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6編中、「海の見える理髪店」が一歩抜けている。泣けるのは「成人式」。

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海の見える理髪店』 荻原浩氏と『コンビニ人間』で芥川賞受賞の村田沙耶香氏[産経ニュース]

 2016(平成28)年上半期・第155回「直木賞」受賞作。

 「海の見える理髪店」...主の腕に惚れた大物俳優や政財界の名士が通いつめた伝説の理髪店。ある事情から初めてその理髪店を訪れた客の僕に、店主は髪を切りながら自らの過去を語り始める―。

 「いつか来た道」...何事にも厳しかった元美術教師で画家の母から必死に逃れて16年。わけあって懐かしい町に帰った娘の私は、年老いて認知症になった母との思いもよらない再会をする―。

 「遠くから来た手紙」...仕事ばかりの夫と口うるさい義母に反発し、娘を連れて実家に帰った祥子のスマートフォンに、その晩から時を超えたような不思議なメールが届き始める―。

 「空は今日もスカイ」...親の離婚で母の実家に連れられてきた小学3年生の佐藤茜は、海を目指してひとり家出をするが、途中で虐待痕のある少年・森島陽太と出会い、一緒に海を目指す―。

 「時のない時計」...父の形見の腕時計を修理するために足を運んだ時計屋で、私は時計屋の主の話を聞くうちに、忘れていた父との思い出の断片が次々に甦ってくるのだった―。

 「成人式」...数年前に中学生の娘が交通事故で亡くし、悲嘆に暮れる日々を過ごしてきた私と妻の美恵子だが、妻がある日、亡くなった娘に代わり成人式に替え玉出席しよう言い出す―。

 2005(平成17)年に『明日への記憶』('04年/光文社)で山本周五郎賞を受賞しているベテラン作家の6回目の直木賞候補での受賞ということで、60歳での受賞(この作者の場合、小説家としてデビューしたのは39歳)というと高齢受賞という印象を受けますが、2015年下半期(第154回)受賞の青山文平氏などは67歳での受賞だったし、結構これまでも高齢受賞はあって、そう珍しくもないようです(直木賞には芥川賞ほどではないが、新人賞というイメージも若干つきまとうため気にかけてみたが、そもそも60歳は世間的には高齢とは言わないか)。

 6編の中で、個人的には表題作「海の見える理髪店」が一歩抜けているという印象。そもそも「海の見える理髪店」を舞台にした連作だと思って読み始めたのですが(森沢明夫『虹の岬の喫茶店』('11年/幻冬舎)の影響?)、最初で最後の床屋予約だったわけか。泣ける作品と言えば、ラストの「成人式」でしょうか。ネットでも、「海の見える理髪店」と「成人式」を薦めているものがありました。

 どちらかと言うと、"感動"系乃至は"アイデア"系の作風なので、見方によっては話が出来過ぎているという印象もあり、直木賞の選評でも強く推した選考委員(◎)は1人もいなかったようですが、強く否定する委員もいなくて結局受賞しました(第154回「直木賞」の選考で宮下奈都氏の『羊と鋼の森』が強く推した選考委員(◎)が2名いて落選しているのと対照的)。

 選考委員の評言の中では、高村薫氏の「熟練の手で紡がれる物語はどれも少しあざとく、予定調和的ではあるが、私たちのさりげない日常は、こうして切り取られることによって初めて『人生』になるのだと気づかされる。これぞ小説の一つの典型ではあるだろう」というのが(これが9人の選考委員の中で評言としては一番短いのだが)、一番言い得ているように思いました。

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「労働経済」小説として考えさせられ、警察サスペンス小説としても面白かった。

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ガラパゴス 上』『ガラパゴス 下』(2016/01 小学館) 相場 英雄 氏

 警視庁捜査一課継続捜査担当の田川信一は、身元不明のままとなっている死者のリストから殺人事件の痕跡を発見する。不明者リスト902の男は、自殺に見せかけて都内竹の塚の団地で殺害されていた。遺体が発見された現場を訪れた田川は、浴槽と受け皿の僅かな隙間から『新城 も』『780816』と書かれたメモを発見する。竹の塚で田川が行った入念な聞き込みとメモから、不明者リスト902の男は沖縄県出身の派遣労働者・仲野定文と判明した。田川は、仲野の遺骨を届けるため、犯人逮捕の手掛かりを得るため、沖縄に飛ぶ。仲野は福岡の高専を優秀な成績で卒業しながら派遣労働者となり、日本中を転々としていた。田川は仲野殺害の実行犯を追いながら、コスト削減に走り非正規の人材を部品扱いする大企業、人材派遣会社の欺瞞に切り込んでいく―(版元サイトより)。

 2005年、『デフォルト(債務不履行)』で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞しデビューして以来、経済小説とハードボイルド風サスペンスとの合体版とも言える作風で『震える牛』('12年/小学館)などの話題作を発表してきた著者が、作家生活10周年記念作品として書き下ろした作品で、主人公の警視庁捜査一課継続捜査担当の田川信一は『震える牛』に続いての再登場です(所属部署が示すように、相変わらず'コールド・ケーズ'を扱っている)。

 非正規を巡る雇用格差問題を扱った「労働経済」小説として考えさせられ、刑事が地取りの積み重ねで事件の核心に迫っていく警察サスペンス小説としても面白かったです。普通、経済小説として考えさせられるものの推理小説としてはイマイチだったり、その逆に、推理小説としては面白いのだけれど、経済の部分は単なる'背景'にすぎなくなってしまっていたりするものが多い中、この作品は、両方の要素に十分に応えているように思いました。

 経済小説の部分では、自動車メーカーの燃費や安全性に関する不正など、非常にタイムリーな話題も盛り込まれていて、この辺りは、書き下ろしであることの利点を生かし、編集者とディスカッションしながら書いていったようですが、それでも7回くらい改稿したとのことで、作者(及び編集者)の苦心の跡が滲むものとなっています。

 サスペンスの部分は、ある程度最初からプロットは固めていたのではないかと思われますが、事件の真相に近づくにつれて、その複雑な構造が浮かび上がるようになっていて、これまた秀逸です。実行犯もある意味で被害者であって、それとは別に共犯がいて、誘導犯がいて、指令犯がいて、更にその上に...という構図が、そのまま、経済小説としてのテーマにも繋がっていきます。

 ということで、主人公の刑事らは、最終的にはほぼ事件の全容に迫りながらも、結局そうした犯罪の多重構造の下層の部分だけしか検挙するに至りません。彼らの捜査が、被害者である沖縄県出身の派遣労働者のある種'弔い合戦'的な様相を帯びていることからすると、カタルシス不全の終わり方のような気もしますが、経済小説として問題提起するうえではこの終わり方の方がよく、またリアリティもあったように思います。

 因みにこの作品は、2015(平成27)年・第28回「山本周五郎賞」の候補作となりましたが、受賞作は湊かなえ氏の『ユートピア』('15年/集英社)でした。選考委員のコメントの中では、佐々木譲氏の「タイトルから想像すれば、相場さんは本作を警察小説としてではなく、むしろ経済小説として構想したのではないかとも想像する。だとすると叙述のために採用した警察小説の枠組みが、題材に適合していない」「また、主人公がときおり漏らす道徳観、正義観が、現場警察官のものとしてナイーブ過ぎる印象がある」というのが、警察小説の先行者の発言だけにマイナスに作用したように思います(自分の専門ジャンルについては見方が厳しくなるなあ)。湊かなえ氏の方が作家としてのキャリアを買われたのかも。個人的には、作品単体で見れば、『ユートピア』よりもこっちの方が断然面白いと思いました。『震える牛』はWOWOWでTVドラマになりましたが、この作品も映像化してもいいような気もします。

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カタルシスを満たす結末にしていないのは作者の矜恃か。ほろ苦さを通り越して「苦い」。

内館 牧子 『終わった人』8.jpg終わった人 帯付.jpg終わった人 帯a.jpg  『終わった人』(2015/09 講談社)

 大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま定年を迎えた「俺」・田代壮介。仕事一筋だった俺は途方に暮れた。妻は俺との旅行などに乗り気ではないし、「まだ俺は成仏していない。どんな仕事でもいいから働きたい」という思いで職探しをするものの、取り立てて特技もない定年後の男に職などそうはない...。生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき内館 牧子.jpg続ける俺に再生の時は訪れるのか? ある人物との出会いが、俺の運命の歯車を回す―。

 脚本家、エッセイストであり作家でもある作者の初の新聞連載小説として、釧路新聞・室蘭民放・東奥日報(夕刊)・岩手日報・茨城新聞・上毛新聞・山陰中央新報・四国新聞に連載されたものに加筆したものであるとのこと。'15年9月刊行ですが、'16年大晦日の新聞広告によれば「14万部突破!ロング&ベストセラー」であるとのことです。
内館 牧子 氏

孤舟.jpg渡辺 淳一.jpg 同じく定年を迎えた男の人生を描いた小説に、渡辺淳一(1933-2014)の『孤舟』('10年/集英社)があり、『孤舟』の主人公の場合は、勤務先企業で常務執行役員まで行ったものの60歳手前で在阪子会社社長としての転出話を持ち出されたことに屈辱を感じて退職し、但し、それまで仕事一筋だったこともあって家では逆に妻子らに疎んじられて相手してくれるのは飼い犬だけ、カルチャーセンターに行っても何となく馴染めず、お金も妻に管理され、不自由且つ鬱々とした日々を送るというもので、ちょっとこの作品の主人公と似ているところがあります。

渡辺淳一『孤舟』(2010/09 集英社)

 本書の主人公も、雇用延長は東大卒のプライドが許さず自ら退職の道を選んだ訳ですが、と言っても当面やることも無く、ハローワークに行っても職もなく、大学院を受けて文学でもやろうとしたり、そのためにカルチャースクールに通ったり、或いは躰を鍛えるためにジムに通ったりしますが、例えばジム仲間のグループにも何とく自分と異質のものを感じています。そんな中、カルチャースクールの事務をやっている女性と知り合いになり、もしかしたら男女の関係になるかもと夢想したり、また、同じジムに通っていたベンチャー企業の青年実業家とも知り合いになって、彼から会社の顧問になって欲しいと言われたりします。

 この辺りの展開は自然で、結構リアリティがあったように思います。渡辺淳一の『孤舟』の主人公はデートクラブで知り合った女性にどんどん入れあげていきますが、まあ、渡辺淳一という作家がそうしたテーマを扱うことを期待されていたようなものだからそれでいいのかも(結局、主人公の恋は成就しないのだが)。一方の本書の主人公も、カルチャースクールの女性に想いを馳せ、その"老いらくの恋"(そこまではまだ年齢がいかないか?)のやや滑稽な描かれ方は『孤舟』と似てなくもありません。

 但し、青年実業家に乞われて彼の会社の顧問になってから、話は「仕事」の方がメインとなり、「恋愛」の方はサブになっていきます。結局、この主人公は、自らが言うようにビジネスの世界でまだ「成仏」していない状態だったのだろうなあと思いました(終わっていたのか、終わっていなかったのかと言えば、終わっていなかったことになる)。やがて彼自身が経営トップとしてその会社に深く関わることになります。Amazonの読者レヴューに「会社の借金を雇われ社長が背負うなど、現実性に疑問があった」というのがありましたが、株式会社であっても中小企業の場合、経営者は雇われであろうとなかろうと実質的に無限責任社員みたいなものですから、本書にあるようなことは充分にあり得るだろうと思います。

 よく取材されていると思いましたが、第9章の「偶然の再会」辺りから何となくテレビドラマっぽくなっていった印象も。それにしても、それほど夫婦の関係は悪くは無かったように思えたのが、主人公が経済的苦境に立たされてからの奥さんは意外と冷たかったなあ。殆ど自分は被害者で、責任は全て夫にあり、自分は一切関わりたくないといった感じ。まあ、丁度自身が新たな事業を始めたばかりだったということもありますが、そこまで邪険にしなくてもいいのに、と主人公がやや気の毒になりました。

 最後は少しだけ救いがありましたが、夫婦の新たな形(「卒婚」)を提唱している作品とも言え、そこへ導くために登場人物の一部がやや極端なキャラになっているのかも。安易にハッピーエンドにして読後のカタルシスを満たすような結末にしていないのは、むしろ「小説家」としての作者の矜恃かもしれないと思ったりもしました(仮のTVドラマ化されたとしたら、結末は若干変えられるのでは)。

 ただ、主人公は定年後にやっとビジネスの世界での「成仏」はできたのかもしれないけれど、失ったものが大き過ぎる気もしました。本書を読んで「元気をもらった」という人もいるかもしれないですが、個人的には、リタイヤから墓場までの間であっても生きて行かねばならず、その生きていく上で経済的基盤というのは大きなウェイトを占めることを改めて思いました。

 そもそも、主人公がそうしたチャレンジが出来たのは、東大を出て大手銀行に勤務して途中まで出世コースを歩み蓄えた資産があったからだろう、という批判もできるかもしれません。個人的には、一般的なケースを描くのが小説というものではないので、別にそれはそれでいいと思うのですが、主人公は1回のチャレンジでその資産を失ったことになり、更には妻とも...そう考えると、ほろ苦さを通り越して、ひたすら「苦い」お話だったかもしれません。

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「●「吉川英治文学賞」受賞作」の インデックッスへ

面白かった。出来過ぎ感、非現実感は、娯楽小説、近未来小説とみれば許容範囲内か。

『東京零年』 赤川次郎.jpg『東京零年』2.jpg 『東京零年』3.jpg
東京零年』(2015/08 集英社)

 2016(平成28)年・第50回「吉川英治文学賞」受賞作。

 駅ホームから転落した学生の生田目健司を24歳の永沢亜紀が救った。その亜紀の父親で、脳溢血で倒れ介護施設に入所しているかつての社会運動家・永沢浩介は、ある男がTV番組に写り込んでいるのを見て発作を起こす。呼び出された娘の亜紀は、たどたどしく喋る父の口から「ゆあさ」という言葉を聞く。それは昔殺されたはずの男・湯浅道男のことだった。健司の父親で、元検察庁特別検察官・生田目重治が湯浅の死に関与していた事を知った健司は、真相を解明すべく亜紀とともに動き出す。時は遡り数年前、エリート検察官の生田目重治、反権力ジャーナリストの永沢浩介、その補佐を務める湯浅道男ら、圧倒的な権力を武器に時代から人を消した男と消された男がいた―。

 雑誌「すばる」で約2年半に渡り連載され社会派サスペンス小説で、2011年の東日本大震災以降、この作家は社会的な発言を結構するようになっていますが(立場的にはリベラル?)、作品に反映されているものを読んだのは、個人的にはこれが初めてでした。面白かったです。何よりもテンポがいい。500ページを超える大作ですが、平易な文体ですらすら読めます。

 やや話が出来過ぎた話の印象もありますが、エンタテインメント小説として許される範囲内でしょうか。むしろ、リアリティの面でどうかというのがありますが、これ自体「近未来」という設定のようなので、近未来小説として読めばこの点でも基準をクリアしているように思えました(一番出来過ぎていると思ったのは、永沢亜紀がターゲットである相手とぶつかりざまに隠しマイクを取り付けるところか。素人がやってそんな上手くいくかなあ)。

 でも、近未来の日本を描いたものでありながら、今でも起こりうると思われる部分もあって(未来の監視社会の恐怖と言うよりは、検察・警察権力の暴走の怖さを描いている)、作者の作品群の中で相対評価すれば、星5つあげてもいいくらいかなあと思ったりもしました。

 プロットの展開は、この作家の持ち味と言うか、やはり上手だと思います。一方で、この作家独自の「軽さ」のようなものもどこかにあって、読んでいる間は面白いけれど、テーマの重さの割には、時間が経ってからどれぐらい心に残るだろうかというのもあって、星4つとしました。

 Amazon.comのレビューを見ると、自分より辛い評価のものも若干ながらありました。その中で、「確かに検察・警察権力が暴走しているのだが、やり方があまりにも粗暴かつ幼稚で現実感がない」というのがありました。批判的にみればそうなのだろうなあと思われ、その辺が「軽さ」感に繋がっているのかもしれません。でも、個人的には、娯楽小説、近未来小説としての許容範囲内ということにしておきます。

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「警察小説×経済小説」といった感じだが、ミステリとしても面白かった。

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『震える牛』(2012/01 小学館)  WOWOW「連続ドラマW」2013年6月-7月(全5回)三上博史・吹石一恵・小林薫

 警視庁捜査一課継続捜査班の刑事・田川信一はある日、未解決の「中野駅前居酒屋強盗殺人事件」に疑問を抱き、捜査を開始する。事件は5年前に、覆面の犯人が店員から金を奪い、店にいた獣医師と暴力団関係者を殺害したというもの。初動捜査での犯人像は金目当ての外国人だった。被害者同士の面識はなく、それぞれ独りで待ち合わせ相手を待っているところだった。地道な聞き込みを重ねた田川は、食肉加工会社ミートボックスに辿り着く。さらに事件の直後、殺害された獣医師の部屋に空き巣が入り、パソコンのみが盗まれていたことが発覚、田川は、犯人の真の目的は金ではなく、2人を殺害することだったのではないかと疑念を抱く。そんな最中に田川は、ニュースサイト「ビズトゥデイ」の記者の鶴田真純と再会する。鶴田も読者から得た情報をもとに、八田富之が社長の精肉卸会社ミートボックスの食品偽装疑惑を探っているところだった。ミートボックスは加工肉をスーパーや居酒屋などに卸していて、どこよりも安い加工肉を販売することで業績を伸ばしていたが、それは食品偽装によって実現されていたものであった。牛100%を謳っておきながら、実態は豚鳥ウサギ馬、食用ネズミまで混ぜており、腐った冷凍肉を安く仕入れて腐った部分を削り、脱臭のために化学薬品で洗浄したものを挽肉にしていたのである。捜査を進める上で田川は、オックスマートがBSEの隠蔽に関わっていたことを突き止めるに至ったものの、確たる証拠が掴めずにいた。そこに何者かからの力が働き、捜査自体が頓挫してしまう―。(「Wikipedia」より)

作品紹介動画(著者インタビュー)
 2012年1月に刊行され、累計28万部のベストセラーになった作品。「警察小説×経済小説」といった感じですが、作者はもと新聞記者だけあって(専門学校卒でキーパンチャーとして時事通信社に入社、市況担当記者に欠員が生じたため記者職に転じた)、"タイムリー"な素材をうまく扱っているように思いました。ただ、モチーフがBSE問題だけだと、本書が刊行される10年以上前の2001年に問題が発覚し、世界的な騒ぎになったものの、本書刊行の3年前の2009年1月に日本最後のBSE患畜が確認された後は確認が無く、本書が出た頃にはあちこちで収束宣言が出されていて、"タイムリー"という言葉は馴染まないと言えるかも。しかしながら、そこに、大型スーパーの強引な地方進出と、それに支えられている「地方」の経済や雇用という問題を絡めて、社会の複雑な位相を浮き彫りにしている点が、経済小説として優れているように思いました。

 警視庁捜査一課継続捜査班(未解決難事件コールド・ケースを扱う部署かと思ったら、重要なコールド・ケースを扱う部署は花形部署として別にあって、同じコールド・ケースを扱うにしてもっと地味な事件を扱う部署らしい)に所属する主人公の刑事・田川信一が、地取りの鬼と言われるその名の通り、地道な地取りを経て事件の核心に少しずつ近づいていく過程には引き込まれ、警察小説としてもミステリとしても面白かったです(何の賞も獲らなかったが、テレビドラマ化された)。

 一方で、ラストは、アンチ・カタルシスの部分もあったというか、企業の寄付によって成り立っている防犯協会などが関係する警察の利権構造などが示唆されているように、結局、政治家なども絡んで最終的には巨悪にはメスが入らない―ただ、こうしたことも含め、考えさせる内容となっているように思いました(作者はノンフィクションで書きたいところをフィクションに置き換えて書いているフシもある)。

 この作者の作品には、新聞記者を主人公にした「みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎」シリーズがありますが、この小説の主人公である、警視庁刑事・田川信一を主人公にしたシリーズをスタートしてもいいのではないかと思ったら、シリーズ第2作『ガラパゴス』('16年/小学館))が出ました。読んでみたいと思います。

【2013年文庫化[小学館文庫]】

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「聞く力」というよりインタビュー術、更にはインタビューの裏話的エッセイといった印象も。

聞く力1.jpg 聞く力2.jpg聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)

阿川 佐和子 『聞く力―心をひらく35のヒント』130.jpg 本書は昨年('12年)1月20日に刊行され12月10日に発行部数100万部を突破したベストセラー本で、昨年は12月に入った時点でミリオンセラーがなく、「20年ぶりのミリオンゼロ」(出版科学研究所)になる可能性があったのが回避されたのこと。今年に入ってもその部数を伸ばし、5月には135万部を、9月13日には150万部を突破したとのことで、村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が発売後7日で発行部数100万部に達したのとは比べようもないですが、今年('13年)上半期集計でも村上氏の新刊本に次ぐ売れ行きです。

プロカウンセラーの聞く技術3.jpg 内容は主に、「週刊文春」で'93年5月から20年、900回以上続いている連載インタビュー「この人に会いたい」での経験がベースになっているため、「聞く力」というより「インタビュー術」という印象でしょうか。勿論、日常生活における対人コミュニケーションでの「聞く力」に応用できるテクニックもあって、その辺りは抜かりの無い著者であり、エッセイストとしてのキャリアも実績もあって、文章も楽しく読めるものとなっています。

 ただ、対談の裏話的なものがどうしても印象に残ってしまい(それも誰もが知っている有名人の話ばかりだし)、タイトルからくるイメージよりもずっとエッセイっぽいものになっている印象(裏話集という意味ではタレント本に近い印象も)。「聞く力」を本当に磨きたければ、著者自身が別のところで推薦している東山紘久著『プロカウンセラーの聞く技術』(`00年/創元社)を読まれることをお勧めします。もしかしたら、本書『聞く力』のテクニカルな部分の典拠はこの本ではないかと思われるフシもあります。
プロカウンセラーの聞く技術

 因みに、昨年、その年のベストセラーの発表があった時点ではまだ本書の発行部数は85万部だったのが、同年4月に文藝春秋に新設されていた「出版プロモーション部」が、この本が増刷をかけた直後にリリースしたニュース情報が有効に購入層にリーチして一気に100万部に到達、この「出版プロモーション」の成果は村上氏の新刊本『色彩を持たない...』にも応用され、インターネット広告や新刊カウントダウンイベントなどの新たな試みも加わって、『色彩を持たない...』の「7日で100万部達成」に繋がったとのことです。

 本もプロモーションをかけないと売れない時代なのかなあ。ただ、こうしたやり方ばかりだと、更に「一極(一作)集中」が進みそうな気もします。まあ、この本は、村上春樹氏の新刊本とは異なり、発刊以降、地道に販売部数を重ねてきたものでもあり、プロモーションだけのお蔭でベストセラーになった訳でもないとは思いますが。

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朝井 リョウ 『何者』.jpg        朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』.jpg           三田誠広『僕って何』.jpg
何者』(2012/11 新潮社) 『桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)』  三田誠広 『僕って何 (1977年)

現代若者気質を反映して上手い。現実の彼らとTwitter上での彼らが表裏になっている。。

 自分が勝手に名付けた「5人の物語」3冊シリーズの2冊目(他は、窪美澄の『ふがいない僕は空を見た』と村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)。2012(平成24)年下半期・第148回「直木賞」受賞作。直木賞初の平成生まれの受賞者であり、男性受賞者としては史上最年少の23歳での受賞(戦後の受賞者としても、山田詠美の28歳、平岩弓枝の27歳より若い最年少)。

 就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良の5人。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺...自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす―。(Amazon.comより)

 冒頭に主要登場人物のTwitterのアカウントのプロフィールがあって(「烏丸ギンジ」も入れると「6人の物語」だが)、作中でも、現実の彼らと、Twitter上での彼らが表裏になっているのが面白く、更に、Twitterにおいても、表のアカウントと裏のアカウントを使い分けたりしているのがいたりして、今の若者ってご苦労さんだなあという気も。

 現代若者気質をストレートに反映しているようで、上手いと思ったし、面白い、と言うより、たいへん興味深く読めました(当の若者からすれば、みんながみんなこうとは限らないのに、この5人に現代若者気質が集約されていると思われるのはたまらん、という声もあるかもしれないが)。

 こうした二重構造、三重構造の自分がいて、更に、就活のために目一杯「自分探し」していて、分裂症にならないかとこっちが気を揉んでしまいそうですが、そんな中、主人公である拓人の視線が比較的クールでしょうか。クールだから就職が決まらないと言うのもあるけれど、みんな「何者」になろうとしているのかという疑問が湧いてくることには共感を覚えました(でも、結局、強く「自分」を持っていたのは、最初はやや無定見に見えた女子2人だった)。

 昔の芥川賞受賞作で、同じくワセダを舞台にした、三田誠広の『僕って何』('77年/河出書房新社)は、かつて"学園紛争"時代、肩肘張ってイズムを主張する男性像が主流の中、軟弱で世間知らずなゆえに"何となく"流されるかのようにあるセクトに入ってしまった大学生だった主人公の述懐話でしたが、雑誌「文藝」に掲載された時から話題になっていて、皆こぞって読んだでいたような記憶があるけれども(「文藝春秋」に転載後かもしれないが、何れにせよ単行本になる前から読まれていた)、モラトリアム型の若者を描いている点ではこの2つの作品は似ています(タイトルも似ている)。

 時代は変われど昔も今も、学生は「自分」を探し求めて彷徨するのでしょうか。新卒学生の就職難の今の時代をリアルタイムで描写し、更に、他者との関係性の今風のスタイルをリアルに描いているという点では、こちらの方が上かも。出てくるのはモラトリアム型の若者にに偏っている気もしますが、まあ、類は友を呼ぶということなのでしょう。

 小説すばる新人賞を受賞した『桐島、部活やめるってよ』('10年/集英社)(これも"5人"の高校生の物語)の背景テーマが「スクールカースト」だったとすれば、こちらは「就職氷河期」がそれにあたるとも言え、結構、社会派かも。

 それにしても、自分に近い年齢の登場人物たちを、よく冷静に対象化して書き分けることが出来るなあと感心。何だかこの人、「若者身の上相談」でもやりそうだなあと思ったら、もう既にそうした類の本を書いていました(まあ、芥川賞作家である中上健次だって村上龍だって、その類の本を書いているけれどね)。

『何者』...【2016年文庫化[新潮文庫]】

映画 何者4.jpg映画 何者M.jpg2016年映画化

2016年10月15日(土)全国東宝系ロードショー 佐藤 健/有村架純/二階堂ふみ/菅田将暉/岡田将生/山田孝之 原作:朝井リョウ『何者』(新潮文庫刊) 監督・脚本:三浦大輔

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前半部は良かったが、読み進むにつれて、どことなく読み心地の悪さを感じた。

残穢 小野 不由美.jpg   
残穢』(2012/07 新潮社) 2016年映画化「残穢 -住んではいけない部屋-」(監督:中村義洋、主演:竹内結子)

 2013(平成25)年・第26回「山本周五郎賞」受賞作。

 作家の「私」は、読者の手紙を通して、部屋に怪異が起きるという久保と知り合い、久保を手足として怪異の調査に乗り出す。久保の住んでいる岡谷マンションと、隣にある狭小住宅の岡谷団地に怪異が多発していることが分かって、更に土地の古老を訪ねたり、文献を調べたりしていくと、怪異の源は福岡の奥山家にあることが分かる。奥山家は炭鉱を営んでいたが、当時は安全性がないがしろにされており、事故が多発していた。また、奥山家の者が、家族や使用人を殺害して自殺した事件があった。奥山家にあった絵の中の女性が、それ以来笑うことがある。昔は家の資材は、ほどほどに質が良ければ他に転用されるのが一般的であり、奥山家の資材も転用され、そうして穢れは拡散していくこととなったようだ。奥山家に端を発する怪談は九州最恐の怪談と言われ、記録したり伝えたりするだけで障りが出るとのことで、私、久保、平山、福澤の皆らの体調が悪化するのだった―。

 語り手の職業がホラー作家で、かつては少女小説を書いていたとか、夫も同業者であるとかで、作者自身を指していることは明らかで、何よりも「残穢」の"伝染" 過程を辿る様子が、緻密な調査記録のようにドキュメンタリータッチで描かれているのが真に迫ってきます。「私」が、平山夢明氏や福澤徹三氏といった実在の怪奇幻想小説作家などにいろいろ訊ねてみたりするのも、「もしかして全部ホントの話」と思わせる効果を醸しているし、とにかく前半部は良かったです。

 ただ、後半部になって、やや社会学的観点が入ってきた分、逆にお話そのものは作り話っぽくなってきたかなあ。作者がホラー作家でなければ、結構スゴイと思うのだけれど、現実にホラー作家であるだけに、「新手のホラー小説」の印象が濃くなっていったように思います。山本周五郎賞の受賞が決まる前にこの作品を読んでいて、山本賞が決まった時は個人的にはやや意外感がありました(この賞の系譜からすると"直球"ではなく"変化球"?)。

 選考委員の1人である石田衣良氏は、「僕はこの賞を小野さんにあげたいと思ったけれど、この本を自宅の本棚に置くのはイヤ」と言ったそうですが(それだけホラー小説としてよく出来ているという意味での褒め言葉だろう)、個人的にはむしろ、「虚実皮膜譚」的な要素が、読み進むにつれて、どことなく読み心地の悪さを感じることに繋がってしまったかも。端的に言えば、「あざとさ」を感じたとでも言うのでしょうか。多分、この作者をの作品を愛読している人には、メタフィクション・ホラーとして最初から全て織り込み済みなのでしょうが(自分には元々ホラー小説ってあまり合わないのかも)。

 この小説に描かれているようなことは、心霊学からでも超心理学からでも説明可能ではないかと思いますが(自分自身としては心霊学には全く信を置いていないが、超心理学は必ずしも全否定はしない)、いずれにせよ、何十人に1人いるかいないかといった霊感またはESP感性の高い人が、偶然、集中的に連なっていないと、こうしたことは起きません。

 哲学者の内山節氏の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』('07年/講談社現代新書) によれば、キツネに騙されたという話を聞かなくなったのは1965年頃だということで、日本人が「キツネに騙される能力」を失った(と、騙されなくなったことを精神性の"衰退"とする捉え方をしているわけだが)その理由を5つに纏めていて、その中には、「自然や共同体の中の生死という死生観が変化し、個人としての"人間らしさ"を追求するのが当然になった」というのもあります。

 怪奇作家の集まりと言うのは、"人間らしい人"の集まりなのかもね。

【2015年文庫化[新潮文庫]】

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盲人スーダン人の自伝的エッセイ。来日奮闘記。著者の半生そのものが"奇跡"みたい。

わが盲想.jpg          モハメド・オマル・アブディン.jpg モハメド・オマル・アブディン氏
わが盲想 (一般書)』(2013/05 ポプラ社)

 盲人のスーダン人である著者(現在35歳)が、15年にわたる日本滞在を、滑らかな日本語とオヤジギャグで綴った自伝的エッセイであり、日本で学び、生活していくにあたっての波瀾に満ちた道のりを描いた奮闘記ですが、楽しく読めました。

 1978年スーダン生まれの著者は、網膜色素変性症でほぼ視力を失い、大学の法学部に籍はあったものの内戦のために大学は閉鎖され、そんな中で日本への留学話、試験に合格すれば日本の盲学校に入り鍼灸の勉強ができるという話を聞いて、日本に興味があったわけでもなければ鍼灸に興味があったわけでもないのに試験を受けて合格、父親の反対を押し切って来日するも、難しすぎる日本語、点字、学科の勉強、日々の暮らしに四苦八苦する―。

 勉学の苦労話はありますが、問題山積の絶望的な状況の中でもどことなく明るいし、ものすごい努力家であることは疑いの余地もないけれど、自らの怠け癖をも率直に披露していて、イスラム教徒でありながら飲酒に一時ハマったとのこと、寿司が大好物で、大の広島カープファン―と、いろいろな面で親しみが感じられました。

 次々と訪れる困難に、この先どうなっていくのかと、読む側をハラハラさせる冒険譚的要素もあり、また、自身の失敗や苦労をギャグ風に描いたり、所々とぼけた味わいもあったりする一方、お世話になった人への感謝の気持ちも常に忘れていない、著者の素敵なキャラクターを感じさせるものとなっています。

 鍼灸を学びに来た著者でしたが、東京外国語大に入学、現在、同大学大学院に在籍とのこと、やはり、母国でもエリート階層なのでしょう。でも、非漢字圏の国から来て、しかも盲人にして、これだけのこなれたエッセイをしたためるというのは、やはり並々ならぬ才能を感じます。ブラインドサッカーの選手としても活躍しており、「たまハッサーズ」のストライカーとして日本選手権で優勝を3回経験しているそうな。めでたく結婚も果たし、娘二人に恵まれ、長女の名前がアヤといい、スーダン語で"奇跡"という意味だそうですが、著者の半生そのものが"奇跡"みたいに感じられました。

 でも、本書を読んで、スゴイ才能だ、"奇跡"だ、ともてはやすだけではしようがないのでしょう。個人的には、こつこつ努力すれば道は開けるという、ありきたりですが元気づけられるメッセージを受け取ったような気がします。

 日本の学生が就職を機にがらっと人格変容してしまう様を、"カルト宗教"に喩えて皮肉っています。著者自身も、著述業に意欲的であるようなので、この先は、外国人及び盲人の"視点"から、日本の文化や社会についてのいいところ、おかしなところを書いていくのかな(ネット上ではすでにいろいろ発信しているみたい)。一通り"自己紹介"を終えて、次はどういった切り口になるのか、第二弾を楽しみにします。

【2015年文庫化[ポプラ文庫]】

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「詩による人生論の試み」。生死・男女を巡る思惟、時間に対する省察―面白かった。

無為について.JPG無為について (講談社学術文庫)』['88年]上田三四二.jpg 上田三四二(1923-1989/享年65)

 兵庫県小野市出身、京都帝国大医学部卒で、結核の専門医として先ずその名を世間に知られ、歌人であり作家であり文芸評論家でもあった上田三四二(うえだ みよじ)の著作で(この人の没日は平成元年1月8日で平成の第1日目だった)、同じ講談社現代新書に『短歌一生』『徒然草を読む』などの著作も収められていますが、本書は人世論風エッセイ集です。

 「老年について」「壮年の位置について」「無為について」など25篇から成り、著者が言うように「美文」を意識して書かれていますが、「美文」そのものが目的では無く、学術文庫の帯には「詩による人生論の試み」とあります。

 主に生(性)と死を巡る"随想"乃至"思惟"と言えばいいのか、随所に詩人の物の考え方が浮き彫りにされていて、一方で、理系的な明晰且つ論理的思考も織り込まれているように思いました。

 しかも、一見達観しているように見えて、内実はかなり「性」「男と女」に関することで占められており、赤裸々な記述もあったりしますが、これは、オリジナルが、著者が39歳の時に刊行されたもの(1963年・白玉書房刊)であることによるのかもしれません。
 "赤裸々"と言っても、論理的美文調ですから、例えば以下のような記述になるのですが...(何だかいっぱい引用したくなってしまいそう)。

「衣服について」―ストッキングだけの脚を一方に置き、他方に爪先もあらわさぬ法官の寛衣をもってくると、奇怪さは後者において一段と著しい。性には退廃はあっても欺瞞はない。(中略)衣服は二つの典型を持つ。所与たる自然としての身体を、一層美化し明確にし認識をもたらすための衣服と、この自然形態たる首から下を、無視し隠蔽し忘却せしめるための衣服と。前者はほとんど女性に属し、後者は多くは男性のものである。(63p)

「ナルシスムについて」―女のなかに自己を確認し、鏡の中の自己を忘却することは男たるものの本意である。すべての男はこういう女への献身の中にその生涯を顕現するのだが、ただナルシストだけはちがう。(75-76p)

「愛と死について」―花嫁の美しい装いは、愛が全裸であることの羞恥が生んだ面はゆい智慧である。また棺をかざる錦繍は、死の絶対の孤独を隠蔽する甲斐なくおろかな祈願である。(83p)

「女性について」―(海水浴場で)一体女性は男性にくらべて、こういう解放的な雰囲気の中で一層自由に、快活に、そうして陶酔にいたるのはどうしてだろう。(中略)水の中の女性はほとんどニンフである。彼女等はクピオドの箭を望んで、その眼ざしはすでに酔っている。(95p)

「旅について」―道ゆく人がほしいままに口をつけ、泉はつねに新しい。そんな娼婦に私はいつか逢うときはないだろうか。(114p)

「記憶について」―子供の頬があんなに輝き、言葉がまるで光のようなのは、彼に人類の記憶というものがなからだ。彼は記憶を持たない、ただ遺伝質をもっている。(中略)過去は私の背後に電線のように続いているのではない。電柱のように並んでいる。電柱と電柱の間の記憶を私は持たない。その空間は私にとって死の空間であり、このおびただしい記憶の欠落の野のなかに、私の過去の傷ついた記憶―電柱だけが黒々と並んでいる。(153-154p)

「都市について」―ウェイトレスが私の前にコーヒーを置く。その腕は露わで、足は素足である。胸は、薄い制服の下で春の泉のように盛り上がっている。都市はいま春である。いや、常に春なのであろう。(中略)この巨大な有機体は快楽を目指す。そして札束は、快楽追求のための酸素であり、免罪符である。(169p)

「演劇とスポーツについて」―朝毎の新聞に、スポーツ欄だけがすがすがしい。なまの現実をはこぶ新聞の、ここだけが生活を遮断して、無用の営みのなかに爽やかな創意をくりひろげている。しかし活字は蒼ざめた模写である。だから人は実況放送に耳をかたむけ、テレビを通して競技場に侵入し、更にはスタンドの固い席に現身をはこんで、目のあたりに懸命な選手たちに声援を送るのである。(176p)

 最初の方の「壮年の位置について」の中に「老年の観念性は思い出という経験の実体によって重い。(中略)思い出は、冬のさなか、不意に薄衣を手にしたときの驚きに似ている。そして思い出の重さは、彼がかつての夏の日、なし得た行為の量如何にかかっている。壮年だけが、彼にとっての存在であったからだ」(23p)とあり、そうかもしれないなあと思いましたが、30代で書いているんだなあ、こんなことを。

 本書のタイトルとなっている「無為について」の中には、「無為のなかで、私はついぞ退屈した記憶がない」(32p)とあり、「私は書物によって倦怠から自由になり、無為をゆたかな閑暇にまで高めようとしている。これもまた妄執の一つであろう」(33p)としています。

 大病をしながらも晩年まで活発な評論活動を行った人ですが、本書はその大病をする前に書かれたものでありながら、すでに、生命や生きている時間というものに対する深い省察が見られ、また、読んでいてなかなか面白かったです。
 またいつか読み返すと、その時はその時で、また違った箇所を引用したくなるかもしれません。

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谷啓の「しばたき」と石原慎太郎の「しばたき」。

空想天国 dvd.jpg 空想天国2.jpg     スパルタ教育 石原慎太郎.jpg 
松森 健 監督・谷 啓 主演(酒井和歌子 共演)「空想天国 [DVD]」['68年]/石原慎太郎『スパルタ教育』['69年]

空想天国1.jpg 建設会社に勤める田丸(谷啓)は大変な空想家で、空想の中ではいつも大活躍するが、現実の仕事は失敗ばかりで、守衛に格下げされ、更には機密書類を盗まれさらには産業スパイの疑いを掛けられてしまう―。

 昨年('10年)9月に亡くなった谷啓(1932 - 2010/享年78、自宅階段から転落し、脳挫傷により急逝。認知症を患っていた模様)の主演映画で、12月の「銀座シネパトス」での追悼上映ラインナップにもあった作品ですが、ほぼ同時期に日本映画専門チャンネルでも放映されました。クレージー・キャッツ(故人はハナ肇、植木等、安田伸、石橋エータロー、そして谷啓。存命は2011年4月現在、犬塚弘、桜井センリの2人)らが総出演するシリーズ映画は、60年代を中心に撮られたものだけで25,6本ありますが、一方で、こうした谷啓主演の番外編的な映画も何本かあったのだなあと。

空想天国 酒井和歌子.jpg 監督は「これが青春だ!」('66年/東宝)の松森健で、共演は酒井和歌子。ガマラという着ぐるみっぽい怪獣が出てきて主人公の空想の手助けをしますが、その空想の中で出てくる理想の女性役が酒井和歌子で、それが現実世界では、産業スパイの一味に誘拐された守衛長の娘であり、最後は、主人公が彼女を救出し、2人は結ばれるというノホホンとしたコメディです(「ウルトラセブン」の"幻のアンヌ隊員役"と言われる豊浦美子が社長令嬢役で出ている)。

 この映画、公開時は、三船敏郎主演の「連合艦隊司令長官 山本五十六」('68年/東宝)との併映で、こちらも最近観なおしましたがが、ちょっと結びつかない組み合わせだったなあ(酒井和歌子は両方の作品に出ている)。当時のサラリーマンは、「山本五十六」で男の生き方を学び、谷啓のコメディで息抜きしたのか。

空想天国/山本五十六.jpg 「空想天国」のはラストシーンは明治記念館でのロケシーンで、庭池の飛び石を谷啓と酒井和歌子の2人がぴょんぴょん飛び跳ねるところで終わるのに対し、「連合艦隊司令長官 山本五十六」のラストは、三船敏郎演じる山本五十六が視察移動中の戦闘機の機中で敵の機銃を受けてもじっと動かない(実はすでに1発の銃弾が命中し、墜落前に絶命していることになっている)―実に対象的なエンディングだなあと思いました。

1968(昭和43)年8月1日 公開(「空想天国」「連合艦隊司令長官 山本五十六」2本立て(千代田劇場))「キネマ写真館」より
  
空想天国 1968.jpg空想天国d.jpg「空想天国」●制作年:1968年●監督:松森健●製作:渡辺晋●脚本:田波靖男●撮影:西垣六郎●音楽:萩原哲晶●時間:84分●出演:谷啓/京塚昌子/奈加英夫/酒井和歌子/宝田明/北あけみ/藤岡琢也/佐田豊/藤木悠/権藤幸彦/田中浩/木村博人/西岡慶子/中川さかゆ/矢野陽子/矢野間啓治/沢村いき雄/藤田まこと/頭師孝雄/中山豊/ハナ肇/桜井センリ/田崎潤/荒木保夫/ハンス・ホルネフ/小松政夫/豊浦美子/田辺和佳子●日本公開:1968/08●配給:東宝(評価:★★★)●併映:「連合艦隊司令長官 山本五十六」(丸山誠治) 

連合艦隊司令長官 山本五十六  1968 poster.jpg連合艦隊司令長官 山本五十六 80.jpg「連合艦隊司令長官 山本五十六」●制作年:1968年●監督:丸山誠治●特技監督:円谷英二●製作: 田中友幸●脚本:須崎勝彌/丸山誠治●撮影:山田一夫●音楽:佐藤勝●時間:128分●出演:山本五十六(連合艦隊司令長官):三船敏郎/辰巳柳太郎/荒木保夫/堤康久/佐田豊/若宮忠三郎/豊浦美子/中谷一郎/伊吹徹/黒部進/黒沢年男/八世松本幸四郎/平田連合艦隊司令長官 山本五十六  1968 dvd.jpg昭彦/土屋嘉男/藤木悠/佐原健二/田島義文/坂本晴哉/今福正雄/柳永二郎/北龍二/向井淳一郎/岡部正/稲葉義男/太田博之/佐藤允/安部徹/久保明/加山雄三/宮口精二/藤田進/伊藤久哉/桐野洋雄/草川直也/森雅之/小鹿敦/岡豊/堺左千夫/緒方燐作/西条康彦/阿知波信介/酒井和歌子/司葉子/清水元/田村亮/渋谷英男/村上冬樹/池田秀一/加東大介/石山健二郎/佐々木孝丸/清水将夫/宇留木康二/江原達怡/船戸順/(ナレーター)仲代達矢●日本公開:1968/08●配給:東宝(評価:★★★)●併映:「空想天国」(松森健) 
連合艦隊司令長官 山本五十六 [東宝DVD名作セレクション]

 谷啓には、高速まばたき(所謂「しばたき」)の癖がありましたが、同じ癖の持ち主に石原慎太郎氏がいます。

石原慎太郎 裕次郎.jpg ある心理学の先生が、石原慎太郎・裕次郎の兄弟を比較して、兄貴の慎太郎の「しばたき」の癖は、芸術家的繊細さの1つの現れであり(このことは、名トロンボーン奏者でもあった谷啓にも通じるかも)、兄の慎太郎よりは弟の裕次郎の方が精神的には図太いとしていましたが、「しばたき」が繊細さの現れであるとすれば、谷啓は、そのことによって他人を緊張させないように、自らをほんわかした、或いはトボケた雰囲気で包むようにしていて、一方、慎太郎氏は、それを周囲に悟られないように、努めて自分を豪胆に見せようとしている感じも受けます。

 その慎太郎氏は、'69年に『スパルタ教育―強い子どもに育てる本』(カッパ・ホームズ)を著していて、その中には「ヌード画を隠すな」「いじめっ子に育てよ」「子どもに酒を禁じるな」「子どもの不良性の芽をつむな」とかいろいろ激しいフレーズがありますけれど、これで「強い子ども」が育つのかなあ。実際に育った3人の息子達は、そんな図太い感じはしないけど、この偽悪的とも思えるポーズは、弟の裕次郎を意識したのではないかと(実際、裕次郎主演で映画化されている―と言っても、元が小説ではないので、脚本は書き下ろしだが)。

 この本、当時はベストセラーになりましたが、「本を、読んで良いものと悪いものに分けるな」とか、今主張している漫画規制の強化などとは言っていることが真逆のようにも思えるフレーズもあり(マンガは本ではないということか)、今読むと突っ込みどころ満載と言えるかも(昔は結構この人の小説も読んだのだが、今何故かあまり読み返す気がしない)。

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死者へのレクイエムと骨太のユーモア。読後感は悪くないが、「芥川賞」にはやや"違和感"も。

沖で待つ .jpg沖で待つ.jpg 『沖で待つ』['06年]沖で待つ 文庫.jpg沖で待つ 文庫2.jpg沖で待つ (文春文庫)

 2005(平成17)年下半期・第134回「芥川賞」受賞作。

 住宅設備機器メーカーに女性総合職として入社した主人公は、同期入社の男性同僚「太っちゃん」と、先に死んだ方が相手のPCのHDDを壊すという約束を結ぶが、その太っちゃんが事故死したことから、主人公は太っちゃんの部屋に忍び込んで約束を果たすことにする。そしてその部屋には、今もなお死んだはずの太っちゃんがいた―。

 同じ会社に勤める男女間の友情を描いた作品ということで、「沖で待つ」というタイトルが効いているあなあと。死者へのレクイエムが感じられるという点では、吉田修一氏の『横道世之介』('09年/毎日新聞社)を想起したりもしました。

 作者が女性総合職の先駆けとして伊奈製陶(現INAX)に勤務した頃の経験が背景にあるようで、その頃の女性総合職って大変だったのだなあと思わせる部分はありますが、主人公が竹を割ったような性格であるため、全体には明るい感じで、読後感も悪くなかったです。

 ただ、これが芥川賞かと思うと、ちょっとイメージが違うような気もし、企業に勤めた経験が無いか、或いはそうした経験から随分と月日を経てしまった選考委員にとっては、目新しさや懐かしさがあったのかも。でも、普通の人の目線で見れば、テレビドラマなどでよくありそうな設定のようにも...。

 併録の「勤労感謝の日」は、気の乗らないお見合いをして、見合い相手にげんなりさせられる女性が主人公の話で、これも表題作の前に第131回芥川賞候補になっていますが、軽快なテンポでユーモアと皮肉が効いていて、こちらは、酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』('03年/講談社)のような、「未婚女性に対する応援歌」的なものを感じました(表題作以上に"エンタメ系"?)。

 実際、この人、この2作の間に『逃亡くそたわけ』(中央公論新社)で第133回直木賞候補にもなっていて、ちょっと文芸作家のようには見えないのですが、この飾り気のない文章と簡潔・スピーディなテンポが、「研ぎ澄まされた技法」ということになるのでしょうか(それとも、芥川賞と直木賞の違いは、短編と、中長編乃至短編連作という長さの違いだけなのか)。

 ユーモア自体は骨太のものを感じました。

 【2009年文庫化[文春文庫]】

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前半がいい。「算法勝負」が面白かった人には、遠藤寛子氏の『算法少女』もお奨め。

天地明察1.jpg 天地明察2.jpg 『天地明察』 算法少女 文庫.jpg 遠藤寛子『算法少女 (ちくま学芸文庫)

 2010(平成22)年・第31回「吉川英治文学新人賞」及び第7回「本屋大賞(大賞)」受賞作。2010年度・第4回「舟橋聖一文学賞」及び2011(平成23)年・第4回「大学読書人大賞」も受賞。

 徳川4代将軍家綱の時代、碁打ちの名門・安井家に生まれながら安穏の日々に倦み、囲碁よりも算術の方に生き甲斐を見出していた青年・安井算哲(渋川春海)だったが、老中・酒井雅楽頭にその若さと才能を買われ、実態と合わなくなっていた日本の暦を改めるという大事業に関わることになる―江戸時代前期の天文学者・渋川春海(しぶかわはるみ・1639‐1715)が、日本の暦を823年ぶりに改訂する事業に関わっていく過程を描いた作品。

 江戸時代の算術という興味深いモチーフで、それでいて、すらすらと読める平易な文章であり(会話が時代小説らしくない?)、その上、主人公が22年かけて艱難辛苦の末に大事業を達成する話なので読後感も爽快、「本屋大賞」受賞も頷けます(上野の国立科学博物館で、今年('10年)6月から9月まで、渋川春海作の紙張子地球儀、紙張子天球儀を特別公開しているが、「本屋大賞」を受賞のためではなく、それらが1990年に重要文化財に指定されてから20周年、また今年が時の記念日(6月10日)制定90周年に当たることを記念したものとのこと)。

 この作品は、特に前半部分が、春海やその周辺の人々が生き生きと描かれているように思えました。
 ただ、中盤になると史料に記されていることの引用が多くなり、この話が"史実"であると読者に印象づけるには効果的なのかもしれませんが、小説的な膨らみが小さくなって、登場人物達の人物像の方もややぼやけた感じがしました。
 それでも終盤は、和暦(大和暦)の完成に向けて、また、エンタテインメント小説らしく盛り上がっていったという感じでしょうか。

天地明察1.jpg この史料の読み込みについては、学者から、関孝和の暦完成への関わり度などの点で偏りがあるとの指摘があるらしいです。
 関孝和が春海の大和暦完成にどれだけ関わっていたかは結局よくわからないわけで、関孝和の大天才ぶりを描くと共に、作者なりの憶測を差し挟むのは、学術書ではなく小説なのだからいいのではないかという気もしますが、参照の程度や方向性によっては、巻末に参考文献として挙げるだけでなく、その著者の了解を直接とった方が良かったのかも。でも、普通、そこまでやるかなあ。

 それにしても、これが作者初の時代小説というから凄い才能!
この小説で一番面白かったのは、やはり個人的には前半の「算法勝負」でした。

 この部分が特に面白く感じられた読者には、遠藤寛子氏の『算法少女』('73年/岩崎書店、'06年/ちくま学芸文庫)などがお奨めです(江戸時代の算術家を扱った小説はまだ外にもあり、この作品が最初ではない)。

天地明察

 【2012年文庫化[角川文庫(上・下)]】
天地明察 映画 01.jpg天地明察 映画 02.jpg「天地明察」2012年映画化(監督:滝田洋二郎/主演:岡田准一・宮崎あおい)

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他ジャンルでの、その能力とプロットのマッチしたエンタテイメントを読んでみたかった。

虐殺器官.jpg虐殺器官 第1位.jpg 虐殺器官 文庫.jpg  虐殺器官 映画03.jpg 虐殺器官 映画04.jpg
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)』['07年]『虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)』['10年] 映画「虐殺器官」(2017)監督:村瀬修功

虐殺器官   .jpg 早川書房主催の2007(平成19)年・第11回「SFが読みたい!―ベストSF」(国内篇)第1位作品。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)』(2014)

 9・11以降、激化した"テロとの戦い"は、核兵器によるサラエボ消滅で転機を迎え、先進資本主義諸国では厳格な個体認証による情報管理が進む一方、途上国では、内戦・紛争による虐殺が横行している。そうした中、米情報軍大尉・クラヴィス・シェパードは、その紛争の背後に見え隠れする男、ジョン・ポールを追う―。

 3冊の長編小説と数作の短編を遺して、昨年['09年]若くしてガン死した作家・伊藤計劃(1974-2009/享年34)のデビュー作で、'06年の第7回「小松左京賞」の最終候補となりながらも落選、しかしながら、一部の評論家の熱い支持を得て出版され、ついには上記の通り、「ベストSF2007」国内篇第1位に輝いた作品です(「ゼロ年代SFベスト」国内篇でも第1位)。

 人工器官によって作られた兵器が登場したりする近未来ウォー・ノベル(戦争小説)ですが、世界情勢の描き方はやや大雑把で、むしろ、紛争地域の安定を図るために虐殺が渦巻く戦地を渡り行く、それ自体も"暗殺部隊"である「特殊検索群i分遣隊」の大尉である主人公シェパードの、戦場と過去を行き来する意識の流れを(時に"哲学的"に)追っていくような展開であり、サイバーパンク・ノベルの一形態とも言えます。

 そうしたこともあって、どことなく現実浮遊感が漂うというか、残酷極まりないはずの戦闘・虐殺シーンも、ゲーム上で見ているような感覚しかなかったのですが、主人公を初めとする登場人物達のスノビシズムに満ちた会話が、結構楽しめました(スゴいね、この作家の蘊蓄は)。

 ジョン・ポールとは何者かというミステリ要素もありますが、謎解きの進行は、息もつかせぬと言うよりは遅々としたもので多少かったるく、結末も既存のSFやウォー・ノベルの範疇を(別の言い方をすれば「B級映画」の範疇を)超えるものではないように思え、やはりこの作品の一番の魅力は、この"哲学的"なファッションを「纏った」(だからスノビシズムなのだが)味付けではないかと思った次第。

 そうした"味付け"が、プロットそのものを凌駕してしまっている観もあり、これはこれで希有な才能なのでしょうが、作品自体の深みはあまり感じられませんでした。

 宮部みゆき氏が絶賛しているのは、自身がロール・プレイング・ゲーム的な作品を著していることもあるのでしょう。
 伊藤氏は、「メタルギア」のゲームデザイナー小島秀夫氏の熱狂的なファンであったとのことですが、このウォー・ノベルにも、そうした雰囲気を感じます(「メタルギア」の主人公は"傭兵"だが、シェパード大尉も、イメージ的には"傭兵"に近い)。

 でもやっぱり、相当な潜在能力を持った作家だったのではないかと。オタッキーではあるけれど、別にSFやウォー・ノベルに限らずとも優れたエンタテイメントを書けた作家であり、もう少し長生きしてもらって、他ジャンルでの、その能力とプロットのマッチングした作品を読んでみたかったように思います。

虐殺器官 映画.jpg虐殺器官 映画2.jpg映画「虐殺器官」(2017)監督:村瀬修功

【2010年文庫化・2014年改版[ハヤカワ文庫JA]】

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「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ

構成が複雑すぎて十分に入り込めなかったというのが正直な感想。

中庭の出来事5.JPG    中庭の出来事.jpg中庭の出来事』[単行本/'06年] 
中庭の出来事 (新潮文庫)』['09年]

 2007(平成19)年度・第20回「山本周五郎賞」受賞作。

 瀟洒なホテルの中庭で、気鋭の脚本家が謎の死を遂げ、容疑は、パーティ会場で発表予定だった「告白」の主演女優候補3人に掛かる。警察は女優3人に脚本家の変死をめぐる一人芝居『告白』を演じさせようとする―という設定の戯曲『中庭の出来事』を執筆中の劇作家がいて―。

 小説内の現実(中庭にて)、『中庭の出来事』という劇中劇、『告白』という劇中劇中劇という3層の"入れ籠構造"の作品で、それに、オーディションの最中に起きた主演候補女優の毒殺事件と、ビルの谷間の公園で起きた就職活動中と思われる女性の突然死事件、これら3つの事件の関係を推理する推理小説好きの脚本家とその友人の会話(旅人たち)が絡むという、凝りに凝った構成。

 "犯人探し"&"入れ籠構造"の両方の謎解きが楽しめる作品と言いたいところですが、あまりに複雑過ぎて十分に入り込めなかったというのが正直なところです。

 終盤、一旦は両方の謎の解明に向かうかのように見えましたが、小説内の現実と思われた部分は実は芝居の一環であったようであり、結局、謎の一部は謎のまま残されたという感じもして、虚実皮膜の味わいと言えばそうなのかも知れませんが、全部がお芝居(脚本の内)でしたみたいな結末には、やはり不全感が残りました。

 山本周五郎賞受賞作ですが、結構難しい作品が選ばれたものだという気がします。
 リフレイン構成自体はともかく、繰り返される1つ1つの話がやや冗長であり、しかも最後は"入れ籠構造"自体も韜晦させてしまったところからすると、演技と素の間を揺れ動く女優の心理が主テーマだったのかなあと。

 【2009年文庫化[新潮文庫]】

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自身の半生を「精神的な物語」化することで、自らを癒している(?)主人公。

終の住処2.jpg 終の住処1.jpg  『終の住処』 (2009/07 新潮社)

 2009(平成21)年上半期・第141回「芥川賞」受賞作。

 30歳を過ぎで結婚した男が、50を過ぎて結婚後の20年間の生活を振り返る話で、その間に娘が生まれ、待望の一軒家も建てたが、男の妻は結婚生活の間中、男に対して常に不機嫌な態度をとり続け、男の方も浮気を繰り返してきた―。

 改行の少ない文章が果たしてどのような効果を狙ったものなのかよくわかりませんでしたが、文章そのものは上手いと思いました。
 自分で積極的に選んだ生き方でもないのに、自分が歩んできた過去が、今の自分をじわじわと追い込んでいくような感じが、滲み出るように表われています。

 妻が11年間も自分と口を聞かなかったというのは特異ですが、それ以外には何か特別変わった出来事が描かれているわけでもなく、8人の女性と付き合ったという話も、あることを契機に女性遍歴をやめたという話も、ありがちではないかと。
 読み進むうちに、生きることとは、時間と共に不可能性の範囲が拡がっていくことを認識することなのだなあと、何となく身をつまされるような思いをしました(かつての「第三の新人」の"小市民性"みたいだなあ、何となく)。

 作者は商社に勤めるサラリーマン兼業作家であるためか、製薬会社に勤めるこの物語の主人公も、後半は米国に出張し、エッジフルなビジネス交渉をやってのけたりして仕事に打ち込んだ時期の回想がありますが、これを挿入したことで、娘が知らない間に渡米していたというラストが何となく、バブル期に家庭も顧みず頑張っていたエリートサラリーマンのなれの果て、みたいな位置づけにも見えてしまうのは短絡的な読み方なのでしょうか(黒井千次氏とかには受けそうだが)。

 作者の磯崎憲一郎氏(1965年生まれ)は、ガルシア=マルケスや小島信夫、保坂和志などを好きな作家として挙げていて、保坂氏とは知人関係にあるとのことですが、この作品には保坂氏のキャッチフレーズ(?)である「何も起こらない小説」の系譜みたいなものが感じられます。

 保坂氏は、『書きあぐねている人のための小説入門』('03年/草思社、'08年/中公文庫)の中で、「テーマはかえって小説の運動を妨げる」とし、「代わりにルールを作る」としていて、デビュー作『プレーンソング』('00年/講談社)での第1ルールは、「悲しいことは起きない話にする」ということだったそうで、また、「社会問題を後追いしない」、「ネガティブな人間を描かない」などが保坂氏の信条だそうです。

 この小説を「悲しい」物語であるとか、主人公を「ネガティブ」な人間であるとは必ずも言えないだろうけれども、読んで元気が出るような話でないことは確か。
 主人公は(特に妻サイドに立てば)自分勝手な人間にも見えますが、それなりに一生懸命生きてきたようにも思われ、但し、今は疲れてしまって、諦めの境地?
  ボルヘスやガルシア=マルケスに似ていると言うよりは、自分自身の半生を「精神的な物語」化することで、自らを癒している―そんな風にも思えました。

 今後に期待は持てそうな人ではありますが、この作品そのものは、今ひとつでした。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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予定調和だが、それなりに楽しめた。映画の方は「スーパーの女」などと比べるとやはり...。

県庁の星2.jpg 『県庁の星 (2) (ビッグコミックス)』 (全4巻) 県庁の星 桂.jpg 桂 望実 『県庁の星

 Y県のエリート県庁職員である野村聡は、民間との人事交流プロジェクトに選ばれ、スーパー富士見堂で1年間の研修を受けることになるが、最初は役員根性・県庁マインド丸出しだった彼が、全く肌違いの民間の仕事を通して変質し、真の"スーパー改革"を実現するに至る―。

 公務員って、民間で言う「出向」のことを「研修」と言ってるみたいですね(「研修(出向)」と言っても、労務提供はしているわけだが、民間の「出向」と異なり、労災の請け元は官公庁のまま)。

 ということで、実質的なマンガの舞台は県庁内では無く、前半部分(1巻・2巻)はスーパーマーケット。後半部分(3巻・4巻)は、スーパーの経営を建て直した彼が、第3セクター赤字テーマパークを"潰す"ために送り込まれますが、前半からの流れで、結果はともかく、彼がどう立ち回るかは大体予想がついてしまいます。

 官庁の上層部や主人公の同期の役人の描き方はパターン化していて、事の展開もかなりご都合主義ですが、それでも、主人公とその教育係であるシングルマザーのパート女性とのやりとりも含め、結構楽しく読めました。"ギャグ的"に面白いというか、テーマパークに赴任した初日、「名刺を猿に配って終了」には思わず噴きました。

県庁の星 ポスター.jpg県庁の星1.jpg '05(平成17)年から'07(平成19)年にかけて「ビッグコミックススペリオール」に連載されたコミックで(桂望実の原作を杉浦真夕が脚色)、連載途中の'06年に織田裕二主演で映画化されていますが(実際に制作されたのは'05年。「白い巨塔」などのTVドラマを手掛けた西谷弘の映画初監督作品)、織田裕二って本気で演技してそれが丁度マンガ的になるようなそんな印象があり、こうした作品にはピッタリという感じでした。 柴咲コウ/織田裕二
「県庁の星」●制作年:2006年●監督:西谷弘●製作:島谷能成/亀山千広/永田芳男/安永義郎/細野義朗/亀井修朗●脚本:佐藤信介●撮影:山本英夫●音楽:松谷卓●原作:桂望実「県庁の星」●時間:131分●出演:織田裕二/柴咲コウ/佐々木蔵之介/和田聰宏/紺野まひる/奥貫薫/井川比佐志/益岡徹/矢島健一/山口紗弥加/ベンガル/酒井和歌子/石坂浩二●公開:2006/02●配給:東宝(評価:★★★)

スーパーの女.jpgスーパーの女2.jpg 但し、スーパーを舞台にした作品では、伊丹十三(1933-1997)監督、宮本信子主演の「スーパーの女」('96年/東宝)があるだけに、それと比べるとインパクトは劣るし、「スーパーの女」が食品偽装問題など今日的なテーマを10年以上も前から先駆的に扱っていたのに対し、「県庁の星」は映画もマンガもその部分での突っ込み度は浅く、特に映画は単なるラブ・コメになってしまったきらいも無きにしも非ずという感じ。
「スーパーの女」●制作年:1996年●監督・脚本:伊丹十三●製作:伊丹プロダクション●撮影:前田米造/浜田毅/柳島克巳/高瀬比呂志●音楽:本多俊之●原作:安土敏「小説スーパーマーケット」●時間:127分●出演:宮本信子/津川雅彦/三宅裕司/小堺一機/伊東四朗/金田龍之介/矢野宣/六平直政/高橋長英●公開:1996/06●配給:東宝(評価:★★★★)

マルサの女 1987.jpgマルサの女.jpg 「お葬式」('84年/ATG)で映画界に旋風を巻き起こした伊丹十三監督でしたが、個人的には「マルサの女」('87年/東宝)がドラマチックで面白かったです(それぞれ第58回と第61回のキネマ旬報ベスト・テン第1位に選ばれている)。「マルサの女」は、山崎努がラブホテル経営者"権藤"を演じていますが、彼が新人として出演した「天国と地獄」('63年/黒澤プロ・東宝)で三船敏郎が演じていた会社社長の苗字も"権藤"でした。巧妙な手口で脱税を行う経営者らとそれを見破る捜査官たちとの虚々実々の駆け引きをテンポよく描いており、ラストに抜けてのスリリングな盛り上げ方はなかなかのものでした。

マルサの女2 三國.jpgマルサの女 .jpg それまであまり世に知られていなかった国税査察部の捜査の様子をリアルに描いたということで社会的反響も大きく、翌年には「マルサの女2」('88年/東宝)も作られましたが、山崎努に続いてこちらも、宗教法人を隠れ蓑とし巨額の脱税を企てようとする"鬼沢"に大物俳優・三國連太郎マルサの女2 dvd.jpgを配し、これもまた脇役陣を含め演技達者が揃っていた感じでした。

 伊丹十三監督は「前作はマルサの入門編」であり、本当に描きたかったのは今作であるという伊丹十三.jpg趣旨のことを後に述べていますが、確かに、鬼沢さえも黒幕に操られている駒の1つに過ぎなかったという展開は重いけれども、ラストは前作の方がスッキリしていて個人的には「1」の方がカタルシス効果が高かったかなあ。監督自身は、高い娯楽性と巨悪の存在を一般に知らしめることとの両方を目指したのでしょう。
伊丹十三(1933-1997/享年64(自死))

お葬式 映画 dvd.jpgお葬式 映画 00.jpg 確かに「お葬式」で51歳で監督デビューし、高い評価を得たのは鮮烈でしたが、作品の質としては3作目・4作目に当たる「マルサの女」「マルサの女2」の方が密度が濃いように思いました。それが、この「マルサの女1・2」以降は何となく作品が小粒になっていたような気がしたのが、この「スーパーの女」を観て、改めて緻密かつパワフルな伊丹作品の魅力を堪能できた―と思ったら、この「スーパーの女」を撮った翌年に伊丹十三は自殺してしまった。残念。
伊丹十三DVDコレクション お葬式

お葬式 映画 02.jpg「お葬式」●制作年:1お葬式 映画01.jpg984年●監督・脚本:伊丹十三●製作:岡田裕/玉置泰●撮影:前田米造●音楽:湯浅譲二●時間:124分●出演:山崎努/宮本信子/菅井きん/財津一郎/大滝秀治/江戸家猫八/奥村公廷/藤原釜足/高瀬春菜/友里千賀子/尾藤イサオ/岸部一徳/笠智衆/津川雅彦/井上陽水●公開:1984/11●配給:ATG●最初に観た場所:池袋日勝文化 (85-11-04)(評価:★★★☆)●併映「逆噴射家族」(石井聰互)
Marusa no onna (1987)
Marusa no onna (1987) .jpgマルサの女  .jpg「マルサの女」●制作年:1987年●監督・脚本:伊丹十三●製作:玉置泰/細越省吾●撮影:前田米造●音楽:本多俊之●時間:127分●出演:宮本信子/山崎努/津川雅彦/大地康雄/桜金造/志水季里子/松居一代/室田日出男/ギリヤーク尼ヶ崎/柳谷寛/杉山とく子/佐藤B作/絵沢萠子/山下大介/橋爪功/伊東四朗/小沢栄太郎/大滝秀治/芦田伸介/小林桂樹/岡ジョイシネマ3 .jpg新宿ジョイシネマ3.jpg田茉莉子/渡辺まちこ/山下容里枝/小坂一也/打田親五/まる秀也●公開:1987/02●配給:東宝●最初に観た場所:新宿シネパトス (88-03-12)(評価:★★★★)●併映「マルサの女2」(伊丹十三)
新宿シネパトス (1956年3月「新宿名画座」オープン→1987年5月「新宿シネパトス」→1995年7月「新宿ジョイシネマ5」→1997年11月「新宿ジョイシネマ3」) 2009(平成21)年5月31日閉館 

マルサの女2 三國連太郎_1.jpg佐渡原:丹波哲郎.jpg「マルサの女2」●制作年:1987年●監督・脚本:伊丹十三●製作:玉置泰/細越省吾●撮影:前田米造●音楽:本多俊之●時間:127分●出演:宮本信子/津川雅彦/三國連太郎丹波哲郎/大地康雄/桜金造/加藤治子/益岡徹他/マッハ文朱/加藤善博/浅マルサの女2 笠.jpg利香津代/村井のりこ/岡本麗/矢野宣/笠智衆/上田耕一/中村竹弥/小松方正●公開:1988/01●配給:東宝●最初に観た場所:新宿シネパトス (88-03-12)(評価:★★★☆)●併映「マルサの女」(伊丹十三)

企業家サラリーマン.gif 「スーパーの女」の原作は、『小説スーパーマーケット』(『小説流通産業』('81年))で、作者の「安土敏」こと荒井伸也氏は元サミット社長であり、この人の『企業家サラリーマン』('86年/講談社、'89年/講談社文庫)は、海外飲食店グループを指揮する男と、新しい時代の経営者を目指す女の22人の生き方を描いた作品で、作者が現役役員の時点で書いているということもあってシズル感があり面白かったですが、こちらもテレビドラマ化されているらしい。どこかで再放送しないものかなあ。

企業家サラリーマン (講談社文庫)

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認知症の妻を介護する高齢作家の日常と、蘇る60年以上前の昭和初期の青春ロマン。

吾妹子(わぎもこ)哀し 新潮文庫.jpg吾妹子哀し (新潮文庫)』['06年] 吾妹子哀し.jpg 『吾妹子哀し』['03年] 青山光二.jpg 青山 光二 (1913‐2008/享年95/略歴下記)

 短編「吾妹子哀し」は、アルツハイマー型認知症のため記憶を失いつつある妻を介護する89歳の作家の日常を、66年前の若き日の妻との愛の記憶を蘇らせつつ淡々と描いたもので、2003(平成15)年・第29回「川端康成文学賞」受賞作ですが、作者・青山光二は1913年生まれで受賞時は90歳であり、この賞の受賞者では歴代最高齢であるとのこと。

 主人公の若き日の恋愛の真剣さが伝わってきて、かつて彼女(妻)を守って銃口の前に立てるかと自問し、「今また銃口の前に立っている。銃にこめられた弾丸はアルツハイマー型痴呆症だ」という作家の覚悟は、愛には責任が伴うという作家固有の精神性(信条)に裏打ちされているようですが、まさに究極の夫婦愛を描いたものと言えるかと思います。

 妻の失禁や徘徊に手を焼く様子を軽いユーモアを交えて描く一方、2人の間で交わされる"お医者さんごっこ"のようなセックスなども赤裸々に描かれていて、こうした事柄が何れも実体験に基づかなければ描けないものばかりであるだけに、認知症者の心の在処(ありか)や認知症者と共に歩むということはどういうことかを探るうえでも、考えさせられる面が多かったです。

 川端賞受賞後に書き下ろした併録の「無限回廊」は、妻との最後の旅行となると思われる神戸への墓参を話の枠組み(現在)として、その中で、昭和初期の妻との恋愛と結婚の成就(過去)が描かれていますが、これが意外と結構ドタバタ劇で、読んでいて面白かったです。

 三高→東大とインテリコースを歩みながらも無頼な生活を送る主人公は、経済的基盤の無い学生の身分のまま現在の妻との恋愛に陥りますが、一方で、押しかけ女房みたいな女性に翻弄され、その女性と愛の無い同棲生活みたいなことになっていて、しかもその女性がわざわざ本命の彼女のもとへ出向いて、今の関係を"ありのまま"喋ってしまうという―。

 こうした主人公の窮地を救うべく、同じく無頼の学友たちも奔走し、こうして読むと、旧制高校の掛値無しの友情もいいなあと。
 任侠小説で名を馳せた作者ですが(この作品もエンターテインメントとしても読める)、そうしたもののベースに、こうした無頼気質というか、男性同士の繋がりの世界が体験的にあるのかも。

 しかし、90歳にして凄い記憶力だなあと―。昭和初期の風俗や若者群像みたいなものが精緻かつ鮮烈に描かれています。
 一方で、ホテルに泊まりながら、ホテル内を徘徊する妻を連れ戻し、妻のオムツを換える今の自分があり、「吾妹子哀し」もそうですが、"青春のロマン"と"老年の現実"が妻という同一人物を介して1つの物語の中に納まっているという感じで、読んでいて、時間って何だろうとか、ちょっと哲学的に考えさせられたりもして。

認知症とは何か.jpg小澤 勲.jpg 「吾妹子哀し」という作品を知ったのは、「痴呆の世界」を探り続け、ガン宣告を受けながらも認知症問題について精力的に啓蒙活動をした京都の精神科医・小澤勲氏の著書『認知症とは何か』('05年/岩波新書)で紹介されていたからで、青山光二氏は昨年('08年)10月29日に95歳で逝去しましたが、小澤医師も翌月19日に肺がんのため70歳で亡くなっており、共にご冥福をお祈りしたい想いです。
小澤 勲 『認知症とは何か (岩波新書)』 ['05年]

 【2006年文庫化[新潮文庫]】
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青山光二 (あおやま・こうじ)
1913(大正2)年、神戸市生れ。東京大学文学部卒。旧制三高在学中から小説を書きはじめ、東大在学中の1935(昭和10)年、同人誌「海風」を創刊する。織田作之助、太宰治ら無頼派作家と厚い友誼を結んだ。戦後は「近代文学」等に拠って創作活動をつづけ、任侠小説の分野で新境地をひらいた。1980年『闘いの構図』で平林たい子文学賞受賞、2003(平成15)年「吾妹子哀し」で川端康成文学賞を受賞。主な作品に『修羅の人』『竹生島心中』『われらが風狂の師』『母なる海の声』『美よ永遠に』などがある。2008年10月没。

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「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ

老若男女のWデート? 春夏秋冬に合わせての起承転結。取り立てて欠点の無い作品。

ひとり日和.jpg 『ひとり日和』 (2007/02 河出書房新社) ひとり日和 大活字.jpg ひとり日和 大活字 下.jpg 『ひとり日和〈上〉 (大活字文庫)』 『ひとり日和〈下〉 (大活字文庫)』 (2007/10 大活字) 

 2006(平成18)年下半期・第136回「芥川賞」受賞作。

 20歳の私(知寿)は、親戚の71歳の吟子さんの家に居候することになった。駅が見える平屋での生活の中、彼氏と別れた私はキオスクで働き、今度は駅員の藤田君という男性に恋をして、一方、吟子さんは吟子さんで同年代のホースケさんという男性と淡々とした恋をしている―。

 あまり期待してなかったためか、予想以上の出来。
 最初のうちは知寿自身のありきたりの恋の話でアクビが出かかりましたが、70代の吟子さんの恋の話が始まって興味を引かれ、いつの間にか70代カップルと20代カップルのダブルデートみたいな状況(庭で花火をするだけだが)になっており、そこに至るまでが極めて自然に描かれていて、「こんなの、ないよ」と思わせる部分が殆ど無かったです。

 年の離れた女性同士で、時に張り合っているようにも見え、化粧水を勝手に使った使っていないとかでもめたりしているのも、何となくユーモラス。
 春夏秋冬に合わせて起承転結がカッチリあって、構成上もまずまず。
 主人公にそれほど魅力があるわけではないけれど、読んでいて厭な気分にもならないし、何か強いインパクトがあるわけではないけれど、取り立てて欠点も無い作品と言えるのでは。

 芥川賞選考委員会では、石原慎太郎、村上龍両氏が強く推挙し、他の委員も池澤夏樹氏を除いてあまり否定的な意見を述べる人はいなかったようですが、村上氏の言う「ヒロインは最後に自らをどこかで肯定し、外へ向かう。嘘のない自立を描いた、稀有な作品」という賛辞に触れると、果たしてそこまで響くものがあったかなあ、ちょっと褒めすぎではないかとは思いましたが。

 【2010年文庫化[河出文庫]】

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〈あさま山荘事件〉に材を得、プリンシプルな人間を、生身の男としてリアルに描く。

食卓のない家2.jpg  『食卓のない家』 新潮文庫 〔新版〕 円地文子.jpg 円地 文子 (1905-1986/享年81)

 鬼童子信之の長男・乙彦は、過激派の〈連合共赤軍〉による〈八ケ岳山荘事件〉に連座して獄中にあるが、父・信之は、成人に達した子の起こした事件に親が責任を持つことはないという法的根拠のもと、世間に対して詫びることも職を辞することもしない。鬼童子家に浴びせられる批判や中傷の中、信之の妻・由美子は次第に精神を病み、長女・珠江は婚約者の家族から婚約解消を言い渡されるが、それでも彼自身は、息子には息子の生き方があり、自分には自分の行き方があるという信念を貫く―。

 信之は、日本的な〈家族の絆〉の上に成り立つ家長ではなく、互いを「個」として尊重する欧米的な家長像に近いかと思いますが、そうした稀有にプリンシプルな人間を、熾烈なビジネスの現場に身を置き、妻を思い遣りながらも他の女性にも惹かれる、50代の生身の男としてリアルに描いていています。

■映画ポスター■食卓のない家 仲代達矢 小川真由美 真野あずさ.jpg その他にも、若者の眼から見た家族観や恋愛観などがその行動を通してヴィヴィッドに描かれていて、そうした若者の一人で信之に想いを寄せる民族学の研究生・香苗や、由美子の姉で、同じく信之に惹かれながらも矜持を保とうとする独身キャリア・ウーマン・貴和などの女性心理の描き方のうまさも抜群で、彼女たちと信之との触れ合いや葛藤を描くことにより、信之の血の通った人物像もより浮き彫りになっているように思いました。

'85年映画化「食卓のない家」 (監督:小林正樹/出演: 仲代達矢・小川真由美・真野あずさ・平幹二朗・岩下志麻・大竹しのぶ・中井貴一・中井貴恵)

 '72年に起きた〈あさま山荘事件〉に材を得、'79年に発表された作品ですが、こうした男女の心の綾を描きながらも、社会批評的視点も多く取り入れられていて、そうした意味では、「家族」とは何かということを問うにとどまらず、多重的なテーマを扱った作品と言えます。

 そして、小説の中でもダッカ日航機ハイジャック事件('77年)同様のハイジャック事件が起き、乙彦は政府の超法規的措置により 国外移送されることになりますが、ここにも、法規に沿って信念を貫いた信之との対比において、軟弱な国家政策に対する作者の鋭い批評眼が窺えます。

 会話が多く、〈ドラマ〉を見ているようにスラスラ読めますが(実際、映画化されている)、再生への希望を抱かせるエンディングはドラマチック!

 【1982年文庫化[新潮文庫]】

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秋葉原を舞台にしたオタク少年たちの電脳活劇。コミック調?

アキハバラ@deep.jpg アキハバラ@DEEP.jpg 『アキハバラ@DEEP』 ['04年] アキハバラ@DEEP 文庫.jpg 文春文庫 ['07年]

 秋葉原を舞台に、普通の社会には適応できないオタク少年たちが、持ち前の電脳に関する異能を発揮して活躍する話ですが、秋葉原という街の生き物のようなパワーや不思議さがうまく描かれている一方で、"IWGP"シリーズ同様、著者の若者たちに対する暖かい視線が感じられました。

 ただし今回は、ストーリー的にはどうなのでしょうか。読み始めてすぐに、冒頭の語り手が何者なのかもわかってしまうし...。
 主人公たちがその表面的な特異性とは逆にすごく素直で、彼ら同士では協調的、雰囲気としては"IWGP"シリーズと同じジュブナイル系みたいで、それにSFが少し入っているため、さらに活劇コミックっぽい感じがしました。

 秋葉原は、産官学連携プロジェクト「秋葉原クロスフィールド」で注目を集めていて、ITだけでなく、この街の文化・風俗を多くのメディアが特集したために、例えば「メイド喫茶」などは市民権とまでは行かないまでも、完全に認知されてしまっています。

 そうした意味では、'02年1月からこの連載を始めた著者には先見の明があったのかも知れませんが、'04年末に単行本になったときにはもう内容が一部陳腐化しているというか、読者の既知の世界になっている点が多いのが少しツラいかも。
 
 「アキバ」「IT」というものを読者に丁寧に紹介しているような面もあり、AI(人工知能)を扱った話なのに、「ブロガーってなに?」みたいな"時代錯誤"的な会話があり、「ブログ」とは何かという解説が続く...こうしたことが展開のチグハグさを増長しているような気がしました。

 秋葉原という街には、産官学連携プロジェクトと「萌え」に表象される文化がどう融合するのかといったことなど多くの注目点がありますが、この作品では部分的にはそれらのことを、「半沢老人」の言葉や「中込威」の嗜好を通して語っていたかもしれませんが、背景としてしか描かれておらず、小説としてはそれでいいのかもしれませんが、個人的にはやや物足りませんでした。 

 【2006年文庫化[文春文庫]/2011年再文庫化[徳間文庫]】

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「池袋ウエストゲートパーク」)

警察の特命で活躍するカトゥーンアニメの主人公みたい。

池袋ウエストゲートパーク.jpg         池袋ウエストゲートパーク TBS1.jpg 池袋ウエストゲートパーク TBS dvd.jpg 
池袋ウエストゲートパーク』(1998/09 文藝春秋) TBS(2000年)「池袋ウエストゲートパーク DVD-BOX

 1997(平成9)年・第36回「オール讀物推理小説新人賞」受賞作。

 池袋をテリトリーに遊び回っている果物屋の跡取り息子マコトは、賭けボウリングで小銭を稼ぐチンピラみたいな生活を送っているが、成り行きで遊んだ女子高生リカが、ある日死体となって発見される―。
 所謂"IWGP"シリーズの最初に出たもので、「池袋ウエストゲートパーク」「エキサイタブルボーイ」「オアシスの恋人」「サンシャイン通り内戦」の4篇を所収。

 快活で小気味良い文体とアンチヒーロー的個性派キャラクター群、それに、池袋という街を舞台にした(ロサ会館!しばらく行ってないなあ)今日風の事件と風俗描写で読ませます(女子高生売春からギャング団抗争までてんこ盛り)。
 事件はドロドロしているけれど、解決に当るマコトら少年たちは、"ブクロ"の平和を守るためにかなり前向きで、時代捕物帳のお奉行に協力する岡引きのようでもあり(これは失礼か)、警察の特命で活躍するカトゥーンアニメの主人公のようでもあります。

 少年たちの目線で描かれているところが、若い読者に受けた理由でしょうか。彼らの成長物語にもなっているところに、映画「スタンド・バイ・ミー」にも似た作者の若者たちに対する暖かい視線が感じられます。
 ちょっと考えれば、ヤクザがらみの事件に少年たちが落とし前をつけるなどというのは現実にはあり得ないわけで、児童図書館に置いていい本かどうかは別として、ジュブナイル系ファンタジーと見てよいのでは。

 自分の高校の番長タイプの人間を過度にスゴイ存在として捉えているところなどは、醒めた都会派と言うより、どちらかと言うと一昔前の地方の高校生の感覚ですけれど...。
 この子達たちから事件を取ったら何が残るのか、という"心配"もありますが、それは、アニメの主人公から事件を取ったら...というのと同じ問いであり、意味無いかも。

池袋ウエストゲートパーク TBS dvd2.jpg 宮藤官九郎脚本でTBSでテレビドラマ化され、最初の方だけちらっと観ましたが、あまりに原作からの改変が激しくて、宮藤ファンには好評だったようですが、そういうの、個人的には好きにはなれない...。

「池袋ウエストゲートパーク」●演出:堤幸彦/金子文紀/伊佐野英樹●脚本:宮藤官九郎●音楽:羽岡佳●原作:石田衣良「池袋ウエストゲートパーク」シリーズ●出演:長瀬智也/加藤あい/窪塚洋介/佐藤隆太/山下智久/妻夫木聡/小雪/渡辺謙●放映:2000/04~06(全11回)●放送局:TBS

 
 【2001年文庫化[文春文庫]】

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フォークナーか? 中上健次か? と思いきや、エンタテインメントだった。構築力は凄い。

シンセミア 上.jpg シンセミア下.jpg  阿部和重.png 阿部和重 氏 八月の光.jpg  さらば愛しき大地.jpg
シンセミア(上)(下)』['03年/朝日新聞社]/フォークナー 『八月の光 (新潮文庫)』/中上健次・柳町光男脚本 「さらば愛しき大地

 2004(平成16)年・第58回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)及び第15回「伊藤整文学賞」受賞作。

 山形県・神(じん)町のあるパン屋の戦後史から話は始まり、2000年の夏にこの小さな田舎町で、高校教師の自殺、幽霊スポットでの交通事故死、老人の失踪といった事件が立て続けに起きるとともに、それまで町を牛耳ってきた有力者たちのパワーバランスに変化が起き、一方そうした有力者の息子たちをはじめ町のゴロツキ連中たちは盗聴・盗撮活動に精を出し、町は次なる犯罪の温床を育んでいく―。

 町の有力者とのしがらみを断ち切れないパン屋の主人と、ゴロツキ連中たちとのしがらみを断ち切れないその息子の共々の失墜を、地縁・血縁で繋がった多くの登場人物とともにロバート・アルトマンの群像劇の如く(例えば映画「ナッシュビル」('75年)は24人の"主人公"がいた)描いていますが、出てくる人間がどれもこれもろくでもない奴ばかりで、結局、暗い過去を持つこの町こそが主人公なのではないかと思わせます。

 そうした意味では、作中にもその名があるフォークナーの『八月の光』を思い起こさせますが、フォークナーは架空の町を舞台に小説を書いたのに対し、「神町」は作者の故郷で、作者の実家はパン屋だし、中山正とかいう人もロリコン警察官なのかどうか知らないけれど実在するらしく、よくここまで書けるなあという感じです。
 むしろ、閉塞した田舎町で麻薬に溺れてダメになっていく登場人物などは、中上健次が初めて映画脚本に参画した「さらば愛しき大地」('82年)を想起させました。

「さらば愛しき大地」ポスター&パンフレット
さらば愛しき大地 poster.jpgさらば愛しき大地ポスター.jpg 「さらば愛しき大地」は、茨城県の鹿島地方という田舎を舞台に、高度成長期における巨大開発により工業化・都市化が進む中、農家の長男でありながら時代の波に乗れず破滅していく男を描いたもので、農家の長男(根津甚八)が農業を嫌って鹿島開発に関わる砂利トラックの運転手をやっているのですが、事故で2人の息子を亡くしてから人生の歯車が狂いだす―。
さらば愛しき大地ges.jpg 女房(山口美也子)ともうまくゆかなくなり、家を出て馴染みの店の女(秋吉久美子)と同棲をし、いつしか覚醒剤にも手を出すようになってしまい、荒む一方の生活の中、遂に同棲の女を包丁で刺し殺してしまうというもので、覚醒剤に溺れて破滅していく男と、献身的に男に尽くしながら最後にその男に刺されてしまう女を、根津甚八・秋吉久美子が凄絶に演じたものでした(田園シーンのカメラは、小川プロの田村正毅。「ニッポン国古屋敷村」('82年)でもそうだったが、田圃を撮らせたら天下一の職人)。

さらば愛しき大地s.jpgさらば愛しき大地es.jpg「さらば愛しき大地」根津甚八・蟹江敬三/秋吉久美子
 「さらば愛しき大地」においては、そうした鬱々とした男女の営みや事件もまるで風景の一部でもあるかのように時間は淡々と流れていきますが、『シンセミア』における様々な出来事に関する記述もまた叙述的であり、文学作品としては大岡昇平『事件』などに近いのかなあとも思いました(中山巡査のロリコンぶりだけがやけに思い入れたっぷりなのはなぜ?)。

 しかし、最後に読者のカタルシス願望を満たすかのようなカタストロフィが用意されていて、ああ、これって「文学」というより「ノワール」で、要するにエンタテインメントだったんだなと納得(「さらば愛しき大地」も「ノワール」であると言えるし、最後はカタストロフィで終わるが、こんなハチャメチャな終わり方ではない。その点では、映画の方が"文学的")。

 ただし、小説全体の構築力は凄いと思いました。凡庸とは言い難いものがあります。 文庫版には人物相関図と年表が付いているそうですが、何かマニアックな気色悪ささえ感じました。

 さらば愛しき大地2.jpgさらば愛しき大地 ド.jpg「さらば愛しき大地」●制作年:1982年●監督:柳町光男●製作:柳町光男/池田哲也/池田道彦●脚本:柳町光男/中上健次●撮影:田村正毅●音楽:横田年昭●時間:120分●出演:根津甚八/秋吉久美子/矢吹二朗/山口美也子/蟹江敬三/松山政路/奥村公延/草薙幸二郎/小林稔侍/中島葵/白川和子/佐々木すみ江/岡本麗/志方亜紀子/日高シネマスクエアとうきゆう.jpgシネマスクウエアとうきゅう 内部.jpg澄子●公開:1982/04●配給:プロダクション群狼●最初に観た場所:シネマスクウエアとうきゅう(82-07-10)●2回目:自由が丘・自由劇場(85-06-08)(評価:★★★★)●併映(2回目):「(ゴッド・スピード・ユー! ブラック・エンペラー」(柳町光男)
シネマスクエアとうきゅう 1981年12月、歌舞伎町「東急ミラノビル」3Fにオープン。2014年12月31日閉館。

【2006年文庫化[朝日文庫(全4巻)]】

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伝わる時代の雰囲気、キャラクターやイカサマ対決の面白さ。

麻雀放浪記1.bmp 麻雀放浪記2.bmp 麻雀放浪記3.bmp 麻雀放浪記.bmp 麻雀放浪記.jpg 阿佐田哲也.jpg
 『麻雀放浪記』 (全4巻)/『麻雀放浪記』 角川文庫(全4巻) (表紙イラスト:黒鉄ヒロシ)/阿佐田哲也

 '69年に「週刊大衆」で連載が始まった阿佐田哲也(1929‐1989/享年60)のギャンブル小説ですが、「青春編」「風雲編」「激闘編」「番外編」と続き、彼の代表作となりました。この作品のヒットのお陰で、当時倒産の危機にあった双葉社は経営が持ち直して新社屋を建てたというから、昭和40年代って麻雀ブームだったんだなあと、改めて思いました。

 しかしこの小説で描かれているのは昭和40年代ではなく、終戦後まもなくの時代。上野のドヤ街をはじめ、その時代の情景やそこに生きた人々の息吹が、麻雀という勝負事を通して、圧倒的シズル感をもって伝わってきます。さすが、後に「色川武大」の本名で直木賞をとることだけはある筆力!

 ギャンブル小説なのでほとんど全編ヤクザな世界を描いたものなのですが、同時に、(明らかに阿佐田哲也がモデルであるところの)〈坊や哲〉の子どもから大人への成長物語にもなっています。〈坊や哲〉以外にも、〈ドサ健〉、〈上州虎〉、〈出目徳〉といった魅力的なキャラが多く登場し、随所で紹介されるイカサマ技も面白かったです。

 最初から、お互いにイカサマで最高の手で上がることしか考えていない麻雀とか、自分の情婦から果ては自宅の権利書まで賭けて、何と死人が出ても続けている麻雀って、「ちょっとスゴ過ぎ」という感じでした。
                               
麻雀.bmp麻雀放浪記2.jpg麻雀放浪記3.jpg イラストレーターの和田誠の監督により'84年に映画化されましたが、配役がまずまずハマっていて、白黒で撮影したのも成功していたと思います。

映画「麻雀放浪記」('84年/東映)(映画パンフ :和田誠

高品格.jpg 〈ドサ健〉の鹿賀丈史も悪くなかったのですが、〈出目徳〉の高品格が特に良かったです(麻雀をしていて九蓮宝燈を和了ったまま死んでしまうのはこの〈出目徳〉)。「大都会」などのドラマに刑事役で多く出演した俳優で、俳優になる前はプロボクサーを目指していたらしいですが、味のあるバイプレーヤーでした。

『麻雀放浪記』(1984)2.jpg『麻雀放浪記』(1984).jpg「麻雀放浪記」●制作年:1984年●製作:角川春樹事務所●監督:和田誠●脚本:和田誠/澤井信一郎 ●原作:阿佐田哲也(色川武麻雀放浪記06.jpg大)●時間:109分●出演:真田広之/鹿賀丈史/高品格/加藤健一/名麻雀放浪記49.jpg古屋章/大竹しのぶ/加賀まりこ/内藤陳/天本英世/笹野高史/篠原勝之/城春樹/佐川二郎/村添豊徳/木村修/鹿内孝/山田光麻雀放浪記1 青春篇.jpg一/逗子とんぼ/宮城健太郎●劇場公開:1984/10●配給:東映 (評価★★★★) 
麻雀放浪記 1 青春篇 (1) (文春文庫)』 ['07年]

【1979年文庫化[角川文庫(全4巻)]/2007年再文庫化[文春文庫(全4巻)]】

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電機メーカーの人事制度の取材はそれなりに深いが、提案面は肩透かし。

成果主義を超える.jpg    江波戸哲夫.gif  江波戸哲夫 氏 (作家) 集団左遷3.jpg 映画「集団左遷」
成果主義を超える』 文春新書 〔'02年〕

 『集団左遷』('93年/世界文化社)、『部長漂流』('02年/角川書店)などの企業小説や『会社葬送-山一証券最後の株主総会』('01年/新潮社)、『神様の墜落-"そごうと興銀"の失われた10年』('03年/新潮社)などの企業ドキュメントで知られる作家の江波戸哲夫氏が、企業を取材し、各社の成果主義人事制度の現状を分析、考察したものです。

 一般に人事制度の取材・とりまとめは専門のジャーナリストやライターが行うことが多いのですが、著者の取材はそれらに劣らない深さがあり、企業側だけでなく労働者や労働組合のコメントも取っているところにもバランスの良さを感じます。

 ただし、ある時期(2001年前後)のある業界の一定規模以上の企業のみを対象にした分析なので、確かに電機業界はいろいろな面で日本の産業のリーダー的役割を果たしてきた面はありますが(例えば週休2日制を最初に導入した大手企業は「松下」です)、これが日本企業全体の動向かと言われると若干の疑問もあります。

 鳴り物入りで導入された新人事制度の中には、一応機能しているものもあれば尻すぼみになっているものもあることがわかり、この辺りの取材はかなり緻密で、個人的には、大企業の人事部の中には、トレンドに合わせて何か新しい制度を入れて、自社適合性のチェックは後回しになっていると言うか、軽んじられている風潮があるのではないかと考えさせられる節もあります。
 いや、"自社適合"にばかり重きを置いていたら、何も出来ないまま同業他社から遅れていく、という焦りもあるかも。

 著者は、企業がリストラをしつつも根本的には雇用延長を図っていることに着眼し、企業への帰属意識(愛社精神)の効果は確かに見過ごせないとしています。
 しかしながら結論的には、企業は、年功序列・終身雇用制を弱めて従業員の帰属意識の減退を図りながらも、仕事へのエネルギーを引き出さなければならないという難しい課題を抱えていると...。

 確かにその通りですが、こうしたやや"感想"的結論で終わっているため、タイトルから具体的な"提案"を期待した向きには肩透かしの内容となっていることは否めないと思います。
 現実は、小説や映画のようなスッキリした締めくくり方にはならないということか...。

集団左遷」 ('94年/東映)
集団左遷1.bmp集団左遷2.jpg 因みに江波戸氏の小説『集団左遷』('93年/世界文化社)は映画化もされていて、バブル崩壊後に大量の余剰人員を抱えた不動産会社が、新規事業部に余剰人員50人を送り込み、達成不可能な販売目標を課して人員の削減を図るというリストラ計画を実行し、そうした中での50人のリストラ社員たちが逆境に立ち向かっていく姿を描いたものでした。

 梶間俊一監督はヤクザ映画系の出身の人で、テンポはいいし、"成果主義を超えた"かどうかはどもかく、一応"スッキリした締めくくり方"にはなっていますが、そこに至るつくりはやや粗いような気もしました(原作は未読。読めば結構面白いのかも)。
集団左遷2.bmp 柴田恭平がリストラされた社員のリーダーを熱演していて、この映画で「熱血ビジネスマン」のイメージが定着したとも言えるのではないでしょうか(脚本は'04年に自殺した野沢尚が書いている)。

「集団左遷」●制作年:1994年●製作:東映●監督:梶間俊一●脚本:野沢尚●撮影:鈴木達夫 ●音楽:小玉和之●原作:江波戸哲夫●時間:116分●出演:柴田恭平/中村敦夫/津川雅彦/高島礼子/小坂一也/河原崎建三/萬田久子/北村総一朗/江波杏子/伊東四朗●劇場公開:1994/12●配給:東映 (評価★★★)

「集団左遷」柴田強兵/高島礼子

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