート(John Hart、1965-)が2009年に発表した作品(原題:The Last Child)であり、「アメリカ探偵作家クラブ賞」最優秀長篇賞と「英国推理作家協会賞」最優秀賞スリラー賞のW受賞作とのこと。また、「早川書房創立65周年&ハヤカワ文庫40周年記念作品」ということで(何だか"肩書"が長いが)、ハヤカワ・ミステリ文庫とほぼ同時期に、ポケット・ミステリからも刊行されるという早川書房の力の入れようです。

 実際、日本でも、各ミステリ・ランキングで上位に入るなど評判も良かったようで、自分自身も読んでみて感動しました。

 家族が崩壊して「不全家庭」状態になっているにも関わらず、そうした環境に押しつぶされることなく、自らを律し、家族の再生という目的意識を持って、親友と共に妹の行方を探し続ける少年の心意気が健気に感じられました。

 全体としてハードボイルド・タッチな中にも、登場人物の心理描写などにおいて詩的な表現が入り交ざったりして、ミステリと文学作品の中間のようなトーンであり、作者自身が「(テーマとしての)家族崩壊は豊かな文学を生む土壌である」と述べているそうです。

 前半部でジョニーの目の前で殺人事件が起き、被害者が死に際に「あの子を見つけた」というダイイング・メッセージを残したため、妹の生存に希望を抱いた少年は、犯罪歴のある近隣の住人たち(これが分かるというところがアメリカ社会らしい)を日々監視して過ごしますが、ここから物語の展開は遅々として進まず、ミステリとしては、必ずしもテンポはいいものではないように思えました。

 一方、人物描写はよく出来ていて、とりわけ殺人事件の捜査にあたるハント刑事の、少年の妹の誘拐事件を解決出来ていないという悔恨の情を抱え、少年の母親への愛情にも似た思い入れがありながらも、少年の行動を手掛かりに、上司の妨害や嫌がらせにも屈せず事件の核心に迫ろうとする姿勢には、共感を覚えました(自分の事件への深入りを、かつての少年の妹の誘拐事件からくる偏りによるものではないかと自問するなど、ストイック且つ自省的なところもいい)。

 「家族崩壊」は少年の家庭だけのことではなく、ハント刑事も息子とうまくいっておらず、またジョニーと探索行動を共にするジャックも、親兄弟とうまくいっていません。
 途中で発覚した事件(こっちの方がより大事件?)は小児性愛者によるものであるし、ある意味、アメリカの社会や家庭が抱えている問題を扱った"社会派"系でもあるなと、途中から、半分ミステリとして読むことを自分の中で抑えてしまった感もありましたが、読み終えてみて、これらの親子関係は実は事件の伏線でもあったんだなあと。

 但し、"予想通り"通常のミステリにおけるカタルシスが期待出来るような作品ではなく、むしろ、ずっしり重い気分にさせられる話でした(純粋にミステリとして見た場合の評価は★3つかも知れない)。
 そうした中で、悲惨な事実を知ってもそこから立ち直り、"お墓参り"をしたり、親友に"仲直り"の手紙を書いたりするジョニー少年の、あくまでも前向きな姿勢が"救い"であるような、そんな作品でした(少年1人にこれだけのものを負わせちゃっていいのかなあ)。

 【2010年新書化[ハヤカワ・ポケット・ミステリ]/2010年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(上・下)]】 

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私設部隊による人質奪回。原作も映画も大いに楽しめたのは、"ノンフィクション"だからか。

鷲の翼に乗って (Playboy books).jpg鷲の翼に乗って 集英社文庫 上.jpg 鷲の翼に乗って 集英社文庫 下.jpg 「鷲の翼に乗って」 (86年/米).jpg
鷲の翼に乗って(上) (集英社文庫)』『鷲の翼に乗って(下) (集英社文庫)』 TV-M「鷲の翼に乗って」('86年)
鷲の翼に乗って (Playboy books)

 1978年、イランではパーレヴィ王朝の独裁に対し民衆の怒りが昂り、テヘランでは軍と市民の衝突が繰り返されていたが、そうした中、米テキサス州ダラスに本社を置くコンピュータ関連会社EDSの重役2人が不当逮捕され、EDS会長ロス・ペローは在イラン米大使館やキッシンジャー前国務長官に働きかけて救出を依頼するが失敗、遂に自力での人質救出をすべく、社員による救出チームを組織し、元グリーンベレーのアーサー・D・"ブル"・サイモンズ大佐に協力を依頼する―。

On Wings of Eagles (VHS, 1991).jpg鷲の翼に乗って On Wings of Eagles .jpg 1983年に英国の作家ケン・フォレットが発表した小説で(原題:On Wings of Eagles)、実際にあった事件を取材して作品化したものであり(単行本帯には「ケン・フォレット初のノンフィクション」とあるが、"ノンフィクション小説"という感じか)、本書に登場するEDS会長ロス・ペローという人物は、1992年の大統領選に民主・共和両党とは別に第3政党を立ち上げ立候補したあのロス・ペロー氏です(小柄だが気骨ありそうな老人という印象)。

ロス・ペロー 大統領選.jpg この選挙は、一般投票率が、ビル・クリントン43%、ジョージ・ブッシュ37%、ペロー19%という結果で、彼の善戦は、パパ・ブッシュの票を獲り込んだため、クリントン大統領誕生の副次的要因となったと言われていますが、自分で傭兵部隊を作って直接行動に出るというのは、一部のアメリカ人にはいかにも受けそうだなあと(共和党寄りの考えに近いと言えるか)。
On Wings of Eagles [VHS] [Import]

 ストーリーは、複雑な政治背景の部分以外は冒険小説風で、比較的すらすら読めてしまうのですが、実話がベースになっていることを思って読めば、それなりの重みも感じられ、但し、どの程度の脚色がされているのかは測りかねるといったところでしょうか(大統領やホワイトハウスはかなり無能・無力な存在として描かれている)。

 そうした憶測は抜きにして、サイモンズ大佐らによる計画立案から必要物資や人員の調達、拠点確保から行動実施までの流れは、ビジネス書によくある「Plan(計画)→Do(実行)→See(統制)」の所謂「PDSサイクル」の実践版のようでもあり、「リーダーシップとは何か」ということのケーススタディのようでもあります。

鷲の翼に乗って 輸入版DVD.jpg鷲の翼に乗って 輸入版VHS.jpg '86年にアンドリュー・V・マクラグレン監督によってTⅤ映画化されており、サイモンズ大佐を演じたバート・ランカスターは貫禄の演技で、ああ、この人なら部下はついてくるなあと。

On Wings of Eagles [VHS] [Import]
On Wings of Eagles [VHS] [Import]
 輸入版VHS(英語・ペルシャ語)

鷲の翼に乗って  ON WING OF EAGLES 1986.jpg 慎重なサイモンズは、社員たちに様々な事態を想定した訓練を施しますが、イランに入ってからの交渉は難航し、革命に乗じて何とか刑務所から2人を脱獄させた後も、トルコへの脱出行の最中に不測の事態が次々発生し、そうした際にそれらの訓練が役立つ―では、サイモンズは超人的な予言者のような人物なのかというとそうではなく、実行されることの無かった訓練も数多くあったわけで、要するに、あらゆる不測の事態を想定して、入念に計画し、備えたということことなのでしょう。

 TV版のためか、特別凝った演出がされているわけでもなく、原作を忠実に追うことを主眼としているようで、爆弾を作ったり、暗号を作成したりするといった細部まで映像化されており、そのために約4時間の長尺にはなっていますが、起伏に富んだストーリーを、原作同様に飽きさせず一気に見せます。

地獄の7人.jpg地獄の7人 ちらし.jpg そう言えば、テッド・コチェフ監督の「地獄の7人」(′83年/米)という、ベトナム戦争終結後10年経っても戻らない息子の生存を信じ、息子のかつての戦友を集めて現地へ救出に向かう大佐(「鷲の翼に乗って」 のサイモンズ大佐と同じく退役軍人)の話の映画があって(主演はジーン・ハックマン)、同じ「私設部隊」でも、「地獄の7人」の方はどちらかというと"傭兵"というより"OB会"という感じが色濃かったでしょうか。

地獄の7人 [DVD]

地獄の7人 ジーン・ハックマンs.jpg 「地獄の7人」では、男たちの友情や親子の愛情がテーマとなっていましたが、年寄りにアクションはキツいんじゃないかとつい余計な心配してしまったりするのは、元になっているのがフィクションだからでしょう。そうした意味では、「鷲の翼に乗って」のような「事実に立脚した」とか「実話に基づく」という謳い文句は強みだなあと(それさえ信じ込ませれば怖いもの無し?)。原作も映画も共に大いに楽しめたのは、自分がその"ノンフィクション効果"を、大いに受けたからかも。
ジーン・ハックマン in「地獄の7人」

"On Wings of Eagles" (1986)
鷲の翼に乗ってON WING OF EAGLES 1986.jpgON WING OF EAGLE 1986.jpg「鷲の翼に乗って」●原題:ON WING OF EAGLES●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督:アンドリュー・V・マクラグレン●音楽:ローレンス・ローゼンタール●原作:ケン・フォレット●時間:235分●出演:バート・ランカスター/リチャード・クレンナ/ポール・ル・マット/ジム・メッツラー/イーサイ・モラレス/ジェームズ・ストリウス/ローレンス・プレスマン/コンスタンス・タワーズ/カレン・カールソン/シリル・オライリー●テレビ映画:1990/10 テレビ東京(評価:★★★★)

地獄の7人 ジーン・ハックマンl.jpg「地獄の7人」●原題:UNCOMMON VALOR●制作年:1983年●制作国:アメリカ●監督:テッド・コッチェフ●製作:ジョン・ミリアス/バズ・フェイトシャンズ●脚本:ジョー・ゲイトン●撮影:スティーヴン・H・ブラム●音楽:ジェームズ・ホーナー●時間:105分●出演:ジーン・ハックマン/ロバート・スタック/フレッド・ウォード/レブ・ブラウン,/パトリック・スウェイジ●日本公開:1984/06●配給/パラマウント映画●最初に観た場所:三軒茶屋映劇(85-05-25)(評価★★★)●併映:「ゴールド・パピヨン」(ジュスト・ジャキャン)

 【1986年文庫化[集英社文庫(上・下)]】 

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ドイツのスパイが主人公で英国将校が副主人公。美女の活躍など、エンタテインメント色が強い。

レベッカへの鍵 集英社.jpg  『レベッカへの鍵』集英社文庫.jpg レベッカへの鍵 新潮文庫.jpg    レベッカへの鍵 vhs.jpg  針の眼 ケン・フォレット.jpg Ken Follett
レベッカへの鍵 (1982年) (Playboy books)』『レベッカへの鍵 (集英社文庫)』『レベッカへの鍵 (新潮文庫)』「レベッカへの鍵 [VHS]

レベッカへの鍵 洋書.jpg 第2次世界大戦下、当時は英国が支配していたリビア、エジプトに、連合軍から"砂漠の狐"と恐れられるロンメル将軍が送りこんだスパイ、アレックス・ヴォルフは、英国占領下のカイロで英国軍の軍事作戦をスパイし、ロンメル将軍に情報を送ろうとするが、それに気付いた英国軍のウィリアム・ヴァンダム少佐は、地元の女性を協力者とし、スパイを暴き出す作戦に出る―。

 1980年に英国の作家ケン・フォレットが、『針の眼』('78年)、『トリプル』('79年)に続いて発表したスパイ小説(原題:The Key to Rebecca)。
1940年の北アフリカ戦線で、劣勢だった独ロンメル軍団が連戦連勝して優勢の英アフリカ軍を追い詰めていき、英国の生命線であるカイロが陥落寸前となった背景には、ロンメル将軍のスパイ戦術による情報収集力があったというのは事実のようです。

 主人公が「独」スパイで、副主人公が「英」陸軍情報部の将校であるという位置づけがこの作家らしいですが、独スパイ・アレックスがベリーダンサーのソーニャを抱き込んでその魅惑の力を利用し、英国将校ウィリアムは、自身に想いを寄せるユダヤ人女性エレーネに危険な使命を与え、スパイを暴き出す作戦に出るという、共に女性絡みになっていて、この辺りはサービス精神旺盛。

レベッカへの鍵 サントラ.jpg ただ、ちょっと"サービス過剰"という感じもして、その分「レベッカ」という実際に北アフリカ戦線で使われた暗号の謎解きというモチーフは後退し、デュ・モーリア小説「レベッカ」が暗号コード名として利用されたというだけの意味付けに止まっていて、テーマが拡散した印象も受けました(それでも、終盤の両者の攻防の畳み掛けは流石だが)。

レベッカへの鍵 洋書3.jpg 読み易い一方で、やや通俗に流れるキライもある作家かなあと思いましたが、TV映画化作品(監督は俳優のデヴィッド・ヘミングスで、本人も出演している)を観て、ああ、最初から映像化を意識していたのかなあとも(要するに、"エスピオナージュ通"受けよりも"一般大衆"受けを狙った?)。

THE KEY TO REBECCA 1985.jpg 自分は"一般"側なので、原作のみならず、3時間超に及ぶ映像化作品の方も、「セクシーなベリーダンス」シーンとかだけでなく、プロット的にも良くできたエンタテインメントとして、それなりに(むしろ大いに)楽しみましたが、TV映画であるためか、人物像がパターン化していて演出的に特筆するようなものがある作品ではなく、ただ面白いだけという感じ。それはそれで面白ければ良しとすべきなのかも知れませんが(評価自体は素直に★4つ)、やはり、その面白さは原作に負うところが大きいか。

THE KEY TO REBECCA 2.jpgTHE KEY TO REBECCA 1.jpg THE KEY TO REBECCA 3.jpg
DAVID SOUL/CLIFF ROBERTSON

LINA RAYMOND

The Key to Rebecca (1985)
The Key to Rebecca (1985).jpg
「レベッカへの鍵」●原題:THE KEY TO REBECCA●制作年:1985年●制作国:アメリカ●監督:デヴィッド・ヘミングス●脚本:サミュエル・ハリ●撮影:マリオ・ヴルピアーニ●音楽:J・A・C・ベッドフォード●時間:198分●出演:デヴィッド・ソウル/クリフ・ロバートソン/シーズン・ヒューブリー/リナ・レイモンド/アンソニー・クエイル/デヴィッド・ヘミングス/ロバート・カルプ●テレビ映画:1986/08 NHK(評価:★★★★)

 【1983年文庫化[集英社文庫(矢野浩三郎:訳)]/1997年再文庫化[新潮文庫(矢野浩三郎:訳)]】

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非情さと人間臭さを併せ持ったスパイ像。ひと癖ありそうなドナルド・サザーランド向きだった?

針の眼.jpg 針の眼 創元推理文庫.jpg 針の眼 dvd.jpg 針の眼 映画チラシ.jpg  鷲は舞いおりた_.jpg
針の眼 (ハヤカワ・ノヴェルズ)』['80年]『針の眼 (創元推理文庫)』['09年]「針の眼 [DVD]」/映画チラシ 「鷲は舞いおりた [DVD]

針の眼 新潮文庫.jpg 第2次世界大戦の最中、英国内で活動していたドイツの情報将校ヘンリー・フェイバー(コードネーム"針")は、連合軍のヨーロッパ進攻に関する重大機密を入手、直接アドルフ・ヒトラーに報告するため、英国陸軍情報部の追跡を振り切り、Uボートの待つ嵐の海へ船を出したが、暴風雨の影響で離れ小島に漂着してしまう―。

針の眼 (新潮文庫)』['96年]

針の眼 .jpg 1978年にイギリスの作家ケン・フォレット(Ken Follett)が発表したスパイ小説で(原題:The Eye of the Needle)、1979年「アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)」を受賞した作品。この人は『大聖堂』以来、歴史小説家の趣きがありますが、この作品でエドガー賞などを受賞し、『トリプル』(Triple)、『レベッカへの鍵』 (The Key to Rebecca)と相次いで発表していた頃は、米国のロバート・ラドラム(1927-2001)に続くエスピオナージュの旗手という印象でした。

 この作品には相変わらず根強いファンがいるようで、集英社文庫、新潮文庫にそれぞれ収められ、'09年には創元推理文庫からも新訳が出たり、 映画化作品がWOWOWでハイビジョン放送されるなどしていますが、もともと原文が読み易いのではないでしょうか。畳み掛けるようなテンポの良さがあります。

ジャッカルの日 73米.jpg スパイの行動を追っていくという点では、同じ英国の作家フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』と似て無くもないし、『ジャッカルの日』を読む前からドゴールが暗殺されなかったのを知っているのと同じく、連合軍の欧州侵攻の上陸地点がカレーであるかのように見せかけて実はノルマンディだという"針"ことヘンリーが掴んだ"機密情報"が、結局ヒトラーにもたらされることは無かったという既知の事実から、彼が目的を果たすことは無かったということは事前に察せられます。

針の眼 映画eye-of-the-needle.jpg 但し、そのプロセスがやや異なり、マシーンのように非情に行動する"ジャッカル"に対し、ヘンリーは、同じく非情な人物ではあるものの、流れついた島の灯台守の夫婦に世話になるうちに、その妻と"本気"の恋に落ちてしまうという人間臭い設定になっています(夫針の眼 洋モノチラシ.jpgが下半身不随で、妻は欲求不満気味だった?)。そして、そのことが結局は、彼が任務を遂行し得なかった原因に―。

ドナルド・サザーランド in「針の眼」(1981)

 '81年にリチャード・マーカンド監督によって映画化され、ヘンリー役がドナルド・サザーランド(Donald Sutherland、1935‐)というのには当初は違和感がありましたが、実際に映画を観てみたら、結局は向いていたかもしれないと思いました。

鷲は舞い降りた (ハヤカワ文庫NV)_.jpg このひと癖もふた癖もありそうな人物を演じるのが上手いカナダ出身の俳優は、ロバート・アルトマン監督の「M★A★S★H」('70/米)からフェデリコ・フェリーニ監督の「カサノバ」('76年/伊)まで幅広い役柄をこなし、ジャク・ヒギンズが1975年に著したベストセラー小説『鷲は舞いおりた』('81年/ハヤカワ文庫NV)の映画化作品でジョン・スタージェス監督の遺作となった「鷲は舞いおりた」('76年/英)にも戦争スパイ役で出ていました(同じ年に「カサノバ」と「鷲は舞いおりた」というこのまったく毛色の異なる2本の作品に出ているというのもスゴイが)。
鷲は舞い降りた (ハヤカワ文庫NV)』('97年改版版)

鷲は舞いおりた 00.jpg鷲は舞いおりた_.jpg 「鷲は舞いおりた」は、第二次世界大戦末期、保養地滞在中の英国首相チャーチルを暗殺しようとするナチス親衛隊長ヒムラーによる「イーグル計画」(架空?)を描いたも鷲は舞いおりた サザーランド.jpgので、ドイツのパラシュート部隊の精鋭を率いるシュタイナーを演じたマイケル・ケインが主役でした。ドナルド・サザーランドの役どころは、部隊に先んじて英国に潜入する元IRAのテロリストで現大学教授のリーアム・デヴリン。スパイである男性(デヴリン)が潜入先で地元の女性と恋に陥るところが「針の眼」と似ていますが、シュタイナーの部隊の人間がどんどん死んでいく(計画を指揮したラードル大佐(ロバート・デュヴァル)も失敗の責を取らされ銃殺される。但し、ヒトラーの命令によ鷲は舞いおりた 11.jpg鷲は舞いおりた .jpgる形をとっているが、元々からヒムラー(ドナルド・プレザンス、本物そっくり!)の独断的計画であったことが示唆されていて、ヒムラー自身は何ら責任を取らない)という状況の中で、愛に目覚めたデヴリンは最後に生き残ります(ドナルド・サザーランドについて言えば、「針の眼」とちょうど逆の結末と言えるかもしれない。ケン・フォレットとジャック・ヒギンズの作風の違いか?)。

「鷲は舞いおりた」(1976)出演:マイケル・ケイン/ドナルド・サザーランド/ロバート・デュヴァル

カサノバ 1シーン.jpgカサノバ サザーランドs.jpg 「カサノバ」は全編スタジオ撮影で、巨大なセットがカサノバの人生の虚しさとだぶっていると言われているそうです(フェリーニ監督は彼の人生を演技的と捉えたのか)。カサノバ(ドナルド・サザーランド)が自らの強壮ぶりを誇示する"連続腕立て伏せ"シーンなどは凄かったというか、むしろ悲壮感、悲哀感があった...(ある精神分析家によれば、好色家には、"女性なら誰とでも"という「カサノバ型」と"高貴な女性を落とす"ことに喜びを感じる「ドンファン型」があるそうだが、何れもマザー・コンプレックスに起因するそうな)。

「カサノバ」.jpgカサノバ フェリーニ.jpg この映画のカサノバ役は、ロバート・レッドフォードをはじめ多くの自薦他薦の俳優が候補にあがったようですが、「最もそれらしくない風貌」をフェリーニ監督に買われてドナルド・サザーランドに決定したそうです。

ドナルド・サザーランド in「カサノバ」(1976)

Donald Sutherland and Kate Nelligan.jpg 「針の眼」の映画の方は、「カサノバ」及び「鷲は舞いおりた」の5年後に撮られた作品ですが、ここでのサザーランドは、冷徹非情ながらもやや"もっそり"した感じもあって、それでいて目付きは鋭く(こういう病的に鋭い目線は、後のロン・ハワード監督の「バックドラフト」('91年/米)の放火魔役に通じるものがある)、半身不随の灯台守の夫を自身の正体を知られたために殺害する場面などは、(相手を殺らなければ自分が殺られるという状況ではあるが)"卑怯者ぶり"丸出しで、普通のスパイ映画にある"スマートさ"の微塵も無く、それが却ってリアリティありました。

針の眼 シーン2.jpg ケイト・ネリガン(この人もカナダ出身で演技を学ぶためにイギリスに渡った点でドナルド・サザーランドと重なる)が演じる灯台守の妻がヘンリーの正体を知り、突然愛国心に目覚めたため?と言うよりは、ヘンリーの行為を愛情に対する裏切りととったのでしょう、「何もかも戦争のせいだ。解ってくれ」と弁解する彼に銃を向けるという、直前まで愛し合っていた男女が殺し合いの争いをする展開は、映像としてはキツイものがありましたが、それだけに反戦映画としての色合いを強く感じました。

ケイト・ネリガン in「針の眼」
       
ダーティ・セクシー・マネー.jpg 因みに、ドナルド・サザーランドの息子のキーファー・サザーランド(英ロンドン出身)も俳優で、今は映画よりもTVドラ24 -TWENTY FOUR-ド.jpgマ「24-TWENTY FOUR-」のジャック・バウアー役で活躍していますが(どの場面を観ても、いつも銃と携帯電話を持って、無能な大統領補佐官らに代わって大統領から直接指令を受け、毎日"全米を救うべく"駆け回っていた)、父親ドナルド・サザーランドの方も、「ダーティ・セクシー・マネー」の大富豪役などTVドラマで最近のその姿を観ることができるのが嬉しいです(相変わらず、どことなく不気味さを漂わせる容貌だが)。キーファーが自身の演じるジャック・バウアーの父親役として「24」への出演を依頼した際、ドナルドは「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」('89年/米)におけるショーン・コネリーとハリソン・フォードのような親子関係ならOKだと答えましたが、息子を殺そうとする役だと聞いて断ったということです。
 
針の眼ード.jpg針の眼 ド.jpg「針の眼」●原題:EYE OF THE NEEDLE●制作年:1981年●制作国:イギリス●監督:リチャード・マーカンド●製作:スティーヴン・フリードマン●脚本:スタンリー・マン●撮影: アラン・ヒューム●音楽:ミクロス・ローザ●時間:154分●出演:ドナルド・サザーランド/ケイト・ネリガン/イアン・バネン/クリストファー・カザノフ/フィリップ・マーティン・ブラウン/ビル・ナイン●日本公開:1981/10●配給:ユナイテッド・アーティスツ(評価:★★★☆)

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カサノバ HDニューマスター版.jpg「カサノバ」●原題:IL CASANOVA DI FEDERICO FELLINI●制作年:1976年●制作国:イタリア●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:アルベルト・グリマルディ●脚本:フェデリコ・フェリーニ/ベルナルディーノ・ザッポーニ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:154分●出演:ドナルド・サザーランド/ティナ・オーモン/マルガレート・クレマンティ/サンドラ・エレーン・アレン/カルメン・スカルピッタ/シセリー・ブラウン/クラレッタ・アルグランティ/ハロルド・イノチェント/ダニエラ・ガッティ/クラリッサ・ロール●日本公開:1980/12●配給:フランス映画社●最初に観た場所:有楽町スバル座(81-02-09)(評価:★★★☆)

鷲は舞いおりた [Blu-ray]
「鷲は舞いおりた」09.jpg鷲は舞いおりた b.jpg鷲は舞い降りた9_2.jpg「鷲は舞いおりた」●原題:THE EAGLE HAS LANDED●制作年:1976年●制作国:イギリス●監督:ジョン・スタージェス●製作:ジャック・ウィナー/デイヴィッド・ニーヴン・ジュニア●脚本:トム・マンキーウィッツ●撮影:アンソニー・B・リッチモンド●音楽:ラロ・シフリン●原作:ジャック・ヒギンズ「鷲は舞いおりた」●時間:123分(劇場公開版)/135分(完全版)●出演:マイケル・ケイン/ドナルド・サザーランド/ロバート・デュヴァル/ジェニー・アガター/ドナルド・プレザンス/アンソニ鷲は舞いおりた ケイン サザーランド.jpg鷲は舞い降りた ロバート・デュヴァル.jpg鷲は舞い降りた D・プレザンス.jpgー・クエイル/ジーン・マーシュ/ジュディ・ギーソン/トリート・ウィリアムズ/ラリー・ハグマン/スヴェン=ベッティル・トーベ/ジョン・スタンディング●日本公開:1977/08●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋テアトルダイア (77-12-24)(評価:★★★☆)●併映:「ジャッカルの日」(フレッド・ジンネマン)/「ダラスの熱い日」(デビッド・ミラー)/「合衆国最後の日」(ロバート・アルドリッチ)(オールナイト)

ロバート・デュヴァル(ラードル大佐)/ドナルド・プレザンス(ナチス親衛隊長ヒムラー)

24 (2001)
24 (2001).jpg24 TWENTY FOUR.jpg「24 -TWENTY FOUR-」24 (FOX 2001/11~2009) ○日本での放映チャネル:フジテレビ(2004~2010)/FOX
24 -TWENTY FOUR- ファイナル・シーズン DVDコレクターズBOX

Dirty Sexy Money.jpg「ダーティ・セクシー・マネー」Dirty Sexy Money (ABC 2007/09~2009) ○日本での放映チャネル:スーパー!ドラマTV(2008~)
Dirty Sexy Money: Season One [DVD] [Import]

 

 【1983年文庫化[ハヤカワ文庫(鷺村達也:訳)]/1996年再文庫化[新潮文庫(戸田裕之:訳)]/2009年再文庫化[創元推理文庫(戸田裕之:訳)]】 

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「精緻」と言うより「丁寧」。新訳によって、「犯人を知りつつ読む面白さ」が増した?

Yの悲劇 エラリー・クイーン 創元推理文庫.jpgyの悲劇 角川文庫.jpg Yの悲劇 ハヤカワポケット2.jpg
Yの悲劇 (1959年) (創元推理文庫)』(1959)/『Xの悲劇 (角川文庫)』['10年(越前敏弥:訳)]/『Yの悲劇 (1957年) (世界探偵小説全集)』['57年/ハヤカワ・ポケット・ミステリ(砧一郎:訳)]

yの悲劇 カバー.jpgThe Tragedy of Y  .jpgyの悲劇 原著.jpg 行方不明が伝えられた富豪ヨーク・ハッターの腐乱死体がニューヨークの港で見つかり、その後、ハッター邸では毒殺未遂事件など奇怪な出来事が発生する。そして遂には、ヨーク・ハッターの老妻エメリー夫人が寝室で何者かに殴殺されるという事件が起きる。警察の依頼を受けた元シェイクスピア俳優のドルリー・レーンが調査に乗り出すが―。

The Tragedy of Y by Barnaby Ross (Ellery Queen)

 エラリー・クイーン(Ellery Queen)がバーナビー・ロス名義で1932年に発表した作品で、1985年に「週刊文春」で実施された、推理小説のオールタイムベスト選定企画「東西ミステリーベスト100」(推理作家や推理小説の愛好者ら約500名がアンケートに回答)で第1位になるなど、日本での海外ミステリの人気投票企画では定番で上位に来る作品ですが、『Xの悲劇』と同じ発表年であるというのもスゴイことだなあと。

 但し、犯人の意外性がこの作品の最大のポイントであり、時間を経てもその衝撃が忘れられないというのは傑作の証しだろうけれども、再読した場合にどれくらいインパクトがあるだろうかと疑念を抱きつつ、越前敏弥氏による新訳が出たので、数十年ぶりに再読してみました。

 そしたら、やっぱり面白かった。結構、早め早めに犯人を暗示するような伏線が敷かれていたというか、思った以上にヒントが散りばめられていたというか、ミステリ音痴の自分にとっては、ドルリー・レーンが犯人を絞っていく論理的な過程を追うことが出来て、安心して楽しめたというところでしょうか。

The Tragedy of Y.jpg なぜ凶器がマンドリンなのかということ以外にも、普通の犯人だったらするとは考えられないようなことをこの犯人はどうしてやったのかということが、ドルリー・レーンによって事細かに"解説"されていて、「精緻」と言うより「丁寧」な印象を今回は受けました。

 やや引っ掛かったのは、ヨーク・ハッターの書いた小説のあらすじが、とりわけ薬物の扱いについて極めて手順指示的なことで、そうでなければ薬物の専門知識の無い犯人には犯行は成し得ないわけですが、ヨーク・ハッターが結局は構想止まりだった小説について、ここまで指示的に書く必然性があったのかなあと(深読みすれば、書いている間は潜在的に実行犯の登場を期待していたともとれるが)。

The Tragedy of Y (Ellery Queen in Ipl Library of Crime Classics) Paperback (1986)


 それと、「奇異な血筋」とか「家系的に欠陥がある」といった病気や遺伝についての誤った表現があり、これは、1930年代という時代を考えればやむを得ないのかも知れないし、この作品以降の推理小説やハードボイルド小説にも、そうした家系をベースとしたプロットのものが少なからずありますが、一方で、ダシール・ハメットの『デイン家の呪い』(1929年)などは、それを匂わせながらも、最後はそうしたものを否定していて、やはり、時代を考慮しても、少なからず抵抗がありました。

「Yの悲劇」田村隆一 角川文庫.jpg 結局、ドルリー・レーンは、それ(血筋)を根拠に、性悪説的な見地から最後は独自に断罪行為に出たようにもとれ、解説の桜庭一樹氏が書いているように、「老人になってからのエルキュール・ポアロのある事件にも似て」いるのかも知れません(エルキュール・ポアロ・シリーズの中には、ポワロはまるで死刑執行人のようだと思わせるような結末のものがあり、そもそも、ポアロ・シリーズ3作目の『アクロイド殺し』(1926年)からしてその気配がある)。

 そうした幾つかの引っ掛かりはありましたが、傑作であるには違いなく、海外よりも日本でこの作品の人気が高いのは(海外では『Ⅹの悲劇』の方が評価高いらしい)、「犯人を知りつつ読む」という読み方を日本人が結構しているからではないかと(ミステリを読む人ならば、この作品が未読であっても全く犯人を知らないという人の方が少ないのではないか)、今回の越前敏弥氏の読み易い新訳を通して改めて思った次第です。

角川文庫旧版(田村隆一:訳)カバー

 【1957年新書化[ハヤカワ・ポケット・ミステリ(砧一郎:訳)]/1958年文庫化[新潮文庫(大久保康雄:訳)]/1959年再文庫化・1970年改版[創元推理文庫(鮎川信夫:訳)]/1961年再文庫化[角川文庫(田村隆一:訳)]/1974年再文庫化[講談社文庫(平井呈一:訳)]/1988年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(宇野利泰:訳)]/2010年再庫化[角川文庫(越前敏弥:訳)]】

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新訳によってより感じられた、テンポの良さ、モダニズム、構成・謎解きの精緻さ。

Xの悲劇 エラリー・クイーン 創元推理文庫.jpgxの悲劇 角川文庫.jpg Xの悲劇 (創元推理文庫)_.jpg xの悲劇 1952.jpg
Xの悲劇 (角川文庫)』['09年]/『Xの悲劇 (創元推理文庫)』/Avon Books(1952)
Xの悲劇 (1960年) (創元推理文庫)』(1960)

xの悲劇 原著.jpg ニューヨークの株式仲買人ロングストリートが、会社で女優との婚約発表を兼ねたパーティーをした後、自宅でパーティーの続きをするため出席者全員で乗った路面電車の中で、ポケットに入れられた毒液が塗られた針が何本も刺さったコルク玉に触れて死ぬ。この満員の車中での密室犯罪の謎を解くため、警察から援助を求められて、元俳優のドルリー・レーンが調査に乗り出すが、その目の前で第2の殺人が起き、更には第3の殺人までもが―。

 エラリー・クイーン(Ellery Queen)がバーナビー・ロス名義で1932年に発表した作品で、「エラリー・クイーン」とはフレデリック・ダネイ(Frederic Dannay、1905-1982)とマンフレッド・リー(Manfred Lee、1905-1971)という従兄同士の合作ペンネームですが、ダネイがプロット担当で、リーが文章担当だったそうです。

 この作品に関しては、引退したシェイクスピア俳優であるドルリー・レーンという英国貴族風のキャラクターと、犯罪者の心理を読み解くことが推理の柱となっているというそのシャーロック・ホームズ的な手法から、やや古風な印象が強かったのですが、今回、『ダヴィンチ・コード』の翻訳者である越前敏弥氏による新訳で読んでみて、まず、第1の殺人から第2の殺人にかけてのテンポの良さにハマりました。

The Tragedy of X 1.jpg これ、高度の科学捜査技術が用いられていないことを除いては、現代のクライム・サスペンスのトーンとさほど変わらないのではないかと思ったりもし(サム警視も現代の犯罪捜査官とあまり変わらないような感じで、結構てきぱき行動している)、この作品の発表の5年くらい前までコナン・ドイルが雑誌にシャーロック・ホームズ物を連載していたり、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパン物の後期作品やアガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』(1934年)や『ABC殺人事件』(1935年)と時期的にほぼ重なることを思うと、このモダンさは特筆すべきではないかと感じました。

Tragedy of X ペーパーバック (1986)

 ドルリー・レーンが登場してからは、英国風の庭がどうのこうのといった話も出てはきますが、ホームズ物のようにプロットの周辺にある時代がかった小道具を楽しむというよりは、純粋にプロットを楽しめる本格推理小説であり、どうして英米でこの作家の作品が日本ほどに一般ウケしないのか(ミステリ通には支持されているようだが)、やや不思議な気もします。

The Tragedy of X(Xの悲劇) .jpg 但し、既に多くの人が指摘しているように、なぜレーンは犯人の見通しがつきながらもサム警視に何も情報を与えなかったのかなどといった疑問点も少なからずあり、最大の瑕疵とされているのは、第2の殺人の犯行の(犯人にとっての)重要ポイントが、多分に蓋然性に依拠している点です。

 個人的にもそこが1つのネックだとは思いますが(ダイイング・メッセージにも無理があるようには思うが)、それらのことを含めても、市電、フェリー、列車という3つの乗り物を事件の舞台に設定した構成力や、犯行への執着を裏付ける犯人の抱えた悲劇性の深さに加えて、レーンの精緻且つ論理的な謎解きが新訳によってよりクリアになったように思われ、今さらこの作品を傑作とするのはベタな気もしますが、やはり傑作であるには違いないと改めて思った次第です。

The Tragedy of X:Xの悲劇〈ぶらっく選書15〉 延原謙 訳 古澤岩美 装幀(新樹社/昭和25年9月30日)

「Xの悲劇」田村隆一 角川文庫.jpgXの悲劇 (ハヤカワ・ミステリ文庫) _.jpg【1958年新書化[ハヤカワ・ポケット・ミステリ(砧一郎:訳)/1958年文庫化[新潮文庫(大久保康雄:訳)]/1959年再文庫化・1970年改版[創元推理文庫(鮎川信夫:訳)]/1964年再文庫化・2004年改版[角川文庫(田村隆一:訳)]/1977年再文庫化[講談社文庫(宇野利泰:訳)]/1988年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(宇野利泰:訳)]/2009年再庫化[角川文庫(越前敏弥:訳)]】

角川文庫旧版(田村隆一:訳)
ハヤカワ・ミステリ文庫(宇野利泰:訳)

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論理的には精緻で凝っているが、犯行手口などに不自然な点も多いのでは。トータルではほぼ満足。

ハヤカワ・ポケッ「予告殺人」.jpg「予告殺人」ハヤカワ・ポケットミステリ, 1956, 1972(7th).jpg予告殺人 ハヤカワ・ミステリ文庫.jpg 予告殺人 クリスティー文庫.jpg 予告殺人 ハ―パーコリンズ版.jpg 予告殺人 2002.bmp
予告殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』(田村隆一:訳)/『予告殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』/ハ―パーコリンズ版(1998/2002)
ハヤカワ・ミステリ(田村隆一:訳)(1956/1972(7th))

予告殺人 1953.bmp予告殺人 1963.bmp予告殺人 英国フォンタナ版.jpg 英国の田舎町である朝、地元新聞の広告欄に「殺人お知らせします」という記事が掲載される。何か面白いゲームだと思った物見高い近所の人々が、予告時間に合わせ、殺人が起きる場所に指定された女主人レティシア・ブラックロックの住まうリトル・パドックスを訪ねる。そして、まさに時計の針が予告された時刻を指したとき、銃声が響きわたる―。

英国・Fontana版(1953/1963/1980)

 1950年に刊行されたアガサ・クリスティのミステリ長編(原題:A Murder Is Announced)で、60歳にしての50作目の作品とのことですが、「クリスティ自選のベストテン」にも「日本クリスティ・ファンクラブ員の投票によるクリスティ・ベストテン」にもランクインしている作品であり、また、江戸川乱歩は、クリスティ作品の中で「面白かったもの」のべスト8に挙げていて、それらの中でも『アクロイド殺し』と並んでこの作品を高く評価をしています。
 
 「予告殺人」が実際に起きてしまったということで、最初はぐぐっと惹き込まれたけれども、登場人物が多くて、それらの会話や描写が続き、一旦はやや冗長かなあという気持ちになりかけた...。ところが途中で、実はこうした描写の中に、事件の鍵を解く伏線が張られているらしいことに気づき、改めて遡って読み直してみたりして、それでも犯人は誰か最後の最後まで分からなかったわけですが、ミステリ通やクリスティのパターンに通暁している人の中には、逆に、早々に犯人が判ってしまって意外性の乏しかったという人もいるようです。自分はホント、全然見当もつきませんでした。

予告殺人 米国ポケットブックス版.jpg この小説の最初の事件トリックは、クリスティが隣家を使わせてもらって実地検証したそうで、作品全体を通しても、論理的に精緻な構成であり、江戸川乱歩もこの点を高く評価したのではないかと思います(作中で話題となるダシ―ル・ハメットの作品にも、類似したトリックがあるが)。

 そうした意味では本格推理っぽい色合いもありますが、しいて言えば、犯人がこうしたややこしい方法をわざわざ選んだというのがやや不自然と言うか技巧的に思え、「ミステリのための手段」とでも言うか、非現実的に思えなくもない...。但し、そうは思いながらも結局のところ面白く読め、わけありの登場人物が多くいるなかで、真犯人の"意外性"にもインパクトがあったし(しかも、とってつけたような犯人ではなく、最初から物語の中心にいた人物!)、第1の殺人にもちゃんとした理由があったわけだなあと。。

米国・ポケットブックス版(1972) (Cover Illustration By Tom Adams)

 この難事件も、セント・メアリ・ミードから事件解決のために呼ばれたミス・マープルが見事に事件の背後にあるものを洞察し、「実はこうだったのよ」みたいな感じで最後にその全容を明かしてみせるのですが、人間観察に長けたミス・マープルらしい謎解きであることは認めるとして、こんなに"なりかわり(なりすまし)"がダブっていたのでは、普通の読者には見当もつかないのではないかと思いましたが、そこが面白いのでしょう。確かに凝っていると言えば凝っているし、ミス・マープル物の中でこの作品を最高傑作とする人も多いというのには頷けます。

 前半はやや冗長感があったものの(実は謎解きのヒントがいっぱいあった?)、英国の田舎町の人々の生活の様子がよく伝わってきました。物語で想定されている事件の起きた年は1949年で、こののんびりした田舎の雰囲気や暮らしぶりは、日本の昭和24年頃とは随分差がある感じ。

予告殺人 dvd.jpgマープル 予告殺人 レティシア・ブラックロック夫人.jpg こんな殺人予告記事が校閲に引っ掛かりもせず新聞に掲載されたり(ローカル紙と言うよりコミュニティ紙であり、そのあたりは鷹揚と言うか、いい加減?)、その記事によって村の人々がそこそこ興味本位で集まっても警察だけは来なかったりと(事件がまだ起きたわけではないからと言えばそれまでなのだが)、気になった点も幾つかありましたが、トータルで見れば、個人的にはほぼ満足のいく作品でした。

「ミス・マープル(第3話)/予告殺人」 (85年/英) ★★★★

予告殺人.jpgAgatha Christie's Marple - 'A Murder is Announced' (2005).jpg 「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第4話)/予告殺人」 (05年/英) ★★★☆
 

 
 
 

 【1955年ポケット版[ハヤカワ・ミステリ(田村隆一:訳)]/1976年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(田村隆一:訳)]】

予告殺人 テレビ朝日01.jpg●2018年ドラマ化 【感想】 2019年テレビ朝日でドラマ化(3年目のアガサ・クリスティシリーズで第4弾)。監督は「アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」('17年)、「パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件~」('18年)と同じく和泉聖治、脚本は「そして誰もいなくなった」、'18年版の第2夜放送の「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」('18年)と同じく長坂秀佳。沢村一樹演じる相国寺竜也警部のメインでの登場は「そして誰もいなくなった」、「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」に続いて3回目(「パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件~」では予告殺人 テレビ朝日02.jpg列車の乗客としてカメオ出演)。因みに、オリジナルは『パディントン発4時50分』『鏡は横にひび割れて」ともこの『予告殺人』と同様ミス・マープルものなので、沢村一樹がミス・マープルの役どころを演じるのはこれが2回目となる(『パディントン発4時50分』は天海祐希がミス・マープルに該当の役)。大地真央は「アガサ・クリ予告殺人 テレビ朝日03.jpgスティ そして誰もいなくなった」にも容疑者の一人として出演していたが、その時の主役級は渡瀬恒彦で、今回は彼女が主役級。「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」の容疑者の主役級が黒木瞳だったので、天海祐希(探偵役)、黒木瞳(容疑者役)、大地真央(同)と宝塚出身者が続いたことになる。沢村一樹の相国寺竜也警部役のコミカルな演技は板についた印象で、恋愛を絡ませた"お遊び"的要素も。但し、「そして誰もいなくなった」の時と同じく、本筋のストーリーは比較的原作に忠実であったのが良かった。難点は、複雑な登場人物相関を分かりやすくする狙いで容疑者全員にカタカナのにニックネームを付けたのだろうが、レーリィとかローリィとか観ていいる側までも混乱してしまいそうになったことか。

予告殺人 テレビ朝日.jpg予告殺人 テレビ朝日 00.jpg「アガサ・クリスティ 予告殺人」●監督:和泉聖治●脚本:長坂秀佳●音楽:吉川清之●原作:アガサ・クリスティ●出演:沢村一樹/荒川良々/大地真央/室井滋月/村田雄浩/芦名星/北乃きい/ルビー・モレノ/山本涼介/吉川愛/国広富之/田島令子/村杉蝉之介/山口香緒里/和泉ちぬ/鈴木勝大/佐藤玲/大後寿々花/夏樹陽子/大浦龍宇一●放映:2019/04/14●放送局:テレビ朝日

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乱歩曰く、"メロドラマとトリックの驚異の組み合わせ"。犯人像の意外性もいい。

ゼロ時間へ ポケミス.jpg ゼロ時間へ ハヤカワ文庫.jpg  ゼロ時間へ クリスティー文庫.jpg    ゼロ時間へ ハ―パーコリンズ版.jpg ハ―パーコリンズ版
ゼロ時間へ (1958年) (世界探偵小説全集)』(田村隆一:訳) 『ゼロ時間へ (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 『ゼロ時間へ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』(三川基好:訳)

Towards Zero.bmp 金持ちの老婦人の住む河口の避暑地ソルトクリークの別荘に夏休み滞在することになったのは、プロテニス選手の甥とその新妻及び前妻、更にその2人の女性にそれぞれ恋心を抱く2人の男たち―嫉妬や恨みが渦巻く一触即発の雰囲気の中で、老婦人が惨殺されるという事件が起きる―。

 アガサ・クリスティが1944年に発表した長編ミステリで、タイトル(原題:Towards Zero)は、物語のプロローグでミステリ好きの高名な弁護士が語る、ミステリは殺人が起きたところから始まるがそれは誤りであって、殺人は結果であり、物語はそのはるか以前から始まっている、との論に由来しています。つまり、すべてがある点に向かって集約して「その時」に至るのであって、そのクライマックスが「ゼロ時間」であると―。
"Towards Zero" (1944)

Towards Zero -Pan 54.jpgTowards Zero - Fontana.jpg 実際、この作品では殺人事件は物語の中盤過ぎに起こりますが(なかなか起きないので、最後に起きるかとも思ってしまった)、それまでに、主要登場人物の誰が犯人でああっても不思議ではないような状況が見事と言っていいまでに出来上がっていて、まず、かなり明白な状況証拠から、テニス選手の甥が第一容疑者として浮かび上がる―。

Pan Books (1948)/Fontana (1959)

 初読の際は、完全に裏をかかれました。最初、その高名な弁護士が探偵役を務めるのかと思いましたが、途中で舞台から去ってしまい...。但し、弁護士は、犯人は誰であるかを示唆していて、もう犯人は判ったつもりで読み進んでいたのですが...。

Christie TOWARDS ZERO .Fontana rpt.1981.jpg 事件の捜査にあたったのは、ポアロもので脇役登場していたバトル警視で、彼はこの作品でしか本領を発揮していないようですが、ポアロがいてくれればとか言ってボヤきながらも頑張っています。但し、本当に事件解明に繋がる鋭い閃きを見せたのは、冒頭と最後の方にしか登場しない、たまたま当地に滞在していた自殺未遂の心の傷を克服しつつある男ではなかったのかなあと。

TOWARDS ZERO .Fontana.1981

 この作品は、作者自身がマイベスト10に選んでいて、日本の「クリスティー・ファンクラブ」の会員アンケートでもベスト10に入っている作品です。因みに両方でベスト10入りしているのは「そして誰もいなくなった」「アクロイド殺し」「オリエント急行の殺人」「予告殺人」とこの作品の5つです。しかも、江戸川乱歩が選んだクリスティ作品のベスト8にも入っています。

 人間模様の描き方とミステリとしてのトリックの完成度もさることながら、もう1点個人的に感嘆したのは意外だった犯人像で、犯人は、ある種の異常者(サイコパス)だと思うのですが、こんな人物造形もあるのかと(これに比べたら、近年のサイコスリラーの犯人像は、あまりにパターンに嵌り過ぎではないか)。

ゼロ時間の謎.jpg 2007年にフランス映画としてパスカル・トマ監督により映画化されていますが(邦題「ゼロ時間の謎」)、舞台(ブルターニュ地方に改変)も登場人物も現代のフランスに置き換わっていて、90歳のダニエル・ダリューが老婦人役を、カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニの娘キアラ・マストロヤンニが、テニス選手の前妻を演じています。

 映画では、事件の解決にあたるのはバトル警視ならぬバタイユ警視ですが、英国のグラナダ版では、原作には登場しないミス・マープルが事件を解決します。確かに、ポワロよりはミス・マープル向きの舞台ではあるかも知れませんが、ちょっとねえ。

ゼロ時間へ dvd.jpg第11話/ゼロ時間へ 00.png第11話/ゼロ時間へ 01.jpg
アガサ・クリスティー ミス・マープル(第11話)/ゼロ時間へ」 (07年/英) ★★★☆

 【1958年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(田村隆一:訳)/1976年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(三川基好:訳)]】

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ミス・マープルにして見れば難事件では無かった。ロマンス話もあって、雰囲気を楽しむ作品?

動く指 hpm.jpg       動く指 ハヤカワ文庫.png       動く指 クリスティ文庫.jpg
動く指 (1958年) (世界探偵小説全集)』ハヤカワ・ポケット・ミステリ『動く指 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』['77年] 『動く指 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』['04年] 

動く指 ハーパーコリンズ版.jpg動く指2002.bmp動く指2007.bmp 戦時中の飛行機事故で傷を負って傷痍軍人となったジェリー・バートは、療養のため妹ジョアナとともにリムストックの外れの村のリトル・ファーズ邸に住むことになり、弁護士のディック・シミントンの妻のモナ、医師オーエン・グリフィスの妹のエメ、カルスロップ牧師の妻のデインらと知り合うが、間もなく、悪意と中傷に満ちた匿名の手紙が住民に無差別に届けられるようになり、陰口、噂話、疑心暗鬼が村全体を覆うようになる。
"The Moving Finger" ハーパーコリンズ版(1995/2002/2007)

THE MOVING FINGER Dell (US) rpt.1975.jpgTHE MOVING FINGER .Fontana rpt.1986.jpg そうした中、シミントン弁護士の妻のモナが、手紙が原因の服毒自殺と思われる死を遂げる。シミントン家にはモナと前夫との娘のミーガン・ハンター、現在の夫ディックとの間の2人の子とその家庭教師のエリシー・ホーランド、お手伝いのアグネスとコックのローズが住んでいたが、事件当日はモナ以外全員が外出し、モナ一人の時に匿名の手紙が配達されて来たらしい。自殺現場には「生きていけなくなりました」とのメモがあった。そして今度は、お手伝いのアグネスの行方がわからなくなった。アグネスは行方不明になる少し前に、前の奉公先であるリトル・ファーズ邸のお手伝いパトリッジに相談があると電話していたが、約束の時間に現れず、翌朝シミントン家の階段下物置で死体となって発見される。解決を見ない事件の成り行きに、ミス・マープルに声が掛かる―。 
THE MOVING FINGER .Fontana 1986

THE MOVING FINGER Dell (US) 1975

動く指43.bmp動く指42.bmp 1943年に刊行された(米版は1942年に刊行)アガサ・クリスティのミステリ長編で(原題:The Moving Finger)、ミス・マープルものですが、ミス・マープルが登場するのはかなり後の方になったから。それも、挨拶がてら登場したかと思いきや、次に登場するのはラストで、その時には事件は解決しているけれども、その謎を解いたのはミス・マープルだったというような、「事後的説明」的な作りになっています。

Collins(1943)/Dodd Mead(1942)

 ミス・マープルのファンにすればやや物足りない展開ですが、イギリスの田舎町の人々の暮らしぶりはよく描かれているように思えました(戦時中にしては、結構のんびりしている?)。
 マープルものだからといって、事件が起きた途端に最初から彼女が登場するものばかりではなく、作品によってはこういうのもあります。こうしたバリエーションの豊かさも作者ならではで、これもまた、その力量の証なのでしょう。ミス・マープルの住むセント・メアリ・ミード村近辺でばかり事件が起きていても不自然だし、時々"出張"もしているわけです。

The Moving Finger - Pan 55.jpg動く指61.bmp動く指1971.bmp 田舎町でブラック・メールの飛び交うという、暗っぽい話のようでありながらそうでもないのは、主人公のジェリーとジョアナ兄妹の気の置けない遣り取りによってその暗さが中和されていて、その上更にそれぞれの恋愛が絡んでいたりするからでもあり、読み終えてみれば、結構ハートウォーミングな話だとも思えたりしました(この作品は、作者自身のマイベスト10に入っている)。

  Fontana(1961/1971)
Pan Books (1950)

 その分、ミステリとしてはそれほど凝ったものでもなく、村人や地元警察は暗中模索するも、ミス・マープルにしてみればお茶の子さいさいで事件を解決といった感じでしょうか。

 「動く指」というのは、まさにブラック・メールをタイプし、ポストに投函する「指」を意味していますが、この「動く」には、「何か不気味なことを引き起こす」という意味もあるとのこと。これが同時に、編み物をするミス・マープルが、こんがらがった編み物の糸口を見出すかのように事件を解決する、その「指」(手腕)にも懸っているのは、タイトルの妙と言えます。
 
動く指 2.jpg この「動く指」は、ジョーン・ヒクソンがミス・マープルを演じた〈BBC〉のTVシリーズの1作として'85年にドラマ化されていますが、最近では、「シャーロック・ホームズの冒険」や「名探偵ポワロ」で定評のある英国〈グラナダTV〉が「新ミス・マープル」シリーズの1作として'06年ドラマ化しており(マープル役はジェラルンディン・マッキーワン)、更に'09年フランスで、「ABC殺人事件」「無実はさいなむ」「エンドハウスの怪事件」と併せた4作が〈France2〉でドラマ化され、このフランス版は日本でも〈AXNミステリー〉で「クリスティのフレンチ・ミステリー」として今年('10年)9月に放映されました。

動く指 1シーン.jpg 最近のものになればなるほど原作からの改変が著しく、「クリスティのフレンチ・ミステリー」ではポワロやマープルは登場せず、彼らに代わって事件を解決していくのは、ラロジエール警視(アントワーヌ・デュレリ)とランピオン刑事(マリ動く指 dvd.jpgウス・ コルッチ)のコンビ、その中でも「動く指」は、アル中の医者に、色情狂のその妹、偽男色家の自称美術品収集家に...といった具合に、キャラクター改変が著しいばかりでなくやや暗い方向に向かっていて、一方で、随所にエスプリやユーモアが効いたりもし(この「暗さ」と「軽妙さ」の取り合わせがフランス風なのか)、また、結構エロチックな場面もあったりして(こういうのを暗示で済まさず、実際に映像化するのがフランス風なのか)、少なくとも一家団欒で鑑賞するような内容にはなっていません(この辺りが、NHKで放映されない理由なのか)。

「クリスティのフレンチ・ミステリー/動く指」●原題:LES PETITS MEURTRES D'AGATHA CHRISTIE/ LA PLUME EMPOISONNEE●制作年:2009年●本国放映:2009年9月11日●制作国:フランス●監督:エリック・ウォレット●出演:アントワーヌ・デュレリ/マリウス・コルッチ/Christophe Alévêque/Laurence Côte/Anaïs Demoustier/Cyrille Thouvenin/Catherine Wilkening/Olivier Rabourdin●原作:アガサ・ クリスティ●日本放映:2010/09●放映局:AXNミステリー(評価:★★★)

動く指 dvd2.jpg動く指 1985 02.jpg動く指 1985 01.jpg 「ミス・マープル(第2話)/動く指」 (85年/英) ★★★★
                                                                                     
                                                                                                                                      
                                                                                                                                                                                                        

アガサ・クリスティー ミス・マープル/動く指 09.jpg動く指 02.png第6話/動く指.png「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第6話)/動く指」 (06年/英) ★★★☆
 
 

【1958年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(高橋豊:訳)/1977年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(高橋豊:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(高橋豊:訳)]】 

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とことん追い詰められ、屈辱にまみれたルパンを奮い立たせたものは...。新訳で読めるのがいい。

水晶の栓.jpg 『水晶の栓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』['07年] Arsène Lupin le bouchon de cristal.jpg "Arsène Lupin le bouchon de cristal" リーブル・ド・ポッシュ版 1974

Arsene lupin ; le bouchon de cristal. Maurice Leblanc.jpg 政界の黒幕ドーブレック代議士の別荘に押し入ったルパン一味だが、計画を立てた部下のジルベールとヴォシュレーはなぜか「水晶の栓」を探し回り、ヴォシュレーは殺人まで犯してしまって部下2人は逮捕され、共に死刑を宣告されてしまう。ルパンは、ドーブレックが疑獄事件に関与した人物のリストを握って政界に恐喝を繰り返し、そのリストを「水晶の栓」の中に隠していることを知り、自らが可愛がっていた青年ジルベールを奪還すべく、ジルベールの母クラリスと共に「栓」を探し求めるが、ドーブレックに手玉にとられるかの如く翻弄され続け、一方、ジルベールらの死刑執行の日は刻々と迫りくる―。

 Arsene lupin ; le bouchon de cristal. (リーブル・ド・ポッシュ版(原書表紙復刻版))

 「アルセーヌ・ルパン・シリーズ」の1909年の『奇岩城』、1910年の『813』に続いて1912年に刊行された長編で(原題:Le Bouchon de cristal)、どれも作品内容が充実していて、しかもこの間にルパンを主人公とした短篇も書いているから、モーリス・ルブラン(1864-1941)は、長いルパン・シリーズの著作活動の中でも、この頃まさに絶頂期にあったと言えるのではないでしょうか。

 ドーブレックは(この作品にしか登場しないが)シリーズ中でもルパンにとって最強の敵とされていて、彼はとにかく常にルパンの先を行き、残り4分の1ぐらいからルパンが反攻に転じるかと思いきや、すぐにまたルパンは窮地に追いやられ、死刑執行予定日の2日前ぐらいから、今度こそアドバンテージを握ったかと思いきやこれもまた頓挫、さらに執行の数時間前に逆転のチャンスを握ったかと思ったらこれもダメで、遂には死刑がまさに執行されようとするところまでいってしまいます。

 最後に追い詰められたルパンは、「もうあきらめよう!完敗じゃないか」「負けたのは、おれのほうさ。ジルベールを助けられないのだから」と悔し涙を流し、死刑執行の前夜には睡眠薬を飲んで寝てしまいます。
後日ルパンは、この事件を「水晶の栓、あるいは、決してあきらめてはならないわけ」と呼ぶのですが、6ヵ月続いた「不運と失敗、暗中模索と敗北」を、最後の12時間でよく取り戻したなあと(よく起きたね。部下に起こされたみたいだけど)。

 他の作品にも見られますが、ルパンが巨悪に翻弄される姿を描いてまず読者をルパン側に引き付けるのが旨く、とりわけこの作品のルパンはしょっちゅう血が頭にのぼっていて、敵役の方が、タイプこそ違いますが、まるでルパンのように傲岸かつ超人的であり、ルパン本人を繰り返し屈辱のどん底に陥れます。
 しかも、終盤に入ってもどんでん返しの連続で始終ハラハラドキドキさせるのは、この作品が新聞連載小説であったことにもよるようですが、読者へのサービス精神が極めて旺盛であるように思いました。

 ルパンは殆どの作品で部下を使い、その数は数十人に及ぶようですが、この作品では、不良部下や造反を起こす部下が現れるのが興味深く、また、その不良部下が殺人を犯したときに、自分は血を見るのは嫌いだと言って怒り心頭に発する一方で、まさにその不良部下ヴォシュレーを撃ち殺すという行動に出るのは、シリーズの中でも特異かも(但しそれは、ジルベールを助けるための最後の手段であり、ヴォシュレーも断頭台によって殺されずに済んだことを感謝して死んでいくので、整合性はとれているともとれるが)。

 ルパンのジルベールに対する愛情はわが子に対するように深く、また、その母親であるクラリスに対しては、無意識に恋心を抱いていたことを事件後に自覚するわけですが(『カリオストロ伯爵夫人』のクラリスとは別人で、この作品で30代前半のルパンより年上)、絶望的な状況下でジルベール奪還に向けてルパンを奮い立たせている最大の要因は、それら以上に、自分が「アルセーヌ・ルパン」であることに尽きるのではないでしょうか。

 この作品でルパンは何度も己の無力を痛感して打ちひしがれますが、最後は、この「アルセーヌ・ルパン」であるという誇りによって這い上がってくる―ルパンの感情の起伏がよく描かれているだけに、それはまるで、アルセーヌ・ルパンという「名前」にとことん献身する、生身の男を描いているようにも思えました。

 スエズ運河建設で知られるレセップスの、パナマ運河建設の際の疑獄事件に材を得た作品ですが、少年(青年?)探偵が活躍する『奇岩城』よりは大人向けかも。
 「大人向け」の翻訳を目指したという平岡敦氏の新訳は読み易く、シリーズの翻訳がこの作品で止まっていて、『813』の新訳刊行に至っていない現在においては、最もお薦め出来る1冊ではないかと思います。

 【1960年再文庫化[新潮文庫(堀口大學:訳『水晶栓』)]/1965年再文庫化[創元推理文庫(石川湧:訳)/2005年再文庫化[ポプラ社文庫(南洋一郎:訳『古塔の地下牢』)]/2007年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(平岡敦訳)/2009年再文庫化[ポプラ社怪盗ルパン文庫版(南洋一郎:訳『古塔の地下牢』)]】

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ルパンとホームズの最初の本格対決。一応、ホームズにも花を持たせているが...。

Arsene Lupin contre Herlock Sholmes.jpgArsène Lupin contre Herlock Sholmes.jpg     ルパン対ホームズ.jpg     ルパン対ホームズ 偕成社文庫.jpg
ルパン対ホームズ (アルセーヌ・ルパン全集(2))』['82年]『ルパン対ホームズ(偕成社文庫-アルセーヌ・ルパン・シリーズ)』['87年]
Arsène Lupin contre Herlock Sholmes(リーブル・ド・ポッシュ版(旧版 1963/改版1973))

 ある数学教授が古道具屋で古びた小机を購入するが、なぜかその小机に執着する青年がおり、間もなく小机は教授の自宅から消失、小机には宝くじ100万フランの当たり券が入っており、盗んだのはアルセーヌ・ルパンだった。続いてある男爵が殺害され、競売に掛けられた彼の青いダイヤが盗み出されるという事件が連続して発生、両事件にルパンと「金髪の美女」が関与していることがわかるが、その先の捜査に行き詰まった警察は、事件解決のため、イギリスの名探偵シャーロック・ホームズを招聘する―。

 モーリス・ルブラン(1864-1941)による「ルパン対ホームズ」の最初の本格的対決モノで(原題:Arsene Lupin contre Herlock Sholmès)、上記「金髪の美女」と中編「ユダヤのランプ」を所収、1906年から翌年にかけて発表され1908年単行本刊行ということですから、ルパン・シリーズでも初期作品ということになりますが、作者がこのシリーズを書き始めた動機の1つに、シャーロック・ホームズ・シリーズに影響を受けたということがあるようですから、両者の対決が早々にあるのは自明のことだったのかも。

 ルパンのデビュー短編集「怪盗紳士ルパン」の最後にホームズを実名で登場させてコナン・ドイルからの抗議を受け、原作ではシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)がハーロック・ショルメ(Herlock Sholmès)と改名されているわけですが、日本の翻訳界ではホームズと訳すのがお約束のようです。

 ホームズの相方ワトソンも、原作ではウィルソンに改名されていて、石川湧訳の創元推理文庫版や堀口大學訳の新潮文庫版では原作のままウィルソンとしていますが、この竹西英夫訳の偕成社版は、(児童向けのためか)ワトソンとなっています。

La dame blonde.jpg 「金髪の美女」は、3事件が絡み合うという込み入ったストーリーの割には、盗んだ机に偶然当たりくじ券が入っていたとか、ストーリーテリングが偶然に依拠している部分が多い気もし、ルパンがレストランで、これもまた偶然に、事件解決のためパリに来たばかりのホームズと再会したりもします。

 Arsène Lupin contre Herlock Sholmes: La dame blonde (1983)

 その際のルパンの狼狽ぶりと言うか緊張ぶりがやや意外で、一方でホームズの方は、10日間で事件を解決し、10日目にルパンを逮捕すると自信満々(売り出したばかりの20代の若手と、50代の高名なベテランという構図か)。

 ところが、その10日間の前半から中盤にかけてはホームズにいいところはなく、仕舞いにはルパンに誘拐され、ワトソンは怪我まで負ってしまいます(ワトソンは「ユダヤのランプ」でも負傷する)。
 それでもホームズは、最後には巧妙なトリックによって(何だかこっちが犯罪者みたい)逆転劇風にルパンを逮捕に追い込むということで、形だけはホームズに花を持たせたということでしょうか(逮捕されたルパンは、またもあっさり逃亡してしまうのだが)。

 遅ればせながら今回(多分)初めて読んで、プロセスも含めれば「両雄互角の勝負」と言うよりは、ルパンの方が余裕綽々と言うかスマートという印象を受け、一方、この作品のホームズは結構ドタバタ感が伴い、本家本元のホームズとはちょっとイメージ違うなあと思いました(作者はショルメとして書いているからか)。

 但し、ルパンの方も、ホームズとの対決行動の実行段階ではスマートであるものの、最初はホームズに対し、"宿敵"ガニマール警部(「ルパン三世」の「銭形警部」みたいなものか)に対するのとは比較にならないほどの警戒心や対抗意識を露わにする場面があり、この辺り、両者の対決を盛り上げる意図もあるのでしょうが、作者のホームズ・シリーズへのライバル意識が反映されているようにも思え、興味深かったです。

 【1959年文庫化[創元推理文庫(石川湧:訳(『リュパン対ホームズ』)]/1960年再文庫化[新潮文庫(堀口大學:訳)]/1983年再文庫化・2001年改版[岩波少年文庫(榊原晃三:訳)/1987年再文庫化[偕成社文庫(竹西英夫:訳)]/2005年再文庫化[ポプラ社怪盗ルパン文庫版(南洋一郎:訳)]】

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読み進んでいくと、ホームズよりルパンの方が好きになりそうな予感が...。

arsene-lupin-gentleman-cambrioleur.jpg強盗紳士ルパン (ハヤカワ・ミステリ 404).jpg怪盗紳士ルパン 偕成社.jpg  怪盗紳士ルパン ハヤカワ.jpg
強盗紳士ルパン (ハヤカワ・ミステリ 404)』['58年/中村真一郎訳]  『怪盗紳士ルパン (アルセーヌ・ルパン全集 (1))』['81年/竹西英夫訳]『怪盗紳士ルパン (ハヤカワ文庫 HM)』['05年/平岡敦訳]
Arsène Lupin, gentleman-cambrioleur (リーブル・ド・ポッシュ版(原書表紙復刻版))

 1907年に刊行された、モーリス・ルブラン(Maurice Leblanc, 1864-1941) による「アルセーヌ・ルパン・シリーズ」の最も初期のもの(1905-1907)を集めて編んだ短編集で、「ルパン逮捕される」「獄中のアルセーヌ・ルパン」「ルパンの脱獄」「ふしぎな旅行者」「女王の首飾り」「ハートの7」「アンベール女史の金庫」「黒真珠」「おそかりしシャーロック・ホームズ」の9編から成ります。

 偕成社の単行本全集は(『怪盗紳士ルパン』は竹西英夫訳)、全訳が挿絵付きで読めるのはこれだけだそうですが(「偕成社文庫」として文庫化もされている)、ルビ付きであることから「少年少女向け」であることが窺えるものの、別に話を端折って訳したりしているわけではなく、難しい表現を出来るだけ避けるようにしているだけで、むしろ、堀口大學(新潮文庫)などの「文学の香り」こそするもの(『強盗紳士』というタイトルからして)古臭い感じもする"古典訳"よりは、冒険譚に合ったトーンであるとも言えるのではないでしょうか。

 この短編集に関して言えば、早川書房のポケット・ミステリ(ハヤカワ・ミステリ)に中村真一郎訳がありますが(『強盗紳士ルパン』)、「アンベール女史の金庫」「黒真珠」が収められていないなど、原典とラインナップがやや異なります(創元推理文庫版の石川湧訳『怪盗紳士リュパン』も同じ)。

 その早川書房のハヤカワ文庫HM(ハヤカワ・ミステリ文庫)で、2005年から平岡敦(1955年生まれ)氏による新訳の刊行が始まり、これは読みやすく(『怪盗紳士ルパン』は原典に沿ったラインナップ)、しかもこれ、個人訳のようなので、なかなかいいのではないかと。
 但し、全訳を目指すとの触れ込みだったはずが、2007年までに『カリオストロ伯爵夫人』『怪盗紳士ルパン』『奇岩城』『水晶の栓』の4冊が刊行され、その後ストップしている...(平岡さん、ワセダミステリクラブ出身だけれど、色々な作家の本を翻訳していて忙しそうだからなあ。訳者、変わるのかなあ)。

ルパン 怪盗紳士.JPG 『怪盗紳士 怪盗ルパン全集 (2)』['58年]怪盗紳士 ポプラ社怪盗ルパン文庫.jpg 『怪盗紳士―怪盗ルパン全集 (ポプラ文庫クラシック)』['09年]

 昔からのこのシリーズのファンの中には、子供時代にポプラ社の南洋一郎(1893-1980)訳に親しんだ人もいるかと思いますが、これは「原作・ルブラン/文・南洋一郎」ということで、実はものすごい意訳(大幅な翻案)だったのだなあと(ポプラ社が翻訳権を独占していた時期があったために、個人訳による「全訳」(全30巻)として成っているという点では凄いと思う)。

 但し、例えば『怪盗紳士』に収められているのは、オリジナル9編中5編で、抜け落ちを補ったり、分冊・合体させたりして「怪盗ルパン文庫版」として2005年から装いも新たに刊行されていましたが、昨年暮れ(2009年12月)から、今度は「ポプラ社文庫クラシック」として刊行当初のまま半世紀ぶりに復刻されていて、これはこれで古くからファンにとっては嬉しいのではないでしょうか(第1回配本で第1巻『奇巌城』、第2巻『怪盗紳士』などいきなり4巻出たが、このナンバリングも旧単行本と同じ)。

 『怪盗紳士ルパン』は、スパースター・ルパンの冒険活劇譚であり、最初からオールマイティである主人公にとって、一見トリックもへったくれも無いかのようですが、実は結構凝ったトリックもあり、本格推理としての要素もあります。
 また、ルパンの義侠心や女性に対する思いやりも窺え(個人的には「女王の首飾り」「ハートの7」が好み)、更には、その生い立ちを知ることもできます。

 また、この短編集のラストでは、早々にシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)(コナン・ドイルからの抗議を受け、後にハーロック・ショルメ(Herlock Sholmès)と改名)との対決がありますが、ホームズとルパンは結構いい勝負をするはずですが、この巻においては、ホームズは「名探偵」とされながらも、あまりいいところがありません(ドイルから抗議を受ける前だったからか)。

 ポプラ社の南洋一郎訳は、南洋一郎「作」と見るべきか。「大人の読み物としてのルパン」を念頭に置いて訳しているという平岡敦訳・ハヤカワ・ミステリ文庫版が一番のお薦めですが(挿し絵は無い)、竹西英夫訳・偕成社版も、それほど「子ども子どもしている」わけでもなく、ラインアップが揃っているという点ではお薦めです(挿し絵がオマケで、ルビが余計か)。

 ルパン・シリーズ、ちょっと子どもっぽいかなあと思っていたけれど、読み進んでいくと、ホームズよりルパンの方が好きになりそうな、そんな予感が...。

強盗紳士ルパン.jpg 【1958年新書化[ハヤカワ・ミステリ(中村真一郎:訳 『強盗紳士ルパン』)]/1959年文庫化[創元推理文庫(石川湧:訳 『怪盗紳士リュパン』)]/1960年再文庫化[新潮文庫(堀口大學:訳 『強盗紳士』)]/1983年再文庫化[岩波少年文庫(榊原晃三:訳 『怪盗ルパン』)]/1987年再文庫化[偕成社文庫(竹西英夫:訳 『怪盗紳士ルパン』)]/2005年再文庫化[ポプラ社怪盗ルパン文庫版(南洋一郎:訳 『怪盗紳士』)]/2005年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(平岡敦:訳 『怪盗紳士ルパン』)]/2009年再文庫化[ポプラ社文庫クラシック(南洋一郎:訳 『怪盗紳士』)]】
強盗紳士ルパン (ハヤカワ・ミステリ 404)』 

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『緋色の研究』同様にそこそこ面白かったが...。河出書房版の訳者あとがきは興味深い。

四つの署名.jpg  四つのサイン 河出大.jpg     四つの署名 シャーロック・ホームズ [新潮CD].jpg
四つの署名 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)』『四つのサイン (シャーロック・ホームズ全集)』「四つの署名―シャーロック・ホームズ [新潮CD] (新潮CD 名作ミステリー)」['98年]

The Sign of Four 01.jpgThe Sign of Four 02.jpg ホームズの元にメアリー・モースタンという若い女性が相談に訪れ、彼女の父親はインド英国軍の大尉だったが、帰国した際に消息を絶ち、その数年後から謎の人物から彼女に贈り物が届くようになって、そして今度は、その相手から直接会いたいとの連絡があったという―。ホームズとワトスンは、メアリーに付添って、彼女の父親とインドで一緒だったショルトー少佐の息子、サディアスを訪れ、そこで父親の死と秘密の財宝についての話を聞かされ、更に財宝を見つけた兄バーソルミューを訪ねるが、彼は密室の中で死んでいた―。

A Study in Scarlet and the Sign of Four
Sir Arthur Conan Doyle (Wordsworth Editions(2003)/Grant Thiessen(2004))

 シャーロック・ホームズ・シリーズの『緋色の研究』(1987年発表)に続く長編第2作で、1890年に発表され、同年に単行本刊行されたものですが(原題:The Sign of Four)、ホームズとワトスンのタッグがしっかり確立された作品であると言えます。
 但し、このシリーズが世間に人気を博したのは、この後に続く短編シリーズからだそうで、この作品はシリーズ全体の人気ランキングでも、必ずしも上位には入ってこない作品であり、そうしたこともあってか、個人的には今回が初読(だと思うが)。

 『緋色の研究』同様にそこそこ面白かったですが、謎解きの要素は意外と希薄で、結末部分では "high speed" boat chase などがあってアクションっぽくなるのですね、この作品は。
 後半4分の1を占める最終章は犯人の独白になっており、事件にインド大乱の時の混乱が絡んでいて、そこから財宝話が出てくるわけですが、このインド大乱って、セポイの乱のことなのですね。光文社文庫の新訳版は読み易くてすらすら読めてしまうのですが、その辺の周辺事情の部分だけは、ややごちゃごちゃしていて、分かりづらかったです。

 物語の途中までの焦点は、メアリーの手に財宝が渡るかどうかですが、最後は彼女とワトスンの2人が逆説的にめでたしめでたしとなる―冒頭で、『緋色の研究』において事件の記録にロマンチックな要素を持ち込んだことをホームズに批判されるワトスンですが(ドイル自身の前作への自己批判が反映されているらしい)、今回の物語でも、ホームズの口を借りて「絶対におめでとうとは言えないね」と。う~ん、ドイルは二重人格か。

Sign of Four.jpg 河出書房版は『四つのサイン』としていますが、より正確に言えば「四人のしるし」でしょう。他の3人は字が(自分の名前すら)書けないのだから(左のオーディオ・ブックのジャケット参照)。

"The Sign of Four, Sir Arthur Conan Doyle, Audio book"

 シャーロッキアンでも知られる訳者らしく、注釈と解説、訳者あとがきで本全体の3分の1を占めていました(これだけで1つの読み物のよう)。

 しかも、その訳者あとがきで、この物語を精神分析的に解釈していて、この作品の様々な登場人物に、作者のドイル自身及びその家族が反映されていることを示すとともに(この物語はドイルの「告白小説」だそうだ)、この物語における財宝が、母親の愛情の象徴であることを示唆しており、なかなか面白かったです。

 訳者あとがき部分だけだと10ページほど。興味がある人には、一読されることをお勧めします

四人の署名0.jpg「シャーロック・ホームズの冒険(第25話)/四人の署名」 (87年/英) ★★★☆ ジェレミー・ブレット主演 
 【1953年文庫化[新潮文庫(延原謙:訳)]/1960年文庫化[創元推理文庫(阿部知二:訳『四人の署名』)]/1979年再文庫化[講談社文庫(鮎川信夫:訳)]/1983年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(大久保康雄:訳)]/1997年再文庫化[ちくま文庫(小池滋:訳『四つの署名・バスカヴィル家の犬―詳注版シャーロック・ホームズ全集〈5〉』)]/2007年再文庫化[光文社文庫(日暮雅通:訳)]/2013年再文庫化[角川文庫( 駒月雅子:訳)]】 

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単なるサイコ・スリラーで終わらないどんでん返し。リアリティを保つドラマとしての肉付け。

『ABC殺人事件』.jpgABC殺人事件 ポケミス.jpg ABC殺人事件 クリスティー文庫.jpg  ABC殺人事件 ハ―パーコリンズ版.jpg ABC殺人事件 2001.bmp
ABC殺人事件 (1957年) 』(鮎川信夫:訳) 『ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』['03年](堀内静子:訳)  HarperCollins版(1995/2001)
ABC殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』(田村隆一:訳/真鍋博:カバーイラスト)

The ABC Murders -Great Pan.jpgトム・アダムズ108「ABC殺人事件」.jpg ある日ポアロの元へABCと名乗る人物から殺人予告とも取れる一通の手紙が届き、そして予告通り、アンドーヴァの地で小売店のアッシャー夫人が撲殺され、更に2通目、3通目の予告状も届き、ベクスヒルで若い女性バーナードが、更にチャーストンでクラーク卿が殺される。この連続殺人には、殺人が行われた地名と被害者の頭文字がAとA、BとBのように一致していることと、死体のそばに必ず「ABC鉄道案内」が置かれているという2つの共通点があった―。 米国版(表紙イラスト Tom Adams)
Pan Books First edition published in 1958.

ABC殺人事件1962.bmp 1935年に発表されたアガサ・クリスティの長編推理小説で(原題:The ABC Murders)、一見無関係な殺人事件が連続して起きる「ミッシング・リンク・テーマ」の決定版とされている作品であり、更には、サイコ・スリラーという点でも、80年代のトマス・ハリスや90年代のジェフリー・ディーバーの諸作品の先駆け的要素を持った作品であると言えます。

 但し、近年のサイコ・スリラーやクライム・ドラマに見られるような、所謂「サイコ」(サイコパス)というパターン化した怪物的犯人像と、この作品で犯人と目される人物のキャラクターとでは、同じく精神を病んでいるにしても随分と趣が異なり、更には、「サイコ」を徐々に追い詰めて、最後に捕まえて事件は解決というパターンではなく、更にそこから大きな「どんでん返し」がある点でも、クリスティのオリジナリティの高さを感じます。

Fontana版(1962)

「ABC殺人事件」.jpg 一方で、その「どんでん返し」を振り返って思うに、捜査を攪乱させるためとは言え、ここまでやるかなあ犯人は、という印象はあり、先に挙げたジェフリー・ディーバーの『魔術師(イリュージョニスト)』('03年発表、'04年文藝春秋、'08年文春文庫)の犯人などもまさに同じ手法を用いており、確かにこうした犯行技巧は現代ミステリにも受け継がれてはいるのでしょうが、どうしてもこの手のやり口は、犯人サイドから見て労力と結果の対比効率が良くないのではないかと思ってしまいます。

 ただ、クリスティのエラいところは、そうした批判をも見通して、人間ドラマとしての肉付けをしっかりすることにより、一定のリアリティを最後まで保持しようとしているところにあるのではないかと。
Grosset & Dunlap later edition in USA

 だから、読者を、「これは推理小説であり、要は"お話"なのだ」みたいな読み方には最後までさせない、この辺りが、「ミステリの女王」の真骨頂なのではないかと、個人的には思います。


クリスティのフレンチ・ミステリー/ABC殺人事件.jpg 事件の序盤で、ポアロがヘイスティングスの問いに、犯人は「中背の赤毛の男で、左目が軽いややぶにらみ」で、「右足をやや引き摺り、肩甲骨のすぐ下には黒子がある」と言う場面があり、これは、まだ犯人について何も分っていないのに「シャーロック・ホームズ流の推理」を聞きたがるヘイスティングスに対する苛立ちと皮肉を込めた冗談なのですが、同時に、シャーロック・ホームズの推理的卓抜(コナン・ドイルの作風)の非現実性を皮肉っているようにも取れました。
「クリスティのフレンチ・ミステリー(第1話)/ABC殺人事件」 (09年/仏) ★★★☆

ABC殺人事件 新潮文庫.jpg 【1957年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(鮎川信夫:訳)/1959年文庫化[創元推理文庫(堀田善衛:訳)/1960年再文庫化・1996年改版版[新潮文庫(中村能三:訳)/1962年文庫化[角川文庫(能島武文:訳)/1974年再文庫化[講談社文庫(久万嘉寿恵:訳)]/1987年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/1990年再文庫化[偕成社文庫(深町真理子:訳)]/2000年再文庫化[講談社青い鳥文庫(花上かつみ:訳)]/2003年再文庫化[創元推理文庫(深町真理子:訳)/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(堀内静子:訳)]】

ABC殺人事件 (新潮文庫)

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ミステリとしてはやや冗長だが、怪異的雰囲気は出ている。ストーリー提供者との共作だった?

バスカヴィル家の犬 新潮文庫旧版.jpg バスカヴィル家の犬 新潮文庫.jpgバスカヴィル家の犬 (新潮文庫)』['54年]バスカヴィル家の犬 光文社文庫.jpgバスカヴィル家の犬―新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)』['07年]

バスカヴィル家の犬 S・バシェット画.jpg デヴォンシャーの名家バスカヴィル家の当主、チャールズ卿が怪死を遂げた。ベーカー街を訪れた医師モーティマーの依頼によって、チャールズ卿の死に関する調査とバスカヴィル家の新たな当主となったヘンリー卿護衛のため、多忙のホームズに代わりワトスンが、依頼人と共にデヴォンシャーへと向かう。彼を待ち受けていたのは独特の雰囲気に包まれた沼沢地帯と、そこに暮らすいずれも一癖ある隣人たち、そして今なおその地の人々の胸に現実の恐怖として生き続ける、バスカヴィルにまつわる魔犬伝説だった―。

 1901年にコナン・ドイルが発表した、ホームズ物語の4つの長編中最長の作品であり、また、1893年の「最後の事件」以降8年ぶりのホームズ復活、但し、時代背景は「最後の事件」以前のこととされています。

シドニー・パジェット画/ホームズとワトスン

ダートムア.jpg 『緋色の研究』、『四つの書名』、そして、本作の後に書かれた『恐怖の谷』の3つの長編は何れも2部構成になっていますが、この『バスカヴィル家の犬』は、前半ワトスンの手紙乃至報告文が中心で、後半がワトスンのリアルタイムでの語りのようになっているものの、明確に2部に分かれてはいません。

 ホームズが1本のステッキから持ち主のプロフィールを推察する導入部分は有名で、ストーリーもそう複雑ではなく、「魔犬」という特異なモチーフでもあるため、ホームズ物語の中でも印象に残るものでした。

 日本シャーロック・ホームズ・クラブという組織が1979年と1992年に実施した、シリーズ60作品を対象としたベストテン投票でも、共に1位になっている作品ですが、ただ、今回再読して、ストーリーがそう複雑でない割には少し長いかなあとも感じました。
 
 一部のミステリ通によれば、ヘンリー卿の靴が無くなった時点で事件の仕掛けが分ってしまい、ロジック上も幾つか穴がある("ご都合主義"が見受けられる)とのことですが、個人的にはそれほど気にならず、後半の早々に犯人が明かされてしまうのも、自分のような、いつも最後の最後まで誰が犯人かが読みとれない読者には、ある意味、丁度いいくらいの感じです。

 まあ、この「長さ」の部分は、この作品の舞台である西イングランド地方のダートムアの叙景に費やされていたりして(ダートムアはその名の通り草原湿地帯で、今は国立公園に指定されているが、夜歩きに適さない土地であることは確か)、それはそれで、作品全体を覆う怪異的雰囲気を醸すのに寄与していると言えるのではないでしょうか。

The hound of the Baskervilles.jpg 光文社文庫版は、初版時のシドニー・パジェットの挿画が30点掲載されていて(新潮文庫版は挿画無し)、当時の時代の雰囲気や登場人物の風貌が分かりやすいです。

 また、作家の島田荘司氏が解説を書いており、ドイルの旧知でありファンでもあったバートラム・ロビンソンの「ダートムア物語」というのが、この作品の背景及びモチーフに大きく寄与しているという話をたいへん興味深く読みました。

 島田氏は、『バスカヴィル家の犬』はコナン・ドイルとバートラム・ロビンソンとの共作のようなものであるとしているようですが、翻訳者の日暮雅通氏によれば、ロビンソンのこの作品への関与の度合いについては諸説あるようです。

シドニー・パジェット画

バスカヴィル家の獣犬01.jpgバスカヴィル家の獣犬 dvd.jpgThe Hound of the Baskervilles (2002).jpg 「シャーロック・ホームズ/バスカヴィル家の獣犬」 (02年/英) ★★★★
  
sherlock バスカヴィルの犬 07.jpgsherlock バスカヴィルの犬 01.jpg 「SHERLOCK(シャーロック)(第5話)/バスカヴィルの犬(ハウンド)」 (11年/英) ★★★

 【1954年文庫化[新潮文庫(延原 謙:訳)]/1960年文庫化[創元推理文庫(阿部知二:訳)]/1980年再文庫化[講談社文庫(鮎川信夫:訳『バスカビル家の犬』)]/1984年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(大久保康雄:訳)]/1997年再文庫化[ちくま文庫(小池 滋:訳『四つの署名・バスカヴィル家の犬―詳注版シャーロック・ホームズ全集〈5〉』)]/2004年再文庫化[講談社文庫(大沢在昌:訳『バスカビル家の犬』)]/2007年再文庫化[光文社文庫(日暮雅通:訳)]】 

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シリーズの最後の短編集。衰えぬ冴えを見せる一方で、"変化球"的・"疑問符"的作品も。

Dust-jacket illustration of the first edition of The Case-Book of Sherlock Holmes.jpgシャーロック・ホームズの事件簿 新潮文庫 旧版.jpg シャーロック・ホームズの事件簿.jpgシャーロック・ホームズの事件簿 (1953年) (新潮文庫)』『シャーロック・ホームズの事件簿 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)
Dust-jacket illustration of the first edition of The Case-Book of Sherlock Holmes

 1927年、コナン・ドイルが亡くなる3年前に刊行されたシャーロック・ホームズ・シリーズの最後の短編集(第5短編集)で(原題:The Case-Book of Sherlock Holmes)、ドイルの没後60年に当たる1990年に著作権が切れるまでは、延原謙訳の新潮文庫版しかありませんでした(従って、創元推理文庫版の訳者は、阿部知二(1973年没)ではなく、最初から深町眞理子氏になっている)。

The Case-Book of Sherlock Holmes.jpg 1917年刊行の『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』以降に発表された(これが"最後"じゃなかったわけだ)、「マザリンの宝石」(1921年)から「ショスコム邸」(1927年)までの12編を収めており、光文社文庫版(日暮雅通訳)は解説や漫画家・坂田靖子氏のエッセイなども含めて487ページ、この文庫はカバーの紙質がしっかりしているのがいいです(シドニー・パジットの挿画が多く掲載されている点もいい)。

 一方、新潮文庫版は、例によって「隠居した画材屋」(延原謙訳では「隠居絵具屋」)と「ショスコム荘」の2編が『シャーロック・ホームズの叡智』の方に組み入れられていますが、この仕分け基準が未だによく分らない...。しかも、新潮文庫版は光文社文庫版と異なり発表順には並んでおらず、では何順なのかというと、この辺もよく分らない...(でも、訳文そのものは格調高い)。
 とまれ、ドイルの晩年にして、なお衰えぬ見せぬホームズの冴えが認められる短編集であることは確かです。

シドニー・パジェット画/ホームズとワトスン

 1927年と言えば、すでにアガサ・クリスティなどが登場していた頃ですが、起きている事件は1903年以前の設定となっていて、この辺りは、それまでリアルタイムで"現代モノ"を書いていたのが、晩年の作品において年月の流れを止めたクリスティと似ている気もします。

消えた蝋面.jpgThe Casebook of Sherlock Holmes, Volume 1.jpg 一方で、最後まで新たな境地を探ろうとしているのか、「白面の兵士」(この作品、ドイルは医師だったはずだが、ハンセン氏病に対する誤解がみられる)などのようにワトスンではなくホームズ自身が事件を語ったり、結構"変化球"が多いという感じでしょうか。 この"不統一性"は、1921年の書き始めの段階では、短編集として纏めるという意図が必ずしも無かったことからくるのかも。

「消えた蝋面」(「白面の兵士」)山中峯太郎 1956年ポプラ社(名探偵ホームズ全集19)

 晩年のドイルの超自然現象への関心や、博物学的知識が反映されている作品も見られ、動物モノに至っては犬やライオンが出てくるばかりでなく、「ライオンのたてがみ」では、サイアネア・カピラータという大○○○まで登場します。

 ホームズの"後出しジャンケン"的な謎解きも目立つ作品群で、全体としては玉石混交といった感じでしょうか。

 個人的には、「サセックスの吸血鬼」「高名な依頼人」が良かったかなあ。
 「ソア橋の難問」はトリックに(本格推理小説によくあるパターンだが)やや無理がある気もし、「三人のガリデブ」も着想はすごく面白いけれど、いくら犯人が金持ちだからといってここまでやるかなあという感じも。

メンタリスト.jpg 「三破風館」の金持ち夫人である犯人に対する事件の収め方は、探偵がこんな取引きしてもいいの?というのはありますが、つい最近観た海外ドラマ「メンタリスト」(第17話)でも、主人公の犯罪捜査アドバイザー(サイモン・ベイカー[写真右端])が犯人に死刑求刑しない代わりに、誤認逮捕の被害者のがん治療費として50万ドルの小切手を切らせるというのがあり、こうした決着方法も今に引き継がれていると見るべきでしょうか(この番組の宣伝文句の1つは「ポスト・シャーロック・ホームズ」。科学捜査全盛のクライム・ドラマの中では、確かに言い得ているかも)。

《読書MEMO》
●収録作品
マザリンの宝石/ソア橋の難問/這う男/サセックスの吸血鬼/三人のガリデブ/高名な依頼人/三破風館/白面の兵士/ライオンのたてがみ/隠居した画材屋/ヴェールの下宿人/ショスコム荘

the mentalist.jpgthe mentalist1.bmp「THE MENTALIST メンタリストの捜査ファイル」The Mentalist (CBS 2008/09~ ) ○日本での放映チャネル:スーパー!ドラマTV(2010~)

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 【1953年文庫化[新潮文庫(延原謙:訳)]/1991年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(大久保康男:訳)]/1991年再文庫化[創元推理文庫(深町真理子:訳)]/2007年再文庫化[光文社文庫(日暮雅通:訳)]】

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シリーズの最初の作品。格調高い新潮文庫版に対し、読みやすい光文社文庫の新訳版。

緋色の研究 新潮文庫.jpg 緋色の研究 創元推理文庫.jpg 緋色の研究 光文社文庫.jpg  Arthur Conan Doyle.jpg緋色の研究 (新潮文庫)』 『緋色の研究 (創元推理文庫)』 『緋色の研究 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)』 Arthur Conan Doyle

緋色の研究 1887年初版.jpg アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle、1859-1930)によるシャーロック・ホームズ・シリーズの最初の作品で、1886年に執筆され、翌1887年に発表されたもの(原題:A Study in Scarlet)。

『緋色の研究』1887年初版

 2部構成で、第1部は、ワトスンがホームズと出会って共同生活を始めるまでの経緯と、そこへ「血痕の飛び散った空き家の一室で死体が発見されたが、外傷が全く見られない」という奇怪な殺人事件が持ち込まれ、ホームズがその事件の犯人をつきとめるまでを、第2部では、事件の背景となった宗教と恋愛が絡んだ過去の出来事の経緯を、犯人自身が告白するという形式です。

 ワトスンがホームズと初めて会って、最初は奇妙な奴だなあと思っていたのが、次第に彼に興味を覚え(握手しただけでワトスンがアフガン帰りだと言い当てた)、その卓越した推理能力に圧倒されるようになるまでがコンパクトに描かれています。

The Mormon trek, recreated on Southport sands.jpg 19世紀のアメリカでのモルモン教の歴史が絡んだ、第2部の犯人の告白は結構「重たい」話であり、彼がどう裁かれるのかと思ったら実は重大な病気を抱えていて―というのは、その後のミステリでもよくあるパターンで、でも、これがホームズ・シリーズの後期に書かれたものだったら、ホームズの対処の仕方も少し違ったものになったかも知れないなあと。

The Mormon trek, recreated on Southport sands

 一方で、事件の背後関係を実はホームズは独自に調査して知っていたとか、"後出しジャンケン"みたいなのはこの頃からあって、光文社文庫の巻末にエッセイを寄せている赤川次郎氏も、「もしコナン・ドイルが現代のミステリの新人賞にでも応募していたら、とても入選できなかっただろう」と書いています。

 シャーロック・ホームズ・シリーズ(全集)は、文庫では、新潮文庫版(延原謙訳)、ハヤカワ文庫版(大久保康雄訳)、創元推理文庫版(阿部知二訳)、ちくま文庫版(訳者多数)があり、今世紀に入ってちくま文庫版が絶版になった代わりに光文社文庫版(日暮雅通訳)が刊行されていて、また文庫以外では、河出書房版(小林司・東山あかね訳)のハードカバー全集があります(『緋色の研究』の創元推理文庫版については、来月(2010年11月)深町眞理子氏の新訳版が刊行予定)。

 シャーロッキアンと呼ばれる人々の間では、典雅な訳調の新潮文庫版が"正典"とされているようですが、短編集の一部が本来とは別編集になっていたり、挿絵が無かったりと、一般読者からすれば不満要素もあります。

緋色の習作.jpg シャーロッキアン2人が訳した河出書房のハードカバー版(小林司氏は日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。先月(2010年9月27日)81歳にて逝去された)が、最も詳細(マニアック?)に解説されていて(本作のタイトルを『緋色の習作』としているのも"こだわり"の1つか)、挿画も発表当初のものを多く載せていますが、「入手しにくい・高い・重い」といった難点があります。

 こうして見ると、光文社文庫版は、「注釈」が河出書房版ほどではないにしても充実していて、挿画もかなり多く収められています。
 個人訳でもあるし、訳文がこなれていて読み易いという点でもいいのではないかと(ホームズ・シリーズって、こんなにすらすら読めたっけ、という感じ)。

 因みに、『緋色の研究』の挿画は、よく知られているシドニー・パジェットのものではなく、この頃はジョージ・ハッチンスンのものです(ホームズのイメージ、微妙に違うなあ)。

 自分がかつて読んだのは新潮文庫版でしたが、これを機に光文社文庫版で他の作品も読んでみようかという気になりました。

ピンク色の研究 dvd.jpgピンク色の研究 04.jpg「SHERLOCK(シャーロック)(第1話)/ピンク色の研究」 (10年/英) ★★★★ ベネディクト・カンバーバッチ主演

 【1953年文庫化[新潮文庫(延原謙:訳)]/1959年文庫化[角川文庫(阿部知二:訳)]/1960年文庫化・2006年改版版[創元推理文庫(阿部知二:訳)]/1977年再文庫化[講談社文庫(鮎川信夫:訳)]/1983年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(大久保康雄:訳)]/1997年再文庫化[ちくま文庫(小池滋:訳『緋色の研究・まだらの紐―詳注版シャーロック・ホームズ全集〈2〉』)]/2006年再文庫化[光文社文庫(日暮雅通:訳)]/2010年再文庫化[創元推理文庫(深町眞理子:訳)]/2012年再文庫化[角川文庫( 駒月雅子:訳)]】 

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ハード・ボイルド・ラヴ・ストーリー? そのまま今風ハードボイルドとして楽しめるが...。

闇の中から来た女.jpg闇の中から来た女』['91年] ダシール・ハメット.jpg Dashiell Hammett(1894-1961)[本書表紙見返しより] 
Woman in the Dark.jpg ヨーロッパで金持ちのロブソンに拾われてアメリカにやって来たルイーズは、彼の下を逃れようとして、ロブソンの地所に住む前科者のブラジルの小屋に転がり込むが、ルイーズを連れ戻そうとロブソンの手下2人がブラジルの小屋に押し入ったため暴力沙汰になり、ブラジルがそのうちの1人コンロイに大ケガをさせたことから、彼女はブラジルと一緒に逃亡することになる―。

"Woman In The Dark" Trade Paperback(1989)

 1933年に発表されたダシール・ハメットの作品で(原題:Woman in the Dark)、ハードカバー仕様で約220ページほどですが、『初秋』のロバート・B・パーカーの序文と『砂のクロニクル』の船戸与一氏による訳者解説が前後にそれぞれ約20ページずつあるため、正味180ページ、本文の文字もスカスカなので、実質的には中編作品と言えるでしょう。

 ロバート・B・パーカーは、「ハメットのどの作品よりもラヴ・ストーリーの色彩が濃い」作品としていますが、確かにそう思え、更に、「結末はハメットには珍しく感傷的で、ブラジルとルイーズがズット幸福ニ暮スだろうということを暗示している」としていますが、これに対し訳者の船戸氏は異を唱えています(だから、その部分がカタカナ書きになっているのか)。

 個人的には、この辺りは微妙なところだと思います。『デイン家の呪い』('29年)のコンチネンタル・オプと令嬢ゲイブリエルや、『ガラスの鍵』('30年)のネッド・ボーモントと上院議員の娘ジャネットの関係にしても、映像化されたりすると両者の間に相思相愛の情が芽生えたように脚色されそうだけれども、原作からは必ずしも(少なくとも男の側からは)そうはとれません。

 但し、この作品のルイーズは、そうした少女と女性の中間のような女性ではなく、成熟した女性の美しさと強さを持ち、それでいて優しさと思いやりのある女性であり、ブラジルも積極的に彼女にアタックしている―。

 船戸氏の言うには、ブラジルやロブソンがルイーズに吸い寄せられるのは、「アメリカ的なものがヨーロッパ的なものへと無意識のうちに拝跪したことを意味する」とのことで、そのことを時代背景及びアメリカのヨーロッパに対する文化的コンプレックスの観点から論じ、やがて、ブラジルもロブソン同様にルイーズから棄てられるであろうと。

 う~ん、作家ってここまで読み込むのかと感心させられますが、こうした解釈が入るということは、3人称複数の視点で描かれた文章を、ヒロイン一人の視点に統一して訳したとしているように、翻訳そのものの中にも相当の意訳があるとみた方がいいのかも。

 個人的には、2人の行く末がどうあれ、ルイーズは、ハメット作品に登場する女性の中でも最も「いい女」として描かれているように思われ、ブラジルの男っぷりにやや欠損があるのに比べて(例えば、ロブソンという大地主の土地で暮らしているとか、刑務所暮らしを経験して閉所恐怖症であるといったこと)、彼女の女っぷりの方が際立っているように思いました。

 ハードボイルドの始祖と言われるハメットですが、その作品は何れも、今でいうハードボイルドのイメージから少しずつズレているように思われ、その点ではこの『闇の中から来た女』は、そのまま今風のハードボイルドとして通用するような気がします(だから、ストレートに楽しめばいいのかも知れないが)。

Woman in the Dark (1934) _.jpg その点が、船戸氏の言う、「かつての『血の収穫』や『マルタの鷹』『ガラスの鍵』のように、物語の進行とともにアメリカの権力が隠蔽していたものを無言のうちに引き剥がしてみせるといった迫力はかなり薄まってきている。『闇の中から来た女』を書いたとき、ダシール・ハメットはすでに衰退期にはいっていたのだ」ということの、逆説的な証左となっているとも言えるのではないかと思いました。

 因みに、原作発表の翌年、「キング・コング」('33年)で有名な女優フェイ・レイ主演で映画化されていますが、日本では未公開のようです(監督は、怪奇映画のフィル・ローゼン。怪奇映画風にしてしまったのかなあ)。

Woman in the Dark (1934)

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ゴチック・ミステリ? 作者のプロット構築力が遺憾なく(やや過剰気味に)発揮された作品。

The Dain Curse by Dashiell Hammett (Consul M718, 1959).jpgデイン家の呪 ポケミス.bmp デイン家の呪い.jpg DainCurse Penguin, 1966 (paperback).jpgデイン家の呪 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』['56年]『デイン家の呪い(新訳版)』['09年] The Dain Curse, Penguin, 1966 (paperback)
The Dain Curse by Dashiell Hammett (Consul M718, 1959)

 コンチネンタル探偵社の調査員の私は、保険会社の依頼でダイヤモンド盗難事件遭った科学者エドガー・レゲット博士の屋敷を訪ねるが、やがて博士が不審な死を遂げ、更に関係者の自殺や謎の死など怪事件が次々起きる。レゲットの娘ゲイブリエルは麻薬に溺れており、レゲットの妻アリスの実家デイン家に纏わる呪いが、これらの事件に影を落としているようにも見える―。

 1929年に刊行されたダシール・ハメットの長編第2作で、前作『赤い収穫』と同じく"コンチネンタル・オプ"が主人公ですが、前作のような1つの町全体を"浄化"するといったスケールの大きな話ではなく、いわくありげな一族と、その一員で怪しげな宗教に傾倒する令嬢を軸とした、ある種"ゴチック・ミステリ"の様相を呈しています。

 但し、3部構成を成すストーリーはかなり込み入っていて事件が満載、「たった1冊の本の中でハメットの探偵は1人の男を撃って[7発撃ちこんでも倒れないので]刺し殺し、もう1人を射殺[4人で同時に発射]する手助けをし、彼自身は、短剣、拳銃、クロロフォルム、爆薬で襲われ、おぞけをふるうような場面から素手で闘って逃げだし、5人の女性ともみあい、1人の娘を麻薬中毒から救い出す。さらに...誘拐1件、殺人8件[あるいは9件か]、宝石強盗1件、呪いの家[にまつわる]1件とわたりあうのである」(ジョン・バートロウ・マーティンによる書評より。[]内は訳者注記)とあるように、その過剰な詰め込み具合がやや荒唐無稽ともとられ、『赤い収穫』や『マルタの鷹』ほど評価は高くないようです。小鷹信光氏の今回の訳は、1953年の村上哲夫訳(1956年にハヤカワ・ポケミスに収録)以来、半世紀以上ぶりの新訳とのことで、忘れられた作品だったということでしょうか。

The Dain Curse (1978).jpg 個人的には、結構面白かったし、小鷹氏が「『赤い収穫』とはまったく異なる小説であり、探偵役のオプの役柄もまるで別人」と言っているのがよく解りました。ハメットの小説と言うだけで、1つの固定した原初的なハードボイルドのイメージを抱きがちですが、実は作品ごとに随分違うなあと。

 3部構成のそれぞれにオチがあり、さらに第3部では、3番目の事件解決の後、更に連続したそれらの事件全体の黒幕が明らかになるという大ドンデン返しがあって、作者のプロット構築の才能が遺憾なく(やや過剰気味に)発揮されているのではないでしょうか。

 それぞれの事件の最後の方でまとめて謎解きがあり、第1部、第2部では、それを「私」自身が友人の作家フィッツステファンに解説していることに、(「あんたはシャーロック・ホームズか」と言いたくなるような)ややハードボイルドらしからぬものを感じました。連載の紙数の都合でこうなったのかなあと思ったけれども、要は、これもドンデン返し1つの伏線だったということか。

The Dain Curse (CBS 1978)        
The Dain Curse [VHS] _.jpg ジェームズ・コバーン主演で1978年にTV映画化されていますが、未見です。話が第2部から始まるという端折りぶりらしいですが、ハメット未亡人はジェームズ・コバーンがハメットに似ているのを気に入っていたとか。
The Dain Curse (1978) .jpg
The Dain Curse (CBS 1978)


 【1956年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(村上哲夫:訳『デイン家の呪』)/2009年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(小鷹信光:訳)]】

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翻訳者によって解釈が変わってくる箇所が多々ある作品。それが、また"深さ"なのか。

The Glass Key by Dashiell Hammett (Digit Books, Jun 1957) Cover by De Seta.jpgガラスの鍵 ポケミス.jpg 『ガラスの鍵』.bmpガラスの鍵 創元推理.jpg ガラスの鍵 光文社古典新訳文庫.jpg
ガラスの鍵 (1954年) 』(砧一郎:訳)/『ガラスの鍵 (創元推理文庫 130-3)』(大久保康雄:訳)[白山宣之カバー絵版・新版]/『ガラスの鍵 (光文社古典新訳文庫)』(池田真紀子:訳)
The Glass Key by Dashiell Hammett (Digit Books, Jun 1957) Cover by De Seta

 実業家で市政の黒幕でもあるポール・マドヴィックは、上院議員の娘ジャネットに恋をしており、次回の選挙では、議員を後押しすることにするが、それを快く思わない地元暗黒街のボスは、ポールを失脚させようと妨害工作を始める。そんな折、議員の息子テイラーが、何者かに殺害され、遊び人テイラーと娘オパールの交際を嫌っていたポールに嫌疑がかかる。ポールの右腕である賭博師ネッド・ボーモントは、友人を窮地から救うべく奔走する―。

 1930年にパルプマガジン「ブラック・マスク」に連載され、1931年に刊行されたダシール・ハメットの4作目の長編で(原題:The Glass Key)、2年前に発表された『血の収穫』のような古典的ギャングのドンパチ騒ぎの連続ではなく、市政を巡る近代的ギャングの政治的抗争劇というか、主人公のボーモントも、時に腕力や胆力を見せるものの、スーパータフガイといった感じではなく、基本的には冷静な知力で事件の解決を図るタイプの人物造形になっています。

 また、従来のハメットの作品と異なり、3人称で書かれていて、主人公の心理描写が殆ど無いため、読者は、会話と客観描写から主人公の現在の心理状態を探ることになりますが、ストーリーがやや複雑なこともあって、かなり気合を入れて読み込むことが必要かも。同時にこのことは、翻訳者によって、センテンスの解釈が変わってくる可能性のある箇所が多々あることも示しているかと思います(その点が、この作品の深さなのかも知れないが、日本語の場合、日本語に翻訳された時点で、既に解釈が入り易いのではないか)。

 ハメット自身が自らの最高傑作とし、個人的にもほぼ異存はありませんが(『赤い収穫』とは異質の作品であり、優劣を論じにくいとも言える)、自分自身がこの作品を十全に理解し得たかどうかというと、まだまだよく分らなかった部分もあったような心許無さが残る面もありました(読む度に印象が変わるというのは、作品の"深さ"なのかも)。

 光文社古典新訳文庫からこの作品の翻訳が出たのも、この作品は、ハードボイルドらしい客観描写の裏に隠された、心理小説的要素が強い作品(文学作品的?)であるからではないかと思われ、ジェフリー・ディーヴァーの作品の翻訳家でもある池田真紀子氏の訳は、ディーヴァーの作品が状況証拠やプロファイリングから謎を解いていくタイプのものであるように、登場人物やその会話の周辺状況が読者に分り易いように訳しているように思います。

 比べるとすれば、大久保康雄 ('60年/創元推理文庫)、小鷹信光 ('93年/ハヤカワ・ミステリ文庫)あたりですが、これらの旧訳では、主人公の名前の表記が、大久保訳は「ボーマン」、小鷹訳は「ボーモン」となっていて(砧一郎訳は「ボウモン」)、個人的には末尾に「ト」が無い方に馴らされてしまっているので、やや違和感があったというのはありますが、池田訳はそれらに比べやや重厚感が落ちるものの、旧来のイメージをそう崩さずに旨く訳しているのではないでしょうか(池田訳を読んだ後で、大久保訳または小鷹訳を読み直すのがいいかも)。

The Glass Key (1942) 2.jpg この作品は、1935年と1942年に映画化されていますが、スチュアート・ヘイスラー監督の1942年作品は、(「シェーン」('53年)で人気を博す前の)二枚目俳優アラン・ラッドと美人女優ヴェロニカ・レイクの主演で(本当の主役はブライアン・ドンレヴィであるとも言えるが)、概ね原作に忠実に作られているものの、やはり随所で、この時ボーモンはこんな表情をしていたのかといった意外性があったりしました(因みに、映画で観ている限りは概ね「ボーマン」と聞こえるが、ヴェロニカ・レイクは最初の方では「ミスター・ボーマント」とはっきり"t"を発音している)。

ガラスの鍵 [DVD] .jpgTHE GLASS KEY 1942Z.jpg 映画では、ヴェロニカ・レイク演じるジャネットが早くからアラン・ラッド演じるボーモンに好意を寄せていることがわかり、この小説の場合、映画化作品もまた、演出によって様々な解釈が入り込み易いということでしょう(因みに1935年のフランク・タトル監督作品は観ていないが、そちらではボーモンがオパールを愛していたという解釈になっているらしい)。
ガラスの鍵 [DVD]」(2013年リリース)

 ハメット自身は、この作品を書いていた頃は、前作『マルタの鷹』(1930年発表)の映画化権収入があったりして急に懐具合が良くなった時期で、その後、『影なき男』(1934年発表)を書いてからは長編を発表しておらず、稼ぎ過ぎるとかえって創作意欲が減退するタイプだったのかなあ(後半生の伴侶リリアン・ヘルマンの彼女自身の自伝によると、執筆活動はずっと続けていたが、作品を完成させることがなかったとのこと)。

THE GLASS KEY 1942.jpgThe Glass Key (1942).jpg 「ガラスの鍵」●原題:THE GLASS KEY●制作年:1942年●制作国:アメリカ●監督:スチュアート・ヘイスラー●脚本:ジョナサン・ラティマー●撮影:セオドア・スパークル●音楽:ヴィクター・ヤング●原作:ダシール・ハメット●時間:85分●出演:アラン・ラッド/ヴェロニカ・レイク/ブライアン・ドンレヴィ/ボニータ・グランヴィル/リチャード・デニング/ジョセフ・カレイア/ウィリアム・ベンディックス/エディー・マー/フランシス・ギフォード●日本公開:(劇場未公開)VHS/2003/11ジュネス企画(評価★★★☆)

【1954年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(砧一郎:訳)/1960年文庫化[創元推理文庫(大久保康雄:訳)/1993年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(小鷹信光:訳)]/2010年再文庫化[光文社古典新訳文庫(池田真紀子:訳)]】

 《読書MEMO》
●ウィリアム・ノーラン(小鷹信光:訳)『ダシール・ハメット伝』(′88年/晶文社)より
「『ガラスの鍵』はハメットの作品中で最も難解なものとなった。動機は決して語られず、暗に示唆されるだけだ。全編を通じてボーモントの心には仮面がぴったりとかぶされ、行動は誤解されやすい。ボーモントが事件を解明しようと殺人の手がかりを追うのと同じ位慎重に、読者はネドのキャラクターについてハメットが与えてくれる分かりにくい手がかりを追って行かねばならない。」

「『ガラスの鍵』は『血の収穫』を新しくした小説である。『血の収穫』では、悪党どもは昔の西部流に荒っぽく、ポイズンヴィルを支配するために爆薬や機関銃を使った。『ガラスの鍵』では、それが体裁よく 洗練され、やり方もはるかに手のこんだものになっている。拳銃の代りに連中は政治的圧力や脅迫という手段に訴える。彼らは二十世紀の犯罪にふさわしい破壊的な進歩を見せ、 それがカポネの時代のあけっぴろげな街中での暴力にとって代わっている。」

「『ガラスの鍵』は、ハメットが「たまたま犯罪小説になったものの、シリアスな小説」を書こうとした、彼の最も意欲的な試みだった。出版以来十年の間に、この作品は「傑作」と持てはやされたり、「最悪の出来」とけなされたりしてきた。モームとレイモンド・チャンドラーは二人ともこの作品を絶賛し、特にチャンドラーは「人物像が少しずつ明らかにされてくる」ところを評価している。」