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部分々々の筆力は大いにあるが、全体の構成としてはどうなのか。

イノセント・デイズ 単行本.jpgイノセント・デイズ n.jpgイノセント・デイズ 単行本2.jpg  イノセント・デイズ 文庫.jpg
イノセント・デイズ』(2014/08 新潮社) 『イノセント・デイズ (新潮文庫)

 2015(平成27)年・第68回「日本推理作家協会賞」(長編及び連作短編集部門)受賞作。

 30歳の田中幸乃は、元恋人に対する執拗なストーカーの末にその家に放火して妻と1歳の双子を死なせた罪で死刑を宣言されていた。凶悪事件の背景には何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人、刑務官ら彼女の人生に関わった人々の追想から世論の虚妄と哀しい真実が浮かび上がる。そして、幼馴染みの弁護士たちが再審を求めて奔走するが彼女は―。

 「第一部・事件前夜」と「第二部・判決以後」の二部構成で、第一部で、田中幸乃の人生に関わったさまざまな人々の回想から、彼女の悲惨な人生の歩みが浮き彫りになっていきます。従って、彼女がいかにして死刑に値する罪を犯すような人間になってしまったのかを、ある種"環境論"的に解析していく小説だと思って読み進めていました。そして、そのプロセスは非常に重いものでした。

 ところが終盤になって、それまでミステリだとは思わずに読んでいたのに"どんでん返し"があって、事件の真犯人は別にいるらしいと...。しかしながら彼女は自ら弁明することなく刑に臨もうとしているため、それはどうしてなのかということがポイントになってきますが、それまで描かれていたことが必ずしも彼女のそうした心境を十分に裏付ける伏線になっておらず、結局よく分からないまま読み終えた感じです。

 死刑制度に対して問題提起しているともとれますが(主人公の仮のモデルは林真須美死刑囚であるそうだが)、そうなるとやや主題が分裂気味という気もするし、部分々々の筆力は大いにあると思いましたが、全体の構成としてはどうなのかという気がしました。

 「日本推理作家協会賞」の選考(選考委員は大沢在昌・北方謙三・真保裕一・田中芳樹・道尾秀介の各氏)でも、あまりにも暗く、救いがないということで選考委員が皆迷ったみたいで、無理に受賞者を出した印象が無きしも非ずという感じでした。

 それでも直木賞候補にもなっているのですが、直木賞選考では更に選評は厳しくなり、やはり直木賞は取れなかったようです。選考委員では角田光代氏が「序盤から読み手を小説世界に引きずり込む力を持っている。(中略)けれども読み進むにつれて現実味が薄れていくように感じた」、「そうしてやっぱりラストに納得がいかないのである。いや、この小説はこの小説で完結しているので、ラストに異を唱えるのは間違っているとわかるのだが、死を望み、このようにすんなりと受け入れるほどの強いものが、幸乃にあるようには私には思えなかった」と述べていますが、自分の感想もそれに近いでしょうか。

 因みに、かつて「死刑大国」と言われたアメリカ(世界の死刑執行の8割を占めるという中国とは比較にならないが)でも死刑廃止の流れがあり、'07年から'14年の間だけでも新たに6州が死刑を廃止していますが、死刑廃止の理由として、十分に審議されないまま死刑が執行されたことがあったりして、その中には執行した後に真犯人が現われ、無実の人間を処刑してしまったと後で判ったケースもあるようです(1973年以降、無実の罪で死刑判決が出た人のうち、少なくとも142人は、死刑が執行される前に釈放になったという。一方で、誤って処刑され、死刑執行後に無罪判決が出された人も何人もいる)。

 アメリカではそうした誤審が死刑廃止の大きな契機になっているわけで、もし、この小説のようなことが実際に起きて、この小説の中に出て来る主人公の幼馴染みや弁護士のような人が頑張れば、死刑制度を見直す機運は高まるかもしれないと思います。そうした意味では、この小説の終わりからまた新たな物語が始まるような気もしました。

 筆力としては○ですが、構成としては残念ながら△でしょうか。言い方を変えれば、構成としては△だが、筆力としては注目すべきものがあって○であるとも言え、迷いながら「日本推理作家協会賞」に選んだ選考委員の気持ちが分からなくもないです(結局、自分も○にした)。

【2017年文庫化[新潮文庫]】

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故郷・台湾を舞台に描く青春ミステリ。面白い。 "日本語で書かれた台湾文学"という印象も。

流 東山 彰良.jpgi流 東山 彰良 .jpg  東山 彰良.jpg 東山 彰良 氏
』(2015/05 講談社)

 2015(平成27)年上半期・第153回「直木賞」受賞作。2015年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2016 (平成28)年「このミステリーがすごい」(国内編)第5位、2016年「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第4位、2016年・第13回「本屋大賞」第8位。

 国民党の総統・蒋介石が死去した1975年の台湾。かつて国民党に加担し、共産主義者を相手に大陸でひと暴れした後、敗走した台湾で暮らしていた葉尊麟(イエ・ヅゥンリン)が、ある日自分の店で殺され、それを発見したのは葉尊麟の孫である私こと葉秋生(イエ・チョウシェン)だった。誰が、なぜ祖父を殺したのか。台北の高等中学に通う当時17歳の私には、まだその意味はわからなかった。以後、無軌道な青春を重ねながら、思い出したように祖父の死の真相を追っていく―

 直木賞選考会で選考委員全員が「〇」をつけ、満票で「圧倒的に受賞作1作は決まってしまった」という作品(しかも、9人の選考委員の内8人が◎をつけた)。選定委員の桐野夏生氏が「文句なく面白かった」としていますが、実際、面白かったし、同じく選定委員の北方謙三氏が「根底から力がある、20年に1度の傑作」と評したように、作者の力量も感じました。

 作者の経歴を見ると、1968年中国人の両親のもと台湾で生まれ、5歳まで台北市で過ごした後日本へ移住し、9歳で台北の南門小学校に入学したが、その後日本に戻り福岡で育ったのこと。直木賞選考委員の一人、伊集院静氏との対談で、主人公の私こと葉尊麟のモデルは作者の父であることを明かしています。

 故郷・台湾を舞台に描いた青春ミステリと言えるかと思いますが、日本の小説と言うより、日本語で書かれた台湾の小説という印象を受けました。因みに、作者の本名は王震緒で、日本に帰化せず、中華民国台湾の国籍を保持しているとのことです(筆名の「東山」は祖父の出身地である中国山東省から、「彰良」は父親が暮らした地であり、母親の出身地でもある台湾の彰化からとっている)。読んでいる間、台湾の映画監督・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画を観ているような、そんなエスニックな感覚がありました("日本語で書かれた台湾文学"という感じか)。

 ストーリーも骨太で、暗い歴史を背景に、青春小説の甘酸っぱさもあり、無頼の青春群像もある中で、祖父殺害の謎の予期しなかった結末への導き方は巧みであるに止まらず、そこから導かれる戦争の悲劇の実像は重いものでした。"英雄"と呼ばれている人物が本当にそうだったのか。"黒狗"と言われていた人物が本当に卑怯者だったのか。立場によって見方はいくらでも違ってくるけれども、歴史というものは、そうしたすべての見方を伝えるものではなく、どこか偏りがあるものだという思いにさせられました。

 また、話の舞台は終盤、中国大陸へと移りますが、ストーリーのスケールの大きさ(何十年がかりの復讐譚など)は大陸的なものが感じられたし、「WEB本の雑誌」の「作家の読書道」によると、作者はエルモア・レナードの大ファンであるとのことで、そうしたハードボイルドの影響も感じられたし、また、最近では南米文学に夢中になっているとのことで、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に通じるものもあるように思いました。

 直木賞候補作の中では群を抜いていたとのことですが、個人的には、そもそも(作者が抱えているバックグランドの違いから)質的に日本人が書く小説とは異なるという印象を受けました。その一方で、まぎれもなく日本語で書かれた作品であり、しかも、読んでいてぐいぐい引き込まれたのも事実です。日本人が読んで面白いということは、やはり、ストーリーテリングだけでなく、文章や表現力にも優れたものがあるということなのでしょう。

【2017年文庫化[講談社文庫]】

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身を削って芸をした芸人への作者の愛着、哀惜が感じられる「鬼の詩」。

鬼の詩/生きいそぎの記.jpg 鬼の詩/生きいそぎの記2.jpg  『鬼の詩』単行本.jpg  『生きいそぎの記』 .jpg 
鬼の詩/生きいそぎの記 ---藤本義一傑作選 (河出文庫)』['13年]『鬼の詩 (1974年)』『生きいそぎの記 (1974年)

 「鬼の詩」は1974(昭和49)年上半期・第71回「直木賞」受賞作。

藤本義一 2.jpg 芸のためなら馬糞を饅頭のようにうまそうに食らい、「ほんに、これが、ほんまの一杯食わされたということでっしゃろか」と言って笑いを取り、天然痘に罹って痘痕面になれば、その痘痕に煙管(キセル)を何本ぶら下げられるかで客の歓心を引くという、グロテスクなまでの珍芸で人気を得た明治末期の芸人・桂馬喬の生涯を描く―。

 藤本義一(1933-2012/享年79)が4回目のノミネートで直木賞を獲った作品で、映画になったりもしましたが(主演:桂福団治)、今読んでも傑作だと思います。当時の直木賞の選考会ではほぼ満票に近い結果で、石坂洋次郎だけが反対票でしたが、破滅型の人物を描いているため、石坂洋次郎のような作家の好みに合わないのは分かる気がします。 
 同じく選考委員だった源氏鶏太が、「明治の末頃の大阪での『芸』の意味について司馬遼太郎氏からの詳しい説明があって、私は、更に『鬼の詩』を高く評価する気になった」とコメントしているが興味深いです(司馬遼太郎って何でも知っていたのだなあ)。
 その司馬遼太郎が、「初代春団治もまかりまちがえばこの作品の主人公のようなバケモノになりかねない所があったが、春団治の天才性がそれを救った。この主人公には十分な才能がなかったために、春団治にはなれずにバケモノになってしまった」とコメントしているのは、炯眼だと思います。但し、この作品は、淡々とした描写の根底に、そうした身を削って芸をした芸人への作者の愛着、哀惜が横たわっているのが感じられます。

 作中の桂馬喬のモデルは2代目桂米喬(1860-1904)で、実際に噺が終わると立ち上がり、踊りを踊ったり、ぶら下がっている電球を舐めたりして、客の爆笑を呼んだとのこと。但し、その最期は衰弱死ではなく、日に3軒の寄席を掛け持ちした後に脳溢血で倒れたというから、今で言えば「過労死」でしょうか。「桂馬喬」は当初はオーソドックスな芸風だったのが、それだけでは客には受けないと悟り、変則芸の桂文我に「芸を盗ませてもらいまっせ」と断りを入れていますが、実在の初代桂文我も噺が終わった後、踊りで高座を締めくくることが多かった人のようです。

 「生きいそぎの記」は、作者が最初に師事し、運命的な体験をした映画監督の川島雄三との間の事を描いていますが(「貸間あり」('59年/東宝)で作者は脚本を担当)、この作品は「鬼の詩」の前に直木賞候補になっているものの、受賞には至りませんでした。その一因として、小松伸六が、選考委員がよく知っている人物がモチーフになっていることが不利に働いたのではないか、といったことを述べていたように思います(実際、記録を見たら、委員の川口松太郎が「主人公のモデルが委員たちと交際のあった人だけに損をした」とコメントしていた)。

川島雄三.png 「洲崎パラダイス赤信号」('56年)、「幕末太陽傳」('57年)の川島雄三(1918-1963/享年45)ってこんな難しいキャラクターだったのかと。病気(筋委縮性硬化症)のことも初めて知った次第ですが(この人もある意味"身を削っていた"ことになるわけか)、河出文庫に併録された、1988年に下北(川島の出身地)で開催された「川島雄三映画祭」での作者の講演記録「師匠・川島雄三を語る」を読むと、殆ど事実みたいです。

 意外だったのは、この「講演」が「小説」に負けず劣らず面白いことで、川島監督の小津安二郎の仕事ぶりを偵察せよとの指令で、無理矢理「小津組」に入って(「小早川家の秋」('61年))、李朝の置物を探し回った上にニセモノをこしらえて、それが小津監督に気に入られ、その話を川島監督にしたら大喜びしたという―「小説」の方は、こうした面白い話は少なく、やや重い感じ(「鬼の詩」は重さよりも哀しい滑稽さが先に来る)。重いこと自体は悪くはないのですが、ちょっと自分の経験に近すぎて、モチーフを対象化しきれていない気も若干しました。

『鬼の詩』 講談社文庫.jpg『生きいそぎの記』 講談社文庫.jpg このほかに、師に"追随"する漫才師を描いた「贋芸人抄」、三味線の天才娘の悲劇「下座地獄」を所収。作者はやはり「芸人物」、それも、身を削って芸をする人を描いて強みを発揮したように思います。「鬼の詩」と「生きいそぎの記」はそれぞれを表題とする別々の短編集として刊行され、共に文庫化されましたが、それも永らく絶版になっていました(個人的には「生きいそぎの記」は今回が初読)。
鬼の詩 (講談社文庫)』『生きいそぎの記 (1978年) (講談社文庫)

井上ひさし.jpg 所収の作者の講演録の中には、大学在学中にラジオドラマなどの懸賞募集に作品を出していると、東京から強敵が現れ、自分と相手のどちらかが賞を取る状況が2年続き、その強敵というのが当時上智大学に在学中の井上廈(ひさし)(1934- 2010/享年75)だったという話がありますが、井上ひさしも別のところで、「彼はまさに西の懸賞王、僕は大抵負けていました」と語っています。その井上ひさしも、放送作家からスタートし、「手鎖心中」で藤本義一より2年早く「直木賞」を受賞、そして藤本義一の2年前に亡くなってしまいました(藤本義一の場合、中皮腫のため最後の3年間は闘病生活であり、井上ひさしも最晩年は肺癌を患っていた)。

 作者の代表作をまとめて新刊文庫で読めるのはいいのですが、それが作者の死が契機になっているというのは寂しい限りです。

『鬼の詩/生きいそぎの記―藤本義一傑作選』(生きいそぎの記/鬼の詩/贋芸人抄/下座地獄/師匠・川島雄三を語る)...【2013年文庫化[河出文庫]】
『鬼の詩』(泣尼/浪花笑草/浪花珍草紙/下座地獄/浪花怨芸譚)...【1974年6月単行本[講談社]/1976年文庫化[講談社文庫]】
『生きいそぎの記』(生きいそぎの記/上方苦男草紙/人面瘡綺譚)...【1974年10月単行本[講談社]/1978年文庫化[講談社文庫]】

《読書MEMO》
「鬼の詩」(1974年発表)...★★★★
「生きいそぎの記」(1971年発表)...★★★☆

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ラストで主人公が充足したある境地に達したように思われ、救われるような温かい気持に。

昭和の犬2.jpg 昭和の犬.jpg 『昭和の犬』(2013/09 幻冬舎) 姫野 カオルコ.jpg 姫野カオルコ 氏

 2013(平成25)年下半期・第150回「直木賞」受賞作。

 昭和33年、滋賀県のとある町に生まれた柏木イクは、教会の託児所などに預けられ、5歳の頃に初めて両親と仮設小屋のような家に暮らすようになる。近郊の山中の家には、犬のように社交的な猫と、人を遠ざけ吠える犬がいた。やがて一家は街中の一軒家に移るが、理不尽なことで割れたように怒鳴り散らす父親、娘が犬に激しく咬まれたことを見て奇妙に笑う母親、とそれぞれ奇癖のある両親とのそりは合わない。イクは内面の"傷"を負うが、やがて成長し、東京の大学に入学、間借りしながら倹しくも確固とした生活を送り続け、「休日には名画座やフィルムセンターで映画を」観る生活。そうした生活の中で、イクは様々な家族の事情を目の当たりにするが、彼女の傍らには、友人たちや下宿の大家の飼い犬、或いは散歩の道すがら出合う犬など、引き続きいつもの「犬」たちがいた―。

 作者はデビューから25年、5回目の直木賞候補で受賞を果たしたとのことですが、個人的には、そんなに何度も候補になっていたとは知りませんでした(候補になった間隔が開いているというのも一因か)。彼女の小説の読者は圧倒的に女性の方が多いのではないでしょうか("圧倒的に"と言い切ってしまうと、これもまた主観からくる"統計ミス"になるのかもしれないが)。

 主人公は作者と同じ年の生まれで、自伝的小説と言っていいのではないでしょうか。イクの5歳から49歳までの経験を描いた8編の連作になっており(前半は小刻みだが、最後は29歳から49歳に飛ぶ)、その時々に放映されていた海外ドラマが章のタイトルになっていますが(昭和30年代は地方では観られる放送局数は多くなかったと思うが、それでもこれだけ観ることができたのだなあ)、むしろ全編を貫いているモチーフとしては「犬」が印象に残ります。

 直木賞受賞後のインタビューによれば、第1編に当たる「ララミー牧場」はほぼ事実を描いたとのこと。但し、全体としては、自身の経験を基にしながらも、作者がイクとの間に一定の距離を置いているのが上手いなあと思いました。

 連載後に全編を初めから書き直したとのことですが、特に目立った華々しい出来事も無く、主人公の恋人も友人も出てこない―こんなお話が直木賞受賞作になるのかなあと半信半疑で読みつつも、それでも読み進むうちにイクが徐々に成長を遂げていくのが分かり、ラストでは、イクが充足したある境地に達したようにも思われ、読む側としても救われるような温かい気持ちにさせられました。

 また、このラストへのもって行き方も上手い! 末期の母が見たいと言っていた「犬の笑顔」に見(まみ)える場面や、トン(東)、シャー(西)、ペイ(北)という亡父が名付けたかつての飼い犬、飼い猫の名前で、ナン(南)だけが無かったのは何故かを、ある人物との再会という偶然の出来事から、イクという自分の名の由来を知ることで思い当る下りも良かったです。

 前回「直木賞」受賞作の桜木紫乃氏の『ホテルローヤル』と、地方を舞台にした時系列の連作である点や(『昭和の犬』の場合、地方が舞台なのは前半だけだが)、亡くなった父親の人生へのオマージュが物語のバックボーンにある点などでやや似ている印象もありましたが、共に力作であると思いました。

 主人公が名画座で観た"ベンジー"映画の2本立ては、「ベンジー」('74年)と「ベンジーの愛」('77年)かと思われますが、自分は「ベンジーの愛」を中野武蔵野館で観ました(と言うか、観てしまった...という感じなのだが)。中野武蔵野館(後に中野武蔵野ホール)は、2004(平成16)年に閉館となっていますが、作中の名画座のモデルとなったのはどこなのだろうか。雇われ館長(支配人)がいたのは大井武蔵野館で(1999(平成11)年閉館)、閉館後は確かレコード店の店長になった...。因みに、フィルムセンターは、1984(昭和59)年9月3日に火災により焼失し、1995(平成7)年にリニューアル・オープンしているから、主人公が通ったのは焼失前のフィルムセンターということになります。

【2015年文庫化[幻冬舎文庫]】

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ミステリとして物足りないがコミカルな味付け。中高生向きと思えばまあまあかも。

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謎解きはディナーのあとで』(表紙イラスト:中村佑介)

 2011(平成23)年・第8回「本屋大賞」第1位作品。

 アパートの一室で女性が殺され、殺害場所は彼女が住んでいる部屋で、首を絞めて殺されていた。奇妙なのはその格好で、うつ伏せに倒れた状態でリュックを背負い、足にはブーツを履いていた。玄関から部屋までブーツの足跡はなく、死後、何者かによってブーツを履かされた様子もない―(第1話「殺人現場では靴をお脱ぎください」)。

 ミリオンセラーでTVドラマ化もされたため、その内容は多くの人の知るところですが、国立市を舞台に、世界的な企業グループの令嬢で、新人刑事の宝生麗子が遭遇した難事件を、彼女の執事・影山が、現場を見ずとも概要を聞くだけで推理し、解決するというパターンの連作(今年['13年]8月に映画にもなるらしい)。

 執事・影山が「安楽椅子探偵」の変形バージョンになっているわけで、本格ミステリとしてはかなり物足りないけれどコミカルな味付けもあって、普段あまり推理小説を読まない女性層をターゲットに書かれたとのことで、ナルホド、そうしたマーケティング戦略だったのかと(中学生がターゲットかと思った...)。

 いずれにしろ読み易いですが、このライト感はやはり、普段あまり本を読まない中学生から高校生ぐらいに読んでもらうのに丁度いいのではと、マトモにそう思いました(男女の話も出てくるけれど、そんなの普段からTVドラマでさんざん観ている?)。

 パターンが決まっていているところに安定感があり、却って趣向を変えてそのパターンをはずれると(例えば「花嫁は密室の中でございます」みたいに、執事・影山が現場にいたりすると)あまり面白くなくなるというのは、「刑事コロンボ」のようなTVドラマシリーズになっている推理モノに通じるところがあります。

『謎解きはディナーのあとで』tv.jpg Amazon.comのレビューの平均評価を見ると、星2つと厳し目。大体において話題作は厳し目の評価になるけれど、初めから中・高校生向けと思えばそこまでいかなくとも星3つぐらいはあげてもいいのかな(「中高年」向きではない)。小学生の読書することを楽しむ習慣の入口になるかも。

 ネタバレになるけれど、冒頭の、紐ブーツ履いたまま洗濯物を取り込みに行く―なんて、ありそうな話。何だか、この部分だけがやけにリアルに感じられました。

2013年8月2日TVスペシャルドラマ版予告

「謎解きはディナーのあとで」●演出:土方政人/石川淳一/村谷嘉則●制作:伊與田英徳/中井芳彦●脚本:黒岩勉●音楽:菅野祐悟●原作:東川篤哉●出演:櫻井翔/北川景子/椎名桔平/野間口徹/中村靖日/岡本杏理/田中こなつ●放映:2011/10~12(全10回)●放送局:フジテレビ

【2012年文庫化[小学館文庫]】

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会津の奥羽戦争敗因分析が中心だが、ドラマよりも歴史小説(企業小説?)みたいで面白かった。

八重と会津落城.jpg    山本八重(綾瀬はるか).jpg 山本覚馬(西島秀俊).jpg
八重と会津落城 (PHP新書)』   NHK大河ドラマ「八重の桜」 山本八重(綾瀬はるか)/山本覚馬(西島秀俊)

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 八重の桜.jpg 今年('13年)のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、東日本大震災で被災した東北地方の復興を支援する意図から、当初予定していた番組企画に代わってドラマ化されることになったとのこと。本書は一応は「八重と会津落城」というタイトルになっていますが、前3分の2は「八重の桜」の主人公・山本八重は殆ど登場せず、会津藩が幕末の動乱の中で奥羽越列藩同盟の一員として薩長政権と対峙し、会津戦争に追い込まれていくまでが時系列で描かれています。

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 八重の桜 (NHKシリーズ)

 この部分が歴史小説を読むように面白く読め、福島の地元テレビ局の報道制作局長から歴史作家に転じた著者が長年にわたって深耕してきたテーマということもありますが、歴史作家としての語り口がしっくりきました。

 1862(文久2)年に会津藩の第9代藩主である松平容保(かたもり)が京都守護職に就任するところから物語は始まりますが、著者によればこれがそもそもの会津藩の悲劇の始まりだったとのことで、1866(慶応2)年に薩長同盟が結ばれ、第2次長州征討に敗れた幕府の権力が弱体化する中、公武合体論支持だった孝明天皇が急死して、いよいよ追い詰められた徳川慶喜は大政奉還で窮地を乗り切ろうとします。しかし、慶喜が思っていたような解決は見ることなく、王政復古、新政府樹立、鳥羽・伏見の戦いでの旧幕府軍の惨敗、戊辰戦争と、幕府崩壊及び明治維新へ向けて時代は転がるように変遷して行きます。

 松平容保が京都守護職の辞任を申し出て叶わず、容保と会津藩士が京都に残留したことで、「官軍」を名乗った薩長から見て「賊軍」とされてしまったのが会津藩の次なる悲劇でした(本書では「官軍」という言葉を使わず、敢えて「薩長連合軍」としている)。元々幕府寄りであった会津藩ではあるけれど、会津城に籠城して落城するまで戦った会津戦争という結末は、幕府への忠義を貫き通したという面もあるにしても、こうした流れの延長にあったともとれるのではないかと思います。

八重の桜0.jpg 八重が本書で本格的に登場するのは、その会津城での最後の籠城戦からで、時局の流れからも会津藩にとってはそもそも絶望的な戦いでしたが、それでも著者をして「『百人の八重』がいたら、敵軍に大打撃を与え壊滅させることも不可能ではなかった」と言わしめるほどに八重は大活躍をし、また、他の会津の女性達も、城を守って、炊事や食料調達、負傷者の看護、戦闘に至るまで、男以上の働きをしたようです。
「八重の桜」山本八重(綾瀬はるか)

 但し、本書では、会津藩がこうした事態に至るまでのその要因である、奥羽越列藩同盟のリーダー格であるはずの仙台藩のリーダーシップの無さ、そして何よりも会津藩そのものの戦略・戦術の無さを描くことが主たる狙いとなっている印象で、それは、戊辰戦争での戦略ミス、奥州他藩との交渉戦略ミス、そして奥羽戦争での度重なるミスなどの具体的指摘を通して次々と浮き彫りにされています(詰まる所、会津藩のやることはミスの連続で、悉く裏目に出た)。

八重の桜 西郷頼母.jpg その端的な例が「白河の戦」で戦闘経験も戦略も無い西郷頼母(ドラマでは西田敏行が演じている)を総督に据えて未曾有の惨敗を喫したことであり、後に籠城戦で主導的役割を演じる容保側近の梶原平馬(ドラマでは池内博之が演じている)も以前から西郷頼母のことを好いてなかったというのに、誰が推挙してこういう人事になったのか―その辺りはよく分からないらしいけれど(著者は、人材不足から梶原平馬が敢えて逆手を打った可能性もあるとしているが)、参謀が誰も主君を諌めなかったのは確か(ちょうどその頃会津にいた新撰組の土方歳三を起用したら、また違った展開になったかもーというのが、歴史に「もし」は無いにしても、想像を掻き立てる)。
「八重の桜」西郷頼母(西田敏行)

八重の桜 松平容保.jpg しかも、その惨敗を喫した西郷頼母への藩からの咎めは一切なく、松平容保(ドラマでは綾野剛が演じている)はドラマでは藩士ばかりでなく領民たちからも尊敬を集め、「至誠」を貫いた悲劇の人として描かれてる印象ですが、こうした信賞必罰の甘さ、優柔不断さが会津藩に悲劇をもたらしたと言えるかも―養子とは言え、藩主は藩主だろうに。旧弊な重役陣を御しきれない養子の殿様(企業小説で言えば経営者)といったところでしょうか。本書の方がドラマよりも歴史小説っぽい? いや、企業小説っぽいとも言えるかも。
「八重の桜」松平容保(綾野 剛)

 薩長側にも、参謀として仙台藩に圧力をかけた長州藩の世良修蔵のように、交渉の最中に「奥羽皆敵」「前後から挟撃すべし」との密書を易々(やすやす)相手方に奪われてその怒りを買い、更に、怒った相手方にこれもまた易々殺されて今度は新政府の仙台藩への怒りを喚起し、結局、鎮撫するはずが奥羽戦争のトリガーとなってしまったような不出来な人物もいるし、逆に会津藩にも、新国家の青写真を描いた「管見」を新政府に建白し、岩倉具視、西郷隆盛たちから高く評価された山本覚馬(八重の兄)のような出来た人物もいたことも、忘れてはならないように思います。

 本書でも少しだけ登場する長岡藩の河井継之助は、司馬遼太郎の長編小説『峠』の主人公であり、この小説を読むと、長岡藩から見た奥羽列藩同盟並びに奥羽戦争に至る経緯がよく窺えます(河井継之助も山本覚馬同様、進取の気質と先見の明に富む人物だったが、北越戦争による負傷のため41歳で亡くなった。明治半ばまで生きた松平容保や山本覚馬よりも、こちらの方が悲劇的か)。

八重の桜.jpg「八重の桜」●演出:加藤拓/一木正恵●制作統括:内藤愼介●作:山本むつみ●テーマ音楽:坂本龍一●出演:綾瀬はるか/西島秀俊/風吹ジュン/松重豊/長谷川京子/戸田昌宏/山野海/工藤阿須加/綾野剛/稲森いずみ/中村梅之助/中西美帆/西田敏行/宮崎美子/玉山鉄二/山本圭/秋吉久美子/勝地涼/津嘉山正種/斎藤工/芦名星/風間杜夫/中村獅童/六平直政/池内博之/宮下順子/黒木メイサ/剛力彩芽/小泉孝太郎/榎木孝明/生瀬勝久/吉川晃司/反町隆史/林与一/小栗旬/及川光博/須賀貴匡/加藤雅也/伊吹吾郎/村上弘明/長谷川博己/オダギリジョー/奥田瑛二/市川染五郎/神尾佑/村上淳/松方弘樹/谷村美月●放映:2013/01~12(全50回)●放送局:NHK

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ヤングアダルト向け時代物といった感じ。大人の読み物としてはやや物足りないのでは。

しゃばけ 2001.jpgしゃばけ』(2001/12 新潮社)しゃばけ 文庫.jpgしゃばけ (新潮文庫)

 2001(平成13)年・第13回「日本ファンタジーノベル大賞」(優秀賞)受賞作("大賞"ではない)。

 江戸で有数の回船問屋と薬種問屋と営む長崎屋の跡取り息子・一太郎は生まれながらの病弱であったため、祖父は佐助と仁吉という2人の手代をつけるが、彼らは人間の姿をしてはいるものの、実はそれぞれ犬神と白沢という妖(あやかし)。一太郎は、昔から人には見えない妖を見ることが出来、更に彼らが自分を守ってくれていることを知っている。若旦那と呼ばれながらも病弱のゆえ、ろくに仕事をさせてもらいない一太郎は、ある用事で夜中に外出した帰り人殺しの現場を目撃して犯人に襲われそうになるも、妖の助けでその場を逃れるが、その後、同じような類の殺人事件が連続して起きる―。

 作者の「しゃばけ」シリーズの第1作で、もともと懸賞応募小説だったためシリーズ化は意図していなかったとのことですが、その後、『ぬしさまへ』('03年)、『ねこのばば』('04年)、『おまけのこ』('05年)、『うそうそ』('06年)、『ちんぷんかん』('07年)、『いっちばん』('08年)、『ころころろ』('09年)、『ゆんでめて』('10年)と、コンスタントにシリーズ作品を生み出しており、最初のキャラクター設定がしっかりしていたというのもシリーズとして続いていった要因なのでしょう。

 この中で長編作品はこの『しゃばけ』と『うそうそ』だけで、後は短篇の連作ですが、そのためか、この作品がシリーズの中で一番面白いとする人も多いようです。個人的にもそんな気がしますが、一太郎の置かれている状況とその周辺の書き込み、妖(あやかし)それぞれのキャラクターや特性の紹介があって、やはりそれらを最初に読んだ時の新鮮さかなあ。

 事件及びその謎解きとしてはやや単調で、前述の書き込みがあるため冗長感も否めず、連続殺人事件ではあるけれども(妖が絡んでいるせいもあるが)何だか軽いなあという感じ。むしろ、一太郎の出生の秘密が明かされることの方が、シリーズ全体としては重要な出来事だったかも知れません。

 若い女性に人気があるシリーズといいうことですが、ファンタジーノベルでもあるため、中高校生が読みそうな「ヤングアダルト向け時代物」といった感じがしました(妖の台詞などは殆ど現代語であるし)。テレビドラマ化もされましが、これ映像化すると、妖(あやかし)が"仮装大会" になってしまうような...(観ていないが)。

 若い女性に人気が出たのは、一太郎の一見"草食系"風だが、実は芯が強く、男義もあるキャラクターの魅力かなと。全体にほのぼのしていて、色恋が絡んだどろっとした話が少なく、意図的にそうしたものを避けているような気もします(と思ったら、第2作『ぬしさまへ』の中に仁吉の恋の物語があったが(「仁吉の思い人」)、これとて妖の妖に対する千年も前の恋の話であり、極めてファンタジック)。

 シリーズ全体を通して勧善懲悪ストーリーで、読んでいて安心感はあるし、妖(あやかし)達が合議して事件解決に挑む姿は微笑ましいけれど、大人の読み物としてはやや物足りないのでは。

【2004年文庫化[新潮文庫]】

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面白かった。第三者的な冷静な視点が常にどこかにある。映画作品の方は懐かしさはあるが凡作。

太平洋ひとりぼっち 舵.jpg  太平洋ひとりぼっち 文藝春秋新社.jpg 太平洋ひとりぼっち 角川文庫.jpg   太平洋ひとりぼっち dvd.jpg 太平洋ひとりぼっち dvd2.jpg
太平洋ひとりぼっち』/『太平洋ひとりぼっち (1962年) (ポケット文春)』/角川文庫版(カバーイラスト:佐々木侃司)/「DVN-159 太平洋ひとりぼっち(DVD)」/「太平洋ひとりぼっち [DVD]

堀江謙一 1962.bmp 『太平洋ひとりぼっち』の40年ぶりの復刻(2004年刊)ということですが、帯にある「『挑戦』を忘れた日本人へ...」云々はともかくとして、今読んでもとにかく面白い!

 堀江謙一氏が23歳で西宮市―サンフランシスコ間の太平洋単独横断を成し遂げたのは1962(昭和37)年8月12日で(右写真:UPI=共同)、米国から帰国して"時の人"となった中2ヵ月で航海記を書き上げ、その年の12月に「ポケット文春」の1冊として刊行されていますが、比較的短期間で書き上げることが出来たのは、航海の間につけていた航海日誌があったからでしょう。

 「ポケット文春」の後も何度か加筆して同タイトルで刊行されていて、今回の復刻版はその加筆版をベースにしていると思われますが、加筆されている部分の文章も簡潔で生き生きとした筆致であり、ある種ドキュメント文学のような感じで、ベースが航海日記なので、虚構が入り込む余地は少ないと思われます。

 「こうこう報道されたが、実はこうだだった」的な記述が、後から書き加えられたものであることを窺わせるのと、自らの生い立ちからヨットをやるようになったきっかけ、出航までの道のり、どのようなものを携帯したかなどが詳しく書かれているのが、「ポケット文春」との違いでしょうか(今「ポケット文春」が手元に無いので断言できないが)。

 ヨットマンの多くが憧憬を抱きながらも実現は不可能と思われてきたことに対し、緻密な計画と5年がかりの準備をもって臨む―完璧を期すれば可能性は無くもないかのようにも思えますが、そもそもヨットでの海外渡航は当時認められておらず、犯罪者として強制送還になる覚悟で決行したわけです(実際、偉業達成時の日本での扱いは「密出国の大阪青年」。それが、サンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」として名誉市民として受け入れるや、日本でも一転して"快挙"として報道された)。

 「緻密な計画」を立てたにしても、小さなヨットにとって太平洋はまさに不確実性の世界であり、渡航日数は2ヵ月から4ヵ月という大きな幅の中で見込まざるを得ず、こうなると、水や食料をどの程度もっていけばいいのかということが大きな問題になるわけですが、そうした蓋然性の中でも、冷静かつ大胆に思考を巡らせていることがよく分かりました(この他にも、ヨットを造る資金をどうするか、反対する周囲をどう抑えるかなど様々な問題があり、同様に、1つ1つ戦略的に問題解決していくことで、壁を乗り越えていく様が窺えた)。

 結局、航海は94日に及んだわけですが、日本では、90日を過ぎたところで送り出した側から捜索願が出ていたことを、後に知ったとのこと、捜索機(日本に限らず米国のものも含まれる)に見つかれば、そこで夢が断たれてしまう可能性があるというジレンマもあったわけです。

太平洋ひとりぼっち ポスター.jpg太平洋ひとりぼっち1.jpg  "原作"刊行の翌年には、石原裕次郎(1934-1987)主演で映画化され、これは石原プロの設立第1作作品でもありますが、 同じヨットマンの石原裕次郎がこの作品に執着したのは理解できる気がします(自分のヨットを手に入れるまでの苦労は、慶応出のお坊ちゃんと、高卒の一青年の間には雲泥の差があるが...)。

 個人的には大変懐かしい作品ではありますが、今観ると、海に出てからは1人芝居だし、独り言もナレーションも関西弁、裕次郎にとっては意外と難しい演技になってしまったのではないかと(彼は黙っている方がいい。なぜか、ヨットから海に立ち小便する場面が印象に残っていた)。

和田夏十.jpg 嵐の場面は市川崑(1915-2008)監督の演出と円谷プロの特撮で迫力あるものでしたが、全体としては必ずしも良い出来であるとは言い難く、市川昆監督自身が後に失敗作であることを認めています(「(和田夏十(本名:市川由美子、1920-1983)の)あんなにいいシナリオがあの程度にしかできなかったという意味で失敗。裕ちゃんはよくやってくれたけれど、ヨットが思うように動いてくれなかった。わからないようにモーターをつければ良かった。そうすればもっと自由に撮れた」と言っている)。それでも、快挙を成し遂げサンフランシスコ港で温かく現地の米国人に迎えられる場面は感動させられます。

 但し"原作"では、この最後の部分も、ゴールデン・ゲートブリッジが見えて感動する本人と、たまたまシスコの湾内で出会ったクルージング中のオッサンとのチグハグなやりとりなどがユーモラスに描かれていて、感動物語に仕立て上げようとはしておらず、却ってリアリティを感じました(この人の文章には、第三者的な冷静な視点が常にどこかにある)。

 作品ではなく「堀江謙一」という人物に対する賞として1963年・第10回「菊池寛賞」が贈られていますが、作品の方は、最初は"手記"的な扱いだったのではないかと思われます。オリジナルを特定しにくいということもありますが、実質「菊池寛賞」受賞"作"とみていいのでは。

Taiheiyô hitoribotchi (1963) .jpg太平洋ひとりぼっち2.bmp「太平洋ひとりぼっち」●制作年:1963年●監督:市川昆●脚本:和田夏十●撮影:山崎善弘●音楽:芥川也寸志/武満徹●特殊技術:川上景司(円谷特技プロ)●原作:堀江謙一「太平洋ひとりぼっち」●時間:96分●出演:石原裕次郎/森雅之/田中絹代/浅丘ルリ子/大坂志郎/ハナ肇/芦屋雁之助/神山勝●公開:1963/10●配給:石原プロ=日活 (評価:★★★)
Taiheiyô hitoribotchi (1963)

 【1962年新書化[文春ポケット] /1973年文庫化[角川文庫]/1977年文庫化[ちくま少年文庫]/1994年文庫化[福武文庫]/2004年復刻版[舵社]】

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"ブザー"にしないで「ノックの音が」としたことで、古びずに済んでいる。

『ノックの音が』毎日新聞社(65).jpgノックの音が昭和40年初版 星新一毎日新聞社.jpgノックの音が 講談社文庫.jpg ノックの音が 新潮文庫.jpg 星新一.jpg 星 新一
ノックの音が (1965年)』['65年/毎日新聞社(装幀・挿絵:村上 豊)]/『ノックの音が (講談社文庫)』['72年(カバー:村上 豊)]/『ノックの音が (新潮文庫)』['85年/新潮文庫(カバー:真鍋 博)]

 星新一(1926‐1997)の「ノックの音が」で始まる15のショートショート集で、'65(昭和40)年に毎日新聞社から単行本が刊行され、'71年に講談社・ロマン・ブックス、'72年の講談社文庫版、'85年には新潮文庫版が刊行されています。

ようこそ地球さん.jpgおせっかいな神々.jpgエヌ氏の遊園地.jpgボッコちゃん.jpg 以前読んだ星新一作品としては、『ようこそ地球さん』('61年・新潮社/'72年・新潮文庫)、『おせっかいな神々』('65年・新潮社/'79年・新潮文庫)、『エヌ氏の遊園地』('66年・三一新書/'71年・講談社文庫/'85年・新潮文庫)、『ボッコちゃん』('71年・新潮文庫)などがあようこそ地球さん 新潮文庫.jpgおせっかいな神々 新潮文庫.jpgエヌ氏の遊園地 新潮文庫.jpgボッコちゃんdc.jpgりますが、新潮文庫だけでなく講談社文庫や角川文庫(『きまぐれロボット』など)にも初期作品集が収められていました。
上段:『ようこそ地球さん―ショート・ショート28選 (1961年)』『おせっかいな神々 (1965年)』『エヌ氏の遊園地』['71年/講談社文庫]/『ボッコちゃん』['71年/新潮文庫(旧カバー版)](イラスト:真鍋 博ほか) 下段:『ようこそ地球さん (新潮文庫)』『おせっかいな神々 (新潮文庫)』『エヌ氏の遊園地 (新潮文庫)』『ボッコちゃん (新潮文庫)』(何れも新カバー版(イラスト:真鍋 博))

きまぐれロボット250.jpg 風俗描写を"禁忌的"と言っていいまでに排し、「時代に影響されない」寓話的な世界を展開した作風が知られていますが、このショートショート集などはまさに今読んでも"現代"の物語として通用するものであり、そのことを実証しているように思います。

きまぐれロボット (角川文庫 緑 303-3)』(旧カバー版(イラスト:和田 誠))

 更に、登場人物がやはり作者ならではの乾いた感じのキャラクターばかりで、自らが課した「ノックの音が」で始まるというルールに沿って、いきなり部屋に美女が現われたりするなど、大人のイマジネーションを掻き立てるようなシチュエーションもありながら、いやらしさやウエット感が全然ないのも、星新一作品の特徴をよく示しています。

星 新一02.jpg 「時代に影響されない」ということについては、新潮文庫の後書き('85年新潮文庫版)で作者自身が、「現在ならブザーの方が適切な場合もあるのではないだろうか」としつつも(ノックだとあまりにクラシックな感じがするということか?)、「ノックだと、良くも悪しくも、人間的な何かがある」「ブザーだと、電線的なるものが中間にあって、人間性が薄れてしまう」と書いていますが、'85年当時は玄関などで呼び出すとすればブザーが主流だったのでしょうか。今ならばむしろブザーではなく「チャイムの音が」ということになるのでしょう。

ノックの音が 講談社ロマンブックス.jpg ブザーにしないで「ノックの音が」とすることで、却って「作品は風俗の部分から、まず古びていくのである」との轍を踏まずに済んでいるように思いました。

講談社ロマンブックス『ノックの音が』['71年2月/装幀:和田 誠

 【1965年単行本(新書版)[毎日新聞社]/1971年ノベルズ版[講談社ロマンブックス]/1972年文庫化[講談社文庫]/1985年文庫化[新潮文庫]】

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ネットセキュリティの問題と政界サスペンスのバランスがとれ、ストーリー展開のテンポもいい。

オーディンの鴉.jpg  『オーディンの鴉』 ['10年]

 閣僚入りが間近とされた国会議員・矢島誠一が、東京地検による家宅捜索が予定されていた朝、不可解な遺書を残して謎の自殺を遂げ、議員の疑惑捜査にあたっていた特捜部検事の湯浅と安見は、自殺の数日前から矢島の個人情報が大量にネットに流れ、彼を誹謗する写真や動画が氾濫していた事実に辿り着く―。

 読み始めは政界疑惑小説っぽいですが、これも、金融機関でシステム開発のSEをしていたという著者が得意とする、ネットワークセキュリティがテーマのサスペンス小説でした。
 但し、そっち(IT)の方にぐっと話が傾くのかと思いましたが、その方面に関してはあまりマニアックになり過ぎず、政界サスペンスとの間でバランスを保ちつつ、相乗的な効果を出しているように思えました。

 主人公の湯浅をそれほどITに強くない検事に設定して、ITに強い部下の安見にインターネットの用語やYouTube、ニコニコ動画などのネットサービスにつて説明させ、それが、ネット関連の知識をあまり持たない読者に対する解説にもなっているというのは、なかなか旨い手だなあと。

 その部分がIT・ネットに通暁した人にはややかったるいかも知れませんが、全体的にはストーリー展開のテンポは良く、黒幕と目された人物の意外な展開などもあったりし、見えない敵に脅迫され高度情報社会の中で追い詰められていく主人公とともに、巨大監視システムを持つ謎の組織や「監視カメラ社会」の恐怖が伝わってきました。

 追い詰められた主人公が逆転攻勢で出る展開も(急にこの人、ITに強くなったなあという面はあるが)なかなかの筆力、ただ、謎の組織の正体は何だったのかやや欲求不満も残り、また、ラストは、サスペンスの1つの定番でもありますが、それでも、そのラストの手法にもインターネットを絡めている(つまり敵と同じメディアを使っている)点などは、旨いのではないでしょうか。

 本書を読んだのと同じ頃に見た、大手ゼネコンの談合を扱ったNHKのドラマ「鉄の骨」(原作は 池井戸潤氏の第31回「吉川英治文学新人賞」受賞作 『鉄の骨』 ('09年/講談社))でも、ラストは"録音"で、それを主人公が地検特捜部に提出してコトが急転回しましたが、こっち(「オーディン」)の方はリアルタイムでネットに流れるわけで、即時に世の中の大勢の人が現場の状況を知るという点では、やはり斬新と言えるかも。

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「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ

作者の知識・経験が活かされている。山本周五郎の名を冠した賞に相応しい作品。

閉鎖病棟.jpg閉鎖病棟―Closed Ward』 ['94年] 閉鎖病棟 文庫.jpg閉鎖病棟 (新潮文庫)』 ['97年]

 1995(平成7)年度・第8回「山本周五郎賞」受賞作。

 過去に精神障害のために起こした事件により、ある地方の精神科病棟に入院している患者達の、世間や家族から隔離され重苦しい過去を背負いながらも明るく生きようとする様と、そうした彼らの入院生活の中で、登校拒否症のため通院していた病院のマドンナ的存在の女子高生が、入院患者の1人に暴行されたことを契機に起きた殺人事件及びその後の展開を描く―。

 病院内で行われる患者同士の演劇イベントをピークとした前半部分では、その稽古の過程などを通して、様々な患者たちのキャラクターと来歴が描かれていて、4人の家族を殺害して死刑判決を受け、刑が執行されたが死なずに生き返った「秀丸さん」とか、精神分裂症で父親の首を絞めて殺しそうになった「チュウさん」など、過去に起こした事件の内容には凄まじいものが多いです。

 しかし、現在の彼らは「閉鎖病棟」という特異な環境の中でも互いに相手を思いやり、精神薄弱で言葉が喋れない「昭八ちゃん」を助けたり演劇を何とか成功させようと努力するなど、人間らしく精一杯生きていることがわかります。

 作中の病院では精神分裂病患者が最も多いようですが、作者が精神科医であるだけに、過去に起こした事件の経緯を通して、精神分裂病の特質というものがよく描かれている一方で(この病気を文学的文脈の中で正しく描いているのは稀少)、親族などの関係者には、そうした病気への偏見や差別が根強くあることをも物語っています。

 前半部分がまどろっこしいと感じる読者もいるかも知れませんが、何よりも患者達の目線で、過度の同情や憐憫を排して淡々と描かれているのが、逆に作者の彼らへの暖かい目線を感じさせるものとなっていて良く、こうした表現手法に、純文学から出発した作家の特質が表れているように思えました。

 殺人事件そのものも含めミステリの要素は殆ど無く、どうしてこれが山本賞なのかなと思って読み進んでいくと、最後の秀丸さんの事件の証言に立つチュウさんの言葉や、チュウさんと秀丸さんが交わす手紙の遣り取りには大いに感動させられ、精神科医として複雑な現実を知りながらも、作品としてはきっちりエンタテイメントに仕上げているなあと―読み終えてみれば、歴代の山本賞受賞作品の中でも、山本周五郎の名を冠した賞に最も相応しい部類の作品になっているのではないかとの印象を抱きました。 

 但し、この終盤部分は、前半の抑えたトーンとは逆に、患者達に対し余りにストレートに優しくなってしまっている印象もあり、前半とのバランス上どうなんだろうかという気も若干はしました。

 【1997年文庫化[新潮文庫]】

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「●「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作」の インデックッスへ

同著者のベストセラーのバックグラウンドを知るうえで読むという読み方があってもいいかも。

藤原 正彦 『若き数学者のアメリカ』.jpg     若き数学者のアメリカ 文庫.jpg  若き数学者のアメリカ 文庫2.jpg 
若き数学者のアメリカ』〔'77年〕/『若き数学者のアメリカ (新潮文庫)』〔'92年〕/〔'07年/新潮文庫改装版〕

 '78(昭和53)年度・第26回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。

 『国家の品格』('05年/新潮選書)が大ベストセラーになり、「品格」が'06年の「新語・流行語大賞」にもなった数学者・藤原正彦氏の、若き日のアメリカ紀行。

 '72年、20代終わりにミシガン大学研究員として渡米、'73年に:コロラド大学助教授となり、'75年に帰国するまでのことが書かれていますが、そのころに単身渡米し、歴史も文化も言語も異なる環境で学究の道を歩むのはさぞ大変だったのだろうなあと思わせます。

 時差に慣れるためにわざわざハワイに寄ったり、またそこで、真珠湾遊覧船にたまたま乗って、周りに日本人が1人もいない中で日本人としての気概を保とうと躍起になったり(ここで戦艦ミズーリに向かって"想定外の"敬礼したという人は多いと思う)、本土に行ってからはベトナム戦争後の爛熟感と疲弊感の入り混じったムードの中で孤独に苛まれうつ状態となり、フロリダで気分転換、コロラド大学に教授として移ってからは、生意気な学生たちとの攻防と...。

 武士の家系に育ち、故・新田次郎の次男という家柄、しかも数学者という特殊な職業ですが、アメリカという大国の中で何とか日本人としての威信を保とうとする孤軍奮闘ぶりのユーモラスな描写には共感を覚え、一方、日本人の特質を再分析し、最後はアメリカ人の中にも同質の感受性を認めるという冷静さはやはり著者ならではのものだと―(『アメリカ感情旅行』の安岡章太郎も、最後はアメリカ人も日本人も人間としては同じであるという心境に達していたが)。

 『国家の品格』の方は、「論理よりも情緒を」という主張など頷かされる部分も多く、それはそれで自分でも意外だったのですが、「品格」という言葉を用いることで、逆に異価値許容性が失われているような気がしたのと、全体としては真面目になり過ぎてしまって、『若き数学者の...』にある自らの奮闘ぶりを対象化しているようなユーモアが感じられず、また断定表現による論理の飛躍も多くて、読後にわかったような、わからないようなという印象が残ってしまいました。

 『国家の品格』というベストセラーのバックグラウンドを知るうえで読むという読み方があってもいいかも。

 【1981年文庫化[新潮文庫]】

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不思議な味わいがある神秘と日常の取り合わせ。乾いた可笑しさ。

赤い橋の下のぬるい水.jpg  辺見 庸 『赤い橋の下のぬるい水』.jpg        自動起床装置.jpg      赤い橋の下のぬるい水mvie.jpg
赤い橋の下のぬるい水 (文春文庫)』/単行本 ['92年]/『自動起床装置 (新風舎文庫)』 〔'05年〕/映画「赤い橋の下のぬるい水」('01年・日活)役所広司/清水美砂

 保険外交員の「ぼく」は、長く美しい首の女がスーパーの輸入チーズ売り場で万引きをしたのをたまたま目撃し、その女の跡を追ったことから、河口の赤い太鼓橋のたもとに住むその女・サエコと付き合うようになるが、実は彼女は驚くべき身体の秘密を持て余していた―。

 女の持つ性的な"水"の秘密というモチーフは神秘的ですが、その性的な"水"と女の住む家の近く橋の下を流れる汽水のイメージが重なり合いなどは、神秘的というより叙情的な印象を受け、また、主人公の男女の関係は一点の神秘を前提にしながらも、それ以外の部分はわりと現実的に描かれていている気がしました。

 フォルマジオ・アル・ペペロンチーノという名のチーズやエジプト・ルーセット・バットという蝙蝠の番いなどをめぐる描写にもみずみずしい叙情が感じられますが(食べ物の描写が特に凝ってる)、一方で、女がそこで生活していることを表すものとしても効いてる感じ。

 ましてや「ぼく」の方は、保険会社の契約促進月間"連月戦"の只中にいるサラリーマンで、サエコの秘密をマスコミに話したらどうなるだろうかということを考えたりもするごく普通の生活者であり、こうした男女の日常と一点の神秘の取り合わせに不思議な味わいがあってなかなかいいと思いました。

 「ぼく」が"水"を通してサエコを所有しようとするうちに、"水"そのものが目的化してサエコと交わることの証のようなものになっていく様が面白く、決して明るい話ではないのですが陰湿でもなく、ペーソスを含んだ乾い可笑しさをもって描かれている気がしました。

 作者のデビュー作である『自動起床装置』('91年/文藝春秋、'94年/文春文庫、'05年/新風舎文庫)は、1991(平成3)年上半期・第105回芥川賞作品であり、通信社の仮眠室で「越こし屋」の仕事をする主人公の眼を通して人生の滑稽さや哀しみを描いた佳作でしたが、同時に文明批評的でもあり、ジャーナリストでもある作者のルポルタージュ的な切り口というものも内包されていたように思います(評価★★★☆)。

 人間の根源的な本能(『自動起床装置』の場合「眠り」)を通して文明批評を行うという点では、著者はこの後『もの食う人びと』('94年/共同通信社、'97年/角川文庫)に見られるように、「食」に飽くなきこだわりをみせますが、この作品は完全なルポルタージュです。

 それらに比べるとこの作品は、作者の文芸作家としての持ち味がストレートに発揮されていて、近年はジャーナリストとしての活動がもっぱらである作者ですが、その根源的な文学的資質の非凡さを示していると思いました。

赤い橋の下のぬるい水02.jpg赤い橋の下のぬるい水1.jpg 『赤い橋の下のぬるい水』は今村昌平(1926‐2006)監督によって映画化され('01年・日活)、カンヌ映画祭にも出品されていますが、今村監督の実質的な遺作となりました。

「赤い橋の下のぬるい水」(2001年)監督:今村昌平、出演:役所広司/清水美砂(カンヌ国際映画祭ノミネート作品)

赤い橋の下のぬるい水 [DVD]

 【1996年文庫化[文春文庫]】

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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (~80年代)」の インデックッスへ(「炎熱商人」)

枠組みは重厚な企業小説だが、中身は随所に軽妙なタッチも。

深田 祐介 『炎熱商人』.jpg 炎熱商人 上.jpg 炎熱商人 下.jpg  炎熱商人図1.jpg炎熱商人図2.jpg
炎熱商人(上) (文春文庫)炎熱商人(下) (文春文庫)』〔'84年〕 NHKドラマ「炎熱商人」['84年]
炎熱商人(1982年)

 1982(昭和57)年上半期・第87回「直木賞」受賞作。

 フィリピンで木材の取引きに関わる商社マンたちの活躍を描いた長編小説で、中堅商社・鴻田貿易のマニラ事務所長・小寺和男(後に支店長)、荒川ベニヤという合板メーカーから鴻田貿易に出向し木材の現地検品などを担当する石山高広、鴻田貿易マニラ事務所の現地雇用社員で日比混血児であるフランク・佐藤・ベンジャミン(佐藤浩)といった人物を軸に、彼らが建築業者や現地の材輸出業者と織り成す壮絶な商戦の模様を、佐藤の幼少期にあたる戦時中のマニラの軍事的事情などを交錯させつつ展開していきます。

 枠組みは重厚な企業小説で、実際に現地で起きた邦人の受難事件(1971年11月21日、フィリピンのマカティ市で住友商事マニラ支店長が射殺され、店員一人も重傷となった事件)に着想を得ての結末は、まさに非業の死というべきものですが、物語の中身は、佐藤と現地業者のやりとりなど随所に軽妙なタッチも見られ、そう言えば作者は「スチュワーデス物語」の原作者でもあったなあと。

 個人的には、荒川ベニヤのある東京・荒川区の町屋という場所に馴染みがあり親しみを覚えましたが、石山の母・咲子と石山の漫才のような会話などはややサービス精神過剰な感じもしました。
 この作品で作者は6回目のノミネートで直木賞を受賞しましたが、選考委員の1人だった池波正太郎などは、「東京の下町と江戸ッ子を売り物にする、歯が浮くような老女があらわれ、事々にブチこわしてしまうのは残念だった」と言っています。

 登場人物が多すぎて出だしなかなか流れに乗れない面もありますが、後半の盛り上がりはエンタテインメントとしての魅力を充分発揮しており、トータルで見れば(パワーでねじ伏せている部分もあるものの)よく出来ている作品だと思いました。企業小説にとって「直木賞」というのはなかなかハードルが高いのでしょうか。

炎熱商人図1.jpg炎熱商人図2.jpg炎熱商人図3.jpg '84年にはNHKで、大野靖子の脚本でテレビドラマ化されていて(出演:緒形拳=小寺、松平健=石山、中条きよし=佐藤)、なかなか上手く作られているように思いました(かなり感情移入できた)。

 石山役の松平健は熱血商社マンを好演していましたが、その時は、ワイシャツやスーツが似合うのが意外な感じがしました(後にスーツのコマーシャルに出演するようになるよりも随分と前の話)。

炎熱承認 試写室.jpg「炎熱商人」●制作年:1984年●演出:樋口昌弘/平山武之●制作:土居原作郎●脚本「炎熱商人」2.jpg炎熱商人ドラマ.gif:大野靖子●音楽:池辺晋一郎●出演:緒形拳/松平健/中条きよし/トニー・マベッサ/シェリー・ヒル/チャット・シラヤン/ローズマリー・ヒル/ヴィック・ディアス/アナクレタ・エンカルナシオン/クリスティ・ギドエ/ルネ・ルクェスタス/テリー・ババサ/ルスティカ・カルピオ/市原悦子/高峰三枝子/勝野洋/梶芽衣子/古城都/にしきのあきら/藤岡琢也/佐藤慶●放映:1984/05(全2回)●放送局:NHK
 
 【1984年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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「離婚」と対峙する親子を通して、当時としては新しいタイプの家族の形を模索。

干刈 あがた 『ウホッホ探険隊』.jpg 『ウホッホ探険隊』〔'84年〕 ウホッホ探険隊.jpg 『ウホッホ探険隊 (朝日文庫)』〔'00年〕 (表紙イラスト:大橋 歩)

干狩あがた.jpg この作品は、'82年に第1回「海燕」新人文学賞を受賞した作者が、同年、小学生の男の子2人を抱えての離婚を経験し、(多分その経験をもとに)翌年に発表したもので、芥川賞の候補作となりました。
 離婚に踏み切ろうとしている主人公の女性と、そのことを自分たちなりに受け止めようとしている小学生の長男・次男とのやりとりを通して、当時としては新しいタイプと言える家族の形を模索したものと言えます。
干刈 あがた (1943‐1992/享年49)

 統計によると、本書が発表された頃に離婚率の1つのピークがあり、その後いったん減少傾向に転じたものの、'90年代に入って再び増加し、近年はかつてない急激な上昇ぶりを示しています。
 つまり、離婚が社会現象化してきた頃の作品であるとは言え、今ほど当たり前のように夫婦が離婚するような時代でもなく、その分、当時の離婚に対する社会的許容度は今よりずっと低かったとみてよいのではないでしょうか。
 それはある意味、物語の中で息子が言う「僕たちは探検隊みたいだね、離婚ていう、日本ではまだ未知の領域を探検するために、それぞれの役をしているの」という、本書のタイトルにも繋がる言葉に表れており、また、親子の軽妙な会話の中にも、お互いに暗くなるまいとするいじらしい努力のようなものが感じられます。

博士の愛した数式.jpg猛スピードで母は 単行本.jpg 離婚家庭、シングルマザーをモチーフとしたものはその後も多くの作家が書いています。思いつくところでは、芥川賞を受賞した長嶋有の『猛スピードで母は』('02年)のように強烈なキャラクターの母親を子どもの眼から捉えたものであったり、同じく芥川賞作家の小川洋子の『博士の愛した数式』('03年)のように"博士"のような第三者を介入させたり"数式"が出てきたりとかなりひねったものになっていて、こうした子持ち離婚に踏み切ろうとしている時期の迷いや悩みというのは、それだけをストレートに扱うには古すぎるテーマになってしまったのかも。

 文体はドラマの脚本みたいで、実際、森田芳光脚本、根岸吉太郎監督で映画化され('86年/東宝)、ブルーリボン賞の作品賞・主演男優賞(田中邦衛)を受賞しています。

 〈家族社会学〉的要素もある一方で文学としては物足りなさもある作品ですが、'92年に壮絶なガン死を遂げた(享年49)作者の優しいが芯のある人柄が伝わってくる作品です。

 【1985年文庫化[福武文庫]/1998年全集〔河出書房新社(『干刈あがたの世界〈2〉』)〕/2000年再文庫化[朝日文庫]/2017年[小学館・P+D BOOKS]】

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