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何れも単純素直に「面白かった」。作者なりに一つの「新機軸」を打ち出した?。

女のいない男たち .jpg
村上春樹 木野 女のいない男たち.jpg「文藝春秋」(2014.2)  

女のいない男たち』(2014/04 文藝春秋)

 『東京奇譚集』以来作者9年ぶりの短編集で、「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」の6編を収録。「女のいない男たち」のみが書き下ろしで、その他の短編5編のうち4編は、「文藝春秋」2013年12月号から2014年3月号に「女のいない男たち」という副題付きで連載されていました。「女のいない男たち」というタイトルからヘミングウェイの『男だけの世界』"Men Without Women"へのオマージュかとも思われましたが、「男だけの世界」と言うより「女を失った男たちの物語」を描いた一連の短編集でした。

 「ドライブ・マイ・カー」は、妻を亡くした50歳手前の俳優・家福が、専属ドライバーとして雇った若い女性に自分の亡き妻の浮気のことを話すというもの。女優であった妻は生前に複数の男と不倫をしており、家福はどうしてもその理由が理解できず、妻がガンで死んだ後に妻のセックスフレンドであったと思われる男と知り合うが、それはただのつまらない男だった。そのため逆に彼は、妻はなぜそんな男に抱かれたのかを悩む。ドライバーの若い女性はそれを「病のようなものだ」と言う―。

 「イエスタデイ」は、早稲田大学に通う20歳の僕・谷村から見た東京生まれだが完璧な関西弁を話す浪人生・木樽(ビートルズのイエスタデイに関西弁の日本語歌詞をつけて歌う特技を持つ)の話。ある時僕は木樽から、幼馴染でもある木樽の彼女と付き合ってくれと言われ、一度だけデートするが、彼女は木樽以外の男と付き合っていて、それに感づいた木樽は姿を消す―。

 「独立器官」は、プレイボーイの美容整形外科・渡会が、夫子のある女性に恋に落ちるが、その女性がまた別に好きな男がいて失恋したために、拒食症により死んでしまうという話。彼女は、顔色変えずにウソをつき、渡会は「すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている」と語る。但し、渡会のほうも、その独立器官を用いて恋をしていた―。

 「シェエラザード」は、羽原という男性がなぜか「ハウス」という所に送り込まれて外出を禁じられているが、そこへ「連絡係」の女性が定期的に訪れ、食事などを作った後に羽原とセックスをするという話。彼女はその際に、千夜一夜物語さながらに興味深い話を次々としてくれるため、男は鱒を待つ「やつめうなぎ」のように女性が来るのを待ち、来たならばそこに吸い付いて寄生していくしかない―。

 「木野」は、木野という男の話。彼は、出張から予定より早く戻った際に妻が自分の同僚とセックスしているところに出喰わしてしまい、会社を辞めて伯母から提案されていた彼女の店を引き継ぐという話を受け、バーのオーナー兼バーテンダーとなる。妻とは離婚することになり、その妻からは「私たちの間には,最初からボタンの掛け違いみたいなものがあったのよ。あなたはもっと普通に幸福になれる人だと思う」とも言われる。その頃、木野のバーの近くに住みついていた猫が姿を消し、蛇が現れ、そして木野は、カミタという謎の客から店を暫く休むように言われる―。

 表題作の「女のいない男たち」は、主人公の僕が昔付き合っていた恋人が自殺したと言う連絡を、彼女の夫から電話で伝えられるというところから始まる話。彼女である「エム」は、かつて僕と2年だけ付き合ったことがあり、エムを狙う男は沢山いて、彼女はいろいろな男(水夫)の船に乗せられたが、その死によって完全に姿を消した。それに自分の過去の部分も封印されてしまうのか。「一人の女性を失うというのは,すべての女性を失うことでもある」。「女のいない男たち」の一人として、強烈な孤独感の中で、僕はエムの幸福を祈る―。

 この作者にしては珍しく「まえがき」があり、作品をどういう順番で書いたかなどが明かされていて、それによると、「ドライブ・マイ・カー」「木野」「イエスタデイ」「シェエラザード」「独立器官」の順で書き(但し「木野」は推敲に時間がかかって何度も書き直し,雑誌掲載も「イエスタデイ」の後になったとのこと)、最後の「女のいない男たち」はこの連作の単行本化のための書き下ろしであるそうです。

 本当は主人公たちの喪失感を共有する味わい方をすべき作品群なのかもしれませんが、個人的には何れも単純素直に面白かったと言うか、前作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』('13年/文藝春秋)がノーベル賞狙いではないとは思いますがあまりに「思惟小説」であっただけに、この揺り戻しにややほっとした感じでしょうか(俗っぽくなったと言う人もいるが)。

 とりわけ、まえがきによれば執筆時期が重なるという「木野」と「イエスタディ」が面白く感じられました(文芸評論家の加藤典洋氏は日経新聞の書評で「シェエラザード」と「木野」を評価していた)。「木野」は前半部分にヘミングウェイの『男だけの世界』の中にあるハードボイルドの1つの原型とも言われる「殺し屋」を想起させるものがあり(因みに表紙カバーの絵も元々は「木野」の挿画)、「イエスタディ」は恋愛が成就する話などではないのに只々可笑しかったです。

 全体として、評判の高い作者の初期短編集に匹敵する面白さだったように思いますが、かつての短編作品やこれまでの長編作品の傾向と異なり、中年男性が主人公になっているものが多いのも特徴と言えるのではないでしょうか。『海辺のカフカ』にしても『1Q84』にしても『色彩を持たない多崎つくる...』にしても、少年乃至青年、または大人になった主人公が少年期や青年期に精神的に立ち戻るような話ばかりだったことを考えると、作者なりに一つの「新機軸」を打ち出したともとれるように思います。

【2016年文庫化[文春文庫]】

女のいない男たち1.jpg

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1979年から2010年までの間に書かれた雑文。それらを通して窺える"雑多な心持ち"。

雑文集.jpg雑文集 文庫.jpg村上春樹 雑文集 (新潮文庫)』(2015/10 新潮文庫)
村上春樹 雑文集』(2011/01 新潮社)挿画:安西水丸和田誠

 著者自身による「前書き」によれば、「作家としてデビューしてから三十年余り、あれこれの目的、あちこちの場所のために書いてきて、これまで単行本としては発表されなかった文章」を集めた一冊であるとのことです。「序文・解説など」「あいさつ・メッセージなど」「音楽について」「『アンダーグランド』をめぐって」「翻訳すること、翻訳されること」「人物について」「目にしたこと。心に思ったこと」「質問とその回答」「短いフィクション―『夜のくもざる』アウトテイク」「小説を書くということ」という風にジャンル分けされていて、最後に、表紙イラストを担当した安西水丸氏と和田誠氏の解説対談が付されています。

 村上春樹というと、あまり色々なところに寄稿しているイメージが無い作家だけに、1979年から2010年までの間に書かれたものをこうしてまとめて読むと、今まで見えてこなかったこの作家の傾向が見えてくるような気がして面白く(やはり音楽関係と翻訳関係の寄稿が結構あるなあと)、一方で、「前書き」のサブタイトルが「どこまでも雑多な心持ち」とあるように、この作家の多面性も表れているように感じられ、興味深かったです。

 「序文・解説など」では、安西水丸氏の漫画『平成版 普通の人』に寄せた解説があって、これ読むと、『平成版 普通の人』が無性に読みたくなる?「あいさつ・メッセージなど」には、各文学書の受賞の挨拶などもあって興味深く、また、あのエルサレム賞の受賞挨拶「壁と卵」も収められていますが(これ、新聞各社が全文掲載していたなあ)、「壁と卵」の前にあるのが「いいときはとてもいい」という安西水丸氏の娘さんの結婚式での祝辞であり、これもなかなか味がありました(「人物について」のところでも安西水丸氏が出てくるなあ。2014年3月の安西水丸氏の急逝が惜しまれる)。

 その安西水丸氏と和田誠氏の解説対談が最後にあるわけですが(2010年11月に青山で行われた対談)、これが二人の初対談だったとは意外でした。但し、この体対の8年前に既に二人で共著『青豆とうふ』('03年/講談社)を刊行しており、このタイトルの名付け親が村上春樹氏ということで、その時の経緯や(中華料理店でたまたま食べていた料理が...)、その「青豆」というのが後の村上春樹氏の長編『1Q84』の女主人公の名前になった時の驚きなどが素直に語られていて面白いです。

 超短編集『夜のくもざる』で編纂時に没にした小品なども載せていて、「柄谷行人」なんて、ご隠居と熊さんの会話で、熊さんが「柄谷行人」の名前などを使ってダジャレを言っているというもので、編集者の女性が柄谷行人のファンで「こんなの冗談にもなりません。まったくもう!」と言って却下したそうな。そんなものまで載せているわけですが、本人は意外と気に入っていて、ギャグっぽいのとかも好きなのではないかなあ、とか思ったりしました(これも"雑多な心持ち"の一面か)。

【2015年文庫化[新潮文庫]】

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精神的ご都合主義? これまでの作品のリフレインの枠を出ていない気がした。

2色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.jpg色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年.jpg 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013/04 文藝春秋)

 自分が勝手に名付けた「5人の物語」3冊シリーズの3冊目(他は、窪美澄の『ふがいない僕は空を見た』と、朝井リョウの『何者』)。本書は発売後「7日」で発行部数100万部を突破したということで、昨年('12年)の唯一のミリオンセラー本、阿川佐和子氏の『聞く力』(文春新書)が、1月20日に刊行されて100万部突破が12月10日と、ほぼ「1年」をかけての到達だったとを考えるとスゴイ話。これは、作者の前作『1Q84 BOOK3』の「14日」を塗り替える新記録でもあり、出版不況どこ吹く風の本ですが、「良い・悪い」の前に「読む・読まない」の選択を多くの人に迫った形になったその結果ととれば、この「一極(一作)集中」ぶりは、これもまた出版不況を反映しているとも言えるかも。

 名古屋の公立高校を卒業後、東京の工科大学土木工学科に進んだ多崎つくる(36歳)は、東京の鉄道会社に就職し、駅舎を設計管理する仕事をしている。紹介で知り合った大手旅行代理店勤務の木元沙羅(38歳)との3度目のデートで体を交わし、4度目のデートのとき、高校時代に仲良し5人組を成していた4人から、大学2年のときに突如、理由も告げられないまま絶交を言い渡されたことを語る。5度目のデートで沙羅から、なぜ4人から絶交されたのか「あなた自身の手でそろそろ明らかにしてもいいじゃないかという気がするのよ」と言われる―。

 4人はそれぞれ赤松慶(アカ)、青海悦夫(アオ)、白根柚木(シロ)、黒埜恵理(クロ)という名で、つくるは先ず、名古屋で働くアカとアオに会いに行くが、アオはトヨタのショールームで高級車レクサスを販売する営業マン、アカは社員教育カリキュラムを実践するベンチャー経営になっていて、共に成功していた。16年ぶりに会ったアオとアカから、シロが、つくるが大学2年時につくるからレイプされたと訴えたという、つくるには全く身に覚えのない話を聞かされ、しかもシロは妊娠して一人で産み育てる決意をしたが流産、音大学業後に浜松に移り住み、2年後にマンションの自室で絞殺されたという。クロは、フィンランド人の陶芸家と結婚してフィンランドに住んでいるとのことで、つくるは休暇を取り、沙羅が手配してくれた飛行機でフィンランドに飛ぶ―。

 「色彩を持たない」ってそういうことだったのか―とやや拍子抜けした感もありましたが、それはともかく、過去と現在の間を埋めるために最後はフィンランドまで行っちゃうわけだから、まあ「巡礼の旅」ではあるのだろうなあ。

 前作『1Q84 BOOK3』以来、3年ぶりの長編小説であるとのことですが、前作の主人公の「天吾」と「青豆」が29歳にして10歳の時の想い出を引き摺っているという構図が、36歳にして二十歳頃の出来事に執着する多崎つくるにも継承されている感じで、この作品における「喪失」というテーマに関して東日本大震災のテーマへの反映を指摘する人も多いようですが、「少年や若者が大人になる際に失った何か」というのは、『海辺のカフカ』然り、ずっとこの人の作品のモチーフとしてあり続けてきたのではないでしょうか。

 つくるは4人と会って、これまで自分のことを犠牲者だと考えてきたが、知らないうちに周りの人たちを傷つけてきたのかもしれないと思い始め(謙虚!)、更に、クロから、「君は彼女(沙羅)を手に入れるべきだよ」と言われて、帰国後、沙羅に「君には僕のほかに誰か、つきあっている男の人がいるような気がするんだ」と本心を明かして、彼女の自分に対する気持ちはどうなのか返事を待ちます(新宿駅で。この駅、乗降客数世界一なんだね)。

 つくるの「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」という内面の言葉は心に残るものですが、クロとの別れ際にそれを言うべきだったのにその時は言葉に出来ず、後になってその言葉を見つけたというのは、クロが何だか放ったらかしにされた印象も。

 考えてみれば、アカもアオも一応の成功は収めているけれどどっぷり俗世間に浸かってしまっているわけで、彼らも放ったらかしにされている印象で(と言って、つくるにはどうすることも出来ないわけだが)、何だかつくるだけが無垢のままでいるような、彼だけが精神的エリートであるような描かれ方がされてなくもない気がするけれど、だからこそ読者はつくるに惹かれながらこの物語を読み進むのだろうなあ。

 推理小説でご都合主義はまずいけれど、文芸小説においては、こうした精神的ご都合主義はありなのかも。こういう「自分のために世界はあるの」的な小説って決して嫌いな訳ではありませんが、『1Q84』以上に「ああ、これこそ村上春樹」って感じの作品であり、その分、これまでの作品のリフレインの枠を出ていない気がしました。

 それにしても、作中に登場するロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンが演奏するリストのピアノ独奏曲集である「巡礼の年」の国内盤CDが廃盤になっていたのが急遽再発売されることになるなど(輸入盤CDは本書刊行後すぐに売り切れてしまったらしい)、『1Q84』に出てきたヤナーチェック作曲「シンフォニエッタ」に続いて、クラシックCD業界まで影響を及ぼすとは....。

 因みに、リストの「巡礼の年」の「年」は複数形であり、「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」「第3年」の4集で構成されますが、村上春樹のこの小説に登場するのは、「第1年:スイス」 の第8曲〈郷愁(ル・マル・デュ・ペイ)〉になり、セナンクールの小説『オーベルマン』からとられて、主人公オーベルマンの故郷アルプスへの望郷の念を音楽で表現しているとのことです。

【2015年文庫化[文春文庫]】

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世界観的な物語が「ボーイ・ミーツ・ガール」的な話に決着してしまったような...。

1Q84 BOOK 3.jpg 『1Q84 BOOK 3』(2010/04 新潮社) 村上春樹 1Q84 BOOK1・2・3 2.jpg

村上 春樹 『1Q84 (BOOK3 〈10月-12月〉)』.jpg村上春樹 1Q84 BOOK1・2・3.jpg '09年に刊行され、上下巻合わせて200万部を超えるベストセラーとなった『1Q84 (BOOK1・ BOOK2)』(新潮社)の続編で、前作の売行きを見て新潮社は初版で50万冊を刷り、更に予約状況を見て発行日直前に増刷、結果として、発売日から12日目で100万部刊行という、ミリオンセラー達成の最速記録を樹立しました。

 『BOOK1・BOOK2』を読んで、個人的には、要するに「よく解らなかった」のですが、「『BOOK1・BOOK2』が投げかけた巨大な謎を、作者自身が批評家として解き明かした」という触れ込みもあって、今回は早目に入手し、読んでみました。

 でも「やはり」と言うか、「ますます」よく解らなくなってきて、ずっと読書評も書かずにいて、その間に批評家などが書いている書評なども読みましたが、前作同様に解釈はまちまち、それぞれの"深読み"には感心させられるものの、個人的には、ごく普通の読者が抱いたであろう"感想"の域を出るものではありませんでした。

 相変わらずよく練られた読み易い文体ではあるものの、ここまで「エンタメ」していいのと思われるぐらいハードボイルドタッチだった『BOOK1・ BOOK2』に比べると、同じタッチでありながらもストーリーのテンポはがたっと落ち、これが作者ならではの「読んでいて心地よい文体」で書かれたものでなければ、途中で投げ出していたかも知れません。

 『BOOK3』で新たに登場した、「さきがけ」のリーダーを殺害した青豆の行方を追う「牛河」というのはなかなか面白いキャラだったと思われ、殺されてしまうのが少し惜しい気もしましたが、この作品は個々のキャラよりも全体の関係性の中でのそれぞれの象徴的な位置付けを手繰りながら読むものなんだろうなあ(別に、「牛河さんが可哀想」的な読み方でもいいのだが)。

 『BOOK1・ BOOK2』でもいろいろシュールな場面はありましたが、今回の牛河の遺体の口からリトル・ピープルが出てくる場面には、『海辺のカフカ』で空から魚が降ってきた場面以上に唖然とさせられ、でも最後は、青豆と天吾が無事出会えて良かった、良かったって、これ、そーゆー話だったの。

 2人でこっち側の世界に戻ってきたのはいいけれど、後に残してきた「1Q84」の世界の方は、未解決問題が山積しているような...(「世界は二人のために」という60年代の曲の歌詞を思い出してしまった)。ある意味、「1Q84」の世界の方が現実世界に近いのかも。

 世界観的な物語が「ボーイ・ミーツ・ガール」的な話に決着してしまったような気がし、天吾がNHK集金人であった父親の死を通して父親を受容したように思える展開なども含め、旧作から『海辺のカフカ』に連なる「男の子」の成長物語(ビルドウングスロマン)を、今もなおこの作家は書き続けているようにも思いました。

 自分にとっては、『BOOK1・ BOOK2』の"謎解き"と言えるものではなく、これで終わるならば、『BOOK1・ BOOK2』で終わっていた方が良かった気もしますが、今回は更にもやもやしたものが残っただけに、続編が出れば出たで、また読むのだろうなあ。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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「村上作品の集大成」、「良くも悪しくも村上春樹」。共に、評として外れていないのでは?

1Q84 BOOK 1.jpg 1Q84 BOOK 2.jpg 『1Q84 (BOOK1 ・ BOOK2』 .jpg1Q84 BOOK 1』『1Q84 BOOK 2』['09年]

 2009(平成21)年・第63回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)受賞作。2009(平成21)年度「『本の雑誌』年度ベスト10」第1位作品。

 スポーツインストラクターで暗殺者としての裏の顔を持つ女性・青豆と、作家志望の予備校講師で、"ふかえり"という高校生が書いた不思議な作品をリライトすることになった男性・天吾、1984年にこの2人は、同じ組織に対する活動にそれぞれが巻き込まれていく―。

 いやあ、ストーリーも明かされていない刊行前からスゴイ評判、刊行されるとやがて「これまでの村上作品の集大成」とか「良くも悪しくもやっぱり村上春樹」とか色々な風評が耳に入ってきてしまい、早く読まねばとやや焦りにも似た気持ちにさえさせられたのが情けないけれど、読み始めてみたら結構エンタテインメントしていて、作者の軽めのエッセイは好みながら小説はやや苦手な自分にとっても、今まで読んだ数少ない作者の長編の中では「面白かった」方でした(むしろ、こんなに面白くていいのか...みたいな)。

漱石と三人の読者.jpg 国文学者の石原千秋氏が『漱石と三人の読者』('04年/講談社現代新書)の中で、漱石は、「顔の見えない読者」(一般人)、「なんとなく顔の見える読者」(知識人)、「具体的な何人かの"あの人"」(文学仲間・批評家)の3種類の読者を想定し、それぞれの読者に対してのメッセージを込めて小説を書いていたという仮説を立てていますが、村上春樹も同じ戦略をとっているような...。

 「ピュアな恋愛」とか、矢鱈に"純粋性"を求めたがる時代の気風にしっかり応えている点は「一般人」向きであるし、この小説を「愛の物語」と言うより「エンタテインメント」としてそこそこに堪能した自分も、同様に「一般人」のカテゴリーに入るのでしょう。

 ただし、これまでの作品に比べ、様々な社会問題を時に具体的に、時に暗喩的に織り込んでいるのは確かで(「知識人」向き?)、そこには「原理主義」的なものを忌避する、或いはそれに対峙する姿勢が窺え、(ノンフィクションで過去にそうしたものはあったが)小説を通じてのアンガージュマン的な姿勢を今回は強く感じました。

 一方で、主人公たちは29歳にして10歳の想い出を"引き摺っている"と言うか、主人公の一方はその"想い"に殉じてしまうくらいで、モラトリアム調は相も変わらずで、メタファーもお馴染みの如くあるし、結局、「これまでの村上作品の集大成」、「良くも悪しくもやっぱり村上春樹」共に、評としては外れていないように思いました。

村上春樹「1Q84」をどう読むか.jpg 因みに『村上春樹「1Q84」をどう読むか』('09年7月/河出書房新社)という本がすぐに刊行されて、35人の論客がこの作品を論じていますが(インタビューや対談・ブログからの転載も多い)、いやあ、いろんな読み方があるものだと感心(前述の石原千秋氏も書いている)。ただ言える事は、みんな自分(の専門分野)に近いところで読み解いているということが言え、かなり牽強付会気味のものが目立ちます。
 
 この「読解本」に関しては、全体として、面白かったけれどあまり参考にならなかったというのが本音で(評価★★☆)、ただ、これだけ多くの人に短い期間で書評を書かせている(一応しっかりと(?)読んだのだろう)ということは、やはり「村上春樹」の影響力は凄いなあと(「批評家」向き?)。タイムマシンに乗って100年後の世界に行ったら、文学史年表にこの作品が載っているのかなあ。
 
映画 "The Big Sleep"(邦題「三つ数えろ」)
The Big Sleep.png大いなる眠り.jpg 余談ですが、主人公が金持ちの依頼人と屋敷の温室で対面し依頼を受けるというのは、レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』(The Big Sleep /'39年発表/'56年・東京創元社)の中にもあるシチュエーションで、チャンドラーの3大ハードボイルド小説の内、『さらば愛しき女よ』(Farewell, My Lovely '40年発表/56年・早川書房)と『長いお別れ』(The Long Goodbye '54年発表/'58年・早川書房)は、それぞれ『ロング・グッドバイ』('07年)『さよなら、愛しい人』('09年)のタイトルで早川書房から村上春樹訳が出ていますが、『大いなる眠り』は訳していません。東京創元社に版権がある関係で早川書房としては訳すことが出来ないのかなあ。―ああ、チャンドラーの自分が未訳の作品のモチーフを、ここで使ったかという感じ。(『大いなる眠り』はその後、'12年12月に早川書房より村上春樹訳が刊行された。)

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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「芥川賞について...」などに、文壇的なものを忌避する傾向がすでにはっきり見られる。

村上朝日堂の逆襲 2.jpg村上朝日堂の逆襲1.jpg 『村上朝日堂の逆襲』 (1986/06 朝日新聞社)

 著者が芥川賞のことをどこかで書いていたことがあったのを思い出して、『村上朝日堂』('84年/若林出版企画)を読み直してみたけれど見当たらず、「村上朝日堂シリーズ」の第2作である本書を見たら、「芥川賞について覚えているいくつかの事柄」というのがありました。

 『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』がそれぞれ候補になって、「あれはけっこう面倒なものである。僕は二度候補になって二度ともとらなかったから(とれなかったというんだろうなあ、正確には)とった人のことはよくわからないけれど、候補になっただけでも結構面倒だったぐらいだから、とった人はやはりすごく面倒なのではないだろうかと推察する」と。

 "受賞第一作"を書けと言われても困るとか、NHKに出ろと言われてもTV出演は苦手だとか、賞に伴う慣行的なものを拒否していて、受賞連絡待ちの時の周囲の落ち着かない様子に自分まで落ち着かない気持ちに置かれたことが書かれていてます(『風の歌を聴け』の時は、自身の経営するジャズ喫茶兼バーのようなところで「ビールの栓を抜いたり玉葱を切ったりしていたのだが、店内では編集者が緊張した面持ちで電話を待っているし、アルバイトの女の子たちもなんだかそわそわしているみたいだし、客の中にも事情を知っている人がいるしで、すごくやりにくい。とても仕事にならない」と)。

 結局この後、長編小説(『羊をめぐる冒険』)への方へ行ってしまい、芥川賞とは縁が無くなってしまったわけですが、そうした国内の文学賞的なものに付随するもの、文壇的なものを忌避する傾向が、もうこの頃からはっきり現れているなあと思った次第です。

 本書に出てくる「小説家の有名度について」の中では、ベルビー赤坂の待合所のベンチで奥さんの買い物待ちをしていたら、若い男の人に、「村上さん、がんばって下さい」と言われたので、思わず「はっ、がんばります!」と答えてしまい、「こうなるとプロ野球ニュースのインタビューみたいである」と。
 自分自身をカリカチュアライズしている要素が多く見られるのがこのシリーズの特徴ですが、この頃からもう、ずーっと海外で暮らしている方がいいかなあと、本気で考えていたのではないでしょうか。

 全体としては、『村上朝日堂』と同じような感じで楽しめる内容。芥川賞のことについてどう書いていたか気になっただけなのに、結局、始めから終わりまで通しで再読してしまいました。


 因みに、著者が国分寺のジャズ喫茶「ピーター・キャット」('77年に同じ店名のまま、ヤクルト戦のある神宮球場に近い千駄ヶ谷に移転。本書の芥川賞譚はそこでのもの)で店主をしていた時期に、あるジャズ雑誌に書いた「ジャズ喫茶のマスターになるための18のQ&A」(「JAZZLAND」1975.8.1号)というのがあって、これがなかなか面白いです(以下、引用)。

Q1 ジャズ喫茶を始めたいと思うのですが、さしあたって一番要求される資質は何でしょうか?
A 恐れを知らぬ行動力です。

Q2 それでは一番不必要なものは?
A 知性です。

Q3 現在大学に在学中ですが、卒業はした方が良いでしょうか。
A 経験から言うと、卒業証書の表紙はメニューにぴったりです。

Q4 好きな女の子が居るのですが、ジャズ喫茶のマスターとしては結婚していた方が得でしょうか、それとも独身でいた方が得でしょうか?
A あなたが一体何を指して得とか損とか言ってるのか、よく理解できないけれど、この世の中で結婚して得をすることなど何ひとつないのです。

Q5 よくジャズ喫茶のマスターは女の子にもてるっていう話を開きます。そんな時、客の女の子には手を出していいのでしょうか?
A まったくの取り越し苦労です。

Q6 レコードは最低何故必要でしょうか?
A 度胸さえあれば15枚でOKです。

Q7 でも、「ファンキー」や「DIG」に行って、レコード棚やオーディオを見る度にガックリして、僕なんかにとても......という気分になるのですが?
A そんな所に行くのが間違っているのです。国分寺に来なさい。

Q8 僕は前衛ジャズに弱いので、それ以外のジャズを中心にやりたいのですか?
A お好きなように。

Q9 お客に文句は言われませんか?
A もちろん言う人は居ます。気にしなければいいのです。
 あなたのお店なんだし、好きなようにやってみて、儲かるのもあなた一人だし、赤字を出して首を吊るのもあなた一人なのです。

Q10 お酒を出すつもりなのですが、酔って騒ぐような人が居たらどうしたらいいのでしょうか?
A 「戦艦バウンティ」という映画が昔ありました。その中で異端分子は全員船から突き落とされていました。

Q11 「スイング・ジャーナル」に広告を出すべきでしょうか?
A もちろんです。その上に「スクリーン」と「週刊平凡」に広告を出せば効果は抜群です。

Q12 僕はコルトレーンの『至上の愛』が嫌いなので店には置かないつもりなのですが、
友人は"『至上の愛』のないジャズ喫茶なんて...と言います。どうでしょうか?
A バカは相手にしないことです。

Q13 ジャズ評論家にコネがきくのですが、レコ-ド解説やコンサートをやった方が良いでしょうか?
A テスト盤をもらうだけくらいの方が賢明です。ロシア革命の時、一番最初に銃殺されたのはジャズ評論家だったそうです。

Q14 ジャズ喫茶という職業は一生続けていくに値いするものでしようか?
A 田中角栄にとって土建業が一生続けていくに値いする職業なのか?
 川上宗薫にとってポルノ小説家が一生続けていくに値いする職業なのか?
 猫にとってキヤツト・フードが一生食べていくのに値いする食物なのか?
 非常に難しい問題です。

Q15 僕にとってジャズ喫茶はまるでなにか青春の里程標のような気がするのですが、 こういう考え方は間違っているのでしょうか?
A 間違ってはいませんが、明らかに誇張されています。

Q16 それではジャズ喫茶とは一体何なのでしょうか?
A ジャズを供給する場所です。ジャズとは何か?
 僕はそれは、人生における一種の価値基準のようなものではないかと思うのです。
 茫漠とした時の流れの中で、僕たちの人生がどんな風に輝き、どんな風に燃えつきていくのか?
 ジャズの中に沈みこんでいる時、僕たちはそんな何かをみつけだせるような気がするのです。

Q17 そういう考え方は少し誇張されすぎてはいませんか?
A すみません。その通りです。ただ僕の言いたいのは、ジャズ喫茶のマスターがそういった使命感を忘れたらもうおしまいだっていうことなのです。

Q18 ところで話はガラッとかわりますが、今年のヤクルト・アトムズはどうなるのでしょうね?
A 当然優勝します。巨人は最下位になり、王はナボナのCMから下ろされます。

 著者26歳の頃の文章ですが、この頃からユーモアのセンスがふるっています。


 【1989年文庫化[新潮文庫]】

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初期エッセイのトーンが好き。作家のイマジネーションの原点のを探るうえでも興味深い。

村上朝日堂1.jpg 村上朝日堂2.jpg 『村上朝日堂』  (1984/01 若林出版企画)

 「村上朝日堂シリーズ」の最初のもので、'82年から'84年にかけて「日刊アルバイトニュース」に連載され、'84年に若林出版企画から刊行されたもの、ということは、連載時にリアルタイムでこの文章を読めたのは首都圏に住む人に限られていたということか。

 今やノーベル文学賞候補と言われている作家の"純文学大作"を脇に置いて、こんな"雑文集"(と自分で言っている)を今更読み直してどうなのかというのもありますが、個人的にこの人の初期エッセイのトーンが好きだから仕方がない...。

 連載テーマは毎回バラエティに富んでいますが、身近な話題が結構多いかも。中には前回のテーマを引き継いで書いている部分があって、自身の「引越し」について6回(「引越しグラフィティ」)、これは、この人、神戸から上京後は相当回数の転居をしているわけで、このテーマについては複数回に及ぶ理由が解りますが、電車の切符を失くさないようにするにはどうすればよいかということについてが4回(「電車とその切符」)、挿画の安西水丸氏を困らせるためにと選んだという「豆腐について」が4回と、どうでもいいようなことを何度も掘り下げていて、でも、水増ししているとかお茶を濁しているという感じは無く、面白いんだなあ、何れも。

 やはり優れた作家というのは、何事についても様々な観点から論を展開することができるということでしょうか(これは三島由紀夫が言っていたことだが)。と言っても、そう仰々しく構えるというようなものでは無く、例えば「フリオ・イグレシアスのどこが良いのだ!」というタイトルで2回書いていて、安西水丸氏の挿画との相乗効果で噴出すような内容。他にも、そういった笑いどころが多くあります。

吉行 淳之介.jpg 「僕の出会った有名人」というタイトルでの4回の中の1つに吉行淳之介のことが書かれていて(吉行淳之介は著者が文芸誌の新人賞をとった時の選考委員)、「我々若手・下ッ端の作家にとってはかなり畏れおおい人」、「吉行さんのそばにいる時は僕は自分からほとんど何もしゃべらないようにしている」と。でも、しっかりその立ち振る舞いを観察して感心しています(後にプリンストン大学で吉行の中篇を素材とした講義をしている)。

 ノーベル文学賞候補と目される人がこんな本も書いているという事実も面白いけれども、この作家の発想法やイマジネーションの原点のようなものを探るうえでも、個人的には興味深いものがあります。

 因みに、著者が文章を書き、安西水丸氏がイラスト(挿画)を描いている本は、「文・村上春樹/絵・安西水丸」といった作者名の表記になることが多いのですが、この『村上朝日堂』は、「付録」の2編「カレーライスの話」と「東京の街から都電のなくなるちょっと前の話」は、安西水丸氏が文を書き、村上春樹氏が挿絵を描いているため、「村上春樹/安西水丸」となっています。

 【1987年文庫化[新潮文庫]】

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原作は、マリリン・モンローと自分自身を念頭に置いて描いているように思える。

ティファニーで朝食を.jpg ティファニーで朝食を 文庫.jpg  ティファニーで朝食を パンフレット.jpg
ティファニーで朝食を』['08年]/『ティファニーで朝食を (新潮文庫)』['08年]/Breakfast at Tiffany's(1961) - Moon River
First edition cover (1958)
Breakfast at Tiffany's 1958.jpgティファニーで朝食を(カポーティ).jpg 1958年春に出版された米国の作家トルーマン・カポーティ(Truman Capote, 1924-1984/享年59)の34歳の時の作品(原題は"Breakfast at Tiffany's")ですが、村上春樹氏の翻訳は新潮文庫旧版('68年)の龍口直太郎訳と比べるとかなり読みやすいのではないかと思いました。

 カポーティが小説家として一番ピークにあった頃の作品であるというのがよくわかり、駆け出し作家である「僕」が、捉えどころの無い奔放さを持ったホリー・ゴライトリーという女性に引き摺られていく感じが絶妙のタッチで描かれていて、いよいよホリーが去っていくといったやや気の滅入る場面でも、「彼女の出発する土曜日には、街はスコール顔負けの激しい雨にみまわれた。鮫が空中を泳げそうなぐらいだったが、飛行機が同じことをするのは無理だろう」なんて面白い表現があったりして、都会的というか、才気煥発というか、この辺りも村上氏と波長が合う部分なのだろうなあという気がします。

「ティファニーで朝食を」1.jpg  '61年にブレイク・エドワーズ監督により、オードリー・ヘプバーン主演で映画化されたため、お洒落な都会劇というイメージが強いように思いますが(「麗しのサブリナ」ではまだ控えめだったジバンシーとの衣装提携が、この作品ではまさに"全開"という感じだったし)、そうしたファッション面でのお洒落というのと、この原作のセンスはちょっと違うような...。

Marilyn Monroe and Truman Capote
Marilyn Monroe and Truman Capote.jpg 映画化に際してトルーマン・カポーティは、主人公のホリーをマリリン・モンローが演じるのが理想と考え、またモンローを想定して脚本を書くように脚本家にも依頼したものの、モンローの起用は彼女の演技顧問だったポーラ・ストラスバーグに反対されて見送られ、結局、ヘプバーンがホリーを演じることになったというのはよく知られている話です。
 個人的印象としては、この小説を書き始めた段階からカポーティはモンローと自分自身を念頭に置いて書いているように思え、モンローの気質を想定して読むと、スッキリとホリーのキャラクターに嵌るような気がします。

「ティファニーで朝食を」 3.jpg「ティファニーで朝食を」2.jpg 実際、ヘップバーンがティファニーの前でパンを食べるという映画の冒頭シーンで(タイトルのままだなあ)、観ていたカポーティが思わず椅子からずり落ちてしまったという逸話があるぐらいですから、相当イメージ違ったのだろうなあ。
 トルーマン・カポーティは、ノーマン・メイラーと並んで、モンローに袖にされた"片思い組"で、彼は背が低くて、モンローの好みの対象外だったし、しかもバイ・セクシュアル、本質的にはホモ・セクシュアルだったとも言われています。

 この作品でトルーマン・カポーティは、世間の常識に囚われない天真爛漫な女性(若干、双極性障害(躁うつ気質)乃至境界性人格障害気味?)を生き生きと描く一方、その相手をする作家である男(要するに自分自身)を、彼女に振り回されるばかりの情けない存在として、やや自嘲的、乃至は被虐的と思えるまでに描いていますが、この点も、村上春樹氏が指摘するように、映画でジョージ・ペパードが演じた作家が、しっかりとホリーを受け止めているのとは異なり、映画化において改変された点と言えます。

BREAKFAST AT TIFFANY'S.jpgティファニーで朝食を dvd.jpg 結局、小説のホリーは最後ブラジルかどこかへ行ってしまうのですが、この結末はむしろモンローに相応しく、映画では、名無しの飼い猫を一旦放してまた引き戻す点はほぼ同じですが、海外への高飛びは無く、それまで自我むき出しで尖がっていたホリーが、最後は人間の優しさを感じるちょっと普通の女性になったかなあという、オードリー・ヘプバーンに相応しい結末に改変されていたように思います。

映画『ティファニーで朝食を(POSTER)《PPC009》』ポスター/ヘップバーン主演(輸入版)/「ティファニーで朝食を [DVD]

 「ムーン・リバー」はヘンリー・マンシーニの最大のヒット曲と言ってよく、映画としてはいい作品だと思いますが(ミッキー・ルーニー演じるユニオシなる奇妙な日本人大家はいただけないが)、もしかして、カポーティはモンローが、この映画のヘプバーンのように自分の懐へ飛び込んでくることを夢想していたのではないかとも思ったりして。

 村上氏も「映画は映画として面白かった」としながらも、新訳の刊行にあたって、表紙に映画のスチールだけは使わないで欲しいと要望したそうですが(新潮文庫旧版ではモロ、映画スチールを使っている)、映画と切り離して読んで欲しいというのはよくわかるし賛成ですが、だからといって"ティファニーブルー"のカバーにするというのもどうなのでしょうか(出版社側の意向だと思うが)。この、言わば"高級コールガール"を主人公にした小説及び映画が、"高級宝石店"ティファニーの知名度アップに大いに寄与したことは間違いないと思うのですが、それはもう過去の事。今回の場合は出版社側がタイアップ効果を狙っているということなのか。

ティファニーで朝食を 01.jpgティファニーで朝食を 00.jpg「ティファニーで朝食を」●原題:BREAKFAST AT TIFFANY'S●制作年:1961年●制作国:アメリカ●監督:ブレイク・エドワーズ●製作:マーティン・ジュロー/リチャード・シェパード●脚本:ジョージ・アクセルロッド●撮影:フランツ・プラナー●音楽:ヘンリー・マンシーニ●原作:トルーマン・カポーティ●時間:114分●出演:オードリー・ヘプバーン/ジョージ・ペパード/パトリシア・ニール/バディ・イブセン/マーティン・バルサム/ホゼ・ルイス・デ・ビラロニア/ミッキー・ルーニー●日本公開:1961/11●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(85-11-03) (評価:★★★☆)●併映:「めぐり逢い」(レオ・マッケリー)

fred.jpg cat.jpg

HIM: Holly (Jenovia), I'm in love with you.
ME: So what?
HIM: So WHAT? SO PLENTY! I love you. You belong to me.
ME: No. People don't belong to people.
HIM: Of course they do.
ME: Nobody is going to put me in a cage..
HIM: I want to love you.
ME: IT'S THE SAME THING.
HIM: No, it's not Holly! (Jenovia)
ME: I'm not Holly, I'm not Lulamae either. I don't know who I am.
I'm like cat here. A no name slob. We belong to nobody and nobody belongs to us. We don't even belong to each other.
Stop the cab.
What do you think?
This ought to be the right place.
For a tough guy like you--Garbage cans, rats galore.
(MEOW)
SCRAM!
I SAID TAKE OFF! BEAT IT!
Lets go.
(Thunder)
HIM: Driver, pull over here.
You know whats wrong with you, Miss Whoever-You-Are?
You're CHICKEN. YOU GOT NO GUTS. You're afraid to say "O.K. life's a fact."
People DO fall in love. PEOPLE DO BELONG TO EACH OTHER, BECAUSE THATS THE ONLY CHANCE ANYBODY'S GOT FOR REAL HAPPINESS.
IMG_4917.JPGYou call yourself a free spirit, a wild thing.
You're terrified someone is going to stick you in a cage.
Well Baby, you're already in that cage.
You built it yourself.
And it's not bounded by Tulip, Texas or Somaliland.
It's wherever you go.
Because no matter where you run, you just end up running into yourself.
END SCENE.

【1968年文庫化[新潮文庫(龍口直太郎訳)]/2008年再文庫化[新潮文庫(村上春樹訳)]】

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グレート・ギャツビーの"グレート"は反語である前にその通りの意味もあったのではないかと。
グレート・ギャツビー.jpg グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) 和田誠.jpg グレート・ギャツビー 野崎訳.jpgグレート・ギャツビー 新潮文庫2.jpg 翻訳夜話.jpg
愛蔵版グレート・ギャツビー』 『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』(装幀・カバーイラスト:和田 誠)/『グレート・ギャツビー (新潮文庫)』(野崎孝:訳)/村上 春樹・柴田 元幸『翻訳夜話 (文春新書)

First edition cover (1925)
The Great Gatsby.jpg 1920年代初頭、米国中西部出身のニック・キャラウェイは、戦争に従軍したのち故郷へ帰るも孤独感に苛まれ、証券会社でフランシス・スコット・フィッツジェラルド.jpg働くためにニューヨーク郊外ロング・アイランドにある高級住宅地ウェスト・エッグへと引っ越してくるが、隣の大邸宅では日々豪華なパーティが開かれていて、その庭園には華麗な装いの男女が夜毎に集まっており、彼は否応無くその屋敷の主ジェイ・ギャツビーという人物に興味を抱くが、ある日、そのギャツビー氏にパーティに招かれる―。

 1925年に出版された米国の作家フランシス・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald、1896‐1940/享年44)の超有名作品ですが、ニックがパーティに出てみると、参加者の殆どがギャツビーについて正確なことを知らず、ニックには主催者のギャツビーがパーティの場のどこにいるかさえわからない、しかし、たまたま自分の隣にいた青年が実は...なんてところから、ニックとギャツビーの交遊が始まるという初めの方の展開が単純に面白かったです。

 しかし、この小説、中間部分は今一つ波に乗れなかったというか、自分が最初に読んだのは野崎孝(1917‐1995)訳『偉大なるギャツビー』でしたが、今回、翻訳のリズムがいいと評判の村上春樹氏の訳を読んでも、若干の中だるみ感は拭えませんでした(金持ち同士の恋の鞘当てみたいな話が続き、その俗っぽさがこの作品の持つ1つの批判的テーマであると言えるのだが...)。
 但し、ギャツビーという人物の来歴と、彼の自らの心の空洞を埋めようとするための壮大な計画が明かされていく過程は、やはり面白いなあと―。そしてラスト、畳み掛けるようなカタストロフィに―と、小説としての体裁もきっちりしていることはきっちりしています。

 ギャツビーにはモデルがいるそうですが、ニックとギャツビーのそれぞれがフィッツジェラルドの分身であり(ついでに言えば、妻に浮気されるトム・ブキャナンも)、そしてフィッツジェラルド自身が美人妻ゼルダ(後に発狂する)と高級住宅地に住まいを借りてパーティ漬けの派手な暮らしをしながら、やがて才能を枯渇させてしまうという、華々しさとその後の凋落ぶりも含めギャツビーと重なるのが興味深いですが、これはむしろ小説の外の話で、ニックの眼から見た"ギャツビー"の描写は、こうした実生活での作者自身との相似に反して極めて冷静な筆致で描かれていると言ってよいでしょう。

『グレート・ギャツビー』 (2006).JPG 新訳というのは大体読みやすいものですが、村上訳は、ギャツビーがニックを呼ぶ際の「親友」という言葉を「オールド・スポート」とそのまま訳したりしていて(訳していることにならない?)、日本語でしっくりくる言葉がなければ、無理して訳さないということみたいです(柴田元幸氏との対談『翻訳夜話』('00年/文春新書)でもそうした"ポリシー"が語られていた)。但し、個人的には、「オールド・スポート」を敢えて「親友」と訳さなかったことは、うまく作用しているように思いました。

 そうした意味では、タイトルを『グレート・ギャツビー』としたこともまた村上氏らしく、この"グレート"というのは反語なのだなあと。

『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』(2006)

 但し、野崎訳も'89年の「新潮文庫」改訂時に『グレート・ギャツビー』に改題していて、故・野崎氏に言わせれば、フィッツジェラルドは、親から受け継いだ資産の上に安住している金持ち階級を嫌悪し(作中のブキャナン夫妻がその典型)、自らの才覚と努力によって財を成した金持ち(ギャツビーがこれに該当)には好意と尊敬の念を抱いていたとのこと('74年版「新潮文庫」解説)。だから、"グレート"というのは反語である前に、敬意も込められていると見るべきなのでしょう。

日はまた昇る.jpg 村上氏はこの作品を"生涯の1冊"に挙げており、同じ"ロスト・ジェネレーション"の作家ヘミングウェイ『日はまた昇る』(この作品とシチュエーションが似てい翻訳夜話2.jpgる面がある)より上に置いていますが、傑作であるには違いないものの、個人的にはそれほどダントツにスゴイ作品なのかなあという気もしてしまいます。 

 因みに、先に挙げた『翻訳夜話』は、柴田氏と村上氏が、東京大学の柴田教室と翻訳学校の生徒、さらに6人の中堅翻訳家という、それぞれ異なる聴衆に向けて行った3回のフォーラム対談の記録で、村上氏は翻訳に際して「大事なのは偏見のある愛情」であると言い、柴田氏は「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と言っています。

 レイモンド・カーバーとポール・オースターの短編小説を二人がそれぞれ「競訳」したものが掲載されていて、カーバーの方は村上氏の方が訳文が長めになり、オースターの方は柴田氏の方が長めになっているのが、両者のそれぞれの作家に対する思い入れの度合いを反映しているようで興味深かったです。

グレート・ギャツビー (愛蔵版).jpgグレート・ギャツビー 村上春樹翻訳ライブラリー2.jpg【1957年文庫化[角川文庫(大貫三郎訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[早川文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[新潮文庫(野崎孝訳『偉大なるギャツビー』)・1989年改版(野崎孝訳『グレート・ギャツビー』)]/1978年再文庫化[旺文社文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1978年再文庫化[集英社文庫(野崎孝訳『偉大なギャツビー』]/2006年新書化[中央公論新社・村上春樹翻訳ライブラリー(『グレート・ギャツビー』]/2009年再文庫化[光文社古典新訳文庫(小川高義訳『グレート・ギャツビー』)】[左]『愛蔵版グレート・ギャツビー』(2006/11 中央公論新社)/[右]『グレート・ギャツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)』(2006/11 中央公論新社)(共に装幀・カバーイラスト:和田 誠


グレート・ギャツビー 新潮文庫im.jpg華麗なるギャツビー 1974  .jpg「華麗なるギャツビー」(1976年/米) 監督:ジャック・クレイトン、出演:ロバート・レッドフォード/ミア・ファロー /ブルース・ダーン/ サム・ウォーターストン/スコット・ウィルソン/ カレン・ブラック/ロイス・チャイルズ/パッツィ・ケンジット/ハワード・ダ・シルバ/ロバーツ・ブロッサム/キャスリン・リー・スコット

新潮文庫(野崎孝訳)映画タイアップ・カバー(レッドフォード版・ディカプリオ版)

グレート・ギャツビー 新潮文庫2.jpgグレート・ギャツビー 映画.jpg「華麗なるギャツビー」(2013年/米) 監督:バズ・ラーマン、出演:レオナルド・ディカプリオ/トビー・マグワイア/キャリー・マリガン/ジョエル・エドガートン/アイラ・フィッシャー/エリザベス・デビッキ

華麗なるギャツビー 2013 _1.jpg
  

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映画も怖かったが、映画ではそぎ落とされてしまった独特の怖さが原作にはある。

シャイニング(上).gifシャイニング(下).gif シャイニング(下)映画.gifシャイニング(上)映画.gif シャイニング〈新装版〉 上.jpgシャイニング〈新装版〉 下.jpg  The scrap.jpg
シャイニング (1978年) 』 初版(上・下)/パシフィカ 1980年改装版 (上・下)(映画タイアップ・カバー)/『シャイニング 上』 ['08年/文春文庫 新装版]/村上春樹『'THE SCRAP'―懐かしの1980年代』(装丁:和田 誠

The Shining.bmp コロラド山中にある「オーバールックホテル」は冬の間閉鎖されるリゾートホテルで、作家志望のジャックはその妻と息子と共にホテル住み込みの冬季管理人としてやってきたが、そのホテルでは過去に、管理人が家族を惨殺するという事件が起こっていた―。

THE SHINING3.jpg 1977年に書かれたスティーヴン・キング(Stephen Edwin King, 1947- )の長編第3作(原題:"THE SHINING")で、この人のホラー小説は、後期のものになればなるほど「何でもあり」Stephen King.jpgみたいになってきていて、どちらかというと初期のものの方がいいような気がしていますが(TVドラマの「デッド・ゾーン」はそう悪くないと思うが)、その中でもこの作品はやはり記念碑的傑作と言ってよいのではと思います。
Stephen King

シャイニング  00.jpg スタンリー・キューブリック(1928-1999/享年70)の監督・製作・脚本による映画化作品('80年/英)の方を先に観ましたが、映画の方も、イギリスの学者によると数学的に計算すると世界最高のホラー映画になるとのこと(根拠よくわからないが)、確かに、家族を殺し自殺したホテルの前任者の霊にとりつかれた主人公が、タイプに向かって"All work and no play make Jack a dull boy "(働かざるもの食うべからず)と打ち続けるシーンは、映画のオリジナルですが怖かったです(それにしてもシェリー・デュバルは恐怖顔がよく似合う女優だ)。

THE SHINING2.jpg 但し、原作では、ホテル自体が邪悪な意志のようなものを宿し、それに感応する能力を持つ5歳の息子の(内なる)異界との交流がかなりのページを割いて描かれているのに対し、映画は、ジャックが閉塞状況の中で神経衰弱になり狂気に蝕まれていく様に重点が置かれており、ジャック・ニコルソンの演技自体には鬼気迫るものがあるものの、そこに至る過程は、書けない作家の単なるノイローゼ症状の描写みたいになってしまっている感じもしなくもないです。

シャイニング s.jpg 最後に、生垣を走り回って...というのも映画のオリジナルで、独創性は感じられるものの原作を曲げていることには違いなく、これでは原作者のキングが怒るのも無理からぬこと。

シャイニング es.jpg 劇場予告編で、ホテルの過去の歴史を暗示すべく、双子の少女をモチーフにした怖〜いイメージ映像がありましたが、これは本編では違った使われ方になっていて、こうした取ってつけたようなやり方もルール違反ではないかなあ。

creepshow (1982).jpgcreepshow .jpg キングはキューブリックに対して「あの男は恐怖の何たるかを知らん」とくそみそにこきおろした末に、「クリープ・ショー」というオムニバス・ホラー・ムビーの脚本を自分で書き、自らも出演したほか、「シャイニング」も自分で脚本を書き下ろして製作総指揮を務めTV版に作り直していますが、どういうわけか共に評判は今一だったようです。

"creepshow" (1982)

THE SCRAP80.JPG村上春樹 09.jpg キングの「クリープ・ショー」の失敗を指して作家の村上春樹氏が、「恐怖小説作家が真剣に恐怖とは何かと考えはじめたり、ユーモア小説作家が真剣にユーモアとは何かと考えはじめたりすると、物事はわりにまずい方向に流れちゃうみたいである」と『'THE SCRAP'―懐かしの1980年代』('87年/文藝春秋)に書いています。まあ、何となく当たっているような気がします。

村上春樹『'THE SCRAP'―懐かしの1980年代』(装丁:和田 誠

 因みにこの『'THE SCRAP'』という本の中身は、スポーツ雑誌「ナンバー」に連載されたもので、アメリカの雑誌や新聞に掲載された記事やコラムをネタに、村上春樹流にコラムとして再構成した感じの本ですが、アメリカナイズされている感性の持ち主であるとも言われる彼の、アメリカ文化に関する「元ネタ帳」みたいで興味深いです。雑誌連載期間は'82年春から'86年2月にかけてで、単行本刊行は'87年。「懐かしの1980年代」とサブタイトルにありますが、80年代前半、彼が33~37歳の頃に、当時の雑誌から"リアルタイム"での様々な出来事、流行事をピックアップして書いているわけであって、その際に話が更に遡ることもあるけれど、基本的には、過去を振り返った回想記ではないです。でも、結構、「アメリカ文化オタク」みたいで面白かったです。

THE SHINING4.jpg「シャイニング」●原題:The Shining●制作年:1980年●制作国:イギリス・アメリカ●監督・製作・脚本:スタンリー・キューブリック●音楽:ベラ・バルトーク●原作:スティーヴン・キング「シャイニング」●吉祥寺東亜.jpg時間:140分●出演:ジャック・ニコルソン/シェリー・デュヴァル/ダニー・ロイド/スキャットマン・ クローザース/バリー・ネルソン/フィリップ・ストーン/ジョー・ターケル/アン・ジャクソン●日本公開:1980/12●配給:ワーナー・ブラザーズ●最初に観た場所:吉祥寺セントラル(83-12-04) (評価★★★)●併映:「時計じかけのオレンジ」(スタンリー・キューブリック )
吉祥寺スカラ座・吉祥寺オデヲン座・吉祥寺セントラル・吉祥寺東宝
吉祥寺セントラル・吉祥寺スカラ座.jpg吉祥寺セントラル内.jpg吉祥寺セントラル 1954(昭和29)年、吉祥寺駅東口付近に「吉祥寺オデヲン座」オープン。1978(昭和53)年10月、吉祥寺オデヲン座跡に竣工の吉祥寺東亜会館5階にオープン(3階「吉祥寺スカラ座」、2階「吉祥寺アカデミー」(後に「吉祥寺アカデミー東宝」→「吉祥寺東宝」)、B1「吉祥寺松竹オデヲン」(後に「吉祥寺松竹」→「吉祥寺オデヲン座」)。 2012(平成24)年1月21日、同会館内の全4つの映画館を「吉祥寺オデヲン」と改称。2012(平成24)年8月31日、地下の前・吉祥寺オデヲン座(旧・吉祥寺松竹)閉館。 

吉祥寺東亜会館
吉祥寺オデオン.jpg 吉祥寺オデヲン.jpg

 【1986年文庫化・2008年新装版[文春文庫]】

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ファンでも人によって作品ごとに好き嫌いがかなり割れそうなラインナップでは?

村上 春樹 『東京奇譚集』.jpg 東京奇譚集.jpg    東京奇譚集2.jpg 
東京奇譚集』(2005/09 新潮社)/新潮文庫['07年]

 編集者で辛口批評家でもあった安原顕氏が、『ダンス・ダンス・ダンス』('88年/講談社)以降の村上春樹の小説を認めず、『ねじまき鳥クロニクル』('94年/新潮社)なども初期作品に比べまったく駄目だと酷評していたのに、連作スタイルの『神の子どもたちはみな踊る』('00年/新潮社)が出た途端に、「どえらい傑作」「十数年ぶりの感動!」と、その書評集『「乱読」の極意』('00年/双葉社)において絶賛していました。『羊をめぐる冒険』('82年/講談社)以降の著者の著者の小説(長編)に馴染めないでいる自分も、本書を読み始めて、その時の安原氏と同じような状況になるかなと一瞬期待感を持ったりしました(本書は長編小説ではなく、表題どおりアンソロジーですが...)。

 「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、「品川猿」の5編を収録していますが、エッセイ風の書き出しで始まる冒頭の「偶然の旅人」が良かったです。

 知人のピアノ調律士から聞いた話というスタイルで、ゲイである彼が1冊の海外小説を通して偶然知り会った女性がきっかけで、過去に 断ち切れたある絆を回復するのですが、ミステリアスで且つ味わいがあります。最後に著者の視点に戻って(つまりエッセイ風の視点で)「神様」という言葉が出てきますが、志賀直哉の「小僧の神様」について、作者こそ「神様」であることを示したのではないかという見方があることを思い出しました。

 「どこであれ...」はタイトルやスタイルに翻訳モノ(探偵小説)の味わいがあり、最後の「品川猿」も悪くない(「地下鉄銀座線における大猿の呪い」という著者のエッセイを思い出した)。

 '06年にオコナー賞を受賞した著者ですが、その対象となった英訳短編集にも収録されていたこの「品川猿」などを筆頭に、村上春樹のファンでも人によって作品ごとに好き嫌いがかなり割れそうなラインアップという感じがして、個人的にも、「日々移動する腎臓...」などは、全然イイとは思わなかったのですが、まだ短篇の方が長編小説よりも自分の肌に合うのか、アンソロジーを読むと、その中に幾つかアタリが確実にあるという感じでしょうか。

 【2007年文庫化[新潮文庫]】

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物語が物語として成立していないような気がした。

海辺のカフカ 上.gif 海辺のカフカ下.gif 海辺のカフカ 全2巻 完結セット _.jpg  アフターダーク.gif アフターダーク 文庫.jpg
『海辺のカフカ』 単行本(上・下) 『海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)』  『アフターダーク』('04年/講談社) 『アフターダーク (講談社文庫)』(装丁:和田 誠/写真:稲越功一)

 15歳の少年カフカと猫と話ができる老人ナカタさんの話が並行して進んでいくあたりでは期待感を持って読んでいたのですが、ジョニー・ウォーカーやカーネル・サンダースが出てくると、これはステーブン・キングの本かと思ってしまうような雰囲気になり、空から魚が降ってくる場面に至っては、メタファーというより、ただ唐突な印象を受けました。

 大島さんという捉えどころの無い女性の対極に、ホシノさんという気のいいリアリティのある人物を配していたり、そのあたりがまた『源氏物語』に登場する生霊や夏目漱石の『坑夫』などのイメージとパラレルになっていたりする複雑な文学的伏線があるようで、"力作"という印象さえ受けるのですが、個人的には、まず物語(少年が大人になる話?)が物語として充分に成立していないのではないかという気がしました(大人になれたのかよくわからない)。

 本書出版直後に公式ホームページで読者とやりとりをした往復メールをネットで閲覧しましたが、自分なりに深読みして納得してくれる読者は大勢いるようです(この内容は『少年カフカ』('03年/新潮社)という本になって出版されています)。

となりのカフカ.jpg 一般読者だでけでなく、関川夏央、川上弘美といった読書子が'02年の文芸小説ベスト3に挙げていて、海外でも、今までのムラカミの小説同様、一般の読者の高い評価を得ているようです。一方で、「これを最後まで読むのは正直辛かった」とういう日本の評論家(川本三郎)もいますが、自分の感想もそれに近いものでした。

 『となりのカフカ』(池内紀著/'04年/光文社新書)という本に"海辺のカフカ"の写真があり、要するにフランツ・カフカが海水浴場にいるスナップ写真ですが、意外とこんなものがタイトル・モチーフになっていたりして...。
池内紀 『となりのカフカ (光文社新書)』 ['04年]

 
 本作の次の長編『アフターダーク』('04年/講談社)も読みましたが、こちらの方はメタファーを排して、カメラ目線で東京の夜を追った物語でしたが、こうなると今度は翻訳調の会話文以外は著者らしさも無くなってしまい、通俗(風俗?)小説のようになってしまう...(評価★★☆)。毎回、果敢に〈文学的実験〉を試みているのは立派かも知れませんが、それにファンもよくついていくなあと感心。自分としては、著者のエッセイは好きですが、「長編小説」に関してはある時期からずーっと、「村上春樹よ、どこに行く?」という感じがしています。

 『海辺のカフカ』...【2005年文庫化[新潮文庫(上・下)]】/『アフターダーク』...【2006年文庫化[講談社文庫]】

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楽しい珍道中もあり、熱い感動もあるシドニー・オリンピック取材記。

シドニー.gif 『シドニー!』('01年/文芸春秋)シドニー0.jpg シドニー1.jpg 講談社文庫 (上・下)〔'04年〕

 雑誌「ナンバー」に連載した'00年のシドニー・オリンピックの取材記ですが、オリンピックというもの自体に懐疑的で、競技としては最初から〈マラソン〉と〈トライアスロン〉にしか興味が無い著者は、むしろ競技場の外で見聞きしたものに対する記述に余念がありません。

 わざわざシドニーから1,000キロも離れたブリスベンまで見に行ったサッカーにしても、試合そのものより往復の"珍道中"とでも言うエピソードを楽しく書いています。しかし、やはりこれだけの質と量のものを短期間に書き上げる筆力はさすがだと思いました(著者自身も初めてのことだったようですが)。

 オリンピック取材に行って、地元紙のオリンピックに全然関係ない三面記事に言及したり、コアラの生態のことを事細かく書く人もあまりいないと思いますが、オーストラリアという国の歴史や先住民族アボリジニーについて丹念に書いた人もあまりいなかったのではないでしょうか。

シドニー!0609.jpg 高橋尚子が優勝した女子マラソンの描写にはさすがに熱が入っていますが、アボリジニー出身の陸上選手キャシー・フリーマンの女子4百メートル決勝の描写では、それ以上に筆致が冴えわたり、読む者を感動させます。

 結果的には、スポーツ雑誌「ナンバー」のコンセプトに沿ったかたちになりましたが、むしろ著者自身のスポーツマインドから来る感動が熱い言葉となってほとばしったと見るべきでしょうか。この著者にしては珍しいと思いました。

 【2004年文庫化[文春文庫(「コアラ純情篇」・「ワラビー熱血篇」全2巻)]】

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のんびり読めるアメリカ学園都市滞在"絵日記"。

うずまき猫のみつけかた4.jpg うずまき猫のみつけかた 安西水丸.jpg  村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫).jpg 
うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル』['96年/新潮社]/新潮文庫
表紙絵・挿画/安西水丸

MA.gif 前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)に続く著者の〈アメリカ滞在記〉ですが、居所をプリンストンからマサチューセッツ州ケンブリッジ(人口10万ほどの都市で、学園都市として知られている)に移しています。

Tufts University.jpg 著者は'93年から2年間この地に滞在していて、タフツ大学での講義に際して漱石など日本の近代小説を読み直したり、英文小説を読んだり翻訳したり、また、自らの小説を書いたり、ボストンマラソンに出たりといろいろ精力的に活動しているのが窺えますが、滞在記としての文体そのものは、「村上朝日堂ジャーナル」と冠している通り、適度に軽いタッチ("ハルキ調")となっています。 Tufts University

うずまき猫のみつけかた0598.jpg エッセイとしては前々作である『遠い太鼓』('90年/講談社)でもそうですが、このあたりの軽妙さは同じ時期に書いていた長編小説と補完関係にあるようです(『ねじまき鳥クロニクル』の後半部を書いている時期だと思うのですが)。

mizumaruart2.jpg 村上氏の奥さん(村上陽子氏)撮影のケンブリッジ界隈や街のノラ猫を撮った写真(見ていると何だかのんびりした気分になる)と、安西水丸氏のイラストと、その両方を文章と合わせて楽しめます。
 奥さんとのコラボレーションは、大江健三郎氏のエッセイ(大江ゆかり氏の挿画が入ったもの)を想起させました。

 途中、中国モンゴルと千葉の千倉海岸を旅行していて、いきなり千倉海岸の海の家の写真が出てくるかと思えば、滞在中に足を伸ばしたジャマイカの海辺の写真があったりしますが、不思議と違和感がありません。

 初版本には"専用しおり"がついていましたが、そこにある水丸氏の絵は子どもの絵日記によくある絵のようにも見え、本全体のコンセプトも"絵日記"といったところでしょうか
 「車盗難事件」など小事件はあったものの、ケンブリッジは静けさに満たされた、本当に「学園都市」という感じで、著者も「のんびり読んで」とあとがきで言っています。
 こういうのを読んでいると、一方で長編小説と格闘している作家の姿は見えないし、見せないのがこの作家の基本スタイルなのでしょう。

うずまき猫のみつけかた3.bmp 村上朝日堂シリーズの1冊であるのに、安西水丸氏の名前が表紙にないのは何故? 2008年の単行本新装版では「村上朝日堂ジャーナル」という冠も外しているところからすると、前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)の系譜に連なるものとして再整理されたのではないでしょうか。

単行本新装版(2008年)

 【1999年文庫化[新潮文庫]/2008年単行本新装版】

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吉行淳之介作品の"再翻訳"作業に見る「面白うて、やがて哀しき...」。

やがて哀しき外国語.jpg やがて哀しき外国語 2.jpgやがて哀しき外国語』〔'94年〕 やがて哀しき外国語2.jpgやがて哀しき外国語(講談社文庫)』〔'97年〕(表紙イラスト:安西水丸
NJ.gif
 前作『遠い太鼓』('90年/講談社)が旅行滞在記であったのに対し、このエッセイはニュージャージー州プリンストンに'91年から2年半腰を落ち着け(後半の1年はプリンストン大学で日本文学を教えるのですが)、アメリカの社会と文化の中での生活を描き、それらを通して、日本および日本人、さらには日本文学や日本語について考察したものになっています。と言っても基調にあるのは生活者の視点で、日々の出来事などが独特の文体で軽妙に綴られている部分も多く、楽しく読めます。

Princeton University.jpg プリンストン大学で日本文学を教えるにあたり"第三の新人"を選んだことに興味を持ちました(因みにプリンストン大学は、かつて江藤淳が留学して後に教鞭をを執った大学であり、また、村上春樹の後は大江健三郎も同大学の客員講師として招かれている)。

Princeton University

 吉行淳之介の「樹々は緑か」(「砂の上の植物群」の習作)の英訳版を読んで「クラシック音楽の古楽器演奏にも似た」面白みがあるとしています。さらにその英訳版を日本語に、「帰国子女的」に再翻訳して(ここでも面白がっている)、自らの訳文を原文と比較をしていますが、この作業を通して日本語と外国語の埋めようもない溝を浮き彫りにしています(やがて哀しき...か)。

 プリンストン滞在中に書かれた小説が『国境の南、太陽の西』('92年/講談社)『ねじまき鳥クロニクル』('94年/新潮社)などであり、プリンストン大学での講義内容は、『若い読者のための短編小説案内』('97年/文藝春秋)に反映されています。

 小説書きながらエッセイもしたため、大学で講義もし、またその内容を本にする...精力的かつ効率的だなあと感心させられます。こうしたペースを維持する場合、日本の大学で教えるよりは海外の大学で教えるのがいいのでしょう。夏目漱石が、早く小説書きに専念したくて、大学に何度も辞職願を出しながら、なかなか辞めさせてもらえなかったという話を思い出しました。春樹氏の方は、'05年から米国のハーバード大学で教えていますが、今度も同様、(講義をしながら執筆活動もする)「ライター・イン・レジデンス」という立場のようです(そう言えば、江藤淳もプリンストン大学で教鞭をとりつつ文筆活動を続けていた)。

 【1997年文庫化[講談社文庫]】

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ギリシャの鄙びた島々での暮らし、人々と触れ合いが楽しい。

遠い太鼓.jpg遠い太鼓1.jpg  『遠い太鼓』〔'90年〕遠い太鼓2.jpg遠い太鼓 (講談社文庫)』〔'93年〕

 村上春樹が37歳から40歳までの3年間を、イタリア、ギリシャの各所で過ごした際の旅行滞在記で、時期的にはちょうど『ノルウェイの森』('87年/講談社)などを書いていた頃と重なります。

 著者のエッセイの中で、個人的には特に良いと思った作品です。この旅行記における自らの立場を、観光的旅行者でも恒久的生活者でもなく、「常駐的旅行者」だったとしています。イタリア、ギリシャの各所を旅してそこで暮らすことで、当然様々な不便やトラブルに遭遇するわけですが、それらと向き合い対処していく様には、求道者的な姿勢さえ感じます。

遠い太鼓0602.jpg しかし全体としては軽妙な"ハルキ調"が随所に見られ、「地球の歩き方」の上級編、ユーモア版のようにも読めてしまうのです。とりわけ、ギリシャの鄙びた島々での暮らしや人々との著者なりの触れ合いなどが読んでいて楽しかったです。クレタの"酒盛りバス"の話とかは、結構、と言うかムチャクチャ笑えました。一見気儘に書いているように見えて、それらが巧まずして(或いは"巧みに")地に足の着いた異文化論にもなっています。

 作家が海外で暮らすということはそれなりに理由があるはずですが、著者はあえて「ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。それは旅に出る理由としては理想的であるように僕には思える」としています。このあたりに、著者のスタイルを感じました。

 【1993年文庫化[講談社文庫]】

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だらだらと気楽に読め、ときどきニンマリさせられるシリーズ。

村上朝日堂はいほー.jpg村上朝日堂はいほー!』['89年/文化出版局] 村上朝日堂はいほー 文庫.jpg 新潮文庫(イラスト:安西水丸
 
 著者のエッセイシリーズ「村上朝日堂」は、だらだらと(?)気楽に読め、ときどきニンマリさせられるようなことが書かれている点が好きなのですが、本書も、「白子さんと黒子さんはどこに行ったのか?」とか、「村上春樹のクールでワイルドな白日夢」など、まずタイトルからして引きつけられます。

 「村上朝日堂」シリーズを初期のものから刊行順に並べると、ざっと次のようになります(『日出る国の工場』('87年/平凡社)も「新潮文庫」では一応このシリーズに入っているようです)。

 ◆『村上朝日堂』('84年/若林出版企画)'82〜'84年「日刊アルバイトニュース」連載
 ◆『村上朝日堂の逆襲』('86年/朝日新聞社)'85〜'86年「週刊朝日」連載
 ◆『村上朝日堂はいほー!』('89年/文化出版局)「ハイファッション」連載のエッセイが中心('83〜'88年)
 ◆『うずまき猫のみつけかた-村上朝日堂ジャーナル』('96年/新潮社)'94〜'95年「SINRA」連載
 ◆『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』('97年/朝日新聞社)'95〜'96年「週刊朝日」連載

 これを見ると、「週刊朝日」の「週刊村上朝日堂」の連載には著者の海外移住のため約10年のブランクがあり、本書『はいほー!』は、最後に日本で書いたエッセイ集というところでしょうか。雑誌掲載の35編から23編を選んでそれに他誌に書いたものなど8編を加えた31編で構成されていますが、連載の途中から「海外生活」に入ることになり、出発前の"一挙7本書き"というのもやったらしいです。

 「『うさぎ亭』主人」のような、行きつけの定食屋さんでぜんまいの煮物を食べた話のすぐ後に、ビリー・ホリデーの話や「チャールストンの幽霊」みたいな話がくるのが、この時期らしく、また著者らしいです。

The scrap.jpg シリーズの他の本が最初から安西水丸氏とのタッグなのに対し、本書単行本のイラストは高橋常政氏で(新潮文庫版では安西水丸氏)、これだけでも他と雰囲気が違ってくるのが面白いですが、体裁も 『'THE SCRAP'―懐かしの1980年代』('87年/文藝春秋)などと同じペーパーバックス(B6縦長変形)サイズで、エッセイの中に英文タイトルのものもあり、多少、『THE SCRAP』の雰囲気的に重なる部分もあります。

'THE SCRAP'―懐かしの1980年代

 このシリーズ、『村上朝日堂 夢のサーフシティー』('97年/朝日新聞社)以降、自らのホームページのコンテンツをまとめたスタイルになって、あまりにファンクラブ的になりすぎたような気もします。

 【1992年文庫化[新潮文庫]】

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村上・安西コンビの「工場」見学記。楽しく気軽に読める。

日出(いず)る国の工場 大.jpg日出(いず)る国の工場.jpg         日出(いず)る国の工場.jpg  『日出る国の工場 (新潮文庫)
日出(いず)る国の工場』 単行本 ['87年]  

小岩井農場IMG_0597.jpg '86(昭和61)年に、村上春樹がイラストレーターの安西水丸を伴って行った工場見学の記録。

 訪問先として選んでいる「工場」というのが、人体標本を作る会社だったり結婚式場だったり消しゴム工場だったりするのが面白く、ほのぼのとした中にも意外性や素直な驚きがあり、それは多分読者も共感するところで、そういうのを引き出す点が実にうまいのですが、このころからこの人にはインタビュアーとしての才があったのかもしれないと思わせるものです。

日出(いず)る国の工場 irasuto.jpg その「素直な驚き」とは、ある種の合理性に対する驚きのようなもので、カツラだって流行のモードだって経済合理性のなかで作られているというのだという村上氏の醒めた目線が窺えた気もします。

 一番印象に残ったのは、「経済動物たちの午後」と題された「小岩井農場」見小岩井農場IMG_0595.jpg学記で、ホルンスタインというのは、生まれた仔牛が牡(オス)であれば一部種牛になるものを除いて生後20ヶ月ぐらいで加工肉となり、牝(メス)牛も乳の出が悪くなればすぐに加工肉となるので、寿命を全うすることは無く、まさに"経済動物"であるという...なんだか侘しいなあ。

 とは言え、安西水丸氏のどこかのんびりした挿画も楽しく、全体として気軽に読め、笑えるところも多いです。
 この本の前向きなタイトルからも察せられるとおり、この"明るさ"は、本書がバブル期の"いい時代"に出版されたものであるということもあるのでしょうけれど。
 さらに穿った見方をすれば、その中で著者は、"経済動物"に象徴される"消費される者の哀しさ"のようなものを見据えていたということでしょうか。

 【1990年文庫化[新潮文庫]】

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バーチャルな読書空間を提供している安西水丸氏のイラスト。

ランゲルハンス島の午後(村上春樹・安西水丸).jpgランゲルハンス島の午後2.jpg 単行本 ['86年/光文社] ランゲルハンス島の午後.jpg 『ランゲルハンス島の午後 (新潮文庫)』 (イラスト:安西水丸) 

ランゲルハンス島の午後(村上春樹・安西水丸)1.jpg '84(昭和59)年6月より、雑誌「CLASSY.」の創刊号から2年間、イラストレーターの安西水丸氏とともに連載した「村上朝日堂画報」に、表題作を加えたもの。

 海外のポップカルチャーから日本の街角で見かけたことや学生時代の思い出まで話題の範囲は広いのですが、肩のこらないショートエッセイが'60年代に対する郷愁を滲ませたような安西水丸のイラストと相俟って、心地良い読後感を与えるものとなっています。

 エッセイのタイトルのつけ方も、「洗面所の中の悪夢」とか「地下鉄銀座線における大猿の呪い」といったものまで、ググッと惹きつけるうまさを感じます。
 著者の有名な?造語である「小確幸」というタイトルの一文もあります(ただしこの言葉は、レイモンド・カーヴァーの"A Small, Good Thing"というの小説のタイトルに由来しているのだろうと思いますが)。 

ランゲルハンス島の午後0604.jpg 因みに「ランゲルハンス島」というのは、海に浮かぶ島の名前ではなく、すい臓の中にある"島"なので、地理の教科書ではなく、生物の教科書に出てきます。 
 美学における美的要素の1つとして「異質なものの組み合わせ」というのがあるそうで、シュールレアリズム絵画などはその典型ですが、著者はそういったことをさりげなくやってみせているという感じがします。

 安西水丸氏の見開きイラストの多くは、「机の上の静物」をカラフルに描いたものですが、これが読者に、ハルキ氏のエッセイを読むのにマッチした「バーチャルな読書空間」を提供しているのではないか、と思ったりしたのですがどうでしょうか。

 【1990年文庫化[新潮文庫]】

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過ぎ去った"時"を思い遣る。不思議と印象に残る「午後の最後の芝生」。

中国行きのスロウ・ボート obi.jpg中国行きのスロウ・ボート 文庫.jpg
中国行きのスロウ・ボート.jpg中国行きのスロウ・ボート』['83年](表紙イラスト:安西水丸
中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)』['86年]

 '80(昭和55)年〜'82(昭和57)年発表の7つの短篇からなる著者の最初のアンソロジーで、この間に、長編の方は『羊をめぐる冒険』('82年/講談社)が発表されています。

 表題作の「中国行きのスロウ・ボート」は、今まで出会った3人の中国人のことが想い出話として語られているややエッセイ風の短篇ですが、2人目のアルバイト先で知り合った中国人の女の子を、送り際に誤って山手線の反対回りの電車に乗せてしまったことから、修復できない溝が2人の間に露わになる話が、何だか誰にでもありそうな話だけに、切ないノスタルジーが感じられます。しかしノスタルジックでありながらも、"誤謬"は逆説的な欲望なのかと今も自問していたりする「僕」がいる―。
 
 1人目の中国人小学校の先生の話は、著者が神戸で体験したカルチャーショックのようなものがモチーフになっているような気がしましたが、最後の百科事典を売り歩く中国人の旧友の話まで読んで、中国人というより"他者"とのコミュニケーションの難しさを感じさせる話だなあと、しみじみした気分にも。

 自分の背中に"貧乏な叔母さん"が貼りついたというシュールな展開の「貧乏な叔母さんの話」や、ホテルで知り合った女性から、以前に飼い犬を埋葬し、また掘り起こしたという"トラウマ"話を聞くことになる「土の中の彼女の小さな犬」など、後の作品にも繋がる独特のメタファーや"死"の雰囲気が感じられますが、さほど大仰に思惟的でなく、むしろ、さらっと叙情的なのがいい。

Lawn.jpg 表題作よりも印象の残ったとよく言われる作品が「午後の最後の芝生」で、学生時代に"芝刈り"のアルバイトで、ある中年女性宅を訪れた際のことを、30代になって振り返る話ですが、娘の部屋や衣装棚を見せてどんな女の子なのかを「僕」に想像させるというアル中気味の女性が謎深い。結局その中年女性とは大して出来事らしい出来事も無く、それでいて確かに不思議と印象に残る作品、強いて言えば、過ぎ去った"時"というものへの想いが感じられる作品でした。

 逆算すると昭和40年代前半という時期設定ということになりますが、"芝刈り"のアルバイトというのがアメリカの小説っぽいなあ。

 【1986年文庫化[中公文庫]】

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