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近藤勇の人生の「空しい」部分をしっかり捉えるとともに、それに対する作者の共感が感じられる。

星をつかみそこねる男 2016 .jpg星をつかみそこねる男 6.jpg 星をつかみそこねる男 s.jpg
 『星をつかみそこねる男 (水木しげる漫画大全集)

水木しげる7.jpg 昨年['15年]11月に満93歳で亡くなった水木しげる(1922-2015)が、「月刊漫画ガロ」(青林堂)の1970年10月号から1972年10月号に連載した作者初の伝記漫画で、'13年6月より順次刊行中の『水木しげる漫画大全集』(全108巻(103巻+別巻5巻)の予定)の第2期配本の1つ(№065)。作者あとがきによれば、近藤勇の一生を描くことになったのは、1968(昭和43)年頃から京王線の調布に住むことになり、付近を散歩していて偶然近藤勇の墓に"面会"したのがきっかけだそうです。

星をつかみそこねる男 _T.jpg巷説近藤勇 星をつかみそこねる男.jpg 巻末資料にもある通り、もともと「星をつかみそこねる男」というタイトルで連載されたにも関わらず、最初に1972年に虫プロ商事の「COMコミックス」別冊として1冊にまとめられ(「なぜか(「ガロ」の青林堂ではなく虫プロから刊行)」とあるが、連載中、作者に原稿料すら払えなかったほど青林堂の経営が悪化していたことが原因と思われる)、その際のタイトルは「巷説近藤勇」(左)で「星をつかみそこねる男」はサブタイトル新撰組風雲録 水木しげる.jpg的に表紙にあったのみでした(背表紙や奥付星をつかみそこねる男 1・2.jpgにはない)。1978年に新人物往来社からハードカバー単行本として出された際のタイトルは「新選組風雲録」(右)でサブタイトルなしです。1986年に講談社KCデラックスより2分冊で刊行された際のタイトルは「新選組夜話 近藤勇」(左)に改題されており、1989年刊行の筑摩書房・ちくま文庫版では「劇画近藤勇」(左下)となっています。表紙にのみサブタイトル的に「星をつかみそこねる男」とありますが、正式な書名とはなっていません(総扉がないので正式タイトルかどうか星をつかみそこねる男 ちくま文庫.jpg不明)。2004近藤勇 世界文化社.jpg年に世界文化社からアリババコミックとして軽装版が出た際は「新選組近藤勇」(右)がタイトルで、「星をつかみそこねる男」はやはりキャッチコピー扱いと、今回の全集刊行まで一度も正式タイトルの扱いで刊行されたことがなかったとのことです(厳密に言うと、キャッチコピー的に使用されたことはあっても"サブタイトル"として使用されたことすらもなかったことになる)。

劇画近藤勇―星をつかみそこねる男 (ちくま文庫)


 全集版のこの回の解説を(解説は毎回執筆者が変わる)自らも『新選組』('00年/PHP文庫)などの作品がある黒鉄ヒロシ氏が担当していますが、この作品の特徴を「徹底して突き放した俯瞰の笑い」としていて、自分も黒鉄氏と同じように感じました。新選組物にありがちな陰惨さを過剰には描かず、むしろ、それを虚無の笑いに転換させているとでも言うか...(黒鉄ヒロシ氏はこの作品について、省略の大胆さもスゴイともしているが、個人的には、よく資料を調べた上でそれを行っているように思えた)。

 新選組において、それまで人気の高かった近藤勇と、そうでもなかった土方歳三の評価が逆転したのは、司馬遼太郎の『燃えよ剣』('64年/文藝春秋)によるところが大きいとされていますが、司馬遼太郎は、主人公の土方歳三を「義に生きた男」の典型として描いているのに対し、近藤勇の方は、最後はただ大名になりたかっただけの「勘違い人間」のように描いています。一方、水木しげるも、「星をつかみそこねる男」というタイトルから窺えるように、近藤勇の人生の「空しい」部分をしっかり捉えていますが、その上で、そうした人物を物語の「主人公」としている点に、司馬遼太郎との違いがあるように思います。

 これについて、全集版付録の「茂鐵新報」によると作者は、自分の体験した戦争ではいいことが一つもなく、多くの人が空しく死んでいき、そうしたことから、空しい内容の話を描くときには熱が入り、成功者の話などは自分は書きたくないとインタビューで語ったそうです(「えすとりあ」季刊3号「水木しげる特集」インタビュー)。つまり、あと一歩のところで成功することが出来なかった近藤勇の空しい人生そのものに、作者は共感を覚えたということです(従って、「俯瞰の笑い」ではあるが「冷笑」ではない)。まさにこの作品のテーマを表す「星をつかみそこねる男」というタイトルがこれまで使われてこなかったのが不思議です。

 因みに、巻末に「幕末の親父」という短編作品が付されていますが(初出は旺文社『中二時代』'72年1月号)、この新選組隊士・吉村貫一郎を主人公とする話は、浅田次郎氏が『壬生義士伝』('00年/文藝春秋)で描き、滝田洋二郎監督によって「壬生義士伝」(03年/松竹)として映画化されてもいて、浅田次郎氏同様、子母澤寛の『新選組物語』(「隊士絶命記」)を参照していると思われます(実際には吉村貫一郎は鳥羽伏見の戦いで行方不明となり、その後どうなったか判っていない)。

【1972年コミックス化[虫プロ商事(COMコミックス『巷説近藤勇』)]/1978年単行本化[新人物往来社(『新選組風雲録』)]/再コミックス化[講談社(KCデラックス『新選組夜話 近藤勇(上・下)』)]/1989年文庫化[筑摩書房・ちくま文庫(『劇画近藤勇』)]/2004年軽装版[世界文化社(アリババコミック『新選組近藤勇』)]/2016年全集版[講談社(『星をつかみそこねる男―水木しげる漫画大全集065』)]】

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原発労働の実態のイラスト入りルポ('79年)の復刻。描かれた経緯や復刻の経緯なども興味深い。

福島原発の闇.jpg 『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』(2011/08 朝日新聞出版)

 『原発ジプシー』('84年/現代書館)の堀江邦夫氏の、福島原発で下請労働者として仕事した体験を基にしたルポルタージュに水木しげる氏の漫画を組み合わせたもので、'79年の「アサヒグラフ」10月26日号・11月2日号に掲載されたもの(原題「パイプの森の放浪者」)を、元の大判サイズから普通の単行本サイズにしての復刻版。

福島原発の闇1.jpg あとがきによると、当時、堀江氏は3カ所の原発で下請労働者として働き、原発内における作業員の労働環境の実態を密かに執筆していたところ(これが後に『原発ジプシー』という本になる)、ある日突然、「アサヒグラフ」の編集者であった藤沢正実氏から電話があり、朝日新聞東京本社で会ってみると、現在執筆中の原稿の一部を再構成して「アサヒグラフ」に掲載したい、一緒にイラストも掲載したいと思うが、水木しげる氏に依頼するつもりだとの話だったとのこと。

 堀江氏は、原発で働いていることは言わば"隠密"取材であったため、限られた一部の人しか知らないはずなのに、大手新聞社の編集者がどうしてそれを知りえたのかも不思議だったし(藤沢氏は情報源を明かさなかった)、水木氏は当時から高名な漫画家ではあったものの、原発労働のことをどれだけ知っているのかという不安もあったと言います。

 結局、水木氏、藤沢氏と、一度、福島原発のある浪江へ行ってみることになり、常磐線特急の車中で、その実態を水木氏に身振り手振りを交えて熱弁することになったということですが(当時、水木氏57歳、堀江氏31歳)、水木氏のイラストは、堀江氏の思いを受け止め、原発労働の危険性と恐怖、非人間的な過酷さを、強烈な感性で以って見る者に強く印象づけるものとなっています。

福島原発の闇2.jpg 堀江氏の原発労働のルポルタージュ部分も読み易く、'79年4月に、東芝プラントの孫請け業者の社員だった32歳の青年が、福島第一原発の正門近くの雑木林で縊死したことから始まる書き出しは衝撃的(この青年は、福島に来る前は浜岡原発で働いていた)。遺書には、「目が悪い。頭が悪い。とにかくおれは精神的に疲れた。人生の道にもついていけない。寂しい。希望もない」とあり、「原発の仕事も考えもんだ」との言葉で終わっていたそうです。

 堀江氏自身も原発内で作業中に肋骨を折る重傷を負いますが、労災申請をしないでくれと、会社から言われたとのこと。とにかく、元請け会社からも孫請け会社からも、作業に関する安全教育は実質的には行われておらず、原発の危険性を殆ど知らされないまま、当時の原発労働者は作業にあたっていたようですが、こうした実態はつい最近に至るまで続いていたものと思われます。

 因みに、これもあとがきによると、朝日新聞社内でも、70年代後半から80年代初頭にかけて「アサヒグラフ」が原発問題を度々追っていたことは知られているものの、この堀江・水木コンビの作品は忘れられていたようです。

 それが、今回の福島第一原発事故を受けての、「朝刊朝日」臨時増刊「朝日ジャーナル 原発と人間」('11年5月24日刊)の編集作業中に、昔の「アサヒグラフ」から、この本の元となった「パイプの森の放浪者」をたまたま見つけたということらしく、その迫力に改めて圧倒され、また、日本で初めて書かれた原発労働のルポルタージュではないかということもあって、今回の復刻となったようです。

 原発労働者が、原発の安全を保守するための定期点検の際に、その作業において危険な被曝状態に置かれるというのも皮肉だし、30余年前の世間からは忘れ去られていたルポルタージュが、原発事故を契機に再び日の目を見るというのも、ある意味皮肉な話かも。

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事実にフィクションを織り交ぜることで、長編としての完成度が高まった 『総員玉砕せよ!』。

総員玉砕せよ! 1973.jpg 総員玉砕せよ!.jpg    硫黄島からの手紙 dvd.jpg 硫黄島からの手紙   00.jpg
『総員玉砕せよ!!―聖ジョージ岬・哀歌』『総員玉砕せよ! (講談社文庫)』「硫黄島からの手紙 [DVD]

 '73(昭和48)年8月に講談社より刊行された書き下ろし長編戦記漫画(刊行時タイトルは『総員玉砕せよ!!―聖ジョージ岬・哀歌』、原型は初期の絵巻風作品『ラバウル戦記』)で、作者の戦記モノには、『敗走記』など自らの従軍体験に基づくものと、『白い旗』など戦争史料に基づくものがありますが、ニューブリテン島を舞台に「ラバウル玉砕」を描いたこの作品は、作者自身は'91 年版のあとがきで「90%以上は事実」としています。

 但し、『ラバウル戦記』が殆ど作者の実体験に基づいた記録風の作品であるのに対し、講談社文庫版解説の足立倫行氏によると、この物語で描かれている1回目の"不完全な"玉砕と2回目の玉砕の内、2回目の玉砕は現実には無く、1回目の玉砕を果たせなかった責任を負って将校2名が自決させられたのは事実だそうですが(これは、この作品でも描かれている)、残った将校たちは次の戦闘が無かったために生き延びたとのこと。更には、作者自身は、マラリアで寝込んでいた時に空爆を受け、左腕を失って後方に退き、ラバウル近郊の傷病兵部隊で療養していたため、不完全に終わった最初の玉砕の際にも現地にはいなかったとのことです。

 しかし、この長編作品を書き下ろすに際し(作者の戦記マンガの殆どは短編)、作品中の丸山二等兵に自身を仮託し、自らが所属した部隊の日常と非日常を描くとともに(仲間が鰐に食べられたり、魚が口に飛び込んで死んだりしたというのは"日常"と解すべか"非日常"と解すべきか、ともかく尋常では無い日常なのだが)、その丸山二等兵を"幻の"2回目の玉砕に登場させるなどのフィクションを織り込んでいることは、足立氏が指摘するように、この作品の長編としての成功に繋がっているように思いました。

 結局、当時の南方の島で追い詰められた日本兵達は、悪化する戦況の中で「精神論」を最大の拠り所に戦っていたように思われ、そのため敵前逃走や玉砕の失敗に過敏になり、自らの部隊の士気を維持するために仲間内で処刑を行ったりして"裏切り者"を排除しようとしたのだなあ。「そうしないと示しがつかない」という意識から「示しをつける」ということ自体が目的化してしまうところが日本的であるように思われました。

 責任をとらされて腹を切らされる将校も辛いけれど、兵隊は兵隊で大変。作者は「将校、下士官、馬、兵隊といわれる順位の軍隊で兵隊というのは"人間"ではなく馬以下の生物と思われていた」とし、その実態が作品中にも描かれていますが、「玉砕で生き残るというのは卑怯ではなく、"人間"としての最後の抵抗ではなかったか」と書いています。

水木しげる「総員玉砕せよ」.jpg そもそも、「ラバウルの場合、後方に十万の兵隊が、ぬくぬく生活しているのに、その前線で五百人の兵隊に死ねと言われても、とても兵隊全体の同意は得られるものではない」とも書いており、物語の中で、部下に突入を命じながら「君達の玉砕を見届ける義務がある」といって自身はそこに留まろうとしている内に流れ弾に当たって死んだ参謀も、実際には「テキトウな時に上手に逃げた」とのこと(この部分は事実の改変部分であると作者自身が書いている)。

「総員玉砕せよ!」より

 日本において戦争が映画化され、その悲惨さが描かれることがあっても、こうした部隊内の矛盾が描かれることはあまり無く、国家のために命を落とした人達を英霊として尊ばなければならないという意識の方が優先された描き方になっていることが多いように思います(最近その傾向が強まってきているし、また、そうした意識の強い人が映画を撮っている)。

硫黄島からの手紙2.jpg 最近の映画の中では強いて言えば、太平洋戦争末期の硫黄島攻防の際の日本側最高司令官であった栗林忠道陸軍中将を主人公にした「硫黄島からの手紙」('06年)の中で、そうした軍隊の内部粛清などの非人間的な面も比較的きっちり描いていたように思われますが、これはクリント・イーストウッドが監督した「アメリカ映画」です。

 栗林忠道が人格者であったことは間違いないと思われ、映画での描かれ方においても、その"悲劇のヒーロー"ぶりが強調され、これもある種ハリウッド・スタイルの作品と言えますが、一方で、軍隊というものを美化せずに、その組織内部の矛盾をも描いている点は、さすがクリントイーストウッド、とも言えるのかも。

鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争.jpg 尚、『総員玉砕せよ!』は、NHKスペシャルで'07 年 8 月 12 日に「鬼太郎が見た玉砕」というタイトルで香川照之主演でドラマ化されたものが放映されていますが個人的には未見です。

鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~ [DVD]

「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~」●演出:柳川強●作:西岡琢也弘●撮影:毛利康裕●音楽:大友良英●原作:水木 しげる●出演:香川照之/田畑智子/塩見三省/嶋田久作/榎木孝明/北村有起哉/石橋蓮司/神戸浩/壌晴/瑳川哲朗/木村彰吾/今村雅美/高田聖子/(声)野沢雅子/田の中勇/大塚周夫●放映:2007/8/12(全1回)●放送局:NHK

硫黄島からの手紙1.jpg「硫黄島からの手紙」●原題:LETTERS FROM IWO JIMA●制作年:2006年●制作国:アメリカ●監督:クリント・イーストウッド●製作:クリント・イーストウッド/スティーヴン・スピルバーグ/ロバート・ロレンツ●脚本:アイリス・ヤマシタ●撮影:トム・スターン●音楽:カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス●時間:141分●出演:渡辺謙/二宮和也/伊原剛志/加瀬亮/中村獅童/渡辺広/坂東工/松崎悠希/山口貴史/尾崎英二郎/裕木奈江/阪上伸正/安東生馬/サニー斉藤/安部義広/県敏哉/戸田年治/ケン・ケンセイ/長土居政史/志摩明子/諸澤和之●日本公開:2006/12●配給:ワーナー・ブラザーズ(評価:★★★☆)      中村獅童 in「硫黄島からの手紙」

【1985年単行本[ほるぷ平和漫画シリーズ(25)(『総員玉砕せよ―聖ジョージ岬・哀歌』)]/1991年単行本[講談社・水木しげる戦記ドキュメンタリー(1)]/1995年文庫化[講談社文庫]/2007年ムック版[集英社(SHUEISHA HOME REMIX)』)(『総員玉砕せよ!―戦記ドキュメント』]】

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水木流に視覚化、キャラクター化された面も。

妖怪画談.jpg 妖怪画談 続.jpg 『妖怪画談 (岩波新書)』 ['92年] 『続 妖怪画談 (岩波新書)』 ['93年]

 水木しげるの妖怪画集で、この人には先行して『妖怪談義』という柳田國男の著作と同名タイトルの本もあり、更に『水木しげる妖怪画集』('70年)などもありますが、この『妖怪画談』('92年)は新書で比較的入手し易いのが長所。『続・妖怪画談』('93年)では、中国の妖怪なども紹介されていますが、同じ岩波新書の『妖精画談』('96年)で、ケルト地方、北欧、ドイツ、フランス、ロシアほか海外の妖精まで追っかけて調べ、水木流の画にしています。
 『妖怪談義』は'00年にソフトカバーで復刊しているほか、『妖怪画談』も'02年に愛蔵版が刊行されています(内容がそれぞれ同じかどうかは未確認)。
「塗壁」-『続・妖怪画談』より
ぬりかべ.jpg ところで、『続・妖怪画談』には、「塗壁」(ぬりかべ)という妖怪が紹介されていて、これは、水木氏のマンガの比較的主要なキャラクターにもなっていますが(本書のデラックス版とも言える『愛蔵版 妖怪画談』('02年/岩波書店)の表紙にも、鬼太郎ファミリーの後ろにどんと構えている)、その解説に柳田國男の『妖怪談義』を参照しており、柳田國男の『妖怪談義』('77年/講談社学術文庫版)の「妖怪名彙」('38年)にある「ヌリカベ」の解説には、「筑前遠賀郡の海岸でいう。夜路を歩いていると急に行く先が壁になり、どこへも行けぬことがある。それを塗り壁といって恐れられている。棒を以て下を払うと消えるが、上の方をたたいてもどうもならぬといふ。壱岐島でいうヌリボウというのも似たものらしい」とあります。

 水木氏はこれを、目と足を備えた壁のような画に描いていて、水木氏自身、戦時中に,南方で「ぬりかべ」に出会った(色は白ではなく黒だった)と書いていますが、'07年になって、川崎市民ミュージアムの学芸室長の所有する妖怪画が、アメリカのある大学の図書館に寄贈されている妖怪画と一致することが判り、後者に「ぬりかべ」と名があることから、これが「塗壁」を描いたものであるとされ、その姿は、水木氏の画とは全く異なり、中国風の「巨大な狛犬」のようなものに見えるものです(柳田の解説とも符号しないように思える)。  

 どこから食い違ってきたのか自分は専門家ではないのでよくわかりませんが、水木氏は、「柳田國男のあたりのものは愛嬌もあり大いに面白いが、形がないので全部ぼくが作った」と述べていて、水木氏の段階で、個人的な体験や見聞の影響も含めた創作が多分に入っているのは間違いなく、他の妖怪たちも皆、水木氏のマンガに配置されるとちょうど収まるようデフォルメのされかたをしているのは、それほど深く考えなくとも、見た感じでわかることではないでしょうか。

 だからと言って、水木氏がインチキだというのではなく、柳田國男だって画にしなかっただけで、想像逞しく大いに"創作"していた部分はあったに違いないという気がし、"妖怪"というのは、元々がそうした想像力の産物だから、時と共に変遷するものなのだろうなあと。

水木しげるさん死去(11月30日).jpg朝日新聞「号外」2015年11月30日



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