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映画は「本日休診」+「遥拝隊長」(+「多甚古村」?)。
本日休診 DVD.jpg 本日休診_3.jpg  本日休診 文庫 .jpg
<あの頃映画>本日休診 [DVD]」 岸惠子・柳永二郎 『遙拝隊長・本日休診(新潮文庫)

本日休診 01柳永二郎.jpg 三雲医院の三雲八春(柳永二郎)は戦争で一人息子を失い、甥の伍助(増田順二)を院長に迎えて戦後再出発してから1年になる。その1周年記念日、伍助院長は看護婦の本日休診 04岸惠子.jpg瀧さん(岸惠子)らと温泉へ行き、三雲医院は「本日休診」の札を掲げる。八春先生がゆっくり昼寝でもと思った矢先、婆やのお京(長岡輝子)の息子勇作(三國連太郎)が例の発作を起こしたという。勇作は軍隊生活の悪夢に憑かれており、時折いきなり部隊長となって皆に号令、遥拝を命じるため、八春先生は彼の部下になったふりをして本日休診 三國.jpg気を鎮めてやらなければならなかった。勇作が落着いたら、今度は警察の松木ポリス(十朱久雄)が大阪から知り合いを頼って上京したばかりで深夜暴漢に襲われ本日休診 03角梨枝子.jpgたあげく持物を奪われた悠子(角梨枝子)という娘を連れて来る。折から18年前帝王切開で母子共八春先生に助けられた湯川三千代(田村秋子)が来て、悠子に同情してその家へ連れて帰る。が、八春先生はそれでも暇にならず、砂礫船の船頭の女房のお産あり、町のヤクザ加吉(鶴田浩二)が指をつめるのに麻酔を打ってくれとやって来たのを懇々と説教もし本日休診 06鶴田浩二.jpgてやらねばならず、悠子を襲った暴漢の連本日休診 02佐田啓二.jpgれの女が留置場で仮病を起こし、兵隊服の男(多々良純)が盲腸患者をかつぎ込んで来て手術をしろという。かと思うとまたお産があるという風で、「休診日」は八春先生には大変多忙な一日となる。悠子は三千代の息子・湯川春三(佐田啓二)の世話で会社に勤め、加吉はやくざから足を本日休診 05淡島千景.jpg洗って恋人のお町(淡島千景)という飲み屋の女と世帯を持とうと考える。しかしお町が金のため成金の蓑島の自由になったときいて、その蓑島を脅本日休診 10.jpg迫に行き、お町はお町で蓑島の子を流産して八春先生の所へ担ぎ込まれる。兵隊服の男は、治療費が払えず窓から逃げ出すし、加吉は再び賭博で挙げられる。お町は一時危うかったがどうやら持ち直す。そんな中、また勇作の集合命令がかかり、その号令で夜空を横切って行く雁に向かって敬礼する八春先生だった―。

本日休診』d.jpg本日休診●井伏鱒二●文芸春秋社●昭和25年4刷.jpg 1952(昭和29)年公開の渋谷実(1907-1980/享年73)監督作で、原作は第1回読売文学賞小説賞を受賞した井伏鱒二(1898-1993/享年95)の小説「本日休診」であり、この小説は1949(昭和24)年8月「別冊文芸春秋」に第1回発表があり、超えて翌年3回の発表があって完結した中篇です。

本日休診 (1950年)』(1950/06 文藝春秋新社) 収載作品:遥拝隊長 本日休診 鳥の巣 満身瘡痍 貧乏徳利 丑寅爺さん

 町医者の日常を綴った「本日休診」は、井伏鱒二が戦前に発表した田舎村の駐在員の日常を綴った「多甚古村」と対を成すようにも思われますが、「多甚古村」は作者の所へ送られてきた実際の田舎町の巡査の日記をベースに書かれており、より小説的な作為を施したと思われる続編「多甚古村補遺」が後に書かれていますが(共に新潮文庫『多甚古村』に所収)、作家がより作為を施した「多甚古村補遺」よりも、むしろオリジナルの日記に近いと思われる「多甚古村」の方が味があるという皮肉な結果になっているようも思いました。その点、この「本日休診」は、作家としての"作為"の為せる技にしつこさがなく、文章に無駄が無い分キレを感じました。

 医師である主人公を通して、中篇ながらも多くの登場人物の人生の問題を淡々と綴っており、戦後間もなくの貧しく暗い世相を背景にしながらもユーモアとペーソス溢れる人間模様が繰り広げられています。こうしたものが映画化されると、今度はいきなりべとべとしたものになりがちですが、その辺りを軽妙に捌いてみせるのは渋谷実ならではないかと思います。

本日休診 12.jpg 主人公の「医は仁術なり」を体現しているかのような八春先生を演じた柳永二郎は、黒澤明監督の「醉いどれ天使」('48年/東宝)で飲んだくれ医者を演じた志村喬にも匹敵する名演でした。また、「醉いどれ天使」も戦後の復興途上の街を描いてシズル感がありましたが、この「本日休診」では、そこからまた4年を経ているため、戦後間もない雰囲気が上手く出るよう、セットとロケ地(蒲田付近か)とでカバーしているように思本日休診5-02.jpgいました。セット撮影部分は多分に演劇的ですが(そのことを見越してか、タイトルバックとスチール写真の背景は敢えて書割りにしている)、「醉いどれ天使」も後半はセット撮影でした(「醉いどれ天使」の場合、主演俳優が撮影中に雑踏恐怖症になって野外ロケが不能になり後半は全てセット撮影となったという事情がある)。

本日休診 title.jpg本日休診 title2 .jpg クレジットでは、鶴田浩二(「お茶漬の味」('52年/松竹、小津安二郎監督))、淡島千景(「麦秋」('51年/松竹、小津安二郎監督)、「お茶漬の味」)、角梨枝子(「とんかつ大将」('52年/松竹、川島雄三監督))ときて柳永二郎(「魔像」('52年/東映))となっていますが、この映画の主役はやはり八春先生の柳永二郎ということになるでしょう。その他にも、佐田啓二、三國連太郎、岸恵子など将来の主役級から、増田順二、田村秋子、中村伸郎、十朱久雄、長岡輝子、多々良純、望月優子といった名脇役まで多士済々の顔ぶれです。

本日休診 07三国連太郎.jpg この作品を観た人の中には、三國連太郎が演じた「遥拝隊長」こと勇作がやけに印象に残ったという人が多いですが、このキャラクターは遙拝隊長youhaitaichou.jpg原作「本日休診」にはありません。1950(昭和25)年発表の「遥拝隊長」(新潮文庫『遥拝隊長・本日休診』に所収)の主人公・岡崎悠一を持ってきたものです。彼はある種の戦争後遺症的な精神の病いであるわけですが、原作にはその経緯が書かれているので読んでみるのもいいでしょう。また、映画の終盤で、警察による賭場のガサ入れシーンがありますが、これは「多甚古村」にある"大捕物"を反映させたのではないかと思います。

淡島千景鶴田浩二角梨枝子『本日休診』スチル.jpg 脚本は、「風の中の子供」('37年/松竹、坪田譲治原作、清水宏監督)、「風の中の牝鶏」('48年/松竹、小津安二郎監督)の斎藤良輔(1910-2007/享年96)。原作「本日休診」で過去の話やずっと後の後日譚として描かれている事件も、全て休診日とその翌日、及びそれに直接続く後日譚としてコンパクトに纏めていて、それ以外に他の作品のモチーフも入れ、尚且つ破綻することなく、テンポ良く無理のない人情喜劇劇に仕上げているのは秀逸と言えます(原作もユーモラスだが、原作より更にコメディタッチか。原作ではお町は死んでしまうのだが、映画では回復を示唆して終わっている)。

鶴田浩二/淡島千景/角梨枝子

本日休診 スチル.jpg この映画のスチール写真で、お町(淡島千景)らが揃って"遥拝"しているものがあり、ラストシーンかと思いましたが、ラストで勇作(三國連太郎)が集合をかけた時、お町は床に臥せており、これはスチールのためのものでしょう(背景も書割りになっている)。こうした実際には無いシーンでスチールを作るのは好きになれないけれど、作品自体は佳作です。その時代でないと作れない作品というのもあるかも。過去5回テレビドラマ化されていて、実際に観たわけではないですが、時が経てば経つほど元の映画を超えるのはなかなか難しくなってくるような気がします(今世紀になってからは一度も映像化されていない)。
     
本日休診 vhs5.jpg本日休診 1952.jpg「本日休診」●制作年:1939年●監督:渋谷実●脚本:斎藤良輔●撮影:長岡博之●音楽 吉沢博/奥村一●原作:井伏鱒二●時間:97分●出演:柳永二郎/淡島千景/鶴田浩二/角梨枝子/長岡輝子/三國連太郎/田村秋子/佐田啓二/岸恵子/市川紅梅本日休診 08中村伸郎.jpg(市川翠扇)/中村伸郎/十朱久雄/増田順司/望月優子/諸角啓二郎/紅沢葉子/山路義人/水上令子/稲川忠完/多々良純●公開:1952/02●配給:松竹(評価:★★★★)
中村伸郎(お町の兄・竹さん)

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"昭和の脱獄王"の怪物的な能力、粘着気質的な意志の強さと"律儀さ"との組み合わせが興味深い。「プリズン・ブレイク」顔負け。

破獄 単行本_.jpg破獄 吉村昭.jpg 破獄  吉村昭.jpg   プリズン・ブレイク1.jpg 「プリズン・ブレイク」
破獄 (新潮文庫)』['86年]
破獄 (1983年)
白鳥由栄.jpg 1984(昭和59)年・第36回「読売文学賞」並びに1985(昭和60)年・第35回「芸術選奨」受賞作。

 昭和11年に青森刑務所を脱獄、昭和17年に秋田刑務所を脱獄、昭和19年に網走刑務所脱獄、昭和23年に札幌刑務所脱獄と、犯罪史上未曽有の4度の脱獄を実行した無期刑囚"佐久間清太郎"(仮名)を描いた「記録文学」。

白鳥由栄2.jpg 脱獄を繰り返す男のモデルとなっているのは、"昭和の脱獄王"と言われた白鳥由栄(しらとり・よしえ、1907‐1979)で、作者は、刑務所で白鳥由栄と深く接した元看守らを綿密に取材しており、実質的には実在の超人的脱獄囚を描いた「記録文学」と言っていいのでは。

白鳥由栄

網走監獄博物館にある白鳥の脱獄シーンの再現展示

 とりわけ脱獄不可能と言われた網走刑務所において脱獄を果たす様は、既に2回の脱獄により天才脱獄囚人として特別に厳重な監視下に置かれながらのことでもあり、まさに驚異的と言ってよく、「網走監獄博物館」には、白鳥由栄の脱獄の模様を再現した展示まであります。口に含んだ味噌汁で特製手錠のナットを腐蝕させて外すなどのテクニック自体の凄さもさることながら、看守に心理戦を仕掛けて重圧をかけたり、その注意を欺いたりする人間的な駆け引きにも卓抜したものがあったことがわかります。

プリズン・ブレイク2.jpg 脱獄譚と言えば、米テレビドラマシリーズ「プリズン・ブレイク」の実話版みたいだけど、「プリズン・ブレイク」の方は、最初の13話の脱獄を果たしたところで終わる予定だったものが(ここまでは面白い!)、好評だったため第1シーズンだけでも脚本を書き足して22話にし、その後もだらだら続けていったために、どんどんつまらなくなっていきましたが、こっちの白鳥由栄モデルの実話版は、最後まで緊張感が途切れず気が抜けません。まさに、"昭和の脱獄王"だけあって、「プリズン・ブレイク」顔負け。

 網走刑務所での話あたりから、看守側の置かれている過酷な労働環境や、大戦末期当時、或いは終戦直後の混乱した世相なども併せて描かれており、"佐久間"に脱獄を許してしまった看守らからすれば、必ずしも落ち度があったとかタルんでいたとか言えるものでもなく、脱獄を図る"佐久間"と看守との間で、知力と精神力の限りを尽くしたぎりぎりの攻防があったことが分かります。

 そうした看守らの中には、"佐久間"を1人の人間として扱った人もいて、"佐久間"はもともと情に厚い人柄であり、恩を受けた看守に対しては忠義の心を忘れなかったようです。身体能力も含めた怪物的な脱獄能力(湾曲した壁を這い登ることが出来た)、粘着気質的な脱獄意志の強さ(自分に辛く当たった看守が当番の日をわざわざ選んで脱獄した)と、こうした"律儀さ"との組み合わせが興味深いです。

 最後の収監先となった府中刑務所においては、刑務所長・鈴江圭三郎自らが、"佐久間"を人間的に扱う施策を"戦略的"に講じ、その結果、"佐久間"は脱獄を企図することをやめていますが、これってまるで、イソップの「北風と太陽」みたいだなあと。

 但し、その施策を評価されながらも、鈴江自身は、"佐久間"が再び脱獄を図ることが無かったのは彼の加齢に原因があると冷静に分析しており、また、作品としては、刑務所そのものの待遇等の改善、更には、社会における刑務所の位置づけの変化なども遠因として匂わせています。

破獄 DVD.jpg破獄 緒形拳.jpg この作品は、緒形拳(佐久間清太郎)、津川雅彦(鈴江圭三郎)主演で1985年にNHKでドラマ化されており(2017年にテレビ東京で山田孝之(佐久間)、ビートたけし(鈴江)主演で再ドラマ化された)、また、白鳥由栄をモデルにした他の小説では、船山馨『破獄者』、八木義徳『脱獄者』どがあります。
 
プリズン・ブレイク dvd.jpgプリズン・ブレイク3.jpgPrison Break.jpg「プリズン・ブレイク」 Prison Break (FOX 2005/08~2009/05) ○日本での放映チャネル:FOX/日本テレビ(2006~2010)
プリズン・ブレイク シーズン1 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]

 【1986年文庫化(新潮文庫)】

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「数式」と「阪神タイガース」。モチーフの組み合わせの新鮮さ。

博士の愛した数式.jpg 博士の愛した数式 帯.jpg        妊娠カレンダー2.jpg    博士の愛した数式 2.jpg  
博士の愛した数式』['03年/新潮社・'05年/新潮文庫]『妊娠カレンダー』['91年/文藝春秋]「博士の愛した数式」['06年] 寺尾聰/深津絵里

 2003(平成15)年度・第55回「読売文学賞」受賞作ですが、第1回「本屋大賞」(1位=大賞)も受賞していて、こちらの方が記念すべき受賞という感じではないでしょうか。また、それにふさわしい本だと思いました(因みに、2003年から始まった、紀伊国屋書店の書店スタッフが選ぶベスト書籍「キノベス」でも第1位に選ばれている)。

 シングルマザーの家政婦である主人公が派遣された家には、事故の後遺症で記憶が80分しか持たないという数学博士がいて、ある日、彼女に10歳の息子がいることを知った博士は、家へ連れてくるように告げる―。

 映画にもなるなど話題になった作品であり、主人公と博士の心の通い合いが主に描かれているのだと思って読み始めましたが、途中から、博士の主人公の息子に対する愛情に焦点が当たっている感じがし、それを見守る主人公の視線の温かさ、主人公自身が癒されている感じがいいです。

 博士は80分しか記憶が持続しないわけだから、息子とは(主人公ともそうだが)毎日"初対面"の関係であるわけで、それだけに、博士の息子に対する愛情に深い普遍性を感じます。

 一方で、「海馬」を損傷したりすればそうした状態になることがあるのは知られていることですが(海馬の損傷で一番重度の症状は「陳述的記憶」が全て飛んでしまうというものであり、学術的には海馬は「宣言的記憶」の固定に関わるとされている)、新しい記憶は全く博士の中では作られていないのか、結局は主人公のことも息子のことも翌日になればすべて博士の頭の中には何も残っていないのか―といったことを、博士と過去の記憶を共有し、またそのことを自負している義姉と主人公との対峙において考えてしまいました。そもそも、記憶とは何か―。

妊娠カレンダー.jpg 以前に芥川賞受賞作の『妊娠カレンダー』('91年/文藝春秋)を読んで、文学少女版「ローズマリーの赤ちゃん」みたいに思え、芥川賞狙いとか言う依然に好みが合わず、あまりいいとは思わなかったのですが、いつの間にか力をつけていたという感じ(当初から力はあったが、自分の見る眼が無かったのか?)。

妊娠カレンダー (文春文庫)』 ['94年]

 『博士の愛した数式』は一種のファンタジーとも言える作品なのかもしれないけれども、「素数」「友愛数」「完全数」「オイラーの公式」といった数学的モチーフと'92年の阪神タイガースのペナントレースを上手く物語に取り込んでいて、この組み合わせの"新鮮さ"とそれぞれぞれの"深さ"には、大いに惹き込まれました。

博士の愛した数式 1シーン.jpg 映画化作品は「雨あがる」('00年/東宝)の小泉堯史監督、寺尾聰、深津絵里主演で、原作の終わりで主人公の"私"が"博士"を見舞った際に息子の"ルート"が「学校の先生になった」と告げていることを受けて、ある高校の教室に新しい数学担任となったルート(吉岡秀隆)がやってくるところから始まり、全体が彼の回想譚になっていますが、結果的に原作では1人に集約されていた"私"が、映画では2人(母と息子)いるような感じになって、個人的にはこの構成はしっくりこなかった気がしました。

「博士の愛した数式」('05年/監督・脚本:小泉堯史、出演:寺尾聰/深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆)

博士の愛した数式 1シーン0.jpg 「オイラーの公式」などを映画の中できちんと説明している点などは、原作のモチーフを大事にしたいと考えたのか、ある意味で思い切った選択だったと思いますが(「虚数」って高校の「数Ⅱ」で習っているはずだが殆ど忘れているなあ)、一方で、歌舞伎のシーンなど原作にない場面もあって、やや冗長な印象もありました。原作では、博士の記憶保持期間が80分からだんだん短くなっていくことを示して彼の死を示唆していますが、映画では博士と成長した息子がキャ博士の愛した数式 dvd.jpg博士の愛した数式 movie.jpgッチボールをするシーンを入れて、意図的に暗くならないようにした印象も。寺尾聰、深津絵里とも演技達者の役者ですが(寺尾聡が着ていた古着のジャケットは実父・宇野重吉の遺品とのこと)、意外と映像化すると削ぎ落ちてしまう部分が多くて(映画だけ観ればそれはそれで感動するのだろうが)、原作の持ち味を十分に伝えるのが難しい作品だったかもしれないと思いました。
博士の愛した数式 3.jpg
博士の愛した数式 [DVD]

「博士の愛した数式」●制作年:2006年●監督・脚本:小泉堯史●製作:椎名保●撮影:上田正治/北澤弘之●音楽:加古隆●原作:小川洋子「博士の愛した数式」●時間:117分●出演:寺尾聰/ 深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆/浅丘ルリ子/井川比佐志●公開:2006/01●配給:アスミック・エース(評価:★★★)

 【2005年文庫化[新潮文庫]】

「●あ 安部 公房」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【560】 安部 公房 『人間そっくり
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読みやすい文章で、ミステリアスな味わいも。前年の豪雪地帯の取材がモチーフになっているのでは。

砂の女 1962.jpg 単行本 ['62年/新潮社] 砂の女.jpg 砂の女 新潮文庫.jpg砂の女』 新潮文庫 〔旧版/新版〕 

 1962(昭和37)年・第14回「読売文学賞」受賞作。

 安部公房(1924‐1993)の作品の多くは、現代社会に生きる人間の孤独とそこからくる焦燥感をテーマにしており、社会への適応原理を見失った(或いはそうした状況に突然置かれた)人間が安定状態を回復しようとしてますます孤独の深みに嵌まっていくというものが多いような気がします。

 そのため安部公房の小説は、不条理の作家カフカの作品に模せられることが多く、代表作と呼ばれる作品には抽象的で難解なものが少なくないし、また「デンドロカカリア」の主人公の名が〈コモン君〉であったように、無国籍性というのも1つの特徴ではないかと思います。

 そうした中で、砂丘地帯の村落共同体に迷い込み、「砂の穴」からの脱出を図る主人公を描いたこの作品は、現代人の孤独と焦燥感という他の安部作品と共通するテーマを扱いながらも、主人公が置かれた「不条理な状況」というのが日本的な「村社会」の性格を強く反映したものであったり、或いは日常生活的なリアリティを排しながらも、その「村社会」に生きる女性の言動や性の描写に風土的なリアリティがあったりし、また他の代表作に比べて読みやすい文章で、更にはミステリアスな味わいもあり、不思議と親和感のようなものを感じます。

 満州の半砂漠的風土で幼年期を過ごした作者にとって、砂漠というのは割合イメージ的にリアルなものだったのではないかと推察できますが、「砂の穴」の上の世界と下の世界の断絶や、主人公が向き合うところとなる「砂の壁」のイメージは、この書き下ろし作品が発表された前年(昭和36年1月)に作者は新潟の豪雪を取材しており、その豪雪状況下での人々の暮らしがモチーフとして織り込まれたのではないかと個人的には思っています。

 ラストでの主人公の心境の変化は、彼がこの「砂の穴」を脱出して「都会の砂漠」へ戻ることの必然性を見出せなくなっていることを示しており、これを成長と見ることも妥協と見ることもできるという点でも問題を孕んだ意欲作だったと思います。

 【1981年文庫化[新潮文庫]】

砂の女sunanoonna5.jpg砂の女s.jpg砂の女es.jpg映画「砂の女」('64年/東宝)

監督:勅使河原宏
製作:市川喜一・大野 忠
脚本:安部公房
原作:安部公房
撮影:瀬川 浩
音楽:武満 徹
美術:平川透徹・山崎正雄
出演:岡田英次・岸田今日子・伊藤弘子 三井弘次・矢野宣・関口銀三 市原清彦・田村 保・西田裕行

                     
                
 

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"外部者の侵入"に耐えない脆弱な日本人? サイコミステリーっぽく、一気に読ませる。

イン ザ・ミソスープ.jpg  『イン ザ・ミソスープ』 (1997/09 読売新聞社) 村上龍.png 村上 龍 氏

 1997(平成9)年度・第49回「読売文学賞」受賞作。

 外国人向けの性風俗ガイドをしている20歳のケンジは、フランクと名乗るアメリカ人の依頼で、年末の夜の新宿の街を3晩、彼にアテンドすることになるが、フランクの人工皮膚を貼ったような顔は、なぜかケンジに、歌舞伎町で売春をしていた女子高生が惨殺されゴミ処理場に捨てられたという事件を思い起こさせた―。

 歌舞伎町の風俗産業の実態がよく取材されているようですが、そうしたものはこの作品の前後にも世に腐るほどあり、この作品でむしろ引き込まれるのは、フランクの異常性がちらちらと見え隠れして恐ろしい事件の勃発を予感させる、サイコミステリーっぽい仕立てにあることは間違いないでしょう。
 事件後もフランクと一緒にいるケンジの思考や行動にもリアリティがあり、最後のフランクの独白も重いものでした。
 
 "異常者"フランクの口から、自我の曖昧な日本人やぬるま湯のような日本社会に対する"まともな"批判がなされる、そのコントラストがひとつの妙と言えると思いますが、やや彼の口から語られ過ぎの感じも。
 ケンジの思考の中にも変に"オジさん"(作者自身?)っぽいものが入っていたりし、話題になった残虐な事件場面はややスプラッタ・ムービー調であるなど、瑕疵もそれなりに多い作品だという気がしますが、全体としてはフランク個人の眼を通して、日本人というものの脆弱さ、甘え、もたれあいといった精神性を投射していることが成功していると思いました。
 ぬるま湯状況の日本社会が"外部者の侵入"に晒されたら...という仮定において、後の、『半島を出よ』('05年/幻冬舎)などにも通じるところがありますが、話を広げ過ぎないことで、こっちの方がリアリティが保てていて怖い感じ。

 この小説で個人的に一番"買う"のは、「テンポ」の良さです。
 最近の著者の小説(『半島を出よ(上・下)』('05年/幻冬舎)など)のようなインターネットから引き写した如くの経済解説や時事ネタの挿入が少なく、3晩の出来事を筆一本で一気に押していくという感じで、これは新聞連載でちびちび読むタイプの小説ではないような気がしました(この小説は読売新聞に連載されたもので、連載終盤に神戸での児童連続殺傷事件('97年5月)が起きたことでも、予言的?であると話題になりましたが)。

 【1998年文庫化[幻冬舎文庫]】

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少女と元ヤクザの祖父の交流を描く。ファンタジー(児童文学)の系譜。

わたしのグランパ.jpg  『わたしのグランパ (文春文庫)』 〔'02年〕カバーイラスト/福井真一 0066_l.jpg '03年映画化 (監督:東陽一/出演:菅原文太、石原さとみ)

わたしのグランパ 単行本.jpg 1999(平成11)年度・第51回「読売文学賞」受賞作。

 中学1年生の「わたし」の前に、15年の刑期を終えてある日突然現れた元ヤクザの祖父「グランパ」。2人の関係は最初ぎこちないが、グランパの活躍などを経て徐々に―。よくこなれた文章を通して、今までの筒井康隆にないぬくもりが伝わってきます。

 筒井作品としては、「時をかける少女」('87年)以来のジュブナイル小説と言われていますが、その間にも少女を主人公にしたものは幾つかあったはず。むしろ、少女と老人の精神的交流を描くファンタジーではないかと思いました。さらに大きく捉えれば、児童文学とも言えるのではないかと思います。

『私のグランパ』単行本('99年/文藝春秋)

わたしのグランパ .jpg すると、こうした子どもと老人の交流を描くという系譜は、児童文学にあったような気がします(東陽一監督による映画化作品('03年/東映)では、この祖父を菅原文太が演じているが、個人的には未見)。児童文学作家・今江祥智の、戦時中の母子家族を描いた『ぼんぼん』に出てくる、元ヤクザの〈佐脇老人〉を思い出しました。

ぼんぼん1.jpg 『ぼんぼん』の主人公は少年ですけども、〈佐脇老人〉は陰に日向に少年を助け、少年の成長を支えるのですが、本書の「グランパ」の役回りは、『ぼんぼん』における〈佐脇老人〉のそれにすごく似ているように思いました。
ぼんぼん (1983年)

 【2002年文庫化[文春文庫]】

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「戦争文学」であり「実験小説」。極限状況における「私」の意識を克明に描く。

野火 創元社.bmp野火 (1952年)』 創元社 野火.jpg野火 (新潮文庫)』〔'54年〕 大岡昇平.jpg 大岡 昇平 (1909‐1988/享年79)

 1951(昭和26)年・第3回「読売文学賞」受賞作。

 敗色濃厚のフィリピン・レイテ島戦線で、結核に冒された田村一等兵は、野戦病院が食糧を持たない患者は受け入れないため、本隊から若干の芋を受け取り病院周辺にたむろする同じ境遇の兵士たちといるとき、病院から火事が出て、行くあてもなく野火の広がる原野をさまよい歩くが、そこで多くの屍体に遭遇し、飢えた兵士たちや気が狂った将校にも会う。将校は、死の寸前に、「俺が死んだら、ここを喰べていいよ」と自分の腕をさして言うが、実際に多くの兵隊たちが飢えに勝てず、敵味方の屍体に手を伸ばしている状況である。彼はやがて敗残兵と合流し、食料として「猿」の乾燥肉を与えられる―。

莫邦富.jpg 親日派ジャーナりストの莫邦富(モー・パンフ)氏は、出会う日本のメディア関係者にいつも本作を読んだことがあるか聞くそうですが、今まで誰一人として読んだという人はいないそうで(う〜ん、ホントに全員に訊いたのかな?)、「先日、やってきた東大の院生たちにも聞いてみたが、全員、首を横に振った。帰りぎわ、一人は私に確認した。『オーオカショーヘーという人は中国人ですか』」と書いています('06年8/19朝日be版「『野火』を読みましたか」)。これはヒドイ。

 大岡昇平(1909‐1988)は反戦作家だと思うし、初稿が'48年、改稿が'51年に発表されたこの作品は、紛れもなく日本を代表する「戦争文学」だと思いますが、一方で、スタンダール研究家でもあった作者の「実験小説」でもあるような印象を受けました。
 『俘虜記』('52年/創元社)の冒頭の「捉まるまで」と本作は執筆時期が重なる)と同じ一人称で書かれたものでありながら、過去の回想として書かれている『俘虜記』よりも、本作はより克明に"今"の「私」の意識の流れを追って、「私」の意識を作者が作品として対象化しているというより、むしろ"今"の「私」の意識の中に作者が入り込んでいるような感じで、死と対峙する極限状態にありながらも、「私」の意識には、どこか冷静な諦観のようなものがあるような気もしました。

 カニバリズムがモチーフになっている点で武田泰淳の『ひかりごけ』と対比されますが(2人の親交はよく知られている)、本作の主人公は、結局、人肉を食べることをせず、これは、極限状況における人間としての尊厳とも矜持ともとれるし、その前に彼が無辜の民を殺害していることからくる罪の意識の反映ともとれます(殺人よりもカニバリズムの方が"悪"であるというという価値観の序列を表しているのではない)。

 『俘虜記』の「捉まるまで」にも関連するテーマですが、神を持たない日本人も、極限状況において神的なものを見出すことがあるのではないかという問いかけにもなっている気がし、これだけ多重的に深いテーマを示しているだけに、主人公が最後に精神病院に入っていることになっているという設定には、個人的にはやや不満が残ります。

 【1954年文庫化[新潮文庫]/1955年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1985年再文庫化[旺文社文庫]/1988年再文庫化[岩波文庫(『野火・ハムレット日記』)]】

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