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日本、お化け、看護婦、躁鬱の4テーマの「雑学記」。「お化けについて」が充実していた。

どくとるマンボウ航海記6.jpgマンボウ雑学記』.JPGマンボウ雑学記.jpg どくとるマンボウ航海記 1960.jpgどくとるマンボウ航海記 新潮文庫.jpg
マンボウ雑学記 (岩波新書 黄版 167)』 『どくとるマンボウ航海記 (1960年)』『どくとるマンボウ航海記 (1965年) (新潮文庫)』(カバーイラスト:佐々木侃司)

 どちらかというと小説よりもエッセイの方がよく読まれているのではないかと思われる著者ですが、自分自身も、一応は『夜と霧の隅で』('60年/新潮社、'63年/新潮文庫)などの小説から入ったものの、結局エッセイの方をより多く読んだように思われ、実際、ある年代以降はこの人は著作の殆どがエッセイになっています。

どくとるマンボウ航海記 中公文庫.jpg太平洋ひとりぼっち 文藝春秋新社.jpg その先駆けが、'60(昭和35)年刊行(『夜と霧の隅で』と同じ刊行年)の『どくとるマンボウ航海記』('60年/中央公論社、'62年/中公文庫、'65年/新潮文庫)であり(『夜と霧の隅で』は、'60年の芥川賞受賞作。一方、『どくとるマンボウ航海記』は児童文学にジャンル分けされていたりもする)、この本は40日ぐらいで一気に書かれたそうですが、そう言えば、堀江謙一氏の『太平洋ひとりぼっち』('62年/文藝春秋新社)も帰国後2ヵ月で書きあげたそうで、やはり、航海の際に日誌をつけているというのが大きいのかな(その堀江氏が日本帰国直後、ホテルに連れて行かれ最初に対談した相手が北杜夫氏だったと『太平洋ひとりぼっち』に書いてある)。

どくとるマンボウ航海記 (中公文庫)』['73年改版版]/『太平洋ひとりぼっち (1962年) (ポケット文春)』['62年/ポケット文春]

どくとるマンボウ航海記 (1960年).jpg北杜夫e.jpg 『どくとるマンボウ航海記』のあとがきには、「大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬことだけを書くことにした」とあり、ある意味これは、高度成長期の波に乗らんとし、一方で「政治の季節」でもあった当時ののぼせ上ったような社会風潮に対するアンチテーゼでもあったのかも。作者自身、「僕の作品の中で古典に残るとすれば、『航海記』ではないか」と、後に語っています。

[上写真]1960年、「夜と霧の隅で」で芥川賞を受けるとともに、『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーになっていたころの北杜夫氏(兄の斎藤茂太氏邸に居候中)。

どくとるマンボウ航海記 (1960年)

 そんな著者のエッセイの中で、本書は「岩波新書」に書いているという点でちょっと変わっているかも知れず、また、当時の岩波新書のラインナップには、まだ今ほどこのようなこなれたエッセイは少なかったため、岩波としても思い切った試みだったのかも知れません(『航海記』などの"実績"も加味されていると思うが)。

 神話や伝承の中に民族の魂の遍歴を探った「日本について」、日本のお化けの怖さ・面白さを明らかにした「お化けについて」、自らの経験に基づく「看護婦について」「躁鬱について」の4編から成りますが、著者自らも言うように、前2編がメインで、まさに「雑学記」であり、後2編はオマケのエッセイといった感じでしょうか。

 中でも、最もボリュームのある「お化けについて」は、日本の中世・近世の文献にある様々なお化けを体系的に紹介していて、「雑学記」のレベルを超えており、それでいて(岩波新書らしからぬ?)ユーモアも交えて書かれていて、楽しく読めました。

 しかし、よく調べたものだなあ(かなりの執着ぶり)。水木しげる氏の「妖怪」モノの文章版みたいだと思ったら、最後にその水木氏の名が出てきましたが、水木氏にも岩波新書に『妖怪画談』('92年)などの著書があります。

 オマケ2編では、「躁鬱について」が、著者自身の昭和41年から昭和55年の間に6回ほど訪れた「躁病期」のことを書いていて、これがなかなか面白く、かなり常識人では考えられないようなこともやっているのだなあと(本書には無いが、後に、株投資で自己破産に陥る経験もしている)。

 かつての著者は、1年間のうちに2、3カ月の躁状態とその倍の鬱状態があったとのことで、「躁」と併せて「鬱」についても、その特徴や対処法が書かれていますが、分かり易く纏まっているように思えます。

北杜夫.jpg 著者はこの頃('81年)、世田谷の自宅を「マンボウ・マブゼ共和国」として独立を宣言しており、ムツゴロウこと畑正憲氏と対談した際、「ムツゴロウ動物王国」と「マンボウ国」を日本から分離独立し同盟を結ぶ提案をしたというから、躁状態だったのかも知れません。

 近年は、躁鬱病の症状は治まり、軽井沢の別荘でエッセイなどの執筆活動をするなど、落ち着いた老境にあるようです(「マンボウ夢草子」を月刊誌「J‐novel」に連載中)。

 『マンボウ雑学記』の文中に、友人の相場均・早稲田大学教授の話が出てきますが、「看護婦について」のところでは「故」とついていて、本書執筆中に亡くなったのだなあ。

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