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人物描写は丁寧だが、ラストは、自分の中では"失速"してしまった印象を受けた。

月と蟹.jpg 『月と蟹』(2010/09 文藝春秋)

 2010(平成22)年下半期・第144回「直木賞」受賞作。

 父親の働く会社が倒産し、鎌倉で一人暮らししていた祖父と同居し始めて2年になる小学5年の慎一は、昨年その父が亡くなり、今は借家で母と祖父と3人で暮らしている。学校では転校してきて以来、クラスで孤立し、嫌がらせを受けている慎一だったが、唯一同じ引越し組の春也とはウマが合うため行動を共にすることが多い。ある日、2人は廃業した飲み屋の裏側に秘密の場所を見つける。そこで2人は、ヤドカリを神に見立てて願いごとをする遊びを思いつく。すると、願った通りの出来事が現実になり始めて―。

 "文学的ミステリ"とでも言うか、"ミステリ"と"文芸"の両要素が混在したような作品が多い作者ですが、これはかなり"文芸"寄りかなあと思って読みました。

 作者の作品では、成人した登場人物が自分の幼年期の記憶を回想する描写などに筆力を感じることが多いのですが、この作品では、1988(昭和63)年頃を年代背景としながらも、リアルタイムで11歳の子供の世界を描いています(因みに作者は1975年生まれ。当時中学生のはず)。

 ヤドカリにまつわる子供達の遊び(儀式)は、宮本輝の『泥の河』を想起させましたが、宮本氏はどう評価したのかなあと思ったら、「芥川賞」の選考委員だった...。でも、この作品からも、特有の切なさや懐かしさのようなものは伝わってきました。

 児童虐待などは、過去の作者の作品で使われたモチーフではありますが、それでも、子供の複雑な心理を描いて安定して優れているように思われ、2人の関係に割って入る鳴海という女の子の描き方や、主人公にとって老師的な存在である祖父の配置もなかなかいいです。

 なぜ、あれほどヤドカリが出てくるのに「月とヤドカリ」ではなく「月と蟹」なのかは終盤になって分かりましたが、最後まで"文芸"でいってくれても良かったのだけど、途中から"ミステリ"の要素が入ってきて、最後は、作者の出自である"ホラー"的要素もあったように思われ、(作者にすればクライマックスなのだろうけれども)個人的に自分の中では"失速"してしまった印象を受けたのがやや残念、「★★★☆」の評価は、直木賞受賞作ということを意識した面もあるかもしれず、自分としてもやや甘めかも。

 その直木賞の選考においても、圧倒的に推挙されたと言うよりは、5回連続の候補となるため、そろそろ受賞させないと、伊坂幸太郎氏みたいに訣別宣言されてしまうのではないかという危惧が働いたのではないでしょうか。

 人物はよく描けていると思われるものの、少し主人公の世界が狭すぎる印象も受け、とは言え、これだけヤドカリの事を何度も書き込まれると、ヤドカリのイメージが頭にこびりついてしまい、多分記憶に残る(?)作品になったことには違いないと思われます。

【2013年文庫化[文春文庫]】

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「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ

部分的にはいいが、全体的には"文学"の部分も"ミステリ"の部分も共に中途半端。

光媒の花.jpg光媒の花』(2010/03 集英社)

 2010(平成22)年・第23回「山本周五郎賞」受賞作。

 印章店を細々と営み、認知症の母と2人、静かな生活を送る中年男性。ようやく介護にも慣れたある日、幼い子供のように無邪気に絵を描いて遊んでいた母が、「決して知るはずのないもの」を描いていることに気付く―。(「隠れ鬼」)

 「隠れ鬼」「虫送り」「冬の蝶」など6章から成る短篇連作で、何れもミステリ性はそれほど前面に出されておらず、むしろ文芸小説のような雰囲気もあり、今洋モノの推理小説などでも"文学的ミステリ(文芸推理)"のようなものが流行っていますが、それの日本版かなといった印象を受けました。

 「山本周五郎賞」受賞作ということで、『カラスの親指』(140回)、『鬼の跫音』(141回)、『球体の蛇』(142回)に続く作者4連続目の直木賞候補作(143回)であり、『月と蟹』での直木賞受賞(144回)へのステップになった作品とも言えます。

 冒頭の「隠れ鬼」を読んだ時はなかなか面白いと思ったのですが、全体を通しては、"文学的ミステリ"としては軽いかなという印象で、もともとミステリの部分が抑えられているために、"文学"の部分も"ミステリ"の部分も、共に中途半端になった感じがします。

 構成的にも、それぞれの話が少しずつ被っているものの、「虫送り」と「冬の蝶」の関係が微妙に絡んだものである外は(ここだけ連作的)、あまり設定を被せる必然性が感じられず、最後の「遠い光」で冒頭の印章店が出てきてあっと思わせますが、これも、6話全体をインテグレーションするようなものにはなっていなくて肩透かし気味。同じく連作モノである、東野圭吾の『新参者』('08年/講談社)の上手さを改めて感じてしまいました。

 「冬の蝶」に出てくる不幸な少女の話なども、ストーリーのための材料という印象が拭えず、質感を伴った暗さではないため感動にも結びつきにくく、その分、ホラー作家出身の作者の器用さばかりが目立ってしまいました。

 ただ、それぞれの物語において、成長した登場人物が自分の幼年期の記憶を辿る部分の描写などは秀逸で、そうした部分はまさに"文芸的"であり、筆力も感じました。
 全体に、「これ、山本周五郎賞?」と言いたくなるような小ぢんまりとした作品が多いために、その部分の「密度の濃さ」が却って印象に残りました。


【2012年文庫化[集英社文庫]】

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「文芸」と「ミステリ」が入り混じったような作品。どちらに軸を置いて読めばいいのか...。

球体の蛇.jpg 『球体の蛇』(2009/11 角川書店)

 1992年秋、17歳だった私・友彦は両親の離婚により、隣の橋塚家に居候していた。その家には、主の乙太郎さんと娘のナオが住み、奥さんと姉娘サヨは7年前、キャンプ場の火事が原因で亡くなっていた。乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、私は死んだサヨによく似た女性に出会い、もともとサヨに憧れていた私は、彼女に激しく惹かれ、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、老主人と彼女の情事を盗み聞きするようになる―。

 作者の3連続目の直木賞候補作で、「文芸」と「ミステリ」が入り混じったような作品ですが、作者によれば、初めてミステリでない、つまりトリックを入れないで書いた小説であるとのことです。

 確かに「文芸」のウェイトは高いかと思いますが、どう見てもミステリの要素も入っていて、それがストーリーに大きな影響を及ぼしており、どちらに比重を置いて読んでいいのか、読んでいてやや戸惑いました。

 主人公の抱えているサヨの自殺に纏わる秘密―しかし、主人公以外の登場人物もそれぞれに秘密を抱えており、真相は1つに絞り切れない―最終的な解を示さない点ではミステリではないのかもしれませんが、文芸小説として読むならば、あまりに都合よくそれぞれの告白の内容が重なり過ぎているように思いました。

 そういうのを考えつくだけでも大した才能だと思うし、ドロッとした話を透明感のある切なさのような余韻を残して締め括っているのも、これまた大した筆力だと思いましたが、「文芸」であるならば、行間から伝わってくるはずのドロっとした感じがまだ足りないような気がし、「ミステリ」であれば、逆にノスタルジックな書き込みとかが邪魔にも感じられてしまう―この混ざり具合がこの作家の特質なのでしょうが、物語に入り込む前に、物語自体が器用に作られているなという印象が拭い切れませんでした。

 直木賞選考委員の内、若手ミステリ作家を比較的推す傾向にある北方謙三氏の評は、「力量は充分であるが、描写が稠密で、読みながら私は、息苦しさを感じ、簡潔を求めた」と言い(但し、この人だけが候補としてこの作品を推した)、宮城谷昌光氏も「情念に深入りすると作品の明度が低下すると警告したい」と言っています。

 分かり易いのは、浅田次郎氏の「小説に明確なテーマを据えたのは大きな飛躍である。また反面、その新たなる飛躍が、作者を呪縛しているミステリの手法との間に軋轢を生じた」「一般読者のみならずとりわけミステリーファンには納得できなかったのではあるまいか」という評。

 選考委員が、作者にミステリ以外のものも期待しながら、結局は作者をミステリ作家として見ていることがよく窺えます(自分もほぼ同じ立場だが)。

【2012年文庫化[角川文庫]】

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「●「日本推理作家協会賞」受賞作」の インデックッスへ

結末は凝り過ぎてリアリティが犠牲になったが、"コン・ゲーム"のプロセスは十分面白かった。

カラスの親指.jpg  カラスの親指(映画).jpg 2012年映画化(監督:伊藤匡史 出演:阿部寛/村上ショージ/石原さとみ)
カラスの親指 by rule of CROW's thumb』(2008/07 講談社)

 2009(平成21)年度・第62回「日本推理作家協会賞」受賞作。

 友人の借金を背負わされた挙句、闇金融の債権回収の手先となって債権者を自殺させてしまったという暗い過去を持つ武沢は、自分に対して詐欺を行おうとした男・テツさんと一緒に詐欺師の仕事をするようになる。ある日、人生の敗北者であるこの中年二人組のところへ1人の少女・まひろが舞い込み、さらにその姉と太った恋人の男もやってきて、5人での奇妙な共同生活が始まる―。

 武沢が知り合った男テツさんも暗い過去を持ち、最初は何だか重苦しい雰囲気がありましたが、まひろが2人のところに来てからややコミカルになり、更に5人での生活になってから、あたかも1つの家族が形成されたようになり、この辺りの描写がなかなか面白かったです。

 やがて彼らは債権回収を行っているチンピラどもに仕返しをすべく、ある計画を練り、いよいよそれを実行に移すのですが、ここまでプロセスは本当にテンポよく大いに楽しめました。そして、最後にドンデン返しが―。確かに読者の意表を突くものではありますが、これ、賛否が割れるだろうなあ。

 作者の最初の直木賞候補作ですが、選考委員の意見も割れたようで、渡辺淳一氏のように「ドラマチックにすればするほど、リアリティが薄れてつまらなくなる」として推さなかった委員もいましたが、宮城谷昌光氏などは、同じく「最終章でリアリティがすべて吹き飛んだ」としながらも、「こういう知的な作業がなされた小説は滅多に現れるものではない」として評価していました(一番推したのは、「出色の小説だった。評者もすっかり騙された口の一人である」としている故・井上ひさし氏か)。

 個人的には、やはりこの意外な結末はリアリティを大いに犠牲にしているとは思いますが、それでもこうしたプロットを考えるだけでも凄いと思われ(宮城谷昌光氏の感想に近いかなあ)、感心したのは、武沢とまひろの"偶然"の出会いに説明がついていること(「こうしてると、まるで家族みたいですよね」といった言葉も後で読み返すと効いている)、一方、もっともリアリティに欠けると思われたのは、「演技の持続性」の問題でしょうか(「動機」と「手段の煩雑さ」のバランスの問題など他にもあるが)。

 暗い過去を持った男女が集まり、自らが負った傷から恢復していく、その過程の描かれ方に何かほっとしたようなものを覚え、さらに彼らが共同して1つのプロジェクトを実行する―このままストレートに"コン・ゲーム"を完遂させてあげた方が、よりカタルシス効果の大きい話になったのではないかとも思われますが、この作者はそんな一筋縄の話は書きたくないのかな。

 プロット・アイデアは誰もが認めるものだと思いますが、犠牲になったものに対するマイナス評価の度合いが、作品全体の評価の分かれ目でしょうか。

【2011年文庫化[講談社文庫]】

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読み易く読後感もそう悪くない。でも、読み終えた途端に印象が薄くなり始めるような...。

シャドウ 道尾秀介.jpg  シャドウ 道尾秀介 文庫.jpg               向日葵の咲かない夏.jpg
シャドウ (ミステリ・フロンティア)』['06年]/『シャドウ (創元推理文庫)』/『向日葵の咲かない夏』['05年]

 2007(平成19)年・第7回「本格ミステリ大賞」〈小説部門〉受賞作。

 小学5年生の我茂凰介は、進行性の癌で母・咲江を亡くす。それから間もなくして、幼馴染みの亜紀の母親で咲江とも親友だった恵が、夫の勤める病院の屋上から飛び下り自殺、亜紀は交通事故に遭い、凰介の父親・洋一郎もまた異常を来していく。家族の幸せを願う鳳介が行き着く結末とは―。

 文芸が主なのか、ミステリが主なのかよく分からなかったりする著者の作風ではありますが、この作品は、'06年「本格ミステリベスト10」で第6位、「週刊文春ミステリーベスト10」で第10位、'07年の「このミステリーがすごい!」で第3位、と幅広くランクインおり、何よりも「本格ミステリ大賞」受賞作ということで、何となく安心した気分で読みました。

 『向日葵の咲かない夏』('05年/新潮社)が、作者本人は救いの物語のつもりで書いたのが、多くの読者から暗いとか、トリックは斬新だが重た過ぎる、主人公が可哀想過ぎるといった声があり、『向日葵の咲かない夏』で伝えられなかったことを伝えるつもりで本作を書いたとのこと、確かに、主人公の小学5年生の凰介の生き方が、『向日葵の咲かない夏』の小学4年生の僕(ミチオ)よりはベクトルが前向きになっているかも。

 上手いことは上手いなあと思いました。テンポが良くて、ミステリとして読み易いし、今回は掟(おきて)破りの"叙述トリック"もないし、その上読後感も(必ずしも明るいものではないが)凰介の成長が窺えるためにそう悪くない―ただ、プロットがややいじくり過ぎのような気がし、偶然に依拠している部分も多いようにも思いました(たまたま"その時"屋上に駆けつけたとか、ご都合主義的なB級ドラマになっていないか)。

 細部にいろんな符牒を鏤めており、作者の中では辻褄が合っているのだろうけれども(何せ「本格ミステリ大賞」だし)、それでも最後は何となく釈然としないというか、例えば、犯人の犯人たる伏線ってあったのかなあ、単なるプロット上のどんでん返しで終わってしまっているのではないでしょうか。
 
 その結果、読んでいる時はそこそこに面白いけれども、読み終えた途端に印象が薄くなり始めるような、そんな感触を受けました。自分の読み方に問題があるのかなあ。
 
【2009年文庫化[創元推理文庫]】

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読み始めてしばらくした時の予測よりは、ラストは楽しめた。「ライト感覚」。

ソロモンの犬.jpgソロモンの犬』['07年] ソロモンの犬 文庫.jpgソロモンの犬 (文春文庫)』['10年]

 ある雨の日、少し奇妙な雰囲気の喫茶店で顔を合わせた4人の男女。重苦しい空気の中、秋内静は切り出した。「一度、ちゃんと話し合うべきなのかもしれない」「この中に、人殺しがいるのかいないのか」―2週間前、彼らの目の前で、大学教授の息子である小学生の陽介が、散歩中の愛犬に引きずられるような形で車道に出されて大型トラックに轢かれて亡くなった。秋内の心の中には、 一体なぜ犬は急に走り出したのか、3人は自分に何か隠し事をしているのではないかとの疑念があった―。

 秋内および秋内と同じ大学の友人3人(京也、彼の恋人のひろ子、秋内が想いを寄せる智佳)の4人の関係の中で話は進んでいきますが、巷で「青春ミステリ」と言われた如く、学生同士の友達付き合いや恋愛における遣り取りが、ごく自然に、時にコミカルに描かれていて、比較的上手に作られた青春ドラマを見ているような感じでしょうか。

 その分、ミステリの謎解きの方は遅々として進まず、読んでいてややイライラしてくるのですが、もうあんまり期待しなくていいやと思った終盤頃になって急速な展開を見せ、謎を解くのは主人公の秋内ではなく、動物が専門の大学の先生―この先生のちょっと変わったキャラや、犬の習性を織り込んだ謎解き自体も楽しめました(謎解きについては、リアリティとしてどうかというのはあるが、まあ「純粋推理」と見れば許される範囲か)。

 全体としては若者の日常を描いた青春小説という印象の方が強く、人は死ぬし、結構ウエットな部分もありながらも、どことなく軽くて明るい感じで最後までいく―文芸的な要素(この作品はジュブナイルっぽい感じもするが)と推理小説的な要素を併せ持つ作者の作品の1つタイプがここにも表れているように思いました。

 叙述トリックとでも言える点が2つあり、1つは、何かを知っている人間が知らないふりをして(登場人物や「読者」と共に)謎解きに参加していることですが、もう1つは完全に「読者」に向けたトラップで、但しこれに犯人もひっかかるというのがかなり不自然で無理があり、こちらはちょっと作り込み過ぎかなあという感じも。

 でも、いろんなことを軽々とやってみせる才能は感じるなあ。結局、すべてにおいて軽くなってしまうんだけれども、お話自体が大学生のライト感覚の青春物語なので、この作品について言えば、フィットしている(してしまっている)ように思いました。

 【2010年文庫化[文春文庫]】

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才能が浪費され気味というか、作者が意図するテーマにまで昇華し切れていない。

向日葵の咲かない夏.jpg向日葵の咲かない夏』['05年]向日葵の咲かない夏 文庫1.jpg 向日葵の咲かない夏 文庫2.jpg向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)』['08年]

 夏休みを迎える終業式の日、欠席した級友のS君の家を訪ねた僕(ミチオ)は、S君が首を吊って死んでいるのを見つけ、教師に連絡する。しかし、通報を受けた警察が駆けつけると、S君の遺体は忽然と消えており、そのS君は、1週間後、あるものに姿を変えて僕の前に現れる―。

 作者の、ホラーサスペンス大賞受賞作『背の眼』に続く長編第2作で、主人公が小学4年生、彼とやりとりをする妹が3歳ということで、ジュブナイルっぽいミステリかと思って読んでいたら、いきなり死者の甦りがあって、しかも途中から児童性愛の話が出てきたり動物殺しがあったりで、やっぱりホラーサスペンスだったのかと...。

 ところが更に読み進むと、かなり突飛な枠組み状況ではありながらも本格ミステリのスタイルを維持し、ミステリとして「禁じ手」に近い手法をいっぱい使いながらではあるものの、ちゃんと最後は辻褄を合わせて完結させていて、この辺りはなかなかの才能ではないかと思わせるものがありました。

 その「禁じ手」とは、語り手の主観が小説の謎解きの枠組み内に入り込んでいることで、所謂"叙述トリック"の中でもかなりアンフェアな類と見る向きもあるようですが、作者はこの作品を書いている時、ミステリにフェアとかアンフェアといったものがあるということを意識しなかったし、また"叙述トリック"などという言葉も知らなかったそうです。

 同じような手法を用いているものは、夢野久作の『ドグラ・マグラ』以来(あれはミステリではないか)、近年もありますが(京極夏彦(『姑獲鳥の夏』や歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』もそれに該当するのでは)、本格ミステリでこうしたことをやることについては賛否があるかも知れないし、この作品のように文芸的な要素もそれなりにあると尚更かも。

 個人的にむしろ引っ掛かったのは、作者はこの作品を"救いの物語"として書いたつもりだそうですが、それが、プロットにおける作者の巧みさが目立つがゆえに、ストーリー的には単に"後味の悪い怪奇譚"ととられる危うさも孕んでいるのではないかということです。
 
 勿論、作者が"後味のいい"作品を書こうとしているのでないことは明らかですが、実際に読み終えて"後味の悪さ"が逆説的効果をもたらすというよりは、ただ単に何に釈然としない印象だけが残りました。

 この作者が書きたいのは、単なるホラーサスペンスやミステリである前に、読後に何かが残る「小説」なのでしょう。でも、器用さばかり目立って、作品としての厚みがあまり感じられないのはなぜ?
 才能が浪費され気味というか、作者が意図する作品のテーマにまで昇華し切れていないのではないかなあ。

 文庫本帯の「このミステリーがすごい!」第1位というのは、'09年の総合得票数作家ということだったのか(『カラスの親指』と『ラットマン』の2作がそれぞれ6位と10位に入っているため)。紛らわしいなあ。

 【2008年文庫化[新潮文庫]】

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