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骨太の芥川賞作品。主人公は「血」に負けたのか? むしろ、裏返された成長物語のように読めた。

岬 中上健次.png 岬.jpg 中上 健次.jpg  十九歳の地図 dvd.jpg 十九歳の地図 映画.jpg
』['76年] 『』文春文庫 中上健次(1946‐1992/享年46) 「十九歳の地図(廉価版) [DVD]

 表題作のほか、「黄金比の朝」「浄徳寺ツアー」など3篇を収めていますが、作者の小説は郷里の紀州を舞台にしたものが多い中、表題作はまさに出身都市である新宮市を舞台に、家族と共に土方仕事をしながら、逃れられない血のしがらみに喘ぐ青年を描いたもの。作者は本作により、戦後生まれとしては初めての芥川賞作家となりましたが、近年の芥川賞作品に比べると、ずっと「骨太」感があると思いました。

 「十九歳の地図」で芥川賞候補になり、作品としての幅を拡げるために三人称にしたのか? それも一面の真実かも知れませんが、多分「彼」にしないと作者に書けない要素というのが、この「岬」という作品にはあったのではないかと考えます。

中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、ー。 対談+短篇小説+エッセイ.jpg中上 vs 村上.jpg 芥川賞の選考委員であり、中上健次との対談集もある村上龍氏は(『中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。』('77年/角川書店)―これも面白かった。村上氏が名が中上健次を前にしてやや背伸びしている感もあるが、2人の文学遍歴の共通点や相違点などがよくわかる)、後に、この『岬』という作品を受賞作の水準に定めていたことを、ある年の芥川賞の選評で述べていたように思います。
中上健次VS村上龍―俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて。 対談+短篇小説+エッセイ (1977年)

 登場人物はそれほど多くないのですが、主人公の「彼」(秋幸)を取り巻く人物の血縁関係が複雑で、読みながら家系図を作った方がいいかも知れません。父・母がそれぞれ異なる兄弟姉妹が入り乱れ、その家計図メモがだんだんぐちゃぐちゃになってきた頃に出来事は大きく進展し、義父が叔父を刺したり、異父姉の錯乱があったりしますが、姉を連れて家族で岬にピクニック?にいくところは、それまでの殺伐感とは違ったソフトフォーカスな感じがあり、印象的でした。

 書いてみた家計図を見て、こうして〈親族の基本構造〉を破壊している元凶は、3度の結婚をしている主人公の母親だと思ったのですが、主人公は、登場人物のすべてと距離を置いている中、この母親に対しては、愛憎入り混じっている感じで、姉に対する意識にも微妙なものがあり、こんなぐちゃぐちゃな血縁関係の中でも、自らを定位しつつ、どこか"家族"を求めているところがあるのかなあと。

 主人公は最後に異母妹と思われる女性を見つけて交合しますが、これは、それまで比較的おとなしかった彼が、父や義父と同じ獣性に目覚めた、つまり「血」に負けて同じように鬼畜の道に嵌まったということなのでしょうか。それとも、潜在的渇望としてあった兄妹愛に目覚めたということ?

 自分にはこの辺りはむしろ、今まで子どもだった主人公が、エディプス・コンプレックスを克服した話のように読めました。血縁関係のない義父と同じようになるということは、「血」に負けたという理屈は成立せず、むしろ、男になる、つまり妹と交わることで自らが父権そのものになる、という裏返された成長物語のように思えたのですが...。

十九歳の地図 文庫.jpg十九歳の地図.jpg なぜ「彼」という三人称が使われているのかもこの作品の"謎"で、「十九歳の地図」と同じような鬱屈した予備校生を主人公にした「黄金比の朝」では「ぼく」だったのが、「岬」や「浄徳寺ツアー」では「彼」になっている、しかし共に、「彼」を使うよりも「ぼく」でいった方がずっと自然に読める箇所がいくつかあります。

 『十九歳の地図 (河出文庫 102B)

「十九歳の地図」で芥川賞候補になり、作品としての幅を拡げるために三人称にしたのか? それも一面の真実かも知れませんが、多分「彼」にしないと作者に書けない要素というのが、この「岬」という作品にはあったのではないかと考えます。

 中編「十九歳の地図」(短編集『十九歳の地図』('74年/河出書房新社、'81年/河出文庫)所収)は、和歌山から東京に出てきて、新聞配達をしながら予備校に通っている浪人生の青年の鬱々とした青春を描いたもので、新聞を配達しても感謝されるわけでもなく、集金に行けば煙たがられ、仕舞には飼犬に吠えられるという、ストレスだらけの生活の中、青年は、新聞の配達先で自分の気に入らない家について、地図上で☓印をつけていくという―このメインストーリーだけでも暗い話ですが、併せて、主人公の周辺の社会の下層で生きる人々の生き様が描かれていて、中上健次らしい暗さだなあと。

十九歳の地図00.jpg十九歳の地図0.jpgさらば愛しき大地 poster.jpg この「十九歳の地図」は映画化され('79年/群狼プロ)、監督は暴走族を追ったドキュメンタリー映画「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」('76年/群狼プロ)の柳町光男(後に、根津甚八、秋吉久美子主演での「さらば愛十九歳の地図b.jpgしき大地」('82年/群狼プロ)などの佳作を撮るが、中上健次は「さらば愛しき大地」の脚本にも参加している)、主人公の青年役は「ゴッド・スピード・ユー!」にも出ていた本間優二(映画出演を機に暴走族から役者に転じたが1989年に引退)、主人公の下宿の同居人で、偽の入れ墨で客を脅して集金している元釘師の新聞配達人に蟹江敬三(1944-2014)(いい演技をしていて「さらば「十九歳の地図」蟹江.jpg愛しき大地」にも出演している。そして、「さらば愛しき大地」でもいい演技をしている)が扮していて、この蟹江十九歳の地図 沖山秀子.jpg敬三と、自殺未遂で片脚が不自由になった娼婦を演じた沖山秀子(1945-2011)(ジャズ・ヴォーカリストでもあり、中上健次は彼女の大ファンだった)の濡れ場シーンの何と暗いこと! とにかく暗い暗い作品でしたが、その暗さを通して、青年の意志のようなものがじわーっと伝わってくる(ある意味「前向き」な)不思議な仕上がりになっていました。

十九歳の地図5.jpg「十九歳の地図」●制作年:1979年●監督・脚本:柳町光男●製作:柳町光男/中村賢一●撮影:榊原勝己●音楽:板橋文夫●原作:中上健次「十九歳の地図」●時蟹江敬三.jpg間:109分●出演:本間優二/蟹江敬三/沖山秀子/山谷初男/原知佐子/西塚肇/うすみ竜/鈴木弘一/白川和子/豊川潤/友部正人/津山登志子/中島葵/川島めぐ /竹田かほり/中丸忠雄/清川虹子/柳家小三治/楠侑子●公開:1979/12●配給:群狼プロ●最初に観た場所:文芸坐ル・ピリエ(81-1-31)(評価:★★★★)●併映:「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」(柳町光男) 

神々の深き欲望_07.jpg神々の深き欲望 dvd.jpg 沖山秀子は、すでに今村昌平監督の「神々の深き欲望」(' 68年/日活)で存在感のある演技をみせており、汚れ役に迫力のある女優でした。この作品は、南国の孤島の村を舞台に、兄娘相姦や父娘相姦など村の禁制を破ったことで疎外され追放されていく一族と(兄・三國連太郎、父・嵐寛寿郎)、島の産業開発や観光開発のためコミュニティとしての絆が崩壊していく村社会を描いたものでした。

神々の深き欲望.jpg 地元開発を機に村社会に亀裂が生じるというのはよくある設定ですが、娘を村長(加藤嘉)が引き取って愛人にし、村長が亡くなった後、兄は妹を取り戻して逃避行を図るものの、息子(河原崎長一郎)を含む村人達に殴殺されてしまうというストーリーにみられるように、また、語り部によって語られる説話的な構成という点からも、個と家族、共同体の関係性に重きを置いた作品という印象を受けました。神々の深き欲望 スチール.jpg沖山秀子の演じたのは、息子の妹で、開発業者の社員(北村和夫)に政略的に与えられる白痴の娘の役でした。
沖山秀子/嵐寛寿郎

 彼女が北村和夫演じる社員を好きになったことが悲恋の結末に繋がり、最後は「岩」になってしまったという、説話または神話と呼ぶにはあまりにドロドロした話で、キネマ旬報ベストテンの'68年の第1位作品ですが、観た当時はあまり好きになれなかった作品でした(沖山秀子は良かった。と言うより、スゴかったが)。しかしながら、後にCS放送などで観直すうちに、だんだん良く思えるようになってきた...(抵抗力がついた?)。

沖山秀子.jpg 因みに、沖山秀子は関西学院の女子大生時に今村昌平監督に見い出されてこの映画に出演し、これを機に今村昌平監督の愛人となり、その関係が破局した後は、カメラマン恐喝のかどで逮捕され(留置場では全裸になって男性受刑者を歓喜させ、「みんな何日も女の体を見てないからね。私はブタ箱をパラダイスにしてやったんだよ」と言ったという逸話がある)、出所後は精神病院に入院、退院後マンションの7階から投身自殺をするも未遂に終わり、「十九歳の地図」出演時の「自殺未遂で片脚が不自由になった娼婦」役の「自殺未遂で片脚が不自由になった」というのはそのまま地でいっているというスゴさ。(2011年3月21日死去)

「神々の深き欲望」.jpg「神々の深き欲望」●制作年:1968年●監督:今村昌平●製作:山野井正則●脚本:今村昌平/長谷部慶司●撮影:栃沢正夫●音楽:黛敏郎●時間:175分●出演:三國連太郎/河原崎長一郎/沖山秀子/嵐寛寿郎/松井康子/原泉/浜村純/中村たつ/水島晋/北村和夫/小松方正/殿山泰司/徳川清/石津康彦/細川ちか子/扇千景/加藤嘉/長谷川和彦●公開:1968/11●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(83-07-30)(評価:★★★★)


中上 健次 ユリイカ.jpgユリイカ2008年10月号 特集=中上健次 21世紀の小説のために

 【1978年文庫化[文春文庫]/2000年再文庫化[小学館文庫(『岬・化粧 他』-中上健次選集12)]】

中上 健次.jpg

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いろなものを詰め込みすぎて、ワイドショー的な皮相のレベルに止まる。

希望の国のエクソダス.jpg  『希望の国のエクソダス』 (2000/07 講談社) 希望の国のエクソダス2.jpg 文春文庫 〔'02年〕

 2002年、失業率は7%を超え、円が150円まで下落した日本経済を背景に、パキスタンで地雷処理に従事する16歳の少年「ナマムギ」の存在を引き金にして、日本の中学生80万人がいっせいに不登校を始める―。

 '98年から'00年にかけて「文藝春秋」に連載されたもので、「近未来小説」ということになるのでしょうが、中学生たちのネットワークのリーダーが国会に参考人として招致され大人たちと渡り合ったり、ネットビジネスで巨万の富を得たり、自分たちの独立国に近いコミュニティを築き上げたりするところは、「近未来ファンタジー」といった感じではないでしょうか。

 自らのサイトで「今すぐに数十万を越える集団不登校が起これば、教育改革は実現する」と述べていた著者が、その考えを小説化したものともとれ、確かに導入部はかなり引き込まれ、単行本刊行時の評価も高かったように思います。

 しかし、フリージャーナリストの「おれ」を通して描かれる中学生たちは何か異星人のようで、各地で起こる騒動もニュース報道として描かれており、彼らがどうやって組織化されたのかもよくわからない。

 「おれ」が自分の彼女と懐石料理を食べる場面で、「おれ」に料理の蘊蓄を語らせ、彼女の口を借りて新聞記事から引き写してきたような経済解説をさせている場面には、少しシラけてしまいました(以下、様々な登場人物が、新聞やインターネットの様々な記事を模写的に語っているという感じの描写が多い)。

 作者は本当に教育の現状を憂えてはいるのでしょうけれど、金融・経済、IT、メディアといろいろなものを詰め込みすぎて、何れもワイドショー的な皮相のレベルに留まり(小説の中で語られる経済予測は、その後外れているものの方が多い)、小説としても、この国にとって「希望」とは何かを描いたものだとすれば、消化不良のまま終わっているような気がしました。

 【2002年文庫化[文春文庫]】

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「●「谷崎潤一郎賞」受賞作」の インデックッスへ

予言的? 社会問題的モチーフを並べて、無理矢理くっつけた?

共生虫.jpg 『共生虫』 (2000/03 講談社) 共生虫2.jpg 『共生虫 (講談社文庫)』 ['03年]

 2000(平成12)年度・第36回「谷崎潤一郎賞」受賞作。 

 ある"長期ひきこもり"の青年が、インターネットにより偶然知った、女性ニュースキャスターのHPの裏サイト「インターバイオ」を通じて、絶滅をプログラミングされた「共生虫」というものを自らが宿しているという確信を持ち、凄惨な殺人へと駆り立てられていく―。

 '98年「群像」で連載開始、翌'99年10月に連載終了しましたが、その直後、"ひきこもり"的生活を送っていた青年による「京都"てるくはのる"児童殺害事件('99年12月)」や「新潟幼児長期監禁事件('00年1月)」が起き、精神科医・斎藤環氏の『社会的ひきこもり-終わらない思春期』('98年/PHP新書)とともに、"ひきこもり"事件やその社会問題化を予言したかのように注目を浴びました。

 本当にタイミング的には予言者みたいだと感心してしまいますが、「ひきこもり・インターネット・バイオレンス」の三題噺にテーマが後から付いて来る感じで、小説的には何が言いたいのか今ひとつ伝わってきませんでした(あとがきで、最終章を書いているときに「希望」について考えたとありますが、最初は何を考えていたのか?)。

 前半部分の第1の殺人は、神経症・統合失調的なシュールな描写が作者らしいのですが、マインド・コントロール的な組織「インターバイオ」とのやりとりは『電車男』('04年/新潮社)の裏バージョンみたいで(その点でも予言的?)、第2のリベンジ(?)的な殺人は、お話のために設定した殺人で、むしろこっちの方がリアリティが無いように思えました。

 社会問題的モチーフを並べて、無理矢理くっつけたという感じがする...。
 専門家である斎藤環氏は、「ひきこもり」と「インターネット」の結びつき相関が実は低いことを指摘していますが、これは作者にとって結構キツイ指摘ではないでしょうか。
 ただ、一般的なイメージは斎藤氏の言うのとは逆に、「ひきこもり」と「インターネット」を結びつける方向で形成されているように思われ、この小説もそのことに"貢献"したのかも。

 【2003年文庫化[講談社文庫]】

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「●「読売文学賞」受賞作」の インデックッスへ

"外部者の侵入"に耐えない脆弱な日本人? サイコミステリーっぽく、一気に読ませる。

イン ザ・ミソスープ.jpg  『イン ザ・ミソスープ』 (1997/09 読売新聞社) 村上龍.png 村上 龍 氏

 1997(平成9)年度・第49回「読売文学賞」受賞作。

 外国人向けの性風俗ガイドをしている20歳のケンジは、フランクと名乗るアメリカ人の依頼で、年末の夜の新宿の街を3晩、彼にアテンドすることになるが、フランクの人工皮膚を貼ったような顔は、なぜかケンジに、歌舞伎町で売春をしていた女子高生が惨殺されゴミ処理場に捨てられたという事件を思い起こさせた―。

 歌舞伎町の風俗産業の実態がよく取材されているようですが、そうしたものはこの作品の前後にも世に腐るほどあり、この作品でむしろ引き込まれるのは、フランクの異常性がちらちらと見え隠れして恐ろしい事件の勃発を予感させる、サイコミステリーっぽい仕立てにあることは間違いないでしょう。
 事件後もフランクと一緒にいるケンジの思考や行動にもリアリティがあり、最後のフランクの独白も重いものでした。
 
 "異常者"フランクの口から、自我の曖昧な日本人やぬるま湯のような日本社会に対する"まともな"批判がなされる、そのコントラストがひとつの妙と言えると思いますが、やや彼の口から語られ過ぎの感じも。
 ケンジの思考の中にも変に"オジさん"(作者自身?)っぽいものが入っていたりし、話題になった残虐な事件場面はややスプラッタ・ムービー調であるなど、瑕疵もそれなりに多い作品だという気がしますが、全体としてはフランク個人の眼を通して、日本人というものの脆弱さ、甘え、もたれあいといった精神性を投射していることが成功していると思いました。
 ぬるま湯状況の日本社会が"外部者の侵入"に晒されたら...という仮定において、後の、『半島を出よ』('05年/幻冬舎)などにも通じるところがありますが、話を広げ過ぎないことで、こっちの方がリアリティが保てていて怖い感じ。

 この小説で個人的に一番"買う"のは、「テンポ」の良さです。
 最近の著者の小説(『半島を出よ(上・下)』('05年/幻冬舎)など)のようなインターネットから引き写した如くの経済解説や時事ネタの挿入が少なく、3晩の出来事を筆一本で一気に押していくという感じで、これは新聞連載でちびちび読むタイプの小説ではないような気がしました(この小説は読売新聞に連載されたもので、連載終盤に神戸での児童連続殺傷事件('97年5月)が起きたことでも、予言的?であると話題になりましたが)。

 【1998年文庫化[幻冬舎文庫]】

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自伝的青春小説。エネルギッシュ・自己分裂的・反抗的・純情な青春の特質が描けている。

69 (sixty nine).jpg  『新装版 69 Sixty nine』 2004年新装版  69 文春文庫.jpg 文春文庫 〔'07年〕

 '69年の地方の高校を舞台に、17歳の"僕"を主人公にその周囲の仲間、大人たちを描いた著者の自伝的青春小説で、'84年から'85年にかけて女性誌「MORE」に連載。

 その直前に男性誌「BRUTUS」に連載していた『テニスボーイの憂鬱』('85年/集英社)が今ひとつ肌に合わず、そのイメージがあって本書にも長らく手をつけずにいたところ(長すぎ?)、本書は村上龍のファンにもとりわけ好評で映画化もされたということで、今回初めて読んでみたらなかなか良かったです。

 著者が30代前半で振り返った自らの高校時代ということになりますが、作中においては、著者は地方のやや田舎臭い地平にスンナリ降り切って17歳の主人公の目線になっています。
 一方で、自分の分身である"僕"を戯画化している部分もありますが、これが生き生きしていて、かつ著者の愛着がこもっている感じのものになっているように思えました。
 混沌とした時代の息吹と、自己矛盾に満ちた青春の葛藤がコミカルに描けていて、明るくてパワーがあり、青春小説に欠かせない甘さと切なさも、大人たちへの反抗もあります。

 "特大文字"の使用も効果的で、「というのは嘘で」という表現も、前段を全否定するのではなく、前段と後段がそれぞれに、考えることと出来ることの落差になっていているような感じで、同じく効果的。
 ギャップを抱えたまま存在する、自己分裂的な"青春"時代の特質を表していると言え、全体を通して、それをエンターテインメントに仕上げている。
 最後に登場人物のその後を記した、映画「アメリカン・グラフィティ」('73年/米)のエンディングのような終わり方にも、しみじみさせられます。、

 70年安保の時代の佐世保、進学校ながら多彩な生徒や教師のいる地方高校といった時間的・地域的特殊性があるのに、団塊世代だけでなく若い読者にも受けるのは、エネルギッシュで自己分裂的、反抗的で純情ひたむきな青春の普遍性が描けているからだと思いました。

 【1990年文庫化[集英社文庫]/2004年単行本新装版[集英社]/2007年再文庫化[文春文庫]】

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著者に悪意は無いが、あえて皮肉な見方をすれば...。

13歳のハローワーク.jpg13歳のハローワーク』〔'03年〕おじいさんは山へ金儲けに.jpgおじいさんは山へ金儲けに』('01年/NHK出版)

 親たちは何故こんなデカくて高い本を買って狭いウチに置いておくのでしょうか?(図書館で借りた人も多いとは思うが)

 経済書を500冊読破したとかいう著者は、本書と同じ画家とのコンビで『おじいさんは山へ金儲けに』('01年/NHK出版)を出しています。
 こちらの方は寓話による金融投資論で、そうした教育が日本でほとんど行われていない点を突いたものですが、著者のオーサーシップ(作家性)が全面に出すぎて『本当は恐ろしいグリム童話』みたくなってしまい不評でした―親が絶対買わない。

 "学習"した著者は『13歳〜』ではサーチャー(の統括ディレクター)に徹し、その内容の質的な善し悪しはともかく、職業情報を整理したものが学校になく、家庭でも職業教育のようなものが行われていないという日本の現状の虚を突いたかたちになって成功しました。
 ベースにあるのは労働経済学的な考え方で、受給バランスの発想です。サラリーマン以外の職業の多くは「買い手市場」であり、そう簡単になれるものではないと...。―親が安心して子供に買う。が、子供はそれほど読まない。
 
 本書の主な情報源となっているのがインターネットであることは明らかですが、インターネット情報というのは過去または現在に偏りがちで、どうしても未来というものの比重が小さくなるのではないでしょうか。 

 同様に本書には、"キャリア創生"といった考えが入る余地はほとんどなく、一定の過去から現在にかけて認知を得ている職業についてのみ語られているので(1人1人の読者は「へぇ〜、こんな職業もあるのか」と思うかもしれませんが)、それらの需給バランスを検証すれば、大方が「買い手市場」の、就くのが難しい職業ということにならざるを得ないのではないでしょうか。
 
 まあ、子供が、こういう仕事が世の中に存在しているということを知り、働いている人のことをイメージすることの教育上の意味が無いわけではないと思うので、星1つオマケという感じですが、本当に「子供」が読んでいるのかなあ。

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