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凄まじい話ではあるが、どこまでが小説でどこまでが創作なのか気になった「死の棘」。

「死の棘 (1990年)」2.jpg「死の棘」02.jpg
死の棘」[Prime Video](1990年)松坂慶子/岸部一徳 「カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ」受賞作
「眠る男」000.jpg
眠る男」[Prime Video](1996年)役所広司/クリスティン・ハキム/アン・ソンギ
「埋もれ木」00.jpg
埋もれ木」[Prime Video](2005年)夏蓮/松川リン/榎木麻衣

「死の棘」03.jpg ミホ(松坂慶子)とトシオ(島尾敏雄)は結婚後10年の夫婦。第二次大戦末期の1944年、二人は奄美大島・加計呂麻島で出会った。トシオは海軍震洋特別攻撃隊の隊長として駐屯し、島の娘ミホと恋におちた。死を予告されている青年と出撃の時には自決して「死の棘」04.jpg共に死のうと決意していた娘との、それは神話のような恋だった。しかし、発動命令がおりたまま敗戦を迎え、死への出発は訪れなかったのだ。そして現在、二人の子供の両親となったミホとトシオの間に破綻がくる。トシオの浮気が発覚したのだった。ミホは次第に精神の激しい発作に見舞われる。トシオはその狂態の中に、かつてのあの死の危機を垣間見る。それは、あら「死の棘」05.jpgゆる意味での人間の危機だった。トシオはすべてを投げ出してミホに奉仕する。心を病むミホと二人の子を抱え、ある時は居を転じ、ある時は故郷の田舎に帰ろうと試み、様々な回復の手段を講じるトシオだったが、事態は好転せず、さらに浮気の相手・「死の棘」06.jpg邦子(木内みどり)の出現によって、心の病がくっきりし始めるのだった。トシオは二人の子をミホの故郷である南の島に送ってミホと共に精神科の病院に入り、付き添って共に同じ日々を送る。社会と隔絶した病院を住み家とすることで、やがて二人に緩やかな蘇りが訪れる―(「死の棘」)。

死の棘 カンヌ.jpg 第43 回カンヌ国際映画祭で「死の棘」が審査員特別賞を受賞した小栗康平監督(1990年05月21日) 【AFP時事】

『死の棘』 島尾敏雄 1960年10月初版』(芸術選奨)/『死の棘(1977年)』(読売文学賞・日本文学大賞)
『死の棘』 島尾敏雄 昭和35年10月初版.jpg『死の棘』単行本2.jpg 「死の棘」は小栗康平監督の'90年作で、1990年カンヌ国際映画祭「審査員グランプリ」受賞作。主演の松坂慶子、岸部一徳はそれぞれ、1990年度「キネマ旬報ベスト・テン」の主演女優賞・主演男優賞など多くの賞を受賞した作品です。島尾敏雄の原作は、'60(昭和35)年から'76(昭和51)年まで、「群像」「文学界」「新潮」などに短編の形で断続的に連載され、'77(昭和52)年に新潮社より全12章の長編小説として刊行(第1章「離脱」、第2章「死の棘」までを収録した'60年(昭和36)年刊の講談社版、 第3章「崖のふち」、第4章「日は日に」までを収録した'63(昭和38)年刊の角川文庫版も存在する)、1961年・第11回「芸術選奨」、1977年・第29回「読売文学賞」、1978年・第10回「日本文学大賞」を受賞しています。

『狂う人』.jpg 原作はスゴかったです。初めて読んだときは多分にドキュメントとして読んだため、ミホの狂気に圧倒されてしまいました。しかし、後に刊行された、ノンフィクション作家の梯久美子氏が膨大な資料・証言から真実を探った『狂うひと―死の棘の妻・島尾ミ三島由紀夫  2.jpgホ』('16年/新潮社)によると、原作には虚実がないまぜの部分があるようです(作者が妻にわざと自分の日記を読ませたとかは早くから言われていたが、妻が一部書き直したりして、夫婦合作的要素もあるらしい)。三島由紀夫が作者の作品について、「われわれはこれらの世にも怖ろしい作品群から、人間性を救ひ出したらよいのか、それとも芸術を救ひ出したらよいのか。私小説とはこのやうな絶望的な問ひかけを誘ひ出す厄介な存在であることを、これほど明らかに証明した作品はあるまい」と言っていますが、ある意味、こうした問題を予見していたようにもとれます(個人的にも評価し難い)。

 そうした「原作の問題」を置いておいて、映画だけで観ると、面白かったし、やはりスゴ木内みど.jpgかったです。トシオを演じた岸部一徳はこの作品で一皮むけたのではないかと思われます。松坂慶子も、突然「肺炎になってやる!」と叫び、胸をさらけ出しなど、体当たりの演技に挑戦していま「死の棘 木内.jpgす。トシオの浮気相手を演じた木内みどり(1950-2019)(「ゴンドラ」('97年)など)も、この作品が代表作ではないでしょうか。子役も上手く使っていて、その辺りはさすが「泥の河」('81年)の監督という感じです。ただ、ミホとトシオが今どういった状況に置かれているのか説明がやや足りず、この辺りの"説明不足"は「伽倻子のために」('84年)からすでに見られるこの監督の特徴でしょうか。


「眠る男」01.jpg 山あいの温泉町・一筋町。キヨジ(今福将雄)とフミ(野村昭子)の老夫婦の家には、山で事故に遭って以来、意識を失ったまま眠り続けている拓次(アン・ソンギ)という男がいた。フミは拓次を病院から引き取り、献身的な介護を続けている。拓次を毎日のように見舞うのは、知的障害を持つ青年・ワタル(小日向文世)だった。感受性豊かな彼は、事故に遭った拓次の第一発見者でもあり、人一倍彼のことを心配していた。水車小屋には傳次平(田村高廣)という老人がおり、自転車置き場と小さな食堂を経営するオモニ(八木昌子)に育てられている少年リュウ(太刀川寛明)は、傳次平から色々な話を聞くのを楽しみにしている。町では、南アジアの国からやってきた女たちがスナック「メナム」で働いていた。その一人であるティア(クリスティン・ハキム)は、故国の河でわが子を亡くした過去を持つ。ティアは町の人たちと接するうちに、次第に町の暮らしに馴染んでいった。拓次の幼友達である電気屋の上村は、最近になって、小さい頃、拓次とよく遊びに行った山の奥にある山家のことを思い出すようになった。そこに誰が住んでいて、それが本当にあったのかどうかも定かではなかったが、独り暮らしの老婆たけ(風見章子)から山家が本当にあったこと「眠る男」02.jpgを聞いた上村(役所広司)は、もう一度そこへ行ってみたくなった。冬が過ぎ、春が訪れ、やがて夏になり季節が巡ると、人々の生活にも少しずつ変化が見えた。寝たきりだった拓次はついに息を引きり、いんごう爺さん(瀬川哲也)の提案で"魂呼び"が試みられたが、それも空しい結果に終わった。しかしその後、神社で催された能芝居を観ていたティアが、森の中で死んだはずの拓次と再会する。不思議な体験をした彼女は、何かに導かれるように上村が探す山家へたどり着き、翌日、そこで上村と出会う。二人は、涸れていると言われていた井戸に水が涌きでていることを知る。上村はブロッケン現象の起こる山頂で、拓次に人間の命について問いかけるのだった―(「眠る男」)。

「眠る男」」0101.jpg 小栗康平監督の'96年作「眠る男」は、群馬県が人口200万人到達を記念して、地方自治体としては初めて製作した劇映画です。第20回モントリオール世界映画祭「審査員特別大賞」、第47回ベルリン映画祭「国際芸術映画連盟賞」を受賞。'96年度キネマ旬報ベストテン第3位で、小栗康平監督は2度目の監督賞を受賞しています。役所広司を主演に据え、韓国人、インドネシア人俳優の出演で国際色豊かな作品です(韓国の安聖基が演じる〈眠る男〉は主役ではなく映画のシンボルとして存在している)。ただ、こちらもいよいよもって説明不足で、登場人物の個の感情が前面に押し出されてはいますが、結局、実際のところは本人にしかわからないという印象を受けました。したがって、正直〈眠る男〉が何の象徴なのかもよく分かりませんでした。


「埋もれ木」3.jpg 山に近い小さな町。まち(夏蓮)ら三人の女子高生たちは、短い物語を作り、それをリレーして遊ぶことを思いつく。さっそく、町のペット屋がらくだを仕入れた、というエピソードをはじまりに、無邪気な夢物語が紡がれていく。次々と紡がれる物語は未来へと向かう夢なのか。一方、大人たちも慎ましやかにそれぞれの日々をいき続けている。そんなある日、大雨の影響で地中から"埋もれ木"と呼ばれる古代の樹木林が姿を現した。やがて町の人々は、そこでカーニバルを開催することを思いつく―(「埋もれ木」)。

「埋もれ木」お1.jpg 「埋もれ木」は小栗康平監督の'05年作品で、撮影は'04年の梅雨から夏の三重県で行われ、前作「眠る男」と同じく地元タイアップ的な作品。第58回「カンヌ国際映画祭」で特別上映され、国内外で注目されたのよ、主演の女子高生三人(夏蓮、松川リン、榎木麻衣)を7000人の一般公募者の中から選出したことでも話題になった作品でした(そう言えば前作「眠る男」にも、ごく普通の女子高生たちが登場した)。物語は、起承転結がないような思わせぶりな小さいエピソードの積み重ねであり、それはそれでいいのですが、これもまた説明不足であるため、落としどころが何なのかよく分かりませんでした(したがって話題が先行した割にはヒットしなかった)。

 この監督は、真摯に自分の撮りたい作品を撮り続けているように見える一方で、独りよがりとの批判を受けても仕方がない面もあるように思えます(コアなファンには受けるのだろうが)。また、「賞狙い」的な要素も感じられ、その極みが「FOUJITA」('15年)だったのではないかと思います(個人的評価★★☆)。「泥の河」(個人的評価★★★★☆)みたいな作品はもう撮らないのかなあ。

「死の棘 (1990年)」 (1).jpg「死の棘」●制作年:1990年●監督・脚本:小栗康平●撮影:安藤庄平●音楽:細川俊夫●原作:島尾敏雄●時間:115分●出演:松「死の棘」松坂岸部.gif坂慶子/岸部一徳/木内みどり/松村武典/近森有莉/山内明/中村美代子/平田満/浜村純/小林トシ江/嵐圭史/白川和子/安藤一夫/吉宮君子/野村昭子●公開:1990/04●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-09-12)(評価:★★★☆)
松坂慶子(ミホ) 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞、山路ふみ子女優賞
岸部一徳(トシオ)日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、キネマ旬報賞主演男優賞、全国映連主演男優賞

「眠る男 (1996年)」.jpg「眠る男」●制作年:1996年●監督:小栗康「眠る男」010.jpg平●製作:小寺弘之●脚本:小栗康平/剣持潔●撮影:丸池納●音楽:細川俊夫●時間:103分●出演:役所広司/クリスティン・ハキム/安聖基 (アン・ソンギ)/左時枝/野村昭子/田村高廣/今福将雄/八木昌子/小日向文世/瀬川哲也/渡辺哲/岸部一徳/蟹江敬三/平田満/真田麻垂美/太刀川寛明/小林トシ江/中島ひろ子/藤真利子/高田敏江/浜村純/風見章子●公開:1996/02●配給:SPACE●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-10-03)(評価:★★★)

「埋もれ木」011.jpg「埋もれ木 (2005年)」.jpg「埋もれ木」●制作年:2005年●監督:小栗康平●製作:小栗康平/佐藤イサク/砂岡不二夫●脚本:小栗康平/佐々木伯●撮影:寺沼範雄●時間:93分●出演:夏蓮/松川リン/榎木麻衣/浅野忠信/坂田明/岸部一徳/坂本スミ子/田中裕子/平田満/左時枝/塩見三省/小林トシ江/草薙幸二郎/久保酎吉/湯川篤毅/代田勝久/松坂慶子(油状出演)●公開:2005/06●配給:ファントム・フィルム●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-10-17)(評価:★★★)


『死の棘』文庫.jpg『死の棘』...【1981年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
「死の棘」より(抜粋)
●『あなたの気持ちはどこにあるのかしら。どうなさるおつもり?あたしはあなたに不必要なんでしょ。
だってそうじゃないの。10年ものあいだ、そのように扱ってきたんじゃないの。
あたしはもうがまんはしませんよ。もうなんと言われてもできません。爆発しちゃったの。
もうからだがもちません。見てごらんなさい、こんなに骸骨のように痩せてしまって』

●『あなた、あたしがすきだったの、どうだったの、はっきり教えてちょうだい・・・・じゃ、
どうしてあなたはあんなことをしたんでしょう。ほんとにすきならあんなことするはずがない。
あなた、ごまかさなくていいのよ。きらいなんでしょ。きらいならきらいだと言ってくださいな。
きらいだっていいんですよ。それはあなたの自由ですもの。きらいにきまってるわ。
あなたはほんとのことを、あたしに言ってちょうだいな。このことだけじゃないんでしょう。
もっとあるんでしょ。いったいなんにんの女と交渉があったの?』

●「妻は私の肝をつつき、その非をついばむことに容赦しないが、私からもぎ取られてしまえば彼女は
生きて行くことができないことに気づいた私は、彼女を手放すことはできない。
はっきりどれか一つをえらび、そして家の中に閉じこもったとき、私は家の外をみきわめないままに放棄された。
だから外の方はがらんどうの暗黒となって残り、そちらからいざないと審きがかさねてやってきて
いつ襲いかかられるかわからない。」

●「自分の身のまわりに起こる事件が、最悪の状態にころがって行くことは、むしろ、ひりひりした正確さがあっていい、
とほんのしばらくそう思った。」

●「妻がふとんをかぶって紐で首を絞めると、私はそうさせまいとしたあげく、ふたりはくんづほぐれつ取っ組み合いになった。
一方が出て行けとどなっても、相手が出て行こうとするとそれを止めにかかり、どこまで落ちて行くのが見当がつかない。
・・・・・『オトウシャン、ジサツ、シュルノ?』・・・すさまじい荒れた気配が家のなかいっぱいで、
障子もふすまもぶつかって手を突っ込むからさんばらに破れ、ちゃぶ台に使っていた応接台も私がからだごとぶつけたとき、
台が抜けてこわれた。二時ごろだったろうか。どちらからともなく疲れて中休みのかたちになった。」

●「頬の肉こそ落ちたが、丸顔で広い顔の造作のせいか、眠りのなかのその顔のときの疑いを知らぬひたむきなそれが
あらわれてきて、今にもかたりかけてきそうな錯覚を覚えた。
・・・・・眠りのため妻の意識は潜んでいるから、反応を受けずに娘のときそうしたように唇をそっとかさねることもできた。
すると深夜に部隊を抜け出し、岬の峠を越えてたどりついた部落奥の、家の縁側で眠っていた彼女に唇を合わせたときの
感触がよみがえった。
なんだか犬ころに近づくときめきのなかで、小鳥のやわらかな頭を両手で抱き取っている感じがし、
彼女のにおいは、すべて起らぬ前のやさしい状態につれもどしてくれたかと思えた。」

●「『力が弱い。もういっぺん』
と妻がいえば、さからえず、おおげさな身ぶりで、もう一度平手打ちをした。女はさげすんだ目つきで私を見ていた。
『そんなことぐらいじゃ。あたしのキチガイがなおるものか』」

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「荒地の家族」の方が好みか(女親より男親の方が感情移入しやすかった?)。

『荒地の家族』.jpg 『この世の喜びよ』.jpg 168回芥川賞3.png.jpg 佐藤厚志氏/井戸川射子氏
佐藤厚志『荒地の家族』 井戸川 射子『この世の喜びよ

 2022(平成4)年下半期・第168回「芥川賞」の「W受賞作」。

『荒地の家族』『この世の喜びよ』.jpg 厄災から12年が経った阿武隈川下流域の町・亘理町。一人親方として造園業を営む坂井祐治は、厄災の2年後に妻・晴美を病気で亡くし、再婚した妻・知加子は流産を経て自分から離れていき、今は自分と会うことを頑なに拒絶している。現在は母・和子と最初の妻との間の息子・啓太との3人暮らし。その息子は12歳、小学校6年生になった。時折甦る生々しい震災の記憶、いつまた暴れるかもしれない海と巨大な防潮堤、建物がなくなった広大な荒地。そして、亡くなった妻の幻影―「(荒地の家族」)。

 「荒地の家族」は、災厄後に妻を亡くし、再婚した妻ともうまくいかず、1人息子と母親の3人で海辺の町で一人親方の仕事(造園業)を営み暮らしている主人公の心情を淡々と描いた作品。主人公に絡むいろいろな登場人物がいますが、同級生の明夫の生き様が主人公と対称的で。印象に残ったでしょうか。芥川賞受賞作には過去にも沼田真佑の『影裏』(2017)など"震災小説"がありますが、『影裏』より良かったでしょうか。佐藤康志(名前が似ている)の『そこのみにて光輝く』(1989)などの小説と似た雰囲気を感じました。


 娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の中学3年生の少女と知り合い、仲良くなったその子を自分の娘のように扱う。少女と言葉を交わすうち「あなた」は、もう子育てを終えた自分の娘たちの幼少期を思い出したり、いつぞやの記憶に不意打ちされたりする―(「この世の喜びよ」)。

 「この世の喜びよ」は子育てを終えた母親が主人公で、その日常と思考が描かれており、子供(少女はヤング・ケアラーだったといことか)が親や大人に対する容赦ない厳しい視線が何とも悲しい一方、ラストは、"あなた"の過去と現在が一つに溶け合い、自己承認的な帰結へ。「この世の喜び」って、終えた子育てを振り返っての想いだとしたら結構ありきたりですが、芥川賞選考員の小川洋子氏が言うように「何も書かないままに、何かを書くという矛盾が、難なく成り立っている」のかも知れず、モチーフよりも技法をどう評価するかなのでしょう。


 その芥川賞選考では、選考委員の内、「荒地の家族」を強く推したのが山田詠美氏と吉田修一氏で、山田詠美氏は「震災を便利づかいしていない誠実さを感じた。そして、同時に、小説のセオリーを知り尽くした書き手だと思った」とし、吉田修一氏は「読後、胸に熱いものが込み上げてきた。フィクション/嘘が必死にもがいて掴みとった本当がここにはあった」としています。

 一方、「この世の喜びよ」を強く推したのは川上弘美氏と奥泉光氏で、川上弘美氏は「あらすじを説明しても、すぐには「すばらしい作品」とは予想できないような気がします」「ところが、いったん読み始めるや、わたしはこの小説の只事の中に引きこまれ、快楽をおぼえ、いつまでも読み終えたくなくなってしまったのです」とし、奥泉光氏は「受賞作たるに十分な技術の練磨があると考えた」としています。

 ともに二重丸が二人いたことから「W受賞」となったわけですが、興味深いのは、「荒地の家族」を強く推した選考委員は共に「この世の喜びよ」をさほど推しておらず、「この世の喜びよ」を強く推した選考委員は共に「こ荒地の家族」をさほど推していない点で、まあ、「非日常の中の日常」と「日常の中の非日常」、「徹底したリアリズム技法」と「意識の流れを二人称で描く技法」と、いろいろな意味で対照的な両作品であるため、むしろ評価が割れて当然なのかもしれません。

168回芥川賞.png
akutagawasyou2.jpg
 個人的には、「荒地の家族」の方が好みですが(女親より男親の方が感情移入しやすかったというのもあるかもしれない)、芥川賞選考委員の平野啓一郎氏が「荒地の家族」について、「候補作中、最も深い感銘を受けた。復興から零れ落ちた人々の生死を誠実なリアリズムで描く反面、スタイル的な新鮮さには乏しく、受賞に賛同したが、本作を第一には推さなかった」としているように、何となく昔読んだ作家の小説を読み返しているような印象がありました。

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直接的に死を語っている部分が面白かった。「生」への執着を素直に吐露する石原慎太郎。

死という最後の未来.jpg石原 慎太郎.gif 石原慎太郎 散骨.jpg
死という最後の未来』 石原 慎太郎(田園調布の自宅で2019年2月)[毎日新聞]/石原慎太郎の海上散骨式(2022年4月)[逗子葉山経済新聞]

 キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは―。(版元口上)

 石原慎太郎と彼より1つ年上の曽野綾子が死について語り合ったもので、2020年6月に単行本刊行、今年['22年]2月に文庫化されましたが、その石原慎太郎は2月1日に満89歳で亡くなっており、ものすごく好きな人物だったというわけではないですが、やはり寂しいものです(小説は初期の作品は面白いと思う)。

 「人は死んだらどうなるのか」といった直接的なテーマから、「コロナは単なる惨禍か警告か」といった社会的なテーマ、「悲しみは人生を深くしてくれる」といった亡くなった人の周囲の人の問題までいろいろ語り合っていますが、やはり直接的に死を語っている部分が面白かったです。

 特に石原慎太郎は、法華経を哲学とするも死後は基本的に「無」であり何も無いと考えているようであって、それでいて、それは「つまらない」と必死に抵抗している感じ。こうなると「生」に執着するしかないわけであって、そのジタバタぶりがストレートに伝わってくるのが良かったです。「生」に執着しない人なんてそういないと思いますが、「功なり名なりを成した人間」が、それを素直に吐露している点が興味深いです。

レニ・リーフェンシュタール.jpg 石原慎太郎にとっての生き方の理想となっているのは、レニ・リーフェンシュタールのような人のようです。彼女は1962年、旅行先のスーダンでヌバ族に出会い、10年間の取材を続け1973年に10カ国でその写真集『ヌバ』を出版、70歳過ぎでスクーバダイビングのライセンスを取得して水中写真集をつくり、100歳を迎えた2002年に「ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海」で現役の映画監督として復帰し(世界最年長のダイバー記録も樹立)、その翌年の2003年、101歳で結婚しています。

レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)

 また、石原慎太郎は対談の中で「僕は生涯、書き続けたい」と述べていて、結局、これも対談の中で「完治した」と言っていた膵臓がんが2021年10月に再発し、「余命3か月」程度との宣告を受けているわけですが、この時の心情も含め、「死への道程」というのを書いていて、その通り最後まで書き続けたのだったなあと(これが絶筆となり、死去後の今年['22年]3月10日に発売された「文藝春秋」4月号に掲載されている)。

 先月['22年6月]には、65歳になる前から書き綴られた自伝『「私」という男の生涯』(幻冬舎)が、石原自身と妻・典子の没後を条件に刊行されています(典子夫人は石原慎太郎の死去後1カ月余りしか経ない3月8日に亡くなっている)。まあ、生涯、作家であったと言えるし、作家というのは引退のない職業だとも言えるのかも。

ホタル  2001es.jpg 因みに、石原慎太郎が話す、特攻隊の基地があった鹿児島・知覧の町で食堂をやっていた鳥濱トメさんから直接聞いた「自分の好きな蛍になって、きっと帰ってきます」といった隊員の話は、降旗康男監督、高倉健主演の映画「ホタル」('01年/東映)のモチーフにもなっていました。

映画「ホタル」('01年/東映)奈良岡朋子

【2022年文庫化[幻冬舎文庫]】

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ディテールの描写はいいが、主人公にはカタルシス不全を覚え、結末もやや大雑把だったか。

ジョッキーズ・ハイ.jpgジョッキーズ・ハイ2.jpg 大井競馬.jpg
ジョッキーズ・ハイ (集英社文庫)』 大井競馬場

 地方競馬の騎手・一色純也は、中堅だが成績は三流だ。彼が所属する北関東競馬で、競走馬から禁止薬物が検出された。愉快犯の犯行? それとも競馬開催を妨害しようとする陰謀? 純也は恋人の競馬ジャーナリスト・沙耶香と調査を始める。薬物事件はその後も続き関係者が揺れる中、純也にかつてない好調の波が訪れ―。

 競馬に関するノンフィクション・ライターでもある作者の小説で、替え玉を扱った『ダービーパラドックス』('18年/集英社文庫)、馬牧場を舞台にした『キリングファーム』('19年/集英社文庫)に続く文庫書下ろし第3弾。

大井競馬最高配当.jpg 綿密な取材に基づいたディテールの正確な描写が効いていて、それでいて、書下ろしということもあってか、スイスイ読めました。地方競馬業界の実態や、そこでどういったことが行われているかが分かり、興味深かったです(そう言えば、大井競馬場で、指定された3つのレースの1、2着馬を順番通りに当てる3重勝2連勝単式馬券、『トリプル馬単』で今日['21年6月10日]地方競馬史上最高となる(購入金額50円が)2億2813万165円(1口当たり4562万6033円)となる配当が出たというニュースがあった。因みに、今年['21年]の3月14日の中央競馬では、(購入金額100円が)5億5444万6060円になる史上最高配当が出ている)。

 ただ、ノンフィクション調でありながら、作者がどれくらい実際にあった事件を参照にしているのかよく分からず、なんとなく隔靴掻痒感がありました。

 それと、口上に「競馬に関する描写のリアルさと、ミステリーとしての切れ味に思わず息をのむ衝撃の作品」とありますが、「競馬に関する描写のリアルさ」は分かりますが、「ミステリーとしての切れ味」はどうかなあと思いました。

 結局、純也と沙耶香の推理は正確な結論に行き着かないまま、最後は警察による事件解決になってしまうし、その間に純也は沙耶香を守り切れていないので、「探偵」としても「ヒーロー」としても欠格しているような気がして、若干カタルシス不全を覚えました。

 その結末も、容疑者が数多くいて、実際に多くの人物が関与している事件であった割には、最後ばたばたばたっというかなり大雑把な畳み方で、結局何がどうなっていたのか今一つ分かりにくかったです。

 Amazon.com のコメントに「島田明宏さんのファンとしては4作目を期待せずにはいられません」というのがありますが、第4弾の『ノン・サラブレッド』('20年/集英社文庫)がもう刊行されているのだなあ。

 でも取り敢えず自分としては、競馬における同じように薬物疑惑問題を扱ったディック・フランシスの『興奮』('76年/ハヤカワ・ミステリ文庫)を読み返してみようかな。

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作者の作品の中では純文学に近い部類?「倉庫作業員」が一番すっきりして気持ちいい。

IMG_20210224_063002.jpgハマボウフウの花や風200_.jpg  『息子』1991.jpg
ハマボウフウの花や風』  山田洋次監督「あの頃映画 「息子」 [DVD]

 作者が'89年から'90年くらいにかけて発表した短編を集めたもので、表題作の「ハマボウフウの花や風」のほか、「倉庫作業員」「皿を洗う」「三羽のアヒル」「温泉問題」「脱出」の全6編を収録。作者の若い頃の経験も含め、いろいろな仕事に携わる人、いろいろな生き方を選ぶ人が描かれていたように思います。
山田 洋次 (原作:椎名 誠)「息子
」 (1991/10 松竹) ★★★☆
映画 息子.jpg 「倉庫作業員」...... 大学を中退した浅野は、まとまった金を作るために日雇い労働をしていたが、より安定した仕事を求めて「紅谷金属」という伸銅品問屋に臨時社員として就職する。そこには、倉庫長の20代後半位の成田、16歳の若さのアキ、おっさんこと辻村、浅野と同い年位の三沢などの面々がいた。ある日浅野は、運送会社の運転手タキさんと取引先の「新光プラス」へ納品に行った際に、その会社の事務員の美しさに惹かれ、誘うが笑うだけで返事がない。そこで、彼女に手紙を書いて渡す。後で分かったことだが、彼女の名前は川島征子、彼女は話したり聴いたり出来ない聾唖者だった―。すっきりとして気持ちのいい短編(評価:★★★★)。山田洋次監督がこの作品をもとに永瀬正敏、和久井映主演で映画「息子」('91年/松竹)を撮っています(いや、あの映画、主演は浅野の父親を演じた三國連太郎だったか。おっさんをいかりや長介、タキさんを田中邦衛が演じている)。

 「皿を洗う」...... 写真学校に通う21歳の僕はイタリアンレストランで皿洗いのアルバイトをしている。そこには、学生の竹本と辻田、ミュージシャン志望の通称ジャム、司法書士めざす田津浜、四十代半ばイタリア人の調理人パウロ、三十才前後で菓子作り担当のパウロの日本人妻ヨーコなどがいた。ぼくは、一つ年上の女・直子と付き合っている。ある日、ヨーコと田津浜が駆け落ちしたようだ。店に三島由紀夫を来たのを覗き見し、その後三島は割腹自決することに―。東京写真大学(現・東京工芸大学)の学生だった作者自身が20歳の頃、六本木のイタリアンレストランで皿洗いのアルバイトをしていた時の経験が元になっているようです。ノスタルジー小説か(★★★☆)。

あひるのうたがきこえてくるよ。 [VHS]」「あひるのうたがきこえてくるよ。 オリジナル・サウンドトラック
あひるのうたがきこえてくるよ。.jpgあひるのうたがきこえてくるよ。cd.jpg 「三羽のアヒル」... 都内の中学で国語教師をやってた梶良介(45才)は、当時流行ったブラックバス釣りのため山上の湖に住みついた。家賃1万円、生活費1万円の暮らしだが、田舎暮らしというのは、のんびりしていそうで結構忙しいということを知る。野菜を作ってもそれが大きくなることに感動し、楽しい楽しいと言っている内に花が咲いて食べる時期を逃してしまう。ボートで釣りをするのが日常だったある日、世話人から三羽のアヒルの子を貰い受けるが、アヒルの子たちは水に入ろうとしないし、自分で餌を獲ることも知らない。こうして自分のことを親だと思うアヒルたちを躾ける生活が始まる―。カヌーイストの野田知佑氏が作者に話した話がベースになっているようで、作者自身が監督し、柄本明主演で「あひるのうたがきこえてくるよ。」という映画になっているようですが未見。でも、何となくしみじみとしたいい話でした(★★★☆)。

 「ハマボウフウの花や風」...... 水島圭一は、昔ケンカに明け暮れていた故郷の舞浜を19年ぶりに訪れ、かつて想いを寄せた同級生・吉川美緒と再会する。小さな海辺の町で水島らが虚しく熱く暴れ回っていた、忘れられない青春時代の記憶だった。当時たくさんの味方があり敵があった。味方の赤石哲夫、吉野耕三、左眼が義眼のビーズ屋・仙一、対峙する敵方の首領はダボ常。昔話と彼らのその後について話しが続く。皆に今は今の暮らしがあり、美緒と付き合っていた赤石は今は日本にはいない―。これものノスタルジー小説で、表題作であると同時に作者唯一の直木賞候補作ですが、選考委員の多くが指摘したように、回想譚に(しかも、後日譚があるため二重の過去形に)なっている分インパクトが弱く、モチーフも既存小説にありがちなパターンで、群を抜くほどの作品でもないと思いました(評価:★★★)。

 「温泉問題」...... ライターの西田は写真家のつるさんとが八丈島に取材に行く。そこでいろいろな人に会い、いろいろな経験をする―。紀行文みたいな小説ですが、小説の中にあるもう一つの温泉の話が面白かったです。東北花巻に近い山の温泉宿での話で、混浴温泉に身体つきから30代くらいと思わる女性が入ってきたが...。あり得る話かもなあ。でも、これも物語の中で話になっているので、ややインパクトが弱かったかも。作者は同じモチーフでSFも書いたりしますが、じれもSF版があったように思います(★★★☆)。

 「脱出」...... 大学受験浪人生の信二には思うところがあり、暫く一人で自活しながら受験勉強したいと家を飛び出す。偽名を使って芦ノ湖の旅館相手の雑貨店での住み込みの仕事に就き、仕事が慣れるまではつらかったものの耐え、仕事のために運転免許を取得しようとした。ところが―。'70年の大阪万博の頃の話で、当時の地方都市でありそうな話。これもちょっと地味かなあ(★★★)。

 作者の作品の中では純文学に近い部類かも。全体にそう悪くはないのですが、経験に即して描こうとしているのか、リアリティはあるけれどドラマ性が薄いかもしれません。そうした中、冒頭の「倉庫作業員」が、一番良かったように思うし、山田洋次監督が選びそうな作品だなあという感じもしました。

【1994年文庫化[文春文庫]】

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「過去130年間の論壇を振り返る」には紙数足らずで、読書案内としてはやや中途半端か。

読む力 - 0_.jpg読む力.jpg
読む力 - 現代の羅針盤となる150冊 (中公新書ラクレ)』['18年]
二十一世紀精神―聖自然への道 (1975年)』['75年]
松岡 正剛 二十一世紀精神.jpg 編集工学研究所の松岡正剛氏と、月300冊は本を読むという元外交官で作家の佐藤優氏が、雑誌「中央公論」創刊130年記念で、過去130年間の論壇を振り返って語った誌上対談シリーズを新書化したものです。個人的な注目は松岡正剛氏で、かなり以前に津島秀彦氏との対談集『二十一世紀精神―聖自然への道』('75年/工作舎)を読んでスゴイ思考力の人がいるものだなあと思ったものですが、当時はそれほど知られていなかったのが、今や「松岡正剛 千夜一夜」で、読書子の間ではすっかり有名になりました(個人的には今でもスゴイ人だなあと思っている)。

 第1章では、二人が子供のころに読んだ本を語り合っていて、両者の対談は"初"だそうですが、「実は、高校は文芸部でした」という佐藤氏の打ち明け話にはじまり、意外とオーソドックスだと思いました。それが、第2章から「20世紀の論壇」がテーマになっていて、ああ、そう言えば、「過去130年間の論壇を振り返る」のが企画の趣旨だったなあと。以下、第3章から第5章まで、章末に、対談の中で出てきた主要な本のリストがあり、一部書影もあって見やすく親切であると思いました。

禅と日本文化1.bmp阿部一族 岩波文庫.jpg 第3章では、日本国内の130年間の思想を(この「130年」というのは要するに「文藝春秋」の創刊からの年数であるのだが)、ナショナリズム、アナーキズム、神道、仏教...と振り返り、章末に「国内を見渡す48冊」として、それまでの対談の中で取り上げた、鈴木大拙の『禅と日本文化』や森鷗外の『阿部一族』などが挙げられています。

ブリキの太鼓 ポスター.jpg存在の耐えられない軽さ.jpg 第4章では、主に欧米の思想について、民族と国家、資本主義などに関して検証的に振り返り、章末に「海外を見渡す52冊」として、ニーチェの『道徳の系譜』やテンニエスの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』、サルトルの『存在と無』やヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』やミラン・クンデラの『存在の堪えられない軽さ』などが挙げられています。

ロウソクの科学改訂版.jpgバカの壁1.jpg 第5章では、ちょっと切り口を変えて「通俗本」を取り上げています。ここで言う「通俗本」とは、難解な学問や他者の業績を「通俗化」しようとする試みのもと書かれた本のことで、それは学問や思想を普及させ、人々の理解を促すものであるとして、二人とも礼賛しています。章末に「通俗本50冊」として、マイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』や養老孟司氏の『バカの壁』などが挙げられています。

 意外とオーソドックスな中、第5章の「通俗本」という考え方が、個人的には目新しかったでしょうか。ただ、「通俗本50冊」のラインアップの中に、手塚治虫の『火の鳥』や白土三平の『カムイ外伝』と並んで弘兼憲史氏の『社長島耕作』などが入っていたりするのが意外でした。『社長島耕作』は、佐藤優氏が"一生懸命読んでいる"ところだとのことで、それに対して松岡正剛氏は「えっ、島耕作を? 何のために読んでいるのですか?」と聞き返しています。それに対して佐藤氏は、「つまるところ、世の中たった一人しか幸せじゅない」という世界を、主人公の早稲田大学入学から会長になるまでトレースしているとし、松岡氏は「ふうん、そういうことか」と。但し、あまり納得していない様子でした。ともに「通俗本50冊」の価値を認めながらも、どのような本がそれに該当するかは意見が違ってくる部分もあるのは当然かと思います。

 そもそも、この紙数で「過去130年間の論壇を振り返る」のにやや無理があったかもしれません(だから「読む力」というタイトルになった?)。対談内容が、(自分の読んでいる本が少なすぎて)自分の理解が及ばないというのもあることにはありますが、全体に少しもやっとした印象のものになってしまったように思いました。

 読書案内としても、二人ともスゴイ読書家であることは読む前から分かっているわけですが、やや中途半端な印象でしょうか。松岡正剛氏のまえがきによれば、編集部から事前に「150冊選んでください」と言われたそうですが、この二人、他にもいっぱい"読書案内"的な本を出しているので、本書はそれぞれのそうした"読書案内"本の<体系>の一部にすぎず、そちらの方も併せて読みましょうということなのかもしれません。

《読書MEMO》
●佐藤 優 2020年「菊池寛賞」受賞(作品ではなく人に与えられる賞)
受賞理由:『国家の罠』で2005年にデビュー以来、神学に裏打ちされた深い知性をもって、専門の外交問題のみならず、政治・文学・歴史・神学の幅広い分野で執筆活動を展開。教養とインテリジェンスの重要性を定着させる

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あり得ない話なのだが、リアルな描写と凝ったプロットで引き込まれた。

月の満ち欠け 佐藤正午2.jpg月の満ち欠け 佐藤正午3.jpg月の満ち欠け.jpg   「月の満ち欠け」2022.jpg 
月の満ち欠け 第157回直木賞受賞』(2017/04 岩波書店)  映画「月の満ち欠け」(2022)
佐藤正午 氏
佐藤正午 .jpg 2017(平成29)年上半期・第156回「直木賞」受賞作。

 八戸在住で60歳過ぎになる小山内堅は、東京駅のホテルで、18歳で亡くなった娘・小山内瑠璃の高校時代の親友だった女優の縁坂ゆいと、その娘・るりの親子に会う。「どら焼き、嫌いじゃないもんね。あたし、見たことあるし、食べてるとこ。一緒に食べたことがあるね、家族三人で」と初対面の少女・縁坂るりは小山内に向かって言い放つ。彼女は「あたしは、月のように死んで、生まれ変わる」と言うのだ。目の前にいるこの7歳の娘が、いまは亡きわが子だというのか?小山内を含めた3人の男と転生を繰り返す少女の、30余年に及ぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく―。

小説の読み書き.jpg 1955年生まれの作者(佐世保在住)にとって、デビューから34年目での「直木賞」受賞作で、受賞時の年齢61歳10ヵ月というのは歴代第7位ですが、かなり高齢に感じられるのは、やはり既に作家として名を成しているためでしょうか。岩波書店からは『小説の読み書き』('06年/岩波新書)という本も出していたりして、内容的には小説の読み方書き方を人に押し付けるものではないですが、こうした本を著すというのはそれなりに作家として出来上がっているということではないかと思います。デビュー作以来32年ぶりの文学賞受賞作が前作の『鳩の撃退法』('14年/小学館)(山田風太郎賞)ということで、ここにきて"賞づいた" 感じもします(因みに『鳩の撃退法』の主人公は直木賞作家だったが今は小説を書いていない男)。そして、本作『月の満ち欠け』は実際面白かったです。この"面白さ"(言い換えれば"エンタメ性")は、かなり戦略的に練られた効果であるようにも思いました。
小説の読み書き (岩波新書)』['06年]

 人は何度も生まれ変わるという輪廻転生をモチーフにしていますが、作者によれば、着想はナボコフの小説「ロリータ」で、中年男が少女に恋をする話の逆で行こうとし、そのままだと嘘っぽいので、それに「生まれ変わり」の設定を加えたとのことです。シュールで現実にはあり得ない話ですが、リアルな描写を積み重ねていく文章の上手さと、複雑な設定が組み合わさったプロットの巧みさで、引き込まれるように読み進むことができました。

 直木賞の選評では、9人の選考委員の内、浅田次郎、伊集院静、北方謙三、林真理子の各氏が強く推したようで、4人が◎だと、これでほぼ決まりという感じでしょうか。浅田次郎氏が「熟練の小説である。抜き差しならぬ話のわりには安心して読める大人の雰囲気をまとっており、文章も過不足なく丁寧で、どれほど想像力が翔いてもメイン・ストーリーを損うことがない」とし、伊集院静氏が「本来、小説には奇妙、摩訶不思議な所が備わっているものであるが、これを平然と、こともなげに書きすすめられる所に、作者の力量、体力を見せられた気がする」と評しており、この両氏の選評がしっくりきました。ストーリーでどこか破綻しているところはないかとも思いましたが、積極的に推さなかった桐野夏生氏さえ、「構成は怖ろしく凝っていて巧みだ」としているので、読んでいて時系列的な経緯が掴みにくかった部分は多少ありましたが、これでストーリー破綻はないのだろうなあ。

 気がついてみたら、語りの時間は東京駅付近で午前10時半に始まり午後1時すぎまでの3時間弱の間に収まっていて、この中に34年強の物語が詰まっているという構成も上手いと思いましたが、一方で、そうなると、最後の章が必要だったのかどうか(蛇足ではなかったか)と迷うところです。北方健三氏は、最終章と言うより最後の一行について、「本来ならば切れ味と言われるところに、微妙な作為を感じてしまったのだが、それが欠点だという確信は持てなかった」としています。

岩波文庫的 月の満ち欠け 文庫.jpg 『小説の読み書き』でも川端康成の『雪国』、志賀直哉の『暗夜行路』、森鴎外の『雁』といった文学作品を取り上げていて、ミステリっぽい作品がありながらもどちらかと言うと文芸作家というイメージもあったのですが、本作も、岩波書店から出されているせいもあるかもしれませんが、文芸小説っぽい雰囲気もあります。因みに本作は、岩波書店から刊行された本としては、芥川賞・直木賞を通じて初の受賞作となります(岩波書店としてもかなり嬉しかったのか、2019年の文庫化に際して、岩波文庫を模したカバー装填を施す"遊び"を行ったりしている)

 読んでみて、改めて、この作家ってストーリーテラーだったのだなあと思いました。帯に「二十年ぶりの書き下ろし」「新たな代表作」とあるだけのことはあって、十分に"凝って"いました。作者は、直木賞に決まって「うれしいより、ほっとした」とのこと。但し、授賞式は欠席しています(その理由には、「(佐世保から長崎までの)長旅で仕事ができなくなるのでは、元も子もない」と体調面での不安を挙げている)。

高田馬場・稲門ビル4.jpg 「3人の男」の小山内堅以外のあとの2人は三角哲彦と正木竜之介という男ですが、三角哲彦の若い頃の物語で、高田馬場の東映パラスと早稲田松竹が出て来るのが懐かしかったです。"懐かしかった"と言っても早稲田松竹はまだありますが、稲門ビル4階にあった東映パラスは1999(平成11)年頃閉館し、今は居酒屋「土風炉」になっています。

稲門ビル

「月の満ち欠け」.jpg
(●2002年12月、廣木隆一監督による映画化作品公開。

「月の満ち欠け」 相関図.jpg「月の満ち欠け」01.jpg 仕事も家庭も順調だった小山内堅(大泉洋)の日常は、愛する妻・梢(柴咲コウ)と娘・瑠璃(菊池日菜子)のふたりを不慮の事故で失ったことで一変する。深い悲しみに沈む小山内のもとに三角哲彦(目黒蓮)と名乗る男が訪ねてくる。事故に遭った日、小山内の娘が面識のないはずの自分に会いに来ようとしていたこと、そして彼女は、かつて自分が狂おしいほどに愛していた「瑠璃」(有村架純)という女性の生まれ変わりなのではないか、と告げる―。

「月の満ち欠け」02.jpg 山内堅役に2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼朝を演じた大泉洋、妻・梢役に2017年の「おんな城主 直虎」で井伊直虎を円演じた柴咲コウ。そう言えば、有村架純(2017年前期のNHK連続テレビ小説「ひよっこ」でヒロイン役を演じた)もまた、2023年の「どうする家康」の築山殿(瀬名)役でNHK大河ドラマに初出演する。有村架純と目黒蓮のストーリーをもっと見たかったという人もいたようだが、そもそも転生物語における3代分を1つの映画の間尺に収めるのに苦心している印象を受けた。そのくせラストで、亡くなった妻・梢も女の子に転生していることを仄めかしたのは、ちょっとやりすぎの印象も。原作の、ファンタジーでありながらも醸されていた文学的雰囲気も薄まった。評価は原作より星1つ減の★★★☆。) 

追記:1980年代の高田馬場がCGで再現されていたのは良かった。黒川紀章が設計した「BIG BOX」は1974年の開業当時からベースは赤だった(今は青)。隣の「F1ビル」2階の芳林堂書店はまだあるはずだ。早稲田松竹は、実際に今あるものを80年代風の装飾をして撮影に挑んだのだそうだ。「おもいでの夏」('71年/米)などがかかっているようだ。)
「月の満ち欠け」高田馬場.jpg

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「月の満ち欠け」6.jpg「月の満ち欠け」 4.jpg「月の満ち欠け」●制作年:2022年●監督:廣木隆一●製作:新垣弘隆/遠藤日登思/矢島孝/宇高武志●脚本:橋本裕志●撮影:水口智之●音楽:FUKUSHIGE MARI●原作:佐藤正午●時間:128分●出演:大泉洋/有村架純/目黒蓮(Snow Man)/伊藤沙莉/田中圭/菊池日菜子/寛一郎/波岡一喜/丘みつ子/柴咲コウ●公開:2022/12●配給:松竹●最初に観た場所:有楽町・丸の内ピカデリー2(2階席)(22-12-20)(評価:★★★☆)

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【2019年文庫化[岩波文庫的]】

《読書MEMO》
●2023年に早稲田松竹で、「月の満ち欠け」の上映に寄せて、劇中で三角(目黒蓮)と瑠璃(有村架純)が再会するきっかけになった作品「アンナ・カレーニナ」と、二人が劇中で早稲田松竹で鑑賞する「東京暮色」を上映。さらに、原作でも瑠璃のモチーフとなっているアンナ・カリーナ主演、ジャン=リュック・ゴダール監督作「女と男のいる舗道」がレイトショー上映された。
『月の満ち欠け』と巡る名画座・早稲田松竹.jpg

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フィクションとして読むのが順当。面白かったが『レディ・ジョーカー』には及ばない。

罪の声 塩田武士.jpg罪の声 塩田武士1.jpg 罪の声 塩田武士2.jpg 罪の声 塩田武士3.jpg
罪の声
塩田武士氏『罪の声』山田風太郎賞  2021年映画化(東宝)主演:小栗旬・星野源
塩田 武士 『罪の声』山田風太郎賞.jpg「罪の声」 映画.jpg 2016 (平成28)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2016年・第7回「山田風太郎賞」受賞作。2017年・第14回「本屋大賞」第3位。2016年「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」第2位。

 京都でテーラーを営む主人公・曽根俊也は、ある日、亡くなった父の遺品の中からカセットテープと黒皮の手帳を発見する。手帳は英語の文字で埋まっていて、カセットテープには、子供の声で、現金受け渡しを指示する言葉が録音されていた。その声を聞いた俊也は、それが自分自身の声であるとわかり衝撃を受ける。父は犯行グループの一味だったのか。録音に関する彼自身の記憶は無く、31年前の真相を知るために、彼は事件を調べ始める。同じ頃、大日新聞社文化部に所属する阿久津英士は、社会部・事件担当デスクの鳥居から、大阪本社の年末企画「ギン萬事件―31目の真実」への参加を求められる。鳥居は、阿久津にある資料を手渡して調査を命じる。その資料とはギン萬事件の4ヶ月前にオランダで起きたハイネケン社長の誘拐事件に関するもので、事件の直後から現地で事件のことを調べ回っている東洋人がいたという。阿久津はイギリスに飛んで調査を始める。31年前の事件の真相が、二人の男によって再び甦ろうとしていた―。

 1984年から1985年にかけて起きた「グリコ・森永事件」を題材にした小説で、但し、事件から31年経った「現在の関西」を舞台に小説は始まり、それは、主人公の一人・俊也が、事件で現金受け渡しの指示に使われた「子供の声の録音テープ」の声の主であり、そのことを知ったのが「現在」であるためです。

「週刊文春ミステリー ベスト10」の第」1位に選ばれただけあってそれなりに面白かったですが、清水潔氏が「週刊文春」の書評で、「複雑な事件構成にも関わらず破綻も見せずに犯人像を絞り込んでいく」としながらも、「取材開始までの各アプローチシーンなどはややくどい気もする」としているのには同感です。

 また、清水氏は、「ノンフィクションの体を取りつつ真犯人に到達したかのような噴飯物の書も存在する中、本書が被害社名を架空のものとしフィクションであることを明確にしているのは賢明だ」としていますが、身代金取引現場などの描写は事件当時の事実を再現してはいるものの、まあ、他の部分はフィクションとして読むのが順当でしょう。清水氏も最初はこんなにスルスルと重大事件の謎解きができてたまるか思ったりもしたようですが、読み進むうちに先の認識に至ったようで、作者自身、事件を推理するつもりでこれを書いたのではないように思います。

高村薫.jpgレディ・ジョーカー1.jpgレディ・ジョーカー2.jpg 清水氏が最初この小説は実際の事件の謎解きかと思ってしまった背景には、作者が神戸新聞社の記者出身であったこともあるのかもしれないし、同じく「グリコ・森永事件」を題材にした高村薫氏の『レディ・ジョーカー』('97年/毎日新聞社)がそれっぽい雰囲気を漂わせていたこともあるのかもしれません。但し、高村薫氏もかつて「グリコ・森永事件」を扱ったテレビ番組に出演したことがありましたが、自身の小説を事件の"謎解き"であるような主張はしていなかったように思います。

 この『罪の声』はサスペンス小説として傑作なのかもしれませんが、どうしても高村氏の『レディ・ジョーカー』と比べてしまい、相対的に見て物足りなさを感じざるを得ず、また、自分の好みともやや合わなかったように思います。

 『レディ・ジョーカー』は犯人グループに脅迫される側を菓子メーカーではなくビール会社にしていましたが、事件に直面した大企業の内部の混乱ぶりや、そうした事件さえ権力抗争の材料にしようとする社内ポリティクスなどがよく描かれていて、企業小説としても面白く読めました(この部分が『罪の声』には全く無く、比べること自体が酷かもしれないが)。

 また、『レディ・ジョーカー』の犯人グループには共感とまでいかなくともシンパシーを感じる部分はありましたが、この『罪の声』では全くそれは感じられません。その代わり、ラストで事件に巻き込まれ長らく離別していた母子が再会する場面を持ってきていますが、これってどうなのか。感動する人もいるかもしれませんが、個人的にはややあざとい印象を受けてしまいました。

 『罪の声』を読んで良かったと思った読者には『レディ・ジョーカー』も読んで欲しい気がします。但し、『レディ・ジョーカー』も読んだ上で、『罪の声』の方が『レディ・ジョーカー』よりいいという人がいるかもしれないし、その辺りは好みの問題でしょう。

2020年映画化「罪の声」(東宝)主演:小栗旬・星野源
映画『罪の声』.jpg映画『罪の声』ド.jpg

【2019年文庫化[講談社文庫]】

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面白い。素材自体がかなり興味深い。ノンフィクション・ノベルも「ノベル」の内。

復讐するは我にあり 上.jpg復讐するは我にあり下.jpg 復讐するは我にあり 上 (講談社文庫.jpg 復讐するは我にあり下 (講談社文庫).jpg 復讐するは我にあり 文春文庫5.jpg
復讐するは我にあり 上 (講談社文庫 さ 7-1)』『復讐するは我にあり〈下〉 (1978年) (講談社文庫)』/『復讐するは我にあり (文春文庫)』['09年(改訂新版文庫化)]
復讐するは我にあり (上・下) (1975年)

復讐するは我にあり (上・下)5.JPG 1975(昭和50)年下半期・第74回「直木賞」受賞作。

 昭和38年、当時の日本の人々はたった一人の男に恐怖していた。榎津巌(えのきづ いわお)。キリスト教カトリック信者で「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、大学教授・弁護士などに化けて78日間もの間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。稀代の犯罪者の犯行の軌跡を再現する―。

佐木隆三LG.jpg 昨年['15年]10月に78歳で亡くなった佐木隆三(1937-2015)の代表作ですが、作者がこの作品を書いた時には、本書の素材となった「西口彰事件」から既に12年が経っており、よく調べ上げたものだなあと思いました。でも、こんなスゴイ犯罪者が実際にいたとは驚きです。小説での犯人・榎津は、天才的な詐欺の能力を発揮する神出鬼没の詐欺師であり、それでも詐欺よりも殺人の方が効率が良いと考え、またそれを実行する凶悪犯でもあります。

西口彰.jpg 犯人が熊本では弁護士を装って教戒師の家に押し入ったものの、当時10歳(小学5年生)の娘が見抜き、通報することにより逮捕につながったというのは「西口事件」における事実であり、警察の要職を歴任した高松敬治は「全国の警察は、西口逮捕のために懸命な捜査を続けたが、結果的には全国12万人余の警察官の目は幼い一人の少女の目に及ばなかった」と語ったと言います(犯人が自分で自らの逮捕の経緯を「裸の王様」みたいな話だと言ったのも本当らしい)。

西口 彰(1925-1970)1964年1月3日逮捕、1966年8月15日死刑確定、1970年12月11日福岡拘置所で死刑執行(享年44)。

 こうした犯人の詐欺等の犯行で見せる天才性と逮捕のきっかけが小学生に正体を見抜かれたというそのギャップも興味深いし、捕まって死刑が確定してから、死刑囚仲間をカトリック教徒にしようと、本物の神父が教誨師として刑務所に行けない時は代わりを務め、自分の死刑執行の方が早かったために洗礼に立ち会えないことを残念に思いながら刑場の露と消えたというのも興味深いです。元々、敬虔なクリスチャンの父親の下、幼い頃から教会に関わっていたにしても、だったら何故、そのような連続殺人を犯したのか。死刑が確定してから、拘置所内では点字訳の奉仕作業でハイデッガーの『存在と時間』を訳していたそうで、ものすごく正確な点訳だったようです。

復讐するは我にありo.jpg復讐するは我にあり huroku.JPG 作者はトルーマン・カポーティの『冷血』(1965年)を意識して執筆したそうですが、『冷血』が2人の死刑囚への直接取材を通して彼らの内面に入り込むのに対し、作者はこの犯人に対しては「調べれば調べるほど内面が覗けなくなった」と秋山駿(1930-2013)との対談で述べており(単行本付録)、その分だけ、『冷血』と同じノンフィクション・ノベルであっても(改訂新版['07年/弦書房]の帯には"ノンフィクション・ノベルの金字塔"とある)、対象(犯人)と距離を置いている分、純粋ノンフィクションの色が濃くなっている印象は確かにあります。

復讐するは我にあり〈改訂新版〉』['07年/弦書房]

 読んでいていてともかく面白い。この面白さだったら直木賞の選考でも満票に近かったのではないかと思ったりもしますが、このノンフィクションの色が濃いという辺りが、9名の選考委員の内、過半数の5名(水上勉、源氏鶏太、石坂洋次郎、村上元三、川口松太郎)が◎と圧倒的に支持されながらも、柴田錬三郎が「ノンフィクション・ノベルという奇妙なジャンルがあるらしいが、私には、そんなジャンルを認めることのばかばかしさが先立つ」「丹念に、犯行のありさまと逃亡経過を辿ったところで、それは小説のリアリティとはならない」とするなどし、一部選考委員の票が割れる要因となったかも。同じく選考委員だった司馬遼太郎、松本清張の両大御所も積極的には推しておらず△でした(改訂新版の2年後に出た文庫版['09年/文春文庫]の帯では"ノンフィクション・ノベルの金字塔"ではなく"実録犯罪小説の金字塔"となっている)。

 個人的にも、読んでいてどこまで事実なのか気になった部分もあったし(その場にいないと分からないようなことも書かれている)、秋山駿も作者に、作中に出てくるバーのマダムが刑事に向かって自分が何を喋るにもすぐ"自白する"という言葉を使う場面について、創作なんだなあと(真偽を問われた作者の方は「黙秘します」と言って笑っている)。ルポルタージュという前提で書かれてはいないのですから、全てが事実ではないかもしれない。こうした場合、全てが事実であるように見せるのが上手さであって、やはりそこで作家としての力量が問われるという点で、普通の小説と変わらないのではないかと思いました。人によってこの作品を「新聞記事の世界」という人もいますが、自分としてはそうした見方には与しません。ノンフィクション・ノベルも「ノベル(小説)」の内でしょう。今村昌平監督による映画化作品もいいです(当然のことながら、映画の方がよりドラマタイズされている)。

復讐するは我にあり13.jpg復讐するは我にあり  04 .jpg復讐するは我にあり  C7.jpg「復讐するは我にあり」 (1979/04 松竹) ★★★★☆


【1978年文庫化[講談社文庫(上・下)]/2007年改訂新版[弦書房]/2009年改訂新版文庫化[文春文庫]】

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人と人の不思議な繋がりの綾が面白く、一気読み。主人公のある種ブレークスルーを感じた。
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神秘』(2014/04 毎日新聞社)        神戸・三宮センター街

 2011年8月、膵臓がんの末期で余命1年と宣告された53歳の出版社役員・菊池は、21年前に出会った病を治す力を持つ山下やよいという女性のことを思い出し、彼女を求めて神戸に赴く。やよいは菊池が在籍していた月刊誌の編集部に電話をかけてきた自称超能力者で、他人の体調不良を癒せるらしい。当初は胡散臭いと菊池も疑ったが、やよいと一緒に〈どうか神様、足の痛みを取って下さい〉と念じると、その時捻挫していた足が治ってしまったという経験を21年前にしていた。菊池は、やよいを探し求める一方で、〈自分はこれまで何にすがり、何につかまり、何を目指して生きてきたのだろう?〉という問いに向き合う。そして菊池が神戸で多くの人に聞き込みをしていく中で、〈神秘〉としか言いようがないことが次々と起き、山下やよいと自分との間に、菊池自身が離婚した妻をはじめ、離婚、病気、災害といった受難を経た多くの人々の運命が奇跡的に絡み合っていたことが明らかになる―。

 毎日新聞に'12年9月から'13年12月まで連載された作品で、山本周五郎賞を受賞した『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』('09年/講談社)と同じく癌に罹った出版社勤務の男が主人公。但し、『この胸に...』の方は再発の恐れを抱えるキャンサーサバイバーでしたが、こちらは末期癌患者という設定になっています。

 『この胸に...』同様、主人公の思惟が延々と綴られ、ああ、これがこの作者の作品の一つの特徴だったなあと。癌にかかった男の闘病記というより、癌になったことを契機に、主人公が人生の目的や人間の存在を様々な観点から捉え直す思索の旅のような作りになっています。

 一方で、病を治癒する力を持った主人公の旅は、緩やかな展開ながらもミステリアスな様相を呈していきます。こちらは、『この胸に...』が必ずしもミステリとしては完結していなかったために(或いはラストでばたばたと纏めた感じだっただけに)、プロット的にさほど期待していなかったのですが、読み進むにつれて、ミステリと言うより人と人の不思議な繋がりが、最初は徐々に、終盤は畳み掛けるように一気に浮彫りにされてきます(これぞまさに〈神秘〉)。

 最初からミステリを期待して読んだ人には"落とし処"が無いような作品に感じられたかもしれませんが、個人的にはこれらの人と人の不思議な繋がりの綾が面白く、ラストまで一気に読めました(最近読んだ日本の作家のものでは一番面白かったかも)。

 病を癒す能力を持つ人の存在も(おそらくキリストなどもその一人だったのだろう)不死身の躰を持つ人の存在も(住吉駅「新快速飛び降り事件」って本当にあったんだなあ。スゴイところからネタ拾ってくるね)、共に神秘であるならば、こうした人と人との巡り合わせも、ある意味で神秘ということになるのでしょう。山本周五郎賞受賞作の小野不由美氏の『残穢(ざんえ)』('12年/新潮社)にも似たものを感じましたが、小野氏が自身を主人公に実録風に書いているのはややルール違反のような気もして、こちらの白石氏の『神秘』の方が自分には受け容れ易かったです。

奇跡的治癒とはなにか.jpg 主人公である菊池の思惟のたたき台となる、志賀直哉の『城の崎にて』、スティーブ・ジョブズの伝記、バーニー・シーゲルの『奇跡的治癒とはなにか』、ポール・オースターの『トゥルー・ストーリーズ』などは、読んだこともあるものも含め、何となくまた読みたくなりました(特に、『奇跡的治癒とはなにか』は、自分が癌で余命宣告されたら読むかも)。

バーニー・シーゲル『奇跡的治癒とはなにか―外科医が学んだ生還者たちの難病克服の秘訣

 個人的には自分の実家が神戸なのでロケーション的に親しみがありましたが、初めて神戸に行った人からみると震災の爪痕がもう残っていないように見えるのかなあ(ずっと住んでいる人から見れば、建物の外形や高さが変わってしまって、以前は見えなかった景色が見えたりする、未だに馴染めない感覚があるのだが)。
ジョイフル 三ノ輪.jpg 終わりの方に出てくる菊池が谷口公道と会う「ジョイフル三の輪商店街」も個人的に馴染みがあったりして...(件の蕎麦屋は「砂場総本家」だなあ。以前は店の前に鉄道模型が走っていたなあとか)。

ジョイフル三ノ輪商店街

 作者は余命1年と宣告された菊池をある種の精神的自由に導いたのかもしれないし、そうでないかもしれません。菊池は理知的ではあるが、一般的な宗教に救いを求めるタイプでもないようです。しかしながら、この山下やよいを探し求める旅を通して彼が遭遇した、まさにやよいに象徴される〈神秘〉、そして〈奇跡〉に近い人と人の繋がりを通して、何か自分を包み込む大きなものの存在を感じたであろうことには違いなく、また、そのことが、彼にとって、悟りとまでは言わないまでも、ある種ブレークスルーになっていくことは示唆されていたように思います。

白石一文さん『神秘』の刊行記念しサイン会.jpg三宮センター街「ジュンク堂書店」.jpg白石一文氏:『神秘』の刊行記念しサイン会(2014年5月25日 神戸・三宮センター街「ジュンク堂書店」)[毎日新聞]

【2016年文庫化[講談社文庫(上・下)]】

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「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ

主人公の思惟もハードボイルドな雰囲気も楽しめた。プロットの方がむしろそれらの背景か。

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 単 上.jpg この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 単下.jpg  この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 文 上.jpg この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 文下.jpg
この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (100周年書き下ろし)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下 (100周年書き下ろし)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (講談社文庫)』『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 下 (講談社文庫)

 2009(平成21)年・第22回「山本周五郎賞」受賞作。講談社創業100周年記念書き下ろし作品。

 数々のスクープを物してきた「週刊時代」43歳の敏腕編集長カワバタ・タケヒコは、ある日、仕事をエサに新人グラビアアイドルのフジサキ・リコを抱いた。政権党の大物政治家Nのスキャンダルを追う中、そのスキャンダルを報じる最新号の発売前日に禊のつもりで行ったその場限りの情事のはずだったが、彼女を抱いた日から、彼の人生は本来の軌道を外れて転がり出す―。

 語り手の「僕」(カワバタ・タケヒコ)の意識・思考・回想が現在進行している日本と世界の現実を背景に延々と語られますが、「格差」の問題等を語るに際して、そこに、ミルトン・フリードマン『政府からの脱出』、堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』、湯浅誠『貧困襲来』、岡田克也『政権交代この国を変える』、ポール・クルーグマン『格差は作られた』など多くの書籍からの引用があり、それだけでなく、立花隆『宇宙からの帰還』ほか理系書などからの引用を通して生命論や死生観まで語っています。

 こうした夥しい引用から、「新しい啓蒙小説と言えるのかもしれない」(ノンフィクション作家・久田恵氏)などと評され、山本周五郎賞の選評でも「これだけ深く思惟している小説は近年稀である」(作家・浅田次郎氏)との感想もあった一方で、「装飾物」が多くてまどろっこしかったなどといった意見も聞かれ、「引用過剰」の表現スタイルそのものが賛否両論を醸した作品と言えるかと思います。

 個人的には、そうした主人公の思惟の部分は興味深く読めましたが(フリードマン、ボロクソだなあ)、むしろ、ガン再発の恐れという極めて個人的な懸念事項を抱えながら、雑誌編集者としてドロドロとした(どこの会社にもありそうな社内抗争も含めた)現実社会に生きる主人公の人生に、ある種の虚無感を孕んだハードボイルドな生き方の一類型を見る思いがしました。

 一方、ストーリーの方は、こういうのってオチが無いのだろうなあと思って読んでいたら、ラストはちゃんと捻ったプロットになっていて、振り返ってみれば伏線らしきものもあったような。但し、最後、まるで後日譚のようにばたばたっとその辺りが明かされていて、この作品におけるプロットの位置づけがややはっきりしなかったかも。

 山本周五郎賞の選評で浅田次郎氏は、「むしろミステリーの枠に嵌めることによって、作品は矮小化されてしまったのではあるまいか」とも言っていて、北村薫氏も「この結末には、急ぎ過ぎたのではないかということも含めて、疑問が残った」と言っています。しかしながら、小池真理子氏、重松清氏の2名の選考委員の強い推薦があって、池井戸潤氏の『オレたち花のバブル組』(TVドラマ「半沢直樹」の原作)などを抑えて山本周五郎賞を受賞しています(小池真理子氏は「選考委員を続けていてよかったと思える作品に巡り合えた」とし、重松清氏は「胸をえぐられるような思いでページをめくった作品は候補作の中では白石さんのものだけだった」と述べている)。直木賞の選考などでもそうですが、やはり○や△が並ぶよりも◎が複数あるのが強いようです。個人的にも、『オレたち花のバブル組』よりはこちらが上かなあ。『オレたち花のバブル組』はまあ池井戸潤氏の作品の中でも"劇画"のような作品であり、この白石氏の作品とは全く異質で比較するのは難しいけれど...。

 この作品の主人公カワバタ氏の思惟の部分については、全てについて賛同出来るわけではないですが、こうした表現形式そのものが現代的とも言えるし(実際に現代社会に生きている人間はメディア等から様々な情報を得て、都度それを評価しているわけだ。逆に、普通の小説でそうしたものが出て来なさすぎるのかも)、また、主人公の生活と意見を記述するという意味では、クラシカルな私小説的手法とも言えるかもしれません。

 星5つにしなかったのは、これも山本周五郎賞選考委員の篠田節子氏が言うように、「思索内容と主人公の状況や行動の間にもう少し緊密な関連があれば、より掘り下げた形で、テーマに肉薄できたのではないか」という点でやや引っ掛かったから。でも、主人公の思惟もハードボイルドな雰囲気も楽しめました。プロットの方がむしろそれらの背景のようなものだったのではないでしょうか。

【2011年文庫化/講談社文庫(上・下)】

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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ

時を遡る構成も巧みだが、男女の様々な位相をリアルに描いていて上手い。

ホテルローヤル 桜木 紫乃 0.jpg ホテルローヤル 桜木 紫乃  直木賞帯.jpg 桜木 紫乃.jpg  20201109 『ホテルローヤル』.jpg(2020年映画タイアップカバー)ホテルローヤル』['13年/集英社]  桜木 紫乃 氏  ホテルローヤル (集英社文庫)』['15年]

 2013(平成25)年上半期・第149回「直木賞」受賞作。

 恋人から投稿ヌード写真撮影に誘われた美幸は、廃墟となったラブホテルを訪れるが―(「シャッター」)。人格者だが不能の貧乏寺住職の妻は、檀家からお布施を得るためにある行動をとっていて―(「本日開店」)。舅との同居で、夫と肌を合わせる時間がない専業主婦。新盆の日、突如浮いたお金でホテルに行くことを思い立ち―(「バブルバス」)。妻の浮気に耐える単身赴任中の高校教師が妻に黙って突然の帰省を思い立つが、道中、親に家出されたという女子生徒が付いてきて―(「せんせぇ」)他3編収録。

 釧路湿原を見下ろす高台に建つラブホテル「ホテルローヤル」に各編の主人公たちが皆関わっています(正確に言えば「せんせぇ」だけが、物語の現時点では関わりは無く、但し、数日後には関わりを持つであろうことを示唆して終わっている)。今は廃墟となったラブホテルでの投稿写真撮影から話が始まって、これまで生業としていた看板屋をやめてこれからラブホテルを建てて一山当てようようとする中年男の話で終わるという、40年間の時を遡っていく構成が巧みです。

 発表順は冒頭の話と最後の話が最初に発表され、その後間の時期の話で繋いでいったようですが(「本日開店」は単行本刊行のための書き下ろし)、最初からそうした構想はあったのだろうと思います。但し、構成の巧みさだけでなく、一つ一つの話が、男女の様々な位相を立場の異なるそれぞれの主人公の眼からリアルに描いていて、文章も落ち着いて読み易かったです。強いて言えば、全体に醒めたトーンと言えるかと思いますが、そのことは、15歳の時に父親が釧路町にラブホテルを開業し、部屋の掃除などで家業を手伝っていたという作者の経験が、こうした性愛への冷めた視点を形成したと―これはもうこの連作の定番的な解釈になっているみたいです。

 作者自身、直木賞受賞後の亀和田武氏との対談で(「週刊文春」2014年1月新年特大号)で、「私は男の人や性愛に、夢も希望もなかったんです。(中略)実家のラブホテルの部屋を掃除して、男女の事後のにおいを嗅いでしまったんで。順序が逆で、ミステリーを結末から読む感じ、最後から想像していく癖がついた」と語っており、同じような体験をすることは出来ないけれど、作者本人の口から語られると、尚一層のこと、ナルホドなあと思わされました。

ホテルローヤル 桜木 紫乃 サイン会.jpg 本書を読む前は、直木賞を受賞した作者が地元・釧路でサイン会やトークセッションを行っているのをニュース報道などで見て、何となく違和感がありましたが、読んでみると釧路町の各場所の地名が実名で出ているようだし(「ホテルローヤル」自体も作者の父親が開業したホテルの名前をそのまま使っていて、但し、作者の実家は看板屋ではなく理容室であったとのこと)、モチーフがラブホテルであっても、地元の人は何か郷土愛的な親しみやすさを感じるのかもしれません。更には、失われた建物や空間に対するノスタルジーなどもあるのではないでしょうか(実際には、この連作が纏まった頃に作者の父が当ホテルを廃業したそうで、実際のホテルローヤルが無くなって小説の「ホテルローヤル」の方が残る形となった)。

"直木賞受賞の桜木紫乃さん、故郷・釧路でサイン会"(「朝日新聞デジタル」2013年8月17日)

 ラブホテルそのものが実在している時はいかがわしいとの眼で見られたり邪魔だと思われたりしていても(ラブホテルを町のシンボルとして誇る住民はいないと思う)、無くなってみると何となく懐かしく感じられたりすることはあるのではないかと。舞台は「釧路市」ではなく、更に過疎化が進んでいると思われる「釧路町」であり、町が賑わっていればそのホテルはまだ在ったかもしれず、「地方の過疎化」というのもこの連作の背景モチーフとしてあるように思いました。
 そうした眼で見ると、作者のサイン会などにも"町興し"的なものを感じてしまうなあ(実際にサイン会やトークセッションが行われたのは「釧路町」ではなく「釧路市」なのだが。作者は、この作品での直木賞受賞後、釧路市観光大使に任命されている)。

 また、この連作のベースには、作者の父の夢の実現からその終わりまでという流れもあるように思われます。モチーフがあまりに自身の経験に近すぎるというのもあるかもしれませんが、作者自身の境遇に近い主人公を描く際も、一定の距離を置くよう細心の注意が払われていうように思われ、それだけ、この作品に対する作者の注力の度合いを感じました。作家としての実力はこの10年余りで既に実証済みで、直木賞選考委員の間では、この作品に賞をあげなければどの作品であげるのかというのもあったのではないでしょうか。他の候補作は読んでいませんが、順当な受賞だと思います。

ホテルローヤル eiga.jpgホテルローヤル gaz0.jpg映画「ホテルローヤル」('00年)
監督:武正晴
出演:波瑠/松山ケンイチ

【2015年文庫化[集英社文庫]】 

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労働基準監督官が何となく今までより身近に感じられるようになった(甘いか?)。

『ディーセント・ワーク・ガーディアン』 沢村凛.jpgディーセント・ワーク・ガーディアン』(2012/01 双葉社)

 「人は、生きるために働いている。だから、仕事で死んではいけないんだ」労働基準監督官である三村は、〈普通に働いて、普通に暮らせる〉社会をめざして、日々奮闘している。行政官としてだけでなく、時に特別司法警察職員として、時に職務を越えた〈謎解き〉に挑みつつ―(本書口上より)。

 労働基準監督官が主人公であるという珍しい小説で、県庁所在地である地方都市の労働基準監督署に勤める主人公の三村全(たもつ)が、かつて同級生で同じ地元の警察署の刑事・清田と組んで、企業内で生じた事故や、その背後にある事件の真相を探っていく6話シリーズの連作です。

 刑事とタッグを組んでの主人公の活躍であるため、刑事ドラマっぽいノリではありますが、労働基準監督官の仕事をよく取材しているように思われ、建設現場や工場内の安全衛生管理の問題についてもよく調べられており、そのため一定のリアリティを保っているように思いました。

 零細の建設下請け会社の作業現場で起きた死亡事故の背景にあったものは―、印刷会社に勤める夫の毎日の帰宅が遅いのを心配し、監督署に長時間残業の疑いがあると訴えた妻だったが―といった具合に、いかにもそこかしこにありそうなモチーフの事件が続きます。

 やや事件の"小粒"感を抱きながらも読み進むと、第5話「フェールセーフの穴」は、無人化工場内での事故に見せかけた殺人事件であり、さらに第6話「明日への光景」は、主人公自身が大きな陰謀の渦に巻き込まれ、罷免の危機に瀕するという、(現実的かどうかはともかく)エンターテインメント性の強いプロットとなっていて、"読み物"としての面白さにも配慮されているように思いました。

 因みに、第6話の内容をもう少し詳しく述べると、時の厚生労働大臣が労働基準監督官分限審議会を開いて、主人公を罷免しようとするというもので、その背後には、かつて主人公が労働基準法違反で検挙し、今は急成長を遂げたベンチャー企業の経営者としてIT企業の寵児となっている男の画策があるというもの(この男は大臣に贈賄をしている)。主人公は上司から、「本省に、お前を守る気はなさそうだ。周知のことだが、あの大臣は、就任直後からさまざまな分野で自己流を通そうとして、本省の幹部連中とバトルになっている。立場上の問題だけでなく、長い期間を費やしてきた重要な政策や施策が危うくなっている状態で、今度のことは...彼らにとっては些末な問題なんだ。監督官の首一つで大臣に貸しを作って、ほかで譲歩を引き出せるなら、利用させて貰おうというのが、大筋の方針のようだ」と言われます。

 つまり、大臣の意向に沿って監督官のクビを切ることで、その後の大臣との交渉において貸しを作っておこうとする省庁サイドの戦略が、その背景にあるということ。でも、臨検先の女性とホテルに行ったという精巧に捏造された証拠があるにしても、「辞めろ」と言われ、何ら自らに非無くして素直に辞められるものかなあ(但し、不倫した奥さんに離婚しましょうと言われて、それに従ってしまう主人公だからアブナイ...)。

 タイトルの「ディーセント・ワーク」とは、国際労働機関(ILO)が21世紀の目標として掲げるもので、作者は作中で主人公に「まっとうな」働き方という日本語訳が一番ぴったりすると言わせています。

 辞職を迫られた主人公が、最後に、自分自身の「まっとうな」権利は、自分自身の努力で保持しなければならないという自覚に目覚めるという落とし込みは上手いと思われ、爽快感が感じられました(と言うか、ほっとした)。

 但し、主人公の家庭内のことや妻との関係もあって寂寥感も残る結末となっており、労働基準監督官というのも一家庭人なのだなあと、何となく今までより身近に感じられるようになりました(甘いか?)。

 企業小説では、池井戸潤氏の『下町ロケット』('10年/講談社)が直木賞を受賞しており、労働問題に近いモチーフの小説では、少し前のことになりますが、リストラ請負会社の社員を主人公とした垣根涼介氏の『君たちに明日はない』('05年/新潮社)が、山本周五郎賞を受賞しています(『下町ロケット』も『君たちに明日はない』もテレビドラマ化された)。但し、労働基準監督官を主人公とした小説は、おそらくこれが本邦初でしょう。

 『君たちに明日はない』も短篇の連作で、単行本でPart3まで刊行されています。この『ディーセント・ワーク・ガーディアン』も、もう少し書き溜めると、テレビドラマ化される可能性が無いことはない?

労働基準監督官 和倉真幸1.jpg労働基準監督官 和倉真幸2.jpg 労働基準監督官を主人公としたドラマは、連続ドラマとして1クール放映されたものはないみたいですが、'05年7月にフジテレビで「労働基準監督官 和倉真幸」というのが単発ドラマとして放映されています。東ちづるが女性監督官を演じたらしく、新聞のテレビ欄の見出しによれば「労災隠し」をモチーフにしたものだったようです。 (その後、日本テレビ系列で「ダンダリン 労働基準監督官」が、竹内結子主演で2013年10月から1クール(全11回)放映された。)

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"休職刑事"の私立探偵風の捜査を描くが、プロット的にも心理描写的にも物足りない。

廃墟に乞う.jpg  廃墟に乞う2.jpg 『廃墟に乞う』['09年]

 2009(平成21)年下半期・第142回「直木賞」受賞作。

 ある事件で心に傷を負い休職中の刑事・仙道は、千葉・船橋のラブホテルで40代の女性が殺害された事件について、13年前に自分が担当した娼婦殺害事件に犯行の手口が似ていることを知り、すでに刑務所を出所しているその時の犯人・古川幸男の故郷である旧炭鉱町を訪ねる―。

 表題作「廃墟に乞う」の他、「オージー好みの村」「兄の想い」「消えた娘」「博労沢の殺人」「復帰する朝」の全6編を収録。
 主人公が休職中の刑事ということで、依頼人の要請で事件の裏を探ることになる経緯などは、私立探偵に近い感じでしょうか。

 事件そのものが何れも小粒で、トリックと言えるようなものが施されているわけでもなく、プロット自体もさほど目新しさは感じられませんでした。
 仙道の事件解決(真相究明)の手口は、所謂"刑事の勘"と言うことなのでしょうが、かなり蓋然性に依拠したようなアプローチが目立ち、むしろ、事件に関係する人物の人生の陰影や心の機微を描くことをメインとした連作と言えるのではないでしょうか。

 そうした意味では、表題作よりも、「兄の想い」「消えた娘」の方がまだよく出来ているように思われましたが、6編とも、短編という枠組みの中で、過去の事件の衝撃でPTSD気味になっている仙道の心理や、その彼と北海道警の刑事らとの関係も描かなければならなかったためか、その分、事件の当事者達の心理への踏み込みがやや浅い気がしました。

 作者は、'88(昭和63)年に『ベルリン飛行指令』で直木賞候補になっていますが(20年以上も前かあ)、近年は、「警察小説」というジャンルで独自のスタイルを固めた作家。
 今回の直木賞受賞は、選考委員である五木寛之氏や宮城谷昌光氏の選評をみると、31年間の作家生活に対する"功労賞"、乃至は、『警官の血』(2007(平成19)年下半期・第138回「直木賞」候補作)との"合わせ技で一本"という印象を受けます。

【2012年文庫化[文春文庫]】

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群像新人文学賞から芥川賞に直行!確かに前衛的だが、期待したほど面白くはなかった。

アサッテの人.jpg 『アサッテの人』 (2007/07 講談社)

 2007(平成19)年・第50回「群像新人文学賞」(小説部門)並びに2007(平成19)年上半期・第137回「芥川賞」受賞作。

 勤め人である「私」は、突如失踪した叔父の荷物を引き取りに行ったアパートで、叔父の残した日記を見つける―。

 「私」はかつてこの、脈絡なく「ポンパ!」という奇声を奇声を発する叔父をモデルにした草稿を幾度も書いており、そして今、小説『アサッテの人』としてそれを完成しようとしているが、それが出来ないでいるため、叔父の残した日記と、叔父を題材に書いた草稿を繋ぎ合わせて、それを読者に示すことで、それを完成品としようとしていて、そうした意味では、これは「メーキング小説」とも言えるかも知れません。

 更に、小説を書いている今の「私」を対象化し、小説の外側に立って小説を書くという行為そのものを考察する一方、小説の中に織り込むはずだった叔父の日記を抜粋し、その「アサッテ」ぶりに対し、現在の「私」の立場から考察していて、そうした意味では「メタ小説」とも言えます。

 ビルの警備室に勤務していた叔父の日記の中には、そのビル内にある会社に勤務する、エレベーター内で人知れず奇妙な行動をとる「チューリップ男」の観察記録があり、小説を書こうとしている「私」とその「私」を見つめる私、書かれようとしている小説乃至これまでの草稿と叔父の日記、叔父の日記の中で叔父に観察されているチューリップ男―といった具合に、3重〜4重くらいの入籠構造になっているのかな。

 「私」の耳から離れない叔父の様々な奇声は、太宰治の「トカトントン」を想起させますが、時代が変わろうとしていることの象徴のようなトカトントンに対し、「私」の叔父の奇声に対する考察は、日常と非日常の相克とでも言うか、もう少し哲学的なニュアンスのものという感じ。
 但し、日常的なもの、既成のものからの脱却という意味では、「チューリップ男」の行動の方が、吃音が直ったのをきっかけに消えてしまった程度のものであった叔父の奇声を凌駕しているかも。

 小説の主体は、入籠構造の各層を行き来しますが、1つ1つが小説として(意図的に)完成されていないため、「メタ小説」としては不全感があり、「小説」と言うより、「小説を書く」ということについての哲学的考察と言った方が合っている印象を受けました(作者は大学の哲学科出身)。

 芥川賞の選評では、案の定、石原慎太郎・宮本輝両氏の評価が低かったが(村上龍氏も)、新たに選考委員になった小川洋子・川上弘美両氏が絶賛(池澤夏樹氏も)、その他の選考委員(高木のぶ子・黒井千次・山田詠美の3氏)も概ね推薦に回り、「群像新人文学賞」受賞作では、第19回(1976年)の『限りなく透明に近いブルー』以来の(村上春樹氏の『風の歌を聴け』(第22回(1979年)群像新人文学賞受賞作)も果たさなかった)芥川賞とのW受賞になりました。

 その村上龍氏は、「私は推さなかった。退屈な小説だったからだ」と述べていて、自分の感想もそれに近いものであり、これから面白そうな作品を書きそうな人ではあるけれども、この作品については、前衛的な試みは"空振り"しているように思えました。

 ただ、過去に多くの人が、こうした作品を着想して頓挫したり失敗したりしているであろうことを思うと、前衛を保ちつつ、破綻は最小限に止まっているという感じではあり(この作品の場合、何を以って"破綻している"と言うかという問題はあるが...)、たまにはこうした実験小説的な作品が芥川賞をとるのもまあいいか―(でも、芥川賞はやはり運不運があるなあ)。

 【2010年文庫化[講談社文庫]】

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 本を選んだのは新潮社。さらっと読める分物足りなさもありるが、個人的には楽しめた。

I『新潮文庫 20世紀の100冊』.jpg新潮文庫 20世紀の100冊.jpg 新潮文庫 20世紀の100冊 2.jpg
新潮文庫20世紀の100冊 (新潮新書)』 ['09年]

新潮文庫 20世紀の100冊     .jpg 新潮社が2000年に、20世紀を代表する作品を各年1冊ずつ合計100冊選んだキャンペーンで、著者がそれに「解説」をしたものとのことですが、著者の前書きによれば、「100冊の選択におおむね異論はなかった。しかし素直にはうなずきにくいものもないではなかったし、読むにあたって苦労した作品もあった」とのこと。

 1冊1冊の著者による解説は実質10行足らずであるため、さらっと読める分物足りなさを感じる面もありますが、全体としてはよく吟味された文章と言えるのではないかと思われ、十分に(そこそこに?)楽しめました。

 個人的には、三島由紀夫の『春の雪』(1970年)の「人生のすべてをパンクチュアルに生きた人が、最後に破った約束」などは、内容に呼応した見出しのつけ方が旨いなあと。

 但し、前半・中盤・後半に分けるならば、とりわけ、前半部分の20世紀初頭の近代文学作品の解説が、作品の書かれた背景や他の同時代の作家との相関において、その作品の歴史的位置付けを象徴するような要素をピンポイントで拾っていて、文学史の潮流を俯瞰でき、作家の個人史に纏わる薀蓄などもあって、より楽しめました(著者の得意な時代ジャンルということもあるのか)。

 また、著者自身、これら100冊を「鑑賞」しようとはせず、むしろ「歴史」を読み取ろうとしたと述べているように、こうして様々な作風の作家の作品を暦年で並べて時代背景と照らしながら見ていくことには、それなりの意義があるように思えました(時折、海外の作品が入るのも悪くない)。

 でも最後の方(特に最後の10年ぐらい)になると、例えば「1993年は『とかげ』(吉本ばなな)の年、そういうことにしよう」とあるように、ちょっと評し切れないと言うか(選んだのは著者ではなく新潮社、2000年1月から毎月10冊ずつこの100冊を刊行する上での商業的思惑もあった?)、「歴史」に"定位"するスタイルでは論じ切れなくなっている感じもし、著者のこの作業が2000年に行われたことを考えれば、その点は無理もないことかも。

 「100冊」と言うより「100人」とみて読んだ方がすんなり受け容れられる面もあるかと思われますが、亡くなって年月を経た作家は、彼(彼女)の生き方はこうだった、みたいに言い切れるけれど、生きている作家については、そうした言い切りがしくいというのもあるしなあ。

企画タイアップカバー例
新潮文庫 20世紀の100冊 miadregami.jpg 1927年 河童 芥川龍之介.jpg 1931年 夜間飛行 サン=テグジュペリ.jpg 新潮文庫 20世紀の100冊 tennyawannay.jpg 新潮文庫 異邦人.jpg

《読書MEMO》
●取り上げている本
1901年 みだれ髪 与謝野晶子
1902年 クオーレ エドモンド・デ・アミーチス
ヴェ二スに死す 文庫新潮.jpg1903年 トニオ・クレーゲル トーマス・マン
1904年 桜の園 アントン・チェーホフ
1905年 吾輩は猫である 夏目漱石
1906年 車輪の下 ヘルマン・ヘッセ
1907年 婦系図 泉鏡花
1908年 あめりか物語 永井荷風
1909年 ヰタ・セクスアリス 森鴎外
刺青・秘密 (新潮文庫).jpg1910年 刺青 谷崎潤一郎

1911年 お目出たき人 武者小路実篤
1912年 悲しき玩具 石川啄木
1913年 赤光 斎藤茂吉
1914年 道程 高村光太郎
1915年 あらくれ 徳田秋声
1916年 精神分析入門 ジークムント・フロイト
和解.bmp1917年 和解 志賀直哉
1918年 田園の憂鬱 佐藤春夫
『月と六ペンス』(中野 訳).jpg1919年 月と六ペンス サマセット・モーム
1920年 惜みなく愛は奪う 有島武郎

小川未明童話集.jpg1921年 赤いろうそくと人魚 小川未明
1922年 荒地 T・S・エリオット
1923年 山椒魚 井伏鱒二
1924年 注文の多い料理店 宮沢賢治
檸檬.jpg1925年 檸檬 梶井基次郎
日はまた昇る (新潮文庫).bmp1926年 日はまた昇る アーネスト・ヘミングウェイ
河童・或阿呆の一生.jpg1927年 河童 芥川龍之介
『新版 放浪記』.jpg1928年 放浪記 林芙美子
1929年 夜明け前 島崎藤村
1930年 測量船 三好達治

夜間飛行 文庫 新.jpg1931年 夜間飛行 サン=テグジュペリ
八月の光.jpg1932年 八月の光 ウィリアム・フォークナー
1933年 人生劇場 尾崎士郎
1934年 詩集 山羊の歌 中原中也
1935年 雪国 川端康成
風と共に去りぬ パンフⅠ2.JPG1936年 風と共に去りぬ マーガレット・ミッチェル
1937年 若い人 石坂洋次郎
1938年 麦と兵隊 火野葦平
怒りの葡萄 ポスター.jpg1939年 怒りの葡萄 ジョン・スタインベック
1940年 夫婦善哉 決定版 新潮文庫.jpg夫婦善哉 織田作之助

1941年 人生論ノート 三木清
1942年 無常という事 小林秀雄
李陵・山月記.jpg1943年 李陵 中島敦
1944年 津軽 太宰治
1945年 夏の花 原民喜
坂口 安吾 『堕落論』2.jpg1946年 堕落論 坂口安吾
1947年 ビルマの竪琴 竹山道雄
俘虜記.jpg1948年 俘虜記 大岡昇平
1949年 てんやわんや 獅子文六
1950年 チャタレイ夫人の恋人 D・H・ローレンス

異邦人 1984.jpg1951年 異邦人 アルベール・カミュ
二十四の瞳 dvd.jpg1952年 二十四の瞳 壺井栄
1953年 幽霊 北杜夫
1954年 樅ノ木は残った 山本周五郎
太陽の季節 (新潮文庫) (2).jpg1955年 太陽の季節 石原慎太郎
楢山節考 洋2.jpg1956年 楢山節考 深沢七郎
1957年 死者の奢り 大江健三郎
松本 清張 『点と線』 新潮文庫.jpg1958年 点と線 松本清張
1959年 海辺の光景 安岡章太郎
1960年 忍ぶ川 三浦哲郎

1961年 フラニーとゾーイー サリンジャー
砂の女(新潮文庫)2.jpg1962年 砂の女 安部公房
飢餓海峡(下) (新潮文庫).jpg飢餓海峡(上) (新潮文庫).jpg1963年 飢餓海峡 水上勉
1964年 沈黙の春 レイチェル・カーソン
1965年 国盗り物語 司馬遼太郎
沈黙 遠藤周作 新潮文庫.jpg1966年 沈黙 遠藤周作
アメリカひじき・火垂るの墓1.jpg1967年 火垂るの墓 野坂昭如
1968年 輝ける闇 開高健
1969年 孤高の人 新田次郎
奔馬.jpg春の雪.jpg1970年 豊饒の海 三島由紀夫

1971年 未来いそっぷ 星新一
1972年 恍惚の人 有吉佐和子
辻斬り.jpg1973年 剣客商売 池波正太郎
1974年 おれに関する噂 筒井康隆
1975年 火宅の人 檀一雄
1976年 戒厳令の夜 五木寛之
蛍川・泥の河 (新潮文庫) 0.jpg1977年 泥の河 宮本輝
1978年 ガープの世界 ジョン・アーヴィング
1979年 さらば国分寺書店のオババ 椎名誠
1980年 二つの祖国 山崎豊子

1981年 吉里吉里人 井上ひさし
1982年 スタンド・バイ・ミー スティーヴン・キング
破獄  吉村昭.jpg1983年 破獄 吉村昭
1984年 愛のごとく 渡辺淳一
1985年 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
1986年 深夜特急 沢木耕太郎
1987年 本所しぐれ町物語 藤沢周平
1988年 ひざまずいて足をお舐め 山田詠美
1989年 孔子 井上靖
1990年 黄金を抱いて翔べ 高村薫

1991年 きらきらひかる 江國香織
火車.jpg1992年 火車 宮部みゆき
1993年 とかげ よしもとばなな
1994年 晏子 宮城谷昌光
1995年 黄落 佐江衆一
1996年 複雑系 M・ミッチェル・ワールドロップ
1997年 海峡の光 辻仁成
1998年 宿命 高沢皓司
1999年 ハンニバル トマス・ハリス
朗読者 新潮文庫.jpg2000年 朗読者 ベルンハント・シュリンク

 
 
 
  
       

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 半端じゃない読書量。一体いつ自分の作品を書いているのかと...。

桜庭一樹読書日記.jpg 『桜庭一樹読書日記―少年になり、本を買うのだ。』['07年] 少年になり、本を買うのだ.jpg 『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記 (創元ライブラリ) (創元ライブラリ L さ 1-1)』['09年] 

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない00_.jpg 異色のライトノベルとして評判になった『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』('04年/富士見ミステリー文庫)を読みましたが、皆が言うほどの"傑作"なのかよく分からず、大体ライトノベルというのが自分の肌に合わないのかなと思っていたら、今や直木賞作家だからなあ、この人。ライトノベルといっても終盤で露わになる近親相姦的モチーフはへヴィで、これがまあ"異色"と言われる所以ですが、このモチーフ、『私の男』へと連なっていったわけかあ。

桜庭一樹 物語る少女と野獣.jpg 角川文庫の新聞広告で読書案内人のようなこともやっていて、読書家であることでも知っていましたが、本書はタイトル通り、「書評」と言うより読書生活を綴った「日記」のようなもので、Webでの連載('06年2月〜'07年1月分)を纏めたもの。

 ミステリ中心ですが、近代文学や海外の純文学作品、詩集やノンフィクション、エッセイなども含まれていて、でもやっぱり中心は内外のミステリでしょうか(東京創元社のHP上で連載だったこともあるが)、その読書量の多さに圧倒されます。

桜庭一樹 ~物語る少女と野獣~』 ['08年/角川グループパブリッシング ]

 まず、"ミステリ通"の好みそうな作品をよく拾っているなあと感心させられますが、自然とそういう本の方向に向かうのだろうなあ、こういう読書生活を送っていると。

 自分はそこまでミステリに嵌っているわけではないので、ああ、こんな本もあるんだあみたいな感じでついていくのがやっと、とてもそれらを探して読みまくるというところには至らないですが、それでもこの本自体が1冊の「読み物」乃至はエッセイとして楽しめました。

 あまり大仰ぶらず批評家ぶらず、ストレートに「わあ〜、面白かったあ」みたいな感じで、併せて自分の生活を戯画化しながら書いているので、ついつい親近感を覚えさせるのでしょうが、ミステリ通の人が読めば、また違った読み方ができるのかも。
 何れにせよ半端な読書量では無く、一方で小説を量産しているわけで、一体いつ自分の作品を書いているのかと...。

 各ページの下の方に、文中で取り上げた本が書影付きで載っていて、必要に応じて簡単な解説もされているのが親切に思えました(自分で解説しているものもあれば編集者が書いているのもある。相互の感想のやりとりも楽しい)。

 因みに、2009年の「角川文庫の100冊」(正式タイトル「2009年 発見。角川文庫夏の100冊」)の中の「作家12人が選んだこだわりの角川文庫」というコーナーでこの人が選んだ1冊は、本書でも取り上げられている寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』でした。

 【2009年文庫化[創元ライブラリ(『少年になり、本を買うのだ-桜庭一樹読書日記』)]】

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その書き方をしたときの作家の意識のありようを追うという方法論。

小説の読み書き.jpg 『小説の読み書き (岩波新書)』 ['06年]  考える人.jpg 坪内 祐三 『考える人』['06年]

 作家である著者が、岩波書店の月刊誌「図書」に'04年1月号から'05年12月号まで24回にわたって連載した「書く読書」というエッセイを新書に纏めたもの。

 編集者の方から持ち込まれた企画で、著者自身は、原則、自分が若い頃に好きで読んだ小説を、いま中年の目で読み返して何か書く、という大雑把なスタンスで臨んだらしいですが、とり上げている作品が、「雪国」「暗夜行路」「雁」「つゆのあとさき」「こころ」「銀の匙」...と続くので、何だか岩波文庫のロングセラー作品を追っているような感じも...(実際、「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫〉」というアンケートを、途中、参照したりしている)。

 そこで、文庫本の後ろにある解説みたいなのが続くのかなと思って読んだら、確かに作品の読み解きではあるけれども、その方法論に一本筋が通っていて、なかなか面白かったです。

 作品の中の特徴的な文体にこだわり、作中の文章一節、短いものでは1行だけ抜き出して、そうした書き方をしたときの作家の意識のありようのようなものを執拗に追っていて、その時、書き手が大家であるということはとりあえず脇に置いといて、著者自身が作家として小説を書く作業に臨むときの意識と照らし合わせながら、どうしてその時代、その時々にそうした文章表現を作家たちが用いたのかを探っています。

 実際、新書の表紙見返しの概説でも、「近代日本文学の大家たちの作品を丹念に読み解きながら、『小説家の書き方』を小説家の視点から考える。読むことが書くことに近づき、小説の魅力が倍増するユニークな文章読本」とあったことに、後から気づいたのですが、確かに、こうした方法論が、別の視点からの小説の楽しみ方を教えてくれることに繋がっているかも。

 前後して、坪内祐三氏の作家・評論家論集『考える人』('06年/新潮社)を読みましたが、坪内氏が1958年生まれ、著者(佐藤正午氏)は'55年生まれと、比較的年齢が近く(とり上げている作家では、吉行淳之介、幸田文がダブっていた)、この2著の共通するところは、考えの赴くままに書いているという点でしょうか。

 とりわけ、この著者は、知ったかぶりせず、読書感想文に近いタッチで書いていて、むしろ、"知らなかったぶり"をしているのではないかと勘ぐりたくなるぐらいですが、実際、知識不足から誤読したものを読者に訂正されていて(本当に知らなかったということか)、それを明かしながらもそのまま新書に載せている、こうした姿勢は共感を持てました。

《読書MEMO》
●目次
川端康成 『雪国』
志賀直哉 『暗夜行路』
雁 新潮文庫.jpg森鴎外 『
永井荷風 『つゆのあとさき』
夏目漱石 『こころ』
銀の匙.jpg中勘助 『銀の匙
樋口一葉 『たけくらべ』
豊饒の海.jpg三島由紀夫 『豊饒の海
青べか物語1.jpg山本周五郎 『青ベか物語
林芙美子 『放浪記』
井伏鱒二 『山椒魚』
人間失格.jpg太宰治 『人間失格
横光利一 『機械』
織田作之助 『夫婦善哉』
羅生門・鼻 新潮文庫.jpg芥川龍之介 『
菊池寛 『形』
痴人の愛.jpg谷崎潤一郎 『痴人の愛
松本清張 『潜在光景』
武者小路実篤 『友情』
田山花袋 『蒲団』
幸田文 『流れる』
結城昌治 『夜の終る時』
開高健 『夏の闇』
吉行淳之介 『技巧的生活』
佐藤正午 『取り扱い注意』
あとがき

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親にもセンスが求められるかも。読んでいて楽しい本でもある。

『わが子に教える作文教室』.JPGわが子に教える作文教室.jpg
わが子に教える作文教室 (講談社現代新書)』〔'05年〕

 作家であり、10年以上にわたり小学生に作文指導を行っている著者による本。作文指導でまず大事なのは「褒める」ということ、褒めてやる気を出させ、そのうえで、ポイントを絞ってアドバイスするのが効果的とのことですが、どこを褒め、どこをどのように指導するか、親にもセンスが求められる(?)と思いました。

 上手な作文だけでなく、一見"下手くそ"な作文も多く紹介されていますが、著者に導かれてそれらをよく分析してみると、行間に生き生きとした感性や感情が込められていて味わいがあったりする、なのに大人はついついそうした良さを見落とし、言葉使いや句読点の正誤に目がいったり、「そのとき君はどう思ったの」と無理やり感想めいたことを書かせがちであると(確かに)。

 著者によれば、こうした"心模様"を書かせようとすることは、作文に文学性を持たせようとしていることの表れであるけれども、多くの子どもはそう指導されても戸惑うことが多く、そうした文章を書くのが得意な子もいれば、観察文的な文章において能力を発揮する子もいるわけです。
 小学校高学年になると、書いたもの立派な調査報告文になっているケースもあって、それらを、気持ちが描かれていないとして貶したり、無理やり直させるのはマズイと。

 著者が良くないとしていることのもう1つは、作文に道徳を持ち込むことで、それをやると国語教育ではなく道徳教育になってしまい、作文から生気が失われてしまうわけですが、学校教育の場においては、知らず知らずのうちにその傾向があるかもしれません。

 著者はテクニックを否定しているわけではなく、接続詞の使い方をきちんと教えること、比喩表現や擬人法などを遊び感覚で用いることを推奨していて、そうした著者の指導のもとで書かれた子どもの作文には、独特の勢いやリズムがあったり、思わず微笑んでしまうような楽しいものが多いですが、文体を強制したりユーモアを強要するのではなく、子ども自身にセンスが育つのを待つことが肝要であると。

 「週刊現代」に連載されていたものを1冊の新書にしたもので、「教える」側として父親を意識して書かれていますが、母親や教師が読んでも参考になると思われます。
 子どものセンスがストレートに発揮された場合、こんな面白い文章が出来上がるのかと感心させられる箇所が多く、読んでいて楽しい本でもありました。

《読書メモ》
●作文指導でまず大事なのは「褒める」ということ。褒めてやる気を出させる
●"心模様"を書かせること(作文に文学性を持たせること)を強要しない
●作文に道徳を持ち込むと、国語教育ではなく道徳教育になってしまう

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前後半通じて面白い。「文学は物言わぬ神の意思に言葉を与えること」の真摯な説明の試み。

神の微笑(ほほえみ).jpg神の微笑(ほほえみ)』 新潮文庫 〔'04年〕芹沢.jpg 芹沢光治良(1896-1993/享年96)

 前半は作者の半生記のような感じで、主人公の父親が天理教の信仰にのめりこんで財産を教団に捧げたために親族ともども味わった幼少期の貧苦から始まり、やがて学を成しフランスに留学するものの、肺炎で入院、結核とわかり、現地で送ることになった療養生活のことなどが書かれていています。

 高原の療養所で知り合った患者仲間との宗教観をめぐる触れ合いと思索がメインだと思いますが、患者仲間の1人が、天才物理学者であるにも関わらず、イエスに降り立った神というものを信じていて、幼少の頃に天理教と決別した主人公には、それが最初は意外でならない、その辺りが、主人公自身は経済を学ぶために留学しており、"文学者"が描く宗教観というより、自然科学者と社会科学者、つまり外国と日本の"科学者"同士の宗教対話のように読めて、論理感覚が身近で、面白くて読みやすく、それでいて奥深いです。

 後半は、その科学者に感化されて文学を志した主人公が、その後、天理教の教祖やその媒介者を通じて体験する特異体験が書かれていて、「世にも不思議な物語」的・通俗スピリチュアリズム的な面白さになってしまっているような気配もありましたが、主人公(=作者ですね)は、それらに驚嘆しながらも実証主義的立場を崩さず、最後まで信仰を待たないし、一時はイエスとのアナロジーで教祖に神が降りたかのような見解に傾きますが、最後にはそれを否定している、一方で、人生における様々な邂逅に運命的なものを感じ、神の世界は不思議ですばらしいと...。

 一応フィクションの体裁をとっていますが(『人間の運命』の主人公が時々顔を出す)、作者が以前に「文学は物言わぬ神の意思に言葉を与えることである」と書いたことに自ら回答をしようとした真摯な試みであり、それでいて深刻ぶらず、沼津中(沼津東高)後輩の大岡信氏が文庫版解説で述べているように、苦労人なのに本質的に明るいです(でも、よく文庫化されたなあ。通俗スピリチュアリズムの参考書となる怖れもある本ですよ)。

 要するに、神というのは、教団や教義の枠組みに収まるようなものではないし、信仰をもたなくとも、神を信じることは可能であるということでしょうか。
 とするならば、現代人にとって非常に身近なテーマであり、1つの導きであるというふうに思えました(作中の天才物理学者の考え方は老子の思想に近いと思った)。

 作者が89歳のときから書き始めた所謂「神シリーズ」の第1作で、以降96歳で亡くなるまで毎年1作、通算8作を上梓していて、この驚嘆すべき生命力・思考力は、"森林浴"のお陰(作者は樹木と対話できるようになったと書いている)ならぬ"創作意欲"の賜物ではなかったかと、個人的には思うのですが...。
 
 【2004年文庫化[新潮文庫]】

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前科者の社会復帰の難しさ。「保護司」が立派なカウンセラーに思えた。

繋がれた明日.jpg 『繋がれた明日』('03年/朝日新聞社) 繋がれた明日2.jpg繋がれた明日 (朝日文庫)』〔'06年〕

 19歳のときに、恋人にちょっかいを出した男をはずみで殺してしまい、殺人罪で5年から7年の刑に処せられた主人公は、刑期満了前に仮釈放となりますが、その後、勤務先や自宅アパートに「この男は人殺し」と書かれた中傷ビラをばら撒かれる―。

 ビラを撒いたのは誰かというミステリーの要素はありますが、一度罪を犯した者はたとえ刑期を終えても、一般社会からは許されることがないのかという、かなり重い「社会問題」に取り組んだ作品だと思いました(本のキャッチにある「罪と罰」という漠たる抽象問題というよりも)。

 社会の偏見に苦しめられ、また加害者の関係者や自らの家族からも責められるなか、気持ちの整理がつかないまま、時に短絡的な行動に出そうになる主人公ですが、味方になってくれる人もいて、全体に暗い物語のなかで、その部分だけやや救われた気持ちになります。

 しかし、やはりこうした排他的な日本の社会では、社会復帰を促す「保護司」という専門的な仕事が重要であることを感じました。
 この物語の「保護司」が立派なカウンセラーに思え、「保護司」ってこんな素晴らしい人ばかりなのだろうか、主人公はかなり「保護司」に恵まれた方ではないかとも、ちょっぴり思ったりもしました(それにしても、たいへんな仕事だなあと思う)。

 ミステリー的要素を抑えた分、人物描写等が深いかというと必ずしもそうではなく、ドラマ臭い"セリフ"が多く、会話も展開もやや冗長だし、主人公の妹が兄のために結婚をフイにしたという話などもお決まりのパターンのように思えましした。

 主人公は人間的に少しずつ成長しているのだろうけれど、ラストでアクシデント的にそのことが示されるというのも、後味が今ひとつでした。

 一方、被害者家族の側にはややエキセントリックな人物を配していて、あまり被害者側に立っていないのではという見方も成り立ちますが、それはそれで、あまり被害者側に立ちすぎると別の物語になってしまうところが、このテーマの難しさではないでしょうか。 

繋がれた明日 tvタイアップ帯2.jpgNHKドラマ「繋がれた明日」.jpg '06年にNHKでドラマ化されましたが、確かにドラマ化はしやすいと思います。但し、TV番組としてはかなり暗い話の部類になったかも(こうした暗い話をストレートにドラマ化するのが、ある意味NHKのいいところなのだが)。主人公を演じた青木崇高は、新人の割には良かったように思います(保護司役は杉浦直樹が好演)。

「繋がれた明日」●演出:榎戸崇泰/一色隆嗣●制作:岩谷可奈子/内藤愼介●脚本:森岡利行●音楽:丸山和範●原作:真保裕一「繫がれた明日」●出演:青木崇高/杉浦直樹/尾上寛之/馬渕英俚可/藤真利子/吉野紗香/銀粉蝶/桐谷健太/佐藤仁美/渡辺哲/弓削智久●放映:2006/03(全4回)●放送局:NHK

 【2006年文庫化[朝日文庫]/2008年再文庫化[新潮文庫]】

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ハリウッド映画を思わせるスケールの大きい状況設定。

ホワイトアウト.jpgホワイトアウト 1995.jpg  ホワイトアウト文庫.jpg ホワイトアウト2.jpgホワイトアウト 映画ド.jpg
ホワイトアウト』['95年]/新潮文庫〔'98年〕/「ホワイトアウト<初回限定2枚組> [DVD]

 1995(平成7)年度・第17回「吉川英治文学新人賞」受賞作。1996 (平成8) 年「このミステリーがすごい」(国内編)第1位(1995(平成7) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第2位)。

 日本最大の貯水量の「奥遠和ダム」を武装グループが占拠し、職員、麓住民を人質に50億円の身代金を要求するという、映画でも良く知られるところとなったストーリーです。

 スケールの大きい状況設定は、ハリウッド映画を思わせるものがあり、吹雪の様子などの描写が視覚的で、尚更そう感じます。作者は、アニメ制作会社でアニメの演出などをしていたそうですが、なるほどという感じもしました。ダムの構造の描写などにも作品のテンポを乱さない程度に凝っていて、この作者は"理科系"というか"工業系"の感じがしますが、臨場感を増す効果をあげています。アクション・サスペンスの新たな旗手の登場かと思われる作品ではありました(その後、純粋なアクション・サスペンスはあまり書いてないようだが...)。

WHITEOUT ホワイトアウトド.jpg ただ、アクション・サスペンス的である分、人物描写や人間関係の描き方が浅かったり類型的だったりで、映画にするならば、役者は大根っぽい人の方がむしろ合っているかも、と思いながら読んでました。結局のところ映画は織田祐二主演で、体を張った(原作にマッチした)アクションでしたが、演技の随所に「ダイハード」('88年/米)のブルース・ウィリスの"嘆き節"を模した部分があったように思ったのは自分だけでしょうか。

映画「ホワイトアウト」 ('00年・東宝)

ホワイトアウト 映画 佐藤浩市.jpg映画「WHITEOUT ホワイトアウト」 松嶋.jpg 織田祐二はまあまあ頑張っているにしても、テロリスト役の佐藤浩市の演出が「ダイハード」のアラン・リックマンのコピーになってしまっていて、自分なりの役作りが出来ていないまま映画に出てしまった感じで存在感が薄く、人質にされた松嶋菜々子に至っては、別に松嶋菜々子を持ってくるほどの役どころでもなく、客寄せのためのキャスティングかと思いました。    

奥只見ダム.jpg 奥只見ダム(重力式ダム) 黒部ダム.jpg 黒部ダム(アーチ式ダム)

 細かいことですが、本作の舞台である日本最大の貯水量を誇る「奥遠和ダム」のモデルとなったのは奥只見ダムであると思われますが、映画では「奥遠和ダム」はアーチ式ダムという設定になっているため(奥只見ダムはアーチ式ではなく重力式ダム)、撮影の際にダムの外観のショットは、アーチ式の黒部ダムなどで撮っています(原作の中身は重力式ダムという設定、単行本の表紙写真は奥只見ダムのものと思われる)。映画化するならば、アーチ式ダムの方がビジュアル面で映える、という原作者の意向らしいですが、確かにそうかも。さすが、もとアニメ演出家。

WHITEOUT ホワイトアウト .jpg映画「WHITEOUT ホワイトアウト」0.JPG「ホワイトアウト」●制作年:2000年●製作:角川映画●監督・脚本:若松節朗●脚本:真保裕一/長谷川康夫/飯田健三郎●音楽:ケンイシイ/住友紀人●撮影:山本英夫●原作:真保裕一●時間:129分●出演:織田裕二/松嶋菜々子/佐藤浩市/石黒賢/吹越満/中村嘉葎雄/平田満●劇場公開:2000/08●配給:東宝 (評価★★★)

 【1998年文庫化[新潮文庫]】

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日本の文化・芸術に対する深い洞察と惜愛。ズバッと言い切るところも気持ちいい。

名人は危うきに遊ぶ.jpg名人は危うきに遊ぶ西行.jpg西行白洲正子.jpg 白洲正子(1910-1998/享年88)

 以前に著者の『西行』('88年/新潮社、96年/新潮文庫)を読みましたが、教養エッセイの形をとりながらも、内容的には学術レベルに達していたように思います。
 〈西行〉と〈明恵〉という一見相反的な2人の人物に通じるものを看破していたのが興味深かったですが、全体として自分にはやや高尚すぎた感じも...。

 この人の"教養"は"お勉強"だけで身につく類のものではなく、出自、育ちから来るもので、そのことは、本書のような、より読みやすいエッセイを読むとかえってよくわかります。
 主に70歳代から80歳代にかけて書かれた小文を集めていますが、その多くから、日本の文化や芸術、自然に対する深い洞察と惜愛が窺えます。

 骨董にも造詣の深かった著者ですが、美しくて人を寄せつけない唐三彩に対し、触れることでまた味わいの増す日本の陶磁器の深みについて述べたくだりは面白かったです。
 魯山人の陶磁器の値段の高さに疑念を呈し、使用されるために造られたものを蔵にしまっておいては生殺しと同じであると。
 生前の魯山人と面識があり、魯山人の茶碗で毎日ゴハンを食べているという、一方で自宅に李朝の壺なども所持しているわけで、そういう人に言われると納得してしまうし、そこに見栄や衒いは感じられません。

 小林秀雄、青山二郎らスゴイ人たちと親交があり、彼らの究極の「男の友情」を目の当たりにしてきた著者にとって、日経の『交遊抄』などは「いい年した男性がオテテツナイデ仲よくしてるみたいで」、「幼稚園児なみ」の友情だそうで、こうズバッと言い切るところが気持ちいいです。

 著者は本書出版の3年後に88歳で亡くなっていますが、夫・白洲次郎を看取ったときの記述などから、すでに達観した境地が見て取れます。

 【1999年文庫化[新潮文庫]】

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司馬遼太郎『新選組血風録』、浅田次郎『壬生義士伝』のネタ本。聞き書きの文体に生々しさ。

新選組始末記.jpg 勝海舟.jpg『勝海舟』 新潮文庫(全6巻)子母澤寛.jpg 子母澤 寛 (1892-1968/享年76)
新選組始末記 (中公文庫)』 (カバー画:蓬田やすひろ) 

 子母澤寛の作品は以前に『勝海舟』('46年第1巻刊行、'68年/新潮文庫(全6巻))を読みましたが(子母澤寛はこの作品や勝海舟の父・勝小吉を主人公とした『父子(おやこ)鷹』('55-'56年発表、'64年/新潮文庫(上・下)、後に講談社文庫)などで第10回(1962年)「菊池寛賞」を受賞)、司馬遼太郎と同じく新聞記者出身であるこの人の文章は、司馬作品とはまた異なる淡々としたテンポがあり、読み進むにつれて勝海舟の偉大さがじわじわと伝わってくる感じで、坂本竜馬や西郷隆盛といった維新のスター達も、結局は勝海舟の掌の上で走り回っていたのではないかという思いにさせられます(文庫本で3,000ページ以上あるので、なかなか読み直す機会が無いが...)。

新選組始末記 昭和3年8月 萬里閣書房.jpg 一方この『新選組始末記』は、1928(昭和3)年刊行の子母澤寛の初出版作品で、子母澤寛が東京日日新聞(毎日新聞)の社会部記者時代に特集記事のために新選組について調べたものがベースになっており、子母澤寛自身も"巷説漫談或いは史実"を書いたと述べているように、〈小説〉というより〈記録〉に近いスタイルです。とりわけ、そのころまだ存命していた新選組関係者を丹念に取材しており、その抑制された聞き書きの文体には、かえって生々しさがあったりもします。

『新選組始末記』 萬里閣書房 (昭和3年8月)

1新選組血風録.png司馬遼太郎2.jpg 子母澤寛はその後、『新選組遺聞』、『新選組物語』を書き、いわゆる「新選組三部作」といわれるこれらの作品は、司馬遼太郎など多くの作家の参考文献となります(司馬遼太郎は、子母澤寛本人に予め断った上で「新選組三部作」からネタを抽出し、独自の創作を加えて『新選組血風録』('64年/中央公論新社)を書いた)。

 子母澤寛は「歴史を書くつもりなどはない」とも本書緒言で述べていて、そこには「体験者によって語られる歴史」というもうひとつの歴史観があるようにも思うのですが、後に本書の中に自らの創作が少なからず含まれていることを明かしています。

浅田次郎.jpg壬生義士伝.jpg壬生義士伝m.jpg 近年では浅田次郎氏が『壬生義士伝(上・下)』('00年/文藝春秋)で『新選組物語』の吉村貫一郎の話をさらに膨らませて書いていますが(この小説は 滝田洋二郎監督、中井貴一主演で映画化された)、『新選組物語』にある吉村貫一郎の最期が子母澤寛の創作であるとすれば、浅田次郎は"二重加工"していることになるのではないかと...。

 浅田次郎氏は「新選組三部作」に創作が含まれていることを知ってかえって自由な気持ちになったと述べていますが、それはそれでいいとして、むしろ、『壬生義士伝』において浅田氏が「新選組三部作」から得た最大の着想は、この「聞き書き」というスタイルだったのではないかと、両著を読み比べて思った次第です。

 【1969年文庫化[角川文庫]/1977年再文庫化[中公文庫]/2013年再文庫化[新人物文庫]】

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何となく癒される不思議さがある「何も起こらない」小説。

佐伯一麦『鉄塔家族』.jpg 鉄塔家族.jpg 佐伯 一麦 『鉄塔家族』.jpg 鉄塔家族 上.jpg 鉄塔家族 下.jpg
鉄塔家族』(2004/06 日本経済新聞社)装幀:柄澤 齊  『鉄塔家族 上 (朝日文庫)』『鉄塔家族 下 (朝日文庫)

 2004(平成16)年度・第31回「大佛次郎賞」受賞作。 

 東北のある地方都市に建設中の鉄塔の近くに住む小説家と草木染織家の夫婦と、同じくその鉄塔周辺に暮らす人々の日々を淡々と綴った長編私小説です。 
 終盤に主人公と前に別れた妻の中学生になる子供のことで一悶着ありますが、全体として筋立で引き込むような波乱はありません。 
 500ページを超える長編で、普通ならば退屈して読みとばしかねないところですが、この本で描かれている自然と人々の日常の細密な描写には、できるだけその中の世界に長く留まってそれを味わっていたいと思わせる不思議な快さがあります。 

 ちょっとした近所同士の交流や、四季折々の草花の描写が丁寧で温かみがあり、また主人公と染織家の妻をはじめ、近所に住む市井の人々の「今」の様子を通して、それぞれの「過去」が透かし彫りのように静かに浮かび上がってきます。

 読んでいる間も読後も"癒し"のようなものを感じましたが、こうした小説が書ける作家というのは、自身が一度ドーンと落ち込んで暗いトンネルをくぐり抜けてきたのでしょうか。 
 主人公が「生きる」ことについてリハビリしているような印象も受けましたが、読み進むにつれ、作家の書くことを通しての「生きる」ことへの強い意志を感じました。
 
 この小説は新聞連載されたもので、新聞連載中には作者は、原稿を毎日1回分ずつ書いていったそうですが、そうした丁寧さが感じられ、時の流れに人生の哀歓をじんわり滲み込ませつつ、自然との交感を通して、ささやかではあるが確かで深い世界をつくっているように思えます。

 この小説が連載されたのは日本経済新聞(夕刊)ですが、ビジネスパーソンには"癒し"が必要なのだろうか?

 【2007年文庫化[朝日文庫(上・下)]】

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「非婚少子化」の原因を一面において指摘している? 独身"ダメ男"分析に筆の冴え。

『負け犬の遠吠え』.jpg負け犬の遠吠え.jpg        少子.jpg     酒井順子.jpg  酒井順子 氏(略歴下記)
負け犬の遠吠え』['03年/講談社]『少子』 講談社文庫

  2004(平成16)年・第4回「婦人公論文芸賞」、2004(平成16)年・第20回「講談社エッセイ」受賞作。

 女の〈30代以上・未婚・子ナシ〉は「負け犬」とし、その悲哀や屈折したプライドを描きつつ、"キャリアウーマン"に贈る応援歌にもなって、その点であまり嫌味感がありません。 
 二分法というやや乱暴な手が多くに受け入れられたのも(批判も多かったですが)、自らを自虐的にその構図の中に置きつつ、ユーモアを交え具体例で示すわかりやすさが買われたからでしょうか?  
 裏を返せば、マーケティング分析のような感覚も、大手広告会社勤務だった著者のバックグラウンドからくるものなのではないかと思いました。 
 最初から、高学歴の"キャリアウーマン"という「イメージ」にターゲティングしているような気がして、このへんのところでの批判も多かったようですが。

 個人的に最も興味を覚えたのは、辛辣な語り口はむしろ男に向けられていることで、独身"ダメ男"の分析では筆が冴えまくります。 
 著者が指摘する、男は"格下"の女と結婚したがるという「低方婚」傾向と併せて考えると、あとには"キャリアウーマン"と"ダメ男"しか残らなくなります。 
 このあたりに非婚少子化の原因がある、なんて結論づけてはマズいのかもしれないが(こう述べるとこれを一方的な「責任論」と捉える人もいて反発を招くかも知れないし)。 
 さらに突っ込めば、「女はもう充分頑張っている。男こそもっと"自分磨き"をすべきだ」と言っているようにもとれます(まさに「責任論」的解釈になってしまうが)。
 
 著者はエッセイストであり、本書も体裁はエッセイですが、『少子』('02年/講談社)という著作もあり、厚生労働省の「少子化社会を考える懇談会」のメンバーだったりもしたことを考えると、社会批評の本という風にもとれます。 
 ただし、世情の「分析」が主体であり、「問題提起」や「解決」というところまでいかないのは、著者が意識的に〈ウォッチャー〉の立場にとどまっているからであり(それは本書にも触れられている「懇談会」に対する著者の姿勢にも窺える)、これはマーケティングの世界から社会批評に転じた人にときたま見られる傾向ではないかと思います。

 【2006年文庫化[講談社文庫]】
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酒井順子 (さかいじゅんこ)
コラムニスト。1966年東京生まれ。立教大学卒業。2004年、「負け犬の遠吠え」で第4回婦人公論文芸賞、第20回講談社エッセイ賞をダブル受賞。世相を的確にとらえながらもクールでシビアな視点が人気を集める。近著に『女子と鉄道』(光文社)、『京と都』(新潮社)『先達の御意見』(文春文庫)など。

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