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田中小実昌をとりあげるなどして興味深いが、全体的に紙数不足?
『生きる歓び (新潮文庫)』 〔'03年〕 『田中小実昌 (KAWADE夢ムック文藝別冊)』 〔'04年〕
表題作の 「生きる歓び」は、妻と墓参り出かけた谷中で、生後間もない迷い猫に遭遇し、その仔猫は全盲かもしれず、結局、放っておけずに拾って面倒をみるという話で、身辺雑事を描いたエッセイみたいな感じですが、作者に言わせれば小説とのこと。
「私」の対象(仔猫)に対する思い入れさが、淡々とした文章の中にも感じられ、やがて小さな生命の復活を目の当たりにし、「私」自身が仔猫から感動を与えられているのがわかり、命や生きることについて哲学的考察もされています。
ただし、個人的には、「生」というものの相互作用のようなものを感覚的に感じとれたものの、それ以上深い考察に誘われることはなかった。というのは、エッセイとしても小説としても、そこまでいくには中途半端な紙数で終わっている感じだからです(もっとも、この人の小説はいつもプッツリ終わるものが多いのですが、表紙カバーに片目の猫の写真があるのを見ると、猫は何とか生き延びたみたい。猫好きの作家は多いが、誰か作品反映度のランキングつけた人いないのかな)。
併録(こっちの方が長い)の「小実昌さんのこと」は、田中小実昌(1925‐2000)の追悼文で、ほとんど事実のみを書いてあるそうですが、これも小説であるとのこと。
作者は、西武百貨店に勤務し、池袋コミュニティカレッジの企画の仕事とかをしていて、阿部和重や中原昌也らと並んで〈セゾン系〉と言われたりしているけれど、年齢が1回り違うという感じ。だから、田中小実昌さんが出てくる...。
でも、とぼけた味のエッセイで知られ、「11PM」とかに出演したりしていた小実昌さんの、作家としての部分にしっかり嵌っている感じがよく(彼の小説は独立教会の牧師の子に生まれたという特異な出自もあって、多分に宗教哲学的)、ただしこちらも、追悼文としては長いけれど、そのあたりのテーマになると、引用しているうちに紙数が尽きた感じも。
「ぼく」は、氏のもう一つの顔であるミステリ翻訳家として、自社のカルチャー・スクール講師に招聘するわけですが、その経緯やその後の関係が、よくある編者者と作家の付き合いなどとはまた違って興味深かったです。
西武っていい会社だなあと思いました。まあ、色んな人を講師に呼んだのだろうけれど、自分の趣意も容れてもらえて。
『草の上の食卓』の創作ノートによると、小説を書くために休職することを会社が認めてくれたらしいし(バブル期の話ですが)、それでも会社を辞めた(会社に対してキレたという話を聞いた)というのは、やっぱり働かされているという意識がどこかであったんだろうなあ。
【2003年再文庫化[新潮文庫]】