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「泥の河」と同様に傑作。抒情派であり、ストーリーテラーでもあるということか。

螢川 (1978年) 200_.jpg蛍川 筑摩.jpg 「螢川」.jpg 蛍川.gif 蛍川 [DVD].jpg
螢川』(筑摩書房) 『蛍川 (角川文庫)』新版・旧版(「泥の河」収録) 「蛍川 [DVD]

 1977(昭和52)年下半期・第78回「芥川賞」受賞作。

 昭和37年富山。14歳の少年竜夫は近所の銀蔵爺さんから螢の大群を見たという話を幼いころに聞いて、自分もいつか見てみたいと思っていた。その螢の大群は4月に大雪が降るような年でないと見られるという。竜夫は幼馴染みの同級生・英子と一緒に螢を見に行こうと約束をしていたが、中学生になってからは英子とまともに会話をしたことがなかった。ある日、父親の重竜が病気で倒れ入院する。重竜はかつて春枝という妻がありながら、竜夫の母千代と駆け落ちし、二人の間に出来た子が竜夫だった。父の死が近いことを知る竜夫。父は事業に失敗し、多額の借金があった。父の死が近づいた4月のある日大雪は降り、あの螢の大群を見ることができる条件が揃うのだった...。

 「泥の河」を併録して1978年に筑摩書房より刊行され、「泥の河」、「道頓堀川」とともに作者の「川三部作」をなす作品です。「泥の河」、よりも早くから構想されたものの、「泥の河」の方が先に発表されて「太宰治賞」を受賞し、後から発表されたこの「螢川」が、初の芥川賞候補で、そのまま受賞となっています。

 最初に読んだ時は、抒情的な色合いの濃い「泥の河」の方が好みで、「螢川」の方は、これも傑作には違いないものの、途中まで結構どろどろしていて最後できなり抒情的になった印象があっため、ラストの螢の大群で表象されるロマンチシズムがやや浮いた感じがしていましたが、読み直してみて、やはりこれはこれで傑作だと思いました。

 芥川賞の選考では、すんなり決まったわけではなく混戦だったようですが、選考委員の中では大江健三郎が否定的だったほかは、井上靖が「久しぶりの抒情小説といった感じで、実にうまい読みものである。読みものであっても、これだけ達者に書いてあれば、芥川賞作品として採りたくなる」と述べるなど、概ね肯定的吉行 淳之介.jpgだったようです。個人的には、吉行淳之介の「前作『泥の河』の後半が良い意味での抽象的なものに達していた趣は、この作品にはなかった。しかし、全体としての完成度は、前作よりも高い。抒情が浮き上らずに、物自体に沁みこんでいるところが良い」という評が、前作との対比を上手く言い表しているように思いました。

 前作「泥の河」は昭和30年の大阪が舞台で、主人公の貴一少年は小学校の低学年という感じでしょうか。作者自身。昭和22年生まれで、作者の一家は9歳の時に大阪から富山に移転したということで、更に高校に進学したのも昭和37年とのことで、「螢川」の主人公・竜夫と重なりますが、富山に移住して1年後には兵庫県の尼崎に移っており、父親が事業に失敗して借財を残して死んだのも実際の作者の経験ですが、その時作者は22歳で大学在学中だったそうです。ですから、1年しか住まなかった富山を舞台に、自らの経験をいろいろ反映させてストーリーを構築したということになるかと思います。抒情派であり、ストーリーテラーでもあるということでしょうか。

螢川_02.jpg螢川es.jpg 小栗康平監督による映画化作品「泥の河」('81年)はよく知られていますが、「螢川」も1987年に須川栄三(1930-1998/享年68)監督におって映画化されています。須川栄三監督は1953年、東京大学経済学部を卒業し東宝に入社、どちらかというと「野獣死すべし」('59年)のようなハードボイルド・タッチの作品を得意としており、文芸作品というイメージはそれほど無かったのではないでしょうか。ただ、この作品は俳優陣がしっかりしており、三國連太郎の重竜、十朱幸代の千代も良く(十朱幸代はやや綺麗すぎか)、奈良岡朋子(泣かせる演技!)、大滝秀治、殿山泰司らが脇をしっかり支え、子役の演技も悪くなかったです(英子役は前年に歌手デビューした沢田玉恵で、歌も演技も高い評価を得ながらも映画公開時にはすでに引退していた"幻のアイドル")。

螢川図1.jpg 螢川図2.jpg 螢川図3.jpg
螢川図4.jpg 螢川図5.jpg 螢川図6.jpg

螢川_01.jpg螢川ges.jpg 映画は、原作のどろどろした部分をやや抑えて、一方で、竜夫の学校生活をやや重点的に取り上げ、この年の文部省選定作品になっています。但し、教育映画風とかではなく、原作にもある話ですが、英子に思いを寄せている親友の関根圭太の死なども通して、「死」(関根・重竜)と「生(性)」(英子)というコントラストを上手く描いていたように思います。その「生(性)」の象徴である、ラストの無数の螢が乱舞するクライマックスシーンで特殊効果を担当したのが、円谷英二の最後の弟子で光学合成の匠・川北紘一であり、今でこそ「ウルトラマン」シリーズか何かを想起してしまいそうな特撮ですが、当時リアルタイムで劇場で観た人は結構圧倒されたのではないでしょうか。
螢川1bg.jpg 螢川2es.jpg 奈良岡朋子
螢川s.jpg  「螢川」 富山.jpg ロケ地:富山市
Hotaru-gawa (1987)
Hotaru-gawa (1987).jpg
螢川-p.jpg「螢川」●制作年:1984年●監督:須川栄三●製作:高橋松男/加藤博明●脚本:中岡京平/須川栄三●撮影:姫田真佐久●特技監督:川北紘一●音楽:篠崎正嗣●原作:宮本輝●時間:84分●出演:三國連太郎/十朱幸代/坂詰貴之/沢田玉恵/川谷拓三/奈良岡朋子/大滝秀治/河原崎長一郎/寺泉憲/殿山泰司/利根川龍二/早川勝也/粟津號/江幡高志/小林トシ江/斉藤林子/岩倉高子/伊藤敏博/飯島大介/勇静華●公開:1987/02●配給:松竹(評価★★★★)

【1978年単行本[筑摩書房(『螢川』)]/1980年文庫化[角川文庫(『螢川』)]/1986年再文庫化[ちくま文庫(『泥の河・螢川・道頓堀川』)]/1994年再文庫化・2005年改版[新潮文庫(『螢川・泥の河』)]】

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芥川賞作品の中ではかなり面白い方であり、根底には作者の技量があるように思った。

コンビニ人間.jpgコンビニ人間2.jpg 荻原.jpg
コンビニ人間』 『海の見える理髪店』で直木賞受賞の荻原浩氏と村田沙耶香氏[産経ニュース]

 2016(平成28)年上半期・第155回「芥川賞」受賞作。2017年・第14回「本屋大賞」第9位。

 私こと古倉恵子は、子供の頃から「変わった子」と思われていた。自らの言動で周囲を困惑させてしまうため、黙って言われたことをするよう心掛けていた。そんな私はある日コンビニのバイトに出会い、マニュアルで全て行動する仕事を天職と感じるようになって、大学時代から今日まで18年間コンビニで働き続けている。しかし年齢を重ね、結婚せずに36歳となった今の自分のことを、周囲は奇異に思っているのが感じられる。そんなある日、35歳で職歴もない白羽が新人バイトとして入って来て、彼は婚活を目的にバイトを始めたのだという。しかし白羽は女性客へのストーカー行為で解雇される。恵子は、懲りもせず女性を待ち伏せする白羽に声を掛け、恋愛感情はないが一緒に暮らすことを提案する。「同棲している男性がいる」ことが、恋愛をしないことの言い訳になると思ったのだ。その白羽は、自分にコンビニのバイトを辞めさせ、就職させて自らの借金を返させようとする。だが、就職のための面接に向かう途中で訪れたコンビニで、私は本社の社員を装って、困っているバイトに手を貸す。そして、コンビニで働くことを自らの体が求めているのだと感じるのだった―。

 「文學界」2016年6月号に掲載された小説で、作者は新人かと思ったら、三島由紀夫賞を筆頭とする幾つかの賞を受賞した作家であり、そうでありながらコンビニエンス・ストアで週3回働いているそうな(芥川賞受賞会見の日も働いたというから、コンビ二で働くことがある種"精神安定剤"的効果をもたらすのかも)。主人公は、一定のルーティンへの強いこだわりなど発達障害的傾向があるように思いましたが、その辺りがよく描けているように思いました。でも、これ、自分の経験だったのでしょうか?

 作者の"コンビニ愛"の地が出ている感じもしましたが、自分の経験だから書きやすいというわけでもなく、自分の経験に近いからこそ対象化するのは逆に難しいと言えるかも。そうした意味では、慎重に"満を持して"書いた作品なのかもしれません。遅ればせながら、芥川賞おめでとうございますと言いたくなります。

 読後感も爽やかでしたが、「私は、人間である以上に、コンビニ店員なんです」なんて主人公の台詞は、芥川賞と言うよりちょっと直木賞っぽい感じもありました。でも、これまでの芥川賞作品の中ではかなり面白い方であり、根底には作者の技量があるように思いました。芥川賞の選評で川上弘美氏が、「おそろしくて、可笑しくて、可愛くて、大胆で、緻密。圧倒的でした」とし、「選評で"可愛い"という言葉を初めて使いました」と括弧書きしていました。

 芥川賞のすべての選者が推したわけではないですが、山田詠美氏は、「コンビニという小さな世界を題材にしながら、小説の面白さの全てが詰まっている。十年以上選考委員を務めてきて、候補作を読んで笑ったのは初めてだった」と評価し、村上龍氏も、「この十年、現代をここまで描いた受賞作は無い」と評価しています。

小谷野敦.jpg 芥川賞の選者以外では、辛口批評で知られる作家で比較文学者の小谷野敦氏が、「本作のように面白い作品が芥川賞を受賞することは稀であり、同賞の歴代受賞作品でもトップクラスの面白さだ」と評したそうな。別のところでの小澤英実氏との対談では、「『コンビニ人間』は、単純に「面白い」ということでいいと思いますね。川上弘美が何か意味付けをしようとしていたけれど、意味付けなんてしない方がいい」と言っていて、そんなものかもしれないなあと。

 個人的にも◎ですが、後は時間が経ってどれぐらい記憶に残るかなあというところでしょうか(芥川賞作品って意外と記憶に残らないものもあったりするので)。そうした意味では、"意味付け"することにも意味があるのではないかという気もしなくはありません。ただ、芥川賞作品としては『火花』以来の売れ行きだそうですから、世間的には記憶に残る作品となるのかもしれません。

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朝井 リョウ 『何者』.jpg        朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』.jpg           三田誠広『僕って何』.jpg
何者』(2012/11 新潮社) 『桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)』  三田誠広 『僕って何 (1977年)

現代若者気質を反映して上手い。現実の彼らとTwitter上での彼らが表裏になっている。。

 自分が勝手に名付けた「5人の物語」3冊シリーズの2冊目(他は、窪美澄の『ふがいない僕は空を見た』と村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)。2012(平成24)年下半期・第148回「直木賞」受賞作。直木賞初の平成生まれの受賞者であり、男性受賞者としては史上最年少の23歳での受賞(戦後の受賞者としても、山田詠美の28歳、平岩弓枝の27歳より若い最年少)。

 就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良の5人。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺...自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす―。(Amazon.comより)

 冒頭に主要登場人物のTwitterのアカウントのプロフィールがあって(「烏丸ギンジ」も入れると「6人の物語」だが)、作中でも、現実の彼らと、Twitter上での彼らが表裏になっているのが面白く、更に、Twitterにおいても、表のアカウントと裏のアカウントを使い分けたりしているのがいたりして、今の若者ってご苦労さんだなあという気も。

 現代若者気質をストレートに反映しているようで、上手いと思ったし、面白い、と言うより、たいへん興味深く読めました(当の若者からすれば、みんながみんなこうとは限らないのに、この5人に現代若者気質が集約されていると思われるのはたまらん、という声もあるかもしれないが)。

 こうした二重構造、三重構造の自分がいて、更に、就活のために目一杯「自分探し」していて、分裂症にならないかとこっちが気を揉んでしまいそうですが、そんな中、主人公である拓人の視線が比較的クールでしょうか。クールだから就職が決まらないと言うのもあるけれど、みんな「何者」になろうとしているのかという疑問が湧いてくることには共感を覚えました(でも、結局、強く「自分」を持っていたのは、最初はやや無定見に見えた女子2人だった)。

 昔の芥川賞受賞作で、同じくワセダを舞台にした、三田誠広の『僕って何』('77年/河出書房新社)は、かつて"学園紛争"時代、肩肘張ってイズムを主張する男性像が主流の中、軟弱で世間知らずなゆえに"何となく"流されるかのようにあるセクトに入ってしまった大学生だった主人公の述懐話でしたが、雑誌「文藝」に掲載された時から話題になっていて、皆こぞって読んだでいたような記憶があるけれども(「文藝春秋」に転載後かもしれないが、何れにせよ単行本になる前から読まれていた)、モラトリアム型の若者を描いている点ではこの2つの作品は似ています(タイトルも似ている)。

 時代は変われど昔も今も、学生は「自分」を探し求めて彷徨するのでしょうか。新卒学生の就職難の今の時代をリアルタイムで描写し、更に、他者との関係性の今風のスタイルをリアルに描いているという点では、こちらの方が上かも。出てくるのはモラトリアム型の若者にに偏っている気もしますが、まあ、類は友を呼ぶということなのでしょう。

 小説すばる新人賞を受賞した『桐島、部活やめるってよ』('10年/集英社)(これも"5人"の高校生の物語)の背景テーマが「スクールカースト」だったとすれば、こちらは「就職氷河期」がそれにあたるとも言え、結構、社会派かも。

 それにしても、自分に近い年齢の登場人物たちを、よく冷静に対象化して書き分けることが出来るなあと感心。何だかこの人、「若者身の上相談」でもやりそうだなあと思ったら、もう既にそうした類の本を書いていました(まあ、芥川賞作家である中上健次だって村上龍だって、その類の本を書いているけれどね)。

『何者』...【2016年文庫化[新潮文庫]】

映画 何者4.jpg映画 何者M.jpg2016年映画化

2016年10月15日(土)全国東宝系ロードショー 佐藤 健/有村架純/二階堂ふみ/菅田将暉/岡田将生/山田孝之 原作:朝井リョウ『何者』(新潮文庫刊) 監督・脚本:三浦大輔

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表題作は悪くなかった。ある種"ブレークスルー小説"であり、"癒し系小説"でもあるか。

『冥土めぐり』.jpg  辻村深月/鹿島田真希.jpg 第147回「直木賞」「芥川賞」受賞の辻村深月・鹿島田真希両氏[共同]
冥土めぐり』(2012/07 河出書房新社)

 2012(平成24)年上半期・第147回「芥川賞」受賞作。

 裕福だった過去に執着し、借金を重ねる母と弟から資産家と結婚することを望まれていた奈津子が結婚したのは市役所職員の太一で、結婚後に夫・太一は不治の病にかかり働けなくなってしまっていた。すべてを諦め、自分の身に起こる理不尽や不公平、不幸について考えることもしなかった奈津子だったが、ふと思い立った夫を連れての旅を通して、自分の中での何かが変わっていく―。

 作者は、2005年に「六〇〇〇度の愛」で三島由紀夫賞を、2007年に「ピカルディーの三度」で野間文芸新人賞を受賞しており、芥川賞と併せた3賞受賞は2人目で18年ぶりのことだそうな。さすが文章は落ち着いていて上手いなあと思いましたが、14年前の学生時代にデビューしているから、新人とは言えないかも。前半の主人公の脱力ぶりには読ませるものがあったし、後半も悪く、何度か芥川賞の候補にもなっていて、そろそろあげなくちゃという選考委員の思惑と一致した部分があったかも。。

 自分の過去と無意識的に対峙するかのように、夫を連れて以前に家族で宿泊した高級リゾートホテル(今はうらぶれて、五千円で泊まれる区の保養施設になっている)へ旅することを思い立った主人公。その旅を通して何か起こりそうで事象面では何も起こらない、言わば"「何も起こらない」小説"の一典型とも言えます(この類の作品、時々芥川賞に選ばれるなあ)。

 バブル期の夢から醒め切れない母親と弟の姿は、日本社会の今を象徴的に反映しているとの声もあった一方、二人の人格崩壊的なキャラが際立っている割には、主人公の性格が見えてこないとの評もありましたが、そうかな。自分にはあくまで、主人公が前景で、周囲が背景のように描かれているように思えました。

 かつての暮らしぶりが良かった時代の思い出に浸りきっている母と弟は、主人公から見れば生きながらにして死んでいる"冥界の住人"のようなもので、その"冥界"を場所として象徴しているのが、この、かつて高級リゾートで今はうらぶれているホテルなのだろうなあと。

 シニカルに母と弟を眺めつつ、彼らと自らの繋がりに縛られてもいた主人公は、旅を通してその呪縛から徐々に解き放たれると共に、今を素直に生きる夫の姿に、次第に心が変化していく―夫の"聖性"を通して、宗教的な世界と言うか、ホーリー・ワールドに達しようとしている印象もあるね。単なる諦めから日本的な諦念の境地へ。それはある意味、"ささやかな幸せ"の世界であり、 "身近にある浄土"といった感じでもあるかも。

 ある種"ブレークスルー小説"であり、"癒し系小説"であるとも言え、個人的には悪くなかったけれど、併録の「99の接吻」は、この作家の文学少女的趣味と言うかレトロ調のテイスト(三姉妹物語とか四姉妹物語とか昔からあるなあ)がやや陰湿な表れ方をしているように感じられ、全然肌に合わなかったなあ(星3つ半の評価は表題作に対してで、星4つに近い評価なのだが、今後さらに一皮むけることを期待)。

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死者へのレクイエムと骨太のユーモア。読後感は悪くないが、「芥川賞」にはやや"違和感"も。

沖で待つ .jpg沖で待つ.jpg 『沖で待つ』['06年]沖で待つ 文庫.jpg沖で待つ 文庫2.jpg沖で待つ (文春文庫)

 2005(平成17)年下半期・第134回「芥川賞」受賞作。

 住宅設備機器メーカーに女性総合職として入社した主人公は、同期入社の男性同僚「太っちゃん」と、先に死んだ方が相手のPCのHDDを壊すという約束を結ぶが、その太っちゃんが事故死したことから、主人公は太っちゃんの部屋に忍び込んで約束を果たすことにする。そしてその部屋には、今もなお死んだはずの太っちゃんがいた―。

 同じ会社に勤める男女間の友情を描いた作品ということで、「沖で待つ」というタイトルが効いているあなあと。死者へのレクイエムが感じられるという点では、吉田修一氏の『横道世之介』('09年/毎日新聞社)を想起したりもしました。

 作者が女性総合職の先駆けとして伊奈製陶(現INAX)に勤務した頃の経験が背景にあるようで、その頃の女性総合職って大変だったのだなあと思わせる部分はありますが、主人公が竹を割ったような性格であるため、全体には明るい感じで、読後感も悪くなかったです。

 ただ、これが芥川賞かと思うと、ちょっとイメージが違うような気もし、企業に勤めた経験が無いか、或いはそうした経験から随分と月日を経てしまった選考委員にとっては、目新しさや懐かしさがあったのかも。でも、普通の人の目線で見れば、テレビドラマなどでよくありそうな設定のようにも...。

 併録の「勤労感謝の日」は、気の乗らないお見合いをして、見合い相手にげんなりさせられる女性が主人公の話で、これも表題作の前に第131回芥川賞候補になっていますが、軽快なテンポでユーモアと皮肉が効いていて、こちらは、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』('03年/講談社)のような、「未婚女性に対する応援歌」的なものを感じました(表題作以上に"エンタメ系"?)。

 実際、この人、この2作の間に『逃亡くそたわけ』(中央公論新社)で第133回直木賞候補にもなっていて、ちょっと文芸作家のようには見えないのですが、この飾り気のない文章と簡潔・スピーディなテンポが、「研ぎ澄まされた技法」ということになるのでしょうか(それとも、芥川賞と直木賞の違いは、短編と、中長編乃至短編連作という長さの違いだけなのか)。

 ユーモア自体は骨太のものを感じました。

 【2009年文庫化[文春文庫]】

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自身の半生を「精神的な物語」化することで、自らを癒している(?)主人公。

終の住処2.jpg 終の住処1.jpg  『終の住処』 (2009/07 新潮社)

 2009(平成21)年上半期・第141回「芥川賞」受賞作。

 30歳を過ぎで結婚した男が、50を過ぎて結婚後の20年間の生活を振り返る話で、その間に娘が生まれ、待望の一軒家も建てたが、男の妻は結婚生活の間中、男に対して常に不機嫌な態度をとり続け、男の方も浮気を繰り返してきた―。

 改行の少ない文章が果たしてどのような効果を狙ったものなのかよくわかりませんでしたが、文章そのものは上手いと思いました。
 自分で積極的に選んだ生き方でもないのに、自分が歩んできた過去が、今の自分をじわじわと追い込んでいくような感じが、滲み出るように表われています。

 妻が11年間も自分と口を聞かなかったというのは特異ですが、それ以外には何か特別変わった出来事が描かれているわけでもなく、8人の女性と付き合ったという話も、あることを契機に女性遍歴をやめたという話も、ありがちではないかと。
 読み進むうちに、生きることとは、時間と共に不可能性の範囲が拡がっていくことを認識することなのだなあと、何となく身をつまされるような思いをしました(かつての「第三の新人」の"小市民性"みたいだなあ、何となく)。

 作者は商社に勤めるサラリーマン兼業作家であるためか、製薬会社に勤めるこの物語の主人公も、後半は米国に出張し、エッジフルなビジネス交渉をやってのけたりして仕事に打ち込んだ時期の回想がありますが、これを挿入したことで、娘が知らない間に渡米していたというラストが何となく、バブル期に家庭も顧みず頑張っていたエリートサラリーマンのなれの果て、みたいな位置づけにも見えてしまうのは短絡的な読み方なのでしょうか(黒井千次氏とかには受けそうだが)。

 作者の磯崎憲一郎氏(1965年生まれ)は、ガルシア=マルケスや小島信夫、保坂和志などを好きな作家として挙げていて、保坂氏とは知人関係にあるとのことですが、この作品には保坂氏のキャッチフレーズ(?)である「何も起こらない小説」の系譜みたいなものが感じられます。

 保坂氏は、『書きあぐねている人のための小説入門』('03年/草思社、'08年/中公文庫)の中で、「テーマはかえって小説の運動を妨げる」とし、「代わりにルールを作る」としていて、デビュー作『プレーンソング』('00年/講談社)での第1ルールは、「悲しいことは起きない話にする」ということだったそうで、また、「社会問題を後追いしない」、「ネガティブな人間を描かない」などが保坂氏の信条だそうです。

 この小説を「悲しい」物語であるとか、主人公を「ネガティブ」な人間であるとは必ずも言えないだろうけれども、読んで元気が出るような話でないことは確か。
 主人公は(特に妻サイドに立てば)自分勝手な人間にも見えますが、それなりに一生懸命生きてきたようにも思われ、但し、今は疲れてしまって、諦めの境地?
  ボルヘスやガルシア=マルケスに似ていると言うよりは、自分自身の半生を「精神的な物語」化することで、自らを癒している―そんな風にも思えました。

 今後に期待は持てそうな人ではありますが、この作品そのものは、今ひとつでした。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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群像新人文学賞から芥川賞に直行!確かに前衛的だが、期待したほど面白くはなかった。

アサッテの人.jpg 『アサッテの人』 (2007/07 講談社)

 2007(平成19)年・第50回「群像新人文学賞」(小説部門)並びに2007(平成19)年上半期・第137回「芥川賞」受賞作。

 勤め人である「私」は、突如失踪した叔父の荷物を引き取りに行ったアパートで、叔父の残した日記を見つける―。

 「私」はかつてこの、脈絡なく「ポンパ!」という奇声を奇声を発する叔父をモデルにした草稿を幾度も書いており、そして今、小説『アサッテの人』としてそれを完成しようとしているが、それが出来ないでいるため、叔父の残した日記と、叔父を題材に書いた草稿を繋ぎ合わせて、それを読者に示すことで、それを完成品としようとしていて、そうした意味では、これは「メーキング小説」とも言えるかも知れません。

 更に、小説を書いている今の「私」を対象化し、小説の外側に立って小説を書くという行為そのものを考察する一方、小説の中に織り込むはずだった叔父の日記を抜粋し、その「アサッテ」ぶりに対し、現在の「私」の立場から考察していて、そうした意味では「メタ小説」とも言えます。

 ビルの警備室に勤務していた叔父の日記の中には、そのビル内にある会社に勤務する、エレベーター内で人知れず奇妙な行動をとる「チューリップ男」の観察記録があり、小説を書こうとしている「私」とその「私」を見つめる私、書かれようとしている小説乃至これまでの草稿と叔父の日記、叔父の日記の中で叔父に観察されているチューリップ男―といった具合に、3重〜4重くらいの入籠構造になっているのかな。

 「私」の耳から離れない叔父の様々な奇声は、太宰治の「トカトントン」を想起させますが、時代が変わろうとしていることの象徴のようなトカトントンに対し、「私」の叔父の奇声に対する考察は、日常と非日常の相克とでも言うか、もう少し哲学的なニュアンスのものという感じ。
 但し、日常的なもの、既成のものからの脱却という意味では、「チューリップ男」の行動の方が、吃音が直ったのをきっかけに消えてしまった程度のものであった叔父の奇声を凌駕しているかも。

 小説の主体は、入籠構造の各層を行き来しますが、1つ1つが小説として(意図的に)完成されていないため、「メタ小説」としては不全感があり、「小説」と言うより、「小説を書く」ということについての哲学的考察と言った方が合っている印象を受けました(作者は大学の哲学科出身)。

 芥川賞の選評では、案の定、石原慎太郎・宮本輝両氏の評価が低かったが(村上龍氏も)、新たに選考委員になった小川洋子・川上弘美両氏が絶賛(池澤夏樹氏も)、その他の選考委員(高木のぶ子・黒井千次・山田詠美の3氏)も概ね推薦に回り、「群像新人文学賞」受賞作では、第19回(1976年)の『限りなく透明に近いブルー』以来の(村上春樹氏の『風の歌を聴け』(第22回(1979年)群像新人文学賞受賞作)も果たさなかった)芥川賞とのW受賞になりました。

 その村上龍氏は、「私は推さなかった。退屈な小説だったからだ」と述べていて、自分の感想もそれに近いものであり、これから面白そうな作品を書きそうな人ではあるけれども、この作品については、前衛的な試みは"空振り"しているように思えました。

 ただ、過去に多くの人が、こうした作品を着想して頓挫したり失敗したりしているであろうことを思うと、前衛を保ちつつ、破綻は最小限に止まっているという感じではあり(この作品の場合、何を以って"破綻している"と言うかという問題はあるが...)、たまにはこうした実験小説的な作品が芥川賞をとるのもまあいいか―(でも、芥川賞はやはり運不運があるなあ)。

 【2010年文庫化[講談社文庫]】

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文体は才気煥発だが、話の展開は巻子の狂気に焦点を絞った方がよかったかも。

乳と卵.jpg 『乳と卵』 (2008/02 文藝春秋) 川上未映子.jpg 川上未映子 氏

 2007(平成19)年下半期・第138回「芥川賞」受賞作。

 東京の下町・三ノ輪の「わたし」のアパートに、姉の巻子が東京で豊胸手術を受けるために、3日間の滞在予定で大阪から娘の緑子を連れて上京してくるが、豊胸手術に賭ける姉の意気込みには並々ならぬものがあり、一方、そんな母に反発して、中学生の緑子は誰とも口をきかず筆談で話をする―。

 結構、期待して読みましたが、文体に限って言えば、まさに才気煥発といったところ。
 改行を少なくし、句点も極力用いず、読点のみで延々と繋ぐ文体は、関西弁だからこそ効果的に成立するのか、野坂昭如、町田康を思わせるものがありますが、そうした系譜であるという決めつけ(?)の枠に捉われないオリジナリティを確立しているように思えました。

 但し、話の展開は、何だか纏まりがないような...。
 「わたし」が2人の親子関係や女性の身体について考えを巡らし(女性は女性で女性の身体を厳しい目でチェックしているのだということがわかり興味深かったが)、緑子は、自らの初潮に慄き、卵子に思いを馳せる―(タイトルを「チチとラン」と読むことに、ここで気づいた)。

 読み進むうちに、言葉を発さない緑子の方が結構まともで、姉の巻子の方が、身体だけでなく人格そのものが崩れているように思えてきて、だったら、芥川選考委員の選考委員の小川洋子氏が言うように、巻子の狂気に焦点を絞った方がよかったかも。

 母と娘の卵(タマゴ)のぶつけ合いは壮絶な"愁嘆場"で、やや芝居がかっている感じがし、女性性(ラン)の暗喩としてわかり易すぎる感じもしました。
 だから逆に、石原慎太郎氏のような、「乳房のメタファとしての意味が伝わってこない」という意見も出てくるのではないでしょうか。

 石原氏は、川上弘美氏の芥川賞受賞作『蛇を踏む』の時も、「蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない」「こんな代物が歴史ある文学賞を受けてしまうというところに、今日の日本文学の衰弱が窺える」と言っていましたが、たまにこの人の言うことに共感することもあります(「蛇」については自分も同意見)。
 でも、その言われた川上弘美氏も今や芥川賞選考委員になっているわけで、実力があるから賞を獲るのか、賞が実力作家を作るのか―。
 因みに、川上弘美氏はこの作品を「緑子のその後に興味がひかれる」ということで、まあまあ評価していたようです。

 【2010年文庫化[文春文庫]】

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老若男女のWデート? 春夏秋冬に合わせての起承転結。取り立てて欠点の無い作品。

ひとり日和.jpg 『ひとり日和』 (2007/02 河出書房新社) ひとり日和 大活字.jpg ひとり日和 大活字 下.jpg 『ひとり日和〈上〉 (大活字文庫)』 『ひとり日和〈下〉 (大活字文庫)』 (2007/10 大活字) 

 2006(平成18)年下半期・第136回「芥川賞」受賞作。

 20歳の私(知寿)は、親戚の71歳の吟子さんの家に居候することになった。駅が見える平屋での生活の中、彼氏と別れた私はキオスクで働き、今度は駅員の藤田君という男性に恋をして、一方、吟子さんは吟子さんで同年代のホースケさんという男性と淡々とした恋をしている―。

 あまり期待してなかったためか、予想以上の出来。
 最初のうちは知寿自身のありきたりの恋の話でアクビが出かかりましたが、70代の吟子さんの恋の話が始まって興味を引かれ、いつの間にか70代カップルと20代カップルのダブルデートみたいな状況(庭で花火をするだけだが)になっており、そこに至るまでが極めて自然に描かれていて、「こんなの、ないよ」と思わせる部分が殆ど無かったです。

 年の離れた女性同士で、時に張り合っているようにも見え、化粧水を勝手に使った使っていないとかでもめたりしているのも、何となくユーモラス。
 春夏秋冬に合わせて起承転結がカッチリあって、構成上もまずまず。
 主人公にそれほど魅力があるわけではないけれど、読んでいて厭な気分にもならないし、何か強いインパクトがあるわけではないけれど、取り立てて欠点も無い作品と言えるのでは。

 芥川賞選考委員会では、石原慎太郎、村上龍両氏が強く推挙し、他の委員も池澤夏樹氏を除いてあまり否定的な意見を述べる人はいなかったようですが、村上氏の言う「ヒロインは最後に自らをどこかで肯定し、外へ向かう。嘘のない自立を描いた、稀有な作品」という賛辞に触れると、果たしてそこまで響くものがあったかなあ、ちょっと褒めすぎではないかとは思いましたが。

 【2010年文庫化[河出文庫]】

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コミカルな味のあるシュールな世界。結構わかりやすく「人間疎外」を描いている。

壁 安部公房 月曜書房.jpg     安部公房『壁』(新潮文庫).jpg  壁.jpg  安部公房.jpg 安部 公房 (1924-1993/享年68)
壁 (1951年)』[月曜書房] 『壁 (新潮文庫)』 /旧カバー版

 1951(昭和26)年に刊行された『壁』は、「S・カルマ氏の犯罪」、「バベルの塔の狸」、「赤い繭」の3部の中篇から成り、「赤い繭」は更に「赤い繭」、「魔法のチョーク」など4つの短篇から成るという構成。
 この中ではやはり、主人公の「ぼく」がある朝目を覚ましたら、自分の名前を喪失していた―という出だしの「S・カルマ氏の犯罪」のインパクトが大きかったです。

 「ぼく」は、自分の名刺を探してみるが見つからず、名前も思い出せない。そこで、勤め先の事務所に行くと、自分の「名刺」が自分の代わりに自分の机で仕事している―。
 重厚な作品という印象があったのですが、読み返してみると意外とコミカルな味のあるシュールな世界で、且つ、結構わかりやすく「現代人の疎外」を描いているように思えました(「名刺」が自分の代わりに仕事しているなんて、かなりストレートな暗喩ではないか)。

 「S・カルマ」という名であるらしい「ぼく」は、病院の待合室で読んだ写真雑誌の中の景色を自分の胸に"吸いとって"しまい、動物園でラクダに奇妙な愛着を抱いて、これも吸い込もうとして私設警察に捕われて、支離滅裂な裁判にかけられる―。
 カフカの「変身」と「判決」をくっつけたような流れですが、安部公房の方がユーモラスで、むしろカフカよりぶっ飛んでいる感じもします(後の筒井康隆などに近い感じ)。

 彼は何によって裁かれようとしているのか(物語の途中から「ぼく」ではなく「彼」になっている)、彼にとって常に目の前にはだかり、自らを同化せしめんとする「壁」とは何なのか(『バカの壁』という本があったが...)、様々な解釈があるでしょうが、人間の現存在の危うさを突きつけられたような不安感を醸す一方で、ワケワカランままであってもとり敢えず楽しく読めるのが、この作品の魅力です。

 「S・カルマ氏の犯罪」は'51(昭和26)年第25回芥川賞受賞作で、選考委員の中では川端康成などが推挙したそうですが、当時としては極めて斬新な候補作だったろうになあ(但し、川端康成などは彼自身が大正期の幻想文学の流れを汲んでいる面もあったし、さほど意外でもないことかも)。

 「魔法のチョーク」も単体では好きな作品です。

 【1969年文庫化[新潮文庫]】

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死刑執行に携わる看守を主人公とし、日常と非日常、生と死の対比を描いて秀逸。

夏の流れ2.jpg 夏の流れ・正午なり 丸山健二.jpg 夏の流れ.jpg
夏の流れ』['67年]/『夏の流れ・正午(まひる)なり (講談社文庫)』 ['73年]/『夏の流れ―丸山健二初期作品集 (講談社文芸文庫)』 〔'05年〕

 1966(昭和41)年下半期・第56回「芥川賞」受賞作。(講談社文芸文庫版の帯にある「毎日出版文化賞受賞」は、「講談社文芸文庫」自体がが第58回(2004年)毎日出版文化賞(企画部門)を受賞したことによるもの)。

 主人公は刑務所に勤める看守で、死刑執行もその仕事に含まれているのですが、そうした看守の刑務所の中での世間から隔絶した "日常"と、刑務所の外での市民としての日常を対照的に描き、デビュー作にして芥川賞を受賞した作品(しかも23歳1カ月という当時の歴代最年少受賞)。

 とりわけ死刑執行の"その日・その時"のハードボイルドタッチな描き方は話題を呼んだようですが、本当に秀逸なのは、小説の中にある対比の構成ではないでしょうか。

 "仕事"前の休日に釣りにいく話をしている看守たちや"仕事"を終えて家に帰る主人公(家には新たな命を宿した妻がいる)と、刑を目前に抗い、退行し、死んでいく死刑囚。仕事に馴染めず1回も刑の執行を経験せずに辞めていく若い看守と、儀式的に淡々と刑を執り行うベテランの上司らの対比(主人公はその中間にあると言えるかも)などが、抑制された文章で描かれています。

 特に、"仕事"によって与えられた特別休暇で子どもたちを海水浴に連れて行く主人公と、そこで語られる妻との辞めた若い看守をめぐる短い会話などには、非日常が日常を侵食する毒のようなものが含まれていました。
 一度読んだら、忘れられない作品の1つだと思います。

 当時芥川賞選考委員だった三島由紀夫は「男性的ないい文章であり、いい作品である」としながらも、「23歳という作者の年齢を考えると、あんまり落着きすぎ、節度がありすぎ、若々しい過剰なイヤらしいものが少なすぎるのが気にならぬではない」としていて、文芸誌へ最初に応募した作品が本作だったわけで、無名の新人の実力を1作で判断するのはかなり難しいことだったのかもと思わせます(文体については後に、篠田一士が講談社文庫版の解説で、ヘミングウェイを想起させると高く評価しています)。

正午なり 00.jpg 作者の初期の中・短編作品にはこうした生と死が対比的に描かれるものが多い一方、講談社文庫版に併収されている中篇「正午(まひる)なり」のような、ある種の帰郷小説のようなものも多く、後者のモチーフはその後の作品でもリフレインされていて、実際作者は文壇とは交わらず、都会を離れ安曇野に定住していることはよく知られている通りです。

「正午なり」1978年映画化(監督:後藤幸一)出演:金田賢一/田村幸司/結城しのぶ/原田芳雄/若杉愛/津山登志子/手塚理美/南田洋子/長門裕之/絵沢萠子
 
 【1973年文庫化[講談社文庫(『夏の流れ・正午なり』)]/2005年再文庫化[講談社文芸文庫(『夏の流れ-丸山健二初期作品集』)]】

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不思議な味わいがある神秘と日常の取り合わせ。乾いた可笑しさ。

赤い橋の下のぬるい水.jpg  辺見 庸 『赤い橋の下のぬるい水』.jpg        自動起床装置.jpg      赤い橋の下のぬるい水mvie.jpg
赤い橋の下のぬるい水 (文春文庫)』/単行本 ['92年]/『自動起床装置 (新風舎文庫)』 〔'05年〕/映画「赤い橋の下のぬるい水」('01年・日活)役所広司/清水美砂

 保険外交員の「ぼく」は、長く美しい首の女がスーパーの輸入チーズ売り場で万引きをしたのをたまたま目撃し、その女の跡を追ったことから、河口の赤い太鼓橋のたもとに住むその女・サエコと付き合うようになるが、実は彼女は驚くべき身体の秘密を持て余していた―。

 女の持つ性的な"水"の秘密というモチーフは神秘的ですが、その性的な"水"と女の住む家の近く橋の下を流れる汽水のイメージが重なり合いなどは、神秘的というより叙情的な印象を受け、また、主人公の男女の関係は一点の神秘を前提にしながらも、それ以外の部分はわりと現実的に描かれていている気がしました。

 フォルマジオ・アル・ペペロンチーノという名のチーズやエジプト・ルーセット・バットという蝙蝠の番いなどをめぐる描写にもみずみずしい叙情が感じられますが(食べ物の描写が特に凝ってる)、一方で、女がそこで生活していることを表すものとしても効いてる感じ。

 ましてや「ぼく」の方は、保険会社の契約促進月間"連月戦"の只中にいるサラリーマンで、サエコの秘密をマスコミに話したらどうなるだろうかということを考えたりもするごく普通の生活者であり、こうした男女の日常と一点の神秘の取り合わせに不思議な味わいがあってなかなかいいと思いました。

 「ぼく」が"水"を通してサエコを所有しようとするうちに、"水"そのものが目的化してサエコと交わることの証のようなものになっていく様が面白く、決して明るい話ではないのですが陰湿でもなく、ペーソスを含んだ乾い可笑しさをもって描かれている気がしました。

 作者のデビュー作である『自動起床装置』('91年/文藝春秋、'94年/文春文庫、'05年/新風舎文庫)は、1991(平成3)年上半期・第105回芥川賞作品であり、通信社の仮眠室で「越こし屋」の仕事をする主人公の眼を通して人生の滑稽さや哀しみを描いた佳作でしたが、同時に文明批評的でもあり、ジャーナリストでもある作者のルポルタージュ的な切り口というものも内包されていたように思います(評価★★★☆)。

 人間の根源的な本能(『自動起床装置』の場合「眠り」)を通して文明批評を行うという点では、著者はこの後『もの食う人びと』('94年/共同通信社、'97年/角川文庫)に見られるように、「食」に飽くなきこだわりをみせますが、この作品は完全なルポルタージュです。

 それらに比べるとこの作品は、作者の文芸作家としての持ち味がストレートに発揮されていて、近年はジャーナリストとしての活動がもっぱらである作者ですが、その根源的な文学的資質の非凡さを示していると思いました。

赤い橋の下のぬるい水02.jpg赤い橋の下のぬるい水1.jpg 『赤い橋の下のぬるい水』は今村昌平(1926‐2006)監督によって映画化され('01年・日活)、カンヌ映画祭にも出品されていますが、今村監督の実質的な遺作となりました。

「赤い橋の下のぬるい水」(2001年)監督:今村昌平、出演:役所広司/清水美砂(カンヌ国際映画祭ノミネート作品)

赤い橋の下のぬるい水 [DVD]

 【1996年文庫化[文春文庫]】

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骨太の芥川賞作品。主人公は「血」に負けたのか? むしろ、裏返された成長物語のように読めた。
岬 中上健次.png 岬.jpg 十九歳の地図 dvd.jpg 十九歳の地図 映画.jpg  神々の深き欲望L.jpg
』['76年] 『』文春文庫 「十九歳の地図(廉価版) [DVD]」「NIKKATSU COLLECTION 神々の深き欲望 [DVD]

中上 健次.jpg 表題作である「岬」のほか、「黄金比の朝」「浄徳寺ツアー」など3篇を収めていますが、作者の小説は郷里の紀州を舞台にしたものが多い中、表題作はまさに出身都市である新宮市を舞台に、家族と共に土方仕事をしながら、逃れられない血のしがらみに喘ぐ青年を描いたものです。作者は本作により、戦後生まれとしては初めての芥川賞作家となりましたが、近年の芥川賞作品に比べると、ずっと「骨太」感があると思いました。

中上健次(1946‐1992/享年46)

 「十九歳の地図」で芥川賞候補になり、作品としての幅を拡げるために三人称にしたのか? それも一面の真実かも知れませんが、多分「彼」にしないと作者に書けない要素というのが、この「岬」という作品にはあったのではないかと考えます。

中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、ー。 対談+短篇小説+エッセイ.jpg中上 vs 村上.jpg 芥川賞の選考委員であり、中上健次との対談集もある村上龍氏は(『中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。』('77年/角川書店)―これも面白かった。村上氏が名が中上健次を前にしてやや背伸びしている感もあるが、2人の文学遍歴の共通点や相違点などがよくわかる)、後に、この『岬』という作品を受賞作の水準に定めていたことを、ある年の芥川賞の選評で述べていたように思います。
中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。 対談+短篇小説+エッセイ (1977年)

 登場人物はそれほど多くないのですが、主人公の「彼」(秋幸)を取り巻く人物の血縁関係が複雑で、読みながら家系図を作った方がいいかも知れません。父・母がそれぞれ異なる兄弟姉妹が入り乱れ、その家計図メモがだんだんぐちゃぐちゃになってきた頃に出来事は大きく進展し、義父が叔父を刺したり、異父姉の錯乱があったりしますが、姉を連れて家族で岬にピクニック?にいくところは、それまでの殺伐感とは違ったソフトフォーカスな感じがあり、印象的でした。

 書いてみた家計図を見て、こうして〈親族の基本構造〉を破壊している元凶は、3度の結婚をしている主人公の母親だと思ったのですが、主人公は、登場人物のすべてと距離を置いている中、この母親に対しては、愛憎入り混じっている感じで、姉に対する意識にも微妙なものがあり、こんなぐちゃぐちゃな血縁関係の中でも、自らを定位しつつ、どこか"家族"を求めているところがあるのかなあと。

 主人公は最後に異母妹と思われる女性を見つけて交合しますが、これは、それまで比較的おとなしかった彼が、父や義父と同じ獣性に目覚めた、つまり「血」に負けて同じように鬼畜の道に嵌まったということなのでしょうか。それとも、潜在的渇望としてあった兄妹愛に目覚めたということ?

 自分にはこの辺りはむしろ、今まで子どもだった主人公が、エディプス・コンプレックスを克服した話のように読めました。血縁関係のない義父と同じようになるということは、「血」に負けたという理屈は成立せず、むしろ、男になる、つまり妹と交わることで自らが父権そのものになる、という裏返された成長物語のように思えたのですが...。

十九歳の地図 文庫.jpg十九歳の地図.jpg なぜ「彼」という三人称が使われているのかもこの作品の"謎"で、「十九歳の地図」と同じような鬱屈した予備校生を主人公にした「黄金比の朝」では「ぼく」だったのが、「岬」や「浄徳寺ツアー」では「彼」になっている、しかし共に、「彼」を使うよりも「ぼく」でいった方がずっと自然に読める箇所がいくつかあります。

 『十九歳の地図 (河出文庫 102B)

「十九歳の地図」で芥川賞候補になり、作品としての幅を拡げるために三人称にしたのか? それも一面の真実かも知れませんが、多分「彼」にしないと作者に書けない要素というのが、この「岬」という作品にはあったのではないかと考えます。

 中編「十九歳の地図」(短編集『十九歳の地図』('74年/河出書房新社、'81年/河出文庫)所収)は、和歌山から東京に出てきて、新聞配達をしながら予備校に通っている浪人生の青年の鬱々とした青春を描いたもので、新聞を配達しても感謝されるわけでもなく、集金に行けば煙たがられ、仕舞には飼犬に吠えられるという、ストレスだらけの生活の中、青年は、新聞の配達先で自分の気に入らない家について、地図上で☓印をつけていくという―このメインストーリーだけでも暗い話ですが、併せて、主人公の周辺の社会の下層で生きる人々の生き様が描かれていて、中上健次らしい暗さだなあと。

十九歳の地図00.jpg十九歳の地図0.jpgさらば愛しき大地 poster.jpg この「十九歳の地図」は映画化され('79年/群狼プロ)、監督は暴走族を追ったドキュメンタリー映画「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」('76年/群狼プロ)の柳町光男(後に、根津甚八、秋吉久美子主演での「さらば愛十九歳の地図b.jpgしき大地」('82年/群狼プロ)などの佳作を撮るが、中上健次は「さらば愛しき大地」の脚本にも参加している)、主人公の青年役は「ゴッド・スピード・ユー!」にも出ていた本間優二(映画出演を機に暴走族から役者に転じたが1989年に引退)、主人公の下宿の同居人で、偽の入れ墨で客を脅して集金している元釘師の新聞配達人に蟹江敬三(1944-2014)(いい演技をしていて「さらば「十九歳の地図」蟹江.jpg愛しき大地」にも出演している。そして、「さらば愛しき大地」でもいい演技をしている)が扮していて、この蟹江十九歳の地図 沖山秀子.jpg敬三と、自殺未遂で片脚が不自由になった娼婦を演じた沖山秀子(1945-2011)(ジャズ・ヴォーカリストでもあり、中上健次は彼女の大ファンだった)の濡れ場シーンの何と暗いこと! とにかく暗い暗い作品でしたが、その暗さを通して、青年の意志のようなものがじわーっと伝わってくる(ある意味「前向き」な)不思議な仕上がりになっていました。

神々の深き欲望_07.jpg神々の深き欲望 dvd.jpg 沖山秀子は、すでに今村昌平監督の「神々の深き欲望」(' 68年/日活)で存在感のある演技をみせており、汚れ役に迫力のある女優でした。この作品は、南国の孤島の村を舞台に、兄娘相姦や父娘相姦など村の禁制を破ったことで疎外され追放されていく太一族の太根吉(三國連太郎)と、島の産業開発や観光開発のためコミュニティとしての絆が崩壊していく村社会を描いたものでした。

 地元開発を機に村社会に亀裂が生じるというのはよくある設定ですが、主人公・根吉の娘(松井康子神々の深き欲望.jpg)を島の区長(加藤嘉)が引き取って愛人にし、区長が亡くなった後、兄は妹を取り戻して逃避行を図るものの、息子(河原崎長一郎)を含む村人達に殴殺されてしまうというストーリーにみられるように、また、語り部によって語られる説話的な構成という点からも、個と家族、共同体の関係性に重きを置いた作品という印象を受けました。神々の深き欲望 スチール.jpg沖山秀子の演じたのは、息子の妹で、開発業者の社員(北村和夫)に政略的に与えられる白痴の娘の役でした。

沖山秀子(太トリ子(太亀太郎の妹))/嵐寛寿郎(太山盛(太根吉の父で神に仕える太家の長。自分の娘と近親相姦をして根吉を産ませている))

 彼女が北村和夫演じる社員を好きになったことが悲恋の結末に繋がり、最後は「岩」になってしまったという、説話または神話と呼ぶにはあまりにドロドロした話で、キネマ旬報ベストテンの'68年の第1位作品ですが、観た当時はあまり好きになれなかった作品でした(沖山秀子は良かった。と言うより、スゴかったが)。しかしながら、後に観直すうちに、だんだん良く思えるようになってきた...(抵抗力がついた?)。

沖山秀子.jpg 因みに、沖山秀子は関西学院の女子大生時に今村昌平監督に見い出されてこの映画に出演し、これを機に今村昌平監督の愛人となり、その関係が破局した後は、カメラマン恐喝のかどで逮捕され(留置場では全裸になって男性受刑者を歓喜させ、「みんな何日も女の体を見てないからね。私はブタ箱をパラダイスにしてやったんだよ」と言ったという逸話がある)、出所後は精神病院に入院、退院後マンションの7階から投身自殺をするも未遂に終わり、「十九歳の地図」出演時の「自殺未遂で片脚が不自由になった娼婦」役の「自殺未遂で片脚が不自由になった」というのはそのまま地でいっているというスゴさ。(2011年3月21日死去)

十九歳の地図5.jpg「十九歳の地図」●制作年:1979年●監督・脚本:柳町光男●製作:柳町光男/中村賢一●撮影:榊原勝己●音楽:板橋文夫●原作:中上健次「十九歳の地図」●時蟹江敬三.jpg間:109分●出演:本間優二/蟹江敬三/沖山秀子/山谷初男/原知佐子/西塚肇/うすみ竜/鈴木弘一/白川和子/豊川潤/友部正人/津山登志子/中島葵/川島めぐ /竹田かほり/中丸忠雄/清川虹子/柳家小三治/楠侑子●公開:1979/12●配給:プロダクション群狼●最初に観た場所:文芸坐ル・ピリエ(81-1-31)(評価:★★★★)●併映:「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」(柳町光男) 

ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR(1976) dvd_.jpgゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR .jpg「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」●制作年:1976年●製作・監督:柳町光男●撮影:岩永勝敏/横山吉文/塚本公雄/杉浦誠●時間:91分●出演:ブラックエンペラー新宿支部の少年たち/本間優二●公開:1976/07●配給:プロダクション群狼●最初に観た場所:文芸坐ル・ピリエ(81-1-31)●2回目:自由が丘・自由劇場(85-06-08)(評価:★★★)●併映(1回目):「十九歳の地図」(柳町光男)●併映(1回目):「さらば愛しき大地」(柳町光男)
ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR [DVD]

加藤嘉(竜立元(クラゲ島の区長で製糖工場の工場長))
神々の深き欲望 竜立元 加藤嘉.jpg「神々の深き欲望」.jpg「神々の深き欲望」●制作年:1968年●監督:今村昌平●製作:山野井正則●脚本:今村昌平/長谷部慶司●撮影:栃沢正夫●音楽:黛敏郎●時間:175分●出演:三國連太郎/河原崎長一郎/沖山秀子/嵐寛寿郎/松井康子/原泉/浜村純/中村たつ/水島晋/北村和夫/小松方正/殿山泰司/徳川清/石津康彦/細川ちか子/扇千景/加藤嘉/長谷川和彦●公開:1968/11●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(83-07-30)(評価:★★★★)

中上 健次 ユリイカ.jpgユリイカ2008年10月号 特集=中上健次 21世紀の小説のために

 【1978年文庫化[文春文庫]/2000年再文庫化[小学館文庫(『岬・化粧 他』-中上健次選集12)]】

中上 健次.jpg  沖山秀子 2.jpg 沖山秀子 in「喜劇・女は度胸」('69年/松竹)with 渥美清

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「数式」と「阪神タイガース」。モチーフの組み合わせの新鮮さ。

博士の愛した数式.jpg 博士の愛した数式 帯.jpg        妊娠カレンダー2.jpg    博士の愛した数式 2.jpg  
博士の愛した数式』['03年/新潮社・'05年/新潮文庫]『妊娠カレンダー』['91年/文藝春秋]「博士の愛した数式」['06年] 寺尾聰/深津絵里

 2003(平成15)年度・第55回「読売文学賞」受賞作ですが、第1回「本屋大賞」(1位=大賞)も受賞していて、こちらの方が記念すべき受賞という感じではないでしょうか。また、それにふさわしい本だと思いました(因みに、2003年から始まった、紀伊国屋書店の書店スタッフが選ぶベスト書籍「キノベス」でも第1位に選ばれている)。

 シングルマザーの家政婦である主人公が派遣された家には、事故の後遺症で記憶が80分しか持たないという数学博士がいて、ある日、彼女に10歳の息子がいることを知った博士は、家へ連れてくるように告げる―。

 映画にもなるなど話題になった作品であり、主人公と博士の心の通い合いが主に描かれているのだと思って読み始めましたが、途中から、博士の主人公の息子に対する愛情に焦点が当たっている感じがし、それを見守る主人公の視線の温かさ、主人公自身が癒されている感じがいいです。

 博士は80分しか記憶が持続しないわけだから、息子とは(主人公ともそうだが)毎日"初対面"の関係であるわけで、それだけに、博士の息子に対する愛情に深い普遍性を感じます。

 一方で、「海馬」を損傷したりすればそうした状態になることがあるのは知られていることですが(海馬の損傷で一番重度の症状は「陳述的記憶」が全て飛んでしまうというものであり、学術的には海馬は「宣言的記憶」の固定に関わるとされている)、新しい記憶は全く博士の中では作られていないのか、結局は主人公のことも息子のことも翌日になればすべて博士の頭の中には何も残っていないのか―といったことを、博士と過去の記憶を共有し、またそのことを自負している義姉と主人公との対峙において考えてしまいました。そもそも、記憶とは何か―。

妊娠カレンダー.jpg 以前に芥川賞受賞作の『妊娠カレンダー』('91年/文藝春秋)を読んで、文学少女版「ローズマリーの赤ちゃん」みたいに思え、芥川賞狙いとか言う依然に好みが合わず、あまりいいとは思わなかったのですが、いつの間にか力をつけていたという感じ(当初から力はあったが、自分の見る眼が無かったのか?)。

妊娠カレンダー (文春文庫)』 ['94年]

 『博士の愛した数式』は一種のファンタジーとも言える作品なのかもしれないけれども、「素数」「友愛数」「完全数」「オイラーの公式」といった数学的モチーフと'92年の阪神タイガースのペナントレースを上手く物語に取り込んでいて、この組み合わせの"新鮮さ"とそれぞれぞれの"深さ"には、大いに惹き込まれました。

博士の愛した数式 1シーン.jpg 映画化作品は「雨あがる」('00年/東宝)の小泉堯史監督、寺尾聰、深津絵里主演で、原作の終わりで主人公の"私"が"博士"を見舞った際に息子の"ルート"が「学校の先生になった」と告げていることを受けて、ある高校の教室に新しい数学担任となったルート(吉岡秀隆)がやってくるところから始まり、全体が彼の回想譚になっていますが、結果的に原作では1人に集約されていた"私"が、映画では2人(母と息子)いるような感じになって、個人的にはこの構成はしっくりこなかった気がしました。

「博士の愛した数式」('05年/監督・脚本:小泉堯史、出演:寺尾聰/深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆)

博士の愛した数式 1シーン0.jpg 「オイラーの公式」などを映画の中できちんと説明している点などは、原作のモチーフを大事にしたいと考えたのか、ある意味で思い切った選択だったと思いますが(「虚数」って高校の「数Ⅱ」で習っているはずだが殆ど忘れているなあ)、一方で、歌舞伎のシーンなど原作にない場面もあって、やや冗長な印象もありました。原作では、博士の記憶保持期間が80分からだんだん短くなっていくことを示して彼の死を示唆していますが、映画では博士と成長した息子がキャ博士の愛した数式 dvd.jpg博士の愛した数式 movie.jpgッチボールをするシーンを入れて、意図的に暗くならないようにした印象も。寺尾聰、深津絵里とも演技達者の役者ですが(寺尾聡が着ていた古着のジャケットは実父・宇野重吉の遺品とのこと)、意外と映像化すると削ぎ落ちてしまう部分が多くて(映画だけ観ればそれはそれで感動するのだろうが)、原作の持ち味を十分に伝えるのが難しい作品だったかもしれないと思いました。
博士の愛した数式 3.jpg
博士の愛した数式 [DVD]

「博士の愛した数式」●制作年:2006年●監督・脚本:小泉堯史●製作:椎名保●撮影:上田正治/北澤弘之●音楽:加古隆●原作:小川洋子「博士の愛した数式」●時間:117分●出演:寺尾聰/ 深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆/浅丘ルリ子/井川比佐志●公開:2006/01●配給:アスミック・エース(評価:★★★)

 【2005年文庫化[新潮文庫]】

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遺棄され埋められた経験を持つ主人公。読後感は悪くないが、無難な起承転結に収まった?

土の中の子供.jpg  『土の中の子供』 (2005/07 新潮社)

 2005(平成17)年上半期・第133回「芥川賞」受賞作。

 幼い頃に養父母に虐待され、遺棄されて土に埋められた経験を持つ主人公の青年は、わざと暴走族に袋叩きになる状況に身を置いたり、執拗に高い所から落ちるイメージに固執し、それを実行しようとしたりする―。

 読み始めは『ハリガネムシ』や『蛇にピアス』を思い出し、「また"自虐"か」という感じも。芥川賞って何か選択式の「お題」でもあるのだろうか? まさか。

 ただ読み進むと、文章が特に修飾的なわけではないけれど、均質の緊張感が維持されていて、AC(アダルトチルドレン)を素材とした通俗的センセーショナリズムの作為は感じられず、著者が真摯に主人公の内面世界を描こうとしているのが感じられました("純文学"感、あります)。

 虐待を受けた子が大人になったときの心象風景や自らの存在の希薄感がどのようなものなのか、自分に本当のところはわかりませんが、一般に言う「高い所の恐怖」というのは、サルトル流に言えば、「高い所に上ると自ら飛び降りるのではないかという不安」であり、主人公の志向も、「落ちる」こと自体より、それを「確認する」ことに重きがあるような気がしました。
 ただし、ここまで心象を「言語化」しているということは、既に「対象化」しているということでもあり、リアルタイムな感じがあまりしないのです。

 偶然の出来事がその「確認」と「再生」の契機となりますが、精神分析でいう「対面法」によるトラウマの克服と同じサイコ・ダイナミックスに見えました。
 カウチ(長椅子)の上でのイメージ想起によってではなく、現実体験(もっと現実的には、これも小説家によるイメージなのですが)を通してそれが起きたというだけでは。
 結果、読後感は悪くないのですが、無難な、どこかで見たことあるような起承転結に収まった気もして、"芥川賞作品"としてどうなんだろうかとも。

 【2007年文庫化[新潮文庫]】

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別に「家族介護」の問題を社会提起しようとしたのではなく...。

介護入門.jpg 『介護入門』 (2004/08 文藝春秋)       モブ・ノリオ.jpg モブ・ノリオ氏

 2004(平成16)年・第98回「文學界新人賞」、2004(平成16)年上半期・第131回「芥川賞」受賞作。

 「家族介護」の現場をリアルに描いていて、加えて主人公が元マリファナ中毒だったり、文体が"ラップ調"だったりする取り合わせでも話題になった作品ですが、読み始めてすぐに町田康の"パンク調"とか"ビート調"と言われる文体の小説を連想しました。
 著者が語っているのをどこかで読んだ記憶がありますが、影響を受けた作家に町田氏の名も挙げていて、バンド活動をしていた点でも通じるせいか、町田氏のことを「町田町蔵さん」と呼んでいました。

 この小説の主人公が世間に悪態をつきながらも、自身は経済力のある親にパラサイト的に保護されている点も、町田氏の芥川賞受賞作『きれぎれ』の主人公と似ている。
 別に「家族介護」の問題を社会に提起しようとしたのが狙いではなく、『きれぎれ』と同じく、閉塞状況の中で何とか自分自身を取り戻そうとしている1個の人間の思念を描いているのだと思いましたが、それとは別に、主人公の祖母に対する愛情みたいなものが逆説的にじわ〜と伝わってくるのが、この作品の妙でしょうか。

 確かにリズムをつけて読んだ方が読みやすい感じもしますが、非常に計算してと言うかむしろ苦心して文体を作っているぎこちなさも感じました。
 "ラップ調"と言っても必ずしも韻を踏んでいるわけではないので、 読んでいて単なる「棒読み」みたくなってしまう。"YO、朋輩(ニガー)"とか出てくるたびに、「そうそう、ラップ調だった、ラップ調」と我に返るのですが...。

 さほど長くない作品なのに途中で横滑りしていてような中だるみ感もありましたが、一定の力量とひたむきさのようなものが感じられ、この作品は自分の体験に近いところで書いているようですが、今後どういう方向にいくのかなあという点での関心は持てました。

 【2007年文庫化[文春文庫]】

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初めは「アンダルシアの犬」と同じ狙いかと...。後半がっかり。

蛇にピアス.jpg  『蛇にピアス』 (2004/01 集英社)  アンダルシアの犬.jpg 「アンダルシアの犬 [DVD]

 2003(平成15)年・第27回「すばる文学賞」、2003(平成15)年下半期・第130回「芥川賞」受賞作。

 主人公の19歳のルイは、刺青やピアス、更には少しずつ舌を裂いていくスプリットタンなどの身体改造に興味を示し、自分の舌にもピアスを入れる―。

 著者はお酒を飲みながらこの小説を書いたそうですが、それは、この小説の全編に漂う現実からの浮遊感みたいなものと関係しているでしょうか。ただし文章はうまいのではないかと思いました。
 かなり刺激的な場面を抑制の効いた、というか他人事のような冷静な筆致で綴ることで、逆に舌にピアスの穴を空ける痛みとかがよく伝わってきます。

Buñuel.jpgアンダルシアの犬3.jpg 読んでいて初めのうちは、目玉を剃刀で切るシーンで有名なルイス・ブニュエルの実験映画「アンダルシアの犬」と同じ狙いかと思いました。

The opening scene, just before Buñuel slits the woman's eye with a razor.

アンダルシアの犬(1928 仏).jpg 「アンダルシアの犬」 ['90年/大陸書房](絶版)

アンダルシアの犬4.jpg 「アンダルシアの犬」は、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共同脚本からなるシュールレアリズムの世界を端的に描いた実験映画ですが、女性が目を切られるシーンの他にも掌を蟻が食い破るシーンや子供が人間の手首を転がしているシーンなどショッキングな場面が続き(目を切るシーンはブニュエルの見た夢が、掌を食い破る蟻のシーンはダリの夢がもとになっているらしい)、ストーリーや表現自体に意味があるかと言えば、意味があるとも思えず(シュールレアリズムってそんなものかも)、むしろ、たかがスクリーンに映し出されているに過ぎないものに、人間の心理がどこまで感応するかを試しているような作品に思えました(因みに目玉が切られ水晶体が流れ出すシーンは、死んだ牛の目玉を使ったとのこと。これが女性のシーンと繋がって観る者を驚かせるというのは、まさにモンタージュ技法の典型効果と言える)。

 『蛇にピアス』の場合、映像ではなく活字でどこまで感覚を伝えることが可能かという実験のようにも思えたのですが、そうであるならば、途中までは成功しているのではないかと。

 ただ、「アンダルシアの犬」が、モンタージュなどの技法により最後まで実験的姿勢を保持しているのに対し、この小説は、後半は何だかショボくれた恋愛ドラマみたいになってしまい、少しがっかりしました。
 作者は以前、父親に「もっと恥ずかしいものを書け」と言われたそうですが、父親に言われている間はこのあたりが限界ではないかと思います。

アンダルシアの犬2.png「アンダルシアの犬」●原題:UN CHIEN ANDALOU●制作年:1928年●制作国:フランス●監督・製作:ルイス・ブニュエル●脚本:ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●時間:17分●出演:ピエール・バチェフ/シモーヌ・マルイヌ/ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●公開(パリ):1929/06●最初に観た場所:アートビレッジ新宿 (79-03-02)●2回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-05-23)●3回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-09-05) (評価:★★★?)●併映:(1回目)「詩人の血」(ジャン・コクトー)/「忘れられた人々」(ルイス・ブニュエル)/(2回目):「去年マリエンバートで」(アラン・ㇾネ)/(3回目):「ワン・プラス・ワン」(ジャン=リュック・ゴダール)

 【2006年文庫化[集英社文庫]】

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女子高生のオタク少年への関心と攻撃性。作品としては纏まっているのでは。

蹴りたい背中.jpg蹴りたい背中2.jpg 
蹴りたい背中』 (2003/08 河出書房新社)

 2003(平成15)年下半期・第130回「芥川賞」受賞作。

 クラス仲間のグループになんとなく溶け込めない高校1年生の〈ハツ〉は、同じくクラスの"余り者"である〈にな川〉に関心を持つが、彼はファッション雑誌モデル〈オリチャン〉のオタク的なファンだった―。

 執筆時19歳の著者が高校1年生の主人公を一人称で描いていて、その中に中学時代の出来事の話なども出てきて、その"適度な時間間隔"のせいか違和感なく読め、文章はウマいともヘタとも言えないような文章ですが、作品としては纏まっているのでないかと思いました(ただし、ストーリー的な期待しすぎた読者は肩透かしを食った気分になるかも知れませんが)。

 いろいろな読み方はあるでしょうが、〈ハツ〉が〈にな川〉に関心を持った理由は、自分と同じ"余り者"的存在であるということが1つあるでしょう。
 そうした〈にな川〉に対して、その背中を蹴りたいという攻撃性に駆られるというのも、何となくわかるような気がしました。
 〈にな川〉が特段に異常なオタクではなく、どこにでもいそうな現代の若者であり、読み進むにつれて、大人びた面もそれなりに見せてくる―、そのことに対して主人公が、またさらに蹴りたいという攻撃性に駆られているように思えました。

 主人公のその時々の意識を主としたやや軽めの心理描写で、さらに背景としての女子高校生の日常やその中にある仲間意識、連帯感,のようなもの、あるいはそれらと一定の距離を置こうとする主人公の気持ちなどをさらっと描いていて、その辺りで関心を持つ人、懐かしさのようなものを覚える人もいれば、希薄感のようなものを感じる人、ついていけないと思う人もいるのかも。

 【2007年文庫化[河出文庫]】

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フツーの人にとっても堕ちていくのは難しいことではないと思った。

ハリガネムシ.jpg  『ハリガネムシ』 ['03年]  ハリガネムシ2.jpg 『ハリガネムシ (文春文庫)』 ['06年]

 2003(平成15)年上半期・第129回「芥川賞」受賞作。

 平凡な中流階級出身の主人公は、新任教師として赴任した高校で不良少女などに手を焼きながらも単調な生活を送っていたが、ある日ソープランドでサチコという暴力と貧困の中で暮らし堕落しきったような女性と出会ったことから、生活が急に堕落の道へ転がり出す―。

 この小説に描かれている暴力シーン自体は、さほど刺激はありませんでした。
 芥川賞選考委員の村上龍氏は、「まるでスラップスティックムービーを見ているようで、切実さがなかった。ソープ嬢の手首の傷を主人公が縫うシーンがあるが、痛みが伝わってこなかった」と評しています。
 しかし、一般にはそうした暴力シーンやちょっと気色悪い場面が話題になり、読者の嫌悪の分かれ目にもなっているきらいはありました。

 ただ、主人公にちらちらと表れる反社会的な意識や猥雑な心理などを丁寧に描いていると思いました。
 フツーの人の誰にでもこうした心のゆらぎはあるのでは。
 
 彼が一定の冷静さと思考力を持ちながら、こうした心のゆらぎを増幅させ、自らの欲求に無抵抗になり、結果として社会的立場をどんどん失っていく過程には何か被虐的な嗜好を思わせるものがあり、そちらの方がむしろ人間の心の闇を照射していると感じました。

 トータルの人格として意志的に堕落への道を選択しているのではなく、小市民的臆病さを持ちながら、堕落を絵に描いたような女性に引きずられるように堕ちていくため、気づいてみたらソートーなどん底状況になっているという...。
 
 村上氏と同じく芥川賞選考委員である山田詠美氏は、この作品を読んで、「ぐれるって難しいよね」と頷いてしまったとのことですが、個人的には逆の感想を抱きました。
 人はこの主人公を"異常者"とか"妖怪"とか呼ぶかもしれませんが、彼にとって堕ちていくことはそれほど難しいことではなく、それは彼に限ったことではないのだろうと...。

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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30代女性と60代男性の恋愛? リアリティはあったように思うが、何を書きたかったのか?

単行本しょっぱいドライブ.jpg 『しょっぱいドライブ』〔'03年〕しょっぱいドライブ.jpgしょっぱいドライブ 文庫.jpg 『しょっぱいドライブ (文春文庫 (た58-2))』 〔'06年〕 

 2002(平成14)年下半期・第128回「芥川賞」受賞作。

 港町に暮らす34歳の独身女性「わたし」が、既婚60代男性の「九十九さん」とデートして同棲に至るまでの話に、「わたし」が以前に30歳にして初めて付き合った男性である小劇団を主宰する「遊さん」の話が挿入されています。

  "へなちょこ"の痩せ老人「九十九さん」を筆頭に登場人物が地味で、なりゆきに任せているような生き方にもメリハリが無く、物語としても、クライマックスが意図的に回避されているかのようにだらだらと流れていく感じがしました。

 村上龍に「私の元気を奪った」と評されたのも無理からぬところかと思いましたが、普通は小説の主人公などになり得ないような人たちを描いて、叙述を簡素化した性描写や男女の会話などにはかえってリアリティがあったように思えます(それなりに筆力はあるということか)。

 30代女性と60代男性の恋愛?ということで、川上弘美の『センセイの鞄』('01年/平凡社)の裏バージョンみたいですが、この小説の主人公の方が覚めている感じ。
 個人的には、冒頭のわたしと九十九さんの海辺のデート(ドライブ)から、ずっと昔の芥川賞作品『三匹の蟹』(大庭みな子)などを連想しました(舞台となった土地も状況設定も全然異なるが)。
 
 でも、『センセイの鞄』ほどの「癒し感」も『三匹の蟹』ほどの「閉塞感」も、この小説は無いのではないだろうか。
 「しょっぱい」と言うより「しょぼい」感じがしないでもない...。作品自体が。

 何を書きたかったのかよくわからないまま、 九十九さんの「幻想」とわたしの「打算」のギャップだけが結構心に引っ掛かる...。
 登場人物に対する作者の悪意のようなものさえ感じられその中に「わたし」も含まれている、しいて言えばそれが「しょっぱい」感じかなあ。

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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相手に立ち入り過ぎない"やさしさ"? "何も起こらない小説"なりの物足りない読後感。

パーク・ライフ.jpg  『パーク・ライフ (文春文庫)』  〔'04年〕
日比谷公園.bmp
 2002(平成14)年上半期・第127回「芥川賞」受賞作。

 主人公の「ぼく」は日比谷線の中で、間違って話しかけた見知らぬ女性と知り合うが、2人が会うのは平日に共に立ち寄ることが多い日比谷公園においてだった。「ぼく」とその名も知らない年上の女性は、特別に親密になることも遠ざかることもなく、言葉のみを交わす―。

 TVドラマの恋愛の始まりみたいなシチュエーションですが、結局、出来事らしい出来事は起きず、これって所謂"何も起こらない小説"ってやつかなと。

 文章に飾り気が無く、淡々と日常ふと見たり感じたり、思ったり考えたりしたことを描写していて、人間って生きている時間の大部分はこうして流れていくのかなというようなリアリティがあります。
 ただし「ぼく」と女性の会話は(村上春樹の初期作品っぽい感じ)、そこだけ少し世離れした感じを受けました。

 相手に対してこうした一定の距離を置く関係性というのは、他者に立ち入り過ぎないことが"やさしさ"であるみたいなものが横溢する時代のムードを反映しているのかもしれないとも思い、そうした人間の微妙な面白さを描こうとしているのかもしれませんが、小説というよりエッセイを読んでいるようでした。(★★★)

 表題作に比べると、同録の「flowers」の方がより小説的で、かなり変わった人物、つまり今度は、人と距離を保つタイプの逆で、人との距離感がよく分からないような人物が登場し、事件もいろいろ起きる分面白いけれども、これだと事件が起きた上でそこそこに面白いのであって、まあフツーの小説という感じ。(★★★)

 一方の"何も起こらない"小説である表題作に、三浦哲郎の評したような「隅々にまで小説のうまみが詰まっている」という印象は、残念ながら持てませんでした。

 【2004年文庫化[文春文庫]】

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表題作よりは、併録の「サイドカーに犬」の方が若干好みだが...。

猛スピードで母は 単行本.jpg 猛スピードで母は.jpg  サイドカーに犬.jpg サイドカーに犬  文學界.jpg
猛スピードで母は』〔'02年〕『猛スピードで母は (文春文庫)』〔'05年〕 「サイドカーに犬 [DVD]」〔'07年〕

 2001(平成13)年下半期・第126回「芥川賞」受賞作。

 表題作「猛スピードで母は」は、北海道M市に暮らす母子家庭の話で、母親は結婚に失敗して地元に戻り、市の貸与金の返済督促の仕事をしていますが、過去に恋人のような男は何人かいたものの再婚には至っていない、そうした母親を小学校高学年の息子の目線で、息子自身の学校生活のことなども交えながら淡々と描いています。

 母親の粗野な口ぶりや態度と、息子の醒めた感情を通して、逆に両者の家族的"絆"のようなものが感じられ、センチメンタルと言うか時にパセティックだけど、子どもの内面的成長と平衡を保っているため暗くならないでいる。(★★★☆)
 芥川賞の選評で、村上龍が「家族の求心力が失われている時代に、勇気を与えてくれる重要な作品」(褒め過ぎ?,)としたのに対し、石原慎太郎は「文学の魅力の絶対条件としてのカタルシスがいっこうにありはしない」(身も蓋も無い?)と否定的でした。

 併録の「サイドカーに犬」は、それまでコラム活動などもしていた著者の文壇デビュー作(文學界新人賞・芥川賞候補作)で、父親の無節操のため母親が家出し、代わりに、残された小学4年の姉とその弟のもとに父の愛人がやって来た際の話を、大人になった姉の振り返り視点から描いていますが、飾り気のない文章で、その分描かれる状況にどんどん吸い込まれるように読めました。(★★★★)

 「猛スピードで...」が母親の逞しさを描いているとすれば、「サイドカー...」は、愛人も母親も併せた女性の強さのようなものが感じられ、小説の終わり方もより締まっている感じがしました(これをカタルシスと言って良いのかどうか、わかりませんが)。

サイドカーに犬 2.jpgサイドカーに犬 1シーン.jpg 表題作よりは「サイドカーに犬」の方が若干好みですが(と思ったら、こっちの方が2007年に映画化された(根岸吉太郎監督、竹内結子・ミムラ主演))、両方の作品とも力量を感じる一方で(特に、「サイドカー...」の女性目線へのなり切りぶりは秀逸)、芥川賞とは少し合わないような気もしました。

 【2005年文庫化[文春文庫]】

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野坂昭如ばりの文体と諧謔ぶり? 読んで何が残るか? 何れも今ひとつ。

きれぎれ.gifきれぎれ』 ['00年] きれぎれ.jpg  『きれぎれ』 文春文庫  町田康.png  町田 康 氏

 2000(平成12)年上半期・第123回「芥川賞」受賞作。

 さっぱり仕事をしない万年金欠男の日常を描いています。
 肉親や名ばかりの友人に金策に回らざるを得ない屈折した心理、元ランパブ嬢の妻への屈折した愛情などが、現実と妄想の中で展開していく―。

 芥川賞の選考では、宮本輝が猛反対し、石原慎太郎が強く推したようですが、わかる気がします。
 文体がユニークなことで「ビート派」とか言われる作家ですが、「きれぎれ」について言えば、かなり「メロディ」も重視し、計算して書いたように見えます。
 しかし文体も諧謔ぶりも、例えば、野坂昭如ばりとでも言うか、ただし、野坂昭如の初期作品などの強烈さには及ばないという気がします。

 日常生活における人間心理の闇の部分、常識化されていない部分を描くのが文学の役割の一つであるという「定式」があるのか、芥川賞受賞作にはいろいろな意味で極端な人物が登場したりしていて、その受け入れやすさで好きな人嫌いな人に分かれがちです(自分自身も、多分に登場人物の好き嫌いで作品を見ている部分はあります)。

 その点「きれぎれ」の主人公は、バブル崩壊後の世相を反映したキャラクターに思え、「勝ち組・負け組」で言えば「負け組」とわかりやすい方だと思います。
 攻撃的であるが屈折していて、そのくせ青空のように突き抜けたところがあるため、作品としては読み手に適度に受け入れられやすいのではないでしょうか。
 ただ読んで何が残るかというと、この作品については個人的には今ひとつでした。

 作者自身はパンクロックを「あらゆる現実を否認しながらその果てに現れる虚無と戯れるがごとき音楽」(『群像』'01年5月号「人生の野坂昭如」)と定義していて、この小説もむしろ「音楽」や「詩」に近いのかも―と思ったりもしました。
 
 【2004年文庫化[文春文庫]】

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文学より家族心理学に話題を提供しそうな作品だと思った。

柳 美里 『家族シネマ』.jpg 家族シネマ.jpg 『家族シネマ』['97年]柳 美里  『家族シネマ』.jpg 『家族シネマ (講談社文庫)

 1996(平成8)年下半期・第116回「芥川賞」受賞作。

 両親の離婚でバラバラになった家族の再会を、"映画に撮る"という話―。
 "家族"を単に戯画化して描いているだけならばまた違った印象を持てたような気がしますが、その中に醒めた主人公が居ることで、"家族"の愚劣さみたいなものがどっと前面に出た感じでした。
 その主人公にしても、新しい関係性を求めてか、老芸術家と付き合うのですが、その内容も含め全体にかなり自虐的な匂いがします。
 結末で作者は逆説的に"家族"を肯定しているのかとも思いましたが、自分にはよく伝わってきませんでした。
 この辺りは好みの問題もあると思います。

 "映画に撮る"という設定は、今村昌平監督の「人間蒸発」などを想起させ、新鮮味はありませんでした。
 「書くしかなかった私」みたいな捉えられ方をされるのが作者にとっていいのかどうか分かりませんが、文学としてよりも、作者も含めたケーススタディとして家族心理学とかに話題を提供しそうな作品という印象。

文学の徴候.jpg 精神科臨床医の斎藤環氏は『文学の徴候』('04年/文藝春秋)の中で、デビュー作『石に泳ぐ魚』('94年発表)以降、「柳のほとんどの小説は、常に私小説として読まれるほかはなくなってしまった」ようであり、その後も「自らの生の物語化」を押し進めている傾向にあるとし、そこに境界例(境界性人格障害)の「病因論的ドライブ」がかかっていると見ています。
 今どき「病跡学」でもないでしょうけれど、この作家については斎藤氏の指摘があてはまるような気もします。

斎藤 環 『文学の徴候』 〔'04年/文藝春秋〕

家族シネマ movie.jpg家族シネマ  .jpg ちなみにこの作品は映画化されていて、DVDでも見ることができ、監督は韓国の朴哲洙 (パク・チョルス)、出演は、梁石日(ヤン・ソルギ、映画「月はどっちに出ている」('93年)、「血と骨」('04年)の原作者)、伊佐山ひろ子、柳愛里(ユウ・エリ、柳美里の妹)などです。

 柳愛里は、"AV女優をしている(主人公の)妹"の役ではなく、"主人公"の役で出ていますが、この映画での彼女の演技はぱっとしないように思いました(映画そのものがぱっとしない。他作品で見た彼女の演技は悪くなかった)。

映画「家族シネマ」 (1998年/韓国)

【1999年文庫化[講談社文庫]】 

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漱石の『夢十夜』に通じる雰囲気。深読みするよりは、表現のオリジナリティを買うべきか。

蛇を踏む.jpg 『蛇を踏む』 (1996/08 文芸春秋)  蛇を踏む 文庫.jpg 『蛇を踏む (文春文庫)』 ['99年]

 1996(平成8)年上半期・第115回「芥川賞」受賞作。

 教師を辞め、今は数珠屋に勤めるヒワ子は、ある日、藪の中で蛇を踏む。 
 「踏まれたので仕方ありません」と、人間の形になった蛇は、その日から部屋に住み着き、「ヒワ子ちゃんのお母さんよ」と言って毎日食事の用意をして待っている―。 

 芥川賞の選考では、宮本輝と石原慎太郎が反対したそうですが(この2人は、いつもは意見が割れることの方が多い)、宮本輝の「しょせん寓話に過ぎない」、石原慎太郎の「蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない」という批判は、ともにわかる気がします。

 第一義的には「蛇」は子を手放したくない母親であり、「蛇の世界はいいわよ」と言われて何となく自分からも親離れできない成人した子を描いているのだと思いました。
 その描き方がファンタジックで、同じく文学でメタファを駆使する村上春樹などと違って、サイエンス・ファンタジーっぽい感じがこの頃からあります。今あちらの世界にワープしました...といちいち説明しているような。

 では「蛇の世界」とは何なのか。やはり石原慎太郎氏が言うように「さっぱりわからない」のです(初めからソンナモノハナイということか)。
 
 「蛇」の幻想は、太宰治の『斜陽』などの有名文学作品にも登場しますが、ムード的には、この作品は夏目漱石の『夢十夜』に通じるものがあると思いました。
 「でも、死ぬんですもの、仕方がないわ」(「夢十夜」)の不条理性やトーン(文調)は、「踏まれたので仕方ありません」とほぼ同じような印象を受けますが、作者なりに自分のものにしているという感じはあります。    
  
 芥川賞受賞作家の中で、受賞後も継続的に一定の読者層を掴んでいる"実力派"だと思いますが、この作品に関して言えば、訴求力はあまり感じられず、表現のオリジナリティの方を買うべきだったのかなと思いました。

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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ホステスたちと南の島へ厄払いに。楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説。

豚の報い.jpg 『豚の報い』 (1996/02 文芸春秋)  豚の報い movie.jpg 1999年映画化 (監督:崔洋一)

 1995(平成7)年下半期・第114回「芥川賞」受賞作。

 大学生の正吉(しょうきち)は、沖縄・浦添のスナックのホステスたち3人と、生まれ故郷の真謝島にウガン(御願=祈祷)にいくことになる。
 それは、ある日スナックに闖入した豚のためにホステスの1人が失神してしまい、マブイ(魂)を落としたために、ユタ(霊能者)のことに詳しい正吉を伴って、島のウタキ(御獄=霊場)でその厄払いをしようというものだ。
 他の女たちもそれぞれに過去の問題を抱えて、まとめて皆で厄落としをしようというのだ。
 しかし、正吉にとってそれは、12年前に漁で亡くなり、島の風習で風葬された父の骨を拾いにいく旅でもあった―。

 ホステスたちがケバケバしくかつ騒々しく、そのうえ負っているものが重くて、読み始めはちょっと引いてしまいます。
 しかも、現地で豚の内臓料理を食べて全員下痢状態になってしまう―猥雑さに、さらに汚辱がプラスされる。
 でも逆に、このあたりから女たちの弱さや強さが見えてきて、みんな一生懸命生きているのだという健気さのようなものを感じるようになってきました。
 
 一方、正吉は父の遺骨と対面し、12年間海を見てきた骨を見て、父は神になったと感じ、ここを御獄(霊場)にしようとする―。その心理、なんとなく感覚的にわかりました。
 ホステスらに、行こうとしている霊場が父の遺骨の場所であることをつい正直に話してしまうが、彼女らもそれでいいという...。みんないい人たちなのだなあ。 
 ラストのユーモラスな掛け合いは、お祓いがうまくいくことを予感させます。

 著者のこの作品に限って言えば、沖縄文学というより、楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説という印象を受けました。
 映画化もされていますが、ビデオ化された後DVD化された途端に廃盤になったのは、評判の方が今一つだったためか?

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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女性の心理と生理の複雑さ、不思議を前に驚き困惑する男性。

原色の街.jpg原色の街・驟雨.jpg 『原色の街・驟雨 (新潮文庫)』 〔'65年〕 吉行 淳之介.jpg 吉行 淳之介 (1924‐1994/享年70)
原色の街 (1956年)

 「原色の街」('56年1月、新潮社より単行本刊行)は、娼婦でありながら精神性を捨てきれないあけみという女性を、彼女が想いを寄せる元木英夫という男性を通して、その婚約者で良家の令嬢だが娼婦的な瑠璃子という女性や、彼女と同じ"職場"の様々なタイプの女たちとの対比で描いています。

 '51年に同人誌「世代」に発表したものを大幅に加筆修正したものですが、読み直してみると意外に長編で、作中の出来事も多かった...。娼家での殺人事件や最後に破局的な無理心中の未遂事件などがありますが、基本的には娼婦となったあけみの精神構造の変化を描くための計算されたつくした舞台装置という感じで、加えて、随所にみられる男女の心の襞の描写には、この作家ならでの巧みさと情感があります。

驟雨.jpg 「驟雨」('54年2月「文学界」発表、同年10月、新潮社より単行本刊行)は主人公の名前が山村英夫ということからも察せられるとおり「原色の街」を('51年に同人誌に発表済みであったものを加筆修正する際に)原型となった作品で、最初は捌け口として捉えていた娼婦に恋愛をしてしまった男の切なさを描いた散文的な心理小説です。'54(昭和29)年の第31回芥川賞受賞作ですが、もう100回以上(つまり50年以上)も前のことか...。「原色の街」に比べ短い分、文章はカミソリのように鋭いように思われます。

驟雨 (1954年)』 

 この作品に登場する道子という娼婦は、「原色の街」のあけみと同じタイプ。つまり、娼婦でありながら精神性を捨てきれない女性ということになるかと思います。一見、性風俗を描いているようで、実はかなり精神的なものがメインにあり、これも、ほぼ心理小説と言っていいのでは。

 一方、同録の「薔薇販売人」('50年)は作家の同人誌時代の作品ですが、人妻だが娼婦性を持つ瑠璃子と同じタイプの女性が出てきます。
 
 「夏の休暇」('55年)は、少年が父とその愛人と海に遊ぶ話で、このモチーフは他の作品にもあり、作家の実体験に基づくものと推察され、父とのライバル心にも似た確執が窺えて興味深かったです。

 これら初期作品は、いずれも女性の心理と生理の複雑さ、不思議さを描いていて、男性はその前で驚き逡巡し困惑するしかない存在であり(それは著者自身とも重なり)、この作家に付与されがちな性の探求者、オーソリティという"勇ましい"イメージがないのが特徴でしょうか。 
 
向島百花園から吾妻橋.jpg 因みに「原色の街」の舞台となる娼家は「隅田川東北の街」にあるとなっていて、〈吉原〉ではなく〈玉の井〉付近であることが窺え、永井荷風の『濹東綺譚』に通じるところがありますが、厳密には、空襲で焼け出された〈玉の井〉の娼館が現在の鳩の街商店街.gif鳩の街通り商店街」(東向島1丁目)に移転してきた、その辺りが舞台のようです。 
 小説の冒頭に出てくる「隅田川に架けられた長い橋」は〈吾妻橋〉で、向島百花園から吾妻橋に向けての散策途中で偶然商店街の入り口を見つけて透り抜けてみましたが、何となく昭和レトロ風の懐かしさを覚える商店街であるものの、娼街の面影は無かったです(観察力不足?)。
ルートガイド・続きは街で!「下町めぐり.jp」「向島・鳩の街通り商店街」より

 【『驟雨』1954年・『原色の街』1956年単行本[新潮社]/1965年文庫化[新潮文庫]】

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芥川賞作家としての松本清張の作品。「火の記憶」もよかった。

或る「小倉日記」伝 65.jpg或る「小倉日記」伝.jpg  『或る「小倉日記」傳』.jpg    「或る『小倉日記』伝」.jpg
或る「小倉日記」伝』 新潮文庫['65年/旧版]['97年/改版]/『或る「小倉日記」伝―他五篇 (1958年) (角川文庫)』/松本清張一周忌特別企画「或る『小倉日記』伝」('93年TBS/出演:筒井道隆、国生さゆり)

 松本清張(1909‐1992)の初期12作を所収。表題作「或る『小倉日記』伝」は'52(昭和27)年下半期・第28回「芥川賞」受賞作で、同じ期の直木賞候補作品にもなっています(まず直木賞候補となり、その後直木賞選考委員会から芥川賞選考委員会へ廻された)。結果的に芥川賞の方を受賞しましたが、歴代の「芥川賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは松本清張だと言われています(歴代の「直木賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは司馬遼太郎だと言われている。「菊池寛賞」を、司馬遼太郎は『竜馬がゆく』『国盗り物語』などの功績により'66年に、松本清張は『昭和史発掘』などの功績により'70年にそれぞれ受賞している)。

 「或る『小倉日記』伝」の主人公である脳性麻痺の郷土史家・田上耕作は実在の人物ですが、作者は見事な創作に昇華しています。失われたとされる鷗外の「小倉日記」を再構築しようとする主人公の熱意。何が彼をそこまで駆きたて、また、その追跡努力に意義はあったのか?という大きな問いかけが主テーマだと思いますが、主人公に限らず、何らかの形で自らがこの世に存在したことの証を示したいという思いは誰にでも共通にあるものであり、それゆえに主人公のひたむきさが胸を打ちます。伝記的なスタイルをとりながらも、叙情溢れる表現が随所に見られ、また、主人公の母親の子に対する愛情の深さには胸が熱くなりました(確かに、「芥川賞」と「直木賞」の両方の要件を満たすものをこの作品は持っているかも)。

 '93(平成5)年に「松本清張一周忌特別企画」としてTBSでドラマ化されましたが、主演の筒井道隆は頑張っていたという感じ(この俳優は映画デビュー作の「バタアシ金魚」から観ている)。多くの賞を受賞しましたが、原作はミステリと言うより文芸作品に近いものだからなあ。原作の微妙な情感がどこまで表現されていたかと言うと微妙なところ。

 同録のものでは、同じく純文学的色彩の濃い「火の記憶」が好きです。この作品の"ボタ山の炎の記憶"と『或る「小倉日記」伝』の"鈴の音の記憶"は、ともに作品の重要なファクターとなっていますが、登場人物の幼い頃の記憶であるにも関わらず、読む側にも不思議な郷愁、幼児期の記憶を呼び起こさせるものがありました。

「或る「小倉日記」伝」●演出:堀川とんこう●制作:堀川とんこう●脚本:金子成人●原作:松本清張●出演:松坂慶子/筒井道隆/蟹江敬三/国生さゆり/大森嘉之/佐戸井けん太/今福将雄/松村達雄/西村淳二●放映:1993/08(全1回)●放送局:TBS

《読書MEMO》 
「新潮文庫」版 収録順
●或る「小倉日記」伝★★★★★.
●菊枕...狂った女流俳人ぬい(杉田久女がモデル、遺族の訴えで名誉毀損に)
●火の記憶★★★★★...ボタ山の炎の記憶、警官と母の不倫
●断牌...代用教員上がりの異端考古学者・木村卓司(森本六爾がモデル)
●壺笛...女で身を滅ぼした考古学者
●赤いくじ...朝鮮での軍医と参謀長の女性を巡る確執
●父系の指...自伝的要素の強い作品だが、清張は創作だと言っていた
●その他に「石の骨」「青のある断層」「喪失」「弱味」「箱根心中」を収録

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