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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ

面白い。素材自体がかなり興味深い。ノンフィクション・ノベルも「ノベル」の内。

復讐するは我にあり 上.jpg  復讐するは我にあり 上 (講談社文庫.jpg 復讐するは我にあり下 (講談社文庫).jpg  復讐するは我にあり 文春文庫5.jpg 文春文庫
復讐するは我にあり 上 (講談社文庫 さ 7-1)』『復讐するは我にあり〈下〉 (1978年) (講談社文庫)』/『復讐するは我にあり (文春文庫)』['09年(改訂新版文庫化)]
復讐するは我にあり (上・下) (1975年)

復讐するは我にあり下.jpg 1975(昭和50)年下半期・第74回「直木賞」受賞作。

 昭和38年、当時の日本の人々はたった一人の男に恐怖していた。榎津巌(えのきづ いわお)。キリスト教カトリック信者で「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、大学教授・弁護士などに化けて78日間もの間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。稀代の犯罪者の犯行の軌跡を再現する―。

佐木隆三LG.jpg 昨年['15年]10月に78歳で亡くなった佐木隆三(1937-2015)の代表作ですが、作者がこの作品を書いた時には、本書の素材となった「西口彰事件」から既に12年が経っており、よく調べ上げたものだなあと思いました。でも、こんなスゴイ犯罪者が実際にいたとは驚きです。小説での犯人・榎津は、天才的な詐欺の能力を発揮する神出鬼没の詐欺師であり、それでも詐欺よりも殺人の方が効率が良いと考え、またそれを実行する凶悪犯でもあります。

西口彰.jpg 犯人が熊本では弁護士を装って教戒師の家に押し入ったものの、当時10歳(小学5年生)の娘が見抜き、通報することにより逮捕につながったというのは「西口事件」における事実であり、警察の要職を歴任した高松敬治は「全国の警察は、西口逮捕のために懸命な捜査を続けたが、結果的には全国12万人余の警察官の目は幼い一人の少女の目に及ばなかった」と語ったと言います(犯人が自分で自らの逮捕の経緯を「裸の王様」みたいな話だと言ったのも本当らしい)。

西口 彰(1925-1970)

 こうした犯人の詐欺等の犯行で見せる天才性と逮捕のきっかけが小学生に正体を見抜かれたというそのギャップも興味深いし、捕まって死刑が確定してから、死刑囚仲間をカトリック教徒にしようと、本物の神父が教誨師として刑務所に行けない時は代わりを務め、自分の死刑執行の方が早かったために洗礼に立ち会えないことを残念に思いながら刑場の露と消えたというのも興味深いです。元々、敬虔なクリスチャンの父親の下、幼い頃から教会に関わっていたにしても、だったら何故、そのような連続殺人を犯したのか。死刑が確定してから、拘置所内では点字訳の奉仕作業でハイデッガーの『存在と時間』を訳していたそうで、ものすごく正確な点訳だったようです。

復讐するは我にありo.jpg復讐するは我にあり huroku.JPG 作者はトルーマン・カポーティの『冷血』(1965年)を意識して執筆したそうですが、『冷血』が2人の死刑囚への直接取材を通して彼らの内面に入り込むのに対し、作者はこの犯人に対しては「調べれば調べるほど内面が覗けなくなった」と秋山駿(1930-2013)との対談で述べており(単行本付録)、その分だけ、『冷血』と同じノンフィクション・ノベルであっても(改訂新版['07年/弦書房]の帯には"ノンフィクション・ノベルの金字塔"とある)、対象(犯人)と距離を置いている分、純粋ノンフィクションの色が濃くなっている印象は確かにあります。
復讐するは我にあり〈改訂新版〉』['07年/弦書房]

 読んでいていてともかく面白い。この面白さだったら直木賞の選考でも満票に近かったのではないかと思ったりもしますが、このノンフィクションの色が濃いという辺りが、9名の選考委員の内、過半数の5名(水上勉、源氏鶏太、石坂洋次郎、村上元三、川口松太郎)が◎と圧倒的に支持されながらも、柴田錬三郎が「ノンフィクション・ノベルという奇妙なジャンルがあるらしいが、私には、そんなジャンルを認めることのばかばかしさが先立つ」「丹念に、犯行のありさまと逃亡経過を辿ったところで、それは小説のリアリティとはならない」とするなどし、一部選考委員の票が割れる要因となったかも。同じく選考委員だった司馬遼太郎、松本清張の両大御所も積極的には推しておらず△でした(改訂新版の2年後に出た文庫版['09年/文春文庫]の帯では"ノンフィクション・ノベルの金字塔"ではなく"実録犯罪小説の金字塔"となっている)。

 個人的にも、読んでいてどこまで事実なのか気になった部分もあったし(その場にいないと分からないようなことも書かれている)、秋山駿も作者に、作中に出てくるバーのマダムが刑事に向かって自分が何を喋るにもすぐ"自白する"という言葉を使う場面について、創作なんだなあと(真偽を問われた作者の方は「黙秘します」と言って笑っている)。ルポルタージュという前提で書かれてはいないのですから、全てが事実ではないかもしれない。こうした場合、全てが事実であるように見せるのが上手さであって、やはりそこで作家としての力量が問われるという点で、普通の小説と変わらないのではないかと思いました。人によってこの作品を「新聞記事の世界」という人もいますが、自分としてはそうした見方には与しません。ノンフィクション・ノベルも「ノベル(小説)」の内でしょう。今村昌平監督による映画化作品もいいです(当然のことながら、映画の方がよりドラマタイズされている)。

復讐するは我にあり13.jpg復讐するは我にあり  04 .jpg復讐するは我にあり  C7.jpg「復讐するは我にあり」 (1979/04 松竹) ★★★★☆


【1978年文庫化[講談社文庫(上・下)]/2007年改訂新版[弦書房]/2009年改訂新版文庫化[文春文庫]】

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70年代っぽい「文学」のテイスト。個人的には好みだが、一般には第2部で評価が割れそう?

そこのみにて光輝く 河出文庫.jpg  そこのみにて光輝く 映画サイト.jpg そこのみにて光輝く 1シーン.jpg  佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家.jpg  
そこのみにて光輝く (河出文庫)』['11年]/映画「そこのみにて光輝く公式サイト・1シーン(綾野剛、池脇千鶴)/『佐藤泰志: 生の輝きを求めつづけた作家』['14年]

 函館に住む主人公・達夫は、三十歳を目前にして、造船所の労働争議に嫌気がさして会社を退職し、退職金を手に無為の日々を送っている。そんなある日パチンコ屋で百円ライターを貸したのをきっかけに拓次という若いテキ屋の男と知り合いになり、誘われるままにこの街の近代化から取り残された彼の自宅であるバラック小屋に連れて行かれる。そこには、拓次の姉で、出戻りで一家四人を養うため売春も厭わないキャバレー勤めの女・千夏がいた。達夫の運命は千夏との出会いから話は動き始めていく―。

 20年以上前に自死した函館出身の作家・佐藤泰志(1949-1990/享年41)が遺した長篇小説で、ついこの間、山口瞳原作の映画「居酒屋兆治」('83年)を高倉健の逝去を契機に久しぶりに観ましたが(舞台を原作の東京郊外から映画では函館に置き換えている)、こちらも同じく函館を舞台としており、この作品の中で函館は「観光と造船とJRしかない街」として描かれています。

 佐藤泰志は村上春樹などと同世代になりますが、この小説ではそうでもないものの他の作品を読むと映画の引用が目につき、かなりの映画狂であったことが窺えます。この作品自体も、男2人、或いは3人の男女の出会いはアメリカン・ニューシネマっぽいところがありますが、一方で、読み進むにつれて、70年代のちょっと暗めのATGやにっかつ映画っぽい印象もあり、更にそれよりも、中上健次の小説、例えば「岬」などに近い土着的な雰囲気を醸しています(この作品の千夏・拓次姉弟が住む土地は、作者が子ども時代に見聞きした被差別部落がモチーフになっているようだ。中上健次はその被差別部落の出身)。

 一見淡々とした描写を積み重ねながら、そうした土地に囚われ家族の業の中で生きる登場人物の閉塞感を描いて秀逸であり、久しぶりに「文学」のテイストを味わったという感想です。70年代頃に「文學界」新人賞を受賞した畑山博(1935-2001)の「いつか汽笛を鳴らして」などを想起したりもしましたが、畑山博の「いつか汽笛を鳴らして」、中上健次の「岬」が何れも芥川賞を受賞したのに対し(各'72年と'76年)、この「そこのみにて光輝く」は'89年に第2回三島由紀夫賞候補になりながら受賞を逃しています。

 作品は第1部と第2部からなり、第1部「そこのみにて光輝く」は'85年11月号の「文藝」に収載され、第2部「滴る陽のしずくにも」は'89年に単行本化される際に書き下ろしで追加されたものであり、第1部・第2部併せて三島由紀夫賞の選考対象になったと思われますが、う~ん、個人的には第1部・第2部を通してすごく好みですが、一般的には第2部があることで評価が割れそうだなあという印象を受けます(当時、中上健次も三島賞選考委員だったのだが)。

 第1部における達夫は、まさに「そこのみにて光輝く」というタイトルに相応しい、鬱屈しながらもある意味ヒロイックとも言える行動をとるのに対し、第2部における達夫は、夏目漱石の「門」の主人公・宗助みたいに最初は只々流されている印象も。「門」同様に「ロミオとジュリエット」のような激しい恋の後の事後譚のような状況設定で、既に家族への愛も絶対的なものとはなっておらず、しかも彼自身は現在の状況にがんじがらめになっていて、そこから抜け出そうとしている印象を受けました。「門」の主人公・宗助は「寺」へ行きますが、この物語の主人公・達夫は「鉱山」に行こうとします。宗教的な悟りではなく、単純に自分が憧れるものに隘路を見出そうとしているのがいい―しかし、その前に不測の事態が生じ...(これもまた運命的な出来事ととれなくもないが)。

 評価が割れそうだと思ったのは第1部と第2部のギャップで、個人的には、第2部の達夫の不倫などもリアリティがあって良かったですが、第1部で完結していた方が良かったと思う人もいるのでは。佐藤泰志は、それまでにも文學界新人賞1回、新潮新人賞1回、芥川賞5回と落選し続けており、芥川賞の選評などを見ると、「この作家にはもっといい作品があるはずだ」といったものが落選理由になっているようですが、そうなるとその賞の候補になった作品と選考委員の相性が合わなかったという運・不運も関係していたかもしれませんし(佐藤泰志自身にも文芸誌の新人賞の下読みの仕事をしていた時期があったのだが...)、70年代風のモチーフがバブル期当時には既に古いものと思われたのかも(今現在は「格差社会」とかで、皮肉なことに巡り巡って結構時代に合ったモチーフになってしまっているという印象もあるが)。

「北海道新聞・2007年10月9日」掲載記事より
「北海道新聞・2007年10月9日」掲載記事より.jpg 最後にこの作品で三島賞に落選し、翌年自死を遂げるわけですが、「無冠の帝王」と呼ばれ生前にあまり日の目を見なかったことが自死の直接の原因であるかどうかは、元来「自律神経失調症」という病気を抱えていただけに微妙なところではないでしょうか。家庭では普段は子供達の良き父親であったようです。

 没後しばらくでその作品全てが絶版になったものの、地元から再評価運動が起こってそれが全国に拡がり、'07年に「きみの鳥はうたえる」「黄金の服」「そこのみにて光輝く」などを収めた作品集が刊行されました。

 そして'10年に「海炭市叙景」が熊切和嘉監督によって映画化され、'11年にはそれ以外の作品も含め旧作が続々と文庫化され、'13年には 佐藤泰志の作家としての生き方を追ったセミドキュメンタリー映画「書くことの重さ 作家 佐藤泰志」(稲塚秀孝監督)まで作られました(「居酒屋兆治」にも出ていた加藤登紀子が、再現映像で泰志の母親役で出ている)。そして今年('14年)この「そこのみにて光輝く」が呉美保(おみぼ)監督によって映画化されました。綾野剛(達夫)、池脇千鶴(千夏)、菅田将暉(拓次)という配役が原作に比べて「線が細い」印象を受けたのですが、モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞しており(吉永小百合がプロデュース参画した「ふしぎな岬の物語」の審査員特別賞グランプリ受賞と同時受賞)、やや日本映画に"甘い"映画祭での受賞ですそこのみにて光輝く チラシ.jpgそこのみにて光輝く モントリオール.jpgが、呉美保監督がそれなりの演出力を発揮したのではないでしょうか(3大映画祭の1つ「ベルリン映画祭」に打って出るという話もある)。映画の評価はまた別の機会に。
呉 美保(お・みぼ)「そこのみにて光輝く」(2014/04 東京テアトル+函館シネマアイリス) ★★★★
そこのみにて光輝く 文庫.jpg【2011年文庫化[河出文庫]】 

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人と人の不思議な繋がりの綾が面白く、一気読み。主人公のある種ブレークスルーを感じた。
神秘 白石 一文.jpg
神秘 白石 一文2.jpg
三宮センター街.jpg
神秘』(2014/04 毎日新聞社)        神戸・三宮センター街

 2011年8月、膵臓がんの末期で余命1年と宣告された53歳の出版社役員・菊池は、21年前に出会った病を治す力を持つ山下やよいという女性のことを思い出し、彼女を求めて神戸に赴く。やよいは菊池が在籍していた月刊誌の編集部に電話をかけてきた自称超能力者で、他人の体調不良を癒せるらしい。当初は胡散臭いと菊池も疑ったが、やよいと一緒に〈どうか神様、足の痛みを取って下さい〉と念じると、その時捻挫していた足が治ってしまったという経験を21年前にしていた。菊池は、やよいを探し求める一方で、〈自分はこれまで何にすがり、何につかまり、何を目指して生きてきたのだろう?〉という問いに向き合う。そして菊池が神戸で多くの人に聞き込みをしていく中で、〈神秘〉としか言いようがないことが次々と起き、山下やよいと自分との間に、菊池自身が離婚した妻をはじめ、離婚、病気、災害といった受難を経た多くの人々の運命が奇跡的に絡み合っていたことが明らかになる―。

 毎日新聞に'12年9月から'13年12月まで連載された作品で、山本周五郎賞を受賞した『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』('09年/講談社)と同じく癌に罹った出版社勤務の男が主人公。但し、『この胸に...』の方は再発の恐れを抱えるキャンサーサバイバーでしたが、こちらは末期癌患者という設定になっています。

 『この胸に...』同様、主人公の思惟が延々と綴られ、ああ、これがこの作者の作品の一つの特徴だったなあと。癌にかかった男の闘病記というより、癌になったことを契機に、主人公が人生の目的や人間の存在を様々な観点から捉え直す思索の旅のような作りになっています。

 一方で、病を治癒する力を持った主人公の旅は、緩やかな展開ながらもミステリアスな様相を呈していきます。こちらは、『この胸に...』が必ずしもミステリとしては完結していなかったために(或いはラストでばたばたと纏めた感じだっただけに)、プロット的にさほど期待していなかったのですが、読み進むにつれて、ミステリと言うより人と人の不思議な繋がりが、最初は徐々に、終盤は畳み掛けるように一気に浮彫りにされてきます(これぞまさに〈神秘〉)。

 最初からミステリを期待して読んだ人には"落とし処"が無いような作品に感じられたかもしれませんが、個人的にはこれらの人と人の不思議な繋がりの綾が面白く、ラストまで一気に読めました(最近読んだ日本の作家のものでは一番面白かったかも)。

 病を癒す能力を持つ人の存在も(おそらくキリストなどもその一人だったのだろう)不死身の躰を持つ人の存在も(住吉駅「新快速飛び降り事件」って本当にあったんだなあ。スゴイところからネタ拾ってくるね)、共に神秘であるならば、こうした人と人との巡り合わせも、ある意味で神秘ということになるのでしょう。山本周五郎賞受賞作の小野不由美氏の『残穢(ざんえ)』('12年/新潮社)にも似たものを感じましたが、小野氏が自身を主人公に実録風に書いているのはややルール違反のような気もして、こちらの白石氏の『神秘』の方が自分には受け容れ易かったです。

奇跡的治癒とはなにか.jpg 主人公である菊池の思惟のたたき台となる、志賀直哉の『城の崎にて』、スティーブ・ジョブズの伝記、バーニー・シーゲルの『奇跡的治癒とはなにか』、ポール・オースターの『トゥルー・ストーリーズ』などは、読んだこともあるものも含め、何となくまた読みたくなりました(特に、『奇跡的治癒とはなにか』は、自分が癌で余命宣告されたら読むかも)。

バーニー・シーゲル『奇跡的治癒とはなにか―外科医が学んだ生還者たちの難病克服の秘訣

 個人的には自分の実家が神戸なのでロケーション的に親しみがありましたが、初めて神戸に行った人からみると震災の爪痕がもう残っていないように見えるのかなあ(ずっと住んでいる人から見れば、建物の外形や高さが変わってしまって、以前は見えなかった景色が見えたりする、未だに馴染めない感覚があるのだが)。
ジョイフル 三ノ輪.jpg 終わりの方に出てくる菊池が谷口公道と会う「ジョイフル三の輪商店街」も個人的に馴染みがあったりして...(件の蕎麦屋は「砂場総本家」だなあ。以前は店の前に鉄道模型が走っていたなあとか)。

ジョイフル三ノ輪商店街

 作者は余命1年と宣告された菊池をある種の精神的自由に導いたのかもしれないし、そうでないかもしれません。菊池は理知的ではあるが、一般的な宗教に救いを求めるタイプでもないようです。しかしながら、この山下やよいを探し求める旅を通して彼が遭遇した、まさにやよいに象徴される〈神秘〉、そして〈奇跡〉に近い人と人の繋がりを通して、何か自分を包み込む大きなものの存在を感じたであろうことには違いなく、また、そのことが、彼にとって、悟りとまでは言わないまでも、ある種ブレークスルーになっていくことは示唆されていたように思います。

白石一文さん『神秘』の刊行記念しサイン会.jpg白石一文氏:『神秘』の刊行記念しサイン会(2014年5月25日 神戸・三宮センター街「ジュンク堂書店」)[毎日新聞]

【2016年文庫化[講談社文庫(上・下)]】

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「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ

主人公の思惟もハードボイルドな雰囲気も楽しめた。プロットの方がむしろそれらの背景か。

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 単 上.jpg この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 単下.jpg  この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 文 上.jpg この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 文下.jpg
この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (100周年書き下ろし)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下 (100周年書き下ろし)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (講談社文庫)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下 (講談社文庫)

 2009(平成21)年・第22回「山本周五郎賞」受賞作。講談社創業100周年記念書き下ろし作品。

 数々のスクープを物してきた「週刊時代」43歳の敏腕編集長カワバタ・タケヒコは、ある日、仕事をエサに新人グラビアアイドルのフジサキ・リコを抱いた。政権党の大物政治家Nのスキャンダルを追う中、そのスキャンダルを報じる最新号の発売前日に禊のつもりで行ったその場限りの情事のはずだったが、彼女を抱いた日から、彼の人生は本来の軌道を外れて転がり出す―。

 語り手の「僕」(カワバタ・タケヒコ)の意識・思考・回想が現在進行している日本と世界の現実を背景に延々と語られますが、「格差」の問題等を語るに際して、そこに、ミルトン・フリードマン『政府からの脱出』、堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』、湯浅誠『貧困襲来』、岡田克也『政権交代この国を変える』、ポール・クルーグマン『格差は作られた』など多くの書籍からの引用があり、それだけでなく、立花隆『宇宙からの帰還』ほか理系書などからの引用を通して生命論や死生観まで語っています。

 こうした夥しい引用から、「新しい啓蒙小説と言えるのかもしれない」(ノンフィクション作家・久田恵氏)などと評され、山本周五郎賞の選評でも「これだけ深く思惟している小説は近年稀である」(作家・浅田次郎氏)との感想もあった一方で、「装飾物」が多くてまどろっこしかったなどといった意見も聞かれ、「引用過剰」の表現スタイルそのものが賛否両論を醸した作品と言えるかと思います。

 個人的には、そうした主人公の思惟の部分は興味深く読めましたが(フリードマン、ボロクソだなあ)、むしろ、ガン再発の恐れという極めて個人的な懸念事項を抱えながら、雑誌編集者としてドロドロとした(どこの会社にもありそうな社内抗争も含めた)現実社会に生きる主人公の人生に、ある種の虚無感を孕んだハードボイルドな生き方の一類型を見る思いがしました。

 一方、ストーリーの方は、こういうのってオチが無いのだろうなあと思って読んでいたら、ラストはちゃんと捻ったプロットになっていて、振り返ってみれば伏線らしきものもあったような。但し、最後、まるで後日譚のようにばたばたっとその辺りが明かされていて、この作品におけるプロットの位置づけがややはっきりしなかったかも。

 山本周五郎賞の選評で浅田次郎氏は、「むしろミステリーの枠に嵌めることによって、作品は矮小化されてしまったのではあるまいか」とも言っていて、北村薫氏も「この結末には、急ぎ過ぎたのではないかということも含めて、疑問が残った」と言っています。しかしながら、小池真理子氏、重松清氏の2名の選考委員の強い推薦があって、池井戸潤氏の『オレたち花のバブル組』(TVドラマ「半沢直樹」の原作)などを抑えて山本周五郎賞を受賞しています(小池真理子氏は「選考委員を続けていてよかったと思える作品に巡り合えた」とし、重松清氏は「胸をえぐられるような思いでページをめくった作品は候補作の中では白石さんのものだけだった」と述べている)。直木賞の選考などでもそうですが、やはり○や△が並ぶよりも◎が複数あるのが強いようです。個人的にも、『オレたち花のバブル組』よりはこちらが上かなあ。『オレたち花のバブル組』はまあ池井戸潤氏の作品の中でも"劇画"のような作品であり、この白石氏の作品とは全く異質で比較するのは難しいけれど...。

 この作品の主人公カワバタ氏の思惟の部分については、全てについて賛同出来るわけではないですが、こうした表現形式そのものが現代的とも言えるし(実際に現代社会に生きている人間はメディア等から様々な情報を得て、都度それを評価しているわけだ。逆に、普通の小説でそうしたものが出て来なさすぎるのかも)、また、主人公の生活と意見を記述するという意味では、クラシカルな私小説的手法とも言えるかもしれません。

 星5つにしなかったのは、これも山本周五郎賞選考委員の篠田節子氏が言うように、「思索内容と主人公の状況や行動の間にもう少し緊密な関連があれば、より掘り下げた形で、テーマに肉薄できたのではないか」という点でやや引っ掛かったから。でも、主人公の思惟もハードボイルドな雰囲気も楽しめました。プロットの方がむしろそれらの背景のようなものだったのではないでしょうか。

【2011年文庫化/講談社文庫(上・下)】

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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ

時を遡る構成も巧みだが、男女の様々な位相をリアルに描いていて上手い。

ホテルローヤル 桜木 紫乃 0.jpgホテルローヤル 桜木 紫乃  直木賞帯.jpgホテルローヤル』(2013/01 集英社) 桜木 紫乃.jpg 桜木 紫乃 氏

 2013(平成25)年上半期・第149回「直木賞」受賞作。

 恋人から投稿ヌード写真撮影に誘われた美幸は、廃墟となったラブホテルを訪れるが―(「シャッター」)。人格者だが不能の貧乏寺住職の妻は、檀家からお布施を得るためにある行動をとっていて―(「本日開店」)。舅との同居で、夫と肌を合わせる時間がない専業主婦。新盆の日、突如浮いたお金でホテルに行くことを思い立ち―(「バブルバス」)。妻の浮気に耐える単身赴任中の高校教師が妻に黙って突然の帰省を思い立つが、道中、親に家出されたという女子生徒が付いてきて―(「せんせぇ」)他3編収録。

 釧路湿原を見下ろす高台に建つラブホテル「ホテルローヤル」に各編の主人公たちが皆関わっています(正確に言えば「せんせぇ」だけが、物語の現時点では関わりは無く、但し、数日後には関わりを持つであろうことを示唆して終わっている)。今は廃墟となったラブホテルでの投稿写真撮影から話が始まって、これまで生業としていた看板屋をやめてこれからラブホテルを建てて一山当てようようとする中年男の話で終わるという、40年間の時を遡っていく構成が巧みです。

 発表順は冒頭の話と最後の話が最初に発表され、その後間の時期の話で繋いでいったようですが(「本日開店」は単行本刊行のための書き下ろし)、最初からそうした構想はあったのだろうと思います。但し、構成の巧みさだけでなく、一つ一つの話が、男女の様々な位相を立場の異なるそれぞれの主人公の眼からリアルに描いていて、文章も落ち着いて読み易かったです。強いて言えば、全体に醒めたトーンと言えるかと思いますが、そのことは、15歳の時に父親が釧路町にラブホテルを開業し、部屋の掃除などで家業を手伝っていたという作者の経験が、こうした性愛への冷めた視点を形成したと―これはもうこの連作の定番的な解釈になっているみたいです。

 作者自身、直木賞受賞後の亀和田武氏との対談で(「週刊文春」2014年1月新年特大号)で、「私は男の人や性愛に、夢も希望もなかったんです。(中略)実家のラブホテルの部屋を掃除して、男女の事後のにおいを嗅いでしまったんで。順序が逆で、ミステリーを結末から読む感じ、最後から想像していく癖がついた」と語っており、同じような体験をすることは出来ないけれど、作者本人の口から語られると、尚一層のこと、ナルホドなあと思わされました。

ホテルローヤル 桜木 紫乃 サイン会.jpg 本書を読む前は、直木賞を受賞した作者が地元・釧路でサイン会やトークセッションを行っているのをニュース報道などで見て、何となく違和感がありましたが、読んでみると釧路町の各場所の地名が実名で出ているようだし(「ホテルローヤル」自体も作者の父親が開業したホテルの名前をそのまま使っていて、但し、作者の実家は看板屋ではなく理容室であったとのこと)、モチーフがラブホテルであっても、地元の人は何か郷土愛的な親しみやすさを感じるのかもしれません。更には、失われた建物や空間に対するノスタルジーなどもあるのではないでしょうか(実際には、この連作が纏まった頃に作者の父が当ホテルを廃業したそうで、実際のホテルローヤルが無くなって小説の「ホテルローヤル」の方が残る形となった)。

"直木賞受賞の桜木紫乃さん、故郷・釧路でサイン会"(「朝日新聞デジタル」2013年8月17日)

 ラブホテルそのものが実在している時はいかがわしいとの眼で見られたり邪魔だと思われたりしていても(ラブホテルを町のシンボルとして誇る住民はいないと思う)、無くなってみると何となく懐かしく感じられたりすることはあるのではないかと。舞台は「釧路市」ではなく、更に過疎化が進んでいると思われる「釧路町」であり、町が賑わっていればそのホテルはまだ在ったかもしれず、「地方の過疎化」というのもこの連作の背景モチーフとしてあるように思いました。
 そうした眼で見ると、作者のサイン会などにも"町興し"的なものを感じてしまうなあ(実際にサイン会やトークセッションが行われたのは「釧路町」ではなく「釧路市」なのだが。作者は、この作品での直木賞受賞後、釧路市観光大使に任命されている)。

 また、この連作のベースには、作者の父の夢の実現からその終わりまでという流れもあるように思われます。モチーフがあまりに自身の経験に近すぎるというのもあるかもしれませんが、作者自身の境遇に近い主人公を描く際も、一定の距離を置くよう細心の注意が払われていうように思われ、それだけ、この作品に対する作者の注力の度合いを感じました。作家としての実力はこの10年余りで既に実証済みで、直木賞選考委員の間では、この作品に賞をあげなければどの作品であげるのかというのもあったのではないでしょうか。他の候補作は読んでいませんが、順当な受賞だと思います。

【2015年文庫化[集英社文庫]】 

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労働基準監督官が何となく今までより身近に感じられるようになった(甘いか?)。

『ディーセント・ワーク・ガーディアン』 沢村凛.jpgディーセント・ワーク・ガーディアン』(2012/01 双葉社)

 「人は、生きるために働いている。だから、仕事で死んではいけないんだ」労働基準監督官である三村は、〈普通に働いて、普通に暮らせる〉社会をめざして、日々奮闘している。行政官としてだけでなく、時に特別司法警察職員として、時に職務を越えた〈謎解き〉に挑みつつ―(本書口上より)。

 労働基準監督官が主人公であるという珍しい小説で、県庁所在地である地方都市の労働基準監督署に勤める主人公の三村全(たもつ)が、かつて同級生で同じ地元の警察署の刑事・清田と組んで、企業内で生じた事故や、その背後にある事件の真相を探っていく6話シリーズの連作です。

 刑事とタッグを組んでの主人公の活躍であるため、刑事ドラマっぽいノリではありますが、労働基準監督官の仕事をよく取材しているように思われ、建設現場や工場内の安全衛生管理の問題についてもよく調べられており、そのため一定のリアリティを保っているように思いました。

 零細の建設下請け会社の作業現場で起きた死亡事故の背景にあったものは―、印刷会社に勤める夫の毎日の帰宅が遅いのを心配し、監督署に長時間残業の疑いがあると訴えた妻だったが―といった具合に、いかにもそこかしこにありそうなモチーフの事件が続きます。

 やや事件の"小粒"感を抱きながらも読み進むと、第5話「フェールセーフの穴」は、無人化工場内での事故に見せかけた殺人事件であり、さらに第6話「明日への光景」は、主人公自身が大きな陰謀の渦に巻き込まれ、罷免の危機に瀕するという、(現実的かどうかはともかく)エンターテインメント性の強いプロットとなっていて、"読み物"としての面白さにも配慮されているように思いました。

 因みに、第6話の内容をもう少し詳しく述べると、時の厚生労働大臣が労働基準監督官分限審議会を開いて、主人公を罷免しようとするというもので、その背後には、かつて主人公が労働基準法違反で検挙し、今は急成長を遂げたベンチャー企業の経営者としてIT企業の寵児となっている男の画策があるというもの(この男は大臣に贈賄をしている)。主人公は上司から、「本省に、お前を守る気はなさそうだ。周知のことだが、あの大臣は、就任直後からさまざまな分野で自己流を通そうとして、本省の幹部連中とバトルになっている。立場上の問題だけでなく、長い期間を費やしてきた重要な政策や施策が危うくなっている状態で、今度のことは...彼らにとっては些末な問題なんだ。監督官の首一つで大臣に貸しを作って、ほかで譲歩を引き出せるなら、利用させて貰おうというのが、大筋の方針のようだ」と言われます。

 つまり、大臣の意向に沿って監督官のクビを切ることで、その後の大臣との交渉において貸しを作っておこうとする省庁サイドの戦略が、その背景にあるということ。でも、臨検先の女性とホテルに行ったという精巧に捏造された証拠があるにしても、「辞めろ」と言われ、何ら自らに非無くして素直に辞められるものかなあ(但し、不倫した奥さんに離婚しましょうと言われて、それに従ってしまう主人公だからアブナイ...)。

 タイトルの「ディーセント・ワーク」とは、国際労働機関(ILO)が21世紀の目標として掲げるもので、作者は作中で主人公に「まっとうな」働き方という日本語訳が一番ぴったりすると言わせています。

 辞職を迫られた主人公が、最後に、自分自身の「まっとうな」権利は、自分自身の努力で保持しなければならないという自覚に目覚めるという落とし込みは上手いと思われ、爽快感が感じられました(と言うか、ほっとした)。

 但し、主人公の家庭内のことや妻との関係もあって寂寥感も残る結末となっており、労働基準監督官というのも一家庭人なのだなあと、何となく今までより身近に感じられるようになりました(甘いか?)。

 企業小説では、池井戸潤氏の『下町ロケット』('10年/講談社)が直木賞を受賞しており、労働問題に近いモチーフの小説では、少し前のことになりますが、リストラ請負会社の社員を主人公とした垣根涼介氏の『君たちに明日はない』('05年/新潮社)が、山本周五郎賞を受賞しています(『下町ロケット』も『君たちに明日はない』もテレビドラマ化された)。但し、労働基準監督官を主人公とした小説は、おそらくこれが本邦初でしょう。

 『君たちに明日はない』も短篇の連作で、単行本でPart3まで刊行されています。この『ディーセント・ワーク・ガーディアン』も、もう少し書き溜めると、テレビドラマ化される可能性が無いことはない?

労働基準監督官 和倉真幸1.jpg労働基準監督官 和倉真幸2.jpg 労働基準監督官を主人公としたドラマは、連続ドラマとして1クール放映されたものはないみたいですが、'05年7月にフジテレビで「労働基準監督官 和倉真幸」というのが単発ドラマとして放映されています。東ちづるが女性監督官を演じたらしく、新聞のテレビ欄の見出しによれば「労災隠し」をモチーフにしたものだったようです。 (その後、日本テレビ系列で「ダンダリン 労働基準監督官」が、竹内結子主演で2013年10月から1クール(全11回)放映された。)

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"休職刑事"の私立探偵風の捜査を描くが、プロット的にも心理描写的にも物足りない。

廃墟に乞う.jpg  廃墟に乞う2.jpg 『廃墟に乞う』['09年]

 2009(平成21)年下半期・第142回「直木賞」受賞作。

 ある事件で心に傷を負い休職中の刑事・仙道は、千葉・船橋のラブホテルで40代の女性が殺害された事件について、13年前に自分が担当した娼婦殺害事件に犯行の手口が似ていることを知り、すでに刑務所を出所しているその時の犯人・古川幸男の故郷である旧炭鉱町を訪ねる―。

 表題作「廃墟に乞う」の他、「オージー好みの村」「兄の想い」「消えた娘」「博労沢の殺人」「復帰する朝」の全6編を収録。
 主人公が休職中の刑事ということで、依頼人の要請で事件の裏を探ることになる経緯などは、私立探偵に近い感じでしょうか。

 事件そのものが何れも小粒で、トリックと言えるようなものが施されているわけでもなく、プロット自体もさほど目新しさは感じられませんでした。
 仙道の事件解決(真相究明)の手口は、所謂"刑事の勘"と言うことなのでしょうが、かなり蓋然性に依拠したようなアプローチが目立ち、むしろ、事件に関係する人物の人生の陰影や心の機微を描くことをメインとした連作と言えるのではないでしょうか。

 そうした意味では、表題作よりも、「兄の想い」「消えた娘」の方がまだよく出来ているように思われましたが、6編とも、短編という枠組みの中で、過去の事件の衝撃でPTSD気味になっている仙道の心理や、その彼と北海道警の刑事らとの関係も描かなければならなかったためか、その分、事件の当事者達の心理への踏み込みがやや浅い気がしました。

 作者は、'88(昭和63)年に『ベルリン飛行指令』で直木賞候補になっていますが(20年以上も前かあ)、近年は、「警察小説」というジャンルで独自のスタイルを固めた作家。
 今回の直木賞受賞は、選考委員である五木寛之氏や宮城谷昌光氏の選評をみると、31年間の作家生活に対する"功労賞"、乃至は、『警官の血』(2007(平成19)年下半期・第138回「直木賞」候補作)との"合わせ技で一本"という印象を受けます。

【2012年文庫化[文春文庫]】

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群像新人文学賞から芥川賞に直行!確かに前衛的だが、期待したほど面白くはなかった。

アサッテの人.jpg 『アサッテの人』 (2007/07 講談社)

 2007(平成19)年・第50回「群像新人文学賞」(小説部門)並びに2007(平成19)年上半期・第137回「芥川賞」受賞作。

 勤め人である「私」は、突如失踪した叔父の荷物を引き取りに行ったアパートで、叔父の残した日記を見つける―。

 「私」はかつてこの、脈絡なく「ポンパ!」という奇声を奇声を発する叔父をモデルにした草稿を幾度も書いており、そして今、小説『アサッテの人』としてそれを完成しようとしているが、それが出来ないでいるため、叔父の残した日記と、叔父を題材に書いた草稿を繋ぎ合わせて、それを読者に示すことで、それを完成品としようとしていて、そうした意味では、これは「メーキング小説」とも言えるかも知れません。

 更に、小説を書いている今の「私」を対象化し、小説の外側に立って小説を書くという行為そのものを考察する一方、小説の中に織り込むはずだった叔父の日記を抜粋し、その「アサッテ」ぶりに対し、現在の「私」の立場から考察していて、そうした意味では「メタ小説」とも言えます。

 ビルの警備室に勤務していた叔父の日記の中には、そのビル内にある会社に勤務する、エレベーター内で人知れず奇妙な行動をとる「チューリップ男」の観察記録があり、小説を書こうとしている「私」とその「私」を見つめる私、書かれようとしている小説乃至これまでの草稿と叔父の日記、叔父の日記の中で叔父に観察されているチューリップ男―といった具合に、3重〜4重くらいの入籠構造になっているのかな。

 「私」の耳から離れない叔父の様々な奇声は、太宰治の「トカトントン」を想起させますが、時代が変わろうとしていることの象徴のようなトカトントンに対し、「私」の叔父の奇声に対する考察は、日常と非日常の相克とでも言うか、もう少し哲学的なニュアンスのものという感じ。
 但し、日常的なもの、既成のものからの脱却という意味では、「チューリップ男」の行動の方が、吃音が直ったのをきっかけに消えてしまった程度のものであった叔父の奇声を凌駕しているかも。

 小説の主体は、入籠構造の各層を行き来しますが、1つ1つが小説として(意図的に)完成されていないため、「メタ小説」としては不全感があり、「小説」と言うより、「小説を書く」ということについての哲学的考察と言った方が合っている印象を受けました(作者は大学の哲学科出身)。

 芥川賞の選評では、案の定、石原慎太郎・宮本輝両氏の評価が低かったが(村上龍氏も)、新たに選考委員になった小川洋子・川上弘美両氏が絶賛(池澤夏樹氏も)、その他の選考委員(高木のぶ子・黒井千次・山田詠美の3氏)も概ね推薦に回り、「群像新人文学賞」受賞作では、第19回(1976年)の『限りなく透明に近いブルー』以来の(村上春樹氏の『風の歌を聴け』(第22回(1979年)群像新人文学賞受賞作)も果たさなかった)芥川賞とのW受賞になりました。

 その村上龍氏は、「私は推さなかった。退屈な小説だったからだ」と述べていて、自分の感想もそれに近いものであり、これから面白そうな作品を書きそうな人ではあるけれども、この作品については、前衛的な試みは"空振り"しているように思えました。

 ただ、過去に多くの人が、こうした作品を着想して頓挫したり失敗したりしているであろうことを思うと、前衛を保ちつつ、破綻は最小限に止まっているという感じではあり(この作品の場合、何を以って"破綻している"と言うかという問題はあるが...)、たまにはこうした実験小説的な作品が芥川賞をとるのもまあいいか―(でも、芥川賞はやはり運不運があるなあ)。

 【2010年文庫化[講談社文庫]】

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作者のこのジャンル(宗教モノ)における集大成的な作品と言えるのではないか。

篠田 節子 『仮想儀礼』.jpg仮想儀礼1.jpg 仮想儀礼2.jpg   教祖誕生.jpg 「教祖誕生」2.jpg
仮想儀礼〈上〉』『仮想儀礼〈下〉』['08年]  「教祖誕生 [VHS]」('93年)萩原聖人

 2009(平成21)年度・第22回「柴田錬三郎賞」受賞作。

 38歳の作家志望の男・鈴木正彦は、ゲーム会社の矢口誠に誘われ、勤めていた都庁を辞めてファンタジーノベルを書くが、結局矢口の会社が倒産して仕事も家族も失い、不倫がもとで同じく職も家も失くしていた矢口との再会を機に、2人で正彦が書いた原稿をベースとした教義と手作りの仏像で宗教団体を設立、信者は徐々に増え、食品会社の社長がバックに付いてから飛躍的にその数は伸びて、5000人の信者を抱えるようになる―。

 金儲けのために設立した極めていい加減な教義の教団に、こんなにホイホイ入信する人がいるのかなあもと思ったけれども、信者それぞれが抱えている事情が家族崩壊の様々なパターンを示していたりして("生きづらい"系の人にとっては「鰯の頭も信心から」なのか)、更に、色々な成り行きで教団が拡大していく様や、そうした教団に利害ベースで接近を図ったり出入りしたりする様々な人物がリアルに描かれているため、興味深く読めました。

 後半は、更に予期せぬ出来事が次々と起こり、教団はマスコミからの誹謗中傷に加え政治家筋からも圧力をかけられ、一方、一部の女性信者たちが信仰を先鋭化させて暴走し、教祖である正彦自身にもそれを止められなくなってしまう様が、畳み掛けるように描かれていて一層引き込まれました。

「教祖誕生」.jpg 本書を読んで高橋和巳の『邪宗門』を想起する人もいるかと思いますが、個人的には天間敏広監督の映画「教祖誕生」('93年/東宝)を思い出しました。

教祖誕生 [VHS]」 ('93年/東宝/監督:天間敏広/原作:ビートたけし)

 これ、意外と傑作でした(原作はビートたけし)。この映画にも、教団をビジネスと考える者(ビートたけし、岸部一徳)とそこに真実を求める者(玉置浩二)が出てきますが、映画ではむしろ後者に対する揶揄が込められています(オウム真理教による松本サリン事件の約半年前、地下鉄サリン事件の1年半前に作られたという点では予見的作品でもある)。

教祖誕生スチール.jpg「教祖誕生」●制作年:1993年●監督:天間敏広●製作:鍋島壽夫/田中迪●脚本:加藤祐司/中田秀子●撮影:川上皓●音楽:藤井尚之●原作:ビートたけし「教祖誕生」●時間:93分●出演:萩原聖人/玉置浩二/岸部一徳/ビートたけし/下絛正巳/国舞亜矢/山口美也子/もたいまさこ/南美江/津田寛治/寺島進●公開:1993/11●配給:東宝(評価:★★★★)

 「教祖誕生」の主人公の青年(萩原聖人)は、後継教祖に指名されて自分がホントに神になったような錯覚を起こしますが、『仮想儀礼』の主人公・正彦は自分が作り上げたものが虚構であることを忘れない常識人であり、生起する諸問題に仕事上の問題解決に対応するビジネスマンのように、或いは一般的水準以上に理性人として対応しているように思えます。
 しかし、重篤なトラウマを抱えた女性信者など、相手が相手だけに思うように彼らを御しきれず、やがて教団施設や財産の全てを失い、少数のファナティックな信者たちに拉致されるような形で逃避行へと追いやられていくことになり、あくまでもビジネスで「宗教」を始めた男が、そうした過程を辿るというのが、読んでいて強烈な皮肉に思われました。

 信者たちが自らの内面で教義を自己救済的な方向に血肉化させて、教団をカルト化していく様が見事に描かれており、深刻で暗くなりがちな話でありながらも、随所に事態の思わぬ展開に対する主人公の軽妙な嘆き節があり(それこそ、正彦が常識人であることの証しなのだが)、どことなくカラッとした感じになっているのは、この作家の特質でもあるかも知れません(桐野夏生なら、こうはならない)。

 だだ、全体にちょっと長いかなあ。取材したエピソードを出来るだけ漏らすまいという、作者のこのテーマに対する思い入れが感じられるのですが、全体構成的に見ると、前半はもう少し圧縮しても良かったかも。

 とは言え、最後は急速展開。家族による信者奪回などを巡って凄惨な事件も起き、全体にカタストロフィに向かう予感の中、正彦自身にどういった形でそれが訪れるのか、後になればなるほど気がかりになりましたが、エンタテインメントとしてのバランスを保った終わり方になっているように思えました。

【2011年文庫化[新潮文庫]】

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 半端じゃない読書量。一体いつ自分の作品を書いているのかと...。

桜庭一樹読書日記.jpg 『桜庭一樹読書日記―少年になり、本を買うのだ。』['07年] 少年になり、本を買うのだ.jpg 『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記 (創元ライブラリ) (創元ライブラリ L さ 1-1)』['09年] 

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない00_.jpg 異色のライトノベルとして評判になった『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』('04年/富士見ミステリー文庫)を読みましたが、皆が言うほどの"傑作"なのかよく分からず、大体ライトノベルというのが自分の肌に合わないのかなと思っていたら、今や直木賞作家だからなあ、この人。ライトノベルといっても終盤で露わになる近親相姦的モチーフはへヴィで、これがまあ"異色"と言われる所以ですが、このモチーフ、『私の男』へと連なっていったわけかあ。

桜庭一樹 物語る少女と野獣.jpg 角川文庫の新聞広告で読書案内人のようなこともやっていて、読書家であることでも知っていましたが、本書はタイトル通り、「書評」と言うより読書生活を綴った「日記」のようなもので、Webでの連載('06年2月〜'07年1月分)を纏めたもの。

 ミステリ中心ですが、近代文学や海外の純文学作品、詩集やノンフィクション、エッセイなども含まれていて、でもやっぱり中心は内外のミステリでしょうか(東京創元社のHP上で連載だったこともあるが)、その読書量の多さに圧倒されます。

桜庭一樹 ~物語る少女と野獣~』 ['08年/角川グループパブリッシング ]

 まず、"ミステリ通"の好みそうな作品をよく拾っているなあと感心させられますが、自然とそういう本の方向に向かうのだろうなあ、こういう読書生活を送っていると。

 自分はそこまでミステリに嵌っているわけではないので、ああ、こんな本もあるんだあみたいな感じでついていくのがやっと、とてもそれらを探して読みまくるというところには至らないですが、それでもこの本自体が1冊の「読み物」乃至はエッセイとして楽しめました。

 あまり大仰ぶらず批評家ぶらず、ストレートに「わあ〜、面白かったあ」みたいな感じで、併せて自分の生活を戯画化しながら書いているので、ついつい親近感を覚えさせるのでしょうが、ミステリ通の人が読めば、また違った読み方ができるのかも。
 何れにせよ半端な読書量では無く、一方で小説を量産しているわけで、一体いつ自分の作品を書いているのかと...。

 各ページの下の方に、文中で取り上げた本が書影付きで載っていて、必要に応じて簡単な解説もされているのが親切に思えました(自分で解説しているものもあれば編集者が書いているのもある。相互の感想のやりとりも楽しい)。

 因みに、2009年の「角川文庫の100冊」(正式タイトル「2009年 発見。角川文庫夏の100冊」)の中の「作家12人が選んだこだわりの角川文庫」というコーナーでこの人が選んだ1冊は、本書でも取り上げられている寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』でした。

 【2009年文庫化[創元ライブラリ(『少年になり、本を買うのだ-桜庭一樹読書日記』)]】

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楽しく読めて、商法や会社法の考え方を大筋で知る上では、今でも役立つ。

I商法入門.jpg  商法入門/佐賀潜.jpg 『商法入門』 改版版/民法入門.jpg民法入門―金と女で失敗しないために (1967年) (カッパ・ビジネス)
商法入門―ペテン師・悪党に打ち勝つために (1967年)

 佐賀潜の法律入門書シリーズの1冊であり、学生時代に法律を勉強したことが無かった自分には、例えば、商法における「商人」とは何かについて、「売春婦は商人ではないが、売春宿の主人は商人である」といった説明の仕方で入る点などは興味を引かれるとともに、条文解釈が懇切丁寧で、全体を通して非常にわかり易かったです。

 今は別立ての法律となっている会社法の部分が含まれており、株式会社とは何か、取締役とは何かといったことのアウトラインも掴め、細部は法改正などで変わっている部分もありますが、商法や会社法の考え方を大筋で知るための入門書としては、今でも役立つのではないでしょうか。

 社長は取締役を解任できないが、「取締役の過半数が結託すれば、社長をクビにできる」などといったことは、本書で初めて知りましたが、その後、三越の岡田社長解任劇など、そうしたことが本当に起きるような時代になっていきました。
 取締役は原則として労働基準法ではなく商法(会社法)の適用を受けるので、企業法務に携わる仕事をする人にとっては、商法(会社法)の知識は必須のものと言えるでしょう。

佐賀潜.jpg 佐賀潜(1914‐1970/享年56)は、中央大学法学部在学中に司法試験に合格し、検事として活躍した後、弁護士に転じた、所謂"ヤメ検"でした(最近では 大澤孝征弁護士・元東京地検検事などがそう)。
 弁護士時代もやり手だったようで、それでいて、推理作家としても華々しいデビューをし、多くの娯楽作品を手掛けた人で、佐賀県出身ですが、ペンネームは、その"佐賀"に「犯人をなかなか"捜せん"」を懸けたものです。

民法入門02.jpg この作家の、小説ではないところの「法律シリーズ」は、『民法入門-金と女で失敗しないために』(これもかなり面白い。お薦め!)、『刑法入門-臭い飯を食わないために』が'68(昭和43)年にベストセラー2位と3位になったほか、『商法入門』、『道路交通法』も同年の7位と9位にランクインしていて、これはかなりスゴイことではないでしょうか。

商法入門1.jpg 表紙カバーの推薦の辞を、『商法入門』が作家の梶山李之、『民法入門』が経済評論家の三鬼陽之助が担当しているのも、時代を感じさせます(佐賀潜自身は、三島由紀夫の『葉隠入門』('67年/光文社カッパブックス)に推薦の辞を寄せている)。

 【1974年・1986改版/1990年新版[カッパビジネス『新版 商法入門―安全・確実に儲けるために』]】

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その書き方をしたときの作家の意識のありようを追うという方法論。

小説の読み書き.jpg 『小説の読み書き (岩波新書)』 ['06年]  考える人.jpg 坪内 祐三 『考える人』['06年]

 作家である著者が、岩波書店の月刊誌「図書」に'04年1月号から'05年12月号まで24回にわたって連載した「書く読書」というエッセイを新書に纏めたもの。

 編集者の方から持ち込まれた企画で、著者自身は、原則、自分が若い頃に好きで読んだ小説を、いま中年の目で読み返して何か書く、という大雑把なスタンスで臨んだらしいですが、とり上げている作品が、「雪国」「暗夜行路」「雁」「つゆのあとさき」「こころ」「銀の匙」...と続くので、何だか岩波文庫のロングセラー作品を追っているような感じも...(実際、「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫〉」というアンケートを、途中、参照したりしている)。

 そこで、文庫本の後ろにある解説みたいなのが続くのかなと思って読んだら、確かに作品の読み解きではあるけれども、その方法論に一本筋が通っていて、なかなか面白かったです。

 作品の中の特徴的な文体にこだわり、作中の文章一節、短いものでは1行だけ抜き出して、そうした書き方をしたときの作家の意識のありようのようなものを執拗に追っていて、その時、書き手が大家であるということはとりあえず脇に置いといて、著者自身が作家として小説を書く作業に臨むときの意識と照らし合わせながら、どうしてその時代、その時々にそうした文章表現を作家たちが用いたのかを探っています。

 実際、新書の表紙見返しの概説でも、「近代日本文学の大家たちの作品を丹念に読み解きながら、『小説家の書き方』を小説家の視点から考える。読むことが書くことに近づき、小説の魅力が倍増するユニークな文章読本」とあったことに、後から気づいたのですが、確かに、こうした方法論が、別の視点からの小説の楽しみ方を教えてくれることに繋がっているかも。

 前後して、坪内祐三氏の作家・評論家論集『考える人』('06年/新潮社)を読みましたが、坪内氏が1958年生まれ、著者(佐藤正午氏)は'55年生まれと、比較的年齢が近く(とり上げている作家では、吉行淳之介、幸田文がダブっていた)、この2著の共通するところは、考えの赴くままに書いているという点でしょうか。

 とりわけ、この著者は、知ったかぶりせず、読書感想文に近いタッチで書いていて、むしろ、"知らなかったぶり"をしているのではないかと勘ぐりたくなるぐらいですが、実際、知識不足から誤読したものを読者に訂正されていて(本当に知らなかったということか)、それを明かしながらもそのまま新書に載せている、こうした姿勢は共感を持てました。

《読書MEMO》
●目次
川端康成 『雪国』
志賀直哉 『暗夜行路』
雁 新潮文庫.jpg森鴎外 『雁』
永井荷風 『つゆのあとさき』
夏目漱石 『こころ』
銀の匙.jpg中勘助 『銀の匙』
樋口一葉 『たけくらべ』
豊饒の海.jpg三島由紀夫 『豊饒の海』
青べか物語1.jpg山本周五郎 『青ベか物語』
林芙美子 『放浪記』
井伏鱒二 『山椒魚』
人間失格.jpg太宰治 『人間失格』
横光利一 『機械』
織田作之助 『夫婦善哉』
芥川龍之介 『鼻』
菊池寛 『形』
痴人の愛.jpg谷崎潤一郎 『痴人の愛』
松本清張 『潜在光景』
武者小路実篤 『友情』
田山花袋 『蒲団』
幸田文 『流れる』
結城昌治 『夜の終る時』
開高健 『夏の闇』
吉行淳之介 『技巧的生活』
佐藤正午 『取り扱い注意』
あとがき

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親にもセンスが求められるかも。読んでいて楽しい本でもある。

わが子に教える作文教室.jpgわが子に教える作文教室 (講談社現代新書)』〔'05年〕

 作家であり、10年以上にわたり小学生に作文指導を行っている著者による本。作文指導でまず大事なのは「褒める」ということ、褒めてやる気を出させ、そのうえで、ポイントを絞ってアドバイスするのが効果的とのことですが、どこを褒め、どこをどのように指導するか、親にもセンスが求められる(?)と思いました。

 上手な作文だけでなく、一見"下手くそ"な作文も多く紹介されていますが、著者に導かれてそれらをよく分析してみると、行間に生き生きとした感性や感情が込められていて味わいがあったりする、なのに大人はついついそうした良さを見落とし、言葉使いや句読点の正誤に目がいったり、「そのとき君はどう思ったの」と無理やり感想めいたことを書かせがちであると(確かに)。

 著者によれば、こうした"心模様"を書かせようとすることは、作文に文学性を持たせようとしていることの表れであるけれども、多くの子どもはそう指導されても戸惑うことが多く、そうした文章を書くのが得意な子もいれば、観察文的な文章において能力を発揮する子もいるわけです。
 小学校高学年になると、書いたもの立派な調査報告文になっているケースもあって、それらを、気持ちが描かれていないとして貶したり、無理やり直させるのはマズイと。

 著者が良くないとしていることのもう1つは、作文に道徳を持ち込むことで、それをやると国語教育ではなく道徳教育になってしまい、作文から生気が失われてしまうわけですが、学校教育の場においては、知らず知らずのうちにその傾向があるかもしれません。

 著者はテクニックを否定しているわけではなく、接続詞の使い方をきちんと教えること、比喩表現や擬人法などを遊び感覚で用いることを推奨していて、そうした著者の指導のもとで書かれた子どもの作文には、独特の勢いやリズムがあったり、思わず微笑んでしまうような楽しいものが多いですが、文体を強制したりユーモアを強要するのではなく、子ども自身にセンスが育つのを待つことが肝要であると。

 「週刊現代」に連載されていたものを1冊の新書にしたもので、「教える」側として父親を意識して書かれていますが、母親や教師が読んでも参考になると思われます。
 子どものセンスがストレートに発揮された場合、こんな面白い文章が出来上がるのかと感心させられる箇所が多く、読んでいて楽しい本でもありました。

《読書メモ》
●作文指導でまず大事なのは「褒める」ということ。褒めてやる気を出させる
●"心模様"を書かせること(作文に文学性を持たせること)を強要しない
●作文に道徳を持ち込むと、国語教育ではなく道徳教育になってしまう

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前後半通じて面白い。「文学は物言わぬ神の意思に言葉を与えること」の真摯な説明の試み。

神の微笑(ほほえみ).jpg神の微笑(ほほえみ)』 新潮文庫 〔'04年〕芹沢.jpg 芹沢光治良(1896-1993/享年96)

 前半は作者の半生記のような感じで、主人公の父親が天理教の信仰にのめりこんで財産を教団に捧げたために親族ともども味わった幼少期の貧苦から始まり、やがて学を成しフランスに留学するものの、肺炎で入院、結核とわかり、現地で送ることになった療養生活のことなどが書かれていています。

 高原の療養所で知り合った患者仲間との宗教観をめぐる触れ合いと思索がメインだと思いますが、患者仲間の1人が、天才物理学者であるにも関わらず、イエスに降り立った神というものを信じていて、幼少の頃に天理教と決別した主人公には、それが最初は意外でならない、その辺りが、主人公自身は経済を学ぶために留学しており、"文学者"が描く宗教観というより、自然科学者と社会科学者、つまり外国と日本の"科学者"同士の宗教対話のように読めて、論理感覚が身近で、面白くて読みやすく、それでいて奥深いです。

 後半は、その科学者に感化されて文学を志した主人公が、その後、天理教の教祖やその媒介者を通じて体験する特異体験が書かれていて、「世にも不思議な物語」的・通俗スピリチュアリズム的な面白さになってしまっているような気配もありましたが、主人公(=作者ですね)は、それらに驚嘆しながらも実証主義的立場を崩さず、最後まで信仰を待たないし、一時はイエスとのアナロジーで教祖に神が降りたかのような見解に傾きますが、最後にはそれを否定している、一方で、人生における様々な邂逅に運命的なものを感じ、神の世界は不思議ですばらしいと...。

 一応フィクションの体裁をとっていますが(『人間の運命』の主人公が時々顔を出す)、作者が以前に「文学は物言わぬ神の意思に言葉を与えることである」と書いたことに自ら回答をしようとした真摯な試みであり、それでいて深刻ぶらず、沼津中(沼津東高)後輩の大岡信氏が文庫版解説で述べているように、苦労人なのに本質的に明るいです(でも、よく文庫化されたなあ。通俗スピリチュアリズムの参考書となる怖れもある本ですよ)。

 要するに、神というのは、教団や教義の枠組みに収まるようなものではないし、信仰をもたなくとも、神を信じることは可能であるということでしょうか。
 とするならば、現代人にとって非常に身近なテーマであり、1つの導きであるというふうに思えました(作中の天才物理学者の考え方は老子の思想に近いと思った)。

 作者が89歳のときから書き始めた所謂「神シリーズ」の第1作で、以降96歳で亡くなるまで毎年1作、通算8作を上梓していて、この驚嘆すべき生命力・思考力は、"森林浴"のお陰(作者は樹木と対話できるようになったと書いている)ならぬ"創作意欲"の賜物ではなかったかと、個人的には思うのですが...。
 
 【2004年文庫化[新潮文庫]】

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前科者の社会復帰の難しさ。「保護司」が立派なカウンセラーに思えた。

繋がれた明日.jpg 『繋がれた明日』('03年/朝日新聞社) 繋がれた明日2.jpg繋がれた明日 (朝日文庫)』〔'06年〕

 19歳のときに、恋人にちょっかいを出した男をはずみで殺してしまい、殺人罪で5年から7年の刑に処せられた主人公は、刑期満了前に仮釈放となりますが、その後、勤務先や自宅アパートに「この男は人殺し」と書かれた中傷ビラをばら撒かれる―。

 ビラを撒いたのは誰かというミステリーの要素はありますが、一度罪を犯した者はたとえ刑期を終えても、一般社会からは許されることがないのかという、かなり重い「社会問題」に取り組んだ作品だと思いました(本のキャッチにある「罪と罰」という漠たる抽象問題というよりも)。

 社会の偏見に苦しめられ、また加害者の関係者や自らの家族からも責められるなか、気持ちの整理がつかないまま、時に短絡的な行動に出そうになる主人公ですが、味方になってくれる人もいて、全体に暗い物語のなかで、その部分だけやや救われた気持ちになります。

 しかし、やはりこうした排他的な日本の社会では、社会復帰を促す「保護司」という専門的な仕事が重要であることを感じました。
 この物語の「保護司」が立派なカウンセラーに思え、「保護司」ってこんな素晴らしい人ばかりなのだろうか、主人公はかなり「保護司」に恵まれた方ではないかとも、ちょっぴり思ったりもしました(それにしても、たいへんな仕事だなあと思う)。

 ミステリー的要素を抑えた分、人物描写等が深いかというと必ずしもそうではなく、ドラマ臭い"セリフ"が多く、会話も展開もやや冗長だし、主人公の妹が兄のために結婚をフイにしたという話などもお決まりのパターンのように思えましした。

 主人公は人間的に少しずつ成長しているのだろうけれど、ラストでアクシデント的にそのことが示されるというのも、後味が今ひとつでした。

 一方、被害者家族の側にはややエキセントリックな人物を配していて、あまり被害者側に立っていないのではという見方も成り立ちますが、それはそれで、あまり被害者側に立ちすぎると別の物語になってしまうところが、このテーマの難しさではないでしょうか。 

繋がれた明日 tvタイアップ帯2.jpgNHKドラマ「繋がれた明日」.jpg '06年にNHKでドラマ化されましたが、確かにドラマ化はしやすいと思います。但し、TV番組としてはかなり暗い話の部類になったかも(こうした暗い話をストレートにドラマ化するのが、ある意味NHKのいいところなのだが)。主人公を演じた青木崇高は、新人の割には良かったように思います(保護司役は杉浦直樹が好演)。

「繋がれた明日」●演出:榎戸崇泰/一色隆嗣●制作:岩谷可奈子/内藤愼介●脚本:森岡利行●音楽:丸山和範●原作:真保裕一「繫がれた明日」●出演:青木崇高/杉浦直樹/尾上寛之/馬渕英俚可/藤真利子/吉野紗香/銀粉蝶/桐谷健太/佐藤仁美/渡辺哲/弓削智久●放映:2006/03(全4回)●放送局:NHK

 【2006年文庫化[朝日文庫]/2008年再文庫化[新潮文庫]】

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ハリウッド映画を思わせるスケールの大きい状況設定。

ホワイトアウト.jpgホワイトアウト 1995.jpgホワイトアウト』['95年] ホワイトアウト文庫.jpg 新潮文庫〔'98年〕ホワイトアウト2.jpg DVD

 1996(平成8)年度・第17回「吉川英治文学新人賞」受賞作。1996 (平成8) 年「このミステリーがすごい」(国内編)第1位(1995(平成7) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第2位)。

 日本最大の貯水量の「奥遠和ダム」を武装グループが占拠し、職員、麓住民を人質に50億円の身代金を要求するという、映画でも良く知られるところとなったストーリーです。

 スケールの大きい状況設定は、ハリウッド映画を思わせるものがあり、吹雪の様子などの描写が視覚的で、尚更そう感じます。作者は、アニメ制作会社でアニメの演出などをしていたそうですが、なるほどという感じもしました。ダムの構造の描写などにも作品のテンポを乱さない程度に凝っていて("理科系"というか"工業系"って感じが、この人はします)、臨場感を増す効果をあげています。アクション・サスペンスの新たな旗手の登場かと思われる作品ではありました(その後、純粋なアクション・サスペンスはあまり書いてないようですが...)。

oda.gif映画「WHITEOUT ホワイトアウト」0.JPG ただ、アクション・サスペンス的である分、人物描写や人間関係の描き方が浅かったり類型的だったりで、映画にするならば、役者は大根っぽい人の方がむしろ合っているかも、と思いながら読んでました。
 結局のところ映画は織田祐二主演で、体を張った(原作にマッチした)アクションでしたが、演技の随所に「ダイハード」のブルース・ウィリスの"嘆き節"を連想したのは自分だけでしょうか。
映画「WHITEOUT ホワイトアウト」 ('00年・東宝)

ホワイトアウト 映画 佐藤浩市.jpg映画「WHITEOUT ホワイトアウト」 松嶋.jpg 織田祐二はまあまあ頑張っているにしても、テロリスト役の佐藤浩市の演出が「ダイハード」のアラン・リックマンのコピーになってしまっていて、自分なりの役作りが出来ていないまま映画に出てしまった感じで存在感が薄く、人質にされた松嶋菜々子に至っては、別に松嶋菜々子を持ってくるほどの役どころでもなく、客寄せのためのキャスティングかと思いました。    

奥只見ダム.jpg 奥只見ダム(重力式ダム) 黒部ダム.jpg 黒部ダム(アーチ式ダム)

 細かいことですが、本作の舞台である日本最大の貯水量を誇る「奥遠和ダム」のモデルとなったのは奥只見ダムであると思われますが、映画では「奥遠和ダム」はアーチ式ダムという設定になっているため(奥只見ダムはアーチ式ではなく重力式ダム)、撮影の際にダムの外観のショットは、アーチ式の黒部ダムなどで撮っています(原作の中身は重力式ダムという設定、単行本の表紙写真は奥只見ダムのものと思われる)。
 映画化するならば、アーチ式ダムの方がビジュアル面で映える、という原作者の意向らしいですが、確かにそうかも。さすが、もとアニメ演出家。

「WHITEOUT ホワイトアウト」●制作年:2000年●製作:角川映画●監督・脚本:若松節朗●原作:真保裕一●時間:129分●出演:織田裕二/松嶋菜々子/佐藤浩市/石黒賢●劇場公開:2000/08●配給:東宝 (評価★★★)

 【1998年文庫化[新潮文庫]】

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日本の文化・芸術に対する深い洞察と惜愛。ズバッと言い切るところも気持ちいい。

名人は危うきに遊ぶ.jpg名人は危うきに遊ぶ西行.jpg西行白洲正子.jpg 白洲正子(1910-1998/享年88)

 以前に著者の『西行』('88年/新潮社、96年/新潮文庫)を読みましたが、教養エッセイの形をとりながらも、内容的には学術レベルに達していたように思います。
 〈西行〉と〈明恵〉という一見相反的な2人の人物に通じるものを看破していたのが興味深かったですが、全体として自分にはやや高尚すぎた感じも...。

 この人の"教養"は"お勉強"だけで身につく類のものではなく、出自、育ちから来るもので、そのことは、本書のような、より読みやすいエッセイを読むとかえってよくわかります。
 主に70歳代から80歳代にかけて書かれた小文を集めていますが、その多くから、日本の文化や芸術、自然に対する深い洞察と惜愛が窺えます。

 骨董にも造詣の深かった著者ですが、美しくて人を寄せつけない唐三彩に対し、触れることでまた味わいの増す日本の陶磁器の深みについて述べたくだりは面白かったです。
 魯山人の陶磁器の値段の高さに疑念を呈し、使用されるために造られたものを蔵にしまっておいては生殺しと同じであると。
 生前の魯山人と面識があり、魯山人の茶碗で毎日ゴハンを食べているという、一方で自宅に李朝の壺なども所持しているわけで、そういう人に言われると納得してしまうし、そこに見栄や衒いは感じられません。

 小林秀雄、青山二郎らスゴイ人たちと親交があり、彼らの究極の「男の友情」を目の当たりにしてきた著者にとって、日経の『交遊抄』などは「いい年した男性がオテテツナイデ仲よくしてるみたいで」、「幼稚園児なみ」の友情だそうで、こうズバッと言い切るところが気持ちいいです。

 著者は本書出版の3年後に88歳で亡くなっていますが、夫・白洲次郎を看取ったときの記述などから、すでに達観した境地が見て取れます。

 【1999年文庫化[新潮文庫]】

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司馬遼太郎の『新選組血風録』、浅田次郎の『壬生義士伝』のネタ本。聞き書きの文体に、かえって生々しさが。

新選組始末記.jpg 勝海舟.jpg『勝海舟』 新潮文庫(全6巻)子母澤寛.jpg 子母澤 寛 (1892-1968/享年76)
新選組始末記 (中公文庫)』 (カバー画:蓬田やすひろ) 

 子母澤寛の作品は以前に『勝海舟』('46年第1巻刊行、'68年/新潮文庫(全6巻))を読みましたが(子母澤寛はこの作品や勝海舟の父・勝小吉を主人公とした『父子(おやこ)鷹』('55-'56年発表、'64年/新潮文庫(上・下)、後に講談社文庫)などで第10回(1962年)「菊池寛賞」を受賞)、司馬遼太郎と同じく新聞記者出身であるこの人の文章は、司馬作品とはまた異なる淡々としたテンポがあり、読み進むにつれて勝海舟の偉大さがじわじわと伝わってくる感じで、坂本竜馬や西郷隆盛といった維新のスター達も、結局は勝海舟の掌の上で走り回っていたのではないかという思いにさせられます(文庫本で3,000ページ以上あるので、なかなか読み直す機会が無いが...)。

新選組始末記 昭和3年8月 萬里閣書房.jpg 一方この『新選組始末記』は、1928(昭和3)年刊行の子母澤寛の初出版作品で、作者が東京日日新聞(毎日新聞)の社会部記者時代に特集記事のために新選組について調べたものがベースになっており、作者も"巷説漫談或いは史実"を書いたと述べているように、〈小説〉というより〈記録〉に近いスタイルです。
 とりわけ、そのころまだ存命していた新選組関係者を丹念に取材しており、その抑制された聞き書きの文体には、かえって生々しさがあったりもします。

『新選組始末記』 萬里閣書房 (昭和3年8月)

新 選 組 血 風 録.jpg 子母澤寛はその後、『新選組遺聞』、『新選組物語』を書き、いわゆる「新選組三部作」といわれるこれらの作品は、司馬遼太郎など多くの作家の参考文献となります(司馬遼太郎は、子母澤寛本人に予め断った上で「新選組三部作」からネタを抽出し、独自の創作を加えて『新選組血風録』('64年/中央公論新社)を書いた)。

 子母澤寛は「歴史を書くつもりなどはない」とも本書緒言で述べていて、そこには「体験者によって語られる歴史」というもうひとつの歴史観があるようにも思うのですが、後に本書の中に自らの創作が少なからず含まれていることを明かしています。

浅田次郎.jpg壬生義士伝.jpg 近年では浅田次郎氏が『壬生義士伝(上・下)』('00年/文藝春秋)で『新選組物語』の吉村貫一郎の話をさらに膨らませて書いていますが、『新選組物語』にある吉村貫一郎の最期が子母澤寛の創作であるとすれば、浅田次郎は"二重加工"していることになるのではないかと...。
 浅田次郎氏は「新選組三部作」に創作が含まれていることを知ってかえって自由な気持ちになったと言っていますが、それはそれでいいとして、むしろ、『壬生義士伝』において浅田氏が「新選組三部作」から得た最大の着想は、この「聞き書き」というスタイルだったのではないかと、両著を読み比べて思った次第です。

 【1969年文庫化[角川文庫]/1977年再文庫化[中公文庫]/2013年再文庫化[新人物文庫]】

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ピカレスク・ロマン或いはサクセス・ストーリーとして楽しめる"小説"になっている『花の嵐』。

花の嵐―小説・小佐野賢治〈上〉.jpg花の嵐―小説・小佐野賢治〈下〉.jpg花の嵐 小説小佐野賢治 上.jpg 花の嵐 小説小佐野賢治下.jpg  女教師 清水一行 カッパ・ノベルズ.jpg
『花の嵐 小説・小佐野賢治 (上・下)』(朝日新聞社)/『花の嵐―小説小佐野賢治〈上〉』『花の嵐―小説・小佐野賢治〈下〉』光文社文庫/『女教師―長編推理小説 (カッパ・ノベルス)

清水一行.jpg小説兜町(しま).jpg 高杉良、城山三郎と並び、日本における経済小説の第一人者として知られる清水一行(1931-2010)ですが、'59年に『総会屋錦城』で直木賞を取った城山三郎、'75年に『虚構の城』でデビューした高杉良に対し、清水一行は'66年に『小説 兜町(しま)』で作家デビューしており、デビュー期で言えば、城山三郎と高杉良の間になります。
 また、評論家の佐高信は、高杉良、城山三郎を「向日派」とし、清水一行を「暗部派」としていますが、前向きで夢を感じさせる主人公が登場して読後感も爽やかなものが多い高杉作品などに比べると、確かに清水一行の作品はドロドロした経済や社会の暗部を抉ったものが多い。

花の嵐 (上) 小説 小佐野賢治.jpg 本書も政商・小佐野賢治(1917-1986)を扱ったものであるから、当然のことながらドロドロして暗いのかと思いきや、ピカレスク・ロマンとして、或いはサクセス・ストーリーとして楽しめる"小説"に仕上がっていました(ロッキード事件に連座する前で話は終わっている)。

 箱根・強羅ホテルの買い取り依頼に応じたことで東急の総帥・五島慶太から寵愛され、東急からバス事業を譲り受けたことが成功への足掛かりになっていますが、その後、弁護士・正木亮の紹介で田中角栄と知り合い、一方で児玉誉士夫らとも交わり、財界の裏道を歩んでいく―。
 もともと政治家には関心が無かったようですが、「農家出の無学歴」コンプレックスという点で田中角栄と合い通じ、"刎頚の交わり"となったようです。

花の嵐〈上〉 (角川文庫)

小佐野賢治.jpg ガソリン横流しでGHQに逮捕されたにもかかわらず、投獄期間中に看守を騙して外出し芸者遊びをした話など、ニヤリとさせられる"悪漢"ぶりで、作者の小佐野に対する愛着が感じられる一方、こんなに好人物に描いちゃっていいのかなあという気も。

 ただし、不良会社を社員のクビを切ることなく次々と再建したというのは、やはり並々ならぬ手腕だと思うし、コワモテのイメージがあり、面の皮も厚そうだけれども(ロッキード事件(1976年)の証人喚問で小佐野が何度も口にした「記憶にございません」はその年の流行語となった)、小佐野の近くで接した人によれば、あまり感情を表に表さない紳士然とした人物だったそうです。

モアナ・サーフライダー.jpgシェラトン・ワイキキ(左)とロイヤル・ハワイアン(右).jpg バス会社だった国際興業は、ハワイのロイヤル・ハワイアン、モアナ・サーフライダー、シェラトン・プリンセス・カイウラニ、シェラトン・ワイキキといった名門ホテルを買収し、小佐野はハワイの「ホテル王」と呼ばれるようになって、更に自身が夢見た帝国ホテルの買収も果たしましたが、その後バブルが崩壊し、彼が社主だった国際興業は外資の傘下に入っています(従って帝国ホテルも外資傘下となっている)。('06年時点) モアナ・サーフライダー(左)/シェラトン・ワイキキとロイヤル・ハワイアン(右) 

 因みに、清水一行の作品では、『女教師』('77年/カッパ・ブックス)という小説があり、ストーリーは、若い音楽教師が中学校内で暴行され、3年生の不良グループの生徒が犯人と思われたが、事を荒立てたくない校長はじめ学校側はもみ消しをはかり、女教師が生徒を誘惑したのだという流言飛語まで流されたため女教師は失踪、そんな中、主犯格と思われる生徒が誘拐され、更に教師が殺害される―というもの。

清水一行・『女教師』.jpg女教師 清水一行 tokuma.jpg この通り、推理サスペンスであるわけですが、校内暴力や教職員の不正と、それに対し何も手を打たない学校―といった教育現場の荒廃を鋭く抉っており、いつの時代にも通じる社会的テーマを背景としています。「いつの時代にも通じる」というのは残念なことでもありますが、この作品は佳作であると思います。
女教師 (徳間文庫)


女教師 (集英社文庫)
田中 登(1937-2006/享年69)
田中登.jpg女教師 ポスター.jpg この作品は映画化され、先月['06年10月]動脈瘤解離のため急逝した田中登が監督し、脚本は中島丈博、主演は永島暎子。日活ロマンポルノの一作品として作られたためか、一応テーマは原作に沿おうとしてはいるものの(基本的には学校や社会の体制を批判した真面目な作品だった)、登場人物などの改変が激しく、ロマンポルノの一環としてこの作品を撮るのはどうかという気もしました。名画座で併映の「赫い髪の女」は、愛欲がテーマだからロマンポルノでもいいのだけれど...(但し、映画はヒットし、第9作まで作られた。風営法の強化改正で、「女教師」という言葉がポルノ映画のタイトルに使えなくなったため、シリーズを終わらざるを得なかったらしい)。自殺した古尾谷雅人(1963‐2003/享年45)の映画デビュー作。泉谷しげるの「春夏秋冬」が劇中で使われています。

女教師 1977.jpg「女教師」.jpg「女教師」●制作年:1977年●監督:田中登●製作:岡田裕●脚本:中島丈博●撮影:前田米造●音楽:中村栄●原作:清水一行●時間:100分●出演:永島暎子/砂塚英夫/山田吾一/鶴岡修/宮井えりな/ 久米明/穂積隆信/蟹江敬三/樹木希林/古尾谷康雅 (古尾谷雅人)/絵沢萠子/福田勝洋●公開:1977/10●配給:日活●最初に観た場所:銀座並木座 (評価:★★★)●併映:「赫い髪の女」(神代辰巳)

『花の嵐』...【1993年文庫化[角川文庫(上・下)]/1994年再文庫化[朝日文庫(上・下)]/1999年再文庫化[光文社文庫(上・下)]】『女教師』...【1980年文庫化[角川文庫]/1984年再文庫化[集英社文庫]/2007年再文庫化[徳間文庫]】

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フジ子・ヘミングを想起せざるを...。優れた芸術とは何かという課題を提示している。

讃歌.jpg 『讃歌』 (2006/01 朝日新聞社)

 テレビ番組制作会社の小野は、クラシック専門のレコード会社社長の熊谷からの情報で、柳原園子という50歳近いヴィオラ奏者の演奏を聴き、クラシックに造詣がないにも関わらず、その演奏に感動する。
 園子は、かつて天才少女ヴァイオリニストと謳われながら、留学先で自殺未遂に至り、その後遺症で寝たきりの生活を送ったあと、大物指揮・佐藤の助言を得てヴィオラに転向、20数年ぶりに復活し、ただし佐藤門下らが占める楽団に加わることなく、教会や公民館のミニ・コンサートで、口コミでファンを増やしていた―、こうした彼女の軌跡を、小野はドキュメンタリー番組にしようと考える。

NHK ビデオ フジコ ~あるピアニストの軌跡~.jpg 番組は実現して大好評を博し、園子は一躍ブームに乗るが...、とここまで来て思い当たるのが、NHKの『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』('99年)でブレイクした「フジ子・ヘミング」で、フジ子はかつて、左耳の聴力を喪失しましたが、その後部分的に回復し帰国、カムバックしたというというところなども似ています。

 しかし何よりも似ているのは、多くの人を感動させる園子の演奏が、音楽評論家や一定水準の英才音楽教育の経験者にとっては、技術的に優れているとは認め難いものであるという点で、フジ子・ヘミングについても、「天才」ではなく「タレント」に過ぎないという評価を聞いたことがあります。

涙の河をふり返れ.jpg 著者は自らの著作のジャンルを特に規定することはしないようで、この作品でも、前半、メディアを通してスターがどのように作られるかが、かつての五木寛之涙の河をふり返れ」('70年/文藝春秋)みたく現場の雰囲気とともに伝わってきて、音楽は作者の得意分野とは言え、よく取材しているなあと(五木寛之は業界出身だけど、篠田節子は元公務員)、ある種、五木が自身の作品を指して言うところの"通俗小説"かと思いきや、後半はメディアに抹殺されるような運命を辿る彼女を、熊谷との絡みでミステリとして描いていました(筋立てはまあまあといったところ)。

 作中の園子の演奏技術にはどこか"演歌"っぽいところがあるようですが、フジ子・ヘミングの演奏についても西洋の奏者にはない微妙な震えのようなものがあるとか。
 何よりも、その人物のバックグランド(人生)が先入観となって、より感動してしまうという点でも、フジ子・ヘミングの人気にも共通するものがあるような気がします。
 解かれたミステリとは別に、優れた芸術とは何かという未解決の課題を提示している小説であると思いました。

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実は最初から大人向きの話。物語化を表明することで、「甘さ」に対し"断り書き"している?

きみの友だち.jpg 『きみの友だち』 ['05年/新潮社] きみの友だち2.jpg 2008年映画化(監督: 廣木隆一)

新潮文庫2009年限定カバー版
重松 清 『きみの友だち』.jpg 小学5年の恵美が松葉杖を手放せないのは、前年に交通事故に遭い左足の自由を失ったからで、事故の誘引となった級友たちに当り散らすうちに、友だちも失ってしまっていた。そんな恵美があるきっかけで、病弱のため入院生活の長かった由香という同級生と「友だち」になっていく―というのが第1話「あいあい傘」。

 第2話「ねじれの位置」は、恵美と少し年の離れた弟ブンちゃんが小学5年の時の話で、勉強も運動もクラス一番だった彼だったが、モトくんという転校生が来てからクラスのヒーローの座を脅かされるようになり、最初反目していた2人だが、やがて「友だち」になっていくという話。

 恵美とブンちゃんの姉弟を軸に、小学校高学年から中学にかけての2人とその級友を、「○○ちゃん、きみの話をしよう」というスタイルで10ばかり取り上げた連作短篇ですが、「友だちって何だろう」と考えさせられ、特に、第10話の「花いちもんめ」は、「生涯の友だちとは」というテーマにかかっていて泣けました。
 でも小説としては、第1話と第2話が、学級内の人間関係のダイナミズムや、少年少女の感受性と自意識をリアルに描いていて、それでいて読後感が爽やかで良くできていると思いました。

 概ねどの話も読後感は爽やかで、当事者(小中学生)が読むとしたら、スイートに仕上げ過ぎではという感じも若干はしましたが、「○○ちゃん、きみの話をしよう」というスタイルにつられて、児童文学を大人が読んでいるような気にさせられるけれども、実は最初から「大人向き」だったといことかも。
 むしろ大人の方が、「あの頃の友だちって何だったんだろう」というノスタルジックな思いで同化しやすいのではないかと...(過去の思い出は美化される?)。

 最後の第11話で、この一連の物語の語り手がどういった人物なのかが明かされ、それでかえってシラけた読者もいたかもしれませんが、ある種の入籠(いれこ)形式にすることで、「物語」化したものであることを表明しているように思え、それが「甘さ」に対する"中和装置"乃至は"断り書き"になっているという気がしました。
 
 【2008年文庫化[新潮文庫]】

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こんなパターンに嵌まりたくないなあという気持ちにさせる要素も含んでいるのでは...。

定年ゴジラ.jpg定年ゴジラ』(1998/03 講談社) 定年ゴジラ 文庫.jpg定年ゴジラ (講談社文庫)』['01年]

 開発から30年を経た東京郊外のニュータウンで定年を迎えた山崎さんは、ウチに自分の居場所が無くて途方に暮れる日々を送っているが、朝の散歩を通じて、"定年後"生活の先輩である町内会長や、転勤族だった野村さん、ニュータウンの開発を担当した藤田さんと知り合う―。
 自分の居場所を見出そうとする"定年"男たち4人の哀歓を、著者が温かい眼差しで描いているという感じで、読後感も悪くありませんが、ちょっといい話すぎる感じも。

 この4人は何れも、"勤め人"時代に一戸建てをニュータウンのこの地に入手し、そのニュータウンは、社会からドロップアウトした山崎さんの同級生が作中で言うように、"勝った者"だけが住める街だったのかも知れません。
 またそれは、本人が"がんばった結果"でもあるのだろうけれども、郷里の母親を邪険に扱ったことが山崎さんのトラウマになっているように、仕事のために犠牲にしてきたものもあるのでしょう。

 そして定年後も、ウチに自分の居場所は無く、山崎さんの娘は不倫をしたりしていて、そのことに対しては山崎さんは父親の威厳を示さねばならず、なかなかたいへんだなあという感じ。
 ただし、人物造詣がややパターン化され過ぎていて、いつかホームドラマでみた感じというか、"戯画的"な感じがしました(実際、この作品は漫画になっている)。

 個人的にこの作品で最も評価したいのは、〈ニュータウン〉も人間同様に老いるということを、人の営みや老いとの相互関係において描出している点で、ただしこうした図式になると、個々の人物描写もある程度その流れに沿った図式的なサンプルにならざるを得ないのかなという気もしました(マンション調査の学生が使った「サンプル」という言葉に怒る野村さん、というのが作中にありましたが)。
 
 中高年男性だけでなく若い読者にも、「お父さんの気持ちが初めてわかったような気がした」と評価の高かった作品ですが、こんなパターンに嵌まりたくないなあという気持ちにさせる要素も結構含んでいるのではないかと...。

 この作品は作者初の連載小説で、直木賞候補になりましたが受賞には至らず(作者は後に『ビタミンF』('00年/新潮社)で直木賞受賞)、但し、'01年にNHK-BS2にてテレビドラマ化されギャラクシー選奨を受賞しています(脚本:田渕久美子、主演:長塚京三)。

 【2001年文庫化[講談社文庫]】

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何となく癒される不思議さがある「何も起こらない」小説。

佐伯一麦『鉄塔家族』.jpg鉄塔家族.jpg              鉄塔家族 上.jpg 鉄塔家族 下.jpg
鉄塔家族』(2004/06 日本経済新聞社)装幀:柄澤 齊  『鉄塔家族 上 (朝日文庫)』『鉄塔家族 下 (朝日文庫)

 2004(平成16)年度・第31回「大佛次郎賞」受賞作。 

 東北のある地方都市に建設中の鉄塔の近くに住む小説家と草木染織家の夫婦と、同じくその鉄塔周辺に暮らす人々の日々を淡々と綴った長編私小説です。 
 終盤に主人公と前に別れた妻の中学生になる子供のことで一悶着ありますが、全体として筋立で引き込むような波乱はありません。 
 500ページを超える長編で、普通ならば退屈して読みとばしかねないところですが、この本で描かれている自然と人々の日常の細密な描写には、できるだけその中の世界に長く留まってそれを味わっていたいと思わせる不思議な快さがあります。 

 ちょっとした近所同士の交流や、四季折々の草花の描写が丁寧で温かみがあり、また主人公と染織家の妻をはじめ、近所に住む市井の人々の「今」の様子を通して、それぞれの「過去」が透かし彫りのように静かに浮かび上がってきます。

 読んでいる間も読後も"癒し"のようなものを感じましたが、こうした小説が書ける作家というのは、自身が一度ドーンと落ち込んで暗いトンネルをくぐり抜けてきたのでしょうか。 
 主人公が「生きる」ことについてリハビリしているような印象も受けましたが、読み進むにつれ、作家の書くことを通しての「生きる」ことへの強い意志を感じました。
 
 この小説は新聞連載されたもので、新聞連載中には作者は、原稿を毎日1回分ずつ書いていったそうですが、そうした丁寧さが感じられ、時の流れに人生の哀歓をじんわり滲み込ませつつ、自然との交感を通して、ささやかではあるが確かで深い世界をつくっているように思えます。

 この小説が連載されたのは日本経済新聞(夕刊)ですが、ビジネスパーソンには"癒し"が必要なのだろうか?

 【2007年文庫化[朝日文庫(上・下)]】

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「非婚少子化」の原因を一面において指摘している? 独身"ダメ男"分析に筆の冴え。

『負け犬の遠吠え』.jpg負け犬の遠吠え.jpg        少子.jpg     酒井順子.jpg  酒井順子 氏(略歴下記)
負け犬の遠吠え』['03年/講談社]『少子』 講談社文庫

  2004(平成16)年・第4回「婦人公論文芸賞」、2004(平成16)年・第20回「講談社エッセイ」受賞作。

 女の〈30代以上・未婚・子ナシ〉は「負け犬」とし、その悲哀や屈折したプライドを描きつつ、"キャリアウーマン"に贈る応援歌にもなって、その点であまり嫌味感がありません。 
 二分法というやや乱暴な手が多くに受け入れられたのも(批判も多かったですが)、自らを自虐的にその構図の中に置きつつ、ユーモアを交え具体例で示すわかりやすさが買われたからでしょうか?  
 裏を返せば、マーケティング分析のような感覚も、大手広告会社勤務だった著者のバックグラウンドからくるものなのではないかと思いました。 
 最初から、高学歴の"キャリアウーマン"という「イメージ」にターゲティングしているような気がして、このへんのところでの批判も多かったようですが。

 個人的に最も興味を覚えたのは、辛辣な語り口はむしろ男に向けられていることで、独身"ダメ男"の分析では筆が冴えまくります。 
 著者が指摘する、男は"格下"の女と結婚したがるという「低方婚」傾向と併せて考えると、あとには"キャリアウーマン"と"ダメ男"しか残らなくなります。 
 このあたりに非婚少子化の原因がある、なんて結論づけてはマズいのかもしれないが(こう述べるとこれを一方的な「責任論」と捉える人もいて反発を招くかも知れないし)。 
 さらに突っ込めば、「女はもう充分頑張っている。男こそもっと"自分磨き"をすべきだ」と言っているようにもとれます(まさに「責任論」的解釈になってしまうが)。
 
 著者はエッセイストであり、本書も体裁はエッセイですが、『少子』('02年/講談社)という著作もあり、厚生労働省の「少子化社会を考える懇談会」のメンバーだったりもしたことを考えると、社会批評の本という風にもとれます。 
 ただし、世情の「分析」が主体であり、「問題提起」や「解決」というところまでいかないのは、著者が意識的に〈ウォッチャー〉の立場にとどまっているからであり(それは本書にも触れられている「懇談会」に対する著者の姿勢にも窺える)、これはマーケティングの世界から社会批評に転じた人にときたま見られる傾向ではないかと思います。

 【2006年文庫化[講談社文庫]】
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酒井順子 (さかいじゅんこ)
コラムニスト。1966年東京生まれ。立教大学卒業。2004年、「負け犬の遠吠え」で第4回婦人公論文芸賞、第20回講談社エッセイ賞をダブル受賞。世相を的確にとらえながらもクールでシビアな視点が人気を集める。近著に『女子と鉄道』(光文社)、『京と都』(新潮社)『先達の御意見』(文春文庫)など。

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