Recently in 本屋大賞(10位まで) Category

「●海外サスペンス・読み物」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2014】 サラ・ウォーターズ 『半身』 
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●「ミステリが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「英国推理作家協会(CWA)賞」受賞作」の インデックッスへ 「○海外サスペンス・読み物 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

影響を受けている『ラスト・チャイルド』を超える広がりと奥行き(重み)。

『われら闇より天を見る』01.jpg 『われら闇より天を見る』02.jpg uliyaka.jpg
われら闇より天を見る』クリス・ウィタカー

『われら闇より天を見る』1p.jpg 米カリフォルニア州の海沿いの町ケープ・ヘイヴン。自称無法者の少女ダッチェス・ラドリーは、30年前に自身の妹シシーを亡くした事故から立ち直れずにいる母親スターと、まだ幼い弟ロビンとともに、世の理不尽に抗いながら懸命に日々を送っていた。町の警察署長ウォーカー(ウォーク)は、件(くだん)の事故で親友のヴィンセント・キングが逮捕されるに至った証言をいまだに悔いており、過去に囚われたまま生きていた。彼らの町に刑期を終えたヴィンセントが帰って来る。彼の帰還は町の平穏を乱し、ダッチェスとウォークを巻き込んでいく。そして、ダッチェス姉弟の身に新たな悲劇が降りかかる―。

『われら闇より天を見る』e1.jpg『われら闇より天を見る』e2.jpg 2020年8月原著刊(原題:We Begin at the End)で、2021年「英国推理作家協会ゴールド・ダガー賞」受賞作。日本では、2022(令和4) 年度「週刊文春ミステリーベスト10」(海外部門)第1位、宝島社・2023(令和5)年版「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位、早川書房・2023年版「ミステリが読みたい!」(海外編)第1位、2023年・第20回「本屋大賞」(翻訳小説部門)第1位で、特に、年末ミステリランキングで4年間ほぼ1位を独占状態だった同じ英国ミステリ作家のアンソニー・ホロヴィッツの牙城を崩したのは大きいと思います(因みにホロヴィッツの新作『殺しへのライン』は「週刊文春ミステリーベスト10」第2位、「このミステリーがすごい!」第2位、「ミステリが読みたい!」第2位、「本格ミステリ・ベスト10」第2位)。

 主人公の13歳の少女ダッチェス・ラドリーのタフさが良かったです。言わないでもいい憎タレ口を叩いて、そのお陰でしなくてもいい苦労を抱え込んでいる面もありますが、弟ロビンを守ろうとする気持ちにうたれます(それが結果として逆効果になることもあるが)。いつも弟ロビンの傍に居ようとしますが、肝心な時に傍に居てやれなかったのは皮肉です。

 それと、姉弟を見守り続ける警察署長のウォーク。30年前、15歳だった姉弟の母スター・ラドリーとヴィンセント、今は弁護士になっているマーサ・メイと彼ウォークの4人の幼馴染はいつも行動を共にしており、その思い出から抜けきれない彼ですが、ヴィンセントが誤ってスターの妹シシーを車で轢いた際、ヴィンセントの車の痕跡に気づいて警察に証言したのも彼で、複雑な感情を抱いて生きています。しかも、誰にも秘密にしていますが、パーキンソン病という難病を患っています。

 ダッチェスとウォーク以外にも印象的なキャラクターが多く登場し、姉弟の祖父でモンタナの農場で暮らすハルや、新たな事件の容疑者とされるも否認することもなく、起訴され裁判にかけられても一切を黙秘したままで通すヴィンセントがそれに当たります。ダッチェスに何かと優しく接してくるハルの知人である優しい老婦人ドリー(実は凄惨な過去を抱えている)や、ダッチェスを慕い、彼女とパーティで踊ることを至上の歓びとする黒人少年トーマス(小児麻痺を抱えている)などもそうです。

 物語は邦題からも予測されるように、最後に姉弟にとってのハッピーエンドとなりますが、最後の1行により、それは実にほろ苦い終わり方となっています。加えて、そこに至るまでに、ある者は非業の死を遂げ、ある者は自死の道を選びます。とりわけこの物語を重いものにしているのは、ヴィンセント・キングの存在であり、すべてを諦めたかのように見える彼は、実は贖罪のために生きていたような人物だったのだなあと読後に思いました。

ラスト・チャイルド ポケミス.jpg 作者は、かつてロンドンの金融街でファイナンシャル・トレーダーとして働いていましたが、「アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)」「英国推理作家協会イアン・フレミング・スチール・ダガー賞」W受賞作である米国ミステリ作家のジョン・ハ―トの『ラスト・チャイルド』(2010年/ハヤカワ・ミステリ)を読んで感動し、成功した弁護士であるハートが、妻子ある身で事務所を辞めて作家になる決断をしたと知り、昇進の道を自ら断って会社を辞め、スペインに移住して執筆に専念、2016年刊の『消えた子供 トールオークスの秘密』(2018年/集英社文庫)で、翌年の「英国推理作家協会ジョン・クリーシー・ダガー賞(新人賞)」を受賞しています。

 そう言えば、『ラスト・チャイルド』も、環境に負けない健気な心意気の少年が主人公で、ミステリと言うより"文学作品"的であり、この『われら闇より天を見る』と共通する要素があるように思いました。因みに、『消えた子供 トールオークスの秘密』も、ギャングに憧れる男子高校生マニーが主人公で、それがこの『われら闇より天を見る』では、中学1年生の女の子が主人公になっているわけです。

 また、作者はジョン・グリシャムやスティーヴン・キングなども愛読したそうで、確かにこの小説にも短いながらも法廷場面があるし、ひとつの町で怪事件が連続して起きる点はキングの小説と似ています。ただし、第1部でケープ・ヘイヴンを舞台にしていたのが、第2部ではモンタナへと舞台が移り、さらに第3部に入るとロードノヴェルの様相を呈してきて、その分広がりがあるように思いました。

 さらには、ヴィンセント・キングのキャラクターに象徴されるような奥行き(重み)もあり、個人的には米国作家であるフォークナー的な雰囲気を感じました。ただし、作者自身はイギリス人作家であるわけで、それがデビュー以来、一貫してアメリカを小説の舞台にしているのは、本人へのインタビューによれば、「アメリカは犯罪小説を書く作家にとって理想的な舞台だから」というのがその理由だそうです。確かに、この物語のスケールの大きさは、イギリスよりもアメリカがその舞台に相応しく、『ラスト・チャイルド』の影響も受けているとは思いますが(ジョン・ハ―トは原著に推薦の辞を寄せている)、個人的には、この作品はその上をいくのではないかと思いました。

《読書MEMO》
●メディア紹介
2022年
・8月16日 讀賣新聞「エンターテインメント小説月評」にて紹介
・8月18日 「北上ラジオ」にて紹介
・8月29日 Web「COLORFUL」にて北上次郎さんによる紹介
・9月1日 Web「翻訳ミステリー大賞シンジケート」にて紹介
・9月8日 「週刊文春」(文藝春秋)2022年9月15日号にて池上冬樹さんによる書評掲載
・9月9日 Web「ジャーロ」の「ミステリ作家は死ぬ日まで、黄色い部屋の夢を見るか?~阿津川辰海・読書日記~」にて紹介
・9月16日 「本の雑誌」2022年10月号にて吉野仁さんによる紹介
・9月17日 日本経済新聞・読書面にて千街晶之さんによる紹介
・10月4日 Web「日刊ゲンダイデジタル」にて紹介
・11月24日 PodCast「Hideo Kojima presents Brain Structure」にて小島秀夫さんによるご紹介
・11月25日 「ハヤカワミステリマガジン」(早川書房)2023年1月号にて「ミステリが読みたい! 2023年1月号 海外篇」第1位
・12月5日 「このミステリーがすごい! 2023年版」(宝島社)にて「このミステリーがすごい! 2023年版 海外編」第1位
・12月8日 CBCラジオ「朝PON」にて大矢博子さんによる紹介
・12月8日 「週刊文春」(文藝春秋)2022年12月15日号にて「週刊文春ミステリーベスト10 2022年海外部門」第1位
・12月10日 朝日新聞にて杉江松恋さんによる紹介

「●い 伊坂 幸太郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●い カズオ・イシグロ」【2607】 カズオ・イシグロ 『わたしたちが孤児だったころ
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

「殺し屋」シリーズ第3作は、友情物語であり、夫婦・家族の愛情物語でもあった。
AX アックスt (tankobon).jpgAX アックスAX アックス (角川文庫).jpgAX アックス (角川文庫)

 「兜」は普段、文房具メーカーの営業として働くサラリーマンだが、実は超一流の殺し屋、ただし、家では妻に頭が上がらず、人息子の克巳も呆れるほどだ。兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。引退に必要な金を稼ぐために仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない―。

「殺し屋」シリーズ.jpg 作者の『グラスホッパー』『マリアビートル』に続く「殺し屋」シリーズ第3作であり、AX、BEE、Crayon、EXIT、FINEの全5編からなる連作です(目次でDの頭文字がないのが気になる)。

 過去の作品の殺し屋も回想風に出てきますが、本編と直接的には話は繋がってはいません。前2作は、3人(3組)乃至4人(4組)の殺し屋のサバイバルを賭けたゲームのような感覚の作品で、語り手がその都度交代し、章の冒頭にその章の語り手の印鑑が押されていました。

 今回は、表向きは恐妻家のしがないサラリーマンだが、実は凄腕の殺し屋であるという(これに似たパターンは『グラスホッパー』のキャラクターの中にもあった)「兜」を中心に、前半部分は彼一人の視点から話が進む点がこれまでと違っています(したがって、途中までは章の冒頭の印鑑は「兜」が続く)。

 その「兜」が中盤で、仕事の依頼を受けたものの、ターゲットである相手は友達であったため、家族と友達を守るためにある決断をします(意外とあっさり?)。後半は「兜」の息子「克己」が語り手となりますが、かつて「兜」に助けられた友達が、今度は「克己」を助けることになります。そっか、恩返しの話だったのだなあ。殺し屋同士の友情物語でした。

 そして、一見して唐突な最後の章は、これ、「兜」と妻の最初の出会いを描いたものだったのだなあ(プロローグ的位置にエピローグ的内容を持ってきている)。つまり、息子にも揶揄されるほどの恐妻家の「兜」でしたが、実は妻をすごく愛していたのだという、夫婦、家族の愛情物語でもありました。

 5つの短編の集合体で、その物語同士が少しずつ繋がっている連作短編集のスタイルを取ることで、スリリングな殺し屋の物語としては、やや前2作に比べインパクトが弱かったでしょうか。

 それでも個人的には、『マリアビートル』の「檸檬」とか「蜜柑」とか、前作の登場人物が「兜」の回想の中に出てきたりして、結構"思い出し笑い"的に楽しめました(「檸檬」も「蜜柑」も前作で死んでしまったが)。

 ただ、この作品を単独で読んだ人にはイマイチだったのではないかという気もします。前作を読んでいることを前提とした評価は○で、読んでいないことを前提とした評価は△といったところでしょうか。まあ、前作を読んでいない人も読みたくなると思われ、そこが作者の上手いところかもしれません。

【2020年文庫化[角川文庫]】

「●ひ 平野 啓一郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●ふ フレデリック・フォーサイス」 【677】 フレデリック・フォーサイス 『戦争の犬たち
「●「読売文学賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

単にエンタメというだけでなく、愛にとって過去とは何か? を問うている。

『ある男』平野 単行本ei.jpg『ある男』2.jpg 『ある男』['18年/文藝春秋].jpg
ある男 (文春文庫 ひ 19-3)』『ある男』['18年/文藝春秋]

 2018(平成30)年・第70回「読売文学賞」受賞作。
『ある男』平野 単行本.jpg
 弁護士の城戸章良は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、そこで出会った谷口大祐と再婚、新たに生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていが、ある日突然、林業に従事していた大祐は事故で命を落とす。ところが、法要の日に、長年疎遠になっていた大祐の兄・恭一が、遺影に写っているのは大祐ではないと告げたことから、夫が全くの別人だったことが判明する。かつて里絵を担当した城戸は大祐(=ある男X)の正体を追う中で、驚くべき真実に近づいていく―。

 今年['22年]映画化され(監督は石川慶、主演は妻夫木聡)、今月[11月]18日に公開予定の作品ですが、映画化の前に読んで面白かったです。何とか本物の大祐に辿り着いたかと思ったら、もう一捻りあって、ミステリとしてもなかなか。だだし、単にエンタメというだけでなく、愛にとって過去とは何か? 幼少期に深い傷を負っても人は愛にたどりつけるのか?といった重いテーマに向き合っています。

 里枝の長男の、実の父親より、血のつながらない父親のほうを好きである、という設定などは、作者もずいぶん考えて、書きたいと思っていたモチーフだったとあるトークイベントで語っていましたが、こうしたメタファミリー的なテーマは最近はやりなのかも。でも、これはこれで良かったです。

 「戸籍入れ替え」のモチーフは、「このミステリーがすごい!」の2008年の「20周年ベスト・オブ・ベスト」(過去20年間のランキングでベスト20に入った作品を対象したアンケート結果)で第1位となった宮部みゆきの『火車』というスゴイ作品があるため、そこまでは行かないかなという感じです。

 ミステリとしてやや弱いかなと思うのは、絵画のタッチが親子で似ることがあるかもということがヒントになっていて、しかも、それが本人が描いた絵ではなく、本人と接触のあった人物が描いたものであるという、この辺りがちょっと線が細いかなあ。

 でも、そうしたことをカバーしているのが、愛とは何かといったテーマへの深い掘り下げであったと思います。里枝にとって夫は、確かに谷口大祐とは全く別人であったし、自分の知らない過去を抱えていたわけですが、彼と過ごした短い結婚生活はまさに幸せな人生の一時期であり、そのことによってその意義が損なわれるものではないと思います。

 だから、夫に自分の知らない過去があったとしても、例えば松本清張の『ゼロの焦点』のような、実は夫は別に愛人を持つ二重生活者だったという話とは趣が違うように思います(『ゼロの焦点』そのものは傑作だが)。

 本作について個人的に参考になった書評としては、翻訳家でエッセイストの鴻巣友季子氏が「週刊新潮」書評で、「主人公は数奇な運命をたどる里枝ではなく、あえて弁護士の方に設定されている。城戸が謎の男「X」の正体を追う物語が本筋に見えて、実はそれを通して彼が自らの夫婦、親子の問題、ひと時の恋心、死刑や被災者支援にまつわる思想、そして在日三世としてのルーツと向き合うことが主眼である」とし、「「X」の正体は半ば過ぎで当たりがつくものの、間に幾人もの偽者がいて真相はなかなか掴めない。マグリットの絵画「複製禁止」や芥川龍之介の戯曲『浅草公園』、里枝の息子が詠む俳句がモチーフを多彩に変奏する。本作は著者が近年唱える「分人」という概念の大胆な発展形と言えるだろう」と評していました。

 作者の『私とは何か―「個人」から「分人」へ』('12年/講談社現代新書)も読んでみようかなあ。個人的評価は星4つとしましたが、「読売文学賞」の受賞は妥当と思いました。

映画化作品 2022年11月18日公開 ○ 石川 慶 (原作:平野啓一郎) 「ある男」 (2022/11 松竹) ★★★★
「ある男」00.jpg

【2021年文庫化[文春文庫]】

「●あ行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1108】 青山 光二 『吾妹子哀し
「●「本屋大賞」(10位まで)」の インデックッスへ

主人公の「敵」は誰であるか。最後に彼女が銃口を向けたのはイリーナではなく―。

同志少女よ、敵を撃て8.jpg同志少女よ、敵を撃て0.jpg同志少女よ、敵を撃て1.jpg
同志少女よ、敵を撃て』装画:雪下まゆ

『同志少女よ、敵を撃て』評.jpg同志少女よ、敵を撃て honya.jpg 2022(令和4)年・第19回「本屋大賞」第1位(大賞)作品。2021(令和3)年・第11回「アガサ・クリスティー賞(大賞)」(早川書房・公益財団法人早川清文学振興財団主催)受賞作。2022(令和4)年度・第9回「高校生直木賞(大賞)」(同実行委員会主催、文部科学省ほか後援)受賞作。2021(令和3)年下半期・第166回「直木賞」候補作。

 独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」―そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした"真の敵"とは―。

 作者自身も述べているように、2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの主著『戦争は女の顔をしていない』に触発されて書かれた小説で、同書は、独ソ戦に従軍した女性たちへの綿密なインタビューをもとに、「男の言葉」で語られてきた戦争を、これまで口を噤まされてきた女性たちの視点から語り直した証言集ですが、そのほかに、実在した天才狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコの回想録『最強の女性狙撃手』などから完成された本物のスナイパーの在り様を参照し、さらに、作中でも引用している『ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙』からは、人を殺めることへの罪悪感が消失する瞬間を描出しています。

 直木賞の選評では、三浦しをん氏が強く推したのに対し、浅田次郎氏の「戦争小説には不可欠なはずの、生と死のテーマが不在であると思えた。主人公が敵を憎みこそすれ戦争に懐疑しないというのは、たとえ現実がそうであろうと文学的ではない」などといった意見もあり、受賞を逃していますが、もともとこの回は米澤穂信氏の『黒牢城』が候補作にあったりしてレベルが高かったのと、あと、この作品が作者の処女作であることから、もう少し他の作品も見てみたいというのも選考委員の間にあったのではないでしょうか。選考委員の一人である宮部みゆき氏も、「作品は素晴らしいが、新人賞受賞作で初ノミネート、いきなり受賞はためらわれる」として見送りになったかつてのケースと同じだと、述べています。

 浅田次郎氏の評と反しますが、作中で主人公セラフィマが終始問われることになるのが「なんのために戦うのか」であり、これはタイトルにある「敵」が誰であるのかにも通じる問いです。むしろ、物語は、主人公の「敵」が誰であるのかからスタートし、セラフィマにとっての最初の「敵」は、母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナであって、それらに復讐するためにそのイリーナの下で彼女は狙撃兵となります。それが、最後は、イリーナへ銃口を向けるのではなく、自分と同い年の幼馴染で、周囲からは将来結婚するものと思われていたミハイル(ミーシカ)に彼女は銃を向けることになる―。
 
 ここが、この作品の最大のポイントでしょう。国家間の戦争からジェンダーの問題に切り替わってしまったとの見方もあるかもしれませんが、この部分において『戦争は女の顔をしていない』のテーマを引き継ぐとともに、、ミハイルをそのような人間にしてしまった戦争というものへの批判が込められているように思いました。

 直木賞の選考で論点となったことの1つに、「どうして日本人の作家が、海外の話を書かなくてはいけないのか」というものがあり、林真理子氏などは、それが最後まで拭い去ることが出来なかったとしています。しかし一方で、三浦しをん氏は「彼女たちの姿を描くことを通し、現代の日本および世界に存在する社会の問題点をも「撃て」ると作者は確信したからだろう」という積極的に評価しており、この意見は選考委員の中では少数意見だったようですが、個人的には自分もそれに近い意見です。よって、評価は「◎」としました。

 ただし、選考委員の北方謙三氏は、「タイトルの『敵』が、終盤では観念性を持ちはじめて、私を失望させた」と述べており、そういう見方もあるかもしれないなあとは思いました(でも「◎」)。

 因みに、高校生が直木賞候補作から「大賞」を選ぶ「高校生直木賞」では、『黒牢城』などを抑えてこの作品が受賞しています。

「●よ 米澤 穂信」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●る モーリス・ルブラン」【1408】 モーリス・ルブラン 『怪盗紳士ルパン
「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本格ミステリ・ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「ミステリが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ「●「本格ミステリ大賞」受賞作」の インデックッスへ「●「本屋大賞」(10位まで)」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「軍師官兵衛」)

獄中にて事件の謎を解く黒田官兵衛。上手いなあと思った点がいくつもあった。

黒牢城3.jpg黒牢城.jpg
黒牢城2.jpg 
 
黒牢城

『黒牢城9冠.jpg 2021(令和3)年下半期・第166回「直木賞」、2021(令和3)年度・第12回「山田風太郎賞」受賞作。① 2021(令和3)年度「週刊文春ミステリー ベスト10(週刊文春2021年12月9日号)」(国内部門)第1位、② 2022(令和4)年「このミステリーがすごい!(宝島社)」(国内編)第1位、③「2022本格ミステリ・ベスト10(原書房)」国内ランキング第1位、④ 2022年「ミステリが読みたい!(ハヤカワミステリマガジン2022年1月号)」(国内編)第1位の、国内小説では初の「年末ミステリランキング4冠」達成。2022年・第19回「本屋大賞」第9位。そして先月['22年5月]、2022年・第22回「本格ミステリ大賞」も受賞(もろもろ併せて「9冠」になるとのこと(下記《読書MEMO》参照))。

 本能寺の変より四年前、天正六年の冬。摂津池田家の家臣から上り詰め、摂津一国を任され織田家の重臣となっていた荒木村重は、突如として織田信長に叛旗を翻し、有岡城に立て籠もる。織田方の軍師・小寺官兵衛(黒田官兵衛)は謀叛を思いとどまるよう説得するための使者として単身有岡城に来城するが、村重は聞く耳を持たず、官兵衛を殺すこともせずに土牢に幽閉する。荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求める―。

 荒木村重による摂津・有岡城での約1年間の籠城期間を冬・春・夏・秋の4章(+終章)に分けた構成。まず冬に「人質殺害事件」が起き、春に「手柄争い騒動」が、さらに夏には「高僧殺害事件」、そして秋には、前の事件の犯人の死をめぐる「鉄炮放の謎」が浮上してくるという―有岡城はミステリに事欠かない(笑)。

 上手いなあと思ったのは、4つの事件すべての"探偵役"が黒田官兵衛になっていることで、獄中に居ながら事件の謎を解いてみせるという"安楽椅子探偵"みたいなポジショニングにしてみせているところです(「獄中」と「安楽椅子」で言葉上は真逆だが)。

 それと、4つの事件が単に並列なのではなく、最後の事件がそれまでの3つを包括的に謎解きしている点も上手いと思ったし、黒田官兵衛が荒木村重を助けてあげたくて謎解きをしたのではなく、そこには深謀があったというのも上手いなあと思いました。

gunsi kanbei.jpg軍司官兵 araki.jpg 作者のこれまでの警察物や海外ものとはがらっと変わった時代物で、しかも荒木村重という戦国武将の中では数奇な生涯を送った人物を取り上げたのも良かったと思います(NHKの大河ドラマでは、'14年の岡田准一主演の「軍師官兵衛」で、田中哲司の演じた荒木村重が印象深い)。
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」['14年]岡田准一(黒田官兵衛)/田中哲司(荒木村重)
桐谷美玲(荒木だし)
軍師官兵衛 だし 桐谷.jpg軍師官兵衛 だし 桐谷2.jpg 因みに、主要登場人物の一人、荒木村重の妻・千代保(荒木だし。村重の妻だが、正室か側室かは不明だそうだ)は「絶世の美女」と称されたそうですが(大河ドラマでは村重に隠れて囚われた官兵衛の世話をしていた)、有岡城落城後に捕えられるも城主の妻として潔くすべてを受け入れ、京の六条河原で一族の者とともに処刑されています。一方、荒木村重の方は、だし等一族が処刑されたことを知ると「信長に殺されず生き続けることで信長に勝つ」ことを誓って尼崎城から姿を消したとのこと。そうした村重の信長の逆を行くという思いは、この作品でも示唆されているように思われます。

 年末ミステリランキングで、前作『満願』『王とサーカス』に続いて「3冠」を達成し、加えて「4冠」全制覇した作品は国内では初で(下記参照)、海外も含めると、アンソニー・ホロヴィッツ の『カササギ殺人事件』『メインテーマは殺人』『その裁きは死』の3年連続「4冠」に次ぐ快挙でした。直木賞の選考会でも、選考委員9人による1回目の投票の時点で「抜けていた」という評価を受けています。

●年末ミステリランキング3冠達成作品(『黒牢城』は4冠達成)
容疑者χの献身.jpg 東野 圭吾『容疑者Xの献身(2005年刊)
 「週刊文春ミステリーベスト10」1位、「このミステリーがすごい!」1位
 「本格ミステリ・ベスト10」1位、「ミステリが読みたい」賞自体が未創設

満願1.jpg 米澤 穂信『満願(2014年刊)
 「週刊文春ミステリーベスト10」1位、「このミステリーがすごい!」1位
 「本格ミステリ・ベスト10」2位、「ミステリが読みたい」1位

王とサーカス.jpg 米澤 穂信『王とサーカス(2015年刊)
 「週刊文春ミステリーベスト10」1位、「このミステリーがすごい!」1位
 「本格ミステリ・ベスト10」3位、「ミステリが読みたい」1位

屍人荘の殺人.jpg 今村 昌弘『屍人荘の殺人(2017年刊)
 「週刊文春ミステリーベスト10」1位、「このミステリーがすごい!」1位
 「本格ミステリ・ベスト10」1位、「ミステリが読みたい」2位

たかが殺人じゃないか.jpg 辻 真先『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説(2020年刊)
 「週刊文春ミステリーベスト10」1位、「このミステリーがすごい!」1位
 「本格ミステリ・ベスト10」4位、「ミステリが読みたい」1位

黒牢城.jpg 米澤 穂信『黒牢城』(2021年刊)
 「週刊文春ミステリーベスト10」1位、「このミステリーがすごい!」1位
 「本格ミステリ・ベスト10」1位、「ミステリが読みたい」1位

大河ドラマ 軍師官兵衛 完全版3竹中直人(豊臣秀吉)
軍師官兵衛 2014.jpg軍師官兵衛 竹中.jpg「軍師官兵衛」●脚本:前川洋一●演出:田中健二ほか●プロデューサー:中村高志●時代考証:小和田哲男●音楽:菅野祐悟子●出演:岡田准一/(以下五十音順)東幹久/生田斗真/伊吹吾郎/伊武雅刀/宇梶剛士/内田有紀/江口洋介/大谷直子/大橋吾郎/忍成修吾/片岡鶴太郎/勝野洋/金子ノブアキ/上條恒彦/桐谷美玲/黒木瞳/近藤芳正/塩見三省/柴田恭兵/春風亭小朝/陣内孝則/高岡早紀/高橋一生/高畑充希/竹中直人/田中圭/田中哲司/谷原章介/塚本高史/鶴見辰吾/寺尾聰/永井大/中谷美紀/二階堂ふみ/濱田岳/速水もこみち/吹越満/別所哲也/堀内正美/眞島秀和/益岡徹/松坂桃李/的場浩司/村田雄浩/山路和弘/横内正/竜雷太(ナレーター)藤村志保 → 広瀬修子●放映:2014/01~12(全50回)●放送局:NHK

《読書MEMO》
●『黒牢城』(9冠)
 ★「第166回直木三十五賞」受賞
 ★「第12回山田風太郎賞」受賞
 ★「週刊文春ミステリーベスト10」(週刊文春2021年12 月9 日号)国内部門 第1位
 ★『このミステリーがすごい! 2022年版』(宝島社)国内編 第1位
 ★「ミステリが読みたい! 2022年版」(ハヤカワミステリマガジン2022年1月号)国内篇 第1位
 ★『2022本格ミステリ・ベスト10』(原書房)国内ランキング 第1位
 ★「第22回本格ミステリ大賞」受賞
 ★「2021年SRの会ミステリーベスト10」国内部門 第1位
 ★「週刊朝日 歴史・時代小説ベスト3」(週刊朝日 2022年1月7・14日号) 第1位
 ・「2022年本屋大賞」第9位
 ・『この時代小説がすごい! 2022年版』(宝島社)単行本 第3位

「●ま行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【622】 丸山健二 『夏の流れ
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

「不幸のバーゲンセール」か、「虐待の連鎖」ならぬ「寄り添いの連鎖」か。

『52ヘルツのクジラたち』1.jpg『52ヘルツのクジラたち』2.jpg 『52ヘルツのクジラたち』町田.jpg 『52ヘルツのクジラたち』1本屋.jpg
52ヘルツのクジラたち (単行本) 』町田そのこ氏

 2021年・第18回「本屋大賞」第1位(大賞)作品。

 主人公・貴瑚はずっと母親から虐待を受け、義父が病気になり寝たきりになってからは、その介護を一人でしなくてはならなかった。介護している義父からも罵倒され、心も体もぼろぼろになっていたある日、高校時代の友達、美晴と再会し、美晴の同僚の男性「アンさん」と出会う。アンさんは貴瑚のことを本気で心配し、貴瑚を家族から引き離してくれた。そして今、貴瑚は亡くなった祖母が暮らしていた大分県の海辺の町にやってきている。貴瑚はそこで、母親に虐待され「ムシ」と呼ばれている少年と出会う。少年は中1くらいの年齢だが、幼い頃の母親の虐待がきっかけで喋ることができない。貴瑚は自分と同じ匂いのする少年を放っておくことができず、少年が安心できる場所を見つけるまでは共にいようと決心する―。

 児童虐待だけでなく、ヤングケアラー、トランスジェンダー、恋人間のDVなど、いろんなものを詰め込んだ感じでしたが、作者がインタビューで「いろんな人の声なき声を小説に織り込んでみることにしました」と語っているように、意図的にそうしているのでしょう。「不幸のバーゲンセールか」との批判もあるように、あざとい感じがしなくもないですが、虐待を受けていたのを家族でない他人に救われた主人公が、今度は虐待を受けている子供を救うことで自身も救われるという「虐待の連鎖」ならぬ「寄り添いの連鎖」の構造になっているところがよくて、やはり感動してしまいます。

 トランスジェンダーの中でも「ゼロジェンダー」に近いそれを扱っている点は、本書の前年に「本屋大賞」を受賞した凪良ゆう『流浪の月』('19斎藤美奈子 2.jpg年/東京創元社)を想起させ、「傷ついたティーン」扱っている点では、2020(令和2)年下半期・第164回「芥川賞」受賞作である宇佐美りん『推し、燃ゆ』('20年/河出書房新社)を想起させられました(『推し、燃ゆ』はこの本書と同年の「本屋大賞」では第9位)。本作は傷ついた女性が虐待されている子供を救おうとする話ですが、こういうメタファミリー的な小説が支持されるのは、家族でも友人でも恋人でもない関係に絆を求める人が多いからではないかと、文芸評論家の斎藤美奈子氏が言っていました。

 タイトルが上手いと思います。「52ヘルツのクジラ」とは、世界で一番孤独だと言われているクジラのことで、他のクジラとは声の周波数が違うため、いくら大声をあげていたとしても、ほかの大勢の仲間にはその声は届かず、世界で一頭だけというそのクジラの存在自体は確認されているものの、姿を見た人はいないと言われているそうです。「クジラたち」とすることで、そうした「52ヘルツのクジラ」に喩えられる"少数者"が世の中にはたくさんいることを示唆しているように思います。

 そう言えば、是枝裕和監督の映画「誰も知らない」('04年/シネカノン)なども、まさにタイトルからして同じ系列であったように思えます。あの映画は育児放棄を描いたものでしたが、母親の失踪後、過酷な状況の中で幼い弟妹の面倒を見る長男に唯一寄り添ったのは、自身が不登校という問題を抱える少女でした。「誰も知らない」は1988年に発生した「巣鴨子供置き去り事件」をモチーフにしていますが、こうしたが家族の問題をテーマとした小説が横溢する今、映画で描かれた世界は今日にも通じるものがあったことを改めて思わせます。

「●あ行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2501】 内館 牧子 『終わった人
「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

『コンビニ人間』と逆方向の結末は"鮮やかに決まりすぎている"という印象も。

推し、燃ゆ.jpg宇佐見りん.pngかか usami.jpg   『コンビニ人間』.jpg
推し、燃ゆ』['20年]宇佐美りん氏(芥川賞授賞式)『かか』['19年]  村田沙耶香『コンビニ人間』['16年]

 2020(令和2)年下半期・第164回「芥川賞」受賞作。2021年・第18回「本屋大賞」第9位。

 普通のことが普通にできない高校生のあかり。そのせいで高校は退学、バイトもくびになり、勤め先は決まらない。そんなあかりが、自分の「背骨」と定義し人生を傾けて推しているのが男女混合アイドルグループのひとり、上野真幸。あかりは推しの作品や推し自身を丸ごと解釈したいと思いながら、推しに心血を注いでいる。そんなある日、突然SNS上で推しが炎上した。ファンを殴ったらしい。そこから、あかりの人生も少しずつ歯車が狂い始める―。

 著者の21歳での芥川賞受賞は、同時受賞だった綿矢りさ(『蹴りたい背中』)、金原ひとみ(『蛇にピアス』)両氏に次ぐ歴代3番目の若さとのこと。すでにデビュー作『かか』('19年/河出書房新社)で文藝賞を受賞し、さらに三島由紀夫賞を最年少で受賞していて、やっぱり才能あるんだろうなあ。

 句読点の少ない文章は、最初のうちは読みなれなかったけれども、読んでいくうちに一定のリズム感のようなものが感じられるようになりました。少なくとも『かか』よりもこちらの方が文章的に洗練されていて、分かりよいように思いました。もしかしたら、『かか』より(『かか』はもともと"壊れゆく母親"を描いたものだが)ずっと自身に近いところで書かれているためではないかと推察したくなります。

 芥川賞の選考では、9人の選考委員の内、小川洋子氏と山田詠美氏が強く推していて、小川洋子氏は「推しとの関係が単なる空想の世界に留まるのではなく、肉体の痛みとともに描かれている」とし、山田詠美氏は「確かな文学体験に裏打ちされた文章は、若い書き手にありがちな、雰囲気で誤魔化すところがみじんもない」と絶賛。他の委員の評価もまずまずで、(吉田修一氏の講評のみ否定的だったが)比較的すんなり受賞が決まったようです。

 主人公について文中では、「2つの診断名がついた」とあるものの、その具体的な診断名は書かれていませんが、おそらく発達障害の内の学習障害(LD)と注意欠陥障害(ADD)だと思われます。こうした障害による「生きづらさ」を抱えた主人公が登場する小説として想起されるものに、'16年に同じく芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の『コンビニ人間』('16年/文藝春秋)があります。

 両作品はその点で似ているところがありますが、結末の方向性が、『コンビニ人間』の方は主人公が自身の性向に合ったセキュアベース的な場所(それがコンビニなのだが)に回帰するのに対し、この『推し、燃ゆ』の主人公は、自らセキュアベースであったアイドルを推すという行為から脱却することが示唆されて、結末は逆方向のような気もします。

 芥川賞の選考委員の一人、堀江敏幸氏も、「バランスの崩れた身体を、最後の最後、自分の骨に見立てた綿棒をぶちまけ、それを拾いながら四つん這いで支えて先を生きようと決意する場面が鮮烈だ。鮮やかに決まりすぎていることに対する書き手のうしろめたさまで拾い上げたくなるような、得がたい結びだった」と言っており、これって、手放しで褒めているのか、そうとも言えないのか?

 個人的にも、やや"鮮やかに決まりすぎている"という印象を持ちました。そこが上手さなのだろうけれど、これでこの先、主人公は本当に大丈夫なんだろうかと気を揉んでしまいます(笑)。

芥川賞の偏差値 .jpg小谷野敦.jpg 比較文学者で辛口批評で知られる小谷野敦氏がその著書『芥川賞の偏差値』('17年/二見書房)で『コンビニ人間』を絶賛し、歴代芥川賞受賞作の中でも最高点を与えていましたが、この作品についてはどうかなと思ってネットで見たら、「週刊読書人」の対談でやはり「スマッシュヒットという感じでした」と絶賛してました。

 小谷野敦氏は、「私は〝人間は「推し」がいなくても生きていかなければいけない〟という主題だと読んだ」とのことで「受賞後のインタビューで本人は、〝推しを持つ気持ちを認めてほしい〟ということを繰り返し語っています。それが引っかかっている」と。でも、小谷野氏の最初の解釈がフツーだろうなあ。

 あとは、『コンビニ人間』とどちらがいいかですが、小谷野氏は特にそれは言っていません(両方いいのだろう)。個人的には、結末は、考え方的には『推し、燃ゆ』なんだろうけれど、読み心地としては『コンビニ人間』かなあ。『推し、燃ゆ』もいい作品ですが、このラストは結構キツイと言うか、この後主人公は本当に大丈夫なのかという印象が残りました(われながら全然文学的な読み方してないね)。

「●ま行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●や‐わ行の現代日本の作家」【3218】 宿野 かほる 『ルビンの壺が割れた
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

前半はメタ小説として面白かったが、後半は漫画「ONE PIECE」になってしまった。

熱帯.jpg熱帯』(2018/11 文藝春秋)

 2019(平成31)年・第6回「高校生直木賞(大賞)」(同実行委員会主催、文部科学省ほか後援)受賞作。2018(平成30)年下半期・第160回「直木賞」候補作。2019(平成31)年・第16回「本屋大賞」第4位。

 「汝にかかわりなきことを語るなかれ」という謎めいた警句から始まる一冊の本『熱帯』。この本に惹かれ、探し求める作家の森見登美彦氏はある日、奇妙な催し「沈黙読書会」でこの本の秘密を知る女性と出会う。そこで彼女は「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」と言うが、この言葉の真意とは? 秘密を解き明かすべく集結した「学団」のメンバーは、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと「部屋の中の部屋」...。幻の本をめぐる冒険はいつしか妄想の大海原を駆けめぐり、謎の源流へと向かう―。

 かつてAmazonサイト内にあったマトグロッソ(今は独立している出版社イースト・プレスが運営するWeb文芸誌)に連載されていた作品で、作者が連載を抱えすぎて心身症を発症したため中断していましたが、それが作者が復活して完結させたもの、作者の『夜は短し歩あるけよ乙女』('06年/角川書店)、『夜行』('16年/小学館)に続いて3度目の「直木賞」候補にもなっています。

 ただし、個人的には、前半はメタ小説として面白かったのですがで(主人公は「スランプに陥っている作家・森見登美彦氏」)、後半は漫画「ONE PIECE」みたいになってしまっていて、リアルなイメージが全然湧きませんでした(『夜よるは短し歩あるけよ乙女』のアニメ版を観てしまったことも影響している?)。Amazon.comのレビューを見ると、固定的なファンと思われる人々から絶賛されている一方、一部からは「才能が枯渇したか」などとも評されています(個人的には、後者の意見に近い印象を持ってしまったのだが)。

 「直木賞」の方は、大衆選考会での推薦文には、「現実と空想の境界が曖昧になる構成が見事」「森見ワールドに何回でも浸らせてくださる」といった評が並んでいますが、本選考では強く推す人がいなかったようです。

 林真理子氏が、「読者をぐるぐると迷路の中に誘い込んだ。その混乱が大好きという人もたくさんいるであろうが、私は楽しめなかった」「読者も一緒になってイマジネーションを楽しむ作品なのだろうが、私は従いていけなかった」と述べていますが、自分の感想もこれに近かったでしょうか。

 東野圭吾氏などは、「本作には○も△も×も付けられなかった。この作品の何を楽しめばいいのか、まるでわからなかったからだ」「候補になっているのだから、ほかの人にはわかる美点があるに違いない。それが全く見えないのは、私に文学的素養がないからだろう。つまり本作は純文学なのだ。たぶん」と言っていて、これって半ば皮肉が込められているのではないでしょうか(笑)。

【2012年文庫化[文春文庫]】

「●な行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【605】 ナンシー関/リリー・フランキー 『リリー&ナンシーの小さなスナック
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

上手いことは上手いが、〈あざとさ〉を感じた。結末が中途半端な印象も。

「流浪の月」.jpg流浪の月.jpg流浪の月2.jpg 流浪の月 (創元文芸文庫.jpg
【2020年本屋大賞 大賞受賞作】流浪の月』['19年] 流浪の月 (創元文芸文庫 LA な 1-1)』['22年]
2022年映画化(タイアップ帯)
 2020(平成28)年・第41回「吉川英治文学新人賞」候補作。2020(令和2)年・第17回「本屋大賞」第1位(大賞)作品。

 家内(かない)更紗は、公務員だった父と自由な性格の母のもとに育っていったが、小学3年生の時に父は病死、1年後に母は男と蒸発した。親戚に引き取られた更紗だが、そこでの生活に窮屈さを感じ、また、その家の子・孝弘からは性的な扱いをされることで、完全に空虚な気持ちになっていた。ある日、公園で本を読んでいた更紗は、「ロリコン」とあだ名が付けられた、いつも公園で小学生を眺めながら読書をしている青年から、「うちへ来ないか」と言われ、ついていくことに。 青年は佐伯文(ふみ)という19歳の一人暮らしの学生で、噂とは異なり、更紗に対して性的な目は向けず、淡々と共同生活が続いた。文は真面目で、逆に更紗は自由な生活を手に入れ、両者は互いに信頼関係を築いていく。2か月の共同生活が続き、少女行方不明事件として話題を呼んでいた頃、文と更紗は油断して動物園に出かけ、そこでメディアにも報道されていた更紗に気づいた人が通報し、文は逮捕される。更紗はやっと現れた理解者が連れて行かれることに抵抗し、文の無罪を主張したが、誰からも信用されることはなかった。失意のまま親戚の家に戻った更紗は、相変わらず孝弘の「いたずら」が行われようとしたため、ビンで孝弘を強打し、孝弘の罪を言えないまま、少女時代を児童養護施設で過ごすことになる。14年後、彼女は大人になり、恋人・亮と同棲をしていた。しかし、過去の呪縛はいまだに彼女を縛り続けている。そんあなある日、更紗は文と思わぬ再会を果たすことになる―。

恩田陸 オンダ・リク.jpg 今年(2020)年4月発表の第17回「本屋大賞」の「大賞」受賞作ですが、3月の「吉川英治文学新人賞」では候補作でありながらも、5人の選考委員の内、積極的に推したのが(言わば◎をつけたのが)、恩田陸氏だけで、他にいなかったため受賞に至っていません。恩田睦氏は、「ここには、私たちが日々感じている息苦しさや生きにくさが描かれており、そのひとつの解決策が提示されている」としています。

 一方、その他の選考委員では、京極夏彦氏は、「筆力も、時代を写し取る感性も、申し分ない。よりシンプルな構造にしたほうが、完成度もいや増し、普遍性も獲得できていたようにも感じられる。惜しい」としていて(言わば△)、個人的にも、上手いとは思うけれど、読んでいてまどろっこしさを感じることもありました。

伊集院静es.jpg 他の選考委員は比較的厳しい評価で(言わば×)、伊集院静氏は作品の曖昧さに苦言を呈し、「亮という人物を登場させたことで作品に不必要な色合いをつけた」とも。大沢在昌氏も、「ファンタジーとしか読めなかった。こういう形での男女の交流を完全否定はしないが、清潔感でくるむことで、本来あってはならないことから目をそらせているようで、読んでいて落ちつかなかった」と。重松清氏も、「エグい要素が満載の作品でありながら、不思議な静謐さと清潔さをたたえていた」としながらも、「やや都合の良すぎる展開も目についてしまった」としています(亮が所謂「恋人間DV」であったという点などがそうか)。

 版元の口上に「あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める」とあり、これだけでは何のことかさっぱり分かりませんが(笑)、生き辛い二人の見つけた互いが唯一安心できる関係と、世間の眼とのギャップが1つテーマになっているのかなと思いました(同様のテーマは、吉田修一氏の『悪人』('07年/朝日新聞社)などにも見られたように思う)。

 ただ、若干ネタバレになりますが、文がと更紗に対して性的な接し方をしないというのが、結局、終章で、文の気質的要因によるものだと分かった時、小説としてどうなのだろうと。結局、上手いことは上手いのですが、読者の内に潜む"道徳観"を逆利用して、読者を驚かせようとしているような〈あざとさ〉を感じなくもなかったです。また、かつての文は、本文中にもあるように、客観的には少女拉致監禁犯になるわけで、手を出さなければよいというものでもなく、この辺りも、プロ作家が選考委員を務める賞で、ノミネートされながらも受賞に至らなかった理由のような気がします。

 恩田睦氏が「ひとつの解決策が提示されている」としていると書きましたが、ハッピーエンドかというとどうかなと思います。結局、ラストではっきり示されているように、この二人はいつまでもさすらっていく可能性があり、作者もそれが分かっていて、タイトルに「流浪」とあるのでしょう。最後に、二人は知人の子ども「梨花」と会っていて、ある種「ステップファミリー」的なものを示唆しているのかなとも思いましたが、その子と会うのは年に1回ということで、全然そこまでもいっておらず、そうしたことも含め、全体に(特に結末部分)中途半端な印象は否めませんでした。
2020年本屋大賞.jpeg

【2022年文庫化[創元文芸文庫]】

2022年映画化「流浪の月」(東宝)
監督:李相日/出演: 広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子
「流浪の月」02.jpg「流浪の月」03.jpg

「●ほ アンソニー・ホロヴィッツ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2991】 アンソニー・ホロヴィッツ 『メインテーマは殺人
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ「●「本格ミステリ・ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●「ミステリが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ 「○海外サスペンス・読み物 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

クリスティ風の上巻と現実事件の下巻の呼応関係が絶妙。"二度おいしい"傑作。

カササギ殺人事件 上.jpgカササギ殺人事件下.jpgカササギ殺人事件.jpg
カササギ殺人事件 上 (創元推理文庫)』『カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)

Magpie Murders.jpg 1955年7月、サマセット州にあるパイ屋敷の家政婦の葬儀が、しめやかに執りおこなわれた。鍵のかかった屋敷の階段の下で倒れていた彼女は、掃除機のコードに足を引っかけて転落したのか、或いは?  彼女の死は、小さな村の人間関係に少しずつひびを入れていく。燃やされた肖像画、屋敷への空巣、謎の訪問者、そして第二の無惨な死が。病を得て、余命幾許もない名探偵アティカス・ピュントの推理は―(上巻・アラン・コンウェイ作『カササギ殺人事件』)。

 名探偵アティカス・ピュントのシリーズ最新作『カササギ殺人事件』の原稿を結末部分まで読んだシリーズ担当編集者であるわたしことスーザン・ライランドは、あまりのことに激怒する。肝心の結末の謎解きが書かれていないのである。原因を突きとめられず、さらに憤りを募らせるわたしを待っていたのは、アラン・コンウェイ自殺のニュースだった─(下巻)。

カササギ_0038.JPG 2016年8月刊行の原著タイトルは"Magpie Murders"。「週刊文春ミステリーベスト10(2018年)」、「このミステリーがすごい!(2019年版)」、「本格ミステリ・ベスト10(2019年)」、「ミステリが読みたい!(2019年)」の海外部門で1位を獲得し、年末ミステリランキングを「4冠」全制覇した作品ですカササギ殺人事件 7冠.jpg(翌'19年に発表された「本屋大賞」の翻訳小説部門でも第1位。'19年4月発表の第10回「翻訳ミステリー大賞」も同読者賞と併せて受賞。これらを含めると「7冠」になるとのこと)。年末ミステリランキングはこれまで('20年まで)に『二流小説家』(デイヴィッド・ゴードン)と『その女アレックス』(ピエール・ルメートル)の2作品が「3冠」を獲得していますが、「4冠」は史上初とのことです。国内部門のミステリ作品では『容疑者Xの献身』(東野圭吾)、『満願』『王とサーカス』(米澤穂信)、『屍人荘の殺人』(今村昌弘)の4作品が「3冠」を獲得していますが、年末ミステリランキングを4冠全制覇した作品はありません(『容疑者Xの献身』『屍人荘の殺人』は、それらとは別に本格ミステリ作家クラブが主催する「本格ミステリ大賞」も受賞しているが、こちらは海外部門が無い)(その後、米澤穂信『黒牢城』が4冠達成した)

 事前知識なく読み始めて、アガサ・クリスティへのオマージュに満ちたミステリ小説だと思いましたが、上巻から下巻にいって、その『カササギ殺人事件』は、作中作のミステリ小説であることに改めて思い当たりました。そして、それを読む女性編集者スーザンが、ある事を契機に現実の世界で起きた出来事の謎を解き明かそうと推理を繰り広げることになるのですが、その現実と小説が呼応し合ったパラレル構造が巧みであり、しかも、ラストは現実の謎解きと小説の謎解きがダブルで楽しめるということで(解説の川出正樹氏は「一読唖然、二読感嘆。精緻かつ隙のないダブル・フーダニット」と表現している)、初の「年末ミステリランキング4冠」もむべなるかなという印象です。

 2017年原著刊行の本書の作者アンソニー・ホロヴィッツは、1955年英国ロンドン生まれ。ヤングアダルト作品『女王陛下の少年スパイ! アレックス』シリーズがベストセラーになったほか、脚本家としてテレビドラマ「名探偵ポワロ」(「第26話/二重の手がかり」('91年)、「第27話/スペイン櫃の秘密」('91年)、「第36話/黄色いアイリス」('93)、「第43話/ヒッコリー・ロードの殺人」('95年)、など多数)や「バーナビー警部」(「第1話/謎のアナベラ」('97年)、「第2話/血ぬられた秀作」('98年)、「第4話/誠実すぎた殺人」('98年)、「第6話/秘めたる誓い」('99年)など多数)などの脚本を手掛け、2014年にはイアン・フレミング財団に依頼されたジェームズ・ボンドシリーズの新作『007 逆襲のトリガー』を執筆しています。

 「バーナビー警部」もクリスティ型のミステリドラマであると言え、架空の田舎町で犯罪が起きるのは「ミス・マープル」シリーズなども同じですし、これが自身YA向け以外で書いた初のオリジナルミステリ小説でありながらも、著者の経歴からみて、こうしたクリスティ型のミステリの面白くなるための"必勝パターン"を知り尽くしているという感じでしょうか。作中、アラン・コンウェイに対して版元の社長が『カササギ殺人事件(マグパイ・マーダーズ)』というタイトルは『バーナービー警部(ミッドサマー・マーダーズ)に似すぎているので変えた方がいいと意見するような"遊び"も織り込まれていて、ただし、それをアラン・コンウェイが断るという行いまでもが、複雑な謎解きの数多くある伏線の一つになっているという精緻さには感服します。

 アラン・コンウェイは自ら生み出した名探偵アティカス・ピュントを嫌いだったのかあ。これも、クリスティが晩年ポワロをあまり好きでなかったことなどと呼応していて巧みですが、アラン・コンウェイの場合、最初から憎んでいたわけだなあ(それが伏線の前提条件にもなっている)。作者(アンソニー・ホロヴィッツ)がミステリを貶めたり、或いは、ミステリを貶めたともとれるアラン・コンウェイを"罰した"ということではなく、ある意味、ベストセラー作家になることで自己疎外を昂じさせる作家の悲劇を描いたように思いました。そうした奥行きも備えつつ、クリスティを思わせる作中作の上巻と、現実事件の下巻の呼応関係が絶妙であり、1つの作品で"二度おいしい"傑作だと思いました。

2022年TVドラマ化(全6話、脚本:アンソニー・ホロヴィッツ)
「カササギ殺人事件」0.jpg 「カササギ殺人事件」1.jpg 「カササギ殺人事件(全6話1.jpg
【3232】 ○ ピーター・カッタネオ (原作・脚本:アンソニー・ホロヴィッツ) カササギ殺人事件(全6話)」 (22年/英) (2022/07 WOWWOW) ★★★★
「カササギ殺人事件(全6話)」●原題:MAGPIE MURDERS●制作国:イギリス●本国放映:2022/02/10●監督:ピーター・カッタネオ●原作・脚本:アンソニー・ホロヴィッツ●時間:270分●出演:レスリー・マンヴィル/コンリース・ヒル/ティム・マクマラン/アレクサンドロス・ログーテティス/マイケル・マロニー/マシュー・ビアード●日本放映:2022/07/09・10●放映局:WOWWOW(評価:★★★★)

「●た行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【601】 童門 冬二 『小説 上杉鷹山
「●や‐わ行の現代日本の作家」の インデックッスへ 「●あ行の現代日本の作家」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ(『かがみの孤城』『盤上の向日葵』『屍人荘の殺人』)「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ(『屍人荘の殺人』)「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ(『屍人荘の殺人』) 「●「本格ミステリ・ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ(『屍人荘の殺人』)「●「本格ミステリ大賞」受賞作」の インデックッスへ(『屍人荘の殺人』) 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「盤上の向日葵」)「●か行の日本映画の監督」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ

2018年「本屋大賞」の第1位、第2位、第3位作品。個人的評価もその順位通り。

かがみの孤城.jpg かがみの孤城 本屋大賞.jpg  盤上の向日葵.jpg 屍人荘の殺人.jpg
辻村 深月 『かがみの孤城』 柚月 裕子 『盤上の向日葵』 今村 昌弘 『屍人荘の殺人

2018年「本屋大賞」.jpg 2018年「本屋大賞」の第1位が『かがみの孤城』(651.0点)、第2位が『盤上の向日葵』(283.5点)、第3位が『屍人荘の殺人』(255.0点)です。因みに、「週刊文春ミステリーベスト10」(2017年)では、『屍人荘の殺人』が第1位、『盤上の向日葵』が第2位、『かがみの孤城』が第10位、別冊宝島の「このミステリーがすごい!」では『屍人荘の殺人』が第1位、『かがみの孤城』が第8位、『盤上の向日葵』が第9位となっています。『屍人荘の殺人』は、第27回「鮎川哲也賞」受賞作で、探偵小説研究会の推理小説のランキング(以前は東京創元社主催だった)「本格ミステリ・ベスト10」(2018年)でも第1位であり、東野圭吾『容疑者Xの献身』以来13年ぶりの"ミステリランキング3冠達成"、デビュー作では史上初とのことです(この他に、『容疑者Xの献身』も受賞した、本格ミステリ作家クラブが主催する第18回(2018年)「本格ミステリ大賞」も受賞している)。ただし、個人的な評価(好み)としては、最初の「本屋大賞」の順位がしっくりきました。

かがみの孤城6.JPG 学校での居場所をなくし、閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた。なぜこの7人が、なぜこの場所に―。(『かがみの孤城』)

 ファンタジー系はあまり得意ではないですが、これは良かったです。複数の不登校の中学生の心理描写が丁寧で、そっちの方でリアリティがあったので楽しめました(作者は教育学部出身)。複数の高校生の心理描写が優れた恩田陸氏の吉川英治文学新人賞受賞作で第2回「本屋大賞」受賞作でもある『夜のピクニック』('04年/新潮社)のレベルに匹敵するかそれに近く、複数の大学生たちの心理描に優れた朝井リョウ氏の直木賞受賞作『何者』('12年/新潮社)より上かも。ラストは、それまで伏線はあったのだろうけれども気づかず、そういうことだったのかと唸らされました。『夜のピクニック』も『何者』も映画化されていますが、この作品は仮に映像化するとどんな感じになるのだろうと考えてしまいました(作品のテイストを保ったまま映像化するのは難しいかも)。

2020.11.9 旭屋書店 池袋店
20201109_1盤上の向日葵.jpg盤上の向日葵   .jpg盤上の向日葵ド.jpg 埼玉県天木山山中で発見された白骨死体。遺留品である初代菊水月作の名駒を頼りに、叩き上げの刑事・石破と、かつてプロ棋士を志していた新米刑事・佐野のコンビが捜査を開始した。それから四か月、二人は厳冬の山形県天童市に降り立つ。向かう先は、将棋界のみならず、日本中から注目を浴びる竜昇戦の会場だ―。(『盤上の向日葵』)

 『慈雨』('16年/集英社)のような刑事ものなど男っぽい世界を描いて定評のある作者の作品。"将棋で描く『砂の器』ミステリー"と言われ、作者自身も「私の中にあったテーマは将棋界を舞台にした『砂の器』なんです」と述べていますが、犯人の見当は大体ついていて、その容疑者たる天才棋士を二人組の刑事が地道な捜査で追い詰めていくところなどはまさに『砂の器』さながらです。ただし、天才棋士が若き日に師事した元アマ名人の東明重慶は、団鬼六の『真剣師小池重明』で広く知られるようになり「プロ殺し」の異名をもった真剣師・小池重明の面影が重なり、ややそちらの印象に引っ張られた感じも。面白く読めましたが、犯人が殺害した被害者の手に将棋の駒を握らせたことについては、発覚のリスクを超えるほどに強い動機というものが感じられず、星半分マイナスとしました。

映画タイアップ帯
屍人荘の殺人 映画タイアップカバー.jpg屍人荘の殺人_1.jpg 神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲と会長の明智恭介は、曰くつきの映画研究部の夏合宿に加わるため、同じ大学の探偵少女、剣崎比留子と共にペンション紫湛荘を訪ねた。合宿一日目の夜、映研のメンバーたちは肝試しに出かけるが、想像しえなかった事態に遭遇し紫湛荘に立て籠もりを余儀なくされる。緊張と混乱の一夜が明け、部員の一人が密室で惨殺死体となって発見される。しかしそれは連続殺人の幕開けに過ぎなかった―。(『屍人荘の殺人』)

2019年映画化「屍人荘の殺人」
監督:木村ひさし 脚本:蒔田光治
出演:神木隆之介/浜辺美波/中村倫也
配給:東宝

屍人荘の殺人 (創元推理文庫).jpg 先にも紹介した通り、「週刊文春ミステリー ベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」の"ミステリランキング3冠"作(加えて「本格ミステリ大賞」も受賞)ですが、殺人事件が起きた山荘がクローズド・サークルを形成する要因として、山荘の周辺がテロにより突如発生した大量のゾンビで覆われるというシュールな設定に、ちょっとついて行けなかった感じでしょうか。謎解きの部分だけ見ればまずまずで、本格ミステリで周辺状況がやや現実離れしたものであることは往々にしてあることであり、むしろ周辺の環境は"ラノベ"的な感覚で読まれ、ユニークだとして評価されているのかなあ。個人的には、ゾンビたちが、所謂ゾンビ映画に出てくるような典型的なゾンビの特質を有し、登場人物たちもそのことを最初から分かっていて、何らそのことに疑いを抱いていないという、そうした"お約束ごと"が最後まで引っ掛かりました。

 ということで、3つの作品の個人的な評価順位は、『かがみの孤城』、『盤上の向日葵』、『屍人荘の殺人』の順であり、「本屋大賞」の順番と同じになりました。ただし、自分の中では、それぞれにかなり明確な差があります。

屍人荘の殺人 2019.jpg屍人荘の殺人01.jpg(●『屍人荘の殺人』は2019年に木村ひさし監督、神木隆之介主演で映画化された。原作でゾンビたちが大勢出てくるところで肌に合わなかったが、後で考えれば、まあ、あれは推理物語の背景または道具に過ぎなかったのかと。映画はもう最初からそういうものだと思って観屍人荘の殺人03.jpgているので、そうした枠組み自体にはそれほど抵抗は無かった。その分ストーリーに集中できたせいか、原作でまあまあと思えた謎解きは、映画の方が分かりよくて、原作が多くの賞に輝いたのも多少腑に落ちた(原作の評価★★☆に対し、映画は取り敢えず星1つプラス)。但し、ゾンビについては、エキストラでボランティアを大勢使ったせいか、ひどくド素人な演技で、そのド素人演技のゾンビが原作よりも早々と出てくるので白けた(星半分マイナス。その結果、★★★という評価に)。)

屍人荘の殺人02.jpg屍人荘の殺人 ps.jpg「屍人荘の殺人」●制作年:2019年●監督:木村ひさし●製作:臼井真之介●脚本:蒔田光治●撮影:葛西誉仁●音楽:Tangerine House●原作:今村昌弘『屍人荘の殺人』●時間:119分●出演:神木隆之介/浜辺美波/葉山奨之/矢本悠馬/佐久間由衣/山田杏奈/大関れいか/福本莉子/塚地武雅/ふせえり/池田鉄洋/古川雄輝/柄本時生/中村倫也●公開:2019/12●配給新宿ピカデリー1.jpg新宿ピカデリー2.jpg:東宝●最初に観た場所:新宿ピカデリー(19-12-16)(評価:★★★)●併映(同日上映):「決算!忠臣蔵」(中村 義洋)
    
   
   
新宿ピカデリー 
  
神木隆之介 in NHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(2019年)/TBSテレビ系日曜劇場「集団左遷‼」(2019年)/ドラマW 土曜オリジナルドラマ「鉄の骨」(2019年)
神木隆之介「いだてん.jpg 神木隆之介 集団左遷!!.jpg ドラマW 2019 鉄の骨2.jpg
 
《読書MEMO》
盤上の向日葵 ドラマ03.jpg盤上の向日葵 08.jpg●2019年ドラマ化(「盤上の向日葵」) 【感想】 2019年9月にNHK-BSプレミアムにおいてテレビドラマ化(全4回)。主演はNHK連続ドラマ初主演となる千葉雄大。原作で埼玉県警の新米刑事でかつて棋士を目指し奨励会に所属していた佐野が男性(佐野直也)であるのに対し、ドラマ0盤上の向日葵 05.jpgでは蓮佛美沙子演じる女性(佐野直子)に変更されている。ただし、最近はNHKドラマでも原作から大きく改変されているケースが多いが、これは比較的原作に沿って盤上の向日葵 ドラマ.jpg丁寧に作られているのではないか。原作通り諏訪温泉の片倉館でロケしたりしていたし(ここは映画「テルマエ・ロマエⅡ」('14年/東宝)でも使われた)。主人公の幼い頃の将棋の師・唐沢光一朗を柄本明が好演(子役も良かった)。竹中直人の東明重慶はややイメージが違ったか。「竜昇戦」の挑戦相手・壬生芳樹が羽生善治っぽいのは原作も同じ。加藤一二三は原作には無いゲスト出演か。

盤上の向日葵 ドラマ01.jpg0盤上の向日葵  片倉館.jpg「盤上の向日葵」●演出:本田隆一●脚本:黒岩勉●音楽:佐久間奏(主題歌:鈴木雅之「ポラリス」(作詞・作曲:アンジェラ・アキ))●原作:柚月裕子●出演: 千葉雄大/大江優成/柄本明/竹中直人/蓮佛美沙子/大友康平/檀ふみ/渋川清彦/堀部圭亮/馬場徹/山寺宏一/加藤一二三/竹井亮介/笠松将/橋本真実/中丸新将●放映:2019/09/8-29(全4回)●放送局:NHK-BSプレミアム

IMかがみの孤城.jpg『かがみの孤城』...【2021年文庫化[ポプラ社文庫](上・下)】
『盤上の向日葵』...【2020年文庫化[中公文庫(上・下)(解説:羽生善治)]】
『屍人荘の殺人』...【2019年文庫化[創元推理文庫]】

I『屍人荘の殺人』.jpg Wカバー版

「●あ行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2595】 宇佐美 まこと 『愚者の毒
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

上手いとは思ったが、ラストが...。吉田修一氏の「残酷物語だ」との芥川賞選評に共感させられた。

星の子.jpg 今村 夏子 .jpg 星の子1.jpg
星の子』今村 夏子 氏   2019年映画化(監督・脚本:大森立嗣 出演:芦田愛菜/永瀬正敏/原田知世)

 2017(平成29)年・第39回「野間文芸新人賞」受賞作。2017年上半期・第157回「芥川賞」候補作。2018年「本屋大賞」ノミネート作(7位)

 物語の語り部「わたし」は中学3年生、林ちひろ。ちひろは未熟児で生まれ、生後半年目には原因不明の湿疹に苦しむ。両親は医者が薦める薬やあらゆる民間療法を試したが、効果はない。困り果てた父親は、勤務先の同僚がくれた「金星のめぐみ」という水を持ち帰り、助言どおりちひろの体を洗う。すると、ちひろの夜泣きが減り、2カ月目には全快したのだった。これを機に、両親は水をくれた同僚が所属する新興宗教にはまっていく。父親は会社を辞めて教団の関連団体に移り、母親は怪しい聖水をひたしたタオルを頭にのせて暮らすようになる。叔父が忠言しても両親は聞き入れず、家は転居するたびに狭くなり、ちひろより5歳年上の姉は家出する―。(版元サイトより)

 両親が怪しい新興宗教に嵌ってしまった家族の悲惨な転落話かなと思ってしまいましたが、主人公のちひろはそうでもないらしく、そのちひろの目から淡々と子供時代の日常が語られます。但し、そのちひろも中学3年生になると、その変化の兆しが見られます。

 このプロセスの描き方が上手いと思いました。但し、ラストはややもやっとした感じでしょうか。一部の読者は、ここから、ちひろが両親の自分への愛情を感じながらも、その両親と決別をする予兆を読み取ったようですが、果たしてそこまで読み取れるかなあと(この小説を「読者が忖度する作品」と言う人もいるみたい)。読み取りにくい分、やっぱりこの作品は、新しい家族の在り様といった前向きなものというよりも、新興宗教によって親子が分裂するか、或いは子どもさえも巻き込んでしまう、家族の悲劇ではないかなという気がしてしまいます。

 芥川賞の選評でも評価が割れたようで、小川洋子氏、川上弘美氏がその技量を買って推す一方で、高樹のぶ子氏、島田雅彦氏は推しておらず、高樹のぶ子氏は「会話のリフレインが冗長に感じられた」と技法面で否定的ですが、島田雅彦氏は、「語り手自身が問題系の内部に閉じ込められているために批評的距離を保てない。実はこの点に本作の企みがあり、また問題がある」としています。吉田修一氏も、「この小説は、ある意味、児童虐待の凄惨な現場報告である。本来ならすべての人間に与えられるはずのさまざまな選択権、自由に生きる権利を奪われ吉田修一氏2.jpgていく(物言えぬ)子供の残酷物語であり、でもそこにだって真実の愛はあるのだ、という小説である」とし、「力ある作品だと認めているのだが、ではこれを受賞作として強く推せるかというと、最後の最後でためらいが生じてしまう」としています(宮本輝氏も似たような理由で推していない)。吉田修一氏などは芥川賞作家でありながら、社会性の高い作品も書くため、特にそのように感じるのではないでしょうか。個人的には、吉田修一氏の選評に最も共感させられました。

 上手いとは思いますが、この作品が芥川賞に値するかとなると、ちょっとという感じ。作者は1980年広島県生まれで、 2010年に「あたらしい娘」で太宰治賞を受賞、 2011年に「こちらあみ子」で三島由紀夫賞を受賞、2016年には「あひる」が河合隼雄物語賞受賞し、第155回芥川賞の候補作になるなど躍進著しく、この作品が芥川賞候補になった背景には、そうした"ハロー効果"もあったように思います。

小谷野敦.jpg Amazon.comのレビューで小谷野敦氏が、「『こちらあみ子』『あひる』と衝撃作を出して期待の高まる作者だが、今回は失敗した。長くてしまりがない」としながらも、「芥川賞は、『あひる』と併せての受賞で差し支えなかったと思う」としていて、これは『こちらあみ子』と『あひる』のセットで芥川賞にすればよかったと言っているのでしょうか、それとも『あひる』とこの『星の子』のセットのことを言っているのか(『あひる』は既に候補になっているため、後者はありえないのだが)、よく分からない...。

星の子 (朝日文庫).jpg星の子2.jpg

2019年映画化
監督・脚本:大森立嗣
出演:芦田愛菜/永瀬正敏/原田知世/岡田将生/大友康平/高良健吾/黒木華/蒔田彩珠/新音

映画タイアップカバー

【2019年文庫化[朝日文庫]】

「●ま行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【547】 町田 康 『きれぎれ
「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

「神谷(メンター)ではなく、"僕"(メンティ)を見事に描き出した」(小川洋子氏)。豊胸手術がなければ◎。

火花.jpg火花 文庫.jpg  又吉直樹 芥川賞受賞.jpg
火花 (文春文庫)』 NHK「ニュースウオッチ9」(平成27年7月16日)より

火花』(表紙装丁画:西川美穂「イマスカ」)

 2015(平成27)年上半期・第153回「芥川賞」受賞作。2016年・第13回「本屋大賞」第10位。

 売れない芸人・徳永は、熱海の花火大会で、先輩芸人・神谷と電撃的な出会いを果たす。徳永は神谷の弟子になることを志願すると、「俺の伝記を書く」という条件で受け入れられた。奇想の天才でありながら、人間味に溢れる神谷に徳永は惹かれていき、神谷もまた徳永に心を開き、神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとする―。

火花es.jpg文學界5_pho01.jpg 文藝春秋の雑誌「文學界」2015年2月号に掲載された、現役お笑い芸人"ピース・又吉"の純文学小説ですが、デビュー作で芥川賞受賞というのもスゴイなあ(あの石原慎太郎の「太陽の季節」さえもデビュー作ではなかったし)。2015年3月に単行本が刊行され、2015年8月時点で累計発行部数239万部を突破、村上龍氏の『限りなく透明に近いブルー』を抜き、芥川賞受賞作品として歴代第1位になったそうです(既に文庫化されており、文庫も併せると300万部を超えている)。

 芥川賞の選考では、宮本輝、川上弘美の両選考委員が強く推し、高樹のぶ子、奥泉光の両選考委員が受賞に否定的でしたが、残りの委員のうち、山田詠美、小川洋子、島田雅彦氏の3氏が受賞に賛成したため、これで9人の選考委員のうち5人が推したことになり、比較的すんなり決まったのではないでしょうか。新潮社主催の「三島由紀夫賞」の候補になりながら受賞しなかったことも、プラスに作用した気がしますが、「太陽の季節」が獲った「文學界新人賞」については、この作品は候補にもなっていないのはどうしてでしょうか。

芥川賞の偏差値.jpg小谷野敦.jpg 小谷野敦氏が近著『芥川賞の偏差値』('17年/二見書房)で、この「火花」の1年後に芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の「コンビニ人間」を偏差値72として最高評価をしていますが、「火花」は偏差値49という評価です。但し、芥川賞作品だけで偏差値を決めているわけではないためか、全部の芥川賞作品の中では上位3分の1くらいの位置にある評価ということになっています(因みに「限りなく透明に近いブルー」は偏差値44、「太陽の季節」は偏差値38)。

芥川賞の偏差値

 個人的には、良かったと思います。ある種「メンター小説」だなあと思いました。伊集院静氏の『いねむり先生』('11年/集英社)には及びませんが、こういうの、タイプ的に好きかも。作者は、お笑い芸人の世界を知ってほしかったというようなことをどこかで言っていましたが、この世界の上下関係の厳しさなどは、バライティのネタなどになっていたりして、意外と知られてしまっているのではないでしょうか。

 やはり、面白かったのは(小谷野敦氏の『芥川賞の偏差値』は面白いかどうかを重視しているようだが)、先輩芸人・神谷のキャラクターの描かれ方でしょう。個人的には、「天才」とは世の中に受け入れられてこその「天才」だと考えます。その考えで行けば、神谷は売れていないから今の所「天才」ではいないわけで(無名時代の「天才」と言えなくもないが)、どちらかと言うと「本物」と言った方がいいのかなあ。生き方として"漫才師"というのを見せてくれているように思われ、その部分において、読む前の予想や期待を超えていました(作者は、作者自身は人を笑わせるプロ芸人で、神谷はその意味ではプロではないと考えているようだ。それでも神谷のセリフやギャグで編集者が笑った箇所があれば、その部分はすべてカットしたそうだ)。

高樹のぶ子.jpg 面白かったことは面白かったけれども、終盤に神谷に豊胸手術をさせたのはどうしてなのでしょう。もう神谷のキャラに十分驚かされたのに、作者はまだ足りないと思ったのでしょうか。芥川賞受賞に反対した高樹のぶ子氏も、反対理由を、「優れたところは他の選者に譲る。私が最後まで×を付けたのは、破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだせいだ」としています。作者は、神谷を壊れゆくキャラとして描いたのでしょうか。

小川洋子.jpg それでも、個人的には星4つ(○)で、終盤の豊胸手術がなければ◎でした。神谷に目が行きがちですが、小川洋子氏が、「『火花』の語り手が私は好きだ」「他人を無条件に丸ごと肯定できる彼だからこそ、天才気取りの詐欺師的理屈屋、神谷の存在をここまで深く掘り下げられたのだろう。『火花』の成功は、神谷ではなく、"僕"を見事に描き出した点にある」としているのは、穿った見方だと思いました。メンターの描かれ方もさることながら、メンティのそれ方が決め手になっているということでしょう。ラストに不満があっても△ではなく○になる理由は、根底に小川洋子氏が指摘するような面があるためかもしれないと思いました。

火花 映画 チラシ.jpg火花 映画_02.jpg板尾創路 監督「火花」2017年11月 全国東宝系公開。
徳永 - 菅田将暉
神谷 - 桐谷健太


【2017年文庫化[文春文庫]】

「●あ行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2505】 荻原 浩 『海の見える理髪店
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」)

"癒し系"×"お仕事系"。いい話ばかり過ぎる気もするが、上手いと思った。

ツバキ文具店obi1.jpgツバキ文具店.jpg  ツバキ文具店 ドラマ.jpg
ツバキ文具店』 「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」NHK(2017)多部未華子主演

ツバキ文具店3.jpg 2017(平成29)年・第14回「本屋大賞」第4位作品。

 祖母の葬式のため、雨宮鳩子は高校を卒業して以来8年ぶりに故郷の神奈川県の鎌倉に戻ってきた。 一人で鳩子を育ててくれた祖母は文具店を営む傍ら、思いを言葉にするのが難しい人に代わって手紙を書くことを請け負う「代書屋」でもあった。 祖母に反発して家を飛び出した鳩子は葬式と家の片付けが終わるとすぐに鎌倉を去ろうとするが、生前祖母が引き受けたものの未完であった代書の仕事を引き継ぐように促されそれに取り組むことで心境が変わり、文具店と代書屋業を継ぐことを決意する。地元の温かい人々にも支えられながら鳩子は代書屋として歩み始めた。さまざまな人の思いをすくいとり文字にして相手に届けることで、鳩子は彼らの思いに触れ彼らの人生に関わり、また仕事の師匠であった祖母の思いにも寄り添っていく―。

ツバキ文具店 d.jpg 近年流行りの"癒し系"と"お仕事系"を掛け合わせたような作品ですが、すんなり気持ちよく読めました。今年['17年]4月にNHKラジオ第1「新日曜名作座」にてラジオドラマ化され、更にNHK総合「ドラマ10」にて「ツバキ文具店〜鎌倉代書屋物語〜」と題して多部未華子主演でテレビドラマ化(全8話)されています。

 やや"いい話ばかり"過ぎて、あざとい印象を受けなくもないですが、淡々とエピソードを積み上げて、ラストで主人公が先代(祖母)の自分への想いを知るという盛り上げ方は上手いと思いました(素直に感動した)。

ツバキ文具店ド.jpgツバキ文具店 tegami.jpg 鎌倉という物語の舞台背景が効いているし、何よりも手紙文が「手書き」で(挿画の形を借りて)出てくるのが効いています。最初は作者が書いたのかなとも思ったりしましたが、"男爵"の手紙文が出てきたところで、これはプロの為せる技だと確信し、調べてみたら、萱谷恵子氏というプロの字書きの手によるものでした(ドラマでも多部未華子の書く字を担当している)。"挿画"と言うより、"コラボ"に近いかもしれません。

 主人公の生い立ちなどについてあまり細かいことの説明をしていないのが、却ってすっと物語に入っていける要因にもなっているように思いました。テレビドラマ版で多部未華子は、原作のイメージをそう損なってはいないツバキ文具店s.jpg、まずまずと言っていい演技でしたが(多部未華子はこの演技で第8回「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」主演女優賞受賞)、ストーリー的にやや説明的な要素を付け加え過ぎたでしょうか。その結果、(これもありがちなことだが)原作に無い登場人物が出てきたりします(その典型が高橋克典演じる観光ガイド)。やっぱり脚本家というものは、原作に対して「何も足さず何も引かず」ということが出来ない性質なのかなあ。

ツバキ文具店〜鎌倉代書屋物語〜.jpg「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」●演出:黛りんたろう/榎戸崇泰/西村武五郎●脚本:荒井修子●原作:小川糸●出演:多部未華子/高橋克典/上地雄輔/片瀬那奈/新津ちせ/江波杏子/奥田瑛二/倍賞美津子●放映:2017/04~06(全8回)●放送局:NHK

【2018年文庫化[幻冬舎文庫]】

「●お 恩田 陸」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●か 加賀 乙彦」【569】 加賀 乙彦 『宣告
「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

一気に読めた。力作だと思うが、読んでいて少女マンガのイメージがついてまわった。

蜜蜂と遠雷 2.jpg蜜蜂と遠雷s.jpg   蜜蜂と遠雷 直木賞 本屋大賞 W.jpg
蜜蜂と遠雷 (幻冬舎単行本)』「本屋大賞に恩田陸さん『蜜蜂と遠雷』初の直木賞と2冠」(東京新聞)

 2016(平成28)年下半期・第156回「直木賞」受賞作。2017(平成29)年・第14回「本屋大賞」第1位作品。

 3年に1度の芳ヶ江国際ピアノコンクールは、優勝者の著名コンクールでの優勝が続き、今回特に注目を集めていたが、オーディションの5カ国のうちパリ会場で、3人の審査員は凡庸な演奏を聴き続け飽きていた。そこへ、今年逝去した伝説の音楽家ホフマンのこれまでにない推薦状で、「劇薬で、音楽人を試すギフトか災厄だ」として現れた16歳の少年・風間塵は、その演奏で衝撃と反発を与え、議論の末にオーディション合格、日本の芳ヶ江市での2週間のコンクールへ。塵は師匠の故ホフマンと「音を外へ連れ出す」と約束をしていたが、自分ではその意味がわからず、同じコンテスタントの20歳の栄伝亜夜に協力を頼む。もう一人のコンテスタントのフランス人の父親と日系ペルー人の母親を持つ19歳のマサルは、子供の頃ピアノに出会わせてくれた亜夜と再会する。3人の天才と年長の28歳の高島明石のピアニストたちが、音楽の孤独と競争、友愛などにさまざまに絡み悩みつつ、コンクールの1次、2次予選から3次予選、更に本選を通じて成長し、新たな音楽と人生の地平を開いていく―。

本屋大賞1-9.jpg 作者は、音楽コンクールを予選から本選まですべて小説として書くという着想を得たものの、実際にはかなり難しく、2009年に書き始めるまでに5年かかったとのことです。最終的には、構想から12年、取材に11年、執筆に7年もの歳月を費やしたとのことで、直木賞と本屋大賞とを史上初のW受賞し、苦労が報われて良かったと思います(この世界、苦労しても報われないことが多そうだから)。本屋大賞(1位)は、2005年の『夜のピクニック』に次いで2回目(これも史上初)、直木賞の選考では、林真理子氏が「今回の受賞作は文句なしに『蜜蜂と遠雷』だなと思いつつ審査に臨んだ」と絶賛、浅田次郎氏、宮城谷昌光氏、宮部みゆき氏も推薦し、東野圭吾氏は△から◎に変更。桐野夏生氏、伊集院静氏は△のまま。最も否定的だったのは高村薫氏でしたが、過去の例からみても選考委員の3分の2が◎乃至○であれば、まあ順当に「当選」といった感じでしょうか。

 2段組500ページ強を一気に読ませる筆力はたいしたものだと思いました。一応は力作だと思います。但し、読んでいて、自分のイマジネーションの限度のせいか、登場人物を生身の人間として感じにくかった気もします。何か、少女マンガを読んでいるような...。視覚化するなら、映画やドラマよりも少女マンガではないかと(読んでいて、そのイメージがついてまわった)。Amazon.comのレビューなどを見ると、5つ星が圧倒邸に多い高い評価でしたが、たまに低い評価のレビュワーもいて、その中で『ピアノの森』や『のだめカンタービレ』の方が上だと評しているものもありました。この分野はマンガの方が先行しているのでしょうか。

 読んでいて、本選の結果発表の直前でエンディングになるのかなあと予測しましたが、結果を発表しちゃったなあ。まあ、順位はこの際問題ではないということなのだろうけれど。先の直木賞選考委員評の中で、桐野夏生氏が「なぜに、最終審査があの順位になるのか、選ぶ側の思惑をもっと知りたかった。でなければ、天才とは何か、またコンクールとは何のためにやるのか、はたまた人間にとって音楽とは何か、という大きな謎に迫れない」とコメントしていて、一理あるように思いました。その桐野夏生氏も、「しかし十分に読みごたえもあるし、受賞にかなうものだった」としていますが、個人的も、一応○は○といったところでしょうか(「遠雷」ってどこにも出てこなかったなあ)。

蜜蜂と遠雷000.jpg蜜蜂と遠雷001.jpg2019年映画化「蜜蜂と遠雷」(東宝)
2019年10月4日(金)全国東宝系ロードショー
出演:松岡茉優/松坂桃李/森崎ウィン/鈴鹿央士/斉藤由貴/鹿賀丈史
原作:恩田 陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎刊)
監督:石川 慶

【2019年文庫化[幻冬舎文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
●2017年本屋大賞
「2017年本屋大賞.jpg

「●さ行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3038】 島田 明宏 『ジョッキーズ・ハイ
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

フィクションとして読むのが順当。面白かったが『レディ・ジョーカー』には及ばない。

罪の声 塩田武士.jpg罪の声 塩田武士1.jpg 罪の声 塩田武士2.jpg 罪の声 塩田武士3.jpg
罪の声
塩田武士氏『罪の声』山田風太郎賞  2021年映画化(東宝)主演:小栗旬・星野源
塩田 武士 『罪の声』山田風太郎賞.jpg「罪の声」 映画.jpg 2016 (平成28)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2016年・第7回「山田風太郎賞」受賞作。2017年・第14回「本屋大賞」第3位。2016年「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」第2位。

 京都でテーラーを営む主人公・曽根俊也は、ある日、亡くなった父の遺品の中からカセットテープと黒皮の手帳を発見する。手帳は英語の文字で埋まっていて、カセットテープには、子供の声で、現金受け渡しを指示する言葉が録音されていた。その声を聞いた俊也は、それが自分自身の声であるとわかり衝撃を受ける。父は犯行グループの一味だったのか。録音に関する彼自身の記憶は無く、31年前の真相を知るために、彼は事件を調べ始める。同じ頃、大日新聞社文化部に所属する阿久津英士は、社会部・事件担当デスクの鳥居から、大阪本社の年末企画「ギン萬事件―31目の真実」への参加を求められる。鳥居は、阿久津にある資料を手渡して調査を命じる。その資料とはギン萬事件の4ヶ月前にオランダで起きたハイネケン社長の誘拐事件に関するもので、事件の直後から現地で事件のことを調べ回っている東洋人がいたという。阿久津はイギリスに飛んで調査を始める。31年前の事件の真相が、二人の男によって再び甦ろうとしていた―。

 1984年から1985年にかけて起きた「グリコ・森永事件」を題材にした小説で、但し、事件から31年経った「現在の関西」を舞台に小説は始まり、それは、主人公の一人・俊也が、事件で現金受け渡しの指示に使われた「子供の声の録音テープ」の声の主であり、そのことを知ったのが「現在」であるためです。

「週刊文春ミステリー ベスト10」の第」1位に選ばれただけあってそれなりに面白かったですが、清水潔氏が「週刊文春」の書評で、「複雑な事件構成にも関わらず破綻も見せずに犯人像を絞り込んでいく」としながらも、「取材開始までの各アプローチシーンなどはややくどい気もする」としているのには同感です。

 また、清水氏は、「ノンフィクションの体を取りつつ真犯人に到達したかのような噴飯物の書も存在する中、本書が被害社名を架空のものとしフィクションであることを明確にしているのは賢明だ」としていますが、身代金取引現場などの描写は事件当時の事実を再現してはいるものの、まあ、他の部分はフィクションとして読むのが順当でしょう。清水氏も最初はこんなにスルスルと重大事件の謎解きができてたまるか思ったりもしたようですが、読み進むうちに先の認識に至ったようで、作者自身、事件を推理するつもりでこれを書いたのではないように思います。

高村薫.jpgレディ・ジョーカー1.jpgレディ・ジョーカー2.jpg 清水氏が最初この小説は実際の事件の謎解きかと思ってしまった背景には、作者が神戸新聞社の記者出身であったこともあるのかもしれないし、同じく「グリコ・森永事件」を題材にした高村薫氏の『レディ・ジョーカー』('97年/毎日新聞社)がそれっぽい雰囲気を漂わせていたこともあるのかもしれません。但し、高村薫氏もかつて「グリコ・森永事件」を扱ったテレビ番組に出演したことがありましたが、自身の小説を事件の"謎解き"であるような主張はしていなかったように思います。

 この『罪の声』はサスペンス小説として傑作なのかもしれませんが、どうしても高村氏の『レディ・ジョーカー』と比べてしまい、相対的に見て物足りなさを感じざるを得ず、また、自分の好みともやや合わなかったように思います。

 『レディ・ジョーカー』は犯人グループに脅迫される側を菓子メーカーではなくビール会社にしていましたが、事件に直面した大企業の内部の混乱ぶりや、そうした事件さえ権力抗争の材料にしようとする社内ポリティクスなどがよく描かれていて、企業小説としても面白く読めました(この部分が『罪の声』には全く無く、比べること自体が酷かもしれないが)。

 また、『レディ・ジョーカー』の犯人グループには共感とまでいかなくともシンパシーを感じる部分はありましたが、この『罪の声』では全くそれは感じられません。その代わり、ラストで事件に巻き込まれ長らく離別していた母子が再会する場面を持ってきていますが、これってどうなのか。感動する人もいるかもしれませんが、個人的にはややあざとい印象を受けてしまいました。

 『罪の声』を読んで良かったと思った読者には『レディ・ジョーカー』も読んで欲しい気がします。但し、『レディ・ジョーカー』も読んだ上で、『罪の声』の方が『レディ・ジョーカー』よりいいという人がいるかもしれないし、その辺りは好みの問題でしょう。

2020年映画化「罪の声」(東宝)主演:小栗旬・星野源
映画『罪の声』.jpg映画『罪の声』ド.jpg

【2019年文庫化[講談社文庫]】

「●ま行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【554】 モブ・ノリオ 『介護入門
「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

芥川賞作品の中ではかなり面白い方であり、根底には作者の技量があるように思った。

コンビニ人間.jpgコンビニ人間2.jpg 荻原.jpg   o0コンビニ人間.jpg
コンビニ人間』 『海の見える理髪店』で直木賞受賞の荻原浩氏と村田沙耶香氏[産経ニュース]コンビニ人間 (文春文庫)』['18年]

 2016(平成28)年上半期・第155回「芥川賞」受賞作。2017年・第14回「本屋大賞」第9位。

 私こと古倉恵子は、子供の頃から「変わった子」と思われていた。自らの言動で周囲を困惑させてしまうため、黙って言われたことをするよう心掛けていた。そんな私はある日コンビニのバイトに出会い、マニュアルで全て行動する仕事を天職と感じるようになって、大学時代から今日まで18年間コンビニで働き続けている。しかし年齢を重ね、結婚せずに36歳となった今の自分のことを、周囲は奇異に思っているのが感じられる。そんなある日、35歳で職歴もない白羽が新人バイトとして入って来て、彼は婚活を目的にバイトを始めたのだという。しかし白羽は女性客へのストーカー行為で解雇される。恵子は、懲りもせず女性を待ち伏せする白羽に声を掛け、恋愛感情はないが一緒に暮らすことを提案する。「同棲している男性がいる」ことが、恋愛をしないことの言い訳になると思ったのだ。その白羽は、自分にコンビニのバイトを辞めさせ、就職させて自らの借金を返させようとする。だが、就職のための面接に向かう途中で訪れたコンビニで、私は本社の社員を装って、困っているバイトに手を貸す。そして、コンビニで働くことを自らの体が求めているのだと感じるのだった―。

 「文學界」2016年6月号に掲載された小説で、作者は新人かと思ったら、三島由紀夫賞を筆頭とする幾つかの賞を受賞した作家であり、そうでありながらコンビニエンス・ストアで週3回働いているそうな(芥川賞受賞会見の日も働いたというから、コンビ二で働くことがある種"精神安定剤"的効果をもたらすのかも)。主人公は、一定のルーティンへの強いこだわりなど発達障害的傾向があるように思いましたが、その辺りがよく描けているように思いました。でも、これ、自分の経験だったのでしょうか?

 作者の"コンビニ愛"の地が出ている感じもしましたが、自分の経験だから書きやすいというわけでもなく、自分の経験に近いからこそ対象化するのは逆に難しいと言えるかも。そうした意味では、慎重に"満を持して"書いた作品なのかもしれません。遅ればせながら、芥川賞おめでとうございますと言いたくなります。

 読後感も爽やかでしたが、「私は、人間である以上に、コンビニ店員なんです」なんて主人公の台詞は、芥川賞と言うよりちょっと直木賞っぽい感じもありました。でも、これまでの芥川賞作品の中ではかなり面白い方であり、根底には作者の技量があるように思いました。芥川賞の選評で川上弘美氏が、「おそろしくて、可笑しくて、可愛くて、大胆で、緻密。圧倒的でした」とし、「選評で"可愛い"という言葉を初めて使いました」と括弧書きしていました。

 芥川賞のすべての選者が推したわけではないですが、山田詠美氏は、「コンビニという小さな世界を題材にしながら、小説の面白さの全てが詰まっている。十年以上選考委員を務めてきて、候補作を読んで笑ったのは初めてだった」と評価し、村上龍氏も、「この十年、現代をここまで描いた受賞作は無い」と評価しています。

小谷野敦.jpg 芥川賞の選者以外では、辛口批評で知られる作家で比較文学者の小谷野敦氏が、『芥川賞の偏差値』('17年/二見書房)などで「本作のように面白い作品が芥川賞を受賞することは稀であり、同賞の歴代受賞作品でもトップクラスの面白さだ」と評しています。別のところでの小澤英実氏との対談では、「『コンビニ人間』は、単純に「面白い」と文庫新刊 コンビニ人間2.jpgいうことでいいと思いますね。川上弘美が何か意味付けをしようとしていたけれど、意味付けなんてしない方がいい」と言っていて、そんなものかもしれないなあと。

 個人的にも◎ですが、後は時間が経ってどれぐらい記憶に残るかなあというところでしょうか(芥川賞作品って意外と記憶に残らないものもあったりするので)。そうした意味では、"意味付け"することにも意味があるのではないかという気もしなくはありません。ただ、芥川賞作品としては『火花』以来の売れ行きだそうですから、世間的には記憶に残る作品となるのかもしれません。

【2018年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
芥川賞の偏差値0810.JPG芥川賞の偏差値 .jpg小谷野敦『芥川賞の偏差値』('17年/二見書房)

「●ま行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2107】 向田 和子 『向田邦子の恋文
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

読み始めた時は地味な話だなあと思ったが、終盤に押し寄せてくるような感動があった。

羊と鋼の森1.jpg羊と鋼の森2.jpg  羊と鋼の森 本屋対象.jpg
羊と鋼の森』(2015/09 文藝春秋) 宮下 奈都 氏

 2016(平成28)年・第13回「本屋大賞」第1位作品。

 北海道の高校2年生の外村(とむら)は、調律師が調律した体育館のピアノの音色を聞いて森の景色を奏でるような錯覚にとらわれ、高校卒業後、専門学校で調律を学び、江藤楽器に就職する。江藤楽器は10名ばかりの小さな店で、調律師は4名。入社5か月過ぎ頃、外村は、7年先輩の柳に同行して顧客の佐倉宅に行き、調律を見学する。柳の調律が終わり、高校生の和音(かずね)がピアノを弾くと、その奏でる音色は美しく、外村は鳥肌が立つ。和音は、妹の由仁(ゆに)がすぐに帰って来るので待ってほしいと言い、ほどなく帰宅した由仁も色彩に溢れたピアノを弾く。柳は由仁のピアノを絶賛する一方で、和音のピアノを普通と評するが、外村には和音のピアノは明らかに特別だった。ある日、外村が社用車に乗っていると由仁と偶然会い、ピアノのラの音が出なくなったが、柳が仕事で立て込んで今日は行けないと言われたと言う。柳は恋人に指輪を渡すことになっていた。外村は佐倉家へ行き、フレンジを調整してピアノを直す。和音と由仁は喜んだが、帰ろうとする外村に、2人は調律も依頼する。外村は柳の仕事だと思ったが、2人の演奏を聴いて胸が熱くなっており、調律を始める―が上手くいかず、やればやるほど音がずれる。偶々電話があった柳に事情を話し、柳が調律し直すことに。外村が調律に失敗して逆に親しみを感じたのか、時々和音と由仁が江藤楽器に顔を出すようになる。外村はベテラン板鳥の調律を見学する機会に恵まれる。ドイツから巨匠ピアニストが来日し、板鳥が指名されたのだ。板鳥が鍵盤を鳴らし始めると、外村の心臓が高鳴り、この音があれば生きていけるとさえ思う。佐倉家からピアノの調律をキャンセルする電話があり、母親が、娘がピアノを弾けない状態なので調律は見送りたいとのこと。由仁が店に現れ、ピアノを弾くときだけ指が動かないと言い、自分が弾けなくなった分まで和音が弾かなくてはいけないとも言う。佐倉家から再び調律の依頼があり、外村と柳が向い、柳が以前と同じように調律した。由仁は、自分たちは前と同じじゃないと不服を口にし、外村はどう思うか尋ねる。外村は弾いてもらわないと分からないとし、「試しに弾いてみてもらえますか」と言うと、和音は毅然とした態度で演奏を始める。弾き終わると、和音は「心配かけてごめんなさい」「私、ピアノを始めることにした」と言う。母親が「ピアノで食べていける人なんてひと握りの人だけよ」と諌めると、和音は静かに微笑み、「ピアノで食べていこうなんて思ってない」「ピアノを食べて生きていくんだよ」と答える。柳の結婚披露パーティで、和音がピアノを弾き、外村が調律することになる。外村は、パーティの前日に時間かけ調律した。早朝の人のいないリハーサルでは完璧だったものの、ホールでスタッフが作業を始めると音にキレがなくなった。家庭のピアノの調律しかしたことがなかった外村は、環境を考慮していなかったことに気づく。由仁にも協力してもらい、外村は調律し直した。パーティでは、和音は若草色のドレスを着てピアノを弾き、経験豊富な先輩調律師の秋野が初めて外村を褒める。外村は、自分が和音のピアノを調律することで和音のピアノをもっとよくしたいと思った。和音は絶対にいいピアニストになると信じる外村は、やはり自分はコンサートチューナーを目指さすべきだと思った―。

 読み始めた時は、何だか地味な話だなあと思いましたが、終盤に向けて押し寄せてくるような感動がありました。専門職系と言うか、お仕事系の話なので、同じ「本屋大賞」の先輩格にあたる三浦しをん氏の辞書編纂をモチーフにした『舟を編む』(2011年/光文社、第9回「本屋大賞」第1位作品)と似た雰囲気があるように思いましたが、読み進むうちに、ああ、これ大人のメルヘンだなあという感じがして、むしろ、第1回「本屋大賞」の小川洋子氏の『博士の愛した数式』(2003年/新潮社)や、同作者のチェスの天才少年をモチーフにした『猫を抱いて象と泳ぐ』(2009年/文藝春秋)の系譜のようにも感じたりしました(「羊と鋼の森」というタイトルがまさにメルヘン的)。

 直木賞の候補にもなりましたが、強く推した選考委員(◎)が2名(北方謙三、伊集院静両氏)いたものの、他の委員の、古典的な成長小説だとか、純文学としてはともかく大衆文学としてはどうかといったネガティブな評価もあり、結局、強く推した選考委員が1名しかいなかったものの、しいて明確に否定する人がいなかった青山文平氏の『つまをめとらば』に直木賞は持って行かれました(青山文平氏が67歳で2回目の候補、宮下奈都氏が49歳で初めての候補、ということも影響したのか。『つまをめとらば』も佳作ではあるが)。

 Amazon.comなどで一般の評価を見ると、直木賞の選考さながらに評価が割れているみたいです。特に、音楽やピアノや或いは調律そのものに詳しい人(つまり調律師)から、調律師の仕事の実際と異なるとの批判が多いようですが、小説としての決定的な瑕疵に当たるのかどうか。調律や調律師のことをよく知らないから、却って引っ掛からずに気持ちよく読めたというのはあるかもしれませんが(そのことをよく知る人からすればそのことが大きな問題なのかもしれないが)、行間から湧き出る瑞々しさのようなものはやはり作者の力量ではないかと思いました。

【2018年文庫化[文春文庫]】

羊と鋼の森 映画 01.jpg羊と鋼の森 映画02.jpg映画「羊と鋼の森」('18年/東宝)
監督:橋本光二郎/脚本:金子ありさ
出演:山﨑賢人/鈴木亮平/上白石萌音/上白石萌歌/堀内敬子/仲里依紗/城田優/森永悠希/佐野勇斗/光石研/吉行和子/三浦友和

「●よ 米澤 穂信」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3162】 米澤 穂信 『黒牢城
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●「ミステリが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ

背景のスケールの割には事件が小粒。「2年連続3冠達成」は'ハロー効果'の為せる技ではないか。

王とサーカス.jpg  王とサーカス-s.png
王とサーカス』(2015/07 東京創元社)

米澤 穂信 『王とサーカス』三冠.jpg 2015(平成27)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2016(平成28) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位、2016年「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第1位(因みに、作者は前作『満願』に続いて2年連続の「週刊文春ミステリー ベスト10」「このミステリーがすごい」「ミステリが読みたい!」3冠を達成したことになる)。2016(平成28)年・第13回「本屋大賞」第6位。

 2001年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、王宮で国王をはじめとする王族殺害事件が勃発する。太刀洗はジャーナリストとして早速取材を開始したが、そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女の前にはひとつの死体が転がり―。(「BOOK」データベースより)

 『満願』は警察官ものなどを含む短編集でしたが、こちらは2001年6月にネパールの首都カトマンズのナラヤンヒティ王宮で実際に発生したネパール王族殺害事件がモチーフとなっており、なかなか思い切った背景選択だなあと。但し、主人公の大刀洗万智は、ユーゴスラビア紛争(1991-2000)モチーフにした『さよなら妖精』('04年/東京創元社)で当時高校生として登場しています。

 ということで、本作は、新聞記者を経てフリージャーナリストとなった彼女を主人公とする<ベルーフ>シリーズの1作とのことですが、読み終えてみると、背景がネパール王族殺害事件という壮大で衝撃的なものだった割には、推理の元となる事件そのものは、犯人の動機なども含め小粒であったように思いました。

 前半は紀行文のような穏やかな感じで進むので、後半その流れをどんな結末に持っていくのか期待されましたが、確かに犯人の意外性はあったかもしれないものの、事件そのものが、コレ、ネパール王族殺害事件など別になくてもいのではないかという感じのしょぼいものでややがっかりしました。

 ネット上には、「面白かった!」「最後まで目が離せない極上のミステリ」といった評価が溢れていますが、ある種(この作家のものが面白くないはずがないという)"ハロー効果"的な作用も働いたのではないかという気が、個人的にはしないでもないです。

【2018年文庫化[創元推理文庫]】

「●は行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【611】 干刈 あがた 『ウホッホ探険隊
「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

故郷・台湾を舞台に描く青春ミステリ。面白い。 "日本語で書かれた台湾文学"という印象も。

流 東山 彰良.jpgi流 東山 彰良 .jpg  東山 彰良.jpg 東山 彰良 氏
』(2015/05 講談社)

 2015(平成27)年上半期・第153回「直木賞」受賞作。2015年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2016 (平成28)年「このミステリーがすごい」(国内編)第5位、2016年「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第4位、2016年・第13回「本屋大賞」第8位。

 国民党の総統・蒋介石が死去した1975年の台湾。かつて国民党に加担し、共産主義者を相手に大陸でひと暴れした後、敗走した台湾で暮らしていた葉尊麟(イエ・ヅゥンリン)が、ある日自分の店で殺され、それを発見したのは葉尊麟の孫である私こと葉秋生(イエ・チョウシェン)だった。誰が、なぜ祖父を殺したのか。台北の高等中学に通う当時17歳の私には、まだその意味はわからなかった。以後、無軌道な青春を重ねながら、思い出したように祖父の死の真相を追っていく―

 直木賞選考会で選考委員全員が「〇」をつけ、満票で「圧倒的に受賞作1作は決まってしまった」という作品(しかも、9人の選考委員の内8人が◎をつけた)。選定委員の桐野夏生氏が「文句なく面白かった」としていますが、実際、面白かったし、同じく選定委員の北方謙三氏が「根底から力がある、20年に1度の傑作」と評したように、作者の力量も感じました。

 作者の経歴を見ると、1968年中国人の両親のもと台湾で生まれ、5歳まで台北市で過ごした後日本へ移住し、9歳で台北の南門小学校に入学したが、その後日本に戻り福岡で育ったのこと。直木賞選考委員の一人、伊集院静氏との対談で、主人公の私こと葉尊麟のモデルは作者の父であることを明かしています。

 故郷・台湾を舞台に描いた青春ミステリと言えるかと思いますが、日本の小説と言うより、日本語で書かれた台湾の小説という印象を受けました。因みに、作者の本名は王震緒で、日本に帰化せず、中華民国台湾の国籍を保持しているとのことです(筆名の「東山」は祖父の出身地である中国山東省から、「彰良」は父親が暮らした地であり、母親の出身地でもある台湾の彰化からとっている)。読んでいる間、台湾の映画監督・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画を観ているような、そんなエスニックな感覚がありました("日本語で書かれた台湾文学"という感じか)。

 ストーリーも骨太で、暗い歴史を背景に、青春小説の甘酸っぱさもあり、無頼の青春群像もある中で、祖父殺害の謎の予期しなかった結末への導き方は巧みであるに止まらず、そこから導かれる戦争の悲劇の実像は重いものでした。"英雄"と呼ばれている人物が本当にそうだったのか。"黒狗"と言われていた人物が本当に卑怯者だったのか。立場によって見方はいくらでも違ってくるけれども、歴史というものは、そうしたすべての見方を伝えるものではなく、どこか偏りがあるものだという思いにさせられました。

 また、話の舞台は終盤、中国大陸へと移りますが、ストーリーのスケールの大きさ(何十年がかりの復讐譚など)は大陸的なものが感じられたし、「WEB本の雑誌」の「作家の読書道」によると、作者はエルモア・レナードの大ファンであるとのことで、そうしたハードボイルドの影響も感じられたし、また、最近では南米文学に夢中になっているとのことで、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に通じるものもあるように思いました。

 直木賞候補作の中では群を抜いていたとのことですが、個人的には、そもそも(作者が抱えているバックグランドの違いから)質的に日本人が書く小説とは異なるという印象を受けました。その一方で、まぎれもなく日本語で書かれた作品であり、しかも、読んでいてぐいぐい引き込まれたのも事実です。日本人が読んで面白いということは、やはり、ストーリーテリングだけでなく、文章や表現力にも優れたものがあるということなのでしょう。

【2017年文庫化[講談社文庫]】

「●角田 光代」の インデックッスへ Prev| NEXT ⇒ 【1357】 角田 光代 『森に眠る魚
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●た‐な行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「●「報知映画賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ「●「芸術選奨(監督)」受賞作」の インデックッスへ(成島 出)「●風吹 ジュン 出演作品」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「花燃ゆ」)

2章の主人公の、自身の新たな運命を切り拓こうとする投企的な意思がいい。"母性小説"。

八日目の蝉 単行本.jpg 八日目の蝉 文庫.jpg   八日目の蝉 dvd.jpg 八日目の蝉 映画2.jpg
単行本['07年]/『八日目の蝉 (中公文庫)』「八日目の蝉 通常版 [DVD]」出演:井上真央/永作博美/小池栄子

八日目の蝉 英訳本.jpg 2005(平成17)11月から翌年7月24日まで読売新聞夕刊に連載された作品で、2007(平成19)年・第2回「中央公論文芸賞」受賞作。2008(平成20)年・第5回「本屋大賞」第6位。

(英文版) 八日目の蝉 - The Eighth Day

 [0章]秋山丈博の愛人であった野々宮希和子は秋山宅に侵入、眠っていた赤ん坊(秋山恵理菜)を一目見るためだったが、赤ん坊が笑いかけたのを見て衝動的に誘拐する。[1章]希和子はこれにより誘拐犯として追われる身となり、薫と名づけた赤ん坊とともに逃亡を始める。まず事情を知らない親友の手を借り、その後、立ち退きを迫られている女の家に滞在、更に、女性だけで共同生活を送る「エンジェルホーム」に所持金をすべて手放して入所する。そこでも自分達の娘や妻を奪い返そうとする家族団体からの抗議に巻き込まれる中、警察の介入を避けて再び逃亡、エンジェルホームで出会った共同生活者の手助けで小豆島に逃亡し、安寧な生活を送ったものの、1枚の写真を契機に逮捕される。[2章]成人した恵理菜は、妻子持ちの岸田と付き合う中で希和子と同様に妊娠するが、岸田は丈博と同様頼りにならない。恵理菜の前に、エンジェルホームの問題や恵理菜の事件を取材しているフリーライターで、かつてホームにいたという安藤千草が現れる。恵理菜の妊娠を知ってわめき叫ぶ実の母親に絶望した恵理菜は、自分なりの判断を下す―。

 少し長めの[1章]の方は、希和子の母性から誘拐という犯罪を為す希和子の心理を描いて巧みですが、作者は希和子に寄り添って描いているように思えるものの、読み手としては、やはり希和子そのものを好きになれないというのはありました(この作家の作品は、出てくる人の誰もが好きになれないということが往々にしてあるのだが)。むしろ、こうした逃亡者を匿う人がいたり施設があったりするという、そうした社会状況が反映されている点が興味深かったです(今日でもDV被害者の駆け込み寺のような施設は結構あるのだろうなあ。居所不明児童を生む一因にもなっているようだが)。

 [2章]の成人した恵理菜の話は、最初の内は[1章]よりもっと暗い感じがしました。恵理菜の血の繋がった父母、とりわけ母親の方は完全に家庭人としては機能不全しており、恵理菜が不倫相手の子どもを妊娠したことを知ってヒステリーを起こしてしまう―こうした流れは、恵理菜の育ての親・希和子が父の不倫相手であったわけで、ある種「負の連鎖」的なものも感じられますが、終盤、そこから"開き直った"とでも言うか、実の親に見切りをつけたと言うか、恵理菜の思い切った決断は清々しいものでした。

 固定観念的な運命論に囚われず、自分で自身の新たな運命を切り拓いていこうとする、その投企的な意思に感動させられます。安藤千草の助けもあったかと思いますが、やはり原動力は"母性愛"なのでしょう。希和子が恵理菜を誘拐したのも母性愛的な犯行動機であるし、恵理菜が島に渡るのも母性愛から。「母性小説」と言っていい作品でした。

 2010年にNHKで、壇れい(希和子)・北乃きい(恵理菜)主演でテレビドラマ化され(全6回)、第27回「ATP賞テレビグランプリ2010」のグランプリを受賞していますが個人的には未見。更に翌2011年に八日目の蝉 映画.jpg八日目の蝉 映画N.jpg成島出監督、永作博美(希和子)、井上真央(恵理菜)主演で映画化され、第35回「日本アカデミー賞」の最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演女優賞(井上真央)・最優秀助演女優賞(永作博美)・最優秀脚本賞など「10冠」を獲得しました。さらに、「芸術選奨文部科学大臣賞」も受賞、第66回「日本放送映画藝術大賞」でも、最優秀作品賞・最優秀脚本賞・最優秀助演女優賞(小池栄子=安藤千草役)など「7冠」を獲得しています。井上真央の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞は"ぶっちぎりの前評判通り"だったものと記憶し、永作博美と小池栄子はそれぞれ第85回「キネマ旬報ベスト・テン」主演女優賞と助演女優賞も受賞していて、「女性の映画」らしく女優陣が賞を総なめした感じでした。

八日目の蝉 映画4.jpg 原作のラストで、そうとは知らずに恵理菜と希和子の2人が偶然フェリー乗り場で居合わせるのは、ちょっと話が出来過ぎな気もしますが、映像化した場合の効果まで狙っているのかと思ったら、映画では「互いに相手を認識しない偶然のすれ違い」はカットされていました。全体として、[2章]が"現在"で、そこへ[1章]の"過去"の話をカットバック的に挟むという構成で、フェリー乗り場の"現在"と"過去"も、そういう重ね方をしています。

八日目の蝉 映画K.jpg 原作が[1章]の方が量的なウェイトが大きいのに対し、映画の方は[2章]のウェイトが大きくなっています。その分、小池栄子演じる安藤千草の存在の比重が大きくなっていて、恵理菜と2人で島に渡って過去を巡る(但し、エンジェルホームは廃墟になっている)といった原作にない展開がありますが、そもそも、最初の2人の出会いから最後のそこに至るまでの2人のやりとりは殆ど全て原作に無いオリジナルの脚本(セリフ)であり、結果的に、映画全体がオリジナル色が濃かったという印象です(登場人物によっては原作のままのセリフもあるが)。

 映画も悪くなかったのですが、やや冗長感があったのと、恵理菜の希和子に対する思いが、原作の吹っ切れた印象とは違って、恵理菜の方から希和子に寄り添ったものになっているように感じられ、その部分は原作とやや違うような印象を受けました(映画だけ観た人は、恵理菜が希和子を探して会いに行ってもおかしくないと思うのでは)。但し、原作者である角田光代氏は、この映画を観て大号泣させられたそうですが。

 個人的には、「日本アカデミー賞」の最優秀助演女優賞の希和子役・永作博美(1970年生まれ)もさることながら、最優秀主演女優賞の恵理菜役・井上真央(1987年生まれ)は「花より男子F」('08年)、「僕の初恋をキミに捧ぐ」('09年)、「ダーリンは外国人大河ドラマ「花燃ゆ」井上.jpg」('10年)に続く4年連続4度目の映画主演とあって、安定した演技という感じでした。昨年['15年]のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」でも主役の杉文(吉田松陰(伊勢谷友介)の妹で久坂玄瑞(東出昌大)の妻、後に楫取素彦(大沢たかお)の妻)を演じていますが、歴史的にマイナーな人物だったためか、最終回の視聴率は「平清盛」('12年)と並ぶ12.0%という過去最低でした(個人的には、応援するような気持で観ていたのだが)。千草役の小池栄子(1980年生まれ)は頑張って演技していたという感じでしょうか(彼女も後にNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」('22年)で北条政子という準主役級の役を得ることになった)

八日目の蝉021.jpg「八日目の蝉」●制作年:2011年●監督:成島出●製作総指揮:佐藤直樹●脚本:奥寺佐渡子●撮影:藤澤順一●音楽:安川午朗●時間:147分●原作:角田八日目の蝉6.jpg光代「八日目の蝉」●出演:井上真央/永作博美/小池栄子/森口瑤子/田中哲司/渡邉このみ/吉本菜穂子/市川実和子/余貴美子/平田満/風吹ジュン/劇団ひとり/田中泯/相築あきこ/別府あゆみ/安藤玉恵/安澤千草/ぼくもとさきこ/畠山彩奈/宮田早苗/徳井優/吉田羊/瀬木一将/広澤草勲●公開:2011/04●配給:松竹(評価:★★★☆)
「八日目の蝉」、.jpg

「花燃ゆ」1.jpg大河ドラマ「花燃ゆ」01.jpg「花燃ゆ」●脚本:大島里美/宮村優子/金子ありさ/小松江里子●演出:渡邊良雄 ほか●音楽:川井憲次●出演:井上真央/(以下五十音順)相島一之/麻生祐未/井川遥/石原良純/石丸幹二/伊勢谷友介/板垣李光人/伊原剛志/上杉祥三/江口のりこ/江守徹/大野拓朗/尾上寛之/大沢たかお/奥田瑛二/音尾琢真/賀来賢人/かたせ梨乃/香音/要潤/北大路欣也「花燃ゆ」s.jpg/銀粉蝶/劇団ひとり/黒島結菜/佐藤二朗/佐藤隆太/春風亭昇太/鈴木杏/瀬戸康史/大東駿介/高橋英樹/高橋由美子/高良健吾/宅間孝行/田中要次/田中麗奈/檀ふみ/津田寛治/内藤剛志/長塚京三/羽場裕一/浜田学/原田泰造/東出昌大/東山紀之/平田満/堀井新太/本田博太郎/松坂慶子/三浦貴大/三田佳子/村上新悟/山下真司/優香/若村麻由美/鷲尾真知子/(ナレーター)池田秀一●放映:2015/01~12(全50回)●放送局:NHK

田中麗奈(銀姫→毛利安子)/井上真央(杉文→久坂文→久坂美和→楫取美和)/松坂慶子(都美姫→毛利都美子)
「花燃ゆ」03.jpg
  
  
「花燃ゆ」13.jpg  
【2011年文庫化[中公文庫]】 

「●よ 米澤 穂信」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2498】 米澤 穂信 『王とサーカス
「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●「ミステリが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「満願」) 

粒揃いの短編集。「夜警」と「満願」がいい。"粒揃い"だが、飛び抜けたものは見出しにくい?

米澤 穂信 『満願』2.jpg満願1.jpg満願2.jpg  米澤穂信s.jpg 米澤 穂信 氏
満願』(2014/03 新潮社)

 2014(平成26)年・第27回「山本周五郎賞」受賞作。2014年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2015 (平成27) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位、2015年「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第1位(因みに、「週刊文春ミステリー ベスト10」「このミステリーがすごい」「ミステリが読みたい!」の3冠は2008年に「ミステリが読みたい!」がスタートして初)。2015(平成27)年・第12回「本屋大賞」第7位。

 交番勤務の警察官が主人公。交番に訪れたありふれたDV被害者。包丁を持って暴れる彼女の夫と対峙し、発砲するも殉職した同僚の警察官。その事実の裏に潜む心の闇とは?(「夜警」)。美しい母、二人の美しい娘、女たらしの父親。離婚協議が進むなか、娘二人のとった驚きの行動。美しく残酷な性(さが)が導いた結末とは(「柘榴」)。 殺人の罪を認め服役を終えた下宿屋の内儀。人柄を知る元下宿人の弁護士は内儀の行動に疑問を抱く。下された判決に抗おうとせず刑期を勤め上げた女の本当の願いとは(「満願」)。他「死人宿」「万灯」「関守」の3編を収録。

 賞を総嘗めしただけあって粒揃いという感じでしょうか。どれも面白く、個人的には最初の「夜警」と最後の「満願」が特に良かったかなあ。ただ、どちらにも言えることですが、トリックの面白さであって、犯行の動機という点からすると、こんな動機のために(しかも相当の不確実性が伴うという前提で)ここまでやるかという疑問は少しありました。「死人宿」と「関守」も旅館と喫茶店の違いはありますが、ちょっと雰囲気似ていたかなあ。「関守」は途中でオチが解ってしまいましたが、それでも面白く読めました。ということで、"粒揃い"ではあるが、飛び抜けたものは見出しにくいという感じも若干ありました。

 敢えて一番を絞れば、表題作の「満願」でしょうか。直木賞の選評で選考委員の宮部みゆき氏が、「ハイレベルな短編の連打に魅せられました」とし、「表題作の『満願』には、松本清張の傑作『一年半待て』を思い出しました」としているのにはほぼ納得(この作品自体、何となく昭和の雰囲気がある)。しかし、直木賞の選考で積極的にこの短編集を推したのは宮部みゆき氏のみで、「既に他の文学賞も受賞している作品ですが、意外に厳しい評が集まり、事実関係の記述のミスも指摘されて、私は大変驚きました」としています。

 "事実関係の記述のミス"とは幾つかあったようですが、東野圭吾氏が「最も致命的なのは『万灯』で、コレラについて完全に間違えている。(中略)この小説のケースでも感染はありえない」というもので、確かに"致命的"であったかも。更には、「『満願』の妻には借金の返済義務はない。(中略)殺人の動機も成立しない」としていて、これも痛いか。

 結局、浅田次郎氏の「稀有の資質を具えた作家が、同一作品で文学賞を連覇することはさほど幸福な結果とは思えぬ」という流れに選考委員の多くが乗って、直木賞は逃したという感じでしょうか。まあ、いずれは直木賞を獲るであろうと思われるその力量を認めた上での配慮(?)。自分自身の評価も星5つではなく星4つとしましたが、作者の今後に期待したいと思います。

 かつて横山秀夫氏が『半落ち』('02年/講談社)で直木賞候補になったものの、直木賞選考員会で作中の「事実誤認」を指摘されて直木賞に「絶縁」宣言をし、伊坂幸太郎氏が「執筆活動に専念したい」という理由で、山本周五郎賞受賞の自作『ゴールデンスランバー』('07年/新潮社)が直木賞候補になることを辞退したことがありました(伊坂幸太郎氏の場合は初めて直木賞候補になった『重力ピエロ』が選考員会で一部の委員に酷評されたという経緯があった)。まあ、この作者の場合は、そんな事態にはならないとは思いますが...。

【2017年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
「満願」(第1夜「万灯」西島秀俊主演・第2夜「夜警」安田顕主演・最終夜「満願」高良健吾主演)
NHKドラマ『満願』.jpgNHKドラマ『満願』2.jpgNHKドラマ『満願』s.jpg●2018年ドラマ化 【感想】 「万灯」「夜警」「満願」をチョイスしてドラマ化したのは、妥当な選択か。この順番で放映されたが、後になるほど面白かった。つまり「満願」が一番良かったことになるが、これは原作を読んだ時と同じだった。「満願」は「万灯」同様、東野圭吾氏が指摘する瑕疵はあるが、プロットの出来としてはこれが頭一つ抜けていて、さらに脚本と演出が同じ人によるものであるため(熊切和嘉監督)、演出が木目細かったように思った。市川実日子がやや若すぎる気がしたが(しかも10年経ってもまったく老けない)、その演技は効いていたし、スイカやダルマといった小道具も原作通りではあるがそれぞれに効果的だった(旧二葉屋酒造で本格ロケをしたことも良かったのではないか)。

最終夜「満願」市川実日子/高良健吾

「満願」(第1夜「万灯」・第2夜「夜警」・最終夜「満願」)●演出:(第1夜)萩生田宏治/(第2夜)榊英雄/(最終夜)熊切和嘉●プロデューサー:益岡正志●脚本:(第1夜・第2夜)大石哲也/(最終夜)熊切和嘉●原作:米澤穂信●出演:(第1夜)西島秀俊/近藤公園/窪塚俊介・(第2夜)安田顕/馬場徹/吉沢悠・(最終夜)高良健吾/市川実日子/寺島進●放映:2018/08(全3回)●放送局:NHK
市川実日子 in「満願」('18年/NHK)/「シン・ゴジラ」('16年/東宝)
市川実日子 満願.jpg市川実日子 シン ゴジラ.jpg

「●海外サスペンス・読み物」の インデックッスへ Prev|NEXT⇒ 【2973】 ピエール・ルメートル 『傷だらけのカミーユ
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●「ミステリーが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「英国推理作家協会(CWA)賞」受賞作」の インデックッスへ 「○海外サスペンス・読み物 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

エピローグ的な結末が引っ掛かる。フィクションとして許される範囲を超えているのではないか。

その女アレックス.jpgその女アレックス6.jpg
その女アレックス2.jpg
その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス 7冠.jpg 2014 (平成26) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(海外部門)第1位、2015(平成27) 年「このミステリーがすごい!」(海外編)第1位、早川書房の「ミステリが読みたい! 2015年版」(海外編)第1位、2014年「IN☆POCKET文庫翻訳ミステリー・ベスト10」第1位、2015(平成27)年・第12回「本屋大賞」(翻訳小説部門)第1位作品。海外では、「リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞」(フランス)、「英国推理作家協会インターナショナル・ダガー賞」受賞。最後に決まった「本屋大賞」を含め"7冠"とのことです(国内だけだと5冠)。

 30歳の美女アレックスはある夜、何者かに拉致され、監禁される。アレックスを誘拐した男は、「おまえが死ぬのを見たい」と言って彼女を檻に幽閉する。衰弱したレックスは脱出を図るが...。一方、目撃者がいたことから誘拐事件の捜査に乗り出したパリ警視庁のカミーユ・ヴェルーヴェン警部は、一向に手掛かりが掴めず、いらだちを募らす。そうした中、事件は思わぬ方向に転がりだす―。

alex_.jpg 2011年にピエール・ルメートルが発表したカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ第2作(第1作は2006年発表の『悲しみのイレーヌ』)。全三部構成で、ストーリーもそれに沿って大きく二転三転します。個人的には、「二転目」はすぐにその気配を感じましたが、「三転目」は予想と違いました。但し、"衝撃のドンデン返し"といった類のものでもなかったです。
"Alex (The Camille Verhoeven Trilogy)"

 そして、最後にエピローグ的な結末が...。これが一番引っ掛かりました。警察が事件を捏造? フィクションの中では許される設定かもしれませんが、判事や弁護士の壁はどう乗り切るのか。

 と思ったら最後、予審判事に「まぁ、真実、真実と言ったところで......これが真実だとかそうでないとか、いったい誰が明言できるものやら!われわれにとって大事なのは、警部、真実ではなく正義ですよ。そうでしょう?」と言わせていて、件の予審判事、最初は何となくいけ好かない人物だったけれど、最後は自らの意思でカミーユと協調路線をとったのか。

 でも、判事だからなあ。自分たちで勝手に事実を捻じ曲げて裁いちゃっていいのかなあ。「協調」と言うより「共謀」にあたるかも。この段階で、フィクションの中でもそのようなことが許されるかどうか微妙になっているのではないかと思いました。

 アガサ・クリスティの「名探偵ポワロ」シリーズに「厩舎街の殺人」(ハヤカワ・クリスティー文庫『死人の鏡』所収)という短編があって、犯人の女性は恐喝を苦に自殺した友人の恨みを晴らすため、その死を他殺に見せかけ、自殺の原因となった男性に罪を被せるのですが、それを見抜いたポワロは、犯人を男性に対する"殺人未遂"で追及しています(1930年代の英国で人を殺せば大概は死刑だったから、無実の人間に濡れ衣を着せて死刑に追い込む行為は"殺人"であるという理屈)。

 ちょっと厳しいけれど、どちらがスジかと言えばポワロの方がスジであり、死んだ人間の遺志を継いで事実を捻じ曲げようとしているこの物語の警部や判事の方が、その「正義」とやらに無理があるように思いました(ポワロにも「オリエント急行の殺人」のように実質的に犯行を見逃してやっているケースがあるが、彼は警官でも判事でもないからなあ)。

 こうしたこともあって、本来ならば評価は△ですが、カミーユ警部や部下の刑事たちのキャラクター造型がユニークであり、そのことを加味して、ぎりぎりで○にしました。

「●み 宮部 みゆき」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2110】 宮部 みゆき 『ソロモンの偽証 第Ⅱ部 決意
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

飽きることなく読めた背景には、偶然に合致してしまった"時事性"というのもあったように思う。

ソロモンの偽証 全3部.JPGソロモンの偽証1.JPGソロモンの偽証01.jpg 『ソロモンの偽証 第I部 事件』(2012/08 新潮社)

 2012 (平成24) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第2位。2013 (平成25) 年「このミステリーがすごい」(国内編)第2位。2013年・第10回「本屋大賞」第7位。

 クリスマスの朝、雪の校庭に急降下した十四歳。その死は校舎に眠っていた悪意を揺り醒ました。目撃者を名乗る匿名の告発状が、やがて主役に躍り出る。新たな殺人計画、マスコミの過剰報道、そして犠牲者が一人、また一人。気づけば中学校は死を賭けたゲームの盤上にあった。死体は何を仕掛けたのか。真意を知っているのは誰!?(新潮社サイトより)

 月刊文芸誌「小説新潮」の'02年10月号から'11年11月号まで連載された長編小説で、単行本で全3巻。第1巻だけで741ページという大作であり、読む前に途中で飽きてしまうのではないかと危惧しましたが、「中学校でのいじめ」という今日的かつ重い題材であったこともあり、一気に読めました。

 刑事の娘で学級委員の藤野涼子を軸に、14歳の中学生・柏木卓也の死に動揺する同級生、それぞれが微妙に異なる反応を示すいじめグループのメンバー、告発状に翻弄される大人たちなどが丁寧に書き分けられています(推理小説の扉にある登場人物紹介が、テレビドラマの解説サイトによくあるような「相関図」になっているのが分かり易くて有難い)。

 いじめに遭っていた生徒の遺体が早朝に見つかり、学校側が次の日の夕方にその学年の保護者だけを対象とした説明集会を実施するというのは、一昔前ならともかく、今だったら緩慢で手ぬるい対応と言われるのではないかなあ。事件発覚が朝ならば、「当日」の夕方、「全学年」の保護者を対象とした説明集会を開く―というのが、今日的"スタンダード"ではないでしょうか(まあ、今だったら保護者は皆、携帯乃至スマホを持っていて連絡はあっという間だけれど、当時はそんなものは一般家庭には無かったということもあるが)。

 "主役に躍り出た"告発状の話は、結局は根底が事件の本筋とは別の話だったという印象で、こうして読者をミスリードさせる手法はミステリでは珍しくはないですが、やや回り道にページを割き過ぎた感じでしょうか。この話は第Ⅱ部にも引き継がれていきますが...。

 『楽園』('07年/文藝春秋)以来5年ぶりの現代ミステリ―と言っても、月刊誌で10年間も連載されていたということで、そちらの方をコツコツ読んでいた人というのは、ホントに"宮部ワールド"に長く浸かっていたいファンなのかも。個人的には、一気に読んだ方が面白い話のように思えました。

大津中学生自殺事件.jpg 学校でのいじめは今も大きな社会問題であり、尚且つ、'12年7月になって、前年10月に滋賀県大津市で発生した中学生自殺事件が、突然マスメディアで連日のように取り上げられる事態となり、その翌月に本書が刊行されたわけです。但し、作者がこの物語を書き始めたのはその10年前―というのは、作者の社会に対する炯眼と言っていいのでしょうか。

「大津市中2いじめ自殺事件」報道

宮部みゆき「ソロモンの偽証」1-.jpg 少なくともこの第Ⅰ部は飽きることなく読めましたが、その背景には(10年後に不幸にして偶然に合致してしまった)"時事性"というのもあったように思います。

 作者へのインタビューによれば、'90年に神戸の高校で、遅刻しそうになり走って登校してきた女子生徒を、登校指導していた先生が門扉を閉めたことで挟んでしまい、その生徒が亡くなるという事件があり、その後、この事件をどう受け止めるかというテーマで、校内で模擬裁判をやった学校があったことに触発されたのがこの作品の執筆の契機であるとのことです。実際にあったのだなあ、学校裁判!(当然のことながら、実際にその事件があった学校で行われたわけではないし、誰かを裁くといった性質のものでもなかったとは思うが)。

【2014年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

ソロモンの偽証 映画2.jpgソロモンの偽証 映画.jpg「ソロモンの偽証 前篇・事件」2015年映画化

監督:成島出
原作:宮部みゆき(ソロモンの偽証)

主演:藤野涼子
他キャスト:板垣瑞生、石井杏奈、黒木華

「●か行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3231】 窪 美澄 『夜に星を放つ
「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

連作の繋がり方が上手いなあと。最後は「恢復する家族」の物語のように思えた。

ふがいない僕は空を見た 新潮社 単行本.jpg ふがいない僕は空を見た 新潮文庫.jpg ふがいない僕は空を見た 映画.bmp 2017年映画化(出演:永山絢斗/田畑智子)
ふがいない僕は空を見た』『ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)』「ふがいない僕は空を見た [DVD]

 自分が勝手に名付けた「5人の物語」3冊シリーズの1冊目(他は、朝井リョウの『何者』と村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)。2011(平成23)年・第24回「山本周五郎賞」受賞作。2011(平成23)年・第8回「本屋大賞」第2位。2009(平成21)年・第8回「R‐18文学賞大賞」受賞作(「ミクマリ」)。2010(平成22)年度・「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」第1位。

 助産院を営む母に女手ひとつで育てられた高校生の斉藤卓巳は、イベントで知り合った人妻の里美(自分のことをコスプレネームであんずと呼ばせている)と不倫関係になる。夫の不在時に、あんずの書いたシナリオに沿って情事を重ねるという、風変りながらもそれが日常化していた2人の関係だったが、卓巳が、自分が好きだった同級生の七菜に告白されたことで状況は一変、卓巳は、もうあんずの元には行かないことに決め、あんずに決別を告げる―。

 「ミクマリ」「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」「2035年のオーガズム」「セイタカアワダチソウの空」「花粉・受粉」の5部構成の連作で、「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」は里美の視点、「2035年のオーガズム」は七菜の視点からといった具合に、以降は、卓巳をとりまく人々それぞれの視点からの物語になっています。

 作者は、本作の冒頭の短編「ミクマリ」が「R‐18文学賞大賞」を受賞した際に、「賞を貰ったらどんどん書かなければだめよ」と人から言われて、この連作を仕上げたそうですが、最初から計算されていたかのような見事な繋がりで、上手いとしか言いようがありません。

 最初の「ミクマリ」は、男性が書いたと言われてもそうかと思ってしまうような、リアリティに満ちた男子高校生の目線で、かつ骨太でスピード感がありましたが、連作を読み進むにつれて、女性らしい皮膚感覚が行間に滲んでいるのが感じられました。

 4人目の物語、貧乏団地に住む高校生の良太の物語「セイタカアワダチソウの空」も良かったです。と、それまで、若妻や高校生など、比較的若年層の視点で描かれていたのが、最後の「花粉・受粉」でいきなり卓巳の母の視点になっておやっと思いましたが、"性欲"→"セックス"→"出生"ということでちゃんと環になっていた―しかも、最後は"家族の再生"のような話で、全体を通して描写はどろどろしているのに、読後感は爽やかでした。

 映画化されて、「性欲、炎上、貧困、団地、出産。日常のシーンから生命の愚かさと美しさを描いた紛れもない名作」というキャッチがついたけれど、個人的には、大江健三郎ではないですが、「恢復(かいふく)する家族」の物語のように思えました。

 【2012年文庫化[新潮文庫]】

ふがいない僕は空を見た ド.jpgふがいない僕は空を見た 09.jpg2012年映画化「ふがいない僕は空を見た」
監督 タナダユキ
脚本 向井康介
原作 窪美澄
出演者 永山絢斗/田畑智子/原田美枝子

「●な行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1148】 根本 敬 『真理先生
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

いろいろ批判や矛盾点はあるかもしれないけれど、「巧いなあ~」と。

沼田 ユリゴコロ1.png 沼田 ユリゴコロ 2.png   
ユリゴコロ』(2012/04 双葉社)「ユリゴコロ」2017年映画化(出演・吉高由里子・松坂桃李・松山ケンイチ)

 2011(平成23)年・第14回「大藪春彦賞」受賞作。2012年・第9回「本屋大賞」第6位。

 不慮の事故で母親を失い、父親も末期の癌に侵されていることを知った亮介は、実家の押入れで「ユリゴコロ」と名付けられた古びたノートを偶然見つけるが、そこに記されていたのは、殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白だった。創作なのか、或いは事実に基づく手記なのか、そして書いたのは誰なのか。謎のノートは亮介の人生を一変させる驚愕の事実を孕んでいた―。

 「本屋大賞」で6位かあ。巧いなあと思いました。途中で先が読めたという人もいるけれど、自分には、話が一旦は一段落したかのように思えた後の、最後の展開は全く予想がつきませんでした。

 手記の主が衝動殺人に至る動機が、描写からはよく伝わってこないとか色々と批判はあるかも知れませんが、まあこの辺りはどちらかと言えばホラーサスペンス系で、純文学じゃないんだし、個人的には、「道尾秀介」作品みたいに心理描写に凝らなくてもいいのではと思いました(むしろこの場合、あまり凝らない方がいいのではと)。

 主人公・亮介が、この手記は両親のどちらが書いた小説か何かだろうと考えつつ、内容が現在の自分の家族と通じる部分があり、更に、幼い頃に自分の母親が入れ替わってしまったような記憶があるために疑心暗鬼を深め、不安を駆り立てられる心情の描写などは、むしろ簡潔にして巧みと言えるのでは。

 一番気になったのは、最初の頃の殺人と最後の方の「必殺仕置人」的(?)な殺人が、あまりに質が異なり、繋がらなさ過ぎるという点で、まあ、そうした幾つかの矛盾点を抱えながらも、力技で「救い」のある結末に持っていき、それでいて「こんなの、ありか」と思わせる前に、「巧いなあ~」と思わせてしまうのは、やはり相当の力量なのかも。

 「湊かなえ」作品のように、出てくる人が誰も彼も悪意に満ちているといったこともなく、むしろ"感動物語"と言えるかどうかはともかく、ほっとさせられるような結末になっていて、そうなると今度は、最初に殺された子どもやその親は報われないんじゃないかという見方もあるかも知れませんが、こうしたお話で倫理とか道徳とか言い始めると、楽しめないんだろうなあ。

 概ね気持ち良く騙されたということで、星4つ、としたいところですが、やはり、まるで別人格になった人間が、「平然と人を殺せる」という特質だけ保持していることの不自然さから、星半個マイナス。

【2014年文庫化[双葉文庫]】

「●よ 横山 秀夫」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●よ 横山 光輝」【3125】 横山 光輝 『鉄人28号 原作完全版
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

組織及びそこに属する人間の生々しい縮図、終盤の畳み掛けるような展開で一気に読ませる。

64 ロクヨン.jpg 64 ロクヨン 1.jpg64(ロクヨン)64 ロクヨン2.jpg

 2012 (平成24) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2013 (平成25) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。2014 (平26) 年「ミステリが読みたい!」(国内編)第2位。雑誌「ダ・ヴィンチ」の2013年上半期「BOOK OF THE YEAR」一般小説ランキング部門1位。2013年・第10回「本屋大賞」第2位。

 D県警の広報が記者クラブと加害者の匿名問題で対立する中、昭和64年に起きたD県警史上最悪の重要未解決事件「翔子ちゃん誘拐殺人事件」通称「64(ロクヨン)」の時効が迫り、警察庁長官による視察が1週間後に行われることが決定するが、長官視察を巡って刑事部と警務部は対立状態に突入、一方、事件の遺族は長官慰問を拒んでいる。刑事部と警務部の鉄のカーテンの狭間に落ちた広報官・三上義信は己の真を問われる―。

 著者7年ぶりの長編は、デビュー作品集『陰の季節』から連なる「D県警」もので、今回の主人公は、D県警広報官三上義信46歳。若い頃1年だけ広報室にいて、あとはずっと刑事部で働き、捜査二課で実績を築いてきたのが、20年ぶりに広報に出戻り勤務になっているという設定です。

 おおよそ650ページの長編ですが、一気に読ませる筆力はさすがです。前半から中盤にかけては、広報と記者クラブの対立と併せて、D県警内の刑事部と警務部は組織としての権力抗争、自らの出世や地位保全を狙って画策に走る個々人、飛び交う怪文書情報、といった具合で、本人たちにとっては大事なんだろうけれど、外部から見れば所詮コップの中の戦争ではないかと思えなくもないものの、ついつい引き込まれてしまうのは、企業組織などに属したことがある身には、そこに組織及びそこに属する人間の生々しい縮図が見て取れるためでしょう。

 終盤から一気に事件の展開は加速し、それまで引っ張ってきた分、この"畳み掛け"感は効いている感じ。但し、カタルシス効果という面で、どうなんだろうか、この結末は。主人公の娘が行方不明になっているという状況も、完全に宙に浮いたままの終わり方になっているし。でも、丁度10年前に、同じく「週刊文春ミステリー ベスト10」と「このミステリーがすごい」で共に1位になった『半落ち』よりは面白かったように思います。

 当初、版元のサイトでのあらすじ紹介で、物語の終盤にならないと判明しないことが最初の1、2行の内に書かかれていて、これはミステリのあらすじ紹介としてはマズイよなあと思ったけれど、後で削ったようです。

【2015年文庫化[文春文庫(上・下)]】

NHK土曜ドラマ「64(ロクヨン)」['15年(全5回)]主演:ピエール瀧(テレビ初主演)(2015)/映画「64(ロクヨン)」(前編・後編)主演:佐藤浩市(2016)
64 ドラマ.jpg映画64.jpg

「●み 三浦 しをん」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2166】 三浦 しをん 『まほろ駅前狂騒曲
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●あ行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「●「毎日映画コンクール 日本映画大賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「報知映画賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「日刊スポーツ映画大賞 作品賞」」受賞作」の インデックッスへ 「●「日本映画批評家大賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「芸術選奨新人賞(監督)」受賞作」の インデックッスへ(石井裕也)「●宮﨑 あおい 出演作品」の インデックッスへ 「●小林 薫 出演作品」の インデックッスへ 「●池脇 千鶴 出演作品」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ

力のある作家がしっかり取材して書いた作品。素直に上手だなあと思った。

舟を編む10万.jpg舟を編む30万.jpg 
舟を編む』(2011/09 光文社) 「舟を編む」2013年映画化(監督:石井裕也/主演:松田龍平・宮﨑あおい・オダギリジョー)

 2012(平成24)年・第9回「本屋大賞」第1位作品。

 大手出版社・玄武書房の営業部に勤務する馬締(まじめ)は、営業部では変人としてお荷物扱いだったが、辞書編集一筋の荒木に後任として見込まれ辞書編集部に異動、言葉の捉え方における鋭い天性を発揮し、新しい辞書『大渡海』の編纂にのめり込んでいく。定年後嘱託として勤務する荒木や日本語研究に人生を捧げる老学者の松本先生、チャラいが外回りに才能を発揮する西岡、ファッション誌編集部から異動してきたキャリア系の岸辺―問題山積の辞書編集部において、馬締をはじめとするこれらの人々の努力により『大渡海』は完成の日の目を見ることができるのか―。

舟を編む00.jpg 素直に上手いなあと思いました。『まほろ駅前多田便利軒』('06年/文藝春秋)で直木賞を受賞した際に(29歳での直木賞受賞は、平岩弓枝(27歳)、山田詠美(27歳)に続く歴代3位の若さ)、選評で平岩弓枝氏が「この作者の年齢の時、私はとてもこれだけの作品は書けなかった」と一番褒めていたけれど、そこからまた進化した感じ。

 特に、前半の真締と西岡の関係がいい。『まほろ駅前多田便利軒』もそうだけど、男同士の関係を描いて巧み(直木賞選考の際に阿刀田高氏は、作者は男性だと思っていたらしい)。コミカルだけど、『まほろ駅前多田便利軒』に比べると、ギャグ調はむしろ抑え気味ではないかと。

 前半は馬締の香具矢に対する恋物語もあって青春小説のようにもなっていて、前半と後半で十数年の時を置くことで、後半が前半の後日譚のようにもなっている。それでいてダラダラ長くなく、気楽に読めるエンタテインメントに仕上がっているし、前半部では西岡を、後半部では岸辺の眼を通して、真締を主として「見られる側」の存在として描いているのも成功していると思いました。

 辞書が編まれるように、馬締、香具矢、荒木、松本先生、西岡、岸辺といった登場人物の人生が編まれていく―今時、全ての辞書がこうした編纂のされ方をしているのかという疑問も残りましたが、普通は小説の主人公にはならないような人たちに着眼したこと自体が一つの成功要因。そのうえで、もともと力のある作家がしっかり取材して書いた作品とみていいのではないでしょうか。

映画「舟を編む」1.jpg映画「舟を編む」2.jpg(●2013年に石井裕也監督、松田龍平主演で映画化され、第37回日本アカデミー賞で最優秀作品賞をはじめ6部門の最優秀賞を受賞、石井裕也監督は芸術選奨新人賞も受賞したほか、主演の松田龍平をはじめとするキャストやスタッフも多くの個人賞を得た。原作では年代を特定していないが、映画では松田龍平演じる主人公・馬締が辞書編集部に配転になったのが1995年で、原作で後日譚として扱われている部分が船を編む_n.jpg舟を編むeb.jpg舟を編む2d.jpgその12年後となっている。細部での改変はあるが、全体としては原作のストーリーを比較的忠実に追っている感じで、松田龍平、宮﨑あおい、オダギリジョー、黒木華といった若手の俳優陣も頑張っているが、加藤剛、小林薫、伊佐山ひろ子、八千草薫といったベテランが脇を固めているのが大きく、特に、加藤剛の「先生」は印象的だった。そもそも、原作が、その後数多く世に出た"お仕事系"小説のどれと比べても優れているため、原作の良さに助けられている部分もあるが、少なくとも原作の持ち味を損なわずに活かしているという点で良かったと思う。)


舟を編む 映画.jpg舟を編む_l.jpg「舟を編む」●制作年:2013年●監督:石井裕也●プロデューサー:土井智生/五箇公貴/池田史嗣/岩浪泰幸●脚本:渡辺謙作●撮影:藤澤順一●音楽:渡邊崇●時間:133分●出演:松田龍平/宮﨑あおい/オダギリジョー/黒木華/渡辺美佐子/池脇千鶴/鶴見辰吾/伊佐山ひろ子/八千草薫/小林薫/加藤剛/宇野祥平/森岡龍/又吉直樹/斎藤嘉樹/波岡一喜/麻生久美子●公開:2013/04●配給:松竹=アスミック・エース(評価:★★★★)
 
【2015年文庫化[光文社文庫]】

「●た行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【591】 高橋 和巳 『邪宗門
「●「日本推理作家協会賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

細かいところでケチをつけたくなるが、基本的には"力作"エンタテインメント。

ジェノサイド 高野和明2.jpgジェノサイド 高野和明1.jpgジェノサイドb.jpg  
ジェノサイド』(2011/03 角川書店)

 2012(平成24)年・第65回「日本推理作家協会賞」(長編及び連作短編集部門)、第2回「山田風太郎」各受賞作。2011 (平成23)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)、2012(平成24)年「このミステリーがすごい!」(国内編)共に第1位(2012年・第9回「本屋大賞」2位、2012年「ミステリが読みたい!」国内編・第4位)。

 急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが―。(Amazonより引用)

 殆ど先入観無しで読み始めたため、最初はフレデリック・フォーサイスの『戦争の犬たち』のような傭兵モノかと思いましたが、新人類の出現がストーリーの核になっていて、SFだったのかと...。但し、「人類史における大量殺戮は人間そのものの性によるものなのか」というテーマに加え、薬学や生命学、或いは軍事や兵器、ピグミーの生活などについてマニアックなくらい色々調べ込んでいるみたいで、そうしたテーマ並びに豊富な情報の醸す重厚感はありました。

 現生人類を超える種の誕生ということについても、人類進化の大きな区切りが、2500万年前(類人猿の誕生)、150万年前(直立二足歩行の原人類ホモ・エレクトズの誕生)、20万年前(ネアンデルタール旧人類の誕生)、4万年前(言語の使用)、5千年前(文字の発明)というように一桁ごとに短くなる非連続で起きていて、類人猿→原人類間が2000万年以上もかかったのに、原人類→旧人類間が200万年程度、旧人類→新人類間が15万年とスパンが短くなっていて、新人類が誕生して現代までが5万年ということを考え合わせると、そろそろ「新・新人類」が出てきてもおかしくないという見方もできます。

 Amazonのレビューなどを見ると、すぐに銃で人を殺そうとする日本人が出てくるなど、日本人を悪く描いているようで気に入らないとか、作者の人種的偏見が作中人物に反映されているとかいたもののありましたが、個人的には、どちらかと言うと日本人だけをよく描こうとはしていないことの結果で、それほど偏っているようには思いませんでした。

 歴史観的にも、南京大虐殺の捉え方などに批判があるようですが、個人的にはむしろジンギスカンを殺戮者の代表格として扱っているのがやや疑問。モンゴル帝国は宗教的宥和策をとったからこそあれだけ版図拡大が可能だったわけで、これはオスマン帝国についても言えることであり、宗教戦争について言えば、ヨーロッパ人の方がよほど殺戮を繰り返してきたのではないかな。

 ストーリーの流れとしては、細部を諸々マニアックに語り過ぎて、前半は話の流れそのものが緩慢な感じがしましたが、中盤から後半にかけては、東京、アメリカ、コンゴで起きていることが連動して、畳み掛けるような感じでテンポは悪くなかったかなあと。

 ただ、プロット的にちょっと理由付けが弱いのではないかと思われる部分があり、例えば、核コントロールに用いている暗号を解読される恐れがあるという理由だけで新人類を駆逐しようとするかなあ。新人類が近親交配の劣勢遺伝を取り除くために創薬ソフトを開発するというのもあまりピンとこないし、そのソフトが、難病の子の命を救うことにもなるというのもご都合主義のように見えてしまいます。

 イエーガーの難病の息子に対する思い入れは分かるけれども、古賀研人のたまたま病院で見かけた難病の女の子に対する思い入れは、やや強引と言うか安易な印象も受けました。同じ病気の子どもは他にも大勢いるでしょう。この子だけ、たまたまタイムリミットがこのお話の展開に合致したということ?

 世間一般の評価が高いだけに、逆に見方が厳しくなってしまうというのはあり、細かいところでケチをつけましたが、基本的には、エンタテインメントの"力作"であると思います。

 この作品の新人類って、映画「E.T.」の宇宙人を彷彿させるね。あっちは植物学者で、こっちは単なる子どもだけど、その知能は確かに現生人類を遥かに凌駕している。一個体でこれだけスゴイ能力を有するとなると、新人類の99%が大量殺戮など決して思いつきもしない平和主義者であっても、1%でも破壊主義的な性質を持った'変種'がいれば、その1%によって簡単に種そのものを絶滅に追い込むことが出来てしまうのではないかな。以前、「理科室でも作れる原子爆弾」という話題がありましたが、進み過ぎた文明というのは、あまり長続きしない気がするなあ。

 【2013年文庫化[角川文庫(上・下)]】

「●は行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2375】 東山 彰良 『
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「謎解きはディナーのあとで」)

ミステリとして物足りないがコミカルな味付け。中高生向きと思えばまあまあかも。

『謎解きはディナーのあとで』2.jpg『謎解きはディナーのあとで』1.jpg
謎解きはディナーのあとで』(表紙イラスト:中村佑介)

 2011(平成23)年・第8回「本屋大賞」第1位作品。

 アパートの一室で女性が殺され、殺害場所は彼女が住んでいる部屋で、首を絞めて殺されていた。奇妙なのはその格好で、うつ伏せに倒れた状態でリュックを背負い、足にはブーツを履いていた。玄関から部屋までブーツの足跡はなく、死後、何者かによってブーツを履かされた様子もない―(第1話「殺人現場では靴をお脱ぎください」)。

 ミリオンセラーでTVドラマ化もされたため、その内容は多くの人の知るところですが、国立市を舞台に、世界的な企業グループの令嬢で、新人刑事の宝生麗子が遭遇した難事件を、彼女の執事・影山が、現場を見ずとも概要を聞くだけで推理し、解決するというパターンの連作(今年['13年]8月に映画にもなるらしい)。

 執事・影山が「安楽椅子探偵」の変形バージョンになっているわけで、本格ミステリとしてはかなり物足りないけれどコミカルな味付けもあって、普段あまり推理小説を読まない女性層をターゲットに書かれたとのことで、ナルホド、そうしたマーケティング戦略だったのかと(中学生がターゲットかと思った...)。

 いずれにしろ読み易いですが、このライト感はやはり、普段あまり本を読まない中学生から高校生ぐらいに読んでもらうのに丁度いいのではと、マトモにそう思いました(男女の話も出てくるけれど、そんなの普段からTVドラマでさんざん観ている?)。

 パターンが決まっていているところに安定感があり、却って趣向を変えてそのパターンをはずれると(例えば「花嫁は密室の中でございます」みたいに、執事・影山が現場にいたりすると)あまり面白くなくなるというのは、「刑事コロンボ」のようなTVドラマシリーズになっている推理モノに通じるところがあります。

『謎解きはディナーのあとで』tv.jpg Amazon.comのレビューの平均評価を見ると、星2つと厳し目。大体において話題作は厳し目の評価になるけれど、初めから中・高校生向けと思えばそこまでいかなくとも星3つぐらいはあげてもいいのかな(「中高年」向きではない)。小学生の読書することを楽しむ習慣の入口になるかも。

 ネタバレになるけれど、冒頭の、紐ブーツ履いたまま洗濯物を取り込みに行く―なんて、ありそうな話。何だか、この部分だけがやけにリアルに感じられました。

2013年8月2日TVスペシャルドラマ版予告

「謎解きはディナーのあとで」●演出:土方政人/石川淳一/村谷嘉則●制作:伊與田英徳/中井芳彦●脚本:黒岩勉●音楽:菅野祐悟●原作:東川篤哉●出演:櫻井翔/北川景子/椎名桔平/野間口徹/中村靖日/岡本杏理/田中こなつ●放映:2011/10~12(全10回)●放送局:フジテレビ

【2012年文庫化[小学館文庫]】

「●か行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev| NEXT ⇒ 【574】 京極 夏彦 『どすこい(仮)
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ「●海外のTVドラマシリーズ」の インデックッスへ(「デクスター~警察官は殺人鬼」)「●シャーロット・ランプリング 出演作品」の インデックッスへ(「デクスター~警察官は殺人鬼」)

状況が加速するにつれてリアリティが後退し、イマイチ入り込めなかった。

悪の教典 1.jpg 悪の教典2.jpg 映画 悪の教典.jpg デクスター.jpg
悪の教典 上」「悪の教典 下」  映画「悪の教典」(2012年/東宝) 監督:三池崇史、主演:伊藤英明 「デクスター ~警察官は殺人鬼」
貴志 祐介 『悪の教典 (上・下)』.bmp 2010(平成22)年・第1回「山田風太郎賞」(角川文化振興財団、角川書店主催)受賞作。2010 (平成22) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2011 (平成23) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。2011年版「ミステリが読みたい!」国内編・第2位。

 暴力生徒やモンスターペアレント、集団カンニングに、淫行教師など様々の問題を抱える私立高校に勤める蓮実聖司は、有能で生徒からの人気も高かったが、実は彼の本性は、自分に都合の悪い人間を次々と抹殺していくサイコ・キラーだった―。

 ―ということだったのだなあ。何ら先入観無しで読み始めたので、最初は、学校の諸問題をあらゆる手段で解決していくマキャベリストの話かと思ったけれども、そうではなく、単なる殺人鬼でした。

 それでも前半部分は、学校内の教師間、教師と生徒間の人間関係のダイナミクスが旨く書けているように思え、サスペンスとしてもまあまあの滑り出しのように思えました。

 しかし、主人公のシリアルキラーぶりが昂進し、殺人が大量殺戮へと加速していった途端に、現実感が希薄になり、あとはゲームの世界のような感じで、イマイチ入り込めませんでした(「他人に共感出来ない」というだけで、これだけ殺すかなあ)。

デクスター2.jpg 同じくシリアルキラーを描いた、海外ドラマ「デクスター~警察官は殺人鬼」のマイケル・C・ホール演じる主人公のデクスターは、優秀な鑑識官でありながら自らの殺害欲求を抑えられない、これもまたサイコパスですが、法では裁き切れない凶悪犯を次々と殺害していくという点では、世の役に立っている?

「デクスター~警察官は殺人鬼」.jpg マイケル・C・ホールは、これ、ハマり役。主人公の複雑な内面も、「デクスター」の方がよく描けているように思えます(海外ドラマ、意外と侮れない)。

デクスター.jpg「デクスター ~警察官は殺人鬼」 Dexter (Showtime 2006~2013) ○日本での放映チャネル:FOX CRIME (2007~2013)
「デクスター」しゃーロット・ランプリング.png (シーズン8)シャーロット・ランプリング(サイコパス研究家エブリン・ボーゲル博士)[計10話出演]/マイケル・C・ホール

【2012年文庫化[文春文庫(上・下)]】

「●あ行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2592】 小川 糸 『ツバキ文具店
「●「吉川英治文学新人賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

前半がいい。「算法勝負」が面白かった人には、遠藤寛子氏の『算法少女』もお奨め。

1天地明察.png 天地明察2.jpg  算法少女 文庫.jpg   天地明察 dvd.jpg
天地明察』(2009/12 角川書店)   遠藤寛子『算法少女 (ちくま学芸文庫)』 「天地明察 [DVD]2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮﨑あおい)

 2009(平成21)年・第31回「吉川英治文学新人賞」及び2010年(平成22)・第7回「本屋大賞(大賞)」受賞作。2010年度・第4回「舟橋聖一文学賞」及び2011(平成23)年・第4回「大学読書人大賞」も受賞。

 徳川4代将軍家綱の時代、碁打ちの名門・安井家に生まれながら安穏の日々に倦み、囲碁よりも算術の方に生き甲斐を見出していた青年・安井算哲(渋川春海)だったが、老中・酒井雅楽頭にその若さと才能を買われ、実態と合わなくなっていた日本の暦を改めるという大事業に関わることになる―江戸時代前期の天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ・1639‐1715)が、日本の暦を823年ぶりに改訂する事業に関わっていく過程を描いた作品。

 江戸時代の算術という興味深いモチーフで、それでいて、すらすらと読める平易な文章であり(会話が時代小説らしくない?)、その上、主人公が22年かけて艱難辛苦の末に大事業を達成する話なので読後感も爽快、「本屋大賞」受賞も頷けます(上野の国立科学博物館で、今年('10年)6月から9月まで、渋川春海作の紙張子地球儀、紙張子天球儀を特別公開しているが、「本屋大賞」を受賞のためではなく、それらが1990年に重要文化財に指定されてから20周年、また今年が時の記念日(6月10日)制定90周年に当たることを記念したものとのこと)。

 この作品は、特に前半部分が、春海やその周辺の人々が生き生きと描かれているように思えました。
 ただ、中盤になると史料に記されていることの引用が多くなり、この話が"史実"であると読者に印象づけるには効果的なのかもしれませんが、小説的な膨らみが小さくなって、登場人物達の人物像の方もややぼやけた感じがしました。
 それでも終盤は、和暦(大和暦)の完成に向けて、また、エンタテインメント小説らしく盛り上がっていったという感じでしょうか。

○ 冲方 丁 『天地明察』.jpg この史料の読み込みについては、学者から、関孝和の暦完成への関わり度などの点で偏りがあるとの指摘があるらしいです。
 関孝和が春海の大和暦完成にどれだけ関わっていたかは結局よくわからないわけで、関孝和の大天才ぶりを描くと共に、作者なりの憶測を差し挟むのは、学術書ではなく小説なのだからいいのではないかという気もしますが、参照の程度や方向性によっては、巻末に参考文献として挙げるだけでなく、その著者の了解を直接とった方が良かったのかも。でも、普通、そこまでやるかなあ。

 それにしても、これが作者初の時代小説というから凄い才能!
この小説で一番面白かったのは、やはり個人的には前半の「算法勝負」でした。

 この部分が特に面白く感じられた読者には、遠藤寛子氏の『算法少女』('73年/岩崎書店、'06年/ちくま学芸文庫)などがお奨めです(江戸時代の算術家を扱った小説はまだ外にもあり、この作品が最初ではない)。

天地明察
 

天地明察 映画 01.jpg天地明察 映画 02.jpg「天地明察」2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮﨑あおい)

【2012年文庫化[角川文庫(上・下)]】

「●ひ 東野 圭吾」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1459】 東野 圭吾 『カッコウの卵は誰のもの
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「新参者」)

江戸の匂いの残る日本橋を背景にした人情話を堪能。ベースにある推理作家としての力量。

新参者 東野.jpg 新参者.jpg新参者』['09年] 新参者 ドラマ.jpg ドラマ「新参者」

 日本橋のマンションで、三井峯子という45歳の女性が絞殺死体で見つかった事件で、日本橋署に着任したばかりの刑事・加賀恭一郎は、今もって江戸の匂いの残る日本橋・人形町の店々を、丹念に聞き込みに歩き回る―。

 加賀恭一郎シリーズの8作目で、宝島社の「このミステリーがすごい!(2010年版)」と週刊文春の「2009ミステリーベスト10(国内部門)」の両方で1位になった作品。

 加賀にとって日本橋は未知の土地であり、よって「新参者」ということなのですが、加賀が聞き込みに回った先々の様子が、「煎餅屋の娘」「料亭の小僧」「瀬戸物屋の嫁」...とオムニバス構成になっていて、下町の情緒やそこで暮らす人々の人情の機微がふんだんに織り込まれているのが楽しかったです。

 更に、聞き込みを通して浮き彫りになる親子間、夫婦間の齟齬や、表向きは反目しあっているようで実は互いに通じ合っている親子、嫁姑の関係などを加賀が鋭く嗅ぎ取り、事件の核心に迫りつつ、そうした溝も埋めていくという、加賀刑事がちょっと出来すぎという感じもなくもしなくはないですが、心にじわっとくる仕上がりになっています。

 核心となる事件の方が大したトリックもなく凡庸であるため、むしろそちらの人情譚の方ににウェイトが置かれていると言ってもいい感じですが、この作者の近作は、「理屈」より「情」に訴えるものの方が個人的には合っているような気がして、この作品もその1つ、大いに堪能できました。

 それにしても、1つの町を背景にした各シークエンスにこれだけの登場人物を配して整然と章立てし、しかも、加賀が登場人物たちの人間関係をも修復してしまう過程もミニ推理仕立てになっているという構成は、やはり作者の推理作家としての技量が並々ならぬものであることを感じさせます。

新参者 日曜劇場.jpg '10年4月からTBSの日曜劇場で連続ドラマ化されましたが、原作に比較的忠実に作られているように思いました。

 役者陣の演技力にムラがあるように思いましたが(ムラがあると言うより、黒木メイサだけが下手なのか)、所謂、新進俳優をベテランが脇で支えるといったパターンでしょうか。原作の良さに救われている感じでした。ただ、阿部寛が演じる加賀恭一郎は、ちょっとスマート過ぎるような気がしました。原作の加賀は、もっと泥臭くてあまり目立たない感じではないかなあ。まあ、阿部寛は何を演じても阿部寛であるようなところはありますが。


「新参者」 tbs.jpg新参者s.jpg「新参者」●演出:山室大輔/平野俊一/韓哲/石井康晴太●制作:伊與田英徳/中井芳彦●脚本:牧野圭祐/真野勝成●音楽:菅野祐悟●出演:阿部寛/黒木メイサ/向井理/溝端淳平/三浦友和/木村祐一/泉谷しげる/笹野高史/原田美枝子●放映:2010/04~06(全10回)●放送局:TBS

【2013年文庫化[講談社文庫]】

「●よ 吉田 修一」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1911】 吉田 修一 『太陽は動かない
「●「柴田錬三郎賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

偶然巡り合った人と青春のある時期を共有したことの重みを感じさせてくれる話。

横道世之介.jpg 『横道世之介』['09 年]

 2010(平成22)年度・第23回「柴田錬三郎賞」受賞作。

 80年代、長崎から東京へ出てきた来た18歳の横道世之介は、大学に入って偶然できた仲間が縁でサンバサークルに入ってしまい、先輩から紹介されて新宿のホテルでアルバイト、同級生についていった自動車教習所で彼女ができる―、名前通り横道にふらふら逸れながらも、少しずつ成長して行く世之介の1年を描いた青春小説。

 上京学生の物語ということで、夏目漱石の『三四郎』を想起させる面もありますが、漱石の頃の東大生と現代ののフツーの大学生では、その稀少度において月とスッポンの違いがあると思われ、実際、学生の世之介自身にそんな青雲の志といった大仰な気負いは感じられません。

 世之介の性格はどちらかというと不器用な方で、素直で純朴、思慮深く行動するタイプでは無く、気持ちだけは前向きなのですが、実際にはむしろ周囲に流されていることの方が多いという、平凡といえば平凡な男子(草食系?)、それが、読み進むにつれて、じわーっといいキャラ感を出していくように思えました。

 その世之介の学生生活1年目に、彼と偶然に接触があった人物達の、約20年後の、40代を目前にした現在の暮らしぶりが物語の中に挿入されていて、大方がごく平凡な社会人になっていますが、その誰もが、世之介のことを懐かしく、また愛しく思い出しています。

 世之介が20年後の今、そうした旧知の人々からある意味"ヒーロー視"されているのには、ある出来事が関係していますが、世之介ならそうした行動をとってもおかしくないと人々に思わせ、そんな世之介と青春の一時期を過ごせたことに感謝の念を起こさせるような、そんな慕われ方です。

 毎日新聞の夕刊に連載されたものですが、朝日新聞の夕刊に連載された『悪人』とはうって変わって、「青春小説」としてのプロセスはコミカルで明るく、個人的には、祥子ちゃんのお嬢さんキャラが大いに楽しめました(20年後に、この祥子ちゃんが国連職員としてアフリカ難民キャンプで仕事しているのと、千春さんという世之介を魅了した年上の女性がDJになっているのが、やや毛色の変わった進路か)。

 漫画チックとも思える遣り取りもありますが、物語が浮いた感じにならないのは、登場人物の行動に一定のリアリティがあると共に、当時の風俗がよく描かれているためではないかと。
 世之介が入った大学入った年は1987(昭和62)年と思われ、『サラダ記念日』がベストセラーとなり、「ラストエンペラー」「ハチ公物語」といった映画が公開され、大韓航空機事件が起きています(株式や土地価格が騰貴して「バブル」という言葉が流行ったのも、「ボディコン」という言葉が生まれたのもこの年)。

 こういう若者風俗を描いたらこの作家はピカイチですが、それが、過剰にならない程度に織り込まれているのがいいです。
 エンタテインメント性を保ちつつ、偶然巡り合った人と青春のある時期を共有したことの、人生における潜在的な重みを感じさせてくれるお話でした。

【2012年文庫化[文春文庫]】
横道世之介 映画 01.jpg横道世之介 映画 02.jpg横道世之介ード.jpg「横道世之介」2013年映画化(沖田修一:監督/高良健吾・吉高由里子:主演)

「●お 小川洋子」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●お 奥田 英朗」【567】 奥田 英朗 『空中ブランコ
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●さ行の外国映画の監督①」の インデックッスへ 「●「カンヌ国際映画祭 パルム・ドール」受賞作」の インデックッスへ(「ブリキの太鼓」)「●「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 外国語映画賞」受賞作」の インデックッスへ(「ブリキの太鼓」)「●「アカデミー国際長編映画賞」受賞作」の インデックッスへ(「ブリキの太鼓」) 「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ ○ノーベル文学賞受賞者(ギュンター・グラス)

限りある生を超え、"伝説"として人々の記憶に生き続ける―芸術家の究極の姿か。

猫を抱いて象と泳ぐ.jpg  『ブリキの太鼓』(1979)3.jpg ブリキの太鼓.jpg
猫を抱いて象と泳ぐ』(2009/01 文藝春秋) 映画「ブリキの太鼓 HDニューマスター版 [DVD]

 唇が閉じて生まれ、切開手術で口を開いたという出生の経緯を持つ寡黙な少年は、体が大きくなりすぎて屋上動物園で生涯を終えた象と、壁の隙間に挟まり出られなくなった女の子を架空の友とし、7歳で廃バスにポーンという名の猫と暮らす巨漢の男と遇って、彼を師匠にチェスを習い、その才能を開花させる。男が象と同様にその巨体のために亡くなると、彼は自らの意思で11歳のまま身体の成長を止め、名棋士アリョーヒンに因んでリトル・アリョーヒンと名づけられたチェスのカラクリ人形の中に入り、人知れず至高の対戦を繰り広げる―。

 2009(平成11)年度「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」第2位。2010(平成22)年・第7回 「本屋大賞」第5位。同作者の『博士の愛した数式』('03年/新潮社)が"数式"をモチーフにしていたのに対して、今度は"チェス"がモチーフということで、そうした独自の素材が物語にうまく溶け込んでいるという点では、『博士の愛した数式』を凌いでいるかも。

『ブリキの太鼓』(1979).jpg飛ぶ教室 実業之日本社.gif 自らの意思で成長を止めた少年というのは、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』(フォルカー・シュレンドルフ監督の映画「ブリキの太鼓」('79年/西独・仏))の"オスカル少年"のようでもあり、廃バスに住むマスターは、エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』の学校近くの廃車となった禁煙車両に住む"禁煙先生"をも想起させます。

「ブリキの太鼓」('79年/西独・仏)

 個人的には『博士の愛した数式』のような母子モノの話には感動させられ易いのですが、現実を描いている風でありながら大人のメルヘン的要素を醸した『博士の...』に比べると、こちらは、最初から「物語」乃至「寓話」であることがフレームとして読者の前に提示されている感じで、いったん物語の中に入り込めてしまえば、よりすんなり感動できるかも知れません(実際、感動した。自分は「母子モノ」に弱いと言うより、このタイプの「小川作品」に弱いのかも)。

 主人公の師匠である巨漢男だけでなく、優しい祖母や老人ホームに住まう往年の名プレーヤーたちなど、印象に残る登場人物が多く、彼らはやがて死んでいきますが、それぞれに生きている者の中に記憶として生きていると言えます。
 そして、主人公の最期もまたあっけないものですが、彼は"伝説"として人々の記憶に生き続けることになる―、ある意味、人間の限りある生を超えられるものは何かを問いかけるような作品でもあります。

 主人公はチェスプレーヤーですが、「ビショップの奇跡」と呼ばれる1枚の棋譜と1葉のスナップ写真のみを残したその生き方は、芸術家の究極の姿でもあるように思えました。
 そのことは、「もし彼がどんな人物であったかお知りになりたければ、どうぞ棋譜を読んで下さい。そこにすべてのことが書かれています」という、この作品の最後のフレーズにも象徴されているかと思います。

Bobby Fischer.jpgBOBBY FISCHER 2.jpg 実際、チェスの世界は伝説的な話には事欠かないようで、'08年にアイスランドで亡くなったボビー・フィッシャー(米国)みたいに、何度も世界チャンピオンになりながら何度も消息不明になった人などもいて、ボビー・フィッシャーの再来といわれた天才少年ジョシュ・ウェイツキンを主人公にした「ボビー・フィッシャーを探して」('93年/米)という映画も作られるなどしました(Photo:Bobby Fischer: (1958)He wins US Chess Championship at age 14)。

羽生善治.jpg ボビー・フィッシャーは日本に潜伏していた時期もあったらしく、無効パスポート保持で成田で拘束されたこともあり、米国に強制送還される恐れがあったため、チェスが"趣味"の羽生善治氏が、彼に日本国籍を与えるよう当時の小泉首相に嘆願メールを出したということもありました。

チェス部が小川洋子氏の取材を受ける.jpg 作者が取材した麻布高校のチェスサークルは、在学中に全日本チャンピオンとなり、'08年度まで4年連続タイトルを保持した小島慎也氏('09年度は、アイルランドのIM(インターナショナル・マスター)サム・コリンズに敗れ準優勝だった)の出身サークルでもありますが、小島氏に言わせれば、日本チェス界で一番強いのは羽生善治であるとのこと、羽生は主に海外で対局していて、国際レイティングは今も('09年)日本人トップで、羽生を倒せるようになるのが"全日本チャンピオン"の座に4度輝いた小島氏の目標だそうです(羽生ってスゴイなあ。まるで、生ける"伝説"みたいな感じ...)。

 「ボビー・フィッシャーを探して」('93年/米)と同様、チェスの世界大会を舞台にした映画では、カール・シュンケル監督の「美しき獲物」('93年/米・独)があり、チェスの世界選手権に絡んで起きた猟奇殺人事件を描くサスペンス・サイコ・スリラーで、ストーリーそのものは悪くないのですが、主演のクリストファー・ランバートとダイアン・レイン(私生活で当時は恋人同士)の2人とも、それぞれに「チェスの天才」にも「女性心理学者」にも見えないのが難、「ボビー・フィッシャーを探して」に出演した子役は賢そうに見えたけれど...。

ブリキの太鼓2.jpgブリキの太鼓 ポスター.jpg「ブリキの太鼓」●原題:DIE BLECHTROMMEL●制作年:1979年●制作国:西ドイツ・フランス●監督:フォルカー・シュレンドルフ●製作:アナトール・ドーマン/フランツ・ザイツ●脚本:ジャン=クロード・カリエール/ギュンター・グラス/フォルカー・シュレンドルフ/フランツ・ザイツ●撮影:イゴール・ルター●音楽:モーリス・ジャール●原作:ギュンター・グラス●時間:142分●出演:ダーフィト・ベンネント/マリオ・アドルフ/アンゲラ・ヴィンクラー/カタリーナ・タールバッハ/ダニエル・オルブリフスキ/ティーナ・エンゲル/ローラント・トイプナー●日本公開:1981/04●配給:フランス映画社●最初に観た場所:有楽町スバル座(81-04-26)(評価:★★★★)

SEARCHING FOR BOBBY FISCHER (1993).jpgボビー・フィッシャーを探して.jpg「ボビー・フィッシャーを探して」●原題:SEARCHING FOR BOBBY FISCHER●制作年:1993年●制作国:アメリカ●監督・脚本:スティーヴン・ザイリアン●製作総指揮:シドニー・ポラック●撮影:コンラッド・ホール●音楽:ジェームズ・ホーナー●原作:フレッド・ウェイツキン●時間:110分●出演:マックス・ポメランツ/ジョー・マンティーニャ/ジョアン・アレン/ローレンス・フィッシュバーン/ベン・キングズレー/マイケル・ニーレンバーグ●日本公開:1994/02●配給:パラマウント映画=UIP (評価★★★☆)

美しき獲物.png美しき獲物 チラシ.jpgKnight Moves (1992).jpg「美しき獲物」●原題:KNIGHT MOVES●制作年:1992年●制作国:アメリカ/ドイツ●監督:カール・シェンケル●製作:クリストファー・ランバート/ジアド・エル・カウリー ●脚本:ブラッド・ミルマン●撮影:ディートリッヒ・ローマン●音楽:アン・ダッドリー●時間:116分●出演:クリストファー・ランバート/ダイアン・レイン/トム・スケリット/ダニエル・ボールドウィン/アレックス・ディアクン/フェルディ・メイン/キャスリーン・イソベル/アーサー・ブラウス●日本公開:1992/11●配給:アスキー(評価★★★)

【2011年文庫化[文春文庫]】

「●よ 吉田 修一」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1359】 吉田 修一 『横道世之介
「●「毎日出版文化賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ「●や‐わ行の日本映画の監督」の インデックッスへ「●「キネマ旬報ベスト・テン」(第1位)」の インデックッスへ「●「毎日映画コンクール 日本映画大賞」受賞作」の インデックッスへ「●「報知映画賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「山路ふみ子映画賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「日刊スポーツ映画大賞 作品賞」」受賞作」の インデックッスへ 「●「芸術選奨(演技)」受賞作」の インデックッスへ(柄本明)「●久石 譲 音楽作品」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ「●妻夫木 聡 出演作品」の インデックッスへ「●柄本 明 出演作品」の インデックッスへ「●井川 比佐志 出演作品」の インデックッスへ「○都内の主な閉館映画館」のインデックッスへ(CINE QUINTO(シネクイント))

面白かった。作者が読者に対して仕掛けた読み方の「罠」が感じられた。

悪人  吉田修一.jpg 悪人 吉田修一.jpg 吉田 修一 『悪人』 上.jpg 吉田 修一 『悪人』下.jpg 映画 「悪人」3.jpg
悪人』['07年]『悪人(上) (朝日文庫)』『悪人(下) (朝日文庫)』['09年] 映画「悪人」['10年](妻夫木聡/深津絵里主演)

 2007(平成19)年・第61回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)並びに2007(平成19)年・第34回「大佛次郎賞」受賞作。

 保険外交員の女性・石橋佳乃が殺害され、事件当初、捜査線上に浮かび上がったのは、地元の裕福な大学生・増尾圭吾だったが、拘束された増尾の供述と、新たな目撃者の証言から、容疑の焦点は一人の男・清水裕一へと絞られる。その男は別の女性・馬込光代を連れ、逃避行を続けている。なぜ、事件は起きたのか? なぜ2人は逃げ続けるか?

 出版社の知人が本書を推薦していたのですが、書評などを読むと、これまでの作者の作品と同様に、人と人の「距離」の問題がテーマになっているということを聞き、マンネリかなと一時敬遠していたものの、読んでみたら今まで読んだ作者の作品よりずっと面白かったし、それだけでなく、作者が読者に対して仕掛けたトラップ(罠)のようなものが感じられたのが興味深かったです。

 最初は、あれっ、これ「ミステリ」なのという感じで、芥川賞作家がミステリ作家に完全に転身したのかと。ところが、真犯人はあっさり割れて、今度は、その清水裕一と馬込光代という心に翳を持つ者同士の「純愛」逃避行になってきて、最後は、裕一が光代をあたかも"犠牲的精神"の発露の如く庇っているように見えるので、これ、「感動的な純愛」小説として読んだ人もいたかも。

 自分としては、清水祐一は「純愛」を通したというより、「どちらもが被害者にはなれない」という自らの透徹した洞察に基づいて行動したように思え、そこに、作者の「悪人とは誰なのか」というテーマ、言い換えれば、「誰かが悪人にならなければならない」という弁解を差し挟む余地の無い"世間の掟"が在ることが暗示されているように思いました。

 馬込光代の事件後の熱から覚めたような心境の変化は、彼女自身も「世間」に取り込まれてしまうタイプの1人であることを示しており、それは、周囲の見栄を気にして清水裕一を「裏切り」、増尾圭吾に乗り換えようとした石橋佳乃にとっての「世間」にも繋がるように思えました(作者自身は、「王様のブランチ」に出演した時、石橋佳乃を「自分の好きなキャラクター」だと言っていた)。

 そうして見れば、増尾圭吾が憎々しげに描かれていて(石橋佳乃の父親が読者の心情を代弁をしてみせて、読み手の感情にドライブをかけている)、清水祐一が彼に読者の同情が集まるように描かれているのも(母親に置き去りにされたという体験は確かに読み手の同情をそそる)、作者の計算の内であると思えます。

 これをもって、本当に悪いのは増尾圭吾のような奴で、清水祐一は可哀想な人となると、これはこれで、作者の仕掛けた「罠」に陥ったことなるのではないかと。
 石橋佳乃の「裏切り」も、その父親の「復讐感情」も、清水祐一の過去の体験による「トラウマ」も、注意して読めば、今まで多くの小説で描かれたステレオタイプであり、作者は、敢えてそういう風な描き方をしているように思いました。

 そうした「罠」の極めつけが、清水裕一と馬込光代の「純愛」で、これも絶対的なものではなく(本書のテーマでもなく)、ラストにある通り、最終的には相対化されるものですが、それを過程においてロマンスとして描くのではなく、侘びしくリアルに描くことで、読み手自身の脳内で「純愛」への"昇華"作業をさせておいて、最後でドーンと落としているという感じがしました。

 時間的経過の中で、人間同士の結ぼれや相反など全ての行為は相対化されるのかも知れない、但し、「世間」はその場においては絶対的な「悪人」を求めて止まないし、同じことが、「純愛」を求めて読む読者にも、まるで裏返したように当て嵌まるのかも知れないという印象を抱きました。

悪人 スタンダード・エディション [DVD]
映画 「悪人」dvd.jpg映画 「悪人」1.jpg(●2010年9月に「フラガール」('06年)の李相日(リ・サンイル)監督、妻夫木聡、深津絵里主演で映画化された。第84回キネマ旬報ベスト・テンの日本映画ベスト・ワンに選ばれ、第34回日本アカデミー賞では、最優秀主演男優賞(妻夫木聡)、最優秀主演女優賞(深津絵里)、最優秀助演男優賞(柄本明)、最優秀助演女優賞(樹木希林)、最優秀音楽賞(久石譲)を受賞。海外では、深津絵里が第34回モントリオール世界映画祭の最優秀女優賞を受賞している。原作者と監督の共同脚本だが、意識的に前半をカットして、事件が起きる直前から話は始まり、尚且つ、回想シーンをできるだけ排除したとのこと。その結果、祐一(妻夫木聡)が一緒に暮らそうとアパートまで借りた馴染みのヘルス嬢の金子美保や、石橋佳乃(満島ひかり)の素人売春相手の中年の塾講師である林完治などは出てこない。そうしたことも含め、主要登場人物のバックグラウンドの描写が割愛されている印象を受けた。加えて、光代を演じた深津絵里と、佳乃を演じた満島ひか映画 「悪人」満島.jpg映画 「悪人」柄本.jpgりの二人の演技派女優の演技の狭間で、主人公である妻夫木聡が演じる祐一の存在が霞んだ。さらに後半、柄本明が演じる佳乃の父や樹木希林が演じる祐一の祖母が原作以上にクローズアップされたため、祐一の影がますます弱くなった。原作者映画 「悪人」4.jpgはインタビューで「やっぱり樹木さん、柄本さんのシーンは画として強かったと思いますね。シナリオも最初は祐一と光代が中心でしたが、最終的に、樹木さんのおばあちゃんと、柄本さんのお父さんが入ってきて、全体に占める割合が大きくなったんですよね。あれは、僕らが最初に考えていたときよりも分量的にはかなり増えていて、自分たちでは逆に上手くいったと思っているんです」と語っている。柄本明は助演でありながら芸術選奨も受賞している(助演では過去に例が無いのでは)。この作品の主人公は祐一なのである。本当にそれでいいのだろうか。李相日監督は6年後、同作者原作の「怒り」('16年/東宝)も監督することになる。

李相日監督/深津絵里/妻夫木聡   深津絵里(モントリオール世界映画祭「最優秀女優賞」受賞)   
深津絵里(第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞).jpg深津絵里 モントリオール世界映画祭最優秀女優賞1.jpg「悪人」●制作年:2010年●監督:李相日(リ・サンイル)●製作:島谷能成/服部洋/町田智子/北川直樹/宮路敬久/堀義貴/畠中達郎/喜多埜裕明/大宮敏靖/宇留間和基●脚本:吉田修一/李相日●撮影:笠松則通●音楽:久石譲●原作:吉田修一●時間:139分●出演:妻夫木聡/深津絵里/岡田「悪人」00.jpg将生/光石研/満島ひかり/樹木希林/柄本明/井川比佐志/宮崎美子/中村絢香/韓英恵/塩見三省/池内パルコスペース Part3.jpg渋谷シネクイント劇場内.jpg万作/永山絢斗/山田キヌヲ/松尾スズキ/河原さぶ/広岡由里子/二階堂智/モロ師岡/でんでCINE QUINTO tizu.jpgん/山中崇●公開:2010/09●配給:東宝●最初に観た場所:渋谷・CINE QUINTO(シネクイント)(10-09-23)(評価:★★★☆)
   
   
   
CINE QUINTO(シネクイント) 1981(昭和56)年9月22日、演劇、映画、ライヴパフォーマンスなどの多目的スペースとして、「PARCO PART3」8階に「PARCO SPACE PART3」オープン。1999年7月~映画館「CINE QUINTO(シネクイント)」。 2016(平成28)年8月7日閉館。


朝日文庫「悪人」新装版.jpg映画 悪人ド.jpg 【2009年文庫化[朝日文庫(上・下)]/2018年文庫新装版[朝日文庫(全一冊)]】 
         
悪人 新装版 (朝日文庫)』新装版(全一冊)['18年]

「●い 伊坂 幸太郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3188】 伊坂 幸太郎 『マリアビートル
「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ「●「このミステリーがすごい!」(第1位)」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ「●「ミステリが読みたい!」(第1位)」の インデックッスへ

面白かった〜。特に後半は息もつかせぬという感じ。現時点での作者の集大成的作品。

ゴールデンスランバー1.jpgゴールデンスランバー.jpg  ゴールデンスランバー3.jpg 
ゴールデンスランバー』(2007/11 新潮社) 2010年映画化(東宝) 

 2008(平成20)年・第21回「山本周五郎賞」受賞作、並びに第5回「本屋大賞」の大賞(1位)受賞作。2009 (平成21) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。 2009(平成21)年・第2回「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)国内編・第1位(他に、「週刊文春」2008年度ミステリーベスト10(国内部門)で第2位)。

 仙台で金田首相の凱旋パレードが行われている時、旧友の森田森吾に何年かぶりで呼び出された青柳雅春は、「おまえは、陥れられている。今も、その最中だ」「金田はパレード中に暗殺される」「逃げろ!オズワルドにされるぞ」といきなり言われ、その時遠くで爆音がして、折しも現れた警官は青柳に向かって拳銃を構えた―。

 面白かった〜。特に後半は息もつかせぬという感じ。エンタテイメントに徹することを試みた書き下ろし作品ということですが、ということは、これまでの作者の作品は"純文学"が入っていたということ?
 それはともかくとして、本作品が直木賞候補になった時点で作者はそれを辞退してしまいましたが、"幻の直木賞候補作" と言うより"幻の直木賞作"そのものと言えるかも。

 日本を舞台としながらも、架空の政治背景を設定し、年代も近未来と過去が混ざったような曖昧なものにしていることで、却ってフィクションの世界に入り込み易かったです。
一方で、細部の描写がキッチリしているし、監視社会の姿や警察・マスコミの対応にもリアリティがあることが、作品の面白さを支えているように思えます。

 逃亡する主人公を助ける面々が、それぞれ立場は異なるものの、ある種の義侠心のようなものに突き動かされて行動していて、古風と言えば古風なパターンですが、いいんじゃないかなあ、この"熱い"雰囲気。

 個人的評価は「星5つ」ですが、強いて難を言えば、後半で或る人物が主人公を導くために現れ、この男のやっていることの事件性の方も考えてみれば本題に劣らずかなり大きいものであることが気になったのと、主人公がマスコミを利用した2つの狙い(「無実の疎明」と「身の安全の確保」)のうち、結局1つしか利用目的を果たしておらず、カタルシス効果としては十全なものになっていないことかなと。

 それでも、これまでの作者の作品の集大成的作品であるとの評判には自分としても全く異論は無く、「星5つ」の評価は変わりません。

「ゴールデンスランバー」映画.jpg映画「ゴールデンスランバー」('10年/東宝)監督:中村義洋 
出演:堺雅人/竹内結子/吉岡秀隆/劇団ひとり/香川照之

 【2010年文庫化[新潮文庫]】

「●み 湊 かなえ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1461】 湊 かなえ 『往復書簡
「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ「●た‐な行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「●「ブルーリボン賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「○都内の主な閉館映画館」のインデックッスへ(CINE QUINTO(シネクイント))

登場人物と等距離を置きながらも突き放してはいない。新人離れした力量。
告白 湊かなえ.jpg 湊かなえ 告白3.jpg 映画「告白」.jpg 
告白』(2008/08 双葉社)/2010年映画化(東宝)出演:松たか子/岡田将生/木村佳乃

 2009(平成21)年・第6回「本屋大賞」の大賞(1位)受賞作で、単行本デビュー作での大賞受賞は同賞では初めて(他に、「週刊文春」2008年度ミステリーベスト10(国内部門)で第1位)。

 愛娘を校内のプールで亡くした公立中学の女性教師は、終業式の日のホーム・ルームでクラスの教え子の中に事件の犯人がいることを仄めかし、犯人である少年A及び少年Bに対して恐ろしい置き土産をしたことを告げ、教壇を去っていく―。

 「小説推理新人賞」(双葉社の短編推理小説を対象とした公募新人文学賞)を受賞した第1章の「聖職者」は女性教師の告白体をとっていますが、これだけでもかなり衝撃的な内容。その後も同じくモノローグ形式で、犯人の級友、犯人の家族、犯人の少年達と繋いで1つの事件を多角的に捉え物語に厚みを持たせる一方、話は第2、第3の事件へと展開していきます。

 「本屋大賞」において、貴志祐介、天童荒太、東野圭吾、伊坂幸太郎ら先輩推理作家の候補作を押しのけての堂々の受賞であるのも関わらず、Amazon.comなどで見る評価は(ベストセラーにありがちなことだが)結構割れているみたいでした。ネガティブ評価の理由の1つには、読後感が良くない、登場人物に共感できず"救い"が見えないといったものがあり、もう1つにはプロットに現実性が乏しいといったところでしょうか。

 「登場人物に共感できない」云々という感想については、「聖職者」「殉教者」「慈愛者」といった章タイトルがそれぞれに反語的意味合いを持っていることからすれば、当然のことかも。それぞれの章の「語り手」乃至「その対象となっている人物」(第3章の「慈愛者」などは「語り手」と「対象人物」の入籠構造となっている)に対し、作者は等距離を置いているように思いました。

 それらの何れをも否定しきってしまうのではなく、内面に寄り添って描いている部分がそれぞれにあって、そのために、最初に誰かに過剰に感情移入して読んでしまった読者との間には、齟齬が出来るのではないかと。
 
 個人的には、そうした登場人物の描き方は、登場人物への読者の過度の感情移入も制限する一方で、通り一遍に拒絶するわけにもいかない思いを抱かせ、物語に重層的効果を持たせることに繋がっていて、「読後感は最悪」という「本屋大賞」に絡めた帯キャッチも、賛辞として外れていないように思えました。

 プロットに関しても、重いテーマを扱った作品は往々にして問題提起に重点が行き、エンタテイメントとしてはそう面白くなかったりすることがあるのに対し、この作品の作者はストーリーテラーとしての役割をよく果たしているように思えました。

 但し、プロット自体はともかく、モノローグ形式を貫いたがために、なぜ最後に登場する語り手が全てお見通しなのか、どうして病いの身にある、しかも有名人が、学校に忍び込んで易々と事を成し遂げることが出来るのか等々に対する状況説明部分が弱く(そこに至るまでも幾つか突っ込み所が無いわけではない)、自分としてはその点での物足りなさが残り、星1つマイナス。しかしながら新人にしては手慣れているというか、作品の持つ吸引力のようなものは新人離れしていると言っていいのでは。
Kokuhaku (2010)
Kokuhaku (2010).jpg
告白 映画.jpg(●2010年6月に中島哲也監督、松たか子主演で映画化され、キネマ旬報「2010年度日本映画ベストテン」第2位、第34回日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀編集賞を受賞した一方、『映画芸術』誌選出の「2010年度日本映画ベストテン&ワーストテン」ではワースト1位に選出された。章ごとに語り手が、森口悠子(第1章「聖職者」)、北原美月(第2章「殉教者」)、下村優子(第3章「慈愛者」)、下村直樹(第4章「求道者」)、渡辺修哉(第5章「信奉者」)、最後再び森口悠子(第6章「伝道者」)と変わっていく原作のスタイルを緩やかに踏襲していている。全体としてイメージビデオ風の作りになっていて、時系列もやや原作と異なるが、もともと原作そのものが映画「羅生門」のようなカットバック方式なので、その点はあまり気にならなかった。原作は、主人公の独白である第1章「聖職者」はともかく、第2章以降、日記が小説風に書かれているなどの"お約束事"告白 映画 木村佳乃.jpgがあるが、映画ではそうした不自然さはむしろ解消されている。原作について、ラストの大学での爆破は実際にあったのかどうかという議論があるが、映画のラストシーンはロケ上の都合でCG撮影となったそうで、このことが、「実際には爆破はなく、修哉のイメージの世界での"出来事"に過ぎなかった」説を補強することになったようにも思う。主演の松たか子の演技より、助演の木村佳乃(ブルーリボン賞助演女優賞受賞)の演技の方が印象に残った。彼女が演じたモンスター・ペアレントは湊かなえ作品におけるある種の特徴的なキャラを体現していたように思う。
中島哲也監督/木村佳乃/松たか子/岡田将生
「告白」3.jpg告白 【DVD特別価格版】 [DVD]
告白 dvd.jpg告白 .jpg「告白」●制作年:2010年●監督・脚本:中島哲也●製作:島告白 能年玲奈 橋本愛.jpg谷能成/百武弘二 ほか●撮影:阿藤正一/尾澤篤史●音楽:金橋豊彦(主題歌:レディオヘッド「ラスト・フラワーズ」)●時間:106分●出演:松たか子/岡田将生/木村佳乃/芦田愛菜/山口馬木也/高橋努/新井浩文/黒田育世/山田キヌヲ/ 鈴木惣一朗/金井勇太/二宮弘子/ヘイデル龍生/山野井仁/(以下、B組の生徒(一部))《男子》大倉裕真/中島広稀/清水尚弥/前田輝/藤原薫/草川拓弥/樺澤力也/三村和敬/井之脇海/西井幸人/《女子》知花/伊藤優衣/橋本愛能年玲奈/栗城亜衣/三吉彩花/山谷花純/岩田宙/斉藤みのり/吉永アユリ/奏音/野本ほたる/刈谷友衣子●公開:2010/06●配給:東宝●最初に観た場所:渋谷・CINE QUINTO(シネクイント)(10-06-30)(評価:★★★☆) 
橋本愛 能年玲奈 in「あまちゃん」(2013年/NHK)
橋本愛 能年玲奈 あまちゃん.jpg あまちゃん.jpg
パルコスペース Part3.jpg渋谷シネクイント劇場内.jpgCINE QUINTO tizu.jpgCINE QUINTO(シネクイント) 1981(昭和56)年9月22日、演劇、映画、ライヴパフォーマンスなどの多目的スペースとして、「PARCO PART3」8階に「PARCO SPACE PART3」オープン。1999年7月~映画館「CINE QUINTO(シネクイント)」。 2016(平成28)年8月7日閉館。

 【2010年文庫化[双葉文庫]】

「●ま行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2952】 森見 登美彦 『熱帯
「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ「●マーティン・スコセッシ監督作品」の インデックッスへ 「●「カンヌ国際映画祭 監督賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「インディペンデント・スピリット賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ 「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ「○存続中の映画館」の インデックッスへ(下高井戸京王)「●や‐わ行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「●日本のアニメーション映画」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ

巻き込まれ型ワンナイト・ムービーみたいだったのが、次第にマンガみたいな感じになり...。

夜は短し歩けよ乙女2.jpg夜は短し歩けよ乙女.jpg  after-hours-martin-scorsese.jpg アフター・アワーズ.jpg 「アフター・アワーズ」00.jpg
夜は短し歩けよ乙女』['06年](カバー絵:中村佑介)「アフター・アワーズ 特別版 [DVD]」グリフィン・ダン/ロザンナ・アークェット カンヌ国際映画祭「監督賞」、インディペンデント・スピリット賞「作品賞」受賞作

 2007(平成19)年度・第20回「山本周五郎賞」受賞作。2010(平成22)年・第3回「大学読書人大賞」も受賞。

 「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めるが、先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する"偶然の出逢い"にも「奇遇ですねえ!」と言うばかり。そんな2人を、個性的な曲者たちと珍事件の数々が待ち受ける―。

 4つの連作から成る構成で、表題に呼応する第1章は、「黒髪の乙女」の後をつけた主人公が、予期せぬ展開でドタバタの一夜を送るという何だかシュールな展開が面白かったです。

Griffin Dunne & Rosanna Arquette in 'After Hours'
「アフター・アワーズ」01.jpgIアフター・アワーズ1.jpg これを読み、マーチン・スコセッシ監督の「アフター・アワーズ」('85年/米)という、若いサラリーマンが、ふとしたことから大都会ニューヨークで悪夢のような奇妙な一夜を体験する、言わば「巻き込まれ型」ブラック・コメディの傑作を思い出しました(スコセッシが大学生の書いた脚本を映画化したという。カンヌ国際映画祭「監督賞」、インディペンデント・スピリット賞「作品賞」受賞作)。 

アフター・アワーズ 1985.jpg グリフィン・ダン演じる主人公の青年がコーヒーショップでロザンナ・アークェット演じる美女に声を掛けられたきっかけが、彼が読んでいたヘンリー・『アフター・アワーズ』(1985).jpgミラーの『北回帰線』だったというのが、何となく洒落ているとともに、主人公のその後の災厄に被って象徴的でした(『北回帰線』の中にも、こうした奇怪な一夜の体験話が多く出てくる)。映画「アフター・アワーズ」の方は、そのハチャメチャに不条理な一夜が明け、主人公がボロボロになって会社に出社する(気がついたら会社の前にいたという)ところで終わる"ワンナイト・ムービー"です。

夜は短し歩けよ乙女 角川文庫.jpg 一方、この小説は、このハチャメチャな一夜の話が第1章で、第2章になると、主人公は訳の分らない闇鍋会のようなものに参加していて、これがまた第1章に輪をかけてシュール―なんだけれども、次第にマンガみたいな感じになってきて(実際、漫画化されているが)、う〜ん、どうなのかなあ。少しやり過ぎのような気も。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 山本周五郎賞だけでなく、2007(平成19)年・第4回「本屋大賞」で2位に入っていて、読者受けも良かったようですが、プライドが高い割にはオクテの男子が、意中の女子を射止めようと苦悶・苦闘するのをユーモラスに描いた、所謂「童貞小説」の類かなと(こういう類の小説、昔の高校生向け学習雑誌によく"息抜き"的に掲載されていていた)。

 京都の町、学園祭、バンカラ気質というノスタルジックでレトロっぽい味付けが効いていて、古本マニアの奇妙な"生態"などの描き方も面白いし、文体にもちょっと変わった個性がありますが、この文体に関しては自分にはやや合わなかったかも。主人公の男子とヒロインの女子が交互に、同じ様に「私」という一人称で語っているため、しばしばシークエンスがわからなくなってしまい、今一つ話に身が入らないことがありましたが、自分の注意力の無さ故か?(他の読者は全く抵抗を感じなかったのかなあ)

(●2017年に「劇場版クレヨンしんちゃんシリーズ」の湯浅政明監督によりアニメーション映画化された。登場人物は比較的原夜は短し歩けよ乙女 映画title.jpg作に忠実だが、より漫画チックにデフォルメされている。星野源吹き替えの男性主人公よりも、花澤香菜吹き替えのマドンナ役の"黒髪の乙女"の方が実質的な主人公になっている夜は短し歩けよ乙女 映画01.jpg。モダンでカ夜は短し歩けよ乙女 映画00.jpgラフルでダイナミックなアニメーションは観ていて飽きないが、アニメーションの世界を見せることの方が主となってしまった感じ。一応、〈ワン・ナイト・ムービー(ストーリー)〉のスタイルは原作を継承(第1章だけでなく全部を"一夜"に詰め込んでいる)しているが、ストーリーはなぜかあまり印象に残らないし、京風情など原作の独特の雰囲気も弱まった。映画の方が好きな人もいるようだが、コアな森見登美彦のファンにとっては、映画は原作とは"別もの"に思えるのではないか。因みに、この作品は、「オタワ国際アニメーション映画祭」にて長編アニメ部門グランプリを受賞している。)
 

「アフター・アワーズ」021.jpg 
グリフィン・ダン演じる主人公の青年がコーヒーショップでヘンリー・ミラーの『北回帰線』を読んでいると、ロザンナ・アークェット演じる美女に声を掛けられる...。(「アフター・アワーズ」)  
 
IMG_1158.jpgIアフター・アワーズ9.jpg「アフター・アワーズ」●原題:AFTER HOURS●制作年:1985年●制作国:アメリカ●監督:マーチン・スコセッシ●製作:エイミー・ロビンソン/グリフィン・ダン/ロバート・F・コールズベリー●脚本:ジョセフ・ミニオン●撮影:ミハエル・バルハウス●音楽:ハワード・ショア●時間:97分●出演:グリフィン・ダン/ロザンナ・アークェット/テリー・ガー/ヴァーナ・ブルーム/リンダ・フィオレンティ下高井戸京王2.jpgーノ/ジョン・ハード/キャサリン・オハラ/ロバート・プランケット/ウィル・パットン/ディック・ミラー●日本公開:1986下高井戸シネマ.jpg下高井戸東映.jpg/06●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:下高井戸京王(86-10-11)(評価:★★★★☆)●併映:「カイロの紫のバラ」(ウディ・アレン)

下高井戸京王 (京王下高井戸東映(東映系封切館)→1980年下高井戸京王(名画座)→1986年建物をリニューアル→1988年下高井戸シネマ) 


夜は短し歩けよ乙女 映画04.jpg夜は短し歩けよ乙女 映画ポスター.jpg「夜は短し歩けよ乙女」●●制作年:2017年●監督:湯浅政明●脚本:上田誠●キャラクター原案:中村佑介●音楽:大島ミチル(主題歌:ASIAN KUNG-FU GENERATION「荒野を歩け」)●原作:森見登美彦●時間:93分●声の出演:星野源/花澤香菜/神谷浩史/秋山竜次(ロバート)/中井和哉/甲斐田裕子/吉野裕行/新妻聖子/諏訪部順一/悠木碧/檜山修之/山路和弘/麦人●公開:2017/04●配給:東宝映像事業部●最初に観た場所:TOHOシネマズ西新井(17-04-13)(評価:★★★)
TOHOシネマズ西新井 2007年11月6日「アリオ西新井」内にオープン(10スクリーン 1,775+(20)席)。
TOHOシネマズ 西新井 ario.jpgSCREEN 1 106+(2) 3.5×8.3m デジタル5.1ch
SCREEN 2 111+(2) 3.4×8.2m デジタル5.1ch
SCREEN 3 111+(2) 3.4×8.2m デジタル5.1ch
SCREEN 4 135+(2) 3.5×8.5m デジタル5.1ch
SCREEN 5 410+(2) 7.0×16.9m デジタル5.1ch
SCREEN 6 146+(2) 3.7×9.0m デジタル5.1ch
SCREEN 7 148+(2) 3.7×8.9m デジタル5.1ch
SCREEN 8 80+(2) 4.1×9.9m MX4D® デジタル5.1ch
SCREEN 9 183+(2) 4.1×9.9m デジタル5.1ch
SCREEN 10 345+(2) 4.8×11.6m デジタル5.1ch

 【2008年文庫化[角川文庫]】

「●む 村上 春樹」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1504】 村上 春樹 『1Q84BOOK3)』
「●「毎日出版文化賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(村上春樹)

「村上作品の集大成」、「良くも悪しくも村上春樹」。共に、評として外れていないのでは?

1Q84 BOOK 1.jpg 1Q84 BOOK 2.jpg 『1Q84 (BOOK1 ・ BOOK2』 .jpg1Q84 BOOK 1』『1Q84 BOOK 2』['09年]

 2009(平成21)年・第63回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)受賞作。

 スポーツインストラクターで暗殺者としての裏の顔を持つ女性・青豆と、作家志望の予備校講師で、"ふかえり"という高校生が書いた不思議な作品をリライトすることになった男性・天吾、1984年にこの2人は、同じ組織に対する活動にそれぞれが巻き込まれていく―。

 いやあ、ストーリーも明かされていない刊行前からスゴイ評判、刊行されるとやがて「これまでの村上作品の集大成」とか「良くも悪しくもやっぱり村上春樹」とか色々な風評が耳に入ってきてしまい、早く読まねばとやや焦りにも似た気持ちにさえさせられたのが情けないけれど、読み始めてみたら結構エンタテインメントしていて、作者の軽めのエッセイは好みながら小説はやや苦手な自分にとっても、今まで読んだ数少ない作者の長編の中では「面白かった」方でした(むしろ、こんなに面白くていいのか...みたいな)。

漱石と三人の読者.jpg 国文学者の石原千秋氏が『漱石と三人の読者』('04年/講談社現代新書)の中で、漱石は、「顔の見えない読者」(一般人)、「なんとなく顔の見える読者」(知識人)、「具体的な何人かの"あの人"」(文学仲間・批評家)の3種類の読者を想定し、それぞれの読者に対してのメッセージを込めて小説を書いていたという仮説を立てていますが、村上春樹も同じ戦略をとっているような...。

 「ピュアな恋愛」とか、矢鱈に"純粋性"を求めたがる時代の気風にしっかり応えている点は「一般人」向きであるし、この小説を「愛の物語」と言うより「エンタテインメント」としてそこそこに堪能した自分も、同様に「一般人」のカテゴリーに入るのでしょう。

 ただし、これまでの作品に比べ、様々な社会問題を時に具体的に、時に暗喩的に織り込んでいるのは確かで(「知識人」向き?)、そこには「原理主義」的なものを忌避する、或いはそれに対峙する姿勢が窺え、(ノンフィクションで過去にそうしたものはあったが)小説を通じてのアンガージュマン的な姿勢を今回は強く感じました。

 一方で、主人公たちは29歳にして10歳の想い出を"引き摺っている"と言うか、主人公の一方はその"想い"に殉じてしまうくらいで、モラトリアム調は相も変わらずで、メタファーもお馴染みの如くあるし、結局、「これまでの村上作品の集大成」、「良くも悪しくもやっぱり村上春樹」共に、評としては外れていないように思いました。

村上春樹「1Q84」をどう読むか.jpg 因みに『村上春樹「1Q84」をどう読むか』('09年7月/河出書房新社)という本がすぐに刊行されて、35人の論客がこの作品を論じていますが(インタビューや対談・ブログからの転載も多い)、いやあ、いろんな読み方があるものだと感心(前述の石原千秋氏も書いている)。ただ言える事は、みんな自分(の専門分野)に近いところで読み解いているということが言え、かなり牽強付会気味のものが目立ちます。
 
 この「読解本」に関しては、全体として、面白かったけれどあまり参考にならなかったというのが本音で(評価★★☆)、ただ、これだけ多くの人に短い期間で書評を書かせている(一応しっかりと(?)読んだのだろう)ということは、やはり「村上春樹」の影響力は凄いなあと(「批評家」向き?)。タイムマシンに乗って100年後の世界に行ったら、文学史年表にこの作品が載っているのかなあ。
 
映画 "The Big Sleep"(邦題「三つ数えろ」)
The Big Sleep.png大いなる眠り.jpg 余談ですが、主人公が金持ちの依頼人と屋敷の温室で対面し依頼を受けるというのは、レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』(The Big Sleep /'39年発表/'56年・東京創元社)の中にもあるシチュエーションで、チャンドラーの3大ハードボイルド小説の内、『さらば愛しき女よ』(Farewell, My Lovely '40年発表/56年・早川書房)と『長いお別れ』(The Long Goodbye '54年発表/'58年・早川書房)は、それぞれ『ロング・グッドバイ』('07年)『さよなら、愛しい人』('09年)のタイトルで早川書房から村上春樹訳が出ていますが、『大いなる眠り』は訳していません。東京創元社に版権がある関係で早川書房としては訳すことが出来ないのかなあ。―ああ、チャンドラーの自分が未訳の作品のモチーフを、ここで使ったかという感じ。(『大いなる眠り』はその後、'12年12月に早川書房より村上春樹訳が刊行された。)

●朝日新聞・識者120人が選んだ「平成の30冊」(2019.3)
1位「1Q84」(村上春樹、2009)
2位「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ、2006)
3位「告白」(町田康、2005)
4位「火車」(宮部みゆき、1992)
4位「OUT」(桐野夏生、1997)
4位「観光客の哲学」(東浩紀、2017)
7位「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、2000)
8位「博士の愛した数式」(小川洋子、2003)
9位「〈民主〉と〈愛国〉」(小熊英二、2002)
10位「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹、1994)
11位「磁力と重力の発見」(山本義隆、2003)
11位「コンビニ人間」(村田沙耶香、2016)
13位「昭和の劇」(笠原和夫ほか、2002)
13位「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一、2007)
15位「新しい中世」(田中明彦、1996)
15位「大・水滸伝シリーズ」(北方謙三、2000)
15位「トランスクリティーク」(柄谷行人、2001)
15位「献灯使」(多和田葉子、2014)
15位「中央銀行」(白川方明2018)
20位「マークスの山」(高村薫1993)
20位「キメラ」(山室信一、1993)
20位「もの食う人びと」(辺見庸、1994)
20位「西行花伝」(辻邦生、1995)
20位「蒼穹の昴」(浅田次郎、1996)
20位「日本の経済格差」(橘木俊詔、1998)
20位「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ、1998)
20位「逝きし世の面影」(渡辺京二、1998)
20位「昭和史 1926-1945」(半藤一利、2004)
20位「反貧困」(湯浅誠、2008)
20位「東京プリズン」(赤坂真理、2012)

【2012年文庫化[新潮文庫]】

「●い 伊坂 幸太郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1334】 伊坂 幸太郎 『ゴールデンスランバー
「●「日本推理作家協会賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●か行外国映画の監督」の インデックッスへ 「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「●海外のTVドラマシリーズ」の インデックッスへ(「デッド・ゾーン」)

1篇1篇は旨くまとめているなあという気がしたが...。「デッドゾーン」を思い出した。

死神の精度.jpg  死神の精度 文庫.jpg     デッドゾーン dvd.jpg ビデオドローム.jpg ザ・フライ dvd.jpg
死神の精度』 ['05年] 『死神の精度 (文春文庫)』 ['08年]/デヴィッド・クローネンバーグ「デッドゾーン デラックス版 [DVD]」「ビデオ・ドローム [DVD]」「ザ・フライ (特別編) [DVD]

 2004(平成16)年・第57回 「日本推理作家協会賞」(短編部門)受賞作(連作の第1部「死神の精度」に対する授賞)。

 人の死の1週間前に派遣され、その死について「可」または「見送り」の判断をすることを仕事とする死神の千葉は、クールでちょっとズレている雨男だが、その彼が、大手電機メーカーの苦情係の女性、兄貴分を守ろうとするヤクザ、吹雪でホテルに雪隠詰めになった宿泊客たち、近隣女性に恋するブティックの男性店員、逃走中の殺人犯、美容院店主の老婆の前にそれぞれ現れる連作。

 死という重いテーマを敢えて軽いタッチで扱っていて、最初は星新一のショートショートでも読んでいるような感じでしたが、千葉の冷静さを鏡として登場人物の心の機微もそれなりに描かれていて、結構突飛な(?)状況設定の割には、1篇1篇は旨く纏めているなあという気がしました。ゴダールの影響は引用フレーズなどでの面でのことであり、モチーフとしては、握手した相手の未来が見えるというスティーブン・キング『デッド・ゾーン』('87年/新潮文庫(上・下))に近いのでは...。

 作者が直木賞候補になったのは'03年『重力ピエロ』、'04年の『チルドレン』『グラスホッパー』に続き本作が4回目で、この時は東野圭吾氏の『容疑者χの献身』が受賞していますが、個人的には『死神の精度』の方がやや面白いかなあと(『グラスホッパー』の対抗馬が角田光代氏の『対岸の彼女』だったのはいたしかたないが)。この後'06年に『砂漠』でも直木賞候補となっていますが、'08年に『ゴールデンスランバー』が候補になったとき、ノミネート辞退をしています。

 ただ、この作品に関しても、「吹雪に死神」がいきなり本格推理調だったり(パロディなのか?)、最後の「死神対老女」が必ずしもそれまでの5話を収斂し切れているように思えなかったりし、全体構成において少し不満も残りました。

 直木賞の選考委員の何人かが、時には死神の精度が狂って失敗するケースも加えた方が良かったのではないかと言っていましたが(渡辺淳一、井上ひさし両氏)、仮にそうするならばそれはモチーフ自体の改変であり、かなり違った展開になってしまうような...。但し、タイトルはそうしたこともあるのかなあと思わせるタイトルなので紛らわしい気もしました(読んでみれば"精度100%"で、あとは死神が「可」の判断をするかどうかということだけではないか)。その最終判断にも、もう少し「見送り」の作品があってもよかったのではとの意見もありましたが(平岩弓枝氏)、それは言えているような気がします。

 「恋愛で死神」なども読後感は悪くなかったですが、ややメルヘンっぽい。阿刀田高氏さえ、「もっと深い思案があってよかったのではないか」と言っているぐらいで、この人が「△」では、他の直木賞選考委員も引いてしまうのではないかと個人的にも思ったりして...。― 殆ど、「選評」評になってしまいましたが。

 因みに、スティーブン・キングの『デッド・ゾーン』は、当時無名のデヴィッド・クローネンバーグ監督が「デッドゾーン」('83年/米・カナダ)として映画化し、'84年のアボリアッツ・ファンタスティック映画祭で批評家賞受賞、'85年6月の東京国際映画祭の"ファンタスティック映画祭"で観ましたが、キング原作の映画化作品の中ではいい方だったのではないかと。

ヴィデオドローム パンフ.jpgVideodrome [1982].jpg 当時の評判も良かったみたいで、同月には渋谷ユーロスペースで同監督の前作「ヴィデオドローム」('82年/カナダ)が上映され、ジェームズ・ウッズ主演のこの作品は見た人の性格を変える暴力SMビデオによって起きる殺人を描いたもので(鈴木光司原作の日本映画「リング」はこれのマネか?)、この2作でクローネンバーグの名は日本でも広く知られるようになりました(「ヴィデオドローム」は、ちょっと気持ち悪いシーンがあり、イマイチ)。
Videodrome [1982] /パンフレット

ヴィデオドローム01.jpg ヴィデオドローム02.jpg Videodrome
 
蠅.jpgザ・フライ.jpg その後、クローネンバーグは、ジョルジュ・ランジュラン原作、カート・ニューマン監督の「ハエ男の恐怖(The Fly)」('58年/米)のリメイク作品「ザ・フライ」('86年/米)を撮り(ホント、"気色悪い"系が好きだなあ)、ジェフ・ゴ「蝿男の恐怖」(1958).jpgールドブラムが変身してしまった「ハエ男」が最後の方では「カニ男」に見えてしまうのが難でしたが(と言うより、何が何だかよくわからない怪物になっていて、オリジナルの「ハエ男の恐怖」の方がスチールを見る限りではよほどリアルに「蠅」っぽい)、ただしストーリーはなかなかの感動もので、ラストはちょっと泣けました。

「ハエ男の恐怖」(1958)                   

デッドゾーン パンフ.jpgデッドゾーン 映画.jpg 「デッドゾーン」ではクリストファー・ウォーケンが演じる何の前触れもなく突然に予知能力を身につけてしまった主人公の男(スティーヴン・キングらしい設定!)は、将来大統領になって核ミサイルの発射ボタンを押すことになる男(演じているのは、後にテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」で合衆国大統領役を演じることになるマーティン・シーン)に対して、彼の政治生命を絶つために犠牲を払って死んでしまうのですが(未来を変えたということか)、これならストーリー的にはいくらでも話が作れそうな気がして、これきりで終わらせてしまうのは勿体無いなあと思っていたら、約20年を経てTVドラマシリーズになりました(テレビドラマ版の邦題は「デッド・ゾーン」と中黒が入る)。
The Dead Zone [1983] /パンフレット

アンソニー・マイケル・ホール 「デッドゾーン」s.jpg「デッドゾーン」    ドラマ.jpg テレビドラマ版「デッド・ゾーン」で主役のアンソニー・マイケル・ホールを見て、雰囲気がクリストファー・ウォーケンに似ているなあと思ったのは自分だけでしょうか。意図的にクリストファー・ウォーケンと重なるイメージの俳優を主役に据えたようにも思えます。

                      
'85年東京国際映画祭"ファンタスティック映画祭"カタログより
コデッドゾーン20761.jpgデッドゾーン dvd.jpg「デッドゾーン」●原題:THE DEAD ZONE●制作年:1983年●制作国:アメリカ・カナダ●監督:デヴィッド・クローネンバーグ●製作:デブラ・ヒル●脚本:ジェフリー・ボーム●撮影:マーク・アーウィン●音楽:マイケル・ケイメン●原作:スティーヴン・キング●時間:103分●出演:クリストファー・ウォーケン/マーティン・シーン/ブルック・アダムス/トム・スケリット/ハーバート・ロム/アンソニー・ザーブ●日本公開:1985/06●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:渋谷パンテオン (85-06-06)(評価★★★☆)

ビデオドローム.jpg「ヴィデオドローム」●原題:VIDEODROME●制作年:1982年●制作国:カナダ●監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ●製作:クロード・エロー●撮影:マーク・アーウィン●音楽:ハワード・ショア ●時間:87分●出演:ジェームズ・ウッズ/デボラ・ハリー/ソーニャ・スミッツ/レイ・カールソン/ピーター・ドゥヴォルスキー●日本公開:1985/06●配給:欧日協会(ユーロスペース)●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース (85-07-21)(評価★★★)
ヴィデオドローム5.jpgヴィデオドローム04.jpgヴィデオドローム03.jpg
David Cronenberg & James Woods

ザ・フライ dvd.jpgザ・フライges.jpg「ザ・フライ」●原題:THE FLY●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ●製作:スチュアート・コーンフェルド●撮影:マーク・アーウィン●音楽:ハワード・ショア ●原作:ジョルジュ・ランジュラン「蠅」●時間:87分●出演:ジェフ・ゴールドブラム/ジーナ・デイヴィス/ジョン・ゲッツ/ジョイ・ブーシェル/レス・カールソン/ジョージ・チュヴァロ/マイケル・コープマン●日本公開:1987/01●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:大井武蔵野舘 (87-07-19)(評価★★★★)●併映:「未来世紀ブラジル」(テリー・ギリアム)


デッド・ゾーン tv.jpgデッドゾーン」.jpg「デッド・ゾーン」The Dead Zone (USA 2002~2007) ○日本での放映チャネル:AXN(2005~2010)
デッド・ゾーン シーズン5 コンプリートBOX [DVD]


 【2008年文庫化[文春文庫]】

「●ひ 東野 圭吾」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1337】 東野 圭吾 『聖女の救済
「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

ミステリとしては△だが、小説としては○。「理屈」よりも「情」に訴える?

東野 圭吾 『流星の絆』.jpg 東野 圭吾 『流星の絆』2.jpg


流星の絆 tv.jpg TBSドラマ「流星の絆」(2008)
出演:二宮和也/錦戸亮/戸田恵梨香
流星の絆』(2008/03 講談社) 

 14年前のペルセウス流星群の日、それを見るため夜中にこっそり家を抜け出した功一、泰輔、静奈の洋食屋の3人兄妹が、店に帰り着いたときには両親が殺されていた。彼らは自分たちの親の復讐を果たすべく、詐欺師稼業を営みながらも、時効前になんとか犯人を探し求めようとする―。

白夜行 単行本.gif 不条理な運命から社会の底辺へ突き落とされ、そこから這い上がってくる少年たちの生き様は、『白夜行』('99年/集英社)の系譜かと思ったけれども、前半の詐欺師家業のテクニック紹介とかは、やや軽めの感じ。

 犯人と思しき人物を突き止めるも、「静奈」が「功一」に...辺りから、彼らの復讐計画がすんなりとは行かないであろうことは大方の予想がつきましたが(そもそも帯の文句が既にネタばらし気味)、最後にどんでん返しがあって、やはりこの人の書くものは一筋縄ではないなあと。但し、プロット自体はあちこちに相当無理があるのではないかと―。どんでん返しも、読者を「拍子抜け」させるような側面が大いにあるように思いました。

 でも、読後感は悪くなかったように思え、今回は「理屈」よりも「情」に訴える作品だったなあと。作者の『容疑者χの献身』('05年/文芸春秋)が2006年の「このミス」に選ばれた際に、これは本格ミステリと言えるのかという議論がありましたが、むしろ、この作家は、もともと読者の「情」に訴える部分で優れているように思います。

ドラマ「流星の絆」07.jpg この作品も、個人的には、ミステリとしては△だけれども、小説としては○といったところ。2008年10月にはTBSでテレビドラマ化されていますが、原作をいじくり回す傾向にある脚本家が手掛けていて、最初から外れたトーンになっているようなので、あまり関心が湧かないなあ。

TVドラマ「流星の絆」2008年 10~12月 TBS
出演:二宮和也/錦戸亮/戸田恵梨香

【2011年文庫化[講談社文庫]】

「●み 宮部 みゆき」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1010】 宮部 みゆき 『楽園
「●「吉川英治文学賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「週刊文春ミステリー ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

「問題社員」がリアルに描かれていて、グッと引き込まれたが...。
 
『名もなき毒』.JPG名もなき毒 宮部みゆき.jpg 名もなき毒.jpg
名もなき毒 (カッパ・ノベルス)』『名もなき毒』(2006/08 幻冬舎)

 2006(平成18) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2007(平成19)年・第41回「吉川英治文学賞」受賞作。

 私こと杉村三郎は、義父が総帥である今多コンツェルンの広報室で社内報づくりに携わる編集者だが、トラブルメーカーのアルバイト・原田(げんだ)いずみの身上調査のため私立探偵の北見一郎を訪ね、偶然そこにいた、連続無差別毒殺事件で祖父を殺された女子高生・古屋美知香、さらにその母親・暁子と関わりを持つことになる―。

 『誰か』('03年/ 実業之日本社)の続編で著者3年ぶりの現代ミステリ。社会派ミステリの傑作が多い著者にしては『誰か』というのはこじんまりしていて、2時間ドラマみたいだと感じたのですが、本書を読んで、シックハウス症候群や土壌汚染、毒物ネット販売といった社会問題は出てきますが、そうした「名前のつけられた毒」との対比において、人間の心の中に潜む「名もなき毒」を描こうとしていることがより浮き彫りになっていて、一般に言う「社会派」とはちょっと異なると思いました(むしろ、著者が時代物でよく描いていた女性の怨念のようなものを現代物に持ってきたという感じか)。

 前半、問題を起こすアルバイトの原田いずみと、それに振り回される社員たちの様子がリアルに描かれていて、身近に実際にあるような話であり、グッと引き込まれました(著者がそういうものを参照したかどうかは分からないが、労働裁判や個別労使紛争などでの類似した事例とその記録は山ほどあるはず)。

 個人的には、原田いずみは、他人を傷つけずにはおれない、ある種「人格障害」だという印象ですが、こうした、世の中に復讐することが生き甲斐みたいになっているタイプというのは、松本清張の作品などにもよく出てきたのではないかと思い、やはり、この人、清張作品の影響が強い?(但し、原田いずみは、精神面で最初から相当に壊れているが)

 現代物は、素材が身近であれば、かなりハマる確率は高いように思え、個人的には"まあまあ"程度にハマりました。但し、(489ページは、著者の作品にしては長くないのかも知れないが)自分としては中盤はもっと圧縮できるような気もしました。

 所謂"キャラが立っている"とでも言うか、最もよく描かれているキャラクターの(この描き方だけで、この作品は充分評価に値するし、テーマの一環を担っている)原田いずみが、ミステリとしてのメインプロットには乗っかってきておらず、騒ぎを起こしているだけの存在みたいで、それとは別に、"事件"を描き、更には家庭内の問題をも描き...といった感じで、これが冗長感に繋がっているのかも。

 【2009年ノベルズ版[カッパ・ノベルズ]/2011年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
名もなき毒 tv.jpg・TBS系列「月曜ミステリーシアター」
 2013年TVドラマ化「名もなき毒」
  小泉孝太郎主演
  第1話~第5話「誰か Somebody」共演:深田恭子
  第6話~第11「名もなき毒」共演:真矢みき

「●ま行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3145】 町田 そのこ 『52ヘルツのクジラたち
「●「谷崎潤一郎賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

「河内十人斬り」の惨劇に材を得た作品。終局の描写は素晴らしいが...。

告白.jpg  『告白』['05年/中央公論新社]河内音頭 河内十人斬.jpg「河内音頭 河内十人斬」CD

 2005(平成17)年度・第41回「谷崎潤一郎賞」受賞作。

 明治26年に河内水分で、農家の長男・城戸熊太郎が、妻を寝取られた恨み、金を騙し取られた恨みから、同じく村の者に恨みを抱くその舎弟・谷弥五郎と共謀し、村人10人を惨殺したという事件(「河内十人斬り」という任侠的な敵討ち物語として、河内音頭のスタンダードナンバーにもなっている)を題材にしたもの。

 単行本の帯には「人は人をなぜ殺すのか」とあり、かなり重苦しい雰囲気の物語かと思いきや、酒と博打の生活から抜け出せないダメ男・熊太郎を、河内弁と独特の"町田節"で落語みたいにユーモラスに描いていて、そのアカンタレぶりに対する作者の愛着のようなものが滲み出ています。

 熊太郎という男は言わばヤクザ者ですが、もともと進んで悪事を働くような人物ではなく、他人を思いやることもできる人間なのに、いつも他人に誤解され、割を食って損ばかりしている、それを自分では、自分が思弁的な人間であり、自分の心情をうまく言葉にできないためだ感じている人物です。

 小説の中では随所にその熊太郎のねちっこい"思弁"が内的独白として語られ、その彼が凶行に及んだ最後の最後で、思っていることを言葉にしようとする、そこにタイトルの『告白』の意味があるということでしょう。

 カタストロフィに向かう終局の描写は素晴らしく、そこに至るまでのユーモラスなプロセスは、対比的な効果を高めることに寄与しているとは思いますが、進展がないまま同じような出来事が続いているような印象もあり、やや冗長な感じがします。

 ただし、人物造型といい語り口といい"町田ワールド"ならではのユニークさで、読み終えてみれば力作には違いないとの感想は持ちましたが、テーマ的には、「人は人をなぜ殺すのか」と言うより、「熊太郎はなぜ人を殺したのか」という話であるように思えました。
 
●朝日新聞・識者120人が選んだ「平成の30冊」(2019.3)
1位「1Q84」(村上春樹、2009)
2位「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ、2006)
3位「告白」(町田康、2005)
4位「火車」(宮部みゆき、1992)
4位「OUT」(桐野夏生、1997)
4位「観光客の哲学」(東浩紀、2017)
7位「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、2000)
8位「博士の愛した数式」(小川洋子、2003)
9位「〈民主〉と〈愛国〉」(小熊英二、2002)
10位「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹、1994)
11位「磁力と重力の発見」(山本義隆、2003)
11位「コンビニ人間」(村田沙耶香、2016)
13位「昭和の劇」(笠原和夫ほか、2002)
13位「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一、2007)
15位「新しい中世」(田中明彦、1996)
15位「大・水滸伝シリーズ」(北方謙三、2000)
15位「トランスクリティーク」(柄谷行人、2001)
15位「献灯使」(多和田葉子、2014)
15位「中央銀行」(白川方明2018)
20位「マークスの山」(高村薫1993)
20位「キメラ」(山室信一、1993)
20位「もの食う人びと」(辺見庸、1994)
20位「西行花伝」(辻邦生、1995)
20位「蒼穹の昴」(浅田次郎、1996)
20位「日本の経済格差」(橘木俊詔、1998)
20位「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ、1998)
20位「逝きし世の面影」(渡辺京二、1998)
20位「昭和史 1926-1945」(半藤一利、2004)
20位「反貧困」(湯浅誠、2008)
20位「東京プリズン」(赤坂真理、2012)
4位「火車」(宮部みゆき、1992)
4位「OUT」(桐野夏生、1997)
4位「観光客の哲学」(東浩紀、2017)
7位「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、2000)
8位「博士の愛した数式」(小川洋子、2003)
9位「〈民主〉と〈愛国〉」(小熊英二、2002)
10位「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹、1994)
11位「磁力と重力の発見」(山本義隆、2003)
11位「コンビニ人間」(村田沙耶香、2016)
13位「昭和の劇」(笠原和夫ほか、2002)
13位「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一、2007)
15位「新しい中世」(田中明彦、1996)
15位「大・水滸伝シリーズ」(北方謙三、2000)
15位「トランスクリティーク」(柄谷行人、2001)
15位「献灯使」(多和田葉子、2014)
15位「中央銀行」(白川方明2018)
20位「マークスの山」(高村薫1993)
20位「キメラ」(山室信一、1993)
20位「もの食う人びと」(辺見庸、1994)
20位「西行花伝」(辻邦生、1995)
20位「蒼穹の昴」(浅田次郎、1996)
20位「日本の経済格差」(橘木俊詔、1998)
20位「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ、1998)
20位「逝きし世の面影」(渡辺京二、1998)
20位「昭和史 1926-1945」(半藤一利、2004)
20位「反貧困」(湯浅誠、2008)
20位「東京プリズン」(赤坂真理、2012)

 【2008文庫化[中公文庫]】

「●角田 光代」の インデックッスへ Prev| NEXT ⇒ 【2353】 角田 光代 『八日目の蝉
「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ  「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「対岸の彼女」)

女同士の友情の話。男性が読んでも、読んでよかったと思える作品。

対岸の彼女   .jpg対岸の彼女.jpg 対岸の彼女 英文版.jpg 対岸の彼女 wowwow.jpg 
対岸の彼女』['04年/文藝春秋]/『英文版 対岸の彼女 - Woman on the Other Shore』/WOWOW・ドラマW「対岸の彼女 [DVD]」['06年](財前直見/夏川結衣)

 2004(平成16)年下半期・第132回「直木賞」受賞作。2005(平成17)年・第2回「本屋大賞」第6位。 

 子育て中の主婦・小夜子は、子供の親同士との付き合いといった日常に厭(あ)き、小さな旅行会社に勤めに出るが、そこでの実際の仕事はハウスクリーニングだった。その会社の女社長・葵は、小夜子と年齢も出身大学も同じということもあって小夜子に好意的であり、「独身・子ナシ」の葵と「主婦」の小夜子とで立場は異なるが、2人は友人同士のような関係になっていく―。

 小夜子の視点から見た葵の姿という「現在の話」と平行して、今度は葵の視点から、葵の高校時代のナナコという同級生との友情物語が「過去の話」として語られていて、それぞれの女性同士の友情の成り行きがどうなるかということをシンクロさせていますが、読んでいて、相乗効果的に引き込まれました。

 高校時代のナナコと葵の逃避行の話が良くて、学校でイジメに遭ってもあっけらかんとしているナナコのキャラクターが際立っており、葵がナナコの心の闇を知った後の2人の別れが切ない。

 「現在の話」は、「勝ち犬」(主婦)と「負け犬」(独身・子ナシ)の間で友情は成り立つかという図式でも捉えることはできますが、「過去の話」でナナコとの出会いを通して成長していく葵が描かれている分、現在の小夜子が葵を通しては成長しているのがわかり、過去にメンティであった女性(葵)が今メンターの役割を担おうとしているという点に、"シンクロ効果"がよく出ています。
 
 物語は一筋縄では行かず、既婚・未婚という女性としての立場の違いの壁は厚くて、小夜子と葵の距離は縮まったり開いたりします。
 子供だったゆえに別れなければならなかった葵とナナコの2人に対し、大人になったことで果たして自分で女友達を選べるようになったのだろうかという現在の葵、小夜子2人に関わるテーマが、重層的な厚みを持って提示されているように思えました。

 女子高校での派閥や主婦同士の閉鎖的サークルがリアルに描かれていて、小夜子が勤めに出た職場でもその類似型が見られ、「女の敵は女」というふうにも見ることが出来る話を、読後感の爽やかなエンタテインメントに仕上げている力量はさすがで、運動会のビデオなどの小道具の使い方も生きているなあと思いました。
 
 技巧をこらしているのにそれが鼻につかないのがこの作品のうまさで、男性が読んでも元気づけられ、読んでよかったと思える作品ではないかと思います。

対岸の彼女 wowow1.jpg 対岸の彼女 wowow2.jpg
(左)財前直見/夏川結衣 (右)多部未華子/石田未来

対岸の彼女 dvd.jpg 今年['06年]1月にWOWOWのドラマWでテレビドラマ化され、現在の葵を財前直見、小夜子を夏川結衣、高校時代の葵を石田未来、その友人を多部未華子が演じ、芸術祭テレビ部門(ドラマの部)優秀賞、放送文化基金賞テレビドラマ番組賞を受賞しています(演出も悪くなかったが、やはり原作の力が大きい)。

対岸の彼女 [DVD]

「対岸の彼女」●監督:平山秀幸●脚本:山由美子/藤本匡介●原作:角田光代●出演:夏川結衣/財前直見/多部未華子/石田未来/堺雅人/根岸季衣/木村多江/香川照之●放映:2006/01(全1回)●放送局:WOWWOW

 【2007年文庫化[文春文庫]】

「●お 小川洋子」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1338】 小川 洋子 『猫を抱いて象と泳ぐ
「●「読売文学賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ 「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(小川 洋子) 「●か行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「●「日本映画批評家大賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ 「●井川 比佐志 出演作品」の インデックッスへ 「●「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 外国語映画賞」受賞作」の インデックッスへ「●吉岡 秀隆 出演作品」の インデックッスへ「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ

「数式」と「阪神タイガース」。モチーフの組み合わせの新鮮さ。

博士の愛した数式 帯.jpg博士の愛した数式.jpg
妊娠カレンダー2.jpg 博士の愛した数式 2.jpg  
博士の愛した数式』['03年/新潮社・'05年/新潮文庫]『妊娠カレンダー』['91年/文藝春秋]「博士の愛した数式」['06年] 寺尾聰/深津絵里

博士の愛した数式 2003 読文.jpg博士の愛した数式 2003 honnya.jpg シングルマザーの家政婦である主人公が派遣された家には、事故の後遺症で記憶が80分しか持たないという数学博士がいて、ある日、彼女に10歳の息子がいることを知った博士は、家へ連れてくるように告げる―。

 2003(平成15)年度・第55回「読売文学賞」受賞作ですが、第1回「本屋大賞」(1位=大賞)も受賞していて、こちらの方が記念すべき受賞という感じではないでしょうか。また、それにふさわしい本だと思いました(因みに、2003年から始まった、紀伊国屋書店の書店スタッフが選ぶベスト書籍「キノベス」でも第1位に選ばれている)。

 映画にもなるなど話題になった作品であり、主人公と博士の心の通い合いが主に描かれているのだと思って読み始めましたが、途中から、博士の主人公の息子に対する愛情に焦点が当たっている感じがし、それを見守る主人公の視線の温かさ、主人公自身が癒されている感じがいいです。

 博士は80分しか記憶が持続しないわけだから、息子とは(主人公ともそうだが)毎日"初対面"の関係であるわけで、それだけに、博士の息子に対する愛情に深い普遍性を感じます。

 一方で、「海馬」を損傷したりすればそうした状態になることがあるのは知られていることですが(海馬の損傷で一番重度の症状は「陳述的記憶」が全て飛んでしまうというものであり、学術的には海馬は「宣言的記憶」の固定に関わるとされている)、新しい記憶は全く博士の中では作られていないのか、結局は主人公のことも息子のことも翌日になればすべて博士の頭の中には何も残っていないのか―といったことを、博士と過去の記憶を共有し、またそのことを自負している義姉と主人公との対峙において考えてしまいました。そもそも、記憶とは何か―。

妊娠カレンダー.jpg 以前に芥川賞受賞作の『妊娠カレンダー』('91年/文藝春秋)を読んで、文学少女版「ローズマリーの赤ちゃん」みたいに思え、芥川賞狙いとか言う依然に好みが合わず、あまりいいとは思わなかったのですが、いつの間にか力をつけていたという感じ(当初から力はあったが、自分の見る眼が無かったのか?)。

妊娠カレンダー (文春文庫)』 ['94年]

 『博士の愛した数式』は一種のファンタジーとも言える作品なのかもしれないけれども、「素数」「友愛数」「完全数」「オイラーの公式」といった数学的モチーフと'92年の阪神タイガースのペナントレースを上手く物語に取り込んでいて、この組み合わせの"新鮮さ"とそれぞれぞれの"深さ"には、大いに惹き込まれました。

博士の愛した数式 1シーン.jpg 映画化作品は「雨あがる」('00年/東宝)の小泉堯史監督、寺尾聰、深津絵里主演で、原作の終わりで主人公の"私"が"博士"を見舞った際に息子の"ルート"が「学校の先生になった」と告げていることを受けて、ある高校の教室に新しい数学担任となったルート(吉岡秀隆)がやってくるところから始まり、全体が彼の回想譚になっていますが、結果的に原作では1人に集約されていた"私"が、映画では2人(母と息子)いるような感じになって、個人的にはこの構成はしっくりこなかった気がしました。

「博士の愛した数式」('05年/監督・脚本:小泉堯史、出演:寺尾聰/深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆)

博士の愛した数式 1シーン0.jpg 「オイラーの公式」などを映画の中できちんと説明している点などは、原作のモチーフを大事にしたいと考えたのか、ある意味で思い切った選択だったと思いますが(「虚数」って高校の「数Ⅱ」で習っているはずだが殆ど忘れているなあ)、一方で、博士と浅丘ルリ子演じる義姉が薪能を観に行き、そこで博士が無意識的に義姉の手を握るシーンなど原作にない場面もあって、さらには、義姉が自分が博士の事故の原因だったこと、博士との間に出来た赤ん坊を堕したことを主人公に打ち明けるシーンなど、踏み込んだ解釈を入れている分、説明過剰になっている印象も。

博士の愛した数式 dvd.jpg博士の愛した数式 movie.jpg 原作では、博士の記憶保持期間が80分からだんだん短くなっていくことを示して彼の死を示唆していますが、映画では博士と成長した息子がキャッチボールをする回想シーンを入れるなどして、意図的に暗くならないようにした印象も。寺尾聰、深津絵里とも演技達者の役者ですが(寺尾聡が着ていた古着のジャケットは実父・宇野重吉の遺品とのこと)、意外と映像化すると削ぎ落ちてしまう部分が多いように思いました。
博士の愛した数式 [DVD]

博士の愛した数式es.jpg 映画だけ観ればそれはそれで感動するのでしょうが、原作がある種のステップ・ファミリー的な話になっているのに対し、映画は博士を巡っての義姉(浅丘ルリ子)と主人公(深津絵里)の確執と和解の話が前面に出ているように思いました(その分、ピュアな原作に比べ、ややどろっとした印象も)。原作の持ち味を十分に伝えるのが難しい作品だったかもしれないし、浅丘ルリ子という大物女優を起用したことも、映画が原作と違ってしまったことと無関係ではないと思います。

博士の愛した数式ages.jpg博士の愛した数式 3.jpg「博士の愛した数式」●制作年:2006年●監督・脚本:小泉堯史●製作:椎名保●撮影:上田正治/北澤弘之●音楽:加古隆●原作:小川洋子「博士の愛した数式」●時間:117分●出演:寺尾聰/ 深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆/浅丘ルリ子/井川比佐志●公開:2006/01●配給:アスミック・エース(評価:★★★)

 【2005年文庫化[新潮文庫]】

About this Archive

This page is an archive of recent entries in the 本屋大賞(10位まで) category.

小林秀雄賞受賞作 is the previous category.

ミステリが読みたい! (第1位) is the next category.

Find recent content on the main index or look in the archives to find all content.

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1