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「ドスト氏の文学を理解するためには、どうしても通過しなければならない関門の一つ」(小沼文彦)

二重人格 ロシア語.jpg二重人格 ドストエフスキー 岩波文庫.jpg二重人格 (岩波文庫)』改版版 二重人格 旧版.jpg『二重人格』岩波文庫

Двойник(1846/2010 Азбука-классика 版)

二重人格 (岩波文庫)00_.jpg 主人公ゴリャートキン氏は、小心で引っ込み思案の孤独を愛する男で、典型的小役人であるが、家柄も才能もないのに栄達を望む野心だけは強く、そのことを自覚しながらも、自分には人並みかそれ以上の才能があるという自負心もあって、そうした内心の相克が昂じて精神的に病んでしまった結果、もう一人の自分という幻覚を作り出してしまう―。

 ドストエフスキーが1846年、25歳の時に、処女作『貧しき人々』の次に発表した作品で、作者は自信満々で世に送り出したようですが当時の評判はイマイチで、その時の低評価がその後も続いたきらいのある作品のようです。しかしながら、訳者の小沼文彦(こぬま ふみひこ、1916-1998)は文庫解説で、「現在ではよほどの愛好家でないかぎり、その存在すらも知らない人が多いが、ドストエフスキーの文学を理解するためには、やはりどうしても通過しなければならない関門の一つであることは、いまさら言うまでもない」('81年4月)としています。

 全体を通して、ゴリャートキン氏の混乱した視点から見た描写や独白が延々繰り返され、そのため冗長感は否めず、それが発表時のマイナス評価の一要因としてもあったようですが、「饒舌過剰」はドストエフスキー作品の特質だと考えれば、むしろ、「役所に行ったら自分そっくりで姓名まで自分と同じ人間が仕事していた」というシュールな設定の方に当時の批評家の一部はついていけなかったのではないでしょうか。

 個人的には、プロット自体はまるで筒井康隆氏の初期作品みたいで面白く、作者が意識して読者サービスしているようにも思えました(安部公房の『壁-S・カルマ氏の犯罪』にも、会社に行ってみたら自分の代わりに自分の"名刺"が仕事をしていたという超シュールなシチュエーションがあったなあ)。

 主人公の前に突如現れたもう一人の自分"新ゴリャートキン氏"は如才ない人間で、人当たりがよくてゴマ摺りも出来るため上司の受けもよく、"我らが旧ゴリャートキン氏"は、役所での自分の仕事や地位を次々と奪っていく新ゴリャートキン氏のことを卑劣漢と見做して苦々しく思っているわけですが、実は"新ゴリャートキン氏"は、そうありたいという自分の願望の(本当はそうしたいがそんな卑怯なことは出来ないという思いも含めた)投影であることが窺えます(旧ゴリャートキン氏は、"新ゴリャートキン氏"との直接対決に何度か臨むが、直接対面するごとに相手に対して馬鹿丁寧になり、異常にへりくだってしまうのが興味深く、この辺りは後の『永遠の夫』に繋がるものを感じる)。

 振り返ってみれば、最初の方に出てくる、ゴリャートキン氏が医者にかかっている場面の、その際の医者との遣り取りから、彼が既に"壊れている"ことが窺えるように思われますが、この作品に影響を与えたとされるニコライ・ゴーゴリの「外套」や「鼻」などと比べると、それらの作品の主人公の精神錯乱からくる幻想的な場面は、主人公の妄想であることがすぐ分かるように書かれているのに対し、この作品は一貫してゴリャートキン氏の視点から書かれているため、何が真実であり何が嘘であるのか、読者は主人公と一緒に迷宮を彷徨することになり、その辺りがミステリアスで、楽しませてくれます(当時の著名な批評家ベリンスキーは、まさにこの"幻想的色調"が強すぎる点において、この作品に対し否定的評価だったのだが)。

 よく読むと結構プロットが練られているように思え、旧ゴリャートキン氏が"新ゴリャートキン氏"を自宅に招いて苦労話を聞いてやる場面などは、虚実皮膜譚というか、どこまでが事実でどこからが幻想なのか読者には明かされておらず、更には、前半部分において、ゴリャートキン氏が恩人の娘の誕生パーティに招待されたつもりで行ってみると実は招かれざる客であり、思い余って失礼な振舞いをして追い返されてしまうというエピソードがありますが、後半部分には、"新ゴリャートキン氏"の「陰謀家」的性格に気付いたその娘からゴリャートキン氏宛てに会いたいとの手紙が来ると言う"出来事"があり、この後半のエピソードを全て"妄想"として捉えるならば、ゴリャートキン氏の精神的病いはかなり重篤であるということに加え、ある種"創作"作用を伴うものであると言えることになるのではないでしょうか。

 この作品の原題(Двойник)は(英題は単に"The Double"となっているが)ドイツ語の「ドッペルゲンガー」に相当する言葉だそうで、日本語には該当する言葉が無いために、かつては「分身」と訳されていたのですが(Двойникには双子の相方を指す意味もあるようだ)、訳者は"相似関係"よりも"心理学的要素"に重点を置いて「二重人格」としたとのこと。この場合の「二重人格」とは、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』のようなものを指すのではなく、「おれは自分で自分を殺してしまったんだ!」という主人公の叫びにも象徴されるように、「自分自身」からの"疎外"状況を表しているように思います。

永遠のドストエフスキー.jpg 現代心理学及び精神医学に置き換えるならば、劣等コンプレックスから強迫神経症、更には統合失調症に至って乖離性障害を引き起こしているという感じでしょうか。ドストエフスキー自身に若い頃から被害妄想があり、ロシア文学者の中村健之介氏などは、それを「統合失調症」による誇大妄想からくるものであると推察していて(『永遠のドストエフスキー-病いという才能』('04年/中公新書)、更にドスト氏には「離人症」の傾向もあったそうです。

 こうした中村氏の分析に対しては病跡学的な色彩が強すぎるとの批判もありますが、ドストエフスキーが異常なまでの執着心を持って、まるで虐め抜くかのようにこの作品の主人公であるゴリャートキン氏のことを描いているようにも思えることからすると、小沼氏の言う「ドストエフスキーの文学を理解するためには、やはりどうしても通過しなければならない関門の一つ」という言い方とリンクしてくる面があるようにも思います。

【1954年文庫化・1981年改版[岩波文庫]】

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罪と罰 1970 ちらし.jpgミステリとしても味わえ、現代に繋がるテーマもふんだんに。

パンフレット.jpgカラマーゾフの兄弟.jpg カラマーゾフの兄弟 中巻.jpg カラマーゾフの兄弟 下巻.jpg
カラマーゾフの兄弟 上 新潮文庫 ト 1-9』『カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)』『カラマーゾフの兄弟 下  新潮文庫 ト 1-11』「罪と罰(1970) [DVD]」 ('70年/ソ連)チラシ

映画「カラマーゾフの兄弟 [DVD]」('68年/ソ連)パンフレット['07年]                                    

Братья Карамазовы.jpg  1880年、ドストエフスキーが59歳の時に完結したこの小説は、ドストエフスキー作品自体が最近の若者に読まれなくなったとよく言われる中、かつて作家の村上春樹 09.jpg村上春樹氏が自らのサイトフォーラムで「全日本『カラマーゾフの兄弟』読了クラブ」(後にバー「スメルジャコフ」と改称)なるものを立ち上げ、読了者に〈会員番号〉を発行しますと宣言すると若い人のレスポンスが結構たくさんあって、そういうのを見ると結構読まれているのかなあという気もします(寄せられた感想が『海辺のカフカ』などの感想文と同じトーンなのがちょっと面白かった)。[右:ロシア語版ペーパーバックス]

 しかし、村上氏自身は結構真面目なのかも。 と言うのは、読者からの、オウム真理教に入るような人達も『カラマーゾフの兄弟』を一度読んでいたらオウムに入らなかったかもという感想に対し、「『カラマーゾフ』を読み通せる人の数は極めて限られている。一度でも読めば確かにオウムに入ろうとする人たちの大部分を阻止することはできるだろうけれど、とにかく『カラマーゾフ』は難しすぎるし長すぎる。自分がいつか成し遂げたいと思っていることは、もっとやさしくて読みやすい現代の『カラマーゾフ』を書くことだ。それは途方もなく難しいのだが」と答えていたから。

電子書籍版(グーテンベルグ21)
karamazov1.jpg 個人的には、ミステリの要素があり、しかも最後は泣ける(?)ので、精神的に構えて読む必要は全然ないのではとも思うのですが、時間的・体力的には準備が必要かもしれません。

 この大長編小説の前半3分の2ぐらいまでが僅か数日の間に起きた出来事であり、それは従来の歴年的文学長編と異なる特徴の1つだと思うのですが、加えて、挿話やカットバックが多く、それらが1つ1つの物語になっています(ほとんど"爆発的"に脇道へ逸れていく)。
 神の不在を問うた「大審問官」もその1つと見ることができますが、同時に主テーマの1つでもあり、また、その中に幼児虐待の問題が出てくるなど、常に現代と繋がる何かがあります。
 '06年からは亀山郁夫氏による新訳の刊行も始まり、まだまだ読まれ続けられるであろう作品だと思います。

 この作品は、作者であるドストエフスキーが時間(締め切り)に追われつつ書いた雑誌連載小説であり、確か、妻アンナ・ドストエフスカヤの回想記に書いてあったのではないかと思いますが、原稿を出版社に渡した後でストーリーが破綻していることに気づいて、慌てて印刷のストップをかけるなどし(間に合わないこともあった)、ドストエフスキーは自らを何度も罵倒したりしていたそうです。

カラマーゾフの兄弟 ロシア版ポスター.jpg 映画や芝居でも観ましたが、イワン・プィリエフ(Ivan Pyryev)監督の「カラマーゾフの兄弟」('68年)は堂々たる本場モノで、4時間近い上映時間の長さを感じさせないものでした。
 リチャード・ブルックス監督のアメリカ版「カラマーゾフの兄弟」('57年)もあり、テレビで一部だけ観ましたが、ユル・ブリンナーがドミートリイ、マリア・シェルがグルーシェニカという異色の取り合わせで、何だか国籍不明映画みたいな感じでした。

 但し、本場物であればいいというものではなく、トルストイの小説の映画化作品である「復活」('61年・ミハイル・シヴァイツェル監督)「アンア・カレーニナ」('67年・アレクサンドル・ザルヒ監督)は、何となくメロドラマみたいになってしまっています(「アンア・カレーニナ」のタチアナ・サモイロワはいい女優なのだが...)。
映画「カラマーゾフの兄弟」輸入版ポスター

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 1.jpg プィリエフの「カラマーゾフ」にもそのキライが無いわけではないですが、「復活」や「アンナ...」と比べると骨太であると思いました。ストーリー的には原作を読んでいないとキツイかもしれませんが、ミステリとしても成立していて、キャスティングも原作のイメージにほぼ沿ったものでした(この映画の撮影中にプィリエフ監督は急死し、ドミトリ役のミハエル・ウリャーノフらが監督の遺志を引き継いで映画を完成させた)。

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 2.jpgカラマーゾフの兄弟  dvd.jpg ただ1つ難を言えば、ドミートリーなどを演じている俳優が若干老けて見えることで、ロシア人が髭などのせいで大体そう見えてしまうのか、それとも、この物語で主役級を演じようとすると、相当に役者としての年季を踏まなければならないということだったのかなどと、色々憶測していますが、それも許容範囲内か。
Directed by: Ivan Pyr'ev, Mikhail Ulyanov, Kirill Lavrov Cast: Mikhail Ulyanov, Kirill Lavrov, Andrei Myagkov Mark Prudkin, Olga Kobeleva, Viktor Kolpakov
カラマーゾフの兄弟 [DVD]」 ['07年]

罪と罰 1970 dvd.jpg 因みに、ドストエフスキー作品を映画化したもの中で原作の雰囲気をよく伝えているものと言えば、個人的にはレフ・クリジャーノフ 脚本・監督のソビエト映画「罪と罰」('70年)ではないかと思います。こちらも3時間40分もの長尺ですが、その分本格的です。倒叙型ミステリとも言え(ドストエフスキーの長編は全て現代に繋がるテーマを孕むとともに、ミステリの形態を模しているとも言われる)、ゲPRESTUPLENIE I NAKAZANIE 1.jpgオルギー・タラトルキン(当時新人)のラスコーリニコもタチアナ・ベドーワのソーニャも良かったように思います(ソーニャはマルメラードフ老人の前妻の子で、家計を助けるために躰を売っているのだが、どう見ても娼婦には見えない。それだけに痛々しさはある)。
罪と罰(1970) [DVD]

 ラスコーリニコフと、老婆殺人事件担当の予審判事ポルフィーリ(インノケンティ・スモクトノフスキー)との神の存在めぐる論戦は、舌鋒鋭い禿頭ポルフィーリが優勢でしょうか。漠然とした神学論争ではなく、ちゃんと事件に被せた議論になっています。ラスコーリニコフの妹PRESTUPLENIE I NAKAZANIE 2.jpgドゥーニャ(ヴィクトリア・フョードロワ)に執拗に迫るスビドリガイロフ(エフィム・コベリヤン)のぎらついた感じも生々しく、最後にドゥーニャが涙を流しながらスビドリガイロフに拳銃を向ける場面はややメロドラマ調ですが(この2人の話のウェイトが2部構成の第2部のかなりを占め、原作より比重が重い)、これもまあヴィクトリア・フョードロワの美しさで許してしまおうかという感じ。
 公開されて暫くのうちに観て、その後ずっと記憶の上ではかなり古い映画だと勘違いしていたのですが、その割にはスローモーションとか使って映像が洗練されていたなあと思ったら、意外と新しい作品でした。この作品の場合、敢えてモノクロで撮っているのが成功しているように思えます。

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 iwan.jpg『カラマーゾフの兄弟・完全版』.jpg「カラマーゾフの兄弟」●原題:THE BRATYA KARAMAZOVY●制作年:1968年●制作国:ソ連●監督:イワン・プィリエフ●撮影:セルゲイ・ウルセフスキー●原作:: フェードル・M・ドストエフスキー●時間:227分●出演:ミハエル・ウリャーノフ/リオネラ・プイリエフ/マルク・プルードキン/ワレンチン・ニクーリン/スベトラーナ・コルコーシコ ●日本公開:1969/07●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(79-11-21) (評価★★★★☆)

復活 トルストイ dvd.jpgVoskresenie(復活).jpg「復活」●原題:VOSKRESENIE(Resurrection)●制作年:1961年●制作国:ソ連●監督:ミハイル・シヴァイツェル●撮影:エラ・サベリエフ/セルゲイ・ポルヤノフ●音楽:G・スビリドフ●原作:レフ・トルストイ●時間:208分●出演:タマーラ・ショーミナ/エフゲニー・マトベェフ/パウエル・マッサリスキー/ヴィ・クラコフ●日本公開:1965/03●配給:ATG●最初に観た場所:池袋文芸坐(86-04-20) (評価★★★)●併映:「アンア・カレーニナ」(アレクサンドル・ザルヒ)復活 [DVD]」 ['03年]

アンナ・カレーニナ dvd.jpgアンナ・カレーニナ スチール.jpg「アンナ・カレーニナ」●原題:ANNA KARENINA●制作年:1967年●制作国:ソ連●監督・脚本:アレクサンドル・ザルヒ●撮影:レオニード・カラーシニコフ●音楽:ロジオン・シチェドリン/モスクワ室内オーケストラ●原作:レフ・トルストイ●時間:144分●出演:タチアナ・サモイロワ/ワシリー・ラノボイ/ニコライ・グリツェンコ/アナスタシア・ヴェルチンスカヤ/イヤ・サーヴィナ●日本公開:1968/05●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(86-04-20) (評価★★★)●併映:「復活」(ミハイル・シヴァイツェル)アンナ・カレーニナ [DVD]」 ['04年]

「罪と罰」●原題:ПРЕСТУПЛЕНИЕ и НАКАЗАНИЕ(PRESTUPLENIE I NAKAZANIE)●制作年:1970年●制作国:ソ連●監督:レフ・クリジャーノフ●脚本:レフ・クリジャーノフ/ニコライ・フィグロフスキ罪と罰 tirasi.jpgー●撮影:ヴァチェスラフ・シュムスキー●音楽:ミハイル・ジフ ●原作:フョードル・ドストエフスキー●時間:219分●出演:ゲオル罪と罰 [DVD] 2.jpgギー・タラトルキン/タチアナ・ベドーワ/インノケンティ・スモクトゥノフスキー/ヴィクトリア・フョードロワ/アレクサンドル・パブロフ/エフィム・コベリヤン/エフゲニー・レベチェフ/ウラジミール・バソフ●日本公開:1971/03●配給:東和●最初に観た場所(再見):池袋文芸坐(79-11-11) (評価★★★★)●併映:「貴族の巣」(アンドレ・ミハルコフ=コンチャロフスキー)

罪と罰 [DVD]」 ['98年]

 【1927年文庫化・1957年改版版[岩波文庫(全4巻)(米川正夫:訳)]/1961年再文庫化[新潮文庫(『カラマアゾフの兄弟』(全5冊))(原久一郎:訳)]/1972年再文庫化[講談社文庫(全3冊))(北垣信行:訳)]/1978年再文庫化[新潮文庫(全3冊))(原卓也:訳)]/1978年再文庫化[中公文庫(『カラマゾフの兄弟』(全5冊))(池田健太郎:訳)]/2006年再文庫化[光文社古典新訳文庫(全4分冊)(亀山郁夫:訳)]】 

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屈折した人物像をリアリティをもって描き、自己疎外の1つの典型を示している。

永遠の夫.jpg永遠の夫2.jpg永遠の夫 (新潮文庫)』[旧装版(米川正夫:訳)/'06年新装版(千種堅:訳)]

永遠の夫(岩波文庫).jpg 1870年、ドストエフスキーが40代後半で発表した小説で、『白痴』と『悪霊』の間に2ヶ月ぐらいで書き上げられた中篇ですが、男女の三角関係をモチーフに、人間の自尊心と情念の絡み合いを描いた"小説らしい小説"に仕上がって、平易な語り口でストーリー性も充分あり、面白く読めます。

 かつて自分の妻を寝取られた中年男トルソーツキイが、妻の死後、その娘(実は彼の妻と不倫相手のヴェリチャーニノフとの間にできた子)を連れて、そのヴェリチャーニノフの住む町を訪れる―。

永遠の夫 (岩波文庫 赤 615-9)』(神西清:訳)

 物語はヴェリチャーニノフの視点から書かれていて、帽子に喪章をつけて彼をつけまわす男(トルソーツキイ)の存在は不気味ですが、出会ってみると不倫相手の亭主だったということで、にも関わらず、その男が自分に対して友愛の情を示そうとしていることに困惑させられ、かえって疲弊する―。

永遠の良人[角川文庫(米川正夫訳)].jpg 「永遠の"寝取られ亭主"」トルーソツキイがヴェリチャーニノフに抱くはずの復讐の念は、彼自身の自尊心によって無意識に封じ込められ、過去の6年間の妻の不倫の間、彼にとってヴェリチャーニノフは "親友"であったという尊敬の念に近いものに置き換えられています。

 自分のかなわないライバルが現れたとき、自尊心を否定してライバルを尊敬しそれに同一化しようとする行為を無意識にとる、しかし卑屈とも思えるその行為の底には、無理やり蓋を被せられた復讐心が渦巻いている、こうした屈折した心理構造を持つ人物像を、リアリティをもって描いていると思いました。

永遠の良人 (1951年) (角川文庫〈第53〉)』(米川正夫:訳)

 普通に見れば、"寝取られ亭主"という立場を甘受し、妻を寝取った相手を尊敬さえしてしまうトルソーツキイという男は、一種のマゾヒストでしょう。
 しかし、その心理描写の妙だけでなく、それを通して、生身の人間の孕む自己矛盾を抉ってみせ、自己疎外の1つの典型を端的に示しているところが、巨匠の巨匠たる所以でしょうか。

 トルソーツキイが"復讐"を意識していなくても結果としてヴェリチャーニノフにとっては"復讐"を被っているかたちになっており、また、ヴェリチャーニノフがずるずるとトルソーツキイとの関わりを深めていってしまうところが、この小説の面白いところではないかと思いました。

個人主義の運命.jpg こうした両者の関係については、ルネ・ジラールの読み解きをベースにした社会学者・作田啓一氏の『個人主義の運命―近代小説と社会学』('81年/岩波新書)での解説が(それをどうとるかは個々に委ねられるものとして)非常に分かり易く面白いのでお薦めです。

作田啓一『個人主義の運命―近代小説と社会学 (岩波新書 黄版 171)

 【1932年文庫化[岩波文庫(神西清:訳)]/1938年文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)]/1951年再文庫化[角川文庫(米川正夫:訳)]/1952年再文庫化[岩波文庫(神西清:訳)]/1979年再文庫化[新潮文庫(千種堅:訳)]】

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ロマンチックで滑稽で切ない「白夜」。ヴィスコンティよりもブレッソンの映画が良かった。

白夜.jpg 白夜 [DVD]PL.jpg 白夜2.jpg 白夜 映画.jpg 白夜 ブレッソン ブルーレイ.jpg
白夜 (角川文庫クラシックス)』/ルキノ・ヴィスコンティ監督「白夜 [DVD]」/ロベール・ブレッソン監督「白夜」チラシ・パンフレット/「ロベール・ブレッソン監督『白夜』Blu-ray」(2016)

「白夜」挿画 (1922年).jpg 1848年、ドストエフスキーが20代後半に発表した初期短篇集で、後の作品群のような重々しいムードは無く、むしろ処女作『貧しき人びと』の系譜を引くヒューマンタッチの作品が主で、内容的にも読みやすいものばかりです。

 表題作の「白夜」も恋愛がテーマで、主人公は美しい恋愛を夢想するインテリ青年で、理想の女性を求め白夜の街を徘徊していたある日、橋の上で泣いている美しい女性に出会い、恋人に捨てられたらしい彼女の話を聞くうちに自分が恋に陥る―というものですが、ロマンチックだけれどもどこかコミカルでもあり、切ないと言うか、但し、ちょっと残酷でもあるお話です。

「白夜」挿画 (1922年)

 人生で絶対的なものなど希求した覚えがないという人でも、若かりし頃は"絶対の恋人"というものを夢見たことがあるのではないか、夢と現実の違いを知ることが大人になるということなのか、などと多少しみじみした気分に...。

 また、この主人公がとる、フィアンセがきっと帰ってくると彼女を勇気づける利他的とも思える行動は、『貧しき人びと』や、後の『永遠の夫』などにも通じるモチーフのように思えます。

 主人公は、愛する人の聞き役、相談役であることに充足していて、いつまでもその状態が続くことを欲しながらも、ライバルから彼女を奪い取ろうとはせず、結果的には彼女を失うための努力をしているような感じになっている...。

白夜4.jpg この作品は、ルキノ・ヴィスコンティ監督がマルチェロ・マストロヤンニ、マリア・シェル主演で映画化('57年/モノクロ)しているほか、「少女ムシェット」のロベール・ブレッソン監督がまったくの素人俳優を使って映画化('71年/カラー)していますが、個人的には後者の方が良かったです。  

白夜 ヴィスコンティ版1シーン.jpg ルキノ・ヴィスコンティ版「白夜」は、ペテルブルクからイタリアの港町に話の舞台を移し、但し、オールセットでこの作品を撮っていて(モノクロ)、主人公の孤独な青年にマルチェロ・マストロヤンニ、恋人に去られた女性に「居酒屋」のマリア・シェル、その恋人にジャン・マレーという錚々たる役者布陣であり、キャスト、スタッフ共に国際的です。

白夜 ルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル.jpg 「ヴェネツィア映画祭銀獅子賞」を受賞するなど、国際的にも高い評価を得た作品で、タイトルに象徴される幻想的な雰囲気を伝えてはいるものの、細部において小説から抱いたイメージと食い違い、個人的にはやや入り込めなかったという感じです。

 撮影に膨大な時間をかける傾向にあるヴィスコンティは、短時間、低予算でも映画を作ることができることを証明しようとしてこの作品を撮ったらしいですが、他のヴィスコンティ作品に比べると粗さが目立つ気もしました(ヴィスコンティはヴィスコンティらしく、金と時間をふんだんに使って映画を撮るべきということか。但し、これは個人的な見解であって、この作品に対する一般の評価は高い)。
      
ブレッソン 白夜 2.jpg白夜3.jpg 一方のロベール・ブレッソン版「白夜」は、舞台をパリに移し、青年はポン・ヌフの橋からセーヌ河に身投げしようとしている女性と出会うという地理的設定にしています。(1978年2月に「岩波ホール」で公開されて以来、34年ぶりとなる2012年10月に「渋谷ユーロスペース」にてリバイバル上映され、2016年5月に本邦初ソフト(Blu-ray)が販売された。この映画に惚れ込んだ人物が個人で会社を設立して、配給・ソフト発売にこぎつけたとのこと)。

映画:白夜.jpg 神経質そうでややストーカーっぽいとも思える青年(ギョーム・デ・フォレ)の、それでいて少白夜1シーン.bmpし滑稽で哀しい感じが原作を身近なものにしていて、恋人の名前をテープに吹き込んだりしている点などはオタク的であり、こんな青年は実際いるかもしれないなあと白夜1.jpg―。そうしたギョーム・デ・フォレの鬱屈した中にも飄々としたユーモアを漂わせた青年に加えて、イザベル・ヴェンガルテンの内に秘めた翳のある女性も良かったように思います(ギヨーム・デ・フォレ、イザベル・ヴェンガルテン共にこの作品に出演するまで演技経験が無かったというから、ブレッソンの演出力には舌を巻く)。

白夜 フランス版ポスター.jpgQUATRE NUITS D'UN REVEUR1.bmp 夜のセーヌ河をイルミネーションに飾られた水上観光バス(バトー・ムーシュ)がボサノヴァ調の曲を奏でながらクルージングする様を、橋上から情感たっぷりに撮った映像はため息がでるほど美しく、原作のロマンチシズムを極致の映像美にしたものでした。

 「白夜」という原作タイトルは邦訳の際のもので、ドストエフスキーがこの短編につけたタイトルは「「夢想者の4夜」です(右はブレッソン版ポスター)。

 どちらかと言えば、ヴィスコンティの作品の方を評価する人が多いのかも知れませんが、孤独な青年の繊細さ、情熱、詩情を中心に据えた物語だとすると、ジャン・マレー(元の恋人役)の存在はちょっと重すぎる感じもしました。最後に「元カレ」が現れる場面は共に原作通りですが、そもそも原作には、ヴィスコンティの作品のような離れ離れになる前の男女の遣り取りはなく、もっとシンプルです。いろいろな点で、個人的にはブレッソンの作品の方が勝っていると考えます。

ヴィスコンティ 白夜 .jpg「白夜」(ヴィスコンティ版).jpg「白夜」(ヴィスコンティ版)●原題:QUATER NUITS D'UN REVEUR●制作年:1957年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ニーノ・ロータ●原作:ドストエフスキー●時間:107分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル/ジャン・マレー/クララ・カラマイ/マリア・ザノーリ/エレナ・ファンチェーラ●日本公開:1958/04●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:高田馬場東映パラス(86-11-30)(評価★★★)●併映:「世にも怪奇な物語」(ロジェ・バディム/ルイ・マル/フェデリコ・フェリーニ)

QUATRE NUITS D'UN REVEUR 1971.bmp「白夜」(ブレッソン版)●原題:QUATRE NUITS D'UN REVEUR●制作年:1971年●制作国:フランス●監督・脚本:ロベール・ブレッソン●撮影:ピエール・ロム●音楽:ミシェル・マーニュ●原作:ドストエフスキー●時間:83分●出演:イザベル・ヴェンガルテン/ギョーム・デ・フォレ●日ルイ・マル ブレッソン『白夜 鬼火』半券.jpg本公開:1978/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所:池袋文芸坐(78-06-22)●2回目:池袋文芸坐(78-06-23)●3回目:有楽シネマ(80-05-25) (評価★★★★★)●併映(1回目・2回目):「少女ムシェット」(ロベール・ブレッソン)●併映(3回目):「鬼火」(ルイ・マル)

 【1958年文庫化・1979年改訂[角川文庫(小沼文彦:訳)]】

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作家の処女作であり、読みやすいがいろいろな見方ができる問題作。

貧しき人びと.jpg  『貧しき人びと (新潮文庫)』 ['69年/木村浩:訳] 貧しき人々.jpg 『貧しき人々 (岩波文庫)』 ['31年/原久一郎:訳]

Белые ночи. Бедные люди [Kindle版].jpg 1846年発表のドストエフスキー(1821‐1881)のデビュー作品。
 勤め先でも近所でも蔑まれている小心善良な小役人マカールと、出自はお嬢様だけれども今は薄幸の少女ワーレンカの往復書簡の体裁をとっています。
 ドストエフスキーが兄に宛てた書簡によると、作者はこの小説を雑誌に発表する前に、すでに成功を確信していたそうです(実際に雑誌に連載が始まると、雑誌の価格が上がるほどの好評を博した)。
"Белые ночи. Бедные люди"[Kindle版]

 ドストエフスキー独特の饒舌体であるものの、1組の男女のダイヤローグ・スタイルは読みやすく、貧しさゆえに役所にもボロボロの服で出勤し、将来展望も無く自尊心も地に落ちた中年男マカールが、若いワーレンカに恋焦がれて彼女のことだけが生きがいとなっていく様や、一方ワーレンカの方は、マカールを気遣いつつも自分が貧困から抜け出す現実的選択を模索する、そうした過程の両者の心理状態が手紙文を通して克明に描かれていて、マカールの不幸が、彼の性格という個人的問題と貧困という社会の問題の相互作用としてあることがわかります。

 作者は、時に本当の問題から目をそらし自己欺瞞的とも思えるマカールを、同時に、純粋な美しい人間としても描いていているようで(この辺りがゴーゴリの『外套』などと異なる点)、それではこうした困窮に虐げられ自分の不幸の原因すらわからなくなっている男がいるのは、社会に問題があるからなのかというと、その答えが明示されているわけでもありません。
 何れにせよ、この場合、マカールにとっての第一義的な不幸、主観的な不幸は、"貧しさ"ではなくワーレンカに去られることなのだろうなあ。
 マカールはある人の金銭的な施しで急場を救われ、ワーレンカもまた―。何れも"金"によってしか両者の問題は解決されないのですが、マカールにとってはむしろカタストロフィ的な結末と言えるのでは。

 当時の大御所批評家のベリンスキーがこの作品を絶賛したとされていますが、『作家の日記』によると、ベリンスキーはドストエフスキー本人に対しては、「君の書いた哀れな役人は、役所勤めで身も心も擦り切れ、過失を重ねて自分自身を卑しめ、自分は不幸な人間だと考える元気も失っている(中略)これは恐ろしいことだ。悲劇じゃないか」と言ったといいます。
 こうしたベリンスキイの読み方を小林秀雄などは批判していますが、そういう風にも読めてしまうのがこの作品の微妙な点ではないでしょうか。

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫).jpg 【1931年文庫化・1960年改版版[岩波文庫(『貧しき人々』)(原久一郎:訳)]/1951年再文庫化[新潮文庫(『貧しき人々』)(中村白葉:訳)]/1951年再文庫化・1969年改版版[角川文庫(『貧しき人々』)(井上満:訳)]/1969年再文庫化・1993年改版版[新潮文庫(木村浩:訳)]/1970年再文庫化[旺文社文庫(『貧しき人々』)(北垣信行:訳)]//2010年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『貧しき人々』)(安岡治子 :訳)]】

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

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