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三島文学を「同性愛」「輪廻転生」で読み解くなかなかの評論。
橋本 治 氏
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』['02年/新潮社]/『「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)』['05年]
2002(平成14)年度・第1回「小林秀雄賞」受賞作。
三島の「文学」に対する評論で、彼の思想やそれに基づく行動については触れていませんが、三島自身が生前、自らの文学と思想を別物であるとしていたことを思うと、この方がいいのではと思います。
他の評論家の批評からの引用が殆どないのと、著者独特の「わからない」からスタートする"回りくどい"方法論のため、一見すべてが著者流の独自解釈であるかのようですが、むしろ従来言われてきたことをベースに、それを著者なりに深めていったという感じがします。
前半部分の『仮面の告白』から『禁色』『金閣寺』を経て『豊饒の海』に至る流れを、「同性愛」対「異性愛」、「輪廻転生」などをキーに読み解いていく過程はなかなかです。
『仮面の告白』の後半は通俗的でダレ気味な感じがしたのですが、「同性愛」の敗北を描いていていることに著者が注目していて、ナルホドという感じ。『禁色』ではこれが勝利に転じる。三島自身も「認識者」から「行動者」に、自作を通して「転生」する。しかし、『豊饒の海』の第1部『春の雪』では、また「輪廻転生」を見つめる「認識者」の立場で再スタートする。なぜか?
従来の三島への解釈は、彼が「芸術」そのものになろうとしていたというところで終るものが多いのですが、三島は読者の思念への「転生」を図ったという、本書のやや超越的な解釈も面白いと思いました(「思念」は他者を媒介に増殖する? ドーキンスの「利己的な遺伝子」みたい!)。
そうすると、三島亡き今、三島に思い馳せる著者は、見方によっては三島の思惑にハマっていることになり、それで、それを振り切るかのようにわざわざ三島嫌いを表明しているようにも思えます。
キーとなる作品に絞って論じた前半部分がとりわけ圧巻でした。雑誌に何度かに分けて発表したものを加筆・再構成したものですが、結果として後半は、三島作品を広く網羅しようとして、やや説明過剰になった気もします。それでも全体としては、個人的には大いに納得させられるものでした。
【2005年文庫化[新潮文庫]】