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一見、気まぐれ、お手軽なようで、実は戦略的にこの言葉(「汚い」)を選んでいた?

「汚い」日本語講座.jpg 『「汚い」日本語講座 (新潮新書)』 ['08年]

 '06年から'07年にかけて、㈱パブリッシングリンクの電子書籍サイト「Timebook Town」('09年に終了)に連載されたもので、著者のゼミで「目くそ鼻くそを笑う」という言葉が話題に上るところから話は始まり、「汚い」とは何だろうか、というテーマでの学生との遣り取りが暫く続きます(取り敢えず、この言葉を選んでみたという感じに思えた)。

 Web本で、しかも学生との遣り取りをネタに書いていて、お手軽だなあとも思ったれども、「汚い」と「汚れている」「汚らしい」「小汚い」などとのそれぞれの違いなどの話は、辞書の上での意味の違いを超えて、感覚論、メタファー論へと拡がり、それなりに面白かったです。

 但し、前半は、著者自ら"ハウルの動く城"の如く、と言うように、話をどこへ持っていこうとしているのかよく分からず、(金田一先生がインタラクティブに授業を進めているのはよく分かったけど)ややじれったい感じも。

 それが、後半、「汚い」とは何かを更に突っ込んで、言語学から文化人類学、精神病理学、構造人類学へと話は転じて、仕舞いには人類の起源そのもの(考古人類学)へと遡って行くその過程は、もう話がどこへ行こうと、話のネタ自体が興味深かったというのが正直な感想でしょうか。

納豆.jpg 例えば、著者は、粘り気のあるものを食べるのは日本人だけであると言っても過言ではないとし、ネバネバするものは毒であるというのがホモサピエンスにとっての生物学的常識であるが、日本人は例外的にその判断基準を捨てることに成功し、お陰で納豆など食していると。

 或いは、2人でケーキを食べる時に、互いにチーズケーキとチョコレートケーキを頼むと、2人は当然のように相手の分を少しずつ分けて食べるが、2人が同じケーキを頼んだ時はそうしないのは、「比べる」理由がないからと言うよりも、そこに「共有」と「所有」の違いがあるためで、「所有」という意識は「余剰」により生まれるのではないかと。

家でやろう1.jpg 電車の中で化粧をするのが嫌われるのは、車内の空間が「共有」されていて、個人の裁量権が無いというのが一般的了解であり、その掟を守っていないためとのことらしいです(車内が混んでいれば混んでいるほど、「余剰」が無いから、空間を「共有」せざるを得なくなり、そこでの個人の「所有」は認められないということか、ナルホド)。

 20万年前にアフリカのどこかで発生したホモサピエンスが、ネアンデルタール人を凌駕したのは、言語を獲得したことに因るところが大であり、それでも15万年間はアフリカ大陸に止まっていたのが、5万年前に「出アフリカ」を果たし、その後、様々な気候風土に適応して地球上に広がっていく(ネアンデルタール人もアフリカを出たが、せいぜい現在のヨーロッパの範囲内に止まっていた)、それはホモサピエンスが、寒い地で衣服を工夫し、棲家を作り変えるなどしたためですが、そうした文明の礎もまた、言葉によるコミュニケーションが出来たからこその成果であり、ホモサピエンスはもう何万年経とうが(適応し切っているため)進化しないだろうとまで、著者は言い切っています。

 「汚い」というのは人間の原初的な感覚であり(著者は「恐い」に近いとしている)、それを察知出来るか出来ないかは生命に関わることであって、その感覚や対象となる事象を文節化された複雑な言語によって精緻なレベルで共有化出来た点に、ホモサピエンスの繁栄の源があった―ということで、最後、きちんと「汚い」というテーマに戻ってきているわけで、顧みれば、著者は当初から戦略的にこの言葉を選んでいたように思えました。

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概ねベーシック。誤用は正す一方で、「テキトーである」ことが適切であることもあると。

適当な日本語.jpg金田一 秀穂 『適当な日本語』.jpg 『適当な日本語 (アスキー新書 76)』 ['08年]

 全3章の構成で、第1章は「適切な日本語相談」は、「とどのつまり」の「とど」とは何かとか、「汚名挽回」の誤りとか、「気のおけない人」の誤用例とか、かなりベーシックな感じですが、ファミレスなどでの「こちらコーヒーになります」など使われ方に対しては、「優しく寛容に聞き流してあげましょう」とのことで、こうした"いい加減さ"を許容する姿勢が、本書のタイトルに繋がっているようです(本来的な正しさよりも、その場において適切であればいいのだと)。

  第2章の「今こそ使いたい懐かしい言葉」では、「おしたじ」とか「シャボン」など、あまりマニアックにならな程度のものが解説されていますが、「隔靴掻痒」とか「眉目秀麗」も"懐かしい言葉"になるのかなあ(「手練れ」とか「お目もじ」とか「始末がいい」とかまでいくと、時代劇の言葉になるような気がするが)。

 第3章の「パソコン&ケータイ時代の漢字選び」は、「アスキー・ドットPC」の連載がベースに加筆・修正して全回分を収録したもので、例題に対してPCの漢字変換候補からそれぞれの意味合いの違いを解説し、どれが適切かを選ぶものですが、なかなか面白い企画で、読みでもそれなりにありました。

 例題そのものは、「オリンピックの代表選手を会議にはかる」の「はかる」は「計る」「測る」「図る」「量る」「諮る」「謀る」のどれかといったもので、それほど難しくないですが(と言いつつ、自分が誤用していたものもあったが)、それぞれのニュアンスの違いが明解に示されていて、例えば、「勧める」と「薦める」の違いについて、本来的な意味を解説し(「薦」には「神に供えてすすめる」という意味があるとは知らなかった)、その上で、「勧めるのは行為、薦めるのは具体的なモノやヒト」だと思えばいいとのことで、実に解り易い解説です。

 通してみれば、やはり概ねベーシックであるということになり、「新たな知識を得る」と言うより「曖昧な部分の再確認」といった感じでしょうか。
 通勤電車の中でサラッと読めてしまう本です。

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日本語の曖昧さ、適当さを認識させられるクイズ集。「本」として読むと、やや軽い。

ふしぎ日本語ゼミナール.jpg 『ふしぎ日本語ゼミナール (生活人新書)』 ['06年]

 本の大部分がクイズ形式になっていますが、普通の日本語のクイズ本と異なり、その大部分に"正解"が無いのがミソです。

 気軽に読める本ですが、自分の知識を試すつもりで手にした読者が、日本語の曖昧さを考えさせられ、或いは、著者の言う"適当さ"を認識させれるようになっていると言う点では、戦略的と言えば戦略的な本かも知れません。
 
 切符にある「大人・小人」の「小人」をどう読むか、著者は、読めなくていい、意味がわかればいいのだと。「1日おき」と「24時間おき」の違いなんて、「1日=24時間」と考えれば、確かに整合しない感じもしますが、数を「かたまり」で捉えるか「長さ」で捉えるか、無意識的に識別しているわけです。「1日いて帰った」は、人によって、日帰りで帰ったのと泊って帰ったのに印象が分かれるそうですが、人よりむしろ状況によるのではないかと。

 著者があとがきで書いていますが、クイズのように選択肢で答えられるものは知識の領域であって、本を調べればすぐわかると。「本当に面白いと思えることは、日常の中で使われていて、誰も困らず、誰も不思議に思っていないような言葉の中に、考えてもわからなくなるような謎を見つけ出すこと」であると。

 本書は、「NHK日本語なるほど塾」のテキストや、NHK教育テレビの「日本語なるほど塾」(擬音語・擬態語研究者の山口仲美氏なども出演していた時期があった)の「言葉探偵」のコーナーをもとに再編集したもので、体裁がクイズ本なので、普通に「本」として読むと、やはりやや軽いかも(あっさりし過ぎ)。

 元々よくテレビに出演していた著者ですが、最近は、クイズ番組の回答者としての出演することも多いようです。回答に詰まって苦しい表情をみせたりしていますが、根っこの部分では、そんなこと知らなくても恥ずかしいことではないと思っているのかも(そう思ってでもいないと、大学の先生でクイズ番組などには出られないか)。

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エッセイ風にさらっと読めるが、著者のエッセンスが詰まっていた本。

新しい日本語の予習法.jpg 『新しい日本語の予習法 (角川oneテーマ21)』 ['03年]金田一 秀穂.jpg 金田一秀穂 氏

 「日本」を「外国人」に教えるという日本語教師という仕事を通して、日本人であることを捨ててはならないが、「日本人的なものの見方」だけでなく、海外と日本の中間の視点も持たざるを得なくなった著者が、そうした観点から、「日本人の日本語の使い方」を書いたもの。

 しばらくぶりの再読ですが、面白いことが結構書かれていたなあと。著者の初めての"単著"だったとのことですが、その後に著者が書いた日本語に関する本(クイズ本的なものも含め)のエッセンスが本書に詰まっていたのだと再認識しました(エッセイ風にさらっと読めてしまう分、忘れていることも多かった)。

 第1部「正しい日本語?」第1章の「いろいろな日本語」に、最近の若者の言葉の乱れを書いていますが、基本的には寛容というか、著者自身が面白がっているようなところもあるものの、「アケオメ、コトヨロ」(明けましておめでとう。今年もよろしく)みたいな携帯メール言葉に出くわすと、さすがに「面白がってばかりいられなくて、少しは苦言を呈したくなってくる」と。

 第2章の「気持ちのいい日本語」で、「伸ばしあうアメリカ人・補いあう日本人」というのがあり、グループが協力的な態勢を作るに際して、アメリカ人は「お互いのいい点を発揮しあおう」、日本人は「お互いの足らない点を補いあっていきたい」と言うことが多いそうで、認め合うのが長所なのか短所なのかという日米対比が興味深いです。

 第2部「人見知りの文化」は、会話(おしゃべり)のスタイルについて書かれていますが、さらに比較文化論的な要素が強くなり、「道をきかない日本人」とかは確かにそうだなあと(著者が常に自分自身を振り返って「自分もそうだが」と言っているため、なんとなく親近感がある)。

 「ひとつの話題で盛り上がれるのは、参加者が五人までだという」のも、ナルホドそうだなあという感じで、「レストランでの注文の仕方」の日本人とアメリカ人の違いの話も、確かにそうだなあと納得、著者がアメリカでサンドイッチを注文しようとして、どういうパンを使って何を入れるか店の人にいろいろ聞かれ難渋した話も面白かったです(レストランの入り口にある料理見本は、日本独自のものらしい)。

 "単著デビュー"が「角川oneテーマ21」であるのは、親父さん(金田一春彦)の著作がこの新書に収められているヨシミなのかも知れませんが、自分で自分がこう本を出すのも、親の七光り、十四光り(祖父まで含め)によるものと思われると言っている、この腰の低さが、テレビ番組などでの好感度にも繋がっているのではないかと。

 若い頃は、高校に馴染めず、修学旅行や卒業式は欠席し、大学でもあまり勉強せず、海外放浪に出て、それが今の日本語教師の仕事に繋がっているようですが、研究論文は書いていないそうで、アカデミズムの本流と違うところにいるのは、やはり"七光り、十四光り"の重圧の反作用かな?
 
 でも、日本語の面白さをテレビ等を使って広く伝えるというやり方は、ある意味では、論文など書いているよりも影響力があるかも。
 結局は、親父さんと同じように、日本語から日本文化論・日本人論へといくのだろうなあ、この人は。

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