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"私小説"的なものを強く感じる。「自分の虚構化」を通して自身が作中人物になってしまった?
『つげ義春全集 (8)』(1994/04 筑摩書房)
『無能の人』['87年/日本文芸社]
1979(昭和54)年発表の「魚石」から1986(昭和61)年発表の「蒸発」まで10作を収めたもので、全8巻(+別巻)の筑摩書房版の全集の第8巻であり、"後期作品"ということになりますが、やはり、この人の作品でしか味わえない、最近の漫画では類型を見出し難い独特の雰囲気があります。
漫画を読んでいるというより、小説を読んでいるという感じで、最初の「魚石」は、"時代もの"をとの版元の要請に応えるべく描かれ、魚石という不思議な石を巡る江戸時代の話が作中に織り込まれている分"物語"的であり、その後の「近所の風景」('81年)も在日朝鮮人の集落を背景とした"物語"ですが(初期作品「山椒魚」を思い出した)、以降の80年代の作品は、何れも"私小説"的なものを強く感じます。
「散歩の日々」('84年)のラストの「 自分は売上金を三百円くすねた...」とか、この辺りはまだほのぼのとした雰囲気もありますが、その後の「ある無名作家」('84年)は、内容も暗いけれど、ラストの「ふと子供の頃義父にひどい仕打ちをうけたことを思い出した」というのも、暗いなあ(この暗さがいいのだが)。それに続くのが、「無能の人」('85年)に代表される"石屋シリーズ"です。
主人公(最近漫画を描かない漫画家)や主人公が接する人々は、うらぶれて半ば世捨て人のように生きていて、但しそれは、人から尊敬されるような高邁な精神生活ではなく、家族を抱え、妻に愛想をつかされたりしながらも、生きる糧を求めながらのかつかつの生活をしているという―、表面的には暗いムードの話が多いのですが、一方で、敢えて時代に追従せず、自我を抑制して淡々と生きる生き方への作者の憧憬のようなものも感じます。
主人公がいきなり「石屋」を始めるとか、かなり浮世離れしている感じもしますが、「石を売る」('85年)、「無能の人」に描かれている"売石業"にしろ、「カメラを売る」('86年)に描かれている中古カメラ屋にしろ、実際に作者が漫画家からの転身を図って試みた"商売"であるとのこと、但し、だからと言って、《主人公=作者》ということになるはずはなく、そこに自分自身の虚構化という作為があることは、作者自身も認めていますが(カメラ屋をやっていた頃の作者の写真を見ると、やけに朗らかで、作中の人物とイメージは異なる)、この作者の場合、自分の生活が本当に作品の主人公みたいになってしまう傾向があるのではないかという気がしなくもないです。
筑摩版の全集は'93年から'94年にかけて刊行されましたが、作者自身は、'87年の「別離」以降は作品を発表しておらず、今日まで長い沈黙を続けており、「無能の人」みたいな生活を送っているのかなあ(この全集も'08年から'09年にかけて全巻文庫化されているので、印税とかは入っているだろうけれど...)。
【2009年文庫化[ちくま文庫(『近所の景色/無能の人―つげ義春コレクション8』)]】
《読書MEMO》
・魚石(1979年11月)...「時代もの」の話が作中に織り込まれている
・近所の景色(1981年10月)... 在日朝鮮人の集落が背景
・散歩の日々(1984年6月)... 2年半の空白期間の後に発表
・ある無名作家(1984年9月)... 作者の創作姿勢が反映されている?
・石を売る(1985年6月)..."石屋シリーズ"の最初の作品
・無能の人(1985年9月)...「無能」ということを意識した"石屋シリーズ"第2作
・鳥師(1985年12月)... 作者が出あった"鳥男"のイメージをもとに創作
・探石行(1986年3月)..."石屋シリーズ"第3作
・カメラを売る(1986年6月) ... "石屋シリーズ"の主人公が骨董カメラを売る話
・蒸発(1986年12月)... 書店主・山井のおき方を漂白の俳人・井月に重ねた作品


本書の最初に出てくる、かの有名な「ねじ式」ほか、「山椒魚」「通夜」「海辺の叙景」「沼」「峠の犬」は、いずれも'66-'68年の作品です。

つげ義春
本書は作品の発表順に所収されていて、'67年作品が「李さん一家」「紅い花」「西部田村事件」、'68年作品が「長八の宿」「二峡渓谷」「オンドル小屋」「ほんやら洞のべんさん」「もっきり屋の少女」、'70年以降が「蟹」('70年)、「リアリズムの宿」('73年)、「庶民御宿」('75年)です。

