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2018年「本屋大賞」の第1位、第2位、第3位作品。個人的評価もその順位通り。

かがみの孤城.jpg かがみの孤城 本屋大賞.jpg  盤上の向日葵.jpg 屍人荘の殺人.jpg
辻村 深月 『かがみの孤城』 柚月 裕子 『盤上の向日葵』 今村 昌弘 『屍人荘の殺人

 2018年「本屋大賞」の第1位が『かがみの孤城』(651.0点)、第2位が『盤上の向日葵』(283.5点)、第3位が『屍人荘の殺人』(255.0点)です。因みに、「週刊文春ミステリーベスト10」(2007年)では、『屍人荘の殺人』が第1位、『盤上の向日葵』が第2位、『かがみの孤城』が第10位、別冊宝島の「このミステリーがすごい!」では『屍人荘の殺人』が第1位、『かがみの孤城』が第8位、『盤上の向日葵』が第9位となっています。『屍人荘の殺人』は、第27回「鮎川哲也賞」受賞作で、探偵小説研究会の推理小説のランキング(以前は東京創元社主催だった)「本格ミステリ・ベスト10」(2018年)でも第1位であり、東野圭吾『容疑者Xの献身』以来13年ぶりの"ミステリランキング3冠達成"、デビュー作では史上初とのことです(この他に、『容疑者Xの献身』も受賞した、本格ミステリ作家クラブが主催する第18回(2018年)「本格ミステリ大賞」も受賞している)。ただし、個人的な評価(好み)としては、最初の「本屋大賞」の順位がしっくりきました。

かがみの孤城6.JPG 学校での居場所をなくし、閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた。なぜこの7人が、なぜこの場所に―。(『かがみの孤城』)

 ファンタジー系はあまり得意ではないですが、これは良かったです。複数の不登校の中学生の心理描写が丁寧で、そっちの方でリアリティがあったので楽しめました(作者は教育学部出身)。複数の高校生の心理描写が優れた恩田陸氏の吉川英治文学新人賞受賞作で第2回「本屋大賞」受賞作でもある『夜のピクニック』('04年/新潮社)のレベルに匹敵するかそれに近く、複数の大学生たちの心理描に優れた朝井リョウ氏の直木賞受賞作『何者』('12年/新潮社)より上かも。ラストは、それまで伏線はあったのだろうけれども気づかず、そういうことだったのかと唸らされました。『夜のピクニック』も『何者』も映画化されていますが、この作品は仮に映像化するとどんな感じになるのだろうと考えてしまいました(作品のテイストを保ったまま映像化するのは難しいかも)。


盤上の向日葵ド.jpg 埼玉県天木山山中で発見された白骨死体。遺留品である初代菊水月作の名駒を頼りに、叩き上げの刑事・石破と、かつてプロ棋士を志していた新米刑事・佐野のコンビが捜査を開始した。それから四か月、二人は厳冬の山形県天童市に降り立つ。向かう先は、将棋界のみならず、日本中から注目を浴びる竜昇戦の会場だ―。(『盤上の向日葵』)

 『慈雨』('16年/集英社)のような刑事ものなど男っぽい世界を描いて定評のある作者の作品。"将棋で描く『砂の器』ミステリー"と言われ、作者自身も「私の中にあったテーマは将棋界を舞台にした『砂の器』なんです」と述べていますが、犯人の見当は大体ついていて、その容疑者たる天才棋士を二人組の刑事が地道な捜査で追い詰めていくところなどはまさに『砂の器』さながらです。ただし、天才棋士が若き日に師事した元アマ名人の東明重慶は、団鬼六の『真剣師小池重明』で広く知られるようになり「プロ殺し」の異名をもった真剣師・小池重明の面影が重なり、ややそちらの印象に引っ張られた感じも。面白く読めましたが、犯人が殺害した被害者の手に将棋の駒を握らせたことについては、発覚のリスクを超えるほどに強い動機というものが感じられず、星半分マイナスとしました。


屍人荘の殺人_1.jpg 神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲と会長の明智恭介は、曰くつきの映画研究部の夏合宿に加わるため、同じ大学の探偵少女、剣崎比留子と共にペンション紫湛荘を訪ねた。合宿一日目の夜、映研のメンバーたちは肝試しに出かけるが、想像しえなかった事態に遭遇し紫湛荘に立て籠もりを余儀なくされる。緊張と混乱の一夜が明け、部員の一人が密室で惨殺死体となって発見される。しかしそれは連続殺人の幕開けに過ぎなかった―。(『屍人荘の殺人』)

 先にも紹介した通り、「週刊文春ミステリー ベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」の"ミステリランキング3冠"作ですが、殺人事件が起きた山荘がクローズド・サークルを形成する要因として、山荘の周辺がテロにより突如発生した大量のゾンビで覆われるというシュールな設定に、ちょっとついて行けなかった感じでしょうか。謎解きの部分だけ見ればまずまずで、本格ミステリで周辺状況がやや現実離れしたものであることは往々にしてあることであり、むしろ周辺の環境は"ラノベ"的な感覚で読まれ、ユニークだとして評価されているのかなあ。個人的には、ゾンビたちが、所謂ゾンビ映画に出てくるような典型的なゾンビの特質を有し、登場人物たちもそのことを最初から分かっていて、何らそのことに疑いを抱いていないという、そうした"お約束ごと"が最後まで引っ掛かりました。

 ということで、3つの作品の個人的な評価順位は、『かがみの孤城』、『盤上の向日葵』、『屍人荘の殺人』の順であり、「本屋大賞」の順番と同じになりました。ただし、自分の中では、それぞれにかなり明確な差があります。

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上手いとは思ったが、ラストが...。吉田修一氏の芥川賞選評に最も共感させられた。

星の子.jpg今村 夏子 .jpg 今村 夏子 氏
星の子

 2017(平成29)年・第39回「野間文芸新人賞」受賞作。2017年上半期・第157回「芥川賞」候補作。2018年「本屋大賞」ノミネート作(7位)

 物語の語り部「わたし」は中学3年生、林ちひろ。ちひろは未熟児で生まれ、生後半年目には原因不明の湿疹に苦しむ。両親は医者が薦める薬やあらゆる民間療法を試したが、効果はない。困り果てた父親は、勤務先の同僚がくれた「金星のめぐみ」という水を持ち帰り、助言どおりちひろの体を洗う。すると、ちひろの夜泣きが減り、2カ月目には全快したのだった。これを機に、両親は水をくれた同僚が所属する新興宗教にはまっていく。父親は会社を辞めて教団の関連団体に移り、母親は怪しい聖水をひたしたタオルを頭にのせて暮らすようになる。叔父が忠言しても両親は聞き入れず、家は転居するたびに狭くなり、ちひろより5歳年上の姉は家出する―。(版元サイトより)

 両親が怪しい新興宗教に嵌ってしまった家族の悲惨な転落話かなと思ってしまいましたが、主人公のちひろはそうでもないらしく、そのちひろの目から淡々と子供時代の日常が語られます。但し、そのちひろも中学3年生になると、その変化の兆しが見られます。

 このプロセスの描き方が上手いと思いました。但し、ラストはややもやっとした感じでしょうか。一部の読者は、ここから、ちひろが両親の自分への愛情を感じながらも、その両親と決別をする予兆を読み取ったようですが、果たしてそこまで読み取れるかなあと(この小説を「読者が忖度する作品」と言う人もいるみたい)。読み取りにくい分、やっぱりこの作品は、新しい家族の在り様といった前向きなものというよりも、新興宗教によって親子が分裂するか、或いは子どもさえも巻き込んでしまう、家族の悲劇ではないかなという気がしてしまいます。

 芥川賞の選評でも評価が割れたようで、小川洋子氏、川上弘美氏がその技量を買って推す一方で、高樹のぶ子氏、島田雅彦氏は推しておらず、高樹のぶ子氏は「会話のリフレインが冗長に感じられた」と技法面で否定的ですが、島田雅彦氏は、「語り手自身が問題系の内部に閉じ込められているために批評的距離を保てない。実はこの点に本作の企みがあり、また問題がある」としています。吉田修一氏も、「この小説は、ある意味、児童虐待の凄惨な現場報告である。本来ならすべての人間に与えられるはずのさまざまな選択権、自由に生きる権利を奪われ吉田修一氏2.jpgていく(物言えぬ)子供の残酷物語であり、でもそこにだって真実の愛はあるのだ、という小説である」とし、「力ある作品だと認めているのだが、ではこれを受賞作として強く推せるかというと、最後の最後でためらいが生じてしまう」としています(宮本輝氏も似たような理由で推していない)。吉田修一氏などは芥川賞作家でありながら、社会性の高い作品も書くため、特にそのように感じるのではないでしょうか。個人的には、吉田修一氏の選評に最も共感させられました。

 上手いとは思いますが、この作品が芥川賞に値するかとなると、ちょっとという感じ。作者は1980年広島県生まれで、 2010年に「あたらしい娘」で太宰治賞を受賞、 2011年に「こちらあみ子」で三島由紀夫賞を受賞、2016年には「あひる」が河合隼雄物語賞受賞し、第155回芥川賞の候補作になるなど躍進著しく、この作品が芥川賞候補になった背景には、そうした"ハロー効果"もあったように思います。

小谷野敦.jpg Amazon.comのレビューで小谷野敦氏が、「『こちらあみ子』『あひる』と衝撃作を出して期待の高まる作者だが、今回は失敗した。長くてしまりがない」としながらも、「芥川賞は、『あひる』と併せての受賞で差し支えなかったと思う」としていて、これは『こちらあみ子』と『あひる』のセットで芥川賞にすればよかったと言っているのでしょうか、それとも『あひる』とこの『星の子』のセットのことを言っているのか(『あひる』は既に候補になっているため、後者はありえないのだが)、よく分からない...。

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フィクションとして読むのが順当。面白かったが『レディ・ジョーカー』には及ばない。

罪の声 塩田武士.jpg罪の声 塩田武士1.jpg 罪の声 塩田武士2.jpg 罪の声 塩田武士3.jpg
罪の声
塩田 武士 氏 『罪の声』山田風太郎賞
塩田 武士 『罪の声』山田風太郎賞.jpg 2016 (平成28)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2016年・第7回「山田風太郎賞」受賞作。2017年・第14回「本屋大賞」第3位。2016年「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」第2位。

 京都でテーラーを営む主人公・曽根俊也は、ある日、亡くなった父の遺品の中からカセットテープと黒皮の手帳を発見する。手帳は英語の文字で埋まっていて、カセットテープには、子供の声で、現金受け渡しを指示する言葉が録音されていた。その声を聞いた俊也は、それが自分自身の声であるとわかり衝撃を受ける。父は犯行グループの一味だったのか。録音に関する彼自身の記憶は無く、31年前の真相を知るために、彼は事件を調べ始める。同じ頃、大日新聞社文化部に所属する阿久津英士は、社会部・事件担当デスクの鳥居から、大阪本社の年末企画「ギン萬事件―31目の真実」への参加を求められる。鳥居は、阿久津にある資料を手渡して調査を命じる。その資料とはギン萬事件の4ヶ月前にオランダで起きたハイネケン社長の誘拐事件に関するもので、事件の直後から現地で事件のことを調べ回っている東洋人がいたという。阿久津はイギリスに飛んで調査を始める。31年前の事件の真相が、二人の男によって再び甦ろうとしていた―。

 1984年から1985年にかけて起きた「グリコ・森永事件」を題材にした小説で、但し、事件から31年経った「現在の関西」を舞台に小説は始まり、それは、主人公の一人・俊也が、事件で現金受け渡しの指示に使われた「子供の声の録音テープ」の声の主であり、そのことを知ったのが「現在」であるためです。

「週刊文春ミステリー ベスト10」の第」1位に選ばれただけあってそれなりに面白かったですが、清水潔氏が「週刊文春」の書評で、「複雑な事件構成にも関わらず破綻も見せずに犯人像を絞り込んでいく」としながらも、「取材開始までの各アプローチシーンなどはややくどい気もする」としているのには同感です。

 また、清水氏は、「ノンフィクションの体を取りつつ真犯人に到達したかのような噴飯物の書も存在する中、本書が被害社名を架空のものとしフィクションであることを明確にしているのは賢明だ」としていますが、身代金取引現場などの描写は事件当時の事実を再現してはいるものの、まあ、他の部分はフィクションとして読むのが順当でしょう。清水氏も最初はこんなにスルスルと重大事件の謎解きができてたまるか思ったりもしたようですが、読み進むうちに先の認識に至ったようで、作者自身、事件を推理するつもりでこれを書いたのではないように思います。

高村薫.jpgレディ・ジョーカー1.jpgレディ・ジョーカー2.jpg 清水氏が最初この小説は実際の事件の謎解きかと思ってしまった背景には、作者が神戸新聞社の記者出身であったこともあるのかもしれないし、同じく「グリコ・森永事件」を題材にした高村薫氏の『レディ・ジョーカー』('97年/毎日新聞社)がそれっぽい雰囲気を漂わせていたこともあるのかもしれません。但し、高村薫氏もかつて「グリコ・森永事件」を扱ったテレビ番組に出演したことがありましたが、自身の小説を事件の"謎解き"であるような主張はしていなかったように思います。

 この『罪の声』はサスペンス小説として傑作なのかもしれませんが、どうしても高村氏の『レディ・ジョーカー』と比べてしまい、相対的に見て物足りなさを感じざるを得ず、また、自分の好みともやや合わなかったように思います。

 『レディ・ジョーカー』は犯人グループに脅迫される側を菓子メーカーではなくビール会社にしていましたが、事件に直面した大企業の内部の混乱ぶりや、そうした事件さえ権力抗争の材料にしようとする社内ポリティクスなどがよく描かれていて、企業小説としても面白く読めました(この部分が『罪の声』には全く無く、比べること自体が酷かもしれないが)。

 また、『レディ・ジョーカー』の犯人グループには共感とまでいかなくともシンパシーを感じる部分はありましたが、この『罪の声』では全くそれは感じられません。その代わり、ラストで事件に巻き込まれ長らく離別していた母子が再会する場面を持ってきていますが、これってどうなのか。感動する人もいるかもしれませんが、個人的にはややあざとい印象を受けてしまいました。

 『罪の声』を読んで良かったと思った読者には『レディ・ジョーカー』も読んで欲しい気がします。但し、『レディ・ジョーカー』も読んだ上で、『罪の声』の方が『レディ・ジョーカー』よりいいという人がいるかもしれないし、その辺りは好みの問題でしょう。

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"浅田節"全開というか、ベタ過ぎる印象もあるが、「歸鄕」はすんなり心に沁みた。

浅田次郎 帰郷01.jpg浅田次郎 帰郷02.jpg浅田次郎 帰郷03.jpg
帰郷』(2016/06 集英社)

 2016(平成28)年第43回「大佛次郎賞」受賞作。

 南方戦線で生き残った元兵隊が焼け野原の新宿の闇市で娼婦をしている女とふと出会う「歸鄕」、日本から遠く離れたニューギニアでの生々しい戦闘の中、高射砲の修理にあたる職工を描いた「鉄の沈黙」、幼いころに父が戦死し母と離れて育った大学生が、戦争のことなどすっかり忘れてしまったかのような戦後の開業間もない後楽園遊園地でふと戦争の傷跡を垣間見る「夜の遊園地」、昭和40年代の自衛隊員と戦時中の陸軍兵が時空を超えて交流するSFタッチの「不寝番」、南方戦線の壮絶な戦場をくぐり抜け帰国した元兵士が傷痍軍人と関わったことで数奇な運命をたどる「金鵄のもとに」、海軍を志願した大学生が絶望の中で夢や思い出などを語り合う「無言歌」の6編を所収。

 「鉄の沈黙」と「金鵄のもとに」は2002年発表、「歸鄕」その他は2015年から2016年にかけて発表されたものですが、何れも戦争をモチーフにしたもので、それぞれのモチーフやテーマは重く、また、著者があたかも戦争の語り部であるかのように継続してこのテーマを取り上げていることが窺え、その点は尊敬します。

 "浅田節"全開というか、それぞれに力作で、Amazon.com の読者レビューなどでも高い評価を得ているようですが、ただ個人的にはあまりにベタ過ぎる印象を受けなくもなく、この辺りはもう作品との相性の問題でしょう。そうした中で、冒頭の「歸鄕」はすんなり心に沁みました。

 信州松本の庄屋の長男である主人公が、召集されて南洋に送られたが、部隊は玉砕して彼だけ生き残り、米軍の捕虜なる。実家には戦死の公報が届いていて、郷里へ復員すると、妻は弟と再婚していて弟の子を身ごもっていた。男は逃げるように東京へ出て、焼け跡で出会った娼婦に苦しい胸の内を吐き出すしかなかった―。

 他にも主人公の語りを借りて物語にしているものがありますが、日本人ってそんなに自分の事を他人に話すかなあと思ったりしたものもあった中で、この「歸鄕」だけは自然な感じがしたし、最後に明日に向けた救いが用意されているのも良かったです。

 短編のタイトルが「歸鄕」と旧字になっていて、短編集としての書籍の表題は「帰郷」と新字になっていますが、イメージとしては「歸鄕」だろうなあ(表題には旧字を使わない方がいいという判断なのか?)。

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時代小説版「V字回復の経営」みたいで面白いが、その分「ビジネス小説」っぽい。

鬼はもとより.jpg鬼はもとより .jpg
鬼はもとより (文芸書)』(2014/09 徳間書店)

2014(平成26)年・第17回「大藪春彦賞」受賞作。2014年下半期・第152回「直木賞」候補作。

 どの藩の経済も傾いてきた寛延三年、奥脇抄一郎は藩札掛となり藩札の仕組みに開眼。しかし藩札の神様といわれた上司亡き後、飢饉が襲う。上層部の実体金に合わない多額の藩札刷り増し要求を拒否し、藩札(はんさつ)の原版を抱え脱藩する。江戸で、表向きは万年青売りの浪人、実はフリーの藩札コンサルタントとなった。教えを乞う各藩との仲介は三百石の旗本・深井藤兵衛。次第に藩経済そのものを、藩札により立て直す方策を考え始めた矢先、最貧小藩の島村藩からの依頼が―。

 時代小説家として既に手練れの域に入っている作者ですが、この作品では、主人公の奥脇抄一郎が最貧小藩の藩札コンサルタントとして島村藩のリーダーである家老・梶原清明と共に藩政改悪に当たるということで、経済小説的な要素も含んでいるし、企業小説的な読み方も出来るように思いました(特にコンサルタントにとっては)。

 作者は、経済関係の出版社に18年勤務した後、1992年、「俺たちの水晶宮」で第18回中央公論新人賞を受賞(影山雄作名義)、その後、一旦創作活動を休止し、約10年ほどで小説執筆から離れ経済関係のライターをしていたようですが、そうした経験や知識が生かされている著者らしい作品です。

 そのうえ、作者らしい信頼し合う男同士の話や変遷する男女の話などがあって、盛りだくさん。でも、やはり、中心となるのは、藩政改革のために「鬼」となる梶原清明とそれを補佐する奥脇抄一郎の関係でしょう。ラストで清明の覚悟の凄まじさを改めて思い知らされました。

 ただ、直木賞の選考で宮城谷昌光氏が、「いわば時代経済小説といってよい体裁になっている。着眼点が常識の外にあるとなれば、既存の時代小説とは一線を画している。あとは作者の知識と情熱が小説的高みで開花すればよいのであるが、残念ながら私の目には、その花が映らなかった」と述べているように、「藩札」という題材が先行してしまった印象もあります。

 よく調べたなあとも思いますが、実際に藩札を発行したことがある藩は少なくないものの、それが成功した事例は高松藩、姫路藩など数は少なく、作品で描かれる藩札政策は、実際にあった数少ない成功例の一つをモデルにしているとのことです。前半では失敗例なども挙げ(まあ、赤字国債みたいなものだからなあ)誤って使った場合の危うさを示唆していますが、ただ、終盤の当の島村範の財政立て直しの部分はややダイジェスト気味で、こんなに上手くいくものかなあという印象も...(成功例を参照しているのだろうけれども)。

 『白樫の樹の下で』(2011年/文藝春秋)もそうでしたが、この作家の小説の主人公は共感し易い魅力を備えているように思います。女性の描き方も秀逸。加えて、今回は、「時代経済小説」と言うより「時代企業小説」のような感じで読めましたが(殆ど『Ⅴ字回復の経営』みたいな)、その分、ちょっと「今日」に引き付けて書かれ過ぎているようにも思いました(会議などは殆ど今の企業の重役会と変わらなかったりする)。

 直木賞の選考では、宮部みゆき氏が主人公の抄一郎のどこか悟ったようなすっとぼけた魅力が、彼が江戸の経営コンサルタントとして直面する課題の苛烈さと絶妙なバランスを保っていたとして推薦しましたが、一方で、浅田次郎氏が、「江戸時代と現代とを強引に重ね合わせたとしか私には思えなかった」とするなどして、結局受賞は"持ち越し"になりました。個人的も、普通に読む分には面白いけれど(勉強にもなった?)、直木賞となるとちょっと物足りない感じでしょうか。「ビジネス小説」っぽいというのも、受賞の邪魔になったのでは。

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粒揃いの短編集。「夜警」と「満願」がいい。"粒揃い"だが、飛び抜けたものは見出しにくい?

米澤 穂信 『満願』2.jpg満願1.jpg満願2.jpg  米澤穂信s.jpg 米澤 穂信 氏
満願』(2014/03 新潮社)

 2014(平成26)年・第27回「山本周五郎賞」受賞作。2014年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2015 (平成27) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位、2015年「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第1位(因みに、「週刊文春ミステリー ベスト10」「このミステリーがすごい」「ミステリが読みたい!」の3冠は2008年に「ミステリが読みたい!」がスタートして初)。2015(平成27)年・第12回「本屋大賞」第7位。

 交番勤務の警察官が主人公。交番に訪れたありふれたDV被害者。包丁を持って暴れる彼女の夫と対峙し、発砲するも殉職した同僚の警察官。その事実の裏に潜む心の闇とは?(「夜警」)。美しい母、二人の美しい娘、女たらしの父親。離婚協議が進むなか、娘二人のとった驚きの行動。美しく残酷な性(さが)が導いた結末とは(「柘榴」)。 殺人の罪を認め服役を終えた下宿屋の内儀。人柄を知る元下宿人の弁護士は内儀の行動に疑問を抱く。下された判決に抗おうとせず刑期を勤め上げた女の本当の願いとは(「満願」)。他「死人宿」「万灯」「関守」の3編を収録。

 賞を総嘗めしただけあって粒揃いという感じでしょうか。どれも面白く、個人的には最初の「夜警」と最後の「満願」が特に良かったかなあ。ただ、どちらにも言えることですが、トリックの面白さであって、犯行の動機という点からすると、こんな動機のために(しかも相当の不確実性が伴うという前提で)ここまでやるかという疑問は少しありました。「死人宿」と「関守」も旅館と喫茶店の違いはありますが、ちょっと雰囲気似ていたかなあ。「関守」は途中でオチが解ってしまいましたが、それでも面白く読めました。ということで、"粒揃い"ではあるが、飛び抜けたものは見出しにくいという感じも若干ありました。

 敢えて一番を絞れば、表題作の「満願」でしょうか。直木賞の選評で選考委員の宮部みゆき氏が、「ハイレベルな短編の連打に魅せられました」とし、「表題作の『満願』には、松本清張の傑作『一年半待て』を思い出しました」としているのにはほぼ納得(この作品自体、何となく昭和の雰囲気がある)。しかし、直木賞の選考で積極的にこの短編集を推したのは宮部みゆき氏のみで、「既に他の文学賞も受賞している作品ですが、意外に厳しい評が集まり、事実関係の記述のミスも指摘されて、私は大変驚きました」としています。

 "事実関係の記述のミス"とは幾つかあったようですが、東野圭吾氏が「最も致命的なのは『万灯』で、コレラについて完全に間違えている。(中略)この小説のケースでも感染はありえない」というもので、確かに"致命的"であったかも。更には、「『満願』の妻には借金の返済義務はない。(中略)殺人の動機も成立しない」としていて、これも痛いか。

 結局、浅田次郎氏の「稀有の資質を具えた作家が、同一作品で文学賞を連覇することはさほど幸福な結果とは思えぬ」という流れに選考委員の多くが乗って、直木賞は逃したという感じでしょうか。まあ、いずれは直木賞を獲るであろうと思われるその力量を認めた上での配慮(?)。自分自身の評価も星5つではなく星4つとしましたが、作者の今後に期待したいと思います。

 かつて横山秀夫氏が『半落ち』('02年/講談社)で直木賞候補になったものの、直木賞選考員会で作中の「事実誤認」を指摘されて直木賞に「絶縁」宣言をし、伊坂幸太郎氏が「執筆活動に専念したい」という理由で、山本周五郎賞受賞の自作『ゴールデンスランバー』('07年/新潮社)が直木賞候補になることを辞退したことがありました(伊坂幸太郎氏の場合は初めて直木賞候補になった『重力ピエロ』が選考員会で一部の委員に酷評されたという経緯があった)。まあ、この作者の場合は、そんな事態にはならないとは思いますが...。

【2017年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
「満願」(第1夜「万灯」西島秀俊主演・第2夜「夜警」安田顕主演・最終夜「満願」高良健吾主演)
NHKドラマ『満願』.jpgNHKドラマ『満願』2.jpgNHKドラマ『満願』s.jpg●2018年ドラマ化 【感想】 「万灯」「夜警」「満願」をチョイスしてドラマ化したのは、妥当な選択か。この順番で放映されたが、後になるほど面白かった。つまり「満願」が一番良かったことになるが、これは原作を読んだ時と同じだった。「満願」は「万灯」同様、東野圭吾氏が指摘する瑕疵はあるが、プロットの出来としてはこれが頭一つ抜けていて、さらに脚本と演出が同じ人によるものであるため(熊切和嘉監督)、演出が木目細かったように思った。市川実日子がやや若すぎる気がしたが(しかも10年経ってもまったく老けない)、その演技は効いていたし、スイカやダルマといった小道具も原作通りではあるがそれぞれに効果的だった(旧二葉屋酒造で本格ロケをしたことも良かったのではないか)。

最終夜「満願」市川実日子/高良健吾

「満願」(第1夜「万灯」・第2夜「夜警」・最終夜「満願」)●演出:(第1夜)萩生田宏治/(第2夜)榊英雄/(最終夜)熊切和嘉●プロデューサー:益岡正志●脚本:(第1夜・第2夜)大石哲也/(最終夜)熊切和嘉●原作:米澤穂信●出演:(第1夜)西島秀俊/近藤公園/窪塚俊介・(第2夜)安田顕/馬場徹/吉沢悠・(最終夜)高良健吾/市川実日子/寺島進●放映:2018/08(全3回)●放送局:NHK
市川実日子 in「シン・ゴジラ」('16年/東宝)/「満願」('18年/NHK)
市川実日子 シン ゴジラ.jpg 市川実日子 満願.jpg

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「著者による木村の魂の介錯の試みは、著者自身の首を自ら介錯する試みでもある」(夢枕獏)。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 単行本.jpg「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 単行本2.jpg 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 文庫 上.png
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』['11年/新潮社]『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上) (新潮文庫)』『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) (新潮文庫)』['14年/新潮文庫]

 2012(平成24)年・第43回「大宅壮一ノンフィクション賞」、第11回「新潮ドキュメント賞」受賞作。

 雑誌「ゴング格闘技」の2008年1月号から2011年7月号にかけて連載されたものがオリジナルで、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた史上最強の柔道家・木村政彦の評伝ですが、たいへん面白く、単行本2段組み700ページの大作でありながらも一気に読めてしまいました(あまりに大部であるため、文庫になってから読んだのだが)。刊行時から夢枕獏、平野啓一郎、五木寛之といった人々が絶賛したばかりでなく、恩田陸、櫻井よしこら格闘家にあまり関心があるとも思えない(?)女性からも惜しみない賛辞が寄せられているのも頷けます。

木村政彦 vs 力道山2.jpg 前半部分は柔道家列伝という感じで、その中で木村政彦が図抜けた存在になっていく過程が描かれており、後半は力道山との運命を分ける試合へ導かれていく様が、これも丹念に描かれています。そして、木村政彦の運命を変えた力道山との一戦で彼は、柔道における15年不敗、13年連続全日本選手権の覇者としてリングに上がったものの、力道山の繰り出す空手チョップの前にダウンし、キックされて再び立ち上がることが出来なかったわけです。
木村政彦 vs 力道山(1954年12月22日蔵前国技館)

 この試合は実はプロレスがショーであることの例に漏れず、「引き分け」に持ち込むという互いが事前に取り決めた念書(所謂"ブック")があったにも関わらず、力道山が"ブックやぶり"を犯して勝ってしまったもので、力道山がこの"勝利"を足掛かりに自らのプロレスにおける地位を盤石のものとしていったことは、格闘技ファンの間では知られていることですが、一般には、そうした経緯があったことは、本書が出るまでそれほど知られていなかったかもしれません。

木村政彦 vs 力道山.jpg木村政彦vs力道山.jpg 著者はもともと木村政彦の無念を晴らすためにペンを執ったわけで、その木村政彦に対する思い入れと、ノンフィクションとして出来る限り客観的に真実に迫ろうとする姿勢が、随所で綱引きをするように引っ張り合っているのが興味深かったです。取材に18年かかったというのは伊達ではないでしょう。それだけの時間を費やすだけの木村政彦への強い想いが感じられる一方、主観に捉われず出来るだけ多くの人に取材し、資料に当たり、事の真相を探ろうとするにもそれだけの時間がかかったのだなあと思わされました。

木村政彦 vs エリオ グレイシー.jpg 本書が話題になった時、ブラジルで1951年10月23日行われた木村政彦vs.エリオ・グレイシー戦の動画も観たし、「昭和の巌流島」と言われ、木村政彦の名声の失墜の原因となった、1954年12月22日の木村政彦vs.力道山戦の動画も観ました。但し、それとは別に、かつて10年以上も前にテレビ東京で「君は木村政彦を知っているか」という90分のTV特番があって、その中に生前の木村政彦へのインタヴューが収録されているのを最近知りました(著者のブログによると、著者自身も人から聞いて知ったらしく、「これを観ると、私がいま雑誌上で連載している『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の全体の流れを概観できると思う」と言っている)。

 木村政彦はそのインタビューの中で、あの"因縁の"力道山戦を実に淡々とした感じで振り返っており、自分のキックがたまたま金的蹴りに近いものとなり、それに激昂した力道山が繰り出した空手チョップが偶然自分の頸動脈に入って自分は気を失ってしまったように話していました。予め力道山戦の動画を観ていた自分もそうだな、事故だったのだなあ、木村政彦も随分枯れたというか達観した感じだなあと思ったのですが、本書を読むと、力道山の空手チョップが頸動脈に入ったというのは記者か誰かの誤記を木村が事実と取り違えて自分でそれで自分を納得させてしまったものらしく(実際には力道山のチョップは顔面=テンプルに入っている)、こうしたことからも、木村が力道山戦を自分の心の中で整理するのに大変苦心したことが窺えるように思いました。 「君は木村政彦を知っているか」 (テレビ東京2000年8月27日放映)

 先にも述べたように、本書はもともと木村政彦の無念を晴らすために書かれたもので、本書に対する評価の中には「ペンで仇をとった」といったようなものもあり、確かにそうした側面はあるでしょう。しかし、一方で本書は、プロレスラー力道山は真剣勝負で試合に臨んだが、一方の木村政彦は、事前に力道山に渡した念書どおりのプロレスのつもりでリングに上がり、試合に対し呑気に構え、トレーニングもせず、前夜も大酒を食らっていた―その違いが木村の顔面に決まった力道山の一発に表れ、一方のそれを喰らった木村は立てなかったという捉え方もしています。

 そして最終的に著者は、「あれはただのブックやぶりでしかない。だから勝ち負けを論ずるのは間違っている」としながらも、「だが、木村の魂はさまよい続け、介錯を待っているのだ。ならばその魂に柔道側から介錯するいしかない」とし、「木村政彦は、あの日、負けたのだ。もう一度書く。木村政彦は負けたのだ」としています。こうして見ると、夢枕獏氏が「週刊文春」に書いた、「木村のさまよえる魂を追いつめてゆき、いよいよ著者は木村の介錯を試みるのだが、これはむしろ著者が著者自身の首を自ら介錯するシーンとして読むべきだろう」という評が、実に穿った見方であるように思いました。

「なぜ木村政彦は力道山を殺さなかったのか」_3.jpg 本書を読んでも最後まで分からないのは、力道山にとって木村政彦との試合は彼を潰すチャンスでもあったのは事実だと思いますが、それではブックやぶりはゴングが鳴る前から力道山の「作戦」にあったのか、それとも木村があたかもインタビューで力道山を"擁護"するかのように語ったような「事故」だったのかということで、これは、力道山が自らをプロモートすることに関して非常に優れた才能を持っていた(また並々ではない執着心を持っていた)ことと、彼が非常に激昂しやすい性格であったことを考えると、どちらの可能性もあるように思います。

 本書は最後、木村政彦の妻をはじめ4人の女性に敬意を表して終わっていますが、その中に力道山の妻も含まれており、本書は、木村政彦へのオマージュであるとともに、(ペンの力で敵討ちするはずだった)力道山へのオマージュにもなっているように思いました。

【2014年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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いろいろ批判や矛盾点はあるかもしれないけれど、「巧いなあ~」と。

沼田 ユリゴコロ1.png 沼田 ユリゴコロ 2.png   
ユリゴコロ』(2012/04 双葉社) 「ユリゴコロ」2017年映画化(出演・吉高由里子・松坂桃李・松山ケンイチ)

 2011(平成23)年・第14回「大藪春彦賞」受賞作。2012年・第9回「本屋大賞」第6位。

 不慮の事故で母親を失い、父親も末期の癌に侵されていることを知った亮介は、実家の押入れで「ユリゴコロ」と名付けられた古びたノートを偶然見つけるが、そこに記されていたのは、殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白だった。創作なのか、或いは事実に基づく手記なのか、そして書いたのは誰なのか。謎のノートは亮介の人生を一変させる驚愕の事実を孕んでいた―。

 「本屋大賞」で6位かあ。巧いなあと思いました。途中で先が読めたという人もいるけれど、自分には、話が一旦は一段落したかのように思えた後の、最後の展開は全く予想がつきませんでした。

 手記の主が衝動殺人に至る動機が、描写からはよく伝わってこないとか色々と批判はあるかも知れませんが、まあこの辺りはどちらかと言えばホラーサスペンス系で、純文学じゃないんだし、個人的には、「道尾秀介」作品みたいに心理描写に凝らなくてもいいのではと思いました(むしろこの場合、あまり凝らない方がいいのではと)。

 主人公・亮介が、この手記は両親のどちらが書いた小説か何かだろうと考えつつ、内容が現在の自分の家族と通じる部分があり、更に、幼い頃に自分の母親が入れ替わってしまったような記憶があるために疑心暗鬼を深め、不安を駆り立てられる心情の描写などは、むしろ簡潔にして巧みと言えるのでは。

 一番気になったのは、最初の頃の殺人と最後の方の「必殺仕置人」的(?)な殺人が、あまりに質が異なり、繋がらなさ過ぎるという点で、まあ、そうした幾つかの矛盾点を抱えながらも、力技で「救い」のある結末に持っていき、それでいて「こんなの、ありか」と思わせる前に、「巧いなあ~」と思わせてしまうのは、やはり相当の力量なのかも。

 「湊かなえ」作品のように、出てくる人が誰も彼も悪意に満ちているといったこともなく、むしろ"感動物語"と言えるかどうかはともかく、ほっとさせられるような結末になっていて、そうなると今度は、最初に殺された子どもやその親は報われないんじゃないかという見方もあるかも知れませんが、こうしたお話で倫理とか道徳とか言い始めると、楽しめないんだろうなあ。

 概ね気持ち良く騙されたということで、星4つ、としたいところですが、やはり、まるで別人格になった人間が、「平然と人を殺せる」という特質だけ保持していることの不自然さから、星半個マイナス。

【2014年文庫化[双葉文庫]】

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細かいところでケチをつけたくなるが、基本的には"力作"エンタテインメント。

ジェノサイド 高野和明2.jpgジェノサイド 高野和明1.jpgジェノサイドb.jpg  
ジェノサイド』(2011/03 角川書店)

 2012(平成24)年・第65回「日本推理作家協会賞」(長編及び連作短編集部門)、第2回「山田風太郎」各受賞作。2011 (平成23)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)、2012(平成24)年「このミステリーがすごい!」(国内編)共に第1位(2012年・第9回「本屋大賞」2位、2012年「ミステリが読みたい!」国内編・第4位)。

 急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが―。(Amazonより引用)

 殆ど先入観無しで読み始めたため、最初はフレデリック・フォーサイスの『戦争の犬たち』のような傭兵モノかと思いましたが、新人類の出現がストーリーの核になっていて、SFだったのかと...。但し、「人類史における大量殺戮は人間そのものの性によるものなのか」というテーマに加え、薬学や生命学、或いは軍事や兵器、ピグミーの生活などについてマニアックなくらい色々調べ込んでいるみたいで、そうしたテーマ並びに豊富な情報の醸す重厚感はありました。

 現生人類を超える種の誕生ということについても、人類進化の大きな区切りが、2500万年前(類人猿の誕生)、150万年前(直立二足歩行の原人類ホモ・エレクトズの誕生)、20万年前(ネアンデルタール旧人類の誕生)、4万年前(言語の使用)、5千年前(文字の発明)というように一桁ごとに短くなる非連続で起きていて、類人猿→原人類間が2000万年以上もかかったのに、原人類→旧人類間が200万年程度、旧人類→新人類間が15万年とスパンが短くなっていて、新人類が誕生して現代までが5万年ということを考え合わせると、そろそろ「新・新人類」が出てきてもおかしくないという見方もできます。

 Amazonのレビューなどを見ると、すぐに銃で人を殺そうとする日本人が出てくるなど、日本人を悪く描いているようで気に入らないとか、作者の人種的偏見が作中人物に反映されているとかいたもののありましたが、個人的には、どちらかと言うと日本人だけをよく描こうとはしていないことの結果で、それほど偏っているようには思いませんでした。

 歴史観的にも、南京大虐殺の捉え方などに批判があるようですが、個人的にはむしろジンギスカンを殺戮者の代表格として扱っているのがやや疑問。モンゴル帝国は宗教的宥和策をとったからこそあれだけ版図拡大が可能だったわけで、これはオスマン帝国についても言えることであり、宗教戦争について言えば、ヨーロッパ人の方がよほど殺戮を繰り返してきたのではないかな。

 ストーリーの流れとしては、細部を諸々マニアックに語り過ぎて、前半は話の流れそのものが緩慢な感じがしましたが、中盤から後半にかけては、東京、アメリカ、コンゴで起きていることが連動して、畳み掛けるような感じでテンポは悪くなかったかなあと。

 ただ、プロット的にちょっと理由付けが弱いのではないかと思われる部分があり、例えば、核コントロールに用いている暗号を解読される恐れがあるという理由だけで新人類を駆逐しようとするかなあ。新人類が近親交配の劣勢遺伝を取り除くために創薬ソフトを開発するというのもあまりピンとこないし、そのソフトが、難病の子の命を救うことにもなるというのもご都合主義のように見えてしまいます。

 イエーガーの難病の息子に対する思い入れは分かるけれども、古賀研人のたまたま病院で見かけた難病の女の子に対する思い入れは、やや強引と言うか安易な印象も受けました。同じ病気の子どもは他にも大勢いるでしょう。この子だけ、たまたまタイムリミットがこのお話の展開に合致したということ?

 世間一般の評価が高いだけに、逆に見方が厳しくなってしまうというのはあり、細かいところでケチをつけましたが、基本的には、エンタテインメントの"力作"であると思います。

 この作品の新人類って、映画「E.T.」の宇宙人を彷彿させるね。あっちは植物学者で、こっちは単なる子どもだけど、その知能は確かに現生人類を遥かに凌駕している。一個体でこれだけスゴイ能力を有するとなると、新人類の99%が大量殺戮など決して思いつきもしない平和主義者であっても、1%でも破壊主義的な性質を持った'変種'がいれば、その1%によって簡単に種そのものを絶滅に追い込むことが出来てしまうのではないかな。以前、「理科室でも作れる原子爆弾」という話題がありましたが、進み過ぎた文明というのは、あまり長続きしない気がするなあ。

 【2013年文庫化[角川文庫(上・下)]】

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やや出来過ぎた話もあるけれど、ファンタジーと割り切れば楽しめ、ほろっとさせられもした。

ナミヤ雑貨店の奇蹟2.jpgナミヤ雑貨店の奇蹟1.jpg  
ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2012/03 角川書店)「ナミヤ雑貨店の奇蹟」2017年映画化(監督:廣木隆一/出演:山田涼介・尾野真千子・西田敏行/主題歌:山下達郎)

 2012(平成24)年・第7回「中央公論文芸賞」受賞作。

 コソ泥をして逃亡中の敦也・翔太・幸平は突然盗んだ車が動かなくなり、仕方なく以前翔太が見つけた廃屋「ナミヤ雑貨店」に逃げ込み夜が明けるのを待つことに。三人が店を物色していると、突然シャッターにある郵便口に手紙が投げ込まれ、そこには月のウサギと名乗る者からの悩み相談が書かれていた。店に残っていた雑誌によると、ナミヤ雑貨店はかつて店主が投函された相談に一生懸命答えてくれる事で有名だった。敦也は放っておこうというが、翔太と幸平は返事を書く事を決意する―(第1章「回答は牛乳箱に」)。

 タイムスリップをモチーフにした連作スタイルの作品で、第1章 の「回答は牛乳箱に」で、廃屋となっている「ナミヤ雑貨店」及びそこにある牛乳箱を介在した、主人公たちと過去の人物との、悩み相談の手紙とその回答の遣り取り―という、この連作を貫く構図が示されます。

 作者自身の談によれば、最初にこの"システム"を思いついて、次に、なぜ「悩み相談」のようなことがそこで行われているかを考え、その上で、「人生の岐路に立った時に人はどうすべきか」ということを年頭に置きつつ、各物語の世界を構築していったとのことです。

ナミヤ雑貨店の奇蹟 2.jpg 以下、「夜更けにハーモニカを」「シビックで朝まで」「黙祷はビートルズで」「空の上から祈りを」と続き、『新参者』('09年/講談社)もそうでしたが、各章で独立した話をもってきながらも、章と章のストーリーや登場人物の関係のさせ方が上手いなあと思いました(その絡ませ方の妙は『新参者』以上かも)。

 ファンタジー系はあまり自分には向いていない気もしていますが、この作品については、割にスンナリ入り込めて思いの外に楽しめ、「夜更けにハーモニカを」とか「黙祷はビートルズで」の最後の方あたりは、結構ほろっとさせられもしました。

 ちょっと出来過ぎた話もあるけれど、ファンタジーだと割り切って読めば、あとは突っ掛かることなく読めたという印象。最後、自分たちが助けた女性を、そうと知らずに縛り上げてしまったのはご愛嬌でしょうか。

 映画「レット・イット・ビー」('70年/英)の海賊版って、何だかありそうな気がしてくるね。

【2014年文庫化[角川文庫]】

ナミヤ雑貨店の奇蹟 映画.jpg2017年映画化
「ナミヤ雑貨店の奇蹟」('07年/松竹)
監督:廣木隆一
出演:山田涼介/西田敏行/尾野真千子/村上虹郎/寛一郎/林遣都/成海璃子/門脇麦/萩原聖人/小林薫/吉行和子
主題歌:山下達郎「REBORN」

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ブラック企業の実態と併せ、その社会的損害を指摘。なくすための政策提示もされている。

ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪.jpg        POSSEの今野晴貴.jpg POSSE代表・今野 晴貴 氏
ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』['12年] 

個別労働相談件数.jpg 違法な労働条件で若者を働かせては「使い捨て」にする、いわゆる「ブラック企業」の実態を、一橋大学に学部生として在学中からNPO法人POSSE代表として若者の労働相談に関わってきた、労働政策、労働社会学専攻の大学院生が著した本です。

 著者は、「ブラック企業」という問題を考える際には、若者が個人として被害に遭う側面と、社会問題としての側面があるとし、本書では、個人から社会へと視野を広げることで、告発ジャーナリズムとは一線を画しているようです。

 とはいえ、前半のブラック企業の実態について書かれた部分にある、大量採用した正社員をきわめて劣悪な条件で働かせ、うつ病から離職へ追いこみ、平然と使い捨てにする企業のやり方には、改めてヒドイなあと思わされました(行政窓口への個別労働紛争相談件数で「パワハラ」が「解雇」を上回ったのも、2012年1月に厚生労働省が「パワハラ」の具体例を挙げて、「過大な要求」や「過小な要求」もそれに該当するとしたことに加えて、実際に世間ではこうしたやり口がかなり広く行われていることを示唆しているのではないか)。

ブラック企業1.jpg 過労死・過労自殺が発生したため裁判となったケースなどは、企業の実名を揚げて紹介しており(「ウェザーニューズ」、「ワタミ」、「大庄」(庄や・日本海庄や・やるき茶屋などを経営)、「shop99」)が実名で挙げられている)、中には初任給に80時間分の残業代が含まれていて(正社員として入社した若者たちは、そのことを入社後に知らされたわけだが)、それを除いた基本給部分を時給換算するとぴったり最低賃金になるといった例もあり、こういうのは「名ばかり正社員」といってもいいのではないかと。

 こうしたブラック企業から身を守るためにはどうしたらよいかを若者に向けて説いたうえで、本書の後半部分では、「社会問題」としてのブラック企業問題を考えるとともに、どのように問題を解決するべきかという提案もしています。

 そこでは、ブラック企業の第一の問題は、若くて有益な人材を使い潰していることであり、第二の社会問題は、新卒の「使い捨て」の過程が社会への費用転嫁として行われていることにあるとしており、ナルホド、労働社会学者を目指す人らしい視点だと思いました。

 うつ病に罹患した際の医療費のコスト、若年過労死のコスト、転職のコスト、労使の信頼関係を破壊したことのコスト、少子化のコスト、サービス劣化のコスト――こうしたものを外部に転嫁することのうえにブラック企業の成長が成り立っていると考えると、著者の「国滅びてブラック企業あり」という言葉もジョークでは済まなくなってくるように思いました。

 著者は、こうしたブラック企業は、終身雇用と年功賃金と引き換えに、企業が強い命令権を有するという「日本型雇用」の特徴を悪用し、命令の強さはそのままで、雇用保障などの「メンバーシップ」はない状態で、正社員を使い捨てては大量採用することを繰り返しているのだと。そして、労働市場の現況から見るに、すべての日本企業は「ブラック企業」になり得るとしています。

 実際、日本型雇用が必ずしも完全に成立していない中小企業に限らず、今日では大手新興企業が日本型雇用を放棄している状況であり、これまで日本型雇用を守ってきた従来型大手企業もそれに引きずられていると。

 こうした事態に対する対策として、著者は、国が進めている「キャリア教育」はブラック企業に入ってしまった人に諦めを生むことに繋がっており、むしろ、ブラック企業から身を守るための「ワークルール」(労働法規や労使の権利義務)を教えるべきであるとしています。

 また「トライアル雇用の拡充」も、ブラック企業によくみられる試用期間中の解雇をより促す危険性もあり、本当に必要な政策は、労働時間規制や使用者側の業務命令の規制を確立していくことであるとしています。

 こうした施策を通して、「普通の人が生きていけるモデル」を構築すべきであり、それは賃金を上げるということには限られず、むしろ賃金だけに依存すべきではないと。教育・医療・住居に関する適切な現物給付の福祉施策があれば、低賃金でもナショナルミニマムは確保可能であり、つまり目指すは、「低福祉+低賃金+高命令」というアンバランス状態から脱し、「高福祉+中賃金+低命令」であると。

 こうしたことの実現のために、若者たち自身にも「戦略的思考」を身につけ、たとえブラック企業の被害にあっても自分個人の問題で終わらせず、会社と争う必要があれば仲間をみつけ、ともに闘うことで、社会の問題へと波及させていくべきであるとしています。

 最後のまとめとして、ブラック企業をなくす社会的戦略として、労働組合やNPOの活用と労働法教育の確立・普及を挙げています。

 学生、社会のそれぞれに向けてバランスよく書かれているうえに、企業側の人にも読んでいただき、襟を正すところは正していただくとともに、「ブラック企業」問題が他人事ではないことの認識を持っていただく一助としてほしい本。

 最近、企業の新卒採用面接に立ち会って、シューカツ(就職活動)中の学生で、ほぼ全滅の中、かろうじて内定を得ている企業の名が同じだったりするのが気になりますが(概ね、いわゆる「ブラック企業」っぽい)、彼らも、自らの内定状況に満足していないからこそ、こうして、内定後も採用面接に足を運んでいるのでしょう。

 2013(平成25)年度・第13回「大佛次郎論壇賞」受賞作。

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本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨がある。

「鯨人」.bmp     海人 石川梵.jpg 海人2.JPG
鯨人 (集英社新書)』['11年] 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』['97年](37 x 26.8 x 2 cm)

海人1.JPG 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』('97年/新潮社)は、インドネシア東部レンバタ島のラマレラ村の人々の、銛一本で鯨を仕留める伝統捕鯨の様子を撮った写真集ですI(定価4,700円だが、絶版のためプレミア価格になっている)。

 大判の上に見開き写真が多く、人間とマッコウクジラの壮絶な闘いは迫力満点、鯨を仕留めた後の村人総出での解体作業や、遠く海を見つめるかつて名人と言われた古老の眼差しなども印象深く、日本写真家協会新人賞、講談社出版文化賞写真賞などを受賞した作品です。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人3.JPG 巻末の《取材データ》に、「取材期間1991 -97、延べ滞在期間11カ月、出漁回数200回超、最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)」とあり、写真家のプロフィールには「ラマレラでの最初の4年間を鯨漁に、次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす。海と鯨とラマファ(鯨人)を愛し、30代のほとんどすべてをラマレラの撮影に捧げた写真家」とありました。

 写真集『海人』から13年半を経て、「集英社新書ノンフィクション」(カラー版の「集英社新書ヴィジュアル版」ではなく、文章中心に編集されている)として刊行された本書『鯨人(くじらびと)』は、同写真家によるラマレラにおける鯨漁撮影のドキュメントであり、鯨漁にまつわる現地の伝承・逸話や村の人々の暮らしぶりなどもよく伝え、民族学的にも価値のあるものになっていると思いました。

 90年代に著者が取材した際には外国人のフォトジャーナリストも取材に来ており、日本のNHKも'92年にNHKスペシャル「人間は何を食べてきたか~海と川の狩人たち~」という全4集のドキュメンタリーの第1集で、「灼熱の海にクジラを追う ~インドネシア・ロンバタ島』を放送('92年1月19日)しています(写真集が出された後では、TBSなども著者をガイドとした取材に行っているようだ)。

 但し、本書にはテレビ番組では味わえない長期取材の効用が滲み出ており、まず、お目当てのマッコウクジラとなかなか巡り会えず、写真集に"最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)"と書かれていた、その時間の長さをより実感できるかと思います。

 更にその間、毎年のように村を訪れ、村の多くの人と出会い、彼らとの交流を通じて様々な昔話などを訊き出していて、これがたいへん興味深かったです。

 マッコウクジラは彼らにとってもそうそう眼の前に現れるものではなく(村人たちは、ヒゲクジラは伝承神話の上で"恩人"とされているため捕獲しない)、マッコウクジラが獲れない間は、ジンベイザメとかシャチとかマンタ(イトマキエイ)を獲ったりしているようですが、これらとて大型の海洋生物であり、銛一本で仕留めるのはたいへんなこと、マンタは比較的よく獲れるようですが食べられる部分が少なく、マッコウクジラ1頭はマンタ何百頭分にも相当するようです。

海人52.JPG 70年代に国連のFAO(国連食糧農業機関)がラマレラの食糧事情を改善しようとノルウェーから捕鯨船を送り込み、その結果、砲台による捕鯨は鯨の捕獲頭数を増やしたものの、鯨肉が供給過剰となったためにFAOは途中で操業をやめ、プロジェクトが終わったら今度はさっぱり鯨が獲れなくなったそうです。

 ここ10年の捕獲数は年間10頭を切るぐらいだそうで、著者もなかなか鯨に巡り合えず、村人たちに「ボンが来ると鯨が現れない」とまで噂されてしまったとのこと。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人53.JPG 彼らの捕鯨は、鯨油のみを目的とした先進国のかつての捕鯨とは異なり、一頭の鯨の骨から皮まで全てを利用する日本古来の捕鯨に近く、IWC(国際捕鯨委員会)が認めている「生存(のための)捕鯨」であることには違いないですが、同時に、鯨が獲れた際には鯨肉を市場での物々交換で売りさばき、干肉にして保存した分も最終的には市場に流通させていることから、「商業捕鯨」の定義にも当て嵌ってしまうとのこと。

 でも、振り返って日本の場合を見れば、「調査捕鯨」の名のもとに「商業捕鯨」が行われているわけで、IWCに異を唱えて「商業捕鯨」を貫こうとしているノルウェーのような毅然とした姿勢をとれないところが、国際社会における発言力の弱さの現れでしょうか。

 ラマレラでは、過去に鯨漁で亡くなった人や事故に遭った人も多くいて、著者は鯨漁を人と鯨の互いの死力を尽くした闘いと見る一方、ラマファ(鯨人)を撮るだけでなく、獲られる側の鯨も撮影しなければとの思いからダイビングライセンスを取得し、とりわけ、断末魔に置かれた鯨の眼を撮ることに執着し、それが、写真集に「次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす」とあった記述となります(この"眼"の撮影に成功した場面もよく描けている)。

 更にエピローグとして、一連の取材を終えた13年後の'10年に村を再訪した際のことも書かれており、村の各戸に電気が通っていたり、漁船にエンジンが付いていたり、反捕鯨団体が鯨の観光資源への転嫁などの宥和策を持ちかけていたりと、いろいろ時代は流れていますが(一方で、報道によれば、今年('12年)1月に、島で10歳の少女がワニに食べられるという事故もあったが)、かつて名人として鳴らしたラマファの古老など、著者が取材した何人かが亡くなっていたのがやはり寂しい。

 写真集『海人』の写真は、「ライフ」をはじめ世界の主要写真集のグラビアを飾りましたが、著者にとっては、ラマレラで鯨人たちと過ごした濃密な7年間こそ人生の宝物であり、それに比べれば、写真家として栄誉を得たことは副産物にすぎないかもしれないといったことを「あとがき」で述べています。

 本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨があります。

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ただ「計算してみました」というだけの内容を遥かに超え、脱原発への道筋を示している。

原発のコスト 岩波新書.jpg 『原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)』 大島 堅一.jpg 大島 堅一 氏

 40代半ば中堅の環境経済学者による著書で、第1章で東日本大震災による福島第一原発の事故では一体何が起きたのかを振り返り、環境被害の深刻さ、人体への影響、生活への影響を検証しています。

 続く第2章では、被害補償をどのように進めるべきかを論じていて、事故費用を①損害賠償費用、②事故収束・廃炉費用、③原状回復費用、④行政費用に区分し、それぞれ試算しています。

 それによると、①の住民の被害に直接関わる費用である「損害賠償費用」を、直接的な被害だけでなく、営業費用(実害と風評被害)や就労不能による損害、財産価値の喪失・減少など経済的被害なども併せた「被害の総体」を賠償する費用と捉えると、それだけで5.9兆円になり、これに②~④を加えると8.5兆円になるとしていますが(④の行政費用は、国や自治体が行う防災対策と放射能汚染対策、それに放射能汚染により出荷できなくなった食品の買い取り費用も含まれる)、廃炉費用を東京電力の試算を基に1.68兆円と見積もっているものの、これは1号機から4号機の被害状況が十分確認されていない段階での試算であり(チェルノブイリ原発の廃炉費用は19兆年かかっていることからもっと増える可能性がある)、更には、この「8.5兆円」という数字には、③の原状回復費用は"試算不能"として含まれていません(放射性廃棄物貯蔵施設の建設費用だけで80兆円かかるという報道もあるとのこと)。

 そこで次には、このうちの何がどこまで賠償されるかということが問題になってきますが、原子力損害賠償制度というのは、事業者である東京電力の過失責任であった場合、賠償措置が一定の限度額を超えると国が補完援助することになっていて、更には、新たな損害賠償スキームとして登場した原子力損害賠償支援機構は、仕組み上は、この東京電力への援助に上限を設けず、必要があれば何度でも援助できるようにして、東京電力が債務超過に陥らせないようにするようになっているとのこと。こうなると、著者が言うように、東京電力を守るための機構であり、また、原賠法が事業者の責任を明確にした上での国の援助を定めていたのに、東京電力の責任もどんどん曖昧になっていくのではないかなあ(それが、機構を設立した目的なのかもしれないが、最終的な負担は国民の税金にかかってくるため、東京電力にオブリゲーションが無いまま、負担増だけが国民に強いられるというのは解せない)。

 第3章では、原子力は水力・火力に比べ発電コストが安いとされているが、本当にそうなのかを検証していて、この計算のまやかしは以前から言われていたかと思いますが、本書では、原子力発電に不可欠な技術開発コスト、立地対策コストを政策コストとして勘案すると、火力や水力よりも電力コストは高くなることを計算によって示しています(一キロワット当たり、原子力は10.25円、火力は9.91円、水力は7.19円)。

 これらに加えて、原子力発電には、原子力事故後に発生するコスト(事故コスト)が高く、これを事故リスクコストとして計算すること自体に無理あり、更には、核燃料の使用後に発生する使用済燃料の処理・処分にかかる所謂バックエンドコスト(総合資源エネルギー調査会がこれを18.8兆円と計算しているが、実際の額はもっと高くなると想定される)まで含めると、その「経済性」は疑われるとしていますが、尤もだと思いました。

 このようにコストがかかる上に、危険でもある原子力発電ですが、第4章では更に踏み込んで、こうした中、原子力複合体(所謂「原子力村」)がいかにして「安全神話」を作り上げてきたかが検証されていて、そこには反対派の徹底排除を進めるうちに、推進する当事者の側で、危険性を問題視すること自体がタブーとして形成されてしまったというのが実態であるとの分析をしています。

 著者は、日本においてはこの原子力複合体(原子力村)の力があまりにも強すぎるとしながらも、最終第5章では、福島第一原発事故により脱原発に対する国民の支持が圧倒的に高まっており、また原発に頼らなくとも少し節電するだだけで電力供給を賄うことは可能であるとして(節電コストと節電による節約額の方が大きい)、原発を止める道筋を提唱すると共に、脱原発のコストを計算し、更には、再生可能エネルギー普及政策の考え方を示しています。

 環境経済学ってこういうことを計算するのかと初めて知りましたが、あとがきによれば、こと原子力政策については批判的に研究している専門家は極端に少なく、時として孤独な作業を強いられるとのこと、しかも本書は、ただ「計算してみました」というだけの内容を遥かに超えており、事故の経緯や安全性の問題など、著者自身の専門を超える範囲についても相当の勉強をした痕跡が窺えました。

 こうした学者がいることは心強いですが、同じ志を持った研究者がより多く出てくることを期待したいと思いました(著者は、現在は立命館大学教授。私立大学にもっと頑張って欲しい)。

 2012(平成24)年度・第12回「大佛次郎論壇賞」受賞作。

原発コスト4割高.jpg 2011年11月23日 朝日新聞・朝刊

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場面描写が"新人"離れしていて、読んでいて無駄や澱みが無いという感じ。

白樫の樹の下で.jpg 『白樫の樹の下で』(2011/06 文藝春秋)

 2011(平成23)年・第18回「松本清張賞」受賞作。

 田沼意次時代から松平定信へ移行する天明年間の江戸本所で、提灯貼りの内職で家計を助けながら、佐和山道場で代稽古を務める小普請組の御家人・村上登は、町人ながら錬尚館で目録を取る巳乃介から一竿子(いっかんし)忠綱の名刀を預かって欲しいと頼まれる。その頃、大膾(おおなます)と呼ばれる凄腕の残虐非道な辻斬りが世間を騒がせていて、登も巳乃介も、道場仲間の仁志兵輔も青木昇平も、その犯人捜しに巻き込まれていく―。

 作者は経済関係の出版社に18年間勤務した後、経済関係のライターをしていた人で、90年代に純文学の新人賞を受賞したものの、その後10年のブランクを経て60歳を過ぎて初めて松本賞に応募し、しかもこれが本人にとって初の時代小説であるとのことですが、年季が入っているせいか、手馴れた雰囲気の作品でした。

 前半部はミステリとしては緩やかな展開で、その中で「白樫の樹の下」にある道場で共に剣術を磨いた3人の男達の友情や、その内の1人・兵輔の妹を巡る残り2人・登と昇平の確執など、彼らの人間関係が描かれていますが、背景としての下級武士の暮らしぶり(内職で糊口を凌いでいる)や道場の様子などの描写がしっかりしていて(相当下調べしたのだろうなあ)、それをマニアックにならずにさらりと書いているのが読み易かったです。

 後半になると事態は急展開し、主要登場に次々と災厄が降りかかりますが、前半部分に不穏な伏線はあるけれども、主人公にとって身近な人物がこう次から次へと...というのはややヤリ過ぎかなという気もしなくはありませんでした。

 但し、剣戟場面はよく描けていたなあ。天明期ともなると武士でも人と刀を斬り結んだ経験のある者は少なく、そうしたことを前提に剣戟シーンを書いているため、現代人が読んで比較的リアルに感じられるというのもあるかもしれません(どのような境地に達した時に人を斬れるかというのが、作品の大きなモチーフになっている)。

白樫の樹の下で 文庫.jpg 主人公の関係者の中に"大膾"事件の下手人がいるかもと思わせつつ、片やその関係者がバタバタ倒れていき、プロセスにおいては結構ハマりましたが、一方で、事件の真相を知ってしまうと、ミステリとしては結構ショボかったと言うと言い過ぎですが、やや拍子抜けの感も無きにしもあらずでした。

 但し、1つ1つの場面描写に"新人"離れしているものが感じられ、読んでいて無駄や澱みが無いという感じであり、何だか褒めたり貶したりですが、今後に期待が持てる作家であるには違いないと思いました("新人"にしては、ということで、或いは10年のブランクを経ての松本賞受賞に対するお祝いの意味も込めて、星半分オマケか)。

白樫の樹の下で (文春文庫)

【2013年文庫化[文春文庫]】

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状況が加速するにつれてリアリティが後退し、イマイチ入り込めなかった。

悪の教典 1.jpg 悪の教典2.jpg   映画 悪の教典.jpg
悪の教典 上」「悪の教典 下」   映画「悪の教典」(2012年/東宝) 監督:三池崇史、主演:伊藤英明

貴志 祐介 『悪の教典 (上・下)』.bmp 2010(平成22)年・第1回「山田風太郎賞」(角川文化振興財団、角川書店主催)受賞作。2010 (平成22) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2011 (平成23) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。2011年版「ミステリが読みたい!」国内編・第2位。

 暴力生徒やモンスターペアレント、集団カンニングに、淫行教師など様々の問題を抱える私立高校に勤める蓮実聖司は、有能で生徒からの人気も高かったが、実は彼の本性は、自分に都合の悪い人間を次々と抹殺していくサイコ・キラーだった―。

 ―ということだったのだなあ。何ら先入観無しで読み始めたので、最初は、学校の諸問題をあらゆる手段で解決していくマキャベリストの話かと思ったけれども、そうではなく、単なる殺人鬼でした。

 それでも前半部分は、学校内の教師間、教師と生徒間の人間関係のダイナミクスが旨く書けているように思え、サスペンスとしてもまあまあの滑り出しのように思えました。

 しかし、主人公のシリアルキラーぶりが昂進し、殺人が大量殺戮へと加速していった途端に、現実感が希薄になり、あとはゲームの世界のような感じで、イマイチ入り込めませんでした(「他人に共感出来ない」というだけで、これだけ殺すかなあ)。

デクスター2.jpg 同じくシリアルキラーを描いた、海外ドラマ「デクスター~警察官は殺人鬼」のマイケル・C・ホール演じる主人公のデクスターは、優秀な鑑識官でありながら自らの殺害欲求を抑えられない、これもまたサイコパスですが、法では裁き切れない凶悪犯を次々と殺害していくという点では、世の役に立っている?

デクスター.jpg マイケル・C・ホールは、これ、ハマり役。主人公の複雑な内面も、「デクスター」の方がよく描けているように思えます(海外ドラマ、意外と侮れない)。

「デクスター ~警察官は殺人鬼」 Dexter (Showtime 2006~2013) ○日本での放映チャネル:FOX CRIME (2007~)

【2012年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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ヤングアダルト向け時代物といった感じ。大人の読み物としてはやや物足りないのでは。

しゃばけ 2001.jpgしゃばけ』(2001/12 新潮社)しゃばけ 文庫.jpgしゃばけ (新潮文庫)

 2001(平成13)年・第13回「日本ファンタジーノベル大賞」(優秀賞)受賞作("大賞"ではない)。

 江戸で有数の回船問屋と薬種問屋と営む長崎屋の跡取り息子・一太郎は生まれながらの病弱であったため、祖父は佐助と仁吉という2人の手代をつけるが、彼らは人間の姿をしてはいるものの、実はそれぞれ犬神と白沢という妖(あやかし)。一太郎は、昔から人には見えない妖を見ることが出来、更に彼らが自分を守ってくれていることを知っている。若旦那と呼ばれながらも病弱のゆえ、ろくに仕事をさせてもらいない一太郎は、ある用事で夜中に外出した帰り人殺しの現場を目撃して犯人に襲われそうになるも、妖の助けでその場を逃れるが、その後、同じような類の殺人事件が連続して起きる―。

 作者の「しゃばけ」シリーズの第1作で、もともと懸賞応募小説だったためシリーズ化は意図していなかったとのことですが、その後、『ぬしさまへ』('03年)、『ねこのばば』('04年)、『おまけのこ』('05年)、『うそうそ』('06年)、『ちんぷんかん』('07年)、『いっちばん』('08年)、『ころころろ』('09年)、『ゆんでめて』('10年)と、コンスタントにシリーズ作品を生み出しており、最初のキャラクター設定がしっかりしていたというのもシリーズとして続いていった要因なのでしょう。

 この中で長編作品はこの『しゃばけ』と『うそうそ』だけで、後は短篇の連作ですが、そのためか、この作品がシリーズの中で一番面白いとする人も多いようです。個人的にもそんな気がしますが、一太郎の置かれている状況とその周辺の書き込み、妖(あやかし)それぞれのキャラクターや特性の紹介があって、やはりそれらを最初に読んだ時の新鮮さかなあ。

 事件及びその謎解きとしてはやや単調で、前述の書き込みがあるため冗長感も否めず、連続殺人事件ではあるけれども(妖が絡んでいるせいもあるが)何だか軽いなあという感じ。むしろ、一太郎の出生の秘密が明かされることの方が、シリーズ全体としては重要な出来事だったかも知れません。

 若い女性に人気があるシリーズといいうことですが、ファンタジーノベルでもあるため、中高校生が読みそうな「ヤングアダルト向け時代物」といった感じがしました(妖の台詞などは殆ど現代語であるし)。テレビドラマ化もされましが、これ映像化すると、妖(あやかし)が"仮装大会" になってしまうような...(観ていないが)。

 若い女性に人気が出たのは、一太郎の一見"草食系"風だが、実は芯が強く、男義もあるキャラクターの魅力かなと。全体にほのぼのしていて、色恋が絡んだどろっとした話が少なく、意図的にそうしたものを避けているような気もします(と思ったら、第2作『ぬしさまへ』の中に仁吉の恋の物語があったが(「仁吉の思い人」)、これとて妖の妖に対する千年も前の恋の話であり、極めてファンタジック)。

 シリーズ全体を通して勧善懲悪ストーリーで、読んでいて安心感はあるし、妖(あやかし)達が合議して事件解決に挑む姿は微笑ましいけれど、大人の読み物としてはやや物足りないのでは。

【2004年文庫化[新潮文庫]】

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「●「本格ミステリ大賞」受賞作」の インデックッスへ

読みやすく読後感もそう悪くない。でも、読み終えた途端に印象が薄くなり始めるような...。

シャドウ 道尾秀介.jpg  シャドウ 道尾秀介 文庫.jpg               向日葵の咲かない夏.jpg
シャドウ (ミステリ・フロンティア)』['06年]/『シャドウ (創元推理文庫)』/『向日葵の咲かない夏』['05年]

 2007(平成19)年・第7回「本格ミステリ大賞」〈小説部門〉受賞作。

 小学5年生の我茂凰介は、進行性の癌で母・咲江を亡くす。それから間もなくして、幼馴染みの亜紀の母親で咲江とも親友だった恵が、夫の勤める病院の屋上から飛び下り自殺、亜紀は交通事故に遭い、凰介の父親・洋一郎もまた異常を来していく。家族の幸せを願う鳳介が行き着く結末とは―。

 文芸が主なのか、ミステリが主なのかよく分からなかったりする著者の作風ではありますが、この作品は、'06年「本格ミステリベスト10」で第6位、「週刊文春ミステリーベスト10」で第10位、'07年の「このミステリーがすごい!」で第3位、と幅広くランクインおり、何よりも「本格ミステリ大賞」受賞作ということで、何となく安心した気分で読みました。

 『向日葵の咲かない夏』('05年/新潮社)が、作者本人は救いの物語のつもりで書いたのが、多くの読者から暗いとか、トリックは斬新だが重た過ぎる、主人公が可哀想過ぎるといった声があり、『向日葵の咲かない夏』で伝えられなかったことを伝えるつもりで本作を書いたとのこと、確かに、主人公の小学5年生の凰介の生き方が、『向日葵の咲かない夏』の小学4年生の僕(ミチオ)よりはベクトルが前向きになっているかも。

 上手いことは上手いなあと思いました。テンポが良くて、ミステリとして読み易いし、今回は掟(おきて)破りの"叙述トリック"もないし、その上読後感も(必ずしも明るいものではないが)凰介の成長が窺えるためにそう悪くない―ただ、プロットがややいじくり過ぎのような気がし、偶然に依拠している部分も多いようにも思いました(たまたま"その時"屋上に駆けつけたとか、ご都合主義的なB級ドラマになっていないか)。

 細部にいろんな符牒を鏤めており、作者の中では辻褄が合っているのだろうけれども(何せ「本格ミステリ大賞」だし)、それでも最後は何となく釈然としないというか、例えば、犯人の犯人たる伏線ってあったのかなあ、単なるプロット上のどんでん返しで終わってしまっているのではないでしょうか。
 
 その結果、読んでいる時はそこそこに面白いけれども、読み終えた途端に印象が薄くなり始めるような、そんな感触を受けました。自分の読み方に問題があるのかなあ。
 
【2009年文庫化[創元推理文庫]】

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掛け値無しの面白さ。バイオレンスは厭という人にはお薦めできないが。

犬の力.jpg  犬の力 上.jpg 犬の力 下.jpg犬の力 上 (角川文庫)』『犬の力 下 (角川文庫)

犬の力 (上・下)』4.JPG 2009(平成21)年・第28回「日本冒険小説協会大賞」(海外部門)受賞作、2009年度・第1回「翻訳ミステリー大賞」受賞作、2010年・第28回「ファルコン賞」(マルタの鷹協会主催)受賞作(更に、宝島社「このミステリーがすごい!(2010年版・海外編)」1位、2009年度「週刊文春ミステリーベスト10」(海外部門)第2位、2009年「IN★POCKET」の「文庫翻訳ミステリー・ベスト10」でも第2位)。

 メキシコの麻薬撲滅に取り憑かれたDEAの捜査官アート・ケラー、叔父が築く麻薬カルテルの後継アダン&ラウル・バレーラ兄弟、高級娼婦への道を歩む美貌の女子学生ノーラ・ヘイデン、ヘルズ・キッチン育ちのアイルランド人の若者ショーン・カラン。彼らは、米国政府、麻薬カルテル、マフィアなどの様々な組織の思惑が交錯する壮絶な麻薬戦争に巻き込まれていく。血に塗られた30年間の抗争の末、最後に勝つのは誰か―。

犬の力 洋書.jpg 2005年に発表されたドン・ウィンズロウの長編で(原題: "The Power of the Dog" )、1999年以降筆が途絶えていたと思いきや6年ぶりのこの大作、まさに満を持してという感じの作品であり、また、あのジェイムズ・エルロイが「ここ30年で最高の犯罪小説だ」と評するだけのことはありました。

 それまでのウィンズロウ作品のような1人の主人公を中心に直線的に展開していく構成ではなく、アート・ケラー、バレーラ兄弟、カランの3極プラスノーラの4極構成で、それぞれの若い頃から語られるため、壮大な叙事詩的構図を呈しているとも言えます。

 若い頃にはバレーラ兄弟に友情の念を抱いたことさえあったのが、やがて彼らを激しく憎しむようになるアート・ケラー、マフィアの世界でふとした出来事から名を馳せ、無慈悲な殺し屋となっていくカラン、メキシコの麻薬市場を徐々に牛耳っていくバレーラ兄弟、その兄アダン・バレーラの愛人になるノーラの謎に満ちた振る舞い、大掛かりな国策的陰謀の中で彼らは踊らされているに過ぎないのか、最後までハラハラドキドキが続きます。

 もう、「ニール・ケアリー・シリーズ」のような"ソフト・ボイルド"ではなく、完全にバイオレンス小説と化していますが、重厚感とテンポの良さを併せ持ったような文体は、やはりこの作家ならではかも。
 「ボビーZ・シリーズ」で、エルモア・レナードっぽくなったなあと思いましたが、この作品を読むと、あれは通過点に過ぎなかったのかと思われ、エンタテインメントの新たな地平を求めて、また1つ進化した感じです。

 一歩間違えれば劇画調になってしまうのですが、と言って、この作品の場合、そう簡単には映画化できないのではないでしょうか。丁度、ダシール・ハメットの最もバイオレンス風味溢れる作品『赤い収穫(血の収穫)』が、かつて一度も映画化されていないように(1930年に映画化され「河宿の夜」として日本にも公開された作品の原作が『赤い収穫』であるという話もあるが)―。それでも、強引に映画化するかなあ。

 とにかく掛け値無しで面白いです。但し、たとえエンタテインメントであってもバイオレンスは厭という人にはお薦めできません(と言う自分も、上巻の終わりのところでは、結構うぇっときたが)。

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元ストリート・キッズの探偵の活躍が爽快。"ソフトボイルド"の傑作。

A Cool Breeze on the Underground.jpg ストリート・キッズ ドン・ウィンズロウ.jpgストリート・キッズ (創元推理文庫)』['93年] Don Winslow.jpg Don Winslow

A Cool Breeze on the Underground: A Neal Carey Mystery: Don Winslow

 1994(平成6)年・第12回「ファルコン賞」(マルタの鷹協会主催)受賞作。

 1976年5月、「朋友会」という組織に属する探偵ニール・ケアリーは、来る8月の民主党全国大会で副大統領候補に推されることになっている上院議員から、行方不明の17才の娘アーリー探しを依頼され、彼女の元同級生の目撃証言をもとにロンドンに向かうが、その地で何とか探しあてた娘を巡って、ワル達との間での駆け引きが始まる―。

 『犬の力』で2009年の「このミス」海外編で第1位になった、ニューヨーク出身の作家ドン・ウィンズロウ(Don Winslow,1953‐)が、1990年に発表したデビュー作で、"ニール・ケアリー"シリーズ(全5作)の第1作でもあります(原題は"A Cool Breeze on the Underground")。

 邦訳のタイトルは、主人公が、父親は行方知れず、母親は飲んだくれの娼婦という不幸な生い立ちの路上生活少年、所謂ストリート・キッズだったことに由来し、彼はひょんなことから父親代わりと言うべきグレアムと出合い、尾行術など探偵の基礎を教えられ、やがて組織の一員となり、大仕事をやってのけるという痛快な内容です。

 文庫で512ページの長編ですが、テンポ良く楽しめながら読める文体が良く、前半はあまり探偵小説っぽくなくて、「ニューヨーカー」誌(短編主体だが)の都会小説を読んでいるような感じもあります。

 ニールとグレアムの父子関係にも似た師弟関係が良く、実際2人は「父さん」「坊主」と呼び合っていますが、時にそれは強い信頼の絆の下にある友情関係のようでもあります。

 そして、ニールのキャラクターも最高。普段は減らず口ばかり叩いていますが、実は繊細ではにかみ屋。大学で文学を教えることを目指す知性派であり、体力よりも知力で勝負するタイプですが、いざという時は身体を張って、時には命がけで勝負しなければならない局面も。

 そんな時には、既存のハードボイルド小説のスーパーヒーローやタフガイと違って、"普通人"と同様に恐怖心を抱き、それを克服しようと懸命になっている様が健気で(それが時に、作者によって巧みにユーモラスな筆致で描かれている)、こんなキャラって、従来のハードボイルド小説ではいなかったなあと思われ、実に新鮮でした。

 ニールとアーリーに絡む様々な人物の描写も楽しめ、彼らが複雑に取引きし合って、そして、終盤のたたみかけるような展開。全体のプロットも秀逸で、まさに「ニール、してやったり」という感じ。

 近作『犬の力』(これ、傑作です)に比べ、より自分の経験に近いところで書かれている感じで(作者は俳優、教師、記者、研究員など様々な職業を経験していて、この作品を書いた時点でも、調査員兼サファリガイドだったとのこと)、基調にはユーモアが目一杯に鏤められています。

 こういうの、"ハードボイルド"でなく、"ソフトボイルド"と呼ぶそうです。ナルホドね。ソフトボイルドの傑作です。

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「●「毎日出版文化賞」受賞作」の インデックッスへ「●「新潮社文学賞」受賞作」の インデックッスへ

センセーショナリズムを排しつつも、「読み物」としての意匠が凝らされれている。

海と毒薬1.jpg  海と毒薬2.jpg  遠藤 周作 『海と毒薬』.png
海と毒薬 (新潮文庫)』『海と毒薬 (角川文庫)』『海と毒薬 (講談社文庫)

海と毒薬 映画.jpg 1958(昭和33)年・第12回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)並びに1959(昭和34)年・第5回「新潮社文学賞」受賞作であり、映画化もされました。

 戦争末期、九州の大学の付属病院内で、病院内の権力闘争と戦争を口実に、外国人捕虜を生きたまま解剖した医師たちの行為を通して、日本人の原罪意識の在り様を浮き彫りにした作品とされています。

映画「海と毒薬」の一場面 ('86年/監督・脚本:熊井啓、出演:奥田瑛二(勝呂)/渡辺謙(戸田)/田村高廣(橋本))

 遠藤周作(1923- 1996/享年73)作品の久しぶりの読み返しでしたが、初読の時とやや印象が違いました。やはり最初に読んだ学生の頃は、実際の事件をベースにしているという衝撃から、こんなことがあったのかという驚きの方が先行したのかも知れません。
 再読して、センセーショナリズムを排しつつも、「読み物」としての構成に意匠が凝らされていると思いました。

 主人公の「私」が引っ越した地で、「勝呂」という、腕は確かだが無愛想で一風変わった中年の町医者を知り、更に、彼には、大学病院の研究生時代、外国人捕虜の生体解剖実験に関わった過去があったことを知るというイントロが30ページあって、続いて、時代が戦争末期の大学病院に暗転するという―(ここで、主人公は「私」から「勝呂」にバトンタッチされる)。

 医者を探すという極めて日常的な描写から始まって、読者に勝呂という男に自然に関心を持たせ、その男に纏わる過去の暗い出来事を暗示させるという展開は、文芸作品というより、まるで推理小説の導入部のようです。

 「勝呂」が主人公になってからも、淡々とした筆致で、大学病院内の学部長選挙を巡る医師たちの動きや患者に接する姿勢などが描かれ、次第に、登場人物のそれぞれのものの考え方が見えきますが、勝呂は、最も若くて良心的な医師として描かれています。

 やがて、外国人捕虜3名の生体解剖実験を行うので、それにおいて一定の役割と責任を担えという話が、上司から勝呂と同僚の戸田の2人に降りかかってきますが、いきなり事件の核心には入らず、その前に、極めて冷徹で合理的なものの考え方をする戸田の子供時代の出来事の回想が入り、読者が勝呂と戸田のものの考え方を十分に対比的に把握したと思われる時点で、生体解剖実験の場面に移っていきます。

 タイトルの意味も含め、この作品のテーマについてはもう書き尽くされた観がありますが、「日本人とは」ということに直結しているため、作者のキリスト教観を意識したり"予習"しなくとも、単独の作品として、その深みを味わい、また、普遍的な問題意識を喚起させられるものであるように思います。

 今回再読して興味深かったのは、合理主義者で冷徹な優等生である戸田の小学校時代の回想の中に(時にそれは"ズルさ"や"妬み"として表れる)、多分に作者自身が反映されていうように思えたことでした。

 【1960年文庫化[新潮文庫]/1960年再文庫化・2004年改版[角川文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]】

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今読むと、文体よりも中身か。掴み難い現実としてある「今」という時も、後で振り返れば...。

キッチン.png  キッチン 角川文庫.jpg キッチン(映画).jpg キッチン 映画n.jpg
キッチン』['88年]『キッチン (角川文庫)』「キッチン [DVD]」映画「キッチン」主演:川原亜矢子

 1987(昭和62)年・第6回「海燕新人文学賞」(福武書店主催)並びに1989(平成元)年「芸術選奨新人賞」受賞作(後者は『うたかた/サンクチュアリ』と併せての受賞)。

 両親と死に別れ祖母と暮らしていた桜井みかげは、その祖母に死なれて独りぼっちになるが、花屋の店員で祖母のお気に入りだった田辺雄一に声をかけられ、田辺家に居候を始める。雄一も片親で、その親は、もともと男だったが、彼の妻・雄一の母親の死後、女性になってしまい、以来、オカマバーに勤めて生計を立てている「えり子」さんという人だった―。

 「キッチン」とその続編「満月-キッチン2」、「泉鏡花文学賞」を受賞した「ムーンライト・シャドウ」の3部作で、何れも作者が日大芸術学部在学中に書かれ、単行本は当時、飛ぶように売れました。

 今読むと、当時話題となった文体の新しさのようなものはさほど感じられませんが、それだけ平成以降、このような文体の作品が増えたということでしょうか(多くの女性作家の文学少女時代に影響を与えた?)。

 「キッチン」の、男女がキスもセックスもなく、いきなり同居という設定も斬新でしたが(但し、コッミックなどでは伝統的にあったパターン)、3部作の何れもが愛する人の死と残された者の再生がテーマになっていて、その癒しの過程のようなものをうまく書いているなあと。

 海外でも多く読まれている作品ですが、自分はこの手の小説にあまり相応しい読者ではないのかも知れません。
 「満月」を読んで「キッチン」の主題を自分なりに理解したのですが、そうした意味では、"解説"的な「満月」よりも、「キッチン」の方が小説的かも。

 但し、えり子さんの死から始まる「満月」も必ずしも悪くは無く、掴み難い現実としてある「今」という時が、後で振り返ってみれば、「人生においてかけがいの無い満たされた時間」であったと思うようになることは、小説の話に限らず、実際に誰の人生においてもあるではないかと思います。

キッチン1.bmp 森田芳光監督により映画化されましたが、橋爪功が演じたえり子さんは、ちょっと気持ち悪かったものの、演技自体はインパクトありました。
 それに比べると、主演の川原亜矢子は、ブルーリボン賞の新人賞などを獲りましたが、個人的には、演技しているのかどうかよく分からないような印象を受けました。
川原亜矢子.jpg パリコレのモデルに転身したとのことで、やはり役者には向かないのだろうと思いましたが、その後日本に戻り、30代になってから、女優としてもモデルとしてもキッチン 映画2.jpg活躍している―映画「キッチン」に出ていた頃の、牛蒡(ごぼう)が服着て歩いていうような面影は今や微塵も無く、いい意味での変身を遂げたなあ、この人。

「キッチン」●制作年:1983年●監督・脚本:森田芳光●製作:鈴木光●撮影:仙元誠三●音楽:野力奏一●時間:108分●出演:川原亜矢子/松田ケイジ/橋爪功/吉住小昇/後藤直樹/中島陽典/松浦佐紀/浦江アキコ/入船亭扇橋/四谷シモン/浜美枝●公開:1989/10●配給:松竹(評価:★★★)

 【1991年文庫化[福武文庫]/1998年再文庫化[角川文庫]/2002年再文庫化[新潮文庫]】

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前半がいい。「算法勝負」が面白かった人には、遠藤寛子氏の『算法少女』もお奨め。

天地明察1.jpg 天地明察2.jpg  算法少女 文庫.jpg          天地明察 dvd.jpg
天地明察』(2009/12 角川書店)   遠藤寛子『算法少女 (ちくま学芸文庫)』 「天地明察 [DVD]」2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮崎あおい)

 2009(平成21)年・第31回「吉川英治文学新人賞」及び2010年(平成22)・第7回「本屋大賞(大賞)」受賞作。2010年度・第4回「舟橋聖一文学賞」及び2011(平成23)年・第4回「大学読書人大賞」も受賞。

 徳川4代将軍家綱の時代、碁打ちの名門・安井家に生まれながら安穏の日々に倦み、囲碁よりも算術の方に生き甲斐を見出していた青年・安井算哲(渋川春海)だったが、老中・酒井雅楽頭にその若さと才能を買われ、実態と合わなくなっていた日本の暦を改めるという大事業に関わることになる―江戸時代前期の天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ・1639‐1715)が、日本の暦を823年ぶりに改訂する事業に関わっていく過程を描いた作品。

 江戸時代の算術という興味深いモチーフで、それでいて、すらすらと読める平易な文章であり(会話が時代小説らしくない?)、その上、主人公が22年かけて艱難辛苦の末に大事業を達成する話なので読後感も爽快、「本屋大賞」受賞も頷けます(上野の国立科学博物館で、今年('10年)6月から9月まで、渋川春海作の紙張子地球儀、紙張子天球儀を特別公開しているが、「本屋大賞」を受賞のためではなく、それらが1990年に重要文化財に指定されてから20周年、また今年が時の記念日(6月10日)制定90周年に当たることを記念したものとのこと)。

 この作品は、特に前半部分が、春海やその周辺の人々が生き生きと描かれているように思えました。
 ただ、中盤になると史料に記されていることの引用が多くなり、この話が"史実"であると読者に印象づけるには効果的なのかもしれませんが、小説的な膨らみが小さくなって、登場人物達の人物像の方もややぼやけた感じがしました。
 それでも終盤は、和暦(大和暦)の完成に向けて、また、エンタテインメント小説らしく盛り上がっていったという感じでしょうか。

天地明察1.jpg この史料の読み込みについては、学者から、関孝和の暦完成への関わり度などの点で偏りがあるとの指摘があるらしいです。
 関孝和が春海の大和暦完成にどれだけ関わっていたかは結局よくわからないわけで、関孝和の大天才ぶりを描くと共に、作者なりの憶測を差し挟むのは、学術書ではなく小説なのだからいいのではないかという気もしますが、参照の程度や方向性によっては、巻末に参考文献として挙げるだけでなく、その著者の了解を直接とった方が良かったのかも。でも、普通、そこまでやるかなあ。

 それにしても、これが作者初の時代小説というから凄い才能!
この小説で一番面白かったのは、やはり個人的には前半の「算法勝負」でした。

 この部分が特に面白く感じられた読者には、遠藤寛子氏の『算法少女』('73年/岩崎書店、'06年/ちくま学芸文庫)などがお奨めです(江戸時代の算術家を扱った小説はまだ外にもあり、この作品が最初ではない)。

天地明察

 【2012年文庫化[角川文庫(上・下)]】
天地明察 映画 01.jpg天地明察 映画 02.jpg「天地明察」2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮崎あおい)

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長かった割には物足りない結末。でも、過程において楽しめたからまあいいか。

有栖川 有栖 『女王国の城』.jpg女王国の城.jpg  太陽公園2.JPG 太陽公園(姫路)
女王国の城 (創元クライム・クラブ)』['07年]

 2007 (平成19) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2008(平成20)年版「本格ミステリ・ベストテン」第1位。2008(平成20)年・第8回「本格ミステリ大賞」〈小説部門〉受賞作。

 推理小説研究会のメンバー・有栖川有栖(アリス)は、急成長した宗教団体「人類協会」の聖地・神倉へ行ったと思しき部長・江神二郎の様子を知るべく、同級生の有馬麻里亜(マリア)、就職活動中の先輩・望月、織田らと共に同地へ向かい、〈城〉と呼ばれる総本部で江神の安否を確認するものの、思いがけず殺人事件に遭遇、団体に外界との接触を阻まれ、囚われの身となってしまう―。

 『月光ゲーム』『孤島パズル』『双頭の悪魔』に続く15年ぶりの江神二郎シリーズですが、推理小説研究会のメンバーは皆1歳年齢を重ねただけで依然若々しく、単行本2段組500ページ超の大作でありながらも、メンバー達の会話のトーンも、時々挟まれる推理小説談義も変わってないなあと(今回はそれに加えてUFO談義があり、第1の殺人事件が起きるのは全体の3分の1を過ぎてからというのは、ちょっと道草のし過ぎ?)。

 宗教団体とは上手く考えたもので、かなり自由な発想で大掛かりな密室的空間を創り出していて、この宗教団体の幹部らが60年代のSF映画に出てくる異星人のようなパターン化された物言いや行動様式をとるのはご愛嬌として、本格推理としてはそれなりにワクワクさせてくれました。

 但し、立ちはだかる連続殺人事件の不可解な壁を江神二郎がどう崩すかという部分では、独創に満ちたトリックがあるわけでもなく、やや拍子抜けの感じもあり、ついでに過去の未解決の密室殺人事件の謎まで解いてみせるものの、こちらはあまりにも蓋然性を積み重ねた上での謎解きとなっていて、江上さん、あんたには透視能力があるの、と言いたくなってしまいます。

太陽公園.JPG 「本格ミステリ大賞」の受賞と併せて「週刊文春」の「2007ミステリーベスト10」の国内部門第1位にも輝いており、それにこの分厚さだから、それなりの結末を期待したんだけどなあ(後で考えれば御都合主義的なところも目立つ)。
 しかしながら、謎解きの前までは、アクションもあったりし、寄り道も含めて楽しめたし(ということは90%は楽しめたということ?)、個人的評価としては微妙なところですが、まあ、良しとしようか、といったところです。 

 (この小説の「城」に関しては、個人的には、兵庫県姫路市の山中にある「太陽公園」の城を連想した。ここは、社会福祉法人が運営する公園で、園内には、主に美術館的に使われている城のほか、兵馬俑やパリ凱旋門の実物大の模倣建築などがある。観光施設でありながらも、介護福祉施設なども園内にあったりして、ある種コミュニティ的な雰囲気を醸しており、詰まるところ全体の雰囲気は「宗教施設」に極めて近いように思えた。)

「太陽公園」の"城"(上写真下部は城に至るモノレールの軌道の一部)

 【2011年文庫化[創元推理文庫(上・下)]】

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"昭和の脱獄王"の怪物的な能力、粘着気質的な意志の強さと"律儀さ"との組み合わせが興味深い。「プリズン・ブレイク」顔負け。

破獄 単行本_.jpg破獄 吉村昭.jpg 破獄  吉村昭.jpg  プリズン・ブレイク1.jpg ドラマ破獄 山田s.jpg
破獄 (1983年)』『破獄 (新潮文庫)』['86年]/「プリズン・ブレイク」/「破獄」(テレビ東京)ビートたけし/山田孝之主演
白鳥由栄.jpg 1984(昭和59)年・第36回「読売文学賞」並びに1985(昭和60)年・第35回「芸術選奨」受賞作。

 昭和11年に青森刑務所を脱獄、昭和17年に秋田刑務所を脱獄、昭和19年に網走刑務所脱獄、昭和23年に札幌刑務所脱獄と、犯罪史上未曽有の4度の脱獄を実行した無期刑囚"佐久間清太郎"(仮名)を描いた「記録文学」。

白鳥由栄2.jpg 脱獄を繰り返す男のモデルとなっているのは、"昭和の脱獄王"と言われた白鳥由栄(しらとり・よしえ、1907‐1979)で、作者は、刑務所で白鳥由栄と深く接した元看守らを綿密に取材しており、実質的には実在の超人的脱獄囚を描いた「記録文学」と言っていいのでは。

白鳥由栄

網走監獄博物館にある白鳥の脱獄シーンの再現展示

 とりわけ脱獄不可能と言われた網走刑務所において脱獄を果たす様は、既に2回の脱獄により天才脱獄囚人として特別に厳重な監視下に置かれながらのことでもあり、まさに驚異的と言ってよく、「網走監獄博物館」には、白鳥由栄の脱獄の模様を再現した展示まであります。口に含んだ味噌汁で特製手錠のナットを腐蝕させて外すなどのテクニック自体の凄さもさることながら、看守に心理戦を仕掛けて重圧をかけたり、その注意を欺いたりする人間的な駆け引きにも卓抜したものがあったことがわかります。

プリズン・ブレイク2.jpg 脱獄譚と言えば、米テレビドラマシリーズ「プリズン・ブレイク」の実話版みたいだけど、「プリズン・ブレイク」の方は、最初の13話の脱獄を果たしたところで終わる予定だったものが(ここまでは面白い!)、好評だったため第1シーズンだけでも脚本を書き足して22話にし、その後もだらだら続けていったために、どんどんつまらなくなっていきましたが、こっちの白鳥由栄モデルの実話版は、最後まで緊張感が途切れず気が抜けません。まさに、"昭和の脱獄王"だけあって、「プリズン・ブレイク」顔負け。

 網走刑務所での話あたりから、看守側の置かれている過酷な労働環境や、大戦末期当時、或いは終戦直後の混乱した世相なども併せて描かれており、"佐久間"に脱獄を許してしまった看守らからすれば、必ずしも落ち度があったとかタルんでいたとか言えるものでもなく、脱獄を図る"佐久間"と看守との間で、知力と精神力の限りを尽くしたぎりぎりの攻防があったことが分かります。

 そうした看守らの中には、"佐久間"を1人の人間として扱った人もいて、"佐久間"はもともと情に厚い人柄であり、恩を受けた看守に対しては忠義の心を忘れなかったようです。身体能力も含めた怪物的な脱獄能力(湾曲した壁を這い登ることが出来た)、粘着気質的な脱獄意志の強さ(自分に辛く当たった看守が当番の日をわざわざ選んで脱獄した)と、こうした"律儀さ"との組み合わせが興味深いです。

 最後の収監先となった府中刑務所においては、刑務所長・鈴江圭三郎自らが、"佐久間"を人間的に扱う施策を"戦略的"に講じ、その結果、"佐久間"は脱獄を企図することをやめていますが、これってまるで、イソップの「北風と太陽」みたいだなあと。

 但し、その施策を評価されながらも、鈴江自身は、"佐久間"が再び脱獄を図ることが無かったのは彼の加齢に原因があると冷静に分析しており、また、作品としては、刑務所そのものの待遇等の改善、更には、社会における刑務所の位置づけの変化なども遠因として匂わせています。

破獄 DVD.jpg破獄 緒形拳.jpg この作品は、緒形拳(佐久間清太郎)、津川雅彦(鈴江圭三郎)主演で1985年にNHKでドラマ化されており(2017年にテレビ東京で山田孝之(佐久間)、ビートたけし(鈴江)主演で再ドラマ化された)、また、白鳥由栄をモデルにした他の小説では、船山馨『破獄者』、八木義徳『脱獄者』どがあります。
 
プリズン・ブレイク dvd.jpgプリズン・ブレイク3.jpgPrison Break.jpg「プリズン・ブレイク」 Prison Break (FOX 2005/08~2009/05) ○日本での放映チャネル:FOX/日本テレビ(2006~2010)
プリズン・ブレイク シーズン1 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]

 【1986年文庫化(新潮文庫)】

《読書MEMO》
ドラマ 破獄 01.jpg●2017年再ドラマ化 【感想】 脚本は「夏目漱石の妻」の池端俊策。すでに一度ドラマ化されていることを意識したのか、山田孝之演じる佐久間清太郎より、浦田という看守役のビートたけしの方が主役になっているために、原作にはないドラマ的要素を浦田に付け加えすぎた印象。

ドラマ 破獄 02.jpg「破獄」●演出(監督):深川栄洋●脚本:池端俊策●原作:吉村昭●出演:ビートたけし/山田孝之/吉田羊/満島ひかり/橋爪功/寺島進/松重豊/勝村政信/渡辺いっけい/池内博之/中村蒼●放映:2017/04(全1回)●放送局:テレビ東京

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群像新人文学賞から芥川賞に直行!確かに前衛的だが、期待したほど面白くはなかった。

アサッテの人.jpg 『アサッテの人』 (2007/07 講談社)

 2007(平成19)年・第50回「群像新人文学賞」(小説部門)並びに2007(平成19)年上半期・第137回「芥川賞」受賞作。

 勤め人である「私」は、突如失踪した叔父の荷物を引き取りに行ったアパートで、叔父の残した日記を見つける―。

 「私」はかつてこの、脈絡なく「ポンパ!」という奇声を奇声を発する叔父をモデルにした草稿を幾度も書いており、そして今、小説『アサッテの人』としてそれを完成しようとしているが、それが出来ないでいるため、叔父の残した日記と、叔父を題材に書いた草稿を繋ぎ合わせて、それを読者に示すことで、それを完成品としようとしていて、そうした意味では、これは「メーキング小説」とも言えるかも知れません。

 更に、小説を書いている今の「私」を対象化し、小説の外側に立って小説を書くという行為そのものを考察する一方、小説の中に織り込むはずだった叔父の日記を抜粋し、その「アサッテ」ぶりに対し、現在の「私」の立場から考察していて、そうした意味では「メタ小説」とも言えます。

 ビルの警備室に勤務していた叔父の日記の中には、そのビル内にある会社に勤務する、エレベーター内で人知れず奇妙な行動をとる「チューリップ男」の観察記録があり、小説を書こうとしている「私」とその「私」を見つめる私、書かれようとしている小説乃至これまでの草稿と叔父の日記、叔父の日記の中で叔父に観察されているチューリップ男―といった具合に、3重〜4重くらいの入籠構造になっているのかな。

 「私」の耳から離れない叔父の様々な奇声は、太宰治の「トカトントン」を想起させますが、時代が変わろうとしていることの象徴のようなトカトントンに対し、「私」の叔父の奇声に対する考察は、日常と非日常の相克とでも言うか、もう少し哲学的なニュアンスのものという感じ。
 但し、日常的なもの、既成のものからの脱却という意味では、「チューリップ男」の行動の方が、吃音が直ったのをきっかけに消えてしまった程度のものであった叔父の奇声を凌駕しているかも。

 小説の主体は、入籠構造の各層を行き来しますが、1つ1つが小説として(意図的に)完成されていないため、「メタ小説」としては不全感があり、「小説」と言うより、「小説を書く」ということについての哲学的考察と言った方が合っている印象を受けました(作者は大学の哲学科出身)。

 芥川賞の選評では、案の定、石原慎太郎・宮本輝両氏の評価が低かったが(村上龍氏も)、新たに選考委員になった小川洋子・川上弘美両氏が絶賛(池澤夏樹氏も)、その他の選考委員(高木のぶ子・黒井千次・山田詠美の3氏)も概ね推薦に回り、「群像新人文学賞」受賞作では、第19回(1976年)の『限りなく透明に近いブルー』以来の(村上春樹氏の『風の歌を聴け』(第22回(1979年)群像新人文学賞受賞作)も果たさなかった)芥川賞とのW受賞になりました。

 その村上龍氏は、「私は推さなかった。退屈な小説だったからだ」と述べていて、自分の感想もそれに近いものであり、これから面白そうな作品を書きそうな人ではあるけれども、この作品については、前衛的な試みは"空振り"しているように思えました。

 ただ、過去に多くの人が、こうした作品を着想して頓挫したり失敗したりしているであろうことを思うと、前衛を保ちつつ、破綻は最小限に止まっているという感じではあり(この作品の場合、何を以って"破綻している"と言うかという問題はあるが...)、たまにはこうした実験小説的な作品が芥川賞をとるのもまあいいか―(でも、芥川賞はやはり運不運があるなあ)。

 【2010年文庫化[講談社文庫]】

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面白かった。作者が読者に対して仕掛けた読み方の「罠」が感じられた。

悪人  吉田修一.jpg 悪人 吉田修一.jpg悪人』['07年] 吉田 修一 『悪人』 上.jpg 吉田 修一 『悪人』下.jpg悪人(上) (朝日文庫)』『悪人(下) (朝日文庫)』['09年]

 2007(平成19)年・第61回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)並びに2007(平成19)年・第34回「大佛次郎賞」受賞作。

 保険外交員の女性・石橋佳乃が殺害され、事件当初、捜査線上に浮かび上がったのは、地元の裕福な大学生・増尾圭吾だったが、拘束された増尾の供述と、新たな目撃者の証言から、容疑の焦点は一人の男・清水裕一へと絞られる。その男は別の女性・馬込光代を連れ、逃避行を続けている。なぜ、事件は起きたのか? なぜ2人は逃げ続けるか?

 出版社の知人が本書を推薦していたのですが、書評などを読むと、これまでの作者の作品と同様に、人と人の「距離」の問題がテーマになっているということを聞き、マンネリかなと一時敬遠していたものの、読んでみたら今まで読んだ作者の作品よりずっと面白かったし、それだけでなく、作者が読者に対して仕掛けたトラップ(罠)のようなものが感じられたのが興味深かったです。

 最初は、あれっ、これ「ミステリ」なのという感じで、芥川賞作家がミステリ作家に完全に転身したのかと。ところが、真犯人はあっさり割れて、今度は、その清水裕一と馬込光代という心に翳を持つ者同士の「純愛」逃避行になってきて、最後は、裕一が光代をあたかも"犠牲的精神"の発露の如く庇っているように見えるので、これ、「感動的な純愛」小説として読んだ人もいたかも。

 自分としては、清水祐一は「純愛」を通したというより、「どちらもが被害者にはなれない」という自らの透徹した洞察に基づいて行動したように思え、そこに、作者の「悪人とは誰なのか」というテーマ、言い換えれば、「誰かが悪人にならなければならない」という弁解を差し挟む余地の無い"世間の掟"が在ることが暗示されているように思いました。

 馬込光代の事件後の熱から覚めたような心境の変化は、彼女自身も「世間」に取り込まれてしまうタイプの1人であることを示しており、それは、周囲の見栄を気にして清水裕一を「裏切り」、増尾圭吾に乗り換えようとした石橋佳乃にとっての「世間」にも繋がるように思えました(作者自身は、「王様のブランチ」に出演した時、石橋佳乃を「自分の好きなキャラクター」だと言っていた)。

 そうして見れば、増尾圭吾が憎々しげに描かれていて(石橋佳乃の父親が読者の心情を代弁をしてみせて、読み手の感情にドライブをかけている)、清水祐一が彼に読者の同情が集まるように描かれているのも(母親に置き去りにされたという体験は確かに読み手の同情をそそる)、作者の計算の内であると思えます。

 これをもって、本当に悪いのは増尾圭吾のような奴で、清水祐一は可哀想な人となると、これはこれで、作者の仕掛けた「罠」に陥ったことなるのではないかと。
 石橋佳乃の「裏切り」も、その父親の「復讐感情」も、清水祐一の過去の体験による「トラウマ」も、注意して読めば、今まで多くの小説で描かれたステレオタイプであり、作者は、敢えてそういう風な描き方をしているように思いました。

 そうした「罠」の極めつけが、清水裕一と馬込光代の「純愛」で、これも絶対的なものではなく(本書のテーマでもなく)、ラストにある通り、最終的には相対化されるものですが、それを過程においてロマンスとして描くのではなく、侘びしくリアルに描くことで、読み手自身の脳内で「純愛」への"昇華"作業をさせておいて、最後でドーンと落としているという感じがしました。

 時間的経過の中で、人間同士の結ぼれや相反など全ての行為は相対化されるのかも知れない、但し、「世間」はその場においては絶対的な「悪人」を求めて止まないし、同じことが、「純愛」を求めて読む読者にも、まるで裏返したように当て嵌まるのかも知れないという印象を抱きました。

 【2009年文庫化[朝日文庫(上・下)]/2018年文庫新装版[朝日文庫(全一冊)]】

映画 悪人ド.jpg映画 悪人ード.jpg2010年映画化

2010年9月11日公開。
監督:李相日
原作:吉田修一
脚本:吉田修一/李相日
深津絵里 モントリオール世界映画祭最優秀女優賞1.jpg出演:妻夫木聡/深津絵里/岡田将生/満島ひかり/樹木希林/柄本明 他

深津絵里(第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞)

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面白かった〜。特に後半は息もつかせぬという感じ。現時点での作者の集大成的作品。

ゴールデンスランバー1.jpgゴールデンスランバー.jpg  ゴールデンスランバー3.jpg 2010年映画化(東宝) 
ゴールデンスランバー』 (2007/11 新潮社)

 2008(平成20)年・第21回「山本周五郎賞」受賞作、並びに第5回「本屋大賞」の大賞(1位)受賞作。2009 (平成21) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。 2009(平成21)年・第2回「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)国内編・第1位(他に、「週刊文春」2008年度ミステリーベスト10(国内部門)で第2位)。

 仙台で金田首相の凱旋パレードが行われている時、旧友の森田森吾に何年かぶりで呼び出された青柳雅春は、「おまえは、陥れられている。今も、その最中だ」「金田はパレード中に暗殺される」「逃げろ!オズワルドにされるぞ」といきなり言われ、その時遠くで爆音がして、折しも現れた警官は青柳に向かって拳銃を構えた―。

 面白かった〜。特に後半は息もつかせぬという感じ。エンタテイメントに徹することを試みた書き下ろし作品ということですが、ということは、これまでの作者の作品は"純文学"が入っていたということ?
 それはともかくとして、本作品が直木賞候補になった時点で作者はそれを辞退してしまいましたが、"幻の直木賞候補作" と言うより"幻の直木賞作"そのものと言えるかも。

 日本を舞台としながらも、架空の政治背景を設定し、年代も近未来と過去が混ざったような曖昧なものにしていることで、却ってフィクションの世界に入り込み易かったです。
一方で、細部の描写がキッチリしているし、監視社会の姿や警察・マスコミの対応にもリアリティがあることが、作品の面白さを支えているように思えます。

 逃亡する主人公を助ける面々が、それぞれ立場は異なるものの、ある種の義侠心のようなものに突き動かされて行動していて、古風と言えば古風なパターンですが、いいんじゃないかなあ、この"熱い"雰囲気。

 個人的評価は「星5つ」ですが、強いて難を言えば、後半で或る人物が主人公を導くために現れ、この男のやっていることの事件性の方も考えてみれば本題に劣らずかなり大きいものであることが気になったのと、主人公がマスコミを利用した2つの狙い(「無実の疎明」と「身の安全の確保」)のうち、結局1つしか利用目的を果たしておらず、カタルシス効果としては十全なものになっていないことかなと。

 それでも、これまでの作者の作品の集大成的作品であるとの評判には自分としても全く異論は無く、「星5つ」の評価は変わりません。

「ゴールデンスランバー」映画.jpg映画「ゴールデンスランバー」('10年/東宝)監督:中村義洋 
出演:堺雅人/竹内結子/吉岡秀隆/劇団ひとり/香川照之

 【2010年文庫化[新潮文庫]】

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シュール且つ軽めの純文学的な匂い。テーマも含めて全部モチーフ?

オーデュボンの祈り.jpg 『オーデュボンの祈り (新潮ミステリー倶楽部)』 ['00年] オーデュボンの祈り 文庫.jpg 『オーデュボンの祈り (新潮文庫)』 ['03年] 

 2000(平成12)年・第5回「新潮ミステリー倶楽部賞」受賞作で、1996年から2000年までしか続かなかった一般公募による同賞の最後の受賞作。

 コンビニ強盗に失敗し、警察から逃げる途中で気を失った伊藤は、気づくと見知らぬ孤島にいたが、江戸時代より外界から遮断されているというその島には、島の預言者として崇められている優午という名の喋るカカシがいて、その優午は、伊藤が島に来た翌日に死体となって発見される―。

 島には、嘘のことしか喋らない画家の園山や、処刑が"島の法律"として許されている桜、太って動けないウサギという女、島で唯一外界との行き来をして商売をする轟という熊のような風体の男等々、変わった人物が住んでいて、出だしはミステリーと言うよりファンタジーという印象を強く受けました(ウサギ穴に落っこちたアリスみたい、この主人公は)。

 やや村上春樹っぽい感じで、出てくる人や生き物が皆何かのメタファーなのかと思い、そういう謎解きみたいなことを考えさせられながら、この訳の解らん夢見のような世界に付き合わされるのかと最初はややゲンナリさせられながらも、読んでいると自然とその中に入り込めてしまい、最後まで読めてしまうのが不思議でした。

 まあ、ラストは予定調和という感じでしたが、途中は作家が描きたい世界を好きに書いているような感じでありながらも、それまで鏤(ちりば)めてきた様々な要素を、(大体においては)ミステリとして収斂させているのは巧みと言うか立派と言うべきか、読後感も悪くなく、デビュー作にして既に作者がストーリーテラーとしての才覚を存分に発揮していたということかも知れません(単行本刊行時にはそれほど話題になったという記憶が無いのだが)。

 但し、やはりこの作品の特徴は、シュール且つ軽めの純文学的な匂いと言うか、前衛演劇を見ているような現実浮遊感のようなものではないかと思われ、結局、テーマも含めて全部モチーフであるという(リョコウバトにしろ音楽にしろ)そんな印象を受けました(才能だけで書いていて、テーマ性が弱い? そう感じるのは、読み手である自分自身のコンセプチュアル・スキルが弱いためだと言われれば、そうなのかも知れないが)。

 【2003年文庫化[新潮文庫]】

「●み 湊 かなえ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1461】 湊 かなえ 『往復書簡
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへfont size=2>「●た‐な行の日本映画の監督」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ

登場人物と等距離を置きながらも突き放してはいない。新人離れした力量。

告白 湊かなえ.jpg 『告白』 (2008/08 双葉社) 映画「告白」.jpg 2010年映画化(東宝)

湊かなえ 告白3.jpg 2009(平成21)年・第6回「本屋大賞」の大賞(1位)受賞作で、単行本デビュー作での大賞受賞は同賞では初めて(他に、「週刊文春」2008年度ミステリーベスト10(国内部門)で第1位)。

 愛娘を校内のプールで亡くした公立中学の女性教師は、終業式の日のホーム・ルームでクラスの教え子の中に事件の犯人がいることを仄めかし、犯人である少年A及び少年Bに対して恐ろしい置き土産をしたことを告げ、教壇を去っていく―。

 「小説推理新人賞」(双葉社の短編推理小説を対象とした公募新人文学賞)を受賞した第1章の「聖職者」は女性教師の告白体をとっていますが、これだけでもかなり衝撃的な内容。その後も同じくモノローグ形式で、犯人の級友、犯人の家族、犯人の少年達と繋いで1つの事件を多角的に捉え物語に厚みを持たせる一方、話は第2、第3の事件へと展開していきます。

 「本屋大賞」において、貴志祐介、天童荒太、東野圭吾、伊坂幸太郎ら先輩推理作家の候補作を押しのけての堂々の受賞であるのも関わらず、Amazon.comなどで見る評価は(ベストセラーにありがちなことだが)結構割れているみたいでした。ネガティブ評価の理由の1つには、読後感が良くない、登場人物に共感できず"救い"が見えないといったものがあり、もう1つにはプロットに現実性が乏しいといったところでしょうか。

 「登場人物に共感できない」云々という感想については、「聖職者」「殉教者」「慈愛者」といった章タイトルがそれぞれに反語的意味合いを持っていることからすれば、当然のことかも。それぞれの章の「語り手」乃至「その対象となっている人物」(第3章の「慈愛者」などは「語り手」と「対象人物」の入籠構造となっている)に対し、作者は等距離を置いているように思いました。

 それらの何れをも否定しきってしまうのではなく、内面に寄り添って描いている部分がそれぞれにあって、そのために、最初に誰かに過剰に感情移入して読んでしまった読者との間には、齟齬が出来るのではないかと。
 
 個人的には、そうした登場人物の描き方は、登場人物への読者の過度の感情移入も制限する一方で、通り一遍に拒絶するわけにもいかない思いを抱かせ、物語に重層的効果を持たせることに繋がっていて、「読後感は最悪」という「本屋大賞」に絡めた帯キャッチも、賛辞として外れていないように思えました。

 プロットに関しても、重いテーマを扱った作品は往々にして問題提起に重点が行き、エンタテイメントとしてはそう面白くなかったりすることがあるのに対し、この作品の作者はストーリーテラーとしての役割をよく果たしているように思えました。

 但し、プロット自体はともかく、モノローグ形式を貫いたがために、なぜ最後に登場する語り手が全てお見通しなのか、どうして病いの身にある、しかも有名人が、学校に忍び込んで易々と事を成し遂げることが出来るのか等々に対する状況説明部分が弱く(そこに至るまでも幾つか突っ込み所が無いわけではない)、自分としてはその点での物足りなさが残り、星1つマイナス。しかしながら新人にしては手慣れているというか、作品の持つ吸引力のようなものは新人離れしていると言っていいのでは。
Kokuhaku (2010)
Kokuhaku (2010).jpg
告白 映画.jpg(2010年に中島哲也監督、松たか子主演で映画化され、キネマ旬報「2010年度日本映画ベストテン」第2位、第34回日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀編集賞を受賞した一方、『映画芸術』誌選出の「2010年度日本映画ベストテン&ワーストテン」ではワースト1位に選出された。章ごとに語り手が、森口悠子(第1章「聖職者」)、北原美月(第2章「殉教者」)、下村優子(第3章「慈愛者」)、下村直樹(第4章「求道者」)、渡辺修哉(第5章「信奉者」)、最後再び森口悠子(第6章「伝道者」)と変わっていく原作のスタイルを緩やかに踏襲していている感じか。全体としてイメージビデオ風の作りになっていて、時系列もやや原作と異なるが、もともと原作そのものが映画「羅生門」のようなカットバック方式なので、その点はあまり気にならなかった。原作は、主人公の独白告白 映画 木村佳乃.jpgである第1章「聖職者」はともかく、第2章以降、日記が小説風に書かれているなどの"お約束事"があるが、映画ではそうした不自然さはむしろ解消されている。原作について、ラストの大学での爆破は実際にあったのかどうかという議論があるが、映画のラストシーンはロケ上の都合からコンピュータグラフィックスを使っての撮影となったそうで、このことが、「実際には爆破はなく、修哉のイメージの世界での"出来事"に過ぎなかった」説を補強することになったようにも思う。主演の松たか子の演技より、助演の木村佳乃(ブルーリボン賞助演女優賞受賞)の演技の方が印象に残った。彼女が演じたモンスター・ペアレントは湊かなえ作品におけるある種の特徴的なキャラを体現していた。)

告白 .jpg告白 dvd.jpg「告白」●制作年:2010年●監督・脚本:中島 哲也●製作:島谷能成/百武弘二 ほか●撮影:阿藤正一/尾澤篤史●音楽:金橋豊彦(主題歌:レディオヘッド「ラスト・フラワーズ」●時間:106分●出演:松たか子/岡田将生/木村佳乃/西井幸人/藤原薫/橋本愛/芦田愛菜/山口馬木也/能年玲奈/三吉彩花/岩田宙/刈谷友衣子/知花●公開:2010/06●配給:東宝(評価:★★★☆) 

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 【2010年文庫化[双葉文庫]】

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巻き込まれ型ワンナイト・ムービーみたいだったのが、次第にマンガみたいな感じになり...。

夜は短し歩けよ乙女2.jpg夜は短し歩けよ乙女.jpg  after-hours-martin-scorsese.jpg アフター・アワーズ.jpg 『アフターアワーズ』.jpg
夜は短し歩けよ乙女』['06年](カバー絵:中村佑介)「アフター・アワーズ 特別版 [DVD]」グリフィン・ダン/ロザンナ・アークェット カンヌ国際映画祭「監督賞」、インディペンデント・スピリット賞「作品賞」受賞作

 2007(平成19)年度・第20回「山本周五郎賞」受賞作。2010(平成22)年・第3回「大学読書人大賞」も受賞。

 「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めるが、先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する"偶然の出逢い"にも「奇遇ですねえ!」と言うばかり。そんな2人を、個性的な曲者たちと珍事件の数々が待ち受ける―。

 4つの連作から成る構成で、表題に呼応する第1章は、「黒髪の乙女」の後をつけた主人公が、予期せぬ展開でドタバタの一夜を送るという何だかシュールな展開が面白かったです。

Griffin Dunne & Rosanna Arquette in 'After Hours'
After-Hours-Scorsese.jpgIアフター・アワーズ1.jpg これを読み、マーチン・スコセッシ監督の「アフター・アワーズ」('85年/米)という、若いサラリーマンが、ふとしたことから大都会ニューヨークで悪夢のような奇妙な一夜を体験する、言わば「巻き込まれ型」ブラック・コメディの傑作を思い出しました(スコセッシが大学生の書いた脚本を映画化したという。カンヌ国際映画祭「監督賞」、インディペンデント・スピリット賞「作品賞」受賞作)。 

アフター・アワーズ 1985.jpg グリフィン・ダン演じる主人公の青年がコーヒーショップでロザンナ・アークェット演じる美女に声を掛けられたきっかけが、彼が読んでいたヘンリー・『アフター・アワーズ』(1985).jpgミラーの『北回帰線』だったというのが、何となく洒落ているとともに、主人公のその後の災厄に被って象徴的でした(『北回帰線』の中にも、こうした奇怪な一夜の体験話が多く出てくる)。映画「アフター・アワーズ」の方は、そのハチャメチャに不条理な一夜が明け、主人公がボロボロになって会社に出社する(気がついたら会社の前にいたという)ところで終わる"ワンナイト・ムービー"です。

夜は短し歩けよ乙女 角川文庫.jpg 一方、この小説は、このハチャメチャな一夜の話が第1章で、第2章になると、主人公は訳の分らない闇鍋会のようなものに参加していて、これがまた第1章に輪をかけてシュール―なんだけれども、次第にマンガみたいな感じになってきて(実際、漫画化されているが)、う〜ん、どうなのかなあ。少しやり過ぎのような気も。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 山本周五郎賞だけでなく、2007(平成19)年・第4回「本屋大賞」で2位に入っていて、読者受けも良かったようですが、プライドが高い割にはオクテの男子が、意中の女子を射止めようと苦悶・苦闘するのをユーモラスに描いた、所謂「童貞小説」の類かなと(こういう類の小説、昔の高校生向け学習雑誌によく"息抜き"的に掲載されていていた)。

 京都の町、学園祭、バンカラ気質というノスタルジックでレトロっぽい味付けが効いていて、古本マニアの奇妙な"生態"などの描き方も面白いし、文体にもちょっと変わった個性がありますが、この文体に関しては自分にはやや合わなかったかも。主人公の男子とヒロインの女子が交互に、同じ様に「私」という一人称で語っているため、しばしばシークエンスがわからなくなってしまい、今一つ話に身が入らないことがありましたが、自分の注意力の無さ故か?(他の読者は全く抵抗を感じなかったのかなあ)

(2017年に「劇場版クレヨンしんちゃんシリーズ」の湯浅政明監督によりアニメーション映画化された。登場人物は比較的原夜は短し歩けよ乙女 映画title.jpg作に忠実だが、より漫画チックにデフォルメされている。星野源吹き替えの男性主人公よりも、花澤香菜吹き替えのマドンナ役の"黒髪の乙女"の方が実質的な主人公になっている夜は短し歩けよ乙女 映画01.jpg。モダンでカ夜は短し歩けよ乙女 映画00.jpgラフルでダイナミックなアニメーションは観ていて飽きないが、アニメーションの世界を見せることの方が主となってしまった感じ。一応、〈ワン・ナイト・ムービー(ストーリー)〉のスタイルは原作を継承(第1章だけでなく全部を"一夜"に詰め込んでいる)しているが、ストーリーはなぜかあまり印象に残らないし、京風情など原作の独特の雰囲気も弱まった。映画の方が好きな人もいるようだが、コアな森見登美彦のファンにとっては、映画は原作とは"別もの"に思えるのではないか。)
 
 

After Hours.jpgIMG_1158.jpgIアフター・アワーズ9.jpgグリフィン・ダン演じる主人公の青年がコーヒーショップでヘンリー・ミラーの『北回帰線』を読んでいると、ロザンナ・アークェット演じる美女に声を掛けられる...。 
 
「アフター・アワーズ」●原題:AFTER HOURS●制作年:1985年●制作国:アメリカ●監督:マーチン・スコセッシ●製作:エイミー・ロビンソン/グリフィン・ダン/ロバート・F・コールズベリー●脚本:ジョセフ・ミニオン●撮影:ミハエル・バルハウス●音楽:ハワード・ショア●時間:97分●出演:グリフィン・ダン/ロザンナ・アークェット/テリー・ガー/ヴァーナ・ブルーム/リンダ・フィオレンティ下高井戸京王2.jpgーノ/ジョン・ハード/キャサリン・オハラ/ロバート・プランケット/ウィル・パットン/ディック・ミラー●日本公開:1986下高井戸シネマ.jpg下高井戸東映.jpg/06●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:下高井戸京王(86-10-11)(評価:★★★★☆)●併映:「カイロの紫のバラ」(ウディ・アレン)

下高井戸京王 (京王下高井戸東映(東映系封切館)→1980年下高井戸京王(名画座)→1986年建物をリニューアル→1988年下高井戸シネマ) 


夜は短し歩けよ乙女 映画04.jpg夜は短し歩けよ乙女 映画ポスター.jpg「夜は短し歩けよ乙女」●●制作年:2017年●監督:湯浅政明●脚本:上田誠●キャラクター原案:中村佑介●音楽:大島ミチル(主題歌:ASIAN KUNG-FU GENERATION「荒野を歩け」)●原作:森見登美彦●時間:93分●声の出演:星野源/花澤香菜/神谷浩史/秋山竜次(ロバート)/中井和哉/甲斐田裕子/吉野裕行/新妻聖子/諏訪部順一/悠木碧/檜山修之/山路和弘/麦人●公開:2017/04●配給:東宝映像事業部●最初に観た場所:TOHOシネマズ西新井(17-04-13)(評価:★★★)
TOHOシネマズ西新井 2007年11月6日「アリオ西新井」内にオープン(10スクリーン 1,775+(20)席)。
TOHOシネマズ 西新井 ario.jpgSCREEN 1 106+(2) 3.5×8.3m デジタル5.1ch
SCREEN 2 111+(2) 3.4×8.2m デジタル5.1ch
SCREEN 3 111+(2) 3.4×8.2m デジタル5.1ch
SCREEN 4 135+(2) 3.5×8.5m デジタル5.1ch
SCREEN 5 410+(2) 7.0×16.9m デジタル5.1ch
SCREEN 6 146+(2) 3.7×9.0m デジタル5.1ch
SCREEN 7 148+(2) 3.7×8.9m デジタル5.1ch
SCREEN 8 80+(2) 4.1×9.9m MX4D® デジタル5.1ch
SCREEN 9 183+(2) 4.1×9.9m デジタル5.1ch
SCREEN 10 345+(2) 4.8×11.6m デジタル5.1ch

 【2008年文庫化[角川文庫]】

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「星への旅」「少女架刑」の瑞々しいリリシズム。拾い物だった「石の微笑」「透明標本」。

星への旅.jpg星への旅 (新潮文庫)』['74年]  吉村昭.jpg 吉村昭(1927‐2006/享年79)

 吉村昭がその創作活動の初期に発表した短編を集めたもので、「鉄橋」「少女架刑」「透明標本」「石の微笑」「星への旅」「白い道」の6篇を収録していますが、死をテーマにした純文学的な作品が多く、歴史小説作家、動物小説作家という既成のイメージとかなり違っていて、それがまた新鮮でもありました。

 「星への旅」('66(昭和41)年発表、太宰治賞受賞)は「集団自殺」を敢行する若者達を扱っていて、近年のネット上で自殺志願者を募って行われる類のもの(最近読んだ桐野夏生の『メタボラ』にもあったが)などと比較してみると興味深いのですが、この短篇に出てくる若者達には自殺するこれと言った理由などは特に無く、「自殺してみようか」といった遊戯的な感覚で死ぬことを思い立ち、幌付きのトラックで死に場所を探して移動し、お互いにどこまで本気なのかを探り合いながらも集団生活のようなものを送っている―その集団生活が続けば、自殺を思いとどまりそうな気もするのだが...。

 より初期の「少女架刑」('59(昭和34)年発表)は、急性肺炎で亡くなり、金銭目的で病院に献体された貧しい家の少女の遺体がどう扱われるかを、少女の意識が死後も依然在り続けるという設定のもと、少女の視点で描かれているというシュールな作品で、医学生の眼前で解剖され、焼かれて骨になるまではともかく、納骨堂に並べられる最後はちょっと怖かった...。

 暗い話ばかりみたいですが、タイトルの付け方からも察せられるようにその中に瑞々しいリリシズムが感じられ、20代の頃に川端康成や梶井基次郎に傾倒したという文学遍歴と符号するように思えました。
 一方で、大学病院に寄贈された遺体がどのように扱われるかといったことに関しては綿密な取材がなければ書けないはずで、この辺りの創作姿勢は後の記録文学と呼ばれる作品群に繋がるものを感じました。

 個人的には、墓場から石仏を集め売る友人と出戻りの姉との関係を描いた「石の微笑」('62(昭和37)年発表、第47回芥川賞候補作)がホラー・ミステリっぽくてよく出来ていたように思え(2人は失踪するが、実はこの男はあることに憑かれていた...)、人体骨格の透明標本を作ることに憑かれた男を描いた「透明標本」('62(昭和37)年発表、第46回芥川賞候補作)も結構ブラックユーモアっぽくて面白く、共に思わぬ拾い物でした。

 4回芥川賞候補になっているのに結局賞は貰えず、夫人の津村節子氏に先を超されてしまったのは、この"面白さ"が災いしたため?

 【『星への旅』...1974年文庫化〔新潮文庫〕】/【『少女架刑』(少女架刑、白い道、星と葬礼、貝殻、墓地の賑い)...1963年単行本[南北社]/1971年単行本[三笠書房]/1980年肉筆絵装[成瀬書房]】

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「魂萌え!」)

シルバー世代のビルドゥングスロマン(教養小説)? 会話を通じての心理描写が秀逸。

魂萌え!.jpg魂萌え!上.jpg魂萌え!下.jpg  魂萌え! [DVD].jpg 土曜ドラマ 魂萌え!.jpg  説新潮別冊 桐野夏生スペシャル.jpg 
魂萌え !』 ['05年] /新潮文庫(上・下)/NHKエンタープライズ 「魂萌え! [DVD]]/ 『The COOL! 小説新潮別冊 桐野夏生スペシャル (Shincho mook)』 

  2005(平成17)年・第5回「婦人公論文芸賞」受賞作。

 夫が定年を迎え、平凡ながらも平穏に生きていた専業主婦の主人公だが、その夫が心臓麻痺で急死したことで事態は一変、渡米していた息子は8年ぶりに日本に帰国したかと思うと夫婦での同居をせがみだし、葬儀後に女性から夫の携帯にかかってきた電話で、夫が生前に浮気をしていたことを知ることとなる―。

 '04年に毎日新聞で連載した小説で'05年に単行本刊行、'06年にはNHKでTVドラマ化(土曜ドラマ・全3回/主演:高畑淳子)され、'07年には映画(主演:風吹ジュン)も公開されましたが何れも観ておらず('08年のドラマの再放送の第1話だけ少し観た)、殆ど先入観ナシで読み始め、一方で59歳の寡婦が主人公ということで、果たして感情移入できるかなという思いもありました。

 しかし、読み始めてみると自然に惹き込まれ、これまでの著者の作品のようなミステリでもなければおどろおどろしい出来事や驚くべき結末があるわけでもないのに一気に読めてしまい、この作家(雑誌の表紙になってもカッコいいのだが)やはり力あるなあと思わされました。

 遺産の法定相続を迫る息子の身勝手さ、夫の愛人だった蕎麦屋の女主人が見せる金銭への執着など、ああ、結局なんやかや言っても金なのかと。極めつけは、前半に出てくる、主人公が息子達の我儘に愛想をつかして家を飛び出し泊まった先のカプセルホテルで出会った老女で、自分の不幸な身の上を語ったと思ったら1万円を請求する―。いやあ、世の中いろんな人がいるから、これも何だか実話っぽく聞こえるし、後半にも、主人公の身の上話を親切に聞くフリをして、雑誌の原稿ネタにしている人がいたりして。

 こうした人たちに遭遇しながら、主人公の社会や世間の人々に対する認識は変化し、それは、自分自身が強く生きなければという方向に働いているように思います(世間知らずから脱皮し成長を遂げるという点では、シルバー世代のビルドゥングスロマン(教養小説)といったところか)。

 主人公を含めた4人組みの女友達のキャラクターの書き分け("ホセ様"の追っかけオバサンのちょっと壊れ気味のキャラがリアル)、蕎麦探訪のサークルの男達の描写(ロマンスグレーの実態?)、それらが混ざった蕎麦試食会の際の各人の言葉の遣り取りとその反応の裏に窺える心理描写は実に秀逸でした(著者みたいな観察眼の鋭い人が呑み会にいると酔えないだろうなあ)。

 最後は、自分が期待するような完璧な友人や男友達はいないだろうとしながらも、それらを忌避せず受け容れる、まさに「人に期待せず、従って煩わされず、自分の気持ちだけに向き合って生きていく」という境地に主人公が達したこと窺え、小説としてのカタルシス効果が弱いとする向きもあるかもしれませんが、個人的にはイベント的なオチが無くても不満の残る終わり方ではなかったように思います。

魂萌え ドラマ.jpg NHKのドラマを、再放送も含め少ししか観なかったのは、時間の都合もありましたが、映像化すると結構どろどろした感じになって(あー、これから修羅場が始まる魂萌え!5.jpgなあという感じ)、あまりお茶の間向けでないように思えたということもあったかも(そうしたドラマをやるところがNHKのいいところなのだが)。

「魂萌え!」●演出:吉川邦夫●制作:石丸彰彦●脚本:斉藤樹実子●原作:桐野夏生●出演:高畑淳子/高橋惠子/宇梶剛士/山本太郎/酒井美紀/小柳ルミ子/村井国夫/大和田伸也/猫背椿/杉浦太陽●放映:2006/10~11(全3回)●放送局:NHK

 【2006年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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認知症の妻を介護する高齢作家の日常と、蘇る60年以上前の昭和初期の青春ロマン。

吾妹子(わぎもこ)哀し 新潮文庫.jpg吾妹子哀し (新潮文庫)』['06年] 吾妹子哀し.jpg 『吾妹子哀し』['03年] 青山光二.jpg 青山 光二 (1913‐2008/享年95/略歴下記)

 短編「吾妹子哀し」は、アルツハイマー型認知症のため記憶を失いつつある妻を介護する89歳の作家の日常を、66年前の若き日の妻との愛の記憶を蘇らせつつ淡々と描いたもので、2003(平成15)年・第29回「川端康成文学賞」受賞作ですが、作者・青山光二は1913年生まれで受賞時は90歳であり、この賞の受賞者では歴代最高齢であるとのこと。

 主人公の若き日の恋愛の真剣さが伝わってきて、かつて彼女(妻)を守って銃口の前に立てるかと自問し、「今また銃口の前に立っている。銃にこめられた弾丸はアルツハイマー型痴呆症だ」という作家の覚悟は、愛には責任が伴うという作家固有の精神性(信条)に裏打ちされているようですが、まさに究極の夫婦愛を描いたものと言えるかと思います。

 妻の失禁や徘徊に手を焼く様子を軽いユーモアを交えて描く一方、2人の間で交わされる"お医者さんごっこ"のようなセックスなども赤裸々に描かれていて、こうした事柄が何れも実体験に基づかなければ描けないものばかりであるだけに、認知症者の心の在処(ありか)や認知症者と共に歩むということはどういうことかを探るうえでも、考えさせられる面が多かったです。

 川端賞受賞後に書き下ろした併録の「無限回廊」は、妻との最後の旅行となると思われる神戸への墓参を話の枠組み(現在)として、その中で、昭和初期の妻との恋愛と結婚の成就(過去)が描かれていますが、これが意外と結構ドタバタ劇で、読んでいて面白かったです。

 三高→東大とインテリコースを歩みながらも無頼な生活を送る主人公は、経済的基盤の無い学生の身分のまま現在の妻との恋愛に陥りますが、一方で、押しかけ女房みたいな女性に翻弄され、その女性と愛の無い同棲生活みたいなことになっていて、しかもその女性がわざわざ本命の彼女のもとへ出向いて、今の関係を"ありのまま"喋ってしまうという―。

 こうした主人公の窮地を救うべく、同じく無頼の学友たちも奔走し、こうして読むと、旧制高校の掛値無しの友情もいいなあと。
 任侠小説で名を馳せた作者ですが(この作品もエンターテインメントとしても読める)、そうしたもののベースに、こうした無頼気質というか、男性同士の繋がりの世界が体験的にあるのかも。

 しかし、90歳にして凄い記憶力だなあと―。昭和初期の風俗や若者群像みたいなものが精緻かつ鮮烈に描かれています。
 一方で、ホテルに泊まりながら、ホテル内を徘徊する妻を連れ戻し、妻のオムツを換える今の自分があり、「吾妹子哀し」もそうですが、"青春のロマン"と"老年の現実"が妻という同一人物を介して1つの物語の中に納まっているという感じで、読んでいて、時間って何だろうとか、ちょっと哲学的に考えさせられたりもして。

認知症とは何か.jpg小澤 勲.jpg 「吾妹子哀し」という作品を知ったのは、「痴呆の世界」を探り続け、ガン宣告を受けながらも認知症問題について精力的に啓蒙活動をした京都の精神科医・小澤勲氏の著書『認知症とは何か』('05年/岩波新書)で紹介されていたからで、青山光二氏は昨年('08年)10月29日に95歳で逝去しましたが、小澤医師も翌月19日に肺がんのため70歳で亡くなっており、共にご冥福をお祈りしたい想いです。
小澤 勲 『認知症とは何か (岩波新書)』 ['05年]

 【2006年文庫化[新潮文庫]】
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青山光二 (あおやま・こうじ)
1913(大正2)年、神戸市生れ。東京大学文学部卒。旧制三高在学中から小説を書きはじめ、東大在学中の1935(昭和10)年、同人誌「海風」を創刊する。織田作之助、太宰治ら無頼派作家と厚い友誼を結んだ。戦後は「近代文学」等に拠って創作活動をつづけ、任侠小説の分野で新境地をひらいた。1980年『闘いの構図』で平林たい子文学賞受賞、2003(平成15)年「吾妹子哀し」で川端康成文学賞を受賞。主な作品に『修羅の人』『竹生島心中』『われらが風狂の師』『母なる海の声』『美よ永遠に』などがある。2008年10月没。

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死、悲しみ、再生といったものが子供にわかりやすく伝わるとともに、「時間」というもう1つのテーマが。

くまとやまねこ.jpg 『くまとやまねこ』(2008/04 河出書房新社)湯本香樹実.jpg 湯本 香樹実 氏

くまとやまねこ2.jpg 仲良しの小鳥に死なれた熊は、悲しみにうちしおれ、小鳥の遺骸を木箱に入れて持ち歩くが、周囲からの慰めにもかかわらずその心は癒されること無く、やがて家に閉じこもるようになる。しかし、何日もそうしていた後のある日、外の風景を見るといつもと違って見え、ふと出かけた先で楽器を携えた山猫に出会って―。

 2008(平成20)年に刊行されたこの絵本の作者・湯本香樹実(ゆもと・かずみ)氏は、脚本家であり小説家でもある人で、小説『夏の庭 --The Friends--』('01年/徳間書店)で第26回日本児童文学者協会新人賞、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞を受賞し、翌年には『西日の町』('02年/文藝春秋)が芥川賞候補になっていて、一方の酒井駒子(さかい・こまこ)氏も絵本『金曜日の砂糖ちゃん』('03年/偕成社)でブラティスラヴァ世界絵本原画展(BIB)金牌を受賞しており、内外で注目されている2人の初取り合わせということになります(本書もまた、2009(平成21)年・第40回「講談社出版文化賞」(絵本賞)を受賞した)。

 この作品で湯本氏は、親しい人が亡くなった時の、自分の一部が欠けたような喪失感と、葬送と悲しみを経てのそこからの再生を、短いストーリーの中に見事に凝縮してみせています。

 そして、酒井駒子氏のモノトーン主体で時折赤の彩色を部分的に使っただけの絵。小川未明原作の『赤い蝋燭と人魚』の絵本化('02年)で個人的には注目したのですが、「死」や「悲しみ」といったものが子供にわかりやすく伝わる画風のような気がします。

 同時にこの絵本には、熊が小鳥が亡くなる前日に小鳥と交わした「時間」についての会話があり、「時間」というものがもう1つのテーマとしてあることがわかります。
 毎朝が"きょうの朝"である、しかし《きのうの"きょうの朝"》はもう二度と来ない―親しい人が亡くなった時ほど、時間の遡及不可能性を強く感じることはないのだなあと、改めて思わせられるものがありました。

 そして、親しい人を失ったばかりの人には、この絵本の熊のように、そこで一旦時間の停止状態が生じる、しかし、それはその人にとって必要な"葬送"の時なのでしょう。その後には、熊が山猫と出会ったように、他者との新たな出会いが待っているのかも知れません。

 これ、結構、大人向きでもあるかも。

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あの福田和也氏も推奨する、日本で2冊しかない単巻での発行部数累計が400万部を超えた名作。

ぐりとぐら.jpg 『ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)

たまご.jpg 1967(昭和42)年刊行の「ぐりとぐら」シリーズの第1作で、双子の野ねずみ"ぐり"と"ぐら"が森で見つけた巨大な卵で巨大なカステラを作り、友達とわけ合うという話は、絵本界の名作としてよく知られています(この絵本の原型として「たまご」('63年発表)という読み聞かせ物語[右]がある)。

 辛口(?)の文芸評論家・福田和也氏が、『悪の読書術』('03年/講談社現代新書)の中で、「福音館書店が出版する絵本は、他社のそれとは格が違う」と書いていて、優れた絵本として、この「ぐりとぐら」シリーズと林明子氏のものを挙げていました。

 また、朝日新聞夕刊連載の「ニッポン人・脈・記」で、'08年夏に「絵本きらめく」というシリーズがあり、その中で、この『ぐりとぐら』が、松谷みよ子氏の『いないいないばあ』('67年/童心社)と並んで、日本で、単巻での発行部数累計が400万部を超えるたった2冊しかない絵本の内の1冊であること、中川李枝子氏と山脇百合子氏が実の姉妹であること、「ぐりとぐら」の創作にあたっては、石井桃子(1907‐2008/享年101)の指導を仰いだことなどを知り、大変興味深かったです。

ぐりとぐらのかいすいよく.jpg これだけの大ヒット商品なのに、『ぐりとぐらのおおそうじ』('02年)まで基本シリーズは35年間で7冊の刊行しかなく、この辺り、商業主義に走らず、絵本作りの質を落さないようにしていることが窺えます。
 個人的には、'70年代に唯一刊行された第3作『ぐりとぐらのかいすいよく』('77年)や同じく'80年代唯一の刊行である第4作『ぐりとぐらのえんそく』('83年)などもいいなあと(特に、『ぐりとぐらのかいすいよく』のユルい感じがいい)。

 これら基本シリーズの他に、『ぐりとぐらの1ねんかん』('97年)、『ぐりとぐらのうたうた12つき』('03年)などの大判本があり、これらもお奨めです。
ぐりとぐらとぐふ.jpg
 最近、ネットで『ぐりとぐらとぐふ』というパロディ画像が出回っていますが(ガンダム・ヴァージョン?)、パロディにされるぐらい有名であるということ?

《読書MEMO》
菊池寛賞贈呈式.jpg第61回菊池寛賞(日本文学振興会主催)
山脇百合子氏(左)/中川李枝子氏(右) 
The Sankei Shimbun & Sankei Digital 2013.12.16 07:39

『ぐりとぐら』50周年.jpg

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サイコメトラーという際どいモチーフを上手く作品に織り込んでいるが、冗長さは否めない。

楽園 上.jpg 楽園〈下〉.jpg 宮部 楽園 文春文庫 上.jpg 宮部 楽園 文春文庫下.jpg 楽園 ドラマ.jpg
楽園 上』『楽園 下』['07年]『楽園 上 (文春文庫)』『楽園 下 (文春文庫)』['10年]連続ドラマW「楽園」(2017・WOWOW)出演:仲間由紀恵,黒木瞳,夏帆,松田美由紀,石坂浩二,小林薫

 2008(平成20)年・第1回「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第1位作品。

「模倣犯」の事件から9年が経ったフリーライター・前畑滋子のもとに、一人息子を交通事故で失った荻谷敏子という中年女性が現れ、12歳で死んだその息子には特殊能力があったのかもしれない、少年は16年前に殺された少女の遺体が最近になって自宅の床下から発見されたという事件の前に、それを絵に描いていたという―。

 『模倣犯』('01年)の続編という形をとっていますが、『理由』('98年)など、現代社会における家族の在り方をテーマにした作品の流れに近いように思いました。

 仏教で、親が子より先に亡くなることを「順縁」と呼び、子が親に先立って亡くなることを「逆縁」と呼びますが、「逆縁」にめぐり逢った人は、何かしら宗教的なもの、超常的なものに惹かれ、時にそれが生きる支えになりことがあるといいます。

 本作では、「サイコメトラー」という、現代推理モノとしては少し"際どい"とも思えるモチーフを、こうした人間の心理・心情に自然に呼応する形で上手く作品の中に織り込んでいるように思います。

 但し、クライマックスに至るまでがあまりに冗長で、第4コーナーを回ったところぐらいからやっと"息もつかせぬ"展開になり、それまで焦らされた分だけカタルシス効果が大きいとも言えるのですが、そのクライマックス部分を手紙形式にしたことが、果たして効果的であったどうかも疑問が残りました。

 文章自体は相変わらず読み易く、「冗長さ」を「きめ細かさ」ととればそれ自体は決して苦になるものではないけれども、新聞連載小説という枠組みの中で作品の「長さ」が予め既定され、それに合わせてやや引き伸ばし気味に書いているような感じがしたなあ、比較的単純なプロットの割には。

 【2010年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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実践と学識に裏打ちされた、「自己責任論」の過剰に対する警鐘。

反貧困.jpg反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書 新赤版 1124)』['08年]湯浅 誠.jpg 湯浅 誠 氏 (NHK教育「福祉ネットワーク」(2007.12.19)「この人と福祉を語ろう 見えない『貧困』に立ち向かう」より)

 著者が立ち上げたNPO法人自立生活サポートセンター〈もやい〉には、「10代から80代まで、男性も女性も、単身者も家族持ちや親子も、路上の人からアパートや自宅に暮らしている人まで、失業者も就労中の人も、実に多様な人々が相談に訪れ」、〈もやい〉では、こうした貧困状態に追いやられてしまった人々のために、アパートを借りられるように連帯保証人を紹介したり、生活保護の申請に同行したりするなどの活動をしているとのことです。
 本書には、その活動が具体例を以って報告されているとともに、こうした活動を通して著者は、日本社会は今、ちょっと足をすべらせただけでどん底まですべり落ちていってしまう「すべり台社会」化しているのではないかとしています。
ルポ貧困大国アメリカ.jpg 冒頭にある、生活困窮に陥ってネットカフェや簡易宿泊所を転々とすることになった夫婦の例が、その深刻さをよく物語っていますが、ネットカフェ難民自体は、既にマスコミがとりあげるようになった何年か前から急増していたとのこと。「帯」にあるように、本書でも参照している堤未果氏の『ルポ 貧困大国アメリカ 』('08年/岩波新書)に近い社会に、日本もなりつつあるのかも、と思わせるものがります。

 国の社会保障制度(雇用・社会保険・公的扶助の「3層のセーフティネット」)が綻んでいるのが明らかであるにも関わらず、個人の自助努力が足りないためだとする「自己責任論」を著者は批判していますが、一方で、「貧困」の当事者自身が、こうした「自己責任論」に囚われて単独で頑張りすぎてしまい、更に貧困のスパイラルに嵌ってしまうこともあるようです(「もやい(舫い)」〉というネーミングには、そうした事態を未然に防ぐための「互助」の精神が込められている)。
 著者は、こうした横行する「自己責任論」に対する反論として、個々の人間が貧困状況に追い込まれるプロセスにおいて、親世代の貧困による子の「教育課程からの排除」、雇用ネットや社会保険から除かれる「企業福祉からの排除」、親が子を、子が親を頼れない「家族福祉からの排除」、福祉機関からはじき出される「公的福祉からの排除」、そして、何のために生き抜くのかが見えなくなる「自分自身からの排除」の「5重の排除構造」が存在すると指摘していて、とりわけ、最後の「自分自身からの排除」は、当事者の立場に立たないと見えにくい問題であるが、最も深刻な問題であるとしています。

グッドウィル・折口会長.jpg 個人的には、福祉事務所が生活保護の申請の受理を渋り、「仕事しなさい」の一言で相談者を追い返すようなことがままあるというのが腹立たしく、また、違法な人材派遣業などの所謂「貧困ビジネス」(グッドウィルがまさにそうだったが)が興隆しているというのにも、憤りを覚えました。
 折口雅博・グッドウィル・グループ(GWG)前会長

 著者自身、東大大学院在学中に日雇い派遣会社で働き、その凄まじいピンはねぶりを経験していますが、実体験に基づくルポや社会構造の変化に対する考察は、実践と学識の双方をベースにしているため、読む側に重みを持って迫るものがあります。

 結局、著者は博士課程単位取得後に大学院を辞め、〈もやい〉の活動に入っていくわけですが、今のところ学者でも評論家でもなく社会活動家であり、但し、今まではNPO活動の傍ら「生活保護申請マニュアル」のようなものを著していたのが、2007年10月には「反貧困ネットワーク」を発足させ、更に最近では本書のような(ルポルタージュの比重が高いものの)社会分析的な著作を上梓しており、今後、「反貧困」の活動家としても論客としても注目される存在になると予想されます。

(本書は2008(平成20)年度・第8回「大佛次郎論壇賞」受賞作。第14回「平和・協同ジャーナリスト賞」も併せて受賞)


《読書MEMO》
●「どんな理由があろうと、自殺はよくない」「生きていればそのうちいいことがある」と人は言う。しかし、「そのうちいいことがある」などとどうしても思えなくなったからこそ、人々は困難な自死を選択したのであり、そのことを考えなければ、たとえ何万回そのように唱えても無意味である。(65p)
●〈もやい〉の生活相談でもっとも頻繁に活用されるのは、生活保護制度となる。本人も望んでいるわけではないし、福祉事務所に歓迎されないこともわかっている。生活保護は、誰にとっても「望ましい」選択肢とは言えない。しかし、他に方法がない。目の前にいる人に「残念だけど、もう死ぬしかないね」とは言えない以上、残るは生活保護制度の活用しかない。それを「ケシカラン」という人に対しては、だったら生活保護を使わなくても人々が生きていける社会を一緒に作りましょう、と呼びかけたい。そのためには雇用のセーフティネット、社会保険のセーフティネットをもっと強化する必要がある。(132‐133p)

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人間は日々作り替えられているのだ...。読み易く、わかり易い(藤原正彦の本と少しだぶった)。

生物と無生物のあいだ_2.jpg生物と無生物のあいだ.gif            福岡伸一.jpg 福岡 伸一 氏 (略歴下記)
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)』 ['07年]

 2007(平成19)年度「サントリー学芸賞」(社会・風俗部門)受賞作であり(同賞には「政治・経済」部門、「芸術・文学」部門、「社会・風俗」部門、「思想・歴史」部門の4部門があるが、元々人文・社会科学を対象としているため、「自然科学」部門はない)、また、今年(2008年)に創設された、書店員、書評家、各社新書編集部、新聞記者にお薦めの新書を挙げてもらいポイント化して上位20傑を決めるという「新書大賞」(中央公論新社主催)の第1回「大賞」受賞作(第1位作)でもあります。

 刊行後1年足らずで50万部以上売り上げた、この分野(分子生物学)では異例のベストセラーとか言うわりには、読み始めて途端に"ノックアウトマウス"の話とかが出てくるので、一瞬構えてしまいましたが、読み進むにつれて、ベストセラーになるべくしてなった本という気がしてきました。

Rudolf Schoenheimer (1898-1941).jpg プロローグで、表題に関するテーマ、「生物」とは何かということについて、「自己複製を行うシステム」であるというワトソン、クリックらがDNAの螺旋モデルで示した1つの解に対して、「動的な平衡状態」であるというルドルフ・シェ―ンハイマーの論が示唆されています。

Rudolf Schoenheimer (1898-1941)

 本編では、自らのニューヨークでの学究生活や、生命の謎を追究した世界的な科学者たちの道程が、エッセイ又は科学読み物風に書かれている部分が多くを占め(これがまた面白い)、その上で、DNAの仕組みをわかり易く解説したりなどもしつつ、元のテーマについても、それらの話と絡めながら導き、最後に結論をきっちり纏めていて、盛り込んでいるものが多いのに読むのが苦にならず、その上、読者の知的好奇心にも応えるようになっています。

 著者は、シェーンハイマーの考えをさらに推し進め、「生命とは動的平衡にある流れである」と再定義しています。
 ヒトの皮膚も臓器も、細部ごとに壊されまた再生されていて、一定期間ですっかり入れ替わってしまうものだとはよく言われることですが、本書にある、外部から取り込まれたタンパク質が身体のどの部位に蓄積されるかを示したシェーンハイマーの実験には、そのことの証左としての強いインパクトを受けました(歯も骨も脳細胞までも、常にその中身は壊され、作り替えられているということ)。

ダークレディと呼ばれて―二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実.jpgマリス博士の奇想天外な人生.jpg また、シェーンハイマーという自殺死した天才学者に注目したのもさることながら、科学者へのスポットの当て方がいずれも良く、ノーベル生理学・医学賞をとったワトソンやクリックよりも、無類の女性好きでサーフィン狂でもあり、ドライブ・デート中のひらめきからDNAの断片を増幅するPCR(ポメラーゼ連鎖反応)を発明したというキャリー・マリス博士(ワトソン、クリックらと同時にノーベル化学賞を受賞)や、ワトソン、クリックらの陰で、無名に終わった優秀な女性科学者ロザリンド・フランクリンの業績(本書によれば、ワトソンらの業績は、彼女の研究成果を盗用したようなものということになる)を丹念に追っている部分は、読み物としても面白く、また、こうした破天荒な博士や悲運な女性科学者もいたのかと感慨深いものがありました(著者は、キャリー・マリス、ロザリンド・フランクリンのそれぞれの自叙伝・伝記の翻訳者でもある)。 『マリス博士の奇想天外な人生 (ハヤカワ文庫 NF)』 『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実

若き数学者のアメリカ 文庫2.jpgワープする宇宙.jpg アメリカでスタートを切った学究生活やそこで巡り合った学者たちのこと、野口英世の話(彼の発表した研究成果には間違いが多く、現在まで生き残っている業績は殆ど無いそうだ)のような、研究や発見に纏わる科学者の秘話などを、読者の関心を絶やさずエッセイ風に繋いでいく筆致は、海外の科学者が書くものでは珍しくなく、同じ頃に出た多元宇宙論を扱ったリサ・ランドール『ワープする宇宙』('07年/日本放送協会)などもそうでしたが、科学の"現場"の雰囲気がよく伝わってきます。 『ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く
 日本では、こうした書き方が出来る人はあまりいないのでは。強いて言えば、数学者・藤原正彦氏の初期のもの(『若き数学者のアメリカ』『心は孤独な数学者』など)と少し似てるなという気がしました。 『若き数学者のアメリカ (新潮文庫)

 俗流生物学に当然のことながら批判的ですが、今度´08年5月から、その"代表格"竹内久美子氏が連載を掲載している「週刊文春」で、著者も連載をスタート、更に、脳科学者の池谷裕二氏も同時期に連載をスタートしました。
 どうなるのだろうか(心配することでもないが)。竹内久美子氏は、もう、連載を降りてもいいのでは。
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福岡 伸一(ふくおか・しんいち)
1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ロックフェラー大学およびハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授を経て、青山学院大学 理工学部化学・生命科学科教授。分子生物学専攻。研究テーマは、狂牛病 感染機構、細胞の分泌現象、細胞膜タンパク質解析など。専門分野で論文を発表するかたわら一般向け著作・翻訳も手がける。最近作に、生命とは何かをあらためて考察した『生物と無生物のあいだ』(講談社)がある。

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太平洋戦争降伏を決意したのは、「国民」のためではなく「三種の神器」を守るため !?

昭和天皇.jpg 『昭和天皇 (岩波新書 新赤版 1111)』['08年] 原 武史.jpg 原 武史 氏(政治学者)

 2008(平成20)年・第11回「司馬遼太郎賞」受賞作。

 本書によれば、天皇の地方視察や外国訪問などの政治的活動は一般国民に可視の(お濠の外側の)ものであリ、御用邸を訪れたり園遊会を催したりすることは政治的活動ではないが、これもお濠の外側のものであると。
昭和天皇の新嘗祭.jpg 一方、不可視の(お濠の内側での)活動は、戦前は「統治権の総攬者」として上奏に対し下問するという政治活動があったが、今は象徴天皇なのでそれは無い。そうすると残るのは、お濠の中での非政治的活動で、宮中祭祀とか生物学研究がそれに当たるが、本書では、その、国民の目から見えにくい宮中祭祀に注目し(天皇が勤労感謝の日に新嘗祭を行っているのを今の若い人の中でで知っている人は少ないのではないか)、昭和天皇の宮中祭祀へのこだわりを通して、天皇は何に対して熱心に祈ったのかを考察しています。
昭和天皇による「新嘗祭」

 もともと昭和天皇は宮中祭祀に熱心ではなかったようですが、そのことで信仰に口うるさかった貞明皇太后との間で軋轢を生じ、逆に新嘗祭などの祖宗行事を熱心に行うようになり―最初は皇太后口封じのために行っていたのが、太平洋戦争時には、敗色濃厚になるにつれアマテラスに熱心に戦勝祈願するようになっていた―「万世一系」の自覚のもと晩年まで祭祀の簡素化を拒み続けてきたとのことです。

 「皇祖神」信仰(或いは皇太后に対する責任意識)に比べれば、国民に対する責任意識は希薄だったようで(戦争降伏を決意したのは「三種の神器」を守るため !?)、そのことは、戦後の祈りについても同じで、敗戦を招いたことを「皇祖神」に詫び続け、平和への祈願も国民に向けてよりもまず「皇祖神」に向けてのものであり、戦争責任について記者会見で問われても国民に対する責任意識が無いために俄かに反応できず、ましてや戦争で辛酸を舐めたアジア諸国の人々を思い遣るといった発想はどこにもない―ということでしょうか。

 ショッキングな内容の本ですが、昭和天皇が貞明皇太后に抗えず祭祀を執り行うにあたり、どうやって自分を合理化したのかについて、生物学研究を通して神的なものに惹かれていったと考察しており、こうした考察を含め、先に結論ありきで進めていて、確証の部分が少し弱いようにも感じられました。
 ただ、個人の信仰や責任意識の度合いは不可知ではないかという気はするものの、『昭和天皇独白録』が、昭和天皇自らが作成に関与した戦争責任の「弁明の書」であること(吉田 裕 『昭和天皇の終戦史』('92年/岩波新書))などからも(高松宮は昭和天皇がA級戦犯に全責任を押しつけたことを批難している)、意識は国民より「皇祖神」の方へ向いていたというのは、生身の人間して考えた場合にあり得ることではないかと思った次第です。

《読書MEMO》
 1937年に勃発した日中戦争以降、天皇は毎年続けていた地方視察を中断する。また戦争の激化とともに、御用邸での滞在や生物学研究も中断されるが、宮中祭祀だけは一貫して続けられた。いやむしろ、天皇はますます祭祀に熱心になり、宮中三殿のほかに、靖国神社や伊勢神宮にもしばしば参拝する。特に靖国神社には45年まで毎年欠かさず参拝し、飛躍的に増えつつあった「英霊」に向かって拝礼するようになる。
 天皇の祈りを本物にしたのは、戦争であった。太平洋戦争が勃発した翌年の1942年、天皇は伊勢神宮に参拝し、アマテラスに僭称を祈った。戦況が悪化した45年になっても、天皇は祭祀を続け、勝利にこだわった。6月にようやく終結に向けて動き出すが、天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた「三種の神器」を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった。(12p)

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江戸前期の「忘れられた国際人」雨森芳洲の業績と思想、生き方に迫る。

雨森芳洲 元禄享保の国際人.jpg雨森芳洲―元禄享保の国際人 (中公新書)』〔'89年〕 雨森芳洲.jpg 『雨森芳洲―元禄享保の国際人 (講談社学術文庫)』 〔'05年〕

 1990(平成2)年度「サントリー学芸賞」(社会・風俗部門)受賞作。
 雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう、1668‐1755)は、対馬藩で対朝鮮外交に当たった儒者ですが、「忘れられた国際人」と呼ばれるに相応しいこの人物の業績と思想を、本書では丹念に掘り起こしています。

izuharamap.gif 芳洲には、①朝鮮語の語学者、②外交担当者、③民族対等の観点に立つ思想家、の3つの顔があり、また漢籍を能くし漢詩をこなす文人でもあります。
 もともと新井白石と同じ木下順庵門下として朱子学を学び、26歳で対馬藩に就職しますが、白石が5代将軍徳川綱吉のもと幕府中枢で活躍したのに対し、芳洲は88歳で没するまで62年間、対馬島の厳原(いずはら、現厳原町)が生活の本拠でした。
 同門の白石が政権の座についたことで、自身も幕府に引き立てられる望みを抱いていましたが、白石の失墜でそれも叶わぬ望みとなり、朝鮮外交で20年以上も活躍しましたが、54歳で現役を退いています。

 在任中に朝鮮の外交特使である朝鮮通信使の待遇問題などで白石と対立しますが、そこで論じられる両者の国体論などはなかなか面白い。
 考えてみれば、当時の日本というのは天皇と将軍がいて外国から見ればややこしかったわけですが、議論としては白石よりも芳洲の方が筋が通っている、それも、相手をやり込めるための議論ではなく、相手国・朝鮮の立場を尊重し、かつ日本の国体を、時勢によらず正しく捉えることで、国としての威信を損なわないようにしている、言わば辣腕家ではあるが、細心の配慮ができる人です(論争後も白石との友情は続いた)。

 朝鮮通信使が相対する日本側の儒者や政治家の教養や芸術的資質を重視し、詩作の競争などを通じて相手のレベルを測っていたというのが興味深いですが、芳洲に対する朝鮮通信使の評価は高く、また、人格面でも大概の通信史たちが惹かれたようです。
 それ以前に、まず、芳洲の中国語と韓国語の語学力に圧倒されたということで、確かに語学においてその才能を最も発揮した芳洲ですが、80歳を過ぎても自己研磨を怠らない努力家であったことを忘れてはならないでしょう。

 地方勤務で終わった窓際族のような感じも多少ありますが、早くに引退しその後長生きしたことで、自らの思索を深め、それを書物に残すことも出来、それによって我々も今こうして、江戸時代前半に「誠心」を外交の旨とするインターナショナルな思想家がいたということ(韓国側にも彼を讃える文献は多く残っていて、'90年に訪日した韓国・慮泰愚大統領は、挨拶の中で芳洲の「誠信外交」を称賛した)のみならず、その人生観まで知ることができるわけで、1つの生き方としても共感を覚えました。

朝鮮通信使と江戸時代の三都.gif 尚、江戸時代の朝鮮通信使の歴史や政治的意義については、仲尾宏氏の『朝鮮通信使-江戸日本の誠信外交』('07年/岩波新書)で知ることが出来、毎回数百名の通信使が来日し、その際には必ず大坂・京都を経て江戸へ向かったとのことですが、それを各都市ではどのように迎えたか、通信使の眼にこの3都市がどのように映ったかなどについては、同著者の『朝鮮通信使と江戸時代の三都』('93年/明石書店)が参考になりました。

 【2005文庫化[講談社学術文庫]】

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