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シリーズでいちばん凝った「道行」。なぜシリーズ後半の作品に"一押し作品"が多いのか。

「昭和残侠伝 死んで貰います」ap.jpg「昭和残侠伝 死んで貰います」dnd.jpg「昭和残侠伝 死んで貰います」0.jpg 「昭和残侠伝 死んで貰います」00.jpg
昭和残侠伝 死んで貰います」[Prime Video]/「昭和残侠伝 死んで貰います [DVD]」高倉健/池部良/藤純子
    
「昭和残侠伝 死んで貰います」11.jpg 花田秀次郎(高倉健)は東京深川の老舗料亭「喜楽」に生まれたが、父・清吉(加藤嘉)が後妻を迎えたときに家を出て、そのまま裏街道を歩き始めた。賭場で袋だたきにあった秀次郎は、銀杏の木の下でうずくまっているところを、芸者になったばかりの幾江(藤純子)に救われた。3年後、いかさま師を怪我させた秀次郎は逮捕され、刑に服することに。だが服役中に父が死去、関東大震災が起こり義理の妹も死亡、継母のお秀(荒木道子)は盲目となってしまう。窮地に立たされた「喜楽」を救ったのは、板前の風間重吉(池部良)と小父の寺田(中村「昭和残侠伝 死んで貰います」2.jpg竹弥)だった。昭和2年、出所した秀次郎は偽名で板前として働くこととなり、その姿を寺田は涙の出る思いで見守っていた。一方幾江は売れっ妓芸者となって秀次郎の帰りを待っていて、重吉と寺田の計いで二人は7年ぶりに再会する。そんな頃、寺田一家のシマを横取りしようとことあるごとに目を光らせていた新興博徒の駒井(諸角啓二郎)が、「喜楽」を乗っとろうとしていた。秀次郎の義弟・武史(松原光二)は相場に手を染め、むざむざと「喜楽」の権利書を取り上げられてしまう。それを買い戻す交渉に出かけた寺田が、帰り道で襲撃され殺される―。

「昭和残侠伝 死んで貰います」3.jpg 1970(昭和45)年9月公開のマキノ雅弘監督の「昭和残侠伝」シリーズの第7作品主演は高倉健、共演は池部良、藤純子。高倉健が演じるのは唐獅子牡丹の刺青を背中に仁侠道に生きる昭和初期の渡世人・花田秀次郎で、1965(昭和40)年から1972(昭和47)年までのシリーズ9作のうち7作がこの役名であり、東映やくざ映画全盛時代の最大のヒーローといってもいいかと思います。

「昭和残侠伝 死んで貰います」4.jpg 義理と人情のしがらみに苦悩し、堪えに堪えた新興やくざへの怒りをついには爆発させる―というのがほぼすべてに共通のパターン。ここでも最後、それまで駒井の執拗な挑発に耐えてきた秀次郎でしたが、かけがえのない恩人の死に遂に怒りを爆発させ、重吉と共に駒井の元に殴りこみます(幾江は行かないでとは言わず、死なないでと言う)。

「昭和残侠伝 死んで貰います」m2.jpg ホントは、秀次郎は重吉に、堅気のあんたが行ってはいけない、俺一人で行くと言っていたのですが、結局、死地へ向かおうとする秀次郎の前に重吉が現れ、その流れで「道行」の図となります。この「道行き」を二人が共にするのもシリーズのパターンですが、シリーズ作でいちばん出会いのシチュエーションが凝っているのがこの第7作の「昭和残侠伝 死んで貰います」であるとも言われています。

 秀次郎が暗い夜道を長ドスを携えて歩いて行く途中、街角に重吉が待っており、秀次郎の前に立って懐から短刀を取り出して、「見ておくんなせえ! 恩返しの花道なんですよ」と言って、封印をされていた短刀の封を握った右手親指で切ります。短刀を見つめていた秀次郎は、目だけを上に上げて無言で重吉を見つめると、重吉は「ご一緒、願います」と。そして二人が並んで歩いて行くところに主題歌「唐獅子牡丹」が被さってきます。

 池部良もシリーズ全9作に出演していますが、9作で高倉健(花田秀次郎)・池部良(風間重吉)の二人ともが生還するのは1作のみ。ほとんどが池部良の役の方が命を落とし(風間重吉は何回死ぬのか(笑))、この作品も例外ではなく、必ずしもハッピーエンドとは言えないものとなっています。これは池部良が当時俳優協会の理事をしており、ヤクザ賛美には賛同しかねるゆえの最低ラインを守るための条件だったそうですが、ここでも池部良は志半ばで後を高倉健に託して斃れ伏し、それに気づいた高倉健の表情が何とも言えません。息を引き取る"兄弟"を抱きしめるというのが一つのパターンとして出来上がっています。

 9作作られているこのシリーズ、第1作・2作・3作・8作・9作の監督が佐伯清、第4作・5作、7作がマキノ雅弘、第6作が山下耕作で、このマキノ雅弘監督の第7作をベストとして推す人も多いほか、その他のシーリーズ後半の作品をベストとする人も多いようです。これは、同じ高倉健主演の「日本侠客伝」シリーズ('64年~'71年・全11作)や「網走番外地」シリーズ('65年~67年・全10作)には見られない傾向で、11作中9作がマキノ雅弘が監督した「日本侠客伝」シリーズや、全作が石井監督作品で短い期間に多く作られた「網走番外地」シリーズに対し、主に二人の監督により撮られたこのシリーズは、監督が入れ替わり立ち替わり撮ることで競争原理が働いて、シリーズの後半になってもダレることが無かったのではないかと思います。

 また、普通シリーズものが続けていくうちにダレてくるのは、マンネリ化やそれに伴う粗雑化のせいであったり、あるいはその逆の間違った方向転換のせいであったりするものですが、このシリーズも「日本侠客伝」シリーズと似ている点もあったりして、批評家からは早くからマンネリとの批判があったようです。ただ興行面では、観客が映画館に入り切らないといった盛況ぶりが毎回だったようです。そうした成功の要因を考えるに、マンネリ化を逆手に取って定型パターン化を武器にし、義理人情物語としての純粋性、様式美的な完成度を高めることにいずれの監督も注力したためではないかと思います。

 「日本侠客伝」シリーズが高倉健33歳の時の'64年に始まり、翌年には「網走番外地」シリーズと「昭和残侠伝」シリーズが始まり、各シリーズ年2本撮ったりすることもあって、高倉健はそこから5年間ぐらいは毎年10本以上映画出演していたことになります。しかもそのほとんどが主役。本人は、映画館に人が溢三島由紀夫  2.jpgれるのを見て、繰り返し量産されるワンパターンの作品でも観客が求めるならばと自らに言い聞かせて、同じような役どころを演じ続けたのだそうです(体力維持のため、ジムに通って筋力トレーニングに励み始めたのも各シリーズが始まったこの頃から)。因みに、あの三島由紀夫は、高倉や鶴田浩二主演の任侠映画を好み、特にこの「昭和残侠伝 死んで貰います」を高く評価していたとのことです。

1970(昭和45)年(三島由紀夫が亡くなる年)の雑誌「映画芸術」(「戦争映画とヤクザ映画」)での三島由紀夫と石堂淑朗の対談(一部抜粋)
編集部「「昭和残侠伝 死んで貰います」はどこがよかったのですか」
三島 「何よりも池部良が良かった。...他人のためにやっていることを、自分のこととしている...。なんと言うか、自分の中に消えていく小さな火をそっと大切にしているような、あの淋しさと暗さが何ともいえない。わかっているという感じだ。タンスにしまっておいた短刀出して、封印を指でブスリと切るところもすばらしかった」
「昭和残侠伝 死んで貰います」ぁ.jpg編集部「あそこは質屋から間に合わせにもってきたドスと対照的だったけれど、なんか健さんのほうが良かった」
三島 「あなたは武士じゃないんだ」
(中略)
三島 「うーん、ぼくはホモ的要素があるのかな、ホモじゃあないと思うけれど。最後に池部と高倉が目と目を見交わして、何の言葉もなく行くところなどをみると、胸がしめつけられてくる。キューッとなってくるんだ。日本文化の伝統を伝えるのは今ややくざ映画しかない」
石堂 「(略)礼儀作法をよく守る奴が結局人殺しをやる、これが泣かせるんですね」
(中略)
三島 「(略)あのラストの道行きだけあればいいんだよ。あとはいらない」
石堂 「(略)要するに同じパターンのくりかえしで、擬似神話の魅力ですね」

●「昭和残侠伝」シリーズ(全9作)一覧
第1作『昭和残侠伝』(1965年10月1日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:村尾昭、山本英明、松本功
 出演:高倉健、池部良、三田佳子、江原真二郎、松方弘樹、梅宮辰夫、他
第2作『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966年1月13日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:山本英明、松本功
 出演:高倉健、池部良、三田佳子、津川雅彦、三島ゆり子、芦田伸介、他
第3作『昭和残侠伝 一匹狼』(1966年7月9日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:松本功、山本英明
 出演:高倉健、池部良、藤純子、島田正吾、扇千景、他
第4作『昭和残侠伝 血染の唐獅子』(1967年7月8日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:マキノ雅弘、脚本:鈴木則文、鳥居元宏
 出演:高倉健、池部良、藤純子、津川雅彦、金子信雄、加藤嘉、他
第5作『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(1969年3月6日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:マキノ雅弘、脚本:山本英明、松本功
 出演:高倉健、池部良、藤純子、待田京介、志村喬、他
第6作『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』(1969年11月28日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:山下耕作、脚本:神波史男、長田紀生
 出演:高倉健、池部良、片岡千恵蔵、大木実、小山明子、他
第7作『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970年9月22日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:マキノ雅弘、脚本:大和久守正
 出演:高倉健、池部良、藤純子、加藤嘉、中村竹弥、長門裕之、他
第8作『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』(1971年10月27日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:村尾昭
 出演:高倉健、池部良、鶴田浩二、松方弘樹、松原智恵子、他
第9作『昭和残侠伝 破れ傘』(1972年12月30日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:村尾昭
 出演:高倉健、池部良、鶴田浩二、星由里子、北島三郎、安藤昇、他

長門裕之(坂井(ひょっとこの松))/津川雅彦(書生節を歌う男)
「昭和残侠伝 死んで貰います」長門.jpg 「昭和残侠伝 死んで貰います」 津川雅彦2.jpg
加藤嘉(秀次郎の父・花田清吉)
「昭和残侠伝 死んで貰います」かとう.jpg
下沢広之(真田広之[当時9歳])(秀次郎の甥・花田康男)
「昭和残侠伝 死んで貰います」さなだ.jpg 「昭和残侠伝 死んで貰います」さなだ2.jpg 0真田広之.jpg 真田広之

「昭和残侠伝 死んで貰います」m1.gif「昭和残侠伝 死んで貰います」m2.jpg「昭和残侠伝 死んで貰います」●制作年:1970年●監督:マキノ雅弘●脚本:大和久守正●撮影:林七郎●音楽:菊池俊輔●時間:92 分●出演:高倉健/藤純子/加藤嘉/池部良/永原和子/荒木道子/山本麟一/津川雅彦/三島ゆり子/松原光二/永原和子/八代万智子/石井富子/高野真二/諸角啓二郎/赤木春恵/小倉康子/日尾孝司/下沢広之(真田広之)/永山一夫/南風夕子/「昭和残侠伝 死んで貰います」13.jpg小林稔侍/久地明/久保一/伊達弘/田甲一/土山登士幸/花田達/木川哲也/佐川二郎/山浦栄/畑中猛重/青木卓司/五野上力/高月忠/長門裕之●公開:1970/09●配給:東映●最初に観た場所:新宿昭和館(01-03-22)(評価:★★★★)●併映:「日本女侠伝 血斗乱れ花」(山下耕作)/「博徒対テキ屋」(小沢茂弘)
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名場面にフォーカスしてじっくり撮るやり方は、重厚感を損なわずに成功している。

忠臣蔵 天の巻・地の巻 vhs.jpg 忠臣蔵 天の巻 地の巻3 - コピー.jpg 忠臣蔵 天の巻・地の巻 1938.jpg 忠臣蔵 天の巻 地の巻  .jpg
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山本嘉一(吉良上野介)/嵐寛寿郎(脇坂淡路守)/片岡千恵蔵(浅野内匠頭)/阪東妻三郎(大石内蔵助)
忠臣蔵 天の巻・地の巻 01yamamoto .jpg忠臣蔵 天の巻 地の巻 arasi .jpg忠臣蔵 天の巻・地の巻 02kataoka.jpg忠臣蔵 天の巻・地の巻 bandou.jpg 元禄14年、勅使饗応役に任命された赤穂藩主・浅野内匠頭(片岡千恵蔵)は、指南役の吉良上野介(山本嘉一)の度重なる嫌がらせに堪忍袋の緒が切れ、江戸城中の松の廊下で吉良に斬りつけるという刃傷沙汰に及ぶ忠臣蔵・天の巻・地の巻52.jpg。内匠頭は切腹、浅野家は断絶を命じられ、大石内蔵助(阪東妻三郎)はじめ家臣たちは城を明け渡す。浪士となった彼らは、敵や世間の目を欺きながら、仇討ちの機会を窺う。遂に翌15年12月14日、吉良邸への討ち入りを決行す―。

忠臣蔵 天の巻 地の巻3.jpg 1938年公開作。日本映画の父と謳われたマキノ省三(1878-1929/享年50)が1928年に畢生の大作として制作した「忠魂義烈 実録忠臣蔵」('28年)がフィルム焼失により不完全形のままの上映となり、翌年この世を去ったその省三の10周忌で制作された阪東妻三郎・片岡千恵蔵・嵐寛寿郎ら時代劇スター出演による大作。監督が「天の巻」がマキノ正博、「地の巻」が池田富保となっているほか、脚本、音楽、撮影も「天の巻」と「地の巻」でダブルスタッフになっているのは、マキノ省三ゆかりの映画人のチームワークによる作品であることの表れであるかと思います。 

忠臣蔵1938 スチル.jpg ストーリーがオーソッドクスで、それゆえに「決定版」とか「ベストオブ忠臣蔵映画」などとも言われる作品です。特徴的なのは、ストーリーを追いながらも、名場面はあたかも歌舞伎のようにじっくり撮っている点で、配役も、主役の阪東妻三郎は大石内蔵助のみを演じていますが、同じく主役級の片岡千恵蔵が浅野内匠頭と立花左近、嵐寛寿郎が脇坂淡路守と清水一角、月形龍之介が原惣右衛門と小林平八郎というようにあとの主要な10人の俳優は一人二役であり、これも歌舞伎の手法を模しているのかもしれません。嵐寛寿郎は血で家紋を汚した吉良上野介を打ち据えた浅野家シンパの播磨龍野藩主・脇坂淡路守(嵐寛寿郎は「忠魂義烈 実録忠臣蔵」でもこの役を演じている)と二刀流の剣豪で討ち入りで亡くなった吉良家の用心棒の一人・清水一角の両方を演じ、月形龍之介に至っては討ち入った四十七士の一人(原惣右衛門)と討ち入られて奮戦しながらも亡くなった吉良家家臣の一人(小林平八郎)の両方を演じていることになります。

忠臣蔵1938sutiru .jpg 現在残っているプリントは、昭和31年12月12日再公開時のもので、初公開時19巻だったものが12巻となっているため、本作を「総集編」とも呼びますが、大河ドラマの年末「総集編」ほどの端折り様ではないですが、明らかにあってもよさそうな場面が無いのがやや残念。そんな中、印象に残るのは、後半「地の巻」の立花左近のエピソードでしょうか。

片岡千恵蔵(立花左近、二役)/阪東妻三郎(大石内蔵助)
忠臣蔵・天の巻・地の巻 kataoka たいばな  .jpg忠臣蔵・天の巻・地の巻 bandou .jpg 討ち入り決行を決意した内蔵助がいよいよ江戸へ下るとき、武器を輸送する際に関所で咎められないよう、立花左近の名を語って虎の尾を踏む思いで道中行くも、本物の立花左近がやはり品物を輸送中で、二組は東海道・鳴海宿で偶々同宿になってしまい、しかし立花左近は内蔵助たちを主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と察して、自分の方が偽物だと言って本物の身分証(道中手形)を偽物だからそちらで破棄してくれと言って渡すという、所謂「大石東下り」の段です。

忠臣蔵1938 suti-ru.jpg忠臣蔵 天の巻 地の巻9.jpg これを阪東妻三郎の大石内蔵助と片岡千恵蔵の立花左近が差しの演技で演じていて(内蔵助の家臣らは部屋の外に密かに待機し思わぬ展開に涙を流す)、互いに貫禄充分です(片岡千恵蔵は前半の浅野内匠頭よりも後半のこの立花左近の方が似合っている)。手形を見せろと言われて阪妻・内蔵助が差し出したものは実は白紙で、これを黙認する千恵蔵・立花左近という図は、歌舞伎の「勧進帳」における武蔵坊弁慶と富樫左衛門の図と同じで、この時BGMで流れるのも「勧進帳」です。 

 立花左近は「実録忠臣蔵」('21年)でマキノ省三監督がこしらえた架空キャラクターで、モデルは垣見五郎兵衛という人物であり、他の「忠臣蔵映画」では垣見五郎兵衛の名で出てくることも多いですが、但し、実在した垣見五郎兵衛は大石内蔵助とは鉢合わせするどころか、実際には会ってもいません。「勧進帳」の要素を「忠臣蔵」に取り込んだのでしょう。

忠臣蔵1938 .jpg もう1つの見せ場は、ほぼそれに続く、浅野長矩の妻・瑤泉院(星玲子)と阪妻・内蔵助の遣り取りで(所謂「南部坂雪の別れ」の段)、京都で放蕩生活をしてきた内蔵助を瑤泉院は吉良方を欺くための所為であろうと問うたのに対し、内蔵助はこれを頑なに否定し、討ち入りは諦めたと言ったため、瑤泉院が怒ってしまうというもの。内蔵助は戸田の局(沢村貞子)にある巻物を託して辞去しますが、吉良の間者である腰元(大倉千代子)がこれを盗み出し、それが見つかって取り押さえられて、取り返した巻物は戸田の局が瑤泉院に届けるが、内蔵助への怒りが収まらない瑤泉院はそれを投げつける―すると、巻物の紐がほどけて現れたのは内蔵助をはじめとする浪士たちの血判状だったというもの。叩きつけられた巻物がほどけて転がっていき、それが血判状であることが明らかになるという見せ方が旨いと思いました(このパターン、後の「忠臣蔵」映画やテレビドラマで何度も踏襲された)。

 ストーリーは大体周知の如くであるためテンポよく進め、名場面にフォーカスしてそこはじっくり撮るというやり方ですが、そうしたやり方は、この作品においては重厚感を損なうことなく成功しているように思います。後の忠臣蔵映画に見られる傾向のように、定番以外のエピソードを盛り込み過ぎていないのもいいです。ただ、最後の討ち入りに至るまでにもう少し定番エピソードがあったはずで、やはり「総集編」になってしまっていることが惜しまれます。

 因みに、1956年公開の東映創立5周年記念作品、松田定次監督の「赤穗浪士 天の巻・地の巻」(東映)は大佛次郎の原作小説『赤穗浪士』を新藤兼人が脚色したもので、市川右太衛門の大石内蔵助、片岡千恵蔵の立花左近のほか、大友柳太朗が赤穂浪士の動向を探る架空の堀田隼人という浪人を演じていて、これは大佛次郎の原作オリジナルキャラクター。同じく松田定次監督による1961年の東映創立10周年記念作品「赤穂浪士」(東映)も大佛次郎の原作をもとにしており、脚本は小国英雄、片岡千恵蔵が大石内蔵助、大河内傳次郎が立花左近、市川右太衛門が干坂兵部、そしてここでも大友柳太朗が堀田隼人を演じています。

大倉千代子.jpg また、この映画で吉良の間者の腰元を演じた大倉千代子は、同年の池田富保監督「赤垣源蔵(忠臣蔵赤垣源蔵討入り前夜)」(1938/11 日活京都)では、赤垣源蔵の兄の家の女中おすぎ役で登場し、赤垣源蔵役の坂東妻三郎とのあどけなくも絶妙の遣り取りを見せてています。

大倉千代子
 
 
 
「忠臣蔵 天の巻・地の巻」封切時の新京極「帝国館」前の盛況(NFC Digital Gallery)
新京極 帝国館(1938年).jpg「忠臣蔵 天の巻・地の巻(総集編)」●制作年:1938年●監督:マキノ正博(天の巻)/池田富保(地の巻)●製作:根岸寛一/藤田平二●脚本:山上伊太郎(天の巻)/滝川紅葉(地の巻)●撮影:石本秀雄(天の巻)/谷本精史(地の巻)●音楽:西梧郎(天の巻)/白木義信(地の巻)●時間:102分(現存)●出演:阪東妻三郎/片岡千恵蔵/嵐寛寿郎/小林平八郎/尾上菊太郎/澤村國太郎/沢田清/河部五郎/市川百々之助/原健作/香川良介/志村喬/市川小文治/団徳麿/磯川勝彦/市川正二郎/瀬川路三郎/田村邦男/葉山富之輔/尾上桃華/尾上華丈/楠栄三郎/島田照夫/仁礼功太郎/石川秀道/藤川三之祐/久米譲/林誠之助/阪東国太郎/大崎史郎/若松文男/志茂山剛/近松龍太郎/市川猿昇/小池柳星/沢村寿三郎/轟夕起子/原駒子/大倉千代子/中野かほる/衣笠淳子/比良多恵子/香住佐代子/小松みどり/滝沢静子/小杉勇/江川宇礼雄/山本嘉一/杉狂児/滝口新太郎/高木永二/北龍二/広瀬恒美/見明凡太朗/山本礼三郎/吉谷久雄/星ひかる/吉井莞象/花柳小菊/忠臣蔵 天の巻・地の巻 sawamura .jpg忠臣蔵 天の巻・地の巻 志村.jpg忠臣蔵・天の巻・地の巻 hoshi.jpg黒田記代/村田知栄子/星玲子/沢村貞子/近松里子/悦ちゃん/宗春太郎/市川小太夫●公開:1938/03/31●配給:日活京都(評価:★★★☆)
澤村國太郎(片岡源五右衛門 )/志村喬(安井彦右衛門)/星玲子(瑤泉院)

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長谷川一夫(二役)を観るための映画のような印象。古川緑波の彦左衛門も悪くないが...。
家光と彦左vh.jpg 家光と彦左7-s.jpg
「家光と彦左」VHS  長谷川一夫(徳川家光)・古川緑波

古川緑波(大久保彦左衛門)/黒川弥太郎(松平伊豆守)
家光と彦左01.jpg家光と彦左02.jpg 大久保彦左衛門(古川緑波)は大阪冬の陣で、主君・徳川家康(鳥羽陽之助)を背負って戦地の中ひた走りその命を守った忠君。冬の陣も終わって徳川の世となり、二代将軍秀忠(佐伯秀男)は、家臣・松平伊豆守(黒川弥太郎)の進言を受け、世継ぎに次男国松(小高たかし)を選ぼうとしていた。そこへその彦左衛門が現われ、家康の遺言に奉じ死を賭けて竹千代(林成年)を護り抜くとした。その一途さに秀忠は決定を覆し、長男竹千代を世継ぎにすることに。時は過ぎ、竹千代家光と彦左03.jpgは三代将軍家光(長谷川一夫)となり、明敏果断な名君として尊敬を集めている。一方、彦左衛門は、隠居同前の生活の毎日が寂しく、かつての威光も失われたかに見えた。心配した家光が天海和尚(汐見洋)に相談すると、「時々、愚かな君主になれ」と諭される。家光はそれから時々、わざと愚行をするようになり、彦左衛門は元のように御意見番として元気に現場復帰を果たす。ある日城中で彦左衛門は、家光が彦左衛門のためにわざと芝居をしているとの話を立ち聞きしてしまい、家光家光と彦左04.jpgに密かに感謝し、その芝居に付き合うことにする。家光は、完成したばかりの日光東照宮への訪家光と彦左05.jpg問の先導役を、彦左の最後のはなむけの仕事にする。彦左衛門は道中の宿で、お供の笹尾喜内(渡辺篤)に「命に変えても、わこ(家光)をお守し、最後の御奉公にしたい」と決意を話しているのを、家光はたまたま立ち聞きし感動する。しかし、次の日の宿である宇都宮城で待ち受ける本多上野介正純(清川荘司)は、元々秀忠の世継ぎに次男国松を推していた派であり、城代家老の河村靱負(長谷川一夫、二役)に命じて、城に吊り天井を仕掛けて家光を圧殺する計画を用意していた―。

 1941年3月公開のマキノ正博監督、長谷川一夫主演作。長谷川一夫演じる三代将軍家光の古川緑波演じる大久保彦左衛門に対する温かい情愛がコメディタッチで描かれ、終盤は長谷川一夫は将軍家光の暗殺を家光と彦左b1-s.jpg謀る本多正純(清川荘司)側の家臣・河村靱負との二役になります。しかも、家光役の時には、彦左衛門の前で愚君を装うため白拍子の踊りの輪に飛び入りで加わって踊り(白拍子の"センター"の桜町公子よりも長谷川一夫の殿様の方が踊り慣れている?)、河村靱負役の時には家光歓待を装って歌舞伎役者顔負けに歌舞いてみせるという、剣戟こそ無いものの、半分以上は長谷川一夫を観るための映画のような印象でした。

 古川緑波の彦左衛門も悪くなく、ストーリー的にはそれなりに面白いのですが、宇都宮城で家光が本多正純の策に嵌って"お命頂戴つかまつる"と言われている、そうした危機的な場面でさえ、それを家光が彦左衛門のために組んだ芝居だと思っているというのはあまりにノー天気で、さすがに無理があったように思いました。

本多正純_正信.jpg 歴史的には、本多正純(父・本多正信は徳川家康の側近)が、宇都宮城に吊り天井を仕掛けて、それを落下させることで(家光ではなく)第二代将軍徳川秀忠の暗殺を図ったという「宇都宮城釣天井事件」というのがありますが、実のところは計画そのものがガセネタだったようです。しかしながら、本多正純はその嫌疑によって失脚しており、こうしたガセネタの背後にポリティクスの力が働いていたのは間違いない事なのでしょう。

本多正純(伊東孝明)・本多正信(近藤正臣)父子(「真田丸」(2016))
   
釣天井伝説(宇都宮城釣天井事件)
釣天井伝説_c.jpg
 家康の七回忌に日光東照宮を参拝した後、宇都宮城に1泊する予定だった秀忠は、「宇都宮城の普請に不備がある」という密訴を受け、それで予定を変更して宇都宮城を通過して壬生城に宿泊したそうです(宇都宮城の普請に携わった後、秘密を守るために殺害された多くの大工の中の一人・与五郎という男が、亡霊となって恋人であるお稲という女性の枕元に立ち、経緯を知って悲しんだお稲は自殺するが、自殺する前にそのことを書き遺した手紙をお稲の死後に父親が見つけて、日光から宇都宮に向かう将軍の行列に直訴したという伝説がある)。従って、この宇都宮城の家光と彦左11.jpg吊り天井が落下するといった事件は史実では起きていませんが、映画ではやっています。お堂1つをブッ飛ばしていますが、おそらく特殊撮影なのでしょう。そのシーンはよく出来ていたように思いますが、「特殊技術撮影」というクレジットがないので誰がやったのか分かりません(まさかホントにお堂を1つブッ飛ばしてしまったわけではないとは思うが)。

遠山の金さん~はやぶさ奉行~ [VHS]
はやぶさ奉行 片岡.jpgはやぶさ奉行 VHS .jpgはやぶさ奉行 1957.jpg 因みに、この将軍暗殺計画をモチーフにした映画作品としては、片岡千恵蔵が遠山金四郎を演じた「いれずみ判官」シリーズの第12作で、同シリーズでは初のカラー作品だった陣出達朗原作、深田金之助監督の「はやぶさ奉行」('57年/東映)がありますが、 所謂「遠山の金さん」ものであるため時代設定が江戸後期になっており、命を狙われるのは第12代将軍・徳川家慶になっています(大河内傳次郎が堀田備中守役で出てくるが、これは第3代将軍・徳川家光の子・竹千代(後の第4代将軍・徳川家綱)の暗殺計画を扱った「将軍家光の乱心 激突」('89年/東映)で真矢武が演じた堀田正俊(1634-1684)ではなく、正俊系堀田家第9代・堀田正睦(1810-1864)のこと)。また、工事中の物件は日光東照宮・御仮殿であり(史実上の創建年は1639年だが、1863年頃まで御仮殿として使用されていて現存する)、将はやぶさ奉行46.jpg軍暗殺を謀る一味がそこに吊り天井を仕掛け、将軍参詣の当日に落とすというもの。もともと大工の連続殺人から事件ははじまり、背後に何かあると睨んだ金さんが、植木屋に扮して潜伏した先で偶然に出会って意気投合した侠盗ねずみ小僧(大川橋蔵)と組んで、最終的には悪を倒すというものでした。「金さん」ものなので予定調和ですが、こちらも吊り天井は落っこちて、将軍は九死に一生を得ます。

片岡千恵蔵 in「はやぶさ奉行」

 マキノ正博は人形浄瑠璃を学び、女優に対する演技指導では自ら演技をしてみせたそうで、1940年頃に当時まだ10代だった藤間紫(1923-2009/享年85)が踊る日本舞踊に感銘を受け、以後はもっぱら日本舞踊を研究し、その所作を女優の演技指導に活用したそうです。その10代の藤間紫(当時17歳)が、「家光と彦左」終盤の"家光歓待"の場面で「義経」の静御前を踊っています。

「家光と彦左」●制作年:1941年●監督:マキノ正博●製作:滝村和男●脚本:小国英雄●撮影:伊藤武夫●音楽:鈴木静一(琴奏:宮城道雄)●時間:104分●出演:長谷川一夫/古川緑波/黒川弥太郎/鳥羽陽之助/汐見洋/佐伯秀男/清川荘司/渡辺篤/林成年/横山運平/深見泰三/小高たかし/光一/浜田格/下田猛/冬木京三/星十郎/沢村昌之助/江藤勇/小森敏/中村幹次郎/大杉晋/武井大八郎/高松文磨/長島武夫/中村福松/河合英二郎/成田光枝/桜町公子/千葉早智子/藤間紫●公開:1941/03●配給:東宝東京(評価:★★★)
家光と彦左vhs.jpg


はやぶさ奉行m.jpgはやぶさ奉行04.jpgはやぶさ奉行 片岡 千原.jpg「はやぶさ奉行」●制作年:1957年●監督:深田金之助●脚本:高岩肇●撮影:三木滋人●音楽:高橋半●原作:原作:陣出達朗●時間:93分●出演:片岡千恵蔵/大川橋蔵/千原しのぶ/植木千恵/花柳小菊/大河内傳次郎/進藤英太郎/高松錦之助/明石潮/片岡栄二郎/沢田清/香川良介/仁礼功太郎/上代悠司/市川小太夫/柳永二郎/岡譲司/戸上城太郎/尾上華丈/加賀邦男/大橋史典/団徳麿/岡島艶子/河部五郎/木南兵介●公開:1957/11●配給:東映(評価:★★★)

千原しのぶ(1931-2009)/片岡千恵蔵

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ハメット原作映画の翻案。探偵は遠山の金さん。コメディ的要素と謎解き的要素の両方を楽しめる。
昨日消えた男 vhs.jpg 昨日消えた男00.jpg 昨日消えた男―小國英雄シナリオ集_.jpg ハメット 影なき男.jpg
「昨日消えた男」VHS    長谷川一夫(文吉)・山田五十鈴(小富) 『昨日消えた男―小國英雄シナリオ集〈2〉』(カバーイラスト:和田 誠)/ダシール・ハメット『影なき男 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ (109))
昨日消えた男 vhs3.jpg昨日消えた男01.jpg 裏長屋の大家・勘兵衛(杉寛)が何者かに殺された。勘兵衛は鬼勘と言われるほど無情な男で間借人の間では嫌われ者だった。まず日頃から勘兵衛を殺してカンカン踊りを踊らせてやるといっていた文吉(長谷川一夫)と、勘兵衛に借金の返済を迫られていた浪人の篠崎源衛門(徳川夢声)が疑われる。更に長屋に昨日消えた男02.jpgは、文吉に惚れている芸者小富(山田五十鈴)、小富に想いを寄せる錠前屋の太三郎(清川荘司)、篠崎源衛門の娘お京(高峰秀子)、その恋人の横山求馬(坂東橘之助)、人形師の椿山(鳥羽陽之助)と女房おこん(清川虹子)、居合抜の松下源蔵(鬼頭善一郎)と女房おかね(藤間房子)などが住んでいた。目明しの八五郎(川田義雄)が探索するも犯人は不明、そこで与力の原六之進(江川宇礼雄)は一同を呼んで取り調べをすることにしたが、それでも埒が明かない。やがて第二の殺人事件が起き、南町奉行・遠山左衛門射(遠山金四郎)が事件解決に乗り出す―。

昨日消えた男03.jpg昨日消えた男b.jpg 1941年1月公開作で、マキノ正博(1908- 1993/享年85)監督が日活を離れてフリーとなって撮っていた「家光と彦左」が古川緑波の病気で撮影中断したため、その代わりに急遽撮った作品であり、原案は、ダシール ハメット原作、ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイ主演の「影なき男」('34年)で、脚本の小国英雄(1904-1996/享年91)はこれを江戸時代の長屋に設定、ウィリアム・パウエルが演じる探偵は遠山昨日消えた男 re.jpgの金さんに置き換え、それを長谷川一夫が演じました。この映画、僅か9日間で撮られたとかで、徳川夢声はマキノ正博監督の早撮りに驚いたと言います(マキノ正博はこのストーリーを、1956年にも中村扇雀=尾上さくらのコンビで「遠山の金さん捕物控・影に居た男」として、同じ脚本でリメイクしている。この他、森一生監督作で、小国英雄が再びオリジナル脚本を書き、市川雷蔵が同心(実は徳川吉宗の仮の姿)を演じた「昨日消えた男」('64年/大映)がある)。「昨日消えた男 [DVD]

 言われてみれば確かに洋物推理小説っぽい凝った展開だったかも。犯人以外の人物がある動機から死体を動かしたというのは、クリスティの『書斎の死体』('42年)のようでもあるし、実は登場人物の多くが何らかの形で事件に関わっていたというのは、ヒッチコックの「ハリーの災難」('55年)のようでもありますが、それらよりも早くハメット原作映画に目を付け、尚且つ、それを遠山の金さんに置き換えた小国英雄と、このややこしい話を9日間で撮り上げたマキノ正博の両者の才覚はともに驚くべきものなのかもしれません。但し、最後に謎解きされてみれば、伏線となるようなものは殆ど無かったような気もしなくもなかったです(観直してみればまた違った印象を受けるかもしれないが)。

山田五十鈴と長谷川一夫「昨日消えた男」.jpg「昨日消えた男」長谷川・高峰.jpg 高峰秀子(当時16歳)の可憐さも印象に残らないわけではないですが、それよりも、長谷川一夫(当時33歳)と山田五十鈴(当時24歳)の息の合った掛け合いの方が楽しかったでしょうか(山田五十鈴の"舌出し"は、後に小津 安二郎監督の「宗方姉妹」('59年/新東宝)で高峰秀子(当時25歳)が見せる"舌出し"よりも自然であるように思えた)。長谷川一夫の剣戟ならぬ棒術アクションもあります(体がよく動いている)。ベースはコメディ調ですが、渡辺篤、サトウロクローの「なるほどね」「いやまったく」のギャグの繰り返しはややくどかったような...。それでも、昭和16年に作られた映画であるにしては国策映画的な雰囲気は殆ど無く(大塩平八郎の一味が幕府転覆を目論む'悪役'になっていることぐらいか)、コメディ的要素と謎解き的要素の両方を楽しめます。

昨日消えた男3.jpg 謎解きの方は結局"千里眼"的と言っていい洞察力を持つ遠山金四郎の登場を待たなければ、途中ま「昨日消えた男」山田五十鈴.jpgでは何が何だか分かりませんでしたが、それでも皆がそれぞれ何となく怪しげな行動をとっていることが緊迫感を醸し出していて最後まで興味を引き、この辺りは演出の巧みさもあるように思いました。

長谷川一夫(遠山金四郎(文吉))/山田五十鈴(小富)(当時24歳)

「昨日消えた男」v.jpg「昨日消えた男」●制作年:1941年●監督:マキノ正博●製作:滝村和男●脚本:小国英雄●撮影:伊藤武夫●音楽:鈴木静一●原案:ダシール・ハメット●時間:89分●出演:長谷川一夫/山田五十鈴/徳川夢声/高峰秀子/鳥羽陽之助/清川虹子/鬼頭善一郎/藤間房子/坂東橘之助/杉寛/沢井三郎/江川宇礼雄/川田義雄/進藤英太郎/渡辺篤/サトウ・ロクロー/清川荘司●公開:1941/01●配給:東宝東京(評価:★★★☆)

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タイムスリップ物。パロディはしっかり作るところはしっかり作った方が面白くなるという見本。

清水港代参夢道中(続清水港)vhs - コピー.jpg清水港代参夢道中48.jpg 「続清水港」daf.jpg
清水港代参夢道中 [VHS]」片岡千恵蔵・志村喬・轟夕起子・澤村アキヲ(子役・長門裕之)・広沢虎造
清水港代参夢道中(続清水港)vhs - .jpg清水港代参夢道中 かたおか.jpg 芝居の演出家・石田勝彦(片岡千恵蔵)は、自らが演出する森の石松の芝居稽古中、役者が自分の思うような演技をしない事に癇癪を起こし、それを宥める秘書の黒田文子(轟夕起子)にまで当たり散らす。劇場の専務(志村喬)から「主役の石松を殺さないような新解釈ものにしてはどうか」と助言を受けるが事実は変えられないとし、脚本を手伝うと言う文子に対しても生意気だと衝突、怒った文子が帰ってしまった後一人ふて寝し、そのまま寝入続清水港  .jpgってしまう。やがて、見知らぬ部屋で石松役者(沢村国太郎)そっくりの男に起こされて、自分が「石松兄ぃ」と呼ばれているのに気づく。窓を開けるとそこは江戸時代の清水港で、富士山が見える。現代から江戸時代へタイムスリップし、鏡を見れば自分が隻眼の石松にされていて、ここは清水一家の居所で、目の前にいる男は"慌ての六助"(沢村国太郎二役)だった。違和感を抱きながらも、次郎長(小川隆)から金比羅参りに代参して行ってくれと頼まれ、金比羅代参の帰りに石松が殺されることを知る石田は慄く。文子そっくりの石松の許婚であるお文(轟夕起子続清水港 轟.jpg清水港代参夢道中(続清水港)e.jpg二役)に相談するが、自分が旅に付き添えば雲行きが変わるかもしれないと言われ、お文と連れ立って旅に出ることに。道中で出くわした敵方の一人・嘉助(香川良介)に息子・芳太郎(澤村アキヲ=長門裕之)の世話を頼まれ、女子供を連れた3人旅に。更に三十石船中では、劇続清水港・広沢.jpg場照明部員の広田(広沢虎造)そっくり旅の浪花節語り・虎造(広沢虎造、二役)と意気投合し4人旅となる。宿では、劇場専務そっくりの小松村七五郎(志村喬、二役)の訪問を受け、近くまできたのに自分の所に草鞋を脱がないのは水臭いと言われ、七五郎の家に行くと、相当に零落しているようだが、七五郎は着物を売ってまで一行を歓待しようとする。やがて「史実どおり」、石松を付け狙う黒駒一家が七五郎の所に石田・石松が居ることを知って動き出す―。

続清水港 片岡・轟.jpg 1940年公開のマキノ正博監督作で、公開時のタイトルは「続清水港」('57年に改題されて「清水港代参夢道中」)。「森の石松」の舞台の監督をしている男・石田勝彦(片岡千恵蔵)が夢の世界でタイムスリップして自身が「石松」になってしまうというパロディです。日本人の判官贔屓と言うか、戦死したり暗殺や刑死などで非業の死を遂げた歴史上の人物は、歴史の表街道を行った源義経や坂本龍馬にしても、或いは裏街道を行った石川五右衛門や国定忠治にしても人気がありますが、清水次郎長は畳の上で死んでおり、その分、非業の死を遂げた森の石松の人気が高いのかも。但し、清水次郎長を主人公にするならともかく、森の石松を主人公をしてしまうと、劇場専務役の志村喬が言うように、主人公が亡くなるところで終わってしまうという難点があり、この「清水港代参夢道中」は、ある意味、コメディ化するに際してのそうした難点をクリアしようとしているとも言えます。
 
続清水港 片岡.jpg この映画での例の「三十石船」の場面では"次郎長もの"などの浪曲で知られる浪曲エノケンの森の石松 vhs3.jpg師の広沢虎造(2代目)自身が、浪花節語りの船客役(現実の世界では舞台の照明部員役)で出演しており、「三十石船」中で片岡千恵蔵と掛け合いをしています。同じパロディものである中川信夫監督の「エノケンの森の石松」('39年/東宝東京)における榎本健一と柳家金語楼の掛け合いと比べてみると面白いかと思います。

片岡千恵蔵 リンク「石松三十石船道中

 タイトルから"夢落ち話だと分かってしまい、タイムスリップした当事者が歴史の真実を知っているというのもタイムスリップものの定番ですが、それでも惹き込まれるのは、森の石松という素材の面白さのためか、或いは小国英雄(1904-1996)の脚本の上手さのためでしょうか(片岡千恵蔵の喜劇的才能は「赤西蠣太」('36年/日活)などで既に立証済み)。

清水港代参夢道中(続清水港)765.jpg 石松と黒駒一家の死闘は、冒頭の(冒頭いきなりこれで始まる)石松役者・沢村国太郎の演じる芝居もそんなに悪くないのですが(舞台という設定でありながらわざと映画的にリアルに撮っている)、それにダメを出すのが演出家・石田(片岡千恵蔵)であって、最後に、その石田が石松となって黒駒一家と闘います。その場面だけ観るとまさに片岡千恵蔵による剣戟であり、(先の沢村国太郎と対比させる狙いもあってか)パロディ映画とは思えない本格的な雰囲気ですが、パロディって、しっかり作るところはしっかり作った方がより面白くなるという1つの見本のような作品と言えるかもしれません。

清水港代参夢道中(続清水港)764.jpg でも、石田・石松、結構強かったけれども結局斬られてしまったなあ(ある意味、"千恵蔵"石松でも斬られるところが石松に対するリスペクトともとれる)。定番ものの素材に対して、パロディとしてどんな落とし所に持って行くのかという興味が大いに持てますが、歴史は変えてはいけないというか変えられないと言うか、意外とトラディショナルと言うかコンサバティブな落とし所だったように思います(この点が個人的にはやや呆気なかった)。

清水港代参夢道中(続清水港)762.jpg 劇場専務役の志村喬が出て来た時から下手な関西弁を早口でまくしたていて、下手な関西弁は"地"なのかどうか知りませんが、この映画では完全な喜劇俳優としての志村喬(元々喜劇俳優だったわけだが)になっています。そうした細部においても楽しめる作品です(「細部」と言うより、小松村の七五郎と二役だったため志村喬の出番は結構多く、コミカルな志村喬が堪能できる)。
 
 この作品は、後に、沢島正継監督、萬屋錦之介主演で「森の石松鬼より恐い」('60年/東映)としてリメイクされています。


清水港 代参夢道中17shimizu.jpg「清水港代参夢道中(続清水港)」●制作年:1940年●監督:マキノ正博●脚本:小国英雄●撮影:石本秀雄●音楽:大久保徳二郎(主題歌:美ち奴「続清水港」)●原作:小国英雄●時間:96分(現存90分)●出演:片岡千恵蔵/広沢虎造/沢村国太郎/澤村アキヲ(=長門裕之、映画初出演)/瀬川路三郎/香川良介/志村喬/上田吉二郎/団徳麿/小川隆/若松文男/前田静男/瀬戸一司/岬弦太/大角恵摩/石川秀道/常盤操子/轟夕起子/美ち奴●公開:1940/07●配給:日活(評価:★★★☆)
 

沢村国太郎(子供:長門裕之・津川雅彦) in「丹下左膳 百万両の壺」('35年/日活)with 大河内傳次郎/「忠臣蔵 天の巻・地の巻 (総集編)」('38年/日活京都)as 片岡源五右衛門 
丹下左膳 百万両の壺 04.jpg 沢村国太郎 赤穂浪士.jpg

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嵐寛寿郎版「鞍馬天狗」として、個人的には原点的作品。

鞍馬天狗 角兵衛獅子2.png鞍馬天狗 角兵衛獅子 [VHS].jpg 鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻.jpg 嵐 寛寿郎
鞍馬天狗 角兵衛獅子 [VHS]」1938(昭和13)年日活版「鞍馬天狗」 

鞍馬天狗 角兵衛獅子3.png 節分祭で賑わう壬生寺の境内の人波の中、子供角兵衛獅子の杉作(宗春太郎)と新吉(旗桃太郎)は財布を落としてしまう。角兵衛獅子の元締めで御用聞き(岡っ引き)隼の長七(瀬川路三郎)の所へ戻れば厳しい折檻を受けるのは明らかで、松月院の寺門の前で途方に暮れていると、通りがかった覆面の侍が二人に一両を恵んでくれた。子供達のその金を見た長七は子供達を問い詰め、その松月院の和尚(藤川三之祐)の所に居る倉田典膳を名乗る侍こそ、かねがね新撰組の近藤勇(河部五郎)、土方歳三(尾上華丈)らから居所を探るよう言われていた鞍馬天狗(嵐寛寿郎)だと確信する。長七はこれを近藤らに告げ、一味は松月院を襲撃する。敵をかわし、炎に包まれた松月院から脱出した天狗は、杉作と新吉を西郷吉之助(志村喬)の居る薩摩屋敷へ預ける。しかし子供達は長七らに捕らえられ、大坂城代屋敷の牢に入れられる。折しも大坂の浪士の手入れが迫っており、天狗は子供達を救うべく、また、浪士の人別帳を奪うべく、罠と知りながら大坂城代屋敷へ乗り込む―。

 松田定次監督の日活入社第1作で(マキノ正博と共同監督)、嵐寛寿郎の日活入社第1作でもあります。1938(昭和13)年に「鞍馬天狗」のタイトルで公開され、戦後「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」と改題されています。

鞍馬天狗〈1〉角兵衛獅子L.jpg 大佛次郎(1897-1973)原作の「鞍馬天狗」の映画版は、1924(大正13)年の實川延笑主演の「女人地獄」(フィルム現存せず)に始まり、1965(昭和40)年の市川雷蔵主演の「新 鞍馬天狗 五条坂の決闘」まで延べ60本近く製作されています。その間、最も多く鞍馬天狗を演じたのが嵐寛寿郎(1902-1980)であり、嵐寛寿郎本人によると46本の鞍馬天狗映画に出演したとのこと。手元の資料で見るとその内分かっているのは40作で、この作品は嵐寛寿郎のシリーズを全40作とした場合の第18作になります(同じ俳優が主演のシリーズの本数としては、「男はつらいよ」(1969~95年/松竹)の全48作に抜かれるまで日本映画の最多記録だった)。

鞍馬天狗〈1〉角兵衛獅子 (小学館文庫―時代・歴史傑作シリーズ)

 大佛次郎の原作シリーズ中最も人気が高かったのが、少年向けの作品として「少年倶楽部」1927(昭和2)年3月号~ 1928(昭和3)年5月号に連載された「角兵衛獅子」であり、角兵衛獅子は越後獅子とも言い、小さな獅子頭(ししがしら)を被って曲芸を行なう大道芸の少年のことです。嵐寛寿郎の映画デビュー作も「角兵衛獅子」を原作とした山口哲平監督によるマキノ版「鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子」('27年)であり(現存せず)、アラカン(この時の芸名は嵐長三郎)は撮る前からこの作品のヒットを確信していたと後に語っています。そのデビュー作からこの「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻('38年/日活)の前までに少なくとも17作の鞍馬天狗映画に出演していて、この後にも、1951年に松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」が大曾根辰夫監督、嵐寛寿郎主演で作られるなど、1956年までに22作の鞍馬天狗映画に出ています。

 その1951年松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」は、当時14歳の美空ひばり(1937-89)が杉作少年を演じて人気を博し、美空ひばりは続く大曾根辰夫監督、嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗 鞍馬の火祭り」('51年/松竹)、「鞍馬天狗 天狗廻状」('52年/松竹)にも杉作役で出演しています(角兵衛獅子は美空ひばりのお蔭で一気に知名度が増したという)。個人的には、美空ひばりも悪くないですが、やや男の子には見え難いというのはあります。その点、この1938年日活版は男の子の演技もまずまずで、全体的にも自然な印象を受けます。

原駒子.jpg また、鞍馬天狗のことを仇だと誤解して新撰組の手先になって天狗を付け狙うものの、天狗に命を救われたことで最後は天狗に惹かれていく女性(この作品では"暗闇のお兼")を原駒子(1910-68)が演じていて(当時28歳)、これも雰囲気があって悪くなかったです。鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子 .jpg1951年松竹版ではこの女性に相当する役("礫のお喜代")を山田五十鈴(1917-2012)が演じていますが、14歳の美空ひばり演じる杉作が34歳の山田五十鈴に天狗との関係において嫉妬心を覚える場面があります(あくまでも少年としての嫉妬心として描かれているが、もともと美空ひばり自体が若干"おませさん"に見えるため、そうした原作にはないニュアンスを盛り込んだのではないか)。

1951年松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」(大曾根辰夫監督)
山田五十鈴/嵐寛寿郎/美空ひばり

1928年嵐寛寿郎プロダクション版「鞍馬天狗」(山口哲平監督)
『鞍馬天狗』   1928年作品.jpg 嵐寛寿郎の鞍馬天狗は、この1938年日活版の時に既にスタイルは完成されているように見えますが(刀を突きつけるだけで相手を後ずさりさせる迫力はピカイチ)、その後のシリーズの経過とともに、嵐寛寿郎の天狗も少しずつ変わってきているのも確かです。では、最初はどうだったのか。現在観ることの出来る最も古い「鞍馬天狗」は1928年の嵐寛寿郎プロダクションの第1作「鞍馬天狗」ですが(この頃はまだ無声映画)、天狗や杉作などはどのように描かれているのでしょうか。DVD化されていますが未見であり、個人的には今の時点ではこの1938年日活版が嵐寛寿郎版「鞍馬天狗」の原点的作品です。

 薩長など勤皇は善で、それに対する新撰組などの佐幕は悪という単純な割り切り方で、逸失部分が7分間ありちょっと話が飛んだかと思われる部分もあったりしますが混乱することはありません。志村喬演じる西郷吉之助(隆盛)などもトリビアな見所かもしれません(出てきた時は一瞬"悪役"かと思った)。

鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻1938.jpg「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」●制作年:1938年●監督:マキノ正博/松田定次●脚本:比佐芳武●撮影:宮川一夫/松井鴻●音楽:高橋半●原作:大仏次郎●時間:66分(現存53分)●出演:嵐寛寿郎/原健作/瀬川路三郎/香川良介/藤川三之祐/尾上華丈/志村喬/団徳麿/阪東国太郎/宗春太郎(香川良介の息子)/旗桃太郎/深水藤子/原駒子/沢村国太郎/河部五郎●公開:1938/03/15●配給:日活京都(評価:★★★☆) 嵐寛寿郎・原駒子 in「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」('38年)
『韋駄天数右衛門』.jpg

原駒子 in「韋駄天数右衛門」('33年) with 羅門光三郎

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戦中に作られた作品だが、まるで60年代の任侠やくざ映画を観ているよう。

三代の盃1.jpg三代の盃2.jpg日本侠客伝 1964 dvd.jpg
日本侠客伝 [DVD]
片岡千恵蔵主演「三代の盃」映画館チラシ(四谷武蔵野館)   片岡千恵蔵/琴糸路

三代の盃 花嫁一本刀9.jpg 江戸築地明石町の伊三郎(高山徳右衛門)一家は、真の任侠道に生きることを信条としていた。一方、任侠道の裏を行く新興の但馬屋の仁右衛門(荒木忍)は、悪徳商人の丸谷惣平(大国一広)と組んで明石町の長屋を立ち退かせ、そこに歓楽街を作って、伊三郎一家を蹴落そうとしていた。伊三郎一家の三ン下の政吉(片岡千恵蔵)は、長屋で母おかね(二葉かほる)と二人暮しで、隣家の浪人小磯文之進(長浜藤夫)の娘お雪(琴糸路)とは相思の仲だった。政吉の兄貴分の弥吉(原聖三郎)が但馬屋一家の企みを知り、密かに但馬屋一家へ掛け合いに行くが、やがて水死体となって大川に浮かぶ。憤怒した政吉は単身但馬屋に乗り込むが、子供扱いされ追い返される。悔しさを伊三郎に訴える政吉を、親分は「何も恥じるこたねえ。おめいにはまだ貫禄が足りねいのだ」と諭し、「修行して立派な男になって帰って来い」と励まし旅に出す。そして3年、世は明治となり、但馬屋一家は官権溜池の御前(大井正夫)を黒幕に勢力を広げていた。御前は芸妓雪松に懸想し、仁右衛門が口説き役に廻ったが雪松はうんと言わない。雪松こそ病に伏す父のため芸妓になったお雪だった。そんな折政吉が旅から帰って来て、強引に立ち退き工作を進める但馬屋一家の横暴を知った政吉は但馬屋一家に乗り込むが、そこに大親分鮫洲の卯之助(小川隆)の仲裁が入り、事は納ったかにみえた。しかし、但馬屋一家は卯之助を謀って仲裁を無効にし、大挙して伊三郎一家を襲撃、親分にもケガを負わせる。今まさにお雪と祝儀を挙げたばかりの政吉は、これを知って単身但馬屋一家へ乗り込み、遂に仁右衛門を叩き斬る。そんな政吉に旅に出ることを勧める親分に対し、政吉は新時代に生きる人間になりたいと言い自首しに行く―。

三代の盃18.jpg三代の盃 勝新版.jpg 太平洋戦争が始まってちょうど丸1年経った頃の1942(昭和17)年12月11日公開の八尋不二のオリジナル脚本、森一生監督作で、1962(昭和37)年に同じく八尋不二のオリジナル脚本、森一生監督により勝新太郎、小山明子主演でリメイクされています。

勝新太郎版「三代の盃」(1962)

 ラストでこれまで我慢を重ねてきた片岡千恵蔵の政吉が、女性と別れ、相手方に殴り込みをかけるいうこの構図は(殴り込みをかける際に、雨が降って来て番傘をさしていくシーンなども含め)、1960年代にスタートした高倉健主演の「日本侠客伝シリーズ(1964-1971、全9作)、「昭和残侠伝」シリーズ(1965-1972、全11作)をはじめとするやくざ映画と少しも違わないことに驚かされます(そのため既視感があるが、こちらの方が20年以上前、しかも戦時中なのだなあと)。

日本侠客伝02.jpg日本侠客伝01.jpg 例えば、上記シリーズの中で最も早く作られたマキノ雅弘監督の「日本侠客伝」('64年/東映)も、深川木場の材木を運び出す運送業者の木場政組と親興の沖山運送の対立が背景にあって、新興やくざの非道に対して、昔気質の一家がじっと忍耐した末に斬り込みに行くというストーリーはよく似ているし、旅に出ていた片岡千恵蔵・政吉が戻って来て一家の危機を救うという構図は、出征先から戻って来た高倉健・長吉が一家を救うのと同じです(この映画でも高倉健は最後着物をはだけて上半身裸になるが、長吉は軍人上がりで躰に入れ墨はない)。

 「三代の盃」で単身但馬屋一家へ乗り込もうとする片岡千恵蔵・政吉を、二葉かほる演じる母親が敢えて制止することなく送り出し(雨が降っているのに気づいて、息子に番傘を渡す)、更に、たった今祝言を挙げたばかりの新妻の琴糸路のお雪が父の命により、貧しい生活の中でも武士の命として質屋に出さず大事に手元に置いておいた刀を政吉に渡すべく雨の中政吉を追いかける(この映画は後に「花嫁一本刀」と改題されて再公開された)―これは武家的な気質と言え、武士道精神が明治初期のやくざに引き継がれ任侠道となったという説(氏家幹人『サムライとヤクザ』('07年/ちくま新書))に符合するようにも思いました。

日本侠客伝 中村s.jpg0マキノ雅弘、『日本侠客伝』(1964年)es.jpg 一方、「日本侠客伝」における狭い意味での"侠客"は、中村錦之助演じる一家の"客人"清治でしょう(当初は中村錦之助が主演予定だったが、中村錦之助のスケジュールがつかず、高倉健を主演にした脚本に変更された)。清治は、世話になった親分への義理のために覚悟して死地へ向かいますが、その女・三日本侠客伝 富司純子.jpg田佳子演じるお咲には彼が何を考えているか分かっていて、こちらもそれを制止することなく最後の杯を交わして男を送り出します。一方の高倉健・長吉は、清治の遺体を見て意を決し、まさかそんなことになるとは思ってもいない恋仲の富司純子・お文には黙って何も告げず、敵方へ斬り込みに向かいます。ここでの富司純子は、「緋牡丹博徒」(シリーズ1968-1972、全8作)が始まる前の"お穣さん"的な役柄ですから、「三代の盃」で琴糸路・お雪に対応する役は(お雪も武家の娘でお嬢さんではあるが)、その精神性においては富司純子のお文よりむしろ三田佳子のお咲であるとも言えます。

三代の盃 スチール.jpg 「三代の盃」の片岡千恵蔵は、三ン下の頃は江戸時代で髷であるのが、旅から戻って来た時は明治で散切りですが、三ン下の頃からすでに貫禄が隠し切れず、やや窮屈そうな演技でしょうか(「赤西蠣太」('36年/日活)で見せたように軽めの演技も出来る人ではあるのだが)。それが、旅から戻ってきたらもう待っていましたとばかりの"凄み全開"で、時代劇がかっている分、高倉健などとはまた異なる、或いはそれ以上の迫力でした。

 たった3年の旅でこんなにも貫禄がつくのかとも思ってしまいますが、この片岡千恵蔵版では旅の過程で何があったのかは描かれておらず、その点を補完する意味合いもあってか、勝新太郎のリメイク版では、旅先で土地の親分同士の争いに巻き込まれ、土地の百姓の困惑をみた政吉が命懸けで仲裁に立ってその大役を果たし、その侠名が江戸にも伝わるということになっています。

片岡千恵蔵 in「三代の盃」(スチール写真)
 
久保幸江.jpg 尚、片岡千恵蔵版で政吉が旅に出てからの年月の経過を表すために、旅芸人一座が街道を行くシーンとその一座の久保幸江(1924-2010/享年86)の歌が流れますが、久保幸江のデビューは1948年であり、これは戦後に久保幸江を特別出演させてフィルムを改修したものだそうです。やはり、そうしたシーンで入れて時間的経過を表す間を持たせないと、場面が切り替わって髷から散切りになっただけでいきなりすぐに迫力が増すというのは、当時としても観ていてやや唐突な印象があったのではないかという気がします。

久保幸江 
    
三代の盃(花嫁一本刀)v.jpg三代の盃_200.jpg「三代の盃(花嫁一本刀)」●制作年:1942年●監督:森一生●脚本:八尋不二●撮影:松村禎三●音楽:西梧郎●時間:67分●出演:片岡千恵蔵/琴糸路/高山徳右衛門/林寛/荒木忍/近松里子/長浜藤夫/原聖四郎/小川隆/大井正夫/香琴糸路_1942.png住佐代子/二葉かほる/梅村蓉子/ 仁札功太郎/岬弦太郎/川崎猛夫/石川秀道/大国一公/水野浩/横山文彦 /久保幸江●公開:1942/12●配給:大映(京都撮影所)(評価:★★★☆)
琴糸路(「維新の曲」('42年/大映)出演時、満30歳)

「日本侠客伝」田村高廣/長門裕之/松方弘樹/大木実/中村(萬屋)錦之介
日本侠客伝59.jpg0日本侠客伝 11.jpg「日本侠客伝」●制作年:1964年●監督:マキノ雅弘●脚本:笠原和夫/日本侠客伝-002.jpg野上龍雄/村尾昭●撮影:三木滋人●音楽:斎藤一郎●時間:98分●出演:中村錦之助(萬屋錦之介)/高倉健/大木実/松方弘樹/田村高廣/長門裕之/藤間紫/富司純子/南田洋子/三田佳子/伊井友三郎/ミヤコ蝶々/津川雅彦/島田「日本侠客伝」松方0.jpg景一郎/五十嵐義弘/南都雄二/徳大寺伸/加藤浩/佐々木松之丞/島田秀雄/堀広太郎/那須伸太朗/大城泰/安部徹/天津敏/品川隆二/国一太郎/佐藤晟也/大井潤/月形哲之介/大前均/楠本健二/有馬宏治/内田朝雄●公開:1964/08●配給:東映(評価:★★★☆)

松方弘樹(鉄砲虎)22歳
田村高廣(鶴松)37歳/津川雅彦(ポンポンの繁)25歳
0日本侠客伝 田村高廣2.jpg0日本侠客伝 津川雅彦.jpg.png

●「日本侠客伝」シリーズ(全11作)一覧
第1作『日本侠客伝』(1964年8月13日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:笠原和夫、村尾昭、野上竜雄
 出演:高倉健(特別出演)、中村錦之助、松方弘樹、津川雅彦、長門裕之、藤純子、他
第2作『日本侠客伝 浪花篇』(1965年1月30日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:笠原和夫、村尾昭、野上竜雄
 出演:高倉健、鶴田浩二、大友柳太朗、藤山寛美、村田英雄、里見浩太朗、長門裕之、他
第3作『日本侠客伝 関東篇』(1965年8月12日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:笠原和夫、村尾昭、野上竜雄
 出演:高倉健、藤純子、長門裕之、鶴田浩二、丹波哲郎、北島三郎、大木実、待田京介、他
第4作『日本侠客伝 血斗神田祭り』(1966年2月3日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:笠原和夫
 出演:高倉健、鶴田浩二、藤純子、大木実、藤山寛美、長門裕之、里見浩太朗、山本麟一他
第5作『日本侠客伝 雷門の決斗』(1966年9月17日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:笠原和夫、野上竜雄
 出演:高倉健、藤純子、長門裕之、待田京介、村田英雄、藤山寛美、島田正吾、他
第6作『日本侠客伝 白刃の盃』(1967年1月28日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:中島貞夫、鈴木則文
 出演:高倉健、藤純子、長門裕之、大木実、松尾嘉代、伴淳三郎、他
第7作『日本侠客伝 斬り込み』(1967年9月15日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:笠原和夫
 出演:高倉健、藤純子、長門裕之、大木実、金子信雄、渡辺文雄、他
第8作『日本侠客伝 絶縁状』(1968年2月22日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:棚田悟郎
 出演:高倉健、待田京介、松尾嘉代、渡辺文雄、藤山寛美、遠藤辰雄、他
第9作『日本侠客伝 花と龍』(1969年5月31日公開)
 監督:マキノ雅弘、脚本:棚田悟郎
 出演:高倉健、星由里子、藤純子、二谷英明、津川雅彦、若山富三郎、他
第10作『日本侠客伝 昇り龍』(1970年12月3日公開)
 監督:山下耕作、脚本:笠原和夫
 出演:高倉健、藤純子、鶴田浩二、中村玉緒、片岡千恵蔵、遠藤辰雄、伊吹吾郎、他
第11作『日本侠客伝 刃』(1971年4月28日公開)
 監督:小沢茂弘、脚本:笠原和夫
 出演:高倉健、十朱幸代、辰巳柳太郎、池部良、大木実、渡辺文雄、山本麟一、他

「日本侠客伝」予告編一挙  

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