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父と子どもの切ない(身につまされる)ファンタジー。年齢とともに傑作に。
『流星ワゴン (講談社文庫)』['05年]/『流星ワゴン』['02年]
2002年度「『本の雑誌』が選ぶノンジャンルベスト10」第1位。
帰省先から帰宅途中の永田一雄は、夜の駅前に1台のワゴン車が止まているのを見かける。ワゴン車には橋本義明・健太という親子が乗っていて、彼らはなぜか永田の抱えている問題をよく知っていた。永田の家庭は崩壊寸前で、妻の美代子はテレクラで男と不倫を重ね、息子の広樹は中学受験に失敗し家庭内暴力をふるっていた。永田自身も会社からリストラされ、小遣いほしさに、ガンで余命いくばくもない父・忠雄がを訪ねていくようになっていた。「死にたい」と漠然と考えていたとき、永田は橋本親子に出会ったのだ。橋本は彼に、自分たちは死者だと告げると、「たいせつな場所」へ連れて行くと言う。そして、まるでタイムマシーンのように、永田を過去へと誘(いざな)うと、そこには、なぜか自分と同じ年の姿で現れた父・忠雄がいた―。
作者自身が文庫あとがきで、「『父親』になっていたから書けたんだろな、と思う自作はいくつかある」とし、その一つに挙げている作品で、この作品を書き始めた時は36歳だったそうです。36歳の自分が36歳の父親と会ったら、友達になれただろうか、という思いを込めたとのことで、まさにほぼそういった設定になっています。
文庫解説の斎藤美奈子氏が、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」('85年/米)を想起させるところがあるとしていますが、確かに、デロリアンがオデッセイになっていますが(物語のワゴン車は3列シートのオデッセイ)それはあるかも。
主人公の永田一雄は38歳で、一方の父親は63歳で、末期ガンで余命いくばくもない状態で病院にいますが、一雄が橋本親子に連れられてオデッセイでタイムスリップした1年前においては、父は一雄と同じ38歳になっていて、つまり1年過去に戻った一雄とは逆に、父・一雄は24年くらい未来にやってきたことになります。
斎藤美奈子氏は、タイトルから、「スーパージェッター」の「流星号」も想起したそうですが、これも確かに、時を駆ける際には流星号となるとも言えます。個人的には、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を想起しました。
『銀河鉄道の夜』に出てくる列車は、これから死に向かいつつある人を乗せているわけで、橋本父子は5年前に事故死しているわけだし(不慮の事故だっため、死んではいるが成仏できていない)、主人公の一雄は、壊れた家庭を前にふと死を考えてみたりもしています。そこに現実世界では末期ガンである父親も乗り込んでくるとなると、一雄はどうなるのかなあとも思ったりしましたが、彼はカムパネルラではなくジョバンニだったわけかと。
宮沢 賢治(作)/田原 田鶴子(絵)『銀河鉄道の夜』['11年/偕成社]より
一雄は、過去に遡るたびに、妻・美代子や息子・広樹が躓いてしまったきっかけを知ることになり、何とかしなければと思いながらも、2人にうまく救いの手を差しのべられないでいますが、これは「歴史は変えられない」というタイムパラドックスSFのセオリーとも言えます。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」もそうですが、"誤った将来(現在)"にならないよう"過去を過去のまま"保とうとするタイプのタイムパラドックスSFがあるのに対し、こちらは、主人公が"過去を変える"ことで"現在を変える"ことを試みるというタイプのものになっていて、それは結局何一つ叶わないものだったのか―実際、一雄と家族のすれ違いと衝突は極めてシビアで、生半可なことでは解決の糸口は見い出せないようにも感じられましたが...。
しかしながら、最後は何とかハッピーエンドに。話が出来過ぎているように思えても、やはり感動させられ、このあたりは作者の力量かなと思いました。こんな「感動物語」の解説を辛口批評の斎藤美奈子氏がやっているいるのがやや意外でしたが、作者の指名であったようです。斎藤氏は、この作品を読んで「身につまされる」のはなぜかを、しっかり社会学的に分析していました。
斎藤美奈子 氏
斎藤美奈子氏は、フランスの社会思想家エリザベート・バダンテールの『XY―男とは何か』('97年/筑摩書房)を引いて、工業化社会以降の職場と家庭の分離が、父と子の距離が離れていった原因であり、家庭に居場所を失った父親は、家長として威厳を保つために権威を振り回すか、愛情ある父親を演じようと子どものご機嫌をとるか、極端に言えばその2つしかなくなるとのこと。息子から見ても、生活圏の異なる父親を自己同一化モデルとすることは難しくなったとしています。
エリザベート・バダンテール
バダンテールの『XY』によれば、権威主義の家父長のもとで育った子は、その苦しい経験から、自身は「並外れて愛情深い」父親になるが、その優しさが今度は子どもから厳しく裁かれることになるとしており、斎藤美奈子氏は、この物語の父子がまさにそうだとしています(そして、読者も身につまされるのだ)。
物語の中で親子はチュウとカズさんという関係になっていきますが、そうなるには二人が同年齢であるSFファンタジックな設定が必要であったわけで、読者の多くもSFというよりはファンタジーとしてこの作品を読んだのではないかと思います。切ないファンタジーではありますが。
痛々しい家庭の内実をシビアに描きながらも、一方でそうしたファンタジクな設定でそえrを包み込むことで、小説として爽やかな読後感を残しています。また、いろいろと考えさせれる面もあった傑作であると思います(実は、年齢がいくごとにそう思えるようになった。何歳くらいで読むと一番感動するだろうか)。
2015年にTBS系列でドラマ化されており(全10回)、一雄(カズ)は西島秀俊、父(チュウさん)は香川照之、妻・美代子は井川遥、ワゴン車を運転する橋本は吉岡秀隆が、それぞれ演じています。
因みに、この『流星ワゴン』は「『本の雑誌』ノンジャンル・ベスト10」の第1位にも選ばれていますが、編集人の椎名誠氏よりむしろ、当時から『本の雑誌』の発行人で、今は「本屋大賞」実行委員会代表も務める浜本茂氏が強く推したためのようです。
【2005年文庫化[講談社文庫]】