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林長二郎(長谷川一夫)の一人二役が楽しめる。三枚目の方を主として演じている珍品。

刺青判官31.jpg刺青判官 ほりものはんがん 3.jpg VHS 刺青判官 vs1933.jpg
DVD「銀幕を知る男『毒蝮三太夫』が選ぶ発掘!昭和の大スター映画 「刺青判官 総集編」
長谷川一夫(百姓・百之助と金さん(遠山金四郎)の1人2役)

刺青判官63.jpg 百姓・百之助(林長二郎)は、村相撲で大関を張ったこともある力自慢だが、頭の血の巡りは人よりやや劣る。蝦夷松前から江戸まで、五万二千石松前の殿様に騙されて死んだ叔母と父の仇を討ちに行く途中、女相撲の旅芸人一行と知り合い、座長のお千代(飯塚敏子)はの金さん(林長二郎、二役)に助太刀を頼んでくれる。百之助が初めて会った金さんは町の兄貴分だったが、二度目に会った際はは旗本遠山金四郎だったので、武士が嫌いな百之助は、二本棒への仇討ちに二本棒の助太刀は要らないと失望する。過去の不祥事を隠蔽しようとする松前藩は金四郎の買収が難しいとみて、百之助を亡き者にすることにし、与力や目明し、果ては賞金稼ぎの殺し屋まで差し向ける。一方の百之助も、それらから逃れながら、単独で松前の殿様への仇討ちを果たさんとする―。

刺青判官 ほりものはんがん1.jpg 1933(昭和8)年6月に前篇公開の冬島泰三(19010-1981)監督による松竹京都(下賀茂撮影所)作品で、原作は「一本刀土俵入」の原作者でもある長谷川伸(1884-1963)が1933年の2月から8月にかけて東京・大朝日新聞(夕刊)に連載した小説。「刺青判官」とは、桜吹雪の刺青でお馴染みの「遠山の金さん」こと遠山金四郎景元(1793-1855)のことであり、「長谷川一夫」(本名)を名乗る前の林長二郎が、美男の遠山の金さん(左スチール・右)と、ずんぐりむっくりでやや呆け顔の百之助(同・左)の二役を演じていますが、後者の方は美男「長谷川一夫」の定番イメージからほど遠く、しかも、百之助としての出番の方が兄貴分"遠山の金さん"や旗本"遠山金四郎"より長いため、長谷川一夫作品の中ではかなり遊び心に満ちたものになっています(百之助と遠山金四郎の会話シーンなど、二人が同時に出てくるシーンも多い)。

松田春翠.pngw刺青判官 vhs.jpg この作品は活弁トーキー版としてビデオ化されており、弁士は小津安二郎の初期の無声映画作品の活弁などで知られる松田春翠(1925‐1987/62歳没)です。元の作品が前篇・中篇・後編の全3篇のところを、前後編の86分に纏めていますが、そのためかテンポいい作品でありながらも筋やト書きが飛ぶところがあって、それを巧みな活弁で上手く補っています。その後2014年に中日映画社より「『毒蝮三太夫』が選ぶ昭和の大スター映画DVDシリーズ第2弾・義理と人情 股旅時代劇編」として大河内傳次郎主澤登翠2.jpg演「沓掛時次郎」('29年)、片岡千恵蔵主演「番場の忠太郎 瞼の母」('31年)と共にDVD化されています(DVD版の弁士は松田春翠の弟子にあたる澤登翠(さわとみどり)氏)。

刺青判官 ほりものはんがん2.jpg刺青判官 林長二郎と飯島敏子.jpg この作品は、遠山金四郎のお裁きのシーンがないのがややもの足りないでしょうか。結局、長谷川一夫は、"遠山の金さん"の時も旗本"遠山金四郎"の時も諸肌を脱いだりはしないので、ややタイトルと齟齬があるような...。但し、長谷川一夫が諸肌を脱いだポスターや上半身裸のスチールがあって、そこでは刺青もあるようなので、そうしたシーンはオリジナルを編集した時にカットされたのかもしれません(DVD版の本編の長さは93分と若干長くなっているが、刺青を見せる場面が少しだけあるらしい)。

 松竹作品の中では現在ほとんどが散逸して残っているものが少ないという京都・下賀茂撮影所で作られた作品であるという点では貴重な作品。加えて、長谷川一夫が三枚目の方を主として演じているという意味でも貴重なのかもしれませんが、むしろ"珍品"という印象の方が強いでしょうか。同じくコメディタッチのもので、片岡千恵蔵が一人二役を演じた「赤西蠣太」('36年/日活)なども想起されますが、役者の一般的なイメージと演じている役とのギャップの大きさという意味では、もしかしたらそれより上かもしれません。

刺青判官01.jpg姿三四郎 池.jpg 百之助が池に落ちたシーン、黒澤明の「姿三四郎」('43年/東宝)で姿三四郎(藤田進)が池に飛び込んだシーンを思い出してしまったのは、共に浸かった池が「蓮池」だったからか。
 


飯塚敏子/林長二郎(長谷川一夫) in「刺青判官」(1933)(スチール写真)
飯塚敏子4.jpg刺青判官 スチール.jpg「刺青判官(ほりものはんがん)」●制作年:1933年●監督:冬島泰三●脚本:木村富士夫●撮影:片岡清●原作:長谷川伸「刺青判官(ほりものはんがん)」●時間:86分(VHS)・93分(DVD)●出演:林長二郎(長谷川一夫)/飯塚敏子/井上久栄/新妻四郎/小泉嘉輔/山路義人/広田昻/中村吉松/高松錦之助/永井柳太郎/坪井哲/中村政太郎/関操/沢井三郎/小笠原章二郎/絹川京子/遠山修子/二条照子/尾上栄五郎●公開:1933/06●配給:松竹シネマ京都(評価:★★★)

飯塚敏子/阪東妻三郎 in「国定忠治」(1946)(スチール写真)
国定忠治_.jpg

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世界恐慌さなかの失業サラリーマンを小市民的に描く。当時の会社の社内風景が珍しかった。

東京の合唱(吹替・活弁版) [VHS].jpg 小津 安二郎 東京の合唱.jpg 東京の合唱(コーラス .jpg
東京の合唱(吹替・活弁版) [VHS]」1931(昭和6)年  岡田時彦/菅原秀雄(子役)/高峰秀子(子役)

東京の合唱DP.jpg東京の合唱(コーラス) 2.bmp 冒頭は大学の体育の授業のシーンで、体育教師(斎藤達雄)が学生を厳しく指導する様がユーモラスに描かれる。時は流れ、その学生の1人だった岡島(岡田時彦)は、今は保険会社に勤める身であり、3人の子を持つ親でもある。今日は賞与支給日。子供に自転車を買ってやる約束をしていた彼東京の合唱(コーラス)72.jpgは、クビになったベテランの先輩に同情して会社東京の合唱(コーラス)図1.jpgに抗議した末に自分もクビになってしまう。再就職事情の厳しい折、職安の前で母校恩師の元体育教師に偶然出会い、勤め口を探してもらう間、恩師が退職後に始めた洋食屋を手伝うことになるのだが―。

 原作(原案)は北村小松。1931(昭和6)年の作品ということで、世界恐慌による不景気がリアルタイムで物語のバックグラウンドにあり、「フーヴァー案」という言葉が出てきたり(「フーバー・モラトリアム」(1931)のことだろう)、不況だからボーナスは1ヵ月分(120円)くらいかなあという台東京の合唱(コーラス)1.jpg詞があったりもします。 先輩社員の不当谷麗光『東京の合唱』(1931年).png解雇(勧誘したお客が保険に入った翌日に事故死し、会社が損失を被ったというのが解雇理由)に敢然と立ちあがる主人公はなかなかの正義漢。社長(谷麗光)との遣り取りはユーモラスに描かれていますが、クビになった後がたいへん。子供に約束の自転車を買ってやれず詰(なじ)られ、かっときて子供を叱ってしまうし、娘が疫痢に罹って医者代も発生し、妻の着物を売り払ったことにより妻ともぎくしゃくする―。

東京の合唱 1.jpg 同日に解雇された同僚がビラ配りの仕事をしているのを見て、自分は下手に大学を出ているからそんなことは出来ないと言っているのは「大学は出たけれど」の主人公の前半部分と同じスタンス。それが、恩師の洋食屋の仕事で先ずやらされたのが店の宣伝ビラ配りで、自分でも気乗りがしなかったのに、それを奥さん(八雲恵美子(1903-1979/享年75))に見られ、肩身の狭いことはしないでと言われてプライドはずたずたに。

Ozu - Tokyo Chorus(1931).jpg しかし、その奥さんも現実の厳しさを感じて店へ手伝いに。その食堂で、元教師を囲んで昔の教え子たちが集まり同窓会が行われることになり、久々に出会った同級生たちは盛り上がる。そこに元教師宛に手紙が来て、文部省から就職の斡旋があったが、仕事は栃木の女学校の英語教師であるとのこと、主人公は複雑な気持ちで同級生らと校歌を歌うが、歌っているうちに次第にその表情は晴れてくる―(これが、タイトル「合唱(コーラス)」の由縁)。

「東京の合唱(コーラス)」.bmp 東京を離れたことのない夫婦には必ずしも満足とは言えない結末ですが、そこが小津作品らしいところ。結構、自分の都合で教え子をいい加減にこき使っていたかのように見えた元教師も、ちゃんと就職の世話をしてくれていて、師弟関係が就職が絡むのも小津作品のパターン。

高峰秀子(子役)/八雲恵美子/菅原秀雄(子役)/岡田時彦

小津 安二郎 東京の合唱2.gif 総じて、小市民(サラリーマン)を小市民のまま描いた典型的作品と言えますが、主人公が東京に住むことにこだわるのには、やや違和感を覚えました(社命による転勤などは当時でもあったのでは)。東京への執着が、「東京の合唱」というタイトルにまで表れているとなると、これは小津自身のこだわりでもあるのか。

 個人的は、当時の会社の社内風景が一番珍しかったです(冒頭の体育の授業のシーンにも言えるが、冗長感はあるが、記録的な価値あり?)。賞与支給日に社員が出納窓口に列を成し、賞与袋を受け取るとトイレで中身の金額を確認して一喜一憂するという、今こんなことやっている会社は、零細企業でももう殆どないだろうなあ。
    
東京の合唱(吹替・活弁版) [VHS].jpg 主人公の失業サラリーマンを演じた岡田時彦(1903-1934/享年30)は岡田茉莉子7.jpg女優・岡田茉莉子の父。但し、茉莉子1歳の時、30歳の若さで亡くなっているため、娘は父を映画の中でしか知らないとのことです。

「東京の合唱(コーラス)」●制作年:1931年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧●撮影:茂原英朗●原作(原案):北村小松●活弁:松田春翠●時間:90分●出演:岡田時彦/八雲恵美子/菅原秀雄/高峰秀子/斉藤達雄/飯田蝶子/坂本武/谷麗光●公開:1931/08●配給:松竹鎌田●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(90-08-19)(評価:★★★)併映:「お茶漬けの味」(小津安二郎)

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完璧な「人情話」。ストーリー、カメラ、演出のどれをとっても完成度が高い。

浮草物語ビデオ.jpg浮草物語 活弁・トーキー版.jpg
浮草物語 [VHS]」松竹ホームビデオ版「浮草物語(吹替・活弁版) [VHS]

浮草物語 0.jpg 信州のとある田舎町に、旅役者・市川喜八(坂本武)の一座がやってくるが、実はこの町には、喜八の昔の女(飯田蝶子)と、2人の間にできた息子・信吉(三井秀男)がいる。喜八は自分が父とは名乗らず、毎日のように女の家を訪ねて行くが、喜八の今の世話女房(情婦)のおたか(八雲理恵子)はこのことを知って嫉妬し、当てつけに妹分の女優おとき(坪内美子)に信吉を誘惑させるよう仕向ける。ところが、おときと信吉は本当に好き合うようになってしまう―。

浮草物語 1.jpg 小津安二郎(1903-1963)監督の1934(昭和9)年の無声映画作品で、小津安二郎はこの作品で、「生れてはみたけれど」「出来ごころ」に続き3年連続で「キネマ旬報ベスト・テン」の1位に輝きました。また、前年の「出来ごころ」に続く坂本武主演の"喜八もの"と言われる作品でもありますが、「出来ごころ」よりはこちらの方が断然完成度が高いように思えました。

 オリジナルはサウンド版であり主題歌まであったそうですが、現存プリントはサイレント映画。これも松田春翠の活弁付きビデオで鑑賞し(ノーカット版は118分のようだが、ビデオは85分だった)、春翠の名調子にハマった部分はありましたが、ストレートに「無声」の浮草物語 tubouti41.jpgまま観ても、ぐっとくる作品ではないでしょうか。

A Story of Floating Weeds.jpg 同じ坂本武の"喜八もの"と言っても、喜八が下町定住者だった「出来ごころ」に対し、こちらは旅役者であって状況設定はかなり異なっており、また、小津作品全体を通しても、こうした旅役者を扱ったものは珍しいようです("流れ者"という意味では、小津に影響を受けた山田洋次監督の「寅さんシリーズ」の原点とも言えるが)。
坪内美子

A Story of Floating Weeds (Ozu, 1934)2.jpg 暗くてじめじめした話かと思ったら、ユーモラスなギャグが絡むことで救われて、喜八の情婦が妹分の女優を使って喜浮草物語 2.jpg八の息子を籠絡しようとするところで、いやあ今度こそホントに嫌な話になってきたなあと思ったら、予想外の展開(「蛙の子は蛙、学があっても女には手が早い」とか、深刻な場面なのに、ここでも笑浮草物語 3.jpgわせる)、結局、この坪内美子演じる妹分女優のおときというのが、一番可哀想だったなあと思いました(「寅さん」における浅丘ルリ子のリリーか)。

 八雲理恵子が演じる一見毒婦が如く見えたおたかにも、最後には観る者の同情を引く話の運びが旨く、そうした人間像の多面的な描き方は、一座の長老格などの脇役にまで及んでいます。

A Story of Floating Weeds 3.jpg 小津自身による原作は(ジェームス槇は小津のペンネーム)、旅まわりのサーカスの一座を舞台としたアメリカ映画「煩悩」を下敷きにしA Story of Floating Weeds fishing.jpgているそうですが、完璧に日本的な人情話に仕上がっていて、人物や部屋の調度などを映し出すローアングルのカメラも良く、親子で渓流釣りをする場面(片方は親子だとは知らないわけだが)や、飯田蝶子演じる母親が息子に屹然と事実を告げる場面など、印象に残るシーンが多くありました(学生である息子が若干老けて見えたのが難か。おときとのバランス上、敢えてそうしたのかもしれないが)。完璧な「人情話」。ストーリー、カメラ、演出のどれをとっても完成度はかなり高いように思います(親子が並んで渓流釣りをする場面は後の「父ありき」('42年)などにもある)。

「浮草物語」●制作年:1934年●監督:小津安二郎●脚本:池田忠雄●撮影:茂原英朗●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松A Story of Floating Weeds (Ozu, 1934).jpg田春翠●時間:85分(118分)●出演:坂本武/飯田蝶子/三井秀男/八雲理恵子/坪内美子/突貫小僧/谷麗光/西村青児/山田長正/青野清/油井宗信/平陽光/若The Story of Floating Weeds (1935).jpg宮満/懸秀介/青山万里子/池部光村/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1934/11●配給:松竹蒲田●最初に観た場所:ACTミニシアター(90-08-13)(評価:★★★★☆)●併映:「出来ごころ」(小津安二郎)
A Story of Floating Weeds (Ozu, 1934)

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ラストはあまりに軽かったかなあ。突貫小僧の天才子役ぶりが光った。

「出来ごころ」vhs.jpgdekigogoro2f.JPG出来ごころ 1シーン.jpg
出来ごころ(吹替・活弁版) [VHS]」坂本武/伏見信子  新宿松竹館 週報(昭和8年8月)
出来ごころ shv.jpg ビール工場に勤めながら小学生の息子・富夫(突貫小僧)と貧乏長屋に暮らしをする喜八(坂本武)は、寄席帰りのある日、失業して行くあてのない若い娘(伏見信子)と出会い、行きつけの食堂の女主人(飯田蝶子)に頼んで、娘に食堂での住み込みの働き口を世話する。喜八は、その娘に惚れるが、年の差を考えて口には出せず、一方、娘は喜八の隣に住むビール工場の同僚の青年(大日方傳)に気があり、しかし、青年は喜八への義理立てから娘に冷たく当たり、3人はギクシャクした関係になる―。

松竹ホームビデオ版
Dekigokoro (1933)
Dekigokoro (1933) .jpgdekigokoro 3.jpg 小津安二郎監督の1933(昭和8)年の無声映画作品で、前年の「生れてはみたけれど」で社長役をやっていた坂本武が、あたかも「寅さん」の 原点はここにあるのではないかと思わせるような、若い娘に恋慕する下町のオジさんを演じています。

 小津安二郎監督は、「生れてはみたけれど」とこの作品と、更に翌年の同じく"喜八もの"「浮草物語」で、3年連続で「キネマ旬報ベスト・テン」の1位に輝いていますが、「生れてはみたけれど」とこの作品の間だけでも「青春の夢いまいづこ」「また逢ふ日まで」「東京の女」「非常線の女」の4本を撮っており、量産だったのだなあ。

小津 安二郎 「出来ごころ」.jpg 話の方は、喜八は娘の想いの相手が同僚の青年と知って気落ちするが、複雑な心境ながらも娘と青年の結婚話を進めるために一肌脱ごうとし、逆に青年と意地を張り合うことに。事が旨く運ばず、ヤケ酒に浸って仕事にも行かない喜八を、息子は父の顔を何度も叩いてなじるが、そんな中その息子が病気になり、回復したものの医者代が工面できない。その窮状を知った青年が、北海道に行って"蟹工船"(開拓民船?)に乗り込み金を工面しようと考えるが、そのことを知った喜八は青年を殴り倒して、代わりに北海道行きの船に乗り込む―。

Takeshi Sakamoto (Kihachi) in Dekigokoro (Ozu 1933)

ozu dekigokoro.jpg ベースは暗い話なのですが、合間々々にユーモラスな表現を織り込んで、コメディタッチにしているのは、「浮草物語」などと同じです。ただ、ラストはあまりに軽かったかなあ(手拭を頭に乗せて温泉気分?)。北海道行きの船に乗り込んだのが"出来ごころ"だったということなのでしょうが、一旦は青年を殴り倒してまでそうしたわけで、息子を想う気持ちが北海道行きをやめた理由ならば、北海道行きを決めた理由も同じだったはずで、自家撞着を生じている?
Nobuko Fushimi.jpg 北海道行きを決めた理由は「娘に対する自分の想い」の喜八ならではの美意識の発露ともとれ、また、友情も絡んでいると思われますが、それと、息子の傍にいてやりたいという気持ちはまた別なのか、あるいは、結局は、最後のそれが一番喜八にとって大事なことだったのか。

Nobuko Fushimi in Passing Fancy - Yasujirô Ozu - 1933

 恋愛物語から友情物語へ、そして最後は親子物語へと変化していったように思えましたが、部分々々の演出の妙にも関わらず、全体としてはやや冗長かつすっきりしない印象も(キング・ヴィダー監督の「チャンプ」('31年/米)に着想を得てい伏見信子1935aug.jpgるとのことだが)。因みに、息子の富夫という役名は突貫小僧の本名(青木富夫)から取っています。

Tomio Aoki.jpg 新文芸坐で、澤登翠氏門下の片岡一郎氏の活弁で上映していましたが行けず、松田春翠の活弁付きビデオで鑑賞しました(片岡一郎氏は松田春翠の孫弟子ということになる)。娘役の伏見信子(1915- )はいかにも戦前の清楚な美人スターという感じでこの作品でその人気を不動のものとしています。また、ちょっと阿部寛に似た大日方傳(1907-1980/享年73)の一見ニヒルだが内に熱いものを秘めた青年も良かったですが、突貫小僧(青木富夫)の天才子役ぶりが発揮された作品でもあったように思いました。笠智衆が喜八と船で乗り合わせる人夫としてノンクレジットで出演しています(1933(昭和8)年度・第10回「キネマ旬報ベスト・テン」第1位作品)。

伏見信子(1935(昭和10)年:雑誌「日の出八月號附録:映画レビュー夏姿寫眞帖」)                              

大日方傳(上2枚) Den Obinata (Jiro) /笠智衆(下) Chishû Ryû (non-credit) in Dekigokoro(Ozu 1933)
Den Obinata.jpgDen 
Obinata (Jiro) dans Dekigokoro (Ozu 1933).jpg「出来ごころ」●制作年:1933年●監督:小津安二郎●脚本:池田忠雄●撮影:杉本正二郎●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松田春翠●時間:100分●出演:坂本武/伏見信子/大日方傳/飯田蝶子/突貫小Chishû Ryû.jpg出来ごころ 中国語・英語字幕版DVD.jpg出来ごころ 活弁v.jpg僧/谷麗光/西村青児/加藤清一/山田長正/石山隆嗣/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1933/09●配給:松竹蒲田●最初に観た場所:ACTミニシアター(90-08-13)(評価:★★★)●併映:「浮草物語」(小津安二郎)
中国語・英語字幕版DVD

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松田春翠の「活弁」がいいトーキー版。小津の後期作品とはまた違った味わい。

生れてはみたけれど 活弁 vhs.bmp 生れてはみたけれど ビデオ.jpg  Otona no miru ehon - Umarete wa mita keredo.jpg ニッポン・モダン.jpg
「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」(活弁・トーキー版)/「大人の見る絵本 生れてはみたけれど」(松竹ビデオ・旧レンタル版)/ミツヨ・ワダ・マルシアーノ『ニッポン・モダン -日本映画 1920・30年代-
 
生れてはみたけれど 2.jpg 良一(菅原秀雄)、啓二(突貫小僧)兄弟のサラリーマンの父(斎藤達雄)は、会社の重役・岩崎(坂本武)の家の近くに引っ越して出世のチャンスを窺うようなヒラメ男だが、兄弟の前では厳格に振舞っている。一方、兄弟は転校するなり地元の悪ガキグループと喧嘩し、憂鬱になって学校をサボるが、父にばれて大目玉を喰う。悪ガキグループと和解した兄弟は、やがてグループ内で台頭し、岩崎の息子も子分にしてしまう。ある日、「うちの父ちゃんが一番偉い」という自慢話が出るが、兄弟も自分の父親が一番偉いと信じて疑わなかった。ところが、岩崎の家で観た16ミリフィルムの中に写っていた父は、重役の前でモノマネをしてご機嫌伺いをしていた―。

小津 安二郎 「大人の繪本 生れてはみたけれど」3.bmp タイトルからサラリーマン映画だと思われているフシもありますが(広い意味ではそうかもしれないが)、前半部分は殆ど子供たち同士の世界を描いていて、これがなかなか微笑ましく(小津安二郎(1903‐1963)って子供を撮るのがこんなに上手だったのだ)、ほのぼのとした、小津らしいゆったりとしたテンポで進みます。

小津 安二郎 「大人の繪本 生れてはみたけれど」.bmp それが重役宅での映写会で、映し出されたフィルム映像に父親の上司にへつらう姿を見たことを契機に、父親に幻滅した兄弟らの父親に対する抵抗が始まり、「なぜ重役は偉いのか」「父ちゃんはなぜ重役になれないのか」と父親を問い詰めますが、これには父親の方もキレて怒りを爆発させ、母親(吉川満子)は部屋に籠ってウィスキーを煽る夫を諫める―(う~ん、一気に重たいムードになるなあ)。

 ミツヨ・ワダ・マルシアーノ『ニッポン・モダン―日本映画 1920・30年代』('08年/名古屋大学出版会)において、この作品の中にある重役宅での映画上映会で父親の上司にへつらう姿を見た兄弟らの幻滅は、近代資本主義社会において父親の権威が失われたという事実を描いているだけでなく、近代資本主義そのものが、戦略的に、私的領域と公的領域の想像上の分離を促進してきたことを露呈しているのではないかとしています。

生まれてはみたけれど  1シーン.jpg サラリーマンである父の会社の中での媚びへつらいは、この2つの領域の狭間でのアイデンティの分裂を示していると―(これを「映画内『映画』という手法でみせている小津の巧みさ!)。それを目の当たりに見てしまった子どもの心理的ギャップは、通常は父親の私的領域と公的領域が分離されているため見ることのなかったものが、突如として目の前に露わになったことによるものであるということでしょう。

 ミツヨ・ワダ・マルシアーノは、父親が子どもたちに大人の世界を解らせようと説得を試みてうまくいかないのは、自らがこうした自己疎外の渦中にあってその問題を整理できていないこととパラレルであると見ています。

「大人の繪本%20生れてはみたけれど」 .jpg 「生まれてはみたけれど、一生押さえつけられて生きるのか」―観ている側には父親の心情もよく解るだけに、その日の夜、父親が寝ている兄弟の顔を覗き込みながら「俺のようなヤクザな会社員になんかなるなよ」と語りかける場面は泣かせますが、その気持ちは子供には伝わらず、子供達はハンガーストライキみたいなことまでして暫く抵抗を続けます。

 父が言うところの「永遠に解決できない問題」にどうやって落とし所を見出すのかと思ったら、最後な何となく親子の互いの歩み寄り乃至は相手への慮りが見られて(子供が大人の世界の難しさに多少の理解を示したという感じか)、ややほっとした雰囲気で締め括るところも上手いなあと思いました。

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」.jpg「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」2.jpg 昭和初期のサラリーマン家庭の暮らしぶりなどが窺えるのが興味深いです。"郊外"に引っ越したその"郊外"というのは、東急池上線沿線でロケをしたそうで(映画の中で何度か列車や線路が登場する)、周りに何も無くて、"郊外"と言っても、今の基準でみれば"田舎"だなあとか、上司の引っ越しに部下が駆り出されるというのは昭和の中頃まであったのではないかなあとか、いろいろ考えさせれます(自分の会社の重役に新居の入口に掲げる表札の文字を揮毫してもらうというのには、さすがに時代を感じたが)。

松田春翠ド.jpg 元々は無声映画ですが、自分が観たビデオ版は松田春翠(1925‐1987)による「活弁」付きで、お陰で無声映画を観ているという感覚がありませんでした(収録は昭和30年代か。最近では、松田春翠門下の女性活弁士・澤登翠(さわとみどり)氏が小津作品の活弁をライブでやっている)。

 所謂「活弁トーキー」と言われるものですが、とりわけこの作品に関しては、1人で登場人部全員のアテレコをやっているような感もあり、日本には落語という伝統があるわけですが、それにしてもスゴイ技です(これを無声映画として作った小津もスゴイが)。

松田春翠(1925‐1987)

Otona no miru ehon - Umarete wa mita keredo (1932).jpg映画「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」(1932年).jpg生まれてはみたけれど 2.jpg 大人の社会と子供の世界は別であって、子供の自由な世界観が大人の不自由な世界観によって歪められてはならない―といったテーマ解説までしてしまっているものだからそれ以上突っ込みようがなく、小津の後期作品に比べて取り上げられることが少ないのかな。

 基本的にコメディだけど、サラリーマンお父さんが観たら泣ける場面があるかも。「東京物語」などの後期作品とはまた違った、小津安二郎の顔が見える作品です(1932(昭和7)年度・第9回「キネマ旬報ベスト・テン」第1位作品)。

Otona no miru ehon - Umarete wa mita keredo(1932)

生まれてはみたけれど 3.jpg「大人の繪本 生れてはみたけれど」●制作年:1932年●監督:小津安二郎●脚本:伏見晁●撮影:茂原英朗●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松田春翠●時間:90分●出演:斎藤達雄/吉川満子/菅原秀雄/突貫小僧/坂本武/早見照代/加藤清一/小藤田正一/西村青児/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1932/06●配給:松竹蒲田(評価:★★★★)

生まれてはみたけれど オール.gif
早見照代 坂本武 斎藤達雄 菅原秀雄(兄役) 突貫小僧(弟役) 笠智衆(右端)

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新卒就職難の世相を反映した「大学は出たけれど」。モダンな感覚と併せて、現代に通じる面が。

大学は出たけれど vhs.jpg大学は出たけれど.jpg   和製喧嘩友達3.gif 和製喧嘩友達 haisinnban.jpg
大学は出たけれど(吹替・活弁版) [VHS]」('29年)高田 稔/田中絹代 「和製喧嘩友達」('29年)GyaO!インターネット配信版
 大学を卒業したものの定職につけない徹夫(高田稔)は、故郷の母親に「就職した」と嘘の電報を送ったことから、母は婚約者の町子(田中絹代)を連れて上京。2人の嬉しそうな顔を見ると、徹夫はなかなか本当のことを言い出せずにいるが、徹夫の嘘を見抜いた町子は、徹夫に内緒で、カフェで働き始める―。

下宿のおかみさんに、母親には自分が会社に通っていることにしてくれと頼みこむ徹夫

小津安二郎 大学は出たけれど  清水宏原作.jpg 大学卒業者の就職率が約30%という不況の底にあった昭和初期を舞台に、仕事に就けない男が奔走する様をコメディっぽく描いた小津清水宏 監督.jpg安二郎監督の1929(昭和4)年の無声映画作品。原作は、小津安二郎と親交の深かった、同じく松竹系の映画監督・清水宏(1903-1966/享年63)となっていますが、元々は清水宏が監督する予定だったのが都合で出来なくなり、替わって盟友の小津安二郎が監督した作品であり、清水宏は原案提供者といったところか(「学生ロマンス 若き日」('29年)の原作者・伏見晁が原作者であるとの説も)。

清水宏(1903-1966)

 公開された時は70分の長編作品だったそうですが、11分しかフィルムが現存していないとのことで、話がぶつ切れになって「大学は出たけれど(吹替・活弁版) [VHS]」.jpgいるのではないかと思ったら、あたかも長編を短篇に編集し直したかのように纏まった1つの話になっていました。

松田春翠.png ただ、そうしたこともあってか、松田春翠(1925‐1987)の「活弁」付きのI・V・C版ビデオで鑑賞したのですが(松竹ビデオ(S・H・V)版は活弁無し)、「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」(1933年)がアテレコに近い活弁なのに対し、どちらかというと"ト書的"(解説的)活弁です。

大学は出たけれど(吹替・活弁版) [VHS]

大学は出たけれど3.jpg 大学を卒業した時に許婚(田中絹代が初々しい)がいて、それで就職が決まらないというのは結構キツイなあと思ってしまいましたが、母親と許婚の手前、会社に行くふりをして弁当を持って出かける主人公にとっての"仕事の場"は公園であり、"仕事" は公園に来ている子供らとボール遊びをすること、子供らとすっかり仲良くなるが、雨が降った日は"仕事"が休みになる―といった具合に、ユーモラスに描くことで救われています。恋女房となった田中絹代に実は就職が決まっていないと打ち明ける場面でも、「サンデー毎日」の新聞広告を見せるギャグ(つまり自分は、実は毎日が休日状態だと)。

大学はでたけれど2.jpg 途中、客として訪れたカフェで、夫に内緒で働いている奥さんを見てしまったりするハプニングもあったりして(カフェの先客で、その奥さんに「君は最近新しく入った子か」などと声掛けしているのは笠智衆)、最後は、女房の健気さに勇気づけられて主人公は発奮、「受付ならば」と言われて頭にきて辞去した会社を再訪し、「受付でも何でもやります」と―(それまで"雨天休業"だった主人公がどしや降りの日に出掛けていくところもミソ。見送る田中絹代が可憐)。

高田稔/田中絹代(当時19歳)
       
大学は出たけれど 5.jpg いい話に纏め過ぎている感じもしますが、まあ、そういう映画なのでしょう。当時の若者にリアルタイムでエールを送った作品とも言えるのでは。

 昨今の新卒就職難と比べると、厚生労働省と文部科学省が、全国の大学や短大など112校の6250人の学生を抽出して、その就職内定率を調査した結果によれば、2011年3月に4年制大学を卒業した学生の就職内定率は4月1日の時点で91.1%と過去最悪とのこと(この調査の数字は"甘め"に出るとの批判もあるが、それでも90%を超えている)、この"過去最悪"とは、同統計を取り始めてからの"過去最悪"であって、昭和初期にはもっと厳しい時代があったのだなあと。
背後のポスターは「ロイドのスピーディ」(1928)

 そうした当時の世相を作品に反映させている意味で記録的な意義もあり(実際「大学は出たけれど」という言葉は流行語になった。それが今の時代にも通じるというのが皮肉でもある)、また、物語としても共感できるという意味で、小津安二郎の感性のモダンさを感じる作品です。

田中絹代2.jpg 田中絹代.bmp 田中絹代3.bmp 田中 絹代

 小津安二郎は、フィルムが現存する彼の作品の中で最も古い作品で自身の第8作目にあたる「学生ロマンス 若き日」('29年)とこの「大学は出たけれど」の間に、第9作目にあたる「和製喧嘩友達」('29年/松竹蒲田)という作品を撮っています。

和製喧嘩友達1.jpg 留吉(渡辺篤)と芳造(吉谷久雄)は、親しい仕事仲間、貧しいゆえに2人でルームシェアをしているトラック運転手である。あるとき偶然、身寄りのない娘・お美津(浪花友子)と出逢う。住むところのないお美津が2人の長屋に転がり込み、お美津はかいがいしく家事をしてくれるが、2人の男の間では、恋の鞘当てが始まる。やがて、留吉・芳造の長屋の近くに住む学生・岡村(結城一朗)と、お美津が相思相愛であったのだ、という現実を、留吉・芳造は知ることとなる。お美津と岡村をさわやかに見送る留吉・芳造であった(「Wikipedia」より)。
「和製喧嘩友達」左から吉谷久雄、渡辺篤、浪花友子。

和製喧嘩友達2.jpg これも元々は77分の作品でありながら、デジタル復元版で現在観ることができるのは当時家庭用に編集された14分の短縮版です(「小津安二郎 名作セレクションV」に所収)。男同士の二人暮らしのところへ若い女性が居ついて、2人が彼女を巡って牽制し合うも、最後はその女性に好きな人が出来て...というこの展開は、リチャード・ウォレスの喜劇映画「喧嘩友達」('27年)をベースにしているということで(タイトルに「和製」とつくのはそのため)、脚本の野田高梧(1893‐1968)が小津と組むのは「懺悔の刃」('27年)に次いで2作目。結局、小津の遺作「秋刀魚の味」('62年)までの付き合いとなるわけですが、この頃、小津は満25歳、野田高梧は満35歳野田高梧.jpgと若く(主演の渡辺篤は満31歳、吉谷久雄は満25歳、浪花友子は満20歳、結城一朗は満24歳と出演者も皆若いのだが)、とりわけ小津の監督としての若さが光るとともに、彼の出自が喜劇であることを改めて感じさせる作品となっています。

 コメディとしてのオリジナリティやテンポはイマイチですが、これが、あの「東京物語」('53年)や「彼岸花」('58年)、「秋日和」('60年)や「秋刀魚の味」などの脚本を書いた野田高梧のオリジナル脚本だと思うと興味深いものがあります(小津より10歳年上だったのだなあ)。

野田高梧(1893‐1968)

朗かに歩め.jpg朗かに歩め 高田.jpg朗かに歩め  .jpg 因みに、「大学は出たけれど」の高田稔と「和製喧嘩友達」の吉谷久雄(ハンチングを被った小柄な方)は、翌年の同じく小津作品である「朗かに歩め」('30年/松竹蒲田)でヤクザ仲間の役で共演します(就職が決まらない学生とトラック運転手のそれぞれ次の役がチンピラ役かあ。こちらはヤクザ稼業から足を洗おうとする男たちの話であり原作は清水宏)。

高田 稔 in「朗かに歩め」('30年/松竹蒲田)

大学は出たけれど(shv).jpg田中絹代・笠智衆 in「大学は出たけれど」('29年/松竹蒲田) 笠智衆はカフェの客の役
大学は出たけれど 笠智衆・田中絹代.jpg大学は出たけれど       .jpg大学は出たけれど 題.jpg「大学は出たけれど」●制作年:1929年●監督:小津安二郎●脚本:荒牧芳郎●撮影:茂原英朗●原作:清水宏●活弁:松田春翠●時間:70分(現存11分)●出演:高田稔/田中絹代/鈴木歌子/日守新一/大山健二/木村健二/飯田蝶子/坂本武/笠智衆/筑波雪子/小藤田正一●公開:1929/09●配給:松竹蒲田(評価:★★★☆)
大学は出たけれど vhs.jpg「大学は出たけれど」vhs7.2.jpg

「和製喧嘩友達」.png「和製喧嘩友達」●制作年:1929年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧●撮影:茂原英朗●原小津安二郎 名作セレクションV.png作:野田高梧●時間:77分(現存14分)●出演: 渡辺篤/吉谷久雄/浪花友子/結城一朗/高松栄子/大国一郎/若葉信子●公開:1929/07●配給:松竹蒲田(評価:★★★) 
 渡辺篤/吉谷久雄/浪花友子

小津安二郎 名作セレクションV [DVD]
【収録作品】 『母を恋はずや』(1934)/『青春の夢いまいづこ』(1932)/『学生ロマンス 若き日』(1929)/『朗らかに歩め』(1930)/『大学は出たけれど』(1929)/『東京の女』(1933)/『落第はしたけれど』(1930) /『東京の宿』(1935)/『和製喧嘩友達』(短縮版・1929年)/『突貫小僧』(短縮版・1929年) /『菊五郎の鏡獅子』(1935年)

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