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法廷戦術のぶつかり合いは通好みか。カードを捏造した人物の意図がイマイチしっくりこない。

無罪 二宮馨訳.jpg無罪 INNOCENT 2.jpg無罪 INNOCENT』(2012/09 文藝春秋)

 2012(平成24)年度・第4回「翻訳ミステリー大賞」受賞作であり、2012 (平成24)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)(第3位)、2013(平成25)年「このミステリーがすごい」(海外編)(第3位)、2012(平成24)年「ミステリが読みたい!」(海外編)(第7位)などにもランクインした作品。

Innocent Scott Turow.jpg 女性検事補殺害の嫌疑に対して無罪を勝ち取った23年後、判事となっているラスティ・サビッチの妻バーバラが死ぬ。もともと心臓に難を抱えるバーバラだけに自然死に見えたが、奇妙なことにラスティはすぐに通報せず、1日妻の亡骸の側にいたという。かつてラスティを追いつめたトミー・モルトはサビッチが殺したのではないかと考える。トミーは23年前のサビッチ事件で敗れていた―。

"Innocent"

 2010年にスコット・トゥロー(Scott Turow)が発表した作品で、彼のデビュー作にして代表作であり、ハリソン・フォード主演で映画化もされた『推定無罪』の続篇で、あのラスティ・サビッチ首席検事補も60歳となり、上訴裁首席判事を務め、州最高裁判所判事候補であるにも関わらず、また、浮気している―そんな最中に起きた神経症を病む妻の死は、自殺なのか、他殺なのか、はたまた事故死なのかという展開。

 同じく弁護士作家であるジョン・グリシャムの作品がその殆どが法廷外を舞台にしているのに対し、トゥローの作品は、この作品もそうですが、その殆どが法廷内を舞台にしており、よりプロっぽいと言うか"通好み"と言えるかも。

 事件や裁判に関係する複数の人物の視点から描かれていますが、最初の内は、ラスティ・サビッチの視点からの、自らが愛人との関係にずぶずぶハマっていく様がリアルに描かれていて、う~ん、アメリカ版"渡辺淳一"のようだなあと(それ以上の技量かもしれず、思わず感情移入した)。ラスティを、相変わらずふらふらしているダメ男とすっぱり定義づけ出来るほど、男性は皆、清廉潔白なのかなあ。

 中盤以降は、妻バーバラ殺害容疑で訴えられたラスティの公判場面が殆どですが、ここでのトミー・モルトら検察側と、同じく『推定無罪』でも活躍したサンディ・スターンら弁護側の法廷戦術のぶつかり合いの描写がまさにこの作家の真骨頂で、同じく法曹界に身を置くラスティの息子ナットの視点からの分析が分かり易かったですが、一方、真相を知るはずのラスティの視点からの心理描写は殆ど無くなり、その分、サスペンスの度合いは深まるものの、謎の解明は一向に進展しない―その間ずっと続く検察側と弁護側の遣り取りを冗長と感じるか興味をもって読めるかが、この作品に対する好き嫌いの分かれ目の一つかもしれません。

 そして、残り4分の1になったところで、夫を苦境に陥れることで、その浮気行為に対する復讐を図ったことを示唆するような妻バーバラのクリスマス・カードが、ひょっこり押収されたラスティのパソコンから飛び出してきて、当初から妻殺害容疑でラスティを責め立てていた検察側は、これをラスティが捏造したものとして、今度はその非違行為を責めるわけですが、この辺りが、個人的にはややしっくりこなかったかな。とにかく、ラスティ・サビッチの収監が目的になっていて、ラスティ・サビッチの妻殺害容疑の方はどっかにいってしまったような気もするのだけど...。

 ところがラスティは、自ら証拠の捏造を認め(実質的に司法取引に応じ)収監される―。え~っ、PC操作に関してそれほど高度な知識を持たないラスティがそれをどうやって成し得たのかも、更に遡れば、妻が亡くなって丸1日通報をしなかった理由も、何も解明されてないのでは...と普通だったら思う処ですが、そんなことを神のみぞ知るであって、どこかに落とし処を見出せればいいというのが司法取引の世界なのでしょうか(この辺りの日米の感覚の違いというのが、また興味深い点ではあるのだが)。

 何だかおかしいと気づいたのはラスティの宿敵、検察側のトミー・モルトで、クリスマス・カードを仕組んだのが誰かが分かってからの彼の行動は気高いと呼べるものであり、この作品の主人公はサビッチではなくトミー・モルトであるという見方も出来るかもしれません(最後は、ラスティとの間に友情が芽生えた?)。

 ラストでは、ラスティ自身の息子への告白によって、読者には事件の全容が明かされますが、真実を知る者がごく少数のまま終わるという点は『推定無罪』と似ているかも。 ラスティの不倫相手が誰であったかということを含めれば、真実を"全て"知っていたのはラスティ一人ということになり、更にその枠は狭められていることになります(その意味ではやはりラスティが主人公?)。

 最後の(読者に向けた)事実の開示は衝撃的でした。一方で、終盤のクリスマス・カードを巡る展開はやや蛇足ではなかったかとの声もありますが、個人的には全体を通して面白く読めました。但し、ラスティは妻を殺害したに違いないと信じている人物が、なぜ、証拠捏造というチンケな罪で彼を追い込もうとしたのか、ラスティの妻殺害を立証するのが困難とみて、そのことを直接は罪に問わず、但し、世間にはそうした印象は与える―という戦術に切り替えたということなのでしょうかね。それにしてもわざわざ「妻の自殺」を匂わすクリスマス・カードを仕組んで、その上でそれが偽物であることを暴いてみせるとは、随分と手の込んだことをしたものだと思わざるを得ませんでした。

 ラスティは、クリスマス・カードそのものは(夫を苦しめたいが、監獄暮らしをさせるのは息子のためにも望まないとする)バーバラが作成したものだとの推測を語っていますが、彼女がいくらPCの天才であったにしても、実際に起きた出来事から振り返ると、彼女自身がそんなことをするはずはない(彼女の狙いは全く別にあったわけだから)ということは知っていたのでは―そこで、息子を疑い、彼を守るために司法取引を持ちかけたということか。結構、ややこしいね。

 何れにしろ、やはり個人的に引っ掛かったのは、カードを捏造した人物の意図がイマイチしっくりしなかったことか。

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死刑廃止論者に転じた弁護士作家の省察。社会契約としての死刑制度とその適正運用の困難さを考えさせられた。

極刑 死刑をめぐる一法律家の思索.jpg 『極刑 死刑をめぐる一法律家の思索』 ['05年] Ultimate Punishment1.jpg "Ultimate Punishment: A Lawyers Reflections on Dealing With the Death Penalty" ['04年/ペーパーバック版]

Scott Turow.jpg推定無罪 上.jpg '90年代の米国のサスペンス小説界で最も人気を得た作家と言えば、弁護士出身のジョン・グリシャムで、『評決のとき』『法律事務所』『ペリカン文書』などのリーガル・サスペンスは映画化作品としても知られていますが、同じ弁護士出身のベストセラー作家でも、弁護士としての実績では、推定無罪『立証責任』無罪 INNOCENTなどの著者であり、また本書(原題:Ultimate Punishment: A Lawyer's Reflections on Dealing With the Death Penalty )の著者でもあるスコット・トゥロー(Scott Turow)の方が上のようです。
Scott Turow

 2005年原著刊行の本書にも取り上げられている、トゥローが作家活動をしながら手掛けた2件の事件の内1つは、死刑囚の冤罪を立証して無罪に導いたもので(この事件をベースに『死刑判決』というリーガル・サスペンスを書いている)、もう1つは、一旦は死刑が確定した被告について、量刑の不均衡を訴え再審に持ち込み、懲役刑に減刑したというもの―まさに「やり手」と言うしかありません。

 本書はトゥローが、当初は、死刑制度に敢えて反対はしないものの、死刑制度が必要であるとも明言しかねるという曖昧な態度であったものが、次第と死刑廃止論に傾いていく過程を、上記2つの事件を巡る経験や、イリノイ州の「死刑査問委員会」のメンバーに指名されてからの見聞と考察を交えて記したもの。

 日本の死刑反対論者が書いたものに比べると、「正義はきちんと行われているか」「量刑に不均衡はないか」ということにウェイトが置かれているように思われ、これは「犯罪大国」であり「死刑大国」であるアメリカであるからこそ、より問題視されるのでしょう(特にイリノイ州では数多くの冤罪や量刑不当があった)。要するに著者は、その点に確信が持てないことから、死刑廃止論者になっていったことが窺えます。

 本書に幾つかその例が出てくるように、アメリカでは、何十人もの人間を残忍な方法で殺害した殺人鬼のような犯罪者が時折現われますが、そうした矯正不能と思われる人間を処刑せずに生かしておくことになっても、「無辜の民を殺してしまう誤り」を選ぶぐらいならば、「生かしておく誤り」の方を選ぶと。

 一方で、死刑から懲役刑に減刑された囚人の改心が目覚しいものであったことを例にあげ、罪者の改心の可能性を奪ってしまうことになる死刑制度には反対であるという論じ方もしていて、この点は、日本の一部の死刑反対論者の論と通じる処があります。

 但し、アメリカは州によって死刑制度があったり無かったりし、またイリノイ州のように制度があっても執行が停止された州などもあるわけで、そうなると大量殺人を犯しても生かされている犯罪者もいれば、偶発的な殺人で死刑に処せられた犯罪者もいたりし、この辺りの矛盾については、著者自身が州内での量刑不均衡の次に考えなければならない問題なのでしょう。翻訳者も解説において、9.11同時多発テロ以降の当局の司法審査を経ない長期の身柄拘束への批判がされていないことなどへの不満を漏らしています。

 個人的には、ケーススタディとして考えさせられる部分はあり、遺族の報復・仕返しの観点から死刑を選択するのではなく、それは副次的に考えられなければならないとする論などには頷かされる面もありましたが、犯罪や司法などのそもそものバックグラウンドが日本とは違う面もあるとの印象も受けました。

 しかしながら、死刑制度は極めて安定した秩序に依存するのであり、死刑制度存置派の人たちは、死刑があるから秩序が落ち着いていると考えるが、これは事実と異なるというトゥロー自身の主張には、頷かされるものがありました。

 つまり、これまで死刑の犯罪抑止効果を学問的に支持してきたのは、「社会的選択は、報償物に応じて合理的に意思決定する人々による行為である」と信じる自由主義市場経済学者らが中心だったとし、彼らの考え方によれば、合理的な意思決定が出来れば、人は自分を死に至らしめる危機に追い込むような選択はしないだろうから(人を殺せば死刑になるのは分かっているのだから)、合理的選択は死刑を回避する道を選ぶ-これが、彼らの理屈であるとし、その論理からすれば死刑になる人は少なくなり、やがていなくなって死刑制度の存在も無意味になるが、人間の行動は自由主義経済学者らが考えるほど合理的でも単純でもないとしています(つまり、"割に合わない"犯罪行為を犯す人が後を絶たないということ)。

 トゥローによれば、死刑制度が在るアメリカの一部の州や日本は、むしろ極めて安定した秩序の内部から生じる安全意識から死刑制度があるのであって、そこには、自分を含め誰でも被害者になり得るという不安意識は強化されているが、自分が加害者になるもしれないという意識は薄められている、つまり、全ての人は死刑を安全のため、防衛のため、公平な復讐のための利益であるとしか見ないが、死刑制度とは本来は、「もし私が他人の生命を侵した時は、私の生命が奪われることに同意します」という宣言であると-(その自覚が極刑の必要を叫ぶ人に必ずしもあるかどうかは疑問があるということか)。

 トゥローは、こうした「社会契約」としての死刑制度を念頭に置きつつ、「今後も常に極刑の必要性を求めて叫ぶケースが現れることだろう。しかしそれは本当の問題ではないのだ。それに代わる重要な問題とは、無実の者や死刑に値しない者に刑を適用してしまうことなく、非常にまれな死刑にふさわしいケースを適正に取り扱う司法制度を構築することが可能かどうか、ということである」として、死刑不要論を説いているわけです。

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"実務寄り?"のリーガル・サスペンス。興味深い「司法取引」の様。

推定無罪 上.jpg  推定無罪下.jpg     推定無罪 ポスター.jpg Presumed Innocent m.jpg  映画「推定無罪」
推定無罪〈上〉 (文春文庫)』『推定無罪〈下〉 (文春文庫)』〔'91年〕

Presumed Innocent.jpg 1988 (昭和63) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第1位(同年度「このミステリーがすごい」(海外編)第2位)。

 1987年発表の本作品『推定無罪-プリジュームド・イノセント』(Presumed Innocent)は、もともと連邦検察局の検事補だったスコット・トゥローが在職中に執筆したもので、彼の処女作。

 作家になった後も彼は弁護士として活動していて、死刑廃止論者でもあり、何度か法廷で死刑判決をひっくり返しているヤり手だそうです(同じ弁護士作家のジョン・グリシャムが、作家になるまでは地方で傷害事件訴訟などに主に関与していたのに比べると、法律家としてのキャリアの華々しさはこちらの方が圧倒的に上)。

 女性検事補が自宅で全裸の絞殺死体となって発見され、優秀で堅物の首席検事補として知られていた主人公は、地方検事の命令でこの事件を担当することになるが、実は事件の被害者が、自分の部下で愛人の女性だと知って驚く―。

 疑惑が自分に向けられてくる主人公の"追い詰められ感"がうまく描けていて(検察官だった人間が被告人の立場に追いやられていく訳だから、焦るのは当然だが)、面白く読めました。事件に潜む政治的な背景はともかくとして、何よりも作者が、バリバリの弁護士ということで、並みのリーガル・サスペンスよりずっと"実務寄り"な印象を受けます(自分が実務に使うわけではないけれど)。

 興味深かったのは、「公判前の評議」において「有罪答弁取引」をして公判によらない解決を図るというシステムで、所謂「司法取引」というものがどのように行われるのかが分ります(アメリカにおける刑事事件裁判の9割は司法取引で処理され、純粋に陪審員制度によって判決が下されるのは5%ぐらいだという)。日本の司法制度とか日本人の感覚とは随分違うなあという感じです。

推定無罪04.jpg '90年にシドニー・ポラック製作、アラン・J・パクラ監督で映画化され、検察官を演じたハリソン・フォードは、女性に助けられるちょっと情けない男って感じで、「インディ・ジョーンズ」シリーズからのイメージ・チェンジ作にもなりました。既に「刑事ジョン・ブック 目撃者」('85年/米)や「フランティック」('88年/米)などに出演しており、この作品以降、「逃亡者」('93年/米)などサスペンス物への出演がますます多くなるハリソン・フォードですが、この作品ではラウル・ジュリアほか女優陣の方が元気がいいです。
映画「推定無罪」 ('90年/米)

 司法取引の場面だけはキッチリと描かれていて、そこは気に入りましたが、とは言え原作はかなり長くて専門的な記述も多く、映画にするとどうしても細部は端折らざるを得ない...。ジョン・グリシャムよりは通好みの作風だと思うけれども、映画で見ると、「ああ、これもまた映画的なストーリーなのだなあ」という気がしてしまうのは、その辺りに原因があるのかも。

THE BURDEN OF PROOF 1991  .jpgTHE BURDEN OF PROOF 1991.jpg '91年には『推定無罪』の続編とも言える『立証責任』(The Burden of Proof,1990)がTV映画化(ミニ・シリーズ)されていて(日本でも'93年にビデオ販売された)、『推定無罪』の主人公ラスティ・サビッチの弁護をつとめた弁護士サンディ・スターンが原作でも映画でも前作からのスピンオフの形をとって主人公になっています。シカゴへの2日間の出張からスターンが帰宅すると妻のクララがガレージの車の中で自殺していて、31年間も連れ添った愛妻がなぜ自殺したのか、さっぱり理由がわからないスターンは、妻宛の病院からの請求書を手がかりにクララの死の真相を探り始めるというもの。おそらく原作は面白いのだろうけれど、ドラマは162分の長尺ながらもやや物足りなかったでしょうか。主人公スターンは56歳で、演じたのはヘクター・エリゾンド(「刑事コロンボ(第33話)/ハッサン・サラーの反逆」('75年)の犯人役だった)、共演は「推定無罪」にも出ていたブライアン・デネヒーで、共演者の方が存在感があったかも(ブライアン・デネヒーはこの作品でエミー賞最優秀助演男優賞にノミネートされた)。スコット・トゥローらしい法律の専門知識は生かされているように思いましたが、ややマニアックか。加えてこうした中年期の危機みたいなものを描いた作品となると、やはり映画よりもテレビドラマになってしまうのでしょうか。

推定無罪09.jpg「推定無罪」●原題:PRESUMED INNOCENT●制作年:1990年●制作国:アメリカ●製作:シドニー・ポラック/マーク・ローゼンバーグ●監督:アラン・J・パクラ●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原作: スコット・トゥロー「推定無罪-プリジュームド・イノセント」●時間:127分●出演:ハリソン・フォード/ラウル・ジュリア/ブライアン・デネヒー/ボニー・ベデリア/グレタ・スカッキ/ジョン・スペンサー/ポール・ウィンフィールド●日本公開:1991/06●配給:ワーナー・ブラザース (評価★★★)

立証責任 1993 tv 映画.jpg「立証責任」●原題:THE BURDEN OF PROOF●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督:マイク・ローブ●製作:ジョン・ペリン・フリン●脚本:ジョン・ゲイ●撮影:キース・ヴァン・オーストラム●音楽:クレイグ・セイファン●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原作: スコット・トゥロー「立証責任」●時間:162分●出演:ヘクター・エリゾンド/ブライアン・デネヒー/メル・ハリス/エイドリアン・バーボー/ステファニー・パワーズ/アン・ボビー/ヴィクトリア・プリンシパル/ゲイル・ストリックランド/ジェフリー・タンバー/コンチータ・トメイ●VHS日本発売:1993/04●販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ (評価★★★) 「立証責任 [VHS]

 【1991年文庫化・2012年新装改定版[文春文庫(上・下)]】

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