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ガン治療の最前線を追いかけながら、自身は検査・治療、リハビリを拒否、QOLの方を選んだ。

死はこわくない3.jpg死はこわくない.jpg   立花 隆 5.jpg          
死はこわくない』['15年]  立花 隆(1940-2021)

自殺、安楽死、脳死、臨死体験。 長きにわたり、人の死とは何かを思索し続けた〈知の巨人〉が、正面から生命の神秘に挑む。「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験だから、いい夢を見ようという気持ちで自然に人間は死んでいくことができるんじゃないか」。 がん、心臓手術を乗り越えた立花隆が、現在の境地を率直に語る―。

 今年['21年]4月30日、急性冠症候群のため80歳で亡くなった(訃報は6月23日になって主要メディアで報じられた)立花隆による本です。

 第1章「死はこわくない」は、「週刊文春」に'14年10月から11月にかけて3回にわたり連載された編集者による訊き語りで、「死」を怖れていた若き日のことや、安楽死についてどう考えるか、「死後の世界」は存在するか、「死の瞬間」についての近年の知見、体外離脱や「神秘体験」はなぜ起こるのか、自らががんと心臓手術を乗り越えて今考える理想の死とは、といったようなことが語られています。

Elisabeth Kübler-Ross.gif 第2章「看護学生に語る『生と死』」は、これから患者の死に立ち会うであろう看護学生に向けてリアルな医療の現場を語った'10年の講演録で、人は死ぬ瞬間に何を思うか、難しいがん患者のケア、長期療養病棟の現実、尊厳死とどう向き合うか、などについて述べています。また、その中で、キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』など、人間の死や終末医療に関する本を紹介しています。

Elisabeth Kübler--Ross

 第3章「脳についてわかったこと」は、月刊『文藝春秋』'15年4月号に掲載された「脳についてわかったすごいこと」を加筆・修正したもので、NHKの科学番組のディレクターの岡田朋敏氏との脳研究に関する対談になっています。

 というわけで、寄せ集め感はありますが、第1章は「死」に対する現在の自身の心境(すでに死はそう遠くないうちに訪れると達観している感じ)が中心に語られ、延命治療はいらないとか、自分の遺体は「樹木葬」あたりがいいとか言っています。章末に「ぼくは密林の象のごとく死にたい」という'05年に『文藝春秋』の「理想の死に方」特集に寄港したエッセイが付されていますが、このエッセイと本編の間に約10年の歳月があり、より死が身近なものになっている印象を受けます。

臨死体験.jpg臨死体験 下.jpg 第2章の看護学生に向けての講演も、第1章に劣らす本書の中核を成すものですが、内容的には著者の『臨死体験』('94年/文芸春秋)をぐっと圧縮してかみ砕いた感じだったでしょうか。ただ、その中で、検事総長だった伊藤栄樹(1925-1988)の『人は死ねばゴミになる―私のがんとの闘い』('88年/新潮社)といった本などの紹介しています。学術分野で言えば、第2章は脳科学であるのに対し、第3章は大脳生理学といったところでしょうか(著者は、'87年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進へのインタビュー『精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』['90年/文藝春秋]など早くからこの分野にも関わっている)。

I死は怖くないtukushi.jpg また、この中で、「NEWS23」のキャスターで73歳でガンで亡くなっただった筑紫哲也(1935-2008)のことに触れられていて、ガン治療に専念するといって番組を休んだ後、ほぼ治ったと(Good PR)いうことで復帰したものの、2か月後に再発して再度番組を休み、結局帰らぬ人となったことについて(当時まだ亡くなって2年しか経っていないので聴く側も記憶に新しかったと思うが)、「Good PR」はガンの病巣が縮小しただけで、まだガンは残っている状態であり、これを「ほぼ治った」と筑紫さんは理解してしまったのだとしています。かつては、病名告知も予後告知もどちらも家族にするのが原則でしたが、最近は本人に言うのが原則で、ただし、予後告知とか、どこまで本人がきちんと理解できるような形でお行われているのか、或いは、詳しくは言わない方がいいという医師の判断が働いていたりするのか、考えさせられました。

 それにしても、著者は、こうしたガン治療の最前線を追いかけながら、自分自身は大学病院に再度院したものの、検査や治療、リハビリを拒否し、「病状の回復を積極的な治療で目指すのではなく、少しでも全身状態を平穏で、苦痛がない毎日であるように維持する」との(QOL優先)方針の別の病院に転院しています。病状が急変したとき、看護師のみで医師が不在だったらしく、その辺りがどうかなあというのはありますが、あくまでも本人の希望がそういうことだったならば...(これも本人の希望に沿って、樹木葬で埋葬された)。
 
 このことから思うのは、著者の〈知〉の対象は、あくまでも〈対象〉であって、その中に著者自身は取り込まれていない印象を受けます。もちろん「QOL優先」については、テレビ番組の取材などを通して放射線や抗ガン剤治療が患者のQOLを下げた上に、結局その患者は亡くなってしまったといった例も見てきただろうから、その影響を受けている可能性はあるし、「QOL優先」自体が「たガン治療の最前線」のトレンドと言えなくもないですが。

 かつての『田中角栄研究』にしても、当時は「巨悪を暴いた」みたいな印象がありましたが、本人は田中角栄という人物の編み出した金権構造に、システムとしての関心があったのではないかと思います。だから、『脳死』とか『サル学の現在』とか、別のテーマにすっと入っていけたのではないかと、勝手に推測しています。

【2018年文庫化[文春文庫]】

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個々のテーマについて掘り下げて書かれているのはいいが、横の繋がりが今一つという気も。

地球外生命 9の論点 (ブルーバックス).jpg地球外生命 9の論点 (ブルーバックス)』['12年]

 少し以前までは、学者が地球外生命を論じるのは科学的でないとしてタブー視されていたようですが、どちらかと言うとよりこのテーマに近い専門家である生物学者らの、地球に生命が誕生したのは奇跡であって、地球以外では生命の発生はあり得ないとする《悲観論》が、宇宙のどこかには地球の生命とは別の生命が存在するのではないかという宇宙学における《楽観論》を凌駕してきたということもあったかもしれません。

 それが近年、系外惑星が候補も含め3千個以上発見されているとか、太陽系内にも水がある衛星やかつて水があった惑星がある可能性があるといった天文学者の指摘や、隕石や宇宙空間から有機物が発見されているという新事実から、生物学者の中にも生命の生成が地球外でもあり得るとの仮説を検証しようという動きが出てきたように思われます。

 そうした意味では、生物学者、物理学者らが、それぞれの専門的視点から地球外生命の存在を考察している本書は、学際的な切り口として大変興味深いものがあります。

 9人の専門家(加えて、立花隆氏と宇宙物理学者の佐藤勝彦氏が寄稿)が考察する9つの論点は次の通り。
  1.極限生物に見る地球外生命の可能性 (長沼毅)
  2.光合成に見る地球の生命の絶妙さ (皆川純)
  3.RNAワールド仮説が意味するもの (菅裕明)
  4.生命は意外に簡単に誕生した (山岸明彦)
  5.共生なくしてわれわれはなかった (重信秀治)
  6.生命の材料は宇宙からきたのか (小林憲正)
  7.世界初の星間アミノ酸検出への課題 (大石雅寿)
  8.太陽系内に生命の可能性を探す (佐々木晶)
  9.宇宙には「地球」がたくさんある (田村元秀)

 う~ん。もう、これまで地球外生命の存在に慎重だった生物学者側の方も、今や《楽観論》が主流になりつつあるのかな。
 
 かつて水があった惑星の最有力候補は火星であり、こうなると、地球生命の起源は火星にあるのかも知れないと―(彗星や隕石が火星の有機物を地球に運んできた)。

 但し、本書によれば、海底の熱水噴出孔近くなどの特異な環境で生きる生物の実態が近年少しずつ分かってきており、こうなると、まず地球単独で生命を生み出す条件を揃えていることになったりもして、火星から有機物をわざわざ持ってこなくともいいわけです。

 もちろん、太陽系内で液体の水や火山活動など生命が存在しうる環境が見つかってきていることも、大いに関心は持たれますが、一方、太陽系外となると、生命存在の可能性はあっても、地球に到達する可能性という面で厳しそうだなあと。
 ましてや、知的生命体との遭遇なると、本書にも出てくる「ドレイク方程式」でよく問題にされる「生命進化に必要な時間」と「高度な文明が存在する時間の長さ」がネックになるかなあと。

 まあ、この辺りは不可知論からロマンはいつまでもロマンのままであって欲しいという情緒論に行ってしまいがちですが、これ、一般人に限らず、本書に寄稿している学者の中にもそうした傾向が見られたりするのが興味深いです(やっぱり、自分が生きている間にどれぐらいのことが分かるか―というのが一つの基準になっているのだろうなあ)。

 個々のテーマについて掘り下げて書かれているのはいいけれど、横の繋がりが今一つという気もしました(本当の意味での"学際的"状況になっていない?長沼毅氏以外は、専ら研究者であり、一般向けの本をあまり書いていないということもあるのか)。結局、まだ学問のフィールドとして市民権を得ていないということなんでしょうね。でも、各々のフィールドでの研究は着々と進んでいる印象を受けました。
 
 「自然科学研究機構」というのは、国立天文台、核融合科学研究所、基礎生物学研究所、生理学研究所、分子科学研究所の5研究機関から構成される大学共同利用機関法人で(大学院もある)、「異なる分野間の垣根を越えた先端的な新領域を開拓することにより、21世紀の新しい学問を創造し、社会へ貢献することを目指して」いる団体とのことで、こうしたコラボを継続していくのでしょうね。現機構長である佐藤勝彦氏に期待したいところ。

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今回は、蔵書の「量」だけでなく、「質」の部分がかなり浮き彫りにされている。

2ぼくの血となり肉となった五〇〇冊.jpgぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊.jpg 『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』 ['07年]

立花隆.bmp 文京区・小石川で、手提げ袋を両手にえっちらおっちら歩く立花隆氏を"目撃"したことがありますが、書評としてとり上げる候補の本を購入したところだったのでしょうか。

 「週刊文春」連載の書評を纏めたシリーズの第3冊で、今回は単行本500ページ強のうち、前半部が「ぼくの血となり肉となった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊」というタイトルのインタビューで、仕事場で編集者に語る形で自らの蔵書と読書遍歴を語っており(併せて仕事遍歴の話も)、後半が恒例の「週刊文春」の書評('01年3月〜'06年11月分)になっています。

 編集者の提案したタイトルが面白いということでタイトルが先に決まったようですが、結果的には象徴的な意味合いとなっています(ダメ本100冊のリストがあれば面白いのでしょうが、そういう形式にはなっていない)。自らの読書遍歴を語った前半部分は、"血肉になった本"を書庫を巡る形で紹介していて、予想はつきましたが、これがまた凄い量と質。

ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論.jpg このシリーズの1冊目『ぼくはこんな本を読んできた』('95年/文藝春秋)にも事務所である"猫ビル"の案内があり、その凄まじい蔵書量に驚きましたが、今回の方が、自身が辿ってきた思索(ヴィトゲンシュタインの影響が大きかったとか)及び仕事との関連においてより系統的に書物の紹介をしているので、ものの見方や仕事のやり方というものも含めて、蔵書の「質」の部分がかなり浮き彫りにされているように思えました。

 タイトルの「ぼくの血となり...血にも肉にもならなかった100冊」はむしろ後半部の方に当て嵌まり、とり上げている本は全部で235冊ですが、時々こき下ろしている本もあります。
 個人的には、この人の書評を読む際は、本探しではなく書評自体を楽しむ、という風にスタンスを決めたため、今回も楽しめたように思います。

素手でのし上がった男たち.jpg寺山修司.jpg ノンフィクションしかとり上げない主義のようですが、「例外」的に寺山修司の詩集宮崎駿のコミックが入っているのは、個人的な繋がりからでしょうか。

 立花氏の最初の本が『素手でのし上がった男たち』(番町書房)であり、著者の無名時代のこうした人物ドキュメント本に、寺山修司が「情報社会のオデッセー」なんていう帯書きをしていたという事実が、余談の部分ではあるけれど興味深かったです(今や「知の巨人」と言われる立花氏とて、無名時代に世話になった人に対しては生涯にわたって恩義を感じるものだということの例に漏れるものではないのだろなあ)。
『素手でのし上がった男たち』 Bancho Shobo 1969年

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"本探し"ではなくこの書評集自体を楽しむ気持ちで読めば...。

1ぼくが読んだ面白い本・ダメな本.jpgぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術.jpgぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術.jpgぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 〔'01年/文春文庫'03年〕

 『ぼくはこんな本を読んできた-立花式読書論、読書術、書斎論』('95年/文藝春秋)に続く読書論・書評集で、書評部分は、「週刊文春」連載の「私の読書日記」の、前著が'92年8月から'95年10月までの3年分を収録していたのに対し、本書は、'95年11月から'01年2月までの5年分を収録、前著は書評部分が本全体の半分弱だったのに対し、本書は8割が書評で、書評を楽しみたければこっちの方がいいかも。

 前著を読んだ時は、書庫(兼仕事場)として地上3階、地下1階の「ねこビル」を建てたという話の印象が強く、また圧倒され、書評の方は難しくて高価な本が多くてあまり楽しめませんでしたが、本書には、著者の「書評」を書く際のスタンスが(前著にも一応あったのだが)よりわかり易く記されていて、お陰で楽しめました(選んでいる本の難易度も価格帯の高さも相変わらずなのだが)。

 著者が書評で取り上げるのは、原則として自身の仕事とは関係ない本で、雑誌の原稿締切り近くに書店に行って見つけてきた所謂"旬の本"から選んだものであるとのこと(大書店に行かないと無い本が結構多いように思うが)、但し、通常の「書評らしい書評」、または「ヒマ人用の趣味的な書評」として書いているのではなく、そうしたヒマ人が一生手に取ることのないような、しかし本として価値があるものを、敢えて紹介しているとのこと。

 個人的には、以前は、読むべき本を探す気持ちがどこかにあって、逆にこの人の書評を楽しめない面があったかも...。著者の意図に反するかも知れませんが、この書評集自体を楽しむ気持ちで読めば、難しくて高価な本から、面白いところだけ抜き出して見せてくれているのは、有り難いことであるとも言えます。
 著者自身、意識していることですが、「奇書」の含まれている比率が高いと言うか、この人、何でも極端な話が好きみたい(その部分だけだと面白いけれど、何千円も払って本そのものを購入する人の比率は少ないのではないか)。

 「最後まで読まなければならない本」(推理小説など)、「速読してはいけない本」(文学作品など)は含まれておらず、そうした本は著者にとっては「タイムコンシューマー」(時間浪費)であり、要するに小説は著者のこの書評シリーズには含まれていません。
 この割り切りも、スッキリしていて良いと思えてきました。

 【2003年文庫化[文春文庫]】

「●分子生物学・細胞生物学・免疫学」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【368】 多田 富雄『生命の意味論
「●た 立花 隆」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(利根川 進)

分子生物学から免疫学に"乱入"してノーベル賞、そして脳科学へ。立花氏を唖然とさせる発言も。

立花 隆 『精神と物質』.jpg精神と物質.jpg        利根川 進.jpg 利根川 進 氏
精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』(1990/06 文芸春秋)

 1991(平成3)年・第4回「新潮学芸賞」受賞作。 

 個体の中に進化と同じシステムがあって、それにより免疫抗体の多様性が生み出される―。この本を読む前は、言葉で理解していてもその実よくわからなかったようなことが、読んだ後にはよくわかりました。

 進化でいうところの〈突然変異〉が、免疫細胞における遺伝子組み換えというかたちで恒常的におこなわれている―。
 つまり、個体を構成する細胞の遺伝子はすべて同一であるという生物学の"常識"概念を、利根川教授が見事に覆してみせたわけです(こういうパラダイム転換をもたらすものがノーベル賞の対象になりやすいのだろうなあ。そうでなければ、多方面の技術の進展や実生活に直接・間接に寄与したものとか)。

 利根川氏、分子生物学から免疫学へ乱入(?)してノーベル賞を、続いては脳科学の世界へ。すごいに尽きます。
 ただし、免疫学の研究においては分子生物学で培った技術が大いに役立ったとのこと。逆に、長く同じ分野で研究を続けている人は、新しい方法を思いつきにくいという傾向も、一面ではあるのかもしれないと思ったりしました。

 生物はもともと無生物からできているので、物理学や化学の方法論で解明できる。人間は非常に複雑な機械に過ぎないーとおっしゃる利根川氏。
 頭でわかっても、凡人には今ひとつピンと来ず、利根川ご指名の単独インタヴュアーである立花隆氏も、この発言には少し唖然としている様子ですが、脳科学の世界ではこれが主流の考えなのでしょうか。

 【1993年文庫化[中公文庫]】

《読書MEMO》
●人間は60兆個の細胞からできていて、その1つ1つに長さ1.8mのDNAがあり、30億個分の遺伝情報が蓄積されているが、読み出される情報はごく一部(文庫46p)
●個体の中に進化と同じシステムがあって、それで免疫抗体の多様性が生み出されている→突然変異=遺伝子組み替え、ただし頻度が異なる(文庫252p)
●生物はもともと無生物からできているので、そうであれば物理学や化学の方法論で解明できる。要するに生物は非常に複雑な機械にすぎない(文庫322p)

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興味深い話が満載。「子殺し」の話はショックであり謎である。

立花 隆 『サル学の現在』.jpgサル学の現在.jpg サル学の現在 上.jpg サル学の現在下.jpg  立花 隆 2.jpg 立花 隆 氏
サル学の現在』 単行本 〔'91年〕/文春文庫 (上・下)

 ジャーナリストである著者が、内外のサルに関する研究者に対するインタービューをまとめたもの。「サル学」に関心を持っている人がどれだけいるかという気もしましたが、著者のネームバリューもあってか、結構売れたようです。

 現在の日本の「サル学」研究は、世界のトップクラスであるとのこと。「現在」といっても'91年の出版で、内容は多少古くなってるかもしれませんが、扱っているサルの種類が広汎で(チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなど類人猿から、ニホンザル、ヒヒ、ハヌマンラングール、その他)、視点も、社会学的考察から、遺伝子工学による分子生物学的分類まで幅広いものです。

 しかも、ニホンザルにボスザルはいないとか(動物園で見られるサル山は人工的に作られた社会とのこと)、ゴリラには同性愛があるとか、ピグミーチンパンジーは挨拶代わりに性行為をするとか、読者の興味を引く話が満載です。

ハヌマンラングール.jpg 結果として、体系的な知識が得られるという本にはなっていない気もしますが、サル学者になるわけではないから、まあいいか。

 むしろこれだけブ厚い本を楽しく最後まで読ませ、振り返って人間とは何かを否応無く考えさせる力量は、やはり著者ならでのものでしょう。

「子殺し」をするハヌマンラングール

 一番印象に残った話は、やはりサルの「子殺し」でしょうか。

 ハヌマンラングール(南アジア に棲息する中型のオナガザルの1種)の新しく群れのリーダーになったオスが、前のボスの子である生まれたばかりの赤ちゃんザルを殺すということを発見したのは日本人です。

 '62年、京大の大学院生だった杉山幸丸氏(現・京都大名誉教授)が、インド・デカン高原西部のダルワール近郊で、ハヌマンラングールの群れを追っていた際に、ドンタロウと名づけたオスが率いる「ドンカラ群」を7匹のオスグループが襲い、ドンタロウは群れを追われ、襲撃派のなかのエルノスケが群れを乗っ取るという"事件"が起こります。

 しかし、杉山氏にとって本当に衝撃的な"事件"は、その後2ヵ月の間に起こり、それは、エルノスケがその間に、大人のメスが連れていた赤ちゃんザル5匹と1歳の子どものメス1匹を次々に殺しく光景に出くわしたというもので、杉山氏ら京都大の霊長類研究グループは、ニホンザル研究で培った個体識別と長期観察の手法で「子殺し」の詳細を明らかにしていった結果、「群れの中でメスと交尾できるのは大人のオスだけで、外のオスが群れを乗っ取り、交尾を望んでも、子育て中のメスは発情しないため、子どもをいなくして発情させようとした」のだという結論に達します。

 別の群れで大人のオスを除去したら、近くの群れからきたオスが子殺しをしたことが観察され、研究グループは、これは特殊な出来事ではないとの確信を深めますが、国際シンポジウムでこの「子殺し」を発表した際の世界中の学者たちの反応は冷たく、単なる「異常行動」とされて議論にもならなかったそうです。

 しかし、その後、ゴリラやチンパンジーなどの霊長類のほか、ライオンでも子殺しが見つかり、70年代になると、欧米の研究者らもハヌマンラングールの子殺しを相次いで報告し、杉山氏らの研究は追認され、世界に受け入れられていきます(日本はサル学先進国なのだ!)。

 子育て中のメスザルは発情しないが、子が死ねばまた発情する―というのがポイントだと思いますが、こうした子殺しが、チンパンジーやゴリラでも行われていて、しかも彼らは、殺した子ザルの肉を食うというのにはビックリ。

 ゴリラの場合はハーレムを形成するけれど、チンパンジーは乱交なので、自分の子を食べている可能性もあるわけです。しかも生きたままで...。
 何だか、ショックと謎がいっぺんに来たような感じがしました。

 【1996年文庫化[中公文庫(上・下)]】

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宇宙の生成の「インフレーション」理論がわかりやすく解説されている。

立花 隆 『脳とビッグバン.jpg脳とビッグバン.jpg 『脳とビッグバン―生命の謎・宇宙の謎』 (2000/06 朝日新聞社)

 科学の最前線で活躍する科学者とその「現場」を立花隆氏が取材するという科学誌『サイアス』の連載をまとめたもので、本書はシリーズ3冊目。
 ビッグバン研究の最前線からの報告をはじめとする宇宙編と、脳や生命活動についての新発見を紹介する生命編の2部構成になっています。

 第1部のビッグバン研究の最前線は、東大の佐藤勝彦教授の研究室を取材していますが、佐藤教授の宇宙の生成における「インフレーション」理論が、立花氏によってわかりやすく、かつ興味深く紹介されています。
 このあたりの一般人の驚きを喚起するような氏の伝達技術はうまい。
 宇宙の謎を解く研究をしている現場ってどんなのだろうという素人の興味にも応えていると思います(これがまた意外と質素・貧弱で雑然としている研究室なのです)。

 第2部の「生命の謎を探る」では、子どもの脳にしかないと思われていた神経幹細胞が成人の脳にもあったことを発見した慶応大学医学部の岡野栄之研究室の「現場」などを取材していますが、科学誌に連載されたものであるためか、やや専門的です。

 こうして単行本になったとき、この2つのテーマの双方に関心を持ち、その内容を理解する読者がどのくらいいるのかとも思いましたが、しっかり文庫化されているのは「立花本」ゆえでしょうか。

 【2004年文庫化[朝日文庫]】

《読書MEMO》
【宇宙の生成過程】
宇宙は生まれたとき、素粒子より小さかった
●1.インフレーション以前...宇宙誕生後10の-44乗秒後にインフレーションが始まった
●2.インフレーション期...1秒の1/1兆の1/1兆の1/10億の間に、10兆倍の10兆倍の1億倍の大きさに(10の-33乗秒後に1センチぐらいの大きさに)
●3.火の玉宇宙期(ビッグバン期)(誕生から30万年まで)
●4.ポスト火の玉期(〜現在)
※ここでいう宇宙は光の到達範囲内(=観測的宇宙=100億光年内)。宇宙自体の膨張は、光速が最速といういうアインシュタインの理論の制限を受けない。

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量的な部分で圧倒される「知」のデリバリー・システム。

ぼくはこんな本を読んできた3.JPGぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論.jpg 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 (1995/12 文藝春秋)

 著者の本を何冊か読んだ人ならば、その知識の源泉の秘密はどこにあるのか、情報の整理・分析のシステムはどのようになっているのかを知りたいと思うだろし、そうした意味では興味が涌く1冊。ただし、本書を読んでみて何よりも圧倒されるのは、質的なものよりも量的なものではないでしょうか。蔵書のために、地上3階、地下1階の「ねこビル」を建ててしまったわけですから。

 もちろん読書術として参考になる部分も幾つかあり、例えばある分野について知ろうとする場合、その分野に関する本をとりあえずまとめて購入してしまうとか...。ただし、その数が一度に50冊とか半端じゃない。一般の人にはマネしたくてもできない面も多く、はあ〜と感心させられて終わりみたいな部分もありました。
 イヤミに聞こえるとまでは言うと言い過ぎかも。ノンフィクション作家やルポライター、或いはそうした職業を目指す人とかの中には、実際、本書の読書法を参考にし、また実践している読者がいるかもしれませんから。

 後半は雑誌に連載した読書日記の再録になっていますが、すごく幅広い分野にわたってのかなりマニアックとも思える本までを、比較的常識人としての感覚で読める人という感じがします。
 ただ、この人の「追究」テーマの核となっているのは、宇宙とか臨死体験とか、極限的なものが多いような気がします(価格の高い本が多いので、あまり買って読む気はしないが...)。

 個人的には、この人はやはり「追究者」であって「研究者」という感じは受けず(もちろん単なるピブリオマニア(蔵書狂)でないことは確かですが)、「知識」を一般人にデリバリーしてみせる達人であって、「知の巨人」というこの人のことをよく指していう表現はちょっと的を射ていないのではないかという思いを、本書を読んで強めました。

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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とりあえず死に際のことを心配するのはやめようという気持ちになった。

臨死体験 上.jpg臨死体験.jpg 臨死体験 下.jpg  Elisabeth Kübler-Ross.gif 
臨死体験〈上〉 (文春文庫)』['00年]/『臨死体験〈上〉 臨死体験〈下〉』(1994/09 文芸春秋) Elisabeth Kübler-Ross

 体外離脱などの臨死体験は、「現実体験」なのか「脳内現象」に過ぎないのか―。著者の基本的立場は脳内現象説のようですが、自分もこの本を心霊学ではなく超心理学の本として読みました。

 石原裕次郎の体外離脱経験、ユングの青い地球を見たという話など面白く、さらに終末医療の権威エリザベス・キューブラー=ロス(1926‐2004)がその著『死ぬ瞬間』('71年/読売新聞社、'01年/中公文庫)の中で書いているという「私は〈プレアセス星団〉まで行ってきました」という話には結構ぶっ飛びました。〈プレアセス星団〉って昴(すばる)のことです(一方で精神科医としてのキューブラー=ロスはターミナル・ケア第一人者であり、同じ『死の瞬間』の中で展開したの「死の受容のプロセス(否認・隔離→怒り→取引→受容)」理論は有名である)。

 臨死体験の内容の共通性はよく知られていますが、日本と海外の違い、経験者の死生観に与えた影響や、電気感受性の高まりなど生理的変化の報告までとりあげられて、「脳内現象」派の人にも興味深く読めると思います。

  心強かったのは、臨死体験の恍惚感に対する脳内麻薬説。
 死の恐怖には"死ぬ瞬間"に対する恐怖の占める比重がかなりあると思いますが、このエンドルフィンの部分を読んで、創造主の意思が働いているかのような不思議さを感じるとともに、とりあえず死に際のことを心配するのはやめようという気持ちになりました。
 それが、この本から得た最大の成果でした。

 【2000年文庫化[文春文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
●体外離脱は脳内現象か現実体験か
●エリザベス・キューブラー=ロス...『死ぬ瞬間』ターミナル・ケア第一人者・精神科医、体外離脱でプレアデス星団へいった????
●レイモンド・ムーディ(医学博士)...『かいまみた死後の世界』'75(文庫上19p)
●ケネス・リング(現実体験説)......『オメガに向かって』 臨死体験者の宗教観の変化→精神的進化論(文庫上263p)
●キルデ(医学博士)...『クオラ・ミヲラ』 自己催眠による体外離脱・自動書記で本を書く・UFOとの出会い、宇宙人に医学検査される
●『バーバラ・ハリスの臨死体験』(立花隆訳)
●体外離脱=石原裕次郎も臨死体験者、ユングは青い地球を見た(文庫上53-57p)
●ユーフォリア...臨死体験中の恍惚感(文庫上129p)
●恍惚感のエンドルフィン説(脳内麻薬物質)...夏目漱石の臨死体験(文庫上131p)
●臨死体験者の電気感受性の高まり(ケネス・リングの報告)(文庫上363p)
●入眠状態での創造性開発:湯川秀樹など(文庫下71p)
●ドッペルゲンガー現象(自己像幻視=もう一人の自分を見る)(文庫下160p)
●前頭葉てんかん等の脳内現象説に対する現実体験説の最後の拠り所→体外離脱しなければ見えないものを見てきた事例←真偽判定

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