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証人保護プログラムが分かる。コンゲームと知りながら、読者も一緒に騙される。
『司法取引(上) (新潮文庫)』『司法取引(下) (新潮文庫)』
"The Racketeer: A Novel"
連邦判事とその愛人の殺害事件が迷宮入りかと思われた頃、冤罪で収監されていた弁護士バニスターが、真犯人を知っていると声を上げた。彼はその情報と引き換えに、自らの釈放と証人保護プログラムをFBIに要求する。藁にもすがりたい捜査当局と何度も交渉と説得を重ねたバニスターは、ついに念願の出獄を果たすのだが...。自由を求めて、破天荒な一世一代のコンゲームが始まる(上巻)。FBIは判事殺害容疑で、麻薬関係の犯罪歴があるクィンを逮捕。判事に賄賂を贈っていた彼は、当初、事件との関わりを強く否定するも、やがて自供を始める。一方、証人保護プログラムが適用されたバニスターは、当局の監視下に置かれながらも自由な日々を過ごしていた。しかしある日、突然姿を消してしまう。その身に何が起こったのか...。騙し合いに次ぐ騙し合い、衝撃の結末(下巻)。(ブックカバーより)
2012年10月末に原著が出版されたジョン・グリシャムの作品で(原題:"The Racketeer")、原題の「ラケッティア」とは脅迫者、ペテン師の意味だそうですが、ここでは司法取引に絡めたコンゲームを行う者、つまり主人公の冤罪で収監されていた弁護士バニスターを指すのでしょう(バニスターは意図せずマネーローンダリング事件に巻き込まれて10年の禁固刑を言い渡され、既に5年服役しているという設定になっている)。
全体としてはそのバニスターの一人称で語られるパートが多く、一人称であるため、読み手はバニスター自身の目線に同化し彼の「作戦」が上手くいくかどうかハラハラするわけですが、その彼の「作戦」というのが目的は自由の身になることであると分かっていても(或いは同時に多額の資産を得ることであっても)、その青写真が本人の口からも意識の流れとしても語られることはなく、ある意味「読者」に対する叙述トリックのようなスタイルになっています。
まず、日本の推理作家が(或いは米国の推理作家でも"並"の作家が)同じモチーフで書いたら、「司法取引(証人保護プログラム)」というものを描くこと自体が目的化し、推理小説としては大したものにならないのではないかなあ。この作品の良い点は、日本人に馴染みの薄い司法取引(証人保護プログラム)というものの性質や手順についてよく知ることが出来ると同時に、小説としても楽しめるものであるということです。
しかしながら、ブックカバーに予め「コンゲーム」と書かれており(原著では見開きに「ラケッティア:不正手段、こじつけなどによって不法に金を得る者」の2行をわざわざ記している)、主人公の弁護士バニスターが何らかの秘策を持っているということ自体は読者に分かってしまう訳であって、そうなると、小説の面白さが半減してしまうのではないかということが読み始めの頃は危惧されました。
ところが、どこかでFBIはバニスターに騙されるのだろうなあと"注意深く"読んでいくうちに、読者である自分もFBIと一緒になって騙されてしまうという、この辺りがジョン・グリシャムという作家のスゴイところです。この作品が本国でベストセラーになり、グリシャムの作品の中でも傑作とされるのは、個人的にもほぼ納得がいきます。
一方で、小説のためのプロットになっている印象も若干受けました。計画の細部においては不確実性があり、実際こんな上手くいくかなあとも(FBIが全然"切れ者"揃いではないことが前提になっている?)。また、なぜ、こんな頭のいい人物が、自らの冤罪を晴らすことが出来ず収監されてしまうのかとも(この点は米国の司法社会に対する作者の批判的視点があるのかと思うが)。まあ、自由と併せて金も得ようとするから、こんな手の込んだことをすることになるのだろなあ。その点で、初期の出世作『法律事務所』(映画ではなく原作の方)に通じるものがありました。