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何でもかんでも「劣化」ということで括って個々の問題の解決に繋がるのならともかく...。
『なぜ日本人は劣化したか』 (2007/04 講談社現代新書)
かつて、ゲームの世界では、RPGでは「ファイナルファンタジー」「ドラゴンクエスト」などの大作があり、個人的にはドラクエよりもFFの方が好きでしたが、ギリシャ神話の世界観をベースにした「ヘラクレスの栄光」というゲームも、出た当初は「ドラクエのパクリ」などと揶揄されたものの、やってみればなかなか味わい深いものがありました(シリーズ第1作「闘人魔境伝ヘラクレスの栄光」('87年)は、ギリシャ神話に出てくるヘラクレスの12功業をモチーフにして、諸悪の根源ハデスを倒しビーナスを救い出すという筋立て)。
こんな思い出を言うのは、たまたま昔のゲームのことを思い出したことぐらいしか本書には個人的に印象に残る部分が無かったからかも。著者によると、こうしたRPGのビックタイトルは最近出てなくて、売れているのは「脳トレ」のような「短時間で手軽に遊べる」「脳年齢が若返る」といったゲームばかりだそうです。
著者は、こうしたゲームの傾向をもって「コンテンツが劣化している」と言っています。でも、RPGをやる人と「脳トレ」をやる人とでは、勿論どちらも単なる時間潰しでやることはあるだろうけれども、本来的にはそれをやる目的が違うのではないかという気がします。なので、「ヘラクレスの栄光」はストーリー等において(個人的見解ではあるが)「ドラクエ」を凌駕しているとか、大人向きだとか言えるかもしれませんが、レトロなRPGが今の「脳トレ」より大人向きだったとか進んでいたという言い方はしないように思います(そもそも比較の対象にならない)。
著者はゲームに関して劣化したとするのと同様に、言葉の乱れを指して日本語は劣化しているとし、地べたに座り込む若者を見て体力も劣化しているとし、ともかくおしなべて日本人の考える力が劣化し、知性は退廃していると本書で述べています。
「劣化」ということで括って個々の問題の解決に繋がるのならともかく、「劣化」を連呼するだけ連呼して特に解決案を示さず、「これをなんとか食い止めねばならない」で終わっているため、拍子抜けしてしまいます。
一時、著者が「愛国心」について書いたものを何冊か読みましたが、『〈私〉の愛国心』('04年/ちくま新書)において精神分析のタームを濫用しながら"素人政治談議"、"床屋談議"をしているのにやや辟易し、それでも、『いまどきの「常識」』('05年/岩波新書)などは、世相をざっと概観するには手軽だったかなあという気もしました。
しかし、本書においては、評論家がテレビや雑誌の限られた時間やスペースの枠内で、一般向けにどうでもいいようなコメントをしている(著者自身、その一員になりつつある?)、そうしたものを、ただ繋ぎ合わせただけという感じがします。
最近の著者は、この類の本を量産しているようで、講談社現代新書でもこれが初めてではないようですが、新書が「劣化」しているのか?「売れるものはよいもの」という考えを著者は批判していますが、本人はどうなの、と言いたくなります(商売目的の粗製乱造なのか、本気で世直ししたいと思っているのか?)。