Recently in 寺山 修司 Category

「●て 寺山 修司」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●と コナン・ドイル」 【1403】 コナン・ドイル 『緋色の研究
「●た‐な行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 
「○都内の主な閉館映画館」の インデックッスへ(新宿東映ホール(新宿東映パラス2))

初読は土俗的な暗いイメージ、再読でみずみずしい情感と神話的な虚構性を。

誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく.jpg誰か故郷を想はざる53.JPG誰か故郷を想はざる.jpg  誰か故郷を想はざる2.jpg
誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく (角川文庫)』 ('73年初版・改訂版/表紙イラスト:林 静一)/角川文庫 新装版('05年)
自叙伝らしくなく誰か故郷を想はざる (1968年)』('68年/芳賀書店/表紙イラスト:辰巳四郎)

現代の青春論―家族たち・けだものたち.jpgの『家出のすすめ』('72年/角川文庫).jpg 寺山修司(1935‐1983)の『家出のすすめ』('72年/角川文庫)を読んで実際に家出したという人がいたとかいないとか言われていますが、直接の原因とならなくても、20代後半から大学の文化祭などで"家出のすすめ"を説いていた彼の言葉は、当時の多くの若者にとって強いインパクトがあったのではないでしょうか。特に地方の若者にとっては、都会への"脱出"を図る潜在的誘因にはなったりしたのではないかと...(因みに、『家出のすすめ』はその9年前に刊行された『現代の青春論』('63年/三一書房)の改題)。

家出のすすめ―現代青春論 (角川文庫)』('72年)(表紙イラスト:林 静一)/『現代の青春論―家族たち・けだものたち (1963年) (三一新書)
              
書を捨てよ、街に出よう 角川文庫1.jpg書を捨てよ、町へ出よう .jpg 一方、本書『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』は、寺山修司30代前半の自叙伝的エッセイ集で、第1章「誰か故郷を想はざる」と第2章「東京エレジー」から成りますが、初読の際には「誰か故郷を想はざる」の土俗的な暗いイメージに馴染めませんでした。最初に読んだ時は、『書を捨てよ、街に出よう』('67年/芳賀書店)などの方が良かったという印象でした(タイトルからして何か能動的ではないか)。

書を捨てよ,街へ出よう (1967年)』(芳賀書店)(カバー・表紙・目次:横尾忠則9/『書を捨てよ、町へ出よう』('75年/角川文庫)(表紙イラスト:林 静一)
                                      
 「草迷宮」.jpg『草迷宮』.bmp『迷宮譚』.bmp

img_03_02.jpgimg_03_03.jpg「草迷宮」 「迷宮譚」「マルドロールの歌」「一寸法師を記述する試み」

 しかしその後、寺山修司の映画、自伝的作品「田園に死す」('74年)や「草迷宮」('78年)(母がいつも口ずさんでいた手毬唄のルーツを探そうと青年が各地を回り、情報を捜し求めていくうちに巡り逢う数々の女性との関わりの中で成長していく青年の話)、実験映画「迷宮譚」('75年)、「二頭女」「マルドロールの歌」「一寸法師を記述する試み」('77年)などに触れて(何れも新高恵子や蘭妖子という不思議なムードを醸す女優が出ていた)、その上で改めて本書を読むと、映像作品と意外にと言うかかなりイメージ的に重なり、エッセイの一篇一篇が抒情詩のようなみずみずしい情感をもって伝わってきました。ああ、これって散文詩なのだ、この中にいる寺山少年というのは神話の登場人物みたいだなあと。

草迷宮 ちらし.bmp草迷宮 (DVD).jpg 因みに「草迷宮」は、フランスのプロデューサー、ピエール・ブロンベルジュが製作したオムニバス映画「プライベート・コレクション」の1話として製作された中編。寺山の死後、日本で公開された作品で、原作は泉鏡花の同名小説です。

新宿東映パラス2.jpg 「草迷宮」●制作年:1978年(日本公開:1983年)●制作国:フランス・日本●監督:寺山修司●製作:ピエール・ブロンベルジュ●脚本:寺山修司/岸田理生●撮影:鈴木達夫●音楽:J・A・シーザー●助監督:相米慎二/ピエール・ブロンベルジェ●原作:泉鏡花「草迷宮」●時間:40分●出演:三上博史/若松武/新高恵子/伊丹十三/中筋康美/福家美峰/末次章子/蘭妖子/根本豊/サルバドール・タリ●公開:1983/11●配給:東映●最初に観た場所:新宿東映ホール (83-11-12)(評価:★★★☆)●併映:「迷宮譚」(寺山修司)/「消しゴム」(寺山修司)/「質問 (寺山修司へのインタビュー記録映画)」(田中未知) 新宿東映ホール (1972年、新宿東映の2階席を分割して「新宿日活」開館、1978年〜「新宿東映ホール」→「新宿東映パラス2」2004年1月9日閉館

kan.gif 寺山修司の自叙伝的作品の虚構性については既に多く論じられているところで、映画「田園に死す」については、寺山修司自身がはっきり、「これは一人の青年の自叙伝の形式を借りた虚構である」(演出ノート)と述べていますが、同じことが文章において端的に表れているのが、この「誰か故郷を想はざる」ではないでしょうか。

 私生児の母、自殺した級友のエピソード(これ、かなり強烈)など、すべてが虚構というわけではないでしょうが、成人した彼が、映画を作るようにして、或いは自らの神話を編むようにして、自分史を脚色しているという感じがします。

カルメン・マキ(当時18歳)「時には母のない子のように」
('69年第20回NHK紅白歌合戦(紅組司会:伊東ゆかり)
寺山修司.jpg 47年間の生涯に様々なことを成し遂げたものだなあと改めて思います。「天井桟敷」に新人女優として入団したカルメン・マキのデビュー曲「時には母のない子のように」('69年)の作詞者でもあり、詩や演劇、実験的な映画ばかりでなく、一般向けに公開された映画「初恋・地獄篇」('68年/ATG)や「サード」('78年/ATG)の脚本なども手掛けています。今も各芸術分野に多くの影響を残している寺山修司ですが(少し前の時代になるが、自分『初恋・地獄篇』(羽仁進監督)1.bmpサード 79.jpgの少し上の世代に、"テラヤマ"と亡くなった友人の名前を呼ぶような感じで呼ぶ人がいた)、虚構を通して構築しようとした彼のアイデンティティとはどのようなものだったのでしょうか。ちょっとだけ、三島由紀夫のことを思い出しました。

羽仁 進監督「初恋・地獄篇」('68年/ATG)/東 陽一監督「サード」('78年/ATG)
 
 【1968年単行本[芳賀書店(『自叙伝らしくなく―誰か故郷を想はざる』])/1973年文庫化・2005年改版[角川文庫]】

About this Archive

This page is an archive of recent entries in the 寺山 修司 category.

手塚 治虫 is the previous category.

コナン・ドイル is the next category.

Find recent content on the main index or look in the archives to find all content.

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1