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「実録小説」風伝記小説。面白かった。『浮雲』と比較するとさらに興味深い。

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ナニカアル (新潮文庫)
ナニカアル』(2010/02 新潮社)

ナニカアル 単行本.jpg 2010(平成22)年・第62回「読売文学賞」、2010年度・第17回「島清恋愛文学賞」受賞作。

 昭和17年、林芙美子は偽装病院船で南方へ向かった。陸軍の嘱託として文章で戦意高揚に努めよ、という命を受けて。ようやく辿り着いたボルネオ島で、新聞記者・斎藤謙太郎と再会する。年下の愛人との逢瀬に心を熱くする芙美子。だが、ここは楽園などではなかった―。

 「放浪記」ならぬ、有名になってからの林芙美子(1903-1951/47歳没)を主人公に描いた「ジャワ放浪記」のような「実録小説」風伝記小説。林芙美子は太平洋戦争前期の1942年10月から翌年5月まで、陸軍報道部報道班員(南方視察団団員)としてシンガポール・ジャワ・ボルネオに滞在していて、本作は、林芙美子自身が内密に書いた実録小説という体裁をとることで(画家であった夫・緑敏の死後、絵画の裏に隠されていた文書を、後妻が見つけるという設定)、一般的な伝記小説のスタイルにもう一捻り加えています。

 戦時下での、夫がいながらにしての林芙美子の道ならぬ恋が描かれていますが、むしろそちらの方はサイドストーリー的であり、戦争下にある無数の個人を描いくことで、戦争が人々から尊敬と信頼をどのようにして奪うか、そして人々はどのようにして虐げあい、疑いあい、妬みあうようになるかを、主人公自身も含め描いているように思いました。そのあたりが面白かったです。

 なお、この作品に出てくる林芙美子の恋人の新聞記者・斎藤のモデルは、東京日日新聞(のち毎日新聞)の海外特派員だった高松棟一郎(1911-1959/48歳没)だそうですが、1926年23歳で手塚緑敏と内縁の結婚をし、それからずうと落ち着いていたのかと思ったら、「恋の放浪」を続けていたということなのでしょうか。

 林芙美子は1943年40歳の時に新生児を養子として貰い受けていますが(泰という名のこの男の子は10歳で死亡している)、作者はこの「養子貰い受け」について、実は林芙美子と愛人の間の子ではなかったかという大胆な仮説を展開していて、推理作家としての持ち味も出していました(これが一番書きたかった?)。

浮雲 新潮文庫.jpg 林芙美子の戦後の長編小説『浮雲』と比較するとさらに興味深いと思われます。『浮雲』の主人公ゆき子は農林省のタイピストとして仏印(ベトナム)に渡り、そこで農林省技師の富岡と出会うのですが、その後何度も離れ離れになる富岡には、会おうと思ってもなかなか会えない「新聞記者・斎藤」が反映されていて、一方で、ゆき子のタイピストという職業には、南方視察団の船の三等客室に現地の事務要員として詰め込まれた二十歳前後の若い女性たちが反映されているように思いました。

 しかし、当時非合法であった非合法であった日本共産党に密かに入党していた(芙美子はそのことを本人から示唆される)窪川稲子(佐田稲子)とかも南方視察団に加わっているところをみると、この南方視察団は政府のある種"踏み絵"的施策であり、林芙美子もプロレタリア作家として見られた向きもあるので、一緒くたにされて南方に派遣されたようにも思われます。

漢口一番乗り.jpg ただし、この作品にも言及されていますが、1937(昭和12)年に盧溝橋事件を契機に日本が日中戦争に突入した際に、社会が軍事色が濃くなる中、作家たちにも協力要請が届き、林芙美子もペン部隊として戦地に赴いていて、1938(昭和13)年10月、激戦地の漢口に入った「漢口一番乗り」で世間の大きな注目を集めたりしています(本人は張り切っていたということか)。

昭和13年、ペン部隊の一員として中国に渡り、他の作家を出し抜き漢口一番乗りを果たした(新宿歴史博物館蔵)

 すでに前の年に毎日新聞従軍特派員として南京を訪れ、「女流作家一番乗り」として原稿を送った経験があった林芙美子は、この時も単独行動をとり、注目の地を目指すために集団から離れ、前線に向かう部隊に同行し、途中から朝日新聞の特派員とともに行動して現地に入ったとのこと。「女われ一人・嬉涙で漢口入城」と朝日新聞に華々しく一番乗りが報道された一方で、当時の文壇の実力者・久米正雄が文芸部長としていた毎日新聞から閉め出されたそうで(久米正雄は面目を潰されたと怒ったとか)、注目を浴びるために多少は人間関係を犠牲するのも厭わないハングリーなところは、林芙美子という人にはずっとあったのかもしれないと思います。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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主人公が好きになれないが、突き放して読もうとしつつもリアルに考えさせらるのが作者の巧さ。

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桐野氏.jpg 桐野 夏生 氏

 薄井正明、59歳。元大手銀行勤務で、出向先ではプチ・エリート生活を謳歌している。近く都内に二世帯住宅を建築予定で、十年来の愛人・美優樹との関係も良好。一方、最近は会長秘書の朝川真奈のことが気になって仕方ない。目下の悩みは社内での生き残りだが、そんな時、会長から社長のセクハラ問題を相談される。どちらにつくか、ここが人生の分かれ道―。帰宅した薄井を待っていたのは、妻が呼び寄せたという謎の占い師・長峰。この女が指し示すのは、栄達の道か、それとも破滅の一歩か―。(版元サイトより)

孤舟.jpg終わった人 .jpg 雑誌「週刊現代」の2013年8月10日号から21014年9月6日号に連載された小説で、推理小説だはありませんが、主人公である中年男性の人間心理をリアルに描いていて、面白かったと言っていいと思います。会社を定年退職した男性の虚無感や焦りのようなものを描いた小説に、故・渡辺淳一の『孤舟』('10年/集英社)や内館牧子氏の『終わった人』('15年/講談社)がありましたが、渡辺淳一の『孤舟』の主人公が浮気願望があるのに対して、こちらは実際に愛人がいて、内館牧子氏の『終わった人』の主人公は大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍となり、そのまま定年を迎えたのに対し、こちらも同じく大手銀行の出身ですが、今のところ出向先でもそこそこ上を狙える地位ます。そうした状況であることもあってか、自分で自分自身のことをかなり上のクラスに属する人間だと思っていて、このタイプの男性って世の中には結構いるだろうなあと思われ、すごくリアリティを感じました。

 一方で、読み終えて何か残るかと言うと、それほどのものでもないような気もしなくもありません。最大の原因は、十年来の愛人に「女房は既得権があるから」などと言っている主人公に十分に感情移入できないせいかもしれません。妻が夢占い師である長峰みたいな女性にマインドコントロールされれば嫌気もさすとは思いますが、愛人の美優樹を「みゆたん」と呼んでいるのは情けない。しかも、美優樹を会長秘書の朝川真奈と比較して、欲求のままに自分勝手な夢を見ている様は、タイトル通り"猿の見る夢"さながらです。

 男の愚かさを描いた裏返しのフェニミズム小説かとも思いましたが、主人公の妻も怪しい夢占い師・長峰を猿が蛙を祀るがごとく奉っていて、これはもう「人間群像・悲喜劇」として読むしかないかなあと。一旦そう思えば、また面白くも読めましたが、ずーっとその悲喜劇が続いていくのが結構しんどくも感じられました。でも、作者の小説らしいと言えばそう言えるでしょうか。

猿の見る夢s.jpg 予定調和にしないところも作者らしいですが、もともと好きにはなれない主人公ではあるものの、それでもちょっと気の毒になるくらい主人公を苛めていて、それでいて帯に作者の「これまでで一番愛おしい男を書いた」とのコメントがあり、やや違和感を覚えました(ネットで同じような感想が見受けられた)。苛めた分だけ愛おしいということなのかなあ。

 帯にはそれより大きな文字で。「あの女さえいなければ。」とありますが、確かに長峰という夢占い師はまさに"ホラー"だったなあと。やっぱり、この占い婆さんが一番強烈な印象を残したかも。こんな婆さんにつけ込まれる時点で、夫婦の箍(たが)が既に緩んでいるか外れてしまっているということなのだろなあ―とか、「人間群像・悲喜劇」として突き放して読もうと思っても、やっぱりリアルに考えてしまう小説でした。そう読ませるのは、作者の力量のなせる業でしょうか(なんでこんなに男性心理がわかるのだろうか)。

【2019年文庫化[講談社文庫]】

《読書MEMO》
●「定年退職した男性の虚無感や焦りを描いた小説」3作の個人的評価
・渡辺 淳一 『孤舟』['10年/集英社]★★☆
・内館 牧子 『終わった人』['15年/講談社] ★★★☆
・桐野 夏生 『猿の見る夢』['16年/講談社] ★★★★

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「過去の記憶は作られるものである」がテーマである作品に読めてしまったのだが...。

夜の谷を行く2.jpg
夜の谷を行く_.jpg
  あさま山荘Asama_sansou.jpg 浅間山荘(2009年)
夜の谷を行く』(2017/03 文藝春秋)

 連合赤軍が起こした「あさま山荘」事件から四十年余。その直前、山岳地帯で行なわれた「総括」と称する内部メンバー同士での批判により、12名がリンチで死亡した。西田啓子は「総括」から逃げ出してきた一人だった。親戚からはつまはじきにされ、両親は早くに亡くなり、いまはスポーツジムに通いながら、一人で細々と暮している。かろうじて妹の和子と、その娘・佳絵と交流はあるが、佳絵には過去を告げていない。そんな中、元連合赤軍のメンバー・熊谷千代治から突然連絡がくる。時を同じくして、元連合赤軍最高幹部の永田洋子死刑囚が死亡したとニュースが流れる。過去と決別したはずだった啓子だが、佳絵の結婚を機に逮捕されたことを告げ、関係がぎくしゃくし始める。さらには、結婚式をする予定のサイパンに、過去に起こした罪で逮捕される可能性があり、行けないことが発覚する。過去の恋人・久間伸郎や、連合赤軍について調べているライター・古市洋造から連絡があり、敬子は過去と直面せずにはいられなくなる―。

食卓のない家2.jpg 「連合赤軍事件」を素材にした小説を読むのは、個人的には、円地文子の『食卓のない家』('79年/新潮社)以来でしょうか。この『夜の谷を行く』では、1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした「山岳ベース事件」での死亡者15名(処刑による死亡4名、自殺1名(東京拘置所で首吊り自殺した森恒夫)を含む)の名前が実名で出てきます。そして事件の40年後の2011年2月に永田洋子が脳腫瘍のために獄中死する前後から物語は始まり、主人公の啓子(架空の人物)は「総括」から逃げ出してきた一人で、彼女の思念は、現在と事件を回想する過去を行き来します。彼女は、事件を起こしたグループの中核とは距離を置いていたという自己認識で人生を生きてきたつもりだが...。

 まさにタイトル通り"夜の谷を行く"ような、最小限の"世間"としか交流しないような主人公の生活があり、永田洋子の死を契機に、主人公は過去と向き合おうとしますが、そこで思ってもみなかった事実を突き付けられます。それまでも夜の谷を行くような生き方をせざるを得なかったのに、最後にまた更に、主人公を奈落の底に突き落すのか(この作者らしい(?))といった感じでしたが、最後の最後にやや救いがありました(古市洋造ってやはり"ワケあり"だったなあとは思ったが、ここまでは読めなかった。推理的要素はこの部分のみ)。

 ラスト20ページで、昔の"仲間"から媒介者を通して自分が当時、仲間からどう見られていたかを教えられて愕然とし、ラスト2ページで、その情報媒介者である古市の正体が知らされる―でも、考えてみたら、どちらも主人公が本来ならば思い当たりそうなことであり、それに気づかないということは、それだけ「過去の記憶は作られるものである」ということを表しているのかもしれません。主人公を奈落の底に突き落したことの原因も、「過去の記憶は作られるものである」ことに起因し、主人公が目の前にいる人物の正体に思い当たらないのも、「過去の記憶は作られるものである」ことに起因しているわけであって、この辺りの作りは上手いと思いました。但し、その部分が強烈過ぎて、そのこと(「過去の記憶は作られるものである」こと)がテーマである作品に読めてしまったのですが、それは、"テーマ"と言うより"モチーフ"に過ぎないかもしれません。

 作者の言葉を借りれば(自身が新聞等のインタビューで述べている)、「女の立場」からの連合赤軍の問題、特に「総括」という名目で同志を殺害した出来事に迫った作品であることは確かであるとは思います。その流れで、結末を、当時の"メンバー"の女性たちが目指していたものが結実したと読む読み方もあるかと思いますが、そちらの方が"テーマ"性はありますが、そうなるとやや都合主義的な結末のような気もします。個人的評価としては、微妙なところでした。

 余談になりますが、1974年から1975年にかけて起きた「連続企業爆破事件」では大道寺将司と益永利明の死刑判決が確定しましたが、大道寺将司元死刑囚は今年['17年]5月に病死し、益永利明死刑囚は東京拘置所に収監中、そして「連合赤軍・山岳ベース事件」では、永田洋子と坂口弘の死刑判決が確定しましたが、永田洋子死刑囚は病死し、坂口弘死刑囚は東京拘置所に収監中です。「連続企業爆破事件」では、共犯者の大道寺あや子と佐々木規夫が日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で、超法規的措置で釈放され出国して国際指名中であり、「連合赤軍・山岳ベース事件」では共犯者である坂東國男が逃亡中(国外か?)で、何れもその裁判が終了していないため、「連続企業爆破事件」の坂口弘死刑囚や「連合赤軍事件」の佐々木規夫の死刑が執行される見通しは今のところないようです。死刑を執行しないのは、事件が"確信犯"によるものであるからとか、再審請求中であるからということで執行しないわけではなく、事件関係の逃亡犯や公判中の者がいることが理由であるようで、それで言うと、13人もの死刑囚を出した「オウム真理教事件」は、2012年、高橋克也が逮捕され、オウム事件で特別指名手配されていた全員が逮捕・起訴されたものの、高橋克也関連の公判が続いているため、現時点では執行は無いようです(高橋克也の公判が終わったらどうなるのか?)

《読書MEMO》
●「オウム真理教事件」死刑囚のその後
2018年1月18日付で最高裁は高橋克也の上告を棄却、一・二審の無期懲役判決が確定し、高橋は上告棄却決定を不服として異議申し立てを行ったが、最高裁は2018年1月25日付でこの異議申し立てを退ける決定、これにより無期懲役判決が確定した。同年3月14日、麻原(松本智津夫)を除く死刑囚12人のうち7人について、死刑執行設備を持つほかの5拘置所への移送が行われ、7月6日、麻原ら7名の死刑が執行され、20日後の7月26日、残る小池(林)泰男ら6名の死刑が執行された。

【2020年文庫化[文春文庫]】

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川島の女性憎悪キャラが立っていた。面白かったが、終盤ややバタバタバタと慌ただしかった。

桐野夏生 『バラカ』.jpgバラカ 6 .jpg   バラカ 上 (集英社文庫).jpg バラカ 下 (集英社文庫).jpg
バラカ』(2016/02 集英社)バラカ 上 (集英社文庫)』『バラカ 下 (集英社文庫)

 ドバイの赤ん坊市場で買われて日本に来たバラカは、東日本大震災で養親と生き別れ、警戒区域内で豊田老人に保護される。幼くして被曝した彼女は、反原発/推進両派の争いに巻き込まれ、災厄のような男・川島に追われながらも、震災後の日本を生き抜いてゆく―。

 雑誌「小説すばる」で2011年8月号ら2015年5月号に渡り連載された長編小説で、2011年の東日本大震災以降、多くの作家が自らの作品に所謂〈3.11〉を反映させていますが、この人もやっぱりすぐに...。でも、さすが実力派という感じで、650ページの大作ですが飽きずに読め、面白かったです。

 物語は、老人ボランティアの豊田が警戒区域で孤児を保護するプロローグから始まり、続く第1部で大震災前に時間が戻り、第2部が震災時、そして第3部が大震災の8年後という構成。日系ブラジル人のパウロとロザ夫妻の間に生まれてドバイの赤ん坊市場に売られ、日本人に買われるも震災で新たには母となったばかりの女性を失う少女・バラカこそが、プロローグで豊田が保護した孤児だったということです。

 その孤児を買ったのは木下沙羅というテレビ局勤務の女性で、親友の出版社勤務の田島優子の彼氏である川島と関係して妊娠し、子どもを堕した過去があり、恋愛や結婚よりも子どもに執着していて、それで沙羅が養子を"買い"にドバイに行くのを(この辺りは金があれば何とでもなるというバブル期世代の面影を感じる)、優子が雑誌の企画モノとして取材するという微妙な関係。更に、バラカ(本名ミカ)の実父母の日系ブラジル人夫妻の関係に割って入る牧師から、反原発派の運動にそれぞれの形で関わるサクラという女性や豊田老人に近い立場の健太・康太兄弟など、登場人物は多彩。概ね、娘を探すパウロ側の話と、その件の娘であるバラカ側の話が字縄のように交互に展開しますが、最後に1つに収束していきます。

 こうした多くの登場人物の中でもキャラが際立っていたのが、沙羅と結婚してバラカの義父となる川島の女性憎悪(ミソジニー)の権化ぶりで、その卑劣さが強烈なインパクトとなって物語を牽引していると言ってもいいくらいでした。こうした残虐性の描き方はこの作家の得意とするところでしょうが、露悪趣味としての残虐性ではなく、一人の男の持つ残虐性を通して、日本の社会の奥底にある普段は隠蔽されている偏見のようなものを象徴的に浮き彫りにしているのが優れている点でしょう。

 そうしたことも含め、期待を裏切るものではなかったですが(それどころか大いに楽しめた)、パウロと川島の住まいが偶々隣同士になるなど、終盤においてストーリーを収斂させるためにやや強引な(悪く言えばご都合主義的な)展開が見られたように思います。エピローグにかけて話がややバタバタバタと片付いていくような(ストーリーだけを語っているような)慌ただしさがあり、この点は読む人によると思いますが、若干余韻を損ねたように思いました。作者の最高傑作とする人もいますが、個人的にはそこまではいかなかったかなあ(「星5つ」ではなく「星4つ」)。

【2019年文庫化[集英社文庫(上・下)]】

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作者らしい"毒"に満ちた短篇集。表題作の他では「愛ランド」が印象的。

アンボス・ムンドス.jpg 『アンボス・ムンドス』 ['05年] アンボス・ムンドス 文庫.jpg 『アンボス・ムンドス―ふたつの世界 (文春文庫)』 ['08年]

 「植林」「ルビー」「怪物たちの夜会」「愛ランド」「浮島の森」「毒童」「アンボス・ムンドス」の7篇を所収。何れも作者らしい毒に満ちた短篇。

 表題作「アンボス・ムンドス」は、小説家が旅先で知り合った塾講師の女性から聞いたある事件にまつわる話で、それは、かつて小学校の女教師であった彼女が男性教頭と海外へ不倫旅行に出かけている間に、彼女の担任の5年生のクラスの女子児童が崖から転落して死亡したという事件だが、実はその事件の背後には意外な真相があった―。

 憎しみやコンプレックスなどの人間の負の感情が表に噴出した時にどういったことが起こるか、或いはそうしたものが抑制を解かれ暴走した際に人はどういったことを起こすかといったことをこれらの短篇は端的に描いていますが、その憎しみやコンプレックスの主がすべて女性であることがこの短篇集の特徴で、中でも最後に収められている「アンボス・ムンドス」(この不倫カップルが泊まったハバナのホテルの名で、「新旧ふたつの世界」という意味。"表裏""明暗"という意味にもとれる)は、小学校5年生の女子児童の間のどろどろした感情を描いている点と、憎しみによる報復が対教師と対同級生の二重構造になっている点が衝撃的と言えば衝撃的。

 女性としての自分に自信がなく、家でもバイト先でも居場所がない24歳の女性が小さな悪意に目覚める時を描いた「植林」や、妻子持ちの男との不倫の恋に破れた女性の常軌を逸した行動を描いた「怪物たちの夜会」など、何れもどろどろして暗いけれども、谷崎潤一郎と佐藤春夫の間にあった"細君譲渡事件"に材を得た「浮島の森」は文芸小説といった感じだし、「毒童」はオカルトっぽく、バラエティにも富んでいるように思いました。

 個人的に表題作と並んで印象深かったのは、仕事仲間である中年女性3人組が、海外旅行で訪れた上海で、手違いから変なマッサージを受けて変な気分になった勢いでそれぞれの過去の性体験を告白しあう「愛ランド」で、ポルノチックではあるけれども、モチーフ的にも"毒"という意味でも他の作品と少し異質かも。
 覗き見的な興味を満たす部分もありましたが、語り手である主人公が3人の中で一番凡庸で当り障りないキャラクターに思われることが、後の伏線として効いているように思いました(この作品のモチーフは、形を変えて『東京島』に引き継がれた?)。

 【2008年文庫化[文春文庫(『アンボス・ムンドス―ふたつの世界』)]】

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社会問題的テーマが複数盛り込まれているが、一番心に残ったのは男同士の友情。

メタボラ.jpgメタボラ』['07年/朝日新聞社]メタボラ上.jpg メタボラ下.jpg 『メタボラ(上) (朝日文庫)』『メタボラ(下) (朝日文庫)』['10年]

 沖縄本島と思われる密林で、(本土出身と思われる)記憶喪失青年が宮古島出身の少年・ジェイクこと昭光(アキンツ)と偶然に出会い(彼はある施設のようなものから逃げてきたらしい)、彼はアキンツと共に、これも偶然知り合ったコンビニ勤めの娘ミカの家に転がり込んで、2人から「磯村ギンジ」の名前を与えられる―。

 '05年11月から'06年12月にかけて朝日新聞に連載された小説で、今回初めて読んだのですが、最初は話がどういう方向に進むのか見えなくて、そういう状況が続きいらいらさせられたものの、途中からぐんぐん面白くなってきました。

 ギンジとアキンツは次第に親友の関係になっていきますが、それぞれ別々の仕事に就くものの共に挫折し転職、やがてギンジは勤務先のシェア住居「安楽ハウス」のオーナーの釜田に認められ、彼の選挙出馬の手伝いをするようになる一方、アキンツは勤務先のホストクラブ「ばびろん」で金と女性を巡るトラブルを起こす―。

 ギンジが記憶を取り戻したところから、ギンジの"過去"の体験を通しての偽装請負によりに派遣される若者の劣悪な労働条件がクローズアップされていて、それまでギンジの話とアキンツの話が交互に現れていたのに、ここでバランスが一旦崩れる(但し、フリーターの職探しという点では、"今"の2人に通じるところもあるが)―そのことをどう見るかも、この作品の評価の分かれ目の1つでしょうか。

 『グロテスク』('03年/文藝春秋)の際も途中で、「盲流」と呼ばれる中国の農村から都市部へ流れてきた若者の1人(彼が主人公を殺すことになる)の過去をクローズアップしていて、その話がとてもヘヴィであるため、小説全体の構成としてどうかという面は無きにしも非ずでしたが、今回は「聞きたくない人は、耳を塞いでくれ」と主人公に言わせたりしていて、作者自身、小説の中に"社会問題的リポート"が挿入されていると読者に捉えられることを充分自覚してやっている気がしました。

 個人的にはこの挿入部分にあたる、地方にある携帯電話の基盤作りをする会社の奴隷工場のような実態の描写は大いに関心を引いたし、キャリアの面で挫折した若者が自殺や犯罪に走るケースは実際に少なからずあるわけで、全体整合性もとれているように思えました。

 他にも、「安楽ハウス」に暮らす若者たちの"生態"や、オーナーの釜田が選挙のライバル候補でアキンツがそこを逃げ出して来た「独立塾」の主宰者・イズムとの間で論争を繰り広げる本土の人間の沖縄移住問題、生活能力の無い親の自分の子に対するネグレクトの問題やネット上で同志を募っての集団自殺など、内容は盛り沢山でしたが、やはりハート面で一番訴求力があったのは、何だか昔の「日活青春映画」を思わせるようなギンジとアキンツの友情関係の部分かな。

 約600ページという長さは全体にもう少し短くてもよいと思うし(特に前半部)、これを新聞連載で読むのはキツイかなという気もしますが、新聞には水口理恵子氏の挿絵もあったから何とか持つのかも。

 【2010年文庫化[朝日文庫(上・下)]/2011年再文庫化[文春文庫]】

メタボラ.jpg    

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「魂萌え!」)

シルバー世代のビルドゥングスロマン(教養小説)? 会話を通じての心理描写が秀逸。

魂萌え!.jpg魂萌え!上.jpg魂萌え!下.jpg  魂萌え! [DVD].jpg 土曜ドラマ 魂萌え!.jpg  説新潮別冊 桐野夏生スペシャル.jpg
魂萌え !』 ['05年] /新潮文庫(上・下)/NHKエンタープライズ 「魂萌え! [DVD]]/ 『The COOL! 小説新潮別冊 桐野夏生スペシャル (Shincho mook)』 

『魂萌え!』.jpg  2005(平成17)年・第5回「婦人公論文芸賞」受賞作。

 夫が定年を迎え、平凡ながらも平穏に生きていた専業主婦の主人公だが、その夫が心臓麻痺で急死したことで事態は一変、渡米していた息子は8年ぶりに日本に帰国したかと思うと夫婦での同居をせがみだし、葬儀後に女性から夫の携帯にかかってきた電話で、夫が生前に浮気をしていたことを知ることとなる―。

 '04年に毎日新聞で連載した小説で'05年に単行本刊行、'06年にはNHKでTVドラマ化(土曜ドラマ・全3回/主演:高畑淳子)され、'07年には映画(主演:風吹ジュン)も公開されましたが何れも観ておらず('08年のドラマの再放送の第1話だけ少し観た)、殆ど先入観ナシで読み始め、一方で59歳の寡婦が主人公ということで、果たして感情移入できるかなという思いもありました。

 しかし、読み始めてみると自然に惹き込まれ、これまでの著者の作品のようなミステリでもなければおどろおどろしい出来事や驚くべき結末があるわけでもないのに一気に読めてしまい、この作家(雑誌の表紙になってもカッコいいのだが)やはり力あるなあと思わされました。

 遺産の法定相続を迫る息子の身勝手さ、夫の愛人だった蕎麦屋の女主人が見せる金銭への執着など、ああ、結局なんやかや言っても金なのかと。極めつけは、前半に出てくる、主人公が息子達の我儘に愛想をつかして家を飛び出し泊まった先のカプセルホテルで出会った老女で、自分の不幸な身の上を語ったと思ったら1万円を請求する―。いやあ、世の中いろんな人がいるから、これも何だか実話っぽく聞こえるし、後半にも、主人公の身の上話を親切に聞くフリをして、雑誌の原稿ネタにしている人がいたりして。

 こうした人たちに遭遇しながら、主人公の社会や世間の人々に対する認識は変化し、それは、自分自身が強く生きなければという方向に働いているように思います(世間知らずから脱皮し成長を遂げるという点では、シルバー世代のビルドゥングスロマン(教養小説)といったところか)。

 主人公を含めた4人組みの女友達のキャラクターの書き分け("ホセ様"の追っかけオバサンのちょっと壊れ気味のキャラがリアル)、蕎麦探訪のサークルの男達の描写(ロマンスグレーの実態?)、それらが混ざった蕎麦試食会の際の各人の言葉の遣り取りとその反応の裏に窺える心理描写は実に秀逸でした(著者みたいな観察眼の鋭い人が呑み会にいると酔えないだろうなあ)。

 最後は、自分が期待するような完璧な友人や男友達はいないだろうとしながらも、それらを忌避せず受け容れる、まさに「人に期待せず、従って煩わされず、自分の気持ちだけに向き合って生きていく」という境地に主人公が達したこと窺え、小説としてのカタルシス効果が弱いとする向きもあるかもしれませんが、個人的にはイベント的なオチが無くても不満の残る終わり方ではなかったように思います。

魂萌え ドラマ.jpg NHKのドラマを、再放送も含め少ししか観なかったのは、時間の都合もありましたが、映像化すると結構どろどろした感じになって(あー、これから修羅場が始まる魂萌え!5.jpgなあという感じ)、あまりお茶の間向けでないように思えたということもあったかも(そうしたドラマをやるところがNHKのいいところなのだが)。

「魂萌え!」●演出:吉川邦夫●制作:石丸彰彦●脚本:斉藤樹実子●原作:桐野夏生●出演:高畑淳子/高橋惠子/宇梶剛士/山本太郎/酒井美紀/小柳ルミ子/村井国夫/大和田伸也/猫背椿/杉浦太陽●放映:2006/10~11(全3回)●放送局:NHK

 【2006年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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均質社会の中に在る小さな差異を絶対化する"グロテスク"な構造。

グロテスク.jpgグロテスク』 文藝春秋 〔'03年〕 グロテスク 上.jpg グロテスク下.jpg 文春文庫 (上・下) 〔'06年〕

 2003(平成15)年度・第31回「泉鏡花文学賞」受賞作。 

 渋谷界隈で殺された30代後半の2人の娼婦ユリコと和恵をめぐり、ユリコの姉であり、和恵と名門Q女子高で同じクラスだった「わたし」によって語られる2人の学校生活―。

 人に負けてはならないという強迫観念のもと〈学力〉でQ女子高に入った和恵と、ハーフならではの超絶した〈美貌〉を以って帰国子女枠で編入したユリコが、右回り左回りの違いがありながら同じような結末に辿り着くのが皮肉で、そこに介在する、妹と同じハーフでありながら美しくない姉である「わたし」の悪意にリアリティがあり、怖かったです。

 天性の娼婦としてのユリコ、昼は一流企業に勤めながら夜は街娼になる和恵(「東電OL殺人事件」がモチーフ)、という2人の女性が「妖怪」化していく様が、彼女たち自身の手記などで明らかになっていきますが、徹底的に2人の淪落を描く著者の筆致を通して、純粋に何かを希求して生きた2人であったのではないかと思わせるところが切なく、作者のうまさでもあると思います。

 むしろ、一貫教育の一流女子高内の家柄、容貌、学力といった複数軸のヒエラルキーの中で、「金持ちである」という差異を絶対化するために、差異を乗り越えようとする者を籠絡し嘲笑するようなイジメ構造が一番〈グロテスク〉なのかも。
 そうした争いから超越するために絶対的な〈学力〉を身につけたミツルという少女も、東大医学部に進んだ後に新興宗教(オウムがモデル)に嵌り、「わたし」自身の意外な結末も含め、主要な登場人物で所謂"世間的に幸せ"になる人は誰もいません。

 ユリコと和恵をともに殺害したと思われるチャンは、中国の農村から都市部へ流れてきた「盲流」と呼ばれる人たちの1人で、彼の話は中国の地域格差を如実に物語って女子高内の経済格差など吹き飛ばすほどのものですが、この話を挿入したことが構成的に良かったのかどうかは意見の割れるところだと思います。

 また、「わたし」だけでなく、ユリコ、チャン、和恵の手記が挿入されていることで、ミステリとしては「藪の中」構造になっていますが、百合雄という盲目の美少年が登場する結末部も含め、必ずしも精緻な構成とは言えない気もします。
 しかし、女子高内の僅かの差異を絶対化する構造を人間心理の側から描いて、均質に見える社会の中に在る「競争社会」および「競争」することを植えつけられた人々というものを描いた点では傑作だと思います。

 【2006年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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失踪した子を探す母と末期がんの男。ミステリと言うより、生きることの希望と絶望を描いた重厚な人間ドラマ。

柔らかな頬.jpg 『柔らかな頬』(1999/04 講談社) 柔らかな頬 上.jpg 柔らかな頬下.jpg 文春文庫 (上・下)

 1999(平成11)年上半期・第121回「直木賞」受賞作。 

 夫の得意先会社の石山と不倫関係にあったカスミは、双方の家族で北海道の石山の別荘へ行った際にも彼と逢引きするが、その最中に5歳の娘が行方不明となる。
 それから4年、カスミの娘を探す日々は続いたが、娘はまるで神隠しにでも遭ったかのようにその行方が掴めない―。

 不倫と子供の失踪事件を経て崩壊していく2つの家庭、とりわけ主人公のカスミの不倫に溺れていく心理や、後悔に苛まれながら娘を探す心理がよく描けていると思います。
 カスミには北海道の寒村を家出して両親を捨てたという過去があり、失踪した娘を単独でも探そうとするところに、彼女の原罪意識が表れているともとれます。
 一方で、娘を探すことが彼女の生きがいになっているように思えるフシもあり、残された家族さえ捨てて娘の探索にあたる様は、故郷を捨てたときと同じく、ある種のエゴイスティックな行動をリフレインしているようにもとれるとところが微妙。

 それに対し男たちは、諦めムードの夫にしても離婚して無頼の生活を送る石山にしても、なしくずし的に現状に妥協しているように見えます。
 そうした中で、ガンで余命いくばくも無い内海という元刑事がカスミの捜査協力者として登場しますが、物語の後半は、カスミと内海の人生の意味を模索するロードムビーの様相を呈しているように思えました。
 内海の、迫り来る死を受け入れつつも事件解決への「野心」によって生を燃焼させようとする様は、これはこれで1つのエゴではないかという気もしました。
 だから、カスミも内海も、真相を知るために協力し合ってはいるが、自分のために生きているという点では、互いに融和し合っているわけではない。

 娘の失踪の謎を解く2人の「夢」の話も、本作品がミステリとしての結末を用意していないことを暗示しているように思え(著者自身は当初、最後のシーンで真犯人を書いていたが、編集担当者に「犯人を決めてしまって失うものは大きい。子供の不在という理不尽な出来事に対して、あれだけ幻視を書いたのだから」と言われて書き直したそうです)、生きていくことの希望と絶望を描いたシリアスな人間ドラマだに仕上がっていると思いました。

 【2004年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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