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「作品×時系列」という体系に沿った集中インタビュー。小説より面白かったかも。

大江健三郎 作家自身を語る (単行本).jpg大江健三郎 作家自身を語る (新潮文庫)2.jpg大江健三郎 作家自身を語る (新潮文庫).jpg
大江健三郎 作家自身を語る』['07年]/『大江健三郎 作家自身を語る (新潮文庫)

 今年['23年]3月に亡くなった大江健三郎(1935-2023/88歳没)が2006年、71歳の時に受けたインタビュー集で、作家生活50年を前にして、内容としては主に、これまでの自分の作品を時系列で振り返ったものであり、対話による「自伝」とも言えます(読売新聞映像部によるCS放送の連続番組として収録されたため、このインタビューは全5枚組のDVDになった)。

 2007年に単行本として刊行されましたが、2013年の文庫化に際して、2012年1月から2013年8月にかけて、東日本震災後の深刻な事態と並走しながら文芸誌『群像』に17回にわたって連載した『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』(2013年/講談社)を巡るロングインタビューを増補しています。

 よくあるバラバラのインタビュー集と異なり、「作品×時系列」という体系に沿った集中インタビューであり、読み易く、また、内容的にも貴重なものであり、興味深く読めました(もしかしたら、小説より面白かったかも。面白いから文庫化されたのでは)

 第1章で、自分が作家になるまでを自伝的に語り、以下の章で、作品を6期に分けて振り返るという全7章の校正ですが、改めて6期のうちの後半3期の作品は個人的にはほとんど読んでいないことに気づき、やや愕然としました。でも、世間的にもそうした傾向はあるのではないでしょうか。

 よって、自作への言及は、主に自分が読んだ作品を中心に読むことになりましたが、それでも、その作品が書かれた背景や当時の評価など、ああ、そうだったのかといった気づきはあったように思います。作品論についてここに書いていると「解説の解説」のようになるので書きませんが、個人的にはそれ以外のことでは、海外の作家との交流の思い出を語っているのが興味深かったです。

ペドロ・パラモ iwanami.jpg 例えば、メキシコの『ペドロ・パラモ』という、死んだ人間と生きている人間が同じ村に住んでいるような小説がありますが、メキシコに滞在した際に、作家が来るかもしれないということで連れていかれた店で、隣に座った老人がフランス語で語りかけてきて、「君はメキシコの小説家を知っているか?」と訊かれ「作品なら知っている。本当にいい小説なんだ」と説明したところ、「もしかしたら『ペドロ・パラモ』という小説じゃないか?」と言われ、「そうだ」と言ったら、「自分がその小説を書いた人間だ」と。その老人がファン・ルルフォだったのだなあ(笑)(文庫148-150p)。

 ドイツのギュンター・グラスとも『ブリキの太鼓』の邦訳が出るかで出ないかの頃に知り合っているし(文庫152p)(因みに、大江がノーベル文学賞受賞者を受賞したのは1994年、グラスは1999年)、ル・クレジオを日本ペンクラブの世界大会に招聘する手紙を書いたら、丁寧な返事を貰い、「君の短編が好きだ」と書いてあったけれど、内容から見て安部公房の『壁』のことだったというのが可笑しいです(ル・クレジオは2008年にノーベル賞を受賞)。大江がノーベル賞を貰った時もガルシア=マルケスから、安部公房が受賞すると思ったと率直に言われたと(文庫234p)(ガルシア=マルケス自身は1982年に受賞している)。

 そのほか、なぜ丸いめがねをかけているのかといった質問などもあって、「作家も学者も、だいたい丸いめがねをかけていると(笑)」。折口信夫、柳田邦夫、サルトル、ジョイスとか、と(文庫221p)。こうした遣り取りも結構あるのは聞き手が女性であるせいでしょうか。

 巻末に作家に対する106のQ&Aが付されていて、これもその人柄などが分かって楽しく読めました。井上ひさしのことを天才と評価しているなあ(Q33)。安部公房と一時期絶交したというのは本当だったのだなあ。でも、こちらも天才としてその作品は読んでいると(Q34)。ノーべル賞を受賞して困ったことも困らなくなったこともないと言っています(Q50)。

 全体を通して、こつこつ真面目に努力する人、自分の信念を曲げない人だなという印象を持ちました。でも、やはり、自分の作品の評価は気になるようですが、これは作家なら皆そういうものでしょう。

【3013年文庫化[新潮文庫]】

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「●「谷崎潤一郎賞」受賞作」の インデックッスへ

作者の前・後期の境目にあり両者を繋ぐ作品。"平面的"から"立体的"になった。

『万延元年のフットボール』00」.jpg
「万延元年のフットボール」 大江健三郎 純文学書下ろし特別作品 1967年11月』『万延元年のフットボール (講談社文庫)』['71年]『万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)』['88年]

 1967(昭和42)年度・第3回「谷崎潤一郎賞」受賞作。

 英語専任講師・根所蜜三郎と妻・菜採子の間に生まれた子には頭蓋に重篤な障害があり、養育施設に預けられている。蜜三郎のたった一人の親友は異常な姿で縊死した。蜜三郎と菜採子の関係は冷めきり、菜採子は酒に溺れている。蜜三郎の弟・鷹四は60年安保の学生運動に参加後に転向し渡米、放浪して帰国する。米国で故郷の倉屋敷を買い取りたいというスーパー・マーケット経営者の朝鮮人(スーパーマーケットの天皇)に出会い、その取引を進めるためだ。蜜三郎夫婦は、鷹四に、生活を一新する契機にしてはと提案され、鷹四と彼を信奉する年少の星男、桃子とともに郷里の森の谷間の村に帰郷する。倉屋敷は庄屋だった曽祖父が建てたもので、曽祖父の弟は百年前の万延元年の一揆の指導者だった。曽祖父の弟の一揆後の身の上については、兄弟で見解が違う。鷹四の考えでは騒動を収束させるために保身を図る曽祖父により殺されたとされ、蜜三郎の考えでは曽祖父の手を借りて逃亡したと。鷹四は曽祖父の弟を英雄視している。実家には父母は既に亡くなっており、戦後予科練から復員した兄弟の兄・S兄さんは、戦後の混乱で生じた朝鮮人部落の襲撃で命を落としていた。兄弟の妹は知的障害があり、父母の死後に伯父の家に貰われていったが、そこで自殺した。倉屋敷は小作人の大食病の女ジン夫婦が管理している。S兄さんの最期についても兄弟で食い違う。当時幼児だった鷹四は、朝鮮人部落襲撃時のS兄さんの英雄的な姿を記憶しているが、蜜三郎は、S兄さんは、騒動の調停の死者数の帳尻合わせで日本人の側から引き渡され殺された哀れな犠牲者だったと。村はスーパー・マーケットの強力な影響下にあり、個人商店は行き詰まってスーパーに借金を負っている。スーパーの資本で村の青年たちは養鶏場を経営していたが、寒さで鶏が全滅する。その事後策を相談されたことから、鷹四は青年たちに信頼され、青年たちを訓練指導するためのフットボール・チームを結成する。妻の菜採子は、退嬰的に一人閉じこもる蜜三郎から離れ、快活に活動する鷹四らと活動を共にするようになる。鷹四はチームに万延元年の一揆の様子などを伝え、チームに暴力的なムードが高まる。正月に大雪が降り、村の通信や交通が途絶されると、チームを中心に村全体によるスーパーの略奪が起きる。暴動は伝承の御霊信仰の念仏踊りに鼓舞された祝祭的なものだった。鷹四は菜採子と姦淫するようになったが、村の娘を強姦殺人したことから青年たちの信奉を失い、猟銃で頭を撃ち抜いて自殺する。自殺の直前、鷹四は蜜三郎に「本当の事をいおうか」と過去に自殺した知的障害のあった妹を言いくるめて近親相姦していたことを告白する。鷹四の破滅的な暴力の傾向は、自己処罰の感情からきていた。雪が止み、交通が復活した村にスーパー・マーケットの天皇が倉屋敷解体のために現れ、スーパー略奪は不問に付される。倉屋敷の地下倉が発見され、曽祖父の弟は逃亡したのではなく、地下で自己幽閉して明治初頭の第二の一揆を指揮・成功させ、その後も自由民権の流れを見守ったことが判明する。夫婦は和解し、養護施設から子供を引き取り、菜採子が受胎している鷹四の子供を産み育てることを決意、蜜三郎はオファーのあったアフリカでの通訳の仕事を引き受けることにする―。

 今年['23年]3月に亡くなった大江健三郎(1935-2023/88歳没)の長編小説で、作者の数ある作品の中でも最高傑作との呼び声が高く、また、ノーベル文学賞の受賞理由として挙げられた作者の5作品の中でも、特に評価が高かった作品でもあります(実際、ストーリーを振り返るだけで、面白い)。

 この作品を読むに際しては、同じくその5作品の1つである前作『個人的な体験』を先に読むといいと思います。『個人的な体験』の主人公・鳥(バード)も予備校の教員で、少年期よりアフリカに行くという夢を持ち続けていて、子が出生した際に頭部に重篤な障害があることが分かった際も、障害児の親となることから逃避して、アフリカへ行くことを思い描いていましたたが、ある時急に、子どもに手術を受けさせ、子どもを育てようと思い直します。このように、この作品と様々な点で、共通または対照的関係にあると言えます。

 そして、この作品は、『個人的な体験』と並んで(『個人的な体験』のところでもそう書いたが)大江文学の前期と後期の境目にあり、かつ両者を繋ぐ作品である言えます。文芸評論家的に言えば、前期の「人間像の提示」というモチーフが示されなくなり(『個人的な体験』にはまだそれが残っているか)、後期の「世界像の提示」というモチーフが同作から現れ、個人的に言わせてもらえれば作品が"平面的"なのものから"立体的"なものに変化したという印象です。

 ただ、これも言わせてもらえれば、大江文学のピーク時の作品であり(『<死者の奢り』から10年くらいでピークに達したことになるが)、それまで短い期間に何度も作風を変化させてきた作者が、ここに1つの完成形をみたのはいいけれど、その後の作品は、多分にこの作品のリフレイン的要素が強いものが多かったように思います(同じモチーフやテーマが何度も出てくる)。

 この小説が「空想小説」的なモチーフでありながら、一定のリアリティを持って読めるのは、作者の先祖に実際にこの小説に出てくる人物に似たような人がいたこと(長兄をモデルにした予科練帰りの登場人物はその典型)、作者が幼い頃、実家の使用人だった語り部のような老女から明治初期に地元で起きた一揆の話を聞かされていたこと、作者自身が自分の故郷を念頭に置いて、はっきりしたイメージを持ちながら書いていること、などがその理由としてあげられるのではないかということを、作者の死没を契機に、文庫解説並びに『大江健三郎 作家自身を語る』('07年/新潮社、、'13年/新潮文庫)を読み直してでみて思った次第です。

『万延元年のフットボール』.jpg『万延元年のフットボール』単行本.jpg【1971年文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[講談社文芸文庫]】
 
  
 
「万延元年のフットボール」 大江健三郎 純文学書下ろし特別作品 1967年11月
 
 

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

講談社文芸文庫

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作家の思考の現況を探るうえでは興味深いものだったが...。

さようなら、私の本よ.jpg  『さようなら、私の本よ!』 (2005/09 講談社)

 「ストックホルムで賞をもらった」ほどの作家である長江古義人が、幼馴染みの国際的建築家・椿繁の、東京の高層ビルで爆弾テロを起こすという計画に荷担を余儀なくされ、北軽井沢の別荘に軟禁される―。
 作者の分身・古義人が主人公の3部作の最後の作品ですが、大江健三郎の新作長編を腰を据えて読むのは久しぶりで、なぜ読む気になったかというと、ストーリーが、前2作に比べてダイナミックな感じがしたからという単純なものでした。

 しかし読み進むにつれ、この小説がアンチ・クライマックス小説であることが明らかになり、作者の目的は、自分が書いてきたこと、書くという行為の総括であるともに、古義人と繁を「老人の愚行」を晒す「おかしな二人組」とすることで、繁もまた作者の分身であることが窺えます。
 「外国文学の影響から小説を書き始めた。(中略)それが現在、じつに日本的な書き方で、家族の生活を書くだけだ」(142p)などといった自身に対する批判に(これを繁に言わせている)、新しい小説を書くことで答えようとしているような部分もあり、それをセリーヌの『夜の果ての旅』になぞらえています(その結果書かれたのが、メタ私小説である本作品ということか?)。

伊丹十三.bmp また、死んだ人たちや過去に決別した人たちとの会話を通して、書くことの意味を問い直しているフシもあり、作中にある自殺した映画監督・塙吾良とは言わずと知れた伊丹十三であり、師匠の六隅は仏文学の渡辺一夫であるほか、「都知事の芦原」(石原慎太郎)、「評論家の迂藤」(江藤淳)などの名前も見えます。
 さらに、爆破計画と平行して「ミシマ問題」として扱われている、三島由紀夫の自衛隊クーデターに対する「本気」度の考察は、そのまま「書くこと」に対する自らの「本気」度を真摯に自問しているように思えました(三島自決事件の作家たちに与えた影響というのは重いなあとも思いました。特にノーベル賞を取った大江にとって)。

 その他にも過去の自身の作品への距離を置いた省察やモチーフの再現が見られ、 "お目出度い"とされる彼の「平和主義」に対する批判に対しては、「核廃絶」の困難さへの絶望感を露わにしつつも何かを希求し続ける様子が見てとれ、作家の思考の現況(心境)を探るうえでは興味深いものでした。
 
 しかし、もう自分だけのために書いているという感じがしたのと、「巨大暴力に拮抗する、個人単位の暴力装置を作る」という繁の考えが一種レトリックにしか思えず、最後まで違和感を覚えざるを得ませんでした。

 【2009年文庫化[講談社文庫]】

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大江健三郎が初めて子供向け(?)に書いたエッセイ集。

自分の木」の下で.jpg  『「自分の木」の下で』 (2001/06 朝日新聞社) 「新しい人」の方へ.jpg  『「新しい人」の方へ』 〔'03年〕 (画:大江ゆかり)

 大江健三郎が初めて子供向けに書いたエッセイ集ということですが、大江ゆかり氏の挿絵との組み合わせでのエッセイは、ノーベル賞受賞直後に出版された『恢復する家族』('95年/講談社)などがあり、著者の暖かく優しい視線や平易な語り口には共に通じるものがあります。

 「なぜ子供は学校に行かねばならないか」といった素朴な疑問に、ノーベル賞作家である65歳の著者は、自らの少年時代の回想を交えながら真摯に答えています。
 その内容は著者独特の世界観や人生観に根ざすもので、例えばタイトルにもある「自分の木」というのは、著者の小説の中にも出てくる独特なイメージ構造であるし(子供の私が「自分の木」の下で会うかもしれない年とった私―について今書いている「年とった私」にとっての子供の私。考えてみたら結構フクザツな思考回路だなあ)、本書の続編である『「新しい人」の方へ』('03年/朝日新聞社)の「「新しい人」についても同様です。

 「なぜ子供は学校に行かねばならないか」についての著者の考え方もそうですが、これらの問いに対する回答としてのメッセージに「普遍性」があるかどうかと言えば、必ずしもあるとは言えないのではないかと思います(「生まれ変わった新しい自分たちが、死んだ子どもたちと同じ言葉をしっかり身につけるために必要なのだ」って言われても...)。

 個人的には、大江氏の文学作品を読む感じで本書を読みました。大人にだって、読み解くのが難しい...。
 ただし、「子供にとって、もう取り返しがつかない、ということない。いつも、なんとか取り返すことができる」(178p)といった今の子供に対する重要かつわかりやすいメッセージも多く含まれているのは事実です。

 書きながら意識した読者年代にバラツキがあることを著者も認めていますが、それだけに大人でも充分に味わえるし、大江文学をよく知る人はより深い読み方ができるエッセイではないかと思います。
 続編の『「新しい人」の方へ』ともどもの爽やかな読後感は、著者の将来世代への真摯な希望からくるものだと思いました。
 
 【2005年文庫化[朝日文庫]】

《読書MEMO》
●「人にはそれぞれ『自分の木』ときめられている樹木が森の高みにある...人の魂は、その「自分の木」の根方から谷間に降りて来て人間としての身体に入る...そして、森のなかに入って、たまたま「自分の木」の下に立っていると、年をとってしまった自分に会うことがある」 (21p)

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それまでの作品と以降の作品の分岐点にある作品。今日性という点では...。

個人的な体験 単行本.jpg 単行本 ['64年] 個人的な体験.jpg 『個人的な体験』新潮文庫

 1965(昭和40)年・第11回「新潮社文学賞」受賞作。

 27歳の予備校講師バードは、アフリカ旅行を夢見る青年だが、生まれた子どもが頭に異常のある障害児だという知らせを受け、将来の可能性が奪われたと絶望し、アルコールと女友達に逃避する日々を送る―。

 この作品は'64年に発表された書き下ろし長編で、頭部に異常のある新生児として生まれてきた息子に触発されて書かれた点では著者自身の経験に根づいていますが、自身も後に述べているように、多分に文学的戦略を含んでいて、いわゆる伝統的な"私小説"ではないと言えます。

 しかし、それまで『性的人間』('63年)などの過激な性的イメージに溢れた作品を発表していた著者が、以降、家族をテーマとした作品を多く発表する転機となった作品でもあり、さらに『万延元年のフットボール』('67年)と併せてノーベル賞の受賞対象となった作品でもあります。

 どちらか1作だけを受賞対象とするには根拠が弱かったのではないかと思われたりもしますが、元来ノーベル文学賞は1つの作品に対して与えられるものではなく、その作家の作品、活動の全体に対して与えられる賞なので、複数の"受賞対象作"があるのがむしろスジです。ただ結果として、この『個人的な体験』が"受賞作"とされることで、著者のノーベル賞受賞には"家族受賞"というイメージがつきまとうことになった?

 そうした転機となった作品であると同時に、それまでの作品の流れを引く観念的な青春小説でもあると思いますが、そのわりには文章がそれまでの作品に比べ読みやすく、入りやすい作品だと思います。

 一方、主人公の予備校講師バードが逃避する女友達の「火見子」との関係には、ある時代(全共闘世代)の男女の友情のパターンのようなものが感じられ、こうした何か"政治的季節が過ぎ去った後"の感じは、今の若い読者にはどう受けとめられるのでしょうか。

 むしろ今日性という点では、出産前の胎児障害の発見・告知がより可能となった医療環境において、障害児が日本という社会で生まれてくることの社会的な難しさに、今に通じるものを感じました(日本人の平均寿命はなぜ高いのか、ということについて同様の観点から養老孟司氏が考察していたのを思い出した)。

 ラストの、2つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)の数ページは不要だったのではないかという批評がありますが、個人的にもそう思います。主人公が赤ん坊を生かすための手術を受けさせる決心をしたところで、そのまま終わっておいても良かったように思いました。

個人的な体験9.jpg(●2023年追記:2023年3月に作者が亡くなったのを機に再読した。かつて議論となった「二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)」の数ページは不要だったのではないかという問題に、作者自身が「文庫あとがき」(《かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた。》というタイトルになっているが、これは二つのアスタリスクの前にある文章の引用である)で答えていたことを再認識した。つまり、多くの人が「かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた」でこの小説を終わらせた方が良く、エピローグは要らなかったと批判したことに対する作者の答えである。

 エピローグの要不要と言うより、この言わば三島由紀夫  2.jpgハッピーエンディング的な結末については三島由紀夫の批判が有名で、三島は「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが(略)」「暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか?」と述べている。

 一方、最近では、『ハンチバック』で障害者のリアルを描いて芥川賞を受賞した市川沙央氏が、雑誌『ユリイカ』の大江特集('23年7月臨時増刊号)に寄稿し、「日本文学における障碍者表象の実績に大江健三郎が負ってきた比重は大きく、そして孤高だった。(中略)私は『個人的な体験』の**語のハッピーエンドを、絶対に支持する」としている。)
 
 【1981年文庫化[新潮文庫]】

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大江健三郎の最も青春小説っぽい作品。村上春樹「風の歌を聴け」と比べると...。

叫び声 (1964年) (ロマン・ブックス).jpg叫び聲.jpg 叫び声6.jpg 『叫び声』講談社文芸文庫.jpg 叫び声.jpg
叫び声 (1963年)』『叫び声 (講談社文庫)』['71年]『叫び声 (講談社文芸文庫)』['90年]
叫び声 (1964年) (ロマン・ブックス)

 二十歳の「僕」、17歳の{虎」、18歳の「呉鷹男」の3人は、偶然アメリカ人の邸に同居することになり、ヨット「レ・ザミ(友人たち)号」での航海を夢見て"黄金の青春の時"を過ごすが、そんな中、呉鷹男が悲劇的な事件を起こし(小松川女子校生殺しの少年がモデルになっている)、彼らの夢は挫折へと向かう―。

 その小説が「難解」の一言で片付けられがちな大江健三郎ですが、彼ぐらい作風が微妙に何度も変化している作家は少ないのでは(学生時代から作家であるわけだから当然かもしれないが)。

 大江健三郎は、初期作品だけでも 『死者の奢り』('58年)などのサルトル哲学っぽいものから、長男誕生を転機とする『個人的な体験』('64年)までの間にさらに、『われらの時代』('59年)、『性的人間』('63年)などの過激な性的イメージに溢れた作品群がありますが、この作品は'62年、大江が27歳で書いた長編(長めの中篇)で、系譜としては「性的人間」や「セヴンティーン」に近いものです。

 以前にこの『叫び声』を読んだとき、途中ユーモラスな部分もあるものの、やがて3人がそれぞれに閉塞状況に追い込まれ、最後はかなり暗いムードが漂う印象を受け、その「暗さ」が案外よかったのかも知れませんが、石原慎太郎の『太陽の季節』などと('55年)比べても、"青春小説"としてはこちらの方が上だと感じました(『太陽の季節』は「明るい」系か。大江健三郎と石原慎太郎は絶対に相容れないなあ)。

 大江の最も"青春小説"っぽい作品だと思っていますが、仏文学の翻訳のような文体(読みやすくはない!)が、後世代の純文学"青春小説"の代表作とされる村上春樹の『風の歌を聴け』('79年)が米国小説の翻訳のような文体であることとの対比で興味深く感じます(村上春樹の読んでいて"心地よい"文体に比べると、大江の方がずっと読みにくいが)。

 その他にも、「僕」と言う1人称主人公や(大江はサルトルの「神の視点は実在しない」という考えを受けて1人称を用いている)、その他登場人物の呼称に「虎」(『叫び声』)とか「鼠」(『風の歌...』)など動物名を用いているなど、大江健三郎と村上春樹のそれぞれの初期作品には、何か不思議に通じる部分があります。

 江藤淳に登場人物のリアリティの無さを批難された大江ですが、作家個人の内面で創出された自己分身的キャラクターと言う風に捉えれば、そこにも村上春樹との共通点が見出せるような気がします。

 【1971年文庫化[講談社文庫]/1990年再文庫化[講談社文芸文庫]】

《読書MEMO》
●「ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫び声が自分自身の声でなかったかと、わが耳を疑うということだ」 (書き出し文)

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