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後の『女のいない男たち』や映画「ドライブ・マイ・カー」に連なるものを感じた。
『レキシントンの幽霊』['96年]『レキシントンの幽霊 (文春文庫) 』['99年]
1996年に文藝春秋より刊行された短編集で(1999年、文春文庫として文庫化)、「レキシントンの幽霊」「緑色の獣」「沈黙」「氷男」「トニー滝谷」「七番目の男」「めくらやなぎと、眠る女」の7編を所収し、いくつかの作品は収録にあたり加筆されています(収録作品のうち「レキシントンの幽霊」を除く6作品すべてが英訳されている)。
「レキシントンの幽霊」... 小説家の僕が手紙を介して知り合ったケイシーは、レキシントンの屋敷に、ジェレミーというピアノの調律師と暮らしていた。ある時、僕はケイシーに家の留守番を頼まれる。ケイシーのロンドン出張と、ジェレミーの母親の看病が重なり、しばらく空き家になるからだ。留守番の初日、大勢がパーティをしているような物音で僕は深夜に目が覚める―。友達の家の留守番を頼まれ滞在することになった主人公が、真夜中のダンスパーティーに遭遇する恐怖。ゴシックホラーっぽいです。個人的には、映画「シャイニング」を思い出しました。
「緑色の獣」... 夫が会社に出かけた後、女は庭の木に語りかけて孤独を癒していた。ある時、その木の根元から緑色な獣がやってくる。女性は愛を語る異物を排除しようと想像上の暴力を奮う―。これはすべて女性の脳内で起きている出来事なのでしょう。結婚により理性を失いかけた女性の孤独と闇の深さ。ただ、メタファー系はあまり好みではないです。
「沈黙」... ボクシングジムに通う大沢さんの昔の話。穏やかに見える大沢さんがただ一度だけ、同級生の青木を殴ってしまった経験を語る。狡猾な青木は、根拠のない噂を広め、集団による排除という目に見えない暴力で大沢さんを傷つけた―。この「青木」という人物は、村上春樹の小説の登場人物は皆どれも似ているとよく言われる中では特異な方ではないでしょうか。その分、面白かったけれど、一人称でもよかったかな。「僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言い分を無批判に受け入れてそのまま信じてしまう連中です」という終わり方も、やけに社会性があり(本書に収録される前に、1993年3月、全国学校図書館協議会から「集団読書用テキスト」として発売された)、この短編集の中は特に印象に残りました。
「氷男」... 氷男は結婚してしたあと、妻の希望で旅をした南極で自分の世界を見つけて南極社会で幸せに暮らすようになるが、妻は言葉の通じない場所で孤独を深める―。またもメタファー系。結婚して女性が社会とのつながりを失って孤独になる痛みを描いえちます。氷男は、心を閉ざして自分語りをしないという男性性の象徴でしょうか。いずれにせよ、メタファー系は苦手です。
「トニー滝谷」... トニー滝谷は、結婚した妻が買い物依存症で、洋服を次々と買い漁り、部屋中が服でいっぱいになってしまったので、それを処分するように妻に話すと、彼女は服を売りに行った帰りに亡くなってしまう。彼は、他の女の人に仕事を頼んでまでしてその服を着せようとする―。要するに、愛する人の死を受け入れられない男の哀しみを、滑稽かつアイロニックに描いた寓話ということではないでしょうか。『文藝春秋』に掲載されたのはショート・バージョンで、1991年7月刊行の『村上春樹全作品 1979~1989』第8巻にロング・バージョンが収録され、本書に収められたのはロング・バージョン。2005年には市川準監督のもと映画化されています。
「七番目の男」... 子どもの頃、波に友達をさらわれてしまった傷を抱えながら生きてきた男の回想談。「何よりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります。私の場合には...それは波でした」―。トラウマに向き合うことでそれを乗り越えるという話はなかったでしょうか。
「めくらやなぎと、眠る女」... 耳が悪い従弟の少年の病院に付き添う僕は、過去に、友人と一緒に友人の彼女を見舞いに行ったことを思い出す。その女の子の話した奇妙な話とは―。〈女性の耳から入って中身を食い尽くす虫〉というのが気持ち悪いですが、、これも「緑色の獣」や「氷男」と同じく病んでいる女性の話なのでしょう。
全体を通して〈喪失〉がテーマやモチーフになっているものが多く、後の『女のいない男たち』('14年/文藝春秋)や、映画「ドライブ・マイ・カー」('21年)に連なるものを感じました。
【1999年文庫化[文春文庫]】