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芥川賞作品の中ではかなり面白い方であり、根底には作者の技量があるように思った。

コンビニ人間.jpgコンビニ人間2.jpg 荻原.jpg
コンビニ人間』 『海の見える理髪店』で直木賞受賞の荻原浩氏と村田沙耶香氏[産経ニュース]

 2016(平成28)年上半期・第155回「芥川賞」受賞作。2017年・第14回「本屋大賞」第9位。

 私こと古倉恵子は、子供の頃から「変わった子」と思われていた。自らの言動で周囲を困惑させてしまうため、黙って言われたことをするよう心掛けていた。そんな私はある日コンビニのバイトに出会い、マニュアルで全て行動する仕事を天職と感じるようになって、大学時代から今日まで18年間コンビニで働き続けている。しかし年齢を重ね、結婚せずに36歳となった今の自分のことを、周囲は奇異に思っているのが感じられる。そんなある日、35歳で職歴もない白羽が新人バイトとして入って来て、彼は婚活を目的にバイトを始めたのだという。しかし白羽は女性客へのストーカー行為で解雇される。恵子は、懲りもせず女性を待ち伏せする白羽に声を掛け、恋愛感情はないが一緒に暮らすことを提案する。「同棲している男性がいる」ことが、恋愛をしないことの言い訳になると思ったのだ。その白羽は、自分にコンビニのバイトを辞めさせ、就職させて自らの借金を返させようとする。だが、就職のための面接に向かう途中で訪れたコンビニで、私は本社の社員を装って、困っているバイトに手を貸す。そして、コンビニで働くことを自らの体が求めているのだと感じるのだった―。

 「文學界」2016年6月号に掲載された小説で、作者は新人かと思ったら、三島由紀夫賞を筆頭とする幾つかの賞を受賞した作家であり、そうでありながらコンビニエンス・ストアで週3回働いているそうな(芥川賞受賞会見の日も働いたというから、コンビ二で働くことがある種"精神安定剤"的効果をもたらすのかも)。主人公は、一定のルーティンへの強いこだわりなど発達障害的傾向があるように思いましたが、その辺りがよく描けているように思いました。でも、これ、自分の経験だったのでしょうか?

 作者の"コンビニ愛"の地が出ている感じもしましたが、自分の経験だから書きやすいというわけでもなく、自分の経験に近いからこそ対象化するのは逆に難しいと言えるかも。そうした意味では、慎重に"満を持して"書いた作品なのかもしれません。遅ればせながら、芥川賞おめでとうございますと言いたくなります。

 読後感も爽やかでしたが、「私は、人間である以上に、コンビニ店員なんです」なんて主人公の台詞は、芥川賞と言うよりちょっと直木賞っぽい感じもありました。でも、これまでの芥川賞作品の中ではかなり面白い方であり、根底には作者の技量があるように思いました。芥川賞の選評で川上弘美氏が、「おそろしくて、可笑しくて、可愛くて、大胆で、緻密。圧倒的でした」とし、「選評で"可愛い"という言葉を初めて使いました」と括弧書きしていました。

 芥川賞のすべての選者が推したわけではないですが、山田詠美氏は、「コンビニという小さな世界を題材にしながら、小説の面白さの全てが詰まっている。十年以上選考委員を務めてきて、候補作を読んで笑ったのは初めてだった」と評価し、村上龍氏も、「この十年、現代をここまで描いた受賞作は無い」と評価しています。

小谷野敦.jpg 芥川賞の選者以外では、辛口批評で知られる作家で比較文学者の小谷野敦氏が、「本作のように面白い作品が芥川賞を受賞することは稀であり、同賞の歴代受賞作品でもトップクラスの面白さだ」と評したそうな。別のところでの小澤英実氏との対談では、「『コンビニ人間』は、単純に「面白い」ということでいいと思いますね。川上弘美が何か意味付けをしようとしていたけれど、意味付けなんてしない方がいい」と言っていて、そんなものかもしれないなあと。

 個人的にも◎ですが、後は時間が経ってどれぐらい記憶に残るかなあというところでしょうか(芥川賞作品って意外と記憶に残らないものもあったりするので)。そうした意味では、"意味付け"することにも意味があるのではないかという気もしなくはありません。ただ、芥川賞作品としては『火花』以来の売れ行きだそうですから、世間的には記憶に残る作品となるのかもしれません。

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「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

読み始めた時は地味な話だなあと思ったが、終盤に押し寄せてくるような感動があった。

羊と鋼の森1.jpg羊と鋼の森2.jpg  羊と鋼の森 本屋対象.jpg
羊と鋼の森』(2015/09 文藝春秋) 宮下 奈都 氏

 2016(平成28)年・第13回「本屋大賞」第1位作品。

 北海道の高校2年生の外村(とむら)は、調律師が調律した体育館のピアノの音色を聞いて森の景色を奏でるような錯覚にとらわれ、高校卒業後、専門学校で調律を学び、江藤楽器に就職する。江藤楽器は10名ばかりの小さな店で、調律師は4名。入社5か月過ぎ頃、外村は、7年先輩の柳に同行して顧客の佐倉宅に行き、調律を見学する。柳の調律が終わり、高校生の和音(かずね)がピアノを弾くと、その奏でる音色は美しく、外村は鳥肌が立つ。和音は、妹の由仁(ゆに)がすぐに帰って来るので待ってほしいと言い、ほどなく帰宅した由仁も色彩に溢れたピアノを弾く。柳は由仁のピアノを絶賛する一方で、和音のピアノを普通と評するが、外村には和音のピアノは明らかに特別だった。ある日、外村が社用車に乗っていると由仁と偶然会い、ピアノのラの音が出なくなったが、柳が仕事で立て込んで今日は行けないと言われたと言う。柳は恋人に指輪を渡すことになっていた。外村は佐倉家へ行き、フレンジを調整してピアノを直す。和音と由仁は喜んだが、帰ろうとする外村に、2人は調律も依頼する。外村は柳の仕事だと思ったが、2人の演奏を聴いて胸が熱くなっており、調律を始める―が上手くいかず、やればやるほど音がずれる。偶々電話があった柳に事情を話し、柳が調律し直すことに。外村が調律に失敗して逆に親しみを感じたのか、時々和音と由仁が江藤楽器に顔を出すようになる。外村はベテラン板鳥の調律を見学する機会に恵まれる。ドイツから巨匠ピアニストが来日し、板鳥が指名されたのだ。板鳥が鍵盤を鳴らし始めると、外村の心臓が高鳴り、この音があれば生きていけるとさえ思う。佐倉家からピアノの調律をキャンセルする電話があり、母親が、娘がピアノを弾けない状態なので調律は見送りたいとのこと。由仁が店に現れ、ピアノを弾くときだけ指が動かないと言い、自分が弾けなくなった分まで和音が弾かなくてはいけないとも言う。佐倉家から再び調律の依頼があり、外村と柳が向い、柳が以前と同じように調律した。由仁は、自分たちは前と同じじゃないと不服を口にし、外村はどう思うか尋ねる。外村は弾いてもらわないと分からないとし、「試しに弾いてみてもらえますか」と言うと、和音は毅然とした態度で演奏を始める。弾き終わると、和音は「心配かけてごめんなさい」「私、ピアノを始めることにした」と言う。母親が「ピアノで食べていける人なんてひと握りの人だけよ」と諌めると、和音は静かに微笑み、「ピアノで食べていこうなんて思ってない」「ピアノを食べて生きていくんだよ」と答える。柳の結婚披露パーティで、和音がピアノを弾き、外村が調律することになる。外村は、パーティの前日に時間かけ調律した。早朝の人のいないリハーサルでは完璧だったものの、ホールでスタッフが作業を始めると音にキレがなくなった。家庭のピアノの調律しかしたことがなかった外村は、環境を考慮していなかったことに気づく。由仁にも協力してもらい、外村は調律し直した。パーティでは、和音は若草色のドレスを着てピアノを弾き、経験豊富な先輩調律師の秋野が初めて外村を褒める。外村は、自分が和音のピアノを調律することで和音のピアノをもっとよくしたいと思った。和音は絶対にいいピアニストになると信じる外村は、やはり自分はコンサートチューナーを目指さすべきだと思った―。

 読み始めた時は、何だか地味な話だなあと思いましたが、終盤に向けて押し寄せてくるような感動がありました。専門職系と言うか、お仕事系の話なので、同じ「本屋大賞」の先輩格にあたる三浦しをん氏の辞書編纂をモチーフにした『舟を編む』(2011年/光文社、第9回「本屋大賞」第1位作品)と似た雰囲気があるように思いましたが、読み進むうちに、ああ、これ大人のメルヘンだなあという感じがして、むしろ、第1回「本屋大賞」の小川洋子氏の『博士の愛した数式』(2003年/新潮社)や、同作者のチェスの天才少年をモチーフにした『猫を抱いて象と泳ぐ』(2009年/文藝春秋)の系譜のようにも感じたりしました(「羊と鋼の森」というタイトルがまさにメルヘン的)。

 直木賞の候補にもなりましたが、強く推した選考委員(◎)が2名(北方謙三、伊集院静両氏)いたものの、他の委員の、古典的な成長小説だとか、純文学としてはともかく大衆文学としてはどうかといったネガティブな評価もあり、結局、強く推した選考委員が1名しかいなかったものの、しいて明確に否定する人がいなかった青山文平氏の『つまをめとらば』に直木賞は持って行かれました(青山文平氏が67歳で2回目の候補、宮下奈都氏が49歳で初めての候補、ということも影響したのか。『つまをめとらば』も佳作ではあるが)。

 Amazon.comなどで一般の評価を見ると、直木賞の選考さながらに評価が割れているみたいです。特に、音楽やピアノや或いは調律そのものに詳しい人(つまり調律師)から、調律師の仕事の実際と異なるとの批判が多いようですが、小説としての決定的な瑕疵に当たるのかどうか。調律や調律師のことをよく知らないから、却って引っ掛からずに気持ちよく読めたというのはあるかもしれませんが(そのことをよく知る人からすればそのことが大きな問題なのかもしれないが)、行間から湧き出る瑞々しさのようなものはやはり作者の力量ではないかと思いました。

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大人のための癒し系ファンタジーといった感じ。モデルが実在するというのは強い。

虹の岬の喫茶店 単行本.jpg 単行本(左)   虹の岬の喫茶店 文庫.jpg
(カバーイラスト:加藤美紀)/『虹の岬の喫茶店 (幻冬舎文庫)』/映画チラシ
文庫本(下)
虹の岬の喫茶店森沢明夫.jpg トンネルを抜けたら、ガードレールの切れ目をすぐ左折。雑草の生える荒地を進むと、小さな岬の先端に、ふいに喫茶店が現れる。そこには、とびきりおいしいコーヒーとお客さんの人生にそっと寄り添うような音楽を選曲してくれるおばあさんがいた。彼女は一人で喫茶店を切り盛りしながら、ときおり窓から海を眺め、何かを待ち続けていた。その喫茶店に引き寄せられるように集まる人々―妻をなくしたばかりの夫と幼い娘、卒業後の進路に悩む男子大学生、やむにやまれぬ事情で喫茶店へ盗みに入った泥棒など―心に傷を抱えた彼らの人生は、その喫茶店とおばあさんとの出逢いで、変化し始める。心がやわらかさを取り戻す―(「BOOK」データベースより)。
                  
 岬の先端に立つ喫茶店に集まる人々と女店主の交流を描いたこの作品ですが、モデルとなった「岬」のブログのフォト.jpg 大人のための癒し系ファンタジーといった感じでしょうか。6話から成る連作の各話がそれぞれの登場人物の目から語られており、前半3話は、岬の喫茶店をたまたま訪れた人の話(妻を亡くした陶芸作家と娘、就職活動中の学生、さらに泥棒に入った砥ぎ屋もいるが)になっていますが、後半3話は、常連客のタニさん、店主・柏木悦子の甥・浩司、そして悦子自身の話となっています。

作品のモデルとなった音楽と珈琲の店「岬」のブログフォト

 版元の口上に「心がやわらかさを取り戻す感涙の長編小説」とありましたが、作者の作品はカジュアル系とも言われているようで、無理矢理"感涙"ものに仕上げようとしないとこところがいいのではないかなあ。よく読むと、ラストが冒頭の謎解きのようになっているようにも読めるなど、作者のオリジナリティも活かされているように思われます。敢えて言えば、主要登場人物が結局"いい人"ばかりなのが、まあ癒し系ファンタジーとしては自ずとそうなるのでしょうが、やっぱりファンタジーの世界かな、で終わってしまいそうな危惧も。

ふしぎな岬の物語 (2014).jpg吉永小百合 モントリオール.jpg その点において、モデルとなった喫茶店が実在するというのは、たとえどれだけ虚構化されていようと、一つ強みだなあと思いました。吉永小百合がプロデュースから参画して映画化され(原作候補は10作ぐらいあったらしいが、吉永小百合の強い推挙でこの作品に決まったらしい)、「ふしぎな岬の物語」として今月('14年11月)から公開されましたが、公開前に、第38回モントリオール世界映画祭で審査員特別賞グランプリ受賞というオマケがつきました。
「ふしぎな岬の物語」ポスター 題字・絵:和田 誠(吉永小百合がオファー)

 まだ観ていませんが、吉永小百合は、山田(洋次)組で「母べえ」('08年/松竹)に出るよりも、成島(出)組でこうした映画に出る方がやり易かったのではないでしょうか。作品的にも(先入観もあるかもしれないが)母親役より未亡人役の方が合っているように思います。

 モントリオール世界映画祭は、カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの三大映画祭より格下であり、さらに同じカナダのトロント国際映画祭よりも落ちると言われ、一方で、'80年に「遥かなる山の呼び声 」が審査員特別賞、'83年に「天城越え」で田中裕子が主演女優賞、'96年に「眠る男」が審査員特別賞グランプリ、'99年に「鉄道員」で高倉健が主演男優賞、'08年に「おくりびと」が最優秀作品賞受賞、'10年に「悪人」で深津絵里が最優秀女優賞、'11年に「わが母の記」が審査員特別賞グランプリを受賞するなど、日本の映画及び日本人が受賞し易い映画祭でもあるとも言われています。今回も、呉美保監督の「そこのみにて光輝く」が最優秀監督賞を受賞しており、日本映画はW受賞となっています。ただ、「おくりびと」がその後アカデミー賞の外国語映画賞したりしているケースもあり、海外の映画祭に出品して評価を問うこと自体は良いことではないかなと思います(それで賞が貰えれば尚の事)。吉永小百合が受賞後のロングスピーチをフランス語でこなしたのは立派、阿部寛の方は英語でした(トロント~モントリオールは東京~大阪ぐらいの距離だが、トロントのあるオンタリオ州の公用語は英語なのに対し、モントリオールのあるケベック州の公用語はフランス語)。吉永小百合、最初から賞を獲るつもりでモントリオールに乗り込んだ?

【2013年文庫化[幻冬舎文庫]】

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「●む 向田 邦子」の インデックッスへ

家族にも明かさなかった恋人とその死。いろいろな見方はあるが、「謎はいくつも残る」。

向田邦子の恋文 単行本.jpg向田邦子の恋文』  向田邦子2.jpg 向田 邦子(むこうだ くにこ、1929-1981/享年51)

 前半部分は、向田邦子の遺品の中から見つかった、彼女とその恋人N氏との間の手紙と、N氏の日記の一部であり、後半部分は向田邦子の妹である著者が、その手紙が見つかり発表に至った経緯を軸に、当時の姉や家族のこと或いは姉が亡くなった後のことを書いたエッセイとなっています。特に前半部分の向田邦子とN氏の間の手紙から、いかに二人の絆が強かったか、とりわけ向田邦子のN氏に対する想いの強さがじわりと伝わってくるように思いました。

 これら手紙は1963(昭和38)年から翌年にかけて書かれたもので、当時34歳だった向田邦子は、急成長の売れっ子脚本家としてホテルに缶詰め状態で、ホテルの便箋に恋文を書いてホテルから手紙を出し、またホテル気付で相手の手紙を受け取るといったこともあり、但し、収録されている手紙は圧倒的に向田邦子からN氏宛のものが多く、N氏のもとに急に会いに行けなくなった際には電報を打ったりしています。

 一方、N氏の文章として収録されてものは、N氏の日記の部分が殆どを占めます。この日記にはテレビ番組評などもありますが、どこへ買い物に行って何を買ったとか、昼食や夕食に何を食べたとか、自らの日常を"生活記録"風にテイクノートしている部分がかなり占めます。

 このN氏の日記は(収録されている部分では)1963(昭和38)年11月から始まり、N氏は翌年の2月に自死しているため、向田邦子は多忙を極めるなか、この短い期間内にこれだけの手紙を出しているということからも、病気療養中のN氏への向田邦子の気遣いが窺えます。

 不思議なのは、N氏の日記の内容が、自死した日とされるその前日まで、それまでの日記のトーンと全く変わらないことであり、自死した前日は番組の短い感想や、買物に出かけたこと、昼食や夕食に食べたものなどが"生活記録"風簡単に書かれているだけであり、前々日も「邦子来り、夕食は豆腐...」といった調子であることで、快癒の見通しが立たない病いであったにしても、その自死は向田邦子にとってもあまりに突然のものではなかったかと思われます。

 従って、この出来事を、"献身した男性に裏切られた"経験と解し、「後の向田作品は男性に対する復讐が根底にある」という説が出てくるのも、まあ、むべなるかなという気はします(その筆頭が「爆笑問題」の太田光か)。でも、それもあくまでも推測であって、本当のことは分からないのでは、とも思います。

 向田邦子とN氏の関係は、彼女が24、5歳の頃から35歳まで10年間続いたようで、N氏は向田邦子より13歳年上のカメラマン(妻帯者)でしたが、脳卒中の後遺症で最後の2年間は仕事も出来ず、母親と高円寺の自宅に居たとのことです。そのような状況下で、向田邦子は売れっ子の脚本家としての多忙な時間の合間に手紙を書き、訪れては食事の支度をし、またホテルへ戻って仕事をするという生活を送っていたことになります。

 しかし、もっと驚くべきことは、そうした向田邦子とN氏の関係を邦子の家族は殆ど感知していなかったということで(とりわけ、年の離れた妹である筆者は全く知らなかった)、N氏のこともその死も向田邦子が家族に伏せていたというのは、随分徹底して秘密にしていたのだなあと。一方で、向田家の天沼の実家から歩いて30分ほどの場所で、母親と息子(N氏)とその恋人(向田邦子)という"疑似家族"的な生活形態が形成されていたことになるわけです(N氏は妻とは完全別居状態にあった)。

向田邦子の恋文2.jpg 著者は、20代の向田邦子が旅先の宿で籐椅子に腰かけている写真を見て、テーブルの上に二つの茶碗が出ていることなどから、それがN氏との二人旅だったとのではないかと確信し、そこまで好きだったら駆け落ちでも何でもすればよかったのに...と思わずにいられなかったとしていますが、それでも彼女が向田家に居続けたのは、長女として家を支えていかなければならないという思いがあったのではないかともしています。
 但し、向田邦子が結婚というものに対して憧憬ばかりでなく、それとアンビバレントな感情をも抱いていたことはその作品からも窺い知ることが出来るため、この辺りも、結婚したくて出来なかったのか、そうした繋がりを回避していたのかは、結局のところ分かりかねるのではないでしょうか。筆者自身、「謎はいくつも残る」としていますが、その通りだと思います。

 筆者が、それまで開けなかった向田邦子の恋文が入った封筒を初めて開いたのは、こうした姉の知らざれざる側面に徐々に触れた後のことで、向田邦子が1981(昭和56)年に航空機事故で亡くなってから20年を経ていました。2001(平成13)年にNHKの衛生放送が没後20年のドキュメンタリー番組を作ることになったのが契機で、この時、番組スタッフの調べで、N氏のことや彼が自死を遂げたことを初めて知ったとのことです。本書刊行の2年後の2004(平成16)年には、この「恋文」を巡る向田邦子を主人公とした話そのものが、久世光彦(1935-2006)の演出によりTBSで単発ドラマ化されましたが、個人的には未見です(本人が存命していればドラマ化はありえなかったろうなあ)。

【2005年文庫化[新潮文庫]】

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巻き込まれ型ワンナイト・ムービーみたいだったのが、次第にマンガみたいな感じになり...。

夜は短し歩けよ乙女2.jpg夜は短し歩けよ乙女.jpg  after-hours-martin-scorsese.jpg アフター・アワーズ.jpg 『アフターアワーズ』.jpg
夜は短し歩けよ乙女』['06年](カバー絵:中村佑介)「アフター・アワーズ 特別版 [DVD]」グリフィン・ダン/ロザンナ・アークェット

 2007(平成19)年度・第20回「山本周五郎賞」受賞作。2010(平成22)年・第3回「大学読書人大賞」も受賞。

 「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めるが、先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する"偶然の出逢い"にも「奇遇ですねえ!」と言うばかり。そんな2人を、個性的な曲者たちと珍事件の数々が待ち受ける―。

 4つの連作から成る構成で、表題に呼応する第1章は、「黒髪の乙女」の後をつけた主人公が、予期せぬ展開でドタバタの一夜を送るという何だかシュールな展開が面白かったです。

Griffin Dunne & Rosanna Arquette in 'After Hours'
After-Hours-Scorsese.jpgIアフター・アワーズ1.jpg これを読み、マーチン・スコセッシ監督の「アフター・アワーズ」('85年/米)という、若いサラリーマンが、ふとしたことから大都会ニューヨークで悪夢のような奇妙な一夜を体験する、言わば「巻き込まれ型」ブラック・コメディの傑作を思い出しました(スコセッシが大学生の書いた脚本を映画化したという)。 

アフター・アワーズ 1985.jpg グリフィン・ダン演じる主人公の青年がコーヒーショップでロザンナ・アークェット演じる美女に声を掛けられたきっかけが、彼が読んでいたヘンリー・『アフター・アワーズ』(1985).jpgミラーの『北回帰線』だったというのが、何となく洒落ているとともに、主人公のその後の災厄に被って象徴的でした(『北回帰線』の中にも、こうした奇怪な一夜の体験話が多く出てくる)。映画「アフター・アワーズ」の方は、そのハチャメチャに不条理な一夜が明け、主人公がボロボロになって会社に出社する(気がついたら会社の前にいたという)ところで終わる"ワンナイト・ムービー"です。

夜は短し歩けよ乙女 角川文庫.jpg 一方、この小説は、このハチャメチャな一夜の話が第1章で、第2章になると、主人公は訳の分らない闇鍋会のようなものに参加していて、これがまた第1章に輪をかけてシュール―なんだけれども、次第にマンガみたいな感じになってきて(実際、漫画化されているが)、う〜ん、どうなのかなあ。少しやり過ぎのような気も。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 山本周五郎賞だけでなく、2007(平成19)年・第4回「本屋大賞」で2位に入っていて、読者受けも良かったようですが、プライドが高い割にはオクテの男子が、意中の女子を射止めようと苦悶・苦闘するのをユーモラスに描いた、所謂「童貞小説」の類かなと(こういう類の小説、昔の高校生向け学習雑誌によく"息抜き"的に掲載されていていた)。

 京都の町、学園祭、バンカラ気質というノスタルジックでレトロっぽい味付けが効いていて、古本マニアの奇妙な"生態"などの描き方も面白いし、文体にもちょっと変わった個性がありますが、この文体に関しては自分にはやや合わなかったかも。主人公の男子とヒロインの女子が交互に、同じ様に「私」という一人称で語っているため、しばしばシークエンスがわからなくなってしまい、今一つ話に身が入らないことがありましたが、自分の注意力の無さ故か?(他の読者は全く抵抗を感じなかったのかなあ)

(2017年に「劇場版クレヨンしんちゃんシリーズ」の湯浅政明監督によりアニメーション映画化された。登場人物は比較的原夜は短し歩けよ乙女 映画title.jpg作に忠実だが、より漫画チックにデフォルメされている。星野源吹き替えの男性主人公よりも、花澤香菜吹き替えのマドンナ役の"黒髪の乙女"の方が実質的な主人公になっている夜は短し歩けよ乙女 映画01.jpg。モダンでカ夜は短し歩けよ乙女 映画00.jpgラフルでダイナミックなアニメーションは観ていて飽きないが、アニメーションの世界を見せることの方が主となってしまった感じ。一応、〈ワン・ナイト・ムービー(ストーリー)〉のスタイルは原作を継承(第1章だけでなく全部を"一夜"に詰め込んでいる)しているが、ストーリーはなぜかあまり印象に残らないし、京風情など原作の独特の雰囲気も弱まった。映画の方が好きな人もいるようだが、コアな森見登美彦のファンにとっては、映画は原作とは"別もの"に思えるのではないか。)
 
 

After Hours.jpgIMG_1158.jpgIアフター・アワーズ9.jpgグリフィン・ダン演じる主人公の青年がコーヒーショップでヘンリー・ミラーの『北回帰線』を読んでいると、ロザンナ・アークェット演じる美女に声を掛けられる...。 
 
「アフター・アワーズ」●原題:AFTER HOURS●制作年:1985年●制作国:アメリカ●監督:マーチン・スコセッシ●製作:エイミー・ロビンソン/グリフィン・ダン/ロバート・F・コールズベリー●脚本:ジョセフ・ミニオン●撮影:ミハエル・バルハウス●音楽:ハワード・ショア●時間:97分●出演:グリフィン・ダン/ロザンナ・アークェット/テリー・ガー/ヴァーナ・ブルーム/リンダ・フィオレンティ下高井戸京王2.jpgーノ/ジョン・ハード/キャサリン・オハラ/ロバート・プランケット/ウィル・パットン/ディック・ミラー●日本公開:1986下高井戸シネマ.jpg下高井戸東映.jpg/06●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:下高井戸京王(86-10-11)(評価:★★★★)●併映:「カイロの紫のバラ」(ウディ・アレン)

下高井戸京王 (京王下高井戸東映(東映系封切館)→1980年下高井戸京王(名画座)→1986年建物をリニューアル→1988年下高井戸シネマ) 


夜は短し歩けよ乙女 映画04.jpg夜は短し歩けよ乙女 映画ポスター.jpg「夜は短し歩けよ乙女」●●制作年:2017年●監督:湯浅政明●脚本:上田誠●キャラクター原案:中村佑介●音楽:大島ミチル(主題歌:ASIAN KUNG-FU GENERATION「荒野を歩け」)●原作:森見登美彦●時間:93分●声の出演:星野源/花澤香菜/神谷浩史/秋山竜次(ロバート)/中井和哉/甲斐田裕子/吉野裕行/新妻聖子/諏訪部順一/悠木碧/檜山修之/山路和弘/麦人●公開:2017/04●配給:東宝映像事業部●最初に観た場所:TOHOシネマズ西新井(17-04-13)(評価:★★★)
TOHOシネマズ西新井 2007年11月6日「アリオ西新井」内にオープン(10スクリーン 1,775+(20)席)。
TOHOシネマズ 西新井 ario.jpgSCREEN 1 106+(2) 3.5×8.3m デジタル5.1ch
SCREEN 2 111+(2) 3.4×8.2m デジタル5.1ch
SCREEN 3 111+(2) 3.4×8.2m デジタル5.1ch
SCREEN 4 135+(2) 3.5×8.5m デジタル5.1ch
SCREEN 5 410+(2) 7.0×16.9m デジタル5.1ch
SCREEN 6 146+(2) 3.7×9.0m デジタル5.1ch
SCREEN 7 148+(2) 3.7×8.9m デジタル5.1ch
SCREEN 8 80+(2) 4.1×9.9m MX4D® デジタル5.1ch
SCREEN 9 183+(2) 4.1×9.9m デジタル5.1ch
SCREEN 10 345+(2) 4.8×11.6m デジタル5.1ch

 【2008年文庫化[角川文庫]】

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聖書の中のエピソードを、当時のイスラエル人の暮らしぶりも踏まえ分かり易く解説した三浦版。

三浦 綾子3.JPG新約聖書入門02.jpg三浦綾子 新約聖書入門.jpg旧約聖書入門.jpg 「氷点.jpg
新約聖書入門―心の糧を求める人へ (知恵の森文庫)』 ['84年]/『旧約聖書入門―光と愛を求めて (カッパ・ブックス)』 ['74年/'95年復刻版]/テレビ朝日系「氷点」('06年)
新約聖書入門―心の糧を求める人へ (カッパ・ブックス)』['77年]
三浦綾子2.jpg

 映画やドラマにもなった『氷点』で知られる作家・三浦綾子(1922‐1999/享年77)による聖書入門で、同じカッパ・ブックスの『旧約聖書入門-光と愛を求めて』('74年/光文社)の姉妹本でもあり(現在は共に光文社文庫に収められれいる)、カッパ・ブックスのカバー折り返しに佐古純一郎氏が書いているように、「自分自身の生き様を引っ提げて新約聖書にぶつかっている」本です。
                 
私のイエス 日本人のための聖書入門.jpg遠藤周作.bmp ノン・ブックにあった遠藤周作(1923‐1996/享年73)の『私のイエス-日本人のための聖書入門』('76年/祥伝社)(現在はノン・ポシェット)が、「奇跡」とは何かということを軸に遠藤周作の独自のキリスト教に対する考え方を反映していて興味深いですが、"イエスの復活"というものに対する解釈とは別に(遠藤は、"復活"を無理に信じる必要はないと述べている)、イエスを裏切った者や"転びバテレン"に対する独自の見解(これは代表作『沈黙』などのテーマと連なる)で賛否両論を引き起こしたのに対し(特に教会側は否定的乃至"無視"という評価だったように思う)、こちらの三浦綾子のものはオーソドックスと言えばオーソドックスと言えるかもしれません。
                        
 自分自身がキリストの愛によって泥沼から救われ泥流地帯 三浦 綾子.jpgたとの思いを持つ著者は、聖書を自らの良心のバロメーターとしていると言うように、聖書と真正面から向かい合い、それを自分自身の信仰生活の糧にしようとする姿勢が前面に出ていて、読み比べると、両方ともそれぞれに遠藤文学、三浦文学と呼応しているのが興味深いです(遠藤周作は、病院で手も足もない子が生まれてきたりすることに出会うと神の不在を考えずにはおれなかったといったことを述べているが(これも『沈黙』のテーマに通じる)、三浦綾子の、大正15年の十勝岳噴火とそれに伴う火山泥流(ラハール)にまつわる物語『泥流地帯』などでも、「真面目に生きてきた自分たちがなぜこんな目に合うのか」といった、同様の観点からの問いかけがある)。
泥流地帯 (1977年)』('77年/新潮社)

 一般向けの「聖書入門」と言うよりは、すでに信仰生活に入って聖書を一通り読んでいる人のための「再入門」に近い面もありますが、聖書の中のエピソードを極めて分かり易く再現し、その背景にある意味を、当時のイスラエルの人々の暮らしや風俗をも踏まえて解説しているのは親切だと思いました。

 例えば、芥川龍之介が短編小説の極地だと激賞した「放蕩息子の帰還」(ルカによる福音書)のエピソードの解説などは、素人的視点に立ち返って息子を迎えた父親の行動の謎を解き明かすと共に、息子が豚を飼って暮らしていた、その"豚を飼う"ということが、ユダヤ人にとっては遊女を買うよりも堕落した行為であった、つまり、そこまで息子は落ちぶれていたということを表すと解説しています。

 1日働いた者も1時間しか働かなかった者も同じ賃金だったという葡萄園の労働者の話(マタイによる福音書)の背景には、当時イスラエルは不況で、結果として1時間しか働かなかった者も、実はその日は朝から職を求めて「立ちんぼ」していたという事情があり、一方で、雨季の前に葡萄を収穫する必要があったという逼迫した状況が農園主にはあったとか、イエスがなぜ盲人に泥をこね、シロアムに池へ行って洗うように言ったのか(ヨハネによる福音書)、シロアムの池は神殿からどのぐらいの距離があったのか、などといった話は、なかなか興味深かったです。

三浦綾子「塩狩峠」.jpg 三浦文学で、こうした著者の信仰に端的に呼応した作品としては、大勢の乗客を乗せた客車が暴走した際に、自らの命を犠牲にしてそれを止めた青年の実話を基にした『塩狩峠』('68年/新潮社)がありますが、子供の頃に家にあったその本を読み、単純に主人公はカッコいいなあと思っていました。

 でも、大人になって、そんなことする人って今の世の中に果たしているだろうかという現実的な想いでいたところ、'01年にJR新大久保駅でホームから転落した男性を助けようとした韓国人男子留学生が命を落とす事件があり、その時、真っ先にこの小説を思い出しました。

塩狩峠』 ['68年/新潮社]

氷点  1.jpg氷点  内藤洋子.jpg珠氷点  新.jpg 因みに、冒頭に挙げた「氷点」のTVドラマ版は、最初にドラマ化された'66年のもの(主演:内藤洋子、新珠三千代、芦田伸介)が"原罪"というテーマに沿った重厚さを最も備えていて、その後に作られたものを引き離しているのではないでしょうか。夏枝(新珠三千代)の冷酷さが怖く、卒業式で陽子(内藤洋子)に白紙の原稿を読ませるよう仕組むが...。前年に黒澤明監督「赤ひげ」('65年/東宝)で映画デビューした内藤洋子は、この初出演ドラマで一躍スターダムへ駆け上がりました。

氷点  タイトル.jpg「氷点」●演出:北代博●脚本:楠田芳子90●音楽:山本直純●原作:三浦綾子●出演:内藤洋子/新珠三千代/芦田伸介/市原悦子/田村高廣/北村和夫/岸田森●放映:1966/01~1967/04(全13回)●放送局:NET(現テレビ朝日)

 『新約聖書入門』...【1984年文庫化[知恵の森文庫]】 『私のイエス』...【1988年文庫化[ノン・ポシェット)]】 

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洞爺丸事故を7年繰り上げた大胆さ。心筋梗塞後の作者がワープロ練習用に選んだ作品。

飢餓海峡 上.jpg 飢餓海峡下.jpg    飢餓海峡dvd.jpg  飢餓海峡1シーン.jpg
飢餓海峡(改訂決定版) 上』『飢餓海峡(改訂決定版) 下』〔'05年〕 『飢餓海峡 [DVD]』(三國連太郎(中)/伴淳三郎(左)/高倉健(右))

飢餓海峡(ポスター).jpg 昭和22年秋、台風のため青函連絡船・層雲丸の転覆事故が起き、必死の救助活動が行われる中、3人の復員服姿の男が台風で不通になった列車から飛び降り、転覆事故の混乱に紛れ、本土へ向けて夜の海峡を船を漕いでいた。台風が去った後、転覆した層雲丸の乗客の遺体が次々と収容されるが、引取り人のいない遺体があり、収容遺体は実際の乗客数より2体多かった。一方、同じ台風の中、函館市内て質屋が全焼する火事があり、焼け跡から質屋一家の他殺体が発見され、質屋一家強盗殺人事件と、転覆事故の乗船者数より多い2体の遺体が結びついた―。

飢餓海峡2.jpg [映画]函館署のベテラン刑事の弓坂(伴淳三郎)は、亡くなった男2人と行動を共にしていた犬飼太吉なる大男の行方を粘りつよく捜索を続け、その男・犬飼太吉(三國連太郎)と思われる男と一夜を共にした女郎・杉戸八重(左幸子)の存在を突き止める―。

 水上勉(1919‐2004)(ミナカミベンと呼ぶ人もいるが本来は「みずかみ・つとむ」と読む)の代表作で、内田吐夢(1898‐1970(うちだ・とむ)監督による映画化作品も、様々なアンケートでいつも歴代邦画のベストテンに入っている、そうした評価に相応しい力作でした(水上勉は'71年に『宇野浩二伝』などの功績で「菊池寛賞」を受賞)。

「飢餓海峡」1.jpg「飢餓海峡」2.jpg

飢餓海峡.jpg 主人公・犬飼役の三國連太郎の生涯最高の演技に加えて、刑事役の高倉健の演技もいいですが、高倉健と共に捜査にあたる元「飢餓海峡」.jpg刑事役の伴淳三郎と、堅気になろうとしてなれない薄幸の女性・八重(ひたすら犬飼を思いながら生き続ける哀しさ)を演じた左幸子の演技が、この二人もまた生涯最高の演技と言っていいくらいに、とてもいいです。

飢餓海峡」3.jpg とりわけ伴淳三郎については、内田吐夢監督がロケで、大勢の見物人の前で彼を罵倒して何十回もNGを出し、喜劇王伴淳のプライドをズタズタに傷つけ、すっかり意気消沈させたとのことで、実はそれこそが内田吐夢の狙いであり、伴淳がいつもの喜劇と場が違って巨匠の撮る大作にシリアスな大役ということで、いいところを見せようと肩に力が入り過ぎるのを、監督が伴淳を怒鳴りつける事で意図的に元気をなくさせ、それが作品が求めるところの人生に疲弊している老刑事像に繋がったというから、恐ろしいまでの演出です。

 原作を以前に読んだときは、貧困から這い上がる男のパワーとその結末の哀しさが強く印象に残りましたが、「改訂決定版」('05年/河出書房新社(上・下))で再読し、終盤の主人公の更正施設への"寄付"の組み入れ方なども改めて良くできているなあと思いました(結果的にはこの寄付によって、主人公の犬飼は...)。本作発表当時にはもう人気作家だった作者ですが、"贖罪"というテーマが、晩年の宗教的回帰の「予兆」としてこの作品の中に既にあったともとれます。

虚無への供物.jpg 岩内大火というのは本当に洞爺丸の転覆事故と同じ日に起きたのだと知りませんでした。共に、昭和29年9月の台風15号の影響を受けての惨事ですが、2つの事件からよくここまで構想したものだと驚きます。洞爺丸の転覆事故をモチーフにしたものでは、中井英夫『虚無への供物』がありますが、『虚無への供物』が歴史どおり昭和29年の出来事としてこの事件を扱っているのに対し、『飢餓海峡』では岩内大火と併せて7年繰り上げて昭和22年の出来事としているわけであって、その大胆な"柔軟性"にも改めて感心させられました。 
虚無への供物』 講談社文庫

事件.jpg 純文学作家による推理小説の最高峰として、テーマは異なりますが大岡昇平事件とこの作品を挙げたいと思います。ただし、『事件』は〈裁判小説〉、『飢餓海峡』は〈社会派サスペンス小説〉と言った方がよいかもしれませんが...(『虚無への供物』が正統派ミステリーと言えるかどうかは別として、少なくとも『事件』も『飢餓海峡』も、一般的な推理小説とはかなり異なるタイプの作品と言えるだろう)。

 河出書房新社の「改訂決定版」は、仮名使いだけでなく、文章そのものにかなり手を加えていますが、筋立ての変更はありません。作者は'89(平成元)年、70歳の時に心筋梗塞で倒れ、リハビリとしてワープロに挑戦し、"入力練習用"に選んだのがこの「飢餓海峡」だったということです(自身の代表作の「改稿」とリハビリのための「入力練習」を同時にやったことになる。作者が亡くなったのは「改訂決定版」出版の前年('04(平成16)年)で85歳だった)。
Kiga kaikyô (1965)
Kiga kaikyô (1965) .jpg飢餓海峡film.jpg高倉健 若い頃.png「飢餓海峡」●制作年:1965年●制作:東映●監督:内田吐夢●脚本:鈴木尚之●撮影:仲沢半次郎●音楽:冨田勲●時間:183分●出演:三國連太郎(樽見京一郎/犬飼多吉)、左幸子(杉戸八重/千鶴)/伴淳三郎(弓坂吉太郎刑事、函館)/高倉健(味映画「飢餓海峡」2.jpg村時雄刑事、東舞鶴)/加藤嘉(杉戸長左衛門、八重の父)/三井弘次(本島進市、亀戸の女郎屋「梨花」の主人)/沢村貞子(本島妙子)/藤田進(東舞鶴警察署長、味村の上司)/風見章子(樽見敏子、樽見の妻)/山本麟一(和尚、弓坂34587552f0e389e1d42e569c1a635e71--japanese-film.jpgの読経を褒める)/最上逸馬(沼田八郎、岩内の強盗犯)/安藤三男(木島忠吉、岩内の強盗犯)/沢彰謙(来間末吉)/関山耕司(堀口刑事、東舞鶴)/亀石征一郎(小川、チンピラ)/八名信夫(町田、チンピラ)/菅沼正(佐藤刑事、函館)/曽根秀介(八重が大湊で働いていた娼館、"花や"の主人)/牧野内とみ子(朝日館女中)/志摩栄(岩内署長)/岡野耕作(戸波刑事、函館)/鈴木昭生(唐木刑事、東舞鶴)/八木貞男(岩田刑事、東舞鶴)/外山高士(田島清之助、岩内署巡査部長)/安城百合子(葛城時子、八重が東京で訪ねる)/河村久子(煙草屋のおかみ)/高須準之助(竹中誠一、樽見家の書生)/河合絃司(巣本虎次郎、網走刑務所所長)/加藤忠(刈田治助)/須賀良(鉄、チンピラ)/大久保正信(漁師の辰次)/西村淳二(下北の巡査)/田村錦人(大湊の並木座.jpg巡査)/遠藤慎子(巫子)/荒木玉枝(一杯呑み屋のおかみ)/進藤幸(弓坂織江、弓坂の妻)/松平峯夫(弓坂の長男)/松川清(弓坂の次男)/山之内修(記者)/室田日出男(記者)●劇場公開:1965/01●最初に観た場所:銀座並木座 (87-10-18) (評価★★★★☆) 
銀座並木座  1953年オープン。1998(平成10)年9月22日閉館。

 【1963年単行本(全1巻)・1978年改訂版(全1巻)[朝日新聞社]/1964年単行本(全1巻)・2005年改訂決定版(上・下)[河出書房新社]/1969年文庫化(全1巻)・1990年文庫改訂(上・下)[新潮文庫]】

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死刑執行に携わる看守を主人公とし、日常と非日常、生と死の対比を描いて秀逸。

夏の流れ2.jpg 夏の流れ・正午なり 丸山健二.jpg 夏の流れ.jpg
夏の流れ』['67年]/『夏の流れ・正午(まひる)なり (講談社文庫)』 ['73年]/『夏の流れ―丸山健二初期作品集 (講談社文芸文庫)』 〔'05年〕

 1966(昭和41)年下半期・第56回「芥川賞」受賞作。(講談社文芸文庫版の帯にある「毎日出版文化賞受賞」は、「講談社文芸文庫」自体がが第58回(2004年)毎日出版文化賞(企画部門)を受賞したことによるもの)。

 主人公は刑務所に勤める看守で、死刑執行もその仕事に含まれているのですが、そうした看守の刑務所の中での世間から隔絶した "日常"と、刑務所の外での市民としての日常を対照的に描き、デビュー作にして芥川賞を受賞した作品(しかも23歳1カ月という当時の歴代最年少受賞)。

 とりわけ死刑執行の"その日・その時"のハードボイルドタッチな描き方は話題を呼んだようですが、本当に秀逸なのは、小説の中にある対比の構成ではないでしょうか。

 "仕事"前の休日に釣りにいく話をしている看守たちや"仕事"を終えて家に帰る主人公(家には新たな命を宿した妻がいる)と、刑を目前に抗い、退行し、死んでいく死刑囚。仕事に馴染めず1回も刑の執行を経験せずに辞めていく若い看守と、儀式的に淡々と刑を執り行うベテランの上司らの対比(主人公はその中間にあると言えるかも)などが、抑制された文章で描かれています。

 特に、"仕事"によって与えられた特別休暇で子どもたちを海水浴に連れて行く主人公と、そこで語られる妻との辞めた若い看守をめぐる短い会話などには、非日常が日常を侵食する毒のようなものが含まれていました。
 一度読んだら、忘れられない作品の1つだと思います。

 当時芥川賞選考委員だった三島由紀夫は「男性的ないい文章であり、いい作品である」としながらも、「23歳という作者の年齢を考えると、あんまり落着きすぎ、節度がありすぎ、若々しい過剰なイヤらしいものが少なすぎるのが気にならぬではない」としていて、文芸誌へ最初に応募した作品が本作だったわけで、無名の新人の実力を1作で判断するのはかなり難しいことだったのかもと思わせます(文体については後に、篠田一士が講談社文庫版の解説で、ヘミングウェイを想起させると高く評価しています)。

正午なり 00.jpg 作者の初期の中・短編作品にはこうした生と死が対比的に描かれるものが多い一方、講談社文庫版に併収されている中篇「正午(まひる)なり」のような、ある種の帰郷小説のようなものも多く、後者のモチーフはその後の作品でもリフレインされていて、実際作者は文壇とは交わらず、都会を離れ安曇野に定住していることはよく知られている通りです。

「正午なり」1978年映画化(監督:後藤幸一)出演:金田賢一/田村幸司/結城しのぶ/原田芳雄/若杉愛/津山登志子/手塚理美/南田洋子/長門裕之/絵沢萠子
 
 【1973年文庫化[講談社文庫(『夏の流れ・正午なり』)]/2005年再文庫化[講談社文芸文庫(『夏の流れ-丸山健二初期作品集』)]】

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「河内十人斬り」の惨劇に材を得た作品。終局の描写は素晴らしいが...。

告白.jpg  『告白』['05年/中央公論新社]河内音頭 河内十人斬.jpg「河内音頭 河内十人斬」CD

 2005(平成17)年度・第41回「谷崎潤一郎賞」受賞作。

 明治26年に河内水分で、農家の長男・城戸熊太郎が、妻を寝取られた恨み、金を騙し取られた恨みから、同じく村の者に恨みを抱くその舎弟・谷弥五郎と共謀し、村人10人を惨殺したという事件(「河内十人斬り」という任侠的な敵討ち物語として、河内音頭のスタンダードナンバーにもなっている)を題材にしたもの。

 単行本の帯には「人は人をなぜ殺すのか」とあり、かなり重苦しい雰囲気の物語かと思いきや、酒と博打の生活から抜け出せないダメ男・熊太郎を、河内弁と独特の"町田節"で落語みたいにユーモラスに描いていて、そのアカンタレぶりに対する作者の愛着のようなものが滲み出ています。

 熊太郎という男は言わばヤクザ者ですが、もともと進んで悪事を働くような人物ではなく、他人を思いやることもできる人間なのに、いつも他人に誤解され、割を食って損ばかりしている、それを自分では、自分が思弁的な人間であり、自分の心情をうまく言葉にできないためだ感じている人物です。

 小説の中では随所にその熊太郎のねちっこい"思弁"が内的独白として語られ、その彼が凶行に及んだ最後の最後で、思っていることを言葉にしようとする、そこにタイトルの『告白』の意味があるということでしょう。

 カタストロフィに向かう終局の描写は素晴らしく、そこに至るまでのユーモラスなプロセスは、対比的な効果を高めることに寄与しているとは思いますが、進展がないまま同じような出来事が続いているような印象もあり、やや冗長な感じがします。

 ただし、人物造型といい語り口といい"町田ワールド"ならではのユニークさで、読み終えてみれば力作には違いないとの感想は持ちましたが、テーマ的には、「人は人をなぜ殺すのか」と言うより、「熊太郎はなぜ人を殺したのか」という話であるように思えました。
 
 【2008文庫化[中公文庫]】

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文体やフレーム破壊にパワーを感じる一方、構成的には今ひとつ。

阿修羅ガール.jpg 『阿修羅ガール』〔'03年/新潮社〕 阿修羅ガール2.jpg阿修羅ガール (新潮文庫)』〔'05年〕

 2003(平成15)年・第16回「三島由紀夫賞」受賞作。

 女子高生のアイコは、好きでもないクラスメイトの佐野とセックスしてしまい、行為のあと嫌悪感に陥り、相手を蹴飛ばしてホテルから飛び出す―。
 「減るもんじゃねーだろうとか言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心」と、ナンかテンポいい書き出しだなあと思って第1部を読み始めましたが、小気味良い女子高生の独白体も、ホントは佐野なんかより陽治が好きで...といった陳腐な純愛話と学園内スケバン抗争ばかりがだらだら続いて、さすがに少し飽きてくる...と思ったら途中から佐野の行方不明に始まり色々と騒ぎは大きくなって、ミステリー仕立てに加えてスラップステッィクな感じに。

 それが第2部に入ると、「崖」「森」「グルグル魔人」の「三門」構成で、「崖」ではアイコは「三途の川」上空にいて、「いくな。もどれ」といった陽治からのメールメッセージ(文中、巨大活字で書かれている)を受けていて、ここまでは、「何でもあり」の中にも1つの流れがあって、まあまあ面白かったです。

 でも「森」「グルグル魔人」で、意図的にそうした小説的な流れを断ち切っているかのように思え、それがあまり効果的だったとは思えませんでした(特に「森」は唐突すぎた)。
 結局、何だかよくわからないうちに終わってしまって、と思ったら第3部があって、しっかり第1部と第2部の「三門」のそれぞれの関係を解説しているので、親切と言えば親切なのですが、小説としてこれはどうなのだろうか。

 アイコの成長物語だとしても(である必要もなかったと思うが)、第3部の語り手は第1部よりずっと老けた感じがして繋がらないし...。
 文体にも、どんどん自らのフレームを破壊していく様にもパワーを感じますが、構成的にはうまくいっていないような気がしました。
 
 【2005年文庫化[新潮文庫]】

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別に「家族介護」の問題を社会提起しようとしたのではなく...。

介護入門.jpg 『介護入門』 (2004/08 文藝春秋)       モブ・ノリオ.jpg モブ・ノリオ氏

 2004(平成16)年・第98回「文學界新人賞」、2004(平成16)年上半期・第131回「芥川賞」受賞作。

 「家族介護」の現場をリアルに描いていて、加えて主人公が元マリファナ中毒だったり、文体が"ラップ調"だったりする取り合わせでも話題になった作品ですが、読み始めてすぐに町田康の"パンク調"とか"ビート調"と言われる文体の小説を連想しました。
 著者が語っているのをどこかで読んだ記憶がありますが、影響を受けた作家に町田氏の名も挙げていて、バンド活動をしていた点でも通じるせいか、町田氏のことを「町田町蔵さん」と呼んでいました。

 この小説の主人公が世間に悪態をつきながらも、自身は経済力のある親にパラサイト的に保護されている点も、町田氏の芥川賞受賞作『きれぎれ』の主人公と似ている。
 別に「家族介護」の問題を社会に提起しようとしたのが狙いではなく、『きれぎれ』と同じく、閉塞状況の中で何とか自分自身を取り戻そうとしている1個の人間の思念を描いているのだと思いましたが、それとは別に、主人公の祖母に対する愛情みたいなものが逆説的にじわ〜と伝わってくるのが、この作品の妙でしょうか。

 確かにリズムをつけて読んだ方が読みやすい感じもしますが、非常に計算してと言うかむしろ苦心して文体を作っているぎこちなさも感じました。
 "ラップ調"と言っても必ずしも韻を踏んでいるわけではないので、 読んでいて単なる「棒読み」みたくなってしまう。"YO、朋輩(ニガー)"とか出てくるたびに、「そうそう、ラップ調だった、ラップ調」と我に返るのですが...。

 さほど長くない作品なのに途中で横滑りしていてような中だるみ感もありましたが、一定の力量とひたむきさのようなものが感じられ、この作品は自分の体験に近いところで書いているようですが、今後どういう方向にいくのかなあという点での関心は持てました。

 【2007年文庫化[文春文庫]】

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野坂昭如ばりの文体と諧謔ぶり? 読んで何が残るか? 何れも今ひとつ。

きれぎれ.gifきれぎれ』 ['00年] きれぎれ.jpg  『きれぎれ』 文春文庫  町田康.png  町田 康 氏

 2000(平成12)年上半期・第123回「芥川賞」受賞作。

 さっぱり仕事をしない万年金欠男の日常を描いています。
 肉親や名ばかりの友人に金策に回らざるを得ない屈折した心理、元ランパブ嬢の妻への屈折した愛情などが、現実と妄想の中で展開していく―。

 芥川賞の選考では、宮本輝が猛反対し、石原慎太郎が強く推したようですが、わかる気がします。
 文体がユニークなことで「ビート派」とか言われる作家ですが、「きれぎれ」について言えば、かなり「メロディ」も重視し、計算して書いたように見えます。
 しかし文体も諧謔ぶりも、例えば、野坂昭如ばりとでも言うか、ただし、野坂昭如の初期作品などの強烈さには及ばないという気がします。

 日常生活における人間心理の闇の部分、常識化されていない部分を描くのが文学の役割の一つであるという「定式」があるのか、芥川賞受賞作にはいろいろな意味で極端な人物が登場したりしていて、その受け入れやすさで好きな人嫌いな人に分かれがちです(自分自身も、多分に登場人物の好き嫌いで作品を見ている部分はあります)。

 その点「きれぎれ」の主人公は、バブル崩壊後の世相を反映したキャラクターに思え、「勝ち組・負け組」で言えば「負け組」とわかりやすい方だと思います。
 攻撃的であるが屈折していて、そのくせ青空のように突き抜けたところがあるため、作品としては読み手に適度に受け入れられやすいのではないでしょうか。
 ただ読んで何が残るかというと、この作品については個人的には今ひとつでした。

 作者自身はパンクロックを「あらゆる現実を否認しながらその果てに現れる虚無と戯れるがごとき音楽」(『群像』'01年5月号「人生の野坂昭如」)と定義していて、この小説もむしろ「音楽」や「詩」に近いのかも―と思ったりもしました。
 
 【2004年文庫化[文春文庫]】

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ホステスたちと南の島へ厄払いに。楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説。

豚の報い.jpg 『豚の報い』 (1996/02 文芸春秋)  豚の報い movie.jpg 1999年映画化 (監督:崔洋一)

 1995(平成7)年下半期・第114回「芥川賞」受賞作。

 大学生の正吉(しょうきち)は、沖縄・浦添のスナックのホステスたち3人と、生まれ故郷の真謝島にウガン(御願=祈祷)にいくことになる。
 それは、ある日スナックに闖入した豚のためにホステスの1人が失神してしまい、マブイ(魂)を落としたために、ユタ(霊能者)のことに詳しい正吉を伴って、島のウタキ(御獄=霊場)でその厄払いをしようというものだ。
 他の女たちもそれぞれに過去の問題を抱えて、まとめて皆で厄落としをしようというのだ。
 しかし、正吉にとってそれは、12年前に漁で亡くなり、島の風習で風葬された父の骨を拾いにいく旅でもあった―。

 ホステスたちがケバケバしくかつ騒々しく、そのうえ負っているものが重くて、読み始めはちょっと引いてしまいます。
 しかも、現地で豚の内臓料理を食べて全員下痢状態になってしまう―猥雑さに、さらに汚辱がプラスされる。
 でも逆に、このあたりから女たちの弱さや強さが見えてきて、みんな一生懸命生きているのだという健気さのようなものを感じるようになってきました。
 
 一方、正吉は父の遺骨と対面し、12年間海を見てきた骨を見て、父は神になったと感じ、ここを御獄(霊場)にしようとする―。その心理、なんとなく感覚的にわかりました。
 ホステスらに、行こうとしている霊場が父の遺骨の場所であることをつい正直に話してしまうが、彼女らもそれでいいという...。みんないい人たちなのだなあ。 
 ラストのユーモラスな掛け合いは、お祓いがうまくいくことを予感させます。

 著者のこの作品に限って言えば、沖縄文学というより、楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説という印象を受けました。
 映画化もされていますが、ビデオ化された後DVD化された途端に廃盤になったのは、評判の方が今一つだったためか?

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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