Recently in ヘミングウェイ Category

「●へ アーネスト・ヘミングウェイ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●ほ エドガー・アラン・ポー」 【2936】 エドガー・アラン・ポー 「モルグ街の殺人事件
○ノーベル文学賞受賞者(アーネスト・ヘミングウェイ) 「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ 「●さ行の外国映画の監督②」の インデックッスへ「●「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ(「老人と海」)「●は行の外国映画の監督②」の インデックッスへ 「●外国のアニメーション映画」の インデックッスへ 「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「○都内の主な閉館映画館」の インデックッスへ(東京アイマックスシアター)

男性原理、或いは"ハリウッド映画"に受け継がれるようなヒロイズム。

世界の文学 44 ヘミングウェイ.jpg老人と海/ヘミングウェイ 福田恆存・訳 新潮文庫.jpg   老人と海.jpg
世界の文学〈第44〉ヘミングウェイ (1964年)武器よさらば・老人と海・その他六編』['64年]/『老人と海 (1966年) (新潮文庫)』旧版/『老人と海 (新潮文庫)』 改版版

The Old Man And the Sea.jpg ヘミングウェイの代表作、且つ、生前に発表された最後の作品。最初に読んだのは中学生の時で、多少気負って読み始めたら、最初の老人と少年との会話の部分でいきなり野球の話などが出てきて、文学全集に収まるような作品にプロ野球(正確にはメジャーリーグだが)の話があるのがちょっと意外な印象を受け、結局今でもそのことが一番印象に残っていたりもします(川上弘美氏だったかな?小学5年生の時に読んだという作家は)。

ヘミングウェイ .jpg ヘミングウェイは1952年にこの作品を書き上げ、1954年にノーベル文学賞を受賞しており、ノーベル文学賞は個別の作品ではなく作家の功績および作品全体に与えられるものですが、一方で、この「老人と海」が受賞に寄与したとされていて、これを"受賞対象作"とすれば、書かれてから受賞まで僅か2年しかないことになります(まあ、それまでの実績が評価されたのだろうけれど)。ヘミングウェイはこの作品でピュ-リッツア-賞(文学部門)も受賞しています。

 新潮文庫版は、シェイクスピア作品の翻訳で知られる福田恒存の訳で(福田恒存・野崎孝以外で誰が訳している?)、作中人物の個性にも歴史が反映される(空間が時間に支配されている)ヨーロッパ文学に比べ、ただそこに空間があるだけのアメリカ文学は「食い足りない」とする福田恒存にとって、大海原での老人と魚の格闘というシチュエーションに的を絞ったこの作品は、そうしたアメリカ文学の弱点を逆手にとることで成功しているということになるようです。

アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Miller Hemingway).jpgGrace Hall Hemingway dressed Ernest like a girl for the first two years of his life.bmp 「ハードボイルド・リアリズム」と呼ぶに相応しい福田訳(経年疲労しない名訳)から、センチメンタリズムを排した男性原理、ギリシャ悲劇的なヒロイズム(或いはハリウッド映画に受け継がれるようなヒロイズム)が浮き彫りにされているように思えます(実際、このサンチャゴ老人のストイシズムはカッコいい)。ヘミングウェイは母グレイスに女の子のように育てられたとのこと、幼少の頃の女装させられた写真は有名で(後のハンティングなどに興じる数ある"逞しい"写真と対比すると興味深い)、彼のマッチョ願望をそうした幼児体験の反動であると見る心理学者もいます。
Grace Hemingway dressed Ernest like a girl for the first two years of his life. 女の子姿のヘミングウェイ

老人と海 1958 チラシ.jpeg この作品については、ジョン・スタージェスが監督し(「OK牧場の決斗」('57年)と「荒野の七人」('60年)の間の作品になる)、スペンサー・トレーシーが主演した映画化作品「老人と海」('58年)が老人と海 1vhs.jpgあり、個人的にはビデオで観ました。2度アカデミー主演男優賞を受賞しているスペンサー・トレーシーは、「山」('56年)などを観ても名優だと思いますが、この映画でも十分名優ぶりを発揮していたと思います。ただ、独白とナレーション(本人)の組み合わせが多く続くため、さすがの彼も「山」よりは結構きつそうに演技している印象も受けました。この映画の当初製作費は200万ドルであったのが、「適THE OLD MAN AND THE SEA 1958 2.jpg切な魚の映像を探す」ために500万ドルにまで上昇したそうで、そのため水中でカジキをつつくサメたちのシーンなどもあったりして緊迫感は大いにありますが、その緊迫感は動物パニック映画風のものでした。そうした状況の中で、原作の文学性はスペンサー・トレーシー一人の演技にすべて負わせているという感じで、その辺が「結構きつそうに演技している印象」に繋がるのかもしれません。でも、スペンサー・トレーシーという人はものすごい自信家だったそうで、まさに自分の力の見せ所と思って演技していたとも考えられます。

老人と海(99年公開).jpgアニメーション「The Old Man and the Sea(老人と海)」 by Alexandre Petrov(アレクサンドル・ペトロフ) 1999.jpg 変わったところでは、ロシアのアレクサンドル・ペドロフ監督が約2万9千枚ものガラスの板に油絵具を使って指で描いて制作しアカデミー賞に輝いたアニメーション作品('99年)があります。日本では東京アイマックスシアターなどで上映されましたが、この手法(「手作り」で完結しているのではなく、最終的には膨大なTHE OLD MAN AND THE SEA 02.jpgコンピュータ制御により動画構成されている。これは最近のアニメ芸術に共通して見られる傾向)だと、海が本当に綺麗に描かれて、実際、この人の作品は水をモチーフにしたものが多いようですが、これはまさに「動く巨大絵本」だなあと感心させられました。ただ、時間が23分と短いため(この23分に4年もかけたそうだが)、アイマックスで観た時はスゴイと思ったけれど、後で振り返ると文学的なエッセンスはかなり抜け落ちた感じも拭えませんでした(星3つ半はやや辛目の評価か)。

Oceanic White‐tip Shark.jpg 余談ですが、サンチャゴ老人はまず、獲物であるカジキマグロと闘い、次にその獲物を狙う鮫たちと戦うわけで、最初に襲って来るのが「アオザメ」で、その次に、サンチャゴが「ガラノー」と呼ぶところの"シャベル鼻の鮫"が襲って来ます。そして、結局この鮫が獲物のカジキマグロを食い尽くしてしまうのですが、この「ガラノー」というのは中学生の時に読んで以来ずっと「シュモクザメ」(Hammerhead)のことだと思っていましたが、メジロザメ科の「ヨゴレ」(Oceanic White‐tip Shark)とのことでした(シャベルの"柄"と"先"を取り違えていたかも)。魚の映像(水中撮影等)に費用をかけたスペンサー・トレーシー版「老人の海」を観るとどんなサメかがよく分かります。

老人と海 [DVD]
老人と海 1958.jpg老人と海 1958 syounen.jpg「老人と海」●原題:THE OLD MAN AND THE SEA●制作年:1958年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・スタージェス●製作:リーランド・ヘイワード●脚本:ピーター・ヴィアテル●撮影::ジェームズ・ウォン・ハウ/フロイド・クロスビー/トム・タットウィラー/ラマー・ボーレン(水中撮影)●音楽:ディミトリ・ティオムキン●原作:アーネスト・ヘミングウェイ●時間:86分●出演:スペンサー・トレイシー(老人&ナレーション)/フェリッペ・パゾス(少年)/ハリー・ビレーヴァー/ドン・ダイアモンド●日本公開:1958/10●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★☆)

THE OLD MAN AND THE SEA 01.jpg 「老人と海」●原題:THE OLD MAN AND THE SEA●制作年:1999年●制作国:ロシア/カナダ/日本●監督・脚本:アレクサンドル・ペドロフ/和田敏克●製作:ベルナード・ラジョア/島村達夫●撮影:セルゲイ・レシェトニコフ●音楽:ノーマンド・ロジャー●原作:アーネスト・ヘミングウェイ●時間:23分●日本公開:1999/06●配給:IMAGICA●最初に観た場所:東京アイマックス・シアター 東京アイマックスシアター2.jpgタイムズスクエア 東京アイマックスシアター.gif(99‐06‐16) (評価★★★☆)●併映:「ヘミングウェイ・ポートレイト」(アレクサンドル・ペトロフ)●アニメーション
東京アイマックスシアター (タカシマヤタイムズスクエア) 2002(平成14)年2月1日閉館
      
1955年単行本[チャールズ・E・タトル商会(福田恒存:訳)]/1956年全集[三笠書房(福田恒存:訳)]/1964年「世界の文学44」[中央公論社(福田恒存:訳)]【1953年老人と海、チャールズ・イー・タトル商会版.jpg文庫化・1980年改版[新潮文庫(福田恒存:訳)]/2014年再文庫化[光文社古典新訳文庫(小川高義:訳)]】
老人と海 (1955年)』チャールズ・E・タトル商会

「●へ アーネスト・ヘミングウェイ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1038】 ヘミングウェイ 『老人と海
「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

金原瑞人の翻訳も悪くはないが、個人的には旧訳(大久保康雄)の方が好み。

武器よさらば 6.JPG武器よさらば (新潮文庫).jpg 武器よさらば(上).gif 武器よさらば(下).gif 『武器よさらば(上) (光文社古典新訳文庫)』『武器よさらば(下) (光文社古典新訳文庫)
武器よさらば (1955年) (新潮文庫)』(カバー画:向井潤吉)

 1929年に発表されたヘミングウェイの小説で、米国人イタリア兵フレデリック・ヘンリーと英国人看護婦キャサリン・バークレイとの恋を描いた小説(恋人をボートに乗せて湖を渡りスイスに逃れるなんて、かなりロマンチック)であるとともに、第一次世界大戦を背景にした戦争文学(閉塞状況のイタリア戦線が描かれている)として、同年に発表されたレマルクの『西部戦線異状なし』と並ぶものとされています。

武器よさらば 映画パンフ (1960年リバイバル公開時).jpg また、ロック・ハドソン、ジェニファー・ジョーンズ主演の映画化作品('57年/米)も、へミングウェイ原作のものでは、ゲーリー・クーパーとイングリッド・バーグマンの「誰が為に鐘は鳴る」('43年/米)ほどではないですがよく知られています(ゲーリー・クーパーは『武器よさらば』を原作とする「戦場よさらば」('32年、DVDタイトル「武器よさらば」)にも主演で出ている)。

ロック・ハドソン版「武器よさらば」('57年/米)映画パンフ(1960年リバイバル公開時)

 以前に読んだのは大久保康雄(1905‐1987/享年81)訳の新潮文庫のもの(向井潤吉のカバー画が何となく「風と共に去りぬ」みたいな感じなのだが...)で、ここのところ高見浩氏の新訳でヘミングウェイ作品を何冊か読んだので、この作品も高見訳で新潮文庫にあるものの、今度は、この20年間余りで300作以上もの翻訳をこなしてきているという金原瑞人氏の訳で読んでみました。そうしたら、金原訳、読みやすいことには読みやすいけれど、う〜ん、『武器よさらば』って、こんな文字がスカスカな感じだったかなあ。でも、今の若い読者には、この方が受け入れるのかもしれないけれど。

「翻訳文学のいま」金原瑞人氏・角田光代氏.jpg 作家の角田光代氏が金原瑞人氏との公開対談(21世紀活字文化プロジェクト・新!読書生活「翻訳文学のいま」)で、「大久保訳、高見訳とも主人公の一人称が〈ぼく〉であるのに、金原訳では〈おれ〉だったので、すごく印象的だった」と述べていましたが、金原瑞人氏は、俗で荒っぽい軍隊の中にいる主人公が〈ぼく〉では違和感があったため〈おれ〉にしたとのこと。続けて言うには、「ところが困ったことがあって、第1次世界大戦当時はある意味田舎だったアメリカ人の主人公が、世界に冠たる大英帝国の女性に恋をする。〈おれ〉とは言わないだろうなと。結局、この女性に対する時だけは主語はすべて削ってしまった」とのことです。

 なるほど、全体にハードボイルドな雰囲気で、一方、恋人同士の会話部分は、主語(〈おれ〉)及び「〜と言った」などという記述部分が略されていて、映画の字幕を読んでいるような感じも。

 角田光代氏に異議を唱えるわけではないですが、大久保康雄訳は、記述部分における一人称は〈私〉、会話部分では、軍隊仲間の間では〈おれ〉、初めて会う人には〈私〉、女性に対しては〈ぼく〉と使い分けていて、こうした使い分けは普通に行われるものであることからすれば、こっちの方がむしろ自然ではないだろうかという気も。軍隊言葉にちょっと古風な訳があったり、主人公の恋人の名前が「キャザリン」と濁っていたりしますが、個人的には大久保康雄訳の方が好きです。

『武器よさらば』_7843.JPG 翻訳の話になってしまいましたが、大久保康雄訳の新潮文庫解説では、主人公の軍隊からの離脱を、戦争一般とそこに生きる人々を支える抽象的大義を捨てた「単独講和」であるという捉え方をしていて、主人公は状況一般の中に生きる目的を発見する代わりに、血肉をそなえたただ一人の現実の人間を選んだのだとあります。

 金原瑞人訳も悪くないですが、やはり、大久保康雄訳の方が、こうした解釈に相応しい格調を備えているし、情感の描出でも優れているような気がします。あくまでも好みの問題ですが。

 【1955年文庫化[新潮文庫(大久保康雄:訳)]/1957年再文庫化[岩波文庫(上・下)]/1957年再文庫化[角川文庫]/1978年再文庫化[旺文社文庫]/2006再文庫化[新潮文庫(高見浩:訳)]/2007年再文庫化[光文社古典新訳文庫(上・下)(金原瑞人:訳)]】

「●へ アーネスト・ヘミングウェイ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1029】 E・ヘミングウェイ 『武器よさらば
○ノーベル文学賞受賞者(ヘミングウェイ)「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

作品としては傑作。ゴシップ的に読むとヘミングウェイは嫌なヤツ(?)。

日はまた昇る.jpg  日はまた昇る (新潮文庫).bmp  日はまた昇る 講談社英語文庫.jpg 日はまた昇る (集英社文庫).jpg 集英社文庫旧版カバー
日はまた昇る』 〔'00年〕/『日はまた昇る (新潮文庫)』〔'03年〕/『日はまた昇る - The Sun also Rises【講談社英語文庫】』 ['07年]/『日はまた昇る (集英社文庫)』〔'78年/'09年改版〕

『日はまた昇る』.JPG 1926年に発表された長編『日はまた昇る』"The Sun Also Rises"は、大久保康雄 日はまた昇る (新潮文庫).jpgパリ時代のへミングウェイの最高傑作と謳われているだけでなく、"ロスト・ジェネレーション"文学の代表作ともされていますが、大久保康雄(1905-1987)訳('55年/新潮社文庫)と比べて高見浩氏の新訳は大変読みやすく(大久保康雄訳も今読んでもそれほど古さは感じられないのだが)、結局、大久保訳と入れ替わりで本書は新潮文庫に加わりました(それ以外に文庫となっているものでは谷口睦男(1918-1988)訳('58年/岩波文庫)、佐伯彰一訳('78年/集英社文庫)などがある)。

新潮文庫(大久保康雄:訳)['55年]
新潮文庫(高見 浩:訳)['00年]
日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)』['12年]
日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫).jpg それでも、戦場で性機能を失った主人公のジェイクと周辺の若手作家や女友達との絡みが描かれている前半部分がややごちゃごちゃしているように感じられるのは、この作品がもともと最初短編として構想されたものに加筆して長編に改編したものであるからでしょうか。
  
 とは言え、多くの芸術家の卵が集った当時のパリの雰囲気をよく伝えているし(ヘンリー・ミラーの『南回帰線』(1934年)を思い出した)、後半、こうした仲間らとスペインへ行き、パンプローナの闘牛やフェイスタ(サン・フェルミン祭)に興じる中、恋の鞘当てを繰り広げる様は、読んでいても面白い!

 祭の闘牛の描写は、作家自身が何かに憑かれたように書いている印象を受け(ヘミングウェイは1922年から5年連続この祭りに通った)、こうした表現トーンの変調はまだ他にもあるものの、やはり傑作でしょう、この作品は。

Ernest Hemingway (far left) in the 1920s.jpg パンプローナのフェイスタの最中、へミングウェイの分身と思しき主人公のジェイクは、ある奔放な女性を巡って若手作家のブレット・アシュリーと争いますが、高見氏の解説によると、これはヘミングウェイが1925年に自分の妻のハドリーや作家仲間ら男女7人でパンプローナのフェイスタに行った時に、ダフ・トゥイズデンというヘミングウェイが魅了された女性を巡って起きた事件が、そのままベースになっているらしいです。

 恋の鞘当ての相手ブレットのモデルは、ダフと関係があったとされる若手作家のハロルド・ローブで、ダフには、パット・ガスリーというフィアンセもいたというから、三角関係ならぬ四角関係とでも言うかややこしい(こうした人たちが一緒になって旅行したわけで、これでは最初から一触即発状態ではないかと思うのだが)。

[写真]フェイスタでの、左から、へミングウェイ、彼の恋のライバルのハロルド・ローブ(後方)、恋の相手ダフ・トゥイズデン、ヘミングウェイの妻ハドリー(中央)、1人おいてダフのフィアンセのパット・ガスリー(右端の呆け顔)[本書より]

 現実は、ヘミングウェイがハロルド・ローブ喰ってかかったのが先だったようですが(ヘミングウェイは後でローブに詫びを入れている)、小説ではブレットが大人気なく激昂したようになっていて、この小説はアメリカで文学の新潮流として高く評価される一方で、作品舞台のご当地ヨーロッパでは、ゴシップ小説的な読まれ方もしたらしいです。

 へミングウェイ自身は小説同様にダフを得ることが出来ないまま、妻ハドリーとも離婚することになり、更にこの小説により、これらの友人を永遠に失うことになりますが、後のインタビューで、「友人を失ったことについてさして痛みを感じない」、「物語を作ることとは、現実をよりあらまほしき形に再構成すること」であり、「物語のモデルとは、セザンヌが風景の一部に人の姿を描くようなものだ」と言っています。

 「登場人物の造形に実在の人物の姿を借りても、そこに息を吹き込んだのは自分自身の創造だ」(友人宛の手紙より)という作家の強い自負を感じる一方で、現象面だけを捉えると、何だか男らしくないというか、後に築かれた「アメリカ人の多くが敬愛する作家」というイメージとは食い違っている気がして、この人、結構、嫉妬深いというか、嫌なヤツと言うか―その点でまたへミングウェイという作家に新たな興味が湧きました。

 【1955年文庫化[新潮文庫 (大久保康雄:訳)]//1958年再文庫化[岩浪文庫 (谷口睦男:訳)]/1978年再文庫化・2009年改装版[集英社文庫 (佐伯彰一:訳)]/2003年再文庫化[新潮文庫 (高見 浩:訳)]/2012年再文庫化[ハヤカワepi文庫(土屋政雄:訳)]】

「●へ アーネスト・ヘミングウェイ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1025】 ヘミングウェイ 『日はまた昇る
「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ 「●や‐わ行の外国映画の監督②」の インデックッスへ 「●ロバート・レッドフォード 出演作品」の インデックッスへ 「●ブラッド・ピット 出演作品」の インデックッスへ 「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ

ナイーブな感性から男性原理へ。ハードボイルドのルーツは新聞記者の文章?

『われらの時代・男だけの世界―ヘミングウェイ全短編1』.JPGわれらの時代・男だけの世界.bmp われらの時代に hukutake.jpg われらの時代に/ヘミングウェー短編集1.jpg 女のいない男たち.jpg 
われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)』['95年]/『われらの時代に (福武文庫―海外文学シリーズ)』['88年]『われらの時代に ヘミングウェー短編集1』『女のいない男たち ヘミングウェー短編集2』['13年/グーテンベルク21]Kindle版
in our time.jpgMen Without Women.jpg ヘミングウェイ Ernest Hemingway (1899-1961)の短編のうち、文豪誕生の黎明期とも言える初期のパリ在住時代のものが収められています。1924年刊行の『われらの時代』"In Our Time"と、1927年刊行の『男だけの世界』"Men Without Women"の2つの短編集の「合本」であるとも言えるものですが、高見浩氏による翻訳は新潮文庫のための訳し下ろしであり、現代の感覚から見ても簡潔・自然な訳調は、「新訳」と言っていいと思います。

"In Our Time"(1924)/"Men Without Women"(1927)

 『われらの時代』も『男だけの世界』も、含まれる短編の多くにニック・アダムスという少年期から青年期のヘミングウェイを思Men Without Women .jpgわせる若者が登場しますが、『われらの時代』にはどちらかと言うと、若者のナイーブな感性がとらえた世間というものが反映されているのに対し、『男だけの世界』の方は、男性原理が前面に出た(短編集の表題通り女性が殆ど登場しない)、男臭いというかハードボイルド風のものが殆どとなっています。
 時間的には、この両短編集の間に、当初は短編として構想され、書き進むうちに長編になった『日はまた昇る』"The Sun Also Rises"(1926年)が書かれているわけですが、その時期は、ヘミングウェイが妻と愛人の間で板ばさみになり、心理的に袋小路に追い詰められていた時期でもあり、その両方を失って彼は女嫌いとなったのか、女性的なものを作品に持ち込むことを意図的に避けるようになったようです。
"Men Without Women" Scribner(1997)

A river runs through it.jpg 『われらの時代』は、青春時代が第一次世界大戦後の虚脱状態の世相に重なった"ロスト・ジェネレーション"に意味的に重なるものであり、この中では「二つの心臓の大きな川」という作品が秀逸。心に傷を負った主人公のニックがミシガン湖で友人と釣りをするだけの話ですが、フライフィッシングの描写が素晴らしく(ロバート・レッドフォード監督の「リバー・ランズ・スルー・イット」を思い出した)、また、釣れた鱒を捌く描写の簡潔で的確な筆致は(『老人と海』(1952年)にも魚を捌く場面があるが、それに近い)、同時に主人公の生への意欲の回復を表している感じがしました。
"A river runs through it" (1992) DVD
マクリーンの川 (集英社文庫)
マクリーンの川 (集英社文庫).jpgA river runs through it 2.jpg 「リバー・ランズ・スルー・イット」(原作はノーマン・マクリーンの「マクリーンの川」)では、主人公(クレイグ・シェイファー)が、牧師だった父(トム・スケリット)と才能がありながらも破天荒な生き方の末に亡くなった弟(ブラッド・ピット)を偲んで、故郷の地で、かつて父から教わり、父や弟と親しんだフライフィッシングをする場面が美しく、また、こうした「供養」と言える行動を通して主人公が癒されていくスタイルが独特だなあと思ったのですが、ヘミングウェイの「二つの心臓の大きな川」においても、フライフィッシングが主人公の戦争体験のトラウマを癒す役割を果たしているように思えます。
 そう言えば、'60年代のビート・ジェネレーションの作家リチャード・ブローティガンにも『アメリカの鱒釣り』('75年/晶文社、'05年/新潮文庫)という作者にとっての処女小説(短編集)があり、釣りとアメリカ人の精神性はどこかで繋がるところがあるのかなと思ったりしました。

 『男だけの世界』にも、老闘牛士をモチーフにした「敗れざる者」などの秀作もありますが、やはり、感情表現を排した簡潔な筆致で、ハードボイルドの1つの原型であるともされる「殺し屋」が印象に残ります。思えばヘミングウェイは、パリには新聞社の特派員として滞在していたわけで(第一次大戦中は通信兵として電文を打っていたこともあった)、そうすると、ハードボイルドのルーツは新聞記者の文章ということでしょうか(少し後に『大いなる眠り』(1939年)で長編デビューするレイモンド・チャンドラーも、新聞記者をしていた時期がある)。

「リバー・ランズ・スルー・イット」パンフレット裏.jpg「リバー・ランズ・スルー・イット」.jpg「リバー・ランズ・スルー・イット」●原題:A RIVER RUNS THROUGH IT●制作年:1992年●制作国:アメリカ●監督・製作総指揮:ロバート・レッドフォード●脚本:リチャード・フリーデンバーグ●撮影:フィリップ・ルースロ ト●音楽:マーク・アイシャム●原作:ノーマン・マクリーン 「マクリーンの川」●時間:124分●出演:ブラッド・ピット/クレイグ・シェイファー/トム・スケリット/ブレンダ・ブレシン/エミリー・ロイド/スティーヴン・シェレン/ニコール・バーデット/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/ロバート・レッドフォード(ナレーション)●日本公開:1993/09●配給:東宝東和 (評価:★★★★)

「リバー・ランズ・スルー・イット」映画パンフ裏面予告

われらの時代・男だけの世界7.JPG【1988年文庫化[福武文庫(『われらの時代に』)]/1995年文庫化[新潮文庫]】

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)』['95年]

About this Archive

This page is an archive of recent entries in the ヘミングウェイ category.

ディック・フランシス is the previous category.

エドガー・アラン・ポー is the next category.

Find recent content on the main index or look in the archives to find all content.

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1