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凄まじい話ではあるが、どこまでが小説でどこまでが創作なのか気になった「死の棘」。

「死の棘 (1990年)」2.jpg「死の棘」02.jpg
死の棘」[Prime Video](1990年)松坂慶子/岸部一徳 「カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ」受賞作
「眠る男」000.jpg
眠る男」[Prime Video](1996年)役所広司/クリスティン・ハキム/アン・ソンギ
「埋もれ木」00.jpg
埋もれ木」[Prime Video](2005年)夏蓮/松川リン/榎木麻衣

「死の棘」03.jpg ミホ(松坂慶子)とトシオ(島尾敏雄)は結婚後10年の夫婦。第二次大戦末期の1944年、二人は奄美大島・加計呂麻島で出会った。トシオは海軍震洋特別攻撃隊の隊長として駐屯し、島の娘ミホと恋におちた。死を予告されている青年と出撃の時には自決して「死の棘」04.jpg共に死のうと決意していた娘との、それは神話のような恋だった。しかし、発動命令がおりたまま敗戦を迎え、死への出発は訪れなかったのだ。そして現在、二人の子供の両親となったミホとトシオの間に破綻がくる。トシオの浮気が発覚したのだった。ミホは次第に精神の激しい発作に見舞われる。トシオはその狂態の中に、かつてのあの死の危機を垣間見る。それは、あら「死の棘」05.jpgゆる意味での人間の危機だった。トシオはすべてを投げ出してミホに奉仕する。心を病むミホと二人の子を抱え、ある時は居を転じ、ある時は故郷の田舎に帰ろうと試み、様々な回復の手段を講じるトシオだったが、事態は好転せず、さらに浮気の相手・「死の棘」06.jpg邦子(木内みどり)の出現によって、心の病がくっきりし始めるのだった。トシオは二人の子をミホの故郷である南の島に送ってミホと共に精神科の病院に入り、付き添って共に同じ日々を送る。社会と隔絶した病院を住み家とすることで、やがて二人に緩やかな蘇りが訪れる―(「死の棘」)。

死の棘 カンヌ.jpg 第43 回カンヌ国際映画祭で「死の棘」が審査員特別賞を受賞した小栗康平監督(1990年05月21日) 【AFP時事】

『死の棘』 島尾敏雄 1960年10月初版』(芸術選奨)/『死の棘(1977年)』(読売文学賞・日本文学大賞)
『死の棘』 島尾敏雄 昭和35年10月初版.jpg『死の棘』単行本2.jpg 「死の棘」は小栗康平監督の'90年作で、1990年カンヌ国際映画祭「審査員グランプリ」受賞作。主演の松坂慶子、岸部一徳はそれぞれ、1990年度「キネマ旬報ベスト・テン」の主演女優賞・主演男優賞など多くの賞を受賞した作品です。島尾敏雄の原作は、'60(昭和35)年から'76(昭和51)年まで、「群像」「文学界」「新潮」などに短編の形で断続的に連載され、'77(昭和52)年に新潮社より全12章の長編小説として刊行(第1章「離脱」、第2章「死の棘」までを収録した'60年(昭和36)年刊の講談社版、 第3章「崖のふち」、第4章「日は日に」までを収録した'63(昭和38)年刊の角川文庫版も存在する)、1961年・第11回「芸術選奨」、1977年・第29回「読売文学賞」、1978年・第10回「日本文学大賞」を受賞しています。

『狂う人』.jpg 原作はスゴかったです。初めて読んだときは多分にドキュメントとして読んだため、ミホの狂気に圧倒されてしまいました。しかし、後に刊行された、ノンフィクション作家の梯久美子氏が膨大な資料・証言から真実を探った『狂うひと―死の棘の妻・島尾ミ三島由紀夫  2.jpgホ』('16年/新潮社)によると、原作には虚実がないまぜの部分があるようです(作者が妻にわざと自分の日記を読ませたとかは早くから言われていたが、妻が一部書き直したりして、夫婦合作的要素もあるらしい)。三島由紀夫が作者の作品について、「われわれはこれらの世にも怖ろしい作品群から、人間性を救ひ出したらよいのか、それとも芸術を救ひ出したらよいのか。私小説とはこのやうな絶望的な問ひかけを誘ひ出す厄介な存在であることを、これほど明らかに証明した作品はあるまい」と言っていますが、ある意味、こうした問題を予見していたようにもとれます(個人的にも評価し難い)。

 そうした「原作の問題」を置いておいて、映画だけで観ると、面白かったし、やはりスゴ木内みど.jpgかったです。トシオを演じた岸部一徳はこの作品で一皮むけたのではないかと思われます。松坂慶子も、突然「肺炎になってやる!」と叫び、胸をさらけ出しなど、体当たりの演技に挑戦していま「死の棘 木内.jpgす。トシオの浮気相手を演じた木内みどり(1950-2019)(「ゴンドラ」('97年)など)も、この作品が代表作ではないでしょうか。子役も上手く使っていて、その辺りはさすが「泥の河」('81年)の監督という感じです。ただ、ミホとトシオが今どういった状況に置かれているのか説明がやや足りず、この辺りの"説明不足"は「伽倻子のために」('84年)からすでに見られるこの監督の特徴でしょうか。


「眠る男」01.jpg 山あいの温泉町・一筋町。キヨジ(今福将雄)とフミ(野村昭子)の老夫婦の家には、山で事故に遭って以来、意識を失ったまま眠り続けている拓次(アン・ソンギ)という男がいた。フミは拓次を病院から引き取り、献身的な介護を続けている。拓次を毎日のように見舞うのは、知的障害を持つ青年・ワタル(小日向文世)だった。感受性豊かな彼は、事故に遭った拓次の第一発見者でもあり、人一倍彼のことを心配していた。水車小屋には傳次平(田村高廣)という老人がおり、自転車置き場と小さな食堂を経営するオモニ(八木昌子)に育てられている少年リュウ(太刀川寛明)は、傳次平から色々な話を聞くのを楽しみにしている。町では、南アジアの国からやってきた女たちがスナック「メナム」で働いていた。その一人であるティア(クリスティン・ハキム)は、故国の河でわが子を亡くした過去を持つ。ティアは町の人たちと接するうちに、次第に町の暮らしに馴染んでいった。拓次の幼友達である電気屋の上村は、最近になって、小さい頃、拓次とよく遊びに行った山の奥にある山家のことを思い出すようになった。そこに誰が住んでいて、それが本当にあったのかどうかも定かではなかったが、独り暮らしの老婆たけ(風見章子)から山家が本当にあったこと「眠る男」02.jpgを聞いた上村(役所広司)は、もう一度そこへ行ってみたくなった。冬が過ぎ、春が訪れ、やがて夏になり季節が巡ると、人々の生活にも少しずつ変化が見えた。寝たきりだった拓次はついに息を引きり、いんごう爺さん(瀬川哲也)の提案で"魂呼び"が試みられたが、それも空しい結果に終わった。しかしその後、神社で催された能芝居を観ていたティアが、森の中で死んだはずの拓次と再会する。不思議な体験をした彼女は、何かに導かれるように上村が探す山家へたどり着き、翌日、そこで上村と出会う。二人は、涸れていると言われていた井戸に水が涌きでていることを知る。上村はブロッケン現象の起こる山頂で、拓次に人間の命について問いかけるのだった―(「眠る男」)。

「眠る男」」0101.jpg 小栗康平監督の'96年作「眠る男」は、群馬県が人口200万人到達を記念して、地方自治体としては初めて製作した劇映画です。第20回モントリオール世界映画祭「審査員特別大賞」、第47回ベルリン映画祭「国際芸術映画連盟賞」を受賞。'96年度キネマ旬報ベストテン第3位で、小栗康平監督は2度目の監督賞を受賞しています。役所広司を主演に据え、韓国人、インドネシア人俳優の出演で国際色豊かな作品です(韓国の安聖基が演じる〈眠る男〉は主役ではなく映画のシンボルとして存在している)。ただ、こちらもいよいよもって説明不足で、登場人物の個の感情が前面に押し出されてはいますが、結局、実際のところは本人にしかわからないという印象を受けました。したがって、正直〈眠る男〉が何の象徴なのかもよく分かりませんでした。


「埋もれ木」3.jpg 山に近い小さな町。まち(夏蓮)ら三人の女子高生たちは、短い物語を作り、それをリレーして遊ぶことを思いつく。さっそく、町のペット屋がらくだを仕入れた、というエピソードをはじまりに、無邪気な夢物語が紡がれていく。次々と紡がれる物語は未来へと向かう夢なのか。一方、大人たちも慎ましやかにそれぞれの日々をいき続けている。そんなある日、大雨の影響で地中から"埋もれ木"と呼ばれる古代の樹木林が姿を現した。やがて町の人々は、そこでカーニバルを開催することを思いつく―(「埋もれ木」)。

「埋もれ木」お1.jpg 「埋もれ木」は小栗康平監督の'05年作品で、撮影は'04年の梅雨から夏の三重県で行われ、前作「眠る男」と同じく地元タイアップ的な作品。第58回「カンヌ国際映画祭」で特別上映され、国内外で注目されたのよ、主演の女子高生三人(夏蓮、松川リン、榎木麻衣)を7000人の一般公募者の中から選出したことでも話題になった作品でした(そう言えば前作「眠る男」にも、ごく普通の女子高生たちが登場した)。物語は、起承転結がないような思わせぶりな小さいエピソードの積み重ねであり、それはそれでいいのですが、これもまた説明不足であるため、落としどころが何なのかよく分かりませんでした(したがって話題が先行した割にはヒットしなかった)。

 この監督は、真摯に自分の撮りたい作品を撮り続けているように見える一方で、独りよがりとの批判を受けても仕方がない面もあるように思えます(コアなファンには受けるのだろうが)。また、「賞狙い」的な要素も感じられ、その極みが「FOUJITA」('15年)だったのではないかと思います(個人的評価★★☆)。「泥の河」(個人的評価★★★★☆)みたいな作品はもう撮らないのかなあ。

「死の棘 (1990年)」 (1).jpg「死の棘」●制作年:1990年●監督・脚本:小栗康平●撮影:安藤庄平●音楽:細川俊夫●原作:島尾敏雄●時間:115分●出演:松「死の棘」松坂岸部.gif坂慶子/岸部一徳/木内みどり/松村武典/近森有莉/山内明/中村美代子/平田満/浜村純/小林トシ江/嵐圭史/白川和子/安藤一夫/吉宮君子/野村昭子●公開:1990/04●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-09-12)(評価:★★★☆)
松坂慶子(ミホ) 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞、山路ふみ子女優賞
岸部一徳(トシオ)日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、キネマ旬報賞主演男優賞、全国映連主演男優賞

「眠る男 (1996年)」.jpg「眠る男」●制作年:1996年●監督:小栗康「眠る男」010.jpg平●製作:小寺弘之●脚本:小栗康平/剣持潔●撮影:丸池納●音楽:細川俊夫●時間:103分●出演:役所広司/クリスティン・ハキム/安聖基 (アン・ソンギ)/左時枝/野村昭子/田村高廣/今福将雄/八木昌子/小日向文世/瀬川哲也/渡辺哲/岸部一徳/蟹江敬三/平田満/真田麻垂美/太刀川寛明/小林トシ江/中島ひろ子/藤真利子/高田敏江/浜村純/風見章子●公開:1996/02●配給:SPACE●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-10-03)(評価:★★★)

「埋もれ木」011.jpg「埋もれ木 (2005年)」.jpg「埋もれ木」●制作年:2005年●監督:小栗康平●製作:小栗康平/佐藤イサク/砂岡不二夫●脚本:小栗康平/佐々木伯●撮影:寺沼範雄●時間:93分●出演:夏蓮/松川リン/榎木麻衣/浅野忠信/坂田明/岸部一徳/坂本スミ子/田中裕子/平田満/左時枝/塩見三省/小林トシ江/草薙幸二郎/久保酎吉/湯川篤毅/代田勝久/松坂慶子(油状出演)●公開:2005/06●配給:ファントム・フィルム●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-10-17)(評価:★★★)


『死の棘』文庫.jpg『死の棘』...【1981年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
「死の棘」より(抜粋)
●『あなたの気持ちはどこにあるのかしら。どうなさるおつもり?あたしはあなたに不必要なんでしょ。
だってそうじゃないの。10年ものあいだ、そのように扱ってきたんじゃないの。
あたしはもうがまんはしませんよ。もうなんと言われてもできません。爆発しちゃったの。
もうからだがもちません。見てごらんなさい、こんなに骸骨のように痩せてしまって』

●『あなた、あたしがすきだったの、どうだったの、はっきり教えてちょうだい・・・・じゃ、
どうしてあなたはあんなことをしたんでしょう。ほんとにすきならあんなことするはずがない。
あなた、ごまかさなくていいのよ。きらいなんでしょ。きらいならきらいだと言ってくださいな。
きらいだっていいんですよ。それはあなたの自由ですもの。きらいにきまってるわ。
あなたはほんとのことを、あたしに言ってちょうだいな。このことだけじゃないんでしょう。
もっとあるんでしょ。いったいなんにんの女と交渉があったの?』

●「妻は私の肝をつつき、その非をついばむことに容赦しないが、私からもぎ取られてしまえば彼女は
生きて行くことができないことに気づいた私は、彼女を手放すことはできない。
はっきりどれか一つをえらび、そして家の中に閉じこもったとき、私は家の外をみきわめないままに放棄された。
だから外の方はがらんどうの暗黒となって残り、そちらからいざないと審きがかさねてやってきて
いつ襲いかかられるかわからない。」

●「自分の身のまわりに起こる事件が、最悪の状態にころがって行くことは、むしろ、ひりひりした正確さがあっていい、
とほんのしばらくそう思った。」

●「妻がふとんをかぶって紐で首を絞めると、私はそうさせまいとしたあげく、ふたりはくんづほぐれつ取っ組み合いになった。
一方が出て行けとどなっても、相手が出て行こうとするとそれを止めにかかり、どこまで落ちて行くのが見当がつかない。
・・・・・『オトウシャン、ジサツ、シュルノ?』・・・すさまじい荒れた気配が家のなかいっぱいで、
障子もふすまもぶつかって手を突っ込むからさんばらに破れ、ちゃぶ台に使っていた応接台も私がからだごとぶつけたとき、
台が抜けてこわれた。二時ごろだったろうか。どちらからともなく疲れて中休みのかたちになった。」

●「頬の肉こそ落ちたが、丸顔で広い顔の造作のせいか、眠りのなかのその顔のときの疑いを知らぬひたむきなそれが
あらわれてきて、今にもかたりかけてきそうな錯覚を覚えた。
・・・・・眠りのため妻の意識は潜んでいるから、反応を受けずに娘のときそうしたように唇をそっとかさねることもできた。
すると深夜に部隊を抜け出し、岬の峠を越えてたどりついた部落奥の、家の縁側で眠っていた彼女に唇を合わせたときの
感触がよみがえった。
なんだか犬ころに近づくときめきのなかで、小鳥のやわらかな頭を両手で抱き取っている感じがし、
彼女のにおいは、すべて起らぬ前のやさしい状態につれもどしてくれたかと思えた。」

●「『力が弱い。もういっぺん』
と妻がいえば、さからえず、おおげさな身ぶりで、もう一度平手打ちをした。女はさげすんだ目つきで私を見ていた。
『そんなことぐらいじゃ。あたしのキチガイがなおるものか』」

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単にエンタメというだけでなく、愛にとって過去とは何か? を問うている。

『ある男』平野 単行本ei.jpg『ある男』2.jpg 『ある男』['18年/文藝春秋].jpg
ある男 (文春文庫 ひ 19-3)』『ある男』['18年/文藝春秋]

 2018(平成30)年・第70回「読売文学賞」受賞作。
『ある男』平野 単行本.jpg
 弁護士の城戸章良は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、そこで出会った谷口大祐と再婚、新たに生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていが、ある日突然、林業に従事していた大祐は事故で命を落とす。ところが、法要の日に、長年疎遠になっていた大祐の兄・恭一が、遺影に写っているのは大祐ではないと告げたことから、夫が全くの別人だったことが判明する。かつて里絵を担当した城戸は大祐(=ある男X)の正体を追う中で、驚くべき真実に近づいていく―。

 今年['22年]映画化され(監督は石川慶、主演は妻夫木聡)、今月[11月]18日に公開予定の作品ですが、映画化の前に読んで面白かったです。何とか本物の大祐に辿り着いたかと思ったら、もう一捻りあって、ミステリとしてもなかなか。だだし、単にエンタメというだけでなく、愛にとって過去とは何か? 幼少期に深い傷を負っても人は愛にたどりつけるのか?といった重いテーマに向き合っています。

 里枝の長男の、実の父親より、血のつながらない父親のほうを好きである、という設定などは、作者もずいぶん考えて、書きたいと思っていたモチーフだったとあるトークイベントで語っていましたが、こうしたメタファミリー的なテーマは最近はやりなのかも。でも、これはこれで良かったです。

 「戸籍入れ替え」のモチーフは、「このミステリーがすごい!」の2008年の「20周年ベスト・オブ・ベスト」(過去20年間のランキングでベスト20に入った作品を対象したアンケート結果)で第1位となった宮部みゆきの『火車』というスゴイ作品があるため、そこまでは行かないかなという感じです。

 ミステリとしてやや弱いかなと思うのは、絵画のタッチが親子で似ることがあるかもということがヒントになっていて、しかも、それが本人が描いた絵ではなく、本人と接触のあった人物が描いたものであるという、この辺りがちょっと線が細いかなあ。

 でも、そうしたことをカバーしているのが、愛とは何かといったテーマへの深い掘り下げであったと思います。里枝にとって夫は、確かに谷口大祐とは全く別人であったし、自分の知らない過去を抱えていたわけですが、彼と過ごした短い結婚生活はまさに幸せな人生の一時期であり、そのことによってその意義が損なわれるものではないと思います。

 だから、夫に自分の知らない過去があったとしても、例えば松本清張の『ゼロの焦点』のような、実は夫は別に愛人を持つ二重生活者だったという話とは趣が違うように思います(『ゼロの焦点』そのものは傑作だが)。

 本作について個人的に参考になった書評としては、翻訳家でエッセイストの鴻巣友季子氏が「週刊新潮」書評で、「主人公は数奇な運命をたどる里枝ではなく、あえて弁護士の方に設定されている。城戸が謎の男「X」の正体を追う物語が本筋に見えて、実はそれを通して彼が自らの夫婦、親子の問題、ひと時の恋心、死刑や被災者支援にまつわる思想、そして在日三世としてのルーツと向き合うことが主眼である」とし、「「X」の正体は半ば過ぎで当たりがつくものの、間に幾人もの偽者がいて真相はなかなか掴めない。マグリットの絵画「複製禁止」や芥川龍之介の戯曲『浅草公園』、里枝の息子が詠む俳句がモチーフを多彩に変奏する。本作は著者が近年唱える「分人」という概念の大胆な発展形と言えるだろう」と評していました。

 作者の『私とは何か―「個人」から「分人」へ』('12年/講談社現代新書)も読んでみようかなあ。個人的評価は星4つとしましたが、「読売文学賞」の受賞は妥当と思いました。

映画化作品 2022年11月18日公開 ○ 石川 慶 (原作:平野啓一郎) 「ある男」 (2022/11 松竹) ★★★★
「ある男」00.jpg

【2021年文庫化[文春文庫]】

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「実録小説」風伝記小説。面白かった。『浮雲』と比較するとさらに興味深い。

ナニカアル文庫0.jpg ナニカアル文庫.jpgナニカアル文庫2.jpg
ナニカアル (新潮文庫)
ナニカアル』(2010/02 新潮社)

ナニカアル 単行本.jpg 2010(平成22)年・第62回「読売文学賞」、2010年度・第17回「島清恋愛文学賞」受賞作。

 昭和17年、林芙美子は偽装病院船で南方へ向かった。陸軍の嘱託として文章で戦意高揚に努めよ、という命を受けて。ようやく辿り着いたボルネオ島で、新聞記者・斎藤謙太郎と再会する。年下の愛人との逢瀬に心を熱くする芙美子。だが、ここは楽園などではなかった―。

 「放浪記」ならぬ、有名になってからの林芙美子(1903-1951/47歳没)を主人公に描いた「ジャワ放浪記」のような「実録小説」風伝記小説。林芙美子は太平洋戦争前期の1942年10月から翌年5月まで、陸軍報道部報道班員(南方視察団団員)としてシンガポール・ジャワ・ボルネオに滞在していて、本作は、林芙美子自身が内密に書いた実録小説という体裁をとることで(画家であった夫・緑敏の死後、絵画の裏に隠されていた文書を、後妻が見つけるという設定)、一般的な伝記小説のスタイルにもう一捻り加えています。

 戦時下での、夫がいながらにしての林芙美子の道ならぬ恋が描かれていますが、むしろそちらの方はサイドストーリー的であり、戦争下にある無数の個人を描いくことで、戦争が人々から尊敬と信頼をどのようにして奪うか、そして人々はどのようにして虐げあい、疑いあい、妬みあうようになるかを、主人公自身も含め描いているように思いました。そのあたりが面白かったです。

 なお、この作品に出てくる林芙美子の恋人の新聞記者・斎藤のモデルは、東京日日新聞(のち毎日新聞)の海外特派員だった高松棟一郎(1911-1959/48歳没)だそうですが、1926年23歳で手塚緑敏と内縁の結婚をし、それからずうと落ち着いていたのかと思ったら、「恋の放浪」を続けていたということなのでしょうか。

 林芙美子は1943年40歳の時に新生児を養子として貰い受けていますが(泰という名のこの男の子は10歳で死亡している)、作者はこの「養子貰い受け」について、実は林芙美子と愛人の間の子ではなかったかという大胆な仮説を展開していて、推理作家としての持ち味も出していました(これが一番書きたかった?)。

浮雲 新潮文庫.jpg 林芙美子の戦後の長編小説『浮雲』と比較するとさらに興味深いと思われます。『浮雲』の主人公ゆき子は農林省のタイピストとして仏印(ベトナム)に渡り、そこで農林省技師の富岡と出会うのですが、その後何度も離れ離れになる富岡には、会おうと思ってもなかなか会えない「新聞記者・斎藤」が反映されていて、一方で、ゆき子のタイピストという職業には、南方視察団の船の三等客室に現地の事務要員として詰め込まれた二十歳前後の若い女性たちが反映されているように思いました。

 しかし、当時非合法であった非合法であった日本共産党に密かに入党していた(芙美子はそのことを本人から示唆される)窪川稲子(佐田稲子)とかも南方視察団に加わっているところをみると、この南方視察団は政府のある種"踏み絵"的施策であり、林芙美子もプロレタリア作家として見られた向きもあるので、一緒くたにされて南方に派遣されたようにも思われます。

漢口一番乗り.jpg ただし、この作品にも言及されていますが、1937(昭和12)年に盧溝橋事件を契機に日本が日中戦争に突入した際に、社会が軍事色が濃くなる中、作家たちにも協力要請が届き、林芙美子もペン部隊として戦地に赴いていて、1938(昭和13)年10月、激戦地の漢口に入った「漢口一番乗り」で世間の大きな注目を集めたりしています(本人は張り切っていたということか)。

昭和13年、ペン部隊の一員として中国に渡り、他の作家を出し抜き漢口一番乗りを果たした(新宿歴史博物館蔵)

 すでに前の年に毎日新聞従軍特派員として南京を訪れ、「女流作家一番乗り」として原稿を送った経験があった林芙美子は、この時も単独行動をとり、注目の地を目指すために集団から離れ、前線に向かう部隊に同行し、途中から朝日新聞の特派員とともに行動して現地に入ったとのこと。「女われ一人・嬉涙で漢口入城」と朝日新聞に華々しく一番乗りが報道された一方で、当時の文壇の実力者・久米正雄が文芸部長としていた毎日新聞から閉め出されたそうで(久米正雄は面目を潰されたと怒ったとか)、注目を浴びるために多少は人間関係を犠牲するのも厭わないハングリーなところは、林芙美子という人にはずっとあったのかもしれないと思います。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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「メメント・モリ」映画の"傑作"と言うか、むしろ"快作"と言った方が合っている?

Okuribito (2008).jpgおくりびと 2008 .jpgおくりびと1.jpg
おくりびと [DVD]」 山崎努・本木雅弘
Okuribito (2008)

おくりびと2.jpg チェロ奏者の小林大悟(本木雅弘)は、所属していた楽団の突然の解散を機にチェロで食べていく道を諦め、妻・美香(広末涼子)を伴い、故郷の山形へ帰ることに。さっそく職探しを始めた大悟は、"旅のお手伝い"という求人広告を見て面接へと向かう。しかし旅行代理店だと思ったその会社の仕事は、"旅立ち"をお手伝いする"納棺師"というものだった。社長の佐々木生栄(山崎努)に半ば強引に採用されてしまった大悟。世間の目も気になり、妻にも言い出せないまま、納棺師の見習いとして働き始める大悟だったが―。

おくりびと アカデミー賞.jpg 2008年公開の滝田洋二郎監督作で、脚本は映画脚本初挑戦だった放送作家の小山薫堂。第32回「日本アカデミー賞」の作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞(本木雅弘)・助演男優賞(山崎努)・助演女優賞(余貴美子)・撮影賞・照明賞・録音賞・編集賞の10部門をを独占するなど多くの賞を受賞しましたが(第63回「毎日映画コンクール 日本映画大賞」、第33回「報知映画賞 作品賞」、第21回「日刊スポーツ映画大賞 作品賞」も受賞)、その前に第32回モントリオール国際映画祭でグランプリを受賞しており、更に日本アカデミー賞発表後に第81回米アカデミー賞外国語映画賞の受賞が決まり、ロードショーが一旦終わっていたのが再ロードにかかったのを観に行きました(2009年(2008年度)「芸術選奨」受賞作。脚本の小山薫堂は第60回(2008年)「読売文学賞」(戯曲・シナリオ賞)、本木雅弘と映画製作スタッフは第57回(2009年)「菊池寛賞」を受賞している)。

滝田洋二郎監督、本木雅弘、余貴美子、広末涼子(第81回アカデミー賞授賞式/2009年2月23日(日本時間))

おくりびと3.jpg 主演の本木雅弘のこの映画にかけた執念はよく知られていますが、"原作者"に直接掛け合ったものの、原作者から自分の宗教観が反映されていないとして「やるなら、全く別の作品としてやってほしい」と言われたようです。もともとは、本木雅弘が20歳代後半に藤原新也の『メメント・モリ―死を想え』('83年/情報センター出版局)を読み、インドを旅して、いつか死をテーマにしたいと考えていたとのことで、まさに「メメント・モリ」映画と言うか、いい作品に仕上がったように思います(結局、原作者も一定の評価をしているという)。

おくりびと4.jpg 特に、前半部分で主人公が"納棺師"の仕事の求人広告を旅行代理店の求人と勘違いして面接に行くなどコメディタッチになっているのが、重いテーマでありながら却って良かったです(逆に後半はややベタか)。技術的な面や宗教性の部分で原作者に限らず他の同業者からも批判があったようですが、それら全部に応えていたら映画にならないのではないかと思います。こうした仕事に注目したことだけでも意義があるのではないかと思いますが(ジャンル的には"お仕事映画"とも言える)、米アカデミー賞の選考などでは、同時にそれが作品としてのニッチ効果にも繋がったのではないでしょうか(アカデミーの外国語映画賞が、前3年ほど政治的なテーマや背景の映画の受賞が続いていたことなどラッキーな要素もあったかも)。

おくりびと5.jpg Wikipediaに「地上波での初放送は2009年9月21日で21.7%の高視聴率を記録したが、2012年1月4日の2回目の放送は3.4%の低視聴率」とありましたが、2回目の放送は日時が良くなかったのかなあ。こうした映画って、ブームの時は皆こぞって観に行くけれど、時間が経つとあまり観られなくなるというか、《無意識的に忌避される》ことがあるような気がしなくもありません。そうした傾向に反発するわけではないですが、個人的には、最初観た時は星4つ評価(○評価)であったものを、最近観直して星4つ半評価(◎評価)に修正しました(ブームの最中には◎つけにくいというのが何となくある?)。「メメント・モリ」映画の"傑作"と言うか、むしろ"快作"と言った方が合っているかもしれません。

 これもWikipediaに、「本作では、一連の死後の処置(エンゼルメイク)を納棺師が行っているが、現在では、臨終全体の8割が病院死であり、実際には、看護師が病院で行うことが多い」(小林光恵著『死化粧の時―エンゼルメイクを知っていますか』('09年/洋泉社))とありましたが、病院側がやるエンゼルメイクとは別に葬儀会社に「湯灌」などを頼めば、有料の付加サービスとしてやってくれるでしょう。納棺師と湯灌師の違いの厳密な規定はないそうですが、そうした人たちもある意味"おくりびと"であるし(最近若い女性の湯灌師が増えているという)、エンゼルメイクする看護師もその仕事をしている時は、広い意味での"おくりびと"であると言えるのではないでしょうか。

木村家の人びとド.jpg 滝田洋二郎監督は元々は新東宝で成人映画を撮っていた監督で、初めて一般映画の監督を務めた「コミック雑誌なんかいらない!」('86年/ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)でメジャーになった人です。個人的には、鹿賀丈史、桃井かおり主演の夫婦で金儲けに精を出す家族を描いた「木村家の人びと」('88年/ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画)を最初「木村家の人びと」0.jpgに観て、部分部分は面白いものの、全体として何が言いたいのかよく分からなかったという感じでした(ぶっ飛び度で言えば、石井聰互監督の「逆噴射家族」('84年/ATG)の方が上)。その後、東野自圭吾原作の「秘密」('99年/東宝)、浅田次郎原作の「壬生義士伝」('03年/松竹)を観て、比較的原作に沿って作る"職人肌"の監督だなあと思いました(結果として、映画に対する評価が、原作に対する好き嫌いにほぼ対応したものとなった。「木村家の人びと」の原作は未読)。「おくりびと」はいい作品だと思いますが、このタイプの監督が米アカデミー賞の表彰式の舞台に立つのは、やや違和感がなくもないです。菊池寛賞も、「本木雅弘と映画製作スタッフ」が受賞対象者となっていて、その辺りが妥当な線かもしれません(まあ、アカデミー外国語映画賞も監督にではなく作品に与えられた賞なのだが)。因みに、「木村家の人びと」はビデオが絶版になった後DVD化されておらず[2017年現在]、ファンがDVD化を待望しているようですが、個人的にはどうしても観たいというほどでもありません。
   
おくりびとes.jpg「おくりびと」●制作年:2009年●監督:滝田洋二郎●製作:中沢敏明/渡井敏久●脚本:小山薫堂●撮影:浜田毅●音楽:久石譲●時間:130分●出演:本木雅弘/広末涼子/山崎努/杉本哲太/峰岸徹/余貴美子/吉行和子/笹野高史/山田辰夫/橘ユキコ/飯森範親/橘ゆかり/石田太郎/岸博之/大谷亮介/諏訪太郎/星野光代/小柳友貴美/飯塚百花/宮田早苗/白井小百合●公開:2008/09●配給:松竹●最初に観た場所:丸の内ピカデリー3(09-03-12)(評価:★★★★☆)

本木雅弘(2009年アジアン・フィルム・アワード」(主演男優賞))
「アジアン・フィルム・アワード」本木2.jpg.png 

丸の内ルーブル.jpg丸の内ピカデリー3.jpg丸の内ピカデリー3ド.jpg丸の内ブラゼール4.jpg丸の内ブラゼールes.jpg丸の内松竹(丸の内ピカデリー3) 1987年10月3日「有楽町マリオン」新館5階に「丸の内松竹」として、同館7階「丸の内ルーブル」とともにオープ「丸の内ピカデリー ドルビーシネマ」.jpgン、1996年6月12日~「丸の内ブラゼール」、2008年12月1日~「丸の内ピカデリー3」) (「丸の内ルーブル」は2014年8月3日閉館)
「サロンパス ルーブル丸の内/丸の内ブラゼール」(2008)
2018(平成30)年12月2日休館、2019(令和元)年10月4日~ドルビーシネマ専用劇場「丸の内ピカデリー ドルビーシネマ」として再オープン。
 
   
木村家の人びと vhs.jpg木村家の人びとf5.jpg「木村家の人びと」●制作年:1988年●監督:滝田洋二郎●脚本:一色伸幸●撮影:志賀葉一●音楽:大野克夫●原作:谷俊彦●時間:113分●出演:鹿賀丈史/桃井かおり/岩崎ひろみ/伊崎充則/柄本明/木内みどり/風見章子/小西博之/清水ミチ木村家の人びと4.jpg「木村家の人びと」柄本明.jpgコ/中野慎/加藤嘉/木田三千雄/奥村公延/多々良純/露原千草/辻伊万里/今井和子/酒井敏也/鳥越マリ/池島ゆたか/上田耕一/江森陽弘/津村鷹志/竹中木村家の人びと 加藤嘉_0.jpg直人/螢雪次朗/ルパン鈴木/山口晃史/三輝みきこ/小林憲二/野坂きいち/江崎和代/橘雪子/ベンガル●劇場公開:1988/05●配給:東宝 (評価★★★)

秘密DVD2.jpg映画 秘密2.jpg「秘密」●制作年:1999年●監督:滝田洋二郎●製作:児玉守弘/田上節郎/進藤淳一●脚本:斉藤ひろし●撮影:栢野直樹●音楽:宇崎竜童●原作:東野圭吾●時間:119分●出演:広末涼子/小林薫/岸本加世子/金子賢/石田ゆり子/伊藤英明/大杉漣/山谷初男/篠原ともえ/柴田理恵/斉藤暁/螢雪次朗/國村隼/徳井優/並樹史朗/浅見れいな/柴田秀一●劇場公開:1999/09●配給:東宝 (評価★★★☆)

壬生義士伝(DVD).jpg壬生義士伝m.jpg「壬生義士伝」●制作年:2003年●監督:滝田洋二郎●製作:松竹/テレビ東京/テレビ大阪/電通/衛星劇場●脚本:中島丈博●撮影:浜田毅●音楽:久石譲●時間:137分●出演:中井貴一/佐藤浩市/夏川結衣/中谷美紀/山田辰夫/三宅裕司/塩見三省/野村祐人/堺雅人/斎藤歩/比留間由哲/神田山陽/堀部圭亮/津田寛治/加瀬亮/木下ほうか/村田雄浩/伊藤淳史/藤間宇宙/大平奈津美●公開:2003/01●配給:東宝 (評価:★★☆)

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映画は「本日休診」+「遥拝隊長」(+「多甚古村」?)。
本日休診 DVD.jpg 本日休診_3.jpg  本日休診 文庫 .jpg
<あの頃映画>本日休診 [DVD]」 岸惠子・柳永二郎 『遙拝隊長・本日休診(新潮文庫)

本日休診 01柳永二郎.jpg 三雲医院の三雲八春(柳永二郎)は戦争で一人息子を失い、甥の伍助(増田順二)を院長に迎えて戦後再出発してから1年になる。その1周年記念日、伍助院長は看護婦の本日休診 04岸惠子.jpg瀧さん(岸惠子)らと温泉へ行き、三雲医院は「本日休診」の札を掲げる。八春先生がゆっくり昼寝でもと思った矢先、婆やのお京(長岡輝子)の息子勇作(三國連太郎)が例の発作を起こしたという。勇作は軍隊生活の悪夢に憑かれており、時折いきなり部隊長となって皆に号令、遥拝を命じるため、八春先生は彼の部下になったふりをして本日休診 三國.jpg気を鎮めてやらなければならなかった。勇作が落着いたら、今度は警察の松木ポリス(十朱久雄)が大阪から知り合いを頼って上京したばかりで深夜暴漢に襲われ本日休診 03角梨枝子.jpgたあげく持物を奪われた悠子(角梨枝子)という娘を連れて来る。折から18年前帝王切開で母子共八春先生に助けられた湯川三千代(田村秋子)が来て、悠子に同情してその家へ連れて帰る。が、八春先生はそれでも暇にならず、砂礫船の船頭の女房のお産あり、町のヤクザ加吉(鶴田浩二)が指をつめるのに麻酔を打ってくれとやって来たのを懇々と説教もし本日休診 06鶴田浩二.jpgてやらねばならず、悠子を襲った暴漢の連本日休診 02佐田啓二.jpgれの女が留置場で仮病を起こし、兵隊服の男(多々良純)が盲腸患者をかつぎ込んで来て手術をしろという。かと思うとまたお産があるという風で、「休診日」は八春先生には大変多忙な一日となる。悠子は三千代の息子・湯川春三(佐田啓二)の世話で会社に勤め、加吉はやくざから足を本日休診 05淡島千景.jpg洗って恋人のお町(淡島千景)という飲み屋の女と世帯を持とうと考える。しかしお町が金のため成金の蓑島の自由になったときいて、その蓑島を脅本日休診 10.jpg迫に行き、お町はお町で蓑島の子を流産して八春先生の所へ担ぎ込まれる。兵隊服の男は、治療費が払えず窓から逃げ出すし、加吉は再び賭博で挙げられる。お町は一時危うかったがどうやら持ち直す。そんな中、また勇作の集合命令がかかり、その号令で夜空を横切って行く雁に向かって敬礼する八春先生だった―。

本日休診』d.jpg本日休診●井伏鱒二●文芸春秋社●昭和25年4刷.jpg 1952(昭和29)年公開の渋谷実(1907-1980/享年73)監督作で、原作は第1回読売文学賞小説賞を受賞した井伏鱒二(1898-1993/享年95)の小説「本日休診」であり、この小説は1949(昭和24)年8月「別冊文芸春秋」に第1回発表があり、超えて翌年3回の発表があって完結した中篇です。

本日休診 (1950年)』(1950/06 文藝春秋新社) 収載作品:遥拝隊長 本日休診 鳥の巣 満身瘡痍 貧乏徳利 丑寅爺さん

 町医者の日常を綴った「本日休診」は、井伏鱒二が戦前に発表した田舎村の駐在員の日常を綴った「多甚古村」と対を成すようにも思われますが、「多甚古村」は作者の所へ送られてきた実際の田舎町の巡査の日記をベースに書かれており、より小説的な作為を施したと思われる続編「多甚古村補遺」が後に書かれていますが(共に新潮文庫『多甚古村』に所収)、作家がより作為を施した「多甚古村補遺」よりも、むしろオリジナルの日記に近いと思われる「多甚古村」の方が味があるという皮肉な結果になっているようも思いました。その点、この「本日休診」は、作家としての"作為"の為せる技にしつこさがなく、文章に無駄が無い分キレを感じました。

 医師である主人公を通して、中篇ながらも多くの登場人物の人生の問題を淡々と綴っており、戦後間もなくの貧しく暗い世相を背景にしながらもユーモアとペーソス溢れる人間模様が繰り広げられています。こうしたものが映画化されると、今度はいきなりべとべとしたものになりがちですが、その辺りを軽妙に捌いてみせるのは渋谷実ならではないかと思います。

本日休診 12.jpg 主人公の「医は仁術なり」を体現しているかのような八春先生を演じた柳永二郎は、黒澤明監督の「醉いどれ天使」('48年/東宝)で飲んだくれ医者を演じた志村喬にも匹敵する名演でした。また、「醉いどれ天使」も戦後の復興途上の街を描いてシズル感がありましたが、この「本日休診」では、そこからまた4年を経ているため、戦後間もない雰囲気が上手く出るよう、セットとロケ地(蒲田付近か)とでカバーしているように思本日休診5-02.jpgいました。セット撮影部分は多分に演劇的ですが(本日休診m.jpgそのことを見越してか、タイトルバックとスチール写真の背景は敢えて書割りにしている)、そうい言えば黒澤明の「素晴らしき日曜日」('47年/東宝)も後半はセット撮影でした(「素晴らしき日曜日」の場合、主演俳優が撮影中に雑踏恐怖症になって野外ロケが不能になり後半は全てセット撮影となったという事情がある)。

「本日休診」スチール写真(鶴田浩二/淡島千景)

本日休診 title.jpg本日休診 title2 .jpg クレジットでは、鶴田浩二(「お茶漬の味」('52年/松竹、小津安二郎監督))、淡島千景(「麦秋」('51年/松竹、小津安二郎監督)、「お茶漬の味」)、角梨枝子(「とんかつ大将」('52年/松竹、川島雄三監督))ときて柳永二郎(「魔像」('52年/東映))となっていますが、この映画の主役はやはり八春先生の柳永二郎ということになるでしょう。その他にも、佐田啓二、三國連太郎、岸恵子など将来の主役級から、増田順二、田村秋子、中村伸郎、十朱久雄、長岡輝子、多々良純、望月優子といった名脇役まで多士済々の顔ぶれです。

本日休診 07三国連太郎.jpg この作品を観た人の中には、三國連太郎が演じた「遥拝隊長」こと勇作がやけに印象に残ったという人が多いですが、このキャラクターは遙拝隊長youhaitaichou.jpg原作「本日休診」にはありません。1950(昭和25)年発表の「遥拝隊長」(新潮文庫『遥拝隊長・本日休診』に所収)の主人公・岡崎悠一を持ってきたものです。彼はある種の戦争後遺症的な精神の病いであるわけですが、原作にはその経緯が書かれているので読んでみるのもいいでしょう。また、映画の終盤で、警察による賭場のガサ入れシーンがありますが、これは「多甚古村」にある"大捕物"を反映させたのではないかと思います。

淡島千景鶴田浩二角梨枝子『本日休診』スチル.jpg 脚本は、「風の中の子供」('37年/松竹、坪田譲治原作、清水宏監督)、「風の中の牝鶏」('48年/松竹、小津安二郎監督)の斎藤良輔(1910-2007/享年96)。原作「本日休診」で過去の話やずっと後の後日譚として描かれている事件も、全て休診日とその翌日、及びそれに直接続く後日譚としてコンパクトに纏めていて、それ以外に他の作品のモチーフも入れ、尚且つ破綻することなく、テンポ良く無理のない人情喜劇劇に仕上げているのは秀逸と言えます(原作もユーモラスだが、原作より更にコメディタッチか。原作ではお町は死んでしまうのだが、映画では回復を示唆して終わっている)。

鶴田浩二/淡島千景/角梨枝子

本日休診 スチル.jpg この映画のスチール写真で、お町(淡島千景)らが揃って"遥拝"しているものがあり、ラストシーンかと思いましたが、ラストで勇作(三國連太郎)が集合をかけた時、お町は床に臥せており、これはスチールのためのものでしょう(背景も書割りになっている)。こうした実際には無いシーンでスチールを作るのは好きになれないけれど、作品自体は佳作です。その時代でないと作れない作品というのもあるかも。過去5回テレビドラマ化されていて、実際に観たわけではないですが、時が経てば経つほど元の映画を超えるのはなかなか難しくなってくるような気がします(今世紀になってからは一度も映像化されていない)。
     
本日休診 vhs5.jpg本日休診 1952.jpg「本日休診」●制作年:1939年●監督:渋谷実●脚本:斎藤良輔●撮影:長岡博之●音楽 吉沢博/奥村一●原作:井伏鱒二●時間:97分●出演:柳永二郎/淡島千景/鶴田浩二/角梨枝子/長岡輝子/三國連太郎/田村秋子/佐田啓二/岸恵子/市川紅梅[本日休診 08中村伸郎.jpg(市川翠扇)/中村伸郎/十朱久雄/増田順司/望月優子/諸角啓二郎/紅沢葉子/山路義人/水上令子/稲川忠完/多々良純●公開:1952/02●配給:松竹(評価:★★★★)
中村伸郎(お町の兄・竹さん)

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"昭和の脱獄王"の怪物的な能力、粘着気質的な意志の強さと"律儀さ"との組み合わせが興味深い。「プリズン・ブレイク」顔負け。

破獄 単行本_.jpg破獄 吉村昭.jpg 破獄  吉村昭.jpg  プリズン・ブレイク1.jpg 破獄 dvd.jpg
破獄 (1983年)』『破獄 (新潮文庫)』['86年]/「プリズン・ブレイク」/「破獄 [DVD]

 1984(昭和59)年・第36回「読売文学賞」並びに1985(昭和60)年・第35回「芸術選奨」受賞作。

白鳥由栄.jpg 昭和11年に青森刑務所を脱獄、昭和17年に秋田刑務所を脱獄、昭和19年に網走刑務所脱獄、昭和23年に札幌刑務所脱獄と、犯罪史上未曽有の4度の脱獄を実行した無期刑囚"佐久間清太郎"(仮名)を描いた「記録文学」。

白鳥由栄
ドラマ破獄 山田s.jpg白鳥由栄2.jpg 脱獄を繰り返す男のモデルとなっているのは、"昭和の脱獄王"と言われた白鳥由栄(しらとり・よしえ、1907‐1979)で、作者は、刑務所で白鳥由栄と深く接した元看守らを綿密に取材しており、実質的には実在の超人的脱獄囚を描いた「記録文学」と言っていいのでは。

網走監獄博物館にある白鳥の脱獄シーンの再現展示/「破獄」(テレビ東京)ビートたけし/山田孝之主演

 とりわけ脱獄不可能と言われた網走刑務所において脱獄を果たす様は、既に2回の脱獄により天才脱獄囚人として特別に厳重な監視下に置かれながらのことでもあり、まさに驚異的と言ってよく、「網走監獄博物館」には、白鳥由栄の脱獄の模様を再現した展示まであります。口に含んだ味噌汁で特製手錠のナットを腐蝕させて外すなどのテクニック自体の凄さもさることながら、看守に心理戦を仕掛けて重圧をかけたり、その注意を欺いたりする人間的な駆け引きにも卓抜したものがあったことがわかります。

プリズン・ブレイク2.jpg 脱獄譚と言えば、米テレビドラマシリーズ「プリズン・ブレイク」の実話版みたいだけど、「プリズン・ブレイク」の方は、最初の13話の脱獄を果たしたところで終わる予定だったものが(ここまでは面白い!)、好評だったため第1シーズンだけでも脚本を書き足して22話にし、その後もだらだら続けていったために、どんどんつまらなくなっていきましたが、こっちの白鳥由栄モデルの実話版は、最後まで緊張感が途切れず気が抜けません。まさに、"昭和の脱獄王"だけあって、「プリズン・ブレイク」顔負け。

 網走刑務所での話あたりから、看守側の置かれている過酷な労働環境や、大戦末期当時、或いは終戦直後の混乱した世相なども併せて描かれており、"佐久間"に脱獄を許してしまった看守らからすれば、必ずしも落ち度があったとかタルんでいたとか言えるものでもなく、脱獄を図る"佐久間"と看守との間で、知力と精神力の限りを尽くしたぎりぎりの攻防があったことが分かります。

 そうした看守らの中には、"佐久間"を1人の人間として扱った人もいて、"佐久間"はもともと情に厚い人柄であり、恩を受けた看守に対しては忠義の心を忘れなかったようです。身体能力も含めた怪物的な脱獄能力(湾曲した壁を這い登ることが出来た)、粘着気質的な脱獄意志の強さ(自分に辛く当たった看守が当番の日をわざわざ選んで脱獄した)と、こうした"律儀さ"との組み合わせが興味深いです。

 最後の収監先となった府中刑務所においては、刑務所長・鈴江圭三郎自らが、"佐久間"を人間的に扱う施策を"戦略的"に講じ、その結果、"佐久間"は脱獄を企図することをやめていますが、これってまるで、イソップの「北風と太陽」みたいだなあと。

 但し、その施策を評価されながらも、鈴江自身は、"佐久間"が再び脱獄を図ることが無かったのは彼の加齢に原因があると冷静に分析しており、また、作品としては、刑務所そのものの待遇等の改善(この作品のテーマの1つに「人間の尊厳」というものが挙げられる)、更には、社会における刑務所の位置づけの変化なども遠因として匂わせています。

破獄 DVD.jpg破獄 緒形拳.jpg 白鳥由栄をモデルにした他の小説では、船山馨『破獄者』、八木義徳『脱獄者』どがあります。また、この作品は、緒形拳(佐久間清太郎)、津川雅彦(鈴江圭三郎)主演で1985年にNHKでドラマ化されており、刑務所で「破獄」緒形.jpg佐久間(緒形拳)が冒頭、鈴木(津川雅彦)から「肛門検査」を受けるというショッキングなシーンから始まるこのドラマは、第1回文化庁芸術作品賞受賞作品となりました。緒形拳と津川雅彦という盟友関係の二人のW主役という触れ込みでしたが、原作の主人公である佐久間を演じた緒形拳の演技がやはり良かったように思います(先に述べた、この作品のテーマの1つが「人間の尊厳」であることがよく分かる)。一昨年['08年]、緒形拳が亡くなった時も、NHKのニュースで出演作としてこのドラマが紹介されていました(2017年にテレビ東京で山田孝之(佐久間)、ビートたけし(鈴江)主演で再ドラマ化された)
 
プリズン・ブレイク dvd.jpgプリズン・ブレイク3.jpgPrison Break.jpg「プリズン・ブレイク」 Prison Break (FOX 2005/08~2009/05) ○日本での放映チャネル:FOX/日本テレビ(2006~2010)

プリズン・ブレイク シーズン1 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]


nhk 破獄2.jpgnhk 破獄1.jpgnhk 破獄0.jpg「破獄」●演出:佐藤幹夫●脚本:山内久●原作:吉村昭●出演:緒形拳/津川雅彦/中井貴恵/佐野浅夫/趙方豪/織本順吉/なべおさみ/玉川良一/田武謙三/綿引勝彦●放映:1985/04(全1回)●放送局:NHK

 【1986年文庫化(新潮文庫)】

《読書MEMO》
ドラマ 破獄 01.jpg●2017年再ドラマ化 【感想】 脚本は「夏目漱石の妻」の池端俊策。すでに一度ドラマ化されていることを意識したのか、山田孝之演じる佐久間清太郎より、浦田(原作とは異なる)という看守役のビートたけしの方が主役になっているために、原作にはないドラマ的要素を浦田に付け加えすぎた印象。NHK版の津川雅彦が演じた鈴江圭三郎は、小便が近くて便所に行っている間に佐久間に脱獄されてしまうような〈リアリティある男〉なのに、ビートたけしが演じる浦田は、関東大震災時に刑務所の受刑者二千人余りを守るのに忙殺され、大火に包まれた家に戻らず妻子が亡くなったしたという〈伝説の男〉になってしまっている。こちらも幾つか賞を受賞したようだが、個人的には好きになれない改変だった。

破獄s.jpgドラマ 破獄 02.jpg「破獄」●演出(監督):深川栄洋●脚本:池端俊策●原「破獄」ドラマ出演者.jpg作:吉村昭●出演:ビートたけし/山田孝之/吉田羊/満島ひかり/橋爪功/寺島進/松重豊/勝村政信/渡辺いっけい/池内博之/中村蒼●放映:2017/04(全1回)●放送局:テレビ東京

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「数式」と「阪神タイガース」。モチーフの組み合わせの新鮮さ。

博士の愛した数式 帯.jpg博士の愛した数式.jpg
妊娠カレンダー2.jpg 博士の愛した数式 2.jpg  
博士の愛した数式』['03年/新潮社・'05年/新潮文庫]『妊娠カレンダー』['91年/文藝春秋]「博士の愛した数式」['06年] 寺尾聰/深津絵里

博士の愛した数式 2003 読文.jpg博士の愛した数式 2003 honnya.jpg シングルマザーの家政婦である主人公が派遣された家には、事故の後遺症で記憶が80分しか持たないという数学博士がいて、ある日、彼女に10歳の息子がいることを知った博士は、家へ連れてくるように告げる―。

 2003(平成15)年度・第55回「読売文学賞」受賞作ですが、第1回「本屋大賞」(1位=大賞)も受賞していて、こちらの方が記念すべき受賞という感じではないでしょうか。また、それにふさわしい本だと思いました(因みに、2003年から始まった、紀伊国屋書店の書店スタッフが選ぶベスト書籍「キノベス」でも第1位に選ばれている)。

 映画にもなるなど話題になった作品であり、主人公と博士の心の通い合いが主に描かれているのだと思って読み始めましたが、途中から、博士の主人公の息子に対する愛情に焦点が当たっている感じがし、それを見守る主人公の視線の温かさ、主人公自身が癒されている感じがいいです。

 博士は80分しか記憶が持続しないわけだから、息子とは(主人公ともそうだが)毎日"初対面"の関係であるわけで、それだけに、博士の息子に対する愛情に深い普遍性を感じます。

 一方で、「海馬」を損傷したりすればそうした状態になることがあるのは知られていることですが(海馬の損傷で一番重度の症状は「陳述的記憶」が全て飛んでしまうというものであり、学術的には海馬は「宣言的記憶」の固定に関わるとされている)、新しい記憶は全く博士の中では作られていないのか、結局は主人公のことも息子のことも翌日になればすべて博士の頭の中には何も残っていないのか―といったことを、博士と過去の記憶を共有し、またそのことを自負している義姉と主人公との対峙において考えてしまいました。そもそも、記憶とは何か―。

妊娠カレンダー.jpg 以前に芥川賞受賞作の『妊娠カレンダー』('91年/文藝春秋)を読んで、文学少女版「ローズマリーの赤ちゃん」みたいに思え、芥川賞狙いとか言う依然に好みが合わず、あまりいいとは思わなかったのですが、いつの間にか力をつけていたという感じ(当初から力はあったが、自分の見る眼が無かったのか?)。

妊娠カレンダー (文春文庫)』 ['94年]

 『博士の愛した数式』は一種のファンタジーとも言える作品なのかもしれないけれども、「素数」「友愛数」「完全数」「オイラーの公式」といった数学的モチーフと'92年の阪神タイガースのペナントレースを上手く物語に取り込んでいて、この組み合わせの"新鮮さ"とそれぞれぞれの"深さ"には、大いに惹き込まれました。

博士の愛した数式 1シーン.jpg 映画化作品は「雨あがる」('00年/東宝)の小泉堯史監督、寺尾聰、深津絵里主演で、原作の終わりで主人公の"私"が"博士"を見舞った際に息子の"ルート"が「学校の先生になった」と告げていることを受けて、ある高校の教室に新しい数学担任となったルート(吉岡秀隆)がやってくるところから始まり、全体が彼の回想譚になっていますが、結果的に原作では1人に集約されていた"私"が、映画では2人(母と息子)いるような感じになって、個人的にはこの構成はしっくりこなかった気がしました。

「博士の愛した数式」('05年/監督・脚本:小泉堯史、出演:寺尾聰/深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆)

博士の愛した数式 1シーン0.jpg 「オイラーの公式」などを映画の中できちんと説明している点などは、原作のモチーフを大事にしたいと考えたのか、ある意味で思い切った選択だったと思いますが(「虚数」って高校の「数Ⅱ」で習っているはずだが殆ど忘れているなあ)、一方で、博士と浅丘ルリ子演じる義姉が薪能を観に行き、そこで博士が無意識的に義姉の手を握るシーンなど原作にない場面もあって、さらには、義姉が自分が博士の事故の原因だったこと、博士との間に出来た赤ん坊を堕したことを主人公に打ち明けるシーンなど、踏み込んだ解釈を入れている分、説明過剰になっている印象も。

博士の愛した数式 dvd.jpg博士の愛した数式 movie.jpg 原作では、博士の記憶保持期間が80分からだんだん短くなっていくことを示して彼の死を示唆していますが、映画では博士と成長した息子がキャッチボールをする回想シーンを入れるなどして、意図的に暗くならないようにした印象も。寺尾聰、深津絵里とも演技達者の役者ですが(寺尾聡が着ていた古着のジャケットは実父・宇野重吉の遺品とのこと)、意外と映像化すると削ぎ落ちてしまう部分が多いように思いました。
博士の愛した数式 [DVD]

博士の愛した数式es.jpg 映画だけ観ればそれはそれで感動するのでしょうが、原作がある種のステップ・ファミリー的な話になっているのに対し、映画は博士を巡っての義姉(浅丘ルリ子)と主人公(深津絵里)の確執と和解の話が前面に出ているように思いました(その分、ピュアな原作に比べ、ややどろっとした印象も)。原作の持ち味を十分に伝えるのが難しい作品だったかもしれないし、浅丘ルリ子という大物女優を起用したことも、映画が原作と違ってしまったことと無関係ではないと思います。

博士の愛した数式ages.jpg博士の愛した数式 3.jpg「博士の愛した数式」●制作年:2006年●監督・脚本:小泉堯史●製作:椎名保●撮影:上田正治/北澤弘之●音楽:加古隆●原作:小川洋子「博士の愛した数式」●時間:117分●出演:寺尾聰/ 深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆/浅丘ルリ子/井川比佐志●公開:2006/01●配給:アスミック・エース(評価:★★★)

 【2005年文庫化[新潮文庫]】

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読みやすい文章で、ミステリアスな味わいも。前年の豪雪地帯の取材がモチーフになっているのでは。

砂の女 1962.jpg
 07安部 公房 『砂の女』.jpg 砂の女 新潮文庫.jpg   砂の女es.jpg
砂の女』['62年/新潮社]  『砂の女』 新潮文庫 〔旧版/新版〕 勅使河原宏 監督「砂の女」('64年/東宝)
5砂の女 (日本語) 単行本.jpg 1962(昭和37)年・第14回「読売文学賞」受賞作。

 安部公房(1924‐1993)の作品の多くは、現代社会に生きる人間の孤独とそこからくる焦燥感をテーマにしており、社会への適応原理を見失った(或いはそうした状況に突然置かれた)人間が安定状態を回復しようとしてますます孤独の深みに嵌まっていくというものが多いような気がします。

 そのため安部公房の小説は、不条理の作家カフカの作品に模せられることが多く、代表作と呼ばれる作品には抽象的で難解なものが少なくないし、また「デンドロカカリア」の主人公の名が〈コモン君〉であったように、無国籍性というのも1つの特徴ではないかと思います。

 そうした中で、砂丘地帯の村落共同体に迷い込み、「砂の穴」からの脱出を図る主人公を描いたこの作品は、現代人の孤独と焦燥感という他の安部作品と共通するテーマを扱いながらも、主人公が置かれた「不条理な状況」というのが日本的な「村社会」の性格を強く反映したものであったり、或いは日常生活的なリアリティを排しながらも、その「村社会」に生きる女性の言動や性の描写に風土的なリアリティがあったりし、また他の代表作に比べて読みやすい文章で、更にはミステリアスな味わいもあり、不思議と親和感のようなものを感じます。

 満州の半砂漠的風土で幼年期を過ごした作者にとって、砂漠というのは割合イメージ的にリアルなものだったのではないかと推察できますが、「砂の穴」の上の世界と下の世界の断絶や、主人公が向き合うところとなる「砂の壁」のイメージは、この書き下ろし作品が発表された前年(昭和36年1月)に作者は新潟の豪雪を取材しており、その豪雪状況下での人々の暮らしがモチーフとして織り込まれたのではないかと個人的には思っています。

山口果林  .jpg また、この作品は、あまり言われてはいませんが、結婚の比喩であるとする見方もあるようです(小谷野敦説)。安部公房は、桐朋学園短大で教えていたとき、同大学の学生だった山口果林と知り合い、彼女を女優デビューさせる一方(「山口果林」という芸名の名付け親だった)、愛人としています(山口果林が後に上梓した著書『安部公房とわたし』('13年/講談社)では、安部公房との23年間にわたる愛人関係を明らかにし、1993年に安部公房が亡くなったの時に山口果林のところで亡くなったのではないか当時週刊誌に報道されたのを、「事実」だったと認めている)

山口果林/安部公房

 ラストでの主人公の心境の変化は、彼がこの「砂の穴」を脱出して「都会の砂漠」へ戻ることの必然性を見出せなくなっていることを示しており、これを成長と見ることも妥協と見ることもできる(妥協と言うべきか開き直りと言うべきか)という点でも問題を孕んだ意欲作だったと思います。

砂の女sunanoonna5.jpg砂の女s.jpg映画「砂の女」('64年/東宝)

監督:勅使河原宏
製作:市川喜一・大野 忠
脚本:安部公房
原作:安部公房
撮影:瀬川 浩
音楽:武満 徹
美術:平川透徹・山崎正雄
出演:岡田英次・岸田今日子・伊藤弘子 三井弘次・矢野宣・関口銀三・市原清彦・田村保・西田裕行

「砂の女」_7937.JPG

【1981年文庫化[新潮文庫]】

             

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"外部者の侵入"に耐えない脆弱な日本人? サイコミステリーっぽく、一気に読ませる。

イン ザ・ミソスープ.jpg  『イン ザ・ミソスープ』 (1997/09 読売新聞社) 村上龍.png 村上 龍 氏

 1997(平成9)年度・第49回「読売文学賞」受賞作。

 外国人向けの性風俗ガイドをしている20歳のケンジは、フランクと名乗るアメリカ人の依頼で、年末の夜の新宿の街を3晩、彼にアテンドすることになるが、フランクの人工皮膚を貼ったような顔は、なぜかケンジに、歌舞伎町で売春をしていた女子高生が惨殺されゴミ処理場に捨てられたという事件を思い起こさせた―。

 歌舞伎町の風俗産業の実態がよく取材されているようですが、そうしたものはこの作品の前後にも世に腐るほどあり、この作品でむしろ引き込まれるのは、フランクの異常性がちらちらと見え隠れして恐ろしい事件の勃発を予感させる、サイコミステリーっぽい仕立てにあることは間違いないでしょう。
 事件後もフランクと一緒にいるケンジの思考や行動にもリアリティがあり、最後のフランクの独白も重いものでした。
 
 "異常者"フランクの口から、自我の曖昧な日本人やぬるま湯のような日本社会に対する"まともな"批判がなされる、そのコントラストがひとつの妙と言えると思いますが、やや彼の口から語られ過ぎの感じも。
 ケンジの思考の中にも変に"オジさん"(作者自身?)っぽいものが入っていたりし、話題になった残虐な事件場面はややスプラッタ・ムービー調であるなど、瑕疵もそれなりに多い作品だという気がしますが、全体としてはフランク個人の眼を通して、日本人というものの脆弱さ、甘え、もたれあいといった精神性を投射していることが成功していると思いました。
 ぬるま湯状況の日本社会が"外部者の侵入"に晒されたら...という仮定において、後の、『半島を出よ』('05年/幻冬舎)などにも通じるところがありますが、話を広げ過ぎないことで、こっちの方がリアリティが保てていて怖い感じ。

 この小説で個人的に一番"買う"のは、「テンポ」の良さです。
 最近の著者の小説(『半島を出よ(上・下)』('05年/幻冬舎)など)のようなインターネットから引き写した如くの経済解説や時事ネタの挿入が少なく、3晩の出来事を筆一本で一気に押していくという感じで、これは新聞連載でちびちび読むタイプの小説ではないような気がしました(この小説は読売新聞に連載されたもので、連載終盤に神戸での児童連続殺傷事件('97年5月)が起きたことでも、予言的?であると話題になりましたが)。

 【1998年文庫化[幻冬舎文庫]】

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少女と元ヤクザの祖父の交流を描く。ファンタジー(児童文学)の系譜。

わたしのグランパ 単行本.jpgわたしのグランパ.jpg     わたしのグランパL.jpg 0066_l.jpg
わたしのグランパ』['99年/文藝春秋] 『わたしのグランパ (文春文庫)』 〔'02年〕カバーイラスト/福井真一 「わたしのグランパ [DVD]」('03年映画化/'15年ニューリリーズ)監督:東陽一/出演:菅原文太、石原さとみ

 1999(平成11)年度・第51回「読売文学賞」受賞作。

 中学1年生の「わたし」の前に、15年の刑期を終えてある日突然現れた元ヤクザの祖父「グランパ」。2人の関係は最初ぎこちないが、グランパの活躍などを経て徐々に―。よくこなれた文章を通して、今までの筒井康隆にないぬくもりが伝わってきます。

 筒井作品としては、『時をかける少女』以来のジュブナイル小説と言われていますが、その間にも少女を主人公にしたものは幾つかあったはず。むしろ、少女と老人の精神的交流を描くファンタジーではないかと思いました。さらに大きく捉えれば、児童文学とも言えるのではないかと思います。

ぼんぼん1.jpg すると、こうした子どもと老人の交流を描くという系譜は、児童文学にあったような気がします。児童文学作家・今江祥智の、戦時中の母子家族を描いた『ぼんぼん』に出てくる、元ヤクザの〈佐脇老人〉を思い出しました。『ぼんぼん』の主人公は少年ですが、〈佐脇老人〉は陰に日向に少年を助け、少年の成長を支えます。本書の「グランパ」の役回りは、『ぼんぼん』における〈佐脇老人〉のそれによく似ているように思いました。

ぼんぼん (1983年)

わたしのグランパ .jpg 東陽一監督による映画化作品('03年/東映)では、この主人公の祖父「グランパ」を菅原文太(1933-2014)が演じています。どちらかと言うと中学1年生の「わたし」を演じた石原さとみよりも「グランパ」を演じた菅原文太の方が主演になっていて、菅原文太にとっては「やくざわたしのグランパ 01.jpg道入門」('94年/バンダイビジュアル)以来約10年ぶりの映画主演作でしたが、これくらい俳優になると、ブランクとかあまり関係ない?(結果的に菅原文太の最後の映画主演作になった) 東陽一監督自身が後に原作をある種ファンタジーとして捉えて映画を撮ったと述べていたような記憶があり、自分が原作を読んだ時の印象に近いなと思いました。

わたしのグランパ02.jpg 中学1年生の「わたし」を演じた石原さとみは当時16歳で、石神国子(いしがみ・くにこ)名義で既に2本の映画に出ていましたが、石原さとみ名義で初出演したこの作品がデビュー作ということになっているようです。この作品で報知映画賞、日刊スポーツ映画大賞に続き、第25回ヨコハマ映画祭、第46回ブルーリボン賞、第13回日本映画批評家大賞、 そして第27回日本アカデミー賞において新人賞を受賞と「6冠達成」、映画公開年のNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」のヒロイン・岩田冬子役にも抜擢されています。この「わたしのグランパ」では、オーディションを勝ち抜いて得た役であり、16歳とは思えない演技を見せているのは確かですが、東陽一監督の演出の巧みさもあったのではないかと思います。

わたしのグランパpre_img.jpg「わたしのグランパ」●制作年:2003年●監督・脚本:東陽一●撮影:小林達比古●音楽:Alpha./タブラトゥーラ●原作:筒井康隆「わたしのグランパ」●時間:113分●出演:菅原文太/石原さとみ/浅野忠信/平田満/宮崎美子/伊武雅刀/波乃久里子●時間:113分●公開:2003/04●配給:東映●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(03-08-30)(評価:★★★☆)

「わたしのグランパ」完成披露試写会(丸の内東映劇場、2003.3.6)舞台挨拶(筒井康隆/石原さとみ/菅原文太/東陽一)

【2002年文庫化[文春文庫]】

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「戦争文学」であり「実験小説」。極限状況における「私」の意識を克明に描く。

野火 創元社.bmp 野火.jpg 野火(のび) (新潮文庫).jpg 大岡昇平.jpg 大岡 昇平 (1909‐1988/享年79)
野火 (1952年)』 創元社 『野火 (1954年) (新潮文庫)』『野火 (新潮文庫)』〔改版版〕

 1951(昭和26)年・第3回「読売文学賞」受賞作。

 敗色濃厚のフィリピン・レイテ島戦線で、結核に冒された田村一等兵は、野戦病院が食糧を持たない患者は受け入れないため、本隊から若干の芋を受け取り病院周辺にたむろする同じ境遇の兵士たちといるとき、病院から火事が出て、行くあてもなく野火の広がる原野をさまよい歩くが、そこで多くの屍体に遭遇し、飢えた兵士たちや気が狂った将校にも会う。将校は、死の寸前に、「俺が死んだら、ここを喰べていいよ」と自分の腕をさして言うが、実際に多くの兵隊たちが飢えに勝てず、敵味方の屍体に手を伸ばしている状況である。彼はやがて敗残兵と合流し、食料として「猿」の乾燥肉を与えられる―。

莫邦富.jpg 親日派ジャーナりストの莫邦富(モー・パンフ)氏は、出会う日本のメディア関係者にいつも本作を読んだことがあるか聞くそうですが、今まで誰一人として読んだという人はいないそうで(う〜ん、ホントに全員に訊いたのかな?)、「先日、やってきた東大の院生たちにも聞いてみたが、全員、首を横に振った。帰りぎわ、一人は私に確認した。『オーオカショーヘーという人は中国人ですか』」と書いています('06年8/19朝日be版「『野火』を読みましたか」)。これはヒドイ。

 大岡昇平(1909‐1988)は反戦作家だと思うし、初稿が'48年、改稿が'51年に発表されたこの作品は、紛れもなく日本を代表する「戦争文学」だと思いますが、一方で、スタンダール研究家でもあった作者の「実験小説」でもあるような印象を受けました。

 俘虜記』('52年/創元社)の冒頭の「捉まるまで」と本作は執筆時期が重なり、同じ一人称で書かれたものでありながら、過去の回想として書かれている『俘虜記』よりも、本作はより克明に"今"の「私」の意識の流れを追っていて、「私」の意識を作者が作品として対象化しているというより、むしろ"今"の「私」の意識の中に作者が入り込んでいるような感じで、死と対峙する極限状態にありながらも、「私」の意識には、どこか冷静な諦観のようなものがあるような気もしました。

 カニバリズムがモチーフになっている点で武田泰淳の『ひかりごけ』と対比されますが(2人の親交はよく知られている)、本作の主人公は、結局、人肉を食べることをせず、これは、極限状況における人間としての尊厳とも矜持ともとれるし、その前に彼が無辜の民を殺害していることからくる罪の意識の反映ともとれます(殺人よりもカニバリズムの方が"悪"であるというという価値観の序列を表しているのではない)。

 『俘虜記』の「捉まるまで」にも関連するテーマですが、神を持たない日本人も、極限状況において神的なものを見出すことがあるのではないかという問いかけにもなっている気がし、これだけ多重的に深いテーマを示しているだけに、主人公が最後に精神病院に入っていることになっているという設定には、個人的にはやや不満が残ります。

 【1953年文庫化[創元文庫]/1954年再文庫化[新潮文庫]/1955年再文庫化・1970年改版[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1985年再文庫化[旺文社文庫]/1988年再文庫化[岩波文庫(『野火・ハムレット日記』)]】

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