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敢えて曇天の下でロケをした、ポランスキーの映画化作品を思い出した。

マクベス.jpg 安西徹雄.jpg マクベス (新潮文庫).jpg    「マクベス」チラシ.jpg マクベス ポランスキー2.jpg
マクベス (光文社古典新訳文庫)』〔'08年〕安西徹雄(1933‐2008) 『マクベス (新潮文庫)』 映画「マクベス」チラシ/「マクベス[ビデオ]」 (下左)ロマン・ポランスキー監督「マクベス」ポスター
マクベス ポランスキー.jpgマクベス ポスター.jpg 1606年に成ったとされるシェイクスピア4大悲劇の1つであり、以前に、ロマン・ポランスキー監督の映画化作品('71年/米)を名画座で観ましたが、ローレンス・オリビエ監督の「ハムレット」('48年/英)とフランコ・ゼッフィレッリ監督の「ロミオとジュリエット」('68年/米)との3本立てでの上映で、この3本の中では一番時代劇風でありながらも、一番エキセントリックでした。

MACBETH 1971 3.jpg ホラー映画のような雰囲気もあり、ポランスキーだからと納得したいところですが、心理サスペンスが身上の彼にしては、マクベスの首から血がびゅうびゅう飛び出るようなシーンもあるスプラッター調。「マクベス」の映画化は、オーソン・ウェルズ他に続いて3度目でしたが、ポランスキー監督は、妻シャロン・テートを惨殺された事件の後の最初の作品で、血なまぐさいのはそのためなのか?(まさか)

リア王.jpg 安西徹雄の新訳も、『リア王』('06年/光文社古典新訳文庫)などよりはちょっと"重い"感じで、元来『マクベス』というのはそうしたトーンの作品だということでしょうか。『リア王』みたいに道化も出てこないし...。

MACBETH 1971 4.jpg ポランスキーの映画は屋内シーンがやけに暗く、セットの貧しさを隠すためにそうしたのだと言われていますが、野外シーンも同じように暗かったため、これは、敢えてどんよりとした曇天の下でロケをすることで、そうした中世スコットランドの政情不安からくる陰鬱なムードを象徴させていたということかも知れないと改めて思いました。

マクベス改版 角川文庫クラシックス.jpg マクベスが自らが殺したスコットランド王の幻影を見るシーンはちょっと滑稽さも感じるに対し、マクベス夫人が自分の手が血に塗られている幻覚を見る場面はストレートに怖いです(映画よりも原作の方が怖いかも)。
 「バーナムの森が動かない限り」はマクベスの王座は安泰で、「女から生まれた者には敗れることはない」という魔女の予言が、どういった形でそれぞれ破られるのかというのも、読者の興味を引くところです。

 因みに、訳者の安西徹雄氏は、本書翻訳後、訳稿の校正段階で病のため入院し、'08年5月に逝去しています。光文社古典新訳文庫でのこれからの新訳が楽しみだっただけに残念です。

マクベス―シェイクスピアコレクション (角川文庫クラシックス)』(カバーイラスト:金子國義)

MACBETH 1971 1.jpgMACBETH 1971 2.jpg「マクベス」●原題:MACBETH●制作年:1971年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロマン・ポランスキー●音楽:ザ・サード・イアー・バンド●原作:ウィリアム・シェイクスピア●時間:146分●出演:ジョン・フィンチ/フランセスカ・アニス/マーティン・ショウ/ニコラス・ セルビー/ジョン・ストライド/ステファン・チェイス/ポール・シェリー/テレンス・ ベイラー/アンドリュー・ローレンス/フランク・ワイリー●日本公開:1973/07●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:三鷹オスカー(81-03-15) (評価★★★)●併映:「ハムレット」(ローレンス・オリビエ)/「ロミオとジュリエット」(フランコ・ゼッフィレッリ)

 【1958年・1997年文庫化[岩波文庫]/1968年・1996年再文庫化[角川文庫]/1969年再文庫化[新潮文庫]/1980年再文庫化[旺文社文庫]】

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リア王は自己愛性パーソナリティ障害の典型。ハッピー・エンドに改変され150年間演じられた。

リア王.jpg 『リア王 (光文社古典新訳文庫)』 (安西徹雄:訳)['06年] リア王2.bmp 『リア王 (1967年) (新潮文庫)』 (福田恒存:訳)['67年]

 1605年に成ったとされるシェイクスピア4大悲劇の1つ。
 ブリテン王・リア王は、突然引退を表明し、誰が王国継承にふさわしいか、娘たちの愛情をテストするが、気性の荒さと老いによる耄碌から、長女ゴネリルと次女リーガンの黒い腹の底を見抜けず、最愛の三女コーディリアには裏切られたとものと思い込む―。

 演劇集団「円」(これ、立ち上げたのは福田恒存だった)の演出者でもあった安西徹雄(1933‐2008)の新訳は、今日の役者のせりふとして観客がそれを聞いて自然に楽しめるような語調になっています。
 結果的に、福田恒存などによる従来訳に比べ大時代的な(日本流に言えば歌舞伎演劇的な)色合いが弱まり、その分、エンターテインメント性が前面に出ている感じですが、実際、シェイクスピアの時代の観客は、芸術鑑賞というより娯楽としてこの芝居を楽しんだのではないかと思われ、そうした当時の観客の意識に近づけたような気がします。

自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本.jpg 以前読んだ『自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』('07年/講談社)で、「自己愛性パーソナリティ障害」の典型例としてこの「リア王」が挙げられていましたが、「自己愛性パーソナリティ障害」とは健全な人間関係を築けないという障害であり、根本にあるのは「愛しているのは自分だけ」という思いで、極端に自己中心的で、他者から賞賛を求めるが他者への配慮はなく、傲慢・不遜な態度が目立つとのこと。当て嵌まっているなあ、確かに。

 リア王の臣下でグロスター伯というのが出てきますが、この人物が「ミニ・リア王」みたいな人で、息子2人のどちらが自分を愛しているかが見抜けないのですが、こうした重層構造のプロットにし、さらにリアの悪い娘とグロスターの悪い息子が結託して―といった具合に話を"面白く"していて飽きさせません。

リア王 新潮文庫.jpg こうしたジグソーパズルの組み合わせみたいなストーリー構成はツボを押さえているという感じで、『ロミオとジュリエット』などもそうですが、最後の何枚かのピースを裏返すと、そのままハッピー・エンドにもなるかも。

 実際、解説によると、ネイハム・テイトという17世紀の人がこれをハッピー・エンドに改作し、19世紀中ごろまで150年以上にわたって舞台で演じ続けられたのは、このテイト版だったとのことです。

リア王 (新潮文庫)』 (福田恒存:訳)[改版版]

 【1967年文庫化[新潮文庫]/1973年再文庫化[旺文社文庫]/1974年・2000年再文庫化[岩波文庫]】

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「終わりよければすべてよし」。「悲劇」と見るのには無理がある。

ヴェニスの商人2.jpgヴェニスの商人.jpg   ヴェニスの商人2.jpg
ヴェニスの商人 (新潮文庫)』 (福田恆存:訳) 『ヴェニスの商人』 光文社古典新訳文庫 (安西徹雄:訳) 〔'07年〕
新潮文庫(改装版)

ヴェニスの商人v.jpg 1594年から1597年の間に書かれたとされているシェイクスピア(1564‐1616)の作品ですが、ユダヤ人高利貸しのシャイロックが苛められる話として有名?

 劇団四季で浅利慶太が日下武史をして〈受難者〉としてのシャイロック像を演出し「新解釈」と言われましたが、実は昔からそうした解釈はあり、本場ロンドンではシャイロックを一流の悲劇役者が演じる傾向が18世紀からあるそうです。

 '04年に初めてハリウッド映画化され、それまで映画化されなかったのは、米映画界におけるユダヤ系の人たちの影響力の大きさのためだと思うのですが、シャイロックを演じたのはやはり大物俳優(アル・パチーノ)でした(マイケル・ラドフォード監督、ジェレミー・アイアンズ、ジョセフ・ファインズ共演)。
 因みに、今年['07年]8月には、本場英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの演出家グレゴリー・ドーランを招いて市村正親(シャイロック)、西岡徳馬(アントーニオ)、藤原竜也(バサーニオ)、寺島しのぶ(ポーシャ)の配役での舞台公演が予定されていますが、やはりテーマは「偏見」ということになるみたいです。

福田恆存.png でもやはり、シェイクスピアの「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「リア王」を生んだ「悲劇時代」の前にあった、彼の「喜劇時代」の作品であることに注目した福田恆存(1912-1994)の解題にもあるように、これを「悲劇」と見るのには無理があるような気がします。
福田 恆存 (1912-1994)

 「クリスト教徒の血を一滴でも流したら、お前の土地も財産も、ヴェニスの法律に従い、国庫に没収する」(クリスト教徒...というのがミソですが)と言われて復讐を諦めたシャイロックが、「市民以外の者が市民の生命に危害を加えようとした罪科」で、結局財産を没収され、さらに生殺与奪権を当局に委ねられるのであれば、この裁判はもともと何だったのかと突っ込みたくもなりますが、意外と本人は(演じ方にもよりますが)あっさり引き下がり、証文の文言をタテに強気を張っていた人物が、同じ文言や条文に足をすくわれるというパラドックスが鮮やかだと思います。

 何れにしろ、ユダヤ人に対する排斥感情が正論的に在った時代に書かれたものであることを頭に入れておくべきかも知れないし、時代背景を考え始めると、アントーニオーとバサーニオーの友情も、現代のものとは少し違うのではないかという見方(もっと"濃い"もの)も成り立ちます。因みに、グレゴリー・ドーランの演出も、バサーニオがポーシャに求婚する費用を作るため借金をするアントーニオは、同性のバサーニオを愛しているという解釈となっているようです。

 悲劇だと決め込んで初めて映画や芝居でこの作品に触れた人の中には、最後のポーシャが「変装」や「指輪の行方」の種明かしをする"微笑ましい"場面が「余分だった」というような感想を持った人もいたようですが、「終わりよければすべてよし」というオプティミスティックな考え方がベースの明るい作品であるという解釈に立てば、この部分は構成上なくてはならないパートでしょう。どんどん「悲劇」化されていくことで、オリジナルとは違ったものになっていっている気がしなくもない...。

ヴェニスの商人 (1966年).jpg 【1966年文庫化[旺文社文庫]/1967年再文庫化[新潮文庫]/1973年再文庫化・1982年改訂[岩波文庫]/2002年再文庫化[ちくま文庫]/2005年再文庫化[角川文庫]/2007年再文庫化〔光文社古典新訳文庫〕】
ヴェニスの商人 (1966年) (旺文社文庫)

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