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有田紀子の清楚で現代的なリリシズムが光る。原作の語り手の年齢はかなり若い?

野菊の如き君なりき 1955.jpg「野菊の如き君なりき」.jpg 野菊の墓 (新潮文庫).jpg
木下惠介生誕100年 「野菊の如き君なりき」 [DVD]」田中晋二/有田紀子『野菊の墓 (新潮文庫)
野菊の如き君なりき1.jpg 矢切の渡しの舟客・斎藤政夫翁(笠智衆)は老船頭(松本克平)に、遠い過去の想い出を語る...。この渡し場に程近い村の旧家の次男として育った政夫(田中晋二)が15歳の秋のこと、母(杉村春子)が病弱のため、近くの町家の娘で母の姪に当る民子(有田紀子)が政夫の家を手伝いに来ている。政夫は二つ年上の民子とは幼い頃から仲が良い。それが嫂のさだ(山本和子)や作女お増(小林トシ子)の口の端にのって、本人同志もいつか稚いながら恋といったものを意識するようになる。祭を明日に控えた日、母の吩咐で山の畑に綿を採りに出かけ二人は、このとき初めて相手の心に恋を感じ合ったが、同時にそれ以来、仲を裂かれなければならなかった。母の言葉で追われるように中学校の寮に入れられた政野菊の如き君なりき2.jpg夫が、冬の休みに帰省すると、渡し場に迎えてくれるはずの民子の姿はなかった。お増の口から、民子がさだの中傷で実家へ追い帰されたと聞かされ、政夫は早々に学校へ戻る。二人の仲を心配した母や民子の両親の勧めで、民子は政夫への心を抑えて他家へ嫁ぐ。ただ祖母(浦辺粂子)だけが民子を不愍に思った。やがて授業中に電報で呼び戻された政夫は、民子の死を知る。民子の最期を看取った母によると、民子は政夫の手紙を抱きしめながら息を引きとったという。政夫の名は一言もいわずに...。渡し船を降りた翁は民子が好きだった野菊の花を摘んで、墓前に供えるのであった―。

『野菊の墓』復刻.jpg 木下惠介(1912-1998/享年86)監督の1955(昭和30)年公開作で、同年「キネマ旬報 ベスト・テン」で第3位。原作「野菊の墓」は、歌人であった伊藤左千夫が43歳で初めて発表した小説で、1906(明治39)年1月、雑誌「ホトトギス」に掲載、その年の4月に俳書堂から単行本として刊行されています。15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描き、夏目漱石が絶賛したというこの作品は、過去に3度映画化されており、その第1作は木下惠介が監督した本作です(2作目('66年)の主演は太田博之と安田道代(大楠道代)、3作目('81年)は澤井信一郎監督、の松田聖子主演のもの。TVドラマ版では西河克己監督、山口百恵主演のもの('77年)などがある)。

近代文学館〈〔38〕〉野菊の墓―名著複刻全集 (1968年)

「野菊の如き君なりき」ありた.jpg 物語の設定では民子の方が2歳年上ですが、主演の田中晋二と有田紀子は共に1940年生まれの当時15歳。有田紀子は女優に憧れ学習院女子中等科に在学中に木下惠介監督に手紙を書いたことが契機となり、民子役に抜擢されましたが、学習院は生徒の映画出演を認めておらず、転校して映画に出演しています。この映画は、旧弊な気風が根強い田舎を舞台にしている分、有田紀子の清楚で現代的なリリシズムが光っていたように思います。ただし、彼女が出演した木下作品は田中晋二と共演した3作品だけです。その後は学業に専念し、1958年早稲田の文学部演劇科に進みますが、それを知った多くがの若者が早稲田を受験したという逸話があります。伊藤左千夫は「野菊の墓」という作品があってこその作家という印象がありますが、有田紀子も、結婚で女優業を引退したということもあって、代表作はこの「野菊の如き君なりき」ということになるのでしょう。

野菊の如き君なりき 笠智衆.jpg ところで、映画は矢切の渡しの舟客・斎藤政夫老人(笠智衆)が60年前の自らが数え年で15(「月で数えると13歳と何月」と原作にある)の時のことを回想する(船頭に語る)形式で進み、政夫老人は現在73歳ということになりますが(演じる笠智衆は当時51歳)、原作では、「十余年も過去った昔のこと」とあり、語り手の年齢はもしかしたら30歳前後くらいかもしれず、この年齢の差は、「政夫の今」を映画が作られた1955年を現在に設定したためではないかと思われます(小説が発表された年とも約40年の開きがある)。世間一般にも原作の語り手がかなり年齢が高いように思われている気がしますが(コミック版などもそうなっている)、思えば、伊藤左千夫がこの小説を書いたときでさえまだ43歳だったわけで、作者はそこからさらに10歳以上若い"語り手"を設定しているように思います(物語は伊藤左千夫自身の幼い頃の淡い恋が基になっているというから、概算すると原作の時代設定の方が映画より少し古いということになるのかも)。

 そう言えば、川端康成原作、西河克己監督、高橋英樹・吉永小百合主演の「伊豆の踊子」('63年/日活)でも、語り手である現在の主人公として当時49歳の宇野重吉が初老の大学教授として登場しますが、川端康成が原作を発表したのが1926(大正15)年27歳の年で、1918(大正7)年に19歳で初めて伊豆に旅行し、旅芸人の一行と道連れになった経験が基になっているとされているので、こちらも原作の書き手は8年前の記憶を辿っているのに対し、映画は作られた1963年を現在に設定し、45年ぐらい前のことを思い出しているように描かれていることになります。まだその頃は、明治・大正の文学作品の語り手を、そのまま老いさせて「現在」にもってこれたのだなあと改めて思いました。

『名画座面白館』赤塚.jpgIMG_20220228_050114.jpg 因みにこの作品、作品の大部分を占める過去の回想部分は全体を楕円にしてまわりをボカした手法にをとっていますが、先に読んだ『赤塚不二夫の名画座面白館』('89年/講談社)で、登場人物としての赤塚不二夫、長谷邦夫、石森章太郎がこの映画について語り合っていて、石森章太郎がこのボカシを指摘すると、長谷邦夫が「昔の懐かしい写真アルバム集みたいな感じを出すためだね」と説明していました(分かりやすい説明)。一方、笠智衆が出ている"今"のシーンにはこの楕円のボカシはありません(代わりに伊藤左千夫の短歌が挿入される)。

野菊の如き君なりき 杉村.jpg 有田紀子、田中晋二の演技は「二十四の瞳」('54年/松竹)で6歳(小学校1年生)、10歳(小学校5年生)、18歳の少年少女を撮った木下惠介監督が、ここでもその演出力を発揮した成果だと思います(セリフはわざと棒読みで喋らせたのは「二十四の瞳」でも使った手?)。一方で、演技達者が作品を支えているのも確か。政夫の母役の杉村春子が民の死後に家に戻って一人泣き崩れるシーンと(結局この人も根はいい人だった)、民の祖母役の浦辺粂子が孫の不憫さを語るシーン(この人は最初から唯一の二人の理解者だった)の演技には圧倒されます。

杉村春子(政夫の母)

「野菊の如き君なりき」●制作年:1955年●監督・脚本:木下惠介●製作:久保光三●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:伊藤左千夫『野菊の墓』●時間:92分●出演:田中晋二/有田紀子/杉村春子/田村高廣/笠智衆/松本克平/山本和子/小林トシ子/浦辺粂子/高木信夫/本橋和子/雪代敬子/渡辺鉄弥/谷よしの/松島恭子/小林十九二●公開:1955/11●配給:松竹●最初に観た場所:シネマブルースタジオ(19-07-16)(評価:★★★★)

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新たに発見された続編と併せ、当初からストーリー性の高い構想だったのではないか。

夫婦善哉 決定版 新潮文庫.jpg夫婦善哉 (新潮文庫)旧.jpg 夫婦善哉 DVD.jpg 夫婦善哉 森繁久弥・淡島千景.jpg
夫婦善哉 決定版 (新潮文庫)』['16年]『夫婦善哉 (新潮文庫)』['50年/'00年改版]「夫婦善哉 [DVD]」淡島千景/森繁久彌
夫婦善哉19.JPG 大正時代の大阪。貧乏な天ぷらやの娘・蝶子は、17歳で芸者になり、陽気でお転婆な人気芸者に成長する。そして化粧問屋の若旦那・柳吉といい仲になり、駆け落ちをする。ところが熱海で関東大震災に出くわした二人は、大阪に戻り、黒門市場の裏路地の2階に間借り生活をはじめる。蝶子は職のない柳吉に代わり、ヤトナ芸者(コンパニオン)で稼ぎに出るが、柳吉はその金でカフェに出かけたりしていた。柳吉は実家の父親から勘当され、蝶子が苦労して貯めた金に手をつけて放蕩を繰り返す。蝶子はなんとか柳吉を一人前の男にして、実家から認めてもらおうと、商売を始める。剃刀屋、関東煮屋、果物屋、カフェなど転々と商売をするが、結局は柳吉の浪費で失敗に終わる。蝶子の苦労はなかなか報われず、柳吉も腎臓結石を患い、実家から廃嫡される。ある日、柳吉は蝶子を法善寺境内の「めおとぜんざい」に誘い、二人仲良くぜんざいをすする。蝶子はめっきり肥えて座布団が尻に隠れるほどになった―。(「夫婦善哉」)

 「夫婦善哉」は、織田作之助(1913-1947/33歳没)が1940(昭和15)年4月に同人雑誌「海風」に発表し、作者が世に出る契機となった作品です。新潮文庫の旧版(1950年刊)は、この他に「木の都」「六白金星」「アドバルーン」「世相」「競馬」の五編を所収していましたが、2007年に「続 夫婦善哉」の未発表原稿が発見されて刊行され(『夫婦善哉 完全版』雄松堂出版)、この文庫「決定版」は、旧版に「続 夫婦善哉」を加えたものです(新版の解説は石原千秋・早稲田大学教授だが、旧版の作家・青山光二の解説も載せている)。

映画 夫婦善哉0.jpg 「夫婦善哉」は、前記の通り、北新地の人気芸者で陽気なしっかり者の女・蝶子と、化粧問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの男・柳吉が駆け落ちし、次々と商売を試みては失敗し、喧嘩しながらも別れずに一緒に生きてゆく内縁夫婦の物語であり、豊田四郎監督、森繁久彌、淡島千景主演の映画('55年/東宝)でも知られています。映画は森繁久彌主演ということもあって結構ユーモラスに描かれていますが、原作を読むと、見方によっては、頑張り屋の女性がダメ男に惚れたばっかりに、共に破滅に向かっていく、その予兆の部分まで描いた作品ととれなくもないように思いました。

「夫婦善哉」('55年/東宝)

 ところが、2007年に見つかった「続 夫婦善哉」では、二人は別府に渡り、そこで例のごとく商売を始め、前と同じく起伏がありながらも何とか見通しがついたところへ、隆吉の娘から、自分が結婚することになったので、二人で式に対会ってもらいたいとの速達が届く―という結末になっています(ハッピーエンドと言っていいのでは)。

夫婦善哉 映画 自殺未遂.jpg 実は、本編の終盤で、柳吉の父親が亡くなった際に、蝶子が葬式に出ることを実家から拒まれ、紋付を二人分用意していた蝶子は、いまだに隆吉の実家に自分が受け容れてもらえないのかと絶望し、ガス自殺未遂を起こすという事件があり(この事件は映画にも描かれて、原作同様に新聞記事になっている。この事件のため、柳吉は結局、父の位牌を持つことさえ許されなかったというのは映画のオリジナル)、こうしたことが、文学的には傑作だが、現実的に考えると、一人の女性が破滅に向かう話ともとれるのではないかと個人的に危惧するところであったのですが、ちゃんと話に続きがあって、前は「葬式に呼ばれなかった」けれど、今度は「結婚式に呼ばれる」という相対する結末が「続 夫婦善哉」には用意されていたのだなあと。

 決定版解説の石原千秋氏は、「夫婦善哉」を書いたのは私たちのイメージの中にある「織田作之助」その人であって、「続 夫婦善哉」を書いたのは、人間織田作之助であり、「夫婦善哉」には文学があって、「続 夫婦善哉」には織田作之助がいるとしていますが、なるほど、そうい夫婦ぜんざい.jpgう見方もあるのかなあと。ただし、旧版解説の青山光二(1913-2008)は、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さないというのが、短編小説の名手とされた織田作之助の基本的態度でもあった」としており、青山光二は、柳吉と蝶子が法善寺境内の「めおとぜんざい」に行き、二人でぜんざいを食べるという結末のイメージは早くから作者の頭の中にあったようだとしていますが、もしかしたら、更にその先までストーリーはできていたのかも、と思ってしまいます。
夫婦ぜんざい

 青山光二は、「若書きの『夫婦善哉』には、「文章に未熟な個所が目立ち、構成にも起伏が乏しい」といった弱点があるとしながらも、「この作品が今日まで多くの読者を獲得しつづけ、名品の風格さえ高いと思えるのは、題材と渾然たる調和をなす斬新な文体と、それによって一分の弛みもなく作品を支えている高度の緊張感、さらに作品の根底にある、作者の煮つまった情熱が、そくそくと伝わってきて、読者の心をうつからである」と評しています。

 確かに、戦後書かれた「世相」や「競馬」の方が、完成度自体は高いのかも。「世相」は作者の分身と思しき作家が世相を見ながら作品のネタを漁る、虚実皮膜譚のような構成でオチは無いのですが、真面目男がふとした契機から競馬に嵌ることになる「競馬」は、ストーリー性も高いように思います。ただし、「夫婦善哉」が「続 夫婦善哉」と当初からセットで構想されていたとしたら、ストーリー性においても後の作品と遜色なく、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」というのは、デビュー当時からそうだったのではないかと思わせます。

 最初に読んだ時は、「世相」や「競馬」は「夫婦善哉」と並ぶ傑作だと思いましたが、読み返してみると、1940(昭和15)年の夏に(つまり「夫婦善哉」のすぐ後に)書かれた、作者と同じ六白水星の星まわりの少年・楢雄を主人公とする「六白水星」が傑作と言うか、愛おしい作品のように思えてきました(因みに、この作品は書いたときは発表が許されず、戦後に改稿して発表されている。織田作之助は、「夫婦善哉」の次作「青春の逆説」が発禁処分になっていて、このことはそのまま「世相」の中に話として出てくる)。「六白水星」は、何となくオチが無いように見えますが、読み返してみると、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」という法則が当て嵌まるかのように、ラストが決まっているなあと思いました。

映画 夫婦善哉1.jpg 映画「夫婦善哉」は、森繁久彌演じる柳吉と淡島千景演じる蝶子が熱海の温泉旅館に駆け落ちと洒落込んだところへ関東大震災に見舞われるというのが出だしでしたが、森繁久彌のアドリブっぽい演技もあって(原作に無い台詞が結構あったように思う)ユーモラスに淡島千景 森繁久彌 夫婦善哉.jpg描かれていたし、あの映画で一番気持ちがいいのは、淡島千景演じる蝶子が、「あの人を一人前の男に出世させたら、それで本望や」と言い切るところですが、原作ではこうした啖呵を切る場面はありません。

 淡島千景は、この作品の演技で1955年・第6回ブルーリボン賞・主演女優賞を受賞。デビュー作でいきなりブルーリボン賞・主演女優賞を受賞した渋谷実監督の「てんやわんや」('50年/松竹)に続く2度目の受賞で、1955年度(1956(昭和31)年)・第4回「菊池寛賞」も受賞しています。また、森繁久彌も1955年・第6回ブルーリボン賞・主演男優賞を初受賞、淡島千景とのコンビで、この作品以降、「駅前シリーズ」など多くの作品で夫婦役を演じることになります。
  
映画 夫婦善哉 awasima.jpg 淡島千景(1924-2012、享年87)は生涯を独身で通しています。森繁久彌(1913-2009、享年96)が生前に「ずっと手が出なかった」と語ったように、男性を寄せつけないオーラがあったそうです。映画は、豊田四郎監督とこの二人のコンビで「新・夫婦善哉」('63年/東宝)が作られただけでリメイク作品はありません。一方、1966年以降10回ほどTVドラマ化されていて、扇千景、中村玉緒、榊原るみ夫婦善哉 森山未來 尾野真千子.jpg、泉ピン子、森光子、浜木綿子、三林京子、黒木瞳、田中裕子、藤山直美らが蝶子(またはそれに相当する役)を演じていますが、淡島千景を超えるものはなかったとの世評のようです。2013年の織田作之助生誕100年を機に、新たに発見された続編を含む新解釈でNHKが初めてテレビドラマ化しています(全4回)。柳吉と蝶子は森山未來と尾野真千子が演じましたが、残念ながら未見です。どろっとした役を演じても透明感のあるのが淡島千景でしたが、尾野真千子はどこまでそれに迫れたのでしょうか。

NHK土曜ドラマ「夫婦善哉」(2013年)森山未來/尾野真千子
 
映画 夫婦善哉es.jpg映画 夫婦善哉ド.jpg「夫婦善哉」●制作年:1955年●監督:豊田四郎●製作:佐藤一郎●脚本:八住利雄●撮影:三浦光雄●音楽:團伊玖磨●原作:織田作之助●時間:121分●出演:森繁久彌/淡島千景/司葉子/浪花千栄子/小堀誠/田村楽太/三好栄子/森川佳子/山山茶花究 夫婦善哉.jpg茶花究/万代峰子●公開:1955/09●配給:東浪花千栄子 夫婦善哉.jpg宝●最初に観たふたりぼっちの物語.jpg場所:神保町シアター(14-01-18)(評価★★★★)
 
山茶花究/浪花千栄子

 
夫婦善哉 正続 他十二篇_.jpg織田作之助 (ちくま日本文学全集).jpg【1950年文庫化・2000年改版[新潮文庫(『夫婦善哉』)]/1993年再文庫化[ちくま文庫(『織田作之助 (ちくま日本文学全集)』)]/1999年再文庫化[講談社文芸文庫(『夫婦善哉』)]/2013年再文庫化[岩波文庫(『夫婦善哉 正続 他十二篇』)]/2013年再文庫化[実業之日本社文庫(『夫婦善哉・怖るべき女 - 無頼派作家の夜』)]】

夫婦善哉 正続 他十二篇 (岩波文庫)』['13年]/『織田作之助 (ちくま日本文学全集)』['93年](※「続 夫婦善哉」は所収しておらず)カバー絵:安野光雅   
    
夫婦善哉 (講談社文芸文庫) 文庫.jpg夫婦善哉 (講談社文芸文庫)』['99年]
「夫婦善哉」のほか、「放浪」「勧善懲悪」「六白金星」「アド・バルーン」、評論「可能性の文学」所収(※「続 夫婦善哉」は所収しておらず)

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さすが「直木賞」創設者。現代大衆小説の祖と言えるかも。通俗だがとにかく面白い。

『真珠夫人』.jpg  真珠夫人 上巻 新潮文庫.jpg 真珠夫人 下巻 新潮文庫.jpg   菊池寛.jpg
真珠夫人 上巻 新潮文庫 き 1-3』『真珠夫人 下巻 新潮文庫 き 1-4』 菊地 寛
真珠夫人 (文春文庫)
菊地 寛 『真珠夫人』文春文庫.jpg『真珠夫人』  .jpg 渥美信一郎は療養中の妻の見舞いに訪れた湯河原で自動車事故に巻き込まれる。事故にあった青年・青木淳は腕時計を「瑠璃子に返してくれ」と言い残しノートを託して絶命する。青木の葬儀で見聞きした情報を基に、信一郎は妖艶な未亡人・壮田瑠璃子を訪ねる。瑠璃子は腕時計を見て動揺した様子を見せるが、それをごまかし腕時計を預かり、信一郎を音楽会に誘う。青木のノートには愛の印として貰った腕時計が他の男にも送られているのを知って自殺を決意したことが書かれていた―。数年前、貿易商・壮田勝平は自宅で催した園遊会で、子爵の息子・杉野直也と男爵の娘・唐沢瑠璃子から成金ぶりを侮辱され激怒、奸計を巡らす。貴族院議員・唐沢光徳の債権を全て買い取りさらに弱みを握り、瑠璃子に結婚を迫る。自殺を図った父に瑠璃子は「ユージットになろうと思う」と押しとどめ、直也には復讐のため結婚しても貞操を守ると手紙する。壮田と結婚した瑠璃子は、父の見舞いを理由に実家に帰ったり、壮田に「お父様になって」と言ったりして体を許さない。知的障害のある壮田の息子・勝彦も手懐け、寝室の見張りをさせる。壮田は瑠璃子を葉山の別荘に連れ出し、嵐の夜に関係を結ぼうとするが、瑠璃子を追ってきた勝彦が窓から飛び込んで荘田の襲いかかるのを見て驚き卒倒、壮田は我が子の将来を瑠璃子に託し亡くなる、豪奢な生活はその瑠璃子を、男の気持ちを弄ぶ妖婦へと変貌させていた―。

 作者の菊池寛(1888- 1948/享年59)の実家は江戸時代、高松藩の儒学者の家柄だったそうで、菊池寛は高松中学校(現在の高松高校)を首席で卒業した後、東京高等師範学校(後の東京教育大学→筑波大学)に進んだものの、授業をサボっていたため除籍処分となり、その後、明治大学、早稲田大学、第一高等学校(東大)に学ぶも中退、ようやく1916年、28歳で京都大学を卒業、時事新報記者を経て、小説家になっています。

菊池寛2.jpg 1916年に戯曲『屋上の狂人』『暴徒の子』、翌年『父帰る』、1918年には『無名作家の日記』『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』などを続々発表して作家としての地位を確立し、1919年、芥川龍之介とともに大阪毎日新聞杜の客員となり、『藤十郎の恋』、『友と友の間』などを書いています。

 菊池寛という人は、作家としてだけでなく、編集者(乃至はプロデューサー)としてもとにかくスゴく、「文芸春秋」の創刊者(1923(大正12)年)として知られていますが、その他に「映画時代」「創作月刊」「婦人サロン」「モダン日本」「オール読物」「文芸通信」「文学界」など多くの雑誌を創刊あるいは継承再刊しており、1935(昭和10)年には、自殺した一高の同期時代からの盟友・芥川龍之介と、目をかけ親しくしていた人気の大衆作家で病死した直木三十五の名をそれぞれ冠した「芥川賞」「直木賞」を設立しています。、また、(これは、後に「永田ラッパ」で知られるようになる永田雅一に担ぎ出されたのだが)映画の企画や経営も引き受けて、1943(昭和18)年からは映画会社・大映の社長にもなっています(作家の井上ひさしに『菊池寛の仕事―文芸春秋、大映、競馬、麻雀...時代を編んだ面白がり屋の素顔』('99年/ネスコ)という著作がある)。

東京日日新聞 真珠夫人.jpg その菊池寛が1920(大正9年)年の6月9日から12月22日まで大阪毎日新聞、東京日日新聞に連載したのがこの小説『真珠夫人』で、菊池寛(当時31歳)にとって初の本格的な通俗小説であり、その人気は新聞の読者層を変え、後の婦人雑誌ブームに影響を与えたとも言われています。通俗小説の代表格として、紅葉の『金色夜叉』や徳富蘆花の『不如帰』を継ぐとも言われたそうですが、それらよりはずっとモダンであると思います(作中に『金色夜叉』を巡る通俗小説論争がある)。

 黒岩涙香(1862-1920)がアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯」を翻案した『巌窟王』を発表したのが1902年頃ですが、ある種、そうした西洋の復讐譚に近いとも言えます。また、ファム・ファタールを描いたものとして、プロスペル・メリメの『カルメン』などを想起させるものでもあります。主人公・瑠璃子の復讐の発端は経済的な格差であったあってわけですが、それが、女性を欲望の対象物としてしか見ない男性に対する復讐へと転化していて、個人的には、リベンジファクターが変質しているように思いました。しかも、私怨からと言うより、虐げられている女性全員の代弁者のようになっているのが興味深く、また、それが読者の共感を得るうえでも効果を醸していると思いました。

 また、この瑠璃子という主人公が、最初の方の青木淳の葬儀の場面からして、唸り声をあげたイタリー製の自動車で会場に乗り付けたかと思うと、白孔雀のように美しく立ち振る舞うというカッコ良さで(しかも、青木淳は瑠璃子への失恋のために死んでいるのだ!)、この辺りも読者を引き込みます。まあ、常に多くの若い男を身近にはべらせていることからも、ファム・ファタール・瑠璃子にその運命を狂わされた男は沢山いると窺えますが、ストーリー上のメインは青木淳の弟も含めた青木兄弟で、結局二人とも自殺またはそれに近い死に方をしてしまいます(先に書いたように、その間に瑠璃子の夫・壮田勝平も不慮の死を遂げるのだが、これも瑠璃子にも責任の一端があるとも言える)。でも、瑠璃子は、青木兄が遺したノートを対しても感慨を示さず、弟の死にも、自分が邪険にしたことに悪意はなかったと言ってのけます。

 結局、女性に対して非常に純粋なタイプと思われる青木兄弟にしても(二人とも自分こそが瑠璃子の"本命"たり得ると思ってしまったわけだ)、瑠璃子にとっては数多くの自分の取り巻きの男たちと変わらない位置づけだったということでしょう(自分こそ瑠璃子の"本命"と勝手に思い込んでしまうところがダメなのかも)。これだけだと、瑠璃子って「その気にさせるだけさせといて」ホントに嫌な女性だなと思ってしまいますが、実は、彼女には一時ともそのことを忘れ得ず想い続けた人がいて...と、これもアレクサンドル・デュマの『椿姫』などを想起させるものの、上手いなあと思いました。

 個人的には、ドラマ化されたものを観たことはありますが、原作は今回が初読で、昔、同じ作者の『父帰る』や『恩讐の彼方に』を旺文社文庫で読みましたが、作風が全然違うなあと思いました。「芥川賞」と併せて「直木賞」を設け、大衆小説に一定のポジションを与えた菊池寛その人の、まさに、現代大衆小説の祖となった作品と言えるかもしれません。通俗と言えば通俗かもしれませんが、とにかく面白いです。

ドラマ「真珠夫人」(2002年・横山めぐみ主演)/映画「真珠夫人」(1950年・山本嘉次郎監督・高峰三枝子主演)
真珠夫人 v.jpgsinjyuhujin.jpg 2002年7月に単行本が刊行され、翌8月に新潮文庫と文春文庫で文庫化されていますが、同2002年4月1日から6月28日の毎月曜から金曜までフジテレビ系列で放送された東海テレビ製作の昼ドラ「真珠夫人」全65回の放映が終わって、その人気を受けてそれぞれ急遽刊行されたのではないでしょうか。それ以前にも、1927年に松竹キネマの池田善信監督・栗島すみ子主演で、1950年には大映が山本嘉次郎監督・高峰三枝子・池部良主演で映画化され、1974年にはTBSがこれも昼ドラの「花王・愛の劇場」で光本幸子(「男はつらいよ」の初代マドンナ)主演の全40回が放映されていますが、2002年の放送はとりわけ人気が高かったようです。放送時間が昼1時30分から2時までで、DVDレコーダーなど無い時代で、会社務めの人の中にはビデオテープを買い溜めて録画した人も多かったとか。

ドラマ 真珠夫人 2.jpg その2002年のフジテレビ版は、主演が横山めぐみ、脚本が中島丈博(「祭りの準備」)で、時代を昭和20年代・30年代に変え、瑠璃子が娼館の経営者になっているほか、原作で最初と最後にしか出てこない瑠璃子の想い人である杉野直也がドラマでは出ずっぱりで、病気療養中で原作に出てこない直也の妻(登美子)が、直也と瑠璃子の関係を知って嫉妬に苦しむうちに精神を病んでいく女性...といった具合に、時代背景だけでなく人物相関もかなり改変されていますが、敢えてすべてを毒々しく描くことに徹していたような感じです。

真珠夫人 たわしコロッケ.jpg 直也が瑠璃子と会っているのを知った登美子のいる自宅へ直也が帰宅すると、登美子が夫に「おかず何もありません、冷めたコロッケで我慢してください」と言い、たわしと刻んだキャ真珠夫人 6.jpgベツを皿に載せて出すという「たわしコロッケ」シーンが当時話題になりましたが、とにかくエグさが前面にきていたでしょうか。一方の瑠璃子は、義理の娘や息子を守りながら、内には直也への愛を秘め、健気に純潔を守り通すというのは原作どおりですが、原作のように男たちの前でフェミニズム論を展開することはなく、視聴者受けを狙ったのかキャラの先鋭的な部分を改変したような印象も受けます。

ドラマ 真珠夫人.jpg 原作とドラマでどちらにカタルシスを覚えるかは人の好みですが、個人的には原作の方が上のように思います(人物相関だけでなく質的に改変されているので、比較すること自体どうかというのもあるが)。ドラマを観た人には原作も読んで欲しいように思います。

横山めぐみ1.jpg横山 めぐみ.jpg「真珠夫人」●演出:西本淳一/藤木靖之/大垣一穂●脚本:中島丈博●音楽:寺嶋民哉●出演:横山めぐみ/葛山信吾/大和田伸也/森下涼子/松尾敏伸/奈美悦子/日高真弓/浜田晃/増田未亜/河原 さぶ●放映:2002/04~06(全65回)●放送局:フジテレビ

横山めぐみ

【2002年8月1日文庫化[新潮文庫(上・下)]/2002年8月2日再文庫化[文春文庫]/2007年再文庫化[徳間文庫(上・下)]】

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教養主義へについての議論はあるが、今日に通じる話として読める普遍性がある。

君たちはどう生きるか Mh_.jpg 君たちはどう生きるか  岩波文庫.jpg 君たちはどう生きるか  ワイド.jpg 君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作).jpg 君たちはどう生きるか  マンガ.jpg
君たちはどう生きるか』『文庫 君たちはどう生きるか (岩波文庫)』『君たちはどう生きるか (ワイド版 岩波文庫)』『君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作)』『漫画 君たちはどう生きるか
君たちはどう生きるか_01.jpg 旧制中学二年の主人公のコペル君こと本田潤一は、学業優秀でスポーツも卒なくこなし、いたずらが過ぎるために級長にこそなれないがある程度の人望はある。父親は亡くなるまで銀行の重役で、家には女中が1人いる。コペル君は友人たちと学校生活を送るなかで、さまざまな出来事を経験し、大きな苦悩に直面したりしながらも、叔父さんをはじめ周囲の導きのもと成長していく―。

吉野源三郎.jpgNHK「おはよう日本 けさのクローズアップ~『君たちはどう生きるか』 いま"大人たち"が読む理由」(2017年11月26日(日))
君たちはどう生きるか 岩波文庫.jpg 作者の吉野源三郎(1899-1981)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリストなどの肩書があった人で、岩波新書の創刊(1938年)に携わり、雑誌「世界」の初代編集長なども務めた人物です。本書は1937年8月に山本有三編「日本少国民文庫」の第5巻として刊行された本で、80年の年月を経て2017年下半期にいきなりブームになりました。『日本少国民文庫』の最終刊として編纂者・山本有三が自ら執筆する予定だったのが、病身のため代わって作者が筆をとることになったとされていますが、『路傍の石』で知られる山本有三の教養主義小説(ビルディングスロマン)の系譜を引いている印象があり、苦難を乗り越えて立派な人間になるという主人公の意思の表出は、下村湖人などの作品にも通じるように感じました。

君たちはどう生きるか クロ現代01.jpgNHK「クローズアップ現代~2018 新たな時代へ "君たちはどう生きるか"」(2018年1月9日(火))

君たちはどう生きるか クロ現代20.jpg NHKの「おはよう日本」や「クローズアップ現代」などでも取り上げられて、読む前から話題沸騰といった感じでした。ただ、個人的には、作中で主人公の友人で進歩主義の姉が英雄的精神を強調する場面があるとか、特攻隊員だった若者が出陣前に本書を愛読していたとか聞いていてちょっと敬遠していた面もありましたが、今回のブームを機に実際に読んでみると、各章の後に、その日の話をコペル君から聞いた叔父さんがコペル君に書いたノートという体裁で、ものの見方や社会の構造・関係性といったテーマが語られる構成になっていて、件(くだん)の主人公の友人の姉が登場する章では、叔父さんは「人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ」という、バランスのとれたコメントをしていました。

 むしろ、その前の、「世間には、悪い人ばかりではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が少なくない」というコメントに象徴される、やや"上から目線"的な点が気になるでしょうか。作者は、本書はもともと文学作品として構想されたものではなく、倫理についての本として書かれた(岩波文庫版あとがき)としていますが、『グロテスクな教養』('05年/ちくま新書)などの著者のある高田里惠子氏によれば、本書は、教養主義の絶頂期にあった旧制中学校の生徒に向けて書かれた教養論でもあるとのこと。官立旧制中学の代表格であった東京高師附属中学校(現・筑波大附属中・高)出身の著者により描かれた主人公たちの恵まれた家庭環境や高い「社会階級」に注目し、本書が「君たち」と呼びかける、主体的な生き方のできる(つまり教養ある)人間が、当時は数の限られた特権的な男子であったことを指摘しています。

0『君たちはどう生きるか』.jpg そう言えば、NHK-Eテレの「100分de名著」で、この本をテキストとしてジャーナリストの池上彰氏が学校で出張講義を行っていますが、行った先が武蔵中学・高校ということで、やはり完全中高一貫の超進学校だからなあ(当然、男子校)。そういうのが鼻につく人もいるだろうし、この本を矢鱈推奨している"文化人"っぽい人が鼻につくという人もいるかも。自分も当初はその一人でしたが、読んでみて、思ったほどに抵抗を感じなかったのは、最近こそ格差社会とか言われながらも、戦前と比べれば国民の生活水準もそこそこのレベルで平準化し、大学進学率もぐっと上がったためで、当時のそうした背景を気にしなければ、学校内でのいじめの問題など、今日に通じる話として読める普遍性を持っているせいかもしれません。

斎藤美奈子.jpg そう言えば、ブームになるずっと前に、あの辛口評論の齋藤美奈子氏が、本書を若い人への「贈り物に」と薦めていました(齋藤美奈子氏も岩波文化人の系譜?)。個人的には、確かに若い人に読んで欲しいけれど、「読め」と押しつける本ではないのだろうなあと思います(「贈り物」というのはいいかも。「読んだか」と訊かなければ)。

齋藤美奈子氏

 漫画版も読みましたが、よく出来ていたのではないでしょうか。叔父さんがコペル君に書いたノートがかなりのページ数に渡って引用されていて、本を読んだ気になる? 一方で、コペル君が遊びで早慶戦の実況中継をする箇所などは(当時はプロ野球より大学野球の方がメジャーだった)、今の時代に合わないと思ったのかばっさりカットされています(プロ野球に置き換えるよりはいい)。コペル君が、自らの勇気の無さから、意に反して友人を裏切ってしまった後、どうすればいいか悩む場面で、叔父さんにその答えを示唆される原作よりも、漫画ではどちらかと言うと自ら答えを導き出すニュアンスになっていて、この辺りは原作の欠点と言えばそうとも取れる"説教臭さ"を回避したのでしょうか。このことで、原作を改変していると不満を感じる人もいれば、原作より漫画の方を評価する人もいたりするようです。

 コペル君という綽名のきっかけとなった出来事の話などは良かったです。叔父さんに教えられなくとも、子どもの頃、そうした哲学的、認識論的体験をした人は結構いるのではないでしょうか。その他にも多くの哲学的・倫理学的示唆が叔父さんによってノートを通してなされています。児童文学の名著と言われるものの中には「読み方指導ガイド」みたいのが作られているものもありますが、本書に関して言えば、叔父さんのノートで充分ではないかな。そもそもこの物語自体が「こう読め」というものではなく、極力、自分で読んで、自分で感じたり考えたりするものだろうと思います(と言いつつ、池上彰氏の本を買ってしまったが)。

【1966年新書化[高校生新書(三一書房)]/1982年文庫化[岩波文庫]/1980年再文庫化[ワイド版岩波文庫]/2011年再文庫化[ポプラポケット文庫 日本の名作]】

《読書MEMO》
・人生の意味を知るには、心をうごかされたことの意味を正直に考えること
・見ず知らずの他人にも、生産関係で切っても切れない縁がある
・本当に人間らしい人間関係とは、お互いに好意をつくし、それを喜びとすること
・学問とは、人類の経験をひとまとめにしたもの
・学問を修め、人類がまだ解決できていない問題のために尽力すべき
・「生産する人」と「消費する人」という区別を見落としてはいけない
・過ちを苦しいと感じるのは、正しい道に従って歩こうとしているから

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面白かった。鏡子にとって漱石との結婚生活はまさに「闘い」だったのだなあと。

漱石の思い出 (岩波書店).jpg漱石の思い出 (文春文庫).jpg 夏目漱石の妻01.jpg
漱石の思い出 (文春文庫)』 NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」尾野真千子/長谷川博己)
夏目漱石の妻ges.jpg漱石の思ひ出――附 漱石年譜』['16年/岩波書店]

夏目漱石の 長谷川s.jpg NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」(出演:尾野真千子、長谷川博己)を偶々見て、結構面白く感じられ(尾野真千子はやはり演技が上手く、長谷川博己も舞台で蜷川幸雄に鍛えられただけのことはあった)、それに触発されてこの原作本を手にしました。

夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思ひ出』改造社(初版・昭3年)
漱石の思ひ出 初版 夏目鏡子述 松岡譲筆録 改造社 昭31.jpg
夏目漱石の妻  s.jpg 原作は、夏目漱石(1867-1916/享年49)の妻・夏目鏡子(1877-1963/享年85)が1928(昭和3)年に漱石との結婚生活を口述し、それを漱石の弟子で長女・筆子の夫の松岡譲(1891-1969/享年77)が筆録して雑誌「改造」に連載したもので、1928年11月に『漱石の思ひ出』として改造社から刊行され、その時は60点余りの写真入りであったのが、翌1929(昭和4)年10月に同じカバーデザインで写真を割愛し、代わりに付漱石の思ひ出 単行本 - 200310_.jpg録として年譜を入れた廉価版(普及版)として岩波書店より刊行されました。手元にあるのはその普及版で、'93年刊行の第13刷です(実質的に復刻版だが、オリジナルに手を加えていないため"第13刷"となっている)。'54年に角川文庫で前後編2巻に分けて文庫化され、'66年に1巻に統合、'87年に改版されています。岩波書店版は旧仮名づかいで漢字にはルビがふってあるのに対し、角川文庫版は新仮名づかいになっていますが、どちらで読んでも構わないかと思います(岩波書店版は'03年に第14刷改版を刊行、また今回のドラマ化に合わせて(?)今年['16年]9月に改版されて、こちらは復刻版となっている)。

漱石の思ひ出』['03年/岩波書店(第14刷改版)]

 ドラマを観て、或いは本書を読んで新たに受けた印象としては、これまでの思い込みで「修善寺の大患」以降、漱石の神経衰弱が極度に進行したかのように思っていたのですが、それ以前の英国留学から戻って来た頃(鏡子と結婚して間もない頃)からそうした症状はかなり出ていて、鏡子にとって漱石との結婚生活はまさに「闘い」であったのだなあと改めて思いました。

 『吾輩は猫である』などの作風から"余裕派"などと言われたりしていますが、そこに至るまでに病的なまでの落ち込みや激昂といった精神的な波があり、そうした状況の中で書かれた『吾輩は猫である』は、漱石にとって(また夫婦にとって)ある種ブレークスルーであったという印象を受けました。

漱石と妻_1.jpg それまでの漱石は「DV夫」であり、その暴力は子どもにまでも及び、それはドラマでも描かれていましたが(例えば火鉢の淵に五厘銭があっただけで、ロンドンでの経験と勝手に結びつけて自分が馬鹿にされていると思い込み、娘である筆子を殴ったりした)、「吾輩は猫である」を書き始めてからも、向いの下宿屋の書生に、「おい、探偵君。今日は何時に学校にいくのかね」と呼びかけたりして、書生が自分の事をスパイしていると思い込んだりしているなど(これもドラマで描かれていた)、"病気"が治っていたわけではないのだなあと。英国留学から戻って来て以降は、ずっとそうした"病気"と共存して生きる人生であったのだなあと思いました。

 夫婦の間の出来事としては辛い話ばかりではなく、家に泥棒に入られて衣類など盗まれたけれども、泥棒が捕まってそれらが戻ってきたら、どれも洗濯して綺麗になっていて、コートなどは裾直しがしてあって却って有難かったといった可笑しなエピソードなども多くあり、これもドラマで再現されていましたが、そうしたほのぼのとした話もありながら、ドラマの方は漱石の病的な性癖に纏わる端的な話の方を中心に選んで再現しているため、漱石は確かに「DV夫」ではあったものの、それ以外の何者でもなかったような描かれ方にも若干なっていたようにも思います。

 本書は漱石が亡くなるまで、或いは亡くなった際の後の段取り等も含め語られていますが、ドラマの方は「修善寺の大患」(1910年8月)の後、翌年小康を得て6月に鏡子同伴で長野・善光寺に講演旅行に行ったところで終わっていました。本文385ページの内、修善寺の大患が200ページあたり、善光寺行が250ページあたりであるため、生涯の中で精神状態が比較的安定していた幾つかの時期の1つで話を終わらせたのでしょうか。その翌年には酷いノイローゼが再発し、胃潰瘍も再発しますが、一方で「こころ」「道草」「明暗」といった作品が書かれたのもこの時期以降です。

夏目漱石の妻 尾上e02.jpg 鏡子については悪妻説が根強くあるようですが、これを読むと、確かに言われているように鏡子が産後のヒステリーで精神不安定になった時期もあるようですが、やっぱりどうしょうも無く勝手なのは漱石の方で、それを大きく包み込んでいるのが鏡子であるというのが全体としての印象です。ドラマのラストで(おそらく善光寺への講演旅行に鏡子が同伴した際の一コマかと思われるが)、鏡子が漱石に「坊ちゃん」の中に出てくる"坊っちゃん"を小さい頃から可愛がってくれた下女・清(キヨ)のモデルは私でしょうと問う場面が夏目漱石の妻 last.jpgありますが、これはドラマのオリジナルです。漱石の孫にあたる夏目房之介氏が、鏡子の本名がキヨであることに注目し夏目房之介 .jpgて、「坊っちゃん」という作品が漱石から鏡子に宛てたラブレターだったのではないか、と指摘しており、それをドラマに反映させたのではないかと思われます。

夏目房之介氏

 ドラマも面白かったけれども、本も面白く(漱石の小説より面白かったりする)、漱石研究の資料としてもこれを超えるものはないとも言われているようです(刊行時はあまり注目されなかったらしいが)。個人的には特別に漱石ファンということでもないのですが、漱石ファンでなくとも面白く読めると思います。漱石没後100年の節目ということもありますが、この作品に注目しドラマ化をプロデュースした人の見識を評価したいと思います。

夏目漱石の妻 s.jpg夏目漱石の妻ド.jpg「夏目漱石の妻」●演出:柴田岳志/榎戸崇泰●制作統括:吉永証/中村高志●脚本:池端俊策●音楽:清水靖晃●原案:夏目鏡子/松岡譲「漱石の思い出」●出演:尾野真千子/長谷川博己/黒島結菜/満島真之介/竹中直人/舘ひろし●放映:2016/09~10(全4回)●放送局:NHK

麒麟がくる6.jpg「麒麟がくる」op.jpg長谷川博己 シン・ゴジラ.jpg
長谷川博己 in 「シン・ゴジラ」(2016年7月公開)主演・矢口蘭堂 役


脚本:池端俊策/主演:長谷川博己「麒麟がくる」(2020~2021)

【1954年文庫化[角川文庫(『漱石の思ひ出〈前篇・後篇〉』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『漱石の思い出(全1巻)』)]/1994年再文庫化[文春文庫(『漱石の思い出』)]】

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シュールな余韻を残す「正太樹をめぐる」。清水宏が映像化した「風の中の子供」。

風の中の子供 坪田.jpg 風の中の子供kazenonaka.jpg 坪田 譲治.jpg 坪田譲治 風の中の子供 vhs.jpg 風の中の子供 dvd.jpg
風の中の子供 (坪田譲治名作選)』/『風の中の子供 他四編』(旺文社文庫)/「風の中の子供 [VHS]」/「風の中の子供 [DVD]

 坪田譲治(1890-1982/享年92)の代表作で1936(昭和11)年9月から11月にかけて朝日新聞夕刊に連載された「風の中の子供」のほか、「正太樹をめぐる」「コマ」「一匹の鮒」「お化けの世界」等の作品と鈴木三重吉についての随筆や「私の童話観」その他評論などを収録し、更に、小川未明、壺井栄、椋鳩十から五木寛之、松谷みよ子などまで、多くの作家の坪田譲治に寄せて書いた文章を掲載しています。

 冒頭の「正太樹をめぐる」は、雑誌「新小説」(春陽堂)の1926(昭和元)年8月1日号に掲載された作品です。あの「風の中の子供」の"善太と三平"と並ぶ坪田作品のもう一人の主役"正太"という子が主人公で、坪田作品らしく、子供である"正太"の視点でその心象が描かれています。学校の教室で授業中に、火事で自分の家が焼けていると思いこみ、母が呼びに来てくれないと怒るが、帰ってみたら家があったので安心し、安心すると母に甘えずにはいられない"正太"―実はこの"正太"という子は「死んでいる」のです。ラストで物語は、息子が今も生きているかのように、"正太"に想いを馳せる母親の視点になりますが、では、それまで"正太"の視点で語られてきた物語はどう捉えるべきか。「それから一月とたたないある日の午後...」という箇所から母親の視線になっており、その間に"正太"に何らかの出来事があって彼は亡くなっていて、その前の物語は"正太"が生きていた時の話であるともとれるし、同時に、「今」母親の脳裏でリアルタイムに展開している物語であるともとれ、非常にシュールな余韻を残します。

 シュールな余韻を残すもう1つのポイントとして、"正太"の授業中の夢想の中に金輪(かねわ)を回す"善太"が登場することで、これはもう、死んでいく少年が死の間際に、金輪を回す少年の姿を見るという、この作品の5年前の1921(大正10)年に発表された小川未明(1882‐1961)の「金の輪」を想起せずにはおれず、金輪を回す少年を見た(夢想した)側の少年の方が幼くして亡くなるという点で一致し、「金の輪」へのオマージュが込められているように思いました。

筒井康隆.jpg風の中の子供 TITLE.jpg 表題作の「風の中の子供」は、あの筒井康隆氏も幼い頃に読んで涙したという傑作ですが、清水宏監督によって1937(昭和12)年に映画化されています。

 善太(葉山正雄)と三平(爆弾小僧)は賢兄愚弟の典型のような兄弟。母親(吉川満子)は、成績優秀でオール甲の兄・善太と対照的に、乙と丙ばかりで甲がひとつもない弟・三平が心配でしょう風の中の子供 映画1.jpgがないが、父(河村黎吉)は結構なことだと思って気にしない。そんな時、父が私文書偽造の容疑で逮捕され、三平は叔父(坂本武)に引き取られることになる―。

風の中の子供 映画2.jpg 父親が私文書偽造の容疑で捕えられたのは、実は会社の政敵の策謀によるもので、坪田譲治自身、家業の島田製作所を兄が継いだものの、以後会社の内紛が続いて兄が自殺したため同社の取締役に就任するも、造反により取締役を突然解任される('33年)といったことを経験しています。そうした経験は「風の中の子供」以外の作品にも反映され風の中の子供 映画3.jpgていますが、こうしたどろどろした大人の世界を童話に持ち込むことについて、本書の中にある「私の童話観」の、「世の童話作家はみな子供を甘やかしているのである。読んでごらんなさい。どれもこれも砂風の中の子供 映画4.jpg糖の味ばかりするのである」「このような童話ばかり読んで、現実を、現実の中の真実を知らずに育つ子供があるとしたらどうであろうか」「色はもっとジミでもいい。光はもっとにぶくていい。美しさは足りなくても、人生の真実を描いてほしいと思うのである」という考えと符合するかと思います。

 清水宏監督は、比較的忠実に原作を再現していますが(曲馬団の少年の話だけは、善太と三平シリーズの別の話から持ってきたのではないか)、話が暗くならないのは、善太と三平を活き活きと描いているためで、兄弟が畳の上でオリンピックの水泳とその中継の真似事をする場面などはしっかり再現していました(1936年のベルリン大会200m平泳ぎで、前畑秀子が風の中の子供 映画02.jpg日本人女性初の五輪金メダルを獲っていた)。叔父の家に預けられた三平は、腕白が過ぎて叔父の手に負えず戻されてしまうのですが、その原因となった出来事の1つに、川で盥を舟の代わりにして遊んでいて、そのままどんどん川下り状態になって流されていってしまった事件があり、「畳水泳」どころか、この「川流れ」も、実地で再現していたのにはやや驚きました。ロケ主義、リアリズム重視の清水宏監督の本領発揮というか、今だったら撮れないだろうなあ。そうしたことも含め、オリジナルのストーリーを大事にし、自然の中で伸び伸びと遊び育つ子供を映像的に上手く撮ることで、原作の持ち味は生かしていたように思います。

風の中の子供s.jpg 笠智衆がチョイ役(巡査役)で出演していますが、老け役でなかったため、逆に最初は気がつきませんでした。

「風の中の子」●制作年:1937年●監督:清水宏●脚本:斎藤良輔●撮影:斎藤正夫●音楽:伊藤宣二●原作:坪田譲二「風の中の子供」●時間:68分●出演:河村黎吉/吉川満子/葉山正雄/爆弾小僧/坂本武/岡村文子/末松孝行/長船タヅコ/突貫小僧/若林広雄/ 谷麗光/隼珍吉/石山隆嗣/アメリカ小僧/仲英之助/笠智衆/長尾寛●公開:1937/11●配給:松竹大船(評価★★★☆)

風の中の子供 角川.jpg風の中の子供 坪田譲治 ジュニア版日本の文学.jpg「風の中の子供」...【1938年単行本[竹村書房]/1949年文庫化[新潮文庫/1956年再文庫化[角川文庫]/1971年再文庫化[潮文庫]/1975年再文庫化[旺文社文庫(『風の中の子供 他四編』)]/1983年再文庫化[ポプラ文庫]】

角川文庫/ポプラ社文庫
 
《読書MEMO》
●「風の中の子供」...1936(昭和11)年9月~11月「東京朝日新聞(夕刊)」連載
●「正太樹をめぐる」...1926(昭和元)年雑誌「新小説」(春陽堂)8月1日号掲載

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恐るべき内容ながらも、抑制の効いた知的で簡潔・骨太の文体。男性的な印象を受けた。

海神丸 野上.jpg海神丸3.JPG海神丸 野上弥生子.jpg  「人間」1962.jpg
岩波文庫旧版/『海神丸―付・「海神丸」後日物語 (岩波文庫)』新藤兼人監督「人間 [DVD]」(原作『海神丸』)
野上弥生子(1885-1985/享年99)
野上彌生子集 河出書房 市民文庫 昭和28年初版 野上弥生子.jpg野上弥生子.jpg 1916(大正5)年12月25日早朝、「船長」ら男4人を乗せ、大分県の下の江港から宮崎県の日向寄りの海に散在している島々に向け出航した小帆船〈海神丸〉は、折からの強風に晒され遭難、漂流すること数十日に及ぶに至る。飢えた2人の船頭「八蔵」と「五郎助」は、船長の目を盗んで船長の17​歳の甥「三吉」を殺し、その肉を喰おうと企てる―。

野上彌生子集 河出書房 市民文庫 昭和28年初版(「海神丸」「名月」「狐」所収)

『海神丸』.JPG 1922(大正11)年に野上弥生子(1885-1985/享年99)が発表した自身初の長編小説で、作者の地元で実際にあった海難事故に取材しており、本当の船の名は「高吉丸」、但し、57日に及ぶ漂流の末、ミッドウエー付近で日本の貨物船に救助されたというのは事実であり、その他この小説に書かれていることの殆どは事実に即しているとのことです。

 救出された乗組員は3人で、あとの1人は漂流中に"病死"したため水葬に附したというのが乗組員の当時の証言ですが、何故作者が、そこに隠蔽された忌まわしい出来事について知ることが出来たかというと、物語における船長のモデルとなった船頭が、たまたま作者の生家に度々訪ねてくるような間柄で、実家の弟が彼の口から聞いた話を基に、この物語が出来上がったとのことです。

 岩波文庫の「海神丸」に「『海神丸』後日物語」という話が附されていて、作品発表から半世紀の後、海神丸を救助した貨物船の元船員と偶然にも巡り合った経緯が書かれている共に、救出の際の事実がより明確に特定され、更には、船長らの後日譚も書いていますが(作者と船長はこの時点では知己となっている)、この作品を書く前の事件の真相の情報経路は明かしていません(本編を読んでいる間中に疑問に思ったことがもう1つ。この小説が発表されたのは、救出劇から5年ぐらいしか経っていない時であり、殺人事件として世間や警察の間で問題にならなかったのだろうか)。

 大岡昇平の『野火』より四半世紀も前に"人肉食"をテーマとして扱い、恐るべき内容でありながらも(この物語が「少年少女日本文学館」(講談社)に収められているというのもスゴイが)、終始抑制の効いた、知的で、簡潔且つ骨太の文体。作者は造り酒屋の蔵元のお嬢さん育ちだったはずですが、まるで吉村昭の漂流小説を読んでいるような男性的な印象を受けました。

 「大切なのは、美しいのは、貴重なのは知性のみである」とは、作者が、この作品の発表の翌年から、亡くなる半月前まで60年以上に渡って書き続けた日記の中にある言葉であり、作者の冷徹な知性は、「『海神丸』後日物語」において、"人肉食"が実際に行われた可能性を必ずしも否定していません。
 
海神丸 野上弥生子 新藤兼人「人間」.jpg 尚、この作品を原作として、新藤兼人監督が「人間」('62年/ATG)という作品を撮っています(新藤監督初のATG作品である)。

「海神丸」の映画化 「人間」.jpg
人間 [DVD]
乙羽信子/山本圭/殿山泰司/佐藤慶
  
「人間」山本圭(三吉)/殿山泰司(船長・亀五郎)/佐藤慶(八蔵)/乙羽信子(五郎助)
「人間」 殿山泰司山本圭.jpg「人間」 乙羽信子/佐藤慶.jpg 主要な登場人物は遭難した4人ですが、殿山泰司(船長・亀五郎)、乙羽信子(五郎助)、佐藤慶(八蔵)、山本圭(三吉)、という配役で、「三吉」を殺し、その肉を喰おうと企てる「五郎助」が女性に置き換えられ、それを乙羽信子が演じ人間 (映画) 2.jpgています(乙羽信子の役は海女という設定)。それ以外は基本的に原作に忠実ですが、最後に原作にはない結末があり、五郎助と八蔵が精神的に崩壊をきたしたような終わり方でした(罪と罰、因果応報という感じか)。名わき役・殿ninngen  1962.jpg山泰司の数少ない主演作であり、殿山泰司と乙羽信子の演技が光っているように思いました(殿山泰司は好演、乙羽信子は怪演!)。この時のロケ撮影の様子は、名エッセイストでもある殿山泰司が『三文役者あなあきい伝〈part 2〉』('80年/講談社文庫)で触れていてますが、これがなかなか興味深いです(その後、『殿山泰司ベスト・エッセイ』('18年/ちくま文庫)にも収められた(p146))
   
人間 (映画) 1962.jpg「人間」●制作年:1962年●監督・脚本・美術:新藤兼人●製作:絲屋寿雄/能登節雄/湊保/松浦栄策●撮影:黒田清巳●音楽:林光0人間 佐藤慶.png人間 (映画)1.jpg●原作:野上弥生子「海神丸」●時間:100分●出演:乙羽信子/殿山泰司佐藤慶/山本圭/渡辺美佐子/佐々木すみ江/観世栄夫/浜村純/加地健太郎/村山知義●公開:1962/11●配給:ATG(評価:★★★★)

【1929年文庫化・1970年改版[岩波文庫]/1962年再文庫化[角川文庫]】

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「ブルジョア作家」志賀直哉にリアリズム表現を学んだ小林多喜二。

映画「小林多喜二」.png蟹工船 1929.jpg蟹工船・党生活者 文庫旧版.jpg蟹工船、党生活者.jpg 小林多喜二 ≪HDニューマスター版≫.jpg
1929(昭和4)年9月戦旗社(ほるぷ出版・復刻版) 『蟹工船・党生活者 (新潮文庫)』 [旧版/'08年新装版]小林多喜二 ≪HDニューマスター版≫ [DVD]」['18年]
映画「小林多喜二」パンフレット(山本圭/中野良子)

『蟹工船・党生活者』.JPG 非正規雇用の増大とそれに伴うワーキングプア問題を背景に'08年は「『蟹工船』ブーム」の年となり、新潮文庫版だけで50万部以上のベストセラーになったとのことで、文庫出版の関係会社勤務の知人の話では、このブームのお陰で会社業績を持ち直したとか。自分も新潮文庫の新版を購入して久しぶりに読み直してみましたが、まず活字が大きくなっていることが目につき、かなり読み易くなったように思います。

 1929(昭和4)年発表の「蟹工船」は小林多喜二(1903‐1933/享年29)がプロレタリア文芸誌「戦旗」に発表したもので、カムチャッカ沖でのカニ操漁とその缶詰加工に携わる漁夫らの過酷な労働の実態および監督者に対する蜂起と挫折が描かれています。労働者のための啓蒙書、ストライキ活動(サボタージュ)のテキストのように読める面もある一方、蟹工船の航海や船内の模様が実に生き生きと描かれていてシズル感があり、その筆力は、画家を目指す漁師を描いた有島武郎の「生れ出づる悩み」('18年)や、船員経験のあった葉山嘉樹の「海に生くる人々」('26年)などのそれを凌駕しているように思いました。

志賀直哉 .jpg 小林多喜二はこの小説により発表の同年には勤務先の北海道拓殖銀行を辞め、翌'30年には不敬罪で逮捕・起訴され'31年には共産党に入党していますが、入党直後に志賀直哉(1883‐1971)の奈良の自邸を訪ね、創作の指導を仰いでいます。徳永直.png当時プロレタリア文学作家というのは結構な数がいて、「戦旗」で活躍した作家には徳永直(1899‐1958)などもいますが、今世紀になっても圧倒的に読まれ続けているのが、ブルジョア作家と言われた志賀直哉にリアリズム表現を学んだ小林多喜二であるというのが興味深いです(志賀直哉には労働者シンパだった時期があり、それが原因で資本家の父との間に確執が生じた)。

 小林多喜二は、「戦旗」の中心メンバーだった蔵原惟人(1902-1991)の「プロレタリア・レアリズム」の考えを最も忠実に具現化した作家であり、「真実」を愛する文学者は「前衛」(=共産党員)でなければならないという考え方を優等生的に実践したように思え、1932(昭和7)年発表の「党生活者」における党のための自らを犠牲にして生きる主人公は、その極致であるように思えます。

 エスピオナージ小説と似た感じでも読めるこの作品は、実際この小説の発表の翌年に小林多喜二が特高警察のスパイによって捕まり虐殺されているだけに緊迫感があり、一方で、仲間と連絡を取り合う際に"雑談"もせず事務的に事を済ますやり方に主人公が欲求不満になっているのは多喜二自身の心境だったのでしょう(もし多喜二が長生きすれば、当時の蔵原惟人の特異な思想から離れていったのではないか)。

「小林多喜二」.bmp「小林多喜二」映画1シーン.jpg  「党生活者」の内容は殆ど小林多喜二が自らが体験したことに基づくものと思われ(この小説は、小林多喜二が執筆過程において逮捕され虐殺死したため、前編で終わっている)、今井正(1912‐1991)監督の映画「小林多喜二」('74年/多喜二プロダクション)は、この「党生活者」をかなりの部分において下敷きにして作られていたように思います。

映画「小林多喜二」チラシ/スチール(山本圭/中野良子)


多喜二文学碑l.jpg 小説の中では特高警察の眼を逃れるため同志の女性の家に匿って貰っていたようになっていますが、映画では、通っていた廓の薄幸の酌婦・田口タキ(当時17歳)を足抜けさせて内縁の妻にした作りとなっていて、これは実際にあったことですが、但しその頃は多喜二はまだ拓銀に勤めていたわけであり、特高警察に本格マークされる前のことと思われます。映画は、室内シーンなどにおいて、周辺の照明を抑えスポットライトを当てたような映像で、時代のムードを旨く醸し出していた佳作でしたが、映画の最後に、小林多喜二の文学碑の建立に、思想的立場の全く異なる伊藤整が尽力したことが紹介されていました。伊藤整は小樽高商(現小樽商大)の1学年後輩でした。因みに、先に述べた志賀直哉も、多喜二の文学碑建立の発起人に名を連ねています。

「小林多喜二文学碑」(小樽市)

映画 蟹工船.jpg 尚、多喜二の生涯を描いた映像化作品では、池田博穂監督のドキュメンタリー映画「時代(とき)を撃て・多喜二」('08年)や、北海道放送のTVドキュメンタリー「いのちの記憶-小林多喜二・二十九年の人生」('08年)などがあり、また「蟹工船」そのものも、'53年に俳優の山村聡が監督している作品がある外、'09年に再度の映画化が予定されているようです。

映画「蟹工船」 ポスター(山村聡:監督)
 

小林 多喜二.jpg芥川龍之介.gif 小林多喜二は1930年に上京してからは、芥川龍之介(1892‐1927)を真似した髪形にしていたそうですが(前年に東大生だった宮本顕治が芥川龍之介を批判した「敗北の文学」を発表しているのだが)、女性にはかなりモテたようで、また、普段から冗談で周囲を笑わすことの多い人柄だったとのこと、この重い雰囲気の両作品にも、随所にユーモラスな表現が見受けられます。
小林多喜二(左)/芥川龍之介(右)

「小林多喜二」●制作年:1974年●監督:今井正●製作:伊藤武郎/内山義重●脚本:勝山俊介●撮影:中尾駿一郎●音楽:いずみたく●小林多喜二 映画.jpg今井正監督「小林多喜二」.jpg主題歌 屍をつみかさねなば  EP .jpg時間:119分●出演:山本圭/中野良子/森幹太/北林谷栄/南清貴/佐藤オリエ/森居利昭/富士真奈美/津田京子/杉山とく子/寺田誠/滝田裕介/長山藍子/下絛正巳/地井武男/鈴木瑞穂/悠木千帆(樹木希林)/横内正(ナレーター)●公開:1974/02●配給:多喜二プロダクション(評価:★★★★)
映画チラシ「小林多喜二」監督 今井正 出演 山本圭、中野良子/映画 小林多喜二 主題歌 横内正 [屍をつみかさねなば]
2018年DVD化
映画 小林多喜二.jpg

【1953年文庫化・2003年改版・2008年新装版[新潮文庫]/1954年再文庫化・1968年改版・2008年新装版[角川文庫]/1967年再文庫化・2003年改版[岩波文庫(『蟹工船、一九二八・三・一五』)]/1973年再文庫[講談社文庫]】

《読書MEMO》
●「蟹工船」...1929(昭和4)年 ★★★★☆
●「党生活者」...1932(昭和7)年 ★★★★

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「夫婦愛」というより「人類愛」を感じた表題作。不思議な味わいがある短編集。

聖ヨハネ病院にて (新潮文庫) 上林 暁 (1949).jpg聖ヨハネ病院にて 上林暁.jpg 『聖ヨハネ病院にて (新潮文庫)』 上林暁.jpg 上林 暁 (かんばやし・あかつき)

 上林暁(1902‐1980/享年77)の短編集で、表題作「聖ヨハネ病院にて」の他、「薔薇盗人」「天草土産」「野」「二閑人交游圖」「小便小儈」「明月記」を収録。

 1946(昭和21)年作の「聖ヨハネ病院にて」は、重度の精神病を患い入院している妻を泊まり込みで看病する夫の話で、実際に作者の妻の繁子は1939年に発病して、何度か転院した後1946年5月に38歳で亡くなっています(「聖ヨハネ会桜町病院」は、亡くなる前年の9月から11月初めまで在院した)。

 この作品を読む限り、妻が入院するまで、主人公の「僕」はそれほど妻のことをいつも気にかけていたようには思えず、また、妻が入院してからは、眼も不自由で、自分の始末も侭ならず、汚物で衣服を汚す妻に辟易している様子さえ窺え、何でもかんでも口に入れてしまう(「僕」の弁当まで食べてしまう)妻と口論になったりしています。

 一方で、そうした妻のことを小説のネタにしている自分を嘲っているような面も窺え、妻が亡くなったら書くことがなくなってしまうことを心配し、また、そうした打算的な心配をしている自分の姿勢を自己批判していたりしています。
 そうした気が滅入るような精神的下方スパイルの中で、「僕」はある日、病院で行われるミサに出席し、そこに集う精神病者らの中で疎外感のようなものを感じながらも、「自分はいかなる基督教徒よりも基督教徒的でありたい」という思いに包まれ、そのためには、もっと妻にやさしくしてあげようと思う―。

日本文学全集 31 尾崎一雄・上林暁・永井龍男.jpg 「神」に依らない信仰とでも言うか、眼も見えず、自分の始末もできない妻を「神」と看做し、それに尽くすことに自らの魂の救済を見出しているということになるのでしょうか。
 「神々しいまでの夫婦愛」を描いた作品とされるものですが、個人的には、「夫婦愛」というより「隣人愛」「人類愛」に近いものを感じました。

 上林暁は、戦前から戦後にかけて活動した作家であり、また、志賀直哉などの系譜を引く私小説家で、同時代同系統の作家では尾崎一雄(1899‐1983)、永井龍男(1904‐1990)などがいますが、『暗夜行路』を著した志賀直哉などと異なり、長編は1作も書いておらず、創作集は全て短編集、それも、その大部分は自身や家族、友人に関することがその作品のモチーフになっていて、かなり典型的な私小説家であると言えます。

日本文学全集〈31〉尾崎一雄,上林暁,永井竜男―カラー版 河出書房(1969年)

 「聖ヨハネ病院にて」は主人公の感情の浮き沈みがかなり赤裸々に吐露されていますが、他の作品はどちらかと言うと日常を淡々と描いた地味な作品が多く、読者受けよりも自分の文学的姿勢を大切にしている感じがします。

 そうした中、病いの妹のために学校の花壇から薔薇の花を盗んだ少年の話「薔薇盗人」('32年)などは寓話的なリリシズムが感じられ(この作品で川端康成の推奨を得た)、また、三島由紀夫が絶賛したという「野」('40年)には、不確定な自分の内面を見据えようとする真摯な姿勢が感じられますが、将棋などを通しての作家仲間との交遊を描いた「二閑人交游圖」('41年)には、自らを対象化した淡々とした描写の中に、明るいユーモアも感じられ、これはこれで個人的には好きな作品。

 「私小説」に対して、何となくせせこましくて面白くないものが多いというイメージがある中で、この人の作品は不思議な味わいがあり、この作品集は新潮文庫の復刻版として'93年に復刊されたものの1つでもありますが、敢えて旧字旧仮名のままであることも、味わいを深めているように思いました(「彌撒」の読み方がすぐに思い浮かばなかったが)。

《読書MEMO》
●「薔薇盗人」...1932(昭和7)年8月発表★★★★
● 「野」...1940(昭和15)年1月発表★★★☆
● 「二閑人交游圖」...1941(昭和16)年1月発表★★★★
● 「明月記」...1942(昭和17)年11月発表★★★☆
● 「聖ヨハネ病院にて」...1946(昭和21)年5月発表★★★★

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「ホラー・メルヘン」みたいな感じ。時代が違えばホラー作家になっていたかも。

セメント樽の中の手紙.jpg
葉山 嘉樹 『セメント樽の中の手紙』.jpg
  葉山嘉樹.jpg  セメント樽の中の手紙2.jpgセメント樽の中の手紙1.jpg
葉山嘉樹 (1894‐1945/享年51)/「DS文学全集」('07年/任天堂)
セメント樽の中の手紙 (角川文庫)』 ['08年]
葉山嘉樹短篇集 (岩波文庫) 』['21年]/『教科書で読む名作 セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学 (ちくま文庫)』['17年]
葉山嘉樹短篇集 (岩波文庫).jpg『セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学』.jpg 表題作は、1926(大正15)年1月にプロレタリア文芸誌「文芸戦線」に発表されたもので、「DS文学全集」('07年/任天堂)にも収められていますが、まさかこの作品が、この表題での文庫で読めるとは思いませんでした。やはり、昨今の世の中を反映して、「ワーキングプア問題」→「『蟹工船』(小林多喜二)ブーム」→「プロレタリア文学」という流れできているのか。

 彼がセメント製造の機械に巻き込まれ、形が無くなってしまったから、その愛人の彼女はそのセメントがどこで使われるか知りたいと思い、彼の血と骨の混ざったセメントの樽に手紙を入れ、セメント樽を空けた人に連絡してくれるよう書き記す―。

 資本主義の生産機構の人間蔑視を巧みに象徴化させていますが、実際に、葉山嘉樹(1894‐1945)は、名古屋のセメント工場勤務時代に、職工が防塵室に落ちて死亡した事故を契機に労働組合の結成を図り、そのセメント会社を首になっています(1921年)。

映画『ある女工記』.jpg映画『ある女工記』2.jpg とは言え、こうした形で作品化されると、何となく、「ホラー・メルヘン」みたいな感じになっているような気がしないでもなく、続く「淫売婦」なども、作り話っぽさが抜けきれないように思えました(「淫売婦」は2018年、児玉公広監督、「ある女工記」として映画化され、コルカタ国際短編映画祭特別賞、ニース国際映画祭主要5部門ノミネートなど国際映画祭で高い評価を得ている)

「ある女工記」DVD BOOK:葉山嘉樹『淫売婦』、小説から映画へ DVD-ROM

 他に角川文庫に同録されている「労働者の居ない船」「牢獄の半日」「集浚渫船」などを読み進むにつれその傾向は強く感じられ、「死屍を食う男」などは、完全にホラー小説。中村光夫によれば、葉山嘉樹は新時代を代表する社会主義の使徒として文壇に迎えられましたが、その私生活は、どんな破滅型芸術家にも劣らぬほど「デーモニッシュ」であったとのこと(中村光夫『日本の現代小説』('68年/岩波新書))、時代が違えばホラー作家になっていたかも。

 「志賀直哉」一辺倒だった文学青年・小林多喜二が、プロレタリア文学へ大きく方向転換するほどに影響を受けた作家ですが、これに続いた多くのプロレタリア文学作家で、今もなお読まれているのが、ブルジョア作家「志賀直哉」を創作の師とした小林多喜二のみであることは皮肉なことです。

 一方の葉山嘉樹は、プロレタリア作家として小林多喜二の次に名前の挙がる作家の1人ですが、代表作と言えるのは、この「セメント樽の中の手紙」くらいしかないのでは(平野謙にその観念性を批判された長編「海に生くる人々」などもあるが)。

 「セメント樽の中の手紙」は文庫本で僅か5ページ強しかなく、国語の教科書にも収められたことがありますが、セメント樽を空けて手紙を見つけた男が、酒をあおるだけで何もアクションを起こさないところで終わっているのが却って余韻があっていいように思えます(学校でわざわざ「その時男はどう思ったのか」みたいな「読み方指導」などしない方がいいような気がする)。個人的には、抑制が効いた表題作だけ星4つで、あとの作品は星3つから3つ半かな。

木版漫画 「セメント樽の中の手紙01.jpg木版漫画 「セメント樽の中の手紙02.jpg 藤宮史 版画  「木版漫画 セメント樽の中の手紙」(原作:葉山嘉樹)[黒猫堂出版]

【2008年文庫化[角川文庫(『セメント樽の中の手紙』)]/2017年再文庫化[ちくま文庫(『教科書で読む名作 セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学』)]/2021年再文庫化[岩波文庫(『葉山嘉樹短篇集』)]】

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童話と言うよりもある種"幻想文学"。それにマッチした画調。いわさきちひろの影響も?

赤い蝋燭と人魚2.jpg赤い蝋燭と人魚.jpg   小川未明童話集.jpg 小川未明童話集 (岩波文庫)200_.jpg
赤い蝋燭と人魚』『小川未明童話集 (新潮文庫)』『小川未明童話集 (岩波文庫)
赤い蝋燭と人魚』天佑社1921(大正10)年刊の複製
赤い蝋燭と人魚 天佑社1921(大正10)年刊の複製.jpg 2002(平成14)年刊行で、1921(大正10)年発表の小川未明(1882‐1961)の代表作『赤い蝋燭と人魚』に、絵本作家の酒井駒子氏が絵を画いたもの。原作の「赤い蝋燭と人魚」は、新潮文庫『小川未明童話集』、岩波文庫『小川未明童話集』などに収められています。

 この作品は、個人的には童話と言うよりもある種"幻想文学"に近い作品だと思うのですが、最初は「東京朝日新聞」に連載され、挿画は朝日の漫画記者だった岡本一平(岡本太郎の父)が担当したとのこと、どんな挿絵だったのか知り得ませんが、当初から文も絵も「大人のための童話」として描かれたということでしょうか。

 物語は、ある町に老夫婦がいて、そこに異世界からの訪問者(この場合は人魚の赤子)が来る、その結果その町に起きた出来事とは―という、未明童話の典型とも言えるストーリー。
 老夫婦は人魚の子を神からの授かりと考え自分たちの娘のように育てるが、娘が描いた絵のついた蝋燭が非常に売れたため、とうとう金に目が眩み、人魚を珍獣のような扱いで香具師に売り飛ばしてしまう。
 娘を人間界に託したつもりだった母親の人魚は、人間に裏切られた思いでその蝋燭を買い取り、そして町に対し――という復讐譚ともとれるものです。

「赤い蝋燭と人魚」.jpg これまでに多くの画家や絵本作家がこの作品を絵本化しており、いわさきちひろ(1918‐1974)によるもの('75年/童心社)はモノクロで、絵というより挿画かデッサンに近いですが、がんに冒されていた彼女の未完の遺作となった作品でもあり、また最近では、たかしたかこ(高志孝子)氏によるもの('99年/偕成社)などの人気が高いようです。

いわさき ちひろ 『赤い蝋燭と人魚』 (1975年)

 画風の違いはそれぞれありますが、酒井駒子氏も含めたこの3人に共通するのは、母子の愛情の繋がりを描いた作品群があることで、子を想う母親の気持ちの強さがモチーフの1つとなっているこの作品を絵にするうえでピッタリかも。
 ただ、この作品に漂う寂寥感や不気味さの部分を表すうえでは、ミステリーの表紙画などを手掛けている酒井氏の画風が(最近の『三番目の魔女』や『魂食らい』のカバー絵などを見てもそうですが)、一番合っているのではないかと。                   
 酒井駒子氏のこうした翳りのあるバージョンの絵は(特に人魚の娘の表情などは)いわさきちひろの影響を受けているようにも思え(絶筆となったこの物語の絵本化を、酒井氏が引き継いだようにも思える)、やはりいわさきちひろの影響というのは絵本の世界ではかなり大きいのではないかと思いました。

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切ないがファンタジックでもあるストーリーの雰囲気をよく醸している絵。

ごんぎつね.jpg 『ごんぎつね (日本の童話名作選)』 新美南吉.jpg 新美南吉(1913-1943/享年29)

 1986(昭和61)年の刊行で、1932(昭和7)年1月号の「赤い鳥」に新美南吉(1913‐1943)が発表した彼の代表作「ごん狐」に、イラストレーターの黒井健氏が絵を画いたものですが、刊行来50万部以上売れているロングセラーであり、DVD化もされています(DVDの語りは大滝秀治)。

 近年の派手な色使いが多い絵本の中では珍しく柔らかなタッチであり、また、人物や"ごん"を遠景として描く手法は、哀しく切ないけれどもファンタジックな要素もあるこのお話の雰囲気をよく醸し出しています。
 黒井氏は「ごんぎつね」の他に南吉のもう1つの代表作「てぶくろをかいに」も絵本化を手掛けていますが、こちらも原作の世界を違和感なく表しており、南吉の作品は多くの絵本作家にとって手掛けてみたいものであると思われますが、なかなか黒井氏のものに拮抗する絵本は出にくいのではないかとさえ思わせます。

「ごんぎつね」の直筆原稿.jpg 原作「権狐」は、南吉18歳の時の投稿作品で、「赤い鳥」創刊者の鈴木三重吉の目にとまり、同誌に掲載されましたが(因みに三重吉は、同誌に投稿された宮沢賢治の作品は全く認めず、全てボツにした)、この三重吉という人、他人の原稿を雑誌掲載前にどんどん勝手に手直しすることで有名だったようです。

 「ごんぎつね」直筆原稿

 この作品は、三重吉によって先ず、タイトルの表記を「ごん狐」と改められ、例えば、冒頭の
 「これは、私が小さいときに、村の茂平といふおぢいさんからきいたお話です」(絵本では新かな使い)とあるのは、元々は―、
 「茂助と云ふお爺さんが、私達の小さかつた時、村にゐました。「茂助爺」と私達は呼んでゐました。茂助爺は、年とつてゐて、仕事が出来ないから子守ばかりしてゐました。若衆倉の前の日溜で、私達はよく茂助爺と遊びました。私はもう茂助爺の顔を覚えてゐません。唯、茂助爺が、夏みかんの皮をむく時の手の大きかつた事だけ覚えてゐます。茂助爺は、若い時、猟師だつたさうです。私が、次にお話するのは、私が小さかつた時、若衆倉の前で、茂助爺からきいた話なんです」
 という長いものだったのを、彼が手直したそうです(随分スッキリさせたものだ)。

「ごんぎつね」の殿様 中山家と新美南吉.jpg 東京外国語学校英文科に学び、その後女学校の教師などをしていた南吉は29歳で夭逝しますが、生涯に3度の恋をしたことが知られており、最後の恋の相手が、先ほどの冒頭文に続く「むかしは、私たちの村のちかくの、中山といふところに小さなお城があつて、中山さまといふおとのさまが、をられたさうです」とある「中山家」の六女ちゑだったとのこと。
 中山家とは家族ぐるみの付き合いがあり、彼の童話の多くは中山家の長老が語る民話がベースになっているとの説もありますが、結局、ちゑとは結婚に至らなかったのは、自分の余命を悟って創作に専念したかったのではないかと、自分は勝手に想像しています。

新美南吉記念館(愛知県半田市)特別展ポスター(2006年7月-9月)
 
 
 

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迷宮「玉の井」を三重構造で描くことで、作品自体を迷宮化している。

ぼく東綺譚.jpg 濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)_.jpg 東綺譚.jpg 「墨東綺譚」の挿画(木村荘八).jpg
ぼく東綺譚 (新潮文庫)』『濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)』『墨東綺譚 (角川文庫)』朝日新聞連載の『濹東綺譚』の挿画(木村荘八)/[下]『濹東綺譚』昭和12年初版(装幀:永井荷風/挿画:木村荘八)
『濹東綺譚』1937 2.jpg濹東綺譚(ぼくとうきだん) 永井荷風.jpg 1937(昭和12)年に発表された永井荷風(1879‐1959)58歳の頃の作品で(朝日新聞連載)、向島玉の井の私娼街に取材に行った58歳の作家〈わたくし〉大江匡と、26歳の娼婦・お雪の出会いから別れまでの短い期間の出来事を描いています。

『濹東綺譚』.JPG永井 荷風.gif 昭和初期の下町情緒たっぷりで、浅草から向島まで散策する主人公を(よく歩く!)、地図で追いながら読むのもいいですが、「吉原」ではなく「玉の井」だから「濹東」なのだと理解しつつも、「玉の井」と名のつくものが地図上から殆ど抹消されているためわかりにくいかも知れません。でも、土地勘が無くとも、流麗な筆致の描写を通して、梅雨から秋にかけての江戸名残りの季節風物が堪能できます。

 〈わたくし〉は、種田という男を主人公に玉の井を舞台にした小説を書いているところという設定なっていて、その小説が劇中劇のような形で進行していき、では〈わたくし〉=〈作者(荷風)〉かと言うと必ずしもそうではなく、時に〈わたくし〉が小説論を述べたかと思うと、今度は〈作者〉が小説論的注釈をしたりと、〈作者(荷風)〉―〈わたくし(大江)〉―〈書きかけ小説の主人公(種田)〉という三重構造になっており、加えて、文末に「作者贅言(ぜいげん)」というエッセイ風の文章(「贅言」の「贅」は贅肉の贅であり、要するに作者の無駄口という意味なのだが、辛辣な社会批評となっている)が付いているからややこしいと言えばややこしいかもしれません(「〈わたくし(大江)」としたが、大江が驟雨がきっかけで偶然お雪と知り合ったという設定にコメントしている「わたくし」は明らかに永井荷風自身ではないか)。

「濹東綺譚」.jpg濹東綺譚 映画49.jpg 1960年に豊田四郎(「夫婦善哉」('55年))監督、山本富士子(「彼岸花」('58年))、芥川比呂志(「」('53年))主演で映画化されていますが、「濹東綺譚」を軸に「失踪」と「荷風日記」を組合せて八住利雄が脚色しています。〈大江〉濹東綺譚 豊田四郎監督.jpgが〈種田〉とほぼ同一化されていて(主人公は種田)、種田はお雪の求婚に対して返事を曖昧にし、やがて「女優魂」.jpgそうこうしているうちにお雪は病気になって死を待つばかりとなります。お雪のキャラクターが明るいものになっているため、結末が却って切ないものとなっています。白黒映画で玉の井のセットがよくできていて、途中に芥川比呂志による原作の朗読が入り、ラストでは〈荷風〉と思しき人物が玉の井を散策(徘徊?)しています。この(荷風〉と思しき人は、主人公・種田の行く芳造(宮口精二)のおでん屋にもいました。しいて言えば、これが原作における〈大江〉乃至〈作者(荷風)〉に当たるということでしょうか。」(●2023年、15年ぶりに神保町シアター「女優魂」特集で再見。観ていて辛いストーリーだが、山本富士子が演じるお雪はやはりいい。改めてこれは山本富士子の映画だと思った。)
中村芝鶴(N散人(永井荷風らしき人物))
00「濹東綺譚」kahu.jpg
豊田四郎監督「濹東綺譚」(1960)芥川比呂志/山本富士子/中村伸郎        岸田今日子/山本富士子
「濹東綺譚」岸田.jpg01濹東綺譚 1960  .jpg
東野英治郎/新珠三千代
02濹東綺譚 1960 1.jpg

新藤兼人監督「濹東綺譚」(1992)津川雅彦/墨田ユキ
映画濹東綺譚.jpg04映画濹東綺譚 (2).jpg 更に1992年に新藤兼人監督、墨田ユキ、津川雅彦出演で映画化されていますが、こちらは未見。やはり、〈作者〉-〈大江〉-〈種田〉のややこしい三重構造を映像化するのは無理と考えたのか、津川雅彦演じる主人公が〈荷風〉そのものになっているようで、〈荷風〉はお雪と結婚の約束をするが、東京大空襲で生き別れになる―といった結末のようです。

 荷風は外国語学校除籍という学歴しか無かったものの慶應義塾大学の教授を務めたりして、素養的にはインテリですが、この小説では衒学的記述は少なく、むしろ「玉の井」をラビラント(迷宮)として描くと同時に小説の構成も迷宮的にしているというアナロジイに、独特のインテリジェンスを感じます。

 高級官僚の子に生まれながらドロップアウトし、外遊先でも娼館に通ったというのも面白いですが、この"色街小説"は日華事変の年に新聞連載しているわけで、私小説批判で知られた中村光夫も、一見単なる私小説にも見えるこの作品を、「時勢の勢いに対する痛烈な批判者の立場を終始くずさぬ作者の姿勢が、圧政のなかで口を封じられた知識階級の読者に、一脈の清涼感を与えた」と評価しています。「作者贅言」では、そうした全体主義的ムードを批判する反骨精神とともに、「玉の井」への〈江戸風情〉的愛着と急変する「銀座」界隈への文化的失望が直接的に表わされています。

京成白髭線 玉ノ井駅.jpg京成白髭線 玉ノ井駅s.jpg 作品中に、前年廃止された京成白髭線の玉ノ井駅の記述がありますが、「玉の井」も今はほとんどその痕跡がありません。また、荷風が中年期を過ごした麻布の家(『断腸亭日乗』に出てくる「偏奇偏奇館.jpg館」)も、現在の地下鉄「六本木一丁目」駅前の「泉ガーデンタワー」裏手に当たり、当然のことながら家跡どころか当時の街の面影もまったくありません(一応、こじんまりとした石碑はある)。

濹東綺譚 岩波文庫 挿画16.jpg濹東綺譚 岩波文庫 挿画6.jpg 因みに、この作品は個人的には今回「新潮文庫」版で読み返しましたが、木村荘八の挿画が50葉以上掲載されている「岩波文庫」版が改版されて読み易くなったので、そちらがお奨めです。

挿画:木村荘八


濹東綺譚on.jpg濹東綺譚 映画49.jpg濹東綺譚 映画 1960 00.jpg濹東綺譚 00.jpg濹東綺譚 映画 1960ド.jpg「濹東綺譚」●制作年:1960年●監督:豊田四郎●製作:佐藤一郎●脚本:八住利雄●撮影:玉井正夫●音楽:團伊玖磨●原作:永井荷風「濹東綺譚」「失踪」「荷風日記」●時間:120分●出演:山本富士子/芥川比呂志/新珠三千代/織田新太郎/東野英治郎/乙羽信子/織田政雄/若宮忠三郎/三戸部スエ/戸川暁子/宮口精二/賀原夏子/松村達雄/淡路恵子/高友子/日高澄子/原知佐子/岸田今日子/塩沢くるみ/長岡輝子/北城真記子/中村伸郎/須永康夫/田辺元/田中志幸/中原成男/名古屋章/守田比呂也/加藤寿八/黒岩竜彦/瀬良明/中村芝鶴●公開:1960/08●配給:東宝●最初に観た場所(再見):神保町シアター(08-08-30)●2回目:神保町シアター(23-02-17)(評価:★★★★)

豊田四郎と東宝文芸映画.jpg神保町シアター.jpg神保町シアター 2007(平成19)年7月14日オープン
   
   
     
   
 
 
 
 
 
 
    
(下)新珠三千代/芥川比呂志 
『墨東綺譚』スチル02.jpg 『墨東綺譚』スチル01.jpg 『墨東綺譚』スチル03.jpg
  
新藤兼人監督「濹東綺譚」(1992)墨田ユキ・津川雅彦
濹東綺譚_11.jpg  

山本富士子:渡辺邦男監督「忠臣蔵」(1958)/小津安二郎監督「彼岸花」(1958)/豊田四郎監督「濹東綺譚」(1960)/市川昆監督「黒い十人の女」(1961)/市川昆監督「私は二歳」(1962)
山本富士子『忠臣蔵(1958).jpg 彼岸花 映画 浪花.jpg 濹東綺譚 映画 1960 01.jpg 黒い十人の女 山本富士子.jpg 私は二歳 映画 .jpg
『濹東綺譚』['47年/岩波文庫]/['50年/六興出版]
「濹東綺譚」・永井荷風著(岩波文庫).jpg 永井荷風『墨東綺譚』1950年.jpg 

濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫) 200_.jpg墨東綺譚 (角川文庫)0_.jpgぼく東綺譚 新潮文庫.jpg 【1947年文庫化・1991年改版[岩波文庫]/1951年再文庫化・1978年改版[新潮文庫]/1959年再文庫化・1992年改版[角川文庫]/1977年再文庫化[旺文社文庫(『濹東綺譚・ひかげの花』)]/1991年・2001年復刻版[岩波書店]/2009年再文庫化年改版[角川文庫]】
ぼく東綺譚 (新潮文庫)』(新カバー版)
墨東綺譚 (角川文庫)』(新解説・新装版)
濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)』(木村荘八挿画入り)

《読書MEMO》
●「濹東綺譚」...1937(昭和12)年発表

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自らの幼年期が、子どもの目線、子どものみが持つ感覚で描かれている不思議な作品。

銀の匙 岩波文庫2.jpg銀の匙.jpg 銀の匙w.jpg 銀の匙2.jpg銀の匙 角川文庫 新版.jpg 中勘助.jpg 中 勘助 
銀の匙 (岩波文庫)』/『銀の匙 (ワイド版岩波文庫)』/『銀の匙 (角川文庫)』(旧カバー・新カバー)

銀の匙 中勘助 岩波書店 大正15年 初版.jpg 1911(明治44)年に前編が書かれた「銀の匙」は(後編が書かれたのは1913年)、それまで詩作などを中心に創作活動をしていた中勘助(1985‐1965)が、一高・東大時代の師である夏目漱石に勧められて20代半ばで初めて書いた散文であり、書斎の引き出しの小箱の中にしまった銀の小匙にまつわる思い出から始まるこの自伝的作品は漱石に絶賛され、その推挙により、前編は1913年、後編は1915年に朝日新聞に連載されました。

『銀の匙』 中勘助 岩波書店 1926(大正15)年 初版

 文章が凛然として美しく、子どもの世界を子どもの目線で活写しています。まぎれもなく大人の書いた文章ですが、時にぶっきらぼうとも思える終わり方などもしていて、子どもの日記を読んでいるような錯覚、とまでいかなくともそれに近い感覚に陥りました。

 病弱、気弱な伯母さんっ子として育った幼年期の思い出の数々が、目の前で起きている出来事のように再現され、そこに滲むセンシビリティも子どものみが持つものであり、一方で、大人になった作者によってノスタルジックに「美化された過去」というものも感じますが、その美しさがまた読み手の共感をそそり、一体どこまで計算されて書かれているのか、不思議というか"怪しさ"さえ覚えました。

 心理学の仮説では、〈幼児期の記憶〉は思春期に入ると急速に忘れ去られるが実は深層心理にしっかり残っていて、大人になってもけっして消えていないのだという考えがありますが、この作者は、思春期以降も意識から無意識へと消え去ろうとする記憶を何度も抽出・反復していたのではないかと思われ、これは、病弱な幼年期を送った人に特徴的なことではないかと思われました。

 今でいう小学校低学年ぐらいの頃の出来事がとりわけ生き生きと、みずみずしく描かれていてます。ただし、思春期に入る頃から結構この中勘助という人は、気力・体力とも充実してきたようで、1913(大正2)年から書かれた後編では、子どもながらに立派な反戦少年になっていて(日清戦争だから古い話だが)、軍国思想に染まりながらエリートコースを歩む兄と訣別します。そして伯母との再会-。

 漱石は、後編は前編に比して更に良いと褒めたようですが、やはり、後編の「物語」っぽいつくりや立派に振舞いすぎる少年像よりも、それとは違った意味で"創作の怪しさ"が感じられる前編の方が個人的には良かったです。

 因みに、中勘助の初恋の相手は同い年の野上弥生子だったとされていますが、富岡多恵子の『中勘助の恋』('93年/創元社、'00年/平凡社ライブラリー)によると、モテ男だった彼は、野上弥生子をはじめ多くの女性からプロポーズされたがその全てを断り、友人の娘(幼女)たちに恋着、幼女らにラブレターを書き、大きくなったら結婚しようと言って膝に乗せ頬にキスする一方、陰で彼女らを「ぼくのペット」と呼んでいたそうな(人は見かけによらない...?)。

銀の匙 1926.jpg銀の匙 1926-2.jpg 【1926年単行本[岩波書店]/1935年文庫化・1962年・1999年改版[岩波文庫]/1988年再文庫化[角川文庫]/1992年再文庫化〔ちくま日本文学全集〕/2012年再文庫化[小学館文庫]】

《読書MEMO》
●「銀の匙」...1911(明治44)年前編発表、1913(大正2)‐1914(大正3)年後編「朝日新聞」連載

銀の匙 初版復刻版

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卓越した繊細な感性。「檸檬」もいいが、湯ヶ島時代の作品「冬の蝿」がよりいい。
梶井 基次郎 『檸檬』 武蔵野書院 1931.jpg
檸檬.jpg 檸檬2.jpg 檸檬・冬の日.jpg 檸檬 アイ文庫オーディオブック.jpg  梶井 基次郎.jpg 
檸檬』新潮文庫〔旧版/新版〕/岩波文庫/アイ文庫オーディオブック「檸檬」/梶井基次郎(1901-32/享年31)
梶井 基次郎 『檸檬』 武蔵野書院(1931年5月)[復刻版]
新潮文庫2018年プレミアムカバー檸檬・城のある町にて (角川文庫)』『檸檬 (角川文庫)』角川文庫〔旧版/新版〕
新潮文庫 プレミアムカバー 2018 檸檬.jpg檸檬・城のある町にて.jpg檸檬 梶井基次郎 角川文庫.jpg 1925(大正14)年に発表された梶井基次郎(1901‐1932)の「檸檬」は、「えたいの知れない不吉な塊りが私の心を終始圧えつけていた」という書き出しの通り、既に独特のタナトスの影を落としていて、以降の作品にも、芥川の晩年の作品「歯車」のような暗いムードが漂っています。

梶井 基次郎 『檸檬』 .JPG しかし「檸檬」は、鮮烈な描写と想像力、そしてラストの何か吹っ切った感じが明るく、その点が、彼の命日を"檸吉行 淳之介.jpg檬忌"と呼ぶほどに親しまれる作品である理由ではないでしょうか。吉行淳之介は梶井基次郎の小説を評価しながらも、本作の題は「檸檬」よりも「レモン」の方が良いと書いています。これは、"卓見"であると言うか、現代においてこの作品を読む人にとって示唆的な指摘だと思います。なぜならば、重厚な「丸善」のイメージに拮抗してそれを覆す力を持たせるには、「檸檬」よりも「レモン」の方が効果的ではないかという気がするからです。
  
京都三条通麩屋町「丸善」/河原町通蛸薬師「丸善」(2005年10月10日閉店)
梶井 基次郎 『檸檬』丸善.jpg京都河原町の丸善.jpg この作品の"レモン"のイメージは頭から離れません。但し、「私」が入った書店は、設定上、洋書・輸入雑貨も多く扱う「丸善」でなければならなかったのだろうけれど、自分は「日本橋の丸善」だと長く記憶違いしていました。正しくは「京都三条通麩屋町の丸善」であったわけで、この「丸善 京都支店」は河原町通蛸薬師への移転、改築、再改築を経て'05年10月10日に閉店、閉店の日は、平積みの本の上にレモンを置いていく人がいて話題になったとか。

丸善 京都.jpg丸善 京都 檸檬.jpg(その後、本来の"「檸檬」誕生の地"河原町三条にジュンク堂書店が進出していたのが、入居施設「京都BAL」の改装に合わせて2015年8月21日に、その地下1・2階に蔵書100万冊の「丸善 京都本店」として10年ぶりに再スタートをした。ジュンク堂ではなく丸善として再スタートしたのは、半年前の同年2月に丸善書店がジュ≪MARUZEN cafe0.jpg≪MARUZEN cafe01.jpgンク堂書店を吸収合併したという経緯もあるが、他店ではもともと「ジュンク堂」だったところは「ジュンク堂」の店名をそのまま使っていることからすると、"「檸檬」の書店"であることを売りにするという狙いがあったのだろう。また、丸善グループの"失地回復"の意味もあったかも)。
「丸善 京都本店」内の MARUZEN cafe

「八百卯」(2009年1月25日閉店)
梶井 基次郎 『檸檬』果物屋.jpg 一方、「私」がレモンを買った果物屋は「八百卯」という果物屋で、こちらは現在もあるとのことです(その後、2009年1月25日に閉店、創業130年の歴史に幕を下ろした)

梶井基次郎「檸檬」1.jpg(2010年のテレビでの映像化作品(「BUNGO-日本文学シネマ」)では、ちょうど作者がレモンをテニスボールに見立てているように、テニスボールケースのような円筒状の容器に入れて、乱雑に積み重ねた本の上にそれを立てるように置いたという設定になっているが、読み直してみて、やはりレモンを直接本の上に置いたというのが正しいようだ。)
TBS 2010年2月17日放映 「BUNGO-日本文学シネマ」 梶井基次郎「檸檬」(主演:佐藤隆太)

 梶井基次郎は知られている通りの"ゴリラ顔"ですが、外見に似合わず?小さい頃から病弱で、作品に見られる近代文学の中でも卓越した繊細な感性は、そうしたところからも来るものだと思います。
 ただし、若い彼の京都時代の生活はかなりの無頼ぶりで、自らの神経を尖鋭化するためにわざと不健康で退廃的な生活に向かったように思え、実際、肺をこじらせて東大英文科を中退し、川端康成がいた天城湯ヶ島温泉へ転地しています。

 新潮文庫版は執筆順に20の短篇を収めていますが、後半の湯ヶ島時代の作品はその清澄さを増している印象があり、評価の高い「冬の日」や、浪漫主義の香りがする「桜の樹の下には」もさることながら、「冬の蝿とは何か?」で始まる「冬の蝿」が個人的には良く感じられ、志賀直哉の「城の崎にて」と("湯治文学"?同士)読み比べると興味深いです。

 晩年近い作品である「愛撫」「交尾」に猫が出てきますが、川端康成の小動物を描いた短篇を思い出しました(梶井の方が、描写が理科系っぽいけれど)。
 最後の「のん気な患者」は、ブラック・ユーモア風でもありますが、作者自身が現実に死と直面しているため、"ブラック"が"ユーモア"を凌駕している感じがします。

檸檬 梶井基次郎 ちくま文庫.jpg『檸檬』 (新潮文庫) 梶井 基次郎.jpg 【2013年文庫化[角川文庫(『城のある町にて―他十三篇』)]/1954年再文庫化[岩波文庫(『檸檬、冬の日 他9篇』)]/1967年文庫改版・1985年改版[新潮文庫]/1972年再文庫化[旺文社文庫(『檸檬・ある心の風景 他』)]/1986年再文庫化[ちくま文庫(『檸檬-梶井基次郎全集 全1巻』)]/1989年再文庫化[角川文庫(『檸檬・城のある町にて』)]/1991年再文庫化[集英社文庫]/2011年再文庫化[280円文庫(ハルキ文庫)]/2013年再文庫化[角川文庫(『檸檬』)]】

檸檬 (新潮文庫)

梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)

2019年、丸善創業150周年を記念して初版のカバーで復刻された『檸檬』(「ミチル日々」より)
初版のカバーで復刻された『檸檬』.jpg

《読書MEMO》
●「檸檬」...1924(大正13)年執筆、 1925(大正14)年発表 ★★★★☆「えたいの知れない不吉な塊りが私の心を終始圧えつけていた」
●「冬の日」...1927(昭和2)年執筆 ★★★★「季節は冬至に間もなかった」
●「桜の樹の下には」...1927(昭和2)年執筆 ★★★★「桜の樹の下には屍体が眠っている!」
●「冬の蝿」...1928(昭和3)年執筆 ★★★★☆「冬の蝿とは何か?」
●「愛撫」...1930(昭和5)年執筆 ★★★★「猫の耳というものはまことに可笑しなものである」
●「のん気な患者」...1931(昭和6)年執筆 ★★★★「吉田は肺が悪い」

●新潮文庫2018年プレミアムカバー
新潮文庫 プレミアムカバー 2018.png

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たった4ページの掌編「金の輪」の美しさと情感に見る、作者の亡き子への思い。
『小川未明童話集』3.jpg『小川未明童話集』.JPG 日本幻想文学集成13・小川未明.jpg  小川未明童話集 (岩波文庫)200_.jpg
小川未明童話集 (新潮文庫)』['51年初版/'81年改版]カバー絵:安野光雅/『小川未明 初夏の空で笑う女 (日本幻想文学集成)』['92年]/『小川未明童話集 (岩波文庫)』['96年]

 1919(大正8)年発表の小川未明(1882‐1961)の僅か4ページの掌編「金の輪」は、実に不思議な印象を残す作品です。

 長く病に臥していた太郎は、ようやく床を出られるようになったが、友達もおらず、1人しょんぼり家先に立っていた。太郎はある日、往来を2つの「金の輪」を重ねて転がして遊ぶ見知らぬ少年を見かけ、少年は太郎の方を見て微笑む。次の日もまた同じ「金の輪」を転がす少年を見かけ、彼はまた太郎を見て懐かしそうに微笑む。太郎はその夜、少年と友達になり「金の輪」を1つ分けてもらって、いつまでも一緒にそれを転がして遊ぶ夢を見る。そして結末1行―。その唐突さにも関わらず、なぜか心に滲みる美しさと郷愁にも似た情感を漂わせた作品です。

子どもの宇宙.jpg 心理学者の河合隼雄氏は、7歳の死は薄幸だが、一方で死は太郎にとって素晴らしいものであり、太郎の7歳の死は、他人の70歳の死に匹敵する重みを持つと『子どもの宇宙』('87年/岩波新書)の中で書いています。しかし自分としては、この作品は、作者の亡くなったわが子へのレクイエムのように思われ、生き残った側の切ない思い入れが「創作」に昇華したものであると感じずにはおれません。

小川 未明 (おがわ みめい) 1982-1961.jpg 小川未明(1882‐1961)は20代終わりから30代の時だけ旺盛な創作活動をし、その業績に対して1945(昭和20)年に第5回「野間文芸賞」が贈られていますが、児童文学界の重鎮的存在で在りながら、昭和以降ほとんど新作は発表していません。また、宮沢賢治の作品が「大人の童話」と言われるのと対照的に、過去の作品群の作風を"子ども向けのヒューマニズム"と揶揄された時期もあります。

 本書には、代表作「赤いろうそくと人魚」など20数編が収められていますが、海の向こうから来た漂泊者を村人が冷たくあしらったところ、村が廃れてしまうというようなパターンのお話が幾つかあり、勧善懲悪と言えば勧善懲悪、しかしその"懲悪"の度合いは、童話の教育的効果としては異質であり、怨念的であったり神話的であったりします。

小川 未明 (1982-1961/享年79)

 しかし本全集のように、幻想文学という切り口でその作品を捉えると(この全集には、童話作家ではもう1人宮沢賢治も入っているが)、この人の作品の場合よりシックリくるような気がします。

【「光の輪」は『小川未明童話集』('51年/新潮文庫)、『小川未明童話集』('96年/岩波文庫)のほか以下などにも所収】

未明童話-心の芽そのほか.jpg 新日本少年少女文学全集16-小川未明集.jpg 小川未明童話集2.jpg 小川未明童話集 心に残るロングセラー名作10話.jpg
【『未明童話-心の芽そのほか』 文寿堂出版 ['48年]/『新日本少年少女文学全集16-小川未明集』 ポプラ社 ['65年]/『小川未明童話集』 旺文社文庫 ['74年]/『小川未明童話集―心に残るロングセラー名作10話』 世界文化社 ['04年]】

《読書MEMO》
●「金の輪」...1919(大正8)年発表 ★★★★☆

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「夢十夜」の系譜を引くアンソロジー。面白さで言えば「件(くだん)」が一番。

冥土(福武文庫).jpg  冥途・旅順入城式.jpg  冥途.jpg 冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫.jpg  内田 百閒.jpg 内田 百閒
冥途 (福武文庫)』/『冥途・旅順入城式 (岩波文庫)』/『冥途』〔'02年/パロル舎/画:金井田 英津子〕/『冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫』〔'02年〕
『冥途』 三笠書房版 ['34年初版]/ 『冥途』 芝書店版 ['49年初版]
冥途 三笠書房.jpg内田百閒『冥途』 昭和24年10月 芝書店.jpg 1921(大正10)年発表、翌年単行本刊行の『冥途』は、内田百閒(1989‐1971)が最初に発表したアンソロジーで、「冥途」「山東京伝」「花火」「件」「土手」「豹」など16篇の短篇からなりますが(福武文庫版は18篇所収)、何れも作者自身の見た夢をモチーフにしたと思われ、師匠であった漱石の「夢十夜」の系譜を引くものです。
 自分が読んだ福武文庫版('94年)は現在は絶版となり、短篇集2集を収めた岩波文庫版(『冥途・旅順入城式』('90年))の前半部分が福武文庫版と同じラインアップとなっています。

 表題作の「冥途」は、ビードロの記憶に託されたノスタルジックな抒情が良かったですが、面白さで言えば「件(くだん)」が一番だと思いました。
 牛に似た化け物「件」に変身してしまった「私」は、人々に予言をした後3日後に死ぬ運命にあるという―、これはカフカかと思わせるような不条理な設定ですが、村人にせっつかれても肝心の予言が思い浮かばないといところから、土俗民話的な雰囲気にユーモアと哀感の入り混じったものになっていきます。

 こうしたシュールな雰囲気がわりと楽しく、自分が江戸時代の戯作者・山東京伝の書生になっていて、そこへ訪れた客の姿が蟻だったとか(「山東京伝」)、自分の先生が馬の鍼灸師で、先生の弟が実は馬だったとかとか(「尽頭子」)、そういうかなりスラップスティックなものもあれば、女の子が老婆になる話(「柳藻」)や狐に化かされる話(「短夜」)など、怪談として十分に完結しているものもあり、「創作」の入れ方の度合いが作品ごとに異なる気もしました。

 多分、夢を「正確に」書き写すという行為の中に、イメージの断片を繋ぎ合わせていくうえで否応無く「創作」的要素が入るということを作者はよくわかっていて、そうなれば夢を書き写すという行為そのものが創作となるわけで、どこまで「創作」を入れるかというその辺りの線引きに厳密さは求めず、夢で得た鮮烈なイメージを損なわないまま言葉にどう置き換えるかといことに専念したのでは。
 夢が深層心理の表れであるとしても、そこから一義的に意味が読めてしまうような内容にはしたくないという方針だったのではないかという気がするですが、どうなのでしょうか。

 【1939年文庫化[新潮文庫(『冥途・旅順入城式』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫(『冥途・旅順入城式』)]/1990年再文庫化[岩波文庫(『冥途・旅順入城式』)]/1991年再文庫化[ちくま文庫(『ちくま日本文学全集』)]/1994年再文庫化[福武文庫(『冥途』)]/2002年再文庫化[ちくま文庫(『冥途』)]

《読書MEMO》
●「冥途」「山東京伝」「花火」「件」「土手」「豹」...1921(大正10)年発表(翌年、単行本)

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「小さき者へ」がいい。作家自身よりも残された者の方が逞しかった気もする。

小さき者へ・生まれいずる悩み.jpg小さき者へ・生れ出ずる悩み2.jpg 小さき者へ・生れ出づる悩み.jpg 小さき者へ.jpg 有島 武郎.jpg 有島武郎(1878‐1923)
小さき者へ・生れ出ずる悩み (岩波文庫)』(旧版・新版)/『小さき者へ・生れ出づる悩み』新潮文庫/アイ文庫オーディオブック「小さき者へ」

『小さき者へ・生れ出ずる悩み』.JPG 1918(大正7)年に発表された有島武郎(1878‐1923)の「小さき者へ」は、母親(つまり有島の妻)を結核により失った幼い3人のわが子らへの作者の手紙の形式をとっていて、「お前たちは見るに痛ましい人生の芽生えだ」としながらも、「前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ、恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さきものよ」という結語は力強いものです。亡くなった母親の子どもたちへの愛情が、作家の抑制の効いた(よく読むとセンチメンタリズムとリアリズムが混ざっている)文章を通してひしひしと伝わってくる一方で、より不幸な死に方をした知人の死をも想えとするところに、作者らしさを感じます。

中等新国語3.jpg 同年発表の「生れ出ずる悩み」は、画家を志す青年が「私」を訪ねてくる冒頭の部分が国語教科書などでよくとりあげられているほど、吟味された美しい文章です(昭和40年代から50年代にかけて、光村図書出版の『中等新国語』、つまり中学の「国語」の教科書(中学3年生用)に使用されていた)。

 高級官僚の子に生まれながら小説家を志した自身を、労働と芸術の狭間で苦悶する青年に投影しているのが感じられる一方で、個人的には、漁師である青年のような生粋の労働者になりえない自分と対比するあまり、青年を物語の中で美化しすぎている気もし、危うささえ感じます。

 文学的には「生れ出ずる悩み」の方が評価は高い? 対し「小さき者へ」は、文庫本で15ページ程の掌編で、かつ「これって文学なの」みたいな感想もあるかと思いますが、個人的には、センチメンタリズムの中にも、わが子を一人前の人格として見る凛とした個人主義の精神が窺えて好きな作品です(なかなか、こんな親にはなれないが)。
 
 有島は、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加し、また自らの農場を開放するなどの活動もしますが、後にそうした活動にも創作にも行き詰まり感を見せ、45歳で中央公論社の記者(当時は編集者をこういった)だった波多野秋子と軽井沢で心中自殺します。
                                                
木田金次郎2.jpg木田金次郎.jpg 一方、「生れ出ずる悩み」のモデルとなった木田金次郎(1893‐1962)は、この事件を契機に漁師をやめ画家として生きる決意をします。描き溜めた作品1,500点が、洞爺丸台風襲来時の出火による「岩内大火」(1954年)で焼失したというのは残念ですが(この大火は水上勉の『飢餓海峡』のモチーフとなった)、それにもめげず創作活動を続けています(美術館の木田金次郎の作品を見ると、力強く少しゴッホっぽい)。

木田金次郎(1893‐1962/享年69)とその作品(岩内マリンパーク・木田金次郎美術館)
  
森雅之.gif さらに、「小さき者へ」で語られる側となった子のうち、長男は映画俳優の森雅森雅之 雨月物語.bmp羅生門 森雅之.jpg(1911-1973)で、黒澤明監督の「羅生門」('50年/大映)や溝口健二監督の「雨月物語」('53年/大映)、成瀬巳喜男監督の「浮雲」('55年/東宝)などの名作に主演しています。また、その森雅之の娘・中島葵(1945-1991/子宮頸癌のため死去、享年45)も女優 中島葵.jpg女優 中島葵ド.jpgテレビドラマや映画で活躍した女優でした。不倫相手との間の子であったという事情ため、16歳の時まで父親=森雅之から認知されませんでした。生涯独身でしたが、演出家で元東大全共闘のオーガナイザー芥正彦(1969年に東大で三島由紀夫との公開討論会を実施したメンバーの一人)とパートーナー関係にありました。何だか、残された者の方が逞しかったような気もする...。

『女優 中島葵』1992年刊

中島葵 愛のコリーダ.jpg中島葵.jpg 因みに、中島葵は大島渚監督の「愛のコリーダ」('76年/日・仏)にも、藤竜也が演じた吉蔵の妻役で出ていますが、当然のことながら、吉蔵の情婦・阿部定を演じた松田暎子の方が目立っていました。「愛のコリーダ」は公開の翌年に高田馬場のパール座で観ましたが、日本語の映画にフランス語だったか英語だったかの字幕がつくので変な感じがしました。日本国内での上映は大幅な修正が施されたため(冬の日の外で眠っていて子供たちに雪玉を投げつけられる老乞食を演じた殿山泰司の露出された陰部も含め)、ぼかしの上に外国語の字幕が乗っかっていたような印象があります(2000年に「完全ノーカット版」としてリバイバル上映された)。海外ではベルナルド・ベルトリッチの「ラストタンゴ・イン・パリ」('72年/伊)と比肩し得ると高く評価され、"オーシマ"の名を世界的なものにした作品ですが、国内では田中登監督、宮下順子主演の「実録阿部定」('75年/日活)の方が上との声もありました(阿部定に注目したことは面白いと思ったが、映画の出来としては個人的にはどちらもイマイチか)。

愛のコリーダ dvd.jpg愛のコリーダード.jpg「愛のコリーダ」●制作年:1965年●制作国:日本・フランス●監督・脚本:大島渚●製作:アナトール・ドーマン/若松孝二●撮影:伊東英男●音楽:三木稔●原作:山田風太郎「棺の中の悦楽」●時間:96分●出演:藤竜也/松田暎子/中島葵/芹明香/阿部マリ子/三星東美/藤ひろ子/殿山泰司/白石奈緒美/青木真愛のコリーダ 殿山2.png知子/東祐里子/安田清美/南黎/堀小美吉/岡田京子/松廼家喜久平/松井康子/九重京司/富山加津江/福原ひとみ/野田真吉/小林加奈枝/小山明子●公開:1976/10●配給:東宝東和●最初に観た場所:高田馬場パール座(77-12-03)(評価:★★★)●併映:「ソドムの市」(ピエル・パオロ・パゾリーニ)

殿山泰司(子供に雪玉を投げつけられる老乞食)

 【1940年文庫化・1962年・2004年改版[岩波文庫]/1955年再文庫化・1980年・2003年改版[新潮文庫(『小さき者へ・生れ出づる悩み』)]/1966年再文庫化[旺文社文庫(『生れ出づる悩み』)]】

《読書MEMO》
●「小さき者へ」...1918(大正7)年発表 ★★★★
●「生れ出ずる悩み」...1918(大正7)年発表 ★★★

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逆境の中、ひたむき、愚直に生きる人間像。悲恋物語だが、爽やかさも覚える「柳橋物語」。

柳橋物語・むかしも今も kosyo.jpg柳橋物語・むかしも今も 2han.jpg
柳橋物語・むかしも今も.jpg
 『柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫)』(カバー:岡田嘉夫)
柳橋物語・むかしも今も (1964年) (新潮文庫)

明暦の大火(「江戸火事図会」江戸東京博物館)
明暦の大火.jpg 1946(昭和21)年発表の「柳橋物語」は、上方に働きに出る〈庄吉〉に、幼さゆえの恋情で「待っているわ」と夫婦約束をした〈おせん〉が、江戸の大火(明暦の大火・1657年)で生活のすべてを失って記憶喪失になるまでショックを受ながらも、逃げのびる際に拾った赤子をわが子のように育てるものの、上方から戻った庄吉はそれを見て彼女の不義理ととる―という、たたみかけるような逆境に翻弄される一女性の人生を描いたもの。

 逆境においても常にひたむきなおせんもそうですが、普段は粗野なスタイルでしか彼女に接することができず、庄吉一途の彼女に嫌われながも、大火の混乱の中、彼女を助けつつ死んでいく幸太や、無愛想だが被災後の彼女の生活をこまめに助ける松造など、印象に残る登場人物が多かったです。庄吉さえも本来は悪い人物ではなく、この作品は運命のいたずらがもたらした悲恋の物語と言えますが、最後におせんは死者である幸太と捨て子だった幸太郎とで、固い絆で結ばれた家族を形成しようとしているようで、その決意に爽やかさを覚える読者も多いのではないでしょうか。

 下町の人情と風俗を巧みに描いている点はさすがですが、その合間に1703年から翌年にかけての赤穂浪士の切腹、江戸大火、元禄地震、利根川洪水などの史実が盛り込まれていて、とりわけ主人公たちの運命を大きく変える明暦の大火の描写は、被災者の目線に立った臨場感溢れるものになっています。この作品が昭和21年に発表されたことを思うと、戦災の記憶を蘇らせながら読んだ読者も当時多かったのでは。

 1949(昭和24)年発表の「むかしも今も」は、グズで愚直な指物師〈直吉〉が、傾きかけた親方の商売とその家の娘〈おまき〉を懸命に守ろうと努力する話で、直吉のおまきに対する献身は、おまきが後に目を病んで三味線で生計を立てようとするところなども含め、山本周五郎版『春琴抄』といった趣きもある作品。最後におまきは直吉に心を開きますが、そこに至るまでの過程は、『春琴抄』の佐助以上にストイックであるとも言え、そのためラストは「柳橋物語」以上にストレートなカタルシスがあります。

 「むかしも今も」の直吉の人物像は後年の『さぶ』に繋がるような気がし、一方「柳橋物語」は、より初期の『小説 日本婦道記』の流れを引いている感じもしますが、作品の厚み、凄みのような部分では「柳橋物語」の方が1枚上であるような気がします。

 【1964年文庫化・1987年改版〔新潮文庫]/2009年再文庫化[時代小説文庫(『柳橋物語』(「柳橋物語」「ひやめし物語」「風流化物屋敷」))]/2018年再文庫化[角川文庫(『柳橋物語』(「柳橋物語」「しじみ河岸」))]】

《読書MEMO》
●「柳橋物語」...1946(昭和21)年発表 ★★★★☆
●「むかしも今も」...1949(昭和24)年発表 ★★★★

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司馬遼太郎『新選組血風録』、浅田次郎『壬生義士伝』のネタ本。聞き書きの文体に生々しさ。

新選組始末記.jpg 勝海舟.jpg『勝海舟』 新潮文庫(全6巻)子母澤寛.jpg 子母澤 寛 (1892-1968/享年76)
新選組始末記 (中公文庫)』 (カバー画:蓬田やすひろ) 

 子母澤寛の作品は以前に『勝海舟』('46年第1巻刊行、'68年/新潮文庫(全6巻))を読みましたが(子母澤寛はこの作品や勝海舟の父・勝小吉を主人公とした『父子(おやこ)鷹』('55-'56年発表、'64年/新潮文庫(上・下)、後に講談社文庫)などで第10回(1962年)「菊池寛賞」を受賞)、司馬遼太郎と同じく新聞記者出身であるこの人の文章は、司馬作品とはまた異なる淡々としたテンポがあり、読み進むにつれて勝海舟の偉大さがじわじわと伝わってくる感じで、坂本竜馬や西郷隆盛といった維新のスター達も、結局は勝海舟の掌の上で走り回っていたのではないかという思いにさせられます(文庫本で3,000ページ以上あるので、なかなか読み直す機会が無いが...)。

新選組始末記 昭和3年8月 萬里閣書房.jpg 一方この『新選組始末記』は、1928(昭和3)年刊行の子母澤寛の初出版作品で、子母澤寛が東京日日新聞(毎日新聞)の社会部記者時代に特集記事のために新選組について調べたものがベースになっており、子母澤寛自身も"巷説漫談或いは史実"を書いたと述べているように、〈小説〉というより〈記録〉に近いスタイルです。とりわけ、そのころまだ存命していた新選組関係者を丹念に取材しており、その抑制された聞き書きの文体には、かえって生々しさがあったりもします。

『新選組始末記』 萬里閣書房 (昭和3年8月)

1新選組血風録.png司馬遼太郎2.jpg 子母澤寛はその後、『新選組遺聞』、『新選組物語』を書き、いわゆる「新選組三部作」といわれるこれらの作品は、司馬遼太郎など多くの作家の参考文献となります(司馬遼太郎は、子母澤寛本人に予め断った上で「新選組三部作」からネタを抽出し、独自の創作を加えて『新選組血風録』('64年/中央公論新社)を書いた)。

 子母澤寛は「歴史を書くつもりなどはない」とも本書緒言で述べていて、そこには「体験者によって語られる歴史」というもうひとつの歴史観があるようにも思うのですが、後に本書の中に自らの創作が少なからず含まれていることを明かしています。

浅田次郎.jpg壬生義士伝.jpg壬生義士伝m.jpg 近年では浅田次郎氏が『壬生義士伝(上・下)』('00年/文藝春秋)で『新選組物語』の吉村貫一郎の話をさらに膨らませて書いていますが(この小説は 滝田洋二郎監督、中井貴一主演で映画化された)、『新選組物語』にある吉村貫一郎の最期が子母澤寛の創作であるとすれば、浅田次郎は"二重加工"していることになるのではないかと...。

 浅田次郎氏は「新選組三部作」に創作が含まれていることを知ってかえって自由な気持ちになったと述べていますが、それはそれでいいとして、むしろ、『壬生義士伝』において浅田氏が「新選組三部作」から得た最大の着想は、この「聞き書き」というスタイルだったのではないかと、両著を読み比べて思った次第です。

 【1969年文庫化[角川文庫]/1977年再文庫化[中公文庫]/2013年再文庫化[新人物文庫]】

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