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林芙美子って面食いだったのだなあ。プロローグは「風琴と魚の町」からとったものだった。

放浪記 dvd1.jpg 放浪記 図2.jpg 風琴と魚の町.jpg
放浪記 【東宝DVD名作セレクション】」高峰秀子『風琴と魚の町』['21年](「風琴と魚の家」「田舎がえり」「文学的自叙伝」収録)[下]高峰秀子・田中絹代
放浪記 10.jpg放浪記 04.jpg 昭和初期、第一次大戦後の日本。幼い頃から行商人の母親と全国を周り歩いて育ったふみ子(高峰秀子)は、東京で下宿暮らしを始める。職を転々としながら、貧しい生活の中で詩作に励むようになった彼女は、やがて同人雑誌にも参加する。創作活動を通して何人かの男と出会い、また別れるふみ子。やがて、その波乱の中で編んだ「放浪記」が世間で評価され、彼女は文壇へと踏み出していく―。

『新版 放浪記』.jpg 1962年公開の成瀬巳喜男監督作。林芙美子の自伝的小説『放浪記』を、「浮雲」('55年/東宝)など林文学の翻案では定評のある成瀬巳喜男が映画化した作品で、小説と菊田一夫の戯曲『放浪記』を原作としています。林芙美子の『放浪記』放浪記 02.jpgから幾つかのエピソードを拾って忠実に映像化する一方で、林芙美子の『放浪記』にはない文壇作家・詩人たちとの交流からライバ放浪記 映画.jpgルの女流作家との競い合い、さらにエピローグとして作家として名を成した後、自身の半生を振り返るような描写があります(菊田一夫脚本・森光子主演の舞台のにあるようなでんぐり返しもはない)。

 主演の高峰秀子は、自由奔放な女性という従来の林芙美子像を覆し、貧困と戦いながらのし上がる強い女の側面を強調しています。敢えてあまり美人に見えないメイクをし、いじけ顔いじけ声、ぐにゃっとしただらしない姿勢で貧乏が板についた芙美子を演じているのは一見に値します。

橋爪功(左端)/岸田森(左端)・草野大悟(右から2人目)・高峰秀子(右端)
「放浪記」hasizume i.jpg放浪記 岸田/橋本.jpg しかし、林芙美子って面食いだったのだなあ。貧しい彼女に金を援助してくれ、優しく献身してくれる隣室の印刷工・安岡(加東大介)には素気無い態度で接する一方、若い学生(岸田森)に目が行ったり、詩人で劇作家の伊達(仲谷昇)を好きになったりして、ただし伊達の方は二股かけた末に女優で詩人の日夏京子(草笛光子)の方を選んだために振られてしまうと、今度は同じくイケメンの福池(宝田明)に乗りかえるもこれがひどいダメンズ。甘い二枚目役で売り出した宝田明(1934-2022(87歳没))が演技開眼、ここではDV夫を好演しています。これらの男性にはモデルがいるようですが放浪記 中や2.jpg放浪記 宝田.jpg宝田明.jpgはっきり分かりません(宝田明が演じた福池は詩人の野村吉哉がモデルか)。実際に林芙美子は当時次から次へと同棲相手を変え、20歳過ぎで画家の手塚緑敏(映画では藤山(小林桂樹))と知り合ってやっと少し落ち着いたようです。
高峰秀子・仲谷昇/宝田明

草笛光子・高峰秀子
放浪記 kusabue.jpg 草笛光子が演じた芙美子のライバル・日夏京子も原作にない役どころです(菊田一夫原案か)。白坂(伊藤雄之助)が新たに発刊する雑誌「女性芸術」に、村野やす子(文野朋子)の提案で、芙美子と日夏京子とで掲載する詩を競い合うことになって、芙美子が京子の詩の原稿を預かったものの、自分の原稿だけ届け、京子の原稿は締め切りに間に合わなくなるまで手元に置いていたというのは実話なのでしょうか(これが芙美子の作家デビューであるとするならば、芙美子のこの時の原稿が「放浪記」だったということになる。「放浪記」は長谷川時雨編集の「女人芸術」誌に1928(昭和3)年10月から連載された)。

 後に川端康成が林芙美子の葬儀の際の弔辞で、「故人は自分の文学生命を保つため、他に対しては、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと2、3時間もたてば故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか、この際、故人を許してもらいたいと思います」と述べたという話を思い出しました。

放浪記 草笛.jpg草笛光子.jpg 映画の中で、草笛光子(1933年生まれ)は本気で高峰秀子をぶったそうです。高峰秀子をぶった女優が現役でまだいて、来年['22年]のNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演するは、「週刊文春」に連載を持っているは、というのもすごいものです。イケメン・ダメンズ役の宝田明もDV夫なので高峰秀子をぶちますが、草笛光子のビンタの方が強烈でした。林芙美子は面食いでなければもっと早くに幸せになれたのかもしれず、その点は樋口一葉などと似ているのではないか思ったりしました。

「風琴と魚の町」aozorabunnko.jpg 林芙美子原作の『放浪記』には、第1部の冒頭に「放浪記以前」という文章があり。貧しかった子ども時代や、行商をしてた両親のことが書かれています。映画においてもプロローグで、主人公の幼年時代のエピソードが出てきますが、風琴(アコーディオン)を奏でながら客寄せして物を売る行商している父親が、まがい物を売ったとして警察に連行され、父親が警官にビンタされるのを見て娘(フミコ)が叫ぶというシーンです。

 これってどこかで読んだことはあるけれど「放浪記以前」には無いエピソードだなあと思っていたら、林芙美子が尾道での自身の少女時代をもとに描いた中編「風琴と魚の町」(1931(昭和6)年4月雑誌「改造」に発表)を構成している複数のエピソードの内の最後にあるエピソードがこれだったことを、 今年['21年]刊行されたた尾道本通り一番街(芙美子通り)商店街編集の『風琴と魚の町』所収の表題作を読んで改めて気づきました。「風琴と魚の町」も『放浪記』と併せて読みたい作品です(「青空文庫」でも読める)。
風琴と魚の町 (青空文庫POD(大活字版))

放浪記 ポスター.jpg放浪記 01.jpg 個人的には、原作は『放浪記』(★★★★★)と『浮雲』(★★★★☆)で甲乙つけ難く、しいて言えば原石の輝きを感じるとともにポジティブな感じがある『放浪記』が上になりますが(物語性を評価して完成度が高い『浮雲』の方をより高く評価する人もいておかしくない)、映画は、同じ成瀬巳喜男監督の「浮雲」(★★★★☆)の方が原作を比較的忠実に再現していて好みで、それに比べると「放浪記」(★★★★)は、菊田一夫的要素はそれなりに面白いですが、やや下でしょうか(それでも星4つだが)。高峰秀子は当時38歳。実際の年齢よりは若く見えます放浪記・浮雲.jpgが、本当はもう少し若い時分に林芙美子を演じて欲しかった気もします(「浮雲」の時は30歳だった)。ただ、それでもここまで演じ切れていれば立派なものだと思います。 

「放浪記」●制作年:1962年●監督:成瀬巳喜男●製作:藤本真澄●脚本:井手俊郎/田中澄江●撮影:安本淳●音楽:古関裕而●原作:林芙美子/菊田一夫●時間:123分●出演: 高峰秀子/田中絹代/宝田明/小林桂樹/加東大介/草笛光子/仲谷昇/伊藤雄之助/加藤武/文野朋子/多々良純/菅井きん/名古屋章/中北千枝子/岸田森/草野大悟/橋爪功/織田政雄/北川町子/林美智子/霧島八千代/内田朝雄●公開:1962/09●配給:東宝=宝塚映画(評価:★★★★)

《読書MEMO》
2022年2月2日「徹子の部屋」(草笛光子88歳・岸恵子89歳)
草笛光子88歳・岸恵子89歳.jpg

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いい話、いいラストだったなあという感じ。大河内傳次郎の名優たる証しである作品。
小原庄助さん dvd2.png 小原庄助さん 裏.jpg 小原庄助さん dvd1.png 小原庄助さん 2.jpg
小原庄助さん [DVD]」「新東宝傑作コレクション 小原庄助さん [DVD]」 大河内傳次郎

小原庄助さん 1.jpg 旧家の当主で朝寝・朝酒・朝湯をたしなむ杉本左平太(大河内傳次郎)は、人々から"小原庄助さん"と呼ばれていた。人の良い左平太は村人から頼まれると断り切れず、自分の財産をどんどん分け小原庄助さん 選挙.jpg与えたため、すでに破産寸前。妻おのぶ(風見章子)は着物を質入れして夫を支える始末。村長選挙への立候補を頼まれた左平太だったが、そんなことにはいっさい興味がないため和尚(清川荘司)を推薦するものの、対立候補である吉田次郎正(日守新一)に頼まれ応援演説をしてしまう。ついに無一文となり、妻にも逃げ出された左平太の家に、若い二人組の泥棒が入った。左平太は二人を投げ飛ばし、酒を勧めるのだった―。

清水 宏 「小原庄助さん」旧家.jpg 清水宏(1903-1966)監督の1949(昭和24)年「新東宝」映画で(配給会社は「東宝」)、静岡県・三島に実在する旧家の屋敷を借りてオールロケで小原庄助さん 大河内.jpg撮った作品。山根貞男氏によれば、リアリズム重視の清水宏監督は、撮影初日にバッチリ化粧してきた大河内傳次郎を厳しく注意し、抵抗する大河内に対し、最初に「朝湯」のシーンを撮って敢えてそのメーキャップを台無しにしたとのことです(よって本作は、ノーメークの大河内傳次郎を観ることが出来る貴重な作品とも言えるのでは)。こうした清水監督の映画作りへのこだわりが、結果的に、チャンバラ映画などでのいつものきりっとした役柄とは全く異なる役柄を演じた大河内傳次郎の、この作品の中での存在感を引き立つものとしていて、ある種の理想的な人物像ではあるが、ともすると現実味が失われそうになりがちな主人公のキャラクター設定に、しっかりしたリアリティを吹き込んでいるように思えました。

小原庄助さん5.jpg 主人公の"小原庄助さん"こと左平太は、村の青年団の野球チームにユニフォームは寄贈するは、婦人会にたくさんのミシンは寄付するは(そのために「文化的な生活を推進する」というマーガレット中田(清川虹子)に乗り込まれて往生する)のお人好しぶりで(それも借金生活にありながら)、人に頼まれて、町に出て闇商売をしているおりつ(宮川玲子)に村に帰るように説得しに行きますがこれは失敗。でも、おりつの情夫(鮎川浩)が実は骨のある男だと分かって意気投合、ダンスホールに入ったらマーガレット先生がいて無理矢理一緒に踊らされた上に、支配人の吉田次郎正まで出てきたのを、この情夫が"ガン飛ばし"して追っ払ってくれます。

小原庄助さん 和尚.jpg 左平太は、先代、先々代と村長だったことから、次期村長の座を狙う次郎正が村長選挙に立候補するつもりか探りに来たのに対し、その気は無いと言ってその応援演説まで引き受けて、一方で村人から村長選に出馬するよう乞われて、和尚を立てるも次郎正が勝利します。左平太のいい加減な応援演説が可笑しかったです(それは次郎正の政策理念の無さをそのまま反映しているのだが)。でも、当選祝賀会に出ることまでは頼まれていないときっぱり断っていたなあ、和尚の落選残宴会の方に出ると言って。結局、選挙違反で次郎正の当選は無効となり、和尚が繰り上げ当選に。人口二千人くらいの村だと、却って買収とかあったりするのでしょうか。

 左平太は、上に立つべき者は家柄ではなく人柄が大事で、自分は家柄で村人から村長選に立つように言われていると自覚しているけれど、実際のところは人柄が村の皆から好かれているようです。でも、本人は、地位も名誉も望まないし、財産すら無意識的に、或いは半ば意識的に放棄しようとしているようであり、最後は全てを失って、侘しさの中にもむしろスッキリしている感じでした。さすがに妻のおのぶが義兄に連れられて実家に帰ってしまった時は寂しそうでしたが、家の品物を競売にかかっているような状況で芸者遊びをしているくらいだから無理もないか。

小原庄助さん 風見.jpg小原庄助さん ラスト.jpg しかし、そうした場におられないという左平太の気持ちも分かる気がすると言っていた妻おのぶは、足代わりの愛用のロバさえ子供達に譲り渡して徒歩で駅に向かう左平太を、最後に追いかけてくる―ああ、いい話、いいラストだったなあという感じ。よく出来た奥さんであり、夫婦の愛情物語でもありました。

 ラストで「始」という字が出て、何も画面に出ないまま「小原庄助さん」の曲が流れるのは、夫婦のこれからをどう暗示しているものか色々な解釈があるでしょう。左平太が無一文となるストーリーの背景には、1947(昭和22)年にGHQの指揮の下で始まった農地改革があることは間違いなく、遅かれ早かれ似たような状況になることは左平太自身も頭の中にあったのではないかという気がします。清水監督は必ずしも彼を"時流に取り残された敗者"としては描いていないように思われました。

 左平太が泥棒二人を投げ飛ばすところの身の動きだけが、黒澤明監督の「姿三四郎」('43年/東宝)の"矢野正五郎"になっているのが楽屋ネタ的に可笑しいですが、山中貞雄監督の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」('35年/日活)のやや戯画化された丹下左膳役と比べてもコミカルの質が異なるし、ましてや同じ黒澤監督の「虎の尾を踏む男達」('45年完成、'52年/東宝)の歌舞伎「勧進帳」そのものの弁慶役と比べるとその演技の違いの大きさは目を瞠るものがあり、やはりこの人、単にスターであるばかりでなく、名優でもあったのだなあと思いました(私見ながら、何を演じてもその人、その役者というのは「スター」か「大根」であり、全く違う役柄をしっかりと演じ分けられるのが「名優」かと...)。
 
小原庄助さん 1949.jpg「小原庄助さん」●制作年:1949年●監督:清水宏●製作:岸松雄/金巻博司●製作会社:新東宝●脚本:清水宏/岸松雄●撮影:鈴木博●音楽:古関裕而●時間:94分●出演:大河内傳次郎/風見章子/飯田蝶子/清川虹子/坪井哲/川部守一/田中春男/清川荘司/杉寛/宮川玲子/鮎川浩/鳥羽陽之助/日守新一/石川 冷 /尾上桃華/高松政雄/倉橋享/今清水甚二/高村洋三/佐川混/加藤欣子/徳大寺君枝/赤坂小梅●公開:1947/11●配給:東宝(評価:★★★★)

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あくまで写真主体の「写真集」。開会式の場面で何だかじ~んとくる「映画」。

'64 東京オリンピック 朝日新聞社.jpg     映画パンフレット 「東京オリンピック」.jpg 東京オリンピック vhs.jpg  
'64東京オリンピック (1964年)』/映画「東京オリンピック」(パンフレット/VHS①②)

3『'64 東京オリンピック』.png東京オリンピック3.JPG 東京オリンピックの終了後、比較的早期に出された写真集で、当時の定価で2800円ですが、相当部数印刷されたせいか、古書市場で比較的廉価で入手できます。
東京オリンピック5.JPG 東京オリンピック7.JPG カラー写真とモノクロ写真が交互に出てきて、大判で迫力がありますが、キャプションは簡潔にとどめ、あくまで写真主体であるのがいいです。
『'64 東京オリンピック』10.png東京オリンピック8.JPG それにしても懐かしいね。日本人選手も、重量挙げの三宅義信やレスリングの渡辺長武、体操の遠藤幸雄、そして女子バレーボールと多くの選手が活躍したけれども、やはり世界にはすごい選手がいるものだと思い知った大会でした。
『'64 東京オリンピック』11.jpg12『'64 東京オリンピック』.png 陸上男子100メートルのボブ・ヘイズ、マラソンのビキラ・アベベ、水泳のドン・ショランダー、体操のベラ・チャフラフシカ、柔道のアントン・へ―シング、ややマニアックなところでは、重量挙げのジャボチンスキーや女子砲丸投げのタマラ・プレスなんていう選手が印象に残っています。

東京オリンピック4.JPG 日本選手で印象深いのは、やはりマラソンの円谷幸吉選手(1万メートルでも6位に入賞していたんだなあ)で、この人の写真を見るたびにその「遺書」を思い出してしまいます。

依田郁子-Ikuko_Yoda_1964.jpg 女子80メートルハードルの依田郁子選手も、スタート前のウォーミングアップでトンボ返りをするなど印象的でしたが、この人も'83年に自殺しています(柔道重量級の金メダリストの猪熊功選手も2001年に自刃により自殺している)。人気度という点では水泳の木原光知子選手などもいました(愛称ミミ。この人も2007年に突然のように亡くなったなあ)。

依田郁子(1964)

田中聡子.jpg 巻末の競技別成績一覧を見ると、水泳の男子200メートル背泳の福島滋雄選手とか女子100メートル背泳の田中聡子選手とか、メダルまであと一歩だった選手もいて、田中聡子選手は日本新記録を出しながらも4位、福島滋雄選手は3位の選手と10分の1秒差―その悔しさは測り知れません(但し、田中聡子選手は東京五輪の前のローマ五輪で銅メダルを獲得し、日本では前畑秀子以来二人目の女子競泳メダリストとなっていた)(彼女は、2012年と2017年、マスターズ水泳の世界大会と国内大会で100m背泳ぎの世界記録をつくっている)

東京オリンピック  市川昆.png この大会の公式記録映画である市川昆(1915-2008/享年92)監督の「東京オリンピック」('65年/東宝)では、試合前の選手の悲愴感すら漂う緊張ぶりや、脱落したり敗者となった選手の表情(田中聡子選手のように惜しくもメダルに届かなかった選手のレース直後の様子なども含め)にもスポットを当てており、選手の心情を描くことを重視したドラマ性の高いものとなっていました。

千代田映画劇場 東京オリンピック.jpg この作品は当時750万人の一般観客と、学校動員による1,600万人の児童生徒の、合計で2,350万人が観たとのことで(ギネスブック日本版)、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」('01年/東宝)が '01年に観客動員数2,350万人を達成したそうですが、国民の広い層が観たという意味ではいい勝負と言うか、「東京オリンピック」の方が上かもしれません。

「東京オリンピック」('65年/東宝)封切時(千代田映画劇場)「SUISHI'S PHOTO」中塚浩氏撮影
 
市川 崑 「東京オリンピック」開会式.jpg 聖火リレーや開会式の様子をしっかりと撮っていて、観ていて約半世紀前の記憶が甦ってくるとともに、当時の日本国民の熱狂ぶりを改めて感じとることができま④古関 裕而.jpgす。古関裕而作曲の「東京オリンピックマーチ」ってやはりいい。開会式の選手入場行進などの場面を観ていてじ~んと胸にくるのは自分の年齢のせいでしょうか。映画からは、編集した映像に合わせて後から音楽や選手の靴音などの効果音を入れていることが窺えますが。

東京オリンピック』を撮影中の市川崑監督.bmp 当初、黒澤明が監督をする予定だったものが予算面で折り合わず、新藤兼人、今村昌平など何人かの有名監督が候補に挙がった中で、最後にお鉢が廻ってきたのが、スポーツはプロ野球観戦ぐらいしか興味の無かった市川昆監督でした。

市川 昆 「東京オリンピック」望遠カメラ.jpg でも、経費的な制約条件の中、超望遠カメラを多数使用し、人海戦術で各競技の様子を撮ることに予算を集中投下した市川監督の手法は"当たり"だったのではないでしょうか。興行面だけでなく、質的にも、市川昆監督自身の代表作と言えるものと思います。

市川 崑 「東京オリンピック」バレーボール.jpg 最終的には制作費3.5億円と、やっぱり予算オーバーになったみたいですが、興行収入はそれを大きく上回る12億円超。予算オーバーは、監督自身が当初2時間半程度に纏めるつもりでいたのが、協会側から3時間程度に、という要請があったことも関係しているのでは。

 '04年(平成16)年にオリンピック開催40周年を記念して発売されたDVDでは、市川昆監督自身が再編集したディレクターズカットが劇場公開版と併せ収録されていますが、こちらは劇場公開版より22分短い148分となっています(VHS版は劇場公開版と同じ170分)。

市川 崑 「東京オリンピック」ハードル.jpg 内容的には当時、記録性に乏しいとの批判もあり(オリンピック担当大臣だった河野一郎が「作り直せ」とイチャモンをつけたのは有名)、「記録が芸術か」という議論にまで発展したようですが、ドキュメンタリーというのは必ずフィクションの要素が入るものではないかなあ(この作品については「脚本」に市川崑、和田夏十の他に、白坂依志夫や谷川俊太郎が名を連ねており、映画のエンリーフェンシュタール.jpgディングロールには安岡章太郎などの名も見られる)。因みに、1936年のベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」('38年)(日本では「民族の祭典」および「美の祭典」として公開)を監督したレニ・リーフェンシュタール(1902-2003)も厳密な意味でのドキュメンタリー作品であることにはこだわらず、創作的・芸術的要素をふんだんに作品の織り込んでいて、市川崑監督の「東京オリンピック」はこのレニ・リーフェンシュタールの作品の影響を強く受けているとも言われています。

市川崑 オリンピック.jpg ディレクターズカット版では、そうした批評を受けてか、劇場版で休憩時間を経ての後半の冒頭に出てくる、独立して間もないアフリカのチャドから来た選手のエピソードなどが割愛されているようです。この選手、映画の中では母国の何百とある方言のうちの1つを話す、とされていますが、市川昆監督自身が後のインタヴューで、実はフランス語がペラペラの"近代青年"であったことを明かしており、さすがにここは"作り過ぎた"との意識が監督自身にもあったのでしょうか(この人の弱点は、和田夏十の脚本をすんなり受け容れすぎてしまうことにあったのではないか)。

ドイツは合同チームとして参加 東京オリンピック.jpg 当時、東西に分かれていたドイツは合同チームとして参加し(但し、団体種目では表向き東西統一ドイツという名称であっても、実際には東ドイツもしくは西ドイツどちらかのチームだった)、「ドイツ」が金メダルをとると国歌の代わりにベートーヴェンの第九交響曲「歓喜の歌」が流されるなどしました。オリンピックはこの頃が一番「平和の祭典」に近かったのかもしれません。ただ、オリンピックに政治を持ち込まないと言っても、これもまた政治の影響であることには違いなく、その辺りが難しいところかもしれません。

ブラックパワー・サリュート.jpg オリンピックを巡る様々なエピソードで個人的に印相深いものの1つに、東京オリンピックの4年後に行われた1968年メキシコシティオリンピックで、男子200mの表彰台での「ブラックパワー・サリュート」があり、あれなども「政治」的行為かもしれませんが、彼らにはそうした行為をするに至る切実な思いがあったわけで、非常に複雑な問題だと思います。表彰台で拳を掲げた米国の金メダリストのトミー・スミス(中央)と銅メダリストのジョン・カーロス(右)に賛同して、銀メダリストのオーストラリアのピーター・ノーマンも彼らと同じく、前年に彼らが設立したOPHR(人権を求めるオリンピック・プロジェクト)のバッジを咄嗟に着け、彼らの行為に賛同の意を表しました。スミスとカーロスが帰国後バッシングに会い、カーロスなどは100ヤード世界タイ記録を出しながら二度とオリンピック代表に選ばれなかったのと同様、ノーマンもメキシコ五輪以降も国内トップ級アスリートであったあったにも関わらず二度と五輪代表に選ばれることノーマン葬儀.jpgはありませんでした(米国が黒人問題を抱えるのと同様、オーストラリアはアボリジニ問題を抱えていた)。ノーマンをは2006年に死去し、葬儀ではスミスとカーロスが棺側付添い人を務スミスとカーロスの像.jpgめています。また、2005年、カリフォルニア州立大学サンノゼ校は、卒業生であるスミスとカーロスの抗議行動を賞賛し、20フィートの銅像を建立していますが、この像にはノーマンの姿はありません。これには経緯があり、当初は今あるようにスミスとカーロスだけを像にする予定だったのが、本人たちがノーマンを加えないならば像は立てないでくれと反対、ところがノーマン本人の方から像に自分を加えないで欲しいとの申し出があったとのこと。ノーマン曰く、「誰でも僕の代わりにそこに立ち、記念写真を撮ることができるじゃないか」ということだったようですが、「その場所には誰でも立つことが出来る」という象徴的な意味に繋がるこのノーマンの意向には偉いなあと思わされます。

東京オリンピック 市川昆.bmp東京オリンピックdvd.jpg13『'64 東京オリンピック』.png「東京オリンピック」●制作年:1965 年●監督:市川昆●製作:東京オリンピック映画協会●脚本:市川崑/和田夏十/白坂依志夫/谷川俊太郎●撮影:林田重男/宮川一夫/中村謹司/田中正●音楽:黛敏郎●ナレーター:三國一朗●時間:170分●公開:1965/03●配給:東宝(評価:★★★★)東京オリンピック [DVD]
1964 東京オリンピックポスター デザイン:亀倉雄策
1964 東京オリンピック 亀倉雄策.jpg

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絵だけで言えば大人向けと言えるかも。鬼が島から宝物の代わりに姫を連れて帰った桃太郎。

ももたろう.jpg 桃太郎 海の神兵 vhsカバー.jpg あの頃映画松竹DVDコレクション 桃太郎 海の神兵.jpg
ももたろう (日本傑作絵本シリーズ)』「桃太郎・海の神兵 [VHS]あの頃映画松竹DVDコレクション 桃太郎 海の神兵 / くもとちゅうりっぷ デジタル修復版」['16年]
ももたろう 赤羽末吉.jpgももたろう 赤羽.jpg 1965(昭和40)年2月に刊行された子供向け絵本(読み聞かせなら5歳から、自分で読むなら小学校中級向き)ですが、赤羽末吉(1910-1990)の絵に水墨画のような味わいがあります。これと比べると、"100円ショップ"などで売っている絵本はもとより、他の「桃太郎絵本」が霞んでしまうかも。むしろ、絵だけで言えば、大人向けと言えるかも知れません。

 ところで、もともとの桃太郎伝説の桃太郎は桃から生まれたのではなく、桃を食べた老夫婦が若返って子宝に恵まれたという話だったようですが、これでは"回春"話になってしまうため、子どもに読み聞かせるのにふさわしいよう明治以降に改変されたとのことです。桃太郎伝説に出てくる鬼が島というのは、室町か江戸の時代に日本近海の島に外国人が漂着したのが起源だと思っていましたが、桃太郎自体は古代の大和政権が吉備国に攻め込んだ時に活躍した人物をモデルにしたものであるとの説が有力らしく、ルーツを辿ると結構ヤマトタケル並みに古い話のようです。

桃太郎 海の神兵    .jpg桃太郎 海の神兵.jpg 太平洋戦争中は、軍神的キャラクターとして「桃太郎 海の神兵(しんぺい)」('45年公開、74分)などの国策アニメ映画の主人公になっていますが、「桃太郎 海の神兵」はその内容はともかく、長さで1時間を超える日本初の長編アニメーション映画にしてそのアニメ技術はなかなかのもので、今手塚治虫2.jpg見ると北朝鮮のアニメみたいですが、手塚治虫が公開初日にこの映画を見て、そのレベルの高さに感動し、アニメーションの楽しさに目覚めたのだそうです。
  
桃太郎の海鷲.jpg桃太郎の海鷲2.jpg 30分以上1時間未満を"中編"ではなく"長編"とするならば、「桃太郎 海の神兵」に先立つものとして、同じ瀬尾光世監督による「桃太郎の海鷲」('43年公開、37分)があり、これが日本初の長編アニメーション映画ということになるのかも。こちらも技術水準はなかなかのものですが、100人以上のスタッフが関わった「海の神兵」に対し、「海鷲」の方は僅か4名のスタッフだったというから驚きです。内容的には、日本海軍による真珠湾攻撃をモデルにしており、桃太郎を隊長とする機動部隊が鬼が島へ「鬼退治(空襲)」を敢行し、多大な戦果を挙げるというものです(真珠湾攻撃のメタファーになっている)。アメリカ漫画が締め出された頃であったにも関わらず、たまmomotaro_bluto.jpgたま敵兵の中に大男ブルートにそっくりの顔が出てくるため、宣伝ビラで間違ってミッキーマウスやポパイなどが出てきて桃太郎と戦うというのがあったらしく、それを期待して観に行った人もいて「なんだ、ちっとも出てこないじゃないか」とがっかりしたという話もあったそうです(「マンガ映画メイドイン・ジャパン」―『フィルムは生きている―手塚治虫選集5』1959)。この時から既に桃太郎は「軍神」扱いだったのだなあと思わされますが、これらの作品は日本ではなくアメリカでDVD化され市販されています。

 しかし、桃太郎を「軍神」扱いするというのは、明治時代にすでに福沢諭吉などが、桃太郎が鬼が島から宝を獲って帰ったのは「略奪行為」にほかならないと言っていたことを思うと、当時としてもやはりアナクロではないでしょうか(戦争は時代を逆行させるのだろなあ)。

 桃太郎伝説については各地に様々なバリエーションがあるようで、実は桃太郎は家の事を手伝わない怠け者だったのが、家が鬼に襲われて鬼退治に目覚めたとか。芥川龍之介によるパロディなどは、ちょうどこの怠け者説と福沢諭吉の考えをミックスしたようなものになっています。

松居直.jpg 本書の松居直(まつい・ただし、1926-2022/96歳没)氏の文による桃太郎は、最後に鬼が島から宝物を持ち帰らない代わりに鬼たちに囚われていたお姫様を連れて帰って、桃太郎は姫と結婚する!(「一寸法師」みたいだなあ)

 松居氏は児童文学者であるとともに、福音館書店の社長も長く務め、多くの絵本作家や挿画家を発掘した人ですが(無名だったいわさきちひろ・初山滋・田島征三・安野光雅・堀内誠一・長新太などを発掘)、最後の部分は松居氏のオリジナルなのでしょうか、それとも実際、そうしたバリエーションも伝承としてあるのでしょうか。

 版元による内容紹介には、「桃太郎の原型、あるべき姿を追求して作りあげた"桃太郎絵本の決定版"」とありますが、鬼が島から宝物を持ち帰る話を「嫁取り話」に仕立てたのは、やはり作者のオリジナルなのでしょう。伝承に忠実というより、軍神のイメージを払拭するという意味での「桃太郎の原型、あるべき姿」であったように思います(福沢諭吉らの「宝の持ち帰りは略奪行為」説にも符合する)。

 因みに、「桃太郎 海の神兵」を撮った瀬尾光世監督の方は、「桃太郎 海の神兵」で「燃え尽きた」と言われ、1949年の「王様のしっぽ」を最後にアニメ界を去り、それ以後は「瀬尾光男」や「せお・たろう」のペンネームで絵本作家へ転向しています。

桃太郎・海の神兵.gif「桃太郎 海の神兵」●制作年:1945年●監督・脚本・撮影:瀬尾光世●製作:松竹動画研究所●後援:海軍省●動画:桑田良太郎/高木一郎/小幡俊治/木村一郎●影絵:政岡憲三●音楽:古関裕而●作詞:サトウハチロー●時間:74分●公開:1945/04●配給:松竹映画(評価:★★★)

桃太郎の海鷲桃.jpg「桃太郎の海鷲」●制作年:1942年●監督・撮影:瀬尾光世●製作:芸術映画社、大村英之助●脚本:栗原有茂●後援:海軍省●技術・構成:持永只仁/田辺利彦/橋本珠子/塚本静世●音楽:伊藤昇●時間:37分●公開:1943/03●配給:映画配給社(評価:★★★)

《読書MEMO》
森卓也.jpg森卓也(映画評論家)の日本アニメ映画ベストテン(『オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇』(2010年/キネ旬ムック)
○難船ス物語 第一篇・猿ヶ島(1931)
○くもとちゅうりっぷ(1943)
○上の空博士(1944)
桃太郎 海の神兵(1945)
○長靴をはいた猫(1969)
○道成寺(1976)
○ルパン三世 カリオストロの城(1979)
○うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984)
○となりのトトロ(1988)
○東京ゴッドファーザーズ(2003)

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写真が豊富(数千点)かつ鮮明。生活費を切り詰め集めた"執念のコレクション"。

東宝特撮怪獣映画大鑑(増補版).jpg 東宝特撮怪獣映画大鑑 増補版.jpg ゴジラ.jpg モスラ対ゴジラ1964.jpg
東宝特撮怪獣映画大鑑』(1999/03 朝日ソノラマ) 「ゴジラ」(1954)/「モスラ対ゴジラ」(1964)

 朝日ソノラマの旧版('89年刊行)の「増補版」。553ページにも及ぶ大型本の中で、'54年の「ゴジラ」から'98年の「モスラ3」までのスチールや撮影風景の写真などを紹介していますが、とにかく写真が充実(数千点)しているのと、その状態が極めてクリアなのに驚かされます。

浅野ゆう子.jpg 怪獣映画ファンサークル代表竹内博氏が、仕事関係で怪獣映画の写真が手元に来る度に自費でデュープして保存しておいたもので(元の写真は出版社や配給会社に返却)、当時の出版・映画会社の資料保管体制はいい加減だから(そのことを氏はよく知っていた)、結局今や出版社にも東宝にもない貴重な写真を竹内氏だけが所持していて、こうした集大成が完成した、まさに生活費を切り詰め集めた"執念のコレクション"です(星半個マイナスは価格面だけ)。

水野久美2.jpg若林映子2.jpg やはり、冒頭に来るのは「ゴジラ」シリーズですが、スチールの点数も多く、ゴジラの変遷がわかるとともに、俳優陣の写真も豊富で、平田昭彦、小泉博、田崎潤、佐原健二、藤木悠、宝田明、高島忠夫、女優だと水野久美若林映子(後のボンドガール)、根岸明美、さらに前田美波里や、ゴジラものではないですが浅野ゆう子('77年「惑星大戦争」)なども出ていたのだなあと。

モスラ対ゴジラ.jpgモスラ.jpgゴジラ ポスター.jpg 「ゴジラ」('54年)は、東宝の田中友幸プロデューサーによる映画「ゴジラ」の企画が先にあって、幻想小説家の香山滋が依頼を受けて書いた原作は原稿用紙40枚ほどのものであり、現在文庫で読める『小説ゴジラ』は、映画が公開された後のノヴェライゼーションです。

ゴジラ 1954.jpgゴジラs29.jpg  自分が生まれる前の作品であり(モノクロ)、かなり後になって劇場で観ましたが、バックに反核実験のメッセージが窺えたものの、怪獣映画ファンの多くが過去最高の怪獣映画と称賛するわりには、自分自身の中では"最高傑作"とするまでには、今ひとつノリ切れなかったような面もあります。やはりこういうのは、子供の時にリアルタイムで観ないとダメなのかなあ。ゴジラ 1954.jpg初めて「怪獣映画」というものを観た人たちにとっては、強烈なインパクトはあったと思うけれど。昭和20年代終わり頃に作られ、自分がリアルタイムで観ていない作品を、ついつい現代の技術水準や演出などとの比較で観てしまっている傾向があるかもしれません。但し、制作年('54年)の3月にビキニ環礁で米国による水爆実験があり、その年の9月に「第五福ゴジラ_.jpg竜丸」の乗組員が亡くなったことを考えると、その年の12月に公開されたということは、やはり、すごく時代に敏感に呼応した作品ではあったかと思います。

宝田明(南海サルベージKK所長・尾形秀人)/河内桃子(山根恭平博士の娘・山根恵美子)/平田昭彦(科学者・芹沢大助)
Gojira (1954) 菅井きん(1926-2018/享年92)(小沢代議士)/志村喬(古生物学者・山根恭平博士)
Gojira (1954) .jpg菅井きん ゴジラ.jpgo志村喬ゴジラ.jpg「ゴジラ」●制作年:1954年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本:村田武雄/本多猪四郎●撮平田昭彦 ゴジラ.jpg影:玉井正夫●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二ほか●原作:香山滋●時間:97分●出演:宝田明/河内桃子/平田昭彦/志村喬/堺左千夫/村上冬樹/山本廉/榊田敬二/鈴木豊明 /馬野都留子/菅井きん/笈川武夫/林幹/恩田清二郎/高堂国典/小川虎之助/手塚克巳/橘正晃/帯一郎/中島春雄/川合玉江/東静子/岡部正/鴨田清/今泉康/橘正晃/帯一郎●公開:1954/11●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿名画座ミラノ (83-08-06)(評価:★★★☆)●併映:「怪獣大戦争」(本多猪四郎)


モスラ_0.jpg 作品区分としてはゴジラ・シリーズではないですが、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の3人の純文学者を原作者とする「モスラ」('61年)の方が、今観ると笑えるところも多いのですが、全体としてはむしろ大人の鑑賞にも堪えうるのではないかと...。まあ、「ゴジラ」と「モスラ」の間には7年もの間隔があるわけで、その間に進歩があって当然なわけだけれど。

「モスラ」('61年)予告

モスラ51.jpg ザ・ピーナッツ(伊藤エミ(1941-2012)、伊藤ユミ(1941-2016))のインドネシア風の歌も悪くないし、東京タワー('58年完成、「ゴジラ」の時「モスラ」(61年).jpgはまだこの世に無かった)に繭を作るなど絵的にもいいです。原作「発光妖精とモスラ」では繭を作るのは東京タワーではなく国会議事堂でしたが、60もののけ姫のオーム.jpg年安保の時節柄、政治性が強いという理由で変更されたとのこと、これにより、モスラは東京タワーを最初に破壊した怪獣となり、東京タワーは完成後僅か3年で破壊の憂き目(?)に。繭から出てきたのは例の幼虫で、これが意外と頑張った? 宮崎駿監督の「もののけ姫」('97年)の"オーム"を観た時、モスラの幼虫を想起した人も多いのではないでしょうか。

モスラ4S.jpg「モスラ」●制作年:1961年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:古関裕而●特殊技術:円谷英二●イメージボード:小松崎茂●原作:中村真一郎/福永武彦/堀田モスラ_1.jpg善衛「発光妖精とモスラ」●時間:101分●出演:モスラ111 .jpgフランキー堺小泉博香川京子/ジェリー伊藤/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/上原謙志村喬平田昭彦/佐原健二/河津清三郎/小杉義男/高木弘/田島義文/山本廉/加藤春哉/三島耕/中村哲/広「モスラ」上原・香川.jpg志村 モスラ.jpg瀬正一/桜井巨郎平田昭彦 モスラ.jpg/堤康久●公開:1961/07●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿シアターアプル (83-09-04)(評価:★★★☆)●併映:「三大怪獣 地球最大の決戦」(本多猪四郎)   
   
   
モスラ対ゴジラ ポスター2.jpgモスラ対ゴジラ ポスター.jpg 「ゴジラシリーズ」の第1作「ゴジラ」を観ると、ゴジラが最初は純粋に"凶悪怪獣"であったというのがよくわかりますが、「ゴジラシリーズ」の第4作「モスラ対ゴジラ」('64年)(下写真)の時もまだモスラの敵役モスラ対ゴジラ 02.jpgでした。この作品はゴジラにとって怪獣同士の闘いにおける初黒星で、昭和のシリーズでは唯一の敗戦を喫した作品でもあります。因みに、「ゴジラシリーズ」の第3作「キングコング対ゴジラ」('62年)は両者引き分け(相撃ち)とされているようです。それが、'64年12月に公開された('64年12月公開予定だった黒澤明監督「赤ひげ」の撮影が長引いたため、正月興行用に急遽制作された)「ゴジラシリーズ」の第5作「三大怪獣 地球最大の決戦」('64年)(下写真)「三大怪獣 地球最大の決戦」('64年)3.jpgになると、宇宙怪獣キングギド三大怪獣 地球最大の決戦.jpgラを倒すべく力を合わせようというモスラ(幼虫)の"呼びかけ"にラドンと共に"説得"されてしまいます。この怪獣たちが極端に擬人化された場面のバカバカしさは見モノでもあり、ある意味、珍品映画として貴重かもしれません。ともかく、ゴジラはこの作品以降、昭和シリーズではすっかり"善玉怪獣"になっています(この映画で、東京上空を飛行したキングギドラは衝撃波で東京タワーを破壊し、「モスラ」に続いて東京タワーを破壊した2番目の怪獣となる)。また、この「三大怪獣 地球最大の決戦」には、後にボンドガールとなる若林映子が、キングギドラに滅ぼされた金星人の末裔であるサルノ王女(の意識が憑依した女性)役で出ていましたが、王女の本名はマアス・ドオリナ・サルノ(まあ素通りなさるの!)でした(笑)。この作品、「四大怪獣」ではないかとも言われましたが、モスラ、ゴジラ、ラドンの地球の3匹が若林映子 サルノ王女.jpg三大怪獣 地球最大の決戦 (1964年)-s2.jpg平田昭彦 三大怪獣jpg.jpgを力を合わせて宇宙怪獣キングギドラ戦に挑むことから、「地球の三大怪獣」にとっての最大の決戦という意味らしいです。
若林映子(サルノ王女)/夏木陽介・星由里子・志村喬 in「三大怪獣 地球最大の決戦」/平田昭彦

Mosura tai Gojira(1964)
Mosura tai Gojira(1964).jpgモスラ対ゴジラ hujita .jpgモスラ対ゴジラ2.jpg「モスラ対ゴジラ」●制作年:1964年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:89分●出演:宝田明星由里子小泉博/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/藤木悠/田島義文/佐原健二/谷晃/木村千吉/中モスラ 小美人用に作られた巨大セット.jpgモスラ .jpg山豊/田武謙三/藤田進/八代美紀/小杉義男/田崎潤/沢村いき雄/佐田豊/山本廉/佐田豊/野村浩三/堤康久/津田光男/大友伸/大村千吉/岩本弘司/丘照美/大前亘●公開:1964/04●配給:東宝(評価:★★★☆)
小泉博・宝田明・星由里子・ザ・ピーナッツ/小美人用に作られた巨大セット(本多監督とザ・ピーナッツ)
「モスラ対ゴジラ」('64年)予告

「三大怪獣 地球最大の決戦」('64年)予告

San daikaijû Chikyû saidai no kessen(1964)                 
三大怪獣・地球最大の決戦 パンフレット.jpgSan daikaijû Chikyû saidai no kessen(1964).jpg三大怪獣 地球最大の決戦2.jpg「三大怪獣 地球最大の決戦」●制作年:1964年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:97分●出演:夏木陽介/小泉博/星由里子若林映子「三大怪獣 地球最大の決戦」.png三大怪獣 地球最大の決戦 星百合子e.jpgザ・ピーナッツ/志村喬/伊藤久哉/平田昭彦/佐原健二/沢村いき雄/伊吹徹/野村浩三/田島義文/天本英世/小杉義男/高田稔/英百合子/「三大怪獣 地球最大の決戦」6.jpg加藤春哉●時間:93分●公開:1964/12●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿シアターアプル (83-09-04)(評価:★★☆)●併映:「モスラ」(本多猪四郎)
夏木陽介・若林映子(サルノ王女) in「三大怪獣 地球最大の決戦」
  
怪獣大戦争.jpg怪獣大戦争01.jpg 更に、ゴジラシリーズ第6作「怪獣大戦争」('65年)は、地球侵略をたくらむX星人がキングギ怪獣大戦争 土者.jpgドラ、ゴジラ、ラドンの3大怪獣を操り総攻撃をかけてくるというもので、X星人の統制官(土屋嘉男)がキングギドラを撃退するためゴジラとラドンを貸して欲しいと地球人に依頼してきて(土屋嘉男は「地球防衛軍」('57年)のミステリアン統領以来の宇宙人役か)、その礼としてガン特効薬を提供すると申し出るが実はそれは偽りで...という、まるで人間界のようなパターンの詐欺行為。「シェー」をするゴジラなど、怪獣のショーアップ化が目立ち、"破壊王"ゴジラはここに至って、遂に自らのイメージをも完全粉砕してしまった...。

怪獣大戦争011.jpg 本書にはない裏話になりますが、この作品に準主役で出演した米俳優のニック・アダムスは、ラス・タンブリンなど同列のSF映画で日本に招かれたハリウッド俳優達が日本人スタッフと交わろうとせずに反発を受けたのに対し、積極的に打ち解け馴染もうとし、共演者らにも人気があったそうで、土屋嘉男とは特に息が合い、土屋にからかわれて女性への挨拶に「もうかりまっか?」と言っていたそうで、仕舞には、自らが妻帯者であるのに、水野久美に映画の役柄そのままに「妻とは離婚するから結婚しよう」と迫っていたそうです(ニック・アダムスは当時、私生活では離婚協議中だったため、冗談ではなく本気だった可能性がある。但し、彼自身は、'68年に錠剤の過量摂取によって死亡している(36歳))。

怪獣大戦争ges.jpgニック・アダムス2.jpg「怪獣大戦争」●制作年:1965年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本: 関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:94分●出演:宝田明/ニック・アダムス/久保明/水野久美/沢井桂子/土屋嘉男/田崎潤/田島義文/田武謙三/、村上冬樹/清水元/千石規子/佐々怪獣大戦争 土屋嘉男.jpg怪獣大戦争2.jpg木孝丸●公開:1965/12●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿名画座ミラノ (83-08-06)(評価:★★☆)●併映:「ゴジラ」(本多猪四郎)
中央:X星人統制官(土屋嘉男
    
水野久美.jpg 怪獣の複数登場が常となったのか、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」('66年)などというのもあって(「ゴジラ」シリーズとしては第7作)、監督は本多猪四郎ではなく福田純で、音楽は伊福部昭ではなく佐藤勝ですが、これはなかなかの迫力だった印象があります(後に観直してみると、人間ドラマの方はかなりいい加減と言うか、ヒドいのだが)。
水野久美 in「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」('66年)宝田明
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 水の2.jpg
 
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘ps.jpgゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘2.jpg シリーズ第6作「怪獣大戦争」に"X星人"役で出ていた水野久美が今度は"原住民"の娘役で出ていて、キャスティングの変更による急遽の出演で、当時29歳にして19歳の役をやることになったのですが、今スチール等で見ても、妖艶過ぎる"19歳"、映画「南太平洋」('58年/米)みたいなエキゾチックな雰囲気もありましたが、何せ観たのは子供の時ですから、南の島の島民たちが大壷で練っている黄色いスープのような液体の印象がなぜか強く残っています(何のための液体だったのか思い出せなかったのだが、後に観直して"エビラ除け"のためのものだったと判り、スッキリした)。

「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」●制作年:1966年●監「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」.jpg督:福田純●製作:田中友幸●脚本:関沢新一●撮影:山田一「ゴジラ・エビラ・モスラ」水野.jpg夫●音楽:佐藤勝●特殊技術:円谷英二●出演:宝田明/渡辺徹/伊吹徹/当銀長太郎/砂塚秀夫/水野久美/田崎潤/平田昭彦/天本英世/佐田豊/沢村いき雄/伊藤久哉/石田茂樹/広瀬正一/鈴「ゴジラ・エビラ・モスラ」hirata 野.jpg「ゴジラ・エビラ・モスラ」takarada .jpg木和夫/本間文子/中北千枝子/池田生二/岡部正/大前亘/丸山謙一郎/緒方燐作/勝部義夫/渋谷英男●時間:87分●公開:1966/12●配給:東宝(評価:★★★☆)●併映:「これが青春だ!」(松森 健)
   
    
      
大怪獣ガメラgamera_1.jpg この辺りまで怪獣映画は東映の独壇場ともいえる状況でしたが、'65年に大映が「大怪獣ガメラ」、'67年に日活が「大巨獣ガッパ」でこの市場に参入します(本書には出てこないが)。このうち、「大怪獣ガメラ」('65年/大映)は、社長の永田雅一の声がかりで製作されることとなり(永田雅一の「カメ」で行けという"鶴の一声"で決まったようで、湯浅憲明(1933-2004)監督はじめスタッフは苦労したのではないか)、これがヒットして、ガメラ・シリーズは'71年に大映が倒産するまでに7作撮影されましたが、本作はシリーズ唯一のモノクロ作品です(「ゴジラ」の第1作を意識したのかと思ったが、予算と技術面の都合だったらしい)。大怪獣ガメラ 船越英二.jpgあらすじは、砕氷調査船・ちどり丸で北極にやってきた東京大学動物学教室・日高教授(船越英二)らの研究チームが、国大解呪ガメラ 1965es.jpg籍不明機を目撃、その国籍不明機には核爆弾が搭載されており、その機体爆発の影響で、アトランティスの伝説の怪獣ガメラが甦るというもの。「ガメラ」の命名者でもある永田雅一の「子供たちが観て『怪獣がかわいそうだ』とか哀愁を感じないといけない。子供たちの共感を得ないとヒットしない」との考えの大怪獣ガメラ _.jpg大怪獣ガメラ 1965_.jpgもと、ガメラは子供には優しく、特にカメを大事に飼っている主人公の少年には優しいのですが、いくら何でも擬人化し過ぎたでしょうか(永田雅一は「ガメラを泣かせろ」と指示したそうな)。特撮自体は悪くなく、逃げ惑う人々のシーンの人海戦術も効いているだけに、お子様仕様になってしまったのが惜しまれます(出来上がった作品を観て永田雅一は「面白い」と言ったそうだが、映画はヒットしたわけだから、商売人としての感性はあった?)。
大怪獣ガメラ [Blu-ray]」「大怪獣ガメラ デジタル・リマスター版 [DVD]
「大怪獣ガメラ」●制作年:1965年●監督:湯浅憲明●製作:永田秀雅(製作総指揮:永田雅一)●脚本:高橋二三●撮影:宗川信夫●音楽:山内正●時間:78分●出演:船越英二/山下洵一郎/姿美千子/霧立はるみ/北原義郎/左卜全/浜村純/北城寿太郎/吉田義夫/大山健二/小山内淳/藤山浩二/大橋一元/高田宗彦/谷謙一/中田勉/森矢雄二/丸山修/内田喜郎/槙俊夫/隅田一男/杉森麟/村田扶美子/竹内哲郎/志保京助/中原大怪獣ガメラ 船越英二  2.jpg健/森一夫/佐山真次/喜多大八/大庭健二/荒木康夫/井上大吾/三夏伸/清水昭/松山新一/岡郁二/藤井竜史/山根圭一郎/村松若代/沖良子/加川東一郎/伊勢一郎/佐原新治/宗近一/青木英行/萩原茂雄/古谷徹/中条静夫(ナレーション)●時間:87分●公開:1965/11●配給:大映(評価:★★★)

船越英二・霧立はるみ
 
「大魔神」(1966)青山良彦/高田美和/月宮於登女/藤巻潤
大魔神 1966.jpg大魔神77.jpg 「ガメラ」のヒットを受け、翌年「ガメラシリーズ」の第2作として総天然色による「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」('66年/大映)が作られましたが、併映の「大魔神」('66年/大映)大魔神1.jpg方が"初物"としてインパクトがあったかも。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「巨人ゴーレム」('36大魔神2.jpg年/チェコスロバキア)で描かれたゴーレム伝説に材を得たそうですが、戦国時代に悪人が陰謀を巡らせて民衆が虐げられると、穏やかな表情の石像だった大魔神が復活して動き出し、破壊的な力を発揮して悪人を倒すというストーリーは分かりやすいカタルシスがありました。大映映画ですが、音楽は東宝ゴジラ映画の伊福部昭(1914-2006/享年91)が担当しています(同じく大映映画で伊福部昭が音楽を担当した作品に、黒澤明監督が大映で撮った「静かなる決闘」('49年)がある)。「大魔神」は、ほぼ同じパターン内容で同年にシリーズ第2作「大魔神怒る」、第3作「大魔神逆襲」が公開されています。

「大魔神怒る」66年.jpg「大魔神怒る」t.jpg「大魔神怒る」1.jpg 「大魔神怒る」('66年/大映)は、1作目が大ヒットしたため、お盆興行作品として製作されたもので、監督は三隅研次(1921-1975)で、これも伊福部昭が音楽を担当。千草家とその分家・名越家が領主の平和な国が隣国か「大魔神怒る」f.jpgら侵略され、領主は滅ぶもお家再興と平和を望んで千草家の本郷功次郎の許嫁である名越家の藤村志保が魔人に願掛けするというもの。今回は魔人は「水の神」という設定になっていて、藤村志保「大魔神怒る」3.jpgが悪人たちより「大魔神怒る」4.jpg焚刑に処せられることになって、今まさに火に焼かれようとする時、この身を神に捧げますと涙を流すと大魔神が現れ(出現シーンはハリウッド映画「十戒」('57年)に想を得ている)、悪者たちが大魔人に倒され藤村志保が魔人に感謝し、その涙が湖に落ちると、魔人は水と化して消えていくという、第1作より洗練された感じでした。製作費は1億円、興行収入もほぼ同額だったそうです。
「大魔神怒る」藤村2.jpg 「大魔神怒る」藤村志保(当時27歳)

「大魔神逆襲」66年.jpg「大魔神逆襲」1.jpg 「大魔神逆襲」('66年/大映)の監督は森一生監督(1911-1989)で、これもまた音楽は伊福部昭が担当。森一生監督は「女と男はつまらない。子供好きだから「大魔神逆襲」2.jpg子供でやりたい」と子「大魔神逆襲」3.jpg.png供たちが主役に据え、少年の純真な信仰心が大魔神を動かすという設定で、今回は大魔神「雪の魔神」として雪の中から現れ、最後には粉雪となって消えていきます。子供たちを主役に据えるのも悪いとは言いませんが、やは「大魔神逆襲」4.jpg.png.jpgり当時19歳の高田美和、27歳の藤村志保と続いた後だと、完全にお子様向けに路線変更してしまったなあという印象は拭えません。製作費は1億円弱、興行では併映なしの2番館上映となり、配給収入(興行収入から映画館の取り分を差し引いた配給会社の収入)も赤字で、4作目の企画もあったものの、これで打ち止めになっています。結局、わずか1年の間の3作で終わってしまったわけですが、その分、大魔神の重厚感は印象に残るものでした。ゴジラが「怪獣大戦争」('65年)で「シェー」をするなど、シリーズが永らえたゆえに"堕落"してしまったのとは対照的と言えるでしょうか。

「大魔神」(1966)  高田美和(当時19歳)
大魔神 blu-ray.jpg大魔神 高田美和.jpg「大魔神」●制作年:1966年●監督:安田公義●製作総指揮:永田雅一●脚本:吉田哲郎●撮影:森田富士郎●音楽:伊福部昭●時間:84分●出演:高田美和/青山良彦/二宮秀樹/藤巻潤/五味龍太郎/島田竜三/遠藤辰雄/杉山昌三九/伊達三郎/月宮於登女/出口静宏/尾上栄五郎/伴勇太郎/黒木英男/香山恵子/木村玄/橋本力(大魔神)●公開:1966/04●配給:大映(評価:★★★☆)
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「大魔神怒る」(1966) 藤村志保(当27歳)in「大魔神怒る」('66年)/「なみだ川」('67年・三隅研次監督)
「大魔神怒る」b.jpg「大魔神怒る」藤村.jpgなみだ川 1967 2.jpg「大魔神怒る」●制作年:1966年●監督:三隅研次●製作:永田雅一●脚本:吉田哲郎●撮影:今井ひろし/森田富士郎●音楽:伊福部昭●時間:79分●出演:本郷功次郎/藤村志保/丸井太郎/内田朝雄/北城寿太郎/藤山浩二/上野山功一/神田隆/橋本力/平泉征/水原浩一/寺島雄作/高杉玄/黒木英男/三木本賀代/橘公子/加賀爪清和/小柳圭子/橋本力(大魔神)●公開:1966/08●配給:大映(評価:★★★☆)
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「大魔神逆襲」(1966)  
「大魔神逆襲」b.jpg「大魔神逆襲」5.jpg「大魔神逆襲」え.jpg「大魔神逆襲」●制作年:1966年●監督:森一生●製作総指揮:永田雅一●脚本:吉田哲郎●撮影:森田富士郎●音楽:伊福部昭●時間:87分●出演:二宮秀樹/堀井晋次/飯塚真英/長友宗之/山下洵一郎/仲村隆/安部徹/名和宏/北林谷栄/守田学/早川雄三/堀北幸夫/石原須磨男/南部彰三/橋本力(大魔神)●公開:1966/12●配給:大映(評価:★★★☆)
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「ゴジラ対ヘドラ」1971.jpg 一方、話を「大映」から「東宝」に戻して、シリーズ第15作「メカゴジラの逆襲」('75年)でゴジラvsキングギドラ.jpgゴジラvsビオランテ.gif「ゴジラ」1984.jpg一旦終了した「ゴジラ」シリーズ(その間に唯一ゴジラが空を飛ぶ第11作「ゴジラ対ヘドラ」('71年)などの異色作もあった)は、'84年に9年ぶりに再開されます。久々に作られた第16作「ゴジラ」('84年)では、ゴジラを原点の"凶悪怪獣"に戻したようですが、第17作あたりから、また少しおかしくなってくる...。

「ゴジラ vs ビオランテ」vhs.jpg 第17作「ゴジラ vs ビオランテ」('89年)は、バイオテクノロジーによってゴジラとバラの細胞を掛け合わせて造られた超獣ビオランテが登場し、一般公募ストーリー5千本から選ばれたものだそうですが(選ばれたのは「帰ってきたウルトラマン」第34話「許されざるいのち」の原案者である小林晋一郎の作品。一般公募と言ってもプロではないか)、確かに植物組織を持った怪獣は、「遊星よりの物体X」('51年/米)(「遊星からの物体X」('82年/米)のオリジナル)の頃からあるとは言え、随分と荒唐無稽なストーリーを選んだものだと...。

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ゴジラ vs キングギドラ 1991.jpg 第18作「ゴジラ vs キングギドラ」('91年)は、南洋の孤島に生息していた恐竜が核実験でゴジラに変身したという新解釈まで採り入れており(ここに来てゴジラの出自を変えるなんて)、ゴジラが涙ぐんでいるような場面もあって、また同じ道を辿っているなあと(この映画、敵役の未来人のUFOが日本だけを攻撃対象とするのも腑に落ちないし、タイム・パラドックスも破綻気味)。

ゴジラvsキングギドラ tutiya2.jpg 第17、第18作は大森一樹監督で、いくらか期待したのですが、かなり脱力させられました(第18作「ゴジラ vs キングギドラ」で怪獣映画の中での土屋嘉男を見たのがちょっと懐かしかったくらいか。山村聰も内閣総理大臣役で出ていたけれど)。この監督は商業映画色の強い作品を撮るようになって、はっきり言ってダメになった気がします。大森一樹監督の最高傑作は自主映画作品「暗くなるまで待てない!」('75年/大森プロ)ではないでし山村聰「ゴジラ vs キングギドラ」.jpgょうか。神戸を舞台に大学生の若者たちが「暗くなるのを待てないで昼間から出てくるドラキュラの話」の映画を撮る話で、モノクロで制作費の全くかかっていない作品ですが、むしろ新鮮味がありました(今年['08年]3月に、大森監督によってリメイクされた)。

 結局、ゴジラ・シリーズは'04年の第28作をもって終了しますが、「ゴジラ」シリーズ全体での観客動員数は9,925万人で、「男はつらいよ」シリーズ全48作の合計観客動員数7,957万人を上回り、歴代で最も観客動員数多い劇場映画シリーズとされています('16年7月29日に「ゴジラ」シリーズの第29作、国内では「ゴジラ FINAL WARS」('04年/東宝)以来約12年ぶりの日本製作のゴジラ映画として「シン・ゴジラ」が公開され、8月1日までに観客動員71万人となり、「ゴジラ」シリーズが累計観客動員数で1億人突破した)。

ゴジラ vs ビオランテ  .jpgゴジラ vs ビオランテs.jpg「ゴジラ vs ビオランテ」●制作年:1989年●監督・脚本:大森一樹●製作:田中友幸●音楽:すぎやまこういち(ゴジラテーマ曲:伊福部昭)●時間:97分●出演:三田村邦彦/田中好子/小高恵美/峰岸徹/高嶋政伸/高橋幸治/沢口靖子(特別出演)/永島敏行(友情出演)/久我美子(友情出演)●公開:1989/12●配給:東宝(評価:★☆)ゴジラvsビオランテ [DVD]
「ゴジラ vs ビオランテ」久我.jpg「ゴジラ vs ビオランテ」永島1.jpg「ゴジラ vs ビオランテ」沢口1.jpg久我美子(大和田圭子官房長官 ※友情出演)/永島敏行(山本精一技術部長 ※友情出演)/沢口靖子(白神源壱郎博士の一人娘・白神英理加 ※特別出演)

「ゴジラ vs キングギドラ」.jpg「ゴジラ vs キングギドラ」●制作年:1991年●監督・脚本:大森一樹●製作:田中友幸●音楽:伊福部昭●特技監督:川北紘一●原作:香山滋●時間:103分●出演:中川安奈/豊原功補/小高恵美/西岡徳馬/土屋嘉男/山村聰/佐原健二/時任三郎/原田貴和子/小林昭二/佐々木勝彦/チャック・ウィルソン/ケント・ギルバート/ダニエル・カール/ロバート・スコットフィールド●公開:1991/12●配給:東宝 (評価:★☆)
  
暗くなるまで待てない!47.jpg「暗くなるまで待てない」のサウンドトラックm.jpg「暗くなるまで待てない!」●制作年:1975年●監督:大森一樹●脚本:大森一樹/村上知彦●音楽:吉田健志/岡田勉/吉田峰子●時間:30分●出演:稲田夏子/栃岡章/南浮泰造/村上知彦/森岡富子/磯本治昭/塚脇小由美/大森一樹/鈴木清順●公開:1975/04●配給:大森プロ●最初に観た場所:高田馬場パール座 (80-12-25) (評価:★★★★)●併映:「星空のマリオネット」(橋浦方人)/「青春散歌 置けない日々」(橋浦方人)

「暗くなるまで待てない」サウンドトラック(吉田健志)

日本誕生.jpg ゴジラ・シリーズ以外で、役者だけで見れば何と言っても凄いのが「日本誕生」('59年)で、ヤマタノオロチが出てくるため確かに"怪獣映画"でもあるのですが、三船敏郎、乙羽信子、司葉子、鶴田浩二、東野英治郎、杉村春子、田中絹代、原節子など錚々たる面々、果ては、柳家金語楼から朝汐太郎(当時の現役横綱)まで出てくるけれど、「大作」転じて「カルト・ムービー」となるといった感じでしょうか(観ていないけれど、間違いなくズッコケそうで観るのが怖いといった感じ)。 

「日本誕生」 アメノウズメノミコ (乙羽信子)

マタンゴ.jpg 初期の「透明人間」('54年)やガス人間第1号」('60年)など"○○人間"モノや天本英夫の「マタンゴ」('63年)といった怪奇モノ、地球防衛軍」('57年)宇宙大戦争」('59年)などの宇宙モノから中国妖怪モノ、"フランケンシュタイン"モノまで、シリーズごとのほぼ全作品を追っていて、作品当りのスチール数も豊富な上に、一部については、デザイン画や絵コンテなども収められています。

 この頃東宝はゴジラ映画だけを作っていたわけではなく、クラゲの化け物のような怪獣が登場する宇宙大怪獣ドゴラ」('66年)といった作品もありました。個人的には、"フランケンシュタイン"モノでは、フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」('66年)などが印象に残っています。
 
水野久美 in 「フランケンシュタイン対地底怪獣」('65年)/根岸明美 in「キングコング対ゴジラ」('62年)
東宝特撮怪獣映画大鑑1.jpg 東宝特撮怪獣映画大鑑2.jpg
根岸明美(1934.3.26-2008.3.11/享年73) in 「アナタハン」('53年)、「キングコング対ゴジラ」('62年)
根岸明美 アナタハン.jpg 根岸明美 マタンゴ.jpg
赤ひげ 根岸明美 2.jpg赤ひげ」('65年)(阿部嘉典『「映画を愛した二人」黒沢明 三船敏郎』(1996/01 報知新聞社)より)

《読書MEMO》
● 桂 千穂 『カルトムービー本当に面白い日本映画 1945→1980』['13年/メディアックス]
IMG_4モスラ.JPG

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