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カオス・シチリア物語2.jpg 村の掟を破った息子を銃殺する父。凄まじきかな、父性原理。

『エトルリヤの壷 他五編』.jpgエトルリヤの壷.jpg Prosper Mérimée.jpg Prosper Mérimée(1803-1870)
エトルリヤの壷―他五編 (1971年)』 岩波文庫改版版 
パオロ&ビットリオ・タヴィアーニ 「カオス・シチリア物語 [DVD]

エトルリヤの壷2.JPG 1829年発表のフランスの作家プロスペル・メリメ(1803‐1870/享年66)の作品。メリメは『カルメン』の作者として知られる作家で、考古学者・美術史家・言語学者でもあり、元老院議員にまで出世する一方、社交界で浮名を流すなどした人で、フランス人でありながら、スペインやイタリアを舞台にした小説が多いのは、実際にそうした方面に旅行したことと、多言語を解する語学力によるところが大きいようです。

 本書『エトルリヤの壷』(岩波文庫の改版前の初版刊行は昭和3年と旧い)は、そのメリメの短篇6篇を集めたもので、うわさ話に振り回されて自分で自分を滅ぼしてしまう男を描いた表題作など、人間の心理的葛藤や人生の皮肉を端的に描いたものが多いです。

コルシカ紀行.jpg その中でも「マテオ・ファルコーネ」は、やや異彩を放つもので、19世紀のコルシカ島の村での話ですが、この話に衝撃を受けた作家の大岡昇平は、そのルーツを探るためにコルシカ島を訪れ、『コルシカ紀行』('72年/中公新書)を著しています(但し、コルシカ島の県庁所在地バスティア市の博物館で、探していた「コルシカの悲劇的歴史」に纏わる文献が、金庫が錆びていて開かなかっため閲覧できず、館長から後で贈るという約束を取り付けるも、結局は送ってこなかったなど、結構"空振り"の多い旅行になっている)。

大岡 昇平『コルシカ紀行 (中公新書 307)』['72年/中公新書]

マテオ・ファルコーネ05.jpgMateo Falcone (1829).bmp 若い頃から射撃に優れ、村人の人望もあった羊飼いマテオ・ファルコーネは、妻と3人の娘、そして最後に生まれた男の子とともに自活的な農牧生活を送っていた―。そんなある日、マテオ一家が留守中に、憲兵に追われ村に逃れてきたお尋ね者が家にやって来て、1人留守を預かっていた10歳の息子は、一旦は彼を隠すのですが(伝統的にその村には、官憲などに追われている人をかくまう「掟」があった)、憲兵の「居場所を教えれば時計をやる」という言葉に負けて、お尋ね者を隠した場所を教えてしまい、彼は捕えられます。そのとき家に戻ってきたマテオに向かって男は「ここは裏切り者の家だ!」と叫び、すべてを察したマテオは、自分の息子を窪地へ連れて行き、大きな石のそばに立たせ、お祈りするよう命じ、終わるや否や、泣いて命乞いする本人や妻の制止を振り切って息子を銃殺するという話。

 簡潔な写実と会話を連ねた飾り気のない文章ゆえにかえって凄惨な印象を受け、この話を西洋的な父性原理の象徴と見るむきもあれば(それにしても凄まじい!)、運命的悲劇との捉え方もあり、また小説とは言えないという見方もあるようですが、確かに一種の「説話」のような感じがしました(小説的良し悪しを言うのが難しい)。文庫で20ページしかない短篇のほとんどのあらすじを紹介してしまったので、ラストの父親の"決めゼリフ"だけは書かないでおきます。

カオス・シチリア物語1.jpg 尚、この短編集の表題作「エトルリアの壺」は、パオロ&ビットリオ・タヴィアーニ監督のシチリアの説話を基にしたオムニバス映画「カオス・シチリア物語」('84年/伊)の中の一話「かめ(甕)」として映画化されています(翻案:ルイジ・ピランデッロ)。

カオス・シチリア物語 甕.jpg 欲しい物は全て手に入れたはずなのに、さらに多くを欲する大地主ドン・ロロがが購入した巨大なオリーブ油を入れる瓶-それは彼の権力の象徴であったが、そんな瓶が壊れてしまい、それをどうしても直したい彼は、瓶を修理することが出来る奇跡の技を持つ老職人を雇うが、職人は修理完了後に瓶の中から出られなくなる。ロロは瓶を壊すことを拒むが、職人は稼いだ金を使って村人達を集め、瓶を囲んでの宴会を繰り広げる。皆が職人を好いているように見えるのが気に入らないロロだったが、嫉妬が頂点に達した時、彼は遂に瓶を壊してしまう-。

「カオス・シチリア物語」.JPG ロロという人物にも、マテオ・ファルコーネに通じる男性原理が感じられる一方、人は所詮は全てを独占することなど出来ず、独占するのではなく共有することがいうことに価値があることを喩えとしてを教えているようにも思える作品であり(ここでは、男性原理のある種"限界性"が描かれているとも言える)、タヴィアーニ兄弟は、このメリメ原作の物語をはじめ、シチリアの"混沌"という意のカオス村(兄弟の生まれ故郷でもあるらしい)を舞台にした素朴な人間たちのドラマを、7つの挿話にわけて美しい映像のもと描いています。

ドン・ローロのつぼ02.jpgドン・ローロのつぼ01.jpg 因みに、この映画に触発されて、絵本作家の飯野和好氏が、この「壺」の寓話を、『ドン・ローロのつぼ』('99年/福音館書店(年少版 こどものとも)という絵本にしています。

              
                          

カオスシチリア物語.jpgカオス・シチリア物語KAOS 1984.jpg 「カオス・シチリア物語」●原題:KAOS●制作年:1984年●制作国:イタリア●監督・脚本:パオロ&ビットリオ・タヴィアーニ●製作:ジュリアーニ・G・デ・ネグリ●撮影:ジュゼッペ・ランチ●音楽:ニコラ・ピオヴァーニ●原作:ルイジ・ピランデッロ●時間:187分●出演:マルガリータ・ロサーノ/オメロ・アントヌッティ/ミコル・グイデッリ/ノルマ・マルテッリ/クラウディオ・ビガリ/ミリアム・グイデッリ/レナータ・ザメンゴ/マッシモ・ボネッティ●日本公開:1985/08●配給:フランス映画社●最初に観た場所:高田馬場東映パラス(87-10-03)(評価:★★★★)

高田馬場a.jpg高田馬場・稲門ビル.jpg高田馬場東映パラス 入り口.jpg高田馬場東映パラス 高田馬場・稲門ビル4階(現・居酒屋「土風炉」)1999年頃閉館

①②高田馬場東映/高田馬場東映パラス/③高田馬場パール座/④早稲田松竹


 【1928年文庫化・1971年改版[岩波文庫]/1960年再文庫化[角川文庫(『マテオ・ファルコーネ-他五編』)]】

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裁判とは何かを問う。執筆中に、主人公と被害者の関係に加えられた「重大修正」。

事件 大岡昇平.png 単行本〔'77年〕事件.jpg事件』 新潮文庫〔'80年〕 フィクションとしての裁判.jpg 大野正男・大岡昇平 『フィクションとしての裁判―臨床法学講義 (1979年)

大岡昇平 「事件」.jpg 1978(昭和53)年度・第31回「日本推理作家協会賞」受賞作。

 神奈川県の相模川沿いの山林で、若い女性の刺殺死体が発見され、被害者はこの町出身で、厚木市でスナックを営む23歳の女性・坂井ハツ子。数日後警察は、事件の夕刻、現場付近の山道で地主に目撃されていた19歳の工員・上田宏を逮捕するが、彼はその後の調べで、ハツ子の妹・ヨシ子と同棲していたことがわかる―。

 事件発生から少年の殺意の有無をめぐる裁判とその判決に至るまでの過程を、フィクションとは思えないような抑制の効いた筆致と圧倒的なリアリズムで描いています。

 つまりは「殺人」か「傷害致死」かを争うだけの話なので、裁判小説と言ってもそのプロセスでの"意外性"は限定的で、E.S.ガードナーの「ペリー・メイスン」シリーズのようなミステリーとはまったく趣を異にします。
単行本 〔新潮社/'78年版〕

 しかし、一般にはあまり知られていない裁判の進行模様が、菊池弁護士をはじめ個性的な登場人物のおかげもあり面白く読めます。そして最終章でこれほど「う~ん」と唸らされる小説というのも少ないように思いました。その「う~ん」は、ミステリーとしての「う~ん」とはやや別物であり、むしろ「事件」とは何かを考えさせられるものです。

事件(ポスター).jpg 一般に殺意を裏付けるものは"動機"と"状況"なのですが、大岡昇平(1909‐1988)とこの小説を執筆した際のアドバイザーの1人だった当事俊英の弁護士・大野正男氏(後に最高裁判事)との対談『フィクションとしての裁判』('79年/朝日出版社)を読み、大岡が執筆の途中で主人公・宏と被害者・ハツ子の関係に「重大な修正」を加えたことを知り、それがラストのウ〜ンにも繋がるのかなと思いました。 
 最初からミエミエなら、ここまで唸らないのは。 

 「砂の器」などで知られる野村芳太郎(1919‐2005)監督により'78年に映画化されていて(菊池弁護士:丹波哲郎、ヨシ子:松坂慶子、ハツ子:大竹しのぶ)、同年にNHKでテレビドラマ化もされているように(菊池弁護士:若山富三郎、ヨシ子:いしだあゆみ、ハツ子:大竹しのぶ)、社会的反響の大きかったベストセラーでした。'93年には、テレビ朝日で再ドラマ化されています(菊池弁護士:北大路欣也、ヨシ子:渡辺梓、ハツ子:松田美由紀)。 

映画「事件」('78年)ポスター

 事件 図1.jpg事件 図25.jpg事件 図3.jpg事件 図4.jpg 映画は未見ですが、テレビドラマはNHK版(脚本:中島丈博)を観ました。若山富三郎の演技もさることながら、野村芳太郎をして「天才」と言わしめた大竹しのぶの演技が良かったです、と言うか、うますぎでした。

「事件」●演出:深町幸男/高松良征●制作:小林猛●脚本:中島丈博●音楽:間宮芳生●出演:若山富三郎/いしだあゆみ/大竹しのぶ/高沢順子/佐々木すみ江/草野大悟/鈴木光枝/丹波義隆/勝部演之/石橋蓮司/沼田曜一/垂水悟郎/北城真紀子/殿山泰司/宮口精二/伊佐山ひろ子/中村玉緒/綿引洪●放映:1978/04(全4回)●放事件 ドラマ 若山富三郎.jpg送局:NHK
事件-全集- [DVD]
                     
 【1980年文庫化[新潮文庫]/1999年再文庫化[双葉文庫]】

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「捉まるまで」(旧版『俘虜記』と俘虜生活の部分は、主題が別の作品と見るべき。

俘虜記 旧.jpg 『俘虜記 (新潮文庫)』 〔'59年〕 俘虜記.jpg  『俘虜記 (新潮文庫)』 〔'67年〕

 大岡昇平(1909‐1988)は、太平洋戦争末期の1945年1月にフィリピン・ミンドロ島で米軍の捕虜となりましたが、本書は、その「捉まるまで」から俘虜生活及び帰還までの体験をもとに書かれた、ノンフィクションに近い作品です(「私=大岡」で書かれています)。

 当初、冒頭の「捉まるまで」が「俘虜記」('48年2月)として発表され、翌年、短編集『俘虜記』('49年4月/創元社)として刊行され第1回「横光利一文学賞」を受賞、その後『続・俘虜記』('49年)、『新しき俘虜と古き俘虜』('51年)が刊行され、これらがまとめて『俘虜記』('52年/創元社)として刊行されました(その際に最初の「俘虜記」の部分が「捉まるまで」に改題された)。
 
 戦場で敵兵と1対1で遭遇することも、捕虜生活を送ることも希少な体験であり、小説としても読者を充分に惹きつける素材であると思われますが、著者はむしろそれらをドラマチックに描くことを慎重に回避し、その時その時に働いた自己意識を丹念に記述し、また他者の意識を推察するにしても「心理小説家」になることがないように細心の注意を払っているように思えます。
 
 ただし、「捉まるまで」は、若い米兵と対峙した際にどうして自分が相手を撃たなかったのか、その後自殺を試みるがどうしてそれをなし得なかったか、というその時の自らの情念の省察に重点が置かれていています。
 
 一方、俘虜生活の記録は、日本人俘虜たちの意識と行動、例えば米兵に対する阿諛などを通して、自分をも含め人間のエゴイズムをあぶりだし、また前線の1中隊内の階級社会とは違った社会がそこに現出する様を描いています。 
 
 「捉まるまで」での省察が、日本文学であまり見られない端的なテーマを扱っていて有名であるのに対し、俘虜生活の記録は、一見通俗に流れているようにもとれます。
 しかしある意味「堕落」した人間像を描いた、ストーリー性に乏しいこの部分(むろん著者はそれを意図的に排除しているのでしょうが)は、戦前までの日本人とそれを生み出した社会とは何だったのだろうか、それは戦後どこか変わったと言えるのか、という問いかけをしているように思えました。

 【1966年文庫化[角川文庫]/1967年再文庫化[新潮文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]】

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「戦争文学」であり「実験小説」。極限状況における「私」の意識を克明に描く。

野火 創元社.bmp野火 (1952年)』 創元社 野火.jpg野火 (新潮文庫)』〔'54年〕 大岡昇平.jpg 大岡 昇平 (1909‐1988/享年79)

 1951(昭和26)年・第3回「読売文学賞」受賞作。

 敗色濃厚のフィリピン・レイテ島戦線で、結核に冒された田村一等兵は、野戦病院が食糧を持たない患者は受け入れないため、本隊から若干の芋を受け取り病院周辺にたむろする同じ境遇の兵士たちといるとき、病院から火事が出て、行くあてもなく野火の広がる原野をさまよい歩くが、そこで多くの屍体に遭遇し、飢えた兵士たちや気が狂った将校にも会う。将校は、死の寸前に、「俺が死んだら、ここを喰べていいよ」と自分の腕をさして言うが、実際に多くの兵隊たちが飢えに勝てず、敵味方の屍体に手を伸ばしている状況である。彼はやがて敗残兵と合流し、食料として「猿」の乾燥肉を与えられる―。

莫邦富.jpg 親日派ジャーナりストの莫邦富(モー・パンフ)氏は、出会う日本のメディア関係者にいつも本作を読んだことがあるか聞くそうですが、今まで誰一人として読んだという人はいないそうで(う〜ん、ホントに全員に訊いたのかな?)、「先日、やってきた東大の院生たちにも聞いてみたが、全員、首を横に振った。帰りぎわ、一人は私に確認した。『オーオカショーヘーという人は中国人ですか』」と書いています('06年8/19朝日be版「『野火』を読みましたか」)。これはヒドイ。

 大岡昇平(1909‐1988)は反戦作家だと思うし、初稿が'48年、改稿が'51年に発表されたこの作品は、紛れもなく日本を代表する「戦争文学」だと思いますが、一方で、スタンダール研究家でもあった作者の「実験小説」でもあるような印象を受けました。
 『俘虜記』('52年/創元社)の冒頭の「捉まるまで」と本作は執筆時期が重なる)と同じ一人称で書かれたものでありながら、過去の回想として書かれている『俘虜記』よりも、本作はより克明に"今"の「私」の意識の流れを追って、「私」の意識を作者が作品として対象化しているというより、むしろ"今"の「私」の意識の中に作者が入り込んでいるような感じで、死と対峙する極限状態にありながらも、「私」の意識には、どこか冷静な諦観のようなものがあるような気もしました。

 カニバリズムがモチーフになっている点で武田泰淳の『ひかりごけ』と対比されますが(2人の親交はよく知られている)、本作の主人公は、結局、人肉を食べることをせず、これは、極限状況における人間としての尊厳とも矜持ともとれるし、その前に彼が無辜の民を殺害していることからくる罪の意識の反映ともとれます(殺人よりもカニバリズムの方が"悪"であるというという価値観の序列を表しているのではない)。

 『俘虜記』の「捉まるまで」にも関連するテーマですが、神を持たない日本人も、極限状況において神的なものを見出すことがあるのではないかという問いかけにもなっている気がし、これだけ多重的に深いテーマを示しているだけに、主人公が最後に精神病院に入っていることになっているという設定には、個人的にはやや不満が残ります。

 【1954年文庫化[新潮文庫]/1955年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1985年再文庫化[旺文社文庫]/1988年再文庫化[岩波文庫(『野火・ハムレット日記』)]】

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裁判は、判決から"事実"を組み立てていくフィションかという問い。

フィクションとしての裁判877.JPG大岡昇平・大野正男.jpgフィクションとしての裁判.jpg
フィクションとしての裁判―臨床法学講義 (1979年)』朝日レクチャーブックス

 弁護士として砂川事件やサド「悪徳の栄え」事件等で長年活躍してきた大野正男(1927-2006)は、その後最高裁判事になっていますが、本書は弁護士時代に作家の大岡昇平(1909‐1988)と対談したもので、'79年に「朝日レクチャーブックス」の1冊として出版されています。

事件.jpg 過去の「文学裁判」や大岡氏の小説『事件』(大野氏は大岡氏がこの小説を執筆する際の法律顧問を務めた)をたたき台に、裁判における事実認定とは何か、冤罪事件はなぜ起きて誤判の原因はどこにあるのか、さらに「正義」と何か、裁判官は「神の眼」になりうるのかといったところまで突っ込んで語られています。結論的には、裁判とは判決から遡及的に"事実"を組み立てていくフィショナルな作業であるともとれるという観点から、「臨床法学」教育の大切さを訴えています。

大岡 昇平『事件』

 対談過程で、大岡氏が『事件』の創作の秘密を明かしているのが興味深く、また今まであまり知らなかった冤罪事件について知ることができました(「加藤新一老事件」の場合、62年ぶりに無罪になったというのは驚き。裁判で費やした一生だなあと)。

 「陪審制」についても論じられていて(昭和3年から昭和18年まで、日本にも陪審制度があったとは知らなかった)、両者とも導入に前向きですが、裁判官が審議に加わる「参審制」の場合は、参審員の裁判官に対する過剰な敬意が個々の判断を誤導してしまう恐れがあるというのは、日本人の性向を踏まえた鋭い指摘だと思いました(裁判員制度も「参審制」だけど、大丈夫か?)。

 「陪審制」をモチーフにした推理小説などが紹介されているのも興味深く、陪審員の中に殺人経験のある女性がいて、彼女は"経験者"しか知りえないことを知っている被告が殺人犯であると察するけれども、自らを守るために無罪を主張するといった話(ポストゲート『十二人の評決』)や、裁判官が真犯人だったという話とかの紹介が面白く読めました。

 本書は残念ながら絶版中で、この対談の一部は大岡の全集の中の対談集『対談』('96年/筑摩書房)に収められていますが、両者の対談の面白さや奥深さは、こうした抄録では充分に伝わってこない。
 司法制度改革に関連する話題もなどもとり上げているので、文庫化してほしいと思っています。

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