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しんみりさせられた。姉弟関係から家族関係への広がりがあり、山田洋次版より上か。

「おとうと」1960.jpg「おとうと」kisi.jpg 「おとうと」:.jpg
おとうと [DVD]」岸惠子/川口浩
「おとうと」0011.jpg 小説家の娘、げん(岸惠子)は、放蕩者に身を落としている弟・碧郎(へきろう)(川口浩)の世話を甲斐甲斐しく焼いていた。それというのも、父(森雅之)の後妻である厳格なクリスチャンの義母(田中絹代)が子供たちを冷淡に扱うからだった。げんはデパートで万引きの疑いをかけられて激昂して帰宅するが、その話を聞いた碧郎は面白がって悪友たちと窃盗に興じるのだった。しかし、ありとある遊戯に現(うつつ)を抜かす弟にげんは時に怒り、時に愛情をもって接する。そんな日々のなかで、碧郎は肺病を病み、再び回復することのない体になっていった。げんは病気が感染することも恐れず、碧郎の傍らで生き、その傍らで眠る。弟とおのれの腕をリボンでしっかりと結びつけて―。

 1960年公開の市川崑監督作で、1960年度・第34回「キネマ旬報ベストワン」ほか、第15回「毎日映画コンクール 日本映画大賞」、第11回「ブルーリボン賞 作品賞」などを受賞しています。

「おとうと」岸川口.jpg 原作は幸田露伴の次女・幸田文(1904-1990/86歳没)で、1910(明治43)年、文6歳、弟の成豊(しげとよ)3歳の時、母幾美子がインフルエンザで亡くなり、2年後の1912(大正元)年、姉(長女)の歌が若くして亡くなるともに、この年、露伴はキリスト教徒の児玉八代(やよ)と再婚し、さらに、1926(大正15)年、文が22歳の時に、弟・成豊が肺結核で亡くなくなっています。物語では弟・碧郎の15歳から19歳までを描いていますが、それを当時24歳の川口浩が演じていて、その3歳上の姉である主人公のげんを、当時27歳の岸惠子が演じていおり、どちらも原作よりやや年齢がいっている印象はあります。

「おとうと」森.jpg それにしても、森雅之演じる父親が実に無力に描かれているし(幸田露伴ってこんな感じだったのか。まあ、作家にありがちだが)、田中絹代が演じる義母はものすごく嫌味に描かれています。父と義母と子どもたちがそれぞれバラバラな感じで、家族全員が閉塞的な家庭の中で針の筵に座っている感じです。それが最後どうなるかというと、皮肉にも弟・碧郎の死によって家族の気持ちが一つになるという、そういう話だったのだなあ。しんみりさせられました。
 
「おとうと」0.jpg 山田洋次監督が2010年に吉永小百合主演でリメイク作品「おとうと」('10年/松竹)を監督していますが、吉永小百合が演じる姉は成人した娘のいる年齢で、弟は笑福亭鶴瓶が演じており、アルコール中毒と言うか、酒癖が悪くて失敗を繰り返す大人に改変されていました。病に倒れた弟に姉が鍋焼きうどんを食べさせるシーンや、二人がリボンで手をつないで眠るシーンなどは、市川崑監督作品へのオマージュとして山田洋次監督版でも使われていました。

 ただし、それを観た時は、姉弟の結びつきは強く感じましたが、家族全体の結びつきというのは、一応、加藤治子が演じる母親がまだ生きているという設定でしたが、それほど感じませんでした。

 山田洋次版も星4つとしましたが、やや甘かったかな。個人的評価は同じ星4つではあるものの、この市川崑版の方が姉弟関係から家族関係への広がりがあり、やや上のような気がします(幸田文の原作が好きな人はこっちではないか)。

「おとうと」江波.jpg 江波杏子が成豊を担当する看護婦役で出演していましたが、ちらっとしか出ないのに美貌とスタイルの良さが目立ちました。

「おとうと」岸田.jpg「おとうと」田中.jpg「おとうと」●制作年:1960年●監督:市川崑●製作:永田雅一●脚本:水木洋子●撮影:宮川一夫●音楽:芥川也寸志●原作:幸田文●時間:98分●出演:岸惠子/川口浩/田中絹/森雅之/仲谷昇/浜村純/岸田今日/江波杏子●公開:1960/11●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(大映4K映画祭)(23-02-07)(評価:★★★★)

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やや"べた"だが、ラストの吟子(吉永小百合)が涙ぐむシーンにはほろっときた。

『おとうと』2010.jpg 「おとうと」0.jpg 「おとうと」40.jpg
あの頃映画 松竹DVDコレクション おとうと」笑福亭鶴瓶/吉永小百合

「おとうと」蒼2.jpg 結婚してすぐに夫を亡くし、小さな薬局を営みながら、女手一つで娘の小春(蒼井優)を育てた姉・吟子(吉永小百合)と、役者としての成功を夢み、無為に歳を重ねてしまった風来坊の弟・鉄郎(笑福亭鶴瓶)。鉄郎は姉・吟子の夫の十三回忌の席で酔っ払って大暴れし、親類中の鼻つまみ者となっていた。以後10年近く吟子との連絡も途絶えていたが、娘のように可愛がっていた姪の小春が結婚することをたまたま知り、披露宴に駆けつけた。歓迎されざる客を追い返そうとする親類「おとうと」 1.jpgを吟子は取りなし、鉄郎に酒は一滴も飲まないと約束させて披露宴に参加させた。しかし鉄郎は目の前に置かれた酒の誘惑に抵抗できず、あっさりと約束を破ったばかりか酔っぱらって大騒ぎを演じ、披露宴を台無しにしてしまう。その事件は、後に小春の結婚が破綻する一因ともなる。結婚式での乱行に激怒した親類らが次々と絶縁を決め込む中、ただ一人、吟子だけは鉄郎の味方だったが、その吟子も、ある事件をきっかけについに鉄郎に絶縁を言い渡してしまう。鉄郎は悪態を吐いて出て行くが、 このときすでに鉄郎は死の病に取り付かれていた―。
山田洋次監督in 第60回ベルリン国際映画祭(2010年2月20日) photo:KAZUKO WAKAYAMA
「おとうと」山田監督ベルリン.jpg「おとうと」山田吉永ベルリン.jpg 山田洋次(1931年生まれ)監督の2010年1月30日公開作で、同年2月11日開催の第60回ベルリン国際映画祭でクロージング上映されて、この時、山田洋次監督は特別功労賞に当たるベルリナーレ・カメラ賞を受賞しています(日本人では過去、2000年に市川崑監督、2001年に熊井啓監督の2名が受賞)。前作「母べい」('08年)が第58回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品され、受賞を逃したものの好評だったことが伏線としてあるのかもしれません(この映画祭では後に「小さいおうち」('14年)で黒木華が最優秀女優賞(銀熊賞)を取ることになる)。

市川崑監督「おとうと」('60年/大映)岸惠子/川口浩
「おとうと」kisi.jpg 「おとうと」('60年/大映)を撮った市川崑監督に捧げられた作品となっていて、病に倒れた弟に姉が鍋焼きうどんを食べさせるシーンや、二人がリボンで手をつないで眠るシーンがオマージュとして反復されていると言われていますが、これは共に幸田文による原作『おとうと』にある場面です。ただし、原作は17歳の姉から見た14歳の弟を描いたものであり、市川崑版は岸惠子が28歳で姉を演じたということはあるものの、一応原作をベースとしているのに対し、この山田洋次版は原作とはうんと年齢差があり、時代背景や家庭環境も異なるので、ほとんどこの二つのモチーフだけを原作から借りてきたと言ってもいいくらいではないかと思います。

「おとうと」末後.jpg 映画は、前作「母べい」よりもっと"べた"になった感じがしなくもないですが、昔はこういう映画をあまり評価しなかったけれど、最近はいいなあと思うようになって、これは年齢のせいでしょうか? 批判しようと思ったらいくらでもできるのですが、山田洋次監督に山田洋次的でないものを求めても仕方がないという気がするといのもあります。

「おとうと」 l1.jpg.png でも、鉄郎が亡くなった後のラストで、小春(蒼井優)の亨(加瀬亮)との結婚式を前にして、加藤治子(1922-2015)演じる母のボケからくる「あの変わり者の弟を呼んであげないとかわいそうだ」という言葉に絡めて、小春の結婚式に鉄郎はもう来ることないという現実が吟子を涙ぐませる場面にはさすがにほろっときました(このシーンが一番。笑福亭鶴瓶もラッシュうを観て「涙が出ましたわ」「あのラストは最高」と言っている)。小春の最初の結婚式に鉄郎がきて、式をぶち壊しにしてしまったこととの対比で、上手いなあと思いました。亡くなった人って、こういう時にふっと今そこにいるかのように目に浮かぶのだろなあ。

 考えてみれば、夢破れたもののそれなりに好き勝手やって、本来なら野垂れ死にしてもおかしくないところ(笑福亭鶴瓶は前作「母べい」では、同じ叔父さん役でも野垂れ死する役だった)、最期は最愛の肉親に看取られて死ねるというのは、ある意味ハッピーエンドなのかも。

 そのハッピーエンドを生み出したものとして、身寄りのない人のための民間ホスピス「みどりのいえ」とそこで働く所長の小宮山進(小日向文世)、小宮山千秋(石田ゆり子)ら親切な人々の存在があったわけで、そういう施設や人々にフォーカスしている点はいいと思いました。実在の施設を取材しているそうですが、ただし、在阪ではなく台東区の山谷にある「きぼうのいえ」だそうです。

「おとうと」1蒼.jpg 吉永小百合は、33歳の女性をやつれ感を出しながら演じた「母べえ」の時よりもさらに綺麗になっている感じ。笑福亭鶴瓶は、最後の方は、朝7時に起きてサウナスーツで走って、サウナに1時間くらい入って、水も飲まずにボクシングを9ラウンドまでやって減量したそうですが、その努力もさることながら、演技の方で魅せることも忘れてなかったように思います。

 「母べえ」とどちらが上か人によって意見は分かれるかと思いますが、個人的には、全体を通して「母べえ」が良かったけれど、最後で「おとうと」が追いついたという感じでしょうか。ああ、年齢と共に山田作品への評価がどんどん甘くなってくる(笑)。

「おとうと」syutuen.jpg「おとうと」●制作年:2010年●監督:山田洋次●脚本:山田洋次/平松恵美子●撮影:近森眞史●音楽:冨田勲●原作:幸田文●時間:126分●出演:吉永小百合/笑福亭鶴瓶/蒼井優/加瀬亮/小林稔侍/森本レオ/芽島成美/ラサール石井/佐藤蛾次郎/池乃めだか/田中壮太郎/キムラ緑子/笹野高史/小日向文世/横山あきお/近藤公園/石田ゆり子/加藤治子●公開:2010/01●配給:松竹(評価:★★★★)

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「何か間違っている」という憤りの感覚が、世人の心情を代弁してベストセラーになったのでは。

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九十歳。何がめでたい.jpg
九十歳。何がめでたい sato.jpg
九十歳。何がめでたい』['16年]

 1923(大正12)年生まれの作者が92歳の時に刊行されたエッセイ集で、トーハン、日販の調べで2017年の年間ベストセラーの第1位となった本です(因みに、この年の第2位は『ざんねんないきもの事典』、第3位は『蜜蜂と遠雷』)。

九十歳。何がめでたい cm.jpg 218万部という数字も凄いですが(本書のテレビCMシリーズも放映された)、92歳でのベストセラーの第遠藤周作.bmp1位というのも最高齢記録だそうで、これだけけでも十分「めでたい」のではないでしょうか。このエッセイに出てくる「ソバプン」こと遠藤周作('23年生まれ)と同期、吉行淳之介('24年生まれ)、三島由紀夫('25年生まれ)より上だからなあ。

598510024.jpg 2000年に77歳で『血脈』で菊池寛賞を受賞しており、何だかこうした人生の「上がり」みたいな賞を受賞した人が、その17年後に年間ベストセラーの第1位の本の著者になるとは、誰も予測していなかったのではないでしょうか。

 本エッセイは、91歳から92歳にかけて「女性セブン」に連載したものが元になっていて、雑誌連載のきっかけは、88歳で最後の長編小説『晩鐘』を書き上げ(91歳で刊行)、断筆宣言していたところへ、編集者が何度も執筆のお願いに伺いやってきて、「90歳を超えて感じる時代とのズレについてならば...」ということで引き受けたとのことです。

 音が静かになって接近に気付けない自転車が危なくて困るとか、よくわからないスマホに、こんなものが行き渡ると「日本総アホ時代」が来るとか、「レジ袋はいりません」と声に出して言うのがどうして憚られるのかといった身近な事象に対する憤りや疑問があります。

 さらには、'15年に大阪・寝屋川市で起きた中学1年の少年少女殺害事件や、'16年に発覚した広島・府中市の中学3年生の「万引えん罪」自殺事件、'15年に最高裁で遺族側の逆転敗訴が確定した、道路に飛び出したサッカーボールを避けて転倒事故が起きた場合、ボールを蹴った子供の親は責任を負うべきかが争われた裁判等々、さまざまな事件・裁判についても言及しています。

 さらに、さらに、バイオリスト・高嶋ちさ子氏がゲームをしないとの約束を破った息子のゲーム機を壊したとして炎上した"ゲーム機バキバキ事件"から、橋下徹元大阪市長のテレビ復帰に至る件まで、ネットネタやテレビネタまで、コメントの対象は尽きません(ネットネタもおそらくテレビで知ったのだろうが)。

 ベースになっているのは、「おかしいのではないか」「何か間違っている」という憤りの感覚で、それがおそらくは、多くの人が言葉にできなかった心情を代弁するかのように物事の核心を言い当てていたため、高年齢層から若年層まで世代を超えた共感を集め、ベストセラーになったのでしょう。ただ、こうした「公憤」「義憤」ばかりでなく、「思い出ドロボー」(コレ、面白かった)のように過去に自分が他人に騙された経験なども綴られていて、自身は「読者代表」ぶっていないところがいいです。編集者によれば、著者は「満身創痍の体にムチ打って、毎回、万年筆で何度も何度も手を入れて綴ってくださいました」とのことですが(ワープロは使わないそうだ)、書くことが生きる活力にもなっているのではないでしょうか。

九十歳。何がめでたい  増補版文庫.jpg 実際、著者はこの後も書き続け、先月['21年8月]、本書の続編『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』を刊行。ここまで続くと思っていた人も少なかったのでは。ただし、この本の最後が「さようなら、みなさん」になっており、これが今秋98歳になる著者の「最後のエッセイ集」になるとして、今度こそ、との再・断筆宣言をしたようです。
九十八歳。戦いやまず日は暮れず』['18年]『増補版 九十歳。何がめでたい (小学館文庫 さ 38-1)』['18年]

 この『九十歳。何がめでたい』のあとがきも「おしまいの言葉」となっていますが、いったん「ここで休ませていただく」としながらも、その理由は「闘うべき矢玉が盡きたから」で「決してのんびりしたいからではありませんよ」としていて意気軒高、実際、この後に連載を再開するわけです。

 今回の断筆宣言については、近況インタビューが今日['21年9月10日]付けの朝日新聞(朝刊)に出てましたが、「書くのをやめて、残念に思うことあるけど」とも言っており、個人的には今回もまた再開して欲しい気がします。
2012.9.10 朝日新聞(朝刊)
I210910 asahim図6.jpg


【2021年文庫化[小学館文庫]】

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「1シーン1カット」を多用した完璧な恋愛・人情ドラマ。途絶えていたのをスクリーンに復活させた「船乗り込み」。
「残菊物語」1939 p.jpg02『残菊物語』.jpg05『残菊物語』.jpg残菊物語02.jpg
あの頃映画 松竹DVDコレクション 残菊物語」花柳章太郎/森赫子
あの頃映画 松竹DVDコレクション 残菊物語 デジタル修復版」['16年]

残菊物語03.jpg 尾上菊之助(花柳章太郎)は養子ながら歌舞伎の名門、五代目菊五郎(河原崎権十郎)の後継者として苦労なく育ったが、それだけに上辷りな人気に酔っていた。この思い上った菊之助の芸を真実こもった言葉でたしなめたのは弟・幸三の若い乳母お徳(森赫子)であった。菊之助はお徳の偽りない言葉に感激、残菊物語04.jpg芝居にも身を入れるようになったが同時に二人の間には恋心が茅ばえた。だが明治の封建的な気風の中、菊五郎夫妻はお徳を解雇する。激昂した菊之助はお徳の行方を突止め二人は結ばれたが、菊之助は勘当される。菊之助は大阪劇壇の大御所・尾上多見蔵(尾上多見太郎)の許へ走り、そこで芸道に励むが、その頼る多見蔵に死なれ、地方廻りの小劇団に身を落さねばならなかった。長旅にお徳は胸を病み、苦難の日が続いた。菊之助の将来を案じた残菊物語09.jpgお徳は菊之助の親友・福助(高田浩吉)に菊之助の復帰を懇願、菊之助は勇躍、桧舞台に立ったが、その陰にはお徳が身を退くという犠牲が払われていた。菊五郎一行に加わり芸名上った菊之助の大阪初下りの日、お徳は菊之助と借りた按摩・元俊(志賀廼家辨慶)の襤褸屋の二階で重病の床に臥していた。その夜、知らせを聞いた菊之助に菊五郎は初めて、「女房に逢って来てやれ」と言い、菊之助はお徳にようやっと養父の許しが出たことを伝える。お徳は喜びつつも、晴れの船乗り込みに主役の貴方がいないのではと言い、菊之助は再び戻って船乗り込みに臨む―。

 1938(昭和13)年公開の溝口健二監督作で、溝口作品の中で、ほぼ全てが現存する数少ない戦前作品(146分中143分現存)です。1939年の「キネマ旬報ベスト・テン」の第2位作品で、溝口作品の中でも評価されている戦前の映画であり、1953年に長谷川一夫・淡島千景主演で、1963年に二代目市川猿之助・岡田茉莉子主演でリメイクされています。また、世界的にも、2015年度カンヌ国際映画祭クラシック部門でデジタル修復版が上映されるなどしています。

「残菊物語」1939es.jpg 実話を基にしているとのことで、さらに溝口演出の特徴である「1シーン1カット」を多用していることもあり、明治初期の歌舞伎界の舞台裏ドキュメン「残菊物語」1939.jpgタリーを観ているみたいな感じもします(もちろん当時の歌舞伎の表舞台も興味深い)。そうした技法を駆使すながらも、完璧な恋愛・人情ドラマとして成り立っており、これは村松梢風(1889-1961/71歳没、作家・エッセイストの村松友視の祖父)の原作がよく出来ているということではないでしょうか。リメイク版もほぼ同じストーリーであるというのは、いじるところが無いということではないかと思います。

淀川長治2.jpg 淀川長治はこの作品を、黒澤明の「羅生門」、小津安二郎の「戸田家の兄妹」と共に、自身の邦画ベスト3に本作品を挙げていたこともありました(「キネマ旬報」1979年11月下旬号)。個人的には、「人情物語」としてみると、小津安二郎監督の「浮草物語」('34年/松竹)と並んでベストになります。

zanngiku 花柳章太郎.jpg 尾上菊之助を演じた花柳章太郎(1894-1965/享年70)は、歌舞伎と新劇の間にあった「新派」の人気女形であった人で、それがこの映画では、専門の女形ではなく立役の(これまた専門ではない)歌舞伎役者を演じるということで大変な苦労があったようですが、この作品で二枚目としての新境地を開いたとのことです。晩年には新派からは元師匠の喜多村緑郎に次ぐ二人目の人間国宝に認定、文化功労者にも選定されています。また、「歌行燈」「鶴亀」「蛍」「大つごもり」などその代表作である10の芝居は「花柳十種」として選定されています(1961年「菊池寛賞」、 1962年度「朝日文化賞」(朝日賞)受賞)。

残菊物語 スイカ.jpg 多才な人で、着物衣装にも詳しく(専門の本を出している)、食通としても有名で(特に海苔、蕎麦、天ぷら、鮨、秋刀魚、つけ合せでべったら漬を好んだ)、中でも、本職以外の才能として際立っているのはエッセイストとしての才能であり、多くのエッセイ本を残しています。

 そうした花柳章太郎の経歴の中で、一つのターニングポイントとなった作品であると思って観るのもいいし、「1シーン1カット」の流れるような画面構成に着眼して観るのも愉しめるかと思います(菊之助がスイカを切るシーンが良かった。スイカを切るのはまだ撮り直しがきくが、リテイクがきかないようなシーンもいくつかあった)。

「残菊物語」1939 4.jpg船乗り込み.jpg そう言えば、ラストの「船乗り込み」ですが、当時(明治初期)は京都や江戸から役者や一座が大坂へ到着する際に行われていた儀式でしたが、1924(大正13)年に途絶えたのが、1979(昭和54)年に大阪道頓堀・朝日座で第一回公演「五月大歌舞伎」が開催されるにあたり、十七代目中村勘三郎が、歌舞伎公演を一般市民にPRするため55年ぶりに復活させています。今でこそ「七月大歌舞伎」公演前の恒例行事、また大阪の初夏の風物詩として広く知れ渡っていますが、この映画が作られた時は、途絶えてから10数年経っていたことになり、溝口がそれをスクリーン上で復活させたということになります。

「残菊物語」1939ド.jpg「残菊物語(殘菊物語)」●制作年:1939年●監督:溝口健二●製作総指揮・総監督:白井信太郎●脚本:依田義賢●撮影:三木滋人/藤洋三●音楽:深井史郎●原作:村松梢風●時間:100分●出演:花柳章太郎/高田浩吉/川浪良太郎/高松錦之助/葉山純之輔/尾上多見太郎/結城一朗/南光明/天野刃一/井上晴夫/廣田昂/富本民平/保瀬英二郎/伏見信子/花岡菊子/白河富士子/最上米子/中川芳江/西久代/鏡淳子/大和久乃/田川晴子/柴田篤子/秋元富美子/国春美津枝/白妙公子/(劇団より)河原崎権十郎/森赫子/花柳喜章/志賀廼家辨慶/柳戸はる子/松下誠/島章/中川秀夫/花田博/春本喜好/橘一嘉/(大船より)磯野秋雄/(新興より)嵐徳三郎/梅村蓉子●公開:1939/10●配給:松竹●最初に観た場所:シネマブルースタジオ(21-08-17)(評価:★★★★☆

「●あ 安野 光雅」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3055】 安野 光雅 『旅の絵本
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作者のロングセラー絵本に挙げられる1冊。二通りの画風が楽しめるところがいい。

かげぼうし 安野 光雅1.jpgかげぼうし 安野 光雅2.jpg 安野 光雅.jpg
かげぼうし』['76年/'02年新版]安野光雅(1926-2020)
かげぼうし 安野 光雅3.jpg
 まちに冬がきた。 野山にも冬がきた。 山のむこうのずーっと、ずーっとむこうにある秘密の国、「かげぼうしの国」にも冬がきた。 マッチ売りの少女と「かげぼうしの国」のみはり番がくりひろげる、ふしぎな、ふしぎなお話―。

 昨年['20年]12月に亡くなった安野光雅(1926-2020/94歳没)の絵本作品です。この人、何となくいつまでも生きているイメージがありましたが、もう94歳になっていたのかという感じ。

 本書は1976年7月の刊行ですが、既に60年代から数多くの絵本を世に出しており、この辺りにくると作風も完成されている印象を受けます。因みに、1975年に芸術選奨新人賞を受賞し、1976年に第7回「講談社出版文化賞」を『かぞえてみよう』('75年/講談社)で受賞しており、以降は、国際的な絵本賞の受賞が続きます。

IMG_20210627_かげぼうし 安野 光雅.jpg この絵本では、見開きの左面でマッチ売りの少女が出てくるヨーロッパのとある古い街の話が展開し、右面で見張り番がどこか行ってしまって混乱する「かげぼうしの国」の話(こちらは切り絵風でほぼモノクロ)が展開して、別々の話かと思ったら最後で1つの話になるという、面白い作りでした。

IMG_20210627_2かげぼうし 安野 光雅.jpg ただ、それ以上に、1冊で作者の二通りの画風が楽しめるところが、個人的には良かったでしょうか。表紙もいいです(どうして裏表紙は切り絵になってないのか?)

 『かぞえてみよう』に負けずとも劣らない傑作であり、2002年に同じ版元から新版が出されていることからも、作者の作品群の中でもロングセラー絵本に挙げられる1冊であると言えるかと思います。

 【2002年新版】

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連載最初期分。複数トピックスの〈結び付け〉の力がスゴイ。この頃が一番尖がっていたかも。

山藤章二のブラック=アングル.jpg山藤章二のブラック=アングル1.jpg  山藤章二のブラック=アングル03.jpg
山藤章二のブラック=アングル』 「19歳山下、初優勝」('78年,5.20号)

 1976年から「週刊朝日」に連載されている「山藤章二のブラック=アングル」(後に「山藤章二のブラック・アングル」)の最初期にあたる'76年と'77年掲載分をまとめたものです。作者が「週刊朝日」の仕事に関わるようになったのは'72年からで、初仕事は表紙イラストだったのでですが、これが読者には不評で、'74年に終了の憂き目に。とは言え、一方で惜しむ声もあったため、巻末ページにイラストを持っていくという形で継続された途端に人気が出て、「週刊誌を裏から開かせる男」の異名をとるまでになったわけです。でも、確かにこのスタイルで行くなら巻末向きだろうなあと思います。

「週刊朝日」2020年9月18日号(連載2202回)
「山藤章二のブラック・アングル 2020年9月18日号.jpg 時事ネタで長く続けていくというのもスゴイことです。「週刊文春」連載の林真理子氏の時事エッセイ「夜ふけのなわとび」が'83年より続いていて、一昨年['19年]連載1,615回を突破し、それまで最多とされてきた「週刊新潮」の山口瞳の「男性自身」を抜いたのを機にギネス世界記録に認定申請、昨年['20年]10月に「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス公式認定されましたが、回数だけで言うと、それよりすっと多いことになります(昨週刊文春 2021年2月11日号.jpg年['20年]9月には連載2,200回を超えた)。ただし、成人向け週刊誌連載の「漫画」も含めると、東海林さだお氏が「週刊文春」に'68年から「タンマ君」を、「週刊現代」に'69年から「サラリーマン専科」をダブルで連載していて、これが最長かと思います(東海林さだお氏は、「週刊朝日」のイラスト付きコラム「あれも食いたい これも食いたい」の連載も'87 年から続いている)。手元にある「週刊文春」2021年2月11日号の段階で「夜ふけのなわとび」が連載1,684回に対し「タンマ君」は連載2,421回となっています。連載回数で言うと、「ブラック・アングル」は「夜ふけのなわとび」を大きく上回るが、「タンマ君」にはちょと及ばないということになります。

 本書は、見開きの片側左ページに原寸版で掲載分を再現し、右ページに関連する記事ネタが載った新聞の切り抜きを配しているので、イラストの意味しているところが理解しやすくなっています。こうして見ると、2以上のトピックスを組み合わせてイラストにしているパターンが多いのが分かります。

山藤章二のブラック=アングル2.jpg山藤章二のブラック=アングル02.jpg週刊朝日 1976年8月13日.jpg 例えば、'76年分と'77年分を見て、この頃の世を騒がせた最大の出来事はロッキード事件とその中での田中角栄前首相の逮捕だったと思うのですが、'76年に武者小路実篤が死去した際、武者小路実篤がよく書いていた色紙「仲良き事は美しき哉」をパロディにして、野菜の絵をロッキード事件の主役の田中角栄、児玉誉士夫、小佐野賢治の顔に変えたりしています(4.30号)。過去の作品の中でも傑作とされるものですが、これも、ロッキード事件と武者小路実篤の死という複数トピックスの組み合わせです。この〈結び付け〉の力がスゴイなあと改めて思います。

山藤章二のブラック=アングル3.jpg '77年には、当時の環境庁長官だった石原慎太郎の舌禍問題について、研ナオコが出演した「キンチョール」(大日本除虫菊)のCM「トンデレラ、シンデレラ」にかけた絵を掲載し(5.13号)。石原慎太郎を蝿に見立て、石原蝿が暴言を吐くと研が「あっ、またまた言ッテレラ!」、石原蝿が落っこちると「あっ、慎(シン)デレラ!!」と。権力者をここまでコケにするには覚悟もいると思ますが、作者本人は「失言放言は漫画にとって絶好の材料になる」(『山藤章二のブラックアングル25年 全体重』)と語っていて、根っからこういう尖がったのが好きなのかも。

山藤章二のブラック=アングル4.jpg 同じく、'77年に井上陽水が大麻取締法違反(大麻所持)容疑で逮捕された際には、サイケデリックな井上の似顔絵を描き、当人の代表曲「心もよう」をドラッグ・ソングに改作しています(9.30号)。この人、この頃はばんばん芸能人やミュージシャンを叩いていたけれど(先に挙げた研ナオコについても、薬物違反逮捕に触れている)、最近になればなるほど毒は弱まり、とりわけ芸能ネタやミュージシャンネタは減っているのではないでしょうか(不祥事は依然として結構起きているにもかかわらず)。名を成すにつれ「絆(ほだ)し多かる人」になっちゃったのかなあ。井上陽水だって研ナオコだって今もその世界にいるわけだし。

 今も「ブラック」であり続けてはいると思いますが、この頃が一番尖がっていたかもしれないと思わせる一冊です。

■山藤章二カバーイラスト文庫
筒井 康隆『にぎやかな未来』('72年/角川文庫)/安岡 章太郎『なまけものの思想』('73年/角川文庫)/筒井 康隆『乱調文学大辞典』('75年/講談社文庫)/三田 誠広『僕って何』('80年/河出文庫)/
 にぎやかな未来 kadokawabunko.jpg ななけものの思想角川.png 乱調文学大辞典2.jpg 0僕って何 (1980年) (河出文庫).jpg

「週刊朝日」1976年8月13日号目次
週刊朝日 1976年8月13日2.jpg

【1981年文庫化[新潮文庫(『山藤章二のブラック=アングル〈1976〉』『山藤章二のブラック=アングル'77』)]】

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新たに発見された続編と併せ、当初からストーリー性の高い構想だったのではないか。

夫婦善哉 決定版 新潮文庫.jpg夫婦善哉 (新潮文庫)旧.jpg 夫婦善哉 DVD.jpg 夫婦善哉 森繁久弥・淡島千景.jpg
夫婦善哉 決定版 (新潮文庫)』['16年]『夫婦善哉 (新潮文庫)』['50年/'00年改版]「夫婦善哉 [DVD]」淡島千景/森繁久彌
夫婦善哉19.JPG 大正時代の大阪。貧乏な天ぷらやの娘・蝶子は、17歳で芸者になり、陽気でお転婆な人気芸者に成長する。そして化粧問屋の若旦那・柳吉といい仲になり、駆け落ちをする。ところが熱海で関東大震災に出くわした二人は、大阪に戻り、黒門市場の裏路地の2階に間借り生活をはじめる。蝶子は職のない柳吉に代わり、ヤトナ芸者(コンパニオン)で稼ぎに出るが、柳吉はその金でカフェに出かけたりしていた。柳吉は実家の父親から勘当され、蝶子が苦労して貯めた金に手をつけて放蕩を繰り返す。蝶子はなんとか柳吉を一人前の男にして、実家から認めてもらおうと、商売を始める。剃刀屋、関東煮屋、果物屋、カフェなど転々と商売をするが、結局は柳吉の浪費で失敗に終わる。蝶子の苦労はなかなか報われず、柳吉も腎臓結石を患い、実家から廃嫡される。ある日、柳吉は蝶子を法善寺境内の「めおとぜんざい」に誘い、二人仲良くぜんざいをすする。蝶子はめっきり肥えて座布団が尻に隠れるほどになった―。(「夫婦善哉」)

 「夫婦善哉」は、織田作之助(1913-1947/33歳没)が1940(昭和15)年4月に同人雑誌「海風」に発表し、作者が世に出る契機となった作品です。新潮文庫の旧版(1950年刊)は、この他に「木の都」「六白金星」「アドバルーン」「世相」「競馬」の五編を所収していましたが、2007年に「続 夫婦善哉」の未発表原稿が発見されて刊行され(『夫婦善哉 完全版』雄松堂出版)、この文庫「決定版」は、旧版に「続 夫婦善哉」を加えたものです(新版の解説は石原千秋・早稲田大学教授だが、旧版の作家・青山光二の解説も載せている)。

映画 夫婦善哉0.jpg 「夫婦善哉」は、前記の通り、北新地の人気芸者で陽気なしっかり者の女・蝶子と、化粧問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの男・柳吉が駆け落ちし、次々と商売を試みては失敗し、喧嘩しながらも別れずに一緒に生きてゆく内縁夫婦の物語であり、豊田四郎監督、森繁久彌、淡島千景主演の映画('55年/東宝)でも知られています。映画は森繁久彌主演ということもあって結構ユーモラスに描かれていますが、原作を読むと、見方によっては、頑張り屋の女性がダメ男に惚れたばっかりに、共に破滅に向かっていく、その予兆の部分まで描いた作品ととれなくもないように思いました。

「夫婦善哉」('55年/東宝)

 ところが、2007年に見つかった「続 夫婦善哉」では、二人は別府に渡り、そこで例のごとく商売を始め、前と同じく起伏がありながらも何とか見通しがついたところへ、隆吉の娘から、自分が結婚することになったので、二人で式に対会ってもらいたいとの速達が届く―という結末になっています(ハッピーエンドと言っていいのでは)。

夫婦善哉 映画 自殺未遂.jpg 実は、本編の終盤で、柳吉の父親が亡くなった際に、蝶子が葬式に出ることを実家から拒まれ、紋付を二人分用意していた蝶子は、いまだに隆吉の実家に自分が受け容れてもらえないのかと絶望し、ガス自殺未遂を起こすという事件があり(この事件は映画にも描かれて、原作同様に新聞記事になっている。この事件のため、柳吉は結局、父の位牌を持つことさえ許されなかったというのは映画のオリジナル)、こうしたことが、文学的には傑作だが、現実的に考えると、一人の女性が破滅に向かう話ともとれるのではないかと個人的に危惧するところであったのですが、ちゃんと話に続きがあって、前は「葬式に呼ばれなかった」けれど、今度は「結婚式に呼ばれる」という相対する結末が「続 夫婦善哉」には用意されていたのだなあと。

 決定版解説の石原千秋氏は、「夫婦善哉」を書いたのは私たちのイメージの中にある「織田作之助」その人であって、「続 夫婦善哉」を書いたのは、人間織田作之助であり、「夫婦善哉」には文学があって、「続 夫婦善哉」には織田作之助がいるとしていますが、なるほど、そうい夫婦ぜんざい.jpgう見方もあるのかなあと。ただし、旧版解説の青山光二(1913-2008)は、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さないというのが、短編小説の名手とされた織田作之助の基本的態度でもあった」としており、青山光二は、柳吉と蝶子が法善寺境内の「めおとぜんざい」に行き、二人でぜんざいを食べるという結末のイメージは早くから作者の頭の中にあったようだとしていますが、もしかしたら、更にその先までストーリーはできていたのかも、と思ってしまいます。
夫婦ぜんざい

 青山光二は、「若書きの『夫婦善哉』には、「文章に未熟な個所が目立ち、構成にも起伏が乏しい」といった弱点があるとしながらも、「この作品が今日まで多くの読者を獲得しつづけ、名品の風格さえ高いと思えるのは、題材と渾然たる調和をなす斬新な文体と、それによって一分の弛みもなく作品を支えている高度の緊張感、さらに作品の根底にある、作者の煮つまった情熱が、そくそくと伝わってきて、読者の心をうつからである」と評しています。

 確かに、戦後書かれた「世相」や「競馬」の方が、完成度自体は高いのかも。「世相」は作者の分身と思しき作家が世相を見ながら作品のネタを漁る、虚実皮膜譚のような構成でオチは無いのですが、真面目男がふとした契機から競馬に嵌ることになる「競馬」は、ストーリー性も高いように思います。ただし、「夫婦善哉」が「続 夫婦善哉」と当初からセットで構想されていたとしたら、ストーリー性においても後の作品と遜色なく、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」というのは、デビュー当時からそうだったのではないかと思わせます。

 最初に読んだ時は、「世相」や「競馬」は「夫婦善哉」と並ぶ傑作だと思いましたが、読み返してみると、1940(昭和15)年の夏に(つまり「夫婦善哉」のすぐ後に)書かれた、作者と同じ六白水星の星まわりの少年・楢雄を主人公とする「六白水星」が傑作と言うか、愛おしい作品のように思えてきました(因みに、この作品は書いたときは発表が許されず、戦後に改稿して発表されている。織田作之助は、「夫婦善哉」の次作「青春の逆説」が発禁処分になっていて、このことはそのまま「世相」の中に話として出てくる)。「六白水星」は、何となくオチが無いように見えますが、読み返してみると、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」という法則が当て嵌まるかのように、ラストが決まっているなあと思いました。

映画 夫婦善哉1.jpg 映画「夫婦善哉」は、森繁久彌演じる柳吉と淡島千景演じる蝶子が熱海の温泉旅館に駆け落ちと洒落込んだところへ関東大震災に見舞われるというのが出だしでしたが、森繁久彌のアドリブっぽい演技もあって(原作に無い台詞が結構あったように思う)ユーモラスに淡島千景 森繁久彌 夫婦善哉.jpg描かれていたし、あの映画で一番気持ちがいいのは、淡島千景演じる蝶子が、「あの人を一人前の男に出世させたら、それで本望や」と言い切るところですが、原作ではこうした啖呵を切る場面はありません。

 淡島千景は、この作品の演技で1955年・第6回ブルーリボン賞・主演女優賞を受賞。デビュー作でいきなりブルーリボン賞・主演女優賞を受賞した渋谷実監督の「てんやわんや」('50年/松竹)に続く2度目の受賞で、1955年度(1956(昭和31)年)・第4回「菊池寛賞」も受賞しています。また、森繁久彌も1955年・第6回ブルーリボン賞・主演男優賞を初受賞、淡島千景とのコンビで、この作品以降、「駅前シリーズ」など多くの作品で夫婦役を演じることになります。
  
映画 夫婦善哉 awasima.jpg 淡島千景(1924-2012、享年87)は生涯を独身で通しています。森繁久彌(1913-2009、享年96)が生前に「ずっと手が出なかった」と語ったように、男性を寄せつけないオーラがあったそうです。映画は、豊田四郎監督とこの二人のコンビで「新・夫婦善哉」('63年/東宝)が作られただけでリメイク作品はありません。一方、1966年以降10回ほどTVドラマ化されていて、扇千景、中村玉緒、榊原るみ夫婦善哉 森山未來 尾野真千子.jpg、泉ピン子、森光子、浜木綿子、三林京子、黒木瞳、田中裕子、藤山直美らが蝶子(またはそれに相当する役)を演じていますが、淡島千景を超えるものはなかったとの世評のようです。2013年の織田作之助生誕100年を機に、新たに発見された続編を含む新解釈でNHKが初めてテレビドラマ化しています(全4回)。柳吉と蝶子は森山未來と尾野真千子が演じましたが、残念ながら未見です。どろっとした役を演じても透明感のあるのが淡島千景でしたが、尾野真千子はどこまでそれに迫れたのでしょうか。

NHK土曜ドラマ「夫婦善哉」(2013年)森山未來/尾野真千子
 
映画 夫婦善哉es.jpg映画 夫婦善哉ド.jpg「夫婦善哉」●制作年:1955年●監督:豊田四郎●製作:佐藤一郎●脚本:八住利雄●撮影:三浦光雄●音楽:團伊玖磨●原作:織田作之助●時間:121分●出演:森繁久彌/淡島千景/司葉子/浪花千栄子/小堀誠/田村楽太/三好栄子/森川佳子/山山茶花究 夫婦善哉.jpg茶花究/万代峰子●公開:1955/09●配給:東浪花千栄子 夫婦善哉.jpg宝●最初に観たふたりぼっちの物語.jpg場所:神保町シアター(14-01-18)(評価★★★★)
 
山茶花究/浪花千栄子

 
夫婦善哉 正続 他十二篇_.jpg織田作之助 (ちくま日本文学全集).jpg【1950年文庫化・2000年改版[新潮文庫(『夫婦善哉』)]/1993年再文庫化[ちくま文庫(『織田作之助 (ちくま日本文学全集)』)]/1999年再文庫化[講談社文芸文庫(『夫婦善哉』)]/2013年再文庫化[岩波文庫(『夫婦善哉 正続 他十二篇』)]/2013年再文庫化[実業之日本社文庫(『夫婦善哉・怖るべき女 - 無頼派作家の夜』)]】

夫婦善哉 正続 他十二篇 (岩波文庫)』['13年]/『織田作之助 (ちくま日本文学全集)』['93年](※「続 夫婦善哉」は所収しておらず)カバー絵:安野光雅   
    
夫婦善哉 (講談社文芸文庫) 文庫.jpg夫婦善哉 (講談社文芸文庫)』['99年]
「夫婦善哉」のほか、「放浪」「勧善懲悪」「六白金星」「アド・バルーン」、評論「可能性の文学」所収(※「続 夫婦善哉」は所収しておらず)

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悲恋物語でありながらも前向きなものが感じられる「愛と死」は、作者の真骨頂か。

愛と死 (新潮文庫)2.jpg愛と死 (新潮文庫).jpg  愛と死 (1980年) (ポプラ社文庫).jpg  若き日の思い出 (新潮文庫).jpg
愛と死 (1952年) (新潮文庫〈第423〉)』『愛と死 (新潮文庫)』『愛と死 (1980年) (ポプラ社文庫)』『若き日の思い出 (新潮文庫)

友情・愛と死・若き日の思い出.JPG 小説家の端くれである村岡は、尊敬する小説家であり、友人となった野々村の元へ訪問するようになる。そこで野々村の妹である夏子と知り合う。ある時、野々村の誕生日会の余興の席で夏子に窮地を救われてから、二人の関係が始まる。文芸会の出し物や手紙のやり取りで距離を縮めていき、最終的に村岡の巴里への洋行後に結婚をするまでの仲になる。半年間の洋行の間でも互いに手紙を書き、帰国後の夫婦としての生活に希望を抱いていたが、帰国する船の中で、電報によって夏子の急死が知らされる。帰国後、深い悲しみを負いながら野々村との墓参り、帰国の歓迎会で村岡は「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」という無常を悟る。21年の時を経てもその考えは彼にとっての慰めとなっている―。

 「愛と死」は、武者小路実篤(1885-1976)が1939(昭和14)年7月に「日本評論」に発表した長編小説であり(ただし、文庫で100ページほどだが)、「友情」「若き日の思い出」と併せて、武者小路文学の青春三部作と言われていますが、1919(大正8)年発表の「友情」から20年を経て書かれており、「友情」執筆当時34歳だった作者は、54歳にななっていたということになります。ただし、主人公の村岡が、21年前の出来事を回顧する形になっているので、「友情」とある種"連作"関係にあると見做されるのではないでしょうか。

「愛と死」('71年/松竹)監督:中村登/脚本:山田太一/出演:栗原小巻・新克利・横内正・芦田伸介
愛と死 映画 栗原.jpg「愛と死」('71年/松竹)b.jpg「愛と死」('71年/松竹)cf.jpg これも「友情」と並んで人気の高い作品で、1959年に八千草薫主演でドラマ化され、1971年には栗原小巻主演で映画化されています。ドラマも映画も未見ですが、栗原小巻主演の映画版は、時代を現代に置き換え、「愛と死」と「友情」の両方を原作としているようです(原作における夏子の死因は流行性感冒(スペイン風邪と思われる)だったが、映画で栗原小巻演じる夏子は爆発事故で亡くなる)。

 まさに、原作の「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」との主人公の想いに無常を感じますが、さらに、この無常を乗り越えるためによりよく生きようという主人公の意思が、個人的には感じられました。このあたりは「友情」と同じく、悲恋物語でありながらも前向きなものが感じられ、やはりこの辺が白樺派・武者小路実篤の真骨頂ではないかと思います。

 作者・武者小路実篤は、さらに61歳の時に「陸輸新報」という鉄道関係の業界新聞に、1945(昭和20)年5月から10月まで『母の面影』という題で、戦中戦後を通して全103回にわたり連載、それらを集め改稿したものが翌1946(昭和21)年4月に座右宝刊行会より単行本『若き日の思い出』として刊行されました。

 「若き日の思い出」のストーリーは、長年母の庇護の下にあった主人公「私」(野島厚行)が、療養のためにK海岸へ一人旅に出かけ、そこで同級生の宮津とその妹正子に出会い、さらに、それをきっかけに様々な人物との交流を通して「私」は成長し、また、正子との恋をも成就させるというものです。

 「友情」と少し似ているところもありますが、「友情」と違って、主要登場人物のほとんどが、主人公の恋愛の媒介者として、その恋愛が成就する方向に作用します。また、元々が「母の面影」というタイトルであったことからも窺えるように、作者の「母思う記」的要素も含んでいます。因みに、谷崎潤一郎から井上靖、山口瞳まで多くの作家の作品の中に、この種の作品があります(近年ではリリー・フランキーかな)。

 作品が象徴性の高い文体で描かれており、典型的な予定調和型の物語展開であるため、研究者によっては「大人の童話」として位置付けられることもある作品ですが、「友情」「愛と死」「若き日の思い出」の中でこの作品が最も好きな読者も結構いるようです。

 個人的には、気持ちよく読める作品ですが、「友情」「愛と死」と劇的な内容であるだけに、ちょっと地味な印象も(映画にはしにくい(笑))。ただし、「青春三部作」という捉え方をするのならば、最後を締めるには相応しい作品と言うことになるのかもしれません。

 「友情」「愛と死」「若き日の思い出」の「青春三部作」のうち、「友情」は作者が30代の時の作品で、後の2作は、それぞれ50代と60代の時に書かれて作品であることを意識して読んでみるのもいいのではないでしょうか。


愛と死 武者小路sim.jpg「愛と死」新潮文庫.jpg「愛と死」...【1952年文庫化・1967年改版[新潮文庫(『愛と死』)]/1955年再文庫化[角川文庫(『愛と死』)/1965年再文庫化[旺文社文庫(『友情・愛と死―他一編』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『友情・愛と死』)/1972年再文庫化[講談社文庫(『愛と死』)/1980年再文庫化[ポプラ社文庫(『愛と死』)]】

角川文庫『友情・愛と死』.jpg「若き日の思い出」...【1955年文庫化[角川文庫(『若き日の思ひ出』)/1957年再文庫化・1968年改版[新潮文庫(『友情』)/1966年再文庫化[旺文社文庫]】

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藤田敏八監督、小山内美江子脚本。蜷川幸雄が主役として頑張っていた「死を予告する女」。
恐怖劇場アンバランス 第02話 「死を予告する女」1.jpg 2話 「死を予告する女」蜷川.jpg 1話「木乃伊の恋」title.jpg 1話「木乃伊の恋」6.jpg
DVD恐怖劇場アンバランス Vol.1」「死を予告する女」蜷川幸雄(坂巻)/「木乃伊の恋」大和屋竺(定助)

 「恐怖劇場アンバランス」から2話。

第2話「死を予告する女」(制作№7) 
 作詞家の坂巻(蜷川幸雄)には内縁関係の和恵(藤田佳子)と娘がいるが、籍も入れず、和恵が妊娠した際も、産みたければ勝手に産めばいいが自分恐怖劇場アンバランス vol1.jpgは知らな2話「死を予告する女」01.pngいとしていた。和恵には下積み時代に世話になったが、だからといって縛られたくはなかったのだ。その娘が危篤になり、和恵は坂巻に電話するが、坂巻は作曲家の久保(財津一郎)やプロデューサーの西田(名古屋章)らとレコーディング中でそれどころではない。帰宅時に乗ったタクシーで、運転手が、蛇が飼育箱ごと行方不明になったというニュースの話をする。坂巻が自宅マンションに帰ると、ドアの下の隙間に蛇のようなものが見え、ドアを開けるとドアチェーンが落ちていた。 部屋に入ってシャワーを浴びようとすると、鏡を通2話「死を予告する女」3.jpgして見知らぬ黒衣の女(楠侑子)がソファにいることに気づく。女は「あなたは明日の夜、12時13分にお亡くなりになります」と坂巻の死を予告する。坂巻は部屋を飛び出し、むしゃくしゃした気持ちのまま行きつけのクラブへ行くと、ママ(荒砂ゆき)が迎えてくれた。ふと気づくと、奥のテーブルに先ほど部屋にいた女が座って坂巻を見ている。それ以降、坂巻は女につきまとわれる。和恵に嫌がらせかと問い詰めるが、彼女は覚えがないと言う。道路沿いで女に出会った際に、彼が押し倒して車に轢かれたはずの女が忽然と消えたのを目の当たりにして彼の怯えは頂点に達し、久保に相談する。久保や西田も彼の異変に気づいて心配し、女が予告した時間まで二人とも坂巻の自宅で一緒にいることにする―。

蜷川幸雄.jpg 「恐怖劇場アンバランス」の第2話(制作№7)で、の藤田敏八(「八月の濡れた砂」('71年))監督、小山内美江子(「3年B組金八先生」)脚本ですが、2016年に亡くなった演出家の蜷川幸雄が主演であり、そちらの方での注目度が高いと思われます。この人は70年代には結構テレビドラマに俳優として出ていましたが、主演作品を今こうして観られるのは貴重かもしれません。'73年放映ですが、実際の制作は'69年で(シーリーごと3年余り"お蔵入り"になっていた)、 その年は蜷川幸雄が「真情あふるる軽薄さ」('69年)で演出家としてのスタートを切った年でもあります。

2005(平成17)年・第53回「菊池寛賞」授賞式
蜷川幸雄 菊池寛賞.jpg 「厳しい演出で知られた蜷川幸雄が、自身若い頃には実際どのような演技をしていたのか」的な気持ちで観てしまいましたが、財津一郎、名古屋章といった芸達者と互して主役を張るだけの演技をしていたように思います。強迫神経症的な状況に追い込まれる主人公を、意外とクセ無くリアルに演じていたと思います。太地喜和子 1.jpgただし、日経新聞の『私の履歴書』によると、俳優でありながら演出家として頭角を表しつつあったある日、出演していた時代劇「水戸黄門」を見た太地喜和子から、俳優としての演技にダメ出しされたことをきっかけに演出家一本に絞ることにしたそうで('73年から'79年にかけて「水戸黄門」に7回単発出演している)、太地喜和子が「白い巨塔」('78~'79年)に出ていた頃の話かと思われます。

1死を予告する女1.png ラスト近くで、坂巻の妻・和恵(藤田佳子)が、黒衣の女(楠侑子)と似たような雰囲気で坂巻・久保・西田ら3人の前に現れニンマリするところが、一つ読み解きのヒントかと思いますが、坂巻だけでなく久保(財津一郎)や西田(名古屋章)もそうした不思議な経験をするため、「全部が主人公の坂巻の妄想でした」では説明しきれない造作2話 「死を予告する女」楠侑子.jpg2話「死を予告する女」.jpgになっていて、これはこのシリーズの一つの特徴かもしれません。
楠侑子(黒衣の女)/藤田佳子(和恵)

山手教会地下「ジァン・ジァン」
山手教会地下「ジァン・ジァン」.jpg別役実.jpg 黒衣の女を演じた楠侑子は1933年生まれで撮影時36歳でした(劇作家の別役実(1937-2020)の妻で、渋谷の山手教会地下「ジァン・ジァン」で毎年男優一人を招いて別役作品を上演し続けていた。イラストレーターのべつやくれいは娘)。当時、名古屋章(1930年生まれ)よりは若かったですが、財津一郎(1934年生まれ)、蜷川幸雄(1935年生まれ)よりは年上でした。
蜷川幸雄(売れっ子の作家の酒巻)/楠侑子(謎の女:「あなたは明日の夜12時13分にお亡くなりになります」)
(第2話)/死を予告する女」.jpg

2話)/死を予告する女」 蜷川1.jpgゴーガの像1.pngゴーガの像図1.png また、坂巻の行きつけのクラブのママを演じた荒砂ゆき(1939年生まれ)は、谷崎潤一郎原作、神代辰巳監督・脚本の「鍵」('74年)に主演で出ますが、「ウルトラQ(第24話)/ゴーガの像」('66年)に「田原久子」の旧芸名で、アリーン(リャン・ミン)役でも出ていて、ああ、そう言えばこの「恐怖劇場アンバランス」も円谷プロだったかと改めて思ったりした次第です。

荒砂ゆき(クラブのママ)
荒砂ゆき in「ウルトラQ(第24話)/ゴーガの像」(1966)/映画「鍵」(1974)原作:谷崎潤一郎、監督:神代辰巳
「ゴーガの像」1荒砂.jpg 「ゴーガの像」3荒砂.jpg 2荒砂ゆき.jpg 3荒砂ゆき.jpg


第1話「木乃伊(ミイラ)の恋」(制作№10) 
 山城の国の村里。一軒家の地面の下から鉦(かね)の音が聞こえる。家の百姓・正次(川津祐介)が1話「木乃伊の恋」11.jpg掘り起こすと、そこに1話「木乃伊の恋」2.jpgは数百年前に入定した僧のミイラが手だけを動かして鉦を叩いている。復活したミイラは次第に生気を取り戻し、定助(大和屋竺)として村人と暮らすようになるが、生前の過度の禁欲の反動からか、老婆にちょっかいを出し、知恵遅れの後家と交わり、金色の「お仏様」を産み落とす。最初は畏怖の念を抱いてた村人たちも、すぐに彼を「入定の定助」とバカにするようになり、その振る舞いに呆れた挙句―。

 「恐怖劇場アンバランス」の第1話として放映されたものですが、制作№は「10」であり、第2話より3つ後です。このシリーズ、おおよそ3年のお蔵入り期間を経て放映された13話のうち、制作No.7まではオリジナル脚本のホラー路線だったのが、制作No.8以降は原作つきのサスペンスに路線変更しています。

『妖』円地文子.jpg『妖・花食い姥』.jpgペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29.jpg この「木乃伊の恋」は、円地文子が江戸時代の上田秋成による読本「春雨物語」(1808年成立)に材を得た「二世の縁 拾遺」(『妖』('57年/文藝春秋)・『妖・花食い姥』('97年/講談社学芸文庫)などに所収)を原作とし、この作品はこれまでも円地文子の個人全集や文学全集に収録されてきたほか、岩波文庫『日本近代短篇小説選 昭和篇3』('12年)にも収録されましたが、昨年['19年]刊行された村上春樹作品の翻訳者でもある編者による『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29』(新潮社、ジェイ・ルービン編)という本にも収録されていました(序文を村上春樹が書いている)。『妖 (1957年)』/『妖・花食い姥 (講談社文芸文庫) 』['97年]/ジェイ・ルービン編(村上春樹・序文)『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29』['19年]

鈴木清順  .jpg 監督は鈴木清順で、「殺しの烙印」('67年/日活)が当時の日活社長・堀久作の「わからない映画ばかり作られては困る」との発言を生んで解雇された1968年の〈鈴木清順解雇事件〉から「悲愁物語」('77年/松竹)でカムバックを果たすまで約10年間映画を製作しておらず、'70年製作のこのTV作品はこの期間の作品になります。

1話「木乃伊の恋」09.jpg 上田秋成の「春雨物語」は、村上春樹の『騎士団長殺し』のモチーフとしても使われていますが、円地文子版及びこの映像化1話「木乃伊の恋」101.jpg作品では、先に挙げた「春雨物語」の江戸時代の話(原作の中で原典である「二世の縁」のおそらく円地文子自身によるものと思われる全訳(下に前半部分を抜粋)が叙述されているが、これが意外と軽妙でいい)を挟んで、「笙子」を主人公とする現代の話があります(原典は仏教批判ともとれるが、円地文子は「二世の縁」における甦った定助の「性」への我執をモチーフとしつつ、実は現代の話としての「拾遺」を通して、布川の「性」及び笙子自身の「性」つまりは男女の「性」への〈我執〉をテーマとしているようだ)。

 国文学者の布川(浜村純)から「春雨物語」は実話だと聞かされた笙子(渡辺美佐子)は戦時中に夫が亡くなった工場跡を訪れ、そこで死んだはずの夫と再会し雨の中で愛し合うが、その間に、つい先ほど病床にありながら彼女に言い寄った布川が、今しがた急逝したことを駆けつけた女中から知らされる―(因みに、布川が亡くなったというのはドラマのオリジナルであり、原作には無い。また原作では、布川はかつて血気盛んな頃は笙子に迫っていたが、今は自身の"下の世話"まで女中頼みであるためそれはなく、ただし、その女中をずっと愛人にしてきたらしいなどといった点でも、原作はドラマとやや異なる)。

1話「木乃伊の恋」5.jpg こうして見ると確かにサスペンスと言えばサスペンスですが、「春雨物語」の部分が映像的にぶっ飛んでいて(それがいいとい人もいるかもしれないが)個人的にはややついていけなかったです。後の清順作品に見られる映像的な美意識はあまり感じられず、ミイラにしても「お仏様」にしてもただただ気持ち悪かったです。このシリーズ13話のうち、どの系統にも属さない異色作であり、なぜこれを第1話にもってきたのか、その意図がよく分かりませんでした(異質だからこそ敢えて第1話にもってきたのか?)。

川津祐介(正次・江戸時代の百姓)/大和屋竺(定助・数百年前に入定しミイラとして甦った僧))/渡辺美佐子(笙子・病床の師から「春雨物語」の口語訳の手助けを引き受けた)
(第1話)/木乃伊(ミイラ)の恋」.jpg

蜷川幸雄(謎の女に自らの死を予告される売れっ子の作家の酒巻)
(第2話)/死を予告する女 2.png2話「死を予告する女」4.jpg「恐怖劇場アンバランス(第2話)/死を予告する女」●制作年:1969年(制作№7)●監督:藤唐十郎×蜷川幸雄.jpg田敏八●監修:円谷英●制作:円谷プロダクション/フジテレビ●脚本:小山内美江子●音楽:冨田勲●出演:蜷川幸雄/財津一郎/名古屋章/藤田佳子/荒砂ゆき/中原成男/小林寛/田中賎男/中ことみ/福田えみこ/福光洋子/楠侑子/青島幸男(解説)●放送:1973/01/15●放送局:フジテレビ(評価:★★★☆)   蜷川幸雄×唐十郎(2013)   
(第2話)/死を予告する女 .jpg

(第1話)/木乃伊(ミイラ)の恋 .jpg       
恐怖劇場アンバランス/ミイラの恋1.jpg1話「木乃伊の恋」4.jpg「恐怖劇場アンバランス(第1話)/木乃伊(ミイラ)の恋」●制作年:1970年(制作№10)●監督:鈴木清順●監修:円谷英二●制作:円谷プロダクション/フジテレビ●脚本:田中陽木乃伊(ミイラ)の恋  9.jpg造●音楽:冨田勲●原作:円地文子「二世の縁 拾遺」●出演:渡辺美佐子/浜村純/大和屋竺/加藤真知子/田中筆子/瀧那保代/昔々亭桃太郎/早(第1話)/木乃伊(ミイラ)の恋」51.png川研吉/白田和男/中原淑子/中原成男/相生千恵子/関陽子/市来まさみ/恒吉雄一/羽鳥靖子/川津祐介/青島幸男(解説)●放送:1973/01/08●放送局:フジテレビ(評価:★★★)

渡辺美佐子
      
恐怖劇場アンバランス Blu-ray BOX」(2016年リリース)
恐怖劇場アンバランス 1973.jpg
「恐怖劇場アンバランス」●監督:鈴木清順/藤田敏八/長谷部安春/山際永三/神代辰巳/森川時久/黒木和雄/満田かずほ/鈴木英夫/井田探●監修:円谷英二●特撮:佐川和夫●制作年:1969年8月~1970年4月●制作:円谷プロダクション/フジテレビ●脚本:田中陽造/小山内美江子/若槻文三/市川森一/山崎忠昭/滝沢真里/満田かずほ(禾+斉)/山浦弘靖/上原正三●音楽:冨田勲●解説:青島幸男●放映:1973/01~04(全13回)●放送局:フジテレビ

「恐怖劇場アンバランス」(全13話)放映ラインアップ
話数 制作No. サブタイトル ☆原作 脚本/監督
第1話 10 木乃伊(ミイラ)の恋 ☆円地文子 田中陽造/鈴木清順
第2話 7 死を予告する女 小山内美江/藤田敏八
第3話 9 殺しのゲーム ☆西村京太郎 若槻文三/長谷部安春
第4話 6 仮面の墓場 市川森一/山際永三
第5話 5 死骸(しかばね)を呼ぶ女 山崎忠昭/神代辰己
第6話 11 地方紙を買う女 ☆松本清張 小山内美江子/森川時久
第7話 12 夜が明けたら ☆山田風太郎 滝沢真理/黒木和雄
第8話 8 猫は知っていた ☆仁木悦子 満田穧(かずほ)/満田穧
第9話 3 死体置場(モルグ)の殺人者 山浦弘靖/長谷部安春
第10話 13 サラリーマンの勲章 ☆樹下太郎 上原正三/満田穧
第11話 2 吸血鬼の絶叫 若槻文三/鈴木英夫
第12話 1 墓場から呪いの手 若槻文三/満田穧
第13話 4 蜘蛛の女 滝沢真里/井田 探

制作№順
制作No. 話数 サブタイトル ☆原作 脚本/監督
1 第12話 墓場から呪いの手 若槻文三/満田穧
2 第11話 吸血鬼の絶叫 若槻文三/鈴木英夫
3 第9話 死体置場(モルグ)の殺人者 山浦弘靖/長谷部安春
4 第13話 蜘蛛の女 滝沢真里/井田 探
5 第5話 死骸(しかばね)を呼ぶ女 山崎忠昭/神代辰己
6 第4話 仮面の墓場 市川森一/山際永三
7 第2話 死を予告する女 小山内美江/藤田敏八
8 第8話 猫は知っていた ☆仁木悦子 満田穧/満田穧
9 第3話 殺しのゲーム ☆西村京太郎 若槻文三/長谷部安春
10 第1話 木乃伊(ミイラ)の恋 ☆円地文子 田中陽造/鈴木清順
11 第6話 地方紙を買う女 ☆松本清張 小山内美江子/森川時久
12 第7話 夜が明けたら ☆山田風太郎 滝沢真理/黒木和雄
13 第10話 サラリーマンの勲章 ☆樹下太郎 上原正三/満田穧

●円地文子「二世の縁 拾遺」より引用
 古曽部という村に年久しく住みついている豪農があった。山田を多く持って、豊年よ凶作よと騒ぎまくる心配もなく豊かに暮らしているので、主人も自然書物に親しむのを趣味とし、田舎人の中に殊更友を求めるでもなく、夜は更けるまで灯下に書見するのが毎日であった。母親はそれを案じて、
「さあさあ早くお寝み、子の刻(十二時)の鐘ももう疾うに鳴ったではないか。真夜中まで本を読むと芯が疲れて、さきへゆくときっと病気に罹るものとお父さんがよくお話なされた。好きな道というものはとかく、自分では気づかぬ内に深入りして後悔するものだよ」
 と意見をするので、それも親なればこその情けと有難いことに思って、亥の刻(十時)すぎれば枕につくように心がけていた。
 ある夜雨がしとしと降って、宵の中からひっそりと他の音といってはつゆばかりも聞えない静かさに、思わず書物によみふけって時を過ごしてしまった。今夜は母上の御意見も忘れて、大方丑の刻(午前二時)にもなったであろうかと窓をあけてみると、宵の中の雨はあがって、風もなく、晩い月が中空に上がっていた。「ああ静寂な深夜の眺めだ。この情感を和歌にでも」と墨をすり流し筆をとって一句二句、思いよって首をかしげ考えている中、ふと虫の音とのみ思っていた中に、鉦の音らしい響きの交って聞えるのに気づいた。はて、そう言ってみればこの鉦の音をきくのは今宵ばかりではないようだ。夜ごとこうして本を読んでいるときに聞えていたのを今はじめて気づいたのも思えば不思議である。庭に降り立ってあちらこちら鉦の音の聞える方角をたずね歩く中、ここから聞こえて来るらしいと思われる所は、普段、草も刈らず叢(むぐら)になっている庭の片隅の石の下らしかった。主人はそれをたしかに聞き定めて、寝間に帰った。
 さてその翌日、下男どもを呼び集めて、その石の下を掘るようにいいつけた。皆よって三尺ばかり掘り下げると鍬が大きな石に当ったので、それを取り除けると、その下にまた石の蓋をした棺らしいものがあった。重い蓋を大勢して持上げて中をみると何やら得体の知れぬものがいて、それが手に持った鉦を時々うち鳴らしているのだった。主人をはじめ近くによってこわごわさしのぞくと、人に似て人のようにも見えない......乾鮭のようにからからに乾固まって骨立っているが、髪の毛は長く生いのびて膝までもたれている。大力の下男を中に入れてそっと取出させることにしたが、その男は手をかけてみて、
「軽い、軽い、まるでただのようだ。じじむさいことも何もない」
 と気味悪半分大声に言った。こんなにして人々がかつぎ出す間も、鉦を叩いている手もとばかりは変らず動かしていた。主人はこの様子を見ていて尊げに合掌し、さて一同に言った。
「これは仏教に説く大往生の一つに「定に入る」といって、生きながら棺の中に坐り、坐禅しつづけて死ぬ作法がある。正しくこの人もこれであろう。わが家はここに百年余も住んでいるが、そのようなことのあったのをかつてきいたことがないところを見ると、これはわが祖先のこの土地に来たより以前のことであろう。魂はすでに仏の国に入って骸だけ腐らずこうしているものか。それにしても鉦を叩いている手だけが昔のまま動くのが執念深い。ともかくもこう掘り出した上は生命を再び蘇らせて見よう」
 主人も下男どもに手を添えて、木像のように乾し固まったそのものを家の中へかつぎ込んだ。
「危ないぞ、柱の角にぶち当てて毀すな」
 などとまるで毀れものを持ち歩くようにしてやっと一間に置いた。そっと布団など着せかけて主人がぬるま湯を入れた茶碗をもって傍らへゆき乾からびた唇を湿(うる)おしてやると、その間から舌らしい黒いものがむすむす動いて、唇を舐め、やがて綿に染ませた水をもしきりに吸うようである。
 これを見て女子供ははじめて、きゃっと声を上げ「こわい、こわい、化物だ」と逃げ退いて傍へよりつかなくなった。しかし、主人はこの様子に力を得て、この乾物を大事に扱うので、母なる人も一緒になって、湯水を与えるごとに念仏を称えるのを怠らなかった。
 こうして五十日ばかり経つ中に、乾鮭のようだった顔も手足も、少しづつ湿おって来て、いくらか体温も戻って来たようである。
「そりゃこそ、正気づくぞ」
 といよいよ気を入れて世話する中にはじめて目を見開いた。明るい方へ瞳を動かすようであるが、まだはっきりとは見えない様子である。おも湯や薄い粥などを唇から注ぎ入れると、舌を動かして味わう様子は、何のこともないただの人間であった。古樹の皮のようだった皮膚の皴が浅くなり少しづつ肉づいて来て手足も自由に動き、耳もどうやら聞えるのか、北風の吹きたてる気配に、裸のままの身体を寒げに慄るわしている。
 古い布子を持って来て渡すと、手を出して戴く様子はうれしそうで、物もよく食べるようになった。初めの中は尊い上人の甦りであろうと主人も礼を厚くして魚肉も与えなかったが、他人の食べるのを見て鼻をひくひくさせ欲しがるので、膳に添えると、骨のままかじって、頭まで食い尽くすには主人も興ざめる思いがした。
「あなたは一度定に入ってまた甦って来た珍しい宿世の方なのですから、私どもの発心のしるべに、この長い間どういう風にして土の下で生きていられたか覚えていられることを話して下さい」
 と懇ろにたずねて見ても、首を振って、
「何にも知らない」
 といってぼんやり主人の顔を見ているばかり、
「それにしてもこの穴へ入った時のことぐらいでも思い出せませんか、さても、昔の世には何という名で呼ばれた人か」
 といっても、一向に何も知らぬ人らしく、うじうじと後じさりして、指をなめたりしているさまが、全くこの辺りの百姓の愚鈍に生れついたものの有様そっくりである。
 折角数カ月骨折ってあたら高徳の聖を再生させたと喜んだのに、この有様には主人もすっかり気を腐らせ、後には下男同様に庭を掃かせたり、水を撒かせたり召使うようになったが、そういう仕事は別に厭いもせず、怠けずに立ち働いた。
「さても仏の教えとは馬鹿馬鹿しいものだ。禅定に入って百年余も土中にあり、鉦を鳴らしつづけるほどの道心はどこへ消え失せたのか。尊げな性根はさらになく、いたずらに形骸ばかり甦ったとは何たることか」
 と主人をはじめ村のなかでも少しこころある者は眉をひそめて話しあった。

円地文子「二世の縁 拾遺」より
『日本近代短編小説選』昭和編3(岩波文庫)収録

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「過去130年間の論壇を振り返る」には紙数足らずで、読書案内としてはやや中途半端か。

読む力 - 0_.jpg読む力.jpg
読む力 - 現代の羅針盤となる150冊 (中公新書ラクレ)』['18年]
二十一世紀精神―聖自然への道 (1975年)』['75年]
松岡 正剛 二十一世紀精神.jpg 編集工学研究所の松岡正剛氏と、月300冊は本を読むという元外交官で作家の佐藤優氏が、雑誌「中央公論」創刊130年記念で、過去130年間の論壇を振り返って語った誌上対談シリーズを新書化したものです。個人的な注目は松岡正剛氏で、かなり以前に津島秀彦氏との対談集『二十一世紀精神―聖自然への道』('75年/工作舎)を読んでスゴイ思考力の人がいるものだなあと思ったものですが、当時はそれほど知られていなかったのが、今や「松岡正剛 千夜一夜」で、読書子の間ではすっかり有名になりました(個人的には今でもスゴイ人だなあと思っている)。

 第1章では、二人が子供のころに読んだ本を語り合っていて、両者の対談は"初"だそうですが、「実は、高校は文芸部でした」という佐藤氏の打ち明け話にはじまり、意外とオーソドックスだと思いました。それが、第2章から「20世紀の論壇」がテーマになっていて、ああ、そう言えば、「過去130年間の論壇を振り返る」のが企画の趣旨だったなあと。以下、第3章から第5章まで、章末に、対談の中で出てきた主要な本のリストがあり、一部書影もあって見やすく親切であると思いました。

禅と日本文化1.bmp阿部一族 岩波文庫.jpg 第3章では、日本国内の130年間の思想を(この「130年」というのは要するに「文藝春秋」の創刊からの年数であるのだが)、ナショナリズム、アナーキズム、神道、仏教...と振り返り、章末に「国内を見渡す48冊」として、それまでの対談の中で取り上げた、鈴木大拙の『禅と日本文化』や森鷗外の『阿部一族』などが挙げられています。

ブリキの太鼓 ポスター.jpg存在の耐えられない軽さ.jpg 第4章では、主に欧米の思想について、民族と国家、資本主義などに関して検証的に振り返り、章末に「海外を見渡す52冊」として、ニーチェの『道徳の系譜』やテンニエスの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』、サルトルの『存在と無』やヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』やミラン・クンデラの『存在の堪えられない軽さ』などが挙げられています。

ロウソクの科学改訂版.jpgバカの壁1.jpg 第5章では、ちょっと切り口を変えて「通俗本」を取り上げています。ここで言う「通俗本」とは、難解な学問や他者の業績を「通俗化」しようとする試みのもと書かれた本のことで、それは学問や思想を普及させ、人々の理解を促すものであるとして、二人とも礼賛しています。章末に「通俗本50冊」として、マイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』や養老孟司氏の『バカの壁』などが挙げられています。

 意外とオーソドックスな中、第5章の「通俗本」という考え方が、個人的には目新しかったでしょうか。ただ、「通俗本50冊」のラインアップの中に、手塚治虫の『火の鳥』や白土三平の『カムイ外伝』と並んで弘兼憲史氏の『社長島耕作』などが入っていたりするのが意外でした。『社長島耕作』は、佐藤優氏が"一生懸命読んでいる"ところだとのことで、それに対して松岡正剛氏は「えっ、島耕作を? 何のために読んでいるのですか?」と聞き返しています。それに対して佐藤氏は、「つまるところ、世の中たった一人しか幸せじゅない」という世界を、主人公の早稲田大学入学から会長になるまでトレースしているとし、松岡氏は「ふうん、そういうことか」と。但し、あまり納得していない様子でした。ともに「通俗本50冊」の価値を認めながらも、どのような本がそれに該当するかは意見が違ってくる部分もあるのは当然かと思います。

 そもそも、この紙数で「過去130年間の論壇を振り返る」のにやや無理があったかもしれません(だから「読む力」というタイトルになった?)。対談内容が、(自分の読んでいる本が少なすぎて)自分の理解が及ばないというのもあることにはありますが、全体に少しもやっとした印象のものになってしまったように思いました。

 読書案内としても、二人ともスゴイ読書家であることは読む前から分かっているわけですが、やや中途半端な印象でしょうか。松岡正剛氏のまえがきによれば、編集部から事前に「150冊選んでください」と言われたそうですが、この二人、他にもいっぱい"読書案内"的な本を出しているので、本書はそれぞれのそうした"読書案内"本の<体系>の一部にすぎず、そちらの方も併せて読みましょうということなのかもしれません。

《読書MEMO》
●佐藤 優 2020年「菊池寛賞」受賞(作品ではなく人に与えられる賞)
受賞理由:『国家の罠』で2005年にデビュー以来、神学に裏打ちされた深い知性をもって、専門の外交問題のみならず、政治・文学・歴史・神学の幅広い分野で執筆活動を展開。教養とインテリジェンスの重要性を定着させる

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シリーズ第1作。ドラマにはなっていない木枯し紋次郎の誕生秘話。

赦免花は散った1.jpg 赦免花は散った 時代小説文庫.jpg 木枯し紋次郎 (一) 赦免花は散った (光文社文庫) .jpg 時代小説傑作選-upq.jpg 木枯し紋次郎2.jpg
『赦免花は散った―木枯し紋次郎股旅シリーズ』『赦免花は散った―木枯し紋次郎 (1981年) (時代小説文庫〈36〉)』『木枯し紋次郎(一)~赦免花は散った~ (光文社文庫)』『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選 (宝島社文庫 「この時代小説がすごい!」シリーズ)』「木枯し紋次郎」(中村敦夫)
挿画:岩田専太郎
赦免花は散った_2岩田専太郎.jpg 宝島社の「『この時代小説がすごい!』が選ぶ!時代小説ベストテンアンケート」第2位。

 天保6年、渡世人の紋次郎は、母親の死に目を看取りたいという幼馴染みで兄弟分の左文治の罪を代わりに被って、三宅島に流罪になっている。三宅島の囚人たちはみな飢えに苦しんでいて、島からの脱出を試みたりしている。脱出が未遂に終わって、島を出られなかった者は、銃殺されていくのだった。紋次郎の赦免花は散った02岩田専太郎.jpg島での同居人・清五郎ほか、捨吉、源太、お花の4人組も、脱出を企てている。差し迫った三宅島の火山噴火の機を狙い、その混乱に乗じて脱出しようということだ。一時的な身代わりとして島に来ている紋次郎はこの計画に加わらないつもりだったが、新たに島に来た流人から、左文治の母親は9か月前、紋次郎が小伝馬町の牢内にいる頃に亡くなっていたことを知らされ、自分が左文治に裏切られたことを知って、4人組の島脱出計画に加わることにする―。

赦免花は散った講談社ロマンブックス.jpg 「赦免花は散った」は「小説現代」1971(昭和46)年3月号に発表された作品で、「帰ってきた紋次郎」シリーズまで入れると28年間、全113編にもなる「紋次郎もの」の第1作、始まりの作品です。そのデビューが流刑島としての三宅島だったというのはやや意外でした。いきなり、島における悲惨を極める流人生活が克明に描写され、島流しが「遠回しの死刑」といっていいほどに、肉体的にも精神的にもギリギリまで追い詰められる地獄の刑罰であることを物語っています。

『赦免花は散った―木枯し紋次郎(一)』('72年/講談社ロマン・ブックス)

 紋次郎は、島に流される時に、自分の後追いするように自殺した両替屋の「お夕」のことを毎日供養の気持ちで思ってみたり、三宅島では「お夕」と同じ名前の流人の妊婦の世話をしたりしますが、紋次郎が世話した島の「お夕」は子連れ自殺したために紋次郎の気遣いは報いられることなく、また、最終的には、もう1人の「お夕」にも左文治と通じ合って自分を裏切っていたことを知ることになり、日々の供養もまた無意味だったことを知るに至ります。

 島からの脱出行で、清五郎、捨吉、源太、お花の4人組は生存本能剥き出しの獣のような争いとなり、結局、紋次郎だけが江戸に帰還して左文治と対峙します。お腹の中に左文治の子がいるというお夕の訴えを退け、「もう、騙されねえぜ!」と一喝して左文治を仕留め、お夕には「お夕さん、甘ったれちゃあいけませんぜ。赦免花は散ったんでござんすよ」と言い捨てます。

 「赦免花」とは蘇鉄の花のことで、流刑の島では蘇鉄の花が咲くと赦免船がやって来るという言い伝えが根拠のないまま自然発生的に流布されており、そのことに由来する呼び名です。と言っても、今ここで「赦免花は散ったんでござんすよ」と言ってもお夕には何のことだか分かるはずもなく、紋次郎自身、なぜ自分がそう言い捨てたのか分からないでいます。但し、その後に、「しかし、それでもよかった。赦免花は散ったと口にした瞬間から、紋次郎は新しい自分になったような気がしたのだった」と続きます。

「木枯らし紋次郎」撮影現場で(中村敦夫/笹沢左保)
笹沢左保2.jpg まさに、虚無感漂うアンチ・ヒーロー木枯し紋次郎の誕生の瞬間であり、当エピソードは紋次郎誕生秘話と言えるものですが(当時紋次郎は30歳で、渡世の道に入って14年という設定らしい)、翌'72年1月1日からフジテレビ系列でスタートした中村敦夫主演のテレビドラマ「木枯し紋次郎」では、全38話を通じてこのエピソードは映像化されていないようです('77年から'78年にかけて東京12チャンネルで放映された「新 木枯し紋次郎」全26話についても同様)。"誕生秘話"という特殊な位置づけであるだけに、通常のシリーズの中には入れにくいのでしょう。一方で、中島貞夫監督、菅原文太主演の映画「木枯し紋次郎」('72年/東映)がこの「赦免花は散った」を原作としているとのことで、初の時代劇出演だった菅原文太の紋次郎がどのようなものだった観てみたい気もします

木枯し紋次郎3.jpg木枯し紋次郎 .jpg「木枯し紋次郎」●演出:市川崑/森一生/手銭弘喜/大洲斉/出目昌伸/小野田嘉幹 他●プロデューサー:浅野英雄/阪根慶一/大岡弘光/小嶋伸介●脚本:服部佳/久里子亭(和田夏十、市川崑)/山田隆之/大野靖子/大藪郁子 他●撮影:宮川一夫/森田富士郎●音楽:湯浅譲二(主題歌「だれかが風の中で」(作詞:和田夏十、作曲:小室等、編曲:寺島尚彦、歌:上條恒彦)●原作:笹沢左保●出演:中村敦夫/森内一夫/森下耕作/美樹博/(以下、非レギュラー)小川真由美/小池朝雄/植田峻/二瓶康一/原田芳雄/加藤嘉/藤村志保/大出俊/香川美子/常田富士男/赤座美代子/野川由美子/小松方正/浜村純/鰐淵晴子/阿藤海(快)/小山明子/太地喜和子/(ナレーター)芥川隆行●放映:1972/01~05、1972/11~1973/03(全38回)●放送局:フジテレビ

【1981年文庫化[富士見書房・時代小説文庫(『赦免花は散った―木枯し紋次郎』)]/1997年再文庫化[光文社文庫(『木枯し紋次郎(一)~赦免花は散った~』)]/2016年再文庫化[宝島社文庫(『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選』)]】

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「●新藤 兼人 脚本作品」の インデックッスへ 「●若尾 文子 出演作品」の インデックッスへ 「●岸田 今日子 出演作品」の インデックッスへ「●船越 英二 出演作品」の インデックッスへ「●川津 祐介 出演作品」の インデックッスへ  「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「●た 谷崎 潤一郎」の インデックッスへ 「●山内 正 音楽作品」の インデックッスへ(「卍」「東京警備指令 ザ・ガードマン」) 「●日本のTVドラマ(~80年代)」の インデックッスへ(「東京警備指令 ザ・ガードマン」) 「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(新藤兼人) 「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(新藤兼人)

岸田今日子、若尾文子、船越英二、川津祐介らの演技力でドタバタ喜劇にならずに済んだ。

卍 1964 dvd new.jpg卍 1964 02.jpg卍 1964 00.jpg
卍(まんじ) [DVD]」 岸田今日子/若尾文子

Manji01.jpg 弁護士の夫に不満のある妻・柿内園子(岸田今日子)は、美術学校で魅惑的な女性・徳光光子(若尾文子)と出会う。学校内で二人は同性愛ではないかとの噂が立ち、最初は深い関係ではなかった二人だが、次第に離れられない深い関係に陥っていく。二人の関係を訝しむ園子卍 1964 01.jpgの夫・孝太郎(船越英二)の非難を尻目に、すっかり光子の美しさに魅了された園子だったが、そこへ光子が妊娠したという話が持ち上がり、園子は光子に綿貫栄次郎(川津祐介)という婚約者がいたことを初めて知って憤る。綿貫は、園子に光子への愛を二人で分かち合おうと持ちかけて誓約書を作り、光子に押印させ、光子、園子、綿貫の三角関係が生れる。しかし、この関係は長くは続かず、園子は実は綿貫は性的不能者で、妊娠は狂言であったと言う。光子は、園Manji002.jpg子と綿貫との誓約関係を反故にさせようするが、その動きを知った綿貫は光子を脅迫する。切羽詰まった光子は園子と共に睡眠薬で狂言自殺をするが、意識朦朧のまま園子が見たのは、自殺未遂の知らせを聞いて駈けつけた園子の夫・孝太郎と光子の卍 1964 ド.jpg情事だった。今度は、光子の虜となった孝太郎と、光子、園子の間に新たな三角関係が生まれる。以前の園子と綿貫の間で交わした誓約書は、綿貫から孝太郎に戻されていたが、ある日、綿貫が密かに撮っておいた誓約書の写真が新聞に掲載されてスキャンダルとなる。光子、園子、孝太郎の三人は、三人とも自殺して全てを清算しようと考える―。

谷崎 卍 新潮文庫.jpg増村保造.jpg新藤兼人2.png 1964(昭和39)年公開の谷崎潤一郎原作『』の映画化作で、監督は増村保造(1924-1986)監督、脚本は新藤兼人(1912-2012)。以降、海外も含め4度ほど映画化されていて、全部観たわけではないですが、おそらくストーリーの流れとしては最も原作に近いのではないでしょうか。

増村保造(1924-1986)/新藤兼人(1912‐2012/享年100)

 時代設定が、原作で明治43(1910)年の出来事だったのが、映画では映画製作時の現在(昭和39(1964)年)になっていて、50年以上隔たりがありますが、不思議と原作との間に違和感がありませんでした。まあ、同性愛という刺激的なモチーフでもあるし、谷崎の原作そのものがモダンな雰囲気を持っているというのもあるかもしれません。

manji 1964  kishida.jpg卍 1964 0.jpg 岸田今日子(1930-2006/享年76)演じる園子が作家と思われる「先生」に自分の体験を語るという原作の枠組みも生かされています(先生を演じている三津田健は一言も発しない)。考えてみたら、原作はこの内容をすべて園子一人の"語り"で描いて、しかも飽きさせずに読ませるというのは、やはり原作はスゴイのではないかと思った次第です。映画でも時々、岸田今日子演じる園子の"語り"が入りますが、この人もやはり演技達者だなあと思いました。

卍 1964   .jpg 光子という女性に、園子、孝太郎、栄次郎の三人が振り回されっぱなしになるというストーリー展開で、"卍" にはこの四者の入り組んだ関係を象徴したものだと改めて思いましたが、演技は岸田今日子だけでなく、それぞれに良かったように思います。

Manji02.jpg 若尾文子(1933- )は当時30歳で、ファム・ファタールである光子の妖しい魅力を存分に発揮しており、船越英二(1923-2007/享年84)の演技も手堅かったです(船越英二は谷崎原作の「痴人の愛」('60年/大映)にも出ている)。予想以上に良かっ卍 1964.jpgたのmanji 1964    .jpg川津祐介(1935- )で、卑屈で小狡いが見ていてどこか哀しさもある男・綿貫栄次郎を演じて巧みでした。結局、岸田今日子も含め四人の演技力に支えられている作品だったように思います(勿論、増村保造監督の演出力もあると思うが)。

 途中、光子が自分で自らが仕組んだカラクリのネタばらしをしてしまう点などかが、ちょっとだけ原作と違ったかなあという程度です(かなり慌ただしいストーリー展開だから無理もないのか)。谷崎潤一郎作品って、『痴人の愛』も『鍵』もそうですが、映像化するに際して一歩間違えるとドタバタ喜劇にもなりかねないような要素があるように思われます。この作品は、四人の演技力によって何とかそれを免れているように思いました。

卍 1964 5.jpg卍 1964 manji.jpg 原作の細やかな情感まで描き切るのは難しかったのかもしれませんが、まずまずの出来だったと思います。原作の内容を実イメージとして把握する助けになる作品と言えるでしょう。この作品の7年前に谷崎の『』を映画化した市川昆監督は(「」('59年/大映))、結末を原作と全く変えてしまっていましたが、市川昆がこの作品を撮っていたらどうなっていたでしょうか。

「卍」●制作年:1964年●監督:増村保造●脚本:新藤兼人●撮影:小林節雄●音楽:山内(やまのうち)正●原作:谷崎潤一郎●時間:90分●出演:若尾文子/岸田今日子/川津祐介/船越英二/山茶花究/村田扶実子/南雲鏡子/響令子/三津田健●公開:1964/07●配給:大映(評価:★★★☆)

山内正.jpgザ・ガードマン.jpg 音楽は山内(やまのうち)正(1927-1980)。父親は弁士の山野一郎、長兄は俳優の山内明、次兄は脚本家の山内久という映画一家でしたが、53歳と比較的早くに亡くなっています。映画「大怪獣ガメラ」('65年/大映)やテレビドラマ「東京警備指令 ザ・ガードマン」('65年-'71年)などの音楽も手掛けていますが、管弦楽曲、バレイ音楽など純音楽作品も遺しました。ただ、やはり、宇津井健主演の「ザ・ガードマン」のテーマが一番印象に残っているでしょうか。「ザ・ガードマン」は最初モノクロで'69年ころからカラーになっていますが、個人的にはモノクロの印象の方が強いです。モデルは1962年設立の日本初の警備会社「日本警備保障」(現在のセコム)。最高視聴率40.5%(1967年9月22日)。

ザ・ガードマンc.jpg「東京警備指令 ザ・ガードマン」●監督:村山三男/井上芳夫/富本壮吉/崎山周/湯浅憲明/土井茂/弓削太郎/佐藤肇ほか●脚本:下飯坂菊馬/増村保造/安藤日出男/松木ひろし/加瀬高之ほか●プロデューサー:野添和子/春日千春/小森忠/柳田博美ほか●音楽:山内正/大塩潤→渡辺岳夫●撮影:浅井宏彦/山崎忠/森田富士郎/武田千吉郎●出演:宇津井健/藤巻潤/川津祐介/倉石功/稲葉義男/中条静夫/神山繁/清水将夫●放映:1965/04~1971/12(全350回)●放送局:TBS


「卍」撮影風景
卍 f99b6.jpg卍e7461.jpg

船越英二 in「黒い十人の女」('61年/大映)/「卍」('64年/大映)/「盲獣」('69年/大映)
黒い十人の女 03.jpg 卍 船越英二.jpg 盲獣19.jpg

山内(やまのうち)正 作曲・編曲「ザ・ガードマン」のテーマ

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"浅田節"全開というか、ベタ過ぎる印象もあるが、「歸鄕」はすんなり心に沁みた。

浅田次郎 帰郷01.jpg浅田次郎 帰郷02.jpg浅田次郎 帰郷03.jpg
帰郷』(2016/06 集英社)
【2019年文庫化[集英社文庫]】
帰郷 ps.jpg 2016(平成28)年第43回「大佛次郎賞」受賞作。

 南方戦線で生き残った元兵隊が焼け野原の新宿の闇市で娼婦をしている女とふと出会う「歸鄕」、日本から遠く離れたニューギニアでの生々しい戦闘の中、高射砲の修理にあたる職工を描いた「鉄の沈黙」、幼いころに父が戦死し母と離れて育った大学生が、戦争のことなどすっかり忘れてしまったかのような戦後の開業間もない後楽園遊園地でふと戦争の傷跡を垣間見る「夜の遊園地」、昭和40年代の自衛隊員と戦時中の陸軍兵が時空を超えて交流するSFタッチの「不寝番」、南方戦線の壮絶な戦場をくぐり抜け帰国した元兵士が傷痍軍人と関わったことで数奇な運命をたどる「金鵄のもとに」、海軍を志願した大学生が絶望の中で夢や思い出などを語り合う「無言歌」の6編を所収。

 「鉄の沈黙」と「金鵄のもとに」は2002年発表、「歸鄕」その他は2015年から2016年にかけて発表されたものですが、何れも戦争をモチーフにしたもので、それぞれのモチーフやテーマは重く、また、著者があたかも戦争の語り部であるかのように継続してこのテーマを取り上げていることが窺え、その点は尊敬します。

 "浅田節"全開というか、それぞれに力作で、Amazon.com の読者レビューなどでも高い評価を得ているようですが、ただ個人的にはあまりにベタ過ぎる印象を受けなくもなく、この辺りはもう作品との相性の問題でしょう。そうした中で、冒頭の「歸鄕」はすんなり心に沁みました。

 信州松本の庄屋の長男である主人公が、召集されて南洋に送られたが、部隊は玉砕して彼だけ生き残り、米軍の捕虜なる。実家には戦死の公報が届いていて、郷里へ復員すると、妻は弟と再婚していて弟の子を身ごもっていた。男は逃げるように東京へ出て、焼け跡で出会った娼婦に苦しい胸の内を吐き出すしかなかった―。

 他にも主人公の語りを借りて物語にしているものがありますが、日本人ってそんなに自分の事を他人に話すかなあと思ったりしたものもあった中で、この「歸鄕」だけは自然な感じがしたし、最後に明日に向けた救いが用意されているのも良かったです。

 短編のタイトルが「歸鄕」と旧字になっていて、短編集としての書籍の表題は「帰郷」と新字になっていますが、イメージとしては「歸鄕」だろうなあ(表題には旧字を使わない方がいいという判断なのか?)。

【2019年文庫化[集英社文庫]】

《読書MEMO》
・2019年「菊池寛賞」受賞(1991年のデビュー以来、『蒼穹の昴』などの中国歴史小説、時代小説、戦争小説、直木賞受賞作『鉄道員』の珠玉の短編まで、幅広いジャンルにわたって、平成の文学界を牽引し続けてきた功績)

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「メメント・モリ」映画の"傑作"と言うか、むしろ"快作"と言った方が合っている?

Okuribito (2008).jpgおくりびと 2008 .jpgおくりびと1.jpg
おくりびと [DVD]」 山崎努・本木雅弘
Okuribito (2008)

おくりびと2.jpg チェロ奏者の小林大悟(本木雅弘)は、所属していた楽団の突然の解散を機にチェロで食べていく道を諦め、妻・美香(広末涼子)を伴い、故郷の山形へ帰ることに。さっそく職探しを始めた大悟は、"旅のお手伝い"という求人広告を見て面接へと向かう。しかし旅行代理店だと思ったその会社の仕事は、"旅立ち"をお手伝いする"納棺師"というものだった。社長の佐々木生栄(山崎努)に半ば強引に採用されてしまった大悟。世間の目も気になり、妻にも言い出せないまま、納棺師の見習いとして働き始める大悟だったが―。

おくりびと アカデミー賞.jpg 2008年公開の滝田洋二郎監督作で、脚本は映画脚本初挑戦だった放送作家の小山薫堂。第32回「日本アカデミー賞」の作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞(本木雅弘)・助演男優賞(山崎努)・助演女優賞(余貴美子)・撮影賞・照明賞・録音賞・編集賞の10部門をを独占するなど多くの賞を受賞しましたが(第63回「毎日映画コンクール 日本映画大賞」、第33回「報知映画賞 作品賞」、第21回「日刊スポーツ映画大賞 作品賞」も受賞)、その前に第32回モントリオール国際映画祭でグランプリを受賞しており、更に日本アカデミー賞発表後に第81回米アカデミー賞外国語映画賞の受賞が決まり、ロードショーが一旦終わっていたのが再ロードにかかったのを観に行きました(2009年(2008年度)「芸術選奨」受賞作。脚本の小山薫堂は第60回(2008年)「読売文学賞」(戯曲・シナリオ賞)、本木雅弘と映画製作スタッフは第57回(2009年)「菊池寛賞」を受賞している)。

滝田洋二郎監督、本木雅弘、余貴美子、広末涼子(第81回アカデミー賞授賞式/2009年2月23日(日本時間))

おくりびと3.jpg 主演の本木雅弘のこの映画にかけた執念はよく知られていますが、"原作者"に直接掛け合ったものの、原作者から自分の宗教観が反映されていないとして「やるなら、全く別の作品としてやってほしい」と言われたようです。もともとは、本木雅弘が20歳代後半に藤原新也の『メメント・モリ―死を想え』('83年/情報センター出版局)を読み、インドを旅して、いつか死をテーマにしたいと考えていたとのことで、まさに「メメント・モリ」映画と言うか、いい作品に仕上がったように思います(結局、原作者も一定の評価をしているという)。

おくりびと4.jpg 特に、前半部分で主人公が"納棺師"の仕事の求人広告を旅行代理店の求人と勘違いして面接に行くなどコメディタッチになっているのが、重いテーマでありながら却って良かったです(逆に後半はややベタか)。技術的な面や宗教性の部分で原作者に限らず他の同業者からも批判があったようですが、それら全部に応えていたら映画にならないのではないかと思います。こうした仕事に注目したことだけでも意義があるのではないかと思いますが(ジャンル的には"お仕事映画"とも言える)、米アカデミー賞の選考などでは、同時にそれが作品としてのニッチ効果にも繋がったのではないでしょうか(アカデミーの外国語映画賞が、前3年ほど政治的なテーマや背景の映画の受賞が続いていたことなどラッキーな要素もあったかも)。

おくりびと5.jpg Wikipediaに「地上波での初放送は2009年9月21日で21.7%の高視聴率を記録したが、2012年1月4日の2回目の放送は3.4%の低視聴率」とありましたが、2回目の放送は日時が良くなかったのかなあ。こうした映画って、ブームの時は皆こぞって観に行くけれど、時間が経つとあまり観られなくなるというか、《無意識的に忌避される》ことがあるような気がしなくもありません。そうした傾向に反発するわけではないですが、個人的には、最初観た時は星4つ評価(○評価)であったものを、最近観直して星4つ半評価(◎評価)に修正しました(ブームの最中には◎つけにくいというのが何となくある?)。「メメント・モリ」映画の"傑作"と言うか、むしろ"快作"と言った方が合っているかもしれません。

 これもWikipediaに、「本作では、一連の死後の処置(エンゼルメイク)を納棺師が行っているが、現在では、臨終全体の8割が病院死であり、実際には、看護師が病院で行うことが多い」(小林光恵著『死化粧の時―エンゼルメイクを知っていますか』('09年/洋泉社))とありましたが、病院側がやるエンゼルメイクとは別に葬儀会社に「湯灌」などを頼めば、有料の付加サービスとしてやってくれるでしょう。納棺師と湯灌師の違いの厳密な規定はないそうですが、そうした人たちもある意味"おくりびと"であるし(最近若い女性の湯灌師が増えているという)、エンゼルメイクする看護師もその仕事をしている時は、広い意味での"おくりびと"であると言えるのではないでしょうか。

木村家の人びとド.jpg 滝田洋二郎監督は元々は新東宝で成人映画を撮っていた監督で、初めて一般映画の監督を務めた「コミック雑誌なんかいらない!」('86年/ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)でメジャーになった人です。個人的には、鹿賀丈史、桃井かおり主演の夫婦で金儲けに精を出す家族を描いた「木村家の人びと」('88年/ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画)を最初「木村家の人びと」0.jpgに観て、部分部分は面白いものの、全体として何が言いたいのかよく分からなかったという感じでした(ぶっ飛び度で言えば、石井聰互監督の「逆噴射家族」('84年/ATG)の方が上)。その後、東野自圭吾原作の「秘密」('99年/東宝)、浅田次郎原作の「壬生義士伝」('03年/松竹)を観て、比較的原作に沿って作る"職人肌"の監督だなあと思いました(結果として、映画に対する評価が、原作に対する好き嫌いにほぼ対応したものとなった。「木村家の人びと」の原作は未読)。「おくりびと」はいい作品だと思いますが、このタイプの監督が米アカデミー賞の表彰式の舞台に立つのは、やや違和感がなくもないです。菊池寛賞も、「本木雅弘と映画製作スタッフ」が受賞対象者となっていて、その辺りが妥当な線かもしれません(まあ、アカデミー外国語映画賞も監督にではなく作品に与えられた賞なのだが)。因みに、「木村家の人びと」はビデオが絶版になった後DVD化されておらず[2017年現在]、ファンがDVD化を待望しているようですが、個人的にはどうしても観たいというほどでもありません。
   
おくりびとes.jpg「おくりびと」●制作年:2009年●監督:滝田洋二郎●製作:中沢敏明/渡井敏久●脚本:小山薫堂●撮影:浜田毅●音楽:久石譲●時間:130分●出演:本木雅弘/広末涼子/山崎努/杉本哲太/峰岸徹/余貴美子/吉行和子/笹野高史/山田辰夫/橘ユキコ/飯森範親/橘ゆかり/石田太郎/岸博之/大谷亮介/諏訪太郎/星野光代/小柳友貴美/飯塚百花/宮田早苗/白井小百合●公開:2008/09●配給:松竹●最初に観た場所:丸の内ピカデリー3(09-03-12)(評価:★★★★☆)

本木雅弘(2009年アジアン・フィルム・アワード」(主演男優賞))
「アジアン・フィルム・アワード」本木2.jpg.png 

丸の内ルーブル.jpg丸の内ピカデリー3.jpg丸の内ピカデリー3ド.jpg丸の内ブラゼール4.jpg丸の内ブラゼールes.jpg丸の内松竹(丸の内ピカデリー3) 1987年10月3日「有楽町マリオン」新館5階に「丸の内松竹」として、同館7階「丸の内ルーブル」とともにオープ「丸の内ピカデリー ドルビーシネマ」.jpgン、1996年6月12日~「丸の内ブラゼール」、2008年12月1日~「丸の内ピカデリー3」) (「丸の内ルーブル」は2014年8月3日閉館)
「サロンパス ルーブル丸の内/丸の内ブラゼール」(2008)
2018(平成30)年12月2日休館、2019(令和元)年10月4日~ドルビーシネマ専用劇場「丸の内ピカデリー ドルビーシネマ」として再オープン。
 
   
木村家の人びと vhs.jpg木村家の人びとf5.jpg「木村家の人びと」●制作年:1988年●監督:滝田洋二郎●脚本:一色伸幸●撮影:志賀葉一●音楽:大野克夫●原作:谷俊彦●時間:113分●出演:鹿賀丈史/桃井かおり/岩崎ひろみ/伊崎充則/柄本明/木内みどり/風見章子/小西博之/清水ミチ木村家の人びと4.jpg「木村家の人びと」柄本明.jpgコ/中野慎/加藤嘉/木田三千雄/奥村公延/多々良純/露原千草/辻伊万里/今井和子/酒井敏也/鳥越マリ/池島ゆたか/上田耕一/江森陽弘/津村鷹志/竹中木村家の人びと 加藤嘉_0.jpg直人/螢雪次朗/ルパン鈴木/山口晃史/三輝みきこ/小林憲二/野坂きいち/江崎和代/橘雪子/ベンガル●劇場公開:1988/05●配給:東宝 (評価★★★)

秘密DVD2.jpg映画 秘密2.jpg「秘密」●制作年:1999年●監督:滝田洋二郎●製作:児玉守弘/田上節郎/進藤淳一●脚本:斉藤ひろし●撮影:栢野直樹●音楽:宇崎竜童●原作:東野圭吾●時間:119分●出演:広末涼子/小林薫/岸本加世子/金子賢/石田ゆり子/伊藤英明/大杉漣/山谷初男/篠原ともえ/柴田理恵/斉藤暁/螢雪次朗/國村隼/徳井優/並樹史朗/浅見れいな/柴田秀一●劇場公開:1999/09●配給:東宝 (評価★★★☆)

壬生義士伝(DVD).jpg壬生義士伝m.jpg「壬生義士伝」●制作年:2003年●監督:滝田洋二郎●製作:松竹/テレビ東京/テレビ大阪/電通/衛星劇場●脚本:中島丈博●撮影:浜田毅●音楽:久石譲●時間:137分●出演:中井貴一/佐藤浩市/夏川結衣/中谷美紀/山田辰夫/三宅裕司/塩見三省/野村祐人/堺雅人/斎藤歩/比留間由哲/神田山陽/堀部圭亮/津田寛治/加瀬亮/木下ほうか/村田雄浩/伊藤淳史/藤間宇宙/大平奈津美●公開:2003/01●配給:東宝 (評価:★★☆)

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講談調で娯楽性が高く、伝説的虚構性を重視。「忠臣蔵」の初心者が大枠を掴むのに良い。

忠臣蔵(1958).jpg
忠臣蔵 1958_0.jpg
忠臣蔵 [DVD]」(2004) 主演:長谷川一夫

忠臣蔵 [DVD]」(2013)

滝沢修 忠臣蔵1958.jpg 元禄14年3月、江戸城勅使接待役に当った播州赤穂城主・浅野内匠頭(市川雷蔵)は、日頃から武士道を時世遅れと軽蔑する指南役・吉良上野介(滝沢修)から事毎に意地悪い仕打ちを受けるが、近臣・堀部安兵衛(林成年)の機転で重大な過失を免れ、妻あぐり(山本富士子)の言葉や国家老・大石内蔵助(長谷川一夫)の手紙により慰められ、怒りを抑え役目大切に日を過す。しかし、最終日に許し難い侮辱を受けた内匠頭は、城中松の廊下で上野介に斬りつけ、無念にも討忠臣蔵(1958)市川.jpgち損じる。幕府は直ちに事件の処置を計るが、上野介贔屓の老中筆頭・柳沢出羽守(清水将夫)は、目付役・多門伝八郎(黒川弥太郎)、老中・土屋相模守(根上淳)らの正論を押し切り、上野介は咎めなし、内匠頭は即日切腹との処分を下す。内匠頭は多門伝八郎の情けで家臣・片岡源忠臣蔵  昭和33年.jpg右衛門(香川良介)に国許へ遺言を残し、従容と死につく。赤穂で悲報に接した内蔵助は、混乱する家中の意見を籠城論から殉死論へと導き、志の固い士を判別した後、初めて仇討ちの意図を洩らし血盟の士を得る。その中には前髪の大石主税(川口浩)と矢頭右衛門七(梅若正二)、浪々中を馳せ参じた不破数右衛門(杉山昌三九)も加えられた。内蔵助は赤穂城受取りの脇坂淡路守(菅原謙二)を介して浅野家再興Chûshingura(1958).jpgの嘆願書を幕府に提出、内蔵助の人物に惚れた淡路守はこれを幕府に計るが、柳沢出羽守は一蹴する。上野介の実子で越後米沢藩主・上杉綱憲(船越英二)は、家老・千坂兵部(小沢栄太郎)に命じて上野介の身辺を警戒させ、兵部は各方面に間者を放つ。内蔵助は赤穂退去後、京都山科に落着くが、更に浅野家再興嘆願を兼ねて江戸へ下がり、内匠頭後室・あぐり改め瑤泉院を訪れる。瑤泉院は、仇討ちの志が見えぬ内蔵助を責める侍女・戸田局(三益愛子)とは別に彼を信頼している。内蔵助はその帰途に吉良方の刺客に襲われ、多門伝八郎の助勢で事なきを得るが、その邸内で町人姿の岡野金右衛門(鶴田浩二)に引き合わされる。伝八郎は刃傷事件以来、陰に陽に赤穂浪士を庇護していたのだ。一方、大石襲撃に失敗した千坂兵部は清水一角(田崎潤)の報告によって並々ならぬ人物と知り、腹心の女るい(京マチ子)を内蔵助の身辺に間者として送る。江戸へ集った急進派の堀部安兵衛らは、出来れば少人数でもと仇討ちを急ぐが、内蔵助は大義の仇討ちをするには浅野家再興の成否を待ってからだと説く。半年後、祇園一力茶屋で多くの遊女と連日狂態を示す内蔵助の身辺に、内蔵助を犬侍と罵る浪人・関根弥次郎(高松英郎)、内蔵助を庇う浮橋(木暮実千代)ら太夫、仲居姿のるいなどがいた。内蔵助は浅野再興の望みが絶えたと知ると、浮橋を身請けして、妻のりく(淡島千景)に離別を申渡す。長子・主税のみを残しりくや幼い3人の子らと山科を去る母たか(東山千栄子)は、仏壇に内蔵助の新しい位牌を見出し、初めて知った彼の本心にりくと共に泣く。るいは千坂の間者・忠臣蔵  昭和33年tyu.jpg小林平八郎(原聖四郎)から内蔵助を斬る指令を受けるがどうしても斬れず、平八郎は刺客を集め内蔵助を襲い主税らの剣に倒れる。機は熟し、内蔵助ら在京同志は続々江戸へ出発、道中、近衛家用人・垣見五郎兵衛(二代目中村鴈治郎)は、自分の名を騙る偽者と対峙したが、それを内蔵助と知ると自ら偽者と名乗忠臣蔵e.jpgって、本物の手形まで彼に譲る。江戸の同志たちも商人などに姿を変えて仇の動静を探っていたが、吉良方も必死の警戒を続け、しばしば赤穂浪士も危機に陥る。千坂兵部は上野介が越後へ行くとの噂を立て、この行列を襲う赤穂浪士を一挙葬る策を立てるが、これを看破した内蔵助は偽の行列を見送る。やがて、赤穂血盟の士47人は全員江戸に到着し、決行の日は後十日に迫るが、肝心の吉良邸の新しい絵図面だけがまだ無い。岡野金右衛門は同志たちから、彼を恋する大工・政五郎(見明凡太朗)の娘お鈴(若尾文子)を利用してその絵図を手に入れるよう責められていて、決意してお鈴に当る。お鈴は小間物屋の番頭と思っていた岡野金右衛門を初めて赤穂浪士と覚ったが、方便のためだけか、恋してくれているのかと彼に迫り、男の真情を知ると嬉し泣きしてその望みに応じ、政五郎も岡野金右衛門の名も聞かずに来世で娘と添ってくれと頼む。江戸へ帰ったるいは、再び兵部の命で内蔵助を偵察に行くが、内蔵助たちの美しい心と姿に打たれる彼女は逆に吉良家茶会の日を14日と教える。その帰途、内蔵助を斬りに来た清水一角と同志・大高源吾(品川隆二)の斬合いに巻き込まれ、危って一角の刀に倒れたるいは、いまわの際にも一角に内蔵助の所在を偽る。るいの好意とその最期を聞いた内蔵助は、12月14日討入決行の檄を飛ばす。その14日、内蔵助はそれとなく今生の暇乞いに瑤泉院を訪れるが、間者の耳目を警戒して復讐の志を洩らさChûshingura (1958) .jpgず、失望する瑤泉院や戸田局を後に邸を辞す。同じ頃、同志の赤垣源蔵(勝新太郎)も実兄・塩山伊左衛門(竜崎一郎)の留守宅を訪い、下女お杉(若松和子)を相手に冗談口をたたきながらも、兄の衣類を前に人知れず別れを告げて飄々と去る。勝田新左衛門(川崎敬三)もまた、実家に預けた妻と幼児に別れを告げに来たが、舅・大竹重兵衛(志村喬)は新左衛門が他家へ仕官すると聞き激怒し罵る。夜も更けて瑤泉院は、侍女・紅梅(小野道子)が盗み出そうとした内蔵助の歌日記こそ同志の連判状であることを発見、内蔵助の苦衷に打たれる。その頃、そば屋の二階で勢揃いした赤穂浪士47人は、表門裏門の二手に分れ内蔵助の采忠臣蔵 1958_1.jpg配下、本所吉良邸へ乱入。乱闘数刻、夜明け前頃、間十次郎(北原義郎)と武林唯七(石井竜一)が上野介を炭小屋に発見、内蔵助は内匠頭切腹の短刀で止めを刺す。赤穂義士の快挙は江戸中の評判となり、大竹重兵衛は瓦版に婿の名を見つけ狂喜し、塩山伊左衛門は下女お杉を引揚げの行列の中へ弟を探しにやらせお杉は源蔵を発見、大工の娘お鈴もまた恋人・岡野金右衛門の姿を行列の中に発見し、岡野から渡された名札を握りしめて凝然と立ちつくす。一行が両国橋に差しかかった時、大目付・多門伝八郎は、内蔵The Loyal 47 Ronin (1958).jpg忠臣蔵 _V1_.jpg助に引揚げの道筋を教え、役目を離れ心からの喜びを伝える。その内蔵助が白雪の路上で発見したものは、白衣に身を包んだ瑤泉院が涙に濡れて合掌する姿だった―。[公開当時のプレスシートより抜粋]
若尾文子(お鈴)・鶴田浩二(岡野金右衛門)

忠臣蔵 1958 長谷川一夫.jpg 1958(昭和33)年に大映が会社創立18年を記念して製作したオールスター作品で、監督は渡辺邦男(1899-1981)。大石内蔵助に大映の大看板スター長谷川一夫、浅野内匠頭に若手の二枚目スター市川雷蔵のほか鶴田浩二、勝新太郎という豪華絢爛たる顔ぶれに加え女優陣にも京マチ子、山本富士子、木暮実千代、淡島千景、若尾文子といった当時のトップスターを起用しています。当時、赤穂事件を題材とした映画は毎年のように撮られていますが、この作品は、その3年後に作られた同じく大作である松田定次監督、片岡千恵蔵主演の「赤穂浪士」('61年/東映)とよく比較されます。「赤穂浪士」の方は大佛次郎の小説『赤穂浪士』をベースとしています。

 "忠臣蔵通"と言われる人たちの間では'61年の東映版「赤穂浪士」の方がどちらかと言えば評価が高く、一方、この'58年の大映版「忠臣蔵」は、「戦後映画化作品の中で最も浪花節的かつ講談調で娯楽性が高く、リアリティよりも虚構の伝説性を重んじる当時の風潮が反映されている作品であり、『忠臣蔵』の初心者が大枠を掴むのに適していると言われている」(Wikipedia)そうです。概ね同感ですが、東映版「赤穂浪士」にしても、大佛次郎の小説『赤穂浪士』を基にしているため、史実には無い大佛次郎が作りだしたキャラクターが登場したりするわけで、しかも細部においては必ずしも原作通りではないことを考えると、この大映版「忠臣蔵」は、これはこれで「伝説的虚構性を重視」しているという点である意味オーソドックスでいいのではないかと思いました。

 「赤穂浪士」の片岡千恵蔵の大石内蔵助と、3年先行するこの「忠臣蔵」の長谷川一夫の大石内蔵助はいい勝負でしょうか。「赤穂浪士」が浅野内匠頭に大川橋蔵を持ってきたのに対し、この「忠臣蔵」の浅野内匠頭は市川雷蔵で、「赤穂浪士」が吉良上野介に月形龍之介を持ってきたのに対し、この「忠臣蔵」の吉良上野介は滝沢修です。この「忠臣蔵」の長谷川一夫と滝沢修は、6年後のNHKの第2回大河ドラマ「赤穂浪士」('64年)でも忠臣蔵 1958.jpgそれぞれ大石内蔵助と吉良上野介を演じています(こちらは大佛次郎の『赤穂浪士』が原作)。また、「赤穂浪士」が「大石東下り」の段で知られる立花左近に大河内傳次郎を配したのに対し、こちら「忠臣蔵」は立花左近に該当する垣見五郎兵衛忠臣蔵 1958 中村.jpg二代目中村鴈治郎を配しており、長谷川一夫が初代中村鴈治郎の門下であったことを考えると、兄弟弟子同士の共演とも言えて興味深いです。但し、この場面の演出は片岡千恵蔵・大河内傳次郎コンビの方がやや上だったでしょうか。
二代目中村鴈治郎(垣見五郎兵衛)

勝新太郎(赤垣源蔵)
忠臣蔵_V1_.jpg この作品は、講談などで知られるエピソードをよく拾っているように思われ(このことが伝説的虚構性を重視しているということになるのか)、先に挙げた内蔵助が武士の情けに助けられる「大石東下り」や、同じく内蔵助がそれとなく瑤泉院を今生の暇乞いに訪れる「南部坂雪の別れ」などに加え、赤垣源蔵が兄にこれもそれとなく別れを告げに行き、会えずに兄の衣服を前に杯を上げる「赤垣源蔵 徳利の別れ」などもしっかり織り込まれています。赤垣源蔵役は勝新太郎ですが、この話はこれだけで「赤垣源蔵(忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜)」('38年/日活)という1本の映画になっていて、阪東妻三郎が赤垣源蔵を演じています。また、浪々中を馳せ参じた不破数右衛門(杉山昌三九)もちらっと出てきますが、この話も「韋駄天数右衛門」('33年/宝塚キネマ)という1本の映画になっていて、羅門光三郎が不破数右衛門忠臣蔵 1958 simura.jpgを演じています。こちらの話ももう少し詳しく描いて欲しかった気もしますが、勝田新左衛門の舅・大竹重兵衛(演じるのは志村喬)のエピソード(これも「赤穂義士銘々伝」のうちの一話になっている)などは楽しめました(志村喬は戦前の喜劇俳優時代の持ち味を出していた)。
志村喬(大竹重兵衛)

 映画会社の性格かと思いますが、東映版「赤穂浪士」が比較的男優中心で女優の方は脇っぽかったのに対し、こちらは、山本富士子が瑤泉院、京マチ子が間者るい、木暮実千代が浮橋太夫、淡島千景が内蔵助の妻りく、若尾文子が岡野金右衛門(鶴田浩二)の恋人お鈴、中村玉緒が浅野家腰元みどりと豪華布陣です。それだけ、盛り込まれているエピソードも多く、全体としてテンポ良く、楽しむところは楽しませながら話が進みます。山本富士子はさすがの美貌というか貫禄ですが、京マチ子の女間者るいはボンドガールみたいな役どころでその最期は切なく、若尾文子のお鈴は、父親も絡んだ吉良邸の絵図面を巡る話そのものが定番ながらもいいです。
1山本・京・鶴田.jpg忠臣蔵 鶴田浩二 若尾文子.jpg
山本富士子(瑤泉院)/京マチ子(女間者おるい)/鶴田浩二(岡野金右衛門)  若尾文子(お鈴)・鶴田浩二

山本富士子 hujin.jpg「婦人画報」'64年1月号(表紙:山本富士子)

忠臣蔵 1958es.jpg忠臣蔵(1958)6.jpg滝沢修(吉良上野介)・市川雷蔵(浅野内匠頭)

 渡辺邦男監督が「天皇」と呼ばれるまでになったのはとにかく、この人は早撮りで有名で、この作品も35日間で撮ったそうです(初めて一緒に仕事した市川雷蔵をすごく気に入ったらしい)。でも、画面を観ている限りそれほどお手軽な感じは無く、監督の技量を感じました。ストーリーもオーソドックスであり、確かに、自分のような初心者が大枠を掴むのには良い作品かもしれません。松田定次監督、片岡千恵蔵主演の「赤穂浪士」('61年)と同様、役者を楽しむ映画であるとも言え、豪華さだけで比較するのも何ですが、役者陣、特に女優陣の充実度などでこちらが勝っているのではないかと思いました。
 
【新企画】二大大型時代劇映画「忠臣蔵1958」「赤穂浪士1961」を見比べてみた。(個人ブログ「映画と感想」)


「忠臣蔵」スチール 淡島千景(大石の妻・りく)/長谷川一夫(大石内蔵助)/木暮実千代(浮橋太夫)
淡島千景『忠臣蔵』スチル1.jpg
淡島千景/東山千栄子(大石の母・おたか)
淡島千景『忠臣蔵』スチル5.jpg

小沢栄太郎(千坂兵部)・京マチ子(女間者おるい)    船越英二(上杉綱憲)
忠臣蔵 小沢栄太郎・京マチ子.jpg 忠臣蔵 船越英二.jpg

Chûshingura (1958)
Chûshingura (1958).jpg忠臣蔵 1958 08.jpg「忠臣蔵」●制作年:1958年●監督:渡辺邦男●製作:永田雅一●脚本:渡辺邦男/八尋不二/民門敏雄/松村正温●撮影:渡辺孝●音楽:斎藤一郎●時間:166分●出演:長谷川一夫/市川雷蔵/鶴田浩二/勝新太郎/川口浩/林成年/荒木忍/香川良介/梅若正二/川崎敬三/北原義郎/石井竜一/伊沢一郎/四代目淺尾奥山/杉山昌三九/葛木香一/舟木洋一/清水元/和泉千忠臣蔵 1958 10.jpg太郎/藤間大輔/高倉一郎/五代千太郎/伊達三郎/玉置一恵/品川隆二/横山文彦/京マチ子/若尾文子/山本富士子淡島千景/木暮実千代/三益愛子/小野道子/中村玉緒/阿井美千子/藤田佳子/三田登喜子/浦路洋子/滝花久子/朝雲照代/若松和子/東山山本富士子『忠臣蔵(1958).jpg千栄子/黒川弥太郎/根上淳/高松英郎/花布辰男/松本克平/二代目澤村宗之助/船越英二/清水将夫/南條新太郎/菅原謙二/南部彰三/春本富士夫/寺島雄作/志摩靖彦/竜崎一郎/坊屋三郎/見明凡太朗/上田寛/小沢栄太郎/田崎潤/原聖四郎/志村喬/二代目中村鴈治郎/滝沢修●公開:1958/04●配給:大映(評価:★★★★)

山本富士子(瑤泉院)・三益愛子(戸田局)

2020年2月20日NHK-BSプレミアム
千坂兵部(小沢栄太郎)と女間者おるい(京マチ子)/岡野金右衛門(鶴田浩二)と大工の娘・お鈴(若尾文子)
忠臣蔵_0182.JPG 忠臣蔵_0183.JPG
立場を転じて内蔵助に秘密情報を漏らすおるい(京マチ子)/「徳利の別れ」赤垣源蔵(勝新太郎)
忠臣蔵_0185.JPG 忠臣蔵_0186.JPG
娘婿・勝田新左衛門(川崎敬三)を叱る大竹重兵衛(志村喬)/「南部坂雪の別れ(後段)」瑤泉院(山本富士子)
忠臣蔵_0189.JPG 忠臣蔵_0190.JPG

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初カラー作品。佐分利信の"昭和的頑固親父"ぶり全開。後期作品の多くの原型的スタイルを含む。

彼岸花 映画pos.jpg彼岸花 映画 dvd.jpg
彼岸花 [DVD]」 山本富士子/有馬稲子/久我美子
[下]「「彼岸花」 小津安二郎生誕110年・ニューデジタルリマスター [Blu-ray]
彼岸花 タイトル.jpg彼岸花 小津00_.jpg 会社常務の平山渉(佐分利信)は、妻・清子(田中絹代)と共に出席した旧友・河合(中村伸郎)の娘の結婚式に、同期仲間の三上(笠智衆)が現れないことを不審に思っていた。実は三上は自分の娘・文子(久我美子)が家を出て男と暮らしていることに悩んでおり、いたたまれずに欠席したのだった。三上の頼みで平山は銀座のバーで働彼岸花 映画 02.jpgいているという文子の様子を見に行くことになる。一方の平山にも、適齢期を迎えた娘・節子(有馬稲子)がいた。彼は節子の意思を無視して条件のいい縁談を進める傍ら、平山の馴染みの京都の旅館の女将・佐々木初(浪花千栄子)の娘・幸子(山本富士子)が見合いの話を次々に持ってくる母親の苦情を言うと「無理に結婚することはない」と物分かりのいい返事をする。一方、平山が勝手に縁談を進めていた自分の娘・節子には、実は親に黙って付き合っている谷口(佐田啓二)という相手がいた。そのことを知らされ、それが娘の口から知らされなかったのが平山には面白くなく、彼は娘の恋愛に反対する―。

 小津安二郎監督の1958(昭和33)年作品で、小津監督初のカラー作品でもあり、里見弴の原作は、小津と野田高梧の依頼を受け、映画化のために書き下ろしたものです(小津に里見弴の作品を使うよう口利きしたのは志賀直哉らしい)。因みに、この作品と同じく、なかなか結婚しない娘のことを気遣う親をモチーフとしたその後の作品「秋日和」('60年)、「秋刀魚の味」('62年)共に里見弴の原作であり(里見彼岸花 佐分利信A.jpg彼岸花 映画1_s.jpg弴ってこんな話ばかり書いていた?)、本作品では、他人の娘には自由恋愛を勧めるのに、自分の娘には自分のお眼鏡に適(かな)った相手でなければ結婚を許さないという、佐分利信の"昭和的頑固親父"ぶりが全開です(浪花千栄子の関西のおばはんぶりも全開だったが)。
佐分利信/田中絹代

江川宇禮雄/笠智衆/北竜二          中村伸郎
彼岸花 映画 dousoukai .jpg中村伸郎 higanbana .jpg 佐分利信、中村伸郎、北竜二が演じる旧友3人組は「秋日和」でも形を変えて登場し、「秋刀魚の味」では笠智衆、中村伸郎、北竜二の3人組になっていました。この「彼岸花」では、佐分利信、笠智衆、中村伸郎、北竜二の"4人組"となっています(その他に江川宇禮雄ら同窓生多数)。加えて佐分利信の娘に有馬稲子(当時26歳)、笠智衆の娘に久我美子(当時27歳)、佐分利信の知人の娘で、この作品においてコメディ・リリーフ的な役割を果たす女性に山本富士子(当時26歳)(大映から借り受け)という顔ぶれですから、考えてみれば結構豪華メンバーでした。
                                       久我美子/渡辺文雄
彼岸花 映画 00.jpg彼岸花 映画5O.jpg 佐分利信演じる平山は、三上の娘・文子(久我美子)には理解を示す一方で(その恋人役は渡辺文雄)、自分の娘・節子(有馬稲子)の結婚には反対し、平山の妻・清子(田中絹代)や次女・久子(桑野みゆき)も間に入って上手く取りなそうとしますが、平山は山本富士子 hujin.jpgHiganbana (1958) .jpgますます頑なになります。そこへ節子の友人でもある幸子が現れ、平山に自分の縁談について相談する。が、それは節子の結婚のための芝居だったわけで、結局、彼は出ないと言っていた結婚式にも出ることになり、最後は娘と谷口の結婚を認めて彼女らのいる広島に向かう―という結末です。
   
Higanbana (1958)

「婦人画報」'64年1月号(表紙:山本富士子)
    
 別に結末まで書こうと書くまいと、そんなビックリするような話ではない点は、その後の小津作品と同じではないかと...。佐田啓二は、「秋日和」では司葉子彼岸花 映画 浪花.jpgが演じたヒロインの結婚相手でしたが、この「彼岸花」と「秋日和」「秋刀魚の味」の3作の中で(主要人物の)結婚式の場面があるのは「秋日和」だけです。結婚式の場面が無いのはその結婚が必ずしも幸せなものとはならなかったことを暗示しているとの説もあるようですが、この「彼岸花」の場合どうなのでしょう(渡辺文雄、何となく頼りなさそう)。「秋刀魚の味」で佐田啓二は、岡田茉莉子演じる妻の尻の下に敷かれて、ゴルフクラブもなかなか買えないでいましたが...(因みに、「秋刀魚の味」では佐田啓二が会社の屋上でゴルフの練習をしているが、この「彼岸花」では佐分利信がゴルフ場で独りラウンドしている。しがないサラリーマンと重役の違いか)。

浪花千栄子/山本富士子

彼岸花 映画01.jpg モチーフばかりでなくセリフや撮影面においても、その後の小津カラー作品の原型的なスタイルを多く含んでおり、この作品に見られる料亭での同期の男たちの会話やそれに絡む女将(高橋とよ)との遣り取り、家の1階に夫婦が暮らし2階に娘たちが暮らすが、階段は映さないという"ルール"(映さないことで親子の断絶を表しているという説がある)、会社のオフィスやバーのカウンターでの会話やその際のカメラワークなど、そして例えばオフィスであればくすんだ赤と緑を基調とした色使いなど、その後も何度も繰り返されるこうした後期の小津作品における"セオリー"的なものを再確認するうえでは再見の価値ありでした。

佐分利信/高橋貞二
彼岸花 映画s.jpg高橋貞二.jpg この作品で、佐分利信演じる平山の部下で、佐田啓二演じる谷口の後輩でもある近藤役を演じてコメディ的な味を出している高橋貞二(佐田啓二の後輩を演じたが、佐田啓二と同じ1926年生まれで生まれ月は高橋貞二の方が2カ月早い)は、この作品に出た翌年1959年に33歳で自らの飲酒運転で事故死しています(この年に結婚したばかりだった妻も3年後に自殺、青山霊園に夫と共に埋葬されている)。

高橋貞二・佐田啓二.jpg そして佐田啓二も、1964年に37歳で、信州蓼科高原の別荘から東京に戻る際にクルマで事故死していますが(運転者は別の人物)、共に4人でクルマに乗っていて事故に遭い、亡くなったのはそれぞれ高橋貞二と佐田啓二の一人ずつのみでした。
高橋貞二(1926年10月生まれ・1959年に33歳で自らの飲酒運転で事故死)
佐田啓二(1926年12月生まれ・1964年に37歳で自動車事故死)

佐田啓二/久我美子/有馬稲子
彼岸花 映画16.jpg彼岸花 映画9_s.jpg彼岸花 有馬稲子.jpg「彼岸花」●制作年:1958年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎藤高順●原作:里見弴●時間:118分●出演:佐分利信/有馬稲子/山本富士子/久我美子/田中絹代/佐田彼岸花 sata%20.png啓二/高橋貞二/笠智衆/桑野みゆき/浪花千栄子/渡辺文雄/中村伸郎/北竜二/高橋とよ/桜むつ子/長岡輝子/十朱久雄/須賀不二男/菅原通済/江川宇禮雄/竹田法一/小林十九二/清川晶子/末永功●公開:1958/09●配給:松竹●最初に観た場所:三鷹オスカー(82-09-12)●2回目(デジタルリマスター版):神保町シアター(13-12-08)(評価:★★★★)●併映(1回目):「東京物語」(小津安二郎)/「秋刀魚の味」(小津安二郎)

「彼岸花」出演者.jpg

音楽:斎藤高順

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「●岩波新書」の インデックッスへ 「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(阿久 悠)

ヒットメーカーによる自伝的歌謡曲史。楽しく、懐かしく読めた1冊。

愛すべき名歌たち.jpg 阿久悠1.jpg 
愛すべき名歌たち (岩波新書)』阿久 悠 作詞の初ヒット曲「白い蝶のサンバ」(1970、森山加代子)

 『愛すべき名歌たち』('99年/岩波新書)は、作詞家・阿久悠(あく・ゆう)(1937-2007/享年70)が、1997年4月から1999年4月にかけて「朝日新聞」夕刊芸能面に通算100回連載したコラムの新書化で、『書き下ろし歌謡曲』('97年/岩波新書)に続く著者2冊目の岩波新書です。

 サブタイトルに「私的昭和歌曲史」とあるように、高峰三枝子の「湖畔の宿」から始まって美空ひばりの「川の流れのように」まで全100曲を選び、自分史に重ねる形で、それぞれぞれの時代に流行った歌謡曲やそれに纏わる思い出が書き綴られており、半ば自伝とも言える体裁。当然のことながら、後半はヒットメーカーとして知られた著者自身が作詞家として関わった曲が多く取り上げられています(Wikipediaで取り上げている曲の一覧を見ることが出来る)。

 それらの時代区分としては、以下の通りとなっています。
  Ⅰ 〈戦後〉という時代の手ざわり(1940~1954)(幼年時代;高校まで)
  Ⅱ 都会の響きと匂い(1955~1964)(大学時代;広告の世界で)
  Ⅲ 時代の変化を感じながら(1964~1971)(放送作家時代;遅れてきた作詞家)
  Ⅳ 競いあうソングたち(1971~1975)(フリー作家の時代;新感覚をめざして)
  Ⅴ 時代に贈る歌(1976~1989)(歌の黄金時代)

 非常に読み易く、文章をよく練っている印象。個人的には第Ⅰ章の自伝色が強い部分と、やはり第Ⅱ章の最初の広告業界に入った頃の話が特に興味深く読めました。

 著者が就職活動をしたのは1958(昭和33)年で不況の折でしたが、当時はテレビ番組の「月光仮面」が驚異的な視聴率でブームを巻き起こしていて、その仕掛け人である広告会社が就職先の選択肢となり得たとのこと。但し、本書には書かれていませんが、この番組は当初スポンサーが付かず、広告会社(宣弘社)が自らプロダクションを興して制作にあたった番組でした(著者は結局、この会社=宣弘社にコピーライターとして7年間務めることになる)。

森山加代子 .jpg白い蝶のサンバ.jpg 作詞家に転じてからの著者は、最初の作品「朝まで待てない」を出して以来、3年間結果が残せていなかったとのことで、初の本格ヒットがが生まれたのは、本書の第Ⅲ章も終わり近い1970(昭和45)年の「白い蝶のサンバ」でした森山加代子はこの曲でNHK紅白歌合戦に8年ぶりの出場を果たす)。個人的にもちょうど歌番組など観るようになった頃で、懐かしい曲でありました(早口言葉みたな感じの歌として流行ったけれど、著者が言うように、今みるとそんなに早口というわけでもない)。
  
 本書は、作詞家・阿久悠の「自分史」を軸とした歌謡曲史でしたが、一方、同じく岩波新書の高譲(こう・まもる)『歌謡曲―時代を彩った歌たち』('11年/岩波新書)の方は、客観的な「ディスコグラフィ(Discography)」としての歌謡曲史でした。この中で、目次をの'節'のタイトルに「阿久悠の時代」というのがあり、目次で個人名が出てくるは著者だけでした。こうしたことからも、やはり、歌謡曲史に大きな足跡を残した人物と言えるのでしょう。楽しく、また懐かしく読めた1冊でした。

歌謡曲 岩波新書.jpg 『歌謡曲―時代を彩った歌たち』の方は、版元の紹介文によれば―、
 「ディスコグラフィ(Discography)」という言葉があります.日本では「アーティストの作品目録」として理解されることの多い言葉ですが、本来の意味からするとむしろ、その楽曲は、だれが、どのように作り出したのか、どう歌われているのかを客観的に考察する、学術的な分野を指します。著者の高護さんは、知る人ぞ知る、歌謡曲では唯一無二のディスコグラファーです。その該博な知識と確かな分析で、歌謡曲の魅力をあますところなく解説します
 ―とのことです。
歌謡曲――時代を彩った歌たち (岩波新書)

 歌謡曲とは何かということについてはいろいろ議論はあるかと思われますが、この本ではそうした"概論"乃至"総論"的な話はせず、いきなり歌謡曲史に入っており、各1章ずつ割いている60年代、70年代、80年代が本書の中核を成しています。ものすごく網羅的ですが、一方で、一世を風靡した、或いは時代を画した歌手や歌曲には複数ページを割いて解説するど、メリハリが効いています。読んでいくと、グループサウンズ、例えば「タイガース」などは、専らソロ歌手としての沢田研二に絞って取り上げていたりし、ジャニーズ系も「たのきんトリオ」以降グループとしては全然触れられておらず、後の方に出てくる「おニャン子クラブ」などもソロになった新田恵利だけが取り上げられています。この続きが書かれるとしたら、「AKB48」などは入ってこないのかなあ。ザ・ピーナッツ(伊藤エミ(1941-2012)、伊藤ユミ(1941-2016))とかは当然取り上げているわけで、和製ポップスは取り上げ、J-ポップは取り上げないというわけでもないでしょうが(J-ポップが登場したのが'88年頃なので、殆ど本書の対象期間とずれていて何とも言えない)。ニューミュージックも取り上げていますが、そもそもどこからどこまでがニューミュージックなのか分かりませんけれど(森進一が歌いレコード大賞曲となった「襟裳岬」は吉田拓郎の曲だった)。あまり考えすぎると楽しめないのかもしれず、本書が歌謡曲とは何かという議論を避けているのは、ある意味賢い選択であったかも。
ザ・ピーナッツ(活動期間:1959-1975)「恋のバカンス」(1975年 さようならピーナッツ)

 因みに、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」('63年)の作曲者は宮川泰ですが、「恋のフーガ」('67年)の作曲者は、後に「ドラゴンクエスト」のテーマ曲で世界すぎやまこういち.jpg的に知られることになる作曲家のすぎやまこういち(1931-2021/90歳没)。「音大志望だったがお金がなかったから東大に進学した」と東京大学理科II類に進学、東大卒業後は文化放送を経てフジテレビに入社、ラジオのヒットパレード番組をテレビに移植した形になる「ザ・ヒットパレード」を企画し、自らディレクターをしていたので、ザ・ピーナッツとその頃から接点があったのかもしれません。1968年から作曲活動に専念。作曲家としてザ・タイガース(彼らの命名者でもある)やザ・ピーナッツの黄金時代を支えた人物です。

 歌手に限らず、作詞家、作曲家、編曲家まで取り上げており、確かに阿久悠の存在は大きいけれど、その前にも 岩谷時子(作詞)・いずみたく(作曲)といった強力なコンビがいて「夜明けのうた」('64年/歌:岸洋子)、「太陽のあいつ」('67年/歌:ジャニーズ)、「恋の季節」('68年/歌:ピンキーとキラーズ)等々、数多くのヒットを生んでいるし(2人とも歌謡曲が"本業"でも"専業"でもなかったという点が興味深い)、五木ひろしの芸名の名付親だった「よこはま・たそがれ」('71年)の山口洋子山口洋子.jpg(1937-2014)なども平尾昌晃(1937-2017/79歳没)と最強タッグを組んでいたし(山口洋子は同じ作詞家で直木賞受賞作家でもあるなかにし「平尾昌晃」.jpgよりも15年前に直木賞を受賞している)、作曲家では「ブルー・ライト・ヨコハマ」('69年/歌:いしだあゆみ)以来、この本の終わり、つまり80年代終わりまでこの世界のトップに君臨し続け、70年代、80年代を席筒美京平.jpg巻した筒美京平(1940-2020/80歳没)なんてスゴイ人もいました(因みに、阿久悠作詞、筒美京平作曲で最初で最大のヒット曲は日本レコード大賞の大賞受賞曲「また逢う日まで」('71年/歌:尾崎紀世彦(1943-2012))。これもまた、懐かしい思いで読めた1冊でした。

《読書MEMO》
●『歌謡曲―時代を彩った歌たち』章立て
序 章
戦前・戦後の歌謡曲
第1章 和製ポップスへの道―1960年代  
1960年代概説
1 新たなシーンの幕開け
2 カヴァーからのはじまり
3 青春という新機軸
4 ビート革命とアレンジ革命
5 新しい演歌の夜明け 
第2章 歌謡曲黄金時代―1970年代  
1970年代概説
1 歌謡曲の王道
2 アイドル・ポップスの誕生
3 豊饒なる演歌の世界
4 阿久悠の時代 
第3章 変貌進化する歌謡曲―1980年代  
1980年代概説
1 シティ・ポップスの確立
2 演歌~AOR歌謡の潮流
3 アイドルの時代 
終 章 90年代の萌芽―ダンス・ビート歌謡

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高倉健の作品の中ではちょっと変わった味がある? この映画のお蔭で黒澤映画に出られなかった。

居酒屋兆治 poster.jpg居酒屋兆治 dvd.jpg
居酒屋兆治 昭和58年.jpg
居酒屋兆治 [DVD]高倉健伊丹十三/細野晴臣
題字:山藤章二
居酒屋兆治 2.jpg 函館で居酒屋「兆治」を営む藤野英治(高倉健)は、輝くような青春を送り、挫折と再生を経て現在に至っている。かつての恋人で、今は資産家と一緒になった「さよ」(大原麗子)の転落を耳にするが、現在の妻・茂子(加藤登紀子)との生活の中で何もできない自分と、振り払えない思いに挟まれていく。周囲の人間はそんな彼に同情し苛立ち、さざなみのような波紋が周囲に広がる。「煮えきらねえ野郎だな。てめえんとこの煮込みと同じだ」と学校の先輩の河原(伊丹十三)に挑発されても頭を下げるだけの英治。そんな夫を見ながら茂子は、人が人を思うことは誰にも止められないと呟いていた―。

居酒屋兆治 31.jpg 今月['14年11月]10日に亡くなった高倉健(1931-2014/享年83)の52歳の時の出演作。文春文庫ビジュアル版の『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年)に監督・男優・女優の各ベスト10のコーナーがあって、男優ベスト10は、1位・坂東妻三郎、2位・高倉健、3位・笠智衆、4位・三船敏郎、5位・三國連太郎、6位・森雅之、7位・志村喬、8位・石原裕次郎、9位・市川雷蔵、10位・緒形拳となっており、この中で存命していたのは高倉健のみだっただけに、その死は尚更に寂しく思えます。'12年の菊池寛賞の受賞式を欠席したのはともかく、'13年の文化勲章受賞式に出席したのを見て逆にもしかしてちょっとヤバいのかなと思ったけれど...。

居酒屋兆治 41.jpg この作品は最初に観た時は、大原麗子(当時37歳)のあまりの暗さに引いてしまいましたが(「網走番外地 北海篇」('65年)などで見せた勝気で明るい女性キャラとは真逆)、改めて観直してみるとそう悪くも感じないのは自分の年齢のせいか。その大原麗子(1946-2009/享年62)も亡くなってしまったわけですが、河原役の伊丹十三(1933-97/享年64)、居酒屋の親爺で英治の師匠役の東野英治郎(1907-94/享年86)、「兆治」の常連客役の池部良(1918-2010/享年92)(高倉健とは「昭和残侠居酒屋兆治 大滝秀治.jpg伝」シリーズ('65-'72年)以来、正確には「君よ憤怒の河を渉れ」('76年)、「冬の華」('78年)、「駅STATION」('81年)に続く共演)、英治が元いた会社の専務役の佐藤慶(1928-2010/享年81)、小学校長役の大滝秀治(1925-2012/享年87)など、'84年にテアトル新宿で初めてこの作品を観てから亡くなった人が随分いるなあと。高倉健、伊丹十三、池部良のスリーショットなんて、観ていてしみじみしてしまいます。

居酒屋兆治 山藤.jpg居酒屋兆治 11.jpg 俳優だけでなく、原作者の山口瞳(1926-1995/享年68)や、この映画の題字を担当した山藤章二(共に右写真中央)、ミュージシャンの細野晴臣なども出演していて(水色のランニング姿。カメオ出演というより役者として出ている。'82年から'83年にかけてYMOの活動休止期があり、それを機に坂本龍一が「戦場のメリークリスマス」('83年)、高橋幸宏が「だいじょうぶマイ・フレンド」('83年)、「天国にいちばん近い島」('84年)などに出演したりした)、皆で楽しく作っている作品という印象もあり、女性陣も、ちあきなおみ加藤登紀子といった役者が本業ではない人が活き活きと演技しています。
ポスター・題字:山藤章二

 高倉健はこの「居酒屋兆治」への出演準備をしていた矢先に黒澤明監督から「」('85年/東宝)への架空の人物「鉄修理(くろがねしゅり)」の役での出演を打診されていますが、「でも僕が『乱』に出ちゃうと、『居酒屋兆治』がいつ撮影できるかわからなくなる。僕がとても悪くて、計算高い奴になると追い込まれて、僕は黒澤さんのところへ謝りに行きました」と述懐しています。黒澤明は自ら高倉宅へ足繁く黒澤明2.jpg4回も通って、「困ったよ、高倉君。僕の中で鉄(くろがね)の役がこんなに膨らんでいるんですよ。僕が降旗康男君のところへ謝りに行きます」と口説いたけれども、高倉健は「いや、それをされたら降旗監督が困ると思いますから。二つを天秤にかけたら誰が考えたって、世界の黒澤作品を選ぶでしょうが僕には出来ない。本当に申し訳ない」と断ったため、黒澤明から「あなたは難しい」と言われたそうです(結局、鉄修理は井川比佐志が演じることになった。高倉健はその後、偶然「乱」のロケ地を通る機会があり、「畜生、やっていればな」と後悔の念があったとも語っている。但し、高倉健の後期の黒澤作品に対する評価はイマイチのようだ)。

居酒屋兆治 71.jpg 今観ると、高倉健の降旗監督に寄せる信頼が、この作品のアットホームな雰囲気を醸しているのかもしれないという気もします。高倉健と田中邦衛がやり合う場面で、田中那衛のオーバーアクションに高倉健が噴き出したように見えるシーンがあって、最初に観た時はそれがものすごく引っかかったのですが(普通はNGではないかと)、そうした雰囲気の中で撮られた作品だと思うとさほど気にはならず、高倉健の出演作の中ではちょっと変わった味があると思えるようにもなってきました。
  
  
   高倉健・ちあきなおみ  /  高倉健・東野英治郎  /  伊丹十三・細野晴臣
居酒屋兆冶 ちあき.jpg 居酒屋兆冶 東野.jpg 居酒屋兆冶 細野.jpg
  高倉健・田中邦衛    /    田中邦衛・大滝秀治
田中邦衛 「居酒屋兆治」2.jpg田中邦衛 「居酒屋兆治」.jpg

チャン・イーモウ監督と高倉健さん.jpg    高倉健 訃報.png
チャン・イーモウ監督と高倉健(2005年東京国際映画祭)[毎日新聞]/2013年文化勲章受章

池部 良 居酒屋兆治1.jpg池部 良 居酒屋兆治2.jpg「居酒屋兆治」●制作年:1983年●監督:降旗康男●製作:田中プロモーション●脚本:大野靖子●撮影:木村大作●音楽:井上堯之(主題歌「時代おくれの酒場」 歌:高倉健/作詞・作曲:加藤登紀子)●時間:125分●原作:山口瞳「居酒屋兆治」●出演:高倉健/大原麗子/加藤登紀子/伊丹十三/田中邦衛/小林稔侍/左とん平/池部良/ちあきなおみ/東野英治郎/佐藤慶/平田満/河原さぶ/小松政夫/美里英二/あき竹城/大滝秀治/石野真子/山谷初男/細野晴臣/三谷昇/石山雄大/武田鉄矢/好井ひとみ/伊佐山ひろ子/板東英二/山藤章二/山口瞳●公開:1983/11●配給:東宝●最初に観た場所:テアトル新宿(84-02-12)(評価:★★★☆)●併映:「魚影の群れ」(相米慎二)

大原麗子メモリー ずっと好きでいて」('10年/講談社)
大原麗子メモリー ずっと好きでいて200_.jpg 大原麗子メモリー ずっと好きでいてWL.jpg 大原麗子メモリー ずっと好きでいて1L.jpg
「居酒屋兆治」05.jpg

《読書MEMO》
●ロングインタビュー(時事ドットコム 2012年)より
 「降旗監督の「居酒屋兆治」の準備が進んでいたとき、黒澤さんの「乱」に(鉄修理=くろがね・しゅり=役で)出演できるという話があった。でも、僕が「乱」に出ちゃうと「居酒屋兆治」がいつ撮影できるか分からなくなる...。とても僕が悪くて、計算高いやつになるという風に追い込まれて、僕は黒澤さんのところへ謝りに行きました。
 あの時、黒澤さんは僕の家に4回いらして、「困ったよ、高倉君。僕の中で鉄(くろがね)の役がこんなに膨らんでいるんですよ。僕が降旗君のところへ謝りに行きます」とまで言ってくれた。でも、僕は「いや、それをされたら降旗さんが困ると思いますから。二つをてんびんに掛けたら、誰が考えたって世界の黒澤作品を選ぶのが当然でしょうが、僕にはできない。本当に申し訳ない」と謝った。黒澤さんには「あなたは難しい」って言われましたね。
 その後、「乱」のロケ地を偶然通ったことがあって、「畜生、やっていればな」と思いましたよ。
 ただ、黒澤監督の晩年の作品には、良いものがないと思うんですよね。僕は、監督が(作品の常連だった)三船敏郎さんと別れたのが大きい気がする。志村喬さんもそうだったけれど、三船さんは(黒澤作品の)エンジンの大きな出力だったのでしょう。二人が抜けたことで、その出力がどーんと落ちた。怖いですよね。映画は絶対に一人ではできないんですよ。」

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山中貞雄、26歳の才気。大河内傳次郎、50代後半になっても剣捌き変わらずか。

丹下左膳 百万両の壺 dvd2.jpg 丹下左膳 百万両の壺 01.jpg ごろつき船 dvd.jpg ごろつき船 vhs.jpg
丹下左膳餘話 百萬両の壺 [DVD] 」大河内傳次郎/喜代三['35年]「ごろつき船 [DVD] 」/VHS/大河内傳次郎/相馬千恵子/月形龍之介['50年]
日活110年記念 ブルーレイ&DVDシリーズ 20セレクション 丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(2023)
「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」2023.jpg丹下左膳 百万両の壺 03.jpg 小藩・柳生家に伝わる「こけ猿の壺」に、先祖が埋め隠した百万両の在り処が示されていることが判明するが、壺は先日江戸の道場屋敷に婿入りした弟・源三郎(沢村国丹下左膳餘話 百萬兩の壺大河内傳次郎 (2).jpg太郎)が知らずに持って行ってしまっていた。やがて、その秘密は江戸の源三郎にも知れるところとなるが、壺は道具屋に売り渡されていた。ほどなく壺は道具屋の隣に住む安吉の金魚入れとなる。しかしその夜、安吉の父親は行きつけの遊技場である矢場で、0「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」.jpgチンピラとの諍いから刺し殺されてしまう。矢場で用心棒の傍ら居候をしている隻眼隻腕の浪人・丹下左膳(大河内傳次郎)と矢場の女将・お藤(喜代三)は男の家を見つけるが、そこで、安吉が母親を早くに亡くし父親との二人きりだったことを知る。仕方なく二人は安吉を預かることにし、安吉が大事にしている金魚を入れた壺と共にお藤の矢場へと連れ帰る。一方、源三郎は壺を探して市中を回るが、そこでたまたま目にした矢場で働く娘に軽い浮気心を抱く。以来養子の身である源三郎は壺を探すと称しては矢場へ入り浸り羽を伸ばすようになり、いつしか安吉、左膳とも親しくなるのだったが―。

『丹下左膳余話 百萬両の壺』のDVD版のジャケット.jpg丹下左膳 百万両の壺 04.jpg「丹下左膳余話 百萬両の壺」DVD版ジャケット

山中貞雄.jpg 1935(昭和10)年公開のこの作品は、28歳の若さで戦死(戦地にて病死)した早世の天才映画監督・山中貞雄(1909-1938)の現存する3本の監督作の1本で、残り2本は「河内山宗俊」('36年)と「人情紙風船」('37年)。それまで丹下左膳餘話 百萬兩の壺 集合写真.jpg丹下左膳の映画を撮っていた伊藤大輔監督(「王将」('48年/大映))が'34年に日活を退社したため、三部作の予定だったトーキー版「丹下左膳」の最終作「尺取横町の巻」が宙に浮いてしまい、そこで急遽山中貞雄に作らせることになったということですが、山中はスティーヴン・ ロバーツ監督のアメリカ映画「歓呼の涯」(Lady and Gent、1932年)をベースにし、それまでの怪異的存在であった丹下大河内傳次郎1935aug.jpg丹下左膳餘話 百萬両の壺 dvd2.jpg左膳像をモダンな明るい作風にパロディ化してしまったため、原作者の林不忘(1900-1935/享年35)が、これは左膳ではないと怒ってしまったことから、タイトルに「餘話」とあるそうです。

丹下左膳餘話 百萬兩の壺 [DVD]
大河内傳次郎(1935(昭和10)年:雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」)

 時代劇ホームコメディの傑作と言ってよく、ラストも粋。これを26歳で撮った山中貞雄という人のセンスには舌を巻きますが、前2作で丹下左膳をアクが強いながらもスタンダードに演じて当たり役となった大河内傳次郎(1892-1962)をそのまま使って、照れ屋で意地っ張り、口は悪いが根は優しい、そんな江戸っ子気質の丹下左膳像に見事に改変されているのは、監督の手腕もさることながら、大河内傳次郎という役者の演技の幅によるところも大きいのではないでしょうか。

お楽しみはこれからだ part2.jpg 実際にはもっと剣戟シーンがあったようですが、戦後GHQによって削除されてしまったようです。和田誠氏の『お楽しみはこれからだ PART2』('76年/文藝春秋)に、黒澤明監督の「椿三十郎」('62年)のラストの三船敏郎、仲代達矢の決闘シーンで、近距離で一瞬にして勝負がつく斬り合いは、和田氏自身、当時「新機軸」だと思ったのが、「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」で既に大河内伝次郎の丹下左膳がヤクザ風の男を斬る場面で使われていたことをフィルムセンターで観て知ったととあり、そうだったかなと思って観たら、確かにありました。このシーンでさえ、左膳が安吉に「あのオジサンはどうして唸っているの」と聞かれて、左膳が賭場で負けが込むと唸ってしまう自分のクセに擬えて「賭けに負けたんじゃないか」と答えるユーモラスな味付けがされていて、あまり凄絶な場面としての印象が無かったです。効果が損なわれているというのではなく、むしろ洒落ていたように思います。
姿三四郎 1943 大河内.jpg虎の尾を踏む男達 大河内.jpg小原庄助さん 大河内.jpg 大河内傳次郎は、山本嘉次郎監督の「ハワイ・マレー沖海戦」('42年)、「加藤隼戦闘隊」('44年)、「雷撃隊出動」('44年)などにも出演しているし、黒澤明監督の「姿三四郎」('43年)で柔道家・矢野正五郎(左)、「虎の尾を踏む男達」('45年完成/'52年公開)で武蔵坊弁慶(中)、「わが青春に悔なし」('46年)で京大教授を演じているほか、清水宏監督の「小原庄助さん」('49年)(右)といった主演作もありましたが、'53年公開の「丹下左膳」(マキノ雅弘監督)で55歳にして「丹下左膳」役に返り咲きます。

 因みに、その3年前に森一生監督の「ごろつき船」('50年/大映)に主演していますが、これは大佛次郎の時代小説の映画化作品で、共演は月形龍之介、相馬千恵子などです。

 幕末、北海道が蝦夷と呼ばれ松前藩の支配下にあった頃、密貿易船の摘発を命じられた藩の横目付三木原伊織(坂東好太郎)は、廻船問屋赤崎屋吾兵衛(香川良介)がその犯人だと暴いたが、そのために黒幕である家老の蠣崎(東良之助)に命を狙われてしまい、危ういところで一人のアイヌに命を助けられる。赤崎屋の策略で嫌疑をかけられた上に主を殺された八幡屋の一人娘いと(若杉紀英子)も、うさぎの惣吉(加東大介)という元使用人に救われ、伊織と共にそのアイヌに隠れ家の洞窟へと導かれるが、実はそのアイヌは、蠣崎一味の悪事を知り、蝦夷で潜入捜査を行っていた幕府の元巡検使副使・土屋主水正(大河内傳次郎)の現在の姿で、主水正はかつて流山桐太郎(月形龍之介)の情婦で蠣崎の手先に使われたアイヌの混血芸者おみつ(相馬千恵子)に謀殺されそうになったところを危うく難を逃れ、今は蝦夷に潜伏していたのだった―。
ごろつき船1.jpg 大河内傳次郎と月形龍之介の確執に相馬千恵子が絡むというもので、脚本が「用心棒」「野良犬」の菊島雄三のせいか、ここでも棺桶が出てきて、棺桶に隠れて本土へ渡ろうとした大河内傳次郎でしたが、月形龍之介に見破られてしまい、棺桶から飛び出して斬り合いに。この時の姿が白装束であるばかりでなく、メイクが隻眼でないことを除いては若干丹下左膳風であり、3年後の「大河内・左膳」復活を予感させるものとなっていました。40代前半で撮った「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」の時ほごろつき船 01.jpgどには飛び跳ねたりはしないけれども、50代後半になっても剣捌きは変わらず、どんなピンチでも動じない堂々たる剣豪ぶりは流石です。大河内傳次郎は強度の近眼であったにも関わらず真剣を使いたがる傾向があったので、剣戟の斬られ役の方は結構ビビったという話(嵐寛寿郎談)があります(勿論、当時はコンタクトレンズなどは無い)。
ごろつい船 相馬千恵子.jpg 月形龍之介演じる屈折した敵役の桐太郎もハマっていましたが、最初は主水正の敵側として現れ、やがて主水正に惹かれていき、身を挺して主水正やいとを守ろうとするアイヌとの混血芸者おみつを演じた相馬千恵子(1922- )がなかなか良かったです。アイヌの人たちがおみつの知らせを受け、集団で主水正側に加勢するという描かれ方になっているのも、蝦夷地を舞台とした作品らしい味付けでした。  
相馬千恵子

 因みに、洞窟に潜んで復讐の機を窺うという点では、黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」('58年/東宝)や 安田公義監督の「大魔神」('66年/大映)などもそのパターンであり、興味深いところです(「隠し砦の三悪人」も「ごろつき船」と同じく菊島隆三が脚本に加わっている)。

黒澤明監督「隠し砦の三悪人」('58年/東宝)/安田公義監督「大魔神」('66年/大映)
隠し砦の三悪人 801.jpg 大魔神 1966 31.jpg

大河内傳次郎/喜代三 
丹下左膳餘話 百萬兩の壺 takeuma.jpgACTミニシアター 百万両の壺.jpg丹下左膳 百万両の壺 02.jpg「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」●制作年:1935年●監督:山中貞雄●脚本:三村伸太郎●潤色:三神三太郎●撮影:安本淳●音楽:西梧郎●原作:林不忘●時間:92分●出演:大河内傳次郎/喜代三/沢村国高勢実乗 『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』.jpg太郎/山本礼三郎/鬼頭善一郎/阪東勝太郎/磯川丹下左膳餘話 百萬兩の壺 山中貞雄2.jpg勝彦/清川荘司/高勢実乗/鳥羽陽之助/宗春太郎/花井蘭子/伊村理江子/達美心子/深水藤子●公開:1935/06●配給:日活●最初に観た場所:早稲田松竹(07-08-12)(評価:★★★★☆)●併映:「人情紙風船」(山中貞雄)

[左]「あのね、おっさん、わしゃかなわんよ」というギャグで知られた高勢実乗

 
ごろつき船 森一生監督作品.jpg「ごろつき船」●制作年:1950年●監督:森一生●製作:辻久一●脚本:成澤昌茂/菊島隆三●撮影:牧田行正●音楽:深井史郎●原作:大佛次郎●時間:88分●出演:大河内傳次郎/相馬千恵子/月形龍之介/坂東好太郎/若杉紀英子/葛木香一/東良之助/香川良介/上田吉二郎/加東大介/阿ごろつき舟gorotsuki.jpg部修/羽白修/寺島貢/堀北幸夫/小松みどり/玉置一恵/片岡好右衛門●公開:1950/11●配給:大映(評価:★★★★)

大河内傳次郎/坂東好太郎/加東大介(右から2人目)/若杉紀英子


《読書MEMO》
田中小実昌 .jpg田中小実昌(作家・翻訳家,1925-2000)の推す喜劇映画ベスト10(『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年/文春文庫ビジュアル版))
丹下左膳餘話 百萬兩の壺('35年、山中貞雄)
○赤西蠣太('36年、伊丹万作)
○エノケンのちゃっきり金太('37年、山本嘉次郎)
○暢気眼鏡('40年、島耕二)
○カルメン故郷に帰る('51年、木下恵介)
○満員電車('57年、市川昆)
○幕末太陽傳('57年、川島雄三)
○転校生('82年、大林宣彦)
○お葬式('84年、伊丹十三)
○怪盗ルビイ('88年、和田誠)

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橋本忍脚本が巧みな「切腹」。壮絶且つ凄絶な復讐(仇討)劇。決闘シーンも味がある。

切腹 1962 ポスター.jpg切腹 1962 dvd.jpg 切腹 1962 決闘シーン.jpg  『東京裁判』 dvd.jpg
「切腹」 [DVD]」/護持院原決闘シーン(丹波哲郎・仲代達矢) 「東京裁判 [DVD]
「切腹」ポスター
切腹 1962 前庭 仲代.jpg 寛永7(1630)年10月、井伊家上屋敷に津雲半四郎(仲代達矢)という浪人が訪れ、「仕官先もままならず、生活も苦しくなったので屋敷の庭先を借りて切腹したい」と申し出る。申し出を受けた家老・斎藤勘解由(かげゆ)(三國連太郎)は、春先、同様の話で来た千々岩求女(石濱朗)の話をする。食い詰めた浪人たちが切腹すると称し、なにがしかの金品を得て帰る最近の流行を苦々しく思っていた勘解由が切腹の場をしつらえると、求女は「一両日待ってくれ」と狼狽したばかりか、刀が竹光であったために死に切れず、舌を噛み切って無惨な最期を遂げたと。この話を聞いた半四郎は、自分はその様な"たかり"ではないと言って切腹の場に向かうが、最後の望みとして介錯人に沢潟(おもだか)彦九郎(丹波哲郎)、矢崎隼人(中谷一郎)、川辺右馬介(青木義朗)の3人を順次指名する。しかし、指名された3人とも出仕しておらず、何れかの者が出仕するまでの間、半四郎は自身の話を聞いて欲しい「切腹」 (1962 松竹).jpgと言う。求女は実は半四郎の娘・美保(岩下志麻)の婿で、主君に殉死した親友の忘れ形見でもあった。孫も生れささやかながら幸せな日が続いていた矢先、美保が胸を病み孫が高熱を出した。赤貧の浪人生活で薬を買う金も無く、思い余った求女が先の行動をとったのだ。そんな求女に一両日待たねばならぬ理由ぐらいせめて聞いてやる労りはなかったのか、武士の面目などとは表面だけを飾るもの、と勘解由に厳しく詰め寄る半四郎が懐から出したものは―。

『東京裁判』 映画.jpg小林正樹.jpg 「人間の條件」6部作('59-'61年)の小林正樹(1916-1996/享年80)が1962(昭和37)年に撮った同監督初の時代劇作品であり、1963年・第16回カンヌ国際映画祭「審査員特別賞」受賞作です(現在のグランプリに該当)。この監督にはベルリン国際映画祭で「国際映画批評家連盟賞」を受賞した「東京裁判」('83年)という長編ドキュメンタリーの傑作もあります。この「東京裁判」という映画を観ると、裁判の争点は端的に言えば、天皇を死刑にすべきかどうかという点であったともとれ(中心となる戦犯らは死刑が裁判前からすでに確定しているようなもので、魂『東京裁判』 映画2.jpgを抜かれたお飾りのように被告席にいるだけ)、そのことを(主役が法廷にいないことも含め)浮き彫りにした内容であるだけに4時間37分を飽きさせることなく、下手なドラマよりずっと緊迫感がありました(この編集の仕方こそがドキュメンタリーにおける監督の演出とも言える。ナレーターは佐藤慶)。争点が天皇にあったことは、この裁判が、昭和天皇の誕生日(現昭和の日)に11ヶ国の検察官から起訴されたことに象徴されており、天皇に処分は及ばなかったものの、皇太子(当時)の誕生日(現天皇誕生日)に被告人28名のうちの7名が絞首刑に処されたというのも偶然ではないように思われます。

「切腹」ポスター in 小津安二郎「秋刀魚の味」
7「切腹」.jpg切腹 小林正樹.jpg 「切腹」の原作は滝口康彦(1924-2004)の武家社会の虚飾と武士道の残酷性を描いた作品です。映画化作品にも、かつて日本人が尊んだサムライ精神へのアンチテーゼが込められているとされていますが、井伊家の千々岩求女への対応は、武士道の本筋を外れて集団サディズムになっているように感じました(同時に斎藤勘解由は、千々岩求女を自らの出世の材料にしようとしたわけだ)。ストーリーはシンプルですが骨太であり(脚本は橋本忍)、観る側に、何故半四郎が介錯人に指名した3人が何れもその日に出仕していないのかという疑問を抱かせたうえで、半四郎がまさに切腹せんとする庭先の場面に、半四郎の語る回想話をカットバックさせた橋本忍氏の脚本が巧みです。

切腹(196209 松竹).jpg 壮絶且つ凄絶な復讐(仇討)劇でしたが、改めて観ると、息子・千々岩求女の亡骸を半四郎が求女の妻・美保と一緒に引き取りに来た際に、求女に竹光で腹を切らせた首謀者である沢潟、矢崎、川辺の3人しか半四郎に会っておらず、それ以外の者には半四郎の面が割れていないとうのが一つの鍵としてあったんだなあと。

切腹 1962 岩下.jpg 半四郎役の仲代達矢(当時29歳)は、長台詞を緊迫感絶やすことなくこなしており、勘解由役の三國連太郎(当時39歳)、沢潟役の丹波哲郎(当時39歳)の "ヒール(悪役)"ぶりも効いています(19歳の美保を演じた岩下志麻は当時21歳だったが、やはり若い。11歳の少女時代(右)まで演じさせてしまっているのはやや強引だったが)。

切腹 1962 三國.jpg 撮影中に起きた仲代達矢と三國連太郎の演劇と映画の対比「論争」は海外のサイトなどにも紹介されていて(この作品は「カンヌ映画祭」で審査員特別賞を受賞している)、仲代達矢の台詞を喋る声が大きすぎて、三國連太郎が(仲代達矢が演劇出身で)映画と演劇の違いが解っていないとしたのに対し、仲代達矢は、集音マイクがあろうと、実際の人物間の距離に合わせた声量で台詞を言うべきだと反論したというものです(小林正樹監督が両者が納得し合うまで議論するよう仕向けたため撮影は3日間中断、後に仲代達矢はあの議論は有意義だったと述懐している)。

切腹 1962 丹波.jpg カットバック(回想)シーンの中にある仲代達矢と丹波哲郎の決闘場面はなかなかの圧巻で、仲代達矢はこの作品と同じ年の1月に公開された「椿三十郎」('62年/東宝)で先に三船敏郎と決闘シーンを演じているわけですが、丹波哲郎との決闘シーンは、それとはまた違った味わいがありました(「椿三十郎」と言わば真逆の役回りであることもあり、"仲代達矢目線"で観ればこちらの方がいい)。

 因みに、その仲代達矢の腰を低く落として脇に刀を構える構えは戦国時代のもので、丹波哲郎の直立姿勢での構えは江戸時代初期に始まりその後主流となったものであるとのことです。

護持院原の敵討―他二篇 森鴎外著.png 両者が決闘した護持院原(ごじいんがはら)は、森鷗外の中編「護持院原の敵討」でも知られていますが、現在の千代田区神田錦町辺りで、江戸時代は"敵討ちの名所"だったようです(江戸から「中追放」の罪となった者の放たれる境界線のすぐ外側。従って、放たれた途端に、私怨を晴らし切れない者などに決闘を申し込まれる)。沢潟の方から半四郎をわざわざ決闘の場として護持院原に誘ったことがずっと個人的には解せなかったのですが、この作品の時代設定は大阪の陣からまだ15年しか経っていないので(まだ"敵討ちの名所"になっていない?)、たまたま近場の原っぱが護持院原だったと考えれば、沢潟が半四郎を護持院原に誘ったこと自体は不自然ではないのかもしれないと改めて思いました。

Seppuku(1962)  第16回カンヌ国際映画祭「審査員特別賞」受賞作
Seppuku(1962).jpg

近江彦根藩井伊家屋敷跡(東京都千代田区)の石碑.jpg 因みに、滝口康彦(1924-2004)による原作「異聞浪人記」は、講談社文庫版『一命』に所収(三池崇史監督、市川海老蔵 主演の本作のリメイク作品('11年)のタイトルは「一命」となっている)。『滝口康彦傑作選』(立風書房)にある原作に関する「作品ノート」によれば、「『明良洪範』中にある二百二十字程度の記述にヒントを得た。彦根井伊家の江戸屋敷での話で、原典では井伊直澄の代だが、小説では、大名取潰しの一典型といえる福島正則の改易と結びつけるため、直澄の父直孝の代に変えている」とのことです。『明良洪範』の記述の史実か否かの評価については様々な異論があるようですが、ある程度歴史通の人たちの間では、この中にある、彦根藩(この藩は当時は弱小藩だったが後に安政の大獄で知られる大老・井伊直弼を輩出する)が士官に来た浪人を本当に切腹させてしまったことが、こうした「狂言切腹」の風習が廃れるきっかけとなったとされているようです。
近江彦根藩井伊家屋敷跡(東京都千代田区)の石碑

人間の条件2.jpg小林 正樹(こばやし まさき、1916年2月14日 - 1996年10月4日)は、北海道小樽市出身の映画監督である。1952年(昭和27年)、中編『息子の青春』を監督し、1953年(昭和28年)『まごころ』で正式に監督に昇進。1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)の3年間にかけて公開された『人間の條件』は、五味川純平原作の大長編反戦小説「人間の條件」の映画化で、長きに渡る撮影期間と莫大な製作費をつぎ込み、6部作、9時間31分の超大作となった。続く1962年(昭和37年)初の時代劇『切腹』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞。続いて小泉八雲の原作をオムニバス方式で映画化した初のカラー作品『怪談』は3時間の大作で、この世のものとは思えぬ幻想的な世界を作り上げ、二度目のカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受けた他、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、日本映画史上屈東京裁判 小林正樹.jpg指の傑作と絶賛された。1965年(昭和40年)松竹を退社して東京映画と契約し、1967年(昭和42年)三船プロ第一作となる『上意討ち 拝領妻始末』を監督して、ヴェネツィア国際映画祭批評家連盟賞を受賞、キネマ旬報ベスト・ワンとなった。1968年(昭和43年)の『日本の青春』のあとフリーとなり、1969年(昭和44年)には黒澤明、木下恵介、市川崑とともに「四騎の会」を結成。1971年(昭和46年)にはカンヌ国際映画祭で25周年記念として世界10大監督の一人として功労賞を受賞。1982年(昭和57年)には極東国際軍事裁判の長編記録映画『東京裁判』を完成させた。1985年(昭和60年)円地文子原作の連合赤軍事件を題材にした『食卓のない家』を監督。これが最後の映画監督作品になる。(「音楽映画関連没年データベース」より)

切腹 1962 チラシ.jpg切腹 1962 仲代 立ち回り.jpg「切腹」●制作年:1962年●監督:小林正樹●脚本:橋本忍●撮影:宮島義勇●音楽:武満徹●原作:滝口康彦「異聞浪人記」●時間:133分●出演:仲代達矢/三國連太郎/丹波哲郎/石浜朗/岩下志麻/三島雅夫//中谷一郎/佐藤慶/稲葉義男/井川比佐志/武内亨/青木義朗/松村達雄/小林昭二/林孝一/五味勝雄/s沢潟彦九郎:丹波哲郎.jpg-s津雲美保:岩下志麻.jpg安住譲/富田仲次郎/田中謙三●公開:1962/09●配給:松竹(評価:★★★★)

丹波哲郎(沢潟彦九郎)/岩下志麻(津雲美保)
      
『東京裁判』 映画1.jpg『東京裁判』 映画3.jpg「東京裁判」●制作年:1983年●監督:小林正樹●総プロデューサー:須藤博●脚本:小笠原清/小林正樹●原案:稲垣俊●音楽:武満徹●演奏:東京コンサーツ●ナレーター:佐藤慶●時間:277分●公開:1983/06●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(84-12-08)(評価:★★★★)

 

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原節子の小津映画初主演作品。笠智衆は最後泣かなくて良かった。監督の意図を超えて論じられる作品。

晩春 1949 dvd.jpg「晩春」S24.jpg 晩春 1949 笠智衆・原節子.jpg 
あの頃映画 松竹DVDコレクション 「晩春」」原節子/笠智衆
晩春 1949 笠智衆.jpg
 早くに妻を亡くし、それ以来娘の紀子(原節子)に面倒をかけてきた大学教授の曾宮周吉(笠智衆)は、紀子が婚期を逃しつつあることが気がかりでならない。周吉は、妹のマサ(杉村春子)が持ってきた茶道の師匠・三輪秋子(三宅邦子)との再婚話を受け入れると嘘をついて、紀子に結婚を決意三島雅夫 晩春.jpgさせようとするが、周吉と昔から親友である京大教授・小野寺(三島雅夫)が後妻を娶ることに不潔さを感じていた紀子は、父への嫌悪と別れの予感にショックを受けてしまう。マサの持ってきた縁談を承諾した紀子は、周吉と京都旅行に出かけ再度心が揺れるが、周吉に説得されて結婚を決意する―。

三島雅夫/原節子

『晩春』原節子.gif 原作は広津和郎の短編小説「父と娘」。原節子が小津映画に初めて出演した作品であり、娘の縁談、親の孤独という戦後の小津作品で繰り返されるテーマがこの作品で確立されたとされており、ま「晩春」杉村春子.jpgた、「麦秋」('51年)、「東京物語」('53年)で原節子が演じたヒロインは皆「紀子」という名前であることから、「紀子3部作」の第1作ともされています(この作品は、NHK-BS2での「生誕100年小津安二郎特集」放映(2003-04)の際の視聴者の投票による「小津映画ベスト10」で「東京物語」に次いで2位にランクインした)。

杉村春子/原節子

 前年作の「風の中の牝雞」('48年)に比べ、技術的に格段の進歩を遂げているばかりでなく、戦後の小津作品のスタイルが確立されているとともに、笠智衆の演技スタイルも確立「風の中の牝雞」笠智衆 02.jpgされていることを改めて感じます。1942年公開の同じく小津監督の「父ありき」(小津作品の中では初主演)で7歳年下の佐野周二の父親を演じてから老け役が定着していたというのもありますが、この「晩春」でも、実年齢(45歳)より10歳余り年上になる56歳の初老の父親を演じています。所謂よく知られている「笠智衆」のイメージに近いですが、「風の中の牝雞」の時と比べると、僅か1年後の出演作品でありながらも、その"見た目年齢"の違いに驚かされます。
笠智衆 in「風の中の牝雞」(1948)

笠智衆/原節子/月丘夢路
晩春 原節子・月丘夢路91.jpg晩春 曾宮周吉2.jpg 笠智衆は演技について演出家と対立するようなことはなかったそうで、小津作品でも小津の言うとおりに演技をしたとのことですが、自らが泣くシーンを演じることはだけは拒否していて、この「晩春」のラストの独りリンゴの皮を剥くシーンで、その後に「慟哭する」というというシナリオだったのが、それを拒否して、うなだれるシーンに変更されたとのこと。彼が小津の演出に従わなかったのはこの時だけだったと言われています(「眠っているみたいだ」と評されて憤りを感じたとも(『大船日記―小津安二郎先生の思い出』('91年/扶桑社)))。
    
『晩春』(1949年).jpg よく原節子の美しさが絶賛される作品で、またその号泣シーンなどでも知られているわけですが(続く「麦秋」「東京物語」でも原節子は号泣する)、個人的には、自分の娘を嫁にやる初老の男の複雑な心境にウェイトを置いて観ました(あくまでも主人公は周吉かと)。但し、この作品を、父に対して性的コンプレックス(エレクトラコンプレックス)を抱いていた娘が、そこから解放される物語であるとの見方があることで知られており、言われてみればナルホドなあと。

晩春 1949 旅館のシーン.jpg そうなると、京都旅行で父と娘が同じ旅館部屋で枕を並べて寝るシーンなども、やや性的な意味合いを帯びてくるわけですが、その場面の終りの方で一瞬床の間の壺が映し出されるシーンがあり、それが、ヒロインがエレクトラコンプレックスから解放された瞬間だという説もあるそうです。蓮實重彦氏が『監督 小津安二郎』('83年/筑摩書房、'92年/ちくま学芸文庫)で、この場面における"性の露呈"を指摘し、高橋治氏が『絢爛たる影絵―小津安二郎』('82年/文藝春秋、'10年/岩波現代文庫)で「エレクトラ・コンプレックスが最も美しく結実したのは矢張り有名なあの京都の宿のシーンだろう」としています。

 現役最高齢の映画監督マノエル・ド・オリヴェイラ(2014年2月現在105歳(2015年4月、満106歳で死去))が、2003年の「小津安二郎生誕100周年記念国際シンポジウム」で、これらは「父子相姦」のメタファーなのかという問題を再提起して議論を呼びましたが、これで海外のこの映画をに対する「近親相姦」映画としてのそれまでの見方が更に強まったとされるものの、その時にそうした問題提起をしたオリヴェイラ監督自身は、「晩春」における娘と父の関係を性的なものではなく、深い情愛によって結ばれた神聖なものであるとしたとのこと、また、「タクシードライバー」('76年)の脚本家で「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」('85年)などの監督作もあるポール・シュレイダーになると、"壺"は「もののあわれ」を表しているとします。

Banshun (1949).jpg晩春 壺.png この"壺"を誰が見ているのかによっても解釈は異なってきますが、父・周吉は先に眠ってしまうことから、後は、ヒロインか「神の眼」かの何れかにならざるを得ない―ヒロインのそれまでの結婚に対する頑な態度が変わったのは、この時の旅館部屋での"枕を並べての"父子の会話以降であり、その会話からもヒロインの気持ちのターニングポイントは見て取れなくもないですが、その延長線上にある"壺"は、映画評論家ドナルド・リチーの指摘のように、それを見ているのはヒロインであると解釈するのが自然かもしれず、ドナルド・リチーは壺に、それを見つめるヒロインの結婚の決意が隠されていると分析しています(因みに蓮實重彦氏は、『監督 小津安二郎』の最後の章をこのシーンの捉え方に割いていて、ポール・シュレーダー、ドナルド・リチー両氏の解釈を批判し、それらとはまた違った見解を示しているが、ここではこれ以上は引用しないでおく)。
Banshun(1949)

 結局、このシーンを観てどう感じるかは人によって様々でしょう。小津作品の幾つかが、監督の意図をはるかに超えた場所まで独り歩きし、到達していこうとしていることを最も端的に示す論争の1つと言えるかと思います。自分自身は正直よく分かりませんでしたが(これも誰かが言っていたことだと思うが、壺を見ているのは「神の眼」ともとれなくはない)、こうした様々な見方を参照していくと、主人公・周吉のラストの悲哀も、"悲哀一色"ではなく、ややどろっとした"重たいもの"からの解放されたという側面もあり、その上で感じる乾いた"諦観"のような侘しさというものではなかったかという気がします(笠智衆は泣かなくて良かった)。

「晩春」1.jpg 「晩春」2.jpg

「晩春」ポスター.jpg

晩春 1949 ポスター.jpg晩春 1949 完成記念.jpg「晩春」●制作年:1949年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:伊藤冝二●広津和郎「父と娘」●時間:108分●出演:笠智衆/原節子/月丘夢路/宇佐美淳/杉村春子/青木放屁/三宅邦子/三島雅夫/坪内美子/桂木洋子/清水一郎/谷崎純/高橋豊子/紅沢葉子●公開:1949/09●配給:松竹●最初に観た場所:大井武蔵野館 (84-02-07)(評価:★★★★☆)●併映:「早春」(小津安二郎)

晩春21.jpgNHK-BS2 視聴者の投票による「小津映画ベスト10」(「生誕100年小津安二郎特集」ホームページ(2003年))
第1位 「東京物語
第2位 「晩春
第3位 「麦秋
第4位 「生れてはみたけれど
第5位 「浮草」
第6位 「彼岸花
第7位 「秋刀魚の味
第8位 「秋日和
第9位 「早春
第10位 「淑女は何を忘れたか

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千石規子がいい。昭和20年代のヒューマニズムをテーマにした黒澤作品群の中では好きな方。

Shizukanaru kettô(1949).jpg       静かなる決闘 デジタル・リマスター版.jpg  「静かなる決闘」00.jpg
Shizukanaru kettô(1949)静かなる決闘 デジタル・リマスター版 [DVD]

静かなる決闘 野戦病院.jpg 若い軍医・藤崎(三船敏郎)は、戦時中の野戦病院で患者・中田(植村謙二郎)を手術中に、誤って自分の指に怪我をして患者の梅毒に感染してしまう。そして薬もろくにない中で病気をこじら静かなる決闘 2.jpgせてしまう。終戦を迎え、父・孝之輔(志村喬)の病院で働くようになった藤崎は、戦中から6年間彼の結婚の正式申出を待っていた婚約者の美佐緒(三條美紀)に対し、梅毒感染を隠したまま、結婚を申し出ることが出来ずにいる。一方の美佐緒は、藤崎が自分に対して距離を置いていることに苦悩する。ある日、藤崎は、梅毒の治療薬サルバルサンを自らに注射してい静かなる決闘 3.jpgるところを、見習い看護師の峯岸るい(千石規子)に見られてしまう。峯岸は元ダンサーで、妊娠して男に捨てられたところを病院に拾われたのだったが、藤崎の日頃の人道主義的な言動に反感を抱いていた彼女は、普段高潔なことを言っているのに梅毒に感染していると、理由も知らずに彼のことを誤解する。子どもを産むことを勧める藤崎に対して逆に彼を詰(なじ)るが、これを父・孝静かなる決闘 三船&志村.jpg之輔が偶然立ち聞きし、父は初めて息子が梅毒に感染していることを知る。最初は息子を詰問するつもりだった父だが、手術中の不可抗力からの感染と知って息子に同情するとともに、事実を美佐緒に話すべきだと諭す。しかし、藤崎は、完治には長い年月のかかる(当時)梅毒に感染したことを美佐緒に話せば、彼女の性格からして自分を待ち続けるだろうが、そのことは彼女の青春を犠牲にすることでもあり、それは出来ないと言う。この親子の話し合いを偶然立ち聞きした峯岸は、藤崎に対し自分が誤解をしていたことを知る―。

「静かなる決闘」志村.jpg 「酔いどれ天使」('48年)に続く黒澤明の監督8作目で、1949(昭和24)年公開の大映作品であり、原作は菊田一夫の舞台劇「堕胎医」(1947年発表)。年齢差15歳の志村喬(1905-1982/享年76)と三船敏郎(1920-1997/享年77)が親子の役を演じているのが興味深いです。見習い看護師の峯岸るいを演じた千石規子(1922-2012/享年99)は、黒澤明作品に最も多く出演している女優です。

静かなる決闘 6.jpg 苦悩する医師を演じた三船敏郎は、彼らしからぬ抑えた演技で、それを三船らしくないとしてフラストレーションを感じるか否かがこの作品の好き嫌いの分かれ目の1つになるかもしれませんが、個人的には、この映画での三船敏郎は悪くないと思っています。但し、やはり何と言っても、見習い看護師の峯岸るいを演じた千石規子がいいです。最初は、観客の視点に立った"繋ぎ"的な役回りに見えたのが、やがて物語において重要なファクターを占めるようになり、終わってみれば、作品自体が彼女の成長物語だったようにも思えてきます。

 峯岸るいは、偶然により藤崎の梅毒感染の秘密を知り、それまでの藤崎への反感が一旦は憎悪の域に達しますが、また更に偶然によりその原因の真相を知ったことで、藤崎へのわだかまりは尊敬の念へと転じます。但し、それをストレートに藤崎に伝えることが出来ず、最初は美佐緒を通して伝えようとするところなどはいじらしかったです。

静かなる決闘 7.jpg しかし、だからと言って藤崎の考え方を完全に理解したわけではなく、相変わらず人道主義を口にする彼に対して、「男の人の肉体的な要求なんてそんなに簡単に抑制できるものなんですか」とカマをかけます。「医者だって人間でしょう」という彼女の言葉が引き金となって、藤崎は自らの悔しさと美佐緒に対しての生々しい想いを峯岸にぶちまけ、彼の苦悩をストレートに受け止めた峯岸も号泣します。その号泣の後で、またも「僕は医者なんだ。人間の良心を持って生きていかなければならないんだ」と言って"あるべき自分"に立ち返ろうとする藤崎に対して、峯岸は再度カマをかけていて、ここはある種"男と女"の会話になっています。しかもテーマは"性欲"であると言ってもよく、峯岸自身が、病院ってこういう話ができる不思議なところだと言っているぐらいです(しかも、その後、ぎこちなく事務的な会話に移るのが却ってリアリティがある)。このシーンでの千石規子の演技は、三船敏郎のそれと拮抗しているように思いました(女性を描くのが不得手だと言われた黒澤明の作品にしては、活き活きとした女性像が描かれていると思った)。

「静かなる決闘」ラスト.jpg 自らの暗い過去から人間を斜に構えてしか見ることが出来なかった見習い看護師の峯岸が、ラストでは凛とした看護師になっていて、しかも見違えるほど美しくなっています。孝之輔が、息子・藤崎が巷で"聖者"と呼ばれているということに対して、「あいつはね、ただ自分より不幸な人間の傍で希望を取り戻そうとしているだけですよ。幸せだったら案外俗物になっていたかもしれません」というのも解り易過ぎる解題のようにも思えますが、味わいのある言葉でもあり、作品全体としても感動作であるには違いないと思います。

菊田一夫.jpg 原作は菊田一夫の舞台劇「堕胎医」(1947年)で、千秋実主演で舞台でもヒットしたそうですが、藤崎と峯岸るいを軸とした話になっていて、美佐緒はほんの脇役に過ぎなかったそうです。振り返れば、映画においてもそうした見方ができますが、但し、原作では主人公の医師が梅毒を次第に悪化させ遂に発狂し、相手が誰かの判断もできなくなって精神病院へ送られるところで幕となるというもので、映画も最初のシナリオの段階ではそのような結末を想定していたのが、当時梅毒が既に「治る病気」になっており(1946年に占領軍が招聘した米国大学教授の指導の元に日本の製薬会社各社がペニシリンの生産を開始し、翌1947年から病院を通して日本中へと広まった)、GHQの圧力もあったかと思われますが、こうした希望の持てる終わり方になっています(但し、その代わりに中田の方が梅毒の病状が進行して発狂していくのだが)。

「静かなる決闘」ポスター.jpg「静かなる決闘」 三条美紀.jpg 昭和20年代の黒澤作品は、ヒューマニズムをテーマにしたものが多く、それらの評価は結構割れているようですが、この作品もその1つでしょう。それら作品群の中では個人的には好きな方です。戯曲の方が素晴らしいという映画評論家もいますが、観ていないので何とも言えません。但し、自分としては、原作以上の映画作品を作る監督の一人が黒澤明だと思っています。
三船敏郎/三條美紀(娘は紀比呂子

  千石規子
「静かなる決闘」 千石.jpg千石規子「静かなる決闘」.jpg「静かなる決闘」●制作年:1949年●監督:黒澤明●製作:本木荘二郎●脚本:黒澤明/谷口千吉●撮影:相坂操一●音楽:伊福部昭●時間:108分●出演:三船敏郎/志村喬/三條美紀/千石規子/植村謙二郎/山口勇/中北千枝子/宮島健一/佐々木正時/泉静治/伊達正/宮島城之/宮崎準之助/飛田喜佐夫/高見貫/須藤恒子/若原初子/町田博子●公開:1949/03●配給:大映●最初に観た場所:八重洲スター座(79-08-20)(評価:★★★★)●併映:「デルス・ウザーラ」(黒澤明)

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「聞く力」というよりインタビュー術、更にはインタビューの裏話的エッセイといった印象も。

聞く力1.jpg 聞く力2.jpg 阿川 佐和子 菊池寛賞.jpg
聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)阿川佐和子氏(第62回(2014年)菊池寛賞受賞)[文藝春秋BOOKS]

阿川 佐和子 『聞く力―心をひらく35のヒント』130.jpg 本書は昨年('12年)1月20日に刊行され12月10日に発行部数100万部を突破したベストセラー本で、昨年は12月に入った時点でミリオンセラーがなく、「20年ぶりのミリオンゼロ」(出版科学研究所)になる可能性があったのが回避されたのこと。今年に入ってもその部数を伸ばし、5月には135万部を、9月13日には150万部を突破したとのことで、村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が発売後7日で発行部数100万部に達したのとは比べようもないですが、今年('13年)上半期集計でも村上氏の新刊本に次ぐ売れ行きです。

プロカウンセラーの聞く技術3.jpg 内容は主に、「週刊文春」で'93年5月から20年、900回以上続いている連載インタビュー「この人に会いたい」での経験がベースになっているため、「聞く力」というより「インタビュー術」という印象でしょうか。勿論、日常生活における対人コミュニケーションでの「聞く力」に応用できるテクニックもあって、その辺りは抜かりの無い著者であり、エッセイストとしてのキャリアも実績もあって、文章も楽しく読めるものとなっています。

 ただ、対談の裏話的なものがどうしても印象に残ってしまい(それも誰もが知っている有名人の話ばかりだし)、タイトルからくるイメージよりもずっとエッセイっぽいものになっている印象(裏話集という意味ではタレント本に近い印象も)。「聞く力」を本当に磨きたければ、著者自身が別のところで推薦している東山紘久著『プロカウンセラーの聞く技術』(`00年/創元社)を読まれることをお勧めします。もしかしたら、本書『聞く力』のテクニカルな部分の典拠はこの本ではないかと思われるフシもあります。
プロカウンセラーの聞く技術

 因みに、昨年、その年のベストセラーの発表があった時点ではまだ本書の発行部数は85万部だったのが、同年4月に文藝春秋に新設されていた「出版プロモーション部」が、この本が増刷をかけた直後にリリースしたニュース情報が有効に購入層にリーチして一気に100万部に到達、この「出版プロモーション」の成果は村上氏の新刊本『色彩を持たない...』にも応用され、インターネット広告や新刊カウントダウンイベントなどの新たな試みも加わって、『色彩を持たない...』の「7日で100万部達成」に繋がったとのことです。

 本もプロモーションをかけないと売れない時代なのかなあ。ただ、こうしたやり方ばかりだと、更に「一極(一作)集中」が進みそうな気もします。まあ、この本は、村上春樹氏の新刊本とは異なり、発刊以降、地道に販売部数を重ねてきたものでもあり、プロモーションだけのお蔭でベストセラーになった訳でもないとは思いますが。

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ノンシリーズものだが面白くて味わいがある。長編的素材を圧縮して中編にしたという印象。

麦屋町昼下がり 1989.jpg 単行本['89年] 麦屋町昼下がり 文庫.jpg麦屋町昼下がり (文春文庫)

 片桐敬助は、御蔵奉行で上司の草刈甚左衛門から呼ばれて帰りが遅くなった。呼ばれたのは縁談の話だったが、相手は片桐敬助より身分が上の家柄だった。帰り道、敬助は男に追われる女を救おうとしてその男を斬り殺してしまうが、斬った男は女の舅・弓削伝八郎で、女には不義密通を働いていたという噂があり、嫁の不義に怒った舅が女を追っていた可能性もある。舅の息子、即ち女の夫の弓削新次郎は藩内随一の剣の使い手で、近く江戸詰めから戻ってきたら父の仇を討つのではとの噂が広まる。敬助は家中の試合では弓削に勝ったことはない。敬助は、殺すべきでない男を殺してしまったのではないかと悩む一方、弓削との決闘を覚悟して、師匠が薦めた大塚七十郎について稽古を重ねていたが、ある時その弓削と出会って声掛けされるも、彼は意外にも敵意を見せない。何月か後、弓削が城下で刃傷沙汰に及んでいるとの知らせが入り、敬助に討手としての命が下りる―(「麦屋町昼下がり」)。

 「麦屋町昼下がり」「三ノ丸広場下城どき」「山姥橋夜五ツ」「榎屋敷宵の春月」の短編4編を収録し、何れも「オール讀物」の昭和62年6月号から昭和64年1月号にかけて掲載されたノンシリーズ物の読み切り作品です(作者・藤沢周平は平成元年10月に菊池寛賞受賞)。

 表題作の「麦屋町昼下がり」がやはり一番面白く、個人的には、弓削新次郎というのが、新次郎と敬助との間に一悶着あるだろうという噂が藩内に立つ中で、敬助に直接事情を訊いて、倒すべき相手は誰かを確認したうえで刃傷沙汰に及んでいるのが興味深いです(この弓削新次郎というのは、天才剣士であるものの翳のあり、物語の流れからしても"悲劇的人物"なのだが、ある面でちょっと爽やかな点もあったりして...)。

 「三ノ丸広場下城どき」も剣戟小説風で、藤沢作品では珍しいタイプのものが続きますが、主人公自身は現時点では剣豪というほどでもなく、しかし世間が言うほどにはナマっておらず、最後は―という、「たそがれ清兵衛」などの普段は地味だが実は凄腕だったというのとはまた少し違った趣があってこれもいいです(因みに山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」('02年/松竹)の清兵衛の描き方は、「麦屋町昼下がり」の片桐敬助に近いか)。

 以下、「山姥橋夜五ツ」「榎屋敷宵の春月」と藩内の政略絡みのものが続き、企業小説の時代劇版みたいな感じですが、その分、身近な感じで読めてしまうのが妙。

 「三ノ丸広場下城どき」では出戻りで怪力の女中・茂登が活躍し、「榎屋敷宵の春月」は寺井織之助の妻・田鶴自身が主人公で、最初はサラリーマンの奥さん同士の世界を描いた風だけど、やがてそこにも政治が影を落とし、結局妻の方が日和見の亭主に見切りをつけて自ら重役の悪事を暴こうと小刀を振るうという、何だか昭和61年の男女雇用機会均等法制施行を背景にしたような感じも。

 人妻の田鶴に言い寄る小谷三樹之丞というのも、公私はきっちり分けていて、それをまた田鶴に問うたりするところが印象に残る人物でした。田鶴が公憤ではなく私情に駆られて三樹之丞のもとを訪れたのならば、自分も私情により...ということでしょうか。

花の誇り2.jpg花の誇り1.jpg この「榎屋敷宵の春月」は、2008年の暮にNHKが「花の誇り」というタイトルでTVドラマとして映像化していますが(脚本:宮村優子、出演:瀬戸朝香/酒井美紀)、個人的には未見です。

NHKドラマ「花の誇り」(原作:「榎屋敷宵の春月」)

 4編は何れも物語の背景の描き方などが丁寧で、短編集と言うより、長編にでも出来そうな素材を圧縮して中編にしたという印象があり、またそれぞれに味わいもあって、こうした密度の濃い作品(作風自体は重厚と言うより爽やかといった感じか)をコンスタントに発表していた作者の力量はやはり並のものではなかったなあと思わされました。

【1992年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
●三ノ丸広場下城どき
次席家老の臼井内蔵助は、守屋市之進から、江戸の側用人・三谷甚十郎が自分と新海屋との繋がりに気付き、三谷からの使者が中老の新宮小左衛門を訪ねに来るという話を聞き、その密書を奪うことを画策、三谷が使者に護衛を付けて欲しいと市之進に頼んできたのを幸いとし、昔は剣で鳴らしたが今はナマっていると思われる粒来重兵衛をわざと護衛に選ぶ。重兵衛は護衛を引き受けるが果たして失敗し、自分が罠にかけられたのを悟る。重兵衛は、一体誰が何のために自分を陥れたのかを探索する一方で、鈍った体を鍛え直し始める―。
●山姥橋夜五ツ
柘植孫四郎は息子の俊吾が道場で喧嘩をふっかけていると聞き驚き、原因は、自分が瑞江を離縁したことだろうと思った。離縁したのは、瑞江に不義の噂が立ったためだった。そうした中、塚本半之丞が腹を切り、孫四郎に宛てた遺書の内容は、先代の藩主は病死ではなく謀殺されたという驚くべきものであり、半之丞はそのことを口に出来ず、思い悩んでの憤死だったようだ。孫四郎は、自分の家禄が削られた事件を思い出し、それも先代の藩主の死と関係があるのかもしれないと思って、真相究明に動き始めた―。
●榎屋敷宵の春月
家老の宮坂縫之助の死去に伴い、後任の執政入りの人選が始まろうとしていたが、田鶴は夫・寺井織之助が執政になるための運動が捗々しくないのを知った。競争相手は露骨に金をばらまいているらしいが、寺井家には金銭の余裕はない。今回の競争には古い友達の三弥の夫も加わっており、田鶴は三弥にだけは負けられないと思っていた。三弥は、田鶴にとって特別な存在だった長兄・新十郎の気持ちを知っていたはずであり、だから、三弥が他家に嫁ぎ新十郎が自殺したときには衝撃を受けた。田鶴はお理江さまから呼ばれて小谷家に向かうが、門前でお理江さまの兄・小谷三樹之丞と出会った。帰り際にお理江さまから、三弥が早くに来て三樹之丞と会っていたことを聞く。小谷三樹之丞は藩政に影響力を持っている人物である。その帰り道、家の前で斬り合いが行われ、江戸屋敷からきた関根友三郎という者が襲われていた―。

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'97年は「もののけ姫」ヒットの年。宮崎駿監督のお陰で映画産業界は底を脱した?
  
映画イヤーブック 1998.jpg もののけ姫 1997 dvd.jpg もののけ姫 0.jpg となりのトトロ dvdes.jpg
映画イヤーブック (1998) (現代教養文庫)』「もののけ姫 [DVD]」「となりのトトロ [DVD]」('88年/東宝)

映画イヤーブック.JPG 1997年の劇場公開作品、洋画344本、邦画191本の計535本の全作品データと解説を収録し、ビデオ・ムービー、未公開洋画、テレビ映画ビデオのデータなども網羅、このシリーズは8冊目となり、巻末に'91年版から'98年版までの全巻を通しての索引が付いていますが、結局このシリーズはその後刊行されることなく、2000年代に入って版元の社会思想社は倒産しています。

 本書での最高評価になる「四つ星」作品は、「シャイン」「イングリッシュ・ペイシェント」「浮き雲」「コンタクト」「世界中にアイ・ラブ・ユー」「タイタニック」の6作品、邦画は、「うなぎ」(今村昌平監督)、「もののけ姫」(宮崎駿監督)、「バウンズ ko GALS」(原田眞人監督)、「ラヂオの時間」(三谷幸喜監督)の4作品。

 トム・クルーズ主演の「ザ・エージェント」('96年)やブルース・ウィリス主演の「フィフス・エレメント」('97年)、ハリソン・フォード主演の「エアフォース・ワン」('97年)、トミー・リー・ジョーンズ主演の「メン・イン・ブラック」('97年)と、ハリウッド・スター映画もそれなりに頑張っていたけれど(本書評価は何れも「三つ星」)、この頃からビデオ化されるサイクルがどんどん早くなってきたので、個人的にもこうした作品はビデオで観てしまうことが多くなりました。

もののけ姫.jpg 世間一般でもこうした「ビデオで観る」派が増えて、'96年の映画館の入場者数が1億1,957万人と史上最低だったわけですが、翌年は、この年'97年7月公開の「もののけ姫」('97年/東宝)のヒットを受けて、邦画の映画館入場者数は前年比2千万人増、さらに12月公開のジェームズ・キャメロン監督の「タイタニック」('97年)のヒットが、翌年の洋画の映画館入場者数を前年比2千万人以上押し上げ、映画業界は何とか底を脱したかたちになりました。

 ちなみに、'90年から'98年までの年度別映画興行成績(配給収入)ベストワンは、  
  1990年 「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」 (UIP) 55.3億円  
  1991年 「ターミネーター2」(東宝東和) 57.5億円   
  1992年 「紅の豚 」(東宝) 28億円   
  1993年 「ジュラシック・パーク」 (UIP) 83億円   
  1994年 「クリフハンガー」 (東宝東和) 40億円  
  1995年 「ダイ・ハード3」 (20世紀フォックス) 48億円   
  1996年 「ミッション:インポッシブル」 (UIP) 36億円  
  1997年 「もののけ姫」 (東宝) 113億円
  1998年 「タイタニック」 (20世紀フォックス) 160億円
となっています。
Sen to Chihiro no kamikakushi (2001)
Sen to Chihiro no kamikakushi (2001).jpg 2001年には宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が304億円、2003年には「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」が173.5億円、2004年には宮崎駿監督の「ハウルの動く城」が196億円、2008年には同じく宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」が155億円、2010年にはジェームズ・キャメロン監督の「アバター」が156億円と、それぞれ年間で150億円以上の興行成績を打ち立てていますが、この(社)日本映画製作者連盟による統計のとり方は、90年代までは「配給収入」をみていたのが、2000年以降は海外(米国)の基準に沿って「配給収入」ではなく「興行収入」でみています

 「興行収入」は映画館の入場料の総和そのもので、「配給収入」はそこから映画館(興行側)の取り分を差し引いた、配給会社の収益ですので、「興行収入」の方が「配給収入」よりも数字は大きくなり(配給収入=興行収入×50~60%、洋画メジャー大作の場合は×70%)、2000年代に入り、数字上は100億円超の"興行成績"を収める映画が出やすくなっているというのもあります。

 そうした観点からしても、90年代の"100億円"映画というのは大ヒット作ということになり(「もののけ姫」を「興業収入」でみると193億円になる)、90年代後半にそうした作品が出てきたところで、本書のような評論家による作品評価やマイナー作品の映画情報も入った「総合映画事典」的な文庫の刊行が途絶えたことはやや残念でした。

 確かに、一発「お化けヒット」した作品が出れば映画業界は活気づくけれども、皆が皆、宮崎駿やジェームズ・キャメロンの監督作品、或いは「ハリー・ポッター」シリーズ(このシリーズも殆どが興行収入100億円超)に靡いて劇場の前に列を作るというのもどうかと―(と言いつつ、自分もこの頃にはすでにあまり劇場に行かず、専らビデオで映画を観ることが多くなっていたのだが)。

もののけ姫2.jpg 「もののけ姫」は、それまでの宮崎駿監督の作品の集大成とも言える大作で、作画枚数は14万枚以上に及び、これは後の「千と千尋の神隠し」の11.2万枚をも上回る枚数です。時代の特定は難しいですが、室町後期あたりのようで、室町時代にしたのはこれ以上遡ると現実感が希薄になって自分自身もイメージが湧きにくくなるためだというようなことを、宮崎監督が養老孟司氏との対談で言っていました(『虫眼とアニ眼』 ('08年/新潮文庫))。自然と人間の対決というテーマは「風の谷のナウシカ」('84年)にも見られましたが、こちらはより深刻かつ現実的に描かれているような気もします。バックボーンになっているのは明らかに網野善彦(1928-2004)の展開する非農業民に注目した日本史観であり、映画全編を通して様々な要素が入っていて、その解釈となると結構難解もののけ姫 1.jpgな世界とも言え、歴史学の知識に疎もののけ姫e.jpgい身としては、その辺りが今一つ解らなかったもどかしさもありました(その網野善彦からは、当時の女性は皆ポニーテールだったとの指摘を受けている)。「となりのトトロ」('88年)みたいに、深く考えないで観た方が良かったのかも。

天空の城ラピュ dvd.jpgKaze no tani no Naushika (1984).jpg 因みに、スタジオジブリはこの「もののけ姫」からプロデューサーに鈴木敏夫氏を据え、企画、宣伝、興行全てを鈴木プロデューサーが取り仕切り、徹底的なメディア戦略を行ったそうです。そのことにより、先に述べたように作品はヒットし、初期作品「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」の15倍から18倍の観客を動員しています。「千と千尋の神隠し」となると、更にその1.5倍ほどの差になるわけですが、だからと言って、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」が「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」や「となりのトトロ」より優れているということには必ずしもならないでしょう。

Kaze no tani no Naushika (1984)

千と千尋の神隠しド.jpg千と千尋の神隠し 01.jpg 「千と千尋の神隠し」が記録的な興行成績となったのは、第75回アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞し、海外でも評価されたということで、普段アニメを観ない人も映画館に行ったという事情もあったのではないで千と千尋の神隠し アカデミー.jpgしょうか。但し、米国アカデミー賞受賞は、先に第52回ベルリン国際映画祭で「金熊賞」を受賞したことと(アカデミー賞外国映画賞がその典型だが、アカデミー賞が外国映画に与えられる場合、すでに海外の映画祭などで賞を獲って高評価を得ているものに与えられることが多い)、もう1つ、宮崎駿監督の友人である映画監督ジョン・ラセターの尽力によって北米で公開されたということが大きな要因としてあったように思います。内容は"夢落ち"ですが、予めそのことが示唆されていて、観ていてだまされたという感じはしません(「もののけ姫」みたいに網野史観が分からないと映画が読み解けないといったプレッシャーもない?)。

となりのトトロes.jpg 「風の谷のナウシカ」が出たての頃、この作品にすごく注目していた友人がいて、薦められてその友人の家でレーザーディスクで観たことがありますが(彼は当時パイオニアに勤務していた)、彼は先見の明があったのかもしれません。また、「となりのトトロ」については、この作品が出た時期に限らず、その後もビデオやDVDの普及で繰り返し多くの家庭で観られ、幅広い世代の幼年期の記憶に残ったのではないでしょうか(個人的には「となりのトトロ」がスタジオジブリの最高傑作だと思っている)。こうした初期作品の方が好きな人も結構いるように思います。

「となりのトトロ」('88年/東宝)

もののけ姫  .jpgもののけ姫11.jpg「もののけ姫」●制作年:1997年●監督・脚本:宮崎駿●製作:鈴木敏夫●撮影:奥井敦●音楽:久石譲(主題歌:米良美一「もののけ姫」)●時間:133分●声の出演:松田洋治/石田ゆり子/美輪明宏/渡辺哲/小林薫/森繁久彌/田中裕子/佐藤允/森光子/上條「もののけ姫」ジコ坊.jpg恒彦/島本須美/名古屋章/近藤芳正/飯沼慧●公開:1997/07●配給:東宝 (評価:★★★☆)
0小林薫.jpg ジコ坊(声:小林薫

「もののけ姫」乙事主.jpg 森繁久彌.jpg 乙事主(おっことぬし)(声:森繁久彌

風の谷のナウシカ1.jpeg風の谷のナウシカ DVD.jpg「風の谷のナウシカ」●制作年:1984年●監督・脚本・原作:宮崎駿●製作:高畑勲●撮影:白神孝始●音楽:久石譲●時間:116分●声の出演:島本須美/松田洋治/榊原良子/家弓家正/永井一郎/富永み~な/京田尚子/納谷悟朗/辻村真人/宮内幸平/八奈見乗児/矢田稔●公開:1984/03●配給:東映●最初に観た場所:下高井戸京王(84-08-25)(評価:★★★☆)●併映:「未来少年コナン」(佐藤肇)
風の谷のナウシカ [DVD]

となりのトトロ 1.jpgとなりのトトロ DVD.jpg「となりのトトロ」●制作年:1988年●監督・脚本・原作:宮崎駿●製作:原徹●撮影:白井久男●音楽:久石譲(主題歌:井上あずみ「となりのトトロ」)●時間:88分●声の出演:日高のり子/坂本千夏/糸井重里/島本須美/高木均/北林谷栄/丸山裕子/鷲尾真知子/鈴木れい子/広瀬正志/雨笠利幸/千葉繁●公開:1988/04●配給:東宝 (評価:★★★★☆)
となりのトトロ [DVD]

千と千尋の神隠し 03.jpg千と千尋の神隠し 02.jpg「千と千尋の神隠し」●制作年:2001年●監督・脚本・原案・原作:宮崎駿●製作:鈴木敏夫●撮影:奥井敦●音楽:久石譲(主題歌:木村弓「いつも何度でも」)●時間:124分●声の出演:柊瑠美菅原文太 千と千尋の神隠し.jpg菅原文太 .jpg/入野自由/夏木マリ/中村彰男/玉井夕海/内藤剛志/沢口靖子/神木隆之介/我修院達也/大泉洋/小野武彦/上條恒彦/菅原文太●公開:2001/07●配給:東宝 (評価:★★★☆)

釜爺(声:菅原文太
     
《読書MEMO》
●ジブリ作品の興行収入(1984-2011) 
作品 公開年度  興行収入   観客動員
「風の谷のナウシカ」  1984年 14.8億円 91万人
「天空の城ラピュタ」   1986年 11.6億円 77万人
「となりのトトロ」  1988年 11.7億円 80万人
「魔女の宅急便」  1989年 36.5億円 264万人
「おもひでぽろぽろ」   1991年 31.8億円 216万人
「紅の豚」  1992年 47.6億円 304万人
「平成狸合戦ぽんぽこ」 1994年 44.7億円 325万人
「耳をすませば」  1995年 31.5億円 208万人
「もののけ姫」  1997年 193億円 1,420万人
「千と千尋の神隠し」  2001年 304億円 2,350万人
「猫の恩返し」  2002年 64.6億円 550万人
「ハウルの動く城」 2004年 196億円 1,500万人
「ゲド戦記」  2006年 76.5億円 588万人
「崖の上のポニョ」  2008年 155億円 1,200万人
「借りぐらしのアリエッティ」2010年 92.5億円 750万人
「コクリコ坂から」  2011年 44.6億円 355万人

森卓也.jpg森卓也(映画評論家)の推すアニメーションベスト10(『大アンケートによる日本映画ベスト150』(1989年/文春文庫ビジュアル版))
○難破ス物語第一篇・猿ヶ島('30年、正岡憲三)
くもとちゅうりっぷ('43年、正岡憲三)
○上の空博士('44年、原案・横山隆一、演出:前田一・浅野恵)
○ある街角の物語('62年、製作構成:手塚治虫、演出:山本暎一・坂本雄作)
殺人(MURDER)('64年、和田誠)
○長靴をはいた猫('69年、矢吹公郎)
ルパン三世・カリオストロの城('79年、宮崎駿)
うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー('84年、押井守)
○天空の城ラピュタ('86年、宮崎駿)
となりのトトロ('88年、宮崎駿)
森卓也(映画評論家)の日本アニメ映画ベストテン(『オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇』(2010年/キネ旬ムック)
○難船ス物語 第一篇・猿ヶ島(1931)
○くもとちゅうりっぷ(1943)
○上の空博士(1944)
桃太郎 海の神兵(1945)
○長靴をはいた猫(1969)
○道成寺(1976)
○ルパン三世 カリオストロの城(1979)
○うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984)
となりのトトロ(1988)
○東京ゴッドファーザーズ(2003)

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(篠山紀信)

'74年の主な出来事を追った写真集。見る人が自分なりのイメージで見ることができるように上手にお膳立てしてみせる。

晴れた日 A Fine Day 1.jpg 晴れた日 A Fine Day 2.jpg  篠山 紀信 『晴れた日』.jpg
晴れた日―写真集 (1975年)』(30.7 x 23.3 x 3.8 cm)/山口百恵 photo by 篠山紀信

 1974(昭和49)年の報道上の主な出来事を追って写真集にまとめたもので、グラフ誌(おそらく「アサヒグラフ」)の連載企画だったのではないでしょうか。
輪島功一
晴れた日76.JPG この1974(昭和49)年という年は、堀江謙一の「マーメイドⅢ」による西周り単独無寄港世界一周早回り記録達成、プロボクシングのジュニア・ミドル級チャンピオンだった輪島功一の7度目の防衛の失敗、シンガー・ソング・ライターのりりィの「私は泣いています」のヒット、野坂昭如などタレント候補が多く立候補した衆議院選挙、山口百恵の国民的アイドル人気の沸騰、オノ・ヨーコの来日、伊豆半島沖地震、ウォーターゲート事件によるニクソン大統領辞任、永遠のミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄の引退...etc.と、今更ながら、いろいろな人がいて、いろいろなことがあったなあと思わされます。
オノ・ヨーコ
晴れた日77.JPG 「しおり」に寄稿している五木寛之氏が、この人の写真には「思想」ではなく「視想」がみなぎっている―と書いていますが、確かに「思想」的色合いはゼロであり、タイトルの「晴れた」というのは、ある意味「虚無」にも通じるのかも。

 五木氏の言う「視想」というのはやや抽象的ですが、まさにその抽象性こそこの人の持ち味であり、台風で押し寄せる波や地震に晒された土地を撮った写真などは、報道写真というよりイメージ写真に近いかも。
長嶋茂雄
晴れた日75.JPG 芸能人やスポーツ選手を撮っても同じようなことが言えるけれども、人物の方が風景よりも、フツーの人が見た場合に自分のイメージが付加しやすいかな。

 また、この人は、見る人が自分なりのイメージで見ることができるように上手にお膳立てしてみせるから、人物写真や、端的に言えばヌード写真などにおいて、その世界で永らくメジャーであり得たのだろうなあと(撮られる側は純粋な"客体"となることができる。三島由紀夫などは、撮られたい写真家のタイプだったのだろうなあ)。

 この写真集においても、人物を撮ったものの方が個人的には良いように思いますが、「報道写真」という流れの中で(「報道写真」にならないように)撮っているものと、最初からポートレートのような感じで撮っているものがあり、写真家自身、試行錯誤していたのか?

 本書はこの写真家の最高傑作との評価もありますが、個人的には、「報道写真」を撮らせてみたら、やはり「イメージ写真」みたくなったという感じで、そこがまたこの人らしいところなのでしょう。 "巧まずして"そうなっているわけではなく、(世間一般で言うところの「報道写真」にならないように)計算ずくで撮っているのだと思います。

《読書MEMO》
●篠山 紀信 2020年「菊池寛賞」受賞(作品ではなく人に与えられる賞)
受賞理由:半世紀にわたりスターから市井の人まで、昭和・平成・令和の時代を第一線で撮影。その業績は、2012年より7年間全国を巡回し、のべ100万人を動員した個展「写真力 THE PEOPLE by KISHIN」に結実する

篠山紀信.jpg 篠山紀信(写真家)2024年1月4日老衰のため死去(83歳没)

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原爆後遺症の悲惨な実態をありのままにフィルムに記録した、社会派ルポルタージュ的写真集。

土門拳  ヒロシマ2.jpg ヒロシマ (1958年) 土門 拳.jpg    土門 拳.jpg 土門 拳(1909-1990)
ヒロシマ (1958年)』(梱包サイズ(以下、同)30.7 x 23.3 x 3.8 cm) 写真図版点数165点/176p

ヒロシマ0.JPG 写真家の土門拳(1909-90)が、1957(昭和32)年、原爆投下から12年を経て初めて広島に行き、原爆症の後遺症の実態を目の当たりにして衝撃を受けたことを契機に出来あがった写真集で、翌'58(昭和33)年に刊行され、社会的にも大きな反響を呼んだとのことです。

 土門拳と言えば、古寺や仏像、或いは作家など著名人のポートレートを多く撮っている印象がありますが、「筑豊の子どもたち」シリーズのような社会派ドキュメンタリー風の作品集もあり、そうした中でもこの写真集は、最も社会派ルポルタージュ的色彩の強い写真集となっています。

ヒロシマ1.JPG 実際、当時土門拳は、それまでのヒロシマの実態に対する自らの無知を恥じ、「報道写真家」として使命のもとに広島に通い続けたとのことで、原爆病院などを訪ね、悲惨な被曝者やその家族の日常を7,800コマものフィルムに収めたとのこと、更に10年後に広島を再訪し、同じく後遺症に悩む被曝者を撮った『憎悪と失意の日日-ヒロシマはつづいている』を発表しています。

 この写真集は、ありのままを、作らず、包み隠さずに撮っているという印象で(後遺症の手術をしている最中の写真など、生々しいものも多くある)、被曝者たちが"頑張って生きています"といったような「演出」は施されていないように感じました。

ヒロシマ2.JPG 巻末の写真家本人による「広島ノート」によると、取材中も原爆病院等で被曝時に胎児だった子の死をはじめ多くの死に遭遇したようであり、写真家の心中は、被曝者たちの悲惨な実態を記録にとどめようとする思いで、只々一杯だったのではないでしょうか。

 原爆投下から12年を経た時点で(この「12 年」の意味合いは重い)、依然こうした被曝者の悲惨な実態がありながらも、そのことは世間的には次第に忘れられ、原爆は政治や国際問題のイシューとして論じられるようになっており、そのことに対して写真家は、自らの反省も踏まえつつ憤りを露わにしていますが、この写真集の写真が撮られた時代から更に半世紀以上を経た今日、その傾向はさらに進行したように思わます。

 そうした中、東日本大震災による福島第一原発事故が放射能被曝の脅威を喚起せしめることになったというのは、これまでの(唯一の被爆国であるわが国の)政府及び電力会社がとってきた原子力発電推進策に照らしても皮肉なことではありますが、それとて、どれぐらいのイメージを伴ってその脅威が人々にイメージされているかは、はなはだ心許無い気がします。

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(木村伊兵衛)

没後47年。やっと成ったライフワーク写真集。失われようとする数多くの「日本」が見てとれる。

木村伊兵衛 の秋田 2.jpg木村伊兵衛 の秋田.jpg (28.8 x 24 x 4 cm)『木村伊兵衛の秋田』 ['11年]
「市場にて」(1953年2月・大曲市)/「青年」(1952年6月・秋田市)

木村伊兵衛 の秋田 農村の娘.jpg 木村伊兵衛(1901‐1974)の生誕110周年記念出版とのことですが、代表作「秋田」シリーズは、今まで『木村伊兵写真全集―昭和時代(全4巻)』('84年/筑摩書房、'01年改版)の内の第4巻として「秋田民俗」というのがあったり、或いは『定本木村伊兵衛』('02年/朝日新聞社)などの傑作選の中にその一部が収められていたりしたものの、こうした形で1冊に纏まったものはあまり無かったように思います(没後に非売品として『木村伊兵衛 秋田』('78年/ニコンサロンブックス、ソフトカバー)が刊行されている)。

 この写真集の監修をした田沼武能氏の解説によると、'52(昭和27)年に秋田に行って「これだ」と思うものがあったらしく、その後'54(昭和29)年にパリでカルティエ=ブレッソンに会ってから、秋田で撮影に一層弾みがついたとのこと、以来、'71(昭和46)年まで計21回、秋田に通うことになったとのことです。

(1953年8月・西木村)

 '50年に設立された日本写真家協会の初代会長に就任し、写真雑誌の投稿写真コンテストの選考・論評を通じてアマチュア写真の指導者としても第一線の現場にいて多忙であったことを考えると('55年に第3回「菊池寛賞」を受賞)、かなり精力的な活動ぶりと言えるかと思います。''

 特に多く撮られているのは、秋田通いを始めた最初の数年と、'58(昭和33)年から'63(昭和38)年の間のもので、田沼氏によれば、木村伊兵衛は秋田を撮り始めて2、3年した頃から写真集を作ろうと考えていたようだったとのことですが、結局、ライフワークとも呼べる作品群でありながら、在命中に写真集という形には成らなかったとのことです(それにしても、没後47年にしての刊行は待たせすぎ)。

木村伊兵衛 の秋田 おばこ.jpg 木村伊兵衛が指向していたものは、テーマがあっちこっちに飛ぶ「傑作集」ではなく、こうした1つの対象を突きつめた「作品集」だったんだろうなあ。"報道写真家"を目指し、またそのことを自負していたようだし。

 「秋田」訪問初期のものは人物のスナップ写真が多く、次第に人々の暮らしぶりや祭りの様子など周辺の生活風景を含めた写真が多くなっていきますが、この辺りにも「写真集」への意識が窺えます。

木村伊兵衛 の秋田 ベタ焼き.jpg

 田沼氏の解説の中に、フィルムのベタ焼き(コンタクト)が多数あり、傑作と言われる「板塀」や「青年」などの作品が、どのような流れで撮られ、どのフィルムが選ばれたかが分かるようになっていて、更になぜその写真が選ばれたのかまで考察していたりして、なかなか興味深いです。

「秋田おばこ」(1953年8月・大曲市)

 「秋田おばこ」は、この被写体の女性(モデル女性は実は農民ではなく、かと言ってプロのモデルでもなく、秋田在住の普通のお嬢さんだったとのこと)だけで30枚以上撮っているんだなあ(採用したのは1枚のみ)。

 撮影対象によって、自分が動いたり、定点観察的に撮ったりしていますが、基本的には(望遠を使用した場合でも)目の高さが基準で、どちらかと言うと初期のものの方がダイナミックかも(田沼氏も、撮影を始めた頃の意気込みが感じられると)。但し、トリミングは一切行っていません。

木村伊兵衛 の秋田 雪国.jpg 木村伊兵衛が"報道写真家"を目指すにあたって、「絵画」の領域に近いユージン・スミスを指向するか、「映画」のキャメラマンの領域に近いカルティエ=ブレッソンを指向するかの選択があったわけですが、木村自身"スナップの天才"と言われたように、元々素質的にカルティエ=ブレッソン型だったのではないでしょうか。

 「秋田」シリーズの初期のものに対しての当初の世の評価は「風俗的で、意見がない」というもので、木村自身(本心からそう思っていたかどうかは判らないが)「風俗写真の域を出ない」と言っていたこともあったようです。じゃあ「芸術写真」を撮ろうとしているのかというとそうではなく、あくまで「報道写真」を撮ろうとしていたのでしょう。但し、彼の作品は、「秋田」シリーズという作品群で捉えるとまさに「報道写真」の域を超えているわけで、ロバート・キャパなどマグナムの写真家らのように予めストーリーを練り上げて被写体に臨むのではなく、被写体の側からテーマやストーリーを滲ませるというのが、この人の特質でないかと思われます。

(1953年2月・大曲市)

「母と子」 秋田・大曲 1959年.jpg 昭和30年代と言えば、日本が高度成長期に入ろうとする頃、或いは、すでにその只中にいる時期であり、但し、それは都市部における胎動、または喧騒や混乱であって、この写真集の「秋田」においては、その脈音やざわめきがまだ聞こえてこない―「秋田」に定点観測的に的を絞ったのは、この写真シリーズの最大成功要因と思われ、この写真集を見る日本人にとっては、そこに、これからまさに失われようとする数多くの「日本」が見てとるのではないでしょうか。

「母と子」(1959年・大曲市)

 それらが、ただ甘いノスタルジーで語られるような牧歌的ものではなく、むしろ、農村の生活の厳しさを滲ませたものであるだけに、見る者の心に、その時代をその土地で生きた人々への共感と畏敬の念を喚起させるのかもしれません。

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(河北新報社)

取材現場の様子を生々しく伝えるとともに、報道の使命、地元紙の役割を考えさせられる。

河北新報のいちばん長い日.gif『河北新報のいちばん長い日』.jpg  明日をあきらめないド.jpg
河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(2011/10 文藝春秋)『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 (文春文庫)』「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社~河北新報の いちばん長い日~」テレビ東京系列 '12年3月4日放映(出演:渡辺篤郎・小池栄子・斉藤由貴)
河北新報社のネットワーク
河北新報社のネットワーク.jpg 仙台に本社を置く東北地方のブロック紙・河北新報社(この新聞社は一力家のオーナー会社なんだよね)の東日本大震災ドキュメントで、被災地の真っただ中にあるブロック紙の記者達が、震災のその時、何を考え、どう行動し、またそれぞれの取材先で何を感じたかを、切迫感を持って生々しく伝えるものとなっています。

 同社は「東日本大震災」報道で'11年度新聞協会賞をを受賞していますが、本書の内容はTVドラマ化され、「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社~河北新報の いちばん長い日~」としてテレビ東京系列で'12年3月4日、BSジャパンで3月11にそれぞれ放映されています(見られなかった。再放送しないかなあ)。

 震災発生の日を軸にドキュメンタリー風に描かれていて、まず、震災で河北の本社自体が被災し、ホストコンピュータが倒れてサーバー機能が麻痺し、この一大事に明日の朝刊が出せるかどうかという難局に彼らは直面したわけで、離れた場所にある印刷所が耐震設計で大地震に持ちこたえても、情報インフラが機能しなければ、どうどうしょうもないのだなあと。

 協力社である新潟新報社の協力申し出を受け、震災当日の夜になって何とか号外を出しますが、夜更けにもかかわらず、避難所では多くの人が号外を求め、あっという間に無くなったとのこと、やはり、こうした非常事態で一番皆が欲しいものは情報なんだなあ。翌日の朝刊も何とか出せる見込みとなったものの、そうした号外や朝刊に載せる記事取材そのものが、また困難を極めたことがよくわかります。

河北新報 2011年3月12日朝刊
河北新報 110312朝刊.jpg 更には、ロジスティックの寸断から、引き続き新聞が刊行できるかどうかという危機にも見舞われ、それは新聞用紙・インキ等の資材の問題に限ったことではなく、取材のためのガソリンや社員の食糧の調達などに及んだわけですが、これも社員が知恵を出し合い、協力し合って苦境を乗り越えていきます。

 むしろ記者達が戸惑うのは、制約された取材環境の中で、取材先での被害の生々しい惨状をどう伝えるかということであり、また、彼らが苦しむのは、次々と被災規模の甚大さが明らかになっていく中で、犠牲者や被災者に対して直接的には何もしてやれぬというもどかしい思いと葛藤しながら、取材をやり遂げなければならないというジレンマに於いてです(特に、幼い子供が犠牲になったケースでは、その一つ一つが記者の心を激しく動揺させたことが分かる)。

 そうした記者らの思いは、震災の翌々日には宮城県警が、死者数が万単位になるとの見通しを発表した際に、翌日の朝刊の見出しで、デスクが見出しを「死者『万単位』に」とするか「犠牲『万単位』に」とするかで迷ったといったことにも表れているように思いました。

 結局、全国紙など各紙が「死者」という言葉を使ったのに対し、河北だけ「犠牲」という言葉を用いたわけですが、「果たして正しい判断だったのかどうか、今でも答えが出ません」と。

 新聞販売店の店主の、津波による、ほぼ殉職と言っていい死にも胸を打たれました(小さな販売店というのは家族経営なんだなあ。新聞を配りに出た息子達が助かったのが救いだったが)。被害の甚大だった地域でも、復旧も緒に就かない内に配達を再開する販売店主も出てきますが、やはり、それも、荒れ野のようになってしまったその地域内にも、情報を求める人が少数ながらもいるという使命感からなのでしょう。

 福島第一原発事故の甚大さの露見により、引き続き震災・津波の被災状況に報道のウェイトを置くか、原発事故報道に比重を切り替えるかの判断を迫られますが、全国紙等他の新聞が原発事故報道にウェイトを切り替えたのに対し、河北は、原発事故報道もするが、被災した人々の報道も軽んじない、或いはそうした人々に向けた情報提供も怠らないという方針を貫き通します。

 また、原発事故により、それを現地で取材する記者の安全保持の問題も突き付けられますが、そうした中、自発的に現地取材を申し出る者、現地を離れざるを得なかった者など、記者の間にも様々なドラマがあったことが窺えます。

 こうした非常事態時における新聞の紙面づくりの難しさというものが、よく伝わってきました。淡々と情報だけを流すのではなく、現場で起きた犠牲者の悲劇や、今現に苦しんでいる被災者の生の様子を伝える署名記事を増やし、一方で、例えば原発事故に関しては、「原発が爆発」したのか「建屋が爆発」したのか正確を期すといったような冷静さの保持に努める―そのことを誇らしげに語るのではなく、そのことすら、実際にその時メルトダウンは起きていたのだから、「原発が爆発」でも良かったのではないかと、今も答えを出せないでいるデスクの姿に、真摯さを感じました。

 石巻で震災から9日ぶりに80歳の祖母と16歳の少年が救出された際には、取材車の運転手の趣味でやっている無線に偶然、救出活動の消防無線が入り、現場感のある記事となって、これはトップ紙面で大きく取り上げられました。

 一方、震災から3週間後に共同通信のスクープとして公表された、南三陸町の防災センターの屋上に避難した30人もの人の多くが津波に浚われ、次の瞬間には10人程度になってしまう連続写真は、「この写真を地元の人が見たら、多分もたないと思います」との現地取材班の記者の一言で、共同通信加盟社の多くが載せたこのスクープ写真を河北は載せなかったとのこと。「地域に寄り添う」という地元紙としての基本姿勢を感じさせられるエピソードでした。

 その他にも、震災翌日、他社のヘリコプターから建物の屋上に避難し助け求める人々の姿が見えたが、その時実際に何が起きていて、その後どうなったのかという事実が2ヵ月後に判明したという話など、生々しいエピソードが数多く紹介されています。

 一方で、紙面づくりをする上で、「私が見た大津波」という読者に語ってもらうコーナーを設けるなど(ここで語られるエピソードがまた生々しいのだが)、様々な工夫を凝らしたことも書かれています。

 本書のベースは社員に対する詳細なアンケートのようですが、そぎ落とされたエピソードも多くあったのではないでしょうか。時間をかけて内容や構成を吟味したものと思われ、丸々一冊、無駄な箇所がありません。

 ぐいぐい引き込まれ、一気に読めてしまうとともに、報道の使命とは何か、地元紙の役割とは何かを考えさせられる本であり、後世に残るノンフィクションかと思います。

明日をあきらめない がれきの中の新聞社.jpg '11年12月、優れた文化活動に携わった個人や団体に贈られる「第59回菊池寛賞」に、河北新報社と石巻日日新聞社が選ばれました。

明日をあきらめない がれきの中の新聞社.jpgテレビ東京 「明日をあきらめない...がれきの中の新聞社 ~河北新報のいちばん長い日~」 第8回 「日本放送文化大賞」 グランプリ受賞
明日をあきらめない がれきの中の新聞社2.jpg【キャスト】 渡部篤郎/小池栄子/田中要次/長谷川朝晴/戸次重幸/伊藤正之/金山一彦/小木茂光/宇梶剛士/中原丈雄/鶴見辰吾/渡辺いっけい/西岡馬/斉藤由貴  ナビゲーター...池上彰

【2014年文庫化[文春文庫]】

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社会的偏見と人間のエゴイズムをシンプルに凝縮。岩波文庫版(特に旧版)は挿絵が豊富。

脂肪の塊 モーパッサン 岩波2 (1).jpg2『脂肪の塊』.jpg 脂肪の塊 モーパッサン 岩波1.jpg マリヤのお雪 1935.jpg 駅馬車 dvd.jpg
脂肪の塊 (1957年) (岩波文庫)』水野 亮:訳 『脂肪のかたまり (岩波文庫)』高山鉄男:訳 「マリアのお雪」(主演:山田五十鈴(当時18歳))VHS 「駅馬車(デジタルリマスター版) [DVD]」[下]"Boule de Suif" (仏・2000年)
脂肪の塊 モーパッサン 岩波4.jpgboule de suif poche (仏・2000年).jpg プロシア占領下の北仏ルーアンからの脱出行を図る馬車に乗り合わせたのは、互いに見知らぬブルジョア階級の夫婦3組、修道女2人、民主主義者の男1人、そして「脂肪の塊」と綽名される娼婦が1人―。大雪で移動に時間を要し、腹が減った彼らは、娼婦が自分の弁当を一同に快く分け与えたおかげで飢えを凌ぐことが出来、一旦は、普段は軽蔑している彼女に親和的態度を見せる。しかし途中の町宿で、占領者であるプロシアの士官が娼婦との関係が持てるまでは彼らの出発を許可しないと言っていると知ると、愛国心ゆえ嫌がる娼婦を無理矢理説き伏せ,士官の相手をさせようとする。そして再び出発の時、皆のために泣く泣く士官の相手をした娼婦を迎えた彼らの態度は、汚れた女を見るように冷たく、娼婦は憤慨し悲嘆にくれる―。

Maupassant  Boule de suif.jpgBoule_de_Suif.jpg 1880年にギ・ド・モーパッサン(1850-1893)が30歳で発表した彼の出世作であり、馬車に乗り合わせた少数の人々が繰り広げるシンプルな出来事の中に、社会的偏見と人間のエゴイズムを凝縮させた、風刺文学の傑作と言えます(皮肉屋モーパッサンの面目躍如といった感じか)。

 それにしてもひどいね、このブルジョア達は。自分達が無事にフランス軍の所に行くことこそ愛国主義に適うことであるとして娼婦を説得したのに、娼婦の犠牲によって足止めが解かれた途端にその行為を「非愛国的」として非難しているわけで、これぐらい分かりやすい"身勝手"ぶりは無く、娼婦の立場を考えれば"残酷"と言っていいくらい(「民主主義者」(注:水野亮訳)のコルニュデのみ沈鬱な様子を見せているのが救いか)。

五木寛之00jpg.jpg 普仏戦争(1870‐71)の戦時下という状況設定ですが、そう言えば五木寛之氏のエッセイにも、五木氏自らが子供の頃に朝鮮で体験した、(占領側に女性を人身御供として差し出すという)同じようなエピソードがありました。但し、この作品のブルジョワ達が、ある種、閉ざされたグループ内での"ノリ"で行動しているように見える点は、わざわざ戦争や階級差別を持ちださなくとも、現代の学校のいじめ問題などにも通じるところがあって、怖いように思えました。

「絵のある」岩波文庫への招待.jpg 作品中、娼婦の呼び名は「ブール・ド・シュイフ(Boule de Suif)」で通されていますが、「脂肪の塊」というのは直訳であり、実際は「おデブちゃん」といったところでしょうか。以前、講談社文庫(新庄嘉章:訳『脂肪の塊・テリエ観』)で読んで、今回、岩波文庫の旧版(水野亮:訳・昭和32年改版版)で再読しましたが、岩波文庫は挿絵入りで、それを見ると、実際丸々太って描かれています。その他にも90ページそこそこの中に挿絵(1930年代のもの)が15点ぐらいあり、状況がイメージしやすくなっています(ブール・ド・シュイフが持っていた弁当がどのようなものであったかとかまで分かってしまう)。

 岩波文庫(の特に旧版)は挿絵が多くて楽しめるものが海外文学、日本文学ともに何点かあり、これもその1冊と言えるでしょう(新版にすべて移植されているとは限らないみたい。岩波文庫の新版『脂肪のかたまり』には挿画あり)。岩波文庫の挿絵に注目した坂崎重盛氏の『「絵のある」岩波文庫への招待』('11年/芸術新聞社)の表紙にも、この「ブール・ド・シュイフ」が中央やや右下に描かれています(文庫の挿絵と比べ反転しているが、表紙の絵は山本容子氏の版画)。

「絵のある」岩波文庫への招待
フランス映画 "Boule de suif" (1945)     ソ連映画 "Pyshka" (1934)
Boule de suif (1945).jpgPyshka (1934).jpg この作品は、旧ソ連(Pyshka (1934))とフランス(Boule de suif (1945))でそれぞれ映画化されていますが(ソ連版はミハイル・ロンム監督、ガリーナ・セルゲーエワ主演、フランス版はクリスチャン=ジャック監督、ミシュリーヌ・プレール主演)、何れも日本ではOyuki the Virgin 1935.jpgなかなか観られないようです(フランス版は輸入版DVD有り)。また、この作品をモチーフに舞台を日本に置き換えた溝口健二(1898-1956)監督の「マリアのお雪 (1935)」(出演:山田五十鈴(当時18歳))という作品もあります。

マリヤのお雪 1935.jpgマリアのお雪 (1935)title.jpg モーパッサンの「脂肪の塊」を川口松太郎(1899-1985)が翻案したもので、西南戦争のさなか、町を出るため名士を乗せた馬車には酌婦の山田五十鈴演じるお雪や原駒子演じるおきんたちも乗り合わせていたが、身分の卑しい彼女らと同席することを士族一家や豪商夫婦は嫌がり「けがらわしいから馬車から降りろ」となじる、そんな折、悪路のために馬車は転倒・大破して立ち往生、一行は身動きとれなくなって官軍により全員足止めを喰らい、そこでお雪が宥和策として官軍将校への人身御供的な立場に―とこの辺りまでは原作に近いですが、ここマリアのお雪 (1935).jpgからなんと、官軍の将校・朝倉晋吾(夏川大二郎)とお雪は惚れ合ってしまい、一方、お雪の代わりに自ら"人身御供"を申し出たおきんは女のメンツを潰された形に川口 松太郎.jpgなり、朝倉を憎みながらも実は彼女もまた朝倉に恋心を抱くという、恋愛・三角関係ドラマになっています。川口松太郎は第1回「直木賞」受賞作家ですが、「愛染かつら」の川口松太郎だから恋愛メロドラマになってしまうのでしょうか(因みに川口松太郎と溝口健二とは小学校時代の同級生で、川口松太郎は溝口監督の「雨月物語」('53年/大映)の脚本なども書いている)。
川口松太郎

駅馬車 dvd.jpg駅馬車 Stagecoach 1939 2.jpg 因みに、ジョン・フォード監督の「駅馬車」('39年/米)は、、1937年発表のアーネスト・ヘイコックスの短編小説「ローズバーグ行き駅馬車」(ハヤカワ文庫『駅馬車』/井上一夫訳)ですが、後にジョン・フォード監督は「この映画の発想源はギ・ド・モーパッサンの小説『脂肪の塊』だ」と語っています(主役のジョン・ウェインは当時ほとんど無名だった)。映画「駅馬車」の大まかなあらすじは、トント発ニューメキシコ州のローズバーグ行駅馬車に様々な身分の乗客が乗り合わせ、その中には婦人会から追い出された娼婦ダラス(クレア・トレヴァー)もいて他の乗客から蔑視される一方、途中から、父と兄を殺され敵討ちのため脱獄したリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)が乗車し、駅馬車は最初の停車場に到着、ジェロ駅馬車 Stagecoach 03.jpgニモがアパッチ族を率いて襲撃に来ると言う情報があったため護衛の騎兵隊の到着を待つものの、騎兵隊は一向に姿を見せず、このままま進むかトントに戻るか乗客の間で合議した結果、このまま目的地ローズバーグへ進むこととなって、ローズバーグ近くまで襲撃に遭わずに来て、これで無事到着出来ると安堵した矢先、アパッチ族が放った一本の矢が乗客の胸に突き刺さる―というもの。以降、有名なアクションシーンが展開され、さらにリンゴ・キッドの敵討ちの話へと続きますが(このリンゴ・キッドにはジョニー・リンゴというモデルになった実在の人物がいて、3人の無法者に兄を殺され、たった3発の銃弾で兄の敵を討ったという逸話がある)、映画の前半から中盤部分は駅馬車の車内で展開される、差し詰め「移動舞台劇」といった感じでしょうか。その点で確かに「脂肪の塊」と似ています。

駅馬車 Stagecoach 1939 1.jpg 小説「脂肪の塊」での乗り合わせた乗客は、ワイン問屋を経営する夫妻、工場経営者の上流階級夫妻、伯爵とその夫人、二人の修道女と民主党員、それに娼婦エリザベート・ルーセの合わせて10人、一方の映画「駅馬車」の乗客は、当初、娼婦ダラスのほかに騎兵隊夫人、保安官、飲んだくれの医師、酒商人、賭博淀川長治 駅馬車.png屋の計6人で、途中、銀行の金を横領した銀行家が加わり、最後にリンゴ・キッドが乗り込むので合わせて8人ということになります。「脂肪の塊」より2人少ないですが、「脂肪の塊」の方は夫婦連れなども含まれていることから「6組10人」とも言え、「脂肪の塊」では、当時のフランスを象徴する階級を乗り合わさせ、「駅馬車」では当時のアメリカ西部を象徴する代表的な層を乗り合わさせていると言われていますが、「脂肪の塊」の方がブルジョア層の中で娼婦が孤立する図式が強いでしょうか。「駅馬車」は、淀川長治がユナイテッド・アーティスツ日本支社の宣伝部勤務になって最初に担当した作品であり、「駅馬車」という邦題を考えたのも淀川長治淀川長治2.jpgです(右の広告のデザインも淀川長治)。雑誌「キネマ旬報」発表の「映画人が選ぶオールタイムベスト100・外国映画編」で、1999年(キネ旬創刊80周年記念)第7位、2009年(キネ旬創刊90周年記念)第10位と高ランクを維持して日本でも評価されている一方、米国では、70年代ぐらいから騎兵隊 vs.インディアン的な映画はインディアン軽視だとされ制作されなくなり、この「駅馬車」もインディアンに対する差別的な描写があるとして上映・放送は難しくなっているそうです(傑作だけれどもポリティカル・コレクトネス上の問題があるということか)。

img1021マリヤのお雪.jpg山田五十鈴(当時18歳)

img1021マリヤのお雪 - コピー.jpgマリヤのお雪B4.jpgマリヤのお雪 yamadaisuzu.jpg「マリアのお雪」●制作年:1935年●監督:溝口健二●脚色:高島達之助●撮影:三木稔●音楽:高木孝一●原作:川口松太郎「乗合馬車」(原案:モーパッサン「脂肪の塊」)●時間:80分●出演:山田五十鈴/原駒子/夏川大二郎/中野英治/歌川絹枝/大泉慶治/根岸東一郎/滝沢静子/小泉嘉輔/鳥居正/芝田新/梅村蓉子●公開:1935/05●配給:松竹キネマ(評価:★★★)
        
       
駅馬車 Stagecoach 02.jpg「駅馬車」●原題:STAGECOACH●制作年:1939年●制作国:アメリカ●監督・製作:ジョン・フォード●脚本:ダドリー・ニコルズ●撮影:バート・グレノン/レイ・ビンガー●音楽:ボリス・モロース●原作:アーネスト・ヘイコックス「ローズバーグ行き駅馬車」●時間:99分●出演:ジョン・ウェイン/クレア・トレヴァー/トーマス・ミッチェル/ジョージ・バンクロフト/アンディ・ディバイン/ルイーズ・プラッ/ジョン・キャラダイン/ドナルド・ミーク/バートン・チャーチル/トム・タイラー/ティム・ホルト●日本公開:1940/06●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:高田馬場パール座(82-12-28)(評価★★★★)●併映:「シェーン」(ジョージ・スティーブンス)

脂肪のかたまり_7834.JPG脂肪の塊・テリエ館.jpg【1938年文庫化・1957年改版[岩波文庫(『脂肪の塊』(水野亮:訳)]/1951年再文庫化[新潮文庫(『脂肪の塊・テリエ館』(青柳瑞穂:訳))]/1954年再文庫化[角川文庫(『脂肪の塊―他二編』(丸山熊雄:訳))]/1955年再文庫化[河出文庫(『脂肪の塊』( 田辺貞之助:訳))]/1971年再文庫化[講談社文庫(『脂肪の塊・テリエ館』(新庄嘉章:訳))]/2004年再文庫化[岩波文庫(『脂肪のかたまり』(高山 鉄男:訳)]/2016年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『脂肪の塊/ロンドリ姉妹―モーパッサン傑作選』(太田浩一:訳)]】

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小説としてはどうってことないが、前半部分は定年退職した際の参考書として読める?

渡辺 淳一 『孤舟』.jpg孤舟.jpg 『孤舟』(2010/09 集英社)

 大手広告代理店・東亜電広を1年半前に60歳を前に退職した大谷威一郎は、退職後は自由な時間をゆっくり楽しもうと思っていたが、現実には今日をどう過ごせばよいのかと1日の長さに堪え切れない日々を送ることとなり、家にいても家事をするわけでもなくごろごろしている。その挙句、妻の洋子は"主人在宅ストレス症候群"となって家を出て行き、同じく家を出て行った娘のマンションに泊まりきりで戻って来ないという状況。鬱々とした日々を送る彼だったが、インターネットで偶然知ったデートクラブに入会し、小西佐智恵という27歳の女性と知り合って彼女に入れ込む―。

 広告代理店を定年退職して間もない人に、読んだよと言われて自分も読んでみた本で、その人の感想は「興味深かった。小説としてはどうってことないけどね」というものだったと覚えていますが、自分の感想もまさにその通りでした。

 前半部分は、仕事一本槍の会社人生を送ってきた団塊世代が定年退職し、家庭内で"濡れ落ち葉"症候群に陥るというある種の"社会事象"を、主人公に託して旨く描いているなあという感じで、妻子らに疎んじられて相手してくれるのは飼い犬のコタロウしかおらず、カルチャーセンターに行っても何となく馴染めず、お金も妻に管理され、不自由且つ鬱々とした日々を送る主人公がやや気の毒に。

 主人公は、元勤務先の広告代理店では、52歳で執行役員、55歳で常務執行役員とまあまあの道を歩んできたようですが(二子玉川に自宅マンションも買った)、60歳の手前で在阪子会社の社長としての転出話を持ち出され、社内ポリティックスが働いたことを悟って屈辱を感じ、すっぱり会社を辞めてしまうという、そのあたりはつまらない辞め方をしたというよりは、本人のプライドを買いたいところですが、その後、自宅に籠ってからが、ちょっとしたことで妻に怒りをぶつけたりして、かなり大人気ない―(こんな大人気無い人物でも常務執行役員にまでなってしまうのが会社というものかも知れないが)。

 デートクラブで知り合った若い女性に入れあげるようになってからは、益々その大人気の無さが露呈し、ストーリーの方も、自宅に彼女を呼び込んだりして彼女とより親密になる機会を窺う内に、妻がいきなり戻ってきてニアミス状態になるなど、ドタバタ喜劇風になっていきます。

 結局、話は『失楽園』みたくなることはなく、何となく予定調和で話は終わりますが、要するに、現役時代の肩書きから脱し切れていなかった自分というものにやっと気付いたということでしょうか(この小説の教訓的メッセージ? 27歳の女性にそれを教えられるというのも情けないが)。

 全体を通して文芸的な深みは無く、通俗ホームドラマのようではありますが、前半部分は、定年退職した際の参考書(主人公の心理行動面では反面教師的なそれ)として読める(?)部分もあり、一応「×」ではなく「△」にしておきます。

 『化身』('85年)、『失楽園』('95年)、『愛の流刑地にて』('05年)と、10年おきに日経新聞に長編「性愛」小説を連載してきた作者ですが、この作品は団塊の世代の定年にスポットを当てたものと言え、この人、'03年には『エ・アロール それがどうしたの』(中日新聞連載)を発表、老人の性を描いてから(作者はこの年に「菊池寛賞」を受賞している)、「性」と「老」を掛け合わせたようなテーマにスライドしてきているかも。まあ、本人も70代後半だからなあ。

【2013年文庫化[集英社文庫]】

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昭和初期の軟派系早大生を描いた、小津版「私をスキーに連れてって」。

学生ロマンス 若き日 vhs2.jpgGakusei romansu Wakaki hi (1929).jpg 私をスキーに連れてって.jpg
Gakusei romansu: Wakaki hi (1929)私をスキーに連れてって [DVD]
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 大学の同級生仲間の渡辺(結城一郎)と山本(斎藤達雄)は、憧れのマドンナ千恵子(松井潤子)がスキーに行ったのを知り、彼女の後を追いかけて妙高高原・赤倉に行き、恋の争奪戦を繰り広げていくが―。

「学生ロマンス 若き日」.bmp 1929(昭和4)年公開の小津安二郎監督の第8作にして初の長編作品。小津安二郎の監督作品は記録映画も含めると全部で54作ありますが、その内の現存する37作品の中ではこれが最初期の作品で、個人的には今回が初見。本来はBGMも無い「完全サイレント」作品ですが、神保町シアターで、エレクトーン奏者・柳下美恵氏の伴奏により鑑賞しました。

 陽気でお調子者の渡辺と、生真面目だがちょっと抜けている山本のコンビが妙。もともと2人が千恵子と知り合ったのは、渡辺が下宿に「貸間あり」の張り紙をし、男が訪ねてきたら「残念でした。今日、僕が入居しました」と言って追い払い、美女が訪ねてきたら一旦部屋を引き払って、後で忘れ物をしたと言って部屋に上がり込んで、その女性と親しくなるという戦略によるものです。

学生ロマンス 若き日5.jpg そうして知り合った千恵子が赤倉にスキーに行くことを知った2人ですが、渡辺には仕送りが来ず、山本は財布を落としたために共にその資金が無く、山本の下宿に転がり込んだ渡辺が、山本に「上を向け」と言って、その間に山本の部屋の書籍や家財道具をかき集め、それを質屋に持っていき"軍資金"を作る下りは、渡辺の部屋にポスターが貼ってあったフランク・ボーゼージ監督の1927年映画「第七天国」の、掃除夫の主人公が自分はもっと偉くな「学生ロマンス 若き日」第七天国」.jpgるのだという前向きな気持ちを表した「上を向け」という台詞のパロディで、主人公が自分の住む部屋を「第七天国」と称した「七」に「質」を懸けています(柳下美恵氏の解説による)。このように、小津安二郎監督の初期サイレント映画には必ずといっていいほどモダンな洋画ポスターが出てきます。本作ではその「第七天国」のポスターが、元の下宿でも引っ越し先の下宿でも映っています。

学生ロマンス 若き日.jpg 渡辺と山本がゲレンデで千恵子を巡って恋の鞘当を繰り広げる場面は、随所にスラップスティックなノリが感じられ、山本が渡辺にスキー板を流され取りに行く間に、渡辺と千恵子が仲好く語らう場面など、チャップリン映画さながら(この作品に多分に影響を与えていると思われるキートンの「カレッジ・ライフ」(1927)ほどまではいかないが)。

Gakusei romansu Wakaki hi 1.jpg ストーリーの方は、実は、千恵子は、母親(飯田蝶子)と共にお見合いをするためにスキー場に来ていたのであり、見合いの相手は、渡辺らの同級生(日守新一)だったという皮肉な展開に(それでも諦めない渡辺なのだが...)。

 2人がスキー場を後にし、乗った列車の中で、スキーに出かける前に受けた期末試験の担当教授に会い(何で教授がこの列車に乗っている?)、テストの点数を教えてもらったところ、それぞれ45点と37点で、「君たち、スキーをしている場合じゃないだろ」。渡辺は落第、同級生と千恵子の見合いはうまくいったようで、常人ならばがっくりくるところですが、下宿に戻ってから落ち込んでいるのは山本の方で、渡辺は、「俺がもっとシャン(美人)を捜してやるから」と明るく前向き。再び「貸間あり」の張り紙をしたためる図々しさ(今度は山本の部屋なんだよなあ。結城一郎は、いけしゃあしゃあとした主人公を好演)。

 思ったよりゲレンデ・シーンが多く、小津安二郎版「私をスキーに連れてって」('87年/東宝)といったところでしょうか。スキー部の学生の一人として出演した笠智衆(当時25歳)の回想録によると、スキー初心者のままロケ地に入ったが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前も上達し、駅まで滑って帰ったとのことです(『小津安二郎先生の思い出』(朝日文庫))。
笠智衆(当時25歳)

私をスキーに連れてって 1.jpg 「私をスキーに連れてって」の方の舞台は奥志賀のゲレンデ。主人公(原田知世)が恋人へのプレゼントを届けるために横手山から万座へ夜中にスキーで山越えをするといった話だったと思いますが、あまりに現実離れしたストーリーで、しかも出演者の演技はみんな下手(もう一人の主演の三上博史は、最初に脚本を読んだ時、あまりのバカバカしさにゴミ箱に捨てたというから、最初からモチベーション低かった? そんな演技にOK出しする作り手の方に問題があるのだろうが)。ユーミンの挿入歌「恋人はサンタクロース」くらいしか印象に残らなかった作品ですが、「見栄講座」のホイチョイ・プロダクションの映画だから、ストーリーや演出よりも、バブル景気に湧いていた当時の「猫も杓子もゲレンデへ」といった世相を映し出すことが主眼の作品だった言えなくも無く、その目的は果たしたか?

彼女が水着にきがえたら10.jpg ホイチョイ・プロダクションはその後"青春ムービー"第2弾として、東京アーバン・マリンリゾートを舞台に、海底に眠る財宝を追う女性ダイバー(原田知世)とヨット乗りの青年(織田裕二、当時は殆ど無名の"ほぼ新人"だった)との恋と冒険を描いた「彼女が水着にきがえたら」('89年/東宝)も製作。「私をスキーに連れって」と同じく、馬場康夫・監督、一色伸幸・脚本で、音楽はユーミンからサザン・オールスターズへ。「渋谷宝塚劇場」の映画館前で開演待ちをしていた客は若いカップルばかりで、"デート用映画"と割り切るにしてもちょっと異様な光景でした(その「渋谷宝塚劇場」も今は無く、跡地に立ったQ‐FRONTビルにオープンした「渋谷シネフロント」も昨年['10年]閉館した...)。 

学生ロマンス 若き日2.jpgGakusei romansu Wakaki hi.jpg さすがに小津安二郎はダイビング映画までは撮っていませんが、「世相を描く」ことが主眼となっているという点では「青春ロマンス 若き日」にも当て嵌る部分があり(演出はこっちの方がしっかりしていて、昭和初期とは思えないほど現代的)、スキーをする時にパイプを咥えたりベレー帽をかぶるのが流行りだったのか(?)とか、「ゲレンデ交際」という当時の若者風俗を描いていること自体に大いに関心を引かれました(時代期には共に、その後に不況が控えていたという点でも共通するかも)。

学生ロマンス 若き日  1929年 2.bmp 冒頭「都の西北」とあることから、主人公たちは早稲田の学生なのでしょうが(ロケも早稲田キャンパスでやっている模様)、その他にもいろいろと当時の学生の気風や生活ぶりが窺えるのが興味深かったです。まあ、主人公の渡辺は当時としてはかなりの軟派系だとは思いますが(因みに、小津安二郎自身は現役の時に神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗、更に1浪後に三重師範学校(現在の三重大学教育学部)を受験してこれも失敗し、大学に行っていない)。

 監督初の長編作品であるためか冗長な部分もあり、コメディとしてはテンポが今一つですが(但し小津映画全体でみればテンポの早い方?)、そうした「映像記録」的な価値を加味して、評価は少しオマケしました。


学生ロマンス 若き日 vhs2.jpg「学生ロマンス 若き日」●制作年:1929年●監督:小津安二郎●脚本:伏見晁●撮影:茂原英雄●原作:伏見晁●時間:103分(完全版109分)●出演:結城一郎/斎藤達雄/松井潤子/飯田蝶子/高松栄子/小藤田正一/大国一郎/坂本武/日守新一/山田房生/笠智衆/小倉繁/一木突破/錦織斌/蜂野豊夫●公開:1929/04●配給:松竹蒲田●最初に観た場所:神保町シアター(10-12-04)(評価:★★★☆)
    
              
私をスキーに連れてって  .jpg私をスキーに連れてって3.jpg「私をスキーに連れてって」●制作年:1987年●監督:馬場康夫●脚本:一色伸幸●撮影:長谷川元吉●音楽:杉山卓夫(挿入歌:松任谷由実/テーマ曲「恋人がサンタクロース」)●原作:ホイチョイ・プロダクション●時間:98分●出演:原田知世/三上博史/ 原田1 私をスキーに連れてって.jpg「私をスキーに連れてって 竹中直人.jpg貴和子/沖田浩之/高橋ひとみ/布施博/鳥越マリ/上田耕一/飛田ゆき乃/小坂一也/竹中直人田中邦衛●公開:1987/11●配給:東宝(評価:★★)
「私をスキーに連れてって」テーマ曲:松任谷由実「恋人がサンタクロース」
  


彼女が水着にきがえたら oda.jpg彼女が水着にきがえたら     .jpg「彼女が水着にきがえたら」●制作年:1989年●監督:馬場康夫●脚本:一色伸幸●撮影:長谷川元吉●音楽:サザンオールスターズ(テーマ曲:「さよなら彼女が水着にきがえたら2.jpg彼女が水着にきがえたら DVD2.jpgベイビー」)●原作:ホイチョイ・プロダクション●時間:98分●出演:原田知世/織田裕二/伊藤かずえ/竹内力/田中美佐子/谷啓/伊武雅刀/安岡力也/坂田明/白竜/今井雅之/佐藤允/玉井美香(叶美香)●公開:1989/06●配給:東宝●最初に観た場所:渋谷宝塚劇場(89-06-11)(評価:★★)彼女が水着にきがえたら [DVD]
 
1975年 渋谷宝塚劇場.jpg渋谷宝塚 峰岸ビル.jpg渋谷シネフロント.jpg渋谷宝塚劇場
宇田川町・峰岸ビル内にオープン。ビル取り壊しに伴い1997年5月30日閉館(跡地にQFRONTビルが建設、1999年12月18日「渋谷シネフロント」開館、都内初となる全席指定席・完全入替制を導入、2010年1月22日閉館)


松任谷由実 菊池寛賞.jpgサザンとユーミン競演.jpg第66回「菊池寛賞」贈呈式での松任谷由実(2018年12月7日・帝国ホテル)Photo by スポニチ 
(受賞理由:1972年、大学在学中の衝撃的なデビュー以来、その高い音楽性と同時代の女性心理を巧みに掬いあげた歌詞は、世代を超えて広くそして長く愛され、日本人の新たな心象風景を作り上げた)

第69回「NHK紅白歌合戦」での松任谷由実とサザンオールスターズ・桑田佳祐(2018年12月31日・NHKホール)Photo by 夕刊フジ
 
 

●小津安二郎フィルモグラフィー
公開年  作品名   製 作   主な出演者
1927年 懺悔の刃 松竹蒲田 吾妻三郎、小川国松、河原侃二、野寺正一、渥美映子 白黒サイレント69分 現存せず
1928年 若人の夢 松竹蒲田 斎藤達雄、吉谷久雄、松井潤子、坂本武、大山健二、笠智衆 白黒サイレント55分 現存せず
1928年 女房紛失 松竹蒲田 斎藤達雄、岡本文子、国島荘一、菅野七郎、坂本武、笠智衆 白黒サイレント54分 現存せず
1928年 カボチヤ 松竹蒲田 斎藤達雄、日夏百合絵、半田日出丸、小桜葉子、坂本武 白黒サイレント42分 現存せず
1928年 引越し夫婦 松竹蒲田 渡辺篤、吉川満子、大国一郎、中川一三 白黒サイレント40分 現存せず
1928年 肉体美 松竹蒲田 斎藤達雄、飯田蝶子、木村健児、大山健二 白黒サイレント54分 現存せず
1929年 宝の山 松竹蒲田 小林十九二、日夏百合絵、青山萬里子、岡本文子 白黒サイレント66分 現存せず
1929年 学生ロマンス 若き日 松竹蒲田 結城一郎、斎藤達雄、松井潤子、飯田蝶子、高松栄子 白黒サイレント 103分
1929年 和製喧嘩友達 松竹蒲田 野田高梧 渡辺篤、吉谷久雄、浪花友子、結城一朗、高松栄子 白黒サイレント77分
1929年 大学は出たけれど 松竹蒲田 高田稔、田中絹代、鈴木歌子、大山健二、日守新一 白黒サイレント70分
1929年 会社員生活 松竹蒲田 斎藤達雄、吉川満子、小藤田正一、加藤精一、青木富夫 白黒サイレント57分 現存せず
1929年 突貫小僧 松竹蒲田 斎藤達雄、青木富夫、坂本武 白黒サイレント38分
1930年 結婚学入門 松竹蒲田 栗島すみ子、斎藤達雄、高田稔、龍田静枝、岡本文子 白黒サイレント71分 現存せず
1930年 朗かに歩め 松竹蒲田 高田稔、川崎弘子、吉谷久雄、伊達里子、坂本武 白黒サイレント98分
1930年 落第はしたけれど 松竹蒲田 斎藤達雄、田中絹代、月田一郎、二葉かほる、笠智衆 白黒サイレント64分
1930年 その夜の妻 松竹蒲田 岡田時彦、八雲恵美子、市村美津子、山本冬郷、斎藤達雄、笠智衆 白黒サイレント65分
1930年 エロ神の怨霊 松竹蒲田 斎藤達雄、星ひかる、伊達里子、月田一郎 白黒サイレント27分 現存せず
1930年 足に触つた幸運 松竹蒲田 斎藤達雄、吉川満子、青木富夫、市村美津子 白黒サイレント74分 現存せず
1930年 お嬢さん 松竹蒲田 栗島すみ子、岡田時彦、斎藤達雄、田中絹代、岡田宗太郎 白黒サイレント135分 現存せず
1931年 淑女と髯 松竹蒲田 岡田時彦、川崎弘子、伊達里子、月田一郎 白黒サイレント74分
1931年 美人哀愁 松竹蒲田 岡田時彦、斎藤達雄、井上雪子、岡田宗太郎 白黒サイレント158分 現存せず
1931年 東京の合唱 松竹蒲田 岡田時彦、八雲恵美子、斎藤達雄、坂本武、菅原秀雄、高峰秀子 白黒サイレント90分
1932年 春は御婦人から 松竹蒲田 城多二郎、斎藤達雄、井上雪子、泉博子、坂本武 白黒サイレント74分 現存せず
1932年 大人の見る繪本 生れてはみたけれど 松竹蒲田 斎藤達雄、吉川満子、菅原秀雄、突貫小僧 白黒サイレント91分
1932年 青春の夢いまいづこ 松竹蒲田 江川宇礼雄、斎藤達雄、田中絹代、大山健二、笠智衆 白黒サイレント91分
1932年 また逢ふ日まで 松竹蒲田 岡田嘉子、岡譲二、奈良真養、川崎弘子、飯田蝶子 白黒音響版 78分 現存せず
1933年 東京の女 松竹蒲田 岡田嘉子、江川宇礼雄、田中絹代、奈良真養 白黒サイレント47分
1933年 非常線の女 松竹蒲田 田中絹代、岡譲二、水久保澄子、三井秀男 白黒サイレント100分
1933年 出来ごころ 松竹蒲田 坂本武、大日方伝、伏見信子、突貫小僧、飯田蝶子 白黒サイレント100分
1934年 母を恋はずや 松竹蒲田 吉川満子、大日方伝、三井秀男、岩田祐吉、奈良真養、加藤清一 白黒サイレント93分
1934年 浮草物語 松竹蒲田 坂本武、八雲理恵子、坪内美子、飯田蝶子、三井秀男、突貫小僧 白黒音響版89分
1935年 箱入娘 松竹蒲田 飯田蝶子、田中絹代、坂本武、突貫小僧、竹内良一、吉川満子 白黒音響版67分 現存せず
1935年 東京の宿 松竹蒲田 坂本武、岡田嘉子、突貫小僧、末松孝行、小嶋和子、飯田蝶子 白黒音響版80分
1936年 大学よいとこ  松竹蒲田 近衛敏明、笠智衆、高杉早苗、小林十九二、大山健二 白黒音響版86分 現存せず
1936年 鏡獅子 国際文化振興会/松竹大船 (記録映画)六代目尾上菊五郎、松永和楓、柏伊三郎 白黒初のトーキー24分
1936年 一人息子 松竹大船 飯田蝶子、日守新一、坪内美子、笠智衆、吉川満子、葉山正雄 白黒トーキー87分
1937年 淑女は何を忘れたか 松竹大船 斎藤達雄、栗島すみ子、桑野通子、佐野周二 白黒75分
1941年 戸田家の兄妹 松竹大船 佐分利信、高峰三枝子、葛城文子、斎藤達雄、吉川満子、三宅邦子 白黒105分
1942年 父ありき 松竹大船 笠智衆、佐野周二、坂本武、水戸光子、津田晴彦、佐分利信、大塚正義 白黒94分
1947年 長屋紳士録 松竹大船 飯田蝶子、青木放屁、河村黎吉、笠智衆、吉川満子、坂本武、高松栄子 白黒71分
1948年 風の中の牝雞 松竹大船 田中絹代、佐野周二、村田知英子、笠智衆、坂本武、高松栄子、三井弘次 白黒84分
1949年 晩春 松竹大船 原節子、笠智衆、月丘夢路、宇佐美淳、杉村春子、三島雅夫、三宅邦子、坪内美子 白黒108分
1950年 宗方姉妹 新東宝 田中絹代、高峰秀子、上原謙、山村聰、堀雄二、高杉早苗、笠智衆、斎藤達雄 白黒112分
1951年 麦秋 松竹大船 原節子、笠智衆、淡島千景、菅井一郎、東山千栄子、三宅邦子、杉村春子、佐野周二 白黒125分
1952年 お茶漬の味 松竹大船 佐分利信、木暮実千代、鶴田浩二、津島恵子、淡島千景、笠智衆、三宅邦子 白黒116分
1953年 東京物語 松竹大船 笠智衆、東山千栄子、原節子、山村聰、杉村春子、三宅邦子、香川京子、東野英治郎、中村伸郎、十朱久雄、大坂志郎、桜むつ子、長岡輝子 白黒136分
1956年 早春 松竹大船 池部良、淡島千景、岸惠子、高橋貞二、中北千枝子、浦辺粂子、笠智衆、山村聰、三宅邦子、加東大介、三井弘次、田浦正二、杉村春子、宮口精二 白黒144分
1957年 東京暮色 松竹大船 原節子、有馬稲子、笠智衆、山田五十鈴、田浦正巳、高橋貞二、中村伸郎、杉村春子、宮口精二、須賀不二夫、信欣三、三好栄子 白黒140分
1958年 彼岸花 松竹大船 佐分利信、田中絹代、山本富士子、有馬稲子、久我美子、佐田啓二、高橋貞二、浪花千栄子、中村伸郎、桑野みゆき、笠智衆 カラー118分
1959年 お早よう 松竹大船 設楽幸嗣、島津雅彦、三宅邦子、笠智衆、佐田啓二、久我美子、杉村春子、高橋とよ、沢村貞子、長岡輝子、東野英治郎 カラー94分
1959年 浮草 大映 中村鴈治郎、京マチ子、若尾文子、川口浩、杉村春子、三井弘次、田中春男、潮万太郎 カラー119分
1960年 秋日和 松竹大船 原節子、司葉子、佐分利信、岡田茉莉子、佐田啓二、中村伸郎、北竜二、桑野みゆき、三宅邦子、沢村貞子、三上真一郎、高橋とよ、桜むつ子、笠智衆、岩下志麻 カラー128分
1961年 小早川家の秋 宝塚映画 中村鴈治郎、原節子、新珠三千代、小林桂樹、司葉子、森繁久彌、浪花千栄子、加東大介、宝田明、団令子、白川由美、山茶花究、藤木悠、杉村春子 カラー103分
1962年 秋刀魚の味 松竹大船 笠智衆、岩下志麻、岡田茉莉子、佐田啓二、東野英治郎、杉村春子、中村伸郎、北竜二、加東大介、吉田輝雄、三宅邦子、高橋とよ、岸田今日子 カラー113分

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一家族のロードムービー。家族を1つの有機体のように捉えた作品。倍賞千恵子の演技がいい。

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家族 [DVD]」 「家族」(1970年)(大阪→東京間移動車中/万博会場)

家族 プレスシート.png 長崎沖・伊王島の炭鉱労働者・風見精一(30歳)(井川比佐志)は、炭鉱閉山で転職を余儀なくされ、自らの夢であった北海道での牧場経営に乗り出したいと願う。妻の民子(25歳)(倍賞千恵子)は当初反対するが、長男(3歳)長女(1歳)の子供2人を連れて一緒に入植することに。精一の父である源蔵(65歳)(笠智衆)を広島県福山市に住む次男の力(前田吟)と同居させる予定だったが、訪ねてみると力の家は源蔵を同居させる状態になく、民子が精一と源蔵を説得し一緒に北海道へ向かうことに。家族5人はまず大阪へ向かい、そこで開催直後の大阪万博を見物に出かけ、その日の内に新幹線に乗り込み東京へ。

山田 洋次 「家族」.jpg 東京駅から上野駅に移動し、更に青森行きの夜行に乗る予定だったが、子2人のうち赤ん坊の方の様子が急変、上野の旅館に入り病院を探すが手遅れで死んでしまう。荼毘に付すために東京に2泊し、精一と民子が夫婦喧嘩をする険悪なムードの中、家族は夜行で青森に向かい、青函連絡船で函館に、それからまた長い列車の旅を経てやっと中標津に辿り着く。翌日、近所の人達が歓迎会を開いてくれた時、「炭坑節」を気持ちよく歌った源蔵は、その夜布団の中で静かに息を引き取る―。

 万博会場での家族5人を実写で撮っているので1970年の作品ということが分かり易いですが、正確には同年4月6日から1週間足らずの間に伊王島→長崎→福山→大阪→上野→函館→中標津と家族ごと移動するロードムービーのような作りになっています(途中、船旅が2回あるほかは殆ど列車移動ではあるが)。

 その過程で家族5人の内2人が亡くなるわけで、学校の映画の時間に観に行った作品ですが、通常の授業が休みなのはいいけれど、何でこんなに悲しい映画を見なきゃならないのかと―。最後に民子のお腹の中に新たな生命が宿っていることがわかり、家族の死と再生というか、家族を1つの有機体のように捉山田 洋次 「家族」_1.jpgえ、その中で消えていく命もあれば新たに生まれる命もあるという、今思えばそういう作品だったのだなあと(年齢がいって観ると、段々いい作品に思えてくる...)。

東京物語.jpg 福山で弟夫婦から老父の預かりを拒否されるところに旧来型の「家族」の崩壊の予兆が見て取れる一方、万博会場の雑踏に会場入口に来ただけで疲れ果ててしまう家族に、高度成長経済に取り残された一家というものが象徴的に被っているように思えましたが、それは最近観て思ったこと。但し、当時39歳だった山田洋次監督はそこまで見通していたのだろうなあ。今観ると、小津安二郎監督の「東京物語」('53年/松竹)からの影響がかなりあるように感じられます。

家族 1シーン.jpg 全体にドキュメンタリータッチで撮られていて、演技陣は難しい演技を強いられていたのではないかと思いましたが、この夫婦は旅程でしばしば険悪な雰囲気になる(これだけツライ目に合えば愚痴も出るか)その加減にリアリティがあり、その中でも倍賞千恵子の演技は秀逸。

 所々にユーモラスな描写もあってアクセントが効いていますが、青函連絡船の中で、険悪な雰囲気になる家族を行きずりの男が笑わせてくれる、この男を演じているのが渥美清です。

倍賞千恵子/井川比佐志/渥美清

 この作品の前年('69年)に同監督の「男がつらいよ」シリーズがスタートし、それがヒットして、松竹から3作撮ったところで好きな映画作りをしてもいいと言われて撮ったのがこの作品(但し、作品の構想は5年前からあったとのこと)。「男はつらいよ」シリーズの面々が他にもカメオ出演しています。

『家族』井川比佐志、倍賞千恵子.jpg山田 洋次 「家族」4.jpg この作品を見ていると、倍賞千恵子は「男がつらいよ」シリーズがあんなに長く続かなければ、もっと違った作品に出る機会もあったのではないかという気もしましたが、「故郷(ふるさと)」('72年)、「同胞」('75年)、「遙かなる山の呼び声」('80年)などシリーズの合間に撮られた山田洋次作品に主演しており、この内「故郷」と「遙かなる山の呼び声」での役名は、本作品と同じ"民子"です。

笠智衆 家族.jpg 「家族」「故郷」「遙かなる山の呼び声」で民子三部作と言われており(「遙かなる山の呼び声」の舞台は"家族"が目指した中標津)、それだけ「家族」での彼女の演技にインパクトがあったということかも。
家族 1971_1.jpg 「家族」の中で、新幹線から富士山を見るのを皆楽しみにしていたのに、富士山の前を通過する頃には家族全員疲れて寝てしまう...というのが、なんだかありそうな話で可笑しかったです。

「家族」●制作年:1970年●監督:山田洋次●脚本:山田洋次/宮崎晃●撮影:高羽哲夫●音楽:佐藤勝●時間:106分●出演:井川比佐志/倍賞千恵子/木下剛志/瀬尾千亜紀/笠智衆/前田吟/富山真沙子/竹田一博/池田秀一/塚本信夫/松田友絵/花沢徳衛/森川信/ハナ肇とクレージーキャッツ/渥美清/松田友絵/春川ますみ/太宰久雄/梅野泰靖/三崎千恵子●公開:1970/10●配給:松竹●最初に観た場所(再見):京橋・フィルムセンター(10-01-21)(評価:★★★★)

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面白かった。第三者的な冷静な視点が常にどこかにある。映画作品の方は懐かしさはあるが凡作。

太平洋ひとりぼっち0.jpg太平洋ひとりぼっち 文藝春秋新社.jpg 太平洋ひとりぼっち 角川文庫.jpg 太平洋ひとりぼっち dvd2.jpg 太平洋ひとりぼっち dvd.jpg 
太平洋ひとりぼっち』['02年]/『太平洋ひとりぼっち (1962年) (ポケット文春)』/角川文庫版['73年](カバーイラスト:佐々木侃司)/「太平洋ひとりぼっち [DVD]/「日活100周年邦画クラシックス GREATシリーズ 太平洋ひとりぼっち HDリマスター版 [DVD]
太平洋ひとりぼっち (福武文庫)』['94年]
0太平洋ひとりぼっち (福武文庫).jpg堀江謙一 1962.bmp 『太平洋ひとりぼっち』の40年ぶりの復刻(2004年刊)ということですが、帯にある「『挑戦』を忘れた日本人へ...」云々はともかくとして、今読んでもとにかく面白い!

 堀江謙一氏が23歳で西宮市―サンフランシスコ間の太平洋単独横断を成し遂げたのは1962(昭和37)年8月12日で(右写真:UPI=共同)、米国から帰国して"時の人"となった中2ヵ月で航海記を書き上げ、その年の12月に「ポケット文春」の1冊として刊行されていますが、比較的短期間で書き上げることが出来たのは、航海の間につけていた航海日誌があったからでしょう。

 「ポケット文春」の後も何度か加筆して同タイトルで刊行されていて、今回の復刻版はその加筆版をベースにしていると思われますが、加筆されている部分の文章も簡潔で生き生きとした筆致であり、ある種ドキュメント文学のような感じで、ベースが航海日記なので、虚構が入り込む余地は少ないと思われます。

 「こうこう報道されたが、実はこうだだった」的な記述が、後から書き加えられたものであることを窺わせるのと、自らの生い立ちからヨットをやるようになったきっかけ、出航までの道のり、どのようなものを携帯したかなどが詳しく書かれているのが、「ポケット文春」との違いでしょうか(今「ポケット文春」が手元に無いので断言できないが)。

 ヨットマンの多くが憧憬を抱きながらも実現は不可能と思われてきたことに対し、緻密な計画と5年がかりの準備をもって臨む―完璧を期すれば可能性は無くもないかのようにも思えますが、そもそもヨットでの海外渡航は当時認められておらず、犯罪者として強制送還になる覚悟で決行したわけです(実際、偉業達成時の日本での扱いは「密出国の大阪青年」。それが、サンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」として名誉市民として受け入れるや、日本でも一転して"快挙"として報道された)。

 「緻密な計画」を立てたにしても、小さなヨットにとって太平洋はまさに不確実性の世界であり、渡航日数は2ヵ月から4ヵ月という大きな幅の中で見込まざるを得ず、こうなると、水や食料をどの程度もっていけばいいのかということが大きな問題になるわけですが、そうした蓋然性の中でも、冷静かつ大胆に思考を巡らせていることがよく分かりました(この他にも、ヨットを造る資金をどうするか、反対する周囲をどう抑えるかなど様々な問題があり、同様に、1つ1つ戦略的に問題解決していくことで、壁を乗り越えていく様が窺えた)。

 結局、航海は94日に及んだわけですが、日本では、90日を過ぎたところで送り出した側から捜索願が出ていたことを、後に知ったとのこと、捜索機(日本に限らず米国のものも含まれる)に見つかれば、そこで夢が断たれてしまう可能性があるというジレンマもあったわけです。

太平洋ひとりぼっち ポスター.jpg太平洋ひとりぼっち1.jpg  "原作"刊行の翌年には、石原裕次郎(1934-1987)主演で映画化され、これは石原プロの設立第1作作品でもありますが、 同じヨットマンの石原裕次郎がこの作品に執着したのは理解できる気がします(自分のヨットを手に入れるまでの経済的苦労は、慶応出のお坊ちゃんと、高卒の一青年の間には雲泥の差があるが...)。

 個人的には大変懐かしい作品ではありますが、今観ると、海に出てからは1人芝居だし、独り言もナレーションも関西弁、裕次郎にとっては意外と難しい演技になってしまったのではないかと(彼は黙っている方がいい。なぜか、ヨットから海に立ち小便する場面が印象に残っていた)。

和田夏十.jpg 嵐の場面は市川崑(1915-2008)監督の演出と円谷プロの特撮で迫力あるものでしたが、全体としては必ずしも良い出来であるとは言い難く、市川昆監督自身が後に失敗作であることを認めています(「あんなにいいシナリオがあの程度にしかできなかったという意味で失敗。裕ちゃんはよくやってくれたけれど、ヨットが思うように動いてくれなかった。わからないようにモーターをつければ良かった。そうすればもっと自由に撮れた」と言っている。シナリオは和田夏十(本名:市川由美子、1920-1983))。それでも、快挙を成し遂げサンフランシスコ港で温かく現地の米国人に迎えられる場面は感動させられます。

 但し"原作"では、この最後の部分も、ゴールデン・ゲートブリッジが見えて感動する本人と、たまたまシスコの湾内で出会ったクルージング中のオッサンとのチグハグなやりとりなどがユーモラスに描かれていて、感動物語に仕立て上げようとはしておらず、却ってリアリティを感じました(この人の文章には、第三者的な冷静な視点が常にどこかにある)。

 作品ではなく「堀江謙一」という人物に対する賞として1963年・第10回「菊池寛賞」が贈られていますが、作品の方は、最初は"手記"的な扱いだったのではないかと思われます。オリジナルを特定しにくいということもありますが、実質的に「菊池寛賞」の"受賞作"とみていいのではないかと思います。


Taiheiyô hitoribotchi (1963) .jpg太平洋ひとりぼっち2.bmp「太平洋ひとりぼっち」●制作年:1963年●監督:市川昆●脚本:和田夏十●撮影:山崎善弘●音楽:芥川也寸志/武満徹●特殊技術:川上景司(円谷特技プロ)●原作:堀江謙一「太平洋ひとりぼっち」●時間:96分●出演:石原裕次郎/森雅之/田中絹代/浅丘ルリ子/大坂志郎/ハナ肇/芦屋雁之助/神太平洋ひとりぼっち 田中絹代 母.jpg浅丘ルリ子 太平洋ひとりぼっち.jpg山勝/草薙幸二郎●公開:1963/10●配給:石原プロ=日活 (評価:★★★)
石原裕次郎(青年)・田中絹代(母)・森雅之(父)・浅丘ルリ子(妹)
Taiheiyô hitoribotchi (1963)

【1962年新書化[ポケット文春] /1973年文庫化[角川文庫]/1977年文庫化[ちくま少年文庫]/1994年文庫化[福武文庫]/2004年復刻版[舵社]】

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(川端 康成)

ストーカー行為を「男女共犯説」的に捉えていたのかなあ、この作家は。
川端 康成 『みづうみ』.jpg
みずうみ 川端.jpg 『みずうみ (新潮文庫)』(カバー絵:平山郁夫) 
新潮文庫旧カバー

川端 康成 『みづうみ』 (1955 新潮社).bmp 桃井銀平は東京で中学の国語教師をしていたが、女とすれ違った瞬間に理性を失い、いつの間にかその女のあとをつけているという性分のために、教え子との間で恋愛事件を起こして教職を追われ、更に、道で出会った女をつけ、抵抗した女の所持金を奪ってしまったことから、信州へと逃げ込む―。

 物語は、女の告発を恐れた銀平が軽井沢の場末のトルコ風呂を訪れ、湯女に体をあずけながら、自分が今までにあとをつけまわした女たちを回想するところから始まり、彼の女性に対する情念を"意識の流れ"として描写した作品として知られています。

川端 康成 『みづうみ』(1955 新潮社)

 この作品は、『山の音』の翌年にあたる1955(昭和30)年に刊行されていて、前作に比べて一気にデカダンの色調を濃くしていますが、個人的にはこの作家の退廃的雰囲気はいいなあと思っています(この人、NHKの朝の連ドラ用の作品(「たまゆら」)も書いているくらいだからなあ)。

 今風に言えば、銀平は"ストーカー"なのですが、興味深いのは、銀平が信州に逃げ込むきっかけになった水木宮子は、男につけられることを、自分を囲っている老人に対する復讐として享楽しており、また、学校を追われるきっかけになった玉木久子も、つけられる快感から銀平に傾倒していったという経緯があるということで、川端康成は、ストーカー行為を男女共犯説的に捉えていたのかなあ。

 水木宮子は、自分の女性としての魅力と言うよりも、魔性のようなものが男を惹き付けると自覚していて、それは、彼女の家政婦や自分を囲っている老人との会話の中で示されていますが、この部分は、主人公の"意識の流れ"の外なので、そのあたりの不統一性が、個人的にはやや気になりました。

 最後に銀平が見つけた女は、それまでの女性とは異なる無垢な少女であり、そのことは同時に、この作家の文学上の少女嗜好(ほぼロリコンと言っていい?)を如実に窺わせ、『伊豆の踊子』から始まって『眠れる美女』へと繋がるものを感じさせますが、作品としては『眠れる美女』の方が上かなあ。

 『山の音』の主人公は、薄幸の可憐な嫁に憐憫の情を抱きますが、この作品の主人公は、もう女性に感情移入するのはやめて、ただただ純粋な女性を求めて魔界に迷い込んでいくという感じ。それが『眠れる美女』になると、もう「人形愛」みたいになっていくから、ホント、行くところまで行くなあ。 

 作者・川端康成は、'48(昭和23)年に第4代日本ペンクラブ会長になり、'65年まで務めています。その間、'57(昭和32)年には、国際ペンクラブ副会長として、国際ペンクラブ大会の日本での開催に尽力、その功績により'58(昭和33)年、第6回「菊池寛賞」受賞しています。日本ペンクラブ及び国際ペンクラブの仕事には自殺した'71年まで関与していたようで、結構公私にわたって忙しかったみたい。でも、その一方で、創作の世界においては、社会派小説なんて書いたりはせず、自分の性向、じゃなくて(それは不可知の領域か)、作品のモチーフの性質(異常性愛)を貫き通しているなあと思いました。
 
 【1960年文庫化[新潮文庫(『みずうみ』)]/1961年再文庫化[角川文庫]】 

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国策事業の中での男達の自然との戦い、土木会社の工事指揮者と人夫らの葛藤を描く。

『高熱隧道』   .jpg高熱隧道(ずいどう).jpg 高熱隧道.jpg
高熱隧道 (新潮文庫)』旧カバー版

 労災保険料の料率は事業の種類によって異なり、仕事の危険度が高いほど保険料率は高くなります。平成21年4月からの料率は、「その他(一般)の事業」の場合0.3%ですが、「その他(一般)の建設事業」は1.9%、「その他(一般)の鉱業」の場合は2.4%、これに対し、建設事業の中でも、本書の題材となっている「水力発電施設、ずい道等新設事業」の保険料率は10.3%であり(つまり、賃金の10%以上の労災保険料がかかる)、これは通常の事業の34.3倍という高い保険料率で、2番目、3番目に料率の高い「金属鉱業,非金属鉱業又は石炭鉱業」の8.7%、「採石業」の7.0%を大きく上回っています。このことからも、「水力発電施設、ずい道等新設事業」における作業が、今もって多くの危険を孕んだものであるとが窺えるかと思います。

『高熱隧道』.jpg「高熱隧道」(阿曽原 - 仙人谷).jpg 本書は、1967年(昭和42年)に雑誌「新潮」に発表され、同年新潮社から刊行された吉村昭(1927-2006)による、昭和11年に着工し昭和15年に完成した黒部第三発電所の建設工事を描いた記録文学ですが、その中でも特に難航を極めた阿曾原谷側の軌道トンネル工事を背景に、トンネル工事期間1年4カ月における男達の自然との戦い、土木会社の工事指揮者と人夫らの葛藤を描いた、その作業内容の過酷さは実際に凄まじいものでした。
高熱隧道(阿曽原 - 仙人谷)

文庫新カバー版

 急峻な崖の続く黒部峡谷、加えて冬の豪雪、更には阿曾原谷が温泉脈に近いため、岩盤温度がトンネルの掘り始めで65℃、掘り進むと160℃を超え、高熱のため人夫たちの体力が持たないし、発破用のダイナマイトが自然発火して爆発する危険もあるという、今ならば完全に「労働安全衛生法」違反の作業環境であり、当時においてもあまりにも犠牲者が多い事から富山県警察部から再三に渡って工事中止命令が出されたとのことですが、日本がアジア・太平洋戦争に突き進んでいく中、電力供給を担った国策事業としてほぼ強行的に工事が行われていたという背景があります。

 但し、軍関係者が見ても作業をストップさせるかもしれないほどの危険な作業環境であり(彼ら視察に来ても、熱くて奥まで行けず、結局作業の実態は隠蔽され続けるのだが)、土木会社の中には人夫達が作業放棄したために工事そのものから撤退するところもある中、この小説の主人公である佐川組の男達は作業指揮を継続し、人夫らもそれについてくる―そこには(人夫達にはとっては高額の日当が魅力的であるということもあるにせよ)1つの事業をやり遂げようという気迫が感じられます。

 作業する人夫たちにホースで水を放水し、その放水している者に更に放水をするということを数珠繋ぎに繋げていくような作業環境の中、ついにダイナマイトの自然発火による爆発事故が起きてしまい8名の死者が出ますが、佐川組の工事事務所長の根津は、遺体を回収し、人夫達の目前で肉片となったそれを手にして繋ぎ合わせ、8体の遺体を形づくる―。
 凄まじい"葬送"の場面ですが、こうした彼の行為が人夫達の気持ちをひとつにし、トンネル工事は進められていきます。

 しかし今度は"泡(ほう)なだれ" という特殊な雪崩による事故が起きて84人もの死者が出てしまい、更に根津ら工事関係者は奔走しますが、坑道の切端が突き抜け工事が一区切りついたところで、人夫頭からダイナマイトが盗まれるなど不穏な動きがあることを知らされ、彼らは急遽山を下りることになります。

 人夫達の怨念のようなものは簡単に消せるものではなくむしろ累積していくものであり、「プロジェクトX」みたいなハッピーエンドの物語となっていないところに、こうした戦前の国策事業の特異な枠組みと実態の苛烈さが窺えます。

 登場人物は作者の創作ですが、所謂"昭和の大工事"とされた黒部川第四発電所建設での犠牲者が171名に対し、この第三発電所建設は全工区で300名以上の死者を出ており、小説の背景となった阿曾原谷側工事だけでも188名の死者が出ているというのは、記録に残る事実です。

 【1975年文庫化〔新潮文庫〕】

「●日本の絵本」 インデックッスへ Prev|NEXT ⇒  【1012】 新美 南吉(作)/黒井 健(絵) 『ごんぎつね
「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(中川 李枝子・山脇 百合子)「○現代日本の児童文学・日本の絵本 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

あの福田和也氏も推奨する、日本で2冊しかない単巻での発行部数累計が400万部を超えた名作。

ぐりとぐら.jpg 『ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

たまご.jpg 1967(昭和42)年刊行の「ぐりとぐら」シリーズの第1作で、双子の野ねずみ"ぐり"と"ぐら"が森で見つけた巨大な卵で巨大なカステラを作り、友達とわけ合うという話は、絵本界の名作としてよく知られています(この絵本の原型として「たまご」('63年発表)という読み聞かせ物語[右]がある)。

 辛口(?)の文芸評論家・福田和也氏が、『悪の読書術』('03年/講談社現代新書)の中で、「福音館書店が出版する絵本は、他社のそれとは格が違う」と書いていて、優れた絵本として、この「ぐりとぐら」シリーズと林明子氏のものを挙げていました。

 また、朝日新聞夕刊連載の「ニッポン人・脈・記」で、'08年夏に「絵本きらめく」というシリーズがあり、その中で、この『ぐりとぐら』が、松谷みよ子氏の『いないいないばあ』('67年/童心社)と並んで、日本で、単巻での発行部数累計が400万部を超えるたった2冊しかない絵本の内の1冊であること、中川李枝子氏と山脇百合子氏が実の姉妹であること、「ぐりとぐら」の創作にあたっては、石井桃子(1907‐2008/享年101)の指導を仰いだことなどを知り、大変興味深かったです。

ぐりとぐらのかいすいよく.jpg これだけの大ヒット商品なのに、『ぐりとぐらのおおそうじ』('02年)まで基本シリーズは35年間で7冊の刊行しかなく、この辺り、商業主義に走らず、絵本作りの質を落さないようにしていることが窺えます。個人的には、'70年代に唯一刊行された第3作『ぐりとぐらのかいすいよく』('77年)や同じく'80年代唯一の刊行である第4作『ぐりとぐらのえんそく』('83年)などもいいなあと(特に、『ぐりとぐらのかいすいよく』のユルい感じがいい)。

 これら基本シリーズの他に、『ぐりとぐらの1ねんかん』('97年)、『ぐりとぐらのうたうた12つき』('03年)などの大判本があり、これらもお奨めです。
ぐりとぐらとぐふ.jpg
 最近、ネットで『ぐりとぐらとぐふ』というパロディ画像が出回っていますが(ガンダム・ヴァージョン?)、パロディにされるぐらい有名であるということ?

《読書MEMO》
菊池寛賞贈呈式.jpg第61回菊池寛賞(日本文学振興会主催)
山脇百合子氏(左)/中川李枝子氏(右) 
The Sankei Shimbun & Sankei Digital 2013.12.16 07:39

『ぐりとぐら』50周年.jpg 画家の山脇百合子.jpg 画家の山脇百合子(1941-2022)

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邦題より原題が相応しいシビアな内容。ジェーン・フォンダの演技には鬼気迫るものがある。

ひとりぼっちの青春.jpg  彼らは廃馬を撃つ.jpg ホレス・マッコイ「彼らは廃馬を撃つ」.jpg    .映画「バーバレラ」(1968).jpg   追憶パンフ.jpg 
ひとりぼっちの青春 [DVD]」 「彼らは廃馬を撃つ」['70年/角川文庫]['88年/王国社]「バーバレラ」「追憶

『ひとりぼっちの青春』(1969)2.jpgひとりぼっちの青春1.png 1932年、不況下にハリウッドで行われた「マラソン・ダンス」の会場には、賞金を狙って多くの男女が集まっていた。ロバート(マイケル・サラザン)もその1人で、彼は、大会のプロモーター兼司会者(ギグ・ヤング)の手配により、グロリア(ジェーン・フォンダ)と組んで踊ることになるのだが―。

『ひとりぼっちの青春』(1969).jpg 「ひとりぼっちの青春」('69年/米)は、不況時のアメリカの世相と、一攫千金を願ってコンテストに参加し、ぼろぼろになっていく男女を通して、世相の退廃と人生の孤独や狂気を描いた作品で、 甘ちょろい感じのする邦題タイトルですが、原題は"They Shoot Horses, Don't They?"(「廃馬は撃つべし」とでも訳すところか)というシビアなもの(オープニングで馬が撃たれるイメージ映像が流れる)。

By Jeffrey Ressner.jpg 余興で行われた二人三脚競走で足がつって踊れなくなったロバートを、今までの苦労が水の泡になるとして無理やり引きずって踊ろうとするグロリアを演じたジェーン・フォンダの演技には、鬼気迫るものがありました(ジェーン・フォンダはこの作品でゴールデングローブ賞、ニューヨーク映画批評家協会賞の各「主演女優賞」を受賞)。

 グロリアは、もはや賞金のためではなく、自らの尊厳のために踊り続けようとする。しかし、このダンス・コンテスト自体がある種のヤラセ興行であることに気づいたとき、彼女はロバートに自殺幇助を頼み果てる―。"They Shoot Horses Don't They?"は、ロバートが子供の頃、父親から言い聞かされていた言葉だったというのが、強烈な皮肉として効いています。 

バーバレラ 1993.jpgBARBARELLAes.jpg 雑誌モデル出身のジェーン・フォンダは、この映画に出るまではセクシーさが売りの女優で、ピンク・コメディのようなものによく出演しており、この映画の前の出演作は、ロジェ・ヴァディム監督の「バーバレラ」('68年/伊・仏)というSFコミックの実写版でした。偶々テレビで観たという作品だったため、相対的に印象が薄かったのですが、この作品のオープニング、今観ると凄いね。ジェーン・フォンダの格好もスゴかったけれども、アニタ・パレンバーグの格好もスゴかった。

 そんな彼女が演技開眼したのが、この「ひとりぼっちの青春」であったことは本人も後に語っているところであり、その後2度もアカデミー主演女優賞を獲得しています。しかも、「黄昏」("On Golden Pond")の映画化権を買取り、父ヘンリー・フォンダに初のアカデミー主演男優賞をもたらす契機を作ってさえいます。一方、映画でアクの強いプロモーターを演じたギグ・ヤングは、この映画の8年後に、妻を射殺して自らも命を絶っています。シドニー・ポラック.jpg この作品は、今年('08年)5月に亡くなったシドニー・ポラック(1934‐2008/享年73)監督作で、この人の代表作には、「追憶」や「愛と哀しみの果て」などの大物俳優の組み合わせ作品や「トッツィー」('82年、アカデミー助演女優賞)などがあります。
 

『追憶』(1973) 3.jpg 「追憶」('73年)は、やはりあくまでもバーブラ・ストライサンドの映画という感じで、バーブラ・ストライサンドが政治活動に熱心な苦学生を、ロバート・レッドフォードがノンポリの学生を演じていますが、2人の20年後の再会から自分たちの歩んできた道を振り返る構成になっていて、よって「追憶(THE WAY WE WER)」というタイトルになるわけです。

『追憶』(1973) 1.jpg 何事にもひたむきにしか生きられない、不器用だが一途な女性をバーブラ・ストライサンドが好演、人間ってそう簡単には変われないのかもと...。

 テーマ曲もバーブラ・ストライザンドが歌っているわけで、これだけの歌唱力と演技力を兼ね備えているというのは考えてみれば凄い才能ということになります。一時期、ネスカフェ・コーヒーのCMが流れる度に思い出す映画でもありましたが、個人的にはこの映画のお陰で、暫くはロバート・レッドフォード自体にノンポリのイメージを抱いていました。

The way we were

愛と哀しみの果て  0.jpg そのロバート・レッドフォードがメリル・ストリープと共演したのが「愛と哀しみの果て」('85年)で、原作は「バベットの晩餐会」の原作者でもあるカレン・ブリクセン(イサク・ディーネセン)の文芸作品で、池澤夏樹氏が自身の個人編集の世界文学全集においてもチョイスしている『アフリカの日々』ですが、アカデミーの作品賞や監督賞を獲ったにしては中身はハーレクイン・ロマンスみたいだなあと...(原作から何か抜け落ちているのでは?)。でも、メリル・ストリープってコンプレックスを持った女性を演じるのが上手いなあとは思わされ、実際彼女ははこの作品でロサンゼルス映画批評家協会賞の「主演女優賞」受賞していますが、映画自体は全く自分の好みに合わなかったです(この他に、男爵を演じたクラウス・マリア・ブランダウアー(「ネバーセイ・ネバーアゲイン」('83年/米・英))がゴールデングローブ賞「助演男優賞」とニューヨーク映画批評家協会賞「助演男優賞」を受賞している)。

トッツィー1.jpg 「トッツィー」('82年)は、女装のダスティン・ホフマンがアカデミー主演男優賞(女優賞?)を獲るかと言われた映画ですが、むしろ共演トッツィーのジェシカ・ラング.jpgジェシカ・ラング(「キングコング」('76年/米))の方が進境著しく、彼女はこの作品で、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ニューヨーク映画批評家協会賞全米映画批評家協会賞の各「助演女優賞」を受賞しています。個人的には、ソープオペラって収録が間に合わなくなると"生撮り"するというのが興味深かった...。日本でも昔のNHKの「お笑い三人組」や民放の「てなもんや三度笠」などは公開録画だったようですが。

 こうして見ると、男優よりもむしろ女優の方の魅力を引き出しているものが並び、「ひとりぼっちの青春」もその類ということになるのかも知れませんが、「ひとりぼっちの青春」に関しては、シドニー・ポラック監督作の中では忘れてはならない作品だと個人的には思っています。

ラヂオの時間1.jpg そう言えば、1993年に上演された劇団東京サンシャインボーイズの演劇で、三谷幸喜の初監督作品として映画化された「ラヂオの時間」('97年/東宝)が、ラジオドラマを生放送でやるという設定でした。主婦(鈴木京香)が初めて書いた脚本が採用されたのだったが、本番直前、主演女優(戸田恵子)が自分の役名が気に入らないと文句を言い出し、急きょ脚本に変更が加えられ、さらに辻褄を合わせようと次々と設定を変更していくうちに、熱海を舞台にしたメロドラマのはずだった物語がアメリカを舞台にした破天荒なSFドラヂオの時間2.jpgラマへと変貌していき、プロデューサー(西村雅彦)やディレクター(唐沢寿明)がてんてこ舞いするというもの。生放送という設定ならではのドタバタ劇が面白かったです。キネマ旬報ベストテンの第3位。この年の1位は宮崎駿監督んの「もののけ姫」で2位は今村昌平監督のパルムドールを獲った「うなぎ」でしたから、かなり高く評価されたと言えるのではないでしか(第22回「報知映画賞 作品賞」を受賞している)。日本ではコメディへの評価が低いので、十分に健闘したと言えるし、いいことだと思います(ただしその後、三谷幸喜監督作品は、「読者選出」の方でベストテンラジオの時間 渡辺謙.jpgに入ることはあっても、本チャンの選考委員選出の方ではなかなかベストテンに入ってこない)。渡辺謙がラジオ番組ファンのタンクローリーの運転手役で出ているのは、彼が同じくタンクローリー運転手のゴン役で出ていた伊丹十三(1933-1997/64歳没)監督の〈ラーメン・ウエスタン〉ムービー「タンポポ」('85年/東宝)へのオマージュなのでしょう。カウボーイハットも被っているし―(「タンポポ」でカウボーイハットを被っていたのは、相方ゴロー役の山崎努だったが)。

2022年・第70回「菊池寛賞」受賞(同時受賞の宮部みゆき氏と)
2022菊池寛賞.jpg

  
「ひとりぼっちの青春」米国版 ポスター&ビデオカバー
[ひとりぼっちの青春.jpgThey Shoot Horses Don't They? video.jpgThey Shoot Horses Don't They?.jpg「ひとりぼっちの青春」●原題:THEY SHOOT HOURSES,DON'T THEY?●制作年:1969年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:ジョン・グリーン●原作:ホレース・マッコイ 「彼らは廃馬を撃つ」●時間:133分●出演:ジェーン・フォンダ/マイケル・サラザン/スザンナ・ヨーiひとりぼっちの青春 の画像.jpgク/ギグ・ヤング/ボニー・ベデリア/マイケル・コンラッド/ブルース・ダーン/アル・ルイス/セヴァン・ダーデン/ロバート・フィールズ/アリン・アン・マクレリー/マッジ・ケネディ/レッド・バトンズ●日本公開:1970/12●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:三鷹東映ひとりぼっちの青春09.jpg78-01-17) (評価★★★★☆)●併映:「草原の輝き」(エリア・カザン)/「ジョンとメリー」(ピーター・イェイツ)

ジェーン・フォンダ(ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞・ゴールデングローブ賞主演女優賞)

三鷹オスカー.jpg三鷹東映 1977年9月3日、それまであった東映系封切館「三鷹東映」が3本立名画座として再スタート。1978年5月に「三鷹オスカー」に改称。1990(平成2)年12月30日閉館。
    
ぴあ 三鷹東映.jpg 「ぴあ」1978年1月号

バーバレラ [DVD]」アニタ・パレンバーグ/ジェーン・フォンダ in 「バーバレラ」   
BARBARELLAs.jpgバーバレラ [DVD].jpgBARBARELLA.jpg「バーバレラ」●原題:BARBARELLA●制作年:1968年●制作国:イタリア/フランス●監督:ロジェ・ヴァディム●製作:ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:ジャン=クロジェーン・フォンダ9.pngバーバレラes.jpgード・フォレ/クロード・ブリュレ/クレメント・ウッド/テリー・サザーン/ロジアニタ・パレンバーグ in 『バーバレラ』.jpgェ・ヴァディム/ヴィットーリオ・ボニチェッリ/ブライアン・デガス/テューダー・ゲイツ●撮影:クロード・ルノワール●音楽:チャールズ・フォックス●原作:ジャン=クロード・フォレスト「バーバレラ」●時間:98分●出演:ジェーン・フォンダ/ジョン・フィリップ・ロー/アニタ・パレンバーグ/ミロ・オーシャ●日本公開:1968/10●発売元:パラマウント(評価★★★)

「バーバレラ」サントラ.jpg

THE WAY WE WERE .jpg追憶 dvd.jpgThe way we were.gif「追憶」●原題:THE WAY WE WER●制作年:1973年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:マービン・ハムリッシュ●原作:アーサー・ローレンツ●時間:118分●出演:バーブラ・ストライサンド/ロバート・レッドフォード渋谷文化劇場.png/ブラッドフォード・ディルマン/ロイス・チャイルズ/パトリック・オニール/ヴィヴェカ・リンドフォース●日本公開:1974/04●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:渋谷文化劇場(77-10-23) (評価★★★☆)●併映:「明日に向かって撃て!」(ジョージ・ロイ・ヒル)

渋谷文化劇場 1952年11月17日、渋谷東宝会館地下にオープン 1989年2月26日閉館(1991年7月6日、跡地に渋東シネタワーがオープン)
    
愛と哀しみの果てdvd.jpg愛と哀しみの果て パンフ.jpg愛と哀しみの果てs.jpg「愛と哀しみの果て」●原題:OUT OF AFRICA●制作年:1985年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:ジョン・バリー●原作:アイザック・ディネーセン(カレン・ブリクセン)「アフリカの日々」●時間:161分●出演:メリル・ストリープ/ロバート・レッドフォード/クラウス・マリア・ブランダウアー/マイケル・キッチン/マリック・ボーウェンズ●日本公開:1986/03●配給:ユニヴァーサル愛と哀しみの果て meriru .jpgクラウス・マリア・ブランダウアー.jpg映画●最初に観た場所:テアトル池袋(86-10-12) (評価★★)●併映:「恋におちて」(ウール・グロスバード) メリル・ストリープ(ロサンゼルス映画批評家協会賞主演女優賞)ラウス・マリア・ブランダウアー(ゴールデングローブ賞助演男優賞・ニューヨーク映画批評家協会賞助演男優賞)
    
トッツィー ジェシカ・ラング.jpgトッツィー.jpg「トッツィー」●原題:TOOTSIE●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・ポラック●音楽:デイブ・グルーシン●時間:113分●出演:ダスティン・ホフマン/ジェシカ・ラング/ビル・マーレイ/テリー・ガー/ダブニー・コールマン/チャールズ・ダーニング●日本公開:1983/04●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:自由が丘武蔵野推理 (85-07-14) (評価★★★)●併映:「プレイス・イン・ザ・ハート」(ロバート・ベントン) ダスティン・ホフマン(全米映画批評家協会賞主演男優賞)ジェシカ・ラング(ニューヨーク映画批評家協会賞助演女優賞・全米映画批評家協会賞助演女優賞・ゴールデングローブ賞助演女優賞・アカデミー賞助演女優賞)

ラヂオの時間 スタンダード・エディション [DVD]
ラヂオの時間 1997.jpgラヂオの時間3.jpg「ラヂオの時間」●制作年:1997年●監督・脚本:三谷幸喜●製作:村上光一/高井英幸●音楽:服部隆之●原作:三谷幸喜/東京サンシャインボーイズ『ラヂオの時間』●時間:103分●出演:唐沢寿明/鈴木京香/西村雅彦/戸田恵子/布施明/井上順/細川俊之/小野武彦/藤村俊二/小野武彦/梶原善/並樹史朗/奥貫薫/近藤芳正/モロ師岡/田口浩正/梅野泰靖/(以下、特別出演)市川染五ラヂオの時間 渡辺謙.jpg郎/桃井かおり/佐藤B作/宮本信子/渡辺謙●公開:1997/11●配給:東宝(評価:★★★★)

「ラヂオの時間  .jpg

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(宮城谷昌光)

項羽・劉邦よりずっと偉かった田王。歴史上の人物に対して様々な評価ができることを示す。

香乱記〈上巻〉.jpg 香乱記〈中巻〉.jpg 香乱記〈下巻〉.jpg香乱記〈上〉』『香乱記〈中〉』『香乱記〈下〉』['04年]
 秦王朝末期、戦国時代の斉王・田氏の末裔である田儋(でんたん)・田栄・田王の3兄弟は、偶然助けた高名な人相見・許負から「3人とも将来王になる」と予言される―。

 始皇帝の病没から陳勝呉広の乱を経て楚漢戦争(項羽と劉邦の争い)にかけての時代に、斉国の再建に命を賭け、不屈の反骨精神をもって秦にも項羽・劉邦の何れにも与せず義に生きた、斉の田王を主人公とした長編小説。

 前半は田氏3兄弟と主従の堅い結束が快く、田王はいったんは始皇帝の太子・扶蘇の客となりますが、始皇帝没後の権力抗争で台頭した宦官・趙高の陰謀により扶蘇は自害させられ、暗愚な二世皇帝の暴政により中国全土に戦乱の嵐が吹き荒れる―、中盤は、こうした王朝の崩壊過程と、各地での諸王の抗争が中心に描かれています。
 強大な中央集権国家が、愚帝と利己的な権力者によりまたたく間に衰亡していく様や、各地の群雄割拠ぶりは読んでいて面白く、また示唆するものも多いですが、そちら方の記述に追われて、その分田王の人柄などの描き方はやや浅くなったかなあと思いました。

 しかし後半、「人を殺し続けて」台頭する項羽と劉邦に対し、それらの抵抗勢力として「人を生かし続けて」屹立する田王の生き様が、再びくっきり描かれるようになり、蘭林・岸当・展成・保衣といった様々経歴を持つ配下の異能ぶり・活躍ぶりも光っていて、彼らの田王への傾倒を通して、田王のリーダーシップと、名宰相・管仲にも匹敵する民心を集める求心力を窺い知ることができました。

 特徴的なのは、劉邦を、項羽と同じく残忍で、あるいは項羽以上に狡猾な人物として描いていることで、田王への贔屓の引き倒しではないかとみる人もいるかも知れませんが、漢の高祖となった劉邦の評価が後世に増幅された可能性を考えると、劉邦は秦都・咸陽を無血開城したから殺戮者として咸陽に乗り込んだ項羽より偉かった、というような単純なものでもないのでしょう。
 「背水の陣」で知られる韓信などの評価も低く、それらは著者なりの確信があってのものでしょうが、歴史上の人物に対して様々な見方ができることを示した物語でもあると思いました。

 作者は、本書刊行の'04年に第52回「菊池寛」賞を受賞しています。

 【2006年文庫化[新潮文庫(全4巻)]】

「●日本史」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【233】 田中 伸尚 『靖国の戦後史
「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(秦 郁彦)

5大決戦を戦術面・戦略面で検証。最後は、原子爆弾vs.風船爆弾という悲劇的滑稽さ。

なぜ日本は敗れたのか.jpg なぜ日本は敗れたのか2.jpg  太平洋戦争六大決戦  上  錯誤の戦場  中公文庫.jpg 太平洋戦争六大決戦  下  過信の結末  中公文庫.jpg  秦郁彦.jpg
なぜ日本は敗れたのか-太平洋戦争六大決戦を検証する(新書y)』 ['01年]/『太平洋戦争六大決戦〈上〉錯誤の戦場 (中公文庫)』『太平洋戦争六大決戦 (下) 過信の結末 (中公文庫)』 秦郁彦 氏

 『昭和史の謎を追う』など斬新かつ公正な昭和史観で菊池寛賞なども受賞している著者が、『太平洋戦争六大決戦』('76年/読売新聞社・'98年/中公文庫(上・下))、『実録太平洋戦争』('84年/光風社出版)として以前に刊行された著作の、後半第2部"エピソード編"を一部削って新書化したもので、オリジナルは四半世紀も前に書かれたということになります。

 第1部で太平洋戦争における日米戦略を概説し、「ミッドウェー」「ガダルカナル」「インパール」「レイテ」「オキナワ」の決戦をとり上げて、作戦の当否や戦力比較、勝敗の分かれ目となった両軍の判断などを分析していますが、あれっ、副題に「六大決戦」とあるのに5つしかない?(第1部は削っていないはずだが...)

失敗の本質  中公文庫.jpg 因みに、よく組織学の本として引き合いにされる戸部良一・編著『失敗の本質』('84年/ダイヤモンド社・'91年/中公文庫))は、この5つに「ノモンハン」を加えた6つをケーススタディしています。本書は、『失敗の本質』のように企業経営論に意図的に直結させるような組織論展開はしていませんが、各決戦の戦況経緯を詳説すると共に、日本軍の戦術の誤り、或いはそれ以前の戦略上の問題点を、組織論的な観点も含め考察しており、「戦争オタク本」「軍事オタク本」とは一線を画しているように思えます。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

回避行動中の空母「飛龍」.jpg 「ミッドウェー海戦」の敗戦は、空母「赤城」が味方機の着艦を待ってから攻撃に移ろうとして逆に敵機の先制攻撃を受けたことが敗因だ(そこに日本人的感情=仲間意識が働いたことが「失敗の本質」である)とよく言われますが(操縦士の人命ではなく、その選抜的能力に着目すれば、感情論の入る余地はないのだが)、その他のミスや読み違いが数多くあり、それら以前にも作戦意図の共有化や偵察機の索敵機能などに根本的問題があったことがわかります(但し、本書の後に書かれた『失敗の本質』も、基本的な敗因考察においては同じ)。

ミッドウェー海戦で回避行動中の空母「飛龍」(本書には「赤城」とあるが誤りであると思われる)[毎日新聞社]

 著者は、「ミッドウェー海戦」には日本側の数々の失策があったが、それらが無くてもせいぜい「相討ち」だったのではないかとしていますが、ともかく日本は完敗し、これにより日清・日露戦争以来の日本の「不敗神話」は崩壊するとともに、その後のソロモン群島での消耗戦などもあって、開戦時は日本側が優位であった日米両海軍の力関係は、逆転するわけです。
 
その後に続く「ガダルカナル」「インパール」などの決戦は悲惨の極みであり、ガダルカナルでは2万人以上、インパールでは、死者数すらわからないが、おそらく同じく2万人以上の戦力を失っているとのこと。著者の、戦術論的に「まだ戦い方があった」「別のやり方があった」というのはよく分かりますが、結局「ミッドウェー海戦」で全てが決していたような気がします。エピソードの最後にある「風船爆弾」の話があり(日本がアメリカ本土を唯一に直接攻撃したもので、9千発強の風船を発し、300発ほどアメリカに到着したが、爆発したのは28発だけ。死者発生は1件6名で、オレゴン州当地に記念碑がある)、「原子爆弾対風船爆弾という、あまりに悲劇的ながらユーモラスな対照のうちに太平洋戦争は終わった」と締め括っているのが印象的でした。

「●日本語」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【941】 板坂 元 『日本人の論理構造
「●岩波新書」の インデックッスへ 「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(白川 静) [●「菊池寛賞」受賞者作](白川 静)

1つ1つの漢字の成り立ちの話はどれも面白く、新書で新説を発表しているのが興味深い。

漢字 生い立ちとその背景.jpg  白川静の世界.jpg 白川静の世界(別冊太陽スペシャル)背.jpg
漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)』['70年]『白川静の世界』別冊太陽スペシャル['01年]表紙・裏表紙

カレンダー.jpg 白川静(1910‐2006)と言えば漢字、漢字と言えば白川静で、最近では象形字体を解説したものがカレンダーになったりしていますが、本人が一般向けに直接書いた本は意外と少ないのでは(中公新書に4冊、岩波新書は本書のみ)。但し、一般向けだからと言って手抜きは無く、本書もカッチリした内容です。

 言われてみれば、漢字という文字は確かに不思議。四大文明発祥の地で起きた文字文化のうち、インダスの古代インド文字などは早くに姿を消し、楔形文字やエジプト文字も紀元前の間に「古代文字」化しているのに、漢字だけが連綿と現代にまで続いている―。漢字にも、現在の漢字と古代象形文字(竜骨文字)の間には断絶がありますが、多くの古代文字が発見(発掘)から解読まで長い年月を要している(或いは未解読である)のに比べ、竜骨文字は比較的短い期間で解読されていて、著者はその理由の1つに、象形文字としての古代文字が音標化されず表意文字のまま形だけを変えて現代にまで使われていることをあげています。

 このように、漢字の基本が表意文字であるというのは誰もが知ることですが、一方で、古代から表音文字としても使われていたことなど、本書を読むといろいろと意外な事実が明らかになり、1つ1つの漢字の成り立ちの話はどれも面白く、古代呪術の話が多く出てきて、ほとんど文化人類学の世界です。

常用字解.jpg 最初に本書を読んだときは、書かれた時点では定説となっていたことが記されているのかと思いましたが、例えば本書にある「告」という字は、もともと「牛」が「口」を近づけて何か訴える様とされていたのが、「口」には神への申し文(祝詞)を入れる「器」という意味もあると著者が言ったのは本書が初めてで、当時の学会における新説だったそうです(別冊『太陽』の白川静特集('01年)では、「1970年の出来事-口(サイ)の発見」として、その衝撃を顧みている)。

漢字百話.jpg こうした1つ1つの文字の成立は、新書では『漢字百話』('78年/中公新書、'02年/中公文庫)により詳しく書かれていますが、「新説」を「新書」で発表してしまうのが興味深く、一般書でも手を抜かない証しとも言えるのでは(本人はそれ以前に気づいていたわけだから、計画的?)。

漢字百話 (中公新書 (500))

 東大学派と対立し、後に同じ京都学派でも京大派とも意見を異にし、自身の母校である立命館大学に奉職していますが、もともと立命館も最初は夜学で学んで、卒業後しばらくは高校の先生をしていたという遅咲きの人(94歳での文化勲章受賞というのも遅い)。

 いまだにこの人の言っていたことは本当なのかという解釈を巡る議論はありますが、一方で、没後も「白川静 漢字暦」は刊行されていて(勿論、『字統』や『字訓』も改版されている)、「白川学」の学徒やファンの多いようですが、個人的にもこの人のファンです。

 (本人は、名前の読みが1文字違いのフィギアスケートの荒川静香のファンだったとか、将棋が趣味で、任天堂DSで将棋ゲームをやっていたとか、晩年の逸話として親近感を抱かせるものがあるが、言語学者・金田一京助もそうだったように、年齢が進んでもボケない脳味噌を持った所謂"優秀老人"だったのではないか)。

 因みに、亡くなる5年前、白川静が91歳の時に「別冊太陽」が「白川静の世界」をフィーチャーしていて、直接に本人に漢字の成り立ちを聞くことで、その異能の想像力に迫るなどしています。こちらも貴重な特集かと思います。
_3白川静の世界(別冊太陽スペシャル).jpg

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「●集英社新書」の インデックッスへ「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(秋本 治)

路地・家屋に情緒があり、橋の袂・鉄橋下からの目線がペン画のタッチと相俟って新鮮。

両さんと歩く下町.jpg 『両さんと歩く下町―『こち亀』の扉絵で綴る東京情景 (集英社新書)』 秋本 治.jpg 秋本 治 氏

 1976(昭和51)年から週刊少年ジャンプ(集英社)に連載され、単行本で150巻を超える「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(通称"こち亀")の作者・秋本治氏が、東京の下町を背景とした"こち亀"の扉絵(連載の各回の冒頭にくる絵)を集め、下町の情景とその変遷を、まさに歩きながら語ったようなガイドブックで、併せて、作品の中でどのように用いられたかが語られているので、下町の情景を楽しみたい人にも、"こち亀"ファンにも楽しめるものとなっています。

 秋本氏は、亀有の生まれで昭和30年代から東京の下町を見続けてきた人、亀有・千住・浅草・神田・上野・谷中、隅田川に架かる橋の数々などを訪ね歩き、撮った写真から描き起こしたペン画にマンガの主人公たちを配したものを扉絵にしていますが、もともとはマンガの本編の背景だったものが、通常の背景のコマでは大きさなどに制限があるため、扉絵で使ったところ、読者の反響が大きく、いつの間にか扉絵だけで下町情景シリーズのようになったとのこと。

両さんと歩く下町2.jpg 新書見開きの左ページが全部それらの扉絵になっていますが、絵1枚1枚に作者の極私的な思い入れが感じられます。下町と言えば狭い路地や商店街、古い家屋に情緒があり、そうした風景を描いたものも多く含まれていますが、橋の袂(たもと)や鉄橋の下などからの目線で描いた絵も多く、ペン画のタッチと相俟って新鮮な印象を受けました(マンガとして読んでいる時は、扉絵や背景画をじっくり味わうということはあまりなかったからなあ)。

 本書は2004年の刊行で、実際に下町に住んで感じるのは、どんどん街が変わっていくということ(本書の中でも定点観察的に同じ場所から見た昔と最近の風景を描いたものがあるあが)、亀有にも'06年には都内最大級のショッピングセンター「アリオ亀有」がオープンしています。外から見れば、昔の雰囲気を失わない街であってほしいと思っても、そこで住んでいる人にしてみれば、自分たちの生活が便利になることの方が優先課題かも。但し、アサヒビール本社ビルでも大川端リバーシティ21でも、出来てしまえば何となく時間と共に下町の風景に馴染んでくるのが不思議です(隅田川や中川が変わらずにあるというのが1つのポイントだと思う)。

 巻末に著者と山田洋次監督との下町をめぐる対談があり、「寅さんシリーズ」の秘話などを知ることが出来るのも、楽しめるオマケでした。

秋本治 菊池寛賞.jpg 秋本治氏(第64回(2016年)菊池寛賞受賞)(C)ORICON NewS inc.
(受賞理由:一九七六年に連載を開始した漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を四十年間一度の休載もなく描き続ける。世相・風俗を巧みに取り入れ、上質な笑いに満ちた作品を本年二百巻で堂々完結させた)

「●し ウィリアム・シェイクスピア」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1016】シェイクスピア『リア王
「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ 「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(福田恆存)

「終わりよければすべてよし」。「悲劇」と見るのには無理がある。

ヴェニスの商人2.jpg
『ヴェニスの商人』.JPG
ヴェニスの商人.jpg ヴェニスの商人2.jpg ヴェニスの商人 (白水Uブックス (14)).jpg
ヴェニスの商人 (新潮文庫)』(福田恆存:訳)『ヴェニスの商人』 光文社古典新訳文庫 (安西徹雄:訳)〔'07年〕『ヴェニスの商人 (白水Uブックス (14))』(小田島雄志:訳)['83年]
新潮文庫(改装版)
 1594年から1597年の間に書かれたとされているシェイクスピア(1564‐1616)の作品ですが、近年では、ユダヤ人高利貸しのシャイロックが苛められる話として有名かもしれません。

ヴェニスの商人  日下武史.jpg 劇団四季で浅利慶太が日下武史をして〈受難者〉としてのシャイロック像を演出し「新解釈」と言われましたが、実は昔からそうした解釈はあり、本場ロンドンではシャイロックを一流の悲劇役者が演じる傾向が18世紀からあるそうです。

ヴェニスの商人 アルパチーノ.jpgヴェニスの商人v.jpg '04年に初めてハリウッド映画化され、それまで映画化されなかったのは、米映画界におけるユダヤ系の人たちの影響力の大きさのためだと思うのですが、シャイロックを演じたのはやはり大物俳優(アル・パチーノ)でした(マイケル・ラドフォード監督、ジェレミー・アイアンズ、ジョセフ・ファインズ共演)。

 因みに、今年['07年]8月には、本場英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの演出家グレゴリー・ドーランを招いて市村正親(シャイロック)、西岡徳馬(アントーニオ)、藤原竜也(バサーニオ)、寺島しのぶ(ポーシャ)の配役での舞台公演が予定されていますが、やはりテーマは「偏見」ということになるみたいです。

福田恆存.png でもやはり、シェイクスピアの「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「リア王」を生んだ「悲劇時代」の前にあった、彼の「喜劇時代」の作品であることに注目した福田恆存(1912-1994)の解題にもあるように、これを「悲劇」と見るのには無理があるような気がします。
福田 恆存 (1912-1994)

 「クリスト教徒の血を一滴でも流したら、お前の土地も財産も、ヴェニスの法律に従い、国庫に没収する」(クリスト教徒...というのがミソですが)と言われて復讐を諦めたシャイロックが、「市民以外の者が市民の生命に危害を加えようとした罪科」で、結局財産を没収され、さらに生殺与奪権を当局に委ねられるのであれば、この裁判はもともと何だったのかと突っ込みたくもなりますが、意外と本人は(演じ方にもよりますが)あっさり引き下がり、証文の文言をタテに強気を張っていた人物が、同じ文言や条文に足をすくわれるというパラドックスが鮮やかだと思います。

 何れにしろ、ユダヤ人に対する排斥感情が正論的に在った時代に書かれたものであることを頭に入れておくべきかも知れないし、時代背景を考え始めると、アントーニオーとバサーニオーの友情も、現代のものとは少し違うのではないかという見方(もっと"濃い"もの)も成り立ちます。因みに、グレゴリー・ドーランの演出も、バサーニオがポーシャに求婚する費用を作るため借金をするアントーニオは、同性のバサーニオを愛しているという解釈となっているようです。

シェイクスピア全集 (10) ヴェニスの商人.jpgヴェニスの商人 (1966年).jpg 悲劇だと決め込んで初めて映画や芝居でこの作品に触れた人の中には、最後のポーシャが「変装」や「指輪の行方」の種明かしをする"微笑ましい"場面が「余分だった」というような感想を持った人もいたようですが、「終わりよければすべてよし」というオプティミスティックな考え方がベースの明るい作品であるという解釈に立てば、この部分は構成上なくてはならないパートでしょう。どんどん「悲劇」化されていくことで、オリジナルとは違ったものになっていっている気がしなくもないです。
シェイクスピア全集 (10) ヴェニスの商人 (ちくま文庫)』カバー画:安野光雅/『ヴェニスの商人 (1966年) (旺文社文庫)

 【1966年文庫化[旺文社文庫]/1967年再文庫化[新潮文庫]/1973年再文庫化・1982年改訂[岩波文庫]/2002年再文庫化[ちくま文庫]/2005年再文庫化[角川文庫(『新訳 ヴェニスの商人―シェイクスピアコレクション』)]/2007年再文庫化〔光文社古典新訳文庫〕】

《読書MEMO》
●舞台演劇「ヴェニスの商人」
ヴェニスの商人91.jpgヴェニスの商人92.jpg演出:グレゴリー・ドーラン
出演:市村正親(シャイロック)、西岡徳馬(アントーニオ)、藤原竜也(バサーニオ)、寺島しのぶ(ポーシャ)

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パロディ満載、イラストも文章も楽しめ、特に、戯作「雪国」では文才が光る。

倫敦巴里2.jpg倫敦巴里1.jpg倫敦巴里 (1977年)』話の特集 倫敦巴里2.jpg

I倫敦巴里4.jpg 著者が「話の特集」('66年創刊)に'66(昭和41)年から'77(昭和52)年にかけて発表した様々なパロディを一冊の本にしたものです('77年の刊行)。パロディとしてのイラストも文章も何れも理屈抜きで楽しく、特に文章パロディのセンスには舌を巻きます。

 冒頭の「暮しの手帳」のパロディ「殺しの手帳」には有名ミステリの多くのトリックが参照されていて、どの作品だったか思い出すのが楽しく(全部わかれば相当のミステリ通、と著者自身が述べています)、また、イソップの「兎と亀」の寓話を、ジョン・フォード、市川昆から黒沢明、フェリーニまで20人以上の内外の監督の作風に合わせて脚色してみせていて、こちらも、どの作品から引いているかというマニアックな楽しみ方ができます(本人弁によると、マニアックの度が過ぎないようにするのが難しいとか)。

倫敦巴里3.jpg その他にも、様々なパロディのオンパレードですが、何と言っても圧巻なのは、'70年から'77年の間5回に分けて掲載された、川端康成('68年ノーベル文学書受賞)の「雪国」の冒頭部分を、多くの文筆家らの作風に合わせて偽作したもの。

 とり上げられているのは、庄司薫、野坂昭如、植草甚一、星新一、淀川長治、伊丹十三、笹沢左保、永六輔、大薮春彦、五木寛之、井上ひさし、長新太、山口瞳、北杜夫、落合恵子、池波正太郎、大江健三郎、土屋耕一、つげ義春、筒井康隆、川上宗薫、田辺聖子、東海林さだお、殿山泰司、大橋歩、半村良、司馬遼太郎、村上龍、つかこうへい、横溝正史、浅井慎平、宇能鴻一郎、谷川俊太郎の総勢32名で、イラストが本業の著者の文才が光っていて、これは「あなたのライフワークですか」と人から聞かれたこともあったというぐらいの凝りよう。

 これだけでもこの本の価値は高いような気がし、初版本ではないけれど、所有していることを少し自慢したくなるような本。著者は'94(平成6)年に第42回「菊池寛」賞を受賞しており、この賞は挿画家(画家・漫画家・イラストレーターを含む)では過去に、横山泰三、岩田専太郎、近藤日出造、山藤章二、加藤芳郎、中一弥らが受賞、著者より後では、東海林さだお、風間完らが受賞しています。

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この人の本は意外と熟年より若者向けなのかも。

何用あって月世界へ.jpg 『何用あって月世界へ』文春文庫 〔'03年〕 山本夏彦.jpg 山本 夏彦(1915-2002/享年87)

 '02年に亡くなった山本夏彦(1915-2002)の名言集で、'92(平成4)年までに刊行された既刊コラム25冊から選出されており、10行近い短文からたった1行の箴言風のものまであります(選者は、植田康夫・上智大教授(出版論))。因みに著者は、'84(昭和59)に「菊池寛賞」を、更に'90(平成2)年に『無想庵物語』で読売文学賞受賞を受賞しています。

 短いのでは―、
 「あんなにちやほやされたのに」「美人が権高いのは魅力である」「芸術院会員は多くは情実で選ばれる」「いきり立つものと争うのは無益である」「言って甲斐ないことは言わないものだ」「世の中には笑われておぼえることが多いのである」「人生は短く本は多い」「人みな飾って言う」「なあーんだ、和服を着れば老人になれるのか」「馬鹿は百人集まると百馬鹿になる」「自信はしばしば暗愚に立脚している」「汚職は国を滅ぼさないが正義は国を滅ぼす」...etc.

 以前は、その"批評精神"にハマって何冊かこの人のものを読んだのですが(手元にあるのも単行本の初版)、こうしてみると、結構まっとうなことをまっとうに言っているだけのものもあり、また、批評的な観点よりも反語的な表現の旨さで読者をハッとさせるものが多いのではないかと...(コピーライター的?)。

 内容的にはすべてに納得できるわけでなく、と言って、アフォリズムというのは反論を寄せつけないものがあり(「死んだ人」の側から「生きている人を撃つ」という著者の立場は、反論不可能性の証ではないか)、結局、議論にならないため、「批評」としては弱いのではないかという気がしてきました。

 しかし、この人の本は、かつて絶版になったものが近年ほとんど文庫化されるなどしていて、一見すると隠居老人の繰り言みたいな感じがしなくもないに関わらず、若い人にもよく読まれていうようです。
 自分も含めて、若い頃の方がこうしたすっきりした言い草に惹かれるのかも知れず、意外と熟年より若者向けなのかも。

 それと、23年ぐらい続いた「夏彦の写真コラム」(ほとんど文庫になっている)などを読むと、写真と文章のとりあわせのセンスの良さが感じられ、インテリア専門誌の編集長兼発行人だった人でもあり、本書の中にある「広告われを欺かず」という言葉などにも、業界人としての側面が窺えますが、そうした洗練された素地があって若い読者を惹きつけているのではないかとも。

 【2003年文庫化[文春文庫]】

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洞爺丸事故を7年繰り上げた大胆さ。心筋梗塞後の作者がワープロ練習用に選んだ作品。

飢餓海峡 上.jpg 飢餓海峡下.jpg    飢餓海峡dvd.jpg  飢餓海峡1シーン.jpg
飢餓海峡(改訂決定版) 上』『飢餓海峡(改訂決定版) 下』〔'05年〕 『飢餓海峡 [DVD]』(三國連太郎(中)/伴淳三郎(左)/高倉健(右))
飢餓海峡(上) (新潮文庫)』『飢餓海峡(下) (新潮文庫)
飢餓海峡(上) (新潮文庫).jpg飢餓海峡(下) (新潮文庫).jpg飢餓海峡(ポスター).jpg 昭和22年秋、台風のため青函連絡船・層雲丸の転覆事故が起き、必死の救助活動が行われる中、3人の復員服姿の男が台風で不通になった列車から飛び降り、転覆事故の混乱に紛れ、本土へ向けて夜の海峡を船を漕いでいた。台風が去った後、転覆した層雲丸の乗客の遺体が次々と収容されるが、引取り人のいない遺体があり、収容遺体は実際の乗客数より2体多かった。一方、同じ台風の中、函館市内て質屋が全焼する火事があり、焼け跡から質屋一家の他殺体が発見され、質屋一家強盗殺人事件と、転覆事故の乗船者数より多い2体の遺体が結びついた―。

飢餓海峡2.jpg [映画]函館署のベテラン刑事の弓坂(伴淳三郎)は、亡くなった男2人と行動を共にしていた犬飼太吉なる大男の行方を粘りつよく捜索を続け、その男・犬飼太吉(三國連太郎)と思われる男と一夜を共にした女郎・杉戸八重(左幸子)の存在を突き止める―。

 水上勉(1919‐2004)(ミナカミベンと呼ぶ人もいるが本来は「みずかみ・つとむ」と読む)の代表作で、内田吐夢(1898‐1970(うちだ・とむ)監督による映画化作品も、様々なアンケートでいつも歴代邦画のベストテンに入っている、そうした評価に相応しい力作でした(水上勉は'71年に『宇野浩二伝』などの功績で「菊池寛賞」を受賞)。

「飢餓海峡」1.jpg「飢餓海峡」2.jpg

飢餓海峡.jpg 主人公・犬飼役の三國連太郎の生涯最高の演技に加えて、刑事役の高倉健の演技もいいですが、高倉健と共に捜査にあたる元「飢餓海峡」.jpg刑事役の伴淳三郎と、堅気になろうとしてなれない薄幸の女性・八重(ひたすら犬飼を思いながら生き続ける哀しさ)を演じた左幸子の演技が、この二人もまた生涯最高の演技と言っていいくらいに、とてもいいです。

飢餓海峡」3.jpg とりわけ伴淳三郎については、内田吐夢監督がロケで、大勢の見物人の前で彼を罵倒して何十回もNGを出し、喜劇王伴淳のプライドをズタズタに傷つけ、すっかり意気消沈させたとのことで、実はそれこそが内田吐夢の狙いであり、伴淳がいつもの喜劇と場が違って巨匠の撮る大作にシリアスな大役ということで、いいところを見せようと肩に力が入り過ぎるのを、監督が伴淳を怒鳴りつける事で意図的に元気をなくさせ、それが作品が求めるところの人生に疲弊している老刑事像に繋がったというから、恐ろしいまでの演出です。

 原作を以前に読んだときは、貧困から這い上がる男のパワーとその結末の哀しさが強く印象に残りましたが、「改訂決定版」('05年/河出書房新社(上・下))で再読し、終盤の主人公の更正施設への"寄付"の組み入れ方なども改めて良くできているなあと思いました(結果的にはこの寄付によって、主人公の犬飼は...)。本作発表当時にはもう人気作家だった作者ですが、"贖罪"というテーマが、晩年の宗教的回帰の「予兆」としてこの作品の中に既にあったともとれます。

虚無への供物.jpg 岩内大火というのは本当に洞爺丸の転覆事故と同じ日に起きたのだと知りませんでした。共に、昭和29年9月の台風15号の影響を受けての惨事ですが、2つの事件からよくここまで構想したものだと驚きます。洞爺丸の転覆事故をモチーフにしたものでは、中井英夫『虚無への供物』がありますが、『虚無への供物』が歴史どおり昭和29年の出来事としてこの事件を扱っているのに対し、『飢餓海峡』では岩内大火と併せて7年繰り上げて昭和22年の出来事としているわけであって、その大胆な"柔軟性"にも改めて感心させられました。 
虚無への供物』 講談社文庫

事件.jpg 純文学作家による推理小説の最高峰として、テーマは異なりますが大岡昇平事件とこの作品を挙げたいと思います。ただし、『事件』は〈裁判小説〉、『飢餓海峡』は〈社会派サスペンス小説〉と言った方がよいかもしれませんが...(『虚無への供物』が正統派ミステリーと言えるかどうかは別として、少なくとも『事件』も『飢餓海峡』も、一般的な推理小説とはかなり異なるタイプの作品と言えるだろう)。

 河出書房新社の「改訂決定版」は、仮名使いだけでなく、文章そのものにかなり手を加えていますが、筋立ての変更はありません。作者は'89(平成元)年、70歳の時に心筋梗塞で倒れ、リハビリとしてワープロに挑戦し、"入力練習用"に選んだのがこの「飢餓海峡」だったということです(自身の代表作の「改稿」とリハビリのための「入力練習」を同時にやったことになる。作者が亡くなったのは「改訂決定版」出版の前年('04(平成16)年)で85歳だった)。
Kiga kaikyô (1965)
Kiga kaikyô (1965) .jpg飢餓海峡film.jpg高倉健 若い頃.png「飢餓海峡」●制作年:1965年●制作:東映●監督:内田吐夢●脚本:鈴木尚之●撮影:仲沢半次郎●音楽:冨田勲●時間:183分●出演:三國連太郎(樽見京一郎/犬飼多吉)、左幸子(杉戸八重/千鶴)/伴淳三郎(弓坂吉太郎刑事、函館)/高倉健(味映画「飢餓海峡」2.jpg村時雄刑事、東舞鶴)/加藤嘉(杉戸長左衛門、八重の父)/三井弘次(本島進市、亀戸の女郎屋「梨花」の主人)/沢村貞子(本島妙子)/藤田進(東舞鶴警察署長、味村の上司)/風見章子(樽見敏子、樽見の妻)/山本麟一(和尚、弓坂34587552f0e389e1d42e569c1a635e71--japanese-film.jpgの読経を褒める)/最上逸馬(沼田八郎、岩内の強盗犯)/安藤三男(木島忠吉、岩内の強盗犯)/沢彰謙(来間末吉)/関山耕司(堀口刑事、東舞鶴)/亀石征一郎(小川、チンピラ)/八名信夫(町田、チンピラ)/菅沼正(佐藤刑事、函館)/曽根秀介(八重が大湊で働いていた娼館、"花や"の主人)/牧野内とみ子(朝日館女中)/志摩栄(岩内署長)/岡野耕作(戸波刑事、函館)/鈴木昭生(唐木刑事、東舞鶴)/八木貞男(岩田刑事、東舞鶴)/外山高士(田島清之助、岩内署巡査部長)/安城百合子(葛城時子、八重が東京で訪ねる)/河村久子(煙草屋のおかみ)/高須準之助(竹中誠一、樽見家の書生)/河合絃司(巣本虎次郎、網走刑務所所長)/加藤忠(刈田治助)/須賀良(鉄、チンピラ)/大久保正信(漁師の辰次)/西村淳二(下北の巡査)/田村錦人(大湊の並木座.jpg巡査)/遠藤慎子(巫子)/荒木玉枝(一杯呑み屋のおかみ)/進藤幸(弓坂織江、弓坂の妻)/松平峯夫(弓坂の長男)/松川清(弓坂の次男)/山之内修(記者)/室田日出男(記者)●劇場公開:1965/01●最初に観た場所:銀座並木座 (87-10-18) (評価★★★★☆) 
銀座並木座  1953年10月7日オープン。1998(平成10)年9月22日閉館。

 【1963年単行本(全1巻)・1978年改訂版(全1巻)[朝日新聞社]/1964年単行本(全1巻)・2005年改訂決定版(上・下)[河出書房新社]/1969年文庫化(全1巻)・1990年文庫改訂(上・下)[新潮文庫]】

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第1話は異色作。大川端でなく柳橋にあった「かわせみ」。後に3歳修正された"るい"の年齢。

御宿かわせみ 上.jpg 御宿かわせみ 下.jpg    御宿かわせみ.jpg 江戸の子守唄.jpg 水郷から来た女.jpg 山茶花は見た.jpg
単行本『御宿かわせみ〈上・下〉 (1980年)』/文庫新装版『御宿かわせみ〈新装版〉 (一) (文春文庫)』『御宿かわせみ〈新装版〉 (二) (文春文庫)』『水郷から来た女―御宿かわせみ 3 (文春文庫)』『山茶花は見た―御宿かわせみ〈4〉 (文春文庫)』(装丁:蓬田やすひろ)

 元同心の娘で、江戸大川端の宿屋「かわせみ」の女主人"るい"と、その幼馴染みで、八丁堀の与力を兄に持つ東吾の2人の恋を軸に、市井に起きる数々の事件を下町情緒を交えて描いた人気シリーズの第1話から第33話までを収録していて、シリーズ第1作から第4作(『御宿かわせみ』、『江戸の子守唄』、『水郷から来た女』、『山茶花は見た』)の合本です。

 雑誌連載のスタートは'73(昭和48)年だったということで、池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズのスタートと5年ぐらいしか違わないのですが、今風で読みやすく、人情とサスペンスがほどよく相俟って読後感もいいです。
 ただし、第1話の「初春の客」などは、日蘭混血遊女と黒人奴隷の凄絶な恋の行方を描いた異色の"道行き"物語で、このシリーズの標準的なトーンとは随分違って暗い感じ。でも、これはこれで、心に残る話でした。

 第1話、第2話では「かわせみ」が大川端ではなく、少し川上の柳橋に在る設定になっていたことに気づきますが、それよりも"るい"の年齢が25歳になっていて、東吾は24歳(33話までには彼女は29歳ぐらいになっている)、'04年刊行の新装文庫版で、"るい"の年齢が22歳からスタートしているのとの違いがわかります。
 しっかりした性格の中にも可愛らしさを見せる"るい"の年齢は25歳である方が自然で、22歳だと東吾は21歳ということになり、2人とも大人びていすぎる感じがします。

 実際にそこは作者の計算で、江戸時代の感覚では女性は16ぐらいが花で20ぐらいだと嫁に行き遅れみたいな感じだったようですが、それでは現代の感覚と合わないので、最初は敢えて"るい"の年齢を25歳にしたとのこと。
 ところが連載が好評で、「時が流れる」スタイルをとっているため、このままでは"るい"がどんどん年齢を重ねてしまうので、35話で彼女の年齢を29歳から3歳戻して26歳にし、それに伴って第1話のときの年齢を25歳から22歳に修正したとのこと。
 結果的に、現代の年齢感覚から江戸時代の感覚に戻したということでしょうか。

 嘉助やお吉など、"るい"をとりまく人たちがいい人すぎるきらいもありますが、スリ"休業中"(廃業はしていない)という美男子の板前「お役者松」などのユニークなキャラクターがアクセントになっていたりして、飽きさせないものがあります。

御宿かわせみ 選集 第一巻 [VHS].jpg御宿かわせみ 真野響子版.bmp この「御宿かわせみ」は何度も単発乃至シリーズでテレビドラマ化されており、若尾文子、真野響子、古手川祐子、沢口靖子、高島礼子といった女優が"るい"役を演じています。
 最近では、NHKの高島礼子版が、明治期までを演じていたりしますが、同じNHKの真野響子版も懐かしい(東吾とるいは、正式な夫婦になっていないところが良かったんだよなあ)。
     
御宿かわせみ 選集 第一巻 [VHS]」真野響子/小野寺昭

御宿かわせみ 山口崇2.jpg御宿かわせみ 山口崇.jpg「御宿かわせみ」●演出:佐藤幹夫/松橋隆/清水満●制作:村上慧●脚本:加藤泰/伊上勝/大西信行●音楽:池辺晋一郎●原作:平岩弓枝●出演:真野響子/小野寺昭/山口崇/田村高広/河内桃子/安奈淳/花沢徳衛/水原ゆう紀/織本順吉/結城美栄子/大村崑●放映:1980/10~1981/03/1982/10~1983/04(全48回)●放送局:NHK
山口崇(東吾の親友の定廻り同心・畝源三郎)
 
 【1974‐77年単行本〔毎日新聞社(『御宿かわせみ』『江戸の子守唄』『水郷から来た女』『山茶花は見た』)]/1980年単行本〔文藝春秋(上・下)]/1979‐80年文庫化・2004年文庫新装版[文春文庫]】

平岩弓枝.jpg平岩弓枝(ひらいわ・ゆみえ)2023年6月9日間質性肺炎のため東京都内の病院で死去。90歳。 作家・脚本家。小説「御宿かわせみ」シリーズやテレビドラマ「肝っ玉かあさん」の脚本などで知られ、文化勲章を受章した。

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著名人のエピソードを軸とした読みやすいエッセイ。とりあげられている人物がバラエティに富む。
打たれ強く生きる.jpg 『打たれ強く生きる (新潮文庫)』〔'89年〕 静かなタフネス10の人生.jpg 『静かなタフネス10の人生』 新潮文庫

打たれ強く生きる 単行本_.jpg 『打たれ強く生きる』 ('85年/日本経済新聞社)は、財界人などの著名人の素顔や言動から窺えるその人間性や考え方などを中心に、著者が日常において感じたことなども含めてエッセイ風に綴ったもので、ベースとなっているのは'83(昭和58)年の日経流通新聞での連載。1篇3ページずつにまとまっており、読みやすいせいもあって、今まで何度か読み返しました。
静かなタフネス4.JPG 城山氏は財界トップへのインタビューなども本にしていますが(『静かなタフネス10の人生』('86年/文藝春秋))、本書『打たれ強く生きる』でも、渋沢栄一とか城山氏の好みの経営者にまつわるエピソードが多いものの(本田宗一郎や土光敏夫などはまだ本書刊行時は存命中で、著者は直接に親交があった)、財界人に限らず、歴史上の人物(毛利元就・山中鹿之助など)から、作家や演出家(和田勉・浅利慶太など)、さらには芸人・芸能人(桂枝雀・レオナルド熊など)まで取り上げていて、より作家的視点を感じるとともに、話のネタの広さに感心します。

聞き書き 静かなタフネス10の人生

 "山種証券"の山崎種二氏の「大きな耳を持て」という話や、"花王石鹸"の丸田芳郎の「会社の仕事以外に勉強するように」「文学や芸術に触れろ」という話はいい話ですが、ちょっとストレートすぎる感じも。

 むしろ、地方から家出同然で上京した村上龍に、父親が近況を伝える手紙を送り続けたという(その数7年間で2千通に及び、これに対して村上龍は一度も返信しなかったという)話などが、読み直して新鮮な面白さを感じました。

桂枝雀.jpg 表題の「打たれ強く生きる」については、作家・渡辺淳一が、医師としての死生観を通じて得た「死を思えば少々の挫折など何でもない」という「打たれ強さの秘密」という話の中で出てきます。
 更にその前に紹介されている落語家・桂枝雀の「ぼちぼちが一番でんな」という話も印象的でしたが、彼自身は、自分が気質的に考え込んでしまうタイプだということがよくわかっていたのでは。 

 【1989年文庫化[新潮文庫]】

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司馬遼太郎『新選組血風録』、浅田次郎『壬生義士伝』のネタ本。聞き書きの文体に生々しさ。

新選組始末記.jpg 勝海舟.jpg『勝海舟』 新潮文庫(全6巻)子母澤寛.jpg 子母澤 寛 (1892-1968/享年76)
新選組始末記 (中公文庫)』 (カバー画:蓬田やすひろ) 

 子母澤寛の作品は以前に『勝海舟』('46年第1巻刊行、'68年/新潮文庫(全6巻))を読みましたが(子母澤寛はこの作品や勝海舟の父・勝小吉を主人公とした『父子(おやこ)鷹』('55-'56年発表、'64年/新潮文庫(上・下)、後に講談社文庫)などで第10回(1962年)「菊池寛賞」を受賞)、司馬遼太郎と同じく新聞記者出身であるこの人の文章は、司馬作品とはまた異なる淡々としたテンポがあり、読み進むにつれて勝海舟の偉大さがじわじわと伝わってくる感じで、坂本竜馬や西郷隆盛といった維新のスター達も、結局は勝海舟の掌の上で走り回っていたのではないかという思いにさせられます(文庫本で3,000ページ以上あるので、なかなか読み直す機会が無いが...)。

新選組始末記 昭和3年8月 萬里閣書房.jpg 一方この『新選組始末記』は、1928(昭和3)年刊行の子母澤寛の初出版作品で、子母澤寛が東京日日新聞(毎日新聞)の社会部記者時代に特集記事のために新選組について調べたものがベースになっており、子母澤寛自身も"巷説漫談或いは史実"を書いたと述べているように、〈小説〉というより〈記録〉に近いスタイルです。とりわけ、そのころまだ存命していた新選組関係者を丹念に取材しており、その抑制された聞き書きの文体には、かえって生々しさがあったりもします。

『新選組始末記』 萬里閣書房 (昭和3年8月)

1新選組血風録.png司馬遼太郎2.jpg 子母澤寛はその後、『新選組遺聞』、『新選組物語』を書き、いわゆる「新選組三部作」といわれるこれらの作品は、司馬遼太郎など多くの作家の参考文献となります(司馬遼太郎は、子母澤寛本人に予め断った上で「新選組三部作」からネタを抽出し、独自の創作を加えて『新選組血風録』('64年/中央公論新社)を書いた)。

 子母澤寛は「歴史を書くつもりなどはない」とも本書緒言で述べていて、そこには「体験者によって語られる歴史」というもうひとつの歴史観があるようにも思うのですが、後に本書の中に自らの創作が少なからず含まれていることを明かしています。

浅田次郎.jpg壬生義士伝.jpg壬生義士伝m.jpg 近年では浅田次郎氏が『壬生義士伝(上・下)』('00年/文藝春秋)で『新選組物語』の吉村貫一郎の話をさらに膨らませて書いていますが(この小説は 滝田洋二郎監督、中井貴一主演で映画化された)、『新選組物語』にある吉村貫一郎の最期が子母澤寛の創作であるとすれば、浅田次郎は"二重加工"していることになるのではないかと...。

 浅田次郎氏は「新選組三部作」に創作が含まれていることを知ってかえって自由な気持ちになったと述べていますが、それはそれでいいとして、むしろ、『壬生義士伝』において浅田氏が「新選組三部作」から得た最大の着想は、この「聞き書き」というスタイルだったのではないかと、両著を読み比べて思った次第です。

 【1969年文庫化[角川文庫]/1977年再文庫化[中公文庫]/2013年再文庫化[新人物文庫]】

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著者の「週刊文春」連載エッセイのスタート年の分。この頃の方が良かったかも。

人生は五十一から 単行本.gif         人生は五十一から.jpg    小林信彦.jpg 小林 信彦 氏    
人生は五十一から』 ['99年]  『人生は五十一から (文春文庫)』 〔'02年〕 (カバー装画:小林泰彦)

 先月['06年10月]に「菊池寛賞」の受賞が決まった著者ですが、受賞理由は「純文学、エンターテイメント、評伝、映画研究、コラムなど多方面にわたってすぐれた作品を発表し、その文業の円熟と変わらぬ実験精神によって『うらなり』を完成させた。」とのことです。因みに『うらなり』は、夏目漱石の『坊つちやん』の登場人物の英語教師「うらなり」を語り手にして夏目漱石の小説の後日談を書くというある種実験小説だそうです。

 その著者の「週刊文春」に連載のエッセイが「本音を申せば」というタイトルでリニューアルされる前の連載「人生は五十一から」は、'98年1月1日号からスタートし、'02年掲載分まで1年ごとにまとめて6冊の単行本シリーズとなっていますが(すべて文庫化もされている)、本書はその1年目('98年)分をまとめたものです。

 「人生は五十一から」とは自分を励ますつもりでつけたタイトルだそうですが、著者は'32年生まれで、連載開始時点で既に65歳だったということに改めて気づいた次第(エンタツ・アチャコの主演映画「人生は六十一から」('41年/東宝= 吉本映画)をもじったものであるとも思われ、映画通らしいネーミング)。

 サッカーW杯('98年フランス大会)の熱狂報道を第二次世界大戦中の新聞報道になぞらえるなどは、疎開を経験した戦中派ならではの視点で、世相や言葉の乱れに対する批判は、"山本夏彦"を彷彿させますが(このころの著者にはやや憂鬱傾向も感じられる)、65歳だったんだなあ、となんだかしっくりきてしまいました。

 「本音を申せば」などはかなり広く時事問題や政治問題を取り上げていますが、拡げすぎてピントがぼやけている感じもするのに対し、このころは、映画・演劇・テレビ・ラジオなど著者の専門領域の話題が多く、ジャンル的な偏りはあるものの、今より舌鋒が鋭いのではという気がします(最近の「本音を申せば」は、また映画の話題の比重が高くなった。個人的にはその方がいい)。

 シリーズ全体として安定感はあるものの、後の方にいくと少しトンチンカンな政治的発言も出てくるのは、政治は先を読むのが難しいから仕方ないのかも。但し、「人生は五十一から」シリーズの中でどれか1年分を読むならば、先ずこの1冊ではないでしょうか。

ユージュアル・サスペクツ.jpg 映画ファンには、映画ネタが多い分、楽しめます。「隠し砦の三悪人」が「スター・ウォーズ」に与えた影響を指摘したのもこの人ですが(ジョージ・ルーカスが後に「隠し砦の三悪人」を参考にしたことを認めた)、本書にある「ユージュアル・サスペクツ」で登場人物が口にする虚偽を映像にしているのはアンフェアであるという議論も、発端はこの人なのかなあ。個人的には、「ユージュアル・サスペクツ」という映画を評価するに際してかなり影響を受けた議論でした。

 因みに、「週刊文春」の長期連載ということでいうと、'83年8月4日号よりスタートした林真理子氏の「夜ふけのなわとび」が20年以上続いており、最も長いものとなっています。

 【2002年文庫化[文春文庫]】

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生き生きと描かれるカリスマリーダー西郷。ただし大久保も肝っ玉人物。

西郷と大久保.jpg  『西郷と大久保』 新潮文庫 〔改版版〕 海音寺潮五郎.jpg 海音寺潮五郎 (1901‐1977/享年76)

『西郷と大久保』 (新潮文庫) 海音寺潮五郎.jpg 海音寺潮五郎(1901‐1977)による西郷隆盛の伝記では、小説『西郷隆盛―(上)天命の巻、(中)雲竜の巻、(下)王道の巻』(1969年-1977年/学習研究社、後に学研M文庫『敬天愛人 西郷隆盛』(全4巻))や史伝『西郷隆盛』(1964年-/朝日新聞社(全9巻)、後に朝日文庫(全14巻))がありますが、大部であるためになかなか読むのはたいへん(特に後者は専門研究者向けか。しかも作者の死により絶筆)。本書は、小説『西郷隆盛』から抜書きしてコンパクトにまとめたものとも言え(1967年の刊行は小説『西郷隆盛』の刊行に先立つようだが)、時間的経過でみて抜け落ちている部分もあるようですが、個人的には面白く読めました。海音寺潮五郎は、本書刊行の翌年1968(昭和43)年に第16回「菊池寛賞」を受賞しています。

 同じ薩摩藩出身の西郷隆盛と大久保利通は、片や茫洋とした風貌の内に熱情を秘めた押し出しの強いタイプ、片や沈着冷静にして智略に富んだ剃刀のような切れ者タイプと、まったく異なる性格でしたが、一般に人気の西郷に対し、大久保の方は影が薄いか、ヒゲの印象から権威主義者というイメージ、多少知る人には、冷徹なマキャベリストといったイメージがあるのではないでしょうか。

 鹿児島出身の海音寺潮五郎は、同郷の西郷を敬慕したことで知られ、本書では、国を憂い政策に奔走する西郷の姿が生き生きと描かれていて、また彼のリーダーとしてのカリスマ性がいかにスゴイものであったかが伝わってきますが、一方で、大久保も肝っ玉の据わった人物で、西郷に劣らず"無私"の人であったことがわかります。

 親友であり同志であったこの2人は征韓論で決裂しますが、それ以前から、公武合体に対する考え方の違いが溝となっていたことがわかり、西郷が元藩主の島津斉彬を尊敬するあまり、クーデター的に藩主になった島津久光とそりが合わなかったことも影響しているみたい。

 西郷が征韓論に敗れて野に下るところまでが詳しく書かれていますが、著者は、大久保は本質的に〈政治家〉、西郷は〈革命家〉であったと見ていて、西郷が征韓論にこだわったのも明治維新をやり直したかったのではないかと。
 対し大久保は、西郷に対する友情の念は抱きつつも、コツコツと新政府の組織固めをしていく...。

 個人的には、大久保は中央集権主義ではあったが、官僚主義と言うより政府内においてもバランス感覚に優れた改革のリーダーだったのではないかと思います(警察を司法権力から切り離したりしたのも彼)。

紀尾井坂.jpg大久保公記念碑.jpg ただし大久保は、改革半ばで皮肉なことに西郷崇拝者に紀尾井坂(今のホテルニューオータニの上手)で暗殺されてしまいます(享年49、西郷の享年51より2つ若かった。ニューオータニ向かいの「清水谷公園」に大久保の哀悼碑がある)。

 大久保亡き後の政治は理念喪失の権力抗争の場となり、大久保自身にも〈官僚主義の元祖〉的マイナスイメージだけがつきまとうようになってしまったのはちょっと気の毒だったかもしれません。

 【1973年文庫化・1989年改訂[新潮文庫]】

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「数式」と「阪神タイガース」。モチーフの組み合わせの新鮮さ。

博士の愛した数式 帯.jpg博士の愛した数式.jpg
妊娠カレンダー2.jpg 博士の愛した数式 2.jpg  
博士の愛した数式』['03年/新潮社・'05年/新潮文庫]『妊娠カレンダー』['91年/文藝春秋]「博士の愛した数式」['06年] 寺尾聰/深津絵里

博士の愛した数式 2003 読文.jpg博士の愛した数式 2003 honnya.jpg シングルマザーの家政婦である主人公が派遣された家には、事故の後遺症で記憶が80分しか持たないという数学博士がいて、ある日、彼女に10歳の息子がいることを知った博士は、家へ連れてくるように告げる―。

 2003(平成15)年度・第55回「読売文学賞」受賞作ですが、第1回「本屋大賞」(1位=大賞)も受賞していて、こちらの方が記念すべき受賞という感じではないでしょうか。また、それにふさわしい本だと思いました(因みに、2003年から始まった、紀伊国屋書店の書店スタッフが選ぶベスト書籍「キノベス」でも第1位に選ばれている)。

 映画にもなるなど話題になった作品であり、主人公と博士の心の通い合いが主に描かれているのだと思って読み始めましたが、途中から、博士の主人公の息子に対する愛情に焦点が当たっている感じがし、それを見守る主人公の視線の温かさ、主人公自身が癒されている感じがいいです。

 博士は80分しか記憶が持続しないわけだから、息子とは(主人公ともそうだが)毎日"初対面"の関係であるわけで、それだけに、博士の息子に対する愛情に深い普遍性を感じます。

 一方で、「海馬」を損傷したりすればそうした状態になることがあるのは知られていることですが(海馬の損傷で一番重度の症状は「陳述的記憶」が全て飛んでしまうというものであり、学術的には海馬は「宣言的記憶」の固定に関わるとされている)、新しい記憶は全く博士の中では作られていないのか、結局は主人公のことも息子のことも翌日になればすべて博士の頭の中には何も残っていないのか―といったことを、博士と過去の記憶を共有し、またそのことを自負している義姉と主人公との対峙において考えてしまいました。そもそも、記憶とは何か―。

妊娠カレンダー.jpg 以前に芥川賞受賞作の『妊娠カレンダー』('91年/文藝春秋)を読んで、文学少女版「ローズマリーの赤ちゃん」みたいに思え、芥川賞狙いとか言う依然に好みが合わず、あまりいいとは思わなかったのですが、いつの間にか力をつけていたという感じ(当初から力はあったが、自分の見る眼が無かったのか?)。

妊娠カレンダー (文春文庫)』 ['94年]

 『博士の愛した数式』は一種のファンタジーとも言える作品なのかもしれないけれども、「素数」「友愛数」「完全数」「オイラーの公式」といった数学的モチーフと'92年の阪神タイガースのペナントレースを上手く物語に取り込んでいて、この組み合わせの"新鮮さ"とそれぞれぞれの"深さ"には、大いに惹き込まれました。

博士の愛した数式 1シーン.jpg 映画化作品は「雨あがる」('00年/東宝)の小泉堯史監督、寺尾聰、深津絵里主演で、原作の終わりで主人公の"私"が"博士"を見舞った際に息子の"ルート"が「学校の先生になった」と告げていることを受けて、ある高校の教室に新しい数学担任となったルート(吉岡秀隆)がやってくるところから始まり、全体が彼の回想譚になっていますが、結果的に原作では1人に集約されていた"私"が、映画では2人(母と息子)いるような感じになって、個人的にはこの構成はしっくりこなかった気がしました。

「博士の愛した数式」('05年/監督・脚本:小泉堯史、出演:寺尾聰/深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆)

博士の愛した数式 1シーン0.jpg 「オイラーの公式」などを映画の中できちんと説明している点などは、原作のモチーフを大事にしたいと考えたのか、ある意味で思い切った選択だったと思いますが(「虚数」って高校の「数Ⅱ」で習っているはずだが殆ど忘れているなあ)、一方で、博士と浅丘ルリ子演じる義姉が薪能を観に行き、そこで博士が無意識的に義姉の手を握るシーンなど原作にない場面もあって、さらには、義姉が自分が博士の事故の原因だったこと、博士との間に出来た赤ん坊を堕したことを主人公に打ち明けるシーンなど、踏み込んだ解釈を入れている分、説明過剰になっている印象も。

博士の愛した数式 dvd.jpg博士の愛した数式 movie.jpg 原作では、博士の記憶保持期間が80分からだんだん短くなっていくことを示して彼の死を示唆していますが、映画では博士と成長した息子がキャッチボールをする回想シーンを入れるなどして、意図的に暗くならないようにした印象も。寺尾聰、深津絵里とも演技達者の役者ですが(寺尾聡が着ていた古着のジャケットは実父・宇野重吉の遺品とのこと)、意外と映像化すると削ぎ落ちてしまう部分が多いように思いました。
博士の愛した数式 [DVD]

博士の愛した数式es.jpg 映画だけ観ればそれはそれで感動するのでしょうが、原作がある種のステップ・ファミリー的な話になっているのに対し、映画は博士を巡っての義姉(浅丘ルリ子)と主人公(深津絵里)の確執と和解の話が前面に出ているように思いました(その分、ピュアな原作に比べ、ややどろっとした印象も)。原作の持ち味を十分に伝えるのが難しい作品だったかもしれないし、浅丘ルリ子という大物女優を起用したことも、映画が原作と違ってしまったことと無関係ではないと思います。

博士の愛した数式ages.jpg博士の愛した数式 3.jpg「博士の愛した数式」●制作年:2006年●監督・脚本:小泉堯史●製作:椎名保●撮影:上田正治/北澤弘之●音楽:加古隆●原作:小川洋子「博士の愛した数式」●時間:117分●出演:寺尾聰/ 深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆/浅丘ルリ子/井川比佐志●公開:2006/01●配給:アスミック・エース(評価:★★★)

 【2005年文庫化[新潮文庫]】

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読後の感動はあった。モデルはモデル、小説は小説として読むべきか。

不毛地帯 1.jpg 不毛地帯 2.jpg 不毛地帯 3.jpg 不毛地帯 4.jpg 不毛地帯12f9.jpg
『不毛地帯』 新潮文庫[旧版](全4巻)   映画「不毛地帯」('76年/東宝) 仲代達矢・丹波哲郎

不毛地帯 映画.jpg 『白い巨塔』('65年/新潮社)、『華麗なる一族』(73年/新潮社)が、それぞれ映画も含め力作だったのに対し、この『不毛地帯』の仲代達矢主演の"映画"の方は、配役は豪華だけれど個人的には今ひとつでした(テレビで観たため、平幹二朗主演のテレビ版と記憶がごっちゃになっている)。そもそも、181分という長尺でありながらも、原作の4分の1程度しか扱っておらず、原作が連載中であった事もありますが次期戦闘機決定をめぐる攻防部分だけを映像化したと言ってもよく、結果として壱岐正という主人公の生き方に深みが出てこない...。

不毛地帯ー.png「仲代達矢 不毛地帯.jpg ただし"原作"だけでみると、自分が最初に読んだ当時の読後の感動はこれが一番で、もともと映画に納まり切らない部分が多すぎたか? それと、こうした複雑な話が映画化された時によくありがちな傾向で、愛憎劇中心になってしまった感じもしました。

 この原作の方は、以前は商社マンを目指す人はみなこぞって読んで、そして感動したという話も聞きます。しかし今改めて読むと、作品に描かれる総合商社の体質は今も変わらないのかもしれませんが、産業構造の変化などで商社の仕事自体はずいぶん変わっているのではないかという気がします(その点、一番変わっていないのは『白い巨塔』で描かれた大学附属病院かもしれない)。

 国の二次防主力戦闘機の受注をめぐって、交渉相手の防衛庁の部長に戦時中の命の恩人である元陸軍中佐・壱岐正をぶつけるという商社の戦略が凄いと思いましたが、戦後60年以上を経た今現在、こうした"命の恩人"みたいな関係がどれだけあるのか、またそれがビジネスで成り立つかと考えると、かなり特異な状況を描いているようにも思えました。

 そうしたこともあり、良くも悪くも、モデルとされている瀬島龍三氏のイメージとどうしても切り離せません。
 小説の主人公はラストの身の引き方は美しいが、瀬島氏は商社マンとして一線を退いた後も中曽根内閣の臨調委員として政治"参謀"ぶりを発揮し(結局こういう「ひとかどの人物」は在野にいても声がかかる?)、90歳を超えてなお中曽根氏の個人的ブレーンの1人となっている...。

 著者は「これは架空の物語である。実在する人物、出来事と類似していても偶然に過ぎない」と言っています。
 『白い巨塔』と並ぶ著者の代表作であり傑作であることには違いなく、モデルはモデル、小説は小説として読むべきなのかも知れません(同一作者の後の作品『沈まぬ太陽』では、同一モデルであるはずのこの人物の描き方が、「国士」から単なる「策士」へと変化している)。

瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)
瀬島龍三.jpg伊藤忠商事元会長。富山県松沢村(現小矢部市)出身。1938年12月陸軍大学校卒、大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮をとる。満州で終戦を迎えたが、旧ソ連軍の捕虜となり、11年間シベリアに抑留され、1956年に帰国。1958年、伊藤忠に入社し、主に航空機畑を歩いた。1968年専務に就き、いすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携を仲介。戦前、戦中、戦後を通じて政、財界の参謀としての道を歩んだ。(2007年9月4日死去/享年95)

不毛地帯 映画.jpg不毛地帯 丹波哲郎2.jpg「不毛地帯」●制作年:1976年●監督:山本薩夫●製作:佐藤一郎/市川喜一/宮古とく子●脚本:山田信夫●音楽:佐藤勝●原作:山崎豊子●時間:181分●出演:仲代達矢/丹波哲郎/山形勲/神山繁/滝田裕介/山口崇/日下武史/仲谷昇/山本圭/北大路欣也/小沢栄太郎/田宮二郎/久米明/大滝秀治/高橋悦史/井川比佐志/中谷一郎/八千草薫/秋吉久美子/藤村志保/志村喬/高城淳一/秋本羊介/岩崎信忠/石浜朗/内田朝雄/小松方正/加藤嘉/中津川衛/辻萬長/高杉哲平/杉田俊也/神田隆/永井智不毛地帯 dvd.jpg不毛地帯相関図.jpg不毛地帯久松経済企画庁長官  1.jpg雄/嵯峨善兵/伊沢一郎/青木義朗/アンドリュー・ヒューズ/デヴィット・シャピロ/●劇場公開:1976/08●配給:東宝(評価★★★) 
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不毛地帯 金脈図.jpg丹波哲郎(防衛庁・川又空将補)/加藤嘉(防衛庁・原田空幕長)/大滝秀治(経済企画庁長官・久松清蔵)
川又空将補 - 丹波哲郎.jpg 原田空幕長 - 加藤嘉.jpg 久松経済企画庁長官 - 大滝秀治.jpg
小沢栄太郎(貝塚官房長)
不毛地帯b-b014d3c5e38d.jpg「不毛地帯」 小沢栄太郎.jpg 
    
山形勲(近鉄商事社長・大門一三――壱岐をスカウトする)
山形勲 不毛地帯.jpg不毛地帯 山形.jpg

秋吉久美子(壱岐直子)
「不毛地帯」秋吉久美子.jpg

 【1983年文庫化[新潮文庫(全4巻)]・2009年改訂[新潮文庫(全5巻)]】

不毛地帯〔'76年/東宝〕監督:山本薩夫/製作:佐藤一郎/脚本:山田信夫/出演:仲代達矢/丹波哲郎/山形勲
不毛地帯 映画.jpg

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(山口 瞳)

作者の「母を恋うる記」であり、封印された一族の秘密を探る物語。

山口 瞳 『血族』.jpg血族.jpg  P+D BOOKS 血族.jpg 山口瞳.jpg 山口瞳 (1926‐1995/享年68)
血族』〔'79年〕『血族 (文春文庫 や 3-4)』〔'82年〕血族 (P+D BOOKS)』['16年]

山口 瞳 『血族』nhkおび.jpg 1979(昭和54)年・第27回「菊池寛賞」受賞作(「菊池寛賞」は作品ではなく個人や団体に対して授与されるものだが、この作品が受賞の契機となっており、実質的に本作が"受賞作"であると見ていいのではないか)

 山口瞳(1926‐1995)のこの小説は、野坂昭如が評したように作者の「母を恋うる記」であると言えます。その母は山口瞳に自らの出自を何ひとつ語らず、彼が33歳のときに亡くなってしまう...。母は一体どこで生まれ、どんな環境でどう育ったのか。

 自らの生年月日に対する疑念から始まるこの物語は、ミステリーのように読み手を惹きつけながら進行していきます。ただしその過程において、母親の気性や立ち振る舞いなどから多くのヒントを仄めかしています。これは、山口瞳自身がずっと感じていたある予感をも表していると言えるのではないでしょうか。
 
 前半部分で、複雑な血族関係にある様々な親類縁者が、母に関する思い出とともに重層的に描かれていて、こうしたクドイともとれる説明的な面が、家計図モノが苦手な自分にはちょうど読みやすいぐらいでしたです。

 それにしても、どうしても素性のよく分からない"縁者"たちがいる...、それらを含め、意図的に封印されたと思われる一族の秘密を解き明かす旅が、後半の主要な部分です。そして一族の深い哀しみの歴史と、「血縁以上に濃い血の塊」に行きつく...。

 山口瞳が『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞したのは30代半ば。この『血族』を書いたのは53歳。それまでにも間接的に母親について触れたものはありましたが、やはり作家としてどうしても、56歳で亡くなった自分の母のことを書き記しておきたかったのでしょう。

 【1982年文庫化[文春文庫]/2016年[小学館・P+D BOOKS]】

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作者の現代推理小説の中では、「理由」「模倣犯」を凌ぐ傑作。

宮部 みゆき 『火車』.jpg火車.jpg 火車Jul.'92 双葉社.jpg 火車 All she was worth.jpg火車 カード破産の女!1.jpg
火車 (新潮文庫)』 『火車』 ['92年/双葉社] ペーパーバック版 "火車―All she was worth"  テレビ朝日「火車 カード破産の女!」(1994)

 1992(平成4) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。1993(平成5)年度・第6回「山本周五郎賞」受賞作。(2008(平成20)年に、「このミステリーがすごい!」の賞創設から20年間のランキングでベスト20に入った作品のトータルで第1位にも輝いた。因みに、発表当時の1993(平成5)年の「このミステリーがすごい!」では『砂のクロニクル』(船戸与一)に次いで第2位だった。)

 休職中の刑事が遠縁の男に頼まれて、失踪した婚約者の女性を探すことになるが、彼女の過去は調べれば調べるほど闇に包まれている。なぜこの主人公の女性は「自分を消す」ということにこれだけ執着し、またそこにどんな落とし穴があったのか―。カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生を描いた傑作です。

 宮部みゆき作品の中ではとりわけ社会派的色彩が濃いものですが、この作品で衝撃を受けたのは、主人公が最後の最後にしか現れず、セリフも一言もないという凝った造りであることです。それでいて、主人公の情念がじわ〜っと伝わってきます。著者の現代推理小説の中では『理由』('98年)、『模倣犯』('01年)と並ぶ傑作の部類で、むしろ『理由』も『模倣犯』もこの作品を超えていないかも知れないという気もします。

 ところがこの作品は直木賞をとっていないのです。『理由』で直木賞をとる前に、『龍は眠る』('91年)、『返事はいらない』('91年)、『火車』('92年)、『人質カノン』('96年)、『蒲生邸事件』('96年)と候補になりながら選にもれたものがありますが、個人的には、『火車』でとるべきだったと思います。『火車』の直木賞落選の「選評」で、「重要人物が描けていない」という批評にはガックリきたという感じ。明らかに主人公のことを指していますが、"自分を消した"女性が主人公なのだから...。

火車 last 1994.jpg '94年に"2時間ドラマ"化されていて、「火車 カード破産の女!」というタイトルで『土曜ワイド劇場』のテレビ朝日開局35周年特別企画として放映されていますが、主人公の新城喬子(関根彰子)役の財前直見は原作同様、ラストシーンを除いてほとんど出て来ず、それでいてドラマ全体を支配していました。原作の優れた点をよく生かしたドラマ化だったと思います。

 作家の倉橋由美子は、この小説を絶賛したうえで、ラストは「太陽がいっぱい」(パトリシア・ハイスミスの原作でなく、映画の方)に似ていると書いていますが(『偏愛文学館』('05年/講談社))、確かに。

「火車-カード破産の女!」 ラストシーン

財前直見  .jpg火車 1994.png「火車 カード破産の女!」●演出:池広一夫●制作:塙淳一●脚本:吉田剛●出演:三田村邦彦/財前直見/沢向要士/船越栄一郎(船越英一郎)/山口果林/角野卓造/森口瑤子/山下規介/大畑俊/吉野真弓/菅原あき/畠山久/奥野匡/小沢 象/たうみあきこ/加地健太郎/飯島洋美/舟戸敦子/沢向要士/角野卓造●放映:1994/02(全1回)●放送局:テレビ朝日   

「火車-カード破産の女!」 新城喬子(財前直見)
 
 【1998年文庫化[新潮文庫]】

「このミステリーがすごい!」ベスト・オブ・ベスト(2008年版までの20年間分のランキングでベスト20に入った作品が対象。アンケート結果は2008年2月刊行の『もっとすごい!! このミステリーがすごい!』で発表された。)
第1位 火車(宮部みゆき 1993年版 2位)
第2位 生ける屍の死(山口雅也 1989年版 8位)
第3位 魍魎の匣(京極夏彦 1996年版 4位)
第4位 私が殺した少女(原尞 1989年版 1位)
第5位 新宿鮫(大沢在昌 1991年版 1位)
第6位 ダック・コール(稲見一良 1992年版 3位)
第7位 空飛ぶ馬(北村薫 1989年版 2位)
第8位 双頭の悪魔(有栖川有栖 1993年版 6位)
第9位 レディ・ジョーカー(髙村薫 1999年版 1位)
第10位 白夜行(東野圭吾 2000年版 2位)
第11位 毒猿 新宿鮫II(大沢在昌 1992年版 2位)
第12位 男たちは北へ(風間一輝 1989年版 6位)
第13位 エトロフ発緊急電(佐々木譲 1989年版 4位)
第14位 不夜城(馳星周 1997年版 1位)
第15位 煙か土か食い物(舞城王太郎 2002年版 8位)
第16位 ガダラの豚(中島らも 1994年版 5位)
第17位 絡新婦の理(京極夏彦 1998年版 4位)
第18位 時計館の殺人(綾辻行人 1992年版 11位)
第19位 三月は深き紅の淵を(恩田陸 1998年版 9位)
第20位 模倣犯(宮部みゆき 2002年版 1位)

2022年・第70回「菊池寛賞」受賞(同時受賞の三谷幸喜氏と)
2022菊池寛賞.jpg

《読書MEMO》
火車 ドラマ   ド.jpg宮部みゆき原作 ドラマスペシャル 火車 上川 terawaki .jpg●2011年再ドラマ化 【感想】 本間(上川達也)は新城喬子(佐々木希)より本物の関根彰子(田畑智子)を追っているような印象にもなってしまったが、佐々木希のセリフが最後まで一言も無かったのは正攻法と言える。原作の良さにも助けられているものの、やはり'94年の財前直美版には及ばない(特にラストシーンは'94年版の素晴らしさには遠く及ばない)。
   

火車 ドラマ00.jpg火車 ドラマ03.jpg「宮部みゆき原作 ドラマスペシャル 火車」●演出:橋本一●脚本:森下直●原作:宮部みゆき●出演:上川隆也/佐々木希/寺脇康文/田畑火車 ドラマ5b.jpg火車 ドラマ5e.jpg火車 ドラマc03.jpg智子/ゴリ(ガレッジセール)/渡辺大/鈴木浩介/高橋一生/井上和香/前田亜季/藤真利子/美保純/金田明夫/笹野高史/茅島成美/山崎竜太郎/ちすん/上間美緒/長谷川朝晴/谷口高史●放映:2011/11/05(全1回)●放送局:テレビ朝日

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(挿画:横山 泰三)

30代前半で既に「遊ぶ」余裕をみせる三島の洒脱なエッセイ。

不道徳教育講座 三島由紀夫.png  『不道徳教育講座』.jpg   不道徳教育講座2.jpg  不道徳教育講座.jpg
不道徳教育講座』['69年/中央公論社](表紙デザイン:横尾忠則/撮影:篠山紀信、本文イラスト:横山泰三)/['67年/角川文庫(旧版)](表紙イラスト:横山泰三)/『不道徳教育講座』 角川文庫(改訂版)

 その小説において優雅かつ華麗で、時に高邁、貴族的な"近寄り難さ"さえ見せる三島由紀夫(1925‐1970)ですが、より幅広い読者に向けた"近寄りやすい"洒脱なエッセイも書いていて、本書はその代表的なものです。

 '59(昭和33)年に「週刊明星」に連載されたものですが、『仮面の告白』や『禁色』など"特殊"な性愛を描いていた時代を経て、『潮騒』『永すぎた春』『美徳のよろめき』など"普通"の恋愛小説で流行作家となる一方、ボディビルで新たな肉体を獲得し、心身ともに自信を得た30代前半の彼の筆は、既に「遊ぶ」余裕を見せています。

 時代を経て、対象として描かれている風俗などの毒気は薄くなりましたが、世間の薄っぺらな道徳観や倫理観を、鋭い人間観察と精巧な論理で以って覆していく鮮やかさは、今読んでも卓越しているなあと思います。

 「醜聞を利用すべし」「痴漢を歓迎すべし」「うんとお節介を焼くべし」「できるだけ己惚れよ」「「殺っちゃえ」と叫ぶべし」「スープは音を立てて吸うべし」「人の不幸を喜ぶべし」等々、ユーモア満載です。

ジャネット・リン.jpg 「桃色の定義」などは、「舞台に転倒したバレリーナのむきだしになったお尻に、突然ワイセツがあらわれるのです」といった表現で、サルトルの『存在と無』の肝に当たる部分を分かりやすく説いています。フィギアスケーターなんてどうなんだろう、しょっちゅう転ぶけれども。札幌五輪のジャネット・リンみたいに、転んだことで"妖精"になった選手もいたし(勿論、その転んだ後も笑顔で滑って、メダルを獲得したということが好感を得た要因ではあるのだろうが)。

 他にも、この論駁法ってどっかにあったような、と思うとソクラテスだったり...。この人、ある意味、教養や倫理を大事にしている。勿論、肉体も。

不道徳教育講座3.jpg不道徳教育2.jpg 単行本の初版は'59(昭和34)年で、ハードカバー2段組み。角川から、文庫版に準拠したソフトカバー新装版が出ています。横山泰三.jpg単行本の装填デザインは最初は佐野繁次郎で、'69(昭和44)年版で横尾忠則(撮影:篠山紀信)に。本文の挿画は朝日新聞の「社会戯評」でお馴染みの横山泰三(1917-2007、「フクちゃん」の横山隆一の弟。1950年から毎日新聞で漫画「プーサン」を描いて注目され、'54年に菊池寛賞受賞。朝日の「社会戯評」は'54年から'92年末まで1万3561回、ほとんど休みなく連載を続けた)。
横山泰三

 横尾忠則氏の毒気のある装丁も悪くないですが、「プーサン」の漫画家・横山泰三の人を喰ったような軽妙な挿画が文書とうまくマッチしているような気がします(横尾忠則の表紙デザイン、横山泰三の挿画とも、1995年刊行の角川書店ソフトカバー新装版にはないのが残念)。

 【1959年単行本・1969年改装版[中央公論社]/1967年文庫化[角川文庫]/1995年ソフトカバー新装版[角川書店]】

「●ま 松本 清張」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1565】 松本 清張 『張込み
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芥川賞作家としての松本清張の作品。「火の記憶」もよかった。

或る「小倉日記」伝 65.jpg或る「小倉日記」伝.jpg  『或る「小倉日記」傳』.jpg    「或る『小倉日記』伝」.jpg
或る「小倉日記」伝』 新潮文庫['65年/旧版]['97年/改版]/『或る「小倉日記」伝―他五篇 (1958年) (角川文庫)』/松本清張一周忌特別企画「或る『小倉日記』伝」('93年TBS/出演:松坂慶子、筒井道隆、国生さゆり)

 松本清張(1909‐1992)の初期12作を所収。表題作「或る『小倉日記』伝」は'52(昭和27)年下半期・第28回「芥川賞」受賞作で、同じ期の直木賞候補作品にもなっています(まず直木賞候補となり、その後直木賞選考委員会から芥川賞選考委員会へ廻された)。結果的に芥川賞の方を受賞しましたが、歴代の「芥川賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは松本清張だと言われています(歴代の「直木賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは司馬遼太郎だと言われている。「菊池寛賞」を、司馬遼太郎は『竜馬がゆく』『国盗り物語』などの功績により'66年に、松本清張は『昭和史発掘』などの功績により'70年にそれぞれ受賞している)。

 「或る『小倉日記』伝」の主人公である脳性麻痺の郷土史家・田上耕作は実在の人物ですが、作者は見事な創作に昇華しています。失われたとされる鷗外の「小倉日記」を再構築しようとする主人公の熱意。何が彼をそこまで駆きたて、また、その追跡努力に意義はあったのか?という大きな問いかけが主テーマだと思いますが、主人公に限らず、何らかの形で自らがこの世に存在したことの証を示したいという思いは誰にでも共通にあるものであり、それゆえに主人公のひたむきさが胸を打ちます。伝記的なスタイルをとりながらも、叙情溢れる表現が随所に見られ、また、主人公の母親の子に対する愛情の深さには胸が熱くなりました(確かに、「芥川賞」と「直木賞」の両方の要件を満たすものをこの作品は持っているかも)。

 '93(平成5)年に「松本清張一周忌特別企画」としてTBSでドラマ化されましたが(制作は「松本清張の作家活動40周年記念・西郷札」('91年/TBS)と同じく堀川とんこう(1937-2020)で、今回は演出も兼ねている)、主演の筒井道隆はドラマ初主演にして頑張っていたという感じ(「あすなろ白書」('93年/フジテレビ)で主役の掛居保、「君といた夏」('93年/フジテレビ)で同じく主役の入江耕平を演じて「トレンディドラマを代表する俳優の1人」としてブレイクする前のこと。この俳優は映画デビュー作の「バタアシ金魚」('90年/シネセゾン)から観ている)。多くの賞を受賞しましたが、原作はミステリと言うより文芸作品に近いものだからなあ。原作の微妙な情感がどこまで表現されていたかと言うと微妙なところでした。

 同録のものでは、同じく純文学的色彩の濃い「火の記憶」が好きです。この作品の"ボタ山の炎の記憶"と『或る「小倉日記」伝』の"鈴の音の記憶"は、ともに作品の重要なファクターとなっていますが、登場人物の幼い頃の記憶であるにも関わらず、読む側にも不思議な郷愁、幼児期の記憶を呼び起こさせるものがありました。


5ドラマ『或る「小倉日記伝」』.jpg「松本清張一周忌特別企画・或る「小倉日記」伝」●演出:堀川とんこう●制作:堀川とんこう●脚本:金子成人●原作:松本清張●出演:松坂慶子/筒井道隆/蟹江敬三/国生さゆり/大森嘉之/佐戸井けん太/今福将雄/松村達雄/西村淳二●放映:1993/08(全1回)●放送局:TBS
「或る「小倉日記」伝」ドラマ.jpg
筒井道隆(耕造)・国生さゆり(看護婦・てる子)/松坂慶子(母・ふじ)/蟹江敬三(白川病院院長・白川慶一郎)

《読書MEMO》 
「新潮文庫」版 収録順
●或る「小倉日記」伝★★★★★.
●菊枕...狂った女流俳人ぬい(杉田久女がモデル、遺族の訴えで名誉毀損に)
●火の記憶★★★★★...ボタ山の炎の記憶、警官と母の不倫
●断牌...代用教員上がりの異端考古学者・木村卓司(森本六爾がモデル)
●壺笛...女で身を滅ぼした考古学者
●赤いくじ...朝鮮での軍医と参謀長の女性を巡る確執
●父系の指...自伝的要素の強い作品だが、清張は創作だと言っていた
●その他に「石の骨」「青のある断層」「喪失」「弱味」「箱根心中」を収録

「●つ 筒井 康隆」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【455】 筒井 康隆 『乱調文学大辞典
「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(筒井 康隆)

作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品。

脱走と追跡のサンバ 1971.jpg  脱走と追跡のサンバ 角川文庫ド.jpg   脱走と追跡のサンバ2.jpg 脱走と追跡のサンバモノクカバー版.jpg 新潮現代文学 78 脱走と追跡のサンバ おれに関する噂 他_.jpg
早川書房['71年](装幀/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫)』['74年](カバー・イラスト/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20)』['96年]/角川文庫モノクロイラストカバー版(カバーイラスト:山藤 章二)/『新潮現代文学 78 脱走と追跡のサンバ おれに関する噂 他』['79年]

筒井 康隆 『脱走と追跡のサンバ』.jpg SF作家となった「おれ」がいる「この世界」は、いつか「正子」と一緒にボートに乗ったときに排水口から流れついた異世界で、情報による呪縛、時間による束縛、空間による圧迫に満ちた世界であり、かつて作家になる前にいた「あの世界」とは異なる時間軸にあるらしい。「おれ」は、「あの世界」へ戻るべく「この世界」からの脱出を図るが、「おれ」を脱出させまいとする「尾行者」と演じる果てしないドタバタ追跡劇の末に行き着く世界もまた「あの世界」ではなく、「おれ」は現実と虚構の境界のゆらぎの間をただひたすら疾走することになる―。

 '70(昭和45)年10月から'71(昭和46)年9月まで「SFマガジン」に連載され、'71年10月に早川書房より出版スラップスティックと言えばそうかなという感じもしますが、「多元宇宙理論」をモチーフに、ボルヘス的なカオスの世界を描いているともとれます。作者のエッセンスが詰まったような作品で、当時の"ニューウェーブSF"の影響はあるかと思いますが、ギャクとユーモアでそうした枠組み自体も笑い飛ばしている感じ。単行本刊行時は「ナンセンス」「奇想天外」「新感覚」というキャッチだったようですが、形容しがたい独自世界だったということではないでしょうか。『世界のSF文学総解説』(自由国民社、最新改版1991、担当執筆者・平岡正明)では「筒井康隆の最高傑作といわれている」と紹介されています。

イノセンス スタンダード版.jpg 今読むと、「パンチ・カード」とか「FORTRAN」などのタームに時代を感じる部分もありますが、女性がデータ化されるところは人々が電脳化された近未来を描いた押井守のアニメ「イノセンス」('04年)さながらであり、主人公が陥っている情報により作られた仮想現実の世界というのは、この小説の中にもある社会事象のワイドショー化や、現在のインターネットの普及などにより、より読者に身近な感覚のものになっているのではないでしょうか、その意味では先駆的だったと思います。

虚航船団.jpgおれに関する噂.jpg家族八景.jpg つげ義春の「ねじ式」などを想起させる部分もある全編に漂うシュールな感じをはじめ、『家族八景』('72年/新潮社)、『おれに関する噂』('74年/新潮社)『虚航船団』('84年/新潮社)など作者の後の作品の萌芽を幾つも見ることもできますが、この作品以降は、〈エンターテインメント〉と〈純文学寄り〉の切り分けがはっきりしていったような印象があり、そうした意味では、作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品であったのではないかと思います。

 【1974年文庫化[角川文庫]/1996年再文庫化[角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20]】

《読書MEMO》
・2010年「菊池寛賞」受賞(作家生活五十年、常に実験的精神を持って、純文学、SF、エンターテインメントに独自の世界を開拓してきた功績)

「●し 司馬 遼太郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【433】 司馬 遼太郎 『新選組血風録
「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(司馬遼太郎)

義に生きた男の典型を描いた歴史ロマン小説。この小説で近藤勇と土方歳三の人気が逆転した。

ポケット文春 燃えよ剣.jpg燃えよ剣 上.jpg燃えよ剣 下.jpg 燃えよ剣上.jpg燃えよ剣下.jpg 土方 歳三.jpg 土方歳三 
燃えよ剣 (1964年) (ポケット文春)』(1964)/『燃えよ剣 上』『燃えよ剣 下』['73年]/『燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)』『燃えよ剣〈下〉 (新潮文庫)』['72年/'10年新装版
燃えよ剣』(1998)
燃えよ剣 新書.jpg燃えよ剣 新書2.jpg 1962(昭和37)年11月から1964(昭和39)年3月にかけて「週刊文春」に連載された司馬遼太郎の長編小説で、単行本('64年刊行)は当時としてもベストセラーになり、この小説で、新選組における近藤勇と土方歳三の人気が逆転したと言われていますが、こうまで差をつけて描かれたのでは無理もないか。近藤勇なんて、最後はただ大名になりたかっただけの"勘違い人間"のように描かれています。

I燃えよ剣.jpg 作者はほぼ同時期に『竜馬がゆく』('63-'66年)、『国盗り物語』('65-'66年)などのベストセラー小説を世に送り出しており('66年に第14回「菊池寛賞」を受賞)、最も脂の乗り切っていた時期であるとともに、作品内容の世間に与える影響も大きかったのではないでしょうか。

 複雑かつ急変する時代背景をわかりやすく説き、多士済々の新選組メンバーを生き生きと描き、かつ、剣に生き、新選組副長として生涯を全うしようとする土方歳三という人物にしっかりスポットを当てていると思います。テンポが良くて、映画でも観ているような生き生きとした筆致です。

 新選組の描き方について、「幕府を奉じる時代錯誤」が「士道を貫こうとする男気」に、「非人間的とも思える内部粛清の厳しさ」が「最強軍団を作るための合理的な方法論」に置き換えられているのではないかといった批判もあり、それはそれで1つの見方ではあると思いました。 

『燃えよ剣』00.jpg しかしここからは好みの問題になりますが、この作品は、たとえ滅びゆくともあくまでも"義に生きた"男の典型のような人物を描いた、一種のロマン小説と割り切って読んだ方が、充分に楽しめるのではないでしょうか。

 歳三の愛人・お雪が作者の創作の人物であることなどからしても、史実よりエンターテインメント性を重視していることがみてとれます。

 そうならば、この作品に現代の通常の価値基準を何でもかんでも当てはめるのはどうかとも思った次第です。"没頭させられ度"をふり返って星5つにしました。この小説で近藤勇と土方歳三の人気が逆転したというのが納得です。

 【1964年単行本(ポケット文春)・1973年単行本改訂[文芸春秋(上・下)]/1972年文庫化・2010年新装版[新潮文庫(上・下)]/1998年ソフトカバー単行本[文芸春秋(全1巻)]】

《読書MEMO》
●池田屋の変によって明治維新が1年は遅れたといわれるが、おそらく逆だろう。
  この変によってむしろ明治維新が早くきたとみるのが正しい。(著者)
●「池田屋事件」(1864.6.5)...新撰組が尊攘派浪士を襲う
●「蛤御門の変」(禁門の変)(1864.7.19)...長州藩と幕府側が激突
●「油小路の変」(1867.11.18)...伊藤甲子太郎、新撰組に暗殺される
●「鳥羽伏見の戦い」(戊辰戦争)(1868.1.3)

「●い 五木 寛之」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【413】 五木 寛之 『五木寛之ブックマガジン
「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(五木寛之)

「大河の一滴」3部作の中で、最も「自分に近いところ」で書かれている。

運命の足音.jpg 『運命の足音』 (2002/08 幻冬舎)

 著者は、軽妙な雑感集のようなものから文明論・人生論的なものまでいくつかのタイプのエッセイを書き分けているようですが、'94年に『蓮如』(岩波新書)を発表して以来、さらに宗教的な思索を深め、'90年代の終わり頃からそれを平易に表現することに努めているように思えます。

 本書は、『大河の一滴』('98年/幻冬舎)、『人生の目的』('99年/幻冬舎)に続く人生論的エッセイで(著者は本書刊行年の'02年に第50回「菊池寛」賞を受賞)、この3部作の間にも『他力』('98年/講談社)などを発表していますが、これらの作品の中では、本書が最も著者にとって「自分に近いところ」で書かれている気がしました。

 と言うのは、著者が戦後57年間"封印"してきた、朝鮮半島からの引き揚げ時に母親が亡くなったときの話が、本書で初めて書かれているからです。
 ソ連兵が自宅に押し入り、12歳の五木少年の目の前で家族を蹂躙する様は、あまりに悲惨で、読んでいて胸が痛くなります。

 この3部作では『大河の一滴』が先ずどっと売れましたが、何となく説法臭い気がしてしばらく手をつけませんでした。
 本書には前2作に比べ、著者の"無常感"と言うか"諦念"を思わせる雰囲気さえあり、またこの作家が、この時点で尚も強烈な原体験のトラウマと苦闘しているという印象を抱きました。
 そのことは、ソ連兵に自宅を接収された後、母親が亡くなるまでの1ヶ月間のことについては簡単な描写しかなく、「こんな暗い話は、二度と書きたくないと思う」と言っていることにも表れているのでは思います。

 【2003年文庫化[幻冬舎文庫]】

「●い 池波 正太郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3149】 池波 正太郎 『映画を見ると得をする
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粋だけれども枯れてはいないスーパー老人・秋山小兵衛60歳。

辻斬り.jpg 剣客商売(1) 藤田まこと.jpg 池波正太郎.jpg
辻斬り―剣客商売』 新潮文庫〔旧版〕/ドラマ「剣客商売」/池波正太郎(1923‐1990/享年67)

剣客商売辻斬り』['73年]
『剣客商売 辻斬り.jpg 「鬼平犯科帳」や「仕掛人・藤枝梅安」と並ぶ池波正太郎(1920‐1990)の代表作『剣客商売』は、秋山小兵衛(こへい)、大治郎の剣客親子が中心のシリーズものですが、シリーズ全部で1800万部ぐらい売れているというからやはりスゴいことです。

 主人公の秋山小兵衛は60歳で、すでに息子の大治郎に跡を譲り、40歳も年下のおはるを後添えに悠々自適の隠居生活を送りながら、ほとんど暇つぶしと好奇心からいろいろな事件に首を突っ込んでいくというストーリー構成です。

 本書『辻斬り』はシリーズ第2弾で、「鬼熊酒屋」「辻斬り」「老虎」「悪い虫」「三冬の乳房」「妖怪・小雨坊」「不二楼・蘭の間」の7篇を収めていますが、主要登場人物のお披露目も終わってすっかり安定した筆致で、剣豪小説でありながら、江戸下町の情緒(小兵衛は鐘ヶ淵に住み、大治郎は隅田川を挟んで真崎稲荷明神社近くに剣術道場を開いている)や食文化の蘊蓄(当初は肉体労働者しか口にしなかった鰻が、独特の調理法を得て「鰻料理」として流行り始めたのがこの頃だったとか)も楽しめます。

 ガンコ親父の人情を描いた「鬼熊酒屋」、10日で強くしてくれと言う男の話「悪い虫」など、派手な斬り合いの無い話にも味や深みがありますが、「辻斬り」などではしっかり立ち回りしていて、まさに「スーパー老人」ぶり。
 まあ今で言えば"60歳"はまだまだ壮年のうちだが、当江戸時代での60歳と言えばやはり"老人"ということになるでしょう。シリーズ執筆開始時50代前半だった作者の、ある種の理想像なのかも。

「剣客商売 誘拐」.jpg 秋山小兵衛は歌舞伎役者でテレビの「鬼平犯科帳」にも時々出ていた2代目中村又五郎(1914-2009/94歳没)をイメージしたらしいですが、昔のテレビ版の山形勲(1915-1996)の方が最近の藤田まこと(1933-2010/76歳没)よりイメージ的には「粋」の部分で近かったかも(CX系では、加藤剛(1938-2018/80歳没)、山形勲コンビの「剣客商売」(70年代)と藤田まことの「剣客商売」(90年代以降)の間に、加藤剛、中村又五郎コンビの「剣客商売」(80年代)も単発で2度作られており、1つがこの「辻斬り」で('82年12月放映)、もう1つが「誘拐(かどわかし)」('83年3月放映))。

「剣客商売 (かどわかし)」(1983)中村又五郎/加藤剛

剣客商売dvd.jpg ただ、やはり5シーズンに渡って秋山小兵衛を演じた藤田まことのイメージはかなり根強いし、昔のテレビ・シリーズは、加藤剛が演じた息子・大治郎の方が主役になってしまっていますが、原作を読む限り、それはないよ、という感じがします。

 作者はこの『剣客商売』で、「粋」だけれども「枯れ」てはいない老人パワーみたいなものを描きたかったのではないかと思われ、やはり秋山小兵衛をメインに据えるべきだろうと思います(その意味では、藤田まこと版は原作に沿った"正統派"とも言えるか)。
 

「剣客商売」藤田まこと/渡部篤郎
剣客商売第1シリーズ 藤田.jpg剣客商売藤田まこと/渡部篤郎.jpg「剣客商売(1)」●演出:富永卓二/蔵原惟繕/小野田喜幹/酒井信行●制作:河合徹/武田功/佐生哲雄●脚本:古田求/野上龍雄/井手雅人●音楽:篠原敬介●原作:池波正太郎「剣客商売」●出演:藤田まこと/渡部篤郎/大路恵美/三浦浩一/平幹二朗/小林綾子/梶芽衣子/竜雷太●放映:1998/10~12(全10回)●放送局:フジテレビ  ※「剣客商売(2)」1999/12~2003/03(全11回)/「剣客商売(3)」2001/06~07(全5回)/「剣客商売(4)」2003/01~05(全11回)/「剣客商売(5)」2004/02~03(全7回)《全44回》

剣客商売 第1シリーズ《第1・2話収録》 [DVD]

 【1985年文庫化・2002年新装版[新潮文庫]】

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「●た 立花 隆」の インデックッスへ 「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(立花 隆)

興味深い話が満載。「子殺し」の話はショックであり謎である。

立花 隆 『サル学の現在』.jpgサル学の現在.jpg サル学の現在 上.jpg サル学の現在下.jpg  立花 隆 2.jpg 立花 隆 氏
サル学の現在』 単行本 〔'91年〕/文春文庫 (上・下)

 ジャーナリストである著者が、内外のサルに関する研究者に対するインタービューをまとめたもの。「サル学」に関心を持っている人がどれだけいるかという気もしましたが、著者のネームバリューもあってか、結構売れたようです。

 現在の日本の「サル学」研究は、世界のトップクラスであるとのこと。「現在」といっても'91年の出版で、内容は多少古くなってるかもしれませんが、扱っているサルの種類が広汎で(チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなど類人猿から、ニホンザル、ヒヒ、ハヌマンラングール、その他)、視点も、社会学的考察から、遺伝子工学による分子生物学的分類まで幅広いものです。

 しかも、ニホンザルにボスザルはいないとか(動物園で見られるサル山は人工的に作られた社会とのこと)、ゴリラには同性愛があるとか、ピグミーチンパンジーは挨拶代わりに性行為をするとか、読者の興味を引く話が満載です。

ハヌマンラングール.jpg 結果として、体系的な知識が得られるという本にはなっていない気もしますが、サル学者になるわけではないから、まあいいか。

 むしろこれだけブ厚い本を楽しく最後まで読ませ、振り返って人間とは何かを否応無く考えさせる力量は、やはり著者ならでのものでしょう。

「子殺し」をするハヌマンラングール

 一番印象に残った話は、やはりサルの「子殺し」でしょうか。

 ハヌマンラングール(南アジア に棲息する中型のオナガザルの1種)の新しく群れのリーダーになったオスが、前のボスの子である生まれたばかりの赤ちゃんザルを殺すということを発見したのは日本人です。

 '62年、京大の大学院生だった杉山幸丸氏(現・京都大名誉教授)が、インド・デカン高原西部のダルワール近郊で、ハヌマンラングールの群れを追っていた際に、ドンタロウと名づけたオスが率いる「ドンカラ群」を7匹のオスグループが襲い、ドンタロウは群れを追われ、襲撃派のなかのエルノスケが群れを乗っ取るという"事件"が起こります。

 しかし、杉山氏にとって本当に衝撃的な"事件"は、その後2ヵ月の間に起こり、それは、エルノスケがその間に、大人のメスが連れていた赤ちゃんザル5匹と1歳の子どものメス1匹を次々に殺しく光景に出くわしたというもので、杉山氏ら京都大の霊長類研究グループは、ニホンザル研究で培った個体識別と長期観察の手法で「子殺し」の詳細を明らかにしていった結果、「群れの中でメスと交尾できるのは大人のオスだけで、外のオスが群れを乗っ取り、交尾を望んでも、子育て中のメスは発情しないため、子どもをいなくして発情させようとした」のだという結論に達します。

 別の群れで大人のオスを除去したら、近くの群れからきたオスが子殺しをしたことが観察され、研究グループは、これは特殊な出来事ではないとの確信を深めますが、国際シンポジウムでこの「子殺し」を発表した際の世界中の学者たちの反応は冷たく、単なる「異常行動」とされて議論にもならなかったそうです。

 しかし、その後、ゴリラやチンパンジーなどの霊長類のほか、ライオンでも子殺しが見つかり、70年代になると、欧米の研究者らもハヌマンラングールの子殺しを相次いで報告し、杉山氏らの研究は追認され、世界に受け入れられていきます(日本はサル学先進国なのだ!)。

 子育て中のメスザルは発情しないが、子が死ねばまた発情する―というのがポイントだと思いますが、こうした子殺しが、チンパンジーやゴリラでも行われていて、しかも彼らは、殺した子ザルの肉を食うというのにはビックリ。

 ゴリラの場合はハーレムを形成するけれど、チンパンジーは乱交なので、自分の子を食べている可能性もあるわけです。しかも生きたままで...。
 何だか、ショックと謎がいっぺんに来たような感じがしました。

 【1996年文庫化[中公文庫(上・下)]】

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アイデアがいい科学絵本。最後に辿り着いた一番小さなものは「宇宙」。

小さな小さなせかい.jpg 『小さな小さなせかい―ヒトから原子・クォーク・量子宇宙まで』 (1996/03 偕成社)

 1996(平成8)年3月に刊行された科学絵本ですが、1ページめくるごとに10分の1ずつに小さい世界になり、微生物、DNAの世界を経て、分子、原子、素粒子の世界へ入っていくというアイデアがいいです。
 小学生向けの本ということですが、例えば〈中性子〉〈中間子〉〈ニュートリノ〉を大きい順に並べよと言われて、わかる大人はどれぐらいの割合でいるでしょうか。

 最後に辿り着いた一番小さなものが(原始の)「宇宙」だったという〈逆説〉も、ロマンがあっていいです。
 10の-34乗m の"量子宇宙"こそ最小のものだというのは、宇宙発生論において〈事実〉とされていることでもありますが。

大きな大きなせかい.jpg 本書は『大きな大きなせかい-ヒトから惑星・銀河・宇宙まで』('96年/偕成社)と対になっていて、こちらも楽しく学べます。

 著者の加古里子(かこさとし)氏は、『だるまちゃんとてんぐちゃん』('67年/福音館書店)に代表される「だるまちゃん」シリーズや、『からすのパンやさん』('73年/偕成社)、『どろぼうがっこう』('73年/偕成社)などで知られる絵本作家で(『からすのパンやさん』や『どろぼうがっこう』は幼稚園や保育園の発表会の演目としてよく採用されている)、1975年に『遊びの四季』で第23回「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞、2008年には第56回「菊池寛」賞を受賞するなどしていますが、もともとは東京大学工学部応用化学科に学んだ工学博士でもあり、こうした科学絵本も多く手がけています。

《読書MEMO》
●原子>原子核>陽子、中性子
●重粒子(パリオン)→陽子、中性子、ラムダ粒子、シグマ粒子ほか
●>中間子→(陽子と中性子を結びつける)π中間子、ケーオンほか
●ハロドン(重粒子と中間子)>クォーク→重粒子(陽子・中性子等)、中間子を構成する)(反クォークもある)
●>軽粒子(レプトン)→電子、ミューオン(宇宙線が空気に衝突してπ中間子ができ、それが壊れてできる)、ニュートリノ(中性子が陽子に壊れるとき電子とともにできる)など(反レプトンもある)

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「住基ネット」の管理体制の杜撰さを指摘するも、やや危機感煽り気味の感じも。

あなたの「個人情報」が盗まれる.jpg 『あなたの「個人情報」が盗まれる』 (2003/08 小学館)

 '02年にスタートした「住民基本台帳ネットワーク」の問題点と、制度施行の背後にある国の「国民総背番号制」的考え方や総務省の拙速な対応姿勢を非難した書。

 役所の業務用パソコンが「住基ネット」に接続されていると同時にインターネット接続もされていて、自治体や職員にその危険性の自覚がない―。
 システムは外部業者に丸投げで、セキュリティー対策の統括責任者もいなければファイアーウオールの意味もよくわかっていない―。
 本書で示された、「住基ネット」接続自治体の多くに見られるこうした危機管理体制の杜撰さには驚かされます。

 もう少しこの辺りを突っ込んで欲しかったところですが、カードの暗証番号が生年月日などの場合に起きやすいクラッキング犯罪の問題とか、どちらかと言えば利用者の責に帰するのではないかと思われる問題も同列で論じられていて、焦点がボヤけた感じも。

 利用者の僅かな利便性(公立図書館の利用など)と引き換えに膨大な個人情報を得ようとする「国家の意図」に対する批判もわかることはわかりますが、こうした政治批判も付加されて、さらに"ごった煮"になった感じもします。

 危機感を煽ることが先行しているような気もして、タイトル自体も、著者が「住基ネット」問題に取り組んできたジャーナリストで、長野県の「本人確認情報保護審議会委員」のメンバーでもあったことを知らない人から見れば、ただ「怖そうな話」「もしかして個人情報保護法の話?」程度にしか推測できないのではないでしょうか。
 「住基ネット」問題を中心に論じたものであることがわかるようなタイトルにした方が、より親切ではないかと思いました。

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日本のジャーナリズムの中では見えなかったイチローの一面が見えた。

イチローUSA語録1.JPGイチローUSA語録.jpg   デイヴィッド・シールズ.jpg デイヴィッド・シールズ(略歴下記)
イチローUSA語録』 集英社新書 〔'01年〕

 イチロー語録は何冊か本になっていますが、シアトル在住の米国人作家の編集による本書は、その中でも早くに出版されたもの。雑誌・新聞等に掲載された英文訳のイチローのコメントを再録していますが、渡米1年目の6月ぐらいまでのものしか載っていません。でも、掛け値なしで面白い!

Ichiro.jpg 編者は―「イチローはグラウンドで超人的な離れ業、人間業とも思えない送球や捕球や盗塁やヒットなどを演じ、あとでそれについて質問されると、彼の答えときたら、驚くほかはない。そのプレーを問題にもしないか、否定するか、異を唱えるか、前提から否定してかかるか、あるいは他人の手柄にしてしまう」と驚き、「日本語から英語に訳される過程で、言葉が詩的な美しさを獲得したのだろうか?」と考察していますが、日本語に還元したものを我々が読むと、もっと自然な印象を受けます(彼のプロ意識の控えめな表現だったり、ちょっとマスコミに対して皮肉を言ってみたとか、或いはただインタビューを早く終らせたいだけだったとか)。それでも面白いのです。

 個人的に一番気に入ったのは、シアトルの地元紙に日本の野球に心残りがあるかと聞かれ、「日本の野球に心残りはありません。野球以外では、飼っている犬に会えないのが寂しいけど、グランドでは何もないです」と答えた後、その飼い犬の名前を聞かれて、「彼の許可を得てからでないと教えられません」と言ったというスポーツ・イラストレイテッドの記事。何だか、味わい深い。スポ・イラも丹念だけれども、編者もよくこういうのを拾ってきたなあと言う感じ。例えば、日本でまとめられた"類書"などは、「精神と目標」「準備と訓練」「不安と逆風」...といった構成になっていて、こうなると上記のようなコメントは入る余地がなくなります。日本のジャーナリズムの中では見えてこなかったイチローの一面が見えました。

 イチローはこの年(2001年)、「菊池寛賞」受賞。「国民栄誉賞」は受賞を辞退していますが、こちらは特に辞退せずだったようです。
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デイヴィッド・シールズ
1956年ロサンゼルス生まれ。ブラウン大学卒(英文学専攻)。作家、エッセイスト。ワシントン大学教授(クリエイティヴ・ライティング・プログラム担当)。著作に「ヒーローズ」「リモート」「デッド・ランゲージズ」など。ニューヨーク・タイムズ・マガジン、ヴォーグなどにも寄稿。1999年刊の「ブラック・プラネット」は全米批評家協会賞最終候補となる。シアトルに妻、娘とともに住む。

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通し読みすると著者の映画観や評価スタンスがわかり、巻末の「ぼくの映画史」も味わい深い。

外国映画ぼくの500本.jpg ぼくの採点表 2 1960年代.jpg 黄金狂時代 1925.jpg黄金狂時代 コレクターズ・エディション [DVD]
外国映画ぼくの500本』 文春新書〔'03年〕 『ぼくの採点表 2 1960年代―西洋シネマ大系 (2)』 (全5巻)
映画雑誌『スクリーン』1957年1月号
映画雑誌『スクリーン』1957年1月号.jpg双葉十三郎.jpg 映画雑誌「スクリーン」に長年にわたって映画評論を書き続けてきた著者による、20世紀に公開された外国映画500選の評論です。何しろ1910年生まれの著者は、見た洋画が1万数千本、邦画も含めると約2万本、1920年代中盤以降公開の作品はほとんどリアルタイムで見ているというからスゴイ!

 本書のベースとなっているのは「スクリーン」の連載をまとめた『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』という全5巻シリーズで、この中にある約8,900本の洋画の中からさらに500本を厳選し、1本当たりの文字数を揃えて五十音順に並べたのが本書であるとのことです(著者は『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』全5巻完結の年に第49回「菊池寛賞」を受賞している)。

 名作と呼ばれる映画の多くを網羅していて、強いて言えば心温まる映画が比較的好みであるようですが、古い映画の中にはDVDなどが廃盤になっているものも多いのが残念です。

 映画評論の大家でありながら、B級映画、娯楽映画にも暖かい視線を注いでいて、一般観客の目線に近いところで見ているという感じがし、自分たちが青春時代に見た映画も著者自身は老境に入って見ているはずなのに、感想には若者のようなみずみずしさがあって、ああこの人は万年青年なのだなあと。

 1本ごとの見どころを短文の中にうまく盛り込んでいて、リファレンスとしても使え"外れ"も少ないと思いますが、一通り読んでみることをお薦めしたいです。著者の映画観や映画を評価するということについてのスタンスがわかります。すべての作品に白い星20点、黒い星5点での採点がされていますが、「映画とは点数が高ければいいというものではない」という著者の言葉には含蓄があります。

 因みに、90点以上は「黄金狂時代(チャールズ・チャップリン)」「西部戦線異状なし(リュウイス・マイルストン)」「大いなる幻影(ジャン・ルノワール)」「駅馬車(ジョン・フォード)」「疑惑の影(アルフレッド・ヒッチコック)」「天井桟敷の人々(マルセル・カルネ)」「サンセット大通り(ビリー・ワイルダー)」「河(ジャン・ルノワール)」「恐怖の報酬(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー)」「禁じられた遊び(ルネ・クレマン)」「水鳥の生態(ドキュメンタリー)」「野いちご(イングマール・ベルイマン)」「突然炎のごとく(フランソワ・トリュフォー)」「スティング(ジョージ・ロイ・ヒル)」「ザッツ・エンタテイメント(ジャック・ヘイリー・ジュニア)」の15本となっています。

 先の「点数が高ければいいというものではない」という著者の言葉もあってこれを著者のベスト15ととっていいのかどうかは分かりませんが、故・淀川長治2.jpg淀川長治(1909-1998)が「キネマ旬報」1980年12月下旬号に寄せた自らのベスト5が「黄金狂時代(チャールズ・チャップリン)」「戦艦ポチョムキン(セルゲイ・エイゼンシュテイン)」「グリード(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)」「大いなる幻影(ジャン・ルノワール)」「ベニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ)」となっており、「黄金狂時代」と「大いなる幻影」が重なっています。年齢が近かったこともありますが(双葉氏が1歳年下)、意外と重なるなあという印象でしょうか。巻末の「ぼくの映画史」も、著者の人生と映画の変遷が重なり、その中で著者が、映画の過去・現在・将来にどういった思いを抱いているかが窺える味わい深いものでした。

 「野いちご」('57年/スウェーデン)などベルイマンの作品を高く評価しているのが印象に残ったのと、チャップリン作品で淀川長治と同じく「黄金狂時代」('25年/米)をベ黄金狂時代 01.jpgストに挙げているのが興味を引きました(淀川長治は別のところでは、"生涯の一本"に「黄金狂時代」を挙げている)。「黄金狂時代」はチャップリン初の長編劇映画であり、ゴールドラッシュに沸くアラスカで一攫千金を夢見る男たちを描いたもので黄金狂時代 03.jpgすが、チャップリンの長編の中では最もスラップスティック感覚に溢れていて楽しめ(金鉱探しのチャーリーたちの寒さと飢えがピークに達して靴を食べるシーンも秀逸だが、その前の腹が減った仲間の目からはチャーリーがニワトリに見えてしまうシーンも可笑しかった)、個人的にもチャップリン作品のベストだと思います(後期の作品に見られるべとべとした感じが無い)。

黄金狂時代es.jpg黄金狂時代_15.jpg黄金狂時代14.jpg「チャップリンの黄金狂時代(黄金狂時代)」●原題:THE GOLD RUSH●制作年:1936年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:チャールズ・チャップリン●撮影:ローランド・トザロー●時間:82~96分(サウンド版73分)●出演:チャールズ・チャップリン/ビッグ・ジム・マッケイ/マック・スウェイン/トム・マレイ/ヘンリー・バーグマン/マルコム・ウエイト/スタンリー・J・サンフォード/アルバート・オースチン/アラン・ガルシア/トム・ウッド/チャールズ・コンクリン/ジョン・ランドなど●日本公開:1925/12●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:高田馬場パール座 (79-03-06)(評価:★★★★☆)●併映:「モダン・タイムス」(チャールズ・チャップリン)

《読書MEMO》
●「双葉十三郎 ぼくの採点表」
☆☆☆☆★★(90点)
1925 黄金狂時代/チャールズ・チャップリン
1930 西部戦線異状なし/リュウイス・マイルストン
1937 大いなる幻影/ジャン・ルノワール
1939 駅馬車/ジョン・フォード
1942 疑惑の影/アルフレッド・ヒッチコック
1945 天井桟敷の人々/マルセル・カルネ
1950 サンセット大通り/ビリー・ワイルダー
1951 河/ジャン・ルノワール
1952 恐怖の報酬/アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
1952 禁じられた遊び/ルネ・クレマン
1953 水鳥の生態/ドキュメンタリー
1957 野いちご/イングマール・ベルイマン
1961 突然炎のごとく/フランソワ・トリュフォー
1973 スティング/ジョージ・ロイ・ヒル
1974 ザッツ・エンタテイメント/ジャック・ヘイリー・ジュニア

☆☆☆☆★(85点)
■1920年代以前
 月世界旅行/ジョルジュ・メリエス
 イントレランス/D・W・グリフィス
 カリガリ博士/ロベルト・ウィーネ
■1920年代
 キッド/チャールズ・チャップリン
 ドクトル・マブゼ/フリッツ・ラング
 幌馬車/ジョン・フォード
 アイアン・ホース/ジョン・フォード
 結婚哲学/エルンスト・ルビッチ
 ジークフリート/フリッツ・ラング
 戦艦ポチョムキン/エイゼンシュテイン
 ビッグ・パレード/キング・ビダー
 巴里の屋根の下/ルネ・クレール
■1930年代
 会議は踊る/エリック・シャレル
 自由を我等に/ルネ・クレール
 暗黒街の顔役/ハワード・ホークス
 街の灯/チャールズ・チャップリン
 仮面の米国/マーヴィン・ルロイ
 グランド・ホテル/エドマンド・グールディング
 巴里祭/ルネ・クレール
 四十二番街/ロイド・ベーコン
 或る夜の出来事/フランク・キャプラ
 商船テナシチー/ジュリアン・デュヴィヴィエ
 たそがれの維納/ヴィリ・フォルスト
 オペラ・ハット/フランク・キャプラ
 孔雀夫人/ウィリアム・ワイラー
 望郷/ジュリアン・デュヴィヴィエ
 我等の仲間/デュヴィヴィエ
 舞踏会の手帖/デュヴィヴィエ
 風と共に去りぬ/ヴィクター・フレミング
 スミス都へ行く/フランク・キャプラ
■1940年代
 わが谷は緑なりき/ジョン・フォード
 ヘンリイ五世/ローレンス・オリヴィエ
 逢びき/デヴィッド・リーン
 ダイー・ケイの天国と地獄/ブルース・ハンバーストン
 荒野の決闘/ジョン・フォード
 黄金/ジョン・ヒューストン
 悪魔の美しさ/ルネ・クレール
 踊る大紐育/スタンリー・ドーネン
 黄色いリボン/ジョン・フォード
 情婦マノン/アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
 第三の男/キャロル・リード
■1950年代
 アニーよ銃をとれ/ジョージ・シドニー
 イヴの総て/ジョゼフ・マンキウイッツ
 戦慄の七日間/ジョン・ブールティング
 巴里のアメリカ人/スタンリー・ドーネン
 グレンミラー物語/アンソニー・マン
 シェーン/ジョージ・スティーヴンス
 バンド・ワゴン/ヴィンセント・ミネリ
 ローマの休日/ウィリアム・ワイラー
 悪魔のような女/アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
 波止場/エリア・カザン
 エデンの東/エリア・カザン
 赤い風船/アルベール・ラモリス
 第七の封印/イングマール・ベルイマン
 情婦/ビリー・ワイルダー
 魔術師/イングマール・ベルイマン
■1960年代
 甘い生活/フェデリコ・フェリーニ
 処女の泉/イングマール・ベルイマン
 太陽がいっぱい/ルネ・クレマン
 ウエストサイド物語/ロバート・ワイズ
 アラビアのロレンス/デヴィッド・リーン
 8 1/2/フェデリコ・フェリーニ
 シェルブールの雨傘/ジャック・ドゥミ
 戦争は終った/アラン・レネ
 アルジェの戦い/ジッロ・ポンテコルヴォ
 バージニア・ウルフなんかこわくない/マイク・ニコルズ
 ロシュフォールの恋人たち/ジャック・ドゥミ
 冒険者たち/ロベール・アンリコ
 素晴らしき戦争/リチャード・アッテンボロー
■1970年代
 ジョニーは戦場へ行った/ドルトン・トランボ
 叫びとささやき/イングマール・ベルイマン
 フェリーニのアマルコルド/フェデリコ・フェリーニ
 タワーリング・インフェルノ/ジョン・ギラーミン
■1980年代
 ファニーとアレクサンデル/イングマール・ベルイマン
 アマデウス/ミロス・フォアマン
■1990年代以降
 霧の中の風景/テオ・アンゲロプロス
 恋におちたシェークスピア/ジョン・マッデン

映画雑誌『スクリーン』1957年1月号 目次
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ユダヤ・キリスト教圏との歴史観の違いから来る人生観の違いを指摘。

日本人の人生観.jpg   比較文化論の試み.jpg 山本七平.jpg 山本 七平(1921-1991/享年69)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)』〔'78年〕 『比較文化論の試み』講談社学術文庫〔'76年〕

 同じ著者の比較文化論の試み』('76年/講談社学術文庫)を読んで、日本で常識とされているものをまず疑ってみるその切り口に改めて感心させられ、もっと論じられても良い人なのかもと思い、一般はともかく学者とかには敬遠されているのかなとも思いつつ、本書に読み進みました(著者は'81年、第29回「菊池寛賞」受賞)。

 こちらの方は、日本人の変わり身の早さや画一指向を、その歴史観と人生観の関わりから考察したもので、講演がベースの語り口でありながら、内容的にはややわかりにくい面もありました。

 要するに、旧約聖書から始まるユダヤ・キリスト教文化圏の歴史観には、終末を想定した始まりがあり、人生とはその全体の歴史の中のあるパートを生きることであり、トータルの歴史の最後にある、まさにその「最後の審判」の際に、改めてその個々の人生の意味が問われるものであるとの前提があるとのこと。
 つまり、個人の人生が人間全体の歴史とベタで重なっているという感じでしょうか。

 それに対し、日本人の歴史観は始まりも終わりも無いただの流れであり、個々の人生は意識としてはそうした流れの「外」にあり、「世渡り」とか"今"に対応することが重要な要素となっていると...。 
 
 鴨長明の「方丈記」冒頭にある「行く川の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず」というフレーズは、結構日本人の心情に共感を呼ぶものですが、著者は、このとき長明は川の流れの中ではなくて川岸にいて川の流れを傍観しているとし、それが歴史の流れの「外」にいることを象徴していると述べています。
 
 前著『比較文化論の試み』よりやや難解で、それは自らの知識の無さによるものですが、加えて、今まであまり考えてみなかったことを言われている気がするというのも、要因としてあるかも知れません。
 今後、歴史関係の本などを読む際には、こうした視点を応用的に意識して読むと、また違った面が見えてくるかもと思いました。

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「●文春新書」の インデックッスへ「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(秦 郁彦・半藤一利・保阪正康) 

「歴史探偵」的趣きの鼎談。歴史の違った見方を教えてくれる。

昭和史の論点.jpg  『昭和史の論点』 文春新書 〔'00年〕 坂本 多加雄.jpg 坂本 多加雄 (1950−2002/享年52)

 雑誌『諸君!』で行われた4人の昭和史の専門家の鼎談をまとめたもの。文芸春秋らしい比較的「中立的」な面子ですが、それでも4人の立場はそれぞれに異なります。

日本史の論点 4氏.jpg 『国家学のすすめ』('01年/ちくま新書)などの著者があり、52歳で亡くなった坂本多加雄は「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーでもあったし、秦郁彦は「南京事件」に関しては中間派(大虐殺はあったとしているが、犠牲者数は学者の中で最も少ない数字を唱えている)、半藤一利は『ノモンハンの夏』('98年/文藝春秋)などの著書がある作家で、保阪正康は『きけわだつみのこえ』に根拠なき改訂や恣意的な削除があったことを指摘したノンフィクション作家です。

坂本 多加雄/秦 郁彦/半藤 一利/保阪 正康

 しかし対談は、既存の歴史観や個々のイデオロギーに拘泥されず、むしろ「歴史探偵」的趣きで進行し、張作霖事件、満州事変、二・二六事件、盧溝橋事件...etc.の諸事件に今も纏わる謎を解き明かそうとし、またそれぞれの得意分野での卓見が示されていて面白かったです(自分の予備知識が少なく、面白さを満喫できないのが残念)。

 昭和史と言っても敗戦までですが、最近になってわかったことも随分あるのだなあと。昭和天皇関係の新事実は、今後ももっと出てきそうだし。

 歴史に"イフ(if)"はないと言いますが、この対談は後半に行くに従い"イフ(if)"だらけで、これがまた面白く、歴史にはこういう見方もあるよ、と教えてくれます。

 その"イフ(if)"だらけを一番に過激にやっているのが秦郁彦で、やや放談気味ではありますが、こうした立場を越えた自由な鼎談が成り立つのは、月刊「文芸春秋」の編集長だった半藤一利に依るところが大きいのではないかと思います。

菊池寛賞 半藤.jpg

秦郁彦氏が1993年に、保阪正康氏が2004年に「菊池寛賞」を受賞していたが、2015年に半藤一利氏も同賞を受賞した。文藝春秋主催の賞で、半藤一利氏は半ば身内のようなものだから、受賞が他の二人より遅れたのではないか。(受賞理由:『日本のいちばん長い日』をはじめ、昭和史の当事者に直接取材し、常に「戦争の真実」を追究、数々の優れた歴史ノンフィクションによって読者を啓蒙してきた)
 

・2015(平成27)年・第63回「菊池寛」賞を受賞し、同時受賞の吉永小百合(左)と言葉を交わす半藤一利氏=2015年12月(共同)

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