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有田紀子の清楚で現代的なリリシズムが光る。原作の語り手の年齢はかなり若い?

野菊の如き君なりき 1955.jpg「野菊の如き君なりき」.jpg 野菊の墓 (新潮文庫).jpg
木下惠介生誕100年 「野菊の如き君なりき」 [DVD]」田中晋二/有田紀子『野菊の墓 (新潮文庫)
野菊の如き君なりき1.jpg 矢切の渡しの舟客・斎藤政夫翁(笠智衆)は老船頭(松本克平)に、遠い過去の想い出を語る...。この渡し場に程近い村の旧家の次男として育った政夫(田中晋二)が15歳の秋のこと、母(杉村春子)が病弱のため、近くの町家の娘で母の姪に当る民子(有田紀子)が政夫の家を手伝いに来ている。政夫は二つ年上の民子とは幼い頃から仲が良い。それが嫂のさだ(山本和子)や作女お増(小林トシ子)の口の端にのって、本人同志もいつか稚いながら恋といったものを意識するようになる。祭を明日に控えた日、母の吩咐で山の畑に綿を採りに出かけ二人は、このとき初めて相手の心に恋を感じ合ったが、同時にそれ以来、仲を裂かれなければならなかった。母の言葉で追われるように中学校の寮に入れられた政野菊の如き君なりき2.jpg夫が、冬の休みに帰省すると、渡し場に迎えてくれるはずの民子の姿はなかった。お増の口から、民子がさだの中傷で実家へ追い帰されたと聞かされ、政夫は早々に学校へ戻る。二人の仲を心配した母や民子の両親の勧めで、民子は政夫への心を抑えて他家へ嫁ぐ。ただ祖母(浦辺粂子)だけが民子を不愍に思った。やがて授業中に電報で呼び戻された政夫は、民子の死を知る。民子の最期を看取った母によると、民子は政夫の手紙を抱きしめながら息を引きとったという。政夫の名は一言もいわずに...。渡し船を降りた翁は民子が好きだった野菊の花を摘んで、墓前に供えるのであった―。

『野菊の墓』復刻.jpg 木下惠介(1912-1998/享年86)監督の1955(昭和30)年公開作で、同年「キネマ旬報 ベスト・テン」で第3位。原作「野菊の墓」は、歌人であった伊藤左千夫が43歳で初めて発表した小説で、1906(明治39)年1月、雑誌「ホトトギス」に掲載、その年の4月に俳書堂から単行本として刊行されています。15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描き、夏目漱石が絶賛したというこの作品は、過去に3度映画化されており、その第1作は木下惠介が監督した本作です(2作目('66年)の主演は太田博之と安田道代(大楠道代)、3作目('81年)は澤井信一郎監督、の松田聖子主演のもの。TVドラマ版では西河克己監督、山口百恵主演のもの('77年)などがある)。

近代文学館〈〔38〕〉野菊の墓―名著複刻全集 (1968年)

「野菊の如き君なりき」ありた.jpg 物語の設定では民子の方が2歳年上ですが、主演の田中晋二と有田紀子は共に1940年生まれの当時15歳。有田紀子は女優に憧れ学習院女子中等科に在学中に木下惠介監督に手紙を書いたことが契機となり、民子役に抜擢されましたが、学習院は生徒の映画出演を認めておらず、転校して映画に出演しています。この映画は、旧弊な気風が根強い田舎を舞台にしている分、有田紀子の清楚で現代的なリリシズムが光っていたように思います。ただし、彼女が出演した木下作品は田中晋二と共演した3作品だけです。その後は学業に専念し、1958年早稲田の文学部演劇科に進みますが、それを知った多くがの若者が早稲田を受験したという逸話があります。伊藤左千夫は「野菊の墓」という作品があってこその作家という印象がありますが、有田紀子も、結婚で女優業を引退したということもあって、代表作はこの「野菊の如き君なりき」ということになるのでしょう。

野菊の如き君なりき 笠智衆.jpg ところで、映画は矢切の渡しの舟客・斎藤政夫老人(笠智衆)が60年前の自らが数え年で15(「月で数えると13歳と何月」と原作にある)の時のことを回想する(船頭に語る)形式で進み、政夫老人は現在73歳ということになりますが(演じる笠智衆は当時51歳)、原作では、「十余年も過去った昔のこと」とあり、語り手の年齢はもしかしたら30歳前後くらいかもしれず、この年齢の差は、「政夫の今」を映画が作られた1955年を現在に設定したためではないかと思われます(小説が発表された年とも約40年の開きがある)。世間一般にも原作の語り手がかなり年齢が高いように思われている気がしますが(コミック版などもそうなっている)、思えば、伊藤左千夫がこの小説を書いたときでさえまだ43歳だったわけで、作者はそこからさらに10歳以上若い"語り手"を設定しているように思います(物語は伊藤左千夫自身の幼い頃の淡い恋が基になっているというから、概算すると原作の時代設定の方が映画より少し古いということになるのかも)。

 そう言えば、川端康成原作、西河克己監督、高橋英樹・吉永小百合主演の「伊豆の踊子」('63年/日活)でも、語り手である現在の主人公として当時49歳の宇野重吉が初老の大学教授として登場しますが、川端康成が原作を発表したのが1926(大正15)年27歳の年で、1918(大正7)年に19歳で初めて伊豆に旅行し、旅芸人の一行と道連れになった経験が基になっているとされているので、こちらも原作の書き手は8年前の記憶を辿っているのに対し、映画は作られた1963年を現在に設定し、45年ぐらい前のことを思い出しているように描かれていることになります。まだその頃は、明治・大正の文学作品の語り手を、そのまま老いさせて「現在」にもってこれたのだなあと改めて思いました。

『名画座面白館』赤塚.jpgIMG_20220228_050114.jpg 因みにこの作品、作品の大部分を占める過去の回想部分は全体を楕円にしてまわりをボカした手法にをとっていますが、先に読んだ『赤塚不二夫の名画座面白館』('89年/講談社)で、登場人物としての赤塚不二夫、長谷邦夫、石森章太郎がこの映画について語り合っていて、石森章太郎がこのボカシを指摘すると、長谷邦夫が「昔の懐かしい写真アルバム集みたいな感じを出すためだね」と説明していました(分かりやすい説明)。一方、笠智衆が出ている"今"のシーンにはこの楕円のボカシはありません(代わりに伊藤左千夫の短歌が挿入される)。

野菊の如き君なりき 杉村.jpg 有田紀子、田中晋二の演技は「二十四の瞳」('54年/松竹)で6歳(小学校1年生)、10歳(小学校5年生)、18歳の少年少女を撮った木下惠介監督が、ここでもその演出力を発揮した成果だと思います(セリフはわざと棒読みで喋らせたのは「二十四の瞳」でも使った手?)。一方で、演技達者が作品を支えているのも確か。政夫の母役の杉村春子が民の死後に家に戻って一人泣き崩れるシーンと(結局この人も根はいい人だった)、民の祖母役の浦辺粂子が孫の不憫さを語るシーン(この人は最初から唯一の二人の理解者だった)の演技には圧倒されます。

杉村春子(政夫の母)

「野菊の如き君なりき」●制作年:1955年●監督・脚本:木下惠介●製作:久保光三●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:伊藤左千夫『野菊の墓』●時間:92分●出演:田中晋二/有田紀子/杉村春子/田村高廣/笠智衆/松本克平/山本和子/小林トシ子/浦辺粂子/高木信夫/本橋和子/雪代敬子/渡辺鉄弥/谷よしの/松島恭子/小林十九二●公開:1955/11●配給:松竹●最初に観た場所:シネマブルースタジオ(19-07-16)(評価:★★★★)

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林芙美子って面食いだったのだなあ。プロローグは「風琴と魚の町」からとったものだった。

放浪記 dvd1.jpg 放浪記 図2.jpg 風琴と魚の町.jpg
放浪記 【東宝DVD名作セレクション】」高峰秀子『風琴と魚の町』['21年](「風琴と魚の家」「田舎がえり」「文学的自叙伝」収録)[下]高峰秀子・田中絹代
放浪記 10.jpg放浪記 04.jpg 昭和初期、第一次大戦後の日本。幼い頃から行商人の母親と全国を周り歩いて育ったふみ子(高峰秀子)は、東京で下宿暮らしを始める。職を転々としながら、貧しい生活の中で詩作に励むようになった彼女は、やがて同人雑誌にも参加する。創作活動を通して何人かの男と出会い、また別れるふみ子。やがて、その波乱の中で編んだ「放浪記」が世間で評価され、彼女は文壇へと踏み出していく―。

『新版 放浪記』.jpg 1962年公開の成瀬巳喜男監督作。林芙美子の自伝的小説『放浪記』を、「浮雲」('55年/東宝)など林文学の翻案では定評のある成瀬巳喜男が映画化した作品で、小説と菊田一夫の戯曲『放浪記』を原作としています。林芙美子の『放浪記』放浪記 02.jpgから幾つかのエピソードを拾って忠実に映像化する一方で、林芙美子の『放浪記』にはない文壇作家・詩人たちとの交流からライバ放浪記 映画.jpgルの女流作家との競い合い、さらにエピローグとして作家として名を成した後、自身の半生を振り返るような描写があります(菊田一夫脚本・森光子主演の舞台のにあるようなでんぐり返しもはない)。

 主演の高峰秀子は、自由奔放な女性という従来の林芙美子像を覆し、貧困と戦いながらのし上がる強い女の側面を強調しています。敢えてあまり美人に見えないメイクをし、いじけ顔いじけ声、ぐにゃっとしただらしない姿勢で貧乏が板についた芙美子を演じているのは一見に値します。

橋爪功(左端)/岸田森(左端)・草野大悟(右から2人目)・高峰秀子(右端)
「放浪記」hasizume i.jpg放浪記 岸田/橋本.jpg しかし、林芙美子って面食いだったのだなあ。貧しい彼女に金を援助してくれ、優しく献身してくれる隣室の印刷工・安岡(加東大介)には素気無い態度で接する一方、若い学生(岸田森)に目が行ったり、詩人で劇作家の伊達(仲谷昇)を好きになったりして、ただし伊達の方は二股かけた末に女優で詩人の日夏京子(草笛光子)の方を選んだために振られてしまうと、今度は同じくイケメンの福池(宝田明)に乗りかえるもこれがひどいダメンズ。甘い二枚目役で売り出した宝田明(1934-2022(87歳没))が演技開眼、ここではDV夫を好演しています。これらの男性にはモデルがいるようですが放浪記 中や2.jpg放浪記 宝田.jpg宝田明.jpgはっきり分かりません(宝田明が演じた福池は詩人の野村吉哉がモデルか)。実際に林芙美子は当時次から次へと同棲相手を変え、20歳過ぎで画家の手塚緑敏(映画では藤山(小林桂樹))と知り合ってやっと少し落ち着いたようです。
高峰秀子・仲谷昇/宝田明

草笛光子・高峰秀子
放浪記 kusabue.jpg 草笛光子が演じた芙美子のライバル・日夏京子も原作にない役どころです(菊田一夫原案か)。白坂(伊藤雄之助)が新たに発刊する雑誌「女性芸術」に、村野やす子(文野朋子)の提案で、芙美子と日夏京子とで掲載する詩を競い合うことになって、芙美子が京子の詩の原稿を預かったものの、自分の原稿だけ届け、京子の原稿は締め切りに間に合わなくなるまで手元に置いていたというのは実話なのでしょうか(これが芙美子の作家デビューであるとするならば、芙美子のこの時の原稿が「放浪記」だったということになる。「放浪記」は長谷川時雨編集の「女人芸術」誌に1928(昭和3)年10月から連載された)。

 後に川端康成が林芙美子の葬儀の際の弔辞で、「故人は自分の文学生命を保つため、他に対しては、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと2、3時間もたてば故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか、この際、故人を許してもらいたいと思います」と述べたという話を思い出しました。

放浪記 草笛.jpg草笛光子.jpg 映画の中で、草笛光子(1933年生まれ)は本気で高峰秀子をぶったそうです。高峰秀子をぶった女優が現役でまだいて、来年['22年]のNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演するは、「週刊文春」に連載を持っているは、というのもすごいものです。イケメン・ダメンズ役の宝田明もDV夫なので高峰秀子をぶちますが、草笛光子のビンタの方が強烈でした。林芙美子は面食いでなければもっと早くに幸せになれたのかもしれず、その点は樋口一葉などと似ているのではないか思ったりしました。

「風琴と魚の町」aozorabunnko.jpg 林芙美子原作の『放浪記』には、第1部の冒頭に「放浪記以前」という文章があり。貧しかった子ども時代や、行商をしてた両親のことが書かれています。映画においてもプロローグで、主人公の幼年時代のエピソードが出てきますが、風琴(アコーディオン)を奏でながら客寄せして物を売る行商している父親が、まがい物を売ったとして警察に連行され、父親が警官にビンタされるのを見て娘(フミコ)が叫ぶというシーンです。

 これってどこかで読んだことはあるけれど「放浪記以前」には無いエピソードだなあと思っていたら、林芙美子が尾道での自身の少女時代をもとに描いた中編「風琴と魚の町」(1931(昭和6)年4月雑誌「改造」に発表)を構成している複数のエピソードの内の最後にあるエピソードがこれだったことを、 今年['21年]刊行されたた尾道本通り一番街(芙美子通り)商店街編集の『風琴と魚の町』所収の表題作を読んで改めて気づきました。「風琴と魚の町」も『放浪記』と併せて読みたい作品です(「青空文庫」でも読める)。
風琴と魚の町 (青空文庫POD(大活字版))

放浪記 ポスター.jpg放浪記 01.jpg 個人的には、原作は『放浪記』(★★★★★)と『浮雲』(★★★★☆)で甲乙つけ難く、しいて言えば原石の輝きを感じるとともにポジティブな感じがある『放浪記』が上になりますが(物語性を評価して完成度が高い『浮雲』の方をより高く評価する人もいておかしくない)、映画は、同じ成瀬巳喜男監督の「浮雲」(★★★★☆)の方が原作を比較的忠実に再現していて好みで、それに比べると「放浪記」(★★★★)は、菊田一夫的要素はそれなりに面白いですが、やや下でしょうか(それでも星4つだが)。高峰秀子は当時38歳。実際の年齢よりは若く見えます放浪記・浮雲.jpgが、本当はもう少し若い時分に林芙美子を演じて欲しかった気もします(「浮雲」の時は30歳だった)。ただ、それでもここまで演じ切れていれば立派なものだと思います。 

「放浪記」●制作年:1962年●監督:成瀬巳喜男●製作:藤本真澄●脚本:井手俊郎/田中澄江●撮影:安本淳●音楽:古関裕而●原作:林芙美子/菊田一夫●時間:123分●出演: 高峰秀子/田中絹代/宝田明/小林桂樹/加東大介/草笛光子/仲谷昇/伊藤雄之助/加藤武/文野朋子/多々良純/菅井きん/名古屋章/中北千枝子/岸田森/草野大悟/橋爪功/織田政雄/北川町子/林美智子/霧島八千代/内田朝雄●公開:1962/09●配給:東宝=宝塚映画(評価:★★★★)

《読書MEMO》
2022年2月2日「徹子の部屋」(草笛光子88歳・岸恵子89歳)
草笛光子88歳・岸恵子89歳.jpg

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ゴーシュが「印度の虎狩」を選ぶところが白眉。彼の飢えは満たされていない?

宮沢賢治全集〈7〉2.jpg宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎2.jpg銀河鉄道の夜 童話集 他十四編.jpg セロ弾きのゴーシュ 1982.jpg
宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュほか (ちくま文庫)(「ちくま文庫」1985/12/1 創刊ラインナップの1冊)カバー画:安野光雅/『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇 (岩波文庫)』高畑 勲「セロ弾きのゴーシュ [DVD]

 町の活動写真館でチェロを弾く係のゴーシュは、楽団で一番下手なチェリストだった。一週間後に演奏会が控えているため、楽長はピリピリしている。ゴーシュは家に帰って猛特訓するが、深夜になるとなぜか、猫、かっこう、狸、野鼠がといった小動物たちが毎日変わって彼の家にやってきた。たとえば野鼠が来た理由は、ゴーシュのチェロを聞くと病気が治るからだという。そのことを知ると、彼は病気を治すために曲を弾いてやる。演奏会当日、彼の楽団は大いに成功し、アンコールになってゴーシュ一人が舞台に引っ張り出される。彼はやけくそになって曲を弾き、素早く楽屋に逃げ込むが、みんながゴーシュの演奏を褒め、楽長までも彼の演奏を認めるのだった―。

 宮沢賢治の童話で、これも「風の又三郎」と同じく、賢治が亡くなった翌年の1934(昭和9)年に発表された作品で、「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」と並んで賢治の最もよく知られた作品であると思います。因みに、実際に賢治は農民楽団の実現と自作の詩に曲を付けて演奏することを目指して、1926年にチェロを購入し、練習したそうで、そのチェロは宮沢賢治記念館館にあるそうです(賢治自身もチェロを弾くのははあまり上手くなかったらしい)。

高畑勲監督「セロ弾きのゴーシュ」('82年)/「セロ弾きのゴーシュ」('53年)
セロ弾きのゴーシュ1982年.jpg「セロ弾きのゴーシュ」1953年.jpg 映像化作品では、高畑勲(1935-2018/82歳没)監督が自主製作し、オープロダクションが5年の歳月をかけて完成させた「セロ弾きのゴーシュ」('82年/63分)があります。また、それ以前には、田中喜次監督の影絵アニメーション「セロひきのゴーシュ」('49年/19分)、森永健次郎、川尻泰司の共同監督の人形劇をカメラで撮影して制作され「日本で最初の長編・総天然色・人形劇・音楽映画」と宣伝された「セロ弾きのゴーシュ」('53年/45分)、神保まつえ監督の学研の人形アニメーション作品「セロひきのゴーシュ」('63年/19分)があり(学研が、昭和30年代に学校や地域で、アートアニメーションとして映像教育を行っていたころの代表作になる)、高畑勲作品以降では学研アニメの「セロひきのゴーシュ」('98年/20分)がありますが、「風のセロひきのゴーシュ 63.jpgセロひきゴーシュ アニメ 学研.jpg又三郎」がこれまでの5度の映像化のうち3度が実写映画化、2度がアニメ映画化なのに対し、こちらは動物が出てくることもあってか、5度の映像化のすべてが通常アニメまたは人形劇アニメとなっています。
神保まつえ監督「セロひきのゴーシュ」('63年)/学研アニメ「セロひきのゴーシュ」('98年)

セロ弾きのゴーシュ図3.jpg 高畑勲監督の「セロ弾きのゴーシュ」は、高畑監督・脚本作品として時期的には「赤毛のアン」('79年)や「じゃりン子チエ」('81年)の次にくるものですが、それら以前の'75年から制作にとりかかっており、背景の描写などは飛躍的に精緻なものとなっています。主人公のゴーシュは、宮沢賢治の原作では、ウダツのあがらない中年男性ともとれますが、映画では18歳ぐらいの若者として描かれています。ただし、このことは、それまでのアニメ作品もそうであるし、賢治作品を描いて最高の画家と言われた茂田井武の『セロひきのゴーシュ』('56年/福音館書店)などの頃から賢治は若者として描かれていて、それを引き継いだともとれます。
高畑勲監督「セロ弾きのゴーシュ」('82年)

高畑 勲.jpg 水車小屋に住んでいるゴーシュのところに夜ごと現れる様々な動物たち―それらのキャラクターに細やかな演技をさせてデティールに凝っているのが高畑勲のアニメ演出の特徴だったと思いますが、ところで、ゴーシュの家を夜ごと日替わりで訪れた動物たちにはどのような意味が込められていたのか、彼らはゴーシュに何をもたらしたのかということについては、いろいろ議論になっているのではないでしょうか。

高畑勲「セロ弾きのゴーシュ」猫.png 最初の晩に訪れた猫から、ゴーシュにトロメライ(トロイメライ)を演奏してくれと頼まれますが、不機嫌な彼はサディズティックな気持ちから「印度の虎狩」という曲を弾きます。これを聴いて猫はのたうち回りますが、ゴーシュが「印度の虎狩」という曲を選んで猫に意地悪したというより、ゴーシュの技量が劣っていて、聞くに堪えないものであることを象徴しているようにとれます。

セロ弾きのゴーシュ かっこう.png 次の晩に家に来たのはかっこうで、最初はこの音楽を教えてほしいと頼み込むかっこうとも生意気だと言い争いをしますが、今度はゴーシュは猫の時ほど敵対的な態度ではなく、かっこうと音程の練習をすることで、自身の音感を鍛え上げていきます。また、かっこうとの交流から、ゴーシュは少しづつ相手の言うことを聞き入れるようになっていきます。それでも、最後ゴーシュは癇癪を起してしまい、かっこうは頭を硝子にぶつけたりしながら、逃げるように去っていきます。

セロ弾きのゴーシュ tanuki.png 三日目の晩に来たのは狸で、狸は「愉快な馬車屋」という曲を一緒に演奏しようとゴーシュに言い、彼はその申し出を受け入れます。これだけでも、猫のときと比べると大きな変化ですが、小太鼓を演奏する狸とともに、二人はセッションをします。ここではゴーシュはリズム感を鍛えます。

セロ弾きのゴーシュ nezumi.png そして、最後の晩に来たのがは野鼠の親子です、ゴーシュは野鼠のお母さんから、子鼠の病気を治して欲しいと頼まれてその訳を聞きくと、ゴーシュのチェロを聞くと病気が治るからだといいいます。ゴーシュは納得すると、子鼠のためにチェロを弾きます。ここでは明らかに、ゴーシュが、自分のためではなく他人のために演奏するようになることを表しています。

 以上、ざっと振り返ると、猫とはお互い喧嘩別れみたいになったものの、かっこうからは音程(&相手の言うことを聞き入れること)を学び、狸からはリズム(&相手の申し出を受け入れること)を学び、野鼠からは演奏の「こころ」(自分のためではなく他人のために演奏すること)を学んだということでしょうか。

 この作品の白眉は、ゴーシュが最後アンコールに応えるために(このアンコールはゴーシュ一人に対してではなく楽団の演奏に対してだったが)、楽長に「何か出て弾いてやってくれ」と言われて、なんで自分がという「ばかにするな」との思いから、その猫を苦しめたのと同じ曲である「印度の虎狩」を選んで弾いたところ、観客を魅了してしまうところかと思います。

 ただ、当のゴーシュにしてみれば、やけになって弾いた曲がまさか観客を魅了したとの意識はがなく、「こんやは、変な晩だなあ」ぐらいの感覚であり、楽長や楽団の仲間から「よかった」と褒められてもそれに対する彼の気持ちはどこにも書かれておらず、動物たちとの交流を通して自分の技量が上達したのだという意識がないらしいところが可笑しいです。

 ゴーシュは家に帰ってから、かっこうには怒って「あのときすまなかったなあ」と思います。でも、もし反省するのであれば、最初の猫とのことをもっと反省しなければならないのでしょうが、そこまではいっていないところが変に中途半端で、これまた可笑しいいのと同時に興味深いです。

 ゴーシュが水を飲む場面が、彼の満たされない気持ちを表しているのではないかと考える見方もあるようです。そうすると、最後に演奏を無事終えて帰ってきた彼は、いつも通り水をかぶがぶ飲んでおり(作中で4回目)、結局、彼の精神的な飢えは満たされていないともとれることになるかと思います(アニメではこの部分は表現せず、ゴーシュは人間的に成長してすっかり生まれ変わったように見える)。

 このあたり、どうなのでしょうか。「銀河鉄道の夜」などは初期第一次稿から初期第三次稿までが残っているし(途中、随分と変わっている)、「風の又三郎」などは、同じく賢治の死後に発表された作品であっても、1931(昭和6)年から1933(昭和8)年の間に成ったものとされており、一方、この「セロ弾きのゴーシュ」は、これが最終稿かどうかもまったくわからないです。ただ、賢治は「銀河鉄道の夜」「ポラーノの広場」など、中編作品を改稿する傾向があり、この「セロ弾きのゴーシュ」は短編なので、この曖昧さを残した結末が最終稿なのかもしれません(ある意味、カタルシス効果を選んだアニメに対して、原作はアンチカタルシスとも言える)。


「平成狸合戦ぽんぽこ」1994.jpg「平成狸合戦ぽんぽこ」6.jpg 先にも述べたように、高畑勲監督の「セロ弾きのゴーシュ」('82年)は、高畑勲監督が自主製作し、オープロダクションが5年の歳月をかけて完成させたもので、スタジオジブリが高畑勲、宮崎駿両監督のアニメーション映画制作を目的として、当時は株式会社徳間書店の子会社として活動を開始したのが1985年6月であり、「セロ弾きのゴーシュ」はその前の作品であってスタジオジブリ作品ではありませんが、ジブリ発足後も高畑勲監督は宮崎駿監督ほどコンスタントではないですが、「平成狸合戦ぽんぽこ」('94年)や「かぐや姫の物語」('13年)といった佳作を制作しています。

「平成狸合戦ぽんぽこ」2.jpg 「平成狸合戦ぽんぽこ」は、第49回「毎日映画コンクール」のアニメーション映画賞をするなどしただけでなく、1994年の邦画・配給収入トップ26億円を記録するなど興行的にも成功しました(興行収入44.7億円、観客動員325万人)。環境問題・自然破壊がテーマの1つになっていて、映画の終盤、多摩ニュータウン開発で狸たちは住むところを奪われ、人間に化けることができる狸は人間社会で生きることを選びますが、人間に化けることの出来ない狸は、まだ緑が残る町田に移り住むことにします。その町田市の実際の山々には、映画公開から20年以上たった2020年4月現在も、タヌキのみならず、アライグマやハクビシンなどが生息しているとのことです。


「セロ弾きのゴーシュ」('82年)01.jpg「セロ弾きのゴーシュ」('82年)02.jpg「セロ弾きのゴーシュ」●制作年:1982年●監督・脚本:高畑勲●企画:小松原一男●製作:村田耕一●原画:才田俊次●美術:椋尾篁●音楽:間宮芳生(「星めぐりの歌」(作詞・作曲:宮沢賢治 歌:児童合唱団トマト))●制作会社:オープロダクション●原作:宮澤賢治●時間:63分●声の出演:佐々木秀樹/雨森雅司/白石冬美/肝付兼太/高橋和枝/横沢啓子/高村章子/横沢啓子/千葉順二/槐柳二/矢田耕司/三橋洋一/峰あつ子/横尾三郎●公開:1982/01●配給:オープロダクション(後ににっかつ)(評価:★★★★)

「平成狸合戦ぽんぽこ」1.jpg「平成狸合戦ぽんぽこ」●制作年:1994年●監督・脚本・原作:高畑勲●製作:鈴木敏夫●音楽:紅龍/上々颱風ほか●制作会社:スタジオジブリ●時間:119分●声の出演:野々村真/石田ゆり子/5代目柳家小さん/三木のり平/林家こぶ平(9代目林家正蔵)/村田雄浩/神谷明/林原めぐみ/3代目桂米朝/5代目桂文枝/芦屋雁之助/山下容莉枝/黒田由美/清川虹子/泉谷しげる/(ナレーター)3代目古今亭志ん朝●公開:1994/07●配給:東宝(評価:★★★★)

【1951年文庫化・1966年文庫改訂[岩波文庫(『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』)]/1957年文庫化[角川文庫(『セロ弾きのゴーシュ―他十篇』)/1957年再文庫化[岩波少年文庫(『セロ弾きのゴーシュ』)/1969年再文庫化[角川文庫(『セロ弾きのゴーシュ』)/1985年再文庫化[ちくま文庫(『宮沢賢治全集〈7〉』)]/1989年再文庫化[新潮文庫(『新編銀河鉄道の夜』)]/1998年再文庫化[角川mini文庫(『セロ弾きのゴーシュ』)/2009年再文庫化[PHP文庫(『銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュ』)]】

童話集 風の又三郎 他十八篇.jpg童話集 風の又三郎 他十八篇 (岩波文庫)
■収録作品(十九篇)
風の又三郎 どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ......
セロひきのゴーシュ ゴーシュは町の活動写真館でセロをひく係りでした.けれども......
雪渡り 雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり,空も冷たいなめらかな......
蛙のゴム靴 松の木や楢の林の下を,深い堰が流れておりました.岸には......
カイロ団長 あるとき,三十匹のあまがえるがいっしょにおもしろく仕事を......
猫の事務所 軽便鉄道の停車場の近くに,猫の第六事務所がありました.......
ありときのこ 苔いちめんに,霧がぽしゃぽしゃ降って,蟻の歩哨は鉄の帽子......
やまなし 小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です.......
十月の末 嘉っこは小さなわらじをはいて,赤いげんこを二つ顔の前に......
鹿踊りのはじまり そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあいだから,夕日は赤く......
狼森と笊森,盗森 小岩井農場の北に,黒い松の森が四つあります.いちばん南が......
ざしき童子のはなし ぼくらのほうの,ざしき童子のはなしです. あかるいひるま......
とっこべとら子 おとら狐のはなしは,どなたもよくご存じでしょう. おとら狐にも......
水仙月の四日 雪婆んごは遠くへ出かけておりました. 猫のような耳をもち......
山男の四月 山男は金色の目を皿のようにし,せなかをかがめて,西根山の......
祭りの晩 山の神の祭りの晩でした. 亮二は新しい水色のしごきをしめて......
なめとこ山の熊 なめとこ山の熊のことならおもしろい.なめとこ山は大きな山だ......
虔十公園林 虔十はいつも縄の帯をしめて,わらって森の中や畑の間をゆっくり......
グスコープドリの伝記 グスコープドリは,イーハトーヴの大きな森の中に生まれました.....

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「悲惨小説」になっているのが逆に面白いのかも。リアリズムで読者を惹きつける。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpgにごりえ たけくらべ 岩波.jpgちくま日本文学013 樋口一葉.jpg にごりえes.jpg
にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/『にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)』(カバー絵:鏑木清方「たけくらべの美登利」)/『樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(たけくらべ・にごりえ・大つごもり・十三夜・ゆく雲・わかれ道・われから・春の日・琴の音・闇桜・あきあわせ・塵の中・他)/映画「にごりえ」淡島千景
にごりえ 31.jpg 丸山福山町の銘酒屋街にある菊の井のお力は、上客の結城朝之助に気に入られるが、それ以前に馴染みになった客・源七がいた。源七は蒲団屋を営んでいたが、お力に入れ込んだことで没落し、今は妻子共々長屋での苦しい生活を送っている。しかし、それでもお力への未練を断ち切れずにいた。ある日、朝之助が店にやって来た。お力は酒に酔って身の上話を始めるが、朝之助はお力に出世を望むなと言う。一方の源七は仕事もままならなくなり、家計は妻の内職に頼るばかりになっていた。そんな中、子どもがお力から高価な菓子を貰ったことをきっかけに、それを嘆く妻と諍いになり、ついに源七は妻子とも別れてしまう。ある日、菊乃井でお力が行方不明になり、騒ぎになっていた―。

ちくま日本文学013 樋口一葉.jpg 樋口一葉が、1895(明治28)年9月、雑誌「文芸倶楽部」に発表した作品です。舞台となった丸山福山町は現・文京区白山一丁目、西片一丁目あたりで旧花街に近く、樋口一葉は「たけくらべ」の舞台となった竜泉寺町(現・台東区竜泉)を引き上げた後、1894(明治27)年から没する1896(明治29)年まで丸山福山町に居住し、「にごりえ」のほか、「大つごもり」「たけくらべ」「十三夜」等の名作を遺しています(竜泉に「一葉記念館」があるが、本郷の東大赤門の向かいにも「一葉会館」があり、ゆかりの品々が展示されている)。

樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(カバー絵:安良光雅

にごりえ 小池 神山.jpg この「にごりえ」は、今井正監督によりオムニバス映画「にごりえ」('53年/松竹)の第3話として淡島千景主演で映像化されていて、結城朝之助を山村聡、源七を宮口精二、源七の妻・お初を杉村春子が演じています(二人の息子を当時6歳の松山省二が演じている)。「文学座総出演」の映画とのことで、この第3話にはそのほかにヤクザや酔客などの役で、加藤武や小池朝雄、神山繁などがノンクレジットでちょっとだけですが出ています。

 推理小説ではないので結末を明かしてしまうと、最後にお力は源七の刃によって、無理とも合意とも分からない心中の片割れとなって死ぬことにまります。結局、お力も源七のことが忘れられず、二人はどこかで会ったのではないかと思われます。ただし、その時、妻子に去られ絆(ほだ)しの無くなった源七の方はともかく、お力の方に心中する気持ちまで固まっていたかは疑問です。実際、検証ではお力は後ろ袈裟に切られており、逃げようとしたのではないかと推察されています。ただし、その前に二人が裏山で話し合っているところが人に見られていることから、事前の合意があったともとれ、結局、作者は意図的にどちらでもとれるような書き方をしたように思います。

にごりえ 2.jpg この物語におけるお力は上客の結城朝之助の態度は微妙です。お力は菊の井のいわばナンバーワン芸妓でありながら、今の生活を虚しく感じており、自暴自棄になっているところがあります。そんなお力の前に客として朝之助という独身男性が現れ、彼に対して彼女は自分の生い立ちなどを語るまでになり(その中身は子ども時代の凄まじいまでの貧乏物語で、これは映画でも映像化されていた)、一時は朝之助に気持ちが傾いたかに思えました。でも、朝之助の方は、突き放しはしないものの、「俺の嫁になれ」などといったことを言うわけでもありません。

にごりえ 宮口.jpg お力も、結局は朝之助とは一緒にはなれないと思ったのでしょうか。あるいは、彼女自身が男性に完全に所有されることを拒否しているようにもとれます。そして、さらに深い虚無感に陥ったようにも思われ、源七の方へ奔ったともとれます(源七を狂わせた罰を自ら引き受けて死んでいったとの解釈もあるようだ)。一方、源七の側にすれば、「いっそ死のう」との想いは自然なことであり、ネガティブな意味での「渡りに船」だったかもしれません。彼は一緒に死んでくれる相手としてお力のことを考えていたのではないかと思われます(山中貞雄監督の「人情紙風船」('37年/東宝映画)を思い出した)。
 
 樋口一葉の作品はやはり悲劇が多いように思いますが、この作品は、抒情性を湛えた「たけくらべ」などと比べると、徹底した悲劇であるように思います(「たけくらべ」が一葉の作品の中でも特殊な方なのかも)。お力の死は恋人を亡くした朝之助にとっても不幸であり、源七の死は戻ってくる所を無くしたその妻にとっても不幸です(二人の子どもにとっても不幸ということになる)。

にごりえges.jpg ただし、変な言い方ですが、こういう絶望的な物語(「悲惨小説」)になっているところが逆に面白いのかもしれず、一葉という人は読者心理がよく分かっていたのではないかと思います。また、お力自身の絶望感には、何か運命論的な思い込みがあるようにも思います。そうしたお力の絶望感が読む側に伝わってくる根底には、描写のリアリズムがあるのでしょう。それも読者を惹きつける要因になっていると思います。

「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジット)《大つにごりえages.jpgごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)

【1949年文庫化・1978年・2013年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1950年文庫化・1999年改版[岩波文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ・にごりえ』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]】

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谷崎文学の世界を分かりやすく且つ重厚に再現。原作と異なる結末。愉しめた。

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鬼の棲む館 [DVD]」 高峰秀子/勝新太郎/新珠三千代
「鬼の棲む館」c taka1.jpg 南北朝時代、戦火を免れた山寺に、無明の太郎と異名をとる盗賊(勝新太郎)が、白拍子あがりの情人・愛染(新珠三千代)と爛れた生活を送っていた。自堕落な愛染、太郎が従者のように献身しているのは、彼女が素晴らしい肉体を、持っていたからだった。晩秋のある夕暮、京から太郎の妻・楓(高峰秀子)が尋ねて来た。太郎は、自分を探し求めて訪れた楓を邪慳に扱ったが、彼女はいつしか庫裡に住みつき、ただひたすら獣が獲物を待つ忍従さで太郎に仕えた。それから半年ほども過ぎたある晩、道に迷った高野の上人(佐鬼の棲む館 0091.jpg藤慶)が、一夜の宿を乞うて訪れた。楓は早速自分の苦衷を訴えたが、上人は、愛染を憎む己の心の中にこそ鬼が住んでいると説教し、上人が所持している黄金仏を盗ろうとした太郎には「鬼の棲む館」c ara.jpg呪文を唱えて立往生させた。だが、上人はそこに現われた愛染を見て動揺した。その昔、上人を恋仇きと争わせ、仏門に入る結縁をつくった女、それが愛染だった。上人に敵意を感じた愛染は、彼を本堂に誘う。そうした愛染に上人は仏の道を諭そうとしたが―。

無明と愛染 プラトン社.jpg無明と愛染3.jpg 三隅研次(1921-1975/54歳没)監督による1969年公開作で、原作は谷崎潤一郎の戯曲「無明と愛染」。1924(大正13)1月1日発行の「改造」新年号に第一幕が、3月1日発行の3月号に第二幕が発表され、その年の5月に『無明と愛染 谷崎潤一郎戯曲集』として「腕角力」「月の囁き」「蘇東坡」と併せてプラトン社から刊行されています。
無明と愛染』['24年/プラトン社]

 脚本は、新藤兼人。映画の最初の方にある楓が夫である無明の太郎を訪ね来る場面は原作にはなく、原作は、道に迷った高野の上人が宿を求めて山寺を訪ねたら、すでにそこで太郎が妻妾同居状態で暮らしていた―というところから始まります(映画の冒頭から半年が経「鬼の棲む館」7.jpgっていることになる)。従って、落ち武者たちが寺を襲い、それを太郎が妻妾見守る前で一人で片付けるというシーンも映画のオリジナルです。勝新太郎の座頭市シリーズを第1作の「座頭市物語」('62年/大映)をはじめ何本も撮っている監督なので、やはり剣戟を入れないと収まらなかったのでしょう(笑)。どこまでこんな調子で原作からの改変があるのかなあと思って観ていたら、佐藤慶の演じる上人が訪ねて来るところから原作戯曲の通りで、宮川一夫のカメラ、伊福部昭の音楽も相俟って、重厚感のある映像化作品に仕上がっていました。

鬼の棲む館es.jpg「鬼の棲む館」11.jpg 愛染と楓の激突はそのまま新珠三千代高峰秀子の演技合戦の様相を呈しているように思われ(新珠三千代は現代的なメイク、高峰秀子は能面のようなメイクで、これは肉体と精神の対決を意味しているのではないか)、序盤で派手な剣戟を見せた勝新太郎も、愛染と楓の凌ぎ合いの狭間でたじたじとなる太郎さながらに、やや後退していく感じ。それでも、ああ、この役者が黒澤明の「影武者」をやっていたらなあ、と思わせる骨太さを遺憾なく発揮していました。

「鬼の棲む館」katu.jpg 考えてみれば、原作は戯曲で、それをかなり忠実に再現しているので、役者は原作と同じセリフを話すことになり、新藤兼人の脚本は実質的には前の方に付け加えた部分だけかと思って、「結末は知っているよ」みたいな感じて観ていました。そしたら、最後の最後で意表を突かれました。

「鬼の棲む館」2.jpg 谷崎文学の世界を分かりやすく且つ重厚に再現していましたが、加えて、原作と異なる結末で、"意外性"も愉しめました。これ、映画を観てから原作を読んだ人も、原作の結末に「あれっ」と思うはずであって、全集で20ページくらいなので是非読んでみて欲しいと思います(原作の方が映画より"谷崎的"であるため、映画を観た人は原作がどうなっているか確認した方がいいように思うのだ)。

「鬼の棲む館」図2.jpg「鬼の棲む館」●制作年:1969年●監督・脚本:三隅研次●製作:永田雅一●脚本:新藤兼人●撮影:宮川一夫●音楽:伊福部昭●原作:谷崎潤一郎「無明と愛神保町シアター(「鬼の棲む館」).jpg染」(戯曲)●時間:76分●出演:勝新太郎/高峰秀子/新珠三千代/佐藤慶/五味龍太郎/木村元/伊達岳志/伴勇太郎/松田剛武/黒木現●公開:1969/05●配給:大映●最初に観た場所:神田・神保町シアター(21-03-10)(評価:★★★★)

神保町シアター

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結末は面白かった。石之助はどういう位置づけになるのか。

大つごもり・十三夜 (岩波文庫.jpgにごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg 大つごもり 久我.jpg 大つごもり Kindle版.jpg
大つごもり・十三夜 (岩波文庫 緑 25-2)』/『にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/映画「にごりえ」('53年/松竹)第2話「大つごもり」久我美子/[Kindle版] 現代語訳『大つごもり
にごりえ 21.jpg 18歳のお峰が山村家の奉公人となってしばらくした後、暇が貰えたため、初音町にある伯父の家へ帰宅する。そこで病気の伯父から、高利貸しから借りた10円の期限が迫っているのでおどり(期間延長のための金銭)を払うことを頼まれ、山村家から借りる約束をする。総領である石之助が帰ってくるが、石之助と御新造は仲が悪いため、機嫌が悪くなり、お峰は金を借りる事が出来なかった。そのため、大晦日に仕方なく引き出しから1円札2枚を盗んでしまう。その後、大勘定(大晦日の有り金を全て封印すること)のために、お峰が2円を盗んだことが露見しそうになる。お峰はその時は自殺をする決心をするが、御新造が引き出しを開けると―。

 樋口一葉が、1894(明治27)年12月、「文學界」(菊池寛が創刊した今ある雑誌とは別の雑誌)に発表した作品で、一葉が下谷龍泉寺町(台東区竜泉)から本郷区丸山福山町(文京区西片)へ転居し、荒物雑貨・駄菓子店を営みつつ執筆に専念していた時期の作品です。今井正監督によりオムニバス映画「にごりえ」('53年/松竹)の第2話として映像化されています。

大つごもり 中谷.png仲谷昇2.jpg オチが面白かったです。原作を読んだ上で今井正監督の映画化作品を観ましたが、映画でも楽しめました。今井正監督はリアリズムにこだわる作風ですが、こうした話は、細部の描写がリアリであればあるほど、ラストが効いてくるように思いました。若き日の仲谷昇が、放蕩息子を好演しています(あれだけ出ているのに何とノンクレジット。'63年に、劇団の体質への不満から芥川比呂志、小池朝雄、神山繁らと文学座を脱退することになる。因みに、芥川比呂志はこの作品の第1部「十三夜」に、小池朝雄、神山繁は第3部「にごりえ」に出ているが、小池朝雄、神山繁は端役のためノンクレジット)。

大つごもり174.jpg 中編に見合った軽妙なオチであるし、作者はミステリ作家並みのストーリーテラーであるなあと思うのですが、一方で、このオチであるがゆえにこの掌編を人情小説の域を出ないものとして、文学作品としてとしてはあまり評価しない人もいるようです。確かにストーリー的に見ても、お峰が伯父(養父にあたる)のために金を工面することが出来たのには安堵させられますが、一時的解決にはなっていても根本的解決にはなっておらず、さらに言えば、お峰が金を結んだことで、罪人が一人誕生したとも言えます。

 この、お峰が金を結んだことは、そこからお峰の転落が始まるという暗い予兆とも取れ、なぜならば、おそらく一葉はそうした些細なことで、もとは真面目だった人が堅気を踏み外して転落していくケースを見てきていたと思われるからです。

にごりえ 大つごもり.jpg また、この作品を単純にコミカルなものとして捉えれば、石之助はお峰にとって救世主的な存在ということになるのかもしれませんが(実際、「山村家―富める世界への反逆者」とか「山村家の贖罪」の代行者とみる説がある)、それは偶然そういう結果になっただけで、別に石之助がお峰の側にいるわけではなく、彼はあくまでも「持てる側」にいて、その意味では「持たざる側」にいるお峰とは対峙的な存在ではないかと思います。
仲谷昇(山村家総領・山村石之助(ノンクレジット))
岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))
大つごもり 岸田.jpg この辺りは研究者の間でも議論が活発なようですが、一葉が書いているうちにお峰を救わずにはおれなくなったのではないかという説もあって、これ、何だか当たっていそうですが、こうなると結局本人に聞いてみないとわからないということになるのではないでしょうか(研究者もそれは分かった上で議論しているのだと思うが)。

「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジにごりえ 映画 大つごもり.jpgット)《大つごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)

【1939年文庫化[岩波文庫(『大つごもり・ゆく雲 他二篇』)]/1949年文庫化・2003年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1979年再文庫化[岩波文庫(『大つごもり・十三夜』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]】

「●ひ 樋口 一葉」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●ひ 平岩 弓枝」【612】 平岩 弓枝 『御宿かわせみ
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〈予定調和〉と言うより〈予定不調和〉的とも言える作品。

大つごもり・十三夜 (岩波文庫.jpgにごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg樋口一葉 十三夜 eiga.jpg 十三夜 Kindle版.jpg
大つごもり・十三夜 (岩波文庫 緑 25-2)』/『にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/映画「にごりえ」('53年/松竹)第1話「十三夜」/[Kindle版] 現代語訳『十三夜
にごりえ 11.jpg 貧しい士族・斉藤主計の娘・お関は、官吏・原田勇に望まれて七年前に結婚したが、勇は冷酷無情なのに耐えかねてある夜、無心に眠る幼い太郎に切ない別れを告げて、これを最後と無断で実家に帰る。折しも十三夜、いそいそと迎える両親を見て言い出しかねていたが、怪しむ父に促されて経緯を話し、離縁をと哀願する。母は娘への仕打ちにいきり立ち、父はそれをたしなめ、お関に因果を含め、ねんごろに説き諭す。お関もついにはすべて運命と諦め、力なく夫の家に帰る。その途中乗った車屋はなんと幼馴染みの高坂録之助だった―。

 樋口一葉が、1895(明治28) 年12月、雑誌「文芸倶楽部」閨秀小説号に発表した作品で、劇作家・久保田万太郎が1947(昭和22)年に劇化脚色を行い、舞台で上演されているほか、今井正監督によりオムニバス映画「にごりえ」('53年/松竹)の第1話として映像化されています。

511にごりえ.jpg お関が夫との離縁を両親に哀願するも(DV夫か?)、父親に「子どもと別れて実家で泣き暮らすなら、夫のもとで泣き暮らすのも同じと諦めろ」と言われて(酷いこと言う父親だなあ)本当に諦めるという悲惨な話ですが、背景には嫁ぎ先と実家の経済格差があり、嫁ぎ先は裕福で、別れれば子どもの親権は経済力のある向こう側に行くし、父親からすれば息子の就職まで世話してもらっているので、こちらから離縁を申し出るなんて到底不可能だという状況のようです。左翼系映画人である今井正監督が映像化したことからも窺えるように、経済格差がモチーフの1つにあるかと思います。

 お関は、車夫が幼馴染みの高坂録之助だとわかって、歩きながら話を聞けば、自分のために自暴自棄になり(かつて二人は相思相愛だったということか)、妻子を捨てて落ちぶれた暮らしをしているとのことで(映画では芥川比呂志が演じて、相当やつれた感じを出している)、その彼の零落を今まさに目の前にして切々たる思いが胸に迫り、大いなる悲しみを抱いたまま彼とも別れ帰って行きます。

 このラストの落ちぶれた幼馴染みとの邂逅とそれがお関に与えた心理的影響をどうとるか、個人的には微妙な気がします。と言うのは、お関が「辛い思いをしているのは自分だけではない」と思ったとして、それはそれでいいのですが、そのことによって自分の置かれている状況を合理化すれば、彼女は気持ち的には少し楽になのるもしれませんが、結果的には父親の〈経済優先原理〉的な考えに服従することになるかと思われます。

 その意味では、〈予定調和〉と言うより〈予定不調和〉的とも言える作品ですが、おそらく作者はそのことも含んでこうした、言わば解決策を示さない終わらせ方をしているのではないかと思います。

 この作品は、『10分間で読める 泣ける名作集』('18年/GOMA BOOKS新書)という本に収められてはいますが、確かに樋口一葉は日本初の女性流行作家と言われてはいるものの(生前の世間での評価は「文学作家」より「流行作家」というイメージが強かったようだ)、単にお涙頂戴的な話をテクニックのみで書くに過ぎない作家ではなかったことははっきりしていると思います。

13爺.jpg「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジット)《大つごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)

【1949年文庫化・2003年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1979年再文庫化[岩波文庫(『大つごもり・十三夜』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]】

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原作を改変して一続きのストーリーにしながらも、原作のエッセンスは損なわず。

ななみだ川 dvd.jpg ななみだ川 1967 2 - コピー.jpg ななみだ川 1967 3 - コピー.jpg
なみだ川 [DVD]」藤村志保
「なみだ川」3.png 嘉永年間、江戸日本橋はせがわ町に、おしず(藤村志保)、おたか(若柳菊)の姉妹がいた。二人はそれぞれ、長唄の師匠、仕立屋として、神経を病んで仕事を休んでいる彫金師の父・新七(藤原釜足)に代って、一家の生計を支えていた。姉のおしずは、生半可な諺を乱発する癖のあるお人好し、妹は利口で勝気な性格だった。姉妹にとって悩みの種は、時折姿を現わしては僅かな貯えを持ち出していく兄の栄二(戸浦六宏)のことで、二人の結婚を妨げている原因の一つあった。ある日、おたかに、彼女が仕立物を納めている信濃屋の一人息子・友吉(塩崎純男)との縁談が持ち上がる。おたかは友吉を憎からず思っていたのだが、彼女は姉よりも先に嫁ぐのが心苦しく、また栄二のこともあるので話を断る。だが、妹の本心を知るおしずは、信濃屋の両親に栄二のことを打ち明け、妹には自分にも好きな人があって近いうちに祝言を上げるからと、縁談を纏めたのである。おたかは喜びながらも、姉の結婚話は嘘に違いないと胸を痛める。そして姉が好きな人だという貞二郎(細川俊之)に会ってみて、姉の嘘を確かめた。だが、おたかは姉が本当に貞二郎に焦がれているのを知っていた。彫金師としては江戸一番の腕を持ちながら少しスネたところのある貞二郎におたかは頼み込み、おしずに会ってもらうことにし。試しにと、おしずに会った貞二郎は、彼女の天衣無縫な性格に心がなごむ。だが、このことが、前からおしずを囲ってみたいと思っていた鶴村(安部徹)に伝わると、鶴村は貞二郎に、おしずは自分の囲われ者だと言って手を引かせようとした。それを真に受けた貞二郎は、おたかに会って確めようとした時、おしずの自分を想ういじらしい気持ちを訴えられて我が身の卑しい気持ちを恥じる。やがておたかの結納も無事に終えた夜、栄二が姿を現わした。おしずは、栄二が妹の婚礼を邪魔する気なら、刺し違えて自分も死のうと短刀を握りしめる―。

三隅研次.jpg 1967年公開の三隅研次(1921-1975)監督作で(脚本は依田義賢)、原作は、山本周五郎が江戸・日本橋を舞台に、お互いの幸せを尊重し合う姉妹の姿を描いた『おたふく物語』。姉・おしずを演じる藤村志保は、大映の演技研究生だった頃に原作を読み、いつかこの役を演じたいと思いを抱いていただけあって、お人好しを可愛く演じてはまり役でした。藤村志保はこの頃は毎年5本から10本の映画に出演しており(三隅研次監督の「大魔神怒る」('66年/大映)にもヒロイン役で出演している)、テレビでも、2年前にNHKの大河ドラマ「太閤記」('65年)で緒形拳演じる秀吉の妻・ねねを、この年の大河「三姉妹」('67年)では次女るいを演じて(長女を岡田茉莉子、三女を栗原小巻が演じた)、お茶の間でもお馴染みの人気女優でしたが、主役を演じたこの作品は代表作と言えるのではないでしょうか。

三隅研次

児次郎吹雪・おたふく物語.jpgおたふく物語 (時代小説文庫).jpg 原作の『おたふく物語』(「妹の縁談」「湯治」「おたふく」から成る)は、「おたふく物語」(「講談雑誌」1949年4月号)、「妹の縁談」(「婦人倶楽部」1950年9月秋の増刊号)、「湯治」(「講談倶楽部」1951年3月号)の順で独立した短編として発表されていて、姉妹の名も「おたふく物語」はおしずとおきく、「妹の縁談」はお静とおかよ、「湯治」お静とおたかになっていたのが、『おたふく物語』(55年/河出新書)としてまとめられた際に、「妹の縁談」「湯治」「おたふく」と一部改題の上で時系列に並べ替えられた連作となり、姉妹の名もおしずとおたかで統一されたとのことです。
児次郎吹雪・おたふく物語 (河出文庫)』['18年]『おたふく物語 (時代小説文庫)』['98年]

 ただし、「妹の縁談」の縁談では姉妹に両親と兄二人がいるのに、「おたふく」では「家族は両親と娘二人」とされるなど、修正忘れ?もあったりします。映画では、彫金師の父親とそれを支える姉妹と、倒幕活動の資金だと言って家族から金を巻き上げる兄が一人という家族構成になっていました。

 原作は、「妹の縁談」で、おしずが姉を差し置いてはと嫁に行きそびれている妹に対し、一計を図って妹の縁談を纏めようとする様が描かれていて、これは映画も同じです。おしずの「目黒の秋刀魚」についての勘違いは映画でも活かされていました。

「なみだ川」 toura.jpg 「湯治」では、金をせびりに来た兄におしずが短刀を突き出して追い返すも、衣類を持って後を追いかけるという結末で、家に来られても困るけれども、兄妹愛はあるといった感じでしょうか。映画のように、もう来ないという約束を破って妹の婚礼を邪魔するようなタイミングで来たわけでもないですが、映画の方でも、最後には栄二(戸浦六宏)は今度こそもう邪魔しないと言っているので、結局、兄も根はそんな悪い人ではなかったっということでしょう。
戸浦六宏
細川俊之/藤村志保
「なみだ川」 hosokawa.jpg細川俊之.jpg 原作の最後の「おたふく」では、おしずもおたかも既に結婚していて、おしずの夫は勿論貞二郎ですが、ある日、貞二郎が自分の作った、値段的には張るはずの彫り物を、かつて裕福ではなかったはずのおしずが幾つも持っていることを知り、そこから鶴村との過去の関係を疑い始めて悩むというもので、この誤解を解くために今度はおたかの方が、おしずにとって貞次郎は長年の想い人であり、彼が丹精こめて作った彫り物を身につけていたかったが、直接は言えなくて、長唄の稽古に来ていた鶴村の家人に頼んで鶴村の名で注文したものだと事情を説明し、貞二郎の疑念を晴らすというもの。映画の方は結婚前なので、おしずとおたかの姉妹愛にうたれた貞二郎が、おしずに惚れ直して父・新七におしずを嫁にと申し入れるというものでした。

なみだ川 玉川.png 最後がおしずの"天然ボケ"で終わるところは原作も映画も同じで、ストーリーの起伏はありますが、「なみだ川」というタイトルに反して映画も原作も結構コミカルな面があり(その上で泣かせる人情話なのだが)、また、それを藤村志保が上手く演じていました(刃物屋の玉川良一に小刀の突き方を教わるところなどは、深刻な状況なのにほのぼのコントみたい)。

「なみだ川」 tour.jpg「なみだ川」安倍.jpg 時制的に異なる三話を映画では一続きにしたために、「妹の縁談」は概ねそのままですが、「湯治」では兄の栄二が一度した約束を破っておたかの結納後(婚礼前)に再び押しかけてくるようにし(でも最後は去って行く)、「おたふく」での貞次郎(細川俊之)の疑念は、過去の関係に対するものではなく、リアルタイムにしたのでしょう。そのため、原作には名前しか出てこない鶴村が映画では登場し(安部徹)、貞二郎におしずは自分の囲い者だと言って手を引かせようとするなど、栄二の戸浦六宏と異なり、終始一貫して"悪役"でした(笑)。

 原作を改変して一続きのストーリーにしながらも、原作のエッセンスは損なっておらず、楽しめるとともに、脚本家の力量を感じた作品でした。 

「なみだ川」 title.jpg「なみだ川」●制作年:1967年●監督:三隅研次●脚本:依田義賢●撮影:牧浦地志●音楽:小杉太一郎●原作:山本周五郎●時間:79 分●出演:藤村志保/若柳菊/細川俊之/藤原釜足/玉川良一/安部徹/戸浦六宏/塩崎純男/春本富士夫/水原浩一/花布辰男/本間久子/町田博子/寺島雄作/木村玄/越川一/美山晋八/黒木現/香山恵子/橘公子●公開:1967/10●配給:大映●最初に観た場所:神田・神保町シアター(21-02-24)(評価:★★★★)
三隅研次特集.jpg

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「美登利はなぜ寝込んだのか」論争はともかく、抒情性豊かな青春文学の傑作。

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫2.jpgにごりえ・たけくらべ (新潮文庫).jpg  にごりえ たけくらべ 岩波.jpg たけくらべ (集英社文庫).jpg
にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/『にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)』(カバー絵:鏑木清方「たけくらべの美登利」)/『たけくらべ (集英社文庫)』['93年/'10年表紙カバー新装(イラスト:河下水希)]/[下]『たけくらべ (他)にごりえ・十三夜・大つごもり』['67年/旺文社文庫]/『樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(たけくらべ・にごりえ・大つごもり・十三夜・ゆく雲・わかれ道・われから・春の日・琴の音・闇桜・あきあわせ・塵の中・他)カバー画:安野光雅
たけくらべ 旺文社文庫 .jpg樋口一葉 [ちくま日本文学013] 文庫.jpg 吉原の遊女を姉に持つ勝気でおきゃんな少女・美登利は、豊富な小遣いで子供たちの女王様のような存在だった。対して龍華寺僧侶の息子・信如は、俗物的な父を恥じる内向的な少年である。二人は同じ学校に通っているが、運動会の日、美登利が信如にハンカチを差し出したことで皆から囃し立てられる。信如は美登利に邪険な態度をとるようになり、美登利も信如を嫌うようになった。吉原の子供たちは、鳶の頭の子・長吉を中心とした横町組と、金貸しの子・正太郎を中心とした表町組に分かれ対立していた。千束神社(千束稲荷神社)の夏祭りの日、美登利ら表町組は幻灯会のため「筆や」に集まる。だが正太郎が帰宅した隙に、横町組は横町に住みながら表町組に入っている三五郎を暴行する。美登利はこれに怒るが、長吉に罵倒され屈辱を受ける。ある雨の日、用事に出た信如は美登利の家の前で突然下駄の鼻緒が切れて困っていた。美登利は鼻緒をすげる端切れを差し出そうと外に出るが、相手が信如とわかるととっさに身を隠す。信如も美登利に気づくが恥ずかしさから無視する。美登利は恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げるが、信如は通りかかった長吉の下駄を借りて去ってしまう。大鳥神社の三の酉の市の日、正太郎は髪を島田に結い美しく着飾った美登利に声をかける。しかし美登利は悲しげな様子で正太郎を拒絶、以後、他の子供とも遊ばなくなってしまう。ある朝、誰かが家の門に差し入れた水仙の造花を美登利はなぜか懐かしく思い、一輪ざしに飾る。それは信如が僧侶の学校に入った日のことだった―。

『一葉』鏑木清方画.jpg 樋口一葉(1872-1896/24歳没)が1895(明治28)年1月から翌年1月まで「文学界」(刊行期間1893.1-1898.1)に断続的に連載た作品で、「暗夜」(1894.6-11)、「大つごもり」(1894.12)に続くものであり、文学界を主宰していた星野天知が、文学界1月号の原稿が集まらなくて一葉に作品を依頼し、一葉は書き溜めていた作品「雛鶏」を改題して発表したとのことです。翌1896(明治29)年、「文芸倶楽部」に一括掲載されると、森鷗外や幸田露伴らに着目され、鴎外の主宰する「めさまし草」誌上での鴎外、露伴、斎藤緑雨の3人による匿名合評「三人冗語」において高い評価で迎えられましたが、一葉はこの頃結核が悪化し、同年11月には死去しています。尚、再掲載時の原稿は口述して妹の邦子に書き取らせたものだそうです。

「一葉」鏑木清方:画
  
 物語の最後で、主人公の美登利が急に元気をなくすのはなぜか、という疑問に、それまでの文学研究者の間では「初潮説」が定説であったところへ、1985(昭和60)年に作家の佐多稲子が「初店(はつみせ)説」を提示し、「娼妓として正式なものではないが、店奥で秘密裏に水揚げ(遊女が初めて客と関係すること)が行なわれたのではないか」としました。この佐多説に対し、初潮説を支持してきた学者の前田愛が反論したことから論争が始まり、この論争には瀬戸内晴美、野口冨士男、吉行淳之介などの小説家も加わったそうです。

樋口一葉.jpg また、関礼子氏の『樋口一葉』('04年/岩波ジュニア新書)によれば、"店奥で秘密裏に水揚げ"をするのは「初夜」と呼ばれるものであり、当時遊女として正式に客をとれるのは16歳になってからだったので、14歳の美登利の場合は「初夜」になるとしています(ジュニア新書なのに詳しい(笑))。その上で関氏は、「初潮」と「初夜」を一続きのもの(つまり両方である?)と解釈した長谷川時雨の説をとっています。

 個人的には「初潮説」というのも言われて初めて、あっ、そういうことか、と思ったくらいで、「初店説」となると想像し難いものもありました(「初夜」も実質的には初めて客をとる"水揚げ"であり「初店」と同じことか)。しかしながら、京都の舞妓などは、水揚げが済むと髪型を結い替えることになっており、そうして何段階かの髪型の変遷を経て、「舞妓」から「芸妓」になっていくとのこと、かつては12、13歳にして水揚げを経験していた舞妓もいたとのことで(現在は水揚げはせず、形式的に髪型を変えることが行われている)、終盤で美登利が髪を島田に結っているのは、確かに彼女が水揚げを経た証拠ともとれるかもしれません。

 こうした、全てを明かさないで読者に想像させるところも上手いと思いますが、今で言う中学生くらいの男の子、女の子が、互いに関心を寄せ、それがある種の想いとなって互いに意識過剰になっていく一方で、少女が自身が「女」であることを自覚し始める様が見事に描かれており、青春文学の傑作として結実しているものと思います(一方で、「にごりえ」のようなどろどろしたリアリズム作品を書きながらだからだからなあ)。

 この作品を読むと、改めてこの年頃の子は、男の子よりも女の子の方が成長が早いということが窺え、男の子はそれに戸惑うという構図もこの中にあるかなあと思いました。木村真佐幸氏のように、信如をこの物語の「真の主人公」であるとする説もあったりして、抒情性豊かな作品であるとともに、「にごりえ」などとはまた違った意味でさまざまな解釈や見方ができる作品であるように思います。

 〈新潮文庫〉版乃至〈岩波文庫〉版が定番でしたが、後から出た〈集英社文庫〉版が新表記で読みやすいとも。現代語版は、松浦理英子氏編訳の『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉』('04年/河出文庫)よりも、山口照美氏の『現代語で読むたけくたけくらべ  hibari.jpgらべ』('12年/理論社)が、擬古文の雰囲気を保っていてお奨めです。映画化作品では、五所平之助監督、美空ひばり主演の「たけくらべ」('55年/新東宝) がありますが、個人的には未見です。また、山口百恵のアルバム「15才」に「たけくらべ」という曲があります。千家和也(1946-2019)作詞の歌詞の冒頭の「お歯ぐろ溝(おはぐろどぶ)に燈火(ともしび)うつる」(コレ、「たけくらべ」冒頭の表現をそのまま使っている)の"お歯ぐろ溝"とは、遊女の逃亡を防ぐために設けられた吉原遊郭を囲む溝で、今は埋められてすべて路になっていますが、石垣の跡がちょっとだけ残っています。

 お歯ぐろ溝.jpg お歯ぐろ溝の石垣跡

にごりえ・たけくらべ 樋口一葉 新潮文庫 1949.jpgたけくらべ 樋口一葉 新潮文庫 2.jpg【1949年文庫化・1978年・2013年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1950年文庫化・1999年改版[岩波文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1954年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ―他二篇』)]/1967年再文庫化[旺文社文庫(『たけくらべ』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ・にごりえ』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]/1993年文庫化[集英社文庫(『たけくらべ』)]】

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舞台は古代のギリシャ、ペルシャ(エジプト)、アッシリア、そして中国 & 自伝的中編、韓国と多彩。
IMG_文字禍・牛人.jpg文字禍・牛人.jpg   文字禍 円城.jpg  大人読み『山月記』.jpg
文字禍・牛人 (角川文庫)』/円城塔『文字渦』/『大人読み『山月記』

 1942(昭和17)2月「文学界」に「山月記」と共に発表された「文字禍」、同年7月「政界往来」に発表された「牛人」ほか、「狐憑」「木乃伊」「斗南先生」「虎狩」の6編を所収。

「狐憑」...... 「ネウリ部落のシャクに 憑きものがしたという評判である。色々なものが此の男にのり移るのだそうだ。鷹だの狼だの獺だのの靈が哀れなシャクにのり移つて、不思議な言葉を吐かせるということである。」―この書き出しだけですっと入っていける話。中島敦と言えば古代中国のイメージが強いですが、これは古代ギリシャ時代のスキタイ人を主人公にした話。でも、何となく現代的なブラックユーモアの香りがします(小説家の悲劇?)。

「木乃伊」(1942)...... ペルシャ王カンビュセスがエジプトに侵入した際、その麾下の武将パリスカスは墓地捜索隊に加わるが―。前世の自分のミイラと遭遇してそのミイラの生きていた時に転生し、さらにそれがまた前世の自分のミイラと遭遇し、というBC6世紀のペルシャ王朝並びに古代エジ『山月記・弟子・李陵ほか三編.jpgプトを舞台にしていながら、これも何だか現代SFみたいな話です。かつて『山月記・弟子・李陵ほか三編』(講談社文庫)で初読。個人的に好みで、すでに前項で「◎」をつけましたが、この角川文庫版の解説の池澤夏樹氏によれば、ヘロドトスの『歴史』にカンビュセスのエジプト遠征の話があってもパリスカスの名はないことから、作者の創作ではないかとのことです。

「文字禍」(1942)...... 古代アッシリヤの大王は、毎夜図書館に出没すると噂される「文字の霊」について、老博士に調査を命じる。博士は万巻の書に目を通すがそれらしい説はない。ある日、ひとつの文字を終日凝視していると、いつしかその文字が解体し、意味の無いひとつひとつの線の交錯としか見えなくなった。この発見を手初めに、文字の霊の性質が次第に判って来たのだが―。BC7世紀新アッシリア時代の帝国図書館の話。だんだん形而上学的になってくるなあと思ったら、最後は笑ってしまう悲喜劇でした。作家の円城塔氏が、この作品へのオマージュを込めた同名の「文字禍」という短編を書いて2017年・第43回「川端康成文学賞」を受賞しています(舞台は中島敦が得意とした古代中国になっている)。

「牛人」(1942)...... 魯の叔孫豹が若い頃、亡命先の斉で美女と野合してそのまま故国に帰ったが、そのとき生まれた子であるとして、「牛」のような容貌を持った男が名乗り出てくる。叔はこの「息子」が気に入り、早速側近として取立て、牛は側近として活躍するが、側近として重用されればされるほど、牛の思う壷になっていく―。やっと中国もので、しかもホラー(笑)。時代は春秋時代で、魯の叔孫僑如の弟・叔孫豹の話ですが、本当にこんな末路だったの? 後世に宦官がよく行った「情報の壟断」がモチーフになっていような印象も受けました。

「斗南先生」(1942)... 作者の伯父を描いた大学時代の創作で、しかもその死の前後のみを、自然現象を徹底して「観察」するかのような筆致で描かれています。執筆して10年の歳月を経て世に出たものだそうですが(作者がすでに作家として世評を得た時期になる)、中島敦文学の実質的な出発を示す作品として位置づけられています。

「虎狩」(1934)... 大正時代の京城(現ソウル)近郊で、少年である主人公が、親に内緒で友人の趙大煥の家族と虎狩りに参加する話。作者が24歳の時に書いた「中央公論」の懸賞小説応募作です。11歳から5年ほど韓国で少年時代を送った作者の経験がもとになっている、これも自伝的要素のある作品かと思いますが、15,6年後に趙大煥に再開する後日談も含め、どこまでが事実でどこまでが創作か分かりせん。

 『大人読み「山月記」』('09年/明治書院)という本を読むと、中島敦という人は、「山月記」にしても「名人伝」にしても、また「弟子」にしても「李陵」にしても、原典にどこか手を加えているようです。そして、その手の加え方に、作者としてのテーマ性が込められていることが多いようです。本書のこれらの作品も、どこが作者の創作なのか、楽しみながらも考えてしまいました。

 「文豪ストレイドッグス」タイアップカバーですが、作品の舞台が古代のギリシャ、ペルシャ(エジプト)、アッシリア、そして中国に広がり、さらに自伝的中編もあって、韓国も舞台だったりして多彩で(自分だけnの思い込みかもしれないが、中島敦って何となく中国のイメージしかなかったりする)、加えて、池澤夏樹氏のほとんど書き下ろしの解説があり、詳細な年譜も付されていて、これで実質ワンコイン本であるというのは、コスパはかなり良かったと思います。

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漫画化作品の中で群を抜く、近藤ようこ版「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」。

桜の森の満開の下 (岩波現代文庫).jpg 夜長姫と耳男 (岩波現代文庫).jpg 桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫).jpg  桜の森の満開の下・夜長姫と耳男 (ホーム社漫画文庫).jpg
桜の森の満開の下 (岩波現代文庫)』『夜長姫と耳男 (岩波現代文庫)』『桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)』(「夜長姫と耳男」所収)『桜の森の満開の下・夜長姫と耳男 (ホーム社漫画文庫)
桜の森の満開の下・白痴 他12篇 (岩波文庫)
桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫).jpg 主人公の山賊が住む鈴鹿の山奥には桜の木がたくさん茂っており、山賊はそれらに対し、理由がわからないまま不安を感じている。ある時、山道を非常に美しい女が通り、山賊は、女と一緒にいた旦那を殺して女を自分の妻にする。妻は都から来たもので、山での生活に何かと不平不満を言う。そして遂には山賊を都に連れて行き生活を始める。都での妻は大変楽しそうだった。山賊に頼んで獲ってきてもらった人の首で、ごっこあそびにふけっていた。対する山賊は次第に退屈になり、同時に妻に嫌気もさし始めたため、山へ帰ろうと決める。その旨を伝えると妻は連れて行ってくれと頼む。しかし妻は、一時ついていくものの、いずれまた都に連れ帰ってこようと考えていたのだ。山賊が妻を負ぶって山へ向かう道中、いつの間にか背中にいたのは鬼だった。襲われた山賊は鬼を殺す。しかしそこにあるのは鬼ではなく妻の死体だった。死体は桜の花びらへと変わり、孤独を知った山賊自らも花びらへと変わって消えてゆくのだった―。

IM桜の森の満開の下8.jpg 昭和22(1947)年6月、当時40歳の坂口安吾(1906-1955)が雑誌『肉体』創刊号に発表した短編小説「桜の森の満開の下」(さくらのもりのまんかいのした)は、坂口安吾代表作の一つで、「堕落論」と並んで読まれており、傑作と称されることの多い作品です。

 作品の魅力として、全体を通して情景の美しさが溢れるように感じられる点がありますが、これをビジュアル化するとなると、それぞれが既に抱いている美しいイメージがあるだけに、その期待に応えるのはなかなか難しいということになります。

 実際、多くの漫画家や画家が挑戦していますが、原作を読んで固有のイメージが出来てしまった人を満足させるものは少ないかと思います。画風が少女漫画風(BL系・ツンデレ系)になってしまっているものが多いせいもあるかと思います。

桜の森の満開の下 (ビッグコミックススペシャル).jpg そんな中、2009年に小学館のビッグコミックススペシャルとして刊行された近藤ようこ(1957年生まれ)氏の漫画化作品は、さすがベテランと言うか、比較的原作の雰囲気をよく伝えているように思いました。と言うより、相対比較で言えば、群を抜いていると言っていいかもしれません(このタッチが原作にフィットするとすれば、山岸涼子氏なども描けば結構いい線いくのではないか)。

桜の森の満開の下 (ビッグコミックススペシャル)』['09年]

 実は近藤氏が坂口安吾の作品で最初に漫画化したのは2008年の「夜長姫と耳男」で、近藤氏はその企画が決まった時、大好きな安吾を独り占めできるような気がして武者震いしたそうです。一番描きたいと思っていたのは、耳男が江奈子に耳を切られる場面と、高楼につるされた蛇の死体が揺れる場面だったそうで、これだけでも、「夜長姫と耳男」の原作が「桜の森の満開の下」に劣らず凄まじい話であることは窺えるかと思いますが、「桜の森の満開の下」のあらすじを書いてしまったので、「夜長姫と耳男」の方はここでは内容には触れないでおきます。
桜の森の満開の下 (立東舎 乙女の本棚)
桜の森の満開の下 (立東舎 乙女の本棚).jpg 近藤氏の漫画のほかに、立東舎の「乙女の本棚」シリーズで「桜の森の満開の下」の原文を全て載せた上でそれにカラーで絵をつける形での絵本化をしていますが('19年)、絵が、駆け出しの少女漫画家のパターンでこれも自分にとってはイマイチでした。

 同じ少女漫画風ならば、ホーム社漫画文庫の『コミック版 桜の森の満開の下・夜長姫と耳男』('10年)の方がまだ良かったかも。「桜の森の満開の下」の方の漫画は萩原玲二氏、「夜長姫と耳男」の方はタナカ☆コージ氏が描いています。漫画として割り切って読めば、1冊で両方の作品が読めるので、コスパ的にもますまずだったように思います。

 因みに、近藤氏の『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』は共に2017年10月に岩波現代文庫のラインアップに加わっています(お堅い岩波もその実力を認めた!?)。

『桜の森の満開の下』...【2017年文庫化[岩波現代文庫]】/『夜長姫と耳男』...【2017年文庫化[岩波現代文庫]】

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原作を新藤兼人がサスペンス時代劇風に。宮川一夫のカメラが映す肌が4Kで映えた。

刺青(1966).jpg刺青1966.jpg 刺青 4K デジタル修復版.jpg 刺青 若尾.jpg
「刺青」チラシ/「刺青 [DVD]」/「刺青 4K デジタル修復版 [Blu-ray]」若尾文子

刺青 satou1.jpg 質屋の娘・お艶(若尾文子)は、ある雪の夜、手代の新助(長谷川明男)と駈け落ちした。この二人を引き取ったのは、店に出入りする遊び人の権次夫婦(須賀不二男・藤原礼子)だった。優しい言葉で二人を迎え入れた夫婦だったが、権次は実は悪党で、お艶の親元へ現われ何かと小金を巻きあげた挙句に、お艶を芸者として売り飛ばし、新助を殺そうとしていた。そんなこととは知らないお艶と新助は、互いに求め合うまま狂おしい愛欲の日々を送っていた。しかし、そんなお艶の艶めかしい姿を、権次の下に出入りする刺青師の清吉(山本學)は焼けつくような眼差しで見ていた。ある雨の夜、権次は計画を実行に移し、殺し屋・三太(木村玄)を新助にさし向けるが、必死で抵抗した新助は、逆に三太を短刀で殺してしまう。同じ頃、土蔵に閉じこめられていたお艶は、清吉に麻薬をかがさ刺青 1966es.jpgれて気を失い、その白い肌に巨大な女郎蜘蛛の刺青を施される。やがて眠りから醒めたお艶は、刺青によって眠っていた妖しい血を呼び起こされたように瞳が熱を帯びて濡れていた。それからというものお艶は辰巳芸者・染吉と名を改め、次々と男を酔わせてくが、お艶を忘れ切れない新助は嫉妬に身を焦がし、お艶と関係を持った男を次々と殺害、遂にある晩、短刀を持ってお艶に迫る。だが新助にはお艶を殺せず、逆にお艶が新助を刺す。一部始終を垣間見ていた清吉は、遂に耐え切れず自らが彫った女郎蜘蛛を短刀で刺し、自らも命を絶つ―。

刺青 籾山書店.jpg 原作「刺青(しせい)」は、1910(明治43)年11月、同人誌の第二次『新思潮』に発表された谷崎潤一郎の短編小説で、作者本人が処女作だとしていたという作品です(単行本は、翌1911(明治44)年12月に籾山書店より刊行)。皮膚や足に対するフェティシズムと、それに溺れる男の性的倒錯など、その後の谷崎作品に共通するモチーフが見られます。

『刺青』[1911年/復刻版](刺青/少年/麒麟/幇間/秘密/象/信西)

刺青・秘密 (新潮文庫).jpg刺青・秘密 (新潮文庫)』[1966年](刺青/少年/幇間/秘密/異端者の悲しみ/二人の稚児/母を恋うる記)

 原作は文庫で十数ページしかなく、主人公の清吉が少女に刺青を施すことで宿願を果たし、「男と云う男は、みんなお前の肥料(こやし)になるのだ」という清吉の予言通り、少女がこれから多くの男を酔わせるであろう妖艶な女に変身したところで終わっています(少女は清吉に「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」とも言っている)。この少女が刺青を施されたことで劇的な変化を遂げたところですぱっと終わっている、この終わり方が作品の印象を非常に強いものにしているように思います。

増村保造(1924-1986)/新藤兼人(1912‐2012/享年100)
刺青 若尾 映画祭.jpg増村保造.jpg新藤兼人2.png 一方、増村保造監督の映画「刺青(いれずみ)」は、「刺青」の他に同じ谷崎の短編小説「お艶殺し」も基にしていて、映画の方で展開されるサスペンス時代劇風のストーリーは、「お艶殺し」に拠るか、または脚本家としての新藤兼人(1912-2012)のオリジナルということになります。強いて言えば、谷崎の原作における刺青を施され魔性を覚醒された少女がその後どうなったかを、イメージを膨らませて描いた後日譚ともとれます。ただし、映画で、若尾文子演じるお艶が山本學演じる清吉に刺青を掘られるのは物語の中盤なので、10ページほどしかない谷崎の原作に、プロローグとエピローグの両方を足したという感じでしょうか。

 とは言え、そのプロローグとエピローグで大方を占めるので(黒澤明の「羅生門」が、芥川の「羅生門」を基にしているのは冒頭部分くらいで、あとはほとんど芥川の「藪の中」を基にしていたのを想起させる)、原作の「刺青」とは別物という見方もできます。となると、あとは、「お艶殺し」に拠った新藤兼人の脚本が、どれだけ谷崎の耽美主義的な世界を表現することが出来ているかということになりますが、ちょっとストーリー性があり過ぎて、テレビの時代劇ドラマみたいになった印象もなくもないです。それでも最後まで見せるのは、増村保造の演出と宮川一夫のカメラのお陰でしょうか。

 このパターンでいく場合、大概のケースでは原作の雰囲気をぶち壊してしまうものですが、原作を超えたとは言わないまでも、何とか持ちこたえたような気がします。実際、谷崎作品の映画化ということを考えず、若尾文子の映画という風に見れば、まずまずであったように思います。

角川シネマ有楽町200306_0216.jpg刺青 映画&文庫 2.JPG 角川シネマ有楽町での「若尾文子映画祭2020」で観ましたが、全41作品を上映する中で、この「刺青」の4K修復版が世界初上映されることが映画祭の最大の目玉であったようです。率直な感想として、映像のきめ細やかさは予想していた以上でした。宮川一夫のカメラが映す若尾文子の肌が4Kで映え、彼女が動くと背中の蜘蛛も妖しく蠢くという、映画祭の目玉として打ち出すだけのことはあるものでした。

「若尾文子映画祭」@角川シネマ有楽町(同館公式Twitterより)
「若尾文子映画祭」@角川シネマ有楽町.jpg刺青 1966 4.jpg「刺青(いれずみ)」●制作年:1966年●監督:増村保造●脚本:新藤兼人●撮影:宮川一夫●音楽:鏑木創●原作:谷崎潤一郎「刺青(しせい)」「お艶殺し」●時間:86分●出演:若尾文子/長谷川明男/山本學/佐藤慶/須賀不二男/内田朝雄/刺青_143716.jpg藤原礼子/毛利菊枝/南部彰三/木村玄/岩田正/藤川準/薮内武司/山岡鋭二郎/森内一夫/松田剛武/橘公子●公開:1966/01●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(20-03-24)(評価:★★★☆)


2刺青810.jpg 刺青 satou1.jpg 佐藤慶

【1950年文庫化[新潮文庫(『刺青』)]/1969年文庫化[新潮文庫(『刺青・秘密』)]/2012年再文庫化[集英社文庫(『谷崎潤一郎フェティシズム小説集』)]/2021年再文庫化[文春文庫(『刺青 痴人の愛 麒麟 春琴抄―現代日本文学館』)]】

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ミステリ(作家)論と文学論、個々の作品批評。安吾節が小気味よい。

IMG_20201127_045035.jpg私の探偵小説 坂口安吾2.jpg
私の探偵小説 (1978年) (角川文庫)

 推理ファンを自任し、自ら「不連続殺人事件」「復員殺人事件」「能面の秘密」などの作品を生んだ坂口安吾(1906-1955/享年49)の、推理小説に関する全エッセイを収録したもの。第一部は表題作「私の探偵小説」(昭和22年6月発表)を含むミステリ及びミステリ作家論で、第二部、第三部は主に文学論、個々の作品批評(文学賞の選評を含む)という体裁になっています。

 「推理小説は、作者と読者の知恵比べを楽しむゲームである」とし、「謎の手がかりを全部読者に知らせること」「謎を複雑にするために人間性を不当にゆがめぬこと」などのルールを説いていますが、言っていることはすごくまともだと思いました。でも、現代でも通じることを早くから言っているのはさすがと言えるかも。

シタフォードの秘密  ハヤカワ・ミステリ文庫.jpg また、海外・国外の推理作家を評価していますが、海外の作家では、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーンを高く評価しており、これもまともではないでしょうか。クリスティの天分は「脅威のほかない」とし、その作品では、「『吹雪の山荘』のトリックほど非凡なものはない」と高く評価していますが、これって『シタフォードの秘密』のことだと思います(この作品、「江戸川乱歩が選んだクリスティ作品ベスト8」 に入っている)。「この二人を除くと、あとは天分が落ちるようだ」とし、むしろ、日本の推理作家で、「横溝君を世界のベストテン以上、ベストファイブにランクしうる才能であると思っている」として横溝正史を高く評価しています(以上、主に第一部「推理小説論」(昭和25年発表)より)。

 第二部、第三部では、推理作家に限らず、幅広く作家論、文学論を展開しながら、文学の本質を自由、芸術、反逆といったさまざまなテーマに絡めて論じています。また、戯作性と思想性は共存し得るとし、一方で、自然派や私小説を"綴方"と称して批判しています。さらに、国語論・敬語論・文章論も、いずれも現実の生活に即したものであるべきだという、ある種プラグマティックなものの見方が、この作家の特徴であることを改めて感じました。

志賀直哉_02.jpg 具体的には、「志賀直哉に文学の問題はない」(昭和23年発表)において、志賀直哉を、その「一生には、生死を賭したアガキや脱出などはない」とし、「位置の安定だけが、彼の問題であり」、それだけにすぎなかったとしています。夏目漱石についても、「その思惟の根は(中略)わが周囲を肯定し、それを合理化して安定をもとめる以上に深まることはなかった」と批判的ですが、表題から窺えるように、志賀直哉が最大の批判対象となっています。

志賀直哉

 また「戦後文章論」(昭和26年発表)では、漫画家の文章を評価していて、近藤日出造や清水崑、横山兄弟の皆が文章上手であると褒め、サザエさ安岡章太郎2.jpgん(長谷川町子)も「絵はあまりお上手ではないが、文章は相当うまいし、特に思いつきが卓抜だ」という評価の仕方をしているのが興味深いです。作家では、「今度の芥川賞の候補にのぼった安岡章太郎という人のが甚だ新鮮なもので」あったと。ただし、「大岡(昇平)三島(由紀夫)両所のように後世おそるべしというところがない」とも。「大岡三島両所の文章は批評家にわからぬような文章や小説ではないね」とし、「甚だしく多くの人に理解される可能性を含んでいますよ」と述べています。

安岡章太郎

 因みに、第三部に「芥川賞」の選評があり(著者は、第21回(昭和24年上半期)から通算5年半、選考委員を務めた)、田宮虎彦への授賞に反対していますが(第23回か)、「候補にあげられたことは、甚しく意外であった」とし、「その作品が不当に埋れているわけではなくて、多くの読者の目にもふれ、評者の目にもふれている」「芥川賞復活の時に、三島君まではすでに既成作家と認めて授賞しない、というのが既定の方針であったが、田宮君が授賞するとなると、三島君はむろんのこと、梅崎君でも武田君でももっと古狸の檀君でも候補にいれなければならないし、かく言う私も、候補に入れてもらわなければならない」としています。

 「堕落論」もそうですが、安吾節と言うのか、スカッと言い切っているところが小気味よいのですが、細かいところを見ていくと、それはそれでいろいろ興味深いです。

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武者小路実篤 友情 以文社.jpg
武者小路実篤 友情 2.jpg友情 (新潮文庫).jpg  友情 (岩波文庫).jpg
友情 (1949年) (新潮文庫)』(改装版・新装版)『友情 (岩波文庫)
『友情』(1920/04 以文社)

"高次の友情"を支えるものは何か。
旧装派(カバー・題字:武者小路実篤)
友情・愛と死・若き日の思い出.JPG 脚本家の野島は、作家の大宮と尊敬し合い、仕事に磨きをかけている。実績は大宮のほうがやや上だが、大宮はいつも野島を尊敬し、勇気づけてくれる。ある日、野島は友人の仲田の妹・杉子に恋をする。堅い友情で結ばれた大宮に包み隠さず打ち明けると、やはり大宮は親身になってくれた。杉子会いたさに仲田の家へ大宮と連れだって行くと、杉子はいつでも自分たちに無邪気な笑顔を向けてくる。野島は、杉子に大切にされている感覚を覚えた。しかし、大宮は杉子にはいつも冷淡だった。突然、大宮が「ヨーロッパに旅立つ」と野島に告げる。野島は友人と別れる寂しさと杉子を一人占めできる安心感とに悩む。それ以来、杉子とはあまり遊ばなくなる。大宮が西洋へ旅立って約1年後、思い切ってプロポーズをしたが断られる。さらに1年程後、杉子は突如ヨーロッパへ旅立ち、その後、大宮からは一通の手紙が届く。そこには「自分の書いた小説を見てくれればわかる」とあった。その小説は、大宮と杉子が抱き続けていた恋心と野島への思いを明かす内容だった―。

「友情」発表100年 作中の言葉をおみくじに.jpg 武者小路実篤(1885-1976)が1919(大正8)年10月から12月に「大阪毎日新聞」に連載した作品で、1920(大正9)年4月には以文社より単行本が刊行されています。後に書かれる「愛と死」「若き日の思い出」と併せて、武者小路文学の青春三部作と言われていますが、特にこの「友情」は「恋する人はすべからく読むべし」とまで言われるほど根強い人気があるようで、調布市にある武者小路実篤記念館では、昨年['19年]に「友情」の発表100年を記念して、作中の言葉を記した「おみくじ」を作成し、来館者に配布したくらいです。

武者小路実篤の「友情」と記念館が配布したおみくじ(毎日新聞 2019年8月17日 地方版)

 結論から言うと、大宮は野島との友情と引き換えに愛する人・杉子を得たが、野島は愛する人・杉子と友人・野島を一度に失ってしまうという話で、二人とも友を失っている話であるのに「友情」というタイトルであるのが興味深いです。

 大宮などは、杉子が自分のことを好きになり、野島のことは彼女は前から好いていなかったことを小説として描いて同人誌に発表したくらいで、大宮なりに悩んだのでしょうが、見方によっては野島に対して非常に惨酷な仕打ちをしていることになります。

 どうしてこの話が「友情」というタイトルになるかということを考えてみるに、この作品の趣意とする"友情"は、一般的なそれよりもひと際高いレベルにある(ということを作者が言いたい)ためではないかと思います。

 その証拠に、恋に破れた野島は、大宮への手紙の中で、「君よ、仕事の上で決闘しよう。君の惨酷な荒療治は僕の決心をかためてくれた。之は僕にとってよかった」と書いていて、この失恋も自分の成長の糧にしようという非常にポジティブな姿勢が窺え、むしろ野島の仕打ちに感謝すらしているように見えます。これは、やっぱり"高次の友情"ということになるのではないでしょうか。

 こうした"友情"を支えているものは何かというと、野島の大宮に宛てた手紙からも窺えるように、自分たちがこれからの文学界を引っ張っていくのだという気概のようなものではないかと個人的には思います。これを、一高的教養主義というか、(自分は世の中に資する仕事をすべき人間であり、世の中のために成長していかなければならないという)ある種エリート思想とみるのも、あながち全くの誤りではないように思います。

武者小路実篤 志賀直哉.jpg この小説のモデルは、野島が武者小路実篤自身で、大宮が志賀直哉だと言われています。実生活では、志賀直哉は武者小路実篤より2歳年上ですが、二人とも初等科から学習院に通っていて、武者小路実篤が中等科6年、17歳の時、二回落第した志賀が同級になったことから、以後親しくなっています。志賀直哉はビリから6番目、武者小路実篤はビリから4番目の成績で学習院を卒業し、揃って東京帝国大学に入学しています(成績の悪い者同士で仲が良かった?)。ただし、武者小路実篤と志賀直哉が一人の女性を巡って恋敵同士のような関係になったという事実は無いようです(若い頃の風貌を見ると、志賀直哉の方がモテそうだが)。

画:周剣石・清華大学美術学院副教授

 杉子に対する野島の恋心の一途さが非常に上手く描かれていて、野島が真実を把握できていなかった、いわば"恋は盲目"状態にあったということが、腑に落ちます。杉子が大宮にぐぐっと傾倒したのは、ピンポンでそれまで男たちを打ち負かしていた杉子が、大宮にはこてんぱに打ち負かされた時からではないでしょうか。大宮は、野島が杉子とピンポンの手合わせしなければならなくなった状況で、杉子や皆の前で野島に恥をかかせまいとして助太刀したのに、と思うと実に皮肉なことで、この辺りも上手いと思いました。随所に恋に落ちた者の心情の的確な描写があり、「おみくじ」になるのも分かる気がします(笑)。

【1947年文庫化・1967年改版[新潮文庫(『友情』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『友情・愛と死―他一編』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『友情・愛と死』)]/1970年再文庫化[ポプラ社文庫(『友情』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『友情・初恋』)]/2003年再文庫化[岩波文庫(『友情』)]】

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さすが「直木賞」創設者。現代大衆小説の祖と言えるかも。通俗だがとにかく面白い。

『真珠夫人』.jpg  真珠夫人 上巻 新潮文庫.jpg 真珠夫人 下巻 新潮文庫.jpg   菊池寛.jpg
真珠夫人 上巻 新潮文庫 き 1-3』『真珠夫人 下巻 新潮文庫 き 1-4』 菊地 寛
真珠夫人 (文春文庫)
菊地 寛 『真珠夫人』文春文庫.jpg『真珠夫人』  .jpg 渥美信一郎は療養中の妻の見舞いに訪れた湯河原で自動車事故に巻き込まれる。事故にあった青年・青木淳は腕時計を「瑠璃子に返してくれ」と言い残しノートを託して絶命する。青木の葬儀で見聞きした情報を基に、信一郎は妖艶な未亡人・壮田瑠璃子を訪ねる。瑠璃子は腕時計を見て動揺した様子を見せるが、それをごまかし腕時計を預かり、信一郎を音楽会に誘う。青木のノートには愛の印として貰った腕時計が他の男にも送られているのを知って自殺を決意したことが書かれていた―。数年前、貿易商・壮田勝平は自宅で催した園遊会で、子爵の息子・杉野直也と男爵の娘・唐沢瑠璃子から成金ぶりを侮辱され激怒、奸計を巡らす。貴族院議員・唐沢光徳の債権を全て買い取りさらに弱みを握り、瑠璃子に結婚を迫る。自殺を図った父に瑠璃子は「ユージットになろうと思う」と押しとどめ、直也には復讐のため結婚しても貞操を守ると手紙する。壮田と結婚した瑠璃子は、父の見舞いを理由に実家に帰ったり、壮田に「お父様になって」と言ったりして体を許さない。知的障害のある壮田の息子・勝彦も手懐け、寝室の見張りをさせる。壮田は瑠璃子を葉山の別荘に連れ出し、嵐の夜に関係を結ぼうとするが、瑠璃子を追ってきた勝彦が窓から飛び込んで荘田の襲いかかるのを見て驚き卒倒、壮田は我が子の将来を瑠璃子に託し亡くなる、豪奢な生活はその瑠璃子を、男の気持ちを弄ぶ妖婦へと変貌させていた―。

 作者の菊池寛(1888- 1948/享年59)の実家は江戸時代、高松藩の儒学者の家柄だったそうで、菊池寛は高松中学校(現在の高松高校)を首席で卒業した後、東京高等師範学校(後の東京教育大学→筑波大学)に進んだものの、授業をサボっていたため除籍処分となり、その後、明治大学、早稲田大学、第一高等学校(東大)に学ぶも中退、ようやく1916年、28歳で京都大学を卒業、時事新報記者を経て、小説家になっています。

菊池寛2.jpg 1916年に戯曲『屋上の狂人』『暴徒の子』、翌年『父帰る』、1918年には『無名作家の日記』『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』などを続々発表して作家としての地位を確立し、1919年、芥川龍之介とともに大阪毎日新聞杜の客員となり、『藤十郎の恋』、『友と友の間』などを書いています。

 菊池寛という人は、作家としてだけでなく、編集者(乃至はプロデューサー)としてもとにかくスゴく、「文芸春秋」の創刊者(1923(大正12)年)として知られていますが、その他に「映画時代」「創作月刊」「婦人サロン」「モダン日本」「オール読物」「文芸通信」「文学界」など多くの雑誌を創刊あるいは継承再刊しており、1935(昭和10)年には、自殺した一高の同期時代からの盟友・芥川龍之介と、目をかけ親しくしていた人気の大衆作家で病死した直木三十五の名をそれぞれ冠した「芥川賞」「直木賞」を設立しています。、また、(これは、後に「永田ラッパ」で知られるようになる永田雅一に担ぎ出されたのだが)映画の企画や経営も引き受けて、1943(昭和18)年からは映画会社・大映の社長にもなっています(作家の井上ひさしに『菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀...時代を編んだ面白がり屋の素顔』('99年/ネスコ)という著作がある)。

東京日日新聞 真珠夫人.jpg その菊池寛が1920(大正9年)年の6月9日から12月22日まで大阪毎日新聞、東京日日新聞に連載したのがこの小説『真珠夫人』で、菊池寛(当時31歳)にとって初の本格的な通俗小説であり、その人気は新聞の読者層を変え、後の婦人雑誌ブームに影響を与えたとも言われています。通俗小説の代表格として、紅葉の『金色夜叉』や徳富蘆花の『不如帰』を継ぐとも言われたそうですが、それらよりはずっとモダンであると思います(作中に『金色夜叉』を巡る通俗小説論争がある)。

 黒岩涙香(1862-1920)がアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯」を翻案した『巌窟王』を発表したのが1902年頃ですが、ある種、そうした西洋の復讐譚に近いとも言えます。また、ファム・ファタールを描いたものとして、プロスペル・メリメの『カルメン』などを想起させるものでもあります。主人公・瑠璃子の復讐の発端は経済的な格差であったあってわけですが、それが、女性を欲望の対象物としてしか見ない男性に対する復讐へと転化していて、個人的には、リベンジファクターが変質しているように思いました。しかも、私怨からと言うより、虐げられている女性全員の代弁者のようになっているのが興味深く、また、それが読者の共感を得るうえでも効果を醸していると思いました。

 また、この瑠璃子という主人公が、最初の方の青木淳の葬儀の場面からして、唸り声をあげたイタリー製の自動車で会場に乗り付けたかと思うと、白孔雀のように美しく立ち振る舞うというカッコ良さで(しかも、青木淳は瑠璃子への失恋のために死んでいるのだ!)、この辺りも読者を引き込みます。まあ、常に多くの若い男を身近にはべらせていることからも、ファム・ファタール・瑠璃子にその運命を狂わされた男は沢山いると窺えますが、ストーリー上のメインは青木淳の弟も含めた青木兄弟で、結局二人とも自殺またはそれに近い死に方をしてしまいます(先に書いたように、その間に瑠璃子の夫・壮田勝平も不慮の死を遂げるのだが、これも瑠璃子にも責任の一端があるとも言える)。でも、瑠璃子は、青木兄が遺したノートを対しても感慨を示さず、弟の死にも、自分が邪険にしたことに悪意はなかったと言ってのけます。

 結局、女性に対して非常に純粋なタイプと思われる青木兄弟にしても(二人とも自分こそが瑠璃子の"本命"たり得ると思ってしまったわけだ)、瑠璃子にとっては数多くの自分の取り巻きの男たちと変わらない位置づけだったということでしょう(自分こそ瑠璃子の"本命"と勝手に思い込んでしまうところがダメなのかも)。これだけだと、瑠璃子って「その気にさせるだけさせといて」ホントに嫌な女性だなと思ってしまいますが、実は、彼女には一時ともそのことを忘れ得ず想い続けた人がいて...と、これもアレクサンドル・デュマの『椿姫』などを想起させるものの、上手いなあと思いました。

 個人的には、ドラマ化されたものを観たことはありますが、原作は今回が初読で、昔、同じ作者の『父帰る』や『恩讐の彼方に』を旺文社文庫で読みましたが、作風が全然違うなあと思いました。「芥川賞」と併せて「直木賞」を設け、大衆小説に一定のポジションを与えた菊池寛その人の、まさに、現代大衆小説の祖となった作品と言えるかもしれません。通俗と言えば通俗かもしれませんが、とにかく面白いです。

ドラマ「真珠夫人」(2002年・横山めぐみ主演)/映画「真珠夫人」(1950年・山本嘉次郎監督・高峰三枝子主演)
真珠夫人 v.jpgsinjyuhujin.jpg 2002年7月に単行本が刊行され、翌8月に新潮文庫と文春文庫で文庫化されていますが、同2002年4月1日から6月28日の毎月曜から金曜までフジテレビ系列で放送された東海テレビ製作の昼ドラ「真珠夫人」全65回の放映が終わって、その人気を受けてそれぞれ急遽刊行されたのではないでしょうか。それ以前にも、1927年に松竹キネマの池田善信監督・栗島すみ子主演で、1950年には大映が山本嘉次郎監督・高峰三枝子・池部良主演で映画化され、1974年にはTBSがこれも昼ドラの「花王・愛の劇場」で光本幸子(「男はつらいよ」の初代マドンナ)主演の全40回が放映されていますが、2002年の放送はとりわけ人気が高かったようです。放送時間が昼1時30分から2時までで、DVDレコーダーなど無い時代で、会社務めの人の中にはビデオテープを買い溜めて録画した人も多かったとか。

ドラマ 真珠夫人 2.jpg その2002年のフジテレビ版は、主演が横山めぐみ、脚本が中島丈博(「祭りの準備」)で、時代を昭和20年代・30年代に変え、瑠璃子が娼館の経営者になっているほか、原作で最初と最後にしか出てこない瑠璃子の想い人である杉野直也がドラマでは出ずっぱりで、病気療養中で原作に出てこない直也の妻(登美子)が、直也と瑠璃子の関係を知って嫉妬に苦しむうちに精神を病んでいく女性...といった具合に、時代背景だけでなく人物相関もかなり改変されていますが、敢えてすべてを毒々しく描くことに徹していたような感じです。

真珠夫人 たわしコロッケ.jpg 直也が瑠璃子と会っているのを知った登美子のいる自宅へ直也が帰宅すると、登美子が夫に「おかず何もありません、冷めたコロッケで我慢してください」と言い、たわしと刻んだキャ真珠夫人 6.jpgベツを皿に載せて出すという「たわしコロッケ」シーンが当時話題になりましたが、とにかくエグさが前面にきていたでしょうか。一方の瑠璃子は、義理の娘や息子を守りながら、内には直也への愛を秘め、健気に純潔を守り通すというのは原作どおりですが、原作のように男たちの前でフェミニズム論を展開することはなく、視聴者受けを狙ったのかキャラの先鋭的な部分を改変したような印象も受けます。

ドラマ 真珠夫人.jpg 原作とドラマでどちらにカタルシスを覚えるかは人の好みですが、個人的には原作の方が上のように思います(人物相関だけでなく質的に改変されているので、比較すること自体どうかというのもあるが)。ドラマを観た人には原作も読んで欲しいように思います。

横山めぐみ1.jpg横山 めぐみ.jpg「真珠夫人」●演出:西本淳一/藤木靖之/大垣一穂●脚本:中島丈博●音楽:寺嶋民哉●出演:横山めぐみ/葛山信吾/大和田伸也/森下涼子/松尾敏伸/奈美悦子/日高真弓/浜田晃/増田未亜/河原 さぶ●放映:2002/04~06(全65回)●放送局:フジテレビ

横山めぐみ

【2002年8月1日文庫化[新潮文庫(上・下)]/2002年8月2日再文庫化[文春文庫]/2007年再文庫化[徳間文庫(上・下)]】

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手抜きをしない映像化で活かされた原作の良さ。でもやはり、小川真由美が一番か。

江戸川乱歩「黒蜥蜴」より 悪魔のような美女 d.jpg 8悪魔のような美女 02.jpg 黒蜥蜴 (江戸川乱歩文庫).jpg 江戸川乱歩全集 第9巻 黒蜥蜴 (光文社文庫).jpg
江戸川乱歩「黒蜥蜴」より 悪魔のような美女 [DVD]」小川真由美/『黒蜥蜴 (江戸川乱歩文庫)』['15年]/『江戸川乱歩全集 第9巻 黒蜥蜴 (光文社文庫)』['03年]
8話)/悪魔のような美女 t.jpg 宝石王・岩瀬庄兵衛(柳生博)に黒蜥蜴から「あなたの一番大切なものを頂戴にあがる」という予告状が届く。相談を受けた明智(天知茂)と波越警部(荒井注)が岩瀬と娘の早苗(加山麗子)とホテルロビーで話していると、ドイツ帰りで岩瀬の顧客の緑川夫人(小川真由美)がやって来る。岩瀬は、明智たちが大切なものとは何か尋ねると、「エジプトの星」というダイヤを見せる。黒蜥蜴が指定した夜、明智は浪越警部と共に黒蜥蜴の出現を待ち受けるが、警部はシャワーを浴びると睡魔が襲ってきて岩瀬と共にベッドで寝てしまう。緑川夫人と早苗は隣の部屋に戻り、明智が独りトランプをしながら寝ずの番をすることに。8悪魔のような美女 01.jpgそこへ再び緑川夫人が現れ、明智に、明智と黒蜥蜴どちらが勝つかという賭けを持ち掛け、明智は探偵稼業を賭けることに。緑川夫人は自分の全財産、身も心も賭けると言う。緑川夫人が隣の部屋で物音がすると言い、明智と早苗の部屋を見に行くが、早苗はベッドに寝ているらしく、夫人の問いかけにも「眠い」と応える。安心した二人は、部屋に戻る。犯行予告の深夜12時までポーカーをする明智と緑川夫人。しかし、何事もなく12時を過ぎる。緑川夫人は、明智たちが黒蜥蜴の目的の品をとり間違えてはいないかと言い、岩瀬に宝石よりもっと大切なものはないかと尋ね、それが早苗であることがわかると一同は慌てて部屋を飛び出す。早苗の部屋に行くと、彼女は先ほど同じくベッドで寝ていたが、明智がその髪を掴むと、マネキンの頭部だった。波越警部はホテルをチェックアウトした不審者8悪魔のような美女_011.jpgを洗い、山川教授が量子力学の論文を書いていて大量の原稿を部屋に持ち込み、大きなトランクを下げてホテルを出たという情報を得る。部屋には大量の原稿が残されていて、山川教授に扮していた雨宮(清水章吾)という男が、トランクに早苗を詰めてホテルを出たのだ。宿泊者名簿を見た時から雨宮に目を付けていた明智は、助手の文代(五十嵐めぐみ)と小林(柏原貴)に雨宮の車をつけさせていることを話し、再び緑川夫人とポーカーをする。文代と小林は雨宮からトランクを奪い、中を開けると下着姿で猿轡で手足を縛られた早苗が出てくる。明智はこの報告を受け波越たちに伝えると、早苗が救出されたが雨宮が逃げたことで、緑川夫人は「どうやらこの勝負引き分けのようでしたね」と言うが、明智は「この勝負は僕が勝ちました」と言う―。
少年探偵江戸川乱歩全集〈33〉黒い魔女
少年探偵江戸川乱歩全集〈33〉黒い魔女 .jpg 原作である江戸川乱歩作の「黒蜥蜴」(くろとかげ)は1934(昭和9年)1月から12月まで月刊誌「日の出」に連載されたもので、本人名義で児童向けにリライトされた作品もあります(ポプラ社『少年探偵 江戸川乱歩全集』(全46巻)の中の第27巻「黄金仮面」以降は、実際は本人ではなく別の作家が書いたものだったため、今は絶版となっている)。文庫で240ページほどの長さ(2015年版「江戸川乱歩文庫」(春春堂))ですが、三島由紀夫が戯曲化するなど文学的評価も高く、また、数ある乱歩の作品でも映像化や舞台化などの原作とされた回数が最も多いものになります。ただし、執筆当時の乱歩は執筆活動に行き詰まって作品が思うように書けないでいた時期で、乱歩が目指す本格推理小説への大衆の反応はイマイチで、風変わりな怪奇小説、通俗的なスリラーに大衆の興味が集まってしまい、執筆の方向性に大きく悩んでいたとのこです。

8悪魔のような美女0.2.2.2.jpg 原作では、緑川夫人こそが「黒蜥蜴」であることを、最初の3分の1くらいのところで指摘してしまいますが、ドラマも(この回からシリーズがレギュラーで2時間枠となった)、正味90分くらいの内の最初の30分で、同じく明智が当人の目の前で指摘します。でも、その前に緑川夫人が明智をさんざん挑発しているので、明智もかなり何となく気がついていた印象がドラマではありました。前半部の明智と緑川夫人の心理合戦がなかなか面白く、ポーカー8悪魔のような美女a.40.2.2.2.jpgをやる明智と緑川夫人とで、最初のうちは緑川夫人が圧勝し、やがてそれに呼応するように早苗が誘拐されたことが明らかになりますが、その後、実は、山川教授に扮してホテルを抜け出た雨宮に、明智の助手・文代と小林の尾行がついていることを明智から知らされるや、今度は緑川夫人のツキが落ちたかのように明智に負け続けます。原作でも二人はトランプゲームをしますが、勝負の形勢推移はドラマのオリジナルであり、上手いと思いました。

8悪魔のような美女 kayama01.2.2.jpg8悪魔のような美女 05.jpg 因みに、黒蜥蜴による最初の誘拐の試みの際に、早苗が「眠い」と言ったのは実は緑川夫人の腹話術で、原作通り(原作の方がいっぱい喋っている)。二度目の誘拐の試みの際に、長椅子を用いるのも原作通りですが、緑川夫人が顔パックしたり風呂に入ったりして早苗になりすますのはドラマのオリジナルです(「浴室要員」が小川真由美とは!)。

8悪魔のような美女 06.jpg 小川真由美の演技も良かったかと思います(この人、岩下志麻と「鬼畜」('78年/松竹)、「食卓のない家」('85年/松竹)で競演しているが、共に岩下志麻の上を行っていた。当ドラマと同年の「復讐するは我にあり」('79年/松竹)での演技も印象的だった)。先行する映画化作品として、ドラマと同じ井上梅次が監督、京マチ子が主演のミュージカル映画「黒蜥蜴」('63年/大映)と、深作欣二監督、丸山明宏(美輪明宏)主演の「黒蜥蜴」('68年/松竹)がありますが、小川真由美は、京マチ子、美輪明宏に挑んだ形にもなり(しかも「特別出演」とクレジットされている)、相当気合が入ったのではないでしょうか。

8悪魔のような美女.2.2.jpg 映画化作品の前二作は何れも三島由紀夫の戯曲を原作とした「三島戯曲の映画化」であり(深作欣二版の方は三島由紀夫自身が特別出演していることでも知られる)、ドラマの方が原作に近いかと思います。ただし、三島は戯曲化するにあたり、「女賊黒蜥蜴と明智小五郎との恋愛を前景に押し出して、劇の主軸」にしたとのことですが、ドラマ版もその影響を受けている面があるように思いました。ただし、「美女」が明智の腕に抱かれて死ぬというのは、このシリーズの定石でもあります。

8悪魔のような美女 kayama01.jpg8悪魔のような美女 kayama02.jpg 早苗役の加山麗子の入浴シーンもありますが、躰だけの部分は吹き替えのように見えます。トランクから助け出される場面も、実は原作では全裸なのですが、ドラマでは下着姿です。でも、後半、黒蜥蜴に囚われてからは、吹き替え無しでほとんど全裸に近かったです(原作では完全に全裸なのだが、まあ、頑張っている方だろう)。

8話)/悪魔のような美女40.2.2.2.jpg 8悪魔のような美女 04.jpg
     
    
    
    
    
  
8話)/悪魔のような美女清水章吾.jpg8悪魔のような美女 ii.jpg 清水章吾が、山川教授に扮した黒蜥蜴の部下・雨宮(黒蜥蜴の指示で"獲物"を剥製にするために水槽に沈める係だが、逆に明智に早苗の替わりに水槽に沈められてしまう。この回の明智は結構シビア)を演じていますが、かつてチワワとともに出演した「アイフル」のCMで一躍ブレイクしましたが、昨年['19年]末、仕事も家族関係もうまくいかず自殺未遂したとの報道があり心配です。
  
8悪魔のような美女 takuma.jpeg8悪魔のような美女 takuma.jpg8宅麻伸.jpg 第6話、第7話で本名の「詫摩繁春」名義で出演していた宅麻伸が、ここでは黒蜥蜴に囚われ、水槽に沈められて、はく製にされてしまう役でした。当時、宅麻伸は、キャバレーのボーイをしながらデビューを目指して、キャバレーの店主が天知茂に紹介して天知の事務所に預かりとなっていたそうです(「明智事務所」ならぬ「天知事務所」か)。

Alfred Hitchcock 女主人01.jpg 英国の作家ロアルド・ダール(Roald Dahl、1916-1990/享年74)の1960年刊行の短編集『キス・キス』に、若い美男子の学生などを自分の宿に泊めて、その剥製を作る女主人が出てくる「女主人」という短篇があり、映像化作品として「ヒッチコック劇場(第184話)」で「ロンドンから来た男」('61年)、「ロアルド・ダール劇場 予期せぬ出来事(第5話)」で「女主人」('80年)がありますが、乱歩はロアルド・ダールの四半世紀前に、このモチーフを作品で用いていることになるなあと改めて思いました。
Alfred Hitchcock Presents - Season 6 Episode 19 #210."The Landlady"(1961)(「ロンドンから来た男」)

 原作の良さに支えられてはいると思いますが、その良さも映像化において手抜きをしないことで初めて活かされるかと思われ、その点、2時間枠となった初回としてのスタッフの意気込みが感じられるものでした。でも、やっぱり、小川真由美が一番だったではないでしょうか。

京マチ子主演ミュージカル映画「黒蜥蜴」('63年/大映) 深作欣二監督・丸山明宏主演「黒蜥蜴」('68年/松竹)
  黒蜥蜴 1968 4.jpg

8悪魔のような美女ogawa amachi.jpg8悪魔のような美女 03.jpg「江戸川乱歩 美女シリーズ(第8話)/悪魔のような美女」●制作年:1979年●監督:井上梅次●プロデューサー:佐々木孟●脚本:ジェームス三木●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「黒蜥蜴」●時間:90 分●出演:天知茂/五十嵐めぐみ/柏原貴/荒井注/小川真由美/加山麗子/清水正吾/大前均/北町嘉郎/託磨繁春(宅麻伸)/羽生昭彦/水木涼子/工藤和彦/加島潤/岡本忠幸/鈴木謙一/市東昭秀/篠原靖夫/沖秀一/加藤真琴/マリー・オーマレイ/ウィリー・ドーシイ●放送局:テレビ朝日●放送日:1979/04/14(評価:★★★★)

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非探偵ものの原作を大幅アレンジしているのに、原作のテイストはよく残している。

宝石の美女 dvd.jpg 7話)/宝石の美女 1979.jpg 白髪鬼 乱歩文庫.jpg 黄金仮面 (光文社文庫).jpg
江戸川乱歩「白髪鬼」より 宝石の美女 [DVD]」田村高廣/金沢碧 『白髪鬼 (江戸川乱歩文庫)』['18年]『江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面 (光文社文庫)』['03年]
7話)/宝石の美女 ×8.jpg 宝石窃盗犯・西岡三郎(睦五郎)が脱獄し、逃走中に仲間(沖秀一)を射殺して行方をくらます。撃たれた男の最期の言葉から、西岡は白髪の鬘を被って変装しているらしい。明智も事務所で文代(五十嵐めぐみ)、小林(柏原貴)とこのニュースを見ていた。西岡は10年前に盗んだ宝石の隠し場所である、富豪・大牟田の別荘にある墓所に行くが、盗品は全て無くなっていた。西岡の行方を追う波越警部(荒井注)に、大牟田家に痴漢が入7話)/宝石の美女1.jpgったという通報が入る。痴漢は白髪にサングラスの男とのことで、一同は大牟田家へ向かう。大牟田邸では、未亡人のルリ子(金沢碧)が、妹の豊子(田島はるか)と画家の川村(小坂一也)と3人で住んでいた。ルリ子は夫の財産が思ったより少なかったため、近くの別荘を売却するという。別荘には7話)/宝石の美女2-2.jpg川村が住んでいたが、ルリ子と川村は結婚することとなり一緒に住み始めたのだった。ルリ子は前夜、入浴中に白髪とサングラスの男に覗かれたという。すると、別荘の買い手と7話)/宝石の美女2-1.jpgして現れた、顔にアザがある白髪にサングラスの里見(田村高廣)という人物が、それは自分だと告白する。別荘の持ち主7話)/宝石の美女図3.jpgの家を捜しているうちに近くまで来て、庭から浴室を覗いてしまったのだという。西岡に関する情報もなく一同は大牟田邸を去る。里見が夫に似ているのを気味悪がるルリ子たち。実は大牟田(田村高廣、二役)はルリ子に唆された川村が断崖から突き落として殺害し、妹の豊子もこのことを知っていて、さらに、主治医の住田洋子(奈美悦子)を使って他殺と判らないように死亡診断書を書かせていた。里見は近くのホテル7話)/宝石の美女3.jpg7話)/宝石の美女4.jpgに宿泊していた。明智が大牟田家の墓へ来ると、散歩中の里見と会い、彼はルリ子を気に入って、彼女にプロポーズをするという。里見から宝石をプレゼントされ、欲深いルリ子の心は動く。ただ、里見のタバコを取り出す際の仕草やペンダントを振り回す癖が大牟田に似ているのが、夫の殺害に関与していたルリ子は気味が悪い。それでも、金に余裕がある里見へと関心がいくのだった―。

 原作は、江戸川乱歩が1931(昭和6)年4月から翌1932(昭和7)年4月まで「講談倶楽部」に連鎖した、文庫で約240ページ(2018年版「江戸川乱歩文庫」(春陽堂))ほどの長編。英国の女流作家マリー・コレリ(1855-1924)の『ヴェンデッタ(復讐)』(1886)(『モンテ・クリスト伯』に大枠を依拠したストーリーとされる)を明治の作家・ジャーナリスト・翻訳家の黒岩涙香(1862-1920)が翻案した小説『白髪鬼』を更にリライトしたもので(それをドラマ化するということは、コレリ→涙香→乱歩→ドラマという三重の翻案ともいえる)、乱歩が海外の作家の作品を翻案、または翻案されたものをリライトした小説は6作品あり(その内、黒岩涙香の翻案小説のリライトは「白髪鬼」と「幽麗塔」)、その6つの中で「白髪鬼」は最初の翻案(リライト)小説になります。乱歩による原作は、殺害された後に埋葬された墓の中で蘇生し、恐怖のために白髪と化した一人の男の復讐譚で、怪奇譚と復讐譚を掛け合わせたようなものですが、主人公の「懺悔手記」というスタイルの非探偵小説であるため明智も登場せず、それをこのシーリーズの中に嵌め込むべきドラマとしてどうアレンジするかが、原作を読んだ人には見所になるかと思います。

7話)/宝石の美女 mutsu.png 改変のポイントは、窃盗犯・西岡(原作では「紅髑髏」ことシナ海の海賊王・朱凌谿)を里見こと大牟田が利用して、犯行時のアリバイ工作をすることで(最初は西岡の方が利用していたのだが、途中で立場が逆転する)、原作にはこうした話はありません(ドラマでは、犯人が誰か(WHO)ということより、犯人がどうやったか(HOW)がポイントになっている)。原作は、瑠璃子(ルリ子)、川村、里見の3人以外に主だった登場人物はいないシンプルな作りで、プロットよりも「怪奇・復讐譚」であることにウェイトが置かれていますが、ドラマでは、原作には無いルリ子の妹や主治医まで共謀者として登場させ、何れもが大牟田の復讐対象となっています。

7話)/宝石の美女 kanazawa.jpg 恒例の「浴室」要員は、風呂場で覗き被害に遭う「宝石の美女」ことルリ子を演じた金沢碧(1953年生まれ)で、本人と吹き替えを巧みに織り交ぜて(笑)、自然な感じで撮られていました。この「江戸川乱歩の美女シリーズ」は、1977年から1994年までテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」で17年間放送されたテレビドラマシリーズですが、金沢碧はこの「土曜ワイド劇場」に1979年から2012年までの間、全部で27回出演していて、その中でこの「宝石の美女」が初登場でした。この「美女シリーズ」でも第15話「鏡地獄の美女」('81年)で再登場しますが、"天知茂版"の「美女シリーズ」で「美女」として2度出演したは叶和貴子(第17話「天国と地獄の美女」、第21話「白い素肌の美女」)と金沢碧だけで、この回が好評であったことを示すものかもしれません。

7話)/宝石の美女 tajima.jpg田島はるか.jpg ドラマで付け加えられたキャラクターのうち、田島はるか(1957年生まれ)演じる妹の豊子は、裸にされて逆さ吊りされた遺体で発見されますが、田島はるかはもともとロマンポルノの女優なので、これは吹き替え無しでしょうか(1976年の日活時代から1978年の「にっかつ」初年まで活動)。奈美悦子(1950年生まれ)が演じる死亡診断書において私利のために共謀する主治医の住田洋子も、半裸の状態で遺体で発見されますが、これは"全裸"ではなく"半裸"なので、岩場に逆さに奈美悦子.jpg7話)/宝石の美女 nami.jpg突っ立った脚はともかく、あとは奈美悦子本人でしょう(何だか、こんなことばかりにこだわっている(笑))。奈美悦子は第13話「魅せられた美女」でも、浴室で殺害される役で出ています。この人、最近は、通販番組に出ている人というイメージが強いですが、今年['20年]で満70歳、テレビに出続けているだけでもスゴイことなのかもしれません。

7話)/宝石の美女 amachi vs tamura.jpg 先にも述べた通り、原作が犯人の手記による叙述スタイルであるところに無理やり明智を絡ませているため、プロセスにおいて明智が事件に関与する部分は少な目で、文代や小林に至っては殆ど事務所内にいるだけという感じでした。そうした0田村高廣 宝石の美女.jpg物足りない面もありますが、探偵ものではない原作を大幅アレンジしているわりには、原作のテイストはよく残しているように思いました(田村高廣の演技が光り、天知茂と競演する形になっている)。

田村高廣/金沢碧/小坂一也

 例えば、ドラマでは犯人はルリ子を石棺に閉じ込めたものの、殺害する前に明智に正体を暴かれ、復讐が完遂できませんでしたが(ただし、ルリ子は助け出された時には発狂している)、原作では、犯人は瑠璃子を石棺に生き埋めにして洞窟を後にします。ところが、そこへすっ裸の瑠璃子がただれた赤ん坊を抱いて現れます。実は、瑠璃子と川村は大牟田の存命中も付き合っていて、二人の間に赤ん坊ができますが、不義を隠すために殺害、それ7話)/宝石の美女 ending.jpgを知った里見こと大牟田は、別の嬰児の屍体を入手し、川村や瑠璃子の恐怖を増すための演出に使ったのですが、この話はドラマでは割愛されています(気持ち悪すぎる?)。そして、語り手である人物は、今、十何年になる獄中生活にあるというオチです(終身刑に服していることを示唆)。原作で、閉じ込められたはずの瑠璃子が犯人の前に(おそらく幻影として)現れた時、彼女は、手に宝石をつかんで、それをサラサラと赤ん坊の上に砂遊びのようにこぼす仕草をし、この部分が原作の恐怖の最後のクライマックスになっていますが、ドラマでも、赤ん坊は出てこないものの、エンディングでその部分は活かしています。この辺りは、まずまず工夫されていたと思います。

7話)/宝石の美女 poe.jpg 江戸川乱歩には、アラン・ポーの「早すぎた埋葬」をモチーフにした作品が幾つかあり、この作品も、原作にも出てきたし、ドラマの方も明智がペーパーバック(英語版)を手にしています。しかし、この作品に関しては、埋葬された人物が墓所で甦るというのは、黒岩涙香版も、その元となったマリー・コレリの『ヴェンデッタ』も同じです。ウィキペディアによれば、江戸川乱歩版の原作・涙香版との主な相違点は、原作・涙香版ではあくまで妻と友人がしていたのは浮気のみで、主人公の死因は不測の事態であったのに対し、乱歩版は明らかの殺意が友人にある事。また、復讐方法も原作・涙香版では友人は衆人環視の拳銃による決闘で堂々と行っているのに対し、乱歩版は別荘におびき寄せてのからくり仕掛けによるじわじわした殺し方になっているなどより凄絶になっている点とのことです。また、法を無視しても復讐を肯定するか、それを犯罪者とするかは大きな違いで、乱歩版では終身刑になっている主人公が、原作・涙香版では復讐を果たした英雄のようになっているのは、マリー・コレリのオリジナルが、『モンテ・クリスト伯』や『巌窟王』など系譜の物語であることによるのでしょう。ドラマ版で明智などに出てこられると、復讐すら完遂できないというのは、まあ仕方がないのかもしれません。

「江戸川乱歩 美女シリーズ(第7話)/宝石の美女」●制作年:1978年●監督:井上梅次●プロデューサー:佐々木孟●脚本:宮川一郎●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「白髪鬼」●時間:70 分●出演:天知茂/五十嵐めぐみ/柏原貴/荒井注/金沢碧/田村高廣/小坂一也/奈美悦子/睦五郎/田島はるか/岡部正純/山本幸栄/羽生昭彦/山崎純資/沖秀一/託摩繁春(宅麻伸)/工藤和彦/加藤真琴/篠原靖夫●放送局:テレビ朝日●放送日:1979/01/06(評価:★★★☆)

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初めて2時間枠で放映されたものだが、突っ込みどころが多かった。原作の「ルパン」を「ルパン二世」に改変。
妖精の美女dvd.jpg 黄金仮面 妖精の美女 yumi k.jpg 黄金仮面 妖精の美女197812.jpg 黄金仮面 乱歩文庫.jpg 黄金仮面 (光文社文庫).jpg
江戸川乱歩の黄金仮面 妖精の美女 [DVD]」由美かおる 『黄金仮面 (江戸川乱歩文庫)』['15年]『江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面 (光文社文庫)』['03年]
黄金仮面 10.jpg 冒頭「皆さんはもう、『黄金仮面』のことはよくご存じだと思いますが」と語る明智。都内で黄金の仮面を被った黄金仮面1.jpg怪人の姿が目撃され、国宝級の古美術品が盗まれる事件が頻発していた。古美術品の蒐集家である大島喜三郎(松下達夫)に黄金仮面から手紙が届き、彼の長女・絹枝(結城美栄子)の恋人で、フランス商社の東京支店長ロベール・サトー(伊吹吾郎)の訪問予定日に、大島所有の古美術品を奪うと予告してきた。フランス大使館の職員ジョルジュ・ポアン(ジェリー伊藤)がロベールの友人であり、大島のコレクションを見たいということから大島が二人を招いたところを狙われたのだ。不安を抱いた秘書の三好(藤村有弘)が、波越警部(荒井注)に相談、明智に捜査協力を依頼することに。明智黄金仮面2.jpgと波越警部は箱根・芦ノ湖畔の大島美術館に行き、黄金仮面との対決準備をする。美術館にやってきたロベールとジュルジュも美術品を見て回るが、ジョルジュは次女の不二子(由美かおる)に興味を抱く。もちろん美術品にも関心を示し、特にインド・ジャイナ女神像に関心を注ぐ。さらに自宅に置かれている大島家秘蔵の虚空蔵菩薩にも関心を抱いたため、自宅に招待することを大島が約束をする。芦ノ湖での美術品紹介は無事終ったが、後日、茶席を抜け出してきた大島家の三女・よし子(岡麻美)が入浴中に何者かに刺され、「黄金仮面」と言って息絶える。明智は今までの黄金仮面の犯行から、その犯行ではないと言う。事務員・小雪(野平ゆき)の通報で、秘書の三好と事務員の千秋が事務所でガスで眠らされているのが発見されるが、明智は犯人は小雪だと断言。千秋に言い寄るよし子への嫉妬心からの犯行だった。美術館の一室に追い詰められた小雪は自害しようとするが、突然、鎧が動き出しナイフを持つ手を止める―。
少年探偵江戸川乱歩全集〈27〉黄金仮面
黄金仮面 少年探偵.jpg 昭和5(1930)年9月から昭和6(1931)年10月にかけて雑誌「キング」に連載された原作は、文庫で約320ページ(2015年版「江戸川乱歩文庫」(春陽堂))ほどの長編で、本人名義で児童向けにリライトされた作品もあります(ポプラ社『少年探偵 江戸川乱歩全集』(全46巻)の中の第27巻「黄金仮面」以降は、実際は本人ではなく別の作家が書いたものだったため、今は絶版となっている)。

 乱歩の原作は、フランスの作家マルセル・シュウォッブの小説『黄金仮面の王』にヒントを得て書かれたもので、乱歩独自の猟奇的色彩は薄く、乱歩自身も、「この作は私の長編小説の中でも、最も不健全性の少ない、明るい作と言えるのではないかと思う」と述べています(桃源社『江戸川乱歩全集』第6巻あとがき、昭和37年)。その分、冒険活劇的要素が増して、よく言えば自由自在でで娯楽性の高い、悪く言えばかなり現実離れした作品となっています。因みに、明智小五郎と少年探偵団が一緒に活躍する少年物のシリーズが書かれるのは、この作品の約5年後の『怪人二十面相』が最初になりますが、この作品にそうしたシリーズの萌芽が見られると言えるかもしれません。

黄金仮面 boat -2.jpg 年末特別版としてこれまでの枠を30分延長して初めて2時間枠で放映されたこのドラマ化作品(小林君が初登場する)も、原作の傾向に即して、アクション映画風のシーンが多くなっていて、黄金仮面 妖精の美女 rope.jpgモーターボートが出てくるところなどもしっかり映像化していました(第1話「氷柱の美女」の原作『吸血鬼』にもモーターボートによる追走劇があるが、ドラマでは割愛されていた)。加えて、原作には無い、ロープウェイやヘリコプターによる犯人逃走シーンなどもあります。一方で、シリーズのお約束事である「浴室」シーンなどもしっかり織り込まれています。結果的に、登場人物の構成を変えたりしていますが、ラスト、犯人まで原作と変えてしまったような...。

黄金仮面 j.jpg 「浴室」要員は、三女・美子(岡麻美)で(浴室で刺殺されるのは原作通り)、かなり大胆に見せます。さらには、事務員・小雪(野平ゆ)もライフルで撃たれて明智がウェットスーツの胸をはだけ...(これは原作に無い。原作では刺殺)。ヒロインである次女の不二子(由美かおる)は「水戸黄門」ではないですが、背中だ黄金仮面 yumi.jpgけ見せるシャワーシーンがあるくらいなので、その代わりにみたいな感じで、それ以上の部分は他の女優が担うという、第4話「白い人魚の美女」くらいからこうしたパターンは定着したようです(最初の頃、井上梅次監督は、現場で女優と「脱ぐ・脱がない」を交渉してルパン三世峰不二子.jpgいたそうな)。因みに、由美かおるの役名の「不二子」ですが、原作でも「不二子」であり、「ルパン三世」の峰不二子はこれに由来するのかと思いましたが、モンキー・パンチ(1937-2019/81歳没)自身は、たまたまカレンダーの富士山を見て着想したとかで、「黄金仮面」との関係については否定しています。セシルとかいう役で出ている山本リンダは、どういう役回りなのかよく分かりませんでした(笑)。

ジェリー伊藤 in「妖精の美女」/in「モスラ」(1961)/「誰もいない海」(1967)
黄金仮面 jyeri- .jpgジェリー伊藤 モスラ.jpgジェリー伊藤 誰もいない海.jpg ジョルジュ役のジェリー伊藤(1927-2007/79歳没)は、映画「モスラ」('61年)などで俳優として活躍しただけでなく、歌手としても活躍した人で、後に数多くの歌手がカバーした「誰もいない海」('67年)は、元は彼のため黄金仮面 ibuki.jpg水戸黄門 伊吹吾郎 由美かおる.jpgに書かれた曲でした(トワ・エ・モワ、越路吹雪が'70年の同じ日にカバー曲のシングルを出した。個人的には、グラシェラ・スサーナ版が印象深い)。ロベール役の伊吹吾郎(由美かおるとは「水戸黄門」コンビ)は、第3話「死刑台の美女」にも出ていましたが、この後、第11話「桜の国の美女」では同じくロベール役で登場します。最初は日本語をぎこちなさげに喋っていましたが、途中からフツーの日本人になっていました。船に乗ると、何だか漁師が似合いそう(笑)。

 原作には、モーリス・ルブランの怪盗ルパン・シリーズへの乱歩のオマージュが込められているかと思いますが、モーリス・ルブラン自身もコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズを意識して『ルパン対ホームズ』をルパン・シリーズの初期に書いています。ドイルは、デビュー短編集『怪盗紳士ルパン』の最後にホームズをルパン対ホームズ 偕成社文庫.jpg実名で登場させてコナン・ドイル本人からの抗議を受け(この説には疑問の声もあるという)、原著ではシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)がハーロック・ショルメ(Herlock Sholmès)と改名されていますが、日本の翻訳界ではホームズと訳すのがお約束のようです。『ルパン対ホームズ』における両者の対決は、ルパンが圧倒的に優勢で、ホームズがいいところ無し(笑)ですが、最後にホームズに花を持たせて、形だけ両者引き分けにしています(因みに、そのコナン・ドイル自身も、先輩名探偵であるエドガ=アラン=ポーのオーギュスト・デュパンを見下している。自分の創作したキャラが一番だと思うのは皆同じ?)。
ルパン対ホームズ(偕成社文庫-アルセーヌ・ルパン・シリーズ)』['87年]

黄金仮面 31.jpg 乱歩の原作『黄金仮面』もこのドラマ版も、結局は明智がルパンに勝っているわけですが、ルパンは追い詰められながらも捕まることはなく、一応は両者イーブンの形にしているところが、『ルパン対ホームズ』とやや似ているように思います。原作では、ルパンは不二子さえも連れていくことが出来ず、何も持たずに日本を離れることになりますが、ドラマではそこまで露骨に差をつけてはいません(続編への伏線か)。

 ドラマでの「黄金仮面」の正体は、フランスで「ルパン二世」というあだ名で呼ばれている怪盗であってルパンその人ではないことにされていますが、サブタイトルに「怪盗ルパン」と明記され、明智が当人に向かって「ルパン」と呼びかける場面もあり、微妙に不徹底だったかも(原作はルパン本人を想定)。ストーリーはそこそこ原作に忠実で、死んだと思われた明智が変装して再登場するというこのドラマシリーズの"お約束"も原作通りです。

黄金仮面4.jpg ドラマにおけるルパンは殺人を犯さないという主義であるはずなのに、部下は小雪を殺害しているし(これは原作も同じだが)、また、部下たちは明智にもピストルをがんがん放っています。さらには自身も、自分が手先として使ったウルトラセブン、あっ、違った!森次晃嗣が演じる浦瀬を、盗品を横流ししたという理由のみで自分を裏切ったとして殺しています。

黄金仮面 rope.jpg ラストの犯人改変は、原作を読んだ視聴者の予想を裏切るどんでん返しなのでしょう。それはいいとして、トータルでみると、年末2時間枠で派手なアクションもあったものの、結構突っ込みどころが多い回だったように思います。
黄金仮面 yumi last.jpg
「江戸川乱歩 美女シリーズ(第6話)/妖精の美女」●制作年:1978年●監督:井上梅次●プロデューサー:佐々木孟●脚本:宮川一郎●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「黄金仮面」●時間:92 分●出演:天知茂/五十嵐めぐみ/荒井注/由美かおる/結城美栄子/野平ゆき/松下達夫//ジェリー伊藤/伊吹吾郎/森次晃嗣/藤村有弘/山本リンダ/北町嘉朗/柏原貴/託摩繁春(宅麻伸)●放送局:テレビ朝日●放送日:1978/12/30(評価:★★★)

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最後、技術面で「荒唐無稽小説」の壁を乗り越えられなかったパイロット版。

『江戸川乱歩・氷柱の美女』dvd.jpg 『江戸川乱歩・氷柱の美女』01.jpg 江戸川乱歩文庫 吸血鬼.jpg 江戸川乱歩全集 第6巻 魔術師.jpg [Prime Video]氷柱の美女.jpg
江戸川乱歩「吸血鬼」より 氷柱の美女 [DVD]」天知茂/三ツ矢歌子『吸血鬼 (江戸川乱歩文庫)』['19年]『江戸川乱歩全集 第6巻 魔術師 (光文社文庫)』['04年]「江戸川乱歩シリーズ 氷柱の美女」[Prime Video]
/氷柱の美女 T1.jpg『江戸川乱歩・氷柱の美女』t_1 1.jpg 明智が静養中の箱根湖畔で釣りをしていると、そこに美しい女性が現れる。さらに、帰り際にも彼女と出会い、霧で道に迷ったというが、そこへ青年が駆けつける。明智は事務所のメンバーと湖畔のホテルに滞在していて、その女性、資産家の未亡人・畑柳倭文子(はたやなぎ しずこ)(三ツ矢歌子)は、ホテルの近くの別荘に一人息子の茂といて、湖畔ホテルへもよく来ていたのだ。その日、明智が文代(五十嵐めぐみ)、小林(大和田獏)とホテルのバーにいると、二人の男を/氷柱の美女 41.jpg携えた倭文子がいた。一人は画家の岡田道彦(菅貫太郎)で、もう一人は、今日倭文子を探しにきたグラフィックデザイナーの青年・三谷房夫(松橋登)だった。やがて、宿の一室で、岡田と三谷の二人の男による、倭文子の愛を得るため命を賭けた決闘が始まる。テーブルにふたつのワイングラスがあり、岡田は、どちらかに毒が入っているので、三谷にひとつ選んで飲み干すように要求する。結果、三谷は賭けに勝利し、岡田はその決闘で死こそ免れたものの、劇薬を顔に浴びて醜い姿となり、倭文子の前で屈辱を味わって姿を消す。やがて、岡田と思しき顔が潰れた水死体が見つかるが、それ以降、唇のない怪人が倭文子の周囲に出没する。恒川警部(稲垣昭三)は明智に事件解決への協力を依頼をするが、唇のない怪人は今度は明智を挑発するかのような行動に出る―。

 シリーズの記念すべき第1作。原作は、江戸川乱歩が1930(昭和5)年9月から翌年3月まで「報知新聞」に連載した、文庫で440ページ(2019年版「江戸川乱歩文庫」(春陽堂))もの長編で、他の長編同様、どんでん返しの連続です。ただ、連載中に短いサイクルで読者の期待に応えようとしたのか、ややサービス過剰気味な分、リアリティは弱まっているように思います。それでも、ポーの「早すぎる埋葬」のプロットを織り込むなどしているし、後の推理作家にそうしたプロット面の多彩さで影響を与えた作品と言われています。

『江戸川乱歩・氷柱の美女』kobayasi humiyo1.png ドラマでの文代役の五十嵐めぐみは、シリーズ全25作中19作まで文代役を務めることになりますが、この頃はまだ髪が長くて、後のボーイッシュな髪形ではありません。小林を演じた大和田獏は、「少年」と呼ぶには年齢がいきすぎていたせいか、大和田獏はこの第1作のみの登場で終わっています。稲垣昭三(1928-2016/享年88)が演じた恒川警部は、原作通り「恒川警部」なのですが、こちらも第2作から荒井注演じる「浪越警部」に代わります。また、第2話「浴室の美女」まで放映が5カ月も空くことから、ある意味この回はパイロット版的な位置づけだったようにも思われます(「刑事コロンボ」の第1話「殺人処方箋」などは完全にそうだが、パイロット版ってスタイルの初期の完成度を知るうえで興味深いが、観ていて何となく落ち着かない気がする)。

 原作は、塩原温泉の旅館での男二人の「毒ワイン決闘」から始まり、ドラマ冒頭で明智が箱根に来ているのも(塩原から箱根に改変されている)、1日に3度倭文子に出会うのもドラマのオリジナルです。一方で、大部な原作を90分番組のドラマにするとなると、どうしても原作を大幅に圧縮せざるを得なかったようで、特に原作に幾多ある大掛かりなアクションシーンが全部カットされたのは、時間的な問題以外に予算の関係もあったのかもしれません。それでも、初回にこの江戸川乱歩らしい"荒唐無稽"とも思える作品を選んだのは果敢と言えます(先行する映像化例に、久松静児監督、岡譲二主演の映画「氷柱の美女」('50年/大映)があることはあるが)。

2 氷柱の美女 仮面1.jpg 原作は、明智の謎解きを待たなくとも何となく犯人が判ってしまうのですが、ドラマの方は、原作以上に早くから犯人がミエミエという印象も。明智も"判っている"風で、あとは、明智がどう犯人を追い詰めるかしか楽しみがないのですが、「氷柱の美女」の脚本におけるクライマックスで、明智が単に普通に犯人の前に現れて謎解きをすることになっていたのが、それでは面白くないと考えた井上梅次(1923-2010/享年86)監督が現場で思いついたのが、犯人が鏡に向って仮面を取ると、その鏡の中に脱いだはずの吸血鬼の仮面が映り、びっくりして振向くと、もう一人の吸血鬼がゆっくり仮面を取って明智の顔が現れるという演出だったそうです。以降、明智がラスㇳに変装して犯人の前に現れ、仮面をはがした上で謎解きをするというのがシリーズの定番になったとのことです。

『江戸川乱歩の吸血鬼・氷柱の美女』hatayamagi1.jpg 一方で、後にお決まりとなる「入浴シーン」はまだなく、その代わり、三ツ矢歌子(1936-2004/享年67)演じる倭文子が前半と後半各一度犯人に襲われますが、顔や肩から上は本人であるものの、胸や躰全体が映るシーンは吹き替えになっています。「昼メロの女王」と呼ばれながらも上品な役が多かった三ツ矢歌子が、ここまでやっただけでも当時驚くべきことだったようで、それ以上は無理だったのでしょう(その昔は「海女の戦慄」('57年/新東宝)などで水着になったりはしていたが、すでにこの時には四十路だったこともあるか)。井上監督は毎回現場で女優と交渉していたようですが、それも大変で、結局、〈ヒロイン〉と〈脱ぐ役〉を分けるというのが定番になっていったようです。
   
『江戸川乱歩・氷柱の美女』hyoutyunobijyo.jpg ラストも原作から改変されていますが、「氷柱の美女」を実現したのはなかなかのものです(タイトルが「氷柱の美女」なら、やらない訳にはいかないが)。ただ、最初に氷ごと横向き現れた時、どう見ても明らかにマネキンなので、これはいくらなんでも製氷機から出てきた瞬間に犯人が気づくだろうと。でもアップになると三ツ矢歌子で、そこだけ映していればまだよかったのにと思ったりもしました。というのは、中途半端にカメラを引くとその姿はまたマネキンになり、さらに別の角度から背景としての映り込みになると、その顔が紙に書かれた下手な似顔絵みたいで(なぜか笑っている)げんなりさせられたからです。ラストには"異形の愛"的なドラマチックな要素もあるだけに、最後に技術面で「荒唐無稽小説」の壁を乗り越えられなかった気がして惜しいです。

「江戸川乱歩 美女シリーズ(第1話)/氷柱の美女」●制作年:1977年●監督:井上梅次●プロデューサー:佐々木孟●脚本:宮川一郎●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「吸血鬼」●時間:72 分●出演:天知茂/五十嵐めぐみ/大和田獏/稲垣昭三/三ツ矢歌子/松橋登/菅貫太郎/野口ふみえ/北町嘉朗 /稲川善一/神田時枝/荻野尋/村上記代●放送局:テレビ朝日●放送日:1977/08/20(評価:★★★)

天知茂/荒井注(第2作~第25作)
江戸川乱歩 美女シリーズ3.jpg江戸川乱歩 美女シリーズ2.jpg「江戸川乱歩 美女シリーズ(天知茂版)」●監督:井上梅次(第1作-第19作)/村川透/長谷和夫/貞永方久/永野靖忠●プロデューサー:佐々木孟●脚本:宮川一郎/井上梅次/長谷川公之/ジェームス三木/櫻井康裕/成沢昌茂/吉田剛/篠崎好/江連卓/池田雄一/山下六合雄●撮影:平瀬静雄●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩●出演:天知茂/五十嵐めぐみ(第1作-第19作)/高見知佳(第20作-第23作)/藤吉久美子(第24作・第25作)/大和田獏(第1作)/柏原貴(第6作-第19作)/小野田真之(第20作-第25作)/稲垣昭三(第1作)/北町嘉朗(第1作・第4作-第9作)/宮口二郎(第2作・第3作)/荒井注(第2作-第25作)●放映:1977/08~1985/08(天知茂版25回)【1986/07~1990/04(北大路欣也版6回)、1992/07~1994/01(西郷輝彦版2回)】●放送局:テレビ朝日
  

●「江戸川乱歩の美女シリーズ」(全33話)放映ラインアップ
(天知茂版)

話数 放送日 サブタイトル 原作 美女役 視聴率
江戸川乱歩シリーズ 浴室の美女.jpg1 1977年8月20日 氷柱の美女 『吸血鬼』 三ツ矢歌子 12.6%
2 1978年1月7日 浴室の美女 『魔術師』 夏樹陽子 20.7%
3 1978年4月8日 死刑台の美女 『悪魔の紋章』 松原智恵子 15.6%
4 1978年7月8日 白い人魚の美女 『緑衣の鬼』 夏純子 14.5%
5 1978年10月14日 黒水仙の美女 『暗黒星』 ジュディ・オング 15.3%
6 1978年12月30日 妖精の美女 『黄金仮面』 由美かおる 14.0%
7 1979年1月6日 宝石の美女 『白髪鬼』 金沢碧 13.0%
8 1979年4月14日 悪魔のような美女 『黒蜥蜴』 小川真由美 15.4%
9 1979年6月9日 赤いさそりの美女 『妖虫』 宇津宮雅代 16.9%
10 1979年11月3日 大時計の美女 『幽霊塔』 結城しのぶ 23.4%
岡田奈々の「魅せられた美女」.jpg11 1980年4月12日 桜の国の美女 『黄金仮面II』 古手川祐子 15.9%
12 1980年10月4日 エマニエルの美女 『化人幻戯』 夏樹陽子 19.5%
13 1980年11月1日 魅せられた美女 『十字路』 岡田奈々 20.0%
14 1981年1月10日 五重塔の美女 『幽鬼の塔』 片平なぎさ 21.6%
15 1981年4月4日 鏡地獄の美女 『影男』 金沢碧 19.7%
16 1981年10月3日 白い乳房の美女 『地獄の道化師』 片桐夕子 20.1%
17 1982年1月2日 天国と地獄の美女 『パノラマ島奇談』 叶和貴子 16.6%
18 1982年4月3日 化粧台の美女 『蜘蛛男』 萩尾みどり 17.6%
19 1982年10月23日 湖底の美女 『湖畔亭事件』 松原千明 16.0%
20 1983年1月1日 天使と悪魔の美女 『白昼夢』(『猟奇の果て』) 高田美和 12.6%
江戸川乱歩シリーズ 禁断の実の美女.jpg21 1983年4月16日 白い素肌の美女 『盲獣』(『一寸法師』) 叶和貴子 13.3%
22 1984年1月7日 禁断の実の美女 『人間椅子』 萬田久子 18.9%
23 1984年11月10日 炎の中の美女 『三角館の恐怖』 早乙女愛 22.4%
24 1985年3月9日 妖しい傷あとの美女 『陰獣』 佳那晃子 24.7%
25 1985年8月3日 黒真珠の美女 『心理試験』 岡江久美子 26.3%
(北大路欣也版)
1 (26) 1986年7月5日 妖しいメロディの美女 『仮面の恐怖王』 夏樹陽子 19.9%
2 (27) 1987年1月10日 黒い仮面の美女 『凶器』 白都真理 17.0%
3 (28) 1987年8月15日 赤い乗馬服の美女 『何者』 叶和貴子 17.9%
4 (29) 1988年5月14日 日時計館の美女 『屋根裏の散歩者』 真野響子 16.4%
5 (30) 1989年8月26日 神戸六甲まぼろしの美女 『押絵と旅する男』 南條玲子
6 (31) 1990年4月14日 妖しい稲妻の美女 『魔術師』 佳那晃子 15.8%
(西郷輝彦版)
1 (32) 1992年7月4日 からくり人形の美女 『吸血鬼』 美保純 15.5%
2 (33) 1994年1月8日 みだらな喪服の美女 『白髪鬼』 杉本彩 13.4%

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原作とかなり異なるが(犯人さえ違っている)、不思議と原作の雰囲気を伝えている。
江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女 dvd.jpg 江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女 t1.jpg 江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女 t2.jpg 暗黒星 (江戸川乱歩文庫).jpg
江戸川乱歩「暗黒星」より 黒水仙の美女 [DVD]」『暗黒星 (江戸川乱歩文庫)』['19年]
ジュディ・オング
美女シリーズ(第5話)/オング1.jpg江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女 1.png江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女2.jpg 明智探偵(天知茂)は、彫刻家・伊志田鉄造(岡田英次)の「呪」と題された彫刻展の招待状を受け、文代(五十嵐めぐみ)と彫刻展に。そこで女性の悲鳴が上がる、展示してある彫刻が口から血を流していたのだ。いたずら好きの長男・太郎(北公次)の仕業かと思われたが、それは次女・悦子(泉じゅん)がやったことだった。展覧会を後にしようとする明智たちを一人の女性がずっと見ていた。伊志田の長女・待子(ジュディ・オング)で、彼女こそが明智に招待状を送った本人だっ江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女 3.jpg5話)/黒水仙の美女図3.jpgた。待子は明智に伊志田邸に正体不明の黒い影が出現し、母の君代(空あけみ)はそれがもとで寝込んでいるという。明智に伊志田家に出没する黒い影についての捜査を依頼した。その夜、待子が独りでいると不気味な声が聞こえ、待子は明智に電話で助けを求める。5話)/黒水仙の美女 江波1.jpg耳を澄ませた明智にもその声は確かに聞こえた。黒い影は声だけでなく邸内を自由自在に跳び回って待子を恐怖に陥れる。そして、彫刻の一つに成りすました黒い影が待子の首を絞める。そこへチャイムが鳴り、待子の電話により伊志田家に到着した明智を、邸付きの看護婦・三重野早苗(江波杏子)が出迎える。邸内では待子が気絶していた。黒い影の主を見つけようと伊志田家の庭に出た明智は、例の不気味な声を聞き、その正体を暴こうとするも見失ってしまう。やがて三女の鞠子が殺害される事件が起き、続いて次女・悦子も浴室で―。

黒水仙の美女 原泉.jpg 登場人物の相関がやや分かりにくいですが、長女の待子は伊志田の亡くなった先妻・靜子の子であり、悦子と太郎、鞠子の三人が今の妻の子であって、待子が二歳の時、鉄造は絹代と関係を持ち、太郎と悦子が生まれ、伊志田家へ押し掛けてきたという過去があったと。離れの小屋で祈祷している精神を病んだ老女(原泉)は、靜子の母、つまり待子の祖母であると把握できれば、実は靜子には待子のほかにもう一人子がいたということが判った時点で、ああ、それが犯人だと思い当たるし、助けを求められて駆けつけた明智に「待子さんは夢遊病の気があるから」と言った時点でもう怪しいです。

少年探偵江戸川乱歩全集〈37〉暗黒星』['71年]
少年探偵江戸川乱歩全集〈37〉暗黒星.jpg江戸川 乱歩 「暗黒星」第20回.jpg 原作は、江戸川乱歩が1939年1月から12月に雑誌「講談倶楽部」に連載したもので、本人名義で児童向けにリライトされた作品もあります(ポプラ社『少年探偵 江戸川乱歩全集』(全46巻)の中の第27巻「黄金仮面」以降は、実際は本人ではなく別の作家が書いたものだったため、今は絶版となっている)。文庫で200ページほどの長さ(2015年版「江戸川乱歩文庫」(春陽堂))。原作で江戸川 乱歩 「暗黒星」第2回.jpgは、伊志田の子供は、長女・「綾子」、長男・一郎、次女・鞠子の3人で、何れも今の母・君代の子ではなく、伊志田の前妻の子であるということになっています。明智に相談を持ち掛けるのは長男の一郎で(「講談倶楽部」挿絵の右が一郎、左が明智)、電話で助けを呼ぶのも一◆暗黒星■江戸川乱歩◆文庫.jpg郎。そして、一郎、綾子、鞠子、さらには伊志田までが犯人に攫われ、ドラマに比べれば、最後まで犯人は分かりにくくなっています。
暗黒星 (角川ホラー文庫)』['94年]

5話)/黒水仙の美女 オング2.jpg.png5話)/黒水仙の美女 江波2.jpg ドラマはこのように、物語の設定の細部が原作とかなり異なりますが(いや、細部どころか犯人さえ違っている)、不思議と原作の雰囲気をよく伝えているように思います。何よりも、ジュディ・オング江波杏子(2018年没)という二大女優を配したことで、それぞれをそれに見合った役柄に改変したものと思われます(それが活かされている)。その他にも、父親岡田・北.jpg役が岡田英次で、長男役が北公次(2012年没)と、配役は全体的に豪華です(北公次にとっては、ジャニーズ事務所在籍最後の仕事となった)。原作で浴室で殺害されるのは義母の君代ですが、泉じゅん2.jpg泉じゅん.jpgドラマでの"浴室要員"は次女・悦子(原作には無い)役の泉じゅんで、彼女が日活ロマンポルノから離れていた時期です(この頃、山口百恵と三浦友和の主演コンビ5話)/黒水仙の美女 泉1.jpg5話)/黒水仙の美女 泉2.pngの「泥だらけの純情」('77年)、「古都」('80年)にヒロインの女友達の役で出たりしている)。このドラマでは、財産のために自分以外の家族を皆殺しにしたい、そのために力を貸して欲しいと明智探偵に囁き(なんと大胆!)、逆に明智から「金と女性の誘惑に乗らないのが探偵の第一条件」と言われてしまうという、ドラマオリジナルのキャラになっています(これもその演技力を買われてのことか)。

伊志田待子(ジュディ・オング).jpghannin.jpg それにしても、ドラマで見ると、犯人は服装面で相当な早替わり(現実には不可能?)をしていたということになるかと思います(その上、無駄にいっぱいバック転をしていた。ステージでバック転を披露した最初のアイドルが北公次であることを思い出した)。一方の明智は、わざわざ犯人に変装する必要があったのかなと疑問に思われますが、原作では変装する理由がちゃんと説明されています。原作と比べてみると、翻案の妙が愉しめるかと思います。
  
伊志田鉄造(岡田英次).jpg三重野早苗(江波杏子).jpg「江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女」●制作年:1978年●監督:井上梅次●プロデューサー:佐々木孟●脚本:井上梅次●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「暗黒星」●時間:72 分●出演:天知茂/五十嵐めぐみ/荒井注/江波杏子/ジュディ・オング/岡田英次/泉じゅん/北公次/原泉/北町嘉郎●放送局:テレビ朝日●放送日:1978/10/14(評価:★★★☆)
江波杏子 「女は二度生まれる」('61年/大映)/「女の賭場」('66年/大映)
江波杏子 女は二度生まれる.jpg 女の賭場.jpg
江波杏子(1942-2018/76歳没)
江波杏子.jpg 江波杏子_5.jpg

「●TVドラマ②70年代・80年代制作ドラマ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2946】 井上 梅次 「江戸川乱歩 美女シリーズ(第13話)/魅せられた美女
「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ「●え 江戸川 乱歩」の インデックッスへ「○近代日本文学 【発表・刊行順】」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (~80年代)」の インデックッスへ(「大岡越前(1-15)」)

「荒唐無稽小説」をシリーズの基調に沿って上手く改変したアレンジ力は評価できる。

9話)/赤いさそりの美女d.jpg 9話)/赤いさそりの美女t.png 9話)/赤いさそりの美女t2.png 妖虫 (江戸川乱歩文庫).jpg 目羅博士の不思議な犯罪.jpg
赤いさそりの美女~江戸川乱歩の「妖虫」 [DVD]」『妖虫 (江戸川乱歩文庫)』['15年]『江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪 (光文社文庫)』['04年]
9話)/赤いさそりの美女 21.jpg9話)赤いさそりの美女 宇都宮2.jpg 大宝映画夏の大作「燃える女」のヒロイン役を決めるためのコンテストの最終審査会にて、準女王に選ばれたのは相川珠子(野平ゆき)、そして女王として春川月子(三崎奈美)が選ばれた。このコンテストが出来レースだったことに不平を漏らす珠子と、その義理の姉となる桜井品子(永島瑛子)。そして、恋人役の男優・吉野圭一郎(永井秀和)が女王に王冠を戴冠させたその時、天井から照明器具が落ちてきた。間一髪、それを避けた二人だったが、これが、この後に起こる怪事件の前哨であることに気づいた者は誰もいなかった。やがて連続殺人が。街角にディスプレイされる春川月子と吉野圭一郎の死体。浴室で珠子に放たれる毒蠍。囚われの身となる品子。犯人は、明智探偵(天知茂)に変装して犯行を繰り返す―。

少年探偵江戸川乱歩全集〈31〉赤い妖虫
少年探偵江戸川乱歩全集〈31〉赤い妖虫.jpg 原作は、1933(昭和8)年12月から翌1934(昭和9)年10月まで雑誌「キング」に連載された長編「妖虫」で、本人名義で児童向けにリライトされた作品もあります(ポプラ社『少年探偵 江戸9話)/赤いさそりの美女 31.jpg川乱歩全集』(全46巻)の中の第27巻「黄金仮面」以降は、実際は本人ではなく別の作家が書いたものだったため、今は絶版となっている)。探偵役は三笠竜介という老人ですが(作者は当時、明智小五郎に替わる新キャラクターを模索していたらしい)、当然のことながらドラマでは天知茂演じる明智小五郎に置き換えられています。この作品について、乱歩本人は「自註自解」として、「相変わらずの荒唐無稽小説だが、真犯人とその動機はちょっと珍しい着想であった」と述べています。

赤いさそりの美女ド.jpg 作者本人が「荒唐無稽小説」と言うくらいなので、どこまで映像化できるのかなという思いはありましたが、思った以上に原作を反映していたように思います。バラバラ死体風のマネキン、銀座街頭ショーウインドウへの死体陳列、犯人と明智探偵の変装合戦、密室からの脱出など、このシリーズにおけるドラマとしてのリアリティを何とか維持しつつ頑張っていたように思います。

赤いさそりの美女 博士1.jpg 原作と大きく違ったのは、蠍研究の世界的権威であったという匹田博士なる人物を登場させ、そこに犯人との愛憎劇を一枚咬ませていることで、原作は主犯格の者が手配の者を使っているのに対し、ドラマの方はこの二人の共犯になっていました。それと、原作では、珠子の家庭教師・殿村京子が次に教えることになった、珠子の学校の先輩の20歳になる美人ヴァイオリニスト・桜井品子が犯人の第三の標的になり、三笠竜介が何とか第三の殺人を起こさせまいとするものでしたが、ドラマでは、この桜井品子が珠子の義理の姉となっていて、彼女には犯人に狙われる理由があったことになっています。入浴中に狙われるのは野平ゆき(レイモン・ラディゲ原作「肉体の悪魔」('77年/日活))演じる珠子ですが、永島瑛子(清水一行原作「女教師」('77年/日活))演じる品子も危うい目に遭います(この部分は原作どおり)。

9話)/赤いさそりの美女 1.png 冒頭にミスコンの場面がありますが、原作では春川月子がミスジャパン、珠子がミストウキョウということで、同じミスコンで競ったわけではないようです。原作では、そうしたミスコンそのものは描かれていませんが、二人が競い合うミスコンをリアルタイムでやって、ドラマ映えするようにしたのでしょう。珠子が春川月子に代わって映画のヒロインに選ばれるのもドラマのオリジナル。また、珠子の家庭教師・殿村京子は原作では中年の醜女ということになっていて、ドラマではこれを美女である宇都宮雅代が演じており、ただし、原作とは異なるハンディを彼女に負わせています。

 ドラマのラストで、死亡したかと思われていた明智探偵が別人物に成りすまして登場するというこのシリーズのパターンをきっちり踏襲しているため、当然、老探偵・三笠竜介の原作とは異なっていますが、ドラマではさらに犯人同士の愛憎劇も織り込んでいるため、ラストも原作と違ったものになっています。この点は、単に追い詰められた犯人が自殺するという、パターナルな終わり方の原作を超えたかもしれません。

 原作に出てくる「蠍の着ぐるみ」と「一寸法師」はドラマでは出てきませんでしたが、まあ、出さなくて正解と言うか、出そうと思っても出せないだろなあと。永井秀和が映画スターの吉野圭一郎役で出ていますが、初夜で「蠍の呪いだ」なんて叫んだりして、殺されてやむなしといったキャラでした(この頃にはもうアイドル歌手ではなかったのか)。

 カップルが3組あったということでしょうか。登場人物が多く、また、犯人は変装でして犯行をするので、誰が誰だかという印象もありましたが、原作を読んでから観直してみると、「荒唐無稽小説」をシリーズの基調に沿って上手く改変していると言え、そのアレンジ力は大いに評価できるように思いました。

神山左門(天知茂.jpg大岡雪絵(宇津宮雅代.jpg 因みに、宇津宮雅代は、TBS・加藤剛主演のTVドラマ「大岡越前」の第1部('70年)で 初代「雪絵」(後の忠相の妻)役で第4話「慕情の人」から登場して、第6部('82年)まで雪絵役を演じ(敵によく捕まって人質になるが(笑)、小太刀の腕も確かで、悪人相手にひるむことはない)、その後を酒井和歌子に引き継いでいます(「雪絵」は、大岡越前.jpg加藤剛演じる「忠相」、高橋元太郎演じる「すっとびの辰三」、山口崇演じ大岡越前 天知茂.jpgる「徳川吉宗」らと並んで、全シリーズを通して登場した数少ないキャラクターであり、また、演者が交代しながら全シリーズ登場した唯一のキャラクターである)。また、天知茂も南町奉行与力「神山左門」(カミソリ左門)役で、このドラマシリーズの第1部から第3部('72-'73年)にレギュラー出演しています(祝言をあげたばかりの妻を盗賊に人質にとられ亡くしたため、悪に対する憎しみが人一倍強く、また、別人になりすまして敵方に潜入したり、常にニヒル感が漂う(笑)ところは「美女シリーズ」の明智小五郎と同じ)。

大岡越前t.jpg大岡越前1.jpg「大岡越前(1-15)」●監督:山内鉄也/内出好吉/佐々木康/工藤栄一ほか●製作総指揮:松下幸之助●製作:松下正治/丹羽正治/山下俊彦ほか●脚本:池上金男(池宮彰一郎)/稲垣俊/津田幸夫/加藤泰/宮川一郎/葉村彰子ほか●撮影:河原崎隆夫/平瀬静雄/萩屋信/平山善樹/脇治吉ほか●音楽:山下毅雄●出演:加藤剛/竹脇無我/片岡千惠藏/天知茂/山口崇/大坂志郎/土田早苗/高橋元太/大岡越前 忠相の父・大岡忠高 -2.jpg大岡越前 山口崇.jpg大岡越前 志村喬.jpg宇津宮雅代/夏八木勲/志村喬/北林早苗/松山英太郎/望月真理子/武原英子/酒井和歌子/平淑恵/森田健作/原田大二郎/西郷輝彦●放映:1970/03~1999/03(全402回)●放送局:TBS
天知茂(神山左門)・片岡千惠藏(忠相の父・大岡忠高)・高橋元太郎(すっとびの辰三) /山口崇(八代将軍・徳川吉宗)/志村喬(小石川養生所初代筆頭医師・海野呑舟)
 
山口崇 in「天下御免」(NHK・1971-72年)(主人公・平賀源内)/「クイズタイムショック」(テレビ朝日・2代目司会(1978-86年))/「御宿かわせみ」(NHK・シーズン1・2(1980-83年))(東吾の親友の定廻り同心・畝源三郎)/映画「記憶にございません!」(三谷幸喜監督・'19年/東宝)(啓介の恩師の元小学校教師・柳友一郎)
天下御免 山口崇.jpg クイズ タイムショック山口崇.jpg 御宿かわせみ 山口崇2.jpg 記憶にございません 山口崇4.jpg


9話)/赤いさそりの美女 野平1.png9話)/赤いさそりの美女 永島1.jpg9話)/赤いさそりの美女 宇都宮1.jpg「江戸川乱歩 美女シリーズ(第9話)/赤いさそりの美女」●制作年:1979年●監督:井上梅次●プロデューサ:中井義/植野晃弘/佐々木孟●脚本:井上梅次●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「妖虫」●時間:95分●出演:天知茂/五十嵐めぐみ/柏原貴/荒井注/宇津宮雅代/永島瑛子/永井秀和/入川保則/野平ゆき/速水亮/本郷直樹/堀之紀/北町嘉郎/高木次郎/増田順司●放送局:テレビ朝日●放送日:1979/06/09(評価:★★★☆)
永島瑛子(桜井品子)          野平ゆき(相川珠子)
赤いさそりの美女1図21.jpg 9話)/赤いさそりの美女 野平21.png
宇津宮雅代(殿村京子)
赤いさそりの美女11.jpg 9話)/赤いさそりの美女 宇都宮11.jpg 9話)/赤いさそりの美女 宇都宮21.jpg

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学生時代の産物にして高い完成度。失恋体験の反映も感じられる「羅生門」「鼻」。

羅生門・鼻 新潮文庫.jpg  羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)2.jpg 羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)3.jpg 羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)_.jpg 羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫).jpg
羅生門・鼻 (新潮文庫)』(2005)(カバー・南伸坊)/『改編 羅生門・鼻・苧粥 (角川文庫)』(1989)/『羅生門・鼻・芋粥 (角川文庫)』(2007)/角川文庫文豪ストレイドッグスコラボカバー/『羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)』(2002)

羅生門 大正6年.jpg羅生門 阿蘭陀書房.jpg 新潮文庫版『羅生門・鼻』('68年初版/'05年改版)は、1915年(大正4年)11月に雑誌『帝国文学』に発表された「羅生門」、翌大正5年に雑誌『新思潮』に発表された「鼻」をはじめ、「芋粥」「運」「袈裟と成遠」「邪宗門」「好色」「俊寛」の8編を収録。何れも「王朝物」と言われる、平安時代に材料を得た歴史小説です。因みに、1917年(大正6年)5月に阿蘭陀書房より刊行された短編集『羅生門』が芥川龍之介にとっての処女短編集で(表題の「羅生門」をはじめ「鼻」「芋粥」など14編の短編を所収)、日本橋のレストラン「鴻の巣」で出版祈念会「羅生門の会」が催され、谷崎潤一郎、有島武郎、和辻哲郎等も出席しています。

[オーディオブックCD] 芥川龍之介 羅生門.jpg 「羅生門」(大正4年)... 出典は『今昔物語』。失職して行き場の無い身分の低い若者が、羅生門も楼上で、生活のために死人の髪の毛を抜いて鬘としようとしている老婆と遭遇し、格闘の上、精神的にも肉体的にも勝利して、京の町へと消えていく―。老婆の容姿とその考え方の醜さは、世間一般の考え方の醜さの代表格ともとれるでしょうか。しかし、主人公である若者自身が老婆の着衣を剥ぐという行為をすることを選んだことで、彼自身も〈盗人〉になってしまったわけで、但し、作者はこれを主人公の敗北として描いているのではなく、むしろ、倫理的束縛から脱却し、一皮剥けたが如く描いている点がミソでしょうか(因みに、黒澤明監督の「羅生門」('50年/東宝)は、芥川の短編小説「藪の中」(1922年)を原作としているが、本作から舞台背景、着物をはぎ取るエピソード(映画では赤ん坊から)を取り入れている)。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 羅生門「ドラマ版・朗読版収録」(CD1枚)

『羅生門・鼻』 .JPG 「鼻」(大正5年)... 夏目漱石に絶賛された作品で、芥川作品の中でも最も多く国語の教科書で取り上げられている作品の一つではないでしょうか。これも出典は『今昔物語』ですが、シンプルでユーモラスな話を通して、現代に通じる普遍的なテーマをさらっと描いている点が優れているように思います。禅智内供の最後の開き直りはある意味痛快です。「羅生門」とこの作品を書く直前に、芥川は青山女学院卒の女性・吉田弥生との失恋を経験しており、失恋によって知らされた自分の弱さの克服という点で、特に「羅生門」とこの作品にその影響が見られるとされているようです。また、この「鼻」と次の「芋粥」は、それぞれニコライ・ゴーゴリ(1809-1852)の中編「鼻」「外套」の影響を受けているともされてるようです(テーマ面よりモチーフ面でということか)。

8角川文庫『羅生門・鼻・芋粥』.jpg 「芋粥」(大正5年)... これも出典は『今昔物語』。背が低く、鼻が赤く、口ひげが薄く、風采があがらず、皆から馬鹿にされている五位の夢は、滅多に食べることのできない芋粥を飽きるほど食べてみたいというもの。ある時、その願いを耳にした藤原利仁が、「お望みなら、利仁がお飽かせ申そう」と言ってくる―。理想や欲望は達せられないからこそ価値があり、達せられれば幻滅するのみということでしょうか。但し、角川文庫解説の三好行雄は、主人公が幻滅の悲哀を味わったのは確かだが、真に絶望したのは、自分の生きがいが巨大な窯で煮られ、狐にさえ馳走される現実に対してであるとしています(何だか"格差社会"的テーマになるなあ)。五位の境遇や性格は確かにゴーゴリの「外套」の下級官吏アカーキイ・アカーキエウィッチと似ていると思いましたが、格差を見せつけられた五位と、死後に幽霊になって復讐を果たしたアカーキイ・アカーキエウィッチとどちらが不幸なのでしょう。

 「運」(大正6年)... これもまた出典は『今昔物語』。清水寺参道で、青侍が陶器師の翁に、観音様には本当にご利益があるのかと尋ねと、翁が話し出したのは、西の市で商売をしているある女の話で、女がまだ娘だった頃に、お籠もりをしていると、「ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云う事を聞くがよい」というお告げがあり、寺を出ると一人の男に攫われ、夜が明けて、夫婦になってくれという男の望みを受け入れるが―。同じエピソードでも、翁と青侍とでは受け止め方が異なり、それは人生の価値観がまったく異なるということを意味しています。作者は自分の見解を明かしていない?

袈裟と盛遠 日本オペラ協会.jpg袈裟と盛遠 日本オペラ協会ド.jpg 「袈裟と盛遠」(大正7年)... 盛遠は、渡左衛門尉の妻・袈裟に横恋慕し、やがて邪魔な渡を殺してしまおうと思い、袈裟に殺害計画を打ち明ける―。その段になって夫の前に身を投げ出した袈裟は、貞女なのか、はたまた...。原典(『源平盛衰記』など)でも袈裟は盛遠(モデルは遠藤盛遠、後の僧・文覚(1119-1203))と既に契ってしまっているそうですが、この作品は袈裟の貞女としてのイメージをひっくり返すだけでなく、愛する男に殺害されることが最初からの彼女の望みだったというスゴイ解釈になっています(稲垣浩・マキノ正博共同監督作に「袈裟と盛遠」('39年/日活)というのがあるが、原典(「源平盛衰記」乃至「平家物語」)に沿った作りか。オペラにもなっていて、こちらは「芥川龍之介原作」ではなく、はっきり「平家物語より」となっている)。

 「邪宗門」(大正7年)... 摩利の教(キリスト教)の布教を目論む摩利信乃法師は、これを取り押さえようと四方から襲いかかる検非違使を法力で打ち倒し、大和尚と称されていた横川の僧都でも歯が立たず、沙門がますます威勢を奮う中、堀川の若殿様が庭へと降り立った―。繰り広げられる法力対決は殆ど魔界ファンタジーの世界で、こんなに面白くていいのかなという感じ。文庫で80ページほどの中編。「東京日日新聞」(現「毎日新聞」)の連載小説でありながら未完で終わっているということは、書いている作者自身、収拾がつかなくなった?

 「好色」(大正10年)... 色男としてその名を轟かせている平中(へいちゅう)は、美女・侍従に思いを寄せるが、侍従の態度はつれない。侍従への想いを断ち切るために彼は、侍従の糞尿を捨てに行く女童から箱を引ったくるが―。恋する男の愚かさが滲み出た作品ですが、作者の中に女性崇拝的な素質がなければ、このような作品は書かないのではないかなあ。

 この他に新潮文庫版は「俊寛」を所収。一方の角川文庫版『羅生門・鼻・芋粥』('89年初版/'07年改版)は、「老年」「ひょっとこ」「仙人」「羅生門」「鼻」「孤独地獄」「父」「野呂松人形」「芋粥」「手巾」「煙草と悪魔」「煙管」「MENSURA ZOILI」「運」「尾形了斎覚え書」「日光小品」「大川の水」「葬儀記」の18編を所収。殆どが大正3年から大正5年の間に書かれた作品で、最後の3編は随想、最後は夏目漱石の葬儀の記録です。これらの中で新潮文庫版と重なるものを除けば、「手巾」「煙草と悪魔」が面白いでしょうか。「煙管」は「鼻」と似たようなところがあると思いました。岩波文庫版『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』('02年改版)は、タイトル通り4編を所収。「偸盗」は作者が失敗作だと自己評価した作品で、「羅生門」の続編とも言われていますが、「鼻」「芋粥」と並んで面白いのではないでしょうか。

 「羅生門」と「鼻」は芥川の学生時代の産物。それでいて高い完成度を感じますが、今回読み直してみて、「羅生門」と「鼻」に作者の失恋体験の反映を感じました(関口安義・都留文科大学名誉教授による評伝『芥川龍之介』(03年/岩波新書)を参照した)。「羅生門」に出て来る老婆は、作者の失恋の原因となった(つまり吉田弥生との交際に反対した)養母の化身ともとれますが、やはり、もっと広く見て、現にある社会悪や社会的理不尽の象徴と見るべきでしょう。主人公がその老婆から衣服を剥いだことは、主人公自身が悪に染まったと言うよりは(確かにそうも取れるが)むしろ倫理的束縛から脱却して現実世界に強く一歩を踏み出したともとれ、作者自身の創作への決意が反映されているように思いました。

【1949年文庫化[岩波文庫(『羅生門・鼻・芋粥』)]/1949年再文庫化[新潮文庫(『羅生門』)]/1950年再文庫化[角川文庫(『羅生門・偸盗・地獄変―他四篇』)]/1960年再文庫化・2002年改版[岩波文庫(『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『羅生門・鼻・侏儒の言葉』)]/1968年再文庫化・1989年改版・2007年改版[角川文庫(『羅生門・鼻・芋粥』)]/1968年再文庫化・2005年改版[新潮文庫(『羅生門・鼻』)]/1971年再文庫化[講談社文庫(『羅生門/偸盗/地獄変/往生絵巻』)]/1979年再文庫化[ポプラ社文庫(『鼻・羅生門』)]/1986年再文庫化[ちくま文庫(『芥川龍之介全集〈1〉』)]/1997年再文庫化[文春文庫(『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇 (文春文庫―現代日本文学館)』)]】

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教養主義へについての議論はあるが、今日に通じる話として読める普遍性がある。

君たちはどう生きるか Mh_.jpg 君たちはどう生きるか  岩波文庫.jpg 君たちはどう生きるか  ワイド.jpg 君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作).jpg 君たちはどう生きるか  マンガ.jpg
君たちはどう生きるか』『文庫 君たちはどう生きるか (岩波文庫)』『君たちはどう生きるか (ワイド版 岩波文庫)』『君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)』『漫画 君たちはどう生きるか
君たちはどう生きるか_01.jpg 旧制中学二年の主人公のコペル君こと本田潤一は、学業優秀でスポーツも卒なくこなし、いたずらが過ぎるために級長にこそなれないがある程度の人望はある。父親は亡くなるまで銀行の重役で、家には女中が1人いる。コペル君は友人たちと学校生活を送るなかで、さまざまな出来事を経験し、大きな苦悩に直面したりしながらも、叔父さんをはじめ周囲の導きのもと成長していく―。

吉野源三郎.jpgNHK「おはよう日本 けさのクローズアップ~『君たちはどう生きるか』 いま"大人たち"が読む理由」(2017年11月26日(日))
君たちはどう生きるか 岩波文庫.jpg 作者の吉野源三郎(1899-1981)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリストなどの肩書があった人で、岩波新書の創刊(1938年)に携わり、雑誌「世界」の初代編集長なども務めた人物です。本書は1937年8月に山本有三編「日本少国民文庫」の第5巻として刊行された本で、80年の年月を経て2017年下半期にいきなりブームになりました。『日本少国民文庫』の最終刊として編纂者・山本有三が自ら執筆する予定だったのが、病身のため代わって作者が筆をとることになったとされていますが、『路傍の石』で知られる山本有三の教養主義小説(ビルディングスロマン)の系譜を引いている印象があり、苦難を乗り越えて立派な人間になるという主人公の意思の表出は、下村湖人などの作品にも通じるように感じました。

君たちはどう生きるか クロ現代01.jpgNHK「クローズアップ現代~2018 新たな時代へ "君たちはどう生きるか"」(2018年1月9日(火))

君たちはどう生きるか クロ現代20.jpg NHKの「おはよう日本」や「クローズアップ現代」などでも取り上げられて、読む前から話題沸騰といった感じでした。ただ、個人的には、作中で主人公の友人で進歩主義の姉が英雄的精神を強調する場面があるとか、特攻隊員だった若者が出陣前に本書を愛読していたとか聞いていてちょっと敬遠していた面もありましたが、今回のブームを機に実際に読んでみると、各章の後に、その日の話をコペル君から聞いた叔父さんがコペル君に書いたノートという体裁で、ものの見方や社会の構造・関係性といったテーマが語られる構成になっていて、件(くだん)の主人公の友人の姉が登場する章では、叔父さんは「人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ」という、バランスのとれたコメントをしていました。

 むしろ、その前の、「世間には、悪い人ばかりではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が少なくない」というコメントに象徴される、やや"上から目線"的な点が気になるでしょうか。作者は、本書はもともと文学作品として構想されたものではなく、倫理についての本として書かれた(岩波文庫版あとがき)としていますが、『グロテスクな教養』('05年/ちくま新書)などの著者のある高田里惠子氏によれば、本書は、教養主義の絶頂期にあった旧制中学校の生徒に向けて書かれた教養論でもあるとのこと。官立旧制中学の代表格であった東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)出身の著者により描かれた主人公たちの恵まれた家庭環境や高い「社会階級」に注目し、本書が「君たち」と呼びかける、主体的な生き方のできる(つまり教養ある)人間が、当時は数の限られた特権的な男子であったことを指摘しています。

0『君たちはどう生きるか』.jpg そう言えば、NHK-Eテレの「100分de名著」で、この本をテキストとしてジャーナリストの池上彰氏が学校で出張講義を行っていますが、行った先が武蔵中学・高校ということで、やはり完全中高一貫の超進学校だからなあ(当然、男子校)。そういうのが鼻につく人もいるだろうし、この本を矢鱈推奨している"文化人"っぽい人が鼻につくという人もいるかも。自分も当初はその一人でしたが、読んでみて、思ったほどに抵抗を感じなかったのは、最近こそ格差社会とか言われながらも、戦前と比べれば国民の生活水準もそこそこのレベルで平準化し、大学進学率もぐっと上がったためで、当時のそうした背景を気にしなければ、学校内でのいじめの問題など、今日に通じる話として読める普遍性を持っているせいかもしれません。

斎藤美奈子.jpg そう言えば、ブームになるずっと前に、あの辛口評論の齋藤美奈子氏が、本書を若い人への「贈り物に」と薦めていました(齋藤美奈子氏も岩波文化人の系譜?)。個人的には、確かに若い人に読んで欲しいけれど、「読め」と押しつける本ではないのだろうなあと思います(「贈り物」というのはいいかも。「読んだか」と訊かなければ)。

齋藤美奈子氏

 漫画版も読みましたが、よく出来ていたのではないでしょうか。叔父さんがコペル君に書いたノートがかなりのページ数に渡って引用されていて、本を読んだ気になる? 一方で、コペル君が遊びで早慶戦の実況中継をする箇所などは(当時はプロ野球より大学野球の方がメジャーだった)、今の時代に合わないと思ったのかばっさりカットされています(プロ野球に置き換えるよりはいい)。コペル君が、自らの勇気の無さから、意に反して友人を裏切ってしまった後、どうすればいいか悩む場面で、叔父さんにその答えを示唆される原作よりも、漫画ではどちらかと言うと自ら答えを導き出すニュアンスになっていて、この辺りは原作の欠点と言えばそうとも取れる"説教臭さ"を回避したのでしょうか。このことで、原作を改変していると不満を感じる人もいれば、原作より漫画の方を評価する人もいたりするようです。

 コペル君という綽名のきっかけとなった出来事の話などは良かったです。叔父さんに教えられなくとも、子どもの頃、そうした哲学的、認識論的体験をした人は結構いるのではないでしょうか。その他にも多くの哲学的・倫理学的示唆が叔父さんによってノートを通してなされています。児童文学の名著と言われるものの中には「読み方指導ガイド」みたいのが作られているものもありますが、本書に関して言えば、叔父さんのノートで充分ではないかな。そもそもこの物語自体が「こう読め」というものではなく、極力、自分で読んで、自分で感じたり考えたりするものだろうと思います(と言いつつ、池上彰氏の本を買ってしまったが)。

【1966年新書化[高校生新書(三一書房)]/1982年文庫化[岩波文庫]/1980年再文庫化[ワイド版岩波文庫]/2011年再文庫化[ポプラポケット文庫 日本の名作]】

《読書MEMO》
・人生の意味を知るには、心をうごかされたことの意味を正直に考えること
・見ず知らずの他人にも、生産関係で切っても切れない縁がある
・本当に人間らしい人間関係とは、お互いに好意をつくし、それを喜びとすること
・学問とは、人類の経験をひとまとめにしたもの
・学問を修め、人類がまだ解決できていない問題のために尽力すべき
・「生産する人」と「消費する人」という区別を見落としてはいけない
・過ちを苦しいと感じるのは、正しい道に従って歩こうとしているから

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シュールで非現実的でありながらも引き込まれる旨さ。
押絵と旅する男 光文社文庫.jpg文豪が書いた怖い名作短編集.jpg  江戸川乱歩名作選 (新潮文庫).jpg 押繪と旅する男 vhs.jpg
文豪たちが書いた 怖い名作短編集』['13年]『江戸川乱歩名作選 (新潮文庫)』['16年] 「押繪と旅する男 [VHS]」['94年]浜村純/鷲尾いさ子
江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男 (光文社文庫)』['05年](1. 押絵と旅する男/2. 蟲/3. 蜘蛛男/4. 盲獣

 魚津へ蜃気楼を観に行った帰りの汽車の中、二等車内には「私」ともう一人、古臭い紳士の格好をした60歳とも40歳ともつかぬ男しかいなかった。「私」は男が、車窓に絵の額縁のようなものを立て掛けているのを奇異な目で見ていた。夕暮れが迫り、男はそれを風呂敷に包んで片付けた際に目が合った。すると男のほうから「私」に近付いてきて、風呂敷の中身を見せてくれる。それは洋装の老人と振袖を着た美少女の押絵細工だった。背景の絵に比べその押絵のふたりが生きているようなので驚く「私」に「あなたなら分かってもらえそうだ」と男はさらに双眼鏡でそれを覗かせる。いよいよ生きているみたいに思えた押絵細工の二人の「身の上話」を男は語り始める。それは35,6年も前、男の兄が25歳のとき、浅草に「浅草十二階」(凌雲閣)ができた頃の話で、ふさぎがちになった男の兄が毎日双眼鏡を持って押絵と旅する男 橘小夢画.jpg出掛けるのであとをつけると、男の兄は「浅草12階」に登って双眼鏡を覗いている。声を掛けると男の兄は片思いの女性を覗いていたことを白状するが、その女性のいる所へ二人で行ってみると、その女性は押絵だった。すると男の兄はその双眼鏡を逆さまに覗いて自分を見ろと言い、男がそうすると兄は双眼鏡の中で小さくなり消えてしまう。男の兄は小さくなってその女性の横で同じ押絵になっていたのだった。以来、男は、ずっと押絵の中も退屈だろうからと、「兄夫婦」をこうして旅に連れて行っているのだという。ただ押絵の女性は歳をとらないが、兄だけが押絵の中で歳をとっているのだという。男が兄たちもこんな話をして恥ずかしがっているのでもう休ませますと、風呂敷の中に包み込もうとしたとき、気のせいか押絵の二人が「私」に挨拶の笑みを送ったように見えた―。

「押絵と旅する男」画:橘小夢(中村圭子(著)『橘小夢』('15年/河出書房新社)より)

 江戸川乱歩が1929 (昭和4) 年、雑誌「新青年」6月号に発表した、文庫で30ページほどの短編です。江戸川乱歩の作品には結構シュールと言うか非現実的なものも多くて、作者自身そう感じたのかラストで"夢落ち"にしているものも幾つかあります(「人間椅子」のように実は空想譚だったというオチもある)。この作品もシュールで非現実的であり、兄が弟に双眼鏡を逆さまに覗いて自分を見させることで自分が小さくなって押絵の中に入り込むという発想などはむしろ子供じみているとも言えますが、それでいて何となく物語の中に引き込まれていく旨さがあるように思います。

押絵と旅する男 朗読.jpg 物語全体を「男の話」にしていることで、("夢落ち"にしなくとも)全てが男の作り話か男自身が嵌っている幻想ととれなくもなく、一方で、目の前にそうした押絵があれば、やはり「私」ならずとも、幻想的な気持ちにさせられるでしょう。また、こうしたストーリーを成立させるには、昭和から大正を通り越して明治まで遡ることは必然だったようにも思います。「浅草十二階」と呼ばれた凌雲閣は、1890(明治23)年に完成し、1923(大正12)年の関東大震災で崩壊していますが、こうしたモチーフを持ち出しているのも巧みです(浅草は乱歩が愛した街でもある)。

押絵と旅する男」 朗読
    
押繪と旅する男 映画 00.jpg この作品は、「竜二」('83年)、「チ・ン・ピ・ラ」('84年)の川島透監督によって、「押繪と旅する男」('94年/バンダイビジュアル)として映画化されています(「チ・ン・ピ・ラ」は金子正次の遺作脚本に川島透監督が手を加えて演出したもので、個人的にはイマイチだった)。映画「押繪と旅する男」は、「私」ではなく「弟」の"主観"で描かれていて、戦時中に特高警察として名を馳せながらも今はよぼよぼの老人となってしまった「弟」(浜村純)がいる「現代」の東京と、その回想としての「過去」―少押繪と旅する男 映画 12kai .jpg年時代の「弟」(藤田哲也)の兄(飴屋法水)が凌雲閣から押絵の美少女を眺め、遂には押絵の中に入ってしまうという出来事があった大正時代―が交錯する形で描かれています。「私」に該当する人物は出てこないで、代わりに、「弟」の兄に嫁(鷲尾いさ子)がいて、押絵の少女(八百屋お七になっている)に夫を奪われたかたちとなった兄嫁への少年の淡い慕情が大きなウェイトを占める作りになっています。大正ロマンの香りがして、映画としては悪くないです。"主観"を変えて更に脚色されているため、原作とは随分と印象が異なるものになっていますが、川島透監督が自分が撮りたいものを撮ったという感じで、同監督の商業映画とは比べると、いい意味でかなり異なった印象を受けました。

押繪と旅する男 映画 s.jpg押繪と旅する男 映画s.jpg 浜村純(1906-1995)演じる今は老人となった「弟」たる男の他に、特高だった男にかつて虐げられた恨みを持つ老人押繪と旅する男 映画 wasio.jpgに多々良純(1917-2006)、男の友人で今は老人病院のような所に入院して死にかけている男に天本英世(1926-2003)など、老優たちが更に老け役で出ていて、「現代」のパートは老人ばかりの世界と言ってよく(老いと死が映画のテーマであるとも言えるか)、その分「過去」のパートの若々しい鷲尾いさ子(1967年生まれ)などは魅力的です。おそらく、押絵の娘になまめかしさを求めるのは映像的に難しいので、その部分を代替させたのではないでしょうか。

鷲尾いさ子「鉄骨飲料」CM(1989-1990)/「火曜サスペンス劇場 新・女検事 霞夕子」(1994-2003、日本テレビ)
鷲尾いさ子 鉄骨飲料.jpg火曜サスペンス劇場 新・女検事 霞夕子.jpg

 
i押繪と旅する男 4.jpg押繪と旅する男 2.jpg「押繪と旅する男 (江戸川乱歩劇場 押繪と旅する男)」●制作年:1994年●監督:川島透●製作:並木幸/村上克司●脚本:薩川昭夫/川島透●撮影:町田博●音楽:上野耕路●原作:江戸川乱歩●時間:84分●出演:浜村純/鷲尾いさ子/藤田哲也/天本英世/飴屋法水/多々良純/伊勢カイト/小川亜佐美/和崎俊哉/高杉哲平/原川幸和/山崎ハコ●公開:1994/03●配給:バンダイビジュアル(評価★★★☆)
「押繪と旅する男」75.jpg
 
チ・ン・ピ・ラ_1.jpgチ・ン・ピ・ラ 1984.jpgチ・ン・ピ・ラド.jpg「チ・ン・ピ・ラ」●制作年:1984年●監督:川島透●製作:増田久雄/日枝久●脚本:金子正次●撮影:川越道彦●音楽:宮本光雄●時間:102分●出演:柴田恭兵/ジョニー大倉2新宿スカラ座22.jpg/石田えり/高樹沙耶/川地民夫/鹿内孝/我王銀次/小野武彦/久保田篤/利重剛/大出俊●公開:1984/11●配給:東宝●最初に観た場所:新宿・ビレッジ2 (84-11-25)(評価★★★)●併映:「海に降る雪」(中田新一)

日野まき「押絵と旅する男」.jpg

日野まき(美術)「押絵と旅する男」

江戸川乱歩全集〈第6巻〉押絵と旅する男 (1979年)_.jpg 【1960年文庫化[新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』]/2005年再文庫化[光文社文庫(『江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男』)]/2008年再文庫化[岩波文庫『江戸川乱歩短篇集』]/2013再文庫化[彩図社『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』]/2016年再文庫化[新潮文庫『江戸川乱歩名作選』]/2016年再文庫化[文春文庫(辻村深月:編)『江戸川乱歩傑作選 蟲』]】


江戸川乱歩全集 第6巻 押絵と旅する男』 (1979年)

新潮文庫の100冊 2021
IM江戸川乱歩名作選.jpg
 
《読書MEMO》
江戸川乱歩名作選 (新潮文庫).jpg文豪が書いた怖い名作短編集.jpg●『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)
夢野久作...「卵」/夏目漱石...「夢十夜」/江戸川乱歩...「押絵と旅する男/小泉八雲/田部隆次訳...「屍に乗る男」「破約」/小川未明...「赤いろうそくと人魚」「過ぎた春の記憶」/久生十蘭...「昆虫図」「骨仏」/芥川龍之介...「妙な話」/志賀直哉...「剃刀」/岡本綺堂...「蟹」/火野葦平...「紅皿」/内田百閒...「件」「冥途」

●『江戸川乱歩名作選』('16年/新潮文庫)
「石榴」/押絵と旅する男/「目羅博士」/「人でなしの恋」/「白昼夢」/「踊る一寸法師」/「陰獣」

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オチもさることながら、一筋縄で片づけられない話になっているところが旨さ。

芥川龍之介全集〈4〉.jpg  文豪怪談傑作選 芥川龍之介集.jpg 文豪が書いた怖い名作短編集.jpg  見た人の怪談集 2016.jpg
芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫)』('87年)『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆 (ちくま文庫)』('10年)『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年) 『見た人の怪談集 (河出文庫)』('16年)
[Kindle版] 「妙な話
妙な話jpg.jpg ある冬の夜、私は旧友の村上から、銀座のある珈琲店で、村上の妹である千枝子が夫の欧州出征中に神経衰弱のようになって語ったという"妙な話"を聞く。その話とは、見ず知らずの赤帽が、中央停車場で2度にわたり千枝子に夫のことで語りかけ、赤帽が夫の消息を訊ねてきたのに対し、千枝子が「最近手紙が来ない」と言うと、赤帽が夫の様子を見てこようと言ったというのだ。しかもその後再び出会ったとき、赤帽は本当に欧州の夫の消息を伝え、しかも、夫が帰還してみると、それが事実だったというのだ。更には、夫が語るには、その赤帽が、戦役でマルセイユに派遣されていた彼の前にまで現れたというものであった―。
    
芥川龍之介.bmp 芥川龍之介(1892-1927)が1921(大正10)年1月雑誌「現代」に発表し(執筆は大正9年12月)、『夜来の花』('21年/新潮社)に収められた文庫本で1「夜来の花」 芥川龍之介著.jpg0ページほどの短編です(ちくま文庫『芥川龍之介全集〈4〉』('87年)、ちくま文庫『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』('10年)に所収、アンソロジーでは、創元推理文庫『日本怪奇小説傑作集1』('05年)、彩図社『文豪たちが書いた 怖い名作短編』('13年)、新潮文庫『日本文学100年の名作第1巻1914-1923 夢見る部屋』('14年)、河出文庫『見た人の怪談集』('16年)などに所収)。

『夜来の花』(1921年/新潮社)

 途中までは夫想いの貞淑な妻の不思議なエピソードと思わせておいて、最後に思わぬ事実が―。語り手が物語の構成に一枚噛んでいたというのが、芥川龍之介らしい技巧のように思いました。まあ、こんなことがあれば、気味悪くて不倫する気にならないだろなあ。

 この「赤帽」は何者であったのか(または「何」であったのか)については、色々と議論があるようで、人ではない「物の怪」や「幽霊」、或いは「神」と言った霊的存在の類いとする説もあれば、赤帽に出会ったことで千枝子が不倫する一歩手前で踏みとどまったことから、彼女の潜在意識の中にある罪悪感が(当時、妻の不倫は「姦通罪」、つまり犯罪だった)彼女に見せた幻影であったという説もあるようです。

芥川龍之介全集 4.jpg 前者のスピリチュアルな解釈よりも、後者の潜在意識説の方がリアリティはありそうですが、となると、千枝子と赤帽の遣り取りは千枝子の潜在意識で背説明できるとしても、夫の自身がマルセイユで、欧州にはいないはずの赤帽を見たという事実はどう説明するか。「霊」を持ち出さなければ「テレパシー」か何かで説明せざるを得ず、"心霊"とまでは行かなくとも"超心理学"的な世界に踏み込むことになる...。

 語り手が作品のフレームであると共に絵の一部にもなっていることに加え、このように一筋縄で片づけられない話になっているところが、この作品の旨さだと思います。

芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫)』('87年)
所収作品
杜子春/捨児/影/お律と子等と/秋山図/山鴨/奇怪な再会/アグニの神/妙な話/奇遇/往生絵巻/母/好色/薮の中/俊寛/将軍/神神の微笑/トロッコ/報恩記

『夜来の花』...【1949年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
●『日本怪奇小説傑作集1』('05年/創元推理文庫)
小泉八雲...「茶碗の中」/泉鏡花...「海異記」/夏目漱石...「蛇」―『永日小品』より/森鴎外...「蛇」/村山槐多...「悪魔の舌」/谷崎潤一郎...「人面疽」/大泉黒石...「黄夫人の手」/芥川龍之介...「妙な話」/内田百閒...「盡頭子」/田中貢太郎...「蟇の血」/室生犀星...「後の日の童子」/岡本綺堂...「木曾の旅人」/江戸川乱歩...「鏡地獄」/大佛次郎...「銀簪」/川端康成...「慰霊歌」/夢野久作...「難船小僧」/佐藤春夫...「化物屋敷」
   
●『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)
夢野久作...「卵」/夏目漱石...「夢十夜」/江戸川乱歩...「押絵と旅する男」/小泉八雲/田部隆次訳...「屍に乗る男」「破約」/小川未明...「赤いろうそくと人魚」「過ぎた春の記憶」/久生十蘭...「昆虫図」「骨仏」/芥川龍之介...「妙な話/志賀直哉...「剃刀」/岡本綺堂...「蟹」/火野葦平...「紅皿」/内田百閒...「件」「冥途」
    
●『日本文学100年の名作第1巻1914-1923 夢見る部屋』('14年/新潮文庫)
荒畑寒村...「父親」/森鴎外...「寒山拾得」/佐藤春夫...「指紋」/谷崎潤一郎...「小さな王国」/宮地嘉六...「ある職工の手記」/芥川龍之介...「妙な話/内田百閒...「件」/長谷川如是閑...「象やの粂さん」/宇野浩二...「夢見る部屋」/稲垣足穂...「黄漠奇聞」/江戸川乱歩...「二銭銅貨」
   
●『見た人の怪談集』('16年/河出文庫)
岡本綺堂...「停車場の少女」/小泉八雲...「日本海に沿うて」/泉鏡花...「海異記」/森鴎外...「蛇」/田中貢太郎...「竃の中の顔」/芥川龍之介...「妙な話/永井荷風...「井戸の水」/平山蘆江...「大島怪談」/正宗白鳥...「幽霊」/佐藤春夫...「化物屋敷」/橘外男...「蒲団」/大佛次郎...「怪談」/豊島与志雄...「沼のほとり」/池田彌三郎...「異説田中河内介」/角田喜久雄...「沼垂の女」

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モダンな印象の本格推理。創作活動の初期には探偵小説を多く書いていた山本周五郎。

花匂う (新潮文庫) _.jpg   文豪ミステリー傑作選 (第2集) 0_.jpg  文豪のミステリー小説0_.jpg
花匂う (新潮文庫)』(1983/04 新潮文庫)『文豪ミステリー傑作選 (第2集) (河出文庫)』(1985/11 河出文庫)『文豪のミステリー小説 (集英社文庫 や 39-2)』(2008/02 集英社文庫)

 山手の下宿屋街にある柏ハウスの二階十号室で殺人事件が起こった。殺されたのはマダム絢という、桑港(シスコ)に本店のある獣油会社の販売監督をしている亜米利加(アメリカ)人ヂェムス・フェルドの妾であった。マダムは好色で花骨牌の名手であり、その日は昼過ぎから自分の部屋で花骨牌を、同じ柏ハウスの住人である高野信二(29)、吉田龠平(41)、木下濬一(24)の三人とやっていた。花骨牌をしている時に新聞記者の信二がある浮浪者の男に呼出され、その間に絢が殺されたのだ。無職の侖平は、絢との賭け花骨牌で多額の負債があり、ホテルVのクラアクの濬一は、絢と彼女が殺される直前まで花骨牌をやっていた。刑事課長の岊谷(せつや)氏が、部下を引き連れ捜査に乗り出す―。

山本 周五郎 2.jpg 山本周五郎(1903-1967)の初期短編小説で、1933(昭和8)年6月に雑誌「犯罪公論」に発表され、文庫で40ページほどです。この作家のイメージからすると珍しい"現代"(当時としては同時代の)推理小説で、横浜が舞台のモダンな感じがする作品である上に、本格推理小説でもあります。新潮文庫『花匂う』に収められていて、文庫解説によるとこの『花匂う』には、作者生前に刊行された「山本周五郎全集(全13巻)」('63~'64年/講談社)など何れの全集にも収録されなかった作品を収めたとのことです。但し、これらの作品は「山本周五郎 全集未収録作品集(全17 巻)」('72~'82年/実業之日本社)には収録されています(この「出来ていた青」は、『現代小説集-全集未収録作品集〈15〉』に収録)。

 初めて読んだ時は、山本周五郎にこのような作品もあったのかと思わせるものでしたが、ミステリとしてもまずまずの出来ではないでしょうか。そうしたこともあってか、共に文豪の書いたミステリーを選抜した、河出文庫の『文豪ミステリー傑作選(第2集)』('85年)と集英社文庫の『文豪のミステリー小説』('08年)の両方に収められたりもしています。

 実は山本周五郎は、創作活動の初期には探偵小説を多く書いていて、それらは「山本周五郎探偵小説全集(全7巻)」('07~'08年/作品社)の編纂によってようやくその全貌が明らかになっています。時代小説・ミステリを中心とした文芸評論家の末國善己氏は、「山本周五郎の探偵小説の復刻が遅れたのは、散逸が激しく、公的な機関にもほとんど所蔵されていない博文館の少年少女雑誌に発表されたことも大きかったように思える」としています。

 但し、この「出来ていた青」に関して言えば、少なくともジュブナイルではないでしょう(ラストの信二の「あの女、一度でいいからマスタアしてみたかったな」とそれに続く呟きが大人向きであることを物語っている)。因みに、「山本周五郎探偵小説全集」は、第1巻から第7巻(別巻)までそれぞれ「少年探偵・春田龍介」「シャーロック・ホームズ異聞」「怪奇探偵小説」「海洋冒険譚」「スパイ小説」「軍事探偵小説」「時代伝奇小説」と銘打たれていて(まるで江戸川乱歩以上に幅広いジャンルのカバーぶり?)、この「出来ていた青」は、『シャーロック・ホームズ異聞―山本周五郎探偵小説全集 第二巻』('07年/作品社)に収められています。

 因みに、この「出来ていた青」は、1988(昭和63)年にTX「月曜・女のサスペンス」で「スペードの女」(出演:二宮さよ子、名古屋章)としてドラマ化されていますが、個人的には未見です。

【1983年文庫化[新潮文庫『花匂う』所収]/1985年文庫再録[河出文庫[『文豪ミステリー傑作選 (第2集)』所収]/2008年文庫再録[集英社文庫[『文豪のミステリー小説』]所収】

《読書MEMO》
文豪ミステリー傑作選 第1集.jpg●『文豪ミステリー傑作選(第1集)』('85年/河出文庫)
夏目漱石「趣味の遺伝」/森鴎外「魔睡」/志賀直哉「范の犯罪」/芥川龍之介「開化の殺人」/谷崎潤一郎「途上」/泉鏡花「眉かくしの霊」/川端康成「それを見た人達」/太宰治「犯人」/内田百閒「サラサーテの盤」/三島由紀夫「復讐」
      
文豪ミステリー傑作選 第2集.jpg●『文豪ミステリー傑作選(第2集)』('85年/河出文庫)
黒岩涙香「無惨」/徳冨蘆花「巣鴨奇談」/久米正雄「嫌疑」/村山塊多「悪魔の舌」/岡本綺堂「兄妹の魂」/大仏次郎「怪談」/吉川英治「ナンキン墓の夢」/山本周五郎「出来ていた青/火野葦平「紅皿」/海音寺潮五郎「半蔀女」/吉屋信子「茶碗」/柴田錬三郎「赤い鼻緒の下駄」
      
●『文豪のミステリー小説』('08年/集英社文庫)
夏目漱石「琴のそら音」/大佛次郎「手首」/岡本綺堂「白髪鬼」/山本周五郎「出来ていた青/大岡昇平「真昼の歩行者」/幸田露伴「あやしやな」/久米正雄「嫌疑」/柴田錬三郎「イエスの裔」/芥川龍之介「藪の中」

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歴史小説・大河小説作家による、〈歴史抜き〉のキレのある短編であるというのが興味深い。

大佛次郎『怪談その他』天人社.jpg 見た人の怪談集.jpg   文豪のミステリー小説0_.jpg  
『怪談その他』(1930/05 天人社)/『見た人の怪談集 (河出文庫)』(2016/05 河出文庫) 『文豪のミステリー小説 (集英社文庫 や 39-2)』(2008/02 集英社文庫)
大佛次郎『怪談その他』天人社図1.jpg大佛次郎『怪談その他』天人社図2.png 慶応2年5月、清兵衛は芸妓・お村との新生活のために、牛込・通寺町の人目につかない閑静な場所にある手ごろな家を見つける。その2階に2人で床を並べてうとうとした際に、腕を冷たい手で掴まれ、あまりに冷たいのでその手を引き寄せると、その手は手首だけで、肱までなかった。次の晩もその手は清兵衛の前に現れ、家主に問いただすと、前にその部屋に住んでいたのは白鳥という土佐藩の武士で、綺麗な御新造さんがいたが、急に国に帰ることになったという。清兵衛は市ヶ谷・谷町に居を移すが、前の部屋の梯子段の下の戸棚に蛆虫が蠢めいているのが見つかり、白鳥の妾の変死体が床下から発掘される。谷町の住居も1カ月と続かず、お村と清兵衛の関係はうまくいかなくなって、清兵衛はお村と別れる。さらに清兵衛の不幸は続き、梅雨の頃から自分の左手首が痛み出す。親戚の家に行った際にそこの子供が清兵衛を見て、「蒼い手、蒼い手...」といって怖がり、清兵衛は自分の手に女の死人の手がぶら下がっていることを初めて知る。その時から清兵衛は、物事の全てに対する気力を失い、塔の沢に長逗留することになる。ある日、夕食前に一風呂浴びて浴室を出ると、その日宿に着いた大きな武士が浴衣姿で手拭を下げているのと狭い廊下で会う。清兵衛は男のために道をあけると、男はじろりと清兵衛を見て通り過ぎる。やがて、風呂場で何か騒動が起き、その武士が死んだという。喉にくびった跡があり、主によれば、武士の最期の言葉は「手、手...」だったと。その武士の薩州の新納権右衛門といい、「白鳥」と名乗った武士と同一人物かどうかは分からないが、この事件の後、清兵衛の手の痛みはすっかりとれる―。

文豪ミステリー傑作選 (第2集) 0_.jpg 大佛次郎(1897-1973)が1929(昭和4)年、雑誌『改造』に発表した短編で、1930(昭和5)年、『怪談その他』(天人社)の全11編の内の1編として刊行され、この時のタイトルは「手首」でした。アンソロジーとしては、河出文庫『文豪ミステリー傑作選(第2集)』('85年)に全12編の内の1編として収められており、タイトルは「怪談」になっていて、同じく河出文庫の『見た人の怪談集』('16年)にも全15編の内の1編として「怪談」のタイトルで収められています(但し、冒頭に「手首」とあり、「怪談」という小品集の中の1編という位置づけだろう)。また、集英社文庫の『文豪のミステリー小説』('08年)には、「手首」のタイトルで収録されています。そう言えば、川端康成にも「片腕」という、ある男が片腕を一晩貸ししてもいいわという娘から、実際片腕を借りるという怪談っぽい作品がありました(新潮文庫『眠れる美女』、ちくま文庫『川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選』などに所収)。
文豪ミステリー傑作選 (第2集) (河出文庫)』(1985/11 河出文庫)

大佛次郎  .jpg 大佛次郎のこの作品は『見た人の怪談集』で読みましたが、歴史小説作家、大河小説作家のイメージがある作者が(実は小説だけでなく、戯曲や児童文学、ノンフィクションなど幅広い分野に作品を遺した作家だが)、こうしたキレのある短編も書いているというのが興味深かったです。清兵衛がノイローゼのようになって、物事の全てに気力を失い、大政奉還も戊辰戦争も清兵衛の頭上を通り過ぎていくわけで、阿部日奈子氏の解説にもありますが、(歴史小説作家でありながら)殆ど時代背景に触れないで描くことによって、祟られた男の孤独がより浮き彫りにされています。

大佛次郎(昭和初期)ホテルニューグランドの屋上で

 この短編は2010年にテレビ東京で映像化され、「女のサスペンス名作選」最終回(2010年9月29日午前11時30分~昼12時27分)の「残された手首」として放送されていますが、あらすじは下記の通りです。

「残された手首」平田満.jpg 村山清(平田満)、美津子(岡江久美子)夫妻は、千葉県の郊外に念願の一戸建てを買い引っ越してきた。引越当日の深夜、2階寝室で寝ていた清の片腕に、突然女の手首がとりついた。夢だと思ったが、女の手首がとりついた左腕がだるくなってきた。クラシック音楽のトランペットの音色を聞いただけで、左腕が激しく痛みだしたり、3歳の甥が清の左腕に手首がぶらさがっていると恐がったり、美津子までノイローゼになりそうだった。ある日美津子は、この辺りで昔から開業している医者に、自分達が住んでいる場所の歴史を聞き出した。それによると、戦前は日本陸軍の兵営が近くにあり、ちょうど美津子達の家がある所に島倉という大尉の一家が住んでいた。島倉大尉(井上純一)と政略結婚をさせられた綾子(中島はるみ)という女性と、彼女に恋心をいだいた大尉の弟・康次郎に腹を立てた大尉が、軍刀で綾子の手首を切り落としたのだった―。

 個人的には未見で、「女のサスペンス名作選」はBS放送(BSジャパン)で再放送されることがありますが、これは再放送されたのでしょうか。原作における殺された妾の恨みを、政略結婚の末に夫から手首を斬られた正妻の恨みに置き換えていますが、原作では、清兵衛自身が本宅とは別所に妾を囲っているという状況において、妾の手首に囚まえられる点に怖さがあるのであって、その枠組みを外してしまってどうかなという感じがします。

 『見た人の怪談集』の収録作品は「停車場の少女」(岡本綺堂)/「日本海に沿うて」(小泉八雲)/「海異記」(泉鏡花)/「蛇」(森鴎外)/「竃の中の顔」(田中貢太郎)/「妙な話」(芥川龍之介)/「井戸の水」(永井荷風)/「大島怪談」(平山蘆江)/「幽霊」(正宗白鳥)/「化物屋敷」(佐藤春夫)/「蒲団」(橘外男)/「怪談」(大佛次郎)/「沼のほとり」(豊島与志雄)/「異説田中河内介」(池田彌三郎)/「沼垂の女」(角田喜久雄)の16編。

 「見た人の怪談」ということで、体験談や聞き語りのスタイルをとったものが多くなっていて、そうしたスタイルを共通項として短編集を編むという発想は面白いと思いましたが、必ずしもそうしたスタイルになっていないものもあったのではないでしょうか。大佛次郎の「怪談」は、文庫で20ページにも満たない作品ですが、最初は普通の小説スタイルで、終盤になって、「自分」が「老いた清兵衛」から話を聞く、つまり清兵衛の語りが中心となるスタイルに変わっており、そうした手法がリアリティを醸しているように感じられます。会話部分は最初からすべて『』で括られていて、要するに前半部分からすべて清兵衛の語りだったということなのでしょうが(「見た人の怪談」というコンセプトにも合っている)、臨場感を出すために敢えて「語り」のスタイルをとらず普通の小説スタイルにして、後日譚だけ「語り」のスタイルにしたということなのでしょう。

《読書MEMO》
文豪ミステリー傑作選 第1集.jpg●『文豪ミステリー傑作選(第1集)』('85年/河出文庫)
夏目漱石「趣味の遺伝」/森鴎外「魔睡」/志賀直哉「范の犯罪」/芥川龍之介「開化の殺人」/谷崎潤一郎「途上」/泉鏡花「眉かくしの霊」/川端康成「それを見た人達」/太宰治「犯人」/内田百閒「サラサーテの盤」/三島由紀夫「復讐」
  
  
文豪ミステリー傑作選 第2集.jpg●『文豪ミステリー傑作選(第2集)』('85年/河出文庫)
黒岩涙香「無惨」/徳冨蘆花「巣鴨奇談」/久米正雄「嫌疑」/村山塊多「悪魔の舌」/岡本綺堂「兄妹の魂」/大仏次郎「怪談/吉川英治「ナンキン墓の夢」/山本周五郎「出来ていた青」/火野葦平「紅皿」/海音寺潮五郎「半蔀女」/吉屋信子「茶碗」/柴田錬三郎「赤い鼻緒の下駄」
  
      
●『文豪のミステリー小説』('08年/集英社文庫)
夏目漱石「琴のそら音」/大佛次郎「手首/岡本綺堂「白髪鬼」/山本周五郎「出来ていた青」/大岡昇平「真昼の歩行者」/幸田露伴「あやしやな」/久米正雄「嫌疑」/柴田錬三郎「イエスの裔」/芥川龍之介「藪の中」
  
  
見た人の怪談集.jpg●『見た人の怪談集』('16年/河出文庫)
岡本綺堂...「停車場の少女」/小泉八雲...「日本海に沿うて」/泉鏡花...「海異記」/森鴎外...「蛇」/田中貢太郎...「竃の中の顔」/芥川龍之介...「妙な話」/永井荷風...「井戸の水」/平山蘆江...「大島怪談」/正宗白鳥...「幽霊」/佐藤春夫...「化物屋敷」/橘外男...「蒲団」/大佛次郎...「怪談/豊島与志雄...「沼のほとり」/池田彌三郎...「異説田中河内介」/角田喜久雄...「沼垂の女」


  

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「怖い名作短編集」の中での筆頭格。普通の人の頭の中にある「異常」に働きかける作品。

短篇集 剃刀 志賀.jpg ちくま日本文学021 志賀直哉.jpg  文豪が書いた怖い名作短編集.jpg
『短篇集 剃刀』(1946/07 斎藤書店)/『志賀直哉 [ちくま日本文学021]』['08年](カバー画:安野光雅)/『文豪たちが書いた 怖い名作短編集

志賀 直哉 「剃刀」26.jpg 麻布六本木で床屋を営む芳三郎は名人との声も名高い。しかし、今日はひどい風邪で寝込んでいる。ちょうど祭の前の忙しい時期だが、人手が足りない。以前雇っていた源公と治太公を解雇したからだ。芳三郎も以前は彼らと同じ小僧だったが、腕が認められて親方の娘と結婚し店を継いだ。以来、源公と治太公は素行が悪くなり、店の金に手を出すようになったので、芳三郎は二人を解雇したのだ。祭日前の稼ぎ時でありながら体は思うように動かない。妻のお梅は夫の体を気遣って休ませようとするが、その気遣いが芳三郎の神経を余計に苛立たせる。更に、研磨の依頼をされた剃刀のキレが悪いと客から文句があり、熱で震える手で研ぎ直すがうまくいかない。そこへ一人の若者が髭を剃りにやって来る。若者はこれから女郎屋にでも行くらしい。芳三郎は若者の髭を当たり始めるが、きちんと研げていない剃刀ではいつものように剃れない。若者はそれには構わず、やがて眠ってしまう。芳三郎は泣きたいような気持ちになるが、若者の方は大きな口を開けて眠っている。その時、剃刀が引っ掛かり、若者の喉から血が滲んだ。それまで客の顔を一度も傷つけたことのなかった芳三郎は、発作的に剃刀を逆手に持つと、刃が隠れるまで深く若者の喉に刺した。同時に、芳三郎の体には極度の疲労が戻ってきた。立ち尽くす芳三郎の姿を、三方に据えられた鏡だけが見つめていた―。

 1910(明治43)年6月発行の「白樺」第1巻3号に志賀直哉(1883‐1971)が27歳の時に発表した短編小説。因みに1910年という年は、「白樺」の創刊年であり、志賀直哉はこの年「網走まで」を発表しています(1946(昭和21)年齋藤書店刊行の初期短編集には「剃刀」も「網走まで」も収められているが、「剃刀」の方が表題になっている)。

清兵衛と瓢箪・網走まで - コピー.jpg この短編は、齋藤書店版('46年)、ちくま文庫版('08年)のほかに、新潮文庫版『清兵衛と瓢箪・網走まで』('68年)などにも収められていますが、最近では『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)にも入っています(ネットでは橋爪功による朗読版が聴ける)。『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』には、夢野久作「卵」、夏目漱石「夢十夜」、江戸川乱歩「押絵と旅する男」、小泉八雲「屍に乗る男」「破約」、小川未明「赤いろうそくと人魚」「過ぎた春の記憶」、久生十蘭「昆虫図」「骨仏」、芥川龍之介「妙な話」、志賀直哉「剃刀」、岡本綺堂「蟹」、火野葦平「紅皿」、内田百閒「件」「冥途」の15篇が収められていますが、"恐怖小説"と"幻想小説"や"怪異譚"がやや被っている感じで、結局「怖い」という意味での「筆頭格」と言うか、いちばん怖かったのはこの志賀直哉の「剃刀」だったように思います。

Book Bar.jpg この作品のテーマについては、ちょっとした「気分」に引き摺られて社会から逸脱してしまうことの怖さを描いたものである(荒井均氏)とか、或いはラストの鏡に注目し、殺人にまで至る心身の感覚を不合理として纏めてしまう客観性(紅野謙介氏)であるとか諸説あるようです。また以前に、FM J-WAVE の「BOOK BAR」(ナビゲーターは大倉眞一郎と杏)で、ゲストのシンガーソングライターの吉澤嘉代子氏が、「剃刀」は「男性器」の象徴だと思ったと言っていました。ホント色々な見方があって、読書会などで取り上げられることが多い作品ではないかと想像します。

異常の構造.jpg木村 敏.jpg 個人的には、主人公がもし本当にお客を殺害したのであれば、ある種、統合失調症(昔で言う精神分裂症)の気質の持ち主であったということではないかと思います。この病気(病質)の特徴は、「社会性」や「常識」といったものが失われることにあり、精神病理学者の木村敏氏はその著書『異常の構造』('73年/講談社現代新書)の中で、「常識」は世間的日常性の公理についての実践的感覚であり、分裂症病者はそれが欠落しているとしています。

 但し、木村敏氏は、「正常者」や「正常者の社会」を構造化しているものの脆弱さも指摘しています。これを個人的に解釈させてもらうと、人間というのはちょうど不確定性原理における量子のゆらぎのように、意識の瞬間々々においては「正常」と「異常」の間を行ったり来たりしているけれども、連続性において「正常」の方が「異常」の方よりもより多く現出するため、トータルで何とか「正常」を保っているということになるのではないかと思います(その点がまさに健常者を統合失調症の病者と隔てる垣根となる)。

 そう考えるとこの短編の怖さは、自分がこの芳三郎の立場に立った時、偶々そこで「異常」の方が現出し、芳三郎と同じような行動に出るのではないかという怖さ(不安)ではないかと思います。それはちょうど、高い所が怖い理由が、実は「誤って落ちる」可能性があるから怖いのではなく、「自ら飛び降りてしまう」可能性があるから不安なのであるというのと同じ理屈です。但し、普通の人(「正常」な人)は、そうした「異常」な(発作的・破滅的な)事態を頭の中で想像することには想像するけれども、行為としての実行には至らず、それはあくまでもイメージの世界に止まっているということであると思います。

 この作品はそうした普通の人の心の奥にある潜在的な「異常」に働きかけるものであり、作者はこの作品に一定のリアリティを持たせるために、この短篇を幾度か書き直したそうです。後に「小説の神様」と呼ばれるようになる作者のそうした注力の成果でもあるかと思いますが、例えば、客商売の人であれば誰もが経験しそうで感情移入しやすい、主人公のフラストレーティブな状況をごく自然に描き出している点は巧みであり、それだけに、終盤の主人公の「異常」な行為にまで読者は感情移入してしまうのではないかと思います。

剃刀images.jpg 振り返ってみて、剃られる側に立って想像しても怖い話かと思います。個人的には久しく床屋で顔を剃ってもらったことはないけれど、以前に床屋で剃ってもらっていた頃、その最中にちらっと「今この床屋さんが発狂したら...」と考えた怖い想像も後から甦ってきました。但し、この短編の怖さは、やはり自分がどこかの場面で、芳三郎と同じような行動に出るのではないかという不確実性に対する怖さ(不安)の方が上ではないかと思います。

 余談になりますが、顔剃りができるのが床屋、顔剃りができないのが美容室と区別するのは法律的にも原則は間違っていないそうですが、「化粧に付随した軽い顔剃りは行っても差し支えない」とされていて、顔剃りを売りにしている美容院も最近増えているようです。行きつけの美容師の人に言わせれば、床屋と美容院の違いはバリカンを使うか使わないかではないかとのことです。

【1946年単行本[斎藤書店(『短篇集 剃刀』)]/1968年文庫化[新潮文庫(『清兵衛と瓢箪・網走まで』)]/1992年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学全集』)]/2008年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学021志賀直哉』)]/2013再文庫化[彩図社『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』]】

《読書MEMO》
●『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)
夢野久作...「卵」/夏目漱石...「夢十夜」/江戸川乱歩...「押絵と旅する男」/小泉八雲/田部隆次訳...「屍に乗る男」「破約」/小川未明...「赤いろうそくと人魚」「過ぎた春の記憶」/久生十蘭...「昆虫図」「骨仏」/芥川龍之介...「妙な話」/志賀直哉...「剃刀/岡本綺堂...「蟹」/火野葦平...「紅皿」/内田百閒...「件」「冥途」

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『痴人の愛』『鍵』と並ぶ谷崎文学のファム・ファタール作品の傑作。

谷崎 卍 新潮文庫9.jpg 谷崎 卍 新潮文庫.jpg 谷崎 卍 岩波文庫.jpg 谷崎 卍 文庫_.jpg  映画「卍」 .jpg
新潮文庫/『卍 (新潮文庫)』/『卍(まんじ) (1985年) (岩波文庫)』/『卍(まんじ) (岩波文庫)』映画「
『卍』(改造社)1931(昭和6)年4月20日初版
谷崎 卍 1931年.jpg 弁護士の夫に不満のある若い妻・柿内園子は、技芸学校の絵画教室で出会った徳光光子と禁断の関係に落ちる。しかし奔放で妖艶な光子は、一方で異性の愛人・綿貫とも交際していることが分かり、園子は光子への狂おしいまでの情欲と独占欲に苦しむ。更に、互いを縛る情欲の絡み合いは、園子の夫・孝太郎をも巻き込み、園子は死を思いつめるが―。

 谷崎潤一郎(1886-1965)の長編小説で雑誌「改造」の1928(昭和3)年3月号から1930(昭和5年)4月号まで断続的に連載されたもの。時期的には、作者の代表作で言えば、『痴人の愛』(1924年)と『春琴抄』(1933年)の間の時期で、『蓼喰う虫』(1928年-29年)と時期が重なることになりますが、『蓼喰う虫』は東京日日新聞(今の毎日新聞)に連載された新聞連載小説であり、こちらは雑誌に発表されたものです(何れにせよ、この頃作者は旺盛な創作活動期にあったとみていい)。

香櫨園海岸1.jpg 谷崎潤一郎は1923(大正12)年の関東大震災を契機にその年に関西に移住しており、移住前から構想があった『痴人の愛』の舞台は東京ですが、『春琴抄』の舞台は大阪、『蓼喰う虫』は大阪と兵庫(須磨)、そしてこの『卍』も、主人公の園子の自宅は西宮の香櫨園海岸にあるという設定になっています。

西宮・香櫨園海岸

 更に、この小説は、主人公・園子の一人称で、小説家である「先生」に徳光光子との関係を巡る事件を物語るというスタイルをとっており、終始一貫して園子の関西弁の語りで物語が成り立っているというのが特徴です。そのため、本来ならばどぎついと思われるような内容も、関西弁の柔らかい感じがそのどぎつさを包み込んでいるような印象を受けました(使われている関西弁が正しくないとの指摘もあるようだが、個人的にはそれはあまり感じなかった)。
新潮文庫2018年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018 卍.jpg 光子という一人の妖婦に周囲の3人の大人(園子、綿貫、孝太郎)が翻弄され、とりわけ園子と孝太郎が夫婦ごと光子の奴隷のような存在になっていく過程が凄いなあと思います。光子は、周囲を巻き込んでいくという点で、『痴人の愛』のナオミにも通じる気がしました。また、園子がどこまでを計算して、どこまでを無意識でやっているのかが読者にもすぐには判別しかねるという点では、作者の後の作品『鍵』(1956年)の郁子にも通じるものがあるように思います。

 結局、かなりの部分は光子の計略だったのだろなあ。でも、結末からすると、光子は実に純粋だった(自らの欲望に対してと言うことになるが)ということになるのかもしれません。今風に言えば、自己愛性人格障害とか演技性人格障害といった範疇に入るのかもしれないけれど。最後は園子の夫・栄次郎まで事件に巻き込まれるであろうということは、読んでいてかなり早い段階で気づくのですが...。

 同性愛小説という捉えられ方をされ、実際その通りですが、孝太郎まで園子の犠牲(?)になっているから、これはもう『痴人の愛』『鍵』と並んで、谷崎文学の三大ファム・ファタール作品と言えるかもしれません。まあ、この作家の場合、『瘋癲老人日記』や、短編の「刺青」などもあるため、「三大」では収まらないかもしれませんが、個人的に『痴人の愛』『鍵』と並んでこの作品も傑作であるように思われます。そんなこんなで、日本文学におけるファム・ファタール文学と言うと、やはり真っ先に谷崎潤一郎を想起します。

 この作品は、海外を含め過去5回映画化されていますが、増村保造監督の「」('64年/大映)は比較的原作に忠実に作られていたように思います。
 ・「卍」(1964年・大映)監督:増村保造/脚本:新藤兼人/出演:若尾文子、岸田今日子、川津祐介、船越英二ほか
 ・「卍」(1983年・東映)監督:横山博人/脚本:馬場当/出演:樋口可南子、高瀬春奈、小山明子、原田芳雄ほか
 ・「卍/ベルリン・アフェア』(1985年/伊・独)監督:リリアーナ・カヴァーニ/出演:グドルン・ランドグレーベ、高樹澪、ケヴィン・マクナリー
 ・「卍」(1998年・ギャガ・コミュニケーションズ)監督:服部光則/出演:坂上香織、真弓倫子ほか
 ・「卍」(2006年・アートポート)監督・脚本:井口昇/出演:不二子、秋桜子、荒川良々、野村宏伸ほか

谷崎 卍 中公文庫 .jpg谷崎 卍 中公文庫 2.jpg卍 1964 02.jpg【1951年文庫化[新潮文庫]/1955年再文庫化[角川文庫]/1956年再文庫化[河出文庫]/1985年再文庫化[岩波文庫]/1985年再文庫化[中公文庫(『蘆刈・卍』)]/2006年再文庫化[中公文庫(『卍』)]】
「卍」 (1964/07 大映) ★★★☆

蘆刈・卍 (中公文庫)』/『卍(まんじ) (中公文庫)

《読書MEMO》
●「卍」...1928(昭和3)年発表

●新潮文庫2018年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018.png

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当初画期的だったものが今やオーソドックスに。文庫1400ページが一気に読める面白さ。

赤穂浪士 改造社.jpg 赤穂浪士 大佛次郎 角川文庫.jpg 赤穂浪士 大佛次郎 新潮文庫.jpg
赤穂浪士 (上巻)』/『赤穂浪士〈上巻〉 (1961年) (角川文庫)』『赤穂浪士〈下巻〉 (1961年) (角川文庫)』/『赤穂浪士〈上〉 (新潮文庫)』『赤穂浪士〈下〉 (新潮文庫)
大佛次郎(1897-1973)
大佛次郎.jpg (上巻)元禄太平に勃発した浅野内匠頭の刃傷事件から、仇討ちに怯える上杉・吉良側の困惑、茶屋遊びに耽る大石内蔵助の心の内が、登場人物の内面に分け入った迫力ある筆致で描かれる。虚無的な浪人堀田隼人、怪盗蜘蛛の陣十郎、謎の女お仙ら、魅力的な人物が物語を彩り、鮮やかな歴史絵巻が華開く―。(下巻)二度目の夏が過ぎた。主君の復讐に燃える赤穂浪士。未だ動きを見せない大石内蔵助の真意を図りかね、若き急進派は苛立ちを募らせる。対する上杉・吉良側も周到な権謀術数を巡らし、小競り合いが頻発する。そして、大願に向け、遂に内蔵助が動き始めた。呉服屋に、医者に姿を変え、江戸の町に潜んでいた浪士たちが、次々と結集する―。[新潮文庫ブックカバーあらすじより]
Jiro Osaragi(1925)
Jiro_Osaragi_1925.jpg大佛 次郎  赤穂浪士 東京日日.jpg 大佛次郎(1897-1973)の歴史時代小説で、1927(昭和2)年5月から翌年11月まで毎日新聞の前身にあたる「東京日日新聞」に岩田専太郎の挿絵で連載された新聞小説です。1928(昭和3)年10月に改造社より上巻が発売されるや15万部を売り切って当時としては大ベストセラーとなり、中巻が同年11月、下巻が翌年8月に刊行されています。

 これまで4回の映画化、3回のテレビ映画化、1回の大河ドラマ化が行われ(いちばん最近のものは1999年「赤穂浪士」(テレビ東京、主演:松方弘樹))、今でこそ最もオーソドックスな"忠臣蔵"小説であるかのように言われていますが、当時としては、それまでの忠臣蔵とはかなり違った画期的な作品と受け取られたようです。

 どこが画期的であったかと言うと、まず赤穂四十七士を「義士」ではなく「浪士」として捉えた点であり、また、赤穂浪士の討入りに至る経緯を、非業の最期を遂げた幕吏を父に持つ堀田隼人や怪盗蜘蛛の陣十郎といった第三者的立場の視点で捉えている点です(いずれも架空の人物)。

 とりわけ、大石内蔵助をはじめとする四十七士をアプリオリに「義士」とするのではなく、内蔵助自身からして、何が「義」であるか、何が「武士道」の本筋であるか、それらは全てに優先させてよいものか等々悩んでいる点が特徴的です。

 そうした中で、吉良上野介の首級を取ることが最終目的ではなく、吉良の上にいる柳沢吉保らに代表される官僚的思想に対する武士道精神の反逆を世に示すことが内蔵助の狙いであることが次第に暗示されるようになります。それに関連して、内蔵助が、上野介の首級を挙げた後の泉岳寺へ向けた行軍において、上野介の息子・上杉綱憲が米沢藩の藩主であることから、米沢藩の藩士らと一戦を交えて討死することで"本懐"が遂げられると想定していたような書きぶりになっています。

 しかし、史実にもあるよう、米沢藩の藩士らはやってきません。それは、この小説のもう1人の主人公と言ってもいい米沢藩家老・千坂兵部(愛猫家であった作者と同じく猫好きという設定になっている)が、堀田隼人や女間者お仙を遣って赤穂浪士の動向を探り、自藩の者を上野介の身辺護衛に配しながらも、赤穂浪士が事を起こした時には援軍を差し向けぬよう後任の色部又四郎に託していたからだということになっています。千坂兵部は内蔵助の心情を深く感知し、内蔵助に上野介の首級を上げさせたものの、米沢藩の藩士らと一戦を交えるという彼の"本懐"は遂げさせなかったともとれます。

 これも作者オリジナルの解釈でしょう。近年になって、千坂兵部は赤穂浪士の討入りの2年前、浅野内匠頭の殿中刃傷の1年前に病死していたことが判明しています。上杉綱憲に出兵を思い止まらせたのは、幕府老中からの出兵差止め命令を綱憲に伝えるべく上杉邸に赴いた、遠縁筋の高家・畠山義寧であるとされており、また、討入り事件は綱憲にとっては故家の危機ではあっても、藩士らには他家の不始末と受けとめられたに過ぎず、作中の千坂兵部のような特定個人の深慮によるものと言うより、自藩を断絶の危機へと追い込む行動にはそもそも誰も賛成しなかったというのが通説のようです。

 大佛次郎のこの小説を原作とした過去の映画化作品は、
 「赤穂浪士 第一篇 堀田隼人の巻」(1929年/日活/監督:志波西果、主演:大河内伝次郎)
 「堀田隼人」(1933年/片岡千恵蔵プロ・日活/監督:伊藤大輔、主演:片岡千恵蔵)
 「赤穂浪士 天の巻 地の巻」(1956年/東映/監督:松田定次、主演:市川右太衛門)
 「赤穂浪士」(1961年/東映、監督:松田定次、主演:片岡千恵蔵)
赤穂浪士 1961 .jpgで、後になればなるほど"傍観者"としての堀田隼人の比重が小さくなって、"もう1人の主人公"としての千坂兵部の比重が大きくなっていったのではないで赤穂浪士1961 _0.jpgしょうか。'61年版の片岡千恵蔵が自身4度目の大石内蔵助を演じた「赤穂浪士」では、堀田隼人(大友柳太郎)はともかく、蜘蛛の陣十郎はもう登場しません。但し、1964年の長谷川一夫が内蔵助を演じたNHKの第2回大河ドラマ「赤穂浪士」では、堀田隼人(林与一)も蜘蛛の陣十郎(宇野重吉)も出てきます。
片岡千恵蔵 in「赤穂浪士」(1961年/東映)松田 定次 (原作:大佛次郎) 「赤穂浪士」(1961/03 東映) ★★★☆
長谷川一夫 in「赤穂浪士」(1964年/NHK)
NHK 赤穂浪士5.jpgNHK 赤穂浪士.jpg このNHKの大河ドラマ「赤穂浪士」は討ち入りの回で、大河ドラマ史上最高の視聴率53.0%を記録しています。因みに、長谷川一夫は大河ドラマ出演の6年前に、渡辺邦男監督の「忠臣蔵」('58年/大映)で大石内蔵助を演じていますが、こちらは大佛次郎の原作ではなく、オリジナル脚本です(大河ドラマで吉良上野介を演じた滝沢修も、この映画で既に吉良上野介を演じている)。
      
尾上梅幸(浅野内匠頭)・滝沢修(吉良上野介)
滝沢修/尾上梅幸 NHK赤穂浪士.jpg

 この大佛次郎の小説が作者の大石内蔵助や赤穂浪士に対する見解が多分に入りながらも"オーソドックス(正統)"とされるのは、その後に今日までもっともっと変則的な"忠臣蔵"小説やドラマがいっぱい出てきたということもあるかと思いますが、堀田隼人や蜘蛛の陣十郎を巡るサイドストーリーがありながらも、まず四十七士、とりわけ大石NHK 赤穂浪士_6.JPG内蔵助の心情やそのリーダーシップ行動のとり方等の描き方が丹念であるというのが大きな要因ではないかと思います(映画化・ドラマ化されるごとに堀田隼人や蜘蛛の陣十郎が脇に追いやられるのも仕方がないことか)。

 '61年版「赤穂浪士」を観た限りにおいては、映画よりも原作の方がずっと面白いです。文庫で1400ページくらいありますが全く飽きさせません。一気に読んだ方が面白いので、また、時間さえあれば一気に読めるので、どこか纏まった時間がとれる時に手にするのが良いのではないかと思います。


赤穂浪士 1964 nhk2.jpg「赤穂浪士」(NHK大河ドラマ)●演出:井上博 他●制作総指揮:合川明●脚本:村上元三⑥芥川 也寸志.jpg●音楽:芥川也寸志●原作:大佛次郎●出演:長谷川一夫淡島千景/林与一/尾上梅幸/滝沢修志村喬/中村芝鶴/中村賀津雄/中村又五郎/田村高廣岸田今日子/瑳峨三智子/伴淳三郎/芦田伸介/實川延若/坂東三津五郎/河津清三郎/西村晃/宇野重吉/山田五十鈴/花柳喜章/加藤武/舟木一夫/金田竜之介/戸浦六宏/鈴木瑞穂/藤岡琢也/嵐寛寿郎/田村正和/渡辺美佐子/石坂浩二●放映:1964/01~12(全52回)●放送局:NHK

田村高廣 NHK大河ドラマ出演歴
・赤穂浪士(1964年) - 高田郡兵衛
・太閤記(1965年) - 黒田孝高
・春の坂道(1971年) - 沢庵
・花神(1977年) - 周布政之助
0 田村高廣 NHK大河.jpg

【1961年文庫化[角川文庫(上・下)]/1964年再文庫化・1979年・1998年・2007年改版[新潮文庫(上・下)]/1981年再文庫化[時代小説文庫(上・下)]/1993年再文庫化[徳間文庫(上・下)]/1998年再文庫化[集英社文庫(上・下)]】

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面白かった。鏡子にとって漱石との結婚生活はまさに「闘い」だったのだなあと。

漱石の思い出 (岩波書店).jpg漱石の思い出 (文春文庫).jpg 夏目漱石の妻01.jpg
漱石の思い出 (文春文庫)』 NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」尾野真千子/長谷川博己)
夏目漱石の妻ges.jpg漱石の思ひ出――附 漱石年譜』['16年/岩波書店]

夏目漱石の 長谷川s.jpg NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」(出演:尾野真千子、長谷川博己)を偶々見て、結構面白く感じられ(尾野真千子はやはり演技が上手く、長谷川博己も舞台で蜷川幸雄に鍛えられただけのことはあった)、それに触発されてこの原作本を手にしました。

夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思ひ出』改造社(初版・昭3年)
漱石の思ひ出 初版 夏目鏡子述 松岡譲筆録 改造社 昭31.jpg
夏目漱石の妻  s.jpg 原作は、夏目漱石(1867-1916/享年49)の妻・夏目鏡子(1877-1963/享年85)が1928(昭和3)年に漱石との結婚生活を口述し、それを漱石の弟子で長女・筆子の夫の松岡譲(1891-1969/享年77)が筆録して雑誌「改造」に連載したもので、1928年11月に『漱石の思ひ出』として改造社から刊行され、その時は60点余りの写真入りであったのが、翌1929(昭和4)年10月に同じカバーデザインで写真を割愛し、代わりに付漱石の思ひ出 単行本 - 200310_.jpg録として年譜を入れた廉価版(普及版)として岩波書店より刊行されました。手元にあるのはその普及版で、'93年刊行の第13刷です(実質的に復刻版だが、オリジナルに手を加えていないため"第13刷"となっている)。'54年に角川文庫で前後編2巻に分けて文庫化され、'66年に1巻に統合、'87年に改版されています。岩波書店版は旧仮名づかいで漢字にはルビがふってあるのに対し、角川文庫版は新仮名づかいになっていますが、どちらで読んでも構わないかと思います(岩波書店版は'03年に第14刷改版を刊行、また今回のドラマ化に合わせて(?)今年['16年]9月に改版されて、こちらは復刻版となっている)。

漱石の思ひ出』['03年/岩波書店(第14刷改版)]

 ドラマを観て、或いは本書を読んで新たに受けた印象としては、これまでの思い込みで「修善寺の大患」以降、漱石の神経衰弱が極度に進行したかのように思っていたのですが、それ以前の英国留学から戻って来た頃(鏡子と結婚して間もない頃)からそうした症状はかなり出ていて、鏡子にとって漱石との結婚生活はまさに「闘い」であったのだなあと改めて思いました。

 『吾輩は猫である』などの作風から"余裕派"などと言われたりしていますが、そこに至るまでに病的なまでの落ち込みや激昂といった精神的な波があり、そうした状況の中で書かれた『吾輩は猫である』は、漱石にとって(また夫婦にとって)ある種ブレークスルーであったという印象を受けました。

漱石と妻_1.jpg それまでの漱石は「DV夫」であり、その暴力は子どもにまでも及び、それはドラマでも描かれていましたが(例えば火鉢の淵に五厘銭があっただけで、ロンドンでの経験と勝手に結びつけて自分が馬鹿にされていると思い込み、娘である筆子を殴ったりした)、「吾輩は猫である」を書き始めてからも、向いの下宿屋の書生に、「おい、探偵君。今日は何時に学校にいくのかね」と呼びかけたりして、書生が自分の事をスパイしていると思い込んだりしているなど(これもドラマで描かれていた)、"病気"が治っていたわけではないのだなあと。英国留学から戻って来て以降は、ずっとそうした"病気"と共存して生きる人生であったのだなあと思いました。

 夫婦の間の出来事としては辛い話ばかりではなく、家に泥棒に入られて衣類など盗まれたけれども、泥棒が捕まってそれらが戻ってきたら、どれも洗濯して綺麗になっていて、コートなどは裾直しがしてあって却って有難かったといった可笑しなエピソードなども多くあり、これもドラマで再現されていましたが、そうしたほのぼのとした話もありながら、ドラマの方は漱石の病的な性癖に纏わる端的な話の方を中心に選んで再現しているため、漱石は確かに「DV夫」ではあったものの、それ以外の何者でもなかったような描かれ方にも若干なっていたようにも思います。

 本書は漱石が亡くなるまで、或いは亡くなった際の後の段取り等も含め語られていますが、ドラマの方は「修善寺の大患」(1910年8月)の後、翌年小康を得て6月に鏡子同伴で長野・善光寺に講演旅行に行ったところで終わっていました。本文385ページの内、修善寺の大患が200ページあたり、善光寺行が250ページあたりであるため、生涯の中で精神状態が比較的安定していた幾つかの時期の1つで話を終わらせたのでしょうか。その翌年には酷いノイローゼが再発し、胃潰瘍も再発しますが、一方で「こころ」「道草」「明暗」といった作品が書かれたのもこの時期以降です。

夏目漱石の妻 尾上e02.jpg 鏡子については悪妻説が根強くあるようですが、これを読むと、確かに言われているように鏡子が産後のヒステリーで精神不安定になった時期もあるようですが、やっぱりどうしょうも無く勝手なのは漱石の方で、それを大きく包み込んでいるのが鏡子であるというのが全体としての印象です。ドラマのラストで(おそらく善光寺への講演旅行に鏡子が同伴した際の一コマかと思われるが)、鏡子が漱石に「坊ちゃん」の中に出てくる"坊っちゃん"を小さい頃から可愛がってくれた下女・清(キヨ)のモデルは私でしょうと問う場面が夏目漱石の妻 last.jpgありますが、これはドラマのオリジナルです。漱石の孫にあたる夏目房之介氏が、鏡子の本名がキヨであることに注目し夏目房之介 .jpgて、「坊っちゃん」という作品が漱石から鏡子に宛てたラブレターだったのではないか、と指摘しており、それをドラマに反映させたのではないかと思われます。

夏目房之介氏

 ドラマも面白かったけれども、本も面白く(漱石の小説より面白かったりする)、漱石研究の資料としてもこれを超えるものはないとも言われているようです(刊行時はあまり注目されなかったらしいが)。個人的には特別に漱石ファンということでもないのですが、漱石ファンでなくとも面白く読めると思います。漱石没後100年の節目ということもありますが、この作品に注目しドラマ化をプロデュースした人の見識を評価したいと思います。

夏目漱石の妻 s.jpg夏目漱石の妻ド.jpg「夏目漱石の妻」●演出:柴田岳志/榎戸崇泰●制作統括:吉永証/中村高志●脚本:池端俊策●音楽:清水靖晃●原案:夏目鏡子/松岡譲「漱石の思い出」●出演:尾野真千子/長谷川博己/黒島結菜/満島真之介/竹中直人/舘ひろし●放映:2016/09~10(全4回)●放送局:NHK

麒麟がくる6.jpg「麒麟がくる」op.jpg長谷川博己 シン・ゴジラ.jpg
長谷川博己 in 「シン・ゴジラ」(2016年7月公開)主演・矢口蘭堂 役


脚本:池端俊策/主演:長谷川博己「麒麟がくる」(2020~2021)

【1954年文庫化[角川文庫(『漱石の思ひ出〈前篇・後篇〉』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『漱石の思い出(全1巻)』)]/1994年再文庫化[文春文庫(『漱石の思い出』)]】

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映画は「本日休診」+「遥拝隊長」(+「多甚古村」?)。
本日休診 DVD.jpg 本日休診_3.jpg  本日休診 文庫 .jpg
<あの頃映画>本日休診 [DVD]」 岸惠子・柳永二郎 『遙拝隊長・本日休診(新潮文庫)

本日休診 01柳永二郎.jpg 三雲医院の三雲八春(柳永二郎)は戦争で一人息子を失い、甥の伍助(増田順二)を院長に迎えて戦後再出発してから1年になる。その1周年記念日、伍助院長は看護婦の本日休診 04岸惠子.jpg瀧さん(岸惠子)らと温泉へ行き、三雲医院は「本日休診」の札を掲げる。八春先生がゆっくり昼寝でもと思った矢先、婆やのお京(長岡輝子)の息子勇作(三國連太郎)が例の発作を起こしたという。勇作は軍隊生活の悪夢に憑かれており、時折いきなり部隊長となって皆に号令、遥拝を命じるため、八春先生は彼の部下になったふりをして本日休診 三國.jpg気を鎮めてやらなければならなかった。勇作が落着いたら、今度は警察の松木ポリス(十朱久雄)が大阪から知り合いを頼って上京したばかりで深夜暴漢に襲われ本日休診 03角梨枝子.jpgたあげく持物を奪われた悠子(角梨枝子)という娘を連れて来る。折から18年前帝王切開で母子共八春先生に助けられた湯川三千代(田村秋子)が来て、悠子に同情してその家へ連れて帰る。が、八春先生はそれでも暇にならず、砂礫船の船頭の女房のお産あり、町のヤクザ加吉(鶴田浩二)が指をつめるのに麻酔を打ってくれとやって来たのを懇々と説教もし本日休診 06鶴田浩二.jpgてやらねばならず、悠子を襲った暴漢の連本日休診 02佐田啓二.jpgれの女が留置場で仮病を起こし、兵隊服の男(多々良純)が盲腸患者をかつぎ込んで来て手術をしろという。かと思うとまたお産があるという風で、「休診日」は八春先生には大変多忙な一日となる。悠子は三千代の息子・湯川春三(佐田啓二)の世話で会社に勤め、加吉はやくざから足を本日休診 05淡島千景.jpg洗って恋人のお町(淡島千景)という飲み屋の女と世帯を持とうと考える。しかしお町が金のため成金の蓑島の自由になったときいて、その蓑島を脅本日休診 10.jpg迫に行き、お町はお町で蓑島の子を流産して八春先生の所へ担ぎ込まれる。兵隊服の男は、治療費が払えず窓から逃げ出すし、加吉は再び賭博で挙げられる。お町は一時危うかったがどうやら持ち直す。そんな中、また勇作の集合命令がかかり、その号令で夜空を横切って行く雁に向かって敬礼する八春先生だった―。

本日休診』d.jpg本日休診●井伏鱒二●文芸春秋社●昭和25年4刷.jpg 1952(昭和29)年公開の渋谷実(1907-1980/享年73)監督作で、原作は第1回読売文学賞小説賞を受賞した井伏鱒二(1898-1993/享年95)の小説「本日休診」であり、この小説は1949(昭和24)年8月「別冊文芸春秋」に第1回発表があり、超えて翌年3回の発表があって完結した中篇です。

本日休診 (1950年)』(1950/06 文藝春秋新社) 収載作品:遥拝隊長 本日休診 鳥の巣 満身瘡痍 貧乏徳利 丑寅爺さん

 町医者の日常を綴った「本日休診」は、井伏鱒二が戦前に発表した田舎村の駐在員の日常を綴った「多甚古村」と対を成すようにも思われますが、「多甚古村」は作者の所へ送られてきた実際の田舎町の巡査の日記をベースに書かれており、より小説的な作為を施したと思われる続編「多甚古村補遺」が後に書かれていますが(共に新潮文庫『多甚古村』に所収)、作家がより作為を施した「多甚古村補遺」よりも、むしろオリジナルの日記に近いと思われる「多甚古村」の方が味があるという皮肉な結果になっているようも思いました。その点、この「本日休診」は、作家としての"作為"の為せる技にしつこさがなく、文章に無駄が無い分キレを感じました。

 医師である主人公を通して、中篇ながらも多くの登場人物の人生の問題を淡々と綴っており、戦後間もなくの貧しく暗い世相を背景にしながらもユーモアとペーソス溢れる人間模様が繰り広げられています。こうしたものが映画化されると、今度はいきなりべとべとしたものになりがちですが、その辺りを軽妙に捌いてみせるのは渋谷実ならではないかと思います。

本日休診 12.jpg 主人公の「医は仁術なり」を体現しているかのような八春先生を演じた柳永二郎は、黒澤明監督の「醉いどれ天使」('48年/東宝)で飲んだくれ医者を演じた志村喬にも匹敵する名演でした。また、「醉いどれ天使」も戦後の復興途上の街を描いてシズル感がありましたが、この「本日休診」では、そこからまた4年を経ているため、戦後間もない雰囲気が上手く出るよう、セットとロケ地(蒲田付近か)とでカバーしているように思本日休診5-02.jpgいました。セット撮影部分は多分に演劇的ですが(本日休診m.jpgそのことを見越してか、タイトルバックとスチール写真の背景は敢えて書割りにしている)、そうい言えば黒澤明の「素晴らしき日曜日」('47年/東宝)も後半はセット撮影でした(「素晴らしき日曜日」の場合、主演俳優が撮影中に雑踏恐怖症になって野外ロケが不能になり後半は全てセット撮影となったという事情がある)。

「本日休診」スチール写真(鶴田浩二/淡島千景)

本日休診 title.jpg本日休診 title2 .jpg クレジットでは、鶴田浩二(「お茶漬の味」('52年/松竹、小津安二郎監督))、淡島千景(「麦秋」('51年/松竹、小津安二郎監督)、「お茶漬の味」)、角梨枝子(「とんかつ大将」('52年/松竹、川島雄三監督))ときて柳永二郎(「魔像」('52年/東映))となっていますが、この映画の主役はやはり八春先生の柳永二郎ということになるでしょう。その他にも、佐田啓二、三國連太郎、岸恵子など将来の主役級から、増田順二、田村秋子、中村伸郎、十朱久雄、長岡輝子、多々良純、望月優子といった名脇役まで多士済々の顔ぶれです。

本日休診 07三国連太郎.jpg この作品を観た人の中には、三國連太郎が演じた「遥拝隊長」こと勇作がやけに印象に残ったという人が多いですが、このキャラクターは遙拝隊長youhaitaichou.jpg原作「本日休診」にはありません。1950(昭和25)年発表の「遥拝隊長」(新潮文庫『遥拝隊長・本日休診』に所収)の主人公・岡崎悠一を持ってきたものです。彼はある種の戦争後遺症的な精神の病いであるわけですが、原作にはその経緯が書かれているので読んでみるのもいいでしょう。また、映画の終盤で、警察による賭場のガサ入れシーンがありますが、これは「多甚古村」にある"大捕物"を反映させたのではないかと思います。

淡島千景鶴田浩二角梨枝子『本日休診』スチル.jpg 脚本は、「風の中の子供」('37年/松竹、坪田譲治原作、清水宏監督)、「風の中の牝鶏」('48年/松竹、小津安二郎監督)の斎藤良輔(1910-2007/享年96)。原作「本日休診」で過去の話やずっと後の後日譚として描かれている事件も、全て休診日とその翌日、及びそれに直接続く後日譚としてコンパクトに纏めていて、それ以外に他の作品のモチーフも入れ、尚且つ破綻することなく、テンポ良く無理のない人情喜劇劇に仕上げているのは秀逸と言えます(原作もユーモラスだが、原作より更にコメディタッチか。原作ではお町は死んでしまうのだが、映画では回復を示唆して終わっている)。

鶴田浩二/淡島千景/角梨枝子

本日休診 スチル.jpg この映画のスチール写真で、お町(淡島千景)らが揃って"遥拝"しているものがあり、ラストシーンかと思いましたが、ラストで勇作(三國連太郎)が集合をかけた時、お町は床に臥せており、これはスチールのためのものでしょう(背景も書割りになっている)。こうした実際には無いシーンでスチールを作るのは好きになれないけれど、作品自体は佳作です。その時代でないと作れない作品というのもあるかも。過去5回テレビドラマ化されていて、実際に観たわけではないですが、時が経てば経つほど元の映画を超えるのはなかなか難しくなってくるような気がします(今世紀になってからは一度も映像化されていない)。
     
本日休診 vhs5.jpg本日休診 1952.jpg「本日休診」●制作年:1939年●監督:渋谷実●脚本:斎藤良輔●撮影:長岡博之●音楽 吉沢博/奥村一●原作:井伏鱒二●時間:97分●出演:柳永二郎/淡島千景/鶴田浩二/角梨枝子/長岡輝子/三國連太郎/田村秋子/佐田啓二/岸恵子/市川紅梅[本日休診 08中村伸郎.jpg(市川翠扇)/中村伸郎/十朱久雄/増田順司/望月優子/諸角啓二郎/紅沢葉子/山路義人/水上令子/稲川忠完/多々良純●公開:1952/02●配給:松竹(評価:★★★★)
中村伸郎(お町の兄・竹さん)

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嵐寛寿郎版「鞍馬天狗」として、個人的には原点的作品。

鞍馬天狗 角兵衛獅子2.png鞍馬天狗 角兵衛獅子 [VHS].jpg 鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻.jpg 嵐 寛寿郎
鞍馬天狗 角兵衛獅子 [VHS]」1938(昭和13)年日活版「鞍馬天狗」 

鞍馬天狗 角兵衛獅子3.png 節分祭で賑わう壬生寺の境内の人波の中、子供角兵衛獅子の杉作(宗春太郎)と新吉(旗桃太郎)は財布を落としてしまう。角兵衛獅子の元締めで御用聞き(岡っ引き)隼の長七(瀬川路三郎)の所へ戻れば厳しい折檻を受けるのは明らかで、松月院の寺門の前で途方に暮れていると、通りがかった覆面の侍が二人に一両を恵んでくれた。子供達のその金を見た長七は子供達を問い詰め、その松月院の和尚(藤川三之祐)の所に居る倉田典膳を名乗る侍こそ、かねがね新撰組の近藤勇(河部五郎)、土方歳三(尾上華丈)らから居所を探るよう言われていた鞍馬天狗(嵐寛寿郎)だと確信する。長七はこれを近藤らに告げ、一味は松月院を襲撃する。敵をかわし、炎に包まれた松月院から脱出した天狗は、杉作と新吉を西郷吉之助(志村喬)の居る薩摩屋敷へ預ける。しかし子供達は長七らに捕らえられ、大坂城代屋敷の牢に入れられる。折しも大坂の浪士の手入れが迫っており、天狗は子供達を救うべく、また、浪士の人別帳を奪うべく、罠と知りながら大坂城代屋敷へ乗り込む―。

 松田定次監督の日活入社第1作で(マキノ正博と共同監督)、嵐寛寿郎の日活入社第1作でもあります。1938(昭和13)年に「鞍馬天狗」のタイトルで公開され、戦後「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」と改題されています。

鞍馬天狗〈1〉角兵衛獅子L.jpg 大佛次郎(1897-1973)原作の「鞍馬天狗」の映画版は、1924(大正13)年の實川延笑主演の「女人地獄」(フィルム現存せず)に始まり、1965(昭和40)年の市川雷蔵主演の「新 鞍馬天狗 五条坂の決闘」まで延べ60本近く製作されています。その間、最も多く鞍馬天狗を演じたのが嵐寛寿郎(1902-1980)であり、嵐寛寿郎本人によると46本の鞍馬天狗映画に出演したとのこと。手元の資料で見るとその内分かっているのは40作で、この作品は嵐寛寿郎のシリーズを全40作とした場合の第18作になります(同じ俳優が主演のシリーズの本数としては、「男はつらいよ」(1969~95年/松竹)の全48作に抜かれるまで日本映画の最多記録だった)。

鞍馬天狗〈1〉角兵衛獅子 (小学館文庫―時代・歴史傑作シリーズ)

 大佛次郎の原作シリーズ中最も人気が高かったのが、少年向けの作品として「少年倶楽部」1927(昭和2)年3月号~ 1928(昭和3)年5月号に連載された「角兵衛獅子」であり、角兵衛獅子は越後獅子とも言い、小さな獅子頭(ししがしら)を被って曲芸を行なう大道芸の少年のことです。嵐寛寿郎の映画デビュー作も「角兵衛獅子」を原作とした山口哲平監督によるマキノ版「鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子」('27年)であり(現存せず)、アラカン(この時の芸名は嵐長三郎)は撮る前からこの作品のヒットを確信していたと後に語っています。そのデビュー作からこの「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻('38年/日活)の前までに少なくとも17作の鞍馬天狗映画に出演していて、この後にも、1951年に松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」が大曾根辰夫監督、嵐寛寿郎主演で作られるなど、1956年までに22作の鞍馬天狗映画に出ています。

 その1951年松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」は、当時14歳の美空ひばり(1937-89)が杉作少年を演じて人気を博し、美空ひばりは続く大曾根辰夫監督、嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗 鞍馬の火祭り」('51年/松竹)、「鞍馬天狗 天狗廻状」('52年/松竹)にも杉作役で出演しています(角兵衛獅子は美空ひばりのお蔭で一気に知名度が増したという)。個人的には、美空ひばりも悪くないですが、やや男の子には見え難いというのはあります。その点、この1938年日活版は男の子の演技もまずまずで、全体的にも自然な印象を受けます。

原駒子.jpg また、鞍馬天狗のことを仇だと誤解して新撰組の手先になって天狗を付け狙うものの、天狗に命を救われたことで最後は天狗に惹かれていく女性(この作品では"暗闇のお兼")を原駒子(1910-68)が演じていて(当時28歳)、これも雰囲気があって悪くなかったです。鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子 .jpg1951年松竹版ではこの女性に相当する役("礫のお喜代")を山田五十鈴(1917-2012)が演じていますが、14歳の美空ひばり演じる杉作が34歳の山田五十鈴に天狗との関係において嫉妬心を覚える場面があります(あくまでも少年としての嫉妬心として描かれているが、もともと美空ひばり自体が若干"おませさん"に見えるため、そうした原作にはないニュアンスを盛り込んだのではないか)。

1951年松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」(大曾根辰夫監督)
山田五十鈴/嵐寛寿郎/美空ひばり

1928年嵐寛寿郎プロダクション版「鞍馬天狗」(山口哲平監督)
『鞍馬天狗』   1928年作品.jpg 嵐寛寿郎の鞍馬天狗は、この1938年日活版の時に既にスタイルは完成されているように見えますが(刀を突きつけるだけで相手を後ずさりさせる迫力はピカイチ)、その後のシリーズの経過とともに、嵐寛寿郎の天狗も少しずつ変わってきているのも確かです。では、最初はどうだったのか。現在観ることの出来る最も古い「鞍馬天狗」は1928年の嵐寛寿郎プロダクションの第1作「鞍馬天狗」ですが(この頃はまだ無声映画)、天狗や杉作などはどのように描かれているのでしょうか。DVD化されていますが未見であり、個人的には今の時点ではこの1938年日活版が嵐寛寿郎版「鞍馬天狗」の原点的作品です。

 薩長など勤皇は善で、それに対する新撰組などの佐幕は悪という単純な割り切り方で、逸失部分が7分間ありちょっと話が飛んだかと思われる部分もあったりしますが混乱することはありません。志村喬演じる西郷吉之助(隆盛)などもトリビアな見所かもしれません(出てきた時は一瞬"悪役"かと思った)。

鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻1938.jpg「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」●制作年:1938年●監督:マキノ正博/松田定次●脚本:比佐芳武●撮影:宮川一夫/松井鴻●音楽:高橋半●原作:大仏次郎●時間:66分(現存53分)●出演:嵐寛寿郎/原健作/瀬川路三郎/香川良介/藤川三之祐/尾上華丈/志村喬/団徳麿/阪東国太郎/宗春太郎(香川良介の息子)/旗桃太郎/深水藤子/原駒子/沢村国太郎/河部五郎●公開:1938/03/15●配給:日活京都(評価:★★★☆) 嵐寛寿郎・原駒子 in「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」('38年)
『韋駄天数右衛門』.jpg

原駒子 in「韋駄天数右衛門」('33年) with 羅門光三郎

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「メタ日記」の"メタ"が多重構造になっている妻側。女性は「共犯者」ということか。

『鍵』.JPG鍵 谷崎 s31 中央公論社.jpg 鍵 谷崎 s31 中央公論社ド.jpg
鍵 (中公文庫 (た30-6))』『鍵 (1956年)

谷崎 潤一郎 『鍵』a9f.jpg ある56歳になる大学教授が、嫉妬によって性的に興奮して45歳の妻・郁子に対する精力を得んとして、妻と、自らが娘・敏子に縁談相手として紹介した学生・木村を最後の一線を越えない限界まで接近させようとし、酔い潰れ浴室で全裸で倒れた郁子を木村に運ばせたり、昏睡する郁子の裸体を撮影し、その現像を木村に頼むなどした経緯を日記に書いていく。同時に妻・郁子も日記を書いている。大学教授は妻に日記を盗み読んでほしいことを自らの日記に書き、日記を隠している抽斗の鍵をわざと落とすが、郁子は夫の日記を盗み読む気はないと日記に書く。また郁子は夫を性的に興奮させるために、嫌々ながら敢えて木村と接近するのだ、自分も日記を書いていることを夫は知らないはずだとも日記に書く。また木村も大学教授の計画に積極的に協力していく。娘・敏子は母に不倫を強要する父に反発しているようだと郁子は日記に書く。大学教授は性的興奮を得るため医者の警告を無視して摂生を行わず、遂に病に倒れて亡くなった夫の死後、郁子は、実は自分は以前から夫の日記を盗み読んでおり、自分の日記を夫が盗み読んでいることも知っていて夫を性的に興奮させ不摂生な生活に追い込み病死させるため日記に嘘を書いていた、娘・敏子も自分に協力していて、本当は積極的に木村と不倫して肉体関係を持っていたと日記に書く。木村は世間を偽装するため形式的に敏子と結婚し、その母である郁子と同居することで、実質的に郁子と結婚生活をする計画を練っていると、郁子は日記に書くのだった―。

 1956(昭和31)年1月号の「中央公論」に掲載された後、5月号から12月号まで連載された谷崎潤一郎(1886-1965/享年79)の晩年の作品で、中央公論社からその年の12月に単行本が刊行されました。文庫で読むならば、中公文庫版が、連載時の棟方志功の挿画(版画)59点をそのまま収めているのでお薦めです。

 その中公文庫の綱淵謙錠(1924-1996)の解説によると、谷崎はこの作品の45年前、1911(明治44)年に「颱風」という作品を「三田文学」に発表していて、その粗筋が、吉原の女郎の手管に翻弄された若い日本画家が、好色と荒廃の生活を清算し、しばらく女から遠ざかって自らの命を吹きかえそうと旅に出て、半年間欲望を我慢して旅から戻ってきたところで、結局逆に女に巧妙に狭窄され搾取されて、恐ろしい興奮の末に脳卒中で亡くなるというものだそうで、確かにこの「鍵」と似ているなあと(「颱風」は結局発禁になったとのこと)。

 「鍵」発表時も当然「ワイセツか文学か」という議論はあったようですが、中央公論社側が作者の意図通り、「鍵」が芸術作品以外の受け取られ方をしないよう十分配慮したこともあり(一体どういう配慮をしたのか?)、社会に受け容れられたとのこと、但し、今でもこの作品については「ワイセツか文学か」の議論は有り得るという気がします。

 スタイルとして日記文で構成することで、夾雑物の無いドキュメントのように読めるのがいいと思いますが、これ、やっぱり谷崎だから成せる技なのかも。ただ、読んでいくと、大学教授は「妻に日記を盗み読んでほしい」と自らの日記に書き、妻・郁子の方も「自分も日記を書いていることを夫は知らないはずだ」と日記に書いていながら、一方でそれぞれ相手が自分の日記を読んでいると意識していてそのことも書いていたりするから、もし読まれているとの認識があるしたら、こうした書き方は普通あり得ないわけで、その時点で、双方とも、単なる日記ではなく「メタ日記」のようになっているように思いました。

 更に、大学教授の死後、妻・郁子は日記の中で(まだ書き続けている)、それまで日記に嘘を書いていたことを告白し(郁子に関しては「メタ日記」の"メタ"が多重構造になっている)、木村と一緒に生活するための自分の「作戦」を明かしています(まるでミステリの謎解きのようなこの告白は、読者に対するものであるとも言える)。ここにきて初めて誰にも見られない"本来の日記"になっているわけですが、それにしても、木村と一緒になるために娘と木村を結婚させるというのがスゴイね。

 ドナルド・キーンが言っていたような気がしますが、この物語の最大の犠牲者は娘・敏子でしょう。でも、その敏子も、プロセスにおいては母親を堕落させることに加担しようとしているようにも見えるから、見方によっては、大学教授、木村、敏子の3人で郁子を堕落させようとしているようにも見えます。そして、それに乗っかっているのがまさに郁子自身であるという気がします。自ら堕落することはしないが、他者がそのように導くならばやむを得ず(喜んで)...。

The Key1971.jpgThe Key1991.jpgThe Key.jpg 結局、大学教授自らが書いているように、「つまり、それぞれ違った思わくがあるらしいが、妻が出来るだけ堕落するように意図し、それに向って一生懸命になっている点では四人とも一致している」ということになり、但し、自らの思惑を最後に実現しそうなのは郁子か―といったような話のように思います。ファム・ファタール的作品と言うか、公序良俗といった概念を破壊してみせた作品かもしれず、また、ジャン=ポール・サルトルが、女性は「共犯者」の境遇にあると言っていたけれど、まさにその通りの作品でもあったように思いました。
チャールズイータトル出版, 1971/Vintage Books, 1991/Vintage, 2004

市川崑 鍵 dvd 2015.jpg鍵 1959 s.jpg鍵 1959 1.jpg市川 昆 「鍵」(1959/06 大映) ★★★☆ 出演:京マチ子/仲代達矢/中村鴈治郎/叶順子/北林谷栄

 
谷崎潤一郎「鍵」 0.jpg鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫).jpg【1964年文庫化[新潮文庫(『鍵』)]/1968年再文庫化[新潮文庫(『鍵・瘋癲老人日記』)]/1973年文庫化[中公文庫]】

『鍵・瘋癲老人日記』(新潮文庫)

市川崑 鍵 .jpg 

棟方志功:画、谷崎潤一郎「鍵」(中央公論社、昭和31年)挿画/映画「鍵」京マチ子主演

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"エログロ"色の濃い3作を選んだバジリコ版。増村保造の映画化作品は「コレクター」風マザコン映画。
バジリコ 盲獣1.jpg盲獣 dvd.jpg盲獣poster.jpg 盲獣40.jpg
盲獣』(2016/01 バジリコ)「盲獣 [DVD]」「盲獣」ポスター 船越英二/緑魔子

 浅草歌劇の踊り子・水木蘭子は、ある日恋人の使いと偽る者に誘拐され、見知らぬ地下室へと連れ込まれる。薄暗い地下室には奇矯なオブジェが多数あり、それらは女性の身体の部位をかたどり、色彩は奇妙だが手触りは様々な素材を使った巧妙なもので、腕なら腕、唇なら唇とまとめて無数に並べられていた。その地下室の主は水木の前に度々現れていた「盲目の男」だった。生来の全盲である彼はその慰みとして「触覚」の世界を見い出し、父の莫大な遺産を使ってそれを満足させる芸術を造らせ続けているという。やがてこの触覚の世界に没頭し、彼と共にこの地下室で暮らすようになる蘭子。しかし、蘭子に飽いた男は、その本性を現し始める―。(「盲獣」)

 女性の体全体の美に執着する野崎三郎は、ある日友人の紹介で踊り子・お蝶に出会って、すっかりお蝶の身体の虜となり、共に暮らすようになる。そんなある日、お蝶が何かに怯えるように駆け落ちを提案する。不思議に思いつつも、野崎が以前行ったことのある人里離れた籾山ホテルへと身を寄せたが、沼でお蝶が姿を消してしまう。友人の植村喜八とともに、お蝶失踪の真実を探る野崎だが、何者かによって洞窟に閉じ込められてしまう。そして、犯人かと思っていた謎の男・進藤までが2人のいる洞窟に監禁される―。(「闇に蠢く」)

 探偵小説家の「私」は、偶然知り合った実業家夫人・小山田静子に助けを求められる。かつて捨てた男である、謎の探偵作家・大江春泥に脅迫されているそうだ。静子への下心と作風の異なる春泥への興味から、「私」は春泥を追うことになるが、行方を掴めぬ内に、春泥の脅迫通り、静子の夫・六郎が死体で発見される。しかし、そこには思いもよらない真相があった―。(「陰獣」)

 「盲獣」(1931(昭和6)年2月から翌1932(昭和7)年3月まで雑誌「朝日」に連載)、「闇に蠢く」(1926(大正15)年1月から11月まで雑誌「苦楽」に連載、その後中断し1927年に完結)、「陰獣」(1928(昭和3)年8月から10月まで雑誌「新青年」に連載)の3作を収めています。江戸川乱歩(1894-1965)の生誕120周年記念と言うより、没後50年を経て著作権が切れたために各社からその作品の刊行が盛んですが([Kindle版なども含め)、このバジリコ版はその中でも"エログロ"色の濃い3作を選りすぐったという感じでしょうか。

十字路・盲獣0_.jpg 「盲獣」は、作者自身は本作を失敗作としており、桃源社版の「江戸川乱歩全集」刊行の際、後半の一部を削除したほどです。推理的要素は殆ど無く、ただ男が猟奇的な殺人を繰り返していくばかりで(二度三度と繰り返し、最後は海女さんたちを纏めて殺害して犠牲者は計7名に)リアリティも何もなく、そこがまた一面において乱歩らしいところですが、やや突っ走りすぎて話が収まらなくなり、「全部男の空想でした」で終わってもおかしくないような内容でした。 『十字路・盲獣 (江戸川乱歩長編全集(20))』春陽堂書店 (1973)

陰獣~江戸川乱歩全集第3巻_.jpg 「闇に蠢く」の方が、カニバリズムなどがモチーフになってはいるものの、犯人推理の要素があり、その意外性が結構楽しめるかもしれません。「陰獣」は、更に凝った筋立てで、ラストは犯人が誰なのか曖昧にしてあります(但し、主人公にも読者にも誰が犯人か何となく分かるようにはなっている)。これらの作品にもエログロ的要素、更にはSM的要素までありますが、謎解きの要素もあって、「盲獣」ほど"異常さ"が前面に出てこない感じでしょうか。一方の「盲獣」も、純粋な猟奇小説に近いにしても、犯人があまりに易々と犯行を繰り返すため、却って軽すぎて、仕舞いには「笑っちゃう」といった印象も受けました(作者が自ら失敗作としたのも頷ける)。
陰獣~江戸川乱歩全集第3巻~ (光文社文庫)』[Kindle版]
(1. 踊る一寸法師/2. 毒草/3. 覆面の舞踏者/4. 灰神楽/5. 火星の運河/6. 五階の窓/7. モノグラム/8. お勢登場/9. 人でなしの恋/10. 鏡地獄/11. 木馬は廻る/12. 空中紳士/13. 陰獣/14. 芋虫)

 「陰獣」は加藤泰(1916-85)監督の「江戸川乱歩の陰獣」('77年/松竹)として映画化されているほか、何度かテレビドラマ化されています。一方、「盲獣」も、"映像化"するのは一見無理そうな作品ですが、「」('64年/大映)の増村保造増村保造.jpg1924-86)監督により「盲獣」('69年/大映)として映画されていて(増村保造は東京大学法学部卒業後、大映に入社。同大学文学部哲学科に再入学し、イタリアにも留学、フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティらに学んだ)、出演は、「黒い十人の女」('61年)の船越英二(1923-2007)、「やさしいにっぽん人」('77年)の緑魔子(東映)、「静かなる決闘」('49年)の千石規子(東宝)です。この映画にはこの3人しか登場しませんが、船越英二がこんなマニアックな役を演じているのが何となくうれしい(?)。
増村保造
盲獣1.jpg 映画「盲獣」では、時代盲獣12.jpgが現代に置き換えられていて、誘拐される女性は原作では浅草歌劇の人気踊り子だったのが、映画では売れないファッションモデルから有名写真家のヌードモデルへ転身してその個展まで開かれるようになった女性(緑魔子)というように改変されています(彼盲獣09.jpg女が呼ぶ「按摩師」は「マッサージ師」(船越英二)になっているが、まあ、これは同じこと)。その彼女が攫(さら)われて連れてこられた地下室の、女性の身盲獣7.jpg体の部位をかたどったオブジェが林立する様が、映siroikyouhu3.jpg像的によく再現されていたように思います(アルフレッド・ヒッチコックの「白い恐怖」('45年/米)におけるサルバドール・ダリによるイメージセットを想起させる)。

盲獣10.jpg 映画では、盲目の男による誘拐は1度だけで、中盤までの展開は、監禁される側が監禁する側に対して憐れみを抱くようになるという点で、ウィリアム・ワイラー監督の「The Collector  .jpgコレクター」('65年/英・米)の影響を受けているように思いました。その後、男女が異常性愛に溺れていくのは江戸川 乱歩の原盲獣s.jpg作と同じですが、終盤にかけて、それまで息子である男のために"獲物"の調達と監禁に協力していた母親(千石規子)が、2人の関係が思いもよらず深いものとなったことを危惧してそこへ入り込んできたために三角関係の展開となり、その時点で原作とは別物になったように思いました(マザコン映画だったということか)。

盲獣vs一寸法師6.jpg 原作は、後に「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」('69年)の石井輝男(1924-2005)監督によって、その遺作「盲獣vs一寸法師」('04年/石井プロダクション=スローラーナー)の中でも一部映像化されていますが、先行例があったからこそ石井輝男監督も映像化に踏み切れたのではないでしょうか。でも、増村保造版に比べると石井輝男版セットなどは安っぽい印象を受け(意図したキッチュ感なのかもしれないが)、両者を見比べると、映画会社と独立プロダクションの差はあるにしても、改めて増村保造の映画作りへのこだわりを感じさせます。
石井輝男監督「盲獣vs一寸法師」('04年)
盲獣vs一寸法師 riri-.jpg石井輝男監督『盲獣VS一寸法師』.jpg 「盲獣vs一寸法師」は、リリー・フランキーが映画初出演にして主演を演じた作品ですが(彼はオーディションで選ばれた。オーディション落選組に「シン・ゴジラ」('16年/東宝)での主演が決まった長谷川博己がいた)、全部を観ていないので評価不可。増村保造監督の「盲獣」は、カルト的なポイントは加味しない評価で「星3つ」。カルト的要素を加点すれば「星3つ半」か或いは「星4つ」に近いといったところです。
    
白い素肌の美女 t.jpeg また、「盲獣」は、テレビ朝日の「江戸川乱歩 美女シリーズ(第21話)/白い素肌の美女」('83年)としてもテレビドラマ化されていますが、このシリーズは、天知茂演じる明智小五郎が事件の捜査に臨み、最後は変装して犯人を欺き、犯人の目の前で謎解きをするという推理仕立てがパターンであるため、それに合わせたストーリーになっています。前半のあらすじは、

白い素肌の美女 02.jpeg 助手の文代(高見知佳)と小林少年(小野田真之)に無理やりディスコに連れてこられた明智小五郎だったが、どうにも馴染めずその場を飛び出してしまう。その帰り道の公園で不自然に荷物を包み直している尼僧に目が止まる明智、よくみるとその荷物は人の前腕部を包んだものだった。明智に気づいた尼僧は、その場を立ち去る。明智がその後を追いかけると、寺に中から僧侶が出てきて、ここには自分しかおらず、尼僧がいる寺ではないと言う。多摩川の丸子橋付近で遊んでいる子供達の元にいくつもの風船に吊られた荷物が落ちてきて、それが紙に包まれた人の両脚であったため騒ぎになる。警察で、事件を担当する波越警部(荒井注)は、この猟奇的な事件を明智に相談する。一方の明智は、山野文化学院の院長・山野(田中明夫)の茶会に呼ばれ、山野の後妻・百合枝(叶和貴子)がなにかを明智に相談しようとした時、マッサージの宇佐美鉄心(中条きよし)がやってくる。彼女はそれをやり過ごし、一人娘の三千子(美池真理子)の行方を捜してほしいと明智に頼むが、後日、都心のデパートで人間の右手が発見され、指紋から三千子の右手と判明する―。

白い素肌の美女 01.jpg クレジットも原作は「盲獣」となっていますが、「一寸法師」からかなり引いています。まったくのオリジナル脚本にしてしまわないだけ良心的とも言えますが、かなり込み入った話になっています白い素肌の美女 kano.jpg。ただし、犯人は、最初に出てきた時から犯人らしい(笑)妖しい雰囲気なので、あとは犯行の謎解きを愉しんでくださいということかと思います(純粋推理的と言えなくもないが、そう言い切るにはややアンフェアか)。叶和貴子は、「パノラマ島奇譚」を原作とするシリーズ第17話「天国と地獄の美女」('82年)に続く2度目の「美女」役、明智の助手の文代と小林少年の役は、前の第20話からそれぞれ 五十嵐めぐみ → 高見知佳、柏原貴 → 小野田真之にバトンタッチしています。

白い素肌の美女00.jpg やはり、映画と比べると、犯人の「秘密の部屋」のセットがあまりにちゃちだったでしょうか(照明で隠している感じ)。「天国と地獄の美女」と比べても安上がりに仕上げた感じで(「天国と地獄の美女」の方がシリーズの中では特別だったのかもしれないが)、その分、ミステリの方にウェイトを置いたのでしょう。ただ、そのミステリの方も、ややパンチ不足だったように思いました。

白い素肌の美女 tt.jpg「江戸川乱歩 美女シリーズ(第21話)/白い素肌の美女」●制作年:1983年●監督:篠崎好●プロデューサー:佐々木孟●脚本:長谷和夫●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「盲獣」●時間:90分●出演:天知茂/高見知佳/小野田真之/荒井注/叶和貴子/美池真理子(池まり子)/五代高之/福田妙子/曽我町子/飯野けいと/喜田晋平/加藤土代子/桜川梅八/小田草之介/田中明夫/中条きよし●放送局:テレビ朝日●放送日:1983/04/16(評価:★★★)

   
  
音楽:林 光(1931-2012)
林光.jpg盲獣11.png盲獣090.jpg「盲獣」●制作年:1969年●監督:増村保造●脚本:白坂依志夫●撮影:小林節雄●音楽:林光●原作:江戸川乱歩「盲獣」●時間:84分●出演:船越英二緑魔盲獣16.jpgMôjû (1969) .jpg盲獣19.jpg千石規子●公開:1969/01●配給:大映(評価:★★★)

Môjû (1969)

船越英二 in「黒い十人の女」('61年/大映)/緑魔子 in「やさしいにっぽん人」('71年/東プロ)/千石規子 in「静かなる決闘」('49年/東宝)
黒い十人の女 03.jpg やさしいにっぽん人       .jpg 「静かなる決闘」 千石.jpg

盲獣・陰獣 (河出文庫)』['18年]
盲獣・陰獣 (河出文庫).jpg「盲獣」...【1973年文庫化[春陽文庫(『十字路・盲獣―江戸川乱歩長編全集(20)』)]/1988年再文庫化[春陽堂書店・江戸川乱歩文庫(『十字路―他一編(盲獣)』)]/1988年再文庫化[講談社江戸川乱歩推理文庫(『盲獣』)]/2005年再文庫化[光文社文庫(『江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男』)]/2018年再文庫化[河出文庫(『盲獣・陰獣 』)]】
江戸川乱歩作品集Ⅱ 岩波文庫.jpg「闇に蠢く」...【1988年文庫化[春陽堂書店・江戸川乱歩文庫(『暗黒星―他一編(闇に蠢く)』)]/2004年再文庫化[光文社文庫(『江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚』)]】
「陰獣」...【1977年文庫化[春陽文庫(『江戸川乱歩名作集〈1〉陰獣』)]「陰獣」春陽文庫.jpg/2005年再文庫化[光文社文庫(『江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣』)]/2008年再文庫化[角川ホラー文庫(『陰獣―江戸川乱歩ベストセレクション (4)』)]/2015年再文庫化[春陽堂書店・江戸川乱歩文庫(『陰獣 』)]/2018年再文庫化[岩波文庫(『江戸川乱歩作品集Ⅱ 陰獣・黒蜥蜴 他』)]/2018年再文庫化[河出文庫(『盲獣・陰獣』)]】
江戸川乱歩名作集〈1〉陰獣 (1977年) (春陽文庫)

江戸川乱歩作品集Ⅱ 陰獣・黒蜥蜴 他 (岩波文庫)』['18年]
要旨(「BOOK」データベースより)
犯行の謎に迫る探偵と意表を突く犯人。謎と推理をテーマとした代表作群。「陰獣」は緻密な構成とトリックにより日本探偵小説の新段階を告げた。「黒蜥蜴」は妖しく美しい女賊黒蜥蜴と明智小五郎探偵との対決と愛の葛藤を描く。幻のデビュー作「一枚の切符」、本格探偵小説「何者」、戦後の好短篇「断崖」を収録。

《読書MEMO》
● 桂 千穂 『カルトムービー本当に面白い日本映画 1945→1980』['13年/メディアックス]
IMG_8盲獣.JPG

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シュールな余韻を残す「正太樹をめぐる」。清水宏が映像化した「風の中の子供」。

風の中の子供 坪田.jpg 風の中の子供kazenonaka.jpg 坪田 譲治.jpg 坪田譲治 風の中の子供 vhs.jpg 風の中の子供 dvd.jpg
風の中の子供 (坪田譲治名作選)』/『風の中の子供 他四編』(旺文社文庫)/「風の中の子供 [VHS]」/「風の中の子供 [DVD]

 坪田譲治(1890-1982/享年92)の代表作で1936(昭和11)年9月から11月にかけて朝日新聞夕刊に連載された「風の中の子供」のほか、「正太樹をめぐる」「コマ」「一匹の鮒」「お化けの世界」等の作品と鈴木三重吉についての随筆や「私の童話観」その他評論などを収録し、更に、小川未明、壺井栄、椋鳩十から五木寛之、松谷みよ子などまで、多くの作家の坪田譲治に寄せて書いた文章を掲載しています。

 冒頭の「正太樹をめぐる」は、雑誌「新小説」(春陽堂)の1926(昭和元)年8月1日号に掲載された作品です。あの「風の中の子供」の"善太と三平"と並ぶ坪田作品のもう一人の主役"正太"という子が主人公で、坪田作品らしく、子供である"正太"の視点でその心象が描かれています。学校の教室で授業中に、火事で自分の家が焼けていると思いこみ、母が呼びに来てくれないと怒るが、帰ってみたら家があったので安心し、安心すると母に甘えずにはいられない"正太"―実はこの"正太"という子は「死んでいる」のです。ラストで物語は、息子が今も生きているかのように、"正太"に想いを馳せる母親の視点になりますが、では、それまで"正太"の視点で語られてきた物語はどう捉えるべきか。「それから一月とたたないある日の午後...」という箇所から母親の視線になっており、その間に"正太"に何らかの出来事があって彼は亡くなっていて、その前の物語は"正太"が生きていた時の話であるともとれるし、同時に、「今」母親の脳裏でリアルタイムに展開している物語であるともとれ、非常にシュールな余韻を残します。

 シュールな余韻を残すもう1つのポイントとして、"正太"の授業中の夢想の中に金輪(かねわ)を回す"善太"が登場することで、これはもう、死んでいく少年が死の間際に、金輪を回す少年の姿を見るという、この作品の5年前の1921(大正10)年に発表された小川未明(1882‐1961)の「金の輪」を想起せずにはおれず、金輪を回す少年を見た(夢想した)側の少年の方が幼くして亡くなるという点で一致し、「金の輪」へのオマージュが込められているように思いました。

筒井康隆.jpg風の中の子供 TITLE.jpg 表題作の「風の中の子供」は、あの筒井康隆氏も幼い頃に読んで涙したという傑作ですが、清水宏監督によって1937(昭和12)年に映画化されています。

 善太(葉山正雄)と三平(爆弾小僧)は賢兄愚弟の典型のような兄弟。母親(吉川満子)は、成績優秀でオール甲の兄・善太と対照的に、乙と丙ばかりで甲がひとつもない弟・三平が心配でしょう風の中の子供 映画1.jpgがないが、父(河村黎吉)は結構なことだと思って気にしない。そんな時、父が私文書偽造の容疑で逮捕され、三平は叔父(坂本武)に引き取られることになる―。

風の中の子供 映画2.jpg 父親が私文書偽造の容疑で捕えられたのは、実は会社の政敵の策謀によるもので、坪田譲治自身、家業の島田製作所を兄が継いだものの、以後会社の内紛が続いて兄が自殺したため同社の取締役に就任するも、造反により取締役を突然解任される('33年)といったことを経験しています。そうした経験は「風の中の子供」以外の作品にも反映され風の中の子供 映画3.jpgていますが、こうしたどろどろした大人の世界を童話に持ち込むことについて、本書の中にある「私の童話観」の、「世の童話作家はみな子供を甘やかしているのである。読んでごらんなさい。どれもこれも砂風の中の子供 映画4.jpg糖の味ばかりするのである」「このような童話ばかり読んで、現実を、現実の中の真実を知らずに育つ子供があるとしたらどうであろうか」「色はもっとジミでもいい。光はもっとにぶくていい。美しさは足りなくても、人生の真実を描いてほしいと思うのである」という考えと符合するかと思います。

 清水宏監督は、比較的忠実に原作を再現していますが(曲馬団の少年の話だけは、善太と三平シリーズの別の話から持ってきたのではないか)、話が暗くならないのは、善太と三平を活き活きと描いているためで、兄弟が畳の上でオリンピックの水泳とその中継の真似事をする場面などはしっかり再現していました(1936年のベルリン大会200m平泳ぎで、前畑秀子が風の中の子供 映画02.jpg日本人女性初の五輪金メダルを獲っていた)。叔父の家に預けられた三平は、腕白が過ぎて叔父の手に負えず戻されてしまうのですが、その原因となった出来事の1つに、川で盥を舟の代わりにして遊んでいて、そのままどんどん川下り状態になって流されていってしまった事件があり、「畳水泳」どころか、この「川流れ」も、実地で再現していたのにはやや驚きました。ロケ主義、リアリズム重視の清水宏監督の本領発揮というか、今だったら撮れないだろうなあ。そうしたことも含め、オリジナルのストーリーを大事にし、自然の中で伸び伸びと遊び育つ子供を映像的に上手く撮ることで、原作の持ち味は生かしていたように思います。

風の中の子供s.jpg 笠智衆がチョイ役(巡査役)で出演していますが、老け役でなかったため、逆に最初は気がつきませんでした。

「風の中の子」●制作年:1937年●監督:清水宏●脚本:斎藤良輔●撮影:斎藤正夫●音楽:伊藤宣二●原作:坪田譲二「風の中の子供」●時間:68分●出演:河村黎吉/吉川満子/葉山正雄/爆弾小僧/坂本武/岡村文子/末松孝行/長船タヅコ/突貫小僧/若林広雄/ 谷麗光/隼珍吉/石山隆嗣/アメリカ小僧/仲英之助/笠智衆/長尾寛●公開:1937/11●配給:松竹大船(評価★★★☆)

風の中の子供 角川.jpg風の中の子供 坪田譲治 ジュニア版日本の文学.jpg「風の中の子供」...【1938年単行本[竹村書房]/1949年文庫化[新潮文庫/1956年再文庫化[角川文庫]/1971年再文庫化[潮文庫]/1975年再文庫化[旺文社文庫(『風の中の子供 他四編』)]/1983年再文庫化[ポプラ文庫]】

角川文庫/ポプラ社文庫
 
《読書MEMO》
●「風の中の子供」...1936(昭和11)年9月~11月「東京朝日新聞(夕刊)」連載
●「正太樹をめぐる」...1926(昭和元)年雑誌「新小説」(春陽堂)8月1日号掲載

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田舎村の駐在員日記。記録文学風でいい。映画化作品は、随分な"民事介入"が興味深かった。

多甚古村 新潮文庫 1950.jpg多甚古村・山椒魚.jpg 多甚古村 vhs.jpg 井伏鱒二.jpg 井伏鱒二(1898-1993)
多甚古村 (新潮文庫)』/『多甚古村・山椒魚 (小学館文庫―新撰クラシックス)』/「多甚古村」VHS 
多甚古村 昭和14年7月 河出書房 函.jpg 南国の海浜の村、多甚古村(たじんこむら)に新たに赴任してきた甲田巡査は平和を愛する好人物。その甲田巡査の日録の形で、飄々とした作者独特の文体でもって、多甚古村で起きた喧嘩、醜聞、泥棒、騒擾など、庶民の実生活が軽妙に描かれ、ジグザグした人間模様が生彩を放ちつつ展開される―。

『多甚古村』1939(昭和14年)7月(河出書房・函入り)

 「多甚古村」は作家・井伏鱒二(1898-1993/享年95)の代表作の一つで、日中戦争時下の1936~1937(昭和11~12)年頃の徳島市郊外の田舎村の風物や人情、世相が、駐在所の巡査の目を通して、ユーモア溢れる温かい筆致で描かれていて、あまり戦時下という印象は受けません。新潮文庫版の伊藤整による解説は、井伏鱒二がどういった作家であるかを解説してはいるものの、この作品がどのような経緯で書かれたかは一切解説していないのがやや不思議です。

 1939(昭和14)年2月から7月にかけて雑誌「文学界」等に発表され、7月に河出書房より刊行されたこの作品は(このことはさすがに伊藤整も書いている)、他資料によれば、昭和11~12年の間、徳島市沖洲(おきのす、徳島市国府町)の駐在所に勤務していた川野一という巡査が書き綴った日録が、井伏鱒二の元に何か月かに渡って送られてきて、それが厚さ二尺分くらいの膨大な量となり、それを井伏鱒二が改作したものであるとのことですが、刊行時にはそうした経緯までは明かされなかったのかもしれません。

多甚古村 vhs 2.jpg 翌1940(昭和15)年1月に今井正(1912-1991/享年79)監督による映画化作品「多甚古村」(東宝)が公開され、以降、井伏作品の映画化が「南風交響楽」(S.15)、「」(S.16)、「秀子の車掌さん」(S.16)、「本日休診」(S.27)、「集金旅行」(S.32)、「駅前旅館」(S.33)、「黒い雨」(H.1)と続くわけですが、その第1号がこの作品になります。

多甚古村21.jpg 映画では、前半部分では、新任の巡査、所謂「駐在さん」である主人公(清川荘司)がご近所から鮒を分けて貰った話や、同じくご近所さんが自炊を手伝ってくれた話など独身巡査の身辺生活の話と、村の老婆の住む家に押し込み強盗が入ったけれども何も盗らないで逃げたという話や、野良犬を退治してくれと村人が頼み込んできた話など、田舎村らしい事件と言えるかどうか分からないようなものも含めた事件話が、原作通りに取り上げられています。

多甚古村 01.jpg これらは何れも駐在所に持ち込まれた話であり、甲田巡査が現場に出向いて行く場面はありませんが、相次ぐ村人からの事件とも相談事ともつかない話の連続に甲田巡査は過労でダウンしてしまい、その看病や食事の世話をする村のお寺の和尚の役を滝沢修(1906-2000/享年93)が演じていて、老け役ではありますが、実年齢は当時33歳と若いです(原作でも淨海という和尚は出てくるが、巡査がダウンする話はない)。また、主人公の同僚の杉野巡査役で、滝沢修と戦後一緒に民衆芸術劇場(劇団民藝の前身)を設立することになる宇野重吉(1914-1988/享年73)も出ていますが、当時25歳とこれまた若いです(宇野重吉は10年後の成瀬巳喜男監督の「怒りの街」('50年/東宝)でもまだ学生役を演じている)。

多甚古村11.jpg このまま小事件をこまめに拾っていくのかと思ったら、映画の後半分は、原作の2つのエピソードに焦点を当て、後半の3分の2を、村出身の帝大の学生がカフェの女と相思相愛の仲になってしまったのを、学生の親に頼まれて巡査が2人を別れさせる話(原作における「恋愛・人事問題の件」)に、最後、後半の3分の1を村の2つの中学同士の集団決闘事件とその仲裁に巡査が関わる件(原作における「学生決闘の件」)に充てています。

 エピソードを絞ることで映画にメリハリが出ていますが、原作では、大掛かりな賭博を隣村の駐在と協力して検挙する "大捕物"的なエピソードなどもあるのに、今井正監督がなぜこうしたエピソードを選んだのかが不思議です(「恋愛・人事問題の件」の核心事件部分は原作で文庫7ページ分、「学生決闘の件」は3ページ分しかない)。とりわけ、映画において最もフィーチャーされている事件が「巡査が個人の恋愛問題に当事者の家族に頼まれて介入する」という、民事介入と言うか"恋路介入"とでも言うべきものになっているのが興味深いです。

「多甚古村」撮影風景 中央・今井正(当時28歳)
「多甚古村」撮影風景 中央・今井正(当時28歳).png カフェの女には刑務所に服役中のヤクザ者の元情夫がいるということが判明し、巡査は学生と女のそれぞれの所へ出向いて別れるよう説得しますが、原作では、巡査は一度学生に、「家庭争議というものは、或る段階に至るまでは一種の快楽に属する。いま、われわれは他人を介在する必要はない」という理論でやり込められていて(民事不介入という"法理論"よりハイレベルの"心理学的理論"?)、親子喧嘩の仲裁は自分に向かないと思ったのを(しかも相手はインテリ学生)、学生の家族に再度懇願されて説得に当たることになっています。

 映画では学生は(原作も結局そうなのだが)意外とあっさり巡査に説得されてしまい、巡査はカフェにも赴きます。原作では、女には元情夫が出て来てから(出所してから)ちゃんと別れ話をした方がいいという説得の仕方で、いざとなったらその時また警察も相談に乗ると言い、映画でも大体同じような流れですが、女に学生との恋愛を諦めてくれと言いつつも、彼女なりに幸せになるように巡査から彼女に対して言い含めていて、ほろっとさせられる一方で、結構キツイなあという印象も。

 今井正監督にとってもいい話に思えたのでしょうが、見方によってはちょっと酷な話であるともとれます。今日この映画を観ると、警察が私事(民事、恋路)に介入しているということが大きな注目点になるかと思われますが、当時としてもそうした観点から監督の関心事としてあったのか(それゆえ、このエピソードを取り上げたのか)、それとも、そうしたことは当時田舎などでは少なからずあって"民事不介入"という意識はそれほど作り手の側にも無かったのか、原作の舞台となった"当時"(昭和11~12年)と映画化された"当時"(昭和15年)であまり年代差がないため微妙なところです。

 原作の新潮文庫版は、「多甚古村」と併せて「多甚古村」の翌年(昭和15年)に短編集の一篇として発表された"続編"に当たる「多甚古村補遺」(後に「多甚古村」と合本化)を収めており、「多甚古村」の"正編"が当時どこの田舎村にもあったであろうと思われるような事件ばかりを扱っているのに対し、"続編"(補遺)の方では、村に外国人家族がやって来て村人と交流したりトラブルになったりするなど、やや特殊な事件や事情を扱っています。

 また、"正編"が「日録」風なのに対し、"続編"は「小説」風と言うか、伊藤整も文庫解説で「『多甚古村』もなかなか面白いが、私としては続編の方が好きである。続編は正編よりものびのびとして小説らしい展開を持っている」としています。ただ、伴俊彦氏の聞書によると、井伏鱒二本人は「終わりの方は大分ウソがまじっている」と述べたといい、"正編"と"続編"のトーンの違いから察するに、その「終わりの方」とは「多甚古村補遺」を指すものと思われます。個人的には、小説風にアレンジされた"続編"よりも、村人から鮒を貰った話も大捕物の話も同じように淡々としたトーンで綴られ、巡査の家計の状況なども出てきたりする"正編"の方が、記録文学的な味わいがあって良かったように思います(伊藤整とは逆の評価になるが)。

多甚古村 vhs2.jpg多甚古村 宇野重吉.jpg「多甚古村」●制作年:1940年●監督:今井正●脚本:八田尚之●撮影:三浦光雄●音楽:服部正●原作:井伏鱒二「多甚古村」●時間:63分●出演:清川莊司/竹久千惠子/月田一郎/宇野重吉/赤木蘭子/鶴丸睦彦/伊達信/小沢栄/深見泰三/原泉子/三島雅夫/藤間房子/月田一郎/滝沢修●公開:1940/01●配給:東宝映画(評価★★★)

宇野重吉 in「怒りの街」(1950)(35歳)

【1950年文庫化[新潮文庫]/1956年再文庫化[岩波文庫]/1957年再文庫化[角川文庫]/2000年再文庫化[小学館文庫新撰クラシックス(『多甚古村・山椒魚』)]】

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丸尾作品に特徴的なウエット感が無く、スコーンと突き抜けている感じ。

パノラマ島奇談 丸尾末広.jpg  パノラマ島綺譚 光文社文庫.jpg パノラマ島奇談他4編 春陽文庫.jpg 天国と地獄の美女.jpg
パノラマ島綺譚―江戸川乱歩全集〈第2巻〉 (光文社文庫)』['04年]『パノラマ島奇談 (1951年) (春陽文庫〈第1068〉)』(装画:高塚省吾)
パノラマ島綺譚 (BEAM COMIX)』['08年]「天国と地獄の美女~江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」~ [DVD]

 2009(平成21)年・第13回「手塚治虫文化賞新生賞」受賞作。

江戸川乱歩×丸尾末広の世界 パノラマ島綺譚.jpg 「月刊コミックビーム」の2007(平成19)年7月号から翌年の1月号にかけて連載された作品に加筆修正したもの。「エスプ長井勝一漫画美術館主催事業」として、「江戸川乱歩×丸尾末広の世界 パノラマ島綺譚」展が今年(2011年)3月に宮城県塩竈市の「ふれあいエスプ塩竈」(生涯学習センター内)で開催されており(長井勝一氏は「月刊漫画ガロ」の初代編集長)、3月12日に丸尾氏のトークショーが予定されていましたが、前日に東日本大震災があり中止になっています。主催者側は残念だったと思いますが、原画が無事だったことが主催者側にとってもファンにとっても救いだったでしょうか。

 原作は、江戸川乱歩が「新青年」の1926(大正15)年10月号から1927(昭和2)年4月号にかけて5回にわたり連載した小説で、売れない小説家だった男が、自分と瓜二つの死んだ大富豪に成り替わることで巨万の富を得て、孤島に人工の桃源郷を築くというものです。

 光文社文庫版にある乱歩の自作解説(昭和36年・37年)によると、発表当初はあまり好評ではなく、それは「余りに独りよがりな夢に過ぎたからであろう」とし、「小説の大部分を占めるパノラマ島の描写が退屈がられたようである」ともしていますが、一方で、萩原朔太郎にこの作品を褒められ、そのことにより、対外的にも自信を持つようになったとも述べています。

江戸川乱歩名作集 春陽堂.jpg『江戸川乱歩名作集』.jpg 個人的には、昔、春陽堂の春陽文庫で読んだのが初読でしたが、ラストの"花火"にはやや唖然とさせられた印象があります。原作者自身でさえ"絵空事"のキライがあると捉えているものを、漫画として視覚的に再現した丸尾末広の果敢な挑戦はそれ自体評価に値し、また、その出来栄えもなかなかのものではないかと思われました。

 前半部分は、原作通り、主人公がいかにして死んだ大富豪に成り替わるかに重点が置かれ、このトリック自体もかなり無理がありそうなのですが、視覚化されると一応納得して読み進んでしまうものだなあと。

丸尾 末広 (原作:江戸川 乱歩) 『パノラマ島綺譚』1.jpg 但し、本当に描きたかったのは、後半のパノラマ島の描写だったのでしょう。海中にある「上下左右とも海底を見通すことのできる、ガラス張りのトンネル」などは、実際に最近の水族館などでは見られるようになっていますが、その島で行われていることは、一般的観念から見れば大いに猟奇変態的なものです。

 しかしながら、丸尾末広の他の作品との比較においてみると、独特の猥雑さが抑えられ、ロマネスク風の美意識が前面に押し出されているように思いました("妻"の遺体があるところが明智小五郎にバレるところなどは、原作の方が気持ち悪い。丸尾版では、明智小五郎が"ベックリンの絵"なる意匠概念を持ち出すなどして、ソフィストケイトされている)。
丸尾 末広 (原作:江戸川 乱歩) 『パノラマ島綺譚』12.jpg
 でも、やはり、ここまでよく描いたなあ。乱歩が夢想した世界に寄り添いながらも、それでいて、丸尾パワー全開といった感じでしょうか。但し、丸尾作品に特徴的なウエット感が無く、逆に、スコーンと突き抜けてしまっています。個人的には、これはこれで楽しめました。

 光文社文庫版にある江戸川乱歩の自作解説によると、原作は、昭和32年に菊田一夫がこれをミュージカル・コメディに書き換えて、榎本健一、トニー谷、有島一郎、三木のり平、宮城まり子、水谷良重などの出演で、当時の東宝劇場で上演したとのことです。一体、どんな舞台だったのでしょうか。


天国と地獄の美女 江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」 [DVD]
天国と地獄の美女 江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」.jpg 1977(昭和52)年から1994(平成6)年までテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」で17年間33回にわたり放送されたテレビドラマシリーズ「江戸川乱歩 美女シリーズ」(内、天知茂版が1977年から1985(昭和60)年までの25回)の中で、第17話として1982(昭和57)年にジェームス三木の脚色によりドラマ化され江戸川乱歩 美女シリーズ 天国と地獄の美女01.jpgたことがあり(タイトルは「天国と地獄の美女」)、正月(1月2日)に3時間の拡大版(正味142分)で放映されています。明智小五郎役は天知茂、パノラマ島を造成する人見広介役は伊東四朗で(山林王・菰田源三郎と二役)、菰田千代江戸川乱歩 美女シリーズ 天国と地獄の美女02.jpg子(源三郎の妻)役が叶和貴子(当時25歳)、その他に小池朝雄、宮下順子、水野久美らがゲスト出演しています。パノラマ島64 天国と地獄の美女.png自体は再現し切れていないというのがもっぱらの評価で、実際観てみると、特撮も駆使しているものの、ジャングルとか火山とかの造型が妙に手作り感に溢れています(特撮と言うより"遠近法"?)。ただ、逆にこの温泉地の地獄巡り乃至"秘宝館"的キッチュ感が後にカルト的な話題になり、シリーズの中で最高傑作に推す人もいます(叶和貴子は第21話「白い素肌の美女」(原作『盲獣』(実質的には『一寸法師』)('83年)、北大路欣也版第3話「赤い乗馬服の美女」(原作『何者』)('87年)でも"美女役"を務めた)。
図1天国と地獄の美女.png
天国と地獄の美女 叶.jpg「江戸川乱歩 美女シリーズ(第17話)/天国と地獄の美女」●制作年:1982年●監督:井上梅次●プロデューサ:佐々木天国と地獄の美女95_.jpg孟/植野晃弘/稲垣健司●脚本:ジェームス三木●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩「パノラマ島奇譚」●時間:142 分●出演:天知茂/叶和貴子/伊東四朗/荒井注/五十嵐めぐみ/小池朝雄/宮下順子/水野久美/柏原貴/原泉/東山明美/草薙幸二郎/北町嘉朗/松本朝夫/出光元/加瀬慎一/相原睦/渡辺憲悟/本田みちこ/喜多晋平/山本幸栄/小田草之介/加島潤/近藤玲子バレエ団●放送局:テレビ朝日●放送日:1982/01/02(評価:★★★☆)


江戸川乱歩 美女シリーズ3.jpg江戸川乱歩 美女シリーズ2.jpg「江戸川乱歩 美女シリーズ(天知茂版)」●監督:井上梅次(第1作-第19作)/村川透/長谷和夫/貞永方久/永野靖忠●プロデューサー:佐々木孟●脚本:宮川一郎/井上梅次/長谷川公之/ジェームス三木/櫻井康裕/成沢昌茂/吉田剛/篠崎好/江連卓/池田雄一/山下六合雄●撮影:平瀬静雄●音楽:鏑木創●原作:江戸川乱歩●出演:天知茂/五十嵐めぐみ(第1作-第19作)/高見知佳(第20作-第23作)/藤吉久美子(第24作・第25作)/大和田獏(第1作)/柏原貴(第6作-第19作)/小野田真之(第20作-第25作)/稲垣昭三(第1作)/北町嘉朗(第1作・第4作-第9作)/宮口二郎(第2作・第3作)/荒井注(第2作-第25作)●放映:1977/08~1985/08(天知茂版25回)【1986/07~1990/04(北大路欣也版6回)、1992/07~1994/01(西郷輝彦版2回)】●放送局:テレビ朝日


江戸川乱歩作品集III パノラマ島奇談・偉大なる夢 他.jpgパノラマ島綺譚 江戸川乱歩ベストセレクション (6).jpg【1951年文庫化[春陽文庫(『パノラマ島奇談 他4編―江戸川乱歩名作集2』)]/1987年再文庫化・2015年改版[春陽堂書店・江戸川乱歩文庫(『パノラマ島奇談 他4編』)]/1987年再文庫化[講談社・江戸川乱歩推理文庫(『パノラマ島奇談』)]/2004年再文庫化[光文社文庫(『パノラマ島綺譚―江戸川乱歩全集第2巻』)]/2009年再文庫化[角川ホラー文庫(『パノラマ島綺譚―江戸川乱歩ベストセレクション (6)』)]/2016年再文庫化[文春文庫(桜庭 一樹 (編)「パノラマ島綺譚」--『江戸川乱歩傑作選 獣』)]/2018年再文庫化[岩波文庫(『江戸川乱歩作品集III パノラマ島奇談・偉大なる夢 他』)]】
パノラマ島綺譚 江戸川乱歩ベストセレクション (6) (角川ホラー文庫)』['09年]
江戸川乱歩作品集III パノラマ島奇談・偉大なる夢 他 (岩波文庫)』['18年]


●「江戸川乱歩の美女シリーズ」(全33話)放映ラインアップ
(天知茂版)

話数 放送日 サブタイトル 原作 美女役 視聴率
江戸川乱歩シリーズ 浴室の美女.jpg1 1977年8月20日 氷柱の美女 『吸血鬼』 三ツ矢歌子 12.6%
2 1978年1月7日 浴室の美女 『魔術師』 夏樹陽子 20.7%
3 1978年4月8日 死刑台の美女 『悪魔の紋章』 松原智恵子 15.6%
4 1978年7月8日 白い人魚の美女 『緑衣の鬼』 夏純子 14.5%
5 1978年10月14日 黒水仙の美女 『暗黒星』 ジュディ・オング 15.3%
6 1978年12月30日 妖精の美女 『黄金仮面』 由美かおる 14.0%
7 1979年1月6日 宝石の美女 『白髪鬼』 金沢碧 13.0%
8 1979年4月14日 悪魔のような美女 『黒蜥蜴』 小川真由美 15.4%
9 1979年6月9日 赤いさそりの美女 『妖虫』 宇津宮雅代 16.9%
10 1979年11月3日 大時計の美女 『幽霊塔』 結城しのぶ 23.4%
岡田奈々の「魅せられた美女」.jpg11 1980年4月12日 桜の国の美女 『黄金仮面II』 古手川祐子 15.9%
12 1980年10月4日 エマニエルの美女 『化人幻戯』 夏樹陽子 19.5%
13 1980年11月1日 魅せられた美女 『十字路』 岡田奈々 20.0%
14 1981年1月10日 五重塔の美女 『幽鬼の塔』 片平なぎさ 21.6%
15 1981年4月4日 鏡地獄の美女 『影男』 金沢碧 19.7%
16 1981年10月3日 白い乳房の美女 『地獄の道化師』 片桐夕子 20.1%
17 1982年1月2日 天国と地獄の美女 『パノラマ島奇談』 叶和貴子 16.6%
18 1982年4月3日 化粧台の美女 『蜘蛛男』 萩尾みどり 17.6%
19 1982年10月23日 湖底の美女 『湖畔亭事件』 松原千明 16.0%
20 1983年1月1日 天使と悪魔の美女 『白昼夢』(『猟奇の果て』) 高田美和 12.6%
江戸川乱歩シリーズ 禁断の実の美女.jpg21 1983年4月16日 白い素肌の美女 『盲獣』(『一寸法師』) 叶和貴子 13.3%
22 1984年1月7日 禁断の実の美女 『人間椅子』 萬田久子 18.9%
23 1984年11月10日 炎の中の美女 『三角館の恐怖』 早乙女愛 22.4%
24 1985年3月9日 妖しい傷あとの美女 『陰獣』 佳那晃子 24.7%
25 1985年8月3日 黒真珠の美女 『心理試験』 岡江久美子 26.3%
(北大路欣也版)
1 (26) 1986年7月5日 妖しいメロディの美女 『仮面の恐怖王』 夏樹陽子 19.9%
2 (27) 1987年1月10日 黒い仮面の美女 『凶器』 白都真理 17.0%
3 (28) 1987年8月15日 赤い乗馬服の美女 『何者』 叶和貴子 17.9%
4 (29) 1988年5月14日 日時計館の美女 『屋根裏の散歩者』 真野響子 16.4%
5 (30) 1989年8月26日 神戸六甲まぼろしの美女 『押絵と旅する男』 南條玲子
6 (31) 1990年4月14日 妖しい稲妻の美女 『魔術師』 佳那晃子 15.8%
(西郷輝彦版)
1 (32) 1992年7月4日 からくり人形の美女 『吸血鬼』 美保純 15.5%
2 (33) 1994年1月8日 みだらな喪服の美女 『白髪鬼』 杉本彩 13.4%

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恐るべき内容ながらも、抑制の効いた知的で簡潔・骨太の文体。男性的な印象を受けた。

海神丸 野上.jpg海神丸3.JPG海神丸 野上弥生子.jpg  「人間」1962.jpg
岩波文庫旧版/『海神丸―付・「海神丸」後日物語 (岩波文庫)』新藤兼人監督「人間 [DVD]」(原作『海神丸』)
野上弥生子(1885-1985/享年99)
野上彌生子集 河出書房 市民文庫 昭和28年初版 野上弥生子.jpg野上弥生子.jpg 1916(大正5)年12月25日早朝、「船長」ら男4人を乗せ、大分県の下の江港から宮崎県の日向寄りの海に散在している島々に向け出航した小帆船〈海神丸〉は、折からの強風に晒され遭難、漂流すること数十日に及ぶに至る。飢えた2人の船頭「八蔵」と「五郎助」は、船長の目を盗んで船長の17​歳の甥「三吉」を殺し、その肉を喰おうと企てる―。

野上彌生子集 河出書房 市民文庫 昭和28年初版(「海神丸」「名月」「狐」所収)

『海神丸』.JPG 1922(大正11)年に野上弥生子(1885-1985/享年99)が発表した自身初の長編小説で、作者の地元で実際にあった海難事故に取材しており、本当の船の名は「高吉丸」、但し、57日に及ぶ漂流の末、ミッドウエー付近で日本の貨物船に救助されたというのは事実であり、その他この小説に書かれていることの殆どは事実に即しているとのことです。

 救出された乗組員は3人で、あとの1人は漂流中に"病死"したため水葬に附したというのが乗組員の当時の証言ですが、何故作者が、そこに隠蔽された忌まわしい出来事について知ることが出来たかというと、物語における船長のモデルとなった船頭が、たまたま作者の生家に度々訪ねてくるような間柄で、実家の弟が彼の口から聞いた話を基に、この物語が出来上がったとのことです。

 岩波文庫の「海神丸」に「『海神丸』後日物語」という話が附されていて、作品発表から半世紀の後、海神丸を救助した貨物船の元船員と偶然にも巡り合った経緯が書かれている共に、救出の際の事実がより明確に特定され、更には、船長らの後日譚も書いていますが(作者と船長はこの時点では知己となっている)、この作品を書く前の事件の真相の情報経路は明かしていません(本編を読んでいる間中に疑問に思ったことがもう1つ。この小説が発表されたのは、救出劇から5年ぐらいしか経っていない時であり、殺人事件として世間や警察の間で問題にならなかったのだろうか)。

 大岡昇平の『野火』より四半世紀も前に"人肉食"をテーマとして扱い、恐るべき内容でありながらも(この物語が「少年少女日本文学館」(講談社)に収められているというのもスゴイが)、終始抑制の効いた、知的で、簡潔且つ骨太の文体。作者は造り酒屋の蔵元のお嬢さん育ちだったはずですが、まるで吉村昭の漂流小説を読んでいるような男性的な印象を受けました。

 「大切なのは、美しいのは、貴重なのは知性のみである」とは、作者が、この作品の発表の翌年から、亡くなる半月前まで60年以上に渡って書き続けた日記の中にある言葉であり、作者の冷徹な知性は、「『海神丸』後日物語」において、"人肉食"が実際に行われた可能性を必ずしも否定していません。
 
海神丸 野上弥生子 新藤兼人「人間」.jpg 尚、この作品を原作として、新藤兼人監督が「人間」('62年/ATG)という作品を撮っています(新藤監督初のATG作品である)。

「海神丸」の映画化 「人間」.jpg
人間 [DVD]
乙羽信子/山本圭/殿山泰司/佐藤慶
  
「人間」山本圭(三吉)/殿山泰司(船長・亀五郎)/佐藤慶(八蔵)/乙羽信子(五郎助)
「人間」 殿山泰司山本圭.jpg「人間」 乙羽信子/佐藤慶.jpg 主要な登場人物は遭難した4人ですが、殿山泰司(船長・亀五郎)、乙羽信子(五郎助)、佐藤慶(八蔵)、山本圭(三吉)、という配役で、「三吉」を殺し、その肉を喰おうと企てる「五郎助」が女性に置き換えられ、それを乙羽信子が演じ人間 (映画) 2.jpgています(乙羽信子の役は海女という設定)。それ以外は基本的に原作に忠実ですが、最後に原作にはない結末があり、五郎助と八蔵が精神的に崩壊をきたしたような終わり方でした(罪と罰、因果応報という感じか)。名わき役・殿ninngen  1962.jpg山泰司の数少ない主演作であり、殿山泰司と乙羽信子の演技が光っているように思いました(殿山泰司は好演、乙羽信子は怪演!)。この時のロケ撮影の様子は、名エッセイストでもある殿山泰司が『三文役者あなあきい伝〈part 2〉』('80年/講談社文庫)で触れていてますが、これがなかなか興味深いです(その後、『殿山泰司ベスト・エッセイ』('18年/ちくま文庫)にも収められた(p146))
   
人間 (映画) 1962.jpg「人間」●制作年:1962年●監督・脚本・美術:新藤兼人●製作:絲屋寿雄/能登節雄/湊保/松浦栄策●撮影:黒田清巳●音楽:林光0人間 佐藤慶.png人間 (映画)1.jpg●原作:野上弥生子「海神丸」●時間:100分●出演:乙羽信子/殿山泰司佐藤慶/山本圭/渡辺美佐子/佐々木すみ江/観世栄夫/浜村純/加地健太郎/村山知義●公開:1962/11●配給:ATG(評価:★★★★)

【1929年文庫化・1970年改版[岩波文庫]/1962年再文庫化[角川文庫]】

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先生が教室で授業をしているような分かり易さだが、一応は、書かれた時代も念頭に置くべき。。

谷崎 潤一郎 『文章読本』.JPG  文章読本 谷崎 中公文庫.jpg文章読本 (中公文庫)』 文章読本さん江.jpg 斎藤美奈子 『文章読本さん江

谷崎 潤一郎 『文章読本』 初版1.jpg谷崎 潤一郎 『文章読本』 初版2.jpg 谷崎潤一郎(1886-1965)が1934(昭和9)年に発表したもので、「なるべく多くの人々に読んでもらう目的で、通俗を旨として書いた」と前書きしている通りに読み易く、その年のベストセラーだったとのこと。中公文庫版は、改訂により活字が大きくなり、更に読み易くなっています(活字を大きめにしたのは、活字が小さいのは良くないと本書に書いてあるからか)。
谷崎潤一郎 『文章読本』初版 1934(昭和9)年

 三島由紀夫の『文章読本』('59年/中央公論社)、清水幾太郎の『論文の書き方』('59年/岩波新書)と並んで、「文書読本」の"御三家"と言われているそうですが、それらより四半世紀早く世に出ているわけで、一緒に並べるのはどうかと思います。
 因みに、"新御三家"は、本多勝一・丸谷才一・井上ひさしの3人の著者だそうで、何れにせよ、後に続く多くの人が、この「文章読本」と冠した本を書いていることになります。

 学校の先生が教室で授業をしているような感じの口語文で、文章というものを様々な視点から論じるとともに、事例も多く引いているため、たいへん分かり易いものとなっており、また、言っている内容も、現在の日本語の方向性をかなり予見したものとなっているように思います。

 この本に関して言えば、作家というより国文学者、国語学者みたいな感じなのですが、著者らしいと思ったのは、言文一致を唱えながらも、小説家の書くものには、その言文一致の文章の中にも、和文脈を好むものと漢文脈を好むものがあり、前者を泉鏡花、上田敏など、後者を夏目漱石、志賀直哉などとして、それぞれ「源氏系」と「非源氏系」と名付けている点です。

 興味深いのは、志賀直哉の簡潔な文体をかなり絶賛していて、「城の崎にて」からかなりの引用解説しているほか、森鷗外の簡勁な表現なども高く評価している点で、著者自身の文学作品は、それらの対極にある「源氏系」であるように思われ、やや不思議な感じもしますが、読んでいくうちに、「源氏系」か「非源氏系」ということと、簡潔であるかどうかということは矛盾するものではないということが分かってくるようになります。

 そのほかにも、文章のコツ、すなわち人に「わからせる」ように書く秘訣は、「言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まること」であり、また、「余りはっきりさせようとせぬこと」ともあって、なるほどなあと。

 なぜ「コマカイ」の送り仮名を「細い」と送らず「細かい」と送るかなどといったことは、ちょっとと考えれば分かることですが、多くの例を引いて、そもそも日本語の文法のルールが曖昧であることを検証してみせ、その曖昧さに価値と有用性を認めている点が、さすがという感じ。

吉行 淳之介.jpg 但し、文庫解説の吉行淳之介が、「この本についての数少ない疑点」として幾つか挙げている中の最後にもあるように、「文章には実用と藝術の区別はないと思います」という点が、本書で言う文章の対象には詩歌などの韻文は含まれていないとはしているにしても、どうかなあという気はしました(吉行淳之介は「私の考えでは微妙な区別があると思う」としている)。

文章読本さん江.jpg この「文章には実用と藝術の区別はない」というのが、この本の冒頭にきていて、本書で最も強調されていることのように思われるだけに、ずっと読んでいて引っ掛かるわけですが(何せ書いているのが「源氏派」の谷崎だけに)、これについては斎藤美奈子氏が『文章読本さん江』('02 年/筑摩書房)の中で、著者自身が、明治前期に主流だった「自分の心の中にもないこと、自分の云いたいとも思わないことを、できるだけねじ曲げて、かつ装飾的に伝えること」を要諦とするような文章作法教育を受けてきたため、それに対するアンチテーゼとして、そう言っているのだとしており、至極納得した次第です。

 あまりに分かり易く書かれているためについつい忘れがちになりますが、やはり、書かれた時代というものも考えに入れなければならないのでしょう。詰まるところ、「文章の要は何かと云えば、自分の心の中にあること、自分の云いたいと思うことを、出来るだけその通りに、かつ明瞭に伝えることにある」というのが、本書の最大の主張であるように思われますが、思えば、その後に登場する文章読本の多くが、この本家「文章読本」に対するアンチテーゼのような形を取っているのが興味深いです。

 例えば三島由紀夫は、「文章には特殊な洗練を要す」(『文章読本』(中公文庫))としているし(ある意味、感性を要すという本書の趣旨に近いか)、清水幾太郎は「あるがままに書くな」(『論文の書き方』(岩波新書))と言っており、本多勝一は「話すように書くな」(『日本語の作文技術』(朝日文庫))、丸谷才一に至っては「思ったとおり書くな」(『文章読本』(中公文庫))とまで言っていますが、これらの言説も、各人がそう唱える上でのバックグラウンドを念頭に置く必要があるのかもしれません。

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照明や建築物だけでなく、食器・食物、能・文楽、美人などにまで及ぶ「陰翳礼讃」論。

谷崎 潤一郎 『陰翳礼讃』 創元社.jpg陰翳礼讃 中公文庫.jpg    陰翳礼讃 東京をおもう.jpg 陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫).jpg
『陰翳礼讃』創元社(1943)『
陰翳礼讃 (中公文庫)』 『陰翳礼讃 東京をおもう (中公クラシックス (J5))』['02年]陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)』['14年]
陰翳礼賛 (英文版) - In Praise of Shadows
陰翳礼賛 (英文版).jpg 「陰翳礼讃」は、谷崎潤一郎(1886-1965)が1933(昭和8)年12月から翌年にかけて雑誌「経済往来」に発表した随筆で、日本人の美意識とは「陰」や「仄暗さ」を条件に入れて発達してきたものであり、明るさよりも翳りを、光よりも闇との調和を重視してきたものであると分析しているものですが、建築やインテリア、照明の仕事に携わる人には長らく必読の書のように言われてきて、特に今で言う照明デザイナーのような職種の人は、その仕事につくや先輩から読むように言われたという話も聞きますが、今はどうなのでしょうか。

吉行 淳之介.jpg 昭和50年初版の文庫本の解説で、吉行淳之介が30数年ぶりに読み返したとありますが、著者がこれを書いた頃は、電気による照明が人々の暮らしに浸透しつつあり、何でもより明るく照らし、生活の中から闇の部分を消し去るということが進行中乃至完了したばかりの頃であったのに対し、吉行がこの解説を書いた頃には、もう随分前から電気照明が当たり前になっており、そのため、逆にその「照明」に注目した点が、吉行にとっては'盲点'だったとしています。

 著者は、翳の中の光の微細な変化を美として生活に嵌め込んでいた時代を"懐かしむ"が如く著しているわけですが(元に戻せと言っても"今更不可能事"であり"愚痴"に過ぎないとも言っている)、それでは今の時代に読んでどうかというと、やはり日本人の心の底に綿々とある美意識を鋭く衝いているように思われ、実際、最近でも「ランプの宿」など人気があることからみても、西洋とは異なる、日本人に普遍的な心性をよく捉えているのではないかと思いました。

 中公文庫版は、「陰翳礼讃」のほかに、「瀬惰の説」(昭和5年発表)、「恋愛及び色情」(昭和6年発表)、「客ぎらい」(昭和23年発表)、「旅のいろいろ」、「厠のいろいろ」(共に昭和10年発表)の5篇の随想を所収していますが、他の随想にも概ね"陰翳礼讃"というコンセプトが貫かれており、「瀬惰の説」では、「怠ける」ということに対する日本人と西洋人の考え方の違いから、日常の生活姿勢における両者の美意識の違いを、「恋愛及び色情」では、「源氏物語」に代表される日本の古典文学を通して、日本人に特徴的な恋愛観や性愛観に踏み込んで論じていて、両篇とも、「陰翳礼讃」に匹敵する洞察の深さが見られます。

 さらっと書いていながらも格調高い「陰翳礼讃」や「恋愛及び色情」に比べると、「旅のいろいろ」「厠のいろいろ」は、それらより若干柔らかいタッチの随想ですが、例えば「厠のいろいろ」で述べられている"トイレット考"は、「陰翳礼讃」の中に既に見られます。

 但し、今回、自分自身も読み直してみて改めて感じたのは、触れている事柄の範囲の広さが、やはり「陰翳礼讃」は広いなあと。照明や建築物だけでなく、食器・食物、能・文楽、美人などにまで及び、「瀬惰の説」「恋愛及び色情」の後に発表されていることから見ても、著者の美意識、美学の集大成、エッセンスと言えるものではないでしょうか。

 漆器や味噌汁の色合いは暗闇においてこそ調和し、仏像や金屏風は薄暗い中で間接照明の機能を果たしていたのではないか、といった考察は実に卓見、羊羹(!)から日本人女性の肌の色まで、全て"陰翳礼讃"というコンセプトで論じ切っていて、それでいて充分な説得力があるのは、やはりスゴイことではないかと思います。

「IN-EI RAISAN(陰翳礼讃)」(2018年/高木マレイ監督/主演:国木田彩良(国木田独歩の玄孫))谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を原案とする短編映画
IN-EI RAISAN(陰翳礼讃)2.jpg IN-EI RAISAN(陰翳礼讃).jpg

《読書MEMO》
●「かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉(ぎょく)のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる」(文庫初版24p)。

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安寿の死を「刑死」から「入水自殺」に置き換えたのは、あまりの忍びなさのため?

山椒大夫・高瀬舟.jpg山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫)』  安寿と厨子王.jpg安寿と厨子王 (京の絵本)

 森鷗外が、1915(大正4)年1月、52歳の時に雑誌「中央公論」に発表した作品で、安寿と厨子王の姉弟が山椒大夫の奸計により母と離れ離れになり、安寿の犠牲の後、厨子王が母と再会するというストーリーは、童話「安寿と厨子王」としてもよく知られていますが、鷗外の作品の中では、「阿部一族」などと比べても読み易い方ではないでしょうか。

 母子モノであるとも言え、谷崎潤一郎などにも中世に材を得た母子モノがありますが、谷崎ほどねちっこく無くて淡々とした感じで、谷崎のはややマザコンがかっているためかもしれませんが、この作品では親子愛と同じく姉弟愛が扱われているということもあるかと思います。

 淡々と描かれてはいるものの、史実をベースにした「阿部一族」のような堅さは無く、また、元となった中世説話「さんせう太夫」では、姉の安寿は刑死する(弟を脱走させたため拷問を受けて惨殺される)のに対し、鷗外作では入水自殺したことになっており、更には、山椒大夫が後に出世した厨子王に処刑される場面も無いなど、オリジナルの説話の方は苛烈な復讐譚でもあったものが、鷗外の手で意図的にソフィストケートされている感じがします。

山椒大夫3.bmp この鷗外の「山椒大夫」を原作とした溝口健二監督の映画化作品「山椒大夫」('54年/大映)はよく知られていますが、同じく鷗外の作を原作として、溝口作品の7年後に「安寿と厨子王丸」('61年/東映)としてアニメ化されていて、溝口作品では「姉弟」が「兄妹」になっていたり、アニメでは厨子王が山椒大夫親子を処刑せずに「許す」風になっていたりと(鷗外の原作にもそこまでしたとは書いていない)、いろいろ改変している部分があります。但し、安寿は何れの作品共に、鷗外の原作に沿って「入水自殺」で亡くなることになっています。
「山椒大夫」('54年/大映)

 鷗外の原作を離れたところでは、1994(平成6)年刊行の堀泰明の絵、森忠明の文による絵本「安寿と厨子王」('94年/同朋社出版)があり、「京の絵本」シリーズということで、中世の雰囲気をよく醸した美しいものです。

 文章は淡々と起きた出来事を述べるように書かれていて(まるで鷗外のよう)、英訳付きであることからみても大人向きではないでしょうか。

 監修が梅原猛、上田正昭というだけあって、説話「さんせう太夫」に沿って、安寿は拷問を受けて殺され、後に丹後の国主となった厨子王は、山椒大夫を捕えて死罪に処し(絵本でありながら、そうした場面がそれぞれにある)、溝口作品やアニメでは「明かなかった」ラストの母子再会で母の眼は「明く」ことになっています。まあ、このあたりが、ほぼ"正統"なのでしょう(子供に読ませるとなると抵抗を覚えるかも)。

 安寿の死を「刑死」から「入水自殺」に置き換えたのは、鷗外が最初なのでしょうか。拷問死というのがあまりに忍びなかったのかなあ。
 
【1938年文庫化[岩波文庫(山椒大夫・高瀬舟 他四篇』)]】

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「堕落論」と「続堕落論」の両方を読み比べることで、著者の意図がより明確に。
堕落論 銀座出版社 1947年6月初版.gif 堕落論 角川文庫.jpg 堕落論 角川文庫2.jpg  坂口 安吾  .jpg
堕落論 (1947年)』/『堕落論』(角川文庫・旧版)/『堕落論 (角川文庫クラシックス)』 坂口 安吾(1946年12月、蒲田区安方町の自宅二階にて)

坂口 安吾 『堕落論』2.jpg 昭和21(1946)年4月、当時40歳の坂口安吾(1906-1955)が発表した「堕落論」は、文庫で十数ページばかりのエッセイですが、戦争が終わって半年も経たない内に書かれたとは思えないくらい、当時の世相堕落論0.JPGの混沌を透過して世間を見据え、日本人の心性というものを抉っており、久しぶりの読み返しでしたが、その洞察眼の鋭さに改めて感服させられました。

堕落論 (新潮文庫)』(今後の寺院生活に対する私考/FARCEに就て/文学のふるさと/日本文化私観/芸道地に堕つ/堕落論/天皇小論/続堕落論/特攻隊に捧ぐ/教祖の文学〔ほか〕)

堕落論』(角川文庫・旧版)(日本文化私観/青春論/堕落論/続堕落論/デカダン文学論/戯作者文学論/悪妻論/恋愛論/エゴイズム小論/欲望について/大阪の反逆/教祖の文学/ 不良少年とキリスト)
   
 人間は堕落する生き物あり、ならばとことん堕落せよと説いていることから、人生論的エッセイという印象がありましたが、こうして読み返してみると、ヒト個人と日本をパラレルに論じていて、日本人論、日本文化論的な要素も結構あったかも。

 武士道に関する記述において、仇討が、仇討の法則と法則に規定された名誉だけによるものだったという指摘などは鋭く、「生きて捕虜の恥を受けるべからず」というのも同じ事であり、日本人は実はこういう規定がないと、戦闘に駆りたてられない心性の民族なのだと(戦争中にはこれが「玉砕」の発想に繋がってしまったのではないか)。

 その考え方を敷衍させ、天皇制を「極めて日本的な(独創的な)政治的作品」と見ているのが興味深く、日本の政治家達(武士や貴族)は、自己の隆盛を約束する手段として、絶対君主の必要を嗅ぎ付けたのだとし、だから天皇は、社会的に忘れられた時にすら、政治的に担ぎだされてくると指摘しています(豊臣秀吉が衆楽に行幸を仰いだように)。

 戦時下の米軍の爆撃に大いに恐怖を感じていたことを告白しながらも、「偉大な破壊を愛していた」とも言い、「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが充満していた。(中略)偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない」とし、「だが、堕落ということの驚くべき平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間たちの美しさも、泡沫のような虚しい幻影にすぎないという気持ちがする」としています。

 徳川幕府が赤穂四十七士に切腹を命じたのは、彼ら生き延びて堕落し、美名を汚すことがあってはならぬという慮りであり、人は生きている限り堕落するものであると。但し、「戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。(中略)人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことは出来ない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」と言っているように、「堕落」を肯定的に捉えています。

坂口安吾-風と光と戦争と.jpg これを同年(昭和21年)12月に発表の「続堕落論」と併せて読むと、まず「続堕落論」では、満州事変から始まる天皇を無視した軍部の独走を、「最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた」としてより直截に批判するとともに、「たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、ほかならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、という。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ! 我ら国民は戦争をやめたくて仕方なかったのではないか」と、より手厳しくなっています。

 更に、「私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺制のカラクリにみちた「健全な道義」から転落し、裸となって真実の台地へ降り立たなければならない。我々は「健全な道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない」とし、「天皇制だの武士道だの(中略) かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出直す必要がある」としています。 『坂口安吾: 風と光と戦争と (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

 但し、「堕落論」の末尾で、「だが人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう(中略)墜ちぬくためには弱すぎる。(中略)武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるだろう。だが(中略)自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要なのだ。そして人のごとく日本もまた墜ちることが必要であろう。墜ちる道を墜ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」としていたのと同じく、「続堕落論」の末尾でも、「人間は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かララクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるだろう。そのカラクリを、つくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ」としています。

堕落論_5623.JPG こうして見ると「堕落論」と「続堕落論」の趣旨は同じであり、一貫してある種"反語"的に論じられているため、自分自身、著者の意図をどこまで本当に把握し得ているのか心許無さも若干ありますが、「堕落論」と「続堕落論」の両方を読み比べることで、より著者の言わんとするところが明確に見えてくるように思いました。


 銀座出版社刊行の昭和22年版は、古書店を廻れば今でも入手可能(ベストセラーとなったため相当数刷られた?)ですが、文庫では、「日本文化私観」「青春論」「堕落論」「続堕落論」「デカダン文学論」「戯作者文学論」「悪妻論」「恋愛論」「エゴイズム小論」「欲望について」「大衆の反逆」「教祖の文学」「不良少年とキリスト」の13篇を収めた「角川文庫」が定番でしょうか。

 今年['11年]4月に角川の「ハルキ文庫」の一環として創刊された「280円文庫」は、デフレ時代を反映してかその名の通りの価格で手頃であり、一応こちらも「堕落論」「続堕落論」「青春論」「恋愛論」の4篇を収録しています。

【1957年再文庫化・2007年改版[角川文庫]/1990年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[新潮文庫]/2008年再文庫化[岩波文庫(『堕落論・日本文化私観 他二十二篇』)]/2011年再文庫化[280円文庫(ハルキ文庫)]】

《読書MEMO》
●角川文庫版収録分・各発表年月
「日本文化論」昭和17年3月発表
「青春論」昭和17年7月発表
「堕落論」昭和21年4月発表
「続堕落論」不明
「デカダン文化論」昭和21年10月発表
「戯作者文学論」昭和22年1月発表
「悪再論」不明
「恋愛論」不明
「エゴイズム論」不明
「欲望について」昭和21年9月発表
「大阪の反逆」昭和22年4月発表
「教祖の文学」昭和21年6月発表
「不良少年とキリスト」昭和22年7月発表

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原作より訓話的かつ現実的(解説的)。大人の鑑賞にも耐え得る作品にするための戦略か。

風の又三郎 vhs.jpg風の又三郎 映画1.jpg風の又三郎 片山明彦.jpg 童話集  風の又三郎.bmp
「風の又三郎」'40年 日活 /片山明彦(又三郎) 『童話集 風の又三郎 他十八篇 (岩波文庫)

風の又三郎 [VHS]」日活文芸コレクション(1997)

風の又三郎 1940vhs.jpg 北海道から東北の山間の小学校へ転校してきた5年生の少年・高田三郎(片山明彦)に、地元の子供達は、転校してきた日が二百十日であったため「風の又三郎」という綽名を付ける。新参者に興味を示し、一緒に遊んだりしながらも距離を置く子供達―ある日、ガキ大将の一郎(大泉滉)が相撲を挑み、三郎少年は投げ飛ばされてしまう。調子に乗ったガキ大将が「くやしかったら風を呼んでみろ」とからかった直後、本当に大風が吹き、台風が来襲する。そして、その翌日、彼は別の学校へ転校していったため、子供達は少年が本物の「風の又三郎」だったのだと確信する―。

『風の又三郎』2.jpg  宮澤賢治(1896‐1933)による原作は、作者没後の1934(昭和9)年に発表されたもので、大正年中に書いたものをコラージュして1931(昭和6)年から1933(昭和8)年の間に成ったものとされており、これまで何度か映画化されていますが、最初に映画化された島耕二(1901‐1986)監督のこの作品が、最も原作の雰囲気を伝えているとされているようです。

『風の又三郎』1.jpg風の又三郎1940年.jpg 前半部分は野山を廻って遊ぶ子供達を生き生きと描いた野外シーンが殆どで、そうした中、子供達は三郎(片山明彦)との距離を狭めたり(子供達が三郎少年を守ろうとする場面もある)、また遠ざけたりを繰り返します。

風の又三郎 1940.bmp 最初、教師が詰襟っぽい制服姿で出てきたので、時代設定を映画制作時の昭和15年に置き換えたのかと思いましたが、そうではなく原作通りでした(学校も藁ぶき屋根! 但し「分校」なのだが)。洋服の三郎少年に対し地元の子供達は着物姿であるため、映像で観るとよりその対比が際立ち、冒頭で既に三郎少年と子供達は一つになることはないような予感がしてしまいました。実際に原作も、子供達が自らのコミュニティ(「地元の子供」という1つの村社会)で結束して部外者を排除したプロセスを描風の又三郎ro.jpgいたととれなくもありません(その場合「又三郎」そのものに"魔的"な意味合いが加味される)。

 映画でも、「台風」が子供の成長の通過儀礼としての象徴的役割を果たしているように思いましたが、"魔的"な体験をくぐり抜けた(三郎少年と同学年の嘉助(星野和正)については特にそのことが言える)ことと併せて、三郎少年が去った後の子供達の「もっと一緒に遊びたかった」という言葉の中に自責の念のようなものも感じられ、その分、"大人になった"という捉え方もできるかもしれません(ある意味、訓話的。まさか、疎開してきた子とは仲良くしましょうという意味ではないと思うが-この映画は太平洋戦争勃発の前年に作られているわけだし)。

 映像技術的には、子供達が牧場で悪戯して馬群が野を駆けだすシーンは圧巻、モノクロ映画の良さが滲み風の又三郎d6.jpg風の又三郎L.jpg風の又三郎Z.jpg出ています。一方で、嘉助が霧の中で迷って昏倒した際に、三郎少年がガラスのマントを着て空を飛ぶ姿を見る場面で、「ガラスのマント」が濡れたビニールにしか見えなかったりもしますが、とにかく特撮からアニメまで駆使して頑張ってるなあという感じ。

風の又三郎 (新潮文庫.jpg宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎.jpg【映画チラシ】風の又三郎島耕二注文の多い料理.jpg 最も原作と異なると感じたのは、原作は、三郎少年は「風の又三郎」だったかも知れない的な、子供達の心象に沿った捉え方も出来る終わり方をしていますが、映画では、例えば、「風を呼んでみろ」と言われた時に三郎少年がちらっと空模様を窺ったりする演出があるなど(『三国志』吉川英治版「諸葛孔明」か)、彼が「風の又三郎」ではないことをはっきりさせている点でしょうか(言わば単なる頭のいい子に過ぎない)。

新編 風の又三郎 (新潮文庫)』['89年(初版'61年)]/『宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュほか (ちくま文庫)』(「ちくま文庫」1985/12/1創刊ラインアップ)

 彼が2週間足らずでまた転校していたのも、その地のモリブデン(当時日本の軍用ヘルメット等の素材として需要があった)の鉱脈がさほどのものでなかったことが判明したため鉱山技師の父が次の調査地へ赴任することになったのが理由であることが教師の言葉から解り、賢治は後期作品ほどリアリズムの色彩が濃くなりますが(三郎少年のような垢抜けた子が、こんな田舎の子と接触することになる状況設定としては巧み)、映画は更に現実的(解説的)に作られていると言えるかも。

 そのことと、子供達、とりわけ嘉助が「又三郎」信奉を深めていくこととは別に描いており(最後は一郎(大泉滉)も"信奉者"に巻き込み、この部分はある意味原作に近い)、大人の鑑賞にも耐え得る作品に仕上げながら、子供の夢をも壊さないという1つの戦略かなとも思いました。

 賢治が教え子(沢里武治)に作曲を頼んだが成らなかったという「どっどどどどうど」の唄(ピアニスト・杉原泰蔵による作曲)が聴けます(NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の野村萬斎のとは随分違うなあ)。

風の又三郎 映画2.jpg『風の又三郎』.jpg大泉 晃.gif 三郎少年を演じた片山明彦(1926-2014/享年86)は島耕二監督の実子、子供達のリーダーで学校で唯一の6年生の一郎を演じているのは大泉滉(1925‐1998/享年73)、そのほか、嘉助の姉(原作には出てこない)役で風見章子(1921‐2016/享年95)が出演しています。

左:大泉滉(一郎)/右:片山明彦(三郎)

 1957(昭和32)年に村山新治監督、1989(平成元)年に伊藤俊也監督によりリメイク作品が撮られています。

風の又三郎y8sA.jpg神保町シアター.jpg「風の又三郎」●制作年:1940年●監督:島耕二●脚本:永見隆二/池慎太郎●撮影:相坂操一●音楽:杉原泰蔵●時間:98分●出演:片山明彦/星野和正/大泉滉/風見章子/中田弘二/北竜二/林寛/見明凡太郎/西島悌四朗/飛田喜佐夫/小泉忠/久見京子/中島利夫/南沢昌平/杉俊成/大坪政俊/河合英一/田中康子/南沢すみ子/川島笑子/美野礼子●公開:1940/10●配給:日活●最初に観た場所:神保町シアター(10-07-24)(評価:★★★☆) 神保町シアター 2007(平成19)年7月14日オープン

片山明彦

「風の又三郎 ガラスのマント」(1989年/監督:伊藤俊也)
「風の又三郎」1940年 日活.jpg 風の又三郎 [VHS]500_.jpg

童話集 風の又三郎 他十八篇.jpg童話集 風の又三郎 他十八篇 (岩波文庫)
■収録作品(十九篇)
風の又三郎 どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ......
セロひきのゴーシュ ゴーシュは町の活動写真館でセロをひく係りでした.けれども......
雪渡り 雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり,空も冷たいなめらかな......
蛙のゴム靴 松の木や楢の林の下を,深い堰が流れておりました.岸には......
カイロ団長 あるとき,三十匹のあまがえるがいっしょにおもしろく仕事を......
猫の事務所 軽便鉄道の停車場の近くに,猫の第六事務所がありました.......
ありときのこ 苔いちめんに,霧がぽしゃぽしゃ降って,蟻の歩哨は鉄の帽子......
やまなし 小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です.......
十月の末 嘉っこは小さなわらじをはいて,赤いげんこを二つ顔の前に......
鹿踊りのはじまり そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあいだから,夕日は赤く......
狼森と笊森,盗森 小岩井農場の北に,黒い松の森が四つあります.いちばん南が......
ざしき童子のはなし ぼくらのほうの,ざしき童子のはなしです. あかるいひるま......
とっこべとら子 おとら狐のはなしは,どなたもよくご存じでしょう. おとら狐にも......
水仙月の四日 雪婆んごは遠くへ出かけておりました. 猫のような耳をもち......
山男の四月 山男は金色の目を皿のようにし,せなかをかがめて,西根山の......
祭りの晩 山の神の祭りの晩でした. 亮二は新しい水色のしごきをしめて......
なめとこ山の熊 なめとこ山の熊のことならおもしろい.なめとこ山は大きな山だ......
虔十公園林 虔十はいつも縄の帯をしめて,わらって森の中や畑の間をゆっくり......
グスコープドリの伝記 グスコープドリは,イーハトーヴの大きな森の中に生まれました......

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純粋トリックから心理トリックへ。意外と乾いた感じの初期作品。

心理試験 春陽堂文庫.jpg心理試験 復刻版.gif屋根裏の散歩者 文庫.jpg 江戸川乱歩猟奇館/屋根裏の散歩者(1976).jpg VHS
心理試験 (創作探偵小説集)』['93年/復刻版]『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者 (光文社文庫)』 映画「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」(1976/06 日活) 石橋蓮司・宮下順子主演
心理試験 (1952年) (春陽文庫)
心理試験 (江戸川乱歩文庫)』['15年]
心理試験 (江戸川乱歩文庫) 文庫.jpg 蕗屋清一郎は下宿屋を営む老婆の貯めた大金を狙って彼女を絞殺するが、犯人として挙げられたのは蕗屋の同級生・斎藤勇だった。しかし、事件に疑問を抱いた笠森判事は、蕗屋を召還て斉藤と共に「心理試験」を受けさせることにし、一方、蕗屋はその心理試験に備えて万全の応答を準備する―。

 江戸川乱歩(1895-1965)の「心理試験」(1925(大正14)年2月に雑誌「新青年」に発表)を最初に読んだのは、春陽文庫の「江戸川乱歩名作集7」('52年3月初版)で、他に「二銭銅貨」「二癈人」「一枚の切符」「百面相役者」「ざくろ」「芋虫」の6編を所収していますが('87年の改版版も同じラインアップ)、やはり「心理試験」のインパクトが一番で、「D坂の殺人事件」に続いての素人探偵・明智小五郎の"試験分析"が鮮やかです。

光文社文庫『江戸川乱歩全集』全30巻
江戸川乱歩全集 光文社文庫.jpg 『心理試験』の単行本は、1924(大正14)年7月の刊行で、「創作探偵小説集1」として'93年に春陽堂書店から復刻刊行されています(「二銭銅貨」「D坂殺人事件」「黒手組」「一枚の切符」「二廃人」「双生児」「日記帳」「算盤が恋を語る話」「恐ろしき錯誤」「赤い部屋」の10編を所収)。個人的には、高校生の時に読んだ春陽文庫に思い入れがありますが、今読むならば、光文社文庫の『屋根裏の散歩者―江戸川乱歩全集1』('04年7月刊)が読み易いかも。

 光文社文庫版は初期作品21編を収め、「二銭銅貨」「一枚の切符」「恐ろしき錯誤」「二癈人」「双生児」「D坂の殺人事件」「心理試験」...といった具合に発表順に並べられており、それぞれの作品に、作者自身が全集などに所収する際に書いた自作解説が添えられており(「心理試験」がドストエフスキーの「罪と罰」の中のラスコーリニコフの老婆殺しから示唆を得ていることを、この解説で始めて知った)、作者の自作に対する評価がなかなか興味深いです(「D坂」「心理試験」「屋根裏の散歩者」は、本人評価も良いみたい)。

 こうして見ると、初期作品(1923‐25年の間に発表されたもの)の中でも最初の数編は洋物推理的な純粋トリックが主体で、「D坂」あたりから、次第に人間心理的な要素が推理に織り込まれてくるようになったことが窺えますが、何れも乾いた感じのものが多いように思えます(春陽文庫版の「ざくろ」「芋虫」は、それぞれ'34年、'29年の発表作)。

屋根裏の散歩者 映画.jpg 光文社文庫版の表題作「屋根裏の散歩者」(1925(大正14)年8月に「新青年」に発表)は、'70年、'76年、'94年、'07年の4度映画化されており、田中登監督、石橋蓮司・宮下順子主演の映画化作品「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」('76年/日活)を観ましたが、映画はエロチックな作りになっているように思いました。原作は、女の自慢話する男を嫌った主人公が、単に犯罪の愉しみのために、天井裏から毒薬を垂らして男の殺害を謀るもので、エロチックな要素はありません。この作品の事件も明智小五郎が解決しますが、その言動にもどこか剽軽で乾いたところがあります。因みに、この天井裏から毒薬を垂らす殺害方法は、映画「007は二度死ぬ」('67年/英)で採用されており、これによって若林映(あき)子が演じる公安エージェントのアキは殺害されてしまいます。
 
江戸川乱歩猟奇館/屋根裏の散歩者(1976).jpg屋根裏の散歩者 01.jpg 映画がどろっとした感じになっているのは、「人間椅子」(1925年発表)の要素を織り込んでいるためですが("人間椅子"になって喜ぶ下僕が出てくる)、「人間椅子」の原作には実は空想譚だったというオチがあり、乱歩の初期作品には、実現可能性を考慮して、結構こうした作りになっているものが多いのです。江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者   .jpg映画には、「乱歩=猟奇的」といったイメージがアプリオリに介在しているように思えました。宮下順子演じる美那子と逢引するピエロの話も、関東大震災の話(まさに"驚天動地"の結末)も原作には無い話です。自分が最初に観た時も、宮下順子の「ピエロ~、ピエロ~」という喘ぎ声に館内から思わず笑いが起きたくらいで、今日においてはカルト的作品であると言えばそう言えるかもしれません。
江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者1.jpg 江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者2.jpg

江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者 [DVD]」北米版DVD
江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者 dvd .jpg江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者 米.jpg屋根裏の散歩者図5.jpg「屋根裏の散歩者」宮下.jpg「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」●制作年:1976年●監督:田中登●製作:結城良煕/伊地智●脚本:いどあきお●撮影:森勝●音楽:蓼科二郎●原作:江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」●時間:76分●●出演:石橋蓮司/宮下順子/長弘/池袋文芸地下 地図.jpg織田俊彦/渡辺とく子/八代康二/田島はるか/中島葵/夢村四郎/秋津令子/水木京一●公開:1976/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋文芸地下(82-11-14)(評価:★★★)●併映:「犯された白衣」(若松孝二) 
 
江戸川乱歩短篇集 (岩波文庫).jpg 「心理試験」...【1952年文庫化・1987年改版版[春陽文庫・江戸川乱歩文庫]/1960年再文庫化[新潮文庫(『江戸川乱歩傑作選』)]/1971年再文庫化[講談社文庫(『二銭銅貨・パノラマ島奇談』)]/1973年再文庫化[角川文庫(『黄金仮面』)]/1984年再文庫化[創元推理文庫(『日本探偵小説全集2』)]/1987年再文庫化[江戸川乱歩推理文庫(講談社)(『二銭銅貨』)]/2004年再文庫化[光文社文庫(『江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者』)]/2008年再文庫化[岩波文庫(『江戸川乱歩短篇集』)]/2015年再文庫化[春陽堂・江戸川乱歩文庫]】

江戸川乱歩短篇集 (岩波文庫)』(収録作「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」「二銭銅貨」「心理試験」「押絵と旅する男」「白昼夢」「火星の運河」「お勢登場」「木馬は廻る」「目羅博士の不思議な犯罪」の12編)

【読書MEMO】
二銭銅貨[『新青年』1923.04]/一枚の切符[『新青年』1923.07]/恐ろしき錯誤[『新青年』1923.11]/二癈人(二廃人)[『新青年』1924.06]/双生児[『新青年』1924.10]/D坂の殺人事件[『新青年』1925.01]/心理試験[『新青年』1925.02]/屋根裏の散歩者[『新青年』1925.08]/人間椅子[『苦楽』1925.10]
 

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"黒澤明"風「阿部一族」。原作のイメージしにくい部分をイメージするのに丁度いい。

日本映画傑作全集 阿部一族.jpg 阿部一族 映画.jpg  阿部一族 岩波文庫.jpg 森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫).jpg
「阿部一族」(1938年/監督:熊谷久虎)/映画「阿部一族」の一場面(中村翫右衛門)/『阿部一族―他二編 岩波文庫』/『森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫)
img206阿部一族.jpg阿部一族31_v.jpg 寛永18年、肥後熊本の城主・細川忠利が逝去し、生前より主の許しを受け殉死した者が18名に及んだが、殉死を許されなかった阿部弥一右衛門(市川笑太郎)に対しては、家中の者の見る眼が変わり、結局彼は息子達の目の前で切腹して果て、更に先君の一周忌には、長男・権兵衛(橘小三郎)がこれに抗議する行動を起こし非礼として縛り首となり、次男・弥五兵衛(中村翫右衛門)以下阿部一族は、主君への謀反人として討たれることになる―。

阿部一族 新潮文庫.jpg 原作は森鷗外が1913(大正2)年1月に雑誌『中央公論』に発表した中篇小説ですが、簡潔な描写であるのはいいのですが、一部においては歴史史料のような文体であり、これをフツーの人が読んでどれぐらい出来事の情景が思い浮かべることができるか、大体は可能だとしても細部においてはどうか。個人的には、同年発表の『護持院原の敵討』の方が読み易かったでしょうか。鷗外が、同じ江戸時代の慣習でも、「殉死」に対して批判的で、「敵討」に対しては同情的であるように見えるのが興味深いです(「阿部一族」は、明治天皇を追って乃木希典が殉死したことへの批判的動機から書かれたとも言われている)。

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

映画『阿部一族』.jpg 熊谷久虎(1904‐1986)監督により1938年に映画化されていますが(このほかに深作欣二(1930‐2003)監督も1995年にテレビ映画化している)、黒黒澤明         .jpg澤明監督が演出の手本にしたという熊谷久虎作品はたいへん判り易いもので、但し、判り易すぎると言うか、弥一右衛門のことを噂する家中の者の口ぶりは、サラリーマンの職場でのヒソヒソ話と変わらなかったりして(親近感は覚えるけれど)、小説の中でも触れられている犬飼いの五助の殉死や、小心者の畑十太夫などについても、コミカルで現代的なタッチで描かれています(この辺りで残酷な場面はない)。

阿部一族30_v.jpg 一方、登場人物中で殉死に唯一懐疑的な隣家の女中・お咲(堤真佐子)と、彼女と親しい仲間多助(市川莚司)は映画オリジナルのキャラであり、市川莚司(後の加東大介)の主君の追い腹を切ろうとしてもいざとなるとビビって切れないという演技もまたコミカルでした。

 但し、基本的には当然明るい話では無く、阿部弥一右衛門の自死が、追い腹を切れば主君の命に背いたことになり、切らねば「脂を塗った瓢箪の腹を切る」臆病者と揶揄されるという状況の中での切羽詰まった選択であったにせよ、その事が一族にもたらしたその後の不幸は彼の推測し得なかったことであり、残された一族の「何でこうなるのか」みたいな焦燥感や悲壮感が、映像でよく伝わってきます(最後は一族総玉砕みたいな感じで、この辺り"黒澤明"風)。

殉死の構造 学術文庫.jpg 因みに、鷗外がこの小説のベースにした『阿部茶事談』という史料自体が脚色されたものであり、実際には阿部弥一右衛門は、他の殉死者と同じ日にしっかり殉死していたということは、山本博文 著『殉死の構造』(講談社学術文庫)などで史料研究の観点から指摘されており、山本氏によれば、鷗外は、"誤った"史料をベースに物語を書いたということのようですが、鷗外が確信犯的に創作したという可能性はないのだろうか(他にも、「権兵衛の非礼」→「一族の討伐」→「権兵衛の縛り首」が正しい順番であるなど、史実との違いがある)。

 この「阿部一族」は、円谷英二が特殊技術を担当し、始めて本格的に特撮監督としてデビューした作品でもあるらしいです(但し、ノンクレジットであり、息子・円谷一による追悼フィルモグラフィー『円谷英二―日本映画に残した遺産』('73年/小学館、'01年復刻版刊行)の「関係主要作品リスト」にも入ってはいない。円谷英二は当時、東宝東京撮影所に新設された特殊技術課の"部下無し"課長だった。監督というより「技術指導」に近いか)。

r阿部一族.jpg

vhs 雁 阿部一族.jpg阿部一族(1938).jpg 「阿部一族」●制作年:1938年●監督:熊谷久虎●製作:東宝/前進座●脚本:熊谷久虎/安達伸男●撮影:鈴木博●音楽:深井史郎/P・C・L管絃楽団●原作:森鷗外「阿部一族」●時間:106分●出演:中村翫右衛門/河原崎長十郎/市川笑太郎/橘小三郎/山岸しづ江/堤真神保町シアター.jpg佐子/市川莚司(加東大介)/市川進三郎/山崎島二郎/市川扇升/山崎進蔵/中村鶴蔵/嵐芳三郎/坂東調右衛門/市川楽三郎/瀬川菊之丞/市川菊之助/中村進五郎/助高屋助蔵/市川章次/中村公三郎●公開:1938/03●配給:東宝映画●最初に観た場所:神保町シアター(09-05-09)(評価:★★★☆) 神保町シアター 2007(平成19)年7月14日オープン


『阿部一族・舞姫』 (新潮文庫) 森 鴎外.jpg森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫).jpg 【1938年文庫化・2007年改版[岩波文庫(『阿部一族―他二篇』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『阿部一族・雁・高瀬舟』)]/1967年再文庫化・1976年改版・2012年改版[角川文庫(『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』)]/1968年再文庫化・2006年改版[新潮文庫(『阿部一族・舞姫』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『阿部一族・山椒大夫・高瀬舟―ほか八編』)]/1995年再文庫化[ちくま文庫(『森鴎外全集〈4〉雁・阿部一族』)]/1998年再文庫化[文春文庫(『舞姫・雁・阿部一族・山椒大夫―外八篇』)]】

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)』『森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫)』(「雁」「ながし」「槌一下」「天寵」「二人の友」「余興」「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」「佐橋甚五郎」「護持院原の敵討」所収)

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書き進むうちに、「物語」から「ルポルタージュ」に変質していった?

浅草紅団 (昭和5年).jpg 浅草紅団 s23.jpg  浅草紅団.gif 浅草紅団 2.jpg   浅草紅団 文芸文庫.bmp
浅草紅団 (昭和5年)』先進社/『浅草紅団 (1948年)』永晃社/『浅草紅団 (1953年)』装幀:吉田謙吉・挿絵:太田三郎 /『近代文学館〈特選 〔25〕〉浅草紅団―名著複刻全集 (1971年)』/『浅草紅団・浅草祭 (講談社文芸文庫)』 

浅草紅団 .jpg 昭和初期の浅草を舞台に、不良不良少年・少女のグループ「浅草紅団」の女リーダー・弓子に案内され、花屋敷や昆虫館、見世物小屋やカジノ・フォーリーと巡る"私"の眼に映った、浅草の路地に生きる人々の喜怒哀楽を描く―。

 '29(昭和4)年12月から'30(昭和5)年2月にかけて東京朝日新聞夕刊に連載され、'30(昭和5)年12月に先進社により単行本として出版された小説で、'71年に日本近代文学館より復刻版が出ています。また、久松静児監督、京マチ子主演で映画化されたりもしています(「浅草紅団」('52年/大映))。

 カジノ・フォーリーとは、浅草にあった水族館の2階で昭和4年に旗揚げしたレビューで、川端康成、武田麟太郎など、当時の新進作家が出入りしていたそうです。

浅草紅團(川端康成 著)- 日本近代文学館特選 25 名著複刻全集

梅園竜子.jpg浅草紅團(川端康成 著)3b.jpg 川端康成(1899-1972)の浅草への愛着は相当なもので、カジノ・フォーリーから当時15、6歳だった踊子・梅園竜子を引き抜き、バレリーナに育てようとしたこともあったそうです(梅園龍子はバレイ団に所属した後、映画女優となる)。それが「浅草紅団」連載から1、2年後の1931(昭和6)年、川端康成32歳ころのことです。

梅園竜子

 30歳ごろにこの小説を書き始めたことになりますが、言い回し(文体)が、文芸作品というより風俗小説のそれに近い躍動感があるのが興味深く、また、そうした飛び跳ねたようなトーンの中においても、浅草というカオスに満ちた街に対して、自らをあくまでもエトランゼ(異邦人)として冷静に位置づけているように思えます。弓子という男勝りの、それでいて男性に複雑な感情を抱く少女に対しても(ここにも作家の文学上の少女嗜好が窺えるが)、相手も"私"のことを悪く思っているわけではないのに一定の距離を置いていて、弓子自体がやがて多くの登場人物の中に埋没していくようです。

 後半に行くに連れて、人物よりも街を描くことが主になってきて(途中からルポルタージュへと変質している)、小説としてはどうかなと思う部分も多いですが、その分、当時の浅草の観光ガイドとしては楽しめます。この辺りは、直接取材だけでなく文献研究により書かれた部分も多いようです(今のアサヒビール本社付近に昔はサッポロビール本社があった。両社が国策により合併した時期があったため)。

 関東大震災から昭和恐慌にかけての衰退に向かう浅草に対する惜別の想いが感じられますが、この作品を脱稿して作家が久しぶりに浅草に出向いてみると、結構な賑わいぶりで、「先生の小説のお陰で街に活気が戻った」とレビューの踊子に言われたというエピソードを聞いたことがあります(浅草が本格的に衰退に向かうのは、昭和33年の売春防止法の施行以降)。
 
 講談社文芸文庫版には、本作の6年後に書かれた続編「浅草祭」が収められていますが、「浅草祭」の冒頭で、続編の予告に際して前作「浅草紅団」に触れ、「どんな文体であったかも、よく覚えていない。その一種勢いづいた気取りを六年後に真似ることは、嘔吐を催すほど厭であろうし、果たして可能かも疑わしい」と書いたことを引用しており、実際「浅草祭」の方は、風俗小説風の軽妙な文体は鳴りを潜め、弓子がどこかへ消えていなくなくなっている(大島の油売りになった)こともあってか、落ち着いた、祭りの後のような寂しいトーンになっています。

 「浅草紅団」の前半ぐらいまでは、作家は「物語」を書こうとしていたのではないでしょうか。それが次第と、風俗を描くことがメインになり、断片的なスケッチの繋ぎ合わせのような作品になってしまった―なぜ、物語として完成し得なかったかについても「浅草祭」で書いてはいますが、最後まで「物語」として貫き通していたらどんな作品になっていただろうかとの想像を、禁じざるを得ません。

 因みに「浅草紅団」は、1952年に久松静児監督、京マチ子主演で映画化されていて、個人的には未見でが、脚本の成沢昌茂が原作をかなり脚色したもののようです。

浅草紅団 [DVD]」(1952) (監督)久松静児  (出演) 京マチ子/乙羽信子/根上淳
浅草紅団 dvd.jpg浅草紅団 映画 dvd.jpg


 【1955年文庫化[新潮文庫]/1981年再文庫化[中公文庫]/1996年再文庫化[講談社文芸文庫(『浅草紅団・浅草祭』)]】

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部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがある。主人公は「ストーカー」且つ「ロリコン」?

『伊豆の踊子』.JPG伊豆の踊子 新潮文庫 旧版.jpg 伊豆の踊子 新潮文庫.gif   伊豆の踊子 集英社文庫.jpg
新潮文庫新版・旧版『伊豆の踊子 (新潮文庫)』『伊豆の踊子 (集英社文庫)』(カバー絵:荒木飛呂彦)


川端 康成2.jpg初版本複刻 伊豆の踊子.jpg 1926(大正15)年、川端康成(1899- 1972)が26歳の時に発表された作品で、主人公は数え年二十歳の旧制一高生ですが、実際に作者が、1918(大正7)年の旧制第一高2年(19歳)当時、湯ヶ島から天城峠を越え、湯ヶ野を経由して下田に至る4泊5日の伊豆旅行の行程で、旅芸人一座と道連れになった経験に着想を得ているそうです。

1927(昭和2)年『伊豆の踊子』金星堂['85年復刻版]

 個人的には最初にこの作品を読んだのは高校生の時で、川端作品では『掌の小説』や『眠れる美女』なども読んでいましたが、この作品については何となく手にするのが気恥ずかしいような気がして、それらより読むのが若干ですがあとになったのではなかったかと思います。当時は中高生の国語の教科書などにもよく取り上げられていた作品で、既にさわりの部分を授業で読んでしまっていたというのもあったかも知れません。

オーディオブック(CD) 伊豆の踊子.jpg この作品について、作者は三島由紀夫との座談の中で、「作品は非常に幼稚ですけれどもね、(中略)うまく書こうというような野心もなく、書いていますね。文章のちょっと意味不明なところもありますし、第一、景色がちょっとも書けていない。(中略)あれは後でもう少しきれいに書いて、書き直そうと思ったけれども、もう出来ないんですよ」と言っていますが、全体構成においての完成度はともかく、部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがあり、やはり傑作ではないかと。
[オーディオブックCD] 川端康成 著 「伊豆の踊り子」(CD1枚)

 一高生の踊子に対する目線が「上から」だなどといった批判もありますが、むしろ、関川夏央氏が、この小説は「純愛小説」と認識されているが、今の時代に読み返すと、ずいぶん性的である、主人公の「私」は、踊子を追いかけるストーカーの一種である、というようなことを書いていたのが、言い得ているように思いました(主人公と旅芸人や旅館の人達との触れ合いもあるが、彼の夢想のターゲットは踊子一人に集中していてるように思う)。

 読後、長らくの間、踊子は17歳くらいの年齢だといつの間にか勘違いしていましたが、主人公が共同浴場に入浴していて、踊子が裸で手を振るのを見るという有名な場面で(この場面、かつて教科書ではカットされていた)、主人公自身が、踊子がそれまで17歳ぐらいだと思っていたのが意外と幼く、実は14歳ぐらいだったと知るのでした(「14歳」は数えだから、満年齢で言うと13歳、う~ん、ストーカー気味であると同時にロリコン気味か?)。

 日本で一番映画化された回数の多い(6回)文芸作品としても知られていますが、戦後作られた「伊豆の踊子」は計5本で(戦後だけでみると三島由紀夫の「潮騒」も5回映画化されている。また、海外も含めると谷崎潤一郎の「」も戦後5回映画化されている)、主演女優はそれぞれ美空ひばり('54年/松竹)、鰐淵晴子('60年/松竹)、吉永小百合('63年/日活)、内藤洋子('67年/東宝)、山口百恵('74/東宝)です。

  1933(昭和8)年 松竹・五所平之助 監督/田中絹代・大日方伝
  1954(昭和29)年 松竹・野村芳太郎 監督/美空ひばり・石浜朗
  1960(昭和35)年 松竹・川頭義郎 監督/鰐淵晴子・津川雅彦
  1963(昭和38)年 日活・西河克己 監督/吉永小百合・高橋英樹(a)
  1967(昭和42)年 東宝・恩地日出夫 監督/内藤洋子・黒沢年男
  1974(昭和49)年 東宝・西河克己 監督/山口百恵・三浦友和(b)

 今年('10年)4月に亡くなった西河克己監督の山口百恵・三浦友和主演のもの('74年/東宝)以降、今のところ映画化されておらず、自分が映画館でしっかり観たのは、同じ西河監督の吉永小百合・高橋英樹主演のもの('63年/日活)。この2つの作品の間隔が11年しかないのが意外ですが、山口百恵出演時は15歳(映画初主演)だったのに対し、吉永小百合は18歳 (主演10作目)でした(つまり、2人の年齢差は14歳ということか)。

伊豆の踊子 1963.jpg(a) 伊豆の踊子 1974.jpg(b)

伊豆の踊子 吉永小百合.jpg伊豆の踊子 吉永小百合主演 ポスター.jpg 吉永小百合(1945年生まれ)・高橋英樹版は、宇野重吉扮する大学教授が過去を回想するという形で始まります(つまり、高橋英樹が齢を重ねて宇野重吉になったということか。冒頭とラストでこの教授の教え子(浜田光夫)のガールフレンド役で、吉永小百合が二役演じている)。

伊豆の踊子 十朱幸代.jpg 踊子の兄で旅芸人一座のリーダー役の大坂志郎がいい味を出しているほか、新潮文庫に同録の「温泉宿」(昭和4年発表)のモチーフが織り込まれていて、肺の病を得て床に伏す湯ケ野の酌婦・お清を当時20歳の十朱幸代(1942年生まれ)が演じており、こちらは、吉永小百合との対比で、こうした流浪の生活を送る人々の蔭の部分を象徴しているともとれます。西河監督の弱者を思いやる眼差しが感じられる作りでもありました。

0バス通り裏toayuki1.jpgバス通り裏.jpg「バス通り裏」岩下・十朱.jpg 因みに、十朱幸代のデビューはNHKの「バス通り裏」で当時15歳でしたが、番組が終わる時には20歳になっていました。また、岩下志麻(1941年生まれ)も'58年に十朱幸代の友人役としてこの番組でデビューしています。

      
「バス通り裏」岩下志麻 / 米倉斉加年・十朱幸代・岩下志麻 / 十朱幸代
バス通り裏_-岩下志麻2.jpg バス通り裏 米倉・十朱.jpg バス通り裏 十朱幸代.jpg

「バス通り裏」テーマソング.jpg 「バス通り裏」テーマソングレコード

「サンデー毎日」1963(昭和38)年1月6日号 「伊豆の踊子 [DVD]
正月(昭和38年)▷「サンデー毎日」の正月.jpg伊豆の踊子 (吉永小百合主演).jpg「伊豆の踊子」●制作年:1963年●監督:西河克己●脚本:三木克己/西河克己●撮影:横山実●音楽:池田正義●原作:川端康成●時間:87分●出演:高橋英樹/吉永小百合/大川端康成 伊豆の踊子 吉永小百合58.jpg坂志郎/桂小金治/井上昭文/土方弘/郷鍈治/堀恭子/安田千永子/深見泰三/福田トヨ/峰三平/小峰千代子/浪花千栄子/茂手木かすみ/十朱幸代/南田洋子/澄川透/新井麗子/三船好重/大倉節美/高山千草/伊豆見雄/瀬山孝司/森重孝/松岡高史/渡辺節子/若葉めぐみ/青柳真美/高橋玲子/豊澄清子/飯島美知秀/奥園誠/大野茂樹/花柳一輔/峰三平/宇野重吉/浜田光夫●公開:1963/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★★☆)●併映:「潮騒」(森永健次郎)
川端&吉永.jpg川端&吉永2.jpg
映画「伊豆の踊子」の撮影現場を訪ねた川端康成。川端康成は自作の映画化の撮影現場をよく訪ね、とりわけ「伊豆の踊子」の吉永小百合がお気に入りだったという。

バス通り裏.jpgバス通り裏2.jpg「バス通り裏」●演出:館野昌夫/辻真先/三浦清/河野宏●脚本:筒井敬介/須藤出穂ほか●音楽:服部正(主題歌:ダーク・ダックス)●出演:小栗一也/十朱幸代/織賀邦江/谷川勝巳/武内文平/露原千草/佐藤英夫/岩下志麻/田中邦衛/米倉斉加年/水島普/島田屯/宮崎恭子/本郷淳/大森暁美/木内三枝子/幸田宗丸/荒木一郎/伊藤政子/長浜『グラフNHK』創刊号の表紙.jpg藤夫/浅茅しのバス通り裏 yonekura iwashita.jpgぶ/高島稔/永井百合子/鈴木清子/初井言栄/佐藤英夫/松野二葉/溝井哲夫/津山英二/西章子/稲垣隆史/山本一郎/大森義夫/鈴木瑞穂/三木美知子/原昴二/蔵悦子/高橋エマ/網本昌子/常田富士男●放映:1958/04~1963/03(全1395回)●放送局:NHK

米倉斉加年/岩下志麻

十朱幸代「グラフNHK」1960(昭和35)年5月1日号(創刊号)

『伊豆の踊子』 (新潮文庫) 川端 康成.jpg伊豆の踊子・禽獣 (角川文庫クラシックス) 川端康成.jpg 【1950年文庫化・2003年改版[新潮文庫]/1951年再文庫化[角川文庫(『伊豆の踊子・禽獣』)]/1952年再文庫化・2003年改版[岩波文庫(『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』)]/1951年再文庫化[三笠文庫]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『伊豆の踊子・花のワルツ―他二編』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『伊豆の踊子、十六歳の日記 ほか3編』)]/1977年再文庫[集英社文庫]/1980年再文庫[ポプラ社文庫]/1994年再文庫[ポプラ社日本の名作文庫]/1999年再文庫化[講談社学芸文庫(『伊豆の踊子・骨拾い』)]/2013年再文庫化[角川文庫]】

伊豆の踊子・禽獣 (1968年) (角川文庫)
伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 [VHS]木村拓哉.jpg日本名作ドラマ『伊豆の踊子』(TX)
1993年(平成5年)6月14日、21日(全2回) 月曜日 21:00 - 21:54
脚本:井手俊郎、恩地日出夫/演出:恩地日出夫/制作会社:東北新社クリエイツ、TX
出演:早勢美里(早瀬美里)、木村拓哉、加賀まりこ、柳沢慎吾、飯塚雅弓、大城英司、石橋蓮司

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「●「ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞」受賞作」の インデックッスへ「●「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 外国語映画賞」受賞作」の インデックッスへ「●「アカデミー国際長編映画賞」受賞作」の インデックッスへ「●橋本 忍 脚本作品」の インデックッスへ 「●宮川 一夫 撮影作品」の インデックッスへ 「●早坂 文雄 音楽作品」の インデックッスへ 「●三船 敏郎 出演作品」の インデックッスへ 「●森 雅之 出演作品」の インデックッスへ「●志村 喬 出演作品」の インデックッスへ 「●加東 大介 出演作品」の インデックッスへ 「●京 マチ子 出演作品」の インデックッスへ 「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ「○都内の主な閉館映画館」の インデックッスへ(ACTミニシアター) 「●あ 芥川 龍之介」の インデックッスへ 「○近代日本文学 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

大胆に翻案し、原作以上のもの(現代的なもの)を生み出す黒澤スタイルの典型作。

羅生門 チラシ.bmp「羅生門」デジタル復元・完全版(2008年).jpg羅生門ポスター.jpg 羅生門dvd.jpg 藪の中 講談社文庫.jpg
映画「羅生門」ポスター/「羅生門 [DVD]」/『藪の中 (講談社文庫)』['09年]
羅生門 デジタル完全版 [DVD]」['10年]
映画「羅生門」チラシ(左) 

羅生門1.bmp 平安末期、侍(森雅之)が妻(京マチ子)を伴っての旅の途中で、多襄丸という盗賊(三船敏郎)とすれ違うが、妻に惹かれた盗賊は、藪の中に財宝があると言って侍を誘い込み、不意に組みついて侍を木に縄で縛りつけ、その目の前で女を手込めにする。『羅生門』.jpg 翌朝、侍は死骸となって木樵り(志村喬) に発見されるが、女は行方不明に。後に、一体何が起こり何があったのかを3人の当事者達は語るが、それぞれの言い分に食い違いがあり、真実は杳として知れない―。

羅生門2.bmp 1951年ヴェネツィア国際映画祭「金獅子賞」並びに米国「アカデミー外国語映画賞」受賞作で、共に日本映画初の受賞でした。原作は芥川龍之介の1915(大正4)年発表の同名小説「羅生門」というよりも、1922(大正11)年1月に雑誌「新潮」に発表の短編「藪の中」が実質的な原作であり、「羅生門」は、橋本忍と黒澤明が脚色したこの映画では、冒頭の背景など題材として一部が使われているだけです。

京マチ子 羅生門.jpg 原作は、事件関係者の証言のみで成り立っていて、木樵、旅法師、放免(警官)、媼(女の母)の順に証言しますが、この部分が事件の説明になっている一方で、彼らは状況証拠ばかりを述べて事件の核心には触れません。続いて当事者3人の証言が続き、多襄丸こと盗人が、侍を殺すつもりは無かったが、女に2人が決闘するように言われ、武士の縄を解いて斬り結んだ末に武士を刺し、その間に女は逃げたと証言、一方の女は、清水寺での懺悔において、無念の夫の自害を自分が幇助し、自分も死のうとしたが死に切れなかったと言います。 そして最後に、侍の霊が巫女の口を借りて、妻が盗人を唆して自分を殺させたと―。

「羅生門」.jpg羅生門3.bmp 芥川龍之介の原作は、タイトルの通り誰の言うことが真実なのかわからないまま終わってるわけですが、武士が語っていることが(霊となって語っているだけに)何となく侍の言い分が真実味があるように思いました(作者である芥川龍之介は犯人が誰かを示唆したのではなく、それが不可知であることを意図したというのが「通説」のようだが)。

羅生門4.bmp京マチ子.jpg 映画では、原作と同様、盗人、女、侍の証言が再現映像と共に続きますが、女の証言が原作とやや異なり、侍の証言はもっと異なり、しかも最後に、杣売(そまふ)、つまり木樵(志村喬)が、実は自分は始終を見ていたと言って証言しますが、この杣売の証言は原作にはありません。

 その杣売(木樵)の証言がまた、それまでの3人の証言と異なるという大胆な設定で、杣売(木樵)の語ったのが真実だとすれば、京マチ子が演じた女が最も強くなっている(怖い存在になっている?)という印象であり、黒澤明はこの作品に、現代的であるとともに相当キツイ「解」を与えたことになるかと思います(その重いムードを救うような、原作には無いラストが用意されてはいるが)。

京マチ子(1959年)[共同通信]

 個人的には、そのことによって原作を超えた映画作品となっていると思われ、黒澤明が名監督とされる1つの証しとなる作品ではないかと。因みに、同様に全くの個人的な印象として、「羅生門」以外に原作を超えていると思われる映画化作品を幾つか列挙すると―(黒澤明とヒッチコックはまだまだ他にもありそうだが、とりあえず1監督1作品として)。

・監督:溝口健二「雨月物語」('53年/大映)> 原作:上田秋成『雨月物語』
・監督:ビリー・ワイルダー「情婦」('57年/米)> 原作:アガサ・クリスティ『検察側の証人』
・監督:アルフレッド・ヒッチコック 「サイコ」('60年/米)> 原作:ロバート・ブロック『気ちがい(サイコ)』
・監督:ロベール・ブレッソン「少女ムシェット」('67年/仏)> 原作:ジョルジュ・ベルナノス『少女ムーシェット』
・監督:スタンリー・キューブリック 「時計じかけのオレンジ」('71年/英・米)> 原作:アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』
・監督:スティーヴン・スピルバーグ「ジョーズ」('75年/米)> 原作:ピーター・ベンチリー『ジョーズ』

 といったところでしょうか。やはり、名監督と言われる人ばかりになります。
 
 この「羅生門」は、ストーリーの巧みさもさることながら、それはいつも観終わった後で思うことであって、観ている間は、森の樹々の葉を貫くように射す眩い陽光に代表されるような、白黒のコントラストの強い映像が陶酔的というか、眩暈を催させるような効果があり(宮川一夫のカメラがいい)、あまり思考力の方は働かないというのが実際のところですが、高田馬場のACTミニシアターでは、そうした自分のような人(感覚・情緒的映画観賞者?)のためを思ってか、上映後にスタッフが、ドナルド・リチーによる論理的な読み解きを解説してくれました(アットホームなミニシアターだったなあ、ここ。毎回、五円玉とミルキー飴をくれたし)。

『藪の中』講談社文庫.jpg 芥川の「藪の中」と「羅生門」は、岩波文庫、新潮文庫、角川文庫、ちくま文庫などで、それぞれ別々の本(短編集)に収められていますが("やのまん"の『芥川龍之介 羅生門―デカい活字の千円文学!』 ('09年)という単行本に両方が収められていた)、'09年に講談社文庫で両方が1冊入ったもの(タイトルは『藪の中』)が出ました。講談社が製作に加わっている中野裕之監督、小栗旬主演の映画「TAJOMARU(多襄丸)」('09年/ワーナー・ブラザース映画)の公開に合わせてでしょうか。「藪の中」を原作とするこの映画(要するに「羅生門」のリメイク)の評価は散々なものだったらしいですが、「藪の中」という作品が映画「羅生門」の実質的な原作として注目されることはいいことではないかと思います。
藪の中 (講談社文庫)』['09年]

Rashômon(1950) 「羅生門」(1950) 日本映画初のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞受賞。
Rashômon(1950).jpg
 
羅生門 森雅之.jpg 羅生門 京マチ子.jpg 
森 雅之(侍・金沢武弘)           京マチ子(金沢武弘の妻・真砂)

「羅生門」ポスター.jpg

羅生門 志村喬.jpg羅生門 加東大介.jpg「羅生門」●制作年:1950年●監督:黒澤明●製作:箕浦甚吾●脚本:黒澤明/橋本忍●撮影:宮川一夫●音楽:早坂文雄●原作:芥川龍之介「藪の中」●時間:88分●出演:三船敏郎/森雅之/京マチ子/志村喬/千秋実/上田吉ニ郎/加東大介/本間文子●公開:1950/08●配給:大羅生門-00.jpg映●最初に観た場所:高田馬ACTミニ・シアター.jpgACTミニ・シアター2.jpg早稲田通りビル.jpg場ACTミニシアター(84-12-09)(評価:★★★★☆)●併映:「デルス・ウザーラ」(黒澤明)
高田馬場(西早稲田)ACTミニシアター 1970年代開館。2000(平成12)年3月26日活動休止・閉館。
ACTミニシアター map.jpg

ACTミニシアターのチラシ.gifACTミニシアターのチラシ http://d.hatena.ne.jp/oyama_noboruko/20070519/p1 大山昇子氏「女おいどん日記」より

前川つかさ『大東京ビンボー生活マニュアル』(ACTミニ・シアターと思われる劇場が描かれている。「幕末太陽傳」「めし」「人情紙風船」「隣の八重ちゃん」のオールナイト上映。各映画の1シーンが作中に描かれている)
ACTミニシアター 漫画.jpg
       
ACTミニシアター 漫画2.jpg

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片岡千恵蔵の今風な演技と、対照的な演技の1人2役。肩が凝らずに楽しめる一品。

赤西蠣太ビデオ.jpg 赤西蠣太vhs.jpg 赤西蠣太01.jpg  ちくま日本文学021 志賀直哉.jpg
「赤西蠣太 [VHS]」「赤西蠣太 [VHS]」片岡千恵蔵 in「赤西蠣太」 『志賀直哉 [ちくま日本文学021]』['08年]

赤西蠣太.jpg赤西蠣太より.gif 江戸の伊達家の大名屋敷に着任した赤西蠣太(片岡千恵蔵)は、風采が上がらず胃弱のお人好し侍だが、実は彼は、江戸にいる伊達兵部(瀬川路三郎)と原田甲斐(片岡千恵蔵・二役)による藩転覆の陰謀の証拠を掴むという密命を帯びて送られてきた間者(スパイ)であり、彼の目的は、同じく間者として送り込まれていた青鮫鱒次郎(原健作)と集めた様々な証拠を、無事に国許へ持ち帰ることだった。江戸藩邸を出奔する理由として蠣太らは、蠣太が邸内随一の美人である小波(毛利峯子)に落とし文をして袖にされ、面目を保てなくなったというストーリーを練る―。

赤西蠣太より2.jpg 原作は、伊達騒動に材を得た志賀直哉が1918(大正7)年9月に『新小説』に発表した時代小説で、志賀直哉が生涯において書いた時代小説はこの作品だけだそうですが、伊丹万作が二枚目役者・片岡千恵蔵に醜男・赤西蠣太の役を配して、ユーモラスな作品に仕上げています。

赤西蠣太より.jpg 角川文庫、新潮文庫、ちくま文庫などに収められいる原作は20ページほどの小品ですが、それが1時間半近い作品になっているわけで、蠣太と隣人との武士の迷い猫の押し付け合いや、なかなかラブレターがうまく書けない蠣太の様子などのユーモラスなリフレインを入れて多少は時間を稼いでいるものの(それらも赤西蠣太の人柄を表すうえで無駄な付け加えという風には感じない)、概ね原作に忠実に作られていると見てよく、ある意味、志賀直哉の文体が、如何に簡潔で圧縮度が高いものであるかを示していることにもなっているように思えました。

野良猫を盥回しする角又と赤西 .jpg 赤西蠣太(実は偽名)の名は原題通りですが、原作における「銀鮫鱒次郎」が原健作が演じる「青鮫(蒼ざめ?)鱒次郎」になっているほか、志村喬が演じる「角又鱈之進」など、主要な登場人物の名前に魚編の文字を入れるなどして、原作の"遊び"を更に増幅させています(意外なことに蠣太に恋心を抱いていたことが判明する「小波」(ささなみ)は、原作では「小江」(さざえ)。何だか"磯野家"みたいになってしまうけれど、同じ海関係なのでこのまま使っても良かったのでは?)。
野良猫を盥回しする角又鱈之進(志村喬)と赤西蠣太(片岡千恵蔵)
青鮫鱒次郎(原健作)は捕えられ、赤西には追っ手が差し向けられる
赤西蠣太16.jpg赤西蠣太ess.jpg赤西蛎太    6.jpg しかし、この映画の白眉とも言える最大の"遊び"は、謀反の黒幕である原田甲斐(山本周五郎の『樅の木は残った』ではこの人物に新解釈を加えているが、この作品では型通りの「悪役」として描かれている)、つまり主人公にとってのある種「敵役」を演じているのもまた片岡千恵蔵その人であるということです。当時の映画作りにおいて一人二役はそれほど珍しいことではないですが、これはよく出来ている!

赤西蠣太 [片岡千恵蔵2.jpg "赤西蠣太"としての演技が、同僚の下級武士の演技より一段とすっとぼけた現代的なサラリーマンのような感じであるのに対し(千恵蔵の演技だけ見ていると、とても戦前の作品とは思えない)、"原田甲斐"としての台詞は、官僚的な上級武士の中でも目立って大時代的な歌舞伎調の文kataoka22.jpg語になっているという、この対比が面白いと言うか、見事と言っていいくらいです。事前の予備知識がなければ、同じ役者が演じているとは絶対に気づかないかも。因みに片岡千恵蔵は、2年後の「忠臣蔵 天の巻・地の巻」('38年/日活京都)では、浅野内匠頭と立花左近の二役を演じています。

赤西蠣太 京橋映画劇場.jpg酒井邸で原田は刃傷し、殺される .jpg 原作は、伊達騒動の経緯自体は僅か1行半で済ませていますが、映画では、当時から見ても更に時代の旧い無声映画風のコマ落とし的描写で早送りしていて、伊達騒動自体は周知のこととして細かく触れていないという点でも原作に忠実です。 
酒井邸で原田甲斐(片岡千恵蔵=二役)は刃傷し殺される

お家騒動は落着し、赤西は小波と再会する.jpg 一方で、「蠣太と小江との恋がどうなったかが書けるといいが、昔の事で今は調べられない。それはわからず了いである」として原作は終わっていますが、映画では、蠣太が"小波"の実家を訪ね、結婚行進曲(作中にもショパンのピアノ曲などが使われている)が流れるところで終わるという、微笑ましいエンディングになっています。
お家騒動は落着し赤西は小波(毛利峯子)と再会する

 全体を通して肩が凝らずに楽しめる一品で、原作者である志賀直哉が観て、絶賛したという逸話もあります。実際、原作より面白いと言えるかもしれません。 

「赤西蠣太」撮影中の風景.JPG「赤西蠣太」撮影中の風景(左より片岡千恵蔵、上山草人、監督の伊丹万作 (「千恵プロ時代」より))

片岡千恵蔵e1.JPG片岡千恵蔵(1903-1983)in「多羅尾伴内」シリーズ

赤西蠣太 poster.jpg「赤西蠣太」●制作年:1936年●監督・脚本:伊丹万作●製作:片岡千恵蔵プロダクション●撮影:漆山裕茂●音楽:高橋半●原作:志賀直哉「赤西蠣太」●時間:84分●出演:片岡千恵蔵/杉「赤西蠣太」vhs.jpg山昌三九/上山草人/梅村蓉子/毛利峯子/志村喬/川崎猛夫/関操/東栄子/瀬川路三郎/林誠之助/阪東国太郎/矢野武男/赤沢力/柳恵美子/原健作/比良多恵子●公開:1936/06●配給:日活●最初に観た場所:京橋フィルムセンター(08-11-16)(評価:★★★★)●併映:「白痴」(黒澤明)赤西蠣太 [VHS]

小僧の神様(岩波文庫).jpg赤西蠣太―他十四篇0_.jpgちくま日本文学021 志賀直哉.jpg【1928年文庫化・1947年・2002年改版[岩波文庫(『小僧の神様 他十篇』)]/1955年再文庫化[角川文庫(『赤西蠣太―他十四編』)]/1968年再文庫化・1985年改版[新潮文庫(『小僧の神様・城の崎にて』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『清兵衛と瓢箪・小僧の神様』)]/1992年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学全集』)]/2008年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学021志賀直哉』)]/2009年再文庫化[岩波ワイド文庫(『小僧の神様―他十編』)]】   
赤西蠣太―他十四篇 (1955年) (角川文庫)』/『志賀直哉 [ちくま日本文学021]』['08年](カバー画:安野光雅
『小僧の神様 他十篇』 (1928年文庫化・1947年改版・2002/10 岩波文庫)(「城の崎にて」「赤西蛎太」など所収)

 
《読書MEMO》
田中小実昌 .jpg田中小実昌(作家・翻訳家,1925-2000)の推す喜劇映画ベスト10(『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年/文春文庫ビジュアル版))
○丹下左膳餘話 百萬兩の壺('35年、山中貞雄)
赤西蠣太('36年、伊丹万作)
○エノケンのちゃっきり金太('37年、山本嘉次郎)
○暢気眼鏡('40年、島耕二)
○カルメン故郷に帰る('51年、木下恵介)
○満員電車('57年、市川昆)
○幕末太陽傳('57年、川島雄三)
○転校生('82年、大林宣彦)
○お葬式('84年、伊丹十三)
○怪盗ルビイ('88年、和田誠)

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手軽に読め、面白くて興味深い「護持院原の敵討」と「安井夫人」。

護持院ヶ原の敵討 他二篇.jpg護持院原の敵討―他二篇 森鴎外著.png 『護持院原の敵討―他二篇 岩波文庫
(1933年岩波文庫/1996年改版)

 1833(天保4)年、姫路城主の江戸藩邸において、奉行・山本三右衛門が邸の小使に突然斬りつけられ、犯人は逃亡し三右衛門は絶命、三右衛門の息子・宇平とその姉りよは、叔父・九郎右衛門の助太刀を得、藩主からも敵討の許可を得るが、九郎右衛門は女は連れていけないとりよを諭し、男2人には犯人の顔を見知っている文吉という男が付き添う―。

 1913(大正2)年10月発表の表題作「護持院原(ごじいんがはら)の敵討」は「阿部一族」などと同じく鷗外の史実モノですが、文章も締まっていて且つ読み易くいものでした。
 その史実とは、1846(弘化3)年、神田護持院ヶ原で幕臣・井上伝兵衛と松山藩士・熊倉伝之丞の兄弟を殺害した本庄辰輔(茂平次)を、伝兵衛の剣術の弟子・小松典膳と伝之丞の子・伝十郎とが仇討を果たした事件だそうです(鷗外はかなり改変している?)。

 敵(かたき)を求めて江戸を発ち、北関東、甲信越から北陸、中部、近畿、中国四国、九州と巡る旅、大変だなあと(昔の人はよく歩いたものだ)。これ、長編小説の素材ではないかなと思いつつも、実際には文庫で50ページ程度であるため、読む側からすれば手軽に読めてしまうという逸品(?)。

 淡々とした記述の中にも鷗外の敵討に対する肯定、賛美の念が窺えますが、大願成就の場に居合わせたのは、九郎右衛門とりよと文吉で、肝心の宇平は途中でドロップアウトしてしまっており、"100%の美談"になっていない点が興味深いです(この部分は史実に近いらしい)。

 宮崎ケーブルTV 2003.03 放映
儒学者・息軒の残したもの-安井息軒」より
安井息軒1.jpg 併録2篇のうち「安井夫人」は江戸時代の大儒・安井仲平(息軒)の人生を辿ったもので、貧しい儒者の家に生まれ、幼少時から真面目な勉強家でありながらも、仲間から「猿が本を読む」と蔑まれるほどの不男(ぶおとこ)であるために、三十路を控えて嫁話が無かった彼に、それを気にした周囲が知人の姉妹のうち器量十人並みの姉の方に話を持ちかけるも、彼女にさえも、「仲平さんはえらい方だと思つてゐますが、御亭主にするのは嫌でございます」と冷たく断られたところ、何とその妹で「岡の小町」と言われるほどの評判の美人だった16歳のお佐代の方が、思いもかけず自らの意思で嫁に来たという...。

 結局2人は子も何人かもうけ、息子の夭折や貧しい暮らしぶりが続いたりしながらも、妻が夫を助ける良き夫婦であり、仲平は学者として後に幕府の要職にも登用されたりし、また陸奥宗光など多くの門下を育てます。

安井息軒.jpg 数え78歳まで生きた仲平に対しお佐代は51歳で亡くなり、仲平に"投資"した彼女がその分の回収をみないうちに亡くなってしまったともとれますが、鷗外はそうは解釈せず、常にお佐代は未来に望みを託しており、自分の死の不幸すら感じる余裕が無かったのではと、こちらは鷗外のお佐代に対する好感とその人生への肯定が、直截に表されています。

 仲平と役人仲間との会話で、
 「御新造様は學問をなさりましたか。」
 「いゝや。學問と云うほどのことはしてをりませぬ。」
 「して見ますと、御新造様の方が先生の學問以上の御見識でござりますな。」
 「なぜ。」
 「でもあれ程の美人でお出になつて、先生の夫人におなりなされた所を見ますと。」
 などといったのも、なかなか楽しい記述です。

 【1933年文庫化・1955年・1996年改版[岩波文庫]】

《読書MEMO》
●「護持院原の敵討」...1913(大正2)年10月発表★★★★
● 「安井夫人」...1914(大正3)年4月発表★★★★

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「夫婦愛」というより「人類愛」を感じた表題作。不思議な味わいがある短編集。

聖ヨハネ病院にて (新潮文庫) 上林 暁 (1949).jpg聖ヨハネ病院にて 上林暁.jpg 『聖ヨハネ病院にて (新潮文庫)』 上林暁.jpg 上林 暁 (かんばやし・あかつき)

 上林暁(1902‐1980/享年77)の短編集で、表題作「聖ヨハネ病院にて」の他、「薔薇盗人」「天草土産」「野」「二閑人交游圖」「小便小儈」「明月記」を収録。

 1946(昭和21)年作の「聖ヨハネ病院にて」は、重度の精神病を患い入院している妻を泊まり込みで看病する夫の話で、実際に作者の妻の繁子は1939年に発病して、何度か転院した後1946年5月に38歳で亡くなっています(「聖ヨハネ会桜町病院」は、亡くなる前年の9月から11月初めまで在院した)。

 この作品を読む限り、妻が入院するまで、主人公の「僕」はそれほど妻のことをいつも気にかけていたようには思えず、また、妻が入院してからは、眼も不自由で、自分の始末も侭ならず、汚物で衣服を汚す妻に辟易している様子さえ窺え、何でもかんでも口に入れてしまう(「僕」の弁当まで食べてしまう)妻と口論になったりしています。

 一方で、そうした妻のことを小説のネタにしている自分を嘲っているような面も窺え、妻が亡くなったら書くことがなくなってしまうことを心配し、また、そうした打算的な心配をしている自分の姿勢を自己批判していたりしています。
 そうした気が滅入るような精神的下方スパイルの中で、「僕」はある日、病院で行われるミサに出席し、そこに集う精神病者らの中で疎外感のようなものを感じながらも、「自分はいかなる基督教徒よりも基督教徒的でありたい」という思いに包まれ、そのためには、もっと妻にやさしくしてあげようと思う―。

日本文学全集 31 尾崎一雄・上林暁・永井龍男.jpg 「神」に依らない信仰とでも言うか、眼も見えず、自分の始末もできない妻を「神」と看做し、それに尽くすことに自らの魂の救済を見出しているということになるのでしょうか。
 「神々しいまでの夫婦愛」を描いた作品とされるものですが、個人的には、「夫婦愛」というより「隣人愛」「人類愛」に近いものを感じました。

 上林暁は、戦前から戦後にかけて活動した作家であり、また、志賀直哉などの系譜を引く私小説家で、同時代同系統の作家では尾崎一雄(1899‐1983)、永井龍男(1904‐1990)などがいますが、『暗夜行路』を著した志賀直哉などと異なり、長編は1作も書いておらず、創作集は全て短編集、それも、その大部分は自身や家族、友人に関することがその作品のモチーフになっていて、かなり典型的な私小説家であると言えます。

日本文学全集〈31〉尾崎一雄,上林暁,永井竜男―カラー版 河出書房(1969年)

 「聖ヨハネ病院にて」は主人公の感情の浮き沈みがかなり赤裸々に吐露されていますが、他の作品はどちらかと言うと日常を淡々と描いた地味な作品が多く、読者受けよりも自分の文学的姿勢を大切にしている感じがします。

 そうした中、病いの妹のために学校の花壇から薔薇の花を盗んだ少年の話「薔薇盗人」('32年)などは寓話的なリリシズムが感じられ(この作品で川端康成の推奨を得た)、また、三島由紀夫が絶賛したという「野」('40年)には、不確定な自分の内面を見据えようとする真摯な姿勢が感じられますが、将棋などを通しての作家仲間との交遊を描いた「二閑人交游圖」('41年)には、自らを対象化した淡々とした描写の中に、明るいユーモアも感じられ、これはこれで個人的には好きな作品。

 「私小説」に対して、何となくせせこましくて面白くないものが多いというイメージがある中で、この人の作品は不思議な味わいがあり、この作品集は新潮文庫の復刻版として'93年に復刊されたものの1つでもありますが、敢えて旧字旧仮名のままであることも、味わいを深めているように思いました(「彌撒」の読み方がすぐに思い浮かばなかったが)。

《読書MEMO》
●「薔薇盗人」...1932(昭和7)年8月発表★★★★
● 「野」...1940(昭和15)年1月発表★★★☆
● 「二閑人交游圖」...1941(昭和16)年1月発表★★★★
● 「明月記」...1942(昭和17)年11月発表★★★☆
● 「聖ヨハネ病院にて」...1946(昭和21)年5月発表★★★★

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『時任謙作』から『暗夜行路』に至る経緯はわかったが、作品単体としては今ひとつ。

志賀 直哉 『和解』.jpg 『和解』 (新潮文庫).jpg和解 (新潮文庫)』 志賀 直哉 『和解』新潮文庫.jpg 新潮文庫旧版
志賀直哉『和解-代表的名作選集33』(1919(大正8)年初版/新潮社)
志賀直哉『和解』新潮社/大正8年/初版1.jpg志賀直哉『和解』新潮社/大正8年/初版2.jpg 1917(大正6)年10月、志賀直哉(1883‐1971)が34歳の時に発表した中篇で、父と不和になっていた主人公の「順吉」が、次女の誕生を機に、次第に父と和解していく様が描かれていますが、志賀直哉はこの年の8月に、それまで確執のあった父親と和解しており、この作品は志賀直哉自身のことをほぼそのままに書いた私小説と見ていいのではないかと思います。父との確執から尾道に籠もり、父との葛藤をテーマに『時任謙作』という長編を仕上げようとして成らず、その後、本作にある実生活での父との「和解」を経て問題を"対象化"することが出来、それが『暗夜行路』に繋がったという時間的経緯を再確認しました。

 以前に『暗夜行路』を読んだ際に、かなり丸々"私小説"として読んでしまったような気がします。但し、実はどのような経緯で父と対立するようになったのかといったことは、この『和解』の中にも書かれておらず、作者の個人史を知らないとよくわからない部分があるというのは、作品単体で見た場合どうなのかなという気もしなくもありませんでした。

 同じ年に発表された「城の崎にて」は、実生活上での「和解」の前(同年5月)に書かれたもので、まだ葛藤が続いているその心象が小動物に投影されていたということになります(この作品も、そんな説明的なことは何も書いてない)。

 『暗夜行路』には主人公の生誕の秘密を巡る父親との確執がありますが、実際には、思想的な対立(志賀直哉は社会主義思想に共感していた部分があったが、父親は典型的な資本家だった)が両者の確執の契機として最初あったわけで、この『和解』にある、長女を喪い新たに次女を授かるという経験を経て、「思想」的確執から「生誕」を巡る確執にモチーフを置き換え、よりフィクション化することで、作家自身にとって描き易くなった(?)ということかも知れません。

志賀直哉 『和解・城の崎にて』 旺文社文庫.jpg この『和解』は、そうした作家が一皮むけるに至った経緯を知る上では重要な作品であるし、面白いと思います。但し、単体の小説としては個人的はそれほどいいと思えず、文体は既に完成されているのだけれど、何か見せ隠ししながら書いている感じもあって、何となくすらすら読めなかったような気がします。

『和解・城の崎にて』 旺文社文庫

 【1949年文庫化・1991年改版[新潮文庫]/1954年再文庫化[岩波文庫(『和解・ある男、その姉の死』)]/1960年再文庫化[岩波文庫(『大津順吉・和解・ある男、その姉の死』)]/1960年再文庫化[旺文社文庫(『和解・城の崎にて』)]/1997年再文庫化[角川文庫]】

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「ホラー・メルヘン」みたいな感じ。時代が違えばホラー作家になっていたかも。

セメント樽の中の手紙.jpg
葉山 嘉樹 『セメント樽の中の手紙』.jpg
  葉山嘉樹.jpg  セメント樽の中の手紙2.jpgセメント樽の中の手紙1.jpg
葉山嘉樹 (1894‐1945/享年51)/「DS文学全集」('07年/任天堂)
セメント樽の中の手紙 (角川文庫)』 ['08年]
葉山嘉樹短篇集 (岩波文庫) 』['21年]/『教科書で読む名作 セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学 (ちくま文庫)』['17年]
葉山嘉樹短篇集 (岩波文庫).jpg『セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学』.jpg 表題作は、1926(大正15)年1月にプロレタリア文芸誌「文芸戦線」に発表されたもので、「DS文学全集」('07年/任天堂)にも収められていますが、まさかこの作品が、この表題での文庫で読めるとは思いませんでした。やはり、昨今の世の中を反映して、「ワーキングプア問題」→「『蟹工船』(小林多喜二)ブーム」→「プロレタリア文学」という流れできているのか。

 彼がセメント製造の機械に巻き込まれ、形が無くなってしまったから、その愛人の彼女はそのセメントがどこで使われるか知りたいと思い、彼の血と骨の混ざったセメントの樽に手紙を入れ、セメント樽を空けた人に連絡してくれるよう書き記す―。

 資本主義の生産機構の人間蔑視を巧みに象徴化させていますが、実際に、葉山嘉樹(1894‐1945)は、名古屋のセメント工場勤務時代に、職工が防塵室に落ちて死亡した事故を契機に労働組合の結成を図り、そのセメント会社を首になっています(1921年)。

映画『ある女工記』.jpg映画『ある女工記』2.jpg とは言え、こうした形で作品化されると、何となく、「ホラー・メルヘン」みたいな感じになっているような気がしないでもなく、続く「淫売婦」なども、作り話っぽさが抜けきれないように思えました(「淫売婦」は2018年、児玉公広監督、「ある女工記」として映画化され、コルカタ国際短編映画祭特別賞、ニース国際映画祭主要5部門ノミネートなど国際映画祭で高い評価を得ている)

「ある女工記」DVD BOOK:葉山嘉樹『淫売婦』、小説から映画へ DVD-ROM

 他に角川文庫に同録されている「労働者の居ない船」「牢獄の半日」「集浚渫船」などを読み進むにつれその傾向は強く感じられ、「死屍を食う男」などは、完全にホラー小説。中村光夫によれば、葉山嘉樹は新時代を代表する社会主義の使徒として文壇に迎えられましたが、その私生活は、どんな破滅型芸術家にも劣らぬほど「デーモニッシュ」であったとのこと(中村光夫『日本の現代小説』('68年/岩波新書))、時代が違えばホラー作家になっていたかも。

 「志賀直哉」一辺倒だった文学青年・小林多喜二が、プロレタリア文学へ大きく方向転換するほどに影響を受けた作家ですが、これに続いた多くのプロレタリア文学作家で、今もなお読まれているのが、ブルジョア作家「志賀直哉」を創作の師とした小林多喜二のみであることは皮肉なことです。

 一方の葉山嘉樹は、プロレタリア作家として小林多喜二の次に名前の挙がる作家の1人ですが、代表作と言えるのは、この「セメント樽の中の手紙」くらいしかないのでは(平野謙にその観念性を批判された長編「海に生くる人々」などもあるが)。

 「セメント樽の中の手紙」は文庫本で僅か5ページ強しかなく、国語の教科書にも収められたことがありますが、セメント樽を空けて手紙を見つけた男が、酒をあおるだけで何もアクションを起こさないところで終わっているのが却って余韻があっていいように思えます(学校でわざわざ「その時男はどう思ったのか」みたいな「読み方指導」などしない方がいいような気がする)。個人的には、抑制が効いた表題作だけ星4つで、あとの作品は星3つから3つ半かな。

木版漫画 「セメント樽の中の手紙01.jpg木版漫画 「セメント樽の中の手紙02.jpg 藤宮史 版画  「木版漫画 セメント樽の中の手紙」(原作:葉山嘉樹)[黒猫堂出版]

【2008年文庫化[角川文庫(『セメント樽の中の手紙』)]/2017年再文庫化[ちくま文庫(『教科書で読む名作 セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学』)]/2021年再文庫化[岩波文庫(『葉山嘉樹短篇集』)]】

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童話と言うよりもある種"幻想文学"。それにマッチした画調。いわさきちひろの影響も?

赤い蝋燭と人魚2.jpg赤い蝋燭と人魚.jpg   小川未明童話集.jpg 小川未明童話集 (岩波文庫)200_.jpg
赤い蝋燭と人魚』『小川未明童話集 (新潮文庫)』『小川未明童話集 (岩波文庫)
赤い蝋燭と人魚』天佑社1921(大正10)年刊の複製
赤い蝋燭と人魚 天佑社1921(大正10)年刊の複製.jpg 2002(平成14)年刊行で、1921(大正10)年発表の小川未明(1882‐1961)の代表作『赤い蝋燭と人魚』に、絵本作家の酒井駒子氏が絵を画いたもの。原作の「赤い蝋燭と人魚」は、新潮文庫『小川未明童話集』、岩波文庫『小川未明童話集』などに収められています。

 この作品は、個人的には童話と言うよりもある種"幻想文学"に近い作品だと思うのですが、最初は「東京朝日新聞」に連載され、挿画は朝日の漫画記者だった岡本一平(岡本太郎の父)が担当したとのこと、どんな挿絵だったのか知り得ませんが、当初から文も絵も「大人のための童話」として描かれたということでしょうか。

 物語は、ある町に老夫婦がいて、そこに異世界からの訪問者(この場合は人魚の赤子)が来る、その結果その町に起きた出来事とは―という、未明童話の典型とも言えるストーリー。
 老夫婦は人魚の子を神からの授かりと考え自分たちの娘のように育てるが、娘が描いた絵のついた蝋燭が非常に売れたため、とうとう金に目が眩み、人魚を珍獣のような扱いで香具師に売り飛ばしてしまう。
 娘を人間界に託したつもりだった母親の人魚は、人間に裏切られた思いでその蝋燭を買い取り、そして町に対し――という復讐譚ともとれるものです。

「赤い蝋燭と人魚」.jpg これまでに多くの画家や絵本作家がこの作品を絵本化しており、いわさきちひろ(1918‐1974)によるもの('75年/童心社)はモノクロで、絵というより挿画かデッサンに近いですが、がんに冒されていた彼女の未完の遺作となった作品でもあり、また最近では、たかしたかこ(高志孝子)氏によるもの('99年/偕成社)などの人気が高いようです。

いわさき ちひろ 『赤い蝋燭と人魚』 (1975年)

 画風の違いはそれぞれありますが、酒井駒子氏も含めたこの3人に共通するのは、母子の愛情の繋がりを描いた作品群があることで、子を想う母親の気持ちの強さがモチーフの1つとなっているこの作品を絵にするうえでピッタリかも。
 ただ、この作品に漂う寂寥感や不気味さの部分を表すうえでは、ミステリーの表紙画などを手掛けている酒井氏の画風が(最近の『三番目の魔女』や『魂食らい』のカバー絵などを見てもそうですが)、一番合っているのではないかと。                   
 酒井駒子氏のこうした翳りのあるバージョンの絵は(特に人魚の娘の表情などは)いわさきちひろの影響を受けているようにも思え(絶筆となったこの物語の絵本化を、酒井氏が引き継いだようにも思える)、やはりいわさきちひろの影響というのは絵本の世界ではかなり大きいのではないかと思いました。

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切ないがファンタジックでもあるストーリーの雰囲気をよく醸している絵。

ごんぎつね.jpg 『ごんぎつね (日本の童話名作選)』 新美南吉.jpg 新美南吉(1913-1943/享年29)

 1986(昭和61)年の刊行で、1932(昭和7)年1月号の「赤い鳥」に新美南吉(1913‐1943)が発表した彼の代表作「ごん狐」に、イラストレーターの黒井健氏が絵を画いたものですが、刊行来50万部以上売れているロングセラーであり、DVD化もされています(DVDの語りは大滝秀治)。

 近年の派手な色使いが多い絵本の中では珍しく柔らかなタッチであり、また、人物や"ごん"を遠景として描く手法は、哀しく切ないけれどもファンタジックな要素もあるこのお話の雰囲気をよく醸し出しています。
 黒井氏は「ごんぎつね」の他に南吉のもう1つの代表作「てぶくろをかいに」も絵本化を手掛けていますが、こちらも原作の世界を違和感なく表しており、南吉の作品は多くの絵本作家にとって手掛けてみたいものであると思われますが、なかなか黒井氏のものに拮抗する絵本は出にくいのではないかとさえ思わせます。

「ごんぎつね」の直筆原稿.jpg 原作「権狐」は、南吉18歳の時の投稿作品で、「赤い鳥」創刊者の鈴木三重吉の目にとまり、同誌に掲載されましたが(因みに三重吉は、同誌に投稿された宮沢賢治の作品は全く認めず、全てボツにした)、この三重吉という人、他人の原稿を雑誌掲載前にどんどん勝手に手直しすることで有名だったようです。

 「ごんぎつね」直筆原稿

 この作品は、三重吉によって先ず、タイトルの表記を「ごん狐」と改められ、例えば、冒頭の
 「これは、私が小さいときに、村の茂平といふおぢいさんからきいたお話です」(絵本では新かな使い)とあるのは、元々は―、
 「茂助と云ふお爺さんが、私達の小さかつた時、村にゐました。「茂助爺」と私達は呼んでゐました。茂助爺は、年とつてゐて、仕事が出来ないから子守ばかりしてゐました。若衆倉の前の日溜で、私達はよく茂助爺と遊びました。私はもう茂助爺の顔を覚えてゐません。唯、茂助爺が、夏みかんの皮をむく時の手の大きかつた事だけ覚えてゐます。茂助爺は、若い時、猟師だつたさうです。私が、次にお話するのは、私が小さかつた時、若衆倉の前で、茂助爺からきいた話なんです」
 という長いものだったのを、彼が手直したそうです(随分スッキリさせたものだ)。

「ごんぎつね」の殿様 中山家と新美南吉.jpg 東京外国語学校英文科に学び、その後女学校の教師などをしていた南吉は29歳で夭逝しますが、生涯に3度の恋をしたことが知られており、最後の恋の相手が、先ほどの冒頭文に続く「むかしは、私たちの村のちかくの、中山といふところに小さなお城があつて、中山さまといふおとのさまが、をられたさうです」とある「中山家」の六女ちゑだったとのこと。
 中山家とは家族ぐるみの付き合いがあり、彼の童話の多くは中山家の長老が語る民話がベースになっているとの説もありますが、結局、ちゑとは結婚に至らなかったのは、自分の余命を悟って創作に専念したかったのではないかと、自分は勝手に想像しています。

新美南吉記念館(愛知県半田市)特別展ポスター(2006年7月-9月)
 
 
 

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寓意は定型的だが、芥川の本領が発揮されている作品。大正モダンの香りが漂う絵。

魔術 (日本の童話名作選シリーズ)200_.jpg 影燈籠_.jpg 芥川龍之介w.jpg 芥川 龍之介
魔術(日本の童話名作選シリーズ)』(偕成社)『影燈籠 (1977年)(芥川龍之介文学館 名著複刻)』(日本近代文学館)

宮本 順子(絵) 『魔術―日本の童話名作選シリーズ』.jpg 2005(平成17)年3月の偕成社刊。原作は1920(大正9)年1月に芥川龍之介(1892-1927)が雑芥川 龍之介 「魔術」.jpg誌「赤い鳥」に発表、『影燈籠』('20年/春陽堂)に収められた、芥川の所謂「年少文学」というべき作品の1つで、同じ系譜に「蜘蛛の糸」や「杜子春」などがありますが、本書の絵を画いている挿画家の宮本順子氏は、この偕成社の「日本の童話名作選」シリーズでは他に同じく芥川作品である「トロッコ」の絵も手掛けています。

中等新国語1.jpg 因みにこの偕成社のシリーズ、表紙カバーの折り返しにある既刊案内では、シリーズ名の頭に「大人の絵本」と付されていて、カッコして小さく「小学中級以上のお子様にも」とあります。この「魔術」という魔術2.jpg作品は、昭和40年代頃には、光村図書出版の『中等新国語』、つまり中学の「国語」の教科書(中学1年生用)に使用されていました。

 インド人に魔術を教えてもらう青年を通して、人間の欲深さと弱さを描いた作品で、童話のミッションである定型的な寓意を含んでいるものですが、宮本順子氏は、「この『魔術』という話は、誰しもが潜在意識の中に持ちうるデジャブ、すなわち、既視感そのもののように思えます。遠いどこかの私が、主人公といつの間にか重なってゆくのです」と述べています。

 改めて読んでみて、そのあたりの夢と現(うつつ)の継ぎ目などに、短篇小説の名手と言われた芥川の本領がよく発揮されている作品だなあと思いました。主人公の私にせがまれ条件付きで魔法を教えてあげることにしたインド人ミスラ君のセリフが、「お婆サン。お婆サン。今夜ハお客様ガお泊リニナルカラ...」と、突然その一文だけカタカナ表記になるところです。

文学シネマ 芥川 魔術.jpg 先に原作を読んでいると、絵本になった時に、どれだけ絵が良くても自分の作品イメージとの食い違いが大きくて気に入らないことがありますが、この宮本順子氏の絵は比較的しっくりきました。

 若い主人公が葉巻を嗜んでいたり、銀座の倶楽部(クラブ)で骨牌(カルタ)をしたりする様などに大正モダンの香りが漂い(絵自体も日本画素材と洋画手法の和洋折衷)、物語が終わった後に、降りしきる雨に打たれる竹林の向こうに西洋館の見える絵などがあるのも、結末の余韻を含んで効果的だと思われました。

TBS 2010年2月16日放映 「BUNGO-日本文学シネマ」 芥川龍之介「魔術」(主演:塚本高史)

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ベースは古風な悲恋物語? どこまでが作者の意匠なのか読み取りにくい。
雁.jpg 雁 新潮文庫.jpg  森鴎外「雁」.bmp 森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫).jpg 「雁」('53年/大映)高峰秀子.jpg
雁 (新潮文庫)』[旧版/新装版]『雁 (岩波文庫)』/『森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫)』/豊田四郎監督「」('53年/大映)高峰秀子
森林太郎(鷗外)『雁』1915(大正4)年5月 籾山書店/復刻版
森鷗外 雁 籾山書店.jpg森鷗外 雁 籾山書店 復刻.jpg 「僕」は上条という下宿屋に住む学生で、古本を仲立ちに隣室の岡田という医科大学生と親しくなる。一方、無縁坂に住むお玉は、老父と自分の生活のために高利貸しの末造の妾となっているが、末造から貰った紅雀を鳥籠に入れて軒に下げていたところを蛇に襲われ、それを偶然助けた岡田に対し、以来、想いを寄せるようになり、岡田も無縁坂の"窓の女"のことを気にしている。そしていよいよ、末造が訪れてこないとわかっている日が来て、お玉は岡田が通りかかるのを心待ちにするが―。

 『鴈(がん)』は1911(明治44)年9月から1913(大正2)年5月にかけて雑誌「スバル」に発表され、1915(大正4)年に刊行されていますが、時代設定は、冒頭において明治13年(1880年)と特定されています。「僕」は鷗外自身がモデルと考えられていますが、鷗外が1862年生まれですので、「僕」は数えで19歳くらいでしょうか(お玉の年齢は19歳、岡田はそれより何歳か上、僕は岡田より1学年年上という設定)。物語が語られているのは出来事の35年後という設定なので、小説発表時とリアルタイムであるということになります。

 文庫で約130ページとそれほど長い小説ではないのですが、結末に至るまでが結構まどろっこしく、その割には、青魚の煮肴(鯖味噌煮)が上条の夕食で出されたために云々と、結末に至った"運命のいたずら"を作者(35年後の僕)自身があっさり解説していたりして、さらに、それ以上の説明もそれ以下の説明もしないとしつつも、同時に、当時はお玉と岡田が相識であったことは知らなかったことを匂わせています。

 でも小説的に考えれば、"運命のいたずら"と言うより、僕がお玉と岡田の恋路を"無意識的に"妨げたととれるわけで、では高利貸しの妾であるお玉が、外遊直前の東大医学生・岡田と何か睦まじく話ができれば次の展開があったのかというと、そんな可能性は限りなくゼロに近く、それを考えると、僕の無意識にあったものは悪意ではなくむしろ善意であったかも知れず、また岡田の無意識にも同じものがあったかも知れない―と考え始めるとキリがありません。

 哀愁を帯びた悲恋物語には違いありませんが、個人的には、最初読んだ時はあまり好きになれないタイプの作品かなと思ったりもしました。しかしながら、機会があり読み返してみると、改めて考えさせられる箇所が多くあり、味わい深いかもしれないと思うようなりました。岡田が断ち切った「蛇」は何の象徴(メタファー)か、逃がすつもりで投げた石に打たれた「雁」は何の象徴(メタファー)か。ただし、これらについても、幾多の先人がその解釈を行っていてどうしても後追いにならざるを得ず、また、どこまでが実際に作者自身の意匠なのか読み取りにくい部分もあります(なんだか村上春樹の小説みたい)。逆にそうしたものをとっぱらってしまうと、今度はやけに古風なお話が残るだけになってしまうような気もします。鷗外作品のいくつかは、自らの体験を絡めた告白的要素がありながら(本作の「窓の女」自体は創作らしいが)、自分はどこか二重三重に安全な処に置いているような感じもあります。

「雁」('66年/大映)若尾文子、山本学 「雁」('53年/大映)高峰秀子、芥川比呂志
雁 若尾文子 山本.jpg雁 高峰秀子.jpg 尚、この作品は、1953年に豊田四郎の監督、高峰秀子、芥川比呂志の主演(高利貸しの末造役は東野英治郎)で映画化され(ビデオで観たが、かなり分かりやすくなっているように思った)、1966年には池広一夫の監督、若尾文子、山本学の主演(末造役は小沢栄太郎)で映画化されていますが、現時点['07年]で共にDVD化されていません。
(その後、若尾文子版が2014年1月にDVD化された)(続いて、高峰秀子版も2014年11月にDVD化された)

 テレビでは、90年代だと、1993年にテレビ東京で久世光彦の演出、田中裕子、石橋保の主演(末造役は映画監督の長谷川和彦)でドラマ化され、さらに1994年にフジテレビの「文學ト云フ事」で井出薫、袴田吉彦の主演(末造役は桜金造)で映像化されています。第05回 「雁」.jpg文學ト云フ事 鴈 .jpg因みに、1924年生まれの高峰秀子は当時29歳で、1933年生まれの若尾文子は32歳で、1955年生まれの田中裕子は38歳でお玉を演じたのに対し、「文學ト云フ事」の井出薫(1976年12月生まれ)は当時17歳の高校3年生で、原作通り数えで19歳でお玉を演じたことになります。

「文學ト云フ事」(第7回)「雁」('94年/フジテレビ)井出薫

豊田 四郎 (原作:森 鷗外) 「雁」 (1953/09 大映) ★★★☆
vhs 雁1.jpgvhs 雁2.jpg「雁」●制作年:1953年●監督:豊田四郎●企画:平尾郁次/黒岩健而●脚本:成澤昌茂●撮雁 1953 1.gif雁 1953 東野.jpg影:三浦光雄●音楽:團伊玖磨●原作:森鷗外「雁」●時間:87分●出演:高峰秀子/田中栄三/小田切みき/浜路真千子/東野英治郎/浦辺粂子/芥川比呂志/宇野重吉/三宅邦子/飯田蝶子/山田禅二/直木彰/宮田悦子/若水葉子●公開:1953/09●配給:大映(評価:★★★☆)

森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫).jpg 【1948文庫化・1980年文庫改版[新潮文庫]/1949年再文庫化[岩波文庫]/1953年再文庫化[角川文庫(『雁、ヰタ・セクスアリス』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『雁、ヰタ・セクスアリス』)]/1995年再文庫化[ちくま文庫(『森鴎外全集〈4〉雁・阿部一族』)]/1998年再文庫化[文春文庫(『舞姫 雁 阿部一族 山椒大夫―外八篇』)]】

森鴎外全集〈4〉雁 阿部一族 (ちくま文庫)
「雁」「ながし」「槌一下」「天寵」「二人の友」「余興」「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」「佐橋甚五郎」「護持院原の敵討」所収

《読書MEMO》
●「雁」...1911(明治44)年〜執筆、1915(大正4)単行本刊行

「●み 宮沢 賢治」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3052】宮澤 賢治 「セロ弾きのゴーシュ
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宮沢賢治の集大成であり、読めば読むほど謎に満ちた作品。

銀河鉄道の夜  s16 新潮社.jpg銀河鉄道の夜 童話集 他十四編.jpg  新編 銀河鉄道の夜.jpg 新編銀河鉄道の夜 (新潮文庫).jpg オーディオブック(CD) 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」.png
童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』岩波文庫/『新編銀河鉄道の夜』新潮文庫 [旧版/2009年限定カバー版] アイオーディオブック(CD) 「銀河鉄道の夜」
『銀河鉄道の夜』1941(昭和16)年新潮社
新潮文庫2018年プレミアムカバー宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュほか (ちくま文庫)』(「ちくま文庫」1985/12/1 創刊ラインアップ)カバー画:安野光雅
新潮文庫 プレミアムカバー 2018 銀河鉄道の夜.jpg宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎.jpg 1924(大正13)年頃に初稿が成ったとされる宮沢賢治(1896‐1933)の「銀河鉄道の夜」は、37歳で亡くなった彼の晩年まで改稿が重ねられ、完成までに10年位かかっていることになります("生前未発表"のため、これで完成しているのかどうかもよくわからないという)。因みに、ちくま文庫版『宮沢賢治全集〈7〉―銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュほか』には、「銀河鉄道の夜」の初期第一次稿から初期第三次稿までが(逸失部分があって全部ではないが)収録されていますが、途中、随分と変わっていることが分かります。

 最後(第4稿)の頃には既に病臥と一時回復を繰り返す生活だったわけですが、研ぎ澄まされた感性、みずみずしい叙情、達観した宗教観が窺える一方、現実と幻想の巧妙なバランスと融合ぶり(完全な幻想物語だった初稿に比べ、最終稿は「授業」「活版所」など"現実"部分の比重が大きくなった)や、幅広い自然科学の事象の表象的用い方などに理知的なものが感じられ、賢治の集大成と呼ぶにふさわしい作品だと思います。

 カムパネルラとジョバンニのシンクロニティ(共時性)がモチーフになっていますが、再読してみると、タイタニック号(の乗客であったこと)を思わせる乗客の話から、列車がどういう人を乗せているのかがその時点で察せられ、また、人々の宗教の違いを表している部分があるなど、いろいろと再認識することもありました(因みにタイタニック号が沈没したのは、1912(明治45)年4月15日。作者15歳の時)。

 一方ラストの、息子を今亡くしたばかりのカムパネルラの父が、ジョバンニにかけた言葉の内容など、テーマに深く関わると思われる謎から、ジョバンニの父親の本当の仕事は何かとか、カムパネルラが自らを犠牲にして助けたザネリという子は男の子なのか女の子なのかといったトリビアルな謎まで、新たな謎も浮かんできます。

銀河鉄道の夜 藤城.jpg         銀河鉄道の夜 (大型本).jpg               銀河鉄道の夜 田原.jpg 
藤城清治/影絵と文       東逸子/絵                   田原田鶴子/絵
銀河鉄道の夜 藤城清治.jpg  銀河鉄道の夜 東逸子.jpg  銀河鉄道の夜 田原田鶴子.jpg

 絵本化したものでは、影絵作家の藤城清治氏のもの('82年/講談社)が、文章を小さな子にも読み聞かせできるようにうまくまとめていて、絵の方もさすがという感じ、ただし、完全に"藤城ワールド"という印象も(評価 ★★★☆)。

 原文を生かしたまま絵を入れたものでは、東逸子氏の挿画のもの('93年/くもん出版)がいいかなあという感じで、人物はやや少女マンガみたいだけれど、透明感のある背景は素晴らしい(評価 ★★★★)。

 田原田鶴子氏の油彩画によるもの('00年/偕成社)も美しいし、何と言っても挿入画の点数が多いのが嬉しいですが、一方で、ここまでリアルに描かれると、やはり自分の当初のイメージとはいろいろな点でズレがあるような感じも受けなくもなかったです(評価 ★★★☆)。

銀河鉄道の夜・風の又三郎・ポラーノの広場 (講談社文庫 み 13-1)
銀河鉄道の夜・風の又三郎・ポラーノの広場.jpg 【1951年文庫化・1966年文庫改訂[岩波文庫(『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』)]/1971年再文庫化[講談社文庫(『銀河鉄道の夜、風の又三郎,ポラーノの広場 ほか3編』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫]/1982年再文庫化[ポプラ社文庫]/1985年再文庫化[偕成社文庫]/1985年再文庫化[ちくま文庫(『宮沢賢治全集〈7〉』)]/1989年再文庫化[新潮文庫(『新編銀河鉄道の夜』)]/1990年再文庫化[集英社文庫]/1996年再文庫化[角川文庫]/1996年再文庫化[扶桑社文庫]/2000年再文庫化[岩波児童文庫]/2009年再文庫化[PHP文庫(『銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュ』)]/2011年再文庫化[280円文庫]】


童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇2.jpg童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』岩波文庫
■収録作品(十五篇)
北守将軍と三人兄弟の医者 むかしラユーという首都に,兄弟三人の医者がいた.いちばん上の......
オッペルと象 オッペルときたらたいしたもんだ.稲こき器械の六台も据えつけて......
どんぐりと山猫 おかしなはがきが,ある土曜日の夕がた,一郎のうちにきました.......
蜘蛛となめくじと狸 赤い手の長い蜘蛛と,銀色のなめくじと,顔を洗ったことのない狸が......
ツェねずみ ある古い家の,まっくらな天井裏に,「ツェ」という名前のねずみが......
クねずみ クという名前のねずみがありました.たいへん高慢でそれにそねみ深......
鳥箱先生とフウねずみ あるうちに一つの鳥かごがありました. 鳥かごというよりは鳥箱という方......
注文の多い料理店 二人の若い紳士が,すっかりイギリスの兵隊のかたちをして,ぴかぴか......
からすの北斗七星 つめたいいじの悪い雲が,地べたにすれすれにたれましたので, 野はら......
雁の童子 流沙の南の楊で囲まれた小さな泉で,私は炒った麦粉を水にといて......
二十六夜 旧暦の六月二十四日の晩でした. 北上川の水は黒の寒天よりも......
竜と詩人 竜のチャーナタは洞のなかへさして来る上げ潮からからだをうねり出し......
飢餓陣営 砲弾にて破損せる古き穀倉の内部,からくも全滅を免かれしバナナン軍団......
ビジテリアン大祭 私は昨年九月四日,ニュウファウンドランド島の小さな山村,ヒルティで...
銀河鉄道の夜「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたり......

《読書MEMO》
●「銀河鉄道の夜」...1922(大正11)年頃〜1932(昭和7)年頃執筆

●新潮文庫2018年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018.png

「●な 中島 敦」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2998】 中島 敦 『文字禍・牛人
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豊かな知識に裏打ちされながらも、知に走ることなく読者をキッチリ堪能させる。

李陵・山月記639.jpg 山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫).jpg 李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫).jpg 木乃伊(ミイラ).jpg
李陵・山月記 (新潮文庫)』(表紙版画:原田維夫)[山月記/名人伝/弟子/李陵]/『山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/文字禍/悟浄出世/悟浄歎異/環礁/牛人/狼疾記/斗南先生]/『李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/悟浄出世/悟浄歎異]/ [Kindle版]「木乃伊(ミイラ)~輪廻する「前世の記憶」を描く怪奇短編名作~(レトロ文庫004)
李陵・弟子・山月記―(他)名人伝・狐憑 (1967年) (旺文社文庫)
李陵・弟子・山月記 旺文社文庫.jpgNakajima_Atsushi.jpg 1943(昭和18)年発表の「李陵」は、中島敦(1909‐1942/享年33)のおそらく最後の作品と思われるもので(「李陵」というタイトルは、作者の死後、遺稿を受け取った深田久弥が最も無難な題名を選び命名したもの)、前漢・武帝の時代に匈奴と戦って敗れ虜囚となった李陵と、李陵を弁護して武帝の怒りを買い宮刑に処せられるも「史記」の編纂に情熱を注いだ司馬遷の生涯を併せて描いていて、淡々とした筆致の際にも、運命に翻弄された両者への作者の思い入れが切々と滲み出る作品です。

 とりわけ李陵について、同じく匈奴に囚われながらも祖国への忠節を貫いた武人・蘇武との対比において、最初は単于(匈奴の王)からの仕官の誘いを拒みつつも、誤報により祖国で裏切り者扱いにされて家族を殺され、やがて単于の娘を娶り左賢王となる彼の、蘇武のような傑人になれない自己に対する鬱屈が痛々しく、大方の人はこうした過酷な状況では蘇武のように生きるのは難しく、李陵のように中途半端な生き方をせざるを得ないのだろうけれど、これも紛れのない1つの人生なのだろうなあと思いました。

キャット・ピープル.jpg変身.jpg 「山月記」は1942(昭和17)年)に発表された作者デビュー作で、同時におそらく作者の最も有名な小説であり、文体に無駄が無く美麗であることもあって国語教科書などでもよく採り上げられていますが、結構モチーフとしては幻想譚という感じで、作者はカフカの「変身」などを既に読んでいたそうですが(日本で最初にカフカを評価した作家だと言われている)、個人的には映画「キャットピープル」(リメイク版)などを思い出したりしました(詩人・李徴がトラに変身するところなどの描写は、簡潔だが生き生きしている)。

 「弟子」は孔子と子路の交わりを人間臭く描いていて、一方「名人伝」も中国の古譚に材を得た作品ですが、名人同士が矢を放ってひじりがぶつかり合うなど、ここまでくるともうアニメの世界さえ超えている感じで(「HERO」('02年/中国・香港)など最近の特撮チャイニーズ・アクション映画みたい)、結末も含め少し笑えます。

『李陵・山月記』.JPG山月記・弟子・李陵ほか三編 講談社文庫 .jpg 新潮文庫版にはありませんが、この人には1942(昭和17)年に『古譚』として「山月記」と併せて発表された「文字禍」や「木乃伊」といった古代エジプトやアッシリアに材を得た作品もあり、「木乃伊」(かつて講談社文庫版(『山月記・弟子・李陵ほか三編』['73年])で読んだが絶版になり、その後、講談社文芸文庫版(『斗南先生・南島譚』['97年])、ちくま文庫版(『ちくま日本の文学12』['08年]))などに所収)は、前世の自分のミイラと遭遇してそのミイラの生きていた時に転生し、さらにそれがまた前世の自分のミイラと遭遇し...というタイムトラベルSFみたいな話で、奥深さと面白さを兼ねそえた作品でした。

講談社文庫『山月記・弟子・李陵ほか三編』['73年](表紙版画:原田維夫)

 豊かな知識に裏打ちされながらも、知に走ることなく読者をキッチリ堪能させる作品群であり、もっと長生きして欲しかったなあ、ホントに。(「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」で中島敦が原典をどうアレンジしたかについては、増子 和男/他『大人読み『山月記』』['09年/明治書院]に詳しい。)

角川文庫『李陵・弟子・名人伝』['52年]/『李陵・山月記・弟子・名人伝』['68年]
李陵・弟子・名人伝 .jpg李陵・山月記 弟子・名人伝.jpg 【1952年文庫化[角川文庫(『李陵・弟子・名人伝』)]/1967年再文庫化・1989年改版[旺文社文庫(『李陵・弟子・山月記』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『李陵・山月記・弟子・名人伝』)]/1969年再文庫化[新潮文庫(『李陵・山月記』)]/1973年再文庫化[講談社文庫(『山月記・弟子・李陵ほか三編』)]/1993年再文庫化[集英社文庫(『山月記・李陵』)]/1994年再文庫化[岩波文庫(『李陵・山月記 他九篇』)]/1995年再文庫化・1999年改版[角川文庫(『李陵・山月記・弟子・名人伝』)]/2000年再文庫化[小学館文庫(『李陵・山月記』)]/2012年再文庫化[ハルキ文庫(『李陵・山月記』)]】

山月記 (ホーム社 MANGA BUNGOシリーズ).jpgsanngetuki.jpg《読書MEMO》
●岩波文庫版所収
(発表順)
「山月記」「文字禍」..1942(昭和17)2月「文学界」
「牛人」..1942(昭和17)7月「政界往来」
「悟浄出世」「悟浄歎異」「環礁」「狼疾記」「斗南先生」..1942(昭和17)11月単行本『南島譚』
「名人伝」...1942(昭和17)12月「文学界」
「弟子」...1943(昭和18)年2月「中央公論」
「李陵」...1943(昭和18)年7月「文学界」
●その他
「木乃伊」...1942(昭和17)年7月発表


山月記 (ホーム社 MANGA BUNGOシリーズ) (ホーム社漫画文庫)』(2012)
同時収録:「悟浄出世」「悟浄歎異」

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迷宮「玉の井」を三重構造で描くことで、作品自体を迷宮化している。

ぼく東綺譚.jpg 濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)_.jpg 東綺譚.jpg 「墨東綺譚」の挿画(木村荘八).jpg
ぼく東綺譚 (新潮文庫)』『濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)』『墨東綺譚 (角川文庫)』朝日新聞連載の『濹東綺譚』の挿画(木村荘八)/[下]『濹東綺譚』昭和12年初版(装幀:永井荷風/挿画:木村荘八)
『濹東綺譚』1937 2.jpg濹東綺譚(ぼくとうきだん) 永井荷風.jpg 1937(昭和12)年に発表された永井荷風(1879‐1959)58歳の頃の作品で(朝日新聞連載)、向島玉の井の私娼街に取材に行った58歳の作家〈わたくし〉大江匡と、26歳の娼婦・お雪の出会いから別れまでの短い期間の出来事を描いています。

『濹東綺譚』.JPG永井 荷風.gif 昭和初期の下町情緒たっぷりで、浅草から向島まで散策する主人公を(よく歩く!)、地図で追いながら読むのもいいですが、「吉原」ではなく「玉の井」だから「濹東」なのだと理解しつつも、「玉の井」と名のつくものが地図上から殆ど抹消されているためわかりにくいかも知れません。でも、土地勘が無くとも、流麗な筆致の描写を通して、梅雨から秋にかけての江戸名残りの季節風物が堪能できます。

 〈わたくし〉は、種田という男を主人公に玉の井を舞台にした小説を書いているところという設定なっていて、その小説が劇中劇のような形で進行していき、では〈わたくし〉=〈作者(荷風)〉かと言うと必ずしもそうではなく、時に〈わたくし〉が小説論を述べたかと思うと、今度は〈作者〉が小説論的注釈をしたりと、〈作者(荷風)〉―〈わたくし(大江)〉―〈書きかけ小説の主人公(種田)〉という三重構造になっており、加えて、文末に「作者贅言(ぜいげん)」というエッセイ風の文章(「贅言」の「贅」は贅肉の贅であり、要するに作者の無駄口という意味なのだが、辛辣な社会批評となっている)が付いているからややこしいと言えばややこしいかもしれません(「〈わたくし(大江)」としたが、大江が驟雨がきっかけで偶然お雪と知り合ったという設定にコメントしている「わたくし」は明らかに永井荷風自身ではないか)。

「濹東綺譚」.jpg濹東綺譚 映画49.jpg 1960年に豊田四郎(「夫婦善哉」('55年))監督、山本富士子(「彼岸花」('58年))、芥川比呂志(「」('53年))主演で映画化されていますが、「濹東綺譚」を軸に「失踪」と「荷風日記」を組合せて八住利雄が脚色しています。〈大江〉濹東綺譚 豊田四郎監督.jpgが〈種田〉とほぼ同一化されていて(主人公は種田)、種田はお雪の求婚に対して返事を曖昧にし、やがて「女優魂」.jpgそうこうしているうちにお雪は病気になって死を待つばかりとなります。お雪のキャラクターが明るいものになっているため、結末が却って切ないものとなっています。白黒映画で玉の井のセットがよくできていて、途中に芥川比呂志による原作の朗読が入り、ラストでは〈荷風〉と思しき人物が玉の井を散策(徘徊?)しています。この(荷風〉と思しき人は、主人公・種田の行く芳造(宮口精二)のおでん屋にもいました。しいて言えば、これが原作における〈大江〉乃至〈作者(荷風)〉に当たるということでしょうか。」(●2023年、15年ぶりに神保町シアター「女優魂」特集で再見。観ていて辛いストーリーだが、山本富士子が演じるお雪はやはりいい。改めてこれは山本富士子の映画だと思った。)
中村芝鶴(N散人(永井荷風らしき人物))
00「濹東綺譚」kahu.jpg
豊田四郎監督「濹東綺譚」(1960)芥川比呂志/山本富士子/中村伸郎        岸田今日子/山本富士子
「濹東綺譚」岸田.jpg01濹東綺譚 1960  .jpg
東野英治郎/新珠三千代
02濹東綺譚 1960 1.jpg

新藤兼人監督「濹東綺譚」(1992)津川雅彦/墨田ユキ
映画濹東綺譚.jpg04映画濹東綺譚 (2).jpg 更に1992年に新藤兼人監督、墨田ユキ、津川雅彦出演で映画化されていますが、こちらは未見。やはり、〈作者〉-〈大江〉-〈種田〉のややこしい三重構造を映像化するのは無理と考えたのか、津川雅彦演じる主人公が〈荷風〉そのものになっているようで、〈荷風〉はお雪と結婚の約束をするが、東京大空襲で生き別れになる―といった結末のようです。

 荷風は外国語学校除籍という学歴しか無かったものの慶應義塾大学の教授を務めたりして、素養的にはインテリですが、この小説では衒学的記述は少なく、むしろ「玉の井」をラビラント(迷宮)として描くと同時に小説の構成も迷宮的にしているというアナロジイに、独特のインテリジェンスを感じます。

 高級官僚の子に生まれながらドロップアウトし、外遊先でも娼館に通ったというのも面白いですが、この"色街小説"は日華事変の年に新聞連載しているわけで、私小説批判で知られた中村光夫も、一見単なる私小説にも見えるこの作品を、「時勢の勢いに対する痛烈な批判者の立場を終始くずさぬ作者の姿勢が、圧政のなかで口を封じられた知識階級の読者に、一脈の清涼感を与えた」と評価しています。「作者贅言」では、そうした全体主義的ムードを批判する反骨精神とともに、「玉の井」への〈江戸風情〉的愛着と急変する「銀座」界隈への文化的失望が直接的に表わされています。

京成白髭線 玉ノ井駅.jpg京成白髭線 玉ノ井駅s.jpg 作品中に、前年廃止された京成白髭線の玉ノ井駅の記述がありますが、「玉の井」も今はほとんどその痕跡がありません。また、荷風が中年期を過ごした麻布の家(『断腸亭日乗』に出てくる「偏奇偏奇館.jpg館」)も、現在の地下鉄「六本木一丁目」駅前の「泉ガーデンタワー」裏手に当たり、当然のことながら家跡どころか当時の街の面影もまったくありません(一応、こじんまりとした石碑はある)。

濹東綺譚 岩波文庫 挿画16.jpg濹東綺譚 岩波文庫 挿画6.jpg 因みに、この作品は個人的には今回「新潮文庫」版で読み返しましたが、木村荘八の挿画が50葉以上掲載されている「岩波文庫」版が改版されて読み易くなったので、そちらがお奨めです。

挿画:木村荘八


濹東綺譚on.jpg濹東綺譚 映画49.jpg濹東綺譚 映画 1960 00.jpg濹東綺譚 00.jpg濹東綺譚 映画 1960ド.jpg「濹東綺譚」●制作年:1960年●監督:豊田四郎●製作:佐藤一郎●脚本:八住利雄●撮影:玉井正夫●音楽:團伊玖磨●原作:永井荷風「濹東綺譚」「失踪」「荷風日記」●時間:120分●出演:山本富士子/芥川比呂志/新珠三千代/織田新太郎/東野英治郎/乙羽信子/織田政雄/若宮忠三郎/三戸部スエ/戸川暁子/宮口精二/賀原夏子/松村達雄/淡路恵子/高友子/日高澄子/原知佐子/岸田今日子/塩沢くるみ/長岡輝子/北城真記子/中村伸郎/須永康夫/田辺元/田中志幸/中原成男/名古屋章/守田比呂也/加藤寿八/黒岩竜彦/瀬良明/中村芝鶴●公開:1960/08●配給:東宝●最初に観た場所(再見):神保町シアター(08-08-30)●2回目:神保町シアター(23-02-17)(評価:★★★★)

豊田四郎と東宝文芸映画.jpg神保町シアター.jpg神保町シアター 2007(平成19)年7月14日オープン
   
   
     
   
 
 
 
 
 
 
    
(下)新珠三千代/芥川比呂志 
『墨東綺譚』スチル02.jpg 『墨東綺譚』スチル01.jpg 『墨東綺譚』スチル03.jpg
  
新藤兼人監督「濹東綺譚」(1992)墨田ユキ・津川雅彦
濹東綺譚_11.jpg  

山本富士子:渡辺邦男監督「忠臣蔵」(1958)/小津安二郎監督「彼岸花」(1958)/豊田四郎監督「濹東綺譚」(1960)/市川昆監督「黒い十人の女」(1961)/市川昆監督「私は二歳」(1962)
山本富士子『忠臣蔵(1958).jpg 彼岸花 映画 浪花.jpg 濹東綺譚 映画 1960 01.jpg 黒い十人の女 山本富士子.jpg 私は二歳 映画 .jpg
『濹東綺譚』['47年/岩波文庫]/['50年/六興出版]
「濹東綺譚」・永井荷風著(岩波文庫).jpg 永井荷風『墨東綺譚』1950年.jpg 

濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫) 200_.jpg墨東綺譚 (角川文庫)0_.jpgぼく東綺譚 新潮文庫.jpg 【1947年文庫化・1991年改版[岩波文庫]/1951年再文庫化・1978年改版[新潮文庫]/1959年再文庫化・1992年改版[角川文庫]/1977年再文庫化[旺文社文庫(『濹東綺譚・ひかげの花』)]/1991年・2001年復刻版[岩波書店]/2009年再文庫化年改版[角川文庫]】
ぼく東綺譚 (新潮文庫)』(新カバー版)
墨東綺譚 (角川文庫)』(新解説・新装版)
濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)』(木村荘八挿画入り)

《読書MEMO》
●「濹東綺譚」...1937(昭和12)年発表

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自らの幼年期が、子どもの目線、子どものみが持つ感覚で描かれている不思議な作品。

銀の匙 岩波文庫2.jpg銀の匙.jpg 銀の匙w.jpg 銀の匙2.jpg銀の匙 角川文庫 新版.jpg 中勘助.jpg 中 勘助 
銀の匙 (岩波文庫)』/『銀の匙 (ワイド版岩波文庫)』/『銀の匙 (角川文庫)』(旧カバー・新カバー)

銀の匙 中勘助 岩波書店 大正15年 初版.jpg 1911(明治44)年に前編が書かれた「銀の匙」は(後編が書かれたのは1913年)、それまで詩作などを中心に創作活動をしていた中勘助(1985‐1965)が、一高・東大時代の師である夏目漱石に勧められて20代半ばで初めて書いた散文であり、書斎の引き出しの小箱の中にしまった銀の小匙にまつわる思い出から始まるこの自伝的作品は漱石に絶賛され、その推挙により、前編は1913年、後編は1915年に朝日新聞に連載されました。

『銀の匙』 中勘助 岩波書店 1926(大正15)年 初版

 文章が凛然として美しく、子どもの世界を子どもの目線で活写しています。まぎれもなく大人の書いた文章ですが、時にぶっきらぼうとも思える終わり方などもしていて、子どもの日記を読んでいるような錯覚、とまでいかなくともそれに近い感覚に陥りました。

 病弱、気弱な伯母さんっ子として育った幼年期の思い出の数々が、目の前で起きている出来事のように再現され、そこに滲むセンシビリティも子どものみが持つものであり、一方で、大人になった作者によってノスタルジックに「美化された過去」というものも感じますが、その美しさがまた読み手の共感をそそり、一体どこまで計算されて書かれているのか、不思議というか"怪しさ"さえ覚えました。

 心理学の仮説では、〈幼児期の記憶〉は思春期に入ると急速に忘れ去られるが実は深層心理にしっかり残っていて、大人になってもけっして消えていないのだという考えがありますが、この作者は、思春期以降も意識から無意識へと消え去ろうとする記憶を何度も抽出・反復していたのではないかと思われ、これは、病弱な幼年期を送った人に特徴的なことではないかと思われました。

 今でいう小学校低学年ぐらいの頃の出来事がとりわけ生き生きと、みずみずしく描かれていてます。ただし、思春期に入る頃から結構この中勘助という人は、気力・体力とも充実してきたようで、1913(大正2)年から書かれた後編では、子どもながらに立派な反戦少年になっていて(日清戦争だから古い話だが)、軍国思想に染まりながらエリートコースを歩む兄と訣別します。そして伯母との再会-。

 漱石は、後編は前編に比して更に良いと褒めたようですが、やはり、後編の「物語」っぽいつくりや立派に振舞いすぎる少年像よりも、それとは違った意味で"創作の怪しさ"が感じられる前編の方が個人的には良かったです。

 因みに、中勘助の初恋の相手は同い年の野上弥生子だったとされていますが、富岡多恵子の『中勘助の恋』('93年/創元社、'00年/平凡社ライブラリー)によると、モテ男だった彼は、野上弥生子をはじめ多くの女性からプロポーズされたがその全てを断り、友人の娘(幼女)たちに恋着、幼女らにラブレターを書き、大きくなったら結婚しようと言って膝に乗せ頬にキスする一方、陰で彼女らを「ぼくのペット」と呼んでいたそうな(人は見かけによらない...?)。

銀の匙 1926.jpg銀の匙 1926-2.jpg 【1926年単行本[岩波書店]/1935年文庫化・1962年・1999年改版[岩波文庫]/1988年再文庫化[角川文庫]/1992年再文庫化〔ちくま日本文学全集〕/2012年再文庫化[小学館文庫]】

《読書MEMO》
●「銀の匙」...1911(明治44)年前編発表、1913(大正2)‐1914(大正3)年後編「朝日新聞」連載

銀の匙 初版復刻版

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「小僧の神様」が好き。「小説の神様」と言うより「文体の神様」。

『小僧の神様・城の崎にて』.JPG『小僧の神様・城の崎にて』.jpg 小僧の神様(岩波文庫).jpg 城の崎にて (1968年) (角川文庫).jpg 小僧の神様・城の崎にて 角川文庫.jpg
小僧の神様・城の崎にて(新潮文庫)』(カバー:熊谷守一)『小僧の神様―他十篇 (岩波文庫)』『城の崎にて (1968年) (角川文庫)』『城の崎にて・小僧の神様 (角川文庫)

小僧の神様.jpg 1920(大正9)年発表の表題作「小僧の神様」は、志賀直哉(1883‐1971)が「小説の神様」と呼ばれる一因になった作品ですが、この人は乃木将軍の殉死を愚かな行為だと批判したり、日本語廃止・フランス語採用論を唱えたりもした人で、これだけをとってもその賛否分かれるのではないかと思います。
 ただし、「小説の神様」と呼ばれた"事実"は、この作家の作品が、今の時代に(教科書以外で)どの程度読まれているかということとは別に、"評価"としては長く残っていくのだろうと思います。
 実際、芥川賞作家などにも志賀作品を激賛する人は多く、芥川龍之介も言ったように「志賀さんのように書きたくても、なかなか書けない」ということなのでしょうか。
新潮カセット&CD 「小僧の神様」(「城の崎にて」「好人物の夫婦」併録)

 「小僧の神様」は、鮨屋の評判を聞いてその店の鮨を喰ってみたいと夢想する小僧の身に起きた出来事を描いた、読みやすくて味のある傑作で、読者の中には"隠れた偽善性"を嫌うムキもありますが、個人的にはこのちょっと童話的な雰囲気が好きです。

 文章に無駄が無いという作家の特質がよく表れた作品ですが、終わり方なども変則的で(少なくとも小説の"典型"ではない)、これを以って「小説の神様」というのはどうかという気もします(小説の支配者(「神」)は作者である、と言っているようにもとれてしまう終わり方)。この作品を通して作者を「小説の神様」と呼んだ背景には、タイトルとの語呂合わせ的要素もあったかと思いますが、強いて言えば、「文体の神様」と言った方が、まだ当てはまるのでは。何れにせよ、傑作と言うか、大上段に構えたところがなく、ただただ「うまいなあ」と思わせる作品だと思います。

 その前に発表された「城の崎にて」は、こちらも、谷崎潤一郎が「文章読本」の中で、その文体の無駄の無さを絶賛したことで知られています。

 電車事故で怪我して湯治中の「自分」の、小動物の生死に対する感応が淡々と描かれていて、「深い」と言うより「わかるような」という感じでしたが、一つ間違えれば今頃は堅い顔して土の中に寝ているところだったというような主人公のイメージの抱き方にも、ごく日本的な死生観を感じました。  

赤西蠣太ビデオ.jpg 新潮文庫版は中期の作品18編を選んで執筆順に収めていて(この載せ方はいい)、日記風、散文風のものから、作者唯一の時代物でありながら映画にもなった「赤西蠣太」のようなストーリー性の強いものまで、〈私小説〉に限定されず幅があるなあという感じで、作風も、軽妙というより通俗的ではないかと思われるものさえあります(ただし、"簡潔な文体"という点では、全作品ほぼ一貫している)。

 芥川龍之介も、谷崎潤一郎との芸術論争(〈私小説〉論争?)の際に志賀の作風を褒め称えていますが、論争自体は〈物語派〉の谷崎の方が優勢だったかも。ただし、現代日本文学においても〈私小説〉は強いと言うか、純文学イコール私小説みたいな感じもあります(それがすべて志賀のせいではないでしょうが)。

 【1928年文庫化・1947年・2002年改版[岩波文庫(『小僧の神様 他十篇』)]/1948年文庫化[新潮文庫(『城の崎にて』)]/1954年再小僧の神様(岩波文庫).jpg城の崎にて・小僧の神様 (角川文庫).jpg文庫化[角川文庫(『城の崎にて・小僧の神様』)]/1968年再文庫化(改版)[角川文庫(『城の崎にて』)]/1968年再文庫化・1985年改版・2005年改版[新潮文庫(『小僧の神様・城の崎にて』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『清兵衛と瓢箪・小僧の神様』)]/2009年再文庫化[岩波ワイド文庫(『小僧I城の崎にて.jpgの神様―他十編』)]/2012年再文庫化[角川文庫(『城の崎にて・小僧の神様』)]】

『城の崎にて・小僧の神様』 (1954/03 角川文庫)

『小僧の神様 他十篇』 (1928年文庫化・1947年改版・2002/10 岩波文庫)(「城の崎にて」「赤西蛎太」など所収)

《読書MEMO》
●「城の崎にて」...1917(大正6)年発表 ★★★★
●「赤西蠣太」...1917(大正6)年発表 ★★★☆
●「小僧の神様」...1920(大正9)年発表 ★★★★☆

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卓越した繊細な感性。「檸檬」もいいが、湯ヶ島時代の作品「冬の蝿」がよりいい。
梶井 基次郎 『檸檬』 武蔵野書院 1931.jpg
檸檬.jpg 檸檬2.jpg 檸檬・冬の日.jpg 檸檬 アイ文庫オーディオブック.jpg  梶井 基次郎.jpg 
檸檬』新潮文庫〔旧版/新版〕/岩波文庫/アイ文庫オーディオブック「檸檬」/梶井基次郎(1901-32/享年31)
梶井 基次郎 『檸檬』 武蔵野書院(1931年5月)[復刻版]
新潮文庫2018年プレミアムカバー檸檬・城のある町にて (角川文庫)』『檸檬 (角川文庫)』角川文庫〔旧版/新版〕
新潮文庫 プレミアムカバー 2018 檸檬.jpg檸檬・城のある町にて.jpg檸檬 梶井基次郎 角川文庫.jpg 1925(大正14)年に発表された梶井基次郎(1901‐1932)の「檸檬」は、「えたいの知れない不吉な塊りが私の心を終始圧えつけていた」という書き出しの通り、既に独特のタナトスの影を落としていて、以降の作品にも、芥川の晩年の作品「歯車」のような暗いムードが漂っています。

梶井 基次郎 『檸檬』 .JPG しかし「檸檬」は、鮮烈な描写と想像力、そしてラストの何か吹っ切った感じが明るく、その点が、彼の命日を"檸吉行 淳之介.jpg檬忌"と呼ぶほどに親しまれる作品である理由ではないでしょうか。吉行淳之介は梶井基次郎の小説を評価しながらも、本作の題は「檸檬」よりも「レモン」の方が良いと書いています。これは、"卓見"であると言うか、現代においてこの作品を読む人にとって示唆的な指摘だと思います。なぜならば、重厚な「丸善」のイメージに拮抗してそれを覆す力を持たせるには、「檸檬」よりも「レモン」の方が効果的ではないかという気がするからです。
  
京都三条通麩屋町「丸善」/河原町通蛸薬師「丸善」(2005年10月10日閉店)
梶井 基次郎 『檸檬』丸善.jpg京都河原町の丸善.jpg この作品の"レモン"のイメージは頭から離れません。但し、「私」が入った書店は、設定上、洋書・輸入雑貨も多く扱う「丸善」でなければならなかったのだろうけれど、自分は「日本橋の丸善」だと長く記憶違いしていました。正しくは「京都三条通麩屋町の丸善」であったわけで、この「丸善 京都支店」は河原町通蛸薬師への移転、改築、再改築を経て'05年10月10日に閉店、閉店の日は、平積みの本の上にレモンを置いていく人がいて話題になったとか。

丸善 京都.jpg丸善 京都 檸檬.jpg(その後、本来の"「檸檬」誕生の地"河原町三条にジュンク堂書店が進出していたのが、入居施設「京都BAL」の改装に合わせて2015年8月21日に、その地下1・2階に蔵書100万冊の「丸善 京都本店」として10年ぶりに再スタートをした。ジュンク堂ではなく丸善として再スタートしたのは、半年前の同年2月に丸善書店がジュ≪MARUZEN cafe0.jpg≪MARUZEN cafe01.jpgンク堂書店を吸収合併したという経緯もあるが、他店ではもともと「ジュンク堂」だったところは「ジュンク堂」の店名をそのまま使っていることからすると、"「檸檬」の書店"であることを売りにするという狙いがあったのだろう。また、丸善グループの"失地回復"の意味もあったかも)。
「丸善 京都本店」内の MARUZEN cafe

「八百卯」(2009年1月25日閉店)
梶井 基次郎 『檸檬』果物屋.jpg 一方、「私」がレモンを買った果物屋は「八百卯」という果物屋で、こちらは現在もあるとのことです(その後、2009年1月25日に閉店、創業130年の歴史に幕を下ろした)

梶井基次郎「檸檬」1.jpg(2010年のテレビでの映像化作品(「BUNGO-日本文学シネマ」)では、ちょうど作者がレモンをテニスボールに見立てているように、テニスボールケースのような円筒状の容器に入れて、乱雑に積み重ねた本の上にそれを立てるように置いたという設定になっているが、読み直してみて、やはりレモンを直接本の上に置いたというのが正しいようだ。)
TBS 2010年2月17日放映 「BUNGO-日本文学シネマ」 梶井基次郎「檸檬」(主演:佐藤隆太)

 梶井基次郎は知られている通りの"ゴリラ顔"ですが、外見に似合わず?小さい頃から病弱で、作品に見られる近代文学の中でも卓越した繊細な感性は、そうしたところからも来るものだと思います。
 ただし、若い彼の京都時代の生活はかなりの無頼ぶりで、自らの神経を尖鋭化するためにわざと不健康で退廃的な生活に向かったように思え、実際、肺をこじらせて東大英文科を中退し、川端康成がいた天城湯ヶ島温泉へ転地しています。

 新潮文庫版は執筆順に20の短篇を収めていますが、後半の湯ヶ島時代の作品はその清澄さを増している印象があり、評価の高い「冬の日」や、浪漫主義の香りがする「桜の樹の下には」もさることながら、「冬の蝿とは何か?」で始まる「冬の蝿」が個人的には良く感じられ、志賀直哉の「城の崎にて」と("湯治文学"?同士)読み比べると興味深いです。

 晩年近い作品である「愛撫」「交尾」に猫が出てきますが、川端康成の小動物を描いた短篇を思い出しました(梶井の方が、描写が理科系っぽいけれど)。
 最後の「のん気な患者」は、ブラック・ユーモア風でもありますが、作者自身が現実に死と直面しているため、"ブラック"が"ユーモア"を凌駕している感じがします。

檸檬 梶井基次郎 ちくま文庫.jpg『檸檬』 (新潮文庫) 梶井 基次郎.jpg 【2013年文庫化[角川文庫(『城のある町にて―他十三篇』)]/1954年再文庫化[岩波文庫(『檸檬、冬の日 他9篇』)]/1967年文庫改版・1985年改版[新潮文庫]/1972年再文庫化[旺文社文庫(『檸檬・ある心の風景 他』)]/1986年再文庫化[ちくま文庫(『檸檬-梶井基次郎全集 全1巻』)]/1989年再文庫化[角川文庫(『檸檬・城のある町にて』)]/1991年再文庫化[集英社文庫]/2011年再文庫化[280円文庫(ハルキ文庫)]/2013年再文庫化[角川文庫(『檸檬』)]】

檸檬 (新潮文庫)

梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)

2019年、丸善創業150周年を記念して初版のカバーで復刻された『檸檬』(「ミチル日々」より)
初版のカバーで復刻された『檸檬』.jpg

《読書MEMO》
●「檸檬」...1924(大正13)年執筆、 1925(大正14)年発表 ★★★★☆「えたいの知れない不吉な塊りが私の心を終始圧えつけていた」
●「冬の日」...1927(昭和2)年執筆 ★★★★「季節は冬至に間もなかった」
●「桜の樹の下には」...1927(昭和2)年執筆 ★★★★「桜の樹の下には屍体が眠っている!」
●「冬の蝿」...1928(昭和3)年執筆 ★★★★☆「冬の蝿とは何か?」
●「愛撫」...1930(昭和5)年執筆 ★★★★「猫の耳というものはまことに可笑しなものである」
●「のん気な患者」...1931(昭和6)年執筆 ★★★★「吉田は肺が悪い」

●新潮文庫2018年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018.png

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たった4ページの掌編「金の輪」の美しさと情感に見る、作者の亡き子への思い。
『小川未明童話集』3.jpg『小川未明童話集』.JPG 日本幻想文学集成13・小川未明.jpg  小川未明童話集 (岩波文庫)200_.jpg
小川未明童話集 (新潮文庫)』['51年初版/'81年改版]カバー絵:安野光雅/『小川未明 初夏の空で笑う女 (日本幻想文学集成)』['92年]/『小川未明童話集 (岩波文庫)』['96年]

 1919(大正8)年発表の小川未明(1882‐1961)の僅か4ページの掌編「金の輪」は、実に不思議な印象を残す作品です。

 長く病に臥していた太郎は、ようやく床を出られるようになったが、友達もおらず、1人しょんぼり家先に立っていた。太郎はある日、往来を2つの「金の輪」を重ねて転がして遊ぶ見知らぬ少年を見かけ、少年は太郎の方を見て微笑む。次の日もまた同じ「金の輪」を転がす少年を見かけ、彼はまた太郎を見て懐かしそうに微笑む。太郎はその夜、少年と友達になり「金の輪」を1つ分けてもらって、いつまでも一緒にそれを転がして遊ぶ夢を見る。そして結末1行―。その唐突さにも関わらず、なぜか心に滲みる美しさと郷愁にも似た情感を漂わせた作品です。

子どもの宇宙.jpg 心理学者の河合隼雄氏は、7歳の死は薄幸だが、一方で死は太郎にとって素晴らしいものであり、太郎の7歳の死は、他人の70歳の死に匹敵する重みを持つと『子どもの宇宙』('87年/岩波新書)の中で書いています。しかし自分としては、この作品は、作者の亡くなったわが子へのレクイエムのように思われ、生き残った側の切ない思い入れが「創作」に昇華したものであると感じずにはおれません。

小川 未明 (おがわ みめい) 1982-1961.jpg 小川未明(1882‐1961)は20代終わりから30代の時だけ旺盛な創作活動をし、その業績に対して1945(昭和20)年に第5回「野間文芸賞」が贈られていますが、児童文学界の重鎮的存在で在りながら、昭和以降ほとんど新作は発表していません。また、宮沢賢治の作品が「大人の童話」と言われるのと対照的に、過去の作品群の作風を"子ども向けのヒューマニズム"と揶揄された時期もあります。

 本書には、代表作「赤いろうそくと人魚」など20数編が収められていますが、海の向こうから来た漂泊者を村人が冷たくあしらったところ、村が廃れてしまうというようなパターンのお話が幾つかあり、勧善懲悪と言えば勧善懲悪、しかしその"懲悪"の度合いは、童話の教育的効果としては異質であり、怨念的であったり神話的であったりします。

小川 未明 (1982-1961/享年79)

 しかし本全集のように、幻想文学という切り口でその作品を捉えると(この全集には、童話作家ではもう1人宮沢賢治も入っているが)、この人の作品の場合よりシックリくるような気がします。

【「光の輪」は『小川未明童話集』('51年/新潮文庫)、『小川未明童話集』('96年/岩波文庫)のほか以下などにも所収】

未明童話-心の芽そのほか.jpg 新日本少年少女文学全集16-小川未明集.jpg 小川未明童話集2.jpg 小川未明童話集 心に残るロングセラー名作10話.jpg
【『未明童話-心の芽そのほか』 文寿堂出版 ['48年]/『新日本少年少女文学全集16-小川未明集』 ポプラ社 ['65年]/『小川未明童話集』 旺文社文庫 ['74年]/『小川未明童話集―心に残るロングセラー名作10話』 世界文化社 ['04年]】

《読書MEMO》
●「金の輪」...1919(大正8)年発表 ★★★★☆

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「夢十夜」の系譜を引くアンソロジー。面白さで言えば「件(くだん)」が一番。

冥土(福武文庫).jpg  冥途・旅順入城式.jpg  冥途.jpg 冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫.jpg  内田 百閒.jpg 内田 百閒
冥途 (福武文庫)』/『冥途・旅順入城式 (岩波文庫)』/『冥途』〔'02年/パロル舎/画:金井田 英津子〕/『冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫』〔'02年〕
『冥途』 三笠書房版 ['34年初版]/ 『冥途』 芝書店版 ['49年初版]
冥途 三笠書房.jpg内田百閒『冥途』 昭和24年10月 芝書店.jpg 1921(大正10)年発表、翌年単行本刊行の『冥途』は、内田百閒(1989‐1971)が最初に発表したアンソロジーで、「冥途」「山東京伝」「花火」「件」「土手」「豹」など16篇の短篇からなりますが(福武文庫版は18篇所収)、何れも作者自身の見た夢をモチーフにしたと思われ、師匠であった漱石の「夢十夜」の系譜を引くものです。
 自分が読んだ福武文庫版('94年)は現在は絶版となり、短篇集2集を収めた岩波文庫版(『冥途・旅順入城式』('90年))の前半部分が福武文庫版と同じラインアップとなっています。

 表題作の「冥途」は、ビードロの記憶に託されたノスタルジックな抒情が良かったですが、面白さで言えば「件(くだん)」が一番だと思いました。
 牛に似た化け物「件」に変身してしまった「私」は、人々に予言をした後3日後に死ぬ運命にあるという―、これはカフカかと思わせるような不条理な設定ですが、村人にせっつかれても肝心の予言が思い浮かばないといところから、土俗民話的な雰囲気にユーモアと哀感の入り混じったものになっていきます。

 こうしたシュールな雰囲気がわりと楽しく、自分が江戸時代の戯作者・山東京伝の書生になっていて、そこへ訪れた客の姿が蟻だったとか(「山東京伝」)、自分の先生が馬の鍼灸師で、先生の弟が実は馬だったとかとか(「尽頭子」)、そういうかなりスラップスティックなものもあれば、女の子が老婆になる話(「柳藻」)や狐に化かされる話(「短夜」)など、怪談として十分に完結しているものもあり、「創作」の入れ方の度合いが作品ごとに異なる気もしました。

 多分、夢を「正確に」書き写すという行為の中に、イメージの断片を繋ぎ合わせていくうえで否応無く「創作」的要素が入るということを作者はよくわかっていて、そうなれば夢を書き写すという行為そのものが創作となるわけで、どこまで「創作」を入れるかというその辺りの線引きに厳密さは求めず、夢で得た鮮烈なイメージを損なわないまま言葉にどう置き換えるかといことに専念したのでは。
 夢が深層心理の表れであるとしても、そこから一義的に意味が読めてしまうような内容にはしたくないという方針だったのではないかという気がするですが、どうなのでしょうか。

 【1939年文庫化[新潮文庫(『冥途・旅順入城式』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫(『冥途・旅順入城式』)]/1990年再文庫化[岩波文庫(『冥途・旅順入城式』)]/1991年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学全集』)]/1994年再文庫化[福武文庫(『冥途』)]/2002年再文庫化[ちくま文庫(『冥途』)]

《読書MEMO》
●「冥途」「山東京伝」「花火」「件」「土手」「豹」...1921(大正10)年発表(翌年、単行本)

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「小さき者へ」がいい。作家自身よりも残された者の方が逞しかった気もする。

小さき者へ・生まれいずる悩み.jpg小さき者へ・生れ出ずる悩み2.jpg 小さき者へ・生れ出づる悩み.jpg 小さき者へ.jpg 有島 武郎.jpg 有島武郎(1878‐1923)
小さき者へ・生れ出ずる悩み (岩波文庫)』(旧版・新版)/『小さき者へ・生れ出づる悩み』新潮文庫/アイ文庫オーディオブック「小さき者へ」

『小さき者へ・生れ出ずる悩み』.JPG 1918(大正7)年に発表された有島武郎(1878‐1923)の「小さき者へ」は、母親(つまり有島の妻)を結核により失った幼い3人のわが子らへの作者の手紙の形式をとっていて、「お前たちは見るに痛ましい人生の芽生えだ」としながらも、「前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ、恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さきものよ」という結語は力強いものです。亡くなった母親の子どもたちへの愛情が、作家の抑制の効いた(よく読むとセンチメンタリズムとリアリズムが混ざっている)文章を通してひしひしと伝わってくる一方で、より不幸な死に方をした知人の死をも想えとするところに、作者らしさを感じます。

中等新国語3.jpg 同年発表の「生れ出ずる悩み」は、画家を志す青年が「私」を訪ねてくる冒頭の部分が国語教科書などでよくとりあげられているほど、吟味された美しい文章です(昭和40年代から50年代にかけて、光村図書出版の『中等新国語』、つまり中学の「国語」の教科書(中学3年生用)に使用されていた)。

 高級官僚の子に生まれながら小説家を志した自身を、労働と芸術の狭間で苦悶する青年に投影しているのが感じられる一方で、個人的には、漁師である青年のような生粋の労働者になりえない自分と対比するあまり、青年を物語の中で美化しすぎている気もし、危うささえ感じます。

 文学的には「生れ出ずる悩み」の方が評価は高い? 対し「小さき者へ」は、文庫本で15ページ程の掌編で、かつ「これって文学なの」みたいな感想もあるかと思いますが、個人的には、センチメンタリズムの中にも、わが子を一人前の人格として見る凛とした個人主義の精神が窺えて好きな作品です(なかなか、こんな親にはなれないが)。
 
 有島は、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加し、また自らの農場を開放するなどの活動もしますが、後にそうした活動にも創作にも行き詰まり感を見せ、45歳で中央公論社の記者(当時は編集者をこういった)だった波多野秋子と軽井沢で心中自殺します。
                                                
木田金次郎2.jpg木田金次郎.jpg 一方、「生れ出ずる悩み」のモデルとなった木田金次郎(1893‐1962)は、この事件を契機に漁師をやめ画家として生きる決意をします。描き溜めた作品1,500点が、洞爺丸台風襲来時の出火による「岩内大火」(1954年)で焼失したというのは残念ですが(この大火は水上勉の『飢餓海峡』のモチーフとなった)、それにもめげず創作活動を続けています(美術館の木田金次郎の作品を見ると、力強く少しゴッホっぽい)。

木田金次郎(1893‐1962/享年69)とその作品(岩内マリンパーク・木田金次郎美術館)
  
森雅之.gif さらに、「小さき者へ」で語られる側となった子のうち、長男は映画俳優の森雅森雅之 雨月物語.bmp羅生門 森雅之.jpg(1911-1973)で、黒澤明監督の「羅生門」('50年/大映)や溝口健二監督の「雨月物語」('53年/大映)、成瀬巳喜男監督の「浮雲」('55年/東宝)などの名作に主演しています。また、その森雅之の娘・中島葵(1945-1991/子宮頸癌のため死去、享年45)も女優 中島葵.jpg女優 中島葵ド.jpgテレビドラマや映画で活躍した女優でした。不倫相手との間の子であったという事情ため、16歳の時まで父親=森雅之から認知されませんでした。生涯独身でしたが、演出家で元東大全共闘のオーガナイザー芥正彦(1969年に東大で三島由紀夫との公開討論会を実施したメンバーの一人)とパートーナー関係にありました。何だか、残された者の方が逞しかったような気もする...。

『女優 中島葵』1992年刊

中島葵 愛のコリーダ.jpg中島葵.jpg 因みに、中島葵は大島渚監督の「愛のコリーダ」('76年/日・仏)にも、藤竜也が演じた吉蔵の妻役で出ていますが、当然のことながら、吉蔵の情婦・阿部定を演じた松田暎子の方が目立っていました。「愛のコリーダ」は公開の翌年に高田馬場のパール座で観ましたが、日本語の映画にフランス語だったか英語だったかの字幕がつくので変な感じがしました。日本国内での上映は大幅な修正が施されたため(冬の日の外で眠っていて子供たちに雪玉を投げつけられる老乞食を演じた殿山泰司の露出された陰部も含め)、ぼかしの上に外国語の字幕が乗っかっていたような印象があります(2000年に「完全ノーカット版」としてリバイバル上映された)。海外ではベルナルド・ベルトリッチの「ラストタンゴ・イン・パリ」('72年/伊)と比肩し得ると高く評価され、"オーシマ"の名を世界的なものにした作品ですが、国内では田中登監督、宮下順子主演の「実録阿部定」('75年/日活)の方が上との声もありました(阿部定に注目したことは面白いと思ったが、映画の出来としては個人的にはどちらもイマイチか)。

愛のコリーダ dvd.jpg愛のコリーダード.jpg「愛のコリーダ」●制作年:1965年●制作国:日本・フランス●監督・脚本:大島渚●製作:アナトール・ドーマン/若松孝二●撮影:伊東英男●音楽:三木稔●原作:山田風太郎「棺の中の悦楽」●時間:96分●出演:藤竜也/松田暎子/中島葵/芹明香/阿部マリ子/三星東美/藤ひろ子/殿山泰司/白石奈緒美/青木真愛のコリーダ 殿山2.png知子/東祐里子/安田清美/南黎/堀小美吉/岡田京子/松廼家喜久平/松井康子/九重京司/富山加津江/福原ひとみ/野田真吉/小林加奈枝/小山明子●公開:1976/10●配給:東宝東和●最初に観た場所:高田馬場パール座(77-12-03)(評価:★★★)●併映:「ソドムの市」(ピエル・パオロ・パゾリーニ)

殿山泰司(子供に雪玉を投げつけられる老乞食)

 【1940年文庫化・1962年・2004年改版[岩波文庫]/1955年再文庫化・1980年・2003年改版[新潮文庫(『小さき者へ・生れ出づる悩み』)]/1966年再文庫化[旺文社文庫(『生れ出づる悩み』)]】

《読書MEMO》
●「小さき者へ」...1918(大正7)年発表 ★★★★
●「生れ出ずる悩み」...1918(大正7)年発表 ★★★

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逆境の中、ひたむき、愚直に生きる人間像。悲恋物語だが、爽やかさも覚える「柳橋物語」。

柳橋物語・むかしも今も kosyo.jpg柳橋物語・むかしも今も 2han.jpg
柳橋物語・むかしも今も.jpg
 『柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫)』(カバー:岡田嘉夫)
柳橋物語・むかしも今も (1964年) (新潮文庫)

明暦の大火(「江戸火事図会」江戸東京博物館)
明暦の大火.jpg 1946(昭和21)年発表の「柳橋物語」は、上方に働きに出る〈庄吉〉に、幼さゆえの恋情で「待っているわ」と夫婦約束をした〈おせん〉が、江戸の大火(明暦の大火・1657年)で生活のすべてを失って記憶喪失になるまでショックを受ながらも、逃げのびる際に拾った赤子をわが子のように育てるものの、上方から戻った庄吉はそれを見て彼女の不義理ととる―という、たたみかけるような逆境に翻弄される一女性の人生を描いたもの。

 逆境においても常にひたむきなおせんもそうですが、普段は粗野なスタイルでしか彼女に接することができず、庄吉一途の彼女に嫌われながも、大火の混乱の中、彼女を助けつつ死んでいく幸太や、無愛想だが被災後の彼女の生活をこまめに助ける松造など、印象に残る登場人物が多かったです。庄吉さえも本来は悪い人物ではなく、この作品は運命のいたずらがもたらした悲恋の物語と言えますが、最後におせんは死者である幸太と捨て子だった幸太郎とで、固い絆で結ばれた家族を形成しようとしているようで、その決意に爽やかさを覚える読者も多いのではないでしょうか。

 下町の人情と風俗を巧みに描いている点はさすがですが、その合間に1703年から翌年にかけての赤穂浪士の切腹、江戸大火、元禄地震、利根川洪水などの史実が盛り込まれていて、とりわけ主人公たちの運命を大きく変える明暦の大火の描写は、被災者の目線に立った臨場感溢れるものになっています。この作品が昭和21年に発表されたことを思うと、戦災の記憶を蘇らせながら読んだ読者も当時多かったのでは。

 1949(昭和24)年発表の「むかしも今も」は、グズで愚直な指物師〈直吉〉が、傾きかけた親方の商売とその家の娘〈おまき〉を懸命に守ろうと努力する話で、直吉のおまきに対する献身は、おまきが後に目を病んで三味線で生計を立てようとするところなども含め、山本周五郎版『春琴抄』といった趣きもある作品。最後におまきは直吉に心を開きますが、そこに至るまでの過程は、『春琴抄』の佐助以上にストイックであるとも言え、そのためラストは「柳橋物語」以上にストレートなカタルシスがあります。

 「むかしも今も」の直吉の人物像は後年の『さぶ』に繋がるような気がし、一方「柳橋物語」は、より初期の『小説 日本婦道記』の流れを引いている感じもしますが、作品の厚み、凄みのような部分では「柳橋物語」の方が1枚上であるような気がします。

 【1964年文庫化・1987年改版〔新潮文庫]/2009年再文庫化[時代小説文庫(『柳橋物語』(「柳橋物語」「ひやめし物語」「風流化物屋敷」))]/2018年再文庫化[角川文庫(『柳橋物語』(「柳橋物語」「しじみ河岸」))]】

《読書MEMO》
●「柳橋物語」...1946(昭和21)年発表 ★★★★☆
●「むかしも今も」...1949(昭和24)年発表 ★★★★

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司馬遼太郎『新選組血風録』、浅田次郎『壬生義士伝』のネタ本。聞き書きの文体に生々しさ。

新選組始末記.jpg 勝海舟.jpg『勝海舟』 新潮文庫(全6巻)子母澤寛.jpg 子母澤 寛 (1892-1968/享年76)
新選組始末記 (中公文庫)』 (カバー画:蓬田やすひろ) 

 子母澤寛の作品は以前に『勝海舟』('46年第1巻刊行、'68年/新潮文庫(全6巻))を読みましたが(子母澤寛はこの作品や勝海舟の父・勝小吉を主人公とした『父子(おやこ)鷹』('55-'56年発表、'64年/新潮文庫(上・下)、後に講談社文庫)などで第10回(1962年)「菊池寛賞」を受賞)、司馬遼太郎と同じく新聞記者出身であるこの人の文章は、司馬作品とはまた異なる淡々としたテンポがあり、読み進むにつれて勝海舟の偉大さがじわじわと伝わってくる感じで、坂本竜馬や西郷隆盛といった維新のスター達も、結局は勝海舟の掌の上で走り回っていたのではないかという思いにさせられます(文庫本で3,000ページ以上あるので、なかなか読み直す機会が無いが...)。

新選組始末記 昭和3年8月 萬里閣書房.jpg 一方この『新選組始末記』は、1928(昭和3)年刊行の子母澤寛の初出版作品で、子母澤寛が東京日日新聞(毎日新聞)の社会部記者時代に特集記事のために新選組について調べたものがベースになっており、子母澤寛自身も"巷説漫談或いは史実"を書いたと述べているように、〈小説〉というより〈記録〉に近いスタイルです。とりわけ、そのころまだ存命していた新選組関係者を丹念に取材しており、その抑制された聞き書きの文体には、かえって生々しさがあったりもします。

『新選組始末記』 萬里閣書房 (昭和3年8月)

1新選組血風録.png司馬遼太郎2.jpg 子母澤寛はその後、『新選組遺聞』、『新選組物語』を書き、いわゆる「新選組三部作」といわれるこれらの作品は、司馬遼太郎など多くの作家の参考文献となります(司馬遼太郎は、子母澤寛本人に予め断った上で「新選組三部作」からネタを抽出し、独自の創作を加えて『新選組血風録』('64年/中央公論新社)を書いた)。

 子母澤寛は「歴史を書くつもりなどはない」とも本書緒言で述べていて、そこには「体験者によって語られる歴史」というもうひとつの歴史観があるようにも思うのですが、後に本書の中に自らの創作が少なからず含まれていることを明かしています。

浅田次郎.jpg壬生義士伝.jpg壬生義士伝m.jpg 近年では浅田次郎氏が『壬生義士伝(上・下)』('00年/文藝春秋)で『新選組物語』の吉村貫一郎の話をさらに膨らませて書いていますが(この小説は 滝田洋二郎監督、中井貴一主演で映画化された)、『新選組物語』にある吉村貫一郎の最期が子母澤寛の創作であるとすれば、浅田次郎は"二重加工"していることになるのではないかと...。

 浅田次郎氏は「新選組三部作」に創作が含まれていることを知ってかえって自由な気持ちになったと述べていますが、それはそれでいいとして、むしろ、『壬生義士伝』において浅田氏が「新選組三部作」から得た最大の着想は、この「聞き書き」というスタイルだったのではないかと、両著を読み比べて思った次第です。

 【1969年文庫化[角川文庫]/1977年再文庫化[中公文庫]/2013年再文庫化[新人物文庫]】

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"その後のロミオとジュリエット"。夫婦の関係についての表現と描かれている実態に謎の落差。

『門』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg 門.jpg  夏目漱石全集〈6〉 (ちくま文庫).jpg  ことのはブック「門」.jpg
門 (新潮文庫)』(カバー:安野光雅)/『夏目漱石全集〈6〉 (ちくま文庫)』(「門」「彼岸花」所収)/アイ文庫オーディオブック「門」

 1910(明治43)年、夏目漱石(1967‐1916)が43歳のときに発表された長編小説。個人的には、前期3部作のうちの読み残していた作品で、今回が初読でしたが、『三四郎』とはもちろんのこと『それから』と比べても暗いし、何よりも地味〜っという感じでした。

門 漱石  .jpg 親友の安井の妻と駆け落ちし結ばれた宗助とその相方・御米との、世間との関わりを極力断ったかのような夫婦生活の日常を淡々と描いています。言わば「ロミオとジュリエット」みたいな出来事があって、その出来事そのものは描かず、その後の2人の地味な市井生活を書いているといった感じでしょうか。

 ロミオとジュリエットのように死んでしまったわけではなく、2人は生きているわけで、しかもその結ばれ方が略奪婚であったために、宗助は親族はもちろん学校、社会からも制裁を受けて神経衰弱に陥り、無気力体質になってしまって、勤め先の役所と平屋の自宅を往復するだけの、誰とも遭遇しない無為な毎日を送る人間になってしまっています。
夏目漱石 『門』春陽堂 1911(明治44)年1月刊

 この小説には、そうした宗助夫婦を形容する表現と、そこに描かれている実態に矛盾というか、謎のような落差がある気がしました。
 確かに2人は和合した夫婦であるに違いなく、2人の関係は「一つの有機体」のようであり、「二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合って出来上がっていた」と表現されています。
 しかし一方で、宗助は旧友・安井の再登場に一人煩悶し、心の平安を求め妻に内緒で禅寺へ行ったりする、片や御米も、安井の弟のわが家への居候を快く思っていないようだが夫には打ち明けず、また自分に子供が出来ないことに対して個人的な原罪意識を抱いている―。

 谷崎潤一郎や江藤淳は「理想的な夫婦像」としてこの作品を読んだらしいですが、この作品に描かれている"その後のロミオとジュリエット"は、融和し得ない個々の世界を、それぞれに少しずつ膨らませつつあるように感じます。
 何でも互いに話せれば"理想の夫婦"である、ということにもならないでしょうが、やはり2人の関係の微妙な変化を描いているのは事実で、そうなると「一つの有機体」と断定的に表現されているその意味は、自分が当初抱いたイメージよりもっと広く捉えられるべきものなのでしょうか。自分自身が抱いている「理想的な夫婦像」のイメージがあまりに狭すぎるのかもしれませんが、個人的には消化不良気味の作品でした。おそらく、自分の読み方が谷崎潤一郎や江藤淳ほど深くないのだろうなあ。

門 新旧3.jpg 【1948年文庫化・1978改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫]/2011年再文庫化[文春文庫(『それから 門』)]】

新潮文庫『門』(新旧カバー)表紙絵:安藤光雅

《読書MEMO》
●「門」...1910(明治43)年発表

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前期3部作の1つと言うより『猫』『坊ちゃん』に続く作品。青春小説として読めて楽しい。

『三四郎』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg三四郎 春陽堂.jpg  夏目漱石 「三四郎」角川.jpg 夏目漱石全集〈5〉 (ちくま文庫).jpg 第02回 「三四郎」.jpg
春陽堂(1909年5月)/角川文庫(カバー:わたせせいぞう)/『夏目漱石全集〈5〉 (ちくま文庫)』(「三四郎」「それから」所収)/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:大沢健/井出薫/北島道太
三四郎 (新潮文庫)』(カバー:安野光雅

 1908(明治41)年9月から12月にかけて新聞連載された夏目漱石(1967‐1916)の本作品は、漱石の『吾輩は猫である』('05年)、『坊ちゃん』('06年)などに続く初期代表作で、地方の高校を卒業し東京の大学で学ぶために上京してきた小川三四郎が、都会で学友や先輩、若い女性たちと接触して、日露戦争を経た日本の「新しい空気」に触れ、戸惑いながらも成長していく様が描かれています。

 三四郎が、自分が繋がっている世界を、母がいる熊本の古いが安らぎのある「田舎の世界」、世俗と意識的に交渉を絶って生きる野々宮(寺田寅彦がモデル)や広田先生がいる「学問の世界」、上流階級に属する美禰子(平塚雷鳥がモデル)らがいる「華やかな世界」の3つの世界に整理区分しているのがわかり、三四郎は最後の「華やかな世界」にどうしても憧れてしまう...。

 トリックスターのように動き回る学友の与次郎に対し、三四郎は常に受動的で内省的あり(ある意味、知識人(予備軍)の一典型とも言える)、結局、美禰子に翻弄され続けるのですが、果たして、先進的な女性と思われる美禰子が三四郎より自由な世界にいたのかというと、そうでもないという気にさせられます。

 また、三四郎が「学問の世界(学ぶ世界)」を大学(東大ですが)の授業ではなく、学外に見出すのも現代に通じるとことがあるかと思われ、学生の尊敬を集めながらも教授職に就かず「偉大なる暗闇」と呼ばれている広田先生に傾倒するのもわかる気がします。
 「学問の世界」グループの男性は皆独身で、三四郎を除いては美禰子のことをあまり好きでないらしく、警戒気味なのも面白い。

 漱石の女性に対する観察眼の鋭さには驚かされますが、美禰子における「無意識の偽善」というのが以降の作品でもテーマになっており、ではこの作品の主人公は美禰子なのかと言うと、それでは今ひとつしっくりしない気が...。

 この作品は漱石の前期3部作の最初の作品とされていますが、『猫』、『坊ちゃん』に続くものという色合いも感じられ(田舎に行った坊ちゃんと、上京した三四郎とで、方向的には逆ですが)、個人的には、三四郎を主人公にした青春小説として読みました。
 23歳と今の新入学生よりは年齢は若干上ですが、そうした青春小説としての読み方が出来る分、楽しいです。

 当時の東大生は現在の東大生に比べると、エリートとしての"希少価値"は比較にならないぐらい高かったようで(by 石原千秋)、こんなこと言うと当の三四郎に失礼になるかも知れませんが、高橋留美子の『めぞん一刻』を思い出した...(『めぞん一刻』の主人公・五代裕作は三流大学の学生)。

『三四郎』sinnkyuu.jpg 【1948年文庫化・1986改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1986年再文庫化[ちくま文庫]/1991年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[ポプラ社文庫]】

新潮文庫(カバー:安野光雅)新・旧

《読書MEMO》
●「三四郎」...1908(明治41)年9月発表

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「文鳥」の描写力、幻想的な「夢十夜」、臨死体験?「思い出す事など」。

『文鳥・夢十夜』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg文鳥・夢十夜・永日小品.jpg   夢十夜.jpg   第15回 「夢十夜」.jpg
文鳥・夢十夜』新潮文庫〔旧版/改版版(下)〕/『文鳥・夢十夜・永日小品 (角川文庫クラシックス)』 ['91年]/アイ文庫オーディオブック/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:真島啓/宝生舞/後藤久美/「文鳥」挿画:市川禎男(下)
文鳥・夢十夜 (新潮文庫).jpg文鳥 挿画.jpg 新潮文庫版は、「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」の7編を収録。

 1908(明治41)年6月13日から6月21日まで大阪朝日新聞に9回にわたって毎日連載された「文鳥」はエッセイ風の掌編であり、淡々と描かれる文鳥の描写において(文豪が小鳥と向き合っている図も微笑ましいが)、その細やかな筆致に、観察眼の鋭さで定評がある漱石の「女性描写」の上手さと同種のものを感じました。と思ったら、やっぱり途中で文鳥が女性のメタファーのようになったりして...。この作品の結末には、漱石のやるせなさや孤独感が滲み出ていると思いました。

夏目 漱石 『四編』  春陽堂.jpg 同じ1908年(明治41)年の7月25日から8月5日まで朝日新聞で連載された幻想的な夢記述群「夢十夜」は、「第三夜」の盲目の子を負ぶっていたらと...いう夢が伊藤整の解釈ぐらいでしか知られていなかったのが、近年特に注目の作品となり映像化もされていたりもします。フロイト流に解釈すると、ほぼ全部の夢が「精力減退の不安」に繋がるそうですが、作者が生きていればこれには反論があるのではないでしょうか。

『四篇』明治43年〔1913年〕5月15日発行(文鳥・夢十夜・永日小品・満韓ところどころを収載)

 個人的には、「第一夜」の死んだ女の転生を墓の前で百年待つ話が好きで、これが「時間の圧縮」であれば、「第七夜」の船から海に落ちる話は「時間の拡大」で、「第三夜」はタイムパラドックスか(ビアスの短編集を思い出しました)。「第六夜」の運慶の話を教科書で読んだ記憶がありますが、いまだに結末の意味がわからない(フロイト流に解釈すると、これも「精力減退不安」になるらしいけれど)。

 同録の「永日小品」は漱石の日常が窺えるエッセイと小説の中間的作品群で、「思い出す事など」は連続した1つのエッセイですが、後者は1910(明治43)年8月24日の修善寺「菊屋旅館」での大喀血(所謂「修善寺の大患」)後のもので、修善寺での体験が描かれていて、雰囲気は「死」を意識してやや重くなっています。

 「菊屋旅館」に宿泊したことがありますが、古色蒼然とした、いかにも〈文豪の宿〉という雰囲気で、廊下などは薄暗菊屋旅館.jpg湯回廊 菊屋.pngくて夜は幽霊が出そうな感じでした。しかし、老朽化が進んだためその後全面改装され、「漱石の間」は修善寺の「夏目漱石記念館」に移設されてしまいました(旅館の方は今年['06年]7月、「湯回廊 菊屋」としてリニューアルオープン。廊下なども明るくなったようだ)。
「修善寺の大患」の「菊屋旅館」/'06年7月にリニューアルオープンした「湯回廊 菊屋」

 「思い出す事など」では、吐血時の臨死状態?での「記憶脱落」や、その後の「幽体離脱」体験が書かれていて、ドストエフスキーの極限体験を考察したりしつつも自分の体験と峻別し、むしろプラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェームズの書物に共感する様が見て取れ興味深かったです。

 【1956年文庫化[角川文庫(『文鳥・夢十夜・永日小品』)]・1991年改版[角川文庫クラシックス]/1976年文庫化・2002年改版[新潮文庫]/1986年再文庫化[岩波文庫(『夢十夜 他二篇』)/1992年再文庫化[集英社文庫(『夢十夜・草枕』)]】

《読書MEMO》
●「文鳥」...1908(明治41)年6月発表★★★★
●「夢十夜」...1908(明治41)年7月発表★★★★
●「永日小品」...1909(明治42)年1月発表★★★
●「思い出す事など」...1910(明治43)年10月発表★★★★
その他「ケーベル先生」「変な音」「手紙」収録
(「文鳥」以下、すべて朝日新聞掲載)

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前半部分は「アンチノベル」、後半部分は「教養小説」。

坑夫 (新潮文庫) 文庫.jpg『坑夫』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg 夏目 漱石 『坑夫』 角川文庫.jpg
坑夫 (1954年) (角川文庫)
坑夫』新潮文庫〔2004年改版版/旧版〕

 自殺を思い立った19歳の若者が出奔し、ポン引きに誘われ坑夫になるために銅山へ行き、そこで今までの書生のような生活とは雲泥の差の"地獄的"体験をする話ですが、結局彼は「坑夫」にもなり切れず、また自殺することをも踏みとどまる―。

夏目 漱石 『坑夫』連載.jpg 1908(明治41)年1月から4月にかけて大阪朝日新聞に連載(全96回)された夏目漱石(1967‐1916)の『坑夫』は、前年、朝日新聞社に専属作家として入社して最初に書いた『虞美人草』に続く連載作品で、次の連載執筆予定者だった島崎藤村の"遅筆"のためのピンチヒッター的登場だったようです。野田九甫がを担当した連載の挿絵は、漱石が切抜きを貼って喜ぶほどの出来栄えでしたが、社内の「あまりに高級だ」という非難に屈して連載半ばで挿絵を中断させられ、春仙が描く題字飾りのみに切り替えられるという仕打ちにあっています。

夏目漱石 草合 初版 明治41年 春陽堂 『坑夫』・『野分』2.jpg 漱石のところへ自分の経験を小説にして欲しいと持ち込んだ青年がいて、その体験談を本人の許諾を得て、急遽書かなければならなくなった連載小説の素材にしたようですが、主人公が出奔した理由は漱石風にアレンジされているようで、「坑夫(堀子)」の生活などの実態部分を主に青年の話から抽出したようです。

 若者が分別をわきまえた中年になって自らの体験を振り返るかたちをとっていますが、前半部分の銅山(足尾)に向かうまでの記述は、リアリティをもって若者の意識の流れを追っていて、逆に小説的な構想や作為をことさら排しているように思えました(読み物としてはやや退屈だった)。

夏目漱石『草合』初版 明治41年 春陽堂 (「坑夫」・「野分」)

 鉱山に着いてからの後半部分も基本スタンスは変わらないものの、極限的な坑夫の生活を若者の眼から描く筆致が良く(読み物としても面白い)、"哲人"乃至は"メンター"のようにも思える先輩坑夫「安さん」の登場で、若者の成長を描いた「教養小説」のような趣を呈しています(しかし、最後に語り手の口を借りて、これは事実を書いたもので小説ではないというようなことを念押し?している)。

 漱石の作品の中でも異色のモチーフのものだと思いますが、前半部分は従来の「小説」の通念を超えようした「アンチノベル」で、後半部分は、朝日新聞の読者に向けた「教養小説」になっているという感じがし、個人的に面白かったのは後半部分ですが、漱石が本当にやりたかったのは前半部分の"実験的"試みではなかったかという気がしました。

 【1954年文庫化・1969年改版[角川文庫]/1976年再文庫化[新潮文庫]/1978年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫(『夏目漱石全集〈4〉』)]/2014年再文庫化[岩波文庫]】

《読書MEMO》
●「坑夫」...1908(明治41)年1月発表

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擬古文が平安の物語に調和し、まさに達人の領域。

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」(毎日新聞社)昭和25年8月5日発行.jpg少将滋幹の母.jpg  少将滋幹の母2.jpg
少将滋幹の母 (新潮文庫)』〔'53年〕 『少将滋幹の母 (中公文庫)』〔'06年〕
『少将滋幹の母』(毎日新聞社) '50(昭和25)年8月5日発行

 1949(昭和24)年11月から翌1950(昭和25)年2月までにかけて「毎日新聞」に連載された谷崎潤一郎(1886‐1965)の63歳の作で(単行本は1950(昭和25)年8月に毎日新聞社より刊行)、「今昔物語」など平安朝の古典に材を得た円熟味のある作品です。

 文庫で150ページ程度とそれほど長くない中に、関連する3つから4つの話が入っているという構成。
 最初が、80歳の大納言が美人の若妻を、プレイボーイである甥の左大臣に奪われる話。
 そして、その後も妻を思う気持ちが絶ち難い老人が極めつけの修行をする話と、自身も若妻に気があったのに左大臣の手引きをした形となった平中(へいじゅう)という名うての色男が、若妻を諦め、その侍従をストーカーのごとく追う話が中盤に入り(後の方の話は、芥川龍之介も小説にしている(『好色』))、最後に若妻の子どもが40年後に母親に再会しようとする、言わば「母子物」の話が来て、この若妻の子(今は中年)が表題の「滋幹(しげもと)」であるということです。

 大納言が若妻を左大臣に奪われたという話は、左大臣の策略に嵌まり酒席で勢いに駆られて自分の妻を甥にくれてやったという感じで、これだけの話だとこの老人はなんら同情に値しない気がしますが、この一見愚かな行動を、翌日に老人自身が振り返えるかたちで展開される、谷崎による老人の心理分析が、妻を奪われることが老人の潜在願望であったというなかなか穿ったもの。
 それでも老人は恋慕と絶望に苦しみ、色欲から解脱するために"修行"に励みますが、悟りきれないところも谷崎の人生観を表象しているなあと。

 擬古文の文調が平安の物語に絶妙に調和していて、まさに達人の領域にあり、読み心地もいいです。
 何れの話も原典が示されていますが、その中に1つだけ、実在しないもの(つまり「鵙屋春琴伝」のような谷崎の創作)があるのも味な趣向だと思いました。

【1953年文庫化[新潮文庫]/2006年再文庫化[中公文庫]】

谷崎 潤一郎 『少将滋幹の母』ドラマタイアップカバー.jpg中公文庫/NHK時代劇スペシャル「母恋ひの記」(黒木瞳・劇団ひとり主演)タイアップ帯(2008) 

《読書MEMO》
●「少将滋幹の母」...1949(昭和24)年発表

  

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大阪の町人文化を背景に、"江戸"情緒を醸す擬古文とノンフィクション作家のような視点。

谷崎潤一郎「春琴抄(黒漆表紙)」初版.jpg春琴抄.jpg   春琴抄 創元社 初版.jpg 谷崎潤一郎「春琴抄」角川文庫.jpg
春琴抄』 新潮文庫/ 創元社 『新版春琴抄』初版 ['34(昭和9)年]/角川文庫 映画タイアップカバー(山口百恵/三浦友和)
『春琴抄』初版 ['33(昭和8)年12月](黒漆表紙)

 1933(昭和8)年発表の谷崎潤一郎(1886‐1965)47歳のときの作で、盲目の三味線師匠春琴と、彼女に仕え後に彼女に師事することになる佐助との、ある種異形の愛を描いたこの作品は、5回も映画化されていることから見ても、谷崎の代表作と言えます(「鍵」「痴人の愛」は、国内に限れば映画化回数は4回)。

 お嬢さん気質の驕慢勝気ぶりで弟子たちに過剰な鞭撻を施す春琴と、完全に受身的にそれに服従する佐助の関係はSMチックな官能を匂わせ、それでいて佐助が自ら盲目の世界へ踏み入ったときに春琴が初めて彼に対して本当に心を開くという完結した純愛物語にもなっています。

 しかし佐助の行為を、官能と美意識の融合ために実態よりもイメージを選んだというふうにとれば、春琴に対する思いやり以上に自分自身の美意識が動機なのではないか、利他的行動というよりもむしろ利己的行為なのではないかという見方も成り立つかも。

 春琴は言わば天才型の三味線奏者ですが、佐助も後にその道で「検校」と敬称される奏者となるわけで、天才型と努力型の違いはありますが、ともに芸術家であるということを念頭に置いて読むべきではないかと思いました。

 関西に移住して10年目の谷崎は、関東大震災後の復興著しい東京よりは大阪の町人文化(の名残り)の方を偏愛し、物語自体の時代背景は明治初期であるにも関わらず、最初から舞台を大阪に設定していたのではないかと思いました。

 読点、改行の無い独特の「擬古文」が醸す"江戸"情緒に酔えますが、一方、語り手の視座は「鵙屋春琴伝」を読み解き、生き残り証人に取材するノンフィクション作家のように設定されていることにも注目すべきでしょう。春琴はこう思った、佐助はこう感じた、などという書き方はどこにもしていないし、春琴の顔を傷つけた犯人も類推されているだけで、断定はされていません。そうした表現方法が読者の想像力を一層かきたて、物語にも深みを増していますが、「鵙屋春琴伝」そのものが谷崎の創作ですから、ホント、「ニクイなあ、谷崎」という感じです。

 この作品は、戦前を含め5回映画化されており、三島由紀夫の「潮騒」の5回と並んで、川端康成の「伊豆の踊子」の6回に次ぐ多さとなっています(2008年に6回目の映画化がされた)

・1935年『春琴抄 お琴と佐助』(制作:松竹蒲田、監督:島津保次郎)春琴:田中絹代/佐助:高田浩吉
・1954年『春琴物語』(制作:大映、監督:伊藤大輔)春琴:京マチ子/佐助:花柳喜章
・1961年『お琴と佐助』(制作:大映、監督:衣笠貞之助)春琴:山本富士子/佐助:本郷功次郎
・1972年『讃歌』(制作:近代映画協会・ATG、監督:新藤兼人)春琴:渡辺督子/佐助:河原崎次郎
・1976年『春琴抄』(配給:東宝、監督:西河克己)春琴:山口百恵/佐助:三浦友和
春琴抄_3.jpg・2008年『春琴抄』(配給:ビデオプランニング 監督:金田敬)春琴:長澤奈央/佐助:斎藤工


 【1951年文庫化[新潮文庫]/1979年再文庫化[旺文社文庫(『刺青・春琴抄』)]/1984年再文庫化[角川文庫(『春琴抄・蘆刈』)]/1986年再文庫化[中公文庫(『春琴抄・吉野葛』)]/1986年再文庫化[岩波文庫(『春琴抄・盲目物語』)]/1991年再文庫化[筑摩文庫(『谷崎潤一郎 (ちくま日本文学全集) 』)]/2016年再文庫化[角川文庫]/2021年再文庫化[文春文庫(『刺青 痴人の愛 麒麟 春琴抄―現代日本文学館』)]】

《読書MEMO》
●「春琴抄」...1933(昭和8)年発表

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契約解除としての離婚と古き良き江戸情緒?小出楢重の挿絵で触れる谷崎のモダン感覚。

蓼喰ふ蟲.jpg蓼喰う虫.gif  小出楢重.jpg 小出 楢重(1887-1931)
蓼喰う虫 (岩波文庫 緑 55-1)
1929(昭和4)年11月刊行 改造社版

蓼喰う虫 (岩波文庫 緑 55-1) .jpg 1928(昭和3)年発表の谷崎潤一郎(1886‐1965)の長編小説(単行本刊行は翌年)で、妻に愛人がいて自身も娼館に通っているという既に破綻した夫婦関係にある男が、なるだけ妻子を傷つけないように離婚するにはどうしたらよいかを考えているというのがモチーフになっています。

 主人公の男が離婚を「契約解除」的に考えようとしているところが、谷崎の実生活と重なる点でもあり、モダンと言えばモダン。しかし一方で、義父(妻の父)の浄瑠璃の趣味に付き合って、人形浄瑠璃を見に淡路島くんだりまで妾帯同の義父にわざわざ付き添うなど、優柔不断と言えば優柔不断。これらの話に統合性が無いような感じもあり、スラスラと書いてはいるけれど内容的には通俗小説の域を出ないのではないかという気もしました。

 関東大震災後に関西に移住した谷崎が、変化の激しい東京よりも関西に古典的情緒の名残を見出したことは知られていますが、夫婦の危機と併せてそれを描くことで、伊藤整なども指摘しているように「主題の分裂」を感じます。

小出楢重と谷崎潤一郎_.jpg 敢えてとりあげたのは、岩波文庫版に新聞連載(83回)時に近いかたちでの小出楢重の挿蓼喰う虫2.jpg絵全83葉が収録されているためで、おかげで人形浄瑠璃の桝席の様子や「封建の世から抜け出してきたようだ」という妾・お久の様子などがわかりやすいのですが、その他生活や風俗などで当時の「モダン」なものも多く描いていて興味深いからです。

「蓼喰う虫」 岩波文庫版 挿絵(小出楢重)


小出楢重と谷崎潤一郎 小説「蓼喰ふ虫」の真相
神戸オリエンタル・ホテル (1910年代/現在)
神戸オリエンタル・ホテル.jpg神戸オリエンタル・ホテル 現.jpg 主人公が"西洋"娼館に行く前に神戸オリエンタル・ホテルで食事したり(そう言えば、『細雪』の主人公一家も特別な時にはこのホテルを使っている設定になっていた)、従弟がマドロスだったり、飼い犬がグレイハウンドだったりと、ハイカラな雰囲気に満ちた小説ですが、その背景が視覚的に堪能できるのがいい。

 主人公が自宅の洋風バスにゆったり浸かっている絵などを見ると、『鍵』('56年)や『瘋癲老人日記』('61年)とあまり時代背景が変らない錯覚に陥りますが、この小説の連載は'28(昭和3)年から翌年にかけてで、それら作品より30年ぐらい前に発表されたものであることに驚かされ、作者のモダンな感覚に改めて触れた思いがします。

 【1932年文庫化[春陽堂文庫]/1939年再文庫化・1951年改版[新潮文庫]/1946年再文庫化[鎌倉文庫]/1948年再文庫化・1970年・1985年改版[岩波文庫]/1952年再文庫化[角川文庫]】

《読書MEMO》
●「蓼喰う虫」...1928(昭和3)年発表

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谷崎自身の願望の虚構化? 平易な文体だが、完成度、高いと言えるのでは。

痴れ人の愛 1925(大正14)年改造社.jpg痴人の愛.jpg 痴人の愛2.jpg   痴人の愛 谷崎潤一郎.jpg 痴人の愛 (中公文庫) _.jpg
痴人の愛 (新潮文庫)』〔新版/旧版〕『痴人の愛 (中公文庫)』(復刻版 1998)『痴人の愛 (中公文庫)』(2006)

痴人の愛』(改造社 1925年7月)

痴人の愛 田中良.jpg 1925(大正14)年刊行の谷崎潤一郎(1886‐1965)の長編耽美小説で(初出:「大阪朝日新聞」1924年3月20日~6月14日)、「一人の少女を友達にして、朝夕彼女の発育のさまを眺めながら(中略)、云わば遊びのような気分で、一軒の家に住む」という主人公の意図は、今で言う「育成ゲーム」を地でいく感じ。しかし、当時15歳のこの少女ナオミが実はとんでもないタマで、彼女を「立派な婦人に仕立ててやろう」という気でいた主人公は、成熟とともに増す彼女の妖婦ぶりに引き摺られ、ずるずると破滅への道を辿る―。

「大阪朝日新聞」連載時挿画(田中 良)

痴人の愛 田中良3.jpg 前半部分は前年に大阪朝日新聞連載されていますが(中公文庫版は新聞連載時の田中良による挿画を一部掲載)、検閲当局からに再三の注意が新聞社にあって、新聞社がこれに従ったため6月14日付の第87回をもって掲載中止となり、続きは4ヵ月後に雑誌「女性」で連載されました。今ならさしずめ渡辺淳一を日経で読むみたいなものでしょうが、当時としてはやはり風紀紊乱の恐れあり、ということにされてしまったのでしょう。また、後の文芸評論家たちは、通俗小説風でありながらも、このナオミに対する主人公の崇拝ぶりには、当時の日本人の西洋文化に対する崇拝が重なられているとも言っています(この作品もまた文明批評なのか?)。

痴人の愛 田中良2.jpg 最初に読んだときは、主人公の隷属ぶりがある種「悲喜劇」的であるように思えましたが、読み手に「こんな女性にかまけたら大変なことになる」という防衛機制的な思いを働かせるような要素があるかもしれません。だから、西洋文明云々言う前に、この小説の主人公を反面教師にし、実人生での教訓的なものを抽出する読者がいても不思議ではないのではないかと。でも、主人公がナオミに馬になってと言われて四つん這いになる場面で改めて思ったのですが、隷属することは同時に主人公の願望でもあったのでしょう。そうした願望は谷崎自身の内にもあって、それを第三者の告白体にすることで巧みに虚構化しているような感じもしました。平易な文体、単純な構成ですが、この作品の場合、かえってそのことで完成度は高いものとなっているように思います。

痴人の愛  .jpg 『現代漫画大観2 文芸名作漫画』(昭和3年発行)より「痴人の愛」

 因みに、この作品は、木村恵吾監督により2度映画化され、最初の「痴人の愛」('49年/大映)では京マチ子がナオミを演じ、2度目の「痴人の愛」('60年/大映)では叶順子がナオミを演じています。更に、増村保造監督によって映画化さ痴人の愛 京マチ子.jpg痴人の愛 叶順子.jpgれた「痴人の愛」('67年/大映)では安田道代(後の大楠道代)がナオミを演じました。この他にも、高林陽一監督の「谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ」('80年/東映)のように現代版のピンク映画に翻案されたものが幾つかあります。
「痴人の愛」('49年)京マチ子、宇野重吉/「痴人の愛」('60年)叶順子、船越英二

木村恵吾監督「痴人の愛」('49年/大映)京マチ子(ナオミ)・宇野重吉(河合譲治)
木村恵吾監督「痴人の愛」('60年/大映)叶順子(ナオミ)・船越英二(河合譲治)
増村保造監督「痴人の愛」('67年/大映)安田道代(ナオミ)・小沢昭一(河合譲治)
痴人の愛...京マチ子e.jpg 痴人の愛 叶順子(ナオミ)・船越英二.jpg 痴人の愛 増村保造。安田道代.jpg
「痴人の愛」 (1949/10 大映) ★★★☆

【1947年文庫化・1985年・2003年改版[新潮文庫]/1952年再文庫化[角川文庫]/1985年再文庫化・2006年改版[中公文庫]/2016年再文庫化[宝島社文庫]/2016年再文庫化[角川文庫(アニメ「文豪ストレイドッグス」カバー版)]/2016年再文庫化[海王社文庫]】

《読書MEMO》
●「痴人の愛」...1924(大正13)年発表、1925(大正14)年完結

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「青春小説」であり、純粋さゆえに滅び行く男の痛切な叫びでもある。
人間失格2.gif人間失格.jpg 人間失格3.jpg  太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)斜陽・人間失格.jpg  起雲閣.jpg 熱海・起雲閣  
人間失格 (1948年)』 (筑摩書房刊)『人間失格 (新潮文庫)』 〔旧版/新装版〕 『太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)
新潮文庫2018年・2019年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018dazai.jpg新潮文庫2019年プレミアムカバー太宰.jpg 1948(昭和23)年の3月から5月にかけて書かれた太宰治(1909‐1948)39歳、最晩年の作品。20代後半の廃人同様の画家が、自分の子ども時代から20歳前後までを振り返る「手記」形式になっていますが、その生い立ちや自殺未遂、女性問題や心中事件、思想事件などに触れた内容は、太宰の体験に即したものであることが容易に推察され、かなり暗く屈折した作者自身の自画像ともとれます。但し、かなり強くデフォルメされている部分もあるようで、例えば、弟子として太宰の身近にいた小山清氏によると、太宰自身はこの作品の主人公の画家のように"男めかけ"のような生活を自分自身がすることは許せないという、そうした点では潔癖なタイプだったらしいです。

熱海・起雲閣.bmp この作品の「第二の手記」までが書かれた熱海の「起雲閣」を訪れてみましたが、大正ロマンの香り高い洋風建築で、広大な庭が気持ちよく、こんな環境抜群の処で「自分は生まれた時からの日陰者」とか書いていたのだなあと。〈生きる気力を失った人間の苦悩と虚無―悲劇的人間像〉をしっかりと「造型」するための環境づくりをした上で、執筆にとりかかったような気がします(当時の彼の体調は最悪だったようで、まず体調と気力の立直しを図ったのかも)。

 鋭い感受性ゆえに人の哀しさや偽善、世間の虚構が見えてしまい、そうした人間観察の結果に感応する自意識をさらに対象化している―その際に自らがもつ恥ずべきイヤらしさまでも晒した(ただし「造型」的要素は大いに入る)、その見せ方においてのみ自負心を発揮しているようにも思え、この人はそれだけ自己愛的だったと言えるのかも。

 文芸評論家の多くは、戦前の太宰作品に比べ晩年のものは完成度で落ちると言っていますが、確かにこれが小説と言えるのか?とも思えるこの作品は、作者の死を経て時代を超えた「青春小説」となり、新潮文庫では最多刷数を数えるに至っているわけです。学生時代にあらゆる堕落を経験する男の話でもあり、人が「世間」(=人)と触れたときに感じる疎外感を如実に示してみせた事例でもあり、純粋さゆえに滅び行く男の痛切な叫びでもある―という感じでしょうか。

人間失格 集英社文庫.jpg人間失格 新カバー.jpg【1952年文庫化・1985年・2006年改版[新潮文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]/1973年再文庫化[旺文社文庫]/1987年再文庫化・1989年改編・2007年改版[角川文庫(『人間失格・桜桃』)]/1988年再文庫化[岩波文庫(『人間失格、グッド・バイ 他一篇 』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈9〉』)]/1990年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[小学館文庫(『人間失格 桜桃 グッド・バイ』)]/2000年再文庫化[文春文庫(『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】
集英社文庫 (旧カバー/新カバー(イラスト:小畑 健))

2083block_pic.jpg熱海・起雲閣
熱海・起雲閣E5.jpg
《読書MEMO》
●「人間失格」...1948(昭和23)年発表

●新潮文庫2018年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018.png
  

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単なる自虐小説ではなく、一縷の光明が見られる作品だと思う。

『斜陽』.JPG『斜陽』 新潮文庫.jpg 太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)斜陽・人間失格.jpg 安田屋旅館2.jpg
斜陽』新潮文庫 『太宰治全集〈9〉 (ちくま文庫)』伊豆三津・安田屋旅館

 1947(昭和22)年発表の太宰治(1909‐1948)の晩年の代表作で、主人公のかず子、お母さま、弟の直治、流行作家の上原の4人が主な登場人物ですが、太宰自身の生育歴や思想歴から見て、それぞれが作者・太宰治の一面を反映しているかと思います。
第12回 「斜陽」.jpg とは言え、穿った解釈を挟まずにごく普通に読めば、自身を戯画化した作品ばかり書くようになってしまった「上原」という作家が太宰を直接的に想起させる存在であり(「自身を戯画化した作品ばかり書く作家」を描きことで"自身を戯画化している"という意図的な二重構造ととれる)、かず子の手紙の中での呼ばれ方〈M・C〉が、「マイ・チェホフ」、「マイ・チャイルド」「マイ・コメディアン」と変遷していくところなどは、巧みさと屈折した自虐的ユーモアも感じます。

「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:緒川たまき/小木茂光/大川栄子/他

太宰 治 『斜陽』.jpg 太宰作品は暗いというイメージがありますが、実際には(こうして屈折してはいるものの)ユーモアを滲ませたものが多くあり、また芥川のようなペダンティックな匂いが無く、同時代の作家と比べても読みやすい、その上に人間疎外という普遍的なテーマを扱っているため、かなりこの先も読まれ続けるような気がします。

 特に「斜陽」は、実在の女性の日記を参照しているとは言え、独自の流麗な文体で"たおやめぶり"を描き、また、主要登場人物のうち3人が、肉体的・精神的・世俗的に滅びていくのに対し("退廃の美学"を描いている点では晩年の他の作品に通じる)、主人公のかず子は世間知らずのお嬢さんでありながら、チェホフの小説の中の強いタイプのヒロインと重なるような前向きな姿勢で、人間的にも成長している点で、単なる自虐小説ではなく、一縷の光明が見られる作品となっていると思います。

『斜陽』(1947年12月/新潮社)

伊豆三津の「安田屋旅館」.bmp伊豆三津・安田屋旅館1.jpg この小説の前半部分は、伊豆三津の「安田屋旅館」で書かれましたが、その旅館に泊まった際に、今も客室として使われている太宰が使った2階の部屋を、掃除の時間の後で見せてもらいました。伊豆三津・安田屋旅館2.png海に面し、壁2面が全面ガラス戸で採光に恵まれた、それでいてゆったりと落ち着く部屋で、「斜陽」の前半部に漂う"気品"や主人公のオプティミスティックな "姿勢"も、こうした執筆環境と関係あるのかなとも思いました。

斜陽.jpg 【1950年文庫化・1990年・2003年改版[新潮文庫]/1950年再文庫化・1979年・1988年改版[角川文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]/1977年再文庫化[旺文社文庫]/1988年再文庫化[岩波文庫(『斜陽 他一篇 』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈9〉』)]/1999年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[文春文庫(『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】
    
《読書MEMO》
●「斜陽」...1947(昭和22)年発表

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意外とユーモラスに自己対象化、虚構化している「ヴィヨンの妻」「親友交歓」。

ヴィヨンの妻 新潮文庫.jpg viyon.jpg 『ヴィヨンの妻』 新潮文庫

ヴィヨンの妻 初版.jpg 1946(昭和21)年に青森の疎開先から東京・三鷹に戻った太宰治(1909‐1948)が、その自死までの間に発表した短篇作品の中から、「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「ヴィヨンの妻」「おさん」「家屋の幸福」「桜桃」の8編を所収。
『ヴィヨンの妻』初版本(筑摩書房)昭和22年8月5日

 表題作「ヴィヨンの妻」(放浪の詩人バイロンに引っ掛けたタイトル)の、家庭に寄り付かず、女連れで飲み歩いてばかりいる〈詩人〉の描き方は、この作品の直後に書かれた「斜陽」の作中の〈作家〉の描き方と、作者(太宰)と作中人物との関係において似ている感じがしました。

 詩人の妻がこの女性が作品の語り手になっていて、「斜陽」も女性が語り手の作品ですが、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」というこの妻の"逞しさ"―、女性に希望を託し、男に絶望を反映させている面でも「斜陽」に通じるところがあるなあと思いました。
 また、この妻の言葉は、太宰が常に女性の自分に対する精神的な赦しのようなものにすがっていたことの表れともとれます。

 「親友交歓」は、主人公の〈作家〉が、疎開先で、まったく付き合いがあった覚えの無い地元の"親友"の来訪を受け、さんざんたかられて最後に捨てゼリフまで吐かれる話ですが、「軽薄なる社交家」を演じる〈作家〉の描き方にもまた、太宰独特の自己対象化を見てとれ、「私ってこんな目に遭っているんですよ」みたいなことを読者に哀訴しているような感じもします。

 太宰を読む前までは、彼の作品は暗いというイメージがありましたが、この短篇集を読んで、「なんだ、面白いじゃないか」と思った記憶があります。
 文庫裏表紙の紹介では、「いずれも死の予感に彩られた作品」とあり、改めて読むと確かに厭世感や虚無感は感じられるものの、ユーモラスに自己対象化、虚構化していて、特にこの2作はユーモアが効いていると思いました(「親友交歓」は哲学者の木田元が編集した『太宰治 滑稽小説集』('03年/みすず書房)にも収められている)。

 「読者への語りかけ感」もこの作家独特ですが、ほとんど随筆みたいな小品「家屋の幸福」の最後の「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」という言い方にも、何かまだ余裕を感じる―この作品は太宰の死後発表されており、「桜桃」と並んで絶筆短篇のはずだが...。

 【1950年文庫化・1985年改版[新潮文庫]/1957年再文庫化・1987年改版[岩波文庫(『ヴィヨンの妻・桜桃・他八篇』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈8〉』)]/2009再文庫化版[文春文庫(『ヴィヨンの妻・人間失格ほか』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】

《読書MEMO》
●「親友交歓」...1946(昭和21)年発表
●「ヴィヨンの妻」...1947(昭和22)年発表
●「家庭の幸福」...1948(昭和23)年発表

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27歳で最初に世に出した作品集につけたタイトルが「晩年」。

太宰 治 『晩年』 新潮文庫.jpg bann.jpg 『晩年』 新潮文庫  Dazai_Osamu.jpg 太宰 治 (1909‐1948/享年38)

『晩年』(昭和11年 砂子屋書房).jpg1936(昭和11)年刊行の太宰治(1909‐1948)の最初の創作集で、15編の中・短篇から成るものですが、27歳で世に出した作品集に「晩年」などというタイトルをつけたのは、遺稿集のつもりで書いたからとのこと(実際、その後服毒自殺を図っている)。

『晩年』 (1936/06 砂子屋書房)

 所収の作品の中で中篇に近いものが「思い出」「道化の華」「彼は昔の彼ならず」で、自らの心中事件に材を得、自分だけ助かって入院した江ノ島の療養所を舞台に描いた「道化の華」は、作者が途中何度も小説の進行に口出しや弁解を挟むという前衛的なもので(芥川賞の候補作になっている)、悲痛な絶望感や罪悪感が反映されているにもかかわらず滑稽なムードも漂い、すでに太宰文学ここにあり、という感じ。

 賃料を払わない下宿人に悩まされ翻弄される大家を描いた「彼は昔の彼ならず」は、後の「親友交歓」にも通じる面白さがあり、語り口のうまさがその最後の自虐的フレーズと併せて強く印象に残る作品。

 「思い出」は自分の幼年期から少年期を振り返った自伝的小説で、家族との確執や優等生としての厭らしい自意識、子ども特有の狡さのようなものが吐露的に書かれている一方で、津軽の田舎での伸びやかな生活ぶりや未熟な恋が叙情性をもって描かれていて、郷愁が浸透してくるような読後感は悪くなく、この作品集の中で個人的には最も好きな作品です。

 断想集のような「葉」や第1回芥川賞候補作「逆行」なども評価が高いようですが、個人的には「魚服記」「猿ヶ島」「ロマネスク」などの民話や寓話に近い話がたいへん興味深く読めました。
 山間に父と住む少女が滝壺に飛び込んで小鮒になる「魚服記」って、近親相姦がモチーフなのだろうか。
 「猿ヶ島」「ロマネスク」には作家としての自己が投影されているのが窺え、芥川の年少文学などとはまた違った趣を感じます。
 同じ太宰ファンでも、この作品集1冊の中での好きな作品の順番が違ってくるのだろうなあ。

 【1947年文庫化・1985年改版[新潮文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈1〉』)]/1994年再文庫化[角川文庫]】

《読書MEMO》
●「想い出」「魚服記」...1933(昭和8)年発表
●「葉」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」...1934(昭和9)年発表
●「猿ヶ島」「道化の華」「逆行」...1935(昭和10)年発表

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ユーモアに救われている「河童」。痛々しさがしんどい「歯車」。

1『河童・或阿呆の一生』.jpg『河童・或阿呆の一生』 (新潮文庫) 芥川 龍之介.jpg河童・或阿呆の一生_.jpg Kappa by Akutagawa.jpg
河童・或阿呆の一生』新潮文庫 "Kappa" by Akutagawa

 1925(大正14)年発表の「大道寺信輔の半生」をはじめ、芥川龍之介(1892-1927)の晩年作品を収めた新潮文庫版は、ほかに、「玄鶴山房」、「蜃気楼」、「河童」、「或阿呆の一生」、「歯車」を所収していますが、この4篇は、芥川が亡くなった1927(昭和2)年に発表されたものです。

河童・或阿呆の一生2.jpg この中で最も一般に親しまれているのは、彼の命日を"河童忌"と呼ぶぐらいだから、「河童」でしょう。
 河童の国に行った男の話ですが、その話が精神病者の口を通して語られるという枠組みは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を想起させます。
 穂高山を登山中の男がひょんなことから河童の国に迷い込むという前半のシュールな感じがいい。そして次第に、擬人化された河童の社会を通しての、作者自身が置かれた社会に対する風刺が主となります。そこには、資本主義の足音、国家権力による統制強化の予兆が感じられ、人口統制によって仕事に溢れた河童は食用に屠殺されてしまうなどといった設定は、近未来SFのようでもあります。

新潮文庫 〔初版〕

 「大道寺信輔の半生」を読むと、青年期までの自己の精神史とも言えるこの自伝的作品の中で、西洋世紀末の文芸の感化とは別に、プロレタリア運動の影響も感じられ、それがその2年後に発表した「河童」における資本家や国家権力者の戯画化などにも現れているようです。
 しかし「河童」では、芸術家も同じように揶揄されていて、結局この世のものはみんな(自分も含め)唾棄すべきものばかりという厭世感もあり、そう、これも芥川が自殺した年の作品であることには違いないなあと.。

 それでもまだ、ほのぼのとしたユーモアと、作者の視線が外界に向けられていることに救われている「河童」に比べ、「或阿呆の一生」は、「大道寺」と同じく自伝的ですが、詩的であったり寓意的であったりもする51の断章は、自身の〈漠然とした不安〉を対象化するための切羽詰まった努力ともとれ、「歯車」に至っては、ただもう死ぬことのみを希求する自身の意識の流れを"自己精神病理学"的に綴っている感じもします。

 両作品とも「河童」より研ぎ澄まされていて芸術性も高い、ということになるのかも知れませんが、この「痛々しさ」(特に「歯車」)に寄り沿うのはかなりシンドイ。但し、誰かがビジネスパーソンは「歯車」のような「後ろ向きの作品」は読んではならないとか書いていましたが、それはどうかと思います。

 【1950年文庫化・2003年改版[岩波文庫(『河童 他二篇』)]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1968年再文庫化・1989年改版[新潮文庫]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『河童、歯車、或阿保の一生』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『河童』)]】

1927年 河童 芥川龍之介.jpg《読書MEMO》
●「大道寺信輔の半生」...1925(大正14)年発表
●「河童」...1927(昭和2)年発表★★★★☆「どうかKappaと発音して下さい」
●「或阿保の一生」...1927(昭和2)年発表★★★★☆「人生は一行のボオドレエルにも若かない」
●「歯車」...1927(昭和2)年発表★★★★「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」

新潮文庫(2009)

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「わたしは良心を持っていない。持っているのは神経ばかりである」と。

侏儒の言葉.gif       侏儒の言葉.jpg          侏儒の言葉・西方の人.jpg
侏儒の言葉 (岩波文庫 緑 70-4)』旧版/『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)』改定版/新潮文庫

 1923(大正12)年に創刊された「文藝春秋」の創刊号から連載された芥川龍之介(1892-1927)の箴言集で、新潮文庫版では、3年間続いた連載の打ち切り後に死後発表された部分が〈遺稿〉として区切られています。

侏儒の言葉.bmp 「侏儒の言葉」は、以前読んだときには、芥川の思想が凝結されているような気がして、文学というのは贅肉をそぎ落としていくと最後は思想になっちゃうのかなと思ったりしたのですが、後世の文芸評論家のこの作品に対する評価は今ひとつのようで、「西方の人」と併録されている新潮文庫版の解説では、「西方の人」を買っているわりには「侏儒の言葉」に対しては、「断片的に捕らえられた"人生"とか"神"とかは、結局は言葉の問題に過ぎなくなっており、そこに芥川の晩年の問題が露呈されている」としています(岩波文庫の解説の中村真一郎は、そのことを踏まえながらも高い評価をしている)。

『侏儒の言葉』 (1927(昭和2)年/文藝春秋社)

 「『侏儒の言葉』は必ずしもわたしの思想を伝えるものではない。ただわたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである」と〈序〉にもあり、今思えば、断想集に近いものと言ってよかったのかも知れません。
                                  
 「道徳は常に古着である」
 「忍従はロマンティックな卑屈である」
 「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」
 「我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である」
侏儒の言葉.jpg 「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
 等々、逆説的な社会風刺と遊戯的なレトリックが入り混じった感じですが(有名な「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うには莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である」などもそう)、もっと自分の感性をダイレクトに書いているようなのもあり、
 「モオパスサンは氷に似ている。もっともときには氷砂糖にも似ている」
 なんて言われてもちょっとねえという感じも。

 「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」
 彼が最も信じていたのは自分の「神経」であり、最後にはこの言葉に帰結するのかもと思いましたが、普通の人間でも時としてこういう気分になることがあるかも。

侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)

 【1932年文庫化・1950年改版・1968年改版・2003年改版[岩波文庫(『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な』)]/1968年再文庫化[新潮文庫(『侏儒の言葉・西方の人』)]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫(『羅生門、鼻、侏儒の言葉 他』)]】

《読書MEMO》
●「侏儒の言葉」...1923(大正12)年〜1927(昭和2)年発表

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「年少文学」と言われる作品群だが、「杜子春」などのラストは秀逸。「蜜柑」も印象に残った。

i蜘蛛の糸・杜子春.jpg蜘蛛の糸・杜子春.jpg    蜘蛛の糸・杜子春2.jpg
蜘蛛の糸・杜子春』 新潮文庫〔旧版〕 新潮文庫〔新版〕(カバー・南伸坊)

 1918(大正7)年に発表された芥川龍之介(1892-1927)のはじめての児童文学作品「蜘蛛の糸」をはじめ、「魔術」「杜子春」「トロッコ」など、所謂 「年少文学」と言われている作品10篇が、発表順に収められています。

蜘蛛の糸  アイ文庫オーディオブック.jpg 「蜘蛛の糸」はあまりに有名なストーリーで、小松左京のショートショート(「蜘蛛の糸」―『鏡の中の世界』('78年/角川文庫)所収)やアクションアドベンチャーゲーム「ゼルダの伝説スカイウォードソード」(2011)にパロディもあるぐらい、一方「杜子春」は、読み直してみて改めてラストの仙人の粋な計らいが良く、少年の好奇心と恐怖体験を描いた「トロッコ」も、白い犬があることをきっかけに"黒い犬"になってしまうことにより経験する不条理を描いた「白」も、テーマは別だけれども同じようにラストがいいです。 何かこう「うまい」だけではなく、ほんわりさせられたり、結構深いものがあったりで、短篇小説はやはりラストが決め手になることが多いなあと。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 著 「蜘蛛の糸」「鼻」「蜜柑」(CD1枚)

魔術 パンローリング.jpg 教科書で読んだ記憶はありますが〈国語〉ではなく〈道徳〉の教科書でだったような気もする魔術などのように、道徳的・倫理的とも言える寓意が込められているものが結構あり、童話の要諦を押えているという感じですが、話のネタ元の豊富さとその加工においても随一でしょう。
[オーディオブックCD] 芥川龍之介 01「魔術」 (<CD>)
 芥川は当初作家ではなく文学者になるつもりだったらしく、西洋文学を完全に自分のものとして消化した最初の作家と言われていますが、それでいて中国や日本の古典からも多くを引いていて、未だどこから持ってきのか、ネタ元がよくわからないものもあるそうです。                  

蜜柑.jpg たった数ページの掌編「蜜柑」は、こうした寓話的作品群のなかで少し異色で、すごく印象に残りました(ラストが決め手という点では、他の作品に通じるものがあるが)。
 偶然、汽車に同乗した薄汚い少女が、汽車がトンネルに差し掛かっているのに必死で窓を開けようとするので、主人公はイラつくが、しかし最後は、その理由がわかり―。
 芥川の実体験らしいですが、プロレタリア文学の影響もあるのでしょうか。ヒューマン・タッチですが、最後に持つ者と持たざる者の立場が逆転しているようにもとれました。

アイ文庫オーディオブック「蜜柑」

 芥川の短篇のいくつかは、現在"オーディオブック"として刊行されているので、通勤途中にiPodなどで聴くのもオツかも。

魔術.jpg 【1968年再文庫化[新潮文庫]/1990年再文庫化[岩波文庫(『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇』)]/1997年再文庫化[中公文庫(『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇』)]/2005年再文庫化[ポプラポケット文庫(『蜘蛛の糸』)]/2011年再文庫化[280円文庫(ハルキ文庫)(『蜘蛛の糸』)]】

《読書MEMO》
●「蜘蛛の糸」...1918(大正7)年発表
●「犬と笛」「蜜柑」...1919(大正8)年発表
●「魔術」「杜子春」...1920(大正9)年発表
●「トロッコ」「仙人」...1922(大正11)年発表
●「白」...1923(大正12)年発表

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