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脳梗塞の後遺症によるハンデを負いつつ、単なる闘病記を超えたメッセージを伝える。
『寡黙なる巨人』(2007/07 集英社) NHKスペシャル「脳梗塞(こうそく)からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」より(2005.12.4)
2008(平成20)年度・第7回「小林秀雄賞」受賞作。
世界的な免疫学者である著者は、'01年に旅先の金沢で脳梗塞に見舞われ、数日間死線を彷徨った後に生還したものの、後遺症によって発語機能が奪われるとともに右半身不随になり、突然に不自由な生活を強いられるようになりますが、本書はその闘病(リハビリ)の過程において自分の中に目覚めた新たなる人格、生への欲動とでも言うべきものを「寡黙なる巨人」として対象化し、巨人とともに歩む自分を通して、単なる闘病記を超えたメッセージを読者に伝えるものとなっています。
'05年12月にNHKスペシャルとして放映された「脳梗塞(こうそく)からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」を見たときの、キーボードを打つと音声を発する機械で会話する著者の様に強く印象づけられましたが、既にこの時点でガン告知も受けており、まさか著者の書いたものがこうした1冊の単行本になって新たに上梓され、それを読むことができるとは思いませんでした。ワープロは病いに倒れて初めて使用したとのことで、'05年の段階でも、あまりスピードは速くなかったように思います(と言うか、めちゃくちゃ遅かった...)。
にもかかわらず、病いに倒れてからの方が活発に創作活動をしているということで、本のページすらまともにめくることが出来ないようなハンデキャップなのに、知的創作力は衰えておらず、もともとエッセイストクラブ賞も受賞(『独酌余滴』('99年/朝日新聞社))している文筆家でもありますが、後半のアンソロジーにはそれぞれに深みがあって、以前よりもキレが増したような気さえします(小林秀雄や中原中也についての論考が個人的には興味深かったが、リハビリテーション医療に対する社会的提言や福祉政策への批判なども含まれていて、思考が内に籠もっていない)。
しかし、それにも増して驚くのは、本の前半を占める100ページ近くも通しで書かれた「闘病記」で、病いに倒れたときの臨死体験に近い経験や、意識が戻ったものの、全身の筋肉が不随意となり、唾液すら自分で飲み込めない地獄のような苦しみ、明けても暮れても自死を考える日々、苦しいリハビリなどを経て初めて1歩だけ歩けた時の歓びなどが、切々と伝わってきます。
確かに、脳梗塞で倒れ不自由な生活を送っている人は多くいるかと思いますが、介助する人に恵まれていたとは言え、これだけのハンデキャップを負いながら、これだけ冷静に力強くその闘病を伝えたケースというのも稀ではないでしょうか。「小林秀雄賞」の受賞会見で著者は、キーボード音声機器で、「本当にうれしい。渾身で書いた。修道僧のように書くことだけが生きがい」と、その喜びを述べています。
小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄氏(2008/08/28)【共同通信】
【2010年文庫化[集英社文庫]】