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安寿の死を「刑死」から「入水自殺」に置き換えたのは、あまりの忍びなさのため?

山椒大夫・高瀬舟.jpg山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫)』  安寿と厨子王.jpg安寿と厨子王 (京の絵本)

 森鷗外が、1915(大正4)年1月、52歳の時に雑誌「中央公論」に発表した作品で、安寿と厨子王の姉弟が山椒大夫の奸計により母と離れ離れになり、安寿の犠牲の後、厨子王が母と再会するというストーリーは、童話「安寿と厨子王」としてもよく知られていますが、鷗外の作品の中では、「阿部一族」などと比べても読み易い方ではないでしょうか。

 母子モノであるとも言え、谷崎潤一郎などにも中世に材を得た母子モノがありますが、谷崎ほどねちっこく無くて淡々とした感じで、谷崎のはややマザコンがかっているためかもしれませんが、この作品では親子愛と同じく姉弟愛が扱われているということもあるかと思います。

 淡々と描かれてはいるものの、史実をベースにした「阿部一族」のような堅さは無く、また、元となった中世説話「さんせう太夫」では、姉の安寿は刑死する(弟を脱走させたため拷問を受けて惨殺される)のに対し、鷗外作では入水自殺したことになっており、更には、山椒大夫が後に出世した厨子王に処刑される場面も無いなど、オリジナルの説話の方は苛烈な復讐譚でもあったものが、鷗外の手で意図的にソフィストケートされている感じがします。

山椒大夫3.bmp この鷗外の「山椒大夫」を原作とした溝口健二監督の映画化作品「山椒大夫」('54年/大映)はよく知られていますが、同じく鷗外の作を原作として、溝口作品の7年後に「安寿と厨子王丸」('61年/東映)としてアニメ化されていて、溝口作品では「姉弟」が「兄妹」になっていたり、アニメでは厨子王が山椒大夫親子を処刑せずに「許す」風になっていたりと(鷗外の原作にもそこまでしたとは書いていない)、いろいろ改変している部分があります。但し、安寿は何れの作品共に、鷗外の原作に沿って「入水自殺」で亡くなることになっています。
「山椒大夫」('54年/大映)

 鷗外の原作を離れたところでは、1994(平成6)年刊行の堀泰明の絵、森忠明の文による絵本「安寿と厨子王」('94年/同朋社出版)があり、「京の絵本」シリーズということで、中世の雰囲気をよく醸した美しいものです。

 文章は淡々と起きた出来事を述べるように書かれていて(まるで鷗外のよう)、英訳付きであることからみても大人向きではないでしょうか。

 監修が梅原猛、上田正昭というだけあって、説話「さんせう太夫」に沿って、安寿は拷問を受けて殺され、後に丹後の国主となった厨子王は、山椒大夫を捕えて死罪に処し(絵本でありながら、そうした場面がそれぞれにある)、溝口作品やアニメでは「明かなかった」ラストの母子再会で母の眼は「明く」ことになっています。まあ、このあたりが、ほぼ"正統"なのでしょう(子供に読ませるとなると抵抗を覚えるかも)。

 安寿の死を「刑死」から「入水自殺」に置き換えたのは、鷗外が最初なのでしょうか。拷問死というのがあまりに忍びなかったのかなあ。
 
【1938年文庫化[岩波文庫(山椒大夫・高瀬舟 他四篇』)]】

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"黒澤明"風「阿部一族」。原作のイメージしにくい部分をイメージするのに丁度いい。

日本映画傑作全集 阿部一族.jpg 阿部一族 映画.jpg  阿部一族 岩波文庫.jpg 阿部一族 新潮文庫.jpg
「阿部一族」(1938年/監督:熊谷久虎)/映画「阿部一族」の一場面/『阿部一族―他二編 岩波文庫』/『阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

阿部一族31_v.jpg 寛永18年、肥後熊本の城主・細川忠利が逝去し、生前より主の許しを受け殉死した者が18名に及んだが、殉死を許されなかった阿部弥一右衛門(市川笑太郎)に対しては、家中の者の見る眼が変わり、結局彼は息子達の目の前で切腹して果て、更に先君の一周忌には、長男・権兵衛(橘小三郎)がこれに抗議する行動を起こし非礼として縛り首となり、次男・弥五兵衛(中村翫右衛門)以下阿部一族は、主君への謀反人として討たれることになる―。

 原作は森鷗外が1913(大正2)年1月に雑誌『中央公論』に発表した中篇小説ですが、簡潔な描写であるのはいいのですが、一部においては歴史史料のような文体であり、これをフツーの人が読んでどれぐらい出来事の情景が思い浮かべることができるか、大体は可能だとしても細部においてはどうか。個人的には、同年発表の『護持院原の敵討』の方が読み易かったでしょうか。鷗外が、同じ江戸時代の慣習でも、「殉死」に対して批判的で、「敵討」に対しては同情的であるように見えるのが興味深いです(「阿部一族」は、明治天皇を追って乃木希典が殉死したことへの批判的動機から書かれたとも言われている)。

映画『阿部一族』.jpg 熊谷久虎(1904‐1986)監督により1938年に映画化されていますが(このほかに深作欣二(1930‐2003)監督も1995年にテレビ映画化している)、黒黒澤明         .jpg澤明監督が演出の手本にしたという熊谷久虎作品はたいへん判り易いもので、但し、判り易すぎると言うか、弥一右衛門のことを噂する家中の者の口ぶりは、サラリーマンの職場でのヒソヒソ話と変わらなかったりして(親近感は覚えるけれど)、小説の中でも触れられている犬飼いの五助の殉死や、小心者の畑十太夫などについても、コミカルで現代的なタッチで描かれています(この辺りで残酷な場面はない)。

阿部一族30_v.jpg 一方、登場人物中で殉死に唯一懐疑的な隣家の女中・お咲(堤真佐子)と、彼女と親しい仲間多助(市川莚司)は映画オリジナルのキャラであり、市川莚司(後の加東大介)の主君の追い腹を切ろうとしてもいざとなるとビビって切れないという演技もまたコミカルでした。

 但し、基本的には当然明るい話では無く、阿部弥一右衛門の自死が、追い腹を切れば主君の命に背いたことになり、切らねば「脂を塗った瓢箪の腹を切る」臆病者と揶揄されるという状況の中での切羽詰まった選択であったにせよ、その事が一族にもたらしたその後の不幸は彼の推測し得なかったことであり、残された一族の「何でこうなるのか」みたいな焦燥感や悲壮感が、映像でよく伝わってきます(最後は一族総玉砕みたいな感じで、この辺り"黒澤明"風)。

殉死の構造 学術文庫.jpg 因みに、鷗外がこの小説のベースにした『阿部茶事談』という史料自体が脚色されたものであり、実際には阿部弥一右衛門は、他の殉死者と同じ日にしっかり殉死していたということは、山本博文 著『殉死の構造』(講談社学術文庫)などで史料研究の観点から指摘されており、山本氏によれば、鷗外は、"誤った"史料をベースに物語を書いたということのようですが、鷗外が確信犯的に創作したという可能性はないのだろうか(他にも、「権兵衛の非礼」→「一族の討伐」→「権兵衛の縛り首」が正しい順番であるなど、史実との違いがある)。

 この「阿部一族」は、円谷英二が特殊技術を担当し、始めて本格的に特撮監督としてデビューした作品でもあるらしいです(但し、息子・円谷一による追悼フィルモグラフィー『円谷英二―日本映画に残した遺産』('73年/小学館、'01年復刻版刊行)の「関係主要作品リスト」にはなぜか入っていない)。

阿部一族(1938).jpg 「阿部一族」●制作年:1938年●監督:熊谷久虎●製作:東宝/前進座●脚本:熊谷久虎/安達伸男●撮影:鈴木博●音楽:深井史郎/P・C・L管絃楽団●原作:森鷗外「阿部一族」●時間:106分●出演:中村翫右衛門/河原崎長十郎/市川笑太郎/橘小三郎/山岸しづ江/堤真神保町シアター.jpg佐子/市川莚司(加東大介)/市川進三郎/山崎島二郎/市川扇升/山崎進蔵/中村鶴蔵/嵐芳三郎/坂東調右衛門/市川楽三郎/瀬川菊之丞/市川菊之助/中村進五郎/助高屋助蔵/市川章次/中村公三郎●公開:1938/03●配給:東宝映画●最初に観た場所:神保町シアター(09-05-09)(評価:★★★☆) 神保町シアター 2007(平成19)年7月14日オープン

『阿部一族・舞姫』 (新潮文庫) 森 鴎外.jpg 【1938年文庫化・2007年改版[岩波文庫(『阿部一族―他二篇』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『阿部一族・雁・高瀬舟』)]/1967年再文庫化・1976年改版[角川文庫(『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』)]/1968年再文庫化・2006年改版[新潮文庫(『阿部一族・舞姫』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『阿部一族・山椒大夫・高瀬舟―ほか八編』)]/1995年再文庫化[ちくま文庫(『森鴎外全集〈4〉雁・阿部一族』)]/1998年再文庫化[文春文庫(『舞姫・雁・阿部一族・山椒大夫―外八篇』)]】

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

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手軽に読め、面白くて興味深い「護持院原の敵討」と「安井夫人」。

護持院ヶ原の敵討 他二篇.jpg護持院原の敵討―他二篇 森鴎外著.png 『護持院原の敵討―他二篇 岩波文庫
(1933年岩波文庫/1996年改版)

 1833(天保4)年、姫路城主の江戸藩邸において、奉行・山本三右衛門が邸の小使に突然斬りつけられ、犯人は逃亡し三右衛門は絶命、三右衛門の息子・宇平とその姉りよは、叔父・九郎右衛門の助太刀を得、藩主からも敵討の許可を得るが、九郎右衛門は女は連れていけないとりよを諭し、男2人には犯人の顔を見知っている文吉という男が付き添う―。

 1913(大正2)年10月発表の表題作「護持院原(ごじいんがはら)の敵討」は「阿部一族」などと同じく鷗外の史実モノですが、文章も締まっていて且つ読み易くいものでした。
 その史実とは、1846(弘化3)年、神田護持院ヶ原で幕臣・井上伝兵衛と松山藩士・熊倉伝之丞の兄弟を殺害した本庄辰輔(茂平次)を、伝兵衛の剣術の弟子・小松典膳と伝之丞の子・伝十郎とが仇討を果たした事件ですだそうです(鷗外はかなり改変している?)。

 敵(かたき)を求めて江戸を発ち、北関東、甲信越から北陸、中部、近畿、中国四国、九州と巡る旅、大変だなあと(昔の人はよく歩いたものだ)。これ、長編小説の素材ではないかなと思いつつも、実際には文庫で50ページ程度であるため、読む側からすれば手軽に読めてしまうという逸品(?)。

 淡々とした記述の中にも鷗外の敵討に対する肯定、賛美の念が窺えますが、大願成就の場に居合わせたのは、九郎右衛門とりよと文吉で、肝心の宇平は途中でドロップアウトしてしまっており、"100%の美談"になっていない点が興味深いです(この部分は史実に近いらしい)。

 宮崎ケーブルTV 2003.03 放映
儒学者・息軒の残したもの-安井息軒」より
安井息軒1.jpg 併録2篇のうち「安井夫人」は江戸時代の大儒・安井仲平(息軒)の人生を辿ったもので、貧しい儒者の家に生まれ、幼少時から真面目な勉強家でありながらも、仲間から「猿が本を読む」と蔑まれるほどの不男(ぶおとこ)であるために、三十路を控えて嫁話が無かった彼に、それを気にした周囲が知人の姉妹のうち器量十人並みの姉の方に話を持ちかけるも、彼女にさえも、「仲平さんはえらい方だと思つてゐますが、御亭主にするのは嫌でございます」と冷たく断られたところ、何とその妹で「岡の小町」と言われるほどの評判の美人だった16歳のお佐代の方が、思いもかけず自らの意思で嫁に来たという...。

 結局2人は子も何人かもうけ、息子の夭折や貧しい暮らしぶりが続いたりしながらも、妻が夫を助ける良き夫婦であり、仲平は学者として後に幕府の要職にも登用されたりし、また陸奥宗光など多くの門下を育てます。

安井息軒.jpg 数え78歳まで生きた仲平に対しお佐代は51歳で亡くなり、仲平に"投資"した彼女がその分の回収をみないうちに亡くなってしまったともとれますが、鷗外はそうは解釈せず、常にお佐代は未来に望みを託しており、自分の死の不幸すら感じる余裕が無かったのではと、こちらは鷗外のお佐代に対する好感とその人生への肯定が、直截に表されています。

 仲平と役人仲間との会話で、
 「御新造様は學問をなさりましたか。」
 「いゝや。學問と云うほどのことはしてをりませぬ。」
 「して見ますと、御新造様の方が先生の學問以上の御見識でござりますな。」
 「なぜ。」
 「でもあれ程の美人でお出になつて、先生の夫人におなりなされた所を見ますと。」
 などといったのも、なかなか楽しい記述です。

 【1933年文庫化・1955年・1996年改版[岩波文庫]】

《読書MEMO》
●「護持院原の敵討」...1913(大正2)年10月発表★★★★
● 「安井夫人」...1914(大正3)年4月発表★★★★

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ベースは古風な悲恋物語? どこまでが作者の意匠なのか読み取りにくい。

雁.jpg 雁 新潮文庫.jpg  森鴎外「雁」.bmp  第05回 「雁」.jpg
雁 (新潮文庫)』[旧版/新装版]『雁 (岩波文庫)』/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:桜金造/井出薫
森林太郎(鷗外)『雁』1915(大正4)年5月 籾山書店/復刻版
森鷗外 雁 籾山書店.jpg森鷗外 雁 籾山書店 復刻.jpg 1911(明治44)年9月から1913(大正2)年5月にかけて雑誌「スバル」に発表され、1915(大正4)年に刊行された本作の時代設定は、冒頭において明治13年(1880年)と特定されています。
 僕(鷗外自身がモデルと考えられる)は上条という下宿屋に住む学生で、古本を仲立ちに隣室の岡田という医科大学生と親しくなる。一方、無縁坂に住むお玉は、老父と自分の生活のために高利貸しの末造の妾となっているが、末造から貰った紅雀を鳥籠に入れて軒に下げていたところを蛇に襲われ、それを偶然助けた岡田に対し、以来、想いを寄せるようになり、岡田も無縁坂の"窓の女"のことを気にしている。そしていよいよ、末造が訪れてこないとわかっている日が来て、お玉は岡田が通りかかるのを心待ちにするが―。

 文庫で約130ページとそれほど長い小説ではないのですが、ここまでくるのが結構まどろっこしく、その割には、青魚の煮肴(鯖味噌煮)が上条の夕食で出されたために云々と、結末に至った"運命のいたずら"を作者(35年後の僕)自身があっさり解説していたりして、さらに、それ以上の説明もそれ以下の説明もしないとしつつも、同時に、当時お玉と岡田が相識であったことは知らなかったことを匂わせています。

 でも小説的に考えれば、"運命のいたずら"と言うより、僕がお玉と岡田の恋路を"無意識的に"妨げたととれるわけで、では高利貸しの妾であるお玉が、外遊直前の東大医学生・岡田と何か睦まじく話ができれば次の展開があったのかというと、そんな可能性は限りなくゼロに近く、それを考えると、僕の無意識にあったものは悪意ではなくむしろ善意であったかも知れず、また岡田の無意識にも同じものがあったかも知れない―と考え始めるとキリがありません。

 哀愁を帯びた悲恋物語には違いありませんが、個人的には、あまり好きになれないタイプの作品かも。
 岡田が断ち切った「蛇」は何の象徴か、逃がすつもりで投げた石に打たれた「雁」は何の象徴か、幾多の先人が解釈を行っていてどうしても後追いにならざるを得ず、どこまでが作者自身の意匠なのか読み取りにくく、逆にそうしたものをとっぱらってしまうと、今度はやけに古風なお話が残るだけになってしまうような気もします。

 鷗外作品のいくつかは、自らの体験を絡めた告白的要素がありながら(本作の「窓の女」自体は創作らしいが)、自分はどこか二重三重に安全な処に置いているような感じもあります。

 【1948文庫化・1980年文庫改版[新潮文庫]/1949年再文庫化[岩波文庫]/1953年再文庫化[角川文庫(『雁、ヰタ・セクスアリス』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『雁、ヰタ・セクスアリス』)]/1998年再文庫化[文春文庫(『舞姫 雁 阿部一族 山椒大夫―外八篇』)]】

《読書MEMO》
●「雁」...1911(明治44)年〜執筆、1915(大正4)単行本刊行

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