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後の作品の様式美、後の黒澤と三船の関係の終焉の予兆を感じさせる作品ではないか。

蜘蛛巣城 1957.jpg蜘蛛巣城 dvd.jpg蜘蛛巣城 10.jpg
蜘蛛巣城<普及版> [DVD]」三船敏郎

蜘蛛巣城 浪花ド.jpg 北の館(きたのたち)の主・藤巻の謀反を鎮圧した武将、鷲津武時(三船敏郎)と三木義明(千秋実)は、喜ぶ主君・都築国春(佐々木孝丸)に召喚され、蜘蛛巣城へ馬を走らせるが、霧深い「蜘蛛手の森」で道に迷い、奇妙な老婆(浪花千栄子)と出会う。老婆は、武時はやがて北の館の主、そして蜘蛛巣城の城主になり、義明は一の砦の大将となり、やがて子が蜘蛛巣城の城主なると告げる。二人は一笑に蜘蛛巣城 三船es.jpg付すが、主君が与えた褒賞は、武時を北の館の主に、義明を一の砦<の大将に任ずるものだった。武時から一部始終を聞いた妻・浅茅(山田五十鈴)は、老婆の予言を国春が知ればこちらが危ないと謀反を唆し、武時の心は揺れ動く。折りしも、国春が、藤蜘蛛巣城 ンロード.jpg巻の謀反の黒幕、隣国の乾を討つために北の館へ来た。その夜、浅茅は見張りの兵士らを痺れ薬入りの酒で眠らせ、武時は、国春を殺す。主君殺しの濡れ衣をかけられた臣下・小田倉則安(志村喬)は国春の嫡男・国丸(太刀川洋一)と蜘蛛巣城に至るが、蜘蛛巣城蜘蛛巣城 16.jpgの留守を預かっていた義明は開門せず、弓矢で攻撃してきたため逃亡する。義明の推挙もあり、蜘蛛巣城の城主となった武時だったが、子が無いために義明の嫡男・義照(久保明)を養子に迎えようとする。だが浅茅はこれを拒み、加えて懐妊を告げたため、武時も心変わりする。義明親子が姿を見せないまま養子縁組の宴が始まるが、その中で武時は、死装束に身を包んだ義明の幻を見て、抜刀して錯乱する。浅茅が客を引き上げさせると、郎党の武者から、義明は殺害したが、義照は取り逃がしたとの報が入る。嵐の夜、浅茅は蜘蛛巣城 三船 山田.jpeg死産し、国丸、則安、義照を擁した乾の軍勢が攻め込んでくる。無策の家臣らに苛立った武時は、森の老婆を思い出し、蜘蛛手の森へ馬を走らせる。現れた老婆は「蜘蛛手の森が城に寄せて来ぬ限り、お前様は戦に敗れることはない」と予言する。蜘蛛巣城を包囲され動揺する将兵に、武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高めるが、野鳥の群れが城に飛び込むなどした不穏な夜が明けると浅茅は発狂し、手を「血が取れぬ」と洗い続ける。そして蜘蛛手の森は寄せ来る。恐慌をきたす兵士らに持ち場に戻れと怒鳴る武時めがけ、味方側から無数の矢が放たれる―。

 黒澤明監督の1957年公開作で、シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に置き換えた作品であることはよく知られています。クレジットに「原作:シェイクスピア「マクベス」と無いのは、「原作」ではなく「翻案」ということだと思われますがが、Wikipediaなどでは「原作」となっています。また、海外ではシェイクスピアの映画化作品で最も優れた作品の一つとして評価されているようです(ヴェネツィア国際映画祭「金獅子賞」ノミネート作品)。

蜘蛛巣城 last.jpg 1956年10月16日、第1回ロンドン映画祭のオープニング作品として上映され、黒澤明もこれに出席、その直後にローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーの夫妻と会食し、ローレンス・オリヴィエは本作について、浅茅を妊娠させ、死産で発狂させたことや、森が動き出す前夜、森を荒らされた鳥たちが城に飛んでくるところ、最後に武時が味方の矢で殺されるところなどを評価し、ヴィヴィアン・リーも山田五十鈴の演技に興味を持ち、動きの少ない演技や発狂するときのメーキャップについて熱心に質問したそうです。

蜘蛛巣城 mori.jpg 原作にはマクベスの妻の妊娠は無く、こうしたオリジナリティから黒澤自身がこの作品を「マクベス」のリメイクとしては公表しなかった言われていま蜘蛛巣城 志村4.jpgす。また、最後に武時が味方の無数の矢で殺される部分は、原作ではマクベスは、「女(訳本によっては「女の股」)から生まれた者には殺されない」と魔女に告げられ慢心していたのが、「母の腹を破って出てきた」(要するに「帝王切開」で生まれた)マクダフという男に殺されます(映画では、「バーナムの森がダーネンの丘に向かってこない限りはマクベスは滅びない」との予言の方だけ採用されている。娯楽性を重視する黒澤明がわかりやすい方のみを選択したのではないか)。

蜘蛛巣城 山田.jpg また、山田五十鈴演じる浅茅が狂気に陥る場面では、山田五十鈴は、凄まじい形相で手を洗う仕草をくり返す演技を自分で組み立て、自宅で水道の水を流して自己リハーサルをくり返したといい、この演技は、黒澤にして「このカットほど満足したカットはない」と言わせましたが、黒澤明の方でも、山田五十鈴の白眼に金箔を張るなど、「七人の侍」('54年)で雨に墨汁を混ぜたのと同じような技巧を施しています。

蜘蛛巣城 yamada.jpg ヴィヴィアン・リーも関心を持った山田五十鈴演じる浅茅の演技は、黒澤明自蜘蛛巣城 mihune.png身が好きだったという能の所作を取り入れたもので、モノクロ画面の印影と相俟って強烈な印象を残しますが、この作品が「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」('58年)など黒澤作品と同じ50年代の作品であり、同様のダイナミズムを有しながらも、一方で、後の「乱」('85年)(これもシェイ東京暮色 yamada nakamura.jpgクスピアの「リア王」を翻案した作品だが)などに見られる能の様式美をすでに体現していることが興味深いです。しかし。山田五十鈴という女優は、同じ年に小津安二郎監督の「東京暮色」('57年)にも出ているわけで、演技の幅広さを感じます(「東京暮色」には、この作品で「幻の武士」役の中村伸郎、宮口精二も出ている)。

「東京暮色」('57年)山田五十鈴/中村伸郎

 でも、やはり三船敏郎が一番でしょうか。武時が味方の矢で殺されるというのは、原作からの大きな改変と言えますが、ローレンス・オリヴィエをしてその箇所を評価せしめているのは、やはり三船敏郎の演技によるところが大きいと思われ、改めて三船あっての黒澤作品であると思わざるを得ません。このシーン蜘蛛巣城 三船.jpg、大学の弓道部の学生を大勢動員して実際に三船に向けて蜘蛛巣城 大學弓道部.jpg矢を放ったという、まさに命懸けの撮影だったわけですが、三船は本作の撮影終了後も、自宅で酒を飲んでいると矢を射かけられたラストシーンを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤にだんだんと腹が立ち、酒に酔った勢いで散弾銃を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだというエピソードがあります。これはある意味、将来の黒澤と三船の関係の終焉の予兆を感じさせるような話のように思えます。

土屋嘉男(鷲津の郎党D、伝令、騎馬の伝令の3役)
蜘蛛巣城 土屋101.jpg 伝令の男が城門を叩くシーンは、当初は鷲津の郎党の一人の役の土屋嘉男が推薦した俳優が演じていましたが、「演技が嘘っぽい」として黒澤が気に入らず数日を費やしたため、監督直々の頼みで土屋嘉男が吹き替えをすることとなり、また、鷲津武時に騎馬の伝令が敵情を緊急報告する場面では、ベテランの馬術スタッフが急に「役が重すぎる」と怖気づいたため、乗馬の心得のある土屋嘉男が再び黒澤監督から直々の頼みを受け、この伝令の役を演じています。土屋嘉男は自身にとって会心のテイクが3度目にあったものの、黒澤監督から馬の動きに注文を出され、何度もテイクを重ねることになり、堪りかねてわざと黒澤監督めがけて馬を走らせて、逃げる監督を追いかけ回し、3度目のテイクにOKを出させたとか。土屋嘉男は「隠し砦の三悪人」でも騎馬侍を演じ、馬上で三船敏郎と会い交える派手な騎乗シーンを見せてくれています。

加藤武(都築警護の武士A)/千秋実(三木義明&その幻影)/浪花千栄子(物の怪の妖婆)/中村伸郎(幻の武者C)
蜘蛛巣城 katou1.jpg 蜘蛛巣城 千秋.jpg 蜘蛛巣城 浪花.jpg 蜘蛛巣城 中村.jpg
志村喬(小田倉則保)
蜘蛛巣城 志村.jpg蜘蛛巣城 1.jpg「蜘蛛巣城」●制作年:1957 年●監督:黒澤明●製作:藤本真澄/黒澤明●脚本:小国英雄/橋本忍/菊島隆三/黒澤明●撮影:中井朝一●音楽:佐藤勝●原作:ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」(クレジット無し)●時間:110分●出演:三船敏郎/山田五十鈴/志村喬/久保明/太刀川洋一/千秋実/佐々木孝丸/清水元/高堂国典/上田吉二郎/三好栄子/浪花千栄子/富田仲次郎/藤木悠/堺左千夫/大友伸/土屋嘉男/稲葉義男/笈川武夫/谷晃/沢村いき雄/佐田豊/恩田清二郎/高木新平/増田正雄/浅野光雄/井上昭文/小池朝雄/加藤武/高木均/樋口廸也/大村千吉/櫻井巨郎/土屋詩朗/松下猛夫/大友純/坪野鎌之/大橋史典/木村功(特別出演)/宮口精二(特別出演)/中村伸郎(特別出演)●公開:1957/01●配給:東宝●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(10-09-21)(評価:★★★★☆)

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敢えて曇天の下でロケをした、ポランスキーの映画化作品を思い出した。

マクベス.jpg 安西徹雄.jpg マクベス (新潮文庫).jpg    「マクベス」チラシ.jpg マクベス ポランスキー2.jpg
マクベス (光文社古典新訳文庫)』〔'08年〕安西徹雄(1933‐2008.5.29) 『マクベス (新潮文庫)』 映画「マクベス」チラシ/「マクベス[ビデオ]」 (下左)ロマン・ポランスキー監督「マクベス」ポスター

マクベス ポランスキー.jpgマクベス ポスター.jpg 1606年に成ったとされるシェイクスピア4大悲劇の1つであり、以前に、ロマン・ポランスキー監督の映画化作品('71年/米)を名画座で観ましたが、ローレンス・オリビエ監督の「ハムレット」('48年/英)とフランコ・ゼッフィレッリ監督の「ロミオとジュリエット」('68年/米)との3本立てでの上映で、この3本の中では一番時代劇風でありながらも、一番エキセントリックでした。

MACBETH 1971 3.jpg ホラー映画のような雰囲気もあり、ポランスキーだからと納得したいところですが、心理サスペンスが身上の彼にしては、マクベスの首から血がびゅうびゅう飛び出るようなシーンもあるスプラッター調。「マクベス」の映画化は、オーソン・ウェルズ他に続いて3度目でしたが、ポランスキー監督は、妻シャロン・テートを惨殺された事件の後の最初の作品で、血なまぐさいのはそのためなのか?(まさか)

リア王.jpg 安西徹雄の新訳も、『リア王』('06年/光文社古典新訳文庫)などよりはちょっと"重い"感じで、元来『マクベス』というのはそうしたトーンの作品だということでしょうか。『リア王』みたいに道化も出てこないし...。

MACBETH 1971 4.jpg ポランスキーの映画は屋内シーンがやけに暗く、セットの貧しさを隠すためにそうしたのだと言われていますが、野外シーンも同じように暗かったため、これは、敢えてどんよりとした曇天の下でロケをすることで、そうした中世スコットランドの政情不安からくる陰鬱なムードを象徴させていたということかも知れないと改めて思いました。

マクベス (岩波文庫)』(木下順二:訳)['97年]『マクベス―シェイクスピアコレクション (角川文庫クラシックス)』(三神 勲:訳)['96年](カバーイラスト:金子國義) 
マクベス (岩波文庫).jpgマクベス改版 角川文庫クラシックス.jpg マクベスが自らが殺したスコットランド王の幻影を見るシーンはちょっと滑稽さも感じるに対し、マクベス夫人が自分の手が血に塗られている幻覚を見る場面はストレートに怖いです(映画よりも原作の方が怖いかも)。

 「バーナムの森が動かない限り」はマクベスの王座は安泰で、「女から生まれた者には敗れることはない」という魔女の予言が、どういった形でそれぞれ破られるのかというのも、読者の興味を引くところです。「女(訳本によっては「女の股」)から生まれた者には殺されない」と魔女に告げられ慢心していたマクベスですが、マクダフは「母の腹を破って出てきた」男だったのだなあ。要するに「帝王切開」ということですが、19世紀後半くらいまで、帝王切開で母子ともに助かるケースは稀だったようです(王政ローマ時代のカエサルが帝王切開によって誕生したというのは、カエサルの生後に母親が生きていたという記録があり、伝説にすぎないようだ)。因みに、魔女たちは予言の中ですでに「マクダフに気をつけろ」とも言っています。

 訳者の安西徹雄氏は、本書翻訳後、訳稿の校正段階で病のため入院し、'08年5月に逝去しています。光文社古典新訳文庫でのこれからの新訳が楽しみだっただけに残念です。

 そう言えば、この作の「3人の魔女」のモチーフは、アガサ・クリスティの『蒼ざめた馬』の中で使われていました。
蒼ざめた馬 1997 3老婆.jpgThe Pale Horse 1997 e22.gif
「アガサ・クリスティ/青ざめた馬 (魔女の館殺人事件)」 (97年/英) ★★★☆

「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第17話)/蒼ざめた馬」 (10年/英・米) ★★★☆

蜘蛛巣城 dvd.jpg蜘蛛巣城 10.jpg さらによく知られているところでは、黒澤明監督の「蜘蛛巣城」('57年/東宝)は「マクベス」を翻案したもので、クレジットにはありませんが、一般にも「マクベス」が原作であるとされています。3人の魔女ではなく一人の妖婆が出てきて、三船敏郎演じるマクベスに相当する鷲津武時という武将に、やがて蜘蛛巣城の城主になると予言し、さらに「女から生まれた者には殺されない」とは言いませんが、「森が動かなければ滅びない」とは言います。
「蜘蛛巣城」 (1957/01 東宝) ★★★★☆

IMG_20201107_035652.jpg また、手塚治虫の『バンパイヤ』は、その骨バンパイヤ 秋田書店 初版1966.jpg組みが「マクベス」であることを作者自身が明かしています。そもそも、バンパイヤの敵役となる(時に味方にも見えたりする)ロック少年の本名は間久部(まくべ)緑郎、世界制覇を目論む冷酷な少年ですが、知的な判断力を持ちながら、一方で、「マクベス」の"3人の魔女"に相当する"3人の占い師"に自分の行く末を占わせたりしています。こちらは、「蜘蛛巣城」と逆で、ロックは魔女から、「森が動かなければ滅びない」とは言わバンパイヤ tv 魔女.pngれませんが、「あんたは、人間にゃやられないよ」と言われ、これは「女から生まれた者には殺されない」と言われたマクベスと同じで、さらにロックは、「人間でないものにもやられない」と言われます(裏を返せば、「人間」でも「人間でないもの」でもない、「変身中のバンパイヤ」がロックの天敵となることになる)。「バンパイヤ」は'68年にフジテレビでドラマ化されましたが(実写とアニメの複合。主役のトッペイ役は水谷豊)、こちらにもちゃんと、ロックが頼る"3人の占い師"が出てきます。
     

MACBETH 1971 1.jpgMACBETH 1971 2.jpg「マクベス」●原題:MACBETH●制作年:1971年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロマン・ポランスキー●音楽:ザ・サード・イアー・バンド●原作:ウィリアム・シェイクスピア●時間:146分●出演:ジョン・フィンチ/フランセスカ・アニス/マーティン・ショウ/ニコラス・ セルビー/ジョン・ストライド/ステファン・チェイス/ポール・シェリー/テレンス・ ベイラー/アンドリュー・ローレンス/フランク・ワイリー●日本公開:1973/07●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:三鷹オスカー(81-03-15) (評価★★★)●併映:「ハムレット」(ローレンス・オリビエ)/「ロミオとジュリエット」(フランコ・ゼッフィレッリ)

文庫マクベス 角川.jpg 【1958年文庫化[岩波文庫(野上 豊一郎:訳)]/1968年・1996年再文庫化[角川文庫/角川文庫クラシックス(『マクベス―シェイクスピアコレクション』(三神 勲:訳))]/1969年再文庫化[新潮文庫(福田恒存:訳)]/1980年再文庫化[旺文社文庫(大山俊一:訳)]/1996年再文庫化[ちくま文庫(『シェイクスピア全集 (3) マクベス』(松岡和子:訳)]/1997年再文庫化[岩波文庫(木下順二:訳)]/2008年再文庫化[光文社古典新訳文庫((安シェイクスピア全集 (3) マクベス.jpg西徹雄:訳))]/2009年再文庫化[角川文庫(『新訳 マクベス―シェイクスピアコレクション』(河合祥一郎:訳))]】
シェイクスピア全集 (3) マクベス (ちくま文庫)』(松岡和子:訳)['96年]カバー画:安野光雅

新訳 マクベス (角川文庫)』(河合祥一郎:訳)['09年](カバーイラスト:金子國義)

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リア王は自己愛性パーソナリティ障害の典型。ハッピー・エンドに改変され150年間演じられた。

リア王.jpg リア王2.bmp リア王 (白水Uブックス (28)).jpg リア王 山崎努.jpg
リア王 (光文社古典新訳文庫)』 (安西徹雄:訳)['06年]  『リア王 (1967年) (新潮文庫)』 (福田恒存:訳)['67年]『リア王 (白水Uブックス (28))』 (小田島雄志:訳)['83年] 新国立劇場こけら落とし講演「リア王」(1998)山崎 努/真家瑠美子

 ブリテン王・リア王は、突然引退を表明し、誰が王国継承にふさわしいか、娘たちの愛情をテストするが、気性の荒さと老いによる耄碌から、長女ゴネリルと次女リーガンの黒い腹の底を見抜けず、最愛の三女コーディリアには裏切られたとものと思い込む―。

 1605年に成ったとされるシェイクスピア4大悲劇の1つ。 1997年に開館した新国立劇場のこけら落とし公演(1998年1月)が「リア王」だったなあ(リア王を演じたのは山崎努)。演劇集団「円」(これ、立ち上げたのは福田恒存だった)の演出者でもあった安西徹雄(1933‐2008)の新訳は、今日の役者のせりふとして観客がそれを聞いて自然に楽しめるような語調になっています。
 結果的に、福田恒存などによる従来訳に比べ大時代的な(日本流に言えば歌舞伎演劇的な)色合いが弱まり、その分、エンターテインメント性が前面に出ている感じですが、実際、シェイクスピアの時代の観客は、芸術鑑賞というより娯楽としてこの芝居を楽しんだのではないかと思われ、そうした当時の観客の意識に近づけたような気がします。

自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本.jpg 以前読んだ『自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本』('07年/講談社)で、「自己愛性パーソナリティ障害」の典型例としてこの「リア王」が挙げられていましたが、「自己愛性パーソナリティ障害」とは健全な人間関係を築けないという障害であり、根本にあるのは「愛しているのは自分だけ」という思いで、極端に自己中心的で、他者から賞賛を求めるが他者への配慮はなく、傲慢・不遜な態度が目立つとのこと。当て嵌まっているなあ、確かに。

 リア王の臣下でグロスター伯というのが出てきますが、この人物が「ミニ・リア王」みたいな人で、息子2人のどちらが自分を愛しているかが見抜けないのですが、こうした重層構造のプロットにし、さらにリアの悪い娘とグロスターの悪い息子が結託して―といった具合に話を"面白く"していて飽きさせません。

シェイクスピア全集 (5) リア王.jpgリア王 新潮文庫.jpg こうしたジグソーパズルの組み合わせみたいなストーリー構成はツボを押さえているという感じで、『ロミオとジュリエット』などもそうですが、最後の何枚かのピースを裏返すと、そのままハッピー・エンドにもなるかも。

 実際、解説によると、ネイハム・テイトという17世紀の人がこれをハッピー・エンドに改作し、19世紀中ごろまで150年以上にわたって舞台で演じ続けられたのは、このテイト版だったとのことです。

リア王 (新潮文庫)』 (福田恒存:訳)[改版版]

シェイクスピア全集 (5) リア王 (ちくま文庫)』(松岡和子:訳)カバー画:安野光雅

 【1967年文庫化[新潮文庫(福田恒存:訳)]/1973年再文庫化[旺文社文庫]/1974年・2000年再文庫化[岩波文庫]/1997年再文庫化[ちくま文庫(『シェイクスピア全集 (5) リア王』(松岡和子:訳)]/2008年再文庫化[光文社古典新訳文庫((安西徹雄:訳)]/2020年再文庫化[角川文庫(『新訳 リア王の悲劇―シェイクスピアコレクション』(河合祥一郎 :訳))]】

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「終わりよければすべてよし」。「悲劇」と見るのには無理がある。

ヴェニスの商人2.jpg
『ヴェニスの商人』.JPG
ヴェニスの商人.jpg ヴェニスの商人2.jpg ヴェニスの商人 (白水Uブックス (14)).jpg
ヴェニスの商人 (新潮文庫)』(福田恆存:訳)『ヴェニスの商人』 光文社古典新訳文庫 (安西徹雄:訳)〔'07年〕『ヴェニスの商人 (白水Uブックス (14))』(小田島雄志:訳)['83年]
新潮文庫(改装版)
 1594年から1597年の間に書かれたとされているシェイクスピア(1564‐1616)の作品ですが、近年では、ユダヤ人高利貸しのシャイロックが苛められる話として有名かもしれません。

ヴェニスの商人  日下武史.jpg 劇団四季で浅利慶太が日下武史をして〈受難者〉としてのシャイロック像を演出し「新解釈」と言われましたが、実は昔からそうした解釈はあり、本場ロンドンではシャイロックを一流の悲劇役者が演じる傾向が18世紀からあるそうです。

ヴェニスの商人 アルパチーノ.jpgヴェニスの商人v.jpg '04年に初めてハリウッド映画化され、それまで映画化されなかったのは、米映画界におけるユダヤ系の人たちの影響力の大きさのためだと思うのですが、シャイロックを演じたのはやはり大物俳優(アル・パチーノ)でした(マイケル・ラドフォード監督、ジェレミー・アイアンズ、ジョセフ・ファインズ共演)。

 因みに、今年['07年]8月には、本場英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの演出家グレゴリー・ドーランを招いて市村正親(シャイロック)、西岡徳馬(アントーニオ)、藤原竜也(バサーニオ)、寺島しのぶ(ポーシャ)の配役での舞台公演が予定されていますが、やはりテーマは「偏見」ということになるみたいです。

福田恆存.png でもやはり、シェイクスピアの「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「リア王」を生んだ「悲劇時代」の前にあった、彼の「喜劇時代」の作品であることに注目した福田恆存(1912-1994)の解題にもあるように、これを「悲劇」と見るのには無理があるような気がします。
福田 恆存 (1912-1994)

 「クリスト教徒の血を一滴でも流したら、お前の土地も財産も、ヴェニスの法律に従い、国庫に没収する」(クリスト教徒...というのがミソですが)と言われて復讐を諦めたシャイロックが、「市民以外の者が市民の生命に危害を加えようとした罪科」で、結局財産を没収され、さらに生殺与奪権を当局に委ねられるのであれば、この裁判はもともと何だったのかと突っ込みたくもなりますが、意外と本人は(演じ方にもよりますが)あっさり引き下がり、証文の文言をタテに強気を張っていた人物が、同じ文言や条文に足をすくわれるというパラドックスが鮮やかだと思います。

 何れにしろ、ユダヤ人に対する排斥感情が正論的に在った時代に書かれたものであることを頭に入れておくべきかも知れないし、時代背景を考え始めると、アントーニオーとバサーニオーの友情も、現代のものとは少し違うのではないかという見方(もっと"濃い"もの)も成り立ちます。因みに、グレゴリー・ドーランの演出も、バサーニオがポーシャに求婚する費用を作るため借金をするアントーニオは、同性のバサーニオを愛しているという解釈となっているようです。

シェイクスピア全集 (10) ヴェニスの商人.jpgヴェニスの商人 (1966年).jpg 悲劇だと決め込んで初めて映画や芝居でこの作品に触れた人の中には、最後のポーシャが「変装」や「指輪の行方」の種明かしをする"微笑ましい"場面が「余分だった」というような感想を持った人もいたようですが、「終わりよければすべてよし」というオプティミスティックな考え方がベースの明るい作品であるという解釈に立てば、この部分は構成上なくてはならないパートでしょう。どんどん「悲劇」化されていくことで、オリジナルとは違ったものになっていっている気がしなくもないです。
シェイクスピア全集 (10) ヴェニスの商人 (ちくま文庫)』カバー画:安野光雅/『ヴェニスの商人 (1966年) (旺文社文庫)

 【1966年文庫化[旺文社文庫]/1967年再文庫化[新潮文庫]/1973年再文庫化・1982年改訂[岩波文庫]/2002年再文庫化[ちくま文庫]/2005年再文庫化[角川文庫(『新訳 ヴェニスの商人―シェイクスピアコレクション』)]/2007年再文庫化〔光文社古典新訳文庫〕】

《読書MEMO》
●舞台演劇「ヴェニスの商人」
ヴェニスの商人91.jpgヴェニスの商人92.jpg演出:グレゴリー・ドーラン
出演:市村正親(シャイロック)、西岡徳馬(アントーニオ)、藤原竜也(バサーニオ)、寺島しのぶ(ポーシャ)

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