Recently in 佐藤 愛子 Category

「●さ 佐藤 愛子」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●さ 佐藤 泰志」【3170】 佐藤 泰志 「草の響き

プリミティブな「トク」の魅力。読み終えてすぐにまた読み返したくなるような作品。

加納大尉夫人・オンバコのトク.jpg 佐藤愛子の世界 (文春ムック).jpg
加納大尉夫人 / オンバコのトク』('18年/めるくまーる)/『佐藤愛子の世界 (文春ムック)』['21年]

 小村徳太郎は小村トメの息子で、小村トメはこの町では「オンバコ」と呼ばれているが、「オンバコ」がどういう意味なのか誰も知らない。その息子ということで「オンバコのトク」と呼ばれる徳太郎は、秋祭りで「東京から来た女」と出会い、酒を飲みながら素性を訊かれるうち、問わず語りのようにして家族のことを回想する。オンバコとの別れがあり、その死の知らせの後、徳太郎のアパートに、兄の英吉とその妻カズコが転がり込んで来る。英吉とカズコは仲がよかったが、徳太郎と英吉はよく喧嘩をし、カズコは徳太郎を怖がっていた。カズコはときどき何処かへ行ってしまうが、彼女は少し脳に問題があったらしく、男なら誰彼なく性交をしていたようだ。いつかまた突然消えては何処かで何かをしていたようが、そのうち英吉が死ぬ。残された徳太郎とカズコは喧嘩ばかりしているが、英吉の死後もカズコは時々いなくなり、見かねた婦人科の医師がカズコの子宮を取ってしまう。カズコの放浪が激しくなり、役場の人はカズコを精神病院へ入れるしかないと言い、いつの間にかカズコのことを気に掛けるようになっていた徳太郎は決断を迫られる―。

 「オンバコのトク」は、1981(昭和56)年「小説新潮」に掲載された作品で、北海道の片田舎に生きた一人の男の物語です。野の繁みで生まれたその男「オンバコのトク」こと徳太郎の、知的能力では他人に劣りながらも、不満や怒りを知らず、与えられた生を誠実かつ強かに生きるその生き様が、まるで説話のように簡潔で力強い文章で描かれています。

 徳太郎をめぐる話はスゴイ話ばかりですが、それらを通して、彼の、損得に左右されることない、天与の性に従って自然自在に生きる人間のプリミティブな活力が浮き彫りになっています。同時に、たいへん哀しい話でもあり、カズコが精神病院に入れられ、その後、転院する時の徳太郎とカズコの会話も切ないですが、ラストの母親の遺骨を引き取るために襟裳から阿寒まで自転車で行こうとする徳太郎も切ないです。

 本書『加納大尉夫人/オンバコのトク』は94歳になった作者が、「六十年の間、人生の浮沈に従って書いて来たもの(中略)の中に二篇だけ、これだけはいい、と思えるものがあって」として復刻したもので、個人的には「加納大尉夫人」は読んだことがありましたが、この「オンバコのトク」は初読でした。読んでみたら、「加納大尉夫人」よりこちらの方が良く、思わぬ拾い物をしたという感じです。

色川武大.jpg 作者のまえがきによれば、「小説新潮」に掲載された時は完全に黙殺され、後に色川武大だけが認めてくれたそうで、作者は以来、色川武大こそ、唯一、小説のわかる文学者であると思い決めているそうです(色川武大には阿佐田 哲也というもう一つのペンネームがあったなあ。伊集院静の博打の師匠だった)。

色川武大

 発表時に黙殺されたのは(以来、「オンバコのトク」を表題にした単行本もないが)、あまりに土俗的と言うかプリミティブで、比肩する作品が身近になかったからではないでしょうか(個人的には、ラテンアメリカ文学のガルシア=マルケスを想起した。また、カズコのような女性はつげ義春の漫画にも出てきそうな気がした)。

大黒座.jpg 徳太郎のモデルはあったのだろうし、おそらく「東京から来た女」というのが、そのモデルを取材した作者なのだろうなあというのが順当な想定かと思います。徳太郎が「映画見たいな」と言うカズコを連れて行ったウララ町(浦河町)の「大黒座」は、1918年創立の、現存する映画館では北海道で最古の映画館になります。

 「取材」に関しては、作者は本作品について、「書いては捨て、書いては捨て、やっと気に入る文体を見つけて仕上げた作品」と言っているだけなので、本当のところはわかりません。でも、文章にそれだけ苦心しただけあって、読み終えてすぐにまた読み返したくなるような作品でした。

 因みに、この作品は、自らが責任編集した「文春ムック」のオール讀物創刊90周年記念編集『佐藤愛子の世界』 ('21年6月刊)にも、直木賞受賞作「戦いすんで日が暮れて」、芥川賞候補作「ソクラテスの妻」などとともに収録されています。

「●さ 佐藤 愛子」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3064】 佐藤 愛子 「オンバコのトク
「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(佐藤愛子)

「何か間違っている」という憤りの感覚が、世人の心情を代弁してベストセラーになったのでは。

『九十歳。何がめでたい』3.jpg
九十歳。何がめでたい.jpg
九十歳。何がめでたい sato.jpg
九十歳。何がめでたい』['16年]

 1923(大正12)年生まれの作者が92歳の時に刊行されたエッセイ集で、トーハン、日販の調べで2017年の年間ベストセラーの第1位となった本です(因みに、この年の第2位は『ざんねんないきもの事典』、第3位は『蜜蜂と遠雷』)。

九十歳。何がめでたい cm.jpg 218万部という数字も凄いですが(本書のテレビCMシリーズも放映された)、92歳でのベストセラーの第遠藤周作.bmp1位というのも最高齢記録だそうで、これだけけでも十分「めでたい」のではないでしょうか。このエッセイに出てくる「ソバプン」こと遠藤周作('23年生まれ)と同期、吉行淳之介('24年生まれ)、三島由紀夫('25年生まれ)より上だからなあ。

598510024.jpg 2000年に77歳で『血脈』で菊池寛賞を受賞しており、何だかこうした人生の「上がり」みたいな賞を受賞した人が、その17年後に年間ベストセラーの第1位の本の著者になるとは、誰も予測していなかったのではないでしょうか。

 本エッセイは、91歳から92歳にかけて「女性セブン」に連載したものが元になっていて、雑誌連載のきっかけは、88歳で最後の長編小説『晩鐘』を書き上げ(91歳で刊行)、断筆宣言していたところへ、編集者が何度も執筆のお願いに伺いやってきて、「90歳を超えて感じる時代とのズレについてならば...」ということで引き受けたとのことです。

 音が静かになって接近に気付けない自転車が危なくて困るとか、よくわからないスマホに、こんなものが行き渡ると「日本総アホ時代」が来るとか、「レジ袋はいりません」と声に出して言うのがどうして憚られるのかといった身近な事象に対する憤りや疑問があります。

 さらには、'15年に大阪・寝屋川市で起きた中学1年の少年少女殺害事件や、'16年に発覚した広島・府中市の中学3年生の「万引えん罪」自殺事件、'15年に最高裁で遺族側の逆転敗訴が確定した、道路に飛び出したサッカーボールを避けて転倒事故が起きた場合、ボールを蹴った子供の親は責任を負うべきかが争われた裁判等々、さまざまな事件・裁判についても言及しています。

 さらに、さらに、バイオリスト・高嶋ちさ子氏がゲームをしないとの約束を破った息子のゲーム機を壊したとして炎上した"ゲーム機バキバキ事件"から、橋下徹元大阪市長のテレビ復帰に至る件まで、ネットネタやテレビネタまで、コメントの対象は尽きません(ネットネタもおそらくテレビで知ったのだろうが)。

 ベースになっているのは、「おかしいのではないか」「何か間違っている」という憤りの感覚で、それがおそらくは、多くの人が言葉にできなかった心情を代弁するかのように物事の核心を言い当てていたため、高年齢層から若年層まで世代を超えた共感を集め、ベストセラーになったのでしょう。ただ、こうした「公憤」「義憤」ばかりでなく、「思い出ドロボー」(コレ、面白かった)のように過去に自分が他人に騙された経験なども綴られていて、自身は「読者代表」ぶっていないところがいいです。編集者によれば、著者は「満身創痍の体にムチ打って、毎回、万年筆で何度も何度も手を入れて綴ってくださいました」とのことですが(ワープロは使わないそうだ)、書くことが生きる活力にもなっているのではないでしょうか。

九十歳。何がめでたい  増補版文庫.jpg 実際、著者はこの後も書き続け、先月['21年8月]、本書の続編『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』を刊行。ここまで続くと思っていた人も少なかったのでは。ただし、この本の最後が「さようなら、みなさん」になっており、これが今秋98歳になる著者の「最後のエッセイ集」になるとして、今度こそ、との再・断筆宣言をしたようです。
九十八歳。戦いやまず日は暮れず』['18年]『増補版 九十歳。何がめでたい (小学館文庫 さ 38-1)』['18年]

 この『九十歳。何がめでたい』のあとがきも「おしまいの言葉」となっていますが、いったん「ここで休ませていただく」としながらも、その理由は「闘うべき矢玉が盡きたから」で「決してのんびりしたいからではありませんよ」としていて意気軒高、実際、この後に連載を再開するわけです。

 今回の断筆宣言については、近況インタビューが今日['21年9月10日]付けの朝日新聞(朝刊)に出てましたが、「書くのをやめて、残念に思うことあるけど」とも言っており、個人的には今回もまた再開して欲しい気がします。
2012.9.10 朝日新聞(朝刊)
I210910 asahim図6.jpg


【2021年文庫化[小学館文庫]】

「●さ 佐藤 愛子」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3063】 佐藤 愛子 『九十歳。何がめでたい

戦争をめぐる哀しくも切ない話なのに、どこか逞しさを感じるユーモアもある。

光風社刊『加納大尉夫人』.jpg「加納大尉夫人」 ロマンブックス.jpg 「加納大尉夫人」角川文庫.jpg
加納大尉夫人 (ROMANBOOKS)』『加納大尉夫人 (1980年) (角川文庫)
加納大尉夫人 (1965年)』(「二人の女」「猫」「島」「加納大尉夫人」)

 大阪で指折りのメリヤス問屋の末娘に生まれた安代は、卒直な明るさを持つ娘であった。安代が女学校を卒業した年に、戦争が始まった。ある日、母に見せられた1枚の写真、それが海軍中尉・加納敬作であった。敬作のりりしさにあこがれた安代は、彼の妻になった。少女時代の延長のような稚なさの安代が、帝国軍人の妻らしくなりたいと努力し、緊張するほど、無邪気な失敗がくり返された。そんな妻を、敬作はいとしく思った。戦いは次第に苛烈さを加え、敬作の出征中に、安代は男の子を生んだ。そして半年の後に、敬作の戦死が伝えられた―。

 「加納大尉夫人」は、「文學界」の1964(昭和39)年8月号に発表され、1965(40年)2月光風社刊の『加納大尉夫人』所収作で(ほかに「二人の女」「猫」「島」を収録)、1969年9月講談社より刊行の『加納大尉夫人』にも所収。さらに、1971年1月講談社刊のロマン・ブックス『加納大尉夫人』として刊行されています(ほかに「猫」「山」「二人の女」を収録)。

 1964年下半期・第52回「直木賞」候補作ですが、作者が直木賞を獲るのは5年後の1969年上半期・第61回「直木賞」の『戦いすんで日が暮くれて』になります。因みに、この「加納大尉夫人」以前に、「ソクラテスの妻」が1963(昭和38)年上期・第49回芥川賞候補になっていて、さらに『加納大尉夫人』所収の「二人の女」も1963年下半期・第50回芥川賞候補になっているので、芥川賞候補からから直木賞候補にスライドしてきた作家と言えます。

 「加納大尉夫人」における、戦前に職業軍人と結婚したため、あくまで大尉夫人として生き、当然のごとく戦争未亡人とならざるをえなかった一女性の姿は哀しくも切ないですが、直木賞の選評では、木々高太郎「「依然として戦争私小説がある。僕は好かない」と述べており、これだけが落選理由ではないでしょうが、当時まだ似たようなモチーフの小説が多くあったのでしょうか。

 個人的には、この小説の特徴は、垣間見えるユーモアではないかと思います。安代が敬作のことを好きではなかったところ、敬作と子どもの隠れん坊遊びに付き合ったら、たまたま隠れた押し入れに敬作がいたのが、敬作のことを好きになったきかっけだったというのも面白いです。やはり、男と女って距離なのだろうなあ。押し入れを出て大笑いしたというのは、その時沸き起こった特別な感情を抑制したと思われ、リアリティがありました。

 また、ある日、変な成り行きで発展家とでも言うべき川上夫人が敬作・安代の間に入って3人で寝ることになり、あとで夫人から、夕べ夫が彼女のお腹を撫でに来たと聞かされるのも、安代にすれば堪ったものではない話でしょうが、どこかユーモラスなところも感じられます。夫が「あの人が自分で導いていったんだよ。だが、それだけだよ。誓っていうよ。それ以上は何もしない」という言い訳も、生々し過ぎて言い訳になっていないような(笑)。

「加納大尉夫人」佐藤愛子.jpg木内 みどり.jpg 安代の醸すユーモラスな雰囲気には生への逞しさが感じられ、そうしたこともあってか、「安ベエの海」というタイトルでTBSの「ポーラテレビ小説」の第3作として、1969(昭和44)年9月から翌1970年3月まで放送されたりもしています。安代役は、一昨年['19年]急死した木内みどり(1950-2019/69歳没)。女優(NHK大河ドラマ「西郷どん」などにも出ていた)でありながら、反原発活動家としても活躍していた人です(個人的には、この人の出ていた伊藤智生監督の自主製作映画「ゴンドラ」('86年/OMプロダクション)が印象深かった)。この原作を、連続テレビドラマとして全156回に渡って話を繰り拡げられたのは、夫の戦死で未亡人となった安代が、戦後の混乱期をひたむきに生きる姿までを描いているためのようです。

加納大尉夫人・オンバコのトク.jpg また、近年になって作者が、「六十年の間、人生の浮沈に従って書いて来たもの(中略)の中に二篇だけ、これだけはいい、と思えるものがあって」として、『加納大尉夫人/オンバコのトク』('18年/めるくまーる)が刊行されています。1923年生まれの作者はその前書きで、この「加納大尉夫人」は「30代の終わり頃に書いた」と言っているので、構想は発表のその少し前からあったのか、それとも同人誌に先に発表していたのかもしれません(「文學界」には同人誌推薦作が掲載されることよくがあった)。

『加納大尉夫人/オンバコのトク』('18年/めるくまーる)

 直木賞の選考で最も強くこの作品を推したのが、小島政二郎(当時70歳)で、「一番面白いと思った」「話も面白いし、夫婦―殊に夫人の性格が活写されている、その活写の仕方の逞しさに魅力があった」とし、さらに、「この人の「ソクラテスの妻」が芥川賞でなく、直木賞へ提出されたら当然賞を与えられていたと思う」と述べていて、この人は作者のユーモアの資質を高く評価していたのではないでしょうか(5年後に『戦いすんで日が暮くれて』が直木賞候補になった際には選考委員を外れていたが、松本清張が「ドライなユーモアで、塩からいペーソス」、水上勉が「佐藤さんのユーモアは、この人の心田のものであった」と強く推し、授賞が決まっています。

木内みどり in「ゴンドラ」('86年/OMプロダクション)
木内 みどり/ゴンドラ.jpg

【1980年文庫化[角川文庫]】

About this Archive

This page is an archive of recent entries in the 佐藤 愛子 category.

笹沢 佐保 is the previous category.

佐藤 泰志 is the next category.

Find recent content on the main index or look in the archives to find all content.

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1