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計算されたリリシズムとカットバック構成。ファンタジックな中にも、独特の凄みがある。

アメリカひじき・火垂るの墓1.jpgアメリカひじき,火垂るの墓』 アメリカひじき・火垂るの墓.jpg 火垂るの墓1.jpgアメリカひじき・火垂るの墓2.jpg 『アメリカひじき・火垂るの墓 (新潮文庫)

 親を亡くした幼い兄妹が終戦前後の混乱の中を必死で生きようとする姿を描いた「火垂るの墓」は、作者自身の体験が反映されているというだけあって、最初に読んだ時は、細部に渡る悲惨な描写がリアルで強烈だったため、アニメ化されると知った時にはやや違和感を覚えましたが、再読しみると、確かにリリシズムに満ちたファンタジー的要素のある作品でした。
 清太の腹巻にあったドロップ缶を、三宮駅の駅員が夏草の繁みに放り投げると、「落ちた拍子にそのふたがとれて、ちいさい骨のかけらが三つころげ、草に宿っていた蛍おどろいて二、三十あわただしく点滅しながらとびかい、やがて静まる」などいう描写は、確かにファンタジックでもあるなあと(このファンタジーは、独特の"凄み"を孕んでいるが)。

 こうした叙情性は予め計算され尽くしたものあるかのような感じもして、そのことは構成にも言えるかと思います。
 昭和20年9月22日に三宮駅構内で栄養失調のため亡くなった浮浪児の少年・清太が、亡くなる前日に、同じく栄養失調で亡くなった妹・節子の小骨を持っていたことが示され、そして、まだ生きている清太の視点から、節子を背負って戦火の中を彷徨した6月から8月にかけてのことが描かれて、死者の目から見たカットバックというのはなかなか考えられた手法だと思うのですが、節子が防空壕の中で8月22日に息を引き取り、1カ月後に清太も亡くなるまでを、結局は作品の冒頭から全く章分けせずに、独特のねちっこい文体で一気に描いています(普通だったらカットバックやエピローグ部分で行間ぐらい空けるところを、それをせずにびっしり書いているところが特徴的)。

 作者はこの作品に自身の体験を反映させながらも、妹のことについては多くの虚構を交えて描いており、そのことで後ろ暗さのようなものを感じていて、この作品が「アメリカひじき」と併せて'77(昭和42)年下半期直木賞を受賞したことにより却ってその思いは強まり、一時は自暴自棄にまでなったということは作者自らが語っていることですが、小説なのだから虚構でいいのではという気もし、多少穿った見方をすれば、そうした"後ろ暗さ"という私的感情を公言するところに、作家の演技性のようなものを感じなくもありません(太宰みたいだなあ)。

 戦争孤児で当時こうした亡くなり方をした子供たちは、数多くいたのではないでしょうか。
 一般的には、作者の妹に対するレクイエムと解されていますが、個人的には、そうした全ての子供たちへのレクイエムとして敷衍化してよいのではと思い、別に作者が虚構云々で思い悩まなくてもいいと思うのですが...。

 単行本及び新潮文庫版では、「アメリカひじき」「ラ・クンパルシータ」など6編を収録、文庫版は当初『アメリカひじき・火垂るの墓』というタイトルでしたが、映画化されてからアニメ絵によるカバーになり『火垂るの墓』というタイトルに(但し、背表紙・本体表紙・奥付などは『アメリカひじき・火垂るの墓』のまま)。

 公開時には宮崎駿の「となりのトトロ」との併映だったアニメ映画「火垂るの墓」('88年/東宝)は、個人的には結局未だに観ておらず('08年には"実写"映画版も製作されたがこちらも未見)、アニメ版の高畑勲監督は"反戦"ではなく"兄妹愛"を主テーマとしたとのことですが、NPOや図書館で自主上映される際には、大体"反戦映画"という前提のもとで公開されているような気がします。

 【1972年文庫化[新潮文庫]】

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凄い記憶力で綴る個人的「文壇史」。三島や吉行の後輩への意外な配慮に感心させられた。

文壇.jpg 『文壇』 (2002/04 文藝春秋) 文壇2.jpg 『文壇 (文春文庫)』  〔05年〕 

 2002(平成14)年・第30回「泉鏡花文学賞」受賞作。

 野坂昭如の個人的「文壇史」という感じで、週刊誌にコラムを書いていた30代になったばかりの頃(年代で言えば'61(昭和36)年ごろ)から、三島由紀夫が自殺した'70(昭和45)年までのこと、特に「エロ事師たち」執筆('63年)から'67年の発表の「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞を受賞するまでの間のことが詳しく書かれています。

 それにしても凄い記憶力で、どこの店に誰と行ったら、そこに誰と誰が居て、どんな様子だったかということがこと細かく書かれています(かなり偏執狂的?)。
 川端康成、大江健三郎といった大御所、純文学作家から、流行小説家、編集者まで多くの文壇関係者が、そうした文壇バーのようなところに集っていたのがよくわかり、なあ〜んだ、狭い世界だなあと思わされる一方で、ゴシップ的なことも含め興味は尽きず、一気に読まされてしまったという感じ。

吉行 淳之介.jpg三島由紀夫.jpg こうした多士済々の顔ぶれの中で、その言動において際立った光彩を放っているのが三島由紀夫と吉行淳之介で、以前から2人の作品を評価していた野坂氏にとって、自らの小説デビュー作「エロ事師たち」がこの2人に最大賛辞をもって迎えられたことは、ある意味非常に幸運なことにも思えます。

 しかし、そのことにより逆に書けなくなってしまう時期があり、それを乗り越え、「エロ事師たち」「とむらい師たち」を経て「火垂るの墓」に至る―と言うと一見サクセスストーリーかと思われますが、常に雑文家出身の負い目があり(だから本書には、「交遊録」というより、いつも自分は部外者だったという感じが滲んでいる)、「火垂るの墓」発表後も、作中で虚実ないまぜにしたことへの後ろめたさに苛まれている。
 そうした彼の劣等感や当時を時めく流行作家に対する嫉妬みたいなものが素直に吐露されていて、逆に嫌味感を感じずに読めました。

 それにしても、三島や吉行って、結構その間も彼を励ましたりアドバイスしたりしている、その意外なこまめさには感心させられました(三島は常に彼を「さん」づけで呼び、対談を申し込んだり自宅でのパーティーに招待したりし、また吉行は"第三の新人"仲間に彼を紹介するとき、雑文家・プレイボーイとしてでなく、小説家として紹介している。これは、野坂氏がまだ直木賞の候補にもなったことがない時期の話である)。

 【2005年文庫化[文春文庫]】

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「死」を隠蔽する社会風潮へのアンチテーゼの表題作。三島、吉行も褒めた「四面凶妻」。

とむらい師たち 1967.jpg 単行本 ['67年] とむらい師たち.jpgとむらい師たち』 講談社文庫['73年]野坂昭如ルネサンス 5.jpg 『とむらい師たち (岩波現代文庫 文芸 116 野坂昭如ルネサンス 5)』(カバー:和田 誠)['07年]

 デスマスク師の"ガンめん"は、葬儀のレジャー産業化を図る葬儀演出家の"ジャッカン"らと組んで、万国博に対抗すべく日本葬儀博覧会の実現に執念を燃やすが―。

 '66(昭和41)年発表の表題作は、高度成長期において人の「死」というものが社会から隠蔽されようとされている風潮にアンチテーゼを投げかけた作品であり、「エロ事師たち」('63年発表)同様、スペシャリスト集団の男たちの奮闘をユーモアと哀切を込めて描いており、「エロ事師たち」とは、そのテーマにおいて「性」と「死」という対極を成しています。

 創刊号の表紙をベートーベンのデスマスクにすることに決まった葬儀雑誌「葬儀之友」の編集会議の様子など、笑える箇所が多いですが、再読してみると、一見書き殴り風のようでいて、葬儀社に関する取材がけっこう綿密になされていることに感心させられました。

とむらい師たち tirasi.jpgとむらい師たち 1シーン.jpg この作品は勝新太郎主演で映画化されていて(監督:三隅研次/共演:伊藤雄之助、藤村藤本義一 2.jpg有弘)、脚本は藤本義一氏です。テレビで観てあまり覚えていないのですが、ラストで勝新太郎が現世と来世を彷徨するような場面があって、これは藤本義一が敬愛する映画監督・川島雄三監督(恐山出身)へのオマージュが込められているとのことです(藤本義一が脚本家として最初に師事したのが川島雄三だった)。

映画「とむらい師たち」 ('68年/東映)

 他に、掘立小屋に同居する5人の学生が赤線で貰った毛虱に泣かされる「あゝ水銀大軟膏」、TV番組ライターの男が育児・家事放棄のとんでもない悪妻に悩まされる様を悲喜劇風に描いた「四面凶妻」、ベトナム出征兵士を無償で慰撫する女性を描いた「ベトナム姐ちゃん」、性の奥義を極めたというわけのわからない不思議な婆さんとの出会いを描いた「うろろんころろん」の4篇を収録(講談社文庫版・岩波現代文庫版同じ)。

野坂 昭如 『とむらい師たち』.jpg いずれも、'66(昭和41)年から翌年にかけて(36歳から37歳にかけて)の1年間に発表された作品で、直木賞受賞作「アメリカひじき」「火垂るの墓」も'67年の発表作であることから、まるで何か舞い降りたかのような旺盛な創作ぶりが窺えます。

 今回の再読で、一般に評価の高かった「ベトナム姐ちゃん」('67年)は、出征兵士となった恋人との主人公の原体験がうまく伏線として物語に絡んでいると再認識しましたが、五木寛之もこのころ「海を見ていたジョニー」('67年)などベトナムものを書いていたなあと。

 講談社文庫版の巻末解説では「四面凶妻」だけが社会的風刺が弱いと見られたのか、解説の対象から外れていますが、個人的にはこれも印象に残った作品。今ならば育児放棄は、充分社会的テーマになるのではないでしょうか。
 ただし、「妻」のことをこんな風に書いて大丈夫かなあと変に気をもんでしまいましたが、近著『文壇』('02年)によれば、自分の奥さんがこんな女でなくて良かったという思いから書いたらしく、やや安心。
吉行 淳之介.jpg三島由紀夫.jpg 『文壇』ではさらに、三島由紀夫が電話してきてこの作品を褒め、ただし「お終いが少し汚い」と言ったとか(酔いつぶれながら更にビールを要求する妻に、男は小便を混ぜたビールを飲ませる)、吉行淳之介も褒め、「短編集の表題にするといい」と言ったという話も明かされていて、見る人は見ているという感じで、なんとなくよかったなあという気持ちになりました。

 【1973年文庫化[講談社文庫]/2007年再文庫化[岩波現代文庫・野坂昭如ルネサンス]】

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70歳になったら奥さんに死なせてもらうと言っていた五木さん。

対論.jpg 『対論 野坂昭如 X 五木寛之』['71年] 対論 野坂昭如 X 五木寛之.jpg 『対論 (講談社文庫)』['73年]

  野坂昭如氏と五木寛之氏の対談集ですが、'71(昭和46)年にソフトカバー単行本で刊行されたもので、リアルタイムではないですが単行本で読みました(今は文庫でも書店ではなかなか見かけない)。

 対談時は2人とも40歳前後でしょうか。野坂氏の方が五木氏よりも2歳年上ですが、それぞれ昭和42年とその前年に直木賞を受賞していて、同世代的意識が感じられます。
 互いの語り口によそよそしさが全くなく、世界や文学について語ってたと思ったら、すっと極めて個人的な話に入っていったりします。

 「青春」とか「友情」とかいうテーマで熱く語り合っているところに、'60年代の余熱を感じます。
 今で言えば、村上龍氏と村上春樹氏の対談みたいなものかという気もしますが、"両村上"の対談はこの10年後に実現し『ウォーク・ドント・ラン』('81年/講談社)という本になっています(意外と、この〈野坂X五木〉対談と間があいていないという感じ)。

五木 寛之.jpg 五木寛之氏の奥さんが女医さんで、五木氏は、自分が70歳になったら奥さんに注射してもらって死ぬのだと言っています。
 当時自ら言うところの「顔文一致」で売っていた彼の美意識による発言なのかとも思わせなくもないですが、むしろこの作家は根源的にどこかそうしたものを持っていて、それが後の宗教的傾斜に繋がっていったのでしょう。
 『親鸞』あたりからか。親鸞と「出会って」、「生きていていいんだよ」と言われたような気がしたといったことを、どこかのテレビ番組で言っていたなあ(おそらくEテレ)。

 【1973年文庫化[講談社文庫]】

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