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当事者性問題を超えた力や巧みさがあった。ラストは評価が分かれるか。

Iハンチバック.jpg『ハンチバック』.jpg 市川 沙央.jpg 市川沙央 氏
ハンチバック

 2023(平成5)年・第128回「文學界新人賞」、2023(平成5)年上半期・第169回「芥川賞」受賞作。

 井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。両親が終の棲家として遺したグループホームの、10畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、Twitterの零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。幼少期に「背骨の曲がらない正しい設計図に則った人生」の道から外れた釈華は、「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢」だと思う。釈華のもとには、ヘルパーが訪れていた。両親の配慮で、入浴介護は必ず同性のヘルパーが付き添うようにしていたが、コロナ禍の中どうしても人員調整ができず、釈華の了承のもと男性ヘルパーの田中が来るようになった。入浴介護は何事もなく終わったが、その後、急に田中から、釈華が運用しているTwitterの話題をされる。田中は釈華のTwitterアカウントを特定していたのだ。釈華の中絶への興味を知った田中は、そこから思わぬ行動に出て―。

 先天性ミオパチーによる側弯症の主人公は、作者も同様の境遇であり、当事者ということになります。選考員会での圧倒的な推挙を経ての芥川賞受賞です。特に、平野啓一郎、吉田修一、山田詠美、川上弘美の4氏が推しましたが、9人の選考委員の内これだけ◎評価の人がいれば、まあ「決まり!」という感じでしょう。実際、芥川賞受賞作にしては珍しく(笑)読ませる作品でした。

 選評で平野啓一郎氏は「難病当事者としての実人生が色濃く反映された作品だが、健常者優位主義の社会が『政治的に正しい』と信じる多様性に無事に包摂されることを願う、という態度とは根本的に異なり、障害者の立場から社会の欺瞞を批評し、解体して、再構成を促すような挑発に満ちている」とし(◎積極的賛成)、島田雅彦氏は「露悪を突き抜け、独特のヒューモアを醸し出し、悟りの境地にさえ達している」と評しています(○賛成)。一方、松浦寿輝氏は「フェラチオの挿話をはじめ、複雑な層をなしているはずの主人公の心象の、いちばん激しい部分を極端に誇張する露悪的な表現の連鎖には辟易としなくもない」とも(□消極的賛成)。

 こうした選評で少し気になるのは、「当事者小説」であることがどれぐらい議論されたかということですが、選委委員の最終的なコメントを見ると、そのあたりの議論はスルーされている印象も受けます。そうした当事者性問題を超えた力や巧みさがあったということでしょう。その点は個人的に異論は無いのですが、この作品に賞を与えるということが先に決まって、そのためにその議論を意図的にねぐってしまったような気がしなくもないです。

 作者が、「(障害の)当事者の作家がいなかったことを問題視してこの小説を書いた」とし、訴えたかったのは「障害者の場合、文化環境も教育環境も遅れている」ということだとして、「障害の当事者作家」と呼ばれること厭わないという態度表明をしていたことも影響があったのでは、という気もします。

 また、「文學界新人賞」の選考では、ラストシーンについて意見が別れたようで、どちらかというと否定的な意見が目立っていました。村田沙耶香氏は「この部分がなければもっとよかったという気持ちと、この部分がないこの小説に対して読み手が感じる良さはあまりに傲慢なのではないかという気持ち、両方に襲われ、何度読み返しても意見はまとまらなかった」とし、中村文則氏も「本編にあった明確な強度に対し、このわかりにくいラストでは合っていないと感じた」と。他の委員である金原ひとみ、青山七恵、阿部和重の3氏も、ラストには否定的な見解を述べています。

 普通、こうした話は、主人公が夢想するまでで、「そこから先」は行かないものが文芸小説では多い気がするのですが、この作品は「そこから先」に行っているところが衝撃的でした。一方で、ラストの部分は、これはやはり主人公のイマジネーションの世界なのでしょう。個人的には、ちょっと"戻ってしまった"感がありました。この部分を、主人公のさらなる"前進"と解するか、主人公の書く18禁TL小説の単なる延長に過ぎないと解するかで、評価が分かれるもしれません。個人的には露悪的な表現は気にならず(むしろ痛快)、このラストの曖昧さゆえに◎にしませんでした。

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「荒地の家族」の方が好みか(女親より男親の方が感情移入しやすかった?)。

『荒地の家族』.jpg 『この世の喜びよ』.jpg 168回芥川賞3.png.jpg 佐藤厚志氏/井戸川射子氏
佐藤厚志『荒地の家族』 井戸川 射子『この世の喜びよ

 2022(平成4)年下半期・第168回「芥川賞」の「W受賞作」。

『荒地の家族』『この世の喜びよ』.jpg 厄災から12年が経った阿武隈川下流域の町・亘理町。一人親方として造園業を営む坂井祐治は、厄災の2年後に妻・晴美を病気で亡くし、再婚した妻・知加子は流産を経て自分から離れていき、今は自分と会うことを頑なに拒絶している。現在は母・和子と最初の妻との間の息子・啓太との3人暮らし。その息子は12歳、小学校6年生になった。時折甦る生々しい震災の記憶、いつまた暴れるかもしれない海と巨大な防潮堤、建物がなくなった広大な荒地。そして、亡くなった妻の幻影―「(荒地の家族」)。

 「荒地の家族」は、災厄後に妻を亡くし、再婚した妻ともうまくいかず、1人息子と母親の3人で海辺の町で一人親方の仕事(造園業)を営み暮らしている主人公の心情を淡々と描いた作品。主人公に絡むいろいろな登場人物がいますが、同級生の明夫の生き様が主人公と対称的で。印象に残ったでしょうか。芥川賞受賞作には過去にも沼田真佑の『影裏』(2017)など"震災小説"がありますが、『影裏』より良かったでしょうか。佐藤康志(名前が似ている)の『そこのみにて光輝く』(1989)などの小説と似た雰囲気を感じました。


 娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の中学3年生の少女と知り合い、仲良くなったその子を自分の娘のように扱う。少女と言葉を交わすうち「あなた」は、もう子育てを終えた自分の娘たちの幼少期を思い出したり、いつぞやの記憶に不意打ちされたりする―(「この世の喜びよ」)。

 「この世の喜びよ」は子育てを終えた母親が主人公で、その日常と思考が描かれており、子供(少女はヤング・ケアラーだったといことか)が親や大人に対する容赦ない厳しい視線が何とも悲しい一方、ラストは、"あなた"の過去と現在が一つに溶け合い、自己承認的な帰結へ。「この世の喜び」って、終えた子育てを振り返っての想いだとしたら結構ありきたりですが、芥川賞選考員の小川洋子氏が言うように「何も書かないままに、何かを書くという矛盾が、難なく成り立っている」のかも知れず、モチーフよりも技法をどう評価するかなのでしょう。


 その芥川賞選考では、選考委員の内、「荒地の家族」を強く推したのが山田詠美氏と吉田修一氏で、山田詠美氏は「震災を便利づかいしていない誠実さを感じた。そして、同時に、小説のセオリーを知り尽くした書き手だと思った」とし、吉田修一氏は「読後、胸に熱いものが込み上げてきた。フィクション/嘘が必死にもがいて掴みとった本当がここにはあった」としています。

 一方、「この世の喜びよ」を強く推したのは川上弘美氏と奥泉光氏で、川上弘美氏は「あらすじを説明しても、すぐには「すばらしい作品」とは予想できないような気がします」「ところが、いったん読み始めるや、わたしはこの小説の只事の中に引きこまれ、快楽をおぼえ、いつまでも読み終えたくなくなってしまったのです」とし、奥泉光氏は「受賞作たるに十分な技術の練磨があると考えた」としています。

 ともに二重丸が二人いたことから「W受賞」となったわけですが、興味深いのは、「荒地の家族」を強く推した選考委員は共に「この世の喜びよ」をさほど推しておらず、「この世の喜びよ」を強く推した選考委員は共に「こ荒地の家族」をさほど推していない点で、まあ、「非日常の中の日常」と「日常の中の非日常」、「徹底したリアリズム技法」と「意識の流れを二人称で描く技法」と、いろいろな意味で対照的な両作品であるため、むしろ評価が割れて当然なのかもしれません。

168回芥川賞.png
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 個人的には、「荒地の家族」の方が好みですが(女親より男親の方が感情移入しやすかったというのもあるかもしれない)、芥川賞選考委員の平野啓一郎氏が「荒地の家族」について、「候補作中、最も深い感銘を受けた。復興から零れ落ちた人々の生死を誠実なリアリズムで描く反面、スタイル的な新鮮さには乏しく、受賞に賛同したが、本作を第一には推さなかった」としているように、何となく昔読んだ作家の小説を読み返しているような印象がありました。

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先に海外で評価された作品。反戦映画として「ゴジラ」などより傑作。

「赤い天使」00.jpg
赤い天使 4K デジタル修復版 [Blu-ray]」「赤い天使 [DVD]」若尾文子/芦田伸介/川津祐介
「赤い天使」4K デジタル修復版.jpg「赤い天使」1966.jpg「赤い天使」2.jpg 日中戦争が激しさを増す昭和14年、従軍看護婦として中国・天「赤い天使」1.jpg津の陸軍病院に赴任した西さくら(若尾文子)は、入院中の傷病兵たちにレイプされてしまう。2か月後、前線に送られた西は、軍医・岡部(芦田伸介)の下、無残な傷病兵で溢れる凄惨な現場で働く。そこで、以前自分をレイプした傷病兵の一人・坂元(千波丈太郎)と再会する。瀕死の坂元を診て助かる見込みがないと判断した岡部は、治療を諦め輸血を止めようとするが、西は坂元を救うよう頼み込む。ある時、西はかつて岡部に命を救われた兵士の一人・折原(川津祐介)に会う。手術で腕を失い性行為が「赤い天使」3.jpgできなくなった折原を哀れんだ西は、葛「赤い天使」4.jpg藤の末にホテルで肉体関係を結ぶ。だが翌日、折原は病院の屋上から飛び降り自殺する。その後、過酷な手術に忙殺されているにもかかわらず気丈かつ冷静で、判断力を失わない岡部の姿勢に、西は惹かれていく。しかし、岡部が精神の安定を保つためモルヒネを常用しており、そのため性的不能に陥っていることを知る。岡部は西を伴って、さらに激しい前線へと向かう途中、コレラが蔓延した集落で中国軍に包囲される。そうした極限状況の中、西と岡部は激しく愛し合う。やがて中国軍の総攻撃が始まる―。

『赤い天使』.jpg 増村保造監督の'66(昭和41)年10月公開作で、原作は、映画「兵隊やくざ」('65年-大映)の原作者でもある有馬頼義(1918-1980/62歳没)が雑誌「文藝」の'65(昭和40)年1月号から10月号に連載したもの('66(昭和41)年5月河出書房刊、原作タイトルも同じく「赤い天使」)であるため、連載終了後1年そこそこで映画化されたことになります(有馬頼義は、自費出版した『終身未決囚』で1954(昭和29)年上期・第31回「直木賞」を受賞している)。
赤い天使―白衣を血に染めた野戦看護婦たちの深淵 (光人社NF文庫)』(2017)

「赤い天使」9.jpg 戦争の実態を描いた反戦映画の傑作であると同時に、自分が関わった男性がすべて死んでいくという数奇な運命を辿る西さくらという看護師を中心に据えた女性映画でもあります。川津祐介が演じる、戦禍で両腕を失い、自分でマスターベーションできない折原と性関係を結んでやる従軍看護婦という設定は、いかにも増村保造らしいシチュエーションですが、実はこれ、原作通りです(個人的には、以前にNHKの年末特番「映像全記録TOKYO2020 私たちの夏」(2021年12月30日放送)で顔出しで出ていた障害者専門のデリヘル嬢を想起した)。

「赤い天使」p1.jpg これってポルノ映画のモチーフにもなりそうで、実際、映画公開時映画のキャッチコピーも「天使か娼婦か」。今では、差別的放送禁止用語の「きち○い」「かた○」などの言葉が飛び交うということもあり、テレビでの放送も難しい映画とされていたようです。そうしたこともあってか、国内より海外で先に評価されたとのことです(映画評論家のロブ・シンプソンは、「1960年代の日本が生んだ魅力的な映画の一つであり、反戦映画として「ゴジラ」などより、はるかに直接的なアプローチで主題に取り組んだ作品」と述べているが同感)

 原作と最も異なるのは、原作では西には不定期に性関係を持つ軍部の機密機関に属する相手がいる点であり(この相手とも最初は犯されるような感じで関係を持ったのだが)、彼女は彼をさほど愛しているわけではないですが、次に会える機会を心のどこかで待ち侘びているという設定になっている点でしょうか。映画では、この相手は出てきません(そのことでヒロインに聖性を持たせているのは巧み)。

 激しい戦闘シーンもさることながら、芦田伸介が演じる軍医の岡部が片っ端から負傷兵の手足を切り落とし、それらが積み上げられている凄惨な野戦病院の描写が凄まじかったです。毎日こんな状況の中で仕事していれば、そして精神安定剤代わりにモルヒネを打っていればインポテンスにもなるのも無理ないという感じです。

 岡部が感じている戦地での医療行為に対する虚しさは、折原が西と交わった翌日に自殺したことによく表されており、折原は、仮に国に戻っても故郷には戦死者として知らされ、どこかの施設で飼い殺しにされるのが分かっていて(まるでドルトン・トランボ監督の「ジョニーは戦場へ行った」('71年/米)みたいだが、この邦画の方が5年早い)、それで西との交わりを人生の最期の悦びとして胸に抱き、自死したわけです。

「赤い天使」5.jpg 若尾文子の従軍看護婦としての毅然とした、常に気丈に振舞う姿は良くて(愛人がいる設定は、映画の中で若尾文子が演じる西のイメージにそぐわないと見たか)、岡部に裸になれと言われたり、軍服を着せられ軍靴を履かされて上官と部下の俄か逆転劇を演じさせられたりする場面でも、常にきりっとしているのが良かったです。芦田伸介もカッコ良かった。西が岡部のような年配の男性を尊敬すると同時に好きになる、その気持ちは自然のように思えました。様々な角度から見て傑作であると思います。

「赤い天使」[.jpg「赤い天使」6.jpg「赤い天使」●制作年:1966年●監督:増村保造●脚本:笠原良三●撮影:小林節雄●音楽:池野成●原作:有馬頼義●時間:95分●出演:若尾文子/芦田伸介/川津祐介/赤木蘭子/千波丈太郎/喜多大八●公開:1966/10●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(大映4K映画祭)(23-02-07)(評価:★★★★☆)

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時代のしらけムードを体現したショーケンの演技。原作を70年代バージョンに改変した長谷川和彦。
「青春の蹉跌」00.jpg
青春の蹉跌 <東宝 DVD 名作セレクション>」萩原健一/桃井かおり
青春の蹉跌 (新潮文庫)
『青春の蹉跌』2.jpg A大学法学部に通う江藤賢一郎(萩原健一)は、学生運動をキッパリと止め、アメリカン・フットボールの選手として活躍する一方、伯父・田中栄介(高橋昌也)の援助をうけてはいるが、大橋登美子(桃井かおり)の家庭教師をしながら小遣い銭を作っていた。やがて、賢一郎はフ「青春の蹉跌」図6.jpgットボール部を退部、司法試験に専念した。登美子が短大に合格、合格祝いにと賢一郎をスキーに誘った。ゲレンデに着いた二人、まるで滑れない賢一郎を背負い滑っていく登美子。その夜、燃え上がるいろりの炎に映えて、不器用で性急な二人の抱擁が続いた。賢一郎は母の悦子(荒木道子)と共に成城の伯父の家に招待された。晩餐の席、娘・康子(檀ふみ)と久しぶりに話をする賢一郎。第一次司法試験にパスした賢一郎が登美子とともに歩行者天国を散歩中、数人のヒッピーにからまれている康子を救出したことから、二人は急速に接近していく。第二次試験も難なくパスした賢一郎は、登美子との約束を無視して、康子とデートをした。やがて第三次試験も合格。合格す「青春の蹉跌」図5.jpgること、それは社会的地位を固めることであり、康子との結婚は野心の完成であった。相変らず登美子との情事が続いたある日、賢一郎は康子との婚約を告げたが、登美子は驚かず、逆に妊娠5ヵ月だと知らせた。あせる賢一郎は、登美子を産婦人科に連れて行き堕胎させようとするが医者に断わられる。不利な状況から脱出しようとする賢一郎だが、解決する術もなく二人で思い出のスキー場へやって来た。雪の中、懸命に燃えようとする二人の虚しい行為。一緒に心中しよう、と登美子が言う。雪の上を滑りながら賢一郎は登美子の首を締めていた。登美子の屍体を埋めた斜面に雨が降る。賢一郎と康子の内祝言の宴席。賢一郎は拍手の中、伯父や康子を大事にしていく、と自分の豊富を語る。賢一郎は再びフットボールの試合に出て駈け廻る。その時、二人の刑事がグラウンドに近づいた。賢一郎は何処へも逃げることができず、ボールを追って走る。タックルを受けて地面に叩きつけられ、その上に何人ものタックラーが重なる。ボールを抱えたまま、動かない賢一郎―。

「青春の蹉跌」図1.jpg 神代辰巳(1927-1995/67歳没)監督(「赫い髪の女」('79年/日活))の1974年公開作で、脚本は長谷川和彦(1946年生まれ)。原作は、石川達三の中編小説で、1968年4月から9月まで「毎日新聞」に連載され、同年に新潮社から単行本化されると、ベストセラーとなっています。それを、その6年後、当代人気の萩原健一(1950-2019/68歳没)を主演に据え、相手役に桃井かおり(1951年生まれ)を配して映画化したのがこの作品です(後に桃井かおりは、「映画『青春の蹉跌』で萩原さんと会って、尊敬してた、なんか一緒にくっついていたいっていう気持ちがあって」と語っており、その後多くの作品で萩原健一と共演する)。

 原作は、セオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』(ジョージ・スティーヴンス監督、モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー主演の「陽のあたる場所」('51年/米)など何度か映画化されている)に似ていると言われますが、1966年に佐賀県の天山で起きた「妊娠した女子大学生が、交際中の大学生に天山登山に誘い出され、殺される」という事件をモデルとしたとされています。ただし、映画化される6年前に原作が発表されていますが、主人公の印象は原作と映画でやや異なるように思いました。

「青春の蹉跌」図00.jpg 原作では、主人公は貧しい法学部生で、司法試験に合格することを階級投資闘争であると捉えていますが、映画では、70年安保終焉の虚無感を反映してか、萩原健一演じる主人公は学生運動もやめ、実際あまり政治的なことを考えている風でもないです。また、時代の"一億総中流化"(1967年に日本の推計人口が1億人に達し、70年代にこの言葉が流行った)を反映してか、金持ちの息子ではないけれど、そう貧しいと言うほどでもないといった境遇のようです。

 原作では、主人公は、自分が司法試験に合格したら自分にすり寄ってきた康子を軽蔑し、憎んでさえいますが、ただし、彼女の結婚するという意志は変わらず、そのために登美子を殺害します。映画では、主人公は、檀ふみ演じる登美子のことを良くも悪くも思っていない感じで、ただし、彼女と結婚するために妊娠した登美子を殺害するのは原作と同じです。

「青春の蹉跌」図9.jpg ただ、原作の主人公は、自分がエゴイストであるということを冷静に分析していて、自身の信念としてのエゴイズムを貫くために登美子を殺害するようなところがあります。一方、映画での主人公は、桃井かおり演じる登美子が仕掛けてきた何となく無理心中っぽい行為に反応するような形で、そこから逃れるため咄嗟に登美子を殺害したようにも見えます。総じて意志的・計画的である原作の主人公に比べ、映画でショーケンが演じる主人公はどこか刹那的で、虚無感が漂います。原作をねじ曲げたというよりも、60年代と70年代の時代のムードの違いでしょうか。ショーケンの演技は、時代のしらけムードを体現したものだったとも言えるかもしれません。。

 映画のラストで、アメフト選手として復帰した主人公のところへ下川辰平演じる刑事がやってきます。主人公がアメフト選手であるというのは、この映画の脚本を務めた長谷川和彦が東大のアメフト部出身であるためと思われ、原作には無い設定です(試合シーンは、明大と東大のアメフト部員を動員して、長谷川和彦が自分でメガホンを取ったという)。

 原作では、主人公は警察に逮捕されて厳しく尋問されますが、そうしたシーンがショーケンには似合わないと思ったのか、試合中に事故死するような終わり方にしたのかもしれません。ただし、原作には思いもかけない重大な事実判明がラストにあるのですが、これが映画では端折られたことになります。それが少し引っ掛かりました。

 銀座の歩行者天国って1970年8月2日にスタートしたのかあ(当然これも原作にはない)。長谷川和彦は、意図的に原作を70年代バージョンに改変したのだと思います。

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檀ふみ/桃井かおり/神代辰巳/萩原健一
「青春の蹉跌」図3.jpg「青春の蹉跌」図2.jpg「青春の蹉跌」●制作年:1974年●監督:神代辰巳●製作:田中収●脚本:長谷川和彦●撮影:姫田真佐久●音楽:井上堯之●時間:85分●出演:萩原健一/桃井かおり/檀ふみ/河原崎建三/赤座美代子/荒木道子/高橋昌也/上月左知子/森本レオ/泉晶子/くま由真/中島葵/渥美国泰/中島久之/北浦昭義/芹明香/下川辰平/山口哲也/加藤和夫/久米明/歌川千恵/堀川直義/守田比呂也●公開:1974/06●配給:東宝●最初に観た場所:神保町シアター(22-08-30)(評価:★★★☆)

【1971年文庫化[新潮文庫]】

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面白かった。筋トレに打ち込む女子の内面がよく描けている。

我が友、スミス .jpg我が友、スミス.jpg スミスマシン.jpg
我が友、スミス』 woman doing squats in smith-machine

 2021(令和3)年下半期・第166回「芥川賞」候補作。

 30歳手前の会社員・U野は仕事帰りに日々自己流の筋トレに励んでいる。ある日元ボディビル選手のO島から声をかけられ、彼女が立ち上げる新しいジムに来ないかと誘われる。今通っている施設には一台しかないスミス・マシンがそのジムには3台もあることと、「うちで鍛えたら、別の生き物になるよ」というO島の言葉に惹かれたU野は、彼女のもとでボディビルの大会に出場することを決意する。何かに夢中になるという経験がなかったU野だが、目標に向けて凄まじい努力を始める。厳しい指導を受け、日々マシンと格闘し、慢性的な筋肉痛に耐え、ストイックな食生活を送り...。しかし、彼女の前には意外な壁が立ちはだかっていた。審査基準には、肌の美しさや所作、人格までもが含まれ、女性らしさが重要とされるのだ。なぜ筋肉を鍛えることに女性らしさを求められるのか? 化粧をしたり身なりを飾ることに抵抗を感じてきたU野は、疑問に思いながらも元ミス・ユニバース日本代表だというスペシャル・コーチE藤の指導を受け、髪を伸ばし、ピアスを開け、脱毛サロンに通う。そんなU野を見た職場の人々には「彼氏できた」と噂され、母親からは「ムキムキにならないでよ?」という言葉をかけられる。周囲の声に反発を覚えながらも、目標に向かって突っ走るが―。

 面白かったです。「スミス」は人の名ではなく、バーベルを補助者なく安全に扱うことのできるトレーニング・マシンのこと。主人公U野は、ただ「別の生き物になりたくて」筋トレに励むわけですが、これが却って受け入れやすかったです(何かもっともらしい理由をつけると通俗になっていただろう)。そのキャラクターも好感が持てました。自分の考えを曲げない頑固さを持つ一方で、違和感のあることでも受け入れてみようとする柔軟性もあって、感情を撒き散らさず、黙って行動で表現するところは武士のように潔く、それでいて、結構キツイ挑戦をしているにの関わらず、その心理表現は辛口のユーモアに溢れていました。何かを極めようとする人だけが見ることのできる世界の一部を、覗き見させてもらったような気がします。

 ユーモアに関しては、面白過ぎて芥川賞とれなかったのかと思ったぐらい。実際、芥川賞選考委員の中で最も推した川上弘美氏が「何回笑い崩れたことでしょう」と述べている一方、奥泉光氏が、「軽快な文章で愉しく読ませる」としながらも、「ただ幾分サービス過剰なところがあって、笑いを狙った表現が上滑りになっているのが惜しい」としています。

 また、平野啓一郎氏は、空虚化した実存の依存先という主題自体は『推し、燃ゆ』と同範疇であるとしていて、これは自分も少し感じました。自分の場所を求めてという意味では『コンビニ人間』が想起され、マニアックな世界という意味では『火花』を思い出したでしょうか。個人的には、芥川賞作品としては"異例"の面白さだった『コンビニ人間』といい勝負だったように思います。

 ジェンダー小説でもあったように思います。最初「O島」って男性だと思い込んしまいましたが、女性だったのだなあ(【天才外科医】クイズというのを思い出した)。これ読んで、筋トレをしてみたくなる女子はいるかも。作者自身も相当やり込んでいるのかと思いましたがそれほどでもなく、自分が通っているジムでやり込んでいる人を観察して、こうした作品に仕上げたようです。デビュー作にして、筋トレに打ち込む女子の内面がよく描けているように思いました。

ボディビル フィジーク.jpg 因みに、本書にあるように、男子ボディビルの世界に「ボディビル」から派生した「フィジーク」というのがあり、一方、女子における「フィジーク」は、追加ではなく、従来の「ボディビル」が「フィジーク」に置き換わったとのことで、その理由は「女子のボディビルには、女性らしさも必要だから」とのことです。

 作中では、主人公・U野が目指すのが「BB(ボディビル)大会」で、同じジムに通うS子が出場するのは「PP(パーフェクト・プロポーション)大会」という、女性のセクシーさに重点が置かれる大会のようです。ただし、U野が出場する大会も、ハイヒールを着用し、ピアスを付け(主人公はそのために耳に穴を空ける)、髪が短いとヘアピースを付けるものなので、純粋なボディビル(つまりフィジーク)ではなく、「ボディフィットネス」(フィギュアとも呼ばれる)の類ではないでしょうか(あるいは安井友梨で知られる「フィットネスビキニ」乃至「ビキニ」か)。あまり説明しすぎると読者が混乱するので、単に「BB大会」とした(つまり単純化して「ボディビル」とした)のではないかと思います。まあ、「ボディビル大会」と冠して、その中で各種目が行われることもあるので、「BB大会」でも間違いではないと思いますが。

0フィジーク.jpg フィジーク

0フィットネス.jpg ボディフィットネス(フィギュア)

0フィットネスビキニ.jpg フィットネスビキニ(中央:安井友梨)

pumping iron 2.jpgpumping iro n 2.jpg 昔、ボディビル大会に向けてトレーニングする女性たちを追ったドキュメンタリー映画「パンピン・アイアンⅡ」('85年/米)というビデオがあったのを思い出しました。結局DVD化されなかったみたいですけれど...。因みに、アーノルド・シュワルツェネッガーを中心に追った男性版「パンピング・アイアン」('77年/米)はDVD化されています(5度のミスター・オリンピアに輝いたシュワルツネッガーが6度目の栄冠に挑戦するのを追っている)。

《読書MEMO》
●【天才外科医】クイズ
父親が一人息子を連れてドライブに出かけました。ところがその途中で父親がハンドル操作を誤り、大きな交通事故を起こしてしまいました。父親は即死、助手席の息子は意識不明の重体になり、すぐに救急車で病院に運ばれました。幸運にも天才外科医との呼び声の高い、その病院の院長が直々に手術をすることになりました。助手や看護師を従えて手術室に入り手術台に寝かされた子どもを見るなり、院長は、「私の息子...!」と嘆き悲しみました。さて、これはどういうことなのでしょう(正解:院長は息子の母親だった)。

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「●「本屋大賞」(10位まで)」の インデックッスへ

主人公の「敵」は誰であるか。最後に彼女が銃口を向けたのはイリーナではなく―。

同志少女よ、敵を撃て8.jpg同志少女よ、敵を撃て0.jpg同志少女よ、敵を撃て1.jpg
同志少女よ、敵を撃て』装画:雪下まゆ

『同志少女よ、敵を撃て』評.jpg同志少女よ、敵を撃て honya.jpg 2022(令和4)年・第19回「本屋大賞」第1位(大賞)作品。2021(令和3)年・第11回「アガサ・クリスティー賞(大賞)」(早川書房・公益財団法人早川清文学振興財団主催)受賞作。2022(令和4)年度・第9回「高校生直木賞(大賞)」(同実行委員会主催、文部科学省ほか後援)受賞作。2021(令和3)年下半期・第166回「直木賞」候補作。

 独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」―そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした"真の敵"とは―。

 作者自身も述べているように、2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの主著『戦争は女の顔をしていない』に触発されて書かれた小説で、同書は、独ソ戦に従軍した女性たちへの綿密なインタビューをもとに、「男の言葉」で語られてきた戦争を、これまで口を噤まされてきた女性たちの視点から語り直した証言集ですが、そのほかに、実在した天才狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコの回想録『最強の女性狙撃手』などから完成された本物のスナイパーの在り様を参照し、さらに、作中でも引用している『ドイツ国防軍兵士たちの100通の手紙』からは、人を殺めることへの罪悪感が消失する瞬間を描出しています。

 直木賞の選評では、三浦しをん氏が強く推したのに対し、浅田次郎氏の「戦争小説には不可欠なはずの、生と死のテーマが不在であると思えた。主人公が敵を憎みこそすれ戦争に懐疑しないというのは、たとえ現実がそうであろうと文学的ではない」などといった意見もあり、受賞を逃していますが、もともとこの回は米澤穂信氏の『黒牢城』が候補作にあったりしてレベルが高かったのと、あと、この作品が作者の処女作であることから、もう少し他の作品も見てみたいというのも選考委員の間にあったのではないでしょうか。選考委員の一人である宮部みゆき氏も、「作品は素晴らしいが、新人賞受賞作で初ノミネート、いきなり受賞はためらわれる」として見送りになったかつてのケースと同じだと、述べています。

 浅田次郎氏の評と反しますが、作中で主人公セラフィマが終始問われることになるのが「なんのために戦うのか」であり、これはタイトルにある「敵」が誰であるのかにも通じる問いです。むしろ、物語は、主人公の「敵」が誰であるのかからスタートし、セラフィマにとっての最初の「敵」は、母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナであって、それらに復讐するためにそのイリーナの下で彼女は狙撃兵となります。それが、最後は、イリーナへ銃口を向けるのではなく、自分と同い年の幼馴染で、周囲からは将来結婚するものと思われていたミハイル(ミーシカ)に彼女は銃を向けることになる―。
 
 ここが、この作品の最大のポイントでしょう。国家間の戦争からジェンダーの問題に切り替わってしまったとの見方もあるかもしれませんが、この部分において『戦争は女の顔をしていない』のテーマを引き継ぐとともに、、ミハイルをそのような人間にしてしまった戦争というものへの批判が込められているように思いました。

 直木賞の選考で論点となったことの1つに、「どうして日本人の作家が、海外の話を書かなくてはいけないのか」というものがあり、林真理子氏などは、それが最後まで拭い去ることが出来なかったとしています。しかし一方で、三浦しをん氏は「彼女たちの姿を描くことを通し、現代の日本および世界に存在する社会の問題点をも「撃て」ると作者は確信したからだろう」という積極的に評価しており、この意見は選考委員の中では少数意見だったようですが、個人的には自分もそれに近い意見です。よって、評価は「◎」としました。

 ただし、選考委員の北方謙三氏は、「タイトルの『敵』が、終盤では観念性を持ちはじめて、私を失望させた」と述べており、そういう見方もあるかもしれないなあとは思いました(でも「◎」)。

 因みに、高校生が直木賞候補作から「大賞」を選ぶ「高校生直木賞」では、『黒牢城』などを抑えてこの作品が受賞しています。

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『コンビニ人間』と逆方向の結末は"鮮やかに決まりすぎている"という印象も。

推し、燃ゆ.jpg宇佐見りん.pngかか usami.jpg   『コンビニ人間』.jpg
推し、燃ゆ』['20年]宇佐美りん氏(芥川賞授賞式)『かか』['19年]  村田沙耶香『コンビニ人間』['16年]

 2020(令和2)年下半期・第164回「芥川賞」受賞作。2021年・第18回「本屋大賞」第9位。

 普通のことが普通にできない高校生のあかり。そのせいで高校は退学、バイトもくびになり、勤め先は決まらない。そんなあかりが、自分の「背骨」と定義し人生を傾けて推しているのが男女混合アイドルグループのひとり、上野真幸。あかりは推しの作品や推し自身を丸ごと解釈したいと思いながら、推しに心血を注いでいる。そんなある日、突然SNS上で推しが炎上した。ファンを殴ったらしい。そこから、あかりの人生も少しずつ歯車が狂い始める―。

 著者の21歳での芥川賞受賞は、同時受賞だった綿矢りさ(『蹴りたい背中』)、金原ひとみ(『蛇にピアス』)両氏に次ぐ歴代3番目の若さとのこと。すでにデビュー作『かか』('19年/河出書房新社)で文藝賞を受賞し、さらに三島由紀夫賞を最年少で受賞していて、やっぱり才能あるんだろうなあ。

 句読点の少ない文章は、最初のうちは読みなれなかったけれども、読んでいくうちに一定のリズム感のようなものが感じられるようになりました。少なくとも『かか』よりもこちらの方が文章的に洗練されていて、分かりよいように思いました。もしかしたら、『かか』より(『かか』はもともと"壊れゆく母親"を描いたものだが)ずっと自身に近いところで書かれているためではないかと推察したくなります。

 芥川賞の選考では、9人の選考委員の内、小川洋子氏と山田詠美氏が強く推していて、小川洋子氏は「推しとの関係が単なる空想の世界に留まるのではなく、肉体の痛みとともに描かれている」とし、山田詠美氏は「確かな文学体験に裏打ちされた文章は、若い書き手にありがちな、雰囲気で誤魔化すところがみじんもない」と絶賛。他の委員の評価もまずまずで、(吉田修一氏の講評のみ否定的だったが)比較的すんなり受賞が決まったようです。

 主人公について文中では、「2つの診断名がついた」とあるものの、その具体的な診断名は書かれていませんが、おそらく発達障害の内の学習障害(LD)と注意欠陥障害(ADD)だと思われます。こうした障害による「生きづらさ」を抱えた主人公が登場する小説として想起されるものに、'16年に同じく芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の『コンビニ人間』('16年/文藝春秋)があります。

 両作品はその点で似ているところがありますが、結末の方向性が、『コンビニ人間』の方は主人公が自身の性向に合ったセキュアベース的な場所(それがコンビニなのだが)に回帰するのに対し、この『推し、燃ゆ』の主人公は、自らセキュアベースであったアイドルを推すという行為から脱却することが示唆されて、結末は逆方向のような気もします。

 芥川賞の選考委員の一人、堀江敏幸氏も、「バランスの崩れた身体を、最後の最後、自分の骨に見立てた綿棒をぶちまけ、それを拾いながら四つん這いで支えて先を生きようと決意する場面が鮮烈だ。鮮やかに決まりすぎていることに対する書き手のうしろめたさまで拾い上げたくなるような、得がたい結びだった」と言っており、これって、手放しで褒めているのか、そうとも言えないのか?

 個人的にも、やや"鮮やかに決まりすぎている"という印象を持ちました。そこが上手さなのだろうけれど、これでこの先、主人公は本当に大丈夫なんだろうかと気を揉んでしまいます(笑)。

芥川賞の偏差値 .jpg小谷野敦.jpg 比較文学者で辛口批評で知られる小谷野敦氏がその著書『芥川賞の偏差値』('17年/二見書房)で『コンビニ人間』を絶賛し、歴代芥川賞受賞作の中でも最高点を与えていましたが、この作品についてはどうかなと思ってネットで見たら、「週刊読書人」の対談でやはり「スマッシュヒットという感じでした」と絶賛してました。

 小谷野敦氏は、「私は〝人間は「推し」がいなくても生きていかなければいけない〟という主題だと読んだ」とのことで「受賞後のインタビューで本人は、〝推しを持つ気持ちを認めてほしい〟ということを繰り返し語っています。それが引っかかっている」と。でも、小谷野氏の最初の解釈がフツーだろうなあ。

 あとは、『コンビニ人間』とどちらがいいかですが、小谷野氏は特にそれは言っていません(両方いいのだろう)。個人的には、結末は、考え方的には『推し、燃ゆ』なんだろうけれど、読み心地としては『コンビニ人間』かなあ。『推し、燃ゆ』もいい作品ですが、このラストは結構キツイと言うか、この後主人公は本当に大丈夫なのかという印象が残りました(われながら全然文学的な読み方してないね)。

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スター男優、スター女優、名優・名脇役で辿る昭和邦画史。選ばれた100本はオーソドックスか。

邦画の昭和史_3799.JPG邦画の昭和史_3798.JPG邦画の昭和史.jpg   フラガール 映画  蒼井.jpg
邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本 (新潮新書)』映画「フラガール」       北日本新聞 2018.10.25
長部 日出雄.jpg 昨年['18年]10月に亡くなった作家の長部日出雄(1934-2018/84歳没)が雑誌「小説新潮」の'06年1月号から'07年1月号に間歇的に5回にわたって発表したものを新書化したもの。'73年に「津軽じょんから節」で直木賞を受賞していますが、元は「週刊読売」の記者で、その後、雑誌「映画評論」編集者、映画批評家を経て作家になった人でした。個人的には『大アンケートによる洋画ベスト150』('88年/文春文庫ビジュアル版)の中での、赤瀬川準、中野翠氏との座談が印象に残っています(赤瀬川隼も1995年に「白球残映」で直木賞作家となったが、この人も2015年に83歳で亡くなった)。

 本書は全3章構成で、第1章ではスター男優を軸に(いわば男優篇)、第2章ではスター女優を軸に(いわば女優篇)、第3章では名優・名脇役を軸に(いわば名優・名脇役篇)、それぞれ昭和映画史を振り返っています。

銀嶺の果て 中.jpg 第1章「戦後のスーパスターを観るための極め付き35本」(男優篇)で取り上げているのは、三船敏郎、石原裕次郎、小林旭、高倉健、鶴田浩二、菅原文太、森繁久彌男はつらいよ・知床慕情.jpg、加山雄三、植木等、勝新太郎、市川雷蔵、渥美清らで、彼らの魅力と出演作の見所などを解説しています。この中で、昭和20年代の代表的スターを三船敏郎とし、昭和30年代は石原裕次郎、昭和40年代は高倉健、昭和50年代は渥美清としています。章末の「35本」のリストでは、その中に出演作のある12人の俳優の内、三船敏郎が9本と他を圧倒し(黒澤明監督作品8本+黒澤明脚本作品(「銀嶺の果て」))、石原裕次郎は2本、高倉健は3本、渥美清も3本入っていて、さらに渥美清+三船敏郎として、「男はつらいよ・知床慕情」を入れています(したがって最終的には三船敏郎10本、渥美清4本ということになる)。

 第2章「不世出・昭和の大女優に酔うための極め付き36本」(女優篇)で取り上げているのは、原節子、田中絹代、高峰秀子、山本富士子、久我美子、京マチ子、三原葉子、藤純子、宮下順子、松阪慶子、浅丘ルリコ、吉永小百合、岸恵子、有馬稲子、佐久間良子、夏目雅子、若尾文子などで、彼女らの魅力と出演作のエピソードや見所を解説しています(京マチ子、先月['19年5月]亡くなったなあ)。文庫化にあたり、「大女優篇に+1として、破格ではあるが」との前置きのもと書き加えられたのが「フラガール」の蒼井優で(青井優と言えば、この映画で南海キャンディーズの山崎静代と共演した縁から、今月['19年6月]南海キャン蒼井優 フラガール.jpg蒼井優 山里亮太.jpgディーズの山里亮太と結婚した)、本書に出てくる中で一番若い俳優ということになりますが、著者は彼女を絶賛しています。章末の「36本」のリストでは、原節子、田中絹代、高峰秀子の3人が各4本と並び、あとは24人が各1本となっていて、男優リストが12人に対して、こちらは27人と分散度が高くなっています。

 第3章「忘れがたき名優たちの存在感を味わう30本」(名優・名脇役篇)では、一般に演技派とか名脇役と呼ばれる人たちをを取り上げていますが、滝沢修、森雅之、宇野重吉、杉村春子、伊藤雄之助、小沢栄太郎、小沢昭一、殿山泰司、木村功、岡田英次、佐藤慶などに触れられていて、やはり前の方は新劇など舞台出身者が多くなっています。章末の「30本では、滝沢修、森雅之、宇野重吉、小沢栄太郎の4人が各2本選ばれており、残り22人が各1本となっています。

乾いた花  jo.jpeg 先にも述べたように、スター男優・女優や名優・名脇役を軸に振り返る昭和映画史(殆ど「戦後史」と言っていいが)であり、『大アンケートによる洋画ベスト150』の中での対談でも感じたことですが、この人は映画の選び方が比較的オーソドックスという感じがします。したがって、エッセイ風に書かれてはいますが、映画の選び方に特段のクセは無く、まだ日本映画をあまり見ていない人が、これからどんな映画を観ればよいかを探るうえでは(所謂「観るべき映画」とは何かを知るうえでは)、大いに参考になるかと思います。と言って、100本が100本メジャーな作品ですべて占められているというわけでもなく、女優篇の「36本」の中に三原葉子の「女王蜂と大学の竜」('03年にDVD化されていたのかあ)なんていうのが入っていたり、名優編の「30本」の中には、笠智衆の「酔っぱらい天国」(こちらは「DVD未発売」になっていて、他にも何本かDVD化されていない作品が100本の中にある)や池部良の「乾いた花」(本書刊行時点で「DVD未発売」になっているが'09年にDVD化された)など入っているのが嬉しいです(加賀まりこ出演作が女優篇の「36本」の中に入っていないのは、彼女が主演したこの「乾いた花」を男優篇の方に入れたためか。「キネマ旬報助演女優賞」を受賞した「泥の河」は、田村高廣出演作として名優篇の方に組み入れられている)。

フラガール 映画0.jpgフラガール 映画s.jpg 因みに、著者が元稿に加筆までして取り上げた(そのため「100本」ではなく「101本」選んでいることになる)「フラガール」('06年/シネカノン)は、個人的にもいい映画だったと思います。プロデューサーの石原仁美氏が、常磐ハワイアンセンター創設にまつわるドキュメンタリーをテレビでたまたま見かけて映画化を構想し、当初は社長を主人公とした「プロジェクトX」のような作品の構想を抱いていたのがフラガール 映画1.jpg、取材を進める中で次第に地元の娘たちの素人フラダンスチームに惹かれていき、彼女らが横浜から招かれた講師による指導を受けながら努力を重ねてステージに立つまでの感動の物語を描くことになったとのことで、フラガールび絞ったことが予想を覆すヒット作になった要因でしょうか。主役の松雪泰子・蒼井優から台詞のないダンサー役に至るまでダンス経験のない女優をキャスティングし、全員が一からダンスのレッスンを受けて撮影に臨んだそうです。ストーリー自体は予定調和であり、みうらじゅん氏が言うところの"涙のカツアゲ映画"と言えるかもしれませんが(泣かせのパターンは「二十四の瞳」などを想起させるものだった)、著者は、この映画のモンタージュされたダンスシーンを高く評価しており、「とりわけ尋常でない練習フラガール 映画6.jpgと集中力の産物であったろう蒼井優の踊り」と、ラストの「万感の籠った笑顔」を絶賛しています。確かに多くの賞を受賞した作品で、松雪泰子・富司純子・蒼井優と女優陣がそれぞれいいですが、中でも蒼井優は映画賞を総嘗めにしました。ラストの踊りを「フラ」ではなく「タヒチアン」で締めているのも効いているし、実話をベースにしているというのも効いているし(蒼井優が演じた紀美子のモデル・豊田恵美子は実はダンス未経験者ではなく高校でダンス部のキャプテンだったなど、改変はいくつもあるとは思うが)、演出・撮影・音楽といろいろな相乗効果が働いた稀有な成功例だったように思います。
[フラガール 松雪1.jpg [フラガール 松雪2.jpg [フラガール 松雪4.jpg
松雪泰子(平山まどか(カレイナニ早川(早川和子)常磐音楽舞踊学院最高顧問がモデル))
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岸部一徳(吉本紀夫(中村豊・常磐炭礦元社長がモデル))/富司純子

富司純子・蒼井優(第30回「日本アカデミー賞」最優秀助演女優賞受賞)/富司純子・豊川悦司         
「フラガール」富司。蒼井.jpg「フラガール」富司。豊川.jpg
      
蒼井優(谷川紀美子(常磐音楽舞踊学院1期生・小野(旧姓 豊田)恵美子がモデル))・山崎静代
フラガール 映画d.jpgフラガール 映画2.jpg「フラガール」●制作年:2006年●監督:李相日(リ・サンイル)●製作: シネカノン/ハピネット/スターダストピクチャーズ●脚本:李相日/羽原大介●撮影:山本英夫●音楽:ジェイク・シマブクロ●時間:120分●出演:松雪泰子/豊川悦司/蒼井優/山崎静代(フラガール ダンサー.jpg南海キャンディーズ)/岸部一徳/富司純子/高橋克実/寺島進/志賀勝/徳永えり/池津祥子/三宅弘城/大河内浩/菅原大吉/眞島秀和/浅川稚広シネカノン有楽町1丁目03.jpg/安部智凛/池永亜美/栗田裕里/上野なつひ/内田晴子/田川可奈美/中浜奈美子/近江麻衣子/千代谷美穂/直林真里奈/豊川栄順/楓●公開:2006/09●配給:シネカノン●最初に観た場所:有楽町・シネカノン有楽町(06-09-30)(評価:★★★★☆)

内田晴子/田川可奈美/栗田裕里/豊川栄順/池永亜美

蒼井優が演じた紀美子のモデル・レイモミ豊田(小野(旧姓豊田)恵美子)/常磐ハワイアンセンター最後のステージ
レイモミ豊田.jpg 

【お悔み】初代フラガール、小野恵美子さん死去 79歳 いわきにフラ文化築く福島民友新聞 2023年8月5日
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シネカノン有楽町1丁目(2010年1月28日閉館)/角川シネマ有楽町(2011年2月19日オープン)
シネカノン有楽町1丁目.jpg角川シネマ有楽町2.jpgシネカノン有楽町1丁目 2004年4月24日角川シネマ有楽町.jpg有楽町「読売会館」8階に「シネカノン有楽町」オープン。2007年10月6日「シネカノン有楽町1丁目」と改称。㈱シネカノン社の民事再生法申請により2010年1月28日閉館。2011年2月19日に角川書店の映像事業のフラッグシップ館として居抜きで再オープン(「角川シネマ有楽町」)

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2017年芥川賞受賞3作は、超高齢化社会、異文化、LGBT&東日本大震災。"時事性"が鍵?

おらおらでひとりいぐも.jpg 百年泥ド.jpg 芥川賞 若竹 石井.jpg  影裏.jpg 芥川賞 沼田真佑.jpg
おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞』『百年泥 第158回芥川賞受賞』若竹千佐子氏・石井遊佳氏 『影裏 第157回芥川賞受賞』沼田真佑 氏
おらおらでひとりいぐも (河出文庫)
「おらおらでひとりいぐも」bunko.png 24歳の秋、桃子さんは東京オリンピックの年に故郷を離れ、身ひとつで上京。それから住みこみで働き、結婚し、夫の理想の女となるべく努め、都市近郊の住宅地で二人の子どもを産み育て、15年前に夫に先立たれた。残された桃子さんは今、息子、娘とは疎遠だが、地球46億年の歴史に関するノートを作っては読み、万事に問いを立てて意味を探求するうちに、自身の内側に性別も年齢も不詳の大勢の声を聞くようになった。それらの声は桃子さんに賛否の主張をするだけでなく、時にジャズセッションよろしく議論までする。どれどれと桃子さんが内面を眺めてみれば、最古層から聞こえてくるのは捨てた故郷の方言だった―。(「おらおらでひとりいぐも」)

70歳以上、初の2割超え.jpg 「おらおらでひとりいぐも」は2017(平成29)年・第54回「文藝賞」受賞を経て、2017(平成29)年下期・第158回「芥川賞」受賞作となった作品。芥川賞選考では、選考委員9人のうち5人が強く推して、積極消極のニュアンスの差はありながら、選考委員のほぼ全員がこれに票を投じたとのことで"圧勝"という感じです。72歳の女性の内面を描いて巧みと言うか、選考委員が推すのも納得という感じで、ある種、ブレークスルー小説になっているのも良かったです。最初は主人公と同じくらいの年齢の人が書いたのかと思いましたが、作者の受賞時の年齢は63歳とのことで、主人公よりやや若く、全部計算して書いていることが窺えます。そのことから、橋本治氏の近作『九十八歳になった私』('18年/講談社)と同じような技法を感じました。「敬老の日」を前に総務省が今日['18年9月16日]に発表した推計人口(15日時点)によると、70歳以上の人口の総人口に占める割合は20.7%で、初めて2割を超えたそうです。超高齢化社会ということで、こうした小説("独居老人小説"?)がこれからどんどん出て来るのでしょうか。


 私はチェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭遇した。橋の下に逆巻く川の流れの泥から百年の記憶が蘇る。かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。流れゆくのは、あったかもしれない人生、群れみだれる人びと―。(「百年泥」)

 「百年泥」は、2017(平成29)年・第49回「新潮新人賞」受賞を経て、2017(平成29)年下期・第158回「芥川賞」受賞作となった作品。読み物としては芥川賞同時受賞の「おらおらでひとりいぐも」よりも面白かったですが、選考員の島田雅彦氏が、「海外体験のバリエーションが増えた現代、ルポルタージュのジャンルはかなり豊かになって来たが、小説との境界線を何処に引くべきかといったことを考えさせられた」と述べているように、その面白さや興味を引く部分は、ルポ的なそれとも言えます(終盤に挿入されている教え子が語る、彼の半生の物語などはまさにそう)。泥の中から行方不明者や故人を引きずり出し、何事もなかったように会話を始めたり、会社役員が翼を付けて空を飛んで通勤したりするとか、こうしたマジックリアリズム的手法を用いているのは、インド的と言えばインド的とも言えるけれど、むしろ、この作品がルポではなく小説であることの証しを無理矢理そこに求めた印象がなくもありませんでした。


 大きな崩壊を前に、目に映るものは何か。北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の地で、ただひとり心を許したのが、同僚の日浅だった。ともに釣りをした日々に募る追憶と寂しさ。いつしか疎遠になった男のもう一つの顔に、「あの日」以後、触れることになるのだが―。(「影裏」)

影裏 (文春文庫)
『影裏』 (文春文庫).jpg 「影裏」は、2017(平成29)年・第122回「文學界新人賞」受賞を経て、2017(平成29)年上期・第157回「芥川賞」受賞作となった作品。前2作に比べると、これが一番オーソドックスに芥川賞受賞作っぽい感じです。途中で語り手である主人公がマイノリティ(LGBT)であることが分かり、ちょっとだけE・アニー・プルー原作、アン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」 ('05年/米)を想起させられました。この作品では、日浅という人物の二面性が一つの鍵になりますが、その日浅の隠された一面を表す行動について、その事実がありながら、わざとその部分を書いていません。こういうのを"故意の言い落とし"と言うらしいですが、そのせいか個人的にはカタルシス不全になってしまいました。選考委員の内、村上龍氏が、「推さなかったのは、『作者が伝えようとしたこと』を『発見』できなかったという理由だけで、それ以外にはない」というのに同感。村上龍氏は、『わたしは「これで、このあと東日本大震災が出てきたら困るな』と思った」そうですが、それが出てきます。


 芥川賞受賞作品3作の選考過程をみると、「おらおらでひとりいぐも」はやはりすんなり受賞が決まったという感じで、「百年泥」と「影裏」は若干意見が割れた感じでしょうか("回"は異なるが、「百年泥」を推す人は「影裏」を推さず、「「影裏」を推す人は「百年泥」を推さないといった傾向が見られる)。3作並べると、超高齢化社会、社会のグローバル化に伴う異文化体験、LGBT&東日本大震災―ということで、"時事性"が芥川賞のひとつの〈傾向と対策〉になりそうな気がしてしまいます。

芥川賞のすべて・のようなもの」参照
akutagawasyou.jpg

『おらおらでひとりいぐも』...【2020年文庫化[河出文庫]】
『百年泥』...【2020年文庫化[新潮文庫]】
『影裏』...【2019年文庫化[文春文庫]】

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2018年「本屋大賞」の第1位、第2位、第3位作品。個人的評価もその順位通り。

かがみの孤城.jpg かがみの孤城 本屋大賞.jpg  盤上の向日葵.jpg 屍人荘の殺人.jpg
辻村 深月 『かがみの孤城』 柚月 裕子 『盤上の向日葵』 今村 昌弘 『屍人荘の殺人

2018年「本屋大賞」.jpg 2018年「本屋大賞」の第1位が『かがみの孤城』(651.0点)、第2位が『盤上の向日葵』(283.5点)、第3位が『屍人荘の殺人』(255.0点)です。因みに、「週刊文春ミステリーベスト10」(2017年)では、『屍人荘の殺人』が第1位、『盤上の向日葵』が第2位、『かがみの孤城』が第10位、別冊宝島の「このミステリーがすごい!」では『屍人荘の殺人』が第1位、『かがみの孤城』が第8位、『盤上の向日葵』が第9位となっています。『屍人荘の殺人』は、第27回「鮎川哲也賞」受賞作で、探偵小説研究会の推理小説のランキング(以前は東京創元社主催だった)「本格ミステリ・ベスト10」(2018年)でも第1位であり、東野圭吾『容疑者Xの献身』以来13年ぶりの"ミステリランキング3冠達成"、デビュー作では史上初とのことです(この他に、『容疑者Xの献身』も受賞した、本格ミステリ作家クラブが主催する第18回(2018年)「本格ミステリ大賞」も受賞している)。ただし、個人的な評価(好み)としては、最初の「本屋大賞」の順位がしっくりきました。

かがみの孤城6.JPG 学校での居場所をなくし、閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。そこにはちょうどこころと似た境遇の7人が集められていた。なぜこの7人が、なぜこの場所に―。(『かがみの孤城』)

 ファンタジー系はあまり得意ではないですが、これは良かったです。複数の不登校の中学生の心理描写が丁寧で、そっちの方でリアリティがあったので楽しめました(作者は教育学部出身)。複数の高校生の心理描写が優れた恩田陸氏の吉川英治文学新人賞受賞作で第2回「本屋大賞」受賞作でもある『夜のピクニック』('04年/新潮社)のレベルに匹敵するかそれに近く、複数の大学生たちの心理描に優れた朝井リョウ氏の直木賞受賞作『何者』('12年/新潮社)より上かも。ラストは、それまで伏線はあったのだろうけれども気づかず、そういうことだったのかと唸らされました。『夜のピクニック』も『何者』も映画化されていますが、この作品は仮に映像化するとどんな感じになるのだろうと考えてしまいました(作品のテイストを保ったまま映像化するのは難しいかも)。

2020.11.9 旭屋書店 池袋店
20201109_1盤上の向日葵.jpg盤上の向日葵   .jpg盤上の向日葵ド.jpg 埼玉県天木山山中で発見された白骨死体。遺留品である初代菊水月作の名駒を頼りに、叩き上げの刑事・石破と、かつてプロ棋士を志していた新米刑事・佐野のコンビが捜査を開始した。それから四か月、二人は厳冬の山形県天童市に降り立つ。向かう先は、将棋界のみならず、日本中から注目を浴びる竜昇戦の会場だ―。(『盤上の向日葵』)

 『慈雨』('16年/集英社)のような刑事ものなど男っぽい世界を描いて定評のある作者の作品。"将棋で描く『砂の器』ミステリー"と言われ、作者自身も「私の中にあったテーマは将棋界を舞台にした『砂の器』なんです」と述べていますが、犯人の見当は大体ついていて、その容疑者たる天才棋士を二人組の刑事が地道な捜査で追い詰めていくところなどはまさに『砂の器』さながらです。ただし、天才棋士が若き日に師事した元アマ名人の東明重慶は、団鬼六の『真剣師小池重明』で広く知られるようになり「プロ殺し」の異名をもった真剣師・小池重明の面影が重なり、ややそちらの印象に引っ張られた感じも。面白く読めましたが、犯人が殺害した被害者の手に将棋の駒を握らせたことについては、発覚のリスクを超えるほどに強い動機というものが感じられず、星半分マイナスとしました。

映画タイアップ帯
屍人荘の殺人 映画タイアップカバー.jpg屍人荘の殺人_1.jpg 神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲と会長の明智恭介は、曰くつきの映画研究部の夏合宿に加わるため、同じ大学の探偵少女、剣崎比留子と共にペンション紫湛荘を訪ねた。合宿一日目の夜、映研のメンバーたちは肝試しに出かけるが、想像しえなかった事態に遭遇し紫湛荘に立て籠もりを余儀なくされる。緊張と混乱の一夜が明け、部員の一人が密室で惨殺死体となって発見される。しかしそれは連続殺人の幕開けに過ぎなかった―。(『屍人荘の殺人』)

2019年映画化「屍人荘の殺人」
監督:木村ひさし 脚本:蒔田光治
出演:神木隆之介/浜辺美波/中村倫也
配給:東宝

屍人荘の殺人 (創元推理文庫).jpg 先にも紹介した通り、「週刊文春ミステリー ベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」の"ミステリランキング3冠"作(加えて「本格ミステリ大賞」も受賞)ですが、殺人事件が起きた山荘がクローズド・サークルを形成する要因として、山荘の周辺がテロにより突如発生した大量のゾンビで覆われるというシュールな設定に、ちょっとついて行けなかった感じでしょうか。謎解きの部分だけ見ればまずまずで、本格ミステリで周辺状況がやや現実離れしたものであることは往々にしてあることであり、むしろ周辺の環境は"ラノベ"的な感覚で読まれ、ユニークだとして評価されているのかなあ。個人的には、ゾンビたちが、所謂ゾンビ映画に出てくるような典型的なゾンビの特質を有し、登場人物たちもそのことを最初から分かっていて、何らそのことに疑いを抱いていないという、そうした"お約束ごと"が最後まで引っ掛かりました。

 ということで、3つの作品の個人的な評価順位は、『かがみの孤城』、『盤上の向日葵』、『屍人荘の殺人』の順であり、「本屋大賞」の順番と同じになりました。ただし、自分の中では、それぞれにかなり明確な差があります。

屍人荘の殺人 2019.jpg屍人荘の殺人01.jpg(●『屍人荘の殺人』は2019年に木村ひさし監督、神木隆之介主演で映画化された。原作でゾンビたちが大勢出てくるところで肌に合わなかったが、後で考えれば、まあ、あれは推理物語の背景または道具に過ぎなかったのかと。映画はもう最初からそういうものだと思って観屍人荘の殺人03.jpgているので、そうした枠組み自体にはそれほど抵抗は無かった。その分ストーリーに集中できたせいか、原作でまあまあと思えた謎解きは、映画の方が分かりよくて、原作が多くの賞に輝いたのも多少腑に落ちた(原作の評価★★☆に対し、映画は取り敢えず星1つプラス)。但し、ゾンビについては、エキストラでボランティアを大勢使ったせいか、ひどくド素人な演技で、そのド素人演技のゾンビが原作よりも早々と出てくるので白けた(星半分マイナス。その結果、★★★という評価に)。)

屍人荘の殺人02.jpg屍人荘の殺人 ps.jpg「屍人荘の殺人」●制作年:2019年●監督:木村ひさし●製作:臼井真之介●脚本:蒔田光治●撮影:葛西誉仁●音楽:Tangerine House●原作:今村昌弘『屍人荘の殺人』●時間:119分●出演:神木隆之介/浜辺美波/葉山奨之/矢本悠馬/佐久間由衣/山田杏奈/大関れいか/福本莉子/塚地武雅/ふせえり/池田鉄洋/古川雄輝/柄本時生/中村倫也●公開:2019/12●配給新宿ピカデリー1.jpg新宿ピカデリー2.jpg:東宝●最初に観た場所:新宿ピカデリー(19-12-16)(評価:★★★)●併映(同日上映):「決算!忠臣蔵」(中村 義洋)
    
   
   
新宿ピカデリー 
  
神木隆之介 in NHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(2019年)/TBSテレビ系日曜劇場「集団左遷‼」(2019年)/ドラマW 土曜オリジナルドラマ「鉄の骨」(2019年)
神木隆之介「いだてん.jpg 神木隆之介 集団左遷!!.jpg ドラマW 2019 鉄の骨2.jpg
 
《読書MEMO》
盤上の向日葵 ドラマ03.jpg盤上の向日葵 08.jpg●2019年ドラマ化(「盤上の向日葵」) 【感想】 2019年9月にNHK-BSプレミアムにおいてテレビドラマ化(全4回)。主演はNHK連続ドラマ初主演となる千葉雄大。原作で埼玉県警の新米刑事でかつて棋士を目指し奨励会に所属していた佐野が男性(佐野直也)であるのに対し、ドラマ0盤上の向日葵 05.jpgでは蓮佛美沙子演じる女性(佐野直子)に変更されている。ただし、最近はNHKドラマでも原作から大きく改変されているケースが多いが、これは比較的原作に沿って盤上の向日葵 ドラマ.jpg丁寧に作られているのではないか。原作通り諏訪温泉の片倉館でロケしたりしていたし(ここは映画「テルマエ・ロマエⅡ」('14年/東宝)でも使われた)。主人公の幼い頃の将棋の師・唐沢光一朗を柄本明が好演(子役も良かった)。竹中直人の東明重慶はややイメージが違ったか。「竜昇戦」の挑戦相手・壬生芳樹が羽生善治っぽいのは原作も同じ。加藤一二三は原作には無いゲスト出演か。

盤上の向日葵 ドラマ01.jpg0盤上の向日葵  片倉館.jpg「盤上の向日葵」●演出:本田隆一●脚本:黒岩勉●音楽:佐久間奏(主題歌:鈴木雅之「ポラリス」(作詞・作曲:アンジェラ・アキ))●原作:柚月裕子●出演: 千葉雄大/大江優成/柄本明/竹中直人/蓮佛美沙子/大友康平/檀ふみ/渋川清彦/堀部圭亮/馬場徹/山寺宏一/加藤一二三/竹井亮介/笠松将/橋本真実/中丸新将●放映:2019/09/8-29(全4回)●放送局:NHK-BSプレミアム

IMかがみの孤城.jpg『かがみの孤城』...【2021年文庫化[ポプラ社文庫](上・下)】
『盤上の向日葵』...【2020年文庫化[中公文庫(上・下)(解説:羽生善治)]】
『屍人荘の殺人』...【2019年文庫化[創元推理文庫]】

I『屍人荘の殺人』.jpg Wカバー版

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上手いとは思ったが、ラストが...。吉田修一氏の「残酷物語だ」との芥川賞選評に共感させられた。

星の子.jpg 今村 夏子 .jpg 星の子1.jpg
星の子』今村 夏子 氏   2019年映画化(監督・脚本:大森立嗣 出演:芦田愛菜/永瀬正敏/原田知世)

 2017(平成29)年・第39回「野間文芸新人賞」受賞作。2017年上半期・第157回「芥川賞」候補作。2018年「本屋大賞」ノミネート作(7位)

 物語の語り部「わたし」は中学3年生、林ちひろ。ちひろは未熟児で生まれ、生後半年目には原因不明の湿疹に苦しむ。両親は医者が薦める薬やあらゆる民間療法を試したが、効果はない。困り果てた父親は、勤務先の同僚がくれた「金星のめぐみ」という水を持ち帰り、助言どおりちひろの体を洗う。すると、ちひろの夜泣きが減り、2カ月目には全快したのだった。これを機に、両親は水をくれた同僚が所属する新興宗教にはまっていく。父親は会社を辞めて教団の関連団体に移り、母親は怪しい聖水をひたしたタオルを頭にのせて暮らすようになる。叔父が忠言しても両親は聞き入れず、家は転居するたびに狭くなり、ちひろより5歳年上の姉は家出する―。(版元サイトより)

 両親が怪しい新興宗教に嵌ってしまった家族の悲惨な転落話かなと思ってしまいましたが、主人公のちひろはそうでもないらしく、そのちひろの目から淡々と子供時代の日常が語られます。但し、そのちひろも中学3年生になると、その変化の兆しが見られます。

 このプロセスの描き方が上手いと思いました。但し、ラストはややもやっとした感じでしょうか。一部の読者は、ここから、ちひろが両親の自分への愛情を感じながらも、その両親と決別をする予兆を読み取ったようですが、果たしてそこまで読み取れるかなあと(この小説を「読者が忖度する作品」と言う人もいるみたい)。読み取りにくい分、やっぱりこの作品は、新しい家族の在り様といった前向きなものというよりも、新興宗教によって親子が分裂するか、或いは子どもさえも巻き込んでしまう、家族の悲劇ではないかなという気がしてしまいます。

 芥川賞の選評でも評価が割れたようで、小川洋子氏、川上弘美氏がその技量を買って推す一方で、高樹のぶ子氏、島田雅彦氏は推しておらず、高樹のぶ子氏は「会話のリフレインが冗長に感じられた」と技法面で否定的ですが、島田雅彦氏は、「語り手自身が問題系の内部に閉じ込められているために批評的距離を保てない。実はこの点に本作の企みがあり、また問題がある」としています。吉田修一氏も、「この小説は、ある意味、児童虐待の凄惨な現場報告である。本来ならすべての人間に与えられるはずのさまざまな選択権、自由に生きる権利を奪われ吉田修一氏2.jpgていく(物言えぬ)子供の残酷物語であり、でもそこにだって真実の愛はあるのだ、という小説である」とし、「力ある作品だと認めているのだが、ではこれを受賞作として強く推せるかというと、最後の最後でためらいが生じてしまう」としています(宮本輝氏も似たような理由で推していない)。吉田修一氏などは芥川賞作家でありながら、社会性の高い作品も書くため、特にそのように感じるのではないでしょうか。個人的には、吉田修一氏の選評に最も共感させられました。

 上手いとは思いますが、この作品が芥川賞に値するかとなると、ちょっとという感じ。作者は1980年広島県生まれで、 2010年に「あたらしい娘」で太宰治賞を受賞、 2011年に「こちらあみ子」で三島由紀夫賞を受賞、2016年には「あひる」が河合隼雄物語賞受賞し、第155回芥川賞の候補作になるなど躍進著しく、この作品が芥川賞候補になった背景には、そうした"ハロー効果"もあったように思います。

小谷野敦.jpg Amazon.comのレビューで小谷野敦氏が、「『こちらあみ子』『あひる』と衝撃作を出して期待の高まる作者だが、今回は失敗した。長くてしまりがない」としながらも、「芥川賞は、『あひる』と併せての受賞で差し支えなかったと思う」としていて、これは『こちらあみ子』と『あひる』のセットで芥川賞にすればよかったと言っているのでしょうか、それとも『あひる』とこの『星の子』のセットのことを言っているのか(『あひる』は既に候補になっているため、後者はありえないのだが)、よく分からない...。

星の子 (朝日文庫).jpg星の子2.jpg

2019年映画化
監督・脚本:大森立嗣
出演:芦田愛菜/永瀬正敏/原田知世/岡田将生/大友康平/高良健吾/黒木華/蒔田彩珠/新音

映画タイアップカバー

【2019年文庫化[朝日文庫]】

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時代小説においてこれほど途方もないアイデア(状況設定)に出会うことは稀有。

国を蹴った男 文庫.jpg 国を蹴った男 講談社.jpg 時代小説傑作選-upq.jpg
国を蹴った男 (講談社文庫)』『国を蹴った男』['12年/講談社]『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選 (宝島社文庫 「この時代小説がすごい!」シリーズ)

国を蹴った男 03.jpg 2012(平成24)年・第34回「吉川英治文学新人賞」受賞作。2012(平成24)年下半期・第148回「直木賞」候補作。宝島社の「『この時代小説がすごい!』が選ぶ!時代小説ベストテンアンケート」第1位。

 京の鞠師・五助は、訳あって京を出て、駿河の今川家のお抱え鞠職人になる。今川家当主・氏真は、桶狭間の戦いで織田信長に討たれた今川義元の子で、今は三河の家康の庇護下にあり、名人並みの鞠足の持ち主だった。その、上洛して、家康の同盟者にして「父の仇」でもある信長に京都の相国寺で謁見し、信長の前で蹴鞠を披露することになる。そんな折、五助に今の妻を世話してくれた商人・籠屋宗兵衛が、石山本願寺の意向を受けて、蹴鞠に火薬を仕込んで信長を暗殺する計画を五助に告げる。すでに五助の妻子は人質にとられており、妻子を救うには信長暗殺計画に手を貸すしかない五助だったが―。

 宝島社が、毎年、その年に刊行された時代小説のベストランキングを発表し紹介している『この時代小説がすごい!』のランキングアンケート投票によって選出された短編時代小説のオールタイムベストの第1位作品。ベストテンアンケート投票者は評論家、ライター、編集者など24人で、1人で10位まで投票し、第1位に10点、第2位には9点...第10位には1点、というかたちで累計するもので、59点を獲得し、第2位の笹沢佐保「赦免花は散った」の42点を17ポイント上回っての第1位でした。因みに作者は、この作品の前に「城を噛ませた男」で直木賞候補(第146回)になり、この作品の後も「巨鯨の海」(第150回)、「天下人の茶」(第155回)で候補になっています。

 物語にあるように、氏真が1575(天正3)年3月20日に信長の前で蹴鞠を披露したというのは『信長公記』ある史実で(但し、氏真が同年に詠んだ歌428首を収めた『今川氏真詠草』にはこの会見に関する感慨は記されていない)、翌月に長篠の合戦があり、その後の残敵討伐で、諏訪原城(牧野城)の城主となった氏真は、城主の座を降り(解任され)鞠と和歌に生きる余生を送ることになります。当然のことながら、物語における蹴鞠による信長暗殺計画は未遂に終わり、氏真はそうした計画があったことすら知らなかったことになっていますが、それでは五助はどうしたのか、五助の妻子の命はどうなったのか―。

 短編集『国を蹴った男』は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉などの権力者に翻弄されつつも、自らの信念を貫いた者たちを描いた作品群で、表題作であるこの「国を蹴った男」のテーマそうです。但し、「国を蹴った男」の場合、主人公が武士ではなく蹴鞠職人であり、主人と武士道的な主従関係というよりは蹴鞠を通した友情のようなもので結ばれていながら、その行為は主人を守るためなら自らは命を投げ出すことも厭わないとする、武士以上に覚悟の座ったものです。しかも、何ら恩寵や名誉の見返りのないものだけに感動させられます。

女城主直虎   今川氏真1.jpg この作品はまた、人物造型解釈がユニークです。今川氏真は文化人で蹴鞠の名手でしたが、誰もが天下を狙う時代に暢気に歌を詠み、鞠を蹴っているうちに今川家を滅亡させてしまった公家趣味の暗愚な殿様というイメージがあります。しかし、この作品では、蹴鞠職人・五助の目を通して、氏真の一見暗愚に見える気質の根底にある気高さや柔軟な思考をも描いており、五助が忠誠を寄せるに足る人物となっています。

「女城主 直虎」 寿桂尼(浅丘ルリ子)/今川氏真(尾上松也)

直虎 今川氏真s.jpg こうした描き方は、今年['17年]のNHKの大河ドラマ「女城主 直虎」においても、尾上松也演じる今川氏真が、最初は浅丘ルリ子演じる祖母・寿桂尼の後見に敷かれて政務をする内に遊興に耽るようになったダメ当主として描かれていたのが、終盤は、独自の割切りで、一代だけだったものの今川家を存続延長させ、自らは好きな芸術の世界に身を転じ余生を永らえた、戦国大名としてはユニークな生き方をした人物としてむしろ肯定的に描かれていることにも通じるように思います(この作品が「直虎」における氏真"再評価"の先直虎 今川氏真    .jpg鞭となった?)。作者がこの作品を書いた頃は(つい5年前だが)、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れたにも関わらず今川氏真が戦国の時代を生き延びた経緯というのが一般にはあまり知られていなかったのではないでしょうか。直木賞選考委員の桐野夏生氏は、「私は、時代背景や当時の状況など、もう少し説明が欲しいと思うところがある」としています(これは短編集全体に対する講評)。但し、これを説明し始めると、かなり複雑で長くなり、短編作品としてのキレが失われたかもしれないと思います。

女城主直虎   今川氏真2.jpg 更にこの作品の白眉とも思えるのは、作中の蹴鞠競技を、通常8人4組制で行われるのを、1人で競うのが好きな信長の意向で変則的な4人4組制にして、信長の相手として氏真の他に、信長に同行した三河の松平家康と、たまたま傍に控えていた羽柴藤吉郎秀吉を加えていることです。籠屋宗兵衛の思惑通り鞠に仕掛けた爆薬が爆発すれば、石山本願寺が望んだ信長暗殺だけでなく、氏真、家康、秀吉も爆死する可能性があり、五助の氏真への思いはともかく、信長、家康、秀吉の3人が同時に、或いはその内の誰かが命を落とすことになるかもしれない状況を作りだしている点です。同時にこの部分は、暗殺の実現可能性という面でネックにもなるようにも思いますが(狙い通り信長が死ぬとは限らず、実質ロシアン・ルーレット状態になってしまう)、それを割り引いて考えても、時代小説においてこれほど途方もないアイデア(状況設定)に出会うことは稀有なように思いました。

おんな城主 直虎 .jpg「おんな城主 直虎」●演出:渡辺一貴/福井充広/藤並英樹/深川貴志/村橋直樹/安藤大佑●制作統括:岡本幸江/松川博敬●作:森下佳子●音楽:菅野よう子●出演:柴咲コウ/三浦春馬/高橋一生/柳楽優弥おんな城主 直虎」南渓和尚.jpg/菅田将暉/杉本哲太/財前直見/貫地谷しほり/市原隼人/菜々緒/ムロツヨシ/柳楽優弥/市原隼/山口紗弥加/矢本悠馬/田中美央/梅沢昌代/光浦靖子/小松和重/橋本じゅん/和田正人/市川海老蔵/松平 健/春風亭昇太/尾上松也/阿部サダヲ/浅丘ルリ子/前田 吟/山本學/栗原小巻/小林薫●放映:2017/01~12(全50回)●放送局:NHK
小林薫(龍潭寺住職・南渓和尚)

[井伊家1 (1).jpg

2018年10月09日 龍譚寺 枯山水庭園
龍譚寺 枯山水庭園.jpg

【2015年文庫化[講談社文庫]/2016年再文庫化[宝島社文庫(『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選』)]】

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(『白夜行』+『火車』)÷2。構成自体がある種"叙述トリック"になっているのが"凄い"。

愚者の毒.jpg愚者の毒 2.jpg カバーイラスト:藤田新策 宇佐美まこと.jpg 宇佐美まこと 氏 [愛媛在住](from 南海放送.2016.12.5)
愚者の毒 (祥伝社文庫)

 2017(平成29)年・第70回「日本推理作家協会賞」(長編及び連作短編集部門)受賞作。

 香川葉子は、借金苦から自殺した妹夫婦の代わりに、言葉に障害を持つ甥の達也を養っていたが、激しい借金の取り立てから逃れるため、世間から身を隠して生きていた。1985年春、葉子は、上野の職業安定所で弁護士事務所に勤めているという美貌の女・希美と出会い、気軽にお喋りをする仲になる。葉子は彼女からの紹介で、調布市深大寺にある旧家の難波家で家政婦として働くことになる。武蔵野の屋敷には、当主である優しい「先生」と、亡くなった妻の子供である由紀夫という繊維会社の若社長が住んでいて、希美もたびたび訪ねて来てくれた。穏やかで安心できる日々であり、由紀夫が時々、夜中に一人でこっそりと外出することに葉子は気づいていたが、詮索はしなかった―(第1章)。

 希美の父は、1963年に三池炭鉱炭塵爆発事故に遭い、一酸化炭素中毒患者となった。そのため、一家は筑豊の山奥の廃鉱部落に移り住む。希美の父は、感情のコントロールができなくなり、次第に獣のようになる。1966年の秋のある日、希美の父が妻シヅ子と間違えて妹に襲いかかり、希美は父に殺意を覚える。そのことを男友達のユウに話すと、ユウはユウで恨んでいる男がいるという。そして、ある犯罪計画が実行に移される―(第2章)。

 書き下ろしでいきなり文庫になった作品で、作者のこれまでの作品ともやや毛色が異なり、刊行時はそれほど話題にならなかったけれども、次第に口コミで評判になり、日本推理作家協会賞を受賞するに至っています。選評であさのあつこ氏は、「瑕疵の多い作品だ。特に、車の細工とか、烏を使うとか殺害方法にリアリティがない。〝死んだのは誰だ〟という謎、人のすり替わりも意外に早く結果が見えてしまう」としつつ、「しかし、その瑕疵があってなお、この作品には鬼気迫る力があった」「殺人者の慟哭を自分のものとした作者に、協会賞はなにより相応しい」としていて、他の選者も、作品の一部に同様の瑕疵を見出しながらも、文章力や構成力、そして何よりも読み手に訴えかけてくるテーマの重さで、受賞作として推している印象でした。

 個人的にも完全一致とは言わないまでも、ほぼ同じような感想を抱きました。丁度、『白夜行』(東野圭吾)と『火車』(宮部みゆき)をたして2で割った感じでしょうか(これだと凄い褒め言葉になるが、それに×0.8といった感じか)。「父親殺し」というのもモチーフとして噛んでいるように思いました。

 3章構成で、2015年の高級老人ホームに入所中の語り手の現在と、それぞれの過去が交互に描かれますが、その構成自体がある種"叙述トリック"になっていて、第2章の終わりでそれに気づかされた時は、正直"凄い"と思いました。ただ、その"凄い"が、作者としては引っ張ったつもりでしょうが、それでも読者的には早く来すぎてしまって、以降、それを超えるものが無かったような気がしないでもないです。

 それでも、主人公以外にも、60年代の過去にいたある人物が80年代に意外な人物になり代わっていて、その表の顔と裏の顔の差が激しい分キャラ立ちしており、更にラスト近くでは、もう一人の人物の現在の姿が明かされるといった具合に、盛り沢山でした。確かに終盤は"プロット過剰"とでも言うか、いきなり"本格推理風"になったりして、ばたばたといろんなものを詰め込んで、伏線を一気に"回収"して帳尻を合わせた感じはしますが、ホラー作家の篠たまき‏氏の「犯罪を犯すしかなかった人々の生き様が切なすぎる」という評は的を射ているように思われ、◎評価としました(今年読んだ近刊小説の中ではベスト1ミステリになるかも)。

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"癒し系"×"お仕事系"。いい話ばかり過ぎる気もするが、上手いと思った。

ツバキ文具店obi1.jpgツバキ文具店.jpg  ツバキ文具店 ドラマ.jpg
ツバキ文具店』 「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」NHK(2017)多部未華子主演

ツバキ文具店3.jpg 2017(平成29)年・第14回「本屋大賞」第4位作品。

 祖母の葬式のため、雨宮鳩子は高校を卒業して以来8年ぶりに故郷の神奈川県の鎌倉に戻ってきた。 一人で鳩子を育ててくれた祖母は文具店を営む傍ら、思いを言葉にするのが難しい人に代わって手紙を書くことを請け負う「代書屋」でもあった。 祖母に反発して家を飛び出した鳩子は葬式と家の片付けが終わるとすぐに鎌倉を去ろうとするが、生前祖母が引き受けたものの未完であった代書の仕事を引き継ぐように促されそれに取り組むことで心境が変わり、文具店と代書屋業を継ぐことを決意する。地元の温かい人々にも支えられながら鳩子は代書屋として歩み始めた。さまざまな人の思いをすくいとり文字にして相手に届けることで、鳩子は彼らの思いに触れ彼らの人生に関わり、また仕事の師匠であった祖母の思いにも寄り添っていく―。

ツバキ文具店 d.jpg 近年流行りの"癒し系"と"お仕事系"を掛け合わせたような作品ですが、すんなり気持ちよく読めました。今年['17年]4月にNHKラジオ第1「新日曜名作座」にてラジオドラマ化され、更にNHK総合「ドラマ10」にて「ツバキ文具店〜鎌倉代書屋物語〜」と題して多部未華子主演でテレビドラマ化(全8話)されています。

 やや"いい話ばかり"過ぎて、あざとい印象を受けなくもないですが、淡々とエピソードを積み上げて、ラストで主人公が先代(祖母)の自分への想いを知るという盛り上げ方は上手いと思いました(素直に感動した)。

ツバキ文具店ド.jpgツバキ文具店 tegami.jpg 鎌倉という物語の舞台背景が効いているし、何よりも手紙文が「手書き」で(挿画の形を借りて)出てくるのが効いています。最初は作者が書いたのかなとも思ったりしましたが、"男爵"の手紙文が出てきたところで、これはプロの為せる技だと確信し、調べてみたら、萱谷恵子氏というプロの字書きの手によるものでした(ドラマでも多部未華子の書く字を担当している)。"挿画"と言うより、"コラボ"に近いかもしれません。

 主人公の生い立ちなどについてあまり細かいことの説明をしていないのが、却ってすっと物語に入っていける要因にもなっているように思いました。テレビドラマ版で多部未華子は、原作のイメージをそう損なってはいないツバキ文具店s.jpg、まずまずと言っていい演技でしたが(多部未華子はこの演技で第8回「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」主演女優賞受賞)、ストーリー的にやや説明的な要素を付け加え過ぎたでしょうか。その結果、(これもありがちなことだが)原作に無い登場人物が出てきたりします(その典型が高橋克典演じる観光ガイド)。やっぱり脚本家というものは、原作に対して「何も足さず何も引かず」ということが出来ない性質なのかなあ。

ツバキ文具店〜鎌倉代書屋物語〜.jpg「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」●演出:黛りんたろう/榎戸崇泰/西村武五郎●脚本:荒井修子●原作:小川糸●出演:多部未華子/高橋克典/上地雄輔/片瀬那奈/新津ちせ/江波杏子/奥田瑛二/倍賞美津子●放映:2017/04~06(全8回)●放送局:NHK

【2018年文庫化[幻冬舎文庫]】

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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ 「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「海の見える理髪店」)

6編中、「海の見える理髪店」が一歩抜けている。泣けるのは「成人式」。

海の見える理髪店1.jpg
海の見える理髪店.jpg
 荻原.jpg 「海の見える理髪店」4.jpg
海の見える理髪店』 荻原浩氏と『コンビニ人間』で芥川賞受賞の村田沙耶香氏  2022年ドラマ化(NHKドラマスペシャル)出演:柄本明/藤原季節
海の見える理髪店 (集英社文庫)』['19年]
海の見える理髪店 (集英社文庫).jpg 2016(平成28)年上半期・第155回「直木賞」受賞作。

 「海の見える理髪店」...主の腕に惚れた大物俳優や政財界の名士が通いつめた伝説の理髪店。ある事情から初めてその理髪店を訪れた客の僕に、店主は髪を切りながら自らの過去を語り始める―。

 「いつか来た道」...何事にも厳しかった元美術教師で画家の母から必死に逃れて16年。わけあって懐かしい町に帰った娘の私は、年老いて認知症になった母との思いもよらない再会をする―。

 「遠くから来た手紙」...仕事ばかりの夫と口うるさい義母に反発し、娘を連れて実家に帰った祥子のスマートフォンに、その晩から時を超えたような不思議なメールが届き始める―。

 「空は今日もスカイ」...親の離婚で母の実家に連れられてきた小学3年生の佐藤茜は、海を目指してひとり家出をするが、途中で虐待痕のある少年・森島陽太と出会い、一緒に海を目指す―。

 「時のない時計」...父の形見の腕時計を修理するために足を運んだ時計屋で、私は時計屋の主の話を聞くうちに、忘れていた父との思い出の断片が次々に甦ってくるのだった―。

 「成人式」...数年前に中学生の娘が交通事故で亡くし、悲嘆に暮れる日々を過ごしてきた私と妻の美恵子だが、妻がある日、亡くなった娘に代わり成人式に替え玉出席しよう言い出す―。

 2005(平成17)年に『明日の記憶』('04年/光文社)で山本周五郎賞を受賞しているベテラン作家の6回目の直木賞候補での受賞ということで、60歳での受賞(この作者の場合、小説家としてデビューしたのは39歳)というと高齢受賞という印象を受けますが、『つまをめとらば』('15年/文藝春秋)で2015年下半期(第154回)受賞の青山文平氏などは67歳での受賞だったし、結構これまでも高齢受賞はあって、そう珍しくもないようです(直木賞には芥川賞ほどではないが、新人賞というイメージも若干つきまとうため気にかけてみたが、そもそも60歳は世間的には高齢とは言わないか)。

 6編の中で、個人的には表題作「海の見える理髪店」が一歩抜けているという印象。そもそも「海の見える理髪店」を舞台にした連作だと思って読み始めたのですが(森沢明夫『虹の岬の喫茶店』('11年/幻冬舎)の影響?)、最初で最後の床屋予約だったわけか。泣ける作品と言えば、ラストの「成人式」でしょうか。ネットでも、「海の見える理髪店」と「成人式」を薦めているものがありました。

 どちらかと言うと、"感動"系乃至は"アイデア"系の作風なので、見方によっては話が出来過ぎているという印象もあり、直木賞の選評でも強く推した選考委員(◎)は1人もいなかったようですが、強く否定する委員もいなくて結局受賞しました(第154回「直木賞」の選考で宮下奈都氏の『羊と鋼の森』が強く推した選考委員(◎)が2名いて落選しているのと対照的)。

 選考委員の評言の中では、高村薫氏の「熟練の手で紡がれる物語はどれも少しあざとく、予定調和的ではあるが、私たちのさりげない日常は、こうして切り取られることによって初めて『人生』になるのだと気づかされる。これぞ小説の一つの典型ではあるだろう」というのが(これが9人の選考委員の中で評言としては一番短いのだが)、一番言い得ているように思いました。

【2019年文庫化[集英社文庫]】

《読書MEMO》
「海の見える理髪店」1.jpg●2022年ドラマ化 【感想】NHKスペシャルドラマで表題作「海の見える理髪店」のみをドラマ化。柄本明が理髪店の店主役で、若い頃の店主を尾上寛之が演じていたかと思ったら、途中から柄本明に代わって、結局、柄本明が店主の青年期・壮年期・老年期とほぼ通しで演じたことになる。さすがに30代の主人公はきついが「海の見える理髪店」柄本.jpg、全体を通してその演技力で魅せていた。ドラマには脇役で出ることが多いが、こうして主役をやると改めてその力量を感じ取れる。ドラマというより演劇の舞台を観ている感じで、改めて原作がそうした性格のものだったかなあと思ったりした(柄本明が舞台出身であるというのもあるかも)。ミステリ風だが、原作を既に読んでいると、伏線がややはっきりしすぎていて、観ている人はすぐに分かってしまうのではないかと思った。ただ、最後まで、事実説明をしなかったのは良かった(これで説明的描写を入れるとくどくなる。結果的に、原作を読んでいない人は、ミステリの部分も愉しめたのではないか)。

「海の見える理髪店」3.jpg「海の見える理髪店」●脚本:安達奈緒子●演出:森ガキ侑大●音楽:森優太●原作:荻原浩●時間:75分●出演:柄本明/藤原季節/玄理/尾上寛之/片岡礼子/中島歩/眞島秀和/水野美紀●放映:2022/05/09(全1回)●放送局:NHK

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カタルシスを満たす結末にしていないのは作者の矜恃か。ほろ苦さを通り越して「苦い」。

内館 牧子 『終わった人』8.jpg終わった人 帯付.jpg終わった人 帯a.jpg  『終わった人』(2015/09 講談社)  2017年映画化「終わった人」(東映)監督:中田秀夫 出演:舘ひろし/黒木瞳/広末涼子

2017年映画化「終わった人」.jpg 大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま定年を迎えた「俺」・田代壮介。仕事一筋だった俺は途方に暮れた。妻は俺との旅行などに乗り気ではないし、「まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい」という思いで職探しをするものの、取り立てて特技もない定年後の男に職内館 牧子.jpgなどそうはない...。生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける俺に再生の時は訪れるのか? ある人物との出会いが、俺の運命の歯車を回す―。

内館 牧子 氏  第42回「モントリオール世界映画祭」最優秀男優賞受賞(舘ひろし)

 脚本家、エッセイストであり作家でもある作者の初の新聞連載小説として、釧路新聞・室蘭民放・東奥日報(夕刊)・岩手日報・茨城新聞・上毛新聞・山陰中央新報・四国新聞に連載されたものに加筆したものであるとのこと。'15年9月刊行ですが、'16年大晦日の新聞広告によれば「14万部突破!ロング&ベストセラー」であるとのことです。

孤舟.jpg渡辺 淳一.jpg 同じく定年を迎えた男の人生を描いた小説に、渡辺淳一(1933-2014)の『孤舟』('10年/集英社)があり、『孤舟』の主人公の場合は、勤務先企業で常務執行役員まで行ったものの60歳手前で在阪子会社社長としての転出話を持ち出されたことに屈辱を感じて退職し、但し、それまで仕事一筋だったこともあって家では逆に妻子らに疎んじられて相手してくれるのは飼い犬だけ、カルチャーセンターに行っても何となく馴染めず、お金も妻に管理され、不自由且つ鬱々とした日々を送るというもので、ちょっとこの作品の主人公と似ているところがあります。

渡辺淳一『孤舟』(2010/09 集英社)

 本書の主人公も、雇用延長は東大卒のプライドが許さず自ら退職の道を選んだ訳ですが、と言っても当面やることも無く、ハローワークに行っても職もなく、大学院を受けて文学でもやろうとしたり、そのためにカルチャースクールに通ったり、或いは躰を鍛えるためにジムに通ったりしますが、例えばジム仲間のグループにも何とく自分と異質のものを感じています。そんな中、カルチャースクールの事務をやっている女性と知り合いになり、もしかしたら男女の関係になるかもと夢想したり、また、同じジムに通っていたベンチャー企業の青年実業家とも知り合いになって、彼から会社の顧問になって欲しいと言われたりします。

 この辺りの展開は自然で、結構リアリティがあったように思います。渡辺淳一の『孤舟』の主人公はデートクラブで知り合った女性にどんどん入れあげていきますが、まあ、渡辺淳一という作家がそうしたテーマを扱うことを期待されていたようなものだからそれでいいのかも(結局、主人公の恋は成就しないのだが)。一方の本書の主人公も、カルチャースクールの女性に想いを馳せ、その"老いらくの恋"(そこまではまだ年齢がいかないか?)のやや滑稽な描かれ方は『孤舟』と似てなくもありません。

 但し、青年実業家に乞われて彼の会社の顧問になってから、話は「仕事」の方がメインとなり、「恋愛」の方はサブになっていきます。結局、この主人公は、自らが言うようにビジネスの世界でまだ「成仏」していない状態だったのだろうなあと思いました(終わっていたのか、終わっていなかったのかと言えば、終わっていなかったことになる)。やがて彼自身が経営トップとしてその会社に深く関わることになります。Amazonの読者レヴューに「会社の借金を雇われ社長が背負うなど、現実性に疑問があった」というのがありましたが、株式会社であっても中小企業の場合、経営者は雇われであろうとなかろうと実質的に無限責任社員みたいなものですから、本書にあるようなことは充分にあり得るだろうと思います。

 よく取材されていると思いましたが、第9章の「偶然の再会」辺りから何となくテレビドラマっぽくなっていった印象も。それにしても、それほど夫婦の関係は悪くは無かったように思えたのが、主人公が経済的苦境に立たされてからの奥さんは意外と冷たかったなあ。殆ど自分は被害者で、責任は全て夫にあり、自分は一切関わりたくないといった感じ。まあ、丁度自身が新たな事業を始めたばかりだったということもありますが、そこまで邪険にしなくてもいいのに、と主人公がやや気の毒になりました。

 最後は少しだけ救いがありましたが、夫婦の新たな形(「卒婚」)を提唱している作品とも言え、そこへ導くために登場人物の一部がやや極端なキャラになっているのかも。安易にハッピーエンドにして読後のカタルシスを満たすような結末にしていないのは、むしろ「小説家」としての作者の矜恃かもしれないと思ったりもしました(仮のTVドラマ化されたとしたら、結末は若干変えられるのでは)。

 ただ、主人公は定年後にやっとビジネスの世界での「成仏」はできたのかもしれないけれど、失ったものが大き過ぎる気もしました。本書を読んで「元気をもらった」という人もいるかもしれないですが、個人的には、リタイヤから墓場までの間であっても生きて行かねばならず、その生きていく上で経済的基盤というのは大きなウェイトを占めることを改めて思いました。

 そもそも、主人公がそうしたチャレンジが出来たのは、東大を出て大手銀行に勤務して途中まで出世コースを歩み蓄えた資産があったからだろう、という批判もできるかもしれません。個人的には、一般的なケースを描くのが小説というものではないので、別にそれはそれでいいと思うのですが、主人公は1回のチャレンジでその資産を失ったことになり、更には妻とも...そう考えると、ほろ苦さを通り越して、ひたすら「苦い」お話だったかもしれ終わった人 (2017)2.jpgません。

2017年映画化「終わった人」(東映)監督:中田秀夫 出演:舘ひろし/黒木瞳/広末涼子/臼田あさ美/今井翼
終わった人 (2017)1.jpg終わった人 (2017)3.jpg
    
第42回「モントリオール世界映画祭」最優秀男優賞受賞(舘ひろし)
「モントリオール世界映画祭」(舘ひろし).jpg
●日本人「モントリオール世界映画祭」男優賞・女優賞受賞者
・「天城越え」(1983年)主演女優賞(田中裕子)
・「鉄道員」(1999年)主演男優賞(高倉健)
・「悪人」 (2010年)最優秀女優賞(深津絵里)
・「終わった人」(2018年)最優秀男優賞(舘ひろし)

【2018年文庫化[講談社文庫]】

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「●「吉川英治文学賞」受賞作」の インデックッスへ

面白かった。出来過ぎ感、非現実感は、娯楽小説、近未来小説とみれば許容範囲内か。

『東京零年』 赤川次郎.jpg『東京零年』2.jpg 『東京零年』3.jpg 『東京零年』.jpg 
東京零年』(2015/08 集英社)赤川次郎氏[デジタル毎日](吉川英治文学賞受賞)

 2016(平成28)年・第50回「吉川英治文学賞」受賞作。

 駅ホームから転落した学生の生田目健司を24歳の永沢亜紀が救った。その亜紀の父親で、脳溢血で倒れ介護施設に入所しているかつての社会運動家・永沢浩介は、ある男がTV番組に写り込んでいるのを見て発作を起こす。呼び出された娘の亜紀は、たどたどしく喋る父の口から「ゆあさ」という言葉を聞く。それは昔殺されたはずの男・湯浅道男のことだった。健司の父親で、元検察庁特別検察官・生田目重治が湯浅の死に関与していた事を知った健司は、真相を解明すべく亜紀とともに動き出す。時は遡り数年前、エリート検察官の生田目重治、反権力ジャーナリストの永沢浩介、その補佐を務める湯浅道男ら、圧倒的な権力を武器に時代から人を消した男と消された男がいた―。

 雑誌「すばる」で約2年半に渡り連載され社会派サスペンス小説で、2011年の東日本大震災以降、この作家は社会的な発言を結構するようになっていますが(立場的にはリベラル?)、作品に反映されているものを読んだのは、個人的にはこれが初めてでした。面白かったです。何よりもテンポがいい。500ページを超える大作ですが、平易な文体ですらすら読めます。

 やや話が出来過ぎた話の印象もありますが、エンタテインメント小説として許される範囲内でしょうか。むしろ、リアリティの面でどうかというのがありますが、これ自体「近未来」という設定のようなので、近未来小説として読めばこの点でも基準をクリアしているように思えました(一番出来過ぎていると思ったのは、永沢亜紀がターゲットである相手とぶつかりざまに隠しマイクを取り付けるところか。素人がやってそんな上手くいくかなあ)。

 でも、近未来の日本を描いたものでありながら、今でも起こりうると思われる部分もあって(未来の監視社会の恐怖と言うよりは、検察・警察権力の暴走の怖さを描いている)、作者の作品群の中で相対評価すれば、星5つあげてもいいくらいかなあと思ったりもしました。

 プロットの展開は、この作家の持ち味と言うか、やはり上手だと思います。一方で、この作家独自の「軽さ」のようなものもどこかにあって、読んでいる間は面白いけれど、テーマの重さの割には、時間が経ってからどれぐらい心に残るだろうかというのもあって、星4つとしました。

 Amazon.comのレビューを見ると、自分より辛い評価のものも若干ながらありました。その中で、「確かに検察・警察権力が暴走しているのだが、やり方があまりにも粗暴かつ幼稚で現実感がない」というのがありました。批判的にみればそうなのだろうなあと思われ、その辺が「軽さ」感に繋がっているのかもしれません。でもこの「軽さ」は、個人的には、娯楽小説、近未来小説としての許容範囲内ではないかと思います。

【2018年文庫化[集英社文庫]】

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「●文章技術・コミュニケーション」の インデックッスへ 「●文春新書」の インデックッスへ 「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(阿川 佐和子)

「聞く力」というよりインタビュー術、更にはインタビューの裏話的エッセイといった印象も。

聞く力1.jpg 聞く力2.jpg 阿川 佐和子 菊池寛賞.jpg
聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)阿川佐和子氏(第62回(2014年)菊池寛賞受賞)[文藝春秋BOOKS]

阿川 佐和子 『聞く力―心をひらく35のヒント』130.jpg 本書は昨年('12年)1月20日に刊行され12月10日に発行部数100万部を突破したベストセラー本で、昨年は12月に入った時点でミリオンセラーがなく、「20年ぶりのミリオンゼロ」(出版科学研究所)になる可能性があったのが回避されたのこと。今年に入ってもその部数を伸ばし、5月には135万部を、9月13日には150万部を突破したとのことで、村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が発売後7日で発行部数100万部に達したのとは比べようもないですが、今年('13年)上半期集計でも村上氏の新刊本に次ぐ売れ行きです。

プロカウンセラーの聞く技術3.jpg 内容は主に、「週刊文春」で'93年5月から20年、900回以上続いている連載インタビュー「この人に会いたい」での経験がベースになっているため、「聞く力」というより「インタビュー術」という印象でしょうか。勿論、日常生活における対人コミュニケーションでの「聞く力」に応用できるテクニックもあって、その辺りは抜かりの無い著者であり、エッセイストとしてのキャリアも実績もあって、文章も楽しく読めるものとなっています。

 ただ、対談の裏話的なものがどうしても印象に残ってしまい(それも誰もが知っている有名人の話ばかりだし)、タイトルからくるイメージよりもずっとエッセイっぽいものになっている印象(裏話集という意味ではタレント本に近い印象も)。「聞く力」を本当に磨きたければ、著者自身が別のところで推薦している東山紘久著『プロカウンセラーの聞く技術』(`00年/創元社)を読まれることをお勧めします。もしかしたら、本書『聞く力』のテクニカルな部分の典拠はこの本ではないかと思われるフシもあります。
プロカウンセラーの聞く技術

 因みに、昨年、その年のベストセラーの発表があった時点ではまだ本書の発行部数は85万部だったのが、同年4月に文藝春秋に新設されていた「出版プロモーション部」が、この本が増刷をかけた直後にリリースしたニュース情報が有効に購入層にリーチして一気に100万部に到達、この「出版プロモーション」の成果は村上氏の新刊本『色彩を持たない...』にも応用され、インターネット広告や新刊カウントダウンイベントなどの新たな試みも加わって、『色彩を持たない...』の「7日で100万部達成」に繋がったとのことです。

 本もプロモーションをかけないと売れない時代なのかなあ。ただ、こうしたやり方ばかりだと、更に「一極(一作)集中」が進みそうな気もします。まあ、この本は、村上春樹氏の新刊本とは異なり、発刊以降、地道に販売部数を重ねてきたものでもあり、プロモーションだけのお蔭でベストセラーになった訳でもないとは思いますが。

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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ(『何者』)「●み 三田 誠広」の インデックッスへ 「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ(『僕って何』)

朝井 リョウ 『何者』.jpg 朝井 リョウ 『何者』1.jpg 朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』.jpg 三田誠広『僕って何』.jpg 0僕って何 (1980年) (河出文庫).jpg
何者』(2012/11 新潮社)/映画タイアップカバー['16年]桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)』 三田誠広『僕って何 (1977年)』(カバーイラスト:山藤章二/デザイン:粟津潔)『僕って何 (1980年) (河出文庫)

現代若者気質を反映して上手い。現実の彼らとTwitter上での彼らが表裏になっている。。

 自分が勝手に名付けた「5人の物語」3冊シリーズの2冊目(他は、窪美澄の『ふがいない僕は空を見た』と村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)。2012(平成24)年下半期・第148回「直木賞」受賞作。直木賞初の平成生まれの受賞者であり、男性受賞者としては史上最年少の23歳での受賞(戦後の受賞者としても、山田詠美の28歳、平岩弓枝の27歳より若い最年少)。

 就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良の5人。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺...自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす―。(Amazon.comより)

 冒頭に主要登場人物のTwitterのアカウントのプロフィールがあって(「烏丸ギンジ」も入れると「6人の物語」だが)、作中でも、現実の彼らと、Twitter上での彼らが表裏になっているのが面白く、更に、Twitterにおいても、表のアカウントと裏のアカウントを使い分けたりしているのがいたりして、今の若者ってご苦労さんだなあという気も。

 現代若者気質をストレートに反映しているようで、上手いと思ったし、面白い、と言うより、たいへん興味深く読めました(当の若者からすれば、みんながみんなこうとは限らないのに、この5人に現代若者気質が集約されていると思われるのはたまらん、という声もあるかもしれないが)。

 こうした二重構造、三重構造の自分がいて、更に、就活のために目一杯「自分探し」していて、分裂症にならないかとこっちが気を揉んでしまいそうですが、そんな中、主人公である拓人の視線が比較的クールでしょうか。クールだから就職が決まらないと言うのもあるけれど、みんな「何者」になろうとしているのかという疑問が湧いてくることには共感を覚えました(でも、結局、強く「自分」を持っていたのは、最初はやや無定見に見えた女子2人だった)。

 昔の芥川賞受賞作で、同じくワセダを舞台にした、三田誠広の『僕って何』('77年/河出書房新社)は、かつて"学園紛争"時代、肩肘張ってイズムを主張する男性像が主流の中、軟弱で世間知らずなゆえに"何となく"流されるかのようにあるセクトに入ってしまった大学生だった主人公の述懐話でしたが、雑誌「文藝」に掲載された時から話題になっていて、皆こぞって読んだでいたような記憶があるけれども(「文藝春秋」に転載後かもしれないが、何れにせよ単行本になる前から読まれていた)、モラトリアム型の若者を描いている点ではこの2つの作品は似ています(タイトルも似ている)。

 時代は変われど昔も今も、学生は「自分」を探し求めて彷徨するのでしょうか。新卒学生の就職難の今の時代をリアルタイムで描写し、更に、他者との関係性の今風のスタイルをリアルに描いているという点では、こちらの方が上かも。出てくるのはモラトリアム型の若者にに偏っている気もしますが、まあ、類は友を呼ぶということなのでしょう。

 小説すばる新人賞を受賞した『桐島、部活やめるってよ』('10年/集英社)(これも"5人"の高校生の物語)の背景テーマが「スクールカースト」だったとすれば、こちらは「就職氷河期」がそれにあたるとも言え、結構、社会派かも。

 それにしても、自分に近い年齢の登場人物たちを、よく冷静に対象化して書き分けることが出来るなあと感心。何だかこの人、「若者身の上相談」でもやりそうだなあと思ったら、もう既にそうした類の本を書いていました(まあ、芥川賞作家である中上健次だって村上龍だって、その類の本を書いているけれどね)。

映画 何者4.jpg映画 何者M.jpg2016年映画化「何者」(東宝)

2016年10月15日(土)全国東宝系ロードショー
出演:佐藤 健/有村架純/二階堂ふみ/菅田将暉/岡田将生/山田孝之
原作:朝井リョウ『何者』(新潮文庫刊)
監督・脚本:三浦大輔


『何者』...【2016年文庫化[新潮文庫]】

『僕って何』...【1980年文庫化・2008年改版[河出文庫]】

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「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ

前半部は良かったが、読み進むにつれて、どことなく読み心地の悪さを感じた。

残穢 小野 不由美.jpg   
残穢』(2012/07 新潮社)2016年映画化「残穢 -住んではいけない部屋-」(監督:中村義洋、主演:竹内結子)

 2013(平成25)年・第26回「山本周五郎賞」受賞作。

 作家の「私」は、読者の手紙を通して、部屋に怪異が起きるという久保と知り合い、久保を手足として怪異の調査に乗り出す。久保の住んでいる岡谷マンションと、隣にある狭小住宅の岡谷団地に怪異が多発していることが分かって、更に土地の古老を訪ねたり、文献を調べたりしていくと、怪異の源は福岡の奥山家にあることが分かる。奥山家は炭鉱を営んでいたが、当時は安全性がないがしろにされており、事故が多発していた。また、奥山家の者が、家族や使用人を殺害して自殺した事件があった。奥山家にあった絵の中の女性が、それ以来笑うことがある。昔は家の資材は、ほどほどに質が良ければ他に転用されるのが一般的であり、奥山家の資材も転用され、そうして穢れは拡散していくこととなったようだ。奥山家に端を発する怪談は九州最恐の怪談と言われ、記録したり伝えたりするだけで障りが出るとのことで、私、久保、平山、福澤の皆らの体調が悪化するのだった―。

 語り手の職業がホラー作家で、かつては少女小説を書いていたとか、夫も同業者であるとかで、作者自身を指していることは明らかで、何よりも「残穢」の"伝染" 過程を辿る様子が、緻密な調査記録のようにドキュメンタリータッチで描かれているのが真に迫ってきます。「私」が、平山夢明氏や福澤徹三氏といった実在の怪奇幻想小説作家などにいろいろ訊ねてみたりするのも、「もしかして全部ホントの話」と思わせる効果を醸しているし、とにかく前半部は良かったです。

 ただ、後半部になって、やや社会学的観点が入ってきた分、逆にお話そのものは作り話っぽくなってきたかなあ。作者がホラー作家でなければ、結構スゴイと思うのだけれど、現実にホラー作家であるだけに、「新手のホラー小説」の印象が濃くなっていったように思います。山本周五郎賞の受賞が決まる前にこの作品を読んでいて、山本賞が決まった時は個人的にはやや意外感がありました(この賞の系譜からすると"直球"ではなく"変化球"?)。

 選考委員の1人である石田衣良氏は、「僕はこの賞を小野さんにあげたいと思ったけれど、この本を自宅の本棚に置くのはイヤ」と言ったそうですが(それだけホラー小説としてよく出来ているという意味での褒め言葉だろう)、個人的にはむしろ、「虚実皮膜譚」的な要素が、読み進むにつれて、どことなく読み心地の悪さを感じることに繋がってしまったかも。端的に言えば、「あざとさ」を感じたとでも言うのでしょうか。多分、この作者をの作品を愛読している人には、メタフィクション・ホラーとして最初から全て織り込み済みなのでしょうが(自分には元々ホラー小説ってあまり合わないのかも)。

 この小説に描かれているようなことは、心霊学からでも超心理学からでも説明可能ではないかと思いますが(自分自身としては心霊学には全く信を置いていないが、超心理学は必ずしも全否定はしない)、いずれにせよ、何十人に1人いるかいないかといった霊感またはESP感性の高い人が、偶然、集中的に連なっていないと、こうしたことは起きません。

 哲学者の内山節氏の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』('07年/講談社現代新書) によれば、キツネに騙されたという話を聞かなくなったのは1965年頃だということで、日本人が「キツネに騙される能力」を失った(と、騙されなくなったことを精神性の"衰退"とする捉え方をしているわけだが)その理由を5つに纏めていて、その中には、「自然や共同体の中の生死という死生観が変化し、個人としての"人間らしさ"を追求するのが当然になった」というのもあります。

 怪奇作家の集まりと言うのは、"人間らしい人"の集まりなのかもね。

【2015年文庫化[新潮文庫]】

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盲人スーダン人の自伝的エッセイ。来日奮闘記。著者の半生そのものが"奇跡"みたい。

わが盲想.jpg          モハメド・オマル・アブディン.jpg モハメド・オマル・アブディン氏
わが盲想 (一般書)』(2013/05 ポプラ社)

 盲人のスーダン人である著者(現在35歳)が、15年にわたる日本滞在を、滑らかな日本語とオヤジギャグで綴った自伝的エッセイであり、日本で学び、生活していくにあたっての波瀾に満ちた道のりを描いた奮闘記ですが、楽しく読めました。

 1978年スーダン生まれの著者は、網膜色素変性症でほぼ視力を失い、大学の法学部に籍はあったものの内戦のために大学は閉鎖され、そんな中で日本への留学話、試験に合格すれば日本の盲学校に入り鍼灸の勉強ができるという話を聞いて、日本に興味があったわけでもなければ鍼灸に興味があったわけでもないのに試験を受けて合格、父親の反対を押し切って来日するも、難しすぎる日本語、点字、学科の勉強、日々の暮らしに四苦八苦する―。

 勉学の苦労話はありますが、問題山積の絶望的な状況の中でもどことなく明るいし、ものすごい努力家であることは疑いの余地もないけれど、自らの怠け癖をも率直に披露していて、イスラム教徒でありながら飲酒に一時ハマったとのこと、寿司が大好物で、大の広島カープファン―と、いろいろな面で親しみが感じられました。

 次々と訪れる困難に、この先どうなっていくのかと、読む側をハラハラさせる冒険譚的要素もあり、また、自身の失敗や苦労をギャグ風に描いたり、所々とぼけた味わいもあったりする一方、お世話になった人への感謝の気持ちも常に忘れていない、著者の素敵なキャラクターを感じさせるものとなっています。

 鍼灸を学びに来た著者でしたが、東京外国語大に入学、現在、同大学大学院に在籍とのこと、やはり、母国でもエリート階層なのでしょう。でも、非漢字圏の国から来て、しかも盲人にして、これだけのこなれたエッセイをしたためるというのは、やはり並々ならぬ才能を感じます。ブラインドサッカーの選手としても活躍しており、「たまハッサーズ」のストライカーとして日本選手権で優勝を3回経験しているそうな。めでたく結婚も果たし、娘二人に恵まれ、長女の名前がアヤといい、スーダン語で"奇跡"という意味だそうですが、著者の半生そのものが"奇跡"みたいに感じられました。

 でも、本書を読んで、スゴイ才能だ、"奇跡"だ、ともてはやすだけではしようがないのでしょう。個人的には、こつこつ努力すれば道は開けるという、ありきたりですが元気づけられるメッセージを受け取ったような気がします。

 日本の学生が就職を機にがらっと人格変容してしまう様を、"カルト宗教"に喩えて皮肉っています。著者自身も、著述業に意欲的であるようなので、この先は、外国人及び盲人の"視点"から、日本の文化や社会についてのいいところ、おかしなところを書いていくのかな(ネット上ではすでにいろいろ発信しているみたい)。一通り"自己紹介"を終えて、次はどういった切り口になるのか、第二弾を楽しみにします。

【2015年文庫化[ポプラ文庫]】

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「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ

死者へのレクイエムと骨太のユーモア。読後感は悪くないが、「芥川賞」にはやや"違和感"も。

沖で待つ .jpg沖で待つ.jpg 沖で待つ 文庫.jpg沖で待つ 文庫2.jpg
沖で待つ』['06年] 『沖で待つ (文春文庫)

 2005(平成17)年下半期・第134回「芥川賞」受賞作。

 住宅設備機器メーカーに女性総合職として入社した主人公は、同期入社の男性同僚「太っちゃん」と、先に死んだ方が相手のPCのHDDを壊すという約束を結ぶが、その太っちゃんが事故死したことから、主人公は太っちゃんの部屋に忍び込んで約束を果たすことにする。そしてその部屋には、今もなお死んだはずの太っちゃんがいた―。

 同じ会社に勤める男女間の友情を描いた作品ということで、「沖で待つ」というタイトルが効いているあなあと。死者へのレクイエムが感じられるという点では、吉田修一氏の『横道世之介』('09年/毎日新聞社)を想起したりもしました。

 作者が女性総合職の先駆けとして伊奈製陶(現INAX)に勤務した頃の経験が背景にあるようで、その頃の女性総合職って大変だったのだなあと思わせる部分はありますが、主人公が竹を割ったような性格であるため、全体には明るい感じで、読後感も悪くなかったです。

 ただ、これが芥川賞かと思うと、ちょっとイメージが違うような気もし、企業に勤めた経験が無いか、或いはそうした経験から随分と月日を経てしまった選考委員にとっては、目新しさや懐かしさがあったのかも。でも、普通の人の目線で見れば、テレビドラマなどでよくありそうな設定のようにも...。

 併録の「勤労感謝の日」は、気の乗らないお見合いをして、見合い相手にげんなりさせられる女性が主人公の話で、これも表題作の前に第131回芥川賞候補になっていますが、軽快なテンポでユーモアと皮肉が効いていて、こちらは、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』('03年/講談社)のような、「未婚女性に対する応援歌」的なものを感じました(表題作以上に"エンタメ系"?)。

 実際、この人、この2作の間に『逃亡くそたわけ』(中央公論新社)で第133回直木賞候補にもなっていて、ちょっと文芸作家のようには見えないのですが、この飾り気のない文章と簡潔・スピーディなテンポが、「研ぎ澄まされた技法」ということになるのでしょうか(それとも、芥川賞と直木賞の違いは、短編と、中長編乃至短編連作という長さの違いだけなのか)。

 ユーモア自体は骨太のものを感じました。

 【2009年文庫化[文春文庫]】

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「●「吉川英治文学新人賞」受賞作」の インデックッスへ 「●「本屋大賞」 (10位まで)」の インデックッスへ

前半がいい。「算法勝負」が面白かった人には、遠藤寛子氏の『算法少女』もお奨め。

1天地明察.png 天地明察2.jpg  算法少女 文庫.jpg   天地明察 dvd.jpg
天地明察』(2009/12 角川書店)   遠藤寛子『算法少女 (ちくま学芸文庫)』 「天地明察 [DVD]2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮﨑あおい)

 2009(平成21)年・第31回「吉川英治文学新人賞」及び2010年(平成22)・第7回「本屋大賞(大賞)」受賞作。2010年度・第4回「舟橋聖一文学賞」及び2011(平成23)年・第4回「大学読書人大賞」も受賞。

 徳川4代将軍家綱の時代、碁打ちの名門・安井家に生まれながら安穏の日々に倦み、囲碁よりも算術の方に生き甲斐を見出していた青年・安井算哲(渋川春海)だったが、老中・酒井雅楽頭にその若さと才能を買われ、実態と合わなくなっていた日本の暦を改めるという大事業に関わることになる―江戸時代前期の天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ・1639‐1715)が、日本の暦を823年ぶりに改訂する事業に関わっていく過程を描いた作品。

 江戸時代の算術という興味深いモチーフで、それでいて、すらすらと読める平易な文章であり(会話が時代小説らしくない?)、その上、主人公が22年かけて艱難辛苦の末に大事業を達成する話なので読後感も爽快、「本屋大賞」受賞も頷けます(上野の国立科学博物館で、今年('10年)6月から9月まで、渋川春海作の紙張子地球儀、紙張子天球儀を特別公開しているが、「本屋大賞」を受賞のためではなく、それらが1990年に重要文化財に指定されてから20周年、また今年が時の記念日(6月10日)制定90周年に当たることを記念したものとのこと)。

 この作品は、特に前半部分が、春海やその周辺の人々が生き生きと描かれているように思えました。
 ただ、中盤になると史料に記されていることの引用が多くなり、この話が"史実"であると読者に印象づけるには効果的なのかもしれませんが、小説的な膨らみが小さくなって、登場人物達の人物像の方もややぼやけた感じがしました。
 それでも終盤は、和暦(大和暦)の完成に向けて、また、エンタテインメント小説らしく盛り上がっていったという感じでしょうか。

○ 冲方 丁 『天地明察』.jpg この史料の読み込みについては、学者から、関孝和の暦完成への関わり度などの点で偏りがあるとの指摘があるらしいです。
 関孝和が春海の大和暦完成にどれだけ関わっていたかは結局よくわからないわけで、関孝和の大天才ぶりを描くと共に、作者なりの憶測を差し挟むのは、学術書ではなく小説なのだからいいのではないかという気もしますが、参照の程度や方向性によっては、巻末に参考文献として挙げるだけでなく、その著者の了解を直接とった方が良かったのかも。でも、普通、そこまでやるかなあ。

 それにしても、これが作者初の時代小説というから凄い才能!
この小説で一番面白かったのは、やはり個人的には前半の「算法勝負」でした。

 この部分が特に面白く感じられた読者には、遠藤寛子氏の『算法少女』('73年/岩崎書店、'06年/ちくま学芸文庫)などがお奨めです(江戸時代の算術家を扱った小説はまだ外にもあり、この作品が最初ではない)。

天地明察
 

天地明察 映画 01.jpg天地明察 映画 02.jpg「天地明察」2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮﨑あおい)

【2012年文庫化[角川文庫(上・下)]】

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他ジャンルでの、その能力とプロットのマッチしたエンタテイメントを読んでみたかった。

虐殺器官.jpg虐殺器官 第1位.jpg 虐殺器官 文庫.jpg  虐殺器官 映画03.jpg 虐殺器官 映画04.jpg
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)』['07年]『虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)』['10年] 映画「虐殺器官」(2017)監督:村瀬修功

虐殺器官   .jpg 早川書房主催の2007(平成19)年・第11回「SFが読みたい!―ベストSF」(国内篇)第1位作品。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)』(2014)

 9・11以降、激化した"テロとの戦い"は、核兵器によるサラエボ消滅で転機を迎え、先進資本主義諸国では厳格な個体認証による情報管理が進む一方、途上国では、内戦・紛争による虐殺が横行している。そうした中、米情報軍大尉・クラヴィス・シェパードは、その紛争の背後に見え隠れする男、ジョン・ポールを追う―。

 3冊の長編小説と数作の短編を遺して、昨年['09年]若くしてガン死した作家・伊藤計劃(1974-2009/享年34)のデビュー作で、'06年の第7回「小松左京賞」の最終候補となりながらも落選、しかしながら、一部の評論家の熱い支持を得て出版され、ついには上記の通り、「ベストSF2007」国内篇第1位に輝いた作品です(「ゼロ年代SFベスト」国内篇でも第1位)。

 人工器官によって作られた兵器が登場したりする近未来ウォー・ノベル(戦争小説)ですが、世界情勢の描き方はやや大雑把で、むしろ、紛争地域の安定を図るために虐殺が渦巻く戦地を渡り行く、それ自体も"暗殺部隊"である「特殊検索群i分遣隊」の大尉である主人公シェパードの、戦場と過去を行き来する意識の流れを(時に"哲学的"に)追っていくような展開であり、サイバーパンク・ノベルの一形態とも言えます。

 そうしたこともあって、どことなく現実浮遊感が漂うというか、残酷極まりないはずの戦闘・虐殺シーンも、ゲーム上で見ているような感覚しかなかったのですが、主人公を初めとする登場人物達のスノビシズムに満ちた会話が、結構楽しめました(スゴいね、この作家の蘊蓄は)。

 ジョン・ポールとは何者かというミステリ要素もありますが、謎解きの進行は、息もつかせぬと言うよりは遅々としたもので多少かったるく、結末も既存のSFやウォー・ノベルの範疇を(別の言い方をすれば「B級映画」の範疇を)超えるものではないように思え、やはりこの作品の一番の魅力は、この"哲学的"なファッションを「纏った」(だからスノビシズムなのだが)味付けではないかと思った次第。

 そうした"味付け"が、プロットそのものを凌駕してしまっている観もあり、これはこれで希有な才能なのでしょうが、作品自体の深みはあまり感じられませんでした。

 宮部みゆき氏が絶賛しているのは、自身がロール・プレイング・ゲーム的な作品を著していることもあるのでしょう。
 伊藤氏は、「メタルギア」のゲームデザイナー小島秀夫氏の熱狂的なファンであったとのことですが、このウォー・ノベルにも、そうした雰囲気を感じます(「メタルギア」の主人公は"傭兵"だが、シェパード大尉も、イメージ的には"傭兵"に近い)。

 でもやっぱり、相当な潜在能力を持った作家だったのではないかと。オタッキーではあるけれど、別にSFやウォー・ノベルに限らずとも優れたエンタテイメントを書けた作家であり、もう少し長生きしてもらって、他ジャンルでの、その能力とプロットのマッチングした作品を読んでみたかったように思います。

虐殺器官 映画.jpg虐殺器官 映画2.jpg映画「虐殺器官」(2017)監督:村瀬修功

【2010年文庫化・2014年改版[ハヤカワ文庫JA]】

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自身の半生を「精神的な物語」化することで、自らを癒している(?)主人公。

終の住処2.jpg 終の住処1.jpg  『終の住処』 (2009/07 新潮社)

 2009(平成21)年上半期・第141回「芥川賞」受賞作。

 30歳を過ぎで結婚した男が、50を過ぎて結婚後の20年間の生活を振り返る話で、その間に娘が生まれ、待望の一軒家も建てたが、男の妻は結婚生活の間中、男に対して常に不機嫌な態度をとり続け、男の方も浮気を繰り返してきた―。

 改行の少ない文章が果たしてどのような効果を狙ったものなのかよくわかりませんでしたが、文章そのものは上手いと思いました。
 自分で積極的に選んだ生き方でもないのに、自分が歩んできた過去が、今の自分をじわじわと追い込んでいくような感じが、滲み出るように表われています。

 妻が11年間も自分と口を聞かなかったというのは特異ですが、それ以外には何か特別変わった出来事が描かれているわけでもなく、8人の女性と付き合ったという話も、あることを契機に女性遍歴をやめたという話も、ありがちではないかと。
 読み進むうちに、生きることとは、時間と共に不可能性の範囲が拡がっていくことを認識することなのだなあと、何となく身をつまされるような思いをしました(かつての「第三の新人」の"小市民性"みたいだなあ、何となく)。

 作者は商社に勤めるサラリーマン兼業作家であるためか、製薬会社に勤めるこの物語の主人公も、後半は米国に出張し、エッジフルなビジネス交渉をやってのけたりして仕事に打ち込んだ時期の回想がありますが、これを挿入したことで、娘が知らない間に渡米していたというラストが何となく、バブル期に家庭も顧みず頑張っていたエリートサラリーマンのなれの果て、みたいな位置づけにも見えてしまうのは短絡的な読み方なのでしょうか(黒井千次氏とかには受けそうだが)。

 作者の磯崎憲一郎氏(1965年生まれ)は、ガルシア=マルケスや小島信夫、保坂和志などを好きな作家として挙げていて、保坂氏とは知人関係にあるとのことですが、この作品には保坂氏のキャッチフレーズ(?)である「何も起こらない小説」の系譜みたいなものが感じられます。

 保坂氏は、『書きあぐねている人のための小説入門』('03年/草思社、'08年/中公文庫)の中で、「テーマはかえって小説の運動を妨げる」とし、「代わりにルールを作る」としていて、デビュー作『プレーンソング』('00年/講談社)での第1ルールは、「悲しいことは起きない話にする」ということだったそうで、また、「社会問題を後追いしない」、「ネガティブな人間を描かない」などが保坂氏の信条だそうです。

 この小説を「悲しい」物語であるとか、主人公を「ネガティブ」な人間であるとは必ずも言えないだろうけれども、読んで元気が出るような話でないことは確か。
 主人公は(特に妻サイドに立てば)自分勝手な人間にも見えますが、それなりに一生懸命生きてきたようにも思われ、但し、今は疲れてしまって、諦めの境地?
  ボルヘスやガルシア=マルケスに似ていると言うよりは、自分自身の半生を「精神的な物語」化することで、自らを癒している―そんな風にも思えました。

 今後に期待は持てそうな人ではありますが、この作品そのものは、今ひとつでした。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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認知症の妻を介護する高齢作家の日常と、蘇る60年以上前の昭和初期の青春ロマン。

0吾妹子哀し.jpg吾妹子哀し.jpg 吾妹子(わぎもこ)哀し 新潮文庫.jpg 青山光二.jpg
吾妹子哀し』['03年] 『吾妹子哀し (新潮文庫)』['06年] 青山 光二 (1913‐2008/享年95/略歴下記)

 短編「吾妹子哀し」は、アルツハイマー型認知症のため記憶を失いつつある妻を介護する89歳の作家の日常を、66年前の若き日の妻との愛の記憶を蘇らせつつ淡々と描いたもので、2003(平成15)年・第29回「川端康成文学賞」受賞作ですが、作者・青山光二は1913年生まれで受賞時は90歳であり、この賞の受賞者では歴代最高齢であるとのこと。

 主人公の若き日の恋愛の真剣さが伝わってきて、かつて彼女(妻)を守って銃口の前に立てるかと自問し、「今また銃口の前に立っている。銃にこめられた弾丸はアルツハイマー型痴呆症だ」という作家の覚悟は、愛には責任が伴うという作家固有の精神性(信条)に裏打ちされているようですが、まさに究極の夫婦愛を描いたものと言えるかと思います。

 妻の失禁や徘徊に手を焼く様子を軽いユーモアを交えて描く一方、2人の間で交わされる"お医者さんごっこ"のようなセックスなども赤裸々に描かれていて、こうした事柄が何れも実体験に基づかなければ描けないものばかりであるだけに、認知症者の心の在処(ありか)や認知症者と共に歩むということはどういうことかを探るうえでも、考えさせられる面が多かったです。

 川端賞受賞後に書き下ろした併録の「無限回廊」は、妻との最後の旅行となると思われる神戸への墓参を話の枠組み(現在)として、その中で、昭和初期の妻との恋愛と結婚の成就(過去)が描かれていますが、これが意外と結構ドタバタ劇で、読んでいて面白かったです。

 三高→東大とインテリコースを歩みながらも無頼な生活を送る主人公は、経済的基盤の無い学生の身分のまま現在の妻との恋愛に陥りますが、一方で、押しかけ女房みたいな女性に翻弄され、その女性と愛の無い同棲生活みたいなことになっていて、しかもその女性がわざわざ本命の彼女のもとへ出向いて、今の関係を"ありのまま"喋ってしまうという―。

 こうした主人公の窮地を救うべく、同じく無頼の学友たちも奔走し、こうして読むと、旧制高校の掛値無しの友情もいいなあと。
 任侠小説で名を馳せた作者ですが(この作品もエンターテインメントとしても読める)、そうしたもののベースに、こうした無頼気質というか、男性同士の繋がりの世界が体験的にあるのかも。

 しかし、90歳にして凄い記憶力だなあと―。昭和初期の風俗や若者群像みたいなものが精緻かつ鮮烈に描かれています。
 一方で、ホテルに泊まりながら、ホテル内を徘徊する妻を連れ戻し、妻のオムツを換える今の自分があり、「吾妹子哀し」もそうですが、"青春のロマン"と"老年の現実"が妻という同一人物を介して1つの物語の中に納まっているという感じで、読んでいて、時間って何だろうとか、ちょっと哲学的に考えさせられたりもして。

認知症とは何か.jpg小澤 勲.jpg 「吾妹子哀し」という作品を知ったのは、「痴呆の世界」を探り続け、ガン宣告を受けながらも認知症問題について精力的に啓蒙活動をした京都の精神科医・小澤勲氏の著書『認知症とは何か』('05年/岩波新書)で紹介されていたからで、青山光二氏は昨年('08年)10月29日に95歳で逝去しましたが、小澤医師も翌月19日に肺がんのため70歳で亡くなっており、共にご冥福をお祈りしたい想いです。
小澤 勲 『認知症とは何か (岩波新書)』 ['05年]

 【2006年文庫化[新潮文庫]】
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青山光二 (あおやま・こうじ)
1913(大正2)年、神戸市生れ。東京大学文学部卒。旧制三高在学中から小説を書きはじめ、東大在学中の1935(昭和10)年、同人誌「海風」を創刊する。織田作之助、太宰治ら無頼派作家と厚い友誼を結んだ。戦後は「近代文学」等に拠って創作活動をつづけ、任侠小説の分野で新境地をひらいた。1980年『闘いの構図』で平林たい子文学賞受賞、2003(平成15)年「吾妹子哀し」で川端康成文学賞を受賞。主な作品に『修羅の人』『竹生島心中』『われらが風狂の師』『母なる海の声』『美よ永遠に』などがある。2008年10月没。

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「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ

老若男女のWデート? 春夏秋冬に合わせての起承転結。取り立てて欠点の無い作品。

ひとり日和.jpg 青山 七恵 『ひとり日和』帯.jpg ひとり日和 大活字.jpg ひとり日和 大活字 下.jpg
ひとり日和』['07年/河出書房新社] 『ひとり日和〈上〉 (大活字文庫)』『ひとり日和〈下〉 (大活字文庫)』['07年/大活字文庫] 

 2006(平成18)年下半期・第136回「芥川賞」受賞作。

 20歳の私(知寿)は、親戚の71歳の吟子さんの家に居候することになった。駅が見える平屋での生活の中、彼氏と別れた私はキオスクで働き、今度は駅員の藤田君という男性に恋をして、一方、吟子さんは吟子さんで同年代のホースケさんという男性と淡々とした恋をしている―。

 あまり期待してなかったためか、予想以上の出来。
 最初のうちは知寿自身のありきたりの恋の話でアクビが出かかりましたが、70代の吟子さんの恋の話が始まって興味を引かれ、いつの間にか70代カップルと20代カップルのダブルデートみたいな状況(庭で花火をするだけだが)になっており、そこに至るまでが極めて自然に描かれていて、「こんなの、ないよ」と思わせる部分が殆ど無かったです。

 年の離れた女性同士で、時に張り合っているようにも見え、化粧水を勝手に使った使っていないとかでもめたりしているのも、何となくユーモラス。
 春夏秋冬に合わせて起承転結がカッチリあって、構成上もまずまず。
 主人公にそれほど魅力があるわけではないけれど、読んでいて厭な気分にもならないし、何か強いインパクトがあるわけではないけれど、取り立てて欠点も無い作品と言えるのでは。

 芥川賞選考委員会では、石原慎太郎、村上龍両氏が強く推挙し、他の委員も池澤夏樹氏を除いてあまり否定的な意見を述べる人はいなかったようですが、村上氏の言う「ヒロインは最後に自らをどこかで肯定し、外へ向かう。嘘のない自立を描いた、稀有な作品」という賛辞に触れると、果たしてそこまで響くものがあったかなあ、ちょっと褒めすぎではないかとは思いましたが。

 【2010年文庫化[河出文庫]】

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秋葉原を舞台にしたオタク少年たちの電脳活劇。コミック調?

アキハバラ@deep.jpg アキハバラ@DEEP.jpg 『アキハバラ@DEEP』['04年] アキハバラ@DEEP 文庫.jpg 文春文庫['07年]

 秋葉原を舞台に、普通の社会には適応できないオタク少年たちが、持ち前の電脳に関する異能を発揮して活躍する話ですが、秋葉原という街の生き物のようなパワーや不思議さがうまく描かれている一方で、"IWGP"シリーズ同様、著者の若者たちに対する暖かい視線が感じられました。

 ただし今回は、ストーリー的にはどうなのでしょうか。読み始めてすぐに、冒頭の語り手が何者なのかもわかってしまうし...。
 主人公たちがその表面的な特異性とは逆にすごく素直で、彼ら同士では協調的、雰囲気としては"IWGP"シリーズと同じジュブナイル系みたいで、それにSFが少し入っているため、さらに活劇コミックっぽい感じがしました。

 秋葉原は、産官学連携プロジェクト「秋葉原クロスフィールド」で注目を集めていて、ITだけでなく、この街の文化・風俗を多くのメディアが特集したために、例えば「メイド喫茶」などは市民権とまでは行かないまでも、完全に認知されてしまっています。

 そうした意味では、'02年1月からこの連載を始めた著者には先見の明があったのかも知れませんが、'04年末に単行本になったときにはもう内容が一部陳腐化しているというか、読者の既知の世界になっている点が多いのが少しツラいかも。
 
 「アキバ」「IT」というものを読者に丁寧に紹介しているような面もあり、AI(人工知能)を扱った話なのに、「ブロガーってなに?」みたいな"時代錯誤"的な会話があり、「ブログ」とは何かという解説が続く...こうしたことが展開のチグハグさを増長しているような気がしました。

 秋葉原という街には、産官学連携プロジェクトと「萌え」に表象される文化がどう融合するのかといったことなど多くの注目点がありますが、この作品では部分的にはそれらのことを、「半沢老人」の言葉や「中込威」の嗜好を通して語っていたかもしれませんが、背景としてしか描かれておらず、小説としてはそれでいいのかもしれませんが、個人的にはやや物足りませんでした。 

 【2006年文庫化[文春文庫]/2011年再文庫化[徳間文庫]】

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「池袋ウエストゲートパーク」)

警察の特命で活躍するカトゥーンアニメの主人公みたい。

池袋ウエストゲートパーク.jpg         池袋ウエストゲートパーク TBS1.jpg 池袋ウエストゲートパーク TBS dvd.jpg 
池袋ウエストゲートパーク』(1998/09 文藝春秋) TBS(2000年)「池袋ウエストゲートパーク DVD-BOX

 1997(平成9)年・第36回「オール讀物推理小説新人賞」受賞作。

 池袋をテリトリーに遊び回っている果物屋の跡取り息子マコトは、賭けボウリングで小銭を稼ぐチンピラみたいな生活を送っているが、成り行きで遊んだ女子高生リカが、ある日死体となって発見される―。
 所謂"IWGP"シリーズの最初に出たもので、「池袋ウエストゲートパーク」「エキサイタブルボーイ」「オアシスの恋人」「サンシャイン通り内戦」の4篇を所収。

 快活で小気味良い文体とアンチヒーロー的個性派キャラクター群、それに、池袋という街を舞台にした(ロサ会館!しばらく行ってないなあ)今日風の事件と風俗描写で読ませます(女子高生売春からギャング団抗争までてんこ盛り)。
 事件はドロドロしているけれど、解決に当るマコトら少年たちは、"ブクロ"の平和を守るためにかなり前向きで、時代捕物帳のお奉行に協力する岡引きのようでもあり(これは失礼か)、警察の特命で活躍するカトゥーンアニメの主人公のようでもあります。

 少年たちの目線で描かれているところが、若い読者に受けた理由でしょうか。彼らの成長物語にもなっているところに、映画「スタンド・バイ・ミー」にも似た作者の若者たちに対する暖かい視線が感じられます。
 ちょっと考えれば、ヤクザがらみの事件に少年たちが落とし前をつけるなどというのは現実にはあり得ないわけで、児童図書館に置いていい本かどうかは別として、ジュブナイル系ファンタジーと見てよいのでは。

 自分の高校の番長タイプの人間を過度にスゴイ存在として捉えているところなどは、醒めた都会派と言うより、どちらかと言うと一昔前の地方の高校生の感覚ですけれど...。
 この子達たちから事件を取ったら何が残るのか、という"心配"もありますが、それは、アニメの主人公から事件を取ったら...というのと同じ問いであり、意味無いかも。

 宮藤官九郎脚本でTBSでテレビドラマ化され、最初の方だけちらっと観ましたが、あまりに原作からの改変が激しくて、宮藤ファンには好評だったようですが、そういうの、個人的には好きにはなれない...。

「幾袋ウェストデートパーク」0.jpg池袋ウエストゲートパーク TBS dvd2.jpg「池袋ウエストゲートパーク」●演出:堤幸彦/金子文紀/伊佐野英樹●脚本:宮藤官九郎●音楽:羽岡佳●原作:石田衣良「池袋ウエストゲートパーク」シリーズ●出演:長瀬智也/加藤あい/窪塚洋介/佐藤隆太/「幾袋ウェストデートパーク」1.jpg山下智久/阿部サダヲ/坂口憲二/妻夫木聡/西島千博/高橋一生/須藤公一/矢沢心/小雪/きたろう/森下愛子/渡辺謙●放映:2000/04~06(全11回)●放送局:TBS

 【2001年文庫化[文春文庫]】

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フォークナーか? 中上健次か? と思いきや、エンタテインメントだった。構築力は凄い。

シンセミア 上.jpg シンセミア下.jpg 阿部和重.png 八月の光.jpg  さらば愛しき大地ポスター.jpg さらば愛しき大地21.jpg
シンセミア(上)(下)』['03年/朝日新聞社] 阿部和重 氏/フォークナー 『八月の光 (新潮文庫)』/中上健次・柳町光男脚本 「さらば愛しき大地」秋吉久美子/根津甚八

 2004(平成16)年・第58回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)及び第15回「伊藤整文学賞」受賞作。

 山形県・神(じん)町のあるパン屋の戦後史から話は始まり、2000年の夏にこの小さな田舎町で、高校教師の自殺、幽霊スポットでの交通事故死、老人の失踪といった事件が立て続けに起きるとともに、それまで町を牛耳ってきた有力者たちのパワーバランスに変化が起き、一方そうした有力者の息子たちをはじめ町のゴロツキ連中たちは盗聴・盗撮活動に精を出し、町は次なる犯罪の温床を育んでいく―。

 町の有力者とのしがらみを断ち切れないパン屋の主人と、ゴロツキ連中たちとのしがらみを断ち切れないその息子の共々の失墜を、地縁・血縁で繋がった多くの登場人物とともにロバート・アルトマンの群像劇の如く(例えば映画「ナッシュビル」('75年)は24人の"主人公"がいた)描いていますが、出てくる人間がどれもこれもろくでもない奴ばかりで、結局、暗い過去を持つこの町こそが主人公なのではないかと思わせます。

 そうした意味では、作中にもその名があるフォークナーの『八月の光』を思い起こさせますが、フォークナーは架空の町を舞台に小説を書いたのに対し、「神町」は作者の故郷で、作者の実家はパン屋だし、中山正とかいう人もロリコン警察官なのかどうか知らないけれど実在するらしく、よくここまで書けるなあという感じです。むしろ、閉塞した田舎町で麻薬に溺れてダメになっていく登場人物などは、中上健次が初めて映画脚本に参画した「さらば愛しき大地」('82年)を想起させました。

「さらば愛しき大地」ポスター&パンフレット
さらば愛しき大地 poster.jpg 「さらば愛しき大地」は、茨城県の鹿島地方という田舎を舞台に、高度成長期における巨大開発により工業化・都市化が進む中、農家の長男でありながら時代の波に乗れず破滅していく男を描いたもので、農家の長男(根津甚八)が農業を嫌って鹿島開発に関わる砂利トラックの運転手をやっているのですが、事故で2人の息子を亡くしてから人生の歯車が狂いだす―。

さらば愛しき大地ges1.jpg 女房(山口美也子)ともうまくゆかなくなり、家を出て馴染みの店の女(秋吉久美子)と同棲をし、いつしか覚醒剤にも手を出すようになってしまい、荒む一方の生活の中、遂に同棲の女を包丁で刺し殺してしまうというもので、覚醒剤に溺れて破滅していく男と、献身的に男に尽くしながら最後にその男に刺されてしまう女を、根津甚八・秋吉久美子が凄絶に演じたものでした(田園シーンのカメラは、小川プロの田村正毅。「ニッポン国古屋敷村」('82年)でもそうだったが、田圃を撮らせたら天下一の職人)。

「さらば愛しき大地」根津甚八・蟹江敬三/秋吉久美子
さらば愛しき大地s1.jpgさらば愛しき大地es1.jpg 「さらば愛しき大地」においては、そうした鬱々とした男女の営みや事件もまるで風景の一部でもあ「さらば愛しき大地」蟹江・根津.jpgるかのように時間は淡々と流れていきますが、『シンセミア』における様々な出来事に関する記述もまた叙述的であり、文学作品としては大岡昇平『事件』などに近いのかなあとも思いました(中山巡査のロリコンぶりだけがやけに思い入れたっぷりなのはなぜ?)。

 しかし、最後に読者のカタルシス願望を満たすかのようなカタストロフィが用意されていて、ああ、これって「文学」というより「ノワール」で、要するにエンタテインメントだったんだなと納得(「さらば愛しき大地」も「ノワール」であると言えるし、最後はカタストロフィで終わるが、こんなハチャメチャな終わり方ではない。その点では、映画の方が"文学的")。

 ただし、小説全体の構築力は凄いと思いました。凡庸とは言い難いものがあります。 文庫版には人物相関図と年表が付いているそうですが、何かマニアックな気色悪ささえ感じました。

さらば愛しき大地 ド.jpgさらば愛しき大地  0.jpg「さらば愛しき大地」●制作年:1982年●監督:柳町光男●製作:柳町光男/池田哲也/池田道彦●脚本:柳町光男/中上健次●撮影:田村正毅●音楽:横田年昭●時間:120分●出演:根津甚八/秋吉久美子/矢吹二朗/山口美也子/蟹江敬三/松山政路/奥村公延/草薙幸二郎/小林稔侍/中島葵/白川和子/佐々木すみ江/岡本麗/志方亜紀子/日高澄子●公開:1982/04●配給:プロダクション群狼●最初に観た場所:シネマスクウエアとうきゅう(82-07-10)●2回目:自由が丘・自由劇場(85-06-08)(評価:★★★★☆)●併映(2回目):「(ゴッド・スピード・ユー! ブラック・エンペラー」(柳町光男)
「さらば愛しき大地」。61.jpg

シネマスクエアとうきゅうMILANO2L.jpgシネマスクエアとうきゆう.jpgシネマスクウエアとうきゅう 内部.jpgシネマスクエアとうきゅう 1981年12月、歌舞伎町「東急ミラノビル」3Fにオープン。2014年12月31日閉館。

【2006年文庫化[朝日文庫(全4巻)]】

《読書MEMO》
●『観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88
』 (2015/06 鉄人社)
さらば愛しき大地 7892.JPG

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伝わる時代の雰囲気、キャラクターやイカサマ対決の面白さ。

麻雀放浪記1.bmp 麻雀放浪記2.bmp 麻雀放浪記3.bmp 麻雀放浪記.bmp 麻雀放浪記.jpg 阿佐田哲也.jpg
 『麻雀放浪記』 (全4巻)/『麻雀放浪記』 角川文庫(全4巻) (表紙イラスト:黒鉄ヒロシ)/阿佐田哲也

麻雀放浪記  .jpg '69年に「週刊大衆」で連載が始まった阿佐田哲也(1929‐1989/享年60)のギャンブル小説ですが、「青春編」「風雲編」「激闘編」「番外編」と続き、彼の代表作となりました。この作品のヒットのお陰で、当時倒産の危機にあった双葉社は経営が持ち直して新社屋を建てたというから、昭和40年代って麻雀ブームだったんだなあと、改めて思いました。

 しかしこの小説で描かれているのは昭和40年代ではなく、終戦後まもなくの時代。上野のドヤ街をはじめ、その時代の情景やそこに生きた人々の息吹が、麻雀という勝負事を通して、圧倒的シズル感をもって伝わってきます。さすが、後に「色川武大」の本名で直木賞をとることだけはある筆力!

 ギャンブル小説なのでほとんど全編ヤクザな世界を描いたものなのですが、同時に、(明らかに阿佐田哲也がモデルであるところの)〈坊や哲〉の子どもから大人への成長物語にもなっていまダブル役満(小四喜・字一色).jpgす。坊や哲以外にも、ドサ健、上州虎、出目徳といった魅力的なキャラが多く登場し、随所で紹介されるイカサマ技も面白かったです。最初から、お互いにイカサマで最高の手で上がるこ32000 (○ 人和)IMG_3960.JPGとしか考えていない麻雀とか、自分の情婦から果ては自宅の権利書まで賭けて、何と死人が出ても続けている麻雀って、「ちょっとスゴ過ぎ」という感じでした(個人的には、麻雀ゲームで「ダブル役満」とか「人和」は上がった経験はあるが、この小説の登場人物が狙う最高の手「天和」で上がる確率は、まともにやった場合およそ33万分の1で、毎日半荘5回ずつ打ったとしても61年に一度しか和了できない計算になるそうだ。因みに天和は、役満の複合を認めるルールで親なら96000点、子なら64000点で、点数的にはダブル役満と同じ)。

麻雀.bmp麻雀放浪記2.jpg麻雀放浪記3.jpg イラストレーターの和田誠氏の監督により'84年に映画化されましたが、配役がまずまずハマっていて、白黒で撮影したのも成功していたと思います(和田誠氏の初監督作品とよく言われるが、和田氏は60年代に「殺人 MURDER!」('64年)という短篇アニメーション映画を自主制作・監督している)。
映画「麻雀放浪記」('84年/東映)(映画パンフ :和田誠

高品格.jpg 〈ドサ健〉の鹿賀丈史も悪くなかったのですが、〈出目徳〉の高品格が特に良かったです(麻雀をしていて九蓮宝燈を和了ったまま死んでしまうのはこの〈出目徳〉)。「大都会」などのドラマに刑事役で多く出演した俳優で、俳優になる前はプロボクサーを目指していたらしいですが、味のあるバイプレーヤーでした(1984年・第6回「ヨコハマ映画祭」作品賞受賞作)。

『麻雀放浪記』(1984)2.jpg『麻雀放浪記』(1984).jpg「麻雀放浪記」●制作年:1984年●製作:角川春樹事務所●監督:和田誠●脚本:和田誠/澤井信一郎●撮影:安藤庄平●原作:阿佐田哲也(色川武麻雀放浪記06.jpg大)●時間:109分●出演麻雀放浪記49.jpg:真田広之/鹿賀丈史/高品格/加藤健一/名古屋章/大竹しのぶ/加賀まりこ/内藤陳/天本英世/笹野高史/篠原勝之/城春樹/佐川二郎/村添豊徳/木村修/鹿内孝/山田光一/逗子とんぼ/宮城健太郎●劇場公開:1984/10●配給:東映(評価★★★★)

加賀まりこ(オックスクラブのママ・八代ゆき)/加藤健一(女衒の達)
麻雀放浪記 kaga.jpg麻雀放浪記 加藤.jpg麻雀放浪記1 青春篇.jpg
麻雀放浪記 1 青春篇 (1) (文春文庫)』['07年]

田中小実昌・色川武大(阿佐田哲也)・殿山泰司
田中小実昌 色川武大 殿山泰司 .jpg田中小実昌(1925-2000/74歳没)
色川武大(1929-1989.4.10/60歳没)
殿山泰司(1915-1989.4.30/73歳没)

【1979年文庫化[角川文庫(全4巻)]/2007年再文庫化[文春文庫(全4巻)]】

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電機メーカーの人事制度の取材はそれなりに深いが、提案面は肩透かし。

成果主義を超える.jpg    江波戸哲夫.gif    集団左遷2.jpg 集団左遷3.jpg 
成果主義を超える』 文春新書〔'02年〕江波戸哲夫 氏 (作家)「集団左遷」('94年/東映)柴田恭平/中村敦夫

 『集団左遷』('93年/世界文化社)、『部長漂流』('02年/角川書店)などの企業小説や『会社葬送-山一証券最後の株主総会』('01年/新潮社)、『神様の墜落-"そごうと興銀"の失われた10年』('03年/新潮社)などの企業ドキュメントで知られる作家の江波戸哲夫氏が、企業を取材し、各社の成果主義人事制度の現状を分析、考察したものです。

 一般に人事制度の取材・とりまとめは専門のジャーナリストやライターが行うことが多いのですが、著者の取材はそれらに劣らない深さがあり、企業側だけでなく労働者や労働組合のコメントも取っているところにもバランスの良さを感じます。

 ただし、ある時期(2001年前後)のある業界の一定規模以上の企業のみを対象にした分析なので、確かに電機業界はいろいろな面で日本の産業のリーダー的役割を果たしてきた面はありますが(例えば週休2日制を最初に導入した大手企業は「松下」)、これが日本企業全体の動向かと言われると若干の疑問もあります。

 鳴り物入りで導入された新人事制度の中には、一応機能しているものもあれば尻すぼみになっているものもあることがわかり、この辺りの取材はかなり緻密で、個人的には、大企業の人事部の中には、トレンドに合わせて何か新しい制度を入れて、自社適合性のチェックは後回しになっていると言うか、軽んじられている風潮があるのではないかと考えさせられる節もあります。いや、"自社適合"にばかり重きを置いていたら、何も出来ないまま同業他社から遅れていく、という焦りもあるかも。

 著者は、企業がリストラをしつつも根本的には雇用延長を図っていることに着眼し、企業への帰属意識(愛社精神)の効果は確かに見過ごせないとしています。しかしながら結論的には、企業は、年功序列・終身雇用制を弱めて従業員の帰属意識の減退を図りながらも、仕事へのエネルギーを引き出さなければならないという難しい課題を抱えていると...。

 確かにその通りですが、こうしたやや"感想"的結論で終わっているため、タイトルから具体的な"提案"を期待した向きには肩透かしの内容となっていることは否めないと思います。現実は、小説や映画のようなスッキリした締めくくり方にはならないということか...。

集団左遷1.bmp 因みに江波戸氏の小説『集団左遷』('93年/世界文化社)は映画化もされていて、バブル崩壊後に大量の余剰人員を抱えた不動産会社が、新規事業部に余剰人員50人を送り込み、達成不可能な販売目標を課して人員の削減を図るというリストラ計画を実行し、そうした中での50人のリストラ社員たちが逆境に立ち向かっていく姿を描いたものでした。

 梶間俊一監督はヤクザ映画系の出身の人で、テンポはいいし、"成果主義を超えた"かどうかはどもかく、一応"スッキリした締めくくり方"にはなっていますが、そこに至るつくりはやや粗いような気もしました(原作は未読。読めば結構面白いのかも)。

「集団左遷」柴田強兵/高島礼子
i集団左遷 津川雅彦 13.jpg集団左遷2.bmp この映画で第37回ブルーリボン賞男優助演賞などを受賞したのは新規事業部のトップを演じた中村敦夫でしたが、柴田恭平がリストラされた社員のリーダーを熱演していて、この映画で「熱血ビジネスマン」のイメージが定着したとも言えるのではないでしょうか(脚本は'04年に自殺した野沢尚が書いている)。

「集団左遷」●制作年:1994年●製作:東映●監督:梶間俊一●脚本:野沢尚●撮影:鈴木達夫 ●音楽:小玉和之●原作:江波戸哲夫●時間:116分●出演:柴田恭平/中村敦夫/津川雅彦/高島礼子/小坂一也/河原崎建三/萬田久子/北村総一朗/江波杏子/伊東四朗/神山繁/湯江健幸/河原さぶ/丹波義隆/亀石征一郎/浜田滉一/佳那晃子/下絛アトム●劇場公開:1994/12●配給:東映 (評価★★★)

『集団左遷2.jpg集団左遷 tv.jpg「集団左遷」TBS系日曜劇場(2019年4月21日~6月23日(全10話)
出演:福山雅治/香川照之/神木隆之介/中村アン/市村正親 ほか
(原作『銀行支店長』『集団左遷』)

20210418 集団左遷.jpg『集団左遷』...【2018年文庫化[祥伝社文庫]/2019年文庫化[講談社文庫]】

《読書MEMO》
映画に学ぶ経営管理論2.jpg●松山 一紀『映画に学ぶ経営管理論<第2版>』['17年/中央経済社]
目次
第1章 「ノーマ・レイ」と「スーパーの女」に学ぶ経営管理の原則
第2章 「モダン・タイムス」と「陽はまた昇る」に学ぶモチベーション論
第3章 「踊る大捜査線THE MOVIE2レインボーブリッジを封鎖せよ!」に学ぶリーダーシップ論
第4章 「生きる」に学ぶ経営組織論
第5章 「メッセンジャー」に学ぶ経営戦略論
第6章 「集団左遷」に学ぶフォロワーシップ論
第7章 「ウォール街」と「金融腐蝕列島"呪縛"」に学ぶ企業統治・倫理論

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